宵闇の国、月下の騎士団

 

 しんしんと雪の降り積もる雪原は踏みしめられた足跡を即座に白く上塗りしていき、重苦しく灰色に染め上げられた空からは今が日中だとは思えぬほどに、ちっとも光が漏れてこない。
 ロアーヌ北方の関所を抜けてから数日。
 本行軍演習の折り返し地点となるポドールイへと向け、ロアーヌ騎士団はその日の予定を突然の降雪によって大幅に遅らされてしまったものの、着々と行軍していた。
 今登っている峠を越えれば間も無く街が見えるはずなので其処まではこのまま突っ切ってしまおうという指揮官の判断の元に、彼らはこの悪天候の中で速度を緩める事なく前進する。通常の歩行よりも雪が体力を余計に奪うため非常に過酷な行程だが、そのような事態でも脱落する者もなければ弱音を吐く者すらも居ない。それは、彼らが一人の例外もなく強靭に鍛え上げられた屈強なる騎士であることを示していた。
 本行軍演習の現在の指揮官はパットンという男で、間も無く世代交代を迎えるロアーヌ騎士団の新世代の中の気鋭の一人だ。因みに本行軍演習に参加している騎士達はほぼ全てが新世代組で構成されており、パットンも勿論その同期である。今回は幾つかのルートを交代して幾人かが指揮をとりながら進める形をとっており、中間地点たるポドールイまでが彼のターンだというわけだ。
 ところで如何せんこのパットンという男は好戦的な性格で突撃陣形を好み、その行軍も荒々しさが垣間見える。
 それはこの降雪の中の強行軍にも十二分に現れており、これにはあとで文句をつてやろうなどと皆が一様に考えているなどという事は、この雪の中の行軍の正当性を確信して止まないパットンには想像もつかぬ事であった。
 一行はポドールイに到着後予め用意された場所にて宿を取り、翌日には領主である伯爵の元に挨拶に訪れてから現地で演習を行い、その完了を以てロアーヌへと帰還する予定だ。
 やがて一行は長く険しかった峠を登りきり、そこから眼下に仄かに明かりの灯る街を見下ろす。
 気がつけば辺りに降る雪は穏やかな表情へと移ろい、見上げれば立ち込めていた暗雲も疎らになっている。
 辺りには宵闇が訪れ、それまで無言であった騎士達の間にも俄かに安堵の表情が垣間見えた。

「・・・あーつっかれた!おいパットン!無茶苦茶だぞお前!」

 雪除けの帽子を取りさってバタバタとはたきながら早速文句を飛ばしたのは、タウラスだ。
 血気盛んな世代の中では一番の慎重派であり、突撃思考のパットンとは真逆の防御に重点を置いた陣形や戦術を好む。因みにこの両者は全く意見が合わないことから、何かにつけ突飛な提案をするパットンに最初に突っかかるのが常にこのタウラスなので、パットンは彼のことを自分と同じく好戦的な性格だと捉えている。

「何をいう。この行軍のお陰で夜中を待たずにポドールイにたどり着けたんだろうが」
「アホか。ここは元々夜中にもならないし昼間にもならないだろ」
「アホとはなんだ、アホとは!」
「おーおーアホをアホと言って何が悪いんだ!?」

 次第に子供の喧嘩の様を呈し始めるそれは最早恒例行事のようなもので、誰もそんな二人の言い争いに口を挟もうとは思わない。
 そんな二人の口喧嘩を慣れた様子で聞き流しながら、本演習に参加する紅一点であるカタリナはタウラスと同じく雪除けの帽子をとりさった。そうする事で帽子の中で窮屈そうにしていた長い銀髪を漸く外気に解放してやりつつ、彼女はもう一度ゆっくりと空を見上げる。
 そこには、タウラスの言うように昼間でもなければ夜中と言うほどまで暗すぎるわけでもない、俗に『宵闇』と言われる空がある。このポドールイと言う街の周辺は、どうした訳か一年を通して常にこの状態を維持している。ここには昼が訪れることもなければ、真夜中が訪れることもない。まるでここだけ時が止まっているかのように、ずっとこの宵闇が横たわっているのだという。
 まるで眠りを誘う揺り籠のように穏やかに身を包むその宵闇に、カタリナは不思議と安心感を覚える。それが人ならざるものと隣り合わせの感覚であることを知っているはずの彼女だったが、それでもこの宵闇は、あまりに優しい。

「・・・大体一年ぶり、か・・・」

 煌々と輝く宙空の月を見上げ、小さく呟く。するとまるでその声に歓喜するように降り注ぐ雪の結晶が一陣の風によってふわりと舞い上がり、ポドールイの街の明かりへと吸い込まれていった。

 

 

 ギギギ・・・と具合の悪そうな不快な音を立てながら開いた扉の中に積もった埃の厚みや内装の古めかしさから、この場所は長らく使われていなかった事が伺える。入り口近くの一部だけが物置として利用されている様だが、それ以外の空間の大部分は伽藍堂だ。
 ここはすぐ横に建つ宿の納屋を増改築して作られた、大所帯宿泊用の別棟だという。
 死蝕以前はこうした行軍演習も頻繁に行われており毎年お世話になっていたらしいのだが、死蝕以後は情勢や予算の関係上行われていなかったためここも使われる事がなく、長いこと放置されていたらしい。
 二人の口喧嘩もそこそこに無事街にたどり着いた一行は宿の主人に挨拶を済ませたあと、まず本日世話になるここの掃除を全員で始めた。大の大人が十数人も集まっていたので何ら滞る事なく、掃除は一時間程度ですんなりと終わらせた。あとは明日にこの地を治める伯爵への謁見を行うまでは自由時間となるので、若き騎士達は本演習の束の間の休息を求めて街へと繰り出す算段をしていた。

「カタリナ。久しぶりに一杯付き合えよ」

 行軍用の装備を解いて軽くなった肩を回しながらそう声をかけてきたのは、コリンズだった。
 彼はカタリナと年齢的にも近く、騎士団候補生時代から数えて十年来の付き合いになる。
 このコリンズという青年は疾風の如き速攻戦術を尊び、フラッグ戦の様な演習では右に出るものがない程の実力を誇っている。並びに同期の中でも飛び抜けて統率力があり、周囲にも気の利く兄貴分だ。だが、多少うっかり屋なのが玉に瑕といったところか。
 因みに彼は過去に三度ほどカタリナに思いの丈の告白をし、三度とも振られている。それでも一切めげる様子のないところがまた、彼の長所でもあるのだろう。

「あ、うん。行くけど・・・少し街を見回ってから合流してもいいかしら」
「おう。じゃあここの宿の隣んところで飲んでるぜ。おーい、いこーぜブラッドレー」

 コリンズはカタリナの返答に軽快に頷いたかと思うと、奥で荷物の整理をしていた青年に声をかけた。
 呼ばれて振り向いたブラッドレーは返事をする代わりに軽く手を上げ、寝床の準備を終えてからこちらに歩いてくる。
 コリンズと幼馴染であるというこのブラッドレーという青年は、本演習の筆頭指揮官を任されている。すべての面で優秀な成績を収める彼は昔から器用貧乏と呼ばれてきたが、それを自らの持ち味として凡ゆる戦術や陣形指揮に通じ、また同世代の若き騎士達の特性をよく把握して臨機応変な作戦立案と采配の妙を発揮してきた。それらを最大限に活かして癖の強い今の世代の騎士団をよく纏め、本行軍演習に於いてもよく率いている。

「お前がいつ潰れても大丈夫にしておいたぞ」

 後方の寝床を親指で指しながらブラッドレーがにやりと笑って言うと、コリンズも思わず口の端を吊り上げる。

「はっ、そいつは有難いな。何なら二人分用意しておいてもいいんだぜ。お前とカタリナをそこに転がしてやる」
「馬鹿言え、カタリナは別室だ」
「わーってるよ。相変わらず冗談が通じねぇなぁ」

 以前であればカタリナも同じくこの場所で皆と共に雑魚寝であっただろうし彼女自身は全くそれで問題ないと考えていたが、今回彼女だけ宿の一室を拝借する事になったのは他の面子の総意であるらしい。
 その理由をカタリナが聞こうとするまでもなくブラッドレーが面と向かって彼女に「寝ているお前は目の毒だからな」と言い放ったものだから、これには有無を言わさず従わざるを得なかった。
 二人が軽口を叩きながら出て行くのを見送ったカタリナは、自身も行軍用装備をその場に纏めて宿泊施設をあとにした。

 

 この町に舞い降りる雪と、それに余すこと無くその身を預ける純白の街並みは、とても幻想的で、只々美しい。
 町を包む宵闇を見上げれば、薄らと広がる雲の合間から顔を覗かせる、煌々と輝く大きな月。月齢は満月を過ぎ、これから下弦に向かわんとする所か。
 今年もまた、この地で舞踏会は開かれたのだろうか。そんな事を、カタリナは考える。
 このポドールイでは年に一度、領主たるレオニード伯爵がその居城にて催す絢爛なる舞踏会がある。その舞踏会にて伯爵の目に留まった女性は伯爵の甘美なる吸血行為によって夜の眷属へと生まれ変わり、永遠の命と美しさを得る。
 そう、このポドールイの地を治めるレオニード伯爵とは、世に言う吸血鬼であるのだ。
 それ故このポドールイという地は夜の王たる彼の領地として在るべく常に宵闇を纏い、その居城は現世と常世の狭間に存在しているとも言われている。
 カタリナは周囲に視線を巡らせながら、ゆっくりとした足取りで商店街を抜けていった。
 降り積もる純白と宵闇で此処は一見どこも同じ風景に見えてしまうものだから、時折立ち止まって一年前の己の記憶の在り処を手探りしては、またゆっくりと歩き出す。
 人通りの疎らな中央広場を抜け、まるで童話の中の世界のようにクラシカルな作りの宿屋通りに入る。しかし宿屋通りと言っても、今は開店休業のような状態で何処も空室だらけだ。
 この宿屋通りが最も賑わうのは年に一度、舞踏会の開かれる直前。それ以外の期間は宿を閉めてしまっているところも多い。
 静かな宿屋通りを抜けて行った先には、ぽつぽつと民家が立ち並ぶ地区がある。
 絶え間なく降り積もる雪を踏みしめながら向かった先には、一軒の家。その庭先には、老人と大きな一頭の犬、そして数頭の子犬がそれらの周りを駆け回りながら戯れていた。

「おや・・・」
「・・・お久しぶりです」

 カタリナの気配に気がついて顔を上げた老人が気がついたのに合わせ、彼女は軽くお辞儀をした。
 飼い主の動きに合わせて来訪者に気がついた子犬が、直ぐ様好奇心をむき出しにして彼女の足元に駆け寄る。

「子犬が、生まれたんですね」
「あぁ」

 すり寄ってくる子犬たちをしゃがみ込んで撫でながら、ふと昨年の事を思い出す。
 昨年の舞踏会にこのポドールイを訪れた彼女は、この老人に宿を提供してもらったのだ。
 その時は子犬はおらず、確か大型犬が二頭だったと記憶している。
 その時にいたはずのもう一頭が見当たらないので老人に聞いてみると、彼は表情を変えずに言った。

「死んだよ」
「・・・そうでしたか」

 老人の当然の事のような物言いに多少面食らいながらも、カタリナは首を垂れる。
 宵闇の国の住民は、死に関する観念もまた自分たちとは別なのだろうか。ふと、そんな事を考えながらじゃれ付く子犬を撫でた。
 そのまま一言二言だけ交わし、カタリナはその場を立ち去った。名残惜しそうに彼女を見つめながら尻尾を振る子犬を背にして宿屋通りまで戻ったカタリナは、中央広場を今度は入口方面に折れていく。
 居並ぶ服飾店も今はすっかり閑古鳥が鳴いているようで、窓から店内を覗いても店員も見当たらない。降り注ぐ雪以外には何の動きもないその光景を見ていると、まるでここも時間が止まってしまったかのように感じる。
 そんなことを思いながら歩いて行った先には、やはり一年前と何も変わらぬ様子でひっそりと宝飾類を飾り並べた店の軒先が見えて来た。

「いらっしゃいませ。あら・・・貴女は確か、目利きのお嬢さんね」
「・・・覚えて下さっていたのですか。どうも、お久しぶりです」

 以前と全く変わらぬ様子の店主である老淑女に、カタリナは会釈を返す。
 こちらもまた、一年前に立ち寄った場所であった。
 ここの宝飾類は品揃えが見事であったことを覚えていたので、また立ち寄りたいと彼女は考えていたのだ。ロアーヌで待つモニカへの手土産には、此処以上の場所が思いつかない。

「ふふ、中央通りを抜けてこんな町の外れまで足を延ばすお客様はそんなに多くないですもの。その上貴女ほどの選別眼をもった人なら、当然覚えているわ」
「・・・光栄です」

 以前とは違ったデザインも散見される宝飾台をゆっくりと眺めながら、一年前に購入したものは送り主にも非常に好評であったことを店主に伝える。すると店主は上品に笑みを浮かべ、今年入荷したという新作を踏まえて幾つかの商品を並べながらそれぞれの特徴を語っていった。
 どれも素晴らしい細工のものばかりであったが、矢張り原石の持ち味を良く表しているシンプルなものに目がいく。

「では・・・これとこれ、あと、こちらも頂けますか?」
「まぁ・・・相変わらず良い目でいらっしゃるわね。今回は、男性へのプレゼントかしら?」

 今回彼女が選んだのは三つの装飾品だ。確かに三つ目は男性が身につけても可笑しくないシンプルなものだが、流石にこの店主は聡い。
 カタリナは何となく気恥ずかしさを感じて笑みを浮かべながら会釈で誤魔化し、以前と同じく相場に比べて安価な代金を支払い店を後にした。
 携帯していた鞄に購入品を仕舞い、ゆっくりとした足取りで町の中央通りへと歩いて行く。
 道中ふと空を見上げれば、街を包む宵闇が視界に揺らめいた。
 ふんわりと舞い降りてくる小さな雪の結晶を見つめ、自らの目前に降り注ぐそれを手のひらで受け止めようとする。

 その時、世界が唐突に揺れた。

(・・・何!?)

 驚きの表情を浮かべながら、慌てて姿勢を保とうとする。体勢が安定し辛い雪道で姿勢を低くしながら体の均衡を保つようにしている間、時間にすれば数秒程だろうか。視界が細かく縦横に揺れた。

(地震か・・・珍しいな・・・)

 揺れが漸く治まってきた頃合いを確認し、カタリナはゆっくりと姿勢を戻した。
 周囲を見渡すと、積雪地域に良くあるとんがり屋根に積もっていた雪が道端に落ちており、近くの店の軒先に吊るされた看板はまだ揺れている。
 街の様子を観察しつつ余震があるかも知れないと多少警戒をしながら中央通りまで歩いたカタリナは、そこで何やら前方が騒がしいことに気がつき、視線を送る。
 それは、彼女らが世話になる予定だった宿舎の方向だった。

 

「・・・さーて、どうするかー」

 抱えていた荷物を勢いよく地面に下ろして一息つき、コリンズは後方に向き直った。
 そこには、先の地震によって倒壊を起こした宿舎の木片が折り重なっていた。これらは倒壊直後にロアーヌ騎士団によって周辺家屋や通行の邪魔にならぬように集められたものだった。
 地震が治まってからここまでの作業は小一時間ほど。自分たちの荷物と隣接する宿が置いていた荷物も可能な限りは引き出したところで、宿の人間が用意してくれたホットワインで体を温めながら騎士達は一箇所に集まった。

「改めて、今日の寝床はどうしたものか」

 ブラッドレーがそう言うと、騎士団の面々は方々で唸った。
 残念ながら皆が生粋のロアーヌ民であり、この辺りの土地勘も知り合いもないので、そのあたりは頼れない。
 中央広場からは「宿屋通り」と言われる一画が存在しているが、この時期は運営しておらず、所有者はその大半が出稼ぎに出ているのか利用交渉も抑もできない。

「流石に、ここで野営は厳しいな。凍えてしまう。かと言って、この人数で泊まれる場所なんてなぁ・・・」

 タウラスがホットワインを口に含んで、そう言った。それは変わりようのない事実で、皆が一様に項垂れる。

「カマクラでも作るか!あったかいらしいぞ」
「・・・お前のその楽観も、今は指摘する気にならんなぁ」
「なんだと!?」

 パットンの思いつきにタウラスが疲れた表情で反応すると、それにパットンが突っかかる。しかし寒さ故かそれも長続きはせず、直ぐまた方策を求めて唸り始めた。
 そこで皆と同じくホットワインを飲みながら荷物の上に座って唸っていたカタリナは、唐突に、その場の空気が変わったことを感じ取った。
 自分たちを包み込む宵闇が、その『濃度』を増したように感じられたのだ。
 そしてそれと同時、その場に珍客が現れたことを察知して思わず身震いをしながら立ち上がった。

「・・・おや、これはこれはカタリナ様。お久しゅう御座います」

 カタリナが振り返った先には、態とらしく(まるで、さも人間であるかのように)寒気除けの暖かそうなコートを羽織った老年の紳士が立っていた。
 カタリナは全身に感じる強烈な違和感をものの数秒でなんとか押さえ込み、平然とした風に直立して老紳士に向かい合った。

「・・・ご無沙汰しております。して、レオニード城の執事である貴方が、何故此方へ?」

 カタリナとその老紳士を交互に見ている他のロアーヌ騎士の皆の前で、会話が続く。

「先に、地震がありましたので。伯爵様が城下町の様子を気にかけておられましたものですから」
「・・・そうですか。隅々まで確認したわけではありませんが、目に見えた被害はここだけの模様です」

 道の端に積み上げられた瓦礫に一瞬だけ視線を向けながら地震後ここまでの状況を軽く説明するカタリナに、老執事は薄く頷いた。

「左様でしたか。それは我らポドールイの民を手助けして頂き、誠に有難う御座います」

 そう言って深々とお辞儀をする老執事に会釈を返したカタリナに、すくりと上半身を起き上がらせた老執事は優雅に腕を伸ばした後に、考え込むようにそっと自らの顎に指を当てた。そのあまりに自然で不自然な光景にカタリナが以前と変わらず違和感を感じていると、老執事はカタリナを、そしてその他のロアーヌ騎士達を見つめて言った。

「して、その話からすると・・・我らを助けてくださった英雄が今宵安らかに休める場所を確保できていないものとお見受け致します。それでしたら、如何でしょう。我らが城へいらしては。伯爵様も歓迎されることでしょう」

 老執事のその申し出に、思わずカタリナはぎょっとする。あの城に、泊まるというのか。そんな事をして自分たちは、果たして正気のまま戻ってくることができるのだろうか。
 背後で他の皆がこの老執事の申し出を有難がっているのを余所にカタリナだけが一人戦慄気味にそのような事を考えていると、まるで老執事はそんな彼女の思考を理解しているかのように自然な笑みを浮かべて見せた。

「ご心配なく。無事に舞踏会を終え、我が城と我が同胞は安らいでおります。あの城が少々騒がしくなるのは、年に一度、舞踏会の時のみ。今は、心身ともに安らかにお休み頂けましょう」

 そう言って不気味な微笑みを絶やさぬ老執事に、カタリナは数度の瞬きの後、折れるように小さく頷いた。

「・・・申し出、有り難く思います。是非、お言葉に甘えさせて頂いて宜しいでしょうか」
「ええ。それでは早速、御案内いたしましょう。ロアーヌと此処では気温が違いますからな、冷えすぎても体に毒でしょうからな」

 カタリナの言葉に満足そうに頷いた老執事か踵を返しゆっくりと歩き出すと、ロアーヌ騎士団の面々は荷物を持ち上げてその後に続いた。

 

 

「編成はどうする?」
「予定通り五人編成を三部隊でいこう。内訳は・・・」

 城の一室を借りてブラッドレーを中心に円陣を組みながら軍議が開かれる中、胸の下で腕を組みつつ直立姿勢でそれに耳を傾ける振りをしながらカタリナはなぜこのような事になってしまったのか、とばかり己に問うていた。
 事の始まりは、地震。そう、地震であった。
 その地震のおかげで元々の宿泊予定だった城下町の宿舎が崩れ、執事の厚意もあり恐れ多くもレオニード城に宿を求める事になったのだ。
 そして本遠征の折り返し地点であるこのポドールイでは、元来戦闘演習用の洞窟があり、そこで少人数編成部隊運用の演習をしてからロアーヌへと帰還する予定であった。その内容としては古来伝統的な五人編成を一括りとした部隊編成でその洞窟を攻略し、最深部まで行って戻ってくる、というものだ。
 この洞窟周辺も無論、領地管理は伯爵たるレオニードが行なっている。なので伝統的に遠征軍はレオニードに謁見してからその洞窟へと向かうのだ。
 しかし、ここで第二の誤算が発生した。
 先の地震により、この演習用洞窟までもが内部崩落を起こしたというのだ。その事実は、一夜の宿の御礼とともに演習実施の報告を行いにブラッドレーがレオニードに謁見した際に発覚した。
 レオニードはその席で崩落の事実をブラッドレーに伝え、そして彼が押し黙り今後の動きについて考えているところにある一つの提案をしたのであった。

「しかし、この城の地下ってのはそんな物々しい場所なのか?」

 コリンズは、そういいながらカタリナへと視線を向けた。それに倣ってその場の全員から視線を受けたカタリナは、言葉に詰まる。
 レオニードが提案してきた内容というのは、なんとこのレオニード城の地下空間を演習に利用してはどうか、というものだった。
 曰く『しばらく使っていない間に、どうも地狼か何かが住み着いている気配があってね。城のものではなかなか手が出せず困っていたところでもある。どうだろう、謝礼も出すのでここはひとつ、演習代わりに地狼討伐を引き受けてはくれないかな?』だそうだ。

「え、まぁ・・・ちょっと、物騒・・・かしら」

 実際のところはちょっとどころではないのだが、確かに一年前に彼女が訪れた時よりは、城内に漂っていた甘く優しく強制的に包み込んでくるような感覚は薄い。これならば以前のような危険は少ないかもしれない。
 それにレオニードは、少なくとも今の時点の彼女の私見では無益な殺生を好むタイプではない。ロアーヌとの関係値もあるわけであるし、そう滅多な提案はして来ないだろう。そう踏んだカタリナは、でも大丈夫よ、と周囲に微笑んで見せた。
 それをみて頷き返したブラッドレーが話を続ける。

「伯爵様からお預かりした見取り図によれば、地下部分も大きく分けて三つに分かれているようだ。地下水脈、焉道、地下墓地・・・だな。伯爵様は地下水脈あたりの地狼を駆除してくれればいいと仰っていたが、一晩の寝床の恩もある。三部隊でそれぞれ範囲を分けて、行けるところまで駆除を行いながら進んでいこうと思う」
「それならうちの部隊は当然地下墓地だな。最終地っぽいし」

 パットンがそう言うと、珍しくタウラスも即座に同意した。

「そうだな。ブラッドレーにコリンズ、それにお前と俺とあとはカタリナとなれば、この部隊が群を抜いて練度が高い。担当については異論はないな」
「だろ? ならあとは陣形どうする?」
「あー・・・俺、一度あれやってみたいんだよな。インペリアルクロス」
「うわでた。ほんとアバ伝好きだなーお前。しかしまぁあの陣形は今でこそ軍事採用されてないが、確かにバランス良さそうだな!」
「だと思うんだ。俺のパリイはあの陣形でこそ真価を発揮すると思うんだよ!」

 こうなると存外仲が良いタウラスとパットンは、なにやら共通の話題で盛り上がっているようだ。
 カタリナはそんな二人や他部隊への指示に動いているブラッドレーらを横目に、改めて地図に目を落とした。

(・・・礼拝堂からの入り口ではなくなっているわね。まぁあそこ通ったら拷問器具がある地下牢だから、流石に見せたくはない、か。しかし本当に大丈夫なのかしら・・・今更だけど心配になってきたわ・・・)

 カタリナのそんな心配をよそに演習会議は滞りなく進み、間も無く演習開始の運びとなった。

 

 先ほどから絶え間なく鼻をつく異臭は、一体何のものなのか。それは至る所に散見される腐った水と、血と、屍肉と。はたまた、それに群がる齧歯類の糞尿のものか。何れにせよ、それは魑魅魍魎の如き姿の妖魔を相手に此処まで進軍して来た若きロアーヌの精鋭たちをより一層に疲弊させるには十分なものだ。
 一言で言えば、情勢は最悪であった。
 先行部隊及び追従部隊は初期の地下水脈すら攻略できずに、おめおめと逃げ帰ってきた。
 しかしカタリナ達にも、それを責めることは出来なかった。なにしろ、そこにいたのは件の地狼だけではなかったのだ。闇に紛れて強襲をかけて来る巨大な蝙蝠や遥か昔の地層からアビスの瘴気に中てられて動き出した骸骨、同じく瘴気に狂った水霊等、訓練生上がりの若手が相手をするには荷が勝ちすぎていた。
 そこで急遽ブラッドレーは自部隊を先頭に配置。後続二部隊を行軍補助、補給地点確保に回し、全部隊一丸となっての攻略に作戦の変更をした。
 現状はこの作戦変更が功を奏し、結果ロアーヌ騎士団は地下墓地までの進軍を成功させるに至った。
 腐った土を盛ってそこに松明を突き刺し、その場の全員がやっとの思いで腰を下ろす。彼らの先に口を開けている空間は、今いる場所よりも更に深く暗い闇を抱いている。瘴気も一段と濃さを増しており、この先はこれまでの比ではない攻略難度を誇るであろうことが容易に伺えた。

「各自装備の点検を終えたら行くぞ。長期滞在は瘴気にやられそうだ。また、現存する前衛の傷薬が消費された時点で本演習を終了とする。備なしに進むには、ここは危険すぎる」

 ブラッドレーの指示に全員が浅く頷き、手早く損傷の確認を行う。
 演習用に用意した傷薬はその大多数が既に消費されており、城主レオニードから餞別に頂戴した高級傷薬も前線部隊各員に既に配布済みとなっていた。あとは補給線確保部隊が多少残すのみとなっている。
 因みに、特に敵の第一撃を受け止めるタウラスはその消費速度が最も高く、彼だけ少々消毒液臭い。
 短い休息を終えて迅速に準備を整えた部隊一行は、地下墓地へと足を踏み入れる。

「・・・やべぇな、これ」

 深淵の如き空間へと立ち入り数歩進んだコリンズが、堪らずそう呟く。
 その言葉に全力で同意する様に、他の四人も唾を飲み込んだ。
 重く、只管に重く黒く濁った瘴気。それが暗い通路内に満ち満ちている。
 全員がその瘴気をかき分ける様にして一歩ずつ進むが、今まで感じたことのない様などす黒い瘴気に、全身が『これ以上進んではならない』と危険信号を発しているのがわかる。

(幼い頃に見た死蝕とは違うけれど・・・これはもっと暗い・・・絶望。そう、誰かの絶望が形取られた様な・・・そんな瘴気)

 隊列の中央に位置しながら歩みを進めていたカタリナは、この深淵をそのように感じ取っていた。
 地下墓地とは、名の通りならば誰かの墓地であろうか。その誰かの死に絶望した者の意識が、この空間に満ちているのかもしれない。それは、ひょっとしたらこのポドールイの伯爵家に連なる何者かであろうか。
 しかし、伯爵家は遥か昔からレオニードその人が当主として座している。そうなれば、一体ここにある絶望とは、誰の、何のものなのであろうか。
 周囲の警戒は怠らずにそのようなことを考えながら、それでも果敢に隊は進んで行く。
 そして永遠にも思える暗い道のその先に、唐突に明かりのないどす黒くて広い空間が現れた。
 間違いない。この空間に、地下墓地の主がいる。そう五人は感じ取った。
 そういえば、ここまでの出鱈目な瘴気の渦の最中、何故か唯の一度も妖魔と遭遇することはなかった。それはきっと、ここの空間の主が静寂を好むからなのだろう。そうでもなければ、こんな馬鹿げた濃度の瘴気の中で何も起きないことの理由が全く以て説明できないのだ。
 だが、ここまで無作法にも戦装束で侵攻して来た余所者に、主がいつまでも座して待っているはずも無い。

「・・・くるわよ!」

 漆黒の闇の中に浮かび上がったのは、身の丈が人の倍はありそうな、骨のみに朽ちたガーゴイルの体。其れが、凸陣を成して三体。そして、その上には朽ちかけた宵闇の外套を纏った髑髏姿の異形の化け物が此方を見下ろしていた。
 そのあまりに異様な姿に騎士達が度肝を抜かれていたその刹那、異形の化け物はその巨体から全く想像できないほど素早く突進を繰り出して来た。

「うがっ!!?」

 分厚い金属を打ち砕くような凄まじい衝突音と共に、最前列にいたタウラスが全身鎧を纏ったまま構えた盾ごと軽々と後方へ吹き飛ばされる。
 それにカタリナが気づいたのはタウラスが自分の横を吹き飛んで行く様を横目に見ての事だったが、しかし負傷したであろう彼の元へと駆け寄る余裕など全く無かった。
 既に異形の化け物は、第二波を繰り出そうと彼女に狙いを定めていたからだ。

(・・・回避・・・出来ない・・・!)

 タウラスに比べカタリナは軽装であるが、今まさに繰り出されんとする異形の一撃はこの暗闇の中でも余りに素早く正確で、彼女の素早さを以てしても回避できる未来が全く想像できなかった。

「・・・ッ、マスカレイド!!」

 突撃してくる巨大なる異形に対し、カタリナは軽く後方に飛ぶように地を蹴り、手にしたマスカレイドを振り抜いた。
 直後、先ほどのタウラスと同じようにカタリナが後方に吹き飛ぶ。だが顕現した紅い刀身が重い一撃を受け止め、そして予め後方に飛んだ事で衝撃そのものはほぼ受け流すことに辛くも成功していた。
 空中でなんとか姿勢を持ち直し飛ばされた先の壁に両足をついたカタリナは、間髪を入れず横に飛ぶ。
 そこに一瞬遅れて異形の巨大な拳が大きな破砕音と共に打ち込まれ、壁面が砕け飛ぶ。

「うおおおおお!!」

 その隙を突き、コリンズ、パットン、ブラッドレーが陣を成す三体のガーゴイルの足に其々斬りかかる。
 そして狙い通り三体のガーゴイルの足を切り飛ばすと、そのまま崩れるように凸陣は解かれた。
 するとガーゴイルの上に乗っていた髑髏の異形が崩れるガーゴイルを足蹴にしながら後方に跳び退り、その何も映し出さない空虚なる眼底をガーゴイルを斬りつけた騎士達へと向けた。
 そして次の瞬間、髑髏が突き出した左の手から、何かが噴き出し始める。
 それが何なのかを騎士らが確認する前に、突如として強烈な目眩に彼らは襲われた。

「・・・ツ、これを吸い込むな!」

 ブラッドレーがその場の全員に知らせるように叫ぶ。だがそうして口を開いた拍子に彼が最も吸い込み、猛烈に咳き込んで間も無くその場に倒れこんでしまう。
 慌てて口元を押さえながらコリンズとパットンが倒れている二人を庇うように布陣するが、しかし片腕で口元を押さえていても呼吸をしている以上は徐々に吸い込んで行くのか、二人もそう間を置かずに膝から崩れ落ちてしまった。

(・・・くっ・・・私も少し吸い込んだか・・・。まずい・・・この状況、どうすれば・・・)

 彼らとは離れた場所に着地していたカタリナは、髑髏の繰り出した謎の攻撃を直接は浴びずに済んでいた。だが、軽い目眩を覚えたことから、多少の損害はあるようだった。そしてその損害の有無に関わらず、状況はあまりに絶望的だ。既に仲間の騎士は四人が倒れ、次には自分に向かって今の攻撃が放たれるのも時間の問題。なんとかしてあの攻撃を回避する方法はないものか。刹那の間に考えを巡らせる。
 だが今の彼女が持ちうる手札に、そんな方法は何も思い浮かばなかった。そもそも倒れた騎士達が何をされたのかすら、不明なのだ。

(・・・恐らくは毒、のようなもの。吸い込むな、とブラッドレーが叫んでいた・・・。気体か、粉末に近いようなものか。いずれにせよ、私にはそれを防護する装備はない・・・。しかも時間が経てば経つほど毒が回っていく感覚がある・・・だとしたら、先手必勝しか・・・!)

 大剣マスカレイドの柄を両手で握りしめ、軽い目眩を振り払うようにして軽く頭を振り、いざ突撃せんとしてカタリナは身を低く構えた。
 だが、彼女が飛び出すより一瞬早く、彼女と髑髏の間に宵闇の外套を纏った人物が颯爽と舞い降りた。

「助太刀しよう」
「・・・は、伯爵様!?」

 緋色の髪を靡かせながら突如として現れたのは、なんと城主レオニードだった。
 カタリナが驚きの声をあげると、レオニードは彼女に対して下がるよう指示を出し剣帯からレイピアを抜き放つ。

「あれは、死人ゴケだ。生身の人間が肺に吸い込むか肌に大量に付着すると、そこから全身が毒され次第に正気を失い、やがて死に至る」

 洒落にもならないその言葉に、しかし冗談のような雰囲気は微塵もない。カタリナは突撃体勢を解き、言われるままに後ろに下がった。
 それとは対照的に一歩前へと進んだレオニードは、突き出したレイピアで威嚇するようにしながら髑髏に対峙する。
 髑髏は何故かそれ以上死人ゴケとやらを吐き出すことはなく、レオニードも髑髏を睨むばかりで動かない。そうした膠着状態が、しばしの間続いた。

(何かの力の応酬が、彼らの間にあるみたい・・・。悍ましいほどの瘴気が彼らの間で、なにか目的をなして蠢いているような、そんな感覚・・・)

 カタリナはマスカレイドの大剣化を解き、堪らず地に膝をつきながらそのように感じた。このとてつもない量の瘴気に当てられたのか、または先の死人ゴケというもののせいなのか、体がうまく言うことを訊かなくなってきている。両者は未だ動かないが、この状態が長く続けば自分は元より、先に倒れた四人がより危険に思われた。
 そして彼女がそのような事に思いを巡らせた刹那、場の膠着を破ったのは、対峙する両者ではなかった。

『グォォォオオオオオオッ!!!』

 コリンズらに足を切り飛ばされたはずのガーゴイルの骸骨三体がここにきて足の再生を果たし、側面からレオニードに襲いかかってきたのだ。
 だが、それに対してレオニードは姿勢を崩さず一歩も動くこともなく、そのガーゴイルを一瞥しただけだった。
 それで、ガーゴイルは止まった。
 それは、後ろでその光景を見ているカタリナですら思わず背筋が凍るほどの、圧倒的な支配。王たる彼の一瞥だけでガーゴイル達はその力を理解し、畏れ、戦意を喪失してしまった。
 彼の視線が動いた事で揺らいだ瘴気に触れただけで、カタリナは途轍もない悪寒を感じた。それが真正面から繰り出されたのだとしたら、果たして正気を保つことなど出来るものなのだろうか。
 ガーゴイルが止まったことに大した興味も抱かず視線を異形の髑髏に戻したレオニードは、次には何故かレイピアを下ろしながら口を開いた。

「・・・やはり、私の不死者に対する支配も貴方には通じぬか。ここは長引くのが本意ではない。この場は退かせよう。それでよいかな?」

 レオニードがまるで異形の髑髏に話しかけるようにそう言うと、髑髏はしばし動かずにいたものの、次の瞬間には闇の中にするりと姿を消していった。それと同時に、ガーゴイルたちも一瞬にして崩れ、塵となった。
 その様子を見届けたレオニードは抜き身のレイピアを鞘に仕舞い、渦巻く瘴気の中で場違いなほど優雅にカタリナへと振り返る。

「よく此処まで来たものだ。君も彼らも、やはり人間においては非常に優秀なのだな」

 レオニードはまるで世間話でもしているかのように、そう言った。だが、カタリナが確認できたのはそこまでだった。彼女の意識は既に毒に侵され、朦朧としていたのだ。
 そしてこちらに近づいて来るレオニードの姿をぼんやりと映し出したのが、彼女がみたそこでの最後の光景だった。限界を迎えた彼女の体は全身が一斉に崩れ落ち、それと共に世界は暗転していった。

 

 

 身体が、燃えている。
 いや、燃えているのは自分ではなかった。自分ではない誰かが燃えているのを、自分は見ているのだ。
 燃える何者かの周囲には人があつまり、その燃える身体をずっと見続けていた。自分は、さらに離れた場所からそれを見ている。
 それは、とても悲しい光景であった。何故あれは燃えているのか。何故周りの人間はそれを見ているだけなのか。何故自分もまた、それを見ているだけなのか。
 悲しい。この世の全てが、ただただひたすらに悲しい。
 憎い。この世の全てが、ただただひたすらに憎い。
 だが、もういい。何もなかった事にしょう。全部、喰らうとしよう。

 そこで、ぷっつりと光は途切れた。

「目が覚めたようだね・・・何を、泣いているのだ?」

 うっすらと目を開ければ、目に映ったのは、天蓋。左に顔を向ければ、窓のない部屋に閉鎖感を感じさせぬように絵画や置物があり、次に右へと向けば、そこには小さなテーブルの上にワイングラスが乗っており、そのすぐ横には、緋色の艶やかな長髪を靡かせたレオニードが随分と寛いだ様子で椅子に腰掛け、こちらを見下ろしていた。
 そして、ひんやりと目尻を伝う感覚に、そこで初めて自分が涙を流していることにも気がついた。

「・・・ここは」
「君は以前にも来たことがあるはずだ。城の地下にある、私の私室だよ」

 もう一度、部屋を見渡す。言われてみれば、確かに見覚えがある調度品の数々だった。一年前には横目に眺めた天蓋付きベッドの寝心地はこういうものだったのか等と場違いに思い耽り、そしてレオニードへと向き直った。

「・・・他の騎士達は、どうなりましたでしょうか」
「案ずるな。全員無事だ。今は我が城の者達が治癒をしているよ。しかし生きた人間の世話をするのが久しいようだから、四苦八苦しているようだがね」

 真顔でレオニードがそう応える。これはポドーリアンジョークの類だろうか。しかしジョークにしては随分とタチが悪いなと感じたが、そこは追求せずに素直に礼を述べ、ゆっくりと上半身を起こそうとした。そこで初めて自分が一糸まとわぬ姿であることに気がつき、努めて冷静を装いつつ胸元を隠すように寝具で覆いながら起き上がった。

「・・・あの、伯爵様、恐れ入ります」
「ふむ、なんだね」

 体に特に異変がないことを心中で確認しつつ、レオニードに話しかける。彼は優雅にワインを傾けながら、気安く返事を返してくれた。あまりにこの状況を当たり前のように振舞っているが、駄目だ。この空気に、易々と流されてはいけない。

