第十章・6 -聖杯を求めて-

 

 城の地下へと向かうエレンらを見送った後、カタリナは外が見える場所を求め、客間からさらに奥を進んだ。
 道案内には好都合とばかりに天体望遠鏡を担いでちゃっかり後をついてくるヨハンネスとともに、程なくして城上部のバルコニーへ出る。
 そこは宵闇の空とボドールイの街並みが一望できる、非常に見晴らしのいい場所であった。

(さて・・・グゥエインを呼べって言われても、ここからルーブまで移動してたらそれだけで二ヶ月くらいはかかるわけだし・・・)

 手際良く天体望遠鏡を設置していくヨハンネスの横で、カタリナは一応思い悩む。
 しかし思い悩んだところで、カタリナにはグゥエインのような飛行能力も、フェアリーのような念話能力もないので、自力での解決策は全く出てこない。

(・・・となると、大人しく彼女の力を借りるしかないわよね)

 早々に自力手段を断念したカタリナは、腰に携えた太刀・月下美人を静かに抜刀した。
 間も無く新月を迎えようとするポドールイの宵闇と月下美人の刀身が織り成すコントラストは、とても幻想的で美しい。
 一頻りその雅を楽しんだ後、カタリナは月下美人をゆっくりと正眼に構え、その刀身へ意識を集中させていく。
 すると月下美人が放つ独特の霊威がじんわりと周囲へ広がり始め、仄かに刃が明るみを帯びていった。
 これは、ロアーヌでカタリナがフェアリーと別れる時に交わした、連絡の合図。
 妖精族が精霊銀を用いて鍛えたといわれる名刀、月下美人。他の素材では決して作り上げられない唯一無二と言ってもいい切れ味を誇るその太刀は、他の武具にはない独特の霊威を備えている。
 その霊威は、妖精族にとっては聖王遺物級の武具が発する力場と同じほどに、遥か遠くの距離からでも存在を感じ取る事ができるのだそうだ。
 精神統一し刀に意識を集中してから、幾許か。
 カタリナの中にすっかり聴き慣れた、鳥の囀りのように可憐な声が響き渡った。

《カタリナさん!元気になられたんですか!?》
《久しぶり・・・ってほどでもないわね、フェアリー。色々と心配かけてごめんなさい。ちゃんと話さなければならない事がいっぱいあるんだけど、一先ず頼りたい事があって・・・》

 目を閉じたまま、嬉々とした表情が瞼の裏に浮かぶような声の様子に、自然とカタリナも笑みを漏らしながら返答をする。
 フェアリーとは、ロアーヌに帰ってから間も無く別れていた。カタリナは宮廷に戻り、フェアリーは族長たちが避難している腐海近くの臨時集落へと向かったのだ。
 その時のカタリナは己の気持ちに蓋をしていたものだから、別れ際のフェアリーには随分と心配を掛けてしまっていた。

《・・・なるほど。グゥエインさんに、ポドールイのお城にいくようお願いすればいいんですね!・・・っていうかカタリナさんずるいです!ポドールイ私も行ってみたかったです!》
《ほんとごめんなさいね、埋め合わせは必ずするから・・・》

 冒険心旺盛なフェアリーにしっかりとお叱りをいただき、カタリナは脳内で謝り倒す。

《絶対ですよ!・・・っとまぁ、少し待ってくださいね、グゥエインさん、どんな力場だったかな・・・・・・あー、よし、ちゃんと位置わかりそうです。ちょっと話しかけてみます・・・・・・・・・あ、すぐいくそうです!》
《すぐ行くって・・・まぁ、気長に待つことにするわ。急なお願いを聞いてくれてありがとうね、フェアリー》
《お安い御用です!でも埋め合わせはちゃんとお願いします!》

 あれよあれよという間に、グゥエインとの連絡手配は済んでしまった。全くもって、便利なものである。
 なんだかこういう妖精族だからこその念話能力なども、場合によっては魔導器などで実現させることができるのだろうか、などとふと思ってみたりもする。
 しかしそんなことを教授に言おうものなら、嬉々として妖精族を追いかけ回して研究しそうだなぁなどとカタリナは想像し、これは決して教授には言うまいと心に誓った。

「・・・刀を構えながら一人でにやにやしている姿って、はたから見るとなかなか気持ち悪いもんですね」

 気がつけば天体望遠鏡を設置し終わり一息ついていたヨハンネスが、月下美人を構えたままのカタリナに向かってそう言い放った。
 その声で現実に引き戻されたカタリナは、いそいそと月下美人を納刀してヨハンネスに向き直る。

「・・・放っておいてちょうだい。っていうか、ここにきても星の観測なのね」
「はい、それが私の生業ですから。それにここでは、今までにはない観測ができそうですので」
「今までにない観測・・・?」

 その言葉に少しばかり興味が惹かれたカタリナが首を傾げると、ヨハンネスは天を見上げながら語り出した。

「はい。ここは一日中星の観測が出来る場所のようです。つまり、本来今の季節には見られない星も見えるということです。ここならば、より詳細な星のズレに関する情報収集が出来ると思います」
「星のズレ、か・・・」

 言葉を繰り返しながら、カタリナも宵闇の空を見上げる。
 ヨハンネスのいう星のズレとはすなわち、アビスゲートの力が引き起こすものであるのだ、という。
 世界に散らばる四つのゲートが閉じ、本来ならばここで星のズレとやらは無くなったはずだった。しかし、未だそれはあるのだという。
 これこそが、第五のゲートの存在を裏付ける一番の証明でもある。

「・・・第五のゲートは、最もアビスの瘴気が濃く渦巻いている・・・か」

 ぽつりと、カタリナが呟く。
 それは、ピドナを発つ前にトーマスから聞いた内容だった。
 トーマスはアラケスの言葉と行動を一つ一つ振り返り、それがサラのもとに辿り着く何かのヒントにならないかと考え、皆に共有していた。
 まず四魔貴族は、そもそも第五のゲートの存在を知らなかったであろう、とトーマスは結論付けた。
 その根拠は、アラケスの狙いがゲート四つを前提として成立するよう練られていたからだという。
 果たして四者の綿密な連携の末なのか、それとも魔戦士公の独自采配であるのか。
 いずれにせよ、四魔貴族のゲートは一つずつ閉じられ、魔王殿に座する白虎のアビスゲートが最後に残った。
 そこに至るまでに幾つもの人類存亡危機が波状的に世界各地へと押し寄せ、世界に不安と疑心、そして恐怖を撒き散らした。
 そうして蓄積された全ての負の瘴気は残ったアビスゲートに集約され、遂にはアビスへ繋がる門を開く。
 アラケスはそれを目論み、計画通りあの場にサラたちを誘き寄せた。
 だがそんな四魔貴族の目論見を狂わせる事実が、あの場で致命的な誤算を生み出した。
 それ即ち、彼らも知り得ぬ第五のアビスゲートの存在だ。そのゲートが在ることで、アラケスの想定よりも瘴気の集約が足りていなかった。
 それにより白虎のゲートは即座に開ききらず、その隙をついてサラは自分ごとゲートの向こうから門を閉じるという捨て身の行動をとった。
 そうしてあとに残ったのが、アビスの瘴気が噴き出さんとして集まるであろう、第五のゲートだ。

(・・・第五のゲートについて分かっていることは、四魔貴族すら知らなかったこと。ゲートそのものが不安定であること。恐らく聖王様もその存在に気づきつつ、結局そのままにされていたと思われること。そしてもう一つ、不確定情報でトーマスが最も気にしていたのが・・・)

 トーマスが最もアラケスの言葉で気に留めていたものは、『此度貴様らの術式が齎した星と次元のズレでは、ゲート四つが同時に開くことは不可能』という言葉だった。
 これは明らかに、四魔貴族やアビスではなく人間サイドが何らかの術式で星と次元のズレとやらを引き起こした、という意味に取れる。

(星のズレは、ゲートから漏れ出す力が引き起こす現象・・・それは、ヨハンネスも以前言っていたこと。そして、ゲートが開くきっかけとなったのは、三百年に一度の大厄災、死蝕。この一連の流れの中に、人間が何らかの術式を用いて関わっている・・・その解明のヒントになりうるのが、この第五のゲートなのではないか。トーマスは、そう結論付けていた)

 考えてもカタリナには分からないことだらけであるが、それでも今は、その第五のゲートとやらを目指すしかない。
 そのためにエレンたちは聖杯を目指し、そして教授らも尽力してくれているのだ。

(そんな最中、一体私には何の役割があるっていうのかしら・・・)

 手渡された鍵のことを思い浮かべながら、カタリナはまもなく消え入るであろう月の最後の欠片を、力なく見上げていた。

 

 

「ギャギャギャギャッッ」
「っっさい!!!」

 頭上から迫り来る巨大蝙蝠の頭部を、エレンは狙い澄ました斧の一薙ぎで吹き飛ばした。
 頭部を失いながら壁に打ち付けられ蝙蝠が絶命する間に、他に四匹いた蝙蝠も次々と凄惨な最後を遂げていく。
 曲刀で切り刻まれ、エストックで滅多刺しにされ、斧と蒼龍術で錐揉みにされ、太刀で一刀両断にされ。
 あっという間に巨大蝙蝠たちの墓場となった部屋を抜け、エレンたちは歩みを止めずに地下へ続く階段を降りていく。
 すると通路の先の階層は、これまでの道と比べて驚くほど広大な空間であった。この城の本体はここから下層なのである、と思い知るには十分な広さだ。

「・・・ガラッと雰囲気が変わったな。瘴気も一段と濃くなりやがった。こりゃ諸王の都よりも死霊まみれっぽいな」

 中央が吹き抜けの作りで下へ下へと降っていく長い階段のフロアへ出ると、ハリードが分かりやすく眉を顰めながら呟く。
 見下ろせど暗く暗く、どこまで降るとも分からぬ吹き抜け。そこを通って地下深くから吹き上がってくる生温い風には、微かな腐臭が混じっている。

「この辺、魔物いなそうね」

 先頭を行くエレンが慎重に階段を降りながら呟くと、すぐ後ろを歩いているロビンがそれに合わせて頷く。

「確かに魔物はいなそうだが・・・一歩降りる毎に、何とも言えない気持ち悪さが増していくのを感じるな。アイマスクが今までにないくらいにピリつくよ」
「え、そのマスク、感覚あるんですか・・・?」

 ロビンのすぐ後ろを歩く少年が、別の意味でホラーを感じるような発言をする。
 その後ろで呑気に煙草を燻らしながら歩いていたブラックは、ふと吸っていた煙草を指で摘み、無造作に吹き抜けへと放り投げる。
 火種がついたままの煙草がクルクルと風に弄ばれながら吹き抜けを落ちていく様を、一行はなんとなく視線で追う。
 だが、程なくして煙草は火種ごと暗闇に吸い込まれ、見えなくなった。

「こりゃ相当下まで続いているみたいだな。この先にアビスゲートがあるなんて言われても、不思議に感じないくらいだ」

 最後尾のハリードはそう言いながら階段の手すりへと手をかけ、手すりから向こう側の下層に続く手すりへと飛び移り、エレンを追い越していく。

「あ、ちょっと待ってよ」

 それを追いかけるようにエレンが駆け出すと、二人に釣られて一行は吹き抜けのフロアを一気に降っていった。
 未だ底の知れぬ吹き抜けを尻目に道なりのまま進むと、開いた先は腐臭が立ち込める薄暗い階層へと繋がっていた。

「おっと、ここからが本番みたいだな」

 そう言いながらカムシーンを抜き放つハリードの視線の先には、腐りかけの体から瘴気を撒き散らして侵入者を睨む、巨大にして醜悪な死せる魔物。
 その数は、三体。

「油断するなよ」
「こっちの台詞」

 腰に括り付けていた斧を構えながら、エレンがハリードの横に並び立つ。
 しかし、その間を縫うようにしていち早く飛び出す、一つの影があった。

「正面、仕留めます」

 その言葉と共に抜刀しながら飛び出した少年は、流れるような動作で正面の魔物を横薙ぎ一閃に払い抜ける。その軌道は何者にも妨げられることなく、三体いた魔物のうち一体が上下に断たれ、腐肉へと還る。
 その動きに呼応するようにハリードとエレンも一足で飛び出し、疾風の如き滅多斬り、正面から真っ二つにて、両翼にいた魔物を瞬時に滅する。

「・・・あのガキ、はえぇな」
「あぁ、そして動きに全く無駄がない。あれは、強いな・・・」

 三人の勇姿を眺めるに徹していたブラックとロビンは、特段に先攻した少年の動きに思わず賛辞を送る。
 ここまで少年が戦う姿を殆ど見てこなかった反動もあろうと思うが、それにしても今の初動の迅さは目を見張るものがあった。

「・・・あのお姉さん・・・カタリナさんに渡す前、指輪は僕がもっていたから・・・大抵の技術は、僕の中にも流れ込んでいるんだ」

 それは、カタリナに渡した王家の指輪のことを指しているのだろう。
 聖都ランスの聖王家から指輪を受け取り魔王殿でカタリナに渡すまでの所有者は、確かにこの少年であった。
 その間に指輪が持つ記憶の中から戦闘に関するものを受け取った、ということなのだろう。

「なるほどな。あの指輪は八つの光だけでなく、宿命の子にも作用する代物だったというわけか」

 自身をして指輪から流れ込む記憶を保有するハリードが、今度は通路の先に待ち構える腐った赤竜へと視線を移しながら世間話のように喋る。

「じゃあ戦力として不足はないな。この階層、一気に駆け抜けるぞ!」

 そう号令を飛ばしたハリードを先頭にして、五人はそれぞれの得物を手に魔物へと突撃していった。
 道行く先には巨大な死竜、腐肉を餌とする無機質の溶解生物、恐ろしさの中に美しさを併せ持った邪精など、それだけでポドールイ地方そのものが滅んでしまいそうなほどに凶悪な魔物が次々と立ちはだかる。
 しかしそれらをしても彼らの足を止めるには至らず、五人は比較的順調に地下階層を攻略していった。
 どうやら先ほどの吹き抜けを中心に降っていくように通路が続いているようで、何度も吹き抜けの箇所に戻るようにしながら、下へ下へと降っていく。
 意外なことに地下階層の道中にはいくつか生活を目的としたような部屋が配置されており、そこにはまるで部屋に住んでいるかのように寛ぐ邪精らの姿が見られ、その不気味な様子が一層この城の異質さを際立たせていた。

「・・・しかし夜の王が支配する領域ってのは、とんでもないもんだな。斬っても斬っても、ここの死霊がいなくなる気配なぞ微塵も感じられない」
「うん・・・これほんと無限に湧いてくるんじゃないかって思うくらい。しかも、全然こっちに敵意ないのもいるし」

 流石にここまで大量の数を相手にした反動か、肩で息を吐くようにしながらハリードとエレンが愚痴るように呟く。

「この辺の死霊は一先ず居なくなったようだし、少し休憩しよう」

 エストックを鞘に納めながらこちらも一息つきたい様子のロビンが提案すると、一行は思い思いに近場で腰を下ろした。

「ここは・・・書庫みたいだね」

 見渡す限り本棚で埋め尽くされたその空間には、一体いつからあるのか、そして誰に読まれることを待っているのかも知れない本たちが、所狭しと並べられていた。

「なんでもここの城主は、魔王との面識もあるっていうじゃねえか。その頃の本なんかあったら、学者先生相手に結構高く捌けるんじゃねぇか?」

 ブラックが煙草を燻らせながら俗なことを言うと、満更でもなさそうな表情をしながら手近な本を手に取るハリード。

「ちょっと、コソ泥みたいなのやめてよね」

 隣に座るエレンに肘で突かれながらハリードはパラパラと本の頁を捲るが、残念なことにそこに書いてある文字が何を意味しているのか、彼には皆目見当もつかない。

「値打ちがあるかどうかは兎も角、書いてあることは全くわからんな」
「ふん・・・案外、ここの死霊どもの日記かもしれんぞ。それじゃあ二束三文にもならねーな」

 くっくっと嗤いながら煙草を燻らし続けるブラックの向かいで、少年もまた近くの本を手に取り、古めかしい表紙へと視線を落とす。

「・・・何かの記録、みたいだね。世界・・・魔術・・・死・・・」
「ふむ・・・それこそ魔王の時代からここがあるのだとしたら、六百年の間の様々な記録なのかもしれないな。・・・・・・ッッ!!??」

 本を手に取る周囲とは対照的にエストックの手入れをしていたロビンは、座った姿勢のまま思わずびくりと体を震わせた。
 その拍子に、ガシャリ、とエストックの鞘がロビンの膝から下に落ちる。
 それに皆が注目しようとすると、なんと彼らが座っていたあたりをちょうど結ぶ中心に悠然と立っている城主、レオニードの姿があった。

『・・・!!???』

 あまりの驚きに、その場のほか四人もすぐには動けない。
 全く気配を感じなかった。
 いつからそこにいたのか、その場の誰も、まるでわからなかったのだ。

「・・・こいつは一本取られたな。いくら殺気がないにしたって、剣の届く範囲の動きに俺が気づけないなんて、ちょっと自信無くすぜ」

 流石のハリードもお手上げだという様子で肩を竦めると、エレンはエレンでレオニードの立ち姿に隙の一つでも見つけてやろうと凝視している。
 そうこうしているうちに、ふっと、ブラックが咥えていた煙草の火が消える。

「ここは古い本が多いからね、すまないが火は遠慮してもらえるかな」

 レオニードが不敵に微笑みながらブラックへ視線を寄越すと、ブラックは憮然とした様子で腕を組む。

「火は駄目ったってよ、そこらじゅうに灯りを焚いてんじゃねえか」

 突如現れたレオニードよりも消された煙草の火のほうが気になる様子のブラックが文句を垂れると、レオニードは周囲を照らす壁のランプへと視線をやった。

「あれは鬼火の棲家だ。この城にいる火は全て鬼火だよ。だから、彼らに仇なす者以外が燃えることはない」
「・・・さいですか」

 シケモクを専用ケースに仕舞い込みながらブラックが引き下がるのを他所に、レオニードは少年へと音もなく歩み寄り、見下ろした。

「・・・あの、なんですか」

 実に居心地悪そうに少年がレオニードを見上げると、レオニードは無言のまま少年の瞳の奥を見通すように僅かに眼を細める。
 すると間も無く、少年は視線を逸らすように顔を下げてしまった。

「なるほど。私たちが君に僅かに恐怖を感じるのは、やはり君が破壊を司るからか」
「・・・・・・」

 一人呟いた様子のレオニードの言葉に少年が沈黙で答えると、すぐにレオニードも興味をなくしたように少年の前から後退った。

「ねぇ、伯爵様」

 そこに、エレンが声をかける。
 レオニードが声に合わせて視線を投げかけると、エレンは胡座を組んだまま腕を突っ張って前のめりにバランスをとり、じっとレオニードを見つめる。

「こういうときってさ、何か用事があるから来るんだよね。流石に、そこのおっさんの煙草消しに来ただけじゃないでしょ?」

 明け透けなエレンの物言いに流石のハリードも苦笑いをする中、レオニードは寛大な様子で微笑んだ。

「その通りだとも、娘よ」

レオニードはエレンというより、その場の全員に語りかけるように口をひらく。

「ふふ・・・そこの少年ならばもしかしたら、この先にいるモノを葬ってくれるかも知れないと思ってね。まずはそれを確かめに来たのだ。あとは・・・少し君たちと話をしようと思ったまでだよ。来客を饗すのも、城主の務めだからね」
「この先にいるモノ、ねぇ。一々意味深な物言いだこって」

 突っかかるブラックを気にする様子もまるでなく、レオニードは次にエレンとハリードへと向き合う。

「神に選ばれし光、立つ。その数、八なるべし・・・。君たちは聖王らが残した、さながら神の尖兵とも言うべき存在なのだろうが・・・今はもう、その意思とは関係なく動いているようだね」
「・・・生憎と俺は、聖王の信者ではない。俺が信仰するのは、祖国の英雄アル=アワド王のみだ。神だか聖王だかが俺を選んだってのは、なんかの手違いだと思うがね」

 立てた片膝の上に腕を乗せながらハリードが皮肉混じりに言うと、レオニードは片眉を僅かに揺らし、こくりと頷いた。

「アル=アワド。懐かしい名だ。聖王の時代より前、あの者こそが間違いなく人の身で最も精強であった」
「おいおい・・・まさかあんた、アル=アワド王と面識があるとか言うんじゃ・・・」

 思わぬ反応にハリードが食いつこうとしたところ、今度はそれを片腕で制してエレンが身を乗り出す。

「そういえば伯爵様は、宿命の子って何かわかるの!?魔王とか聖王様とかとも会ったことあるんでしょ!?」
「ふむ、そうだな・・・魔王や聖王にせよ、そこなる少年や、其方の妹にせよ。単に宿星が他人と違っただけと言えば、それまでだ」

 レオニードの回答に、エレンは憮然とした表情で返す。

「ふふ。随分と不服そうだな。だが、私とて全てを知っているわけではないのだ。君らよりも、多少長生きしているだけだからね」
「・・・では質問を変えてみよう、ロード・ポドールイよ。此度の宿命の子は、なぜ二人いるのだと思う。是非、貴方の見解を聞いてみたい」

 それまで会話に加わっていなかったロビンが声を上げると、レオニードはそっと自分の顎に手を当てて考える仕草をしてみせた。

「いい質問だ。そうだな・・・まず二人という点が偶然なのか必然なのか、を考える必要があるが、見ての通り私はロマンチストでね。そこは必然だと確信している」

 どのあたりが見ての通りなのかロビンには皆目見当がつかなかったが、一先ずそこは置いておくことにする。
 レオニードは続けた。

「魔王は死を定めとし、聖王は生を定めとした。そして此度宿命の子が負うべき定めは・・・恐らく、二つある。だから宿命の子も二人が必然。私は、そう考えている」
「負うべき定めが、二つ・・・」

 ロビンは言葉を繰り返しながら、そっと隣の少年を見やる。
 しかし少年は俯いたまま、ただただ地面の一点を見つめるばかりだった。

「・・・その少年は、言うなれば破壊の定めを背負っている。死は命ある者にしか齎されぬが、破壊は全てに齎される。であれば差し詰め対の定めとは・・・創造、といったところか。これもまた、命ある者に関わらず全てに齎されるもの」

 レオニードの言葉を、一同は無言で聞く。
 破壊と創造を少年とサラが司っているということは、ピドナで少年から直接聞いていたことだ。しかしそれを全く別の知見から洞察するこのレオニードという存在は、なんとも末恐ろしい存在に感じられた。

「そして此度の宿命の子が背負う定めは、まだ何も世界に影響を及ぼしていない。四魔貴族の幻影と君たちの戦いは、いわば序章のようなものだろう」
「あれで序章とは・・・随分な言いようだ」

 カタリナに次いで四魔貴族との交戦経験を持つハリードが、その戦闘の凄まじさを思い返しながら肩を竦める。
 しかし確かに、その戦いには宿命の子が全面的に関わったわけではなかった。

「つまり伯爵様は、この後に何かが起こるって考えているのね?」

 エレンが真っ直ぐに見つめながら問いかけると、レオニードはいかにもと言わんばかりに頷いてみせた。

「何が、という点までは判らぬ。だが・・・世界を揺るがす何かが起こるだろうという確信は、ある」

 それに・・・と呟きながら、レオニードは実に愉快そうに笑みを作ってみせた。

「なにしろそうでなくては、面白くない」
「・・・けっ、まるっきり高みの見物だな。いいご身分だこって」

 その反応を見たブラックが、心底嫌なものを見るかのように悪態を吐く。因みに実際にレオニードは爵位を持っているので言葉通り良い身分であるのだが、今そこに突っ込む人物は流石にここにはいないようだ。

「いや、それは伯爵位だし身分は高いだろう」

 いた。
 ロビンのエストックよりも鋭い突っ込みに、然しもの大海賊ブラックもたじたじの様子で頭を掻いてみせた。

「うん・・・なんか、ちょっと安心した。少なくともその何かが起こるまでは、あの子は・・・サラは、生きてるはずだから」

 エレンはそう呟くと、すくりと立ち上がった。
 束の間の休憩の終わりを悟り、各々も先へ進むべく立ち上がる。

「ありがとう伯爵様、色々話してくれて」
「礼には及ばぬ。それでは、この先でもう一度会えることを楽しみにしていよう」

 レオニードはそう言うと、頭から灰になり瞬く間に崩れ落ちていった。

「いや去り方怖いな」

 ここはロビンが冷静に反応するが、他の面々は気にするでもなく準備を整える。

「・・・それじゃ、行きましょ」

 

 書庫を後にした一行は、更に下の階層を目指して潜り続けた。
 そのまま何事もなく三階層ほどを一気に降り、その先にある妙に冷気が流れ込んでくる扉を開ける。
 するとそこは、雪積もる丘の斜面に迫り出すようにして作られた、小さい中庭へと繋がっていた。

「へぇー外にでるんだ。面白い作りね」
「一本道に近いが、随分と入り組んで作られている城だな。城主の性格を表しているのかね」
「いや絶対そういうの聞かれてる気がするから言わない方がいいと思うんだが・・・」

 書庫からここまでは魔物との交戦もなかったことで、一行は多少気持ちも軽やかに中庭を抜けていく。
 広くない中庭を突っ切っていくと、あからさまに下へ向かうための階段のみがある、小さな部屋の扉へと辿り着く。
 そしてその先の扉を押し開け再び城内へと入ったところで一瞬、誰もが緊張で凍りついたように固まった。
 全員が、そこに蠢く重苦しい怨嗟の念で察したのだ。
 この階段を降りた先に、この城の『真なる主』がいるということを。

「・・・伯爵様が言っていたの、絶対コイツよね・・・」

 可動域を確保するため素早く階段を降り、斧を右手に構えて僅かに腰を落としながら、エレンは吹き出る冷や汗を空いた腕で拭う。

「・・・だな。こりゃ下手したら魔貴族と同格だぞ・・・」

 同じくカムシーンを抜き放ちながらじりじりとエレンの横に移動しつつ、ハリードが唸った。

「骸骨か・・・相性が悪いな。私は撹乱に回ろう」

 エストックを抜き放ちながらロビンが一歩前に出ると、一同は無言で頷く。
 そうして戦闘体制に入った五人の視線の先には、異様な存在感を放つ巨大な骸骨群が在った。
 群の構成は上下に分かれており、下段には白骨化した大型のガーゴイルが三体、古びた玉座を担ぐようにして陣を組んでいる。そしてその上段に座し対峙する五人を見やるは、これまた巨大な人骨のアンデッドであった。
 そのアンデッドは美しい宵闇の外套を羽織り、頭蓋には威厳ある冠を身につけている。
 生前はさぞ大人物であったろうことを窺わせるその佇まいは、瘴気に塗れたアンデッドであるにも関わらず、どこか気品めいたものすら感じられた。
 ギチリ、と骨同士が擦り合う音がした、その直後。

「・・・くるぞ!!」

 ハリードが叫ぶと同時、全くもって予想外の速度でアンデッドは五人に向かい突進を繰り出してきた。

「ーー早いッッ!!?」

 正面からそれを引き受けにかかったロビンは、すんでのところでマントをはためかせ回避し、更に身を翻し様に先頭のガーゴイル頭部へ強烈な一突きを見舞う。
 しかし、ガキンッと乾いた音が響くだけで、損傷は殆ど与えられなかった。

「っらぁ!!」

 同時にロビンの左右から相手側面へ飛び出したエレンとブラックが、それぞれの片手斧で遠心力をたっぷり乗せた横薙ぎの一撃を放つ。
 狙い通りこちら一撃は左右のガーゴイルの頭部を砕き飛ばすが、しかし頭部を失ってなおガーゴイルの白骨はまるで動きを止める様子がない。

「足を狙え!!」

 隙を窺いながらハリードが叫ぶと同時、前面に躍り出た少年がその勢いを活かした強烈な振り下ろしの一撃を、先頭のガーゴイル下半身へと叩き込む。
 骨片が飛び散り腰から下を砕かれたガーゴイルは姿勢を崩し、そして玉座もまた傾く。これを待っていたとばかりに、ハリードは上段のアンデッドへ向けて駆け出した。
 だがその瞬間、上に座していたアンデッドはガーゴイルごと蹴り飛ばして後方へ飛び上がり、同時に両手を突き出す。

「ッ、避けろ!!!」

 前に飛び出した勢いをなんとか殺して横に転がりながらハリードが言うと同時、他四人も大きく飛び退る。
 直後、彼らが立っていた場所には無数の鋭い骨片が矢のように降り注ぎ、石畳を盛大に抉りとった。
 その間にガーゴイル二体が玉座を持ち直してアンデッドの元に戻り、一方で下半身が砕かれたガーゴイルは灰となってその場に崩れ落ち、瞬く間に二体のガーゴイルの位置に集まり再構築される。

「・・・下はキリがなさそうだな」

 腰を落とし臨戦体制のまま、愛用のバイキングアクスを左右の手で弄ぶように持ち替えながらブラックが呟く。
 今の様子からその通りだろうと判断した五人は、上段に座するアンデッドへの一点集中へ狙いを変えた。

「浮かせます!」

 先ず動いたのは、少年だ。
 太刀を石畳に突き立て、地を這う強烈な衝撃波を飛ばす。その範囲は広大で、横に避ける道筋を与えていない。
 案の定、衝撃波を避けるようにガーゴイルたちが飛び上がったところへ、再び左右から同時にエレンとブラックが連携し、おおきく振りかぶって斧を投擲する。

ガキンッ

 強烈な回転を帯びた斧が上段のアンデッドを襲うが、しかし届くことなく弾き返される。どうやらアンデッドが左右に広げた腕から、骨の刃を網状に飛ばしたようだった。
 更にアンデッドは降下しながら両手で印を結び、なんらかの術法を発動する仕草を見せた。

「させない!」

 瞬時に反応したロビンが飛び出し、目にも止まらぬ速度で猛烈な物量の刺突をアンデッドとガーゴイルに向かって見舞う。
 武具としての相性が悪く損傷は殆ど与えられないが、それでも対処を余儀なくさせることで相手の術法を阻害することには成功したようだった。
 術を阻まれて着地したアンデッドは、邪魔者を排除すべくロビンに狙いを定め、再び強烈な突進を仕掛ける。
 だがそれは先ほどと同じく紙一重でロビンに回避され、僅かながら反撃の一突きでガーゴイルの骨片が削られた。
 しかし今度はアンデッドが引かずその場に留まり、頭蓋の隙間からどす黒い霧を噴出する。

「離れろ!」

 尋常ではないその様子を察したハリードが慌てて叫ぶが、それよりも霧状の何かがアンデッドの周囲一帯へと飛散される方が僅かに早かった。

「くっ・・・」

 慌てて飛び退ったロビンが、口元を押さえて膝をつく。
 それに合わせるように、初撃同様にサイドから狙おうと構えていたエレンとブラックも膝をつき、苦しそうに咳込みはじめた。

「猛毒か・・・いや、それだけじゃない・・・身体中が熱くなっていく・・・神経毒の類だな・・・」

 当然ながら隙を突くために一定の間合いを保っていたハリードも、その未知の攻撃を受けていた。
 だが戦闘経験の差か人生経験の差か、ハリードは首に下げていた筒状の装飾を素早く引きちぎり、中に仕込んでいた万能薬を飲み干していた。

「全員とっとと薬を飲め!緑の小瓶のやつだ!」

 ハリードがエレンを庇うように位置取りを変えながら叫ぶ。
 猛毒に加えて神経作用もある攻撃のようで、見渡せば皆が一様に体の自由を部分的に奪われ、なんとか後ろに下がるのが精一杯という様子である。薬は常備させてあるものの、一時的に動きを制限された代償は大きい。
 当然これを好機と捉えたアンデッドは、先ず最も近いロビンを仕留めるため、彼に向かって大きく飛び上がった。
 それは非常に単純な踏みつけるという行為だが、あの巨体で踏みつけられれば、それこそ人間の骨など跡形もなく粉砕されることだろう。

「・・・ッ!!」

 しかしそれに合わせて空中に飛び上がった少年の渾身の切り返しにより、アンデッドの巨体は狙いのやや手前の石畳を踏み抜く結果となった。

「テレーズ、動けるのか!?」

 薬の作用も、一瞬というわけではない。なので自身も今は回避専念の構えだったハリードが、驚いた様子で少年を見やる。
 少年も確かに先の攻撃は受けたはずだが、その動きからは一切その影響を感じない。何か特殊な状態異常耐性でも持っているのだろうか。
 だがハリードの言葉に応えるより、アンデッドと同じタイミングで着地した少年はすかさず腰を低く落とし、前方へと踏み込んだ。
 そしてガーゴイル三体の大腿部を一気に両断するように、豪快に払い抜ける。
 少年の放った太刀筋を彩るように派手に骨片が舞い散り、再度ガーゴイルらが崩れたことでアンデッドが後方に飛び退く。
 すると少年はアンデッドと後ろ四人の間に立ち、短く息を吐いた。

「・・・・・・」

 無言のまま少年は太刀をゆっくりと脇構えに変え、間も無く足が再生したガーゴイルと、その上部に依然として座するアンデッドへと対峙する。

(・・・僕の宿命は、果たせなかったと思っていた・・・)

 少年は、思う。
 サラと出会い、旅をした。
 それは束の間の時間であったが、間違いなく彼の人生の中で最も素晴らしい時間であった。
 その短い旅の果てに、己が身を賭してゲートを閉じるという宿命を帯びていることは、分かっていた。だからこそ、それに向かうまでの僅かな刻を、少年は何より尊いものだと感じていたのだ。
 だが。
 その旅の終着地点で、少年は宿命に準ずることが出来なかった。
 彼の宿命は、果たされなかった。

(いや・・・違う。僕の宿命は、この先にあるんだ。さっきの吸血鬼も、そう言っていた)

 構えた太刀に、力を込める。
 すると刀身は間も無く天地六術式が混ざり合い、混沌の波動を纏う。そして触れるもの全てを崩壊に誘う魔剣へと、その存在を変貌させていった。

(サラが創った三百年の平和を、僕が壊す・・・多分、そういう宿命なんだ。それはサラが望まないことだろうけど・・・僕は、そうすると決めた。だから、ここで立ち止まっている時間は・・・ない)

 少年の刀身が纏う混沌を認識したアンデッドは、しかしどうしたことか反撃の素振りを見せず、少年を見つめるようにして動かない。

(・・・?・・・あぁ、そうか。君は、壊れたがっていたのか)

「・・・なら、望み通りにしてあげる。僕にできるのは、これくらいだから」

 別れの言葉を告げ、軽やかに、飛び上がる。
 空中で大きく体を捻り回転し、少年はアンデッドへ何の変哲もない袈裟斬りを放った。

『グォォォォオオ・・・ォォ・・・』

 その太刀筋を正面から受けたアンデッドは、小さく呻き声をあげる。
 すると間も無く斬痕から全身に広がるようにゆっくりと身体が灰と化していき、さらさらと崩れ落ちていった。
 最後まで残っていたのは頭蓋、そこにあった空洞の眼底。
 その奥で光っていた怨嗟の赤黒い光は、己を滅した目前の少年ではなく、もっと遠く。宵闇の向こうにある何かを見つめるようにしながら、灰と共に静かに消えていった。

「・・・とんでもない手を持ってたもんだな・・・」

 あまりの展開に毒気も抜かれた様子のハリードが、起き上がるエレンを手助けしながら言った。

「・・・うん。でもあれ隙だらけになるから、当てるの大変なんだ。アラケスは構えすらさせてくれなかった」

 少年は太刀を仕舞いながら、他の面々が起き上がるのを手伝いつつ応える。

「・・・おめぇが宿命の子ってのは、どうもデマじゃなかったらしいな。今やっと納得したぜ」

 起き抜けに、こちらこそが薬だとでも言わんばかりに煙草へ火をつけながら、ブラックが呟く。

「状態異常の対処が甘かった・・・これは今後の教訓だな。とにかく助かったよテレーズ、ありがとう」

 緩んだバンダナを締め直すようにしながら、ロビンも少年に助けられつつ起き上がった。
 そして既に起き上がりながら憮然とした表情をしていたエレンも、気を取り直した様子で大きく息を吐く。

「・・・ふぅー。あたしもまだまだだ。こんなんじゃ、サラに笑われちゃうね。ありがと、テレーズ」

 エレンの礼に対して短く「うん」とだけ返事した少年は、滅んだアンデッドの背後に続く通路へと視線を向けた。
 もう間も無く訪れるであろう新月と共に、彼らが索る聖杯は、もう目と鼻の先に現れるはずだ。

 

 

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第十章・5 -吸血鬼の城-

 

 それは遠い昔のある刻、何の前触れもなく、唐突に訪れた。
 思い思いにその日を過ごしていた住民たちが、突如として闇に蠢く虚空を、成す術なく見上げる中。街、そして国全体が、ゆっくりと、まるでそっと腕に抱かれるかのように、宵闇に包まれていった。
 それがいつ起こったことなのか、覚えているものは誰一人として、もう生きてはいない。
 少なくとも、人としては。
 街に残る古文書の記録に残っている限りでは、数百年程度は昔の話だ。人が何世代か生まれて死ぬには十分なほどの時間を、この街はずっと、宵闇に包まれてきた。
 時を刻むことを忘れた街。そう呼ばれるこの地に訪れたものは、誰しもが時間感覚を多少なり狂わされてしまう。
 柔らかい上質な絹に包まれているかのように、心地良い宵闇。そんな宵闇に抱かれ、ひとたび眠れば二度と目を覚まさぬような錯覚に襲われる者もいるという。
 その宵闇に抱かれる街の名は、古都ポドールイ。
 世界地図では最北東に位置し、現存する都市の中では最も長い歴史を持つ、雪深い古の都。
 そして、おそらく世界中で唯一、人類以外の存在が公的に治める人類生活都市でもある。

