魔術理論談義

 

 四魔貴族の一柱、魔海侯フォルネウスの打倒。
 その難事を成し遂げるために一路西太洋を西の最果てへと航行する海上要塞バンガードには、この大遠征を行うという最中にも残留を決意したキャプテン以下数名の勇気あるバンガード住人以外にも、実に多くの者達が使命のために乗り込んでいる。
 この遠征を主導しているカタリナやハーマンらも当然その類であるのだが、その実、外部搭乗者で最も多くを占めるのは、モウゼスの魔術ギルドから来た者たちだった。
 特にこのバンガードを動かす主軸となる玄武術を扱う水術士が最も数多く、次いでバンガードの整備を目的とした技師もとい火術士たちが数名。
 これら人員は、地図上ではバンガードの南方に位置し世界最大の魔術ギルドを抱える学術都市モウゼスの中でも稀代の天才と称される二人、玄武術士ウンディーネと朱鳥術士ボルカノが連れてきた者たちである。

「しかし、お前らってつい最近まで歪み合ってたんじゃないのか?それがいきなりこんななって、仲良くできるもんなのか?」

 唐突にそう口を開いたのは、ハリードだった。
 バンガードの甲板部分にあたる市街地エリアの片隅に佇む、酒家グッドフェローズ。その店内で、珍しくカウンターではなくテーブル席の椅子に座りながらウィスキーのロックを傾けていた彼は、同席している休憩中らしい水術士と火術士の二人に、そんな素朴な疑問を投げかけたのである。
 彼が唐突にそんな疑問を投げかけたのは、言ってみれば当然のことなのかもしれない。
 なにしろこのバンガードで日夜忙しなく動き回る彼ら両術士チームは、側から見てもチームワークは完璧で、完全に意気投合してこのバンガード運用に当たっているのである。
 しかしながらハリードの記憶では、彼らはつい先日までモウゼスという一都市の南北を分つほどの大騒動を演じていた陣営同士だったはずだ。
 それが今は共同任務に従事し、休憩時間にはこうして同じ卓を囲んで酒盛りをしている始末。これでは流石に、疑問の一つや二つくらいは出てこようというものだろう。

「いやー、そうなんすけどね。っても元々はウンディーネ様がバチバチやっていただけなんで、実際あんまり俺らは・・・なぁ」
「あーぶっちゃけうちもそんな感じっす。ボルカノ様が一歩も引かなくて・・・。てか今回来たのもボルカノ様が勝手に決められて、自分ら連れてこられただけですし・・・。いえまぁ望んで仕えてるんで、文句あるとかじゃないんすけどね?」

 両術士は、ハリードとお互いの顔を交互に見合わせながら、口々にそう語る。
 稼働に膨大な魔力を消費するバンガードを動かすために集まった水術士の数は、実に三十六人にも上る。
 彼らは三交代制勤務の形をとっており、動力供給、休憩、睡眠というローテーションで業務に当たっていた。そしてその彼らを補助するために動き回るサポートチームを、ボルカノが連れてきた火術士たちが担っている。
 彼らの業務の中で思いのほか重要なのが、この休憩セクションだ。
 水術士たちは連続八時間にも及ぶバンガードへの魔力供給というハードワークをこなし、結果すっからかんになった魔力を、次のローテーションまでに短時間で回復させねばならない。
 そこで、術具の扱いにおいては右に出る者がいないとまで言われるボルカノの指導の元、火術士たちサポートチームが独自調合し霊酒相当にまで効能を高めた特製術酒を休憩時間に飲み、次の魔力供給の順番までに失った魔力を回復させるのである。
 つまり、業務内容に酒盛りが強制的に加わっているのだ。
 下戸には辛い仕様だが、この世界で魔力回復のための術具といえば、残念ながら術酒しか存在しない。そんな事情もあるので、実は魔術士には海賊などにも負けず劣らず酒に強いものが割と多い、という裏話もあったりする。
 そんなわけでこのグッドフェローズは自然と、勤務交代して休憩する術士たちの貴重な憩いの場として、二十四時間稼働をすることになったのであった。
 この酒家の店主は何やら事情があるのか、強い使命感からこの街に残ったという街の住人の一人だ。その店主たる彼がいない間も、厚意で店は開けてくれている。
 所定位置へのキャッシュオン形式で、店にあるものならドリンクメイクはご自由に、というやつだ。
 お陰で長い海路の間でも酒にありつけると、ハリードはほぼ毎日ここに顔を出している。もうすっかり術士たちとも、顔馴染みの気安い仲だ。

「ていうか元々、そんなに仲が悪いとか無かったもんな、俺ら」
「それな。あ、ハリードさんはあんま関わってないと思うんすけど、今回居ないんすがモウゼスは地術四術式は全てにちゃんと派閥があって、天術の専門研究施設もあるんすよ。魔術ギルドの総本山もうちにあるんで、そこが色々調整とかも行なってて、ぶっちゃけ派閥同士が仲悪いとかあんまなかったんすよね」

 術士たちの話す内容は、どうもハリードが脳内に思い描いていた業界泥沼事情のようなものとは異なる様子だった。

「じゃあなにか。俺らが介入した時が、たまたまバチってただけってことなのか?」

 続けてハリードが尋ねると、二人の術師はこれまた息ぴったりに頷いてみせた。

「まぁ・・・そういうことになりますね。あれほんと突然だったんで、俺らもびっくりしましたよ。ウンディーネ様もボルカノ様も、魔術史に確実に名が残るほど本当に凄い方々なんで、その二人が十年ぶりに、しかもほぼ同時にご帰還なされたって時は、こりゃもう街を上げてお祝いでもしようかって雰囲気になったくらいだったんすけどね」
「あー、その話こっちにも来てたわ。それが一転、帰ってきたと思ったらいきなりあんなゴリゴリ対立が始まっちゃって。でもあの二人に意見できるような実力を持った人も正直、今のギルドにはいないんすよね・・・」

 二人共が苦笑しながら肩を竦めてそう言い、手元のグラスを傾ける。
 何だか大変そうな業界事情にハリードも半ば同情するような表情をしながら、つまみに用意していたローストナッツを口の中に放り込んだ。

「はぁーん・・・それが今じゃあ、息ぴったりに共同作業ねぇ。お上に振り回されるお前らも大変だなぁ」
「あはは・・・でもまぁ、本当はお互いリスペクトがあるのは俺らも察してたんで、どっかのタイミングで折り合いはつくだろうとは思ってましたけどね。ウンディーネ様、対立している間も何だかんだずっとボルカノ様のことぶつぶつ口に出しながら心配してて、何かすごい必死だったんすよ。あんなの見せられたら、本当に歪みあってるなんて思えないっすよ」
「それな!ボルカノ様もまんまそれだったわ!」

 水術士がそういいながら笑っているところに火術士も同意して盛り上がっていると、不意にカランカランと音を立てて、店の扉が開く。
 ハリードがチラリとそちらに目線を向けると、入ってきたのは連れ立っての二人。
 ウンディーネと、ボルカノだった。

「おっと、噂をすれば御両人か」

 多少声量を絞ってハリードがそういうと、術士二人も無言で頷きながら何気なく二人へと視線を向けた。
 だが当の二人は何やら熱く議論を交わしながら歩いており、テーブル席の三人には軽く視線をやってご苦労様と簡単な労いの言葉を掛けただけで、そそくさとカウンター席の一番奥に二人並んで陣取って座った。

「うわ、二人してここにくるなんて珍しいっすね」
「うっわ、二人で何話すんだろ。めっちゃ気になるけど、そろそろ就寝時間なんすよねー」
「・・・ふぅん、やっぱ仲いいんじゃねえか。面白そうな話だったら、あとで会った時に教えてやるよ」

 そろそろ休憩時間が終わるとのことで、術士二人が名残惜しそうに席を立つのをグラスを掲げながら見送ったハリードは、何気なくカウンターの二人の会話へとこっそり耳を傾けることとした。

 

 

——酒家に赴く、少し前——

 バンガード艦橋から程近い位置にある、彼女専用にあてがわれた一室。その室内でウンディーネは忙しなく、机の端に積み上げられた何冊もの本を手に取っては開き、パラパラと捲っては閉じ、を繰り返していた。
 そこまで広くない机の中央に陣取っているのは、如何にも古めかしい装丁が施された書物。
 それは、商都ヤーマスにてキャンディらの活躍によりドフォーレ商会の裏倉庫から回収され、その後カタリナによって彼女の元に持ち込まれた古代魔術書であった。

「・・・・・・ふぅ」

 一頻り書物の山と格闘していたウンディーネは、ふと燭台の火が視界の端で揺らめいたのを感じ、息を吐きながら顔を上げた。
 どうやら、思ったよりも作業に集中しすぎていたようだ。先程火を灯したばかりだと記憶していた燭台の蝋燭が、もう今にもその役割を終えようとしている。
 ウンディーネは両手の指を組みながら思い切り上に伸ばしてぐっと背伸びをし、次いですっかり冷めてしまった机の端の珈琲を一口啜った。
 その表情は、明らかに消化不良の様子である。ウンディーネ自身は自覚していないが、意外と彼女は思っていることが顔に出やすいタイプだ。
 ところで何故そんな表情なのかと言われれば、なにしろ時間の消費に対して作業の進捗が非常に芳しくない、と彼女が感じているからに他ならなかった。
 古文書に書いてあることの大筋は、実は既に解読を終えている。この古文書には、現代には伝わっていない魔術の秘技が書き記されているのだ。
 彼女の元に持ち込まれた古文書は、二冊。それらには丁度、玄武と朱鳥の秘術に関して書き記されているであろう、ということまではもう分かっている。
 また、術の構成に当たって複属性の記述が見受けられることから、これは彼女が専攻する「連携術」の延長線上にある陣形術式であろう、という予測まではついていた。
 だが、そこから先が問題だった。
 肝心の術式発動に関する理論的な記載が、この本には殆どないのである。
 かと言って特段中身が欠落しているわけでもない様子なので、元からこの本にはその記載が無いのであろう。全く、魔導書としては欠陥品も甚だしい。編纂者をどついてやりたい気分だ。
 だが、文句を言ったところで問題は解決しない。
 そうなると、あとは不明な箇所を現代に伝わる魔術理論から推測し補填するしかないわけなのだが、その解明作業が遅々として進まない、というわけなのだ。

「もっと関連してそうな書物を持ってくるべきだったわ・・・」

 モウゼスにある彼女の館には、多くの魔術書がある。今回のフォルネウス討伐を目的とした遠征にはこの古代魔術書の中身がなんらかの役に立つのではと踏んでいたウンディーネは、目的地に辿り着くまでにその解読をせんとして、モウゼスから解読に役立ちそうな蔵書をバンガードに持ち込んでいたのだ。
 だが、持ってきた蔵書に書いてある内容だけでは、どうにも魔術理論構成が上手くいかないのである。
 手詰まり感を抱えながら口元に手を添えて考えを煮詰めていると、そこに、元から半開きだった背後の扉をコンコンとノックする音が響いた。

「・・・ディー姉、今大丈夫か?」

 それは、最近特に聴き慣れた声だった。
 しかしそれにすぐには敢えて応えずに、軽く眉間に皺をよせてわざわざ苦々しい表情を作り、そして椅子の背もたれ越しに半分だけ振り向いてから重々しく口を開いた。

「・・・いい加減、そのディー姉っていうのやめなさいよ」
「あぁ・・・クセでな、すまない」

 あまり悪びれた様子もなくそう返しながら部屋に入ってきたのは、上品に切り揃えられた赤髪をした青年-ボルカノだった。
 魔術の徒としては彼女の後輩にあたる青年で、専攻は朱鳥術。伝説の玄武術師ヴァッサールの再来とすら言われるウンディーネをして、間違いなく天才だと認めることができる類稀なる才覚の持ち主だ。
 因みにウンディーネとは一回りほど歳が離れているものの、同じ時代に二人の天才が誕生したということでモウゼスではよく同格に扱われることが多く、年上のウンディーネとしては何とも歯痒い思いをしてきたものだ。
 とはいえ彼女にとっては年の離れた弟のような存在であったこともあり、彼女が十代の頃には少年ボルカノに術のいろはを教えてあげたりしたこともあった。
 その当時から既に、天才たるボルカノが教えを請うのも同じく天才である彼女くらいしかいなかった、という事情もある。
 そんなわけでボルカノがウンディーネのことを「ディー姉」と呼ぶのは、その当時の名残である。今となっては、その当時そう呼ばれてちょっと喜んでいた自分を殴り飛ばしてやりたいとウンディーネは密かに思っていた。

「ふん・・・まぁいいわ。でも少なくとも、他人の前ではそう呼ばないで。お互い、今は立場ってものがあるでしょう。で・・・何か用?」

 ウンディーネが半身だけ振り向いた姿勢のまま半眼で問いかけると、ボルカノはそんな彼女の様子など気にすることなく部屋に入ってきて、手に持っていた紙切れをウンディーネに差し出した。
 それは、バンガード内部の地図のようだった。

「少しバンガードの構造で気になる場所があって、一度ディー姉にも見てもらおうと思ったんだが・・・何か調べ物か?」

 机の中央に広げられた古文書に目を止めたボルカノは、ウンディーネの座っている椅子の背もたれに片手をつきながら興味深げに身を乗り出し、書物を覗き込む。
 彼の腕がウンディーネの横髪をさらりと掠めるくらいにはいきなり近づいてきたものだから、ウンディーネは一瞬固まりながらも、動揺を表に出さぬように極力自然体を意識しつつ、彼のみる本へと合わせて視線を移した。

「ええ、ちょっとね・・・そうだ、丁度いいわ。少しこの古文書の内容について、貴方の意見を聞かせて頂戴。持ってきた書物と照らし合わせただけだと、どうにも得心いかないのよ」
「なんだ、ディー姉が俺を頼ってくるなんて珍しいな。明日はスコールか?」
「五月蝿い。無駄口叩くなら頼まないわ」
「そんなツンケンしないでくれ。どれどれ、このページか。解読メモは?」

 身を乗り出した姿勢のまま、ボルカノはウンディーネが仏頂面で差し出したメモを受け取る。そしてそのメモと古文書の文字列を、交互に指でなぞるようにしながら読んでいく。彼自身も古文書の類には慣れ親しんでおり、こうなるとあとは話が早いはずだ。
 だが、それはともかく。
 先ほどから、少々お互いの距離が近すぎるようだとウンディーネは感じていた。
 別に自分は気にしないが、しかしここの部屋の扉は今、半開きなのである。もし外から通りすがりの誰かがうっかり部屋の中を見たとしたら、ちょっと二人の距離が近すぎるのを、不審に思うかもしれない。

(いや不審って何よ。別にそういうのじゃあるまいし)

 そういうのではないので、自分から変に気を使ってわざわざ距離を取るのもおかしい。それではまるで、そういうのを此方が気にしてしまっているみたいに受け取れてしまうではないか。

「これは驚いたな・・・古代魔術の秘技書か。でも、確かに記述が抽象的だな。うーむ・・・何となくイメージできないでは無い気もするが・・・。因みに、ここまでをディー姉はどう解釈しているんだ?」

 しかし、外から見えてしまった時には変な勘違いをされかねない程に近い距離というのは流石に問題だと言えなくも無いので、やはりここは多少なりとも此方が椅子を引いたりして距離を取るべきか。いや、しかしながら今更距離をとったところで、それはそれでもう手遅れ感満載で不自然なのではないか。万が一にも、この察しの良い憎たらしい後輩に変な勘ぐりでも入れられてしまったら、これはもう一生の不覚といっても差し支えない。それはだめだ。絶対にだめだ。阻止しなければならない。

「おい、ディー姉・・・?」
「・・・え? わ!」

 至近距離でこちらを覗き込むように顔を近づけていたボルカノにようやっと気が付き、ウンディーネはガタンと音を立てながら椅子ごと後退ろうとする。
 しかし、思いのほかしっかりした椅子の足は後ろ二本だけで傾いてしまい、ウンディーネはそのまま椅子ごと後ろに倒れそうになってしまった。

「お・・・っと」

 それを、ボルカノが造作もなくウンディーネの手を取り、自分の方へと引き寄せる。
 ガタン、と大きく音を立てて椅子が後ろに倒れるのと同時、ウンディーネは間一髪ボルカノに抱き竦められるような格好で難を逃れた。
 結果、先ほど以上に密着したような状態になってしまっている。

「あー・・・すまない。そんな驚くとは思わなくて」
「・・・・・・」

 一瞬の沈黙が、部屋の中に訪れた。
 そして、その間すっかり固まるウンディーネ。
 ウンディーネがこの小憎らしい後輩と再会したのは、ほぼ十年ぶりのことであった。お互いに、モウゼスを離れていたのである。
 その間もギルド支部を通じ文書での連絡は取り合っていたが、姿をお互いに見たのは本当に十年ぶりなのだ。
 そして二ヶ月ほど前に訪れたその再会の場面は、それはそれは最悪の形であった。
 双方の意思疎通不足から始まった悶着は街を巻き込む騒動に発展してしまい、今となっては本当に恥じ入るばかりである。
 そんな騒動から、今度は殆ど間を置かずにこのバンガードに乗り込んでいるものだから、実は改めてボルカノをまじまじと見るようなタイミングなど、ここまで殆どなかったと言える。
 不意に抱き竦められた気恥ずかしさと、そして今更ながら相手の大きな変化を目の当たりにして、ウンディーネはすっかり黙りこくってしまった。

(・・・なによこいつ・・・十年前、私が旅に出た時は、まだ私よりも背が小さかったのに・・・)

