第十章・5 -吸血鬼の城-

 

 それは遠い昔のある刻、何の前触れもなく、唐突に訪れた。
 思い思いにその日を過ごしていた住民たちが、突如として闇に蠢く虚空を、成す術なく見上げる中。街、そして国全体が、ゆっくりと、まるでそっと腕に抱かれるかのように、宵闇に包まれていった。
 それがいつ起こったことなのか、覚えているものは誰一人として、もう生きてはいない。
 少なくとも、人としては。
 街に残る古文書の記録に残っている限りでは、数百年程度は昔の話だ。人が何世代か生まれて死ぬには十分なほどの時間を、この街はずっと、宵闇に包まれてきた。
 時を刻むことを忘れた街。そう呼ばれるこの地に訪れたものは、誰しもが時間感覚を多少なり狂わされてしまう。
 柔らかい上質な絹に包まれているかのように、心地良い宵闇。そんな宵闇に抱かれ、ひとたび眠れば二度と目を覚まさぬような錯覚に襲われる者もいるという。
 その宵闇に抱かれる街の名は、古都ポドールイ。
 世界地図では最北東に位置し、現存する都市の中では最も長い歴史を持つ、雪深い古の都。
 そして、おそらく世界中で唯一、人類以外の存在が公的に治める人類生活都市でもある。

 

 ふわりふわりと雪が舞い降る丘の上に、いかにも古めかしい作りの古城があった。
 古都ポドールイの北門から進んだ丘の上にあるその城には、この地一帯を治める領主、レオニード伯爵が住んでいる。
 この地に住む民でさえ一生に一度その姿を見られるかどうか、というほどには出不精な領主だ。
 しかして、そんな領主に対する領民からの信頼は、他に類を見ない程に厚い。この地に限っていえば、恐らくは聖王以上の信仰を集めていると言っても過言ではないだろう。
 その際たる所以は、この地が長く平穏であり続けた、という点に拠る。なにしろこの地の平穏は、かの魔王と四魔貴族に支配された暗黒時代でさえ、殆ど変わらず保ち続けられたのだ。
 その事実に何よりの感謝を子々孫々へ口伝してきた住民らは、たとえ一生に一度すら会えずとも、領主たるレオニード伯爵への畏敬を忘れることはない。
 ただそれも、外部から来た者には関係のない話だ。

「たのもー」

 間も無く新月を迎えようとしている宵闇の下、一見すると廃墟かと見紛うほど静かな古城の正面門前に、カタリナは立っていた。
 しかして訪問の約束を取り付けているわけでもないので、開門を願う声への応答もなく、門は固く閉ざされたまま。そもそも、門番も誰もいない始末である。
 まぁ、この城はいつきてもそうだったが。
 思えば訪問の作法など貴族然とした習慣から自分は随分と遠退いたものだな、などと変な気付きを得て一人うっすらと笑みを浮かべながら、カタリナは改めて周囲を観察する。
 直ぐ目についたのは、降雪具合に反して他より積もりの少ない門前の空間。
 即ち門前の積雪は最近払われたと思われる形跡であり、直近で人か、若しくは人ならざる何かの出入りがここからあった様子なのが見受けられた。
 顔見知り、と言うほどでもないが、カタリナはこの城に住まう住人を幾人か見知っている。
 彼らが(人ならざるもの達をまるで人間のように”幾人”、”彼ら”と呼ぶべきか否か、カタリナはもう気にしないことにしていた)出入りしているだけ、とも考えられる。
 だがカタリナには漠然と、いや、ほぼ確信として、この痕跡は外部からの来訪者によるものであろうと考えていた。

「ねぇちょっと、早く開けてよ。いつまでもこんなところにいたら、お肌に悪いわ」
「ええ、早く入りましょう。一刻も早く落ち着いて、この空をつぶさに観察せねばなりません」