「何故、私はここにいるのでしょうか・・・?」

 他の騎士達と共に寝かされているのならばいざ知らず、なぜ彼女だけが一人、城主レオニードの私室で寝ているのか。しかも、全裸である。それは当然に感じるべき、大いなる違和感であった。
 特に体に違和感を感じてはいないが、よもや自分は既に吸血鬼にさせられてしまったのか。そんな不安も過るが、さもそれを見透かすようにレオニードは薄っすらと笑みを浮かべながら膝の上で手を組んでみせた。

「城の者が君をここまで運び、治癒を施した。君がどうやら、この城の深淵に縁があると感じたようだ。因みに、私は意識の無い者に手をかける様な無粋者ではないから、安心してよい」
「・・・そうでしたか、重ね重ね、有難う御座います」

 どうにも自分がここにいる理由になっているのか彼女にはいまいち分かりかねる返答であったが、聞き直しても同じ様な答えしか返ってこなさそうでもあったので、彼女はそのまま飲み込むことにした。取り敢えず吸血鬼にはなっていないらしいので、それで良しとすることにしたのだ。
 そして、次にはレオニードが差し出して来たハンカチをみて、そういえば自分は涙を流していたのだということを思い出した。浅くお辞儀をしながらそれを受け取り、目尻を拭う。もう既に涙は止まり彼女の感情を揺さぶるものはなかったが、彼女は起き上がる寸前まで見ていた夢のことを、目の前の人物に話そうと思った。

「夢を、見ました。誰かが・・・燃えている夢でした。私は、それを見ているだけでした」

 妙に、生々しい夢だった。鮮明に燃え揺れる炎の揺らめきを覚えている。その熱さを、肌が感じたことも。そして燃える何者かの周りにいた人々の、狂気が入り混じった声を。そして、その光景がどれほど悲しいもので、どれほど憎いものだったか。己の内に渦巻いた絶望が、如何に大きなものだったのか。
 レオニードは、カタリナのその話を静かに聞いているだけだった。そしてカタリナが夢に見た光景を話し終えると、テーブルに用意してあった真水をカタリナに勧め、自分はワインを一口、口に含む。

「・・・恐らくは地下で出会った『あれ』の瘴気に当てられて、そんな幻覚を見たのだろう」
「幻覚・・・ですか」
「そう、幻覚だよ。恐らくそれは、『あれ』の記憶だ」

 ひとりでにワインのデカンタが浮かび上がり、レオニードの手元のグラスに中身を注いでいく。そんな非現実的な光景を、ここならば当然こんなこともあるだろうと特に気にもとめずに横目に見ながら、カタリナはレオニードの言葉の続きを待った。

「『あれ』は、私の父だよ」

 そう短く言い切ったレオニードの言葉に、カタリナは何故だか妙に得心した。あのような異形の存在を親だと告げられたら普通ならば飛び上がるほど驚き、そして恐れ慄くといういものだろう。しかし彼女には、全くそのような気は起きなかった。それは、夢の中で感じた、あれの心象に触れたからだろうか。
 その様子に何処か満足気にも見える表情で頷いてみせたレオニードは、ワイングラスを片手に言葉を続ける。

 彼の父親は、彼と同じく夜の眷属であった。
 彼らの眷属は平時の姿形が人に近く、しかし人では非る者。彼ら夜の眷属は人の歴史の裏側に潜む様にして、常に人と共に存在し続けていた。
 彼らは不老不死の肉体を持ち、数年に一度、時折思い出した様に腹を空かせて人を喰らう。そして喰らえばまた闇に潜み、夜に世界を揺蕩う。そうして、永劫の時間を蠢き続ける者達。それが夜の眷属だった。
 彼らは基本的に繁殖をすることがない。己が朽ちる前に子孫を残し種を生き繋ぐという行動原理が、不老不死たる彼らには存在していないからだ。
 故に彼らには新たな個体が産まれることはなく、その数は常に一定。その眷属は、世に数体しか存在しない者だった。
 ある時、一つの個体が人里に降り立った。『食事』をする為だった。彼らは食事の際、人間社会で云うところの『旅人』を装い、人間の集まりの中に潜み、そして選定した獲物を闇に乗じて狩る。
 だが彼−この個体の姿形はまるっきり人間の青年だったので、彼、とする−が潜んだ村は、流行病の疫病に侵され、村全体が殆ど死に体となっていた。
 彼は、空腹だった。だが、このような状況では食事どころではない。疫病に冒された人間達はどれもがとても不味そうで、これでは食えたものではないと感じた。かといって今から雪深いその村を去り別の人間の集まる場所へと向かうのも、とても骨の折れる話だった。
 そこで、彼はふと考えた。
 彼らは悠久の時を生きるが故に、蓄える知識量も経験も、人間の比ではない。つまり彼は、今目の前の人間達が訳も分からず苦しんでいる疫病の治癒に関しての知識も、持ち合わせていた。
 だから彼は、他所に移動する面倒よりもこの病に倒れた人間を治し、そして食そうと、そう考えたのだ。
 熱帯や亜熱帯の地方と違って寒冷地には、通常の疫病は殆ど流行らない。菌類が媒介となる生物を通じて感染し辛いからだ。そもそも疫病を細菌が齎す物だということも人間は知らないようだが、彼は知っていた。だからこうして寒冷地で流行する病気は殆ど種類がなく、一つの解決方法さえ知っていれば何の事は無い代物だった。
 彼はそれこそ瞬く間に村の人間らを全て治してしまった。
 村の人間は、彼を神の御使いと讃えた。人々は彼を囲い、祝い、祭り上げた。
 彼は特段それに気をよくしたわけでもなかったが、しかしこの状況は非常に便利なのではないか、とは感じた。
 この状況を利用できるものかと思い彼は試しに、人間の中から一人を選び差し出すように、要求をしてみた。人間は、若い女の肉が最も柔らかく食べやすい。だから、若い女の贄を要求した。
 するとどうだ。その集団のなかの年頃の娘達は、我先にと名乗り出て来たのであった。これは彼にとって、とても興味深いことだった。これならば自分がここに居続ける限り、食事が非常に楽になるのではないか。そう考えた。
 そして彼は、その地に城を築くことにした。そして城に招かれた若き娘は、外に出ることは叶わないが、永遠の幸福を約束される。そのように村人に伝えた。
 彼がそうした動きをし始めると、彼の眷属も興味を持ち、その地に集まった。城が築かれ、そこには夜の眷属が住まい、毎年若い娘を一人差し出すことによってその地の繁栄を約束するようになった。
 村は城下町となり、そこはやがて、ポドールイという国となった。
 城に召し上げられる娘達は、毎年喜んでその身を捧げた。永遠という地獄をよくもまぁ求めるものだ、と、城の主人となった彼は思ったものだった。
 そしてある年、一人の娘が城に召し上げられた。
 その娘は、今までの娘と違い、彼に対して怯えた。私は永遠など欲しくは無いのです。そう、彼に告げたのだった。彼は今までと違う反応を示したその娘に小さな関心を抱き、直ぐには喰らわず娘を観察することにした。
 永遠を拒否した娘は、甲斐甲斐しく彼の身の回りの世話をした。人間以外を食したことのない彼が少女の作る料理を初めて口にした時など、今まで食べたどの人間よりも豊かな味だと感じた。だが、それで飢えは凌げなかった。そして、用意されたワインを飲んだ。まるで血の色のようなその飲み物は、しかし血などとはまったく違う果実味溢れる味わいで、彼は血が無いときに血の代わりに飲むのならばこれしかないと確信したほどだ。だが、これでも飢えは凌げなかった。
 娘は、永遠を恐れつつも、一方で彼を慕った。彼は自分を慕う娘を食すことを、いつの間にか考えなくなった。
 そして彼は娘と、子を成した。夜の眷属と人間の混血が誕生したのだ。玉のような赤子を産んだ娘はとても喜び、彼もそんな娘と赤子を見て己の行為と思想の変化を興味深く思った。
 だが彼は、食事をしなくなってから己の中の何かが時折酷く疼くようになっているのを感じていた。
 日に日に窶れ時折正気を失ったように暴れるようになった彼に対し、娘は自分を喰らって欲しいと申し出た。しかし彼は、それを拒否した。だが、頭で拒否ししようとも黒い衝動が、娘の華奢な体をいつ引き裂いてしまうか、彼には分からなかった。
 だから、彼は娘を城の外に逃がす事にした。そして同じ眷属のものに対し、自分が正気を失ったら滅してほしいと願い出た。彼の眷属は彼が何故そのような決断に至ったのか理解できなかったが、承諾した。
 そのまま彼は滅ぶつもりだったのだ。それで自分は娘を、人を喰らわずに済む。そう考えた。
 だが、彼よりも先に娘は死んだ。
 永遠なる幸を約束された城から歴史上ただ一人舞い戻った娘を、民は平穏を乱す凶兆と捉えたのだ。
 魔女として捕らえられた娘は、火刑に処された。
 娘が燃える最中に騒ぎを聞きつけ城下町へと駆けつけた彼は、そこで生まれて初めて涙というものを流した。涙とともに叫び、怒り狂い、異形へと変貌した。そしてその場の人間を片っ端から喰い千切る中、彼の言葉を聞き届けた他の眷属により、願い通りに滅ぼされた。
 だが彼の断末魔の怨念は彼の朽ちた肉体を真なる不死者へと変貌させ、その地にその魂を留まらせた。彼の眷属は、そうして不死者となった彼を、城の地下深くに封印した。彼らを以てしても、もはや彼を滅することは叶わなかったのだ。

 

「ふふ、退屈な話をしてしまったかな?」
「・・・いえ、お聞きできてよかったです。私の中に流れ込んできた感情の一端の正体が、分かりました」

 カタリナがそういって頭をさげると、レオニードは微かに笑みを浮かべながらワイングラスを傾けた。

「私は、いずれ父を滅する。だがこの数百年は、力を付けども付けども、あれを滅することは叶わない。聖なる力が効くのかとも考えたが、どうやらそういうわけでも無いようでね。かの聖杯を以てしても、あの存在を消し去ることは出来なかった」

 空になったワイングラスをテーブルに置き、レオニードはグラスを通じてその先をぼんやりと眺めるように視線を軽く落とした。

「だから、最近は考えを変えてみたのだ。力では滅せられぬのならば、他のなにかで父の怨念を解くことは出来ないものか、とね」
「・・・それでは、舞踏会はそのために・・・?」

 カタリナが思わずそう呟くと、レオニードは首を傾けるようにしてカタリナに視線を送り、彼女をして思わずどきりとするほど妖艶な笑みを浮かべて見せた。

「まぁ、あれは実益も兼ねているがね。我が眷属は今や人を喰らうことはないが、血を欲する故、そのためでもある。そしていつか父が母を見出したように、私が我が眷属に大いなる変化を齎すことで・・・何かがわかるかもしれない、と」

 レオニードが言わんとすることは、カタリナには全ては分からない。だが怨念というものが強い思念のことを指すのであれば、その元となった事象に対する何らかの解決方法を提示してやることでしか解放されることがないのは、理屈が解る気がする。そう思うと、今目の前にいる存在は確かに人間とは全く異なる生命であるものの、その魂の本質は同じところにあるのではないか。そのようにも、感じられてくる。

「そういえば、私は母の顔を覚えておらぬのだが・・・ここの執事長をしている者が君のことを、どことなく母に似ていると言っていたな。まぁ彼らに人間の顔の見分けがつくとは思わないから、大いに気のせいだと思うがね」

 レオニードのその言葉に、カタリナは思わず二、三度瞬きをしてみせた。ひょっとして自分をここに連れてきたのは、その執事長ではないだろうか。
 そんなことをカタリナが考えていると、レオニードはゆっくりと椅子から立ち上がった。

「さて、それでは私は失礼するとしよう。着替えはそこのクローゼットに入っているはずだ。準備が出来たら、上に来るといい」

 一方的にそれだけいい、レオニードはさっさと部屋を後にしてしまった。
 そうして一人部屋に残されたカタリナは、レオニードが去っていった扉をしばし眺めた後、徐に両手を広げて上半身をベッドに投げ出した。ぼすん、という音と共に柔らかな素材のベッドが彼女の全身を受け止めてくれ、その極上の寝心地は最高級の寝具のそれに間違いないと確信する。何も身につけていない状態でこのような行為、はしたないことこの上ない所業だと我ながら感じる。が、誰もいないから見られることもないというか、そもそもこの近くには生きた人間がいないのだから構うものか等と妙に開き直ったものだった。
 目が覚めた直後にも確認したが、体には特に違和感を感じない。疲労もなければ、あの異形から受けた「死人ゴケ」とかいうものの後遺症らしきものもなにもない。状態は、至って正常そのものだ。
 あの異形の化け物・・・レオニードの父は、あれほどの絶望とともに一体何年あの場所にいるのだろう。
 ふと、当面の心配事がなくなった頭でそんなことを考える。
 レオニードが生まれた直後だとしたら、通説では魔王とすら面識があるという噂を信ずるならば六百年は経っていることになる。そのような長い時間絶望に浸り続けた魂とは、果たして浄化するなどということが可能なものなのだろうか。
 あまりに途方もなく想像のつかないその内容に、カタリナはすぐさま考えることをやめた。彼女が考えたところで、この事態はなにも進展しない。それにここは常しえの宵闇が支配する、時を刻むことを忘れた街だ。時間という概念がそのまま通用するものとも思えない。
 ひょっとしたらこの宵闇は、そんな意味も持っているのだろうか。彼女がこの宵闇を優しいと感じたのは、これ自体が悲劇の二人の鎮魂を願ったものだからなのだろうか。
 そんなふうに次々と無責任に浮かんで来る想像を振り切るように、カタリナは勢い良く起き上がり、そのままベッドから立ち上がった。そして、部屋の壁に設えられた大きなクローゼットに視線を向ける。

「・・・準備って、なにかしら」

 

 

 その夜(といっても宵闇に覆われたポドールイには夜も何もないのだが)レオニード城では、城の地下の地狼を退治してくれたロアーヌ騎士たちに対して感謝の意を込めた、小さな宴が催された。
 年に一度の舞踏会には及ばぬ規模だが、城の執事や給仕たちは総出でポドールイ伝統の持て成しをし、大いにロアーヌ騎士たちを歓迎した。騎士達もその時ばかりは戦装束を脱ぎ、スーツに身を包んでその宴を楽しんだ。

 宴の最中には、特別に目立つ存在が二つ。
 一人は城主レオニードで、彼は黒を基調とした燕尾服に、宵闇の外套を羽織ったいつものスタイルだ。
 そしてもう一人は、妖しくも美しい真紅のドレスに身を包んだカタリナだった。彼女の纏う真紅のドレスは、まるで揺らめく炎のようだった。
 それはポドールイの古い風習に則ったもので、この地では寒気が強くなる前に長い冬を無事過ごせることを願い、祭りが催される。そこでは毎年、その年に染められた中で一番深くて赤い色のドレスに身を包んだ地元の娘が、炎を前に踊るのだ。それは、過去に非情の死を遂げた一人の娘に対する鎮魂のためなのだというが、その娘が一体何者なのかは地元の人々でさえ、もう誰も知るものはいない。
 そしてその赤いドレスの娘のダンスの相手役は、これも村に古くから伝わる宵闇の外套を纏った男性が務めるのが習わしだ。これも何故そのような格好で、これが誰を表しているのか、誰も知るものはいない。

 まるで古い童話の中の世界のように二人が手を取り合い優雅に踊る様を騎士達は囲い、ある者は囃し立て、ある者は大いに嘆いた。

 そうしてポドールイの宵闇は、いつ果てるとも分からず続いていく。

 

 

番外編目次へ

目次へ

王者の言葉と武人の誇り

 

 侯爵フランツの怒り様といったら長年共にロアーヌを支えてきた側近や近衛の将軍、政務官等ですら初めて見る程のもので、最早それは誰にも止められない様相だった。
 荒々しく玉座から立ち上がりながら怒りも露わに叫ぶフランツによって、この翌日にはロアーヌ全領土に通告が成されることとなる。
 其れこそは、未来のロアーヌ侯爵たるミカエルの名を大々的に国民に知らせるものであった。

 

 自室のバルコニーから城下町を眺める少女は、美しく整った眉を可愛く顰めると、無言で部屋に戻る。
 其処では普段こそ侍女が一人いるだけだったが、今は侍女以外に部屋の入り口に常に二人の武装した兵士が直立し、部屋の中は少し窮屈な印象だ。
 しかし少女は、その様なことで眉を顰めた訳ではない。今彼女の頭の中には、怪我を負って療養中である敬愛する兄の事があった。
 つい先日、少女は八つ年上の兄とともに二人でいる所を何者かに襲われ、兄の獅子奮迅の応戦によって辛うじて命を救われた。
 だがそこで酷い怪我を負った兄は、血を流しながら地に膝をつき、慌てて駆けつけた衛兵により治療院へと運ばれた。少女は騎士団に連れられて宮廷内に戻り、それ以来数日を過ぎた今でも、兄と顔を合わせられていない。
 術師の治療により怪我の方は殆ど治っているとの事だが、厳戒態勢が敷かれたままなのだ。
 普段から愛用している特注の椅子にゆっくりと腰掛けると、少女は一つ深い溜息をついた。

 

 

 連日の殺伐とした訓練場の空気に愚痴をこぼす者も多い中、周囲の男連中の中では一際目立っている可憐な顔つきの銀髪の少女は、表情一つ変えずに騎士団長の叱咤に耳を傾けていた。

「諸君も連日聞き及んでいようが、この厳格なるロアーヌの領土内で、あろう事か侯爵様のご子息が襲われるという真に遺憾な出来事があった。これは国家の規律を揺るがす大事件であり、我々ロアーヌ騎士団も顔に泥を塗りたくられたに等しい!故に、二度とこの様な事が有ってはならない!諸君等宮廷騎士とその候補生は、今まさにその真価を今一度問われているのだ!これよりは一切の油断なく己を磨き、このロアーヌの秩序そのものとして行動する様に!」

 ガシャリ、とその場の騎士達が剣を翳すと、直ぐに散開して騎士団は訓練へと移った。
 列の中にいた少女はその背中に背負った華奢な身体に不似合いな大型の剣を振り抜くと、いつもの練習相手である同期を相手に、剣を正眼に構えた。
 練習用の剣とはいえ直撃すれば骨折は免れないであろう勢いで少女が剣を振り抜き、青年が其れを辛うじて受け流す。
 周囲にも増して激しく展開されるその剣戟に、負けじと全体の乱取りに締まりが加わる。それを見ていた騎士団長はぴくりとも表情を崩さずにいると、やがてその場を離れていった。
 その後も暫し剣戟の音は場内に響いたが、やがてそれは少女の行うそれを抜かして止んでいく。

「カタリナ、今日は俺と勝負だ」

 打ち合いの合間に間合いをとった所で、一人の青年が少女と相手の中に割り込んだ。途端に周囲から冷やかしの声援が飛んでくることに青年は舌打ちをするが、それに対して少女はふぅと一息つくと首を鳴らし、来いと合図をする。
 それに顔を引き締めた青年が喝と共に素早く打ち込むと、体躯で負ける少女はあえて正面からそれを受ける姿勢を取り、遠心力の乗らない柄の付近を選んで受け止める。
 火花が散るそのタイミングを見計らって少女は身体を右にずらし、勢いを殺されきらずに前のめりになった青年の脇腹を凪ぐ様に剣を振った。しかしそれを予期していた青年が渾身の力で無理矢理剣を横に凪ぐと、周囲に増して軽装であった少女は瞬時に垂直に飛び上がり、身体の下を剣が通過していく様を空気に感じながら青年の頭に掌を載せつつ優雅に着地する。そしてバランスを崩しかけた青年の頬に剣ではなく手を当て、円らなその瞳を細める。

「・・・残念ですね、コリンズさん。先手の速攻は相変わらずキレがいいですが、まだ二の手が弱いみたいです。今回もお酌はお預け、ですね」

 少女のその言葉と共に、周囲からはどっと歓声が沸き起こる。
 悔しがるコリンズ青年は、再戦時の勝利を誓いながら引き下がるのであった。

「やっぱもうカタリナに勝てるのは、ラドム将軍クラスくらいかぁ・・・」
「そんな事はないわよ、ブラッドレー。貴方の攻守のバランスの良さは、本当に見習いたいくらい。それにコリンズさんの速攻にしても、私にはまだ真似できないわ」

 カタリナと呼ばれた少女が長い髪をかき上げながらそう言うと、ブラッドレー青年は肩を竦めた。

「宮廷騎士団で正規を抜かして最も強い候補生にそう言われても、嬉しくも何ともないな」

 その言葉に、周囲からは笑いと溜息が混じって聞こえてくる。
 それに今度は、カタリナが肩を竦める番だった。

 

 合同訓練を終えて周囲の喧騒から離れる様に退避したカタリナは、いつもそうしている様に裏庭にある井戸で水を汲んで顔を洗う。
 そうして一息つくと、井戸の脇に立て掛けていた練習用の大剣を握り直して、これまた習慣に則ってその場で素振りを始める。
 これは騎士を目指して仕官したその日からの、彼女の習慣だった。
 家柄は貴族の生まれであり、更には女性の身であるにも関わらず騎士を目指すカタリナには、常に周囲からの好奇の視線や不躾な言葉が付き纏った。
 だがそれに対してカタリナは一切口で返すことは無く、その行動で返答してきた。
 その結果、剣の腕は最早候補生仲間では全く太刀打ち出来ぬものとなり、正規の騎士ですら舌を巻く程となる。
 だがそれで満足するような彼女ではなく、更なる高みだけを目指してこうして日々訓練に明け暮れていた。
 宮廷の裏側のこの庭は普段から寄る人間もいないので、彼女専用の練習場所と言えよう。
 因みにこの裏庭の一角には常に丁寧に手入れされた小さな花壇があるが、恐らく彼女とは被らない時間帯に誰かが世話をしているのだろう。一度もその人物とは会った事が無いので、それを気にする事はなかった。
 大振りの連撃練習の後にフルーレを用いた追撃への流れを確認し、いつしか空が茜色になり始めた頃に漸くカタリナは練習を終えて再び顔を水で洗った。

 と、丁度その時だった。木々に隠れた場所で微かな物音をカタリナは察知し、反射的に腰のフルーレを抜き放ちながら物陰に視線を向け、誰何する。
 すると物陰からは存外あっさりと人影が現れたが、それが頭から足元までローブを被った大層怪しげな出で立ちであったものだから、カタリナは警戒を濃くして視線を鋭くした。
 だがローブの人物は直ぐにそれを頭のフード部分だけ剥ぐと、その中からはカタリナの銀髪と対象的な眩い金髪が現れ、そして妙に見覚えのあるその顔にカタリナはまず驚き、そして次に跪いた。
 其れこそは先日単身で暗殺者を撃退しながらも名誉の負傷を負ったという、侯爵フランツの息子であるミカエルその人だったからだ。

「・・・これは、大変失礼をいたしました。私は宮廷騎士団所属の騎士候補生、カタリナ=ラウランと申します。此度の無礼、何なりと処分は謹んで受ける所存です」

 それだけ言って下を向いたカタリナに対し、ミカエルはゆっくりと首を横に振った。

「・・・いや、私は影だ。ミカエル様の身辺をお守りするにあたり、此度の事件を機に任務についたのだ。気にしなくていい」

 その言葉にカタリナが多少驚いた様子で顔を上げると、年相応のあどけなさが残るその表情に影は目を細めた。

「そうでありましたか。お務めご苦労様です。しかし、この様な所にいて宜しいのですか?」

 今は大変な時期であろう事を察してのカタリナのその質問に、しかし影は肩を竦める。

「今ミカエル様は、部屋の内外に衛兵が待機してお守りしている。むしろ私の出番はないので、この機会に更なる任務完遂の為に剣の訓練でもと思ってな」

 それにカタリナがまた受け答えながら頷くと、なんと影は折角だからとカタリナを訓練に誘ってきた。
 一通りのメニューをこなし終わっていたカタリナがこの影の腕に興味をそそられて申し出に迷わず応じると、早速互いにフルーレを構えて軽やかに打ち合いを始める。

(・・・ん、この影、強い・・・)

 剣先を交えての探り合いで影の実力が高いことを感じたカタリナは、一気に勝負を決める為に瞬間的に加速して鋭い突きを放つ。しかし影は外陰をはためかせながら回避し、実に的確なカウンターを撃ち出してきた。
 それに脇腹を掠められながらもカタリナがさらに反撃を繰り出そうとする姿勢でベテラン顔負けのフェイントを挟むが、それにも全く引っかからない。
 手強い相手にカタリナが一旦距離を取ろうとバックステップを踏んだところに、影は蛇がうねる様なしなりを持たせた突きを繰り出してくる。しかしその突きの合間に一瞬の隙を見付けたカタリナがそれを絡め取る様にしながら剣を跳ね上げると、影の持つフルーレはその手を離れて空高く舞った。
 其れがクルクルと宙を舞って地面に突き刺さると同時、影は軽く息を吐きながらニヤリと笑った。

「・・・強いのだな。流石は宮廷騎士団の最年少訓練生にして最強の呼び名高い、ヒルダ様以来で初の女性騎士候補だ」

 そこまで知っていたのか、といった表情で今度はカタリナが肩を竦めた。
 緊張感の後に心地よい風が柔らかく髪に当たるのを感じながら、こちらも一息つく。

「・・・過大評価です。私より強い人は、幾らでもいます。貴方にしても、そう。その腕の怪我が無ければ、今の突きを私は回避出来なかった」

 打ち合いの最中で最後の突きの時に見えた隙は、腕にあるであろう怪我を庇ったが為のものだとカタリナは見抜いていた。

「・・・ふっ、敵わんな」

 まるでミカエル本人の様な口振りで言いながら笑うものだから、カタリナもその見事な影っぷりにクスリと笑みを漏らした。

「・・・よい手合わせだった。礼を言うよ、カタリナ。また頼む」
「ええ、此方こそ・・・えっと、何と呼ばせてもらうのが良いのでしょうか」

 カタリナが首を傾げながらそう問うと、影はふむ、と顎に手を当てた。

「・・・影、は流石にあれだな。では、マイケルでどうだ」
「・・・主がMichael、だからですか? そのまんま。捻りもないのですね」
「許せ。帝王学は兎も角、ボキャブラリーは未だ勉強中だ」

 影がそう言ってからお互いに小さく笑い合うと、この日は空が暗やみ始めたのを合図に分かれた。

 

 裏庭に何日かに一度現れるその影との手合わせは、いつしかカタリナのちょっとした楽しみになっていた。
 良い練習相手であるというのはもちろんの事だが、特にその言動や思想に影とは思えぬ程の風格と誇りを感じとり、カタリナは純粋にこの青年に敬意と好意とを抱き始めた。
 最初の手合わせで気付いた怪我も不治の古傷ではなかった様で、あれから数週間たった何度目かの手合わせの時には、遂にカタリナが一本取られる場面もあった。
 そんな時には少しだけ影が若者らしく控え目ながらも喜んで見せたものだから、カタリナは全く悔しがる気が起きずに素直に褒め称えた。

「いや、じわじわと悔しくてな。いずれ一本取れる様になりたいとは思っていたのだ」
「ふふ、お見事でした。マイケルのその呻りのある突きは強力ですね。特に今日は、鋭さがピカイチでした。中々拝見しない技ですが、どの様に修得なされたのですか?」

 手合わせの後には何時の間に習慣になったか、井戸の淵に二人して腰をかけて話をする様になっていた。
 影はカタリナの質問に対し、以前に強い相手と戦った時に閃いたものだと気さくに話してくれる。

「強い相手、ですか。いいですね。私の周辺では、競えるのは正直マイケルくらいしか居ません。もっと強い方々は、まだ騎士候補生であり女である私を、お認めにはならない。まぁ、タイミングがあれば挽回したい位で、今は其れを急ぎ求めている訳でもありませんが」

 そんなことより今は己を磨くことが先決なのだ、と笑うカタリナに、影は優しい笑みを浮かべた。

「ふむ・・・しかしそうなると、カタリナから一本取ったのは私が初という事か?」
「ん・・・そうですね。連日騎士団仲間や候補生が挑んではきますが、そこでは一度も負けたことはありませんから」

 しれっとカタリナが言うと、影は珍しく声をあげて笑った。

「はっはっは、騎士団連中も大変だな。しかし物珍しさはあろうが、そうも連日挑んでくるのは良く皆に好かれている証拠か」
「いえ、皆して面白がっているのです。私から一本取ったら晩の酒盛りの時に私にお酌を任せられる、なんてルールを決めた様で。まぁ、それを否定しない私も大概ですけれど」

 カタリナが肩を竦めながら言うと、影はふむと答えながら顎に手を当ててからにやりと笑った。

「という事は、私はカタリナからお酌をしてもらう権利を得たというワケだな」

 普段見ることがないそのいたずらっぽい笑みにカタリナは内心どきりとしながら、それを察せられまいと発展途上の胸を張る。

「マイケルが望むのなら。騎士に二言はありませんから」
「そうか。ではそうだな・・・お酌を頼む訳ではないが、今度少し遠乗りに付き合ってもらおう。よいか?」

 意外なその申し出にカタリナがキョトンとしながらも頷くと、次に騎士団の練習が午前で終わるタイミングで日取りだけ決め、いつもの様に空の色合いを見て二人は分かれた。

 

 数日後、早めに訓練を終えたカタリナが裏庭に向かうと、其処では普段のローブ姿ではなく大変に高級そうな貴族衣装を身に纏った影の姿があった。
 カタリナがそれを見て驚いていると、対する影はいつもの調子で口を開く。

「カタリナも着替えてくると良い。これから南の湖の丘に行こうと思う。裏門の所で落ち合おう」
「え・・・あ、はい。分かりました。少々お待ちになっていてください」

 慌ててぺこりと頭を下げながら家へと駆け戻ったカタリナは、自室に戻るや否や鎧を急いで棚に戻し、浴場で素早く汗を流した。
 その急ぎ様に何事かと給仕の者が声をかけてくるが、カタリナは何でもないと言ってまた部屋に駆け戻った。

(・・・あ、何を着ていけば良いのかしら・・・)

 普段から騎士装束しか身に纏わない彼女は一瞬そこで思い悩んだが、何故かそこでタイミング良く給仕の一人が部屋に入ってきてドレスを手渡す。

「お嬢様、お出かけでございましたら、是非に此方を」
「え、あ、有り難う」

 とにかく影を待たせてはいけないと思ってそのドレスを受け取り、手を貸してもらいながら急いで袖を通す。
 淡いピンクの色合いに控え目な模様の刺繍が随所に施された優美なデザインながらも、スリムなロングスカート部分はスリット付きで機能性もあり、帯剣と乗馬も可能にしている。サイズも驚く程にフィットしており、それは正に、カタリナの為に仕立てられた様な品だった。

「このドレス、とても着心地がいいわね。有り難う。いってくるわ!」

 騎士の嗜みとして忘れずフルーレを腰に装着し、わたわたと出て行くカタリナ。
 それを柔かに見送った給仕は、そこで漸くほっと胸を撫で下ろした。

「・・・まさか侯爵家からドレスが届くなんて何事かと思ったけど・・・お嬢様、がんばっ!」

 グッと握りこぶしを作りながら密かに声を上げる給仕の声は、ドレス姿で見事に馬に跨るカタリナの背中に向けられていた。

 

 結局三十分程も待たせてしまったが、何時の間にかローブを羽織って身なりを隠した影は表情一つ崩さずにカタリナの姿を見て頷くと、早速二人は拍車をかけて出発した。
 城下町を迂回する様に進路を取って三十分程も進むと、間もなく小高い丘から見下ろせる湖に辿り着く。
 遠く更に南には山頂が雲に覆われたタフターン山が見え、ここからそこまでの間には突き抜けるような青空と、低い位置にある大きな白い雲が幾つも浮いていた。

「・・・風が気持ちいいですね」

 空に目を細めながらカタリナが呟くと、ローブを脱いだ影はそれを肯定しながら馬を降りた。それに合わせてカタリナも降りると、影はカタリナに振り返って目を細めた。

「似合っているな、そのドレス」

 唐突なその言葉に、思わずカタリナはほんのり顔を赤くしながら俯いて礼を言う。

「マイケルも、その姿は本物のミカエル様かと見紛う位ですね。まるで本当の双子のよう」
「はは、よく言われる。まぁそれでこその影だからな」

 それから二人は、丘の上の柔らかい草に腰を下ろして幾つもの他愛の無い話をした。
 影が宮廷内のちょっとした小話を披露すると、カタリナは騎士団の間にあるモニカファンクラブの話などをしてみせる。

 表面的には二人とも和やかだったが、しかしその内心でカタリナは普段より幾分か鼓動が跳ね上がっているのを感じていた。
 幼い頃に死蝕を経験してから本格的に騎士を目指しはじめた彼女は、それから只管に剣の修行と、貴族、そして騎士としてあるべき教養の修得にずっと向き合ってきた。
 そんな中でこんな穏やかな時間を過ごすことなど一切考えていなかったし、実際になかったからだ。
 加えて明かせば、彼女は十の歳に騎士団に候補生として仕官したその日に姿を見たミカエルに、仄かな憧れの念を抱いていた。すらりとして洗練された立ち姿勢と美しい金色の髪、そして何より誇り高きその眼差しに、カタリナは強く惹かれたのを今も鮮明に覚えている。
 そんなミカエルと同じ姿で、そして誇りに溢れた瞳を持つこの影を名乗る青年に、カタリナは自覚できる程の胸の高鳴りを感じていたのだ。

「・・・そういえばカタリナは、絵を描くのが趣味だといっていたな」

 ふと影が以前に聞いた話を思い出して言うと、カタリナはゆっくりと頷いた。

「・・・はい。普段はあまりそこに割く時間は有りませんが、たまにこんな美しい風景を見ると、無性に筆を取りたくなります。この時を、この気持ちを、何かに描いておきたくて・・・」

 そういいながら空を見上げるカタリナの横顔を見て、影は自然と笑みをこぼした。穏やかな風に揺れる銀髪は彼女にとても似合っていて、普段は見ないドレス姿がまた彼女の持つ生来の美しさを引き立てている。

「・・・私も似たように感じる。だが私は絵をかける程器用ではないから、こうしてたまに見にくるのだ。すると、以前とはまた違った美しさも見えてな。この美しい風景とこの国を我が身が背負える事に、私はより一層の誇りを感じるのだ」

 風を受けながら立ち上がってそう言う影に、見上げるカタリナは思わず心を奪われた。
 それは正に王者の言葉で、誇り高いその意志と力強い瞳に、カタリナも思わず立ち上がって同じ方向を見つめる。

「・・・はい。私も、そう感じます。騎士としてこの国を、民を、そして君主を守れる事に・・・誇りを感じます」

 こうしてここに立っているのは、本当にミカエルの影なのだろうか。
 そんなことを、ふとカタリナは考えた。
 同じ顔であるだけでは、このような気高さは得られない。同じ格好であるだけでは、このような誇りは纏えない。
 きっと自分の隣にいるのは、本当の王者であるのだ。いずれはこの国を背負い、未来に自分が仕えるべき人物なのだ。
 そう心で確信したカタリナは、気がつけば影に向き直り、ゆっくりとその場に跪いた。

「・・・まだ騎士ですらない私ですが、必ずや・・・貴方とこの国をお護りします。この胸の内にある、武人の誇りにかけて」

 その言葉を聞いた影もまたカタリナに向き直り、力強く頷いた。

「・・・宜しく頼む」

 一瞬太陽を覆い隠した雲から、漏れ出でる光が二人に注ぐ。
 思わず口をついてもっと強く想いの丈を曝け出してしまいそうになるが、カタリナは思い留まった。騎士として仕えられるだけで自分には十分だと、そう感じたからだ。
 それから二人はどちらからともなく微笑み合うと、自由気ままに草を食んでいた馬を呼び寄せ、颯爽と帰路についた。

 

 

 それから影は、裏庭に姿を見せることが無くなった。

 あの遠乗りから一月もした頃にカタリナがいつもの様に裏庭に向かうと、井戸の脇に一通の手紙があった。
 カタリナへ、と書かれた封筒の裏面には、Michaelの文字。
 井戸の淵に腰を掛けて手紙を開くと、そこにはいよいよ影として常にミカエルのそばを離れずにいる様になったという事と、もうここで会うこともないだろうが元気で、とだけ短く文末に添えられていた。

「・・・問題ないわ。ここで会えずとも、私の誇りは常に、貴方と共にありますから」

 少しだけ強がって、自分に言い聞かせるようにそう口にする。だが、それは間違いなくカタリナの本心だった。
 そしていつもと変わらず、大剣を手に取って素振りを始める。その太刀筋は以前に増して冴え渡り、風を切るその音は、木陰からそっと立ち去る人影にもしっかりと届いていた。

 

「・・・うむ」
「うむ、じゃないですよフランツ様。覗き見とは、ご趣味がよろしくない」

 丁度裏庭を見下ろせるバルコニーから枠に肘をついて下を見下ろしていたフランツの小さな呟きに、呆れ果てた様子の側近が言った。

「・・・お主も同じようなものだろう」
「私はフランツ様の後をついて回るのが仕事なだけですから」

 しれっと言う側近に、フランツは大いに顔をしかめた。

 

 これより一年の後、カタリナは正式に初代ロアーヌ后妃ヒルダ以来で初となる女性でのロアーヌ騎士として称号を得ると共に、ミカエルの妹であるモニカの護衛兼侍女としてフランツより大抜擢され、ロアーヌ侯家に代々伝わる聖剣マスカレイドをその手に預けられた。

 余談であるが、後日カタリナが侍女として宮廷に上がった初日、すれ違ったミカエルが彼女に対して口にした「相変わらず似合っているな、そのドレス」という言葉は、一年前以来で二度目のドレス着用であったカタリナにとって大変な驚きと衝撃であったと、後にカタリナ本人から話を聞いたモニカが兄に語ったという。
 兄がその時に見せた何とも言えぬ微笑みの表情は、モニカには忘れられぬものとなった。

 

 

番外編目次へ

目次へ

第八章・10 -竜騎士-

 

 タフターン山とロアーヌの間に敷かれた、長大なるロアーヌ騎士団の防衛拠点。ここに駐屯するロアーヌ軍を取り巻く戦況情勢は、直近のある時を境に一変した。
 第一の転機は、年明け早々にメッサーナ王国からの支援物資が拠点に届いた時点である。
 大量の戦線支援物資と同時に届けられた書簡によれば、これはメッサーナ王国近衛軍団長ルートヴィッヒをはじめとした諸侯とその同盟国の代表が年末にピドナ王宮にて行うコングレス(ロアーヌ侯国は今回は戦時につき欠席した)によって全会一致で採択された結果だという。
 これを即座に受け入れる決断をしたミカエルからの補足によると、この採択の背景には六年前に没落したはずのメッサーナ名族であるクラウディウス家が一枚噛んでいるとの事だった。
 また、本物資の輸送作業を実質的に担ったのは近衛軍団直下の輸送隊ではなく、ピドナに本社を置く「カタリナカンパニー」という企業であることも付記されていた。
 現地拠点の総指揮を務めるブラッドレー将軍は、これらを確認後、即座に物資の分配を開始。
 兵力の補填こそなかったものの豊富に揃った食糧や武器防具、崩れた砦の修繕用材木などを用い、兵の士気を保ちながら強固な防衛ラインを敷き直し、崩れかけていた魔物との戦闘情勢を持ち直しにかかった。
 そしてこれより更に数日の後、第二の転機が訪れた。
 その日、突如として明らかに魔物の攻勢が急速に弱まったことを、前線の兵士たちは計らずも一斉に肌感で察知した。
 それまでは軍として纏まっていた魔物たちは、まるで唐突に知性を失ったかのように疎らな侵攻を行うようになったのだ。隊列や種族ごとの編成などの概念も消え失せ、只々闘争本能に従い個別に襲い掛かるばかりとなったのである。
 当然これは、この戦で殊更に屈強さを増した歴戦のロアーヌ騎士団によって、全く危なげもなく各個撃破されていった。

 そして、魔物の攻勢が鈍化した更に翌日。
 油断しないまでも明らかな希望を見出しつつ警邏についていた物見の兵から、敵軍襲来を知らせる警鐘が鳴り響いた。
 しかも、それは昨日のような鈍化した攻勢などではなかった。
 平時ならば魔物の動静が鈍化するはずの日中に、あろう事か巨大な竜が一頭、突如として防衛戦線上に姿を現したのである。
 その姿は遠目からでも分かるほどの見事な巨躯であり、歴戦のロアーヌ騎士たちはその竜が間違いなく巨龍種であろうということを即座に見抜いた。

「馬鹿な、何故このタイミングで巨龍種なんて・・・!」

 防衛隊の先陣を担うコリンズ将軍は愛用の騎兵槍を強く握り締めながら、苦々しそうに呻く。
 小型、中型種の魔物を対象とした戦闘経験は、ロアーヌ騎士団は他国の追随を許さぬほどに積んでいる。だが大型種ともなると、話は全く別だ。
 そもそも大型種に分類される魔物は、極端にその個体数が少ない。
 人類の生活圏に近い場所での生息も、まずしていない。
 巨人種、デーモン種、巨龍種など、その存在が認識されているもの自体も非常に少ない。主にその存在が見られるのは、語り継がれる伝説や童話の中ばかりだ。
 それがまさか人類生活圏の近いこの戦線に降り立とうなどと、騎士団の誰もが全く予想だにしていなかった。

「広く半円状に歩兵を展開後、中央と左右の要所に騎馬隊を配置。分散突撃し、巨龍種が用いるとされる殲滅砲への対策とする。空中に飛ばれたら手の打ちようがない。地上にいる間に可能な限り損傷を加え、相手が退くのを狙うしかあるまい」

 自らも兜を深く被り、自らの直線上に座する竜を高台から睨みながらブラッドレーが口早に作戦を発すると、それに伴い各部隊を率いる将は持ち場に着くべくその場を駆け出した。

「俺は正面を担当する。必ず一撃、見舞ってみせる」
「・・・頼む、コリンズ。お互い死線ばかり潜るが、必ず生きてまた会おう」
「応よ」

 互いに短くそう言い合い、コリンズは己の愛馬に跨り、迷いなく隊列の先頭へと向かう。
 激動の一年の間に起こった数多の戦で打ち立てた輝かしい戦績から、ロアーヌ騎士団でも最強との噂が立つ「速攻のコリンズ」率いる第一騎馬隊。
 その最強の名を持つ騎馬隊の面々は、誰一人とて怯えた様子もなく、この一大局面の先頭を牽引せんとし真正面から竜へと相対した。

(・・・こりゃあ、リブロフの砦で神王教団相手にした時くらいやべえ感じだ。あの時は詩人さんが助けてくれたが、今回はそういうわけにも行かんだろう。果たして俺の槍が、あのデカブツに届くかどうか・・・やるしかねぇな・・・!)