 抱き合ったような格好の二人には、明確な身長差があった。以前は自分の方が背が高かったのに、いつの間にか頭ひとつ分はボルカノに身長を抜かれていたのだ。
 それに以前は魔術士らしく自分と一緒で華奢だと思っていたその腕も、今はこうして彼女の体を支えても何とも無いくらいには、逞しくなっている。
 声だって、そうだ。凄く低くなった。昔は鳥が囀るような可愛らしいソプラノだったはずなのに。
 そう言えば声色だけじゃなく、口調そのものも少し変わっているではないか。なんだかちょっとキザったらしくなってて、それがなぜだか癪に障る。以前はもっと、生意気だけど可愛げのある喋り方だったのに。
 本当に、色んな所が凄く変わったと思う。それなのに名前の呼び方だけが昔と変わっていないのは、なんだかとても見た目の変化とアンバランスで、ちょっと可笑しい。
 自分の知らない間に、弟分はこんなにも成長したんだなと、何故だかこんな時にふと思ってしまった。
 そこに至り、あまりの後輩の変化ぶりに実は自分の方がついていけていなくて、なんだか後輩への態度が空回りしていたのかもしれないな、なんて。ふと冷静にそんなことを考えたりもする。
 そのまま、数秒の時がお互いの間をゆっくりと流れた。

「・・・・・・離して」
「あ・・・すまない」

 言われて初めてボルカノは腕の力を緩め、ウンディーネは彼の腕から解放された。
 いきなりのことだったから、自分でもびっくりして顔が紅潮してしまったのがわかる。気づかれていなければいいが。

「別に・・・。まぁ、支えてくれてありがと」
「・・・あぁ」

 そそくさと衣服の乱れを整えながら、ウンディーネは平然を装って椅子を起き上がらせた。
 少し、気まずい。何か話題を振らなければ。

「で・・・その古文書、貴方の見解を聞かせて欲しいんだけど」
「え、あぁ、だからディー姉の考察を聞こうと・・・まぁいい。これはディー姉のほうが想像ついていると思うが、陣形魔術だと思う。これは朱鳥術の書のようだが、実際重要なのは、恐らく朱鳥の力を誘導する天術の配置とバランスだと考えられるな」

 そう言いながら、ボルカノは先程持ってきたバンガードの内部地図らしき紙切れを広げた。

「丁度ディー姉に見てもらおうと思っていたのが、ひょっとしたらヒントになるかも知れない。どうもバンガードの水晶から各機関への魔力の伝わり方に、一定の法則があるようなんだ。それがこの地図でメモした場所だと視覚的に良くわかる。これが、ひょっとしたら陣形術に関連するんじゃないかと思ってな」
「それは興味深いわね。案内してもらえる?」

 とにかくこの部屋の空気を脱したかったウンディーネは、古文書を手にとって我先にと部屋の出口まで進んだ。
 それに合わせてボルカノが続くも、ふとウンディーネが部屋の扉の前で立ち止まる。

「・・・ディー姉?」

 彼女が止まったので、その背中のすぐ後ろにボルカノも立ち止まる。そしてボルカノが不思議そうに首を傾げると、ウンディーネは顔半分だけ後ろに振り返り、ボルカノを見上げた。

「・・・貴方、お酒は少しくらい飲めるようになったの?」
「え、まぁ・・・それなりには」

 この世界で魔術士と酒は、切っても切れない関係だ。術酒を飲めない者は一人前の魔術士にはなれないとすら言われており、魔術士を志す者は小さな頃から水に薄めた術酒を飲みながら体に慣れさせていくほどである。
 彼女の覚えているボルカノは、やっと術酒の慣らし始めをしたくらいの時節だった。初めて術酒の水割りを飲んだ時の彼などは、それはそれは珍妙な表情をしていたものだ。
 何故だかふとこのタイミングで、それを思い出したのである。

「・・・やっぱり案内は、明日お願い。だから、今日はちょっと付き合いなさいよ」

 そう言いながらグラスを傾ける仕草をしてみせると、キョトンとした様子で二度三度瞬きをしたボルカノは、次いでふっと微笑む。
 少し、その笑顔には昔の彼の面影が残っているような気がした。

「オーケーだ、受けて立とう」

 ボルカノの返事を聞いてウンディーネも僅かに口の端を上げるように笑ってみせると、部屋を後にした。
 十年の間に彼がどれだけ変わったのか、それとも、実はそんなに変わってないのか。
 何の因果か、こうして今、一緒に居るのだ。それを確かめる程度の時間を、ほんの少し設けることくらいは、なにも問題ないはずだ。
 心持ち足早にウンディーネがバンガード上部エリアに向かって歩いていくのを、ボルカノもまた軽い足取りで後を着いていった。

 

 

「・・・でまぁ、来てからずっとあの調子なんだよ」

 グッドフェローズのテーブル席には、相変わらずのハリードと、カタリナ、ミューズ、シャールが座っていた。

「聞こえてくる限り、ずーっと魔術の小難しい話ばっかしてんだよ。男と女がバーのカウンターで並んで飲んでるってのに、全く色気も何もないぜ。そうは思わんか?」

 ハリードはその様子を最初から見ていたらしく、何杯目かのウィスキーをグラスに注ぎながら肩を竦めてそう言った。
 巡回を終えて合流していたカタリナら三人は、それぞれグラスを片手に彼の問いかけに対して思案する。

「うーん・・・まぁ、あの二人にとってはそれが共通の話題なのだろうし、その話で盛り上がるのは仕方ないんじゃないかしら。私だって騎士団の同期と飲む時は、大抵訓練の話ばかりだったわよ」

 ロアーヌの騎士団仲間を思い出しながら、カタリナはハリードにそう相槌を打つ。どちらかと言えばカタリナも、そういう話題には疎い方だという自覚はある。

「あー・・・お前さんは想像がつくな。意見を求める相手が悪かった。シャールはどうだ?」
「俺に聞くな」

 このつれない態度である。
 しかし、その隣で瞳を輝かせているミューズがいるので、これ以上シャールに追求は、するだけ無駄だろう。

「私はあのお二人、いい雰囲気だと思います。実はウンディーネさんが結構ボルカノさんへの接し方に戸惑っている感じが普段からあって、それがもどかしくてポイント高いですよね。ボルカノさんも不器用っぽいですけど、ウンディーネさんよりは直球な気がするんですけどね」

 この辺りの話題に関してはサラに大分仕込まれているのか、流石の鋭い観察眼でミューズは二人を評する。
 なんのポイントが高いのかはいまいち分からないが、何となく言いたいことが分かるような気がするかな、とカタリナなどは思った。

「でも・・・あれはあれで楽しそうじゃない。モウゼスで初めて会った時とは比べ物にならないくらい、二人とも生き生きした顔しているわ」
「はん、そんなもんかね。ま、当人らがそれでいいならいいんだろうが・・・。少しは外野も盛り上がるような展開があってもいいと思うけどな。なぁシャール」
「だから俺に聞くな」

 静かにグラスを傾けながら釣れない反応を返すシャールにハリードは再度肩を竦めて苦笑し、もう一度、ちらりとカウンター席へ視線を向ける。

 

「だから、俺が思うに陣形魔術は天術のコントロール量が重要であって・・・」
「ちょっと待ちなさいよ、だってそれじゃあ根本的な魔術媒介の定義から見直す必要が・・・」

 結局、十年の変化なんて互いに微塵も探ることなんてなく。
 酒も入ってすっかり饒舌になり、数時間に渡って二人は魔術理論について、熱く激論を交わし続けた。
 その姿を、変わるがわる休憩に入ってきた術師たちが背後で生暖かく見守っていることなどは、露ほども知らず。

 

 

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第七章・9 -最果て-

 

 耳を擘く轟音と共に『空』へと流れ落ちる、見渡す限りの水。水。水。
 それは文字通り上下左右を見渡す限り、どこまでも、全く同じ光景だった。視界の続く限りその果てまでずっと、大量の水飛沫を伴い滝となって落ち続ける水があるばかり。このように水が落ち続けてしまっては、三日もすれば世界の海はすっかり干上がってしまうのではないか、と心配になるほどだ。
 そしてその滝の轟音の渦巻く中に、滝の轟音に比べたら実にわずかな音量にて、自然界には起こる筈のない異質な戦闘音が時折混じっていた。
 自分たちの数倍は高さがあろうかという巨大な水竜の放つ鋭い爪撃を、しかし最前線に立つカタリナとハリードは、滑りやすい濡れた足場にも関わらず難なく飛び回って躱していく。
 彼らの背後には依然として落ち続ける滝があり、その滝の合間から出っ張った岩場で彼らと対峙する巨大な水竜の背後には、ただ只管に青い空がある。
 その背後の空には、大地も、海もない。只管に、青空があるだけなのだ。それは、生物に生理的な恐怖をすら抱かせる『無』とも呼べる光景だ。
 動き回るカタリナとハリードに翻弄されて姿勢が崩れた水竜に向かい、シャールが己の魔力を込めた強烈な二段突きを放つ。するとその二段突きに込められた迸る気迫が、雄々しい二頭の龍の形に具現化し、衝撃波を伴って双龍が水竜を貫く。

「ギャオオオォォォォォ!!」

 シャールの一撃によって胴を抉られ苦痛に喘ぐ水竜へと向かい、更に追い打ちをかけるようにミューズとフェアリーが、その手にしていた麻袋を勢いよく水竜に向かって投げつけた。
 水竜が苦悶の声を上げつつもそれを打ち払うように尾を振るうが、麻袋は龍の尾に振れた瞬間、とんでもない威力で炸裂を起こす。それは、朱鳥術士ボルカノ特性の「火星の砂」と呼ばれる、特殊な岩石に朱鳥の力を内包させた魔道具であった。古くは四魔貴族であるアウナスの配下が用いたものであるとされるが、それを現代に蘇らせたボルカノが更に改良を加えた一品だ。
 炸裂の衝撃によって無残にも尾が吹き飛んだ水竜は、再度雄叫びをあげながら苦しみ踠くが、尾を失ったことで姿勢制御が出来ずに大きくよろけた。そこに止めとばかりに放たれたカタリナの払い抜けをもろに喰らい、水竜は呆気なく岩場から水飛沫と共に、何処とも分からぬ空の果てまで落ちていった。

「ふぅ・・・ここが世界の最果てっていうのは本当なのね・・・。なんかもう、来るところまで来たって感じだわ・・・」

 カタリナはそう呟きながら、水竜の落ちていった先を岩場の端から恐る恐る見つめる。
 背後は滝。正面は空。下を覗き込めば、そこは空虚なる果てなき奈落。
 そう、まさに世界のこの先には「何もない」のである。

 

 カタリナ達は今この世界の最果てにあるらしい、通称「最果ての島」にいた。
 ハーマンの示す通りに只管西太洋を西へと進んだバンガードは、人類が外海に進出してから現代に至るまで、ついぞ越えることのなかったとされる船乗り達の畏怖にして信仰の対象「玄武の怒り」を突破することに成功した。
「玄武の怒り」とは、陸を離れて外海の航海を続けると必ず遭遇すると言われる、巨大な嵐のことだ。
 例えどれだけ大型の船であろうとも、この未曾有の嵐によって荒れ狂う海に弄ばれ、沈没を免れない。まるで突如として神の逆鱗に触れたかのように荒れ狂う海原を見た人々は、それまでの穏やかな海との違いに慄き、強烈な畏怖を抱き、祈りによってその災厄を免れようとしてきた。故に古来より西方諸国では、外海での長期間の航海は徹底して避けられてきたという歴史がある。
 だがハーマンは、それを承知で西を目指した。彼には、それだけの確信があったのだ。
 結果として大方の予測通りに玄武の怒りに触れたのだが、さしもの玄武もこのバンガードを沈めることは叶わずだったのか、無事に嵐を通過する事ができたのであった。
 そして嵐を抜けた先に遂に見えたのが、この「最果ての島」だった。
 島に最接近するには座礁の危険性が高いとのことで、バンガードを沖に待機させながら小舟を出して一時間ほどで辿り着いたその島には、なんと驚くべきことに何者かの住居が幾つもあった。
 そしてその住居から出てきてカタリナ達を歓迎してくれたのは、なんとそこに住う先住民族「ロブスター族」であったのだ。
 ロブスター族とは、西方世界の中でもその存在を知っている人間は殆ど居ないであろうと思われる、不可思議な種族だ。かく言うカタリナも、存在を知っていたと言うよりはフェアリーからその存在を示唆されていた、というだけであったし、何しろ当のフェアリーにしても実物を見たのは妖精族の歴史にて初。あとは、古代文献で僅かばかりの其れらしき記述を見ていた、ウンディーネとボルカノ位だ。
 そしてもう一人、この中で誰よりも彼らロブスター族のことを知っている人物がいた。
 それこそが、ハーマンだった。
 因みに彼らはロブスターといっても、その姿は一般的な節足動物の様相を成しているわけではない。なんと彼らは、ロブスターと言える特徴を備えていながらも、驚くべきことに人間と同じく二足歩行であったのだ。また人間で言うところの両腕に当たる部分にはエビ科の特徴としある大きな鋏を持っており、しかし退化したのかそれ以外の複数の足は生えておらず、両足に当たる部分には、人間以上に逞しい『足』を持っている。
 カタリナはその姿を見て、かつてフェアリーから「周囲がドン引きするくらい本気で全身ロブスターの仮装をした人」と言われた通りそのまんまだな、等と多少ずれた感想を抱いた。
 そしてその容姿よりも更に一等驚くべきことに、なんと彼らは、人語を解した。

「見事だな、人の子らよ」

 それは、はたして拍手のつもりなのだろうか。両手と思しき部分の巨大な鋏をカチカチと小刻みに鳴らしながら滝の裏から現れたのは、ロブスター族の戦士だと名乗るボストンというものだった。

「我々のモードは玄武の水。水竜には通じなかったからな」
「いえ、あんなものが居ては、さぞ御不安だったでしょう。手遅れになる前に我々が来て良かったです」

 妙に紳士的な言葉遣いのボストンに対し、カタリナはすっかり人に接するのと同様の調子で受けあった。
 そこに、ボストンの背後からハーマンも現れる。

「・・・君は参戦しなくて良かったのかね、ハーマン」
「・・・けっ、俺が出る幕じゃねえんだよ」
「フォフォフォ、そうであったか」

 そして驚いた事に、ハーマンとボストンは顔見知りらしかった。なので、この最果ての島に辿り着いた折にも二人は、真っ先に声を掛け合っていた。
 この滝の洞窟に、フォルネウスが差し向けた水竜が巣喰い島を脅かしている事を最初に聞いたのも、彼だ。
 そして話を聞いたハーマンは間髪入れずに、何より先ずその水竜を仕留めることをカタリナに提案してきた。

「・・・ま、これであの時の借りはチャラだ。戻んぞ」

 吐き捨てるようにそういったハーマンは、相変わらず義足とは思えぬ俊敏な動作で踵を返して滝を潜っていく。

「・・・義理堅い男だ。過去にここに流れ着いた彼奴を介抱したのだが、それに恩義を感じていたようだ」
「ふぅん・・・」

 ボストンのその言葉に、カタリナは何だか意外なことを聞いたな、と考えながらハーマンの背中を視線で追う。
 彼がこの島の存在を知っていたのは何故なのかとは考えていたが、タネを明かせばつまり、ここに来た事が既にあったからなのである。
 ボストンによれば、十年ほど前に船の破片か何かに掴まり島の沖に流れ着いていたハーマンを、彼が最初に見つけて介抱してやったのだそうだ。
 当時の彼は全身に夥しい傷跡があり、そして左足は膝から下を鋭利な歯か何かで食い千切られるようにして失っていた。誰の目にも洋上で魔物に襲われたのだろうという事が、その様子からすぐに分かった。
 そして酷く衰弱していた彼を島で数週間に渡り介抱した後、玄武の祈りを込めた小舟に乗せて東へと送り出したのだった。
 彼らロブスター族は玄武の力を司る種族であり、彼らの祈りは「玄武の怒り」を鎮める事ができる。そして祈りは船の周囲にのみ、その向かう先への流れを生み出し、ハーマンはガーター半島の西岸へと漂着することに成功したのだそうだ。

「戻ってきたということは、矢張り彼奴は、フォルネウスに挑むつもりなのだな」

 ボストンのその言葉に、カタリナは浅く頷いて返す。
 そう、彼は間違いなく、四魔貴族が一柱である魔海侯フォルネウスに挑むつもりなのだ。
 その為にこそ彼はカタリナの要請に応じ、ここまで同行をしてくれたのに他ならない。
 そして彼がこの「最果ての島」に戻ってきたのは、何も彼らに恩を返しにきただけと言うわけではないらしい。それ以外にも、しっかりとした理由があるようだった。

「かつてここに流れ着いた時、彼奴は満身創痍にも関わらず自分の足と仲間の仇を討つと言い、直ぐにでもフォルネウスと相見えるつもりでいた。だが、フォルネウスは余りに強大だ。あの時の彼奴では、何の抵抗も出来ずに、ただ無駄に死に行くだけだった。我々はフォルネウスの住処である『海底宮』のあるポイントを知っているが、あれでは教えるだけ無駄。だから、フォルネウスに挑むに相応しい状態でまたここに戻ってこられたらポイントを教えてやると、あの時はそういって彼奴の世界へと返したのだ。まさか、本当に戻ってくるとは思いも寄らなかったがな・・・」

 あぁ、だからか。と、カタリナはここまでのボストンの話を聞きながら、この最果ての島に至るまでの船旅を思い返していた。
 ウンディーネが集めた玄武術士は、三十六人を三交代制でバンガードの動力確保を行なっていた。
 自らの担当時間帯でバンガードを動かした術士達は、魔力量がほぼ枯渇した状態で解放され、その後は食事など各々の時間を過ごし、最後にボルカノの調整した擬似霊酒を飲んで魔力回復を行い休息をとる。
 つまり一日に三回、バンガード内では業務内容としての酒盛りが開かれていたのだ。
 そしてその間カタリナ達は特にやる事もなく、食料確保を目的に釣りをしたり、剣の稽古をしたり、バンガード内部にある資料庫と思しき場所で調査をしたり、若しくは酒盛りに合流したりと、各々の自由に過ごしていた。
 そんな中でもハーマンは、カタリナ達の輪にも混じらず、また一番好みそうな酒盛りにも参加せず、ただただバンガードの船首にて自らの向かう先を眺め続けていた。
 彼女が特に印象深く思っているのは、航海が始まって一週間経った辺りの頃だ。それは、船首から海にラム酒を流しているハーマンの姿を見た時だった。
 まるでそれは誰かへの弔いのようにも思えたが、彼独特のどこか人を寄せ付けようとしない空気に、彼女もそこで声をかける気にはなれなかったのだ。
 つまりあれは、フォルネウスとの戦いの中で犠牲になった仲間への弔いだったのだろう。

