第十章・7 -魔王の玄室-

 

 宵闇の国、ポドールイが静寂なる新月の夜(といっても常に暗いので昼夜の区別は曖昧だが)を迎えた頃。
 僅かな星明かりに照らされながら、レオニード城の門前へ雪と共に舞い降りた巨竜を前にして、カタリナは心底呆れたような表情で腕を組みつつ見上げた。

「・・・まさか一日足らずで来るとはね」
『呼んでおいてその言い種とは、我も随分と舐められたものだ。焼き払うぞ』

 随分な出迎えの言葉に応えて口角の隙間から青白い電流を覗かせつつ、巨竜グゥエインが熱り立つ。
 後方から両者を見守る教授は興味津々の様子で竜を観察し、一方ヨハンネスは腰を抜かした様子で雪原にへたり込んでしまっていた。

「つまり貴方、以前私を乗せていた時は速度を調整していたってことね」
『当然だ。人間を背に乗せて全力飛行などしたら、あっという間に吹き飛ぶだろうからな』

 以前ビューネイとの戦いにタフターン山近くまで赴いた時には、大凡二日程度を要した。それでもカタリナはグゥエインの背にしがみつくことが精一杯といったような有様であったから、確かにその倍の速度となれば、為す術なく吹き飛ばされていたであろうことは想像に難くない。

「・・・まぁいいわ。もう体は大丈夫なの?」
『無論だ』

 そう言って翼を広げて見せたグゥエインの巨体は、僅かな傷が残っている様子もない。
 その様子に一先ず安心したカタリナは浅く頷いて微笑みながら、組んでいた腕を解いた。

「ならよかったわ。それで呼び立てた理由なのだけど・・・」
『大方の予想はつく。お前の足では行けぬところへ向かうためであろう』

 カタリナが言い切る前に、グゥエインが口を挟む。
 全く察しのいい相棒に、カタリナは小さく肩をすくめてから、腰のポシェットへと手を伸ばす。そして布に包まれた黒鍵を取り出すと、それを開いてグゥエインに見せてみた。

「この布に、ポドールイを起点にした地図が記してあったわ。目的地はここより更に東・・・見捨てられた地の北方を示しているみたい。何かその辺りに心当たり、ある?」

 差し出された黒鍵と布の匂いを嗅ぐかのように鼻先を近づけて暫し観察していたグゥエインは、もたげていた首を徐に夜空に伸ばし、ゆっくりと東に向けた。

『貴様らが見捨てられた地と呼ぶ場所は、この三百年ずっと、異様な濃さの瘴気に塗れた土地であった。そこに記されている場所は恐らく、最も濃い瘴気の渦巻く場所・・・彼の地の北方にある山脈のあたりだろう。何度かその近辺を通ったことがあるが、空からでもわかる悍ましさであった』
「見捨てられた地の北方の山脈、か・・・。そんなところに一体何が、って言いたいところだけど・・・とにかく行ってみるしかないわね」

 カタリナは自分に納得させるようにそう呟くと、教授とヨハンネスへ振り向く。

「エレン達が聖杯を持って戻ってきたら早速、魔導器製作の着手、よろしくお願いします」
「任せなさい。この私に作れぬものはないわ」
「どこまでプロフェッサーのお手伝いができるかはわかりませんが・・・頑張ります」

 両名の返答を聞いてから軽くお辞儀をすると、カタリナは颯爽とグゥエインの背に乗る。
 なんだかんだカタリナが乗ろうとするのを察して身を屈めてくれるあたり、グゥエインはそこらの奴より実に気遣いのできる竜である。
 グゥエインの背に乗ると、巨龍種が持つ朱鳥の加護がすぐに自分にも伝わってくる。これがないときっと高高度では凍え死んでしまうのだということを体感で知っているカタリナは、ポドールイの寒さも相まって思わずグゥエインの竜鱗を撫でながら安堵の息を吐いた。

