宵闇の国、月下の騎士団

 

 しんしんと雪の降り積もる雪原は踏みしめられた足跡を即座に白く上塗りしていき、重苦しく灰色に染め上げられた空からは今が日中だとは思えぬほどに、ちっとも光が漏れてこない。
 ロアーヌ北方の関所を抜けてから数日。
 本行軍演習の折り返し地点となるポドールイへと向け、ロアーヌ騎士団はその日の予定を突然の降雪によって大幅に遅らされてしまったものの、着々と行軍していた。
 今登っている峠を越えれば間も無く街が見えるはずなので其処まではこのまま突っ切ってしまおうという指揮官の判断の元に、彼らはこの悪天候の中で速度を緩める事なく前進する。通常の歩行よりも雪が体力を余計に奪うため非常に過酷な行程だが、そのような事態でも脱落する者もなければ弱音を吐く者すらも居ない。それは、彼らが一人の例外もなく強靭に鍛え上げられた屈強なる騎士であることを示していた。
 本行軍演習の現在の指揮官はパットンという男で、間も無く世代交代を迎えるロアーヌ騎士団の新世代の中の気鋭の一人だ。因みに本行軍演習に参加している騎士達はほぼ全てが新世代組で構成されており、パットンも勿論その同期である。今回は幾つかのルートを交代して幾人かが指揮をとりながら進める形をとっており、中間地点たるポドールイまでが彼のターンだというわけだ。
 ところで如何せんこのパットンという男は好戦的な性格で突撃陣形を好み、その行軍も荒々しさが垣間見える。
 それはこの降雪の中の強行軍にも十二分に現れており、これにはあとで文句をつてやろうなどと皆が一様に考えているなどという事は、この雪の中の行軍の正当性を確信して止まないパットンには想像もつかぬ事であった。
 一行はポドールイに到着後予め用意された場所にて宿を取り、翌日には領主である伯爵の元に挨拶に訪れてから現地で演習を行い、その完了を以てロアーヌへと帰還する予定だ。
 やがて一行は長く険しかった峠を登りきり、そこから眼下に仄かに明かりの灯る街を見下ろす。
 気がつけば辺りに降る雪は穏やかな表情へと移ろい、見上げれば立ち込めていた暗雲も疎らになっている。
 辺りには宵闇が訪れ、それまで無言であった騎士達の間にも俄かに安堵の表情が垣間見えた。

「・・・あーつっかれた!おいパットン!無茶苦茶だぞお前!」

 雪除けの帽子を取りさってバタバタとはたきながら早速文句を飛ばしたのは、タウラスだ。
 血気盛んな世代の中では一番の慎重派であり、突撃思考のパットンとは真逆の防御に重点を置いた陣形や戦術を好む。因みにこの両者は全く意見が合わないことから、何かにつけ突飛な提案をするパットンに最初に突っかかるのが常にこのタウラスなので、パットンは彼のことを自分と同じく好戦的な性格だと捉えている。

「何をいう。この行軍のお陰で夜中を待たずにポドールイにたどり着けたんだろうが」
「アホか。ここは元々夜中にもならないし昼間にもならないだろ」
「アホとはなんだ、アホとは!」
「おーおーアホをアホと言って何が悪いんだ!?」

 次第に子供の喧嘩の様を呈し始めるそれは最早恒例行事のようなもので、誰もそんな二人の言い争いに口を挟もうとは思わない。
 そんな二人の口喧嘩を慣れた様子で聞き流しながら、本演習に参加する紅一点であるカタリナはタウラスと同じく雪除けの帽子をとりさった。そうする事で帽子の中で窮屈そうにしていた長い銀髪を漸く外気に解放してやりつつ、彼女はもう一度ゆっくりと空を見上げる。
 そこには、タウラスの言うように昼間でもなければ夜中と言うほどまで暗すぎるわけでもない、俗に『宵闇』と言われる空がある。このポドールイと言う街の周辺は、どうした訳か一年を通して常にこの状態を維持している。ここには昼が訪れることもなければ、真夜中が訪れることもない。まるでここだけ時が止まっているかのように、ずっとこの宵闇が横たわっているのだという。
 まるで眠りを誘う揺り籠のように穏やかに身を包むその宵闇に、カタリナは不思議と安心感を覚える。それが人ならざるものと隣り合わせの感覚であることを知っているはずの彼女だったが、それでもこの宵闇は、あまりに優しい。

「・・・大体一年ぶり、か・・・」

 煌々と輝く宙空の月を見上げ、小さく呟く。するとまるでその声に歓喜するように降り注ぐ雪の結晶が一陣の風によってふわりと舞い上がり、ポドールイの街の明かりへと吸い込まれていった。

 

 

 ギギギ・・・と具合の悪そうな不快な音を立てながら開いた扉の中に積もった埃の厚みや内装の古めかしさから、この場所は長らく使われていなかった事が伺える。入り口近くの一部だけが物置として利用されている様だが、それ以外の空間の大部分は伽藍堂だ。
 ここはすぐ横に建つ宿の納屋を増改築して作られた、大所帯宿泊用の別棟だという。
 死蝕以前はこうした行軍演習も頻繁に行われており毎年お世話になっていたらしいのだが、死蝕以後は情勢や予算の関係上行われていなかったためここも使われる事がなく、長いこと放置されていたらしい。
 二人の口喧嘩もそこそこに無事街にたどり着いた一行は宿の主人に挨拶を済ませたあと、まず本日世話になるここの掃除を全員で始めた。大の大人が十数人も集まっていたので何ら滞る事なく、掃除は一時間程度ですんなりと終わらせた。あとは明日にこの地を治める伯爵への謁見を行うまでは自由時間となるので、若き騎士達は本演習の束の間の休息を求めて街へと繰り出す算段をしていた。

「カタリナ。久しぶりに一杯付き合えよ」

 行軍用の装備を解いて軽くなった肩を回しながらそう声をかけてきたのは、コリンズだった。
 彼はカタリナと年齢的にも近く、騎士団候補生時代から数えて十年来の付き合いになる。
 このコリンズという青年は疾風の如き速攻戦術を尊び、フラッグ戦の様な演習では右に出るものがない程の実力を誇っている。並びに同期の中でも飛び抜けて統率力があり、周囲にも気の利く兄貴分だ。だが、多少うっかり屋なのが玉に瑕といったところか。
 因みに彼は過去に三度ほどカタリナに思いの丈の告白をし、三度とも振られている。それでも一切めげる様子のないところがまた、彼の長所でもあるのだろう。

「あ、うん。行くけど・・・少し街を見回ってから合流してもいいかしら」
「おう。じゃあここの宿の隣んところで飲んでるぜ。おーい、いこーぜブラッドレー」

 コリンズはカタリナの返答に軽快に頷いたかと思うと、奥で荷物の整理をしていた青年に声をかけた。
 呼ばれて振り向いたブラッドレーは返事をする代わりに軽く手を上げ、寝床の準備を終えてからこちらに歩いてくる。
 コリンズと幼馴染であるというこのブラッドレーという青年は、本演習の筆頭指揮官を任されている。すべての面で優秀な成績を収める彼は昔から器用貧乏と呼ばれてきたが、それを自らの持ち味として凡ゆる戦術や陣形指揮に通じ、また同世代の若き騎士達の特性をよく把握して臨機応変な作戦立案と采配の妙を発揮してきた。それらを最大限に活かして癖の強い今の世代の騎士団をよく纏め、本行軍演習に於いてもよく率いている。

「お前がいつ潰れても大丈夫にしておいたぞ」

 後方の寝床を親指で指しながらブラッドレーがにやりと笑って言うと、コリンズも思わず口の端を吊り上げる。

「はっ、そいつは有難いな。何なら二人分用意しておいてもいいんだぜ。お前とカタリナをそこに転がしてやる」
「馬鹿言え、カタリナは別室だ」
「わーってるよ。相変わらず冗談が通じねぇなぁ」

 以前であればカタリナも同じくこの場所で皆と共に雑魚寝であっただろうし彼女自身は全くそれで問題ないと考えていたが、今回彼女だけ宿の一室を拝借する事になったのは他の面子の総意であるらしい。
 その理由をカタリナが聞こうとするまでもなくブラッドレーが面と向かって彼女に「寝ているお前は目の毒だからな」と言い放ったものだから、これには有無を言わさず従わざるを得なかった。
 二人が軽口を叩きながら出て行くのを見送ったカタリナは、自身も行軍用装備をその場に纏めて宿泊施設をあとにした。

 

 この町に舞い降りる雪と、それに余すこと無くその身を預ける純白の街並みは、とても幻想的で、只々美しい。
 町を包む宵闇を見上げれば、薄らと広がる雲の合間から顔を覗かせる、煌々と輝く大きな月。月齢は満月を過ぎ、これから下弦に向かわんとする所か。
 今年もまた、この地で舞踏会は開かれたのだろうか。そんな事を、カタリナは考える。
 このポドールイでは年に一度、領主たるレオニード伯爵がその居城にて催す絢爛なる舞踏会がある。その舞踏会にて伯爵の目に留まった女性は伯爵の甘美なる吸血行為によって夜の眷属へと生まれ変わり、永遠の命と美しさを得る。
 そう、このポドールイの地を治めるレオニード伯爵とは、世に言う吸血鬼であるのだ。
 それ故このポドールイという地は夜の王たる彼の領地として在るべく常に宵闇を纏い、その居城は現世と常世の狭間に存在しているとも言われている。
 カタリナは周囲に視線を巡らせながら、ゆっくりとした足取りで商店街を抜けていった。
 降り積もる純白と宵闇で此処は一見どこも同じ風景に見えてしまうものだから、時折立ち止まって一年前の己の記憶の在り処を手探りしては、またゆっくりと歩き出す。
 人通りの疎らな中央広場を抜け、まるで童話の中の世界のようにクラシカルな作りの宿屋通りに入る。しかし宿屋通りと言っても、今は開店休業のような状態で何処も空室だらけだ。
 この宿屋通りが最も賑わうのは年に一度、舞踏会の開かれる直前。それ以外の期間は宿を閉めてしまっているところも多い。
 静かな宿屋通りを抜けて行った先には、ぽつぽつと民家が立ち並ぶ地区がある。
 絶え間なく降り積もる雪を踏みしめながら向かった先には、一軒の家。その庭先には、老人と大きな一頭の犬、そして数頭の子犬がそれらの周りを駆け回りながら戯れていた。

「おや・・・」
「・・・お久しぶりです」

 カタリナの気配に気がついて顔を上げた老人が気がついたのに合わせ、彼女は軽くお辞儀をした。
 飼い主の動きに合わせて来訪者に気がついた子犬が、直ぐ様好奇心をむき出しにして彼女の足元に駆け寄る。

「子犬が、生まれたんですね」
「あぁ」

 すり寄ってくる子犬たちをしゃがみ込んで撫でながら、ふと昨年の事を思い出す。
 昨年の舞踏会にこのポドールイを訪れた彼女は、この老人に宿を提供してもらったのだ。
 その時は子犬はおらず、確か大型犬が二頭だったと記憶している。
 その時にいたはずのもう一頭が見当たらないので老人に聞いてみると、彼は表情を変えずに言った。

「死んだよ」
「・・・そうでしたか」

 老人の当然の事のような物言いに多少面食らいながらも、カタリナは首を垂れる。
 宵闇の国の住民は、死に関する観念もまた自分たちとは別なのだろうか。ふと、そんな事を考えながらじゃれ付く子犬を撫でた。
 そのまま一言二言だけ交わし、カタリナはその場を立ち去った。名残惜しそうに彼女を見つめながら尻尾を振る子犬を背にして宿屋通りまで戻ったカタリナは、中央広場を今度は入口方面に折れていく。
 居並ぶ服飾店も今はすっかり閑古鳥が鳴いているようで、窓から店内を覗いても店員も見当たらない。降り注ぐ雪以外には何の動きもないその光景を見ていると、まるでここも時間が止まってしまったかのように感じる。
 そんなことを思いながら歩いて行った先には、やはり一年前と何も変わらぬ様子でひっそりと宝飾類を飾り並べた店の軒先が見えて来た。

「いらっしゃいませ。あら・・・貴女は確か、目利きのお嬢さんね」
「・・・覚えて下さっていたのですか。どうも、お久しぶりです」

 以前と全く変わらぬ様子の店主である老淑女に、カタリナは会釈を返す。
 こちらもまた、一年前に立ち寄った場所であった。
 ここの宝飾類は品揃えが見事であったことを覚えていたので、また立ち寄りたいと彼女は考えていたのだ。ロアーヌで待つモニカへの手土産には、此処以上の場所が思いつかない。

「ふふ、中央通りを抜けてこんな町の外れまで足を延ばすお客様はそんなに多くないですもの。その上貴女ほどの選別眼をもった人なら、当然覚えているわ」
「・・・光栄です」

 以前とは違ったデザインも散見される宝飾台をゆっくりと眺めながら、一年前に購入したものは送り主にも非常に好評であったことを店主に伝える。すると店主は上品に笑みを浮かべ、今年入荷したという新作を踏まえて幾つかの商品を並べながらそれぞれの特徴を語っていった。
 どれも素晴らしい細工のものばかりであったが、矢張り原石の持ち味を良く表しているシンプルなものに目がいく。

「では・・・これとこれ、あと、こちらも頂けますか?」
「まぁ・・・相変わらず良い目でいらっしゃるわね。今回は、男性へのプレゼントかしら?」

 今回彼女が選んだのは三つの装飾品だ。確かに三つ目は男性が身につけても可笑しくないシンプルなものだが、流石にこの店主は聡い。
 カタリナは何となく気恥ずかしさを感じて笑みを浮かべながら会釈で誤魔化し、以前と同じく相場に比べて安価な代金を支払い店を後にした。
 携帯していた鞄に購入品を仕舞い、ゆっくりとした足取りで町の中央通りへと歩いて行く。
 道中ふと空を見上げれば、街を包む宵闇が視界に揺らめいた。
 ふんわりと舞い降りてくる小さな雪の結晶を見つめ、自らの目前に降り注ぐそれを手のひらで受け止めようとする。

 その時、世界が唐突に揺れた。

(・・・何!?)

 驚きの表情を浮かべながら、慌てて姿勢を保とうとする。体勢が安定し辛い雪道で姿勢を低くしながら体の均衡を保つようにしている間、時間にすれば数秒程だろうか。視界が細かく縦横に揺れた。

(地震か・・・珍しいな・・・)

 揺れが漸く治まってきた頃合いを確認し、カタリナはゆっくりと姿勢を戻した。
 周囲を見渡すと、積雪地域に良くあるとんがり屋根に積もっていた雪が道端に落ちており、近くの店の軒先に吊るされた看板はまだ揺れている。
 街の様子を観察しつつ余震があるかも知れないと多少警戒をしながら中央通りまで歩いたカタリナは、そこで何やら前方が騒がしいことに気がつき、視線を送る。
 それは、彼女らが世話になる予定だった宿舎の方向だった。

 

「・・・さーて、どうするかー」

 抱えていた荷物を勢いよく地面に下ろして一息つき、コリンズは後方に向き直った。
 そこには、先の地震によって倒壊を起こした宿舎の木片が折り重なっていた。これらは倒壊直後にロアーヌ騎士団によって周辺家屋や通行の邪魔にならぬように集められたものだった。
 地震が治まってからここまでの作業は小一時間ほど。自分たちの荷物と隣接する宿が置いていた荷物も可能な限りは引き出したところで、宿の人間が用意してくれたホットワインで体を温めながら騎士達は一箇所に集まった。

「改めて、今日の寝床はどうしたものか」

 ブラッドレーがそう言うと、騎士団の面々は方々で唸った。
 残念ながら皆が生粋のロアーヌ民であり、この辺りの土地勘も知り合いもないので、そのあたりは頼れない。
 中央広場からは「宿屋通り」と言われる一画が存在しているが、この時期は運営しておらず、所有者はその大半が出稼ぎに出ているのか利用交渉も抑もできない。

「流石に、ここで野営は厳しいな。凍えてしまう。かと言って、この人数で泊まれる場所なんてなぁ・・・」

 タウラスがホットワインを口に含んで、そう言った。それは変わりようのない事実で、皆が一様に項垂れる。

「カマクラでも作るか!あったかいらしいぞ」
「・・・お前のその楽観も、今は指摘する気にならんなぁ」
「なんだと!?」

 パットンの思いつきにタウラスが疲れた表情で反応すると、それにパットンが突っかかる。しかし寒さ故かそれも長続きはせず、直ぐまた方策を求めて唸り始めた。
 そこで皆と同じくホットワインを飲みながら荷物の上に座って唸っていたカタリナは、唐突に、その場の空気が変わったことを感じ取った。
 自分たちを包み込む宵闇が、その『濃度』を増したように感じられたのだ。
 そしてそれと同時、その場に珍客が現れたことを察知して思わず身震いをしながら立ち上がった。

「・・・おや、これはこれはカタリナ様。お久しゅう御座います」

 カタリナが振り返った先には、態とらしく(まるで、さも人間であるかのように)寒気除けの暖かそうなコートを羽織った老年の紳士が立っていた。
 カタリナは全身に感じる強烈な違和感をものの数秒でなんとか押さえ込み、平然とした風に直立して老紳士に向かい合った。

「・・・ご無沙汰しております。して、レオニード城の執事である貴方が、何故此方へ?」

 カタリナとその老紳士を交互に見ている他のロアーヌ騎士の皆の前で、会話が続く。

「先に、地震がありましたので。伯爵様が城下町の様子を気にかけておられましたものですから」
「・・・そうですか。隅々まで確認したわけではありませんが、目に見えた被害はここだけの模様です」

 道の端に積み上げられた瓦礫に一瞬だけ視線を向けながら地震後ここまでの状況を軽く説明するカタリナに、老執事は薄く頷いた。

「左様でしたか。それは我らポドールイの民を手助けして頂き、誠に有難う御座います」

 そう言って深々とお辞儀をする老執事に会釈を返したカタリナに、すくりと上半身を起き上がらせた老執事は優雅に腕を伸ばした後に、考え込むようにそっと自らの顎に指を当てた。そのあまりに自然で不自然な光景にカタリナが以前と変わらず違和感を感じていると、老執事はカタリナを、そしてその他のロアーヌ騎士達を見つめて言った。

「して、その話からすると・・・我らを助けてくださった英雄が今宵安らかに休める場所を確保できていないものとお見受け致します。それでしたら、如何でしょう。我らが城へいらしては。伯爵様も歓迎されることでしょう」

 老執事のその申し出に、思わずカタリナはぎょっとする。あの城に、泊まるというのか。そんな事をして自分たちは、果たして正気のまま戻ってくることができるのだろうか。
 背後で他の皆がこの老執事の申し出を有難がっているのを余所にカタリナだけが一人戦慄気味にそのような事を考えていると、まるで老執事はそんな彼女の思考を理解しているかのように自然な笑みを浮かべて見せた。

「ご心配なく。無事に舞踏会を終え、我が城と我が同胞は安らいでおります。あの城が少々騒がしくなるのは、年に一度、舞踏会の時のみ。今は、心身ともに安らかにお休み頂けましょう」

 そう言って不気味な微笑みを絶やさぬ老執事に、カタリナは数度の瞬きの後、折れるように小さく頷いた。

「・・・申し出、有り難く思います。是非、お言葉に甘えさせて頂いて宜しいでしょうか」
「ええ。それでは早速、御案内いたしましょう。ロアーヌと此処では気温が違いますからな、冷えすぎても体に毒でしょうからな」

 カタリナの言葉に満足そうに頷いた老執事か踵を返しゆっくりと歩き出すと、ロアーヌ騎士団の面々は荷物を持ち上げてその後に続いた。

 

 

「編成はどうする?」
「予定通り五人編成を三部隊でいこう。内訳は・・・」

 城の一室を借りてブラッドレーを中心に円陣を組みながら軍議が開かれる中、胸の下で腕を組みつつ直立姿勢でそれに耳を傾ける振りをしながらカタリナはなぜこのような事になってしまったのか、とばかり己に問うていた。
 事の始まりは、地震。そう、地震であった。
 その地震のおかげで元々の宿泊予定だった城下町の宿舎が崩れ、執事の厚意もあり恐れ多くもレオニード城に宿を求める事になったのだ。
 そして本遠征の折り返し地点であるこのポドールイでは、元来戦闘演習用の洞窟があり、そこで少人数編成部隊運用の演習をしてからロアーヌへと帰還する予定であった。その内容としては古来伝統的な五人編成を一括りとした部隊編成でその洞窟を攻略し、最深部まで行って戻ってくる、というものだ。
 この洞窟周辺も無論、領地管理は伯爵たるレオニードが行なっている。なので伝統的に遠征軍はレオニードに謁見してからその洞窟へと向かうのだ。
 しかし、ここで第二の誤算が発生した。
 先の地震により、この演習用洞窟までもが内部崩落を起こしたというのだ。その事実は、一夜の宿の御礼とともに演習実施の報告を行いにブラッドレーがレオニードに謁見した際に発覚した。
 レオニードはその席で崩落の事実をブラッドレーに伝え、そして彼が押し黙り今後の動きについて考えているところにある一つの提案をしたのであった。

「しかし、この城の地下ってのはそんな物々しい場所なのか?」

 コリンズは、そういいながらカタリナへと視線を向けた。それに倣ってその場の全員から視線を受けたカタリナは、言葉に詰まる。
 レオニードが提案してきた内容というのは、なんとこのレオニード城の地下空間を演習に利用してはどうか、というものだった。
 曰く『しばらく使っていない間に、どうも地狼か何かが住み着いている気配があってね。城のものではなかなか手が出せず困っていたところでもある。どうだろう、謝礼も出すのでここはひとつ、演習代わりに地狼討伐を引き受けてはくれないかな?』だそうだ。

「え、まぁ・・・ちょっと、物騒・・・かしら」

 実際のところはちょっとどころではないのだが、確かに一年前に彼女が訪れた時よりは、城内に漂っていた甘く優しく強制的に包み込んでくるような感覚は薄い。これならば以前のような危険は少ないかもしれない。
 それにレオニードは、少なくとも今の時点の彼女の私見では無益な殺生を好むタイプではない。ロアーヌとの関係値もあるわけであるし、そう滅多な提案はして来ないだろう。そう踏んだカタリナは、でも大丈夫よ、と周囲に微笑んで見せた。
 それをみて頷き返したブラッドレーが話を続ける。

「伯爵様からお預かりした見取り図によれば、地下部分も大きく分けて三つに分かれているようだ。地下水脈、焉道、地下墓地・・・だな。伯爵様は地下水脈あたりの地狼を駆除してくれればいいと仰っていたが、一晩の寝床の恩もある。三部隊でそれぞれ範囲を分けて、行けるところまで駆除を行いながら進んでいこうと思う」
「それならうちの部隊は当然地下墓地だな。最終地っぽいし」

 パットンがそう言うと、珍しくタウラスも即座に同意した。

「そうだな。ブラッドレーにコリンズ、それにお前と俺とあとはカタリナとなれば、この部隊が群を抜いて練度が高い。担当については異論はないな」
「だろ? ならあとは陣形どうする?」
「あー・・・俺、一度あれやってみたいんだよな。インペリアルクロス」
「うわでた。ほんとアバ伝好きだなーお前。しかしまぁあの陣形は今でこそ軍事採用されてないが、確かにバランス良さそうだな!」
「だと思うんだ。俺のパリイはあの陣形でこそ真価を発揮すると思うんだよ!」

 こうなると存外仲が良いタウラスとパットンは、なにやら共通の話題で盛り上がっているようだ。
 カタリナはそんな二人や他部隊への指示に動いているブラッドレーらを横目に、改めて地図に目を落とした。

(・・・礼拝堂からの入り口ではなくなっているわね。まぁあそこ通ったら拷問器具がある地下牢だから、流石に見せたくはない、か。しかし本当に大丈夫なのかしら・・・今更だけど心配になってきたわ・・・)

 カタリナのそんな心配をよそに演習会議は滞りなく進み、間も無く演習開始の運びとなった。

 

 先ほどから絶え間なく鼻をつく異臭は、一体何のものなのか。それは至る所に散見される腐った水と、血と、屍肉と。はたまた、それに群がる齧歯類の糞尿のものか。何れにせよ、それは魑魅魍魎の如き姿の妖魔を相手に此処まで進軍して来た若きロアーヌの精鋭たちをより一層に疲弊させるには十分なものだ。
 一言で言えば、情勢は最悪であった。
 先行部隊及び追従部隊は初期の地下水脈すら攻略できずに、おめおめと逃げ帰ってきた。
 しかしカタリナ達にも、それを責めることは出来なかった。なにしろ、そこにいたのは件の地狼だけではなかったのだ。闇に紛れて強襲をかけて来る巨大な蝙蝠や遥か昔の地層からアビスの瘴気に中てられて動き出した骸骨、同じく瘴気に狂った水霊等、訓練生上がりの若手が相手をするには荷が勝ちすぎていた。
 そこで急遽ブラッドレーは自部隊を先頭に配置。後続二部隊を行軍補助、補給地点確保に回し、全部隊一丸となっての攻略に作戦の変更をした。
 現状はこの作戦変更が功を奏し、結果ロアーヌ騎士団は地下墓地までの進軍を成功させるに至った。
 腐った土を盛ってそこに松明を突き刺し、その場の全員がやっとの思いで腰を下ろす。彼らの先に口を開けている空間は、今いる場所よりも更に深く暗い闇を抱いている。瘴気も一段と濃さを増しており、この先はこれまでの比ではない攻略難度を誇るであろうことが容易に伺えた。

「各自装備の点検を終えたら行くぞ。長期滞在は瘴気にやられそうだ。また、現存する前衛の傷薬が消費された時点で本演習を終了とする。備なしに進むには、ここは危険すぎる」

 ブラッドレーの指示に全員が浅く頷き、手早く損傷の確認を行う。
 演習用に用意した傷薬はその大多数が既に消費されており、城主レオニードから餞別に頂戴した高級傷薬も前線部隊各員に既に配布済みとなっていた。あとは補給線確保部隊が多少残すのみとなっている。
 因みに、特に敵の第一撃を受け止めるタウラスはその消費速度が最も高く、彼だけ少々消毒液臭い。
 短い休息を終えて迅速に準備を整えた部隊一行は、地下墓地へと足を踏み入れる。

「・・・やべぇな、これ」

 深淵の如き空間へと立ち入り数歩進んだコリンズが、堪らずそう呟く。
 その言葉に全力で同意する様に、他の四人も唾を飲み込んだ。
 重く、只管に重く黒く濁った瘴気。それが暗い通路内に満ち満ちている。
 全員がその瘴気をかき分ける様にして一歩ずつ進むが、今まで感じたことのない様などす黒い瘴気に、全身が『これ以上進んではならない』と危険信号を発しているのがわかる。

(幼い頃に見た死蝕とは違うけれど・・・これはもっと暗い・・・絶望。そう、誰かの絶望が形取られた様な・・・そんな瘴気)

 隊列の中央に位置しながら歩みを進めていたカタリナは、この深淵をそのように感じ取っていた。
 地下墓地とは、名の通りならば誰かの墓地であろうか。その誰かの死に絶望した者の意識が、この空間に満ちているのかもしれない。それは、ひょっとしたらこのポドールイの伯爵家に連なる何者かであろうか。
 しかし、伯爵家は遥か昔からレオニードその人が当主として座している。そうなれば、一体ここにある絶望とは、誰の、何のものなのであろうか。
 周囲の警戒は怠らずにそのようなことを考えながら、それでも果敢に隊は進んで行く。
 そして永遠にも思える暗い道のその先に、唐突に明かりのないどす黒くて広い空間が現れた。
 間違いない。この空間に、地下墓地の主がいる。そう五人は感じ取った。
 そういえば、ここまでの出鱈目な瘴気の渦の最中、何故か唯の一度も妖魔と遭遇することはなかった。それはきっと、ここの空間の主が静寂を好むからなのだろう。そうでもなければ、こんな馬鹿げた濃度の瘴気の中で何も起きないことの理由が全く以て説明できないのだ。
 だが、ここまで無作法にも戦装束で侵攻して来た余所者に、主がいつまでも座して待っているはずも無い。

「・・・くるわよ!」

 漆黒の闇の中に浮かび上がったのは、身の丈が人の倍はありそうな、骨のみに朽ちたガーゴイルの体。其れが、凸陣を成して三体。そして、その上には朽ちかけた宵闇の外套を纏った髑髏姿の異形の化け物が此方を見下ろしていた。
 そのあまりに異様な姿に騎士達が度肝を抜かれていたその刹那、異形の化け物はその巨体から全く想像できないほど素早く突進を繰り出して来た。

「うがっ!!?」

 分厚い金属を打ち砕くような凄まじい衝突音と共に、最前列にいたタウラスが全身鎧を纏ったまま構えた盾ごと軽々と後方へ吹き飛ばされる。
 それにカタリナが気づいたのはタウラスが自分の横を吹き飛んで行く様を横目に見ての事だったが、しかし負傷したであろう彼の元へと駆け寄る余裕など全く無かった。
 既に異形の化け物は、第二波を繰り出そうと彼女に狙いを定めていたからだ。

(・・・回避・・・出来ない・・・!)