「あれからあの男は、たったの十年で伝説のバンガードを引き連れてやって来て、そして今、この島の危機をも救った。あの男の覚悟に、我々も応えなければなるまい」

 滝へと繋がっていた洞窟を戻って島の表層へと出てきたところで、ボストンは外で何時もの様に煙をふかしながらこちらを待っていたらしいハーマンを見据え、そう言った。

「ハーマンよ。約束通り、海底宮のポイントを教えよう。だが、ポイントを教えたところでそこに先導するものが居なければ、海底宮へと辿り着くことは叶わないだろう。故に、わたしもバンガードに乗せてくれないかな?」
「・・・あん?」

 ボストンのその申し出に、ハーマンは煙を吐き出しながらそう呟いた。そして何を思ったのか、カタリナへと視線を投げかける。

「バンガードの主人は俺じゃねえ。其奴に聞け」

 いやいや、別に私も主人ってわけではないし。なんなら、ちゃんとバンガードにはキャプテンがいるし。とは言えず。
 カタリナは急に話を振られて、意味もなく勿体ぶって腕を組んでみた。
 とは言え、無論彼女にはこの申し出を断る理由など微塵も思いつくわけはないのであった。

「オーケー、一緒に行きましょう」

 そう快諾して、改めて握手をしようと手を差し伸べかけたが、ここで彼の鋏と握手したら自分の右手は恐らく無くなってしまうな、という事に思い至ったカタリナは、ボストンの肩の部分と思しき頑強な甲殻を軽く叩きながらそう告げた。

 

 

 ボストンの情報提供によって西太洋の、とある地点の海の奥深くに海底宮があるということが分かった。
 そしてそこに進軍するに向けて文字通りバンガード中を奔走することになったのは、実質的にバンガードの航海士的な立場にあるボルカノであった。
 最果ての島へと送り込んだ水龍が屠られたことがフォルネウスに伝わるのは、無論時間の問題であろうと考えられる。バンガード襲撃失敗、最果ての島の侵略失敗から時間が経てば経つほどに警戒度は上昇し、海底宮への侵攻は難易度を増していくだろうことが予測された。
 故に一行は海底宮のあるポイントがわかった以上は一刻も早く向かうべきという方針で一同意見は一致したのだが、ここで問題が一つ浮かび上がった。
 つまりは、「どうやって海の底にいくのか」ということである。

「聖王記のフォルネウス討伐の章には、『海底宮に攻め込んでフォルネウスを討った』っていう記述しかないのよね・・・相手を海上におびき出すのではなく、こちらが海底に攻め入る。魚にでもなれ、というのかしら・・・?」

 集合会議の場でカタリナがそう疑問を呈すると、その場に集まった一同はそれに対する回答を持ち合わせずに、一様に首を捻った。ボストンにその辺りの知恵がないかも当然聞いたのだが、彼らロブスター族の間でもそれに関する伝聞は特にないのだという。彼らは妖精族とは違い、特段長命種というわけではないようだ。なので聖王の時代に生きたものも、もう数世代前に遡るらしい。つまり彼らが知るのは、海底宮の場所のみ、なのだ。

「海底宮に着いてからは、まだ何とも言えないが・・・恐らく、海底宮まで向かうには天術の障壁と同様に、玄武の術を応用した何らかの仕掛けでこのバンガードを覆う、と考えられる」

 ボルカノがそう言うと、それに続けるようにウンディーネが口を開いた。

「私も同意見よ。このバンガードは、水を通さないほど各接続部に遮断性はない。つまり、そのまま水に浸かりながら海に潜れるような構造にはなっていないから、何らかの術式を用いてバンガード全体を水から守りつつ潜る、と考える方が自然なのよ。若しくは人だけを覆う限定的な術式の可能性も考えたけれど、それが可能なら抑もこんな馬鹿でかいバンガードなんてものを作る必要性がないわ。だから、このバンガードごと海底宮に突っ込む、と考える方が自然なわけね。まぁ、だからこそ海水に満たされているであろう海底宮に着いてからの探索方法が、いまいち想像つかないわけなのだけれど・・・」

 彼女の言葉にボルカノが全くの同意を示すように何度も深く頷きながら、やがて皆が黙ったところを見計らって素早く立ち上がった。

「俺はもう一度、艦橋でその起動術式がどこにあるのかを探してくる。一応、既に粗方の調査は終えているが、そのような仕掛けは現段階では見当たらなかった。となると隠されているか・・・若しくは、壊れている可能性がある」
「・・・それって、壊れていたらどうすんだ?」

 ハリードがそう言いながら首を傾げると、ボルカノは腰に手を当てながらハリードへ振り返り、啖呵を切った。

「直すしかあるまい。自慢じゃあないが、恐らくこの世界でそれができるとすれば俺か、あとは魔導器研究の分野で名高い、ツヴァイクのプロフェッサーくらいのものだろう」
「・・・大した自信だな。何か手伝えることがあれば言ってくれ。それまで俺は酒でも飲んでいることにする」
「言っておくが、霊酒は飲むなよ」

 なんでもボルカノがハリードに対してどこかツンケンした雰囲気なのは、出会い頭にハリードからモウゼスの一件の際に「護衛費」の名目で大金を巻き上げられたから、らしい。結局は双方の和解に一役買った、ということで納得の上その金額はそのまま彼らの懐に入ったわけだが、その時のハリードの態度があんまりにも悪役めいていたので、まだまだ年若いボルカノとしてはどこか腑に落ちない部分があるようだ。対するハリードも、どこかそれを分かった上で若人を揶揄っている節があり、カタリナからしてみればどちらもどちらだなぁと思うところではあった。そういうカタリナ自身も年齢的にはボルカノに近いはずだが、どうにも最近の彼女の考え方が老成しているのは、これも指輪の影響なのか何なのか。
 話が逸れたが、カタリナと同じくそれを雰囲気で理解しながらも、さっさと立ち去っていくボルカノを追うウンディーネの優しそうな視線から推し量る限りでは、彼のそう言った若気に満ちた行動も満更悪い影響ばかりではなさそうかな、という気もするが。

「私たちも、できる限り手伝いましょう。術が扱える人は付いてきて。今は推進力に術力を割いていない状態だから天術障壁のみの稼働状態だけれど、霊酒の残数がこの作戦の実行可能期間だと思った方がいいもの」

 ウンディーネのその言葉により、その場に集まっていた各々が動き出した。術に関して殆ど知識がないカタリナとハリード、フェアリーは決戦に備えた自主訓練に励むこととし、その間にボルカノを中心としてバンガード解析班が動き出した。
 とはいえ、その作業は非常に地道なものであった。
 何しろ、この時点で艦橋から起動が確認できた仕掛けはボルカノが全て把握しており、そしてそのどれもが玄武の術式を展開するものではなかった。
 また『幾つかの仕掛けの組み合わせにより起動するものなのかどうか』を想定し、考えうる限りの組み合わせや順番で各機能の起動実験を行ってみたが、これも矢張り望む成果は得られなかった。
 そこで残された可能性はボルカノの予測通り、隠されたか壊れた機能であるという結論に早々に辿り着き、この巨大なバンガードの内部構造を隅々まで虱潰しに調査していくという方針がとられた。
 この捜索には通常起動に関わる玄武術士を割くわけにはいかないので、ボルカノとウンディーネの他にカタリナ一行の中でも術の心得があるシャール、ミューズ、ハーマン、ボストンが協力して捜査に当たった。
 即ちその捜査方法とは、バンガードの通路を只管歩きながら魔力の流れを肌身で確認し、その流れが不自然に途切れていたり留まっている場所がないかを見極める、と言う作業だ。
 船長室から下ったバンガード内部は単純に艦橋のみがあるわけではなく、実に細かく多くの細い道が内部に存在している。そしてそれらの壁には艦橋と同様に、各部に魔力を伝える回路と思しき道筋が描かれている。なので、それらを辿ることで何れかのポイントを探り当てることができる、とボルカノは踏んだわけなのだ。
 ボルカノはこれを行うにあたり、巨大なバンガード内部をただ闇雲に探しても効率が悪いと考え、捜索範囲を一区画に定めて集中的にそこを全員で調べていく手法を取って捜査に当たった。

 

 しかしそこから瞬く間に一週間が過ぎ、一向に成果が得られず霊酒のストックが間も無く帰りに支障を来す危険域に達しようかという状況まで、あっという間に一行は追い込まれることとなった。

「・・・歩いて行ける区画は全て探索したというのに、本丸どころか小さな違和感の一つも見つからないとは・・・。まさか、バンガードで海底宮に向かうわけではないというのか・・・?」

 ここにきてまさかの基本仮説を根底から見直す必要性にまで迫られているが、しかし彼らに残された時間は殆どない。それこそ霊酒の備蓄状況から考えるに、今日中にでも答えが導き出されなければならないという状況なのであった。
 朝の定例会議で疲労感に包まれたボルカノその他が沈痛な面持ちで項垂れているのを見ながら、かといって特に出来ることがないカタリナは、当然そこに居た堪れなくなり、ひっそりとその場を後にして居住区へと向かった。

「・・・皆さん、かなり憔悴しておられるようです。私たちにもなにか出来ればいいんですが・・・」
「そうは言っても、術がからっきしの俺らにゃ捜査も何もできねーわけだし、下手に協力を申し出ても却って邪魔になるだけだろう。こう言う時は、信じて待つしかないのさ」

 カタリナと同じく場を後にしてきたフェアリーとハリードがそう語り合うのを他所に、カタリナも直ぐにはいつも通りの修練へと移る気が起きずに、気分転換に歩いた先に辿り着いた町の中央の噴水の淵に腰を下ろして空を見上げた。

「ううん、水に潜る、か。水、水、水・・・」

 そう呟きながら、カタリナはぐるりと自分の周囲を何気なく見渡す。その行動で何か解決策が見つかるとは流石に彼女も思わないが、それでも何かしらの気づきがないものかと、淡い期待を抱いての行動だ。
 それに倣うようにフェアリーとハリードも、特に当ても無く周囲を見渡した。
 そしてハリードがぽつりと、背後にある自分の腰掛けていた噴水を見ながら呟く。

「そう言えばこの噴水、水が枯れてるな」

 彼らがいたのは、街の中央に配置されている噴水広場である。
 治水のされた比較的大きな都市には大抵都市の中央付近にこういった噴水があり、現地住民の憩いの場として機能しているものだ。
 だがハリードが指摘する通り、このバンガードの噴水は故障故なのか、それとも陸から離れたからなのか、噴水に水が全く無いのであった。

「・・・それは、元々じゃよ」
「あ、キャプテンさんこんにちはです」

 声のした方向にいち早くフェアリーが振り返ると、其処にはこのバンガードの市長兼キャプテンが立っていた。
 彼は日中、こうして海上要塞となったバンガードを自分の足で見て回るのが最近の日課なのだ。

「この噴水は、わしが生まれる前から、街中で現在活きている水路の何処とも繋がっておらんでの。だから、そもそも水は出ないんじゃ」
「へぇ・・・じゃあ、一体なんのためにあるんだ?」

 ハリードが実に尤もな疑問を呈すると、キャプテンはお茶目に肩を竦めてみせた。

「さぁ、分からん。一応その天辺のところが外れて下のほうに続く穴は有るんじゃが、暗くてよく分からなくての」

 キャプテンは噴水の先端に視線を向けながら、笑い混じりにそう言った。
 それを聞いたカタリナは、じっと噴水の先端を見つめる。
 そこまで背の高く無い噴水の先端は、精々がカタリナの腰の高さ程度のものだ。だがカタリナは、そうしてじっくり噴水を見つめているうちに、ふとその光景に強烈な違和感を覚えた。

「・・・うーん。何か、足りない気がするわ」
「あん?」

 カタリナの唐突なその呟きに、ハリードが反応する。だがそんな反応を他所に、カタリナは枯れた噴水の中に足を踏み入れ、徐に噴水の天辺を掴み、持ち上げた。
 すると、特段固定されていなかった様子の天辺部分は思いの外すんなりと外れた。そしてそこには、キャプテンの言う通り確かに人の頭ひとつ入る程度の穴がぽっかりと空いていたのだ。
 カタリナが上からその穴を覗き込むと、穴の奥深くからはなんと、薄らと淡く青い光が漏れ出しているではないか。

「・・・何か、下の方で光っているわ」
「お、なんかお宝か?」

 皆が必死にバンガードの動かし方を探しているときに随分と不謹慎だなこの守銭奴は、とカタリナが思うのを他所にハリードがカタリナの横から穴を覗き込むと、確かに奥底から淡く青い光が漏れ出している。だが、その光についてハリードには即座に予測がついてしまった。

「・・・あれ、艦橋じゃねーか?」
「あぁ・・・位置的には、確かにそうかも」
「そうすると、これは通気口かなにか・・・でしょうか?」

 ハリードの予測に、カタリナとフェアリーが其々感想を述べる。

「で、何が足りないってんだ?」

 一頻り穴を眺めた後に、ハリードはカタリナの発言を振り返って尋ねる。すると、問われたカタリナは腕を組みつつ片手を顎に当てながら、数秒悩んだ。

「・・・何かが引っかかるんだけど、はっきりしないわ。ちょっと、艦橋に行ってみましょう」
「それも、指輪の『記憶』なのかねえ。案外それが問題解決の糸口なのかもな」

 ハリードの言葉は、満更でもない線を突いているのではないか、とカタリナも感じていた。
 抑も彼女はこれまでの人生で当然バンガードに足を踏み入れたこともないので、ここの光景に違和感を覚えることなど、あるはずも無いのだ。
 似たような景色との類似性から来る既視感かとも考えてみるものの、ロアーヌからあまり出たことのなかった彼女にしてみれば、他の街の景色に関する記憶はここ一年以内のものばかりなので、まだ忘れるにも早すぎる。
 だからこそこの感覚は、王家の指輪が持っている感覚なのではないかと考えるのも、そう破天荒な話ではないはずだ。
 そんなことを考えている間に、カタリナ達三人は早々に艦橋へと辿り着いた。
 其処には稼働を最小限に抑えるべく少数の玄武術士と、顔を突き合わせて相談をしている様子のウンディーネとボルカノが佇んでいた。
 彼女らの表情は矢張り疲労感も合わせ、明るくはない。

「・・・どうしたのだ」

 初めにカタリナ達に気がついたボルカノの呼びかけにカタリナが片手を上げて応えようとしたその矢先、ハリードがそれを遮るように艦橋の天井の一部を指差して声を上げた。

「お、あったぞ。あれだろう」

 ハリードの言葉にその場の全員が視線を彼の指の先に向けると、艦橋の天井には確かに、穴が開いていた。

「・・・通気口が、どうかしたのか」

 確かにそれは、誰がどう見ても通気口のようだ。
 だが、ボルカノがつまらなそうに穴を一瞥しながら吐き捨てるようにそう言う合間に、カタリナはその穴の真下に移動した。
 穴は、丁度イルカ像の直上に位置していた。

「あ、これよ、これ」

 カタリナは漸く胸の痞えが取れたような面持ちで、イルカ像と真上の穴を交互に見つめた。
 そして背後へと振り返り、ウンディーネとボルカノへ視線を向ける。

「これ、念じたら上に動いたりしないかしら」

 イルカ像の乗った台座を指差しながらの唐突なカタリナの申し出に二人は当然困惑の表情を見せたが、しかし彼女の目が真剣そのものであることを察して、試しに水晶にそのように意識を向けるよう近くの玄武術士に指示を出してみた。

ギギギ・・・

 すると驚くべきことに、程なくして台座がゆっくり上に上にと伸び始めたではないか。
 驚くウンディーネらを前に、そのまま台座はぴったりのサイズであった穴へと嵌り、しかしまだ上へと伸びていく。

「噴水に戻りましょう」

 カタリナがそう言うのを機に、ウンディーネらも共に市街区の噴水へと移動していった。
 そして彼女らが早足で噴水広場に舞い戻ったときには、艦橋から押し上げられたイルカ像がぴたりと噴水の天辺に収まっていた。

「・・・おい、何か可笑しいぞ」

 そのイルカ像を注意深く見ていたボルカノがそう指摘した正にその瞬間、なんとイルカ像が微細に振動しながら輝きを増し始め、その姿を変形させていく。

「翼が・・・」
「・・・生えましたね」

 カタリナの呟きに、フェアリーがそう答えながら自分の羽をぴくりと震わせる。
 なんと噴水の上に鎮座したイルカ像は、その背の部分から鳥の翼のようなものが生えた形に変形したのだ。
 そして更に、イルカ像の台座から見る見るうちに水が溢れ出し、枯れていた噴水に見る見るうちに水が満たされた。
 その様子を歩み寄って覗き込んだウンディーネは、はっとして背後のボルカノを呼んだ。

「ボルカノ、これを見て」
「・・・これは!」

 ウンディーネに続いてボルカノが噴水を覗き込むと、水で満たされた噴水にははっきりと、新たな魔力の流れを示す紋様が浮かび上がっていたのだ。
 二人は顔を見合わせると、どちらからともなく駆け出し、艦橋へと戻っていった。
 そんな彼女達の様子を眺めながら、カタリナは腰に手を当てて一息つく。

「どうやら、これで何とかなりそうね」
「そうなんですか?」

 今一流れの掴めていないフェアリーがそう尋ねると、カタリナは確信めいた様子で小さく頷いた。

「まぁ、少し待ってみましょう」

 カタリナがそう言ってから暫しののち、恐らくはウンディーネとボルカノの指示によって輝き出した翼の生えたイルカ像から放たれた青い光がバンガード全体を覆い、やがてバンガードが海中へと沈み出したのであった。

 

 

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第七章・8 -発進-

 

「・・・驚いた。これが船ですって・・・?」

 豊かな胸部の下でしなやかに組んでいた腕を無意識に解きながら、水術師ウンディーネはその空間を正しく圧倒される様な思いで見回した。
 空間全体から漏れ出でる様に仄かに青白い光が周囲を照らし、その場が全体的に微弱な鳴動を繰り返している。それはまるで、この部屋そのものが生きているのではないかと思えるほどに奇妙な動きだが、ウンディーネにはそれが何であるのか、大凡は分かっていた。

