妖精談話・その2 「種族の多様性に見る様々な生態、及び生活圏についての考察」

 

「雪だるまと・・・ろぶすたー?」

 世界地図の南方に位置する広大なる神秘の密林の入口であるアケと一大リゾート地グレートアーチを結び、海賊の出没報告も多い危険な海路。その海路で現在運航している唯一の定期便の船内には常々そうであろう事が伺えるような実に無駄の無い積み込み具合で、乗客より優先して物資ばかりが所狭しと積み上げられている。
 密林の入り口として以外にもアケはスパイスの産地として世界的に有名であり、このスパイスの取引額は温海を離れれば離れるほど一気に跳ね上がっていく。それだけの金の卵であるが故に、グレートアーチ行きのこの定期船内に所狭しと積み上げられている木箱の実におおよそ八割がアケ産の各種スパイスであるらしい。これらは一度こうしてグレートアーチへ運ばれた後、温海を渡って世界中へと出荷されて行くそうだ。
 アケのように辺境と言っても差し支えなさそうな場所で数日に一本の定期便があるのは、このスパイスのためと言っても過言ではないだろう。因みに帰りのアケ行きの便には、アケでは中々手に入らない食材、金属類や羊毛等の生活物資が積み込まれるのだそうだ。
 そういうわけで香辛料満載で運行しているこのグレートアーチ行きの船内において、温海漂流からジャングルそして妖精の里を経てアケへと辿り着いたカタリナとフェアリーの二人は、有り難いことに地元の船長の厚意で船底近くに一室を当てがってもらうことが出来た。女と少女の二人旅に何か特別な事情を察してくれたのかもしれない。
 ゆったりと進む船に揺られながら二人は、船室内で取り留めのない世間話に興じていた。

「はい、そうです。世界中に散らばる幾つかの伝記でもその存在は示唆されていますが、私たち以外にも実はこの世界には幾つかの種族が確かに暮らしています。そしてその場所は例外なく、人間の生活圏とは隔離されています」

 へぇー、とカタリナが感心したようなお馴染みの反応をすると、フェアリーは少し誇らしげな表情を見せながらスカーフの下に畳まれた羽をピクリと震わせた。
 二人は堆く積まれた木箱にほぼ全方向の壁面を占拠された船室内で小さな丸テーブルに向かい合って座り、珈琲とアケ特製の砂糖を塗した揚げパンをツマミに話に花を咲かせていた。

「うーん・・・一瞬ロブスターのほうが謎に思えたけど、寧ろ問題は雪だるまよね。雪だるまは、なんで種族扱いなのかしら。っていうかそもそも動くの?」

 そもそも雪だるまは生物ではない。降り積もった雪から人間が作り出した造形物の一つである。それがあろう事か種族としてこの世界のどこかに存在しているなどと、いくら妖精の言葉であったとしても到底信じられるものではない。
 そのように当然出てきたカタリナの問いかけに、フェアリーは直ぐさまこくりと頷いた。

「はい、動きます。雪だるまはロブスター族よりもおそらく私達妖精に近い存在でして、吹雪の中で精霊が可視化されるにあたって、そのような姿になったそうです」
「あぁーなるほどね。精霊の一種と考えればいいわけなのね」

 雪だるまなんてものは、カタリナは小さい頃に家の庭園に降り積もった雪で給仕と一緒に作ったことがあるくらいだ。それがまさか種族として数えられるような存在であるとは露程も思わず、ましてやそれが精霊の一種ときたものだ。事実は小説よりも奇なりとはこの事と、カタリナは少し感動してしまった。
 そんなカタリナの驚いている表情に非常に満足気な笑みを浮かべたフェアリーは、得意げに人差し指を立てながら続けた。

「より正確性を増して表現するなら、精霊と魔法生物の中間・・・のような存在でしょうか。私たちのように通常生活圏・・・所謂縄張りの外側で活動することは殆ど出来ず、氷点下でない場所ではその存在を保てないそうです」

 どうやら自分が小さい頃に作った雪だるまは、種族としてのそれではなかったようだ。何しろ彼女の実家の庭園は常時氷点下などではなく、四季折々の気温や風景があるロアーヌだ。自分で作った雪だるまがしゃべり出すなんてファンタジックなことが起こるのならば是非とも体感してみたいなどと思った矢先であったので少しだけそれに残念がってみるが、よくよく思い返せば人の生活圏とは隔離されていると先に言われた気がする。
 仕切り直すことにした。

「となると、ロブスター族も精霊の一種なの?」
「それは・・・諸説あるようです。水精の一種であるという説と、あとは魔族の一種であるという説です」
「魔族・・・」

 抑もロブスター族とは、見た目は名前の通りロブスターというわけでもないのだそうだ。
 その生態はなんと二足歩行であり、鋏に当たる部分が大きく発達して両腕のようになっているのだという。その特徴から端的に姿形を表現すれば「周囲がドン引きするくらい本気で全身ロブスターの仮装をした人」と言うのが最もそれらしい容姿の説明であるらしい。
 併せて背格好も人間のそれに近いらしく、更には頑強な甲殻と強靭な筋力をその身に兼ね備え、挙げ句に水術も操るという。
 前段の雪だるまよりも、より戦闘に特化した種族と捉えて間違いないようだ。

「とはいえまぁ、精霊説の方が有力みたいです。私達も最初はサハギンの様な変化に近いのではないかと考えていましたが、しかし彼らはどうやら彼らの生活圏とされる西太洋において周辺に生息する魔物と対立しているそうなのです。つまり、アビスの瘴気を嫌っているのです。ご存じの通り、魔族がアビスの瘴気を嫌うということは基本的にあり得ません。なので精霊説が浮上しました」
「なるほどね。なんか精霊ってもっとこう半透明なふわっとしたものだと勝手に思っていたのだけれど、意外と何でもありな感じなのね」

