VS筋肉だるま 南国大決戦

 

 高らかに浮かび上がった布張りのボール目掛け、燦々とビーチを照らす太陽を背にしてしなやかに、かつ力強くカタリナが飛び上がる。
 そして大きく後ろに反らせた右腕が最大のインパクトを得られるであろう地点で思いきり振り抜かれ、その衝撃を真芯に受けたボールは、相手に反応する隙すら与えず彼女の狙い通りの場所へと砂埃と共にめり込んだ。

「・・・ゲームセットォォォ!!」

 審判が何度かの瞬きの後に興奮した声でそう叫ぶと、次いで周囲の観客からビーチ全体を揺らす怒号のような歓声が沸き起こる。

「いーよっしゃあ!いよいよ次は決勝だ!」

 カタリナとエレンがコート上でハイタッチをするのを見ながら、コート脇のチームベンチに陣取っていたポールは彼女等の勝利を我が身の事のように喜び、隣のハリードの肩に組みかかった。
 それをたいそう迷惑そうな顔で受けたハリードは、ポールと反対側の手に持っていたタオルを歩み寄ってくるカタリナ達に投げてよこす。

「・・・さて、と。次が正念場ね」

 そう言ったエレンが顔を向ける先へとカタリナも視線を傾ければ、そこには観客席の中央に位置するVIP席から自分たちに視線を向ける二人組の男の姿があった。
 よく焼けた小麦色の肌に、必要以上に増量されたような躍動する全身の筋肉。その筋肉に包まれた体を惜しげもなく見せびらかし、ただ唯一ブーメランパンツだけが最低限を隠している。そして口元から時折輝き覗く冗談のように白い歯をキラリとさせながら、周囲に群がる観客達に時折愛想を振りまいている。そんな男二人は、そっくり同じような見た目であった。それが、腕組みをしながらカタリナ達を見つめている。
 彼等はカタリナ達が今の試合で決勝進出を決める前に、既にもう一方の決勝枠を勝ち取っていたチームだった。
 つまり、決勝での対戦相手だ。

「・・・あー、やっぱだめ。私あれ、生理的に駄目」

 ものの二秒で顔を背けたカタリナは、フェアリーが渡してきてくれた水を飲みながら、強烈に日を照らす太陽を恨めしそうに睨んだ。

「・・・もうちょっと、日焼け止め塗っとこうかしら・・・」

 

 

 グレートビーチバレー大会。
 確か、このお祭り騒ぎはそんな名称だったとカタリナは記憶している。
 わざわざ足場の悪いビーチに色の違う砂でラインを引き、一定の高さまで設置された魚とり網のようなもの(ネットというらしい)を挟んで二人一組のチームが互いの陣地にボールを叩きつけるスポーツの事を、ビーチバレーと言うらしい。
 なんでも、ここグレートアーチ地方においては魔王生誕以前から存在するとすら言われる由緒正しい伝統競技なのだそうだ。
 十五年前の死蝕にて壊滅的な経済的打撃を被ったここグレートアーチにて死蝕の翌年から復興のシンボルになるようにと毎年開催されているというこの大会には、毎年主催運営を行っているグレートビーチバレー大会運営委員会が優勝者に対して若干の賞金と共に地元協賛企業が提供する様々な賞品を用意しており、例年大きな盛り上がりを見せているのだそうだ。
 特にここ最近は各国からも観戦客がくるなど、観光客招致による経済効果も生み出している。
 このような大会があることを宿泊中のホテルバランタインのオーナーから聞いたのは、すっかりオーナーと仲良くなったポールだった。
 なにしろハーマンの協力を無事に取り付けることが出来たもののピドナに戻る船の出港まで日数が開いてしまっていた一行だったものだから、暇な事も手伝い興味本位でせっかくだからと参加してみる事にしたのだった。

「やっぱチーム編成はカタリナさんとエレンちゃんで大正解だったな!」

 ここにいる間は相変わらずハデハデしいシャツにハーフパンツというラフな出立ちのポールが、選手用ベンチに設置された大きなビーチパラソルの下で休むカタリナとエレンに声をかけた。
 元々大会には男女の制約がなかったので当初はポールとハリードで出場しようかと話していたのだが、何故か参加申請ギリギリのタイミングになってポールが急にカタリナ達が出場するべきだと言い出し、そのままなし崩し的に彼がエントリーを済ませてしまったのだ。
 しかしそこは責任感と最近断れない性格に定評のあるカタリナであるからして、存外素直に、元々ノリノリだったエレンにも押される形でビーチバレーの正式競技服(?)である水着に身を包んだ。
 ちなみに水着は、こんな事もあろうかとピドナで買っておいた淡い紫のグラデーションが印象的なパレオ付きビキニだ。デザインに関しては選別に同行していたモニカとサラのお墨付きであり、大人っぽさが漂う中にも可愛らしさや健康的なお色気も忘れない、ガーリーな一品である。
 エレンはエレンでトップは燃える様な赤いビキニと、下はデニムのホットパンツ。そして何処から仕入れたのかダークブラウンのサンバイザーという、一見して只者ではないビーチバレー玄人の風格を漂わせている格好だ。
 大会当日に彼女等がこの格好でビーチに現れると、観客席からは少なからずどよめきが起こった。元々が男ばかりの参加者で運営も毎回花役を用意はするもののこれが毎度地元の小麦ギャルと言った様相の中、肌も色白で抜群にスタイルの良い彼女等は相当に目立った。
 そしてその二人が大会が始まってみれば、あろう事か地元の猛者どもを抑えて破竹の快進撃。おかげで一気に大会の熱気はエスカレートしていったのだ。

「あれ、そう言えばコーチは?」

 決勝前のクールタイム中、ふとエレンが周囲を見回しながらそう言った。

「そういえば、暫く見てないです。開会式の時はいたのですが・・・」

 カタリナ達の隣で休んでいたフェアリーが可愛らしく首を傾げながら答えると、エレンもそれに習って小さく首を傾げる。
 実は今回の彼女等の快進撃は、このコーチなる人物の多大なる助力があったからこその成果だといえる。
 そのコーチなる人物こそは、知る人ぞ知るグレートアーチはサウスビーチの一匹狼、ハーマンである。
 彼はカタリナ達がエントリーしてから大会当日までの少ない日数の間で、二人に徹底的にビーチバレーの基礎を叩き込んだ。元が運動神経の塊の様な二人であるからして覚えが早かったのは勿論なのだが、しかしこれほど迄の快進撃はコーチたるハーマンの的確な指導が無ければ叶わなかっただろう。
 そんなハーマンは教え子達の勇姿を見るためにこの会場にも足を運んでいたはずなのだが、トーナメント形式での本選試合が始まってからは彼女等の前に姿を表していなかった。

「ま、どっかでお酒でも飲んでるのかな。戻ってきた頃には優勝報告でもしてあげましょっか」

 この後行われる決戦における自分たちの勝利を確信しているエレンがそう呑気に言うと、特にそれを否定する気もなくカタリナも同意した。

「そうね・・・さて、もうそろそろ時間かしら」

 そう言ってカタリナが見つめる先には、にわかに騒がしくなり始めた決勝コートがある。
 対戦相手は正直あんまりじっくりと見たくない相手だが、真正面で対峙する以上は直視は避けられないだろう。
 極力早めにケリをつけてしまおうと考えながら、カタリナは立ち上がった。

 

 外は雲一つない快晴。だというのに店内はいつも通り薄暗く、漂い続ける紫煙のせいで空気も悪い。
 そんな自分のこよなく愛する汚い場末のバーのカウンターでダークラムをロックで傾けながら、ハーマンは相変わらず香りのどぎつい煙草をゆっくりと燻らせていた。普段はここは喧嘩が起こったとき以外は非常に静かなものだが、今日ばかりは遠方からの騒音がここまで届く。

「毎年毎年、飽きもせずにうるせぇな・・・」

 バーのマスターがグラスを磨きながらそう呟くと、ハーマンはにやりと笑った。

「・・第一回大会から第五回まで不動の連続チャンピオンだったお前が、何言ってやがる。引退してなけりゃまだあそこにいたんじゃねえのか?」
「うるせぇ爺。相方が鮫に喰われっちまったんじゃ引退するしかねーだろうが」

 愛想悪くそう言いながらグラス磨きを続ける。だがそんなマスターの背後にある様々な酒の瓶が並べられた棚の隅には、無造作に置かれた小さな優勝トロフィーが並んでいる。お世辞にも掃除が行き届いているとは言い難いこの店内で、しかしそのトロフィーだけは受賞当時の輝きを失っていない。

「ところであんたこそ、いかねーのかよ。教え子、出てるんだろ?」

 マスターがそういうと、ハーマンは返事代わりに煙草を深く吸い込む。
 そしてそのままゆっくりと紫煙を周辺に撒き散らし、グラスの中身を一気に煽った。

「ま、あいつらの優勝に間違いはねぇんだ。一々見に行く必要もない・・・って言いてえところだが、確かに今年はちょっと見に行ってやってもいいかもしれねぇな」

 そういってハーマンはカツンと音を立てて空のグラスを置くと、カウンターから立ち上がる。

「おい、代金」
「馬鹿言え。後で優勝賞金持ってきてしこたま呑んでやるから、そこで汚ねぇグラスを磨きながら待ってろ」

 ハーマンはそう吐き捨てると、舌打ちをしつつもまんざらでもなさそうな表情の店主を無視し、バーを後にした。

 

 

「さぁさぁいよいよやって参りました!!第十五回グレートビーチバレー大会、決勝戦!!」

 司会の絶叫に、負けず劣らず周囲の観客が歓声で応える。朝の早い時間から予選を含めて進められてきた試合も残すところあと一試合となり、南天高くから砂浜を照らす太陽もこの最後の一試合を今か今かと待ち望んでいるようだ。

「今年も大多数の予想通りに大会2連覇のサザンティンバー兄弟は3連覇を賭けて順調にここまで来たが、対する相手はいつもとはひと味もふた味も違うぞぉぉ!他のベテラン勢を押さえ込み我々の予測を大きく裏切り、エントリー期限直前に駆け込み参加をしてきたこちらのビューティフォーガールズが、ままままさかの快進撃!この決勝の舞台に堂々のし上がってきたぁぁああ!」

 再度、司会の絶叫と共に観客の大歓声が唸りを上げる。
 その大歓声を受けながら、設置されたネットを挟んで対峙する男女二人組。

「なんと今大会出場のために態々ピドナからやって来たという彼女たち!最早実力はここに立っている以上は明らか!いや、まだ底知れない!つまり、この決勝戦の行方は誰にも分からないぞぉぉおお!」

 興奮冷めやらぬ司会の絶好調の煽りに観客の歓声も鳴り止まない。その歓声を馴れたように全身の筋肉で受け止めながら、サザンティンバー兄弟と呼ばれた男二人は天に輝く太陽に負けず劣らずキラリと光る白い歯を惜しげもなく晒しつつカタリナとエレンを見つめる。
 対するカタリナエレンは、屈伸をしたり肩を回しながら開始のホイッスルを待っていた。

「・・・あの二人、やっぱり今までのとは段違いで強そうね」

 エレンがサンバイザー越しに相手を見ながら言うと、カタリナは軽く頷きながら腕の筋を伸ばした。

「経験値では劣るけれど、身軽さは負けないわ。翻弄していきましょう」

 極力相手のことを見ないように脇に視線を向けながらそう答えたカタリナは、ふと視界の隅に見覚えのある人物を捉えた。
 ハーマンだった。

「あ、コーチ」
「え、どこどこ・・・あ、ほんとだ!」

 相変わらず義足とは思えぬ歩行速度で観客の波を縫うように移動していったハーマンは、そのまま躊躇うことなくコート脇の関係者席まで進んでいく。
 すると、それに気づいたらしい司会進行がハーマンに振り返り、ここでも大声を張り上げる。

「おおーっと、ここでハーマンコーチの登場だぁぁ!」

 その言葉にその場の全員の視線がハーマンへと注がれるが、当の本人はそんなことは一切構わずにマイペースに進んでいき、チームメイト用ベンチへと腰掛けた。

「ハーマンって意外とここじゃ有名人なのね・・・って、え?」

 その様子を見ていたエレンが暢気にそういった直後、驚きの声を上げる。
 ハーマンがいつも通りのふてぶてしい態度でどかりと座り込んだチームベンチは、ポールとハリードが陣取っていたカタリナ達のチームベンチではなく、なんと相手であるサザンティンバー兄弟チームのベンチだったのだ。

「大会優勝チームの中でも歴代最強と名高いサザンティンバー兄弟を世に送り出した鬼教官ハーマンコーチも、この一戦は見る価値ありとご来場だぁぁ!!」

 俄然盛り上がる会場と司会の言葉に、カタリナ達四人は驚愕の表情をする。

「え・・・え?」

 状況を理解できずに疑問符を浮かべるエレンに対し、カタリナは目を細めながらハーマンを見つめる。だがハーマンはその視線には応えず、にやりとしながらサザンティンバー兄弟に視線を送っていた。

「役者は揃ったぁぁぁあああ!それでは第十五回グレードビーチバレー大会決勝戦、試合開始だぁぁぁああああ!!」

 そのまま倒れてしまうんじゃないかと心配になる程顔を真っ赤にして叫び狂う司会の号令と共に、ホイッスルが鳴り響く。
 サザンティンバー兄弟のサーブから、試合開始だ。

 

 ズバン、とボールが弾け飛んでしまいそうな衝撃音と共に撃ち放たれたスパイクが、ボスッという鈍い音と共に砂浜にめり込む。

「18-3!コートチェンジ!」

 審判のコールに、会場が沸く。
 しかしその歓声は試合開始当初のものよりも大分抑えられていた。
 なにせ既にワンサイドゲームの気配が漂っているのだから、無理もないだろう。
 体にへばり付いた砂を落としながら、カタリナとエレンは大差をつけられたスコアボードを横切ってコートを入れ替わった。
 ビーチバレーのルールは3セットマッチの2セット先取制で、1,2セットは21点がマッチポイント、3セット目のみ15点がマッチポイントとなる。
 コートチェンジのタイミングは両者得点の合計が7の倍数になった時。3セット目のみ5の倍数になった時に行われる。
 現在は1セット目の終盤。完全にサザンティンバー兄弟のペースの試合となっていた。

「くっそ・・・何よあいつら、さっきまでの試合と全然違う・・・。すっごい強い・・・」

 エレンがサンバイザーとネット越しに余裕の表情でこちらを見つめるサザンティンバー兄弟を睨みつけながら、恨めしげにぼやいた。
 それに無言で頷いたカタリナは、如何すればこの状況を逆転できるかを脳内で必死に考えていた。

(・・・基本的な動きはそんなに変わらない。いえ、寧ろ素早さは私たちの方に分がある。競技経験による先読みの差はあれど、やはり相手もコーチから訓練を受けているだけあって私達と基礎の動きはそれほど違わない。これは速度で補うのは十分可能な範囲。でも・・・)

 それでも、自分たちと目の前の兄弟とでは決定的な違いがあった。
 それこそは、スパイクのパワーだ。
 エレンが言うようにこれまでの試合では隠してきたのか、それとも抑も使う必要がなかったのか。
 兎に角この決勝戦においてサザンティンバー兄弟が放ってきたスパイクは、これまで見てきたどのスパイクよりも圧倒的な威力を持っていた。なにしろそのスパイクに体がついてこず、彼女らはただただ弄ばれるようにここまで得点を許してしまっていたというわけなのだ。
 ただ、ここまでで分かってきたこともある。それは、あのスパイクは恐らく個の動きだけで成せるものではないだろう、ということだった。それこそ、あの二人だからこそ出来る芸当なのだ。
 幾年も共に修練を積んだであろう二人だからこそ生まれる阿吽の呼吸から繰り出されるその技は、正しくチームプレーの真髄、即ち連携技だといえる。これこそが、今の自分たちと相手との決定的な違いなのだ。
 つまりこの試合に自分たちが勝つには、まず第一に自分たちもこの試合の中で彼らと同じ域に達する必要がある。だが、それだけでは最早足りない。なにしろ自分たちは現時点で点数負けをしている。彼らと同じ域に今から直ぐ追いつけたとしても、点の取り合いでは押し切られて終わるだけだ。だからこそ自分たちは、彼らよりも更に上の次元に到達しなければならない。
 つまり、今ここで先に成さねばならないことがあるのだ。
 あのスパイクに至るまでの流れ、立ち位置。其れ等の中に確かに存在しているはずの起死回生の糸口を、なんとしてもここで見つけ出さねばならない。

(・・・見切る)

 頭の中で、そう呟く。もしかしたら、それは小さく口に出したかも知れない。兎に角そう決心したカタリナは、すっと姿勢を正して背後のエレンに振り返った。すると、エレンもカタリナの動きに反応して迎撃姿勢を解く。

「エレン、前お願い」
「え・・・いいけど、どしたの?」

 突然の立ち位置変更に疑問符を浮かべながらも、素直に了承するエレン。
 それまでネット際は背丈が高い方がブロックに向いているからとカタリナが担当していたが、それを入れ替えた形だ。
 そして後ろ側に移動したカタリナは、ボールだけではなく相手のコート全体を見るようにしながら姿勢を低くした。

「・・・ほう」

 その様子を見てハーマンがニヤリとするのを、隣り合わせのチームベンチで最も彼に近い位置に座っていたフェアリーは見逃さなかった。

《・・・カタリナさん、コーチがカタリナさんの動きに反応しました》

 突然脳内に響いてきた念話にカタリナはぴくりとしたが、それがフェアリーのものだと分かると小さく頷いた。

《・・・少なくともさっきよりは正解に近づいたかもしれないってわけね・・・。ギャラリーには悪いけど、このセットは捨てる。その代わり、ここで絶対に見極めるわ・・・!》

 サザンティンバー兄弟のサーブで再開されたゲームは、やはり先ほどまでと変わらぬ結果だった。
 レシーブからのこちらのスパイクでは止めをさせず、そこからサザンティンバー兄弟の強烈なスパイクによってカタリナサイドのコートにボールがめり込む。

「・・・19-3!」

 審判のコールが、短いホイッスルの後に一瞬の間を置いて叫ばれた。
 結果は先ほぼと同じく、サザンティンバー兄弟の得点。審判のコールに合わせてスコアボードが変えられる光景も同じ。だが、先程までとは明らかに違う点が一点あった。
 それはコート後方に位置したカタリナが、彼らのスパイクに対して一切の反応を見せず、微動だにしなかったことだった。先ほどまでそこに居たエレンは相手のスパイクに必死に食らいつこうと何度も砂浜にダイブしていたものだから、一転してのその光景は周囲にとっては途轍もなく異様に映った。

「・・・おいおいなんだ、カタリナさん試合諦めちまったのかぁ・・・?」

 ポールが肩を竦めながらそう言うと、ハリードは眼光鋭くカタリナを見つめながら、否定の言葉を口にする。

「・・・いや、あいつはそんなタマじゃないだろう。何かを見ていた、ってのが近そうだ」

 そんな二人の会話する様子を尻目に、フェアリーはコート上と隣のハーマンを交互に観察していた。

《・・・コーチ、ニヤニヤしてます。なんだか、ちょっと嬉しそうです》
《何それ気持ち悪い・・・。でも、今はっきりと見えたわ。次で少し、仕掛ける》

 そう意気込んだカタリナは、審判のホイッスルを合図に再び放たれた相手の強烈なサーブを無難に捌く。
 そのままこれまで通り綺麗な流れでエレンのトス、そしてカタリナのスパイクと続くが、それも相手にうまく捌かれる。
 そしてサザンティンバー兄弟は完成された滑らかな動きで以て、再び強烈なスパイクを叩き込んできた。ここまでは、このセットで何度も繰り返された光景。
 そして先程までと同じく、彼らの放ったスパイクはとんでもないほどの衝撃で以てビーチの砂を派手に舞い上げるはずだった。
 しかし。

 バシンッ

 弾かれたボールが、浮かび上がった。
 完全にインパクトを殺されたボールは直前のスピードが冗談のようにふわりと浮かび上がり、しかしその光景を見逃さなかったエレンが駆け寄るも距離が間に合わず砂浜に静かに着地した。
 後に残されたのは、スパイク前の立ち位置から僅かに動いて腕を伸ばした体勢のカタリナだった。

「・・・見切ったか」
《・・・見切ったわ》

 フェアリーが感知した中でカタリナがそう脳内で呟いたのと、ハーマンが小さくそう呟いたのは、全くの同時だった。

「・・・20-3! マッチポイント!」

 ホイッスル後の審判のコールに、ポールが頭を抱えた。

「くぁー!惜しかったなー!今のスパイク何とか上手く触れたのになぁー!しっかし、こりゃもうダメかねぇ・・・」

 そう落胆の表情とともに漏らすポールに、しかしハリードはゆっくりとかぶりを振る。

「・・・いや、どうやらそう言うわけでもなさそうだぜ・・・?」

 カタリナの様子に目敏く気付いたハリードがそう言いながら口の端を釣り上げるのと、マッチポイントサーブが放たれるのは、ほぼ同時だった。

「・・・21-3! サ、サザンティンバー!」

 審判の第一セット終了を告げるコールに、しかし会場は先程までのような歓声を上げることはなかった。
 会場の視線は全て、カタリナに注がれていた。
 正確には、その右手。
 決して大きすぎるわけではないカタリナの掌でしっかりと受け止められたボールに、会場全員の視線は集中していたのだ。
 その様子に誰より驚愕していたのは、彼女らに相対するサザンティンバー兄弟。そしてその様子に誰より上機嫌になったのは、誰あろうハーマンだった。

「・・・カタリナさん」
「・・・あいつらのスパイクは、『見切った』わ。あとは、攻めるだけ。ね、エレン。ちょっといい?」

 ベンチに戻ってきて早速次のセットの作戦を話し合うカタリナたちに、すっかりチームのマネージャーポジションとなっているフェアリーが甲斐甲斐しく飲み物を手渡す。
 それを笑顔で受け取りながら作戦会議を続ける二人は、大差で敗れた第一セットの事など全く意に介さない様子だ。
 反面、サザンティンバー兄弟はセットを獲ったにも関わらず、試合開始前の余裕が全くなくなってしまっていた。今までにない相手の行動に、明らかに動揺を隠し切れていない様子だ。

「おいてめぇら、なにあの程度でびびってんだ!」

 目の前で情けなくも焦りを隠せない二人に、ハーマンが立ち上がりながら一喝する。
 それにびくりと反応したサザンティンバー兄弟は、普段からの習性なのか脊髄反射の勢いで直立の姿勢をとる。

「・・・相手は恐らくお前たちの連携技ダブルインパクトの見切りと、最後のあれで極意も会得してきたはずだ。次からはエレンにも止められるぞ」
「そ、そんな・・・」
「コ、コーチ・・・我々は一体どうすれば・・・」

 ハーマンの言葉になお一層の動揺を隠せぬ二人に、しかしハーマンは再度一喝した。

「ど阿呆が!やることは決まってんだよ!違う技を編み出すんだ!いいか、 彼奴らは確かに規格外の化け物だ。たかだか一セットでお前たちの連携技を見切って来やがった。だがなぁ・・・お前達がこれまで血反吐吐きながら努力してきた全てが、こんなところで終わるのか!?違ぇだろうが!!」

 ハーマンのその力強い言葉に、二人はびくりと筋肉を震わせる。

「一セットは獲った。だから次のセットさえ抑え込めばお前らの勝ちだ。だから・・・やるしかねぇだろうが。この一セットを獲るための技を、生み出すしかねぇだろうが。・・・違うかぁ!?」

 他の全てを圧倒するほどのハーマンの強烈な叫びがその場に響き渡り、思わず観客までもが黙ってしまう。そしてその場が異様な静寂と熱気に包まれるなか、ハーマンの叫びを全身で受け止めたサザンティンバー兄弟はどちらからともなく向き合い、そしてキラリと光る白い歯を見せ合って笑った。

「・・・そうだ、俺たちは」
「・・・無敵のマッスル」
『サザンティンバー兄弟!』
「そうだ!お前らはこの俺が育てた最強の兄弟。ぽっと出の女二人組なんぞに好き勝手させてんじゃねーぞ!」

 ハーマンの力強い言葉に確りと頷いた兄弟は、完全に取り戻した自信を筋肉に乗せてポージングをし、そして高らかに笑った。

「・・・筋肉が気持ち悪い」
「うん、気持ち悪い」
「き、聞こえちゃいますよ・・・!」

 作戦会議しながらその様子を見ていたカタリナとエレンの辛辣な感想に、フェアリーがあわあわしながら反応する。
 間も無く、第二セットが開始される時間だ。

 

 灼熱の炎天下の中で開始のホイッスルが鳴り響いた第二セットは、正に熾烈を極めた。
 序盤は完全にカタリナ&エレンペアのペース。サザンティンバー兄弟のアタックを完全に見切った二人はパーフェクトに相手の必殺アタックを防ぎきり、更には二人同時に攻撃を仕掛けるフェイントを混ぜたエックス攻撃までもをその場で完成させ、一気に攻勢に出たのだ。これにより第二セット序盤はカタリナらが有利な状態で15-6までの得点差でコートチェンジを迎えることとなった。
 しかし、防戦一方だったサザンティンバー兄弟は、第二セット終盤にきて新たになんと新たな連携技、時間差攻撃を編み出した。
 これにより双方がアタックの乱れ打ちとなり、辛くもこのセットを勝ち取ったのは前半リードを作れていたカタリナエレンペアだった。

「さぁさぁさぁさぁ!遂にやって参りました最終セットォォォオオオ!まさかまさかの展開の連続だったこの第十五回グレートビーチバレー大会も、これが最終セットだぁぁぁああ!」

 史上嘗てないほどに白熱した試合展開に興奮を抑えきれない司会の絶叫も、それに反応して波打つ観客の歓声も、ベンチで最終セットに向けて集中する四人には全く届いてはいなかった。

「・・・流石にチャンピオンね。この土壇場で新たな技・・・傲らず鍛錬と挑戦を繰り返す姿勢には感服するわ」
「うん・・・でも、負けないよ。あたし達だってまだまだやれる」

 フェアリーに手渡された水を口に含みながら、カタリナとエレンは言葉少なにそう言いあった。
 その様子を横目に、ハリードはもう一方のベンチに視線を向ける。
 そこでは汗だくのまま座りもせず相変わらず直立姿勢の兄弟に檄を飛ばすハーマンの姿があった。

「新技おせぇぞ!もう後がねぇ!最終セットは一気に畳み掛けろ!」
『はいっ!』

 最早今のサザンティンバー兄弟には、ディフェンディングチャンピオンの余裕など欠片も無かった。
 代わりにあるのはただ、未知なる対戦相手に対するチャレンジ精神。
 その様子を同じく眺めながら、ポールは半眼で肩を竦める。

「ああなった相手は、こえーな。しっかし・・・あんのオッサン、どっちの味方なんだか」
「・・・さぁな」

 ハリードはポールの真似をするように軽く肩を竦め、コートへと視線を戻す。
 それを合図とするかのように、両チームは再びコートへと舞い戻った。
 ネット際へと陣取ったカタリナは、最終セット開始のホイッスルを待ちながら改めて対戦相手であるサザンティンバー兄弟を真っ直ぐに見据える。
 最早、彼らには最初に感じていた嫌悪感は一切抱かない。その代わりに感じるのは、只々一プレイヤーとしてのリスペクトだけだ。

(・・・あのアタックを見切った時点で勝ったと思った。でも彼等はその劣勢に果敢に抗い、この土壇場で新技を編み出してきた。あとは先に互いのアタックを見切った方が勝つ・・・。絶対に負けないわ・・・!)