 コリンズは可動式の面頬をカシャリと落とし、バイザー越しに竜を睨む。
 これまでの人生の回想をしているほどの時間的余裕は、ない。
 標的が飛ぶ前に何としても一撃を加え、退かせる。
 よし、と小さく呟いたコリンズは、突撃のラッパを吹かせるべく右手に持つ槍を高らかに掲げんとした。
 だが、彼がそれをする直前に、直線上に在る竜の異変にふと気が付いた。
 竜は、自らの周囲を囲む騎士団などまるで気にしていないかのように寝そべるような体制を取ったのだ。
 まるっきり、交戦意思がない有様である。
 それだけならば寧ろ好機であるとも取れるが、更に奇妙なことに、その竜の元から、一人の人影が真っ直ぐに此方へと歩いてくるではないか。
 その不思議な光景を凝視していたコリンズは、やがてその抜群に優れた視力で以って、その人物が何者であるのかを誰よりも早く見抜いてみせた。

「・・・おいおい、マジかよ・・・もう何が何だかわからねーな・・・」

 コリンズは呆れ返ったような表情をしつつ、周囲の騎兵に待機の指示を出して馬から降り、面頬を上げて兜を脱ぐ。
 そしてそのまま小脇に兜を抱えたままで待つ彼に気付いて正面から小走りに歩み寄ってきたのは、ロアーヌ騎士団が誇る紅一点にして自軍最強の騎士との誉高い、カタリナ=ラウランであった。

「・・・最近は一気に人間離れしてきたと思っていたが、まさかお前、ついに竜まで従えたってのか?」

 声が届く距離までお互いが近づくと、コリンズはすっかり緊張が解けてしまった様子で肩を竦めながら話しかけた。

「そんなわけないでしょ。あの竜は、ルーブのグゥエイン。四魔貴族ビューネイを討伐するために、協力してもらったの」

 コリンズの相変わらずの軽口に、思わずうっすらと笑みを浮かべながらカタリナが答える。

「いやそれ簡単に言うけどな・・・。っつかビューネイ・・・矢張りお前が討伐に動いていたか。ここの戦線も、突然襲撃が緩くなった。ということはつまり、やったのか」
「ええ、ビューネイは討伐したわ。その事を伝えにここに来たの。直ぐにミカエル様にもお伝えして頂戴」

 カタリナのその言葉を聞き、コリンズは肩に担いでいた槍をゆっくりと降ろしてから地面に刺し、大きく長く、息を吐く。
 それは、二ヶ月あまりにも及んだこの防衛戦線の終結を意味する所作でもあった。

「・・・騎兵隊から司令部へ通達!目の前の竜に交戦意思なし!及び、我が軍の騎士カタリナによる魔龍公ビューネイの討伐完了を確認、と!!」

 コリンズが半身を翻しながら後ろに控えていた部下にそう指示を飛ばすと、騎兵は一瞬の躊躇いの後に指令を受諾し、急ぎ馬を走らせていった。

「・・・やっぱお前はすげえよ、カタリナ。先ずはこの場を代表して礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
「いいえ、私はロアーヌ騎士としての役目を果たしたまで。寧ろ私こそ、ここで魔物を食い止め切ってくれた貴方達を心から誇りに思うわ。我らがロアーヌを守ってくれて・・・本当にありがとう」

 そう言いながら二人ともが突き出した拳を軽くぶつけ合うと、自然と周囲からは歓声が湧き上がった。
 その歓声は瞬く間に波打つようにしながら防衛戦線を担う兵士全体に広がり、その場の全員が、この戦いの終焉を確信したのだった。

「奥にブラッドレー達もいる。行こうぜ。ミカエル様には一緒にご報告していくだろ?」

 そう言いながらコリンズがカタリナを誘うと、しかしカタリナはゆっくりと首を横に振った。

「いえ、私は一度、グゥエインと共にルーブへ戻るわ。そこに待たせている仲間もいるの。ミカエル様へのご報告は、任せていいかしら」

 カタリナのその言葉にコリンズはとても残念そうな表情を浮かべるが、かと言って引き止めることはしない。今の彼女の行動を此方の意思でどうにかできるなどと、コリンズは全く考えつきもしないからだ。

「そうか・・・残念だが、お前がそういうのならば仕方ないな」
「ええ。それと、タフターン山の頂上へ調査隊を派遣して頂戴。私が見た限りは山頂を覆っていた霧も完全に晴れ、ビューネイの根城も露わになっているわ。奥には、火術要塞と同じくゲートの存在も確認出来ている。教授やヨハンネスさんが動ければ、それが一番いいとは思うけれど」

 カタリナの言葉に確と頷いたコリンズは、手配を約束して二言三言を最後に交わし、互いに背を向けて別れた。
 そのまま竜の元へと小走りに戻っていくカタリナを背中越しに見送ったコリンズは、ふぅと一息つきながら、軽く空を見上げる。

「・・・こりゃもう実力ってか器そのものが離れすぎてて、流石にもう一回告るとか、無理そうじゃねーか・・・?」

 過去数度の挑戦失敗にも挫けなかったロアーヌ騎士団切っての成長株コリンズであったが、流石の彼をしても、挑まんとする壁の高さには苦笑を浮かべるしかなく、ぽりぽりと頭を掻くのであった。

 

 

 ロアーヌ防衛戦線へ勝利の報を届けてから三日の後、カタリナはグゥエインと共にルーブ山のグゥエインの住処へと舞い戻ってきた。
 瀕死の重傷を負っていたグゥエインの体を労りながらではあったが、それでも三日で地図のほとんど端から端まで移動できてしまうことには、改めて驚きを禁じ得ない。

「お二方とも、お帰りなさい!」

 グゥエインの財宝の間のすぐ近くの穴から降り立ったグゥエインとカタリナを見るや否や、その場にいたフェアリーが文字通り飛び上がりながら二人を出迎えた。

「ただいま、フェアリー」

 グゥエインの背から降り立ちフェアリーとハイタッチをしながら、カタリナは微笑みかける。
 その笑顔が示す意味を理解していたフェアリーは、キラキラと光る瞳の奥から溢れる好奇心を全く隠そうともせずに、カタリナの手を引くようにしながら問いかけた。

「ビューネイ討伐、本当にお疲れ様です!ロアーヌもこれで安泰ですね!して、ビューネイはどのような姿だったんですか!?空中では、どのような戦いだったんですか!?」

 矢継ぎ早の質問に対してカタリナは目の前の好奇心旺盛な妖精を落ち着かせるように「まぁまぁ」と言いながら、先ずはここまでの飛行をしてくれたグゥエインに感謝を述べるべく、振り返った。
 ビューネイから受けたグゥエインの傷は、途中寄った人里や偶然見つけた行商人などから買った傷薬を用い、ある程度は癒すことができている。だが、元の傷がかなり深かったこともあり、まだまだ完全な状態とは言い難かった。

「改めてグゥエインも、本当にお疲れ様。伝説に違わぬ戦ぶりだったわ」
『ふん、ビューネイの影など、相手にもならなかったな』

 怪我の度合いからしたら全くそのようには思わないが、それでも強がって見せるグゥエインの言葉には思わず苦笑しつつも微笑ましく思い、カタリナはそうね、と相槌を打つ。
 そのあとは暫く、予備の傷薬と共に入手しておいた食料を摘みつつ、ビューネイとの戦いの詳細を聞きたがる前のめりのフェアリーにカタリナとグゥエインが交互に応えながら、束の間の穏やかなひと時を過ごした。
 思い返すと、熾烈を極めたフォルネウスとの戦いから、まだひと月少々しか経っていないのだ。短期間の間にこうも命を削るような戦いを繰り返してきたということもあり、流石のカタリナも己の戦果を労う思いで、一際穏やかな気持ちで二人(?)と会話を重ねた。
 フォルネウス、ビューネイとも直接その場には居合わせなかったものの、フェアリーには様々な局面で大きく助けられていた。
 全ての生物と意思を交わすという妖精族の特殊な能力に頼らなければ、全くこれらの偉業を成し遂げることは出来なかったであろう。その分、フェアリーの質問攻めには夜通し全力で付き合ってあげるつもりだ。
 それに今回共に戦ったグゥエインは、全く予想していないほどに高潔な意思を持った戦友となった。
 種族の垣根を越え、カタリナはこの竜を真の友として心から認めていた。そしてそれは恐らくグゥエインもそう感じてくれているのであろうことが、確かに彼女にも感じられる。
 フェアリーを交えながら会話を繰り広げる中で、彼の竜が紡ぐ言葉の端々から、それが彼女にも伝わってくるのだ。命運を共にした者同士だけが恐らく感じられるであろう、互いを尊敬する想い。それが確かに、竜と人との間に出来ていたのである。
 魔龍公との戦いからその後のタフターン山の根城の様子など、三者の会話は夜更けまで途切れることなく続いた。

 

 そしてそのまま一夜が明けた、明朝。
 鮮やかに差し込む朝日に揺り起こされるようにして目が覚めたカタリナは、財宝の敷き詰まった寝床で静かに佇みながら此方を見下ろしているグゥエインの視線に気が付き、何かあるのかと視線で問いかけた。

『母は、どのような気持ちだったのだろうな』
「・・・?」

 紡がれたその言葉の意味を測りかねて首を傾げるカタリナに、しかしグゥエインは全く構わない様子で淡々と続けた。

『我はお前と会うまで、この背に人を乗せて闘おうなどとは、微塵も考えていなかった。それは恐らく、母も同じ考えであっただろう。だが母は聖王と出会い、聖王を背に乗せて闘った。我も今ならば、母がそのように思い直したこと、よく理解できる』

 グゥエインが何かを訴えかけたいと考えていることを察したカタリナは、立ち上がってグゥエインに向き直った。
 グゥエインは、続けた。

『だが、母は竜であり、聖王は人であった。それは我々も、変わらぬこと』

 グゥエインの真珠のように白い瞳は、変わらずカタリナを真っ直ぐに見つめている。その瞳は、どこか悲哀を交わらせた色のようにカタリナには思えた。

『我は、これから人を喰らいに行く』
「ちょ・・・いきなり何で!?」

 唐突なグゥエインの言葉に、カタリナは驚きを隠さずに声を上げた。

『知れたこと。戦で失った英気を養うには、蹂躙こそが至高。竜とは、そういうものだ』
「・・・・・・」

 決して、冗談を言っているわけではない。それは、カタリナにも分かった。
 竜という生物がどのような文化や常識を持ち、動くのかなど分からない。だがグゥエインの言葉には一切の偽りの様子はなく、きっとグゥエインからすれば、人を喰らうというのは正に竜たるが故に当然の行動なのであろうとも思える。
 この竜は、間違いなくこれから人を喰らうつもりなのだ。
 だが、それをそのまま良しとすることは、人間である彼女にはできないことでもあった。

『肉を食らい宝を奪うは竜なるが故の宿命。だからこそ母と聖王は対立し、その果てに母は、聖王によって殺された。お前とて、人を喰らう竜を許してはならぬのが貴様らの道理であるということは、分かっているはずだ』

 グゥエインの言葉は、全くその通りであるとカタリナにも理解できる。
 竜と人の関係性は、三百年の昔から、何一つとして変わってはいないのだ。
 それは、分かっている。
 それでも、このグゥエインという竜と出会ってからの、この一週間程度の短い時間。
 その中でカタリナは目の前の竜が持つ高潔な意思に尊敬の念を抱き、また竜からも自分という人間を認めた上で戰を共にしてくれたのだという確かな感覚が伝わってきていた。
 彼女はそれに、どこか甘い見通しを抱いてしまっていたのかも知れない。
 だがその感覚とは、矢張りドーラと聖王が嘗て抱いたものと同じであって、それはしかし竜と人という間柄を改変するようなものでは、ないというのか。

『だから、思うのだ。母は此の期に及び、どのような気持ちであったのだろうか、と』
「グゥエイン・・・」

 竜と人の精神がどのように触れ合い、又、どのように触れ合うことがないのか。そんな難しいことは、カタリナには全くわからない。それはきっと、グゥエインにしてもそうであるのだろう。
 だが数百年の昔、既に答えの出ているその問いかけであろうというのに、それでもグゥエインは考え、彼女に語っている。

『母は、聖王を疎み、憎しんだのであろうか。我は、今に至ってはそう思わぬ。母は恐らく今の我と同じように人への見方を変化させた。ただ、竜であるが故に、その宿命に従ったまでなのだ。それが今は、よく分かる。我が母は、偉大な竜であった』
「・・・では、他に何が分からないのだというの・・・?」

 カタリナが問いかけた。
 グゥエインは最初に、母がどのような気持ちであったのか、と問いかけてきた。だが今の言葉には、竜なるが故の宿命という、過去から続く絶対の正解しかない。
 グゥエインは、何か別の思考を内包しているのではないか。そのように思ったのだ。

『・・・宿命の、その先だ。我は宿命に従った母の最後を知っている。母は聖王の手によって殺された。その時、母は何と思ったのだろう。逆の場合があったとしてもだ。母が聖王を喰らい、今もなお生き続けていたとしたら、その時、母は何と思っていたのだろうか』

 宿命の、その先。そんなことは、至らなければ誰にも分からないのではないか。
 カタリナは素直にそう思った。
 何もそれは、竜と人だけではない。
 それ以外の様々な生物と、人。または、人同士や、それ以外の生物同士。それらの中にもいくつもの宿命というものが世界の凡ゆる生物にはあって、それらの行く先を否応なく決定付けている。
 当然ながらそれは今に始まったことではなく、過去から繰り返され続け、そしてこれから先も繰り返されていくものなのだろう。
 そのような絶対たる宿命を前にして、宿命のその後を思うことに、意味はあるのだろうか。
 だが、この竜はそれでも考えているのだ。

『宿命により、為すべき答えは出ている。しかし、その宿命を目の前にして、我と母は別の存在だ。我が思うことと母が思うこともまた、別なのであろう。今になって、ふとそれが気になってな』

 そう言い終わると、グゥエインは鈍色の表皮の内にある真紅の翼を広げ、力強く四肢で立ち上がった。

『確かめようではないか』
「・・・。ええ、分かったわ」

 竜と人間、所詮はこうなる定め。
 そんなことは、頭の片隅では既に分かっていた事。元より、場合によっては最初からそうなる覚悟でここに来たことも確かだ。
 無論それは目の前の竜も考えを同じくしており、その上で今こうして、自分に語りかけてくれているのだろう。
 これは言うなれば当初の想定を大きく逸れて、とても尊い事であった。
 宿命を辿ることを前にしてこうして言葉を交わせた事は、望外の喜びである事に他ならない。間違いなくそう断言できる。
 だが、それでも。
 それでも彼女は、矢張り心の奥底では納得がいかないでいるのだ。
 こうして数奇な運命の導きの上に巡り合い、ほんの一時であったとしても心を通わせた存在同士。それが予め定められたままに、他に為す術もなく、殺し合うしかないという宿命。
 このような理不尽が至極当然のような顔をして蔓延るこの現実に、彼女は強い苛立ちを覚えた。
 宿命というただ一点の理不尽のために、友と殺しあう事。
 これに怒らずして一体、他の何に怒れと言うのだろうか。

「・・・やってやろうじゃないの」

 そう言いながらカタリナはグゥエインを、そしてその先にある宿命とやらを強く睨みつけた。
 そして何故か彼女は即座に踵を返し、ここまで持ってきていた旅の荷物が置かれた壁際へと歩み寄る。
 そこには途中から不穏な気配を察知して二人のことを不安そうに見守っていたフェアリーが居たが、カタリナはそんなフェアリーには曖昧に微笑みかけただけだった。
 しゃがみ込んで荷物の脇においてあったマスカレイドを腰に付け、そして布に包んだ板状のものを荷から取り出し、普段はロングソードを装着している剣帯部分に括り付ける。
 その脇に置いてあった月下美人には手を伸ばす事なく、かなり身軽な状態で再びグゥエインの目の前に戻り、正面に対峙した。
 しかしなんとカタリナは、腰のマスカレイドを抜くことなく、ゆっくりとした動作で両手を軽く横に広げて見せたのである。

『・・・何のつもりだ』

 当然その様子を訝しむグゥエインに対し、カタリナは沸々と体の内側から湧き上がり続ける怒りの感情を隠さないままに睨み返した。

「なんのつもり、じゃないわよスカタン。見ればわかるでしょう。来いって言ってんのよ。大層な御託はいいから、さっさとその宿命とやらに則って、お得意のブレスで私を焼き殺してみせなさい」

 そのあまりの態度の変容ぶりに、グゥエインは虚をつかれた様子で思わず瞳を細めた。

『血迷ったか・・・』

 低く唸りながら、そう呟くグゥエイン。
 しかしまるでそんなことには構う様子もなく、仁王立ちの状態で目前の竜を睨みつけたカタリナは、怒りの感情のままに言葉を続けた。

「血迷ったですって?・・・お生憎様、私は至って正常よ。寧ろそっちこそなによ、さっきまで言っていた御大層なその竜の宿命とやらは、両手広げた仁王立ちの人間は対象外なのかしら。だとしたら随分と都合がいい代物なのね、竜の持つ宿命ってのは!!」

 小気味よく啖呵を切るカタリナ。これにはグゥエインも堪らずふしゅうと色めき立つように口角の端から炎を吹き出し、力を溜め込むように姿勢を低くした。

『・・・吠えよる。よかろう、では望み通りに焼き尽くしてくれる・・・さらばだ、強き人間よ!』

 言い終わると同時にグゥエインは大きく目を見開き、両の翼を大きく広げる。
 大気に溢れる力の元素を翼から取り込むようにしてグゥエインの胴体が内側から淡く光り輝き、竜の体内で純粋な破壊を伴う力へと変革したものが全身を巡り、そして口角へと登っていく。
 口角部から覗く鋭い牙の奥、大きく開け放たれた喉元の中から、溢れんほどの眩い光と共に強烈な雷撃が一直線に放たれた。
 仁王立ちの姿勢からでは全く避ける事も叶わないであろう至近距離からの雷撃一閃は、寸分違わずカタリナを貫いた。
 同時にその威力を証明するかのように強烈な衝撃波が周辺へと広がり、壁際にいたフェアリーは思わず抱えていた荷物ごとごろごろと転がり飛ばされてしまうほどだ。
 視界が塞がれるほどの土煙が巻き上がり、雷撃によって大きく貫かれ崩れた後方の洞窟が崩れる音が遅れて響き渡る。
 そして数秒間に渡り吐き出された一閃が終わり、その直線上にあった地面すらもが焼き爛れ広範囲で抉られた有様が見えるようになってきた頃。
 その雷撃の中心にあったものに、当のグゥエインは正しく目を疑うようにしながら対峙した。

『馬鹿な・・・』

 そこには、先程の仁王立ちの姿のままで何事もなかったかのように佇んでいるカタリナの姿があったのであった。
 カタリナは真っ直ぐにグゥエインを睨みつけたまま軽く咳き込み、舞い上がる土埃を払うように顔の前を掌で仰ぎ、そのまま耳の辺りの髪を何でもないかのように撫で付けた。

「なによ、今の。光る手品を見せろなんて、言った覚えはないわよ」

 カタリナの煽るような台詞に、グゥエインは暫しの沈黙の後、まるで笑うかのように口角を釣り上げ、青い炎を漏らした。

『・・・良いぞ、やるではないか人間!!それでこそ我が背に乗せた者に相応しい!!』

 そう捲し立てながら、グゥエインは歓喜に満ち溢れるかのように後ろ足で立ち上がり、これでもかというほどに翼を広げ、ルーブ山脈中の魔素を集めるようにその身に力を集束させていく。
 一方で竜はあくまでも冷静さを保ったまま、カタリナの周辺をつぶさに観察していた。
 焼け爛れ、未だ紅く明暗する抉り取られた射線上の地面は、どうしたことか彼女の周辺だけなにもなかったかのように残っている。
 何かしらの手段を用いて雷撃を防いだ、という事は確かだろう。
 だが彼女の後ろには再び地面の抉れる様が忽然と続き、その奥の洞窟の大規模な崩落を招いている。
 雷撃は確かにカタリナのいる場所を貫通した、ということだ。となると、まるで彼女の周りだけが何事もなかった、というような状態。非常に奇妙な光景だといえる。

(・・・物理的な防ぎ方ではない。だが、天地六術式に属する結界とも全く様子は異なるように見える・・・)

 体内に集束する力が張り裂けんばかりに稲妻の走りを伴って身体中を駆け巡る中、グゥエインは思考を続けながらカタリナの細部へと観察の目を向ける。

(足元が動いた様子もない。熱量は愚か、それに伴う衝撃波すら相殺しているようだ。これは最早防御というより・・・事象の無効化・・・いや、改変と言ってもいい。だが、それでは大いに不自然だ。あれほどの手段を持っているのならば、何故奴はそれをビューネイとの戦いで用いなかった・・・?)

 これをビューネイとの戦いに用いていたとしたら、戦局は大きく傾いたはずだ。あのように一か八かの決死の行動をせずとも、もっと楽に決着はついたはずである。

(であれば、何らかの制約があるので使わなかった、と見るべきか。確かにこれほどの効果であれば、それは頷ける。彼奴は腰に聖王遺物の剣を持ってはいるが、抜いていない。仮に抜いていないのではなく、抜けないのだ、としたらどうだ。攻撃を行うことができない、という制約。それならばビューネイとの戦闘で使わなかったのは分かる。そして恐らくそれを成し得ているのが・・・)

 グゥエインは、目敏くカタリナの装備の変化を確りと見抜いていた。

(腰に吊るした、あの布に包まれたもの。形状からすれば、盾か。恐らくはあれが、この状態を作り出している。そして何らかの代償を伴う異能の発動は、往々にしてアビスの力が源。となるとあの盾のようなものは・・・大方、魔王遺物といったところか。魔王遺物には、魔王の盾が存在するはずだ。その効果のほどまでは知らぬが、これほどの効果を齎すのであれば相応の品と見るべき。恐らく間違いはなかろう)

 青白くグゥエインの体が光り輝き、竜が蓄える力は正に最高潮に達しようとしていた。
 ビューネイが空を主戦場としたように、グゥエインの最も得意とする戦場は、この根城に他ならない。
 三百年に渡りグゥエインが棲み続けるこの地には主人たる竜の息吹が山岳全体に根付いており、この地でこそグゥエインの雷撃は最も力を発揮する。
 恐らく次の一撃は、先のビューネイの結界をも易々と破るほどの威力を内包しているものとなるだろう。

(アビスの瘴気は、人間には猛毒。しかも力の源が魔王遺物ともなれば、その影響被害は計り知れない。そうか・・・読めたぞ。彼奴、身につけている幾つもの聖王遺物で、それを相殺しておるのか。自らの身体とそれらを全て瘴気の相殺に回すことで盾の効果を引き出しておると見える)

 グゥエインは、再び口角を上げるようにして、その端から炎を溢れさせる。
 その様をカタリナは、冷や汗を垂らすようにしながら見つめていた。

《カタリナさん・・・》

 脳内に、フェアリーの念話が響く。念話であるというのに、その声色がひどく不安げであることが手に取るようにわかるのだから、面白いものだとカタリナは場違いに思った。

《グゥエインさん、魔王の盾の絡繰に気づいています・・・!》
《・・・でしょうね。あいつさっき、笑いやがったわ。気づいた上で、真正面からやるつもりよ》

 三百年の知見は伊達ではない、という事だろう。恐らくは先の防御が魔王の盾の齎す効果である事以外に、自分が何もできない状態であるということまで、見抜かれている様子だとカタリナは判断した。
 全く、この土壇場だというのにとんでも無く頭の回転の早い竜だな、などと呆れ半分に考えながら、しかしカタリナはその上で真正面から挑もうとするグゥエインの狙いが、手に取るように分かっていた。

《別に最初は、そんなつもりじゃなかったけどね。でもこれは、彼奴にとって最も相応しい決着の付け方かもしれないわ・・・》

 そう頭の中で呟きながら、カタリナは額を流れる汗を乱暴に腕で拭った。
 以前にはウンディーネとボルカノの魔術攻撃をこの手法で抑え切った事があるが、その際のこの盾による消耗は非常に大きなものだと感じていた。だが今、先程の雷撃を無効化するために魔王の盾が要求する代償は、既にその時の比ではない程の疲労感を彼女に齎している。
 身に付けている幾つかの聖王遺物の助けがなければ、とうに彼女は力尽きて倒れているだろう。

(・・・これは、我が母を殺した聖王の力との対峙でもある。聖王の時代から幾つも世代を重ね受け継がれてきた人間の力の結実ともいえる我が誇るべき戦友が、更に聖王の力をその身に纏い、我が前に立っているのだ。その力を打ち破り焼き尽くしてこそ、最強の竜であるということの証明に他ならぬ。宿命の先に立つのは、この我である・・・!!)

 内包する雷光によって全身が眩く光り輝くグゥエインは、いよいよその渦巻く力の奔流を解き放つべく、再び力強く四肢で足元の財宝を踏みしめた。
 目の前の相手を焼き尽くすまでは、雷撃を止めるつもりはない。グゥエインは己の存在を賭けて誓っていた。
 力の全てを放出し尽くし己が果てるか、魔王の力の代償に耐えられずカタリナが遺物ごと焼き尽くされるか。
 決着は、二つに一つだ。

「さぁ来なさいよ、グゥエイン!!!」
『ゆくぞ、カタリナよ!!!!』

 直後、その場の全てを覆う眩い閃光が、解き放たれた。
 許容量を大きく超えて溢れる力はグゥエインの身体中から血飛沫と共に吹き出し、だがそれをすらグゥエインは無理矢理に眼前の破壊の集束へと導く。
 天雷の如き轟音と共に放出された全てを焼き尽くさんとする雷光が、グゥエインの眼前の全てを飲み込みながら一直線にルーブ山を貫いた。
 その雷光は先の一撃で崩落を招いていた洞窟を今度こそ跡形もなく消し去り、正しく龍峰ルーブ山を真っ二つに切り裂く光刃となったのである。
 後にその光と衝撃波は天の怒りとも語り継がれ、世界を駆け巡ることとなるほどのものだった。
 その雷光の渦中にあり、カタリナは既に限界を訴え悲鳴をあげる全身を、その研ぎ澄まされた精神力だけでなんとか奮い立たせていた。

(耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ・・・!!!!!!!!)

 食いしばった口の間からはぼたぼたと血が滴り落ち、雷光を無効化せんとし激しく鳴動する魔王の盾は、しかし明らかにその出力を弱めていく。
 無効化の範囲は急速に狭まり、最早彼女の足元まで雷光が迫っている。
 ピシリ、と盾が音を立てた。
 事象の無効化の限界を迎えようとしている魔王の盾が、今にも砕け散ろうとしている音だ。

(耐えろ・・・!・・・私は、こんなところで死んでなどいられない・・・!!!)

 初めに肌が膨大な熱量を感じ、そして衝撃波となる風が彼女の髪を戦がせる。
 そして次には、間も無く砕けんとする魔王の盾の効果範囲を侵すように眩い白と青の閃光が、カタリナを包んでいった。
 盾の限界を察知したカタリナは、咄嗟の判断で腰のマスカレイドを抜き放ち、切っ先を目前へと突き出す。
 そして大きく上段へと構えをとったカタリナは、渾身の叫びと共にマスカレイドを振り下ろした。

「・・・ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!」

 遂には盾が砕け、事象の無効化を打ち破った雷光がカタリナを飲み込まんとする、その瞬間。
 彼女が振り下ろした聖剣マスカレイドは真紅の閃光を放ち、己を飲み込まんとしていた雷光を、真っ二つに切り裂いた。
 瞬間、巨大な力のぶつかり合いによって起こった爆風が、周囲の全てを吹き飛ばしていく。
 グゥエインの横あたりにまで荷物と共に避難していたフェアリーはそれに巻き込まれて再度後方へ吹き飛ばされ、またカタリナ自身も、爆風に煽られて吹き飛ばされそうになる。
 だが、彼女は残り僅かな力を振り絞り、その場に留まった。
 ここで吹き飛ばされるわけには、いかない。
 何故ならそれが彼女の勝利に他ならないと、彼女は確信していたからだ。
 その確信を、裏付けるかの如く。
 強烈な爆風の収束と共に、ルーブを切り裂いた雷光は、その終わりを迎えた。

「・・・・・・」

 巻き上がる大量の土煙と共に、粉々に砕けた魔王の盾の残骸がカタリナの足元へと落ちていく。
 彼女が身に付けていた外套は肩口から焼け落ち、両の腕を覆っていた小手や衣服も吹き飛ばされていた。
 だがそんなことには構わずに真紅の大剣となったマスカレイドの切先を地面に置いたカタリナは、徐々に落ち着いていく土煙の奥に居るであろうグゥエインを、ただ真っ直ぐに見つめていた。
 彼女の視線の先には、神域に迫らんとするほどの雷光を放ったグゥエインが、その持てる力を全て使い果たしたことを示すように、ぼろぼろと鈍色の表皮が崩れ落ちるままに佇んでいた。

『・・・見事だ』

 断続的に体から吹き出す流血を物ともせず、グゥエインはとても静かな調子で、そう言った。
 そしてその言葉と共に、竜の四肢はその体を支えることすら出来なくなり、ズシンと重い音を立てて財宝の上に倒れ伏す。
 カタリナはマスカレイドを地面に突き刺し、自らの全身の激痛を無理矢理に抑え込むようにしながら、グゥエインの元へふらつきつつも駆け寄って行った。

『・・・母の気持ちが、漸く判った』

 目の前に屈み込み竜の鼻先に手を当てるカタリナを認識し、グゥエインはひどく穏やかな声色で続ける。

『・・・滅びゆく定めならば、せめて友の腕の中で・・・。きっと母はこの時、そう思ったのだ』

 生命の輝きが今にも途絶えんとしているその瞳を、カタリナはじっと見つめていた。
 その様子が見えているのか否かも分からないが、グゥエインが今とても穏やかな気持ちであるのだということは伝わってくる。

『お前も、人間にしては中々だったぞ。聖王のように・・・』

 その言葉と共に、グゥエインはゆっくりと目を瞑る。
 そして、穏やかに眠るようにして、動かなくなった。

「・・・・・・」

 カタリナは竜のその言葉を聞いてから、直ぐ様自分の体に鞭打つようにして、立ち上がる。
 そして眼下に横たわるグゥエインを一瞥すると、未だ収まらぬ憤りと共に呟いた。

「・・・何、自分勝手なことばっか言ってんのよ・・・!」

 

 

 雷光によって一切の遮るものがなくなり、溢れんばかりの陽光がその場に満ちていた。
 陽光はあちらこちらに散らばる金銀の財宝に当たることで、更に方々へきらきらと光を反射している。
 全く冬を思わせぬその暖かい陽光に包まれながら、ゆっくりと竜は意識を覚醒させ、瞳を開いた。

『・・・・・・』

 何故、自分は瞳を開いたのか。
 それが、まず竜には分からなかった。
 自らの宿命に相対し、その宿命に従い自らの生命を終えた。
 それが、竜の持つ最後の記憶だった。
 だというのに、どうして再び、こうして自分は瞳を開いているのだというか。
 グゥエインは殆ど動く様子を見せぬ自らの身体の様子を簡潔に理解すると、痛くしんどそうに頭だけを少し上げ、自らの周囲へと視線を向けた。
 己の持つ渾身の力によって大部分が吹き飛ばされた、哀れな棲家の跡。
 もうすっかり熱が冷めた様子の、焼け爛れ黒ずんだ地面の痕跡。
 何やら自らの周囲に幾つも乱雑に転がる空の薬瓶と、どうやらその薬を幾重にも振り撒かれたらしく薬品の匂いがつんと鼻につく、自らの身体。
 そしてその脇で小さな火を焚いて囲んでいる、見覚えある二つの影。
 それが意味することを遅まきながら理解したグゥエインは、火の横に座るカタリナへと目を向けた。

「・・・やっと起きたわね」
『・・・何のつもりだ』

 何事もなかったかのように声をかけてきたカタリナに対し、グゥエインはあまり穏やかではない怒気を孕んだ声でそう言った。
 これは、明らかに宿命を貶める愚行である。
 そのようなものを許すほど誇りなき軟弱な思考を、グゥエインという竜は持ち合わせてなどいない。
 出来ることならば同時に威嚇の姿勢でもしてやるべきところなのだが、しかし生憎と体はそこまで自由に動いてくれる様子はない。

「・・・なんのつもり、じゃないわよ。貴方ね、自分だけ分かった風で勝手に終わるとか、自己中過ぎるわ。私は、そんなこと許した覚えはないのよ」

 大概こちらも辛そうにしながらゆっくりと立ち上がり、カタリナはグゥエインの目と鼻の先まで歩み寄る。

「貴方が聞いてきたのでしょう。宿命の先に何を思うのか、と。それは貴方だけの問いではなく、私の問いでもあるの。そしてね、私はそれにはこう答えるつもりなのよ。そんなの・・・くそったれだ、ってね」

 育ちの割にはあまりに汚い言葉を使うカタリナに、グゥエインは思わず閉口するような思いで、未だ相手の意図が理解できずに見つめ返した。

「全く何かある毎に宿命宿命宿命って・・・一体この世界の住民は、どんだけ宿命マニアなのよ。生憎と私はね、欠片も気に入らない宿命を『はいそうですか』って受け入れられるほど、寛容な人間ではないの。だから、それに抗おうとしているだけ」
『馬鹿な・・・そのようなことで竜たる我が宿命をも愚弄すガッッ!!??』

 激昂し声を上げたグゥエインの頭部を、なんとカタリナは握りしめた拳で思い切り殴り飛ばした。
 表皮の鱗が二、三枚飛び散るほどの威力で殴られたグゥエインは言葉を遮られ、そして殴ったカタリナの拳もまた、硬質な鱗によって切れたのか血が流れ出す。

「負けたくせに、一丁前に意見述べてんじゃないわよ。制された者は、制した者に従う。それこそが対峙した二者の間にある、ただ一つの不問律よ」

 なんとも理不尽な物言いだが、しかしそんな屁理屈ではこの事態を到底納得することなど出来ない。
 そう考えたグゥエインは、再び睨みつけるようにカタリナを見た。

『それでも抗えぬ宿命は、ある。我らはその理の中で生きているに過ぎぬのだ』
「・・・生憎私は、それが本当に抗えぬ宿命なのかどうかをこの目で確かめるまで、納得なんてする気はないわ。だから」

 まだ利用していない薬瓶を足元から拾い、その中身を手の甲に垂らしながら、カタリナは言った。

「だから、一緒に来なさい、グゥエイン」
『・・・何を・・・何を世迷い言を・・・。そもそも竜と人とでは何もかもが違・・・』
「違わないわよ」

 相手の言葉を遮るようにはっきりと言いながら、カタリナは薬瓶の残りを、今しがた自分で殴り飛ばしたグゥエインの頭部に乱暴に振りかけた。
 それは瞬く間に魔術的効能を伴って竜の傷口に染み込み、そこに癒しを齎していく。