 

 ふわりふわりと雪が舞い降る丘の上に、いかにも古めかしい作りの古城があった。
 古都ポドールイの北門から進んだ丘の上にあるその城には、この地一帯を治める領主、レオニード伯爵が住んでいる。
 この地に住む民でさえ一生に一度その姿を見られるかどうか、というほどには出不精な領主だ。
 しかして、そんな領主に対する領民からの信頼は、他に類を見ない程に厚い。この地に限っていえば、恐らくは聖王以上の信仰を集めていると言っても過言ではないだろう。
 その際たる所以は、この地が長く平穏であり続けた、という点に拠る。なにしろこの地の平穏は、かの魔王と四魔貴族に支配された暗黒時代でさえ、殆ど変わらず保ち続けられたのだ。
 その事実に何よりの感謝を子々孫々へ口伝してきた住民らは、たとえ一生に一度すら会えずとも、領主たるレオニード伯爵への畏敬を忘れることはない。
 ただそれも、外部から来た者には関係のない話だ。

「たのもー」

 間も無く新月を迎えようとしている宵闇の下、一見すると廃墟かと見紛うほど静かな古城の正面門前に、カタリナは立っていた。
 しかして訪問の約束を取り付けているわけでもないので、開門を願う声への応答もなく、門は固く閉ざされたまま。そもそも、門番も誰もいない始末である。
 まぁ、この城はいつきてもそうだったが。
 思えば訪問の作法など貴族然とした習慣から自分は随分と遠退いたものだな、などと変な気付きを得て一人うっすらと笑みを浮かべながら、カタリナは改めて周囲を観察する。
 直ぐ目についたのは、降雪具合に反して他より積もりの少ない門前の空間。
 即ち門前の積雪は最近払われたと思われる形跡であり、直近で人か、若しくは人ならざる何かの出入りがここからあった様子なのが見受けられた。
 顔見知り、と言うほどでもないが、カタリナはこの城に住まう住人を幾人か見知っている。
 彼らが(人ならざるもの達をまるで人間のように”幾人”、”彼ら”と呼ぶべきか否か、カタリナはもう気にしないことにしていた)出入りしているだけ、とも考えられる。
 だがカタリナには漠然と、いや、ほぼ確信として、この痕跡は外部からの来訪者によるものであろうと考えていた。

「ねぇちょっと、早く開けてよ。いつまでもこんなところにいたら、お肌に悪いわ」
「ええ、早く入りましょう。一刻も早く落ち着いて、この空をつぶさに観察せねばなりません」

 思案を重ねるカタリナの後ろで、とかく好き勝手に喚く同行者二名。
 キドラントで色々とあった教授はともかく、ヨハンネスも中々に癖があるなということを、ロアーヌからここまでの旅路でカタリナは察していた。これは妹であるアンナの苦労が窺い知れる、というものだ。
 何かに特化した人というのは、その分何かを持っていないものだったりするのだなぁ。無論、ミカエル様以外。ミカエル様は完璧なのだ。
 などと自分の事も棚に上げてカタリナは思うのであった。
 とはいえ確かに、ポドールイ地方の外気は厳しい。この地域は滅多に吹雪く事はないそうだが、それでもしんと冷えた空気が常に体を包み込む事に、なんら変わりはない。
 冷えた体は動きが極端に鈍くなる。それは時として命取りにもなり得る。
 つまりは、あまり長く外にいたくないというのはカタリナとしても同意ではあった。
 しかし、目の前には呼びかけに応えず閉じたままの城門。
 なんとか打開策を模索せんと腕を組み、数秒。
 考えに考えたカタリナは、やがて意を決したように浅く頷いた。

「仕方ないわ、ぶち破ろう」

 潔くそう言い放ち、一歩下がる。
 深く腰を落とし、腰に携えた太刀、月下美人の鞘元に左手を添える。
 澱みない太刀筋にて、一閃で切り崩す。その明確なイメージを鮮やかに脳内で描き、あとはそれを現実とすべく柄に手をかける。

ギギギギギ……

 すると、いかにも稼働限界を迎えた様子の蝶番が悲鳴にも似た断末魔をかき鳴らし、固く閉ざされていた門がゆっくりと開きはじめたのであった。

(・・・予想通り、来たことは分かっていたみたいね。ちょっと乱暴な御願いの仕方だったけれど、まぁ伯爵様も人を驚かせるのお好きな方だし、おあいこよね)

 薄々こうなることを予測していたカタリナは、すぐに抜刀態勢を解く。
 だが、開き切った門の先には人影らしきものは一切なく、薄暗く不気味なエントランスの様子が認められるだけだ。
 かと言って、じゃあ誰がこの城門を開けたのか等という類の疑問は、この城においては野暮というものであろう。

「まるでホラーハウスね」

 教授が興味薄げにそういうと、カタリナは浅く肩を竦めた。

「まぁ吸血鬼の城だし。多少は、ね」

 軽口を叩いたあとに視線を軽く交差させ、三人は城内へと足を踏み入れていった。

 

 苔むした堀、古い城門、その先に広がるエントランスと、年季の入ったクローク室。
 それらは全て、彼女の記憶にある光景そのままだ。

(ここに来たのは数年ぶりだけれど、それがつい先日のようにも感じられる・・・。ここは、本当に何も変わらないのね)

 謁見の間へと続く、よく手入れがされた真紅の絨毯に視線を落としながら、カタリナは思う。
 ロアーヌ侯国とポドールイ伯爵領とはロアーヌ建国から間もない頃より友好条約を結んでおり、自由通行や交易などのやり取りがある。
 カタリナはそうした国交の一環であったり、もう少しだけ個人的な事情などで、過去何度かこの地に訪れた経験があった。

(・・・周囲には何者の気配も感じない。これでは本当にホラーハウスね)

 以前彼女が来た時には人為らざるモノたちがこの城に従事していたはずだが、そのモノたちが見当たらない事だけが、以前と違う事だった。

「・・・・・・」

 三者三様に周囲を物珍しげに眺めながら、特段の会話もないまま奥へと進む。
 レオニードの住まう城は、ロアーヌやピドナ王宮などのように大きな作りではない。エントランスを抜け、階段を上がり、通路の両脇に控える不気味な甲冑の間を通って少し歩けば、そのまま城主と謁見することができる空間へとつながっている、といった作りだ。
 その一本道をレッドカーペットに沿って進んだ先。
 そこには、まるで彼女たちの到着を今か今かと待ちわびていたかのような様子で、領主レオニード伯爵が城主の座に腰掛けて片肘をつき、真紅の瞳で来訪者を見据えていた。
 それを視界に認めつつ前進したカタリナは、適度な距離を保って立ち止まると姿勢を正し、ゆっくりと跪き、首を垂れた。
 すると意外や意外、非常識が服を着て歩いているかと思われた後ろの二人も、背後で膝を落としているようだ。

「ようこそ、我が城へ。久しいな、ロアーヌの騎士カタリナよ」

 レオニードが歓迎の意を表すように短くそう発すると、カタリナは面をあげ、うっすらと微笑んだ。

「お久しゅうございます。卿におかれましては、お変わりないようで」

 普段ならば社交辞令的な言い回しなのかもしれないが、目の前の存在に関しては本当に何も変わらないものだから、まさか言葉の意味そのままでこうした表現を使う時が来ようとは、などと一人可笑しく思う。

「ふふ・・・今日は、随分と珍しい者たちを従えているな。この世界に本来あらざる欲望を宿す二人か、これは面白い」

 随分と大仰な言い回しで教授とヨハンネスを眺めながら、レオニードは言葉通り可笑しそうに微笑む。

「お初にお目にかかりますわ、ロード・ポドールイ。貴方様を目の敵にする隣国から来た非礼、どうか寛大な御心でお許しいただけますと幸いです」
「同じく、お初にお目にかかります。お会いできて光栄です」

 二人がそれぞれ挨拶をすると、レオニードは変わらず笑みを湛えながら、視線をカタリナに移した。

「さて、カタリナよ。それでは此度の来訪の理由を、聞こうではないか」

 宵闇を宿した二つの瞳で真っ直ぐに見つめられたカタリナは、その瞳に吸い込まれそうになる感覚をどこか懐かしく感じながら、強く意識を保つ。
 そして再度首を垂れ、言葉を紡いだ。

「・・・聖杯を、借り受けに参りました」

 短い言葉。
 そして、暫しの沈黙。
 レオニードは微かな笑みを湛えたまま、カタリナをじっと見つめている。
 カタリナはその視線を真っ向から受けながら、少し下に向けた視線を動かさない。
 それはほんの数秒のことであったのだと思うが、視線を受けるカタリナからすると、一夜とも二夜とも思えるような時間にすら思えた。

「時折、そのような用向きで来訪する者たちがいる。二度と会うこともないので、普段は目的も問わずに好きにさせているのだが・・・既に人の身に余る強大な力を操り、かの四魔貴族をも退けた其方が、今になって聖杯を求むる理由・・・些か興味が湧くな」

 そう言って立ち上がったレオニードは、音も立てずに数歩、カタリナへと歩み寄った。

「問おう、騎士カタリナよ。其方は何のために、聖杯を求むのだ」

 レオニードの言葉に合わせて顔を上げたカタリナは、少し物悲しげな微笑みを湛えながら口を開く。

「お答えする前に、一つ訂正をさせてください。わたくしはもう、ロアーヌの騎士ではございません。国を離れ、今は放浪の身でございます」

 カタリナの言葉に、レオニードは薄っすらと目を細める。
 まるでカタリナの表情から何かを探ろうとするかのようにじっと見つめ、やがて一人勝手に納得したように、ふむ、と浅く頷いた。

「・・・ふふ、そうであったか。では再度問おう。剣士カタリナよ、其方がそうまでして聖杯を求むる理由とは、如何なるものか?」

 核心を突くべく放たれたその質問に、カタリナは視線を逸らす事なく真っ直ぐに応える。

「ゲートの先にある深淵・・・アビスへ、向かうためです」

 その瞬間。
 しんと静まり返っていた城の、ずっとずっと下の方。
 暗く蠢く地下から、異様な唸りが響き渡った気がした。
 それはまるで、アビスという言葉にこの城が反応したかのようだ。
 果たしてそれは憎悪からくる唸りのようであり、しかし歓喜に打ち震えるもののようにも感じられる。
 その唸りを受けてのことなのかは不明だが、先ほどよりもさらに目を細め、そして口元には隠し切れぬ嗜虐的な笑みを浮かべたレオニードは、徐に己の懐へと手を忍び込ませた。
 そしてすぐに小さな布包みを取り出すと、隠せぬ笑みを湛えたまま、カタリナに語りかける。無造作にカタリナへと差し出す。

「・・・聖杯を持っていくことを許可しよう。しかし、聖杯を取りに行く役目は其方ではない。先に同じ目的でここを訪れている者達がいるので、其奴らに任せるが良い。それより其方には、もっと相応しい役割がある」

 その言葉を受けながら、カタリナは差し出された包みを両手に賜る。
 無言で促されるままにその包みを解くと、そこには、黒く古めかしい鍵があった。

(・・・鍵・・・もしかしてトーマスが言っていた・・・?)

 カタリナが唐突に差し出された鍵を手にしながら考えを巡らせていると、その様子をすら面白がるようにレオニードは笑みを絶やさない。

「ふふ・・・其方は、かの龍峰ルーブに棲まうドーラの子と盟約を結んでいるはずだな。その竜をここに呼びたまえ。鍵を使うべき場所に行くには、翼をもつ者の力が必要だ」

 そう言いながらこれまた音もなく座へと戻ったレオニードは、ふわりと腰掛け肘をつき、引き続き上機嫌な様子で妖艶に微笑んだ。

「そうと決まれば、早速客間にいる者たちに伝えてくれ。ポドールイが新月を迎える時、聖杯は地下の私の部屋にある。そちらまで来てもらおう。ぜひ生きたままたどりついて欲しいな」

 城の地下と聞き、カタリナは思わず眉を顰める。
 この城の地下には過去に潜った事があるが、その時の苦々しい記憶が蘇ってきたのだ。
 とはいえ、今はそんな苦い思い出を噛み締めている場合でもない。
 なにより、分からないことだらけだ。
 突然に渡された鍵が何なのか。グゥエインの助けを借りなければならない場所とは、何処なのか。聖杯を取る以外の相応しい役割とは、一体何のことなのか。
 とにかくこれらの新たな疑問について、聞けるものならば是非とも詳しく聞きたい。だが、それについて目の前の存在は応える気が毛頭なさそうなことも、その様子から明らかだ。
 自分にもっと学があればここまでの会話から何か分かったのかもしれないが、などと少しは思いつつ。しかしながら、いい加減こういった謎だらけの展開にもカタリナは手慣れたものだ。
 こういう時は、とにかく先に進むのみ、である。

「承知いたしました。お伝えします」

 レオニードの言葉にカタリナが短く応えると、レオニードは満足げな微笑みを湛え、次の瞬間には足元から灰と化し、崩れるようにして、その場から消えていってしまった。

ハハハハハハ……

 そうして広間に残されたレオニードの実に愉快そうな嗤い声を跪いたまま聞き届けたカタリナは、その声が聞こえなくなってから、ゆっくりと立ち上がる。
 それに合わせ、後ろで控えていた教授とヨハンネスも立ち上がった。

「・・・それでは、まずは客間に向かいましょう」

 

ギィィィィィ…

 か弱い魔物の断末魔にも似た蝶番の悲鳴を聞きながら、客間の扉をゆっくりと開ける。
 はたしてそこには、ある程度予想済みとも言える先客たちが、思い思いの様子で寛いでいた。

「え・・・カタリナさん・・・!?」
「やっぱり、来ていると思っていたわ。エレン」

 まず第一に声を掛けてきたのは、どうにも落ち着かない様子でベッドに腰掛けていたエレンであった。

「どうして、カタリナさんがここに・・・?」
「それは・・・後で説明するわ」

 そう言いながら、カタリナは部屋の中の面々を順に確認していく。
 まず視界に入ってきたのは、ハリードだ。
 一見ラフな様子で壁に寄りかかって立っているが、最もその位置は部屋の扉から近い場所で、それは彼の得物である曲刀の一閃が届く距離でもある。常に警戒を怠らない、実に傭兵らしい立ち位置だ。
 そして部屋の奥には、エレンと同じくベッドに腰掛けている少年と、覆面の男。
 魔王殿で出会い、そして魔王殿で再会した謎の少年。その正体は、三百年に一度生まれる『宿命の子』だという。
 未だその事実に現実感はないが、これまでに彼女自身が体験したさまざまな出来事が、それを事実と裏付けている。
 その近くに立つ覆面の男については、カタリナは見知ってはいない。ただ、ミューズらからそれらしい話を聞いてはいたので、恐らくヤーマス出身の者だろう、という事は見当がついた。
 あとはこの場にいないが、微かにこの部屋には、特定個人を彷彿とさせる独特の嫌な残り香がある。それは彼女の苦手な煙草の匂い。つまりは海賊ブラックも、この一行に加わっているようだ。

「・・・どうやらこれでやっと役者が揃った、って事らしいな」

 そう言い放ったのは、ハリードだった。

「役者・・・?」
「あぁ。俺たちがここに来たのは数日前だが、城主に『新月まで待て』とだけ言われて、そのまま今に至っているのさ。空の様子からして、新月は明日だ。このタイミングでお前が来たってことは、そういうことだろう」

 ハリードの言葉を肯定するように、その場の面々が無言で頷く。
 一体なぜレオニードがそのようなことを言っているのかも全くの不明なことであるが、もうそんな細かいことについて気にしているのもきっと、時間の無駄なのだろう。
 素早く思考を切り替えたカタリナは、一先ず城主の言葉を彼らに伝えることにした。

「先ほど、伯爵様に謁見してきたわ。私も、聖杯を借り受けに来たの。でもその役目は私ではなく貴女たちだ、と言われたわ。聖杯はポドールイが新月を迎える時に、地下の伯爵様の私室にあるから、そこまで取りに来てほしいって」
「ほう・・・で、お前は何をするんだ?」

 ハリードの問いかけに、カタリナは小さく肩を竦めながら、ポシェットに入れていた黒鍵を取り出した。

「その場で、これを渡されたわ。これが使える場所に行け、と。場所も、ここではないみたい」
「鍵・・・? え、それが鍵なの!?じゃあ聖杯は鍵ではないってこと!?」

 カタリナが取り出した黒鍵を見て、エレンが立ち上がりながら反応する。
 鍵は、ポドールイにある。ピドナでトーマスが詩人から聞いたというその言葉だけを頼りに、エレンもカタリナもここに来た。
 鍵が何であるのかというのは分からないが、ポドールイにあって他には無いものといえば、まず思いつくのが聖王遺物・聖杯なのである。それほどまでに、レオニード伯爵が聖杯を保持している事は有名な話だ。
 だがカタリナが受け取ったものこそが件の『鍵』なのだとしたら、そもそも聖杯なんていらない。その鍵が使える先へ行こう。早く、早く。
 エレンの声からは、そんな溢れんばかりの感情が読み取れるほどの、わかりやすい悲痛な響きがあった。
 だが、そこに別のところから、声がかかる。

「いいえ、聖杯は間違いなく、私たちが必要としている鍵よ」

 そう言いながら部屋へと入ってきたのは、カタリナの後に続いていた教授であった。
 それに続き、ヨハンネスもいそいそと部屋に滑り込んでくる。

「え、ヨハンネスさん、と・・・誰・・・?」

 唐突に登場した二人に、エレンは更なる疑問符を頭上に浮かべながら目を白黒とさせる。
 エレンやハリードは、ヨハンネスのことは見知っていたのだろう。だが、この中で教授を知っている者は確かにいない。
 ということで、カタリナは軽く捕捉を行うことにした。

「あー、こちらの方ね、普段はツヴァイクの西の森に住んでいる方で、教授って呼ばれているの」
「そう、西の森の大天才とは、私のことよ」
「あ、ついでに私は、ランスを拠点としている天文学者のヨハンネスといいます。はじめまして。エレンさんハリードさんは、ご無沙汰してます」

 その自己紹介に、各々が反応を返す。

「教授・・・あぁ、あの術戦車を作ったという魔導科学者か。驚いた、案外若いんだな」
「あーあの鉄馬車の人かぁ、なんかイメージと違う感じ」 

 エレンとハリードが二人して腕を組みながらそういうと、なぜかそれを褒め言葉と受け取った様子の教授がふふんと腰に手を添える。

「二人とも、なかなかキャラが濃そうだな」
「ロビンさんは、それ言える立場じゃないと思います・・・」

 一方冷静な様子のロビンと少年は、少し遠巻きに話の進行を見守っているようだ。

「で、教授さんよ。あんた今・・・聖杯は鍵だ、と言い切ったな。そこについては当然、説明してくれるんだろ?」

 場が混乱しそうなところをハリードが軌道修正し、的確に質問を飛ばす。
 その場の皆の視線が教授に注がれると、視線を浴びた教授はまんざらでもなさそうな様子でゆっくりと部屋の中へ進み、部屋の中心辺りに陣取った。
 そこに自然な様子でするっと帯同したヨハンネスは、持っていた教授の荷物から手際良く何らかの魔導器らしき物体と珈琲カップを取り出していく。
 そうして茶器が展開されていくのを尻目に、教授は豊かな胸部の下で腕を組みながら、その場の皆へと視線を巡らせた。

「いいでしょう。特別にこの私が、凡人にもわかるように説明してあげるわ」

 

 聖杯。
 それは、聖王の血が注がれたという逸話が残る、聖王遺物の中でも特段に有名な品の一つだ。
 所有者が血を好む吸血鬼レオニードである、という話題性も手伝い、広く世俗にも知られている聖王遺物であるが、一方でその効力面については、殆ど知られていない。
 この聖杯には、僅かな『力』を無尽蔵に生み出すという、他の聖王遺物とは全く異なる奇跡の顕現があるとされている。
 カタリナが使用していた聖剣マスカレイドや、星々の力を宿すとされる宝刀・七星剣。アラケスの魔槍を鍛え直して作られたとされる聖王の槍など、いずれも強力な武具だとされる聖王遺物。これら遺物は、基本的に使用者の術力や気力などを動力として大きな力を発現させる仕組みの魔導器である。
 対してこの聖杯は、使用者を必要とせず独立して力を生み出し続けるという点で、聖王遺物としても魔導器としても、全く異質な代物なのである。

「魔導科学を研究開発する上で、まず最初に考えるべき問題。それが、魔導器の動力をどう確保するか・・・だったわよね」

 ちゃっかり自分も珈琲を啜りながら、教授の近くの椅子に腰掛けたカタリナが呟く。
 それはもちろん、教授からの受け売りだった。
 既存の道具や術式では全く太刀打ちできない類稀なる効果を発現する、魔導器という存在。
 しかし、その魔導器も所詮は『使用者』と『燃料』が無くては動かない。
 如何に強力な兵器であろうと、動かなければ、それはガラクタと一緒だ。

「そう。聖王遺物は確かにとても高度に内部設計された精密な構造の魔導器で、それが発現する力は、まさに比類なき力。それこそ、新しき神にもなれるかもしれない力でしょう」

 カタリナの言葉を引き継ぐように、教授が使い古された古典を引用しながら口を開く。
 それは、ポドールイへと旅立つ前にロアーヌ宮廷の庭園で聞いた内容の繰り返しだ。

「しかしながら使用者と燃料の提供を必要とする時点で、仕組みとしては原始的です。教授はこの仕組みをもとに、魔導器を世代に分けて呼称しているそうです」

 ヨハンネスが的確に捕捉を入れると、教授は浅く頷いた。

「その通り。聖王遺物といっても、仕組み自体はとてもシンプル。仕組みで分類するなら魔導器の原点・・・即ち、第一世代魔導器ね。ただ、他の第一世代魔導器と比較しても内部構造が圧倒的に複雑化しており、それによる効果の飛躍的な向上が実現されているという点で、聖王遺物に関しては第二世代魔導器とした方がいいでしょうね」

 教授が言うには、世界中にある様々な高等術具、即ち魔導器の大半は『第一世代』なのだそうだ。
 第一世代の定義とは即ち『使用者』と『使用者による動力提供』の二つが揃って初めて発動する、一般的な魔導器に期待される効果を発動する代物、である。
 そして第二世代とは、第一世代と同じ要件で発動するものの、その効果が第一世代から飛躍的に向上しているものを指し、マスカレイド等の聖王遺物がそれにあたる、と言うのが先ほどの教授の弁である。
 そして教授が直近で研究してきた魔導器構造を、彼女自身は『第三世代』と定義しているそうだ。

「第三世代の画期的なところは、使用者若しくは動力のいずれか、或いは両方を従来と異なるアプローチで調達し発動する、という点。例えば、私が作り上げたスーパーウルトr」
「ドラゴンマシーン」
「・・・などが、それに当たるわ」

 カタリナの容赦ない切り込みに、教授が少々眉間に皺を寄せながらも話を続ける。
 教授が研究の末に作り上げ、キドラントで起きたいけにえ事件の詫びとして今はカタリナが借り受けている、術戦車。
 戦車といっても車体を引く馬は無く、使用者は必要なものの動力は朱鳥術力による半永久駆動機構を搭載したという、世界に二つとない鉄製の戦車だ。朱鳥術力の外部補給は必要だが、必ずしも使用者そのもの術力を必要とするわけではないという点が非常に画期的なのである。
 あれこそが、現代魔導科学における最先端の代物なのだそうだ。ちなみに教授がいうところの術戦車の正式名称は、スーパーウルトラデラックスファイナルロマンシングドラゴンマシーン、である。
 確かに、その圧倒的な異質さはこの世界にあるまじきものであると、カタリナにもよく分かる。
 あれを初めて見たハリードは、量産化されたとしたら戦の常識が覆る、と断言していたものだ。
 また、術戦車ほど突飛な代物ではないにせよ、ツヴァイクの西にある教授の館付近に設置された、教授お手製の自動照明。あれも地術の力を活用し、使用者もなく自動で点灯する独立駆動型照明機器だ。
 こうした代物を、教授は第三世代魔導器と呼称しているのである。

「そしてその進化系こそが・・・第四世代魔導器。第三世代と比べて飛躍的に向上した性能を持ち、さらに自律発動する魔導器よ」

 そこまで言ってから優雅に珈琲を啜る教授の言葉を続けるように、カタリナが皆に向かって補足する。

「でまぁ、その第四世代魔導器とやらの最たる例が・・・あのアビスゲートなのだそうよ」
「アビスゲートが・・・魔導器・・・?」

 カタリナの言葉に、話についてくるのがやっと、と言った様子のエレンが分身剣の如き疑問符を頭上に浮かべる。
 密林の火術要塞と、タフターン山頂。そこにある二つのアビスゲートを調べた教授とヨハンネスは、その正体が巨大な魔導器であると結論付けた。
 主たる四魔貴族が不在でも独立駆動し、ゲートそのものを含む収容施設全体を自動修復し、三百年周期でアビスと世界を繋がんとする巨大装置。
 残念ながらその動力源の特定には未だ至っていないものの、その機構について教授は大凡の予測はついたと語る。

「アビスゲートの調査によって、私の魔導科学理論は飛躍的に進化したわ。今の私になら、この手で第四世代魔導器を作り上げることも不可能ではないでしょう」
「その為に、わざわざバンガードまで行ったそうだものね。なんでも、そこでずいぶん派手に立ち回ったって聞いたけど」

 カタリナがそう言いながら珈琲を啜ると、教授も合わせて肩を竦めながら珈琲を口につけた。

「バンガード内部を見たことで、魔導器同士の連結発動という仕組みも理解したわ。ま・・・あれを三百年前の人類が作り上げたってとこだけが、にわかには信じられないけれど」

 教授が言うには、海上都市バンガード本体も、その中枢に位置するイルカ像も、いずれも魔導器なのだそうだ。つまりバンガードとは、複数の魔導器によって稼働する複合魔導器ということになる。
 聖王教会が伝播する聖王記によれば、聖王は神より十三の武具を与えられた、とある。それが現在の聖王遺物とされているのだが、実のところ聖王記には十三の武具全てが記されているわけではない。
 この未記載の聖王遺物については考古学や神学など各分野識者の間でしばしば格好の議論の的となる部分であり、それはそれは様々な仮説が立っては消え、現在に至るまで述べられている。
 そこにおいて今回教授は、その効力の異常さ(即ち第二世代相当の効力)という類似性から、バンガードとイルカ像も聖王遺物の括りなのではないか、という識者顔負けの考察を立てたのであった。
 それはこれまで神秘学者を中心に行われてきた議論に一石を投じる実に新しい視点だなと、カタリナは感じたものであった。
 そもそも言われてみれば、神より与えられし十三の武具以外にも聖王縁のものがあってもいいわけで、とすれば聖王遺物イコール十三の武具と限定する理由すらない。であれば、あまり聖王記の記述ばかりに囚われる必要はないのかもな、などと、聖王教会の神父が聞いたら泡を吹いて卒倒しそうなことをカタリナは考えていた。

「あの機構はそのまま、第四世代魔導器の開発に応用できる。となるとあと肝心なのが、結局は動力の確保よ。そして、この課題解決の鍵になり得るものこそが・・・」
「件の聖杯・・・というわけか」

 ハリードの合いの手にも教授は満足そうに頷きながら、再び珈琲を啜る。

「・・・なぁるほどな、バンガードでいうところの玄武術士の役割を聖杯に担わせれば、動力問題は解決ってワケか」

 突然かかった声に皆が部屋の入り口へと振り向くと、そこにはいつの間にやら、ドア部分に寄りかかったブラックがいた。
 教授が挑発するような視線をブラックに向けながら微笑むと、対するブラックはこちらも笑みを浮かべながら部屋へと入ってくる。

「つまりおめぇ、それでアビスに攻め込む『船』を作ろうっつーわけだな。聖王が海底宮に攻め込むために、あのバンガードを作ったように」
「あら、粗野な見た目の割に理解が早いのね」

 教授が実に楽しそうに口角を上げながら微笑んで挑発するが、ブラックはそれを一笑に付した。

「ふん、御託はいい。それよか流石に、これ以上は体がなまっちまう。明日が新月なら、もう城の地下とやらに行こうぜ。何しろここは、海の底に巣食う死霊みてーな気配がうじゃうじゃありすぎて気色悪りぃ」

 それには全く同感だと言わんばかりにハリードやロビンらが頷く中、普段ならいの一番に部屋を飛び出しそうなはずのエレンは、彼らに同調せずにカタリナを見つめていた。

「・・・まだわかんない事が多いけど、とにかくサラを助けるのに聖杯が必要なら、それを取りにいくのはあたし達の役目。でも・・・カタリナさんは何をするの?」

 エレンの言葉を受けて、カタリナは彼女に振り返る。
 カタリナを見つめるその瞳は、一切の曇りがない真っ直ぐな光を湛えている。
 その光は、カタリナからすれば眩しすぎて、直視をするのが躊躇われるほどのもの。
 事実そのような光を見失い、己の本当の意志を一瞬でも閉ざした者だからこその後ろめたさがあるカタリナは、少し節目がちになった後にエレンへ向き合った。

「・・・正直にいうと、これから私が何を為すべきか、私にも分からない。ただ私は・・・私も、サラを助けたい。その想いは、一緒よ」

 瞳を見つめ返しながら、カタリナは毅然として答える。
 エレンはその言葉と視線を受け取るように数回瞬きすると、やがて小さく頷いた。

「・・・ありがとう。助けは一人でも多い方がありがたいわ」

 エレンは短くそういうと、すくりと立ち上がった。
 それに合わせてロビンや少年らも、近くの荷物を素早く手繰り寄せる。

「そうと決まれば、はやいとこ行きましょ。サラが、待ちくたびれちゃうわ」

 

 

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第十章・4 -ツヴァイクトーナメント-

 

「ざッけんじゃないわよ!!」

 ニス塗りで丁寧に磨き上げられた分厚い木製カウンターを、あわや割ってしまうのではないかという勢いで振り下ろされた、固い握り拳。そして、ドゴンッという重苦しい衝撃音。からの、エレンの怒号。
 北の大国ツヴァイク公国首都でも随一の売上を誇る大箱パブ、ツヴァイクホールに響き渡ったその怒声は、闘技場目当ての荒くれ者が集まることで有名なこのパブの客ですらも思わず驚き振り返るほどだった。
 しかし、注意したいだろうに可哀想にもすっかり怯えて行動に移せない店員の代わりに、やおら大人の余裕を漂わせる声がエレンにかけられた。

「ちったぁ落ち着けよ。いちいち怒鳴っても仕方ねぇだろうが」

 荒ぶるエレンを宥めるようにそう諭したのは、意外にもブラックだった。
 これはブラック本人にとっても中々意外なことであったが、どうやら彼は老齢のような期間を十年ほど過ごしたことで、以前の喧嘩っ早さがすっかり身を潜めたらしい、ということを自覚していた。
 とはいえ、その間であっても小指の爪の先程もフォルネウスに対する憎悪は鈍らなかったので、芯となる強固な意思は不変なのだ。逆にそういった自分の芯を堅持するためにも、他のことに対しては無駄に熱くならなくなった、というのが正解なのかも知れない。
 何にせよ余裕のある海の男というのは悪いコンセプトではないので、ブラックは存外自分のそうした変化を楽しんでいた。

「でも時間がないの。関所を押し通るしかないわ」
「だからやめろっての」

 まるで聞き分けのない子供のように我を曲げないエレンを尻目に、ブラックはツヴァイク特製のラガービールを喉に流し込みながらツッコミを入れる。
 普段の彼はラガーよりエール式のビールを好むのだが、流石にラガーの本場ツヴァイクに来てこれを飲まない手はない。ツヴァイクのラガーは、他国流通品よりも非常に喉越しがいい。これはこれで流石に美味いなぁ、などと感じながら、エレンの怨念ひしめく愚痴を適当に受け流していた。

「通行許可が出ないとなると、あと考えられるのは認可商隊に同行するとかだろう。だが、それはそれでハードルが高そうだな・・・」

 ブラックの隣でこちらもビールを傾けながら、相変わらずマスク姿のロビンが呟く。彼のトレードマークたるアイマスクスタイルは行く先々で少なからず奇異の視線を向けられるが、流石に一行はそんな視線にも慣れてきた感があった。
 因みに、意外にも酒好きのブラックに負けず劣らずロビンもツヴァイクビールをかなり真剣に味わったり、カウンター内の設備の様子やバーテンダーの動きを頻りに気にしている。ひょっとしてそういうの自体に興味があるのだろうか、などとブラックは思う。

「・・・・・・」

 ロビンの更に隣、カウンター席の一番端に座った少年は、目の前に出されたミルクをじっと見つめたまま、相変わらず無言でいた。
 突然魔王殿からカタリナらと共に帰ってきたこの少年のことは、正直なところ未だによくわからない。聞くところによればこの少年が世界の命運を左右する宿命の子とやららしいが、ブラックにはとてもそんな大層な人物には思えなかった。
 だが、少なくとも少年の瞳にはどこか危うげながらも、揺るがぬ意志の光が宿っている。
 そういう光を持っている奴は、まぁ多分、大丈夫だ。ブラックは己の経験則から、それを識っていた。だから、この期に及んでこの少年についてああだこうだと言うつもりは毛頭ない。

「・・・ま、焦るのはわからねーでもないが、ちっとばかし待つってことも覚えるんだな。目先ばかりを見て焦って悪い潮目を引いちまうと、うっかり暗礁ってのが相場だぜ」

 ブラックはエレンに向けてそう言いながら、あくまでマイペースにグラスを傾ける。

 魔王殿でアラケスとの死闘が終わった後、モニカらが急遽ロアーヌへと帰る日の、早朝。
 モニカらよりも一足早くピドナを発ったエレン一行は、その数日後にはツヴァイク入りを果たしていた。
 そのままエレンたちは最短ルートでポドールイへ向かおうとしたが、かくして、そこで親切なツヴァイクの門番に必死に止められたのであった。
 門番曰く、ツヴァイク領とポドールイ領の間の関所は現在封鎖されており、無許可の通り抜けは重罪に問われる、と。
 しかし実のところ、それ自体はピドナで既にトーマスから聞いていたことであった。その上でエレンは、以前ハリードらと共にシノンからポドールイまで徒歩で抜けた経験があるので、細い山道などに入り込めばなんとかなるだろうと読み、意気揚々とツヴァイクへ赴いたのだった。
 しかしエレンたちを止めてくれた門番によると、どうやらそう簡単にはいかないらしい。
 先ずツヴァイク-ポドールイ間の関所は防衛線を兼ねていて数が多く、主な山道は全て網羅されている。そして関所間の境界線を人間が通ると、何故か最寄りの関所に越境が分かるようになっているのだという。これによりポドールイ方面への無断通り抜け、及びポドールイからの密入国者はその全てが国境警備隊に捕縛され、厳罰を受けることになるのだそうだ。

「越境探知のために、西の森に住むといかいう天才教授が作った魔導器を使ってるっつってたな」
「教授・・・あの術戦車を作ったとかいう人よね・・・」

 以前ランスでカタリナと合流した際に術戦車を実際に見たエレンは、その常識から逸脱した技術力だけは目にしていた。
 なので、越境が確実に暴かれるというのは本当なのだろうということは、何となく想像できる。そして先ほどからブラックの言うことも、勿論分かる。
 しかし、だからといってここまで来て突破口なく動けないなんていうことは、絶対に認められない。
 最悪、例えツヴァイクという国自体を敵に回すことになろうとも、エレンは絶対にポドールイへ行く覚悟であった。
 とはいえ、それでサラを救出するという目的が阻害されてしまっては元も子もないのも事実。それくらいは流石に分かっているので、エレンとしても即座に強硬手段に踏み切ることができずに悩んでいたのである。

『な・・・なんだこいつら・・・!?』
『見世物小屋かなにかか・・・?』

 答えの出ない迷路に迷い込んだエレンが苛立ちばかりを募らせていたところに、突如ツヴァイクホール店内が異様なざわつきと、少し冷んやりとした空気に包まれた。
 そのざわつきの震源は、どうやら店の入口のようだ。
 最奥のカウンター席にいたエレンたちは一番最後にそのざわつきに気付き、何事かと視線を向ける。
 するとそこには、確かに誰もが声を上げて驚きそうな様相の、いかにも個性的な二つの人影が入店していた。
 そしてその二つの人影を、なんとエレンはいずれも見知っていた。

「え・・・ウォード、ゆきだるま!!」

 エレンが思わず、彼らの名前を叫ぶ。
 すると、その声に反応して店内中の客と共に二つの人影がエレンの方を向いた。
 一人は、甲殻類の魔物から削り出したと思しき奇抜極まりない鎧を身に着けた、見上げるほどの大男。腕に覚えのある冒険者が集まるこのツヴァイクでも明らかに周囲より頭一つ飛び抜けた長身と強靭な体躯は、北方の過酷な大地が育んだ屈強な戦士ここに在りと雄弁に語っている。
 そしてもう一つの影は、丸い。ひたすらに丸い。白い大きな丸が、二つ重なっている。それは誰がどこからどう見ても、とても立派な雪だるまだった。ただ通常の雪だるまと一つだけ明らかに異なる特徴があるとすれば、それはこの雪だるまが、自立して動いている、という点だ。
 入口前で野次馬に囲まれていたウォードとゆきだるまの二人は、周囲の反応などものともせずにそのまま店内を奥へと突き進み、エレンたちの前に立ち止まった。