「はーあったか・・・」
『我を焚き火か何かと一緒にするな』

 呆れたようにそう呟きながらグゥエインは身を起こし、両翼を雄々しく広げる。それに合わせて周囲の柔らかい雪が舞い上がり、見送る教授らの頬を撫でた。

「じゃあ、行ってきます」

 自分というよりは巨竜が飛び立つ様を観察することに専念している節がある教授に一応手を降り、竜と共に飛び上がる。瞬く間に空高く舞い上がったグゥエインは宵闇に紛れ、東へ進路を取った。

 

 

 見捨てられた地。
 地名というにはあまりにもさもしい名のその地は、現在発行されている世界地図の東の端に広がる、未開の地である。
 いや、未開というのは正確ではないかもしれない。かつてそこには人が住んでいたとされており、今より六百年の昔、魔王によって人が住めぬまでに汚染された地であるからだ。
 その地の北部は、極寒の地。大地は凍てつき、風は凍り、一切の生命を寄せ付けない白銀の地。
 その地の中央部は、腐れし樹海。毒沼と瘴気に塗れた汚染樹林が広がり、その合間には邪悪な魔物が跋扈する醜悪なる腐海。
 その地の南部は、死せる乾きの大地。玄武の恵みを失った砂と岩だけの荒れた地肌が広がる、草ひとつ生えぬ不毛の荒野。
 かの聖王ですら復興を断念したとされるその地は、この六百年の間に人類が手を出してこなかった禁忌の地だ。

「かつて魔王軍が東方へ侵攻した際、見捨てられた地に点在していた諸国は連合軍を組み、天術を用いて魔王軍に対し連戦連勝を重ねたというわ。でもその僅か一年後、魔王自身が戦線に出たことで連合軍はあっさり全滅。東方諸国があったとされる土地がまるごと、瘴気渦巻く死の大地となった・・・というのが聖王記に書かれている概要ね」
『筋書きは知らぬが、死の大地という記述は概ね正しい。幾つか廃墟の類も見た覚えがあるので、それが恐らく滅ぼされた国とやらだろう。しかし・・・』

 地表の観察ができるように比較的低空を飛びながらカタリナの話を聞いていたグゥエインは、飛行しながら怪訝そうに唸った。

『どうにも以前より瘴気が薄い。前はもっと上空でも不快に感じたが、今はこの高さで軽微に感じる程度だ』
「私にはまだ全くわからない・・・竜の感応能力ならではなのかしら。しかし前より瘴気が薄まったというのは、悪いことではないんだろうけれど、気になるわね・・・」

 人類がこの地を六百年の間放置していたのは、まさしくその瘴気が大いに関与していた。
 例えばロアーヌから東に向かう先に広がる腐海は、見捨てられた地の中では最も到達が容易だ。かつて聖王が視察を行ったのも、その辺りだとされている。
 そして聖王は、腐海を覆う瘴気を前に、その地の復興を断念した。腐海の瘴気は、それこそ人が足を踏み入れれば一日と持たず気が触れてしまうほどの濃さであったのだ。

『実際は、北へ向かうほど瘴気の濃度が高くなっていた。この辺りの山岳地帯はその気候以前に、魔物ですら近寄らぬ類の瘴気に覆われていたものだが・・・それが薄まっている』

 グゥエインは眼下に広がる山脈を見下ろしながら、徐々に高度を下げていく。
 山間まで覆うような薄暗く分厚い雲の間をすり抜け、薄暗い山肌を視認できる高さまで降りてくると、間も無くその先には山に囲まれた湖が見えてきた。
 その辺りに来た時、カタリナはふと、自分を呼ぶ声を聞いたような気がした。
 この感覚はここ数年で何度か経験している。間違いなく、聖王遺物が何かに感応した感触だ。

「・・・あの湖の辺り、降ろしてもらえるかしら」

 カタリナに言われる通りにグゥエインは更に降下し、険しい山脈の間にぽつんと置かれたような小さい湖の畔に降り立つ。
 かくしてその湖の畔には、明らかに人工的に作られた石造りの小さな建造物が鎮座していた。
 グゥエインから飛び降りたカタリナが周囲を調べるが、その石造りの建造物以外には何も見当たらない。
 そしてこの建造物には窓らしきものが無く、ただ一つ備え付けられている扉らしきものも、固く閉ざされている様子だった。