 カタリナがそのような感想を述べると、フェアリーはそうですねと同意しながら柔らかくクスクスと笑った。

「あとは私も殆ど詳細は知らないのですが・・・この世界にはゾウ族という種族も存在していると聞いたことがあります」
「ゾウ・・・?」

 聞き慣れない単語に、カタリナは小さく首を傾げる。ゾウと言うのが動物の一種であることは知っているのだが、そもそもそのゾウという動物を実はカタリナは実際に見たことがなかったのだ。
 世界を形作る動物の一種で蛇と亀の上に乗って世界を支えているとかどうとかどこかの宗教上の世界図で見たことがあるくらいであるが、生憎とそういった分野にそこまで興味がなかったカタリナには、さして記憶に留まるほどの印象としては残っていなかった。

「種族としての歴史はどうやら最も新しいようでして、魔王の時代から聖王の時代の間に主な発見報告が相次いでいることから、そのあたりの時代に何らかの原因によって突如現れた、という説が有力だそうです」
「突如・・・って、種族ってそんな唐突に生まれちゃうものなの?」

 神様の気まぐれにしても流石にそれは適当すぎやしないかとカタリナが半ばあきれ顔で言うと、フェアリーはそうですねと答えて笑った。
 このゾウ族なる存在は、ロブスター族に似たように象の姿の二足歩行生物であるそうなのだが、その生態は殆どが謎に包まれているそうだ。

「雪だるまは北海に。ロブスター族は西太洋に。妖精族は密林に。そしてゾウ族はカタリナさんの故郷ロアーヌのずっと東、聖王様も復興を諦めたという巨大な腐海のどこかにコミュニティを築いているそうです」

 フェアリーは懐から上質な紙と艶のある不思議なインキを取り出し、ゾウ族らしき絵を紙の上に描いていく。
 巨大な耳に、顔面の中央から突起している異様な部位。これはフェアリーによると鼻であるそうだ。姿だけ見れば完全な異形なのであるが、主な発見報告によるとその気性は非常に温厚であるらしい、とのことだ。

「しかも腐海は基本的に非常に瘴気の濃い、およそ生物の生存には非合理的な条件をこれでもかってくらいに詰め込んだ危険地区です。その瘴気の濃度は魔族を以ってしても低級なものであれば脳に異常を来し発狂する程だとか・・・。そんな中にいて平然としている彼らと仮に協力関係を築ければアビスへ対抗する非常に強力な鍵となるのではないか、などと考えて発見に躍起になった時期も人間の中ではあったそうですよ」

 フェアリーの講釈に、これはカタリナも聞き覚えがあったのか、細かく何度か頷く。

「あぁ、メッサーナ王国主導の腐海遠征ね。概要くらいならば私も聞いたことがあるわ。確か・・・腐海に手を出してはならぬーっていう地元のおばあちゃんを無視していった結果、遠征団は全滅しちゃったのよね」
「え、そんな風の谷みたいな話でしたっけ・・・?」
「あれ、違った?」

 微妙にお互いの知識にムラがあるようで首をひねる二人だったが、この話題を突き詰めることにさして興味も無かったのか、話題は次へと移っていった。

「あとは・・・あ、これはどうなのかしら。種族って感じはあんまりしないけど、伯爵様とか」
「あ、吸血鬼ってやつですね。確かに彼らも人間でもなければ魔族ともまた違う存在ですが・・・なにせレオニードさんしか公には存在が確認されていませんし、種として数えていいものかは疑問ですね」
「あーでも、伝説の通り・・・っていうのかしら。レオニード城内には伯爵様の眷属?っていうのは数多く住んでいたわよ。私、実は伯爵様に二、三回お会いしたことがあるのだけど、そこには伯爵様に近いと思われる人型の何かが沢山、共に住んでいたわ」

 昔を思い出すように中空に視線を向けながらカタリナがそう言うと、フェアリーは興味深そうに椅子から身を乗り出した。

「それは凄いですよカタリナさん・・・!」
「え、そうなの・・・?」

 予想外のフェアリーの勢いに思わず身をそらせたカタリナは、伯爵に会うことがそんなに凄いことだったのかと思う。
 確かに彼女が過去にあったことのあるレオニード伯爵という人物は通常の人間とほとんど関わることなく城の中で暮らしており、年に一度行われる舞踏会以外で彼の姿を見ることは公にはまずないという。無論そういったものとは別に個人的な訪問が無いわけでもなかろうが、数百年を生きる人物に対して確かに世間に伝わる情報は非常に少ないようには感じる。
 そう思ったままの感想をフェアリーに述べると、彼女は大仰に頷いて見せた。

「そうなんです。あんなに存在は有名なのに、その実態はほぼ全くと言っていいほど世界に伝わっていないんです。ですので現在世に広まっている伯爵に纏わる伝記は、その殆どがフィクションだとされているんです。でも伝説の通りレオニードさん、又はその眷属さんが吸血行為によって個体数の増加を図っていたとなれば、それは立派に種族として数えられると思います!・・・あぁ、いつか私も行ってお会いしてみたいです」

 こういうのを心ここにあらずというのだろうか、フェアリーは両手を胸の前で組みながら狭苦しい船室の天井へと視線を向け、誰に言うわけでもなく最後にはそう口走っていた。
 本当にこの妖精は見聞を広げ自分たちの知らないことを経験することが好きなんだなとフェアリーの様子を眺めていたカタリナは、ふと頭に浮かんだ質問を口にした。

