第十章・8 -聖王の宿命-

 

「あぁ・・・アレックス。懐かしい響きです。えぇ確かに彼は、アレックスでした」

 ここではない遥か彼方を見つめるように目を細めて微笑みながら、詩人は時折小さく頷きつつ独り言ちた。

「聖王様は、アレックスという御名だったの・・・?」

 カタリナが頭上に疑問符を踊らせながら眉を顰めると、詩人はゆっくりと首を横に振りながら微笑んだ。

「いいえ、アウレリウスです。彼は元々別の名前でしたが、後年アウレリウスへと名を改めたのです。アレックスというのは、そうなる前の愛称です」

 詩人の言葉に、しかしカタリナはまだ潜めた眉を崩さない。

「・・・では、貴方がいう少女の名前は・・・?」
「勿論、アウレリウスです。一般的には男性名称ですが、当時の北方地域では女児にも男性名称を名付けるのは、特段珍しいことではありませんでした。少女の両親が娘の運命を憂い、その宿命に抗うような力強い名前をつけたかったのかもしれませんね。少女は皆に、アーリと呼ばれていました」

 詩人が続ける。
 アーリと呼ばれた少女は強く美しく成長し、宿命に目覚めて死の魅惑を退け、四魔貴族征伐という人類史に残る偉業を成し遂げた。
 その後少女は各地の要人をピドナ暫定政府に集め、一ヶ月以上にも及ぶコングレスを経て、今も西方諸国に受け継がれる様々な律を定めた。

「このコングレスの最も重大な議題は、後の世に再び起こる死蝕に人類が対抗するための知恵の継承について、でした。現代に伝わる全ての律は、そのために定められたのです。そしてその集大成こそが、聖王記。これは制作発案者であるパウルスを筆頭に、即座に編纂が開始されました」

 この時の定めによって聖王三傑の一人であるパウルスがメッサーナ王国の初代国王となり、同じく三傑に数えられたフェルディナントは妻ヒルダと共にヨルド海を渡り、古ロアーヌの地を切り開き、そこに国を建てた。
 三傑の最後の一人ヴァッサールは後年に向けた魔術士育成を目的にモウゼスにて魔術ギルドの立ち上げを行い、そこを終生の地とした。

「ちなみに称号としての聖王、三傑、十二将というのも、コングレスで定められました。まるで最初からそう名乗っていたみたいに聖王記には書かれていますが、勿論そんなことはないです。あくまで、後世に諸々を伝えるための脚色要素ですね。あ、一応私も十二将の一人という設定なんですよ。どこにも名前は出てないシークレット枠ですけどね」
「最後のは今日いち興味ない話題だわ」

 数十年の時間をかけ文字と詩で世界中に広まっていった聖王記は、狙い通り聖王という存在を神格化させていった。各地に散らばる聖王十二将やそれに連なる者たちの活動により方々に教会施設が建ち、そこで数々の逸話を教えられた親子が子守唄や遊び唄代わりに聖王記の英雄譚を口遊む。
 そうして世界は、三百年にも及ぶ平穏の時代を築き上げつつ、次の死蝕へと備えてきたのである。

「元々、聖王という象徴的存在に性別を付与する想定はありませんでした。ですが四魔貴族討伐の一年後に巨竜ドーラを討った時、方針が変わったのです」

 魔龍公ビューネイ去し後、空を支配したのはドーラであった。ドーラはアーリの再三の諌めも聞かず、人里を襲い略奪を繰り返した。
 ドーラを討つのは、アーリの定め。アーリはループを登り、ドーラと対峙し、そして征伐を果たした。

「伝記ほどドラマチックなことはなく、ただただ虚しさの残る出来事でした。アーリは望まぬ戦いに挑み、喪失感と勝利を得た。そして彼女はこの時、ついに考えてしまったのです。ドーラは、この戦いを竜の宿命と言った。では・・・宿命の子である自分の宿命とは、一体なんなのだろうか、とね」

 第二の宿命の子が背負う宿命とは果たして、四魔貴族を討ち、その先に戦友であるドーラをも征伐する、というものであったのだろうか。

「それは否。断じて否。アーリは、怒りでも願望でもなく、静かに確信していました。自らの宿命は、ここが終着地ではない、と。自身の真なる宿命とは、この先にこそあるはずだ、と」
「聖王様の・・・真なる宿命・・・」

 そんな事は、全く考えたことがなかった。
 カタリナはそう思い、無意識に解けていた腕をゆっくりと組み直す。
 聖王は、四魔貴族を征伐した。だがそれは言わば、最初の宿命の子である魔王の後始末をした、という事にすぎない。それをするのが「宿命の子」なのだ、と言われればそれまでなのだが、しかし魔王と対比すると、聖王のここまでの役割は規模が限定的である。

「アーリは、もう一度旅立つ決意をしました。己の宿命が導く先へと、進むために。この旅立ちは三傑を含めた極一部の面子のみに伝えられ、そして聖王記に若干の変更が加えられました」
「・・・その結果、男性を彷彿とさせる聖王像が作られた、ということね。でもそれって、本来の聖王様であるアーリ様と異なる特徴を敢えて付加した、ってわけよね。となるとその意図って、聖王像とアーリ様を引き離すこと・・・のように見えるけど」

 カタリナが考える時の癖で下唇に指を添えながら言うと、詩人は「然り」と言いながら頷いた。

「意図はまさしくその通りで、これには大きく二つの理由があります。一つは、アーリという一人の人間を自由にするため。これまでの彼女の世界に対する献身に最大限の感謝を示し、以後その身を世界に浪費させない。そのために彼女とは似ても似つかぬ、異なる聖王を作り上げたのです。そして、もう一つは・・・」

 もう一つの理由とは即ち、アーリの宿命は間違いなくアビスに関わるものである、と結論付けたから。
 魔王はなぜアビスを、死の星を目指したのか。
 その謎に向き合うところから、アーリの本当の旅が始まる。となれば必ずその道の先には、アビスがある。アーリは旅の中で必ず、深淵を目指すことになるのだ。
 それは第三者から見れば、魔王の軌跡を辿る行為に他ならない、ともいえる。

「・・・その結果としてアーリ様がもし世間から非難されたとて、聖王という偶像に影響は及ばせない。その対策として・・・ということね。分かるけど・・・ちょっと不敬だわ」
「ふふふ、そうですね。でも聖王記を纏めたパウルスというのは、そういう男でした。それにパウルスは、全ての可能性を見据えていました。即ち・・・アーリが己の宿命に向き合った先で、第二の魔王と化す可能性すらも。こればっかりはパウルスも、フェルには最後まで言ってませんでしたけどね」
「えぇ・・・」

 メッサーナ王国の初代国王にして、三百年後にまで伝えられる様々な革新的制度の確立により賢王とも称される、聖王十二将パウルス。
 他国の歴史にさほど興味がないカタリナであっても様々な逸話を知る伝記上の偉人は、思いの外冷徹な人物だったようだ。

「んーまぁ、確かに冷徹でもありましたけどね。でも彼って、ロマンチストでしたよ。凡ゆる可能性を見据えつつも、自らが望む結末はちゃんと持っていて、そこに向かうための準備や仕込みは内心嬉々としてやるんです。聖王記なんてほんと、大部分が彼の創作活動みたいなものじゃないですかね?」
「いやもうキャラわかんないわよ」

 まるで旧知の知人を語るような口ぶりの詩人に、カタリナはついていけないという風に肩を竦めた。
 いや、実際に伝記上の偉人たちと旅をしたという彼にとっては、もはや懐かしい友人のことを語っているに等しいのだろう。
 詩人は続ける。

「とまぁ、こうして本来の聖王たるアーリとは別の聖王が作られることとなったのです。そして実際に聖王記を広めるための仕込みとして、男性の聖王を用意することになりました。そこで立ったのがパウルスの良き部下、アレックスでした。彼は名をアウレリウスへ改め、幾つかの場面では実際に聖王として民の前でも振る舞いました」
「その一つが、指輪の記憶というわけね。でもあのお方・・・アレックス様は、本当に聖王様そのものに見えたわ」

 記憶の中に立っていたアレックスという人は、まさしく聖王記から思い描く聖王様そのもので、あの時はまさか代役であろうとは露ほども思わなかった。

「ふふ、アレックスが聞いたら喜びますよ。彼、筋金入りのアーリファンでしたからね。勿論、彼は聖王を演じるに相応しい実力も備える人物でした。なんなら彼が宿命の子だったとしても、違和感はなかったかもしれません。そういう意味では、三百年前にも宿命の子は二人いた、と言えるのかもしれませんね」

 彼は己の全てをアウレリウスへと書き換え、人類の象徴として十数年の活動を行い、最後はランスで余生を過ごしたという。
 今ランスにある聖王家もアレックスの血筋であるそうで、全くそこは徹底されているようだ。
 傑物が傑物を呼ぶ、ということなのだろう。少なくともカタリナが見たあの姿は聖王そのものとして疑うべくもなかった。あれ程の空気を纏う人が、聖王アウレリウスの周囲には何人もいたのだろう。
 ここまでの話だけでも、既知の歴史観が、文字通り根底から覆ってしまいそうなものばかりだ。

「ふふふ、歴史とは結局、勝者の物語でしかありませんからね。その時に歴史を動かす者たちによって、都合よく作られるものです」
「歴史は勝者の物語・・・か。言い得て妙ね」

 「聖王」という重すぎる役割を引き受けたアレックスという人物についてや、詩人の知る聖王十二将のことなど、今のカタリナには聞きたいことはそれこそ山ほどある。
 だがなによりまず聞かねばならないことは、明確だ。

「・・・アーリ様のその後の旅は、どのようなものだったの?」

 カタリナがそう問いかけると、詩人は意味深げに笑みを浮かべ、立ち上がった。
 すると二人を取り巻く景色は、無機質な石作りの部屋へと変わっていく。
 それは、二人が元いた場所だった。

「先ほど言った通り、自らの宿命とは何なのかを明らかにすべく、旅をしました。数年に及んだその旅の先で彼女は遂に、己が宿命を知るに至ったのです」

 詩人は謳うように語りながら石棺へと近づき、再びその上に腰を下ろす。

「・・・ですが、残念ながらその仔細を私は語ることができません。私は彼女の旅に最後まで同行しましたが、彼女が視たというものを私は、視ていないのです」

 詩人がそういうと共に、空間はさらに歪み、移ろっていく。
 気がつけば詩人とカタリナは、星空の中にいた。
 普段地上から見上げる星空の、ずっとずっと先。見渡す限り上下左右、全てが星空。
 それは、かつて王家の指輪に見せられたものと同じ光景だった。

「アーリが視たものは、この世界の真実の一部、だったそうです。我々が住む世界の様相や、死蝕の正体、そして・・・この先に世界を待ち受ける、とある運命の存在」

 見渡す限りの星の海からカタリナは、斜め下へと視線を向ける。
 そこには期待通り、暗い星の海に浮かぶ、青く淡く輝く世界があった。
 アレックスは、あれを自分たちが住む世界だと言っていた。

「私たちの世界が、少し先の未来で迎える運命。アーリは、その運命が如何なるものであるのかと、そしてその運命に自分が立ち会うことはない、ということも同時に理解したそうです」

 それらを知ったあとの彼女は、あまり多くを語らなかったという。
 しかしそれは、語りたくなかったのではなく語れなかったのだろう、と詩人は言った。
 それほど彼女が視たものは、人の理解を遥かに超えた代物だったのだ。

「ただ、これだけは言い切っていました。彼女も魔王も、目指すものはやはり一緒だった。そしてそれは、次に現れる宿命の子にしても同じことだ、と。アーリは望み通り、己が宿命の真実を得たのです」

 真実を得たというアーリは、この点についてあまり感情の起伏を見せることはなかったそうだ。
 喜びも怒りも哀しみも、未来への楽観もなく。ただただこの真実をどのように後世へ伝えるべきか、ということだけを見据えていた様子だったという。

「それから彼女は一度メッサーナへ戻り、後世へと幾つかのメッセージを残しました。アレックスが指輪に残したものも、その一つでしょう」

 気がつけば、周囲の景色は再び玄室へと戻っていた。
 カタリナは改めて、指輪に見せられた記憶を脳裏で思い返す。

「聖王様・・・が残されたあのメッセージ、途中が掠れていてうまく聞こえなかった。見た人全員がそうだったらしいわ。だから結局何を伝えたかったのか、ほとんど私たちにはわかっていない。貴方は、知っているの?」
「いえ、私はその場にいなかったので、それは分かりません。ただ・・・」

 詩人はゆっくりとした足取りで進み、カタリナの前に立った。
 カタリナはその意図を図るように、視線を逸らすことなく詩人を見返す。すると詩人は微かに笑みを浮かべ、懐から小さな白い包みを取り出した。

「アーリからのお願いでしてね。これを渡すべき人物を、私はここで待っていたのです。恐らくこれが、最も彼女が残したかったもののはずです」

 カタリナは無言で、詩人から包みを受け取る。
 なめらかな手触りの包布をそっと開くと、そこに包まれていた中身は、錫製と思われる、小さな髪飾りだった。
 三百年前のものにしては、随分と保存状態がいい。だが、モノ自体はお世辞にも質がいいとは言えない代物で、特別な装飾や紋様が施されたわけでもない、ありふれた様相の髪飾りだ。

「いやぁ、直接手渡すことが出来てよかったですよ。流石に私も、どれだけこの体が持つか不透明でしたからね。なので保険として、多分ずっと生きていそうなレオニード伯爵に、ここの鍵を預けておいたんです。アビスを目指す意思があり、その力を持つものに渡してくれ、とね」
「それで伯爵、私に鍵を渡してきたのね・・・」

 確かに、その役割ならば吸血鬼であり永劫の常闇を生きるレオニード伯爵が相応しかろう。
 しかし少しくらいは説明を添えてくれてもよかっただろうに、と軽い不満を抱きながら、カタリナは改めて手元の髪飾りへと視線を落とす。

「それは、アーリが小さい頃から身につけていたものです。彼女はこれを、運命に立ち会う者へ渡してほしいと、私に託しました」

 言われて、カタリナは手にした髪飾りを再度見つめる。
 少し幼さを感じさせる可愛らしい花モチーフの髪飾りは、確かに女児が身につけていそうな代物だ。
 数多くの英傑を率い、四魔貴族討伐を成し遂げた比肩するものなき英雄。その偉大なる存在もまた、一人の人間だったのだと感じさせる。
 この髪飾りには、例えば聖王の槍や聖剣マスカレイドのような代物に感じる類の力は、なにもない。
 だがこれは間違いなく、世界に二つと存在しない、正真正銘の聖王遺物なのだろう。

「・・・運命に立ち会う者。それが、私だと?」
「そりゃまぁ、そうでしょうね。今この世界で貴女以上に相応しい方は、居ないでしょう。あ、一応私も見届けられるところまではやるつもりですから、暫くご一緒させて頂きますけどね」

 そう言いながら詩人は再び歩き出し、カタリナの脇を通り過ぎて出口へと向かう。

「まだまだ聞きたいことは色々あると思いますが、最初に言った通りここはあんまり長居すると良くないので、一旦外へ出ましょうか」
「?・・・えぇ、分かったわ」

 さらりと旅の同行を宣言してきた詩人に促され、カタリナは眉間に皺を寄せながら詩人の後に続く。
 確かにここは独特の瘴気が渦巻いていて、長居はしたくない。
 そしてまだまだ聞きたいことはたくさんあるのも事実なので、ここを出てからも暫く質問攻めにしてやろう。
 そう思いながら詩人の後に続いて、建物の外に出た。

「・・・・・・?」

 外に出ると、入る前と何かが違うような気がして、カタリナは言いようのない違和感に小首を傾げた。
 先ほどまで身体中にまとわりついていた不気味な瘴気が晴れ、清々しい気分ではある。だが、それだけでは説明のつかない、そんな違和感を感じたのである。
 上空を見上げれば、どうも空模様が先ほどとは少し違うか。
 先刻までは陽の光が差し込むような穏やかな天気ではなかったはずだが、今は良く晴れた青空が広がっている。山の天気は移ろいやすいと聞くが、まさにその通りだな、などと思う。
 いや、しかし感じる違和感は、天気の問題ではないと思えた。
 ふと背後を振り返れば、先ほどまで入っていた建物がある。
 だが、そこには入る前と明確な違いがあった。建物の周辺がなぜか、焼き払われたように焦げ付いている。
 入った時はこんな状態ではなかったはずなので、カタリナは訝しげに目を細めた。
 周囲へ視線を向ける。
 すると、少し離れた湖畔で寝そべっているグゥエインがいた。
 カタリナがそちらへ近づいていくと、それに気付いた様子のグゥエインも気怠げに瞳を開き、少しだけ首を上げた。

『・・・やっと、出てきたか』
「ごめんなさいね、待たせてしまったかしら」

 カタリナは思わず謝りながら、肩を竦める。
 そんなに待たせてしまったつもりはなかったのだが、不思議とグゥエインの声色には確かに、待ちくたびれたぞ、という色が濃く出ているようだったのだ。
 これは、思ったより待たせてしまった感じがする。
 そのカタリナの心の声を聞いたかのように、グゥエインは低く唸ってみせた。

『・・・自覚はないようだな。するとこれは、貴様の仕業か』

 グゥエインは瞳孔を細め、カタリナの後ろにいる詩人を鋭く睨む。
 すると詩人は両手を肩のあたりまで上げながら、敵意がないことを示した。

「あーまぁ、えーっと・・・どちらかというと魔王の仕業、ですかね。これでも、かなり早めに切り上げてきたつもりなんですが」
「・・・?」

 詩人の言っている内容がいまいち理解できず、カタリナは疑問符を浮かべる。
 詩人の言葉を聞きながら不機嫌そうにふしゅるる、と炎混じりの息を吐いたグゥエインは、カタリナへと向き直った。

『一年だ』
「え?」

 グゥエインの言葉にカタリナが全く理解できない様子で反応すると、グゥエインは目を細め、もう一度言った。

『お前がそこに入って、大体一年程度が経った、と言っている』

 グゥエインの言葉を黙って聞き、数秒、その意味を考える。
 そしてカタリナは再度、小首を傾げた。

「・・・・・・は?」

 

 

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第十章・7 -魔王の玄室-

 

 宵闇の国、ポドールイが静寂なる新月の夜(といっても常に暗いので昼夜の区別は曖昧だが)を迎えた頃。
 僅かな星明かりに照らされながら、レオニード城の門前へ雪と共に舞い降りた巨竜を前にして、カタリナは心底呆れたような表情で腕を組みつつ見上げた。

「・・・まさか一日足らずで来るとはね」
『呼んでおいてその言い種とは、我も随分と舐められたものだ。焼き払うぞ』

 随分な出迎えの言葉に応えて口角の隙間から青白い電流を覗かせつつ、巨竜グゥエインが熱り立つ。
 後方から両者を見守る教授は興味津々の様子で竜を観察し、一方ヨハンネスは腰を抜かした様子で雪原にへたり込んでしまっていた。

「つまり貴方、以前私を乗せていた時は速度を調整していたってことね」
『当然だ。人間を背に乗せて全力飛行などしたら、あっという間に吹き飛ぶだろうからな』

 以前ビューネイとの戦いにタフターン山近くまで赴いた時には、大凡二日程度を要した。それでもカタリナはグゥエインの背にしがみつくことが精一杯といったような有様であったから、確かにその倍の速度となれば、為す術なく吹き飛ばされていたであろうことは想像に難くない。

「・・・まぁいいわ。もう体は大丈夫なの?」
『無論だ』

 そう言って翼を広げて見せたグゥエインの巨体は、僅かな傷が残っている様子もない。
 その様子に一先ず安心したカタリナは浅く頷いて微笑みながら、組んでいた腕を解いた。

「ならよかったわ。それで呼び立てた理由なのだけど・・・」
『大方の予想はつく。お前の足では行けぬところへ向かうためであろう』

 カタリナが言い切る前に、グゥエインが口を挟む。
 全く察しのいい相棒に、カタリナは小さく肩をすくめてから、腰のポシェットへと手を伸ばす。そして布に包まれた黒鍵を取り出すと、それを開いてグゥエインに見せてみた。

「この布に、ポドールイを起点にした地図が記してあったわ。目的地はここより更に東・・・見捨てられた地の北方を示しているみたい。何かその辺りに心当たり、ある?」

 差し出された黒鍵と布の匂いを嗅ぐかのように鼻先を近づけて暫し観察していたグゥエインは、もたげていた首を徐に夜空に伸ばし、ゆっくりと東に向けた。

『貴様らが見捨てられた地と呼ぶ場所は、この三百年ずっと、異様な濃さの瘴気に塗れた土地であった。そこに記されている場所は恐らく、最も濃い瘴気の渦巻く場所・・・彼の地の北方にある山脈のあたりだろう。何度かその近辺を通ったことがあるが、空からでもわかる悍ましさであった』
「見捨てられた地の北方の山脈、か・・・。そんなところに一体何が、って言いたいところだけど・・・とにかく行ってみるしかないわね」

 カタリナは自分に納得させるようにそう呟くと、教授とヨハンネスへ振り向く。

「エレン達が聖杯を持って戻ってきたら早速、魔導器製作の着手、よろしくお願いします」
「任せなさい。この私に作れぬものはないわ」
「どこまでプロフェッサーのお手伝いができるかはわかりませんが・・・頑張ります」

 両名の返答を聞いてから軽くお辞儀をすると、カタリナは颯爽とグゥエインの背に乗る。
 なんだかんだカタリナが乗ろうとするのを察して身を屈めてくれるあたり、グゥエインはそこらの奴より実に気遣いのできる竜である。
 グゥエインの背に乗ると、巨龍種が持つ朱鳥の加護がすぐに自分にも伝わってくる。これがないときっと高高度では凍え死んでしまうのだということを体感で知っているカタリナは、ポドールイの寒さも相まって思わずグゥエインの竜鱗を撫でながら安堵の息を吐いた。

「はーあったか・・・」
『我を焚き火か何かと一緒にするな』

 呆れたようにそう呟きながらグゥエインは身を起こし、両翼を雄々しく広げる。それに合わせて周囲の柔らかい雪が舞い上がり、見送る教授らの頬を撫でた。

「じゃあ、行ってきます」

 自分というよりは巨竜が飛び立つ様を観察することに専念している節がある教授に一応手を降り、竜と共に飛び上がる。瞬く間に空高く舞い上がったグゥエインは宵闇に紛れ、東へ進路を取った。

 

 

 見捨てられた地。
 地名というにはあまりにもさもしい名のその地は、現在発行されている世界地図の東の端に広がる、未開の地である。
 いや、未開というのは正確ではないかもしれない。かつてそこには人が住んでいたとされており、今より六百年の昔、魔王によって人が住めぬまでに汚染された地であるからだ。
 その地の北部は、極寒の地。大地は凍てつき、風は凍り、一切の生命を寄せ付けない白銀の地。
 その地の中央部は、腐れし樹海。毒沼と瘴気に塗れた汚染樹林が広がり、その合間には邪悪な魔物が跋扈する醜悪なる腐海。
 その地の南部は、死せる乾きの大地。玄武の恵みを失った砂と岩だけの荒れた地肌が広がる、草ひとつ生えぬ不毛の荒野。
 かの聖王ですら復興を断念したとされるその地は、この六百年の間に人類が手を出してこなかった禁忌の地だ。

「かつて魔王軍が東方へ侵攻した際、見捨てられた地に点在していた諸国は連合軍を組み、天術を用いて魔王軍に対し連戦連勝を重ねたというわ。でもその僅か一年後、魔王自身が戦線に出たことで連合軍はあっさり全滅。東方諸国があったとされる土地がまるごと、瘴気渦巻く死の大地となった・・・というのが聖王記に書かれている概要ね」
『筋書きは知らぬが、死の大地という記述は概ね正しい。幾つか廃墟の類も見た覚えがあるので、それが恐らく滅ぼされた国とやらだろう。しかし・・・』

 地表の観察ができるように比較的低空を飛びながらカタリナの話を聞いていたグゥエインは、飛行しながら怪訝そうに唸った。

『どうにも以前より瘴気が薄い。前はもっと上空でも不快に感じたが、今はこの高さで軽微に感じる程度だ』
「私にはまだ全くわからない・・・竜の感応能力ならではなのかしら。しかし前より瘴気が薄まったというのは、悪いことではないんだろうけれど、気になるわね・・・」

 人類がこの地を六百年の間放置していたのは、まさしくその瘴気が大いに関与していた。
 例えばロアーヌから東に向かう先に広がる腐海は、見捨てられた地の中では最も到達が容易だ。かつて聖王が視察を行ったのも、その辺りだとされている。
 そして聖王は、腐海を覆う瘴気を前に、その地の復興を断念した。腐海の瘴気は、それこそ人が足を踏み入れれば一日と持たず気が触れてしまうほどの濃さであったのだ。

『実際は、北へ向かうほど瘴気の濃度が高くなっていた。この辺りの山岳地帯はその気候以前に、魔物ですら近寄らぬ類の瘴気に覆われていたものだが・・・それが薄まっている』

 グゥエインは眼下に広がる山脈を見下ろしながら、徐々に高度を下げていく。
 山間まで覆うような薄暗く分厚い雲の間をすり抜け、薄暗い山肌を視認できる高さまで降りてくると、間も無くその先には山に囲まれた湖が見えてきた。
 その辺りに来た時、カタリナはふと、自分を呼ぶ声を聞いたような気がした。
 この感覚はここ数年で何度か経験している。間違いなく、聖王遺物が何かに感応した感触だ。

「・・・あの湖の辺り、降ろしてもらえるかしら」

 カタリナに言われる通りにグゥエインは更に降下し、険しい山脈の間にぽつんと置かれたような小さい湖の畔に降り立つ。
 かくしてその湖の畔には、明らかに人工的に作られた石造りの小さな建造物が鎮座していた。
 グゥエインから飛び降りたカタリナが周囲を調べるが、その石造りの建造物以外には何も見当たらない。
 そしてこの建造物には窓らしきものが無く、ただ一つ備え付けられている扉らしきものも、固く閉ざされている様子だった。

「・・・これ、かしらね」
『そのようだな。ここは流石に瘴気が濃い。不快ゆえ、早々に行ってくるがいい』

 グゥエインから実に心のこもった見送りを受けつつ、カタリナは石扉の前に立った。
 見た限りは単なる石壁だが、手で触れてみると、これは単なる石材ではなさそうだということがカタリナにもわかる。なにしろ触れただけで、王家の指輪やブーツなど、身につけている聖王遺物が騒がしいほどに反応を示すのだ。
 これは感覚としては魔王の斧や盾といった、魔王遺物に近い代物に思えた。
 間違いなくここは、魔王に何らか関係のある場所だろう。

(魔王によって汚染された地にある、魔王所縁と思われる建造物か・・・魔王遺物でも眠っているとか・・・?)

 扉と思しき模様が描かれた正面の壁には、小さな鍵穴がある。
 カタリナは懐から黒鍵を取り出し、そのまま鍵穴に差し込んでみた。
 すると黒鍵はカタリナが回すでもなく勝手に動き出し、ガチリ、と開錠を知らせる音を発したかと思うと、役目を終えたかのように呆気なく崩れ去ってしまった。
 そして次の瞬間、石扉が黒鍵と同じようにその役目を終えたように音もなく塵状に崩れ、中へと誘う道が開かれる。
 だが、何らかの術でも施されているのか、外から見る中の様子は全くの暗闇で、一歩先すら見通せない。

「・・・・・・」

 カタリナが慎重にその暗闇へと足を踏み入れると、まるでそれを待っていたかのように建物内に淡い灯りが灯る。
 カタリナは特に驚く様子もなく、歩を進めた。
 するとすぐに一本道は終焉を迎え、この建造物の大部分を占めていると思われる広間に出た。
 何の装飾もない無機質な空間が広がる部屋の奥にあるのは、簡素な台座と、その上に鎮座する石棺に石碑。
 そして、石棺の上に座って静かにこちらを見つめる、一つの人影であった。

「・・・まるで、待っていたとでも言いたげね」

 素早く腰のロングソードに手をかけながら、カタリナが睨む先。
 石棺の上に腰掛けている人物は、彼女の問いかけに応える代わりに、僅かに笑みを作ってみせた。

「当然説明は・・・いや、これまでのことも含め私が納得するまで、全てを洗いざらい話してもらう。いいわね」

 カタリナの怒気に満ちた視線を受けながらなお、湛えた笑みを崩さない人物。
 その者こそは、自らを聖王記詠みと自称する風変わりな格好の詩人であった。

 

パチ、パチ、パチ、パチ、パチ・・・

 無音だった空間に、軽快に手を打つ音が滑稽なほど良く響きわたる。
 その拍手の発生源である詩人を睨みつけながら微動だにしないカタリナをよそに、当の詩人は心底愉快そうに笑みを作りながら、次には両手を広げて歓迎を示すポーズをした。

「やはりここに来たのは、貴女でしたね」

 詩人が言葉を発するとなんだか急に瘴気が濃くなったような気がして、思わずカタリナは軽い吐き気を覚えながら眉間に皺を寄せる。
 詩人はそんなカタリナに対して仰々しく会釈を行い、まるでこの空間を案内するかのようにふわりと腕を左右に広げてみせた。

「よくぞ、ここまで辿り着きましたね。ここは悠久の果てへと想いを馳せ、創造主への叛逆を誓い、飽くなき願望と共に長き眠りについた最初の宿命の子・・・魔王の玄室です。つまり・・・」

 詩人は勿体ぶるように、広げていた方の手をゆっくりと自らの胸元に当て、もう片方の手で特徴的なとんがり帽子を脱ぐ。

「つまり、私の玄室です」
「・・・・・・」

 しばし、カタリナは眉間に皺を寄せたまま、無言で目の前の人物を見つめる。
 まず考えたことは、目の前の男が狂人か否か、ということだった。
 魔王やその生まれ変わりを自称する不逞の輩というのは、不思議なことに一定周期で世の中に現れるものだった。その殆どは魔王信仰宗派の中で教祖を自称する賊の類であり、名乗ってから幾許かの後、民衆を誑かす邪教として近隣の軍団に殲滅させられる運命にあった。
 だが恐らく、目の前の人物はそういった類の狂人ではないだろう。
 そもそも気が触れていようがいまいが、人類がこの場所に辿り着くことは不可能に近い。
 それはここまでグゥエインの背に乗ってきたカタリナだからこそ、よくわかる。
 となると目の前の人物は、高い確率で「人間ではない何か」という事になる。
 では、狂人ではなく魔物か?
 いや、それも異なる。
 魔物や妖魔の類には人と見分けがつかない者も確かに存在する(それこそレオニード伯爵などがその典型だ)が、そういった存在は相対すれば、人と異なる気配を必ず感じるものだ。
 特段、聖王遺物を身に付けているカタリナだからこそ、それに気付かぬことはまずない。
 だが今も過去も、この詩人に対してそういった類の違和感を感じたことはなかった。
 では狂人でも魔物でもなければ、魔王か?
 それは、残念ながら彼女には判断のつかぬことであった。

「貴方が・・・魔王・・・?」

 答えの見えぬ思考の行き止まりに当たったカタリナは、漸くそれだけを微かに呟いた。

「貴方が、魔王ですって・・・?」

 今度は、はっきりと声に出す。
 すると詩人は事も無げに浅く頷き、肩を竦めた。

「はい。あーでもまぁ正確にいうと、魔王だった者、のほうが適切ですかね」

 魔王だの魔王だった者だの、そのような言葉遊びを聞きたいわけではないカタリナは、一先ず自分なりの確認を行うことにした。

「・・・冗談にしても、面白くないわ。じゃあなにかしら、貴方、今年で御年六百歳を超えるお体ってわけ? その割には、随分お若く見えるけれど」
「はい、なにせ今は芸事に生きる身ですからね。朝晩のスキンケアは欠かさず、入念に行なっています」

 この軽口。
 これは間違いなく彼女の知る、聖王記詠みを自称するいけ好かない男だ。
 その気配は、やはり人間そのもの。
 だが、聖王遺物を身につけているカタリナですら吐き気を催すほどのアビスの瘴気に塗れたこの場所で平然としていられる人間など居ないこともまた、彼女は知っている。
 だがそんな彼女の心中などまるで気にせぬ様子で、詩人は続けて言葉を発する。

「さて、人類がここまで到達することができたことを祝し、貴女にはとっておきの物語を是非とも披露したいと思います。少々長居には適さない場所で恐縮ですが・・・お聞きになりますか?」

 詩人の言葉に、カタリナは無言で浅く頷く。今の言葉はまるで自分が人類ではないと断じるような言い方であったが、しかしいちいち突っ込みを入れるのも面倒だと考えた。
 カタリナの素直な反応に詩人は満足げに頷き返すと、手にしていたとんがり帽子を再び被り直しながら、ゆっくりと石棺を降りた。

「とはいえ流石に記憶も朧げですからね・・・所々思い出しながらになるのは、ご容赦ください」

 おほん、と咳払いをした詩人は、まるでこれから詩を詠い始めるかのような素振りで、静かに語り始めた。

「ではまず、私がここに至るまでのお話から始めましょう。時は聖王前歴二百七十年あたり、当時魔王として活動していた私は古メッサーナを始めとした諸国を制圧したのち、軍をゲッシアへと進めました。目指したのは今の世界地図にはない、もっと東の地。貴女にも分かりやすく言うならば、即ち第五のアビスゲートを目指したのです」

 それはまさに、先ほどカタリナがグゥエインに対して語って聞かせた聖王記の歴史だった。

「私がそこを目指した目的とは即ち、この世界の全てに死を伝え、破壊を齎すこと。そして・・・母なる死の星へと還ること」

 瘴気に塗れ陰鬱とした室内には不似合いなほど良く通る声で、詩人は語る。
 六百年の昔、魔王軍が第二次ゲッシア侵攻にて自軍勝利の大勢を決した時、魔王は己が肉体の限界を察知した。
 彼が魔王として行使してきた力は、人の体には余りあるもの。それこそ四魔貴族をすら従えるほどの力を振い続ければ早々に限界が訪れるだろうということは、分かりきっていたことであった。
 この時、多少それが彼の予測より早くきた、というだけであった。
 魔王はすぐに戦線を離れ、暫しの眠りにつくための場所に向かった。
 それが、この地である。

「聖王記第一章第一節『魔王伝記』にて、魔王没すと人々は語った、とされています。なのでまぁ、それに合わせてここを玄室、と呼ぶことにしました。あ、ちなみに一部の歴史学者なんかが、魔王は時の英雄アル=アワドに深傷を負わされたのではーなんて説を提唱していますが、流石に当時の人間に遅れをとるようでは、魔王なんてやっていられませんからね、流石にそれはデマですよ?」

 本気で心外だというように表情でも語りながら、詩人は石棺の後ろにある石碑へと歩み寄り、その石碑へと手を添える。
 すると石碑は塵となって崩れ落ち、奥へと続く通路が現れた。

「少し、場所を変えながら話しましょうか」

 言うだけ言うと、無警戒で通路へ向かう詩人。その背中を背後から蹴り倒してやりたい衝動に駆られるも何とか抑えつつ、カタリナは無言でその後を追った。

「玄室というのは勿論洒落で、死ぬ気は全然なかったんです。無理をさせた体を瘴気で癒し、然るのちに活動再開する。そのためにここを用意したのです。ただ・・・少し想定外が起きましてね」