 思案を重ねるカタリナの後ろで、とかく好き勝手に喚く同行者二名。
 キドラントで色々とあった教授はともかく、ヨハンネスも中々に癖があるなということを、ロアーヌからここまでの旅路でカタリナは察していた。これは妹であるアンナの苦労が窺い知れる、というものだ。
 何かに特化した人というのは、その分何かを持っていないものだったりするのだなぁ。無論、ミカエル様以外。ミカエル様は完璧なのだ。
 などと自分の事も棚に上げてカタリナは思うのであった。
 とはいえ確かに、ポドールイ地方の外気は厳しい。この地域は滅多に吹雪く事はないそうだが、それでもしんと冷えた空気が常に体を包み込む事に、なんら変わりはない。
 冷えた体は動きが極端に鈍くなる。それは時として命取りにもなり得る。
 つまりは、あまり長く外にいたくないというのはカタリナとしても同意ではあった。
 しかし、目の前には呼びかけに応えず閉じたままの城門。
 なんとか打開策を模索せんと腕を組み、数秒。
 考えに考えたカタリナは、やがて意を決したように浅く頷いた。

「仕方ないわ、ぶち破ろう」

 潔くそう言い放ち、一歩下がる。
 深く腰を落とし、腰に携えた太刀、月下美人の鞘元に左手を添える。
 澱みない太刀筋にて、一閃で切り崩す。その明確なイメージを鮮やかに脳内で描き、あとはそれを現実とすべく柄に手をかける。

ギギギギギ……

 すると、いかにも稼働限界を迎えた様子の蝶番が悲鳴にも似た断末魔をかき鳴らし、固く閉ざされていた門がゆっくりと開きはじめたのであった。

(・・・予想通り、来たことは分かっていたみたいね。ちょっと乱暴な御願いの仕方だったけれど、まぁ伯爵様も人を驚かせるのお好きな方だし、おあいこよね)

 薄々こうなることを予測していたカタリナは、すぐに抜刀態勢を解く。
 だが、開き切った門の先には人影らしきものは一切なく、薄暗く不気味なエントランスの様子が認められるだけだ。
 かと言って、じゃあ誰がこの城門を開けたのか等という類の疑問は、この城においては野暮というものであろう。

「まるでホラーハウスね」

 教授が興味薄げにそういうと、カタリナは浅く肩を竦めた。

「まぁ吸血鬼の城だし。多少は、ね」

 軽口を叩いたあとに視線を軽く交差させ、三人は城内へと足を踏み入れていった。

 

 苔むした堀、古い城門、その先に広がるエントランスと、年季の入ったクローク室。
 それらは全て、彼女の記憶にある光景そのままだ。

(ここに来たのは数年ぶりだけれど、それがつい先日のようにも感じられる・・・。ここは、本当に何も変わらないのね)

 謁見の間へと続く、よく手入れがされた真紅の絨毯に視線を落としながら、カタリナは思う。
 ロアーヌ侯国とポドールイ伯爵領とはロアーヌ建国から間もない頃より友好条約を結んでおり、自由通行や交易などのやり取りがある。
 カタリナはそうした国交の一環であったり、もう少しだけ個人的な事情などで、過去何度かこの地に訪れた経験があった。

(・・・周囲には何者の気配も感じない。これでは本当にホラーハウスね)

 以前彼女が来た時には人為らざるモノたちがこの城に従事していたはずだが、そのモノたちが見当たらない事だけが、以前と違う事だった。

「・・・・・・」

 三者三様に周囲を物珍しげに眺めながら、特段の会話もないまま奥へと進む。
 レオニードの住まう城は、ロアーヌやピドナ王宮などのように大きな作りではない。エントランスを抜け、階段を上がり、通路の両脇に控える不気味な甲冑の間を通って少し歩けば、そのまま城主と謁見することができる空間へとつながっている、といった作りだ。
 その一本道をレッドカーペットに沿って進んだ先。
 そこには、まるで彼女たちの到着を今か今かと待ちわびていたかのような様子で、領主レオニード伯爵が城主の座に腰掛けて片肘をつき、真紅の瞳で来訪者を見据えていた。
 それを視界に認めつつ前進したカタリナは、適度な距離を保って立ち止まると姿勢を正し、ゆっくりと跪き、首を垂れた。
 すると意外や意外、非常識が服を着て歩いているかと思われた後ろの二人も、背後で膝を落としているようだ。