「ディー姉、ここは一体・・・」

 彼女の隣に付き従ったボルカノが、まるで自分の知らない異世界でも見ているかの様な表情で呟く。彼自身も世界を周り様々な遺跡を見てきたが、ここまで異様な場所は初めて目にするようだ。

「ここは・・・というかこのバンガードという街全体が、恐らくは・・・。俄かには、信じられないけれど・・・」

 ウンディーネが感嘆とした様子でそういうのを聴きながら彼女らに遅れてその空間に入ってきたカタリナは、彼女らの反応をまるで数日前の自分たちのように見ていた。
 一週間ほど前に初めて彼女がハーマンらと共にここに訪れた時も、一行はまるっきりウンディーネ等と同じような反応をしたものだ。
 だがその中でもカタリナだけは、このような空間に強烈な既視感を持っていた。
 それは彼女だけが見た魔王殿最深部や、火術要塞全体を照らす、あの微かな光と止まぬ鳴動。バンガード内部は、何処かそれと同じような感覚を覚えるのだ。
 これらの総称を、あれはそう、なんといったか。

「・・・これは船や、ましてや街などではないわ・・・。言うなればこの建造物全体が、超大型の魔導器ってところね」

 ウンディーネがそう呟くのを聞いて、カタリナは一人、そうだそうだとその言葉を脳内で反芻した。
 魔導器。それはカタリナがツヴァイクの西の森で教授から教えてもらったものだ。
 そしてその魔導器を扱う科学を世間では魔導科学と呼び、それは非常に古くからこの世界に存在が確認されていた科学分野である。しかし残念ながら現存する僅かな魔導器に関してもその構成理論の殆どが未解明であり、未だその大部分が謎に包まれているという。
 それら記憶と既視感の正体をカタリナがウンディーネらに話すと、ウンディーネは考えるように小さく唸りながら周囲を見渡した。

「・・・可能性の考察は勿論されていたけれど、いざ目の当たりにすると、圧巻の一言ね・・・」

 今やその大多数をカタリナ一行が所持している魔王遺物や聖王遺物は、これも大別すると所謂『魔導器』であるとされている。
 そして聖王記に記された数々の伝説の中でも一等理解の及ばぬ存在である「対魔海侯用決戦兵器バンガード」もまた聖王遺物であり、魔導器なのではないかとの説を唱える学者は一定数いたのだ。
 では抑も、聖王遺物とは何なのか。
 何しろこの疑問は、三百年前から数多くの学者の頭を悩ませてきた。
 いや、もっと言うならば六百年前の「魔王」という、四魔貴族をすら従える程の圧倒的な力を持ちながらも人の殻にあった存在を考察する時点で、今の人類にはどう足掻いても届き得ない未知の力が存在するのではないかと半ば諦め気味にすら考えられていた。
 例え世界一の名工が鍛えた武具と一流の戦士の一撃でも、天地六術式に精通した魔術師が放つ大魔術も、魔王や、そして聖王遺物のもつ力には遠く及ばないのだ。
 まだしも、その姿形からして規格外の四魔貴族の方が多少なりと力の根源への理解も及んでいるというものなのである。魔術の基本となる天地六術式とは異なる、人に害を為す瘴気・・・所謂「アビス」という属性。これを無尽蔵とも思えるほどにゲートから取り込み、行使する存在。それが四魔貴族だ。
 しかしそれらとも全く異なる力が、魔王や聖王遺物なのである。
 とは言え魔王遺物は、その殆どが長きに渡り行方知れずだった。そして存在の確認されていた幾つかの聖王遺物に関しては、聖王記に記された教えにより基本的に現在の所持者、若しくは資格あるもの以外の接触そのものが禁じられている。
 そんな状況の中で研究者が示した一つの推論が「聖王遺物=未知の魔導器」という説だった。
 つまりは、魔導科学そのものが不透明な分野であるからして、事実上のオーパーツ認定という事になる。

(まぁ、つまりマッドサイエンティストには御誂え向きの分野ってワケよね・・・)

 自分で依頼しておいて何だが、教授に火術要塞の調査を頼んだのは、これ以上ないほど的確であったとカタリナは確信している。
 きっと依頼さえすればこのバンガードのことも、勇み喜んで調査をする事だろう。
 同時に依頼をしたので一緒に居るはずのヨハンネスのことが多少気の毒には思えるが、まあ彼も一人黙々と研究を行うタイプの学者なので、恐らく大丈夫だろう。
 カタリナがそんなことを考えていると、ウンディーネは艦橋(ハーマンに言わせれば、ここは恐らくそうらしい)をしっかりと観察するように隅々まで歩き回った。
 この艦橋には入り口から正面を進んだ先に何かを設置するためのものと思われる台が設置してあり、その台を起点として左右対称になるように艦橋の中には等間隔に仄かに青白い光を灯す水晶の台が、合計六つある。
 其れ等の台や床、壁に至るまでをじっくりと調べたウンディーネは、一頻りそうした後になぜか、妙に艶のある吐息を漏らした。
 その吐息に反応して同じく艦橋を見て回っていたボルカノが何やら頭を掻きながら彼女の方を向くと、ウンディーネはうっとりとしたような視線で艦橋全体を眺めている。

「素晴らしい・・・ここは本当に素晴らしいわ」
「・・・?」

 その必要以上に艶めかしく何処か不穏な様子にカタリナが疑問符を浮かべていると、ボルカノは肩を竦めながらカタリナに助言をする。

「あぁ・・・あれはディー姉の癖だ。自分の興味が強く惹かれるものを見ると、大体ああなる。あまり気にしないでくれ」
「あら、そうなの・・・。なんだか貴方も、案外大変そうね」

 カタリナの憐れみを含んだような言葉にボルカノが「慣れている」とでも言いたげに諦め顔で答えたところに、遅れてハーマンが艦橋に入ってきた。

「・・・様子はどうだ」

 ウンディーネをここに呼んだのは誰あろう、このハーマンだった。
 この艦橋の存在が確認されるや否や直ぐにハーマンはバンガードからモウゼスへと伝書を出し、彼女らはそれに応えてここに来た。
 因みにハーマンはウンディーネのみを呼んだようだが、何故かボルカノも付いてきた事に対しては特に何も言及していないようだ。
 ハーマンの登場でどうやら我に帰った様子のウンディーネは、彼に歩み寄ると何かを悟ったような表情で、何かを欲しがるように片手をハーマンに向かって差し出した。

「オリハルコーン、貰い受けるわ」
「・・・よし、やろう」

 ハーマンはウンディーネの本心を理解しているのか、何のためらいもなく抱えていたオリハルコーン製のイルカを象った像を差し出した。
 それを受け取ったウンディーネは礼を述べるでもなく直ぐ様ハーマンに背を向け、艦橋の中央奥にある何も置かれていない台へと歩み寄る。そして徐に、イルカ像をその台の上へと置いた。
 あまりに確信めいた動きでそうしたものだから、一体何が起きるのかとカタリナは思わず固唾をのんで見守ったが、しかしそれだけでは特に何かが起こる気配もない。
 若干肩透かしを食ったような表情で訝しむ様子のハーマンと顔を見合わせるカタリナだったが、対してウンディーネはなんら気にする様子もなく、続けて部屋の中に等配置された水晶へと歩み寄った。

「・・・これは確かに魔導器ね。そして魔導器というものがどの様な構造であるのかを知りうる、素晴らしいヒントでもあるわ」

 そう言いながら、ウンディーネが水晶に触れる。すると幾許かの後、彼女が触れた水晶を起点に部屋に仄かな明かりを灯していた青が光量を一気に増し、鳴動が大きくなった。
 そしてミシミシと何かに罅が入る音が重苦しく何処かから響き、その次には同じく重苦しい轟音と共に、それまで真っ黒な壁だと思われていた外壁の外が大きく崩れ始めたのだ。
 そしてゆっくりと沈みゆく外壁(というよりは岩盤のようだ)の向こうに現れたのは、なんと微かに陽が差し込む海であった。
 この艦橋は、街の下部から海中に飛び出すようにして存在していたのだ。

「・・・すごい・・・。これ、全部硝子なの・・・?」

 カタリナは感嘆のため息をつきながら艦橋と海とを隔てる透明な外壁に歩み寄り、そこに触れる。すると非常に透明度の高い硝子に触れて手が止まり、その先には揺蕩う海藻や鳴動で散り散りに泳いでいく魚などが見えた。

「そういった精製技術にも確かに眼を見張るけれど、私が一番感心しているのはこれね」

 そういってウンディーネが視線で指し示したのは、地面に走っている紋様だった。
 その紋様は中央奥に配されたイルカ像と等配置された六つの水晶の台を繋ぐように描かれ、今は青くはっきりとした明かりを保っている。

「ディー姉・・・矢張りこれは、以前ディー姉の考察にあった・・・」

 ボルカノが紋様を見ながらそう呟くと、ウンディーネはまるで敢えて冷静を保つようにゆっくりと頷きながら応えた。

「ええ、これは恐らく私が研究している連携術の、その先にあるもの。そうね・・・陣形術、とでも言うのかしら。これが私の予想通りのものならば、オーパーツ化した魔導器には尽くこの理論が応用されている可能性が高いわ」

 ウンディーネがそう言いながら水晶から手を離すと、程なくして部屋を明るく照らしていた青い光は仄暗く鳴りを潜め、薄っすらとした光が灯るだけの元の状態に戻った。
 その様子を見て、次にウンディーネは自分の掌をじっと見つめる。その掌から感じるのは、僅かな疲労感。
 彼女の魔力総量は、この世界ではほとんど比肩されることのない領域にある。常人のそれと比較すること自体が馬鹿らしくなるほど、膨大なものだ。だがその彼女をして、今の一瞬この装置を作動させただけで僅かながらも疲労感を確かに感じる。そして、その作動装置である水晶が六基。
 ウンディーネは一頻りその感覚を体に刷り込んだ後、ハーマンへと視線を投げかけた。

「ねぇ、貴方はこれを動かすために私たちに協力を要請したのよね。一体これで、どこまで行こうと言うの?」

 問われたハーマンは、しばし無言で考えるような仕草をしながら、慣れた仕草で懐から煙草を取り出す。そして其れを咥えたところで、隣にいたカタリナに無慈悲にも煙草を口から引き抜かれてしまった。

「ちょっと、ここでは吸わないでって言ったでしょう」

 不快感を隠そうともせず、カタリナが煙草を摘みながらそう言う。実のところ彼女もミューズと同じく、と言うより実際はミューズ以上に煙草が苦手なのであった。
 なので自分も出入りすることが多い密閉空間でそうスパスパと煙草を吸われるのは、勘弁して欲しいのだ。
 ここに初めて入った時にそう言えばそんなことを忠告されたなと思い出したハーマンは、どこか調子が狂ったような表情をしながら頭を掻き、取り上げられた煙草を奪い取って大人しく仕舞いながら、うーんと唸った。

「・・・ま、何処にいくかは、動いてからのお楽しみだ。ただ言えることは、そうだな・・・。期間は正確とはいえねぇが、このデカブツが帆船と同程度の速度が出るなら、ここから往復で一ヶ月は掛からん筈だ」
「一ヶ月は掛からんって、簡単に言ってくれるわね」

 ウンディーネはもう一度自らの掌を見つめ、ゆっくりと握ったり指同士をこすりつけたりしながら、頭の中で大凡の計算を行っていく。自身が感じた疲労感と、それを六基で分散した場合の魔力消費量。それを長時間続ける際に必要になる魔力総量。
 やがてそれらに対しある程度の当たりをつけたウンディーネは、何故かハーマンではなくカタリナへと視線を向けた。

「魔術ギルドから、計三十六人の玄武術士を用意するわ。代わりに貴女、どうにかして術酒を・・・そうね、二百本程用意できないかしら」

 さらりととんでもないことを言い出すウンディーネに、カタリナは一瞬目を丸くした。
 術酒とはそもそも、通常の酒とは全く価格帯の異なる代物だ。なにしろ、その酒は術士の生命線である魔力を補充することができるという、正に奇跡の酒なのである。
 その精製にも抑も特殊な技術が必要であり、現在の魔術士の総人口と需要も相まって生産量はそう多くはない。当然その希少性に合わせて価格も常軌を逸しており、術酒一本あたりの平均取引額は、凡そ二百四十オーラム。これは実に、農業を営む平均的な一家の一ヶ月分の食費に相当する値段なのである。

「・・・ここで大宴会でも開く、って訳ではないようね。承知したわ。カンパニーの名にかけて、なんとかしてみる」

 しかしカタリナは、正面からしっかりとそう請け合った。
 ウンディーネは、けっして冗談をいっているようには見えない。彼女の中でバンガードを動かすにはそれが必要なのだと、そう判断した結果の要望なのだろう。魔術士としての感覚や経験値がないカタリナだからこそ、それは彼女の直感で信じるしかないのだ。
 その返答に満足そうに頷くウンディーネを他所に、さてどこから仕入れたものかとカタリナは腕組みしながら思案するのだった。

 

 

 ウンディーネの依頼から約二週間の後、今となっては忙しなく人の出入りが行われているバンガードの艦橋に、再びカタリナ達は立っていた。
 その場に現在集まっているのはカタリナとフェアリー、ウンディーネ、ボルカノとハーマン。そして十二人程の玄武術師だった。そして一応キャプテンもいた。
 ハリードやミューズ、シャールらは、街中(最早そこは『デッキ』と呼ぶべきなのかもしれないが)にて警戒任務と住民の最終避難調整に当たっている。
 この二週間で近隣の大都市であるウィルミントン、モウゼス、そしてヤーマスから可能な限りの術酒をかき集め、結果カタリナは二百三十本程の術酒を買い付けした。短期間での急な買い付けとなったが、直近で買収完了していたドフォーレを通じてルーブ地方から広く買い付けが可能になったことが、この期間で用意が整った要因として大きい。というよりむしろ、この買い付けに関しては他の問題に比べれば結果としては随分と容易だったなと今となってはカタリナは感じていた。
 まず何しろ長期間の航海になることが予測されるので、海上で可能な限り現物調達するものの、保存食や飲料の準備の方が大変だった。そして今回の事のあらましのバンガード市民への説明と、同時に可能な限り市外への避難を呼びかけた。無論、それへの反発も少なからずあったのは想像に難くない。
 しかしその間にもフォルネウス兵による小規模な威力偵察が相次ぎ、その頻度が徐々に増えてきていることからして、大規模な侵略が確かに近づいてきていることが誰の目からも予感された。この事実が市民世論を動かしたことは大きい。
 そしてウンディーネとボルカノがバンガードに集った術士を指揮してバンガードの根幹装置起動に際し数度の実験を経て、遂に必要な状況が本日で整ったのだ。

「ディー姉、機動担当の配置も完了した。いつでもいける」
「分かったわ。それじゃあ始めるわよ・・・総員発進準備!順次シンクロ開始!」

 最早ウンディーネさんは自分の事をディー姉と呼ばれることに対する抵抗がすっかり消え失せてしまったのだな、等とカタリナが場違いに思い耽っているのを他所に、ウンディーネの掛け声に合わせ、その場に集まった十二人の玄武術士が其々の目の前にある水晶の台へと触れる。
 そして魔導器に自らの魔力を同調させ始めると艦橋内部は一気に光度が増し、一面の硝子壁の向こうに仄暗く佇む海中が照らし出された。

「出力50%程度。矢張り、この程度では陸の楔は引き剥がせないか。まだまだ供給量上げていくぞ!」

 ウンディーネの隣で水晶の様子を見ながらボルカノがそう檄を飛ばすと、それに合わせて術士たちは更に水晶へと集中する。
 つい一月程前までは街を二分してまで争っていたにも関わらず突然和解した上に、今やまるでウンディーネの片腕面で彼女の横に陣取っているボルカノの事をウンディーネ配下のこの術士達はどう思っているんだろうか等と斜め上のことをカタリナが考えている間にも、出力は大地の鎖を引き剝がさんと徐々にではあるが上昇していく。
 だが、そのまま出力上昇を続けるより先に、あからさまに凶兆を告げるかの如くバタバタと忙しない様子で艦橋に駆け込んできたものがあった。
 市街地で警鐘任務に当たっていたハリードだった。

「おいでなすったぜ。西太洋方面からアホみたいな数のフォルネウス兵がこちらに侵攻中だ」
「なんですって!?」

 突然のハリードの報告に驚いたカタリナは、確認するように艦橋前方に視線を向ける。方角的には、イルカ像設置の台がある方向が西に位置しているのだ。
 だが其処からでは、薄暗くて揺蕩う海の向こうまでは見通せない。

「目測では五百前後ってとこだ。あと十分もすればここに到達しそうな速度だ」
「来やがったか・・・」

 ハリードの報告に対してハーマンが毒吐くようにそう言いながら踵を返し、市街地に出ようとする。
 だがそれを、カタリナが止めに入った。

「状況確認は私がしてくるわ。ハーマンとウンディーネさんは、兎に角一刻も早くバンガード始動をお願い。フェアリーもここに残って、伝達役を頼めるかしら」

 ハーマンを含めたその場の全員が指示に頷くと、カタリナは急かすハリードと共に急いで艦橋から駆け上がっていった。

「・・・続けましょう」

 それを横目で見送ったウンディーネは、仕切り直す様に配下の術士たちに指示を出す。
 彼女が見つめる先には、六基の水晶台とそれに魔力を同調させる術士達。この二週間に繰り返した実験過程にて、その水晶に流す魔力量によって光度が増し、その光度にて大凡の稼働出力が判断できることはわかっている。
 そして今の時点で既に出力はほぼ100%に近い状態まで上っており、今の状態でバンガードが動き出していないことについて、ウンディーネはどうするべきかという問答を脳内で繰り返していた。