 タウラスに比べカタリナは軽装であるが、今まさに繰り出されんとする異形の一撃はこの暗闇の中でも余りに素早く正確で、彼女の素早さを以てしても回避できる未来が全く想像できなかった。

「・・・ッ、マスカレイド!!」

 突撃してくる巨大なる異形に対し、カタリナは軽く後方に飛ぶように地を蹴り、手にしたマスカレイドを振り抜いた。
 直後、先ほどのタウラスと同じようにカタリナが後方に吹き飛ぶ。だが顕現した紅い刀身が重い一撃を受け止め、そして予め後方に飛んだ事で衝撃そのものはほぼ受け流すことに辛くも成功していた。
 空中でなんとか姿勢を持ち直し飛ばされた先の壁に両足をついたカタリナは、間髪を入れず横に飛ぶ。
 そこに一瞬遅れて異形の巨大な拳が大きな破砕音と共に打ち込まれ、壁面が砕け飛ぶ。

「うおおおおお!!」

 その隙を突き、コリンズ、パットン、ブラッドレーが陣を成す三体のガーゴイルの足に其々斬りかかる。
 そして狙い通り三体のガーゴイルの足を切り飛ばすと、そのまま崩れるように凸陣は解かれた。
 するとガーゴイルの上に乗っていた髑髏の異形が崩れるガーゴイルを足蹴にしながら後方に跳び退り、その何も映し出さない空虚なる眼底をガーゴイルを斬りつけた騎士達へと向けた。
 そして次の瞬間、髑髏が突き出した左の手から、何かが噴き出し始める。
 それが何なのかを騎士らが確認する前に、突如として強烈な目眩に彼らは襲われた。

「・・・ツ、これを吸い込むな!」

 ブラッドレーがその場の全員に知らせるように叫ぶ。だがそうして口を開いた拍子に彼が最も吸い込み、猛烈に咳き込んで間も無くその場に倒れこんでしまう。
 慌てて口元を押さえながらコリンズとパットンが倒れている二人を庇うように布陣するが、しかし片腕で口元を押さえていても呼吸をしている以上は徐々に吸い込んで行くのか、二人もそう間を置かずに膝から崩れ落ちてしまった。

(・・・くっ・・・私も少し吸い込んだか・・・。まずい・・・この状況、どうすれば・・・)

 彼らとは離れた場所に着地していたカタリナは、髑髏の繰り出した謎の攻撃を直接は浴びずに済んでいた。だが、軽い目眩を覚えたことから、多少の損害はあるようだった。そしてその損害の有無に関わらず、状況はあまりに絶望的だ。既に仲間の騎士は四人が倒れ、次には自分に向かって今の攻撃が放たれるのも時間の問題。なんとかしてあの攻撃を回避する方法はないものか。刹那の間に考えを巡らせる。
 だが今の彼女が持ちうる手札に、そんな方法は何も思い浮かばなかった。そもそも倒れた騎士達が何をされたのかすら、不明なのだ。

(・・・恐らくは毒、のようなもの。吸い込むな、とブラッドレーが叫んでいた・・・。気体か、粉末に近いようなものか。いずれにせよ、私にはそれを防護する装備はない・・・。しかも時間が経てば経つほど毒が回っていく感覚がある・・・だとしたら、先手必勝しか・・・!)

 大剣マスカレイドの柄を両手で握りしめ、軽い目眩を振り払うようにして軽く頭を振り、いざ突撃せんとしてカタリナは身を低く構えた。
 だが、彼女が飛び出すより一瞬早く、彼女と髑髏の間に宵闇の外套を纏った人物が颯爽と舞い降りた。

「助太刀しよう」
「・・・は、伯爵様!?」

 緋色の髪を靡かせながら突如として現れたのは、なんと城主レオニードだった。
 カタリナが驚きの声をあげると、レオニードは彼女に対して下がるよう指示を出し剣帯からレイピアを抜き放つ。

「あれは、死人ゴケだ。生身の人間が肺に吸い込むか肌に大量に付着すると、そこから全身が毒され次第に正気を失い、やがて死に至る」

 洒落にもならないその言葉に、しかし冗談のような雰囲気は微塵もない。カタリナは突撃体勢を解き、言われるままに後ろに下がった。
 それとは対照的に一歩前へと進んだレオニードは、突き出したレイピアで威嚇するようにしながら髑髏に対峙する。
 髑髏は何故かそれ以上死人ゴケとやらを吐き出すことはなく、レオニードも髑髏を睨むばかりで動かない。そうした膠着状態が、しばしの間続いた。

(何かの力の応酬が、彼らの間にあるみたい・・・。悍ましいほどの瘴気が彼らの間で、なにか目的をなして蠢いているような、そんな感覚・・・)

 カタリナはマスカレイドの大剣化を解き、堪らず地に膝をつきながらそのように感じた。このとてつもない量の瘴気に当てられたのか、または先の死人ゴケというもののせいなのか、体がうまく言うことを訊かなくなってきている。両者は未だ動かないが、この状態が長く続けば自分は元より、先に倒れた四人がより危険に思われた。
 そして彼女がそのような事に思いを巡らせた刹那、場の膠着を破ったのは、対峙する両者ではなかった。

『グォォォオオオオオオッ!!!』

 コリンズらに足を切り飛ばされたはずのガーゴイルの骸骨三体がここにきて足の再生を果たし、側面からレオニードに襲いかかってきたのだ。
 だが、それに対してレオニードは姿勢を崩さず一歩も動くこともなく、そのガーゴイルを一瞥しただけだった。
 それで、ガーゴイルは止まった。
 それは、後ろでその光景を見ているカタリナですら思わず背筋が凍るほどの、圧倒的な支配。王たる彼の一瞥だけでガーゴイル達はその力を理解し、畏れ、戦意を喪失してしまった。
 彼の視線が動いた事で揺らいだ瘴気に触れただけで、カタリナは途轍もない悪寒を感じた。それが真正面から繰り出されたのだとしたら、果たして正気を保つことなど出来るものなのだろうか。
 ガーゴイルが止まったことに大した興味も抱かず視線を異形の髑髏に戻したレオニードは、次には何故かレイピアを下ろしながら口を開いた。

「・・・やはり、私の不死者に対する支配も貴方には通じぬか。ここは長引くのが本意ではない。この場は退かせよう。それでよいかな?」

 レオニードがまるで異形の髑髏に話しかけるようにそう言うと、髑髏はしばし動かずにいたものの、次の瞬間には闇の中にするりと姿を消していった。それと同時に、ガーゴイルたちも一瞬にして崩れ、塵となった。
 その様子を見届けたレオニードは抜き身のレイピアを鞘に仕舞い、渦巻く瘴気の中で場違いなほど優雅にカタリナへと振り返る。

「よく此処まで来たものだ。君も彼らも、やはり人間においては非常に優秀なのだな」

 レオニードはまるで世間話でもしているかのように、そう言った。だが、カタリナが確認できたのはそこまでだった。彼女の意識は既に毒に侵され、朦朧としていたのだ。
 そしてこちらに近づいて来るレオニードの姿をぼんやりと映し出したのが、彼女がみたそこでの最後の光景だった。限界を迎えた彼女の体は全身が一斉に崩れ落ち、それと共に世界は暗転していった。

 

 

 身体が、燃えている。
 いや、燃えているのは自分ではなかった。自分ではない誰かが燃えているのを、自分は見ているのだ。
 燃える何者かの周囲には人があつまり、その燃える身体をずっと見続けていた。自分は、さらに離れた場所からそれを見ている。
 それは、とても悲しい光景であった。何故あれは燃えているのか。何故周りの人間はそれを見ているだけなのか。何故自分もまた、それを見ているだけなのか。
 悲しい。この世の全てが、ただただひたすらに悲しい。
 憎い。この世の全てが、ただただひたすらに憎い。
 だが、もういい。何もなかった事にしょう。全部、喰らうとしよう。

 そこで、ぷっつりと光は途切れた。

「目が覚めたようだね・・・何を、泣いているのだ?」

 うっすらと目を開ければ、目に映ったのは、天蓋。左に顔を向ければ、窓のない部屋に閉鎖感を感じさせぬように絵画や置物があり、次に右へと向けば、そこには小さなテーブルの上にワイングラスが乗っており、そのすぐ横には、緋色の艶やかな長髪を靡かせたレオニードが随分と寛いだ様子で椅子に腰掛け、こちらを見下ろしていた。
 そして、ひんやりと目尻を伝う感覚に、そこで初めて自分が涙を流していることにも気がついた。

「・・・ここは」
「君は以前にも来たことがあるはずだ。城の地下にある、私の私室だよ」

 もう一度、部屋を見渡す。言われてみれば、確かに見覚えがある調度品の数々だった。一年前には横目に眺めた天蓋付きベッドの寝心地はこういうものだったのか等と場違いに思い耽り、そしてレオニードへと向き直った。

「・・・他の騎士達は、どうなりましたでしょうか」
「案ずるな。全員無事だ。今は我が城の者達が治癒をしているよ。しかし生きた人間の世話をするのが久しいようだから、四苦八苦しているようだがね」

 真顔でレオニードがそう応える。これはポドーリアンジョークの類だろうか。しかしジョークにしては随分とタチが悪いなと感じたが、そこは追求せずに素直に礼を述べ、ゆっくりと上半身を起こそうとした。そこで初めて自分が一糸まとわぬ姿であることに気がつき、努めて冷静を装いつつ胸元を隠すように寝具で覆いながら起き上がった。

「・・・あの、伯爵様、恐れ入ります」
「ふむ、なんだね」

 体に特に異変がないことを心中で確認しつつ、レオニードに話しかける。彼は優雅にワインを傾けながら、気安く返事を返してくれた。あまりにこの状況を当たり前のように振舞っているが、駄目だ。この空気に、易々と流されてはいけない。

「何故、私はここにいるのでしょうか・・・?」

 他の騎士達と共に寝かされているのならばいざ知らず、なぜ彼女だけが一人、城主レオニードの私室で寝ているのか。しかも、全裸である。それは当然に感じるべき、大いなる違和感であった。
 特に体に違和感を感じてはいないが、よもや自分は既に吸血鬼にさせられてしまったのか。そんな不安も過るが、さもそれを見透かすようにレオニードは薄っすらと笑みを浮かべながら膝の上で手を組んでみせた。

「城の者が君をここまで運び、治癒を施した。君がどうやら、この城の深淵に縁があると感じたようだ。因みに、私は意識の無い者に手をかける様な無粋者ではないから、安心してよい」
「・・・そうでしたか、重ね重ね、有難う御座います」

 どうにも自分がここにいる理由になっているのか彼女にはいまいち分かりかねる返答であったが、聞き直しても同じ様な答えしか返ってこなさそうでもあったので、彼女はそのまま飲み込むことにした。取り敢えず吸血鬼にはなっていないらしいので、それで良しとすることにしたのだ。
 そして、次にはレオニードが差し出して来たハンカチをみて、そういえば自分は涙を流していたのだということを思い出した。浅くお辞儀をしながらそれを受け取り、目尻を拭う。もう既に涙は止まり彼女の感情を揺さぶるものはなかったが、彼女は起き上がる寸前まで見ていた夢のことを、目の前の人物に話そうと思った。

「夢を、見ました。誰かが・・・燃えている夢でした。私は、それを見ているだけでした」

 妙に、生々しい夢だった。鮮明に燃え揺れる炎の揺らめきを覚えている。その熱さを、肌が感じたことも。そして燃える何者かの周りにいた人々の、狂気が入り混じった声を。そして、その光景がどれほど悲しいもので、どれほど憎いものだったか。己の内に渦巻いた絶望が、如何に大きなものだったのか。
 レオニードは、カタリナのその話を静かに聞いているだけだった。そしてカタリナが夢に見た光景を話し終えると、テーブルに用意してあった真水をカタリナに勧め、自分はワインを一口、口に含む。

「・・・恐らくは地下で出会った『あれ』の瘴気に当てられて、そんな幻覚を見たのだろう」
「幻覚・・・ですか」
「そう、幻覚だよ。恐らくそれは、『あれ』の記憶だ」

 ひとりでにワインのデカンタが浮かび上がり、レオニードの手元のグラスに中身を注いでいく。そんな非現実的な光景を、ここならば当然こんなこともあるだろうと特に気にもとめずに横目に見ながら、カタリナはレオニードの言葉の続きを待った。

「『あれ』は、私の父だよ」

 そう短く言い切ったレオニードの言葉に、カタリナは何故だか妙に得心した。あのような異形の存在を親だと告げられたら普通ならば飛び上がるほど驚き、そして恐れ慄くといういものだろう。しかし彼女には、全くそのような気は起きなかった。それは、夢の中で感じた、あれの心象に触れたからだろうか。
 その様子に何処か満足気にも見える表情で頷いてみせたレオニードは、ワイングラスを片手に言葉を続ける。

 彼の父親は、彼と同じく夜の眷属であった。
 彼らの眷属は平時の姿形が人に近く、しかし人では非る者。彼ら夜の眷属は人の歴史の裏側に潜む様にして、常に人と共に存在し続けていた。
 彼らは不老不死の肉体を持ち、数年に一度、時折思い出した様に腹を空かせて人を喰らう。そして喰らえばまた闇に潜み、夜に世界を揺蕩う。そうして、永劫の時間を蠢き続ける者達。それが夜の眷属だった。
 彼らは基本的に繁殖をすることがない。己が朽ちる前に子孫を残し種を生き繋ぐという行動原理が、不老不死たる彼らには存在していないからだ。
 故に彼らには新たな個体が産まれることはなく、その数は常に一定。その眷属は、世に数体しか存在しない者だった。
 ある時、一つの個体が人里に降り立った。『食事』をする為だった。彼らは食事の際、人間社会で云うところの『旅人』を装い、人間の集まりの中に潜み、そして選定した獲物を闇に乗じて狩る。
 だが彼−この個体の姿形はまるっきり人間の青年だったので、彼、とする−が潜んだ村は、流行病の疫病に侵され、村全体が殆ど死に体となっていた。
 彼は、空腹だった。だが、このような状況では食事どころではない。疫病に冒された人間達はどれもがとても不味そうで、これでは食えたものではないと感じた。かといって今から雪深いその村を去り別の人間の集まる場所へと向かうのも、とても骨の折れる話だった。
 そこで、彼はふと考えた。
 彼らは悠久の時を生きるが故に、蓄える知識量も経験も、人間の比ではない。つまり彼は、今目の前の人間達が訳も分からず苦しんでいる疫病の治癒に関しての知識も、持ち合わせていた。
 だから彼は、他所に移動する面倒よりもこの病に倒れた人間を治し、そして食そうと、そう考えたのだ。
 熱帯や亜熱帯の地方と違って寒冷地には、通常の疫病は殆ど流行らない。菌類が媒介となる生物を通じて感染し辛いからだ。そもそも疫病を細菌が齎す物だということも人間は知らないようだが、彼は知っていた。だからこうして寒冷地で流行する病気は殆ど種類がなく、一つの解決方法さえ知っていれば何の事は無い代物だった。
 彼はそれこそ瞬く間に村の人間らを全て治してしまった。
 村の人間は、彼を神の御使いと讃えた。人々は彼を囲い、祝い、祭り上げた。
 彼は特段それに気をよくしたわけでもなかったが、しかしこの状況は非常に便利なのではないか、とは感じた。
 この状況を利用できるものかと思い彼は試しに、人間の中から一人を選び差し出すように、要求をしてみた。人間は、若い女の肉が最も柔らかく食べやすい。だから、若い女の贄を要求した。
 するとどうだ。その集団のなかの年頃の娘達は、我先にと名乗り出て来たのであった。これは彼にとって、とても興味深いことだった。これならば自分がここに居続ける限り、食事が非常に楽になるのではないか。そう考えた。
 そして彼は、その地に城を築くことにした。そして城に招かれた若き娘は、外に出ることは叶わないが、永遠の幸福を約束される。そのように村人に伝えた。
 彼がそうした動きをし始めると、彼の眷属も興味を持ち、その地に集まった。城が築かれ、そこには夜の眷属が住まい、毎年若い娘を一人差し出すことによってその地の繁栄を約束するようになった。
 村は城下町となり、そこはやがて、ポドールイという国となった。
 城に召し上げられる娘達は、毎年喜んでその身を捧げた。永遠という地獄をよくもまぁ求めるものだ、と、城の主人となった彼は思ったものだった。
 そしてある年、一人の娘が城に召し上げられた。
 その娘は、今までの娘と違い、彼に対して怯えた。私は永遠など欲しくは無いのです。そう、彼に告げたのだった。彼は今までと違う反応を示したその娘に小さな関心を抱き、直ぐには喰らわず娘を観察することにした。
 永遠を拒否した娘は、甲斐甲斐しく彼の身の回りの世話をした。人間以外を食したことのない彼が少女の作る料理を初めて口にした時など、今まで食べたどの人間よりも豊かな味だと感じた。だが、それで飢えは凌げなかった。そして、用意されたワインを飲んだ。まるで血の色のようなその飲み物は、しかし血などとはまったく違う果実味溢れる味わいで、彼は血が無いときに血の代わりに飲むのならばこれしかないと確信したほどだ。だが、これでも飢えは凌げなかった。
 娘は、永遠を恐れつつも、一方で彼を慕った。彼は自分を慕う娘を食すことを、いつの間にか考えなくなった。
 そして彼は娘と、子を成した。夜の眷属と人間の混血が誕生したのだ。玉のような赤子を産んだ娘はとても喜び、彼もそんな娘と赤子を見て己の行為と思想の変化を興味深く思った。
 だが彼は、食事をしなくなってから己の中の何かが時折酷く疼くようになっているのを感じていた。
 日に日に窶れ時折正気を失ったように暴れるようになった彼に対し、娘は自分を喰らって欲しいと申し出た。しかし彼は、それを拒否した。だが、頭で拒否ししようとも黒い衝動が、娘の華奢な体をいつ引き裂いてしまうか、彼には分からなかった。
 だから、彼は娘を城の外に逃がす事にした。そして同じ眷属のものに対し、自分が正気を失ったら滅してほしいと願い出た。彼の眷属は彼が何故そのような決断に至ったのか理解できなかったが、承諾した。
 そのまま彼は滅ぶつもりだったのだ。それで自分は娘を、人を喰らわずに済む。そう考えた。
 だが、彼よりも先に娘は死んだ。
 永遠なる幸を約束された城から歴史上ただ一人舞い戻った娘を、民は平穏を乱す凶兆と捉えたのだ。
 魔女として捕らえられた娘は、火刑に処された。
 娘が燃える最中に騒ぎを聞きつけ城下町へと駆けつけた彼は、そこで生まれて初めて涙というものを流した。涙とともに叫び、怒り狂い、異形へと変貌した。そしてその場の人間を片っ端から喰い千切る中、彼の言葉を聞き届けた他の眷属により、願い通りに滅ぼされた。
 だが彼の断末魔の怨念は彼の朽ちた肉体を真なる不死者へと変貌させ、その地にその魂を留まらせた。彼の眷属は、そうして不死者となった彼を、城の地下深くに封印した。彼らを以てしても、もはや彼を滅することは叶わなかったのだ。

 

「ふふ、退屈な話をしてしまったかな?」
「・・・いえ、お聞きできてよかったです。私の中に流れ込んできた感情の一端の正体が、分かりました」

 カタリナがそういって頭をさげると、レオニードは微かに笑みを浮かべながらワイングラスを傾けた。

「私は、いずれ父を滅する。だがこの数百年は、力を付けども付けども、あれを滅することは叶わない。聖なる力が効くのかとも考えたが、どうやらそういうわけでも無いようでね。かの聖杯を以てしても、あの存在を消し去ることは出来なかった」

 空になったワイングラスをテーブルに置き、レオニードはグラスを通じてその先をぼんやりと眺めるように視線を軽く落とした。

「だから、最近は考えを変えてみたのだ。力では滅せられぬのならば、他のなにかで父の怨念を解くことは出来ないものか、とね」
「・・・それでは、舞踏会はそのために・・・?」

 カタリナが思わずそう呟くと、レオニードは首を傾けるようにしてカタリナに視線を送り、彼女をして思わずどきりとするほど妖艶な笑みを浮かべて見せた。

「まぁ、あれは実益も兼ねているがね。我が眷属は今や人を喰らうことはないが、血を欲する故、そのためでもある。そしていつか父が母を見出したように、私が我が眷属に大いなる変化を齎すことで・・・何かがわかるかもしれない、と」

 レオニードが言わんとすることは、カタリナには全ては分からない。だが怨念というものが強い思念のことを指すのであれば、その元となった事象に対する何らかの解決方法を提示してやることでしか解放されることがないのは、理屈が解る気がする。そう思うと、今目の前にいる存在は確かに人間とは全く異なる生命であるものの、その魂の本質は同じところにあるのではないか。そのようにも、感じられてくる。

「そういえば、私は母の顔を覚えておらぬのだが・・・ここの執事長をしている者が君のことを、どことなく母に似ていると言っていたな。まぁ彼らに人間の顔の見分けがつくとは思わないから、大いに気のせいだと思うがね」

 レオニードのその言葉に、カタリナは思わず二、三度瞬きをしてみせた。ひょっとして自分をここに連れてきたのは、その執事長ではないだろうか。
 そんなことをカタリナが考えていると、レオニードはゆっくりと椅子から立ち上がった。

「さて、それでは私は失礼するとしよう。着替えはそこのクローゼットに入っているはずだ。準備が出来たら、上に来るといい」

 一方的にそれだけいい、レオニードはさっさと部屋を後にしてしまった。
 そうして一人部屋に残されたカタリナは、レオニードが去っていった扉をしばし眺めた後、徐に両手を広げて上半身をベッドに投げ出した。ぼすん、という音と共に柔らかな素材のベッドが彼女の全身を受け止めてくれ、その極上の寝心地は最高級の寝具のそれに間違いないと確信する。何も身につけていない状態でこのような行為、はしたないことこの上ない所業だと我ながら感じる。が、誰もいないから見られることもないというか、そもそもこの近くには生きた人間がいないのだから構うものか等と妙に開き直ったものだった。
 目が覚めた直後にも確認したが、体には特に違和感を感じない。疲労もなければ、あの異形から受けた「死人ゴケ」とかいうものの後遺症らしきものもなにもない。状態は、至って正常そのものだ。
 あの異形の化け物・・・レオニードの父は、あれほどの絶望とともに一体何年あの場所にいるのだろう。
 ふと、当面の心配事がなくなった頭でそんなことを考える。
 レオニードが生まれた直後だとしたら、通説では魔王とすら面識があるという噂を信ずるならば六百年は経っていることになる。そのような長い時間絶望に浸り続けた魂とは、果たして浄化するなどということが可能なものなのだろうか。
 あまりに途方もなく想像のつかないその内容に、カタリナはすぐさま考えることをやめた。彼女が考えたところで、この事態はなにも進展しない。それにここは常しえの宵闇が支配する、時を刻むことを忘れた街だ。時間という概念がそのまま通用するものとも思えない。
 ひょっとしたらこの宵闇は、そんな意味も持っているのだろうか。彼女がこの宵闇を優しいと感じたのは、これ自体が悲劇の二人の鎮魂を願ったものだからなのだろうか。
 そんなふうに次々と無責任に浮かんで来る想像を振り切るように、カタリナは勢い良く起き上がり、そのままベッドから立ち上がった。そして、部屋の壁に設えられた大きなクローゼットに視線を向ける。

「・・・準備って、なにかしら」

 

 

 その夜(といっても宵闇に覆われたポドールイには夜も何もないのだが)レオニード城では、城の地下の地狼を退治してくれたロアーヌ騎士たちに対して感謝の意を込めた、小さな宴が催された。
 年に一度の舞踏会には及ばぬ規模だが、城の執事や給仕たちは総出でポドールイ伝統の持て成しをし、大いにロアーヌ騎士たちを歓迎した。騎士達もその時ばかりは戦装束を脱ぎ、スーツに身を包んでその宴を楽しんだ。

 宴の最中には、特別に目立つ存在が二つ。
 一人は城主レオニードで、彼は黒を基調とした燕尾服に、宵闇の外套を羽織ったいつものスタイルだ。
 そしてもう一人は、妖しくも美しい真紅のドレスに身を包んだカタリナだった。彼女の纏う真紅のドレスは、まるで揺らめく炎のようだった。
 それはポドールイの古い風習に則ったもので、この地では寒気が強くなる前に長い冬を無事過ごせることを願い、祭りが催される。そこでは毎年、その年に染められた中で一番深くて赤い色のドレスに身を包んだ地元の娘が、炎を前に踊るのだ。それは、過去に非情の死を遂げた一人の娘に対する鎮魂のためなのだというが、その娘が一体何者なのかは地元の人々でさえ、もう誰も知るものはいない。
 そしてその赤いドレスの娘のダンスの相手役は、これも村に古くから伝わる宵闇の外套を纏った男性が務めるのが習わしだ。これも何故そのような格好で、これが誰を表しているのか、誰も知るものはいない。

 まるで古い童話の中の世界のように二人が手を取り合い優雅に踊る様を騎士達は囲い、ある者は囃し立て、ある者は大いに嘆いた。

 そうしてポドールイの宵闇は、いつ果てるとも分からず続いていく。

 

 

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月下の夜想曲

 

 ゆらゆらと舞い踊りながら降り積もる純白の結晶は、緩やかに空間全体を染め上げている優しい宵闇と相まって、その中心に位置する街を妖しく美しく、そして幻想的に彩っている。
 積雪に覆われた辺り一帯は不気味なほどにしんと静まりかえっているが、不思議と怖さは感じない。むしろどこか安堵をすら覚えてしまうような既視感すら、ふと脳裏に訪れる。それは、この地がこの地たる所以によるのかもしれない。
 伝説によるならば、千年続くとすら言われているその光景。今正にそのように語り継がれる街を一望できる小高い丘の上から一人見つめていた女は、ゆっくりと雪除けのフードを取り去った。
 フードの中に窮屈そうに押し込められていた長く美しい銀髪が雪の中に咲き広がるのに任せながら彼女は瞳を閉じ、次に見開きながらゆっくりと空を見上げる。
 そこには昼が訪れることもなければ、真夜中が訪れることもない。まるでここだけ時が止まっているかのように、ずっとこの宵闇だけがまるで永遠に続くかのように世界を包み込んでいる。
 否、それは今この瞬間は間違いなく永遠を約束された景色であるのかもしれない。
 それらは正にこの地方に根付いた一つの伝説・・・若しくは真実を表しているようにさえ、女の瞳には映った。