「おぉ、エレンにロビンじゃねえか!久しぶりだなぁ!」
「エレン、ロビン、ひさしぶりなのだ!」
「え、ちょっと二人ともなんでここにいんの!ってかゆきだるま、こんなとこ居て大丈夫なの!?溶けない!!?」

 突然登場した珍客にブラックと少年までもが流石に驚いた表情を見せる中、エレンとロビンはまるで旧友を迎え入れるかのようにその二人と親しげに抱擁を交わし、挨拶を交わす。

「おいおい、なんだこりゃ。ボストン以上に意味がわからねぇ生き物だな・・・っつか生き物なのか・・・?」

 二人の珍客、特にゆきだるまを見ながらさすがのブラックも驚嘆の面持ちで呟く。しかしその辺りの問答を散々雪の街で行ったエレンとロビンは、もはや至極当たり前のように二人に接していた。

「永久結晶があるから、全然大丈夫なのだ」
「いやよぉ、俺はあれからも何度か顔出しに行ってたんだがよ。こいつが雪の街から出てみたいっつーから、今は俺の仕事に付き合ってもらってるんだ。しっかしまぁ、こんな感じでどこに行っても注目の的でなぁ。お陰で狩りよか、小遣い稼ぎの行商が捗る捗る」

 やいのやいのと四人が盛り上がっている様を遠巻きに見物していた野次馬たちも、徐々にその非現実的な光景に慣れてくると、ちらちらと様子を伺いながらも其々に再び飲み始める。アビスゲートの活性化により瘴気に侵された精霊の眷属なども蔓延る昨今ゆえか、ゆきだるまの姿にも驚きはすれど腰を抜かすほどのことではない、というところなのであろう。

「なんだなんだ、随分と騒がしいじゃ・・・おいおいなんだぁこのデカい雪だるまは?」

 丁度そこに、別行動をしていたハリードが帰ってきた。
 そして他の客と同じく、異様な二人の存在にしっかりと驚きの声を上げるのであった。

「あ、おかえり。ってかどこいってたのよ」

 思わぬ知り合いの登場で機嫌を少しばかり持ち直したエレンがハリードに声を掛けると、ハリードはニヤリと笑みを浮かべてエレンに視線をよこした。

「何処ってそりゃお前、ポドールイに行くための手段を探してやっていたに決まってるだろ。いいネタ持ってきてやったんだから、感謝しろよな」
「え、なに、なんかいい方法見つかったの!?」

 唐突に発せられたハリードの台詞に、エレンは彼の狙い通り大層驚いたような表情を浮かべながらハリードへと食い気味に詰め寄る。
 どうどう、と逸るエレンを片手で制しながら、ハリードは先にカウンターにチップを投げ、ツヴァイクラガーを所望する。
 すると即座に出てきたジョッキを片手で受け取り早速、豪快に胃の中へと注ぎ込む。ゴクゴクと喉を鳴らしてジョッキ半分程を飲み、ふぅーっと一息ついてから、もう一度口の端を吊り上げて笑みを作った。

「俺らで出るぞ、ツヴァイクトーナメントに!」

 

 

『さぁいよいよ始まりました、第六十三回ツヴァイクトーナメント!! 今回は過去に類を見ないほどの屈強なチームが複数エントリーしているとのことで、今までにない盛り上がりを見せることは必至!!! 観客の皆様の熱量も最高潮に達しているのが、わたくし司会のもとにまでビンビン伝わってきます!!!』

——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

『ではさっそくの第一回戦、いきなり初参戦チーム「エレンと愉快な仲間たち」の登場だぁぁぁぁぁああ!!!』

「いやいや待て待て、なんでこうなるんだよ!!?」

 ツヴァイクの誇る特製コロシアムの観客席が超満員と大歓声で埋まる中、やたらとテンションの高い司会の絶叫とともに戦闘エリアへと送り出されたウォードは、当然の困惑具合で空に向かい世の中の理不尽を叫んだ。 

『なんとこのチーム、セコンドにあの高名な傭兵トルネードを起用したという今大会注目の優勝候補!先鋒のウォード選手もユーステルムでは名の知られた狩人だそうで、これはいきなり本気度マックスだぁぁぁぁぁあああ!!!』

「えぇい、くそッ!!もうどうにでもなれ!!このウォード様に喧嘩売ろうってぇ命知らずな輩は、一体何処のどいつだ!?」

 やけくそ気味にウォードが愛用のツヴァイハンダーを構えると、今度は司会が彼と反対側のエリアゲートに振り向いた。

『さぁそしてそんな今大会注目チームと対決するのは、大会優勝経験もあるベテランチーム、超女軍団だぁぁぁああああああ!!!』
「ちょっとまて、あれ人間じゃねえぞぉ!!??」

 司会のアナウンスと共にゲートから出てきたのは、なんと妖精族の亜種と蛇型の魔物で構成された混合チームであった。

『ご存知の通り、本トーナメントでは一定の参加クオリティを保つ目的で人間以外のエントリーも導入しております!! その中でもこの超女軍団は数々の強豪チームを屠ってきた、指折りのツワモノたちだ!!!さぁ先鋒のダンサー選手と対するウォード選手は、どのような戦いを繰り広げてくれるのか!!!??』
「こっちはなにもご存知じゃねえよ!!!ふざけんなッ!!!」

——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

 全力で抗議の声を上げるウォードに対し、しかしそれを気合の雄叫びと受け取った観客たちはさらなるボルテージアップで歓声を上げる。

『それでは第六十三回ツヴァイクトーナメント、第一回戦開始の宣言を我らがロード、ツヴァイク公から賜ります!!』

 司会の誘導に応じ、最も闘技場を見下ろすのに最適な位置に設えられた専用席に座した壮年の男が立ち上がり、片手を上げて高らかに宣言した。

「始めーい!!」

 幾度も発せられたウォードの魂の叫びは欠片も受け入れられることなく、無慈悲に第一回戦開始の宣言とともに、ゴングが鳴り響く。
 すろと相対するダンサーは、軽やかにステップを踏みながらリズムに乗り、舞うようにウォードとの距離を一気に詰めてきた。

「くそっ・・・このウォード様を舐めんなよ・・・!!」

 覚悟を決め、高らかに咆哮したウォードがツヴァイハンダーを大上段に構えながら対戦相手を迎え撃たんとしていた、その最中。
 ゲートの奥にある控室ではウォードの応援になど欠片も興味がない様子で、エレンら他の出場メンバーが揃って話し込んでいたのであった。

「ってか、本当にこれでポドールイに行けるんでしょうね?」

 未だ疑心暗鬼の様子のエレンがふんぞり返った様子で座っているハリードへ釘を刺すように言うと、ハリードはふふんと不敵な笑みを浮かべた。

「エレンお前、以前ツヴァイクで変な動物を売っぱらったハンターを覚えているか?」
「ん?・・・あー、そういえばいたわね。あのときは稼がせてもらったわ!」

 それはハリードと共にロアーヌを出て間もない頃、ランスを目指しながらも先ずは依頼の豊富なツヴァイクで路銀稼ぎを行っていた時の話である。
 エレンは当時目の前に積み上げられたオーラムの山を思い出し、思わず口元を緩めた。
 エレンのこういう仕草は若干ハリードに似てきているな、とブラックなどは時折感じたりもするが、それを言っても多分色々と面倒になるだけなので態々言うことはない。

「なんでもあいつ、あそこから更に上乗せて国のお偉いさんに売り捌いて儲けたらしい。なんでその礼も兼ねてってことで、色々と情報を落としてもらったのさ」

 ハリードが聞き出したところによると、こうだ。
 ツヴァイク公爵は自国が定めた認可商隊以外のポドールイとの通行を全面的に禁じているが、ここに実は、唯一の例外が存在するそうだ。
 それこそが、国主たるツヴァイク公爵の勅令を受けた「聖杯奪還隊」である。
 聖杯とは、ポドールイの領主レオニード伯爵が所有する聖王遺物のことだ。聖王の血が注がれたという逸話を持つその聖王遺物は他の遺物とは一風異なる特性を持っており、その杯からは枯れることなく『力』が湧き続けるのだという。
 ヴァンパイアであるレオニードを忌諱するツヴァイク公は、人間でないということを理由にレオニードが聖王遺物を持つに相応しくない存在であると決めつけ、この聖杯を奪うことの出来る実力者を募った。
 だが、懸賞金に目が眩んで集まった程度の傭兵たちではレオニード伯爵に近づくことさえ叶わず、彼のもとに集う死霊に軽くあしらわれてしまう。
 幾度かその失敗を繰り返した後にツヴァイク公が考案した対策の一つが、このツヴァイクトーナメントであった。
 このトーナメントを勝ち残るほどの猛者であれば、レオニード伯爵から聖杯を奪うことが出来るに違いない。そう考えたツヴァイク公の主導で始められたこのトーナメントには、実のところ今まで一般参加から勝利したチームは存在しないらしい。

「俺等の一回戦相手の超女軍団や、その他だとドラゴンズ、そしてツヴァイク公国最強部隊『じごくの壁』とかの運営側が仕込んだチームが、トーナメントの優勝常連らしい。興行としても利回りが良く、公爵自身も剣闘狂いらしくてな、こいつは元の目的が達成されずとも定期開催されているんだそうだ」
「つまり、そいつらを全部ぶっ飛ばして奪還隊とやらになれば、お上公認で堂々と関所を通れるってワケか」

 椅子ではなくテーブルの上に片足を上げて座りながら話を聞いてたブラックがそう纏めると、ハリードは浅く頷いた。

「あぁ。しかも、優勝賞金が一万オーラムもでる。こいつは正に一石二鳥だぜ」
「あんた絶対それが目的でしょ!」

 カムシーンの刃より鋭いエレンの指摘にハリードが性懲りも無く反論を始め、控室内がいつもの様にガヤガヤとし始める。
 しかしそんな賑やかさとは全く無縁の様子で、一番端にある椅子に腰掛けたまま微動だにしないでいた少年がボソリと呟く。

「その聖杯が・・・『鍵』なのかな・・・」

 少年の近くにいて微かにその声が聞こえたゆきだるまが、少年に身を寄せる。

「鍵って、一体なんのことなのだ?」

 ゆきだるまの質問に、少年は素直にそちらへと反応を向ける。
 少年はどうにもあまり人好きしない性格らしいが、なぜかゆきだるまとは会った直後から、随分と気安く接している様子であった。

「・・・僕にも、よく分からない。でもトムさんが言っていたんだ。少し前に、鍵はポドールイにあると聞いた、って」

 そもそもエレンたちがポドールイを目指している理由こそが、その『鍵』だった。
 エレンと少年は、アビスゲートの向こうへと消えたサラを助け出す、という共通の目的を持っている。しかし、一体どうすればサラの元に辿り着けるのかという具体的手段については、全く見当もつかない状態だった。
 そこで藁にも縋ろうということで追いかけることにしたのが、この『鍵』という情報であったのだ。

「もし僕たちに鍵が必要になったら、それはきっとポドールイにある・・・トムさんは、詩人さんからそう聞いたと言っていた。詩人さんがなんでそんなことを言ったのか、その鍵っていうのが一体なんなのか、そもそもそれがサラの元にたどり着くためのものなのか・・・それはトムさんも分からないって言ってた。でも、今の僕たちにはそれくらいしか縋れるものが・・・」
「大丈夫よ、テレーズ」

 いつの間にか、ハリードたちと話していたはずのエレンが少年とゆきだるまの前にいた。

「トムが、その詩人の言葉は賭けるに値する情報だって言った。だから大丈夫。必ずあたし達は、サラの元に辿り着くわ。そのためにもテレーズ、あんたが必要なの。あの子の鼓動を感じることが出来る、あんたの助けが」

 エレンの真っ直ぐな言葉を聞いた少年は、小さく、しかし力強く頷く。
 それをみて満足そうに頷き返したエレンは、腰に手を当てて控室の扉へと視線を向けた。

「まずはポドールイに辿り着くことだけを考えましょ。となると早いとこトーナメントとやらを終わらせたいけど、今どんな感じなのかしら」

———ゥォォォォォォォォォォォォォォォッッ!!!!!!———

 まるでエレンの声に応えるかのように、扉の向こうからは会場の一際の盛り上がりを伝える歓声が響いてきた。
 そして急報を知らせるべくバタバタと駆ける足音が近づき、勢いよく控え室の扉が開け放たれる。

「先鋒ウォード選手が相手チーム主将の石化攻撃により敗退!次鋒ゆきだるま選手、準備お願いします!!」

 駆け込んできた係員の知らせに選手一同は互いの顔を見合わせ、気合を新たにするのであった。

 

 

『さぁさぁ一体誰が予想したのかこの展開を!!!!!!第六十三回ツヴァイクトーナメント決勝戦の対戦カードは、こいつらだ!!!!』

——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

 これまでで最も大きな歓声を一身に受けつつ決勝戦に挑む選手らが東西ゲートから入場し、闘技場中央を挟んで睨み合う。

『西側ゲートから登場したのはなんとなんと!!由緒あるこのツヴァイクトーナメント初出場にしていきなり決勝戦まで勝ち抜いてきた今大会注目のダークホース、エレンと愉快な仲間たちだぁぁぁぁあああ!!!!』

「今更だがよ、このチーム名はどうにかならなかったのかぁ・・・?」

 随分と気の抜けたチーム名にブラックが真っ当な突っ込みを入れるが、最早そんなことを気にしている観客は一人もいない様子である。
 なにしろここまで、未だ大将が出ることすらなく圧倒的な実力差で常連チームらを叩きのめしてきたチームの実力は、もはや疑う余地のないものとしてこの場に集まった観客らに認識されているからだ。
 初戦の超女軍団戦は、大将になんと伝説級の魔物であるメデゥーサが配置されていたことでウォード、ゆきだるまと立て続けに石化されたものの、中堅であるロビンが得意のレディーキラーっぷりを発揮し、撃破。
 続く二回戦目はゴブリンズという名前の、そのままゴブリン種で構成されたチームであった。どうもこのゴブリンズについては強い場合と弱い場合があるという事前情報をハリードが掴んでいたが、今回は弱い構成だったようで、ウォードの一人抜きで難なく撃破。
 そして準決勝は、なんと龍種で構成されたドラゴンズというチームと対戦することとなった。このチームはなんといっても副将である大型龍種レッドドラゴンが花形であり、一体どんな絡繰でこれほどの魔物をこんなところに連れてきたのかと考えずにはいられなかった。
 しかしこれについては相性の問題か、レッドドラゴンまで辿り着いて早々に退却したウォードに続くゆきだるまが永久結晶の力により相手の炎を寄せ付けず、誰もが予想だにしないワンサイドゲーム展開となったのであった。
 そんなこんなでロビン以降に配置された副将ブラック、大将エレンの出番がないまま辿り着いた、トーナメント決勝戦。

『そして東ゲートから登場したのは、勿論このチーム!!!!我がツヴァイクの誇る最強部隊!!!!専用特殊装甲【ヴァンツァー】に身を包んだ六機の英雄!!皆様お待ちかね、じごくの壁だぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!』

——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

 一際大きな歓声を受けながらエレンたちに立ちはだかったのは、金属製の全身鎧に身を包んだ六人の人物。しかしその鎧は、エレンたちが見慣れたものとは随分と様相の異なる、やけに仰々しい代物だった。
 それもそのはず。何を隠そう彼らの纏う鎧もまた、教授による作品の一つであった。なので正確には彼らが纏っているものは鎧ではなく、術戦車などと同じく魔導器に分類される代物なのである。
 その名も、戦闘歩行魔導装甲ヴァンダーパンツァー、通称【ヴァンツァー】だ。
 この魔導装甲にはタイプ別に三つの特徴が備わっており、それぞれ支援型、近接射撃型、格闘型に分けられるのだという。
 ヴァンツァーを身に纏う彼らはその特色を余すことなく発揮した連携攻撃を用いることで、数々の苛烈な戦いから自軍を守り、自らも生き残ってきたのだそうだ。
 その風評を裏打ちするかのように絶対的な自信を漂わせた立ち姿を見定めるように睨みながら、腕を組んだハリードが呟く。

「ツヴァイク公国軍第六十四機動戦隊、通称じごくの壁・・・。俺は直接戦場で見たわけじゃないが、傭兵の中では割りかし有名な連中だ。ここ十年ほどのツヴァイクが絡む北方の戦で、あいつらの名前を聞かない戦場はなかったというぜ」

 ハリードの言葉を聞きながらエレンも油断の一切ない視線で相手を睨みつけていると、どうしたことか相手の一人が試合開始の合図を待たず、こちらへゆっくりと歩み寄ってきた。
 何事かと眉を顰めながらもエレンとハリードがそれに応えるように一歩前に出ると、二人の前で立ち止まった鎧は、思いの外軽快な動作で右手を差し出してきた。

「お初にお目にかかる、傭兵トルネード。俺の名はグリーグ。あんたと戦えることを光栄に思う」
「グリーグ・・・噂は聞いてるぜ。怒れる雄牛【マッド・ブル】の名を冠する、じごくの壁の隊長機だな。俺も界隈ではトルネードなんて呼ばれるが、名はハリードというんだ。よろしくな」

 差し出された手をハリードが握り返し、固く握手を交わす。
 そしてマッドブルが自陣へ戻っていくのと同時、司会が改めて声を張る。

『さぁ両チームが固い握手を交わしたところで、決勝戦のルール説明です!!!!じごくの壁と決勝戦で対戦する場合はご存知の通り特殊ルールが適用され、セコンドまで参加しての集団サバイバル戦となります!!』

 司会の宣言に並行し、なんとコロシアムの闘技フィールド内に施されていたらしい仕掛けが発動し、地面から鋼鉄製と思しき障害物のオブジェクトがいくつも現れ、両チームの視界を遮った。

「だからなんもご存じじゃねーっつーの・・・」

 最初から振り回され続けたウォードが諦めの境地のような表情で呟くが、当然そんな声はハイテンションな司会には欠片も届かない。

『両チームどちらかが全員戦闘不能となるまで続くサバイバル戦、間も無くスタートです!!では両チーム、配置についてください!!』

 なんら事前説明がされないまま勝手に話が進んでいくが、それに対していやに冷静な様子のエレンは、先ほどのハリードと同じく胸の前で腕を組んだまま、闘技フィールド内の障害物を見ながら口を開いた。

「・・・あいつら、持ってる得物が三種類に分かれていたわ。近接型、中距離、遠距離ってとこかしら。わざわざ集団戦にしたってことは、二人か三人で動く戦法で来るって考えた方が良さそうね」

 エレンの的確な予測にニヤリと笑みを浮かべながら、ハリードは同じく腕を組んだまま顎に手を当てた。

「いい推察だ。となると大抵はインファイトを仕掛けてくる奴が隙を作り、中距離役が仕留め役。んで、それら連携を阻害されないように長距離担当が獲物周囲を威嚇する、ってところか」
「・・・向こうがその戦法で来るなら、こっちも術が使える俺様とゆきだるまが分かれた方がよさそうだな。あとはどう分ける」

 ハリードに続いてブラックが顎の無精髭を弄りながら何やら愉しそうに言うと、既にレイピアを抜き放って臨戦体勢のロビンが一歩前に出る。

「であれば、速度を出せる私とハリードが分かれ、一撃の重さを活かせるエレンとウォードが同じく分かれる編成でどうだろう」

 この提案には、その場の全員が即座に首を縦に振る。

「異論はないのだ」
「俺もそれでいい。とっとと終わらせちまいたいぜ」

 結果、エレンとロビンにゆきだるま、ハリードとウォードにブラック、という編成で左右に分かれ、相手を迎え撃つ作戦に落ち着いた。
 そしてエレンチームがフィールドに散開したのを確認した司会がツヴァイク公に合図を送ると、間も無くツヴァイク公爵が立ち上がり、闘技開始の宣言を行った。

「始めーい!!」

 間の抜けた掛け声に反し、戦闘そのものは初手から大きな動きがあったか、コロシアムの観客のいきなりの熱狂ぶりにハリードらが身構える。
 すると、その予測を裏切らない様子で何か固いものが岩の上をかけるようなガキンガキンという音が響き渡り、カムシーンを抜き放ったハリードとツヴァイハンダーを構えたウォードが背中合わせに周囲を警戒した。

「HEY!!Tornado!!」
「ッ!!」

 突如、上空からの声。
 それに即座に反応したハリードが背後のウォードを踏み台にするようにして横に飛ぶと、それに合わせてウォードもハリードに蹴り飛ばされる形で反対側に倒れ込む。
 その直後、先ほどまで二人が立っていた場所目掛けて巨大な鉄甲が衝撃音と共に振り下ろされた。

ズガァンッッッ

 地面がしっかりと抉れている様子を尻目に体制を素早く建て直したハリードが抜き身のカムシーンを構えると、その剣先に現れたのは先ほどのマッドブルは別のヴァンツァーだった。
 どうやら、地面から迫り上がった障害物の上を飛び移るようにしてここまで一気に移動してきたようだ。流石に、このフィールドでは戦い慣れているということか。

「Hoo!!今のを避けられたか。流石トルネードの名前は伊達じゃないな」
「ふん、そりゃあどうも。お前は・・・近接型か。振り分け的には恐らく隊二番手のウィナー機が向こう側で、隊長機マッドブルチームがこっちの相手をしてくれるんだろう?なら、お前がグリーグに飼われているって噂の【ストレイキャット】だな?」
「Hey・・・その冗談は笑えないぜ」

 ストレイキャットの名を冠する近接戦闘型ヴァンツァーが、不機嫌を丸出しにした声色でハリードに向かい拳を構える。彼もまた隊長機【マッドブル】を支援する近接型ヴァンツァーとして数々の戦功を上げてきた、これまた北の戦線でその名を知らないものはいない存在である。
 しかし戦場と闘技場の違いで勘が鈍っているのか、彼のすぐ近くで起き上がったウォードがツヴァイハンダーを振りかざしているのも見えていないらしく、少々短気な性格のようだ。
 しかし、そんな彼の支援もまた、チームの役割なのだろう。
 それを証明するように、ツヴァイハンダーを振り下ろさんとしたウォードに向かって高速で飛来する岩石弾があった。

「けっ、見え見えなんだよ!」

 そう言いつつ右手を突き出したブラックから発せられる風の矢が、飛来する岩石弾を貫き砕く。
 しかしその攻防に気付いたストレイキャットが素早く飛び退ったことで、ウォードの一撃は虚しく地面を削ることとなった。

「いきなり突っ込みすぎだぞ、ストレイキャット」

 続いて後方の障害物の裏から出てきたヴァンツァーの声に、ストレイキャットはガシャリと音を立てて肩を竦める。

「飼い主のお出まし、だな。もう少し躾けをした方がいいんじゃないか?」
「ふふ、うちは狂犬揃いでな、俺も手を焼いているのさ」

 そう言いながら構えるマッドブルと共に、ストレイキャットも深く腰を落として臨戦体制に入る。
 今は視界には入っていないが、目の前の二機以外に先ほどの岩石弾を飛ばしてきたやつが近くの障害物の裏に隠れているはずだ。

(まぁそいつの相手は、ブラックに任せるとして・・・。ううん、俺がこの二機を同時に相手しちまってもいいが、それではつまらんしな・・・ウォードにもう少し働いてもらうか。さて、エレンは上手く捌いているか・・・?)

 右手に持ったカムシーンを少し浮かせては何度も握り直すようにして弄びながら、ハリードは自分たちと逆方向に展開したエレンらのことを思うのであった。
 まさに、それはハリードがそう考えた瞬間だった。

ガキィィィィーーーーーーーンッ
——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

 金属同士の衝突を思わせる聞き慣れない衝撃音と共に、明らかに会場の歓声が一段階跳ね上がる。
 響き渡った常識外れの衝撃音もさることながら、明らかに勝負の行方を左右するような何かがあったと予想される観客の盛り上がりに、思わずハリードらも、衝撃音がした方向へと顔を向けた。

『な・・・なななななぁぁぁぁぁぁんとおぉぉぉぉおお!!これは凄いぞぉぉぉッ!!!!この闘技場専用に作られた最高硬度のフィールドオブジェクトが、まさかの真っ二つにぶち割られたぁぁぁぁぁぁああああ!!』

「なに・・・この鋼鉄の塊を真っ二つだと・・・?」

 絶叫する司会の解説の聞きながら、流石のハリードも俄かには信じられないと言った様子で周囲のオブジェクトへと視線を配る。
 頑強なヴァンツァーが飛び乗ってもびくりともしない頑強なオブジェクトを割るなんて、実際可能なことなのだろうか。これほどの厚みの鋼鉄ともなると、巨龍種の分厚い鱗をすら上回る強度だろうに。

『凄まじい威力の斬撃を披露したのは、エレンと愉快な仲間たちの主将、エレン選手だぁぁぁぁぁああ!!!! これには思わずヴァンツァー【ナッシング】機も腰を抜かして起き上がれないぃぃいい!!!!』

 続いて叫ばれる名前を聞き、ヴァンツァーたちが戦慄の様子を見せる一方で、ハリードらは苦笑いを浮かべる。

「おいおい・・・エレンのやつ、こいつを薪割りと同じテンションでぶち割ったっつーのかよ!!はっはっは、ダイナミックじゃねえか!!」
「いやこれ割れねぇだろ・・・剣のがポッキリいくって・・・」

 ブラックが豪快に笑い飛ばし、ウォードがオブジェクトを剣先でコツコツと叩きながら呆れた声を上げた。
 そんな二人を他所に、ハリードはその場の全員が戦意を削がれたその一瞬で、素早く思案する。
 例えば四魔貴族や巨龍種のような規格外の存在でもないかぎり、戦場というのは個の武力で勝負が決まることはない。
 まずは数、つまり物量が最も重要で、それに応じて選択肢が広がる戦略、次に戦術と続く。他には自軍の練度なども並行して重要度が高く、個の武力とは実際、一般的な重要度としてはかなり後ろにくる。
 だが稀に、個の武力が戦術や戦略レベルに達することがあるのだ。
 それは実際非常に稀なことだが、何度か歴史にはそうした事例もある。ハリードが敬愛してやまないゲッシア建国の英雄アル=アワドなど、まさにその典型と言えるだろう。
 そうした存在が戦場で起こす何らかの行動は、そのまま両軍全体のモラルをも左右するような一手と成すことが可能だ。
 例えばそう、今この瞬間などのように。

「なぁマッドブル。このチームの主将が俺じゃなくてエレンっつー女である理由が、あんたには分かるか?」
「・・・何?」

 左足に重心を移して腰に当て、まるで世間話のようにハリードが問いかける。
 対して臨戦体勢こそ崩さないものの、すっかり戦意が削がれた様子を隠しきれていないマッドブルは、ついその問いかけに反応してしまった。

「なに・・・簡単な話さ」

 カムシーンの背を肩に乗せ、ハリードはにやりと口の端を釣り上げながら言った。

「俺よりあいつの方が強いからだ」
「・・・ふっ、まさかそのような・・・」

 しかしマッドブルは、そのまま否定の言葉を言い切ることができなかった。なにしろ今まさに、前代未聞の脅威的な破壊力を目の当たりにしたばかりなのだ。
 仮にあの攻撃を自分が受けていたらと思うと、思わず背筋が凍りつく。
 まさか、あの世界的に有名な傭兵トルネードにも並ぶほどの存在がいて、しかもその二人がタッグを組んでいるとは。まず自分がトルネードに対して敵うかどうかも不明だというのに、それを超えるような相手など、ヴァンツァー【ウィナー】が率いる逆サイドチームにはあまりに荷が勝ちすぎる。
 瞬時にそこまで思考し、一層表情を険しくするマッドブル。

「あいつが次に振るう斧は、確実にヴァンツァーの誰かをぶった斬るだろう。そうなりゃ、間違いなくそいつは再起不能だろうな。そうならんうちに俺らを倒して助けに行くか、それとも手っ取り早く降参するか。早いところ決めることを強くお勧めしておくぜ」
「・・・くっ」

 続けて発せられたハリードの言葉に明らかに動揺した様子のマッドブルは、しかしそれでも戦場で敵に背中を見せるようなことはしない、生粋の戦士であった。
 ここまでに削がれた戦意をなんとか奮い立たせ、手にした武器を構え直し、周囲のヴァンツァーに号令をかける。その姿は正しく隊長機に相応しいと、敵ながらハリードも感じ入るほどだ。
 だが性急な判断には必ず綻びがあり、乱れがあり、そして隙がある。
 それこそが、ハリードの狙いだ。
 人間同士の戦で無類の強さを誇る傭兵将トルネードの真骨頂、正にここにあり。

「ストレイキャット、ハッピーラング、一気に仕留めるぞ、デルタアタックだ!!」

 マッドブルの決死の覚悟を受け、ハリード、ウォード、ブラックは一様に得物を構え、臨戦体勢に入った。

 

 

「お、おれたちの戦法が通用しないとは・・・」

 ガックリと肩を落とし、真っ二つに割られた得物を地面に突き刺したマッドブルが、力無く呟く。
 その姿を前にしながらカムシーンを悠々と踊らせて納刀したハリードは、いつものようにニヤリと口の端を釣り上げた。

『決まっっっっったぁぁぁぁあああああ!!!! なんとなんとなんと、第六十三回ツヴァイクトーナメント優勝チームは、初出場のダークホース、エレンと愉快な仲間達だぁぁぁぁああああ!!!!』

——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

 もはや絶叫を通りこして息も絶え絶えといった感のある司会の怒号に合わせ、会場全体が揺れるような歓声に包まれる。
 その最中にも驚くほど俊敏に闘技フィールドは片付けられていき、あれよあれよという間にエレンたちは壇上から見下ろすツヴァイク公爵の前に立たされていた。

「見事であったぞ。褒美を授けよう、近こう。わしの顔をほりこんだありがたい優勝メダルだ」

 代表して一歩前に出たエレンが受け取ったのは、しっかりとした重量を持ったゴールド製のメダルだった。何度かハリードと共に貴金属に触れたことがある彼女は、直感でこれが本物のゴールドで出来ているであろうことを察した。
 造形のセンスは最悪といって差し支えないが、これは換金すれば相当なオーラムになる。それを確信したエレンは、内心で思わずほくそ笑む。

「あとこちら、副賞の一万オーラムです」

 続けてコロシアムスタッフからオーラムの詰まった袋をハリードが受け取り、これまた悪役の見本のような笑みを浮かべる。その笑顔の邪悪さは、本職のはずのブラックですら堪らず眉を顰めてしまうほどだ。
 そんな様子の二人を他所に、何やら興奮した様子で身を乗り出してきたのは、先ほどエレンにゴールドメダルを授与したばかりのツヴァイク公であった。

「もう一つ、優勝者に頼みがある」

 その言葉に、待ってましたとばかりにエレンとハリードの二人が視線を向ける。

「君らほどの強者であれば、聖王遺物として名高い『聖杯』のことは聞いたことがあるだろう。それが今、ポドールイのバンパイアの下にある。聖王遺物とは、我々人類の至宝だ。あんなモンスターに聖王遺物を握らせておくわけにはいかん」

 そう語るツヴァイク公の表情は見る見るうちに怒りに打ち震えるように怒気を増し、赤らんでいった。

「なんとしても我ら人類の元に絶対に取り戻すのだ。だが、かのバンパイアは卑怯にも城に閉じこもり、闇に紛れ、非常に狡猾だ。故に一筋縄ではいかず、我々も手を拱いている。どうか、強者たる君たちの力を貸してほしい」

 ツヴァイク公は正しく自らに絶対の正義があるかのように語るが、実際にポドールイのレオニード伯爵に会ったことがあるエレンからすると、果たして本当にあの伯爵がそのような存在なのかどうか、すぐには判断が付かなかった。

「報酬は?」

 すかさずハリードが、短く質問する。
 その無礼な態度に公爵の周囲が色めき立つが、中心にいるツヴァイク公はなんら気にすることなく片手をあげて周りの臣下を制し、にやりと笑う。

「無事に聖杯を我が元に持ってきた暁には、今渡した優勝賞金の倍額を更に出そう。また、聖杯以外にもバンパイアめは多くの財宝を隠し持っていると聞く。だが、わしはそれらには興味がない。聖杯以外のものは、自由にしてくれてかまわぬ」

 ツヴァイク公の言葉に、ハリードはこれまたニヤリと笑みを浮かべる。

「二万オーラムと財宝か・・・いいだろう、承った」
「おぉ、それではよろしく頼むぞ。ポドールイへ向かう関所は、そのゴールドメダルを見せれば通行可能だ。是非とも聖杯奪還隊として、任務を果たしてくれ」

 ツヴァイク公とハリードはお互いに笑顔を交わし、すぐさま一行はその場を颯爽と立ち去ることにする。
 いつまでも鳴り止まぬ観客のスタンディングオベーションに見送られて出てきたコロシアム出口では、少年がすでに旅支度を整えて全員分の荷物も用意しつつ、今か今かとエレン達を待っていた。
 そこに合流するとエレンは無言で少年に向かって片手を翳し、ぱちんと軽くハイタッチを交わしてから即座に荷物を手際よく背負っていく。

「なんだかよく分からんが、まぁ頑張れよ」
「また会おう、必ずなのだ」

 気持ち程度の分け前をハリードから受け取ったウォードとゆきだるまに城門で見送られつつ、エレン達は意気揚々と東へ向かい歩き出した。

「よし・・・それじゃあいくわよ、ポドールイへ!」

 

 

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第十章・1 -三百年の平和-

 

 聖王歴三百十七年、赤火の月。
 歴史上二度目となった四魔貴族と人類の戦いはここに決し、世界からアビスの脅威は去った。
 この事が世界中に伝わるのに大した時間が掛かることはなく、きっと一ヶ月ほどもすれば世界中が喜びに満ち溢れる事だろう。
 かの聖王記に記されしパウルスの予言、それに導かれし八つの光は見事、その使命を成し遂げた。大いなる邪悪を打ち倒し、アビスの彼方に封じたのだ。
 英雄はこれより各地を凱旋し、大いに民の祝福を受け、三百年先までこの偉業は語り継がれるに違いない。

「・・・そう簡単に、この英雄譚はめでたしめでたし、となるのでしょうかねぇ?」

 暗く陰気な石作りの空間の中で、何者かが呟く。その声色は、どこか愉しげだ。

「かつて歴史上初めて死蝕を生き延びた祝福の子は、長じて破壊を齎す魔王と化した。そして魔王の再来を恐れられた忌み子は、世界を救う聖王となった。さて・・・此度の宿命の子と救世の英雄は一体、何者になるのでしょう」

 一人くすくすと嗤い声を上げ、そこからは見えない空を見上げるような仕草をする。

「サーガは、まだ終わっていませんよね?」

 それは予言か呪いか、はたまた切なる願望か。
 誰にも聞かれることのない孤独な空間で呟かれたその言葉は、間も無く暗闇にひっそりと、跡形もなく溶け落ちていった。

 

 

 再び世界に迫ろうとしていた危機は、パウルスの予言にて示された存在である八つの光によって、見事退けられた。
 最終決戦の場となったのは、メッサーナ王国首都ピドナの旧市街にある魔王殿の奥深く。四魔貴族の一柱である魔戦士公アラケスか守護すると言われる、最も人類生活圏の側にあったアビスゲート。
 人類勝利の知らせはメッサーナ王宮を通じて瞬く間に世界に発信され、世界各地の新聞社も連日この吉報を一面で報じた。
 世界は、文字通り歓喜に包まれた。

 その知らせから、二週間が経っていた。

「それでは皆様・・・本当に、お世話になりました」

 間も無く出航の時間となるキャラック船を背に深々と一礼するモニカに従い、すぐ後ろに控えていたカタリナも深々と礼をする。それを見た隣のユリアンも、釣られてぎこちない礼をした。

「・・・帰りの道中も、どうかお気をつけ下さい」

 そう言いながら少し寂しげに微笑んでみせたトーマスは、礼をした後に俯いたままのユリアンへと視線を移す。

「ユリアン・・・モニカ様をしっかり守ってくれよ。何かあったら、すぐ俺に連絡をくれ」
「・・・あぁ、わかったよトム」

 自分がこうしてトーマスらと別れる状況に、どこか非現実的な感覚を未だに抱いている様子のユリアン。しかしそれでも彼はしっかりとトーマスと視線を交え、力強く頷く。

「カンパニーも、寂しくなりますね」

 何故か当然のように見送り一向に加わりトーマスの横に立っていたフルブライト二十三世が、心底残念そうな顔でカタリナに視線を向ける。
 カタリナはこれに対して会心の出来映えだと自画自賛できるほどの嫌そうな顔で返し、それから一転、今度はニコリと微笑む。