「フェアリーは、妖精族以外の種で一番気になるのはどの種族なの?」
「それは勿論、人間です」

 まるで聞かれるのを待っていたかと勘ぐるほどあっさりと、さも当然とばかりにそう答えてくるフェアリー。そのあまりの切り返しっぷりに、カタリナは瞳の瞬きで応じた。

「今言った種族たちは其々が内部でどのような事情があるのかは分かりませんが、私たち妖精族や、ともすれば魔族をも含めて一様に共通する部分があります。それは・・・自ずと既存のコミュニティの外に出ようとはしない事です。まるで、最初からその様に誰かに言い聞かせられてでもいるかの様に、そこだけは一緒なんです」

 妖精の言葉に、なるほど言われてみればとカタリナは珈琲を啜りながら頷いた。

「・・・でも、人間は違います。進化をし続けています。ある時は野心であり、ある時は冒険心であり、またある時は新たな希望であり。何かに導かれて、人間は既存の殻を破っていきます。それが何故なのか、興味の尽きないところです」

 フェアリーの瞳は、彼女にとって今言ったことがどれだけ凄いことなのかを物語るように、爛々と輝いている。その瞳に正面からのぞき込まれたカタリナはと言えば、自分としては至極当然に思っていたことをそのように言われ、なんともいえぬ不思議な面持ちでいた。
 だが彼女がここに至る前に見た妖精の住まう大樹は正に人間には不可侵の領域であり、そこに至るまでの道筋もまた、住まう世界を隔てるに十分な環境であった。それは間違いなく妖精族が外界との繋がりを断つために作り上げたものに違いない。
 だが、いつか人間はあそこを見つけるだろう。この三百年で人間がアビスから取り戻し、また広げた生活圏は非常に広大だ。寧ろその急先鋒とも言えるのが彼女の祖国ロアーヌであり、開拓民によって日々切り開かれていくシノンの地は、そう遠くない未来には腐海にも到達することだろう。

「・・・そうね、確かにそうかもしれない。だとしたら私たち人間もまた、誰かに言い聞かせられて未だ見ぬどこかを目指しているのかもしれないわね?」
「はい、きっとそうなんだと思います!」

 本当にそうだとしたら、それはきっと素敵なことです。そう付け加えて華やかに微笑むフェアリーに、つられてカタリナも微笑み返す。

「とはいえ、こうして妖精族のフェアリーに会えたわけだし、そのうち他の種族にも会うことがあるのかしら・・・?」
「可能性は、十二分にあると思います。今後カタリナさんがもし四魔貴族を討伐するという選択肢を選び進んでいくことになるのならば、聖王様が紡いだ伝説をなぞっていくことになるはずです」

 伝説によれば各種族と四魔貴族との確執というものは、意外と散見されるそうだ。最も代表的なもので言えば、密林に住まう妖精族と魔炎長アウナスの関係である。魔炎長の居城である火術要塞へと続く密林の迷路を唯一辿ることが出来るのが妖精族であり、そのため妖精族は常に魔族と敵対している。
 そして他にも広大なる西太洋のどこかに存在するとされる魔海候フォルネウスの居城である海底宮の座標を唯一知るのは世界の最果てに住まう民とされ、一説によればこれがロブスター族ではないかと言われている。
 また雪だるま族は聖王が用いた武具の一つとされる聖王遺物、氷の剣を守護しているとされており、北の最果てに住まうと伝説にあるそうだ。氷の剣はアビスの炎を受けても決して溶けることのない唯一無二の剣とも伝えられており、聖王による魔炎長アウナス討伐の際には妖精の弓と共に活躍した武具であるという。

「なるほどね、確かにその感じだと、そのうち会えるのかも知れないわね」
「はい。私はあわよくば、そこにもご一緒できればと考えてます」

 フェアリーが屈託のない笑顔でそう言うと、カタリナは苦笑いをしながら肩を竦めて見せた。

「何時になるかは分からないから、気長に待って頂戴ね」
「はい」

 素直にそう返してから珈琲を啜るフェアリーに併せ、カタリナもゆっくりと珈琲の味を楽しむ。
 アケの珈琲豆は深煎りがいいと船長直々のお勧めで入れてもらった一杯だ。
 奥行きのある苦みと共に口内に広がる芳醇な香りを楽しみながら、まったりと一息つく。

「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

 ふとカタリナが落ち着かない様子で周囲を見渡すと、フェアリーがそれにならってゆっくりと周囲に視線を走らせ、そのあとでカタリナに向き直った。そしてそのまま視線でどうかしたのか、と問いかけてみる。

「・・・いや、なんか普段こうしてまったりしていると、どうもそろそろ、何かしらの騒動に巻き込まれる気がしちゃって」
「あー・・・典型的なトラブルメーカー体質っぽいですもんね、カタリナさん。確かにこの辺の海域は海賊の出没も頻発する地域だそうなので、確かにグレートアーチにたどり着くまでに一騒動あるかもしれませんね」
「・・・ええ、そんな気がしちゃって、どうもそわそわするのよね」

 騒動に巻き込まれやすい体質らしいことを最近自覚しているカタリナがため息をつきながらそう言うと、フェアリーはそれを肯定しながらクスクスと笑って応える。

 しかし彼女のそれは今回は杞憂であったようで、船旅は順調に進み、二人の乗る船は滞りなく予定日にグレートアーチへと入港したのだった。

 

 

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第五章・1 -妖精との出会い-

 