「ヴァンパイア伯爵の治める地・・・時を刻む事を忘れた街、ポドールイ、か・・・」

 数々の伝記に残る夜の王の二つ名を小さく呟やきながら今一度街を見下ろした女の頭上を、まるで「ようこそ」とでも応えるように蝙蝠が一匹ゆっくりと旋回し、そして街へと飛び去っていく。
 間も無く訪れるであろう名月が、この地に訪れた彼女の運命をどのように照らすのか。それを確かめる為に彼女は自ら、宵闇の街ポドールイへと誘われていった。

 

 ポドールイとは元々この辺り一帯を指す地域の名称で、地域に該当する周辺諸国としてはツヴァイク、キドラント辺りまでを含む広大な範囲を指している。
 その地域の名を冠するこの都市は、街としての歴史は間違いなく世界最古を誇る。
 六百年の昔に魔王が君臨していた時代よりも以前からこの街は今の様に宵闇を纏っており、魔王の時代の後に世界中を蹂躙した四魔貴族支配の時代にすらこのポドールイだけは如何なる襲撃も受ける事なく、様相変わらず有り続けたのだという。
 斯様に四魔貴族ですらあえてこの地に手を出さなかった際たる原因と言われるのが、このポドールイを治める領主、レオニード伯爵の存在だった。
 驚嘆すべきことにこのレオニード伯爵という人物は三百年前の聖王の時代には聖王当人と関わり、果ては六百年前を生きた魔王とすら面識があるとも言われている。
 それほどの昔から生き永らえ、この地から世界を見つめ続けている存在なのだというのだ。
 そしてその正体は事の他有名でもあり、恐らくそれは、例えば世界の真反対にあるグレートアーチの子供達ですらも御伽噺に聞いた事があるだろう。
 曰く、レオニードという人物は他人の生き血を啜る「吸血鬼」であるのだという。
 彼に血を吸われた人間は皆等しく彼と同じ夜の眷属・・・ヴァンパイアとなるが、その代わりに永遠の命と若さを手に入れる事ができると言われている。
 それは、今も昔も命儚き人間が求めて止まない究極の願望の一つだ。
 伯爵は若い女性の血を特に好むといい、故にこの街には数百年の昔より今に至るまで、伯爵によって与えられる永遠を求めるうら若き乙女が幾人も集う。
 年に一度、その年で最も空高くに煌煌と輝く満月の夜に伯爵の城で催される舞踏会に集った中から一人が伯爵に選ばれ、永遠を得られるというのだ。そしてその代償に乙女は夜の住人となり、このポドールイの宵闇を抜ける事は未来永劫叶わぬと言われている。
 それでもこのポドールイにはそのような永遠を求める娘が後を絶たない。
 それ故、この街には伯爵に気に入られるために着飾り競う乙女たちの為の服飾店が多く軒を連ねている。とはいえ、揃っている洋服の数々はモードの発信地として有名なリブロフやウィルミントンの様な先鋭的なファッションではなく、どちらかと言えばクラシカルな佇まいのドレスや重厚な装飾がなされた宝石が多い。この辺りは、伯爵の好みに合わせているのだろうか。

「・・・あらあら、いらっしゃい。この街へは、今来たばかりなのかしら?」

 些か不用心にも思えるほどに気前良く軒先の宝飾台に所狭しと並べられた煌びやかな宝石類に目を落としていると、店主らしき老齢の貴婦人が声をかけて来た。
 まるで盗って下さいとでも言わんばかりの並べ方に驚いてました、などとは流石に言えず、女は取り敢えず形だけ笑顔を作りながら会釈を返す。
 今来たばかりか、との聞き方は恐らく女の格好を見て言ったのだろう。明らかに旅用の丈夫なローブを身に纏って荷物を抱えたその姿をみれば、誰だって外から来たのだろうと思うはずだ。
 だがその中で老貴婦人が他と一つ違ったところは、なにやら女のような人物にたいそう慣れた様子の物腰であった点であろう。
 貴女の様な旅人を私はよく知っている。まるでそう言っているかのような対応に、女は成る程この土地柄そういうものなのかと変に納得したものだった。

「・・・少し、驚きました。ここはとても治安が良いのですね」

 この雰囲気なら素直に言ってもよかろうと思い、女が本音を漏らす。
 すると老貴婦人は可笑しそうに小さく笑い、そして街の北方へと視線をずらした。

「ここは伯爵様の治める土地ですもの。あのお方のお膝元で悪事を働こうものなら、天罰が下るわ。それをここの住民はよく知っているから、なんの心配もいらないのよ」

 おっとりと上品な皺を目尻に湛えながら老貴婦人が柔らかくそう言うのを、女は感心しながら聞いた。この老貴婦人が寄せる伯爵への信頼感は、その言葉の雰囲気で十二分に伝わってくる。外ではヴァンパイアとしての噂しか聞かないが、その実これほど民から慕われているとは露ほども知らなかった女は、伯爵という人物は少なくともこの土地では名君たるのかと考えを改めた。
 しかしそれでも、ここまで不用心な陳列は本当に心配いらないのだろうか。
 そんな思いが顔に出ていたのかもしれない。すっと目を細めた老貴婦人は、でもね、と言葉を続けた。

「稀に外からやって来た旅人さんが、ついうっかり出来心を出してしまうことはあるわ。でもそうした方達はこのポドールイを出ることなく、蝙蝠の贄となるの。そうしていつの間にか軒先に、盗られたものがちゃんと帰ってくるのよ。だから、そういうことがあったとしても大丈夫なのよ」

 老貴婦人は言葉と共にもう一度微笑んだが、女にはその内容を聞いたあとに全く同じ印象を抱くことは叶わなかった。
 また来ますと頭を下げ、そそくさとその場を後にする。
 やはりこの街の住人は一味違うのだなと感じながら、女は兎に角宿を求めて街の広場まで出ることにした。
 雪の丘から女は既に感じていたが、ここは街全体がどこか緩やかな眠気を誘うように、とても安穏な空気に包まれている。だがそれは広場に近づくにつれ、まるで真逆の、どこか熱に浮かされたような感覚へと変貌を遂げていった。
 街の広場付近では若い女達が幾人も行き交い、ガラス製のショウウィンドウの向こうに置かれたドレスとその値段に一喜一憂し、美しさを称えながら宝石を勧める売り子に笑顔を返す。
 そんな実に華やかな街の様子を横目に、女は宿の集まる通りへと入っていった。
 しかしどうした訳か通り一面に連なる宿は、驚いたことに満室が目立つ。
 当然の如くすんなり宿に泊まるつもりでこの事態を全く想定していなかった女は、戸を叩けど叩けど満室ばかりの状態に半ば唖然としながらどうしたものかと途方にくれた。
 通りの出口まで来たところでここの宿がどうやらほぼ全滅である事が分かり、女は頭を掻きながら唸る。
 すると丁度そこに、女に掛かる声があった。

「・・・お前さん、泊まる部屋がもうなかったのかい?」

 声に振り向くと、そこには大型の犬を二頭紐に連れた老人が立っている。

「ええ、そうです。まさかこんなに繁盛しているとは思わなくて・・・」
「・・・この時期は仕方が無い。もうじき、伯爵様の城で舞踏会が催される。毎年こんなもんさ」

 うっすらと表面に積もった雪を払うように体を震わせた犬の体を撫でつけながら、老人は小さく笑った。
 その笑みがどこか失笑に近いようにも感じたので、ひょっとすると彼の目にはこの光景が滑稽に映っているのだろうか。ここの住人の表情はいまいち読み難い。
 女がそう思っているところに、老人は再び声を掛けてきた。

「お前さんは、珍しく旅慣れしているようだね。そこの宿程小綺麗にしちゃあいないが、うちに空き部屋がある。三日ほどなら使ってもいいよ。どうするね?」

 なんとも唐突な申し出だったが女は多少考える仕草をした後、喜んでそれを受ける事にした。
 老人が言うとおり恐らく三日以内にはこの街を出ることになるはずだったから、日程的に丁度良かったのもある。
 それに先ほどの老貴婦人との会話から、寝込みに盗みを働くような不埒な輩はこの街には往なさそうだという安心感も、その決断を手伝った。

「そうかい。じゃあおいで。こっちだよ」

 老人はそう言うと、思いの外機敏な動きで犬を連れて歩き出した。
 その後ろについて賑やかな通りを背に歩き出した女は、一度だけ街の広場の方を振り返る。
 そこには街灯に照らされて舞い散る雪と、色とりどりの看板と若き乙女達が変わらずある。
 これらの景色は三日の後にどうなるのだろうかとふと頭の片隅に過ったが、今の自分には関係あるまいと女はそこで考えるのを止めた。

 

 翌朝、なんとも言えない不思議な気分で女は目覚めた。
 昨夜は予想に反して随分と真面な部屋とベッドにとても満足し、旅の疲れを落とすようにゆっくりと眠りについたはずだった。
 だが起きて窓の外の景色を見ても、そこには彼女が眠りにつく直前の宵闇が只々あるばかりなのだ。
 果たして自分がどの位の時間眠りについていたのかが全く分からず、女は困惑した。
 それは数秒の話なのか、まさか数年の話なのか。例えなんと言われても、彼女にはそれを否定することができるだけの自信か得られない。
 兎に角何か確かめられるものはないかと外に出ると、そこでは最後に見た時と全く変わらぬ姿の老人が犬と戯れていた。どうやら数年寝ていたわけではないらしいということに、女はほっと胸を撫で下ろす。

「おや、よく起きれたね。ここにきて間もない人は皆時間の感覚を失って随分と長いこと眠るもんだが・・・お前さんは、流石に体を鍛えているだけあるね。規律が出来ている」

 空を見ながらそう言った老人に倣い、女も同じく空を見上げた。
 そこには粉雪の合間に幾つもの星が見えるので、つまり現地の人たちは星の位置でおおよその時間を判断しているといったところなのだろう。
 そういえば何故老人は自分が鍛えている事を知っているのだろうと疑問に思い、そういえばこの老人とは昨夜夕食を馳走になりながら話をしたことをそこで思い出した。
 どうやら彼はこの地で、マンドラゴラと呼ばれるものを採取することを生業としているらしい。それ故彼は自らのことを、マンドラゴラハンターと名乗った。
 マンドラゴラとは魔術や錬金術等の古文書にもよく名前の出る植物で、女も存在は聞きかじったことがある。
 彼が飼っている犬達はそのマンドラゴラを採取するのに必要なものだと彼は言ったが、結局その方法までは昨夜には教えてはもらえなかったと記憶している。
 無論相手の生業についてそこまで根掘り葉掘りと聞くほど無粋でもないので、女は適当なところで自己紹介がてらに自分の事を掻い摘んで話しながら夜を過ごしたのだった。

「明日の夜には、この一年で最も美しい月が昇るだろう。今日のうちに街中で済ませられる用事は済ませておいで」

 相変わらず犬と戯れながらそう言った老人に女は頷くと、部屋に戻って幾らかのオーラムを手に、街へと向かった。
 街中は相変わらず賑やかさがあり、心なしか各商店の売り込みは昨日より熱が高いようにも感じられた。
 行き交う乙女達の口からは、近年の売れ筋や伯爵の好みがどんなものであるかなど、様々な話が耳に飛び込んでくる。昨年に選ばれた娘が服を買った店はどこそこの店であるだとか、あそこの店は必ず何年かに一度選ばれているから今年は確率が高い、だとか。
 そんな様子を横目に、女は広場を通り越して、昨日立ち寄った宝飾店へと向かった。

「あら・・・昨日の方ね。また来てくれて嬉しいわ」

 こちらも昨日となにも変わらぬ姿の老貴婦人に出迎えられ、女は軽く会釈をしてから軒先に並べられた宝石達に視線を向ける。
 昨日一目見てここで扱っている宝石達は美しく、ここの宵闇の合間に煌めく輝きが見事なものであったことを思い出したのだ。
 手に取って質感を確かめ、宝石そのものの純度もさることながら周囲に施された装飾も実に繊細で見事なものである事に改めて目を見張る。

「・・・これと、あとこちらを頂けますか?」
「あらあら・・・うふふ、随分とお目が高いのね。宝石には慣れていらっしゃるの?」

 老貴婦人が多少驚いたようにふんわりと笑いながら女の選んだ宝飾を包むのを見ながら、女は肩を竦めた。

「いえ・・・個人的に持っている数は多くはありません。ただ、とある高貴な方にお仕えしておりまして、良いものを間近で学ばせていただいております」
「そうなの。ではその御方様は本当に良いものをお持ちでいらっしゃるのね。お見事な識別眼をお持ちだわ」

 小綺麗に包まれた宝石を受け取って思いの外安価に提示された代金を支払い、女は老貴婦人に礼を述べて来た道を引き返していく。
 通りには今も賑やかな声と音楽が其処彼処から響くが、女はどうにもその中に混じってウィンドウを眺める気にはならなかった。
 ふと帰り道に空を見上げると、いよいよ宴の訪れを告げんとばかりに巨大な月が登っている。その輝きが最高潮に達する明日に、このポドールイに集った乙女達は自ら喜んで奈落へと続く道を歩んでいく。
 その何とも言えぬ奇妙な事象にやや冷めた笑みを浮かべつつ、女は老人の元へと帰っていった。

 

 翌る日。
 女は再び宵闇の中で目覚めた。
 ベッドのすぐ横に置いてある小さなテーブルには、昨夜寝つきが悪かった女に老人が気を利かせて用意してくれたホットワインのカップと、小さなチーズの欠片が置いてある。
 それを横目に確認した女はどうやら今回も寝ていた時間は数年などというわけではなさそうだという事に確かな安堵を覚え、そしてそんな自分に小さく笑う。
 ここでの目覚めはどこか心が不安定で、暫く慣れそうもない。
 いや、抑も慣れる必要もないのだと思い直した女は、立ち上がって顔を洗いにいったついでに老人に寝覚めの挨拶を済ませ、髪を整え薄く化粧を施し、直ぐに着替えた。
 女が袖を通した淡いピンクのスリムなドレスは、あまり主張し過ぎないながらも上品に施された艶美な刺繍とフリルがアクセントとなり、艶やかさだけでなくどこか少女のような純粋さをも感じさせる。
 だがその割には機動性を重視した深いスリットがスカート部分には施され、その裏に隠せる様に剣帯が装着出来る細工もある。
 そこに愛用の小剣を忍ばせた女はドレスの上から防寒具を羽織り、長い銀髪を纏め上げ、これも愛用の櫛でしっかりと留める。
 そうしてまた老人に挨拶をすると彼は驚いた様な顔をし、次いで微笑んだ。

「こいつは驚いた。随分と整った顔立ちだとは思っとったが、わしはとんでもない方を泊めていたようだね」
「・・・とんでもありません。それでは、行ってまいります」
「・・・あぁ。気をつけておいで。君ならばきっと、伯爵様のお目に適うだろう」

 老人の言葉に軽く会釈だけを返した女は、宵闇の中にぼんやりと浮かんでいる街灯を頼りに街の北へと向かって歩き出した。
 街中を通り過ぎる段階で幾人もの若い女達が我先にと急ぎ足で北へと向かっていくのを眺め、その流れが向かう先に広がる宵闇の向こう側、霧に覆われながら幽かに見える城を見据えた。
 街の北門から雪に覆われた丘を二十分程歩いて登れば、伯爵の住む城へと辿り着く。
 そこは緩やかな傾斜ではあるものの、普段は行き交う人があまりいない丘陵の道はあまり整備状況がよいとはいえず、ましてやこれから舞踏会へと向かうような出で立ちの娘たちには容易い道のりではない。
 余りヒールの高い靴を選ばなくてよかった等とぼんやり考えながら丘を登っていた女は、唐突に周囲に不穏な気配を感じて立ち止まった。
 隠すつもりの毛頭なさそうな敵意が女の周囲にいくつも感じられて瞬時に身構えたが、それは直接女に向けられているわけでもないように感じられた。
 すると程なくして敵意の所有者が丘の沿道から姿を現す。それは、獲物を捉えて唸る数頭の獰猛な狼であった。
 獣らがターゲットとして見定めたのは、丁度女の前を歩いていた数人の娘達だった。それを察知した瞬間に女は駆け出しながら懐の小剣を抜き放ち、丁度狼の存在にいち早く気がついて悲鳴を上げた先頭の娘を横に突き飛ばしながら最も距離の近い狼に対峙する。
 そして狼が自分へと向かい飛びかかってきたことを確認すると、着地点を予測しながらバックステップを踏み、その体勢のまま上半身の捻りを存分に効かせた突きを繰り出す。それが寸分違わず狼の額から頭蓋を貫通したことを手応えで確信すると、女は引き抜いた小剣の穢れを払うように血振りをしながら次に飛びかかってきそうな狼へとじりじり移動しつつ背後に声をかけた。

「大丈夫?」

 声を掛けるが、反応は返ってこない。流石にこのような状況で背後の様子を伺うわけにはいかないが、そこまで怪我をするような突き飛ばし方をした訳でもないので問題はなかろうと女は踏んだ。
 だが次の瞬間、背後の娘は凄まじい形相で女の背中を睨みつけ金切り声をあげた。

「どうしてくれるのよあんた!せっかく用意したドレスが地面に擦れて汚れてしまったじゃないの!これじゃあ・・・伯爵様の前に出られないじゃない・・・!」

 唐突に背後から責め立てられ、流石にこの展開を予想していなかった女は思わずびくりと体を震わせてしまった。
 求めるわけではないが、流石に礼を言われこそすれ責められる場面であるとは思わなかったのが正直なところではある。
 だが突然獲物が喚き散らし出したことに反応して警戒を解き唸り声を上げて興奮する狼に、女は再び意識をそちらに戻す。
 その間にも娘は手に握った雪を衣服の汚れに擦りつけて落とそうとしたり、はたまた女に投げつけては怨嗟の叫び声を上げ、痛ましく顔をくしゃくしゃに歪ませている。
 いよいよ興奮が抑えられなくなり娘らに飛び掛らんと姿勢を低くした一匹を視界の端に捉えた女は、足場の悪さを物ともせずに力強く地面を蹴り、そのまま加速を乗せた刺突を今まさに獲物に飛びかからんとしていた地狼に見舞う。
 しかし地狼は真正面から放たれたその刺突をなんとか左に躱し、反撃せんとして女に飛び掛かった。
 女は体勢を戻してからでは回避が間に合わないと踏み、地狼から間合いを取るように右足で地面を再度蹴りつつ上半身ごと捻りながら右手の小剣を地狼の鼻先を切り掠めるように振り抜く。
 正に目前を振り抜かれて飛びかかった勢いを殺された地狼が女の眼前に着地して怯む。そこに女は小剣を頭上に軽く放り上げながら素早く腰を落とし、顎を目掛けて右肘を打ち上げた。
 衝撃と共に脳髄を強く揺さぶられて更に地狼がよろけると、その隙に女は折り曲げていた肘を伸ばして自由落下してきた小剣を掴み取った。そして上半身のバネだけを用いて零距離から放たれた小剣の突きが、寸分違わず地狼の眼球から脳髄までを貫く。
 そして小剣を引き抜く際に飛び散った獣の血飛沫が女の外套とそのすぐ後ろにいた娘のドレスに掛かると、そこで漸く現実を取り戻したように娘たちは瞬きをし、そして叫んだ。
「血が・・・!汚らしい獣の血が私のドレスに・・・!どうしてくれるの、これでは伯爵様のところにいけないわ!」

 既視感とは、こういうことをいうのだろう。
 あまりに酷似した罵倒を頂き、女は多少辟易しながら小剣の穢れを払う。
 その間にもドレスに血痕のついた娘は泣き喚き、これでもう私には永遠の若さと命は得られないと叫び狂う。
 永遠どころか下手をすればつい数秒前に終了の間際にあった命だというのに、どうやらこの娘にはまだ現実は見えてはいなかったようだ。
 とはいえ娘らをここにおいておくわけにもいかない。兎に角城まで向かって伯爵に保護を頼もうと考えた女は、泣きじゃくる二人を宥めながら他の娘たちも誘導しつつ丘を登り、その後は特に危険もなく城へと辿り着いた。
 伯爵の城は女がこれまで見てきたどんなものよりももっとずっと古い石造りの建造物であり、白の周りを取り囲んでいる堀に鬱蒼と生えている苔の濃さが年代を感じさせる。
 堀を越えて城へと繋がる跳ね橋はまだ上がったままで、橋の前には既に十数人の若い娘たちが集っていた。
 そこに更に数人を引き連れてきた女が加わると、まるでそれを待っていたかのようにガチャリと上げ橋の戒めを外される音が響き、橋が一人でに降ろされる。
 接地と同時に周囲に雪を撒き散らし、轟音を残して娘らを城へと誘うように降ろされた橋。それに驚いて足が竦んでしまったらしい娘たちの間を抜け、女は城の中へと進んでいった。
 歴史を感じさせる重厚な石造りの城の内部は思ったより寒くもなく、各所に灯された真新しい蝋燭に照らされた城内は清掃も隅々まで行き届き、女に続いて城内へと入ってきた娘たちは口々に安堵の息を漏らした。
すると、そこに奥から一人の老執事が足音もさせずにゆっくりと近づいてくる。

「皆様方、ようこそレオニード城へ。今宵の舞踏会への皆様のご参列、伯爵様も歓迎しております」

 低くよく通る声で一礼をしながら来客を迎えたその執事の瞳を見た女は、思わず背筋をびくりと震わせた。
 あれは人ではない。
 即座に女は老執事に対して、そう感じた。
 見た限りはどこからどう見ても生身の人間の形をしている。そして動きがあり、表情があり、人語も操る。
 だが、あれは間違いなく人ではない。決定的に何かが、自分たちとは異なるのだ。
 なまじ見た目が人と変わらぬので、人語を操る魔物と相対した時のそれよりも肌に感じる不気味さは勝るようにすら思われた。

「次のお部屋にクロークをご用意しておりますので、上着やお手荷物はどうぞお預けください。それではどうぞこちらへ・・・・おや・・・」

 女の様子とは裏腹に言葉と共に優雅に奥へと誘う仕草を見せた執事は、来賓の丁度中央あたりにいる女とその背後にいる地狼に襲われた中で不運にもドレスを汚してしまった娘二人を見て異変に気がついたのか、うっすらと目を細めた。
思わず女は身構えてしまうが、しかし相手に敵意がないことは分かっていたので、一呼吸して落ち着きを取り戻す。

「ここに来る丘の途中、彼女たちは狼に襲われたのです。そのまま街に返すのは危険だと判断したので、保護を求めに同行させました。どうかご対応願えますでしょうか」

 執事に向かって女が一歩前に出ながらそう言うと、執事は感心したように頷きながら口を開いた。

「なんと、そうでありましたか。それは大変でしたな。どれ、案内させましょう」

 言葉と共にどこからか現れた若く美しい女の給仕が二人、娘達に肩を貸しながら別部屋へと案内されていく。その様子を一瞥だけして視線を戻した執事は、娘達を連れて城の奥へと歩き出した。
 今現れた給仕2人もまた、人ではなかった。流石は吸血鬼の城ということか。人外のものに娘らを預けて大丈夫なのだろうかと今更になって考えてもみるが、まぁとって喰う訳でもあるまいし、と思い直す。
 女はそんな思惑を抱きつつ周囲に視線を隈なく走らせ、一歩遅れて集団についていった。

 

「ようこそ、我が城へ。今宵の舞踏会は、常よりいっそう華やかになりそうだね。おっと・・・挨拶が遅れたな。私がこの城の主、レオニードだ」

 思いの外低くもなく心地よく聞いたものを包み込むようなその声に、女はこの城に入ってから間違いなく最も反応の大きい悪寒を背筋に感じた。
 埃一つ落ちていない真っ赤な絨毯が伸びた先の壇上に構えられた豪奢な玉座に座して彼女らを見下ろしていたのは、絨毯より更に深い紅の豊かな長髪を湛えた、目を疑うほどに美しい男性だった。
 あれもまた、人ではない。それは一目見た瞬間に悟った。だが先ほどまでのこの城の住人とも、あの存在は全く異なるようだ。女はその様に感じた。
 ではあれはなんなのかと問われれば恐らく女は、あれは『王』だと答えただろう。
 無論、この城の主であるから、などというわけではない。
 この空間・・・ポドールイを見下ろす丘から肌に感じていた緩やかな宵闇の空気。それが介在するすべての場所に絶対的に君臨する、夜の王。
 その威風、その容姿、その瞳に、思わず女は意識を持っていかれそうになる感覚を覚え、軽く唇をかんだ。
 それとタイミングを同じくして彼の顔をみた途端に女の周囲からは嬌声にも近い声が漏れ聞こえ、レオニードはその様子に満足そうに浅く頷き、立ち上がった。

「さぁ、堅苦しい挨拶をするためにここに招待したわけではない。宴席の間へと案内しよう。シェフにとっておきの料理を用意させている」

 そう言って案内のために立ち上がって足音もなく歩き始めたレオニードは、ふと思い出したように立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

「そうだ、皆にひとつ注意してもらいたい。この城内には危険な場所があちらこちらにあるから、不用意に移動しないほうがいい。なにせ、吸血鬼の城だからね」

 そう言ってうっすらと微笑みながら再び歩き出したレオニードにわらわらとついていく娘たちの最後尾に位置した女は、自分に向いた視線がないことを確認して素早く近くの柱の陰に身を隠した。
 そのまま息を殺して周囲の気配を探ることだけに努め、やがて集団が扉の向こうへと完全に消えていくのを察知すると、改めて視界で確認をする。
 扉の向こうに感じられる人の気配が遠ざかっていくのを感じながら他に潜んでいる物がいないかどうかを確認するため、再度部屋全体へ神経を張り巡らせる。
 一頻り女がそうしている間も周囲には蝋燭の灯りだけが揺らめいており、唯々その場は無音に包まれていた。
 生ける者の気配に加えてこの城の住人の気配もないことを確認すると素早く周囲を観察してあたりをつけ、女は躊躇うことなく皆が向かった場所とは全く別の扉を開いた。
 外から見た段階ではあまり気にはならなかったが、この城は実に実戦的な城のようだ。
 堀に囲まれた城門もそうだが、先ほどの広間から一度扉を潜れば、そこは侵入者を惑わすかのように細く折れ曲がる通路が続いている。
 女は帰路に迷わぬようにと通って来た道沿いの燭台を一定間隔毎に吹き消しながら奥へと進んでいった。

「気分はヴァンパイアハンター、といったところかしらね・・・」

 ドレスのスリットから愛用の小剣の柄に手を掛け臨戦態勢を取りつつ、女は無音の続く空間に耐えきれなくなったのかそんな事を呟きつつ、ふと隙間から吹いてくる冷たい風に気付いて自分の真横の扉に手を掛けた。
 見た目は周辺の扉と何も変わらないその扉は、しかし押し開けた先が薄暗い地下へと下っていく細い通路となっていた。
 その先にはこれまでのように設置されていた燭台による灯りもなく、後手に扉を閉めてから女は忍ばせていたランタンに火を灯す。