「・・・これ、かしらね」
『そのようだな。ここは流石に瘴気が濃い。不快ゆえ、早々に行ってくるがいい』

 グゥエインから実に心のこもった見送りを受けつつ、カタリナは石扉の前に立った。
 見た限りは単なる石壁だが、手で触れてみると、これは単なる石材ではなさそうだということがカタリナにもわかる。なにしろ触れただけで、王家の指輪やブーツなど、身につけている聖王遺物が騒がしいほどに反応を示すのだ。
 これは感覚としては魔王の斧や盾といった、魔王遺物に近い代物に思えた。
 間違いなくここは、魔王に何らか関係のある場所だろう。

(魔王によって汚染された地にある、魔王所縁と思われる建造物か・・・魔王遺物でも眠っているとか・・・?)

 扉と思しき模様が描かれた正面の壁には、小さな鍵穴がある。
 カタリナは懐から黒鍵を取り出し、そのまま鍵穴に差し込んでみた。
 すると黒鍵はカタリナが回すでもなく勝手に動き出し、ガチリ、と開錠を知らせる音を発したかと思うと、役目を終えたかのように呆気なく崩れ去ってしまった。
 そして次の瞬間、石扉が黒鍵と同じようにその役目を終えたように音もなく塵状に崩れ、中へと誘う道が開かれる。
 だが、何らかの術でも施されているのか、外から見る中の様子は全くの暗闇で、一歩先すら見通せない。

「・・・・・・」

 カタリナが慎重にその暗闇へと足を踏み入れると、まるでそれを待っていたかのように建物内に淡い灯りが灯る。
 カタリナは特に驚く様子もなく、歩を進めた。
 するとすぐに一本道は終焉を迎え、この建造物の大部分を占めていると思われる広間に出た。
 何の装飾もない無機質な空間が広がる部屋の奥にあるのは、簡素な台座と、その上に鎮座する石棺に石碑。
 そして、石棺の上に座って静かにこちらを見つめる、一つの人影であった。

「・・・まるで、待っていたとでも言いたげね」

 素早く腰のロングソードに手をかけながら、カタリナが睨む先。
 石棺の上に腰掛けている人物は、彼女の問いかけに応える代わりに、僅かに笑みを作ってみせた。

「当然説明は・・・いや、これまでのことも含め私が納得するまで、全てを洗いざらい話してもらう。いいわね」

 カタリナの怒気に満ちた視線を受けながらなお、湛えた笑みを崩さない人物。
 その者こそは、自らを聖王記詠みと自称する風変わりな格好の詩人であった。

 

パチ、パチ、パチ、パチ、パチ・・・

 無音だった空間に、軽快に手を打つ音が滑稽なほど良く響きわたる。
 その拍手の発生源である詩人を睨みつけながら微動だにしないカタリナをよそに、当の詩人は心底愉快そうに笑みを作りながら、次には両手を広げて歓迎を示すポーズをした。

「やはりここに来たのは、貴女でしたね」

 詩人が言葉を発するとなんだか急に瘴気が濃くなったような気がして、思わずカタリナは軽い吐き気を覚えながら眉間に皺を寄せる。
 詩人はそんなカタリナに対して仰々しく会釈を行い、まるでこの空間を案内するかのようにふわりと腕を左右に広げてみせた。

「よくぞ、ここまで辿り着きましたね。ここは悠久の果てへと想いを馳せ、創造主への叛逆を誓い、飽くなき願望と共に長き眠りについた最初の宿命の子・・・魔王の玄室です。つまり・・・」