「ご心配なく、フルブライト二十三世様。カンパニーは近く代表権をトーマスに移し、合わせて社名も変更する予定ですので」
「それが残念なのだよ」

 そんな貴方の趣向など知ったことではないのです、と表情で物語りながら、カタリナは恭しく無言で一礼した。

「・・・エレンやハリード様たちは、もう行ったのですね」

 その場で周囲を軽く見渡したモニカが、こちらも少し寂しそうに微笑みながら呟く。

「・・・はい。ただエレンたちとは定期的に連絡を取りますので、何かあればモニカ様にも直ぐにお伝えします」

 トーマスとモニカがそんな話をしている横で足早にカタリナへと近づいたノーラは、臆面もなくその場でカタリナをしっかりと抱きしめた。
 鍛え上げられたノーラの筋肉による締め付けは常人なら少し痛がりそうなものだが、カタリナはされるがままにしながら微かにはにかみ、そっと彼女を抱きしめ返す。

「・・・カタリナ、本当にありがとう。あの時あんたが来てなかったら聖王の槍も取り戻せなかったし、こうして工房が復活することもなかったよ」
「ノーラさん・・・」
「さん、はおよしよ。ノーラでいい。またいつでもおいでよ。マスカレイド程じゃないけどさ、あんたにぴったりの武具はいつでも何度でも、あたしが仕立ててあげる」
「えぇ・・・ありがとう、ノーラ。また必ず寄らせてもらうわ」

 抱擁の後にしっかりと二人は握手を交わし、お土産代わりにと昼食用のサンドイッチが入ったバスケットを持たされる。

「昨夜ご挨拶はさせていただきましたが、ミューズ様とシャール様にも、改めてどうぞよろしくお伝えください」

 残念ながら公務の関係でこの場にはいない二人のことを思いモニカが言うと、それにもトーマスがしっかりと頷いた。

「おーい、そろそろ出港だってよー」

 乗船用の登り台から身を乗り出してモニカ達に声をかけてきたのは、ポールだ。そしてその背後には、キャンディの姿もある。

「キャンディ、あんたがいないと帳簿の整理が詰まっちまうんだから、早めに帰ってきとくれよ!」
「分かってるよ親方!」

 ノーラが大きく手を振りながら声をかけると、合わせるようにぱたぱたとオーバーサイズの袖を振りながらキャンディが応える。
 ポールとキャンディの二人はカンパニーとしての所用などもあって、モニカらと共にロアーヌへ向かう予定だ。
 ポールの声かけに伴い、モニカは名残惜しげにトーマスらを見渡してから最後にもう一度深々と一礼をし、そしてゆっくり船へと向かっていく。
 それに続いてカタリナ、ユリアン、そしてその後ろに控えていたフェアリーも続いていった。
 その様子を、口を真一文字に結びながらじっと眺めていたトーマスは、やがて船へと乗り込む渡し板が外され錨が上げられ、船が港湾を離れるまでずっと、同じ表情のまま見送っていた。
 対照的にその場では笑顔での見送りをしていたノーラが、徐々に離れていく船を見ながらふと真顔になり、そして遂には眉間に皺を寄せる。

「・・・自分たちの国を救ってくれた英雄たちの見送りだってのに、王宮の連中は誰一人来やしない。それどころか邪魔モノ扱いだなんてさ・・・本当にあたしらの国はどうかしてるって思っちまうよ」

 忌々しげにそうつぶやいたノーラの隣で、トーマスは手癖で眼鏡の位置を直し、瞳を細める。

「・・・そうですね。事情があるとはいえ、釈然としない気持ちになるのは俺も同じです」

 二人の表情を曇らせているのは、まさに目の前で行われていたモニカの慌ただしい帰郷劇の内情であった。

「世間的には死亡したとされていたモニカ様の生存が公式に知れ渡り、且つメッサーナ王国へ助力を提案するロアーヌ侯国大使という便宜上の役割も終わった以上、モニカ様については一刻も早い今後の対策が必要ですからね・・・」

 およそ一年ほど前、ツヴァイク公爵子息との婚儀のためにモニカを乗せた船がツヴァイクへ向かう途上、魔物に襲われて沈没した。
 これによりモニカ姫は船もろとも海中に没し、その短い人生を終えた。
 これが、つい最近までのモニカに対する世間的な認知であった。
 だが真実は異なり、モニカは辛うじて生きていた。
 この時点でモニカに示された道は二つ。過去の自分と決別し、人知れず生きていくか。若しくは真実を公表し、元の立場に戻るか。
 ユリアンという生涯を誓い合うパートナーを得たモニカは、一度は母国を捨て彼と共に生きることも考えた。しかし彼女はやはり王者の資質を引き継いだ、英雄の子孫だ。結局は、己の幸福のみに甘んじていられる気質ではなかった。
 それゆえモニカの生存はトーマスを通じ秘密裏にミカエルにも共有され、それ以降は公的な復帰の機会を窺うこととなったのだ。
 そして訪れたのが、此度のピドナ瘴気蔓延に端を発する、急遽のアラケス討伐という難事。
 アビスリーグ事件から立ち直りつつあるピドナへの被害を最小限に抑えるべく、カタリナら人類最強戦力の早期投入による可及的速やかな制圧の実行。且つ、この機にメッサーナ王国に対して数ヶ月前の物資援助の借りも返せる、ロアーヌ侯国的最適解で物事を進めていく。
 これらを実現するにあたり、本件がモニカの表舞台復帰も兼ねる絶好の機会であろうとミカエルは判断した。
 数ヶ月前、四魔貴族ビューネイ率いる魔物郡と交戦、危機的状態にあったロアーヌ軍へルートヴィッヒが支援物資を送ったことへの返礼。そこでルートヴィッヒが一筋縄ではいかない要望を行なってくるであろうことは、考えるまでもなく分かっていた。
 それを牽制しつつアラケスによる世界的被害も抑えるならば、カタリナの戦力を返礼として一時提供することが最も効果的であったし、そのための対ルートヴィッヒ折衝という大役も、侯爵の妹であるモニカならば格式としてなんら問題はない。
 そしてなによりも。
 モニカの復帰とはつまり、かのロード・ツヴァイク、即ちツヴァイク公爵子息との婚儀・・・これを無視してまで生存の事実を伏す必要があったとツヴァイク公国に納得させる事情を、なんとしても成立させねばならなかった。
 これは国家間勢力バランス的には、相応の難事だ。
 十分な大義名分と共に証明できる、正に千載一遇の機会でなければならないだろう。

「モニカ様が伝説の八つの光の一人であり、それを聖王家との連携により知り得て魔物共から保護したのが、メッサーナの名族たるクラウディウス家のミューズ様だった・・・。その筋書きだからこそ、最後の四魔貴族であるアラケスとの対決までは余計な危険に巻き込まれぬよう伏して隠匿した点にも、国際的なバランスが取れる。そこまでが、俺たちの想定です」

 メッサーナ王国に次ぐ大国であり、自軍の強化にも余念がないツヴァイク公国。彼の国に事情を黙認させるための筋書きが、トーマスの言う想定だ。
 トーマスの言う通りにクラウディウス家とロアーヌ侯家が示し合わせれば自動的に、ミューズを陣営に引き入れたメッサーナ近衛軍団もこれに同調せざるを得ない。
 そうしてメッサーナまで巻き込めばこそ、ツヴァイク公国も事情に一定の配慮をせざるを得ず、必要以上の政治的駆け引きが出来なくなる、というわけだ。
 こうして今に至るまでの事情については、一定の解決が見込めていた。
 だがそれはあくまで、アビスの脅威という強力な楔があってのこと。
 それが消え去り隠匿すべき事情も解消されれば、メッサーナとしては自国内でモニカを庇護し続ける理由はない。
 むしろ国内にいられるだけで、ツヴァイクにいらぬ因縁をつけられる口実となりかねない。つまり、政争要因となってしまうのだ。
 となれば後のことは、自国内でやって欲しい。つまり、一刻も早くロアーヌへ帰国願いたいと考えるのが自然だった。
 事実、アラケス討伐を知らせた翌日には態々ルートヴィッヒの署名まで付けて、送迎用に要人専用キャラック船を手配させる旨の書状が使者からハンス邸に届いた。
 即刻お帰りいただきたい、という明確な意思表示だろう。
 こうした事情により、モニカは必要最低限の準備だけを終えて早々に帰国することとなったのであった。

「我々フルブライトとしては、カタリナカンパニーと改めて同盟を組んだ上で、今最も勢いのある国家であるロアーヌに大々的に進出するいい機会でもある。なので、悪いことばかりでもないけれどね。それに世界は間違いなく、君たちが齎した平和に歓喜しているんだ。我々もそれに倣い、このような展開もいい方向に捉えていくしかないだろう」
「・・・・・・そう、ですね」

 フルブライト二十三世の言葉に、トーマスはまるで自分に言い聞かせるように呟きながら浅く頷く。
 世界全体は、確かにこれから三百年、気兼ねなく前に進むことが出来るのだろう。
 世界中がそれを素直に受け入れ歓喜しているのも、もちろん知っている。
 だが、しかし。

(・・・この平和を喜ぶ・・・俺が・・・?)

 ゆっくりとした仕草で眼鏡の位置を直すように手を添えながら少し俯き、すっと目を閉じる。
 すると今も鮮明に、二週間前のあの光景が、瞼の裏にありありと映し出されるのだ。

「・・・・・・・・・冗談じゃない・・・。俺は必ず・・・助ける」

 閉じた時と同じようにゆっくりと目を開き、沖合に出てかなり小さくなった船影へと視線を向ける。
 トーマスは無意識に両の拳をぎゅっと握り締め、風にかき消されるような小さな声で、そう呟いていた。

 

 

 モニカ一行を乗せたキャラック船が、ヨルド海をロアーヌ領ミュルスへ向けて出航したのと同刻。
 それより一足早く同海をツヴァイク公国へ向け出航していたキャラベル船の甲板上に、どの船員よりも我が物顔で艦首に立ち波を見つめる男の姿があった。

「んー確かにこのヨルド海っつーのは、温海や西太洋と勝手が違うな。この波風じゃあ、西より小型で縦帆メインの方が有利だってのも頷けるぜ」

 南国人特有の艶がある黒髪を潮風に揺れるに任せながら、ブラックは全身で航海を堪能していた。
 彼が十年ほど前に主だって活動していた海域と異なる、四つの内海の中で最も奥まった海域であるヨルド海。
 ロアーヌ地方やポドールイ地方を結ぶ航路となるこの海は、外海である西太洋から最も離れた内陸側に位置している。そのためか、海風や波の調子が他の海と異なり航行難易度が高く、また沿岸部では座礁などの危険性も大きい海域だ。
 そのため大型船舶よりも中型以下の船体が海域との相性も良く、帆も横帆ではなく小回りのきく縦帆が好まれる。

「あの・・・お客さん、あんまその辺に立たれてると」
「あぁ!?海の上で俺に指図すんじゃねぇ!!!」

 明らかに堅気ではない様子のブラックに対して懸命に話しかけた船員に向かい、ブラックは理不尽極まりない一喝をする。
 慌てて逃げていく船員の背を不機嫌そうに睨みつけたブラックは、再び海風を満喫するように船首へと向きを戻した。

「ちょっと、あんまり騒ぎとか起こさないでよね」
「あぁ!?」

 背後から掛けられた声にブラックがまたしても不機嫌そうに応じると、今度は全く彼の恫喝にも怯む様子のない人影が、お構いなしに近くまで歩み寄ってきた。

「なんだ、エレンか。お前はこの波でも全然酔わないんだな」
「まぁね。このくらいの揺れとかは全然平気」

 エレンが腰に手を当てながらそう言うと、その後ろから長身の男も近づいてくる。
 いつも通り腰にカムシーンをぶら下げたハリードであった。

「斧は得物に合わせた重心の移動が重要だからな。体幹や平衡感覚が鍛えられるから、こういう時にも役立つんだろう」
「はん、俺様と同じ斧を扱うなんつーおっかねぇ女は趣味じゃねぇな」
「奇遇ね、あたしもあんたは全然趣味じゃないから安心して」

 ブラックの軽口にエレンが軽妙な返しをすると、ブラックは満更でもない様子でニヤリと笑いながらエレン達に向き直る。

「ふん、そういやお前の趣味は、長身黒髪の砂漠の民だったな?」
「・・・うっさいわね。ほっときなさいよ」

 何があったのかは知らないが、半年ほど前にピドナを飛び出していき、その後二週間前に一緒に帰ってきたかと思えば。
 どうもこの二人、距離感が以前と違う。
 実はブラックという男、そういうところに異様な察しの良さを発揮するのであった。
 とはいえ、恐らくこの二人の関係の変化はブラックでなくとも分かったことだろう。
 二週間前に突然帰ってきたかと思えばそのまま魔王殿に向かった後、エレンは強烈な瘴気中毒による昏睡状態で、ハリードによってハンス邸に担ぎ込まれてきた。
 なんでも魔王の斧を使用した代償らしく、エレンが魔王の斧と共にハンス邸から持っていった聖王遺物である栄光の杖の加護がなければ、命そのものが危なかったそうだ。
 そうしてエレンはミューズによる天術の治療魔術を受けながら三日三晩ほど意識が戻らぬまま寝込んでいたわけだが、その間、彼女の元を離れず献身的に世話をしていたのが、誰あろうハリードだったのである。
 普段の彼を思うと非常に意外な光景だとも思えたが、その様子を見ていたシャールが呟いたことを、ブラックは印象深く覚えている。
 曰く「守護する対象を定めた者は、ああなるものだ」だそうだ。
 ブラックにはそういう対象がいたことはないし今後も予定はないが、そういう理由で船を降りる団員を彼は何度か見送ってきた。だからなのか、存外すんなりと理解することはできる。

「別にいいじゃねえか。惚れたやつが近くにいるってのは、悪いもんじゃねえんだろう?」

 それははたして、どちらに投げかけた言葉なのか。
 ハリードもエレンもお互いをちらりと見たかと思うと、満更でもなさそうな顔でうっすらと笑みを浮かべ、すぐ元の表情に戻る。
 あぁ、やだやだ。こんな感じのナチュラルな惚気オーラを浴びながら暫く行動を共にすることになるのかと思うと、気が滅入るというものだ。

「ったく・・・見てるだけで腹一杯だぜ。なぁお前もそう思うだろ、ロビン」

 エレン達の少し後方、右舷側甲板の縁にへばり付いている瀕死のロビンへと、ブラックが声をかける。
 もう吐き出すものがないのか、時折口から胃液をぽたぽたと海面に滴らせながらぐったりしていたロビンは、無言で右手だけ上げてブラックの声に反応した。残念ながら、喋れる状態ではないようだ。

「・・・こいつはツヴァイクに着くまでダメそうだな。そうするとあと話し相手になりそうなのは・・・」

 そう言いながらブラックは、ぐるりと甲板を見渡す。
 するとその視界の端、甲板の後方に、線の細い人影を見出す。

「あの辛気臭せぇガキだけか・・・」

 一人甲板の後方に立ち海面を眺めているのは、見慣れない衣服を纏った少年。
 二週間前のあの日、魔王殿から帰ってきた五人の中の一人。カタリナ、トーマス、ハリード、エレンと、そしてあの見慣れぬ衣服に身を包んだ、謎の少年。
 少年は、自分のことをテレーズと名乗った。なんでも、サラが少年にそう名付けたのだそうだ。
 常に下を向き、陰気で口数少なく、やっと喋ったかと思えば口から出てくるのは辛気臭い言葉ばかり。率直に言って、ブラックが最も嫌いなタイプの人種だ。

「・・・けっ、楽しい旅になりそうだぜ」

 手癖なのかガリガリと耳の後ろあたりを掻きながら、ブラックはもう一度、広大なヨルド海へと半眼で視線を投げかけた。

 

 

 ピドナを出航してから五日ほどで、モニカらを乗せた船は無事にミュルス港へ入港した。
 カタリナとしては実に一年半ぶりに訪れたミュルスだが、なんだか以前訪れた時よりも活気があるようにも感じられる。
 いや、それはあの時の自分が周りを確りと見られておらず、今になってちゃんと見たからそう思うだけなのかもしれない。なにしろあの時は、自らの不手際で奪われてしまったマスカレイドを取り戻すため、殆ど当てもなくこの街を彷徨っていただけなのだから。

「それじゃあ俺とキャンディは、すこしばかりミュルスに滞在してからロアーヌへ向かうよ。まぁ、この先はいよいよ立場が違うから会える保証もないだろうけどな。とにかく、道中気をつけてな」

 ミュルスの東門からロアーヌへ向け侯族専用の馬車に乗り込むモニカ、カタリナ、ユリアン、フェアリーを見送るように、ポールとキャンディが手を振る。

「いいえ、必ずロアーヌ宮殿を訪ねてくださいませ。お二人のことは、しっかり城の者に話しておきますわ」

 モニカはそう言いながら少し寂しげに微笑むと、トーマスらの時と同じく一礼し、馬車に乗り込んだ。

「・・・ユリアン、この先結構大変だと思うけどさ、がんばれよな」
「・・・あぁ。お前も元気でな、ポール。キャンディも、またな」
「うん、またねー」

 年も近かったからか色々と気が合ったらしいユリアンとポールは、互いに固く握手を交わしながら短い別れの言葉を送り合う。
 そしてユリアンも馬車に乗り込んだあと、ポールはカタリナに向かい合った。

「カタリナさんよ・・・あんたとは妙な縁だったが、いよいよここでお別れなんだな」
「そうね・・・カンパニーの方は、トーマスと共によろしく頼むわ。ただし、まだまだ未熟なんだから剣の鍛錬も怠らないこと。あと、忙しくても折を見てキドラントには定期的に帰ること。ニーナちゃんをあまり寂しがらせてはダメよ」
「おいおい、お袋かっての・・・まぁ、分かってるよ。もう昔の俺じゃないつもりだ。しっかりやるさ」

 そう言いながら差し出されたポールの右手を、カタリナはしっかりと握り返す。
 小煩く言ったが、こうして一年以上もさまざまな旅を共にしてきたこの男ならば、きっとこれからも上手くやれることだろう。少なくとも自分よりは器用に立ち回れるだろうな、という確信もある。

「フェアリー、ウチ絶対いつか妖精の里行くからね」
「はい、キャンディさんが来る時は、新しい妖精の里を案内しますね」

 いつの間にか目端に大粒の涙を浮かべ、キャンディがフェアリーの手を両手で握りながら語りかけている。
 フェアリーが何歳なのかなどは聞いたこともないが、確かに二人は見た目の年頃は似ている。というか、フェアリーの方が幼く見えるくらいだ。なのでキャンディにとってフェアリーは、歳の近い友人というイメージだったのだろう。別れを惜しむのも頷けるというものだ。

「それじゃあ、二人とも元気でね」

 短く別れを告げ、カタリナとフェアリーも馬車に乗り込む。
 そして間も無く馬車は、ロアーヌへ向けて走り始めた。急ぎ便であればロアーヌとミュルス間は日中いっぱいを使って駆け抜けることも可能だが、それは流石に乗客にも負荷がかかる。なので今回は、途中に宿場を挟んで明日の午後にロアーヌに着く予定だ。

「・・・本当に、寂しくなりますわね」
「モニカ・・・」

 長く美しい睫毛が儚げに揺らめき、それに合わせて艶やかな金色の横髪が顔にかかる。それを気にしない様子で少し俯きながら呟いたモニカに、隣のユリアンがそっと彼女の手を握ってやった。
 この一年半ほどの間には、本当にいろんなことがあった。
 それはカタリナにしてもそうだが、他の面々にしてもそうだったはずだ。
 皆に多くの苦難があり、それと同じく多くの出会いもあり、とても短い言葉では言い表すことができないような、沢山の事を経験してきた。
 特にモニカはその立場ゆえに他者とは異なる心労があったことも想像に難くなく、更にはこの先にも幾つかの困難が待ち受けているのが目に見えている。
 だから尚のこと、束の間の楽しかった日々が強く思い出されるのだろう。
 カタリナは自分も彼女に長く仕えた家臣の一人として、これからもその支えにならなければいけないと心を新たにする。例え、関わり方がどのような形に変わろうとも。
 それからは馬車の中で殆ど会話らしい会話もなく、馬車はかつて世界を救った英雄の一人が先陣を切って駆けたとされるミュルスロアーヌ間を結ぶメイン街道、フェルディナント街道をゆっくりと進んでいった。

(・・・・・・私は、これからどうするべきなのだろう)

 馬車の外に流れる風景をぼんやりと眺めながら、カタリナはふと、そんなことを思う。
 これはミュルスへ向かう船の中から、いや、そのもっと前から考えていたことであった。
 王家の指輪を受け取ってから始まった八つの光としての使命は、四魔貴族を打ち倒したことで果たされたはずだ。そして、それを成したら聖剣マスカレイドを返上するとミカエルに約束したのだから、まずはそれをする。それは、既に決まっていることだ。
 だが、その先はどうするべきなのだろうか。
 まず以て、もう旅に出る前の状況に戻れないのは明らかだ。これは、旅の途中にも何度か思いを馳せたことでもある。
 そもそも彼女が最も長く側に仕えた主人たるモニカは、ユリアンと生涯を共にするという固い決意を秘めて帰国の途についている。つまりこの先、彼女の最も近くにいるべきはそもそも自分ではなく、彼なのだ。
 もちろん、そう易々と事が運ぶとは考えてはいない。侯族たるモニカと開拓民であるユリアンでは、あまりにも身分が異なる。
 それこそ、平民出身の母を持つミカエルやモニカが幼い頃に苦しめられてきた境遇以上の過酷さが、そこには待ち構えていることだろう。
 故にミカエルがそのまま許すことは、まず考えられない。
 だが仮にミカエルが認めなかったとしても、モニカはもうそれに従うことはないだろう。彼女は今も誰より兄を敬愛しているが、しかしそれだけが彼女の心の拠り所ではなくなったのもまた、事実なのだから。
 そしてきっと、ミカエルもまたモニカの意思を今なら何らかの形で尊重するような気もしていた。
 旅に出る前に比べれば、カタリナにも少しは世界のこと、経済のこと、国家のことなどが見えるようになったから尚の事、そう考えるのかもしれない。
 確かに一年半前のあの時、モニカをツヴァイクへ嫁がせるという判断は、彼女の身の安全にとって最も良い選択だったのだろうと思う。その上で国家間の勢力バランスにも悪影響の出ない、状況的に最善と思わせる采配だ。
 きっとモニカもその意図が分かっていたから、悩み、涙し、それでも最後は承諾したのだろう。
 だが、時と共に状況は変わった。
 この一年半だけでもロアーヌの国力は急激に増大し、魔物の活動が沈静化していくであろう今後は、更なる躍進が確実視される。
 その勢いに当然ながらツヴァイクを含めた諸国は危機感を抱き様々な形でロアーヌへと関わってくるであろうが、今の国力とナジュ地方へ跨る流通網を得たミカエルの外交手腕ならば、さしたる問題にはならないだろう。
 つまり、ツヴァイクに対しても過度に下手に出る必要はもうないのだ。
 となればモニカという人格をむざむざ不幸に誘う選択肢を、ミカエルが取るはずはない。カタリナにはそんな、根拠のない確信があった。

(二人のことに関しては、私も微力ながら口添えはさせていただこう・・・)

 それはかつて、ピドナのパブ・ヴィンサントでユリアンにも約束したことだ。モニカの幸せを願う気持ちならば、ミカエルにだって負けないつもりではいる。

(・・・だけど、私自身は・・・)

 自分のこととなると、また話は別だった。
 ロアーヌ侯国にとってカタリナ=ラウランという元侍女にして騎士は、建国時から伝わる国宝を一時紛失させた罪人でもある。通常ならば、相応の処罰をされるのが妥当であろう。

(そりゃあ言い渡されれば斬首だろうと受け入れる覚悟だけれど・・・ミカエル様はお優しいから、それをしないだろうことも薄々分かってる。それに八つの光という聖王教会における最上級の特性を考慮すれば、私には相応の利用価値もあるわ・・・だからこそミカエル様がお示しになられる道に従い、これからも剣としてロアーヌに尽くせるのならば。それは何も迷うことなんてない、とても幸福なこと・・・)

 そう、迷うようなことではない。
 だというのに、彼女は何よりまず最初に、こう思ったのだ。
 自分はこれからどうするべきなのであろうか、と。
 世界には、三百年の平和が訪れた。我々はそれを喜びとともに受け入れ、其々が前を向いていかなければならない。
 そのはずなのに、彼女の中には、とても大きなしこりがある。
 そしてその原因も、実のところ凡その目星はついていた。

『あたしはサラを探す。生きてるなら必ず探し出して、絶対に連れ戻す』

 二週間前、あの決戦から数日後。
 ハンス邸でそう言い放ったエレンの言葉には一切の淀みがなく、他の全てを犠牲してでもそれを成し遂げるという強い決意がそこにあった。
 例えそれが全世界から非難される行為であっても、彼女にはそんなことは一切関係ないのだ。ただ彼女がそうするべきと確信したから、行動するだけ。
 その強い意思と言葉を前に、カタリナは何も言うことができなかった。

(私には、あんな言葉を紡ぐことは出来ない・・・私は、ロアーヌの剣なのだから・・・)

 八つの光としての使命を果たした今、これからは改めて一人の騎士として、誠心誠意ロアーヌ侯国に仕える。それが自分の、正しく行うべきこと。

(なのに・・・なぜ私は、今も迷っているのだろう・・・)

 

 

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第九章・3 -お・も・て・な・し-

 

「・・・しかしこれはまた、実に煌びやかな宴席ですな」

 そこは果たしてこの世か、はたまた楽園か。
 老紳士は、見たこともないような火を使わぬ照明器具で華やかに装飾された宴会場と、その中央舞台の上で楽人もなく流れる音楽に合わせて踊る金髪の女性を眺めながら、豪奢な料理が盛られたテーブルの向かいに腰掛けるラブ=ドフォーレへと声をかけた。

「いえいえ、本来ならばバンガード全てを貸し切ってでもおもてなしを差し上げたかったところですよ、バイロン卿」

 ラブはそう答えながら、優雅にヴィンテージワインが注がれたグラスを傾けた。
 今宵の主賓であるこの老紳士は、フルブライト商会要職であると同時に商業都市国家ウィルミントンの執政議会議員を代々務める名家、バイロン家の当主だ。
 その名はウィルミントンで最も名のあるホテルに冠せられているほどで、フルブライト商会においても数代に渡り並々ならぬ功績を共に築き上げてきた家柄でもある。
 このバイロン卿を筆頭に、この日は総勢百名にも迫ろうかというほどのフルブライト商会関係者をこの会場に招いており、各々が最高級の料理と酒、そして数々の趣向を凝らした催しに興じている。
 トレードの際によく用いられるお持て成しの規模としては、間違いなく史上最大だと言えるだろう。

「あの舞台上で踊っておられるのは・・・ひょっとして、かの有名なプロフェッサーですかな?」
「流石はバイロン卿、博識でいらっしゃる。あのツヴァイク公をパトロンとして射止めたというダンスだそうで、私も初めて拝見しましたが、確かにこれは一見の価値がありますな」

 教授がダンスを踊る舞台周辺には、確かに会場にいる大半の来賓が集まっており、大変な盛り上がりを見せていた。
 それは例えば場末の酒場で見られるような、聞き慣れたフィドルやギターに合わせて舞う踊り子のそれとは、全く様相の異なったものであった。
 楽人など周辺に一人も見当たらないというのに、何処からともなく流れ出てくる複数の楽器が奏でる音楽に合わせ、時に激しく、時にムーディーに変調していく演奏に併せて一心不乱に踊り上げている。
 更に、色彩豊かに変化しながら予め敷かれた導線上を動き回る照明演出が場を盛り上げ、そのステージを、嘗てない至上のエンターテイメントへと昇華させているのだ。
 これら音響器具や照明等も教授の自前機材であるらしく、確かにその未知なる演出はこれまで見たことがないようなもの故に、ステージ周辺は異様なほどの盛り上がりを見せていた。

「この後もこの会場では様々な催しを準備しておりますが・・・実はバイロン卿には、このバンガードでしか体験できない特別な席をご用意させていただいてましてな。よろしければ今から、其方へご案内さしあげても?」
「ほう・・・それは楽しみですな」

 そう答えるバイロンに対しラブは上機嫌な様子でグラスの中身を飲み干し、ゆっくりと席から立ち上がった。

「折角ですから、そこで少し面白いお話でもさせていただきましょう。ただ、席の装飾が非常に繊細な場所でしてな。ご同伴は最小限に留めていただけると有り難いのですが」
「・・・では、私と執事のみで向かいましょう。よろしいかな?」
「ええ、もちろんですとも」

 ラブの言葉から何かの意図を察したのか、バイロンは自らの顎髭を撫でつけながら応じつつ立ち上がった。
 そのまま二人と連れの執事は盛り上がりを見せる会場を後にし、すぐ目の前の中央広場へと向かう。
 そこには大きな噴水と巨大なイルカ像が鎮座しており、すぐ近くには護衛が立つ小さな入口があった。

「・・・聖王記に記された伝説の通りに目覚めしバンガードは、この表向きの市街地ではなく、その内部こそが伝説の本懐。今宵、その最も素晴らしい眺望へと、卿をご案内しましょう」

 入口を守る護衛がラブの姿を見てゆっくりと扉を開けると、ラブは仰々しい口上を述べながら、バイロンを中へと招いた。

 

 

 ハンス邸での会議から、二週間ほどが経過していた。
 船や荷馬車の往来が殆ど無くなっていることで、以前からすれば不気味なほどに静かな日中が過ぎ、そして太陽が遠く静海の向こうへ、ゆっくり落ちていった後のピドナ市街。
 このような状況の中、それでも日々の労働を終えた市民たちで中央通りは、にわかに賑やかさを増していく。
 特に、中央通りの中でも集客の良い一等地に店舗を構える老舗パブ、ヴィン・サントには、今日も多くの市民が日中の疲れや不安を癒しに立ち寄っては、思い思いに杯を傾けていた。
 ピドナ全体が未曾有の流通危機に晒されていても、人は一時の憩いを求めてしまうものなのだろうか。

「・・・今頃、バンガードじゃ宴会とかしてる頃かなぁ。なーんかさ、こうしてトレードの結果を待つだけってのも、けっこー落ち着かないよね」

 そんな喧騒に紛れて、テーブルの一箇所に集まった、風変わりな四人の面々。
 その中でも一際奇抜な服装で且つ幼い少女・キャンディは、テーブルの上で頬杖をつきながら、言葉の通り落ち着かなげにそう言った。

「・・・まぁな。しかもその大役の実行者が、あのラブ=ドフォーレだってんだからよ・・・。まったくベントの旦那は肝が据わってるっつーかなんつーか・・・」

 キャンディの正面に座るポールはいつものように肩を竦めながらそう応えると、目の前のビアジョッキを手に取って豪快に傾ける。
 その隣で二人の会話に耳を傾けつつ、紫煙を燻らせながらウィスキーの杯を傾けていたノーラは、テーブルの上に視線を向けた。
 目の前の小さなテーブル上に並べられているのは、バンラスの悪そうな木製の皿にこれでもかというほど盛られた蒸かし芋と、塩漬け肉、鱈の塩漬け、そして芋に振りかける用の塩が少量入った、小皿。

「しっかし・・・塩、ねぇ。前に確かキャンディも言っていたけどさ、こいつが本当にそんなに大きな金を動かすものになるんだねぇ・・・」
「ま、塩がなけりゃなんもかんもすぐ腐っちまって、海に長期間出ることなんてできなかったしな。船乗りにとっちゃ、確かに死活問題だな」

 塩漬けの鱈を一切れ摘み上げて口に放り込みながら、ブラックがノーラに続く。
 それにはポールも、うんうんと頷いてみせた。

「あぁ。それこそ俺の生まれのキドラントなんざ、作物は殆ど育たない土地だからな・・・こんな感じに塩漬けした肉と鱈がなきゃ、あそこじゃ冬すら越せない。正に命の源なんだよな、塩ってのは」

 集まった四者は思い思いにそんなことを言いながら、目の前のつまみと杯を交互に口に運ぶ。

 二週間ほど前にハンス邸でトーマスから明かされた、このピドナ未曾有の危機における、起死回生の為の一手。
 それこそが、カタリナカンパニーからフルブライト商会へのトレード攻勢という、正に前代未聞の超難事だった。
 これを実行に移すにあたり、前年のドフォーレとの対決で殆どの自社資金を放出してしまったカタリナカンパニーが持ち出す、この史上最大規模トレードへの、資金源。
 果たしてこれについてトーマスが提示したものこそ、正に今この食卓に並んでいる『塩』であった。
 より正確を記すならば、ドフォーレ商会所有物件の一つで、現在は一連の騒動により閉鎖しているヤーマス塩鉱から取れる岩塩の『優先取引契約権』というものである。
 全世界の食糧保存事情等に欠かすことのできない『塩』を供給するにあたり、その大規模な生産地というものは実際のところ、この世界では非常に数が少ない。
 この三百年の歴史を顧みても、独自に安定した塩の確保調達手段を保持しているのは、世界を見渡してもツヴァイクとナジュ地方くらいのもので、それ以外は海棲魔物の襲撃と隣り合わせとなり危険度が高い沿岸の塩田事業が主である。
 そんな中、死蝕直後の海運事業拡大を発端とした急成長の末にドフォーレが採掘に成功したのが、件のヤーマス塩鉱であった。
 ドフォーレはここで採れた岩塩を精製し、それを麻薬と少しずつ混ぜながら流通させることで人類を蝕んでいくという大悪行のため、利益度外視で世界中に自社製の塩を供給拡大させていった。
 加えて、元より魔物襲撃の危険性を孕んでいた世界各所の沿岸塩田を、ドフォーレは裏で魔物と組んで集中的に襲撃までしていたのだ。
 それを示す証言も、神王教団ピドナ支部の残党から取れている。
 このように塩に関わる価格操作がこの十年内で秘密裏に行われていた実態が複数判明しており、その影響により塩の供給状態や価格は近年で大きく変動していたのであった。
 ここまでが、世間に未だ秘匿されている、一連のドフォーレ買収劇の裏に潜む真相である。
 だが、仮に、だ。
 仮にドフォーレがそんな悪事を考えず、真っ当に適正価格としてこの塩鉱から出る塩を扱っていたとしたら。
 もしそうしていたならば、それこそ冗談ではなく『一国が建つ』程の、途方もない財を生み出したことであろう。
 この世界における塩鉱とはそれほどまでの、正に金脈にも等しい代物であるのだ。
 事実、現在ヤーマス塩鉱からの供給が途絶えているこの数ヶ月で、世界中の塩の価格は既に倍以上に高騰している。
 その状態にあって安定供給が見込める塩鉱となれば、正にどの商会や国も、喉から手が出るほど欲しいことであろう。

「ヤーマス塩鉱は、現在判明している塩鉱規模としては恐らく世界最大級だからな。ドフォーレはそれを別の目的で使っていたが、本来ならばもっと莫大な利益を生み出せる代物だ。本来ならカンパニーの主力産業として慎重に扱うべきだろうが・・・」
「それを、まさか代理戦争の餌に仕立てちゃうとはねー。ほんとおっそろしいよね、トーマスさんは」

 ポールの言葉にキャンディが果汁で薄めた白ワインの杯を傾けつつ返すと、それには一同が何の疑いの余地もない様子で深く頷いた。
 この塩鉱取引権をオーラム代わりにトレードのテーブルに乗せることで、フルブライトへ対抗して見せよう、というのがトーマスの狙いなのである。
 だが、これを効果的に利用するには、カタリナカンパニーとフルブライトという二社の対立だけでは、残念ながら成り立たない。
 もう一つの要素が、必要だ。
 ここでトーマスが打診をしたのは、誰あろう、世界最大国家メッサーナ王国にて実権を握る、ルートヴィッヒ軍団長その人であった。
 この時トーマスは既にルートヴィッヒへ内々で取引を持ちかけており、仮にメッサーナがこれの優先取引契約権を買った場合の仮提示額面として『十億オーラム』を一時的な条件として引き出していたのである。

「しかもこの取引の恐ろしいのは、塩鉱が麻薬工場と一緒くたになって混ぜ物を世界に流出させていたっつー証拠を、俺たちだけが握っている・・・ってところよ。こいつは、ルートヴィッヒ政権にとって最も表に出てほしくない情報だ。その証拠がこっちにある以上、まだまだ提示額は引き上げにいくことが可能だろうよ」

 腕を組み、周囲を気にしてかテーブルに乗り出すようにしてポールが小声で言うと、反対に気にした様子もなくガタンと音を立てて同じく身を乗り出したキャンディが、うんうんとそれに応えた。

「そこだよね! もし取引権を他の誰かが抑えちゃったら、そこらへんが漏れて世界に全バレする危険性があるもん。そしたらドフォーレを止められなかった今のメッサーナ王宮を、いよいよ誰も信用しなくなっちゃう。そうなんない為にどんだけお金積んでも止めにくるってのは、分かりきってるハナシだよね」
「だーばかたれ!声抑えろっつの・・・。だがまぁ、その通りだな。つまり今回のこのトレードは、カタリナカンパニーとフルブライト商会のトレードっつーより、疑似的なメッサーナとフルブライトのトレードだ。まさかドフォーレ退治の土産をここで使うとは、全く旦那には毎度、度肝を抜かれるよ・・・」