「ギャギャギャギャッ!」
「・・・!?」

 途端、奇声を上げながら飛来する不自然に巨大化した蝙蝠が女を襲ってきた。前方に飛び込むようにしてそれをなんとか回避した女は、取り落としてしまったランタンが照らしている通路の先に広い空間があることを確認し、一目散にそこまで駆け抜ける。
 広間まで抜けた女は背後から迫った巨大蝙蝠の強襲をしゃがんで躱し、忍ばせていた小剣を抜き放って対峙した。すると先ほど聞こえたものと同じ奇声が、今度は更に背後から迫ってくる。

「・・・!!?」

 横に飛んでそれを回避した女は、状況を確認しようと周辺にざっと視線を這わせる。通路に置き去ったランタンとは別に何処からか月明かりが入ってきているのか広間は薄っすらと明るく、なんとか状況を確認することができた。
 視界の中には自分を経った今襲ってきた蝙蝠と、先ほど襲ってきた別の個体。そして奥に別で三匹。計五匹もの巨大蝙蝠が広間に待ち構えていた。
 女はそれらの距離を目測でざっと見当をつけ、徐に前方へと飛び出した。
 三度奇声を発しながら飛来したのは、先ほどの二匹。それらを確認した女は先に牙を剥いてきた蝙蝠に対しては身を低くして躱し、次に飛来した蝙蝠の喉元を剣先で抉り抜く。
 その様子を見た後方の三匹は奇声を発して騒ぎ立て、耳を劈くような高音を発しながら女の周囲を飛び回った。

「ぐ・・・!?」

 思わず耳を塞いだ女は、背後を取られている一匹の動向を確認しようと振り返る。案の定と言うべきか、その隙を逃すことなく背後から襲いかかってきた蝙蝠の頭蓋目がけて思い切り回し蹴りをお見舞いした女は、その蝙蝠が首から上をあり得ない方向に曲げながら墜落するのを横目に確認しつつ誰も見ていないだろうに癖なのか捲し上げられたスカートを素早く戻し、残りの三匹を鋭く見つめた。
 あとは知能がそれほど高くないであろう蝙蝠達が有り難いことに五月雨式に襲来してきたところを確実に仕留め、改めてその他の脅威がないか周囲に注意を払う。
 幸いその場に他の気配を感じることがなかった女は小剣の穢れを払い通路を戻ってランタンを回収し、改めて広間の奥を目指した。
 空間の奥には再び小さな通路が伸びており、更にそこから地下へと続く階段が暗闇の中にぽっかりと口を開けている。
 それを確認して女が躊躇うことなく階段に一歩足を踏み入れた、その時だった。
 広間から更には階段、そしてその先に広がっているらしき地下の空間。それらの壁面に設置されていた古びた化粧の飾り灯籠が、まるで奥へと案内するかのように順番に灯されていった。

「・・・・!!?」

 突然のその現象に驚いた女が周囲を見渡すが、特に何者かの気配らしき物は感じない。
 灯された蝋燭たちによって映し出された広間はどうやら礼拝堂のような作りのようで、念のため女はそこまで歩いて戻って確かめたが、当然そこにも人の気配は感じられなかった。

「・・・歓迎してくれている、ってところなのかしらね」

 強気な言葉の割には、多少その表情には引きつったような印象を受ける。明らかに強がりが混じった台詞だが自分を勇気づけるためにあえてそう声を出した女は、ゴクリと唾を飲み込むと意を決して階段を下っていった。

 

 階段を下りきった先は、上階とは明らかに異なる空気に包まれていた。そこにはもう永いこと使われていないことが窺えるにも関わらず、まるで今しがたその役目を全うしたばかりのようにべったりと血のついた処刑道具の数々。そして朽ちて半分崩れているようなものなのに今もそこに死体が転がっているかのような腐臭漂う牢獄。
 そしてその奥で女を見据えて瘴気を撒き散らす、巨大にして醜悪な死せる魔物。
 その魔物を一目見た女は、ぞわりと背筋を這う怖気に身を震わせた。先ほどまでの安易な怯えなど瞬時に吹き飛んでどっと冷や汗を垂らしながら、それでもなんとか小剣を握りしめて対峙する。

(不味い・・・本気でマズい・・・。この魔物・・・さっきのとは桁違いの強さだ・・・。一瞬でも気を抜いたら、殺される・・・)

 女の直感は正しかった。アンデッドと化して知能なく瘴気をまとって雄叫びを上げながら突進してきたその魔物は、単純にその力だけが極限まで強化されていた。
 とんでもない速度で突っ込んできた魔物を何とか横っ飛びに回避した女の後方で、盛大な激突音と共に壁を崩しながら止まる魔物。
 直ぐ様起き上がってそちらに向き直った女は、汚らしく濁った体液を滴らせる腐肉を引き摺らせながら何事もなかったかのように向き直ってくるその魔物に向かって一足飛びに突っ込んだ。
 女は速度を殺さずに自分が得意とする加速突きを相手の眼球へと向かって放つが、アンデッドとは思えぬ素早い動きでそれは腕により防がれ、振り払われるままに任され為す術なく女は壁まで吹き飛ばされる。
 だが空中でなんとか体勢を持ち直した女は、着地直後を狙って再び高速で突進してきた魔物を避けるために空中で壁に着地し、そのまま三角飛びの要領で壁を蹴って斜め前方へと飛んだ。
 再び周囲を揺るがす激突音が響き渡り、衝撃によって巻き上げられた塵が魔物の周辺を包みこむ。
 空中で身を反転させながら片手をつきつつ着地した女は、この硬直を狙って再び駆け出した。
 そしてその場で咄嗟に新たな何かを思いついた女は、魔物と自らの間にある空間をも切り裂くほどの勢いを乗せるように小剣を持つ右手へ渾身の力を込めた。

(・・・これで・・・どうだ・・・・!)

 瞬間的に極限まで加速された突きは捻りと共に迸る電撃を纏い、衝撃音と共に魔物へと突き立てられた。腐肉の焼ける酷く不快な臭いが辺りに充満していくのを堪えつつ女が手応えを感じながらバックステップを踏んで距離を取る。
 ずるり、と何かを引き摺る音と共に舞い上がった塵の中から姿を現したのは、片足を吹き飛ばされた魔物だった。
 だがそこに流れる血はなく、最早痛みなど感じることのないアンデッドは、著しく発達した両腕を使って石畳の一部を抉り取りながら飛び上がり、女へと襲いかかった。
 女はそれを真正面から見据え、手にしていた小剣を両手に構え直し、下段から斬りあげる姿勢を取りながら前方へと身を投げた。

「起きなさい、マスカレイド!!」

 声と共に、周囲を強烈な赤い光が満たす。
 その一瞬だけは辺りに立ちこめていた瘴気の一切が立ち消え、死ぬことを許されなかった魔物はまるで自らの役目を終えたかのように不気味な光をその眼底から一瞬だけ発し、そして次の一呼吸で粉塵と化して崩れ落ちた。
 その様子を肩で息をしながら見届けた女は、手にしていた赤く流麗な大剣を見下ろし、さっと一撫でする。すると真紅の刀身の大剣は瞬く間に小剣へと姿を戻し、彼女の手に収まった。

「・・・聖剣マスカレイドか。随分と物騒な物をもっているね」
「・・・!!??」

 突然耳に届いたその艶やかな声に、女は大層驚きながら背後に振り返る。
 そこには、ワイングラスを片手に弄びながら軽く笑みを浮かべたレオニードが忽然と立っていた。

「・・・何故、そこに・・・」
「何故って、それは随分と可笑しな問いだな。ここは私の城だから私がこの城のどこにいても不自然ではないし、なによりこんなに派手に大立ち回りをしてくれているんだ。寧ろ気がつくなという方が難しいのではないか?」

 あくまで上機嫌な様子で笑みを浮かべながら女を見つめるレオニードは、そう言いながら女に背を向けて地下牢の奥の方へと歩き出した。
 その様子に女が怪訝な表情をすると、直ぐに立ち止まったレオニードは肩越しに女を見ながら口を開いた。

「何か目的があるのだろう?・・・おそらくそれは、この奥だ。丁度パーティーにも退屈していたところだし、案内しよう」

 それだけ言って再び背を向けて歩き出したレオニードを暫し見つめていた女は、その一寸の間に考えられる限り彼の行動が何を意味しているのかを考える。が、やはりその答えは明瞭には出てこない。単なる酔狂のようにも見えるし、勿論なにかしら明確な目的があるようにも見える。が、それがなんなのかは、人間である彼女にはどうしても分からない。
 ただはっきりしていることは、レオニードという人物は自分よりも強いだろう、ということだった。確かに先ほどはアンデッドとの戦いに全神経を集中していたという事実はあるが、それでも女は自分が一切気配を悟れることなく背後に立たれたことなどこれまでの人生の中ではまず記憶にない。
 罠の類いであった場合は圧倒的不利に陥る状況ではあるが、しかし女は意を決してついて行くことにした。言われるとおり、女には目的の物があるからだった。そしてそれはおそらくこの奥にあるであろうことも、なんとなく察していた。それをわかっていてレオニードが案内を買って出たのであれば、何れにせよここでついて行かなければ目的の物は手に入らないだろうということが分かったから、女はついて行くことにしたのだ。
 朽ちた牢獄の奥にある階段を更に下ると、そこは城の基礎部分を囲うように巨大な空間が広がっていた。その空間を伸びていく石造りの空中回廊(この場合は地中回廊というべきか)を進んでいくと、扉の開いた部屋にたどり着いた。
 どうやらレオニードはここに入っていった様だ。
 一瞬躊躇った後に女がそこに入るとそこには少し大きめの、しかし城の一室というには少し小さめの、そんな部屋があった。天蓋付きのキングサイズのベッドが部屋の中央にあり、周囲にはテーブルやクローゼット等がある。この城に入った当初に感じたよりもずっと生活的なものが、ここにはある。
 そしてテーブルの上に置かれたワインのデカンタと二つのグラス。その一つを手に取りながら備え付けの椅子に座ったレオニードは、もう一つの椅子を女に勧めてきた。

「座りなさい。立ち話も何だからね」

 予想だにしない展開なのでここでも女は一瞬躊躇ったが、レオニードの様子から少なくとも今すぐ自分をどうこうするわけではなさそうだと判断し、意を決して勧められるままに椅子に腰掛けた。

「ここに生身の人を案内するのは、何時振りだろうな。殺風景な部屋ですまないね。ここは私の自室なのだよ」

 そういって微笑むレオニードの表情に、女は初めてどこか人間らしさを感じる。謁見の間で見てからここまでは正体不明の何かにしか感じられなかったが、その実が基礎は一応自分と同じらしいという事に今漸く気が付いたのだ。
 内心でそのような事を考えながら女は軽く会釈を返し、少し緊張が解かれたところで改めて室内を見渡す。
 一見して殺風景というにはあまりにも豪奢な調度品の数々が存分に存在を主張しながら目に飛び込んでくるので、このレオニードという人物は恐らく殺風景の意味を履き違えているのだろうと考えながら女は呆れる。例えば入り口近くの壁に掛かっている絵画などは四魔貴族支配の暗黒時代に名を馳せた画家の代表作と言われる世界の破滅を描いた国宝級の芸術品であるし、腰の高さほどの棚の上に徐に置いてある置物は、西方諸国では破片しか発見されたことがないと言われる東の国で作られるという色鮮やかな焼きものだ。その他明らかに一般では手に入らないであろう逸品が唐突に、しかし見目良く散りばめられている。
 だが確かにこの部屋には窓がなく、室内を照らしているのは陽の光ではなく蝋燭の灯だけだ。そこばかりは、殺風景というのが当てはまるようには感じる。また自室とは言われたものの人が暮らしているような気配がここには何故か殆ど感じられず、総じて余りこの部屋からは城内と同じく現実の香りがしなかった。
 女が一通り部屋の中を見回すのを可笑しそうに眺めていたレオニードは、デカンタからワイングラスに中身を注ぎながら口を開いた。

「そういえば、私は君の名前を聞いていないな。名はなんと言うのだ?」

 その質問に、女はぴくりと反応する。
 だがこの場でもはや隠し通せるものでもなかろうと予め観念していたのか、惑う事なくすんなりと口を開いた。

「・・・申し遅れました。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランと申します」

 女が名乗ると、レオニードはまるで予想通りの答えが返ってきたことをほくそ笑む子供のような表情で目を細めた。

「ふふ、矢張りか。フランツ侯は息災かね?」
「・・・存じておいででしたか。恐れ入ります。マイロードは、相変わらずでございます」

 女、もといカタリナが伏し目がちに言うと、レオニードはその答えに満足したように頷いてワイングラスを掲げた。

「さて、久々の来客を祝して」
「恐れ入ります」

 カタリナも控えめにグラスを掲げ、注がれたワインの水面を見つめる。
 全体は濃い紫を帯びた紅の色合いで、スワリングからグラスを伝うティアーズは淑やか。顔に近づけると香りは黒すぐりの印象から複雑な幾つもの花々が見え隠れし、その全てが芳醇。
 それは彼女にとって、とても慣れ親しんだ香りの一つだった。

「北ロアーヌ、ですね。エンプレス・ヒルダ・・・よく開いていますね」
「分かるか。さすがはこのワインを生んだ偉大なる大地を従える侯国の騎士よ。これはロアーヌの知り合いから頂いたものなのだが、私は昔からこのワインに目がなくてね。これは最近のヴィンテージの中では特に気に入っているんだ。267年のものだよ」

 とんでもないことを随分と気軽に言ってくれるものだ、とカタリナは幾ばくか目を見開く。
 というのも聖王暦267年はロアーヌではこの50年で最も偉大なグランドヴィンテージと名高い年で、もともと生産量がそこまで多くない銘柄などは入手が非常に困難だとされている。
 なかでもこの場に提供されたワインはロアーヌワインの女帝と称される銘柄で非常に有名であり、入手にはオーラムよりも運の方が必要だとすらいわれる逸品だ。それの更にグランドヴィンテージともなれば、これは下手をしたら一生お目にかかれないかもしれない。
 一口含み、舌から口内全体に柔らかく広がるしなやかなタンニンに思わず表情が緩む。
そして余韻を一頻り愉しむと、カタリナはグラスを置いて正面のレオニードに向き直った。

「本題かね?」
「はい」

 魅惑的な薄い笑みを絶やさぬレオニードに対し、カタリナはまず上半身のみ前傾姿勢をとった。

「先ずは、身分を明かさずこのような形で入城し、あまつさえ無許可で会場以外の場所へと立ち入った非礼を深くお詫び申し上げます」
「よい。今日という日に公式訪問をされてもそれこそ無粋。それに私は注意を促しはしたが、他の場所へ行くなとも言っておらぬ」

 レオニードの言葉にカタリナが再度頭を下げると、レオニードはうっすらと目を細めながらカタリナを改めて眺めた。

「ロアーヌの華たるモニカ姫を守護せしマスカレイドを操る女騎士の話は私も聞いていたが、フランツ候はよい人材に恵まれたようだ。ロトンギアンを単騎で打ち倒す人間など、この世界にどれほどいることか。君ならば、何れはこの城の最深部にも到達できるかもしれないな」

 ロトンギアンとは、先の魔物の種別名だろう。それよりもその後に出てきたこの城の最深部、という言葉にカタリナが微かに反応すると、レオニードは更に興味をそそられたようだった。

「この城の奥深くに、君は何を求めて来たのかね?我が眷属と同じ闇を遍く纏う宵闇のローブか?世界の真理が刻まれしルーンの杖か?それとも・・・聖王の血が注がれたという、聖杯か?」

 そのどれもが伝説に聞くような至宝ばかりであるが、カタリナがそのなかで僅かに反応を見せたのは、聖杯の言葉が出てきたときだけだった。レオニードはそれすらも予測済みであったかのようににやりと笑い、ワイングラスに口をつけた。

「聖杯を持つにはそれ相応の力が必要だ。君は恐らく嘗ての聖王十二将に迫る程に強いが・・・まだ足りないな。それでも今欲しいと言うのならば・・・無理には止めないがね」

 不敵に笑いながらそういうレオニードに対し、カタリナは一切の反論の余地なく視線を伏せた。
 彼はこう言っている。この先に進めばお前は間違いなく死ぬ、と。
 それは恐らく、紛れも無い事実なのだろう。実際彼女には先ほどの魔物以上の化け物を相手取って五体満足で生還できる自信はない。
 しかし彼女が求めるものが矢張りこの先にしかないというのであれば、彼女は何としてもそこまで行かねばならない。
 目を閉じて数秒考える。或いはそれは、覚悟を決めるための時間だったのかもしれない。

「不躾ですが、御願いがございます。伯爵様」
「なんだね?」
「私が求めているものは、正確には聖杯から溢れ出すという生命力の源、聖水です。どうか私にそれを一掬い、譲ってはいただけませんでしょうか」

 言葉を紡ぎ終えると同時にレオニードの視線がうっすらと細まり、カタリナを射抜く。それまでには見られなかったその表情に、しかしカタリナは凛とした態度を崩さず真正面から受け止めた。

「・・・聖杯に関してはどうも話が方々に広まっている様だから、誰が知っていても不思議はない。しかし、あの聖杯がもたらす奇跡を知っている者は殆ど居ない」

 レオニードは淡々とそう喋り、唇を濡らす程度にワイングラスを傾ける。

「ロアーヌで聖杯の奇跡を知る者は、私の知る限りは一人だけだ。いや、君も知っていたから、これで少なくとも二人という事になるか。さて・・・口外は基本的に遠慮願っていた筈だがね、困ったものだな」

 言いながら、カタリナの表情に微細な動揺が走るのをレオニードは見て取った。
 彼女のように強固な意志を纏った表情の裏に揺れるそんな感情を見て取り愉しむのが悪趣味なのは自覚しているが、レオニードはこれが止められない。仄かに嗜虐心が擽られるのだ。

「・・・ふふ、まぁいい。それで、私への対価は何かね?」
「・・・この私に用意できるものであれば、なんなりと仰せください」

 どこか潔さをすら感じるカタリナの言葉に、レオニードはその表情を読むように薄っすらと視線を細め、そして即答した。

「では、君を頂こう。今宵の舞踏会、広間に集まった娘たちで私の目に適う者はいなかったのでな。今日の宴の趣旨はわかっているのだろう?」

 カタリナはその言葉を聞きながら、伏し目がちに豊かなまつ毛を震わせて数度瞬きをする。
 広間に集まった娘たちが今の言葉を聞いたら本気で発狂しそうだな等と頭の片隅を過るが、生憎とここでそれを口に出して言えるほど彼女は冗談が上手くはない。いや、言われた内容がおそらく冗談ではなさそうであるからこそ言えない、と言った方が正解だろうか。
 なので、彼女も迷わず即答することにした。

「申し訳ございません。それは出来ません」
「何故だね。君に用意できるものであればなんでも良いというのだから、その身一つならば出来ない事柄ではあるまい?それとも我が眷属となることは、やはり恐ろしいかね」

 ワイングラスを軽くスワリングしながらレオニードが可笑しそうにそう言うと、カタリナはうっすらと微笑みながら応えた。

「伯爵様。申し訳ありませんが、思い違いをなされておいでのご様子。残念ながらこの身は、私のものではございません。ロアーヌ侯国のものでございます。この身はマイロードを、そしてロアーヌの民を守るための剣。ですので、私には今のオーダーを受けることは叶いません。どうか、なにか別のもので仰せいただけませんでしょうか」

 カタリナがさも当然のようにそう言うと、レオニードは二、三度瞬きをしてから声を押し殺すようにして小さく笑った。

「ふふ・・・そうだった、君は騎士だったな。言わば神と契りを交わした修道女の様なもの。私としたことが、とんだ思い違いをしていたようだ。つまらん問いかけをしたな」
「いえ、とんでもございません」

 どうやら今の一連の会話が面白かったのか一頻り小さく笑っていたレオニードは、ワイングラスの中身を飲み干すとゆっくりと立ち上がった。その様子をカタリナが視線で追っていると、レオニードはゆっくりとした足取りで部屋の扉まで向かった。

「少し待っていたまえ。所望の品を持ってこよう」
「・・・宜しいのですか?」

 カタリナが小さく首を傾げながら彼の方を向いて確認すると、それに対して薄っすらと微笑んだレオニードは、扉の取っ手に手をかけながら口を開いた。

「よい。こうして普段とは違う時間を過ごしたのも、私にとっては新鮮なものだ。故に、この辺りで手を打とうと思い直したまで。それに・・・いや、これは控えておこう」
「・・・?」

 それまでの様子とは一風変わって少しだけ無邪気そうな含みのある語尾に疑問符を浮かべるカタリナだったが、レオニードは一人納得顏のまま上機嫌な様子で部屋を後にした。
 そうして一人取り残されたカタリナは流石にいきなり招かれた伯爵の部屋でリラックス出来るほど図太い神経をしているわけでもなく、多少緊張した面持ちを崩さぬままに改めて部屋の内装を眺めながら手元のワインを口に含む。
 まだ油断は出来ないだろうが、どうやらここに来た目的は達成できそうだということには一先ず安堵しつつ、座り心地の良い椅子の背もたれに軽く身を預けた。
 何とは無しに眺めていると、この部屋はどこかポドールイという街そのものととても似た雰囲気があるように感じられる。
 過去から今まで、そしてこの先も変わらずこのように在り続ける不変の場所。周囲を柔らかく甘美に包み込む宵闇に誘われるまま時が止まっているかのように感じられ、こんなところでうっかりうたた寝でもしようものなら何年先に目覚めるのか分かったものではないように思うことだろう。

(・・・こうしてここにいると、確かに永遠なんてものを意識してしまうかも知れない。永遠というものがこんなにも柔らかく緩やかなものであるのなら、それが甘美な響きにも思えてしまう。ここに集ったあの娘たちはひょっとしたら、この城に来るまでもなくポドールイという街に既に取り込まれてしまったのかも知れないわね・・・)

 そうして周りの停滞した空気に彼女自身も思わず囚われそうになるところを、手元のワインが引き戻す。
 時間と共に花開き表情を様々に変えていく偉大なワインを味わいながら、伯爵がこのワインを好きな理由が何となく分かったような気がした。
 そうしてグラスがちょうど空いた頃合いに、部屋の外から誰かが近づいてくる気配を感じ取る。
 伯爵が戻って来たのかと思いカタリナが軽く姿勢をずらして扉の方へと向き直ると、しかし扉を開けて部屋に入ってきたのは予測に反して一人の給仕であった。
 更に言えばその給仕の顔にカタリナは見覚えがあり、数度瞬きをしてから声を掛けようかと思案する。だがそれに先んじて、給仕が軽く一礼をしてきた。

「・・・先ほどはお助けいただき、有難うございました」

 目の前の給仕は、外側はこの城にたどり着く前に地狼に襲われていた娘たちの一人に間違いなかった。丁度ドレスが汚れてしまったことで別室に案内されたうちの一人だ。
 だが顔こそ間違いなくその時の娘なのだが、おそらく彼女は既に人間ではなくなっていた。彼女が纏っている空気は、先程までのものとは全く異なる。
 それは間違いなく、この城の執事らに感じたそれ。生気はなく、虚ろにこちらを見返す瞳。その様は、夜の住人そのものだった。

「貴女・・・ここの給仕になったの?」
「本日から、お世話になることになりました」

 虚ろな瞳で抑揚無くそう答えた給仕は、手にしていたシルバートレイからガラス作りの小さな瓶を持ち上げ、カタリナの座っているテーブルの上に置いた。
 瓶の中には粉末が詰まっており、色は白い。だが見てわかるのはそれだけで、結局それが何であるのか彼女にはわからない。

「伯爵様から、カタリナ様にこれを、と。こちらは聖杯より湧き出でる聖水を安息香の樹脂と配合して作られた香薬で御座います。聖水の持つ効果を最も引き出す精製法であると伺っております」
「そうでしたか。感謝致します」

 礼を述べた後に小瓶を手に取り、ドレスの下に忍ばせていた小さなポーチに入れる。
 その仕草を見届けた給仕は一歩引くように下がりながら扉に向き直り、扉の前まで歩み寄ってからカタリナに向き直った。

「お帰りまでのご案内も仰せつかっております」
「そうですか・・・」

 給仕の申し出に礼を述べながら立ち上がったカタリナは、部屋の中に漂うワインの残り香を惜しみながらその場を後にした。
 給仕の背中を視界の端に置きながら、ここまで来た道をゆっくりとした足取りで戻っていく。しかしレオニードの部屋に来るまでの間に保っていた緊張感は、もはや必要もなかった。
 不気味さというかなんとも落ち着かない感じは相変わらずなのだが、身体中が感じていた拒否反応のようなものがすっかり無くなっていたのだ。
 魔物に襲われる心配がないからかとも思ったが、それはどうやら彼女の勘違いのようだった。
 それに彼女が気づいたのは、丁度牢屋を抜けて礼拝堂らしき場所まで戻ってきた時だった。
 不意に、給仕が立ち止まって天井のステンドグラス越しに月明かりを眺める。
 その様子を小首を傾げてカタリナが見守っていると、給仕は数秒の後にカタリナへと振り返り、無表情は崩さぬままに口を開いた。

「本当に、カタリナ様には感謝しています」
「・・・それはどうも」

 丘で助けたことを言っているのだろうか。あの時は盛大に罵倒されたものだが、今ではあまりに人格が変わりすぎていはしないか。そう思いながらもカタリナが無難に反応を返すと、給仕はそんな彼女の思惑など特に気にする風でもなく言葉を続けた。

「カタリナ様は、何故伯爵様のお誘いをお断りになられたのですか?」

 無感情な声色であるはずなのに、どこかその質問には含みがあるように感じられる。
 しかしどう返答したものかとカタリナが思案する間も無く、給仕は独白を続けた。

「私は今、幸せです。望み通り、永遠の命と若さを得られたのですから。カタリナ様は、望みを同じくしてここにいらしたわけではなかったのですか?」

ミシ・・・

 静寂なる礼拝堂に響き渡ったその僅かな物音は、例えるならば石同士をする様な、何か硬いものをすり合わせる音か。

「折角カタリナ様は伯爵様のお眼鏡に叶ったというのに、勿体ない限りです・・・あら、ふふ、出過ぎた言い様でした・・・申し訳・・・ありません」

ミシミシ・・・

 再び不自然に擦られるような音と共に給仕の背中は大きく膨れ上がり、そのまま衣装を破り裂いて中から大きな蝶のような羽が広がった。
 目の前の突然の状況に目を見開いたカタリナが思わず後退りするのは見えているのか、月明かりに照らされた給仕の瞳は暗く紅みを帯びた色へと変わり、それまで無表情だった彼女は思わずぞくりとするほど妖艶に微笑んで見せた。

「ほら・・・だってこんなに美しい羽も・・・肌も」

 着ていた衣服は背中から大きく破れ落ちて腰から下に垂れ下がり、乳房まで露わになった上半身は肌全体仄かに発光しているように見えた。給仕はそのあられもない格好を一向に気にする様子もなく、自らの羽を艶めかしく撫でる。

「ふ、ふふ・・・あははは!」

 突然気が触れたように、給仕はあどけなく子供のように笑った。
 そのまま飛び上がるようにしながら衣服を全て脱ぎ去ると、給仕だったなにかはふわりと鱗粉を撒き散らしながら天井付近を旋回し、次には迷うことなくカタリナの方へと急降下してきた。

「・・・!!」

 驚きはしたものの横に飛んで冷静に回避をしたカタリナはすぐ様小剣を抜き放って対峙しようとしたが、給仕だったなにかはそのままカタリナをすり抜けて奥の地下牢へ笑い声と共に潜っていってしまう。
 遠ざかる笑い声を耳にしながらカタリナが小剣片手に呆然としていると、今度はさらに別の個体の気配が礼拝堂へと入り込んでくる。
 そのあまりに異質且つ不快な気配で我に帰ったカタリナがそちらへ振り向くと、其処にはこの城で最初に彼女を迎えた老執事が相変わらずの不気味に表情のある顔で足音もなくそこに立っていた。