 魔王「だった者」が次に目覚めたのは、眠り始めてから三百年近く経った頃であった。

「あの目覚めの時は、今も鮮明に覚えています。あれは全く経験したことがない、実に・・・実に、清々しい目覚めでした」

 起きてすぐ、彼は自らの内に起きている異変に気付いたという。
 死に魅入られ、死の星を求る自らの宿星と宿命。それが、一切感じ取れなくなっていたのだ。
 それはまるで長い長い夢から覚めたかのように、眠りにつく前はずっと彼の中で渦巻いていたものが、忽然と消え失せていた。

「ほんと、びっくりするくらいどーでも良くなっちゃってたんですよ。まるで、何度も何度も繰り返した『ごっこ遊び』に突然飽きた子どもみたいに。ただ・・・これは『魔王』が背負っていた宿命の消失を意味するものではありません。その宿命の根源・・・『混沌の意思』とでもいうべきものが、この体を離れただけ。そこだけは、何故かはっきりと確信していました」

 目覚めと共に生きている意味、即ち宿命を失ってしまった男は、目的なく諸国を巡ることにした。
 当時は、四魔貴族による数百年の支配が続いた凄惨たる暗黒時代。町中にさえ人間の死体が幾つも転がり、魔物に体を食いちぎられ絶命していく人間の叫び声が聞こえない日はなかった。
 そんな光景を見ながら男は、世界を覆う瘴気や四魔貴族の力を鑑みれば人が死に絶えるのはそう遠い話ではないだろう、とぼんやり考えていた。
 無論、それに対して何も思うところはない。なにしろ男には為るべきことなど、何もないのだから。
 そうしてただただ混沌の世界を見つめながら放浪する中で、男は北方の寂れた農村を訪れた。
 後の世では聖都ランスと呼ばれるその小さな農村で男は、一人の少女を見つける。
 その少女こそは、世界が選んだ、次なる宿命の子であった。

「ちょっとまって。少女ってどういうこと。それは聖王様ではないの?」

 暫く黙って聞いていたカタリナだったが、流石に口を挟む。
 三百年前の死蝕の際に現れた宿命の子、即ち聖王とは、男だ。
 聖王記に描かれる肖像も、各地に伝わる絵画も、そしてカタリナ自身が王家の指輪を通じて見た姿も。その全てにおいて、聖王は男性だった。
 だというのに今の話に出てくる宿命の子が少女というのは、史実と異なる。

「まぁまぁ、聞いてください」

 しかしてカタリナの質問を軽く受け流しながら、詩人は通路の先にあった扉を開く。
 開かれた扉の先に現れたのは、寂れた農村の入り口であった。どことなくその地形が、聖都ランスのそれに近しいようにも見える。
 慌てて背後を振り返ると、通ってきた扉は既にない。
 そこで漸く、これは王家の指輪に見せられたような幻想の類であろうと気付く。

「あぁそうそう、こんな感じでした。案外覚えているものですね」

 一人勝手に呟きながら、詩人が続ける。
 少女はその出生ゆえか、目立たぬように生かされていた。
 そう仕向けた家族の判断は、少女を生かすという意味では正しい。なにしろこの時代に死蝕を生き残ったなどと分かれば、魔王の再来として直ぐさま命を奪われるであろうからだ。
 死蝕の中で初めて一人生き残り、祝福の子とまで言われた自分とはまるで正反対の境遇だなと、男は他人事のように思った。
 男は考えた。死の星を求る宿命は、この少女に移ったのだのだろう、と。
 であればたとえ少女の家族が少女の出生を秘匿し少女に退屈な生涯を送らせようとしても、宿命は決してそのようなことを許しておかない。
 やがて世界が少女を求め、少女の周りには甘美なる死が、ばら撒かれることになる。
 無垢な少女は死に魅入られ、破壊を求める第二の魔王となり、世界に更なる死を振り撒きながら東を目指していくのだろう。
 それはきっと、男の時よりもずっと楽に進むはずだ。
 なにしろ、舞台は整っている。男の手によって人類の弱体化、四魔貴族の招呼と、多くの仕込みを終えてあるのだ。これならば第二の魔王は、容易く死の星へ到達できることであろう。

「私の中にはすでに、破壊へと駆り立てる衝動はありませんでした。ですが少しだけ、気になったんです。私が目指していたものを引き継ぐこの少女が、はたしてどんな処に向かうのか。私が目指していたものは、どんなものだったのだろうか?」

 そんな小さな興味から、男は少女を暫く観察することに決めた。
 男がランスに滞在を始めた翌年、少女は奴隷商人に攫われた。
 この時代は、人と死の距離が非常に近かった。飢餓、疫病、魔獣被害、そして人間同士の殺戮と略奪。そういったものが人の生活圏と常に近しい距離で起こっていたのだ。だから少女が攫われることも、別段珍しいことでもない。男はそれを助けるでもなく、密かに後を追った。
 すると予め定められていたかのように、奴隷商人の馬車は街道で魔物に襲われた。奴隷商人らは為す術なく食いちぎられ、魔物が荷馬車に迫る。
 男は、見ているだけだった。もし少女がここで死ぬのならば、それは少女と世界にとって最も幸福なことかもしれない。そんなふうに、うっすらと考えながら。
 案の定、というべきだろう。
 少女は助かった。
 魔物を滅し少女を助けたのは、通りかかりの武装小隊であった。小隊の護衛団を率いていたのは雄々しき青年フェルディナント。小隊の主は強き意思の光を瞳に讃えし少女ヒルダであった。
 二人は哀れな少女を元いた場所に帰そうとしたが、少女は涙ながらにそれを拒否した。少女は幼いながらに、感じ取っていたのだ。自らが、村で他の住民から疎まれていたことを。己の出生を原因として家族が苦しんでいたことを。
 困った二人は一先ず少女を連れ、国元であるユーステルムへと帰ることとした。
 こうして少女はユーステルムに辿りつき、そこで三年の月日を数えることとなる。
 カタリナの周囲の景色も移ろい、ランスより更に雪深い街へと視界が変貌していく。こちらも記憶に面影があるので、すぐにユーステルムの街であろうと察しがついた。

「フェルって一度身内認定すると、すっごい構うんですよね。毎日熱心に剣を教えてましたよ」

 剣技において非凡な才能を見せた少女は、フェルディナントの元でめきめきと腕を上げた。もう少女には、三年前の臆病な面影はなかった。
 この時の少女は、漠然と焦燥感を抱いていた。救いの見えぬ世界で、あらゆる脅威に怯えて暮らす人々。その中で自分がこうして、日々をただ消費することに対して。
 少女は、旅立つことを決めた。まずは世界を知らなければ、なにも始まらない。その想いだけを抱いて。
 同じくユーステルムに居付き、冒険者稼業に身を窶しながら少女を密かに観察していた男は、ここで少女に同行を申し出ることにした。
 少女の兄姉を自称していたフェルディナントとヒルダはたいそう訝しんだが、当の少女は男の申し出を二つ返事で快諾した。
 同じ街に三年もいれば、少女が男のことを見知っていた可能性はあるだろう。無論、それが男を信用する理由にはならない。だというのに男の申し出を承諾したのは、もしかしたら同じ宿命を宿していたもの同士の何かを、感じたのだろうか。

「こうして私はまんまとパーティーに加わり、彼女を間近で観察し続けました」

 カタリナの周囲の景色が、まるで走馬灯でも見せられているかのように様々な場面へと変化していく。
 旅立ちから三年をかけて少女と男は世界を回り、その道中で多くの人々に出会っていった。その中にこそ、後の世に聖王十二将と呼ばれることになる勇士達がいたのである。
 古メッサーナの地では、後に聖王三傑に数えられながらも敵対関係として出会ったパウルスと、その従者アウレリウス。東に行けば、武人オトマン。西では後に少女の後見人となるフルブライト十二世や、その息子チャールズ、従者の臆病なソープ。そして大賢者ヴァッサールなど。
 聖王記をはじめとした歴史書には記載されていない事実や載っていない人物など、その光景を見ているだけでもとんでもない情報量が次々と飛び込んでくる。

「ち、ちょっとまって。色々聞きたいんだけど、一つだけ。アウレリウスって、聖王様の御名よね。パウルス様の部下って、どういうこと?」

 アウレリウスとは、聖王記に刻まれる聖王その人の名だ。ごく一部にその表記があるだけで主には聖王としか記されないが、唯一聖王の人となりを表す名詞として、この世界では広く知れ渡った名である。

「ふふ、ちゃんとそこも話しますよ」

 まるで悪戯の種明かしをするのが勿体無いとでも言いたげに、詩人が笑う。その表情を心底鬱陶しく思いながらも、カタリナは辛抱強く耳を傾けることにした。
 カタリナと詩人を取り巻く景色は更に移ろい、ウィルミントンと思われる場所へと変わった。
 成長した少女は十八歳を迎えた時、フルブライト十二世の養子に迎えられることとなった。
 利発に、そして見目麗しく成長した少女に人並みの幸せを享受してほしいと願ったフルブライト十二世らの想いは、誰にも否定できるものではなかっただろう。
 少女が養子となることを受け入れた時、男はもう、これ以上少女の観察をすることをやめようと考えていた。
 ランスでの邂逅から都合七年ほど少女を見てきたが、その中でどうにもこの少女が自らと同じ道を辿る未来が、思い描けなくなっていたのだ。
 であればもう男には、少女の近くにいる理由もない。
 男は一人、その肉体が滅ぶまで再び世界を宛てなく彷徨おうかと考えた。
 だが、それを止めたのもまた、少女であった。

「彼女ったら酷いんですよ。次の目的が定まるまでは自分の元にいろ、って言うんです。どうせ行く宛てなんてないんだろって決めてかかってるんですよ?」
「その通りじゃないの」

 場面は、満天の星空を仰ぐ山の頂へと移っていく。
 フルブライトの養子となった少女はそこから二年、弛まず戦技の研鑽を重ねた。男は、指導役としてそれに付き従っていた。
 この時、男は少女が以前の焦燥感とも異なる、もっと明確な「何か」に駆り立てられ始めていることを悟っていた。
 だがそれは、かつて男の内に生まれたものとは異なるもの。それこそ、真逆と言ってもいいもの。
 それは死へと向かう誘惑ではなく、溢れる生命力による反発。
 ある夜、少女はデマンダ山脈の最も高い頂に立ち、手にしていた一振りの剣を満天の星空へと翳した、
 すると空に煌めく星々から少女の持つ剣へ、次々と星の力が降り注いでいったのだ。
 それは男がこれまで見てきた、いや、これから見るものも含めてきっと、どんな景色よりも美しいと思わせる光景だった。
 現代には聖王遺物として伝わる比類なき力を秘めた武具が最初に誕生したのは、この瞬間であった。
 七星剣、と名付けられたその剣を鞘に収めた少女は側に控えていた男に振り返り、申し出た。
 四魔貴族を討つための戦いに、ついてきてほしいと。

「笑っちゃいますよね。四魔貴族を呼び寄せた張本人に、追い払う手伝いを頼むんですから」

 男には特に目的などなかったので、それを断る理由もなかった。
 それから間も無くフルブライト十二世によって諸国に四魔貴族討伐の号令が発せられ、戦いが始まった。
 この戦いの最中で、少女の元にはかつて出会った勇士達が続々と集った。
 そうして戦いが始まってから四年、少女が二十四の頃、ついに四魔貴族討伐の偉業が成し遂げられたのである。

「このあたりは聖王記に記してあるので、話すまでもないでしょう。戦いの中で数々の宝具が生まれ、幾つもの尊い犠牲を払い、遂に少女は全てのアビスゲートを閉じたのです」

 いつの間にか周囲の景色は、荒れた山間の崖に移り変わっていた。
 カタリナはこの景色に、なんもなく見覚えがある。恐らくは、ルーブ山脈だろう。
 四魔貴族征伐の後、歴史上で語られた聖王最後の戦いの舞台。

「・・・で、そのあとは巨竜ドーラ征伐譚で終わり、というわけね。じゃあそろそろ、質問をしてもいいかしら」
「私に答えられることならば」

 お待たせしました、とでも言わんばかりに詩人が身近な岩に腰変えるのを半眼で睨みながら、カタリナが口を開いた。

「まず先ほどの質問に答えて。貴方の語った少女とは、一体何者なの。聖王様は、男性のはずよね?」

 まずは、そこだ。
 聖王記には抽象的な挿絵が僅かにあるだけだが、基本は男性として世界に解釈されてきた。
 それにカタリナは二度、その姿を見てもいる。一度目は初めて魔王殿で少年から王家の指輪を受け取った時。二度目は、ピドナでモニカらと合流した時だ。
 その姿はどことなく聖王記の挿絵に似ているような気もして、間違いなくそれが聖王記に記された聖王であろうということを感じさせた。
 しかし詩人は曖昧な笑みを浮かべ、逆にカタリナに問いかけた。

「貴女は、指輪の記録も視ていますよね。記録の中の青年は、自らの名を名乗っていましたか?」

 言われて、カタリナは思い返してみる。聖王様の言葉を聞いたのは、二度目の記憶、ピドナでの時だ。あの時、何と言っていたか。

「・・・いえ、名乗ってはいないわ。ただ確か・・・その場にいたらしいヴァッサール様が、聖王様のことを・・・」

 なんと、呼んでいたか。
 細い記憶の糸を必死に手繰っていたカタリナは、漸くその糸を手繰り寄せ、はっとした表情で顔を上げた。

「・・・アレックス。そう・・・聖王様は、アレックスと呼ばれていたわ」

 

 

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第九章・6 -全てを見通す男-

 

 ドンッ!!

 木製の扉を打ち破る勢いで蹴り開け、鼻息荒くバンガード商業ギルド会館の一室へと乱暴に踏み込んできたのは、誰あろうバイロン卿その人だった。
 とはいえ余りにその有様が先日までの彼とかけ離れていることから、その場にいた誰しもが一瞬、彼がバイロンであるということに気付けなかったほどである。
 顔こそ同じで、着ている衣服も確かにウィルミントン製のハイブランドスーツなのだが、しかしいつもの紳士然とした姿勢や振る舞いは、完全にどこかへと消え失せてしまっていた。
 余程急いでここにきたのか、帽子も被らず頭髪は乱れ、興奮からか目は醜く充血し、呼吸も荒い。
 そして手にした杖をまるで棍棒代わりのように握りしめながら、獣じみた前傾姿勢で周囲を威嚇しているのだ。
 その様相はまるで、癇癪を起こして暴れ回らんとする悪徳商人もかくや、というような有様であった。
 その姿を見て、場違いにも思わず失笑してしまったのは、かつての自分の姿をそこに垣間見てしまったからか。
 内心でそう自嘲しながら、ラブ=ドフォーレは至極落ち着いた様子で深くソファに腰掛けたまま、戯けるように大仰に両手を広げて驚いてみせた。

「これはこれは、バイロン卿。随分と遅いご到着でしたな。よもや来られないのではないかと、少々心配してしまいましたよ」
「!!!?・・・貴様、貴様が仕組んだのか!!??」

 ラブの様子を見たバイロンは烈火の如くに怒りの表情へ変わり、手にした杖を振り上げながらラブへと迫る。
 しかしラブの背後に控えていた屈強なボディガードに遮られ、更には慌てたバンガード商業ギルドの職員にも背後から身を押さえられたことで、それ以上ラブに接近することは出来なかった。
 だが彼の怒りは、そんなことで欠片も収まることはない。
 バイロンはギルド職員に羽交い締めにされたまま、半ば叫ぶように口汚くラブを問いただした。

「貴様が!!貴様のような品性の欠片もない豚如きが、この私とフルブライトを嵌めたのか!!??」
「おやおや・・・嵌めたとはまた、とんだ濡れ衣ですな。私が聞き及んでいる限り、今回の事はあくまで御社内での揉め事だと理解しておりますが、ねぇ?」
「き・・・貴様ぁぁぁああああ!!!!!!!」

 ラブの言葉にバイロンは絶叫し、その後は歯が砕けそうなほどに強く口内を噛み締め、力任せに杖を床に叩きつける。
 その様子が大層面白かったのか、自らの性根の悪さを自覚しているラブはニヤリと下卑た笑みを浮かべながら、膝に手をついてゆっくりと立ち上がった。

「私はね、こう聞きましたよ、バイロン卿。何でも・・・どうしたことか今回のトレード終結後、普通なら即座に商業ギルドを通じて動くはずのオーラムが微動だにしない。何故かと言えば、今回のトレード決着と同時にウィルミントン本店以外のほぼ全ての支店で、傘下企業が商会からの離脱を表明してしまったからだ、と。それ故、本店口座の残高だけではトレードで提示したオーラムが用意できなかったから、だそうですねぇ?」
「これは!! これは全く悪質で卑劣な!!! 神聖なる商いの道理を無視した物件独立工作だッ!!! このようなことは断じてッ!! 断じて認められるようなものではないッッ!!!!!!」

 これまた叫ぶようにバイロンが喚き散らすと、対するラブは実に愉快そうに瞳を歪ませながら、さも同情するかのような声色でバイロンへと語りかける。

「えぇえぇ、そうでしょうとも。これはとても悪質な独立工作でしょう。ただし・・・それをトレード相手ではなく身内が起こしたとなると・・・ふふふ、これには全く同情の余地がありませんがなぁ・・・!」

 ついには抑えきれずに、声を上げて笑い出したラブ。それをバイロンは脳が茹で上がりそうなほどに顔全体を熱で赤らめながら、憤怒の表情で睨みつけた。
 全ては、ラブの言う通りであった。
 トレード終結宣言によってバイロンが勝利を確信したその時、既にフルブライト商会の内部では、全てが覆っていた。
 商業ギルドによる正式なトレード終結の報が各国へ発せられる同時に、今回は未曾有の巨額トレードであることから各国に散らばるフルブライト商会傘下の企業に対し、各国商業ギルド支部口座を通じてトレード資金の拠出要請及び集金が行われる算段であった。
 しかしあろうことか、この資金集約要請を商会全体の六割もの傘下企業が全面拒否したのである。
 つまり、物件独立をされたのだ。
 これによりトレードで提示したオーラムの拠出が不可能になったフルブライト商会の醜態は世界中に瞬く間に伝播し、トレード結果以上に各国権力者の耳目を強く引きつけた。

「しかもどうやら独立した企業群、御社の会長が立ち上げた『フルブライト二十三世商会』という名の企業に参画していらっしゃるとか。加えてその企業、なにやら各地の御社残留企業やリブロフ、ナジュ周辺の特定企業に対して既にトレードを仕掛けているそうですなぁ。これでは、ご自慢のリーグからも資金は出せませんな・・・?」

 そういってまたしても笑い出すラブに対し、バイロンは今度こそ言葉にならない叫びを上げながら殴り掛からんとする。
 しかし呆気なくボディガードに弾かれて尻餅をついたバイロンは、血管をはち切れんばかりに顔中に浮かび上がらせながら、ゆっくりと立ち上がった。
 その瞳には、怒りを通り越した狂気が宿っている。
 思わず、その瞳を見たラブは真顔に戻って口を噤んでしまった。

「お前達のような屑に・・・私の・・・私の崇高な目的など、永遠に理解出来まい。もはやこれで、人類の間違いを正すことは不可能になった。人類は、遠からず自らの愚かさによって滅ぶことになる・・・!」

 力なく横に首を振ってそう言い捨てながら、バイロンは懐から細く小さな笛を取り出した。
 場にそぐわない妙な行動に誰もが首を傾げる中、何故かラブだけはバイロンのその動作に、只ならぬ狂気を感じ取った。

「おい、それを止めさせろ!」

 慌ててラブが言葉を発するが、それを聞いたボディガードの反応は遅い。ボディガードが動き出す前に、バイロンはその笛を力一杯に吹き鳴らした。
 その笛の音は、その場にいる者にはほとんど聞こえない。
 冷や汗をかくラブと、それ以外の面々が変わらず怪訝な顔をしていると、それをみて気が狂れたように笑い出したバイロンは、杖を振り翳しながら叫んだ。

「今のはなぁ、外に控えさせているデーモン種族を呼び起こす笛だ・・・愚かな人間たちには聞こえない。お前達は、全員ここで死ね。私は貴様らの死を見届けてからアビスへと降り、人類が滅ぶ様をも虚しく見届けてやろう・・・!」

 その言葉と同時に、建物の外から俄かに人の叫び声が聞こえてくる。

「ふ、ふははははははは!!私の救済を台無しにした人類に、裁きを・・・!!」

 翳した杖の先端をラブへと向けて、高笑いしながら叫ぶバイロン。
 後退りをしながら逃走の手段を即座に模索するラブ。
 何が起きたのかも分からず慌てるばかりのその他の面々。
 だが、どうしたことだろうか。
 バイロンの宣言に反して、外からは最初に叫び声が一度聞こえたきり、そのあとは荘厳なる破壊のコンチェルトも、愚かなる人類の成す悲痛なアンサンブルも、全く聞こえてこない。
 部屋の外からは何やら微かな騒めきだけが、控えめに届いてくるのみであった。

「・・・・・・ぁぁ?」

 求めてやまない悲鳴と惨劇が一向に訪れないことに対し、なんとも気の抜けた声を上げながらバイロンは周囲を見渡す。
 するとそんな彼に応えるかのように、開け放たれたままの扉から何かが、徐に部屋に飛び込んできた。
 その場の視線の全てが、一斉にそれに注がれる。
 飛び込んできたものは、無惨に切り落とされた大型デーモン種族の、未だ血の滴る頭部だった。

「ひ、ひぃぃ!!?」

 最も扉の間近にいたバイロンが、悍ましい表情で絶命しているデーモン種の頭に驚いて再び尻餅をつく。
 するとその後に、扉から部屋の中へと何者かが足を踏み入れてきた。
 その手には先に投げ込まれたものと同じく、恐らくは一瞬のうちに命を奪われ驚愕の表情を残すしかなかったであろう、二体目のデーモン種の頭部。
 それを手に現れた人物は、色素の薄い肌の色をした細身の女だった。
 女は身につけている衣服こそバンガード市民と殆ど変わらぬのだが、彼女の足元を覆うグリーブから発せられる微風に揺れる美しい銀髪が、明らかにこの地方の民ではないということを示している。
 その佇まいには一分の隙もなく、身体は細身なれど強靭にしてしなやか。武具を手に構えてはいないが、腰には小型の剣帯を下げており、見目美しい装飾の小型剣が納まっている。
 デーモン種の亡骸を持ってそこに現れたのは、グゥエインとの戦闘で破損した装備の代わりに街で買った適当な服を身に纏った、カタリナだった。

「・・・全く、街中でなんてもの呼び出してんのよ」

 呆れたようにそう言ったカタリナは、手にしていたもう一つのデーモン種の頭部も床に放り投げ、それらの召喚者であるバイロンへ冷めた視線を向けた。

「貴方が、バイロン卿ね。私の名は、カタリナ=ラウラン。ロアーヌの騎士よ。縁あってバンガードキャプテン直々の依頼を受け、貴方をアビスリーグなる犯罪集団と結託した罪により、この場にて捕縛します」
「・・・え・・・?」

 カタリナがそう言い終わると、彼女の後ろから出てきた二人の衛兵がバイロンを取り押さえ、その手首に縄をかける。
 だが、そうされている間もバイロンは全くこの事態が飲み込めていない様子で、突如現れたカタリナを呆けたように見つめていた。
 バイロンが従えていた従者は、デーモン種族が擬態していたものだ。その数は二体。人間には戦鬼と呼ばれ恐れられる、殆ど伝説上の存在とも言えるほどの凶悪な悪魔である。
 この戦鬼が二体もいれば、このバンガードやウィルミントンなどの都市をすら壊滅させることは難しくない。一介の都市国家が持つような数百人規模の衛兵隊など、問題なく薙ぎ払える程の力を有した存在なのである。
 これほどの強力な悪魔を従えるものは、アビスリーグに与する者の中でもバイロンをおいて他にはいないだろう。
 それが、目の前に突然現れたロアーヌ騎士を名乗る一人の女に、あっさり斬られたというではないか。
 目の前に転がる首がそれを事実たらしめているが、しかしそんなことを普通の人間が出来るはずなどないということも、バイロンは知っている。
 そこで、漸くバイロンは思い出した。

「ロアーヌ騎士・・・そうか貴様が・・・火術要塞を制圧し、魔海侯フォルネウスと魔龍公ビューネイを退けたという・・・」
「さぁ、どうかしら・・・。衛兵さん、あとは任せるわ」

 そう言いながら衛兵に目配せすると、衛兵は捕縛したバイロンを連れ、足早にその場を後にした。

「ふぅー・・・流石に、肝が冷えたな・・・」

 一連の様子を黙って見届けていたラブは、額の冷や汗を袖で拭いながら深く息をはいた。

「流石、というべきかしら。貴方はこの展開、分かっていたみたいね?」
「・・・まぁな。何しろ一歩間違えていれば、あそこに居たのは俺だったわけだからな」

 カタリナが懐から取り出した手拭いでデーモン種を掴んでいた手を拭きながら話しかけると、ラブはこれまた自嘲気味に笑みを浮かべながらそう応えつつ、すっかり気が抜けたようにどかりとソファに座り直した。

「・・・いや、俺もそこまで馬鹿じゃねぇ。間違えることは、もうない。商いにしろ修羅場にしろ、お前らに刃向かおうなんて気は、もう微塵も起きねぇよ」
「あら、随分と殊勝なことね」
「ふん・・・」

 これ以上お前とお喋りをつもりはない。そう態度で表しながらラブがそっぽを向くと、カタリナは軽く肩を竦めた後、特に何を話すでもなくその場を後にする。
 あとに残されたのは、終始何が起こったのか分からずに怯えていた可哀想な商業ギルド職員と、変わらずラブの後ろに控えるボディーガードたちだけだ。

(・・・刃向かう、か。自分で言っといて馬鹿らしい・・・。忌々しいことこの上ないが・・・俺には、あいつらに刃向って自分のタマがある未来が全く見えねぇ。俺にはアビスの連中なんぞよりも彼奴らの方が、余程恐ろしいものに見えるぜ・・・)

 無意識にラブは、自分の上着の内側に入れている数枚の書簡へと手を伸ばしていた。
 その書簡は、このトレードについてラブへの指示が認められた、ピドナ本社からの指示書であった。
 当然その指示書を書いたのは、副社長であるトーマスである。

(幾重にも張られた伏線と仕掛け。結果がどんなパターンであっても、それら幾重にも張られた糸に操られ、帰結する結果は大枠では同じだ・・・。そして最も恐ろしいのは、その結果へと辿り着くためとなったならば、何ら躊躇なく昨日までの成功を全て切り捨てる決断力・・・。無論、俺が離反をした場合のシナリオもあの男の頭にはあったことだろう・・・。その時、俺は間違いなくあのバイロンと同じ道か、それを上回る悪夢の中に・・・)

 それは想像するだけで、とても恐ろしいことだ。
 ラブはその恐ろしい想像を否定するように小さく首を振り、目を瞑って深呼吸をする。
 ラブがこの場に至るまでに行った具体的な行動は、概ねラブ自身の独断によるものが多かった。
 というのも、どちらかといえばトーマスから送られてきた指示書は、具体的な行動にはあまり触れられていなかったからなのだ。
 こうするように仕向けて欲しい、するとこうなると思うので、次にはああなるように流れを作って欲しい。なお、その手段は基本的に任せる。
 そういった「方向性の指示」が主であったのである。
 しかし、その方向性のチャートが恐ろしいほどに細かい。
 膨大な事前調査データと、それを元にした方向性提示への反応予測。資金の流れや情報の伝達速度を見切った変動予測と、此方からのアクションのタイミング指示。それらを元にした様々な市場関心変化の可能性と、このトレードを取り巻く市場と世論全体をも見据えた展開予測。
 実のところ、それらが記された何通かの指示書を見る間にラブは、トーマスに逆らおうという気など完全に消え失せてしまっていた。

(見ている世界そのものが、完全に俺の理解を超えている。これは・・・ここに書いてあるのは最早、予言みたいなもんだ。一体どこまで視えたなら、この膨大な可能性を掌握してここまでの道筋を描くことが出来るってんだ・・・?)

 彼が今日ここで命拾いをしたのも、何しろトーマスの采配があってのことだった。
 そこに至った手段は、全く分からない。
 全く分からないが、トーマスはウィルミントンで起こったというフルブライト商会本館襲撃事件を殆ど発生と同時に知り得ていて、そこで起こったフルブライト二十三世による新生フルブライト商会設立すらをも読んでおり、このトレードの決着が調印後に覆ることを、一か月前のピドナから「視て」いた。
 早馬で自分が一連の流れを知り得た頃には、状況を既にトーマスから聞いているというロアーヌ騎士を名乗る女が彼の前に現れ、これから起こるかもしれない有事に備えての護衛を担うなどと言われたのである。
 聞けばこの女の名前は、カタリナというではないか。
 カタリナといえば、このカタリナカンパニーの社長の名だ。確かに、その女の顔は以前にメッサーナジャーナルで見た覚えがあった。
 社長を配下の護衛に起用するなんて馬鹿げた采配もそうだが、なにしろここまでの全てを、流通が途絶し陸の孤島と化したピドナから指示しているなど、今この段階になっても全く信じることが出来ない。
 今この場で後を振り返ったら、実は部屋の隅にトーマスが隠れてました、とでもいう方が、余程得心がいくというものだ。

「・・・・・・」

 一応、後ろを振り返ってみる。
 しかし、そこには誰もいる様子はない。

「・・・おい」

 視線を前に戻して気を取り直したラブは、未だ呆けているギルド職員へと声をかけた。

「は、はい?」
「トレード相手が指定金額を振り込まなかった場合はどうなるんだ」
「あ・・・はい、えっと・・・。・・・ルールブックのトレード決着について書かれた第十七条二項で、何らかの事情によりトレード決着金の納付を行えない状況が確定した場合は、これを白紙撤回の上、商会ギルド調査の上で・・・」

 職員が手元にルールブックを取り出して中身を確認しながら読み出すと、その途中でラブは煩わしそうに手を振った。

「後のことは、今はどうでもいい。つまり今回のトレードは、ノーゲームでいいんだな?」
「は・・・はい、そうなります。カタリナカンパニー様は不履行を受けた側になりますので、後日当ギルドを通じて先方からの違約金を受け取る権利が・・・」

 しかしラブは職員の言葉を最後まで聞く気もなく、さっさと立ち上がると扉へ向けて歩き出した。

「後のことは、ピドナ本社とやりとりしてくれ。どうせ流通断絶すらも、間も無く終わりに向かうんだろうからな。俺はもう、お役御免だ」

 ラブは不機嫌そうにそう言いながら立ち止まって、懐からシガーを取り出す。すかさずボディーガードがシガーの端をカットし、もう一人が朱鳥術を組み込ませた魔術具で火を起こした。
 シガーを火に当て、何度か吸って煙が立つと、ラブは勢いよく煙を口内に含み、鼻から吐き出す。

(・・・俺だって、このまま終わる訳にはいかねぇ。トーマスどころか、あのキャンディの小娘にまで舐められたままじゃ、絶対に終われねぇ。とっととヤーマスに戻って、仕事に取り掛からなきゃな・・・。裏稼業になくとも、このドフォーレこそが最も優れた商会だってことを証明してやる・・・そして売上でアイツらの鼻っ柱をへし折ってやるさ・・・)

 既に、新たなビジネスプランはある。そこでの早期垂直立ち上げを脳裏にありありと描きながら、ラブは葉巻を咥えながら足早にバンガードの商業ギルド会館を後にした。

 

 

「ゲヒ・・・ギャヒ・・・ッ!!」

 鈍色の一閃が、寸分違わず人型に擬態した悪魔の頭蓋を貫く。
 小さく断末魔の悲鳴をあげた悪魔は、シャールが放った槍の一撃で呆気なく絶命した。
 その間に同じくミューズとトーマスが、それぞれ術と槍で周囲にいた小型の魔精を屠る。

「・・・よし、討ち漏らしはなさそうだ」

 シャールが周囲を警戒しながらも魔物の気配を感じないことを伝えると、トーマスも同じく周囲にそれらしい気配がないことを確認して折りたたみ式の槍を畳んだ。

 彼らが踏み込んだのは、ピドナ旧市街の片隅にある、ほとんど倒壊間近のような有様の簡素な荒屋だった。その荒屋の外には、申し訳程度に誂えられた木製の看板に「魔王殿観光組合事務所」と書かれている。

「蓋を開けてみればありきたり・・・とも感じますが。しかし企業としての活動実態があまりに無さすぎて、盲点でしたね。灯台下暗し、の助言がなければ、発見が致命的に遅れていたかも知れません」

 そう呟きながらトーマスは、魔物の血飛沫で汚れた卓上の書面を手に取った。そこには、全く利益が出ていない様子の見窄らしい数字が並んだ、空白の目立つ決算表が記してある。

「企業としてのオーラムの動きを見る限りでは、ナジュ地方あたりに本部を置いているものと想定されていましたが・・・リーグの指示役は、ここだったのですね」

 トーマスに倣ってミューズも近くの棚の中身を検分しながら、誰に当てるでもなく呟いた。

「魔物が商売に携わっているどころか、世界規模の同盟まで結成しているとは・・・。この事例以後も、再発を防ぐべく警戒せねばならんな」

 シャールは二人に物品の探索を任せて荒屋の中を警戒するようにしながら、奥の部屋へと慎重に歩を進める。

「・・・トーマス殿、ミューズ様、こちらへ」

 そして奥の部屋に進んだシャールから声をかけられ、二人は一瞬顔を見合わせてからシャールの元へと向かう。
 ちょうど荒屋の奥まった部屋の入り口に立っていたシャールは、近づいてきた二人の気配を察すると体ごと避けるようにして、自らの目線の先にあったものを二人にも見せた。
 元は物置の用途かと思われる狭いその小部屋は、殆どものが置かれておらず、ただ部屋の中央には青白く鳴動する紋様が描かれた不気味な円形の物体が、悍ましい瘴気を微かに漂わせながら鎮座していた。

「これは一体、なんなのでしょう・・・」

 明らかに異様な空気を察してか、ミューズはシャールの後ろに控えたままでそう呟く。
 その判断は賢明だと思いながら、しかしトーマスは歩を進めてシャールよりも先、鳴動する円形の物体に近づいた。

「トーマス殿、あまり近づいては」
「いえ・・・大丈夫です。これは恐らく、魔王殿の深部へと移動するための魔導器です」

 トーマス自身の身に覚えがあるわけではないが、彼にはこれが何なのか、なんとなく分かっていた。自分の中にいつの間にか紛れ込んでいる何者かの記憶が、この台座型の魔導器の正体を教えてくれるのだ。
 だが、辛うじて分かるのは移動用魔導器、という部分までだった。
 これが魔王殿のどこに繋がっていて、それは往復可能なものなのか、片道なのか。人が利用しても大丈夫なものなのか、そうではないのか。
 それら詳細に関するような情報は、掠れた記憶からは判別することは不可能だった。

「・・・これは、ここで壊しましょう。新たに魔物がここから現れても厄介です」

 そう言いながらトーマスが再び槍を取り出そうとすると、それを左手で制したシャールは銀の手に構えた槍を狭い通路で器用に振り上げ、上半身のバネを使って紋章の台座に鋭く突き立てた。
 ガシャリ…と慣れない類の手応えがあり、その後すぐに台座から鳴動は失われ、魔導器はどうやらその機能を永遠に失ったようだ。