 背後の様子を伺えば、エレンも全く同じことを考えているであろうことがその表情から窺える。
 それは無論、相手も一緒のはずだ。
 そして歓声鳴り止まぬ中、最終セット開始のホイッスルが鳴り響いた。

「っりゃぁあああ!」

 気合一閃、玄人顔負けのジャンプサーブを絶妙なコースで放つエレン。
 しかしそれを無難に捌いたサザンティンバー兄弟は新たな新技、時間差アタックを仕掛けてくる。
 カタリナはなんとかタイミングを合わせてブロックしようとするが、これは難なく躱される。
 そして放たれたアタックは、しっかりとカタリナらのコートに突き刺さった。

「・・・1-0!」

 ホイッスルと共に、審判の緊張を隠し切れぬ声が響く。その声に、しかし観客は一際静かにコートを見つめるだけだった。
 それはまるで、第一セット終盤のデジャヴか。
 サザンティンバー兄弟のアタックに微動だにせず、ただ只管にその動きとボールだけを見つめていたエレンの姿を、その場の全員が固唾を飲んで見守っていた。
 そして彼女の口の端が僅かにつり上がった事に気がついたのは、ハーマンくらいのものであった。

「・・・化け物め」

 その小さなつぶやきに、フェアリーの耳がぴくりと反応する。

《・・・コーチが毒吐きました。エレンさん、『見切った』みたいです》

 フェアリーが思念でそう伝えてくるのを受けたカタリナは、背後に陣取る心強い相方に思わず舌を巻く。
 これで、相手の新技もほぼ完封する事が可能になった。このまま行けば、彼女たちの勝ちは確定だ。
 だが恐らくはこの事実にハーマンとほぼ同時に気付いたであろうネットの向こうのサザンティンバー兄弟は、それでいてなんら表情を崩す事はなかった。

《・・・まだ分からない、か》
《・・・え?》

 カタリナの直感による呟きに、フェアリーが疑問符を返す。
 そしてそれは矢張り、正しい読みだった。
 次のラリーで見事に相手のアタックを捌いたエレンに観客が湧き上がった直後、彼女らの必殺アタックは逆にサザンティンバー兄弟によって止められたのだった。

「と、止めたぁぁぁあああ!!チャンピオンが止めたー!これは本当に試合の行方が分からないぞぉぉぉおおお!!」

 もう二度とこんな試合は見られないんじゃないか。まるでそう言いたげなほど全身全霊をかけた司会のシャウトが会場全体に響き渡り、それに一歩遅れてうねる波のように広がる観客の大歓声。その渦中にて、なおもラリーは続いていく。

 

 

 日没も近くなり、グレートアーチのビーチ全体が夕暮れに照らされる頃。
 油を暫く差していないであろうことが窺える取れかけの蝶番が、スイングドアを押してきた人物に対して店主の代わりに歓迎ついでの耳障りな悲鳴を上げた。
 すっかり聞き慣れたものの不快なことに変わりはないその音に遠慮なく顔を顰めながら、彼がこよなく愛する薄汚い場末のバーに、まるで我が家に帰ってくるかのように慣れた様子でハーマンは入っていく。

「よう、待たせたな」

 昼前と違って店内には今はぽつぽつと客がおり、彼らはそう声を上げながら入ってきたハーマンを見ると、それぞれがグラスを傾けていた手を下ろして彼へと向き直った。彼らは分かっているのだ。今日の主役が、彼であると言うことを。
 そして最後にハーマンへと視線を投げかけたのは、カウンターの中でグラスを磨いていたマスターだった。
 マスターが自分に視線を向けたことを確認したハーマンは、徐にその右手に持っていた物体を放り投げる。
 緩く回転しながら放物線を描いた物体を難なくマスターが片手でキャッチすると、それはこの薄暗い店内には似つかわしくないほどきらきらと輝く、赤珊瑚製のトロフィーだった。

「モルガンブラック、ロックで」

 カウンター席にどかりと座り込みながらいつもと変わらぬダークラムをオーダーし、マスターの反応も見ずに懐から煙草を取り出して火をつけるハーマン。だが程なくしてボトルを持ち上げる音、氷を弄る音、そしてグラスに張られた氷の上に液体が注がれる耳に心地よい音から自分のドリンクがしっかり作られ始めたことを確認すると、にやりとしながら面を上げた。

 

 

 今年も予定通り開催された第十五回グレートビーチバレー大会は天候にも恵まれ、例年通り・・・いや、例年以上に大盛況のうちに幕を閉じた。
 優勝タッグは事前オッズの一番人気であり、グレートアーチが誇る地元の英雄サザンティンバー兄弟だ。今大会の優勝にて通算三度目、三連覇という堂々の結果となっている。
 しかし、今大会の目玉はディフェンディングチャンピオンたる彼らではなかった。
 なんと言っても今大会の台風の目は、決勝戦にてサザンティンバー兄弟と熾烈な戦いを繰り広げた、初出場の謎の美女タッグだ。
 大会エントリー期限ぎりぎりに参加を表明してきたという彼女らは、なんと今大会のためにピドナからやってきたとのことだった。そして彼女らは予選にて並みいる地元の強豪達を次々と打ち負かし、迎えた決勝戦では最終セットの最後の最後までサザンティンバー兄弟を追い詰め、その場の誰にも勝負の行方が予測できない大接戦を展開した。
 運営に確認してみたところ地元以外から参加したチームがここまでの大躍進をしてみせた例は今までになく、大会始まって以来初の出来事と言うことだ。更にはこれほど白熱した試合は今まで見たことがないと今大会の観客は満場一致で賞賛しており、既に一部では伝説の一戦とすら言われている。
 これに敬意を表し、グレートビーチバレー運営委員会は急遽その場にて特別賞を設けて彼女たちにも簡易的なトロフィーを贈るという素晴らしい機転を見せてくれ、集まった観客共々、大いに二人を称えた。
 余談となるが、グレートビーチバレー大会の醍醐味の一つとして大会終了後にその場で選手や観客、運営も交えて大がかりなバーベキューを催すというイベントがある。これは地元の高級ホテルバランタインが食材提供を取り仕切るもので筆者も毎年このイベントまで参加するが、今年はこのバーベキューも例年以上の大盛況であった。
 特に印象的だったのは、決勝戦を通じて互いを認め合ったサザンティンバー兄弟と美女二人が様々な人々に囲まれながらおおいに飲んで食べて語らい、観客とも非常に和やかに接していたところだ。ここ五年ほどこの大会を取材しているが、歴代の優勝者と同じくサザンティンバー兄弟もどこか超然とした雰囲気で周囲の人間とは距離を置いている節があったものだが、今年の彼らは非常に和やかに周囲とコミュニケーションを図っており、チャンピオン自身にも今回の大会は非常に良い経験になったようだ。
 ただ惜しむらくは、美女二人が顔出しNGだということだろう。無論その辺りは本人達の意思を尊重するのだが、随行したカメラマンもこれには非常に残念がっていた。
 ただし、インタビューの際に来年の出場について伺うと前向きに検討するという旨のお言葉を頂けたので、彼女らの素顔が気になる読者の皆様も是非、来年はグレートアーチへと足を運んでみては如何だろうか。(試合のハイライトは裏面中央の特集にて)

「・・・だってさ」

 ハンス家の大会議室にて行われていた会議も終わり皆が寛ぐ中、エレンはメッサーナジャーナルのスポーツ欄を読み上げた後、窓際で物珍しげに外を眺めていたフェアリーにそう声をかけた。

「なかなか体験できない経験をさせてもらえて私は大満足でしたが、結果自体は惜しかったですね」
「そうだねー。でもあれは仕方ないよね。カタリナさん、トラウマレベルなんじゃないかなー」

 記事やそこに載っている写真を見返しながら、エレンが当時を思い出すように振り返る。
 試合の最終セットは、正に熾烈を極めた。お互いがお互いの必殺スパイクを見切りそれが決定打とならなくなったため、その必殺スパイクをすらフェイントに用いた非常に高度な戦いが展開された。競技経験値に優れるサザンティンバー兄弟の動きにもカタリナチームは類い希なる素早さを武器に必死の食らいつきで互角以上に渡り合い、正に勝負の行方はその場の誰にも分からないという状況であった。
 だがその彼らの非常にハイレベルな動きに、最終最後についてこれず、遂には根を上げてしまったものがあった。
 それこそは、サザンティンバー兄弟が身につけていた、極小サイズのブーメランパンツだったのだ。

「相手がアタックで飛び上がった瞬間だったし、ネット際で完全に至近距離だったよねー。あたしは逆光であんまり見えなかったけど、カタリナさんはモロだよ、モロ」
「アタックされたボールを掴み取って相手の方の、その・・・股間に投げつけたときは、何事かと思いました・・・」

 当然そこでカタリナチームは1点ペナルティだったわけだが、それが決定打となって軍配はサザンティンバー兄弟に上がったのだった。

「あははは、あたしなんかは昔っから男女お構いなく遊んでたからそういうのも割かし見慣れているけど、カタリナさんってそういうの意外と耐性ないのがまた可愛いよね」
「確かにカタリナさんのそういう部分は、ちょっとずるいなって思うことはありますね」

 エレンとフェアリーが当の本人がここに居ないのをいいことに好き勝手感想を言いながら笑い合っていると、その話題に引かれてか周囲の女子が続々と彼女らの周りに寄ってきた。

「カタリナがどうかしましたの?」
「えっとねー、この間グレートアーチでビーチバレーやってきたんだけどね、その時の試合が記事になっててさー」
「記事になっているのですか。凄いですね。ところでそのびーちばれー、とはどの様なものなのですか?」
「あ、ミューズ様も知らないことあるってなんか新鮮。えっとね、ビーチバレーっていうのはねー」
 聞き慣れぬ単語に小首を傾げるモニカとミューズに対し、エレンが得意げに説明を始める。そしてそのまま話の輪にサラやノーラも加わり、女子同士での会話に花が咲いていった。

「お姉ちゃんばっかりいいなー、面白そう!」
「というかしっかり水着は活用したんだね。選んでもらった甲斐があったじゃないか」
「来年は私もいってみたいですわ」
「それでは、私達も是非来年はビーチバレーというものをしてみましょう」

 気がつけば午後のお茶会の様相を呈してきた会議室でハンス家の執事がお替わりのティーを注いで回る中、ハーマンは自分に話を振られるのを面倒がって、そそくさと会議室を後にした。

 

 

番外編目次へ

目次へ

第七章・10 -魔海侯-

 

 人類と海との密接な関係とは、それこそ聖王や魔王の時代を遥かに遡る昔から、人類史の発展と共に連綿と築かれてきたものだ。
 二つの外海である西太洋と、北海。そして世界各地に繋がる四つの内海である静海、温海、トリオール海、ヨルド海。是等が、今の人類の知る海の全てである。
 特段この世界における是等の海は、大まかには人類にとって二つの関わり方に分別することができる。
 一つは、人類に繁栄をもたらす側面だ。
 人類は塩や魚をはじめとした多くの生きる糧を各地の海から戴き、また、その海を船で渡ることにより、陸路よりはるかに早く、そして多くのものを各地に流通させることで、大きく繁栄してきた。
 正に海なくして、人類のここまでの発展はあり得なかったと断言できよう。
 そしてもう一つは、人類に牙を向く側面。
 海は時に気まぐれに嵐を呼び、一切の情け容赦なく人と荷を積んだ船を沈める。また各地の海を住処とするアビスの妖魔共の襲撃により、船や沿岸の漁村などには定期的に被害が齎されてきた。
 人類にとって海とは、そういうものだった。これらの側面とは、常に歩み続ける事が定めなのである。
 だが、其れ等の要素の中に於いて、ただ一つだけ人類が嘗て、己の意思で挑み、打ち勝った事がある事象がある。
 それこそが、アビスの妖魔の打倒だった。
 今の世にも世界中で教会や吟遊詩人らによって語られる、三百年の昔に聖王が成し遂げた、四魔貴族が一柱、魔海侯フォルネウスの討伐。
 この前代未聞の偉業により、人類はその後数百年、劇的に平和な海との共存を謳歌してきた。
 そして今、再びそれを阻まんとする根源悪の復活が間近に迫っている。
 故に人はまた挑み、再び勝ち取ろうとするのだ。

「・・・でも、この景色は凄いわ・・・」

 今、己が為そうとしているそんな正義とは全くかけ離れた感嘆の吐息とともに、カタリナはゆっくりと頭上を見上げた。
 彼女が立っていたのは、古代の宮殿を思わせる巨大な大理石にて作り上げられた美しい門構えの直下だった。
 天然の作りと思われる珊瑚礁が織り成す海底回廊の所々に、この壮大な大理石による神殿造りの門が構えられている。
 その作りは、一見して非常に高い芸術性を備えている。周囲を緩やかに流れ落ちる滝の様相と相まって、あまりに荘厳。正にその光景は、海底の幻想郷のようであった。
 思わずここが人類に仇なす悪意の本拠地であり、自分がその悪意の根元たる四魔貴族フォルネウスの討伐の為にやってきた、ということをすっかり忘れかけてしまうほど、あまりにそこは美しかった。

「・・・バンガード内部もすごいと思ったけれど、ここはもう何か・・・とんでも無いわね・・・」

 カタリナの後ろで同じく周囲を観察しながら、ウンディーネも同様の感想を抱いたようだった。それに続くハリード、シャール、ミューズ、ハーマンも、其々が思い思いに美しい周囲の光景へと視線を投げかけている。
 まだ水が掃けて間もない海底宮の内部には、逃げ遅れた魚が其処彼処に転がっている。
 一行はそんな魚を近くの水たまりや落ちる滝の向こうに投げ戻しながら兎に角、回廊の奥を目指すこととした。
 イルカ像が噴水の中央で変形したことでバンガードが海中潜航(ボルカノはこれをサブマリンモードと称していた)し、暗く深い深海の向こうにあった海底宮へと辿り着いた際、予測に漏れず案の定、海底宮は海水で満たされていた。
 ここで一行は改めて、どうやって海底宮に入るのか、という問題に直面した。
 かの様に思われた。
 しかしボルカノが玄武の障壁にはまだ出力的な余裕がある事を見つけ、なんとバンガードのみならず、海底宮ごと玄武の障壁で包むという力技を実行するに至ったのだ。
 今になって思えば、元々バンガードのこの能力は、これを見越して作られたものなのだろう。
 そうして海底宮を巻き込んで障壁展開がされ、それまで海底宮を満たしていた海水はその大部分が障壁の外部へと押し出された。こうして、ついにカタリナ等は海底宮内部へと足を踏み入れるに至ったのだ。
 今回の編成では前述の通り、カタリナ、ハリード、シャール、ミューズ、ウンディーネ、ハーマンの六人が討伐班として突入し、後の面々はバンガード側へと留まった。
 海底宮攻略中のバンガードの管理や、また不測の事態へ備えと対応を行うのに航海士(本人は何やら「魔導技師」と自称していたが、誰もそう呼ぼうとはしていない)としてのボルカノは必要不可欠であるとの理由から、前提として彼のバンガード残留は決まっていた。
 更に、同じく不測の事態の際には異変を討伐班へと一早く念話にて連絡する役目を担う為、フェアリーの残留も同時に決定した。
 そして今回の海底宮攻略の鍵となった玄武の障壁の拡張展開によって、事前に用意していたほぼ全ての擬似霊酒の在庫が潰えた。これによりバンガードは残された食料貯蓄の許す期間で大陸への自力帰還の手立てをほぼ失った訳だが、これに関してはロブスター族のボストンが玄武の祈りを用いて必ずバンガードを人界へと導く事を請け負ってくれた。
 彼もまたそのために力を温存するという事で、今回の討伐班には加わらなかったのであった。
 特にボルカノとフェアリーは、平然を装いつつも探索ができない事を内心では悔しがっている筈だ。彼らの分まで悔いの無いよう探索しようと、カタリナは心新たに注意深く周囲を観察しながら歩を進めるのであった。

(・・・あぁ、そうだ、こんなだった。あの時も確か『私』は不謹慎にも、この光景に軽く感動してしまったんだ。確かに『憶えて』いる・・・)

 淡く青く、恐らくはこれも玄武の術式を応用した永久機関が由来と思われる仄かな光を抱く海底回廊を進みながら、カタリナは脳裏に過ぎるどこか懐かしい景色と、そして眼前の絶景を前に考えていた。
 同じく四魔貴族の住処として以前に魔王殿の深部を進んだ時と今とでは、己の精神状態が明らかに異なっているのが良く分かる。
 あの時はそう、正に「熱に浮かされた」ような状態であった、と思い返す。
 単身での度重なる過酷な戦闘と、自分の中を急激に侵食していく異質な『記憶』。
 その記憶に悲鳴を上げる体を凌駕する、何処からか湧き出す圧倒的な、熱量。
 そして、その根底にあったのは『既知なる未知』という、言い表すことのできない矛盾に対する、生理的な恐怖。
 あの時アラケスと対峙した事で「自分」を辛うじて取り戻していなければ、自分は恐らくあの『記憶』に踊らされ殺されていたのだろうと、今になって思う。
 だが、今の自分はあの時とは明確に異なる。
 聖剣マスカレイドを始めとした数多くの聖王遺物を身に纏い、信頼に足る仲間達と共に居る。そして何より、あの時よりも明確に「自分の意思」で、ここに居るのだ。
 そう言えば、あの時は魔王殿に迷い込んだゴンを探しに行ったのだっけ等と、近くで槍を振るうシャールを視界の端に捉えながら思い出す。
 随分と昔のことの様にも思えるが、そう言えばピドナであったあの出来事は、もう一年ほど前になるのか、と気が付く。
 なんと激動の一年であったのだろうな、等と感慨にふけりながら、妖魔を退けつつ先へと進む。
 淡く光る海底回廊を奥へと進んだ先には、なんと驚くべき事に、元より海水に満たされていた様子のない、非常に整備の行き届いた大きな海中庭園があった。
 ここが仄暗い深海であることなど全く信じられない程の、澄んだ豊かな水と、緑と、空気。
 明らかに現代の人類が持つ技術を超越したその建築技術に合わさり、淡い胎動の如き蒼の発光が空間の神秘性を、更なる至高へと昇華させていた。
 そして、その神秘性とは真逆の様相で庭園に設置されていた醜悪な妖魔の石像が、この海底楽園への侵入者を察知して次々と生身に変化し襲いかかってくる。
 景色に感嘆する間も無く、そのうちの一匹を月下美人にて一刀の元に斬り捨てたカタリナは、その間に次々と他の妖魔共を殲滅していく頼もしい仲間達に心中で最大限の感謝を送りつつ、一気にその場を駆け抜けていく。
 庭園の先には天然の巨大なサンゴ礁の岩盤を削り抜いて作られたと思われる立派な神殿造りの門があり、そこに飛び込むと内部は最早完全な人工物と思しき内装が広がっていた。
 大理石を基調として組み上げられた見事な建築美に視線を向ける間も無く、ここでも水棲の様々な妖魔が彼女らに襲い掛かる。
 だがそれらは須く前衛のカタリナ、ハリード、シャールに斬り伏せられ、彼女らに向かう後続の妖魔もミューズとウンディーネが遠距離から魔術による狙撃を行なっていく。そして最後列から全体を見渡すハーマンは、左右からの急襲への対処や進むべき進路の指示などを的確に飛ばす。

(・・・行ける。これなら最奥まで、体力の温存も十分に可能だわ)

 カタリナは魔王殿深部の時と同様に、既に、この海底宮の行き着くべき場所が分かっていた。
 大理石の神殿部を抜けると、そこには又しても海中に有るとは思えない巨大な空洞があった。はるか上を見上げると海水が滝となり、この空間の上部の端々から流れ落ちているのが見て取れる。この状態から、そこがバンガードの玄武の障壁によって空洞となったことが伺える。
 そして空洞の向こうには再び巨大な岩盤と神殿の門があり、ご丁寧にもそこには、カタリナが今まで見た中で一番の大きさだと確信できるほどの、とても巨大な橋が掛かっていた。
 海中に有る筈なのに、まるで元から歩いて渡る事を想定されているような、若しくは地上にあった建造物が突如として海底の珊瑚礁の岩盤と一体化してしまったかのような、そんな、歪な印象を受ける場所だ。
 そして、その神殿間にある巨大な橋を埋め尽くさんとする程のフォルネウス兵へ向かい、ウンディーネが強力な電流を纏った雷球を周囲に展開し、文字通り雨のように降らせていく。
 そして橋の上で為す術なく雷球を浴びて身動きが取れなくなったフォフネウス兵へと、シャールが豪快に手にした槍を振り回しながら突撃し、次々と薙ぎ払っていく。
 その勇猛さには、同じく勇名を馳せるハリードも思わず口笛を吹くほどだ。
 因みに、シャールには神王の塔から持ち帰った聖王の槍を使ってもらおうとカタリナは考えていたが、それは本人から丁重に断りを入れられてしまった。
 曰く、既に分不相応にも聖王遺物たる銀の手を授かっているので、これ以上は自分の手には余る、との事だった。
 王家の指輪を始めとした複数の聖王遺物を常時身につけているカタリナとしては、その言には共感が得られず首を傾げるばかりだった。だが、どうやらミューズが言うには銀の手は時折、勝手に動き出すことがあるのだそうだ。シャールはその特性に、現在進行形で陰ながら苦労しているらしい。その上で聖王の槍も、とは流石に考えられなかったというのが、遠慮の真相のようだ。
 しかしカタリナの思惑外れなどは完全なる杞憂であったと思わせる程に、彼の力は頼もしい。
 ウンディーネとシャールの猛攻を逃れた幸運な(ある意味では不運な)フォルネウス兵をハリードと手分けして殲滅したカタリナは、そのまま一気に橋を駆け抜けた。
 橋を抜けた先は天然の珊瑚礁の洞窟を利用したと思われる道を進み、その更に先では、再び荘厳なる神殿部へと合流する。

(・・・朧げにだけど、思い出せる。そうだ、この先の入り口を右に行ったところで、古文書を見つけたんだった。そういえば、あれの解読はどうなったんだったかしら・・・)

 かつてグレートアーチに渡る際に温海の船上にて遭遇したのと同じ種族と思われる魚人を通り抜け様の一閃にて滅したカタリナは、脳内で反芻される様々な「懐かしい光景」を何とか頭の隅に追いやりながら、最奥を目指す。
 僅かに水が床上に浸水した状態の神殿を進んで行くと、奥に向かうにつれて妖魔の体躯も大きくなっていった。
 以前にユーステルムの氷湖で対峙したのと、これも殆ど同じ種族と思われる巨大な怪魚を難なく斬り捨てたカタリナは、その妖魔から自分の足元に落ちてきた半透明の鱗を拾い上げた。

「巨大魚の鱗ね。持っておいたほうがいいわ。それには玄武様の加護を感じる」

 それをみたウンディーネがそう言うと、カタリナは浅く頷いてそれを懐に忍ばせた。
 序でに、もう少しないかと注意して足元を探す。すると案の定、数枚の鱗を発見することが出来た。それらを拾い上げてハリード達にも配り、皆に玄武の加護を授ける。因みにウンディーネは元から湖水のローブと呼ばれる玄武の加護を編み込んだ魔装を纏っており、此処までの水棲妖魔の猛攻にも随分と涼しい顔をしていたものだ。

「フォルネウスは地の四術式の中でも玄武の力を行使する四魔貴族。玄武の加護があれば、戦闘を優位に進められるはずね」

 全員へと玄武の加護を行き渡らせたカタリナは、後続の皆が準備を終えるよりも早く、次に進むべき進路へと当然のように振り返った。

「・・・やっぱり、全く迷わないのね。貴女が『八つの光』だと言うのが、今更になって理解できてきたわ」

 この海底宮に侵入してから常に先頭を征くカタリナは、ただの一度もこの海底宮の中で迷うことが無かった。
 そして今もまた、二手に分かれた通路から進むべき方向を躊躇いもせずに選んだカタリナに対して、ウンディーネは改めて感心するようにそう言ったのだった。

「まぁ同じ八つの光とかいっても、俺には全くわからんけどな」
「貴方に関しては、なんかの間違いだったんじゃないの?」

 抜身のファルシオンを肩に乗せながらハリードがあっけらかんと言うと、ウンディーネはそれには半顔で答える。それにハリードが、実は俺もそう疑っている、と言いながら肩を竦めて反応すると、ふっと笑って道を進み始める。
 背後のそんな軽口を受けながら、カタリナは間も無く終着点が近いことを感覚で理解しながら、この後に訪れるであろう死闘の前に、一つでも役に立つ情報はないものかと指輪へと意識を集中させていた。

(・・・ダメね、あまり頭の中に具体的な映像が思い浮かべられないわ。建物の形状などは朧げに思い出すことができるけれど、こと戦闘に関してとなると全く具体的なビジョンは見えてこない・・・)

 結局のところ、指輪の記憶で彼女が具体的に見ることができたのは、魔王殿にて謎の少年と会った時と、そしてピドナに謎の少年やミカエル以外で八つの光と目される面々が集まった時に脳裏に流れた映像のみだった。
 それ以外の様々な記憶は映像という形ではなく、気がつけば体に刻み込まれていた戦の動きであったり、今この瞬間のように、ふと瞬間的に道がわかると言った程度のものだ。
 四魔貴族を討伐する為に最も期待すべきは、何より彼らとの戦闘における記憶だ。だがしかし、そういった部分の記憶は全く彼女の中に流れ込んでくることはなかった。

(案外そういうところは残してくれていないのよね。痒いところに手が届かないというかなんというか・・・)

 不謹慎にも三百年前の勇者たちに向かいそのようなことを思いながら、カタリナはそれ以外に何か参考になるものはないかと考えた。
 そうなると彼女に思い出すことができるのは、実際に彼女が戦ったことがある四魔貴族である、魔戦士公アラケスについてだ。

(仮にあの時に今の面々と、今の武具があったら、果たしてどうだっただろう・・・)

 一瞬でも気を抜けば狂ってしまいそうなほどの、瘴気の渦の中。己の死を一瞬で悟ることになんの疑問の余地も挟まないような、圧倒的な存在感。魔神と呼ぶに相応しいその佇まいと、あの存在の凶悪性を具現化したかのような、燃え盛る真紅の魔槍。
 自分があの時出来たのは、あの時思いついた中で最大の剣技(今では彼女の十八番となった神速の二段斬りだ。これを彼女は「逆風の太刀」と名付けた)にて、魔神の右腕を切り飛ばしたことのみ。
 あの時に比べるなら、自分で言うのもどうかと思うが、相当に戦闘技術は向上したと確信している。無論アラケスほどの存在とは対峙していないが、竜種や巨人族を始めとした様々な種族と戦ってきたし、その中で様々な状況からの戦闘経験を積んできた。あの時のように防戦一方になるようなことはないと、慢心ではなく思い返すことができる。
 そして何よりも、今の自分には、聖剣マスカレイドがある。
 これがあればこそ、たとえ自分一人であったとしても、あの時の魔神アラケスにそう簡単に引けを取ることはないと、素直に思う。
 そして更に今は、彼女の周りには五人もの、とても心強い仲間がいるのだ。

(いける。これなら、四魔貴族相手でもなんとかなる。そう、確信できる)

 空間を縦に貫く何本もの巨大な柱が並ぶ通路を走り抜け、一行はこれまでの行程の中でも一際大きな広間へと出た。そしてその広間に入った瞬間、此処がアビスゲートに繋がる最後の場所である事をカタリナは察する。
 全く隠すつもりのない、重苦しく禍々しい瘴気。ゲートからこの広間へと漏れ出ているその瘴気に触れた事で、カタリナ以外の面々も自ずと此処が最後の場所であることを察したようだった。

「・・・これ迄とは、段違いに濃い瘴気ですね・・・。以前の私ならば、これだけで卒倒していたかも知れません」

 固唾を飲みながら、しかしミューズは気丈な面持ちを崩さずにそう言ってのけた。
 その言葉に応えるようにシャールが槍を構え直すと、彼女の前に出るようにしながら周囲を視線で牽制しつつ進む。

「本来ならばミューズ様をこのような場所にお連れするべきでは無いのでしょうが・・・」

 そう言いつつも、しかしシャールは既に悟っているのだ。ミューズも、そして自分さえも、何か大きな流れに導かれるままに此処にきているのだということを。

「お父様なら、この状況に於いて静観をすることはありません。私はクラウディウス家の一人として、来るべくして此処に来ているのです」

 ミューズの力強い言葉にシャールが覚悟を決めたように頷くその横では、どこか場違いな様子で笑みを浮かべるハリードとハーマンの姿があった。
 ハリードのそれは、何処か触れてはいけないような悲壮感を漂わせる薄ら笑いであり、その心のうちで一体何を考えているのか、読み取ることは出来ない。
 一方のハーマンは、此方は非常に分かりやすい。この時を待ち望んでいたであろうことがありありと窺える様子で、その生命力を凝縮したような瞳はフォルネウスとの対峙を今か今かと待ち望んでいるかの様に輝いている。

「・・・冷静なんですね」

 そしてカタリナが一番気になったのは、他の四人とはまるで違う様子で広間の先を見つめている、ウンディーネだった。
 彼女の様子には大きく焦ったところもなく、ただ真っ直ぐに目の前を見つめているのみなのだ。そこには焦燥も余裕もなく、至極冷静そのもの。
 この広間の先には聖王記に綴られた伝説のアビスゲートが待っているというのに、それを裏付けるかの様に圧倒的なこの瘴気の渦中に在って、人は、ここまで冷静でいられるものなのだろうか。そんなことをカタリナは、思わず訝しんでしまうほどだ。だから、そのままの感想が口をついて出たのだった。

「そう見えるかしら?」

 カタリナの言葉に小首を傾げながら反応したウンディーネは、直ぐに前に向き直った。そしてゆっくりとした動作で緩く腕を組み、真っ直ぐに前を見つめる。

「私は、言ってしまえば特に四魔貴族なんていう存在と戦う特別な理由もなく、知識探究の末にここにいるだけだもの。それに魔術士っていうのはどうにもね、それが初めての体験であればあるほど、その物事を見定めることに集中しがちな性質なのよ。だから、貴女達がこの場で奮い立てば立つほど、逆に冷静に見えるのかもしれないわね。不快かしら?」
「いえ、そんなことはありません。冷静な人が後衛にいるほうが、前衛としても助かります」

 素直にそう思っただけなのでカタリナがそのままに答えると、ウンディーネはふっと笑って腕組みを解いた。

「私からしたら貴女の様な歳若い、しかも王侯貴族付きの騎士様が態々ここにいる事の方が、余程不思議でならないけれどね。矢張り貴女がここにいるのは、八つの光としての宿命に導かれてきたからなのかしら?」