「ようこそ、我が城へ。久しいな、ロアーヌの騎士カタリナよ」

 レオニードが歓迎の意を表すように短くそう発すると、カタリナは面をあげ、うっすらと微笑んだ。

「お久しゅうございます。卿におかれましては、お変わりないようで」

 普段ならば社交辞令的な言い回しなのかもしれないが、目の前の存在に関しては本当に何も変わらないものだから、まさか言葉の意味そのままでこうした表現を使う時が来ようとは、などと一人可笑しく思う。

「ふふ・・・今日は、随分と珍しい者たちを従えているな。この世界に本来あらざる欲望を宿す二人か、これは面白い」

 随分と大仰な言い回しで教授とヨハンネスを眺めながら、レオニードは言葉通り可笑しそうに微笑む。

「お初にお目にかかりますわ、ロード・ポドールイ。貴方様を目の敵にする隣国から来た非礼、どうか寛大な御心でお許しいただけますと幸いです」
「同じく、お初にお目にかかります。お会いできて光栄です」

 二人がそれぞれ挨拶をすると、レオニードは変わらず笑みを湛えながら、視線をカタリナに移した。

「さて、カタリナよ。それでは此度の来訪の理由を、聞こうではないか」

 宵闇を宿した二つの瞳で真っ直ぐに見つめられたカタリナは、その瞳に吸い込まれそうになる感覚をどこか懐かしく感じながら、強く意識を保つ。
 そして再度首を垂れ、言葉を紡いだ。

「・・・聖杯を、借り受けに参りました」

 短い言葉。
 そして、暫しの沈黙。
 レオニードは微かな笑みを湛えたまま、カタリナをじっと見つめている。
 カタリナはその視線を真っ向から受けながら、少し下に向けた視線を動かさない。
 それはほんの数秒のことであったのだと思うが、視線を受けるカタリナからすると、一夜とも二夜とも思えるような時間にすら思えた。

「時折、そのような用向きで来訪する者たちがいる。二度と会うこともないので、普段は目的も問わずに好きにさせているのだが・・・既に人の身に余る強大な力を操り、かの四魔貴族をも退けた其方が、今になって聖杯を求むる理由・・・些か興味が湧くな」

 そう言って立ち上がったレオニードは、音も立てずに数歩、カタリナへと歩み寄った。

「問おう、騎士カタリナよ。其方は何のために、聖杯を求むのだ」

 レオニードの言葉に合わせて顔を上げたカタリナは、少し物悲しげな微笑みを湛えながら口を開く。

「お答えする前に、一つ訂正をさせてください。わたくしはもう、ロアーヌの騎士ではございません。国を離れ、今は放浪の身でございます」

 カタリナの言葉に、レオニードは薄っすらと目を細める。
 まるでカタリナの表情から何かを探ろうとするかのようにじっと見つめ、やがて一人勝手に納得したように、ふむ、と浅く頷いた。

「・・・ふふ、そうであったか。では再度問おう。剣士カタリナよ、其方がそうまでして聖杯を求むる理由とは、如何なるものか?」

 核心を突くべく放たれたその質問に、カタリナは視線を逸らす事なく真っ直ぐに応える。

「ゲートの先にある深淵・・・アビスへ、向かうためです」

 その瞬間。
 しんと静まり返っていた城の、ずっとずっと下の方。
 暗く蠢く地下から、異様な唸りが響き渡った気がした。
 それはまるで、アビスという言葉にこの城が反応したかのようだ。
 果たしてそれは憎悪からくる唸りのようであり、しかし歓喜に打ち震えるもののようにも感じられる。
 その唸りを受けてのことなのかは不明だが、先ほどよりもさらに目を細め、そして口元には隠し切れぬ嗜虐的な笑みを浮かべたレオニードは、徐に己の懐へと手を忍び込ませた。
 そしてすぐに小さな布包みを取り出すと、隠せぬ笑みを湛えたまま、カタリナに語りかける。無造作にカタリナへと差し出す。