 詩人は勿体ぶるように、広げていた方の手をゆっくりと自らの胸元に当て、もう片方の手で特徴的なとんがり帽子を脱ぐ。

「つまり、私の玄室です」
「・・・・・・」

 しばし、カタリナは眉間に皺を寄せたまま、無言で目の前の人物を見つめる。
 まず考えたことは、目の前の男が狂人か否か、ということだった。
 魔王やその生まれ変わりを自称する不逞の輩というのは、不思議なことに一定周期で世の中に現れるものだった。その殆どは魔王信仰宗派の中で教祖を自称する賊の類であり、名乗ってから幾許かの後、民衆を誑かす邪教として近隣の軍団に殲滅させられる運命にあった。
 だが恐らく、目の前の人物はそういった類の狂人ではないだろう。
 そもそも気が触れていようがいまいが、人類がこの場所に辿り着くことは不可能に近い。
 それはここまでグゥエインの背に乗ってきたカタリナだからこそ、よくわかる。
 となると目の前の人物は、高い確率で「人間ではない何か」という事になる。
 では、狂人ではなく魔物か?
 いや、それも異なる。
 魔物や妖魔の類には人と見分けがつかない者も確かに存在する(それこそレオニード伯爵などがその典型だ)が、そういった存在は相対すれば、人と異なる気配を必ず感じるものだ。
 特段、聖王遺物を身に付けているカタリナだからこそ、それに気付かぬことはまずない。
 だが今も過去も、この詩人に対してそういった類の違和感を感じたことはなかった。
 では狂人でも魔物でもなければ、魔王か?
 それは、残念ながら彼女には判断のつかぬことであった。

「貴方が・・・魔王・・・?」

 答えの見えぬ思考の行き止まりに当たったカタリナは、漸くそれだけを微かに呟いた。

「貴方が、魔王ですって・・・?」

 今度は、はっきりと声に出す。
 すると詩人は事も無げに浅く頷き、肩を竦めた。

「はい。あーでもまぁ正確にいうと、魔王だった者、のほうが適切ですかね」

 魔王だの魔王だった者だの、そのような言葉遊びを聞きたいわけではないカタリナは、一先ず自分なりの確認を行うことにした。

「・・・冗談にしても、面白くないわ。じゃあなにかしら、貴方、今年で御年六百歳を超えるお体ってわけ? その割には、随分お若く見えるけれど」
「はい、なにせ今は芸事に生きる身ですからね。朝晩のスキンケアは欠かさず、入念に行なっています」

 この軽口。
 これは間違いなく彼女の知る、聖王記詠みを自称するいけ好かない男だ。
 その気配は、やはり人間そのもの。
 だが、聖王遺物を身につけているカタリナですら吐き気を催すほどのアビスの瘴気に塗れたこの場所で平然としていられる人間など居ないこともまた、彼女は知っている。
 だがそんな彼女の心中などまるで気にせぬ様子で、詩人は続けて言葉を発する。

「さて、人類がここまで到達することができたことを祝し、貴女にはとっておきの物語を是非とも披露したいと思います。少々長居には適さない場所で恐縮ですが・・・お聞きになりますか?」

 詩人の言葉に、カタリナは無言で浅く頷く。今の言葉はまるで自分が人類ではないと断じるような言い方であったが、しかしいちいち突っ込みを入れるのも面倒だと考えた。
 カタリナの素直な反応に詩人は満足げに頷き返すと、手にしていたとんがり帽子を再び被り直しながら、ゆっくりと石棺を降りた。

「とはいえ流石に記憶も朧げですからね・・・所々思い出しながらになるのは、ご容赦ください」

 おほん、と咳払いをした詩人は、まるでこれから詩を詠い始めるかのような素振りで、静かに語り始めた。

「ではまず、私がここに至るまでのお話から始めましょう。時は聖王前歴二百七十年あたり、当時魔王として活動していた私は古メッサーナを始めとした諸国を制圧したのち、軍をゲッシアへと進めました。目指したのは今の世界地図にはない、もっと東の地。貴女にも分かりやすく言うならば、即ち第五のアビスゲートを目指したのです」