 ウンディーネのそんな言葉を受け、カタリナもまた広間の先を見据えながら、少し考えた。

「・・・いえ、八つの光とは違う、自分自身の意思です。私が八つの光だったのは、偶々そうだっただけ、という程度にしか考えていません」

 仮に自分の考え方や価値観などが、そもそも『宿命』とやらに捻じ曲げられてしまっていたのだとしたら話は別なのかもしれないが、少なくとも彼女は己の心に己のなんたるかを問うた時、己の、その心が常にロアーヌと共に在るのだ、ということを今も再認識出来る。
 それは幼き頃に彼女が騎士を志した時、騎士候補生の時分にミカエルにその誓いを述べた時、騎士となってからモニカと共に穏やかな日々を過ごしていた時、己の慢心によりマスカレイドを奪われた時、そして己の信念の元にこの場に立つ今この時に於いても、一切変わっていない。

「アビスの脅威を滅する力が私に有るのなら、迷いなくそれを成します。その先に、私が剣を捧げた国の繁栄があると信じて」

 言葉と共に、手にしていた月下美人を納刀し、しっかりと腰に括り付けていた聖剣マスカレイドを替わりに抜き放つ。

「行くわよ、マスカレイド」

 カタリナの呼びかけに応じてマスカレイドが輝きと共に真紅の大剣へと姿を変えたのを合図に、一行は広間の奥にある門を潜って行った。

 殆ど視覚が意味を成さない程の暗闇を慎重に進むと、程なくして仄かな白い光が、道の先にぼんやりと見えてくる。
 その光に向かってそのまま歩を進めると、唐突に通路は終わりを告げ、まるで奥行きが把握できない不可思議な空間に放り出される。
 一行が天を仰げば、其処には禍々しさを具現化したかのような紋章が中空で明暗を繰り返し、その先には天井らしきものすらも見えない。
 そして空間の中央奥には、嘗て魔王殿の最深部で見たものと全く変わらぬ、純白にして醜悪なるアビスの光源。
 その光から生み出される純粋なる瘴気は、魔王殿で感じた其れよりも、心無しか純度が高いようにすら思えた。

「し、死蝕・・・?」

 その悍しいまでの瘴気に、ミューズが顔を強張らせながらそう呟く。
 そう、正にこの空間では、史上最悪の災害である死蝕の、その最中にいるようなものだと言える。

(・・・勘違いではない。魔王殿のあの時よりも、瘴気が濃い・・・)

 まるで此処はアビスそのものなのではないかと、その様に勘違いをしてしまうくらいに。それ程に、この空間に滞留した瘴気は異質で、醜悪で、圧倒的だった。
 先頭に立ったカタリナの背後で、他の皆が圧倒されている事が見ずとも伝わってくる。
無理もないだろうが、しかし圧力が更に上がる事を彼女は知っていた。

「・・・来たわね!!」

 そう言ってマスカレイドを振りかざしたカタリナの檄と殆ど同時に、白い光から巨大にして醜悪なる「何か」が姿を現しはじめる。
 目の前の空間が不自然に振れるように振動し、それまで何も無かった中空に、その「何か」が蠢きながら形成されていく。
 そして彼女らの目前に現れたのは、人など全く及ばぬような大きさの、悍しい姿をした怪魚だった。

「・・・待ちわびたぜ、てめぇを捌ける時をよ・・・」

 ハーマンが腰を落としてバイキングアクスを構えながら、その巨体を見上げる。
 そしてその言葉が届いたのか、まるでその場に充満する瘴気の海を泳ぐ様に光の前に漂う巨大な怪魚は、そのエメラルドグリーンの瞳だけをカタリナ達へと向けた。

『・・・何をしに来た、人間。死星の宿命をすら背負わない人間に、この海底宮に立ち入る資格はない』

 聞くだけで気が狂れてしまいそうな、悍しいその「声」。これだけで、それまで奮っていた筈の戦意など、急激に削がれていくことだろう。
 こんな規格外の存在に、人間の身で太刀打ちなど出来るわけがない。そう確信するには、その声だけで十分過ぎるほどなのだ。

『・・・小さく華奢なその姿は、見ているだけで虫唾が走る。その様な姿でこの海底宮に踏み入る愚かしさは、正に度し難い限りだ』

 言葉の通り、自分にとっては全くの虫螻を見下す様に、怪魚はそう吐き捨てた。

「上等だぜ・・・化物の分際で人間様に楯突いたことを、アビスの掃き溜めで後悔させてやるよ」

 ハーマンはマスカレイドを構えるカタリナに横並び、真っ向から啖呵を切りつつ、その怪魚を見据える。
 アラケスに相対した時など、カタリナは恐怖で真面に言葉を発することすら出来なかったものだが、矢張りこの男は異様に肝が座っているのだろう。

『愚かしい・・・。我が名は、アビスの魔貴族が一柱、魔海侯フォルネウス。その無知故の蛮勇にも、この我が大いなるアビスの慈悲によって、無様なる死を与えてやろう』

 フォルネウスは、その言葉と共にその巨体をカタリナ達へと真正面に向けた。

『先ずは、お前だ』

 発狂を促すほどの圧倒的な瘴気と共に、フォルネウスの巨体が、その大きさからは全く信じられぬ程の速度で動く。
 すると次の瞬間には、最前面にいたカタリナとハーマンに、彼らの視界全面を覆い尽くすほどのサイズの尾ひれが衝突した。

「カタリナ殿!!」

 一歩後ろにいたシャールが叫ぶが、それで何が止まるわけでもない。
 あんな速度で衝突する大質量の物量を真面に受けて、人間が無事に済む訳などない。下手をすれば人としての原型すら留めぬほどに、その体は千切れ飛ぶだろう。
 しかし。

『・・・貴様、何をした・・・?』

 相変わらず地の底から響くような声で、フォルネウスは勝利を宣言する訳ではなく、逆に若干当惑したような声色でそう言った。

「・・・ふっ、やるじゃねーか」

 同じく、凄惨なる現場を目の当たりにした筈にしては余りに軽い口調で、米神から一筋の汗を垂らしたハリードが曲刀を構え直しながら、にやりと笑う。
 彼の視線の先には、先程の立ち位置から殆ど動いた様子のないカタリナと、その隣には変わらずハーマンが無事な様子で居た。
 彼女らを薙ぎ払った筈のフォルネウスの尾ひれは、真横ではなく斜め上に軌道を変えられたようで、今は既に姿勢も元通りになっていた。
 何かが変わったかと言えば、カタリナが正眼に構えていたマスカレイドを、いつの間にか下段構えに変えていた事くらいか。
 彼女が尾ひれの衝突の瞬間に行ったのは、以前魔王殿にてアラケスに用い、アラケスに「無行の位」と呼ばれた高等回避術だった。
 カタリナ自身、手元に構えたマスカレイドに無事を問いかける様に一瞬視線を落とし、そして再びフォルネウスに向き直る。

「いけるわ・・・。物理攻撃は私が全て捌く。皆、全力でお願い!」
「カタリナを先頭にデザートランス隊形!各個最大火力でぶちかますぞ!!」

 カタリナの言葉に被せるようにハリードが曲刀を高らかに掲げながら素早く号令を発し、それに応えて即座に全員が動いた。

「アビスの相を崩したいわ。二人とも術でお願い。私もここは天術で応戦する。玄武術程ではないけれど、威力はまあまあ自信あるのよ」

 極力フォルネウスから距離を取るように飛び退ったウンディーネは、近くに居るシャールとミューズの二人にそう言うと、高速詠唱に入った。そうして紡がれていく印は、ミューズの扱う天術体系の「月術」と対を成す、「太陽術」と呼ばれる紋章であった。
 太陽術は三百年の昔に魔王軍を一度打ち負かした古ゲッシアの連合軍が用いた天術のうち、特にアビスへ効果が高いとされる術式だ。
 それに合わせミューズも大規模術式のために詠唱を始めると、シャールは二人を庇うように位置取りをし、以前に増して大きな灼熱の刃をフォルネウスに放ちながら槍を構えた。

『人間如きが、調子に乗るな!!』

 フォルネウスはシャールの放った火の刃を受けながらも、何ら気にした様子もなくアビスの瘴気を撒き散らしながら激昂した。
 魔神たるフォルネウスの視界から見る人間とは、なんと小さき事か。
 小さくか弱く、触れればそれだけで容易く殺せてしまうほど、儚い存在。それが人間であり、その小さき姿こそが、その象徴なのだ。
 魔神フォルネウスは、その様な存在を何よりも嫌う。
 だからこそ、対照的にフォルネウスは大きく雄々しく醜く、何よりも強大でなければならないのだ。

『・・・これは一体・・・』

 だからこそ、疑問に思うのだ。
 つまり今、魔神フォルネウスは、目の前の生物の行動が全く理解出来ないでいた。
 嘗て自らをその強大な力で従えた『魔王』は、その身に宿したアビスの力があまりに大きく、「器」に過ぎないその魔王の体に対して何かを思うことなどなかった。
 だが今、目の前にいるこの人間達は、その様な圧倒的な力を感じる存在ではない。全く知る通りに小さくか弱い、ただの人間にしか見えない。

『・・・なのに一体、何故』

 翳すは、何者をも切り裂く巨大にして鋭い爪。
 振るうは、巨岩をも吹き飛ばす頑強な尾ひれ。
 突き出すは、硬い鉱石をすら貫く雄々しき角。
 その強大なる質量から繰り出す何れもが、一撃で人を滅ぼすには十分過ぎる程の存在だ。事実フォルネウスは、これまでに何度も、そうして過弱き人を無数に屠ってきたのだ。
 だが其れ等の猛攻を、真紅の大剣を構えた華奢な人間が、全て真正面から受け止める。
 そしてその合間には、場に溢れるアビスの力を削り取らんとする天術の吹雪と焦熱風に、玄武と対を成す朱鳥の加護を宿した灼熱の刃。そして降り注ぐ数多の術式の合間にも確実に自らの身を削ぎ落としていく、竜巻の如き剣の乱舞。
 それは魔神フォルネウスの知る人間ではない、まるで新たなる何かを目の当たりにしているかの様な、そんな感覚をすら覚える。

『貴様らは、本当に我の知る人間なのか・・・?』

 この様な存在を、フォルネウスは知らなかった。
 四つの属性の一つを司る魔神が嘗て三百年前に相対した『最強の人類』は、これまた単なる人間に比べて、明らかに異質ではあった。
 その時も魔神の前には今と同じように幾人もの矮小なる人間が並び立ったものだが、とは言えその中でフォルネウスの知る人間という存在を確実に逸脱していたと感じたのは、確か二人だったと記憶している。
 だが、今この場にて魔神フォルネウスの前に居る六人は、その時の者達とも何処か異なる。
 小さき筈の人間一人一人が、理解し得ぬ何かの『宿命』を持っているかのような、そんな不可思議な印象を持つのだ。

「おい、寝ぼけた顔してんじゃねぇぞ!!」

 人の領域で到達するとは、よもや思ってもいない程の速度。
 その領域にてフォルネウスの眼前に迫ったハリードが、手にした曲刀で以て強力な五月雨式の三段斬りを浴びせる。
 その斬撃が確実に自らの命を大きく削った事を悟り、其処で漸く、魔神フォルネウスは思い直すことにした。
 目の前に相対する是等の存在は、今までの自らの知る『人間』ではないのだ、と。
 フォルネウスが、この三百年の間にアビスの淵で溜め込んできた瘴気の量は莫大だ。それこそ、三百年の昔に自身を滅ぼした『最強の人類』に今、負ける事は絶対に有り得ないだろう。そう、強く確信を得る程度には。
 だからこそ、だ。
 自分が力を溜めたのならば、彼ら人間にもその三百年の間に変化があったと考えるのは、とても自然な事なのだ。
 強きを求める事と強さに溺れる慢心は、全く異なる意識だ。その事実を反省し、この目の前の、新たなる存在に今改めて相対しなければならない。
 フォルネウスは魔神にあるまじきとすら言える思考回路で、そう考えを改めた。
 それまで断続的に続いていたフォルネウスの攻撃が止まった事を感じたカタリナは、下段に構えていたマスカレイドを振り翳し、一足跳びでフォルネウスの懐深くへと飛び込んだ。

「これで・・・!!」

 空間が切り裂かれたのかと錯覚する程の断裂音が、その場に響き渡る。
 アラケスに対して放った時に比べ完全に制御された神速の二段斬りが、確実にフォルネウスの胴を捉えたはずだった。だがフォルネウスは直前に大きく身を捻り、尾鰭の半分ほどを斬り飛ばされるに被害を留め、そして用心深くカタリナ達から距離を取る。
 その行動に間髪入れずに追撃を行おうとしたカタリナだったが、しかし明らかに相手の纏う空気が異質に変貌した事を察し、既のところで思い止まった。近くにいたハリードも、どうやら全く同じ事を肌に感じたようだ。

「・・・不味いな。なにか、えらくヤバい感じがする」
「ええ・・・」

ぽつり・・・

 ハリードとカタリナが緊張した面持ちで剣を握り直したのと時を同じくして、上方から唐突に水が滴ってきた。
 そして一滴だと思ったその水滴は直ぐに後続があり、それはやがてスコールとなってその場に降り注ぐ。その一粒一粒にはアビスの瘴気が混じっており、玄武の加護がなければこれだけで体力を大きく消耗させられてしまいそうだ。

「・・・一体何だってんだ」
「・・・・・・なんてこと」

 場に降り注ぐ突然の雨に困惑した様子のハリードの横で、注意深く魔神を睨んでいたカタリナが、引き攣ったような声で呟く。
 その声に皆が魔神を注視すると、これまで六人が全力で与えてきた数多の傷が、今し方カタリナが切り飛ばした筈の尾鰭も含め、見る見るうちに修復されていくのだ。

「属性加護による自己再生・・・? それにしたって、あんな馬鹿げた速度の修復なんてあり得るの・・・?」

 まるっきり現代魔術理論の外にあるかの様な事象を目の当たりにし、ウンディーネは戦慄した面持ちで、それを見つめる。
 その修復の間にも再度、苛烈に攻め立てねばならないという事は、重々分かっている。
 分かっているのだが、その場にいる誰もが、どうしても動けずにいた。
 何しろ、彼らに相対している今のフォルネウスは、その巨体の何処にも、全く以て「隙」というものが無い様子なのだ。
 ミューズらの天術が中和していたアビスの瘴気も、最早完全に元通り・・・いや、寧ろ当初以上に濃度を増し、この空間に禍々しく満ち満ちている。
 そしてカタリナ達が動けずにいる間に殆ど無傷の状態へと再生し終えたフォルネウスは、先程までの様子とは全く異なる態度で彼女らを見据えた。

『力ある者を、我は評する。そして我こそが、無様に傲りを見せた事を恥じ、詫びよう。お前達は、我が力を知るに相応しい存在だ』

 その言葉と共に、場に充満していた瘴気がフォルネウスの元へと急激に収束する。
 その余りの瘴気の濃度にカタリナは軽く目眩を覚えながら、咄嗟に後続の隊列変更を指示する。

「来るわよ、備えて!!!」

 カタリナの叫びと共に前衛が密集隊形になり、その直ぐ後ろに駆け込んだミューズとウンディーネが隊列全体を覆うように天術の結界を展開する。
 それとほぼ時を同じくして、フォルネウスは自身に収束したアビスの力を、荒ぶるその力の奔流を、一切の躊躇いも無く解き放った。

『アビスの力を知れ!』

 咆哮と同時にフォルネウスの元から爆散した瘴気は、瞬時に巨大な渦を巻く大質量の水へと変換された。
 そしてその渦に、場に犇めくアビスの波動が幾重にも絡みつき、この空間全体を埋め尽くす様に広がる。
 その場の全員がこの直後に感じたのは、水の冷たさだった。
 だが、この「冷たさ」とは単純な温度のそれだけではない。それは非常に明確な「死」を連想させるような、全く生気を感じさせない異様な冷たさなのだ。
 その冷たさが体に執拗に絡みつき、深海の更なる深淵へと引き摺り込まれて二度と目覚めることのないような、そんな感覚に支配されていく。
 それが剣先から腕へ、腕から全身へと、瞬く間に浸食していった。
 防御態勢をとっていたことなど、全くの無意味であるかの様に。
 カタリナ達はその圧倒的な水量に成す術もなく引き摺り込まれる。そして渦の渦中にありながらアビスの力が込められた衝撃波を幾度も身体に叩き込まれ、やがてその身はボロ雑巾の様に渦から床に放り出された。

『・・・天術だけでは無く、玄武の加護も持っていたか。加護無き者には即座に死を齎す深淵の渦を、良く耐えた。だが、我がアビスの波動はその身にはとても心地悪かろう』

 場違いにも、どこか感心したようなフォルネウスの声と共に、散らばって倒れていたカタリナ達に僅かな動きが見られる。
 そして壁に叩きつけられた際に砕けたらしい肩当が崩れ落ちるのを尻目に、瘴気の混じった水を咳き込むとともに吐き出しながら、カタリナが最初に起き上がった。

「・・・っ」

 口の中を切ったか、口内に充満する鉄の味に顔を顰めながら、兎に角、自分の五体が今どれだけ動くのかどうかを先ず確認する。
 両足は、打撲以上の異常は無い。まだ問題なく動く。
 左の二の腕に、あまり直視したくない類の痛みがある。どうやら、砕けた肩当の一部が深く突き刺さっているようだ。
 四肢は血の巡りが悪くなると、途端に力が入らなくなる。これでは、もう先程までのように両手で聖剣マスカレイドを振るうのは難しいだろう。
 冷静に、というよりは戦人の直感でそう判断してマスカレイドを小剣の状態に戻し、切っ先を形の上ではフォルネウスへ向けて牽制を行いつつ、次に自分の背後に素早く視線を向ける。
 ハリードとシャールは、既に立ち上がっている。自分と同等か、それよりは若干負傷が軽そうか。継戦可能のようだ。ミューズもシャールに庇われながら立ち上がろうとしていた。
 ウンディーネもハーマンを立ち上がらせつつ、治癒術を掛けているようだ。
 視界に映る上では、全員が五体欠損を伴う程の大きな怪我はない様子だ。ミューズとウンディーネが施した咄嗟の天術の障壁がなければ、被害はこの様なものでは済まなかっただろう。
 唯一見てとれた被害は、ハーマンの左足がないくらいだ。これは元から無いのを忘れていたという訳ではなく、括り付けていたと思われる木製の義足がもぎ取られた格好だ。
 それ故に、ハーマンは最早これまでの様に立つことも間々ならず、この後はこれまで同様の戦力として換算するのは難しい状況に追い込まれたということになる。
 状況を概ね理解したカタリナは、小剣を構えながらフォルネウスを真っ直ぐに見つめ、思案した。

(・・・読みが、完全に甘かった。この場に入った時の、魔王殿の時より強く感じた瘴気について、私自身が一番慎重になるべきだった・・・)

 アビスゲートは以前から変わらず、まだ完全には開いてはいない。だがしかし、刻一刻とその門は更なる解放を続けていたのだ。そんな事は、考えれば直ぐにわかる事だった筈なのだ。
 そして門の開く度合いが大きくなれば大きくなるほど、四魔貴族の力も当然に比例して大きくなるのだ。
 彼女が単身アラケスと対峙したのは、もう一年程も前の話だ。この一年で彼女は、その取り巻く状況も内包する力も、大きく変動してきたのを実感した筈だ。ならば彼女が変わったのに相手だけがそのままであるなど、当然あるはずも無い。
 だからこそ、あの時と同じ感覚で挑む事が抑も間違いだったのだ。
 隠そうともせず苦虫を噛み潰したような顔をしながら、一瞬だけ後悔する。そして次には、この状況を元に次の行動を模索し始めた。

(・・・此方の与えたダメージは全快されている。対して此方の被害はかなり大きくなった。私もそうだけど、特に前衛の負傷度が大きい・・・一度、撤退を試みるべきか・・・?)

 幾つもの想定で考えを巡らせるものの、実際のところは前進も後退も非常に困難な状況であった。
 フォルネウスは再度瘴気の渦を練り上げに掛かっているようだが、その一方で全く油断なくカタリナ達を見据えている。
 対峙を辞めて背を向ければ、即座にその爪や牙で引き千切られるだろう。
 だが、ここで無闇に攻撃を行ったとしても、またすぐに再生されるのがオチだ。今もなおスコールは絶え間無く降り注ぎ、この空間をアビスと玄武の地相へと固定している。この状況にあって、まさにフォルネウスは無敵であるかの様に思われた。

(・・・不幸中の幸いなのは、私たちも玄武の加護があるから緩やかな治療効果を受けることができている、ということ。だけど、こちらは恐らく、もう一度あの渦が来たら、耐えられない・・・)

 特にアビスの波動はかなり体に響いており、術を得手としないカタリナとハリードは特段その損傷が蓄積されている。正直に言ってしまえば、割と立っているのも辛い状況だ。
 そんな中にあって、しかしカタリナは前を見つめた。
 例え自分がここで朽ちても、それでも次に繋げなければならない。八つの光とは、思えばその為に八つあるのだろう。そう考え直したカタリナは、マスカレイドを構えて真っ直ぐにフォルネウスへと突きつけた。

「私が、なんとしても時間を稼ぐわ。その間に、皆はここから脱出をして頂戴」

 カタリナは横を向き、後ろの面々へ向かってそう言い放った。既に彼女は、覚悟を決めていた。
 彼女の使命は、ここで一秒でも長くフォルネウスを抑えること。他の皆が逃げる時間を稼ぐのだ。そしてあわよくば、フォルネウスの手の内を全て見ることが出来ると尚いい。
 彼女の中には、その知識がきっと他の八つの光にも共有されるはずだ、という朧げな確信があった。
 その確信は、一体どこから来るものなのか。それは例えば、今の彼女の取得技術から一端を垣間見ることが出来る。
 今の彼女の得物は小剣状態のマスカレイドだが、小剣の扱いは指輪の記憶にて桁違いに洗練されている。更に、嘗て魔王殿深部にて流れ込んできた記憶とは別に、このところは別の新たな技術も彼女の中に蓄積されていることが最近になってわかったのだ。
 例えばこの小剣を振るい、今の彼女には非常に強烈な、南十字星を象る超速の五段突きを放つことが出来る。これはつい最近までは全く記憶にない戦技だったものだが、今は何故か彼女の中には確かに存在しているのだ。
 恐らくはこれを、彼女は同じ八つの光の誰か(小剣を用いるとなると、ミカエルかモニカあたりだろうか)が会得したものだろうと考えていた。
 この考えが正しく、ある程度の記憶や技術は共有されるのだとすれば、彼女がここで得るものは、次に戦いを挑むものに、多少なりとも引き継がれるはずなのだ。
 これでは、まるでサラから借りて読んだアバロン伝記の皇帝のようだな、等と場違いに思い出しながら、そう言えばサラは大丈夫なのだろうか、とまるで走馬灯の様に考えが移ろいゆく。

「・・・おいおい、一人だけいいとこ持っていくなよ。今回こそ、俺にも付き合わせろ」

 ふと、カタリナの隣に並び立つように、ハリードが如何にもしんどそうにファルシオンを構えながらそう言った。
 カタリナがちらりとその顔を横目に見ると、その顔は全くこの状況に絶望をしていない。それどころか、この状況をすら楽しんでいるかの様に、実に心の底から笑っているような笑みなのだ。
 正直に言えば彼女一人でどこまで持つのか不安がないわけではなかったので、こうして言ってもらえることは非常に有り難い。後続の撤退に関しては、突破力のあるシャールが先頭となればなんとかなるはずだ。

「・・・助かるわ。けど、笑ってるのキモいわよ」
「ほっとけ」

 それ以上の視線は交わさずに軽口を叩き合い、今まさにフォルネウスへの突撃をかけようとしたその間際。
 彼女らの目の前に、突如として巨大な炎の壁が現れる。
 驚いてカタリナが背後を振り向けば、やはりその炎の壁を発生させたのはシャールだった。

「此方はいいから、急いで!」

 カタリナは一分一秒が惜しいと言った様相でシャールにそういうが、しかしそれに答えたのは、シャールの脇から出てきたウンディーネであった。

「ちょっと・・・頭を冷やしなさい」

 カタリナを制する様にそう言い放ったウンディーネは、彼女もやはり負傷をしているのか、足を軽く引き摺りながらカタリナに近づいて口を開いた。

「捨身の撤退は、最後の手段よ。まだ、試したいことがあるわ」
「・・・試したいこと?」

 聞き返すカタリナに小さく頷いたウンディーネは、炎の壁の向こうにいるはずのフォルネウスを睨む様にしながら、前衛二人に内容を伝える。

「・・・・・・承知したわ」
「こちらも了解だ。ま、いつまでもつか分からんがな」

 カタリナとハリードが其々頷くと、ウンディーネは満足した様に微笑み返しながら後方へと戻った。
 そしてシャールとミューズに指示を出し、陣を組む様にしてフォルネウスへと相対しながら、術式の構築に集中する。

「炎の壁が消える・・・いくぞ!」

 シャールの作り出した炎の壁が揺らめきながらフォルネウスに向かって倒れるのと同時、ハリードとカタリナが突撃をかけた。
 炎の壁には目も触れずに瘴気の集約に集中していたフォルネウスは、左右から攻め立ててくる二人に対応する為、一時的に瘴気の塊の形成を遅くする。前衛二人の役割は、これだけだ。
 その間にシャールは周囲に炎の障壁を張り、スコールの届かない空間を作り出す。そしてウンディーネが詠唱をしながら前方に手を翳すと、ミューズ、シャール、ウンディーネの間に複数の属性を司る紋章が浮かび上がった。

(・・・さて、解読自体は殆ど終わっているとはいえ、いきなり実践なんていうのは、魔術師として実に短絡的だわ。そう・・・実に短絡的で、実に、愉しい・・・)

 ウンディーネは、心の奥底で微笑んだ。
 彼女が今作り出さんとしているのは、古代の大魔術だ。
 モウゼスでの一件の後にカタリナから依頼を受けた古代魔術書の解読をバンガードに乗ってからも進めていたウンディーネは、その魔術書が示す内容が、魔導器の構造にも通ずる「陣形術式」であるということに、早々に気がついていた。
 バンガードの起動術式を観察する中でも古代魔術書の解読に役立つ共通点が幾つも見つかり、バンガードに乗ってからのここまでの道のりは、彼女の魔術士人生の中でも、とりわけ格別に素晴らしい時間の一つだったと断言できるだろう。
 ましてや、彼女が追い求めていた魔術の進化系である連携術のその先にあるべき知識が一気に得られていく快感は、何者にも変えがたいものだった。
 そしてその魔術を、一世一代のこの瞬間に試すことが出来る。
 これが、魔術士冥利に尽きると言わずして、一体、他のなんだというのか。

「・・・ぐぅっ!!」

 シャール、ミューズと共に、ウンディーネの腕の皮膚にも唐突に亀裂が走り、派手に鮮血が吹き出す。

(陣形による循環が不安定か・・・。でもこの類の負荷が掛かるってことは、術式自体は間違いなく発動しているということ。あとはこっちが力技で、これを練り上げるだけ・・・!)