「新人が大変失礼を致しました。お出口までのご案内を変わらせていただきます」

 そう言って静かに一礼をする執事に、カタリナはやはり身構えようとしてから老執事に敵意のないことに気がつき、剣を納める。
 そして静かに大きく呼吸をし、とにかく声を出そうと口を開いた。
 その方が冷静さを保っていられるような気がしたからだ。

「彼女は、一体どうしてしまったのですか?」
「適性なし、で御座います」

 即答されたものの、その言葉が何を意味しているのかはさっぱり分からない。
 しかし二秒ほど待ってみたが相手が続ける気配がないので、仕方なしにカタリナは鸚鵡返しをした。

「適性なし、とは・・・?」
「我らが眷属となった存在が私めのように人型を保っていられるかどうかは、適性によります。その者の宿星、身体能力、魔力、あとは特に意志力などが適性に関与いたします。あの者にはそれが足りず、人型を保つことができなかったのです。まぁ、この城では良くあることです」

 事も無げに老執事はそう言いながら、仕草で出口への案内を続けるようにカタリナを招きつつ、ゆっくりと歩き出した。
 その背中が少しずつ遠ざかっていくのを立ち止まったまま眺めながら、カタリナは今し方言われた言葉のおぞましさに身震いする。それと同時に、自分の体が再びこの場所に対して拒否反応を示していることに気がつく。

(・・・気付かないうちに、体が宵闇に侵食されていた・・・。あのままだったら、この城を出る前に私も彼女と同じようになっていたかもしれない・・・)

 助けられたのは自分の方かもしれないな等と考えながら給仕だった何かが飛び去っていった地下へと続く道を一瞥し、カタリナは礼拝堂の出口で立ち止まっていた執事へと向かって歩き出した。
 そのまま城の中を二人は無言で進んでいたが、丁度エントランスに差し掛かるあたりでカタリナはどうしても気になったことを聞いてみることにした。

「・・・彼女ともう一人、保護をお願いしたはずです。その娘はどうなりましたか?」
「適性なし、で御座いました」

 即答される。予測はできたがその答えにカタリナが眉を歪ませると、老執事はまるで彼女に気を遣うようにかぶりを振った。

「貴女様がお気に病むことは御座いません。我らは我らが眷属となる事がどういう事なのかを説き、彼女たちが強くそれを望み、我らはそれに応えたまでの事。あれは本人の望んだ姿でございます」
「まさかとは思いますが、舞踏会に参加している全員をそうするつもりなのですか・・・?」

 城の入り口までたどり着いたところで聞かれたこの質問に、執事は暫し立ち止まって考える仕草を見せた。
 それが本当に考えているのか、それとも人間であった頃の名残なのか。それは見ただけではカタリナには分からない。

「人であればこそ得られるもの程、人にとっては無価値に思えるもの。自らが持つものの得難さを知らぬ者は、捨てることも厭わぬのでしょう。このポドールイという国は、斯様な存在が集まりやすい場所でございます。貴女様のような例外も、勿論おいでではありますが」
「・・・そうですか」

 執事の言葉を受け止め、カタリナはこれ以上何かを聞こうとは思わなかった。
 彼らはただここに在り、彼らが持つものを求めるものたちがここに集う。ただそれだけのことであるのだ。
 そのまま無言で執事に一礼をし、足早にレオニード城を後にする。
 行きに地狼に襲われたなだらかな雪の丘も帰りは平和なもので、すんなりと城下町まで辿り着いた。
 街の北門を潜ったカタリナは、そこで初めてこの街の本当の姿を見たような気がした。
 レオニード城へと向かう時にあった浮ついた熱気は忽然と消え去り、あるのはただ粉雪とともに優しく町全体を包み込む静寂と宵闇。
 ここはこんなにも静かだったんだなとぼんやり考えながら、カタリナは町外れの小屋を目指す。
 程なくして見えてきた小屋の外には、老人が大型の犬の世話をしているところであった。時刻は明け方であると城の去り際に老執事から聞かされていたが、毎日この老人は朝早くに世話をしているのだろうか。
 近づいてくる気配に気づいたのか老人が顔を上げてこちらへ向けると、カタリナは軽く会釈をした。

「おや・・・あの城から帰ってくるなんて・・・。やっぱりお前さんは他の娘たちとは違うみたいだね」

 そう言ってこちらに向き直ってくれた老人に、カタリナは宿を貸してくれた礼を述べた。
 老人は今夜も泊まっていくかと申し出てくれたが、カタリナはこのまま帰る旨を伝えて宿の礼にと幾ばくかのオーラムを差し出す。

「いや、お気持ちだけ頂いておこう。ここではオーラムなんてものは、そんなになくても不自由はしないんでね」

 そばに擦り寄ってきた二頭の犬を撫でながらそういう老人に再度会釈をすると、カタリナはそのまま真っ直ぐ町の南方入り口へと向かった。
 入り口すぐにある宝石店はまだ朝が早いこともあり、軒先には誰もいない。
 相変わらず無用心にも手に届く位置に宝飾類が展示されたままだが、今となってはこれもまたこの街ならではの光景なのだろうと思える。
 そのまま煌びやかな宝石を横目に通り過ぎ、振り返ることなくポドールイを後にした。

 

 

 真新しく降り積もった雪原に足跡を残しながら足早に歩いていると、ふと頭上を飛び去るものがあった。
 見上げれば、それは小さな蝙蝠。蝙蝠はカタリナの頭上を一回りし、その先にある小高い丘へと飛び去る。その軌道を視線で追っていくと、丘の上に人影があった。

「・・・」

 気持ち歩行速度を速め、後を追って丘へと向かう。
 程なくして丘の上へとたどり着くと、粉雪の舞う宵闇の中で丘に独り佇んでいたのは、レオニード伯爵であった。

「望みのものは、受け取れたかね?」

 カタリナを見るわけではなく、小高い丘からポドールイの街並みを眺めつつ、レオニードが言った。

「はい、頂戴致しました。有難うございます」

 カタリナが軽く頭を下げながら応えると、レオニードは満足そうに頷いてカタリナに向き直る。

「さて・・・君に一つ、伝え忘れていたことがあってね」

 相変わらず背筋が凍る程に妖艶な笑みを浮かべたレオニードは、優雅な仕草で懐から封書を取り出した。

「ロアーヌ宮廷に戻ったら、これを渡してほしい」

 そう言って差し出された封書を、カタリナは数度瞬きをした後にレオニードの近くまで寄って受け取る。
 ポドールイ領主の封蝋が為された手紙には、表にも裏にも宛名はないようだ。

「マイロードにお渡しすれば宜しいでしょうか?」
「いや、君から渡しに行く必要はない。受け取りに来るだろう」
「・・・畏まりました」

 受取人が自ら動くと言うところがなんとも彼女には理解し難かったが、恐らくは自分が考えても致し方ないものだろうと考え、カタリナは二つ返事で了承した。
 そのまま一礼をしてからレオニードに背を向け、帰路へと戻る。

「・・・また来たまえ。君には、ここの宵闇がよく似合う」

 ふわりとした風とともにそんな声が耳元に届き、カタリナは振り返る。
 だがもうそこにはレオニードは居らず、見えたのは丘の向こうにぼんやりと浮かび上がったポドールイの明かりのみだった。
 驚くことにはこの二日ほどで随分耐性が付いたつもりでいたが、それでもカタリナは面食らった。この国は、何から何まで自分の感覚を狂わせる。
 とても自分にこの宵闇が似合っているとは思えないな等と考えながら、再び帰路へと体を向ける。兎に角この地での目的は達せられた。あとは急ぎ故国へ帰るのみだ。

 

 

 流行病に掛かって暫く病床に臥せっていたというロアーヌの華が漸く快復したという知らせに、宮廷内はもとより城下町の民も一緒になり、国を挙げて喜んだ。
 別段命に関わるものではないものの症状が長引く厄介なものであったが、数日前に北の地から届けられた香薬によって驚異的な速さで快復に向かったとのことだ。

「いいな、カタリナ。私も次の機会には是非訪問してみたいわ!」

 すっかり血色も良くなり上半身を起き上がらせながらポドールイの土産話を聞いていたモニカは、そのように感想を紡いだ。
 そんなに楽しいことばかりでもなかったのだが、それは土産話には相応しくもなかろう。そう思ったカタリナはにこやかに微笑みながら詳細を躱し、膝に置いていた小さなポーチから小綺麗な包みを取り出した。

「そうです、モニカ様。快気祝いも兼ねて、現地のお土産です。流石は古都の宝石商と申しますか、素晴らしい細工のものが置いておりましたので」

 包みから取り出したのは、ポトールイで買い求めた首飾り状の宝飾品。モニカも一目でその細工が非常にきめ細やかであることを見抜き、歓声をあげながらそれを手に取る。

「せっかくの機会だと思いまして、ちゃっかり自分の分も買ってしまいました」

 モニカに送ったものよりは幾分かシンプルな装飾のものをもう一つ取り出して見せながらカタリナが言うと、モニカは花のような笑顔を振りまいてお揃いだねとはしゃぐ。
 その様子を見てまた微笑んだカタリナは、宝飾品の入っていた包みの奥に封蝋の施された手紙を見つける。
 ポドールイの去り際、レオニードから預かったものだった。

「随分賑やかだが・・・すっかり体調は良くなったようだな」

 唐突に声が掛かったかと思うと、二人のいた部屋に顔をのぞかせたのはモニカの兄、ミカエルだった。

「これはミカエル様。ご機嫌麗しゅう御座います」
「あ、お兄様!見てください!カタリナが買ってきてくれたのです!」

 兄の登場で俄然元気になったモニカが首飾りを掲げながら微笑むと、ミカエルはその様子をみて微笑み返す。
 普段の鉄面皮か物事が思惑通りに運んだ時に見せる少々迫力の混じった笑みではない、極く稀に現れる彼のこんな表情を間近に見ることが出来るのは、実の所この兄妹間以外では自分くらいなものたと言うのがカタリナの密かな自慢だ。

「ほぅ、良い細工だな。流石は伯爵お膝元の名産品よ。だが、病み上がりにあまり興奮すると身体に障るぞ」
「はぁい、ごめんなさい」

 肩を竦めながらモニカが謝るとミカエルはそれにも微笑みを返して応え、それからカタリナの手元へと手を伸ばした。

「・・・?」

 カタリナがその動作を視線で追うと、ミカエルはそのままカタリナが手にしていた封蝋付きの手紙を手に取った。
 その封蝋の印を確認すると、カタリナにはにやりと口の端を釣り上げるような笑みを向けて見せた。

「モニカの様子を見がてら、これを受け取りに来たのだ。御苦労だったな、カタリナ」
「受け取りに来る・・・とは申しておられましたが、ミカエル様宛てであられましたか」
「ああ、そうだ。いつもこうなのだ、伯爵は」
「いつも・・・ですか?」

 まさかミカエルへ向けたものだとは思いもしなかったカタリナが驚きを混じらせた表情でそう言うと、ミカエルは近くにあるモニカの鏡台の引き出しからレターオープナーを取り出し、その場で封を開けて中身に目を通した。
n見る限りは一枚綴りの短文のようだ。すぐに目を通し終えたミカエルは、ぴくりとも表情を動かさない。

「・・・読むか?」

 不思議そうに見上げていたカタリナの視線と絡むと、ミカエルは事も無げにそう言いながら手紙を差し出してきた。
 他人に宛てられたものを、増してやミカエルに宛てられたものを見るというのは流石に気が引けたが、その実あのレオニードがどの様な文を送っているものかという興味は尽きぬところであり、一瞬考えたもののカタリナはお言葉に甘える事にした。
 流麗な文字で綴られた手紙には、こう記されていた。

 

親愛なるミカエルへ

先日頂いたワインは早速だが非常に楽しませてもらった
所望の品はお役に立てたかな?
そろそろ君が生まれた年あたりの貴腐が飲み頃だ
其方も今度送らせてもらおう

追伸

私の酔狂に一幕の余興を設けてくれた事にも感謝を
とても楽しませてもらったよ
次は是非とも二人で来るといい

レオニード

 

 

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第十章・7 -魔王の玄室-

 

 宵闇の国、ポドールイが静寂なる新月の夜(といっても常に暗いので昼夜の区別は曖昧だが)を迎えた頃。
 僅かな星明かりに照らされながら、レオニード城の門前へ雪と共に舞い降りた巨竜を前にして、カタリナは心底呆れたような表情で腕を組みつつ見上げた。

「・・・まさか一日足らずで来るとはね」
『呼んでおいてその言い種とは、我も随分と舐められたものだ。焼き払うぞ』

 随分な出迎えの言葉に応えて口角の隙間から青白い電流を覗かせつつ、巨竜グゥエインが熱り立つ。
 後方から両者を見守る教授は興味津々の様子で竜を観察し、一方ヨハンネスは腰を抜かした様子で雪原にへたり込んでしまっていた。

「つまり貴方、以前私を乗せていた時は速度を調整していたってことね」
『当然だ。人間を背に乗せて全力飛行などしたら、あっという間に吹き飛ぶだろうからな』

 以前ビューネイとの戦いにタフターン山近くまで赴いた時には、大凡二日程度を要した。それでもカタリナはグゥエインの背にしがみつくことが精一杯といったような有様であったから、確かにその倍の速度となれば、為す術なく吹き飛ばされていたであろうことは想像に難くない。

「・・・まぁいいわ。もう体は大丈夫なの?」
『無論だ』

 そう言って翼を広げて見せたグゥエインの巨体は、僅かな傷が残っている様子もない。
 その様子に一先ず安心したカタリナは浅く頷いて微笑みながら、組んでいた腕を解いた。

「ならよかったわ。それで呼び立てた理由なのだけど・・・」
『大方の予想はつく。お前の足では行けぬところへ向かうためであろう』

 カタリナが言い切る前に、グゥエインが口を挟む。
 全く察しのいい相棒に、カタリナは小さく肩をすくめてから、腰のポシェットへと手を伸ばす。そして布に包まれた黒鍵を取り出すと、それを開いてグゥエインに見せてみた。

「この布に、ポドールイを起点にした地図が記してあったわ。目的地はここより更に東・・・見捨てられた地の北方を示しているみたい。何かその辺りに心当たり、ある?」

 差し出された黒鍵と布の匂いを嗅ぐかのように鼻先を近づけて暫し観察していたグゥエインは、もたげていた首を徐に夜空に伸ばし、ゆっくりと東に向けた。

『貴様らが見捨てられた地と呼ぶ場所は、この三百年ずっと、異様な濃さの瘴気に塗れた土地であった。そこに記されている場所は恐らく、最も濃い瘴気の渦巻く場所・・・彼の地の北方にある山脈のあたりだろう。何度かその近辺を通ったことがあるが、空からでもわかる悍ましさであった』
「見捨てられた地の北方の山脈、か・・・。そんなところに一体何が、って言いたいところだけど・・・とにかく行ってみるしかないわね」

 カタリナは自分に納得させるようにそう呟くと、教授とヨハンネスへ振り向く。

「エレン達が聖杯を持って戻ってきたら早速、魔導器製作の着手、よろしくお願いします」
「任せなさい。この私に作れぬものはないわ」
「どこまでプロフェッサーのお手伝いができるかはわかりませんが・・・頑張ります」

 両名の返答を聞いてから軽くお辞儀をすると、カタリナは颯爽とグゥエインの背に乗る。
 なんだかんだカタリナが乗ろうとするのを察して身を屈めてくれるあたり、グゥエインはそこらの奴より実に気遣いのできる竜である。
 グゥエインの背に乗ると、巨龍種が持つ朱鳥の加護がすぐに自分にも伝わってくる。これがないときっと高高度では凍え死んでしまうのだということを体感で知っているカタリナは、ポドールイの寒さも相まって思わずグゥエインの竜鱗を撫でながら安堵の息を吐いた。

「はーあったか・・・」
『我を焚き火か何かと一緒にするな』

 呆れたようにそう呟きながらグゥエインは身を起こし、両翼を雄々しく広げる。それに合わせて周囲の柔らかい雪が舞い上がり、見送る教授らの頬を撫でた。

「じゃあ、行ってきます」

 自分というよりは巨竜が飛び立つ様を観察することに専念している節がある教授に一応手を降り、竜と共に飛び上がる。瞬く間に空高く舞い上がったグゥエインは宵闇に紛れ、東へ進路を取った。

 

 

 見捨てられた地。
 地名というにはあまりにもさもしい名のその地は、現在発行されている世界地図の東の端に広がる、未開の地である。
 いや、未開というのは正確ではないかもしれない。かつてそこには人が住んでいたとされており、今より六百年の昔、魔王によって人が住めぬまでに汚染された地であるからだ。
 その地の北部は、極寒の地。大地は凍てつき、風は凍り、一切の生命を寄せ付けない白銀の地。
 その地の中央部は、腐れし樹海。毒沼と瘴気に塗れた汚染樹林が広がり、その合間には邪悪な魔物が跋扈する醜悪なる腐海。
 その地の南部は、死せる乾きの大地。玄武の恵みを失った砂と岩だけの荒れた地肌が広がる、草ひとつ生えぬ不毛の荒野。
 かの聖王ですら復興を断念したとされるその地は、この六百年の間に人類が手を出してこなかった禁忌の地だ。

「かつて魔王軍が東方へ侵攻した際、見捨てられた地に点在していた諸国は連合軍を組み、天術を用いて魔王軍に対し連戦連勝を重ねたというわ。でもその僅か一年後、魔王自身が戦線に出たことで連合軍はあっさり全滅。東方諸国があったとされる土地がまるごと、瘴気渦巻く死の大地となった・・・というのが聖王記に書かれている概要ね」
『筋書きは知らぬが、死の大地という記述は概ね正しい。幾つか廃墟の類も見た覚えがあるので、それが恐らく滅ぼされた国とやらだろう。しかし・・・』

 地表の観察ができるように比較的低空を飛びながらカタリナの話を聞いていたグゥエインは、飛行しながら怪訝そうに唸った。

『どうにも以前より瘴気が薄い。前はもっと上空でも不快に感じたが、今はこの高さで軽微に感じる程度だ』
「私にはまだ全くわからない・・・竜の感応能力ならではなのかしら。しかし前より瘴気が薄まったというのは、悪いことではないんだろうけれど、気になるわね・・・」

 人類がこの地を六百年の間放置していたのは、まさしくその瘴気が大いに関与していた。
 例えばロアーヌから東に向かう先に広がる腐海は、見捨てられた地の中では最も到達が容易だ。かつて聖王が視察を行ったのも、その辺りだとされている。
 そして聖王は、腐海を覆う瘴気を前に、その地の復興を断念した。腐海の瘴気は、それこそ人が足を踏み入れれば一日と持たず気が触れてしまうほどの濃さであったのだ。

『実際は、北へ向かうほど瘴気の濃度が高くなっていた。この辺りの山岳地帯はその気候以前に、魔物ですら近寄らぬ類の瘴気に覆われていたものだが・・・それが薄まっている』

 グゥエインは眼下に広がる山脈を見下ろしながら、徐々に高度を下げていく。
 山間まで覆うような薄暗く分厚い雲の間をすり抜け、薄暗い山肌を視認できる高さまで降りてくると、間も無くその先には山に囲まれた湖が見えてきた。
 その辺りに来た時、カタリナはふと、自分を呼ぶ声を聞いたような気がした。
 この感覚はここ数年で何度か経験している。間違いなく、聖王遺物が何かに感応した感触だ。

「・・・あの湖の辺り、降ろしてもらえるかしら」

 カタリナに言われる通りにグゥエインは更に降下し、険しい山脈の間にぽつんと置かれたような小さい湖の畔に降り立つ。
 かくしてその湖の畔には、明らかに人工的に作られた石造りの小さな建造物が鎮座していた。
 グゥエインから飛び降りたカタリナが周囲を調べるが、その石造りの建造物以外には何も見当たらない。
 そしてこの建造物には窓らしきものが無く、ただ一つ備え付けられている扉らしきものも、固く閉ざされている様子だった。

「・・・これ、かしらね」
『そのようだな。ここは流石に瘴気が濃い。不快ゆえ、早々に行ってくるがいい』

 グゥエインから実に心のこもった見送りを受けつつ、カタリナは石扉の前に立った。
 見た限りは単なる石壁だが、手で触れてみると、これは単なる石材ではなさそうだということがカタリナにもわかる。なにしろ触れただけで、王家の指輪やブーツなど、身につけている聖王遺物が騒がしいほどに反応を示すのだ。
 これは感覚としては魔王の斧や盾といった、魔王遺物に近い代物に思えた。
 間違いなくここは、魔王に何らか関係のある場所だろう。

(魔王によって汚染された地にある、魔王所縁と思われる建造物か・・・魔王遺物でも眠っているとか・・・?)

 扉と思しき模様が描かれた正面の壁には、小さな鍵穴がある。
 カタリナは懐から黒鍵を取り出し、そのまま鍵穴に差し込んでみた。
 すると黒鍵はカタリナが回すでもなく勝手に動き出し、ガチリ、と開錠を知らせる音を発したかと思うと、役目を終えたかのように呆気なく崩れ去ってしまった。
 そして次の瞬間、石扉が黒鍵と同じようにその役目を終えたように音もなく塵状に崩れ、中へと誘う道が開かれる。
 だが、何らかの術でも施されているのか、外から見る中の様子は全くの暗闇で、一歩先すら見通せない。

「・・・・・・」

 カタリナが慎重にその暗闇へと足を踏み入れると、まるでそれを待っていたかのように建物内に淡い灯りが灯る。
 カタリナは特に驚く様子もなく、歩を進めた。
 するとすぐに一本道は終焉を迎え、この建造物の大部分を占めていると思われる広間に出た。
 何の装飾もない無機質な空間が広がる部屋の奥にあるのは、簡素な台座と、その上に鎮座する石棺に石碑。
 そして、石棺の上に座って静かにこちらを見つめる、一つの人影であった。

「・・・まるで、待っていたとでも言いたげね」

 素早く腰のロングソードに手をかけながら、カタリナが睨む先。
 石棺の上に腰掛けている人物は、彼女の問いかけに応える代わりに、僅かに笑みを作ってみせた。

「当然説明は・・・いや、これまでのことも含め私が納得するまで、全てを洗いざらい話してもらう。いいわね」

 カタリナの怒気に満ちた視線を受けながらなお、湛えた笑みを崩さない人物。
 その者こそは、自らを聖王記詠みと自称する風変わりな格好の詩人であった。

 

パチ、パチ、パチ、パチ、パチ・・・

 無音だった空間に、軽快に手を打つ音が滑稽なほど良く響きわたる。
 その拍手の発生源である詩人を睨みつけながら微動だにしないカタリナをよそに、当の詩人は心底愉快そうに笑みを作りながら、次には両手を広げて歓迎を示すポーズをした。

「やはりここに来たのは、貴女でしたね」

 詩人が言葉を発するとなんだか急に瘴気が濃くなったような気がして、思わずカタリナは軽い吐き気を覚えながら眉間に皺を寄せる。
 詩人はそんなカタリナに対して仰々しく会釈を行い、まるでこの空間を案内するかのようにふわりと腕を左右に広げてみせた。

「よくぞ、ここまで辿り着きましたね。ここは悠久の果てへと想いを馳せ、創造主への叛逆を誓い、飽くなき願望と共に長き眠りについた最初の宿命の子・・・魔王の玄室です。つまり・・・」

 詩人は勿体ぶるように、広げていた方の手をゆっくりと自らの胸元に当て、もう片方の手で特徴的なとんがり帽子を脱ぐ。

「つまり、私の玄室です」
「・・・・・・」

 しばし、カタリナは眉間に皺を寄せたまま、無言で目の前の人物を見つめる。
 まず考えたことは、目の前の男が狂人か否か、ということだった。
 魔王やその生まれ変わりを自称する不逞の輩というのは、不思議なことに一定周期で世の中に現れるものだった。その殆どは魔王信仰宗派の中で教祖を自称する賊の類であり、名乗ってから幾許かの後、民衆を誑かす邪教として近隣の軍団に殲滅させられる運命にあった。
 だが恐らく、目の前の人物はそういった類の狂人ではないだろう。
 そもそも気が触れていようがいまいが、人類がこの場所に辿り着くことは不可能に近い。
 それはここまでグゥエインの背に乗ってきたカタリナだからこそ、よくわかる。
 となると目の前の人物は、高い確率で「人間ではない何か」という事になる。
 では、狂人ではなく魔物か?
 いや、それも異なる。
 魔物や妖魔の類には人と見分けがつかない者も確かに存在する(それこそレオニード伯爵などがその典型だ)が、そういった存在は相対すれば、人と異なる気配を必ず感じるものだ。
 特段、聖王遺物を身に付けているカタリナだからこそ、それに気付かぬことはまずない。
 だが今も過去も、この詩人に対してそういった類の違和感を感じたことはなかった。
 では狂人でも魔物でもなければ、魔王か?
 それは、残念ながら彼女には判断のつかぬことであった。

「貴方が・・・魔王・・・?」

 答えの見えぬ思考の行き止まりに当たったカタリナは、漸くそれだけを微かに呟いた。

「貴方が、魔王ですって・・・?」

 今度は、はっきりと声に出す。
 すると詩人は事も無げに浅く頷き、肩を竦めた。

「はい。あーでもまぁ正確にいうと、魔王だった者、のほうが適切ですかね」

 魔王だの魔王だった者だの、そのような言葉遊びを聞きたいわけではないカタリナは、一先ず自分なりの確認を行うことにした。

「・・・冗談にしても、面白くないわ。じゃあなにかしら、貴方、今年で御年六百歳を超えるお体ってわけ? その割には、随分お若く見えるけれど」
「はい、なにせ今は芸事に生きる身ですからね。朝晩のスキンケアは欠かさず、入念に行なっています」

 この軽口。
 これは間違いなく彼女の知る、聖王記詠みを自称するいけ好かない男だ。
 その気配は、やはり人間そのもの。
 だが、聖王遺物を身につけているカタリナですら吐き気を催すほどのアビスの瘴気に塗れたこの場所で平然としていられる人間など居ないこともまた、彼女は知っている。
 だがそんな彼女の心中などまるで気にせぬ様子で、詩人は続けて言葉を発する。

「さて、人類がここまで到達することができたことを祝し、貴女にはとっておきの物語を是非とも披露したいと思います。少々長居には適さない場所で恐縮ですが・・・お聞きになりますか?」

 詩人の言葉に、カタリナは無言で浅く頷く。今の言葉はまるで自分が人類ではないと断じるような言い方であったが、しかしいちいち突っ込みを入れるのも面倒だと考えた。
 カタリナの素直な反応に詩人は満足げに頷き返すと、手にしていたとんがり帽子を再び被り直しながら、ゆっくりと石棺を降りた。

「とはいえ流石に記憶も朧げですからね・・・所々思い出しながらになるのは、ご容赦ください」

 おほん、と咳払いをした詩人は、まるでこれから詩を詠い始めるかのような素振りで、静かに語り始めた。

「ではまず、私がここに至るまでのお話から始めましょう。時は聖王前歴二百七十年あたり、当時魔王として活動していた私は古メッサーナを始めとした諸国を制圧したのち、軍をゲッシアへと進めました。目指したのは今の世界地図にはない、もっと東の地。貴女にも分かりやすく言うならば、即ち第五のアビスゲートを目指したのです」