「・・・ほら、こうして私にも貴方にも傷薬、ちゃんと効くじゃない。それに貴方と私は何方も目は二つで鼻と口は一つだし、手足も四本で一緒。まぁ図体の大きさとか翼の有無とか細かい違いあはあるけれど・・・何より、この世界に住まい、この世界が強いる宿命とやらに翻弄される存在であるという意味では、何も変わらないわ」

 言っていることは、あまりに大雑把で無茶苦茶だ。
 無茶苦茶でしかないのだが、しかし己の命運を握られたグゥエインには、反論する材料がない。

「私は、気に入らないことには抗う主義なのよ。確かに世の中には多くの不条理が蔓延り、それに従わざるを得ない人々もこの目で見てきたわ。でもね、だからって自分も無条件でそれに身を委ねるなんてのは、真っ平ごめんなの。この身に不条理な宿命が降りかかるというのであれば、それを真っ向から斬り伏せに征く」

 およそ騎士らしからぬその言動に、グゥエインは最早呆れを通り越して諦めの境地に達しようとしながらカタリナを見つめた。
 その視線を受け、カタリナは真っ直ぐに見返しながら続けた。

「だから貴方も、暫く付き合いなさい。無論、私に負けたんだから異論は認めないわよ」

 両の手を腰に当てがい、仁王立ちで言い切る。
 グゥエインはその言葉には只々呆れるばかりで、よもや人と竜とはこうまで精神構造が違うものなのか、と思ったものだった。
 だが、それこそが人の進化というものであるのかもしれない、とも考える。
 竜とは違いこの三百年で何世代にも渡って歩みを連ね、そして、この世界の宿命をすら超えようとするもの。
 それが、人間という生物なのかもしれない。
 そう考え直したグゥエインは、ゆっくりと瞬きをした後、静かに首を垂れた。
 その行動が意味するところを理解したカタリナは、その鼻先にゆっくりと手を置き、不敵に微笑んでみせる。

「安心なさい。ロアーヌ軍はばっちり三食昼寝付き。そんな悲観するほど悪い待遇じゃあないわ」

 後の世に数多の吟遊詩人が競って歌い上げたという、パウルスの予言に導かれし八つの光の英雄譚の中でも、屈指の人気を誇る語り詩。
 この世界で、後にも先にも唯一人となる、竜騎士の誕生。
 これが、その瞬間であった。

 

 

前へ

章目次へ

目次へ

第八章・6 -ゲッシアの地-

 

 夜間に起きた、もはや幾度目かも定かではない妖魔の急襲を辛くも退けた、明け方のロアーヌ南東、対四魔貴族軍のロアーヌ軍防衛線最前線。
 未だ戦火の収まる気配が全くないこの戦線に駐屯するロアーヌ侯国騎士団は、その朝、戦場に相応しく非常に厳かな年明けを迎えていた。
 例年ならば年始の幾つかの行事を宮廷内で行うのが騎士団の通例だったが、昨年からはそれも行っていない。
 何しろ昨年の今頃は、冬を前にして前ロアーヌ侯爵フランツが急逝しミカエルが新たなロアーヌ侯爵となり、年末に向けて急激に増加傾向にあった魔物の討伐のための遠征準備に明け暮れていたのだ。
 その時に『年始の国事を蔑ろにするとは何事だ』と場違いにも騒ぎ立てていた貴族院の御老体達は、直後に巻き起こったゴドウィンの変にて半数が粛清、再編された。思い返せば、あの出来事を発端に、この一年で一気に宮廷内情勢はミカエルによって纏まっていった。
 その間にも、ゴドウィンの変でも功を挙げた騎士団の紅一点が急遽宮廷を離れることになったり、また例年にはない度重なる軍事遠征があったり、そして侯爵ミカエルの最愛の妹にしてロアーヌの華と謳われた美しきモニカ姫の遭難事故という悲劇が起きたりなど、昨年を振り返れば本当に多くの激動があった。
 その上で今のこの戦線とくれば、これはもう今年の抱負は「生き残ること」あたりだろうか、などとブラッドレーは幕舎の中で苦笑いしながら、戦線の被害状況と物資の確認を卓上で思案していた。

「伝令、伝令ー!!」

 するとそこに、新年から司令官幕舎へと慌ただしく駆け込んでくる者があった。
 どうやら本国からの連絡らしい兵を幕舎で迎え入れたブラッドレーは、神妙な面持ちで駆け込んできた兵の呼吸が整うのを待った。
 連日の例に倣い昨夜もそうであったが、この苛烈極まる戦線を一望する物見の方面からは、この一ヶ月の間は引っ切りなしに妖魔襲撃の報が届いていたものの、しかし後方の首都側から急報の伝令兵が来ることは殆どなかった。
 なのでこの知らせが果たして良い知らせなのか悪い知らせなのか、どちらかと言えば常に最悪の知らせを想定している傾向のあるブラッドレーには皆目見当が付かなかったのである。

「ブ、ブラッドレー将軍・・・急報でございます・・・!」
「それはわかっている。内容を聞かせてくれ」

 駆け込んでくることに必死になりすぎたのか、やっとのことでそれだけ言いながらも息が上がったままの伝令兵に、態々ブラッドレーは水の入った杯を渡してやる。すると兵はそれを有難く頂戴し、一気に飲み干して漸くの様子で一息付いてから改めて姿勢を正した。

「ほ、本国防衛軍総司令ミカエル様より伝令です! 近く、友好国メッサーナ王国近衛軍からの物的支援が、ミュルスからこの戦線に直接送られてくる旨の伝令を承っております・・・!」
「・・・近衛軍、だと? まさか、ルートヴィッヒが動いたというのか?」

 訝しむように眉を顰めて言いつつ伝令兵が差し出してきた書簡を受け取り、封蝋が確かに近衛軍団のものである事を見定め、直ぐ様封を切り中身を確認する。
 すると確かに書簡の内容は冒頭の当たり障りない文面が多少ある以外は物的支援の条文が並んでおり、羅列されている支援物資は食料や武具、建築資材等を含めて相当の物量が記載されている。
 しかも、その輸送は既に行われている旨と、書簡発行の日付も明記されていた。
 ざっと中身を見たブラッドレーは、伝令兵に疑問符を投げかける。

「この日程だと、もう間も無く到着するような予定だが?」
「はい。ミュルス駐在軍からの連絡では、港へ物資と同時にこの書簡が届けられたそうです。即座に駐在軍から早馬にてミカエル様の元へ第一報が届き、ミカエル様はご自身宛の書簡をご確認の後、即座に輸送開始の許可をお出しになられつつ、自分を将軍の元へと寄越しました」
「そうか。ミカエル様からの書簡はあるか?」
「は、此方に」

 そう言って伝令はミカエルが持たせたであろう書簡を、ブラッドレーに手渡した。
 ブラッドレーが開いた書簡に視線を落とすと、確かにそれはミカエルの文字だ。それをみて一つ頷き、引き続きミカエルからの伝文に目を通す。
 彼ら将校は普段から偽計を看破する取り組みの一環として、ミカエルの文字は似せて書いてもそれと分かるように判別するべく訓練を行なっている。なのでこのミカエルからの書簡が無い限りは、基本的に指示を受け入れないのだ。

(・・・ミュルスについた商船の雇主は、近衛軍ではなくカタリナ・カンパニー・・・。なるほど、ミカエル様が即座に動かれたのはそういうことか。近衛軍だけが単独でこのような動きをしたとなれば、あまりのきな臭さに然しもの我が君とて即応はすまいな・・・。しかし、よりにもよって近衛軍との連動とは・・・カタリナめ、今度は一体何をしでかそうというんだ・・・?)

 彼は自分の同期の紅一点騎士の破天荒さに内心で苦笑を浮かべつつ、再びメッサーナからの書簡の中身を見返し、内容の熟知を行うこととした。

「よう・・・何かあったのか?」

 丁度そこへ、大きな欠伸をしながら騎士コリンズが幕舎へと入ってくる。彼は未明にあった強襲の迎撃に出ていたので今は休んでいたはずだが、物音に気がついて様子を見にきたのだろう。
 彼に限らずこの最前線で戦いを続けているロアーヌ兵は全員が大いに疲弊し、その中でいつ来るとも分からない襲撃に備え、常時神経を尖らせている。そんな疲れも取れない状況の中では、この物資支援は非常にありがたいものであった。

「ああ、丁度よかった。休んでいた所にすまないが・・・コリンズ、これを見てくれ」
「どれどれ・・・。・・・・・・・・・ふぅん、ルートヴィッヒが、ねぇ。でもミカエル様のご判断には間違いないようだな」

 コリンズもまたミカエルの筆跡を確認してから物資リストを見返し、ふむふむと唸りながらそんな感想を述べ、そして書簡をブラッドレーに返しながらふと表情を曇らせた。

「しかし、どうみるよ、これ」
「・・・ルートヴィッヒの思惑か?」

 ブラッドレーがそう返すと、コリンズは小さく頷いた。

「ああ。先ず思い当たるのは、これはロアーヌがメッサーナから大きな貸しを受けた、という事だよな。俺はその辺にあまり明るいわけじゃあないが、この物資の量は、ぶっちゃけロアーヌの国家予算で用意したら向こう二、三年は国民が貧しい暮らしを強いられる規模だと思う。これ程の支援物資を出しておいて単なる慈善だなんて、とてもじゃないがルートヴィッヒが考えるとは思えないよな」

 コリンズの予想外に鋭い意見に、ブラッドレーはこくりと頷いた。当然ながらミカエルはそう言ったことも把握の上でこれを受けているのであろうが、確かにこの物量は規格外だ。何か相応の見返りを求められることは、想像に難く無い。
 しかしブラッドレーには、これに関しては既に大凡の察しがついていた。

「そうだな。だが、それはもう決まっている様なものだろう。恐らくルートヴィッヒは・・・」

 そう続きを話そうとしたところで、今度は後衛見張からの伝令が駆け込んできた。

「将軍! ミュルスからの救援物資隊とやらが接近しており、早馬が受け入れ準備を要請して来ております!」
「もう来たのか・・・早いな。よし、妖魔の動きが鈍い日中が勝負だ。受け入れを進めてくれ。コリンズ、話はまた後で」
「了解。俺はもうちょっと寝とくわ」

 コリンズの言葉にブラッドレーはうっすらと笑いながら「そうしてくれ」と返しつつ、副官にその場を任せて物資隊の確認に向かって行った。

 

 

「ロアーヌからの見返りは既に確定している・・・?」
「ええ、そうです」

 ピドナ商業区ハンス邸のリビングにてトーマスと卓を交えていたシャールが確認するように聞き返すと、トーマスは肯定しつつ頷いた。
 近衛軍と連動してカンパニーが主導し進めていたロアーヌへの救援物資輸送手配は既に完了しており、現在はその後処理と今後の流れを確認するためにピドナ組がその場に集まっていた。

「一体その見返りってのは、何なのさ。物資リスト見せてもらったけど、ありゃピドナ商工会の決算書でも中々見ない数字だったよ。ロアーヌってのは、そんなに金持ちなのかい?」

 上品にティーカップを傾けながらノーラが首を傾げると、トーマスはそれに応えるようににこりとしながら、続いて隣に座るミューズに無言で視線を投げかけた。
 するとそれに気がついたミューズは少し怪訝そうな表情をしたかと思うと、直ぐにトーマスの意図に気がついてノーラへと向き直った。

「私からご説明します。今回の物資供給からロアーヌ侯国が求められるであろう見返りは、金銭ではありません。そもそも金銭的な見返りを要求するほどの備蓄がロアーヌ侯国にあれば、物資支援の意味自体があまりないと言えます。ですので今回メッサーナ王国が狙う見返りとは言わば・・・『戦力』としての役割です」
「戦力・・・?」

 ノーラはミューズの言葉をそのまま返しながら、変わらず理解の及んでいない表情をする。が、対するミューズはそれをよしとしつつ頷いた。

「今回メッサーナがロアーヌの戦線に自軍備蓄の大部分を支援物資として送ることを決めたのは、即ち『四魔貴族軍との全面対決』を始めるということを意味します」
「そうだね。だから年末の会議でも、お偉方が随分と紛糾したんだろう?」

 事前にその辺りの話は聞いていたのか、ノーラがミューズの言葉に同意するようにそう言う。
 すると今度はモニカが後を続けるように発言した。

「つまりメッサーナは、四魔貴族軍との戦いの最前線をロアーヌに担ってもらうつもりで支援をした、と言うことでしょうか?」

 モニカの言葉に、ミューズはゆっくりと頷いた。

「はい。そもそもメッサーナ王国は物資は豊富ですが、その兵力は各都市の軍団に分かれており、更にその各都市軍団の横の繋がりが現時点で非常に希薄だという特徴があります。これはアルバート王亡き後、各都市軍団長が権力の増加を狙うことで更に顕在化しました。またルートヴィッヒ軍団長もそれを把握の上で、この五年間は単純な軍事力の増強よりも各都市の連携阻害と物資の中央集約という政策を中心にその手腕を奮ってきました。半年少々前にあったファルスとスタンレーの戦などは、正にルートヴィッヒ軍団長が目論んだ展開だったと思います」
「・・・なるほどです。確かに近衛軍団が単純な軍備増強などを行えば、それは各都市軍の危機感を煽る事になりますわ。そうなると焦った各都市が動いて横の連携という中央への脅威を生み出してしまいかねなかった、ということですわね」

 モニカがミューズの説明でそう理解を示すと、トーマスとミューズ以外の面々は成程と頷いた。

「はい。ですので今のメッサーナには国力に見合ったほどの『纏まった精強な軍』というものが、敢えて欠けているのです。そこにおいてロアーヌ侯国の騎士団は、魔王に汚染されし東の地から現れる妖魔に長年対抗し続け、ゲッシア王朝を滅した神王教団との戦にも勝利し、更には密林にある伝説の火術要塞の攻略という快挙まで成し遂げています。彼等は最早、名実ともに世界最強の騎士団だと言えます」
「つまり、支援はするから戦の一番手は任せるぞ、ってことか・・・」

 ユリアンが腕を組みながらそう応えるのを聴きながら、ミューズが続ける。

「そしてミカエル侯は、間違い無くその意図を理解しており、利用すると思います」
「お兄様ならば、必ずそうしますわ。ルートヴィッヒ軍団長に出し抜かれるようなことは、天地がひっくり返っても有り得ませんわ」

 モニカが確信めいて同意すると、トーマスとユリアンは目線を合わせてふっと微笑む。

「そして今後、最も戦が起こる可能性があるのは、このピドナです」
「魔王殿か・・・」

 ミューズの隣に座っていたシャールが、呟く。
 このままロアーヌが魔龍公ビューネイ軍との戦いに勝利したとすれば、後に残る四魔貴族はピドナ旧市街に佇む魔王殿、その奥深くに潜むと目される、魔戦士公アラケスのみだ。

「アラケスが実際どの様な行動に出るのかは、まだ分かりません。ですが先のフォルネウスや現在のビューネイ軍の様な大規模戦闘が起こる様な事になれば、屈強な軍を持たぬメッサーナは非常に分が悪いです。しかも周辺都市国家軍は、いくら共同戦線に合意したと言えども、矢張り積極的な武力提供には消極的なはずです。そうなると、メッサーナが望む見返りは、明らかだという事になります」
「素晴らしい。よく把握していますね」

 ミューズが言い終えるのを待ってトーマスがそう締め括ると、ミューズは少々悪戯っぽい笑みを浮かべながらトーマスを横目で見た。

「全てトーマス様の教えです。丁度いいアウトプットの場だとお考えになったのはすぐ分かりましたから、別に構いませんよ」

 ミューズの思わぬ反応にトーマスも苦笑していると、そこに丁度、情報収集のために外に出ていたポールとブラックが帰ってきた。

「よう、話は進んでいるかい?」
「ああ、二人ともおかえり。丁度、メッサーナとロアーヌの今後の動きについて話していたところだよ」

 二人が空いている席に座るのを見ながらトーマスが状況を告げると、早速煙草に火をつけるブラックの横でポールが軽く頷いた。

「なるほどね。こっちの報告は後のほうがいいかい?」
「いや、今言ってくれて構わないよ」

 トーマスがポールに話を促すと、新しいティーカップが目の前に用意されたところでポールが懐からメモ書きを取り出しつつ口を開こうとする。
 その時だった。
 何やら、窓の外が急激に騒がしくなったのた。

「お・・・なんだ、何かあったのか?」

 特にその場にいる意味を感じていない様子だったブラックがいち早く、すくりと椅子から立ち上がって窓から外の様子を伺う。
 すると普段は実に平和な様子であるはずの商業区通りでは多くの通行人が、慄き後退りをしながら空を見上げていたのだった。
 そして更にそこへ、この館の主人でもあるトーマスの従兄弟にあたるハンスが慌てた様子で部屋に駆け込んできた。

「大変だ、魔物がピドナの空に・・・!!」
「なんだって・・・!?」

 ハンスの言葉に反応したトーマスを皮切りに、その場の一同が即座に立ち上がって外に向かう。
 入り口の大広間を抜けて扉を抜け、慌ただしく人々が逃げ惑う商業区の大通りに飛び出したトーマスが上空を仰ぎ見ると、そこには普段と変わらぬ一面のピドナの青空がある。
 そしてその青空の僅かな一点を、強烈な存在感を放つ一体の生物が占有していた。

「あれは・・・まさか・・・」

 トーマスがその存在を視認して、小さく呟く。
 丘の上のピドナ王宮よりもさらにずっと上空を飛ぶその生物は、地上からでもその大きさが分かるほどの体躯だ。
 大きく両翼を広げ、ともすれば優雅に滑空している様にすら見えるその様は、何かの物語の一節を彷彿とさせる様な光景でもある。
 突如としてピドナの上空に姿を表したそれは、一頭の巨大な竜だった。
 そして巨龍は特に高度を下げる様子もなく、下界から見上げる限りは非常に長閑な様子でピドナの空を横切っていく。
 北西の方角の空に見えていたそれは、地上でどよめく人間に興味などまるでない様子で、そのまま北東へと抜ける様だった。

「竜と人との力によって さしもの魔龍公も敗れ ゲートの彼方へ追いやられた・・・伝え上げたる詩の具現がよもやこの目で見られようとは、聖王記詠み冥利に尽きるというものですねぇ」

 その場の全員が上空の一点に視線を奪われていたところに、妙に間の抜けた声が響く。
 聞き覚えのあるその声に反応したトーマスが振り返ると、そこにははたして、数週間前にバンガードで会った詩人が立っていたのであった。

「貴方は・・・」
「やあ、これはどうもどうも」

 相変わらず周囲の空気とはどこかずれた雰囲気を持つ詩人の唐突な登場に、漸く周囲の面々も気がついて彼に視線を向ける。
 しかして詩人は名残惜しそうに再度空を東に抜けていく竜へと視線を投げかけた後、自らの脇に置いていた旅道具を持ち上げ、何事もなかったかのようにそのまま立ち去ろうとした。

「ま、待ってください。やはりあれは、悪竜グゥエインなのですか」

 トーマスは慌てて詩人を呼び止めるようにしつつ、目の前の詩人の言葉から上空の存在についての見解を口に出す。
 だが、詩人はその言葉を聴くと真顔になって考え込むように二度三度と瞬きをし、次に目を閉じてゆっくりと頭を横に振ってみせた。

「いいえ。あれは、英雄グゥエインの勇姿。彼の竜がこれから成すであろう偉業は、人類に限らず、この世界に住まう多くの生物が大いに讃えるものとなるでしょう。たとえその後に母であるドーラと同じ道を辿る宿命であったとしても、それはその時の話です」

 詩人の言葉に今度はトーマスが目を瞬きながら無言のまま返せずにいると、詩人は首を僅かに傾げながら、薄らと笑みを浮かべた。

「ふふ、少し意地悪な回答でしたね。しかし、そういうものなのです。その時、その時代によって、ものの捉え方は大きく変わります。そう・・・例えば、あの悪名高き魔王が『魔王』と呼ばれる前までは、世界で唯一死蝕に打ち勝った『祝福の子』として讃えられていたように」

 まるでトーマス達を煙に巻くように、いつも通り妙に芝居がかったような様子で身を翻しながらそう言うと、どうやら満足したのか詩人は再び立ち去る姿勢になった。
 だが歩き出すわけでも無く、半身だけトーマスへと振り返る。

「そうそう、貴方は空を見るのもいいですが、地にも目を向けると、欲している真実が見えるかもしれませんよ。灯台下暗し、というやつです」
「・・・それは、どういう」

 トーマスが詩人の言葉に疑問符を浮かべながら答えを求めようとしたその時、またしてもトーマスの従兄弟ハンスが、今度は館の中から郵便物を手に慌てた様子で飛び出してきた。

「トム、ポール!こんな時だが、ターゲットの動向が来たぞ!」
「!!」

 ハンスの言葉にトーマスとポールが敏感に反応してハンスの元に急ぎ駆け寄り、彼の持っていた封書に食い入るように目を通す。

「・・・・・・これは・・・」
「・・・あぁ、こいつは想像以上に不味そうだな」

 封書の中に記されていた内容を見て、二人は苦々しそうに眉間に皺を寄せる。その中身に書いてある内容が、余程彼らをそんな表情にさせるようなものなのだろう。

「・・・早急に動きを決めなければ。・・・詩人殿、また出来れば今度お話を」

 そう言いながらトーマスが振り向いた時には、既に詩人はその場から忽然と姿を消してしまっていた。

 

 

 エレンが首を後ろに直角まで折り曲げんという勢いで見上げども、聳え立つその無骨な塔の先端は一向に窺えず。
 直下から見上げる神王の塔は、彼女の想像を遥かに超えて、巨大だった。
 道中、遠目で見ていた時点でその大きさには驚いたものだったが、しかしこうして真下から見上げてみると全く印象は異なる。最早エレンには、これを人が作ったものであるなどとは到底思えなかった。それこそ彼女には、まるでピドナ旧市街に佇むあの魔王殿のように、異様にして不気味なものとして目に映ったのである。

「おい、いつまでもそんな胸糞悪いものを見上げてんじゃあないぜ。とっとと宿に行くぞ」

 物珍しげな様子のエレンとは対照的に、忌々しげにその塔を一瞥だけしたハリードは一言エレンにそう声かけすると、一人さっさと歩き出してしまった。

 二人はピドナからリブロフに渡るや否や、慌ただしく翌日には神王の塔へと向かう行商人の商隊に混じって出発し、アクバー峠のバザールを越え、数日後には旧ゲッシア王朝跡に佇む、この神王の塔へと辿り着いていた。
 ハリードとしては、またしても思ってすらいなかったところまで来てしまったものだ等と内心では頭を抱えたくなる思いだった。何しろこの地には、神王教団を討ち果たしてゲッシア王朝を再建するその日まで、来るつもりなど無かったのだから。
 だが、その目的はいつの間にか彼の中で、どこか叶うことのない夢物語の様な扱いへと変貌していた。それをルートヴィッヒとの対話の中で痛感したからこそ、彼は自身の下手な拘りを捨て、十年の時を経て再びこの地に立つことができたのだとも言える。

(・・・ここまで来ちまったからには、確かめざるを得ない・・・か。まさかこの俺が、まだ目の黒いうちに歴々の王が眠る諸王の都へ行くことになるとはな・・・)

 見るのも悍しく忌々しい塔を敢えて視界に入れないように横を通り過ぎながら、ハリードは宿へと向かいつつ、そんな物思いに耽る。そうして意識を別のところに向けていても、彼の体はなんの問題もなくこの街並みを覚えている。だから彼は迷いなく、街の北西あたりにある安宿のある地区へと向かっていった。
 この神王の塔は、かつてゲッシアの宮殿があった場所に、そのまま建てられている。なので、それ以外の街の構造は、かつてのゲッシア城下町そのままなのだ。
 宮殿を中心として円状に広がっていた旧ゲッシア城下の街並みは、大きく三つの区画に分かれる。
 一つは、アクバー峠からナジュ砂漠を横断してきた者を労うかのように華やかに出迎える、都の顔ともいえる西のバザール区画だ。ここには主たるナジュの産業の中心市場の他に、酒家、渡来者向けの宿などが集合している。アクバー峠にある巨大バザールよりは規模は小さいが、アクバー峠まで流通しないような希少性の高いものも西区市場では取り扱っている。
 しかしこの西区画で売られているものは何方かと言えば富裕層や観光客向けの価格設定のものも多く、居並ぶ商人も強かなものが多い。地元事情に聡い者は、ここではあまり物を買わない。
 そんな西区画から繋がる南北の区画は、国民の居住区だ。都市の南東に位置するナジュの命の源たるハマール湖にほど近い南区画には主に富裕層が住み、反対の北部区画には平民街と、所謂貧民街が広がっている。
 貧民街はどの都市にも大抵あるものだが、特にこのゲッシアの貧民街は酷いものだとハリードは思う。
 ゲッシアには独自の聖典に基づいた絶対的な階級制度が存在しており、国民は全てその枠組みの中で識別される。その中で、聖典により定められた階級にも属することの叶わないダリットと呼ばれる民が、最北部の隔離された区画に追いやられ非常に貧しく過酷な暮らしを強いられている。その暮らしの悲壮さは、ハリードが今まで見てきたどこの国よりも過酷だと思われたものだ。この階級制度は数多くの迫害の歴史を生んでおり、ハリードの愛するゲッシアにおける、負の側面だと言える。
 そして最後の東区画は産業区画となっており、偉大なるナジュ文化をふんだんに反映させた様々な工芸品を作る工房や、ハマール湖を水源としてナツメヤシや天然ゴム、珈琲豆等の栽培を行う農耕地が広がっている。
 ちなみに西区画よりもこの東区画で生産者と直接やり取りをする方が割安で商品を入手出来るので、その辺りの知識や繋がりがある者たちは、その殆どがこの東区画で売買をするのである。
 そんな区画分けであるからして、西の中でも平民街に近い北部側には安宿が、富裕街に近い南部には高級宿が点在している訳なのである。であれば当然ハリードが目指すのは、安い方なのだ。
 懐かしき街並みを肌で感じながら移動するハリードの後ろを、対照的に物珍しそうな動きで見渡しながらエレンが付いていく。
 因みにこの地へとハリードを誘った(連行したともいえる)エレンの目的は、当然ながら失踪した彼女の妹であるサラの手がかりを求めてのことだ。
 リブロフでは運良く直ぐに聞き込みからサラの行き先に関する手がかりを得ることができ、それによれば「やけに商売のうまい少女と少年の二人組が、西に向かった。そして一月もしないうちに戻ってきたかと思うと、今度は東へと向かって行った」とのことだった。
 この証言をくれたのは、リブロフの市場で小さな商いをしている露店の商人だった。その商人はサラから幾つか商品を買ったらしく、その特徴をしっかりと覚えていたのである。
 少年と一緒の二人旅、というのが思いがけず大きく気にかかったが、しかしその商人に細かく確認した限りの少女の特徴は、全くサラと一致するものであった。なんらかの理由でサラは、その少年とやらと共に旅をしているようだ。
 まさかとは思うが、ボーイフレンドとかなのだろうか。奥手ではあるが思い切りのある性格である妹のことなので、姉としてはその辺は少しモヤモヤする。
 ちなみに聞き込みや情報収集と言えば普通は酒場だと考えられがちだが、しかしサラは酒を殆ど嗜まない。なので聴き込み先として最初から酒場ではなく市場の商人に目星をつけていたエレンの作戦が、狙い通りにはまったと言える。
 そして更にエレンは「トーマスも見つけられていないということは、そこと関わりがなさそうなところから情報を集めに行った方がいい」という鋭い直感の元、露天市場の小規模露店から聴き込みを行うことにしたのも見事に功を奏したのだった。
 街の商業ギルドには多くの商人が登録しているので確かに情報は集まりやすいが、逆にその膨大な情報量の中では、細かい話は埋れてしまいがちになる。エレンは当然そんなことを知る由もなかったが、彼女の直感はそこを見抜いたのだ。
 若しくはトーマス側の聞き込みは少女一人に的を絞ったもので、少年との二人組、という状況が災いし情報網から抜け漏れてしまったのかもしれない。
 そういう意味では、やはりピドナで待ちぼうけなどせずに自分で動いたのは正解だったとエレンは実感したものだった。
 だがリブロフでは幸先良かったものの、そこからナジュへと向かう道中に立ち寄ったアクバー峠のバザールでは、サラに関わるような情報を得られることは無かった。可能性は低かろうが念のためロアーヌ地方へと続く北門にて聴き込みも行ったが、そこでも矢張り少年少女の二人組が関を通った目撃情報もなし。
 そもそもロアーヌ地方に向かうのならばリブロフからは海路の方が早い上に安全なので、やはり東に向かったならばこのまま旧ゲッシア王都を目指すべきだろうと再確認し、彼女はここまで足を運んできたのであった。

「この先の宿に部屋をとったら、俺は少々買い物に出る。お前は聴き込みか?」
「もち、そのつもり。ここって露店街はさっきのところだけ?」

 今しがた通り過ぎてきた西地区を振り返りながらエレンが訊くと、ハリードは軽く中空を見上げながら顎に手を当て、少し考える仕草を見せた。

「んー・・・メインは確かにあそこだが、東区画にも職人の直営店みたいなのがぽろぽろとあるな。価格はそっちの方が安いから、俺はこの後其方に行く予定だ」
「ふぅん・・・なら、あたしも先そっちいこうかな。案内してよ」

 サラならどちらに足を運ぶかを想像しつつハリードの情報を元に同行を決めたエレンは、早速ハリードが選定した激安宿エリアの中の一つの部屋に荷物を放り込むと、此方のことなどお構いなしの様子で宿を後にするハリードを追いかけた。
 普通ならこういう相手に気を使わない態度は旅の道連れとしては文句の一つも出そうなものだが、エレンはハリードのこう言った部分には最初こそ多少は面食らったものの、かといって特段不快感を抱いたことはなかった。
 一年ほど前のロアーヌからランスまでの二人旅の間に慣れてしまっていたという見方もあるが、それ以前に抑も彼女自身が、どこかハリードと似た気質をしているのが最も的確な理由なのかもしれない。
 こうして旅をする前まで、シノンの開拓村では正に自分こそがこうして周りの人間のことなどお構いなしに突き進んでいたというか、今振り返ってみれば大いに改善の余地があったのではないかと思わざるを得ないような、数々の我が道を行くっぷりを発揮していたものだった。
 別に、単にそうしたくてそうしていたかと言われると彼女的にはそうでもなく、いくつか考えることがあってのことだ。
 そもそも彼女の行動の理由は、単純だった。強くあろうとした、というだけである。
 そしてその強くあろうとした理由とは何よりも先ず、妹を守るためだ。また、引っ込み思案だったサラを導くためでもあり、その上で二人が生き抜くためであった。
 大凡、こんな理由で彼女は強くあろうとした。
 強いということは、己が先頭に立つということだ。
 先頭に立つ時に、躊躇いはあってはならない。躊躇えば、勇気が鈍り、足が竦む。だから、何かの行動を起こすときに立ち止まってまで考えたり誰かに伺いを立てたりするということを、基本的に彼女はしなかった。長く考えれば鈍るということを、彼女は経験から知っていた。
 またその一方で、率先して誰かに頼ることができるという状況を、羨ましいなと感じることもあった。
 頼ることそのものを悪いことだとは、彼女も思わない。そうしてうまくやっている者達をシノンの村でも見てきたし、この旅の中でも仲間と共に成し遂げることが増えていくことで彼女自身もその重要性は大いに学んだものだ。
 しかし、それは彼女にはできない。それができるのは、頼ることができる状況にいる人間だけだからだ。
 彼女の状況は、そうではない。彼女は、己が強くなろうとするその理由において、本当の意味で他人を頼ることなど出来はしない。
 だから、一人で強くなろうとした。
 まぁ、単にそういう動き方の方が己の性に合っている、という見方も無いわけではないが、決してそれだけなんてことはないのだ、ということを重ねて彼女は主張したいのである。
 その視点に照らし合わせると、ハリードの行動基準は彼女の見る限り、全く自分のそれと一致していた。
 彼もまた、最終的には自分以外を頼らないのである。
 動こうと思えば先ず自分が動くし、興味が湧かないことには基本的に惰性では動かない。また、自分が動くときに周囲が共に動くことを基本的に期待しないし、抑もそんな事を望みもしない。
 だから周囲には我が儘だとか冷淡に見られたりすることもあるが、かといってそんなつもりは本人には毛頭ないのだ。そういう生き方をしている、というだけなのである。
 事実、興味が湧けばハリードは実のところ結構な世話焼き気質だと感じるし、交渉などの世渡りも卒なくこなすし、必要とあらばパブリックな場所での礼儀作法も弁えている。
 だから、彼がさっさと宿を出るのは彼の目的があって、それについていくと言ったのはあくまで自分のほうであって。そこに、一々待ってもらう道理は毛ほどもない。なんなら逆の立場だったならば、自分も彼と同じようにするだろう。
 なので特にそう言うことは感じずに追いかけるわけたが、しかし追いついたら肘で小突いて「レディを待つくらいの態度は見せなさいよね」と茶化すのは忘れないのである。誰がレディだ、との返答にきっちり激昂するところまでがお約束でもあった。

 

 旧ゲッシア城下町の東区画は、最もハマール湖の水源に近いこともあってか農場区画がその多くを占めており、視界が非常に広々とした区画だった。この都市に辿り着くまでに延々と続いていた一面の砂漠風景とは全く打って変わって、水源の恩恵を受けていることで緑がとても豊かな様子が垣間見える。
 広大なナジュ砂漠の中に突如として現れる大きなハマール湖は、ナジュと北方のロアーヌ地方を分かつ雄大なるエルブール山脈からの雪解け水などが地下水として砂漠下に溜まり、やがて地表に湧き出たものだとされている。そのハマール湖のほとりに栄えるこの街は、まさに砂漠の中の楽園にも思える光景だった。
 エレンはロアーヌやピドナでは見たこともない不思議な形の樹木の群生を物珍しげに眺めたりしながら、ハリードと共に東区画に点在する職人たちの店の軒先を順に回る。
 そしてハリードが職人を半泣きにせんとするほど値切りに値切りながら買い物をする傍らで、エレンはリブロフと同じ要領で職人相手に聞き込みを行なっていった。
 だが今回もアクバー峠同様、思ったように情報が集まらず調査は難航することとなった。
 サラや彼女に同行する少年とやらの特徴をいろんな角度から説明してみても、そんな来客があったとは一向に聞かない。
 そうして聞き込みが連続して空振りになるにつれ、エレンの焦りは増していった。
 まさかサラは、ナジュに来ていないのだろうか。そんな最悪の予感が頭を過ぎる。
 いや、そんな悲観するのは良くないと、直ぐに思考を切り替える。それにまだ西区画での聞き込みも行っていないのだから、単に東区画側までは回ってきていない可能性だって十分にあるはずだ。
 だが、それでも心のうちに芽生えた焦りを消し去ることはできない。
 そのように焦りを募らせるエレンを他所に、ハリードは単身での砂漠越えに必要な物資を順調に買い集めていった。

「俺の用事は終わったから宿に帰るが、お前はどうする?」
「うん・・・西のバザールは・・・もう間に合わないか。あたしも今日は戻るかな」

 満足な成果を得られずにたいそう不満そうな表情のエレンを見ながら、しかしハリードは素知らぬ顔で歩き出す。
 ここまで付き合っている手前、自分にも手伝えることがあるのならば、それはやぶさかでは無いとハリードは思っている。
 だが、特に手伝えることがないのならば、生半可な慰めの言葉をかける事などはしない。場合によってはそれは嫌味にも聞こえるし、自分ならそう捉える。恐らくはエレンも、その性質だろうと思う。
 だから現時点で精々自分がしてやれるのは、酒家で愚痴を聞いてやることくらいだ。
 そう思いながら背後にエレンが付いてくるのを感じつつ宿へと戻る道すがら、ハリードはふと、何かを思い出したように目を瞬いた。

「・・・そういえば」
「なに、なんか情報!?」

 瞬間で食らい付いてくるエレンの叫び声にも似た反応を受け流しつつ、ハリードは歩みを止めずに続けた。

「まだ生きているのかは知らんが、十年前にバザール区画に情報屋がいたな。かなり抜け目ない奴だが、情報は確かだったはずだ」
「まだ居るとしたら何処に?」

 兎に角情報が欲しいエレンは、当然のように食い下がる。

「根城は西の城門近く、メインロード北沿いのマクハーだったはずだ」
「マクハー?」
「茶店の事だ。この国では本来あまり女の行く場所じゃあないが、お前なら問題ないだろ」
「わかったわ、ありがと」

 そう言うや否や、エレンは足早にハリードを追い越し、西区画への道を走っていった。
 その様子を無言で見送ったハリードは、肩に下げた荷物を持ち直して同じく西区画の宿へと向かう。

 

 程なくして戻った宿にて購入物に不足や問題がないかの確認を行い、それが終わると即座に宿の者を経由して砂漠の道中に連れていく駱駝の手配を行う。砂漠での荷運びに駱駝は必需品なのである。
 手際良く一通りの準備を終えたハリードは、後で文句を言われないように部屋に書き置きを残し、宿のすぐ向かいにある酒家に向かった。
 そこで、店では一種類しか扱っていないらしいアラックを飲みながら、頭の中ではゲッシア王族の間に口伝のみで伝わる唄を反芻させていた。

(諸王の都に辿り着くには、道中にあるとされるランドマークを2箇所経由する必要がある・・・。そこに辿り着くには口伝の通りなら、陽が南中を指し示す頃に出発し、南へ・・・そして陽が沈む頃に辿り着くという岩場の何処かに王家の紋が隠し彫られているから、それを目印に翌日南中より、今度は太陽を追いかけて歩き、陽が沈んだらそこからまっすぐ。その先にある岩陰のオアシスに王家の紋を見つけられれば、あとは南下した先にある・・・。王家に伝わる唄を解釈するとこんなところだな・・・)

 延々と同じ景色が続き、気温による揺らぎによって見通しの立たない砂漠は非常に迷いやすい。なので古くは太陽の動きに頼っての移動が主であったが、これは季節によっても当然ながら変わる。この唄も恐らくは夏季の唄なのだが、今は冬季だ。
 それらの対策として、ハリードは携帯型の象限儀を懐から取り出して眺めた。
 これは四分儀とも呼ばれ、地平と天体の角度などから大凡の現在位置や時刻を把握するものだ。船乗りや砂漠の民の必携道具である。
 砂漠以外ではあまり使うこともなかったが、いざ何処かで迷ってしまった時のためにと、彼は常にこれを携帯していた。

(・・・しかし、本当に行く意味など、有るのだろうか。いや・・・馬鹿げている。行く意味がないなんてことは、流石の俺も頭では分かっている。ただ、それでも行かねばならない気がすると言うだけなのか・・・)