 ついには口元に笑みまで浮かべながら、ウンディーネは全身に走る激痛など物ともしない様子で詠唱の最終段階に入った。
 その間、既に何度も地面に叩きつけられながら、満身創痍でカタリナとハリードがフォルネウスに応戦している。殆ど動けないハーマンも斧の投擲で中距離から援護を行い、可能な限り注意を逸らしていく。
 彼らの尽力により、フォルネウスの元に収束している瘴気は、まだ先ほどのものほど固まってはいない。
 先に放つのは、ウンディーネだ。
 彼女の詠唱の最後の一文が紡がれたことを悟ったシャールとミューズは、こちらも最後に残った己の全魔力を放出させる様に陣に集中する。
 すると、みるみるうちに術士たちを包んでいた炎の障壁が空間を蹂躙するように広がり、それは瞬く間にその場に降り続いていたスコールを消し飛ばした。

『・・・・!?』

 その突然の事態にフォルネウスが動揺した様子でいると、カタリナとハリードは時が来たことを察し、痛む体を引きずって一気にその場を離脱する。
 そして血塗れの腕を振り上げたウンディーネは、朱鳥、月、太陽が三位一体となった純然たる至高の魔力の塊にして、この魔術界に於ける一つの究極の形をその手に宿し、高らかに叫んだ。

「さぁ見せて頂戴・・・クリムゾンフレア!!」

 遂に現代に復活した合成術式が、陣から放たれる。
 これまでに練られた魔力が三人の間に浮かび上がった陣の中を高速で循環して超加速的に膨れ上がり、やがてそれはその場の全てを焦がさんとする灼熱の熱気を纏いながら、一気に中空に吹き荒れた。
 そして瞬時に空間全体を、まるで業火の地獄にでもいるかの様に高温たらしめた熱気は、間も無く吸い寄せられる様に術式の標的であるフォルネウスの中心部へと急激に収束していく。

『な・・・ばかな・・・!!?』

 収束した熱気は一瞬でフォルネウスの巨体をすっぽりと包み込む様に膨らみ、そして直後には内包する莫大な自己魔力量に押し潰されるかの様にその形を歪めて横に伸び、それに合わせて幾重にも炎が奔る。
 刹那、薄暗く不気味な空間だったアビスゲートのある間が、白く染め上げられた。そして、空間が白くなった、という事を認識する間も無く、その場にある全てを吹き飛ばさんとするほどの大爆発が巻き起こったのだ。

(・・・轟音って、こういうのを言うんだろうな・・・)

 最前線を急ぎ退いたとはいえ、まだ爆心地に近いところにいた為に見事に衝撃波で吹き飛ばされながら、カタリナは盛大に耳を擘く大爆音で自分の聴覚が確実に少しイカれたことを自覚しつつ、自力ではどうしようもない浮遊感と共に、呑気にもそんな感想を抱いた。

『・・・ぉ・・・・・・ぉぉぉ・・・』

 それはたった数秒の間に起こった事だった筈なのだが、えらく長いようにも感じられた。
 やがて爆風が止み、空間を支配していた灼熱が去り、熱で歪んでいた視界が元に戻ってきた頃。
 地の底から響き渡るような、重苦しく低い呻き声が空間に響いた。
 爆風に飛ばされ、ミューズらと同じ辺りまで転がり込んでいたカタリナは、もうこれ以上は動けないと必死に訴えかける満身創痍の身体に問答無用で鞭を打ち、なんとか動く右腕を使って上半身だけでも起き上がった。
 そして眼前に広がる光景を目の当たりにし、絶句する。

「・・・・・・」

 爆心地の真下は大きく地面が抉れており、その後方にあるアビスゲートと思われる白い光も、爆発によってゲートの起動装置と思われる仕掛けが大きく破損している関係からか、非常に弱々しくなっていた。
 そして、胴体の八割ほどを完全に消し飛ばされ、文字通り首の皮一枚に近い状況で頭部と胴が繋がった状態のまま宙に浮いているフォルネウスが、視界の中心にあった。
 すっかりこの場にあった玄武の地相は跡形もなく吹き飛び、自己再生も全く行われている様子はない。

『・・・あ、有り得ぬ・・・』

 果たしてあの状態で何処から声を出しているというのか、フォルネウスは殆ど掠れたような呻き声と共に、そう言った。
 そして弱々しくエメラルドグリーンの瞳が光ったかと思えば、僅かながら、霧雨のような雨がその場に降り始める。

「・・・不味いわ・・・自己再生を始める・・・!」

 またしても回復を図ろとしている事を察し、カタリナは立ち上がろうと必死にもがく。
 だが左手にはすっかり力が入らなくなっており、両足も先ほど吹き飛ばされた時に打ちどころが悪かったか、動かそうとすると激しい痛みを感じる。
 直ぐには立ち上がることすらできないという事実を自覚するには、十分過ぎるほどの損傷だ。
 他に何か手段はないかと周囲を見渡せば、ハリードは自分と同じ様な状況で且つ得物のファルシオンが折れているし、大魔術を放った術士三人は疲労の極限へと達して崩れ落ちており、全く動ける様子ではない。
 そして視界には映っていないがハーマンは先のフォルネウスの攻撃の時点で義足を失っており、抑も動く事も間々ならないはずだ。

(・・・なにか・・・なにかないの・・・?)

 緩やかに再生を始めようとするフォルネウスをやけにスローモーションのように視界に捉えながら、自分の中にある記憶を辿り、この一瞬で何か打つ手はないものなのかと脳内で思考が高速回転をする。だが、自分を始めこの場にいる全員が動けない状況では、打つ手などあるはずもない。
 目の前の現実にそれを確信して弱々しく歯軋りをした、その瞬間だった。
 カタリナの視界の横を勢いよく駆け抜ける、人影があった。

「・・・!!?」

 何が起こったのかとカタリナがその影に視線を向けると、その謎の人影は一直線にフォルネウスの懐へと飛び込み、手にしていた仕込み杖を構えた。

「・・・きっちり返してもらったぜ、クソったれめが」
『・・・な・・・に・・・?』

 フォルネウスのエメラルドグリーンの瞳が、自らの懐に飛び込んできたその人物に向けられる。
 それは、見知らぬ男だった。
 抑もフォルネウスには人間の顔など対して見分けもつかないが、兎に角その男は、知らない男だ。なにしろ、つい先ほどまでこの場において戦っていた人間の中にも、この様な男はいなかったからだ。

『貴様は・・・』

 誰だ、と、フォルネウスは続けようとした。
 だが、それは出来なかった。
 男が笑みを浮かべながら抜き放った何かが、視界に止まらぬ速度で、魔神の身体を真っ二つに切り裂いていたのだ。

「抜刀燕返し、ってな。十年、てめぇをぶった切るためにこれだけを鍛え続けてたんだよ」

 その言葉は、届いていたのかいないのか。声にならない断末魔と共に、フォルネウスの巨体が霞み、揺れて次第に消えていく。それを背にしながら、男は懐から煙草を取り出し、慣れた手つきで火をつけた。
 その特徴的な香りが自分の元まで届き、カタリナは眉間に皺を寄せながらその男を見上げた。

「貴方・・・ハーマンなの・・・?」

 なぜカタリナがそう思ったかと言えば、答えは簡単だ。その男が吸っていた煙草の香りが、ハーマンの吸っていたものと同じだったからだ。そして、その服装も、ハーマンのそれと同じなのである。
 だが、カタリナは自分で言っておいてなんだが、にわかには信じられないという表情をしている。
 なにしろ、彼には立派な左足がちゃんとあるのだ。
 一度失った四肢が生えてくる事象など、カタリナの常識の中にはない。だからその時点で、信じられないのは当然なのだ。その他にも、体のサイズ自体が一回り大きくなったようにも見えるし、更には頭髪もハーマンの白髪とは全く違い、豊かな黒髪を生やしているのだ。
 カタリナのそんな困惑した様子を何処か楽しむ様にしながら見ていた男は、銘柄特有のとても甘い香りのする煙草をたっぷりと肺に溜め込んで真っ直ぐ上に向かって吐き出し、手にした仕込み刀を仕舞いながら、にやりと笑った。

「ハーマン爺さんは、死んだ。俺の名前は、ブラックだ」

 自らをブラックと名乗ったその男に、カタリナは数度の瞬きをしながら応える。ブラックといえば、何処かで聞いたことがあるような気がする名前だ。

「・・・そうか、あんた・・・左足がまだあるっつってたのは、生気ごとフォルネウスに喰われていただけだからっつーことだったのか」

 一足先に何とか立ち上がったハリードが、砕けたファルシオンを腰の鞘に納めながらブラックに向かって語りかけた。

「つまりハーマン爺さんの正体は、十年前に西太洋で消息を断った海賊ブラックってわけだ」
「おう、ご名答だ」

 ハーマンの時は眼球にのみ凝縮されていた生命力が、今は彼の体全体から溢れ出しているようだ。海の男特有の筋骨隆々とした体躯、南国特有の艶のある黒髪、そして一層輝きを増した様にも見える、力強い瞳。
 確かにミカエルとはまた違った魅力を感じないわけではないが、しかしちょっと自分のタイプではないかな、とカタリナは分析する。

「・・・あいつの土手っ腹に穴が空いた時に、恐らくあいつの中にあった俺の一部が抜け出したんだ。だからさっき突然、足が生えやがった。体も前みたいに動くし、こりゃあ間違いなくあの木偶をぶった斬れっつー玄武様の思し召しだと感じたってわけよ」

 そういってブラックが二の腕で力瘤を作りながらニカっと笑うと、つられて他の皆にも笑みが浮かぶ。そうして漸く戦闘が終わったのだという実感が訪れると共に、体の痛みが強くなった様にも感じる。
 これはまた、治るのにしばらく時間が掛かりそうだ。

「さて、取り敢えずこいつをぶっ壊せばいいんだよな?」

 そういってブラックは愛用のバイキングアクスを振りかざし、誰からの答えを待つまでもなく、アビスゲートを出現させる装置と思しき純白の光を放つ紋章の中心部に位置する球体へと叩きつけた。

ミシリ・・・

 衝撃音の後に亀裂音が走り、その場を照らしていた白い光が、次第に弱々しくなっていく。それらを一同が無言で見つめている数秒のうちに、やがて光は跡形もなく消えてしまった。
 その瞬間、海底宮を包んでいた空気が静まり返った様に大人しくなる。

「・・・何が起こったんだ?」

 その変化に皆が周囲を見回していると、カタリナはやっとの思いで立ち上がりながら口を開いた。

「恐らく海底宮が、また次の死蝕を待つために眠りについたのよ」
「眠りについた・・・ねぇ。確かにこれは、火術要塞の雰囲気と全く同じだな」

 カタリナの言葉に反応したハリードが、静まり返った海底宮を見回しながら呟く。彼は既に何者かの手によって魔炎長アウナスが滅せられたあとの火術要塞に、カタリナ等と共に踏み込んでいる。確かに今の海底宮の纏う雰囲気は、その時の火術要塞のそれと全く同じ様に感じられるのだ。

「つまり・・・三百年後にまた死蝕が訪れれば、フォルネウスは復活する、というわけなのですね」

 シャールに支えられながら立ち上がったミューズが呟くと、カタリナは小さく頷いた。

「はい。恐らくは、今回よりも更に強力になって復活する、と思われます」
「・・・これより強烈なのか・・・。流石に、そんなものを倒せる気が今は起きんな・・・」

 ミューズを支えるシャールも、彼にしては珍しく弱気な様子で苦笑いをしながらその言葉に反応する。それは、先の戦闘の間に張り詰めていた緊張感から解放されたことによるある種の冗談とも受け取れるが、一方では紛れもない本心だとも感じる。
 そう感じるのは、事実カタリナ自身にしても、強くそう思うからに他ならない。今回にしたって、ウンディーネが古代魔術書の解読を終えていなければ、彼らは全滅を免れなかったことだろう。あの規格外の強大な魔術がなければ、間違いなくこの場の全員の命はなかった。

「・・・兎に角、今は生き延びたことを喜びましょう。本当にありがとう、ウンディーネさ・・・ん・・・」

 そういって、ウンディーネの方を振り向く。
 彼女は上半身を起き上がらせて壁に寄り掛かった状態だったが、しかしまだ立ち上がってはいなかった。それどころか、今までのこちらの言葉が聞こえていたのかどうかも怪しいくらいには顔面蒼白で、呼吸が弱く、体を起き上がらせているのもやっと、というような状態だった。
 そして彼女の両腕からは今も緩やかに血が流れ続け、彼女の周りを紅く染め上げている。
 合成魔術を放った反動は、術を主導した彼女に最も大きく跳ね返っていたのだ。

「ウンディーネさん・・・!」

 そのただ事ではない様子にカタリナが駆け寄ろうとするが、彼女自身も大概全身が重症だ。走り寄ろうとして蹴つまずいてしまったところに、彼女の隣を横切ってウンディーネに駆け寄ったブラックは、脱いだ自分の上着を千切って彼女の両腕を肘の辺りから強く結んで簡易止血し、余った部分で両腕の流血部分を包み、軽々と彼女を抱え上げた。

「このままじゃ危ねぇ。おい、急いでバンガードに戻るぞ」
「ハーマン・・・ブラックさん、先に行って頂戴。私たちも後を追うわ」
「おう、途中でくたばるなよ」

 そう言って勢いよく走り出したブラックに続き、その場の全員も痛む体を引き摺りながらアビスゲートの間を後にした。

 

 

 地図上ではそこにバンガードがあったはずの崖に為す術なく立ち尽くしたトーマスは、周辺の村で聞いたところによるとカタリナ等が向かったとされる西の海を只管に見つめながら、彼にしては珍しく焦りを隠した様子もなく、小さく祈る様に独り言を呟いていた。

「カタリナ様・・・どうか、お急ぎ下さい・・・。このままでは、ロアーヌが・・・!」

 

 

前へ

章目次へ

目次へ

第七章・9 -最果て-

 

 耳を擘く轟音と共に『空』へと流れ落ちる、見渡す限りの水。水。水。
 それは文字通り上下左右を見渡す限り、どこまでも、全く同じ光景だった。視界の続く限りその果てまでずっと、大量の水飛沫を伴い滝となって落ち続ける水があるばかり。このように水が落ち続けてしまっては、三日もすれば世界の海はすっかり干上がってしまうのではないか、と心配になるほどだ。
 そしてその滝の轟音の渦巻く中に、滝の轟音に比べたら実にわずかな音量にて、自然界には起こる筈のない異質な戦闘音が時折混じっていた。
 自分たちの数倍は高さがあろうかという巨大な水竜の放つ鋭い爪撃を、しかし最前線に立つカタリナとハリードは、滑りやすい濡れた足場にも関わらず難なく飛び回って躱していく。
 彼らの背後には依然として落ち続ける滝があり、その滝の合間から出っ張った岩場で彼らと対峙する巨大な水竜の背後には、ただ只管に青い空がある。
 その背後の空には、大地も、海もない。只管に、青空があるだけなのだ。それは、生物に生理的な恐怖をすら抱かせる『無』とも呼べる光景だ。
 動き回るカタリナとハリードに翻弄されて姿勢が崩れた水竜に向かい、シャールが己の魔力を込めた強烈な二段突きを放つ。するとその二段突きに込められた迸る気迫が、雄々しい二頭の龍の形に具現化し、衝撃波を伴って双龍が水竜を貫く。

「ギャオオオォォォォォ!!」

 シャールの一撃によって胴を抉られ苦痛に喘ぐ水竜へと向かい、更に追い打ちをかけるようにミューズとフェアリーが、その手にしていた麻袋を勢いよく水竜に向かって投げつけた。
 水竜が苦悶の声を上げつつもそれを打ち払うように尾を振るうが、麻袋は龍の尾に振れた瞬間、とんでもない威力で炸裂を起こす。それは、朱鳥術士ボルカノ特性の「火星の砂」と呼ばれる、特殊な岩石に朱鳥の力を内包させた魔道具であった。古くは四魔貴族であるアウナスの配下が用いたものであるとされるが、それを現代に蘇らせたボルカノが更に改良を加えた一品だ。
 炸裂の衝撃によって無残にも尾が吹き飛んだ水竜は、再度雄叫びをあげながら苦しみ踠くが、尾を失ったことで姿勢制御が出来ずに大きくよろけた。そこに止めとばかりに放たれたカタリナの払い抜けをもろに喰らい、水竜は呆気なく岩場から水飛沫と共に、何処とも分からぬ空の果てまで落ちていった。

「ふぅ・・・ここが世界の最果てっていうのは本当なのね・・・。なんかもう、来るところまで来たって感じだわ・・・」

 カタリナはそう呟きながら、水竜の落ちていった先を岩場の端から恐る恐る見つめる。
 背後は滝。正面は空。下を覗き込めば、そこは空虚なる果てなき奈落。
 そう、まさに世界のこの先には「何もない」のである。

 

 カタリナ達は今この世界の最果てにあるらしい、通称「最果ての島」にいた。
 ハーマンの示す通りに只管西太洋を西へと進んだバンガードは、人類が外海に進出してから現代に至るまで、ついぞ越えることのなかったとされる船乗り達の畏怖にして信仰の対象「玄武の怒り」を突破することに成功した。
「玄武の怒り」とは、陸を離れて外海の航海を続けると必ず遭遇すると言われる、巨大な嵐のことだ。
 例えどれだけ大型の船であろうとも、この未曾有の嵐によって荒れ狂う海に弄ばれ、沈没を免れない。まるで突如として神の逆鱗に触れたかのように荒れ狂う海原を見た人々は、それまでの穏やかな海との違いに慄き、強烈な畏怖を抱き、祈りによってその災厄を免れようとしてきた。故に古来より西方諸国では、外海での長期間の航海は徹底して避けられてきたという歴史がある。
 だがハーマンは、それを承知で西を目指した。彼には、それだけの確信があったのだ。
 結果として大方の予測通りに玄武の怒りに触れたのだが、さしもの玄武もこのバンガードを沈めることは叶わずだったのか、無事に嵐を通過する事ができたのであった。
 そして嵐を抜けた先に遂に見えたのが、この「最果ての島」だった。
 島に最接近するには座礁の危険性が高いとのことで、バンガードを沖に待機させながら小舟を出して一時間ほどで辿り着いたその島には、なんと驚くべきことに何者かの住居が幾つもあった。
 そしてその住居から出てきてカタリナ達を歓迎してくれたのは、なんとそこに住う先住民族「ロブスター族」であったのだ。
 ロブスター族とは、西方世界の中でもその存在を知っている人間は殆ど居ないであろうと思われる、不可思議な種族だ。かく言うカタリナも、存在を知っていたと言うよりはフェアリーからその存在を示唆されていた、というだけであったし、何しろ当のフェアリーにしても実物を見たのは妖精族の歴史にて初。あとは、古代文献で僅かばかりの其れらしき記述を見ていた、ウンディーネとボルカノ位だ。
 そしてもう一人、この中で誰よりも彼らロブスター族のことを知っている人物がいた。
 それこそが、ハーマンだった。
 因みに彼らはロブスターといっても、その姿は一般的な節足動物の様相を成しているわけではない。なんと彼らは、ロブスターと言える特徴を備えていながらも、驚くべきことに人間と同じく二足歩行であったのだ。また人間で言うところの両腕に当たる部分にはエビ科の特徴としある大きな鋏を持っており、しかし退化したのかそれ以外の複数の足は生えておらず、両足に当たる部分には、人間以上に逞しい『足』を持っている。
 カタリナはその姿を見て、かつてフェアリーから「周囲がドン引きするくらい本気で全身ロブスターの仮装をした人」と言われた通りそのまんまだな、等と多少ずれた感想を抱いた。
 そしてその容姿よりも更に一等驚くべきことに、なんと彼らは、人語を解した。

「見事だな、人の子らよ」

 それは、はたして拍手のつもりなのだろうか。両手と思しき部分の巨大な鋏をカチカチと小刻みに鳴らしながら滝の裏から現れたのは、ロブスター族の戦士だと名乗るボストンというものだった。

「我々のモードは玄武の水。水竜には通じなかったからな」
「いえ、あんなものが居ては、さぞ御不安だったでしょう。手遅れになる前に我々が来て良かったです」

 妙に紳士的な言葉遣いのボストンに対し、カタリナはすっかり人に接するのと同様の調子で受けあった。
 そこに、ボストンの背後からハーマンも現れる。

「・・・君は参戦しなくて良かったのかね、ハーマン」
「・・・けっ、俺が出る幕じゃねえんだよ」
「フォフォフォ、そうであったか」

 そして驚いた事に、ハーマンとボストンは顔見知りらしかった。なので、この最果ての島に辿り着いた折にも二人は、真っ先に声を掛け合っていた。
 この滝の洞窟に、フォルネウスが差し向けた水竜が巣喰い島を脅かしている事を最初に聞いたのも、彼だ。
 そして話を聞いたハーマンは間髪入れずに、何より先ずその水竜を仕留めることをカタリナに提案してきた。

「・・・ま、これであの時の借りはチャラだ。戻んぞ」

 吐き捨てるようにそういったハーマンは、相変わらず義足とは思えぬ俊敏な動作で踵を返して滝を潜っていく。

「・・・義理堅い男だ。過去にここに流れ着いた彼奴を介抱したのだが、それに恩義を感じていたようだ」
「ふぅん・・・」

 ボストンのその言葉に、カタリナは何だか意外なことを聞いたな、と考えながらハーマンの背中を視線で追う。
 彼がこの島の存在を知っていたのは何故なのかとは考えていたが、タネを明かせばつまり、ここに来た事が既にあったからなのである。
 ボストンによれば、十年ほど前に船の破片か何かに掴まり島の沖に流れ着いていたハーマンを、彼が最初に見つけて介抱してやったのだそうだ。
 当時の彼は全身に夥しい傷跡があり、そして左足は膝から下を鋭利な歯か何かで食い千切られるようにして失っていた。誰の目にも洋上で魔物に襲われたのだろうという事が、その様子からすぐに分かった。
 そして酷く衰弱していた彼を島で数週間に渡り介抱した後、玄武の祈りを込めた小舟に乗せて東へと送り出したのだった。
 彼らロブスター族は玄武の力を司る種族であり、彼らの祈りは「玄武の怒り」を鎮める事ができる。そして祈りは船の周囲にのみ、その向かう先への流れを生み出し、ハーマンはガーター半島の西岸へと漂着することに成功したのだそうだ。

「戻ってきたということは、矢張り彼奴は、フォルネウスに挑むつもりなのだな」

 ボストンのその言葉に、カタリナは浅く頷いて返す。
 そう、彼は間違いなく、四魔貴族が一柱である魔海侯フォルネウスに挑むつもりなのだ。
 その為にこそ彼はカタリナの要請に応じ、ここまで同行をしてくれたのに他ならない。
 そして彼がこの「最果ての島」に戻ってきたのは、何も彼らに恩を返しにきただけと言うわけではないらしい。それ以外にも、しっかりとした理由があるようだった。

「かつてここに流れ着いた時、彼奴は満身創痍にも関わらず自分の足と仲間の仇を討つと言い、直ぐにでもフォルネウスと相見えるつもりでいた。だが、フォルネウスは余りに強大だ。あの時の彼奴では、何の抵抗も出来ずに、ただ無駄に死に行くだけだった。我々はフォルネウスの住処である『海底宮』のあるポイントを知っているが、あれでは教えるだけ無駄。だから、フォルネウスに挑むに相応しい状態でまたここに戻ってこられたらポイントを教えてやると、あの時はそういって彼奴の世界へと返したのだ。まさか、本当に戻ってくるとは思いも寄らなかったがな・・・」

 あぁ、だからか。と、カタリナはここまでのボストンの話を聞きながら、この最果ての島に至るまでの船旅を思い返していた。
 ウンディーネが集めた玄武術士は、三十六人を三交代制でバンガードの動力確保を行なっていた。
 自らの担当時間帯でバンガードを動かした術士達は、魔力量がほぼ枯渇した状態で解放され、その後は食事など各々の時間を過ごし、最後にボルカノの調整した擬似霊酒を飲んで魔力回復を行い休息をとる。
 つまり一日に三回、バンガード内では業務内容としての酒盛りが開かれていたのだ。
 そしてその間カタリナ達は特にやる事もなく、食料確保を目的に釣りをしたり、剣の稽古をしたり、バンガード内部にある資料庫と思しき場所で調査をしたり、若しくは酒盛りに合流したりと、各々の自由に過ごしていた。
 そんな中でもハーマンは、カタリナ達の輪にも混じらず、また一番好みそうな酒盛りにも参加せず、ただただバンガードの船首にて自らの向かう先を眺め続けていた。
 彼女が特に印象深く思っているのは、航海が始まって一週間経った辺りの頃だ。それは、船首から海にラム酒を流しているハーマンの姿を見た時だった。
 まるでそれは誰かへの弔いのようにも思えたが、彼独特のどこか人を寄せ付けようとしない空気に、彼女もそこで声をかける気にはなれなかったのだ。
 つまりあれは、フォルネウスとの戦いの中で犠牲になった仲間への弔いだったのだろう。

「あれからあの男は、たったの十年で伝説のバンガードを引き連れてやって来て、そして今、この島の危機をも救った。あの男の覚悟に、我々も応えなければなるまい」

 滝へと繋がっていた洞窟を戻って島の表層へと出てきたところで、ボストンは外で何時もの様に煙をふかしながらこちらを待っていたらしいハーマンを見据え、そう言った。

「ハーマンよ。約束通り、海底宮のポイントを教えよう。だが、ポイントを教えたところでそこに先導するものが居なければ、海底宮へと辿り着くことは叶わないだろう。故に、わたしもバンガードに乗せてくれないかな?」
「・・・あん?」

 ボストンのその申し出に、ハーマンは煙を吐き出しながらそう呟いた。そして何を思ったのか、カタリナへと視線を投げかける。

「バンガードの主人は俺じゃねえ。其奴に聞け」

 いやいや、別に私も主人ってわけではないし。なんなら、ちゃんとバンガードにはキャプテンがいるし。とは言えず。
 カタリナは急に話を振られて、意味もなく勿体ぶって腕を組んでみた。
 とは言え、無論彼女にはこの申し出を断る理由など微塵も思いつくわけはないのであった。

「オーケー、一緒に行きましょう」

 そう快諾して、改めて握手をしようと手を差し伸べかけたが、ここで彼の鋏と握手したら自分の右手は恐らく無くなってしまうな、という事に思い至ったカタリナは、ボストンの肩の部分と思しき頑強な甲殻を軽く叩きながらそう告げた。

 

 

 ボストンの情報提供によって西太洋の、とある地点の海の奥深くに海底宮があるということが分かった。
 そしてそこに進軍するに向けて文字通りバンガード中を奔走することになったのは、実質的にバンガードの航海士的な立場にあるボルカノであった。
 最果ての島へと送り込んだ水龍が屠られたことがフォルネウスに伝わるのは、無論時間の問題であろうと考えられる。バンガード襲撃失敗、最果ての島の侵略失敗から時間が経てば経つほどに警戒度は上昇し、海底宮への侵攻は難易度を増していくだろうことが予測された。
 故に一行は海底宮のあるポイントがわかった以上は一刻も早く向かうべきという方針で一同意見は一致したのだが、ここで問題が一つ浮かび上がった。
 つまりは、「どうやって海の底にいくのか」ということである。

「聖王記のフォルネウス討伐の章には、『海底宮に攻め込んでフォルネウスを討った』っていう記述しかないのよね・・・相手を海上におびき出すのではなく、こちらが海底に攻め入る。魚にでもなれ、というのかしら・・・?」

 集合会議の場でカタリナがそう疑問を呈すると、その場に集まった一同はそれに対する回答を持ち合わせずに、一様に首を捻った。ボストンにその辺りの知恵がないかも当然聞いたのだが、彼らロブスター族の間でもそれに関する伝聞は特にないのだという。彼らは妖精族とは違い、特段長命種というわけではないようだ。なので聖王の時代に生きたものも、もう数世代前に遡るらしい。つまり彼らが知るのは、海底宮の場所のみ、なのだ。

「海底宮に着いてからは、まだ何とも言えないが・・・恐らく、海底宮まで向かうには天術の障壁と同様に、玄武の術を応用した何らかの仕掛けでこのバンガードを覆う、と考えられる」

 ボルカノがそう言うと、それに続けるようにウンディーネが口を開いた。

「私も同意見よ。このバンガードは、水を通さないほど各接続部に遮断性はない。つまり、そのまま水に浸かりながら海に潜れるような構造にはなっていないから、何らかの術式を用いてバンガード全体を水から守りつつ潜る、と考える方が自然なのよ。若しくは人だけを覆う限定的な術式の可能性も考えたけれど、それが可能なら抑もこんな馬鹿でかいバンガードなんてものを作る必要性がないわ。だから、このバンガードごと海底宮に突っ込む、と考える方が自然なわけね。まぁ、だからこそ海水に満たされているであろう海底宮に着いてからの探索方法が、いまいち想像つかないわけなのだけれど・・・」

 彼女の言葉にボルカノが全くの同意を示すように何度も深く頷きながら、やがて皆が黙ったところを見計らって素早く立ち上がった。

「俺はもう一度、艦橋でその起動術式がどこにあるのかを探してくる。一応、既に粗方の調査は終えているが、そのような仕掛けは現段階では見当たらなかった。となると隠されているか・・・若しくは、壊れている可能性がある」
「・・・それって、壊れていたらどうすんだ?」

 ハリードがそう言いながら首を傾げると、ボルカノは腰に手を当てながらハリードへ振り返り、啖呵を切った。

「直すしかあるまい。自慢じゃあないが、恐らくこの世界でそれができるとすれば俺か、あとは魔導器研究の分野で名高い、ツヴァイクのプロフェッサーくらいのものだろう」
「・・・大した自信だな。何か手伝えることがあれば言ってくれ。それまで俺は酒でも飲んでいることにする」
「言っておくが、霊酒は飲むなよ」

 なんでもボルカノがハリードに対してどこかツンケンした雰囲気なのは、出会い頭にハリードからモウゼスの一件の際に「護衛費」の名目で大金を巻き上げられたから、らしい。結局は双方の和解に一役買った、ということで納得の上その金額はそのまま彼らの懐に入ったわけだが、その時のハリードの態度があんまりにも悪役めいていたので、まだまだ年若いボルカノとしてはどこか腑に落ちない部分があるようだ。対するハリードも、どこかそれを分かった上で若人を揶揄っている節があり、カタリナからしてみればどちらもどちらだなぁと思うところではあった。そういうカタリナ自身も年齢的にはボルカノに近いはずだが、どうにも最近の彼女の考え方が老成しているのは、これも指輪の影響なのか何なのか。
 話が逸れたが、カタリナと同じくそれを雰囲気で理解しながらも、さっさと立ち去っていくボルカノを追うウンディーネの優しそうな視線から推し量る限りでは、彼のそう言った若気に満ちた行動も満更悪い影響ばかりではなさそうかな、という気もするが。

「私たちも、できる限り手伝いましょう。術が扱える人は付いてきて。今は推進力に術力を割いていない状態だから天術障壁のみの稼働状態だけれど、霊酒の残数がこの作戦の実行可能期間だと思った方がいいもの」