 ポールとキャンディが興奮を抑えられずはしゃぐように盛り上がる様子を尻目に、ノーラとブラックはそれぞれに呆れたような苦笑いをしながら酒の入った杯を傾ける。だが、彼らのいうことは確かな事実なのだ。
 つまり今回トーマスが言い出したこのトレード案は決して無謀な挑戦などではなく、しっかりとした根拠やこれまでの下準備を基にした、勝機を見据えた行動ということなのである。
 それ自体には、トーマスの説明を受けた誰もが彼の手腕に驚嘆し、この勝負への確かな希望を見出したのだ。
 しかし。
 それでも今ここに至り未だ腕を組んでどこか憮然とした表情のノーラは、咥え煙草で呟いた。

「しかしさ。そんな奥の手まで使った世紀の一大トレードだよ? それを、よりにもよってあのドフォーレに任せるってのはね・・・。あたしには、やっぱりちょっとその狙いまではわかんないけどね」

 ノーラの疑問は、最もであろう。そして、そこにブラックが口の端から煙を吐き出しながら同調した。

「まぁそいつには同感だな。それこそトレードの実行役は、発案した副社長様やポール、なんならこのキャンディ嬢ちゃんでもいい。もっと人選のしようがあったんじゃねーか?」

 根元近くまで灰になった吸い殻を椅子の下に落として踏みつけると、途切らせる様子もなく続けて新しい煙草に火を点けながらブラックは続けた。

「俺が言うのもなんだがな。悪人てのは・・・どこまで行っても悪人だ。俺は直接ラブ=ドフォーレってやつを見たことはねぇし、洗脳されてただかなんだかも知らねぇけどよ。どうであれ長く裏家業に浸かってきた奴が、そう簡単にお利口な常識ってやつに従うなんざ・・・思わねぇ方がいいぜ?」

 彼のその言葉には、その場の他の誰にも持たせることのできない、ある種の凄みのようなものが宿っている。

「まぁなんつーか・・・毒には毒を、みたいな感覚だとは思うけどな・・・」

 ブラックの言葉に、どこかいつもと違って歯切れの悪い様子で答えたポールは、フォークに刺した塩漬け肉を口の中に放り込み、エールで一気に流し込んだ。

 

 すっかり陽が落ち、いつにも増して辺りを通る人影が殆どない、ピドナの商業区通り。
 賑やかさを保つ中央通りとは対照的に辺りの大半を暗闇が覆う中で、煌々と明かりが灯るハンス邸の奥まった箇所にある一室。ここにも、四人が集まり杯を交わしている。

「・・・確かに、人選がドフォーレというのは、私も些か気になるところではある。フルブライトとの対決の可能性まで見えていたならば、正直あのままキャンディさんがヤーマスからウィルミントンに向かう方が良かったのではないだろうか?」

 ロビンが陶器製の杯を傾けながら、正面で同じく脚付きのグラスでワインを傾けていたトーマスに向かい、真っ直ぐな瞳で問いかける。

「・・・キャンディやポールには此方でやって欲しいことがある、とのことだったが。それにしても他に選択肢がなかったものか、と思ってしまうのは・・・私も同感だな」

 トーマスがその言葉にどう返答しようかと考えを巡らせていると、控えめな様子でシャールもロビンの言葉に同意するように口を開いた。
 ちなみにこの場でシャールが飲んでいるのは、水だ。別に彼は酒が飲めない訳でも弱い訳でもないが、水が飲めるならば水がいい、というタイプの人間である。スラム街では清潔な水自体がなかなか飲めない、というのも理由にはあるかもしれないが。
 そんな二人の様子とトーマスの表情を交互に見ながら、ミューズは暖かい紅茶にブランデーを数滴垂らしたものを静かに口に運んでいる。

「・・・そうですね。今後の流れに関することなので、この面子ならば、他言無用ということでご説明しましょう。ドフォーレに任せた理由は、勿論いくつかあります」

 トーマスはテーブルに並べられたカットチーズを雑に口に放り込みながら、語り始めた。
 まず、キャンディやポールにトレードを任せなかった理由。
 これは、トレードの後に控える行動に関してどうしても彼らが必要である、というのが最大の理由だ。
 このトレードに思惑通り勝利することができたとして、そのあとはリブロフやナジュあたりの地域にアビスリーグの大凡の拠点が絞られる。そこを速やかに叩くには、どうしてもトレードの知識を備えた人員を派遣する必要があるのだ。
 カタリナカンパニーの中で言えば、現状でそれを担えるのはトーマス、キャンディ、ポールの三人くらいのものなのである。
 とはいえ流石にトーマスがここから動くわけにはいかないので、後の二人に手分けしてそれを実行してもらう、というのが彼の頭の中にある絵だ。
 なにしろフルブライトとのトレード終了からアビスリーグ補足までの猶予期間は、非常に僅かな期間であるだろうと、トーマスは踏んでいる。
 今回のトレードに勝利すれば、確かに此度の大勢は決するだろう。
 だが、ここまで事前に何も此方に悟らせずにピドナの孤立まで事を運んでみせた程の用意周到な集団が、そう簡単に尻尾を掴ませるとは、彼には考えられないでいた。
 大勢が決してから、アビスリーグが地下に潜るまでの、僅かな隙。
 ここを突いて彼らを炙り出し、ここで徹底的に叩き、壊滅させる。それが出来なければ、彼らは再び水面下で次なる企みを進める事であろう。
 何より、ここで逃してしまった後で彼らが次に手を打つとしたら、先ずは今回の解決に動いた面々を個々に暗殺等で動く可能性が非常に高くなる。
 それを阻止するには、ここで必ず仕留めなければならないのだ。
 そのためには速度が最重要で、本来ならばもっと人員がいくらでも欲しいほどである。
 ここに、サラがいてくれたなら。何度もそんなことをトーマスは頭の中で考えたものだが、しかし無い物ねだりをしても仕方がない。

「なるほど・・・ここで仕留めるには、そうするしかなかったということか。それは、理解できる。悪は根絶をしない限り、再び悪巧みをするものだからね」

 ロビンは感心したように小さく何度も頷き、腕を組みながら感想を述べる。

「キャンディとポールがそこに必要なのは分かったが、ではこのトレードの実行者にドフォーレを人選した理由はなんなのだろうか。それもやはりトレードの知識云々という点だけで、そこに人格的な選択要素はなかった、ということに・・・?」
「・・・いえ。ご指摘の通り、当然その不安要素はあります」

 続けて述べられたシャールの鋭い指摘に、トーマスは隠す様子もなく少し困ったような顔で笑いながら応えた。

「ラブ氏は、トレードに関する知識や技術的な能力は元より、今回の相手であるフルブライト商会に関する様々な情報やコネクションも備えており、この局面での配役としては最適解であると言えます。いくら此方の資金的な手札が強力であるとはいえ、それを扱う人物が素人では話になりません。此度のトレードに勝算を見出すという点では彼しか選択肢がなかった・・・というのは、正直なところです」

 そこまで言ってワイングラスの中身をトーマスが飲み干すと、すかさずロビンがやたらと手慣れた仕草でボトルからトーマスのグラスへとワインをサーブする。
 トーマスは恐縮しながらそれを見届けて礼を言い、再度グラスを手に取ってから続けた。

「そして、シャールさんやロビンさんが仰る懸念点も、当然理解しています。例えば今の彼に、ある程度の裁量を持たせた場合。その時彼は、一体どう考え、どう行動するだろうか・・・。それが、今回の采配の鍵になります」

 ラブ氏の父であるモンテロ=ドフォーレが魔物に乗っ取られる前の情報は、何もない。
 そうなると彼の人となりというものは、魔物に操られていた以降で判断するしかないのだ。これについてトーマスは、キャンディがヤーマスに滞在している間、定期的に彼の人となりについて、彼女に観察してもらった結果を手紙で受け取っていた。
 それによればラブ=ドフォーレという人物は、実に「みたまんま」である、というのがキャンディの見解であった。
 でっぷりと脂の乗った身体のあちこちに散りばめた悪趣味なほどに輝く装飾品、己の欲望に非常に忠実で終始傲慢な態度、財力や権力を盾にした人の見下し方。
 それらは魔物に操られていた時となんら変わらぬ・・・つまり、紛う事なき彼自身の性分である、と。

「・・・不安しか抱かない情報だな・・・」

 シャールがそう言うと、それにはミューズとロビンも頷いた。
 トーマスが続ける。
 キャンディが観察してきた短い期間の中でも、彼の行動基準というものが、なんとなく見えてきたのだという。
 彼は先に述べた通りの性分ではあるものの、しかし仕事は驚くほどよく行うのだ。
 現地ではキャンディが監査役を兼ねて活動していたが、その下で動くラブという人物は、実に勤勉に働いていたのである。その働きぶりは、全く他の追随を許さぬほど圧倒的なものであった。
 というより、他が働けていなさすぎる、ということにキャンディは早々に気がついた。
 それは個々の能力云々というより、仕事そのものに慣れてすらいない、といった様相なのだ。
 つまりは驚くべきことに、彼以外に商会経営というものについて尺たる知識を持つものは、ドフォーレ商会の中には一人もいなかったのである。
 それらの状況について不思議に思ったキャンディがラブに尋ねたところ、彼は臆面もなく、こう言ってのけたのだという。

『市長も含めて、この町はグズ共の集まりだ。そして俺は、グズ共のやるグズグズした作業を見ているのが一番イラつくんだよ。だから俺がやっているんだ。この町は俺がいなけりゃ、今だに小さな漁村止まりだったろうさ。それこそ、バンガードのマッキントッシュあたりに食い物にされてただろうな』

 これは、彼の行動基準を表す非常に有用な言葉であろうと、トーマスは感じた。
 彼は、間違いなく優秀だ。いくら魔物に操られていたからといって、彼にそもそも能力がなければ、ドフォーレ商会はこの短期間でここまで大きく成長などしなかった。
 だが一方で、彼は指導者としての性格に向くとは言えない。自分の右腕になるような人物を一切用意していないことが、その確固たる証左だ。しかも、彼はそれでよし、とするきらいがある。
 つまり、彼の中には自分の理想とする水準があり、それに到達するための自己努力を惜しまないという性質が垣間見える。
 強い自己顕示欲。それを事実たらしめる実績と行動力。自らに及ばぬものを見下し、歯牙にも掛けない選民思想。それらで形作られているのが、ラブ=ドフォーレという人物だ。

「私がそこから導き出した道筋は、彼が望む水準の舞台を用意すること、です。彼が踊るに値する舞台を用意すれば、彼は演者として必ずそこに立つ。私が彼にそれを示すことができるかどうかが、今回彼を采配する上での鍵というわけです。私の器が知れてしまえば、彼は此方の意図せぬ動きをするでしょう」
「それはなんとも・・・我々には想像すら難しい話だな」

 トーマスの言葉を聞きながら、シャールはすっかり眉を顰めつつ唸った。
 彼の覚えているラブとは、最初で最後、ヤーマスでの一連の騒ぎの最後の瞬間だ。それはそれは大層な情けない姿で、キャンディの前で尻餅をついている小悪党丸出しの男、というだけであった。
 それについてつい口を滑らせると、ミューズは酒が効いてきたのか少し上機嫌な様子で相槌を打った。

「だからこそ、トーマス様の狙いに沿うのかもしれませんよ、シャール。物事が自分の想定の上をいく場合には、人としての弱さをちゃんと露呈する。それは、統べる上で活用すべき、有用な特徴です」

 流石は超名門の家系といったところか。帝王学を納めたミューズのその指摘は、非常に説得力があるものであった。
 シャールは、それにこくりと頷く。

「なるほど、確かにミューズ様の仰る通りかもしれません。しかしいずれにせよ・・・私たちに今できるのは、待つことだけですね」

 

 

「強い自己顕示欲。それに見合う実力。そして、それを裏付ける実力主義と排他思想。しかし・・・君にとってはそのどれもが、真実の姿ではない。この席で改めて、そう感じ入るよ」

 地上の宴とは打って変わり、静寂に満たされた、海の中。
 その中にあって、うっすらと青白い光に満たされ、分厚い硝子の壁の向こうから仄暗い海の中を泳ぐ魚たちが、しきりに中の様子を伺うように周辺を遊泳している。
 移動要塞バンガードの海中艦橋に特別に用意された、この世でただ一箇所と言っていいであろう景色を堪能できる、至高の宴席。
 その席について実に満足そうな表情を浮かべたバイロンは、テーブルの向かいに座るラブに向かい、なんでもない様子でそう言った。
 バイロンの言葉を受け、ラブは咥えた葉巻から鼻腔を通じて大量の煙を吐き出し、実に鋭い視線を相手に向けながら口の端を吊り上げる。

「・・・バイロン卿。お察しの通り私はね、こんな下らんトレードなぞに興味はないのです。カタリナカンパニーはヤーマス塩鉱を餌にメッサーナの近衛軍団から資金を巻き上げるつもりだが、それで結果フルブライトに勝ったとしても、私にはなんの関係もない」
「心中、お察ししましょう。此の期に及んで今更メッサーナの犬というのは、些かドフォーレのご子息には不釣り合いだとは感じていたところです。そのお姿には亡き父上もさぞ、お嘆きでしょう」

 バイロンが眉ひとつ動かさずにラブを見返しながらそう言ってのけると、ラブは今度は上機嫌そうに笑い、そして葉巻を蒸した。

「はっはっはっは。流石はバイロン卿、矢張りフルブライトで話すならば貴方様ですな。それでは・・・そろそろ本題に入りましょうか」

 そう言ってラブが左手を軽く上げると、側に控えていた執事が一礼をしながらその場を立ち去っていく。それを見たバイロンもまた、側に控えさせていた執事を艦橋の外へと下がらせた。
 それを横目に見届けたラブは、テーブルの上に両腕を乗り出すように乗せて両の指を組み合わせ、微動だにせぬバイロンへと向かって語りかけた。

「貴方がフルブライトを手中にし、私は再びヤーマスをこの手にする。私は今宵の宴を、そのための門出の宴にしたいと考えているのです」

 ラブが、まるで確認でもするかのように静かにそう語りかける。
 すると、よく動いていた表情筋と違って一度も感情らしきものを示していなかったバイロンの瞳が、ここで微かに色めきたった。

「・・・私がフルブライトを手中に・・・とは、また酔狂なことを。既にフルブライト二十三世様が、社を率いておられますよ」
「バイロン卿。ここでそんな寝言はもう、無しにしましょうよ」

 テーブルに乗せた両肘を支点にしながらさらに身を乗り出すようにしながら、ラブはバイロンの瞳を覗き込む。

「カタリナカンパニーの連中は、大きな勘違いをしている。そもそも、アビスリーグと我々ドフォーレが・・・繋がっていないわけがない」

 ラブのその言葉に、バイロンの瞳は殊更に大きく揺らいでみせた。

「屈辱でしたよ・・・奴らの元で、一時とはいえ道化を演じるのはね。だが、その甲斐あって私はこうしてここに来た。今日この場を皮切りに、愚かな我が父では成し得なかった、完全なる経済の混沌と支配・・・それを私は、この手で成し遂げる」

 バイロンの瞳を射るように見ながら一気にそう捲し立てたラブは、そこで一息つくように身体を椅子の背に預けるように引き下げた。
 そしてうっすらと青い光が差し込んで怪しく赤紫に変色して見えるワイングラスを掲げ、一気に飲み干す。
 その様子を無言で見つめていたバイロンは、うっすらと目を細めるばかりだ。その視線は、いかにもラブを値踏みしている様子である。

「・・・アビスリーグ参画者は、その大いなる意志によって動いており、相互になんら連絡をとっているわけでもない。ただ、目的が同じだからこそ、行き着く先も必ず同じ。だからこそ私には分かるんですよ、バイロン卿」

 火の消えていた葉巻を再び蒸すように数度火元で空気を通し、そしてゆっくりとその煙を鼻腔に通した後、ラブはぐにゃりと悪虐しく口を歪ませた。

「いや・・・我らがアビスリーグ同志、バイロン殿。そうお呼びするべきですかな」

 ラブの言葉に呼応し、バイロンは僅かに口を歪ませ、その瞳を一層怪しく光らせた。

 

 

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第九章・2 -不敵な微笑み-

 

 カタリナカンパニーが世界最大の企業となり、強制的に経済結束を主導してアビスリーグに対抗する。
 最早、絵空事にすら等しいようなトーマスのその発言に、ハンス邸の会議室に集まった全員がトーマスに向かい驚愕と疑問とを伴う視線を向けた。

「おいおい・・・ベントの旦那、今の今でその方針ってのは、流石に無理がないか・・・?」

 あまりに荒唐無稽と思われるその発言に、さしものカンパニー敏腕営業部長ポールも、薄らと冷や汗を浮かべながらトーマスに苦言を呈する。
 トーマスとほぼ等しい程にカンパニーの内部状況を理解していると言って間違いない彼から見ても、様々な側面からその方針は、今の段階で採るべきものではないと思えたからだ。
 周囲の皆も、彼ほどではないにせよその空気感はわかっているのか、それが集合した疑問符として現れている。
 しかし。
 突如そこに、トーマスの爆弾発言に大いに賛同する声が、予想外のところから聞こえてきた。

「めっちゃ面白そうじゃん。それ、ウチも混ぜてよ」

 その声に驚いたトーマス以外の一同が部屋の入り口へと振り替えると、そこには、右腕に愛用のクマちゃんを抱えながら精一杯胸を張って仁王立ちをしてみせる少女、キャンディの姿があった。
 彼女の後ろには、ローブを羽織ったロビンも控えている。

「キャンディ、帰ってたのかい!」

 ノーラが最初に声をかけると、キャンディは大きく手を上げながらノーラに視線を返し、そのまま会議室の空いた椅子に向かっていく。
 そしてその場に集まった一同を素早く確認し、当然の流れの様にブラックに視線を止めた。

「ってか、おっさん誰?」
「けっ、その台詞はいい加減聞き飽きたぜ」

 ハーマンの時の彼しか知らないキャンディが疑問に思うのは当然だが、当のブラックはあまりに聞かれ過ぎたその誰何に、真面に答える気がない様子であった。
 気を利かせたミューズが簡単に経緯と正体とを説明してやると、キャンディは暫し興味深そうにブラックの全身や左足あたりを見回した後、その場での疑問追及は諦めた様子で改めて椅子へと腰掛ける。

「・・・っと、遅くなっちゃってごめん。ちょっと仕込みに時間掛かっちゃった。でも今の話ってことなら、ちゃんと手紙の通りに準備はばっちしだよ」

 キャンディが腰を下ろしながらトーマスに向けたその言葉に、ポールは再び疑問符を頭に浮かべる。

「仕込み・・・? キャンディ、そりゃ一体なんのことだ?」

 昨年の暮れ。
 ドフォーレ商会の一連の事件以降、ヤーマスにて商会立て直しその他の事後処理等をしてもらっていたキャンディへと書簡を届けるようロビンに託したのは、誰あろうポールなのだ。
 これは丁度、昨年末のコングレスが開かれる直前のことであったので、その時点でのルートヴィッヒとの協調体制などの現状を伝えると共に、連動してヤーマス内での新たな調査を依頼するためのものであった。
 なので、今のピドナの状況を見越した類の依頼など、そこに記した覚えは彼には全くなかったのだ。

「あぁ・・・ポール。それは俺が、別でロビンに手紙を渡していたんだ」

 即座にトーマスが名乗り出ると、ポールは首を傾げながらその内容を問うた。
 だが、トーマスに先んじてそれに嬉々として応えたのは、テーブルに大きく身を乗り出してきたキャンディであった。

「そ、ポールからのとは別で、トーマスさんからの手紙があったの。中に書かれていたのはね・・・フルブライト商会への探りと、何個かの仕込みについてだよ」

 ニヤリと笑みを浮かべながらのキャンディのその言葉に、場の一同は改めてトーマスへと視線を向ける。
 特段その中でも、ポールの瞳は全く驚きを隠すつもりもないほど大きく見開かれたもので、これにはトーマスも思わず苦笑いを浮かべてしまうほどであった。

「おいおい、まさか旦那のいう世界最大って・・・。てかキャンディが既に仕込みをしているっつーことは、この展開まで・・・あんたは読んでたってのか・・・!?」
「・・・いや、全てを読んでいたなんてことはないさ。ただ、フルブライト二十三世様からの依頼を受けた時点で、我々が選択する可能性の一つ、としては考えていた。だからいざという時の為に、キャンディに幾つかお願いをしていたまでだよ」

 トーマスとポールの会話は、キャンディを除いたその場の面々には今一、内容の理解に苦しむものであった。そこで、キャンディと同じく空いた席に腰をかけたロビンが口を開く。

「確かに私が書簡を渡したし、ヤーマスではキャンディさんに頼まれて色々と調べに動いたが・・・。あれらの調査には、一体どんな意図があったのだ・・・?」

 ロビンの言葉に今度こそトーマスが応えようとしたが、しかしそこに、やたら興奮気味のポールが割って入った。
 そんな彼の表情は、どこか呆れたような引き攣ったような、そんな表情だ。

「そんなん・・・もう決まってる。トーマスの旦那・・・あんた、フルブライト商会を『買う』つもりだな・・・?」
「な・・・フルブライト商会を!!?」

 とんでもないことを言い出したポールに、思わずシャールが驚きの声を上げた。それと同時に、ぱきり、と音がして彼の装着する銀の手が、持っていたティーカップのハンドルを割ってしまう。
 その声色が含むのは、単なる驚きの感情だけではない。お前たちは、なんたる不敬、なんたる畏れ多いことを口走るのか。その様な感情の方が、寧ろ一番に読み取れるような声だった。
 これは何も、シャールだけがそう感じるということではない。恐らくは世界中で大多数の人間が、彼と同じく感じることであろう。
 フルブライト商会という存在は、それだけこの世界にとって特別な存在なのだ。
 何しろ先ず、この世界で経済に関わる者ともなれば、フルブライト商会の名声とその偉大さを知らぬ等という不届き者は、まず間違いなく存在しないだろう。
 それどころか、例えば商い事とは全く無縁の、それもフルブライト商会の本拠地であるウィルミントンから遠く離れた貧しい農村に住まうような子供たち。その子供たちでさえ、酒場で謳う流れの吟遊詩人や聖王教会で教えられる数々の逸話の中で、その名前程度は耳にしている子供の方が圧倒的に多いはずだ。
 三百年の昔、人類が四魔貴族との死闘を繰り広げたその最中。様々な場面で宿命の子たる聖王を助け、時の世界経済を纏めあげ、聖王軍の勝利に貢献した偉大なる存在。
 それが、フルブライト商会なのである。
 その威光は今も全世界に届いており、この三百年、世界の経済界を常に牽引してきた存在。まさに、名実ともに世界一の企業とは即ち、フルブライト商会のことを指すのだ。
 そのフルブライトを、買収する。
 それが、トーマスの狙いであろうとポールは言ったのである。
 あまりに突拍子がなく、そして荒唐無稽に聞こえてしまうのも無理はないことであった。
 そしてそこに、今度はノーラが理解に苦しむ様な表情で声を上げた。

「ちょっと待っておくれよ。あたしにはその狙いとかあんま良く分からないんだけどさ・・・でも今は、兎に角ピドナの状況を何とかするのが先決なんじゃないかって感じるんだけど、違うのかい?」
「うむ・・・私もノーラ殿と同じ考えだ。単に優先順位として、今は一刻も早くアルフォンソ海運などへの融資などを起点に状況打開をするべきではないのか?」

 ノーラに続き、シャールも執事にティーカップを交換してもらいながらそう付け加えた。
 確かにこの流通の孤立状態を打開しなければ、ピドナの状況はどんどん悪くなるばかりだ。そこを先ずどうにかしなければならないと考えるのは、至極当然のことの様に思われた。
 だがしかし、それは実際には悪手である。
 そうトーマスは確信していた。そこをしっかりと説明せねば、この先の意図にも理解は示してもらえまい。
 トーマスはそう思い、テーブルの上で両手を組み直しながら腰を据えて解説を行おうとする。
 が、そこでミューズが他者とは少し様子の異なる視線で、自分のことをじっと見つめていることに気がついた。その瞳は他者と同じく疑問を持つというよりは、此方の考えを既に察しており、その答え合わせを待つというような色合いだ。
 なので思い直したトーマスは彼女に発言を促す様に、彼女に視線を合わせてから眉を上げ、薄く微笑んで見せる。
 勿論ここは自分から説明しても構わない場面だが、ミューズを介した方が話が早かろうと判断したからである。彼女の持つ魅力、言い換えれば生まれつきのカリスマ性というのは、本人が思う以上に大きいことを彼は知っていた。
 ミューズはトーマスの意図を汲み取り多少驚いた様子だったが、即座にそれに返す様に、浅く頷いた。

「では・・・私からご説明します。恐らく・・・トーマス様の狙いは、より大局を見据えたものです」

 ミューズの開口に皆の視線が集まると、彼女はその場の一人一人に視線を移しながら語り始めた。

「確かに現在のピドナは、流通の断絶によって一時的に外部から孤立しています。この状況は早急に打開しなければ、先の通り他国に侵攻の口実を与える様なもの。それは、紛れもない事実です。ですが、初手で流通改善への着手は根本解決どころか・・・一時凌ぎにすらならない可能性が高いのです」

 ミューズの語ったことは、こうだ。
 アルフォンソ海運やメッサーナキャラバンへの融資、若しくは買収という選択肢。これを現時点で行うことによって得られる効果は、流通の改善までには全く至らない。
 そもそも魔物に破壊された多くの荷馬車や船は直ぐに作り直せるわけではないし、人々に植え付けられた襲撃への恐怖心もまた、修復には相応の時間が掛かる。つまり融資か買収の何れかを行ったところで、即座に以前の状態に戻る、ということはないのだ。
 そして何より、仮に流通環境が以前と同様まで即座に整ったところで、結局のところ魔物に再度襲われるリスクそのものは、全く改善されていない。
 そうなると、作っては破壊されて、の圧倒的に不利な消耗戦を強いられる可能性が高く、襲撃を恐れた従業員の業務拒否も当然考慮せねばならず、それらへの対策が別途必要になってくる。
 単純に、これでは非効率極まりない結果が見えているという話なのであった。

「・・・対して、トーマス様の言うフルブライト商会へのトレードには、その困難さに比例した大きな利点が、三点ほど考えられます。先ず一点目は・・・アビスリーグの組織規模をより正確に読み取り、その正体に近づくこと。つまりは、事態の根本解決を確実に進められることです」

 これの根拠は単純だ。
 まず世界最大企業たるフルブライト商会の買収が仮に成功した場合、フルブライト傘下の世界各国企業をそのままカタリナカンパニーに組み込むこととなる。
 実のところ、複数地方を跨ぐ規模で企業運営をしている商会は数えるほどしかなく、直近ではフルブライト、ドフォーレ、ラザイエフ、そしてカタリナカンパニーがそれに該当する程度だった。
 このうちドフォーレは既にカタリナカンパニーが買収しており、事実上カタリナカンパニーは規模だけで言えば既に世界二位の企業規模となる。そこが更にフルブライトを買収するとなれば、世界に散らばる企業のかなり多くをグループに抱えるということになるのだ。
 そして現時点で、カタリナカンパニー内にアビスリーグからの接触がないことは内部監査済みである。
 これはフルブライト二十三世から話を聞いた直後にトーマスが全支店の昨年帳簿を直接隅から隅まで確認しているので、間違いないことだった。
 アビスリーグは世界各国で活動しつつ同盟範囲を広げておきながらも、世界第二位の規模にまで広がっているカタリナカンパニーと一切接触がない。これは、その事実に安堵する反面で、非常に不可解でもあった。
 それこそ「意図的に避けている」とでも考えない限りは。
 これは、トーマスは事実その通りなのだろうと踏んでいた。
 カタリナカンパニーに関われば、必ず尻尾を掴まれる。それを向こうが理解しているから、敢えて避けているのだ。
 これには思わず、敵ながらいい判断だ、とトーマスはほくそ笑んだものであった。
 トーマスが副社長として実質的に全権を握るカタリナカンパニーは、その内部規律と監査の精度において、他企業では全く比肩できないほどに高度精密化されている。
 元よりこれは、トーマスがフルブライト商会の歴史的な威光と世界に及ぼした影響に多大なる感銘を受け、企業という組織がその影響度からして持たざるを得ぬ「世界に対する社会的責任」を果たす上で絶対に必要であると考え、徹底して実行しているからに他ならなかった。
 経済という巨大な力を持つからこそ、それを統制するための仕組みと外部影響はしっかりと考えねばならない。その気概と実行の精度が、蓋を開ければ既にフルブライトのそれを凌駕していた。それだけの話なのであった。
 そのカタリナカンパニーがフルブライト商会を買収すれば、フルブライト商会の中にアビスリーグの手が伸びている場合、必ず買収の最中に分離するだろう。
 そうするとその分離企業を最優先調査対象としつつ、残りはラザイエフ商会関連企業と、各都市にある独立企業群、そして旧ナジュ王国領の企業群あたりまで絞ることが出来る。
 ここへの調査も買収と並行して行う事で、アビスリーグの本丸へと確実に迫ることができる筈なのだ。先ずはこれなくして、事態の根本的な解決には至らないのである。

「第二に、フルブライト商会の浄化救済を行うことができます。フルブライトとアビスリーグを切り離すことができれば、商会に残り内部調査をされているフルブライト二十三世様のご安全を確保することができるでしょう。最初にアビスリーグの存在を察知したあの方の安全を確保し、改めてその助力を得る事で、更なる迅速な真相解明が期待できるものと考えられます」

 買収によりフルブライト内部に巣食うアビスリーグの手のものを切り離せられれば、これは可能であろう。
 フルブライト商会という存在は、今後も世界にとっては必ず必要になる。そしてそれを統率すべきは当然ながら自分などではなく、高潔なるフルブライト十二世の意志を継がんと奮闘するフルブライト二十三世でなければならない。そうトーマスは考えていた。彼を危険から救い出すことは、正に世界の今後を左右する一大事であるのだ。

「最後に・・・他国のピドナ侵攻判断を遅らせる効果、です。他国が攻め入るまでの猶予ですが・・・恐らくはあと一ヶ月もこの状況が続けば、何れかの都市の軍団が攻め上がってくる可能性はかなり高まるでしょう。ピドナの現在の異変状況は、あと一週間もしないうちに各国に広まります。若しくはアビスリーグが裏から手を引き、既に各都市国家に侵攻を煽っている可能性も考えられます。戦の準備には従来なら短くとも半年程の準備期間を要するとされますが、混乱を突いて各国家の常備軍と備蓄だけで攻め上げるなら、そこまで時間は掛からないでしょう。つまり、その前に彼らを思いとどまらせる何らかの『事件』が必要です。このトレードは、それも兼ねているのだと考えられますが・・・如何でしょうか」
「・・・全くその通りです。ミューズ様、流石のご慧眼ですね」

 こちらの狙いを細部に至り把握してみせたミューズに内心では舌を巻く思いだが、トーマスはそれを望外に嬉しく思いながら微笑み返した。
 三百年の間に渡り世界経済を牽引してきたフルブライト商会への、トレード勃発。これは、全世界が注目せざるを得ない一大事になることは間違いがない。
 そして今回特に重要なのは、それを行うのがピドナに本店を置くカタリナカンパニーである、という点だ。
 奇しくも昨年末のコングレスによってルートヴィッヒ軍団長と、世論に英雄視されるミューズの繋がりが大々的に世界へと示された。そしてその場に、一企業人に過ぎないはずのトーマスが立っていたことを知らぬ各国要人は、居ない。
 経済界においてはカンパニーとクラウディウス家の繋がりは元から判明していたことなので、そこに大きく疑問を抱く者はいなかったであろう。
 そしてそのカタリナカンパニーが、この世界からの孤立状態の渦中にあって、フルブライト商会へトレードを仕掛ける。
 これはつまり、それを実行するだけの余裕がピドナにはある、という事実を世界に知らしめることに他ならない。
 流通と経済の危機という客観的事実と大いに相反するこの事態が起これば、各国は否が応にも慎重に出方を探らざるを得なくなる、というわけである。
 更にいうならば、昨年末コングレスの場でトーマスはカンパニーとフルブライトの同盟破棄を宣言している。この宣言が、ここで予想外に外交思惑に響いてくる。
 コングレスの場では『特段この同盟破棄がカンパニーと近衛軍団との新たな蜜月を表すものではない』との補足を敢えて行っている。だが、ここに至ってカタリナカンパニー対フルブライトのトレードなどが起これば、あの補足が信ずるに値する、などと愚直に考える者の方が少ないのは、火を見るよりも明らかだ。
 これらの意味するところはつまり、この経済危機が『事実なのかフェイクなのか』を各国は何としても見極めなければならなくなる、ということだ。

「・・・旦那、狙いはわかった。だが、肝心のトレードに充てる資金は一体どうするつもりなんだ。ドフォーレ買収の影響はガッツリ残っている。即座に動かせるオーラムは、ぶっちゃけ殆どないはずだが・・・?」

 頭に被っている帽子の特徴的な突起部分を手で弄りながら話を食い入るように聞いていたポールは、一呼吸置いてからトーマスに向かい冷静に問うた。
 彼の指摘は、実に的確だ。なにしろトレードを行うには、ただでさえ莫大な資金が必要になる。そして今回のトレードで狙い通りの効果を目論み行うとなれば、前回ドフォーレの倍以上の稼働資金が必要になるのは間違いない。
 残念ながらカタリナカンパニーにそのような資金は、ない。それはカンパニー内部の情報を把握しているポールには、聞くまでもなく分かりきっていることだった。
 更には、唯一の隠し球であった旧クラウディウス家縁の者たちからの融資も、ドフォーレ戦で用いてしまったのでもう期待はできない。
 その上で、フルブライトに勝負を挑むだけの資金が確保できるとは、到底思えなかったのであった。

「そうだね・・・ただそこは、一応は策があるんだ」

 トーマスは、どこか不敵に笑いながら言った。その表情が大層不気味に見えてしまい、ポールは思わず背筋に震えを感じながら、怖いもの見たさで次の言葉を所望した。

「・・・旦那、一体どうするつもりなんだ・・・?」
「・・・簡単なことさ。ドフォーレが敢えてやらなかった手段を、我々がやるだけだよ」

 そうしてトーマスが少し俯きながら微笑む様は、その場の誰もに等しく、恐ろしいもののように映ったのであった。

 

 

 三百年の昔、かの聖王三傑たる玄武術師ヴァッサールの発案から作り上げ、そこから二度に渡り魔海侯フォルネウス討伐という偉業を成し遂げた海上要塞都市バンガード。
 建造から三百年の時を経て、つい最近に再び大地の鎖を断ち切ったバンガードは、ルーブ地方とガーター半島を結ぶ要所兼、新たに内海と西太洋の海上直通路として、世界中から大いに注目される地となっていた。
 今宵、その海上都市の中でも最も高貴なホテルの宴会場にて、非常に豪奢な催しが開かれていた。

「ようこそおいで下さいました。誠に細やかなおもてなしではありますが、今宵は是非とも楽しんでいかれてください」

 ホテル前に到着した数台の馬車による一団を仰々しい一礼とともにエントランスで迎えたのは、その夜の催しを開いた主催の男だった。
 その男は、非常に肥えた身体をこれでもかと着飾っており、煌びやかな衣服と数々の宝飾品がその動きに合わせてジャラジャラと音を立てている。
 その装飾品だけで開拓民が一生暮らすに困らないであろうほどのものであるが、それらを全く惜しげのない様子でひけらかしながら、ゆっくりと顔を上げた男は馬車から降りてきた今宵のゲスト一団に改めて向き直る。

「・・・まさか、我々がこうして貴殿のおもてなしを受けることになろうとは。以前ならば、思いもしませんでしたな」

 馬車から降りてきたゲストの中で、明らかに周囲と異なる風格を漂わせた老紳士が、ホストの男に向かって軽い会釈をしながらそう告げる。
 この老紳士こそ、世界第一位の企業規模を誇るフルブライト商会の、営業本部長を任される人物であった。フルブライト商会の現会長の先代にあたるフルブライト二十二世の時代から長年辣腕を震ったとされる、業界内ではかなり名の通った大御所である。

「ははは、全く同感です。生前の父は、よく貴方のことを愛憎混じりに語っていましたよ。数奇な運命の末にこうして私が貴方に持て成しの場を用意できたこと、光栄に思います」
「それはそれは・・・ふふ、貴殿も随分と棘が抜けて、ご成長なされた様子。今宵この時ばかりは、日中の闘争を忘れて楽しませていただくとしよう」

 表面上の口上とは全く異なる剣呑な雰囲気を纏った両者は、しかし互いに固く握手を交わしながら微笑んだ。
 商業ギルドに申請された瞬間から世界を震撼させた、フルブライト商会とカタリナカンパニーによる、世紀の一大トレード。
 その実施会場として指定されたこの海上都市バンガードにて、本トレードのカタリナカンパニー側代表として挑む人物こそ、今宵のホストであった。

「・・・さぁ、どうぞお入りください」

 そう言いながらゲスト一団をホテル従業員に会場内へと案内させ、男は会場入りする一団の背中をじっと見ながら、やがて懐から葉巻を一本取り出す。
 彼の側に控えていた執事が慣れた手つきで葉巻の吸い口をシガーカッターで切り落とし、火をつけた。
 何度か吸って火のついた葉巻から、たっぷりの煙を鼻腔を通じて燻らせる。そうしながら男は、どこか憎らしげな表情を浮かべながら、一人その場で凄みをきかせた。