(・・・予測していた以上にバンガードと陸地との接着力が強い。体感振動からして、どう見繕っても今一歩という雰囲気でもないわ・・・。大地の鎖からこの馬鹿でかい船を引き剥がすには、出力100%では足りないみたい。私が直接イルカ像に魔力を流し込めば一時的に出力を限界以上に上げること自体は可能だと思うけれど、正直この触媒が限界を超えた高出力にどれだけ耐えられるのか、わからない。ここで無茶をして触媒たるイルカ像が砕けてしまえば、バンガードは二度と動かなくなってしまうわ・・・)

 ウンディーネが胸の下で腕を組みながら水晶に視線を合わせたまま思考する隣で、ボルカノもまた水晶を見つめながら思考していた。

(・・・こんな純度もサイズも馬鹿げたようなものではないが、希少石自体は、ほんの小さなカケラならば何種類かは見たことはある。確かに魔術触媒としては非常に優秀なものだが、しかしその耐久力に関しては未知の部分が多い。そもそも魔術士の常識としての魔術触媒とは、基本的に消耗品だ。恐らくオリハルコーンもその例に漏れず、我々の行うような触媒として用いれば数度の使用で黄金の輝きを失い砕け散るだろう。確かにあのイルカ像に関してはその規格外の大きさもさることながら、今回は媒介のアプローチが抑も従来と異なるので一概に我々の知識をそのまま当てはめることはできない。だが、それでも無理に負荷をかけてあの触媒が砕けることは絶対に避けねばならない。おそらくディー姉も同じ考えのはずだ。この膠着状態を打破するには、何かきっかけが必要。そのあたりの勘は、ディー姉の方が冴えている。ならば、俺は俺に出来ることをしなければな)

 変わらず考え込んでいるウンディーネを横目に、ボルカノは近くに設置していた机の上にあるメモを取り上げた。そこには、ここ二週間の実験データが纏められている。この情報を元に、オリハルコーンの特性に加えて彼が知る限りの魔術触媒知識を織り交ぜ、計算を行なっていく。
 出すべき答えは、触媒にとって無理のない範囲でウンディーネが最大出力で魔力供給を行える時間だ。
 これらの計算基準を出すことができるのは、古今東西の魔術触媒と錬成に特化した朱鳥術士であり、更にウンディーネの魔力放出量を詳細に知っているボルカノくらいのものだろう。

「・・・ディー姉。恐らくディー姉の最大出力同調にイルカ像が問題なく耐えられるのは、二十秒程度。それ以上は触媒に深刻な機能障害が発生する可能性が出てくる」
「・・・分かったわ、二十秒ね。あとは・・・その二十秒に賭けるきっかけがあれば・・・」

 彼のことを全面的に信用しているのか、全く疑う様子もなくボルカノの言葉を受けてウンディーネが硝子壁の向こうに視線を向けた、その瞬間だった。

ガツンッ

 分厚い硝子壁に衝撃音とともに勢いよく衝突してきたのは、醜悪な姿をした魚人のような妖魔だった。
 妖魔は単騎のようで、ガンガンと硝子を叩き鋭い爪を立てようとする。だが、その程度の攻撃ではこの艦橋部分はびくともしない。

「!!・・・フォ、フォルネウス兵・・・」
「もうここまで到達したか・・・。フェアリー、上の様子はどうなんだ!?」

 慄くウンディーネを気にしつつもボルカノが背後のフェアリーに振り向くと、フェアリーは両目を閉じながらふわりと浮いたまま、わずかに口を開いた。

「船首にて第一波と接敵。シャールさん達が交戦開始しました。個々の脅威は低いですが数が多いので、更に数の多い第二波にばらけて上陸されると厄介とのこと。カタリナさんはハリードさんと別れて北門へ、ハリードさんが南門へ向かったようです」
「正面が数で押し切られて全体にバラバラに街中まで侵入されてしまったら、バンガードを動かすどころではなくなってしまう・・・。く・・・一か八か、ディー姉の最大同調を限界突破して行うしかないのか・・・!」

 ボルカノがそう言った直後に、突如として艦橋全体が地震に見舞われたかのように大きく揺れた。

「な、なに!もうフォルネウス兵の攻撃なの!?」

 バランスを崩したウンディーネがボルカノの肩に摑まりながら周囲を見渡すが、特にフォルネウス兵がここまで侵入した様子はないようだ。
 慌てふためく術士達に水晶へと集中するようにウンディーネが声をかけている後ろで、フェアリーがボルカノに声をかけた。

「・・・あの、ボルカノさん。今の、カタリナさんの仕業みたいです」
「・・・なんだと・・・?」

 突然とんでもないことを言い出すフェアリーにボルカノが意味がわからないと言った様子で視線を合わせながら聞き返すと、フェアリーはふっと目を瞑り、数秒ののちに見開いた円らな瞳でボルカノを見つめ返した。

「北門付近で船と陸との接地面が緩むことを期待して、その場で地走りを放ったようです。少しは動いたか、と質問が来ました」
「・・・もっとその辺でぶっ放してと言って頂戴!」

 フェアリーの言葉に被せるように、ウンディーネが声を張り上げた。その言葉に驚いたように瞳を瞬かせながらウンディーネを見つめたフェアリーは、そのまま微笑みながら瞳を閉じる。
 それと同時にウンディーネはイルカ像へと駆け寄り、その本体へと手を添えながら前方の硝子壁の向こうを見つめる。
 先ほどまでそこにいたはずのフォルネウス兵は、直前の振動に反応してこの場を離れ、上陸へと行動を切り替えたようだ。その方が精神衛生上都合が良いと感じつつ、掌に精神を集中させていく。

「ボルカノ、集中するからカウントとって頂戴」
「了解」

 ボルカノの返事を殆ど待たずに、ウンディーネは掌以外の感覚を断ち、魔力をイルカ像に同調させる一点に集中し始めた。
 その直後、艦橋の中がこれまでに無いほどに蒼く光り輝き、その力強くも優しい光で壁の向こうの海が照らされる。
 なんと其処には一体どこから現れたのか、まるでバンガードが動き出すのを今か今かと待ちわびているかのような、イルカの群れが照らし出された。

「出力100%突破!もう少しだ、大地の鎖を断ち切れ!」

 ウンディーネと共に魔力を送り込む術士たちにも檄を飛ばしながら、ボルカノは艦橋全体の輝きに思わず行きを飲み込んだ。

「なんて魔力量だ・・・出力増大中・・・20・・・40・・・150%! 最大出力!」

 頭の中でカウントが十五を数えたところで、再度カタリナが放ったと思われる大きな振動が艦橋まで伝わってくる。
 それを感知したウンディーネが目を見開きながら更に集中すると、一瞬で収まるはずだった振動は寧ろその度合いを増し、更には地鳴りの様な音が大きく響いてきた。
 岩と岩が擦れる重苦しい音と、崩れた岩石が海に落ちて行く音。そして全ての魔力供給回路が稼働した艦橋に響く、巨大魔導器の鳴動音。
 そして固定された楔から放たれ大海原に飛び出し、その上で揺れ動くバンガード。
 聖王の時代から約三百年の時を超え、遂に海上要塞バンガードが、陸から離れた瞬間だった。

「ディー姉!」

 カウントをしていたボルカノの呼び声に合わせて、ウンディーネはイルカ像から手を離す。だがバンガード艦橋はウンディーネの魔力供給が無くなってもその輝きを保ち、そして西太洋目掛けて力強く進水し始めていた。

「・・・やったわね。ほらキャプテンさん、言うことがあるでしょう?」

 ウンディーネがそう言って振り返ると、近くにいたハーマンに肘で小突かれて漸く我に返った様子のバンガードキャプテンが、咳払いをして背筋を伸ばした。

「ゴ、ゴホン・・・。バンガード・・・発進!!」

 キャプテンの掛け声に、艦橋内の術士達が達成感と共に歓声を上げて応える。
 そんな一時的に空気が和んだ空間を横目に、何か変化がないか艦橋内を注意深く見渡していたボルカノは、バンガードが動き出したことによって今までは光が通っていなかった部分の回路が新たに淡く光っていることに気がついた。

「すまない、こちらに少し魔力が流れる様に意識してみてくれないか?」
「え、はい・・・やってみます」

 着目した部分に一番近い水晶を担当する二人組にボルカノがそう声をかけ、術士が戸惑いながらも意識をそちらに傾ける。
 するとそこに魔力がゆっくりと流れ込む様子が光で再現され、その壁際に埋め込まれていた水晶が光り輝いた。

「・・・船首にて交戦中のシャールさんから報告です。バンガード全体を覆う様に天術の障壁展開を確認。乗り込んできていたフォルネウス兵が無力化され、引き上げていくようです」

 フェアリーがボルカノに向かい、そう声をかける。
 その思わぬ朗報に、再び艦橋内は歓声に包まれた。

「成る程・・・アビスの瘴気を打ち消す仕掛けか。それなら、この巨大な船でもアビスの者に侵入されることはないな。素晴らしい」
「これで当面の航海は、安全そうね。でもそうなると其方への魔力供給も考えて編成を再度考えねばならないわ」

 ウンディーネの計算では、この船を動かすことについてのみ考えた魔力消費量を元に術士と術酒を集めている。それが他の機能も動かすとなれば、話は違ってくる事になるのだ。

「・・・それについては、俺に少し考えがある。俺なら集められた術酒に手を加えて、擬似的な霊酒を生成できる。恐らくこの障壁以外にも未発見の機能があるはずだから、それも見越して今のうちから作業に入ることにするよ」
「本当? 助かるわ」
「いや・・・こんなこと、なんでもないさ」

 ボルカノの提案にウンディーネが微笑みながら感謝の意を示すと、ボルカノはどこか無愛想な様子で応え、そそくさと艦橋を後にした。
 その背中を送ったウンディーネは、次にハーマンへと視線を投げかける。

「それで、どこへ行くの? バンガードで」
「最果ての島へ」

 間髪を入れずに、ハーマンはそう応えた。
 彼が艦橋の向こうに見つめる一点に、その最果ての島とやらがあるのだと言う。

「かつて、俺が流れ着いた島がある。兎に角、世界の果てまで西へ走り続けるのだ」

 

 

「バンガード、発進!! とか、私もちょっと言ってみたかったわ」
《ふふふ、キャプテンさんノリノリでしたよ》
「あは、すんごい想像できる」

 疎らに戦闘の痕跡が残った甲板部分で崩れた壁の一部に腰掛け、緩く心地よい潮風に当たりながら、カタリナはフェアリーとそんな軽口を交えつつバンガードの進む先、世界の最果てを見つめていた。

 

 

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第七章・3 -姉思い弟思い-

 

 まだ陽も昇らぬ未明にに巻き起こった学術都市モウゼス中央の小島における魔術戦闘は、実に苛烈を極めた。
 西方世界でもこれまでの歴史において殆ど類を見ないほどの高度な魔術戦であったであろうとシャールが太鼓判を押す程のその戦闘は、天に向かって渦巻く玄武と朱鳥の力の奔流によって圧倒的な破壊の気配を纏いつつも、しかし次第に朝日によって照らされゆく事で実に幻想的且つ美しく彩られた。
 しかしその膨大な魔力の狂宴も終わりを迎えてみれば、その勝負の行方は誰が見ても明らかなものでもあった。
 無尽蔵にも思えた程の魔力をいよいよ出し尽くして地面に膝をつく二人の魔術師と、その目の前には微動だにせず仁王立ちをしているカタリナ。その手には武具を持っておらず、代わりに魔王の盾を構えた状態だ。
 世界に名を轟かせる魔術師二人の術は、古代の至宝たる魔王の盾の持つ無効化の力により全てカタリナに届く前に効果が消失し霧散してしまっていた。
 その様を見た時、魔術師二人にはそれ以上何かを為さんという気力は生まれてくることはなかった。

「負けたわ・・・」
「好きなようにしろ」
「二人とも、あんまり町の人を困らせないでよ?」

 力なく項垂れたウンディーネと、それとは対照的にどこか妙に潔い様子のボルカノに対し、カタリナはそう声をかけてその場は存外呆気なくお開きという流れとなった。

 

 そして数時間後。
 明け方までの騒動だった故か昼過ぎまで宿のベッドで倦怠感とともに微睡んでいたカタリナは、彼女等に宛てられたという一通の文が朝方に届けられていた、との知らせで漸く起き上がり、いそいそと活動を開始した。
 そのまま宿の食堂に降りて遅めの昼食をいただきながら届いていた文に目を通していると、今度は彼女らを訪ねて一人の人物がやってきた。
 態々そこに訪ねて来たのは、なんと今朝死闘を繰り広げたばかりの南の朱鳥術師ボルカノその人であった。
 懲りもせず早速魔王の盾を改めて狙いに来たのかとも思ったが、それにしては全く敵対心のない様子のボルカノに対してカタリナは内心首を傾げながら、昼過ぎで全く人気のない宿に隣接した酒場に席を移して彼の話を聞くことにした。

「先ずは、この度の騒動の謝罪をさせてくれ。済まなかった。そして、ありがとう」

 互いに席に着くなり口を開いて深々と頭を下げるボルカノにいよいよカタリナたちが頭上に疑問符の乱舞をさせていると、その様子を察したボルカノはどこかバツが悪そうに頭を掻いたかと思うと、手元に用意された珈琲で口を潤してから事の次第をゆっくりと話し始めた。

「なんというか・・・抑もディー姉は、魔王の盾の能力をしっかりと理解していないんだ」
「・・・・・・ディー姉?」

 ボルカノの口から出てきた名詞の印象が強烈すぎて、カタリナはそこだけ思わず鸚鵡返しをしてしまう。因みに、その後の言葉はあまり頭に入ってこなかった。
 纏めるとつまり、ボルカノが語る今回の騒動とその背景はこういうことだそうだ。
 ウンディーネとボルカノはこのモウゼスにて生まれ育ち、そして共に学んだ魔術師の先輩後輩にあたる。
 自身をして、その類稀なる才覚により幼い頃から周囲より神童の扱いを受けていたボルカノ。しかしその頃からウンディーネの後をついて周り彼女を最も身近で見ていた彼は、魔術師としての才能に関しウンディーネの方が自分より格段に優れているということをこの時、既に誰よりも強く自覚していた。
 そこでボルカノは単に魔術師として彼女の劣化版になるのではなく己の専門分野を開拓しようと、錬成の基礎となる火を司る朱鳥術を修め本格的に魔道具の研究開発へと道を進める。これはまだまだこの分野が魔術ギルドにとっても開拓の余地がある分野であったというのもあるが、特段ウンディーネが簡単な魔道具を作るのも実は少々苦手であるという事を鑑みての選択でもあった。
 そしてウンディーネが十年ほど前に魔術修行に出たのを機に、彼もそれならばと世界中の様々な素材や古代魔道具についての文献を求めて若くして旅に出た。
 そしてその旅の最中、彼は遂に魔王遺物についての未発見文献と邂逅するに至ったのだ。
 聖王記の一節にある「魔王伝記」にて、魔王の斧、魔王の鎧、そして魔王の盾の三つがこの世界に残された魔王遺物であることは古来より知られていた。だが、その名称以外の事はこれまで全くの不明であったのだ。
 ナジュに程近い地方にてボルカノが発掘し解読したその文献によれば、魔王の持つ盾は魔王軍の二度目の東方遠征に於いて古代ナジュの東方連合軍が編み出した天の術の効果を悉く打ち消し、そして魔王の斧の一振りで瞬く間に連合軍を壊滅に追いやったのだという。
 この文献の解読からボルカノは魔王の盾の強力な魔術無効化能力を発見し、やがてその探求こそが自らの研究分野の発展に繋がることを確信して、魔王の盾を欲する様になった。
 それから彼は、世界中で術の無効化に関連のありそうな記述のある伝記を探して回った。
 そして今から一年程前、イスカル河という中央大陸の遥か北方より聖都ランスを通りながら南東に突き抜けファルスを尻目にヨルド海へ流れ出る河の下流沿いに点在する洞窟型寺院の遺跡にて、正に無効化能力をもつ盾型の秘宝についての文献を発見した。
 更にその文献に記された内容は彼の想像を遥かに超え、その盾は術はおろか物理的な干渉も含めた凡ゆるものを無効化する秘宝であると記述されていた。またこの文献では他にも様々な実験の記録が記されており、これにより更に幾つかの特殊な能力が盾には備わっていることも分かってきた。
 中でも特に彼が興味を惹かれたのは、この盾が特定の魔術の効果に影響を及ぼす、という記述についてだ。
 三百年の昔、聖王三傑たるヴァッサールが彼女の故郷モウゼスに魔術ギルドを作った理由は諸説あるが、その最も有力な見解は「モウゼスの地は他所に比べ特定の魔術の効用を増減する傾向があるから」という説だった。簡単にいえば、モウゼスにいるのといないのとでは、魔術の種類によって効果に差が生まれるのだ。
 特に効果が高くなるのは、他の物体への損害、つまり『破壊』を司る魔術。そして逆に効果が薄れるものは、身体能力の向上や属性防御を目的とする様な補助魔術とされる。
 ボルカノが寺院遺跡で見つけた文献の最後には、ある時代に秘宝たる盾は、その力を恐れた一人の反逆者により奪い去られたとあった。そしてその所在についての記述は終ぞ見つかる事はなかったが、しかしボルカノは既に脳裏に過ぎっていたのだ。
 己の故郷の魔術行使における特徴、そして瘴気に侵される事なく死者が安らかに眠るという伝説を持つ、死者の井戸。
 これらは、正に文献にある秘宝の特徴そのままだということに。

「成る程ね。だから貴方は、魔王の盾がここにあると踏んで帰ってきた、と」
「そうだ」

 彼の冒険譚に、カタリナたちはすっかり聞き入ってしまっていた。
 シャールとミューズはその魔術師としての知見から非常に興味深く聞いており、またハリードは故国の歴史に関わる遺物の話として耳を傾け、ハーマンは何やら魔王の盾を追い求めて世界中を旅する彼の行動に共感している様だった。
 そんな中で王家の指輪のもたらす叡智により魔王の盾の力を恐らく誰よりも理解しているカタリナは、同様に人間には無い感覚で魔王の盾を知覚しているフェアリーと共に話の続きを促す。