「・・・聖杯を持っていくことを許可しよう。しかし、聖杯を取りに行く役目は其方ではない。先に同じ目的でここを訪れている者達がいるので、其奴らに任せるが良い。それより其方には、もっと相応しい役割がある」

 その言葉を受けながら、カタリナは差し出された包みを両手に賜る。
 無言で促されるままにその包みを解くと、そこには、黒く古めかしい鍵があった。

(・・・鍵・・・もしかしてトーマスが言っていた・・・?)

 カタリナが唐突に差し出された鍵を手にしながら考えを巡らせていると、その様子をすら面白がるようにレオニードは笑みを絶やさない。

「ふふ・・・其方は、かの龍峰ルーブに棲まうドーラの子と盟約を結んでいるはずだな。その竜をここに呼びたまえ。鍵を使うべき場所に行くには、翼をもつ者の力が必要だ」

 そう言いながらこれまた音もなく座へと戻ったレオニードは、ふわりと腰掛け肘をつき、引き続き上機嫌な様子で妖艶に微笑んだ。

「そうと決まれば、早速客間にいる者たちに伝えてくれ。ポドールイが新月を迎える時、聖杯は地下の私の部屋にある。そちらまで来てもらおう。ぜひ生きたままたどりついて欲しいな」

 城の地下と聞き、カタリナは思わず眉を顰める。
 この城の地下には過去に潜った事があるが、その時の苦々しい記憶が蘇ってきたのだ。
 とはいえ、今はそんな苦い思い出を噛み締めている場合でもない。
 なにより、分からないことだらけだ。
 突然に渡された鍵が何なのか。グゥエインの助けを借りなければならない場所とは、何処なのか。聖杯を取る以外の相応しい役割とは、一体何のことなのか。
 とにかくこれらの新たな疑問について、聞けるものならば是非とも詳しく聞きたい。だが、それについて目の前の存在は応える気が毛頭なさそうなことも、その様子から明らかだ。
 自分にもっと学があればここまでの会話から何か分かったのかもしれないが、などと少しは思いつつ。しかしながら、いい加減こういった謎だらけの展開にもカタリナは手慣れたものだ。
 こういう時は、とにかく先に進むのみ、である。

「承知いたしました。お伝えします」

 レオニードの言葉にカタリナが短く応えると、レオニードは満足げな微笑みを湛え、次の瞬間には足元から灰と化し、崩れるようにして、その場から消えていってしまった。

ハハハハハハ……

 そうして広間に残されたレオニードの実に愉快そうな嗤い声を跪いたまま聞き届けたカタリナは、その声が聞こえなくなってから、ゆっくりと立ち上がる。
 それに合わせ、後ろで控えていた教授とヨハンネスも立ち上がった。

「・・・それでは、まずは客間に向かいましょう」

 

ギィィィィィ…

 か弱い魔物の断末魔にも似た蝶番の悲鳴を聞きながら、客間の扉をゆっくりと開ける。
 はたしてそこには、ある程度予想済みとも言える先客たちが、思い思いの様子で寛いでいた。