「・・・ったく、どいつもこいつもこの俺様を舐めくさりやがって。今に見てやがれよ・・・」

 世界で最も注目される史上最大のトレードを仕切る、カタリナカンパニー側の人物。
 今こうして葉巻を燻らせるその人物こそは、つい最近まで世界第二位規模の巨大企業を一手に率いていた経済界随一の剛腕、ラブ=ドフォーレその人であった。
 ラブは吐き捨てるようにそう言うと、その「剛腕」の名に似つかわしく実に含みのある笑みを浮かべながら、火をつけたばかりの葉巻を惜しげもなく地面に放り捨て、ゆっくりとした足取りで賑やかさを増す会場へと入っていった。

 

 

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第八章・4 -駆け落ち?-

 

「カタリナさん、あそこに洞窟の入り口らしきものが見えます・・・!」

 頭髪と思しき部分が無数の蛇で構成された悍しい半人半妖の姿の魔物を斬り捨てたカタリナは、慣れない高所での連続戦闘に息を切らせながらフェアリーの言葉に従って、指差された方角へと目を向ける。するとその先には、確かに山肌に唐突な穴がぽっかりと口を開けている部分があった。

「やっと入り口ね・・・。全く、もっと通行の便を考えた場所に用意してもらいたいものだわ・・・」

 よもや人が来訪することなど、さしもの悪竜も想定外であろうことは当然わかってはいるものの、この過酷な状況には毒吐かずにはいられない様子でカタリナは剣の汚れを振り払いながら呟いた。
 二人が麓の宿場町を発ってから、凡そ五日ほどが経過していた。
 登山の嗜みなど当然ないカタリナは宿場宿の主人から女子供だけでの登山を強く止められたが、それでも行かぬわけにはいかないからと無理やりに今は使われていない荒れ果てた登山道跡を聞き出し、また平時に狩人や鉱夫らが使っていたという中間キャンプ地を経由して高い標高に体を慣れさせつつ、ここまで辿り着いていた。
 確かに空気は平地よりも格段に薄く、この酸素濃度に体を適応させるために時間を費やすことになったのは非常にもどかしかったものだが、一方で幸いなことに、このルーブという山はこれほどの高所にあっても、驚くことに全く寒くなかった。
 近年で噴火の知らせがあったわけではないものの、このルーブ山は今も活動を続ける活火山であり、比較的地面から近い部分に溶岩流があると推定されている。そのため、山肌は思った以上に暖かさを保っているらしい、という説明を宿場宿で受けた。
 だがそれだけでは、この高所に突風の吹き荒れる中でも凍えずに済む、ということは本来あり得ないだろう。
 この通常ではあり得ない気候の原因こそが、詰まるところは、このルーブに棲まう竜の為せる奇跡であるのだという。
 巨龍種はその規格外の体を自在に操るために、体温が非常に高いだろう、ということが研究者の間では定説となっている。そのため巨龍種の多くは、其々の独自器官の他に、その活動を可能とするのに必要とされる膨大な熱量を体内で生成するのだそうだ。
 そしてそれは、体内器官による生物的な熱量の生み出し方だけではなく、朱鳥の加護を生まれながらにして備えている場合が殆どであろうことまでが、最近の研究で凡そ判明しているのだという。
 そして当然その熱量を効率的に維持するには、その棲み家も同じく温暖であるということが大体の場合において必須条件になる。
 そのため、巨龍種が住う場所はその巨龍種の持つ朱鳥の加護の強さに応じて、周囲の気温すら高くなることが多い。この現象が、巨龍の活動における術的な要因の介在を立証する証拠ともなっている。
 これらの理由が、このルーブという山がこの寒気にこの標高にあっても、あまり寒さを感じさせないという結果に繋がっているのであった。

「あっつ・・・ここ本当に冬の山なわけ・・・?」

 そう言った事情を知識としては仕入れていたものの、いざ洞窟内に足を踏み入れてみるとその熱気はよもや冬のそれとは全く無縁に思え、まるで密林にあった火術要塞にでも入り込んだのではないかと思えるほどだ。
 都合よく階段状になっていた箇所を危なげなく下り、程なくして外部の光が届かなくなったところでフェアリーが松明に火を灯しながら奥の様子を観察する。

「・・・どうやら、火山ガスが吹き出している箇所が其処彼処にあるようです。慎重に進みましょう」
「厄介ね・・・。松明で引火とかしなきゃいいけれど」

 カタリナは洞窟内での妖魔の襲撃に備えマスカレイドを小剣の状態で構えながら、足元に気をつけつつ進む。
 そうして進むにつれ、思ったよりもこの洞窟は広々とした空間が広がっており、天井も高いことが分かってきた。その予想外の広さに軽く感嘆しながらカタリナが見渡していると、フェアリーは周囲が広く見渡せるように浮かび上がり、そして何かに耳を済ませるように目を閉じた。

「この空洞は、どうやら溶岩が流れた後に出来たものだそうです」
「溶岩が・・・、ねぇ。正に自然のなせる技ってわけね」

 カタリナが知る溶岩とは、それこそ火術要塞の至る所に湧き出ていたものだが、それが山を流れこのような巨大な空洞を作るなどということは、彼女にはまるで想像もつかないことであった。

「地表を流れる溶岩の表層が冷えて固まっても、その下では熱量を保ったままの溶岩が流れ続け、こうした空洞を作り上げるのだそうです」

 フェアリーの話を興味深く聞きながら注意を怠らず進んでいくが、多少の足元の危うさを除けば、この空洞は非常に快適なものだった。何しろ、山中では幾度となく出会った妖魔の類が、この空洞内では全く存在していないからだ。

「通常ならばこうした山中の空洞には魔物や暗闇を好む生物が入り込むのですが、この空洞の中はあまりにも竜の気が強すぎて、他の生物が寄り付かないのだそうです」
「なるほどね・・・。ていうかフェアリー、それ一体どこから得ている情報なの・・・?」

 とてもためになる話ばかりなのだが、ふとその情報の出所が気になってカタリナが中空のフェアリーに問いかけてみる。するとフェアリーは二度三度瞬きをした後、首を傾げた。

「さぁ・・・この空洞の中にある、何かだと思います。周辺に思念を飛ばしたら返ってきたので、正確には・・・」

 他の生物が寄り付かない、という前提なのに返ってくるその念とやらこそ随分と怪しい気もするのだが、とりあえずそこに突っ込んでも仕方がないだろうという結論に達したカタリナは、適当に相槌を打って先に進むことにした。
 時折岩肌から噴出している火山性のガスを避けるように進んでいくと、更に奥へと二人を誘う段差が現れる。

「・・・この奥のほうから、とても強大な気配を感じます・・・。恐らく、グゥエインのものかと思われます」
「この空洞で大当たりだった、ってことね。兎に角、進みましょう」

 果たして、話し合いというものが成立するのかどうか。
 出たところ勝負の感は否めないが、ここまできたからには覚悟を決めてやるしかないなと腹を括ったカタリナは、慎重に歩を進めた。

 

 

「ふざけないで!!サラは今一体何処にいるの!!!?」

 ピドナ商業地区の一画にてカタリナ・カンパニーの事務所も兼ねるハンス家の一室から、エレンの悲痛な叫び声が部屋の外まで木霊する。
 トーマスとユリアンが宥めるために彼女に相対しているが、先ほどから何度も似たような叫びが聞こえてきていることから察するに、その効果は極めて薄い様子だ。
 やがて、衝突音にも似たような響きと共に勢いよく開かれた扉から飛び出してきたエレンは、その先の広間で彼女らの様子を心配しながら待っていたモニカらを殆ど無視するように通り抜け、一目散に外へと行ってしまった。

「・・・エレン・・・」

 その様子を止められるはずもなく、モニカがただただ心配そうな様子でエレンが去っていったあとの扉を見つめる。
 飛び出してきたエレンに遅れるようにして部屋から出てきたトーマスとユリアンは、非常にバツが悪そうな表情で広間の一行に合流した。
 その場に集まっていたのは彼ら以外に、モニカ、ポール、ロビン、ミューズ、シャール、ブラックだ。
 ミューズらよりも一足早く、エレンら一行は目的であった氷の剣を携えてピドナへと帰ってきていた。
 彼女らの所持していた古代魔術書に関しては引き続き聖都ランスの天文学者ヨハンネスの兄妹であるアンナが解読を進めてくれており、これは子細分かり次第ピドナへと連絡をしてくれるように話がついていた。それを受けてピドナに一度戻ろうという事の運びとなりピドナへと戻ったエレン達だったのだが、トーマスらが居ないことを受けて待機をしていたのだった。
 だが、数日後にいよいよ帰ってきたトーマスらの表情は何やら非常に複雑な様子であり、これは何か事情があるのだな、ということは出迎えた誰もが感じた。
 無論それは帰路におけるルートヴィッヒとの対談によるものであるが、それとは別に予想外にトーマスらの一行の中に最愛の妹の姿を見かけなかったエレンがその事について問うと、トーマスらは更に悲痛な表情を浮かべながら、サラから届いた書状を苦々しい様子でエレンに見せたのだった。

「・・・わたくし、エレンを見てきますわ」

 そう言ってモニカが小走りで広間を後にすると、それを為す術なく見送ったその場の面々は軽く互いに視線を交わし、なんともバツが悪そうに肩を竦ませた。

「・・・ったくガキのお守りじゃあねえんだからよ、キーキーうるせぇな」
「いやまぁそうは言ってもよ、そう簡単に割り切れるもんじゃないだろうさ、血の繋がった姉妹なんだから。ってかほんとにあんた、ハーマンの爺さんなのか・・・?」

 一人飄々と、いつもの調子で煙草に火をつけながら一連の騒動を見ていたブラックが言うのに合わせ、ポールが嗜めるようにいいながらも半分疑いの眼差しでブラックを眺める。
 その感想はユリアンも同様に抱いていたが、彼と初めて会ったロビンはそんなことを露ほども知らず、事も無げに腕を組むのみだった。

「・・・一旦、エレンはモニカ様にお任せしましょう。我々が追いかけても、ああなったエレンは間違いなく聞かないでしょうから」
「・・・同感だ」

 トーマスのその言葉に、ユリアンも深く頷きながら同意する。シノンの若衆の中では最早常識であるのだが、このように気分を害した時のエレンの取り扱いは、非常に繊細なものなのだ。微に入り細を穿つ、というものである。
 そして大抵の場合、周囲が必死に試みるエレンへの接触では状況の改善に一切繋がらない。これには、とにかく時間が必要なのだ。
 彼女の機嫌の回復はいつだって、サラを心配する自発的な気持ちが発端となって起こる。
 自分がこんな事では、サラを守れない。サラの元に戻ろう。その思考によってのみ彼女は機嫌を取り戻し、やがて皆の輪に戻ってくる。
 昔からトーマスは、そんなエレンの行動基準を特段に心配していたものであった。
 もしサラがエレンの元から居なくなったとしたら、エレンは一体どうするのだろうか、と。
 その答えは、この年の始まり、およそ一年前から始まったこの旅の中で多少の変化として彼女に蓄積されてきたはずだが、今ここに至っては矢張り彼女の根本は変わっていないのだと彼には感じ取れた。

「・・・分かった。じゃあこっちはこっちで、必要な話を整理しちまいたい。ヤーマス以降に起こったことを、先ずは聞かせてくれ」

 シノン出身組らの様子からエレンの対応に頷いたポールは、仕切り直すようにそう言って、皆にテーブルにつくように促した。

 

 ああして、幾ら声を荒げて周囲の全てを拒絶したとしても、何も状況は良くなんて、ならない。
 そんなことは、誰よりも自分自身が、痛いほど一番わかっている。だって、愚かしいほどに何度も何度も、それを彼女は繰り返してきたのだから。
 だから毎度毎度、大人げなくこんなことをしている自分をどこか頭の中で冷静な自分が思いっきり冷めた様子で見下ろしていて、本当にそんな自分のことが世界で一番、嫌になる。
 だが、それでも。
 それでもこれは自分にとって必要な、ある種の「儀式」のようなものなのだ。
 こうして兎に角周囲の雑音から一旦離れて自分一人になり物事を見つめ直すことで、全てを投げ出して只々喚き散らしてしまうだけの愚かな自分を何とか抑えるのだ。
 そうして一頻り自分の中で自分をこき下ろした後、暫く何も考えずにただただ気分が落ち込む時間が続く。そうして幾ばくかの時間が過ぎ、いい加減そうしていることに飽きたら、いよいよそこから、これからの自分がやるべきことを考えるのだ。
 手段なんて、なんだって、どうだっていい。
 兎に角重要なのは、やるべき事が何なのか。
 彼女は先ず、それだけしか考えない。
 それが定まれば、あとは我武者羅に前進するだけだ。

(・・・何をするべきって、勿論今直ぐにサラを探しにいく。それ以外の選択肢なんてないわ)

 ハンス邸を飛び出して当ても無く歩きながら、ぐるぐると思考の堂々巡りを繰り返していたエレンは、気がつけば潮風に誘われるままに港まで辿り着いていた。
 サラが、ひょっとしてその辺りにいないものか。
 そんな有り得るわけのない妄想と共に、エレンは何げなく港を見渡しながら続けて歩いた。
 思えばロアーヌでの事件からこの一年で何度も行き来したピドナの港だが、流石に世界一の港は何度来てもその広大さに驚くばかりだ。
 何しろ、同時に数百人を乗船させることが可能なガレオンシップを数十隻も停めることができる程の巨大な港だ。じっくりと見て回るだけで、それこそ一日を費やしてしまうことだろう。
 港には等配置に灯台や検問塔が立っており、そこでは常にピドナ港専任の水先人が行き来の絶えない大小の船舶を忙しなく曳船誘導している。
 その行き来する船を何気なく見ているだけでも、時間はあっという間に過ぎ去ってしまいそうだ。
 港はいくつかの区画に分けられており、停船区画だけでも世界各地のどこに向かうかで場所が異なる。例えばヤーマスやウィルミントン等の大規模な商都が点在し最も往来の多い静海地方との行き来をする船が一番市場に近い区画に位置しており、次いで香辛料を中心とした貿易や観光渡航が盛んな温海地方往来用の区画。そしてピドナの位置するマイカン半島からトリオール海を挟んで南にあるトゥイク半島の都市国家リブロフとの定期便区画の向こうに、ロアーヌやツヴァイク等のヨルド海を往来する航海船がある。
 実のところ船ではロアーヌとの行き来をしていないエレンは、何気なく興味を惹かれて港の奥に位置するヨルド海方面へ向かう船の区画へと歩いていった。
 ぼんやりと眺めているうちに気がついたのだが、こちらの区画に停まっている船は、静海方面に行く船に比べて帆の配置が特徴的だ。
 北のツヴァイク地方から吹き降りる風が特徴的なヨルド海は東西間の航海で真後ろからの風を捉えることが難しく、更には南東のタフターン山から吹く風と海上で頻繁にぶつかり複雑な気流を生み出すので、それに適時対応できる縦帆が採用されているのである。
 無論そんなことなど全く知らないエレンは、形の違う帆の数々を物珍しげに眺めながら歩いて行き、そしてその向かっていた先に突然に、見知った姿を視界に捉えた。

「・・・あれ、ハリード・・・?」

 視線の先には、遠目から見ても分かる特徴的なナジュの衣服に身を包んだ長身の男、ハリードが船着場におり、停泊している客船の近くで船員となにやら話をしているところのようだった。
 今回はピドナ港の圧巻ぶりのお陰でいつもよりもずっと早く気分が晴れていたので、エレンは特に考えるまでもなく、そのままハリードの方へと歩いて向かっていった。

「おっさん、久しぶり。なにしてんの?」
「・・・エレンか」

 ハリードはヤーマスに向かったエレンらとは別でトーマスらピドナ組と行動を共にしていたはずだが、そういえばトーマスらがハンス邸に帰ってきたときには、何処にも彼の姿はなかった。
 しかしそれ以前にサラのことで頭がいっぱいだったエレンはすっかりハリードのことを失念していたのだが、こうして数ヶ月ぶりに会うハリードは、どこか以前の彼とは様子が違うように彼女には思われた。

「なにしてんのよ、こんなとこで」
「別に」

 いやこんなところにいて別にってことはないでしょう、とエレンは思ったものだが、しかしそれを口に出すことなく彼女は目の前の男の様子を窺った。
 どうも、普段とは様子が違うように思ったのだ。
 抑もハリードと会うの自体が数ヶ月ぶりではあるが、その手前まで半年あまり行動を共にしていた彼女から見ると、明らかにこの男の様子は普段と異なる。なんというか、その表情や声色から、以前は常日頃感じていた彼の余裕が感じられないのだ。
 他人の余裕のあるなしが分かる程度には自分の冷静さは戻っているな、等と場違いな分析を頭の隅に追いやり、エレンは次に一歩引いたように姿勢を仰け反らせながら、その場の状況を見極めんとする。
 ハリードは、普段通りの格好だ。この男は常に軽装で、旅のために余計なものを殆ど持ち歩かない。しかし、腰の曲刀カムシーン(本当は違うらしいが、ハリードがそう言い続けるのでエレンもカムシーンと呼ぶことに慣れてしまった)は散歩だろうが遠出だろうが持ち歩いているので、つまりこの姿からは彼の行く先の検討はつきそうにない。
 視線を、彼の周囲に移す。
 彼女らが今立っている場所は、ピドナ港の中でも何方かと言えば奥まった位置だと言える。つまり、敢えて用事がなければ普通はこない場所だと言えるだろう。
 まぁ、そこにまさかの敢えて特段の用事がないのにふらっと来てしまった自分自身がいる時点でこの推察には致命的な矛盾があるような気もするのだが、そこは一旦置いておいて考える。彼女が元々見てみようと思っていたヨルド海方面への船着場は、此処からもう少しだけ奥にある。現在位置はその手前にある区画であり、このマイカン半島の南に広がるトリオール海を挟んで向かいにあるトゥイク半島へと向かう船舶の船着場だ。
 トゥイク半島に向かう船は、基本的に一箇所にしか寄港しない。リブロフだ。
 そしてハリードは自分が話しかける直前まで、傍にいる船員と話をしていた。
 つまりこの場所から察するに、ハリードはここで船に乗ろうとしていた、というようにも見受けられる。

「で、どうするんですかい、旦那」
「あぁ・・・頼む」

 丁度エレンの思考を証明するかのように、恰幅の良い港の船員が小首を傾げながらハリードに声をかける。するとハリードはそれに応え、短く頷いた。

「じゃ、前金で100オーラムいただきますぜ」
「あぁ」

 短くそういって、そのまま懐から素直にオーラム金貨を出して払うハリード。
 これはもう確定で、今のこの男は様子が明らかに可笑しいということにエレンは思い至る。
 如何に世界的に船旅が高額化している状況があるとはいえ、この守銭奴が100オーラム程の大金を一銭たりとも値切ることもなく即払いするなど、普段ならば絶対にあり得ない。
 何しろこの男との旅の幕開けであったミュルスからツヴァイクへの渡航の際も、一切合切船旅の質は求めないから最も安い客室がいい、なんなら船員用の雑魚寝部屋でも良いから兎に角、極限まで安くしろ。そのように乗船案内人に迫っていたほどの男だ。
 仮にも女連れで旅に赴く初っ端からあの光景は一周回って清々しいなとエレンは思ったものだが、そんな彼の通常が、今は全く垣間見えない。
 エレンという女はどうも「女の勘」という類の色恋沙汰に特化した第六感は持ち合わせていないのだが、逆にそういう話題以外の事ならば驚くほど勘が鋭い時がある。
 それが、今だった。

「ハリード、故郷に戻るの?」
「・・・・・・何のことだ」

 唐突なエレンの質問に、ハリードは一瞬答えるのを躊躇うかのようにして言葉を紡いだ。
 一丁前に平然を装おうとしている様子だが、彼女にはそんな内部の揺らぎもお見通しだ。

「おっさん、なんか無くしたって顔してる」
「・・・・・・」

 エレンに唐突にそう言われ、ハリードは何やら憮然とした表情で眉間に皺を寄せる。
 全く、年甲斐もなく表情のわかりやすい男だ。
 だが諦め悪くハリードも一つ息を吐き、それによって冷静さを取り戻して口を開こうとするが、それにもエレンが空かさず牽制した。

「誤魔化しは要らないからね。あたしには分かるの。だってあたしが、そうだから」

 エレンは、彼女の中で絶対の確信を持っていた。この男は、恐らく今、何か大きなものを『無くして』いる。
 お互いに生まれも育ちも年齢も性別も、何もかもが違う。だがそれだと言うのに今のこの男は、自分と全く同じ表情をしているのだ。
 自分だってこんなことを話している余裕は本当は一秒たりともないというのに、まるでこの男の様子は、そんな風に無様に焦るばかりの自分自身を見せつけられているようで、皮肉なほどに彼女は先ほどまでの心中の荒れ模様が嘘のように冷静さを取り戻していた。

「・・・そう、だったな」

 エレンの言い様に全く以て返す言葉を失っていたハリードは、漸く絞り出すようにして、そう言った。
 その納得しきりという雰囲気の言葉がまるで、元々お互いそうであったことを今更思い出したかのような言い草だったものだから、エレンはどうにもその部分には納得がいかずに眉間に皺を寄せる。自分で言っておいてなんだが、このおっさんなんかに自分のそんな姿を見せた覚えは、特にないはずなのだが。

「ふ・・・そんな顔するな。俺にも分かっていることくらいあるんだ」

 エレンが考えていることが表情からあまりにも分かり易く読み取れるので思わず口をついて息が零れ、そのまま言葉を紡ぐ。全く、この女と関わると小難しく悩んでいる自分がどこか馬鹿らしく思えてきてしまう。
 だが、それでも勿論、彼の抱えている空白は何も埋まらない。
 そしてそれは、一方のエレンも同じことなのだ。
 しかし、そういう場合にとりあえず一歩踏み出すためのきっかけを、何かを変えるための手段を、エレンという女は知っている。
 このハリードという男に、既に教えられているのだ。

「一緒に行ってあげる」
「・・・あ?」

 エレンのいきなりの言葉に、ハリードは思わず声を上げる。

「とりあえず船でリブロフに 行くんでしょ。私もそっちに用事あるの。だから、一緒に行ってあげる。さぁ、いきましょ」
「お、おい・・・」

 ハリードが声をかける間も無く、エレンは乗船口へと向かって歩き出してしまった。しかもなんと船賃を要求する船員に対して、連れが一緒に払う、とでも言うような仕草でハリードの指さす始末だ。
 そして当然のように船員がハリードに向かってにやりと笑いかけながら手を差し出してくると、暫し呆気にとられていたハリードは成す術もなく船員に追加の船賃を手渡したのであった。

(サラが寄越してきた手紙は、リブロフが出処だってトムは言っていた。もう二ヶ月以上も前のことらしいけど、このご時世に女の子の一人旅なんて絶対に目立つわ。足取りが辿れる可能性は、けっして低くはないはず)

 エレンは背後に追い付きながら何やら執拗に抗議の声を上げているハリードを半ば無視するようにしながら歩を進めつつ、思考していた。

(あの子はトムの元で成長して、一年前よりとても逞しくなったと思う。多分あたしなんかより色々と知っていることも多い。でも、それだから安心なんて・・・全く出来ない。あの子をこのまま信じて戻るのを待つなんて、できっこない)

 ロアーヌで喧嘩別れをしてから数ヶ月後にピドナで合流して以降、エレンの目から見てもサラはとても活き活きとしていた。カタリナカンパニーの秘書役として精力的に働きながら、周囲のいろんな人物との交流にも積極的だった。以前の臆病だった性格からは信じられないほど、随分と変わったように感じられたものだ。
 だが、姉としてそんな妹の変化を好ましく思うと同時に、一方では何とも形容し難い小さな違和感が頭の片隅にずっとあったのも事実なのだ。

(あたしだけが取り残されていく、みたいな醜いだけの感情じゃない。いや、それがあたしのなかに全くないわけではないのも事実だけど、兎に角この違和感は・・・そんなんじゃないのよ。もっと漠然としていて掴みにくいけれど無視することは絶対にできない・・・そう、直感みたいなもの)

 今ここでサラを追いかけなければ、もう二度とサラとは会えなくなってしまう。
 大袈裟ではなくそれが本当に起こるかもしれないというような、そんな焦燥感。
 エレンは今この時になって、この直感は全く正しいのだと殆ど確信していた。

「おい、聞いてんのかエレン!」
「なによ、煩いわね!」

 いよいよ肩を掴まれながら制止され、そこで漸くエレンは彼女を引き止めてきたハリードに向かって罵声を浴びせながら振り返る。
 対して、まさか自分の正当極まる抗議に対して『煩いわね』などと乱雑な返しをされるとは思ってもみなかったハリードは大層面食らったようで、言わんとしていた言葉もすぐには出てこなかったようだった。

「なによ、もう船賃払っちゃったんでしょ。ならいつまでも女々しいこと言わないでよ」
「いやお前女々しいとかそういう・・・つかお前、俺が何でリブロフに行くのかとか・・・」
「目的は、リブロフじゃないでしょ」

 ぴしゃりとハリードの言葉を遮るように、エレンがそう断言する。
 するとハリードはその言葉が図星であることを肯定するかのように、続く言葉を発せられずに押し黙った。

「ていうか、どうせ目的なんてないんでしょ。分かるわよ。だって顔にそう書いてあるもの」
「・・・・・・」

 エレンのずけずけとした物言いに、しかしハリードは返す言葉がない。
 だがそこでエレンは追撃をするでもなく、なにを思ったかハリードの手を取り、甲板へと歩いていく。

「お、おい、なんなんだ」

 自分よりも歳が十以上も下の娘に手を引かれるという構図に困惑しながらハリードが声を上げるが、そんなことは知ったことではないエレンは、問答無用で彼を船首付近の甲板の縁まで連れて行った。
 そして船の縁に手をかけられるあたりで立ち止まり、船上を吹き抜ける潮風を全身で受けながら、これから船が向かわんとしている南へと視線を向ける。

「ほら、海を見て風に当たれば、気分も変わるわ」
「・・・お前なぁ・・・」

 ハリードはすっかり呆れた様子でエレンに何かを言おうとするが、しかしエレンはこちらに視線を合わせようともせずに、南の水平へと瞳を向けている。
 その様子を見て又しても彼女にかける言葉を失ったハリードは、結局他にやれることもなく、彼女に倣って南へと視線を傾けた。
 そこには、最近はやたらと見慣れたピドナの港の風景と、そしてその先に広がるトリオール海の景色。
 船の上ということで高さは違えど、先ほども見ていた光景だ。そこに吹き抜ける風も、別段先ほどのものと何が変わるわけでもない。
 だが、それだというのにこれは、一体どうしたことだろう。
 ついさっきまでの自分よりも確かに彼は今、その心が不思議と落ち着いており、静かに前を向いているのだ。

「ね。気分、変わったでしょ」

 その様子を見抜くように横目でハリードをちらりと覗いたエレンは、口の端を吊り上げるようにしながら、ニヤリと笑って見せる。因みにこれはハリードの笑い顔の真似なのだが、本人が思っている以上に全く似ていないので本人にはこれっぽっちも伝わっていない。
 だが自分の中に不思議と冷静さが宿っていることを確かに実感していたハリードは、エレンに応えるように自分の未熟さを皮肉って口の端を吊り上げて返し、そしてエレンの頭をがしがしと乱暴に撫でる。

「やだちょっ、なにすんのよ!」
「礼だ、とっとけ」

 これには予想通りに喚き散らすエレンに対し、ハリードはどこ吹く風で海へ視線を向ける。

「・・・礼を言われる筋合いなんてないわ。まだ何も変わっていない。変えていくのは、これからでしょ」

 乱された頭頂部の髪を整えるように手櫛で流し、トレードマークのポニーテールを結び直しながらエレンが言う。
 対してハリードは肩を竦めながら、一つ息を吐く。

「変わったじゃねえか」

 腰に身につけたカムシーンと名付けている曲刀に手を触れ、半身をエレンへと向ける。

「さっきまで一人だったのが、今は二人だ。これは大きな変化だろうよ」
「ふん・・・一年前のことくらいは、覚えていたみたいね。ボケてなくて安心したわ!」

 ハリードの言葉にエレンは満面の笑みで応え、そしてふと真面目な面持ちに戻って海を見た。

「あたしは、サラを探す。おっさんも向こうで用事が終わったら、手伝ってよね」
「俺よりも目的が明確な分、分かりやすくていいな。前金次第では、考えてやろう」
「おっさん、あたしにそんな金があると思ってんの?」

 そうして他愛のない会話をしながら二人が出港を待っているところに、ふと視界の端に市街地の方面から走ってくる鮮やかな布地の色の衣服を身に纏った人物の姿が映った。
 どうやらその人物は声を発しながら向かって来ていたようで、エレンがその姿にしっかりと気づいた時には、その聞き覚えのある声が耳に届いていた。

「エレンーーー!!」
「あ、モニカ!!」

 走り寄ってきたモニカの姿を認めたエレンは、船の縁から身を乗り出すようにして大きく片手を振った。

「エレン、いったいどこへ行くのです!?ハリード様まで!」
「モニカ!あたし、サラを探しに行くわ!おっさんも野暮用よ!どうかトムに宜しく言っておいて!」

 エレンがモニカに向かって声をあげている合間に、いよいよ二人の乗った船の出港を知らせる鐘の音が辺りに響き渡る。
 もうそこから先は、何やら叫んでいるらしいモニカの声も全く聞こえず、エレンは体全体を使うようにして目一杯手を振るだけだ。

「お前、仮にも母国の侯族を呼び捨てって、まずくないか?」
「いいのよ、第一モニカから言ってきたんだし。ってかおっさん、そういうの気にするタチだっけ?傭兵ってどっちかっていうと反体制主義じゃないの?」
「いやまぁ一般的にはそうかも知れんが、俺にも一応、事情っつうもんがあってだな・・・」

 なんでか気安く呼び合っている二人の様子をみてハリードは思わず突っ込むが、思いの外鋭い返しが来たものだから口籠ってしまう。
 そのまま視線を戻し、港が見えなくなるまでモニカに手を振り続けるエレンを尻目にハリードは船の食堂へと向かうことにした。
 何しろ、予期せぬ出費で二人分の船賃を出すことになったのだ。これはしっかりと元を取らなければ、やっていられないというものなのである。

 

「なーるほどな・・・。状況は大凡、分かったよ」

 ハンス邸にて行われていた話し合いの中で、ウィルミントンからピドナに辿り着くまでの話を聞き終えたポールは、ゆっくりとそう言った。そして自分の中で考えを纏めるようにコツコツと指先で米神の辺りを突きながら、状況整理とこの後に行うべき行動の指針について思考する。

「・・・しかしまぁ、なんつーか流石はルートヴィッヒだな。一本取られた・・・ってか、全く予想だにしなかった行動だわ」
「あぁ。ただ彼の今回の決断は、我々の向かう方向と限りなく近いのも確かだ。今の我々に選べる選択肢は殆どないが、前向きに捉えるしかないだろうね」

 トーマスの見解にポールは薄く頷きながら、しかし直後に彼の隣で視線を落としたまま表情を固くしているままのミューズへと視線を移した。
 当然その更に隣に控えるシャールも同じような表情であり、彼女等からしたらこの状況の好転の仕方は、そう簡単に受け入れられるものではないだろうことが窺える。
 だが、やるからにはそれを飲み込み、理解してもらわねばならないだろう。なので、単刀直入に聞いてみることにした。

「ミューズさんとシャールさん。あんた達は、どう思っているんだ?」
「・・・・・・・」

 二人はポールの問いかけに、しばし無言で応える。だが、ポールは特に答えを急がせようともしない。こういう問題は自分で答えを出さなければならないのだ、ということを、彼はキドラントでの騒動から経験している。
 やがて、ミューズが面を上げた。

「私は、この機を逃すべきではないと、理解しています」

 短く答えるその様子を、ポールは見つめる。
 彼女の瞳には、迷っている様子はない。
 隣のシャールもまた、そんな主君を真っ直ぐに見つめている。既に彼は主君の意志に従うと決めているのだ。

「当然、油断はしません。あの男がいつ我々に仇をなす行動を起こすのか、わかりませんから。でも今暫くは、あの男の提案に乗りましょう。それが我々のためであり、メッサーナの為になると私は理解しています」
「・・・あぁ、そうだな。兎に角こいつはチャンスだ。これを機に逆にこちらがあちらさんを喰っちまうつもりでいこうぜ」

 最愛の父を討った仇に対し、この若い娘はしっかりと折り合いをつけようとしている。それのなんと気丈で、聡明なことか。
 仮に自分があの時にニーナを失った上で祖父や教授と対峙していたら、たとえ全ての事情を知ったところで、彼らに対し何もしないでいられる保証などないと感じてしまうだろう。

「・・・じゃあ、やることは決まっているわけだ。明日のピドナ宮殿でのなんとかの集いとやらで、予定通りロアーヌの戦線への経済的支援を進めるんだな?」
「その通りだよ。そこまでは既にルートヴィッヒ軍団長とも話をしている。今年は現在魔物と交戦中のロアーヌを除いたほぼ全ての主要都市の要人が集まっているらしいから、行動を促す効果は相当に高いだろう」

 ポールの問いかけにトーマスが頷きながらそういうと、ポールは手元の紅茶を一口飲んでから両腕を組んで背もたれに寄り掛かった。

「となると、そこからは例のアビスリーグとやらに関する情報を探っていかなきゃならないな。んー・・・こりゃヤーマスでドフォーレ捌いてもらっているキャンディにも協力を仰いだほうがよさそうだ。ロビン、済まないが一度書簡を持ってヤーマスに渡ってもらえるか?」
「構わない。街がどうなっているのかも気になるしね」

 ロビンの快諾を得ると、今度はブラックへと視線を移す。

「ハーマン・・・じゃないんだよな。ブラック、でいいんだっけ」
「ブラック様でもいいぜ」
「オーケーブラック様、お宅は俺に付き合ってもらうよ。潜って情報収集をするのに、あんたの雷名はめちゃくちゃ役立ちそうだしな」

 軽口に軽快に返してくるポールにブラックがふんと一息吐いて反応すると、ポールはそれに肩を竦めて返しながら話を纏めにかかる。

「よし、ロビンとブラックと俺はすぐにでも動き出そう。情報が上がり次第共有するから、トーマスの旦那はミューズ様やモニカ様を頼むよ。それじゃあ・・・」

 そう言って席を立とうとした丁度その頃合いになって、息を切らせた様子のモニカが帰ってきたところだった。

「モニカ!エレンはどうだった?」

 彼女の姿にいち早く反応したユリアンが問いかけると、モニカは何やら彼女にしては珍しく呆けた様子で、ぽつりとつぶやいた。

「エレンとハリード様が・・・駆け落ちしてしまいました」
「・・・え?」

 モニカの突然の衝撃的な告白に、その場の一同は凍りついたように固まってしまった。

 

 

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第七章・6 -永久結晶と氷の剣-

 

 見上げれば、そこには満天の星空と見紛うほどの煌き。そこに輝く数多の光がいったい何処まで続いているのか、見上げども見上げども、一向に見当もつかない。
 その場所を氷の銀河と名付けたのは、一体誰であったのだろうか。それはもう、この世界の誰も覚えていないことなのであろう。
 だが一つ確かなことは、この場所を見ることができた希少な者たちは、その誰もがこの場所を『氷の銀河』という以外に呼びようが無いと確信するであろう、ということだ。
 それは今まさに氷の銀河を征く五人の冒険者も、そして三百年前にここを訪れたという、かの聖王も、等しくそう確信したことだろう。
 更にいうならば五人の冒険者と聖王には、今この場においてもう一つの共通点が存在する。
 それこそは、今まさに彼らの後ろをついてきている「雪だるま族」の存在だった。
 それは精霊が雪の塊に命を宿し現界した姿で、嘗て聖王がオーロラに導かれて氷の銀河を征き、その先で氷の剣を手に入れた時も、こうして精霊「雪だるま」を連れて行ったのだという。
 しかも聞けば驚くことに、ユリアン達についてきた雪だるまは三百年前にも聖王と共に氷の剣を取りに行った雪だるまと同一個体なのであるそうだ。
 とはいえ、雪だるまがついてきたのは単なる好奇心や懐古心のそれでは無い。それは、必然であるから付いてきているのだ。
 抑もこの「氷の銀河」という極寒の異世界を人の身のままで征くには、雪だるま族の持つ氷雪の加護が必要不可欠なのだという。それが無ければ、ものの数十分で生身の人間など氷漬けになってしまうのだそうだ。
 故にその雪だるまのお陰で一行は、その身がこの異界に在っても普段と変わらぬ身軽な服装で行軍する事が出来ていた。

「うおおおらああああ!!!」

 自身の倍以上の背丈であろう、単眼の不気味な巨人が繰り出してきた拳に、ウォードが自分の得物である大剣を合わせて気合いと共に振り下ろす。
 鈍い衝撃音と共にぐしゃりと骨肉の砕ける音がして拳を潰され巨人が怯んだところに、ロビンが背後に回り込み脚の腱を突いて姿勢を崩しにかかった。
 そして思惑通りにロビンの攻撃で巨人が膝をついたところで賺さずウォードの背後から飛び上がったモニカが、軌道の読めない畝る蛇のような動きの強烈な突きを巨人の眼球に見舞い、頭部を突き抜けて絶命させる。
 そうして彼らが一体の巨人を駆逐している向こうでは、雪だるまの玄武術によって足止めを食らった別の巨人が、その体の上下をエレンとユリアンによって斬り飛ばされていたところであった。