 ウンディーネのその言葉により、その場に集まっていた各々が動き出した。術に関して殆ど知識がないカタリナとハリード、フェアリーは決戦に備えた自主訓練に励むこととし、その間にボルカノを中心としてバンガード解析班が動き出した。
 とはいえ、その作業は非常に地道なものであった。
 何しろ、この時点で艦橋から起動が確認できた仕掛けはボルカノが全て把握しており、そしてそのどれもが玄武の術式を展開するものではなかった。
 また『幾つかの仕掛けの組み合わせにより起動するものなのかどうか』を想定し、考えうる限りの組み合わせや順番で各機能の起動実験を行ってみたが、これも矢張り望む成果は得られなかった。
 そこで残された可能性はボルカノの予測通り、隠されたか壊れた機能であるという結論に早々に辿り着き、この巨大なバンガードの内部構造を隅々まで虱潰しに調査していくという方針がとられた。
 この捜索には通常起動に関わる玄武術士を割くわけにはいかないので、ボルカノとウンディーネの他にカタリナ一行の中でも術の心得があるシャール、ミューズ、ハーマン、ボストンが協力して捜査に当たった。
 即ちその捜査方法とは、バンガードの通路を只管歩きながら魔力の流れを肌身で確認し、その流れが不自然に途切れていたり留まっている場所がないかを見極める、と言う作業だ。
 船長室から下ったバンガード内部は単純に艦橋のみがあるわけではなく、実に細かく多くの細い道が内部に存在している。そしてそれらの壁には艦橋と同様に、各部に魔力を伝える回路と思しき道筋が描かれている。なので、それらを辿ることで何れかのポイントを探り当てることができる、とボルカノは踏んだわけなのだ。
 ボルカノはこれを行うにあたり、巨大なバンガード内部をただ闇雲に探しても効率が悪いと考え、捜索範囲を一区画に定めて集中的にそこを全員で調べていく手法を取って捜査に当たった。

 

 しかしそこから瞬く間に一週間が過ぎ、一向に成果が得られず霊酒のストックが間も無く帰りに支障を来す危険域に達しようかという状況まで、あっという間に一行は追い込まれることとなった。

「・・・歩いて行ける区画は全て探索したというのに、本丸どころか小さな違和感の一つも見つからないとは・・・。まさか、バンガードで海底宮に向かうわけではないというのか・・・?」

 ここにきてまさかの基本仮説を根底から見直す必要性にまで迫られているが、しかし彼らに残された時間は殆どない。それこそ霊酒の備蓄状況から考えるに、今日中にでも答えが導き出されなければならないという状況なのであった。
 朝の定例会議で疲労感に包まれたボルカノその他が沈痛な面持ちで項垂れているのを見ながら、かといって特に出来ることがないカタリナは、当然そこに居た堪れなくなり、ひっそりとその場を後にして居住区へと向かった。

「・・・皆さん、かなり憔悴しておられるようです。私たちにもなにか出来ればいいんですが・・・」
「そうは言っても、術がからっきしの俺らにゃ捜査も何もできねーわけだし、下手に協力を申し出ても却って邪魔になるだけだろう。こう言う時は、信じて待つしかないのさ」

 カタリナと同じく場を後にしてきたフェアリーとハリードがそう語り合うのを他所に、カタリナも直ぐにはいつも通りの修練へと移る気が起きずに、気分転換に歩いた先に辿り着いた町の中央の噴水の淵に腰を下ろして空を見上げた。

「ううん、水に潜る、か。水、水、水・・・」

 そう呟きながら、カタリナはぐるりと自分の周囲を何気なく見渡す。その行動で何か解決策が見つかるとは流石に彼女も思わないが、それでも何かしらの気づきがないものかと、淡い期待を抱いての行動だ。
 それに倣うようにフェアリーとハリードも、特に当ても無く周囲を見渡した。
 そしてハリードがぽつりと、背後にある自分の腰掛けていた噴水を見ながら呟く。

「そう言えばこの噴水、水が枯れてるな」

 彼らがいたのは、街の中央に配置されている噴水広場である。
 治水のされた比較的大きな都市には大抵都市の中央付近にこういった噴水があり、現地住民の憩いの場として機能しているものだ。
 だがハリードが指摘する通り、このバンガードの噴水は故障故なのか、それとも陸から離れたからなのか、噴水に水が全く無いのであった。

「・・・それは、元々じゃよ」
「あ、キャプテンさんこんにちはです」

 声のした方向にいち早くフェアリーが振り返ると、其処にはこのバンガードの市長兼キャプテンが立っていた。
 彼は日中、こうして海上要塞となったバンガードを自分の足で見て回るのが最近の日課なのだ。

「この噴水は、わしが生まれる前から、街中で現在活きている水路の何処とも繋がっておらんでの。だから、そもそも水は出ないんじゃ」
「へぇ・・・じゃあ、一体なんのためにあるんだ?」

 ハリードが実に尤もな疑問を呈すると、キャプテンはお茶目に肩を竦めてみせた。

「さぁ、分からん。一応その天辺のところが外れて下のほうに続く穴は有るんじゃが、暗くてよく分からなくての」

 キャプテンは噴水の先端に視線を向けながら、笑い混じりにそう言った。
 それを聞いたカタリナは、じっと噴水の先端を見つめる。
 そこまで背の高く無い噴水の先端は、精々がカタリナの腰の高さ程度のものだ。だがカタリナは、そうしてじっくり噴水を見つめているうちに、ふとその光景に強烈な違和感を覚えた。

「・・・うーん。何か、足りない気がするわ」
「あん?」

 カタリナの唐突なその呟きに、ハリードが反応する。だがそんな反応を他所に、カタリナは枯れた噴水の中に足を踏み入れ、徐に噴水の天辺を掴み、持ち上げた。
 すると、特段固定されていなかった様子の天辺部分は思いの外すんなりと外れた。そしてそこには、キャプテンの言う通り確かに人の頭ひとつ入る程度の穴がぽっかりと空いていたのだ。
 カタリナが上からその穴を覗き込むと、穴の奥深くからはなんと、薄らと淡く青い光が漏れ出しているではないか。

「・・・何か、下の方で光っているわ」
「お、なんかお宝か?」

 皆が必死にバンガードの動かし方を探しているときに随分と不謹慎だなこの守銭奴は、とカタリナが思うのを他所にハリードがカタリナの横から穴を覗き込むと、確かに奥底から淡く青い光が漏れ出している。だが、その光についてハリードには即座に予測がついてしまった。

「・・・あれ、艦橋じゃねーか?」
「あぁ・・・位置的には、確かにそうかも」
「そうすると、これは通気口かなにか・・・でしょうか?」

 ハリードの予測に、カタリナとフェアリーが其々感想を述べる。

「で、何が足りないってんだ?」

 一頻り穴を眺めた後に、ハリードはカタリナの発言を振り返って尋ねる。すると、問われたカタリナは腕を組みつつ片手を顎に当てながら、数秒悩んだ。

「・・・何かが引っかかるんだけど、はっきりしないわ。ちょっと、艦橋に行ってみましょう」
「それも、指輪の『記憶』なのかねえ。案外それが問題解決の糸口なのかもな」

 ハリードの言葉は、満更でもない線を突いているのではないか、とカタリナも感じていた。
 抑も彼女はこれまでの人生で当然バンガードに足を踏み入れたこともないので、ここの光景に違和感を覚えることなど、あるはずも無いのだ。
 似たような景色との類似性から来る既視感かとも考えてみるものの、ロアーヌからあまり出たことのなかった彼女にしてみれば、他の街の景色に関する記憶はここ一年以内のものばかりなので、まだ忘れるにも早すぎる。
 だからこそこの感覚は、王家の指輪が持っている感覚なのではないかと考えるのも、そう破天荒な話ではないはずだ。
 そんなことを考えている間に、カタリナ達三人は早々に艦橋へと辿り着いた。
 其処には稼働を最小限に抑えるべく少数の玄武術士と、顔を突き合わせて相談をしている様子のウンディーネとボルカノが佇んでいた。
 彼女らの表情は矢張り疲労感も合わせ、明るくはない。

「・・・どうしたのだ」

 初めにカタリナ達に気がついたボルカノの呼びかけにカタリナが片手を上げて応えようとしたその矢先、ハリードがそれを遮るように艦橋の天井の一部を指差して声を上げた。

「お、あったぞ。あれだろう」

 ハリードの言葉にその場の全員が視線を彼の指の先に向けると、艦橋の天井には確かに、穴が開いていた。

「・・・通気口が、どうかしたのか」

 確かにそれは、誰がどう見ても通気口のようだ。
 だが、ボルカノがつまらなそうに穴を一瞥しながら吐き捨てるようにそう言う合間に、カタリナはその穴の真下に移動した。
 穴は、丁度イルカ像の直上に位置していた。

「あ、これよ、これ」

 カタリナは漸く胸の痞えが取れたような面持ちで、イルカ像と真上の穴を交互に見つめた。
 そして背後へと振り返り、ウンディーネとボルカノへ視線を向ける。

「これ、念じたら上に動いたりしないかしら」

 イルカ像の乗った台座を指差しながらの唐突なカタリナの申し出に二人は当然困惑の表情を見せたが、しかし彼女の目が真剣そのものであることを察して、試しに水晶にそのように意識を向けるよう近くの玄武術士に指示を出してみた。

ギギギ・・・

 すると驚くべきことに、程なくして台座がゆっくり上に上にと伸び始めたではないか。
 驚くウンディーネらを前に、そのまま台座はぴったりのサイズであった穴へと嵌り、しかしまだ上へと伸びていく。

「噴水に戻りましょう」

 カタリナがそう言うのを機に、ウンディーネらも共に市街区の噴水へと移動していった。
 そして彼女らが早足で噴水広場に舞い戻ったときには、艦橋から押し上げられたイルカ像がぴたりと噴水の天辺に収まっていた。

「・・・おい、何か可笑しいぞ」

 そのイルカ像を注意深く見ていたボルカノがそう指摘した正にその瞬間、なんとイルカ像が微細に振動しながら輝きを増し始め、その姿を変形させていく。

「翼が・・・」
「・・・生えましたね」

 カタリナの呟きに、フェアリーがそう答えながら自分の羽をぴくりと震わせる。
 なんと噴水の上に鎮座したイルカ像は、その背の部分から鳥の翼のようなものが生えた形に変形したのだ。
 そして更に、イルカ像の台座から見る見るうちに水が溢れ出し、枯れていた噴水に見る見るうちに水が満たされた。
 その様子を歩み寄って覗き込んだウンディーネは、はっとして背後のボルカノを呼んだ。

「ボルカノ、これを見て」
「・・・これは!」

 ウンディーネに続いてボルカノが噴水を覗き込むと、水で満たされた噴水にははっきりと、新たな魔力の流れを示す紋様が浮かび上がっていたのだ。
 二人は顔を見合わせると、どちらからともなく駆け出し、艦橋へと戻っていった。
 そんな彼女達の様子を眺めながら、カタリナは腰に手を当てて一息つく。

「どうやら、これで何とかなりそうね」
「そうなんですか?」

 今一流れの掴めていないフェアリーがそう尋ねると、カタリナは確信めいた様子で小さく頷いた。

「まぁ、少し待ってみましょう」

 カタリナがそう言ってから暫しののち、恐らくはウンディーネとボルカノの指示によって輝き出した翼の生えたイルカ像から放たれた青い光がバンガード全体を覆い、やがてバンガードが海中へと沈み出したのであった。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第七章・8 -発進-

 

「・・・驚いた。これが船ですって・・・?」

 豊かな胸部の下でしなやかに組んでいた腕を無意識に解きながら、水術師ウンディーネはその空間を正しく圧倒される様な思いで見回した。
 空間全体から漏れ出でる様に仄かに青白い光が周囲を照らし、その場が全体的に微弱な鳴動を繰り返している。それはまるで、この部屋そのものが生きているのではないかと思えるほどに奇妙な動きだが、ウンディーネにはそれが何であるのか、大凡は分かっていた。

「ディー姉、ここは一体・・・」

 彼女の隣に付き従ったボルカノが、まるで自分の知らない異世界でも見ているかの様な表情で呟く。彼自身も世界を周り様々な遺跡を見てきたが、ここまで異様な場所は初めて目にするようだ。

「ここは・・・というかこのバンガードという街全体が、恐らくは・・・。俄かには、信じられないけれど・・・」

 ウンディーネが感嘆とした様子でそういうのを聴きながら彼女らに遅れてその空間に入ってきたカタリナは、彼女らの反応をまるで数日前の自分たちのように見ていた。
 一週間ほど前に初めて彼女がハーマンらと共にここに訪れた時も、一行はまるっきりウンディーネ等と同じような反応をしたものだ。
 だがその中でもカタリナだけは、このような空間に強烈な既視感を持っていた。
 それは彼女だけが見た魔王殿最深部や、火術要塞全体を照らす、あの微かな光と止まぬ鳴動。バンガード内部は、何処かそれと同じような感覚を覚えるのだ。
 これらの総称を、あれはそう、なんといったか。

「・・・これは船や、ましてや街などではないわ・・・。言うなればこの建造物全体が、超大型の魔導器ってところね」

 ウンディーネがそう呟くのを聞いて、カタリナは一人、そうだそうだとその言葉を脳内で反芻した。
 魔導器。それはカタリナがツヴァイクの西の森で教授から教えてもらったものだ。
 そしてその魔導器を扱う科学を世間では魔導科学と呼び、それは非常に古くからこの世界に存在が確認されていた科学分野である。しかし残念ながら現存する僅かな魔導器に関してもその構成理論の殆どが未解明であり、未だその大部分が謎に包まれているという。
 それら記憶と既視感の正体をカタリナがウンディーネらに話すと、ウンディーネは考えるように小さく唸りながら周囲を見渡した。

「・・・可能性の考察は勿論されていたけれど、いざ目の当たりにすると、圧巻の一言ね・・・」

 今やその大多数をカタリナ一行が所持している魔王遺物や聖王遺物は、これも大別すると所謂『魔導器』であるとされている。
 そして聖王記に記された数々の伝説の中でも一等理解の及ばぬ存在である「対魔海侯用決戦兵器バンガード」もまた聖王遺物であり、魔導器なのではないかとの説を唱える学者は一定数いたのだ。
 では抑も、聖王遺物とは何なのか。
 何しろこの疑問は、三百年前から数多くの学者の頭を悩ませてきた。
 いや、もっと言うならば六百年前の「魔王」という、四魔貴族をすら従える程の圧倒的な力を持ちながらも人の殻にあった存在を考察する時点で、今の人類にはどう足掻いても届き得ない未知の力が存在するのではないかと半ば諦め気味にすら考えられていた。
 例え世界一の名工が鍛えた武具と一流の戦士の一撃でも、天地六術式に精通した魔術師が放つ大魔術も、魔王や、そして聖王遺物のもつ力には遠く及ばないのだ。
 まだしも、その姿形からして規格外の四魔貴族の方が多少なりと力の根源への理解も及んでいるというものなのである。魔術の基本となる天地六術式とは異なる、人に害を為す瘴気・・・所謂「アビス」という属性。これを無尽蔵とも思えるほどにゲートから取り込み、行使する存在。それが四魔貴族だ。
 しかしそれらとも全く異なる力が、魔王や聖王遺物なのである。
 とは言え魔王遺物は、その殆どが長きに渡り行方知れずだった。そして存在の確認されていた幾つかの聖王遺物に関しては、聖王記に記された教えにより基本的に現在の所持者、若しくは資格あるもの以外の接触そのものが禁じられている。
 そんな状況の中で研究者が示した一つの推論が「聖王遺物=未知の魔導器」という説だった。
 つまりは、魔導科学そのものが不透明な分野であるからして、事実上のオーパーツ認定という事になる。

(まぁ、つまりマッドサイエンティストには御誂え向きの分野ってワケよね・・・)

 自分で依頼しておいて何だが、教授に火術要塞の調査を頼んだのは、これ以上ないほど的確であったとカタリナは確信している。
 きっと依頼さえすればこのバンガードのことも、勇み喜んで調査をする事だろう。
 同時に依頼をしたので一緒に居るはずのヨハンネスのことが多少気の毒には思えるが、まあ彼も一人黙々と研究を行うタイプの学者なので、恐らく大丈夫だろう。
 カタリナがそんなことを考えていると、ウンディーネは艦橋(ハーマンに言わせれば、ここは恐らくそうらしい)をしっかりと観察するように隅々まで歩き回った。
 この艦橋には入り口から正面を進んだ先に何かを設置するためのものと思われる台が設置してあり、その台を起点として左右対称になるように艦橋の中には等間隔に仄かに青白い光を灯す水晶の台が、合計六つある。
 其れ等の台や床、壁に至るまでをじっくりと調べたウンディーネは、一頻りそうした後になぜか、妙に艶のある吐息を漏らした。
 その吐息に反応して同じく艦橋を見て回っていたボルカノが何やら頭を掻きながら彼女の方を向くと、ウンディーネはうっとりとしたような視線で艦橋全体を眺めている。

「素晴らしい・・・ここは本当に素晴らしいわ」
「・・・?」

 その必要以上に艶めかしく何処か不穏な様子にカタリナが疑問符を浮かべていると、ボルカノは肩を竦めながらカタリナに助言をする。

「あぁ・・・あれはディー姉の癖だ。自分の興味が強く惹かれるものを見ると、大体ああなる。あまり気にしないでくれ」
「あら、そうなの・・・。なんだか貴方も、案外大変そうね」

 カタリナの憐れみを含んだような言葉にボルカノが「慣れている」とでも言いたげに諦め顔で答えたところに、遅れてハーマンが艦橋に入ってきた。

「・・・様子はどうだ」

 ウンディーネをここに呼んだのは誰あろう、このハーマンだった。
 この艦橋の存在が確認されるや否や直ぐにハーマンはバンガードからモウゼスへと伝書を出し、彼女らはそれに応えてここに来た。
 因みにハーマンはウンディーネのみを呼んだようだが、何故かボルカノも付いてきた事に対しては特に何も言及していないようだ。
 ハーマンの登場でどうやら我に帰った様子のウンディーネは、彼に歩み寄ると何かを悟ったような表情で、何かを欲しがるように片手をハーマンに向かって差し出した。

「オリハルコーン、貰い受けるわ」
「・・・よし、やろう」

 ハーマンはウンディーネの本心を理解しているのか、何のためらいもなく抱えていたオリハルコーン製のイルカを象った像を差し出した。
 それを受け取ったウンディーネは礼を述べるでもなく直ぐ様ハーマンに背を向け、艦橋の中央奥にある何も置かれていない台へと歩み寄る。そして徐に、イルカ像をその台の上へと置いた。
 あまりに確信めいた動きでそうしたものだから、一体何が起きるのかとカタリナは思わず固唾をのんで見守ったが、しかしそれだけでは特に何かが起こる気配もない。
 若干肩透かしを食ったような表情で訝しむ様子のハーマンと顔を見合わせるカタリナだったが、対してウンディーネはなんら気にする様子もなく、続けて部屋の中に等配置された水晶へと歩み寄った。

「・・・これは確かに魔導器ね。そして魔導器というものがどの様な構造であるのかを知りうる、素晴らしいヒントでもあるわ」

 そう言いながら、ウンディーネが水晶に触れる。すると幾許かの後、彼女が触れた水晶を起点に部屋に仄かな明かりを灯していた青が光量を一気に増し、鳴動が大きくなった。
 そしてミシミシと何かに罅が入る音が重苦しく何処かから響き、その次には同じく重苦しい轟音と共に、それまで真っ黒な壁だと思われていた外壁の外が大きく崩れ始めたのだ。
 そしてゆっくりと沈みゆく外壁(というよりは岩盤のようだ)の向こうに現れたのは、なんと微かに陽が差し込む海であった。
 この艦橋は、街の下部から海中に飛び出すようにして存在していたのだ。

「・・・すごい・・・。これ、全部硝子なの・・・?」

 カタリナは感嘆のため息をつきながら艦橋と海とを隔てる透明な外壁に歩み寄り、そこに触れる。すると非常に透明度の高い硝子に触れて手が止まり、その先には揺蕩う海藻や鳴動で散り散りに泳いでいく魚などが見えた。

「そういった精製技術にも確かに眼を見張るけれど、私が一番感心しているのはこれね」

 そういってウンディーネが視線で指し示したのは、地面に走っている紋様だった。
 その紋様は中央奥に配されたイルカ像と等配置された六つの水晶の台を繋ぐように描かれ、今は青くはっきりとした明かりを保っている。

「ディー姉・・・矢張りこれは、以前ディー姉の考察にあった・・・」

 ボルカノが紋様を見ながらそう呟くと、ウンディーネはまるで敢えて冷静を保つようにゆっくりと頷きながら応えた。

「ええ、これは恐らく私が研究している連携術の、その先にあるもの。そうね・・・陣形術、とでも言うのかしら。これが私の予想通りのものならば、オーパーツ化した魔導器には尽くこの理論が応用されている可能性が高いわ」

 ウンディーネがそう言いながら水晶から手を離すと、程なくして部屋を明るく照らしていた青い光は仄暗く鳴りを潜め、薄っすらとした光が灯るだけの元の状態に戻った。
 その様子を見て、次にウンディーネは自分の掌をじっと見つめる。その掌から感じるのは、僅かな疲労感。
 彼女の魔力総量は、この世界ではほとんど比肩されることのない領域にある。常人のそれと比較すること自体が馬鹿らしくなるほど、膨大なものだ。だがその彼女をして、今の一瞬この装置を作動させただけで僅かながらも疲労感を確かに感じる。そして、その作動装置である水晶が六基。
 ウンディーネは一頻りその感覚を体に刷り込んだ後、ハーマンへと視線を投げかけた。

「ねぇ、貴方はこれを動かすために私たちに協力を要請したのよね。一体これで、どこまで行こうと言うの?」

 問われたハーマンは、しばし無言で考えるような仕草をしながら、慣れた仕草で懐から煙草を取り出す。そして其れを咥えたところで、隣にいたカタリナに無慈悲にも煙草を口から引き抜かれてしまった。

「ちょっと、ここでは吸わないでって言ったでしょう」

 不快感を隠そうともせず、カタリナが煙草を摘みながらそう言う。実のところ彼女もミューズと同じく、と言うより実際はミューズ以上に煙草が苦手なのであった。
 なので自分も出入りすることが多い密閉空間でそうスパスパと煙草を吸われるのは、勘弁して欲しいのだ。
 ここに初めて入った時にそう言えばそんなことを忠告されたなと思い出したハーマンは、どこか調子が狂ったような表情をしながら頭を掻き、取り上げられた煙草を奪い取って大人しく仕舞いながら、うーんと唸った。

「・・・ま、何処にいくかは、動いてからのお楽しみだ。ただ言えることは、そうだな・・・。期間は正確とはいえねぇが、このデカブツが帆船と同程度の速度が出るなら、ここから往復で一ヶ月は掛からん筈だ」
「一ヶ月は掛からんって、簡単に言ってくれるわね」

 ウンディーネはもう一度自らの掌を見つめ、ゆっくりと握ったり指同士をこすりつけたりしながら、頭の中で大凡の計算を行っていく。自身が感じた疲労感と、それを六基で分散した場合の魔力消費量。それを長時間続ける際に必要になる魔力総量。
 やがてそれらに対しある程度の当たりをつけたウンディーネは、何故かハーマンではなくカタリナへと視線を向けた。

「魔術ギルドから、計三十六人の玄武術士を用意するわ。代わりに貴女、どうにかして術酒を・・・そうね、二百本程用意できないかしら」

 さらりととんでもないことを言い出すウンディーネに、カタリナは一瞬目を丸くした。
 術酒とはそもそも、通常の酒とは全く価格帯の異なる代物だ。なにしろ、その酒は術士の生命線である魔力を補充することができるという、正に奇跡の酒なのである。
 その精製にも抑も特殊な技術が必要であり、現在の魔術士の総人口と需要も相まって生産量はそう多くはない。当然その希少性に合わせて価格も常軌を逸しており、術酒一本あたりの平均取引額は、凡そ二百四十オーラム。これは実に、農業を営む平均的な一家の一ヶ月分の食費に相当する値段なのである。

「・・・ここで大宴会でも開く、って訳ではないようね。承知したわ。カンパニーの名にかけて、なんとかしてみる」

 しかしカタリナは、正面からしっかりとそう請け合った。
 ウンディーネは、けっして冗談をいっているようには見えない。彼女の中でバンガードを動かすにはそれが必要なのだと、そう判断した結果の要望なのだろう。魔術士としての感覚や経験値がないカタリナだからこそ、それは彼女の直感で信じるしかないのだ。
 その返答に満足そうに頷くウンディーネを他所に、さてどこから仕入れたものかとカタリナは腕組みしながら思案するのだった。

 

 

 ウンディーネの依頼から約二週間の後、今となっては忙しなく人の出入りが行われているバンガードの艦橋に、再びカタリナ達は立っていた。
 その場に現在集まっているのはカタリナとフェアリー、ウンディーネ、ボルカノとハーマン。そして十二人程の玄武術師だった。そして一応キャプテンもいた。
 ハリードやミューズ、シャールらは、街中(最早そこは『デッキ』と呼ぶべきなのかもしれないが)にて警戒任務と住民の最終避難調整に当たっている。
 この二週間で近隣の大都市であるウィルミントン、モウゼス、そしてヤーマスから可能な限りの術酒をかき集め、結果カタリナは二百三十本程の術酒を買い付けした。短期間での急な買い付けとなったが、直近で買収完了していたドフォーレを通じてルーブ地方から広く買い付けが可能になったことが、この期間で用意が整った要因として大きい。というよりむしろ、この買い付けに関しては他の問題に比べれば結果としては随分と容易だったなと今となってはカタリナは感じていた。
 まず何しろ長期間の航海になることが予測されるので、海上で可能な限り現物調達するものの、保存食や飲料の準備の方が大変だった。そして今回の事のあらましのバンガード市民への説明と、同時に可能な限り市外への避難を呼びかけた。無論、それへの反発も少なからずあったのは想像に難くない。
 しかしその間にもフォルネウス兵による小規模な威力偵察が相次ぎ、その頻度が徐々に増えてきていることからして、大規模な侵略が確かに近づいてきていることが誰の目からも予感された。この事実が市民世論を動かしたことは大きい。
 そしてウンディーネとボルカノがバンガードに集った術士を指揮してバンガードの根幹装置起動に際し数度の実験を経て、遂に必要な状況が本日で整ったのだ。

「ディー姉、機動担当の配置も完了した。いつでもいける」
「分かったわ。それじゃあ始めるわよ・・・総員発進準備!順次シンクロ開始!」

 最早ウンディーネさんは自分の事をディー姉と呼ばれることに対する抵抗がすっかり消え失せてしまったのだな、等とカタリナが場違いに思い耽っているのを他所に、ウンディーネの掛け声に合わせ、その場に集まった十二人の玄武術士が其々の目の前にある水晶の台へと触れる。
 そして魔導器に自らの魔力を同調させ始めると艦橋内部は一気に光度が増し、一面の硝子壁の向こうに仄暗く佇む海中が照らし出された。

「出力50%程度。矢張り、この程度では陸の楔は引き剥がせないか。まだまだ供給量上げていくぞ!」

 ウンディーネの隣で水晶の様子を見ながらボルカノがそう檄を飛ばすと、それに合わせて術士たちは更に水晶へと集中する。
 つい一月程前までは街を二分してまで争っていたにも関わらず突然和解した上に、今やまるでウンディーネの片腕面で彼女の横に陣取っているボルカノの事をウンディーネ配下のこの術士達はどう思っているんだろうか等と斜め上のことをカタリナが考えている間にも、出力は大地の鎖を引き剝がさんと徐々にではあるが上昇していく。
 だが、そのまま出力上昇を続けるより先に、あからさまに凶兆を告げるかの如くバタバタと忙しない様子で艦橋に駆け込んできたものがあった。
 市街地で警鐘任務に当たっていたハリードだった。

「おいでなすったぜ。西太洋方面からアホみたいな数のフォルネウス兵がこちらに侵攻中だ」
「なんですって!?」

 突然のハリードの報告に驚いたカタリナは、確認するように艦橋前方に視線を向ける。方角的には、イルカ像設置の台がある方向が西に位置しているのだ。
 だが其処からでは、薄暗くて揺蕩う海の向こうまでは見通せない。

「目測では五百前後ってとこだ。あと十分もすればここに到達しそうな速度だ」
「来やがったか・・・」

 ハリードの報告に対してハーマンが毒吐くようにそう言いながら踵を返し、市街地に出ようとする。
 だがそれを、カタリナが止めに入った。

「状況確認は私がしてくるわ。ハーマンとウンディーネさんは、兎に角一刻も早くバンガード始動をお願い。フェアリーもここに残って、伝達役を頼めるかしら」

 ハーマンを含めたその場の全員が指示に頷くと、カタリナは急かすハリードと共に急いで艦橋から駆け上がっていった。

「・・・続けましょう」

 それを横目で見送ったウンディーネは、仕切り直す様に配下の術士たちに指示を出す。
 彼女が見つめる先には、六基の水晶台とそれに魔力を同調させる術士達。この二週間に繰り返した実験過程にて、その水晶に流す魔力量によって光度が増し、その光度にて大凡の稼働出力が判断できることはわかっている。
 そして今の時点で既に出力はほぼ100%に近い状態まで上っており、今の状態でバンガードが動き出していないことについて、ウンディーネはどうするべきかという問答を脳内で繰り返していた。

(・・・予測していた以上にバンガードと陸地との接着力が強い。体感振動からして、どう見繕っても今一歩という雰囲気でもないわ・・・。大地の鎖からこの馬鹿でかい船を引き剥がすには、出力100%では足りないみたい。私が直接イルカ像に魔力を流し込めば一時的に出力を限界以上に上げること自体は可能だと思うけれど、正直この触媒が限界を超えた高出力にどれだけ耐えられるのか、わからない。ここで無茶をして触媒たるイルカ像が砕けてしまえば、バンガードは二度と動かなくなってしまうわ・・・)