 ピドナから出港してトリオール海を南西に抜け、十数年前に新しく建設されたばかりだというエデッサ島に聳え立つ巨大な砦を遥か遠方に仰ぎながら、カタリナ達一行を乗せた船は日程通り順調に温海海域へと進入した。
 世界に四つある内海の中でも特にこの温海は死蝕以前より海賊が徘徊する海域として有名であったが、それらによる被害は治安の悪化が著しい近年、急激に増加の一途を辿っている。
 なので、この海域を行き来する船舶は現在は基本的に武装を施し尚且つ船団を組んで航海をするのが主流であり、カタリナ達もその例に洩れず船団に混じっての船旅となった。
 そんな今回の船旅も先のツヴァイクに向かった時と同じくカンパニーの資金を用いて各個人が個室を充てがわれての快適な内容なのだが、どうしたことか道中でハリードは只管に憤慨していた。

「馬鹿な! 船に乗るだけで1000オーラムだと・・・!? 正気の沙汰とは思えんぞ!」

 あまりにレートを外れた渡航費用に、守銭奴トルネードは激しく怒り狂った。そしてその怒りのあまりに少しでも元をとってやろうと、食堂でありったけの飯を食らっていた。

「まぁ、この人数で往復分の個室完備で、更には海上の覇者と名高いマゼラン武装商船団の護衛付きでの航海ともなれば・・・ってもやっぱ高ぇもんは高ぇか」

 ハリードに負けじと同じく大量の食事の征服にかかっていたポールがそう言うと、その隣では自分の顔ほどもあろうかというサイズの骨付肉にかぶり付いたエレンが、眉間に皺を寄せながらハリードを見た。

「自分がお金出したわけじゃないんだし、いつまでグチグチ言ってんのよ」
「そういう問題じゃないぞ、この金額は!」

 こんな調子で延々止みそうにない愚痴を垂れ流すハリードと、その愚痴にしかめっ面をするエレンをよそに、ポールはエールジョッキを傾けながらちらりと食堂の外で船の縁に一人佇んでいるカタリナに視線をやった。
 カタリナはピドナを出港する日の朝から、どうした訳かずっとあんな感じだった。
 出立前後から各人が心配して何度か声をかけたものの、彼女の口から返ってくる返事はすべてが曖昧且つ上の空。
 最終的に一時的なホームシックか何かだろうとハリードが見切りをつけたのを皮切りに、取り敢えずそっとしておく事にしたのだった。
 しかし、騎士としての精神鍛錬も欠かさない彼女が数日の間もあのような調子なのは、流石におかしい。
 エレンとハリードが夫婦漫才宜しく騒ぎ立てている中、ポールは口元をナプキンで拭うとトイレにいくといって席を立った。

 

 何のために自分は、今こうしているのだろうか。
 この数日は幾度と無く同じ問いが頭を過ぎり、数瞬留まっては求める答えの見つからぬままに霧散していく。
 見渡す限りの碧い海にたいそう覇気の無い視線を投げかけながら、カタリナはひどく疲れたようにため息をついた。
 無論の事、今自分がこうしているのは祖国ロアーヌと主君たるミカエルに誓った忠誠を貫き、そして自らが冒した失態を挽回するため。そんな訓練生時代に日夜叩き込まれたような騎士団訓示に則った模範回答的な答えなら、カタリナともなれば考えるまでもなく脊髄反射的にいくらでも出てくる。
 だがその答えに対して、今まで影を潜めていた「騎士ではない自分」から戸惑いが生まれてしまったがために、その自分を含めて腑に落ちる答えが見つからない。
 あの朝、聖王記詠みを名乗るあの男が自分に言い放った言葉が、今だに彼女の脳裏から離れなかった。
 自分の心や感情が今の自分の行動にとって意味を為さないのならば、今ここにいる自分は何なのだろうか。
 詩人が言い放った「宿命」とやらに操られるだけの人形、とでもいうことなのか。
 童話やおとぎ話の世界でもあるまいし、操られるだのどうのとは随分と馬鹿げた話だ。過ぎった思考を下らぬ妄想と断定して即座にそう斬り捨て、カタリナは小さく頭を振る。
 だがそう思う反面で確かに今、現実に彼女の心とは関係なく彼女を取り巻く環境は様々な要因を孕んで肥大変貌を続けており、カタリナは気が付けば、まんまとその中心に位置している。
 そんなことは再確認の必要などなく、とうに解っている。その上であえて、自ら進んでここにいるはずだった。だというのに、あの男のたった一言で、途端にそんな今の自分に確信が持てなくなってしまった。

(いや・・・今になって向き合わされた、と言った方が正しいのかもしれない・・・)

 頭の中にいる何処か冷静な自分が、したくもない思考をじりじりと迫る。
 実のところかなり早い段階・・・そう、彼女が旅立つことを決意して自慢のプラチナブロンドを切り落としたあの日。この時には既に嫌になるほど冷静に先の展開が視界の端には垣間見えていて、だがあえてその事実を直視しないようにしながら過ごしてきたのではなかったか。
 その視線を外し続けていた事実にあの一言でがっちり向き合わされ、それに慌てて周囲を再確認してみれば当初うっすらと自覚していた範囲の変革どころではなくなってしまっている現状を目の当たりにし、これまでの人生の中でこれ以上はなかっただろうというほどにカタリナは動揺した。
 そんな思考の渦の中にあって誰の声にも返事が上の空であって、それでもとにかく体が動いたことは、それだけで評価に値するのではないかと可笑しな自己分析に逃避したりもしつつ、気が付けば今はこうして新たな目的地に向かう船の縁に寄り掛かりながら海を眺めている次第なのだった。
 自分がこの旅の先に望んだものは、見えてきている。でもそれを手にすることでその先の自分がどうなっていくのかなどは、想像すらしたくない。
 向き合うことを拒んでいた意識と行動の矛盾に苛まれたカタリナは、またしても答えの見つからぬままに霧散した思考に嘆息しつつ、再び碧い海面の揺らめきに視線を落とした。