 それはまさに、先ほどカタリナがグゥエインに対して語って聞かせた聖王記の歴史だった。

「私がそこを目指した目的とは即ち、この世界の全てに死を伝え、破壊を齎すこと。そして・・・母なる死の星へと還ること」

 瘴気に塗れ陰鬱とした室内には不似合いなほど良く通る声で、詩人は語る。
 六百年の昔、魔王軍が第二次ゲッシア侵攻にて自軍勝利の大勢を決した時、魔王は己が肉体の限界を察知した。
 彼が魔王として行使してきた力は、人の体には余りあるもの。それこそ四魔貴族をすら従えるほどの力を振い続ければ早々に限界が訪れるだろうということは、分かりきっていたことであった。
 この時、多少それが彼の予測より早くきた、というだけであった。
 魔王はすぐに戦線を離れ、暫しの眠りにつくための場所に向かった。
 それが、この地である。

「聖王記第一章第一節『魔王伝記』にて、魔王没すと人々は語った、とされています。なのでまぁ、それに合わせてここを玄室、と呼ぶことにしました。あ、ちなみに一部の歴史学者なんかが、魔王は時の英雄アル=アワドに深傷を負わされたのではーなんて説を提唱していますが、流石に当時の人間に遅れをとるようでは、魔王なんてやっていられませんからね、流石にそれはデマですよ?」

 本気で心外だというように表情でも語りながら、詩人は石棺の後ろにある石碑へと歩み寄り、その石碑へと手を添える。
 すると石碑は塵となって崩れ落ち、奥へと続く通路が現れた。

「少し、場所を変えながら話しましょうか」

 言うだけ言うと、無警戒で通路へ向かう詩人。その背中を背後から蹴り倒してやりたい衝動に駆られるも何とか抑えつつ、カタリナは無言でその後を追った。

「玄室というのは勿論洒落で、死ぬ気は全然なかったんです。無理をさせた体を瘴気で癒し、然るのちに活動再開する。そのためにここを用意したのです。ただ・・・少し想定外が起きましてね」

 魔王「だった者」が次に目覚めたのは、眠り始めてから三百年近く経った頃であった。

「あの目覚めの時は、今も鮮明に覚えています。あれは全く経験したことがない、実に・・・実に、清々しい目覚めでした」

 起きてすぐ、彼は自らの内に起きている異変に気付いたという。
 死に魅入られ、死の星を求る自らの宿星と宿命。それが、一切感じ取れなくなっていたのだ。
 それはまるで長い長い夢から覚めたかのように、眠りにつく前はずっと彼の中で渦巻いていたものが、忽然と消え失せていた。

「ほんと、びっくりするくらいどーでも良くなっちゃってたんですよ。まるで、何度も何度も繰り返した『ごっこ遊び』に突然飽きた子どもみたいに。ただ・・・これは『魔王』が背負っていた宿命の消失を意味するものではありません。その宿命の根源・・・『混沌の意思』とでもいうべきものが、この体を離れただけ。そこだけは、何故かはっきりと確信していました」

 目覚めと共に生きている意味、即ち宿命を失ってしまった男は、目的なく諸国を巡ることにした。
 当時は、四魔貴族による数百年の支配が続いた凄惨たる暗黒時代。町中にさえ人間の死体が幾つも転がり、魔物に体を食いちぎられ絶命していく人間の叫び声が聞こえない日はなかった。
 そんな光景を見ながら男は、世界を覆う瘴気や四魔貴族の力を鑑みれば人が死に絶えるのはそう遠い話ではないだろう、とぼんやり考えていた。
 無論、それに対して何も思うところはない。なにしろ男には為るべきことなど、何もないのだから。
 そうしてただただ混沌の世界を見つめながら放浪する中で、男は北方の寂れた農村を訪れた。
 後の世では聖都ランスと呼ばれるその小さな農村で男は、一人の少女を見つける。
 その少女こそは、世界が選んだ、次なる宿命の子であった。

「ちょっとまって。少女ってどういうこと。それは聖王様ではないの?」

 暫く黙って聞いていたカタリナだったが、流石に口を挟む。
 三百年前の死蝕の際に現れた宿命の子、即ち聖王とは、男だ。
 聖王記に描かれる肖像も、各地に伝わる絵画も、そしてカタリナ自身が王家の指輪を通じて見た姿も。その全てにおいて、聖王は男性だった。
 だというのに今の話に出てくる宿命の子が少女というのは、史実と異なる。

「まぁまぁ、聞いてください」

 しかしてカタリナの質問を軽く受け流しながら、詩人は通路の先にあった扉を開く。
 開かれた扉の先に現れたのは、寂れた農村の入り口であった。どことなくその地形が、聖都ランスのそれに近しいようにも見える。
 慌てて背後を振り返ると、通ってきた扉は既にない。
 そこで漸く、これは王家の指輪に見せられたような幻想の類であろうと気付く。

「あぁそうそう、こんな感じでした。案外覚えているものですね」

 一人勝手に呟きながら、詩人が続ける。
 少女はその出生ゆえか、目立たぬように生かされていた。
 そう仕向けた家族の判断は、少女を生かすという意味では正しい。なにしろこの時代に死蝕を生き残ったなどと分かれば、魔王の再来として直ぐさま命を奪われるであろうからだ。
 死蝕の中で初めて一人生き残り、祝福の子とまで言われた自分とはまるで正反対の境遇だなと、男は他人事のように思った。
 男は考えた。死の星を求る宿命は、この少女に移ったのだのだろう、と。
 であればたとえ少女の家族が少女の出生を秘匿し少女に退屈な生涯を送らせようとしても、宿命は決してそのようなことを許しておかない。
 やがて世界が少女を求め、少女の周りには甘美なる死が、ばら撒かれることになる。
 無垢な少女は死に魅入られ、破壊を求める第二の魔王となり、世界に更なる死を振り撒きながら東を目指していくのだろう。
 それはきっと、男の時よりもずっと楽に進むはずだ。
 なにしろ、舞台は整っている。男の手によって人類の弱体化、四魔貴族の招呼と、多くの仕込みを終えてあるのだ。これならば第二の魔王は、容易く死の星へ到達できることであろう。

「私の中にはすでに、破壊へと駆り立てる衝動はありませんでした。ですが少しだけ、気になったんです。私が目指していたものを引き継ぐこの少女が、はたしてどんな処に向かうのか。私が目指していたものは、どんなものだったのだろうか?」

 そんな小さな興味から、男は少女を暫く観察することに決めた。
 男がランスに滞在を始めた翌年、少女は奴隷商人に攫われた。
 この時代は、人と死の距離が非常に近かった。飢餓、疫病、魔獣被害、そして人間同士の殺戮と略奪。そういったものが人の生活圏と常に近しい距離で起こっていたのだ。だから少女が攫われることも、別段珍しいことでもない。男はそれを助けるでもなく、密かに後を追った。
 すると予め定められていたかのように、奴隷商人の馬車は街道で魔物に襲われた。奴隷商人らは為す術なく食いちぎられ、魔物が荷馬車に迫る。
 男は、見ているだけだった。もし少女がここで死ぬのならば、それは少女と世界にとって最も幸福なことかもしれない。そんなふうに、うっすらと考えながら。
 案の定、というべきだろう。
 少女は助かった。
 魔物を滅し少女を助けたのは、通りかかりの武装小隊であった。小隊の護衛団を率いていたのは雄々しき青年フェルディナント。小隊の主は強き意思の光を瞳に讃えし少女ヒルダであった。
 二人は哀れな少女を元いた場所に帰そうとしたが、少女は涙ながらにそれを拒否した。少女は幼いながらに、感じ取っていたのだ。自らが、村で他の住民から疎まれていたことを。己の出生を原因として家族が苦しんでいたことを。
 困った二人は一先ず少女を連れ、国元であるユーステルムへと帰ることとした。
 こうして少女はユーステルムに辿りつき、そこで三年の月日を数えることとなる。
 カタリナの周囲の景色も移ろい、ランスより更に雪深い街へと視界が変貌していく。こちらも記憶に面影があるので、すぐにユーステルムの街であろうと察しがついた。

「フェルって一度身内認定すると、すっごい構うんですよね。毎日熱心に剣を教えてましたよ」

 剣技において非凡な才能を見せた少女は、フェルディナントの元でめきめきと腕を上げた。もう少女には、三年前の臆病な面影はなかった。
 この時の少女は、漠然と焦燥感を抱いていた。救いの見えぬ世界で、あらゆる脅威に怯えて暮らす人々。その中で自分がこうして、日々をただ消費することに対して。
 少女は、旅立つことを決めた。まずは世界を知らなければ、なにも始まらない。その想いだけを抱いて。
 同じくユーステルムに居付き、冒険者稼業に身を窶しながら少女を密かに観察していた男は、ここで少女に同行を申し出ることにした。
 少女の兄姉を自称していたフェルディナントとヒルダはたいそう訝しんだが、当の少女は男の申し出を二つ返事で快諾した。
 同じ街に三年もいれば、少女が男のことを見知っていた可能性はあるだろう。無論、それが男を信用する理由にはならない。だというのに男の申し出を承諾したのは、もしかしたら同じ宿命を宿していたもの同士の何かを、感じたのだろうか。

「こうして私はまんまとパーティーに加わり、彼女を間近で観察し続けました」

 カタリナの周囲の景色が、まるで走馬灯でも見せられているかのように様々な場面へと変化していく。
 旅立ちから三年をかけて少女と男は世界を回り、その道中で多くの人々に出会っていった。その中にこそ、後の世に聖王十二将と呼ばれることになる勇士達がいたのである。
 古メッサーナの地では、後に聖王三傑に数えられながらも敵対関係として出会ったパウルスと、その従者アウレリウス。東に行けば、武人オトマン。西では後に少女の後見人となるフルブライト十二世や、その息子チャールズ、従者の臆病なソープ。そして大賢者ヴァッサールなど。
 聖王記をはじめとした歴史書には記載されていない事実や載っていない人物など、その光景を見ているだけでもとんでもない情報量が次々と飛び込んでくる。

「ち、ちょっとまって。色々聞きたいんだけど、一つだけ。アウレリウスって、聖王様の御名よね。パウルス様の部下って、どういうこと?」

 アウレリウスとは、聖王記に刻まれる聖王その人の名だ。ごく一部にその表記があるだけで主には聖王としか記されないが、唯一聖王の人となりを表す名詞として、この世界では広く知れ渡った名である。

「ふふ、ちゃんとそこも話しますよ」

 まるで悪戯の種明かしをするのが勿体無いとでも言いたげに、詩人が笑う。その表情を心底鬱陶しく思いながらも、カタリナは辛抱強く耳を傾けることにした。
 カタリナと詩人を取り巻く景色は更に移ろい、ウィルミントンと思われる場所へと変わった。
 成長した少女は十八歳を迎えた時、フルブライト十二世の養子に迎えられることとなった。
 利発に、そして見目麗しく成長した少女に人並みの幸せを享受してほしいと願ったフルブライト十二世らの想いは、誰にも否定できるものではなかっただろう。
 少女が養子となることを受け入れた時、男はもう、これ以上少女の観察をすることをやめようと考えていた。
 ランスでの邂逅から都合七年ほど少女を見てきたが、その中でどうにもこの少女が自らと同じ道を辿る未来が、思い描けなくなっていたのだ。
 であればもう男には、少女の近くにいる理由もない。
 男は一人、その肉体が滅ぶまで再び世界を宛てなく彷徨おうかと考えた。
 だが、それを止めたのもまた、少女であった。

「彼女ったら酷いんですよ。次の目的が定まるまでは自分の元にいろ、って言うんです。どうせ行く宛てなんてないんだろって決めてかかってるんですよ?」
「その通りじゃないの」

 場面は、満天の星空を仰ぐ山の頂へと移っていく。
 フルブライトの養子となった少女はそこから二年、弛まず戦技の研鑽を重ねた。男は、指導役としてそれに付き従っていた。
 この時、男は少女が以前の焦燥感とも異なる、もっと明確な「何か」に駆り立てられ始めていることを悟っていた。
 だがそれは、かつて男の内に生まれたものとは異なるもの。それこそ、真逆と言ってもいいもの。
 それは死へと向かう誘惑ではなく、溢れる生命力による反発。
 ある夜、少女はデマンダ山脈の最も高い頂に立ち、手にしていた一振りの剣を満天の星空へと翳した、
 すると空に煌めく星々から少女の持つ剣へ、次々と星の力が降り注いでいったのだ。
 それは男がこれまで見てきた、いや、これから見るものも含めてきっと、どんな景色よりも美しいと思わせる光景だった。
 現代には聖王遺物として伝わる比類なき力を秘めた武具が最初に誕生したのは、この瞬間であった。
 七星剣、と名付けられたその剣を鞘に収めた少女は側に控えていた男に振り返り、申し出た。
 四魔貴族を討つための戦いに、ついてきてほしいと。

「笑っちゃいますよね。四魔貴族を呼び寄せた張本人に、追い払う手伝いを頼むんですから」

 男には特に目的などなかったので、それを断る理由もなかった。
 それから間も無くフルブライト十二世によって諸国に四魔貴族討伐の号令が発せられ、戦いが始まった。
 この戦いの最中で、少女の元にはかつて出会った勇士達が続々と集った。
 そうして戦いが始まってから四年、少女が二十四の頃、ついに四魔貴族討伐の偉業が成し遂げられたのである。

「このあたりは聖王記に記してあるので、話すまでもないでしょう。戦いの中で数々の宝具が生まれ、幾つもの尊い犠牲を払い、遂に少女は全てのアビスゲートを閉じたのです」

 いつの間にか周囲の景色は、荒れた山間の崖に移り変わっていた。
 カタリナはこの景色に、なんもなく見覚えがある。恐らくは、ルーブ山脈だろう。
 四魔貴族征伐の後、歴史上で語られた聖王最後の戦いの舞台。

「・・・で、そのあとは巨竜ドーラ征伐譚で終わり、というわけね。じゃあそろそろ、質問をしてもいいかしら」
「私に答えられることならば」

 お待たせしました、とでも言わんばかりに詩人が身近な岩に腰変えるのを半眼で睨みながら、カタリナが口を開いた。

「まず先ほどの質問に答えて。貴方の語った少女とは、一体何者なの。聖王様は、男性のはずよね?」

 まずは、そこだ。
 聖王記には抽象的な挿絵が僅かにあるだけだが、基本は男性として世界に解釈されてきた。
 それにカタリナは二度、その姿を見てもいる。一度目は初めて魔王殿で少年から王家の指輪を受け取った時。二度目は、ピドナでモニカらと合流した時だ。
 その姿はどことなく聖王記の挿絵に似ているような気もして、間違いなくそれが聖王記に記された聖王であろうということを感じさせた。
 しかし詩人は曖昧な笑みを浮かべ、逆にカタリナに問いかけた。

「貴女は、指輪の記録も視ていますよね。記録の中の青年は、自らの名を名乗っていましたか?」

 言われて、カタリナは思い返してみる。聖王様の言葉を聞いたのは、二度目の記憶、ピドナでの時だ。あの時、何と言っていたか。

「・・・いえ、名乗ってはいないわ。ただ確か・・・その場にいたらしいヴァッサール様が、聖王様のことを・・・」

 なんと、呼んでいたか。
 細い記憶の糸を必死に手繰っていたカタリナは、漸くその糸を手繰り寄せ、はっとした表情で顔を上げた。

「・・・アレックス。そう・・・聖王様は、アレックスと呼ばれていたわ」

 

 

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第十章・6 -聖杯を求めて-

 

 城の地下へと向かうエレンらを見送った後、カタリナは外が見える場所を求め、客間からさらに奥を進んだ。
 道案内には好都合とばかりに天体望遠鏡を担いでちゃっかり後をついてくるヨハンネスとともに、程なくして城上部のバルコニーへ出る。
 そこは宵闇の空とボドールイの街並みが一望できる、非常に見晴らしのいい場所であった。

(さて・・・グゥエインを呼べって言われても、ここからルーブまで移動してたらそれだけで二ヶ月くらいはかかるわけだし・・・)

 手際良く天体望遠鏡を設置していくヨハンネスの横で、カタリナは一応思い悩む。
 しかし思い悩んだところで、カタリナにはグゥエインのような飛行能力も、フェアリーのような念話能力もないので、自力での解決策は全く出てこない。

(・・・となると、大人しく彼女の力を借りるしかないわよね)

 早々に自力手段を断念したカタリナは、腰に携えた太刀・月下美人を静かに抜刀した。
 間も無く新月を迎えようとするポドールイの宵闇と月下美人の刀身が織り成すコントラストは、とても幻想的で美しい。
 一頻りその雅を楽しんだ後、カタリナは月下美人をゆっくりと正眼に構え、その刀身へ意識を集中させていく。
 すると月下美人が放つ独特の霊威がじんわりと周囲へ広がり始め、仄かに刃が明るみを帯びていった。
 これは、ロアーヌでカタリナがフェアリーと別れる時に交わした、連絡の合図。
 妖精族が精霊銀を用いて鍛えたといわれる名刀、月下美人。他の素材では決して作り上げられない唯一無二と言ってもいい切れ味を誇るその太刀は、他の武具にはない独特の霊威を備えている。
 その霊威は、妖精族にとっては聖王遺物級の武具が発する力場と同じほどに、遥か遠くの距離からでも存在を感じ取る事ができるのだそうだ。
 精神統一し刀に意識を集中してから、幾許か。
 カタリナの中にすっかり聴き慣れた、鳥の囀りのように可憐な声が響き渡った。

《カタリナさん!元気になられたんですか!?》
《久しぶり・・・ってほどでもないわね、フェアリー。色々と心配かけてごめんなさい。ちゃんと話さなければならない事がいっぱいあるんだけど、一先ず頼りたい事があって・・・》

 目を閉じたまま、嬉々とした表情が瞼の裏に浮かぶような声の様子に、自然とカタリナも笑みを漏らしながら返答をする。
 フェアリーとは、ロアーヌに帰ってから間も無く別れていた。カタリナは宮廷に戻り、フェアリーは族長たちが避難している腐海近くの臨時集落へと向かったのだ。
 その時のカタリナは己の気持ちに蓋をしていたものだから、別れ際のフェアリーには随分と心配を掛けてしまっていた。

《・・・なるほど。グゥエインさんに、ポドールイのお城にいくようお願いすればいいんですね!・・・っていうかカタリナさんずるいです!ポドールイ私も行ってみたかったです!》
《ほんとごめんなさいね、埋め合わせは必ずするから・・・》

 冒険心旺盛なフェアリーにしっかりとお叱りをいただき、カタリナは脳内で謝り倒す。

《絶対ですよ!・・・っとまぁ、少し待ってくださいね、グゥエインさん、どんな力場だったかな・・・・・・あー、よし、ちゃんと位置わかりそうです。ちょっと話しかけてみます・・・・・・・・・あ、すぐいくそうです!》
《すぐ行くって・・・まぁ、気長に待つことにするわ。急なお願いを聞いてくれてありがとうね、フェアリー》
《お安い御用です!でも埋め合わせはちゃんとお願いします!》

 あれよあれよという間に、グゥエインとの連絡手配は済んでしまった。全くもって、便利なものである。
 なんだかこういう妖精族だからこその念話能力なども、場合によっては魔導器などで実現させることができるのだろうか、などとふと思ってみたりもする。
 しかしそんなことを教授に言おうものなら、嬉々として妖精族を追いかけ回して研究しそうだなぁなどとカタリナは想像し、これは決して教授には言うまいと心に誓った。

「・・・刀を構えながら一人でにやにやしている姿って、はたから見るとなかなか気持ち悪いもんですね」

 気がつけば天体望遠鏡を設置し終わり一息ついていたヨハンネスが、月下美人を構えたままのカタリナに向かってそう言い放った。
 その声で現実に引き戻されたカタリナは、いそいそと月下美人を納刀してヨハンネスに向き直る。

「・・・放っておいてちょうだい。っていうか、ここにきても星の観測なのね」
「はい、それが私の生業ですから。それにここでは、今までにはない観測ができそうですので」
「今までにない観測・・・?」

 その言葉に少しばかり興味が惹かれたカタリナが首を傾げると、ヨハンネスは天を見上げながら語り出した。

「はい。ここは一日中星の観測が出来る場所のようです。つまり、本来今の季節には見られない星も見えるということです。ここならば、より詳細な星のズレに関する情報収集が出来ると思います」
「星のズレ、か・・・」

 言葉を繰り返しながら、カタリナも宵闇の空を見上げる。
 ヨハンネスのいう星のズレとはすなわち、アビスゲートの力が引き起こすものであるのだ、という。
 世界に散らばる四つのゲートが閉じ、本来ならばここで星のズレとやらは無くなったはずだった。しかし、未だそれはあるのだという。
 これこそが、第五のゲートの存在を裏付ける一番の証明でもある。

「・・・第五のゲートは、最もアビスの瘴気が濃く渦巻いている・・・か」

 ぽつりと、カタリナが呟く。
 それは、ピドナを発つ前にトーマスから聞いた内容だった。
 トーマスはアラケスの言葉と行動を一つ一つ振り返り、それがサラのもとに辿り着く何かのヒントにならないかと考え、皆に共有していた。
 まず四魔貴族は、そもそも第五のゲートの存在を知らなかったであろう、とトーマスは結論付けた。
 その根拠は、アラケスの狙いがゲート四つを前提として成立するよう練られていたからだという。
 果たして四者の綿密な連携の末なのか、それとも魔戦士公の独自采配であるのか。
 いずれにせよ、四魔貴族のゲートは一つずつ閉じられ、魔王殿に座する白虎のアビスゲートが最後に残った。
 そこに至るまでに幾つもの人類存亡危機が波状的に世界各地へと押し寄せ、世界に不安と疑心、そして恐怖を撒き散らした。
 そうして蓄積された全ての負の瘴気は残ったアビスゲートに集約され、遂にはアビスへ繋がる門を開く。
 アラケスはそれを目論み、計画通りあの場にサラたちを誘き寄せた。
 だがそんな四魔貴族の目論見を狂わせる事実が、あの場で致命的な誤算を生み出した。
 それ即ち、彼らも知り得ぬ第五のアビスゲートの存在だ。そのゲートが在ることで、アラケスの想定よりも瘴気の集約が足りていなかった。
 それにより白虎のゲートは即座に開ききらず、その隙をついてサラは自分ごとゲートの向こうから門を閉じるという捨て身の行動をとった。
 そうしてあとに残ったのが、アビスの瘴気が噴き出さんとして集まるであろう、第五のゲートだ。

(・・・第五のゲートについて分かっていることは、四魔貴族すら知らなかったこと。ゲートそのものが不安定であること。恐らく聖王様もその存在に気づきつつ、結局そのままにされていたと思われること。そしてもう一つ、不確定情報でトーマスが最も気にしていたのが・・・)

 トーマスが最もアラケスの言葉で気に留めていたものは、『此度貴様らの術式が齎した星と次元のズレでは、ゲート四つが同時に開くことは不可能』という言葉だった。
 これは明らかに、四魔貴族やアビスではなく人間サイドが何らかの術式で星と次元のズレとやらを引き起こした、という意味に取れる。

(星のズレは、ゲートから漏れ出す力が引き起こす現象・・・それは、ヨハンネスも以前言っていたこと。そして、ゲートが開くきっかけとなったのは、三百年に一度の大厄災、死蝕。この一連の流れの中に、人間が何らかの術式を用いて関わっている・・・その解明のヒントになりうるのが、この第五のゲートなのではないか。トーマスは、そう結論付けていた)

 考えてもカタリナには分からないことだらけであるが、それでも今は、その第五のゲートとやらを目指すしかない。
 そのためにエレンたちは聖杯を目指し、そして教授らも尽力してくれているのだ。

(そんな最中、一体私には何の役割があるっていうのかしら・・・)

 手渡された鍵のことを思い浮かべながら、カタリナはまもなく消え入るであろう月の最後の欠片を、力なく見上げていた。

 

 

「ギャギャギャギャッッ」
「っっさい!!!」

 頭上から迫り来る巨大蝙蝠の頭部を、エレンは狙い澄ました斧の一薙ぎで吹き飛ばした。
 頭部を失いながら壁に打ち付けられ蝙蝠が絶命する間に、他に四匹いた蝙蝠も次々と凄惨な最後を遂げていく。
 曲刀で切り刻まれ、エストックで滅多刺しにされ、斧と蒼龍術で錐揉みにされ、太刀で一刀両断にされ。
 あっという間に巨大蝙蝠たちの墓場となった部屋を抜け、エレンたちは歩みを止めずに地下へ続く階段を降りていく。
 すると通路の先の階層は、これまでの道と比べて驚くほど広大な空間であった。この城の本体はここから下層なのである、と思い知るには十分な広さだ。

「・・・ガラッと雰囲気が変わったな。瘴気も一段と濃くなりやがった。こりゃ諸王の都よりも死霊まみれっぽいな」

 中央が吹き抜けの作りで下へ下へと降っていく長い階段のフロアへ出ると、ハリードが分かりやすく眉を顰めながら呟く。
 見下ろせど暗く暗く、どこまで降るとも分からぬ吹き抜け。そこを通って地下深くから吹き上がってくる生温い風には、微かな腐臭が混じっている。

「この辺、魔物いなそうね」

 先頭を行くエレンが慎重に階段を降りながら呟くと、すぐ後ろを歩いているロビンがそれに合わせて頷く。

「確かに魔物はいなそうだが・・・一歩降りる毎に、何とも言えない気持ち悪さが増していくのを感じるな。アイマスクが今までにないくらいにピリつくよ」
「え、そのマスク、感覚あるんですか・・・?」

 ロビンのすぐ後ろを歩く少年が、別の意味でホラーを感じるような発言をする。
 その後ろで呑気に煙草を燻らしながら歩いていたブラックは、ふと吸っていた煙草を指で摘み、無造作に吹き抜けへと放り投げる。
 火種がついたままの煙草がクルクルと風に弄ばれながら吹き抜けを落ちていく様を、一行はなんとなく視線で追う。
 だが、程なくして煙草は火種ごと暗闇に吸い込まれ、見えなくなった。

「こりゃ相当下まで続いているみたいだな。この先にアビスゲートがあるなんて言われても、不思議に感じないくらいだ」

 最後尾のハリードはそう言いながら階段の手すりへと手をかけ、手すりから向こう側の下層に続く手すりへと飛び移り、エレンを追い越していく。

「あ、ちょっと待ってよ」

 それを追いかけるようにエレンが駆け出すと、二人に釣られて一行は吹き抜けのフロアを一気に降っていった。
 未だ底の知れぬ吹き抜けを尻目に道なりのまま進むと、開いた先は腐臭が立ち込める薄暗い階層へと繋がっていた。

「おっと、ここからが本番みたいだな」

 そう言いながらカムシーンを抜き放つハリードの視線の先には、腐りかけの体から瘴気を撒き散らして侵入者を睨む、巨大にして醜悪な死せる魔物。
 その数は、三体。

「油断するなよ」
「こっちの台詞」

 腰に括り付けていた斧を構えながら、エレンがハリードの横に並び立つ。
 しかし、その間を縫うようにしていち早く飛び出す、一つの影があった。

「正面、仕留めます」

 その言葉と共に抜刀しながら飛び出した少年は、流れるような動作で正面の魔物を横薙ぎ一閃に払い抜ける。その軌道は何者にも妨げられることなく、三体いた魔物のうち一体が上下に断たれ、腐肉へと還る。
 その動きに呼応するようにハリードとエレンも一足で飛び出し、疾風の如き滅多斬り、正面から真っ二つにて、両翼にいた魔物を瞬時に滅する。