「でも、そうなるとそのディー姉・・・えと、それウンディーネさん・・・でいいのよね? 彼女とは何故争う事に・・・?」
「それは・・・」

 カタリナの言葉に、ボルカノは何故かここでもバツが悪そうに言葉を飲む。
 そして次に言葉を発したのは言い澱む彼ではなく、唐突に酒場の入り口に現れた人物だった。

「それは私も是非、聞きたいわね」

 現れたのはボルカノと同じく未明までカタリナ達と争いを続けていたもう一人、ディー姉こと水術師ウンディーネその人であった。

「・・・ディー姉!」
「その呼び方いい加減やめなさいよ!」

 彼女を見たボルカノの反応に腕を振り払う様な仕草をしながら心からの叫びで返すと、ウンディーネもまた彼と同じ様にすっかり敵意のない様子で、カタリナらのテーブルへと近づいていった。
 その際カタリナに視線を寄越すと、カタリナはそれに対してほんの微かに頷いてみせる。それを見たウンディーネは、テーブルの側に立ってボルカノを見下ろすように視線を落とす。

「いい加減、教えなさい。何故私に盾の事を教えながら、私が手に入れるのを邪魔したの」
「・・・それは、こっちの台詞だ。確かに俺はディー姉に盾のことは教えたけど、何故それで俺が先に手に入れるのを邪魔することになるんだ」

 ウンディーネの言葉に、ボルカノはこれまでの様子とは一転してどこか子供染みたような、むすっとした表情で返す。そんな二人の間に流れる空気に、その他一同はなんだなんだと思わず目を見合わせる。

「えっと・・・え、ボルカノさん、態々ウンディーネさんに魔王の盾のこと教えたの? なんで?」

 二人の様相と共にいよいよ話の行方が分からなくなってきたカタリナは、思わず素の調子でボルカノにそう聞いた。

「・・・別に、お前達には関係ないだろう」
「いやもうがっつり関係してんでしょ」

 何処か気まずそうな様子のボルカノに、カタリナは一切容赦のない鋭い突っ込みを繰り出す。
 それに対して全く反論の余地もないボルカノは黙秘の姿勢をとったが、程なくして周囲の視線に耐え切れなくなったのか、おずおずと口を開いた。

「・・・教えた理由は、この発見がディー姉の研究の・・・や、役に立つと思ったからだ」
「あ、それってつまり、ボルカノさんはシスコンという事ですか?」
「誰がシスコンだ!」

 誰からそんな単語を教わったのか、ミューズもまた情け容赦なく直球で真理を突く。するとボルカノは、たいそう慌てた様子で先ほどのウンディーネと同じ様に腕を振りながら否定を口にした。因みに当事者達以外はあまり単語の意味をわかっていない様で、疑問符を浮かべている。
つまり彼の言い分は、こうだった。
 元々ボルカノとウンディーネは旅に出て以後も己の研究の進捗について、定期的に各地の魔術ギルド支部へと報告書を飛ばしていた。しかしこの報告書には漏洩を防ぐ目的で魔術封印が施してあり、特定の解呪方法を行わなければ見ることは叶わない代物であるのだ。
 ここ迄は、魔術ギルドでは通常行われる内容である。
 しかしさらに言うと二人の報告書は互いしか解呪の方法を知らない独自の封を行なっており、事実上二人だけの連絡網の様な状態だった。
 これにより、互いに現在どこにいるのかまでは分からずとも、その行動内容はある程度共有されていたのである。
 なので、抑も数年前の時点に遡りウンディーネはボルカノの魔王の盾探索のことを知っていたのだ。
 またウンディーネも自身が故郷を離れてから旅をして行く中でモウゼスの外で己の特定の魔術が弱体化していることを再確認した事を発端とし、土地の精霊力に左右されない魔術構成の研究へと本格的に舵を切った。
 その中で現在の研究内容へと独自の実験と考察により辿り着いたのだが、ここ最近になって今一歩、彼女は行き詰まっていた。
 その理由は、彼女の提唱する陣形魔術の詠唱時に於ける土地の相克や術者への負荷を緩和する魔術媒介の研究が進まぬ事であった。
 この媒介とは所謂魔道具だが、魔術師の間で古来より常用されてきた魔道具は、この陣形魔術の媒介としては残念ながら全く役に立たなかった。陣形による魔力増幅の過程に耐えきれず、直ぐに砕けてしまうのだ。
 そうなれば取れる手段としては新たな媒介の錬成を行うしかないわけだが、しかし彼女自身は魔道具作成という点においては凡才の域を出ず、個人的には苦手な部類であった。
 そんな進捗を彼女との情報共有から把握していたボルカノは、魔王の盾の持つ魔術無効化の力が相克の無効化や負荷の軽減に通ずるのではないかと考えていた。
 そして更なる調査によって魔王の盾には魔術増幅の能力がある事を知り、より彼女の研究に役立つものであると確信したのだ。
 だが、いざ魔王の盾がモウゼスにあると当たりをつけてそれをウンディーネに共有した直後に、ボルカノは発掘した文献を読み進める中で更なる魔王の盾の特性の存在に行き当たった。
 それこそは、「防御・補助魔術の無効化」という現象だった。

「報告から推察する限り、陣形魔術は膨大な威力を実現することが可能になるのは間違いない。だがその膨大な魔力量は、恐らく人の身で扱うには負荷が大きすぎる。だからディー姉は、媒介を用いて負荷を減らしつつ魔力の増幅を行うことを思いついた。で・・・いいよな?」
「・・・そうよ」

 ボルカノの言葉を存外素直に肯定したウンディーネは、軽く曲げた右の人差し指を細い顎に当てながら腕を組み、続きを促した。

「・・・ただ媒介は、あくまで媒介。陣形魔術を行使するには、負荷を減らすために恐らく自身に何らかの防御魔術を掛けなければならない筈」

 確認するようにウンディーネを見つめながら語るボルカノに、彼女は無言で頷く。それを確認したボルカノは、次にカタリナの方へと視線を向けた。

「だが魔王の盾には、どうやら補助魔術を無効化する効果があるらしい。このモウゼスに於いて補助魔術の研究が遅れていた最大要因は正に其れ等の魔術の効果がモウゼスではあまり発現されないことにあったが、それもこの能力が原因だろう。つまり、魔王の盾をそのままの状態で陣形魔術に使えば、魔力増幅と防御魔術無効が同時に発現し・・・術者は負荷に耐えきれず、その身もろとも破裂する可能性が高い」
「・・・つまり貴方はそうなるのを防ぐために、ウンディーネより先に魔王の盾の入手をしようとした、という事なのね」

 カタリナの纏めに、ボルカノは浅く頷く。

「ディー姉は・・・昔から先ず自分で試さないと気が済まない性格だった。だから魔王の盾も、先ず間違いなく自分が最初に使おうとするはずだ。だから、これを伝える前に渡すわけにはいかなかった」

 続けて発せられたその言葉を聞いても、ウンディーネは無言のままでいた。

「あの・・・ウンディーネさんはこの事を知っていたのですか?」

 数秒の間続いた沈黙を破るように、フェアリーがウンディーネに問いかけてみる。するとウンディーネは漸くそこで、あたかも金縛りが解けたかのように首から上だけを微かに動かし、フェアリーに視線を向けた。

「・・・この子の言うモウゼスの特性と紐付いているという仮説から、関連性に関しては薄々予測はしていたわ。勿論、そこまで強力なものであるなんて認識はなかったけれど」
「ならば尚のこと何故、俺に任せなかった! しかもやっと再会したと思えば出会い頭に宣戦布告した上、此方の話を全く聞こうともしない!」

 ボルカノが堪らず声を荒げて立ち上がりウンディーネを見つめると、今度は彼女が皆から視線を外すように食事中のテーブルを見つめる。

「・・・その理由、これと関係あるの?」

 再度その場に流れる気まずい沈黙を破って唐突にそう言ったのは、カタリナだった。
 先だって宿に泊まっているカタリナ宛てに届けられていた文を手にしてひらひらとさせながらウンディーネに向かって問いかけると、彼女はそれに反応するのをあからさまに拒否するように無言を貫き、ボルカノは怪訝な顔をしながらその文を見つめている。

「なんなんだ、それは」

 ボルカノがそう問うと、カタリナは文を持った手でそのまま肩を竦めてみせる。

「今朝、私宛てに届いた文よ。内容は・・・いいわね?」
「・・・勝手になさい」

 カタリナがウンディーネに視線を向けながら確認すると、ウンディーネは今度は窓の外へと視線を移しながら短く答えた。
 文は、ウンディーネからのものであった。
 冒頭には先程のボルカノと同じく此度の件に対する丁寧な謝罪があり、そして次には、切実な願い事が記されていた。

「盾は諦めるが、しかし絶対にそれをボルカノには触れさせないで欲しい・・・?」

 文に記された最後の部分をカタリナが読み上げると、ボルカノはそれを繰り返しながらウンディーネへと視線を移した。
 ウンディーネは、それでも無言のままだ。

「・・・なんで。なんで、そこまで俺が魔王の盾を手に入れる事を嫌がるんだ。頼むから・・・教えてくれ」

 今日の未明まで啀み合っていたのが嘘のように、ボルカノが落ち着いた声でそう聞く。
 するとどうした事か、ウンディーネは突然その切れ長の目尻に大粒の涙を溜め始めた。

「な・・・ど、どうしたんだ!」

 その様子に驚いたボルカノが大層慌てふためいて彼女の両肩を掴むと、ウンディーネは顔を見られたくないのか皆と反対側に顔を向けながら、小さく呟いた。

「だってあんた・・・死の呪いを・・・受けてるじゃない」
「死の・・・呪い・・・俺が・・・?」

 ウンディーネの掠れ声を聞いたボルカノはまるで身に覚えがないようで、なんのことだとでも言いたげに眉を顰める。
 そして次にその場で声をあげたのはなんと、事態をここまで只管静観していたハリードとシャールであった。

「ほう・・・死の呪い、か。成る程、此奴から腐臭がすんのはその為か。なあシャールよ」
「あぁ、どうやらその様だな。私やハーマンが抱いた違和感の正体は、それだったようだ。ミューズ様も、お感じになられますか?」

 シャールに問いかけられると、ミューズも矢張り違和感を感じていたのか、小さく頷いた。

「あぁ、これハリードの匂いじゃなかったの」
「カタリナさん・・・加齢臭ならまだしも、腐臭は流石のハリードさんでも傷つくと思います」
「いや加齢臭も十分傷つくんだが?」

 いけしゃあしゃあとそう宣うカタリナに、フェアリーの切れ味抜群の合いの手。そこにハリードは米神の血管をひくつかせながらも、流石に大人の対応で接する。

「・・・ウンディーネ殿。その死の呪いと言うのは、どの様なものなのですか」

 カタリナ達の掛け合いを無視しながらシャールが落ち着いた様子で問いかけると、それに合わせて若干冷静さを取り戻した様子のウンディーネはボルカノが差し出してきた手拭いで目元を軽く拭いつつ、しかし視線を落としたままで口を開いた。

「死の呪いは・・・生きながらにして性質がアンデッド化する呪いよ。私も呪術の研究過程で存在を知っていただけで、実物を見たのは初めてだけど・・・」

 アビスの瘴気を媒介とする古代呪法の一つである「死の呪い」とは、現代には既にその儀式の方法自体が消失している呪術の一つとされる。
 その効果は対象に不死者の属性を付与する、というものである。効果自体は非常に単純な呪いであるものの解呪に関する知識もすでに失われている為、根本的な解呪方法は現代において存在していない。

「不死者・・・そうか。それでディー姉、俺に魔王の盾を触れさせない様にしていたのか・・・」

 ボルカノがハッと気がついた様にそう言うと、ウンディーネは肯定するように僅かに頷いた。

「・・・死者の井戸は封印者によってアンデッドを無効化するように仕向けられており、その根元こそが魔王の盾の力。つまり、その根元に不死者化した存在が触れれば・・・魔王の盾の力に、その存在ごと消されるかもしれなかった」

 カタリナが珈琲を啜ってからそう言うと、ウンディーネはその言葉を肯定するでもなく押し黙って応えた。ボルカノはそんな様子のウンディーネを見ながら、居たたまれない様子で震えている。

「・・・変だとは、ずっと思っていた。戻ってきて久々に会ったと思ったら突然驚いた様子だったし、その後いきなり『魔王の盾はあんたに渡さない』なんて激昂して。それからずっと会ってもくれず、死者の井戸に近づこうとすれば妨害してきて・・・。意味が分からなかったが、俺もディー姉が魔王の盾を先に使ってはいけないと考えていたから妨害せざるを得ず・・・」

 そう言って打ち震えているボルカノに対し、ウンディーネもまだ掠れ気味の声で絞り出すように声を上げた。

「・・・久しぶりに会って、見て直ぐに呪いに気付いて、なんて馬鹿な呪いを受けてしまったのって思った。なんとかして解呪の方法を見つけなきゃって、私それしかもう考えられなくて・・・。兎に角それが分かるまでは、あんたを死者の井戸に近づけてはいけないと思って・・・」

 ボルカノの言葉に呼応するようにウンディーネが心の内を吐き出すと、二人はやがてどちらからとも無く、頭を下げていた。

「そうなると気になるのはボルカノ殿の死の呪いだが・・・抑も何者に呪いをかけられたか、心当たりはあるのですか?」

 事ここに至り二人が互いの行き違いの解消によって何処か晴れ晴れとした表情になったのを見届けてから、シャールが再度問いかける。
 それに対しボルカノは数秒考えた後、力なく首を横に振った。

「いや・・・思い当たる節はない。昔ならばまだ才能の差を妬むものも居たが、この十年は世界中を回っていたからな・・・」

 何か他に思い出せることはないかと記憶を探るように押し黙るボルカノと、それを無言で見つめる一同。
 そこに、すらりとした細腕をまっすぐ上げて意見を述べる意思を示すものがいた。
 フェアリーだった。

「なぁに、フェアリー」
「はい、あの、少し気になることがありまして・・・。ボルカノさん、ちょっといいですか?」

 カタリナに促されてそう言ったフェアリーは、その場に自分達以外いないということを確認するとフラワースカーフを脱いでふわりと浮かび上がり、ボルカノの首の後ろに回り込んだ。

「な・・・え、な、なんだ!?」

 突然羽が生えて飛んだフェアリーにボルカノは驚愕しつつも、その神秘的な現象に暴れようという気も全く起きず成されるままに様子を伺った。
 するとボルカノの後ろに回り込んだフェアリーは、彼が首から下げていたらしい飾りの紐を解き、紐ごとその先端を服の下から引っ張り出した。
 果たしてそこから出てきたのは、小さく、そして只管に黒い塊であった。
 その塊にはおよそ立体感というものがなく、触ってみて初めてその形がわかる程だ。正に、光すら反射しない程の純粋な黒である。

「多分、これが原因だと思います・・・」
「・・・それは!」

 フェアリーが取り出した『それ』を見て、ミューズが珍しくとても驚いたように声をあげる。
 その様子に皆が彼女に視線を向けると、ミューズは椅子から立ち上がってボルカノのすぐそばまで近寄り、フェアリーが浮かせているその物体をまじまじと見つめる。

「・・・ちょっと、なに意識してんのよ色ガキ」
「べ、別にしてない!」

 至近距離に近づいているミューズから顔を背けるようにしているところにウンディーネから半眼で突っ込まれ、ボルカノが必要以上に声を上げて否定する。地味にシャールも睨んでいたりする。
 そして周囲のそんな様子を微塵も気にする事なくその小さな塊をいろんな角度から観察していたミューズは、距離が近すぎたことに今更気がついて漸く一歩離れ、コホンと態とらしく咳をした。

「あの、ボルカノさん。これは一体、何処で入手したものなのですか・・・?」

 フェアリーから首飾り状にしていたその塊を受け取りつつ、ミューズの問いかけにボルカノは思い出すような仕草をしながら応える。

「これは・・・そう、魔王の盾で様々な実験を行なった記録があった洞窟型寺院跡の奥深くで見つけたものだ。探索のために明かりを灯していたら、あまりに不自然に黒い箇所に目が留まってな。手を伸ばしたら、これがあったのだ」

 そしてそのあまりの異様さと物珍しさに持ち帰って研究しようと思い手に取ったが、モウゼスに帰ってきた途端の今回の騒動によって完全に忘れていた、とボルカノが説明する。するとミューズは、その説明で合点がいったように浅く頷いた。

「成る程・・・。フェアリーさんのいうように、恐らくそれが原因で間違い無いです。それは・・・『死のかけら』と呼ばれるものです」

 聴きなれぬ単語に皆が疑問符を浮かべていると、ミューズは自分も伝聞ではあるが、との前置きの後に説明を始めた。
 魔王が姿を消してから約三百年もの間、四魔貴族が世界を支配した時代があった。人が想像しうる限りの悪虐が尽くされたとされるこの暗黒の時代は、宗教歴史的には所謂、魔王信仰の全盛期でもあったという。
 世の中には凡ゆる救いがなく、祈る神もいなくなった。そうして神に見捨てられた人類は、力あるもの・・・つまり諸悪の根源たる魔王にさえ、心の拠り所を求めてしまったのだった。
 中でも特段、魔王信仰が非常に盛んだったのが時の魔王城を擁する旧ピドナ周辺地域であり、魔都ピドナの北に位置するイスカル河の下流地域周辺には、上流から河を下って様々な人々が集まり集落を築き、それが長じて寺院となった。
 アビスの瘴気が溜まりやすい暗くて湿った場所が寺院の建築場所として好まれ、主に洞窟内部に多くの寺院が作られたという。
 そしてその魔王信仰の中心地では、アビスの呪いを集積し結晶化する儀式が、秘密裏に行われていたのだ。

「その結晶こそが、『死のかけら』です。アビスの呪いをその身に宿し、死の祈りを祭壇に捧げ、アビスの深淵に居るとされる魔王に近づく。それが救いになるのだと、死が救いであるのだと・・・そう信じられていた、悲劇の時代の産物なのだそうです」

 ミューズの言葉を聞いていたボルカノは、探索当時の様子を思い出すようにしながら頷いていた。

「そうか・・・魔王信仰の中心地ならば魔王遺物が宝具として祀られたのも頷けるし、こいつが転がっているのも道理というわけか・・・。って事は、これを手放せばその『死の呪い』とやらは解けるのか?」
「・・・はい、その筈です」