「・・・これで、終わったのか?」

 破壊した台座から槍を引き抜きつつ、シャールはどうにも釈然としない様子で、小さくそう呟いた。

「そうですね、これでアビスリーグについては、一先ず元凶を絶ったかと思います。残党と思しき企業もリブロフとナジュに絞られましたので、あとはキャンディとポールが仕留めるでしょう」

 だが、しかし。
 そんな言葉を口にする寸前で飲み込むように少し俯き、トーマスは物言わぬ台座へと視線を落とした。

(・・・このアビスリーグは、魔物が人間に対して、同じ文化レベルでの謀略が可能であるということの証明に他ならない。いや・・・これほどの大規模な行動に移すまでフルブライト二十三世様しか気が付けなかった時点で、もはや人を超える策謀を巡らせることが出来るようになっていると言っていい。そして、恐らくこれを仕掛けたのは・・・)

 ふっと顔を上げたトーマスは、まるで壁の向こうを見るように視線を中空に投げる。
 この粗末な荒屋の先には、スラム化した旧市街の住人ですら好んで立ち入りはしない。なぜならその先には、未だ立ち消えぬ瘴気を漂わせた暗黒時代の遺物、魔王殿が佇んでいるからだ。
 今にも崩れ落ちそうな壁の向こうにあるであろう魔王殿へ視線を向けながら、トーマスは己の中にある妙な確信について、密かに戦慄を覚えていた。

(仕掛けたのは恐らく・・・四魔貴族、魔戦士公アラケスで間違いない。俺の記憶に紛れ込んだ何者かの記憶が、そう告げている・・・)

 現代に生きる人類が知ることのできる四魔貴族に纏わる逸話は、主には聖王記の中に記された聖王による討伐譚と、その前時代について書かれた魔王伝記なる章などに、簡潔な記載があるのみだ。
 そこに記されるアラケスの討伐譚では、聖王三傑たるパウルスの手引きにより魔王殿へと進軍した聖王によって討ち取られた、としか描かれていない。
 また魔戦士公という爵位名からか、後世に生まれた様々な創作物でも、非常に好戦的な存在として描かる事が多いのがアラケス公の常だ。
 しかし、実際の魔戦士公は、そんな単純な存在ではない。

(・・・むしろ他の魔貴族のように天空、海中、密林などの進軍不可能な立地ではなく、唯一進軍が安易な魔王殿に居を構えながら、聖王を最後まで苦しめた存在だ・・・。その事実が指し示すところはつまり、武は元より、そこに知略をも兼ね備えた恐ろしい将であるということ・・・)

 経済界において特段に大きな事変となった、ドフォーレ商会の台頭やアビスリーグの暗躍。これらがそもそも魔戦士公の仕掛けた罠の一つであろうと、今になってトーマスは確信していた。
 奇しくも、聖王記の順をなぞるかのようにして四魔貴族をアビスへと追い返すことに成功しているカタリナらであるが、どうにもトーマスには、この最後の四魔貴族が圧倒的に不気味な存在に思えてならなかった。

(正直、他の魔貴族とは相対する上で難易度が桁違いにも感じる・・・。魔物に加え人をすら動かしてマネーゲームを展開するほど人界に精通し、更にはアビスの魔物を自在に動かすことのできる圧倒的な暴力を兼ね備えた存在・・・。いくらカタリナ様といえど、力一本で押し通せる存在であるとはどうしても思えない・・・)

「・・・トーマス様?」

 壁を見つめたまますっかり押し黙ってしまったトーマスを心配するように、ミューズが傍からトーマスを覗き込む。

「あぁ・・・失礼、なんでもありません。目ぼしい書面を回収して引き上げましょう。この後も、やることは山積みです」

 ミューズの声で物思いから現実に引き戻されたトーマスは気を取り直し、その場から踵を返して書類の散乱した部屋へと戻っていった。

 

 

 終わってみれば、それはまるでお祭り騒ぎのような出来事であった。
 ドフォーレ商会の時を遥かに上回る規模の経済戦争の裏で、一時はメッサーナ王国の存亡すらが揺れ動いていたというのに。
 それがいざ終わってみたら、まるで一夜の熱狂がすっかり醒めてしまったかのように、各方面では静かに粛々と後片付けが行われているのだ。
 正しくそれは非日常の熱に浮かされたお祭り騒ぎそのもので、今はその翌朝に訪れる一抹の虚しさそのもののように、トーマスには感じられた。

(・・・今回は辛うじて切り抜けたか・・・)

 連日の後処理に奔走する中、どうにも眠りが浅く目覚めてしまったトーマスは、一人早朝のピドナ市街地を港の方へ向けて歩きながら物思いに耽る。
 既にアビスリーグを中心とした騒動の終焉から、あっという間に一ヶ月が経とうとしていた。
 その間にカタリナカンパニーの支援を受けて再建の道を歩み出したアルフォンソ海運とメッサーナキャラバンは、取り急ぎ同業他社から船舶や馬車の買い付けを行い、あっという間にピドナの流通は回復。既にピドナ港は、以前と変わりの無い様相を取り戻し始めている。
 メッサーナ王宮からの緊急出庫の継続もあり、銀行機能も危機を脱出。ピドナ内部での経済混乱自体も収束へと向かっている。
 それに伴い各国の動向もピドナ流通断絶以前の状態に表向きは戻り、世界は本当に、まるで何事もなかったかのように振る舞っているのである。
 アビスの魔物が裏で糸を引いていることにすら気が付かず、秘密裏にアビスリーグと取引を行っていた形跡がある各国の要人たち。彼らを今回どうにかすることは、出来ないだろう。
 彼らのように権力ばかり持つ短慮な存在は確かに今後も世界に対するリスクではあるが、恐らくそれは今後ルートヴィッヒ軍団長らが対処をしていく事柄であり、自分たちがこれ以上の関わりを持つことは現時点ではないだろうとトーマスは考えていた。

(・・・ナジュとリブロフ方面でも、アビスリーグの要所を落とす目的でポールとキャンディが上手くトレードを仕切ってくれた。結果として当社の利益は今期も伸長したしな・・・)

 ここは結局相手も本丸でなかったためか想定以上に順調に進み、現地のアビスリーグを根絶すると同時にリブロフ、ナジュ方面にカンパニーの基盤を作ることに成功した。
 これでカタリナカンパニーは、現在描かれている地図上の全地域へと商圏を広げたことになる。これは経済界でも、フルブライト商会に次いで歴史上二社目となる偉業だ。

(そしてそのフルブライト商会は、フルブライト二十三世様を真なる盟主とした新生フルブライト商会へと生まれ変わり、まるで何事もなかったかのように世界一を維持している)

 かねてよりフルブライト二十三世は、父である二十二世からの完全な脱却と実権継承を目論んでいた。それは、出会った頃より分かっていたことだ。
 そのために彼は表向きの無気力を演じ、放蕩外遊と称して世界各地を精力的に回り、水面下で強かに準備を進めていたのである。
 彼の中ではもっと完璧に準備が終わってから事を起こしたかったという展望はあったのだろうが、それを押してこのタイミングで奮起を選択してくれたことは、今回の事態収拾に向けて大いに助かったというもの。
 彼の英断を、心から称えたい。

(準備不足など微塵も感じさせないほど、鮮やかな旧母体の取り込みだった。既に新会社の登記社名もフルブライト商会に戻してしまったというのだから、世間的にはフルブライト商会の中で何が起こったのかさえ、全く分かっていない者が殆どだろうな・・・。そしてバイロンという右腕を失った二十二世様には残念ながら、再起の道はないだろう。勘付いた者がいても、これではもう何ができるわけでもないのは確実だ・・・)

 当然フルブライト二十三世とて、あの極限状況を利用するつもりで勝負に出たのだろう。
 確かにあそこでバイロンごと仕留めるのは、彼の覇道を成すためには良い機会であった。此方が助かったと同時に、彼方も助かったというわけだ。
 正しく、有意義なトレードが出来たと言えるだろう。

「・・・本当に元通りだな」

 気がつけば、港に辿り着いていた。
 既に船舶周辺では人々が忙しなく荷下ろしと搬入に追われており、一ヶ月前の閑散とした港など本当になかったかのようだ。
 トーマスはその様子をみて思わず呟き、次には人混みを避けるようにして大型港湾地区とは反対の小型船用港へと歩み出し、そこで丁度良さそうな小さな埠頭を見かけると、その桟橋の先端まで行ってから徐に、その場に腰を下ろした。

「・・・・・・」

 なに故かトーマスの中には、上手く表現のできない不安が渦巻いていた。
 それは、旧市街であの転送用魔導器を見た時から一ヶ月の間、ずっと彼の中に渦巻いているのだ。

「・・・何かお悩みですか?」

 誰もいない事を確認してから腰掛けたはずの埠頭桟橋であったが、トーマスの背後から、不意にそんな声がかかった。

「・・・何だか貴方が来るのではないかと、少し期待していましたよ」

 トーマスはその声に振り向かず、しかし誰なのか分かっているように答える。

「ふふ・・・お見通しでしたか。カタリナさんは毎回、とても驚いてくれるのですがね」

 そう言いながら桟橋の先端に座るトーマスの横まで歩み寄ってきたのは、朝の閑散とした港にはとても不釣り合いな鮮やかな衣装を見に纏った人物。
 聖王記詠みを自称する詩人だった。

「今回の件、貴方の言葉には大いに助けていただきました。ありがとうございます」
「いえいえ、私は特にはなにも。事態を解決へと導いたのは、間違いなく貴方の手腕によるところでしょう」
「私の手腕・・・ですか」

 詩人の言葉に、トーマスは思わず苦笑する。苦笑というよりもはや、それは自嘲に近いのかもしれない。
 何しろ、彼は今回の件について、まるで自分の力が及ぶような出来事ではなかったなと、いま改めて感じているからだった。

「貴方は、一体何者なのですか?」

 思わず口をついて、そう尋ねる。
 トーマスがこうして詩人と会うのは、もう四度目になるか。
 最初は、ピドナの老舗パブ、ヴィンサントだ。あれは確か、ユリアンとモニカのために開いたささやかな祝宴の席だった。
 次に会ったのは海上要塞と化したバンガードにて、カタリナへロアーヌの危機を知らせに向かった時。そして前回は、このピドナが大いなる混乱に陥る直前だったと記憶している。
 こうして会うのは確かに四度目ではあるが、しかしこの人物が一体何者であり、なにを目的としているのか。それは今の彼にすら、全く掴めるところではないのだ。
 彼はそれを、恐らくとても驚異的な事なのだろうと感じている。

「以前にもここで、カタリナさんに同じ事を問われましたねぇ」

 実に呑気な様子の声色で、詩人はそう言いながら自分の顎を撫でた。
 どうやら、真面に答える気はないようだ。
 トーマスがそう判断して答えを待つでもなく海面へ視線を投げかけていると、詩人はくるりと反転し、海原へ背を向けた。

「まぁそれはまた、いずれ。とはいえ・・・貴方はその時が来る前に、気づくかもしれませんね。何しろ貴方は、どうやら最も色濃く稀代の策謀家の記憶を引き出しているようですからね」

 詩人はそうとだけ言うと、ゆっくりと歩き出した。
 トーマスは肩越しに横目で詩人の後ろ姿を見るが、そこに映るのはやはり、単に派手な衣服と特徴的なとんがり帽子を身につけただけの人物だ。

「あぁ、そうです。現れたからには一応、何かタメになりそうな助言をしておきましょうかね。希少な私の役どころですし」

 そう言って立ち止まった詩人は、トーマスと同じように肩越しで彼を見返しながら、ゆったりとした様子で微笑みながら口を開いた。

「もし今後、皆さんに鍵が必要になったなら。それは、きっとポドールイにあります」
「鍵・・・?」

 ここまでと全く脈絡のないその言葉に、トーマスは思わず上体ごと捻って詩人へと視線を向ける。
 だがそれに対して詩人は帽子を目深に被り直して会釈してみせただけで、再び市街地へと向けて歩き出してしまった。
 トーマスはその後ろ姿をしばし見つめていたが、しかし後を追ったところで仕方がないのだろうなと思い直し、ゆるやかに揺蕩う水面へと向き直った。
 詩人の言葉の意味は、もちろん気に掛かる。
 鍵とは一体、なにを指しているのか。
 ポドールイといえばあのヴァンパイアであるレオニード伯爵の領地だが、鍵と彼とは何か関係があるものなのだろうか。

「・・・まぁいいか」

 そう呟き、トーマスは後頭部に回した手を組み、ごろんと埠頭の桟橋に寝転がった。
 今は、あまり何かを考える気分になれない。
 ただ相変わらず彼の中にある得体の知れない不安と、それをどうにかしようとする彼の中の彼ではない部分との鬩ぎ合いがあって、それをずっと観客席から本当の自分が鑑賞しているような気分だ。
 それを腹の中に抱えながらこの一ヶ月間、いやもっと前から、トーマスは動き続けていた。
 彼は分かっているのだ。
 自分が、元々そこまで強い人間ではないという事を。
 今回の事態にここまで冷静に対処できたのは、本来の自分を超えた八つの光としての授かり物のおかげだ。
 誰よりも素早く情報の収集と伝達が世界中にできたのも、フェアリーの持つ念話能力とそれを中継することができる聖王遺物という強大なオーパーツがあって、初めて成立したものだ。
 それもこれも全部、トーマスが持っていたものではない。
 そういう過ぎた力をトーマスという名の凡人が無理矢理扱っているのだから、そろそろ無理が祟ってくるのではないかな、なんて。
 本当はそんな展開を、少し期待すらしている。

「ユリアン・・・エレン・・・」

 不意に、今は離れている同郷の仲間を想う。
 物事全てに直向きな男友達と、妹想いの男まさりな女友達。彼らと始めたシノンの自警団での日々が、今はとても懐かしい。
 そしてピドナにきてから今に至るまでの怒涛の日々を思い返し、自分の中の不安はなんなのかという部分について、少し認めたくない程度にはすんなりと、自分の中で腑に落ちたのだった。

「サラ・・・」

 ピドナに於いてはよく気の利く秘書であり、同郷の仲間としては活動的な他二人の陰に隠れながらも、その実は芯のしっかりした考えを持つ利発的な妹分。
 そんなサラが彼の元を離れたのも、もう半年以上前の話になる。ピドナに来てからも一緒だった彼女とここまで離れているのは、今までになかった事だ。
 気がつけばひょっこり帰ってくるんじゃないかなんて、今も常に頭のどこかで期待している自分がいる。

「・・・そうだ。俺は弱いし、一人では何ができるわけでもない。それが分かっていれば、まだ大丈夫だ・・・」

 先ほどまでの朝焼けからすっかり青く染め上がった空へ、小さくそう呟く。
 彼の言葉は海風に吹かれ、まるでトーマスの儚い願望もろとも打ち消してしまうかのように、霧散していく。
 そのまま海風と波の音に体を預けながら目を瞑ると、トーマスは束の間の浅い眠りに落ちていった。

 

 

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第八章・6 -ゲッシアの地-

 

 夜間に起きた、もはや幾度目かも定かではない妖魔の急襲を辛くも退けた、明け方のロアーヌ南東、対四魔貴族軍のロアーヌ軍防衛線最前線。
 未だ戦火の収まる気配が全くないこの戦線に駐屯するロアーヌ侯国騎士団は、その朝、戦場に相応しく非常に厳かな年明けを迎えていた。
 例年ならば年始の幾つかの行事を宮廷内で行うのが騎士団の通例だったが、昨年からはそれも行っていない。
 何しろ昨年の今頃は、冬を前にして前ロアーヌ侯爵フランツが急逝しミカエルが新たなロアーヌ侯爵となり、年末に向けて急激に増加傾向にあった魔物の討伐のための遠征準備に明け暮れていたのだ。
 その時に『年始の国事を蔑ろにするとは何事だ』と場違いにも騒ぎ立てていた貴族院の御老体達は、直後に巻き起こったゴドウィンの変にて半数が粛清、再編された。思い返せば、あの出来事を発端に、この一年で一気に宮廷内情勢はミカエルによって纏まっていった。
 その間にも、ゴドウィンの変でも功を挙げた騎士団の紅一点が急遽宮廷を離れることになったり、また例年にはない度重なる軍事遠征があったり、そして侯爵ミカエルの最愛の妹にしてロアーヌの華と謳われた美しきモニカ姫の遭難事故という悲劇が起きたりなど、昨年を振り返れば本当に多くの激動があった。
 その上で今のこの戦線とくれば、これはもう今年の抱負は「生き残ること」あたりだろうか、などとブラッドレーは幕舎の中で苦笑いしながら、戦線の被害状況と物資の確認を卓上で思案していた。

「伝令、伝令ー!!」

 するとそこに、新年から司令官幕舎へと慌ただしく駆け込んでくる者があった。
 どうやら本国からの連絡らしい兵を幕舎で迎え入れたブラッドレーは、神妙な面持ちで駆け込んできた兵の呼吸が整うのを待った。
 連日の例に倣い昨夜もそうであったが、この苛烈極まる戦線を一望する物見の方面からは、この一ヶ月の間は引っ切りなしに妖魔襲撃の報が届いていたものの、しかし後方の首都側から急報の伝令兵が来ることは殆どなかった。
 なのでこの知らせが果たして良い知らせなのか悪い知らせなのか、どちらかと言えば常に最悪の知らせを想定している傾向のあるブラッドレーには皆目見当が付かなかったのである。

「ブ、ブラッドレー将軍・・・急報でございます・・・!」
「それはわかっている。内容を聞かせてくれ」

 駆け込んでくることに必死になりすぎたのか、やっとのことでそれだけ言いながらも息が上がったままの伝令兵に、態々ブラッドレーは水の入った杯を渡してやる。すると兵はそれを有難く頂戴し、一気に飲み干して漸くの様子で一息付いてから改めて姿勢を正した。

「ほ、本国防衛軍総司令ミカエル様より伝令です! 近く、友好国メッサーナ王国近衛軍からの物的支援が、ミュルスからこの戦線に直接送られてくる旨の伝令を承っております・・・!」
「・・・近衛軍、だと? まさか、ルートヴィッヒが動いたというのか?」

 訝しむように眉を顰めて言いつつ伝令兵が差し出してきた書簡を受け取り、封蝋が確かに近衛軍団のものである事を見定め、直ぐ様封を切り中身を確認する。
 すると確かに書簡の内容は冒頭の当たり障りない文面が多少ある以外は物的支援の条文が並んでおり、羅列されている支援物資は食料や武具、建築資材等を含めて相当の物量が記載されている。
 しかも、その輸送は既に行われている旨と、書簡発行の日付も明記されていた。
 ざっと中身を見たブラッドレーは、伝令兵に疑問符を投げかける。

「この日程だと、もう間も無く到着するような予定だが?」
「はい。ミュルス駐在軍からの連絡では、港へ物資と同時にこの書簡が届けられたそうです。即座に駐在軍から早馬にてミカエル様の元へ第一報が届き、ミカエル様はご自身宛の書簡をご確認の後、即座に輸送開始の許可をお出しになられつつ、自分を将軍の元へと寄越しました」
「そうか。ミカエル様からの書簡はあるか?」
「は、此方に」

 そう言って伝令はミカエルが持たせたであろう書簡を、ブラッドレーに手渡した。
 ブラッドレーが開いた書簡に視線を落とすと、確かにそれはミカエルの文字だ。それをみて一つ頷き、引き続きミカエルからの伝文に目を通す。
 彼ら将校は普段から偽計を看破する取り組みの一環として、ミカエルの文字は似せて書いてもそれと分かるように判別するべく訓練を行なっている。なのでこのミカエルからの書簡が無い限りは、基本的に指示を受け入れないのだ。

(・・・ミュルスについた商船の雇主は、近衛軍ではなくカタリナ・カンパニー・・・。なるほど、ミカエル様が即座に動かれたのはそういうことか。近衛軍だけが単独でこのような動きをしたとなれば、あまりのきな臭さに然しもの我が君とて即応はすまいな・・・。しかし、よりにもよって近衛軍との連動とは・・・カタリナめ、今度は一体何をしでかそうというんだ・・・?)

 彼は自分の同期の紅一点騎士の破天荒さに内心で苦笑を浮かべつつ、再びメッサーナからの書簡の中身を見返し、内容の熟知を行うこととした。

「よう・・・何かあったのか?」

 丁度そこへ、大きな欠伸をしながら騎士コリンズが幕舎へと入ってくる。彼は未明にあった強襲の迎撃に出ていたので今は休んでいたはずだが、物音に気がついて様子を見にきたのだろう。
 彼に限らずこの最前線で戦いを続けているロアーヌ兵は全員が大いに疲弊し、その中でいつ来るとも分からない襲撃に備え、常時神経を尖らせている。そんな疲れも取れない状況の中では、この物資支援は非常にありがたいものであった。

「ああ、丁度よかった。休んでいた所にすまないが・・・コリンズ、これを見てくれ」
「どれどれ・・・。・・・・・・・・・ふぅん、ルートヴィッヒが、ねぇ。でもミカエル様のご判断には間違いないようだな」

 コリンズもまたミカエルの筆跡を確認してから物資リストを見返し、ふむふむと唸りながらそんな感想を述べ、そして書簡をブラッドレーに返しながらふと表情を曇らせた。

「しかし、どうみるよ、これ」
「・・・ルートヴィッヒの思惑か?」

 ブラッドレーがそう返すと、コリンズは小さく頷いた。

「ああ。先ず思い当たるのは、これはロアーヌがメッサーナから大きな貸しを受けた、という事だよな。俺はその辺にあまり明るいわけじゃあないが、この物資の量は、ぶっちゃけロアーヌの国家予算で用意したら向こう二、三年は国民が貧しい暮らしを強いられる規模だと思う。これ程の支援物資を出しておいて単なる慈善だなんて、とてもじゃないがルートヴィッヒが考えるとは思えないよな」

 コリンズの予想外に鋭い意見に、ブラッドレーはこくりと頷いた。当然ながらミカエルはそう言ったことも把握の上でこれを受けているのであろうが、確かにこの物量は規格外だ。何か相応の見返りを求められることは、想像に難く無い。
 しかしブラッドレーには、これに関しては既に大凡の察しがついていた。

「そうだな。だが、それはもう決まっている様なものだろう。恐らくルートヴィッヒは・・・」

 そう続きを話そうとしたところで、今度は後衛見張からの伝令が駆け込んできた。

「将軍! ミュルスからの救援物資隊とやらが接近しており、早馬が受け入れ準備を要請して来ております!」
「もう来たのか・・・早いな。よし、妖魔の動きが鈍い日中が勝負だ。受け入れを進めてくれ。コリンズ、話はまた後で」
「了解。俺はもうちょっと寝とくわ」

 コリンズの言葉にブラッドレーはうっすらと笑いながら「そうしてくれ」と返しつつ、副官にその場を任せて物資隊の確認に向かって行った。

 

 

「ロアーヌからの見返りは既に確定している・・・?」
「ええ、そうです」

 ピドナ商業区ハンス邸のリビングにてトーマスと卓を交えていたシャールが確認するように聞き返すと、トーマスは肯定しつつ頷いた。
 近衛軍と連動してカンパニーが主導し進めていたロアーヌへの救援物資輸送手配は既に完了しており、現在はその後処理と今後の流れを確認するためにピドナ組がその場に集まっていた。

「一体その見返りってのは、何なのさ。物資リスト見せてもらったけど、ありゃピドナ商工会の決算書でも中々見ない数字だったよ。ロアーヌってのは、そんなに金持ちなのかい?」

 上品にティーカップを傾けながらノーラが首を傾げると、トーマスはそれに応えるようににこりとしながら、続いて隣に座るミューズに無言で視線を投げかけた。
 するとそれに気がついたミューズは少し怪訝そうな表情をしたかと思うと、直ぐにトーマスの意図に気がついてノーラへと向き直った。

「私からご説明します。今回の物資供給からロアーヌ侯国が求められるであろう見返りは、金銭ではありません。そもそも金銭的な見返りを要求するほどの備蓄がロアーヌ侯国にあれば、物資支援の意味自体があまりないと言えます。ですので今回メッサーナ王国が狙う見返りとは言わば・・・『戦力』としての役割です」
「戦力・・・?」

 ノーラはミューズの言葉をそのまま返しながら、変わらず理解の及んでいない表情をする。が、対するミューズはそれをよしとしつつ頷いた。

「今回メッサーナがロアーヌの戦線に自軍備蓄の大部分を支援物資として送ることを決めたのは、即ち『四魔貴族軍との全面対決』を始めるということを意味します」
「そうだね。だから年末の会議でも、お偉方が随分と紛糾したんだろう?」

 事前にその辺りの話は聞いていたのか、ノーラがミューズの言葉に同意するようにそう言う。
 すると今度はモニカが後を続けるように発言した。

「つまりメッサーナは、四魔貴族軍との戦いの最前線をロアーヌに担ってもらうつもりで支援をした、と言うことでしょうか?」

 モニカの言葉に、ミューズはゆっくりと頷いた。

「はい。そもそもメッサーナ王国は物資は豊富ですが、その兵力は各都市の軍団に分かれており、更にその各都市軍団の横の繋がりが現時点で非常に希薄だという特徴があります。これはアルバート王亡き後、各都市軍団長が権力の増加を狙うことで更に顕在化しました。またルートヴィッヒ軍団長もそれを把握の上で、この五年間は単純な軍事力の増強よりも各都市の連携阻害と物資の中央集約という政策を中心にその手腕を奮ってきました。半年少々前にあったファルスとスタンレーの戦などは、正にルートヴィッヒ軍団長が目論んだ展開だったと思います」
「・・・なるほどです。確かに近衛軍団が単純な軍備増強などを行えば、それは各都市軍の危機感を煽る事になりますわ。そうなると焦った各都市が動いて横の連携という中央への脅威を生み出してしまいかねなかった、ということですわね」

 モニカがミューズの説明でそう理解を示すと、トーマスとミューズ以外の面々は成程と頷いた。

「はい。ですので今のメッサーナには国力に見合ったほどの『纏まった精強な軍』というものが、敢えて欠けているのです。そこにおいてロアーヌ侯国の騎士団は、魔王に汚染されし東の地から現れる妖魔に長年対抗し続け、ゲッシア王朝を滅した神王教団との戦にも勝利し、更には密林にある伝説の火術要塞の攻略という快挙まで成し遂げています。彼等は最早、名実ともに世界最強の騎士団だと言えます」
「つまり、支援はするから戦の一番手は任せるぞ、ってことか・・・」

 ユリアンが腕を組みながらそう応えるのを聴きながら、ミューズが続ける。

「そしてミカエル侯は、間違い無くその意図を理解しており、利用すると思います」
「お兄様ならば、必ずそうしますわ。ルートヴィッヒ軍団長に出し抜かれるようなことは、天地がひっくり返っても有り得ませんわ」

 モニカが確信めいて同意すると、トーマスとユリアンは目線を合わせてふっと微笑む。

「そして今後、最も戦が起こる可能性があるのは、このピドナです」
「魔王殿か・・・」

 ミューズの隣に座っていたシャールが、呟く。
 このままロアーヌが魔龍公ビューネイ軍との戦いに勝利したとすれば、後に残る四魔貴族はピドナ旧市街に佇む魔王殿、その奥深くに潜むと目される、魔戦士公アラケスのみだ。

「アラケスが実際どの様な行動に出るのかは、まだ分かりません。ですが先のフォルネウスや現在のビューネイ軍の様な大規模戦闘が起こる様な事になれば、屈強な軍を持たぬメッサーナは非常に分が悪いです。しかも周辺都市国家軍は、いくら共同戦線に合意したと言えども、矢張り積極的な武力提供には消極的なはずです。そうなると、メッサーナが望む見返りは、明らかだという事になります」
「素晴らしい。よく把握していますね」

 ミューズが言い終えるのを待ってトーマスがそう締め括ると、ミューズは少々悪戯っぽい笑みを浮かべながらトーマスを横目で見た。

「全てトーマス様の教えです。丁度いいアウトプットの場だとお考えになったのはすぐ分かりましたから、別に構いませんよ」

 ミューズの思わぬ反応にトーマスも苦笑していると、そこに丁度、情報収集のために外に出ていたポールとブラックが帰ってきた。

「よう、話は進んでいるかい?」
「ああ、二人ともおかえり。丁度、メッサーナとロアーヌの今後の動きについて話していたところだよ」

 二人が空いている席に座るのを見ながらトーマスが状況を告げると、早速煙草に火をつけるブラックの横でポールが軽く頷いた。

「なるほどね。こっちの報告は後のほうがいいかい?」
「いや、今言ってくれて構わないよ」

 トーマスがポールに話を促すと、新しいティーカップが目の前に用意されたところでポールが懐からメモ書きを取り出しつつ口を開こうとする。
 その時だった。
 何やら、窓の外が急激に騒がしくなったのた。

「お・・・なんだ、何かあったのか?」

 特にその場にいる意味を感じていない様子だったブラックがいち早く、すくりと椅子から立ち上がって窓から外の様子を伺う。
 すると普段は実に平和な様子であるはずの商業区通りでは多くの通行人が、慄き後退りをしながら空を見上げていたのだった。
 そして更にそこへ、この館の主人でもあるトーマスの従兄弟にあたるハンスが慌てた様子で部屋に駆け込んできた。

「大変だ、魔物がピドナの空に・・・!!」
「なんだって・・・!?」

 ハンスの言葉に反応したトーマスを皮切りに、その場の一同が即座に立ち上がって外に向かう。
 入り口の大広間を抜けて扉を抜け、慌ただしく人々が逃げ惑う商業区の大通りに飛び出したトーマスが上空を仰ぎ見ると、そこには普段と変わらぬ一面のピドナの青空がある。
 そしてその青空の僅かな一点を、強烈な存在感を放つ一体の生物が占有していた。

「あれは・・・まさか・・・」

 トーマスがその存在を視認して、小さく呟く。
 丘の上のピドナ王宮よりもさらにずっと上空を飛ぶその生物は、地上からでもその大きさが分かるほどの体躯だ。
 大きく両翼を広げ、ともすれば優雅に滑空している様にすら見えるその様は、何かの物語の一節を彷彿とさせる様な光景でもある。
 突如としてピドナの上空に姿を表したそれは、一頭の巨大な竜だった。
 そして巨龍は特に高度を下げる様子もなく、下界から見上げる限りは非常に長閑な様子でピドナの空を横切っていく。
 北西の方角の空に見えていたそれは、地上でどよめく人間に興味などまるでない様子で、そのまま北東へと抜ける様だった。

「竜と人との力によって さしもの魔龍公も敗れ ゲートの彼方へ追いやられた・・・伝え上げたる詩の具現がよもやこの目で見られようとは、聖王記詠み冥利に尽きるというものですねぇ」

 その場の全員が上空の一点に視線を奪われていたところに、妙に間の抜けた声が響く。
 聞き覚えのあるその声に反応したトーマスが振り返ると、そこにははたして、数週間前にバンガードで会った詩人が立っていたのであった。

「貴方は・・・」
「やあ、これはどうもどうも」

 相変わらず周囲の空気とはどこかずれた雰囲気を持つ詩人の唐突な登場に、漸く周囲の面々も気がついて彼に視線を向ける。
 しかして詩人は名残惜しそうに再度空を東に抜けていく竜へと視線を投げかけた後、自らの脇に置いていた旅道具を持ち上げ、何事もなかったかのようにそのまま立ち去ろうとした。

「ま、待ってください。やはりあれは、悪竜グゥエインなのですか」

 トーマスは慌てて詩人を呼び止めるようにしつつ、目の前の詩人の言葉から上空の存在についての見解を口に出す。
 だが、詩人はその言葉を聴くと真顔になって考え込むように二度三度と瞬きをし、次に目を閉じてゆっくりと頭を横に振ってみせた。

「いいえ。あれは、英雄グゥエインの勇姿。彼の竜がこれから成すであろう偉業は、人類に限らず、この世界に住まう多くの生物が大いに讃えるものとなるでしょう。たとえその後に母であるドーラと同じ道を辿る宿命であったとしても、それはその時の話です」

 詩人の言葉に今度はトーマスが目を瞬きながら無言のまま返せずにいると、詩人は首を僅かに傾げながら、薄らと笑みを浮かべた。

「ふふ、少し意地悪な回答でしたね。しかし、そういうものなのです。その時、その時代によって、ものの捉え方は大きく変わります。そう・・・例えば、あの悪名高き魔王が『魔王』と呼ばれる前までは、世界で唯一死蝕に打ち勝った『祝福の子』として讃えられていたように」

 まるでトーマス達を煙に巻くように、いつも通り妙に芝居がかったような様子で身を翻しながらそう言うと、どうやら満足したのか詩人は再び立ち去る姿勢になった。
 だが歩き出すわけでも無く、半身だけトーマスへと振り返る。

「そうそう、貴方は空を見るのもいいですが、地にも目を向けると、欲している真実が見えるかもしれませんよ。灯台下暗し、というやつです」
「・・・それは、どういう」

 トーマスが詩人の言葉に疑問符を浮かべながら答えを求めようとしたその時、またしてもトーマスの従兄弟ハンスが、今度は館の中から郵便物を手に慌てた様子で飛び出してきた。

「トム、ポール!こんな時だが、ターゲットの動向が来たぞ!」
「!!」

 ハンスの言葉にトーマスとポールが敏感に反応してハンスの元に急ぎ駆け寄り、彼の持っていた封書に食い入るように目を通す。

「・・・・・・これは・・・」
「・・・あぁ、こいつは想像以上に不味そうだな」

 封書の中に記されていた内容を見て、二人は苦々しそうに眉間に皺を寄せる。その中身に書いてある内容が、余程彼らをそんな表情にさせるようなものなのだろう。

「・・・早急に動きを決めなければ。・・・詩人殿、また出来れば今度お話を」

 そう言いながらトーマスが振り向いた時には、既に詩人はその場から忽然と姿を消してしまっていた。

 

 

 エレンが首を後ろに直角まで折り曲げんという勢いで見上げども、聳え立つその無骨な塔の先端は一向に窺えず。
 直下から見上げる神王の塔は、彼女の想像を遥かに超えて、巨大だった。
 道中、遠目で見ていた時点でその大きさには驚いたものだったが、しかしこうして真下から見上げてみると全く印象は異なる。最早エレンには、これを人が作ったものであるなどとは到底思えなかった。それこそ彼女には、まるでピドナ旧市街に佇むあの魔王殿のように、異様にして不気味なものとして目に映ったのである。

「おい、いつまでもそんな胸糞悪いものを見上げてんじゃあないぜ。とっとと宿に行くぞ」

 物珍しげな様子のエレンとは対照的に、忌々しげにその塔を一瞥だけしたハリードは一言エレンにそう声かけすると、一人さっさと歩き出してしまった。

 二人はピドナからリブロフに渡るや否や、慌ただしく翌日には神王の塔へと向かう行商人の商隊に混じって出発し、アクバー峠のバザールを越え、数日後には旧ゲッシア王朝跡に佇む、この神王の塔へと辿り着いていた。
 ハリードとしては、またしても思ってすらいなかったところまで来てしまったものだ等と内心では頭を抱えたくなる思いだった。何しろこの地には、神王教団を討ち果たしてゲッシア王朝を再建するその日まで、来るつもりなど無かったのだから。
 だが、その目的はいつの間にか彼の中で、どこか叶うことのない夢物語の様な扱いへと変貌していた。それをルートヴィッヒとの対話の中で痛感したからこそ、彼は自身の下手な拘りを捨て、十年の時を経て再びこの地に立つことができたのだとも言える。