「え・・・カタリナさん・・・!?」
「やっぱり、来ていると思っていたわ。エレン」

 まず第一に声を掛けてきたのは、どうにも落ち着かない様子でベッドに腰掛けていたエレンであった。

「どうして、カタリナさんがここに・・・?」
「それは・・・後で説明するわ」

 そう言いながら、カタリナは部屋の中の面々を順に確認していく。
 まず視界に入ってきたのは、ハリードだ。
 一見ラフな様子で壁に寄りかかって立っているが、最もその位置は部屋の扉から近い場所で、それは彼の得物である曲刀の一閃が届く距離でもある。常に警戒を怠らない、実に傭兵らしい立ち位置だ。
 そして部屋の奥には、エレンと同じくベッドに腰掛けている少年と、覆面の男。
 魔王殿で出会い、そして魔王殿で再会した謎の少年。その正体は、三百年に一度生まれる『宿命の子』だという。
 未だその事実に現実感はないが、これまでに彼女自身が体験したさまざまな出来事が、それを事実と裏付けている。
 その近くに立つ覆面の男については、カタリナは見知ってはいない。ただ、ミューズらからそれらしい話を聞いてはいたので、恐らくヤーマス出身の者だろう、という事は見当がついた。
 あとはこの場にいないが、微かにこの部屋には、特定個人を彷彿とさせる独特の嫌な残り香がある。それは彼女の苦手な煙草の匂い。つまりは海賊ブラックも、この一行に加わっているようだ。

「・・・どうやらこれでやっと役者が揃った、って事らしいな」

 そう言い放ったのは、ハリードだった。

「役者・・・?」
「あぁ。俺たちがここに来たのは数日前だが、城主に『新月まで待て』とだけ言われて、そのまま今に至っているのさ。空の様子からして、新月は明日だ。このタイミングでお前が来たってことは、そういうことだろう」

 ハリードの言葉を肯定するように、その場の面々が無言で頷く。
 一体なぜレオニードがそのようなことを言っているのかも全くの不明なことであるが、もうそんな細かいことについて気にしているのもきっと、時間の無駄なのだろう。
 素早く思考を切り替えたカタリナは、一先ず城主の言葉を彼らに伝えることにした。

「先ほど、伯爵様に謁見してきたわ。私も、聖杯を借り受けに来たの。でもその役目は私ではなく貴女たちだ、と言われたわ。聖杯はポドールイが新月を迎える時に、地下の伯爵様の私室にあるから、そこまで取りに来てほしいって」
「ほう・・・で、お前は何をするんだ?」

 ハリードの問いかけに、カタリナは小さく肩を竦めながら、ポシェットに入れていた黒鍵を取り出した。

「その場で、これを渡されたわ。これが使える場所に行け、と。場所も、ここではないみたい」
「鍵・・・? え、それが鍵なの!?じゃあ聖杯は鍵ではないってこと!?」

 カタリナが取り出した黒鍵を見て、エレンが立ち上がりながら反応する。
 鍵は、ポドールイにある。ピドナでトーマスが詩人から聞いたというその言葉だけを頼りに、エレンもカタリナもここに来た。
 鍵が何であるのかというのは分からないが、ポドールイにあって他には無いものといえば、まず思いつくのが聖王遺物・聖杯なのである。それほどまでに、レオニード伯爵が聖杯を保持している事は有名な話だ。
 だがカタリナが受け取ったものこそが件の『鍵』なのだとしたら、そもそも聖杯なんていらない。その鍵が使える先へ行こう。早く、早く。
 エレンの声からは、そんな溢れんばかりの感情が読み取れるほどの、わかりやすい悲痛な響きがあった。
 だが、そこに別のところから、声がかかる。

「いいえ、聖杯は間違いなく、私たちが必要としている鍵よ」

 そう言いながら部屋へと入ってきたのは、カタリナの後に続いていた教授であった。
 それに続き、ヨハンネスもいそいそと部屋に滑り込んでくる。

「え、ヨハンネスさん、と・・・誰・・・?」

 唐突に登場した二人に、エレンは更なる疑問符を頭上に浮かべながら目を白黒とさせる。
 エレンやハリードは、ヨハンネスのことは見知っていたのだろう。だが、この中で教授を知っている者は確かにいない。
 ということで、カタリナは軽く捕捉を行うことにした。

「あー、こちらの方ね、普段はツヴァイクの西の森に住んでいる方で、教授って呼ばれているの」
「そう、西の森の大天才とは、私のことよ」
「あ、ついでに私は、ランスを拠点としている天文学者のヨハンネスといいます。はじめまして。エレンさんハリードさんは、ご無沙汰してます」