 ミューズの返答を聞いたボルカノは、研究者らしく名残惜しそうな視線を死のかけらに対して送ったものの、解呪には変えられまいとして手放すことを決意した。

「なら、それも私に預けてもらえないかしら」

 ボルカノの身に起きた異変の解決目処が立ち皆が安堵の表情に変わってきたところで、カタリナが死のかけらを指し示しながらそういった。

「多分私なら聖王遺物の力で死の呪いは相殺できると思うから、その辺に捨てるより確実に二次被害も抑えられると思うわ。それに・・・呪いを発せられなくする当ても、少しあるから」
「そうか、それは助かる。正直、処分するにしてもどうしようかとは思っていたところだ」

 処理方法に困っていたのは正直なところのようで、ボルカノは素直に感謝を述べながらカタリナに死のかけらを手渡した。

「あと一応禍根が無いように教えておくとね、この魔王の盾も、がっつり呪われているのよ。こっちは力が強すぎて、私でも呪われないのが精々。使用するだけで、とんでもない疲労感に襲われるわ・・・。明け方の戦闘だって私は動かなかったのではなくて、動けなかったっていうのが正解。それでも、昼まで疲労困憊で寝ていたくらいだもの」

 だから二人のうち何方かが手に入れたとしても望むような結果は得られなかっただろう、とカタリナは断じた。
 その話を聞いているモウゼスの術師二人は残念がってはいるものの、しかしどこか晴れやかな表情をしている。結局はお互いのためを思うが故の壮大な空回り劇であったことに対して、照れ隠しをするのに終始していた。

「・・・ディー姉の研究に役立つ媒介探しはまた振り出しに戻ったけれど、この十年の研鑽は無駄にはならないし、心機一転出直す事にするさ」
「・・・おう、それなんだがな、小僧」

 ボルカノの前向きな言葉でこの場が締められるかと思いきや、最後の最後にここで言葉を発したのは、テーブルの一番奥で一人無関心を装って煙草をふかしていたハーマンだった。
 思わぬところから小僧呼ばわりされたボルカノが多少眉間に皺を寄せながらハーマンへと視線を向けると、ハーマンはそんな態度のボルカノに対してニヤリと笑いながら自分の腰袋に手を伸ばした。

「はっ、そうツンケンすんなって。悪い話をしようってんじゃねえんだ」

 そう言いながらハーマンが取り出したのは、イルカを模した金色の像だった。

「・・・なんだ、それは」

 ボルカノがその像を見ながら怪訝な表情をすると、ハーマンは煙草の煙を肺いっぱいに吸い込み、天井に向かって一気に吐き出してから口を開いた。

「こいつは、オリハルコンだ。他の属性は知らねーがな、これは玄武様の力をとんでもなく大きくしてくれるっつう代物さ。お宅らが欲しがってる媒介ってのは、こういう奴のことじゃねえのか?」
「それは・・・本当なのか!?」

 事も無げに発せられたハーマンの言葉に、ボルカノが驚愕の表情を見せながらイルカ像に近づく。
 手を伸ばしてもハーマンが何も言わないのを許可と取ったのかボルカノはその像をそのまま手にして、上下左右色々な角度から観察し、触り、己の魔力を通してみる。
 しかし多少の反応はあるものの思うような反応が返ってこないイルカ像に対しボルカノが訝しんでいると、その様子にハーマンはやれやれといってイルカ像をひょいとボルカノから取り上げ、ついてこいと指で示しながらゆっくりとした足取りで店の外へと移動した。
 ウンディーネとボルカノが半信半疑の様子でその後に続くと、ハーマンは宿の目の前の通りの真ん中に立ち、彼らに振り返る。そして続いてカタリナ達も出てきてギャラリーが揃ったことに満足すると、徐に咥えていた煙草を指で弾いて空中に飛ばした。

「玄武様ならとびきりだが、こいつは蒼龍様でも多少は効くんでな」

 ハーマンがそう言いながらイルカ像を通じて風の渦を作り出すと、それは瞬時にとんでもない風圧を伴う竜巻となって上空へ渦巻き、彼の飛ばした煙草を空の遥か彼方へと吹き飛ばした。

「なんと・・・!?」
「無詠唱でこの威力・・・十分に宮廷魔術師で通じるレベルじゃない・・・」
「はっはっは、俺が魔術師様になれるわきゃあねえだろうが!」

 そう言ってハーマンは、手にしていたイルカ像をウンディーネに向かって放り投げた。
 ウンディーネが慌てた様子でそれを抱きかかえるように取ると、途端に上空に渦巻いた竜巻は穏やかな風へと変貌する。そして、ゆっくり落ちてきた煙草を見事に右手の人差し指と中指で挟み取ったハーマンが再びそれに火をつける。

「ネエちゃんもやってみな。但し、そいつを無理矢理に制しようとすんじゃねえ。祈るんだよ。精霊なんて、人間にいっつも御されるようなもんじゃねえんだ。海に生きる奴ならそんな事、鼻ったれのガキだって知ってんだぜ?」

 そう言って揶揄うように笑うハーマンからは、先程感じたような魔力は全く感じられない。
 ウンディーネはそんなハーマンと手元のイルカ像を交互に見比べると、意を決したように像を胸の前に翳し、そっと目を閉じて魔力を込めていく。
 すると最初こそ感覚が掴めず揺らいでいただけの魔力が、次第にイルカ像の中で拡散を繰り返すように畝り始め、そしてある瞬間を機に爆発的に増幅していく。
 大気はあっと言う間に玄武の力で満たされ、今の今まで晴れていた空には瞬時に暗雲が立ち込める。あとはウンディーネが願えば、三日三晩の豪雨をあたり一帯に降らせることも容易いほどの魔力が一瞬でこの場に生成されたのだ。

「な、なんなのこれ・・・凄まじいまでの増幅器だわ・・・。しかも、身体への負担が殆ど感じられないなんて・・・」
「あたりめぇだ。つーか普通に考えてみろ。大体、自分より偉大なものを抑えつけようとすりゃ、そりゃ滅法疲れちまうさ。だから昔っから人は祈り、頼り、その大きな流れに身を任せてきた。そうすりゃ、疲れるもなんもねえからさ」

 あまりの展開に驚愕の表情を浮かべるしか術のない二人の術者を前に、ハーマンはなんでもないという様子で肩を竦めた。
 彼にとってそれは、本当に常識を語っているだけなのだろう。魔術師二人が驚きの中でそう考えながらハーマンを見ていると、彼はウンディーネの元に近づいていき、彼女の手にあったイルカ像を掴み取った。

「あんたら魔術師様は『自然を操れる』なんて思い上がってっから、こんな簡単なことに気がつかねえ。頼るとこは頼ってよ、人間は人間の範疇で擦った揉んだしてりゃあいいんだよ、本来はな」

 そう言いながらイルカ像を空中に放り投げつつ弄んでいたが、ふとハーマンの顔つきから笑みが消え、突如として強烈な眼光を湛えた瞳が二人の魔術師をじっと見据えた。

「此奴を譲ってやってもいい」
「な、本当か!?」

 突然のハーマンの言葉にボルカノが声を上げるが、しかし表情の変わらないハーマンに対して何かを察したウンディーネは、無言で先を促した。

「察しがいいじゃねえか。そっちのネエちゃんには、是非協力してもらいてえ事がある。それが無事に終われば、此奴は譲ってやってもいいぜ」

 そう言ってニヤリと不敵な笑みを作るハーマンを、カタリナは無言で遠巻きに眺めていた。

 

 

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第七章・2 -死者の井戸-

 

 暗く狭い空間に沈殿して漂う埃と微かな黴臭さが多少鼻に付くが、それを除けば思いの外そこは想像よりも不快だとは感じない空間であった。
 その意外な様子にカタリナは随分と拍子抜けした様子だったが、それは無論、他の面子も同様の様子であった。唯一仏頂面がそのまま皺になって固まったかのようなハーマンだけが、その表情からは何も読み取ることが出来ないと言うところか。
 彼女達は今、学術都市モウゼスを南北に分ける川の中央にある小島に赴いていた。
 より正確に言えば、その小島の片隅に存在する古井戸、通称「死者の井戸」の中にいた。

「死者の井戸、とは大きく言ったもんだな。その辺の街道よりも余程、ここの方が平和なもんじゃないか。ここに一体何があるっていうんだ」

 一応は警戒を続けるカタリナのすぐ後ろで、反面すっかり警戒を解いてしまった様子のハリードが辺りを見回しながら呑気に呟く。
 今より六百年の昔、世界を一瞬にして恐怖に貶めた魔王が突如として消息を絶って以降に、四魔貴族が魔王に代わって世界を支配していた時代。
 この古井戸は、実にその時代から存在し続けているのだと現地の人間は口を揃えて言う。
 そして三百年にも及んだ四魔貴族支配の時代の最中、この井戸にはこの地に於いて何らかの原因で死に至った者が、碌な葬いもされずに投げ入れられていたというのだ。
 また、飢餓、疾病、怪我、老化によって生活能力を無くした者等も、死者と同様に投げ入れられたのだという。
 その慣習たるや、実に四魔貴族が支配する三百年もの間続いたというのだから、何とも悍ましい話だ。

「・・・しかし、妙ね」

 シャールが灯した朱鳥の小さな焔を頼りに井戸の中を進んでいたカタリナが、場所を考え小振りのレイピアを構えながら呟く。
 井戸とは言いながらも、既に長い間使われている様子のなかった地上部分から潜った先は、なんと大の大人が数人で通れるほどの広さを持った地下空洞へとつながっていたのだ。
 彼女の感じる妙と言う名の違和感はつまり、この死者の井戸と呼ばれる地下空間そのものの状態を示していた。
 確かに伝承の通り、この井戸には其処彼処に多くの人骨らしきものが目立つ。だが、その殆どは数百年の時を経て既に大部分が腐食し、崩れ、地面や壁と半同化している。なのでおよそ見渡す限り、生々しいものはない。
 何より妙なのは、それらがこの状態である、という部分なのであった。
 この井戸の様に太陽や月の光が届かない暗く湿った場所は、アビスの者が好む条件を満たした空間。つまり、非常に瘴気が溜まりやすい環境だといえるのだ。本来ならばそんな場所に御誂え向きに死体など放り込もうものなら、それが瘴気と混ざり妖魔となって現界してもおかしくはない筈。寧ろ、そうなってくれと企んででもいない限り、そんなことは普通の感性を持った人間はしないはずなのだ。
 だがこの「死者の井戸」には先程ハリードも言うように、その様な妖魔がいる様子など一切無いのであった。それどころか、通常であれば滞留する筈の瘴気さえ感じない。
 現地民はこの事象を把握していたからこそ、この死者の井戸へと死者を放り込み続けたのだろう。流石に何の理由もなくそんな事をすれば井戸から這い上がった妖魔によってあたり一帯が侵略される事など、分かりきった事だからだ。
 だからこのモウゼスには、ある意味でこの「死者の井戸」を神聖視する趣さえあった。

「こりゃあ、本当に何かあるのかも知れねーな。お宝っつーのは、大抵こんなとこにぽろっと有るもんなんだ」

 同じ違和感を覚えていたらしいハーマンがそう呟くと、一行は慎重に進んでいく。

 

 この死者の井戸へと足を踏み入れる以前、まず始めにカタリナ達はウンディーネとの話し合いに臨んだ。
 食堂での騒動のすぐ後に魔術ギルド本部にある彼女の自室に案内されたが、通された部屋は彼女の外見の非常に整った印象とは打って変わって、様々な本が机や床などに無造作に積まれており、かなり雑多な印象を受けた。
 また食堂では距離があったが、こうして部屋に赴いて改めて彼女を見てみると、化粧で隠してはいるものの目の下にくっきりと隈が出来ており、ここ暫くは寝不足の様子が見て取れる。
 どうやら部屋の様子と相まって、何かの研究に連日連夜没頭しているという様子が伺えた。
 そんな感想を一同が抱いているところに、ウンディーネは開口一番でこう言ったのだった。

「それにしても素晴らしい腕前。その腕を見込んでお願いがあります」

 先程自分の弟子が盛大に失礼かました事など既に忘れたのか、その突然のお願いの申し出には流石のカタリナも面食らったものだった。
 しかもそのお願いというのも内容がまた物騒で『モウゼス南部の施設で対立している朱鳥術師ボルカノ勢力を、ボルカノ本人を含め可能な限り人的被害を最低限に抑えた上で一定期間無力化してきて欲しい』と言うものだった。
 傷つけずに無力化となると施設破壊か威力恫喝、はたまた何らかの工作辺りを所望の様だが、何にせよ腕っ節を見込んでの力ずくというのが何とも物騒な話であった。
 そして全く以てカタリナにとっては都合の悪いことに、その場には「仕事は前金主義」の辣腕傭兵ハリードその人が居たわけなのである。
 当然ハリードが目を輝かせながら脊髄反射的に、それは幾らの仕事か、と尋ねる。
 ウンディーネも流石にギルドの長というべきか。先程の詫びも兼ねて、と即座に前金で二千オーラムを提示してきた。更には要望通りの仕事であれば成功報酬も別で用意すると言う事だった。
 最早その話の流れに、他の人間が口を挟む余地など残されては居なかった。二つ返事で「仕事」を引き受け前金をほくほく顔で受け取るハリードに対して心から呆れ返るカタリナだったが、兎に角本来の訪問の目的である古代魔術書の解読依頼もせねばなるまいと、すっかり出遅れ気味に本題を提示する。
 ウンディーネも其処は魔術学者として興味を持ったのか、慎重な手つきで魔術書を捲ってから調査そのものは快諾するものの、「今の研究が終わるまでは手を付けられない」との事で結局のところは持ち帰りとなってしまったのだった。
 ここまででカタリナは相当に呆れ返っていたものだが、しかしここからが嘗て猛将と称えられた傭兵ハリードの本領発揮だった。
 彼は魔術ギルドを出るや否や、文句の一つでも言ってやろうと詰め寄るカタリナを軽く片手で制しながら顔を近づけ、小声でこう呟いたのだ。

「俺は、男連中を連れて南に調査に行く。お前達は北に残って、この街とウンディーネに関する情報を集めろ」

 こう宣ったハリードに対して、カタリナは彼女のこれまでの人生で最高の出来栄えだと確信できる程の仏頂面で応えたものだが、しかし一方でこの守銭奴トルネードの行動には納得するべき部分もあった。
 結局この騒動が終わらなければ本来の目的である魔術書の調査は終わりそうにもないという事がまず最初にあり、次にこの騒動以前に、カタリナ達はこの街のことを知らな過ぎるのも事実だった。確かにウンディーネもあの様子では、間違いなく此方に対して何か伏せていることがあるようだ。となれば、ここは仕事に乗る流れで街中での動きやすさを確保しつつ状況を見極めるのが先決、ということなのだ。
 この後男連中を見送った女三人組は、ミューズの機転により不機嫌顔の治らないカタリナを鎮めるべくモウゼスで最も有名なワイン畑を訪問してガーター半島固有品種の葡萄を用いたスパイシーな印象を受けるワインを堪能し、それから北側での調査へと繰り出したのだった。
 そして順調に術師も含めた老若男女へと聞き込みを進めていると、どうやら思いの外、天才魔術師ウンディーネはこの街全体に歓迎されているわけではないらしいという状況が見え隠れてしていることが分かってきた。
 一部を抜粋すると、曰く
『ウンディーネとボルカノは確かにこの街の出身だが、ここ十年近くは二人とも街を出ていた。それが最近になって戻ってきて、街を二分して争っているんだ。おかげで町の者は大迷惑だよ』
『ウンディーネは優男の術士ばかりまわりに集めてるのよ。でも私が小さな時から既に魔術師としては有名だったから、本当は見かけよりずっと年らしいけど』
 と言った具合であるのだ。

「迷惑を被っている人、結構いるようですね・・・。年齢云々は、ちょっとジェラシー混じっている感じでしたけど・・・」

 フェアリーがフラワースカーフの下で羽を震わせながらそんな感想を述べると、カタリナとミューズは全くの同意だと言わんばかりにうんうんと頷く。
 一通り街中での聞き込みを終えモウゼス北の中央広場に戻ってきた三人は、ベンチに座りながら集めた情報の精査を行っていた。
 聞き込みの結果としては、魔術ギルドに属さない住民からは騒動の種といった見方をされている傾向が強いようだ。特段、幼少暮らしていた頃からその美貌の割にあまり他者に対して愛想が良い方ではなかったらしく、それも相俟って女性からの意見は概ね辛辣な様子。
 ただそうした一般評価の反面、北部にいる多くの術師からは間違いなくウンディーネは天才である、との意見でほぼ一致していた。まだ少女の時分からその才覚を表し始めたというウンディーネは、魔術師ギルドの間では神童として有名だったそうだ。
 そして更には、魔術師ウンディーネの現在の研究内容に関する話を聞くこともできた。
 曰く『ウンディーネ様は術士同士の連係を重んじている』との意見に、殆どが集約される。
 これに関しては、ミューズが納得顔でこくりと頷いたものだった。

「私達を襲ってきたあの三人の術師ですが、個々の能力は大したことがなくとも、陣を組んで天地術式を混合詠唱する事で大きくその威力を上昇させていました。威力だけならば、恐らくメッサーナの宮廷魔術師にも並ぶかと。正直、驚きました・・・。先に詠唱を潰せなかったら、苦戦を強いられた筈です」
「それは凄いですね・・・一人前の術師一人の育成には十数年を要するといいますけれど、それを練度の低い魔術師が別の形で補うことが出来るなんて、下手したらグランクロワものの偉業だわ。あのウンディーネという魔術師は、本当に天才なのね」