 杯を傾けながら、ぼんやりとそんなことに思いを巡らせる。すると唐突に背後で、俄かにどよめきが起こった。
 そのどよめきの原因が彼には半ば予測がついていたが、一応確認をするように半眼で背中越しに軽く様子を見る。
 するとそこには、周囲の動揺をまるで意に介さない様子でずかずかとこちらへ向かって歩いてくるエレンの姿があった。
 予測通りである。
 今でこそゲッシアの法典はこの地から消え去り、特に外部からの来訪者を迎える西区画では大いに飲食店が繁盛し、男女関係なくナジュの食文化にも触れている。
 だが元々はこうした酒家などはゲッシアにはあまり数がなく、しかもそこへの来訪はその全てが男性に限られていたという歴史があった。
 特に今彼がいる場所はほぼ北区画に面する通りで西の観光区画中心部からは離れた場所であり、日中ですら外来者も殆ど立ち寄らない区画。どちらかと言えば、色濃くゲッシア文化が残っているような場所だ。そこにずかずかと外様の女一人で立ち入ってくるとなれば、その周囲の動揺ぶりもさもありなんといったところだろう。
 当然そんなことを知るはずもない(仮に知っていたとしても気にすることはないだろう)エレンは、カウンター席にいるハリードを見つけると足早に駆け寄った。
 そしてハリードの隣に勢いよく腰を下ろすと口早に店主へビールを頼み(因みにここにはアラックしかない)、ハリードへと視線を向けた。
 それとは別で、オーダーに戸惑った様子のまま自分に視線を向けてきた店主へ自分と同じアラックでいいと手振りで示しつつ、やや面倒くさそうな表情でハリードもエレンに視線を寄越す。
 するとエレンは開口一番に、こう宣った。

「ねぇ、あたしを諸王の都ってところに連れていって欲しい。行くんでしょ?」
「・・・・・・おい、なんでそんな話になるんだ。お前、サラを探すんだろうが」

 全く理解のできない話の進み方に流石のハリードも困惑の色を隠さず、エレンへと聞き返した。
 一方、目の前に出されたアラックに困惑していたエレンはハリードが飲んでいるのを見てそのまま一口飲み、不慣れな味に大層眉を顰めてみせながら、その表情のままハリードに向き合う。

「ハリードの言う情報屋ってのに会ってきたわ。でね、そいつに言われたの。神王教団のローブを一万オーラムで買うか、諸王の都に眠る財宝を何か一つ持ってきたら情報を売るって。そいつ、サラのこと見た感じだった。特徴知ってたもの。正直その場で締め上げようかと思ったけど、そういえばハリードが行くとか言ってたの思い出したの」
「・・・お前なぁ・・・完全に必死さにつけ込まれただけだろうそれは・・・」

 思わず軽い頭痛を覚えて米神に指を当てながら、ハリードは絞り出すようにそう言った。
 単なる直感ではあるが、恐らくこれは、偶然などではない。自分がこのエレンと共にこの街に帰ってきたことを、情報屋は知っていたと見るべきだろう。だからこそ、普通なら冗談にもならないような注文をつけてきたのだ。
 今更何のつもりで情報屋がそんなことを言い出したのかは、彼にも全くわからない。だが、確かに諸王の都は古ゲッシアを知る者の中ではエルドラド・・・つまりは黄金郷とされており、そこに眠る王家の財には相応の価値があると見るのもわかる。
 とはいえ、自分がそこに行くためにここに戻ってきたことなど知る由もないはずだと言うのに、何とも不可思議な話ではあった。どうにも、今考えたところで答えが出そうにもない。
 なのでそこについて考えることは一旦やめ、ハリードは目の前の杯を一気に飲み干すと、立ち上がった。

「ここで話すようなことではない。部屋に戻るぞ」

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第八章・1 -ロアーヌの危機-

 

 ロアーヌ侯国の首都ロアーヌから南東へエルブール山脈を仰ぎながら三日ほど徒歩行軍した所に、一部が沼地にもなっている広大な湿地平原が広がっている。
 四魔貴族が一柱、魔龍公ビューネイの居城があるとの伝説が残る、聖王記所縁の巡礼地でもある霊峰タフターンへと向かう一本道以外には宿場宿も何もない、古ロアーヌから風景の変わらぬ未開拓地だ。
 だがこの平原に突如として、湿地帯をほぼ斜めに切り裂くかの様に北東から南西へと伸びる長大な木製の簡易防壁が現在、進行形で築かれていた。
 その木製の防壁は短期間の間にも部分的に幾度かの崩壊と再建を繰り返し、既に丸一月以上もの間、ロアーヌ南方とナジュ砂漠を隔てる雄大なるエルブール山脈の最も高い峰を誇る霊峰タフターンより散発的に侵攻してくる妖魔の大群から、ロアーヌ侯国領地と其処に住う民を守るための絶対防衛線として機能している。
 この長大な防衛線のすぐ後方には相互の距離を開けて幾つかの幕舎が設置され、そこでは幾人もの名だたるロアーヌ士官が交代で日夜指揮を奮っているのであった。

「戻ったぜ・・・」

 直前に沼地を走り回っていたのか、酷く全身が汚れた様子の男が、大層くたびれた様子で幕舎の中へと入ってきた。
 丁度幕舎の中で防衛線の補強、改修の計画を練るために戦場図と睨み合っていた、ロアーヌ騎士にして本防衛線の指揮を務める将の一人でもあるタウラスが其方を見遣る。そして幕舎の入り口を潜り入ってきた人物に対し、珍しく随分と覇気のない声を上げながら戻ってきたものだな、と思いながらも、手元の作業を止めて片手を上げつつ迎えた。

「あぁ、よく無事に帰ってくれたよ、コリンズ。悪いな、タフターン攻略班から態々こっちの防衛線に回ってきてもらって」

 タウラスの言葉に、彼と同じくロアーヌ騎士にして軍に於いては准将を務めるコリンズは、とんでもないという様にかぶりを振り、そして次には力なく項垂れながら、ここで一際大きくため息を吐いた。

「俺やパットン等の師団は、攻めてなんぼの歩兵と騎兵が中心だ。山岳地帯じゃ騎兵は使えねぇし、挙句に攻める相手が霧に隠れているんじゃ、役立たずのタダ飯食らいみたいなもんさ。准将を拝命してから初の戦だってのに、ほんと、情けない限りだよ。だから、こうして国の役に立つ仕事があるだけ有難いってもんだ・・・。いまいち調子は出ねぇけどな・・・」

 国家の一大事というこの場面に於いて自分の得意とする戦ができない事が余程堪えているのか、コリンズは自分の近くの木箱に浅く腰掛けながら心底悔しそうな様子で小さくそう言った。
 彼がここまで弱気な様子を、彼の同期であるタウラスは今まで見た事がない。だが、それも今は仕方がないのだろうか、とも思う。
 何しろ、直近一ヶ月のこの防衛戦とそれを取り巻く周辺の有り様は、お世辞にも良い流れなどとは言えない状態が続いているからだ。
 悪化の一途を辿る世界情勢を鑑みて行われた軍事演習中の謎の強襲に端を発し、ロアーヌ侯国がトゥイク半島の貿易都市リブロフの軍団を相手取った連戦の末、逆賊マクシムスの目論みを打破し神王教団教長ティベリウスとの間に和睦協定を結んでから、二ヶ月弱が経つかどうかという頃。
 この戦線は、そのような折に突如として開かれた。
 これまでの定期的な魔物討伐とは全く異なる規模での群を、いや、軍を成した妖魔の強襲を受けたロアーヌ侯国は、直ぐ様侯爵ミカエルの大号令の元、国民総動員体制での防衛戦線を即時形成するに至った。
 その後、一次戦線を驚くほど速やかな迎撃戦に持ち込み国土の損害を最小限に抑えてみせたミカエルは、その妖魔の軍勢が南方エルブール山脈の特に南東の方角から攻めてきたこと、また、交戦した妖魔軍には特徴として珍しい有翼種が多く見られ、この有翼種がロアーヌに保管されている過去の書物に記されていた「ビューネイの精」という存在に酷似しているという事を根拠に、交戦対象を『魔龍公ビューネイ軍』と断定。
 奇しくも、この半月ほど前にロアーヌ宮廷騎士カタリナ=ラウランを中心としたアビス軍勢討伐軍の活躍により地図上では南端に位置する広大な密林の奥にて全滅の危機に瀕していた妖精族の救出、及び四魔貴族魔炎長アウナスの居城である火術要塞の占拠という歴史的偉業を成し遂げていたロアーヌ軍は、その戦勝報を世界へ向けて逸早く発信していた。ミカエルは本迎撃戦をこれに連なる一大有事として、「対四魔貴族戦線」と呼称。全世界へ向け発信し、各国からの援軍を募りながら開戦をしたのであった。
 だが最初の迎撃こそ成功したものの、その後に肝心の攻めるべき相手の拠点が全く定まらず、戦線は早々に膠着した。
 ロアーヌ軍は攻め手を欠いたことで否応なしに後手に回り、この防衛線にて相手の出方を待つことを余儀無くされたのだ。
 タフターン山のある南東の様々な箇所から昼夜問わず攻め入る妖魔に対して幾度も防戦を余儀無くされ、補給線を確保しながら長大な防衛線を建築し、ロアーヌ軍はこの一ヶ月余りを耐え抜いてきている。
 だがいい加減に兵の疲労度も限界に達しており、防衛線には乱れも散見される様になってきていた。
 前線には負傷者も増え、疲労を抱えたままの連戦も祟り、戦死者もこの半月ほどは増加傾向にある。
 そして何より、未だこの状況の打開策が一向に見つからないという現実こそが、戦場の士気を著しく下げ続けているのだった。

「・・・で、援軍の方はどうなんだ?」

 くたびれた様子で懐から取り出した給水筒を煽り、コリンズが言葉の割には全く期待した様子もなくタウラスに尋ねる。
 その問いに対してすぐには答えられなかったタウラスだったが、コリンズのこの問いには別方向から応えるものがあった。
 不意に二人の会話を割って幕舎に入ってきたのは、彼らと同期の騎士にしてロアーヌ軍少将に就くブラッドレーだった。

「流れの傭兵や東部開拓民を中心とした周辺農村からの義勇兵は徐々に集まりつつあるが、国家としての援軍は未だ無いようだ」
「・・・けっ。しがない東国の事なんざ知らねーってか。これじゃあ、アビスの思う壺だぜ」

 コリンズの返答に、ブラッドレーは、これはとても良くない傾向だなと感じる。
 ここ最近の度重なる戦の主戦場を踏破してきたロアーヌ騎士団の「黄金世代」とされる彼の同期である騎士コリンズは、軍の中でも格段に人望が厚い将の一人だ。
 その直向きな性格と信念に強い忠誠を抱く騎士は多く、そんな彼のこうした後ろ向きな発言は、軍の少なくない範囲で良くない影響を及ぼすだろう。
 だが、それを直ぐに諫める様な万能の言葉を、ブラッドレーは持っていなかった。
 勿論、上辺だけの言葉をかけるなら、それは幾らでも出来る。だが、この一月の惨状は先の通りだ。
 コリンズの指揮する軍からも当然少なくない数の殉職者が出ており、その事実に対して生半可な慰めや諫めなど、意味を為さないどころか更なる士気の減少にも直結するのだ。
 何より、この戦線の展望の暗さを最も感じているのは、誰あろう戦線を預かる最高指揮官であるブラッドレー自身でもある。
 しかし彼は、弱音は吐かない。だが、他者にかけるほどの言葉まで、彼は持たない。

「・・・現在、ミカエル様がタフターン山の奥にあると目されるビューネイの居城を少数精鋭にて潜入攻略するための勇士を募っている。今の我々は、これが動くまで何としてもこの戦線を死守しなくてはならない」
「あぁ、分かってる。分かってるんだけどよ・・・」

 コリンズ自身も、ブラッドレーが感じる事を理解していないわけではない。
 だが、それでも彼には、そんないつ動き出すのかも分からないものだけでは、彼が失った部下の家族へ向ける顔がないのだ。

「あぁ、畜生・・・。俺に、カタリナみたいな力があればな・・・」

 コリンズが呟く。
 言葉にしながら彼が頭の中に思い描いたのは、軽鎧を纏い真紅の大剣を翳しながら隊の先陣を切る、女騎士の姿だった。
 現在、先の火術要塞攻略までに渡る多大なる功績により宮廷護衛騎士団長の地位に就くカタリナは、彼の直ぐ下の世代の後輩に当たる。コリンズは彼女とは、騎士団候補生時代から十年以上を数える長い付き合いのある間柄だ。
 彼女はつい先日まで、とある事情により一年弱ほどロアーヌを離れていた。その事情自体は詳しくは聞かされていなかったが、神王教団との戦の折に再会を果たした時に、大体の事情は本人から聞いていた。
 その事情はさておき、その間にカタリナが経てきた経験は、兎角、凄まじいものであった。
 一年ほど前、世界的にアビスの魔物の本格的な目覚めを感じさせた、メッサーナ王国首都ピドナにてあった「予兆」の中心に彼女はおり、その後、聖王の故郷である聖都ランスにて聖王家子孫から正式に依頼を受け、以降は四魔貴族を討伐するための旅路を歩んできたという。
 その旅の中で神王教団のピドナ支部長マクシムスが隠し持っていた幾つもの聖王遺物を奪還し、彼女は遂に四魔貴族の一人である魔炎長アウナスの居城を攻略するという伝説級の偉業を成し遂げたのだ。
 その中身には、実のところ幾つか誇張表現があり、細部は訂正するべき部分もあることは彼は無論知るところではあるが、それでも彼女が世界各地で成してきた事は紛れもない事実である。
 そして何より、神王教団との最終決戦の地であったナジュ砂漠にて彼女と再会した時、コリンズは一目彼女を見て、瞬時に理解したのだ。彼女は、もう彼の全く及ばぬ領域にいる存在であるのだ、という事を。

「聖王記に記される『八つの光』の顕現・・・か。ミカエル様は、ロアーヌよりそれが誕生したと、そう各国へと報を出した。聖王家も、それに応じて事実を認める声明を出してくれたそうだ。その効果が、今回の勇士募集に影響をしてくれればよかったんだがな・・・」

 ブラッドレーが直近の宮廷内の動きを添えながら応えるが、コリンズは相変わらず投げやりな様子のまま、幕舎の天井を見上げた。

「それでも、世界は動かねぇ。結局、いざ自分の喉元に剣が突きつけられるまで、奴らは気付きやしねえんだ・・・。今の俺たちの様に、な」

 コリンズがそう呟いた所に、まるでこれで会話は終わりだとでも告げるかのように、大変慌てた様子で幕舎へと駆け込む兵があった。

「も、物見櫓から報告!前線に獣人族を中心とした妖魔の軍勢を視認!その数、凡そ三千!」

 兵を認めたブラッドレーが、その報告に即座に反応する。

「・・・ライブラ隊を核に二層防壁陣を布陣!またフォックス隊に伝令!別方面からの奇襲に備え、四方索敵!」
「はっ!ライブラ隊が二層防壁陣にて対応、及びフォックス隊にて四方索敵、了解いたしました!」

 伝令を復唱し兵が即座に幕舎を後にしていくと、ブラッドレーは自分も前線の確認をするためにロアーヌ侯国の紋章が刻まれた腰の剣を確認し、外套を翻した。

「我々は、伝説の英雄にはなれない。だが、故国を守る英雄にはなれる。今ここでそれを証明し続けることこそが、誇り高きロアーヌ騎士としての使命だ」

 ブラッドレーがそう言うと、コリンズはそれに応えるように即座に立ち上がり、己に言い聞かせる様に深く頷いた。

「分かってんだ・・・そんな事は。俺は、この国を守る為に騎士になった。それは、俺の中の絶対的な正義だ・・・。俺も行くぜ」
「助かる。タウラス、ライブラ隊の後方支援は任せるぞ」
「了解だよ、大将」

 ロアーヌ式敬礼をしながらのタウラスの返答に、ブラッドレーは彼の性格上は仕方がないのかもしれないが、律儀にも「自分は少将だ」と真顔で訂正を返すと、それに苦笑するタウラスを背に、コリンズと共に幕舎を後にした。

 

 

 海上要塞バンガードが四魔貴族フォルネウスの潜む海底宮の攻略から遂に大陸への帰還を果たしたのは、ロアーヌとビューネイ軍の戦線が敷かれてから大凡一ヶ月半程が経った頃だった。
 突如として大地が無慈悲に引き裂かれたかのような実に荒々しい様子で、ルーブ地方とガーター地方を隔てる広大な範囲に及ぶ断崖絶壁。
 地図上では、確かにここに、海上都市バンガードがあったはずだった。
 南北の相互地域交通網が突然に断絶された事で、多くの行商人が崖を前に一度立ち往生をしては近くの漁村からの渡し船に頼っていく中、この場所にて只一人、根気強く幾日にも渡って野営を続けていたトーマスは、西太洋の向こうから遂にその姿を現した海上要塞バンガードを沖合に見つけると、しかしそれに喜ぶでもなく兎に角必死に狼煙で合図を送り、それに彼方が気付いていることを願い、相手の反応を待つ前に大急ぎで小舟を出した。
 幸いな事に船首からそれに気がついた町民の知らせで無事にバンガードへと収納されたトーマスは、そこでおよそ二ヶ月少々振りに再会を果たしたカタリナに、簡潔に現在のロアーヌの状況を説明をした。
 すると話を聞いた彼女は一も二もなく急ぎロアーヌへと戻ろうと、即座に旅支度を整え始めたのだった。
 兎に角カタリナにとっては、故国の窮地に一刻でも早く駆けつけるという考えのみしか浮かばなかったのだ。
 だがそこに更に、彼女にとってはトーマス以上に全く予期せぬ来訪者があった。
 正に皆の制止を振り切って単身ロアーヌへと向かうべくバンガードの船着場から大陸に戻らんとしたカタリナの前に小舟に乗って唐突に現れたのは、特徴的な色合いのとんがり帽子を被った、聖王記詠みを自称する詩人であったのだ。

「やぁ、またお会いできましたね。カタリナさん」
「・・・!」

 そう言って小船から降りて、やおら優雅にお辞儀をしてみせる詩人に対し、カタリナは思わず反射的に腰の剣に手を掛けようとする。
 だが、そんな様子をすら面白がる様に詩人はケラケラと声を上げて笑いながら、相変わらず剽軽な様子で肩を竦めた。

「まぁまぁ、そんな怖い顔をしないで。今まで私があなたの目の前に現れて、事態が暗転した事、ありました?」

 これまでの例に漏れず、相変わらず人を喰った様なその物言いにカタリナは当然に憮然とした表情で返すが、それでも不思議とこの詩人の言葉には渋々と従ってしまうような、ある種の強制力を感じる。
 彼女と同じく、カタリナを説得せんとその場に集まっていたトーマス、フェアリー、ハリード、シャール、ミューズが一様に突然の来訪者に対し呆気にとられていると、当の詩人は随分とあっけらかんとした様子で船着場から市街地へと向かう階段へと、周囲の様子を全く気にせず勝手に歩き出した。

「まぁこんな所で立ち話も何ですから、皆さん座って話しましょう。バンガードといえば、歴史は浅いですがグッドフェローズのハーブティーが意外と馬鹿にできない味なんですよ?」

 そう言って颯爽と市街地へ向かい歩いていく詩人に益々周囲が困惑する中、意外にも最初に彼に続いたのがカタリナだった。
 トーマスからの話を聞いて以降は周囲の誰が何を言っても一切ここまで聞く耳を持たなかったカタリナが突如として素直に従う様には再度周囲が驚きつつ、しかし皆もその後についていくことにした。

 

「さて、現在ロアーヌに訪れている危機に関してですが」

 ハーブティーと一部面々にはエールが用意されるまで、のらりくらりと幾つもの追求を躱し続けた詩人は、自らの手元に用意されたティーカップを取り上げ、香りを楽しむ様に顔の前で薫せ、一口飲んでたっぷりと味を堪能したあとで、漸く口を開いた。
 その間、丁度彼の真正面に座っているカタリナの怒りの表情が余りに鬼気迫っており、次の瞬間には詩人に斬りかかるのではないかと肝を冷やしていた一同は、彼が漸く話題を切り出したことに大変安堵しつつ、カタリナと共に彼の言葉に耳を傾けた。

「このままでは、ロアーヌは確実に滅びます」

 ガタンッ、とカタリナは座っていた椅子を盛大に蹴飛ばして立ち上がる。
 そして周りが制止する間も無く、迷わず腰にあったマスカレイドを抜き、テーブル対岸の詩人へと突きつけた。

「・・・いい加減にして。これ以上無駄口を叩くなら、問答無用で斬るわ」

 彼女の声色には、一切の冗談めいた要素が含まれていない。
 突如として起こった修羅場に、グッドフェローズのマスターをはじめとしたその場の他の客は、その只事ではない様子に遠巻きに避難した。そして緊張感が支配する店内で外野が息を潜めて件のテーブルの様子を見る中、今まさに斬りかかられようとしている詩人は全く動じた様子もなく、又してもティーをゆっくりと啜り、音を立てずにカップを置いて、にこりと微笑んだ。

「なので、今からそれを回避する為の助言をしようと思います」

 その言葉から数秒、カタリナと詩人の視線が交錯した。
 カタリナはその視線から、目の前のこの男が一体何者で、何を考えているのかを推察しようとする。
 初めてこの詩人を名乗る男に会ったのは、確かピドナのパブだったと記憶している。その時は単なる流しの吟遊詩人としか思わなかったが、この詩人との意外に早い再会は、その一週間後の早朝だった。
 朝日の差し込む港にて彼と対峙した時、その謎めいた言葉と掴み所のない動きに、彼女は自分の心と体が翻弄されたことを今も強烈な印象として覚えている。だが、後にこの時の詩人の言葉に従ったことで、この後の展開の活路が開かれたのは事実だ。
 そして三度出会ったのは、彼女がこの旅の当初の目的を果たさんとする、正にその時。ナジュの神王の塔での事だった。
 この時も確かにこの男の助力を得ることで、神王の塔へと容易に潜入することが可能となった。その結果として彼女は逆賊マクシムスを打倒し、聖剣マスカレイドを取り戻すことができたのである。
 脳内で冷静に振り返ってみれば、ここ半年程で彼の言葉に従うことが事態の進展に大きく寄与してきたことは間違いない。だが、どうしてか彼女はこの目の前の吟遊詩人が好きになれそうにはなかった。
 しかし今はそのような呪詛を吐く時ではないと思い直し、カタリナがゆっくりとマスカレイドを納刀し後ろに倒れた椅子を引き戻すと、近くの面々も一先ずの危機が去った殊に安堵した様子で息を吐き、話の続きを促す。
 その様子をすら何処か楽しむ様に辺りを眺めた詩人は、徐に懐から一枚の随分と古びた地図を取り出した。

「さて・・・敬虔なる聖王教徒であるカタリナさんは、聖王記に記された四魔貴族ビューネイの討伐譚は、勿論ご存知ですよね?」
「・・・ええ」

 詩人の問いかけにカタリナが浅く頷きながら返すと、詩人はその返答に大変満足した様に大きく頷き返しながら、取り出した地図をさっとテーブル上に広げた。

「現在ロアーヌ領を攻め立てている妖魔の軍勢は、間違いなく魔龍公ビューネイの差し金でしょう。これは正直、いくら屈強なロアーヌ軍が何度迎え撃ったとしても、事態の根源であるビューネイを打倒しない限り、キリがないです。延々とアビスゲートより生まれいでる瘴気が招く妖魔の侵攻が、ロアーヌ軍を食い尽くすまで続くでしょう。従って、力の源となっているビューネイの打倒無くして、ロアーヌ軍に勝利は無いのです」

 そう言いながら詩人の手によって広げられた地図にカタリナが無言で視線を落とすと、其処には何やら山岳地帯を示す平面図が描かれていた。

「ですが、天空の支配者たるビューネイは常に空を舞っており、地上から彼の者を相手取ろうとしても、剣は愚か、弓すらも届きません」

 まるで詩を歌い上げるかの様な調子でそう語りながら、詩人はさながら歌劇の演者の様な仕草で以って、地図の一点を指し示した。

「ですから、カタリナさんは故国ロアーヌを救う為にも、ここを目指さなければなりません」

 その古びた地図に描かれている山岳地帯は、今まさに決死の戦が行われているというロアーヌ地方の霊峰タフターン山の様子とは何処か違ったものの様だった。
 それに大凡の察しがついていたカタリナが、視線を正面に戻し、彼に応える。

「龍峰ルーブの頂・・・。まさか私に、ここに行って聖王様のように竜の助力を得ろ、って言うの?」

 詩人が地図上で指し示しているのは、このバンガードから北に向かったルーブ地方にある、龍峰の名を冠するルーブ山だった。
 聖王記に綴られる四魔貴族ビューネイ討伐の章によれば、地上からビューネイを相手しようとした聖王に対し、肝心のビューネイは全くその様子を意に返さなかったのだという。
 天空の支配者である魔龍公は、地を這う存在に興味を示さず、全く相手にしようなどとしなかったのだ。

「左様。魔龍公に相対するのは、地に足をつけていては叶わぬということ。つまり、彼女のフィールドである天空にて戦いを挑まなければなりません」

 魔龍公ビューネイの様子に、地上からの戦いが不可能と悟った聖王は、当時のルーブ山に棲まう巨龍ドーラに助力を乞う為、ルーブの頂を目指した。
 そしてその冒険の末に巨龍ドーラの協力を取り付け、聖王はドーラの背に乗り大空へと羽ばたき、天空にて魔龍公ビューネイへと挑み、遂に勝利を手にした。

「さしもの魔龍公も、人と龍との力に屈した、という伝説。貴女は、これからこの伝説を準えなければならない。そうしなければ、危機に瀕した現在のロアーヌを救う事は出来ない、という訳です」

 詩人の言葉を脳内で反芻しながら、カタリナは目を細めて考える。
 今までこの男の言葉に従った時、確かに間違いなく彼女の直面する事態は拓けてきた。
 だが今回のこればかりは、如何なものだろうか。
 この聖王記の伝説は確かに彼女もよく知っている内容であるし、それに当てはめて詩人の言う理屈もわかる。だが、今の世に於いてこの伝説を準えるには、多分に事情が異なるということも、彼女は知っていた。だから、それが可能なのかどうかが、どうしても疑わしいのだ。
 そんな彼女の抱く疑問を代弁する様に口を開いたのは、彼女の隣に座って話を聞いていたミューズだった。

「あの・・・吟遊詩人様、一つ宜しいでしょうか」
「ええどうぞ、クラウディウス家の御令嬢様」

 ここまで名乗った事もなく、また会ったことすらない相手にそう言い当てられながら、不思議にそのこと自体は疑問にも思わず、ミューズは軽く頭を下げて言葉を続けた。

「現在ルーブ山には、悪竜グゥエインが棲むと聞いています。確か十年ほど前にも、ルーブ山の麓の小さな山村を蹂躙し滅ぼしたと世間で騒がれていたのを記憶しております。貴方はカタリナ様に、その様な人に仇為す竜と手を結べと、そう言っているのですか?」
「ええ、正にその通りです」

 間髪入れずに詩人がミューズの問いに答えると、一時、その場に沈黙が訪れる。
 現在のルーブを住処とする悪竜グゥエインの存在は、この地方のみならず、広く世界に知られているところだ。
 その存在が最初にいつ確認されたのかは現存する資料も無く不明であるものの、少なくともここ百年以上はルーブを住処としていることが過去の被害情報から分かっていた。
 悪竜グゥエインによる被害はループ地方をはじめとして、ウィルミントンを中心としたガーター半島や聖都ランスを横切るイスカル河沿岸地域に至るまで、広い範囲で確認されている。
 各地に祀られていた古代の財宝の数々を奪い、街や村を襲っては人肉を喰らい、為す術ない人間を嘲笑う様に土地を蹂躙し、ルーブ山へと戻っていく。
 その被害は十数年に一度程度の周期で訪れ、その活動期の度に、世界中の人々を恐怖のどん底に陥れてきた。
 四魔貴族が居なくなったこの三百年に於いては、人類にとってはなす術のないという意味では最大の脅威と言って間違いない存在なのだ。
 その様な人類に仇為す悪竜に、人が協力を求めることなど、果たして本当に可能なのだろうか。
 その事実はその場に集まる誰しもが知るところであり、ミューズやカタリナが抱く懐疑的な思いに全員が同調する様に押し黙った。
 だが以外にもその沈黙を破ったのは、一人ハーブティーの代りにエールを勢いよく飲み干したハリードだった。

「ルーブに残された、友人の子・・・か。つまりは聖王が言っていたのが、そのグゥエインという事なのか」

 ハリードのその言葉に、カタリナとトーマスがピクリと反応する。
 彼が言ったのは、嘗てピドナのハンス邸にて集まった際に彼女らが見た、王家の指輪に刻まれた聖王の語る映像にて聞いた言葉のことだった。
 それを知らぬミューズ等はハリードの言葉に対して当然思い当たる節がなく疑問符を浮かべるが、カタリナは確かにその映像を覚えていた。
 そうなると聖王の言っていた友人とは、人間ではなく巨龍ドーラのことであったということか。
 確かに、友人の子と言われてもそれが人間ならば、当然だが三百年も生きていられるはずもない。後世に現れる八つの光に対して紡ぐ言伝ならば、友人の子というのが人間を指していることの方が寧ろ可笑しい。そうなれば確かに、辻褄は合う。

「友人・・・ですか。そうですねぇ・・・確かに聖王にとっては、巨龍ドーラは友人と呼ぶに相応しい存在だったのかも知れません。ご存知の通り、聖王は魔龍公ビューネイ討伐の後に、聖王の再三の諫めを聞かず人里を襲ったドーラをもその手で屠っています。その際、聖王が竜の命を奪った折に流した涙と嗚咽は、ルーブ山中に響き渡ったと伝えられています。聖王記にすら其処まで記されるという事は、相応の関係性が其処にはあった、と見るべきなのかも知れませんね」

 詩人は話の流れからハリードの言葉に頷きつつ、聖王記の内容に準えながら語る。
 それは恐らく正しい見解なのだろうな、とカタリナも感じた。
 あの時の映像にて最後に「友人の子」について語っていた時の聖王は、『聖王』という神格化された存在というよりも、文字通りの友人の子を心配する一人の単なる人間の様にも見えたのだ。
 その聖王に、確かに彼女は頼み事をされていた。
 ならば、彼女に用意された答えは、最早一つだけだ。

「・・・分かったわ。ルーブ山に、行ってみましょう」
「ふふ、貴女ならば、そう言ってくれると思っていましたよ」

 まるで初めからその答えを知っていたかの様に微笑む詩人に対して、その思惑通りにことが運んでいることを思うと非常に腹立たしい気持ちが沸沸とカタリナの内面に沸き起こる。しかしこれを鍛え上げた強靭な理性でどうにか押さえ込みつつ、カタリナは立ち上がった。
 そうと決まれば、ほんの一時たりとも時間を無駄にしている余裕など、ないのだ。

 

 その日のうちに改めてグゥエインとの対話を図るための準備を行いバンガードを発ったカタリナは、バンガードから上陸したルーブ地方側の最寄りの宿場町から馬を駆り、真っ直ぐルーブ山へと向かった。
 今回彼女に同行するのは、フェアリーのみだ。
 フェアリーに同行を願ったのは、竜たるグゥエインとの対話に人語以外が必要となる可能性を考慮し、その場合の通訳を頼むためである。
 そして逆にフェアリー以外に同行者を連れてこなかったのは、グゥエインに対して此方は争う意志はない、ということを伝えるためだ。大人数で押し掛けても、無駄に対象の警戒心を煽るだけだろうというのが、カタリナの考えであった。
 また抑もトーマスに関しては、どうやらカタリナにロアーヌのことを伝えることが本来の目的というわけではなく、元々はガーター半島最大の都市国家であるウィルミントンに向かう予定だったようだ。そこで、ウィルミントンを本拠地とするフルブライト二十三世に、何らかの急用で呼ばれているらしい。
 今回は偶々それと同じタイミングでロアーヌの危機をピドナで知り得、急遽ウィルミントンに向かう前に、こうしてバンガードの帰還を待ってくれていたのだという。本当に彼には、感謝しかない。
 そして如何やらミューズとシャールにも同じくフルブライトからの熱烈な招待があったらしく、トーマスと三人でこのあとウィルミントンに向かう予定だ。
 合成術を放ったウンディーネはまだ両腕の状態が芳しくなく、治療が継続して必要な状況で迂闊に動けないので、ボルカノもそれに付き添っている。
 ブラックは見かけに寄らず律儀にも今回の恩を返すために暫くは付き合うと申し出てくれたが、それならば、とハリードと共にミューズの護衛についてもらうことにした。トーマスが言うには、今後更にミューズの身辺警護は強化をしていかなくてはならないから、どの事だ。

「こうしてカタリナさんと二人で旅をするのも、なんだか久しぶりな気がします」

 馬上でカタリナの手前にちょこんと腰掛けながら、フェアリーはそう言ってニコニコと微笑んだ。馬上でそんなに喋ったら舌を噛むわよ、と言おうかと思ったが、そう言えばフェアリーは常に多少浮いているので、馬の振動は関係ないのであった。カタリナはそのように思い返し、そういえばそうね、と短く言って微笑み返す。
 フェアリーとはグレートアーチに向かう船上で出会ったので、それももう既に四ヶ月近くも前の話だ。
 あの時の密林の大冒険も、思い返せばとんでもない経験だったな、とカタリナが思い返していると、フェアリーはカタリナを見上げるようにしながら口を開いた。

「今度は、竜との対面ですね。こんな時に不謹慎ですが、私はまた新しい世界が垣間見える様で、少し楽しみです」

 一人和やかにそう呟いたフェアリーは、改めて遠く北方に見えるルーブ山へと視線を向けた。カタリナもそれに合わせて、遠くの峰を視界に映す。
 二人は、ここから五日ほどでルーブ山へと到達する予定だ。

 

 

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・5 -月明かりの下で-

 

 ロアーヌ軍制圧下の出城にて行われたロアーヌ侯爵ミカエルと神王教団教長ティベリウスの会談は、それまでの両軍が相見えた戦の数と規模からすれば驚くほど静かに、そして呆気なく終わった。
 この会談により、両軍間にて不可侵条約を締結。またロアーヌ侯国は相応の戦勝金の確保と何より神王教団領地内に在外公館を持つこととなり、それに伴う幾つかの両国間での決め事を制定した。これによりロアーヌ侯国は、神王教団の活動の制限をしない事を条件としてナジュまでの影響力を多大に有することとなった。
 そしてリブロフ軍に関し、ミカエルはこの機を逃さず大きく攻勢に出た。
 先ずリブロフ総督バイヤールの戦争責任を深くは追求せず、ルートヴィッヒへと一連の事の顛末を書状に認めて送るに留めた。ピドナの近衛軍団からすればこれは拍子抜けといっていいほどあっさりとした決着だったが、その実これはルートヴィッヒにとっては実に芳しくない着地だといえる。
 まずリブロフ軍は連敗に次ぐ連敗で完膚無きまでにロアーヌ軍に叩きのめされたという事実だけが全軍に重くのしかかり、ナジュを起点としてリブロフを睨む事となったロアーヌに対し、必要以上に怯えた。なにより総督たるバイヤールがリブロフの城門警戒態勢を戦時非常事態と同等まで引き上げた上で自室に篭りきりとなってしまったといい、現在のリブロフはほぼ軍団として機能しなくなってしまったのだ。一般渡航者の入国も規制が入っているらしく、正に戦時下と同等と言ってもいいほどだという。
 だが、それをミカエルは書の中で寧ろ大きく称賛してみせた。曰く、神王教団との共闘という過ちに気付いた後の迅速な撤退と、ナジュからの侵攻に備えた首都警備の速やかなる補強。リブロフという要所を押さえるに相応しい総督としての判断であり、おかげでこちらも後顧の憂無く、又、余計な刺激も与えずナジュの信頼を得て会談に臨む事ができた、と。
 この称賛により、ミカエルは王都からリブロフへの軍の派遣、もしくは大々的な援助や監視強化を防いだのだった。逆に今回もしロアーヌがリブロフの一連の行動を強く非難し王都ピドナに責を問えば、それは王都主導によるリブロフの現行体制の粛清とナジュ方面への近衛軍団による干渉を生むことになったかも知れない。むしろルートヴィッヒならば、それを狙っただろう。
 だが、それは今回は我々ロアーヌの役目であり、この上で後からリブロフに派兵でもしようものならば我々の会談と話が食い違い、裏切りと取った神王教団が何をしでかすか分からない。そう、暗にミカエルは書状によってルートヴィッヒに申し伝えたのだった。
 リブロフは王都の意向をを汲み、異教たる神王教団を拝するナジュ地方の監視を外からしてもらう。そして我々は直接戦勝国として神王教団と対談し、その結果拝する神こそ違えど義により彼らの信を得るに至った。故に我々は現地に在外公館を設け、内から監視をする。これによりナジュでの利益も聖王信仰諸国へと循環させ、王国の更なる発展に寄与しよう。そう、ミカエルは結んだ。
 元来メッサーナ王国を中心とする西方諸国は明確にこそ決められていないものの、その領地は爵位と共にある程度限定されている。無論未開地の開拓は当然許される範囲ではあるが、それ以外の地を侵略したり、ましてや爵位領土同士での争いなどは以ての外とされており、それは現行の法としても厳しく定められている。もしこれを破ることがあれば、王国が総出で潰しにかかる、という構図だ。つまり、侵略が許されるのは実質近衛軍団を擁する王都のみと言える。
 一方ロアーヌ侯国は西方が内海玄関口となるヨルド海沿岸ミュルスまで、そして東方はシノンを開拓しているがその先には腐海が待ち受けており、北は伯爵領地で関を設け、南には偉大なるエルブール山脈が横たわる。開拓と成長の余地は腐海を超えぬ限り既に限界が見えているといっても過言ではなかったのだ。
 だが今回の件で、ロアーヌは現状で唯一ナジュと友好的な関わりを持つことと成った。しかもその実はロアーヌが上であり、今回締結した条項の中には有事の際の相互協力も含まれている。これは終戦の流れの中でリブロフが完全に無干渉を貫いてくれたからこそ出来た構図とも言えるので、ミカエルはそういう意味では本当にバイヤールに感謝しているだろう。
 侵略ではなく、あくまで会談の末の双方合意による監視体制、そしてリブロフ総督の行動の肯定。これらにより、ロアーヌは他国に先んじて実質的な国力増強を成したといえる。
 王なき今のメッサーナ王国に、これに表立って異を唱えられる者などいるはずもなかった。これはロアーヌにとって、今までにない大きな躍進といえる。
 あとは王都での後継問題が膠着している間に体勢を確り固める事が肝要とし、明日には出城とナジュ本土に入国する部隊がロアーヌ本国より出城へと到着する予定だ。これと入れ違いに、ミカエル率いるロアーヌ軍本隊は一度ロアーヌへと帰還する。

 

 