 それはまさに、先ほどカタリナがグゥエインに対して語って聞かせた聖王記の歴史だった。

「私がそこを目指した目的とは即ち、この世界の全てに死を伝え、破壊を齎すこと。そして・・・母なる死の星へと還ること」

 瘴気に塗れ陰鬱とした室内には不似合いなほど良く通る声で、詩人は語る。
 六百年の昔、魔王軍が第二次ゲッシア侵攻にて自軍勝利の大勢を決した時、魔王は己が肉体の限界を察知した。
 彼が魔王として行使してきた力は、人の体には余りあるもの。それこそ四魔貴族をすら従えるほどの力を振い続ければ早々に限界が訪れるだろうということは、分かりきっていたことであった。
 この時、多少それが彼の予測より早くきた、というだけであった。
 魔王はすぐに戦線を離れ、暫しの眠りにつくための場所に向かった。
 それが、この地である。

「聖王記第一章第一節『魔王伝記』にて、魔王没すと人々は語った、とされています。なのでまぁ、それに合わせてここを玄室、と呼ぶことにしました。あ、ちなみに一部の歴史学者なんかが、魔王は時の英雄アル=アワドに深傷を負わされたのではーなんて説を提唱していますが、流石に当時の人間に遅れをとるようでは、魔王なんてやっていられませんからね、流石にそれはデマですよ?」

 本気で心外だというように表情でも語りながら、詩人は石棺の後ろにある石碑へと歩み寄り、その石碑へと手を添える。
 すると石碑は塵となって崩れ落ち、奥へと続く通路が現れた。

「少し、場所を変えながら話しましょうか」

 言うだけ言うと、無警戒で通路へ向かう詩人。その背中を背後から蹴り倒してやりたい衝動に駆られるも何とか抑えつつ、カタリナは無言でその後を追った。

「玄室というのは勿論洒落で、死ぬ気は全然なかったんです。無理をさせた体を瘴気で癒し、然るのちに活動再開する。そのためにここを用意したのです。ただ・・・少し想定外が起きましてね」

 魔王「だった者」が次に目覚めたのは、眠り始めてから三百年近く経った頃であった。

「あの目覚めの時は、今も鮮明に覚えています。あれは全く経験したことがない、実に・・・実に、清々しい目覚めでした」

 起きてすぐ、彼は自らの内に起きている異変に気付いたという。
 死に魅入られ、死の星を求る自らの宿星と宿命。それが、一切感じ取れなくなっていたのだ。
 それはまるで長い長い夢から覚めたかのように、眠りにつく前はずっと彼の中で渦巻いていたものが、忽然と消え失せていた。

「ほんと、びっくりするくらいどーでも良くなっちゃってたんですよ。まるで、何度も何度も繰り返した『ごっこ遊び』に突然飽きた子どもみたいに。ただ・・・これは『魔王』が背負っていた宿命の消失を意味するものではありません。その宿命の根源・・・『混沌の意思』とでもいうべきものが、この体を離れただけ。そこだけは、何故かはっきりと確信していました」

 目覚めと共に生きている意味、即ち宿命を失ってしまった男は、目的なく諸国を巡ることにした。
 当時は、四魔貴族による数百年の支配が続いた凄惨たる暗黒時代。町中にさえ人間の死体が幾つも転がり、魔物に体を食いちぎられ絶命していく人間の叫び声が聞こえない日はなかった。
 そんな光景を見ながら男は、世界を覆う瘴気や四魔貴族の力を鑑みれば人が死に絶えるのはそう遠い話ではないだろう、とぼんやり考えていた。
 無論、それに対して何も思うところはない。なにしろ男には為るべきことなど、何もないのだから。
 そうしてただただ混沌の世界を見つめながら放浪する中で、男は北方の寂れた農村を訪れた。
 後の世では聖都ランスと呼ばれるその小さな農村で男は、一人の少女を見つける。
 その少女こそは、世界が選んだ、次なる宿命の子であった。