 その自己紹介に、各々が反応を返す。

「教授・・・あぁ、あの術戦車を作ったという魔導科学者か。驚いた、案外若いんだな」
「あーあの鉄馬車の人かぁ、なんかイメージと違う感じ」 

 エレンとハリードが二人して腕を組みながらそういうと、なぜかそれを褒め言葉と受け取った様子の教授がふふんと腰に手を添える。

「二人とも、なかなかキャラが濃そうだな」
「ロビンさんは、それ言える立場じゃないと思います・・・」

 一方冷静な様子のロビンと少年は、少し遠巻きに話の進行を見守っているようだ。

「で、教授さんよ。あんた今・・・聖杯は鍵だ、と言い切ったな。そこについては当然、説明してくれるんだろ?」

 場が混乱しそうなところをハリードが軌道修正し、的確に質問を飛ばす。
 その場の皆の視線が教授に注がれると、視線を浴びた教授はまんざらでもなさそうな様子でゆっくりと部屋の中へ進み、部屋の中心辺りに陣取った。
 そこに自然な様子でするっと帯同したヨハンネスは、持っていた教授の荷物から手際良く何らかの魔導器らしき物体と珈琲カップを取り出していく。
 そうして茶器が展開されていくのを尻目に、教授は豊かな胸部の下で腕を組みながら、その場の皆へと視線を巡らせた。

「いいでしょう。特別にこの私が、凡人にもわかるように説明してあげるわ」

 

 聖杯。
 それは、聖王の血が注がれたという逸話が残る、聖王遺物の中でも特段に有名な品の一つだ。
 所有者が血を好む吸血鬼レオニードである、という話題性も手伝い、広く世俗にも知られている聖王遺物であるが、一方でその効力面については、殆ど知られていない。
 この聖杯には、僅かな『力』を無尽蔵に生み出すという、他の聖王遺物とは全く異なる奇跡の顕現があるとされている。
 カタリナが使用していた聖剣マスカレイドや、星々の力を宿すとされる宝刀・七星剣。アラケスの魔槍を鍛え直して作られたとされる聖王の槍など、いずれも強力な武具だとされる聖王遺物。これら遺物は、基本的に使用者の術力や気力などを動力として大きな力を発現させる仕組みの魔導器である。
 対してこの聖杯は、使用者を必要とせず独立して力を生み出し続けるという点で、聖王遺物としても魔導器としても、全く異質な代物なのである。

「魔導科学を研究開発する上で、まず最初に考えるべき問題。それが、魔導器の動力をどう確保するか・・・だったわよね」

 ちゃっかり自分も珈琲を啜りながら、教授の近くの椅子に腰掛けたカタリナが呟く。
 それはもちろん、教授からの受け売りだった。
 既存の道具や術式では全く太刀打ちできない類稀なる効果を発現する、魔導器という存在。
 しかし、その魔導器も所詮は『使用者』と『燃料』が無くては動かない。
 如何に強力な兵器であろうと、動かなければ、それはガラクタと一緒だ。

「そう。聖王遺物は確かにとても高度に内部設計された精密な構造の魔導器で、それが発現する力は、まさに比類なき力。それこそ、新しき神にもなれるかもしれない力でしょう」

 カタリナの言葉を引き継ぐように、教授が使い古された古典を引用しながら口を開く。
 それは、ポドールイへと旅立つ前にロアーヌ宮廷の庭園で聞いた内容の繰り返しだ。

「しかしながら使用者と燃料の提供を必要とする時点で、仕組みとしては原始的です。教授はこの仕組みをもとに、魔導器を世代に分けて呼称しているそうです」

 ヨハンネスが的確に捕捉を入れると、教授は浅く頷いた。

「その通り。聖王遺物といっても、仕組み自体はとてもシンプル。仕組みで分類するなら魔導器の原点・・・即ち、第一世代魔導器ね。ただ、他の第一世代魔導器と比較しても内部構造が圧倒的に複雑化しており、それによる効果の飛躍的な向上が実現されているという点で、聖王遺物に関しては第二世代魔導器とした方がいいでしょうね」