 夜空に煌々と輝く月と星たちが、城壁の縁に立って彼らを見上げたカタリナの瞳に映し出される。
 連日の戦勝祝賀会と称した大宴会でいい加減酒の飲み過ぎですっかり出来上がった非番の騎士団仲間から、カタリナは隙を見てやっとの事で逃れてきたのだった。
 確かに祝杯が連日に及ぶのも無理はない程の勝利ではあるのだが、中でも、彼女は今回の連戦の最後の勝利を無傷でロアーヌに齎らした勝利の女神だなどと持て囃されてしまい、これにはほとほと参ったものだった。
 それを現在の主力となっている同期の騎士団仲間や年上のベテラン勢には多大に揶揄われるし、モニカの侍女となった故にあまり関わりのなかった年下の騎士団新米勢からは此方が気まずくなるくらいに羨望の眼差しを向けられてしまっている。
 特に不味かったのが、ティベリウスを案内してきたときの格好だった。
 神王の塔でのマクシムスとの戦闘でノーラに作ってもらった鎧がかなり損傷してしまったので代わりになりそうなものをナジュにて見繕ったのだが、ここでは女性兵士という概念がなく、彼女に合いそうな兵装がなかった。なので仕方なく現地の民族衣装(サリーというらしい)に肩当てや剣帯を装着し月下美人とマスカレイドを装備して、足元は聖王のブーツを装着した。
 このサリーが非常に色鮮やかで模様の豪奢な作りなもので、丁度ロアーヌの様な敬虔な聖王信仰の地では何かの儀式でもない限り身に纏わない様な煌びやかなものだった。かつ風を纏う聖王のブーツの風圧でそれが常にゆったりと靡くものだから、彼女の周りだけ空気の流れが異なるのが視覚で丸見えなのだ。
 それらが相まった姿を見た騎士団連中の誰かが言い出した『まるで女神のようだ』という言葉が拡大解釈を重ね、此度の事態を招いているというわけなのである。

(全く冗談じゃないわ。皆、本物の女神様を見たことないから私をそんな風に揶揄えるのよ)

 頭の中ではピドナのミューズの姿を思い浮かべながら、小さく毒吐く。因みに今は流石にその格好に懲りたので、アクバー峠の市場で急遽購入した白いドレスシャツと藍の色合いが美しいロングスカートの姿だ。戦闘にはどちらかと言えば不向きだが、普通に過ごすにはゆったりとしていて着心地が良い。無論のこと、剣帯は欠かしていない。
 そう言えば彼女と共にもう一人、今回の戦にて軍神と讃えられた人物がロアーヌ陣営にいたらしい。らしい、というのは彼女はその人物をそもそも見ていないからだった。しかし話を聞く限りでは、彼女は恐らくその人物を見知っていた。
 特徴的な帽子に愛用のフィドルを肌身離さず、帯剣するは聖王遺物最強の一角と目される七星剣。そんな人物は世界広しといえども、あの胡散臭い聖王記詠み以外にいるはずもない。
 詩人は神王の塔にてカタリナと別れた後、どうやら単身アクバー峠を目指したらしい。そのまま峠を抜ける折にロアーヌ軍が神王教団の軍勢に奇襲を受けているところに鉢合わせ、絶体絶命のロアーヌ軍を七星剣の力の解放により救ったのだという。そこから何故か彼はロアーヌ軍に合流して暫く過ごし、ナジュ砂漠まで戻ってきたのだそうだ。そして彼はミカエルらと共に砂漠戦の軍議にも参加し、敵陣の異変に気付いてティベリウスやカタリナを迎えるために皆が軍議を行っていたテントから出るところまでは一緒だったことが確認されていたようだ。
 だがカタリナがミカエルと再会したとき、そこには詩人などいなかった。
 元々神王の塔で別れる時も七星剣だけ持ってふらっといなくなってしまったので、カタリナ自身は彼がそうして忽然と消えてしまったことにも何ら驚きもしなかった。だが軍内では彼の離軍をとても残念がる声が多かったらしく、あんなに人を食ったような態度の割りにカタリナとしては意外だったものだ。
 未だあの詩人の正体と目的は分かっていないが、少なくとも今回は我々に加担してくれたようなのでまた会うことがあればそこは一応感謝せねばなるまいと考える。
 そこまで回想していたところで、俄かに緩く暖かい夜風がその場を吹き抜けた。その風を受けながら、カタリナは自分の腰に装着している聖剣マスカレイドの柄にそっとに手を当てつつ、改めて夜空を見上げる。
 今宵の月は格別に大きくて明るく、見る者を惑わそうとするかの如く美しい。これはまるであの夜のような月だと、カタリナは見上げながらぼんやりと考えた。
 聖剣マスカレイドを奪われたあの夜から、まだ一年も経ってはいない。しかし感覚的には随分と長い旅の末に、やっと今こうしてここに立っているという気すらする。それだけここに至るまでの旅路が今までの彼女の人生にはなかった発見と驚きの連続で、その圧倒的密度の経験を彼女の頭が処理し切れていないのかも知れない。
 だがそんな感覚に包まれていてなお、発端となったあの夜のことはまるで昨日のことのように鮮明に思い出される。
 忌むべき、自分の人生に於いて最大の汚点。そして、今の自分へと連なる出発点。
 あれからとてつもなくいろいろなことが自分の周りで起き、またそれに関わってきた。今となっては、あの夜の出来事は自分にとっては必然だったのかもしれないとすら思える。あの夜以降で、彼女の身の回りから失われてしまったものは多い。あの時マスカレイドを奪われずにあのままであれば享受できるはずだったものが幾つも、それこそ永遠に失われたのだ。
 だが、その代わりに得たものもまた多かった。旅先で出会った様々な人々、その都度に得た経験。その上で今、こうして夜空を見つめる自分自身。それらはあの出来事無くして、絶対に得られなかったものだ。
 どちらであればよかったとは、最早カタリナは思わなかった。そのどちらもが今となっては、甲乙など付け難いのだ。
 さらに言うなれば、どうやらこの先もまだまだ自分の予想し得ない事が色々と起きる予感がある。今この瞬間もまた、途中経過に過ぎない。この数日、近年には無い歴史的な戦勝に沸く騎士団仲間と共に彼女も又この旅に出ることとなった悲願を達したこと自体は素直に喜びながら、そのようなことをずっと考えていた。
 そんな中どこかあの夜に似ている今宵は、もしかしたら私の新たなる出発点なのではないか。今この瞬間が、何故かそのように感じられたのだ。
 騎士を目指すきっかけとなった死蝕が、第一の転機。マスカレイドを奪われたあの日が第二の転機。そして今日がその次、第三の転機へとなるのではないか。
 そんな事を、月を見上げながら想う。
 丁度そんなことを考えていたものだから、背後から自分へと近づいてくる気配に振り返ったカタリナは、一瞬だけ必要以上に目を見張ってみせたのかも知れない。
 そこに立っていたのは、ミカエルだった。

「・・・どうした、気分でも優れないのか?」

 カタリナのそんな表情が予想外だったので、ミカエルは軽く眉をひそめながら目の前のカタリナにそう声をかけた。
 だが、声をかけられた頃には穏やかな表情を取り戻していたカタリナは、ゆっくりと頭を振ったあとでミカエルに微笑んで見せた。もう、あの夜は来ない。あのようなことは、繰り返さない。そう、彼女は決めたのだ。

「いえ、申し訳ありません。特に体調が優れぬという訳ではなく、少々夜風に当たりに。ミカエル様こそ、お体の調子は如何で御座いますか。戦続きで大分ご無理をなされていたようだと伺いましたが・・・」

 カタリナが同期となる騎士のコリンズ達から聞いていた話を元に返すと、ミカエルは軽く口の端をつり上げるようにして笑いながら片腕だけを竦めてみせた。

「・・・全く、伝わらんでも良いことは確り伝わるものだな。心配には及ばぬ。お陰様ですっかり体調も回復した」

 ミカエルのその妙な言い回しに、カタリナは瞬きをしながら小さく首を傾げた。

「いえ、私は何も」
「いや、あながち間違いではあるまいさ」

 そう言ってなにやら不敵に微笑んで見せたミカエルは、ふと周囲に視線を走らせた。それをカタリナが特に気にするでもなく眺めていると、彼はそのまま半身だけ後ろに下がりながら、カタリナに声をかける。

「話をしたいのだが、どこに耳があるか分からぬので場所を変えたい。少々つきあってもらえるか」
「はい、畏まりました」

 ミカエルの申し出に二つ返事で頷いたカタリナは、その返事を聞いて歩き出したミカエルに続いてその場を後にした。

 

「トゥイクのワインも、意外と馬鹿に出来なくてな」
「ふふ、トゥイクといえば赤が主流でございますしね。ミカエル様好みのものも多いかと存じます」

 監視を主な目的として建てられたであろう出城の中ではどうやら客間に当たるのか、案内された部屋は他の無骨極まりない場所に比べれば幾分か落ち着けそうな空間だった。
 既にデキャンタージュされていた赤ワインをミカエルが自らグラスに注ぎ入れ、カタリナに差し出す。それを会釈しながら受け取ったカタリナは、自分でも不思議に思うほど落ち着いた気持ちでその場に居られることに内心驚いていた。
 旅の最中はあんなにも焦がれる気持ちに振り回されたというのに、再会してからはまるで、そんな事実が全くなかったかのように自分の中の気持ちが穏やかになっている。
 つくづく現金なものだなぁ、と内心呆れてみる。

「特にこのトゥイク北西地区の固有品種で作られた銘柄が中々好みでな。ロアーヌにはない味わいだ」
「ええ、私も多少なり存じております。リブロフではワインの王様、王者のワイン等と呼ばれているようです」
「ほう、王者のワインか。悪くないな」
「ええ」

 他愛のない会話の掛け合いをしながら、お互いにグラスを掲げ、ワインで唇を潤す。
 ジビエによく合いそうな濃く深みのある口当たりは、ロアーヌのワインが持ち味とするシルクのようなエレガントさとはまた違って非常に男性的な味わいに感じられる。テーブルに用意されたブルーチーズも現地のものと見受けられ、塩分の強い味わいがまたワインと良く絡み合う。

「・・・漸く、ゆっくり話せるな。では、聞かせてくれないか」
「はい」

 ミカエルの問いかけにしっかりと頷いたカタリナは、少々俯いて手元のワイングラスの水面を見つめた。話すべき事はわかっているのだが、果たして何から話していいのかと一瞬考えてしまったのだ。それだけ話したいこと、話さなければならない事が多すぎるのだ。
 ミカエルはそんな様子のカタリナを急かすことも無く、ゆっくりとグラスを傾けながら彼女の言葉を静かに待った。
 やがてある程度筋道立てが済んだのか、カタリナは再びミカエルと視線を交わらせる。

「まず最初に、差し出がましくもお許しを頂きたい事が御座います」
「聞こう」
「聖王遺物である国宝、この聖剣マスカレイドの御返上。これを今暫くお待ち頂くことを・・・どうかお許し頂きたいのです」

 言葉と共に己の剣帯から優雅な装飾の鞘と共に取り外した聖剣マスカレイドをテーブルに置くカタリナに、対するミカエルはその動作を目で追いながら薄っすらと視界を細める。

「重ねて、理由を聞こう。恐らくは、その王家の指輪と関係があるのであろうがな」

 続いてカタリナの左手に嵌められた指輪に一瞬だけ視線を走らせながらミカエルがそう言うと、カタリナは肯定の証として先ず小さく頷いた。

「はい。これは当初はピドナの魔王殿にて入手した物ではありますが、後に聖都ランスに赴き聖王家当主オウディウス様とお会いして入手の経緯等をお話しした折に、その場の結論として暫く私が預かる事となりました」
「・・・つまりはカタリナが八なる光の一人、ということなのか」
「・・・そのようです」

 大凡を察していたらしいミカエルの言葉を、隠すことも無く素直に肯定する。それからカタリナはロアーヌを出てから今までのことを一つ一つ、ミカエルに聞かせていった。
 ミュルスでトーマスに出会ってから旅が本格化し、聖王三傑と称された初代メッサーナ国王パウルスの子孫であったということが後から分かったクラウディウス家のミューズとの出会い。ピドナの魔王殿で出会った正体不明の少年や、地下迷宮でのアラケスとの対決。フルブライト家現当主であるフルブライト二十三世との邂逅と、ベント家のバックアップを受けながらの世界経済への参入。アラケスの予言を受け手がかりを求めて聖都ランスへの巡礼と、オウディウスやヨハンネスとの出会い。そしてその旅路で出会った仲間の内何人かがピドナに集った折、八つの光として恐らくミカエルと同じ幻を共有したこと。
 そこまで話し、カタリナはここでこれも言わなくてはなるまい、と意を決して姿勢を正した。
 カタリナの様子の変化を見て取ったミカエルが視線で続きを促すと、カタリナは一度ワインで唇を濡らし、ミカエルの瞳を見つめた。

「私と共にピドナにてその幻を見たのは奇しくも、あのゴドウィンの変の折に宮廷の謁見の間に集った勇士達でした。即ちハリード、トーマス、ユリアン、エレン、サラ、そして・・・モニカ様です」

 その言葉の終わりと共に、静寂が部屋の中を支配する。
 正直、どんな反応が来るのかも分からなかった。ただトーマスやポールが調べた限りではロアーヌ侯家の公式発表上はモニカは数ヶ月前から消息不明となっていた以上、ミカエルの理解もその筈だと考えていた。そうなれば少なくとも、ここでのモニカ生存の報告は驚きが主な反応かとは予想していた。ただその後で色々モニカについては語らなければならないことも多く、非常に頭の痛い話題であることには違いがなかったのだ。
 だからこのあとに見たミカエルの反応は、カタリナにとっては全く以て予想外だった。
 なにしろモニカの名前を出したあとの静寂の後に、なんとミカエルはにやりと笑って見せたからだ。

「・・・ミカエル様?」
「私も、お前には話しておかねばならんことがあってな」

 カタリナの問いかけに、ミカエルは肘掛に片肘を立てつつそう言いながらもう一度、今度は少し悪戯っぽく笑ってみせる。その表情があまりに堂に入ったものであったから、カタリナは思わず視線を合わせ続けることが出来ずにワイングラスに視線を落としてから見上げるように彼を見た。あまり心臓に悪い表情はやめて頂きたいものだ。

「と、申しますと・・・?」
「モニカのことは、少なくともピドナにいる事は知っていたのだ。大凡の様子も分かっていた。何しろ、あの地には間者を放っているからな」

 因みにカタリナの社長姿の記事も見たがスーツ姿も意外と似合っていたぞ、とミカエルがいよいよ声を抑えられなくなったか、ふっと笑いながら言う。
 その言葉に、カタリナは瞬間沸騰したかの如く一気に耳まで赤くなりながら俯いてしまった。あのスーツ姿を、まさかミカエルに見られてしまっていたとは・・・余りの恥ずかしさに顔を合わせられる気がしない。
 いやいやそういうことでは無いだろう、と大慌てで思考を脳内で切り替える。

(確かに、考えてみれば普通の話だわ・・・そもそも各国に間者を放つのは今の時勢では当たり前の話だし、それこそ発行部数世界一と言われるメッサーナジャーナルの紙面に彼処まで大々的に乗れば、私の顔を知っている人間に伝わったって何ら可笑しくもない。当然そこで私もピドナの間者の観察対象に入る事は当然の成り行きであり、っていうかあれだけ変装の下手くそなモニカ様が見つからないわけもない。あぁ、くそとか言ってしまいました申し訳ありませんモニカ様・・・)

「・・・そうでしたか。寧ろ、それを聞いて安心致しました。私も急ぎミカエル様にお伝えせねばとは考えていたものの儘ならず、申し訳御座いませんでした」

 自分の話題には極力触れないようにしながら、ほほえみを作りつつ無難に返す。その返答にミカエルは再度肩を竦め、顎に手を当てた。

「まぁ、更に言えば先にメッサーナベント家からモニカの無事だけは知らされていたので、ピドナで確認したときもそこまで慌てはしなかったのだがな」
「ベント家・・・トーマスですね」

 どうやら、これに関しては先にトーマスが手を打っていたようだ。相変わらず痒いところに手が届く絶妙な補助をしてくれる。

「トーマス、か。なかなか面白い男よ。馬鹿正直に、ピドナにて匿っていると伝えてきた。此方が情勢的に王都に対して大それた動きはできないことも考えの上だったのだろう。それに最強の護衛集団が身辺警護をしているので身の安全は世界一保証する、とまで来たものだ。まぁ、ユリアンは元よりカタリナやトルネードまで居るのであれば、それも間違いではあるまい」

 いつになく上機嫌な様子でそう話すミカエルに、カタリナは恐れ入りますと首を垂れた。
 しかしそこでミカエルがふと黙り込み、それに合わせてカタリナも口を噤む。ワイングラスを傾けたミカエルはグラスをテーブルの上に置くと、真っ直ぐにカタリナを見つめた。

「お前はその聖剣マスカレイドで、何を成すのだ?」
「四魔貴族を、討ちます」

 言葉に一切の淀みなく、カタリナは即座にそう答えた。
 神王の塔の地下にて聖王遺物に触れたとき、彼女は確かに感じ取ったのだ。聖王遺物は、まだ己の役目が終わっていないことを強く示していた。聖王が後世に残した伝説の武具達は寧ろその輝きを増すばかりであり、それは聖剣マスカレイドもまた、そうだった。まるで眠っていた力が呼び起こされたかのように、マスカレイドから感じる力はゴドウィンの変の頃よりも強大に感じる。
 それに、彼女は聖都ランスにてヨハンネスにも約束をした。妖精族の長からも、討伐を頼まれている。何より、騎士として魔神アラケスに負けたままでいるわけには、いかない。自分に出来るところまではやってみようと、そう覚悟したのだ。
 そんなカタリナの返答を聞いたミカエルは、小さく頷くと座っている姿勢を正した。

「いいだろう、返還の延期を許可する。己が決めた道を進むがよい」
「有り難う御座います」

 再び頭を垂れるカタリナに対し、ミカエルはふと腕を組んで考えるような仕草を見せた。

「しかし・・・私が見た幻を顧みる限り、恐らく私も八なる光という解釈になるわけか」
「・・・はい。ただ先ほど申し上げた通り、私が知る限りでは指輪の記憶を見たのはミカエル様が恐らく九人目となります。聖王記に記されたパウルスの予言と異なる状況となっておりますので、これは伝説そのものに変化があったのかとは考えておりましたが・・・」

 これに関しては、やはりカタリナが自分で考えた限りでは明確な答えが出てこなかった。少なくとも聖王自身は記憶の中では八人に語りかけていたのだから、本来からすれば誰かが招かれざる者のはずだ。とはいえ、話を聞いた限りでは彼女の周りで同時に幻をみた面子は全員が同じ幻を見た。だとすれば魔王殿で出会った謎の少年が最も怪しいのだが、残念ながら件の少年とはあれ以来一度も会っていない。容姿は非常に特徴的だったのでトーマスに伝えた上で探してもらってもいるのだが、発見されたという報告もない。

「人数についてはさておき、私も八なる光の一であるのならばカタリナの進む道に向かわねばならないはずだ。少なくとも聖王様はそう望まれていたように見えた」
「ご質問をお許し下さい。ミカエル様は、あの幻を何処まで聞き取れたのでしょうか。私などには、残念ながら肝心と思しき部分が殆ど聞き取れず終いでした」
「それでは恐らく一緒だな。宮殿と思しき場面はまだ聞き取れたが、中空に浮かぶような幻覚の中では聖王様の声は掠れて意味のある言葉としては聞き取ることが出来なかった」
「・・・左様で御座いましたか。有り難う御座います」

 ミカエルの返答から自分や他の面子がピドナで見たものと同じであろうと考えたカタリナは、やはり別の方面から見ていく必要がありそうだと感じ、胸の下で腕を軽く組んで思案した。
 因みに、もしかしたらこの場合ミカエルと共に自分が旅をする等という展開がありうる物なのだろうか。そんな考えが彼女の頭の片隅を過ぎったが、そんなことになったら自分は果たして毎日正気を保てるものなのだろうか、と悶々としてしまう。
 斯様にカタリナが微妙にワイン漬けになった頭で考えていると、ミカエルはグラスを傾けた後に目の前のカタリナと同じように腕を組み、ふぅむと唸った。

「しかし、何故私やカタリナ、そしてそれらの面々が八なる光として選ばれたのだ?」

 当然出てくるであろうその疑問に、カタリナは明後日の方向に飛んでいた思考を引き戻して彼に向き合い、残念そうにゆっくりと首を横に振った。

「それに関しましては私達も考えを巡らせてみましたが、依然として不明です。寧ろミカエル様やモニカ様であれば聖王三傑たるフェルディナント様の直系の血脈であらせられるので納得もいこうというものですが、私やハリード、シノン出身の面々等は一体何故選ばれたのか・・・」

『邪悪なるものを封じる』とされるものが国や軍ではなく八人であることの理由を語った詩人も、そこばかりは分からないと言っていた。勿論それが本当なのかどうかすらカタリナには分からないが、少なくとも今は未だ知ることが出来ない段階であるようだ。それは以前に妖精の里の長の反応から見ても、間違いなさそうではあった。
 カタリナのその様子を見ていたミカエルは一つ頷くと、自分とカタリナのグラスにデカンタからワインを注ぎ足した。

「まぁ、分からぬのならば今考えても仕方あるまい。本当に我々が八なる光であるのならば、いずれその理由も分かるであろう。続きを聞かせてもらえるか?」
「・・・はい」

 存外軽くその話題を流したミカエルに短く返答したカタリナは、ピドナでモニカと再会して以降のことを話して聞かせた。
 グレートアーチへと神王教団の手がかりを求めて向かった事、その途中で船が魔物に襲われ、混乱の中でフェアリーと出会ったこと。漂流の末に辿り着いた密林で妖精の里に招待され妖精の長と会話をしたこと。フェアリーと共にグレートアーチへ赴き、現地人の協力を得てピドナに戻り、カンパニーの上半期決算報告会の中で敵の誘き出しに成功しマスカレイドの行方を遂に知ったこと。神王の塔でのマクシムスとの対決により聖王遺物の多くを回収したこと。
 ミカエルに対しそれらの出来事を話して聞かせながら、カタリナは我ながらこの数ヶ月は矢張りとんでもなく濃い時間であったなと再認識した。
 道中で詩人と会ったことなども踏まえながら話し、ミカエルが時折挟んでくる感想や質問に応えながら時間が過ぎてゆく。
 気がつけばデカンタの中身はとうに無くなり、トゥイク地方の伝統的な食後酒とされる蒸留酒を頂きながら今後の動きについて話し合っていた。

「現状動きが確認されている四魔貴族は、アラケスとアウナスです。とはいえアラケスは先のピドナで起こった『予兆』以降の動きは分かりませんが、アウナスは妖精族に対して継続的に攻撃を仕掛けているようです。アラケスは魔王殿地下にいることは確認しており、アウナスの居城とされる火術要塞は、恐らく妖精族の力を借りればたどり着くことは出来ると思います」
「アウナスは、伝説に寄れば魔道にも通じた炎の騎士であるという。挑むにあたり準備が必要ならば協力は惜しまぬが」

 ミカエルのその申し出に有り難く感謝の意を述べながら、しかしカタリナは軽く首を横に振った。

「まだ四魔貴族に対する手段に関しては調べていく必要がありますので、もしお力を貸して頂きたい場合は必ず申し上げます。ことアウナスに関しては妖精族がよく知っていると思いますので、近く現地に赴き話を聞いてみるつもりです。聖王遺物の多くを手にした今ならば、あるいは即座に動けるかも知れません」
「そうか。では私はタフターンに目を光らせながら己のするべき事をし、お前の言葉に何時でも応じられるようにしておこう」
「有り難きお言葉。一刻も早くマスカレイド返還を成すべく、尽力いたします」

 そういって再度ミカエルに頭を下げ、グラスを傾けようと手に取った、その矢先であった。

「・・・・!?」

 唐突に頭の中に直接地震が起こったかのように視界が大きく揺らぎ、体が平衡感覚を失う。
 手から放たれた床に落ちたグラスが砕け散る音を遠くに聞きながら、カタリナは己の体を必死に支えるようにテーブルにしがみついた。更に遠くからミカエルのものと思しき声が飛んでくるが、それに応えようにも声を出すこともままならぬ視界の揺れが立て続けに襲ってきて、それどころではない。まさか酒にでも酔ったのかと馬鹿げた考えが一瞬脳裏に浮かぶが、直ぐに否定する。酒に酔ったことは幾度とあるが、こんな現象は体験したこともない。
 そうこうしているうちに、やがてぐるぐると回転を続ける視界が段々と落ち着いていき、その代わりにどこからか声が近づいてきた。

《・・・・さん・・・ナサン・・・タリナさん、聞こえ・・か・・・カ・・ナさん!》

 覚えのあるその声は、耳を通さず直接脳内に語りかけてきているようだった。その声をぐらつく脳で必死に思い出し、必死の思いで口にする。

「・・・フェ・・・アリー・・・?」

《カタリナさん!》

 遂にはっきりとその声が聞き取れたと思えば、一瞬にして視界は正常を取り戻し、ミカエルに支えられて椅子から崩れ落ちていた彼女は即座に立ち上がっていた。

「フェアリー? 一体どうしたというの?」
《説明は後です! 森が・・・大樹が・・・! 外を・・・!》

 片手を側頭部にあてがいながら脳内のフェアリーの言葉に耳を傾け、中空に向かってしゃべるカタリナ。
 その様子を見て怪訝な顔をしていたミカエルは、しかしそのままカタリナが慌てて部屋の外に駆け出してしまったので兎に角追いかける事にした。

(フェアリーとは先の話題に出てきた妖精族か。あの様子は遠方から何らかの力を用いて会話をしている・・・と言ったところか。一体、何が起こった・・・?)

 そのまま城壁部分まで出たミカエルは、物見塔の上に登っていくカタリナを見つけてさらに追いかける。
 そしてその塔を登りきると、カタリナが出窓の縁に乗り出さんほどの勢いで、南西の方角を見つめていた。
 つられて、ミカエルもその方向に視線を走らせる。
 その先に見える光景は、空に向かって昇り立つ赤い炎と、禍々しくうねる黒煙。
 それらが、夜空を犯していた。

「・・・何ということだ。カタリナ、まさか今燃えているのは・・・」

 ミカエルがそう言いながら彼女に視線を投げかけると、カタリナはミカエルに向かって苦々しい表情を浮かべながら頷いた。

「・・・妖精の里です。アウナス軍が妖精の里の母体である大樹を覆う結界をうち破り、大樹に火を放ったそうです・・・」

 そう言ってまたカタリナは頭に手を当て、歯をくいしばるような表情で南西を見つめた。恐らく、頭の中ではフェアリーと会話を続けているのだろう。
 ミカエルはカタリナを横目に塔の下に一度降り、二人の動きに反応して付いてきていた衛兵を呼んだ。

「ブラッドレーに通達。現在駐屯している部隊の中から至急、一小隊の編成を。密林調査を任務とする。三分隊で編成後、明朝出立準備をして待機」
「復唱します!一小隊を三分隊規模にて編成、主任務は密林調査にて明朝出立待機、以上をブラッドレー様に伝達いたします!」

 復唱にミカエルが頷くと、衛兵は即座に反転し駆け出していく。
 そのすぐ後に階段を駆け下りてきたカタリナに振り返ったミカエルは、状況を問うた。

「妖精族がアウナス軍相手に応戦中との事ですが、迫る火の手には殆ど対応のしようがない様です。一時的に避難をしているそうですが・・・」
「里は持たぬのか」
「・・・・・・。・・・はい、恐らく持たないだろうとフェアリーが・・・」

 カタリナの言葉に視線を細めたミカエルは軽く胸の下で腕を組み、垂れてきた己の髪を片手で掴んで軽く引っ張るような仕草を交えながらどこか一点を見つめた。彼が何かを思案するときの癖だった。

「長は、まだ無事でおられるのか?」
「・・・。はい」
「この先の戦いに妖精族の助けなくしてはアウナス討伐は成せぬだろう。どうにか長が逃げ果せるようにと。こちらから直ぐ一小隊を派兵する。救助に向かいたい」
「・・・伝えてみます。・・・・・・お願いしたい、と」

 カタリナの言葉にしかと頷いたミカエルは、カタリナについてくるように仕草で伝えると兵士たちの集まるホールへと向かって早足で歩き出した。
 その間にもカタリナを通じてフェアリーに細かく状況の確認を挟みつつ、頭の中でどう動くべきかを構成していく。
 急ぎ足で入ったホールには、既に整列をした兵士たちがミカエルを待っていた。散々飲んでいたとは思えぬその整列ぶりは、彼らが矢張り日々精神鍛錬も含めて鍛え抜かれた軍団であることを表している。
 その先頭に立っていたブラッドレーが、ミカエルの前まで進み出て敬礼をする。

「小隊はフォックスのシーフギルドを中心に軽装での行軍を可能とするように組んでおります。分隊それぞれにコリンズ隊から早馬を当てがい、拠点駐屯地形成時に連絡を素早く飛ばせるようにしております」

 ブラッドレーの報告にミカエルは短く頷く。そして彼はその場の全員を見渡しながら声を張り上げた。

「もう外を見た者もいるだろう。今、南方の密林にて遂にアビスの魔の者たちが動き始め、現地で妖精族が襲われている。我々は敬虔なる聖王教徒として、三百年の昔に聖王様と共に戦った盟友を助けなければならない。現在妖精族はその長がなんとか逃げ果せているところのようだ。選抜部隊は明朝暁に本拠点を出立、妖精族の救助に向かう。残りの者は本拠点を仮の救助本部とし、救助隊やロアーヌとの連携を取れ」

 そこでミカエルが一旦言葉を切ると、その場の全員がロアーヌ式敬礼をした。

「救助部隊の指揮はコリンズとフォックス、本拠点での指揮官はブラッドレーが引き続き任務に就いてくれ。カタリナは救助部隊と共に現地同行を頼めるか」
「御意に」

 カタリナがミカエルの言葉に即座に頷くと、ミカエルは明朝出立に備えての散会を指示した。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・3 -怪傑ロビン-

 

「ドフォーレさんも、こんなボロやに1000オーラムも出そうって言ってるんだぜ。金もらって出てったらどうだ!」

 明らかに相手を恫喝する目的で発せられたであろう野太く不快な男の声は、薄い木製の壁しか持たぬ納屋の外まで響かせんとして敢えて発しているのではないかと勘ぐってしまう程度には派手に周囲に漏れ聞こえ、それは偶々そこを通りかかったユリアンとモニカの耳にも当然のように届いてきた。

「お金はいいんです。おばあちゃんが寝たきりだから、ここから出て行くわけにはいきません・・・!」

 相手の声に震えながらも恫喝に屈しまいと必死に声を絞り出す若い女性の声が後から聞こえてきた頃には、丁度納屋の周囲にいた住民たちは事に関わるまいとしてか、我先にと即座にその場から蜘蛛の子を散らすように去って行く。
 それがあまりにあっぱれな散りっぷりだったものだから、ユリアンとモニカは一瞬呆気にとられてしまったほどだ。

「・・・おいおい、なんだよ薄情な奴らだな!」

 先に我にかって俄然怒りを覚えたユリアンは、当然いつもの彼がそうするように兎に角仲裁に入らんとしてその小屋に向かって駆け出そうとした。
 しかしまさにその時、彼の直ぐ横を一陣の黒い風が吹き抜けていくのを確かにユリアンは横目に見た。
 それが人影であることをユリアンが認識した時には既に黒衣の人物は渦中の小屋に飛び込み、その中にいた老婆を無理やり運び出そうとしていた暴漢を体術で弾き飛ばし、老婆を鮮やかに助け出していた。

「老人を甚振るとは許せん!」
「ちっ、ロビンだ!逃げろ!」

 瞬く間に繰り広げられた、電光石火の救出劇。小屋の目の前で呆然としているユリアンとモニカを尻目に逃げ去る暴漢と、小屋の中では老婆を寝床に横にして若い女性の勇気を称え労わる黒衣の人物。

「なんてお礼を言ったらいいのか・・・」
「君たちが幸せなら、それで十分だ。さらば!」

 黒衣の人物はやることを終えるとすぐに身を翻し小屋を出てきて、そこで丁度ユリアンやモニカと視線が交わる。
 その人物は見たまま全身の殆どが黒で構成された格好なのだが、中でも特徴的なのは大きく額に『R』と書かれた黒いバンダナと、顔の上半分を隠すように装着された黒いアイマスクだろう。
 その珍妙な美的センスにモニカが思わず目を丸くしながらみていると、黒衣の人物は彼女らに対し不敵な笑みを浮かべ、次にはもう、現れた時と同じく一陣の風のように颯爽とその場を走り去っていった。

「・・・ちょっとカッコつけ過ぎですわね。・・・ユリアン様?」

 一連の様子を見てそう結論付けたモニカが同意を求めるように隣に寄り添っている用心棒に話題を振るが、思ったような反応が返ってこない。それを疑問に思ってモニカがそちらに視線を向けると、ユリアンは去っていった黒衣の人物の方を向きながら、惚けたように口も半開きでいた。
 そしてぼつりと、誰に向けたわけでもなかろう呟やきがモニカの耳に届く。

「・・・かっけぇ・・・」
「・・・そういうものですの?」

 そんな様子のユリアンにいまいち共感しきれないモニカは、どうも暫くその様子から抜け出しそうにないユリアンを取りあえず置いておき小屋の中の様子を確認しようと動き出した。なにせ中にいた様子なのは若い女性と老婆だ。男性では気がつかない部分もあるのではないかと考え、手伝えることがあればそれくらいはしようとしたのだ。
 小屋の中では先程の騒ぎの後片付けをしている女性がおり、モニカは今の騒動を見ていたこと、助けに入れなかったことの侘びと後片付けを手伝いたい旨を伝えた。それに女性が感謝の意を述べながら快諾してくれ、相変わらず外で惚けているユリアンを他所に手際よく片付けをしながらそれとなく今の黒衣の人物のことや、この国の現在の情勢のことなどを聞いていった。

 

「んで、その娘が実はエージェントも兼ねていた、と。こいつは早速の収穫だな、モニカ」

 夕刻、再び五人がシーホークに揃ったところでポールがモニカの報告を聞いて親指を立てると、モニカもそれに応えて得意げに伊達眼鏡をくいっと持ち上げてみせる。

「あと、その場に現れたマスクマンは恐らく・・・怪傑ロビン、ってやつだろうな」
「エージェントの方も確か、そう言っていましたわ。そのロビン様とは、どういった方なのです?」

 モニカが可愛らしく小首を傾げながら疑問符を浮かべると、ポールは手元の資料を覗き込みながら空いた手でボイルソーセージをフォークに突き刺しつつ、器用に肩をすくめた。

「まぁ所謂、義賊ってやつだよ」
「義賊・・・」

 ポールの言葉を繰り返して呟くユリアンを他所に、隣で話を聞いていたサラが首をかしげる。

「義賊って・・・アバロン伝記の怪盗キャットみたいな?」
「あーなんだっけそいつ・・あ、テレーズ王妃の恋敵だっけ、そうそう、そんな感じよ。実はこのヤーマスのロビンってのはここ一、二年は賊の間じゃ結構な有名人でな。ルーブ界隈じゃあこいつを警戒している連中は結構多いんだ。まぁ喧嘩を吹っ掛ける相手が権力者だろうがお構いなしなもんだから、バリバリのお尋ね者だけどな。衛兵連中からはヤーマスの疫病神、なんて呼ばれているらしいぜ」

 サラが自分の好きな小説の登場人物を例に挙げるとポールは頷き、そう付け加えた。
 怪傑ロビンは主にこの町で起こる犯罪を阻止するための活動を行っているようで、昼夜を問わず、その活躍が複数の住民から目撃されている。
 だが彼が阻止する内容には表向きには隠された悪意が分からぬものもあるようで、結果として都市衛兵からは単なる犯罪者として追われているそうだ。

「特にドフォーレ商会が背後にいると噂されるような悪事には、はほぼ必ずと言っていいほどこのロビンの妨害が入る。なもんで実はどこぞの傭兵かなにかがフルブライトにでも雇われてんじゃねーか、なんて言ってる奴らもいるな」
「あら・・・そのような感じにはお見受けできませんでしたけど、しかし穿った見方をすればそういう風にもとれてしまいますのね。義賊さんも大変なのですね」

 モニカがポールの言にそう言いながら頷くと、最近お気に入りらしいミルクたっぷりのカフェラテを傾けながら他人事よろしくサラが呟く。

「そういうのって意外と身近に潜んでいたりするのよね」

 そんな彼女を眺めながら、ポールは浅く頷いた。

「そうだと助かるね。実は俺が考えていたアテってのも、このロビンなんだよ。なにしろ敵の敵は味方、ってな。ドフォーレに敵対しているのならば、俺たちの味方たり得るだろう。しかも年単位に渡って喧嘩している最中ともなれば、俺たちが求めている情報も数多く握っている可能性が高い」
「おぉーなるほどー」

 エレンが感心したように声を上げると、ポールは得意げに笑って見せた。

「実際にいることもしっかり確認できた。なもんだから、当面はこのロビンと接触を図ることを第一の目標にしようと思う」
「俺もロビンに会ってみたい!」

 ここで、皆の話を聞くに徹していたユリアンが前に乗り出してきながら口を挟んだ。それを真正面から見据えたポールは、ユリアンに対してしっかりと頷いて返す。

「あぁ。ユリアンならそう言ってくれると思っていたぜ。なにしろ今回の作戦の胆となるのがユリアン、お前さんだ。頼りにしているぜ」
「勿論だ、まかせてくれ。・・・え、キモ?」

 どこから出てくるのか自信たっぷりにポールに頷き返したユリアンだったが、ポールの言葉に何か可笑しな雰囲気を感じ取り、思わず聞き返した。
 だがそれに対してポールは、その場ではにやりと笑いながらエールを傾けるのみであった。

 

「くそ、ふざけやがってあの覆面野郎!」

 全身に酒気を帯びながらエールジョッキを叩きつけるようにカウンターにぶつけ、筋肉質で大柄の男は心底不機嫌そうに怒鳴り散らした。
 その様子をパブシーホークの恰幅のいいマスターは若干目線を細めて見つめたが、周囲の喧噪の前ではそんな行為も塗れるだけなのでそのまま放置することにしたようだ。

「しっかし、なんなんすかね・・・。前より邪魔される回数がいきなり増えましたよね・・・」

 荒れている男の隣で、人相の悪い細身の男が静かにジョッキを傾けながらそういった。すると大柄な方の男はそれに憤慨するように悪態を吐きながら、空になったエールをカウンター越しにマスターに突き出す。
 マスターが仏頂面を隠さずに無言でそれを受け取り新たにエールを注ぐのを尻目に、男は再び周囲に聞こえるような声で怒りも露わに隣の男に怒鳴り始めた。