「・・・あのガキ、はえぇな」
「あぁ、そして動きに全く無駄がない。あれは、強いな・・・」

 三人の勇姿を眺めるに徹していたブラックとロビンは、特段に先攻した少年の動きに思わず賛辞を送る。
 ここまで少年が戦う姿を殆ど見てこなかった反動もあろうと思うが、それにしても今の初動の迅さは目を見張るものがあった。

「・・・あのお姉さん・・・カタリナさんに渡す前、指輪は僕がもっていたから・・・大抵の技術は、僕の中にも流れ込んでいるんだ」

 それは、カタリナに渡した王家の指輪のことを指しているのだろう。
 聖都ランスの聖王家から指輪を受け取り魔王殿でカタリナに渡すまでの所有者は、確かにこの少年であった。
 その間に指輪が持つ記憶の中から戦闘に関するものを受け取った、ということなのだろう。

「なるほどな。あの指輪は八つの光だけでなく、宿命の子にも作用する代物だったというわけか」

 自身をして指輪から流れ込む記憶を保有するハリードが、今度は通路の先に待ち構える腐った赤竜へと視線を移しながら世間話のように喋る。

「じゃあ戦力として不足はないな。この階層、一気に駆け抜けるぞ!」

 そう号令を飛ばしたハリードを先頭にして、五人はそれぞれの得物を手に魔物へと突撃していった。
 道行く先には巨大な死竜、腐肉を餌とする無機質の溶解生物、恐ろしさの中に美しさを併せ持った邪精など、それだけでポドールイ地方そのものが滅んでしまいそうなほどに凶悪な魔物が次々と立ちはだかる。
 しかしそれらをしても彼らの足を止めるには至らず、五人は比較的順調に地下階層を攻略していった。
 どうやら先ほどの吹き抜けを中心に降っていくように通路が続いているようで、何度も吹き抜けの箇所に戻るようにしながら、下へ下へと降っていく。
 意外なことに地下階層の道中にはいくつか生活を目的としたような部屋が配置されており、そこにはまるで部屋に住んでいるかのように寛ぐ邪精らの姿が見られ、その不気味な様子が一層この城の異質さを際立たせていた。

「・・・しかし夜の王が支配する領域ってのは、とんでもないもんだな。斬っても斬っても、ここの死霊がいなくなる気配なぞ微塵も感じられない」
「うん・・・これほんと無限に湧いてくるんじゃないかって思うくらい。しかも、全然こっちに敵意ないのもいるし」

 流石にここまで大量の数を相手にした反動か、肩で息を吐くようにしながらハリードとエレンが愚痴るように呟く。

「この辺の死霊は一先ず居なくなったようだし、少し休憩しよう」

 エストックを鞘に納めながらこちらも一息つきたい様子のロビンが提案すると、一行は思い思いに近場で腰を下ろした。

「ここは・・・書庫みたいだね」

 見渡す限り本棚で埋め尽くされたその空間には、一体いつからあるのか、そして誰に読まれることを待っているのかも知れない本たちが、所狭しと並べられていた。

「なんでもここの城主は、魔王との面識もあるっていうじゃねえか。その頃の本なんかあったら、学者先生相手に結構高く捌けるんじゃねぇか?」

 ブラックが煙草を燻らせながら俗なことを言うと、満更でもなさそうな表情をしながら手近な本を手に取るハリード。

「ちょっと、コソ泥みたいなのやめてよね」

 隣に座るエレンに肘で突かれながらハリードはパラパラと本の頁を捲るが、残念なことにそこに書いてある文字が何を意味しているのか、彼には皆目見当もつかない。

「値打ちがあるかどうかは兎も角、書いてあることは全くわからんな」
「ふん・・・案外、ここの死霊どもの日記かもしれんぞ。それじゃあ二束三文にもならねーな」

 くっくっと嗤いながら煙草を燻らし続けるブラックの向かいで、少年もまた近くの本を手に取り、古めかしい表紙へと視線を落とす。

「・・・何かの記録、みたいだね。世界・・・魔術・・・死・・・」
「ふむ・・・それこそ魔王の時代からここがあるのだとしたら、六百年の間の様々な記録なのかもしれないな。・・・・・・ッッ!!??」

 本を手に取る周囲とは対照的にエストックの手入れをしていたロビンは、座った姿勢のまま思わずびくりと体を震わせた。
 その拍子に、ガシャリ、とエストックの鞘がロビンの膝から下に落ちる。
 それに皆が注目しようとすると、なんと彼らが座っていたあたりをちょうど結ぶ中心に悠然と立っている城主、レオニードの姿があった。

『・・・!!???』

 あまりの驚きに、その場のほか四人もすぐには動けない。
 全く気配を感じなかった。
 いつからそこにいたのか、その場の誰も、まるでわからなかったのだ。

「・・・こいつは一本取られたな。いくら殺気がないにしたって、剣の届く範囲の動きに俺が気づけないなんて、ちょっと自信無くすぜ」

 流石のハリードもお手上げだという様子で肩を竦めると、エレンはエレンでレオニードの立ち姿に隙の一つでも見つけてやろうと凝視している。
 そうこうしているうちに、ふっと、ブラックが咥えていた煙草の火が消える。

「ここは古い本が多いからね、すまないが火は遠慮してもらえるかな」

 レオニードが不敵に微笑みながらブラックへ視線を寄越すと、ブラックは憮然とした様子で腕を組む。

「火は駄目ったってよ、そこらじゅうに灯りを焚いてんじゃねえか」

 突如現れたレオニードよりも消された煙草の火のほうが気になる様子のブラックが文句を垂れると、レオニードは周囲を照らす壁のランプへと視線をやった。

「あれは鬼火の棲家だ。この城にいる火は全て鬼火だよ。だから、彼らに仇なす者以外が燃えることはない」
「・・・さいですか」

 シケモクを専用ケースに仕舞い込みながらブラックが引き下がるのを他所に、レオニードは少年へと音もなく歩み寄り、見下ろした。

「・・・あの、なんですか」

 実に居心地悪そうに少年がレオニードを見上げると、レオニードは無言のまま少年の瞳の奥を見通すように僅かに眼を細める。
 すると間も無く、少年は視線を逸らすように顔を下げてしまった。

「なるほど。私たちが君に僅かに恐怖を感じるのは、やはり君が破壊を司るからか」
「・・・・・・」

 一人呟いた様子のレオニードの言葉に少年が沈黙で答えると、すぐにレオニードも興味をなくしたように少年の前から後退った。

「ねぇ、伯爵様」

 そこに、エレンが声をかける。
 レオニードが声に合わせて視線を投げかけると、エレンは胡座を組んだまま腕を突っ張って前のめりにバランスをとり、じっとレオニードを見つめる。

「こういうときってさ、何か用事があるから来るんだよね。流石に、そこのおっさんの煙草消しに来ただけじゃないでしょ?」

 明け透けなエレンの物言いに流石のハリードも苦笑いをする中、レオニードは寛大な様子で微笑んだ。

「その通りだとも、娘よ」

レオニードはエレンというより、その場の全員に語りかけるように口をひらく。

「ふふ・・・そこの少年ならばもしかしたら、この先にいるモノを葬ってくれるかも知れないと思ってね。まずはそれを確かめに来たのだ。あとは・・・少し君たちと話をしようと思ったまでだよ。来客を饗すのも、城主の務めだからね」
「この先にいるモノ、ねぇ。一々意味深な物言いだこって」

 突っかかるブラックを気にする様子もまるでなく、レオニードは次にエレンとハリードへと向き合う。

「神に選ばれし光、立つ。その数、八なるべし・・・。君たちは聖王らが残した、さながら神の尖兵とも言うべき存在なのだろうが・・・今はもう、その意思とは関係なく動いているようだね」
「・・・生憎と俺は、聖王の信者ではない。俺が信仰するのは、祖国の英雄アル=アワド王のみだ。神だか聖王だかが俺を選んだってのは、なんかの手違いだと思うがね」

 立てた片膝の上に腕を乗せながらハリードが皮肉混じりに言うと、レオニードは片眉を僅かに揺らし、こくりと頷いた。

「アル=アワド。懐かしい名だ。聖王の時代より前、あの者こそが間違いなく人の身で最も精強であった」
「おいおい・・・まさかあんた、アル=アワド王と面識があるとか言うんじゃ・・・」

 思わぬ反応にハリードが食いつこうとしたところ、今度はそれを片腕で制してエレンが身を乗り出す。

「そういえば伯爵様は、宿命の子って何かわかるの!?魔王とか聖王様とかとも会ったことあるんでしょ!?」
「ふむ、そうだな・・・魔王や聖王にせよ、そこなる少年や、其方の妹にせよ。単に宿星が他人と違っただけと言えば、それまでだ」

 レオニードの回答に、エレンは憮然とした表情で返す。

「ふふ。随分と不服そうだな。だが、私とて全てを知っているわけではないのだ。君らよりも、多少長生きしているだけだからね」
「・・・では質問を変えてみよう、ロード・ポドールイよ。此度の宿命の子は、なぜ二人いるのだと思う。是非、貴方の見解を聞いてみたい」

 それまで会話に加わっていなかったロビンが声を上げると、レオニードはそっと自分の顎に手を当てて考える仕草をしてみせた。

「いい質問だ。そうだな・・・まず二人という点が偶然なのか必然なのか、を考える必要があるが、見ての通り私はロマンチストでね。そこは必然だと確信している」

 どのあたりが見ての通りなのかロビンには皆目見当がつかなかったが、一先ずそこは置いておくことにする。
 レオニードは続けた。

「魔王は死を定めとし、聖王は生を定めとした。そして此度宿命の子が負うべき定めは・・・恐らく、二つある。だから宿命の子も二人が必然。私は、そう考えている」
「負うべき定めが、二つ・・・」

 ロビンは言葉を繰り返しながら、そっと隣の少年を見やる。
 しかし少年は俯いたまま、ただただ地面の一点を見つめるばかりだった。

「・・・その少年は、言うなれば破壊の定めを背負っている。死は命ある者にしか齎されぬが、破壊は全てに齎される。であれば差し詰め対の定めとは・・・創造、といったところか。これもまた、命ある者に関わらず全てに齎されるもの」

 レオニードの言葉を、一同は無言で聞く。
 破壊と創造を少年とサラが司っているということは、ピドナで少年から直接聞いていたことだ。しかしそれを全く別の知見から洞察するこのレオニードという存在は、なんとも末恐ろしい存在に感じられた。

「そして此度の宿命の子が背負う定めは、まだ何も世界に影響を及ぼしていない。四魔貴族の幻影と君たちの戦いは、いわば序章のようなものだろう」
「あれで序章とは・・・随分な言いようだ」

 カタリナに次いで四魔貴族との交戦経験を持つハリードが、その戦闘の凄まじさを思い返しながら肩を竦める。
 しかし確かに、その戦いには宿命の子が全面的に関わったわけではなかった。

「つまり伯爵様は、この後に何かが起こるって考えているのね?」

 エレンが真っ直ぐに見つめながら問いかけると、レオニードはいかにもと言わんばかりに頷いてみせた。

「何が、という点までは判らぬ。だが・・・世界を揺るがす何かが起こるだろうという確信は、ある」

 それに・・・と呟きながら、レオニードは実に愉快そうに笑みを作ってみせた。

「なにしろそうでなくては、面白くない」
「・・・けっ、まるっきり高みの見物だな。いいご身分だこって」

 その反応を見たブラックが、心底嫌なものを見るかのように悪態を吐く。因みに実際にレオニードは爵位を持っているので言葉通り良い身分であるのだが、今そこに突っ込む人物は流石にここにはいないようだ。

「いや、それは伯爵位だし身分は高いだろう」

 いた。
 ロビンのエストックよりも鋭い突っ込みに、然しもの大海賊ブラックもたじたじの様子で頭を掻いてみせた。

「うん・・・なんか、ちょっと安心した。少なくともその何かが起こるまでは、あの子は・・・サラは、生きてるはずだから」

 エレンはそう呟くと、すくりと立ち上がった。
 束の間の休憩の終わりを悟り、各々も先へ進むべく立ち上がる。

「ありがとう伯爵様、色々話してくれて」
「礼には及ばぬ。それでは、この先でもう一度会えることを楽しみにしていよう」

 レオニードはそう言うと、頭から灰になり瞬く間に崩れ落ちていった。

「いや去り方怖いな」

 ここはロビンが冷静に反応するが、他の面々は気にするでもなく準備を整える。

「・・・それじゃ、行きましょ」

 

 書庫を後にした一行は、更に下の階層を目指して潜り続けた。
 そのまま何事もなく三階層ほどを一気に降り、その先にある妙に冷気が流れ込んでくる扉を開ける。
 するとそこは、雪積もる丘の斜面に迫り出すようにして作られた、小さい中庭へと繋がっていた。

「へぇー外にでるんだ。面白い作りね」
「一本道に近いが、随分と入り組んで作られている城だな。城主の性格を表しているのかね」
「いや絶対そういうの聞かれてる気がするから言わない方がいいと思うんだが・・・」

 書庫からここまでは魔物との交戦もなかったことで、一行は多少気持ちも軽やかに中庭を抜けていく。
 広くない中庭を突っ切っていくと、あからさまに下へ向かうための階段のみがある、小さな部屋の扉へと辿り着く。
 そしてその先の扉を押し開け再び城内へと入ったところで一瞬、誰もが緊張で凍りついたように固まった。
 全員が、そこに蠢く重苦しい怨嗟の念で察したのだ。
 この階段を降りた先に、この城の『真なる主』がいるということを。

「・・・伯爵様が言っていたの、絶対コイツよね・・・」

 可動域を確保するため素早く階段を降り、斧を右手に構えて僅かに腰を落としながら、エレンは吹き出る冷や汗を空いた腕で拭う。

「・・・だな。こりゃ下手したら魔貴族と同格だぞ・・・」

 同じくカムシーンを抜き放ちながらじりじりとエレンの横に移動しつつ、ハリードが唸った。

「骸骨か・・・相性が悪いな。私は撹乱に回ろう」

 エストックを抜き放ちながらロビンが一歩前に出ると、一同は無言で頷く。
 そうして戦闘体制に入った五人の視線の先には、異様な存在感を放つ巨大な骸骨群が在った。
 群の構成は上下に分かれており、下段には白骨化した大型のガーゴイルが三体、古びた玉座を担ぐようにして陣を組んでいる。そしてその上段に座し対峙する五人を見やるは、これまた巨大な人骨のアンデッドであった。
 そのアンデッドは美しい宵闇の外套を羽織り、頭蓋には威厳ある冠を身につけている。
 生前はさぞ大人物であったろうことを窺わせるその佇まいは、瘴気に塗れたアンデッドであるにも関わらず、どこか気品めいたものすら感じられた。
 ギチリ、と骨同士が擦り合う音がした、その直後。

「・・・くるぞ!!」

 ハリードが叫ぶと同時、全くもって予想外の速度でアンデッドは五人に向かい突進を繰り出してきた。

「ーー早いッッ!!?」

 正面からそれを引き受けにかかったロビンは、すんでのところでマントをはためかせ回避し、更に身を翻し様に先頭のガーゴイル頭部へ強烈な一突きを見舞う。
 しかし、ガキンッと乾いた音が響くだけで、損傷は殆ど与えられなかった。

「っらぁ!!」

 同時にロビンの左右から相手側面へ飛び出したエレンとブラックが、それぞれの片手斧で遠心力をたっぷり乗せた横薙ぎの一撃を放つ。
 狙い通りこちら一撃は左右のガーゴイルの頭部を砕き飛ばすが、しかし頭部を失ってなおガーゴイルの白骨はまるで動きを止める様子がない。

「足を狙え!!」

 隙を窺いながらハリードが叫ぶと同時、前面に躍り出た少年がその勢いを活かした強烈な振り下ろしの一撃を、先頭のガーゴイル下半身へと叩き込む。
 骨片が飛び散り腰から下を砕かれたガーゴイルは姿勢を崩し、そして玉座もまた傾く。これを待っていたとばかりに、ハリードは上段のアンデッドへ向けて駆け出した。
 だがその瞬間、上に座していたアンデッドはガーゴイルごと蹴り飛ばして後方へ飛び上がり、同時に両手を突き出す。

「ッ、避けろ!!!」

 前に飛び出した勢いをなんとか殺して横に転がりながらハリードが言うと同時、他四人も大きく飛び退る。
 直後、彼らが立っていた場所には無数の鋭い骨片が矢のように降り注ぎ、石畳を盛大に抉りとった。
 その間にガーゴイル二体が玉座を持ち直してアンデッドの元に戻り、一方で下半身が砕かれたガーゴイルは灰となってその場に崩れ落ち、瞬く間に二体のガーゴイルの位置に集まり再構築される。

「・・・下はキリがなさそうだな」

 腰を落とし臨戦体制のまま、愛用のバイキングアクスを左右の手で弄ぶように持ち替えながらブラックが呟く。
 今の様子からその通りだろうと判断した五人は、上段に座するアンデッドへの一点集中へ狙いを変えた。

「浮かせます!」

 先ず動いたのは、少年だ。
 太刀を石畳に突き立て、地を這う強烈な衝撃波を飛ばす。その範囲は広大で、横に避ける道筋を与えていない。
 案の定、衝撃波を避けるようにガーゴイルたちが飛び上がったところへ、再び左右から同時にエレンとブラックが連携し、おおきく振りかぶって斧を投擲する。

ガキンッ

 強烈な回転を帯びた斧が上段のアンデッドを襲うが、しかし届くことなく弾き返される。どうやらアンデッドが左右に広げた腕から、骨の刃を網状に飛ばしたようだった。
 更にアンデッドは降下しながら両手で印を結び、なんらかの術法を発動する仕草を見せた。

「させない!」

 瞬時に反応したロビンが飛び出し、目にも止まらぬ速度で猛烈な物量の刺突をアンデッドとガーゴイルに向かって見舞う。
 武具としての相性が悪く損傷は殆ど与えられないが、それでも対処を余儀なくさせることで相手の術法を阻害することには成功したようだった。
 術を阻まれて着地したアンデッドは、邪魔者を排除すべくロビンに狙いを定め、再び強烈な突進を仕掛ける。
 だがそれは先ほどと同じく紙一重でロビンに回避され、僅かながら反撃の一突きでガーゴイルの骨片が削られた。
 しかし今度はアンデッドが引かずその場に留まり、頭蓋の隙間からどす黒い霧を噴出する。

「離れろ!」

 尋常ではないその様子を察したハリードが慌てて叫ぶが、それよりも霧状の何かがアンデッドの周囲一帯へと飛散される方が僅かに早かった。

「くっ・・・」

 慌てて飛び退ったロビンが、口元を押さえて膝をつく。
 それに合わせるように、初撃同様にサイドから狙おうと構えていたエレンとブラックも膝をつき、苦しそうに咳込みはじめた。

「猛毒か・・・いや、それだけじゃない・・・身体中が熱くなっていく・・・神経毒の類だな・・・」

 当然ながら隙を突くために一定の間合いを保っていたハリードも、その未知の攻撃を受けていた。
 だが戦闘経験の差か人生経験の差か、ハリードは首に下げていた筒状の装飾を素早く引きちぎり、中に仕込んでいた万能薬を飲み干していた。

「全員とっとと薬を飲め!緑の小瓶のやつだ!」

 ハリードがエレンを庇うように位置取りを変えながら叫ぶ。
 猛毒に加えて神経作用もある攻撃のようで、見渡せば皆が一様に体の自由を部分的に奪われ、なんとか後ろに下がるのが精一杯という様子である。薬は常備させてあるものの、一時的に動きを制限された代償は大きい。
 当然これを好機と捉えたアンデッドは、先ず最も近いロビンを仕留めるため、彼に向かって大きく飛び上がった。
 それは非常に単純な踏みつけるという行為だが、あの巨体で踏みつけられれば、それこそ人間の骨など跡形もなく粉砕されることだろう。

「・・・ッ!!」

 しかしそれに合わせて空中に飛び上がった少年の渾身の切り返しにより、アンデッドの巨体は狙いのやや手前の石畳を踏み抜く結果となった。

「テレーズ、動けるのか!?」

 薬の作用も、一瞬というわけではない。なので自身も今は回避専念の構えだったハリードが、驚いた様子で少年を見やる。
 少年も確かに先の攻撃は受けたはずだが、その動きからは一切その影響を感じない。何か特殊な状態異常耐性でも持っているのだろうか。
 だがハリードの言葉に応えるより、アンデッドと同じタイミングで着地した少年はすかさず腰を低く落とし、前方へと踏み込んだ。
 そしてガーゴイル三体の大腿部を一気に両断するように、豪快に払い抜ける。
 少年の放った太刀筋を彩るように派手に骨片が舞い散り、再度ガーゴイルらが崩れたことでアンデッドが後方に飛び退く。
 すると少年はアンデッドと後ろ四人の間に立ち、短く息を吐いた。

「・・・・・・」

 無言のまま少年は太刀をゆっくりと脇構えに変え、間も無く足が再生したガーゴイルと、その上部に依然として座するアンデッドへと対峙する。

(・・・僕の宿命は、果たせなかったと思っていた・・・)

 少年は、思う。
 サラと出会い、旅をした。
 それは束の間の時間であったが、間違いなく彼の人生の中で最も素晴らしい時間であった。
 その短い旅の果てに、己が身を賭してゲートを閉じるという宿命を帯びていることは、分かっていた。だからこそ、それに向かうまでの僅かな刻を、少年は何より尊いものだと感じていたのだ。
 だが。
 その旅の終着地点で、少年は宿命に準ずることが出来なかった。
 彼の宿命は、果たされなかった。

(いや・・・違う。僕の宿命は、この先にあるんだ。さっきの吸血鬼も、そう言っていた)

 構えた太刀に、力を込める。
 すると刀身は間も無く天地六術式が混ざり合い、混沌の波動を纏う。そして触れるもの全てを崩壊に誘う魔剣へと、その存在を変貌させていった。

(サラが創った三百年の平和を、僕が壊す・・・多分、そういう宿命なんだ。それはサラが望まないことだろうけど・・・僕は、そうすると決めた。だから、ここで立ち止まっている時間は・・・ない)

 少年の刀身が纏う混沌を認識したアンデッドは、しかしどうしたことか反撃の素振りを見せず、少年を見つめるようにして動かない。

(・・・?・・・あぁ、そうか。君は、壊れたがっていたのか)

「・・・なら、望み通りにしてあげる。僕にできるのは、これくらいだから」

 別れの言葉を告げ、軽やかに、飛び上がる。
 空中で大きく体を捻り回転し、少年はアンデッドへ何の変哲もない袈裟斬りを放った。

『グォォォォオオ・・・ォォ・・・』

 その太刀筋を正面から受けたアンデッドは、小さく呻き声をあげる。
 すると間も無く斬痕から全身に広がるようにゆっくりと身体が灰と化していき、さらさらと崩れ落ちていった。
 最後まで残っていたのは頭蓋、そこにあった空洞の眼底。
 その奥で光っていた怨嗟の赤黒い光は、己を滅した目前の少年ではなく、もっと遠く。宵闇の向こうにある何かを見つめるようにしながら、灰と共に静かに消えていった。

「・・・とんでもない手を持ってたもんだな・・・」

 あまりの展開に毒気も抜かれた様子のハリードが、起き上がるエレンを手助けしながら言った。

「・・・うん。でもあれ隙だらけになるから、当てるの大変なんだ。アラケスは構えすらさせてくれなかった」

 少年は太刀を仕舞いながら、他の面々が起き上がるのを手伝いつつ応える。

「・・・おめぇが宿命の子ってのは、どうもデマじゃなかったらしいな。今やっと納得したぜ」

 起き抜けに、こちらこそが薬だとでも言わんばかりに煙草へ火をつけながら、ブラックが呟く。

「状態異常の対処が甘かった・・・これは今後の教訓だな。とにかく助かったよテレーズ、ありがとう」

 緩んだバンダナを締め直すようにしながら、ロビンも少年に助けられつつ起き上がった。
 そして既に起き上がりながら憮然とした表情をしていたエレンも、気を取り直した様子で大きく息を吐く。

「・・・ふぅー。あたしもまだまだだ。こんなんじゃ、サラに笑われちゃうね。ありがと、テレーズ」

 エレンの礼に対して短く「うん」とだけ返事した少年は、滅んだアンデッドの背後に続く通路へと視線を向けた。
 もう間も無く訪れるであろう新月と共に、彼らが索る聖杯は、もう目と鼻の先に現れるはずだ。

 

 

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第十章・5 -吸血鬼の城-

 

 それは遠い昔のある刻、何の前触れもなく、唐突に訪れた。
 思い思いにその日を過ごしていた住民たちが、突如として闇に蠢く虚空を、成す術なく見上げる中。街、そして国全体が、ゆっくりと、まるでそっと腕に抱かれるかのように、宵闇に包まれていった。
 それがいつ起こったことなのか、覚えているものは誰一人として、もう生きてはいない。
 少なくとも、人としては。
 街に残る古文書の記録に残っている限りでは、数百年程度は昔の話だ。人が何世代か生まれて死ぬには十分なほどの時間を、この街はずっと、宵闇に包まれてきた。
 時を刻むことを忘れた街。そう呼ばれるこの地に訪れたものは、誰しもが時間感覚を多少なり狂わされてしまう。
 柔らかい上質な絹に包まれているかのように、心地良い宵闇。そんな宵闇に抱かれ、ひとたび眠れば二度と目を覚まさぬような錯覚に襲われる者もいるという。
 その宵闇に抱かれる街の名は、古都ポドールイ。
 世界地図では最北東に位置し、現存する都市の中では最も長い歴史を持つ、雪深い古の都。
 そして、おそらく世界中で唯一、人類以外の存在が公的に治める人類生活都市でもある。

 

 ふわりふわりと雪が舞い降る丘の上に、いかにも古めかしい作りの古城があった。
 古都ポドールイの北門から進んだ丘の上にあるその城には、この地一帯を治める領主、レオニード伯爵が住んでいる。
 この地に住む民でさえ一生に一度その姿を見られるかどうか、というほどには出不精な領主だ。
 しかして、そんな領主に対する領民からの信頼は、他に類を見ない程に厚い。この地に限っていえば、恐らくは聖王以上の信仰を集めていると言っても過言ではないだろう。
 その際たる所以は、この地が長く平穏であり続けた、という点に拠る。なにしろこの地の平穏は、かの魔王と四魔貴族に支配された暗黒時代でさえ、殆ど変わらず保ち続けられたのだ。
 その事実に何よりの感謝を子々孫々へ口伝してきた住民らは、たとえ一生に一度すら会えずとも、領主たるレオニード伯爵への畏敬を忘れることはない。
 ただそれも、外部から来た者には関係のない話だ。

「たのもー」

 間も無く新月を迎えようとしている宵闇の下、一見すると廃墟かと見紛うほど静かな古城の正面門前に、カタリナは立っていた。
 しかして訪問の約束を取り付けているわけでもないので、開門を願う声への応答もなく、門は固く閉ざされたまま。そもそも、門番も誰もいない始末である。
 まぁ、この城はいつきてもそうだったが。
 思えば訪問の作法など貴族然とした習慣から自分は随分と遠退いたものだな、などと変な気付きを得て一人うっすらと笑みを浮かべながら、カタリナは改めて周囲を観察する。
 直ぐ目についたのは、降雪具合に反して他より積もりの少ない門前の空間。
 即ち門前の積雪は最近払われたと思われる形跡であり、直近で人か、若しくは人ならざる何かの出入りがここからあった様子なのが見受けられた。
 顔見知り、と言うほどでもないが、カタリナはこの城に住まう住人を幾人か見知っている。
 彼らが(人ならざるもの達をまるで人間のように”幾人”、”彼ら”と呼ぶべきか否か、カタリナはもう気にしないことにしていた)出入りしているだけ、とも考えられる。
 だがカタリナには漠然と、いや、ほぼ確信として、この痕跡は外部からの来訪者によるものであろうと考えていた。