「ちょっとまって。少女ってどういうこと。それは聖王様ではないの?」

 暫く黙って聞いていたカタリナだったが、流石に口を挟む。
 三百年前の死蝕の際に現れた宿命の子、即ち聖王とは、男だ。
 聖王記に描かれる肖像も、各地に伝わる絵画も、そしてカタリナ自身が王家の指輪を通じて見た姿も。その全てにおいて、聖王は男性だった。
 だというのに今の話に出てくる宿命の子が少女というのは、史実と異なる。

「まぁまぁ、聞いてください」

 しかしてカタリナの質問を軽く受け流しながら、詩人は通路の先にあった扉を開く。
 開かれた扉の先に現れたのは、寂れた農村の入り口であった。どことなくその地形が、聖都ランスのそれに近しいようにも見える。
 慌てて背後を振り返ると、通ってきた扉は既にない。
 そこで漸く、これは王家の指輪に見せられたような幻想の類であろうと気付く。

「あぁそうそう、こんな感じでした。案外覚えているものですね」

 一人勝手に呟きながら、詩人が続ける。
 少女はその出生ゆえか、目立たぬように生かされていた。
 そう仕向けた家族の判断は、少女を生かすという意味では正しい。なにしろこの時代に死蝕を生き残ったなどと分かれば、魔王の再来として直ぐさま命を奪われるであろうからだ。
 死蝕の中で初めて一人生き残り、祝福の子とまで言われた自分とはまるで正反対の境遇だなと、男は他人事のように思った。
 男は考えた。死の星を求る宿命は、この少女に移ったのだのだろう、と。
 であればたとえ少女の家族が少女の出生を秘匿し少女に退屈な生涯を送らせようとしても、宿命は決してそのようなことを許しておかない。
 やがて世界が少女を求め、少女の周りには甘美なる死が、ばら撒かれることになる。
 無垢な少女は死に魅入られ、破壊を求める第二の魔王となり、世界に更なる死を振り撒きながら東を目指していくのだろう。
 それはきっと、男の時よりもずっと楽に進むはずだ。
 なにしろ、舞台は整っている。男の手によって人類の弱体化、四魔貴族の招呼と、多くの仕込みを終えてあるのだ。これならば第二の魔王は、容易く死の星へ到達できることであろう。

「私の中にはすでに、破壊へと駆り立てる衝動はありませんでした。ですが少しだけ、気になったんです。私が目指していたものを引き継ぐこの少女が、はたしてどんな処に向かうのか。私が目指していたものは、どんなものだったのだろうか?」

 そんな小さな興味から、男は少女を暫く観察することに決めた。
 男がランスに滞在を始めた翌年、少女は奴隷商人に攫われた。
 この時代は、人と死の距離が非常に近かった。飢餓、疫病、魔獣被害、そして人間同士の殺戮と略奪。そういったものが人の生活圏と常に近しい距離で起こっていたのだ。だから少女が攫われることも、別段珍しいことでもない。男はそれを助けるでもなく、密かに後を追った。
 すると予め定められていたかのように、奴隷商人の馬車は街道で魔物に襲われた。奴隷商人らは為す術なく食いちぎられ、魔物が荷馬車に迫る。
 男は、見ているだけだった。もし少女がここで死ぬのならば、それは少女と世界にとって最も幸福なことかもしれない。そんなふうに、うっすらと考えながら。
 案の定、というべきだろう。
 少女は助かった。
 魔物を滅し少女を助けたのは、通りかかりの武装小隊であった。小隊の護衛団を率いていたのは雄々しき青年フェルディナント。小隊の主は強き意思の光を瞳に讃えし少女ヒルダであった。
 二人は哀れな少女を元いた場所に帰そうとしたが、少女は涙ながらにそれを拒否した。少女は幼いながらに、感じ取っていたのだ。自らが、村で他の住民から疎まれていたことを。己の出生を原因として家族が苦しんでいたことを。
 困った二人は一先ず少女を連れ、国元であるユーステルムへと帰ることとした。
 こうして少女はユーステルムに辿りつき、そこで三年の月日を数えることとなる。
 カタリナの周囲の景色も移ろい、ランスより更に雪深い街へと視界が変貌していく。こちらも記憶に面影があるので、すぐにユーステルムの街であろうと察しがついた。