「・・・よう、調子はどうだい、カタリナさん」

 碧いばかりの海にも飽き飽きしてその日何度目かのため息をついたところに、背後から聞き慣れたポールの声が聞こえてきた。
 心持ちトーンを抑えた声色なのは、こちらを気遣っているからなのだろう。
 だがそんな気遣いにもとてもじゃないが素直に応えられる気分ではなく、カタリナは軽く視線を向けて生返事を返した。
 その相変わらずの様子にポールも一つ短くため息をつくと、その場で腰に手を当てて口を開きかけ、しかし思い直してゆっくりと歩み寄り、カタリナの隣で船の縁に肘をついた。

「・・・こうしてあんたと船に乗るのも、もう三度目か。あの時は北だったのに、今度は南。文字通り世界をまたに掛けた冒険だな」

 視線をカタリナが見つめる先に合わせ、ポールが呟く。その言葉に反応は返ってこないが、構わずそのまま言葉を続けた。

「まさかあの時は予測もしてなかったな。こんなどえらい面倒ごとに巻き込まれて旅をする事になるなんて、さ」
「・・・そうね」

 ポツリと、小さな返事がある。それにチラリと視線だけ寄越したポールは、片肘だけで船の縁に寄りかかり、カタリナに体を向けた。

「あんたも大変だな。漸くマスカレイドの手掛かりが見えてきたと思ったら、何時の間にか伝説だのクーデターだのに巻き込まれちまって」
「・・・そうね・・・」

 繰り返されただけのその返答に、ポールはまるで彼女の心象を見透かさんとするかのように目を細めた。

「・・・ここ数日あんたが何を考えているのか、当ててやろうか」
「・・・・・・」

 唐突に言われたその言葉に、この会話の中で初めてカタリナはポールに視線を向けた。

「・・・その視線は、こう言っているな? お前に何がわかる、と」
「・・・」

 カタリナの眉間に僅かな皺がよるのを目敏く確認したポールは、その視線をいなす様に、再び大海原に体を向ける。

「・・・俺は、こんなところでなにやってんだろう。俺の中にある目的と今の俺の行動は、一致してるんだろうか。だが・・・そんな問いにはお構いなしに、事態は進行していく」

 どこから取り出したのか殻付きの胡桃を片手で弄びながら、波打つ海面に視線を落とす。

「まるで巨大な流れに乗せられちまった小舟みたいに、足掻けど足掻けどこっちの事情にゃお構いなしで勝手に進んでいく」

 その言葉と共に海に放り投げられた胡桃は、着水すると波に揺られ、間もなく船の後方に遠ざかって行った。
 それを視線で追ったカタリナに、ポールは顔を向ける。

「・・・あんたも意外と人間だな」
「・・・どういう意味よ」

 よもやこれまで人間扱いされていなかった疑惑に、思わず棘のある響きでカタリナが反応する。
 だがそれに真正面から見つめ返したポールは、ニヤリと笑いながら肩を竦めた。

「程度は違えど、そういうのは人なら誰でも抱える問題だ。人類に敵なしっぽいあんたでも、そういうのになるんだな、ってな。そういうんなら俺とて、ロアーヌのあの牢獄に至るまでに何度そんな事を自問自答したかわからねぇさ」

 ポールがそう口にすると、カタリナは目をパチクリさせながら見返した。
 あの当時を思い返しても正直とてもそうは見えなかったと思ったのだが、それは流石に口には出さないでおいた方がよいだろう。

「勿論突っ込んだ細かい所なんて俺には分からんが、一つここ最近の体験談から言える事があるとすれば・・・あんたなら、大丈夫だ。最初よりベストな答えが、あんたなら必ず見つかる」

 臆面もなく、お得意のニンマリとした笑顔でそう断言するポール。カタリナはその無駄に醸す自信と言葉の根拠が分からず、怪訝な顔をした。
 そんなカタリナの表情が珍しくて、ポールは含み笑いをしながら続ける。

「あんたの武器は、その腕っ節なのか? 俺には・・・そうは思えねぇな。そりゃあまあ確かに強いに越したことはないんだろうが、俺が思うにあんたの最大の武器は、この旅であんただからこそ自然と得てこれた人脈・・・言い換えれば、あんた自身が持っているカリスマ性じゃないかと思うんだよ」

 そのどこかで聞いた事のあるような言い回しに、カタリナは今度は狐につままれた様な顔をした。

「あんたの周りに集まった人間を見ろ。どいつもこいつも一癖どころじゃ済まない強烈な個性派ばかりだが、その地位や能力もまた、一般人のそれを大きく逸脱して止まない。確かに今はどえらい事情がいくつも重なってしんどい感じだろうが、それでも・・・あいつらと共にあんたが辿り着く先は・・・今は俺にだって想像もできないが、しかし絶対に悪いもんじゃあねぇ。そんな気がするんだよ」

 そのままポールは、つまり・・・と言ってから大きく背伸びをするとともに船の縁に背を預け、天に広がる青空を見上げた。

「今は後先ゴチャゴチャ考えたって仕方ねぇ、って事さ」

 散々溜めに溜めてから最後のあんまりな投げっ放しように、さすがのカタリナも肩をこかす。
 それをみてポールはケラケラと笑い声をあげ、そのあとふっと真面目な顔つきをした。

「だが俺には、本当に確信できるよ。あの面子が集まって、バッドエンドであるわけがねぇさ。だからあんたはあんたの感じるままに、その時できる最善を尽くすだけ・・・今は、それでいいんじゃねえのかな」

 こういう問題が頭で考えて簡単に答えが出るようなら今頃、人類皆最高にハッピーだ。そんなことを言いながらポールが肩を竦める様をみて、カタリナは確かにそうかもしれないと妙に納得した様に同じく肩を竦めた。