「デカい取引だけじゃねぇ。こっちの小遣い稼ぎまで邪魔してきやがって・・・。次邪魔しに来やがったらぜってぇぶっ殺してやる!」
「えぇ・・・だってもう俺等相当ボコボコにされたじゃないっすか・・・。もうやめましょうよ・・・」

 二人の会話はどうにも景気の良いものではないようだ。
 ポールはそんな二人の会話を聞きながら、カウンターの端でシーホーク自慢の豆シチューを啜る。
 ヤーマスに来てから今日で一週間少々が経つが、彼は夕刻以降の大体をここで過ごしている。共にこの地を訪れた各面子との集合場所として指定したからと言うのもあるが、実のところここのマスターの手料理が非常に美味しく、すっかりはまってしまったというのも一つ理由として十二分に挙げられるだろう。
 今日も既に本日二杯目となる豆シチューをたった今完食したところで、怒声とともに飛んでくる唾を避けてかシーホークのマスターがこちらに来たのを見かけて空になったグラスを掲げ、おかわりをアピールした。

「やぁ、彼方は商売上手くいかなくて荒れてるみたいだねぇ」
「あぁ・・・ありゃドフォーレの連中でしょうな。うちは他と違ってあそこの関係者でも割引きなんかしねーんで、ここに来るのは珍しいんですけどね。来たら来たであれですよ。まぁ、ちと騒がしいですけど勘弁してくださいよ、お客さん」

 マスターはどうやらあまりドフォーレ商会のことを快くは思っていないようで、彼らに対する言葉の端々に棘がある。ポールはそんなマスターの話に片眉を上げながら耳を傾け、そして頭を振った。

「なに、気にしないさ。寧ろ俺はロビンのファンなんでね、あいつ等の話しようじゃあ多分邪魔しているのはロビンだ。寧ろスカッとするくらいだよ」
「へぇ、お客さんもロビン好きですか。実は私も好きでしてねぇ」

 ロビンの名前を出すと途端にマスターは気をよくしたのか、表情が随分と和らいだ様子で口を開いた。
 反面、カウンターの離れたところで飲んだくれていた男二人はロビンという単語に敏感に反応したのか、怒りの形相をこちらに向けてくる。

「おいそこのクソガキ!胸くそ悪い名前を口に出すんじゃねぇ!」
「おおっと、聞こえてた」

 飛んできた声に対してポールが戯けながら肩を竦めると、その様子になお激高した男は怒鳴りつつ座っていた椅子を弾き飛ばし、大股歩きでポールに詰め寄ってきた。

「お客さん、店内で喧嘩はやめてくれませんかね」

 その様子をいち早く察知したマスターがカウンターから出てポールと男の間に立ちはだかると、男は問答無用とばかりにマスターの胸ぐらを掴み上げようとした。
 だが男の右手はマスターが持っていたバースプーンの先端で叩き落とされ、次の瞬間には男の喉元にフォーク部分が突きつけられる。その流れるように鮮やかな動きにポールは軽く口笛を吹きながら、面白い物が見られそうだと思い事を見守ることにした。

「うちの店で暴れんじゃねぇよ、木偶の坊。おいライム!こいつら放り出せ!」

 マスターの動きについて行けず男達がおどおどしている間にマスターがホールに向かって叫ぶと、ホールでウェイターをしていた男がその声に振り向いてカウンターに寄ってきた。
 ライムと呼ばれたそのウェイターは一見すると中肉中背の優男風の容姿なのだが、腕に覚えがある人間が見れば一目瞭然なほどに引き締まった肉体をしているのが、ウェイター制服の上からでも窺えた。だというのにそんな印象をあまり抱かせないのは、彼の表情が非常に柔らかい、というか気弱そうに見えるからかもしれない。
 ライムはその表情を崩さぬまま、男達に手を伸ばした。

「お、おい、くそ!離しやがれ!」
「・・・すみません。店内のお客様の迷惑になるので・・・」

 自分よりも背丈のある男にも全く動ずることなく彼らの首根っこを掴んで店の入り口まで移動したライムは、そのまま勢いよく腕を振り抜いて男二人を路面に放り投げた。
 そして最早文句も疎らに戦意喪失している男二人に対して、すっと掌を差し出す。

「・・・お代、下さい」

 男達がはその様子に呆気にとられた後、悪態を吐きながら1オーラムをライムに投げつけて逃げるように去って行った。
 その様子を見ていたライムは落ちていた1オーラムを拾いあげ、店内に戻る。すると店内ではマスターとライムの迷惑客退治に大いに客達がわき上がり、大喝采でライムを迎えた。
 今度はカウンターに向かって投げられるチップに恐縮しながらライムも戻ってきて、マスターに回収した1オーラムを差し出す。

「・・・父さん。これ」
「おう、ご苦労だったな」

 マスターの労いにライムは自身では上手く笑っているつもりなのだろうが端から見れば随分とぎこちない笑みで応え、そのままホールサービスに戻っていった。

「ここは親子経営なのかい?」

 一連の様子をエールジョッキ片手にのんびり眺めていたポールが、やれやれと言いながらカウンターの中に戻ってきたマスターに声をかけると、マスターは振り向いてニカッと笑って見せた。

「ええ、そうなんですよ。このヤーマスがまだ小さな港町だった時からうちの一族が細々と営んできた店でしてね。今は倅のライムと二人でやっとるんですわ」
「そうだったのかい。下町の方じゃあ荒くれ者も多そうだが、しかしここは息子さんもマスターも腕が立つから安心だな」

 ポールが大真面目に頷いて笑いながら言うと、マスターは照れ笑いを浮かべながら謙遜した。

「いやいや、とんでもないですよ。倅には確かに仕込みましたけど、私なんかもう年ですからねぇ。そういやお客さんは、ヤーマスへは商売かなにかで?」
「あぁ、そんなところだよ」
「へぇ、買い付けですかい?」

 マスターが何気なしにそう言うと、ポールはふぅむと一つ唸る。そして次には独り合点がいったかのように浅く頷き、にやりと笑いながら口を開いた。

「あぁ。ドフォーレを買いにきたのさ」

 満面の笑みで臆面なくポールがそう言うと、それを聞いて初めにきょとんとした表情を浮かべたマスターは、次の瞬間にはこれまで聞いた中で一番大きな声で笑い始めた。

「はっはっは!お客さん大きく出たねぇ。そりゃあいいや。私から前祝いで一杯出させてくださいよ」
「お、悪いねぇ」

 大変機嫌が良くなった様子のマスターからサービスで差し出された大ジョッキをポールがにこやかに受け取った、その時だった。なにやら店の入り口が俄に騒がしいことに二人とも同時に気がつき、何事かとそちらに振り返る。
 すると丁度そのタイミングで、店の入り口付近の客の叫び声が聞こえてきた。

「ロビンだ、怪傑ロビンが現れたぞ!」

 その言葉に、ポールは目を細めながら短く口笛を吹く。

「おや、噂をすれば、だ。今日はどんな悪事を暴いているのかねぇ」

 噂こそよく耳にするものの、実物を目にする機会は現地の住民でも殆どないに等しいのだろう。騒ぎを聞きつけて一目見てやろうという野次馬が次々と店の外にのぞきに行くのを眺めながら、先ほどまでの言葉とは反対に特にそれに興味がないようにポールがゆっくりとエールを飲んでいると、片腕に持ったトレーに大量の空グラスを乗せてカウンターに戻ってきたライムがおずおずとマスターに話しかけた。

「・・・父さん。ちょっとトイレ行ってきていい?」
「あぁ。騒ぎで多分オーダーも止まるだろうから、ちっとゆっくりしてていいぞ」

 マスターが二つ返事でそう答えるとライムは無言でこくりと頷き、カウンターの裏からバックへと引っ込んでいった。その様子を横目に見ていたマスターは、視線をすぐにホールに戻すと肩を竦める。

「さて、今日は商売あがったりっぽいし、私もゆっくりしますかねぇ」

 すっかり客がいなくなった店内をみたマスターは、自分も小さなグラスにエールを注いで口につけ、ポールに向かって肩を竦めて見せた。それに同じ動作で応えたポールはカウンターに頬杖をついて騒がしさが漏れ聞こえてくる喧噪の方へと顔を向け、口の端をつり上げた。

 

 

 世間を騒がす怪傑の登場に、まるでお祭り騒ぎのように沸き立つヤーマスの裏通り。その裏通りに連なる屋根の上を、黒い影が颯爽と疾駆する。その動作は非常に素早く、一般人では到底追い切れるようなものではない。そのスピードを緩めぬままに喧噪から離れた場所へと移動した黒い影は、しかし速度を緩めることなく再び動き出した。
 そして遅れること数秒。先ほどまで黒い影がいたその場所には、もう一つの黒い影が降り立っていた。
 もう一つの黒い影は先に動いた影を視線で追い、直ぐ様追いかけ始める。
 二つの黒い影の追走は十数秒続けられたが、平たい屋根の倉庫らしき建物の上にたどり着いたところで、追われる側の影が意を決したように止まり、すぐに追いついたもう一つの影を迎えた。
 対峙した二人は、非常に似通った姿格好をしていた。白生地のズボンに膝下まで覆う黒いブーツ。黒の上着。そして風に靡く漆黒の外套。なにより特徴的なのは、頭部前面に『R』と大きく書かれた黒いバンダナと、顔の上半分を隠すように装着された黒いアイマスク。それは、噂にきく怪傑ロビンそのままの格好であった。
 そのまま屋根の上で対峙する二人のロビン。数瞬の後、最初に口を開いたのは追いついた方のロビンだった。

「お疲れさま、にせロビンさん」

 その言葉に、言われた方のロビンは微動だにしないでいる。だがそんなことには構うつもりもないのか、言葉を発した方のロビンは相手に近づきながら言葉を続けた。

「ここ一週間ほど、私の与り知らぬところで私を騙る者による活動が何度かあったようだ。どうやらそれはロビンの名を汚すようなものではないようなので様子を見ていたけれど、流石に活動が活発すぎるね。一体どういうつもりなのかな、にせロビンさん」

 ヤーマスに怪傑ロビンが現れてからもう二年近くになるが、その活動はあっても月に1,2度がいいところだった。それがこの一週間で数度の目撃情報が街中で相次ぎ、俄然話題沸騰して沸き立っていたところだったのだ。だが、それはどうやらこのロビンがいうには偽物の仕業である、ということらしい。
 しかし言葉をかけられた方のロビンが黙って立ち尽くしているので再び言葉を紡ごうとしたその時、徐に黙っていた方のロビンは自らの頭のバンダナを解き、アイマスクを外した。
 星空の僅かな光に照らされたその素顔は、精悍な青年のそれだった。その髪はこの地方では見られることのないエメラルドの色をしており、アイマスクの下に隠れていた力強い光を湛える双眸が、まっすぐにロビンを見つめる。青年は、ユリアンだった。

「俺の名はユリアン=ノール。ロアーヌからやってきた。まずはロビンさん、貴方の名前を騙ってすまなかった。ただどうしても貴方と話す場を設けたくて、神出鬼没だという貴方に会うのに最も手っ取り早い方法だと思ってこんな形をとってしまった。許して欲しい」

 そういってぺこりと頭を下げるユリアンにひっそりとアイマスクの下で驚きの色を浮かべたロビンは、少なくとも目の前の自分と同じ格好をした青年には自分に対する敵意のようなものが今は全くないことを感じ取ると、多少リラックスするように居直した。

「そうだったのか。それで、このロビンに一体何の用かな?」
「・・・力を、貸して欲しい」

 ロビンの言葉に、まっすぐに相手を見つめたまま即座にそう答えたユリアン。対するロビンは当然のように訳が分からないといった様子で口をへの字に曲げ、首を傾げた。

「力を貸す、とは・・・一体何に対してなんだい?」
「この町に巣くう巨悪を討つ。俺はそのためにこの街にやってきた。敵は、恐らく貴方が対峙する者と一緒のはずだ。だから、どうか手を貸して欲しい」

 あまりに突拍子のないその言葉に、ロビンは困惑する表情をアイマスクの下に隠しながら、目の前の青年の真意を推し測るように薄らと目を細めた。

「あまりに突然な申し出だな・・・残念ながら、その申し出は受け入れられない。君が何者なのか、私には分からないのでね。まんまと私をおびき出してそのような甘言を用い、私を罠に嵌めようとしているとも限らない。これでも私は用心深くてね」

 ロビンがそう応えると、ユリアンは数秒の間何の反応も示さずにロビンを見つめていた。そして生暖かい夜風がその場を吹き抜けるのを合図にするように、帯剣していたロングソードをすらりと引き抜く。
 俄に、ロビンの眼光が鋭くなった。

「・・・ほう、やはり罠かな?」
「・・・違う。俺は・・・こういうときの上手い言い回しが思い浮かばない。だから口で言っても、この場で貴方に理解してもらえそうにない。だから、こんな証明しか思いつかない。俺の剣は誰かを貶めるためにあるのではなく・・・誰かを守るためにあるんだ。それを、感じ取って欲しい」

 そういってユリアンはロングソードを構え、視線でロビンに抜刀を促した。

「・・・いいだろう、一流の剣士は剣を交えることでお互いを知るもの。君が何者なのか、私のレイピアで確かめて見せよう。ただし・・・覚悟することだ。手加減はしないぞ」

 言葉と共にすらりと腰のレイピアを引き抜いたロビンは、その切っ先をユリアンへと定めた。
 瞬間、ロビンの姿はまるでかき消えたかのように超加速しながら前方へと突進し、躊躇なくユリアンの喉元へとレイピアを繰り出した。
 その速度に目を見開きながらも間一髪でレイピアの突進に対し刀身を当てて軌道を反らしたユリアンは、相手の推進力を緩める程度に留めながら自分も合わせてバックステップを踏み、空中で握り直したロングソードを操り一段目を囮にする変則的な二段斬りを繰り出した。
 だがロビンはその動きを読んでいたかのように更に踏み出しながらユリアンの左を抜けるようにして切っ先を回避し、彼の左後方へと回り込む。
 そしてがら空きのユリアンの背中に問答無用の突きを再度見舞わんと腕を引き絞ったところで、ユリアンの体が右回転をしていることに気がついた。

「・・・!?」

 囮を用いた二段斬りを繰り出したはずのユリアンは一段目のフェイントの後の二段目を打たず、相手が回り込むことを予測して腕の遠心力を目一杯乗せて水平に空間を切り裂くほどの斬撃を打ち放っていたのだ。
 これはロビンが咄嗟に身を屈めることで何とか回避したものの、しかし回避をするのが精一杯で直ぐ様反撃を叩き込むほどの姿勢制御が追いつかない。堪らず後ろに飛び退いて、一度相手との距離を取ることにした。

「・・・強いな」
「・・・」

 今の一瞬剣を交えただけでも、確かにロビンには分かった。目の前に居るこのユリアンと名乗った青年は、彼が知る中では間違いなく指折りの剣の使い手だ。
 真っ直ぐな剣線と淀みない振り抜きが、経験と信念によって鍛え上げられた体躯から放たれる。多少その型が綺麗すぎるようにも感じるが、それもまた彼の言葉の節々に感じる生真面目さを表しているようで、いっそ好感さえ覚える。

「確かに、君は言葉より剣の方が雄弁に語るようだ。それでは私も私の中の最大限で、君を確かめよう」

 そういうとロビンは、先ほどと同じようにレイピアをユリアンに向けて突き出した。いや、正確には先ほどとは少々構えが異なる。レイピアの切っ先は先ほどよりも下を向いており、下段に構えた状態に近い。そしてその切っ先の角度に合わせるように、ロビン自身も姿勢を低くし、ユリアンを見据えた。
 その状態のロビンからびりびりと感じる覇気にユリアンは剣を今一度構え直し、彼もまた相手の技に打ち合わせるべく構えをとった。
 そのまま、数秒が流れた。対峙する両者の間に流れる空気だけがしんと静まりかえり、そして夜空を煌々と照らす月が雲に隠れ、二人は影に包まれる。
 直後ロビンは全身のバネをフルに用いた超加速で飛び出し、その手に持つレイピアは、まるで空間をすら裂かんとするような速度で以て突き出された。その刀身には、迸る稲妻をも纏わせる程だ。

(疾い・・・)

 最早その突きは、視覚を核とした知覚では全く対処出来ないほどだった。それを感覚で悟ったユリアンは、考えるより先に肌に感じる気配と勘で捌くべく体を捻る。なにしろ最初の突撃も知覚するのに精一杯だと感じたが、この突きは比較出来るような技ではなかったのだ。

(・・・なら・・・!)

 ロビンの電光石火の突きは、寸分違わず狙い通りにユリアンを貫いた。確かにそう、ロビンは手応えを感じた。この速度では彼も目でそれを確認するようなことは出来ないが、その手元に感覚があればそれで決着だとわかる。
 だが、彼のレイピアがユリアンを貫いたとロビンが感じた矢先、ユリアンの姿はその場からかき消えてしまった。

「・・・!?」

 かき消えたとロビンが感じた瞬間、彼の突き出したレイピアを持つ右腕の死角からユリアンの気配が現れる。だが常人であれば全く反応する余地などないであろうその気配に超反応してみせたロビンは、考えるより先にレイピアを横に薙ぐ。
 だがそれがユリアンに接触したように思えたその刹那、またしてもそこにあったはずのユリアンの姿は消失。そしてその消失と同時に彼の背後と左側面から放たれた更なるユリアンの気配が、ロビンの感覚を大きく揺さぶった。

「・・・な・・・!?」

 あり得ない。ロビンは即座にそう判断した。だが確かに今、彼にはユリアンの気配が四方から感じ取れ、そのどの気配もが明確な敵意を自分に向けて放っている。
 錯覚かと訝るが、それはすぐに否定した。彼の得意とする小剣にも剣先の微細な揺れを用いた催眠術は存在しているが、その手の技には必ず特定の予備動作が存在する。しかしそんな気配は、微塵もユリアンからは見て取れなかったのだ。
 だからこれは、小手先の催眠術などではない。これは間違いなく物理的な、純度の高い高等技術の結晶なのだ。
 戦いの最中であるにも関わらず、ロビンは不意に顔がにやけてしまう。こんなにも強い人間がいるとは、恐れ入った。このような場面でそんな気持ちになることに、どこか可笑しさを感じてしまったのだ。
 彼がそのように感じたのと同時、複数のユリアンの気配が同時に斬撃を放つ。そしてその太刀筋のうちの一閃がロビンのレイピアをはね上げ、中空を舞った。
 軽やかに回転したレイピアが屋根に突き刺さると、ロビンの正面に位置していたユリアンは大きく息を一つ吐いてロングソードを鞘に収めた。

「・・・恐れ入ったよ。他者の剣技にここまで心奪われたのは初めてだ」

 最早悔しがるなどという感情はなく、ロビンは本当に心からそう思ってユリアンに向かい合った。
 それと同時に、ロビンの足下に二つに割れたアイマスクがひらひらと落ちる。
 だがロビンはそんなことには構わずに、ユリアンを正面から見据えた。寧ろユリアンの方が遠慮してしまい、後ろを向いてしまった程だ。

「・・・俺は貴方の正体を知りたいわけではないし、ましてや騙したいわけでもない。これで理解してもらえたら嬉しい」
「ああ、十分に理解したよ。君の剣は雄弁に語ってくれた」

 言いながらユリアンの仕草に苦笑したロビンは近くに落ちていたレイピアを回収すると、背中を向けているユリアンに向かって声をかけた。

「・・・七日後の日中、港の第三倉庫群の何処かで闇ルート取引があるという情報を掴んでいる。私はそこに向かうつもりだ」

 ロビンがそう言うと、ユリアンはロビンに振り返るまででは無いものの、顔を微かにロビンの方に傾けた。

「君ならばそれを共に暴いてくれると信じよう」
「・・・ありがとうございます」

 ユリアンが礼を言うと、背後のロビンはそれに僅かな笑顔を向け、そして静かにその場から去っていった。
 遠ざかっていく気配が完全に周囲から消えたところで漸く振り返ったユリアンは、漸くほっと一息つきながらがりがりと頭を掻く。

「・・・あー緊張した・・・なんで俺じゃなきゃダメなんだこの役目・・・。でもなんか凄い技も閃いたし、まぁいっか・・・」

 

 

『・・・後一つだけ、私的な願いをさせて欲しい。きっと私が居なくなってから、私の友人の子供がルーブに残される。もしこれを見た皆様がそいつに会ったら、どうか仲良くしてやって欲しい。小難しいけど、根は良いやつなんだ』

 優しそうなその声と共に青年が手を翳すと、どこからか聞こえてくるため息とともに視界がぼんやりと揺らぎ、世界が白く染められていく。
 ミカエルは微動だにせずにそれを見つめ続け、やがて暗転する視界に合わせて目を閉じた。ふわふわと浮いているような心地であった全身には確かな現実の気配が舞い戻りはじめ、全てが元の世界に戻っていくのを感じる。
 それと同時に、とても聞き覚えのある、しかし久しぶりに聞いたような気がする声が彼の脳裏に響き渡ってきた。

「・・・様、ミカエル様!」

 まだ上も下も分からぬ感覚の中で自分を呼ぶその声に向かって無意識に手を伸ばしながら、はじめはぼんやりと、そして次第にはっきりとした色彩を取り戻していく世界にゆっくりと瞼を上げる。するとそこには、酷く心配そうな表情で自分を見つめている、懐かしい顔がある。カタリナだった。
 最後に彼が見た時より、彼女の自慢だった美しい銀髪は伸びていた。だが、それでも以前の長さというわけでは無い。彼女の長い銀髪を美しいと感じていたミカエルは、今更ながら勿体ないな等と場違いに考える。
 自分が無意識に伸ばしていた手はカタリナの頬に触れており、そして彼女の銀髪が手の甲に寄りかかっていた。
 ミカエルは微かにカタリナの頬を撫でると、次に彼女の髪を軽く掻き上げながら、頭をそっと撫でた。

「・・・久しいな、カタリナ。元気にしていたか?」

 カタリナの耳に届いたその声は、ロアーヌを出て以来に何度も何度も彼女が頭の中で繰り返し再生してきた声そのものだ。しかし、彼女の記憶の声よりもずっと透き通っているようにも感じられた。そうしてすっと耳に入ってきたその声音に思わず涙腺を刺激されるが、そこは流石に瞬き一つで律する。

「・・・はい」

 しかし発せられたミカエルの声を聞いたことで何故か体の力が一気に抜けてしまい、カタリナは振り絞るようにそう答えると、ぺたりと地面に座り込んでしまった。
 それをミカエルは視線で追ったあと、周囲に視線を巡らせながら自分の状態を確認する。どうやら自分は倒れていたらしく、コリンズに抱きかかえられ、カタリナが覗き込んでいたようだ。
 視線を上げる。
 日は高く、自分が最後に見た光景と殆ど何も変わっていない所から、時間の経過はさして無いものと推測された。
 そしてその短いであろう時間の間に自分は恐らく、かの聖王に幻の中で語りかけられたのだ。
 コリンズの肩を借りながら立ち上がり、体に異常が無いことを確認してコリンズを下がらせる。不思議と直前まで体中に蓄積されていた連日の疲労感は綺麗さっぱり消えており、万全の体調といってよかった。いや、むしろ以前よりも余程調子が良いようにすら感じる。
 一頻り自分の状態を確認し終えると、目の前に座り込んでいるカタリナに手を差し伸べた。

「あ・・・も、申し訳有りません!」

 その時、恐縮しながら手を取り立ち上がるカタリナの手に、見たことのないものが嵌められていることに気がついた。とはいえ今の彼女の装備にはミカエルが見たことのない者が多量にあるわけだが、とりわけ彼女の指に嵌められていた指輪が、彼の目を引いたのだった。
 いや、正確にはミカエルはその指輪をずっと昔に見たことがあったので、目を引いたのだ。ロアーヌ侯爵家の先祖縁の地であるユーステルムに向かった折に見聞のためと立ち寄った聖都ランスで見たものと、それは同じものだった。

「王家の指輪・・・か。今の幻は、これの所為なのか?」

 ミカエルのその言葉に思わず目を見開いて彼を見つめたカタリナは、ミカエルがその表情に気がついてどうしたのかと視線で聞いてきても、直ぐには応えられずにいた。

「ミカエル様・・・今、この指輪の記憶をご覧になったのですか?」
「・・・その指輪の記憶なのかどうかは分からぬが、聖王様と思しき方に語りかけられる幻は見た。その内容から察するに、聖王記に記された八なる光に対して残されたものであるようだった。この地に半数以上、と言っていたが・・・」

 ミカエルは先ほど見た幻の内容を思い出しながら、そう言った。それを聞きながら、カタリナはこれが一体どういうことなのかと言うことに考えを巡らせる。
 兎に角言えることは、王家の指輪が反応するのが八つの光に対してである、というこれまで当然そうだと考えてきた仮説が今ここで崩れたということだ。なにしろ、王家の指輪が反応してその記憶を見せられた人間は、これでカタリナの知る限り九人目となるのだから。
 その九人とは、たった今見たばかりのミカエルに、カタリナ、ハリード、エレン、サラ、ユリアン、モニカ、トーマス。そして魔王殿で出会った、謎の少年。
 こうなってしまうと、伝説そのものに間違いがあったのか。いや、そうではないはずだとカタリナは自分の中でその説を否定する。なにしろ王家の指輪に込められた記憶の中では、聖王自身が「八なる光」と言っていたのだ。少なくとも聖王自身が己の記憶を託すつもりだったのは、その発言から察すれば八人だったはずだ。だとしたら、聖王の時代からここまでの間に何らかの事情によって状況が変わり、その結果として人数が増えたのだろうか。
 だめだ、今考えても分からない。そう判断したカタリナは、兎に角考え得る仮説だけいくつか立てるに留めることにした。

「・・・ミカエル様」
「・・・何か事情をしっているようだな、カタリナ。後ほど話を聞こう。だが今は、先に彼と話をするべきのようだ」

 そう言ってミカエルがカタリナから視線を移した先には、一連の出来事を静かに見守っていた老人が立っていた。ティベリウスだった。

「・・・ロアーヌの若き侯爵とお見受けする。私はティベリウスと申すもの。神王教団の教長を勤めておる。この場には、此度の騒ぎの謝罪をさせて頂くために赴かせて頂いた。どうか話し合いの場を設けさせて頂けないだろうか」

 言葉と共にティベリウスが頭を下げると、ミカエルは面を上げるように申し出た。

「お名前は存じております、教長ティベリウス殿。お初にお目にかかる。いかにも私が、ミカエル=アウスバッハ=フォン=ロアーヌだ。今回の話し合いの提案、是非ともお受けいたそう」

 ミカエルが間髪入れずにそう言うと、ティベリウスは感謝の意を述べ、再度頭を下げた。

「会談場所は、出城まで私が赴く形を取らせて頂こう。後方に控える軍には撤退指示を出しておりますので、直に下がるでしょう」
「ではそのように。我々の騎士団精鋭が出城まで丁重にご案内しよう。道中の安全は何処よりも保証するが、戦場へと赴く装備故、多少荒削りなのはご勘弁願いたい。プラッドレー」

 ミカエルの言葉に応じ、ブラッドレーが一歩前に出てティベリウスにお辞儀をした。

「ロアーヌ騎士団師団長を務めるブラッドレーと申します。それでは、ご案内させて頂きます。どうぞこちらへ」

 ブラッドレーの誘導に従ってティベリウスが馬車へと移動していくのを見届けたミカエルは、同じく見送りをしていたカタリナへと振り返った。そして彼女の腰に装着されている聖剣マスカレイドを確認すると、小さく笑ってみせる。

「無事に取り戻したようだな」
「・・・はい」

 ミカエルは労いのつもりで声をかけたのだが、しかし返ってきたカタリナの返事は、どうにも歯切れの悪いものであった。以前には見られなかったその反応は恐らく、彼女のこの半年強に及ぶマスカレイド探索の旅の中で訪れた変化がもたらしたものだろう。
 先ほどの幻の件といい、どうやらカタリナはマスカレイド探索とは別の大きな何かに、その身を投じているようだった。

「旅の疲れもあろう。話は出城にてティベリウス殿との会談を終えてから聞く。それまでは体を休めるといい」
「・・・畏まりました」

 言葉少なにそう言って背を向け歩いていくミカエルに、カタリナは自分でも無意識に近いうちに、どうしたわけか彼を呼び止めていた。

「ミカエル様!」

 呼びかけにミカエルが振り返ると、カタリナはそこで初めて我に返ったように、はっとした表情をする。何故今、自分は態々主君を呼び止めたのか。それが自分でも全く分からなかったのだ。
 だが振り返ってこちらを見つめているミカエルを見ているうちに、彼女は何故自分が彼を呼び止めてしまったのかを自覚した。

「・・・砂漠は、日射しが強うございます。どうかご無理をなさらぬよう。お呼び止めして申し訳ございませんでした」
「ああ、気をつけよう」

 そう言って再び去っていくミカエルの背中を見つめながらカタリナは右手を握りしめ、自分の胸にそっと手を当てる。妙に充足感を覚えている我が身を余りに現金なものだと恥じ、しかしその気持ちに抗うこともせず暫しの間目を閉じ、気を落ち着かせる。
 やがてゆっくりと目を開いたカタリナは大きく息を吐き、騎馬隊の控える方向へと歩き出して行った。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・2 -ヤーマスでの作戦-

 光の届かぬ無限に続くようにも思える深い深い闇の底で、何かがずるり、と蠢く気配があった。
 その気配は、複数。それらの気配は其々が、まるで長き眠りから覚めたばかりのように緩慢な動きで起き上がる。
 ふと、その場に炎が灯る。それは赤く、しかし業深き深淵の炎。

「・・・動き出したようじゃ」
「・・・そのようだ。やはりこうでなくては、な」
「・・・結局お前は自分で殺したいだけか。ではもう僕は好きにさせてもらう」
「・・・私もそうさせて貰うわ」

 短い会話の後にその場から二つの気配が消えると、後に残ったのは炎に照らされた醜い顔の老人と、その影に僅かに映る巨躯。

「・・・此度の宿命の子が何を齎すのか、見ものじゃな」
「・・・何れにせよ、今回で終わらせる」

 そう言ってさらに一つ気配が消え、その場には炎と老人だけが残された。

「・・・どれ、まずは彼奴かの」

 その呟きとともに炎が消え、その場には再び闇が舞い戻った。

 

 

 メッサーナ以北にはツヴァイク公国をはじめとした幾つかの都市国家が群立しているが、その中でも最も流通が栄えているのは、間違いなく商都ヤーマスであろう。
 かの有名な聖王による魔龍公ビューネイ討伐の片翼を担った巨竜ドーラが住んでいたとされる竜峰ルーブを中心とするルーブ地方の玄関口として静海を臨む巨大な港を有したこの都市国家は、ウィルミントンに居を構えるフルブライト商会に勝るとも劣らぬ一大企業、ドフォーレ商会の齎す恩恵によって嘗てない旺盛を極めていた。
 単独事業として世界経済に大きく影響を与えている各地の陸海運企業を抑えて世界最大商会フルブライトと凌ぎを削るドフォーレは、その強引な商談スタイルが持ち味だ。その剛腕にて周辺の企業を次々と傘下に加え、ここ最近で瞬く間に巨大企業となった。
 だがその強引な姿勢の裏にはあまり良くない噂も絶えず、企業イメージとしてはフルブライトよりも数段劣るというのが経済界での認識だった。
 特に近年問題が表面化してきている薬物の密輸に関する流通経路の不透明さの裏にドフォーレのマーケットが絡んでいるという噂が実しやかに囁かれており、声を大にして言えば潰されるのでどこも言わぬものの、これを危惧する企業は非常に多い。

「んでまぁ、それを叩く為のネタ探しと、あわよくばドフォーレの弱体化ってのが俺らの今回のミッションってわけよ」
「ってわけなのよ」
「なんだかわくわくしますわね」
「あたしはもうちょっと派手な仕事の方がいいかなぁ」
「で・・・具体的には何をすればいいんだ?」

 ヤーマスの中心街の裏路地に位置するパブ・シーホークのカウンターの隅で、五人の男女が周囲の喧騒に紛れてひっそりとグラスを傾けていた。相変わらずのラフな格好にバンダナ姿のポールを筆頭に、特徴的な緑髪を掻き上げながらそれとなく周囲の警戒を怠らないユリアン。そしてその隣には煌びやかな美しい金髪を後ろで纏め、眼鏡をかけて一応の変装を施しているモニカがおり、あとはカーソン姉妹が仲良くグリッシーニを摘まみながら話に花を咲かせている。
 流石にルーブ随一の商都だけあってか中心街の賑わいはピドナのメインストリートにも匹敵するほどで、昼間からこのパブシーホークも喧噪に包まれており、彼らの声が他のテーブルにまで届くことはない。

「んー・・・このヤマに関してはちょっとした当てがないわけじゃあないんだが、でも先ずはがっつり聞き込みだな。俺はここを拠点にこの街のメインエージェントを見つけて接触を図るから、ユリアンとモニカさ・・・あー、モニカ。んでエレンとサラは二人一組に分かれてドフォーレに関する話を中心に兎に角なんでもいいから町中から集めてくれ。その辺の鼻はサラが効くだろうから、ユリアン組はドフォーレ関連以外でも何か役に立ちそうな情報がないか、街中洗ってみてくれ」

 ポールの指示に、にっこりと微笑むモニカを筆頭に四人はこくりと頷く。
 途中でポールが言い淀んだのは、ここに来るまでの間に五人で話し合ったことを慣れぬながらも実行した結果である。他の全員がお互いをそのまま名前や愛称で呼んでいるのに対し、モニカのみが敬称付で呼ばれている現状を本人が非常に嫌がった。なのでうっかり敬称をつけそうになった瞬間モニカの突き刺すような視線に気がつき、言い直したと言う訳なのだ。

「何かあればここで落ち合おう。じゃあみんな、よろしく頼むぜ」

 ポールの言葉に各々が返事を返し、そのまま程なくしてグラスを空けて店を出て行く。それを見届けたポールは、自分もジョッキを空にした後に腕を組み、一つ唸った。

「さて、と。どうやって絡めるかねぇ・・・」

 

 

「ドフォーレか。俺も以前あそこの仕事は受けたことがあるが、地上げ屋紛いでいい気のする仕事じゃあなかったな。金払いはいいから何回かやったが」

 昼下がりの職人通り。長い歴史を誇る幾つもの工房が建ち並ぶ一角に聳えるレオナルド工房のロビーは、中央通りの喧騒が嘘のように静かなものだった。
 装備のメンテナンスの為に訪れていたハリードが愛用の曲刀の手入れをしながらそう言うと、テーブルの向かいに腰掛けたシャールは此方も槍の手入れをしながら応えた。

「神王教団に関する余罪を洗っている中で、件の企業との裏取引を匂わせる資料が出てきたそうだ。この件についてはトーマスが近衛軍団にフルブライト商会と合同で後追いをする旨を進言し、公式に捜査協力をしているそうだ」
「ルートヴィッヒがよく首を縦に振ったな」

 ハリードが顔を上げると、シャールは肩を竦めてみせる。それに合わせて、彼の右腕の銀の手がかしゃりと音を立てた。

「そこまで手が回らない、というのが実情だろう。一般市民へと向けた表向きの体裁は見事に情報操作をして見せているが、内部は未だ細かい火消しに躍起になっているようだ。あやつらとて自分達で手をつけたいのであろうが、手も回らん上にフルブライトの名を出されては首を縦に振らぬわけにもいかなかったのだろう」
「・・・そんなところだろうな。それを分かっていて如何にも親切心を装いながら申し出るトーマスの顔が目に浮かぶ。俺は彼奴こそ一番敵に回したくないと心底思うね」

 ハリードがニヤリと笑いながらそう言うと、シャールもそれには心底同意すると言いながら微かに笑う。

「・・・でも、なんでその調査メンバーにサラやモニカが入ってるの。遊べなくてつまんない」

 男二人の間に位置するところで言葉通り詰まらなそうに足を組んで座っていたキャンディが首を傾げながらそう言うと、ハリードは磨き終えた曲刀を鞘に納めながら彼女に視線を向けた。

「サラに関してはポールと組んで、現地で懐柔できる企業はその場で回収するためだろう。あの娘も、どうやら姉より随分とその辺の頭の回転が早いようだ。トーマスにだいぶ仕込まれたな。ありゃあ将来は化けるぞ」
「ふぅん・・・」

 ハリードの意見にもキャンディが引き続き詰まらなそうに答えると、そんな様子は御構い無しにハリードの言葉が続く。

「寧ろ、その辺のノウハウが何もないユリアンをモニカ姫までつけて同行者に指名したポールの方が、俺にはよくわからんけどな」
「・・・確かにな。だが今回のミッションにはユリアンこそ適任だとポール自身は言っていた。てっきりあの男の事だから、そこはフェアリーあたりを指名すると思ったのは私もだがな」

 シャールの物言いに、間違いないと笑って答えるハリード。
 すると、丁度一仕事終えた様子のノーラが地下の工房から上がってきた。石造りの階段を軽快に鳴らす特注ブーツの音で誰が上がってくるのかがすぐ分かったのか、キャンディは彼女の声がかかる前に立ち上がっていた。

「親方、紅茶?」
「うん、宜しく」

 キャンディが紅茶を淹れに席を外すと、ノーラはキャンディが座っていた椅子に勢いよく腰を掛けて一息ついた。そのまま背伸びをするとバキバキと彼女の節々各所が大きく音を立てる。そうして体にたまった疲労を放出するように大きくのびを終えたノーラは、改めてその場の面々に視線を向けた。

「メンテ終わったのに二人して帰らず、なんの話をしていたんだい?」
「なに、ポールたちの作戦はどうなのかを話していただけだ」

 シャールの返答にあぁと反応したノーラの横に丁度ポットと茶器一式を持って戻ってきたキャンディは、トレーをテーブルに置いて慣れた手つきで茶器を展開しながらその場の三人の話に耳を傾ける。

「あぁ、ヤーマスのやつね。ドフォーレ商会でしょ?結果断ったけど、うちも取引を持ちかけられたことはあったよ。あそこ、自社でも工房もっているしね。結構大きいはず」
「・・・結構も何も、あそこの武器工房は規模だけならここ以上だよ、親方」
「へぇ、そうなのかい?」

 不意にキャンディから言われた内容にノーラが感心したように返事をすると、キャンディはくるくるとポットを揺らしながら言葉を続けた。

「あそこは表向きは地続きのランスやバンガードあたりが大きな取引相手だけど、大手商会の中で唯一自社海運を持っているから、実はかなり低コストで内海を抜けれるの。だから頻繁にナジュまで行って直通取引も行っているよ。神王教団を中心としてナジュ交易品の北部流通もあそこが一手に引き受けていたはず。当然、武具関連も。ハマール湖の戦いで何故現地の民が当時の王国軍に渡り合える武具を揃えられたかっていうと、ここが大きく関与しているんだよね。まぁリブロフに頼るわけにもいかなかったのは分かるけど、でもそのせいで現地の商会の影響力は・・・」