(・・・ここまで来ちまったからには、確かめざるを得ない・・・か。まさかこの俺が、まだ目の黒いうちに歴々の王が眠る諸王の都へ行くことになるとはな・・・)

 見るのも悍しく忌々しい塔を敢えて視界に入れないように横を通り過ぎながら、ハリードは宿へと向かいつつ、そんな物思いに耽る。そうして意識を別のところに向けていても、彼の体はなんの問題もなくこの街並みを覚えている。だから彼は迷いなく、街の北西あたりにある安宿のある地区へと向かっていった。
 この神王の塔は、かつてゲッシアの宮殿があった場所に、そのまま建てられている。なので、それ以外の街の構造は、かつてのゲッシア城下町そのままなのだ。
 宮殿を中心として円状に広がっていた旧ゲッシア城下の街並みは、大きく三つの区画に分かれる。
 一つは、アクバー峠からナジュ砂漠を横断してきた者を労うかのように華やかに出迎える、都の顔ともいえる西のバザール区画だ。ここには主たるナジュの産業の中心市場の他に、酒家、渡来者向けの宿などが集合している。アクバー峠にある巨大バザールよりは規模は小さいが、アクバー峠まで流通しないような希少性の高いものも西区市場では取り扱っている。
 しかしこの西区画で売られているものは何方かと言えば富裕層や観光客向けの価格設定のものも多く、居並ぶ商人も強かなものが多い。地元事情に聡い者は、ここではあまり物を買わない。
 そんな西区画から繋がる南北の区画は、国民の居住区だ。都市の南東に位置するナジュの命の源たるハマール湖にほど近い南区画には主に富裕層が住み、反対の北部区画には平民街と、所謂貧民街が広がっている。
 貧民街はどの都市にも大抵あるものだが、特にこのゲッシアの貧民街は酷いものだとハリードは思う。
 ゲッシアには独自の聖典に基づいた絶対的な階級制度が存在しており、国民は全てその枠組みの中で識別される。その中で、聖典により定められた階級にも属することの叶わないダリットと呼ばれる民が、最北部の隔離された区画に追いやられ非常に貧しく過酷な暮らしを強いられている。その暮らしの悲壮さは、ハリードが今まで見てきたどこの国よりも過酷だと思われたものだ。この階級制度は数多くの迫害の歴史を生んでおり、ハリードの愛するゲッシアにおける、負の側面だと言える。
 そして最後の東区画は産業区画となっており、偉大なるナジュ文化をふんだんに反映させた様々な工芸品を作る工房や、ハマール湖を水源としてナツメヤシや天然ゴム、珈琲豆等の栽培を行う農耕地が広がっている。
 ちなみに西区画よりもこの東区画で生産者と直接やり取りをする方が割安で商品を入手出来るので、その辺りの知識や繋がりがある者たちは、その殆どがこの東区画で売買をするのである。
 そんな区画分けであるからして、西の中でも平民街に近い北部側には安宿が、富裕街に近い南部には高級宿が点在している訳なのである。であれば当然ハリードが目指すのは、安い方なのだ。
 懐かしき街並みを肌で感じながら移動するハリードの後ろを、対照的に物珍しそうな動きで見渡しながらエレンが付いていく。
 因みにこの地へとハリードを誘った(連行したともいえる)エレンの目的は、当然ながら失踪した彼女の妹であるサラの手がかりを求めてのことだ。
 リブロフでは運良く直ぐに聞き込みからサラの行き先に関する手がかりを得ることができ、それによれば「やけに商売のうまい少女と少年の二人組が、西に向かった。そして一月もしないうちに戻ってきたかと思うと、今度は東へと向かって行った」とのことだった。
 この証言をくれたのは、リブロフの市場で小さな商いをしている露店の商人だった。その商人はサラから幾つか商品を買ったらしく、その特徴をしっかりと覚えていたのである。
 少年と一緒の二人旅、というのが思いがけず大きく気にかかったが、しかしその商人に細かく確認した限りの少女の特徴は、全くサラと一致するものであった。なんらかの理由でサラは、その少年とやらと共に旅をしているようだ。
 まさかとは思うが、ボーイフレンドとかなのだろうか。奥手ではあるが思い切りのある性格である妹のことなので、姉としてはその辺は少しモヤモヤする。
 ちなみに聞き込みや情報収集と言えば普通は酒場だと考えられがちだが、しかしサラは酒を殆ど嗜まない。なので聴き込み先として最初から酒場ではなく市場の商人に目星をつけていたエレンの作戦が、狙い通りにはまったと言える。
 そして更にエレンは「トーマスも見つけられていないということは、そこと関わりがなさそうなところから情報を集めに行った方がいい」という鋭い直感の元、露天市場の小規模露店から聴き込みを行うことにしたのも見事に功を奏したのだった。
 街の商業ギルドには多くの商人が登録しているので確かに情報は集まりやすいが、逆にその膨大な情報量の中では、細かい話は埋れてしまいがちになる。エレンは当然そんなことを知る由もなかったが、彼女の直感はそこを見抜いたのだ。
 若しくはトーマス側の聞き込みは少女一人に的を絞ったもので、少年との二人組、という状況が災いし情報網から抜け漏れてしまったのかもしれない。
 そういう意味では、やはりピドナで待ちぼうけなどせずに自分で動いたのは正解だったとエレンは実感したものだった。
 だがリブロフでは幸先良かったものの、そこからナジュへと向かう道中に立ち寄ったアクバー峠のバザールでは、サラに関わるような情報を得られることは無かった。可能性は低かろうが念のためロアーヌ地方へと続く北門にて聴き込みも行ったが、そこでも矢張り少年少女の二人組が関を通った目撃情報もなし。
 そもそもロアーヌ地方に向かうのならばリブロフからは海路の方が早い上に安全なので、やはり東に向かったならばこのまま旧ゲッシア王都を目指すべきだろうと再確認し、彼女はここまで足を運んできたのであった。

「この先の宿に部屋をとったら、俺は少々買い物に出る。お前は聴き込みか?」
「もち、そのつもり。ここって露店街はさっきのところだけ?」

 今しがた通り過ぎてきた西地区を振り返りながらエレンが訊くと、ハリードは軽く中空を見上げながら顎に手を当て、少し考える仕草を見せた。

「んー・・・メインは確かにあそこだが、東区画にも職人の直営店みたいなのがぽろぽろとあるな。価格はそっちの方が安いから、俺はこの後其方に行く予定だ」
「ふぅん・・・なら、あたしも先そっちいこうかな。案内してよ」

 サラならどちらに足を運ぶかを想像しつつハリードの情報を元に同行を決めたエレンは、早速ハリードが選定した激安宿エリアの中の一つの部屋に荷物を放り込むと、此方のことなどお構いなしの様子で宿を後にするハリードを追いかけた。
 普通ならこういう相手に気を使わない態度は旅の道連れとしては文句の一つも出そうなものだが、エレンはハリードのこう言った部分には最初こそ多少は面食らったものの、かといって特段不快感を抱いたことはなかった。
 一年ほど前のロアーヌからランスまでの二人旅の間に慣れてしまっていたという見方もあるが、それ以前に抑も彼女自身が、どこかハリードと似た気質をしているのが最も的確な理由なのかもしれない。
 こうして旅をする前まで、シノンの開拓村では正に自分こそがこうして周りの人間のことなどお構いなしに突き進んでいたというか、今振り返ってみれば大いに改善の余地があったのではないかと思わざるを得ないような、数々の我が道を行くっぷりを発揮していたものだった。
 別に、単にそうしたくてそうしていたかと言われると彼女的にはそうでもなく、いくつか考えることがあってのことだ。
 そもそも彼女の行動の理由は、単純だった。強くあろうとした、というだけである。
 そしてその強くあろうとした理由とは何よりも先ず、妹を守るためだ。また、引っ込み思案だったサラを導くためでもあり、その上で二人が生き抜くためであった。
 大凡、こんな理由で彼女は強くあろうとした。
 強いということは、己が先頭に立つということだ。
 先頭に立つ時に、躊躇いはあってはならない。躊躇えば、勇気が鈍り、足が竦む。だから、何かの行動を起こすときに立ち止まってまで考えたり誰かに伺いを立てたりするということを、基本的に彼女はしなかった。長く考えれば鈍るということを、彼女は経験から知っていた。
 またその一方で、率先して誰かに頼ることができるという状況を、羨ましいなと感じることもあった。
 頼ることそのものを悪いことだとは、彼女も思わない。そうしてうまくやっている者達をシノンの村でも見てきたし、この旅の中でも仲間と共に成し遂げることが増えていくことで彼女自身もその重要性は大いに学んだものだ。
 しかし、それは彼女にはできない。それができるのは、頼ることができる状況にいる人間だけだからだ。
 彼女の状況は、そうではない。彼女は、己が強くなろうとするその理由において、本当の意味で他人を頼ることなど出来はしない。
 だから、一人で強くなろうとした。
 まぁ、単にそういう動き方の方が己の性に合っている、という見方も無いわけではないが、決してそれだけなんてことはないのだ、ということを重ねて彼女は主張したいのである。
 その視点に照らし合わせると、ハリードの行動基準は彼女の見る限り、全く自分のそれと一致していた。
 彼もまた、最終的には自分以外を頼らないのである。
 動こうと思えば先ず自分が動くし、興味が湧かないことには基本的に惰性では動かない。また、自分が動くときに周囲が共に動くことを基本的に期待しないし、抑もそんな事を望みもしない。
 だから周囲には我が儘だとか冷淡に見られたりすることもあるが、かといってそんなつもりは本人には毛頭ないのだ。そういう生き方をしている、というだけなのである。
 事実、興味が湧けばハリードは実のところ結構な世話焼き気質だと感じるし、交渉などの世渡りも卒なくこなすし、必要とあらばパブリックな場所での礼儀作法も弁えている。
 だから、彼がさっさと宿を出るのは彼の目的があって、それについていくと言ったのはあくまで自分のほうであって。そこに、一々待ってもらう道理は毛ほどもない。なんなら逆の立場だったならば、自分も彼と同じようにするだろう。
 なので特にそう言うことは感じずに追いかけるわけたが、しかし追いついたら肘で小突いて「レディを待つくらいの態度は見せなさいよね」と茶化すのは忘れないのである。誰がレディだ、との返答にきっちり激昂するところまでがお約束でもあった。

 

 旧ゲッシア城下町の東区画は、最もハマール湖の水源に近いこともあってか農場区画がその多くを占めており、視界が非常に広々とした区画だった。この都市に辿り着くまでに延々と続いていた一面の砂漠風景とは全く打って変わって、水源の恩恵を受けていることで緑がとても豊かな様子が垣間見える。
 広大なナジュ砂漠の中に突如として現れる大きなハマール湖は、ナジュと北方のロアーヌ地方を分かつ雄大なるエルブール山脈からの雪解け水などが地下水として砂漠下に溜まり、やがて地表に湧き出たものだとされている。そのハマール湖のほとりに栄えるこの街は、まさに砂漠の中の楽園にも思える光景だった。
 エレンはロアーヌやピドナでは見たこともない不思議な形の樹木の群生を物珍しげに眺めたりしながら、ハリードと共に東区画に点在する職人たちの店の軒先を順に回る。
 そしてハリードが職人を半泣きにせんとするほど値切りに値切りながら買い物をする傍らで、エレンはリブロフと同じ要領で職人相手に聞き込みを行なっていった。
 だが今回もアクバー峠同様、思ったように情報が集まらず調査は難航することとなった。
 サラや彼女に同行する少年とやらの特徴をいろんな角度から説明してみても、そんな来客があったとは一向に聞かない。
 そうして聞き込みが連続して空振りになるにつれ、エレンの焦りは増していった。
 まさかサラは、ナジュに来ていないのだろうか。そんな最悪の予感が頭を過ぎる。
 いや、そんな悲観するのは良くないと、直ぐに思考を切り替える。それにまだ西区画での聞き込みも行っていないのだから、単に東区画側までは回ってきていない可能性だって十分にあるはずだ。
 だが、それでも心のうちに芽生えた焦りを消し去ることはできない。
 そのように焦りを募らせるエレンを他所に、ハリードは単身での砂漠越えに必要な物資を順調に買い集めていった。

「俺の用事は終わったから宿に帰るが、お前はどうする?」
「うん・・・西のバザールは・・・もう間に合わないか。あたしも今日は戻るかな」

 満足な成果を得られずにたいそう不満そうな表情のエレンを見ながら、しかしハリードは素知らぬ顔で歩き出す。
 ここまで付き合っている手前、自分にも手伝えることがあるのならば、それはやぶさかでは無いとハリードは思っている。
 だが、特に手伝えることがないのならば、生半可な慰めの言葉をかける事などはしない。場合によってはそれは嫌味にも聞こえるし、自分ならそう捉える。恐らくはエレンも、その性質だろうと思う。
 だから現時点で精々自分がしてやれるのは、酒家で愚痴を聞いてやることくらいだ。
 そう思いながら背後にエレンが付いてくるのを感じつつ宿へと戻る道すがら、ハリードはふと、何かを思い出したように目を瞬いた。

「・・・そういえば」
「なに、なんか情報!?」

 瞬間で食らい付いてくるエレンの叫び声にも似た反応を受け流しつつ、ハリードは歩みを止めずに続けた。

「まだ生きているのかは知らんが、十年前にバザール区画に情報屋がいたな。かなり抜け目ない奴だが、情報は確かだったはずだ」
「まだ居るとしたら何処に?」

 兎に角情報が欲しいエレンは、当然のように食い下がる。

「根城は西の城門近く、メインロード北沿いのマクハーだったはずだ」
「マクハー?」
「茶店の事だ。この国では本来あまり女の行く場所じゃあないが、お前なら問題ないだろ」
「わかったわ、ありがと」

 そう言うや否や、エレンは足早にハリードを追い越し、西区画への道を走っていった。
 その様子を無言で見送ったハリードは、肩に下げた荷物を持ち直して同じく西区画の宿へと向かう。

 

 程なくして戻った宿にて購入物に不足や問題がないかの確認を行い、それが終わると即座に宿の者を経由して砂漠の道中に連れていく駱駝の手配を行う。砂漠での荷運びに駱駝は必需品なのである。
 手際良く一通りの準備を終えたハリードは、後で文句を言われないように部屋に書き置きを残し、宿のすぐ向かいにある酒家に向かった。
 そこで、店では一種類しか扱っていないらしいアラックを飲みながら、頭の中ではゲッシア王族の間に口伝のみで伝わる唄を反芻させていた。

(諸王の都に辿り着くには、道中にあるとされるランドマークを2箇所経由する必要がある・・・。そこに辿り着くには口伝の通りなら、陽が南中を指し示す頃に出発し、南へ・・・そして陽が沈む頃に辿り着くという岩場の何処かに王家の紋が隠し彫られているから、それを目印に翌日南中より、今度は太陽を追いかけて歩き、陽が沈んだらそこからまっすぐ。その先にある岩陰のオアシスに王家の紋を見つけられれば、あとは南下した先にある・・・。王家に伝わる唄を解釈するとこんなところだな・・・)

 延々と同じ景色が続き、気温による揺らぎによって見通しの立たない砂漠は非常に迷いやすい。なので古くは太陽の動きに頼っての移動が主であったが、これは季節によっても当然ながら変わる。この唄も恐らくは夏季の唄なのだが、今は冬季だ。
 それらの対策として、ハリードは携帯型の象限儀を懐から取り出して眺めた。
 これは四分儀とも呼ばれ、地平と天体の角度などから大凡の現在位置や時刻を把握するものだ。船乗りや砂漠の民の必携道具である。
 砂漠以外ではあまり使うこともなかったが、いざ何処かで迷ってしまった時のためにと、彼は常にこれを携帯していた。

(・・・しかし、本当に行く意味など、有るのだろうか。いや・・・馬鹿げている。行く意味がないなんてことは、流石の俺も頭では分かっている。ただ、それでも行かねばならない気がすると言うだけなのか・・・)

 杯を傾けながら、ぼんやりとそんなことに思いを巡らせる。すると唐突に背後で、俄かにどよめきが起こった。
 そのどよめきの原因が彼には半ば予測がついていたが、一応確認をするように半眼で背中越しに軽く様子を見る。
 するとそこには、周囲の動揺をまるで意に介さない様子でずかずかとこちらへ向かって歩いてくるエレンの姿があった。
 予測通りである。
 今でこそゲッシアの法典はこの地から消え去り、特に外部からの来訪者を迎える西区画では大いに飲食店が繁盛し、男女関係なくナジュの食文化にも触れている。
 だが元々はこうした酒家などはゲッシアにはあまり数がなく、しかもそこへの来訪はその全てが男性に限られていたという歴史があった。
 特に今彼がいる場所はほぼ北区画に面する通りで西の観光区画中心部からは離れた場所であり、日中ですら外来者も殆ど立ち寄らない区画。どちらかと言えば、色濃くゲッシア文化が残っているような場所だ。そこにずかずかと外様の女一人で立ち入ってくるとなれば、その周囲の動揺ぶりもさもありなんといったところだろう。
 当然そんなことを知るはずもない(仮に知っていたとしても気にすることはないだろう)エレンは、カウンター席にいるハリードを見つけると足早に駆け寄った。
 そしてハリードの隣に勢いよく腰を下ろすと口早に店主へビールを頼み(因みにここにはアラックしかない)、ハリードへと視線を向けた。
 それとは別で、オーダーに戸惑った様子のまま自分に視線を向けてきた店主へ自分と同じアラックでいいと手振りで示しつつ、やや面倒くさそうな表情でハリードもエレンに視線を寄越す。
 するとエレンは開口一番に、こう宣った。

「ねぇ、あたしを諸王の都ってところに連れていって欲しい。行くんでしょ?」
「・・・・・・おい、なんでそんな話になるんだ。お前、サラを探すんだろうが」

 全く理解のできない話の進み方に流石のハリードも困惑の色を隠さず、エレンへと聞き返した。
 一方、目の前に出されたアラックに困惑していたエレンはハリードが飲んでいるのを見てそのまま一口飲み、不慣れな味に大層眉を顰めてみせながら、その表情のままハリードに向き合う。

「ハリードの言う情報屋ってのに会ってきたわ。でね、そいつに言われたの。神王教団のローブを一万オーラムで買うか、諸王の都に眠る財宝を何か一つ持ってきたら情報を売るって。そいつ、サラのこと見た感じだった。特徴知ってたもの。正直その場で締め上げようかと思ったけど、そういえばハリードが行くとか言ってたの思い出したの」
「・・・お前なぁ・・・完全に必死さにつけ込まれただけだろうそれは・・・」

 思わず軽い頭痛を覚えて米神に指を当てながら、ハリードは絞り出すようにそう言った。
 単なる直感ではあるが、恐らくこれは、偶然などではない。自分がこのエレンと共にこの街に帰ってきたことを、情報屋は知っていたと見るべきだろう。だからこそ、普通なら冗談にもならないような注文をつけてきたのだ。
 今更何のつもりで情報屋がそんなことを言い出したのかは、彼にも全くわからない。だが、確かに諸王の都は古ゲッシアを知る者の中ではエルドラド・・・つまりは黄金郷とされており、そこに眠る王家の財には相応の価値があると見るのもわかる。
 とはいえ、自分がそこに行くためにここに戻ってきたことなど知る由もないはずだと言うのに、何とも不可思議な話ではあった。どうにも、今考えたところで答えが出そうにもない。
 なのでそこについて考えることは一旦やめ、ハリードは目の前の杯を一気に飲み干すと、立ち上がった。

「ここで話すようなことではない。部屋に戻るぞ」

 

 

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第八章・1 -ロアーヌの危機-

 

 ロアーヌ侯国の首都ロアーヌから南東へエルブール山脈を仰ぎながら三日ほど徒歩行軍した所に、一部が沼地にもなっている広大な湿地平原が広がっている。
 四魔貴族が一柱、魔龍公ビューネイの居城があるとの伝説が残る、聖王記所縁の巡礼地でもある霊峰タフターンへと向かう一本道以外には宿場宿も何もない、古ロアーヌから風景の変わらぬ未開拓地だ。
 だがこの平原に突如として、湿地帯をほぼ斜めに切り裂くかの様に北東から南西へと伸びる長大な木製の簡易防壁が現在、進行形で築かれていた。
 その木製の防壁は短期間の間にも部分的に幾度かの崩壊と再建を繰り返し、既に丸一月以上もの間、ロアーヌ南方とナジュ砂漠を隔てる雄大なるエルブール山脈の最も高い峰を誇る霊峰タフターンより散発的に侵攻してくる妖魔の大群から、ロアーヌ侯国領地と其処に住う民を守るための絶対防衛線として機能している。
 この長大な防衛線のすぐ後方には相互の距離を開けて幾つかの幕舎が設置され、そこでは幾人もの名だたるロアーヌ士官が交代で日夜指揮を奮っているのであった。

「戻ったぜ・・・」

 直前に沼地を走り回っていたのか、酷く全身が汚れた様子の男が、大層くたびれた様子で幕舎の中へと入ってきた。
 丁度幕舎の中で防衛線の補強、改修の計画を練るために戦場図と睨み合っていた、ロアーヌ騎士にして本防衛線の指揮を務める将の一人でもあるタウラスが其方を見遣る。そして幕舎の入り口を潜り入ってきた人物に対し、珍しく随分と覇気のない声を上げながら戻ってきたものだな、と思いながらも、手元の作業を止めて片手を上げつつ迎えた。

「あぁ、よく無事に帰ってくれたよ、コリンズ。悪いな、タフターン攻略班から態々こっちの防衛線に回ってきてもらって」

 タウラスの言葉に、彼と同じくロアーヌ騎士にして軍に於いては准将を務めるコリンズは、とんでもないという様にかぶりを振り、そして次には力なく項垂れながら、ここで一際大きくため息を吐いた。

「俺やパットン等の師団は、攻めてなんぼの歩兵と騎兵が中心だ。山岳地帯じゃ騎兵は使えねぇし、挙句に攻める相手が霧に隠れているんじゃ、役立たずのタダ飯食らいみたいなもんさ。准将を拝命してから初の戦だってのに、ほんと、情けない限りだよ。だから、こうして国の役に立つ仕事があるだけ有難いってもんだ・・・。いまいち調子は出ねぇけどな・・・」

 国家の一大事というこの場面に於いて自分の得意とする戦ができない事が余程堪えているのか、コリンズは自分の近くの木箱に浅く腰掛けながら心底悔しそうな様子で小さくそう言った。
 彼がここまで弱気な様子を、彼の同期であるタウラスは今まで見た事がない。だが、それも今は仕方がないのだろうか、とも思う。
 何しろ、直近一ヶ月のこの防衛戦とそれを取り巻く周辺の有り様は、お世辞にも良い流れなどとは言えない状態が続いているからだ。
 悪化の一途を辿る世界情勢を鑑みて行われた軍事演習中の謎の強襲に端を発し、ロアーヌ侯国がトゥイク半島の貿易都市リブロフの軍団を相手取った連戦の末、逆賊マクシムスの目論みを打破し神王教団教長ティベリウスとの間に和睦協定を結んでから、二ヶ月弱が経つかどうかという頃。
 この戦線は、そのような折に突如として開かれた。
 これまでの定期的な魔物討伐とは全く異なる規模での群を、いや、軍を成した妖魔の強襲を受けたロアーヌ侯国は、直ぐ様侯爵ミカエルの大号令の元、国民総動員体制での防衛戦線を即時形成するに至った。
 その後、一次戦線を驚くほど速やかな迎撃戦に持ち込み国土の損害を最小限に抑えてみせたミカエルは、その妖魔の軍勢が南方エルブール山脈の特に南東の方角から攻めてきたこと、また、交戦した妖魔軍には特徴として珍しい有翼種が多く見られ、この有翼種がロアーヌに保管されている過去の書物に記されていた「ビューネイの精」という存在に酷似しているという事を根拠に、交戦対象を『魔龍公ビューネイ軍』と断定。
 奇しくも、この半月ほど前にロアーヌ宮廷騎士カタリナ=ラウランを中心としたアビス軍勢討伐軍の活躍により地図上では南端に位置する広大な密林の奥にて全滅の危機に瀕していた妖精族の救出、及び四魔貴族魔炎長アウナスの居城である火術要塞の占拠という歴史的偉業を成し遂げていたロアーヌ軍は、その戦勝報を世界へ向けて逸早く発信していた。ミカエルは本迎撃戦をこれに連なる一大有事として、「対四魔貴族戦線」と呼称。全世界へ向け発信し、各国からの援軍を募りながら開戦をしたのであった。
 だが最初の迎撃こそ成功したものの、その後に肝心の攻めるべき相手の拠点が全く定まらず、戦線は早々に膠着した。
 ロアーヌ軍は攻め手を欠いたことで否応なしに後手に回り、この防衛線にて相手の出方を待つことを余儀無くされたのだ。
 タフターン山のある南東の様々な箇所から昼夜問わず攻め入る妖魔に対して幾度も防戦を余儀無くされ、補給線を確保しながら長大な防衛線を建築し、ロアーヌ軍はこの一ヶ月余りを耐え抜いてきている。
 だがいい加減に兵の疲労度も限界に達しており、防衛線には乱れも散見される様になってきていた。
 前線には負傷者も増え、疲労を抱えたままの連戦も祟り、戦死者もこの半月ほどは増加傾向にある。
 そして何より、未だこの状況の打開策が一向に見つからないという現実こそが、戦場の士気を著しく下げ続けているのだった。

「・・・で、援軍の方はどうなんだ?」

 くたびれた様子で懐から取り出した給水筒を煽り、コリンズが言葉の割には全く期待した様子もなくタウラスに尋ねる。
 その問いに対してすぐには答えられなかったタウラスだったが、コリンズのこの問いには別方向から応えるものがあった。
 不意に二人の会話を割って幕舎に入ってきたのは、彼らと同期の騎士にしてロアーヌ軍少将に就くブラッドレーだった。

「流れの傭兵や東部開拓民を中心とした周辺農村からの義勇兵は徐々に集まりつつあるが、国家としての援軍は未だ無いようだ」
「・・・けっ。しがない東国の事なんざ知らねーってか。これじゃあ、アビスの思う壺だぜ」

 コリンズの返答に、ブラッドレーは、これはとても良くない傾向だなと感じる。
 ここ最近の度重なる戦の主戦場を踏破してきたロアーヌ騎士団の「黄金世代」とされる彼の同期である騎士コリンズは、軍の中でも格段に人望が厚い将の一人だ。
 その直向きな性格と信念に強い忠誠を抱く騎士は多く、そんな彼のこうした後ろ向きな発言は、軍の少なくない範囲で良くない影響を及ぼすだろう。
 だが、それを直ぐに諫める様な万能の言葉を、ブラッドレーは持っていなかった。
 勿論、上辺だけの言葉をかけるなら、それは幾らでも出来る。だが、この一月の惨状は先の通りだ。
 コリンズの指揮する軍からも当然少なくない数の殉職者が出ており、その事実に対して生半可な慰めや諫めなど、意味を為さないどころか更なる士気の減少にも直結するのだ。
 何より、この戦線の展望の暗さを最も感じているのは、誰あろう戦線を預かる最高指揮官であるブラッドレー自身でもある。
 しかし彼は、弱音は吐かない。だが、他者にかけるほどの言葉まで、彼は持たない。

「・・・現在、ミカエル様がタフターン山の奥にあると目されるビューネイの居城を少数精鋭にて潜入攻略するための勇士を募っている。今の我々は、これが動くまで何としてもこの戦線を死守しなくてはならない」
「あぁ、分かってる。分かってるんだけどよ・・・」

 コリンズ自身も、ブラッドレーが感じる事を理解していないわけではない。
 だが、それでも彼には、そんないつ動き出すのかも分からないものだけでは、彼が失った部下の家族へ向ける顔がないのだ。

「あぁ、畜生・・・。俺に、カタリナみたいな力があればな・・・」

 コリンズが呟く。
 言葉にしながら彼が頭の中に思い描いたのは、軽鎧を纏い真紅の大剣を翳しながら隊の先陣を切る、女騎士の姿だった。
 現在、先の火術要塞攻略までに渡る多大なる功績により宮廷護衛騎士団長の地位に就くカタリナは、彼の直ぐ下の世代の後輩に当たる。コリンズは彼女とは、騎士団候補生時代から十年以上を数える長い付き合いのある間柄だ。
 彼女はつい先日まで、とある事情により一年弱ほどロアーヌを離れていた。その事情自体は詳しくは聞かされていなかったが、神王教団との戦の折に再会を果たした時に、大体の事情は本人から聞いていた。
 その事情はさておき、その間にカタリナが経てきた経験は、兎角、凄まじいものであった。
 一年ほど前、世界的にアビスの魔物の本格的な目覚めを感じさせた、メッサーナ王国首都ピドナにてあった「予兆」の中心に彼女はおり、その後、聖王の故郷である聖都ランスにて聖王家子孫から正式に依頼を受け、以降は四魔貴族を討伐するための旅路を歩んできたという。
 その旅の中で神王教団のピドナ支部長マクシムスが隠し持っていた幾つもの聖王遺物を奪還し、彼女は遂に四魔貴族の一人である魔炎長アウナスの居城を攻略するという伝説級の偉業を成し遂げたのだ。
 その中身には、実のところ幾つか誇張表現があり、細部は訂正するべき部分もあることは彼は無論知るところではあるが、それでも彼女が世界各地で成してきた事は紛れもない事実である。
 そして何より、神王教団との最終決戦の地であったナジュ砂漠にて彼女と再会した時、コリンズは一目彼女を見て、瞬時に理解したのだ。彼女は、もう彼の全く及ばぬ領域にいる存在であるのだ、という事を。

「聖王記に記される『八つの光』の顕現・・・か。ミカエル様は、ロアーヌよりそれが誕生したと、そう各国へと報を出した。聖王家も、それに応じて事実を認める声明を出してくれたそうだ。その効果が、今回の勇士募集に影響をしてくれればよかったんだがな・・・」

 ブラッドレーが直近の宮廷内の動きを添えながら応えるが、コリンズは相変わらず投げやりな様子のまま、幕舎の天井を見上げた。

「それでも、世界は動かねぇ。結局、いざ自分の喉元に剣が突きつけられるまで、奴らは気付きやしねえんだ・・・。今の俺たちの様に、な」

 コリンズがそう呟いた所に、まるでこれで会話は終わりだとでも告げるかのように、大変慌てた様子で幕舎へと駆け込む兵があった。

「も、物見櫓から報告!前線に獣人族を中心とした妖魔の軍勢を視認!その数、凡そ三千!」

 兵を認めたブラッドレーが、その報告に即座に反応する。

「・・・ライブラ隊を核に二層防壁陣を布陣!またフォックス隊に伝令!別方面からの奇襲に備え、四方索敵!」
「はっ!ライブラ隊が二層防壁陣にて対応、及びフォックス隊にて四方索敵、了解いたしました!」

 伝令を復唱し兵が即座に幕舎を後にしていくと、ブラッドレーは自分も前線の確認をするためにロアーヌ侯国の紋章が刻まれた腰の剣を確認し、外套を翻した。

「我々は、伝説の英雄にはなれない。だが、故国を守る英雄にはなれる。今ここでそれを証明し続けることこそが、誇り高きロアーヌ騎士としての使命だ」

 ブラッドレーがそう言うと、コリンズはそれに応えるように即座に立ち上がり、己に言い聞かせる様に深く頷いた。

「分かってんだ・・・そんな事は。俺は、この国を守る為に騎士になった。それは、俺の中の絶対的な正義だ・・・。俺も行くぜ」
「助かる。タウラス、ライブラ隊の後方支援は任せるぞ」
「了解だよ、大将」

 ロアーヌ式敬礼をしながらのタウラスの返答に、ブラッドレーは彼の性格上は仕方がないのかもしれないが、律儀にも「自分は少将だ」と真顔で訂正を返すと、それに苦笑するタウラスを背に、コリンズと共に幕舎を後にした。

 

 

 海上要塞バンガードが四魔貴族フォルネウスの潜む海底宮の攻略から遂に大陸への帰還を果たしたのは、ロアーヌとビューネイ軍の戦線が敷かれてから大凡一ヶ月半程が経った頃だった。
 突如として大地が無慈悲に引き裂かれたかのような実に荒々しい様子で、ルーブ地方とガーター地方を隔てる広大な範囲に及ぶ断崖絶壁。
 地図上では、確かにここに、海上都市バンガードがあったはずだった。
 南北の相互地域交通網が突然に断絶された事で、多くの行商人が崖を前に一度立ち往生をしては近くの漁村からの渡し船に頼っていく中、この場所にて只一人、根気強く幾日にも渡って野営を続けていたトーマスは、西太洋の向こうから遂にその姿を現した海上要塞バンガードを沖合に見つけると、しかしそれに喜ぶでもなく兎に角必死に狼煙で合図を送り、それに彼方が気付いていることを願い、相手の反応を待つ前に大急ぎで小舟を出した。
 幸いな事に船首からそれに気がついた町民の知らせで無事にバンガードへと収納されたトーマスは、そこでおよそ二ヶ月少々振りに再会を果たしたカタリナに、簡潔に現在のロアーヌの状況を説明をした。
 すると話を聞いた彼女は一も二もなく急ぎロアーヌへと戻ろうと、即座に旅支度を整え始めたのだった。
 兎に角カタリナにとっては、故国の窮地に一刻でも早く駆けつけるという考えのみしか浮かばなかったのだ。
 だがそこに更に、彼女にとってはトーマス以上に全く予期せぬ来訪者があった。
 正に皆の制止を振り切って単身ロアーヌへと向かうべくバンガードの船着場から大陸に戻らんとしたカタリナの前に小舟に乗って唐突に現れたのは、特徴的な色合いのとんがり帽子を被った、聖王記詠みを自称する詩人であったのだ。

「やぁ、またお会いできましたね。カタリナさん」
「・・・!」

 そう言って小船から降りて、やおら優雅にお辞儀をしてみせる詩人に対し、カタリナは思わず反射的に腰の剣に手を掛けようとする。
 だが、そんな様子をすら面白がる様に詩人はケラケラと声を上げて笑いながら、相変わらず剽軽な様子で肩を竦めた。

「まぁまぁ、そんな怖い顔をしないで。今まで私があなたの目の前に現れて、事態が暗転した事、ありました?」

 これまでの例に漏れず、相変わらず人を喰った様なその物言いにカタリナは当然に憮然とした表情で返すが、それでも不思議とこの詩人の言葉には渋々と従ってしまうような、ある種の強制力を感じる。
 彼女と同じく、カタリナを説得せんとその場に集まっていたトーマス、フェアリー、ハリード、シャール、ミューズが一様に突然の来訪者に対し呆気にとられていると、当の詩人は随分とあっけらかんとした様子で船着場から市街地へと向かう階段へと、周囲の様子を全く気にせず勝手に歩き出した。

「まぁこんな所で立ち話も何ですから、皆さん座って話しましょう。バンガードといえば、歴史は浅いですがグッドフェローズのハーブティーが意外と馬鹿にできない味なんですよ?」