 教授が言うには、世界中にある様々な高等術具、即ち魔導器の大半は『第一世代』なのだそうだ。
 第一世代の定義とは即ち『使用者』と『使用者による動力提供』の二つが揃って初めて発動する、一般的な魔導器に期待される効果を発動する代物、である。
 そして第二世代とは、第一世代と同じ要件で発動するものの、その効果が第一世代から飛躍的に向上しているものを指し、マスカレイド等の聖王遺物がそれにあたる、と言うのが先ほどの教授の弁である。
 そして教授が直近で研究してきた魔導器構造を、彼女自身は『第三世代』と定義しているそうだ。

「第三世代の画期的なところは、使用者若しくは動力のいずれか、或いは両方を従来と異なるアプローチで調達し発動する、という点。例えば、私が作り上げたスーパーウルトr」
「ドラゴンマシーン」
「・・・などが、それに当たるわ」

 カタリナの容赦ない切り込みに、教授が少々眉間に皺を寄せながらも話を続ける。
 教授が研究の末に作り上げ、キドラントで起きたいけにえ事件の詫びとして今はカタリナが借り受けている、術戦車。
 戦車といっても車体を引く馬は無く、使用者は必要なものの動力は朱鳥術力による半永久駆動機構を搭載したという、世界に二つとない鉄製の戦車だ。朱鳥術力の外部補給は必要だが、必ずしも使用者そのもの術力を必要とするわけではないという点が非常に画期的なのである。
 あれこそが、現代魔導科学における最先端の代物なのだそうだ。ちなみに教授がいうところの術戦車の正式名称は、スーパーウルトラデラックスファイナルロマンシングドラゴンマシーン、である。
 確かに、その圧倒的な異質さはこの世界にあるまじきものであると、カタリナにもよく分かる。
 あれを初めて見たハリードは、量産化されたとしたら戦の常識が覆る、と断言していたものだ。
 また、術戦車ほど突飛な代物ではないにせよ、ツヴァイクの西にある教授の館付近に設置された、教授お手製の自動照明。あれも地術の力を活用し、使用者もなく自動で点灯する独立駆動型照明機器だ。
 こうした代物を、教授は第三世代魔導器と呼称しているのである。

「そしてその進化系こそが・・・第四世代魔導器。第三世代と比べて飛躍的に向上した性能を持ち、さらに自律発動する魔導器よ」

 そこまで言ってから優雅に珈琲を啜る教授の言葉を続けるように、カタリナが皆に向かって補足する。

「でまぁ、その第四世代魔導器とやらの最たる例が・・・あのアビスゲートなのだそうよ」
「アビスゲートが・・・魔導器・・・?」

 カタリナの言葉に、話についてくるのがやっと、と言った様子のエレンが分身剣の如き疑問符を頭上に浮かべる。
 密林の火術要塞と、タフターン山頂。そこにある二つのアビスゲートを調べた教授とヨハンネスは、その正体が巨大な魔導器であると結論付けた。
 主たる四魔貴族が不在でも独立駆動し、ゲートそのものを含む収容施設全体を自動修復し、三百年周期でアビスと世界を繋がんとする巨大装置。
 残念ながらその動力源の特定には未だ至っていないものの、その機構について教授は大凡の予測はついたと語る。

「アビスゲートの調査によって、私の魔導科学理論は飛躍的に進化したわ。今の私になら、この手で第四世代魔導器を作り上げることも不可能ではないでしょう」
「その為に、わざわざバンガードまで行ったそうだものね。なんでも、そこでずいぶん派手に立ち回ったって聞いたけど」

 カタリナがそう言いながら珈琲を啜ると、教授も合わせて肩を竦めながら珈琲を口につけた。

「バンガード内部を見たことで、魔導器同士の連結発動という仕組みも理解したわ。ま・・・あれを三百年前の人類が作り上げたってとこだけが、にわかには信じられないけれど」