 ウンディーネが胸の下で腕を組みながら水晶に視線を合わせたまま思考する隣で、ボルカノもまた水晶を見つめながら思考していた。

(・・・こんな純度もサイズも馬鹿げたようなものではないが、希少石自体は、ほんの小さなカケラならば何種類かは見たことはある。確かに魔術触媒としては非常に優秀なものだが、しかしその耐久力に関しては未知の部分が多い。そもそも魔術士の常識としての魔術触媒とは、基本的に消耗品だ。恐らくオリハルコーンもその例に漏れず、我々の行うような触媒として用いれば数度の使用で黄金の輝きを失い砕け散るだろう。確かにあのイルカ像に関してはその規格外の大きさもさることながら、今回は媒介のアプローチが抑も従来と異なるので一概に我々の知識をそのまま当てはめることはできない。だが、それでも無理に負荷をかけてあの触媒が砕けることは絶対に避けねばならない。おそらくディー姉も同じ考えのはずだ。この膠着状態を打破するには、何かきっかけが必要。そのあたりの勘は、ディー姉の方が冴えている。ならば、俺は俺に出来ることをしなければな)

 変わらず考え込んでいるウンディーネを横目に、ボルカノは近くに設置していた机の上にあるメモを取り上げた。そこには、ここ二週間の実験データが纏められている。この情報を元に、オリハルコーンの特性に加えて彼が知る限りの魔術触媒知識を織り交ぜ、計算を行なっていく。
 出すべき答えは、触媒にとって無理のない範囲でウンディーネが最大出力で魔力供給を行える時間だ。
 これらの計算基準を出すことができるのは、古今東西の魔術触媒と錬成に特化した朱鳥術士であり、更にウンディーネの魔力放出量を詳細に知っているボルカノくらいのものだろう。

「・・・ディー姉。恐らくディー姉の最大出力同調にイルカ像が問題なく耐えられるのは、二十秒程度。それ以上は触媒に深刻な機能障害が発生する可能性が出てくる」
「・・・分かったわ、二十秒ね。あとは・・・その二十秒に賭けるきっかけがあれば・・・」

 彼のことを全面的に信用しているのか、全く疑う様子もなくボルカノの言葉を受けてウンディーネが硝子壁の向こうに視線を向けた、その瞬間だった。

ガツンッ

 分厚い硝子壁に衝撃音とともに勢いよく衝突してきたのは、醜悪な姿をした魚人のような妖魔だった。
 妖魔は単騎のようで、ガンガンと硝子を叩き鋭い爪を立てようとする。だが、その程度の攻撃ではこの艦橋部分はびくともしない。

「!!・・・フォ、フォルネウス兵・・・」
「もうここまで到達したか・・・。フェアリー、上の様子はどうなんだ!?」

 慄くウンディーネを気にしつつもボルカノが背後のフェアリーに振り向くと、フェアリーは両目を閉じながらふわりと浮いたまま、わずかに口を開いた。

「船首にて第一波と接敵。シャールさん達が交戦開始しました。個々の脅威は低いですが数が多いので、更に数の多い第二波にばらけて上陸されると厄介とのこと。カタリナさんはハリードさんと別れて北門へ、ハリードさんが南門へ向かったようです」
「正面が数で押し切られて全体にバラバラに街中まで侵入されてしまったら、バンガードを動かすどころではなくなってしまう・・・。く・・・一か八か、ディー姉の最大同調を限界突破して行うしかないのか・・・!」

 ボルカノがそう言った直後に、突如として艦橋全体が地震に見舞われたかのように大きく揺れた。

「な、なに!もうフォルネウス兵の攻撃なの!?」

 バランスを崩したウンディーネがボルカノの肩に摑まりながら周囲を見渡すが、特にフォルネウス兵がここまで侵入した様子はないようだ。
 慌てふためく術士達に水晶へと集中するようにウンディーネが声をかけている後ろで、フェアリーがボルカノに声をかけた。

「・・・あの、ボルカノさん。今の、カタリナさんの仕業みたいです」
「・・・なんだと・・・?」

 突然とんでもないことを言い出すフェアリーにボルカノが意味がわからないと言った様子で視線を合わせながら聞き返すと、フェアリーはふっと目を瞑り、数秒ののちに見開いた円らな瞳でボルカノを見つめ返した。

「北門付近で船と陸との接地面が緩むことを期待して、その場で地走りを放ったようです。少しは動いたか、と質問が来ました」
「・・・もっとその辺でぶっ放してと言って頂戴!」

 フェアリーの言葉に被せるように、ウンディーネが声を張り上げた。その言葉に驚いたように瞳を瞬かせながらウンディーネを見つめたフェアリーは、そのまま微笑みながら瞳を閉じる。
 それと同時にウンディーネはイルカ像へと駆け寄り、その本体へと手を添えながら前方の硝子壁の向こうを見つめる。
 先ほどまでそこにいたはずのフォルネウス兵は、直前の振動に反応してこの場を離れ、上陸へと行動を切り替えたようだ。その方が精神衛生上都合が良いと感じつつ、掌に精神を集中させていく。

「ボルカノ、集中するからカウントとって頂戴」
「了解」

 ボルカノの返事を殆ど待たずに、ウンディーネは掌以外の感覚を断ち、魔力をイルカ像に同調させる一点に集中し始めた。
 その直後、艦橋の中がこれまでに無いほどに蒼く光り輝き、その力強くも優しい光で壁の向こうの海が照らされる。
 なんと其処には一体どこから現れたのか、まるでバンガードが動き出すのを今か今かと待ちわびているかのような、イルカの群れが照らし出された。

「出力100%突破!もう少しだ、大地の鎖を断ち切れ!」

 ウンディーネと共に魔力を送り込む術士たちにも檄を飛ばしながら、ボルカノは艦橋全体の輝きに思わず行きを飲み込んだ。

「なんて魔力量だ・・・出力増大中・・・20・・・40・・・150%! 最大出力!」

 頭の中でカウントが十五を数えたところで、再度カタリナが放ったと思われる大きな振動が艦橋まで伝わってくる。
 それを感知したウンディーネが目を見開きながら更に集中すると、一瞬で収まるはずだった振動は寧ろその度合いを増し、更には地鳴りの様な音が大きく響いてきた。
 岩と岩が擦れる重苦しい音と、崩れた岩石が海に落ちて行く音。そして全ての魔力供給回路が稼働した艦橋に響く、巨大魔導器の鳴動音。
 そして固定された楔から放たれ大海原に飛び出し、その上で揺れ動くバンガード。
 聖王の時代から約三百年の時を超え、遂に海上要塞バンガードが、陸から離れた瞬間だった。

「ディー姉!」

 カウントをしていたボルカノの呼び声に合わせて、ウンディーネはイルカ像から手を離す。だがバンガード艦橋はウンディーネの魔力供給が無くなってもその輝きを保ち、そして西太洋目掛けて力強く進水し始めていた。

「・・・やったわね。ほらキャプテンさん、言うことがあるでしょう?」

 ウンディーネがそう言って振り返ると、近くにいたハーマンに肘で小突かれて漸く我に返った様子のバンガードキャプテンが、咳払いをして背筋を伸ばした。

「ゴ、ゴホン・・・。バンガード・・・発進!!」

 キャプテンの掛け声に、艦橋内の術士達が達成感と共に歓声を上げて応える。
 そんな一時的に空気が和んだ空間を横目に、何か変化がないか艦橋内を注意深く見渡していたボルカノは、バンガードが動き出したことによって今までは光が通っていなかった部分の回路が新たに淡く光っていることに気がついた。

「すまない、こちらに少し魔力が流れる様に意識してみてくれないか?」
「え、はい・・・やってみます」

 着目した部分に一番近い水晶を担当する二人組にボルカノがそう声をかけ、術士が戸惑いながらも意識をそちらに傾ける。
 するとそこに魔力がゆっくりと流れ込む様子が光で再現され、その壁際に埋め込まれていた水晶が光り輝いた。

「・・・船首にて交戦中のシャールさんから報告です。バンガード全体を覆う様に天術の障壁展開を確認。乗り込んできていたフォルネウス兵が無力化され、引き上げていくようです」

 フェアリーがボルカノに向かい、そう声をかける。
 その思わぬ朗報に、再び艦橋内は歓声に包まれた。

「成る程・・・アビスの瘴気を打ち消す仕掛けか。それなら、この巨大な船でもアビスの者に侵入されることはないな。素晴らしい」
「これで当面の航海は、安全そうね。でもそうなると其方への魔力供給も考えて編成を再度考えねばならないわ」

 ウンディーネの計算では、この船を動かすことについてのみ考えた魔力消費量を元に術士と術酒を集めている。それが他の機能も動かすとなれば、話は違ってくる事になるのだ。

「・・・それについては、俺に少し考えがある。俺なら集められた術酒に手を加えて、擬似的な霊酒を生成できる。恐らくこの障壁以外にも未発見の機能があるはずだから、それも見越して今のうちから作業に入ることにするよ」
「本当? 助かるわ」
「いや・・・こんなこと、なんでもないさ」

 ボルカノの提案にウンディーネが微笑みながら感謝の意を示すと、ボルカノはどこか無愛想な様子で応え、そそくさと艦橋を後にした。
 その背中を送ったウンディーネは、次にハーマンへと視線を投げかける。

「それで、どこへ行くの? バンガードで」
「最果ての島へ」

 間髪を入れずに、ハーマンはそう応えた。
 彼が艦橋の向こうに見つめる一点に、その最果ての島とやらがあるのだと言う。

「かつて、俺が流れ着いた島がある。兎に角、世界の果てまで西へ走り続けるのだ」

 

 

「バンガード、発進!! とか、私もちょっと言ってみたかったわ」
《ふふふ、キャプテンさんノリノリでしたよ》
「あは、すんごい想像できる」

 疎らに戦闘の痕跡が残った甲板部分で崩れた壁の一部に腰掛け、緩く心地よい潮風に当たりながら、カタリナはフェアリーとそんな軽口を交えつつバンガードの進む先、世界の最果てを見つめていた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第七章・7 -バンガード殺人事件-

 

 日中であるというのに何処か薄暗いその家屋の中には、数時間前に飛び散ったばかりであろうと思われる生々しい血痕が幾つも床や壁、そして家具にまで付着していた。
 室内に充満した血の匂いと外から運ばれてくる潮風が最悪な割合で混ざり合い、その不快指数はよもや瘴気の渦の中にいるのではないかと思うくらいにも感じられ、思わずカタリナは顔を顰める。
 かくして、海上都市バンガードの街を一夜にして恐怖のどん底に叩き落とした「新婚夫婦殺人事件」の現場を目の当たりにしたカタリナは、本件の調査の仕事を市から易々と引き受けたハリードに対し脳内で己の知る限りの呪詛を送りつけつつ、しかしそこは生真面目に現場検証を行っていた。

(・・・しかし、これは・・・)

 一通り部屋の中を慎重に観察したカタリナはどこか思い悩むように腕を組み、右手を顎に軽く触れさせながら思考する。
 モニカの専属護衛兼侍女になる以前、まだ彼女がロアーヌ騎士団候補生に所属していた時代。当時のカタリナは候補生としての鍛錬に励むとともに、訓練生に課せられた市街地の警護巡回等も積極的に行なっていた。
 彼女が騎士団候補生に所属していた頃は、奇しくも世界中が死蝕による混乱の真っ只中であった。史上最悪の天災にて失われた多くの命に心あるすべての者が嘆き、そしてアビスの瘴気の増加による妖魔の活性化に慄き、それらに乗じて人々の荒んだ心は治安の悪化という形で具現し、世界に蔓延っていたのだ。
 その中では歴史上でも類を見ないほどいち早く治安回復に努めた当時のロアーヌ侯フランツの元でさえ、城下町での傷害事件は当時、ままあることであった。そしてそれら事件の対処には、警護巡回を行なっていた騎士団候補生も人手不足を理由によく駆り出されたものだったのだ。
 その時に自分が対応した幾つもの事件の記憶を通して、彼女は今回の事件を見つめていた。

(なにかが、引っかかるのよね。今回の犯人の目的は、通常考えられるものとは違うように感じる・・・)

 殺害されたのは、この家に住んでいた男女の夫婦だそうだ。
 犯行現場は二箇所。家のすぐ外と、そして今彼女がいる寝室。夫婦の何方かが用を足したかなにかの瞬間に外で襲われたと見られる血痕があり、恐ろしいことにそこで襲われた被害者をわざわざ寝室まで引き摺っていき、そのままもう一人にも手を掛けたと見られる状況だった。
 犯行時間は深夜と見られ、特に現場の寝具周辺はかなり損壊が激しい状態だった。しかしそれ以外の箇所には特段荒らされた形跡がなく、化粧台や棚の類はまるで新しい一日の準備が始まるのを今か今かと待ち望んでいるようにも見えるほど、普段と変わりのない様相なのである。つまりは、金品の強盗が目的の犯行ではないであろう、という事が窺えるのだ。
 カタリナは、現場周囲の血痕へと視線を移した。

(・・・寝具周辺には、壁にまで派手に飛び散った血痕。そして、重量のある鋭利な刃物か何かで切り裂かれ砕けたと思われる寝具・・・。犯行に使われた凶器は、短剣とかそんな類のものではない。これは斧や戟、或いはもっと直接的な、そう、まるで大型の獣の爪のような・・・)

 彼女がその被害状況から予測を立てたその何れの凶器も、何しろ全く強盗に向くようなものではない。
 大抵の場合で強盗の使う凶器の定石は、短剣かそれに準ずる大きさの刃物だ。特に市街地での犯行となると、周囲の建物や障害物に太刀筋を阻害されない大きさであるということは、かなり重要である。彼女自身も、狭い空間では得意の大剣ではなくロングソードか、小回りのきくレイピアを用いた戦闘を心掛けている。
 対して重量のある武器はどうしても攻撃の初動で振りかぶる必要性があり、その威力と引き換えに素早さや隠密性を損ねる。軌道も大きく、何かにぶつかればその威力を大きく落とすことにもなる。それらの対価として、純粋な攻撃力に特化しているのだ。
 人間相手に犯行時間を短くしたい、そして極力隠密にしたいという行動には、全く以ってそぐわないわけである。

(強盗目的の線は、恐らくない。となると、殺すこと自体が目的だった・・・か。しかもこの凶器のチョイスは、かなり明確な殺意。その夫婦のどちらか、若しくは両方が、誰かに恨まれていた・・・色恋沙汰の私怨とかかしら・・・?)

 自分には縁のなさそうな犯行理由だな、等と思考が脇道に逸れつつもカタリナが事件のあらましについて想像を巡らせていると、いつの間にかその家屋の入り口に立つ人影があった。
 カタリナがその気配に直ぐに気づいて振り向くと、そこに居たのはこの調査を引き受けた張本人であり、そして肝心の現場をカタリナに任せて周辺の聞き込みを担当していた無責任の化身トルネードこと、ハリードであった。

「・・・何か手掛かりはあったの?」

 あからさまに不機嫌を匂わせる声色でカタリナが声をかけるが、数々の修羅場を潜り抜けてきたであろうハリードは、流石のどこ吹く風といった様子で応える。

「いや、今のところは特にないな。ここの夫婦は仲が良い事で評判でもあったようだが、特段それを恨む奴がいたという話も聞かない。そして似たような事件も直近にはなし。一応ギルドにも問い合わせてみたが、付近で強盗や野盗が出ているような情報もないな」

 ハリードが持ち帰ってきた情報は、残念ながら即座の解決につながるようなものではないようだ。
 カタリナは今の内容を元に、無言でもう少し推論を進めることにする。

(強盗でもなく、どうやら個人的な恨みの線もなし・・・。となれば、『殺人行為そのもの』が目的の可能性が高いか・・・)

 カタリナは改めて破壊された寝具をじっくりと見入るようにしゃがみ込み、その砕かれた断面を指先でなぞる。
 相当な殺意を持っていたのか、いくつもの断裂が刻まれた大小の木片がそこら中に散らばっている。
 しかし周囲を見渡せば、何度確認しようとも他の何処にも荒らされた形跡はない。

(・・・得物の選択は兎も角、犯行時間は極めて短時間。この威力で振り下ろされたら、即死だったでしょうね・・・)

 稀にある様な、所謂快楽殺人の可能性もあまり無いように彼女には感じられた。何故なら、この現場の様相を見る限りでは殺人行為そのものを楽しむにはあまりに呆気なく、そして彼女が感じるように凶器の選択は兎も角として、的確に最短で命を奪うための行動を行なっているようにしか思えないからだ。

(・・・仮に無差別に殺人そのものを目的とするなら、なお厄介ね。次の犯行場所を特定するのがかなり困難になるわ。殺せれば何処でも、誰でもいいって事だものね・・・。逆に付け入るなら、そこか・・・)

 ハリードがカタリナと同じく顔を顰めながら部屋の中を確認している横で、組んだ腕を小気味好く指でリズミカルに叩きながら今後の方策を考えていたカタリナは、一通り考えを煮詰めると、家屋の外へと出た。

「うん・・・試してみるかしらね」
「お、なにをするつもりなんだ?」

 カタリナに続いて出てきたハリードが彼女の呟きに反応すると、カタリナは腰に手を当てて姿勢を崩しながら肩を竦めた。

「次は、私達を殺しに来てもらうのよ」

 

 

 事件現場を出た足でそのまま調査の結果による推論を市長へと伝えたカタリナ達は、その夜、普通の宿では無く街離れの独立したコテージに泊まることとした。
 その上で南北にある街の出入り口には数人の衛兵を配備させ、日中に市民へ向けて夜間の戸締り厳重化も通達してもらい、街の中の警備を厳重にする。
 そして市街地には夜警巡回も行ってもらい、しかしその巡回経路には彼女らの泊まるコテージは含まれてはいないのだった。

「確かにこの状況で狙うのなら、このコテージが一番狙いやすいですね」

 皆で一つの部屋で寝ることが普段と違い楽しいようで、ミューズはどこか上機嫌な様子でベッドに腰掛けながらそう言った。

「まあ、昨日の今日で来るとは限らないですから、あまり期待もできないのですけれどね。というか、もう来ないならそれに越したことも無いのですが」

 カタリナもミューズの隣のベッドに腰掛けながら、談笑している。そして彼女らの間には、フラワースカーフを脱いでくつろいだ様子のフェアリーがふわふわと浮かびながら、二人の会話に耳を傾けていた。
 そして部屋を申し訳程度に二分する布製のパーテーションの向こうでは、ハリードとシャールが彼女らの会話をあえて聞かない様にと振舞いつつも、何やらどこか居心地悪げにしていた。

「・・・なぁ、一杯やるか?」

 不意にハリードが、腕を組んでベッドの上に坐禅を組みながら隣のベッドのシャールに声をかける。すると銀の手を乾いた布で丁寧に磨いていたシャールは、数秒ほど考える仕草を見せた。

「・・・いや、やめておこう」

 普段ならば即答しそうなものだが、どうやら居心地が悪いのは彼もそうらしく、珍しく躊躇しての回答だ。

「そうか・・・。しかし、あのジジイは何処に行ってんだろうなぁ」

 シャールに断りを入れられ少々残念そうにしたハリードだったが、ふと思い出したようにシャールのさらに隣にある、主のいないベッドを見つめながらそう呟いた。
 そこに本来いるはずなのは、モウゼスでの騒動の直後、このバンガードへ再び戻ることを強引に提案して推し進めた張本人である、ハーマンだ。
 無事に古代魔術書の解読をウンディーネに依頼出来たが矢張り時間がかかるとの事で、その間は構わないだろうと一行はハーマンの提案に添ってバンガードへと戻ってきていた。
 だがバンガードへと着いた途端、ハーマンは「用事がある」とだけ言い残し集団行動を離れ、それから既に三日ほど合流していないのだ。
 その間にこの様な事件が起き、戦慄するバンガード市内でハリードが調査依頼を引き受けてきた、という流れなのであった。

「さあな。まあ、彼が昔船乗りだったというのならばこのバンガードは聖地だ。恐らく昔馴染みでもいるのだろうさ」

 シャールはそこまで興味がない様子で、そうとだけ答えた。
 彼の言う聖地の由来は、この街が持つ伝説によるものだ。
 三百年の昔にバンガードと名付けられたこの都市は、かつて聖王とその仲間によって造られた、『対魔海侯用の決戦兵器』であったのだという。
 世界中の海を支配する魔海侯に対し七度船を作り七度挑むも悉く敗れた聖王は、七度目の遠征によって勇士チャールズ=フルブライトの戦死というあまりに大きな犠牲を払った後、偉大なる玄武術師ヴァッサールの助言によって島を沈まぬ船とする事にした。
 冒険の末に聖王は神器オリハルコーンを得、玄武術師の協力を得てついに島を動かすことに成功。その島をバンガードと名付け、魔海侯の住まう海底宮へと突入し、遂に魔海侯をアビスへと追い返すことに成功したのだ。
 これが、聖王記に語り継がれる「魔海侯フォルネウス討伐の編」である。
 それ故にこのバンガードは古今東西に於ける『世界最大の船』であるとされ、また広大なる西太洋と内海を結ぶ重要な流通拠点であることも手伝い、世界中の船乗りからは聖地として崇められているというわけなのだ。
 だがこの伝説から三百年が経った今、陸続きでルーブ地方とガーター半島を結ぶバンガードが元は「島」であり、その上「動く要塞」であるなどと言う突飛な伝説を信じるものは、現地住民の中でさえ殆ど居なかった。

「ったく、昔馴染みに会うために俺たちまでここに連れてきたってか。御大層な身分だぜ。そんじゃあこっちも精々、稼がせてもらわないとな」

 ハリードは投げやりな様子でそういうと、両手を頭の後ろに回してベッドに寝転がった。
 するとそのタイミングで、パーテーションの向こうから声が掛かる。

「そろそろ寝ましょう。其方も明かりを消して頂戴」
「あぁ、わかった」

 カタリナの声にシャールが応え、程なくして蝋燭の火が吹き消される。
 僅かな星明かりもコテージの中へは差し込んで来ず、室内はすっかり暗闇だ。
 その中にあって夜目が利くハリードは、矢張り眠れぬ様子で頭の後ろに両手を回したまま、ぼんやりと暗がりに浮かぶ屋根の梁を見つめていた。

(昔馴染みに会いに・・・ねぇ。どうにも、あれがそんなタマだとは思えねぇな。あいつは間違いなく、もっと何か明確な目的があってこのバンガードに来ている。モウゼスでの魔術師との話しぶりも、元からそうするつもりだったとしか思えないしな。あのイルカの像・・・オリハルコーンといったか。あれはそもそも、あの爺さんが俺らを連れていった洞窟にあった代物だ。あれが今回の行動の鍵なのは間違い無い様だが・・・)

 モウゼスでウンディーネに何らかの協力を取り付けたハーマンの行動がどのような意味を持つのか、ハリードはしばらく考えた。
 だが、彼の目から見てもあの老人の魂胆は全く底が知れない。というかむしろ、今だにハリードは疑問に思う時があるのだ。あの老人は本当に見たままの老人なのだろうか、と。
 なにしろその根拠は、ハーマンのあの眼だ。
 戦場に生き様々な人の生き死にを見て来たハリードは、その瞳にその人物の生命力・・・言い換えれば「生きる意思」のようなものが映し出されるということを本能で理解していた。
 キラキラした瞳の子供と、霞んだ瞳の老人。今にも息絶えんとする人の虚ろな眼光や、どの様な傷を負おうとも戦場から生きて帰る猛者の爛々たる瞳。生きているのにその意味を見出していないかのうような愚民の霞んだ瞳に、例え貧しくとも希望を抱く民の眩い瞳。
 それらの瞳を識るハリードからすれば、あのハーマンという男の瞳は、まるで老人のそれではないのだ。その生命力が凝縮されたかの様な瞳には、ともすれば自分と同じ様な匂いすら感じる。
 それは何かを失い、それを取り戻すために生き続ける者の匂いだ。

(あの爺さん、あの洞窟で「自分の左足はまだある」といっていた。そしてそれを回収するために恐らく必要だ、といっていたのが、あのイルカ像だ。オリハルコーンには、玄武の力を増幅する力があるらしい。そのためにウンディーネと協力関係を結び、そして次に向かったのがこのバンガード・・・。嘗て聖王三傑のヴァッサールが作り上げたという伝説の残るこの都市で、一体何をしようっていうんだかな・・・)

 そうして考えを巡らせていたハリードは、やがて不意にゆっくりと起き上がった。なんのことはない、用を足したくなっただけだ。周囲に迷惑をかけぬ様なるべく音を立てず気配を消しながら、コテージの外へと出ようとする。
 だが、扉の手前で少々傷んでいたらしい床板を踏みつけてしまい、ギシリと木材の軋む音がする。
 瞬間、準備していたかの様に朱鳥の炎で部屋中が照らされ、武器を構えたカタリナとシャールとフェアリー、そして詠唱に入らんとするミューズにハリードは囲まれた。

「・・・あー、すまん。トイレ」
「トイレなら寝る前に行ってよ、もう!」

 両手を上げながら戯けて言ってみせるハリードにカタリナが呆れた顔で武器を仕舞いながら悪態を吐き、再び明かりを消してそれぞれのベッドに戻ろうとする。

 だが全員がベッドに戻った直後、コテージの外からまるで突き刺す様な殺気が流れ込んでくるのをその場の全員が感じた。
 そして静まり返った中では異様に大きく響く水が滴る様な足音が、徐々に徐々にコテージへと近づいてくるのだ。
 それがいよいよ扉を開け中に入って来たと思われた瞬間、再びカタリナたちはシャールの明かりを合図に侵入者を武装して取り囲んだ。

「あまいわね!・・・って、こいつら・・・!?」

 そこに居たのは、人ではなかった。
 全身に帯びた水気。両腕の先に生えた巨大で鋭利な爪。全身を守るように生え揃った鱗。そして元は魚類と思われる、醜悪な顔。その様な姿の魔物が、三体その場にいた。
 カタリナは、この魔物と同じようなものを以前にも見たことがあった。
 それは嘗て彼女がピドナからグレートアーチに向かった際に船の上で遭遇した、フェアリーを襲おうとしていた魔物だ。だが、明らかにその時に出会ったものよりも目の前の魔物は凶悪さが増しているように見える。
 カタリナがその様な感想を抱くが、目の前の魔物はその様なことには無論全く構うことなく、それぞれが最も近い人物に襲い掛かった。
 だがそれぞれの魔物が振り下ろした爪はハリードの曲刀、シャールの銀の手、そしてカタリナのロングソードに阻まれた。

「外に押し出すぞ!」

 シャールの合図でカタリナとハリードが二匹を押し返すと、シャールは炎の障壁を展開しコテージの扉面ごと三匹の魔物を外へと吹き飛ばした。
 見た目通り熱属性は苦手なのか魔物が苦しんでいるところに、半壊したコテージから飛び出したハリードとカタリナ、フェアリーが一気に魔物へと距離を詰める。
 三者がそれぞれ勢いをつけて手持ちの得物を振り下ろすが、思いの外素早い魔物は後方に飛び退ることで三人の攻撃を回避する。
 だがその直後、魔物たちにとっては全く予期せぬことが起こった。
 突如として魔物の後方から吹き荒れた強烈な突風に、魔物はまるで巻き戻されるかの様にカタリナたちの前へと吹き飛ばされる。それを好機と見た三人が得物を振るうと、三匹の魔物はそれが致命傷となり思いの外呆気なく絶命した。

「・・・ハーマン!」

 魔物を切り捨てたカタリナが見つめるその先には、術式展開を行った直後と思われるハーマンが佇んでいた。
 だがハーマンはカタリナの声に反応するでもなく、そのまま彼女らに近づいて来たかのと思うとその数歩手前で足を止めた。
 そして目の前で絶命した魔物を見下ろし、何故か壮絶な笑みを浮かべる。

「・・・ハーマン、一体どうしたというの。此奴らのことを、なにか知っているの?」

 ハーマンのその様子を訝しんだカタリナがそういうと、ハーマンはお馴染みの仕草で煙草を取り出し火を付け、深々と煙を吸い込む。そして深呼吸の後の様にゆっくりと煙を細く長く中空へと吐き出した後、漸く口を開いた。

「あぁ、此奴らのことは・・・よく知っているぜ。此奴らは・・・フォルネウスの兵隊だ」
「フォルネウスの・・・兵隊・・・?」

 唐突に出て来たその単語を、カタリナは繰り返す。フォルネウスとは即ち、四魔貴族の一柱、魔海侯フォルネウスのことだろうか。いや、此の期に及んでそれ以外を意味することなどあるはずもなかろうとは思うが、しかしあまりに突拍子も無いものだから、俄かには信じられないといった様子で彼女は言葉にしたのだ。

「そう、フォルネウス兵だ。殺人事件だのと街中じゃあ騒がれていたようだが、こりゃ威力偵察だろうな。どうやら奴ら、ついに動き出したらしい」
「動き出したって・・・一体・・・。貴方は、何を知っているの・・・?」