 そう言って颯爽と市街地へ向かい歩いていく詩人に益々周囲が困惑する中、意外にも最初に彼に続いたのがカタリナだった。
 トーマスからの話を聞いて以降は周囲の誰が何を言っても一切ここまで聞く耳を持たなかったカタリナが突如として素直に従う様には再度周囲が驚きつつ、しかし皆もその後についていくことにした。

 

「さて、現在ロアーヌに訪れている危機に関してですが」

 ハーブティーと一部面々にはエールが用意されるまで、のらりくらりと幾つもの追求を躱し続けた詩人は、自らの手元に用意されたティーカップを取り上げ、香りを楽しむ様に顔の前で薫せ、一口飲んでたっぷりと味を堪能したあとで、漸く口を開いた。
 その間、丁度彼の真正面に座っているカタリナの怒りの表情が余りに鬼気迫っており、次の瞬間には詩人に斬りかかるのではないかと肝を冷やしていた一同は、彼が漸く話題を切り出したことに大変安堵しつつ、カタリナと共に彼の言葉に耳を傾けた。

「このままでは、ロアーヌは確実に滅びます」

 ガタンッ、とカタリナは座っていた椅子を盛大に蹴飛ばして立ち上がる。
 そして周りが制止する間も無く、迷わず腰にあったマスカレイドを抜き、テーブル対岸の詩人へと突きつけた。

「・・・いい加減にして。これ以上無駄口を叩くなら、問答無用で斬るわ」

 彼女の声色には、一切の冗談めいた要素が含まれていない。
 突如として起こった修羅場に、グッドフェローズのマスターをはじめとしたその場の他の客は、その只事ではない様子に遠巻きに避難した。そして緊張感が支配する店内で外野が息を潜めて件のテーブルの様子を見る中、今まさに斬りかかられようとしている詩人は全く動じた様子もなく、又してもティーをゆっくりと啜り、音を立てずにカップを置いて、にこりと微笑んだ。

「なので、今からそれを回避する為の助言をしようと思います」

 その言葉から数秒、カタリナと詩人の視線が交錯した。
 カタリナはその視線から、目の前のこの男が一体何者で、何を考えているのかを推察しようとする。
 初めてこの詩人を名乗る男に会ったのは、確かピドナのパブだったと記憶している。その時は単なる流しの吟遊詩人としか思わなかったが、この詩人との意外に早い再会は、その一週間後の早朝だった。
 朝日の差し込む港にて彼と対峙した時、その謎めいた言葉と掴み所のない動きに、彼女は自分の心と体が翻弄されたことを今も強烈な印象として覚えている。だが、後にこの時の詩人の言葉に従ったことで、この後の展開の活路が開かれたのは事実だ。
 そして三度出会ったのは、彼女がこの旅の当初の目的を果たさんとする、正にその時。ナジュの神王の塔での事だった。
 この時も確かにこの男の助力を得ることで、神王の塔へと容易に潜入することが可能となった。その結果として彼女は逆賊マクシムスを打倒し、聖剣マスカレイドを取り戻すことができたのである。
 脳内で冷静に振り返ってみれば、ここ半年程で彼の言葉に従うことが事態の進展に大きく寄与してきたことは間違いない。だが、どうしてか彼女はこの目の前の吟遊詩人が好きになれそうにはなかった。
 しかし今はそのような呪詛を吐く時ではないと思い直し、カタリナがゆっくりとマスカレイドを納刀し後ろに倒れた椅子を引き戻すと、近くの面々も一先ずの危機が去った殊に安堵した様子で息を吐き、話の続きを促す。
 その様子をすら何処か楽しむ様に辺りを眺めた詩人は、徐に懐から一枚の随分と古びた地図を取り出した。

「さて・・・敬虔なる聖王教徒であるカタリナさんは、聖王記に記された四魔貴族ビューネイの討伐譚は、勿論ご存知ですよね?」
「・・・ええ」

 詩人の問いかけにカタリナが浅く頷きながら返すと、詩人はその返答に大変満足した様に大きく頷き返しながら、取り出した地図をさっとテーブル上に広げた。

「現在ロアーヌ領を攻め立てている妖魔の軍勢は、間違いなく魔龍公ビューネイの差し金でしょう。これは正直、いくら屈強なロアーヌ軍が何度迎え撃ったとしても、事態の根源であるビューネイを打倒しない限り、キリがないです。延々とアビスゲートより生まれいでる瘴気が招く妖魔の侵攻が、ロアーヌ軍を食い尽くすまで続くでしょう。従って、力の源となっているビューネイの打倒無くして、ロアーヌ軍に勝利は無いのです」

 そう言いながら詩人の手によって広げられた地図にカタリナが無言で視線を落とすと、其処には何やら山岳地帯を示す平面図が描かれていた。

「ですが、天空の支配者たるビューネイは常に空を舞っており、地上から彼の者を相手取ろうとしても、剣は愚か、弓すらも届きません」

 まるで詩を歌い上げるかの様な調子でそう語りながら、詩人はさながら歌劇の演者の様な仕草で以って、地図の一点を指し示した。

「ですから、カタリナさんは故国ロアーヌを救う為にも、ここを目指さなければなりません」

 その古びた地図に描かれている山岳地帯は、今まさに決死の戦が行われているというロアーヌ地方の霊峰タフターン山の様子とは何処か違ったものの様だった。
 それに大凡の察しがついていたカタリナが、視線を正面に戻し、彼に応える。

「龍峰ルーブの頂・・・。まさか私に、ここに行って聖王様のように竜の助力を得ろ、って言うの?」

 詩人が地図上で指し示しているのは、このバンガードから北に向かったルーブ地方にある、龍峰の名を冠するルーブ山だった。
 聖王記に綴られる四魔貴族ビューネイ討伐の章によれば、地上からビューネイを相手しようとした聖王に対し、肝心のビューネイは全くその様子を意に返さなかったのだという。
 天空の支配者である魔龍公は、地を這う存在に興味を示さず、全く相手にしようなどとしなかったのだ。

「左様。魔龍公に相対するのは、地に足をつけていては叶わぬということ。つまり、彼女のフィールドである天空にて戦いを挑まなければなりません」

 魔龍公ビューネイの様子に、地上からの戦いが不可能と悟った聖王は、当時のルーブ山に棲まう巨龍ドーラに助力を乞う為、ルーブの頂を目指した。
 そしてその冒険の末に巨龍ドーラの協力を取り付け、聖王はドーラの背に乗り大空へと羽ばたき、天空にて魔龍公ビューネイへと挑み、遂に勝利を手にした。

「さしもの魔龍公も、人と龍との力に屈した、という伝説。貴女は、これからこの伝説を準えなければならない。そうしなければ、危機に瀕した現在のロアーヌを救う事は出来ない、という訳です」

 詩人の言葉を脳内で反芻しながら、カタリナは目を細めて考える。
 今までこの男の言葉に従った時、確かに間違いなく彼女の直面する事態は拓けてきた。
 だが今回のこればかりは、如何なものだろうか。
 この聖王記の伝説は確かに彼女もよく知っている内容であるし、それに当てはめて詩人の言う理屈もわかる。だが、今の世に於いてこの伝説を準えるには、多分に事情が異なるということも、彼女は知っていた。だから、それが可能なのかどうかが、どうしても疑わしいのだ。
 そんな彼女の抱く疑問を代弁する様に口を開いたのは、彼女の隣に座って話を聞いていたミューズだった。

「あの・・・吟遊詩人様、一つ宜しいでしょうか」
「ええどうぞ、クラウディウス家の御令嬢様」

 ここまで名乗った事もなく、また会ったことすらない相手にそう言い当てられながら、不思議にそのこと自体は疑問にも思わず、ミューズは軽く頭を下げて言葉を続けた。

「現在ルーブ山には、悪竜グゥエインが棲むと聞いています。確か十年ほど前にも、ルーブ山の麓の小さな山村を蹂躙し滅ぼしたと世間で騒がれていたのを記憶しております。貴方はカタリナ様に、その様な人に仇為す竜と手を結べと、そう言っているのですか?」
「ええ、正にその通りです」

 間髪入れずに詩人がミューズの問いに答えると、一時、その場に沈黙が訪れる。
 現在のルーブを住処とする悪竜グゥエインの存在は、この地方のみならず、広く世界に知られているところだ。
 その存在が最初にいつ確認されたのかは現存する資料も無く不明であるものの、少なくともここ百年以上はルーブを住処としていることが過去の被害情報から分かっていた。
 悪竜グゥエインによる被害はループ地方をはじめとして、ウィルミントンを中心としたガーター半島や聖都ランスを横切るイスカル河沿岸地域に至るまで、広い範囲で確認されている。
 各地に祀られていた古代の財宝の数々を奪い、街や村を襲っては人肉を喰らい、為す術ない人間を嘲笑う様に土地を蹂躙し、ルーブ山へと戻っていく。
 その被害は十数年に一度程度の周期で訪れ、その活動期の度に、世界中の人々を恐怖のどん底に陥れてきた。
 四魔貴族が居なくなったこの三百年に於いては、人類にとってはなす術のないという意味では最大の脅威と言って間違いない存在なのだ。
 その様な人類に仇為す悪竜に、人が協力を求めることなど、果たして本当に可能なのだろうか。
 その事実はその場に集まる誰しもが知るところであり、ミューズやカタリナが抱く懐疑的な思いに全員が同調する様に押し黙った。
 だが以外にもその沈黙を破ったのは、一人ハーブティーの代りにエールを勢いよく飲み干したハリードだった。

「ルーブに残された、友人の子・・・か。つまりは聖王が言っていたのが、そのグゥエインという事なのか」

 ハリードのその言葉に、カタリナとトーマスがピクリと反応する。
 彼が言ったのは、嘗てピドナのハンス邸にて集まった際に彼女らが見た、王家の指輪に刻まれた聖王の語る映像にて聞いた言葉のことだった。
 それを知らぬミューズ等はハリードの言葉に対して当然思い当たる節がなく疑問符を浮かべるが、カタリナは確かにその映像を覚えていた。
 そうなると聖王の言っていた友人とは、人間ではなく巨龍ドーラのことであったということか。
 確かに、友人の子と言われてもそれが人間ならば、当然だが三百年も生きていられるはずもない。後世に現れる八つの光に対して紡ぐ言伝ならば、友人の子というのが人間を指していることの方が寧ろ可笑しい。そうなれば確かに、辻褄は合う。

「友人・・・ですか。そうですねぇ・・・確かに聖王にとっては、巨龍ドーラは友人と呼ぶに相応しい存在だったのかも知れません。ご存知の通り、聖王は魔龍公ビューネイ討伐の後に、聖王の再三の諫めを聞かず人里を襲ったドーラをもその手で屠っています。その際、聖王が竜の命を奪った折に流した涙と嗚咽は、ルーブ山中に響き渡ったと伝えられています。聖王記にすら其処まで記されるという事は、相応の関係性が其処にはあった、と見るべきなのかも知れませんね」

 詩人は話の流れからハリードの言葉に頷きつつ、聖王記の内容に準えながら語る。
 それは恐らく正しい見解なのだろうな、とカタリナも感じた。
 あの時の映像にて最後に「友人の子」について語っていた時の聖王は、『聖王』という神格化された存在というよりも、文字通りの友人の子を心配する一人の単なる人間の様にも見えたのだ。
 その聖王に、確かに彼女は頼み事をされていた。
 ならば、彼女に用意された答えは、最早一つだけだ。

「・・・分かったわ。ルーブ山に、行ってみましょう」
「ふふ、貴女ならば、そう言ってくれると思っていましたよ」

 まるで初めからその答えを知っていたかの様に微笑む詩人に対して、その思惑通りにことが運んでいることを思うと非常に腹立たしい気持ちが沸沸とカタリナの内面に沸き起こる。しかしこれを鍛え上げた強靭な理性でどうにか押さえ込みつつ、カタリナは立ち上がった。
 そうと決まれば、ほんの一時たりとも時間を無駄にしている余裕など、ないのだ。

 

 その日のうちに改めてグゥエインとの対話を図るための準備を行いバンガードを発ったカタリナは、バンガードから上陸したルーブ地方側の最寄りの宿場町から馬を駆り、真っ直ぐルーブ山へと向かった。
 今回彼女に同行するのは、フェアリーのみだ。
 フェアリーに同行を願ったのは、竜たるグゥエインとの対話に人語以外が必要となる可能性を考慮し、その場合の通訳を頼むためである。
 そして逆にフェアリー以外に同行者を連れてこなかったのは、グゥエインに対して此方は争う意志はない、ということを伝えるためだ。大人数で押し掛けても、無駄に対象の警戒心を煽るだけだろうというのが、カタリナの考えであった。
 また抑もトーマスに関しては、どうやらカタリナにロアーヌのことを伝えることが本来の目的というわけではなく、元々はガーター半島最大の都市国家であるウィルミントンに向かう予定だったようだ。そこで、ウィルミントンを本拠地とするフルブライト二十三世に、何らかの急用で呼ばれているらしい。
 今回は偶々それと同じタイミングでロアーヌの危機をピドナで知り得、急遽ウィルミントンに向かう前に、こうしてバンガードの帰還を待ってくれていたのだという。本当に彼には、感謝しかない。
 そして如何やらミューズとシャールにも同じくフルブライトからの熱烈な招待があったらしく、トーマスと三人でこのあとウィルミントンに向かう予定だ。
 合成術を放ったウンディーネはまだ両腕の状態が芳しくなく、治療が継続して必要な状況で迂闊に動けないので、ボルカノもそれに付き添っている。
 ブラックは見かけに寄らず律儀にも今回の恩を返すために暫くは付き合うと申し出てくれたが、それならば、とハリードと共にミューズの護衛についてもらうことにした。トーマスが言うには、今後更にミューズの身辺警護は強化をしていかなくてはならないから、どの事だ。

「こうしてカタリナさんと二人で旅をするのも、なんだか久しぶりな気がします」

 馬上でカタリナの手前にちょこんと腰掛けながら、フェアリーはそう言ってニコニコと微笑んだ。馬上でそんなに喋ったら舌を噛むわよ、と言おうかと思ったが、そう言えばフェアリーは常に多少浮いているので、馬の振動は関係ないのであった。カタリナはそのように思い返し、そういえばそうね、と短く言って微笑み返す。
 フェアリーとはグレートアーチに向かう船上で出会ったので、それももう既に四ヶ月近くも前の話だ。
 あの時の密林の大冒険も、思い返せばとんでもない経験だったな、とカタリナが思い返していると、フェアリーはカタリナを見上げるようにしながら口を開いた。

「今度は、竜との対面ですね。こんな時に不謹慎ですが、私はまた新しい世界が垣間見える様で、少し楽しみです」

 一人和やかにそう呟いたフェアリーは、改めて遠く北方に見えるルーブ山へと視線を向けた。カタリナもそれに合わせて、遠くの峰を視界に映す。
 二人は、ここから五日ほどでルーブ山へと到達する予定だ。

 

 

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第六章・2 -ヤーマスでの作戦-

 光の届かぬ無限に続くようにも思える深い深い闇の底で、何かがずるり、と蠢く気配があった。
 その気配は、複数。それらの気配は其々が、まるで長き眠りから覚めたばかりのように緩慢な動きで起き上がる。
 ふと、その場に炎が灯る。それは赤く、しかし業深き深淵の炎。

「・・・動き出したようじゃ」
「・・・そのようだ。やはりこうでなくては、な」
「・・・結局お前は自分で殺したいだけか。ではもう僕は好きにさせてもらう」
「・・・私もそうさせて貰うわ」

 短い会話の後にその場から二つの気配が消えると、後に残ったのは炎に照らされた醜い顔の老人と、その影に僅かに映る巨躯。

「・・・此度の宿命の子が何を齎すのか、見ものじゃな」
「・・・何れにせよ、今回で終わらせる」

 そう言ってさらに一つ気配が消え、その場には炎と老人だけが残された。

「・・・どれ、まずは彼奴かの」

 その呟きとともに炎が消え、その場には再び闇が舞い戻った。

 

 

 メッサーナ以北にはツヴァイク公国をはじめとした幾つかの都市国家が群立しているが、その中でも最も流通が栄えているのは、間違いなく商都ヤーマスであろう。
 かの有名な聖王による魔龍公ビューネイ討伐の片翼を担った巨竜ドーラが住んでいたとされる竜峰ルーブを中心とするルーブ地方の玄関口として静海を臨む巨大な港を有したこの都市国家は、ウィルミントンに居を構えるフルブライト商会に勝るとも劣らぬ一大企業、ドフォーレ商会の齎す恩恵によって嘗てない旺盛を極めていた。
 単独事業として世界経済に大きく影響を与えている各地の陸海運企業を抑えて世界最大商会フルブライトと凌ぎを削るドフォーレは、その強引な商談スタイルが持ち味だ。その剛腕にて周辺の企業を次々と傘下に加え、ここ最近で瞬く間に巨大企業となった。
 だがその強引な姿勢の裏にはあまり良くない噂も絶えず、企業イメージとしてはフルブライトよりも数段劣るというのが経済界での認識だった。
 特に近年問題が表面化してきている薬物の密輸に関する流通経路の不透明さの裏にドフォーレのマーケットが絡んでいるという噂が実しやかに囁かれており、声を大にして言えば潰されるのでどこも言わぬものの、これを危惧する企業は非常に多い。

「んでまぁ、それを叩く為のネタ探しと、あわよくばドフォーレの弱体化ってのが俺らの今回のミッションってわけよ」
「ってわけなのよ」
「なんだかわくわくしますわね」
「あたしはもうちょっと派手な仕事の方がいいかなぁ」
「で・・・具体的には何をすればいいんだ?」

 ヤーマスの中心街の裏路地に位置するパブ・シーホークのカウンターの隅で、五人の男女が周囲の喧騒に紛れてひっそりとグラスを傾けていた。相変わらずのラフな格好にバンダナ姿のポールを筆頭に、特徴的な緑髪を掻き上げながらそれとなく周囲の警戒を怠らないユリアン。そしてその隣には煌びやかな美しい金髪を後ろで纏め、眼鏡をかけて一応の変装を施しているモニカがおり、あとはカーソン姉妹が仲良くグリッシーニを摘まみながら話に花を咲かせている。
 流石にルーブ随一の商都だけあってか中心街の賑わいはピドナのメインストリートにも匹敵するほどで、昼間からこのパブシーホークも喧噪に包まれており、彼らの声が他のテーブルにまで届くことはない。

「んー・・・このヤマに関してはちょっとした当てがないわけじゃあないんだが、でも先ずはがっつり聞き込みだな。俺はここを拠点にこの街のメインエージェントを見つけて接触を図るから、ユリアンとモニカさ・・・あー、モニカ。んでエレンとサラは二人一組に分かれてドフォーレに関する話を中心に兎に角なんでもいいから町中から集めてくれ。その辺の鼻はサラが効くだろうから、ユリアン組はドフォーレ関連以外でも何か役に立ちそうな情報がないか、街中洗ってみてくれ」

 ポールの指示に、にっこりと微笑むモニカを筆頭に四人はこくりと頷く。
 途中でポールが言い淀んだのは、ここに来るまでの間に五人で話し合ったことを慣れぬながらも実行した結果である。他の全員がお互いをそのまま名前や愛称で呼んでいるのに対し、モニカのみが敬称付で呼ばれている現状を本人が非常に嫌がった。なのでうっかり敬称をつけそうになった瞬間モニカの突き刺すような視線に気がつき、言い直したと言う訳なのだ。

「何かあればここで落ち合おう。じゃあみんな、よろしく頼むぜ」

 ポールの言葉に各々が返事を返し、そのまま程なくしてグラスを空けて店を出て行く。それを見届けたポールは、自分もジョッキを空にした後に腕を組み、一つ唸った。

「さて、と。どうやって絡めるかねぇ・・・」

 

 

「ドフォーレか。俺も以前あそこの仕事は受けたことがあるが、地上げ屋紛いでいい気のする仕事じゃあなかったな。金払いはいいから何回かやったが」

 昼下がりの職人通り。長い歴史を誇る幾つもの工房が建ち並ぶ一角に聳えるレオナルド工房のロビーは、中央通りの喧騒が嘘のように静かなものだった。
 装備のメンテナンスの為に訪れていたハリードが愛用の曲刀の手入れをしながらそう言うと、テーブルの向かいに腰掛けたシャールは此方も槍の手入れをしながら応えた。

「神王教団に関する余罪を洗っている中で、件の企業との裏取引を匂わせる資料が出てきたそうだ。この件についてはトーマスが近衛軍団にフルブライト商会と合同で後追いをする旨を進言し、公式に捜査協力をしているそうだ」
「ルートヴィッヒがよく首を縦に振ったな」

 ハリードが顔を上げると、シャールは肩を竦めてみせる。それに合わせて、彼の右腕の銀の手がかしゃりと音を立てた。

「そこまで手が回らない、というのが実情だろう。一般市民へと向けた表向きの体裁は見事に情報操作をして見せているが、内部は未だ細かい火消しに躍起になっているようだ。あやつらとて自分達で手をつけたいのであろうが、手も回らん上にフルブライトの名を出されては首を縦に振らぬわけにもいかなかったのだろう」
「・・・そんなところだろうな。それを分かっていて如何にも親切心を装いながら申し出るトーマスの顔が目に浮かぶ。俺は彼奴こそ一番敵に回したくないと心底思うね」

 ハリードがニヤリと笑いながらそう言うと、シャールもそれには心底同意すると言いながら微かに笑う。

「・・・でも、なんでその調査メンバーにサラやモニカが入ってるの。遊べなくてつまんない」

 男二人の間に位置するところで言葉通り詰まらなそうに足を組んで座っていたキャンディが首を傾げながらそう言うと、ハリードは磨き終えた曲刀を鞘に納めながら彼女に視線を向けた。

「サラに関してはポールと組んで、現地で懐柔できる企業はその場で回収するためだろう。あの娘も、どうやら姉より随分とその辺の頭の回転が早いようだ。トーマスにだいぶ仕込まれたな。ありゃあ将来は化けるぞ」
「ふぅん・・・」

 ハリードの意見にもキャンディが引き続き詰まらなそうに答えると、そんな様子は御構い無しにハリードの言葉が続く。

「寧ろ、その辺のノウハウが何もないユリアンをモニカ姫までつけて同行者に指名したポールの方が、俺にはよくわからんけどな」
「・・・確かにな。だが今回のミッションにはユリアンこそ適任だとポール自身は言っていた。てっきりあの男の事だから、そこはフェアリーあたりを指名すると思ったのは私もだがな」

 シャールの物言いに、間違いないと笑って答えるハリード。
 すると、丁度一仕事終えた様子のノーラが地下の工房から上がってきた。石造りの階段を軽快に鳴らす特注ブーツの音で誰が上がってくるのかがすぐ分かったのか、キャンディは彼女の声がかかる前に立ち上がっていた。

「親方、紅茶?」
「うん、宜しく」

 キャンディが紅茶を淹れに席を外すと、ノーラはキャンディが座っていた椅子に勢いよく腰を掛けて一息ついた。そのまま背伸びをするとバキバキと彼女の節々各所が大きく音を立てる。そうして体にたまった疲労を放出するように大きくのびを終えたノーラは、改めてその場の面々に視線を向けた。

「メンテ終わったのに二人して帰らず、なんの話をしていたんだい?」
「なに、ポールたちの作戦はどうなのかを話していただけだ」

 シャールの返答にあぁと反応したノーラの横に丁度ポットと茶器一式を持って戻ってきたキャンディは、トレーをテーブルに置いて慣れた手つきで茶器を展開しながらその場の三人の話に耳を傾ける。

「あぁ、ヤーマスのやつね。ドフォーレ商会でしょ?結果断ったけど、うちも取引を持ちかけられたことはあったよ。あそこ、自社でも工房もっているしね。結構大きいはず」
「・・・結構も何も、あそこの武器工房は規模だけならここ以上だよ、親方」
「へぇ、そうなのかい?」

 不意にキャンディから言われた内容にノーラが感心したように返事をすると、キャンディはくるくるとポットを揺らしながら言葉を続けた。

「あそこは表向きは地続きのランスやバンガードあたりが大きな取引相手だけど、大手商会の中で唯一自社海運を持っているから、実はかなり低コストで内海を抜けれるの。だから頻繁にナジュまで行って直通取引も行っているよ。神王教団を中心としてナジュ交易品の北部流通もあそこが一手に引き受けていたはず。当然、武具関連も。ハマール湖の戦いで何故現地の民が当時の王国軍に渡り合える武具を揃えられたかっていうと、ここが大きく関与しているんだよね。まぁリブロフに頼るわけにもいかなかったのは分かるけど、でもそのせいで現地の商会の影響力は・・・」

 ノーラの愛用カップへと紅茶を注ぎながら言葉を続けていたキャンディは、そこではっと我に返って周囲に視線を走らせる。
 そこには、ノーラをはじめとしたその場の三人の非常に物珍しげなものを見るような視線が自分に注がれている光景がまっていた。

「・・・あ、こ、これお得意さんの行商人の受け売りね」
「へぇ、うちのお得意さんは随分その道に明るいみたいだねぇ」

 態とらしく感心したようにノーラがそう言うと、ハリードとシャールも大げさに頷いて同意してみせた。

「ねぇ、それトーマスに共有できる話があるかもしれないよ。もう少しキャンディがその行商人から聞いたっていう話、聞かせてくれる?」
「・・・べ、べつにいいけど」

 ノーラに正面から言われ、キャンディは少し視線を泳がせた後にどもり気味にそう答える。

「・・・あ、あくまでもこれは行商人から聞いただけだからね!」

 しつこく前置きをそのように重ねてから、キャンディは語り出した。
 現在の世界には大きく分けて3つの商会勢力が存在し、それは筆頭であり最も長い歴史を持つフルブライト商会、リブロフに拠点を置くラザイエフ商会、そしてドフォーレ商会の三社である。
 だがこの構図になったのは割りかし昨今のことであり、死蝕以後になってこのような構図が形成された。死蝕以前は世界経済はフルブライトの絶対天下であり、ラザイエフ商会はピドナにほど近いことを理由に栄えたものの、聖王所縁のフルブライトには及ばぬ永遠の二番手のような立ち位置であったという。
 また当時のピドナにはクラウディウス商会もあり、ラザイエフとほとんど同じ規模の商会であった。
 ここで死蝕後に一気に膨大な資金力を保有して台頭してきたのが、ドフォーレ商会だった。
 その取扱品目はルーブの良質な鉱石を用いた武具に始まり、フルブライトをも凌ぐ西大洋からの豊富な海産物と資源。そして聖王の時代に取扱禁忌とされ表には出回らぬ幾つかの違法物資をも保有しているとの噂が付き纏った。

「でも何よりドフォーレが大きく資金力を伸ばした最大の要因は、塩だよ」
「・・・塩?」
「そう、塩」

 ノーラが首を傾げながらそういうと、キャンディは大まじめに頷きながら続ける。
 毎日の食卓に欠かせない塩は、世界の中心たるピドナなら中央市場で当たり前のように取引されている。だがこれらの塩をどの様に調達しているのかと言えば、そのほとんどは輸入に頼っているのが現状であった。
 世界各地に供給される最も一般的な製塩法は海水を濃縮し煮詰めて作る方式だ。降雨の比較的少ない地域には塩田もあるが、海棲の魔物を警戒する必要性から人件費が掛かってしまう。故に、大抵の都市国家は前者の方法で製塩する。だがこの製法は単純な工程で言えば塩田に比べ燃料や道具を要するので矢張り少なからずコストがかかり、大量製塩がし辛い。故に古来より塩は単価が安定して高く、各都市国家の主たる国家事業として供給されていた。
 そこに突然大量の良質の塩を安価に供給し始めたのが、ドフォーレ商会だった。
 それまで発見されていなかった大規模な塩鉱をヤーマス近郊にて採掘することに成功したドフォーレ商会は、これを主軸に一気に世界中の塩の価格を塗り替え無名の商会からフルブライト商会にも迫るほどの規模へと拡大したのだ。
 さらにこれを助けるかのように世界各地の海岸沿いの塩田は降雨が増えたり魔物の出没が相次ぐなどし、かのフルブライトもガーター半島西岸に構えていた塩田を放棄せざるを得ない事態にまでなった。これにより、自力で安定した塩の供給を行える国家は乾燥地帯に塩湖を保有するナジュと規模こそ小さいものの自国供給を賄うには足るだけの岩塩鉱山を領内に所有するツヴァイクのみとなり、それ以外の国で供給される塩のおよそ三割強もの量がドフォーレと取引するものとなったのだ。
 このような背景により、ドフォーレの資金力は圧倒的な勢いで伸びていった。

「今回のドフォーレに関する調査にルートヴィッヒ団長さんが本当に噛みたかった理由も、まぁ間違いなくこれだよね。仮に近衛軍団がドフォーレの塩鉱を支配下に置けたら、それはもう世界を牛耳るに等しいよ」
「・・・成る程な。まさかトーマス殿は、ここまで読んでこの状況を優先して作ったのか・・・?」

 シャールが驚きを隠さずに舌を巻く。その様子を見てなぜか得意げにふふんと言いながら腕を組んだキャンディは、そこでふと持ち上げた人差し指を顎に当てながら、考えるような仕草をした。

「でも今回ヤーマスに向かったポールは、なんかトーマスさんの思惑とは別の展開を目論んでいるように思えたんだよね」
「別の展開・・・?」

 ハリードがそういうのに合わせて再度三人がキャンディに視線を向けると、キャンディは肩を竦め、確信はないけど・・・と前置きをしながら口を開いた。

 

 

 神王教団の出城奇襲から数えて五日の後、ミカエル率いるロアーヌ騎士団本隊はナジュ砂漠へと陣を展開していた。
 奇襲より三日後には出城に到着していたロアーヌ軍本隊はシーフギルドを中心に編成した斥候の調査にて近隣に潜伏して体勢立て直しを図っていた神王教団軍の駐屯地を発見。即座に追撃戦を展開した。
 この際砂漠方面へと後退していく敵軍を追ってアクバー峠の上下に分かれてロアーヌ軍は下から攻め上がる行軍となり地形の利を活かした反撃を受けそうになるものの、ブラッドレーの仕掛けた煙攻めを起点として精強なるロアーヌ騎馬大隊を率いるコリンズ、パットンの疾風の如き猛攻を受け、敵軍の将アクートは敢え無く敗走。
 更に追走を続けるうちに砂漠へと突入したロアーヌ軍は、慣れない気候に苦心しながらも一夜を砂漠にて明かした。
 翌る日、斥候の確認で前方に神王教団軍が陣を張り待ち構えていることを確認したミカエルは開戦を目前に最後の軍議を開いていた。

「斥候隊の偵察によれば相手軍は凡そ四千。我が軍は砂漠行軍のために全体を三千に絞っている。総数で不利であり、且つ慣れない気候で兵の士気もコントロールは平時に比べ困難であることが予測される。正面から消耗戦を挑んでは勝ち目はない」

 ブラッドレーの状況説明に、その場に集まった将たちは低く唸り声を上げる。
 その場に集まったのはミカエルを筆頭に、現在のロアーヌ騎士団主力陣であるブラッドレー、コリンズ、パットン。斥候や密偵を主とし戦場では弓兵で主に構成されるシーフギルドのフォックス。
 そして、先の神王教団による出城奇襲戦の際に絶体絶命の危機に瀕していたロアーヌ軍を救ったことで直々にミカエルから声を掛けられ客将としてロアーヌ軍に招かれていた、聖王記詠みを自称する謎の人物、詩人。
 以上の六人であった。

「・・・一応聞いておくが、詩人さんよ。あのすげーやつは、暫く使えないんだよな?」

 コリンズが頭を掻きながら丁度彼の正面あたりに立っている特徴的な服装に身を包んだ詩人にそう問いかけると、彼は即座にこくりと頷いた。

「はい、残念ながら私は本来の使用者足り得ませんので。再度の行使には、この七星剣が自然に光を取り戻すのを待つしかありません。天空にほど近い適度な高度の山の山頂で満天の夜空に掲げ続け、まぁ三年ってところでしょうか?」

 実に軽妙に言い切る彼の様子に、その威力を知るコリンズとブラッドレーは惜しそうに溜息をつく。
 詩人が神王教団に対して放った想像を絶する威力の衝撃波は、聖王遺物の一つである七星剣の力によるものであった。今もまた煌びやかな柄を見せている七星剣は、確かにあの戦場にあった時のような圧倒的な威圧感を有してはいない。
 そこに手元の地図を見ながら次に口を開いたのは、フォックスだった。

「あと、少々気になる編成が相手に。前列は砂漠での戦闘を想定した軽装歩兵装備で間違いないのですが、後方に明らかに戦闘装束とは考え難いローブに身を包んだ集団を確認しました。念のため宮廷魔術師に探ってもらいましたが、魔術兵団というわけでもないようです。ですので単に相手の宗教的な理由による編成かも知れませんが・・・いい予感はしません」
「んなもん構わず突撃!・・・って言いたいとこだが、用心は欠かしちゃいけないな。ブラッドレー、なんか案はねーのかよ?」

 フォックスの言葉を繋いでパットンがブラッドレーに振り直すと、彼は腕を組んで唸った。慣れぬ戦地な上に数が不利であるという状況に、己の持ちうる戦術のどれが通用するのかどうかを考えているのだろう。

「本来、数的不利は地形と陣形で補うのがセオリーだが、今回は戦地も慣れぬ。そして相手の情報が不足しているので、これまでの様に尖った戦術も打ち辛い。分かっているのは、間違いなく相手より我々の方がこの地での戦には慣れていない、という事だ。いくつも戦術の変更をしていられる時間も体力もない」

 そこまで言って困った様にブラッドレーはミカエルに視線を向けた。
 砦制圧に至るまでのこれまでの戦で主に作戦を決めてきたのは、ミカエルだ。彼の意見を聞きたいと思ったのだろう。
 それを察したのか、ミカエルは地図へと視線を落としながら皆に傾けていた意識を戻し、ふむ、と一つ息をついた。

「・・・以前、聞いたことがある。あやつらの戦法・・・実に邪教らしい、悍ましい戦法を」

 それは、十年前のハマール湖での戦いだった。
 ティベリウス率いる神王教団と民間義勇兵、そしてナジュ王国との間に起こった戦。
 この戦いにおいて神王教団が王国軍に勝利したのは、傍から見ればとんでもない偶然の賜物、それこそ神の起こしたる奇跡と言ってもおかしくないくらいに通常では考えられない結果だった。
 何しろそれまで碌に武器を手に取ったこともない様な民間人と宗教家が、しっかりとした兵装を施し訓練もされていた王国軍を打ち負かしたと言うのだから、俄かには信じ難いことだ。
 しかし奇跡は起き、神の導きにより神王教団はこの戦争(聖戦、と彼らは呼ぶ)に勝利した。
 だが当時の一部の者、主にナジュ王国軍の生き残りは、その奇跡がどの様にして齎されたものであるのかを目の当たりにし、震え慄いた。
 ナジュの王国城下町でゲリラ戦を展開していた神王教団は、交戦中に王国軍の中に建物の上から飛び込み、神に祈りを捧げながら次々に爆ぜたのだという。

「人間・・・爆弾・・・?」
「そうだ」

 ミカエルはコリンズの言葉を肯定しながら、言葉を続けた。

「信者は体から火を噴きながら爆ぜ、周囲の王国兵数十人を瞬時に道連れに焼き尽くしたという。市街地でのゲリラ戦でこれを防げなかったナジュ王国軍は隊列も瓦解し、自ら望んで命を絶つ信者たちに恐れ慄き、敗走したのだ。恐らくフォックスのいうローブの集団は、これの可能性が高い」