「ようお客人、ちょっといいかい?」

 そこに唐突に、渋くよく通る声が掛かった。
 二人が同時に振り向いた先には、この商船団を率いるキャプテン•マゼランが紙煙草を咥えながら立っている。よく使い込まれた色褪せ気味の一張羅のコートとツバの広い帽子を身につけた、いかにもキャプテンという肩書きの似合うナイスミドルだ。

「今夜は時化が来そうだ。ちっと荒れるかもしれねぇから、夜は客室から出ないように連れの方々にも伝えてもらえねぇかな」

 わかったよとポールが片手をあげながら答えると、マゼランはニヤリと笑ってその場を後にする。

「・・・だそうだ。酒でも飲んで早いとこ寝ることにしようぜ?」
「・・・そうね。飲みますか」

 どこまでも気楽な物言いのポールに、カタリナも物思いに耽りすぎるのはよくないなと、実にピドナ出発の朝から数日振りにクスリと笑いつつ、思い直すことにした。

「有難うね」

 食堂に向かい始めるポールにそう声をかけると、彼は飽きもせずに再度肩を竦める。

「なぁに。こういうのはお互い様、さ」

 

 

 マゼランの読みは見事に当たって夕刻を待たずに早々と薄暗い暗雲が立ち込め始めた中、船は身震いをする大海原に合わせて大きく上下しながら慎重な舵取りを要求されていた。

「グズグズしねぇでとっとと帆を畳め!羅針盤から目ぇ逸らすなよ!他の船にも合図を送れ!」

 マゼランが直接舵を取りながら矢継ぎ早に飛ばす指示に、水夫達が応と応えて揺れる甲板を物ともせずに駆け回る。
 その喧騒と暴風が織り成す轟音を客室で聞きながら、カタリナは落ち着かない様子でベッドに腰掛けていた。
 堂に入った船長の指示と焦らず其れに答える船員に任せておけば、よもや万が一などはあり得ないとも思うが、この様な天候には有らぬ物思いにも耽ってしまう。
 ロアーヌで迎えたあの黒雲蠢く嵐の夜から始まった事件が、密やかに彼女の脳裏に掠める。
 そこに、あの夜部屋に飛び込んできたモニカもかくやという程度には唐突に、彼女の嫌な予感を裏切らない緊張した声が客室の外から飛んできた。

「ま、魔物が現れたぞ!」

 ガタン、と音を立ててバネ細工のおもちゃの様にベッドから跳ね起きたカタリナは、バタバタと武具を身につけて船室を飛び出した。
 そこでは船に取り付いてよじ登ってくる魚人や船体に衝突してくる大型エイなどに対して、既に水夫達が応戦している真っ最中だ。

「カタリナッ!」

 呼ばれた声に振り返ると、ハリード等も慌てて出てきた様子だった。それぞれ獲物を構えながらも、しかし慣れない戦場に出方を窺っている。

「ポールは乗られる前に可能な限り短弓で捌いて!二人は甲板に上がってきた奴らを!」

 そう言うと、カタリナは後方の舵へと駆け出した。戦う以外にやるべきことがあるなら指示を乞おうと考えたのだ。
 丁度海から跳ね上がってきた不自然に頭部が発達した鮫を大剣で切り飛ばしながら階段を登り、直ぐに雨ざらしの舵の前で指示を飛ばし続けるマゼラン船長を見つける。
 彼もまた片手に斧を構え、いつでも戦闘できる体制にいた。

「船長、何か手伝えることは!?」
「あん!? ああ。なんだ客人か!なに、既に手伝って貰っちまってるみてぇですまねぇな!」

 この様な時だというのにニヤリと尊大な笑みを浮かべた船長は、流石に海上の覇者と名高い男の貫禄がある。
 その口でそのまま適当に自衛してくれてりゃいいと言い放ち、しかし彼は前方を見て眉間に皺を寄せた。

「どうかしたのですか?」

 カタリナが其れに気付いて声を掛けると、マゼランは首を傾げながら応えた。

「いやな。他の船よかここだけがえらい集中して襲撃されてるんでな。しかもこいつ等、温海にいる魔物だけじゃねぇっぽいんだよ。西大洋棲息のがちらほら混じってやがる。なんでちと妙だと思ってな。まぁ心配するこったねぇがな!」

 少なくとも彼がこの様子ならば、確かに沈没する様な事態にはならないだろう。
 カタリナはマゼランの言葉に頷くと、自分も甲板で応戦しようと踵を返した。
 そして駆け戻りざまに船の側面を登ってきたサハギンを胴体から上下に切り飛ばし、構わずその場を通り過ぎようとする。
 しかし、丁度切り飛ばされて上半身のみとなったサハギンを踏み越えようとした時、その口から漏れる夢遊病の如き呟きが耳に届いてきた。

「・・・ロス・・・ヨウセイ・・・コロ・・・ス・・・」

 その言葉に振り返ったカタリナの見る先でサハギンは間もなく息絶えたが、魔物は最後まで船の内部へと向かう扉を目指していたようだった。

「ヨウセイ・・・?」

 魔物の最後の言葉を繰り返したカタリナは、直ぐに甲板の様子を窺う。そちらには十分な戦力があることを其れで確認すると、自分の直感に任せてすぐそこの扉、船倉へと続く室内に入っていった。

 

 外の喧騒が漏れ聞こえる真っ暗な室内をあちこち身体をぶつけながらも手探りで進んでいくと、はたしてそこには、子供が入れそうな程度の大きさの頑丈そうな鳥籠の様な物の中に、膝を抱えて蹲った少女を見つけた。