「フェルって一度身内認定すると、すっごい構うんですよね。毎日熱心に剣を教えてましたよ」

 剣技において非凡な才能を見せた少女は、フェルディナントの元でめきめきと腕を上げた。もう少女には、三年前の臆病な面影はなかった。
 この時の少女は、漠然と焦燥感を抱いていた。救いの見えぬ世界で、あらゆる脅威に怯えて暮らす人々。その中で自分がこうして、日々をただ消費することに対して。
 少女は、旅立つことを決めた。まずは世界を知らなければ、なにも始まらない。その想いだけを抱いて。
 同じくユーステルムに居付き、冒険者稼業に身を窶しながら少女を密かに観察していた男は、ここで少女に同行を申し出ることにした。
 少女の兄姉を自称していたフェルディナントとヒルダはたいそう訝しんだが、当の少女は男の申し出を二つ返事で快諾した。
 同じ街に三年もいれば、少女が男のことを見知っていた可能性はあるだろう。無論、それが男を信用する理由にはならない。だというのに男の申し出を承諾したのは、もしかしたら同じ宿命を宿していたもの同士の何かを、感じたのだろうか。

「こうして私はまんまとパーティーに加わり、彼女を間近で観察し続けました」

 カタリナの周囲の景色が、まるで走馬灯でも見せられているかのように様々な場面へと変化していく。
 旅立ちから三年をかけて少女と男は世界を回り、その道中で多くの人々に出会っていった。その中にこそ、後の世に聖王十二将と呼ばれることになる勇士達がいたのである。
 古メッサーナの地では、後に聖王三傑に数えられながらも敵対関係として出会ったパウルスと、その従者アウレリウス。東に行けば、武人オトマン。西では後に少女の後見人となるフルブライト十二世や、その息子チャールズ、従者の臆病なソープ。そして大賢者ヴァッサールなど。
 聖王記をはじめとした歴史書には記載されていない事実や載っていない人物など、その光景を見ているだけでもとんでもない情報量が次々と飛び込んでくる。

「ち、ちょっとまって。色々聞きたいんだけど、一つだけ。アウレリウスって、聖王様の御名よね。パウルス様の部下って、どういうこと?」

 アウレリウスとは、聖王記に刻まれる聖王その人の名だ。ごく一部にその表記があるだけで主には聖王としか記されないが、唯一聖王の人となりを表す名詞として、この世界では広く知れ渡った名である。

「ふふ、ちゃんとそこも話しますよ」

 まるで悪戯の種明かしをするのが勿体無いとでも言いたげに、詩人が笑う。その表情を心底鬱陶しく思いながらも、カタリナは辛抱強く耳を傾けることにした。
 カタリナと詩人を取り巻く景色は更に移ろい、ウィルミントンと思われる場所へと変わった。
 成長した少女は十八歳を迎えた時、フルブライト十二世の養子に迎えられることとなった。
 利発に、そして見目麗しく成長した少女に人並みの幸せを享受してほしいと願ったフルブライト十二世らの想いは、誰にも否定できるものではなかっただろう。
 少女が養子となることを受け入れた時、男はもう、これ以上少女の観察をすることをやめようと考えていた。
 ランスでの邂逅から都合七年ほど少女を見てきたが、その中でどうにもこの少女が自らと同じ道を辿る未来が、思い描けなくなっていたのだ。
 であればもう男には、少女の近くにいる理由もない。
 男は一人、その肉体が滅ぶまで再び世界を宛てなく彷徨おうかと考えた。
 だが、それを止めたのもまた、少女であった。

「彼女ったら酷いんですよ。次の目的が定まるまでは自分の元にいろ、って言うんです。どうせ行く宛てなんてないんだろって決めてかかってるんですよ?」
「その通りじゃないの」