 あまりに狂ったその戦法に、その場の騎士たちは低く唸った。

「・・・しかしそうなると、その戦法は市街地のゲリラ戦だからこそ効果的であったもので、この戦場では奇襲も使えない分効果は薄いですね。分かっていれば怖くはなさそうだ」

 ブラッドレーが顔を上げてそう言うと、ミカエルはそれに頷いた。
 するとそこで、詩人が遠慮がちに片手を挙げる。
 それに反応したミカエルが視線で発言を促すと、詩人はこほんと咳払いをしてから、得意げに言葉を発した。

「因みにその爆弾兵、多分射抜けば爆発しますよ」
「なんと・・・それは本当か詩人殿!」

 パットンが驚きながらそう言うと、詩人は浅く頷いた。

「着込んだローブの下は、火星の砂あたりをベースにした火薬でしょう。そしてそれの着火剤は、彼らの体内に渦巻く炎。ローブ姿の信者たちは恐らく人間ではありません。アウナス術妖と呼ばれる魔物だと思われます。奴は体に傷を負うと炎が吹き出し、傷を覆います。それが火薬に引火し、爆発する。ですので、射抜けば爆ぜるはずです」

 アウナス術妖という言葉に、ミカエルはぴくりと眉を動かす。唐突に出てきた四魔貴族の名前と神王教団に、なにか関係性があるということなのだろうか。
 だがそれより更に気になるのは、何故そのような情報をこの聖王記詠みが知っているのかということだ。
 まるでそれらを相手に戦ったことがあるかのような口ぶりに、ともすれば彼はハマール湖の戦いを経験した人物か何かなのかという予測がミカエルの脳裏を過る。
 それを確かめようと口を開きかけたところで、しかしそれは外から大慌ての様子で幕舎へと駆け込んできた斥候の報告に防がれた。

「ご報告いたします!先刻、敵陣にて大規模な爆発が発生!!並びに、白旗を掲げながらこちらへと向かってくる人影が確認されています!」
「・・・ふふ、どうやら戦をせずに済みそうですよ、ミカエル侯」

 詩人が斥候の報告を受けて突然そのように言い出すと、その場の全員が全く状況が分からないとでもいうように彼を見返した。

「いえ、ね。今のこの戦とは全くの別件ですが、つい最近、神王教団教長ティベリウス殿に直談判をした知り合いがいましてね。この戦の事も随分と憂いていたので、このタイミングなら使者も恐らくその人物でしょう」
「へぇ、その人物っていうのは・・・?」

 コリンズが首を傾げながら聞き返すと、詩人はいたずら好きな子供がするそれのようににんまりと笑顔を作りながら肩を竦めた。

「それは、相対してからのお楽しみ、としましょう」
「ミカエル様を前に無礼な!・・・っていいたいところだが、この御仁の言うことには不思議と怒る気が起きんな・・・。如何いたしますか、ミカエル様」

 パットンがそう言ってミカエルに視線を投げると、ミカエルはふっと笑ってから斥候へと視線を向けた。

「どうもこうも、行くしかあるまい。案内せよ」
「はっ!」

 畏まって敬礼し幕舎からでる斥候に続き、その場の全員が後に続いた。

 

 

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第六章・1 -砦の戦い-

 

 アクバー峠を望む出城の物見塔の縁から、よく使い込まれた様子の騎士鎧に身を包んだ男が顔を出した。ゆっくりとした仕草でここ数日続いている見事な晴天を仰ぐと、そこから次に視線を落とし、遠く広がるトゥイク半島へと視線を向ける。
 半島に沿って大きな湾を形成している眼下の海は、普段の陽気な様子と違ってすっかり成りを潜めたように動きがない。一つの波風も立たぬその様子に、男はそれが気に入らない様子で低く唸った。

「・・・凪、か。不気味だな。こんなに静かなのが、逆に気持ち悪い」

 その呟きは誰に対して発せられたものでもなかったものなのであろうが、男の後ろから塔を登ってきたもう一人の男が、ひょっこりと顔を出しながらその言葉に続いてみせる。

「確かに、不気味だぁな・・・まぁぼちぼち、くるだろうな」
「・・・コリンズ」

 声に振り向いた男は、昔馴染みの戦友を見て取ると肩を竦めた。

「ブラッドレー、お前は少し張り詰め過ぎだ。戦前に休んでおけよ」

 同じく半島の方へと視線を向けながらコリンズが言うと、ブラッドレーは同じ方向を向いたまま生返事を返した。

「あぁ・・・。なぁ・・・コリンズ。お前はこの戦、どう思う?」
「どう、って?」

 そこで改めて視線をブラッドレーに向けたコリンズは、突然の質問の意味を理解しかねて問い返した。ブラッドレーという男は以前からそんなに表情が豊かな男ではないとコリンズは認識していたものだが、今日のこの男は特別表情に抑揚がない。これは何かにつけ考え込むことが多い彼の、特に難しいことを考えているときによく現れる特徴だった。

「今回の戦はリブロフ軍の奇襲に端を発した連戦だが・・・俺には、この戦がそれだけのものとはどうにも思えないんだ」
「・・・どういう事だ?」

 コリンズが首を傾げると、ブラッドレーは塔の縁に肘を置いて楽な姿勢を取りながら視線を細めた。

「逆賊ゴドウィンの一件からこの半年あまり、以前とは比べものにならない頻度で戦が続いているだろう。それこそ親父の代なんざ、精々年一の魔物討伐が毎晩聞かされる定番の武勇伝だったっつーのに、だ。とんでもない変化量だと思う。起こった戦の一つ一つは一見無関係に見えるが、はたしてこんな短期間に斯様な偶然があるものだろうか・・・?」

 ブラッドレーが口にした疑問を聞き、コリンズはふぅむと腕を組んで唸った。
 今から半年以上前、当時のゴドウィン男爵がミカエル候に対して謀反を起こした直後に一つの騒動が宮廷内であり、その結果彼らの同期が一人ロアーヌを去る事態となった。
 そしてその直後に、まずロアーヌ近隣に居を構える傭兵団から資金難の相談がロアーヌ宮廷に届いた。
 しかしその内容はお世辞にも相談などとは言えぬような挑発的なものであり、援助がなければ城下町まで攻め上がる、といったものだった。それは誰が見ても明らかに内乱直後の不安定な時期に揺さぶりをかけにきた形だ。
 それまで長年穏健派で過ごしていたロアーヌの臣下らはこの出来事に当然の如く資金援助による解決を侯爵に具申するも、侯爵はこれを棄却。
 結果凡そ四千もの軍を成してロアーヌへと攻め上がった傭兵団を相手取り、同数程度の兵力ながらも用兵の妙を用いてロアーヌ軍は圧倒的な勝利を収めた。

「そういえばあったなーそんなの。パッペンハイムのおっさんは、俺あんま嫌いになれないんだよなー」
「そりゃあお前、あそこの団長お前と同じく速攻好きだから気が合うだけだろう」

 コリンズの言葉に、ブラッドレーはそう応えながら笑った。
 その傭兵戦のすぐ後には、なんとゴドウィンの親族を名乗る何者かからゴドウィンが治めていた領地の管理権譲渡を迫られた。
 侯爵は書状を見て呆れ返って無視したものの、後日その男が隊列を成して城下町に進軍しているとの報を受け、これをまたしても同程度の軍勢を率いて徹底的に蹂躙する。

「なんだっけ、あいつの名前。ジーパンみてーな名前のやつだよな。リーヴァイスだっけ?」
「・・・エドウィンだ」

 立て続けに起こったこの二戦で圧倒的な力量を周辺国に知らしめたロアーヌだったが、これまでとは明らかに異なる好戦的なその姿勢に過敏に反応して牙を向いたのが、ロアーヌ周辺を根城としている野盗の大軍であった。
 ロアーヌより北方に広がる森林にて行われたこの野盗討伐戦は、それまでの連戦を明らかに上回る過酷さだった。
 しかし三度に渡って軍勢が衝突したこの戦いでは地の利を生かしつつ更に三倍近い兵力を用いて挑んだ野盗軍に対し、なんとミカエルはその全ての戦略を見抜いて砕き、敵味方共に被害を最小限に留めて勝利を収めてみせた。
 この結果に誰より心酔したのが野盗団幹部の面々であり、今や彼らは野盗ではなく北方やシノン方面の開拓を兼ねた駐屯兵として雇用されている。
 更に一部の面々はシーフギルドとして組織立てられ、侯爵のために様々な活動を行っているという。

「フォックス・・・可愛いよなぁ。あのクールな感じがたまらん」
「・・・俺はラビット派かな」

 これらの連戦が終わって一月ほどした頃だったか。
 連戦連勝に気を良くした臣下の具申により、ロアーヌ軍は幾つかの状況を想定した軍事演習を行う事となった。これはミカエル侯も以前より考えていたようで話が決まると速やかにスケジュールが組まれ、それぞれ環境の異なる三つの進路を定めて行軍演習を行った。
 実戦形式の演習ではなかったのだがそれぞれのルートで魔物の大軍と鉢合わせる等のハプニングがあったが、この時に明らかにそれとは異なって団旗を掲げぬ謎の軍勢とミカエルの本隊は交戦することとなった。
 無論の事無難に勝利を収めたミカエルであったが、その軍の正体はその時点では結局分からずじまいであり、後日に発覚したのはそれがリブロフ軍だったということだ。

「今回の三連戦も矢張り、ミカエル様の用兵は凄まじかったな。沼地の隊列変更もそうだが、ここの投石機の速やかな弓部隊による殲滅は鮮やか過ぎて、俺達ですら戦況を把握し損ねるところだった。リブロフの奴らも慌てて突撃してきたしな」
「・・・しかし此度の連戦はかなりお体に負担がかかったことだろう。それをなかなか我らに見せぬからな、侯爵様は。今回だって我ら五人がかりで迫って漸くロアーヌに休養を取りに帰ってくれたが、あれも最後ラドム将軍が跪いて頼み込まなきゃ帰らなかったと思う」

 そうしてミカエルをなんとか休養させるために一度ロアーヌへと返し、その間攻め落としたこの出城の守備を任された指揮官がこの二人、コリンズとブラッドレーだった。
 二人とも逆賊ゴドウィンの討伐任務からミカエルの指揮する本隊所属として従軍し、目覚しい戦果を上げている。
 他にもライブラやパットン、タウラスといった筆頭騎士も彼らと同じ世代に名を連ねており、現在のロアーヌ騎士団の核となる面子である。

「連戦がどうなのかは俺にはよく分からんが・・・しかし今回の敵がリブロフなのって実際、お前はどう思う?」

 コリンズが欠伸を噛み殺しながら伸びをし、姿勢を戻しながらブラッドレーに視線と共に疑問を投げた。

「・・・それはつまり、ルートヴィッヒが背後にいるかどうか、ということか?」

 ブラッドレーが返した問いに、コリンズは浅く頷いた。
 それを確認して目を細めながら外に視線を戻したブラッドレーは、数拍おいてから口を開く。

「・・・俺は、ないと思う。奴がメッサーナの王位を得るのに、俺たちに喧嘩を売って弱体化させることの意味が見出せない。勿論、穿った見方をすれば幾らでもこじ付けは可能だろうが・・・俺にはルートヴィッヒという男が悪戯に敵を増やすような真似をする人物には思えない」
「成る程な・・・でもよぉ、かと言ってリブロフの独断とは考え辛いよな」
「だな」

 近年のトリオール海以南の情勢は、以北に比べて安定していた。
 しかしそれはメッサーナ王国リブロフ軍により齎されたものではなく、その最も大きな要因は間違いなく神王教団の存在であった。
 リブロフは元々ルートヴィッヒが総督をしていたが、五年前の内乱を機に現在はその後継としてバイヤールという人物が統治を行っている。
 彼らと神王教団の関係値はルートヴィッヒのそれを完全に模倣したもので、その治安維持から経済相互補助に至るまで密にやり取りを行いながら、ピドナとの連携を図っている。
 しかしその一方で近年、リブロフが密かに軍事増強を行っているという話は何処からか漏れていた。

「私欲なのかねぇ」
「・・・かもな。誇りの伴わぬ権力に意味などないというのに・・・メッサーナの連中はどいつもこいつもお目出度い」

 心底呆れた様子でブラッドレーがそう言うと、それに同意の意を示しながらコリンズは塔の縁に背中から寄りかかった。

「ミカエル様がお強いのもそうだが、そもそも奴らの戦争動機が腐ってるから俺たちの相手にならん。驕りはしないが、事実リブロフ軍に負けるなんて事はない。が・・・怖いのは奴らか」

 そう言ったコリンズは、南東に広がる広大な砂漠へと視線を向けた。燦燦と照らされた太陽の光を吸収して揺らめく砂漠の向こうには、物見の塔の上である彼の位置から微かに建造物らしきものが見える。
 今やナジュの実質的支配者となっている、神王教団の本拠地だ。
 その視線に倣ったブラッドレーはその塔の先端を睨むように見つめた。

「・・・恐らくリブロフが手を組むとしたら、十中八九奴らだ。古都ナジュを滅ぼした勢いは、今もまだ健在だろうな」
「今の情勢では、間違いなく一番厄介な相手だろうなぁ。どうなる事やら・・・」

 そう言ってコリンズが肩を竦めた瞬間だった。

 南方独特の音色を持つ角笛の音色が突如として辺りに響き渡ったかと思うと、それは点を線で繋いでいくように南へと向かって次々に木霊し、伝達して行った。
 やがてそれは幾重にも重なる重奏となり、そして遠方から巻き上がる砂埃がそれらに応えた。
 血相を変えて塔の縁から南方へと身を乗り出し視線を凝らしたコリンズは、山間の陰から突如として現れた軍隊がこの出城へと向かって進軍を開始した様子をしっかりと確認した。

「・・・噂をしてりゃあ来やがったな! おーい、聞こえるかー!!」

 塔から下に向かって叫ぶと、別箇所から状況を見ていた兵士がすぐに反応をした。

「籠城戦だからな!しっかり投石機を使っていくぞ!狼煙を上げてこの事態を宮廷に知らせろ!」

 その指示に兵士が頷き、投石機の配置された城門へと向かった矢先だった。コリンズの横で同じく血相を変えたブラッドレーも身を乗り出し、大声を張り上げて兵士に停止を呼びかけた。

「待て!今の角笛・・・どこから鳴った!?」

 その言葉を聞いた兵士が怪訝な顔をしたのも束の間だった。城門の方面から飛来した矢に頭を射られた兵士はびくりと震えた後に崩れ落ち、血溜まりをその場に作って事切れた。そしてなんと、直後には出城の城門が重苦しい音を立てながら開き出したのだ。

「・・・なっ!?」

 何が起きたのか分からないと言う風に驚き声を上げるコリンズ。籠城戦といった矢先に城門が開いた状態では、どうぞ攻め込んでくださいと言っているようなものだ。コリンズの横でブラッドレーは苦虫を噛み潰したような顔をし、直後に急いで塔を下っていく。丁度そこに大慌ての様相で駆けつけた後続の兵士が塔の入り口にいたブラッドレーを見つけ、必死の形相で叫んだ。

「ブラッドレー様!侵入者です!城門部屋を奪取されました!」
「馬鹿な・・・くそ・・・!!」

 彼が考え得る限りでは、間違いなく最悪の展開だった。先ほどの角笛は城内、それも籠城の要となる城門から発せられたものであったのだ。城門の操作が出来ぬとなると、当然ながら籠城どころではない。しかし自軍はこの出城での攻防は籠城戦を想定し兵装や人数等も調整をしており、打って出るには心許ない状態であった。
 ブラッドレーが奥歯をかみ砕いてしまうのではないかと思われるほどの形相で考えを巡らせているところに、同じく塔から駆け下りて来たコリンズが南の城門とは逆を指し示す。

「ブラッドレー、俺が北東側から兵を出して迂回し南門前に展開する。お前は城門部屋奪還を!」
「・・・承知した。死ぬなよコリンズ!」

 一瞬の間の後に発せられたブラッドレーの言葉に手を上げて応えたコリンズは、そのままにやりと笑うと大急ぎで兵舎へと向かっていった。
 前には大軍、そして後ろには占領された城門と投石機。その中で時間を稼ぐとなると余りに危険な役目だが、コリンズは自らそれを買って出たのだ。
 ブラッドレーは勇気ある戦友の行動を無駄にしてはならないと自らを奮い立たせ、直ぐ様兵士に指示を飛ばした。

「投石機は絶対に使わせるな!物見塔三カ所に3名配置し城門上を短弓で狙え!剣戟隊は末席二部隊を残して全てコリンズ部隊長に続け!あとの二部隊は城門部屋の奪取!俺に続け!」

 矢継ぎ早に飛ばされた指示を兵士は瞬時に理解し、迷いなく仮宿舎へと走っていく。
 ブラッドレーは自らも剣を抜き放ち城門奪取の為に駆け出しながら、死地へと赴かんとする戦友を想った。

(この隠密・・・頭の固いリブロフ軍などの仕業ではない・・・それにあの妙な笛の音もリブロフ軍のそれではない。間違いない、神王教団だ・・・!  くそ、待っていろコリンズ・・・死なせはしないぞ・・・!)

「弓は先ず背後の城門を!投石機を封じろ!歩兵は上翼下翼分かれ、共に二連隊にて逆弓型防壁波陣!城門奪取まで一定距離を保て!騎馬隊は先ず一発かまして相手を兎に角止める!薄いところから荒らしていくぞ!俺に続け!」

 愛用の剣を腰に引っさげ、馬上槍を片手にコリンズが吠える。それに俄然大きく鬨の声を上げるロアーヌ騎士団。
 味方は意気軒昂。このような劣勢不利にも何の物怖じもせず、自分を信じて付いてきてくれる。それがひしひしと感じられ、コリンズを更に奮わせる。
 だがそれでも、この戦は今までのどの戦場よりも過酷だと言えた。

(・・・要は挟み撃ちを食らってるようなもんだ。目測で敵は四千てとこか。即座に城門を奪い返して籠城に持ち込まないと、数も圧倒的に足りない)

 馬を走らせながら前方より迫り来る軍勢とその周囲をつぶさに観察し、コリンズは低く唸る。

(・・・あの角笛、相手は神王教団と見て間違いない。となると機動力の要は戦駝。馬を操るこちらの方に速度では分がある・・・が、籠城前提でいたから騎馬隊は最小限まで絞っちまっている。真面に陣も組めない・・・。撹乱がてら時間稼ぎに二手に分かれて端から削っていくしかないか・・・!)

 そう判断したコリンズは即座に指示を飛ばし、二手に分かれた騎馬隊は上翼下翼奇襲の構えをとった。
 だがコリンズの指示により騎馬隊が隊列を変えた矢先、再度背後から角笛が一定間隔で鳴り響く。
 その角笛が鳴り終えると、今度は前方の軍勢内から同じく角笛が鳴り響き、相手の隊列が中央突貫型へと変化していく。

(・・・!!  くっそ、背後からこっちの動きが丸見えで相手に伝えられちまってる・・・!?)

 慌ててコリンズは分かれる寸前の騎馬隊に纏まり直すように指示を変更する。
 そのまま進行速度を保ちながら相手の陣形と人数を見て取り、コリンズは表情で悪態をついた。

(・・・攻撃の波陣か。強襲する気満々じゃねーか! くそ、正面からでもぶつかって勢い止めるしかねぇのか・・・!)

 砦には最低限の城門攻略組を残してきただけだが、ロアーヌ軍は楽観的に見積もっても相手の半分がいいところだった。そのままぶつかればこちら側の大打撃は免れないだろう。
 だが、城門に近づかせればそれこそ全てが終わる。つまりは、全滅だ。
 何としても、相手の勢いを止めなければならない。
 だが、止めるには圧倒的に物量が不足していた。

(・・・畜生めが・・・駄目だ、このままぶつかるんじゃ止まんねぇ・・・。こっちが轢き殺されて終わりだ! 何か、何処か相手の隙はないのか・・・!)

 極限の状況にコリンズの思考は研ぎ澄まされ、高速回転で思考を重ねていく。だが、其れでも彼の元にはこの状況を打破するための手立てが舞い降りては来なかった。

「コリンズ隊長・・・! 我々が上翼一点集中で突撃し、相手を止めます!隊長は一度お下がりになり防衛指示を!必ず止めて見せます!」

 コリンズの脇を走る騎士が、決死の表情でそう申し出る。
 コリンズは当然そんな事させるものかと一喝しようとしたが、しかし部下の騎士は続けた。

「このまま全滅するわけにはいきません!我々が止めている間にコリンズ隊長が下がり状況を見て歩兵隊を纏めて下さい!!その間にブラッドレー隊長が必ず城門を奪還します!そうすればこの戦は勝てます! 我々は誇り高きロアーヌ騎馬隊にして速攻のコリンズ隊第一隊!あの様な輩にはかすり傷一つも負わずに必ず止めて見せます・・・!どうか、ご指示を!」

 彼はもう、死を覚悟していた。
 その上で放たれた強い意志の言葉を受けたコリンズが苦渋の表情で周りを見れば、並走する全員が表情を同じくしてコリンズに視線を投げかける。
 コリンズは砕けそうな程に強く歯を食いしばり、前方に視線を戻した。

「いいだろう!我が隊の勇姿をとくと邪教徒共に見せつけてやれ!突撃後は速やかに本隊へと合流し、籠城戦へと移るぞ!」
「はっ!畏まりました!」

 コリンズの指示に俄然奮い起った騎士達は、槍を構えて突撃姿勢を取った。

「・・・・・・な、なんだあれ・・・!?」

 そのまま上翼突撃をせんとした、まさにその時だった。
 突撃姿勢の一人が下翼の方面を向きながら当惑の声をあげ、その声に反応したコリンズが其方に視線を向ける。
 すると、確かにそこにはとてもこの状況では理解し難い光景があった。

「・・・敵の新手、か?」

 いいながら、まさかと自分で否定する。
 彼の視線の先には、今まさに激突せんと加速する両軍の丁度真ん中を縫うように駆ける、一頭の駱駝がいたのだ。
 駱駝の背には人が一人乗っているが、ローブ姿のようで遠目からは容姿も何もわからない。
 だが、駱駝に跨るその騎手が手を振り上げて何かの動きをすると、それを見たコリンズは目を見開いた。

「な・・・き、騎馬隊止まれぇぇえ!」

 コリンズの突然の指示に、しかしよく訓練された騎馬隊は即座に反応して急停止をかける。

「コ、コリンズ様・・・あの者は、今・・・」
「あぁ、彼奴、うちの手信号使いやがった・・・」

 同じくそれを見ていた騎士の言葉に、コリンズは頷いた。
 見た目は間違いなく敵のそれに近い格好なのだが、しかしその動作は間違いなくロアーヌ騎士団の中で使われる伝統的な手信号だ。
 事前にそれを入手した敵軍による情報操作とも考えられたが、それならば格好をこちらに合わせてくるはずであろう。それに何より、あの信号は普段このような場面で使うものではない。

「自分に任せろ・・・だと? 彼奴、何するつもりだ・・・?」

 コリンズのその呟きが終わる頃には、件の人物は両軍の中央辺りの位置まで到達すると、なんと駱駝を降りて只一人で神王教団の軍勢に向かい合った。

「・・・おいおい、何のつもりなんだ彼奴・・・どんな奇策を使うつもりだよ・・・」

 コリンズはいつでも動き出せるように騎馬隊に指示を飛ばしながら、固唾を飲んでその光景を見守った。

 大量の砂埃を巻き上げながら視界前方に広がる軍勢は、速度を緩める事なく突撃してくる。
 たかが人一人のために止まる事などあるわけもないのだから、当然と言えば当然だろう。
 故に相対したその人物もそんな事に構う素振りはなく、前方の大軍を見据えながら駱駝を降り、自分の背後に駱駝をしゃがみ込ませたあと無造作に腰から一本の剣を抜き放った。
 金色にて細身のその剣は、ずぶの素人が見たとしても大変な価値のありそうなものだという事だけは一目で分かるほどに煌びやかで、そして圧倒的な威圧感を有していた。
 鞘から解き放たれた刀身はまるで身震いをするかのように小さく震え、その場に風を巻き起こす。やがて己の有する金色ではまだ足りぬとばかりに剣は鳴動し、その身になおも光を集め始める。
 渦巻く風に沿って光の集約していくその様は、まさに満天の星の煌めき。瞬く間に眩く発光する刀身を確認したその人物は、慈しむようにその刀身を一頻り眺め、そして剣を構えた。
 まるで、大気がそれを待っていたかの様に。
 ふと、風が止んだ。
 それこそは、開演の合図。
 周囲の怒号も鳴り響く風も全てが掻き消えた刹那の静寂の中で、その様舞踊の如く流れるように美しい動作でふわりと一回転し、眼前の軍勢に向かって剣を薙ぐ。
 剣を起点に、光が弾けた。
 一瞬の閃光。次いで突風、衝撃。そして轟音。
 起点の後方にいたコリンズが感じとれたのは、そこまでだった。
 爆風により大きく砂埃が舞い上がり、あたり一帯の視界を遮る。
 だが直ぐに戻ってきた吹き抜ける風によって砂埃は取り払われ、そうして開けた視界を確認したコリンズは目の前の光景に思わず槍を取り落とした。

「・・・おいおい・・・なんだよこれ・・・」

 彼の眼前にて、敵の戦駝隊は全滅していた。
 騎手らはその全てが地面に落ち、その後方の歩兵までが前面はほぼ壊滅状態にまで追い込まれているようだった。
 戦場特有の熱気は既に消え失せ、その場にはそれこそ嵐が過ぎ去った後のような静けさと、神王教団軍負傷者の呻き声だけが僅かに残されている。
 その数秒後、またしても特有の角笛が独特の拍子で鳴り響く。
 それが何を意味しているのかは、知らずとも分かる。
 一目散に、眼前の神王教団軍は退却を開始した。

「・・・じ、城門制圧を急げ!」

 その様を見たコリンズは直ぐに背後の歩兵隊に指示を飛ばす。彼と同じく呆然としていたロアーヌ軍はその一言で目覚め、即座に反転し隊列を整え進軍を開始した。
 騎馬隊も合わせてそれに向かわせたコリンズは、撤退していく敵軍へと振り返り戦場跡に一人佇む人物の元へと視線を向ける。
 その人物は既に剣を納め、再び駱駝に騎乗しようとしているところであった。
 考えるより先に手綱を握り直したコリンズは、その人物の元へと馬を走らせる。
 先ほどの疾駆が冗談かと思うほど緩慢とした動作で立ち上がる駱駝の上に跨るその人物は砂漠の民によく見られる通気性に優れた日除けのフードとマントを装着しており、年齢はおろか性別も識別できない。
 先ほどの手信号等を見るに敵ではなかろうが、最低限の警戒は怠らぬようにしつつコリンズはその人物に近付きながら声を張り上げた。

「・・・ま、待ってくれ!」

 その声に、フードの人物が振り返る。
 しかし顔面も目の部分以外はフードに覆われ、正面から見てもやはりその人物像は今一伝わらない。
 とにかく止まってくれた事に安堵しつつ、コリンズは直ぐそばまで馬を寄せた。

「・・・まずは礼を言わせてくれ。助かった」

 コリンズがそう言いながら頭を下げる様子を、フードの人物は微動だにせず見つめ返す。

「俺は第一騎馬隊のコリンズ。先の手信号からするとお主は我が軍の者なのか?」

 フードの間からわずかに覗く瞳に向かってコリンズが問い掛けると、目の前の人物はゆっくりと首を横に振った。その次には、フードの下から少しくぐもった男性のものと思われる声が発せられる。

「いいえ、私はあるお方からお使いを頼まれただけの・・・」

 そう言いながらその人物はゆっくりとフードを取り去り、代わりに色合いが特徴的なとんがり帽子を被り直して微笑んで見せた。

「一介の、聖王記詠みでございます。以後、お見知りおきを」

 

 

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第五章・12 -神王教団-

 

 灼熱の砂漠を越えて遂に辿り着いた彼女の目に先ず見えたのは、今まで彼女が見てきたどんな建造物よりも高く高く天に突き刺さらんとする、無骨な塔であった。
 そしてその塔を中心として商人達の市が広がり、更にそれを囲うように円形に住居が形成されている。
 それら住民の暮らしを支えるように近くにはオアシスが複数箇所に渡り点在しており、恐らくそれらの水源であろうと思われるハマール湖が南東に覗く。
 神王の塔とはその様な街の中心に突如として聳え立っており、只々異質な空気を醸し出していた。
 だが砂漠越えに同行してもらった商隊に礼を言って別れたカタリナは、その直後、更にこの地において異質なものをその目にした。

「やぁやぁ、これは奇遇ですねカタリナ殿。いやはやこんなところでばったり出会うなんて、なにやら運命めいたものを感じてしまいますね。最早ここは殿なんて言わず親しみを込めて、カタリナさんと呼ばせてもらっちゃいましょうか」
「・・・!」

 突如カタリナに声をかけて来たのは、余りにその見た目が特徴的すぎて忘れる事も叶わないであろう人物。
 ピドナで遭遇し彼女に不可思議な言葉の数々を投げかけてきた、聖王記詠みを自称する謎めいた詩人だった。
 朝焼けの港での出来事がフラッシュバックし思わずその場で抜刀しそうになるのを何とか抑え、カタリナは警戒心むき出しで詩人を見据えた。

「・・・何故ここにいる。私に一体、何の用なの」
「いやー・・・暑苦しいこの地では心地いいくらいに反応が冷たいですねー。ここに来るためのキーマンを教えて上げたの、私なのに」

 酒場にいれば笑いを誘う様な大袈裟な素振りで頭を項垂れる詩人に対し、カタリナはピクリとも表情を変えずにいる。
 すると詩人はやがて諦めたのか一つため息をつくと、つれないなぁとぶつぶつ呟きながら、カタリナを手招きして歩き出した。

「・・・マスカレイド、取り戻すのでしょう? それなら、ついて来た方がいいと思いますよ」

 立ち止まったままでいたカタリナに詩人は一度だけ振り返り、あくまで悪戯っぽく笑みを浮かべながらそう言った。
 全く以て不気味な話だが、此方の目的等は全て分かっている、という事なのだろう。
 そのままあとは振り返る事もなくゆっくりとしたペースで歩いて行く詩人の背中に一つ悪態をつくと、カタリナは実に不本意そうな表情と共にあとを追って歩き出した。
 そのまま二人は市の中心地から離れ、やがて人通りの少ない路地裏で詩人は立ち止まった。
 用心深く多少の距離をとって同じくカタリナが立ち止まると、詩人はそんな様子のカタリナにはお構いなしにあくまで自らのペースを崩さず、肩から下げていたバッグからズルズルと麻で作られたローブを引っ張り出す。
 それは、神王教団の教徒が着用する専用のローブだった。

「はい、どうぞ」

 そう言って無造作に放り投げられた丸まったローブをカタリナがキャッチしてから詩人を見返すと、彼は丁度自分の分のローブを同じくバッグから引っ張り出したところだった。

「神王の塔に入るには、このローブを着用しているか、もしくは何とびっくり一万オーラムのお布施を捧げないといけないんですよ。碌なアトラクションもないっていうのに、随分とぼったくってきたものです」

 ぶつぶつとそういいながらローブを羽織る詩人と手元のローブを交互に見ながら、カタリナはこの状況についてどう対処するべきかを考えていた。

「・・・着ないんですか?」
「・・・貴方は何者なの? 目的は、なんなの?」

 詩人からの問いかけを無視する形で、カタリナはそう言った。

「何者か、は・・・残念ながら秘密です。そんでまぁ今回の目的ですが・・・」

 彼女の言葉に答えながら詩人は着用していた特徴的なとんがり帽子を脱いでローブで頭まですっぽり覆い、似合うでしょ、と聞いてくる。
 それを当然の様にカタリナが無視すると詩人は少しだけいじけた様な表情をしてみせ、そしてふと神王の塔を見上げた。

「私も少し、取り戻したいものが有りましてね。なもので折角だから、ご一緒しようかと思ったわけです」

 そう言ってカタリナに振り返った詩人は、臆面なくにこりと笑う。
 それに対してカタリナはピクリと眉を動かすだけで答えたが、それ以上はこの男が語りそうにもない事を悟ると、諦めた様に手に持ったローブを羽織った。

「・・・もう油断はしないわ。何かしようとしたら、容赦なく斬る」
「やだなぁ、私そんなに節操ないわけじゃないですよ?」

 カタリナの言葉に詩人が相変わらずの調子で返すと、むすっとした表情のカタリナはそのまま彼を追い越して、街の中央へと歩き出す。
 詩人はそんなカタリナの背中を眺めてやれやれと言った様子で肩を竦め、その後を追った。
 カタリナが市まで戻ると、其処彼処で露店を開いている商人たちが本日の目玉商品を声高らかに彼女に向かって過剰にも思えるくらいに宣伝してくる。
 先程はその様な事は無かったので、違いといえば神王教団のローブを羽織っている事だ。
 この地が神王教団に実質支配される様になってから十年、彼らはこの地では商魂逞しい商人達にとってよい商売相手として認識されているのだろう。

「おお、見てくださいよ。この絨毯模様の見事なこと! なんか空、飛べそうじゃありません?」

 ゲッシアの絨毯織物技術は世界的にもその品質や芸術性の高さが有名で、愛好家は西方諸国にも少なくない。周囲を見渡せば砂しか見当たらないようなこの土地から作られるなどとは想像もつかぬほどに色鮮やかに染め上げられた糸を織り合わせ、露店に並べられた商品はそのどれもが美しい幾何学模様を披露して通行人の目を楽しませている。
 確かに時間と余裕があればゆっくりとそれらを眺めて回りたいのは山々だが、今のカタリナは生憎とそのどちらも持ち合わせてはいない。
 故にそれらを一瞥しただけで再び歩き出すカタリナに対し、詩人は其処彼処の露店に視線を泳がせながらなんとか彼女の背中にすがりつく様な形でついていく。
 だが街の中心に近づくにつれて、徐々に道に広がる露店の数は少なくなっていった。
 そして最後に織物を扱う商人の横を通ると、急に目の前の空間が大きく開けた。目前に聳える巨大な塔が建設中であるということを匂わせる幾つもの日干し煉瓦の山が点在している以外には何もない空間が、塔を囲う様に広がっていた。
 一度そこで立ち止まって塔を軽く見上げたカタリナは、ふとここまでの旅路に思いを馳せ、そして意を決して歩き出す。
 そのまま何事もなく入り口に辿り着くと、そこには一人の神王教団教徒が入り口の番人として立っていた。
 だがカタリナが教徒のローブを羽織った姿で近づくと、番人は軽く会釈をして脇に避ける。
 それに会釈を返し、拍子抜けしてしまうほど何事もなくカタリナ達は神王の塔へと侵入を果たした。
 多少薄暗い中で視界を慣らすようにゆっくりと周囲を見渡すと、中は窓が設えられておらず代わりに蝋燭が灯されており、外が昼間であるのか否かもよくわからなかった。そして何より、砂漠のど真ん中に立てられているにしては随分と冷んやりとした空気に包まれているな、と言うのが彼女のこの場に対する第一印象だった。
 入り口から三又に通路が別れているが、そのうち正面と右側の通路は教徒が立って道を塞いでおり、カタリナは軽く会釈をしてみたがその場を動くような反応はなく、どうやら通行止めのようだった。
 別段強行突破する理由も今はないので残された左の通路を進み始めたカタリナと詩人は、細かく区分けされた幾つもの部屋を抜け、その先に設置された階段を登り、歩みを止めることなく只管に上を目指した。