 ハーマンの訳知り顔の様子にカタリナが首をかしげると、ハーマンは勿体振る様に煙草を燻らせながら、フォルネウス兵の死骸を踏みつける。

「此奴らはな、このバンガードを攻めるつもりなのさ」
「なんですって・・・!?」

 事も無げに言い放つハーマンに、その場の一同は一様に驚きを隠せずにいた。
 その反応が何処か可笑しく感じるのか、ハーマンはけらけらと笑いながら踏み付けていた死骸を蹴り飛ばす。

「お前たちはこれっぽっちも信じていやしねぇだろうがな、このバンガードってのは、伝説の通り船なのさ。それも唯一、魔海侯フォルネウスに対抗することができる史上最強の軍船だ。だから此奴らがこのバンガードを攻めるのは、当たり前なんだよ。こいつさえぶっ壊しちまえば、自分らに対抗出来る船はないんだからな」

 突如としてハーマンが言い放ったその内容は、言葉だけならば余りに現実離れしている様にしか聞こえない。だが、それを事実たらしめていると思わせる証拠が、彼の足元に転がっている魔物の死骸だ。
 魔物は間違いなく、海から現れた。その形状、様相、そしてカタリナが過去に見た同種の魔物の状態から考えても、それは間違いないだろう。そして海に生きる魔物がこうして陸地にまで徘徊することなど、今まで前例を聞いたことがない。全く彼らの生活圏から外れる行動なのだ。つまりそれは何らかの目的があって行われた事であるのは間違いない。

「此奴らは尖兵だろうな。此奴をぶっ殺したからには、いずれは帰ってこない此奴らを訝しんでもっと大量のフォルネウス兵が来るぞ。この街は、このままにしておけば一月も待たずに魔物に蹂躙されて終わりってわけだ」
「・・・内容の割に、随分とあんたは冷静だな。つまりあんたはこれが分かっていてここに来た、というわけだ。一体、これからここで何をしようっつーんだ?」

 彼がモウゼスからここへとまっすぐ向かって来た事を訝しんでいたハリードが問いかけると、しかしハーマンはハリードではなくカタリナの方を見ながらニヤリと笑った。

「・・・なぁロアーヌの騎士様よ、アンタはどうする。今なら別に、この街を見捨てて去る事も出来るぞ」

 ハーマンにそう問いかけられたカタリナは、手にしていたロングソードを血振りして仕舞うと、腰に手を当ててため息をついた。

「分かりきったことを聞かないで頂戴。それにどうせ貴方が最初に四魔貴族の話を私に振った時に見据えていたのは、これなのでしょう?」
「けっ、面白くねぇ女だ」

 カタリナがハーマンとグレートアーチで初めて会った時のことを思い出しながら応えると、存外ハーマンは言葉と裏腹に何やら満足したような表情で煙草を踏み潰した。

「粗方の調べはついている。明日、ここのキャプテンのところに行くぞ」
「キャプテン・・・あぁ、市長のことね」

 フォルネウス討伐の伝説に準えてここバンガードの市長は、自らのことを伝統的にキャプテンと呼称するのだそうだ。カタリナはあまり気にしていなかったが、ハーマンは意外とそういうところは律儀に呼ぶのだなと意外に思いながら、壁が崩れたコテージへと歩いていくハーマンをカタリナは視線で追った。
 戦闘により半壊したおかげで野宿の様な有様となってしまったが、まぁ星空を見上げながらベッドで眠るというのも案外乙なものかもしれないな等と思いながらカタリナもベッドへと向かっていった。

 

 

「フォルネウス兵に襲われた?! 何て事だ、どうやって街を守ったらいいんだ・・・!」

 昨夜の事件のあらましを伝えると、バンガードの市長もといキャプテンはすっかり頭を抱え込む様にしながら唸り始めてしまった。彼にとってこの報告は、単なる殺人事件などとは比べ物にならないほどに衝撃的な展開であることだろう。彼はこのバンガードが過去に巨大な船であったことを信じて疑わない希少な住民の一人であるが、だからこそフォルネウス兵が襲ってくるという話をすんなり信じ、そして嘆いたのだ。
 それに対し、カタリナは項垂れるキャプテンに視線を合わせる様にしゃがみ込みながら、彼の瞳を見つめて言った。

「キャプテン・・・動かしましょう、バンガードを。聖王様はフォルネウスと戦うためにバンガードを作ったのよ」

 カタリナも今は、このバンガードが船であるということを不思議と疑うことはなかった。ハリードもどうやら同じ様子であるし、フェアリーは既にこの街の様々な生命から情報を得ているようだ。ミューズとシャールは、二人もまた聖王遺物に関わったものとして特に疑う様子もなく佇んでいる。ハーマンはそんな彼らを一番後方から、黙って見つめていた。
 それら一同に会した面々を前に、キャプテンは先程までの絶望に塗り固められた表情から若干生気を取り戻したように瞳に僅かな光を取り戻した。

「うむ・・・出来るだろうか・・・君は、勿論協力してくれるよね?」

 キャプテンが半ば縋り付く様にカタリナにそう問いかけると、カタリナは即座に肯定と答えようとした。だが、そこで彼女とキャプテンの前に空かさず割り込んだのは、無論のことハリードであった。

「おっとキャプテン。手伝うのは勿論吝かじゃあないんだが、こいつは昨日の殺人事件の調査とは完全に別口だぜ。それは、勿論分かってくれているよな?」
「む・・・そうだな。では、事件の調査料と合わせて、三千出そう」

 急に現実に引き戻されたキャプテンは、しかしハリードのそれも当然の要求だと理解し答えた。そしてその様子を見ていたカタリナは、このキャプテンの即答の反応にハリードが大層邪悪な笑みを浮かべたのを、見逃さなかった。

「おいおいキャプテン、これはそんじょそこらの調査や討伐とは段違いの仕事だ。もう一声ないと、割に合わないぜ・・・?」

 その瞬間、キャプテンの表情が固まる。そして彼が小さく「足元を見おって・・・」と呟いたのを聞いてカタリナが我が事の様に恥ずかしく思い顔に手を当てたのと同時に、キャプテンはハリードに対して五千オーラムを提示してきた。
 その提示額に、ハリードは満足げに頷く。

「それくらいでいいだろう。で、何をすればいいんだ?」

 後半は、後ろを振り返ってハーマンに対して聞いたものだ。
 その言葉を受けてハーマンは、煙草に火をつけながらいつの間にか手にしていた古い文献を開いた。

「まず、バンガードの内部へ入らなきゃならねぇ。おいキャプテン、この代々の市長の住まいである『船長室』は、その名の通り過去の艦長室の名残ってぇ伝説なんだよな?」
「あ、あぁ・・・そうだ」

 キャプテンがハーマンの言葉を肯定すると、ハーマンは何やら周囲を観察する様にゆっくりと部屋の中を歩き回りながら、手にした杖で何かを調べる様にコツコツと床を突いて回った。
 その様子をカタリナ達が不思議に思いながら見ていると、ハーマンはその視線に応える様に口を開く。

「この街はな、実際観察すればするほど、馬鹿でかい船の上に作られた様な形状をした街なのさ。東西に延びた横長の地形を全て囲う様にある外壁跡と、そこからこの『船長室』に至るまでに丘陵上に盛り上がった地形。まるでここだけ、船みてぇな形なんだよな。んでな、大型軍船ってのは大抵操舵室・・・まぁ艦橋っつーのがあるんだが、船の長がいる場所と艦橋ってのは、大抵の場合、直通通路があるはずなんだよ・・・」

 カツン、とそれまでの音とは違う音が、室内に響く。それは丁度キャプテンが居るあたりの床一面だ。
 ハーマンは無言でキャプテンに退く様に視線で訴える。そしてキャプテンがそれを感じ取ってそのまま退くと、彼は躊躇なく腰に備え付けたバイキングアクスをその床に叩きつけた。

「・・・ほらな」

 派手な衝撃音とともに板張りの床が砕け散ったその下には、なんと急角度で下へと向かう階段が現れたのであった。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第七章・3 -姉思い弟思い-

 

 まだ陽も昇らぬ未明にに巻き起こった学術都市モウゼス中央の小島における魔術戦闘は、実に苛烈を極めた。
 西方世界でもこれまでの歴史において殆ど類を見ないほどの高度な魔術戦であったであろうとシャールが太鼓判を押す程のその戦闘は、天に向かって渦巻く玄武と朱鳥の力の奔流によって圧倒的な破壊の気配を纏いつつも、しかし次第に朝日によって照らされゆく事で実に幻想的且つ美しく彩られた。
 しかしその膨大な魔力の狂宴も終わりを迎えてみれば、その勝負の行方は誰が見ても明らかなものでもあった。
 無尽蔵にも思えた程の魔力をいよいよ出し尽くして地面に膝をつく二人の魔術師と、その目の前には微動だにせず仁王立ちをしているカタリナ。その手には武具を持っておらず、代わりに魔王の盾を構えた状態だ。
 世界に名を轟かせる魔術師二人の術は、古代の至宝たる魔王の盾の持つ無効化の力により全てカタリナに届く前に効果が消失し霧散してしまっていた。
 その様を見た時、魔術師二人にはそれ以上何かを為さんという気力は生まれてくることはなかった。

「負けたわ・・・」
「好きなようにしろ」
「二人とも、あんまり町の人を困らせないでよ?」

 力なく項垂れたウンディーネと、それとは対照的にどこか妙に潔い様子のボルカノに対し、カタリナはそう声をかけてその場は存外呆気なくお開きという流れとなった。

 

 そして数時間後。
 明け方までの騒動だった故か昼過ぎまで宿のベッドで倦怠感とともに微睡んでいたカタリナは、彼女等に宛てられたという一通の文が朝方に届けられていた、との知らせで漸く起き上がり、いそいそと活動を開始した。
 そのまま宿の食堂に降りて遅めの昼食をいただきながら届いていた文に目を通していると、今度は彼女らを訪ねて一人の人物がやってきた。
 態々そこに訪ねて来たのは、なんと今朝死闘を繰り広げたばかりの南の朱鳥術師ボルカノその人であった。
 懲りもせず早速魔王の盾を改めて狙いに来たのかとも思ったが、それにしては全く敵対心のない様子のボルカノに対してカタリナは内心首を傾げながら、昼過ぎで全く人気のない宿に隣接した酒場に席を移して彼の話を聞くことにした。

「先ずは、この度の騒動の謝罪をさせてくれ。済まなかった。そして、ありがとう」

 互いに席に着くなり口を開いて深々と頭を下げるボルカノにいよいよカタリナたちが頭上に疑問符の乱舞をさせていると、その様子を察したボルカノはどこかバツが悪そうに頭を掻いたかと思うと、手元に用意された珈琲で口を潤してから事の次第をゆっくりと話し始めた。

「なんというか・・・抑もディー姉は、魔王の盾の能力をしっかりと理解していないんだ」
「・・・・・・ディー姉?」

 ボルカノの口から出てきた名詞の印象が強烈すぎて、カタリナはそこだけ思わず鸚鵡返しをしてしまう。因みに、その後の言葉はあまり頭に入ってこなかった。
 纏めるとつまり、ボルカノが語る今回の騒動とその背景はこういうことだそうだ。
 ウンディーネとボルカノはこのモウゼスにて生まれ育ち、そして共に学んだ魔術師の先輩後輩にあたる。
 自身をして、その類稀なる才覚により幼い頃から周囲より神童の扱いを受けていたボルカノ。しかしその頃からウンディーネの後をついて周り彼女を最も身近で見ていた彼は、魔術師としての才能に関しウンディーネの方が自分より格段に優れているということをこの時、既に誰よりも強く自覚していた。
 そこでボルカノは単に魔術師として彼女の劣化版になるのではなく己の専門分野を開拓しようと、錬成の基礎となる火を司る朱鳥術を修め本格的に魔道具の研究開発へと道を進める。これはまだまだこの分野が魔術ギルドにとっても開拓の余地がある分野であったというのもあるが、特段ウンディーネが簡単な魔道具を作るのも実は少々苦手であるという事を鑑みての選択でもあった。
 そしてウンディーネが十年ほど前に魔術修行に出たのを機に、彼もそれならばと世界中の様々な素材や古代魔道具についての文献を求めて若くして旅に出た。
 そしてその旅の最中、彼は遂に魔王遺物についての未発見文献と邂逅するに至ったのだ。
 聖王記の一節にある「魔王伝記」にて、魔王の斧、魔王の鎧、そして魔王の盾の三つがこの世界に残された魔王遺物であることは古来より知られていた。だが、その名称以外の事はこれまで全くの不明であったのだ。
 ナジュに程近い地方にてボルカノが発掘し解読したその文献によれば、魔王の持つ盾は魔王軍の二度目の東方遠征に於いて古代ナジュの東方連合軍が編み出した天の術の効果を悉く打ち消し、そして魔王の斧の一振りで瞬く間に連合軍を壊滅に追いやったのだという。
 この文献の解読からボルカノは魔王の盾の強力な魔術無効化能力を発見し、やがてその探求こそが自らの研究分野の発展に繋がることを確信して、魔王の盾を欲する様になった。
 それから彼は、世界中で術の無効化に関連のありそうな記述のある伝記を探して回った。
 そして今から一年程前、イスカル河という中央大陸の遥か北方より聖都ランスを通りながら南東に突き抜けファルスを尻目にヨルド海へ流れ出る河の下流沿いに点在する洞窟型寺院の遺跡にて、正に無効化能力をもつ盾型の秘宝についての文献を発見した。
 更にその文献に記された内容は彼の想像を遥かに超え、その盾は術はおろか物理的な干渉も含めた凡ゆるものを無効化する秘宝であると記述されていた。またこの文献では他にも様々な実験の記録が記されており、これにより更に幾つかの特殊な能力が盾には備わっていることも分かってきた。
 中でも特に彼が興味を惹かれたのは、この盾が特定の魔術の効果に影響を及ぼす、という記述についてだ。
 三百年の昔、聖王三傑たるヴァッサールが彼女の故郷モウゼスに魔術ギルドを作った理由は諸説あるが、その最も有力な見解は「モウゼスの地は他所に比べ特定の魔術の効用を増減する傾向があるから」という説だった。簡単にいえば、モウゼスにいるのといないのとでは、魔術の種類によって効果に差が生まれるのだ。
 特に効果が高くなるのは、他の物体への損害、つまり『破壊』を司る魔術。そして逆に効果が薄れるものは、身体能力の向上や属性防御を目的とする様な補助魔術とされる。
 ボルカノが寺院遺跡で見つけた文献の最後には、ある時代に秘宝たる盾は、その力を恐れた一人の反逆者により奪い去られたとあった。そしてその所在についての記述は終ぞ見つかる事はなかったが、しかしボルカノは既に脳裏に過ぎっていたのだ。
 己の故郷の魔術行使における特徴、そして瘴気に侵される事なく死者が安らかに眠るという伝説を持つ、死者の井戸。
 これらは、正に文献にある秘宝の特徴そのままだということに。

「成る程ね。だから貴方は、魔王の盾がここにあると踏んで帰ってきた、と」
「そうだ」

 彼の冒険譚に、カタリナたちはすっかり聞き入ってしまっていた。
 シャールとミューズはその魔術師としての知見から非常に興味深く聞いており、またハリードは故国の歴史に関わる遺物の話として耳を傾け、ハーマンは何やら魔王の盾を追い求めて世界中を旅する彼の行動に共感している様だった。
 そんな中で王家の指輪のもたらす叡智により魔王の盾の力を恐らく誰よりも理解しているカタリナは、同様に人間には無い感覚で魔王の盾を知覚しているフェアリーと共に話の続きを促す。

「でも、そうなるとそのディー姉・・・えと、それウンディーネさん・・・でいいのよね? 彼女とは何故争う事に・・・?」
「それは・・・」

 カタリナの言葉に、ボルカノは何故かここでもバツが悪そうに言葉を飲む。
 そして次に言葉を発したのは言い澱む彼ではなく、唐突に酒場の入り口に現れた人物だった。

「それは私も是非、聞きたいわね」

 現れたのはボルカノと同じく未明までカタリナ達と争いを続けていたもう一人、ディー姉こと水術師ウンディーネその人であった。

「・・・ディー姉!」
「その呼び方いい加減やめなさいよ!」

 彼女を見たボルカノの反応に腕を振り払う様な仕草をしながら心からの叫びで返すと、ウンディーネもまた彼と同じ様にすっかり敵意のない様子で、カタリナらのテーブルへと近づいていった。
 その際カタリナに視線を寄越すと、カタリナはそれに対してほんの微かに頷いてみせる。それを見たウンディーネは、テーブルの側に立ってボルカノを見下ろすように視線を落とす。

「いい加減、教えなさい。何故私に盾の事を教えながら、私が手に入れるのを邪魔したの」
「・・・それは、こっちの台詞だ。確かに俺はディー姉に盾のことは教えたけど、何故それで俺が先に手に入れるのを邪魔することになるんだ」

 ウンディーネの言葉に、ボルカノはこれまでの様子とは一転してどこか子供染みたような、むすっとした表情で返す。そんな二人の間に流れる空気に、その他一同はなんだなんだと思わず目を見合わせる。

「えっと・・・え、ボルカノさん、態々ウンディーネさんに魔王の盾のこと教えたの? なんで?」

 二人の様相と共にいよいよ話の行方が分からなくなってきたカタリナは、思わず素の調子でボルカノにそう聞いた。

「・・・別に、お前達には関係ないだろう」
「いやもうがっつり関係してんでしょ」

 何処か気まずそうな様子のボルカノに、カタリナは一切容赦のない鋭い突っ込みを繰り出す。
 それに対して全く反論の余地もないボルカノは黙秘の姿勢をとったが、程なくして周囲の視線に耐え切れなくなったのか、おずおずと口を開いた。

「・・・教えた理由は、この発見がディー姉の研究の・・・や、役に立つと思ったからだ」
「あ、それってつまり、ボルカノさんはシスコンという事ですか?」
「誰がシスコンだ!」

 誰からそんな単語を教わったのか、ミューズもまた情け容赦なく直球で真理を突く。するとボルカノは、たいそう慌てた様子で先ほどのウンディーネと同じ様に腕を振りながら否定を口にした。因みに当事者達以外はあまり単語の意味をわかっていない様で、疑問符を浮かべている。
つまり彼の言い分は、こうだった。
 元々ボルカノとウンディーネは旅に出て以後も己の研究の進捗について、定期的に各地の魔術ギルド支部へと報告書を飛ばしていた。しかしこの報告書には漏洩を防ぐ目的で魔術封印が施してあり、特定の解呪方法を行わなければ見ることは叶わない代物であるのだ。
 ここ迄は、魔術ギルドでは通常行われる内容である。
 しかしさらに言うと二人の報告書は互いしか解呪の方法を知らない独自の封を行なっており、事実上二人だけの連絡網の様な状態だった。
 これにより、互いに現在どこにいるのかまでは分からずとも、その行動内容はある程度共有されていたのである。
 なので、抑も数年前の時点に遡りウンディーネはボルカノの魔王の盾探索のことを知っていたのだ。
 またウンディーネも自身が故郷を離れてから旅をして行く中でモウゼスの外で己の特定の魔術が弱体化していることを再確認した事を発端とし、土地の精霊力に左右されない魔術構成の研究へと本格的に舵を切った。
 その中で現在の研究内容へと独自の実験と考察により辿り着いたのだが、ここ最近になって今一歩、彼女は行き詰まっていた。
 その理由は、彼女の提唱する陣形魔術の詠唱時に於ける土地の相克や術者への負荷を緩和する魔術媒介の研究が進まぬ事であった。
 この媒介とは所謂魔道具だが、魔術師の間で古来より常用されてきた魔道具は、この陣形魔術の媒介としては残念ながら全く役に立たなかった。陣形による魔力増幅の過程に耐えきれず、直ぐに砕けてしまうのだ。
 そうなれば取れる手段としては新たな媒介の錬成を行うしかないわけだが、しかし彼女自身は魔道具作成という点においては凡才の域を出ず、個人的には苦手な部類であった。
 そんな進捗を彼女との情報共有から把握していたボルカノは、魔王の盾の持つ魔術無効化の力が相克の無効化や負荷の軽減に通ずるのではないかと考えていた。
 そして更なる調査によって魔王の盾には魔術増幅の能力がある事を知り、より彼女の研究に役立つものであると確信したのだ。
 だが、いざ魔王の盾がモウゼスにあると当たりをつけてそれをウンディーネに共有した直後に、ボルカノは発掘した文献を読み進める中で更なる魔王の盾の特性の存在に行き当たった。
 それこそは、「防御・補助魔術の無効化」という現象だった。

「報告から推察する限り、陣形魔術は膨大な威力を実現することが可能になるのは間違いない。だがその膨大な魔力量は、恐らく人の身で扱うには負荷が大きすぎる。だからディー姉は、媒介を用いて負荷を減らしつつ魔力の増幅を行うことを思いついた。で・・・いいよな?」
「・・・そうよ」

 ボルカノの言葉を存外素直に肯定したウンディーネは、軽く曲げた右の人差し指を細い顎に当てながら腕を組み、続きを促した。

「・・・ただ媒介は、あくまで媒介。陣形魔術を行使するには、負荷を減らすために恐らく自身に何らかの防御魔術を掛けなければならない筈」

 確認するようにウンディーネを見つめながら語るボルカノに、彼女は無言で頷く。それを確認したボルカノは、次にカタリナの方へと視線を向けた。

「だが魔王の盾には、どうやら補助魔術を無効化する効果があるらしい。このモウゼスに於いて補助魔術の研究が遅れていた最大要因は正に其れ等の魔術の効果がモウゼスではあまり発現されないことにあったが、それもこの能力が原因だろう。つまり、魔王の盾をそのままの状態で陣形魔術に使えば、魔力増幅と防御魔術無効が同時に発現し・・・術者は負荷に耐えきれず、その身もろとも破裂する可能性が高い」
「・・・つまり貴方はそうなるのを防ぐために、ウンディーネより先に魔王の盾の入手をしようとした、という事なのね」

 カタリナの纏めに、ボルカノは浅く頷く。

「ディー姉は・・・昔から先ず自分で試さないと気が済まない性格だった。だから魔王の盾も、先ず間違いなく自分が最初に使おうとするはずだ。だから、これを伝える前に渡すわけにはいかなかった」

 続けて発せられたその言葉を聞いても、ウンディーネは無言のままでいた。

「あの・・・ウンディーネさんはこの事を知っていたのですか?」

 数秒の間続いた沈黙を破るように、フェアリーがウンディーネに問いかけてみる。するとウンディーネは漸くそこで、あたかも金縛りが解けたかのように首から上だけを微かに動かし、フェアリーに視線を向けた。

「・・・この子の言うモウゼスの特性と紐付いているという仮説から、関連性に関しては薄々予測はしていたわ。勿論、そこまで強力なものであるなんて認識はなかったけれど」
「ならば尚のこと何故、俺に任せなかった! しかもやっと再会したと思えば出会い頭に宣戦布告した上、此方の話を全く聞こうともしない!」

 ボルカノが堪らず声を荒げて立ち上がりウンディーネを見つめると、今度は彼女が皆から視線を外すように食事中のテーブルを見つめる。

「・・・その理由、これと関係あるの?」

 再度その場に流れる気まずい沈黙を破って唐突にそう言ったのは、カタリナだった。
 先だって宿に泊まっているカタリナ宛てに届けられていた文を手にしてひらひらとさせながらウンディーネに向かって問いかけると、彼女はそれに反応するのをあからさまに拒否するように無言を貫き、ボルカノは怪訝な顔をしながらその文を見つめている。

「なんなんだ、それは」

 ボルカノがそう問うと、カタリナは文を持った手でそのまま肩を竦めてみせる。

「今朝、私宛てに届いた文よ。内容は・・・いいわね?」
「・・・勝手になさい」

 カタリナがウンディーネに視線を向けながら確認すると、ウンディーネは今度は窓の外へと視線を移しながら短く答えた。
 文は、ウンディーネからのものであった。
 冒頭には先程のボルカノと同じく此度の件に対する丁寧な謝罪があり、そして次には、切実な願い事が記されていた。

「盾は諦めるが、しかし絶対にそれをボルカノには触れさせないで欲しい・・・?」

 文に記された最後の部分をカタリナが読み上げると、ボルカノはそれを繰り返しながらウンディーネへと視線を移した。
 ウンディーネは、それでも無言のままだ。

「・・・なんで。なんで、そこまで俺が魔王の盾を手に入れる事を嫌がるんだ。頼むから・・・教えてくれ」

 今日の未明まで啀み合っていたのが嘘のように、ボルカノが落ち着いた声でそう聞く。
 するとどうした事か、ウンディーネは突然その切れ長の目尻に大粒の涙を溜め始めた。

「な・・・ど、どうしたんだ!」

 その様子に驚いたボルカノが大層慌てふためいて彼女の両肩を掴むと、ウンディーネは顔を見られたくないのか皆と反対側に顔を向けながら、小さく呟いた。

「だってあんた・・・死の呪いを・・・受けてるじゃない」
「死の・・・呪い・・・俺が・・・?」

 ウンディーネの掠れ声を聞いたボルカノはまるで身に覚えがないようで、なんのことだとでも言いたげに眉を顰める。
 そして次にその場で声をあげたのはなんと、事態をここまで只管静観していたハリードとシャールであった。

「ほう・・・死の呪い、か。成る程、此奴から腐臭がすんのはその為か。なあシャールよ」
「あぁ、どうやらその様だな。私やハーマンが抱いた違和感の正体は、それだったようだ。ミューズ様も、お感じになられますか?」

 シャールに問いかけられると、ミューズも矢張り違和感を感じていたのか、小さく頷いた。

「あぁ、これハリードの匂いじゃなかったの」
「カタリナさん・・・加齢臭ならまだしも、腐臭は流石のハリードさんでも傷つくと思います」
「いや加齢臭も十分傷つくんだが?」

 いけしゃあしゃあとそう宣うカタリナに、フェアリーの切れ味抜群の合いの手。そこにハリードは米神の血管をひくつかせながらも、流石に大人の対応で接する。

「・・・ウンディーネ殿。その死の呪いと言うのは、どの様なものなのですか」

 カタリナ達の掛け合いを無視しながらシャールが落ち着いた様子で問いかけると、それに合わせて若干冷静さを取り戻した様子のウンディーネはボルカノが差し出してきた手拭いで目元を軽く拭いつつ、しかし視線を落としたままで口を開いた。

「死の呪いは・・・生きながらにして性質がアンデッド化する呪いよ。私も呪術の研究過程で存在を知っていただけで、実物を見たのは初めてだけど・・・」

 アビスの瘴気を媒介とする古代呪法の一つである「死の呪い」とは、現代には既にその儀式の方法自体が消失している呪術の一つとされる。
 その効果は対象に不死者の属性を付与する、というものである。効果自体は非常に単純な呪いであるものの解呪に関する知識もすでに失われている為、根本的な解呪方法は現代において存在していない。

「不死者・・・そうか。それでディー姉、俺に魔王の盾を触れさせない様にしていたのか・・・」

 ボルカノがハッと気がついた様にそう言うと、ウンディーネは肯定するように僅かに頷いた。

「・・・死者の井戸は封印者によってアンデッドを無効化するように仕向けられており、その根元こそが魔王の盾の力。つまり、その根元に不死者化した存在が触れれば・・・魔王の盾の力に、その存在ごと消されるかもしれなかった」

 カタリナが珈琲を啜ってからそう言うと、ウンディーネはその言葉を肯定するでもなく押し黙って応えた。ボルカノはそんな様子のウンディーネを見ながら、居たたまれない様子で震えている。

「・・・変だとは、ずっと思っていた。戻ってきて久々に会ったと思ったら突然驚いた様子だったし、その後いきなり『魔王の盾はあんたに渡さない』なんて激昂して。それからずっと会ってもくれず、死者の井戸に近づこうとすれば妨害してきて・・・。意味が分からなかったが、俺もディー姉が魔王の盾を先に使ってはいけないと考えていたから妨害せざるを得ず・・・」

 そう言って打ち震えているボルカノに対し、ウンディーネもまだ掠れ気味の声で絞り出すように声を上げた。

「・・・久しぶりに会って、見て直ぐに呪いに気付いて、なんて馬鹿な呪いを受けてしまったのって思った。なんとかして解呪の方法を見つけなきゃって、私それしかもう考えられなくて・・・。兎に角それが分かるまでは、あんたを死者の井戸に近づけてはいけないと思って・・・」

 ボルカノの言葉に呼応するようにウンディーネが心の内を吐き出すと、二人はやがてどちらからとも無く、頭を下げていた。

「そうなると気になるのはボルカノ殿の死の呪いだが・・・抑も何者に呪いをかけられたか、心当たりはあるのですか?」

 事ここに至り二人が互いの行き違いの解消によって何処か晴れ晴れとした表情になったのを見届けてから、シャールが再度問いかける。
 それに対しボルカノは数秒考えた後、力なく首を横に振った。

「いや・・・思い当たる節はない。昔ならばまだ才能の差を妬むものも居たが、この十年は世界中を回っていたからな・・・」

 何か他に思い出せることはないかと記憶を探るように押し黙るボルカノと、それを無言で見つめる一同。
 そこに、すらりとした細腕をまっすぐ上げて意見を述べる意思を示すものがいた。
 フェアリーだった。