「・・・おかしいのだ。ここは原初の精霊の集合意識体が作った、絶対零度の不可侵領域なのだ。そこに、こんな妖魔が沸くはずがないのだ」
「成る程、これは異常事態なのですね」

 レイピアに付いた血が拭き取るまでもなく外気によって瞬時に凝固し崩れ落ちる様を物珍しそうに眺めた後、モニカは雪だるまへと視線を移しながら、そう答えた。

「まだまだこの辺りには巨人の気配があるようだし、偶然迷い込んだ、というわけではないのだろうな。これが異常事態だというのなら、その原因が何処かにあるはずだが・・・」

 モニカと同じく血糊がすっかり落ちたレイピアを仕舞いつつ、ロビンが周囲を探るように見回した。
 彼らは今、広大で分厚い流氷の上に立っていた。
 氷の銀河と呼ばれるその場所は、どうやら途方もなく大きな空洞となっているようだった。その中にある巨大にして極寒の湖に、いくつもの氷原が浮かんでいるといった格好なのだ。
 陽の光が一切届かぬ周囲は空洞の上下左右から放たれる淡く蒼い光に溢れているが、それでも見通しはあまり良くない。
 暗がりからの奇襲を警戒しつつ極力戦闘を避けるべく、周囲に細心の注意を払いながら五人と一体は進んでいくことにした。

「・・・ねぇ、あそこ見て。なんかある」

 聳り立つ氷塊の物陰に身を隠しながら先陣を切って進んでいたエレンが、突然後続に止まれと手振りで伝えながら、自らの前方を指差した。
 ユリアンらが指さされた先へと視線を向けると、その先で暗がりの中に浮かび上がってきたのはなんと、氷漬けの人間と思われる氷像であった。

「・・・あれは!」

 ユリアンらに遅れて最後にそちらを見た雪だるまは何やら随分と驚いた様子で、そのまま一気にエレンを飛び越して一目散にその氷像へと駆け寄った。
 その様子にエレン達も周囲の警戒をしながら其方へ駆け寄ると、なんとその先ではあまりに驚くべき光景が起こっていた。
 なんと氷像が滑らかに動きだし、雪だるまの頭を撫でていたのだ。
 あまりのことに驚きを隠さないままエレンたちが近づいてよくよく見てみると、氷像は人間の女性を形取っており、またその姿はまだ年端も行かぬ少女のもののようであった。
 そしてその体は氷漬けである他に仄かに青白く光を纏っており、その少女が人ではない何かである事を窺わせた。

「雪だるまさん、その方は・・・」

 モニカが語りかけると、雪だるまと共にその氷の少女がモニカへと振り向く。

「この子は・・・最初の少女なのだ」
「最初のって・・・」

 雪だるまの言葉にエレンがあまり理解していない様子で反応を返す。その横でその言葉を脳内反芻していたユリアンは、そう言えばと思い当たる事があったようで、口を開いた。

「それ、ひょっとしてさっき暖炉のところで言ってた設定の話か・・・?」
「そうなのだ・・・一部は事実なのだ。でも一体なんで・・・。それに三百年前には、ここには何もなかったはずなのだ・・・」

 後半は問いかけるようにしながら雪だるまが疑問を呈するが、まるでそれに応えるかのように、氷の少女は薄っすらと微笑んだだけだった。そしてしばし微笑みを浮かべていた少女は、彼女の体の一部のように思われた胸元の氷の花を取り外し、雪だるまへと差し出してきた。

「これは・・・ま、まさか、永久氷晶なのだ!?」

 驚いた様子の雪だるまに対し、目の前で行われているやりとりの意味がいまいち理解できないユリアン達は、とても不思議そうにその光景を眺めていた。
 だが雪だるまが受け取った永久氷晶と呼ばれる氷の花からは、只ならぬ空気が感じ取れるのは確かだ。

「・・・これは、氷の剣以上に精製に時間を要する至宝なのだ。この氷晶があれば僕ら雪だるまは大きく力を増し、その気になればこの絶対零度の世界の外で活動する事さえ出来るようになるのだ」

 見た目からは全くわからないものの声色からは十分に高揚した様子が伺える雪だるまがそう言っているのを、氷の少女は静かに微笑みながら聞いていた。そして氷の少女はやがて右腕を掲げ、氷の銀河の一点を指差した。
 そして何かを囁くように口を動かすが、そこから紡がれる言葉はエレン達には聞き取る事が出来ない。

「・・・この先に、氷の銀河に起きている異変の元凶がいるらしいのだ」

 唯一少女の言葉を理解した雪だるまが少女の示した方角へと向き直りながらそう言うと、エレンは何かを確信した様子で笑みを浮かべながら腕を組む。

「じゃ、間違いなく氷の剣もそこね」
「ですわね」

 そこにモニカも上品に腕を組みながら同調すると、ユリアンとロビンはやれやれといった様子で肩を竦めながら彼女らの後ろに控えた。

「ま、そりゃ行くんだよなぁ・・・。ったく、この仕事はエライ高くつくぜ・・・?」

 ウォードが半ば破れかぶれ気味に得物の大剣を担ぎながらそう言うのを合図に、一行は少女の指し示した氷の銀河最深部へと向かい始めた。

 

 それまでと同様に物陰を上手く利用しつつ氷原を徘徊する巨人を避けるように進んで行くと、氷雪の加護があるにも関わらず次第に肌に感じる冷気が強く濃くなってきたように感じられてくる。
 加護があるにも関わらず寒気を感じるのは、雪だるまが言うには最早、外気温が生物の住める温度をとうに下回っていることの証明なのだそうだ。
 そして極寒の世界を進んで行った先に、遂に一行は漸く氷の銀河の異変の元凶と思しき存在を、その視界に認めた。

「あれは・・・」

 エレンがそう呟いた先に鎮座しているのは、拓けた一面の氷原の上にて微動だにせぬ、白銀の巨龍であった。

「ドラゴン・・・」

 その威風堂々たる佇まいは、まるで氷原の中に聳り立つ巨大な氷の彫像のようでもある。しかしそんなことよりも一行が大きく疑問に思うのは、それが本当に彼らの知る龍なのであろうか、ということであった。モニカやエレン、ユリアンの中に揺蕩う十二将達の戦の記憶には、どこを探そうともこの様な姿形の龍種の記録はないのだ。
 そして同時に、目の前の巨龍の力が既存の記憶にある龍種のそれとは大きく異なるであろう事も、その威風からして瞬時に察する事が出来た。

「・・・退くか?」

 抜剣の姿勢は崩さぬまま、小声でユリアンが問う。未知の龍種と戦うには、今の彼等は余りにも準備不足と言わざるを得ないからだろう。

「いや、もう遅いわ」

 エレンがそう言って腰に装着していた斧を取り外すのと、白銀の巨龍の青白い目が見開かれるのは、殆ど同時だった。
 既に、そこは巨龍のテリトリーの中であった。

「!・・・散って! なるべく距離とって!!」

 大気の揺らぎを最初に察知した先頭のエレンは、そう叫ぶや否や自分も後方の岩陰に滑り込みしゃがみ込む。
 全員がそれに習って付近の岩陰に身を隠した直後、世界が白く染まった。
 彼女らのいた空間を中心に周辺の岩を巻き込み、純白の爆風が十数秒にも渡ってあたり一帯を通り抜ける。

「うおおおおおおおお!!!?」

 余りに強力な衝撃波で岩の上部が吹き飛び、そこに身を隠していた最も大柄なウォードが堪らず数メートルほど後方に吹き飛ばされる。
 幸いにも湖面に落ちる前に氷原で止まる事が出来たのだが、彼が急ぎ起き上がってみれば、もう既に今のブレスから身を隠せそうな場所は粗方吹き飛んでしまっていた。

「あれがもう一度きたら耐えられない! 一か八か、速攻でいくよ!」
「ボクは補助に回るのだ!一度は必ず防ぐのだ!」

 エレンの掛け声と共に彼女を先頭に突破隊列を組んだ一行は、掛け声と共に龍に突撃をかけるべく駆け出した。
 まず先頭から斬りかからんとするエレンを薙ぎ払うように、白龍がその巨体に似合わぬ素早さで巨大な前足の鉤爪を振り抜く。するとエレンは、それを回避するように大きく飛び上がった。しかしそれを視線で追っていた白龍がそのまま彼女を噛み千切らんとし、大きく口を開ける。

「させるか!!!」

 エレンに一歩遅れるようにして龍の首をめがけて飛び込んだユリアンが、その首を刎ねるべく渾身の水平斬りを打ち放たんとする。
 だがそれを直前で予見した白龍は瞬時に首を引いてエレンへの攻撃を中断し、翼を羽ばたかせて強烈な衝撃波を起こし二人を目の前から吹き飛ばした。

「モニカ、ロビン!」
「はい!」

 吹き飛ばされながらエレンが叫んだ直後、左右に分かれて至近距離まで潜り込んでいたモニカとロビンが、其々白龍の左右後ろ足へとエストックを突き立てる。
 だが、やけに耳障りな甲高い衝撃音が響いたかと思うと、二人のエストックは白龍の強固な鱗に阻まれてしまい、その身に殆ど傷をつけることは叶わなかった。
 それでも多少の痛みは与えたようで、白龍は己の両足元へと意識が散っていく。

「まだだ、乗っかれぇ!」

 叫びながら吹き飛ばされたエレンが空中で体制を整える後ろで、ウォードが雄叫びを上げつつ大剣の側面を前にしながら豪快にアッパースイングで振り抜く。
 それに気付いたエレンが振り抜かれる最中のウォードの刀身に足を乗せ、擊ち出される大砲の如くに再び白龍への距離を一気に詰めた。

「っっらぁ!!!」

 振り抜かれた勢いに加えてたっぷりと自身の遠心力を乗せた一撃を、白龍の頭へと向けてエレンが放つ。

「グギャアアア!!!」

 耳を劈く様な苦悶の叫びと共に、白龍はなりふり構わぬ様子で翼を羽ばたかせる。
 それによって生まれた衝撃波でその場の全員が散り散りに吹き飛ばされ、直ぐに落ち着いた白龍は己の右眼を今の一撃で潰されながらも即座に臨戦態勢を整え、再度彼女らと対峙した。

「・・・惜しい。頭ごとぶっ潰せれば良かったんだけど・・・」
「なに、今のであの姉ちゃんは彼奴の視界を半分奪った。次はもう少し楽に決められる筈だ」

 白龍と正面から対峙する形で同じ方向に吹き飛ばされたユリアンとウォードはそう言いながら立ち上がり、ユリアンは再び剣を握りしめる。
 そして左右、及び龍の後方に分かれて吹き飛ばされたエレン、モニカ、ロビン等に伝える様に、声を張り上げた。

「今度は俺が撹乱する!全員、隙を突いて一気に頼む!」

 言葉と共に一人白龍の前へと躍り出たユリアンは、ロビンとの一騎打ちで放ったものと同じく己の分身を創り出すほどに気配を分散させた動きを展開する。
 白龍は視線でそれを追ってきたが、しかし闇雲に繰り出された鉤爪がユリアンを捉えることはない。
 この瞬間を好機と捉え、エレン、モニカ、ロビンは渾身の攻撃を繰り出さんと白龍へ距離を詰めた。狙うべきは、強固な鱗に覆われていない体の底面付近や、同じく足の付け根あたりだ。
 だが、白龍はそんな彼女等の思惑を嘲笑うかのように、巨大な翼を羽ばたかせ一気に空中へと舞い上がった。

「おいおいあの巨体で飛ぶのかよ・・・!」
「気をつけろ! あれ来るぞ!!」

 愕然とした様子のユリアンの呟きに合わせてウォードが叫ぶのとほぼ同時に、後ろに控えていた雪だるまが先ほどまで白龍のいた場所に集結していたエレン等の側に飛び込む。
 そしてそれらと合わせるかのように、劈く雄叫びと共に白龍の強烈な冷気のブレスが空中から垂直に地面へと向かって放たれた。

「舐めてもらっては困るのだ!」

 雪だるまの言葉は、爆発音にも似た様な暴風の炸裂音で掻き消される。
 直撃していないにも関わらずとんでもない余波で周囲に巻き起こった衝撃波に、離れていたにも関わらずウォードは再び吹き飛ばされた。
 爆風により辺り一面が氷と雪によって白に覆われ、空中にいた白龍も爆心地から数メートル離れた場所に着地して慎重に視界が晴れるのを観察している。
 そして待つこと十数秒で視界が晴れると、思惑と違ったその光景に白龍は低く唸り声をあげた。
 鋭い龍の眼光が見つめる先には、雪だるまを含めた五体の彼の獲物が、なんとまるで無傷で立っていたからだ。

「凄いじゃない。ありがとね!」

 エレンは斧を構え白龍から視線を外さぬまま、雪だるまへと感謝を述べる。

「どういたしましてなのだ。氷銀河に永久氷晶があれば、フリーズバリア多重展開もお手の物なのだ。でも、連発はちょっと厳しいのだ」

 くたびれた様子を器用に表情で表しながら雪だるまがそう答えると、残るユリアンとモニカ、ロビンも自身の得物を構えて白龍へと向き直った。

「次で決めなければいけませんわね」
「だな。だが同じ手は通じなさそうだしな・・・」

 モニカの言葉にユリアンが答えるが、彼の奥の手である分身剣は先ほど白龍に看破されてしまっている。
 すると、まるで己こそが真打と言うかの如く一歩前に進み出たのは、外套をはためかせたロビンだった。

「では、ここはこの怪傑ロビンにお任せいただこう」

 構えの定石とは違いエストックを対峙する相手と反対側に掲げ、徒手の左手を白龍へと向けながらロビンが言った。

「また飛ばれたら厄介だ。翼を狙う。その隙に」
「オーケー」

 エレンが了解で返すと、ロビンは不敵に笑い、そのまま間を置かず一気に飛び出した。
 軌道は、最初のエレンの突撃と同じ直線。対する白龍は牽制をするかの様に、その鋭い鉤爪をロビンに振るう。
 瞬間、白龍の左前方に飛ぶ様に、黒い影が舞う。
 左目だけが生きている白龍が即座にその影を追うと、その影はなんとロビンが先ほどまで装着していた漆黒の外套であった。

「フェイントは小剣使いの十八番だよ」

 フェイントに一歩遅れて白龍の死角である右側に飛び込んだロビンは、強く握り締めたエストックに己の全身を用いた最大回転を加え、渾身の突きを放つ。

「父直伝のスクリュードライバーだ。君が雌なら、クリティカルだな」
「ギャアァァァァァァアアアア!!!」

 ロビンの放った強烈な突きが、白龍の右の翼を抉り千切る。その痛みに白龍が残る片翼を羽ばたかせつつ大きく身を仰け反らせるが、浮かび上がる事は叶わない。そしてこの瞬間ガラ空きになった白龍の懐にエレン、ユリアン、モニカが次々に飛び込んでいた。
 まず硬い鱗を打ち破る様に、エレンが加速した勢いに遠心力を乗せて強烈な一撃を白龍の喉元に叩き込む。
 次いで飛んだユリアンが、鱗の千切れ飛んだ箇所目掛けて渾身の飛水断ちを打ち込んだ。
 二人の攻撃は会心の出来栄えであったし、それに苦悶する龍の咆哮と共に盛大に血飛沫が舞うが、それでもまだその首を落とすには至らない。

「はああああ!!」

 そして最後に飛んだモニカは、構えたエストックにて超速の五段突きを見舞う。
 まるで夜空に煌めく十字星を描いたかの様な強烈な連撃の最後の一突きが、ついに白龍の首を貫通して背中に向かう鱗と断末魔ごと切り飛ばした。

「うおおおお!! やったじゃねーか!!」

 龍の首が地面に落ちるのと殆ど同時に、ブレスの余波で吹き飛ばされていたウォードが、丁度戻ってきつつ歓声を上げる。

「ナーイスモニカ!」
「恐れ入りますわ、エレン。でも、これは皆様のお陰です」

 互いの動きを讃える様にハイタッチを交わしたエレンとモニカは、頭部を失い鈍重な動きで地面に崩れ落ちる白龍の胴体の向こう側へと視線を投げる。
 その先には、氷原の中に突き立てられた一振りの剣があった。

「あれが、氷の剣なのだ」

 白龍の死骸を回り込む様にしてその剣へと真っ先に近づいた雪だるまに続き、五人と一体がその剣の前へと集まる。
 彼らの目の前に突き立つその剣は、名の通り正に全体が氷で形成された不思議な剣だった。
 エレンが徐にその柄の部分を握ると、地面に突き刺さっていた根元部分を覆っていた氷がひとりでに崩れ落ち、氷原の支えを失う。

「へー。まぁ冷たいけど、氷を握っている感じはないねこれ。全然平気」

 ぶんぶんとその場で二、三度振り回し、エレンはユリアンに向かって放る様に投げて渡す。
 それを難なく受け取ったユリアンは、しっかりと両手で握りしめ、カタリナがよくピドナの庭先でやっていた様に構えて刀身を見つめた。

「つ・・・ついに念願の・・・」
「おっと、それ以上はやめたほうがいい」

 思わず口をついて出た遠い昔の口伝をロビンに遮られたユリアンは、気を取り直して氷の剣を構え、数度素振りをしてみる。
 すると通常の剣からは感じられない独特の波動、あるいは霊威のようなものを感じ取ることが出来るが、しかしユリアンが扱うにはこの剣は多少重量があるようだった。大別するならば、これはカタリナが好んで扱う「大剣」の部類だろう。今のチームでいうなら、ウォードが扱うのが適任に思われた。
 しかし、それを差し出されたウォードの返事は随分とつれないものだった。

「おいおい、勘弁してくれよ。一介のハンターに聖王遺物なんて、其れこそ、豚の前に真珠を投げるってもんだ」

 そう言ってウォードは氷の剣を一時的に受け取ることも拒否し、代わりに俺はこれだとばかりに、白龍の死骸を解体し始めた。
 ハンターたる彼にとってそれが宝の山にも等しいものである事は、他のものにもわかる。何しろ龍の体は、実に様々な部位が貴重であり役に立つからだ。主たる部分でいうならば、龍の鱗は呪具や祭事の際に重宝される他、鍛治の素材としても非常に高値で取引される。
 爪はそのまま短剣にできそうなほど鋭く、角も武具となる他、磨り潰して霊薬としても使われる。
 その血肉もまた非常に貴重なものであるとされ、龍の肉を喰らったものは不老長寿を得るなどという伝承まであるのだという。

「でも気になるのは、そのお味よね。折角だし持って帰って食べてみようよ!」

 ウォードが難儀しながら解体している横で、エレンはそう言いながら手にした斧で豪快に龍を捌き始めた。
 ユリアンやモニカ、ロビンの得物は残念ながらそれを手伝える装備ではないので、実に楽しそうに龍を解体する二人をただ興味深げに見守るだけだ。

 ガキンッ
「うぇっ!?」

 すると順調に解体を進めていたはずのエレンが、不可思議な金属の衝突音と共に斧がはじき返されたことに驚いて声を上げた。

「どうかいたしましたの?」
「いや・・・なんかこいつ・・・うわ、なにこれすご・・・」

 モニカが肩越しに覗き込む前でエレンが白龍の体から取り出したのは、なんと一振りの槍だった。

「ほらみて、こいつなんか槍飲み込んでた!」
「へえぇ、凄いじゃん。龍槍ってやつ?」

 ユリアンも何やら感心した様子で槍に注目したが、その槍がどれだけの代物であるのかはよく分からなかった。
 それを取り出したエレンから興味本位で受け取ったモニカが、彼女の中に渦巻く十二将の戦の記憶を頼りに構え、軽く振ってみる。
 するとその大きさからは想像もできないほど軽々と、しかし驚くほどの力強さを備えた太刀筋が垣間見えた。十二将の記憶の持つ戦闘技術を抜きにしても、この槍は間違いなく他の市販の武具とは一線を画した品であることに間違いは無いだろう。

「これは・・・わたくしには詳しい事は分かりかねますが、かなりの業物の様に感じます」
「槍って言ったら、トーマスやシャールさんかな。氷の剣以外にも、いいお土産が出来たね」

 何食わぬ顔で龍の解体を続けながらエレンがそう締めくくり、そのまま二人の解体作業終了を待ってから一行は間もなく帰路へと着いたのだった。

 帰り道に再度氷漬けの少女の元を尋ねると、少女は雪だるまにしか伝わらない言葉で何かを囁いた様であった。
 それを聞いたゆきだるま曰く、彼女は此処でまた数百年の時をかけて再び永久氷晶を作るのだという。それが今の彼女の存在理由であり、またそれを成すことが彼女の夢であるのだという。
 少女がこの地で最後に見た夢は、彼女が作ったゆきだるま達と共に、彼女の生まれ故郷で自由に遊ぶ事なのだ。氷の銀河が存在する限り、いずれ彼女のその夢は叶うはずだ。

 それから数日、エレン達は雪だるまの村に滞在した。
 理由としては何のことはない、帰るためのオーロラの出現を待っていただけの話である。雪だるまによればこの時期の雪の街には、なんと夜が訪れないのだという。ウォードが言うにはそれは白夜と呼ばれる現象であるそうだ。
 その数日の間にエレンたちは何度か雪だるまを連れて氷の銀河を往復し、巨龍を可能な限り解体して食料や素材の確保を行なった。
 因みに食料らしい食料も龍の肉しかなかったために数日の食事はそれで過ごしたのだが、思いの外、龍の肉は美味であったと一同の中では結論づけられた。基本的に龍は肉食のはずだが、この地にあっては肉も何もなかったから何か別の形で栄養の補給を行なっていたのではないか、というのが畜産の経験も豊富なエレンとユリアンの意見であった。
 そして雪の街滞在から四日目、いよいよオーロラの出現を確認することができた。

「ありがとうなのだ。君らのおかげで、最初の少女にも会うことができたのだ」

 雪だるまがそう言ってぺこりとお辞儀の仕草をすると、一行が口々に応える。

「わたくしたちこそ、お世話になりました。お陰様で氷の剣も手に入れられました」
「ありがとうね、すっごい楽しかった!」
「また来るよ」
「共に冒険をした証に、このロビンマスクの予備を一つあげよう」
「世話になったなぁ。飲みの席の話題が一つ増えたぜ」

 そうこう言っているうちにオーロラがエレン達を覆っていき、視界が極彩色に染まっていく。

「君たちに、精霊の加護があらん事を、なのだ。時が来れば、僕らも必ず・・・」

 雪だるまの最後の言葉は、オーロラにかき消されて殆ど聞こえなかった。
 そして程なくしてオーロラが晴れると、エレン達は冷たい風の吹きすさぶ小さな崖の上に立っていた。
 背後にはウォードの組み立てかけのテントが、雪を被った状態で放置されている。そして周囲は暗く、夜が確かに訪れている事を告げている。
 どうやら、無事に元の場所へと帰ってこれたようだ。

「よっし、ユーステルムに戻ろう!」

 エレンの掛け声と共に、一行は意気揚々とユーステルムへの帰路に着いた。

 

 

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第七章・5 -オーロラに包まれて-

 

「あ・・・」
「・・・どうかしたんですか?」

 バンガードの宿で紅茶を飲みながらピドナへの定期連絡を認めていたカタリナの唐突な発声に、窓から身を乗り出して道端の猫と遊んでいたフェアリーが振り返った。

「いえ・・・そういえばポールやエレン達って、氷の剣探索に向かったのよねーって思って」
「あー。ミューズさんは、そう仰っていましたね。それがどうかしましたか?」

 花壇の世話が趣味であり、西の花の種が欲しいとシャールと共に買い物に出かけているミューズを思い浮かべながら、フェアリーがカタリナの言葉に答える。
 それに対してカタリナは羽ペンを持つ手で軽く頭を掻きながら、ぼそりと続けた。

「いや、前にフェアリーに教えてもらった『雪だるま族が氷の剣を守護している』っていうの、そう言えば誰にも伝えてなかった気がして」
「あーなるほどー・・・。うーん・・・・・・。まぁ、きっと大丈夫ですよ」

 空中で腰掛ける様な仕草をしながら腕を組んで考えていたフェアリーは、何かを察知してか、気楽な様子でそう断じた。カタリナが小さく首を傾げて続きを促すと、フェアリーは窓の外の空へと視線を向けながら微笑む。

「ノーヒントの方が、冒険は面白いものですし」
「え、まぁ・・・それはそうかも知れないけれど。それって大丈夫っていうのかしら・・・?」

 得心いかない様子で首を傾げるカタリナに、フェアリーは微笑み返しながらもう一度窓の外を見やる。
 注意深く意識を向ければ、遥か遠くで僅かに力の揺らぎを感じる。それは資格を持つ何者かが神器に近づく事で起こる気配である事を、彼女は知っているのだ。

「でも、ちょっぴり残念です。雪だるまさんには、是非ともお会いしてみたかったのですが」
「それなら私たちも、いつか北に行ってみましょう。その時に会いに行けばいいわ。エレン達が会えていれば、方法もわかるでしょうし」
「・・・はい!」

 ティーカップを片手に柔らかく微笑みながらそういうカタリナに、フェアリーは花のような笑みで返しながらカタリナの近くに置いてある自分用のハーブティーを手に取った。

「あら、なぁに?」
「いえ、なんでもないです」

 文書を書くカタリナのすぐ隣に、あるいは甘えているようにも見えるような近しい距離でちょこんと腰掛けるように浮かび、フェアリーはいつか会えるかもしれない雪だるまへと思いを馳せていた。

 

 

 四魔貴族討伐を聖王が為し遂げてから後、魔王殿を拝する市街地の丘の上に新市街建築の構想が立ち上がり勢いを増す王都ピドナを他所に、一組の男女が港から人知れずヨルド海を渡った。そうしてたどり着いた古都ロアーヌの地を開拓し、その地の初代侯爵として統治を行った聖王三傑たるフェルディナントと、その妻ヒルダ。
 この二人が実は世界地図上で最北の都市国家であるユーステルムの出身であるということは、思いの外広く知られていない事実である。
 そんな稀代の英雄二人を輩したこのユーステルムという都市国家は、商都ヤーマスとツヴァイク地方を結ぶ交易の拠点として、そしてその交易路に沿って聖都ランスへと巡礼する聖王教徒の宿泊地として、北の地に必要不可欠な都市として発展してきた。
 交易の街と巡礼地としての二面を抱えるこの街は、いざその中に入って見渡してみれば、北の地の厳しさと共に生きる実直な民の集まりであることを知ることができる。
 特に今は最もこの地で過酷な冬の時期であり、現地の民は狩りの季節に拵えた備蓄と共に息を潜め、じっと春の訪れを待つのだ。だが、この時期にこそ見ることができるこの地方独自の天体現象としてオーロラがあり、それを一目見ようとこの地を訪れる者も多いのだという。
 しかしそれもここ数年はオーロラ自体が何故か姿を現さなくなったことで観光客の足も遠のいていたのだが、どうやら今年はまたオーロラが出そうだ、というのが地元のハンターたちの空読みの結果なのだという。
 そしてその言葉を信じ、まさに今雪原を進行する者たちがあった。
 すっかり日も傾き夜が近づく一面銀世界の山間の雪原を進む五つの影は、時折強烈に吹き荒ぶ風に凍えながらも、しかし立ち止まることなく着実に歩を進めていた。

「ちょっと・・・あとどのくらいなの!?」

 頭まですっぽりと被ったフードの下では鼻っ柱をすっかり赤くしながら、エレンは先頭を行く大男へと大声で問いかけた。その声量から推察する限り、まだまだ彼女らには十分な余力がありそうだ。

「あーと少しだって」
「それもう三回くらい聞いたわ!」

 エレンのその言葉に後ろの三人も全力で頷き返すと、先頭の大男は、がはははと豪快に笑いながら懐のスキットルを取り出した。

「なぁに、本当にあと少しなんだ。焦らず行こうじゃあないか。ほれ、お前たちもやるか?」

 中身は現地特有の度数の高い蒸留酒を入れているらしいスキットルを一口飲むと、大男はそれをエレンにも勧めてきた。

「いいわよ、自分で買ったのあるし」

 エレンは大男のものには目もくれず、特製の毛皮の外套の内側から丸い形のスキットルを取り出して、その中身を豪快に呷った。通常スキットルは四角い形が多いのだが、ユーステルムの露店で見つけた丸い形のスキットルが非常に可愛く見えたとのことで、彼女のお気に入りだ。

「おぉ、流石いい飲みっぷりだねぇ。ロアーヌの奴らは酒飲みが多いんだなぁ」
「あたしやカタリナさんと同じにみんなを見ちゃだめよ。ね、ユリアン」
「え、あ、おう」

 突然話を振られたユリアンは、モニカを気遣いながらも懸命に返事をする。しかしその返事を碌に聞きもせずにエレンは既に前方へと向き直っており、それに対してユリアンは特に構うことなく、相変わらず大声で笑う大男へと視線を向けた。
 この雪山において彼らを先導するこの大男は、名をウォードという。
 最北都市ユーステルムを拠点として活動するハンターだということだが、ユリアンらがユーステルムに着いた直後に現地案内として彼を雇ったのは、ポールだった。なんでも、以前もカタリナと共にこの地を訪れた時、彼と共にこの地で仕事をしたのだそうだ。

「まぁあのねーちゃんがいねぇのは残念だったが、今度はこうして俺の遠縁の一族に会えたんだ。これも何かのお導きってやつだぁな」
「んなお導きはどうでもいいから、ちゃっちゃと目的地に導いてよね!」
「はっはっは、間違いない。こりゃあ一本取られたな!」

 ウォードとエレンは先ほどから、ずっとこの調子なのである。因みに彼の遠縁というのはなんとモニカのことであり、彼の家系図を辿ると英雄フェルディナントの時代まで遡ってロアーヌ侯族と繋がっているのだそうだ。とはいえウォード自身は美男美女として有名なロアーヌのアウスバッハ兄妹とは似ても似つかない外見なので、普段はこれを話しても誰も信じないそうだが。
 そんな二人の他にこの場にいるのはユリアン、モニカと、あとはロビンだ。
 ユーステルムまで共に来たポールはといえば、どうやらカンパニー関連で厄介な状況が現地で発生しているらしいということを察知し、そちらの火消しに向かうこととなったのであった。なんでも、以前にトーマスらが来訪し商業協定を結んだ北の盟主とも言われる大手「エリック社」が、現地でカンパニーの物件に裏でちょっかいを出していたとのことなのである。
 ポールはこれをこの機に叩かなければならないと判断し、現場調査をエレン等に任せることとしたのであった。
 そして現地調査のリーダーを言付かったエレンは早速「先ずはオーロラを見に行こう!」との大号令を発し、今に至るというわけなのである。

「でも、この道の先にオーロラがあると思うと、わくわくしますわね」

 ユリアンの手を取りながら歩を進めるモニカは、騒がしい前方の二人を微笑ましく思いながらも実のところは自分自身が一番楽しみであるかのような様子で、そう呟いた。
 なんでもこの山間の雪原を抜けた先には小高い丘があり、そこは空の果てまで続かんとするような氷原と、その向こうに北海を一望できる小さな崖があるのだという。ウォードが言うには地元のハンター仲間の中でも一部の人間しか知らない絶景スポットであるとのことで、モニカはまだ見ぬオーロラとその前評判に、密かに心躍らせていたのであった。

「おぉ、目印の大岩が見えてきた。あと少しだぞ」
「もう四回目よそれ!」

 あいも変わらずエレンとウォードは騒がしく歩を進めていく。
 そんな彼らに続いて三人も進んでいくと、ウォードが目印といった大岩を曲がった先には、確かに山間から広大な氷原を望む小さな崖が突き出していたのであった。

「もう間も無く、日が沈むな。こっからは長期戦を覚悟したほうがいい。オーロラは、いつ出るのかわからん気まぐれなやつだ。ここにテント張るから、男衆手伝ってくれー」

 背負っていた荷を下ろしながらウォードがそう言うと、ユリアンとロビンが彼を手伝っている間にエレンとモニカは崖からじっと空を見つめていた。
 陽が落ちたことで辺りは急激に冷え込んできており、張り詰めた空気の冷たさも肌に感じられる。
 白い息を規則正しく一定の間隔で吐き出しながら、エレンは遠く水平に向かって視線を向けていた。

「オーロラって、どんななのかな?」
「どんなものなのでしょうね。アンナ様は光の帯と仰っておりましたが、夜に光る虹のようなものなのでしょうか」

 氷原の先を見つめながらそう言うエレンに、モニカは少し上空へと顔を向けながら答えた。空には太陽に代わり星の輝きが現れ、既に広大な星の海を作り上げている。
 空から視線を下ろせば氷原はすっかり闇に覆われており、目を凝らしても下の様子はあまり伺えるものではなかった。
 この氷原の何処かに、氷の銀河とやらが有るのだろうか。
 モニカが暗い氷原をぼんやりと見つめながらそんなことを考えていると、彼女の背後から野太いウォードの声が上がった。

「おい・・・来たぞ!」

 その声にハッと我に返って、モニカが空を見上げる。するとその視界の端で空と海の境界のあたりに、小さく光り波打つ「何か」を捉えた。
 それは、青くて赤くて、または緑だったり白かったりして、小さな光だと思って居た矢先に、爆発的に空を侵食し薄暗い空を瞬く間に極彩色へと染め上げていく。そしてたった数度の瞬きの間に、遥か遠くからその「何か」は伸び上がる様にモニカ達の頭上に至るまで波打ちながら展開し、あっという間に彼女達のいる小さな崖をも空から包み込む様に広がった。
 それは、モニカが想像していた夜の虹などと言う様な可愛らしい表現に収まる代物ではなかった。
 例えるならばそれは、夜の闇に対して向けられる極彩色による容赦なき蹂躙。または夜が平伏す程の、天を跨ぐ長大な光の道筋。とにかく其れは、想像を絶する規模で紡がれる、偉大なる神の御業に他ならない。
 その息を呑む程の絶景に、しばしその場の面々は言葉を忘れて魅入った。

「・・・こいつは驚いたな。ここまで大きなのは、俺も初めてみる」

 ウォードが最初に我に返り、そう呟いた。
 モニカ達はこれ以外にオーロラというものを見たことが無いので比較のしようはないが、しかしこの光景は人生の中で二度同じものを拝める様な代物ではないであろうと言うことだけを、確信していた。
 そしてモニカらがそのまま言葉を忘れて魅入っていると、その極彩色の奇跡は更なる変容を遂げていく。
 畝り広がる光の帯はいよいよその高度を落とし、遂には小さな崖に立つ五人の男女を包み込んでしまった。

「・・・凄い、オーロラって凄い!!」

 その状況に至ってエレンは興奮の絶頂に達し、そう叫んだ。
 彼女達の周囲は最早薄暗い山間の崖ではなく、極彩色の渦の中。背後に来た道も、眼前に広がっていた氷原も、何も見えなくなっていた。

「・・・おいおい、こいつはなんかやべえぞ・・・!」

 この世のものとは思えないその光景に旅の四人が息を飲んでいる中、ただ一人妙に焦りを見せているのがウォードだった。

「これは、オーロラの現象とは何か異なるのか?」

 アイマスクが飛ばない様に手で眉間を抑えながら、ロビンが慌てた様子のウォードに問いかける。

「あぁ、こんなのは見た事ねぇ。つーか話にも聞いた事がねぇ・・・まるで婆様に聞かされた童話だ・・・!」
「童話・・・か。それは、好都合かもしれないな」

 ロビンがそう言いながらふっと笑みをこぼすのを見て、それどころではない様子のウォードは多少苛つきを見せながら言った。

「おいおい何が好都合だってんだよマスクマン・・・!」
「まぁ見ているといい」

 片手を上げてウォードを制しつつ、ロビンは上を見上げた。
 そこにもまた、極彩色の光が狂い飛ぶ様が見て取れる。

「とりあえず、身の危険は考えなくていいだろう。これが世界の奇跡であれば、我々に仇なす物ではないよ。なぜなら我々は、正義の心を持っているからだ。そしてこれが悪の為す事である事はないだろう。なぜならこの光景は、真に美しいからだ。つまり、我々に危険が及ぶ事はないという事だ」
「おいおいマスクマン、気でも触れたか・・・!?」

 自分の中にはない確信を語られ、ウォードは半ば混乱して頭を片手で抑えながら吐き捨てる様に言った。
 しかしどうした訳か、ロビン以外の三人も、何やら能天気な様子でこの状況に感嘆の声を上げているばかりだ。
 この異常な状態にいよいよ集団で気が触れてしまったのかとウォードが冷や汗をかいている、その矢先のことだった。

「見て、オーロラが・・・」
「解けていきますね・・・」

 エレンの後を追う様にモニカがそういうのとほとんど同時に、彼女らを覆っていた極彩色の光は、それまでの光景が嘘の様に呆気なく空間に溶け、消失していった。
 だが、どうしたことか空を覆う極彩色が消えてもなお、彼女らの周囲はうっすらと明るいままなのだ。
 空を見上げれば今にも雪が降り出しそうなどんよりとした空模様で、その分厚い雲の向こうの低い位置に、輝く太陽が透けて見えた。

「あれ、さっきまで夜だったよね・・・」
「あぁ、そうだ・・・。ってか、ここは何処なんだ・・・?」

 周囲の明るさに驚いて呟くエレンに応えながら、ユリアンは周囲を見渡す。
 彼らは今、先ほどまで立っていた山間の小さな崖ではない、別の何処かにいた。
 左をむけば切り立った崖が聳え立っており、その先は望むべくも無い。そして彼らの正面と右方向には、崖の中腹の空間と思われる一面が雪に覆われた場所で其処彼処に住居と思しき半円型の建築物が点在している。どうやら、其処は村の様だった。
 しかし、どうした訳か人のいる気配は全く感じられない。