「しっかし・・・不親切設計な塔ですねぇ。上まで登るのにこんなにグルグルと階の中を歩き回らなければならないなんて」

 いい加減歩き疲れた様子で詩人がその様に悪態をつくと、それには流石にカタリナも同意を示した。
 まるで塔の中央を避ける様にその周りを回りながら上を目指す様な構造は、確かに不親切極まりない。これもまた、何かの宗教的な考えの結果なのだろうか。

「お、今度は外まで回れってことらしいですよ。徹底してますねぇ!」

 遂には室内に道がなく、外のバルコニーへと続く進路のみとなった。
 詩人が思わずそれに茶々をいれるが、もし彼が言っていなかったらカタリナが言っていたかもしれない。面倒極りない作りだ。

「・・・わぉ」
「おー、これはなかなかいい眺めですねぇ」

 バルコニーから外に出ると、階層にしてそれ迄に十ほどを進んできたのだろう。かなりの高さまで登っていた。
 見下ろす街並みは美しく環状に広がり、道行く人々がとても小さく見える。

「最上部はまだ建設中の様ですね。となると、ゴールは近そうです」

 詩人が見上げる先にカタリナも視線を移せば、確かにまだ最上部には建設用足場が組まれている。
 それを確認したカタリナは、再び歩き出した。
 バルコニーを通ってまた室内へと戻り、その先にようやく見えた階段を登り、またバルコニーへ。
 それまでと変わらず嫌がらせの様な構造の建物を根気強く二人は登り続け、漸く終点へと辿り着いた。
 それまでの細かく区切られた間取りとは違い広く取られたその広間には、奥に設えられた厳かな台座の上に、黄に染められたローブを羽織った一人の老人が此方に背を向けて立っていた。
 カタリナと詩人が歩み寄ると、その人物はゆっくりと二人に振り向いて、何事か、と視線で語る。
 それに応えるように二人が身に纏っていた麻のローブを脱ぐと、男は落ち着いた様子でゆっくりと目を細めた。

「お前達、教団の者ではないな」

 老人のその言葉に小さく頷いたカタリナは、脱いだローブを折り畳んでから姿勢を正した。目の前の人物に見覚えはないが、この佇まいは間違いなく教団の長だろう。

「神王教団教主ティベリウス殿とお見受けします。突然の訪問をお許しください。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランと申します。此方は現地案内人です」

 カタリナの紹介に合わせて詩人が優雅に一礼をすると、ティベリウスと思しき老人は手にした杖をコツンと床に一度当て、台座から降りた。

「いかにも、私がティベリウスだ。ロアーヌの騎士殿、よくこの地に参られた。神王様はすべての人のために現れる。故に歓迎しよう」

 ティベリウスのその言葉に軽く一礼をして返したカタリナは、軽く周囲を確認し直した。そして特に人の気配も感じられないことを確かめると、ティベリウスへと視線を戻す。

「単刀直入にお聞きします。マクシムスは、どこにいますか?」
「マクシムス? あやつならピドナにおるはずだが」

 一体それがどうしたのか、とティベリウスが首を傾げると、カタリナは一歩前に進み出た。

「あの者の正体は、かつて温海にて残虐非道の限りを尽くした海賊ジャッカルです」
「・・・海賊であろうが、殺人者であろうが、くいあらためて神王様を待つ者は救われる。マクシムスが昔どんな名を持っていたとしても、今は関係ないことだ」
「ジャッカルはこの教団を隠れ蓑として、今も非道な悪事を続けています。それも容認なさるのですか?」

 ティベリウスの返答にカタリナが即座に応えると、ティベリウスはカタリナの瞳を見返した。そこに偽りの念が全くないことを読み取ると、ふむ、と唸って口を開く。

「真偽を確かめるために、出頭させよう」

 そう言った、その直後だった。
 嫌悪感を催す悍ましい視線を背中から感じとったカタリナが、咄嗟に背後に振り返る。
 その直後、広間の入り口から下卑た笑い声が響きわたった。
 それに詩人も遅れて振り返ると、その先には数日前にピドナでカタリナが見た姿と同じ、神王教団幹部の位を示す青いローブを身に纏ったマクシムスが立っていた。

「マクシムスか。この者達の言うことの真偽を聞きたい」

 ティベリウスがまずそう口火を切ったが、マクシムスはそれを一瞥しただけで無視した。
 そして下卑た笑みをそのままに、カタリナへと視線を移す。

「よぉ、美人社長のカタリナさんよ。ピドナでは派手にやってくれたそうじゃねぇか。おかげさんで俺様の可愛い部下どもは、殆どお縄になっちまったようだ。だが・・・残念だったなぁ! もう俺はあそこに用はなくなった!」

 不快に耳に届くマクシムスの声を聞きながら、カタリナは手にしていたローブを床に放り、躊躇う事なく月下美人を抜刀した。

「マクシムス! マスカレイドを返してもらいにきたわ!」

 声を発した直後に、カタリナは一足飛びでマクシムスに斬りかかる。
 だがマクシムスはそれを思いの外機敏な動きで後方に飛んで避けると、なんとそのまま笑いながらバルコニーの手摺へと身を乗り出した。

「くっくっく、随分と威勢がいいじゃねーか。そういうの、嫌いじゃないぜぇ? しかもそれが聖王遺物のお土産付きともなりゃあ、大歓迎だ」

 追撃を繰り出さんという姿勢のカタリナに対し、マクシムスはカタリナが身につけている聖王のブーツと王家の指輪をみて、上機嫌に笑う。
 そして漸くその後方に控えていたティベリウスへと視線を移すと、残忍な笑みを浮かべた。

「と、いうわけだ。この塔は頂いたぞ、ティベリウス」
「・・・この塔は神王様の物だ。お前の自由には出来んぞ」

 ティベリウスが即座にそう返すと、マクシムスは鼻で笑った。

「神王だと? そんなガキは必要ない。世界は俺様が支配してやる。集めた聖王遺物とモンスターどもを使ってな!」

 そう言い捨てると、なんとマクシムスはバルコニーからそのまま身を翻し飛び降りた。
 まさかのその行動に驚いたカタリナがバルコニーまで駆け寄ると、なにかとても大きな物体が彼女の目の前を下から上へと通り過ぎる。
 その影を追ってカタリナが上空を見上げると、巨大な鳥ような魔物の背に乗ったマクシムスが、相変わらず不快な笑みを浮かべて彼女を見下ろしていた。

「てめぇの死体からしっかり聖王遺物は回収しておいてやるからよ。全員仲良く死ねよ」

 そう言って高笑いをするマクシムスの背後から、更に大きな魔物が姿を現す。真紅の巨体に獰猛な眼光を宿した赤竜だった。

「おやおや、レッドドラゴンですかぁ。どうやって手懐けたんでしょうねぇ?」

 暢気な声を上げながらも、詩人は慣れた手つきで腰にさしていた剣を抜く。
 それに合わせてか赤竜は雄叫びを上げ、狭い入り口にそのまま体当たりをしてきた。
 慌てて横に飛んでよけたカタリナを素通りして轟音と共に入り口周囲の壁を破壊しながら広間へと突入した赤竜は、続けざま即座に口角を大きく開く。
 そこに超高温の揺らめきが収束したかと思えば、次の瞬間には周囲を薙ぎ払わんとする轟炎の奔流が吐き出された。

「ただでさえ暑いんですから、少しは気を利かせてアイスブレスとかにしてくれませんかねぇ」

 ティベリウスをかばう様に彼の前に位置した詩人は、相変わらずの様子でそういいながら手にした剣を横に凪ぐ。
 すると彼の目の前に広範囲の炎の障壁が現れ、迫り来る炎をいとも簡単に全て堰き止めてみせた。それは嘗てシャールが夢の世界で見せたものと同じもので、少なくとも詩人のその身の熟しと術式が非常に高い水準にあることが垣間見える。

(・・・やっぱりただものじゃないわね、あの男・・・)

 それを体制を立て直しながら見ていたカタリナは、炎を吐き切って動きが止まった赤竜に向かい、すかさず月下美人の一太刀を浴びせる。実のところこの月下美人を実戦で使うのはほぼ初めてに近いのだが、事前にフェアリーから聞いていた扱い方を元にした鍛錬は抜かりない。教えられた通りに太刀筋の流れに沿って斬ることを意識し、無心で太刀を振った。
 すると驚くべきことに殆どなんの抵抗も感じられない程の切れ味で、赤竜の背中に生えた翼が一本、あっさりと斬り飛ばされた。
 それに思わずぎょっとしたのは誰あろうカタリナで、激痛に叫ぶ赤竜の脇を慌ててすり抜け、詩人の横まで戻って剣を構え直した。

「すんごい切れ味ですねー、その刀」
「刀・・・というの? 貰い物だからあまり知らないけど、確かに今のは我ながら驚いたわ」

 刀自体も実戦でしっかり使ったのは初めてだったが、切れ味でいえば彼女が今まで使ったどんな剣よりも、この月下美人という武具は優れているようだ。
 痛みに暴れまわっている赤竜が再び此方にターゲットを向けて口を開かんとしているのを確認すると、早いところ勝負をつけてしまおうとカタリナが先に動いた。
 赤竜が前足の爪で迎撃しようとするがそれを難無く躱し、懐に入ったカタリナは全身に力を込める。
 次の瞬間には赤竜の背中へとすり抜けたカタリナが先ほどまで立っていた位置に、ゴトリと赤竜の首から上が落とされた。

「おぉぉ、お見事ですねぇ」

 剣を鞘に戻し、ぱちぱちとやる気のなさそうな拍手をカタリナの背中に送る詩人。
 それを流しながら血振りした月下美人を納刀したカタリナは、随分と風通しの良くなったバルコニーへと視線をやった。しかし、そこにはもうマクシムスの姿はない。

「彼奴は、この塔の何処かにいるはずね。ティベリウス殿、心当たりはありませんか?」
「この塔の中心部を通るようにマクシムスが設計を主導した昇降機があるが、今は動いていない。どこかに起動装置があると思うが・・・」
「昇降機ですかー。魔術紋章を用いたものは多少は存在しているみたいですけど、完全に機械仕掛けで動くものなんて初めて聞きましたよ。マクシムスさん、発明家に向いてません?」

 ほんわかと場違いな発言が好きなのだろうか。詩人がそのような感想を述べているのを聞き流しながら、カタリナは踵を返して歩き出した。
 だが、それを呼び止めるように声が掛かる。カタリナがそれに振り返ると、彼女を呼び止めたのはティベリウスだった。

「待ってくれ。私も行こう。場所なら、大凡の見当はつく」
「・・・感謝します」

 カタリナが頷くと、ティベリウスは思いの外機敏な動きで歩き出した。
 先行するティベリウスを追うように二人は壁の破片が飛び散った広間の入り口を越え、ここまで登ってきた道を逆再生して行くように戻る。
 そして二つ程下の階層に戻ると、行きには番がいて塞がれていた道が開かれていた。大方、上で起こった騒ぎに逃げ出したのだろう。
 ティベリウスが躊躇いなくそこに入っていったのでその後を追うと、中は巨大な螺旋階段となっていた。

「ここから一階まで一気に降りれる」
「わお! 私一度、こういうのやってみたかったんですよね」

 ティベリウスの言葉を聞き終わらないくらいで、詩人が乗り出す。
 塔の中央を貫く螺旋階段には手摺が設置されており、彼はそこに腰をかけた。
 背中を吹き抜ける風を感じ、一瞬だけ下を覗き込む。

「うーん、落ちたら死んじゃいそうですけど・・・そんなこと気にしてたらロマンは追いかけられませんよねぇ。ってなわけで、一番乗りいただきまーす」

 そのまま勢いをつけて手を離した詩人は、軽快な速度で手摺伝いに下方へと滑り落ちていく。

「・・・落ちちゃえ」

 その様子を見ていたカタリナはぼそりとそう言い、そう言いつつ自らも手摺に腰を掛けた。少し品がない気もするが、確かにこの方が速そうだ。
 そのままするすると滑り出していったカタリナを見届けたティベリウスは、自分も一瞬だけ手摺を見たものの、そこは冷静さを取り戻して踏み止まった。
 そして早足に歩いて長い螺旋階段を漸く降りきると、丁度部屋の出口ではカタリナと詩人が悍ましい人面の獣を斬り捨てたところであった。

「この塔に、このような魔物が蔓延っていようとは・・・。許さぬぞ、マクシムス・・・!」
「まぁまぁ。そうカッカすると血圧上がっちゃいますよ? 起動装置というのは此方ですかね?」

 血相を変えているティベリウスを宥めながら詩人が示したのは、獣が立ち塞がっていた扉だった。
 その中をカタリナが覗き込むと、今度は地下へと道が続いているようだ。そして、其処彼処に魔物の気配がある。
 広くはない通路なので月下美人を鞘に収めて代わりにレイピアを手にしたカタリナと剣を持った詩人が先行する形で、道を進む。途中の通路を塞ぐ魔物を難無く打ち倒しながら走破していくとやがてその先は行き止まりとなり、そこにはレバー式の切換器が露出した何かの装置が鎮座していた。
 恐らくはこれが昇降機の起動装置なのだろう。
 躊躇うことなくカタリナがレバーを切り換えると、ガチャリという音と共に内部で何かが動き出す。
 しかし、それを確認したカタリナが手を離すとレバーはゆっくりと元の位置に戻ってしまい、同時に内部で動いていた仕掛けも止まってしまった。
 数度繰り返してみるが、結果は変わらず。何か押さえになるものがないかと手荷物を漁ってみたが、役に立ちそうなものもない。

「・・・ここは私が押さえておこう。先に進むがいい」

 ティベリウスが起動装置に手を掛けながらそう名乗り出ると、カタリナと詩人は彼に礼を言って先に進むことにした。
 ここまで来た道を戻り、塔の入り口まで辿り着く。すると上から降りてきた時に使った螺旋階段の部屋の奥、先ほどは何もなかった筈の場所に昇降機と思しき台が現れていた。

「いいですねー。こういう仕掛けがある所って、なんかこう、攻略してるーって感じがしますよねー」
「・・・貴方が隣にいると、こっちはちっともそんな気がしないわ。でも・・・確かにこの先に目指すものがあるみたい」

 詩人の軽口にそう返しながら昇降機に足をかけつつ、指にはめられた王家の指輪へとカタリナは視線を落とした。
 まるで魔王殿の地下へと誘われた時の様に、指輪がこの先へ早く進めと彼女を囃し立てている。
 二人を乗せた昇降機は内部でカタカタと振動する動力装置により、ゆっくりと上昇を始めた。
 そうして誘われた先でも相変わらず遠回りを促す不親切な通路設計の中を突き進んでいくと、再び何かの起動装置が現れた。
 形状も先程のものと同じで、やはり誰かが押さえていないとすぐに戻ってしまうのも一緒だ。

「今度は私ですね。どうぞ先へ」

 思いの外素直に詩人が進んで装置に手を掛けた事に一応感謝しつつ、いよいよ一人となったカタリナは先へと進んだ。
 通路の先に現れた昇降機を今度は下り、その先は広く取られた空間があった。そしてそれまでよりも多く配置された魔物達を次々と斬り捨て、更に奥の階段を下っていく。
 道中には魔物は元より様々な罠も仕掛けられており、とてもではないが宗教上のシンボルとして建てられた塔の様には思えなかった。
 ティベリウスは思いの外話のわかる人物だったが、彼にはこの事態は把握できなかったのだろうか。
 何かを信じるものは、得てしてそこに付け込まれると油断し、騙されやすいものなのかもしれない。
 それは自分自身にも大いに言えることであって、自分で考えておきながらも非常に耳に痛い事実だった。
 だが、間も無く自らの油断と慢心が招いた一連の事件に一つの決着がつく。
 通路の最後で飛び掛かってきた大型の蛇を斬り飛ばしたカタリナは、悍ましい気配を放つ奥の間の扉の前に立った。
 すると扉は一人でに開かれ、その奥に鎮座する人物がその位置から見えた。マクシムスだった。

「やるな、ここまで辿り着くとは」

 広間の中へと入ったカタリナに対し、マクシムスは素直にその様な賛辞を述べた。

「マスカレイドを返してもらいにきたわ。大人しく渡しなさい。さもなければ、斬る」

 静かにそう言い、抜刀した月下美人を構える。
 しかし刀を向けられたマクシムスはカタリナを見ながら余裕の表情で顎に手を当て、生え揃った顎髭を撫でながらにやりと笑った。

「おい、お前。俺の部下にならないか? そうすればマスカレイドはお前にくれてやるし、広大な領地もやるよ。それこそあれだ、世界の半分を、ってやつだ」

 突然の妄言にカタリナが眉を顰めると、マクシムスは至って本気の様相で身を乗り出した。

「わけがわかんねぇ、って顔だな。何をとち狂ったこと言ってんだ、とでも思ってるな? ってことはお前・・・自分が持っている聖王遺物って代物がどんだけの力を持ったもんか、いまいち分かってねぇな?」

 そういいながら立ち上がったマクシムスは、椅子に立てかけてあった木の杖を手にとった。それに王家の指輪が反応したのを感じたカタリナは、その杖もまた聖王遺物であろうと目星をつける。

「こいつは、栄光の杖。聖王遺物の中じゃ地味な部類だが、今までに数百人の聖職者が血反吐を吐きながら祈りを捧げてきた、世界でも指折りの神器だ」

 マクシムスはそう言いながら、栄光の杖を振りかざす。すると僅かに光を湛えた杖からマクシムスへと光が流れ込み、マクシムスの周囲の空気が揺らぐ様に一変した。途端にマクシムスの纏う圧力が劇的に上昇したのをカタリナは肌に感じとる。
 更にマクシムスは石造りの椅子の脇に無造作に置かれた箱から一本の槍を取り出した。
 見るもの全てを魅了するかの様に煌びやかな装飾が細部に施されたその槍は、しかしその飾りとは裏腹に圧倒的な威圧感で周囲を制しながらカタリナに矛を向ける。

「こいつはいい拾いもんだった。かつて魔戦士公アラケスが操ったという魔槍を希代の名工と共に鍛え直したとされる聖王の槍・・・。カビくせぇ工房なんぞに置いとくには過ぎた代物だぜ」

 振り翳した槍をマクシムスが構えると、槍は刃先に風を受けて不思議な音色を奏でた。その音色に導かれた光が更にマクシムスへと収束し、それは軽い風圧を為して周囲に拡散する。その風を頬に受けながら、人に対峙する上では感じたことがない類の圧迫感をカタリナは感じていた。

(なんなの、この出鱈目な圧力は・・・。これが、聖王遺物の本懐だとでもいうの・・・?)

 ジリジリと後退りながら対峙するカタリナに対し、マクシムスは期待通りの反応を得た子供の様に笑みを浮かべながら一歩前へと進んだ。それに合わせてカタリナが後退するのを見てさらなる笑みを浮かべ、勝ち誇った様相で口を開いた。

「俺はある時、天命によりアビスの魔物を従えた。こいつらがあれば、人間の軍勢がどれだけ集まろうが対抗出来る。そして更に俺はこの絶対的な力、聖王遺物をも手に入れた。これなら・・・四魔貴族だろうが対抗できる」

 振り翳した槍を恍惚の表情で見つめながら、マクシムスはもはやカタリナを見ているわけでもなく、誰にともなく語った。

「だーが・・・まだ足りねえ。如何せん俺一人だけっつーのが良くねーんだ。六百年前に魔王が失敗した理由はそこよ。右腕がいねぇ。そこで、お前だ。赤竜をぶった斬る程の能力を持ったお前なら、この俺様の覇道に付き合う権利がある。どうだ、俺の部下にならねえか?」

 言いながらマクシムスが翳していた槍をおろした事で威圧感から一時的に解放されたカタリナは、こちらも刀を下ろして直立の姿勢をとった。
 その様子にマクシムスがニヤリと笑うのを確認すると、彼女は肩で一つ息を吐き、ゆっくりとした動作で再び刀を構える。

「続きは夢の中にして頂戴」
「・・・あん?」

 マクシムスが眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情をすると、カタリナも負けず劣らず不機嫌そうな表情で返しながら、眼前の邪気を払う様に月下美人を真横に薙いだ。

「寝言は寝て言えっつってんのよ!」
「・・・はっ!この状況でその口の聞き方とは大した奴だ!」

 両手に構えた槍を眼前のカタリナに向け、マクシムスは全身に力を込める様に腰を深く落とした。

「じゃあ残念だが、ここで消えてもらうぞ!俺様の邪魔はさせん!」

 石畳が弾けんばかりの強烈な踏み込みでカタリナに迫ったマクシムスは、勢いに任せて渾身の突きを放つ。先端が三叉の形状をとられた槍の刃先に対してカタリナはその間に刃を差し込みながら受け流そうとするが、接触の瞬間に槍の刃先が跳ね上がり、次いで石突がカタリナの顎を狙って唸りをあげながら迫った。
 それを間一髪上体を反らせる事で回避したカタリナは、槍を振り上げて脇腹ががら空きになったマクシムスを狙って刀を横に薙ごうとしたが、刀を振り抜かんとしたまさにその瞬間、突如としてマクシムスの身体からカタリナ目掛けて炎が迸った。
 予想外の事態に思わず身を庇う姿勢を取りながら後ろに下がろうとしたが、その間に態勢を立て直したマクシムスが回転させた槍に捉えられてカタリナは脇腹を浅く裂かれる。

「・・・っ!」

 構わず後方に飛び退いたカタリナは軽い裂傷に舌打ちしながら構えを直し、ニタリと笑うマクシムスを睨みつけながら下段に刀を構えた。

(今のは、聖王遺物の力などではない・・・。もっと、とても悍ましい何かの力だった・・・)

「オラオラどうしたぁ!? さっきの威勢はよぉ!?」

 手の内がわからず積極的に攻めあぐねいたカタリナの様子を見てとり不敵に笑いながら、マクシムスは手にした槍で攻め立てる。
 カタリナはその攻撃を全て紙一重で躱し、弾き、捌きながら、慎重に相手を観察した。
 幾らでも隙もあれば先ほどの様な炎が見えるわけでもないのだが、しかしそれに誘われて攻めに転ずるには至らない。

「・・・ふん、流石だな。こんだけぶん回しても一つも擦りやしねぇのかよ。だが、このままじゃ死ぬのがちっと伸びるだけだぜ?」

 防戦一方のカタリナに対して攻め立てていたマクシムスもこのままでは埒が明かないと考えたのか一度攻撃の手を休め、ギリギリ間合いの外まで下がると飽きれた様にそういった。
 その様な安い挑発に乗るカタリナではないが、それ以前に未だ彼女には攻めるための起点が見つからない。先ほどの様な謎めいたカウンターの正体が掴めないと、この男を倒すことが出来そうもないのだ。
 刀を上段に構え直したカタリナは一度距離を取って様子を見ようと、月下美人を地面に突きたて地を這う衝撃波を見舞う。
 それをどのように避けてくるにしても、先と同じ大味な避け方であるなら地走りの連撃を見舞わんと気構えた。
 しかし、ここで彼女の予測は大きく外れた。
 マクシムスはなんと真正面から地を這う衝撃波を身体に受けつつ再び深く腰を落とし、力を溜める姿勢をとったのだ。
 その間に衝撃波がマクシムスの身体を幾重にも切り刻んでいくが、しかし切り裂かれた箇所から吹き出したのは鮮血ではなく、なんと赤い炎であった。
 その奇怪な光景にカタリナが驚愕の表情を浮かべるのを見て焔を纏ったマクシムスはまたしても下卑た笑いを浮かべ、そして咆哮した。

「終いだ、くたばりなぁっ!」

 深く根を下ろすようにその場に固定された下半身と、大きく捻られた上半身。その両腕に抱かれた槍の先に集約された力の奔流が最高潮に達した時、マクシムスはカタリナに向かって強大な衝撃波を伴う二段突きを繰り出した。
 放たれた衝撃波は瞬く間に燃え盛る炎龍と凍てつく蒼龍の姿をとり、石造りの地面を削りながらカタリナへと迫る。圧倒的な質量を伴うその双竜の波は、確実にカタリナを捉えていた。

(・・・今の焔・・・知っている。指輪が覚えているわ。あれは・・・深い闇の狭間から生まれるアビスの焔・・・)

 地面に突き刺した刀を抜いた段階で目前に迫る双竜波を避けきれないと判断したカタリナは、無心で衝撃波を切り裂く様に月下美人を真横に薙いだ。
 瞬間、月下美人が仄かに光って衝撃波に纏わり付いていた瘴気ごと双竜を粉砕するが、しかしそれで全てを抑えきるには至らない。
 相殺しきれない衝撃をもろに全身に喰らったカタリナは後方に吹き飛び、地面を二、三転してから漸く止まった。

「っけ、しぶてぇな。益々惜しいが・・・まぁ仕方ねぇわな」

 よろよろと起き上がるカタリナを見下ろす様に睨み、身体に焔を纏ったマクシムスは再び構えを取る。
 槍の先端に再度瘴気が収束していくのを感じながら膝に手をつきつつ立ち上がったカタリナは、各部に裂傷を負ったもののまだ四肢が問題なく動くことを確認すると、月下美人を正眼に構えた。
 まだ仄かに光を帯びたままの月下美人が柄から掌を通し、彼女に構えを促す。

(・・・王家の指輪には刀の扱いは刻まれていない様だけど、長年妖精達が鍛錬してきたこの刀が、私に語りかけ、力を貸してくれる・・・。私が扱うことを拒んでいない・・・)

 彼女の視線の先では、今まさに再び槍が振りかぶられたところであった。
 それを黙って見守ると、間も無く当然の様に槍は轟音と共に突き出され、再び双竜の形を成した衝撃波が荒れ狂いながらカタリナへと迫る。その奥ではマクシムスが上機嫌な様子で笑いながら何かを叫んでいるが、それは破壊を伴う轟音に掻き消され彼女の耳には届かない。
 それらの光景を正面から見つめていたカタリナは刀に誘われるまま、その場から動かなかった。

(斬れる)

 確信したカタリナは正眼に構えていた月下美人を上段へと振りかぶる。
 そして眼前に迫った双竜が正に彼女を喰らい尽くさんとした瞬間、カタリナは刀に宿る霊威を斬撃に載せるように静かに、そして力強く振り下ろした。
 甲高い鍔迫り合いのような金属音が周囲に響き渡り、次いで引き起こされた強烈な爆風にマクシムスは思わず目を腕で庇う。
 数秒後、巻き起こった風圧が止んでからマクシムスが正面に視線を直すと、刃先を相手に向ける形で八相に近い構えをとったカタリナが刺すような視線を向けていた。

「確かに聖王遺物の秘める力は、私が認識していた以上に絶大のようね。あなたでもこんな威力の攻撃が繰り出せるなんて、本当に凄まじいわ」

 先程のマクシムスと同じように両足を深く地に馴染むように擦り合わせ、腰を深く落としながら言葉を紡ぐ。
 その姿勢に呼応するように月下美人の刀身には淡く仄かな明かりが集い、やがてそれは刀身全体を覆う光となった。

「だが、稚拙。どうやらお前如きに操れる程、その武具は容易く出来てはいないようね」

 カタリナに集まる光の奔流はその言葉を紡ぐ間にも膨れ上がり、そこから発せられる圧力は先のマクシムスが放ったものを完全に凌駕していた。

「・・・っくそ、てめぇ、舐めんじゃねえぞ!」

 マクシムスはカタリナの構えを崩さんとし、背後から一振りの斧を取り出した。
 柄から刃先まで全体に禍々しい装飾を施されたその斧は、聖王の槍や栄光の杖に見られるような神々しさはなく、それそのものが強大な瘴気の塊であるかのような吐き気を催す程の邪気を纏っている。明らかにこれまでの聖王遺物とは異なる代物だった。しかしその本体から溢れ出すプレッシャーは、聖王遺物のそれに比べて非常に攻撃的なものだ。
 マクシムスはその斧を振りかぶり、すぐさまカタリナに突撃せんと足を踏み出した。
 しかしその一歩を踏み出した直後、マクシムスの足元には突如として遠方から投擲されたロングソードが突き立った。

「・・・貴方にそれは、少し過ぎた玩具ですよ」

 力を貯めているカタリナの背後から声がしたかと思えば、そこから現れたのはいつもの帽子を目深に被り直した詩人だった。

「悪役というのは散り際が潔くなくては、大物とは言えません。此度の戦いは私がサーガの一節として盛大に謳って差し上げるので、どうぞ心置きなくお覚悟を」

 突然の乱入者にマクシムスは驚きの表情を詩人に向けたが、対する詩人は場違いににこりと笑いかけ、帽子を軽くあげながらまるで目の前の人物に別れを告げるかのように、優雅に一礼をした。
 それに合わせて、ここが砂漠の更に地中に埋れた場所であること忘れさせるような、しんと冷えた空気が広間全体に広がる。
 その変化にえもいわれぬ不安を覚えたマクシムスが正面に向き直ると、そこにはうっすらと明かりを帯びた月下美人を従えたカタリナが細く長い息を吐き終える姿があった。

「滅しなさい」

 言葉と共に振り上げられた刀はそのまま上段で逆手に持ち直され、地面に突き立てられる。
 その瞬間これまでで最も激しい衝撃波がその場に巻き起こり、それは周囲の全てを薙ぎ倒さんと爆散した。
 辛うじてその衝撃波を手に持った斧の瘴気で以て耐えたマクシムスには、まるで自分だけ時間の進みが遅くなったかの様にゆっくりと、しかしどうあっても反応できない速度でカタリナが地を斬りながら自らの懐まで滑り込んでくる様を見る。
 地を摺る程に姿勢を低く保ちながら吸い込まれるようにマクシムスの足元まで月下美人を引き摺ったカタリナは、瞬間その場に停止し、そして渾身の力を込めて月下美人を天へと振り抜いた。
 その刀身が描く弧は円を為し、それは光の軌跡によって満月を成す。
 斬線と共に飛び上がったカタリナが重力に則ってマクシムスの背後に着地すると同時、マクシムスの体には斜めに一筋の線が入った。
 そして次の瞬間にはその線から溢れ出した炎が、まるで暴走を始めたかの様に彼の全身を包み込んだ。

「がっ・・・あぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!????」

 言葉にならない叫びを上げるマクシムスに振り向いたカタリナは、目の前の炎を纏った男を静かに見つめた。

「クソ・・・クソッ!!俺が・・・また死ぬだと・・・はは・・・い、いいだろう、じゃあてめえがあれを倒して見せろよ・・・あのクソ忌々しい炎の魔神を・・・俺を炎の地獄によってこの世に留めた、あいつをよぉ・・・」

 最早炎に炙られたその目には、何も映っていないはずだった。しかしマクシムスはしっかりとカタリナへとふり返り、薄っすらと笑い声さえ混じらせながら、そう言葉を紡いだ。

「・・・炎の、魔神・・・」

 カタリナがその言葉を繰り返して呟くが、その時には既にマクシムスは半身が切り落ち、物言わぬ塊と成り果てて燃え落ちた。

「・・・アウナスの事でしょうね。古今東西の魔術や幻術に通じ、密林の奥に隠れた火術要塞に巣食う・・・四魔貴族が一人。炎に蝕まれた最期から判断するなら、この男も奴等の犠牲者の一人・・・といったところなのかも知れませんね」

 瞬く間に燃え尽きた男のそばから魔性の斧を取り上げつつ、詩人が呟いた。
 その言葉を耳にし、カタリナは月下美人を納刀しながら目を細める。

「ロアーヌだけではない・・・。メッサーナの首都ピドナの中心地に食い込む程、四魔貴族の影響は世界に蔓延しているのね・・・」

 やがて塵となって形もなく崩れ落ちた亡骸に視線を落とし、カタリナは何かを考える様に軽く唇を噛む。
 そうして佇むカタリナの横を通ってマクシムスが座っていた石造りの椅子に歩み寄った詩人は、そこに立てかけられていた聖王の槍と栄光の杖、そして椅子の裏から、二振りの剣を取り出した。
 そのうちの一本を掲げた詩人は、満足そうに頷く。

「・・・取り敢えず私も目的は果たせました。そして此方は・・・マスカレイドですかね。ほら、貴女がお探しのものですよ」

 呼ばれて振り向いたカタリナに、詩人が煌びやかな装飾の施された小剣を差し出す。
 何度か瞬きをした後に受け取ったそれは、確かに彼女が探し求めて止まなかった、聖剣マスカレイドだ。
 手にとり、やけに懐かしく感じるそれを見下ろす。
 だがどうしたことか彼女には今、こみ上げる様な達成感も何も一切、湧いてはこなかった。寧ろどこか物悲しくさえ感じるような気持ちが自分の中にあることに気付き、彼女は内心で密かに驚いた。

「・・・ピドナのあの時と同じ様な表情をしていますね」

 唐突に詩人がそう言った。
 それに反応してカタリナがゆっくりと顔をあげると、詩人はそれに合わせて相変わらずおどけた様な動作で肩を竦める。
 だがその表情は、笑っていなかった。

「残念なお知らせ・・・かどうかは分かりませんが、まだ、貴女の旅は終わりません。それを今すぐにロアーヌ侯爵に返還するわけにはいかない事も、わかっているでしょう。なにせ貴女は、既にその身に大きな宿命を背負っているのだから」

 耳に届くその声を受け流す事も切り返す事もできず、カタリナは放たれた言葉の波に揺られながらマスカレイドを両手に抱いた。

「言ったでしょう。貴女は今、大きな流れの中心に居る。その流れの終着点は生憎と、ここではない」
「・・・私に、何をせよというの」

 どこか弱々しくそう言ったカタリナに詩人はすぐに言葉で反応を示さず、代わりに彼女に押し付ける様に手にしていた聖王遺物を渡した。

「先ずは約束を果たしなさい。貴女は英雄の生まれた地で、悲劇の天文学者に約束をしたのでしょう? その約束を果たすためには、それらが必要です」

 その言葉を聞いた途端、それに呼応するかの様に手に持たされた聖王遺物の数々から力強い波動が体に伝わってくる。
 それを感じて急速に意識が研ぎ澄まされていったカタリナは、何故だか今この武具達に励まされたような気がして、そんな事があるものかと冗談交じりに自嘲の笑みを浮かべる。そして今度はしっかりとした意思の元に、詩人を見据えて口を開いた。

「ストーカー紛いの熟知振りね。気持ち悪いわ。それで・・・貴方が何者なのかは、まだ教えてくれないのでしょうね。なら今はその代わりに一つ、知っているのなら教えてくれない? 世界が直面している危険に対抗するのが、他の個人でも国や軍でもなく、何故私たちなのかを」

 ピドナに集った八つの光と目される面々が何より疑問に感じた部分は、そのままカタリナも抱いていた。
 そこがはっきりせねば、いくら宿命だの八つの光だのと言われても、実感が湧かない。故にそれについて目の前の人物が知っているのなら、是非とも教えを請いたいものであった。
 一方最初に気持ち悪いと言われて軽く衝撃を受ける素振りを見せた詩人は、彼女の質問を受けてから顎に手を当ててしばし思考した後、一人合点がいったように軽く頷いた。