 教授が言うには、海上都市バンガード本体も、その中枢に位置するイルカ像も、いずれも魔導器なのだそうだ。つまりバンガードとは、複数の魔導器によって稼働する複合魔導器ということになる。
 聖王教会が伝播する聖王記によれば、聖王は神より十三の武具を与えられた、とある。それが現在の聖王遺物とされているのだが、実のところ聖王記には十三の武具全てが記されているわけではない。
 この未記載の聖王遺物については考古学や神学など各分野識者の間でしばしば格好の議論の的となる部分であり、それはそれは様々な仮説が立っては消え、現在に至るまで述べられている。
 そこにおいて今回教授は、その効力の異常さ(即ち第二世代相当の効力)という類似性から、バンガードとイルカ像も聖王遺物の括りなのではないか、という識者顔負けの考察を立てたのであった。
 それはこれまで神秘学者を中心に行われてきた議論に一石を投じる実に新しい視点だなと、カタリナは感じたものであった。
 そもそも言われてみれば、神より与えられし十三の武具以外にも聖王縁のものがあってもいいわけで、とすれば聖王遺物イコール十三の武具と限定する理由すらない。であれば、あまり聖王記の記述ばかりに囚われる必要はないのかもな、などと、聖王教会の神父が聞いたら泡を吹いて卒倒しそうなことをカタリナは考えていた。

「あの機構はそのまま、第四世代魔導器の開発に応用できる。となるとあと肝心なのが、結局は動力の確保よ。そして、この課題解決の鍵になり得るものこそが・・・」
「件の聖杯・・・というわけか」

 ハリードの合いの手にも教授は満足そうに頷きながら、再び珈琲を啜る。

「・・・なぁるほどな、バンガードでいうところの玄武術士の役割を聖杯に担わせれば、動力問題は解決ってワケか」

 突然かかった声に皆が部屋の入り口へと振り向くと、そこにはいつの間にやら、ドア部分に寄りかかったブラックがいた。
 教授が挑発するような視線をブラックに向けながら微笑むと、対するブラックはこちらも笑みを浮かべながら部屋へと入ってくる。

「つまりおめぇ、それでアビスに攻め込む『船』を作ろうっつーわけだな。聖王が海底宮に攻め込むために、あのバンガードを作ったように」
「あら、粗野な見た目の割に理解が早いのね」

 教授が実に楽しそうに口角を上げながら微笑んで挑発するが、ブラックはそれを一笑に付した。

「ふん、御託はいい。それよか流石に、これ以上は体がなまっちまう。明日が新月なら、もう城の地下とやらに行こうぜ。何しろここは、海の底に巣食う死霊みてーな気配がうじゃうじゃありすぎて気色悪りぃ」

 それには全く同感だと言わんばかりにハリードやロビンらが頷く中、普段ならいの一番に部屋を飛び出しそうなはずのエレンは、彼らに同調せずにカタリナを見つめていた。

「・・・まだわかんない事が多いけど、とにかくサラを助けるのに聖杯が必要なら、それを取りにいくのはあたし達の役目。でも・・・カタリナさんは何をするの?」

 エレンの言葉を受けて、カタリナは彼女に振り返る。
 カタリナを見つめるその瞳は、一切の曇りがない真っ直ぐな光を湛えている。
 その光は、カタリナからすれば眩しすぎて、直視をするのが躊躇われるほどのもの。
 事実そのような光を見失い、己の本当の意志を一瞬でも閉ざした者だからこその後ろめたさがあるカタリナは、少し節目がちになった後にエレンへ向き合った。

「・・・正直にいうと、これから私が何を為すべきか、私にも分からない。ただ私は・・・私も、サラを助けたい。その想いは、一緒よ」

 瞳を見つめ返しながら、カタリナは毅然として答える。
 エレンはその言葉と視線を受け取るように数回瞬きすると、やがて小さく頷いた。

「・・・ありがとう。助けは一人でも多い方がありがたいわ」

 エレンは短くそういうと、すくりと立ち上がった。
 それに合わせてロビンや少年らも、近くの荷物を素早く手繰り寄せる。

「そうと決まれば、はやいとこ行きましょ。サラが、待ちくたびれちゃうわ」

 

 

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