「ねぇちょっと、早く開けてよ。いつまでもこんなところにいたら、お肌に悪いわ」
「ええ、早く入りましょう。一刻も早く落ち着いて、この空をつぶさに観察せねばなりません」

 思案を重ねるカタリナの後ろで、とかく好き勝手に喚く同行者二名。
 キドラントで色々とあった教授はともかく、ヨハンネスも中々に癖があるなということを、ロアーヌからここまでの旅路でカタリナは察していた。これは妹であるアンナの苦労が窺い知れる、というものだ。
 何かに特化した人というのは、その分何かを持っていないものだったりするのだなぁ。無論、ミカエル様以外。ミカエル様は完璧なのだ。
 などと自分の事も棚に上げてカタリナは思うのであった。
 とはいえ確かに、ポドールイ地方の外気は厳しい。この地域は滅多に吹雪く事はないそうだが、それでもしんと冷えた空気が常に体を包み込む事に、なんら変わりはない。
 冷えた体は動きが極端に鈍くなる。それは時として命取りにもなり得る。
 つまりは、あまり長く外にいたくないというのはカタリナとしても同意ではあった。
 しかし、目の前には呼びかけに応えず閉じたままの城門。
 なんとか打開策を模索せんと腕を組み、数秒。
 考えに考えたカタリナは、やがて意を決したように浅く頷いた。

「仕方ないわ、ぶち破ろう」

 潔くそう言い放ち、一歩下がる。
 深く腰を落とし、腰に携えた太刀、月下美人の鞘元に左手を添える。
 澱みない太刀筋にて、一閃で切り崩す。その明確なイメージを鮮やかに脳内で描き、あとはそれを現実とすべく柄に手をかける。

ギギギギギ……

 すると、いかにも稼働限界を迎えた様子の蝶番が悲鳴にも似た断末魔をかき鳴らし、固く閉ざされていた門がゆっくりと開きはじめたのであった。

(・・・予想通り、来たことは分かっていたみたいね。ちょっと乱暴な御願いの仕方だったけれど、まぁ伯爵様も人を驚かせるのお好きな方だし、おあいこよね)

 薄々こうなることを予測していたカタリナは、すぐに抜刀態勢を解く。
 だが、開き切った門の先には人影らしきものは一切なく、薄暗く不気味なエントランスの様子が認められるだけだ。
 かと言って、じゃあ誰がこの城門を開けたのか等という類の疑問は、この城においては野暮というものであろう。

「まるでホラーハウスね」

 教授が興味薄げにそういうと、カタリナは浅く肩を竦めた。

「まぁ吸血鬼の城だし。多少は、ね」

 軽口を叩いたあとに視線を軽く交差させ、三人は城内へと足を踏み入れていった。

 

 苔むした堀、古い城門、その先に広がるエントランスと、年季の入ったクローク室。
 それらは全て、彼女の記憶にある光景そのままだ。

(ここに来たのは数年ぶりだけれど、それがつい先日のようにも感じられる・・・。ここは、本当に何も変わらないのね)

 謁見の間へと続く、よく手入れがされた真紅の絨毯に視線を落としながら、カタリナは思う。
 ロアーヌ侯国とポドールイ伯爵領とはロアーヌ建国から間もない頃より友好条約を結んでおり、自由通行や交易などのやり取りがある。
 カタリナはそうした国交の一環であったり、もう少しだけ個人的な事情などで、過去何度かこの地に訪れた経験があった。

(・・・周囲には何者の気配も感じない。これでは本当にホラーハウスね)

 以前彼女が来た時には人為らざるモノたちがこの城に従事していたはずだが、そのモノたちが見当たらない事だけが、以前と違う事だった。

「・・・・・・」

 三者三様に周囲を物珍しげに眺めながら、特段の会話もないまま奥へと進む。
 レオニードの住まう城は、ロアーヌやピドナ王宮などのように大きな作りではない。エントランスを抜け、階段を上がり、通路の両脇に控える不気味な甲冑の間を通って少し歩けば、そのまま城主と謁見することができる空間へとつながっている、といった作りだ。
 その一本道をレッドカーペットに沿って進んだ先。
 そこには、まるで彼女たちの到着を今か今かと待ちわびていたかのような様子で、領主レオニード伯爵が城主の座に腰掛けて片肘をつき、真紅の瞳で来訪者を見据えていた。
 それを視界に認めつつ前進したカタリナは、適度な距離を保って立ち止まると姿勢を正し、ゆっくりと跪き、首を垂れた。
 すると意外や意外、非常識が服を着て歩いているかと思われた後ろの二人も、背後で膝を落としているようだ。

「ようこそ、我が城へ。久しいな、ロアーヌの騎士カタリナよ」

 レオニードが歓迎の意を表すように短くそう発すると、カタリナは面をあげ、うっすらと微笑んだ。

「お久しゅうございます。卿におかれましては、お変わりないようで」

 普段ならば社交辞令的な言い回しなのかもしれないが、目の前の存在に関しては本当に何も変わらないものだから、まさか言葉の意味そのままでこうした表現を使う時が来ようとは、などと一人可笑しく思う。

「ふふ・・・今日は、随分と珍しい者たちを従えているな。この世界に本来あらざる欲望を宿す二人か、これは面白い」

 随分と大仰な言い回しで教授とヨハンネスを眺めながら、レオニードは言葉通り可笑しそうに微笑む。

「お初にお目にかかりますわ、ロード・ポドールイ。貴方様を目の敵にする隣国から来た非礼、どうか寛大な御心でお許しいただけますと幸いです」
「同じく、お初にお目にかかります。お会いできて光栄です」

 二人がそれぞれ挨拶をすると、レオニードは変わらず笑みを湛えながら、視線をカタリナに移した。

「さて、カタリナよ。それでは此度の来訪の理由を、聞こうではないか」

 宵闇を宿した二つの瞳で真っ直ぐに見つめられたカタリナは、その瞳に吸い込まれそうになる感覚をどこか懐かしく感じながら、強く意識を保つ。
 そして再度首を垂れ、言葉を紡いだ。

「・・・聖杯を、借り受けに参りました」

 短い言葉。
 そして、暫しの沈黙。
 レオニードは微かな笑みを湛えたまま、カタリナをじっと見つめている。
 カタリナはその視線を真っ向から受けながら、少し下に向けた視線を動かさない。
 それはほんの数秒のことであったのだと思うが、視線を受けるカタリナからすると、一夜とも二夜とも思えるような時間にすら思えた。

「時折、そのような用向きで来訪する者たちがいる。二度と会うこともないので、普段は目的も問わずに好きにさせているのだが・・・既に人の身に余る強大な力を操り、かの四魔貴族をも退けた其方が、今になって聖杯を求むる理由・・・些か興味が湧くな」

 そう言って立ち上がったレオニードは、音も立てずに数歩、カタリナへと歩み寄った。

「問おう、騎士カタリナよ。其方は何のために、聖杯を求むのだ」

 レオニードの言葉に合わせて顔を上げたカタリナは、少し物悲しげな微笑みを湛えながら口を開く。

「お答えする前に、一つ訂正をさせてください。わたくしはもう、ロアーヌの騎士ではございません。国を離れ、今は放浪の身でございます」

 カタリナの言葉に、レオニードは薄っすらと目を細める。
 まるでカタリナの表情から何かを探ろうとするかのようにじっと見つめ、やがて一人勝手に納得したように、ふむ、と浅く頷いた。

「・・・ふふ、そうであったか。では再度問おう。剣士カタリナよ、其方がそうまでして聖杯を求むる理由とは、如何なるものか?」

 核心を突くべく放たれたその質問に、カタリナは視線を逸らす事なく真っ直ぐに応える。

「ゲートの先にある深淵・・・アビスへ、向かうためです」

 その瞬間。
 しんと静まり返っていた城の、ずっとずっと下の方。
 暗く蠢く地下から、異様な唸りが響き渡った気がした。
 それはまるで、アビスという言葉にこの城が反応したかのようだ。
 果たしてそれは憎悪からくる唸りのようであり、しかし歓喜に打ち震えるもののようにも感じられる。
 その唸りを受けてのことなのかは不明だが、先ほどよりもさらに目を細め、そして口元には隠し切れぬ嗜虐的な笑みを浮かべたレオニードは、徐に己の懐へと手を忍び込ませた。
 そしてすぐに小さな布包みを取り出すと、隠せぬ笑みを湛えたまま、カタリナに語りかける。無造作にカタリナへと差し出す。

「・・・聖杯を持っていくことを許可しよう。しかし、聖杯を取りに行く役目は其方ではない。先に同じ目的でここを訪れている者達がいるので、其奴らに任せるが良い。それより其方には、もっと相応しい役割がある」

 その言葉を受けながら、カタリナは差し出された包みを両手に賜る。
 無言で促されるままにその包みを解くと、そこには、黒く古めかしい鍵があった。

(・・・鍵・・・もしかしてトーマスが言っていた・・・?)

 カタリナが唐突に差し出された鍵を手にしながら考えを巡らせていると、その様子をすら面白がるようにレオニードは笑みを絶やさない。

「ふふ・・・其方は、かの龍峰ルーブに棲まうドーラの子と盟約を結んでいるはずだな。その竜をここに呼びたまえ。鍵を使うべき場所に行くには、翼をもつ者の力が必要だ」

 そう言いながらこれまた音もなく座へと戻ったレオニードは、ふわりと腰掛け肘をつき、引き続き上機嫌な様子で妖艶に微笑んだ。

「そうと決まれば、早速客間にいる者たちに伝えてくれ。ポドールイが新月を迎える時、聖杯は地下の私の部屋にある。そちらまで来てもらおう。ぜひ生きたままたどりついて欲しいな」

 城の地下と聞き、カタリナは思わず眉を顰める。
 この城の地下には過去に潜った事があるが、その時の苦々しい記憶が蘇ってきたのだ。
 とはいえ、今はそんな苦い思い出を噛み締めている場合でもない。
 なにより、分からないことだらけだ。
 突然に渡された鍵が何なのか。グゥエインの助けを借りなければならない場所とは、何処なのか。聖杯を取る以外の相応しい役割とは、一体何のことなのか。
 とにかくこれらの新たな疑問について、聞けるものならば是非とも詳しく聞きたい。だが、それについて目の前の存在は応える気が毛頭なさそうなことも、その様子から明らかだ。
 自分にもっと学があればここまでの会話から何か分かったのかもしれないが、などと少しは思いつつ。しかしながら、いい加減こういった謎だらけの展開にもカタリナは手慣れたものだ。
 こういう時は、とにかく先に進むのみ、である。

「承知いたしました。お伝えします」

 レオニードの言葉にカタリナが短く応えると、レオニードは満足げな微笑みを湛え、次の瞬間には足元から灰と化し、崩れるようにして、その場から消えていってしまった。

ハハハハハハ……

 そうして広間に残されたレオニードの実に愉快そうな嗤い声を跪いたまま聞き届けたカタリナは、その声が聞こえなくなってから、ゆっくりと立ち上がる。
 それに合わせ、後ろで控えていた教授とヨハンネスも立ち上がった。

「・・・それでは、まずは客間に向かいましょう」

 

ギィィィィィ…

 か弱い魔物の断末魔にも似た蝶番の悲鳴を聞きながら、客間の扉をゆっくりと開ける。
 はたしてそこには、ある程度予想済みとも言える先客たちが、思い思いの様子で寛いでいた。

「え・・・カタリナさん・・・!?」
「やっぱり、来ていると思っていたわ。エレン」

 まず第一に声を掛けてきたのは、どうにも落ち着かない様子でベッドに腰掛けていたエレンであった。

「どうして、カタリナさんがここに・・・?」
「それは・・・後で説明するわ」

 そう言いながら、カタリナは部屋の中の面々を順に確認していく。
 まず視界に入ってきたのは、ハリードだ。
 一見ラフな様子で壁に寄りかかって立っているが、最もその位置は部屋の扉から近い場所で、それは彼の得物である曲刀の一閃が届く距離でもある。常に警戒を怠らない、実に傭兵らしい立ち位置だ。
 そして部屋の奥には、エレンと同じくベッドに腰掛けている少年と、覆面の男。
 魔王殿で出会い、そして魔王殿で再会した謎の少年。その正体は、三百年に一度生まれる『宿命の子』だという。
 未だその事実に現実感はないが、これまでに彼女自身が体験したさまざまな出来事が、それを事実と裏付けている。
 その近くに立つ覆面の男については、カタリナは見知ってはいない。ただ、ミューズらからそれらしい話を聞いてはいたので、恐らくヤーマス出身の者だろう、という事は見当がついた。
 あとはこの場にいないが、微かにこの部屋には、特定個人を彷彿とさせる独特の嫌な残り香がある。それは彼女の苦手な煙草の匂い。つまりは海賊ブラックも、この一行に加わっているようだ。

「・・・どうやらこれでやっと役者が揃った、って事らしいな」

 そう言い放ったのは、ハリードだった。

「役者・・・?」
「あぁ。俺たちがここに来たのは数日前だが、城主に『新月まで待て』とだけ言われて、そのまま今に至っているのさ。空の様子からして、新月は明日だ。このタイミングでお前が来たってことは、そういうことだろう」

 ハリードの言葉を肯定するように、その場の面々が無言で頷く。
 一体なぜレオニードがそのようなことを言っているのかも全くの不明なことであるが、もうそんな細かいことについて気にしているのもきっと、時間の無駄なのだろう。
 素早く思考を切り替えたカタリナは、一先ず城主の言葉を彼らに伝えることにした。

「先ほど、伯爵様に謁見してきたわ。私も、聖杯を借り受けに来たの。でもその役目は私ではなく貴女たちだ、と言われたわ。聖杯はポドールイが新月を迎える時に、地下の伯爵様の私室にあるから、そこまで取りに来てほしいって」
「ほう・・・で、お前は何をするんだ?」

 ハリードの問いかけに、カタリナは小さく肩を竦めながら、ポシェットに入れていた黒鍵を取り出した。

「その場で、これを渡されたわ。これが使える場所に行け、と。場所も、ここではないみたい」
「鍵・・・? え、それが鍵なの!?じゃあ聖杯は鍵ではないってこと!?」

 カタリナが取り出した黒鍵を見て、エレンが立ち上がりながら反応する。
 鍵は、ポドールイにある。ピドナでトーマスが詩人から聞いたというその言葉だけを頼りに、エレンもカタリナもここに来た。
 鍵が何であるのかというのは分からないが、ポドールイにあって他には無いものといえば、まず思いつくのが聖王遺物・聖杯なのである。それほどまでに、レオニード伯爵が聖杯を保持している事は有名な話だ。
 だがカタリナが受け取ったものこそが件の『鍵』なのだとしたら、そもそも聖杯なんていらない。その鍵が使える先へ行こう。早く、早く。
 エレンの声からは、そんな溢れんばかりの感情が読み取れるほどの、わかりやすい悲痛な響きがあった。
 だが、そこに別のところから、声がかかる。

「いいえ、聖杯は間違いなく、私たちが必要としている鍵よ」

 そう言いながら部屋へと入ってきたのは、カタリナの後に続いていた教授であった。
 それに続き、ヨハンネスもいそいそと部屋に滑り込んでくる。

「え、ヨハンネスさん、と・・・誰・・・?」

 唐突に登場した二人に、エレンは更なる疑問符を頭上に浮かべながら目を白黒とさせる。
 エレンやハリードは、ヨハンネスのことは見知っていたのだろう。だが、この中で教授を知っている者は確かにいない。
 ということで、カタリナは軽く捕捉を行うことにした。

「あー、こちらの方ね、普段はツヴァイクの西の森に住んでいる方で、教授って呼ばれているの」
「そう、西の森の大天才とは、私のことよ」
「あ、ついでに私は、ランスを拠点としている天文学者のヨハンネスといいます。はじめまして。エレンさんハリードさんは、ご無沙汰してます」

 その自己紹介に、各々が反応を返す。

「教授・・・あぁ、あの術戦車を作ったという魔導科学者か。驚いた、案外若いんだな」
「あーあの鉄馬車の人かぁ、なんかイメージと違う感じ」 

 エレンとハリードが二人して腕を組みながらそういうと、なぜかそれを褒め言葉と受け取った様子の教授がふふんと腰に手を添える。

「二人とも、なかなかキャラが濃そうだな」
「ロビンさんは、それ言える立場じゃないと思います・・・」

 一方冷静な様子のロビンと少年は、少し遠巻きに話の進行を見守っているようだ。

「で、教授さんよ。あんた今・・・聖杯は鍵だ、と言い切ったな。そこについては当然、説明してくれるんだろ?」

 場が混乱しそうなところをハリードが軌道修正し、的確に質問を飛ばす。
 その場の皆の視線が教授に注がれると、視線を浴びた教授はまんざらでもなさそうな様子でゆっくりと部屋の中へ進み、部屋の中心辺りに陣取った。
 そこに自然な様子でするっと帯同したヨハンネスは、持っていた教授の荷物から手際良く何らかの魔導器らしき物体と珈琲カップを取り出していく。
 そうして茶器が展開されていくのを尻目に、教授は豊かな胸部の下で腕を組みながら、その場の皆へと視線を巡らせた。

「いいでしょう。特別にこの私が、凡人にもわかるように説明してあげるわ」

 

 聖杯。
 それは、聖王の血が注がれたという逸話が残る、聖王遺物の中でも特段に有名な品の一つだ。
 所有者が血を好む吸血鬼レオニードである、という話題性も手伝い、広く世俗にも知られている聖王遺物であるが、一方でその効力面については、殆ど知られていない。
 この聖杯には、僅かな『力』を無尽蔵に生み出すという、他の聖王遺物とは全く異なる奇跡の顕現があるとされている。
 カタリナが使用していた聖剣マスカレイドや、星々の力を宿すとされる宝刀・七星剣。アラケスの魔槍を鍛え直して作られたとされる聖王の槍など、いずれも強力な武具だとされる聖王遺物。これら遺物は、基本的に使用者の術力や気力などを動力として大きな力を発現させる仕組みの魔導器である。
 対してこの聖杯は、使用者を必要とせず独立して力を生み出し続けるという点で、聖王遺物としても魔導器としても、全く異質な代物なのである。

「魔導科学を研究開発する上で、まず最初に考えるべき問題。それが、魔導器の動力をどう確保するか・・・だったわよね」

 ちゃっかり自分も珈琲を啜りながら、教授の近くの椅子に腰掛けたカタリナが呟く。
 それはもちろん、教授からの受け売りだった。
 既存の道具や術式では全く太刀打ちできない類稀なる効果を発現する、魔導器という存在。
 しかし、その魔導器も所詮は『使用者』と『燃料』が無くては動かない。
 如何に強力な兵器であろうと、動かなければ、それはガラクタと一緒だ。

「そう。聖王遺物は確かにとても高度に内部設計された精密な構造の魔導器で、それが発現する力は、まさに比類なき力。それこそ、新しき神にもなれるかもしれない力でしょう」

 カタリナの言葉を引き継ぐように、教授が使い古された古典を引用しながら口を開く。
 それは、ポドールイへと旅立つ前にロアーヌ宮廷の庭園で聞いた内容の繰り返しだ。

「しかしながら使用者と燃料の提供を必要とする時点で、仕組みとしては原始的です。教授はこの仕組みをもとに、魔導器を世代に分けて呼称しているそうです」

 ヨハンネスが的確に捕捉を入れると、教授は浅く頷いた。

「その通り。聖王遺物といっても、仕組み自体はとてもシンプル。仕組みで分類するなら魔導器の原点・・・即ち、第一世代魔導器ね。ただ、他の第一世代魔導器と比較しても内部構造が圧倒的に複雑化しており、それによる効果の飛躍的な向上が実現されているという点で、聖王遺物に関しては第二世代魔導器とした方がいいでしょうね」

 教授が言うには、世界中にある様々な高等術具、即ち魔導器の大半は『第一世代』なのだそうだ。
 第一世代の定義とは即ち『使用者』と『使用者による動力提供』の二つが揃って初めて発動する、一般的な魔導器に期待される効果を発動する代物、である。
 そして第二世代とは、第一世代と同じ要件で発動するものの、その効果が第一世代から飛躍的に向上しているものを指し、マスカレイド等の聖王遺物がそれにあたる、と言うのが先ほどの教授の弁である。
 そして教授が直近で研究してきた魔導器構造を、彼女自身は『第三世代』と定義しているそうだ。

「第三世代の画期的なところは、使用者若しくは動力のいずれか、或いは両方を従来と異なるアプローチで調達し発動する、という点。例えば、私が作り上げたスーパーウルトr」
「ドラゴンマシーン」
「・・・などが、それに当たるわ」

 カタリナの容赦ない切り込みに、教授が少々眉間に皺を寄せながらも話を続ける。
 教授が研究の末に作り上げ、キドラントで起きたいけにえ事件の詫びとして今はカタリナが借り受けている、術戦車。
 戦車といっても車体を引く馬は無く、使用者は必要なものの動力は朱鳥術力による半永久駆動機構を搭載したという、世界に二つとない鉄製の戦車だ。朱鳥術力の外部補給は必要だが、必ずしも使用者そのもの術力を必要とするわけではないという点が非常に画期的なのである。
 あれこそが、現代魔導科学における最先端の代物なのだそうだ。ちなみに教授がいうところの術戦車の正式名称は、スーパーウルトラデラックスファイナルロマンシングドラゴンマシーン、である。
 確かに、その圧倒的な異質さはこの世界にあるまじきものであると、カタリナにもよく分かる。
 あれを初めて見たハリードは、量産化されたとしたら戦の常識が覆る、と断言していたものだ。
 また、術戦車ほど突飛な代物ではないにせよ、ツヴァイクの西にある教授の館付近に設置された、教授お手製の自動照明。あれも地術の力を活用し、使用者もなく自動で点灯する独立駆動型照明機器だ。
 こうした代物を、教授は第三世代魔導器と呼称しているのである。

「そしてその進化系こそが・・・第四世代魔導器。第三世代と比べて飛躍的に向上した性能を持ち、さらに自律発動する魔導器よ」

 そこまで言ってから優雅に珈琲を啜る教授の言葉を続けるように、カタリナが皆に向かって補足する。

「でまぁ、その第四世代魔導器とやらの最たる例が・・・あのアビスゲートなのだそうよ」
「アビスゲートが・・・魔導器・・・?」

 カタリナの言葉に、話についてくるのがやっと、と言った様子のエレンが分身剣の如き疑問符を頭上に浮かべる。
 密林の火術要塞と、タフターン山頂。そこにある二つのアビスゲートを調べた教授とヨハンネスは、その正体が巨大な魔導器であると結論付けた。
 主たる四魔貴族が不在でも独立駆動し、ゲートそのものを含む収容施設全体を自動修復し、三百年周期でアビスと世界を繋がんとする巨大装置。
 残念ながらその動力源の特定には未だ至っていないものの、その機構について教授は大凡の予測はついたと語る。

「アビスゲートの調査によって、私の魔導科学理論は飛躍的に進化したわ。今の私になら、この手で第四世代魔導器を作り上げることも不可能ではないでしょう」
「その為に、わざわざバンガードまで行ったそうだものね。なんでも、そこでずいぶん派手に立ち回ったって聞いたけど」

 カタリナがそう言いながら珈琲を啜ると、教授も合わせて肩を竦めながら珈琲を口につけた。

「バンガード内部を見たことで、魔導器同士の連結発動という仕組みも理解したわ。ま・・・あれを三百年前の人類が作り上げたってとこだけが、にわかには信じられないけれど」

 教授が言うには、海上都市バンガード本体も、その中枢に位置するイルカ像も、いずれも魔導器なのだそうだ。つまりバンガードとは、複数の魔導器によって稼働する複合魔導器ということになる。
 聖王教会が伝播する聖王記によれば、聖王は神より十三の武具を与えられた、とある。それが現在の聖王遺物とされているのだが、実のところ聖王記には十三の武具全てが記されているわけではない。
 この未記載の聖王遺物については考古学や神学など各分野識者の間でしばしば格好の議論の的となる部分であり、それはそれは様々な仮説が立っては消え、現在に至るまで述べられている。
 そこにおいて今回教授は、その効力の異常さ(即ち第二世代相当の効力)という類似性から、バンガードとイルカ像も聖王遺物の括りなのではないか、という識者顔負けの考察を立てたのであった。
 それはこれまで神秘学者を中心に行われてきた議論に一石を投じる実に新しい視点だなと、カタリナは感じたものであった。
 そもそも言われてみれば、神より与えられし十三の武具以外にも聖王縁のものがあってもいいわけで、とすれば聖王遺物イコール十三の武具と限定する理由すらない。であれば、あまり聖王記の記述ばかりに囚われる必要はないのかもな、などと、聖王教会の神父が聞いたら泡を吹いて卒倒しそうなことをカタリナは考えていた。

「あの機構はそのまま、第四世代魔導器の開発に応用できる。となるとあと肝心なのが、結局は動力の確保よ。そして、この課題解決の鍵になり得るものこそが・・・」
「件の聖杯・・・というわけか」

 ハリードの合いの手にも教授は満足そうに頷きながら、再び珈琲を啜る。

「・・・なぁるほどな、バンガードでいうところの玄武術士の役割を聖杯に担わせれば、動力問題は解決ってワケか」

 突然かかった声に皆が部屋の入り口へと振り向くと、そこにはいつの間にやら、ドア部分に寄りかかったブラックがいた。
 教授が挑発するような視線をブラックに向けながら微笑むと、対するブラックはこちらも笑みを浮かべながら部屋へと入ってくる。

「つまりおめぇ、それでアビスに攻め込む『船』を作ろうっつーわけだな。聖王が海底宮に攻め込むために、あのバンガードを作ったように」
「あら、粗野な見た目の割に理解が早いのね」

 教授が実に楽しそうに口角を上げながら微笑んで挑発するが、ブラックはそれを一笑に付した。

「ふん、御託はいい。それよか流石に、これ以上は体がなまっちまう。明日が新月なら、もう城の地下とやらに行こうぜ。何しろここは、海の底に巣食う死霊みてーな気配がうじゃうじゃありすぎて気色悪りぃ」

 それには全く同感だと言わんばかりにハリードやロビンらが頷く中、普段ならいの一番に部屋を飛び出しそうなはずのエレンは、彼らに同調せずにカタリナを見つめていた。

「・・・まだわかんない事が多いけど、とにかくサラを助けるのに聖杯が必要なら、それを取りにいくのはあたし達の役目。でも・・・カタリナさんは何をするの?」

 エレンの言葉を受けて、カタリナは彼女に振り返る。
 カタリナを見つめるその瞳は、一切の曇りがない真っ直ぐな光を湛えている。
 その光は、カタリナからすれば眩しすぎて、直視をするのが躊躇われるほどのもの。
 事実そのような光を見失い、己の本当の意志を一瞬でも閉ざした者だからこその後ろめたさがあるカタリナは、少し節目がちになった後にエレンへ向き合った。

「・・・正直にいうと、これから私が何を為すべきか、私にも分からない。ただ私は・・・私も、サラを助けたい。その想いは、一緒よ」

 瞳を見つめ返しながら、カタリナは毅然として答える。
 エレンはその言葉と視線を受け取るように数回瞬きすると、やがて小さく頷いた。

「・・・ありがとう。助けは一人でも多い方がありがたいわ」

 エレンは短くそういうと、すくりと立ち上がった。
 それに合わせてロビンや少年らも、近くの荷物を素早く手繰り寄せる。

「そうと決まれば、はやいとこ行きましょ。サラが、待ちくたびれちゃうわ」

 

 

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