 ノーラの愛用カップへと紅茶を注ぎながら言葉を続けていたキャンディは、そこではっと我に返って周囲に視線を走らせる。
 そこには、ノーラをはじめとしたその場の三人の非常に物珍しげなものを見るような視線が自分に注がれている光景がまっていた。

「・・・あ、こ、これお得意さんの行商人の受け売りね」
「へぇ、うちのお得意さんは随分その道に明るいみたいだねぇ」

 態とらしく感心したようにノーラがそう言うと、ハリードとシャールも大げさに頷いて同意してみせた。

「ねぇ、それトーマスに共有できる話があるかもしれないよ。もう少しキャンディがその行商人から聞いたっていう話、聞かせてくれる?」
「・・・べ、べつにいいけど」

 ノーラに正面から言われ、キャンディは少し視線を泳がせた後にどもり気味にそう答える。

「・・・あ、あくまでもこれは行商人から聞いただけだからね!」

 しつこく前置きをそのように重ねてから、キャンディは語り出した。
 現在の世界には大きく分けて3つの商会勢力が存在し、それは筆頭であり最も長い歴史を持つフルブライト商会、リブロフに拠点を置くラザイエフ商会、そしてドフォーレ商会の三社である。
 だがこの構図になったのは割りかし昨今のことであり、死蝕以後になってこのような構図が形成された。死蝕以前は世界経済はフルブライトの絶対天下であり、ラザイエフ商会はピドナにほど近いことを理由に栄えたものの、聖王所縁のフルブライトには及ばぬ永遠の二番手のような立ち位置であったという。
 また当時のピドナにはクラウディウス商会もあり、ラザイエフとほとんど同じ規模の商会であった。
 ここで死蝕後に一気に膨大な資金力を保有して台頭してきたのが、ドフォーレ商会だった。
 その取扱品目はルーブの良質な鉱石を用いた武具に始まり、フルブライトをも凌ぐ西大洋からの豊富な海産物と資源。そして聖王の時代に取扱禁忌とされ表には出回らぬ幾つかの違法物資をも保有しているとの噂が付き纏った。

「でも何よりドフォーレが大きく資金力を伸ばした最大の要因は、塩だよ」
「・・・塩?」
「そう、塩」

 ノーラが首を傾げながらそういうと、キャンディは大まじめに頷きながら続ける。
 毎日の食卓に欠かせない塩は、世界の中心たるピドナなら中央市場で当たり前のように取引されている。だがこれらの塩をどの様に調達しているのかと言えば、そのほとんどは輸入に頼っているのが現状であった。
 世界各地に供給される最も一般的な製塩法は海水を濃縮し煮詰めて作る方式だ。降雨の比較的少ない地域には塩田もあるが、海棲の魔物を警戒する必要性から人件費が掛かってしまう。故に、大抵の都市国家は前者の方法で製塩する。だがこの製法は単純な工程で言えば塩田に比べ燃料や道具を要するので矢張り少なからずコストがかかり、大量製塩がし辛い。故に古来より塩は単価が安定して高く、各都市国家の主たる国家事業として供給されていた。
 そこに突然大量の良質の塩を安価に供給し始めたのが、ドフォーレ商会だった。
 それまで発見されていなかった大規模な塩鉱をヤーマス近郊にて採掘することに成功したドフォーレ商会は、これを主軸に一気に世界中の塩の価格を塗り替え無名の商会からフルブライト商会にも迫るほどの規模へと拡大したのだ。
 さらにこれを助けるかのように世界各地の海岸沿いの塩田は降雨が増えたり魔物の出没が相次ぐなどし、かのフルブライトもガーター半島西岸に構えていた塩田を放棄せざるを得ない事態にまでなった。これにより、自力で安定した塩の供給を行える国家は乾燥地帯に塩湖を保有するナジュと規模こそ小さいものの自国供給を賄うには足るだけの岩塩鉱山を領内に所有するツヴァイクのみとなり、それ以外の国で供給される塩のおよそ三割強もの量がドフォーレと取引するものとなったのだ。
 このような背景により、ドフォーレの資金力は圧倒的な勢いで伸びていった。

「今回のドフォーレに関する調査にルートヴィッヒ団長さんが本当に噛みたかった理由も、まぁ間違いなくこれだよね。仮に近衛軍団がドフォーレの塩鉱を支配下に置けたら、それはもう世界を牛耳るに等しいよ」
「・・・成る程な。まさかトーマス殿は、ここまで読んでこの状況を優先して作ったのか・・・?」

 シャールが驚きを隠さずに舌を巻く。その様子を見てなぜか得意げにふふんと言いながら腕を組んだキャンディは、そこでふと持ち上げた人差し指を顎に当てながら、考えるような仕草をした。

「でも今回ヤーマスに向かったポールは、なんかトーマスさんの思惑とは別の展開を目論んでいるように思えたんだよね」
「別の展開・・・?」

 ハリードがそういうのに合わせて再度三人がキャンディに視線を向けると、キャンディは肩を竦め、確信はないけど・・・と前置きをしながら口を開いた。

 

 

 神王教団の出城奇襲から数えて五日の後、ミカエル率いるロアーヌ騎士団本隊はナジュ砂漠へと陣を展開していた。
 奇襲より三日後には出城に到着していたロアーヌ軍本隊はシーフギルドを中心に編成した斥候の調査にて近隣に潜伏して体勢立て直しを図っていた神王教団軍の駐屯地を発見。即座に追撃戦を展開した。
 この際砂漠方面へと後退していく敵軍を追ってアクバー峠の上下に分かれてロアーヌ軍は下から攻め上がる行軍となり地形の利を活かした反撃を受けそうになるものの、ブラッドレーの仕掛けた煙攻めを起点として精強なるロアーヌ騎馬大隊を率いるコリンズ、パットンの疾風の如き猛攻を受け、敵軍の将アクートは敢え無く敗走。
 更に追走を続けるうちに砂漠へと突入したロアーヌ軍は、慣れない気候に苦心しながらも一夜を砂漠にて明かした。
 翌る日、斥候の確認で前方に神王教団軍が陣を張り待ち構えていることを確認したミカエルは開戦を目前に最後の軍議を開いていた。

「斥候隊の偵察によれば相手軍は凡そ四千。我が軍は砂漠行軍のために全体を三千に絞っている。総数で不利であり、且つ慣れない気候で兵の士気もコントロールは平時に比べ困難であることが予測される。正面から消耗戦を挑んでは勝ち目はない」

 ブラッドレーの状況説明に、その場に集まった将たちは低く唸り声を上げる。
 その場に集まったのはミカエルを筆頭に、現在のロアーヌ騎士団主力陣であるブラッドレー、コリンズ、パットン。斥候や密偵を主とし戦場では弓兵で主に構成されるシーフギルドのフォックス。
 そして、先の神王教団による出城奇襲戦の際に絶体絶命の危機に瀕していたロアーヌ軍を救ったことで直々にミカエルから声を掛けられ客将としてロアーヌ軍に招かれていた、聖王記詠みを自称する謎の人物、詩人。
 以上の六人であった。

「・・・一応聞いておくが、詩人さんよ。あのすげーやつは、暫く使えないんだよな?」

 コリンズが頭を掻きながら丁度彼の正面あたりに立っている特徴的な服装に身を包んだ詩人にそう問いかけると、彼は即座にこくりと頷いた。

「はい、残念ながら私は本来の使用者足り得ませんので。再度の行使には、この七星剣が自然に光を取り戻すのを待つしかありません。天空にほど近い適度な高度の山の山頂で満天の夜空に掲げ続け、まぁ三年ってところでしょうか?」

 実に軽妙に言い切る彼の様子に、その威力を知るコリンズとブラッドレーは惜しそうに溜息をつく。
 詩人が神王教団に対して放った想像を絶する威力の衝撃波は、聖王遺物の一つである七星剣の力によるものであった。今もまた煌びやかな柄を見せている七星剣は、確かにあの戦場にあった時のような圧倒的な威圧感を有してはいない。
 そこに手元の地図を見ながら次に口を開いたのは、フォックスだった。

「あと、少々気になる編成が相手に。前列は砂漠での戦闘を想定した軽装歩兵装備で間違いないのですが、後方に明らかに戦闘装束とは考え難いローブに身を包んだ集団を確認しました。念のため宮廷魔術師に探ってもらいましたが、魔術兵団というわけでもないようです。ですので単に相手の宗教的な理由による編成かも知れませんが・・・いい予感はしません」
「んなもん構わず突撃!・・・って言いたいとこだが、用心は欠かしちゃいけないな。ブラッドレー、なんか案はねーのかよ?」

 フォックスの言葉を繋いでパットンがブラッドレーに振り直すと、彼は腕を組んで唸った。慣れぬ戦地な上に数が不利であるという状況に、己の持ちうる戦術のどれが通用するのかどうかを考えているのだろう。

「本来、数的不利は地形と陣形で補うのがセオリーだが、今回は戦地も慣れぬ。そして相手の情報が不足しているので、これまでの様に尖った戦術も打ち辛い。分かっているのは、間違いなく相手より我々の方がこの地での戦には慣れていない、という事だ。いくつも戦術の変更をしていられる時間も体力もない」

 そこまで言って困った様にブラッドレーはミカエルに視線を向けた。
 砦制圧に至るまでのこれまでの戦で主に作戦を決めてきたのは、ミカエルだ。彼の意見を聞きたいと思ったのだろう。
 それを察したのか、ミカエルは地図へと視線を落としながら皆に傾けていた意識を戻し、ふむ、と一つ息をついた。

「・・・以前、聞いたことがある。あやつらの戦法・・・実に邪教らしい、悍ましい戦法を」

 それは、十年前のハマール湖での戦いだった。
 ティベリウス率いる神王教団と民間義勇兵、そしてナジュ王国との間に起こった戦。
 この戦いにおいて神王教団が王国軍に勝利したのは、傍から見ればとんでもない偶然の賜物、それこそ神の起こしたる奇跡と言ってもおかしくないくらいに通常では考えられない結果だった。
 何しろそれまで碌に武器を手に取ったこともない様な民間人と宗教家が、しっかりとした兵装を施し訓練もされていた王国軍を打ち負かしたと言うのだから、俄かには信じ難いことだ。
 しかし奇跡は起き、神の導きにより神王教団はこの戦争(聖戦、と彼らは呼ぶ)に勝利した。
 だが当時の一部の者、主にナジュ王国軍の生き残りは、その奇跡がどの様にして齎されたものであるのかを目の当たりにし、震え慄いた。
 ナジュの王国城下町でゲリラ戦を展開していた神王教団は、交戦中に王国軍の中に建物の上から飛び込み、神に祈りを捧げながら次々に爆ぜたのだという。

「人間・・・爆弾・・・?」
「そうだ」

 ミカエルはコリンズの言葉を肯定しながら、言葉を続けた。

「信者は体から火を噴きながら爆ぜ、周囲の王国兵数十人を瞬時に道連れに焼き尽くしたという。市街地でのゲリラ戦でこれを防げなかったナジュ王国軍は隊列も瓦解し、自ら望んで命を絶つ信者たちに恐れ慄き、敗走したのだ。恐らくフォックスのいうローブの集団は、これの可能性が高い」

 あまりに狂ったその戦法に、その場の騎士たちは低く唸った。

「・・・しかしそうなると、その戦法は市街地のゲリラ戦だからこそ効果的であったもので、この戦場では奇襲も使えない分効果は薄いですね。分かっていれば怖くはなさそうだ」

 ブラッドレーが顔を上げてそう言うと、ミカエルはそれに頷いた。
 するとそこで、詩人が遠慮がちに片手を挙げる。
 それに反応したミカエルが視線で発言を促すと、詩人はこほんと咳払いをしてから、得意げに言葉を発した。

「因みにその爆弾兵、多分射抜けば爆発しますよ」
「なんと・・・それは本当か詩人殿!」

 パットンが驚きながらそう言うと、詩人は浅く頷いた。

「着込んだローブの下は、火星の砂あたりをベースにした火薬でしょう。そしてそれの着火剤は、彼らの体内に渦巻く炎。ローブ姿の信者たちは恐らく人間ではありません。アウナス術妖と呼ばれる魔物だと思われます。奴は体に傷を負うと炎が吹き出し、傷を覆います。それが火薬に引火し、爆発する。ですので、射抜けば爆ぜるはずです」

 アウナス術妖という言葉に、ミカエルはぴくりと眉を動かす。唐突に出てきた四魔貴族の名前と神王教団に、なにか関係性があるということなのだろうか。
 だがそれより更に気になるのは、何故そのような情報をこの聖王記詠みが知っているのかということだ。
 まるでそれらを相手に戦ったことがあるかのような口ぶりに、ともすれば彼はハマール湖の戦いを経験した人物か何かなのかという予測がミカエルの脳裏を過る。
 それを確かめようと口を開きかけたところで、しかしそれは外から大慌ての様子で幕舎へと駆け込んできた斥候の報告に防がれた。

「ご報告いたします!先刻、敵陣にて大規模な爆発が発生!!並びに、白旗を掲げながらこちらへと向かってくる人影が確認されています!」
「・・・ふふ、どうやら戦をせずに済みそうですよ、ミカエル侯」

 詩人が斥候の報告を受けて突然そのように言い出すと、その場の全員が全く状況が分からないとでもいうように彼を見返した。

「いえ、ね。今のこの戦とは全くの別件ですが、つい最近、神王教団教長ティベリウス殿に直談判をした知り合いがいましてね。この戦の事も随分と憂いていたので、このタイミングなら使者も恐らくその人物でしょう」
「へぇ、その人物っていうのは・・・?」

 コリンズが首を傾げながら聞き返すと、詩人はいたずら好きな子供がするそれのようににんまりと笑顔を作りながら肩を竦めた。

「それは、相対してからのお楽しみ、としましょう」
「ミカエル様を前に無礼な!・・・っていいたいところだが、この御仁の言うことには不思議と怒る気が起きんな・・・。如何いたしますか、ミカエル様」

 パットンがそう言ってミカエルに視線を投げると、ミカエルはふっと笑ってから斥候へと視線を向けた。

「どうもこうも、行くしかあるまい。案内せよ」
「はっ!」

 畏まって敬礼し幕舎からでる斥候に続き、その場の全員が後に続いた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・1 -砦の戦い-

 

 アクバー峠を望む出城の物見塔の縁から、よく使い込まれた様子の騎士鎧に身を包んだ男が顔を出した。ゆっくりとした仕草でここ数日続いている見事な晴天を仰ぐと、そこから次に視線を落とし、遠く広がるトゥイク半島へと視線を向ける。
 半島に沿って大きな湾を形成している眼下の海は、普段の陽気な様子と違ってすっかり成りを潜めたように動きがない。一つの波風も立たぬその様子に、男はそれが気に入らない様子で低く唸った。

「・・・凪、か。不気味だな。こんなに静かなのが、逆に気持ち悪い」

 その呟きは誰に対して発せられたものでもなかったものなのであろうが、男の後ろから塔を登ってきたもう一人の男が、ひょっこりと顔を出しながらその言葉に続いてみせる。

「確かに、不気味だぁな・・・まぁぼちぼち、くるだろうな」
「・・・コリンズ」

 声に振り向いた男は、昔馴染みの戦友を見て取ると肩を竦めた。

「ブラッドレー、お前は少し張り詰め過ぎだ。戦前に休んでおけよ」

 同じく半島の方へと視線を向けながらコリンズが言うと、ブラッドレーは同じ方向を向いたまま生返事を返した。

「あぁ・・・。なぁ・・・コリンズ。お前はこの戦、どう思う?」
「どう、って?」

 そこで改めて視線をブラッドレーに向けたコリンズは、突然の質問の意味を理解しかねて問い返した。ブラッドレーという男は以前からそんなに表情が豊かな男ではないとコリンズは認識していたものだが、今日のこの男は特別表情に抑揚がない。これは何かにつけ考え込むことが多い彼の、特に難しいことを考えているときによく現れる特徴だった。

「今回の戦はリブロフ軍の奇襲に端を発した連戦だが・・・俺には、この戦がそれだけのものとはどうにも思えないんだ」
「・・・どういう事だ?」

 コリンズが首を傾げると、ブラッドレーは塔の縁に肘を置いて楽な姿勢を取りながら視線を細めた。

「逆賊ゴドウィンの一件からこの半年あまり、以前とは比べものにならない頻度で戦が続いているだろう。それこそ親父の代なんざ、精々年一の魔物討伐が毎晩聞かされる定番の武勇伝だったっつーのに、だ。とんでもない変化量だと思う。起こった戦の一つ一つは一見無関係に見えるが、はたしてこんな短期間に斯様な偶然があるものだろうか・・・?」

 ブラッドレーが口にした疑問を聞き、コリンズはふぅむと腕を組んで唸った。
 今から半年以上前、当時のゴドウィン男爵がミカエル候に対して謀反を起こした直後に一つの騒動が宮廷内であり、その結果彼らの同期が一人ロアーヌを去る事態となった。
 そしてその直後に、まずロアーヌ近隣に居を構える傭兵団から資金難の相談がロアーヌ宮廷に届いた。
 しかしその内容はお世辞にも相談などとは言えぬような挑発的なものであり、援助がなければ城下町まで攻め上がる、といったものだった。それは誰が見ても明らかに内乱直後の不安定な時期に揺さぶりをかけにきた形だ。
 それまで長年穏健派で過ごしていたロアーヌの臣下らはこの出来事に当然の如く資金援助による解決を侯爵に具申するも、侯爵はこれを棄却。
 結果凡そ四千もの軍を成してロアーヌへと攻め上がった傭兵団を相手取り、同数程度の兵力ながらも用兵の妙を用いてロアーヌ軍は圧倒的な勝利を収めた。

「そういえばあったなーそんなの。パッペンハイムのおっさんは、俺あんま嫌いになれないんだよなー」
「そりゃあお前、あそこの団長お前と同じく速攻好きだから気が合うだけだろう」

 コリンズの言葉に、ブラッドレーはそう応えながら笑った。
 その傭兵戦のすぐ後には、なんとゴドウィンの親族を名乗る何者かからゴドウィンが治めていた領地の管理権譲渡を迫られた。
 侯爵は書状を見て呆れ返って無視したものの、後日その男が隊列を成して城下町に進軍しているとの報を受け、これをまたしても同程度の軍勢を率いて徹底的に蹂躙する。

「なんだっけ、あいつの名前。ジーパンみてーな名前のやつだよな。リーヴァイスだっけ?」
「・・・エドウィンだ」

 立て続けに起こったこの二戦で圧倒的な力量を周辺国に知らしめたロアーヌだったが、これまでとは明らかに異なる好戦的なその姿勢に過敏に反応して牙を向いたのが、ロアーヌ周辺を根城としている野盗の大軍であった。
 ロアーヌより北方に広がる森林にて行われたこの野盗討伐戦は、それまでの連戦を明らかに上回る過酷さだった。
 しかし三度に渡って軍勢が衝突したこの戦いでは地の利を生かしつつ更に三倍近い兵力を用いて挑んだ野盗軍に対し、なんとミカエルはその全ての戦略を見抜いて砕き、敵味方共に被害を最小限に留めて勝利を収めてみせた。
 この結果に誰より心酔したのが野盗団幹部の面々であり、今や彼らは野盗ではなく北方やシノン方面の開拓を兼ねた駐屯兵として雇用されている。
 更に一部の面々はシーフギルドとして組織立てられ、侯爵のために様々な活動を行っているという。

「フォックス・・・可愛いよなぁ。あのクールな感じがたまらん」
「・・・俺はラビット派かな」

 これらの連戦が終わって一月ほどした頃だったか。
 連戦連勝に気を良くした臣下の具申により、ロアーヌ軍は幾つかの状況を想定した軍事演習を行う事となった。これはミカエル侯も以前より考えていたようで話が決まると速やかにスケジュールが組まれ、それぞれ環境の異なる三つの進路を定めて行軍演習を行った。
 実戦形式の演習ではなかったのだがそれぞれのルートで魔物の大軍と鉢合わせる等のハプニングがあったが、この時に明らかにそれとは異なって団旗を掲げぬ謎の軍勢とミカエルの本隊は交戦することとなった。
 無論の事無難に勝利を収めたミカエルであったが、その軍の正体はその時点では結局分からずじまいであり、後日に発覚したのはそれがリブロフ軍だったということだ。

「今回の三連戦も矢張り、ミカエル様の用兵は凄まじかったな。沼地の隊列変更もそうだが、ここの投石機の速やかな弓部隊による殲滅は鮮やか過ぎて、俺達ですら戦況を把握し損ねるところだった。リブロフの奴らも慌てて突撃してきたしな」
「・・・しかし此度の連戦はかなりお体に負担がかかったことだろう。それをなかなか我らに見せぬからな、侯爵様は。今回だって我ら五人がかりで迫って漸くロアーヌに休養を取りに帰ってくれたが、あれも最後ラドム将軍が跪いて頼み込まなきゃ帰らなかったと思う」

 そうしてミカエルをなんとか休養させるために一度ロアーヌへと返し、その間攻め落としたこの出城の守備を任された指揮官がこの二人、コリンズとブラッドレーだった。
 二人とも逆賊ゴドウィンの討伐任務からミカエルの指揮する本隊所属として従軍し、目覚しい戦果を上げている。
 他にもライブラやパットン、タウラスといった筆頭騎士も彼らと同じ世代に名を連ねており、現在のロアーヌ騎士団の核となる面子である。

「連戦がどうなのかは俺にはよく分からんが・・・しかし今回の敵がリブロフなのって実際、お前はどう思う?」

 コリンズが欠伸を噛み殺しながら伸びをし、姿勢を戻しながらブラッドレーに視線と共に疑問を投げた。

「・・・それはつまり、ルートヴィッヒが背後にいるかどうか、ということか?」

 ブラッドレーが返した問いに、コリンズは浅く頷いた。
 それを確認して目を細めながら外に視線を戻したブラッドレーは、数拍おいてから口を開く。

「・・・俺は、ないと思う。奴がメッサーナの王位を得るのに、俺たちに喧嘩を売って弱体化させることの意味が見出せない。勿論、穿った見方をすれば幾らでもこじ付けは可能だろうが・・・俺にはルートヴィッヒという男が悪戯に敵を増やすような真似をする人物には思えない」
「成る程な・・・でもよぉ、かと言ってリブロフの独断とは考え辛いよな」
「だな」

 近年のトリオール海以南の情勢は、以北に比べて安定していた。
 しかしそれはメッサーナ王国リブロフ軍により齎されたものではなく、その最も大きな要因は間違いなく神王教団の存在であった。
 リブロフは元々ルートヴィッヒが総督をしていたが、五年前の内乱を機に現在はその後継としてバイヤールという人物が統治を行っている。
 彼らと神王教団の関係値はルートヴィッヒのそれを完全に模倣したもので、その治安維持から経済相互補助に至るまで密にやり取りを行いながら、ピドナとの連携を図っている。
 しかしその一方で近年、リブロフが密かに軍事増強を行っているという話は何処からか漏れていた。

「私欲なのかねぇ」
「・・・かもな。誇りの伴わぬ権力に意味などないというのに・・・メッサーナの連中はどいつもこいつもお目出度い」

 心底呆れた様子でブラッドレーがそう言うと、それに同意の意を示しながらコリンズは塔の縁に背中から寄りかかった。

「ミカエル様がお強いのもそうだが、そもそも奴らの戦争動機が腐ってるから俺たちの相手にならん。驕りはしないが、事実リブロフ軍に負けるなんて事はない。が・・・怖いのは奴らか」

 そう言ったコリンズは、南東に広がる広大な砂漠へと視線を向けた。燦燦と照らされた太陽の光を吸収して揺らめく砂漠の向こうには、物見の塔の上である彼の位置から微かに建造物らしきものが見える。
 今やナジュの実質的支配者となっている、神王教団の本拠地だ。
 その視線に倣ったブラッドレーはその塔の先端を睨むように見つめた。

「・・・恐らくリブロフが手を組むとしたら、十中八九奴らだ。古都ナジュを滅ぼした勢いは、今もまだ健在だろうな」
「今の情勢では、間違いなく一番厄介な相手だろうなぁ。どうなる事やら・・・」

 そう言ってコリンズが肩を竦めた瞬間だった。

 南方独特の音色を持つ角笛の音色が突如として辺りに響き渡ったかと思うと、それは点を線で繋いでいくように南へと向かって次々に木霊し、伝達して行った。
 やがてそれは幾重にも重なる重奏となり、そして遠方から巻き上がる砂埃がそれらに応えた。
 血相を変えて塔の縁から南方へと身を乗り出し視線を凝らしたコリンズは、山間の陰から突如として現れた軍隊がこの出城へと向かって進軍を開始した様子をしっかりと確認した。

「・・・噂をしてりゃあ来やがったな! おーい、聞こえるかー!!」

 塔から下に向かって叫ぶと、別箇所から状況を見ていた兵士がすぐに反応をした。

「籠城戦だからな!しっかり投石機を使っていくぞ!狼煙を上げてこの事態を宮廷に知らせろ!」

 その指示に兵士が頷き、投石機の配置された城門へと向かった矢先だった。コリンズの横で同じく血相を変えたブラッドレーも身を乗り出し、大声を張り上げて兵士に停止を呼びかけた。

「待て!今の角笛・・・どこから鳴った!?」

 その言葉を聞いた兵士が怪訝な顔をしたのも束の間だった。城門の方面から飛来した矢に頭を射られた兵士はびくりと震えた後に崩れ落ち、血溜まりをその場に作って事切れた。そしてなんと、直後には出城の城門が重苦しい音を立てながら開き出したのだ。

「・・・なっ!?」

 何が起きたのか分からないと言う風に驚き声を上げるコリンズ。籠城戦といった矢先に城門が開いた状態では、どうぞ攻め込んでくださいと言っているようなものだ。コリンズの横でブラッドレーは苦虫を噛み潰したような顔をし、直後に急いで塔を下っていく。丁度そこに大慌ての様相で駆けつけた後続の兵士が塔の入り口にいたブラッドレーを見つけ、必死の形相で叫んだ。

「ブラッドレー様!侵入者です!城門部屋を奪取されました!」
「馬鹿な・・・くそ・・・!!」

 彼が考え得る限りでは、間違いなく最悪の展開だった。先ほどの角笛は城内、それも籠城の要となる城門から発せられたものであったのだ。城門の操作が出来ぬとなると、当然ながら籠城どころではない。しかし自軍はこの出城での攻防は籠城戦を想定し兵装や人数等も調整をしており、打って出るには心許ない状態であった。
 ブラッドレーが奥歯をかみ砕いてしまうのではないかと思われるほどの形相で考えを巡らせているところに、同じく塔から駆け下りて来たコリンズが南の城門とは逆を指し示す。

「ブラッドレー、俺が北東側から兵を出して迂回し南門前に展開する。お前は城門部屋奪還を!」
「・・・承知した。死ぬなよコリンズ!」

 一瞬の間の後に発せられたブラッドレーの言葉に手を上げて応えたコリンズは、そのままにやりと笑うと大急ぎで兵舎へと向かっていった。
 前には大軍、そして後ろには占領された城門と投石機。その中で時間を稼ぐとなると余りに危険な役目だが、コリンズは自らそれを買って出たのだ。
 ブラッドレーは勇気ある戦友の行動を無駄にしてはならないと自らを奮い立たせ、直ぐ様兵士に指示を飛ばした。

「投石機は絶対に使わせるな!物見塔三カ所に3名配置し城門上を短弓で狙え!剣戟隊は末席二部隊を残して全てコリンズ部隊長に続け!あとの二部隊は城門部屋の奪取!俺に続け!」

 矢継ぎ早に飛ばされた指示を兵士は瞬時に理解し、迷いなく仮宿舎へと走っていく。
 ブラッドレーは自らも剣を抜き放ち城門奪取の為に駆け出しながら、死地へと赴かんとする戦友を想った。

(この隠密・・・頭の固いリブロフ軍などの仕業ではない・・・それにあの妙な笛の音もリブロフ軍のそれではない。間違いない、神王教団だ・・・!  くそ、待っていろコリンズ・・・死なせはしないぞ・・・!)

「弓は先ず背後の城門を!投石機を封じろ!歩兵は上翼下翼分かれ、共に二連隊にて逆弓型防壁波陣!城門奪取まで一定距離を保て!騎馬隊は先ず一発かまして相手を兎に角止める!薄いところから荒らしていくぞ!俺に続け!」

 愛用の剣を腰に引っさげ、馬上槍を片手にコリンズが吠える。それに俄然大きく鬨の声を上げるロアーヌ騎士団。
 味方は意気軒昂。このような劣勢不利にも何の物怖じもせず、自分を信じて付いてきてくれる。それがひしひしと感じられ、コリンズを更に奮わせる。
 だがそれでも、この戦は今までのどの戦場よりも過酷だと言えた。

(・・・要は挟み撃ちを食らってるようなもんだ。目測で敵は四千てとこか。即座に城門を奪い返して籠城に持ち込まないと、数も圧倒的に足りない)

 馬を走らせながら前方より迫り来る軍勢とその周囲をつぶさに観察し、コリンズは低く唸る。

(・・・あの角笛、相手は神王教団と見て間違いない。となると機動力の要は戦駝。馬を操るこちらの方に速度では分がある・・・が、籠城前提でいたから騎馬隊は最小限まで絞っちまっている。真面に陣も組めない・・・。撹乱がてら時間稼ぎに二手に分かれて端から削っていくしかないか・・・!)

 そう判断したコリンズは即座に指示を飛ばし、二手に分かれた騎馬隊は上翼下翼奇襲の構えをとった。
 だがコリンズの指示により騎馬隊が隊列を変えた矢先、再度背後から角笛が一定間隔で鳴り響く。
 その角笛が鳴り終えると、今度は前方の軍勢内から同じく角笛が鳴り響き、相手の隊列が中央突貫型へと変化していく。

(・・・!!  くっそ、背後からこっちの動きが丸見えで相手に伝えられちまってる・・・!?)

 慌ててコリンズは分かれる寸前の騎馬隊に纏まり直すように指示を変更する。
 そのまま進行速度を保ちながら相手の陣形と人数を見て取り、コリンズは表情で悪態をついた。

(・・・攻撃の波陣か。強襲する気満々じゃねーか! くそ、正面からでもぶつかって勢い止めるしかねぇのか・・・!)

 砦には最低限の城門攻略組を残してきただけだが、ロアーヌ軍は楽観的に見積もっても相手の半分がいいところだった。そのままぶつかればこちら側の大打撃は免れないだろう。
 だが、城門に近づかせればそれこそ全てが終わる。つまりは、全滅だ。
 何としても、相手の勢いを止めなければならない。
 だが、止めるには圧倒的に物量が不足していた。

(・・・畜生めが・・・駄目だ、このままぶつかるんじゃ止まんねぇ・・・。こっちが轢き殺されて終わりだ! 何か、何処か相手の隙はないのか・・・!)

 極限の状況にコリンズの思考は研ぎ澄まされ、高速回転で思考を重ねていく。だが、其れでも彼の元にはこの状況を打破するための手立てが舞い降りては来なかった。

「コリンズ隊長・・・! 我々が上翼一点集中で突撃し、相手を止めます!隊長は一度お下がりになり防衛指示を!必ず止めて見せます!」

 コリンズの脇を走る騎士が、決死の表情でそう申し出る。
 コリンズは当然そんな事させるものかと一喝しようとしたが、しかし部下の騎士は続けた。

「このまま全滅するわけにはいきません!我々が止めている間にコリンズ隊長が下がり状況を見て歩兵隊を纏めて下さい!!その間にブラッドレー隊長が必ず城門を奪還します!そうすればこの戦は勝てます! 我々は誇り高きロアーヌ騎馬隊にして速攻のコリンズ隊第一隊!あの様な輩にはかすり傷一つも負わずに必ず止めて見せます・・・!どうか、ご指示を!」

 彼はもう、死を覚悟していた。
 その上で放たれた強い意志の言葉を受けたコリンズが苦渋の表情で周りを見れば、並走する全員が表情を同じくしてコリンズに視線を投げかける。
 コリンズは砕けそうな程に強く歯を食いしばり、前方に視線を戻した。

「いいだろう!我が隊の勇姿をとくと邪教徒共に見せつけてやれ!突撃後は速やかに本隊へと合流し、籠城戦へと移るぞ!」
「はっ!畏まりました!」

 コリンズの指示に俄然奮い起った騎士達は、槍を構えて突撃姿勢を取った。

「・・・・・・な、なんだあれ・・・!?」

 そのまま上翼突撃をせんとした、まさにその時だった。
 突撃姿勢の一人が下翼の方面を向きながら当惑の声をあげ、その声に反応したコリンズが其方に視線を向ける。
 すると、確かにそこにはとてもこの状況では理解し難い光景があった。

「・・・敵の新手、か?」

 いいながら、まさかと自分で否定する。
 彼の視線の先には、今まさに激突せんと加速する両軍の丁度真ん中を縫うように駆ける、一頭の駱駝がいたのだ。
 駱駝の背には人が一人乗っているが、ローブ姿のようで遠目からは容姿も何もわからない。
 だが、駱駝に跨るその騎手が手を振り上げて何かの動きをすると、それを見たコリンズは目を見開いた。

「な・・・き、騎馬隊止まれぇぇえ!」

 コリンズの突然の指示に、しかしよく訓練された騎馬隊は即座に反応して急停止をかける。

「コ、コリンズ様・・・あの者は、今・・・」
「あぁ、彼奴、うちの手信号使いやがった・・・」

 同じくそれを見ていた騎士の言葉に、コリンズは頷いた。
 見た目は間違いなく敵のそれに近い格好なのだが、しかしその動作は間違いなくロアーヌ騎士団の中で使われる伝統的な手信号だ。
 事前にそれを入手した敵軍による情報操作とも考えられたが、それならば格好をこちらに合わせてくるはずであろう。それに何より、あの信号は普段このような場面で使うものではない。

「自分に任せろ・・・だと? 彼奴、何するつもりだ・・・?」

 コリンズのその呟きが終わる頃には、件の人物は両軍の中央辺りの位置まで到達すると、なんと駱駝を降りて只一人で神王教団の軍勢に向かい合った。

「・・・おいおい、何のつもりなんだ彼奴・・・どんな奇策を使うつもりだよ・・・」

 コリンズはいつでも動き出せるように騎馬隊に指示を飛ばしながら、固唾を飲んでその光景を見守った。

 大量の砂埃を巻き上げながら視界前方に広がる軍勢は、速度を緩める事なく突撃してくる。
 たかが人一人のために止まる事などあるわけもないのだから、当然と言えば当然だろう。
 故に相対したその人物もそんな事に構う素振りはなく、前方の大軍を見据えながら駱駝を降り、自分の背後に駱駝をしゃがみ込ませたあと無造作に腰から一本の剣を抜き放った。
 金色にて細身のその剣は、ずぶの素人が見たとしても大変な価値のありそうなものだという事だけは一目で分かるほどに煌びやかで、そして圧倒的な威圧感を有していた。
 鞘から解き放たれた刀身はまるで身震いをするかのように小さく震え、その場に風を巻き起こす。やがて己の有する金色ではまだ足りぬとばかりに剣は鳴動し、その身になおも光を集め始める。
 渦巻く風に沿って光の集約していくその様は、まさに満天の星の煌めき。瞬く間に眩く発光する刀身を確認したその人物は、慈しむようにその刀身を一頻り眺め、そして剣を構えた。
 まるで、大気がそれを待っていたかの様に。
 ふと、風が止んだ。
 それこそは、開演の合図。
 周囲の怒号も鳴り響く風も全てが掻き消えた刹那の静寂の中で、その様舞踊の如く流れるように美しい動作でふわりと一回転し、眼前の軍勢に向かって剣を薙ぐ。
 剣を起点に、光が弾けた。
 一瞬の閃光。次いで突風、衝撃。そして轟音。
 起点の後方にいたコリンズが感じとれたのは、そこまでだった。
 爆風により大きく砂埃が舞い上がり、あたり一帯の視界を遮る。
 だが直ぐに戻ってきた吹き抜ける風によって砂埃は取り払われ、そうして開けた視界を確認したコリンズは目の前の光景に思わず槍を取り落とした。

「・・・おいおい・・・なんだよこれ・・・」

 彼の眼前にて、敵の戦駝隊は全滅していた。
 騎手らはその全てが地面に落ち、その後方の歩兵までが前面はほぼ壊滅状態にまで追い込まれているようだった。
 戦場特有の熱気は既に消え失せ、その場にはそれこそ嵐が過ぎ去った後のような静けさと、神王教団軍負傷者の呻き声だけが僅かに残されている。
 その数秒後、またしても特有の角笛が独特の拍子で鳴り響く。
 それが何を意味しているのかは、知らずとも分かる。
 一目散に、眼前の神王教団軍は退却を開始した。

「・・・じ、城門制圧を急げ!」

 その様を見たコリンズは直ぐに背後の歩兵隊に指示を飛ばす。彼と同じく呆然としていたロアーヌ軍はその一言で目覚め、即座に反転し隊列を整え進軍を開始した。
 騎馬隊も合わせてそれに向かわせたコリンズは、撤退していく敵軍へと振り返り戦場跡に一人佇む人物の元へと視線を向ける。
 その人物は既に剣を納め、再び駱駝に騎乗しようとしているところであった。
 考えるより先に手綱を握り直したコリンズは、その人物の元へと馬を走らせる。
 先ほどの疾駆が冗談かと思うほど緩慢とした動作で立ち上がる駱駝の上に跨るその人物は砂漠の民によく見られる通気性に優れた日除けのフードとマントを装着しており、年齢はおろか性別も識別できない。
 先ほどの手信号等を見るに敵ではなかろうが、最低限の警戒は怠らぬようにしつつコリンズはその人物に近付きながら声を張り上げた。

「・・・ま、待ってくれ!」

 その声に、フードの人物が振り返る。
 しかし顔面も目の部分以外はフードに覆われ、正面から見てもやはりその人物像は今一伝わらない。
 とにかく止まってくれた事に安堵しつつ、コリンズは直ぐそばまで馬を寄せた。

「・・・まずは礼を言わせてくれ。助かった」

 コリンズがそう言いながら頭を下げる様子を、フードの人物は微動だにせず見つめ返す。

「俺は第一騎馬隊のコリンズ。先の手信号からするとお主は我が軍の者なのか?」

 フードの間からわずかに覗く瞳に向かってコリンズが問い掛けると、目の前の人物はゆっくりと首を横に振った。その次には、フードの下から少しくぐもった男性のものと思われる声が発せられる。

「いいえ、私はあるお方からお使いを頼まれただけの・・・」

 そう言いながらその人物はゆっくりとフードを取り去り、代わりに色合いが特徴的なとんがり帽子を被り直して微笑んで見せた。

「一介の、聖王記詠みでございます。以後、お見知りおきを」

 

 

次へ

章目次へ

目次へ