「ちょっとあなた・・・! 大丈夫!? 何でこんなところに!」

 ガシャリ、と籠に張り付いてカタリナがそう叫ぶと、少女はゆっくりと顔をあげた。
 その顔付きは驚く程に可憐で線が細く、そして瞳には今まで彼女が見たことのない不思議な色を宿している。
 よもや聖王の法が制定されて三百年のこの時代に、人身売買でも横行しているのかなどという想像が脳裏に掠める。

「助けて・・・」

 そして少女の口からか細く呟かれたその声に、カタリナは迷わず背中から引き抜いた大剣の柄で鳥籠の鍵を叩き壊した。
 そうして扉を開けてやると、少女は顔を綻ばせながら背中を震わせた。
 これに思わずぎょっとしたのはカタリナだ。
 細かく震えた目の前の少女の背中には、なんとこの暗がりでもはっきりとわかる半透明の羽が生えていたのだ。

「よ・・・妖精・・・」

 魔物が言っていたのは、この少女のことだったのか。
 南方の密林に住まうと伝えられる妖精のお伽話はカタリナも聞いた事があるが、まさか実在しているとは。
 とはいえ夢の中に入ったり四魔貴族とすら相対した彼女からしてみればそれ程までに驚き固まる事でもなく、すぐに頭は回転を始めた。
 そう、あの魔物の言葉にはさらに気がかりなことがあったはずだ。
 籠を出て飛び立とうとする少女の腕を慌ててつかんだカタリナは、一瞬悲しそうな目をして彼女を見返した少女に極力警戒心を抱かせない様に表情を作りながら口を開いた。

「今外に出るのは危険よ。外には魔物が攻めてきていて、それ等はどうやらあなたを狙っているようだから」

 その言葉に目をパチクリとさせた少女は、一つ頷いた。

「それは恐らく・・・アウナスの手の者です。アウナスは私達を滅ぼそうとしているから・・・」
「・・・アウナス・・・?」

 その言葉に、今度はカタリナが目を瞬かせた。
 アウナスと言われて誰しもがまず思い浮かべるのは、間違いなく伝説の四魔貴族の一人であるアウナスだ。
 カタリナの鸚鵡返しにもう一度頷いた少女は、その表情にまたしても悲しみの色を宿す。

「恐ろしい炎の魔神です。私達はあの魔神の居城の位置を知っているから、口封じに魔物を差し向けてきているのです・・・」
「それって・・・」

 カタリナが言葉を続けようとしたところで、船全体をこれまでに無い大きな衝撃が襲った。
 衝突音と共に大きく激しい横揺れを起こした船体は、其れまでの水平を保てなくなったのか斜めに床が傾く。
 船体に浸水する程の穴が空いたのか、先ほどよりも一層騒がしくなった船の外の喧騒に、衝撃で近くの木箱に頭をぶつけて悶絶していたカタリナは急いで立ち上がった。

「いけない・・・私がここにいたら、みんな殺されてしまうわ」
「いたた・・・っと、状況は芳しくないみたいね。あなたはここに居て頂戴。外の様子をみてくるわ」

 傾いた床に足を踏ん張って立ち上がったカタリナは、再び手探りでその場から入口方向へと進みはじめた。
 するとすぐ後ろからパタパタと羽音をたて、妖精の少女が付いてくる。
 気が付いたカタリナが再度ここで待っているように言い含めるが、しかし少女は首を横に振った。

「私がここから去らない限り、解決に至りません。兎に角行きましょう」

 カタリナとしてもここで問答を長くしている暇はないと諦め、あたりの荷物を蹴散らしながら船室の外へと這い出した。
 外ではコントロールを失った舵を捨てて甲板の中央に立ったマゼランが水夫達に指示を出しながら、乗客を脱出用の小舟に先導しているところだった。
 見ればこの荒波の中見事な操舵技術で、すぐ近くまで別の船が近寄ってきていた。
 破格の渡航費のお陰か乗客自体は多くはなく、これなら脱出も間に合いそうだ。

「おい!早くこっちに来い!ケツに何匹もデカイのが食らいついてやがるから、この船はもう時間の問題だぞ!」

 カタリナ達の姿を見かけたマゼランがそう叫ぶが、少女はその声を無視して船の後方へと進んで行く。この暴風の中では上手く飛べないのか、壁伝いに歩いているようだ。
 それに倣ってついて行こうとしたカタリナは、背中から彼女の名を呼ぶ声に気がついた。
 振り向くと、ポール達三人が今にも海面に降ろされる小舟の中から身を乗り出してカタリナの名を叫んでいる。

「・・・後でいくから、先に行ってて頂戴!」

 出せる限りの大声量でそう返すと、急いで少女を追いかけた。
 少女は船体後部に辿り着くと、船尾に噛み付いている巨大な魚達を見下ろした。

「・・・く・・・大気が、瘴気を払おうと藻掻いてる・・・。この風じゃあうまく飛べそうにないし、でもあちらの船になんて行けないわ・・・。どうすれば・・・」

 同じく見下ろしたカタリナは、えらく気色の悪いその光景に顔を顰めながら思考した。

(・・・こいつらを片付けてから船を移る時間の余裕は無い、か・・・。かと言ってどうにかしないうちにここを離れても、こいつ等は追ってくるから被害が広がるだけね・・・海上で相手をするのもしんどい・・・としたら・・・)

 カタリナは背後を振り返り、脱出作業の具合を見た。
 何艘かの小舟は次々に船を離れ、ロープで別の船に引き寄せられている。
 すでに船上に残っているのはマゼランと一部の水夫だけだ。あの面子なら、いつでも逃げ出せるだろう。
 カタリナは後方部のすぐ近くにも小舟が配備されていることを確認すると、留め具を素早く外していつでも下ろせる様にしながら少女にそこで待つ様に言った。