 場面は、満天の星空を仰ぐ山の頂へと移っていく。
 フルブライトの養子となった少女はそこから二年、弛まず戦技の研鑽を重ねた。男は、指導役としてそれに付き従っていた。
 この時、男は少女が以前の焦燥感とも異なる、もっと明確な「何か」に駆り立てられ始めていることを悟っていた。
 だがそれは、かつて男の内に生まれたものとは異なるもの。それこそ、真逆と言ってもいいもの。
 それは死へと向かう誘惑ではなく、溢れる生命力による反発。
 ある夜、少女はデマンダ山脈の最も高い頂に立ち、手にしていた一振りの剣を満天の星空へと翳した、
 すると空に煌めく星々から少女の持つ剣へ、次々と星の力が降り注いでいったのだ。
 それは男がこれまで見てきた、いや、これから見るものも含めてきっと、どんな景色よりも美しいと思わせる光景だった。
 現代には聖王遺物として伝わる比類なき力を秘めた武具が最初に誕生したのは、この瞬間であった。
 七星剣、と名付けられたその剣を鞘に収めた少女は側に控えていた男に振り返り、申し出た。
 四魔貴族を討つための戦いに、ついてきてほしいと。

「笑っちゃいますよね。四魔貴族を呼び寄せた張本人に、追い払う手伝いを頼むんですから」

 男には特に目的などなかったので、それを断る理由もなかった。
 それから間も無くフルブライト十二世によって諸国に四魔貴族討伐の号令が発せられ、戦いが始まった。
 この戦いの最中で、少女の元にはかつて出会った勇士達が続々と集った。
 そうして戦いが始まってから四年、少女が二十四の頃、ついに四魔貴族討伐の偉業が成し遂げられたのである。

「このあたりは聖王記に記してあるので、話すまでもないでしょう。戦いの中で数々の宝具が生まれ、幾つもの尊い犠牲を払い、遂に少女は全てのアビスゲートを閉じたのです」

 いつの間にか周囲の景色は、荒れた山間の崖に移り変わっていた。
 カタリナはこの景色に、なんもなく見覚えがある。恐らくは、ルーブ山脈だろう。
 四魔貴族征伐の後、歴史上で語られた聖王最後の戦いの舞台。

「・・・で、そのあとは巨竜ドーラ征伐譚で終わり、というわけね。じゃあそろそろ、質問をしてもいいかしら」
「私に答えられることならば」

 お待たせしました、とでも言わんばかりに詩人が身近な岩に腰変えるのを半眼で睨みながら、カタリナが口を開いた。

「まず先ほどの質問に答えて。貴方の語った少女とは、一体何者なの。聖王様は、男性のはずよね?」

 まずは、そこだ。
 聖王記には抽象的な挿絵が僅かにあるだけだが、基本は男性として世界に解釈されてきた。
 それにカタリナは二度、その姿を見てもいる。一度目は初めて魔王殿で少年から王家の指輪を受け取った時。二度目は、ピドナでモニカらと合流した時だ。
 その姿はどことなく聖王記の挿絵に似ているような気もして、間違いなくそれが聖王記に記された聖王であろうということを感じさせた。
 しかし詩人は曖昧な笑みを浮かべ、逆にカタリナに問いかけた。

「貴女は、指輪の記録も視ていますよね。記録の中の青年は、自らの名を名乗っていましたか?」

 言われて、カタリナは思い返してみる。聖王様の言葉を聞いたのは、二度目の記憶、ピドナでの時だ。あの時、何と言っていたか。

「・・・いえ、名乗ってはいないわ。ただ確か・・・その場にいたらしいヴァッサール様が、聖王様のことを・・・」

 なんと、呼んでいたか。
 細い記憶の糸を必死に手繰っていたカタリナは、漸くその糸を手繰り寄せ、はっとした表情で顔を上げた。

「・・・アレックス。そう・・・聖王様は、アレックスと呼ばれていたわ」

 

 

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