「廃村・・・なのか?」
「ううん、でもその割には雪で建物とか隠れてなくない?」

 小さな段差を飛び越えて建築物に近づきながら、ユリアンの疑問にエレンが答えた。
 その建物は触れれば冷たく、木や煉瓦で作られたものではない様だった。

「・・・こりゃあ、イグルーだな。雪で作る簡易住居みたいなもんだ」

 ここでやっと冷静さを取り戻したのか、ウォードがエレンの後に続いて建物に近づきながら言った。

「えーこれ雪で出来てるの!」
「そうだ。しかし、こんなにデカくてしっかりしたイグルーは俺も初めて見たなぁ」

 初めて目にするイグルーをパシパシと叩きながら感心した様子のエレンとウォードの脇で、今度はモニカが何かを見つけ駆け寄った。

「まぁ、見てくださいユリアン。これはひょっとして、雪だるまでは?」

 ユリアンが呼びかけに応じて振り向いた先では、モニカが二つ並んだ等身大程度の雪像らしきものを色々な角度から眺めているところであった。

「あー、確かに雪だるまだ。そういや昔作ったなー。シノンじゃそこまで雪は降らないから、こんな大きなのは作れないし土でばっちいのばっかだったけど」

 そう言いながら雪だるまに近づき、ぽんぽんと頭を叩きながら幼少の思い出に耽る。
 しかし、そこでふと疑問に感じた。
 果たしてこの雪だるまを作ったのは、一体誰なのか。
 その疑問が浮かんでからよくよく周囲をユリアンが見渡すと、この村と思しき場所には多くの同じ様な雪だるまが乱立しているではないか。
 しかも恐らくはその全てが、しっかりと形を保った状態だ。雪も余計に積もった様子がない。つまり、作られてからそう時間が経っていないという事になる。

「兎に角、ちょっと探索してみようではないか」

 ロビンの発声を機に、五人は雪だるまばかりが立ち並ぶ村の中を歩いて回った。
 矢張り何処にもこの村の住民は居らず、だがまるでイグルーの中はつい最近まで誰かが生活をしていたと思えるほど、全く風化の痕跡がない。
 まるで彼らが此処に来る直前に住民が突如として神隠しに遭ったのではないかと思えるほど奇妙な空間の中で更に彼らを混乱させたのは、なんとイグルーの中にまで設置されている雪だるまの数々だった。

「ユーステルム周辺では、雪だるまを聖人像か何かにでも見立てる習慣など有られるのです?」
「うんにゃ、祭り事ででかい雪の像を作ることならあるが、それくらいだぁな。ここまで並んでると、奇妙なもんだぜ・・・」

 モニカの問いに答えるウォードを先頭に、一行は村の中でも一等大きなイグルーへと侵入した。そこまで大きくない集落であったので、ここが探索できる最後の建物だ。
 雪で作られているとは思えないほど内装もしっかりした作りであり、イグルーの中には下へと向かう階段が掘られている。そしてその先は、なんと地下室まであるほどの広さを誇っていた。
 その階段を降りた先にも矢張り雪だるまが三体程有るだけで、矢張り人の気配はない。
 この場所で村の中は粗方見回ってしまったが、なんの発見もなく状況が変わる様子もない。
 さてどうしたものかと皆が顔を見合わせる中、エレンは部屋の奥に鎮座する雪だるまの一つに近づいて、先ほどモニカがしていた様に改めて雪だるまを観察していた。

「なんか分かったのか?」
「いやなーんにも。でもここの雪だるま、みんなちゃんと目と眉毛の飾りがついてるの可愛くない?」

 そう言いながらエレンが雪だるまを撫で回すのを見つつ、ユリアンは腕を組んだ。

「女子のそういう可愛いって感覚は、いまいち男には分かんないよな。なぁロビン」
「うむ・・・まあ恐らくは、『これは正義か悪か』というような二極化の意味合いで『可愛いか可愛くないか』という二者択一の判断を行なっているのではないだろうかと思うが・・・」
「・・・俺は男の感覚もわからなかったんだなぁ」

 ユリアンとロビンがそのような雑談に花を咲かせていたまさにその刹那、それは起こった。

「ウギャアアアアアアァァァァァァ!!!???」
「うわあああああぁぁぁぁ!!?」

 突如その場に巻き起こった二つの絶叫に、全員が声のした方へと振り返る。
 そこには、絶叫を発した一人であり、驚いた様子で尻餅をついているエレンがいた。
 そしてエレンの前には、呻き声と共に盛大に雪面をのたうち回る、大きな雪の塊があった。
 それは、先程までエレンが撫で回していた雪だるまだった。

「うぐううう・・・そ、そこを触っちゃダメなのだ!」

 そして有ろう事かエレンを始め他の四人も唖然としている中、どういう原理かむくりと起き上がった雪だるまは苦しそうに目を瞬かせながら言葉を発したのだった。

「雪だるまが、しゃべった!!」

 エレンは目の前の雪だるまに遅れて立ち上がると、臀部に付着した雪をはたき落とすのも忘れ、ただただ感嘆した様子だ。

「動いちゃダメじゃないか!」

 続いて何処からか発せられた声は、これもまたユリアンら一行のものではなかった。
 その声にいち早く反応してユリアンとロビンが振り返ると、奥の雪だるまから彼らを挟んで反対側、階段の方に鎮座していた二体の雪だるまが新たに動き出して顔(と思われる面)を奥の雪だるまへと向けていた。

「だって、目を指で突き刺されたのだ・・・流石に痛いのだ・・・」

 好奇心に駆られたエレンの惨たらしい仕打ちが度を過ぎていたのだと主張する雪だるまに対し、他の二体は流石に同情を隠せない様子だった。
 やがて、その間もあまりの出来事に身動きが出来ないでいるユリアンらに対し雪だるま達は向き直った。

「ばれてしまっては仕方がない」

 そう言って一歩(足らしきものが見当たらないので、この表現が妥当かどうかは議論の余地があるだろう)ユリアン等に対し距離を詰める雪だるま達。素早く臨戦態勢を整えるユリアン達。
 だが雪だるまから発せられた二の句は、ユリアン達に取っては大いに予想外のものであった。

「雪の町へようこそ!!」

 

 

 魔王生誕以前の遥かな昔、北海へと続く峠と極寒の境界の間に、その町は気が付けば存在していた。
 とは言え、少なくとも最初は町などというようなものではなく、只々意思ある力が漂う力場というだけだった。
 それがある時、人界から気まぐれなオーロラに導かれて人間の少女が一人、その力場へと迷い込んだのだという。
 力場に漂う意識体は、その思わぬ来客に好奇心から接触を図った。肉体を持たぬ意識体は思念を用い、その少女と意思の疎通に成功した。少女は、その場所で小さな雪だるまを作った。そして一体の勇気ある意識体が、その小さな雪だるまと自身の結合を試み、初めて意識体は物質としてその場に存在する事に成功した。
 物質となった事で子供と発声を介して意思疎通を行えるようになった意識体は、子供とともに幾つも雪だるまを作った。それに次々と意識体が宿り、雪だるまは瞬く間に増えていった。
 だが明くる日、雪だるまに囲まれて寝ていたはずの少女は、二度と起き上がらなかった。
 それから少女と同じように幾度か来訪した人間が同じ結末を辿るうち、それが凍死であるということに気がついた雪だるま達は、切り立った崖を削り、訪れた人間が凍えぬようにと暖炉を備えた部屋を一つ作ることにした。
 そうして幾百年の月日の間に、この雪の町が作り上げられ、今に至る。

「・・・という設定なのだ」
「設定かよ!」

 まるで古い童話を聞いているような面持ちでそれを聞いていたユリアンたちは、雪だるまのオチに盛大にツッコミを入れた。
 彼らは今、設定によれば人間を迎え入れるためにわざわざ作ったらしい暖炉のある部屋で、雪だるまとそんな話を繰り広げていた。
 因みにこの時点で、オーロラさえ出れば雪の町から帰ることは可能だということは雪だるまから確認出来たので、こうして寛いでいるというわけである。更に補足するならば、この部屋は非常に暖かいのだが雪だるまはこの場所では魔力行使によってか解けずに居られるのだという。

「幾人かが犠牲になるというさり気無く残酷な描写が、昔の童話という感じがしますわ」
「うん、それを狙っているのだ。あんまり来ようとする人が増えても、ここは人間が住み続けられる環境ではないので危険なのだ」
「へぇ、雪だるまってのも色々考えてんだぁなぁ」

 ウォードが何やらいたく感心した様子で雪だるまを見ている横で、エレンが挙手をする。

「はいそこのポニーテールの女の子」
「あたしはエレンよ。んで、今のが設定なら本当はどういうわけで雪だるまが動いてて、こんなところがあるの?」

 雪だるまは、その問いに対して表情だけで見事に考えを巡らす様子と、辿り着いたであろう思考結果を吟味する様子を表したのち、こう言い放った。

「わからないのだ」
「わかんねーのかよ!!」

 珍しくツッコミに回ったユリアンの横で、ロビンは何故か雪だるまのその言葉に感銘を受けたように頷いている。

「何故自分が存在するのか、それは確かに分からぬものだ。それは人も雪だるまも同じということなのだな」
「今はそんな話じゃねーよ!?」

 忙しそうなユリアンを尻目に、今度はモニカが挙手をする。

「はいそこの金髪の女の子」
「私はモニカと申しますの。雪だるま様は、氷の剣について何かご存知ですか?」

 ここでモニカが今回の遠征の核心に迫る問いを発すると、雪だるまは彼女らのいる暖炉の部屋の奥に視線を向けた。
 そこには、一見なんの変哲も無い扉が設置されている。

「氷の剣なら、あっちにあるのだ」
「隣の部屋にあんの!?」

 あまりの展開の早さにユリアンの対応力が追いつかなくなったところで、エレンが颯爽と立ち上がり扉の方へと歩いていく。
 そして徐に、その扉を開け放った。
 瞬間、まるで空気が凍りついたかと思われるほどに一気に冷気が広がり、暖炉の火が全く意味をなさなくなる。

「そこが、氷の銀河なのだ」

 扉を開けたその先は部屋ではなく、なんと氷原だった。そして氷原は視界の先で間も無く途絶えており、その向こうには広大な一面の湖が広がっていたのだ。
 雪だるまの町は夜だというのに明るかったが、その扉の先は見上げる先が薄暗く、夜のようだ。だが全方位から蒼く淡く発生している幾つもの光が、その空間を仄かに照らしている。
 そして蒼い光と同時に強烈な寒気がその空間を支配しており、そこは雪だるまの町以上に温度が低い場所であることが分かった。
 部屋の中にいる今でさえ相当の冷気を感じる事が出来、長くそのままでいると感覚が麻痺してくるのが容易に想像できる。

「うわぁ、本当に星みたい・・・」

 寒さも忘れた様子でエレンが扉から上半身を押し出して湖面を覗き込むと、どうやら空間に溢れる蒼い光は湖の中からも発せられているらしかった。

「成る程これは、氷銀河と名付けられたのも納得ですわね」

 両腕を抱き込むようにして寒さを凌ぎつつ、モニカもエレンの肩のあたりから顔を出してその光景に魅入った。

「早く扉を閉めて、こっちに戻るのだ。その格好では凍ってしまうのだ」

 扉の前で呼びかける雪だるまに従ってエレンとモニカが扉を閉めて暖炉に戻ると、確かに二人の衣服や髪には気づかぬ間に細かい氷の粒が短時間で幾つも付着していた。

「氷の銀河は、人がそのまま入っていられる場所では無いのだ。しっかり対策をしないと凍えて死んでしまうのだ」

 さらりと恐ろしいことを宣う雪だるまに一同が耳を傾けていると、続いて雪だるまはこう言った。

「氷の剣を取りに行くのだろう? 連れて行ってくれなのだ」

 

 

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第七章・4 -アンナ、26歳(結婚しておらず)-

 

「あー! アンナさん、久しぶりー!」

 薄っすらと雪に覆われた大通りの先にいる女性に向け、エレンは大きく手を振りながら声を上げ、そして足早に駆け寄っていった。

「・・・エレンは、ここに住んでいたのです?」

 それが一体何度目の光景であったのかはわからないが、兎に角聖都ランスに着いてからというものの矢継ぎ早にエレンと現地住人の再会イベントが数歩置きに起こるものだから、モニカはエレンがここに住んでいたのではないかという疑惑がそろそろ確信に変わりそうな面持ちで、ふと隣を歩くユリアンにそう聞いてみたのだった。

「いや・・・俺がまだ小さな頃にシノンに移り住んだ時から、ずっと一緒だった、はず・・・?」 

 何故かユリアンまで自信なさげにそういうものだから、モニカはいよいよ不思議な様子で首を傾げるのだった。
 現在ユリアン一行はヤーマスにてピドナのトーマスと連絡を取り合った結果、世界最北の都市ユーステルムへと向かう最中であった。
 彼らの目的は二つ。
 先ずこのランスにて、聖王家にドフォーレの盗掘品倉庫から入手した魔術書を持ち込み解読の依頼をする事。これはモウゼスへと向かったミューズらと同じ目的だが、魔術書自体が四冊あるので解読の可能性を分担して模索しようとした結果だ。
 そしてもう一つの目的は、ユーステルムにて聖王遺物「氷の剣」の手がかりを掴み、あわよくばそれを入手する事であった。

「エレンはゴドウィンの変の後、俺達と合流する前にハリードのおっさんとここに居たらしいぜ」 

 そんな彼らの様子とランスの景色を交互に眺めながら歩いていたポールが、不思議がるユリアンとモニカにそう付け加えてやる。
 見渡す限り相変わらず長閑で牧羊的な街の風景が、彼の故郷のキドラントに似ていて柄にもなく穏やかな気分になる。

「ゴドウィンの変かぁ・・・。なんだか、あれが随分と昔のことのように思えるよ」

 ポールの言葉を受けて、ユリアンは呑気な様子で両手を頭の後ろに回して組みながら、上空をゆるやかに流れる雲に目を向けつつそう言った。
 そんな彼の口調は確かに呑気なものだが、ふとその声色の中にどこか慈しむような感情を聞き取り、モニカがちらりと横目でユリアンを見つめる。
 ユリアンはロアーヌ東方開拓地であるシノンでエレン、サラ、トーマスと共に幼少の頃から共に育ち、これからもそうして変わらず育っていくのだと、常々そう考えていた。だが、そのような細やかな幸福に満ちた日常を瞬時に奪い去っていった出来事こそが、ゴドウィンの変だ。
 件の変は彼の日常を瞬く間に崩壊させ、共に過ごしてきた四人とさえ一時の離散を招いた。それは、確かにとても悲しいことだった。しかし今となっては、自らに訪れたその変化を彼は好意的に受け止めてもいた。それは無論のこと、彼の隣を歩くモニカとの出会いも大きな要素ではある。だがそれ以上に、彼は彼に訪れたこの変化を、これこそが己の進む道であったのだと感じているからだ。
 とはいえ、その気持ちには何の根拠もない。ただ彼は今、この世界に於いて圧倒的な己の無力を知り、それに僅かばかりでも抗いたいと感じている。それこそが、以前の彼が何処か日常の小さき幸福に甘んじて目を逸らしていた本当の気持ちに他ならないのだと、そう確信していた。
 だからこそ、その事実に気づかせてくれた切っ掛けであるゴドウィンの変を、彼は己にとって良き転機として受け止めていた。
 ユリアンがそのように思っているその横で、ポールもまた過去へと想いを馳せていた。

「ゴドウィンの変かー。なんだかんだ俺も状況激変したしなー」

 ポールはといえば、件の事件の時は、まさにその事件の渦中と言えるロアーヌ宮中に身を置いていた。囚人として。
 そこで彼にとってはある意味で運命とも言えるような出会いを果たし、その事件の後に恩赦による早期釈放をされ、気がつけばここまで来ているのだった。
 あれからここまでの思い出は数え上げればきりがないほどだが、特にこの長閑なランスの街並みを見ていると、この長閑さとは真逆の記憶がまざまざと蘇ってくる。

「うぅん、ここでの思い出は穏やかってワケでもないな・・・」

 彼には嘗て、ここで聖王の試練に挑み、それこそ死に物狂いで聖王遺物を獲得した過去がある。 
 その道中カタリナには訓練と称して連日連夜叩きのめされ、聖王の試練では斧を構えるエレンに失敗したら背後から切り刻まれる瀬戸際で弓を射たりと、今思い返してみればどちらかというと目を背けたくなるような辛い思い出ばかりが鮮明な様子で脳裏を過る。

「俺、よく死ななかったなー・・・」

 無論それらの経験が彼を強くしたのは紛うことなき事実ではあるものの、もう一度あの日々を経験するかと言われれば土下座も辞さぬ覚悟で全力お断りだろうな等と考え、その思い出と言う名の悪夢を振り払う様に眼前に広がる景色に意識を向けることにした。
 彼の目の前には変わらず故郷を彷彿とさせ様な風景が広がり、その景色は悪夢によって穢された彼の心を穏やかにしてくれる。
 そして左方向に目を向ければ一面の銀世界の中に浮かび上がるようにして荘厳なる聖王廟が座しており、その大変に厳かな様子は穏やかな心の中に確かな芯を持たせ、この世界が聖王によって守られているのだと言う信心深い心持ちにさせるのだ。
 更に右方向を向けば、唐突なマスク姿の正義の味方。どうやら聖王の他に身近にも、世界を守るヒーローはいるようだ。
 斯様に、聖都ランスという場所は視覚の賑やかさには事欠かない。

「・・・やっぱフード付きの外套を被ってても、流石に目立つなぁ」
「そうだね。確かに聖都ランスとは、謂わばこの世界の正義の象徴たる都市だ。そこに正義を司るこの怪傑ロビンが訪れれば、幾ら身を隠そうとも、自ずと周囲の興味を引いてしまうというものだろう」
「あー成る程そういう解釈に持っていくのかー。勉強になるわ」

 街の中では嫌が応にも視線を集めてしまうロビンの姿だったが、それも彼自身は全く意に介していないらしい。
 しかし旅の仲間にモニカを擁する以上は過度に目立つのは避けねばならないので、街の中ではこうして頭の上から踝あたりまで覆うローブを纏ってもらうことにしたのだ。だが、それでもやはりアイマスク等がどうしても目立ってしまい、奇異の視線は避けられないところであった。
 一行がヤーマスを出るときに唐突に彼らに同行を申し出てきたロビンだったが、その実力は矢張り折り紙つきであり、このランスまでの道中も事実とても助かったのは間違いない。
 彼がユリアンたちについてきた理由は非常に単純で、つまりは武者修行ということであった。
 ヤーマスにおいて屋根の上での決闘でユリアンに敗れたロビンは、ユリアンの剣技にすっかり惚れた様なのだ。またヤーマスでのドフォーレをめぐる一連の事件の最終局面において、モニカやエレンと共闘した際に彼女らの実力にも内心舌を巻いたことを憚ることなく明かし、改めて自分を鍛え直したくなったのだとその動機を振り付け付きで明かしてくれた。
 因みに彼が不在時のトーマスの正義の味方代行には何やら当てがあるそうで、また普段身分を隠して潜入している街の仕事もアルバイトを雇ったということで、抜かりはないのだそうだ。

「ねーねー、アンナさんも聖王家のお屋敷行くところだったんだって。一緒に行っていいよね!」
「話の流れでご一緒させていただくことになりまして・・・ご迷惑ではないかしら」

 先を歩いていたエレンは、どうやら御使いの最中と思われる女性を一人連れてきていた。
 彼女は名をアンナといい、このランスにて天文学者の兄と二人暮らしをしているのだという。御使いの行き先が一緒だということで、エレンに半ば強制的に連れてこられた様だった。

「天文学者ってことは、ヨハンネスさんとこか。まさか妹さんがこんなに美人だったなんて、以前来たときにしっかりチェックしておくんだったなぁー!」
「・・・美しい」
「まあ、そんなはずかしい・・・」

 ポールとロビンの反応に顔を赤らめるアンナと、彼らを絶対零度の半眼で見つめるエレン。
 当然同行についてはユリアンとモニカも何の問題もないという事で、六人で聖王家へと向かう事になった。

「アンナさんは何の用事で聖王家に行くの?」
「私は、とある仮説の実証と思われる観測が行えたので、そのご報告に。あ、今は兄が街を離れておりますので、私が星の観測のお手伝いをしておりますの」

 確かに彼女の抱えている荷物は、丸められた幾つもの羊皮紙と書物という、女性のお使いというには随分と仰々しい代物とも言えた。
 しかし、これで少し予定が狂ってしまったか、とポールは考えていた。
 何しろ彼の予定では、このランスにてヨハンネスからも魔道書や氷の剣に関する情報を得られないかと目論んでいたからだ。

「へえー、アンナさんも星のなんとかーとか分かるの?」

 そんなポールの目論見を他所にエレンがなんとも自然にアンナの荷物をひょいと肩代わりして持ちながらそう聞くと、アンナはその行動に恐縮しながらも微笑んだ。

「兄ほどでは有りませんが、多少は。ただ私は昔から本の虫ですので、兄ほど目が良くなく見落としもあるかと思いますが・・・」

 エレンの実に自然なエスコートにモテの秘訣を感じて感心しつつ、ポールは今の会話内容から興味本位でアンナに尋ねてみる。

「ひょっとしてアンナさん、お兄さん位に古代の文献とかにも造詣が深かったり?」
「そうですね・・・一応兄の手伝いで調べ物などは良くしますが、造詣が深いとまでは言えないと思います。ですが多少の知識程度でしたら、ございますわ」

 才色兼備とはこのことを言うんだなぁ等と宣いながら笑顔を絶やさないポールにエレンの視線が最高潮に冷えた頃合いに、一行は目的地である聖王家へと辿り着いた。
 エレンが慣れた手つきで真鍮製のドアノッカーをガツガツと叩くと、程なくして老婆が扉を開いて顔を覗かせた。

「あら、元気な叩き方だからもしかしたらと思えば、やっぱりエレンさんだったのね。お久しぶりね、エレンさん」
「お婆ちゃん久しぶり! いきなりだけど、ちょっとまた用事があって来たの。当主様、今いるかな?」

 他の住民たちと同様にその老婆とも快活に挨拶を交わしたエレンは、単刀直入にそう切り出した。
 その様を見てモニカなどは聖王家に仕える人物に対してここまで普段通りな対応で大丈夫なのかと心配したものだが、存外その様な心配は無用の様子で、老婆はエレンに対して快く頷き返し、館の中へと招き入れてくれた。

「アンナさんも用事があるみたいだから一緒に来たの。あたしらの話は別に一緒でも構わないけど、アンナさんは?」
「あ、そうですね・・・はい、エレンさん達ならば私も問題ありません」

 それならば一緒に話そうとエレンがさっさと話を進めていき、流れるままに一行は以前とは違い空間を広めに取った部屋へと案内された。
 続けて促されるままに席に座って老婆が用意してくれた紅茶を皆で頂いていると、程なくして聖王家当主オウディウスが部屋を訪れる。

「当主様、久しぶり!」
「やあエレンさん、お久し振りですね。変わらずお元気そうで、何よりです。それに皆さんも、ようこそいらっしゃいました」

 此処でも快活に聖王家現当主と挨拶を交わすエレンに続き、即座に反応したモニカを筆頭に皆が其々立ち上がった。

「急なご訪問となり申し訳ございません。お初に目にかかります、オウディウス様。わたくし、ロアーヌ侯国のモニカ=アウスバッハと申します」
「これはこれは、遠路遥々よくいらっしゃいました。ロアーヌの方の訪問を受けたのは、此処最近で二度目ですな」

 モニカの挨拶にもオウディウスが柔和に返すと、あとは其々が思い思いに挨拶を交わす。
 特に印象的だったのは、ロビンが思いの外真面目に挨拶をしていたことか。マスクこそ外さなかったものの、素顔を明かさぬ非礼を詫びながら己の事情を話すとオウディウスは気にする必要はないと快く受け入れていた。
 そして一通りの挨拶が済むと、何故かエレンの仕切りによって先ずはアンナの要件から話が始まった。

「それでは・・・先ずは此方の天文図と宿星図をご覧下さい」

 そういってアンナは籠から複数枚の羊皮紙を取り出し、広いテーブルの上に広げていく。その全てがモニカやエレンたちには全く見方のわからないものだったが、オウディウスとアンナは手際よく図面を展開していく。

「・・・これは・・・。やはり、知らせは本当だったようですね」
「はい、その様です」

 二人が広げられた図面の一点を見ながら深刻そうな顔をしつつそう言うが、その他の面子は全くそれの意味がわからない。

「これは一体、何を示しているのですか?」

 思いがけず至極普通の調子で二人に話しかけるロビンに、オウディウスとアンナは快く説明を挟んでくれる。

「これは死星の軌道を観測した結果を記しているものです。実は一ヶ月ほど前、聖王家と兄のヨハンネス宛に、とある情報が届けられまして・・・」
「そりゃひょっとして、四魔貴族の魔炎長アウナスに関係してる事かい?」

 アンナの言葉に被せる様に、ポールは事前にピドナとの連絡で知り得ていた情報を元に聞いてみる。
 するとアンナは多少驚いたような表情をしながらオウディウスに目配せをしたが、オウディウスが顔色を変えずに浅く頷いたのを見てポールへと視線を戻した。

「はい、その通りです。よくご存知ですね」
「ま、身内が絡んでいるからな。その情報元も、恐らくはカタリナさんだろ?」
「そこまでご存知でしたか。では、話も早いですね」

 カタリナの名前がポールから出てきた事で、アンナは星図が示す事と彼女らが知りうることに関して、説明を始めた。
 遡る事一月ほど前、ヨハンネス兄妹の元にロアーヌの使者から一通の書簡が届けられた。
 その内容は実に衝撃的なもので、冒頭にて魔炎長アウナスが何者かに滅ぼされ密林の火術要塞にあるアビスゲートが閉じられたという内容が語られていた。そして次に、もぬけの殻となった火術要塞の調査をヨハンネスに依頼したいという要請が認められていたのだ。
 差出人は、ロアーヌ貴族にして騎士の称号を持つカタリナ。半年ほど前にこのランスを奇怪な鉄馬車に乗って訪れ、聖王廟に眠っていた聖王遺物を試練を越えて入手したという女性だとアンナは聞き及んでいる。
 アンナ自身は直接の面識はないものの、兄ヨハンネスが言うには、そのカタリナという人物は聖王記に記されたパウルスの予言に依るところの、八つの光とされる人物であろうとのことだった。

「あれ、俺もその時めっちゃ活躍したんだけど、聞いてない? ねぇ、聞いてないかな?」

 ポールの懸命な注釈はいとも軽く流され、話は続いていく。
 ヨハンネスはその書簡が届けられると、直ぐさま現地に向かう準備を始めた。この時既に、ヨハンネスは微細な星の位置のブレを観測から予見していたのだという。それは日々注意深く観測を行っている彼にしか分からないような、ほんの些細な軌道の誤差。しかしそれを感知した矢先のこの知らせに、ヨハンネスは居ても立ってもいられなかったのだ。
 そこでヨハンネスは妹のアンナに調査期間中の観測の代役を頼み、聖王家に事情を話すと間も無く南へと旅立った。
 それからアンナは兄の代わりに観測を続け、いよいよ彼女でもわかる程度に星の位置の変位が認められたので聖王家へと報告に来たという次第だった。

「ただ私の観測が甘いのか、兄が示した予測とは若干ズレの幅が異なるようなのです。これは正直、兄が帰ってきてからでないと詳細は分かりかねるところですが・・・」

 アンナがそう言って締めくくると、ポールと視線を合わせたモニカが荷物を取り出しながら口を開く。

「では、次にわたくし達からお話をさせていただきます。何点かあったのですがそのうちの一点はアンナさんが話された魔炎長アウナスの事ですので、そのほかの内容を」

 モニカがまず話し始めたのは、彼女らがヤーマスの一連の騒動の中で入手した魔術書についてだった。
 ドフォーレ商会が隠し倉庫に保管していた魔術書は全部で四冊。そのうちモニカたちが持っているのは、二冊だ。残りの二冊は、別行動のミューズたちによってモウゼスの魔術ギルドへ持ち込まれる算段となっている。

「実はこれの解読について、古来の様々な知識にも詳しいという天文学者ヨハンネスさんの意見を聞きたかったのですが・・・」

 卓上に魔術書を置きながらモニカがそういうと、アンナは随分と興味津々の様子でその魔術書を覗き込んだ。

「あの・・・少し、中を見てみてもよろしいですか?」
「はい、どうぞ」

 モニカに許可を得てからアンナは魔術書が痛まぬように慎重な手つきで魔術書に触れ、扉絵を捲っていく。そんな彼女の挙動にその場の全員が密かに注目する中、瞬く間に数枚捲ったかと思うと、そっと魔術書を閉じてモニカに向かい合った。

「恐らくこれでしたら私でも、少々お時間頂ければ解読できるかと思います」
「まぁ、それは頼もしいですわ!」
「・・・おいおいまじかよ」

 アンナのその発言にモニカが両手を合わせて喜ぶ後ろで、ポールは目を丸くしながら驚いた。
 まず最初にこの魔術書に関してミューズに解読を試みてもらった際、彼女はお手上げだという様子でこう言っていたのだ。
「一見すると古代魔術文字のようですが、現代に伝わる魔術文字とは一文字一文字が異なる意味を持つようで、文字列からの推察も難しいですね・・・。少なくとも私はまるで見たことのない配列なので、これは余程古代文字や文献に精通した方でなければ解読は難しいように感じます」
 この見解には同じく術戦士として高度な見識も併せ持つシャールも全く同意であり、ピドナ宮の学者でも解読できるかどうかは怪しいとのことだったのだ。
 それが、こうもいきなり道が開けてしまうとは、全く驚きなのである。

「・・・いやぁ、これなんだろうなー。俺が『持ってる』ってことでいいのかなー」
「いやそれはない」

 顎に手を当てながら独り言のように小さめに呟いたにも関わらず、エレンから半眼で言い切られる。

「さいですか・・・手厳しいことで」

 肩を竦めてみせながらエレンにそう応えるが、何はともあれこれで要件の一つは目処が立った。となると、もう一つの用事について話を進めるのみだ。どの程度の期間なのかはわからないが、少なくとも彼らにはこの後の要件に関してはある程度の時間をかける用意がある。その間に解読してもらえたら丁度良いといったところだろう。
 そのもう一つの案件とは、聖王遺物「氷の剣」の所在についてだった。

 氷の剣は、数ある聖王遺物の中でも一際特殊な存在だとされている。
 抑も聖王遺物とは三百年の昔に聖王の祝福を受けた品々のことを指すのだが、この氷の剣に限っては聖王に祝福されたものではなく、この世界に元から存在する秘宝なのだという。つまり、正確には氷の剣は純粋な聖王遺物ではないのだ。ただ聖王が所持したという理由から、現在は他の聖王遺物と同列に扱われているというだけなのだという。
 その正体は文字通り「氷」で生成された剣であり、それは伝説によればアビスの獄炎に曝されようとも決して溶けることはない永久結晶なのだとされる。
 更には聖王遺物の中でも群を抜く威力を誇るとされる七星剣にすら匹敵する程の力を秘めているとも言われており、四魔貴族討伐を成し遂げる上では是非とも手に入れたい代物だとカタリナやトーマスらで話し合っていたのだ。
 ただ、この氷の剣については厄介なことにその所在に関する伝承が殆ど存在しない。一般的に手に入る唯一の手がかりといえば、聖王記に僅かに記されている「氷の銀河にて白竜が守護せし氷の剣を入手せん」という一節のみなのだ。
 これについて、一行は是非とも聖王家の知見を伺いたいと考えていた。
 しかし、この問いに答えるオウディウスの表情は残念ながら明るいものではなかった。

「氷の剣ですか・・・。残念ながら、当家にも聖王記以上の手掛かりはないのです」
「うーん、やっぱそうっすよねぇ・・・」

 元よりあまり期待はしていなかったのか、ポールはオウディウスの言葉を受けて肩を竦めながらそう応えた。
 抑もここでもっと具体的な手がかりが出てくるなら、すでに世間に知れ渡っているだろうことは彼にもわかっていたのだ。なので、予想通りといえば予想通りなのである。

「しかし、そうなると氷の剣は何処にあるんでしょうね・・・」

 同じような予測を持っていたらしいモニカが彼女らしい可憐な仕草で顎に指を当てながら呟くが、しかしそこに明確な答えはどこからも返ってこない。
 氷の銀河、という記述が一体何を指しているのかは皆目見当もつかないが、兎に角氷に覆われていているのならば寒冷地に手がかりがありそうだというのは恐らく間違いない。だからこそ一行はこのランスの後に世界地図で最も寒冷地に位置する都市国家ユーステルムを目指しているわけだが、この分だと矢張り現地での地道な調査しかないのかも知れない。
 だがモニカやポールがそのように考え次の話題に移ろうとしたその時、おずおずと控えめに片手をあげるものがあった。

「あの、あまりあてにならないかも知れませんが、それっぽい情報程度なら心当たりがあります・・・」

 普段の謙虚さが滲み出たような遠慮がちのその声は、またしてもアンナのものだった。
 その発言にその場の全員が再び彼女へと視線を向けると、あまり目立つことに慣れていないのかアンナは余計に恐縮しながら、小さな声で話し出した。

「あ、その、本当に、あまり期待しないでくださいましね。えっと・・・ユーステルム周辺地域にはいくつか村がありまして、その村々には非常に似通った内容の古い童話や伝記が個々に伝わっているのです。そして、これらの共通項にですね・・・」

 アンナが言うには、その童話や伝記たちはいつから伝わっているのかもわからないほど昔から伝わるものだという事だった。少なくとも、聖王歴制定前から存在しているであろうことは間違いなさそうだとのことであった。
 そして、村によって語られる内容は多少の違いがあるものの、その童話たちの大筋はその全てが、北の地に住まう精霊との不可思議な交流を描いたものなのだという。
 そしてその童話たちには、決まって必ず出てくる文言があった。それは「オーロラ」「ゆき」「せいれい」という表現だった。
 また、その中でもいくつかの童話では直接的に「ゆきのせいれい」という記述があり、他の童話も雪と精霊については同意で表現しているものだと思われた。
 更にいくつかの童話には登場人物が精霊の住処へ赴く描写があり、そこには「ゆきの町」「こおりのうみ」「こおりのみずうみ」という表現が用いられているそうだ。
 雪の精霊の住まい、又はその近くにこの描写と思われる場所があるということが伺える。
 そしてその中の童話の一つに「ほしがうかんだこおりのうみ」という単語があり、これは恐らく前述の「こおりのうみ」「こおりのみずうみ」に夜空の星が写り込んだ様子を表しているのではと読み取ることが出来る。
 これは、子供向けではなく大人向けに言うならば「氷の銀河」と名付けても良いのではないか。 
 アンナが語った内容は、以上のことであった。

「雪の精霊、ねぇ。キドラントでもガキの頃に耳にしたことはあるけど、そんなに色んなバリエーションがあったんだなぁ」

 ポールがほのぼのと感想を述べると、横からエレンが手を挙げた。

「要するにアンナさんが言いたいのは、雪の精霊を探せば氷の銀河に行けるかも知れないよ、そこに氷の剣があるかもよ、ってこと?」
「あ、はい。そんな所です。やっぱり、童話の精霊を探すなんて、馬鹿げてますよね・・・」

 アンナが心底申し訳なさそうな様子でそう言うと、エレンはとんでもないという気持ちを全身で表すように勢いよく首を横に振った。

「そんなことないよ! 一番可能性が高い情報だと思う! ねぇユリアン!」
「え、あ、おう」

 相変わらずこの手の話にはすっかり空気と同化した様子でいた所に急に話を振られ、ユリアンが答える。しかも聞いたくせに彼の答えなどまるで届いていないかのようにエレンがアンナへと視線を戻すのを確認し、ユリアンはなんらその扱いに動揺することなく再び空気と化すことにした。 

「ところで、オーロラってなに?」
「空に現れる、巨大な光の帯の事です。ここランスよりも更に北方、最北の地域の空に冬の時期だけ起こる不思議な現象なんですよ。私も一度だけ見たことがありますが、とても幻想的な光景でした」

 エレンが首を傾げながら聞くと、アンナは己の経験も交えながらそう教えてくれた。
 しかしそれでもいまいちオーロラというものの想像が浮かない様子のエレンの決断は、実に早かった。

「よし、オーロラ観に行こう!」
「そうしましょう!」

 そして、エレンの提案に思いの外上機嫌な様子で両手を合わせながら即座に同意するモニカに、残された男衆は反論の余地もなかった。

「童話にも必ずでてくるキーワードであるオーロラですが、大抵出てくるのは物語の序盤です。つまり、オーロラが雪の精霊に会うための鍵となる可能性が高いのではないかと思いますわ。今の時期は、オーロラは出るはずです。とは言え、あとの手掛かりはユーステルム周辺で口伝等を頼るしかないかと思いますが・・・」
「わかったわ、ありがとうアンナさん!」

 こうして一行は、「雪の精霊の童話」を手掛かりにユーステルムへと旅立つこととなった。

 

 

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