「さっきから新手が船をよじ登ってくる気配はないから、こいつ等をどうにかすれば取り敢えずは何とかなりそうだしね!」

 心配する少女にウインクしながらそう応えたカタリナは、振り翳した大剣を迷う事なく船の床に突き立てた。
 みるみるうちに地を這う衝撃波が船の床をズタズタに引き裂き、それは狙い通りに船に噛み付く大型魚類達を巻き込む。
 その光景を確認すると同時に無惨に崩れた床から海面に近い位置まで瓦礫伝いに飛び降りたカタリナは、傷付きながらもまだ噛み付いている魚達を片っ端から切り捨てていった。

「オッケー、降りて!」

 最後の一匹を大上段からの打ち下ろしで屠ったカタリナは、それと同時に少女に叫ぶ。
 少女がそれに応えて思いの外力強く小舟を海に落としてそれに飛び乗ると、大剣を背中に収めたカタリナも急速に沈み始めた船の部品達を足蹴にしながら何とか小舟に飛び乗った。

「早く離れないと・・・!」

 皆が避難しに向かった船は沈没していく船を挟んで彼女達の逆側にあるが、兎に角今は眼前で進行中の沈没に巻き込まれない距離まで離れなければならない。
 彼方へと回り込みながらこの場をやり過ごす余裕はないと判断したカタリナは、大急ぎで小舟に仕込んであるオールを取り出して力強く漕ぎ出した。

「だあぁぁぁ!ロアーヌ騎士なめんじゃないわよぉお!」

 オールとその留め具がいきなりのオーバーワークに悲鳴をあげる中、誰かに舐められてるらしいカタリナは盛大に水しぶきをあげながらオールを漕ぎ続けた。
 ガボガボと暴風の中でも届いてくる轟音を立てながら沈んでいく船を真正面に睨みつけながら、見る見るうちにその距離が離れていく。
 そして、その努力を嘲笑うかの様に悲劇が起こった。

「・・・!?」

 急に水の抵抗が軽くなった事に驚いたカタリナが左右を見やると、両手に握っていたオールは二本ともが中程から見事にへし折れてしまっていた。

「凄い力ですね・・・」
「・・・ありがと。でもあんまり嬉しくないわ」

 ずぶ濡れの少女の場違いな歓声に苦々しく応えた同じくずぶ濡れのカタリナは、どうやら取り敢えずは巻き込まれずに済んだらしい距離から、沈む大型船を眺めた。
 その更に向こうには、灯火をあげた商船団が見える。

「おーーい!!」

 この風の中では流石に立ち上がる事もままならず、それでも精一杯腕を伸ばして振りながら声を上げる。
 だがそれがあちらに届く様子はなく、それどころか荒れる海に為す術のない小舟は、波に弄ばれるままに灯火から徐々に離されていく。

「ちょっと・・・本気で不味いかしら・・・」

 この海原に何の備えも無い小舟で放り出されるということがどれだけ絶望的な事かなど、いくら海の素人でも想像に難くない。
 どうにかできないかと焦るばかりのカタリナだったが、しかし一向に打つ手が見つからずに頭を抱えた。

「この嵐では身動きが取れませんが、これが止めば私が船を押す事も出来ます。今は待つしかないです」

 対してこのような状況で妙に冷静な少女の言葉は悲嘆に暮れるカタリナの表情を多少は和らげてくれたが、それでも彼女は深々とため息をついた。

「・・・ったく、人生悩んでる暇も無しなのね・・・」
「・・・悩んでたんですか?」
「・・・いえ、やめたわ。悩むとロクな事にならないみたいだし」

 肩を竦めて少女に応えたカタリナは、取り敢えず船に設置してあった桶を取り出して、当面の飲み水確保の為に雨水を貯め始めた。

「そういえば言い遅れましたが・・・、助けてくれて有難うございます」

 他には何かないかと小舟の底を漁るカタリナに、唐突に少女が頭を下げてきた。
 それにカタリナは、なんて事はないと手を振る。

「その言葉は、無事に陸地についてから改めて聞く事にするわ・・・えーっと」

 そこでなんと呼べばいいのか言いあぐねたカタリナに、少女も困った顔をした。

「あ、えっと・・・すみません。私達には名前がないんです」

 妖精は気の流れから互いを認識し合うからそういう文化は無いのだと付け加える少女に対し、カタリナは水の滴る額を腕で拭った。

「うーん・・・でもそれだと私達は困るわね。嫌じゃなければ、なにか決めましょうよ。あ、そうだ、ティンカーベルとかどうかしら?」
「きっとそれは人間でいうところのニホンジン=オノヨーコ、と同じくらい安易な案です」

 中々ウィットに富んだ返答をしてくる少女に面食らいながら、カタリナは悩ましげに腕を組んだ。
 すると同じく腕を組んだ少女は、羽についた水滴を震わせて落としながら指を立てる。

「固有名詞で呼ばれるというのは私も慣れないですから、ここは一つ折衷案として、フェアリーで如何でしょう」
「まんまだけど確かに分かりやすいわね。では一先ずそれで」

 そう言って頷いたカタリナは、少女に右手を差し出した。

「此方も名乗るのが遅れたわ。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランよ。宜しくね、フェアリー」
「はい、よろしくお願いします、カタリナさん」

 それに首をかしげながらも握り返してきたフェアリーに、カタリナはこれは人間流の挨拶だと教えてやる。
 へぇーと感心するフェアリーににこりと笑いながら、カタリナは片手で目元を抑えながら未だ雨を叩きつけてくる暗雲立ち込めた上空を見上げた。

「早く止むといいけど・・・」

 彼女のこの祈りは、翌明け方になって漸く聞き入れられる事となった。

 

 

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