 ミューズの言葉に、カタリナは大層驚いた様子で感想を述べる。しかし、驚くなというのが無理な話なのも確かだった。
 魔術師という存在は非常に強力だが、その育成には長い月日と費用、そして才覚の有無という運すら要する。カタリナの周りにはシャールやミューズ、トーマスなど高度な水準で術を扱う者達が多いので印象は薄れがちだが、実戦に耐えうる域までの術師というものは実はそう多くはない。
 嘗てメッサーナ王国には正規の大規模な魔術師団が存在していたという歴史もあるにはあるが、大きな戦乱もなかった聖王暦の年月の中で、莫大な維持費ばかりのかかる魔術師団という存在は自然と無くなっていったのだという。
 また小規模ながら六百年前に四魔貴族侵攻を退けたという伝説を持つナジュ王国には天の術を扱う魔術師団があったが、これは十年前のハマール湖の戦い後に神王教団によって解散させられている。
 このような歴史の変遷により、今となっては各国に数える程度の宮廷魔術師がいるばかり、というのが現代の魔術師事情というわけなのだ。

「でも結局、何でウンディーネさん達が南北で争っているのかの原因は分かりませんでした」

 フェアリーがベンチに座って足をぷらぷらと動かしながらそう言うと、カタリナとミューズはそれに応えるようにううんと唸ってみせた。

「北ではこれ以上聞き込むと流石にウンディーネに訝しまれそうだし・・・ハリード達はどうしているのかしら」
「じゃあ、ちょっと聞いてみますね」

 カタリナが地面に列を作る蟻を眺めながら行き詰まり気味にそう言うと、フェアリーがなんでもないというようにそう反応して、そっと目を瞑る。
 その様子を見て何事かと小首を傾げるミューズに、カタリナはフェアリーの念話能力について簡単に説明をした。

「え、妖精さんてみんなそんなすごい力を持っているんですか・・・?」
「どうなのかしら。妖精にもいくつも種族があるみたいだから全部かは分からないけれど、普段妖精同士は念話で意思疎通しているそうよ。因みに、人間以外の他種族も大丈夫みたい」

 フェアリー自身から教えてもらったことをそのまま教えて上げると、ミューズは心底驚いた様子でフェアリーへと目を向けた。するとその視線に気がついたのか、フェアリーはミューズに振り向いて、にこりと笑みを作る。

「今、シャールさんと話しています。まだ聞き込みの最中だとのことで、夜にまた連絡が欲しいそうです」
「まぁ、シャールもフェアリーさんのその力を知っていたの?」
「あ・・・いえ、知らなかったですよ。銀の手の所在を手掛かりに思念波を飛ばしたので、シャールさんに繋がっただけです。最初はとっても驚かれていました」

 そりゃあ誰でもいきなり声が頭の中に響いたら驚くわよね、とカタリナは自身の経験を振り返りながら考えた。しかし自分の時はとんでもない頭痛に襲われたものだがシャールは大丈夫だったのだろうか等といった心配が脳裏に過ったところで、ふと興味本位で思いついたことを聞いてみることにした。

「そういえばフェアリーのその念話は、聖王遺物を狙って飛ばしているのよね。それなら、まだ見つかっていない聖王遺物の場所も分かったりするの?」

 もしそれが分かるのであれば今後の探索や対四魔貴族への対策が非常に楽になるのではないか、という安直な考えでそう聞いて見たものの、やはりと言うべきかフェアリーは少し困ったように眉を寄せながら微笑んだのだった。

「残念ながら、それは難しいです。私が感知できるのは、精々活性化された状態の聖王遺物くらいですね。例えば銀の手はシャールさんと共にあるので常に活性化していますし、聖剣マスカレイドも現在はカタリナさんを主人と定めているのか、今は非常によく感じ取れます。ですが、今はそれ以外の聖王遺物の場所もよくわかりません。妖精の弓は以前ポールさんが持っていた時は活性化していたのですが、今は全く・・・」

 ちなみに月下美人も妖精族が精霊銀で鍛え上げた刀なので感じ取ることができる、と補足を交えつつ、フェアリーは普段カタリナがよくやるように胸の下で軽く腕を組んで空を仰いだ。

「そうそう簡単に攻略は進まない、ということですね」
「全くその通りのようね」
「そのようですねぇ・・・」

 カタリナとミューズも同じく腕を組んで答えながら、ベンチの背もたれに体重を預ける。そうして夕方まで時間を持て余すように、ぼんやりと並んで空を見上げたのだった。

 

 その後、夜になっても一向に戻ってこない男衆に対してフェアリーが再度念話を飛ばすと、果たして向こうからは全くとんでもない提案が飛んで来たのであった。
 ウンディーネとの会談を終えた後に直ぐ南モウゼスへと向かったハリード達は、迷わず真っ直ぐ術師ボルカノに会いに行った。
 そして突然の訪問にも関わらず快く迎え入れてくれたボルカノ氏を前にして、こう言ったのだという。
『北でウンディーネが凄腕の刺客を雇った。このままではお前は潰される。このトルネードを雇う気はないか』と。
 その言葉に何故か非常に衝撃を受け、直ぐには信じきれない様子のボルカノ。だが、出鱈目を言うなと挑んできた彼の弟子をまるで赤子の手を捻るように瞬時に制圧し、ハリードはその実力と共に己の正当性を十二分に示してみせた。
 これにより、ボルカノは悩んだ末にハリード等の提言を受け入れ、ウンディーネの刺客に対抗する用心棒の仕事を依頼する運びとなった。所属こそ違えど、ギルドに身を置く者の間でトルネードの武勇を知らぬ者はまずいない。それはボルカノも例外ではなかったのだ。
 この時、ボルカノからウンディーネと同額の前金を受け取った時のハリードの邪悪な笑みは暫く忘れられないだろうとのシャールの苦悶の言葉には、流石のカタリナ達一同も同情を隠せなかった。
 またこの時シャールがボルカノに対して抱いた印象としては、若くして実力や実績に恵まれたことによる多少の傲慢さが端々に垣間見えるものの、大枠としては好青年と言って良いものだったという。
 しかし、どうにも何か他の人間とは違う違和感を感じてしまいそれを後からハリードとハーマンに其々聞いてみたところ、ハリードは「腐臭がする」という失礼極まりない感想を述べ、ハーマンはシャールと同じような感想を抱いたがやはりよく分からない、との答えだったそうだ。
 そうしてボルカノの元を去った男衆は次にカタリナ等と同じく、南でボルカノとモウゼスについての情報を集めて回った。
 そしてその中で一つ、とても興味深い話を聞くことができたのだと言う。
 それこそが、『二人は中央の小島に存在する井戸の中にある何かを巡って対立しているらしい』という情報だった。
 その井戸こそが、死者の井戸だ。
 そしてこの情報に当りをつけたハリードの提案によって、夜の闇に乗じ此方が先んじて井戸の中に何があるのか確かめてやろう、ということになったのである。
 あとは街全体が寝静まるのを待ち、南北から小島へと向かった。小島に向かう道には南北其々が見張りを立てていたが、その見張りに対しては仕事のためと称することで難なく通り抜けることが可能だった。
 そうして今現在、彼女らは晴れて死者の井戸の中にいるという訳なのだ。

「・・・待って、なんか・・・違和感があるわ」

 何事もないままに内部を進んでいた一行だったが、先頭を進んでいたカタリナが突然立ち止まり、自らの左手を見つめながらそう言った。その視線の先には、朱鳥の火を反射して仄かに輝きを帯びている王家の指輪がある。

「このまま道なりではない気がする。何かこの辺りに無いかしら」
「んなら、ちょっと探ってみるか」

 カタリナの言葉に直ぐに反応したハリードは、鞘ごと腰の曲刀を取り出すと、辺りの壁を軽く叩き始めた。
 それに習い、各々も自らの得物の柄などを用いて床や壁を探っていく。すると間も無く、ハーマンが左側の壁面の向こうに空間があるようだと気付いた。
 そのまま躊躇することなく腰につけていたバイキングアクスを勢いよく壁に叩きつけると、予測通り壁は簡単に崩れて奥へと続く道が現れたのだった。

「わぁ、なんか宝探しって感じですね」

 その光景に何やら機嫌を良くした様子でミューズがそう言ったのを合図に、一行は互いに視線を交わすと迷わずその道を奥へと進んでいくことにした。
 その道もこれまでと同じく不気味な程の静けさに包まれており、間も無くカタリナ達は何事もなく道の最奥へと辿り着いた。

「・・・これは・・・」
「・・・即身仏、ってやつか」

 カタリナとハリードがそう言いながら見つめる先には、既に事切れてから長い年月が経っていると思われる一体の亡骸があった。
 古くはあるもののしっかりと原形をとどめている高貴な衣服を身に纏い、地面に腰掛けた姿勢のまま崩れることなく、その亡骸は堂々たる佇まいをしている。その様は、さぞ高名な僧侶であったのではないかと思わせるものだ。

「あ、カタリナさん見てください。この人の後ろ・・・」

 何かに気がついた様子のフェアリーがカタリナの袖を引きながら指差した先には、簡素な石造りの台の上に祀られるようにして置かれた何かがあった。
 それを認識した瞬間、カタリナは全身に走る悪寒で『それ』がなんであるのかを察する。
 彼女自身の経験で知らずとも、王家の指輪がその存在の何たるかを伝えてくるのだ。

「これは・・・恐らく、魔王遺物よ・・・。神王の塔にあった魔王の斧と、同じ感覚があるわ」
「魔王遺物・・・こんなところにあるなんて、驚いたな。つまりあの魔術師達が欲しがっていたものは、こいつというわけか」

 即身仏の脇を通ってその盾を覗き込み、ハリードが顎に手を当てながらそういった。その盾は石台の上に寝かされていたのだが、全くその身に埃などを被っている様子がない。まるで新品そのものと言っていい状態なのだ。その異様な違和感はやがて得も言われぬ恐怖のようなものとなって、その場の全員が息を飲んだ。

「・・・魔王の盾には、術法に対する効果の増減作用があるみたい。恐らく、それを狙って魔術師二人が争っているというわけね。それに、この井戸にアビスの気配がないことも、これの存在で大凡は説明がつくわ」

 カタリナがまるで指輪の記憶をなぞるように眉間に皺を寄せながらそういうと、他の五人は一体どういうことなのかと首を傾げる。それに対しカタリナは引き続き記憶を辿るようにしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
 己に向けられる、凡ゆる事象の無効化。
 魔王の盾の最も特異な能力は、間違いなくこの能力であると言える。
 凡ゆる事象とは言葉通りであり、物理現象や精神支配に至るまで文字通りに全てを無効化することができるという、とんでもない能力を秘めているのだ。

「恐らくこの僧侶は何らかの事情で魔王の盾を手に入れ、封印を考えたのでしょう。そして封印の地に、ここを選んだ。この洞窟全体に浄化を施した後、この特性を利用して魔王の盾を設置以後、魔王の盾に影響を及ぼさんとする全ての空間変化を『無効化』しようとしたのね。だからこの空間には、アビスの瘴気もないのだわ」

 そう言いながらカタリナは、石の台の上に置かれた魔王の盾を持ち上げる。
 その途端、彼女らの背後にあった即身仏が音もなく崩れ去り、井戸の中を支配していた異様なまでの静寂が消え去った。
 大凡六百年の歳月を経て、魔王の盾の封印がここに解かれたのだ。
 そして盾は、カタリナの手の中で禍々しい気を一瞬だけ発したかと思うと、直ぐに収束し無反応となる。彼女の身につけている幾つもの聖王遺物が、魔王の盾の瘴気を相殺したのだ。
 これで、この盾が何か悍ましいものを呼び寄せるということはなくなったはずだ。

「・・・しかし魔王遺物となると、そのまま魔術師風情に渡すわけにもいかないな。どうするんだ?」

 ハリードが崩れ去った即身仏に対して略式の祈りを捧げてからカタリナに振り返ってそういうと、カタリナも同じく略式の祈りを捧げた後、腕を組んで唸った。

「ううん、そうねぇ・・・。とりあえず争いの種にもなるから此方で回収はしておくべきだろうけれど、あとはあの二人になんて説明するか、よねぇ」
「そうだな。南のボルカノはまだ若いから理解も示してくれそうな感じだったが、ウンディーネって魔術師の方はどうだろうな。結構ヒステリックな類だと思うぜ、あれは」

 ハリードがそのように相槌を返すとカタリナは耳にかかった髪を梳き流しながら、他人事みたいに呑気に言ってくれるんじゃないわよと小言を言い放つ。そして、兎に角先ずはここを出ようと提案した。

「ここで考えても仕方ないわ。一旦宿に戻って考えましょう」

 それには皆が同意し、一行は来た道を戻っていく。
 何しろそこまで広くない死者の井戸内の洞窟であるからして直ぐに入り口となる井戸の淵まで戻ることができたのだが、しかしそこでカタリナたちはどうも井戸の上の方、つまり地上が騒がしい様子であるということに気がついた。

「・・・ちょっとハリード。これ、ひょっとしてバレてるのではないかしら」
「・・・かもな」

 松明らしき明かりがちらつく井戸の縁を見上げながらカタリナがそういうと、ハリードはここでも他人事のように肩を竦めながら応えてみせた。
 その返答は予想通りカタリナを非常に苛つかせるものだったが、今になってそのような瑣末なことを気にしていても仕方がない。他の面々に視線を送っても『諦めろ』と言わんばかりの表情しかないので、カタリナは兎に角話だけでもしてみようかと思い直し、大人しく井戸を登ることにした。

 

「よくもだましてくれたな!」

 カタリナが井戸を登りきるや否や、先ず飛んで来たのは若い男の声と思われる罵声だった。
 それを発して来たのは、赤い髪が特徴的な青年。年の頃は精々カタリナと同じ程度だろうか、正に才気溢れる魔術師と言った表現が似合いそうな青年だ。恐らくこの青年こそが、玄武術師ウンディーネと対立している朱鳥術師ボルカノその人なのであろう。

「その盾を渡しなさい!」

 続いてすかさず飛んで来た、女性のものと思われるもう一つの罵声。こちらはカタリナにも聞き覚えのある声であったので見ずとも分かったが、視線をそちらに向ければ案の定、そこにいたのはウンディーネだった。明かりに照らされたその表情からは、冷静さを欠いてはいないものの目元の隈と相まって非常に鬼気迫るものを感じる。
 どうやら見る限りではこの場にいるのはその二人だけのようだ。井戸の底からは松明の明かりかと思われたものは、朱鳥術によって作られたと思われる炎だった。
 そしてその炎がウンディーネの言葉に反応して揺らめいたかと思うと、炎の詠唱者であろうと思われるボルカノがウンディーネへと向き直った。

「何を言う!俺に渡せ!」

 どうやら、この二人組は一枚岩ではないようだ。まあ今自分が持っている物を争っていた二人であればそれも仕方ないか等と思いながら、カタリナは今が好機とばかりに井戸から上がってくる他の面子を手伝っていた。
 しかしボルカノに向かって暫くは罵詈雑言の応酬を行なっていたウンディーネだったが、そこは年長者らしく、はっと我に返って話を仕切り直しにかかる。

「そんなことを言ってる場合じゃないでしょう。まずは協力してこいつから盾を奪うのよ」
「わかった!!」
「・・・おいおいそこは素直かよ」

 丁度この押し問答をしているところに出て来たハリードは、ウンディーネの提案に対し存外素直に応と答えるボルカノを目にして思わず突っ込んだ。
 しかし実のところ、状況は全く以って楽観視してなどいられない。何しろ、相手は世界屈指の玄武術師と朱鳥術師なのだ。術のいろはを知り尽くした強力な魔術師は、寧ろ知能の低い巨人等など比べ物にならないくらいカタリナにとっては厄介な相手だといえる。
 更にいうと、どうやら目の前の二人は意志の統一こそなされていない様子であるものの、互いの特性と連携をかなりの域で心得ているようだった。
 ウンディーネが片腕で何かを伝える仕草をすると、ボルカノが慣れた様子で後ろに下がり詠唱態勢をとる。そしてウンディーネはそれを確認することもなく自身の魔術行使における適正距離を取ろうと動き、ボルカノが適時それに合わせていく。
 連携を心得ている熟練魔術師二人が相手とあれば、これは最早人間にとっては竜種を相手にするような困難さとさえなるだろう。
 だがカタリナはその危険性が分かっていて尚、まるで二人を悪戯に挑発するかのように武器を手に取る様子もなく二人の前へと進み出て見せた。

「奪うなんて、随分と物騒ね。この盾を何に使うつもりかは知らないけれど、街の皆は貴女達の争いに巻き込まれて迷惑しているわ。そんな争いの種になるようなものは、このカタリナが預かり受けることにしました」

 その言葉にウンディーネは両の瞳の内に憎悪の炎を宿しながらも、あくまで冷静に、ゆっくりと両手を前に突き出した。

「それは貴女の命の為にもお勧めしないわ、ロアーヌの騎士さん。これが最後の忠告よ。その盾を、こちらに渡しなさい」

 言葉とともに、ウンディーネの周囲に驚異的なまでの魔力の収束が起こる。それに合わせボルカノも魔力放出を始めると、その身の回りには高温の炎が揺らめき回り、まるでその姿は炎の魔人を彷彿とさせるようなものとなっていった。
 その姿を目にしてカタリナは、しかし全く余裕の表情で腰に手を当て、左足に重心をかけて微笑んでみせる。

「・・・渡さない、と言ったら?」

 カタリナのその言葉に、ウンディーネは先程までの怒りが嘘のように、妖艶に微笑む。だがその笑みこそが彼女の本気を表していることは、誰の目にも明らかだ。ハリードが曲刀を構えつつ後ろからあまり挑発するなと助言を施すが、それでもカタリナは相変わらずの態度を貫いた。
 その様子を瞳に映しながら、ウンディーネはその形の良い唇を開く。

「それは・・・このウンディーネの研究に於いて欲して止まなかった、念願の代物なの。その入手を邪魔しようと言うのならば・・・そう、故事に則るまでよ」
「故事、ねぇ。それならば・・・そうね、御誂え向きの前置きが必要ね?」

 カタリナが相手の言葉を汲み取ってそう言いながら微笑むと、ウンディーネもまた妖艶な笑みで応える。

「・・・ねんがんの まおうのたてをてにいれたぞ」

 そう呟いてカタリナがにやりとしてみせると、ウンディーネは口の端を釣り上げ、嗜虐性に溢れる顔を露呈しながら応えた。

「メ几
 木又してでも うばいとる・・・っ」

 

 

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