「うーん、まぁいいでしょう。お教えします・・・とはいえまぁ、私もすべてを知るわけではありませんがね。先ずは、歴史のおさらいをしましょう」

 そう言った詩人は大仰に背後の石造りの椅子に腰掛け、語り始めた。なにやらそうして椅子に座っている様子が随分と様になるものだから、カタリナも苦笑いをしながらそんな態度を受け流す。
 例えば、宿命の子はなぜ宿命の子であるのか。彼の話はそこから始まった。
 何故宿命の子がそうたり得るのかは、宿命の子だけが持って生まれる圧倒的な能力に起因するといわれる。
 六百年の昔に全世界を恐怖に陥れた災厄の化身である魔王は、ただ一人で四魔貴族を全て従える程の圧倒的な力を持っていた。
 その力は例えば人間が何千人集まろうとも到底敵うものではなく、手にした斧の一振りで辺り一面が焼け野原になる程であったという。それは古のナジュにおける戦いの歴史が物語っている。 当時、唯一魔王軍に対して天の術を用いた瘴気の中和を駆使して勝利を収めたナジュと東方諸国連合軍だったが、その後魔王はほぼ一人でそれを壊滅に追いやって見せたという。
 その戦いで数千の兵が犠牲になったと書には残されており、矢張り魔王という存在は圧倒的な力を持っていたことが伺える。
 そして時代は下り、宿命の子の運命は聖王に降りた。
 聖王が生まれ持った力は魔王のような純粋な火力ではなく、力を集めるための力だった。他者、或いは物体に力を宿らせ、己の力と成す。
 それは今も聖王遺物として現代に残されており、その一つ一つの武具が途轍もない能力を秘めている。
 それらを駆使して聖王は仲間と共に四魔貴族討伐を成し、世界に平和を齎したのだ。
 そして現代。
 新たに生まれ出でたであろう宿命の子が如何なる力を発現するのかは全くわかっていないが、かつて聖王の時代に三桀と謳われたパウルスは長年の天文学の研究の末に一つの結論を導き出し、編纂された聖王記に一節を加えた。
 それこそは、かの有名な『パウルスの予言』だ。

「ここで注目したいのは、予言のこの一文です。・・・後の世に三度死食あるべし。アビスの門開きて、邪悪なる者再び世に出んとす。又、一人の赤子、生き永らえん。光と闇、双方をその身の内に保つ者なり。死食起こりて十余年の後、神に選ばれし光、立つ。その数、八なるべし。集いて、邪悪なる者をアビスの彼方へ封じん・・・と。さて、この予言が意味する事は分かりますか?」

 唐突に話題を振られ、若干反応に困るカタリナ。その質問が何を意味しているのかを分かりかねてしまったのだ。
 どうも、目の前の男が歴史学者的な見解を欲しているようには見えない。
 そうして彼女が考える様子を見て意地の悪そうな薄ら笑いを浮かべた詩人は、言葉を続けた。

「いえいえ、深く考えないでください。ご存知の通りですよ・・・つまりここには、邪悪なる者と宿命の子がどうする、って描写はないわけです。そう、アビスの者共を相手取るのは、今回の宿命の子の仕事ではない。そもそもその仕事は、三百年前から八つの光に託されているわけです」

 三度目の死蝕によって誕生する宿命の子が背負う宿命とやらは、聖王のようにアビスを相手取る事ではない。
 これは確かに数十年前から各方面の学者達が言ってきたことでもある。文面を素直に読み取ればその解釈は当然出てくるものだからだ。
 そして代わりにアビス討伐を託されることになった八つの光には、宿命の子そのものと同じ力とまではいかぬものの、これまでの人類が積み上げてきた研鑽と、聖王らが得た実技面のノウハウが継承されるだろうというところまでが、主に歴史学者がパウルスの予言全文を多角的に検証した結果の解釈だ。
 正直、そこまでならカタリナも学んだことがある。伊達に彼女も、敬虔なる聖王教徒ではない。
 つまり聞きたいのは、それが何故なのか、である。
 それが余程顔に出ていたのだろうか、詩人はこちらを見ながらまたしてもにんまりと微笑んだ。けっしてこの男は見てくれが悪いわけではないのだが、どうにもこの顔は好きになれそうにないとカタリナは思う。

「答えは単純です・・・四魔貴族という存在には抑も、人が現時点で用意できる手段で致命傷を与える事が出来ないからです。彼らは自らの守護するアビスゲートから湧き出る瘴気を常に力に変換している。だから例えば貴女が斬り捨てる事に成功したアラケスの右腕も、既に修復されていたりするでしょう。それは例えあの時首を獲っていたとしても、同じことです。じゃあ質より量、となれば・・・まぁ明らかに住処に向かってくる軍勢なんて従える多くの魔物で対抗出来てしまうし、そもそも四魔貴族自身も魔王程とは言わぬものの、千を超える軍勢でさえ全く意味をなさぬ程の力を持っている。数を揃えても圧倒的火力の前には意味を成さないですよ。ぶつけるなら、同じ圧倒的火力というわけです」

 つまりお前の事だ、とでも言いたげな視線で見られたように感じたカタリナは、ぐっと言葉を詰まらせる。
 確かに言われてみればその通りだ。アラケスと剣を交えたからこそ、彼女にはわかる。あれは、確かに人が汎用的手段で相手ができるようなものではない。
 そして今し方自らが体感したからこそ、なお理解できる。あれは聖王遺物という出鱈目な能力をもった兵器を用いてやっと、なんとか相手をする事が出来る存在なのだ。

「因みに聖王の祝福を受けている品は、アビスの瘴気を祓う性質を備えています。魔王軍に対抗した東方諸国連合軍が必死に編み出した天の術の応用技術が、潜在しているわけですね。特にこれらが四魔貴族に効果的な理由はそこです。あとは自然界にもごく僅かですが、その様な特質を備えた素材が存在します。貴女が携えているその刀も、その様な素材を用いて作られているみたいですね」

 妖精だけが知っている製法か何かなのだろうか。カタリナはふとそんなことを思いながら、言われて腰の月下美人に視線を落とす。

「・・・なるほどね。兎に角、軍では通用しない理由は分かったわ。では最後に、なぜそれが私たちなのか。それは一体どんな理由があるの?」
「さぁ、それは知りません」

 さらりと即答する詩人。表情を引き攣らせるカタリナ。
 そして暫しの沈黙が場に訪れた。
 あんまりカタリナがひどい顔をしていたのだろう、詩人は気まずさに耐えきれなくなり、両手を振りながら弁明した。

「あ、別におちょくりたくて言ってるわけじゃないですよ!それは本当に知らないんです!貴女達が八つの光として選ばれた理由は何かあるのかもしれないし、特にないのかもしれない。でも例えばシノンの若者四人が揃ってそうであることをみると理由なき偶然とは考え辛いですから、何かしらの理由というか、選ばれるに至った条件とかは恐らくあるだろうとは思いますけど・・・!」

 その言葉に嘘はないか。それを見極めんとカタリナが詩人に迫る。それに合わせて詩人がじりじりと椅子の上で姿勢を後退しているところに、彼女らの背後である広間の入り口から人の気配がした。

「・・・終わっておったか」

 僅かに気疲れを感じさせるような声と共に現れたのは、ティベリウスだった。
 カタリナが抱きかかえている数々の武具と床に残った何かが燃えた残骸を見て彼なりに状況を理解したのだろうか、ティベリウスは大きく項垂れた。

「・・・大変な迷惑をかけた。神王様の元に集った信徒に、この様な輩が紛れ込んでいたとは・・・」

 そういって再び力なく頭を下げたティベリウスに、カタリナはロアーヌでそうしていた自分が重なるような感覚を覚える。
 そんな様子のティベリウスに向かい、詩人はいつの間にか椅子から立って歩み寄った。

「貴方方が何を信じ集おうが、それは貴方方の勝手でしょう。しかし組織とは力であるという事を長である貴方が理解し御せねば、このような輩は何時でも何処にでも現れるもの。ゆめゆめ、それをお忘れなきよう」

 詩人が淡々とそう告げると、ティベリウスはゆっくりと頷いた。

「・・・意外とまともな事、言うじゃない」
「貴女のその一言多い癖、治した方がモテると思いますよ」
「・・・それなら、暫く意識して一言いう様にするわ」

 カタリナの突っ込みに空かさず詩人が返す軽快なリレーはそこから暫し続くかと思われたが、表情が冴えない様子のティベリウスに気がついたカタリナは周囲の様子を見渡し、肩を竦めた。

「・・・そういえばここ、瘴気の残滓がきついわね。もう行きましょうか」
「それもそうですね。何よりこんなとこで動き回ったせいで身体中砂まみれですし、早く宿に帰って湯浴みしたいです」
「乙女か」

 軽口を飛ばしながら、三人は広間を後にする。

 そして静寂に包まれた空間の冷たい床に積もった塵から一筋の炎が立ち上がったかと思うと、それは一瞬だけ人の様な形をなし、そして消えたのだった。

 

 

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第四章・8 -旅立ちと宣告-

 

 再び新市街の邸宅へと集まった一行はまずミューズ等と初対面であったもの達が自己紹介を踏まえて軽く挨拶を済ませ、そして今回ミューズ達に起きた事件の経緯を知った。
 そして次に先ほど旧市街で行った会議の内容を触りだけ伝え、そのあまりに予想外な事の重大さに館に居た面子は固唾を飲んだ。
 なにせ、つい昨日には自分たちが世界を救う使命を帯びているなどというおとぎ話の様な出来事に巻き込まれたばかりであるというのに、今度はこれから聖王暦誕生の時より栄える世界最大国家のクーデターに巻き込まれるかもしれないというのだから、これは無理も無い反応だ。
 カタリナは改めて大広間に集まった面々に対し、自らにこの件に対して確固たる参画の意思がある者のみ以後の参加を願いたいと告げた。
 何しろ、これは失敗することがあれば逆賊として世界最大国家から追われる立場となるのが確定している行動となるからだ。無論、捕まれば有無を言わさず極刑だろう。
 それほどのことに、意思確認もしないままなだれ込むようなことは流石に出来ない。
 だが現状を再確認したところでここに集まっていた全員の腹はとうに決まっていたようで、妙にやる気を見せたモニカを筆頭に、皆が即座に首を縦に振った。
 其々の意思表示に対してこちらも大きく頷いたカタリナとトーマスは、早速これからについての会議を始めることにした。
 全体の流れとして先ほど旧市街で話した内容の要点と直近の方針を繰り返した後、まずトーマスが完全に役割分担を決めて動く事を提案した。
 一同がそれに賛同するとトーマスは軽く頷き、部屋の隅から大きな紙を持ってきて卓上に広げ、慣れた手つきで羽ペンを構えた。

「今後、我々はミューズ様とシャール様を中心とした現政権打破の為の中心となるピドナ駐屯チームと、カタリナ様を中心とした様々な情報収集の為のチーム、そして私を軸にしたカンパニー運営による後方支援チームの三つに別れて動こうと考えています。メンバーの各振り分けは、この様なもので如何でしょう」

 そうしてトーマスが紙の上にスラスラとペンを走らせていく。
 先ずミューズとシャールの下に名前が書かれたのは、モニカ、ユリアン、ノーラ。
 そしてカタリナのチームにはハリード、エレン、ポール。
 最後にトーマスの所にはサラと、ポールの名前が書かれた。

「ちょ、まてよ、俺が分身してるぜベントの旦那」

 大袈裟に肩を竦めながらトーマスのうっかりを指摘するポールだったが、しかしトーマスは悪びれなくニコリと笑った。

「いえ、これで良いのです。ポールにはカタリナ様と共に向かった先々で、しっかり営業もしてもらわなければなりませんから」

 笑顔のままのトーマスに、ポールは引き攣った笑みで応える。
 そこで、次にシャールが口を開いた。

「ピドナでは内心ルートヴィッヒに反感を抱く者は宮廷内、商人、市民にも数少なくない。其れらは、直ぐにでもクラウディウスの名の下に集うだろう。我々が行う水面下での動きは、いざ事を起こす時の規模をどれだけまで拡大できるかが鍵となる。当面はそのための根回し、情報の共有に力をいれて行くつもりだ」

 よろしく頼む、とシャールが頭を下げると、ノーラ、モニカ、ユリアンはしかと頷いた。
 次に、トーマスが口を開く。

「私の方では、フルブライト商会との連携を組みながら、ピドナ経済を睨みつつこれまで通りに会社の規模拡大と、いざとなれば経済圧力をかけられる段取りを整える事に注力します。ここでの運営には秘書にサラ、あとはこの邸宅を有する従兄弟のハンス商会がいれば十分です。外へはポールの獲得するアポイントで飛び回り、各国に影響力を持っていきます。経済面でのアシストは、お任せください」

 トーマスがそう言うと、サラがささっと伊達眼鏡をかけて腕を組んで見せる。
 それに顔をほころばせながら、最後にカタリナが席から立ち上がった。

「私達は、ミューズ様達やトーマス達の活動の肝となる情報を収集していくわ。先ずはグレートアーチへ。そこで必ず、神王教団を崩す為の手掛かりを持って帰るわ」

 力強くカタリナがそう言うと、その場の全員が頷いた。

 その後の話し合いの結果、暫くは今まで通りにここハンス商会所有の邸宅を活動拠点とし、ミューズ達も身の安全を考えて当面はここに住まう事となる。
 そして直ぐ様カタリナ達の出発の日程が一週間後で組まれ、あとは自由時間となった。

 

 

 短い休息を終えた、グレートアーチ出発当日の早朝。
 ふと暁に目を覚ましてしまったカタリナは大分時間を持て余し、まだ朝靄の漂うピドナ市街地を何気なく歩いていた。
 流石に世界の中心たる都市は、朝も早くから既に街全体が動き出している。
 通りのカフェからパンを焼いている香ばしい匂いが漂ってきて鼻腔を擽ったかと思えば、朝市の為に大量の魚介類が載せられた手押し車が忙しなく市場へと搬入されていく。
 その様をまだ眠そうな眼で眺めながら、カタリナはぼんやりとロアーヌを出てからここに至るまでの出来事について、頭の中で反芻していた。
 気が付けば彼女がマスカレイド探索の旅に出てから、既にもう半年近くにもなる。
 其の間に幾分かの遠回りと、一筋縄では行きそうにも無い別の案件を抱え込みながらも、いよいよ彼女の本来の目的へとつながる明確な手掛かりが掴めたのだ。
 着実に彼女の旅は、前に進んでいる。
 だが、今ここにきて彼女の心は、どうした事かあまり晴れやかではなかった。
 これまでの旅の中で、彼女を取り巻く環境は以前とは比べ物にならぬほどの変容を遂げている。
 それはつまり、最早このまま順調にマスカレイド奪還が成されたとしても、それで全てが丸く収まるなどという状況では無くなってしまった、ということなのだ。
 魔王殿での一件に起因する四魔貴族と聖王にまつわる伝説の事や、ここに来て表面化したメッサーナ王宮に渦巻く事情。
 そして何より、偶然の再会を果たしたモニカの、ロアーヌとの決別という決断。
 これこそ、もうあの頃へと戻ることの出来ぬ何よりの変化だ。
 確かに旅の当初の目的の達成には近づいたが、しかし彼女が心の奥で切に望む様な以前の暮らしには、もう戻れない。
 その事実が、今になって彼女の心の中で燻っていた。
 だが、それは仕方の無い事なのかもしれない。そう、カタリナには感じられた。
 考えてみればあの頃のままいつまでもモニカがあそこにいてくれたわけではないし、同じ様に、世界がそのままであるはずも無い。
 仮にあの事件が無くあのままであったとしても、遅かれ早かれ変化は訪れていたはずなのだ。
 そして、よしんば全てがあの時のままでマスカレイドだけが戻ってきたとしても、だからといって彼女はもう今まで通りにあの頃のあの場所に居られはしない。
 それだけの失態を、自分は冒してしまったのだ。
 だから今はもう、この先にあるものをありのままに享受するしかない。
 それは、重々頭では分かっている。
 だが人はそのような状況でこそ、より強く、叶わぬと分かった望みに惹かれる。
 世界中心都市の名にふさわしい広大な港から少しずれてヨルド海とトリオール海を一望できる防波堤に辿り着いたカタリナは、遠く太陽の登る方角にゆっくりと体を向けた。

(・・・せめて・・・一目だけでもいいから・・・)

 頭の中でその言葉を一瞬思い描き、カタリナは慌てて頭を強く左右に振った。

(いけない・・・。こんな事だから、私はこうなってしまったというのに・・・)

 浅く唇を噛み締め、次いで頬をパシリと軽く叩き、気を引き締めようとする。
 だが、それでも一度頭の中に思い描かれたその願望は、そう容易く掻き消えるようなものではない。
 それどころか、これまで考えようとせずにいた事がこんな時になって、堰を切って出たように目まぐるしく頭の中を駆け抜けていく。
 それが過ぎると、今度は何故か急に心が酷く乾き、五感に感じる全てが虚しくなってしまうのだ。
 それらが最早永久に叶わず、望む事すら躊躇われるものであるのであれば、なおの事。
 ゆったりと波打つ大海に反射した朝日に照らされる中で突然に訪れたその感情の波の前に、彼女の心は張り裂けてしまいそうになっていた。

「・・・冴えないご様子ですね」

 ふと聞き慣れない声が海風と共にするりと耳に入り込んできて、カタリナは言われたままの冴えない顔で、声のした方向に振り向いた。
 するとそこには、明け方の街並みにはこれでもかというほどに不似合いな、風変わりな服装の男が立ってこちらを見ている。

「貴方は・・・この間の聖王記詠み・・・」
「ええ、先日はどうも。覚えていただいていて光栄です」

 ぺこりと詩人が会釈をするが、カタリナはそれを伏し目がちに見ただけで、再び海へと視線を戻した。

「・・・悪いけど、一人にしてもらえないかしら。今は、あまり人と話したい気分ではないの」

 カタリナが明らかな拒絶と取れる言葉を放つが、しかしそれに対して詩人は反応せず、その場で軽く腕を組んだ。

「・・・お言葉ですが、カタリナ殿。貴女は一つ、大きな勘違いをしておられるようだ」

 唐突な詩人のその言葉に、カタリナは自分の要望が聞き入れられなかった不快感を露わにした表情をする。
 だがそれすらも届かず、詩人は言葉を続けた。

「最早貴女は個人である前に、組織の核として動かなければならない存在だ。となれば今その胸に抱く感傷も、今に至る切っ掛けとなっただけの当初の目的も、もう何の意味も為さない」

 無機質に、詩人が言い放つ。
 その唐突且つ部外者には知り得ない筈の情報が含まれた内容に驚いてカタリナが彼に向き直ると、その視線の先で詩人はニコリともせずに真顔でカタリナを見返し、彼女の背後から登りくる太陽の光に目を細めた。

「・・・いくら感情的に嘆こうとも、致し方無いこと。これは、貴女がその身に宿した運命なのです。そう・・・宿命、とでもいいましょうか」

 日の光を遮るように帽子のツバを下げながら会釈をし、詩人はふらりとカタリナに背を向けた。

「・・・待ちなさい! 貴方、一体何者なの?」

 カタリナが身構えながら多少語気を強くして言うと、それに立ち止まった詩人はなに食わぬ様子で肩越しに彼女を見て目を細めた。

「いずれ、また」

 それだけ言って詩人は再び歩き出すが、カタリナはそれを止めようと小走りに近づく。
 しかし詩人は動作の気配を感じさせずに振り返り、何時の間にか手にしていたショートボウに当てがった矢で彼女の影をすかさず射抜いた。

「・・・!?」

 瞬時に術式が生きてその場から身動きが取れなくなった彼女を確認すると、詩人は帽子を深々と被り直して、再び会釈をした。

「そうそう・・・本題を忘れてました。南に着いたら、片足が義足の老人を訪ねると良いですよ。扱い辛い偏屈な老人ですが、恐らく彼が次のキーマンだ」

 そう言って微かに笑うと、詩人は身動きの取れぬカタリナを尻目に悠々とその場を去っていった。

「・・・」

 術式が解けるまでの十数分、朝焼けの中に取り残されたカタリナは詩人が去って行った方角を見つめながら、突きつけられた言葉の真意を自分に問い続けていた。

 

 

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第四章・3 -誓約の言葉と祝宴-

 

 久々に戻ってきたピドナのメインストリートの相変わらずの騒がしさに多少の懐かしさも覚えつつ、カタリナは慣れた足取りで夕刻のパブ•ヴィンサントを訪れた。
 日が沈む前から既に賑やかさが漏れ聞こえる扉をくぐると、どうやら顔を覚えてくれていたらしいマスターがカタリナを見つけて会釈をしてくれる。それににこやかに応えてから、カタリナは迷わず店内の奥の方にある席に向かう。
 その後ろには、まるでこれから死刑宣告を受ける囚人の様な表情をしたユリアンが続いた。
 こっそりとハリード、トーマスが後から入店してカウンターから二人の様子を窺うが、それには気付かぬ様子で先に入店した男女は席についた。
 椅子の背には体を寄せずに縮こまった様子のユリアンと、まるでこれから詰問を始める審問官の様な鋭い目つきでそれを見るカタリナ。
 その状態で硬直が数秒続いたかと思うと、おもむろに口を開いたのは、勿論カタリナであった。

「貴方は、モニカ様の事を生涯愛していけるのですか?」

 その言葉はまるで挙式に挑んだ新郎新婦に問いかけるようで、しかしそこに一切の温もりはなく。
 カタリナは硬質の声色で静かに聞いた。
 それにピクリと反応して顔をあげたユリアンは、それまでの弱々しさとは打って変わって力強く頷いて口を開く。

「・・・勿論です」

 その言葉を黙って聞いていたカタリナはユリアンの瞳を凝視し、言葉を続けた。

「如何な事情が背景にあろうとも、世間からみれば貴方は国同士の政によって定められた婚儀を妨害し、あまつさえ一国の姫を誘拐した、国家間で指名手配される極悪人と認識されるでしょう。この先その身に二度と安寧はなく、常日頃から追われ続ける立場となる。それでも貴方は・・・罪人の咎を背負ってでも、モニカ様のことを愛していけるというのですか?」

 再度、聞く。
 なにもこれは、脅しているわけではない。事実なのだ。世間からは、そのようにしか認識されない。
 開拓民が侯族の姫と駆け落ちなどということが認められるような事例は、童話の中ですら存在していない。
 逃げ果せても日の当たる暮らしは難しく、捕えられれば極刑以外はないだろう。
 だが、ユリアンは再度しっかりとした口調で言い放った。

「・・・勿論です」

 その言葉と響き、そして瞳の光をカタリナは暫く見ていたが、やがて沈黙の後に一つ息を吐いてから姿勢を崩した。

「・・・モニカ様は、わたくしはずっとお兄様のお側にいるの・・・と言うのが口癖なほどだったわ」

 ぽつりとカタリナが呟くと、ユリアンは目を瞬きながらも、しっかりとそれに耳を傾けた。

「だから、今回ツヴァイクへと嫁ぐ話を聞いた時は、私も・・・モニカ様の胸中を察するだけで胸が苦しくなった。それがよりにもよってミカエル様からのお話であるのならば、なおの事・・・」

 気を利かせた店員が水の入ったグラスを二つテーブルに置いていくと、二人はお互いにそれを一口啜った。

「・・・いっぱい、泣いたんでしょうね・・・。聞かせて頂戴、貴方の口から、ここ迄の話を」

 目を伏せながらカタリナが言うと、ユリアンも下を向きながらそれに頷き、ぽつぽつと語り始めた。

「・・・カタリナ様が宮廷を去って、俺がプリンセスガードに入隊してから間もなくその話が出て、それ以降モニカ様が泣いてない日は、多分・・・なかったです。俺はその時すでにモニカ様に心惹かれていたから、それを見て俺も辛かったけど・・・何もできなかったんです」

 ユリアンはその光景を思い出すように遠くを見つめるような目をすると、水滴のついたコップを握りしめた。

「でもモニカ様は、それでも気丈だったと思っていました。ミカエル様の前では笑顔を絶やさず、心配をかけまいとしていた。それは・・・とても強い、意志でした。だから俺も、彼女のその意志と覚悟に従おうと思ったんです。でも・・・そうじゃなかった」

 ユリアンはツヴァイクへと向かう船の上でモニカが見せたあまりに悲壮な表情を、頭の中に思い描く。まるでこれからの人生に絶望するかのようなその表情は、あわやこのまま夜の暗い海に飛び込んでしまうのではないかとすら感じたものだった。

「だから俺は・・・船の上から消えてしまいそうなモニカ様を見たあの時既に、何処かへ連れ去ってやる位の気持ちでした。身分だとか運命とか宿命とか・・・そんなもので彼女のこの先の人生が犠牲になるのが、耐えられなかった」

 物静かに語るユリアンの瞳には、強い意志が見える。
 カタリナは黙ってそれを聞きながら続きを待った。

「・・・俺からモニカ様に想いを伝え、モニカ様はまた泣きました。でもそれは、モニカ様も俺に想いを寄せてくれていた証だった。それが彼女を更に苦しめることであったとしても、俺は彼女の想いが純粋に嬉しかったんです」

 無言でユリアンの言葉を聞きながら、カタリナは彼の気持ちと発言に一切の揺らぎがないことを感じ取る。
 そのままユリアンは魔物の襲撃からツヴァイクに辿り着くまでの経緯をカタリナに話した。
その間、当初はあまり関わりの無いこともあってユリアンに対する不信感の拭えなかったカタリナの中で、既に自分がこの男に対して言えることはないと感じていた。

「・・・八つの光に俺とモニカ様も含まれていたことは未だにいまいち信じられないんですが、この先何があろうとも・・・俺がモニカ様を守ってみせます。彼女の宿命を自分の咎として代わりに背負えるのなら、俺はそれを望んで止まない。ですからカタリナ様、モニカ様を・・・いえ、モニカを俺にください!」

 喋りながらヒートアップしてきたユリアンは、最後には叫ぶようにそう言うとテーブルにぶつけんばかりに頭を下げた。
 店内に響き渡ったその声に、一時その場の全員がしんと静まり返って奥の二人に目線を向ける。
 カタリナは頭を下げるユリアンを暫し無言で見つめたかと思うと、ふっと笑った。

「それは私より、然るべき時を待ってからミカエル様に言いなさい。その時は・・・私も、できる限りの口添えをしてみましょう」

 カタリナがそう言うと、ユリアンは嬉しそうな表情で顔をあげる。
 すると、丁度そのタイミングでパチパチと拍手をしながら立ち上がる人物がいた。

「いや、なんだかドラマチックですね。いつもの流しのつもりが、ついつい目的を忘れて聞き入ってしまいましたよ」

 カタリナとユリアンも含めて今度こそその場の全員の視線を集めたその人物は、様々な人々が集まるこのピドナの中でも、一際目立った格好をした男だった。

「あいや、これはご挨拶が遅れましたね。私は単なる一介の聖王記詠み。各地を流れて歌を歌うばかりの詩人でございます」

 そう言うと、詩人と名乗った男は優雅に一礼をした。
 聖王記詠みとは、その名の通りに聖王記を民衆に語り聞かせる楽人の事を指す。一般的にはリュートなど何かしらの楽器を持ち歩いており、純粋な聖王記だけを詠むものも居れば、流行りの歌を聞かせる者もいる。
 そこで詩人は早速足元から珍しい形のフィドルを取り上げると、一音鳴らしてから再び丁寧に礼をした。

「さて、それでは目出度き話もあったところで、これより早速今宵の一曲を参りたいと思いますが・・・皆様、お手元にお飲み物のご準備は宜しいですか?」

 その言葉に合わせるように店員がカタリナとユリアンのいるテーブルにジョッキを二つ置くと、驚いている二人を見ながらハリードがニヤリと笑う。

「では、今宵もよく飲んで騒いで、ハッピーに参りましょう!かんぱーい!」

 詩人の号令で店内の客たちが一斉にグラスを掲げると、詩人は軽快なテンポで曲を弾き始めた。
 どうやら靴に仕込んでいるらしい鉄板で床をリズム良く打ち鳴らしながら、詩人は器用にフィドルを弾きながら店内を練り歩く。
 ノリの良い客が詩人に一杯奢ると彼は見事な呷りっぷりを見せつけ、場を更に盛り上げる。
 そのうちトーマスがエレンやサラ、モニカとおまけにポールを呼び寄せ、そのままヴィンサントにてプチ宴会がてらにその場の客を交え、ユリアンとモニカを声高らかに皆で祝福した。
 その中で久しぶりにモニカの純粋な笑顔を見たカタリナは、少しだけ胸の内にあったしこりが無くなった想いであった。まるで巣立って行く我が子を見守る親のような気持ちでユリアンとモニカを眺め、ちょっぴり淋しそうに杯を呷る。
 そこに席を移動してきたポールとハリードがカツンとグラスを合わせてくると、ふっと笑ったカタリナは一気に杯を飲み干し、詩人が持ってきていたリュートを借り受けて詩人と共に即興でセッションを始めた。
 それに店内が反応して盛り上がり、やがてそれは観客を巻き込んでの婚礼歌の大合唱となる。
 ここで意外にも実に見事な独唱パートを披露したハリードは、飲み客からチップを投げられて飲み代をチャラにしてのけた。
 突然の宴は夜更けまで続いて死屍累々の山を築き上げた後に、気持ち良さそうに眠るユリアンを挟んでカタリナとモニカは静かに語り合った。

「こんなに騒いだの、初めてかもしれませんわ。とても楽しかった。有難うね、カタリナ」
「いえ、私は何も。私も楽しかったですし、久しぶりにモニカ様の笑っているお顔も拝見出来ましたし」
「・・・カタリナが無事でよかった。本当に、心配したのよ」

 モニカがほろ酔いでそう口にすると、カタリナは素直に謝った。

「ご心配をお掛けして、申し訳ありませんでした。しかしながらまだマスカレイドは見つかっておりませんから、未だロアーヌへは帰れぬ身です」

 カタリナが自嘲気味に苦笑いをしながら言うと、モニカは珍しく頬を膨らませて怒ったような表情をみせた。

「お兄様は厳しすぎるわ。何も出入り禁止にしなくたって・・・」
「いえ、とんでもありません。マスカレイドはロアーヌ侯国にとって最も大事な国宝。それを奪われるという事は、即座の極刑に値してもおかしくない失態です。それがこうして奪還の機会をお与え頂けただけで、ミカエル様は十分にご寛大でいらっしゃいます」

 カタリナのその言葉にもまだ納得がいかなそうな表情のモニカであったが、それ以上は何も言ってはこなかった。
 代わりにワインを一口啜ると、テーブルに突っ伏しているユリアンを眺めながら少しだけ顔を和らげた。

「・・・わたくしは今でもお兄様をとても大事に思っていますが、これからはユリアン様と生きてゆくと決めた身。だから離れてしまう分、お兄様の事が心配なのです。ふふ、こんな事お兄様が聞いたら、お顔をしかめそうですが」

 ミカエルが顔をしかめる様が容易に想像出来て、カタリナも思わず頬を緩める。
 モニカはゆっくりとユリアンの頭を撫でながら、カタリナを見つめた。

「だから・・・カタリナ。貴女には、お兄様のお側にいて欲しいなと思うの」

 いきなりのその言葉にカタリナがきょとんとしていると、モニカは多少身を乗り出しながら熱く語り始めた。

「だってお兄様も、既にご結婚をされていておかしくないご年齢。かといって相応しいお相手はわたくしの目から見ても、今のロアーヌ国内には居ないわ。でもカタリナなら、お兄様とお似合いだと思うの。だめかしら?」
「え、ちょ、お待ちくださいモニカ様!?滅相もない!」

 だめかしらもなにも無いだろうと慌てふためくカタリナに、モニカはすわり始めた目でカタリナを覗き込んだ。

「いいえ、わたくしは脈ありと思いますわ。お兄様はわたくし達のお母様の事もあって少し女性不信な所がありますが、でもカタリナに向ける視線にはそういった感情は見えませんでしたもの。サラ様はそういうのをムッツリだ、と表現しておられました」

 どうやら、斜め上思考の持ち主であるサラの入れ知恵だったようだ。
 カタリナは頭を抱えたくなりながらも、酔いも回って饒舌になるモニカの言葉に実のところ興味をそそられていた。

「カタリナはとても綺麗だし、文武に優れ、騎士としての気高い誇りも兼ね備えた人。ロアーヌ宮廷内でも人気ランキングでは常に一、二を争う程だったのだそうよ。これはポール様が先ほど教えてくださったわ」

 素早く、一つ向こうのテーブルで落ちているポールにギロリと視線を走らせるカタリナ。どうもモニカの周囲には彼女の精神衛生上よろしくない輩が紛れているようだ。
 そこは後々粛清しようと胸の内に誓うカタリナをよそに、モニカはいよいよ大詰めの様相でカタリナに迫った。

「そんなカタリナを、お兄様も間違いなく気にしていらっしゃるわ。でもお兄様はムッツリ。ムッツリは自分からは動かないとサラ様は仰っていました。だから、カタリナから仕掛ければ良いとの助言も頂きましたわ。なんでも夜襲が有効とのことですわ」

 遠いメッサーナの地で最愛の妹にムッツリと連呼されるミカエルを哀れに思いつつ、とんでもない事をモニカに吹き込んだサラに視線を向ける。
 彼女は隣にいる姉の肩に頭を乗せながら、気持ち良さそうに寝入っているようだ。姉のエレンは、何やらトーマスと話し込んでいるようだった。

「だから、カタリナ。無事にマスカレイドを奪還した暁には、お兄様をよろしくお願いしたいのです。恋愛成就の前には困難が有るものと、古より伝記にもあるそうですわ」

 これも入れ知恵だろうか、妙に力強く語るモニカがなんとも可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。
 しかしながらその内容にまで微笑ましいとは思えず、カタリナは苦笑いをしながら口を開いた。

「・・・私は、女で有る前にロアーヌの騎士です。勿論ミカエル様のお側に仕える事は我が身に余る喜びですが・・・今のご提案には、首を縦には振れません」
「そんな、カタリナなら絶対お兄様とお似合いだと思うのに・・・」

 まさか断られるとも思っていなかったのか、モニカは意外そうに驚きながらも食い下がろうとした。
 しかし表情を崩さずに頑なに否定する様相のカタリナを見て、ついにこの場は諦める事にした。

「・・・私はロアーヌの剣であるだけでいいのです。それが、誇りなのです。ですからとにかく今は・・・一刻も早くマスカレイドをご返上しなければ」

 二人きりでも相変わらず生真面目なカタリナの様子に、モニカは一息つきながら微笑む。
 カタリナはそんなモニカを、まるで自分の妹のように優しく見守る。
 だがその胸中では、今の自分の言葉と裏腹にミカエルに寄せる想いの色褪せなさに我ながら呆れかえる、複雑なものがあった。
 そうしているうちにモニカは小さな可愛らしい欠伸を一つすると、流石に時間も遅かったか二度三度瞼をこすってからユリアンの頭に目を落とす。そして安心した様にふわりと笑ってから、間もなく安らかな眠りに誘われていった。
 すぐさまモニカの肩に薄手の毛布を掛けて席に戻ったカタリナは、テーブルに肘をついてグラスを傾けながら、何処か遠くを見つめていた。

 

 

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