「なぁに、フェアリー」
「はい、あの、少し気になることがありまして・・・。ボルカノさん、ちょっといいですか?」

 カタリナに促されてそう言ったフェアリーは、その場に自分達以外いないということを確認するとフラワースカーフを脱いでふわりと浮かび上がり、ボルカノの首の後ろに回り込んだ。

「な・・・え、な、なんだ!?」

 突然羽が生えて飛んだフェアリーにボルカノは驚愕しつつも、その神秘的な現象に暴れようという気も全く起きず成されるままに様子を伺った。
 するとボルカノの後ろに回り込んだフェアリーは、彼が首から下げていたらしい飾りの紐を解き、紐ごとその先端を服の下から引っ張り出した。
 果たしてそこから出てきたのは、小さく、そして只管に黒い塊であった。
 その塊にはおよそ立体感というものがなく、触ってみて初めてその形がわかる程だ。正に、光すら反射しない程の純粋な黒である。

「多分、これが原因だと思います・・・」
「・・・それは!」

 フェアリーが取り出した『それ』を見て、ミューズが珍しくとても驚いたように声をあげる。
 その様子に皆が彼女に視線を向けると、ミューズは椅子から立ち上がってボルカノのすぐそばまで近寄り、フェアリーが浮かせているその物体をまじまじと見つめる。

「・・・ちょっと、なに意識してんのよ色ガキ」
「べ、別にしてない!」

 至近距離に近づいているミューズから顔を背けるようにしているところにウンディーネから半眼で突っ込まれ、ボルカノが必要以上に声を上げて否定する。地味にシャールも睨んでいたりする。
 そして周囲のそんな様子を微塵も気にする事なくその小さな塊をいろんな角度から観察していたミューズは、距離が近すぎたことに今更気がついて漸く一歩離れ、コホンと態とらしく咳をした。

「あの、ボルカノさん。これは一体、何処で入手したものなのですか・・・?」

 フェアリーから首飾り状にしていたその塊を受け取りつつ、ミューズの問いかけにボルカノは思い出すような仕草をしながら応える。

「これは・・・そう、魔王の盾で様々な実験を行なった記録があった洞窟型寺院跡の奥深くで見つけたものだ。探索のために明かりを灯していたら、あまりに不自然に黒い箇所に目が留まってな。手を伸ばしたら、これがあったのだ」

 そしてそのあまりの異様さと物珍しさに持ち帰って研究しようと思い手に取ったが、モウゼスに帰ってきた途端の今回の騒動によって完全に忘れていた、とボルカノが説明する。するとミューズは、その説明で合点がいったように浅く頷いた。

「成る程・・・。フェアリーさんのいうように、恐らくそれが原因で間違い無いです。それは・・・『死のかけら』と呼ばれるものです」

 聴きなれぬ単語に皆が疑問符を浮かべていると、ミューズは自分も伝聞ではあるが、との前置きの後に説明を始めた。
 魔王が姿を消してから約三百年もの間、四魔貴族が世界を支配した時代があった。人が想像しうる限りの悪虐が尽くされたとされるこの暗黒の時代は、宗教歴史的には所謂、魔王信仰の全盛期でもあったという。
 世の中には凡ゆる救いがなく、祈る神もいなくなった。そうして神に見捨てられた人類は、力あるもの・・・つまり諸悪の根源たる魔王にさえ、心の拠り所を求めてしまったのだった。
 中でも特段、魔王信仰が非常に盛んだったのが時の魔王城を擁する旧ピドナ周辺地域であり、魔都ピドナの北に位置するイスカル河の下流地域周辺には、上流から河を下って様々な人々が集まり集落を築き、それが長じて寺院となった。
 アビスの瘴気が溜まりやすい暗くて湿った場所が寺院の建築場所として好まれ、主に洞窟内部に多くの寺院が作られたという。
 そしてその魔王信仰の中心地では、アビスの呪いを集積し結晶化する儀式が、秘密裏に行われていたのだ。

「その結晶こそが、『死のかけら』です。アビスの呪いをその身に宿し、死の祈りを祭壇に捧げ、アビスの深淵に居るとされる魔王に近づく。それが救いになるのだと、死が救いであるのだと・・・そう信じられていた、悲劇の時代の産物なのだそうです」

 ミューズの言葉を聞いていたボルカノは、探索当時の様子を思い出すようにしながら頷いていた。

「そうか・・・魔王信仰の中心地ならば魔王遺物が宝具として祀られたのも頷けるし、こいつが転がっているのも道理というわけか・・・。って事は、これを手放せばその『死の呪い』とやらは解けるのか?」
「・・・はい、その筈です」

 ミューズの返答を聞いたボルカノは、研究者らしく名残惜しそうな視線を死のかけらに対して送ったものの、解呪には変えられまいとして手放すことを決意した。

「なら、それも私に預けてもらえないかしら」

 ボルカノの身に起きた異変の解決目処が立ち皆が安堵の表情に変わってきたところで、カタリナが死のかけらを指し示しながらそういった。

「多分私なら聖王遺物の力で死の呪いは相殺できると思うから、その辺に捨てるより確実に二次被害も抑えられると思うわ。それに・・・呪いを発せられなくする当ても、少しあるから」
「そうか、それは助かる。正直、処分するにしてもどうしようかとは思っていたところだ」

 処理方法に困っていたのは正直なところのようで、ボルカノは素直に感謝を述べながらカタリナに死のかけらを手渡した。

「あと一応禍根が無いように教えておくとね、この魔王の盾も、がっつり呪われているのよ。こっちは力が強すぎて、私でも呪われないのが精々。使用するだけで、とんでもない疲労感に襲われるわ・・・。明け方の戦闘だって私は動かなかったのではなくて、動けなかったっていうのが正解。それでも、昼まで疲労困憊で寝ていたくらいだもの」

 だから二人のうち何方かが手に入れたとしても望むような結果は得られなかっただろう、とカタリナは断じた。
 その話を聞いているモウゼスの術師二人は残念がってはいるものの、しかしどこか晴れやかな表情をしている。結局はお互いのためを思うが故の壮大な空回り劇であったことに対して、照れ隠しをするのに終始していた。

「・・・ディー姉の研究に役立つ媒介探しはまた振り出しに戻ったけれど、この十年の研鑽は無駄にはならないし、心機一転出直す事にするさ」
「・・・おう、それなんだがな、小僧」

 ボルカノの前向きな言葉でこの場が締められるかと思いきや、最後の最後にここで言葉を発したのは、テーブルの一番奥で一人無関心を装って煙草をふかしていたハーマンだった。
 思わぬところから小僧呼ばわりされたボルカノが多少眉間に皺を寄せながらハーマンへと視線を向けると、ハーマンはそんな態度のボルカノに対してニヤリと笑いながら自分の腰袋に手を伸ばした。

「はっ、そうツンケンすんなって。悪い話をしようってんじゃねえんだ」

 そう言いながらハーマンが取り出したのは、イルカを模した金色の像だった。

「・・・なんだ、それは」

 ボルカノがその像を見ながら怪訝な表情をすると、ハーマンは煙草の煙を肺いっぱいに吸い込み、天井に向かって一気に吐き出してから口を開いた。

「こいつは、オリハルコンだ。他の属性は知らねーがな、これは玄武様の力をとんでもなく大きくしてくれるっつう代物さ。お宅らが欲しがってる媒介ってのは、こういう奴のことじゃねえのか?」
「それは・・・本当なのか!?」

 事も無げに発せられたハーマンの言葉に、ボルカノが驚愕の表情を見せながらイルカ像に近づく。
 手を伸ばしてもハーマンが何も言わないのを許可と取ったのかボルカノはその像をそのまま手にして、上下左右色々な角度から観察し、触り、己の魔力を通してみる。
 しかし多少の反応はあるものの思うような反応が返ってこないイルカ像に対しボルカノが訝しんでいると、その様子にハーマンはやれやれといってイルカ像をひょいとボルカノから取り上げ、ついてこいと指で示しながらゆっくりとした足取りで店の外へと移動した。
 ウンディーネとボルカノが半信半疑の様子でその後に続くと、ハーマンは宿の目の前の通りの真ん中に立ち、彼らに振り返る。そして続いてカタリナ達も出てきてギャラリーが揃ったことに満足すると、徐に咥えていた煙草を指で弾いて空中に飛ばした。

「玄武様ならとびきりだが、こいつは蒼龍様でも多少は効くんでな」

 ハーマンがそう言いながらイルカ像を通じて風の渦を作り出すと、それは瞬時にとんでもない風圧を伴う竜巻となって上空へ渦巻き、彼の飛ばした煙草を空の遥か彼方へと吹き飛ばした。

「なんと・・・!?」
「無詠唱でこの威力・・・十分に宮廷魔術師で通じるレベルじゃない・・・」
「はっはっは、俺が魔術師様になれるわきゃあねえだろうが!」

 そう言ってハーマンは、手にしていたイルカ像をウンディーネに向かって放り投げた。
 ウンディーネが慌てた様子でそれを抱きかかえるように取ると、途端に上空に渦巻いた竜巻は穏やかな風へと変貌する。そして、ゆっくり落ちてきた煙草を見事に右手の人差し指と中指で挟み取ったハーマンが再びそれに火をつける。

「ネエちゃんもやってみな。但し、そいつを無理矢理に制しようとすんじゃねえ。祈るんだよ。精霊なんて、人間にいっつも御されるようなもんじゃねえんだ。海に生きる奴ならそんな事、鼻ったれのガキだって知ってんだぜ?」

 そう言って揶揄うように笑うハーマンからは、先程感じたような魔力は全く感じられない。
 ウンディーネはそんなハーマンと手元のイルカ像を交互に見比べると、意を決したように像を胸の前に翳し、そっと目を閉じて魔力を込めていく。
 すると最初こそ感覚が掴めず揺らいでいただけの魔力が、次第にイルカ像の中で拡散を繰り返すように畝り始め、そしてある瞬間を機に爆発的に増幅していく。
 大気はあっと言う間に玄武の力で満たされ、今の今まで晴れていた空には瞬時に暗雲が立ち込める。あとはウンディーネが願えば、三日三晩の豪雨をあたり一帯に降らせることも容易いほどの魔力が一瞬でこの場に生成されたのだ。

「な、なんなのこれ・・・凄まじいまでの増幅器だわ・・・。しかも、身体への負担が殆ど感じられないなんて・・・」
「あたりめぇだ。つーか普通に考えてみろ。大体、自分より偉大なものを抑えつけようとすりゃ、そりゃ滅法疲れちまうさ。だから昔っから人は祈り、頼り、その大きな流れに身を任せてきた。そうすりゃ、疲れるもなんもねえからさ」

 あまりの展開に驚愕の表情を浮かべるしか術のない二人の術者を前に、ハーマンはなんでもないという様子で肩を竦めた。
 彼にとってそれは、本当に常識を語っているだけなのだろう。魔術師二人が驚きの中でそう考えながらハーマンを見ていると、彼はウンディーネの元に近づいていき、彼女の手にあったイルカ像を掴み取った。

「あんたら魔術師様は『自然を操れる』なんて思い上がってっから、こんな簡単なことに気がつかねえ。頼るとこは頼ってよ、人間は人間の範疇で擦った揉んだしてりゃあいいんだよ、本来はな」

 そう言いながらイルカ像を空中に放り投げつつ弄んでいたが、ふとハーマンの顔つきから笑みが消え、突如として強烈な眼光を湛えた瞳が二人の魔術師をじっと見据えた。

「此奴を譲ってやってもいい」
「な、本当か!?」

 突然のハーマンの言葉にボルカノが声を上げるが、しかし表情の変わらないハーマンに対して何かを察したウンディーネは、無言で先を促した。

「察しがいいじゃねえか。そっちのネエちゃんには、是非協力してもらいてえ事がある。それが無事に終われば、此奴は譲ってやってもいいぜ」

 そう言ってニヤリと不敵な笑みを作るハーマンを、カタリナは無言で遠巻きに眺めていた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第七章・2 -死者の井戸-

 

 暗く狭い空間に沈殿して漂う埃と微かな黴臭さが多少鼻に付くが、それを除けば思いの外そこは想像よりも不快だとは感じない空間であった。
 その意外な様子にカタリナは随分と拍子抜けした様子だったが、それは無論、他の面子も同様の様子であった。唯一仏頂面がそのまま皺になって固まったかのようなハーマンだけが、その表情からは何も読み取ることが出来ないと言うところか。
 彼女達は今、学術都市モウゼスを南北に分ける川の中央にある小島に赴いていた。
 より正確に言えば、その小島の片隅に存在する古井戸、通称「死者の井戸」の中にいた。

「死者の井戸、とは大きく言ったもんだな。その辺の街道よりも余程、ここの方が平和なもんじゃないか。ここに一体何があるっていうんだ」

 一応は警戒を続けるカタリナのすぐ後ろで、反面すっかり警戒を解いてしまった様子のハリードが辺りを見回しながら呑気に呟く。
 今より六百年の昔、世界を一瞬にして恐怖に貶めた魔王が突如として消息を絶って以降に、四魔貴族が魔王に代わって世界を支配していた時代。
 この古井戸は、実にその時代から存在し続けているのだと現地の人間は口を揃えて言う。
 そして三百年にも及んだ四魔貴族支配の時代の最中、この井戸にはこの地に於いて何らかの原因で死に至った者が、碌な葬いもされずに投げ入れられていたというのだ。
 また、飢餓、疾病、怪我、老化によって生活能力を無くした者等も、死者と同様に投げ入れられたのだという。
 その慣習たるや、実に四魔貴族が支配する三百年もの間続いたというのだから、何とも悍ましい話だ。

「・・・しかし、妙ね」

 シャールが灯した朱鳥の小さな焔を頼りに井戸の中を進んでいたカタリナが、場所を考え小振りのレイピアを構えながら呟く。
 井戸とは言いながらも、既に長い間使われている様子のなかった地上部分から潜った先は、なんと大の大人が数人で通れるほどの広さを持った地下空洞へとつながっていたのだ。
 彼女の感じる妙と言う名の違和感はつまり、この死者の井戸と呼ばれる地下空間そのものの状態を示していた。
 確かに伝承の通り、この井戸には其処彼処に多くの人骨らしきものが目立つ。だが、その殆どは数百年の時を経て既に大部分が腐食し、崩れ、地面や壁と半同化している。なのでおよそ見渡す限り、生々しいものはない。
 何より妙なのは、それらがこの状態である、という部分なのであった。
 この井戸の様に太陽や月の光が届かない暗く湿った場所は、アビスの者が好む条件を満たした空間。つまり、非常に瘴気が溜まりやすい環境だといえるのだ。本来ならばそんな場所に御誂え向きに死体など放り込もうものなら、それが瘴気と混ざり妖魔となって現界してもおかしくはない筈。寧ろ、そうなってくれと企んででもいない限り、そんなことは普通の感性を持った人間はしないはずなのだ。
 だがこの「死者の井戸」には先程ハリードも言うように、その様な妖魔がいる様子など一切無いのであった。それどころか、通常であれば滞留する筈の瘴気さえ感じない。
 現地民はこの事象を把握していたからこそ、この死者の井戸へと死者を放り込み続けたのだろう。流石に何の理由もなくそんな事をすれば井戸から這い上がった妖魔によってあたり一帯が侵略される事など、分かりきった事だからだ。
 だからこのモウゼスには、ある意味でこの「死者の井戸」を神聖視する趣さえあった。

「こりゃあ、本当に何かあるのかも知れねーな。お宝っつーのは、大抵こんなとこにぽろっと有るもんなんだ」

 同じ違和感を覚えていたらしいハーマンがそう呟くと、一行は慎重に進んでいく。

 

 この死者の井戸へと足を踏み入れる以前、まず始めにカタリナ達はウンディーネとの話し合いに臨んだ。
 食堂での騒動のすぐ後に魔術ギルド本部にある彼女の自室に案内されたが、通された部屋は彼女の外見の非常に整った印象とは打って変わって、様々な本が机や床などに無造作に積まれており、かなり雑多な印象を受けた。
 また食堂では距離があったが、こうして部屋に赴いて改めて彼女を見てみると、化粧で隠してはいるものの目の下にくっきりと隈が出来ており、ここ暫くは寝不足の様子が見て取れる。
 どうやら部屋の様子と相まって、何かの研究に連日連夜没頭しているという様子が伺えた。
 そんな感想を一同が抱いているところに、ウンディーネは開口一番でこう言ったのだった。

「それにしても素晴らしい腕前。その腕を見込んでお願いがあります」

 先程自分の弟子が盛大に失礼かました事など既に忘れたのか、その突然のお願いの申し出には流石のカタリナも面食らったものだった。
 しかもそのお願いというのも内容がまた物騒で『モウゼス南部の施設で対立している朱鳥術師ボルカノ勢力を、ボルカノ本人を含め可能な限り人的被害を最低限に抑えた上で一定期間無力化してきて欲しい』と言うものだった。
 傷つけずに無力化となると施設破壊か威力恫喝、はたまた何らかの工作辺りを所望の様だが、何にせよ腕っ節を見込んでの力ずくというのが何とも物騒な話であった。
 そして全く以てカタリナにとっては都合の悪いことに、その場には「仕事は前金主義」の辣腕傭兵ハリードその人が居たわけなのである。
 当然ハリードが目を輝かせながら脊髄反射的に、それは幾らの仕事か、と尋ねる。
 ウンディーネも流石にギルドの長というべきか。先程の詫びも兼ねて、と即座に前金で二千オーラムを提示してきた。更には要望通りの仕事であれば成功報酬も別で用意すると言う事だった。
 最早その話の流れに、他の人間が口を挟む余地など残されては居なかった。二つ返事で「仕事」を引き受け前金をほくほく顔で受け取るハリードに対して心から呆れ返るカタリナだったが、兎に角本来の訪問の目的である古代魔術書の解読依頼もせねばなるまいと、すっかり出遅れ気味に本題を提示する。
 ウンディーネも其処は魔術学者として興味を持ったのか、慎重な手つきで魔術書を捲ってから調査そのものは快諾するものの、「今の研究が終わるまでは手を付けられない」との事で結局のところは持ち帰りとなってしまったのだった。
 ここまででカタリナは相当に呆れ返っていたものだが、しかしここからが嘗て猛将と称えられた傭兵ハリードの本領発揮だった。
 彼は魔術ギルドを出るや否や、文句の一つでも言ってやろうと詰め寄るカタリナを軽く片手で制しながら顔を近づけ、小声でこう呟いたのだ。

「俺は、男連中を連れて南に調査に行く。お前達は北に残って、この街とウンディーネに関する情報を集めろ」

 こう宣ったハリードに対して、カタリナは彼女のこれまでの人生で最高の出来栄えだと確信できる程の仏頂面で応えたものだが、しかし一方でこの守銭奴トルネードの行動には納得するべき部分もあった。
 結局この騒動が終わらなければ本来の目的である魔術書の調査は終わりそうにもないという事がまず最初にあり、次にこの騒動以前に、カタリナ達はこの街のことを知らな過ぎるのも事実だった。確かにウンディーネもあの様子では、間違いなく此方に対して何か伏せていることがあるようだ。となれば、ここは仕事に乗る流れで街中での動きやすさを確保しつつ状況を見極めるのが先決、ということなのだ。
 この後男連中を見送った女三人組は、ミューズの機転により不機嫌顔の治らないカタリナを鎮めるべくモウゼスで最も有名なワイン畑を訪問してガーター半島固有品種の葡萄を用いたスパイシーな印象を受けるワインを堪能し、それから北側での調査へと繰り出したのだった。
 そして順調に術師も含めた老若男女へと聞き込みを進めていると、どうやら思いの外、天才魔術師ウンディーネはこの街全体に歓迎されているわけではないらしいという状況が見え隠れてしていることが分かってきた。
 一部を抜粋すると、曰く
『ウンディーネとボルカノは確かにこの街の出身だが、ここ十年近くは二人とも街を出ていた。それが最近になって戻ってきて、街を二分して争っているんだ。おかげで町の者は大迷惑だよ』
『ウンディーネは優男の術士ばかりまわりに集めてるのよ。でも私が小さな時から既に魔術師としては有名だったから、本当は見かけよりずっと年らしいけど』
 と言った具合であるのだ。

「迷惑を被っている人、結構いるようですね・・・。年齢云々は、ちょっとジェラシー混じっている感じでしたけど・・・」

 フェアリーがフラワースカーフの下で羽を震わせながらそんな感想を述べると、カタリナとミューズは全くの同意だと言わんばかりにうんうんと頷く。
 一通り街中での聞き込みを終えモウゼス北の中央広場に戻ってきた三人は、ベンチに座りながら集めた情報の精査を行っていた。
 聞き込みの結果としては、魔術ギルドに属さない住民からは騒動の種といった見方をされている傾向が強いようだ。特段、幼少暮らしていた頃からその美貌の割にあまり他者に対して愛想が良い方ではなかったらしく、それも相俟って女性からの意見は概ね辛辣な様子。
 ただそうした一般評価の反面、北部にいる多くの術師からは間違いなくウンディーネは天才である、との意見でほぼ一致していた。まだ少女の時分からその才覚を表し始めたというウンディーネは、魔術師ギルドの間では神童として有名だったそうだ。
 そして更には、魔術師ウンディーネの現在の研究内容に関する話を聞くこともできた。
 曰く『ウンディーネ様は術士同士の連係を重んじている』との意見に、殆どが集約される。
 これに関しては、ミューズが納得顔でこくりと頷いたものだった。

「私達を襲ってきたあの三人の術師ですが、個々の能力は大したことがなくとも、陣を組んで天地術式を混合詠唱する事で大きくその威力を上昇させていました。威力だけならば、恐らくメッサーナの宮廷魔術師にも並ぶかと。正直、驚きました・・・。先に詠唱を潰せなかったら、苦戦を強いられた筈です」
「それは凄いですね・・・一人前の術師一人の育成には十数年を要するといいますけれど、それを練度の低い魔術師が別の形で補うことが出来るなんて、下手したらグランクロワものの偉業だわ。あのウンディーネという魔術師は、本当に天才なのね」

 ミューズの言葉に、カタリナは大層驚いた様子で感想を述べる。しかし、驚くなというのが無理な話なのも確かだった。
 魔術師という存在は非常に強力だが、その育成には長い月日と費用、そして才覚の有無という運すら要する。カタリナの周りにはシャールやミューズ、トーマスなど高度な水準で術を扱う者達が多いので印象は薄れがちだが、実戦に耐えうる域までの術師というものは実はそう多くはない。
 嘗てメッサーナ王国には正規の大規模な魔術師団が存在していたという歴史もあるにはあるが、大きな戦乱もなかった聖王暦の年月の中で、莫大な維持費ばかりのかかる魔術師団という存在は自然と無くなっていったのだという。
 また小規模ながら六百年前に四魔貴族侵攻を退けたという伝説を持つナジュ王国には天の術を扱う魔術師団があったが、これは十年前のハマール湖の戦い後に神王教団によって解散させられている。
 このような歴史の変遷により、今となっては各国に数える程度の宮廷魔術師がいるばかり、というのが現代の魔術師事情というわけなのだ。

「でも結局、何でウンディーネさん達が南北で争っているのかの原因は分かりませんでした」

 フェアリーがベンチに座って足をぷらぷらと動かしながらそう言うと、カタリナとミューズはそれに応えるようにううんと唸ってみせた。

「北ではこれ以上聞き込むと流石にウンディーネに訝しまれそうだし・・・ハリード達はどうしているのかしら」
「じゃあ、ちょっと聞いてみますね」

 カタリナが地面に列を作る蟻を眺めながら行き詰まり気味にそう言うと、フェアリーがなんでもないというようにそう反応して、そっと目を瞑る。
 その様子を見て何事かと小首を傾げるミューズに、カタリナはフェアリーの念話能力について簡単に説明をした。

「え、妖精さんてみんなそんなすごい力を持っているんですか・・・?」
「どうなのかしら。妖精にもいくつも種族があるみたいだから全部かは分からないけれど、普段妖精同士は念話で意思疎通しているそうよ。因みに、人間以外の他種族も大丈夫みたい」

 フェアリー自身から教えてもらったことをそのまま教えて上げると、ミューズは心底驚いた様子でフェアリーへと目を向けた。するとその視線に気がついたのか、フェアリーはミューズに振り向いて、にこりと笑みを作る。

「今、シャールさんと話しています。まだ聞き込みの最中だとのことで、夜にまた連絡が欲しいそうです」
「まぁ、シャールもフェアリーさんのその力を知っていたの?」
「あ・・・いえ、知らなかったですよ。銀の手の所在を手掛かりに思念波を飛ばしたので、シャールさんに繋がっただけです。最初はとっても驚かれていました」

 そりゃあ誰でもいきなり声が頭の中に響いたら驚くわよね、とカタリナは自身の経験を振り返りながら考えた。しかし自分の時はとんでもない頭痛に襲われたものだがシャールは大丈夫だったのだろうか等といった心配が脳裏に過ったところで、ふと興味本位で思いついたことを聞いてみることにした。

「そういえばフェアリーのその念話は、聖王遺物を狙って飛ばしているのよね。それなら、まだ見つかっていない聖王遺物の場所も分かったりするの?」

 もしそれが分かるのであれば今後の探索や対四魔貴族への対策が非常に楽になるのではないか、という安直な考えでそう聞いて見たものの、やはりと言うべきかフェアリーは少し困ったように眉を寄せながら微笑んだのだった。

「残念ながら、それは難しいです。私が感知できるのは、精々活性化された状態の聖王遺物くらいですね。例えば銀の手はシャールさんと共にあるので常に活性化していますし、聖剣マスカレイドも現在はカタリナさんを主人と定めているのか、今は非常によく感じ取れます。ですが、今はそれ以外の聖王遺物の場所もよくわかりません。妖精の弓は以前ポールさんが持っていた時は活性化していたのですが、今は全く・・・」

 ちなみに月下美人も妖精族が精霊銀で鍛え上げた刀なので感じ取ることができる、と補足を交えつつ、フェアリーは普段カタリナがよくやるように胸の下で軽く腕を組んで空を仰いだ。

「そうそう簡単に攻略は進まない、ということですね」
「全くその通りのようね」
「そのようですねぇ・・・」

 カタリナとミューズも同じく腕を組んで答えながら、ベンチの背もたれに体重を預ける。そうして夕方まで時間を持て余すように、ぼんやりと並んで空を見上げたのだった。

 

 その後、夜になっても一向に戻ってこない男衆に対してフェアリーが再度念話を飛ばすと、果たして向こうからは全くとんでもない提案が飛んで来たのであった。
 ウンディーネとの会談を終えた後に直ぐ南モウゼスへと向かったハリード達は、迷わず真っ直ぐ術師ボルカノに会いに行った。
 そして突然の訪問にも関わらず快く迎え入れてくれたボルカノ氏を前にして、こう言ったのだという。
『北でウンディーネが凄腕の刺客を雇った。このままではお前は潰される。このトルネードを雇う気はないか』と。
 その言葉に何故か非常に衝撃を受け、直ぐには信じきれない様子のボルカノ。だが、出鱈目を言うなと挑んできた彼の弟子をまるで赤子の手を捻るように瞬時に制圧し、ハリードはその実力と共に己の正当性を十二分に示してみせた。
 これにより、ボルカノは悩んだ末にハリード等の提言を受け入れ、ウンディーネの刺客に対抗する用心棒の仕事を依頼する運びとなった。所属こそ違えど、ギルドに身を置く者の間でトルネードの武勇を知らぬ者はまずいない。それはボルカノも例外ではなかったのだ。
 この時、ボルカノからウンディーネと同額の前金を受け取った時のハリードの邪悪な笑みは暫く忘れられないだろうとのシャールの苦悶の言葉には、流石のカタリナ達一同も同情を隠せなかった。
 またこの時シャールがボルカノに対して抱いた印象としては、若くして実力や実績に恵まれたことによる多少の傲慢さが端々に垣間見えるものの、大枠としては好青年と言って良いものだったという。
 しかし、どうにも何か他の人間とは違う違和感を感じてしまいそれを後からハリードとハーマンに其々聞いてみたところ、ハリードは「腐臭がする」という失礼極まりない感想を述べ、ハーマンはシャールと同じような感想を抱いたがやはりよく分からない、との答えだったそうだ。
 そうしてボルカノの元を去った男衆は次にカタリナ等と同じく、南でボルカノとモウゼスについての情報を集めて回った。
 そしてその中で一つ、とても興味深い話を聞くことができたのだと言う。
 それこそが、『二人は中央の小島に存在する井戸の中にある何かを巡って対立しているらしい』という情報だった。
 その井戸こそが、死者の井戸だ。
 そしてこの情報に当りをつけたハリードの提案によって、夜の闇に乗じ此方が先んじて井戸の中に何があるのか確かめてやろう、ということになったのである。
 あとは街全体が寝静まるのを待ち、南北から小島へと向かった。小島に向かう道には南北其々が見張りを立てていたが、その見張りに対しては仕事のためと称することで難なく通り抜けることが可能だった。
 そうして今現在、彼女らは晴れて死者の井戸の中にいるという訳なのだ。

「・・・待って、なんか・・・違和感があるわ」

 何事もないままに内部を進んでいた一行だったが、先頭を進んでいたカタリナが突然立ち止まり、自らの左手を見つめながらそう言った。その視線の先には、朱鳥の火を反射して仄かに輝きを帯びている王家の指輪がある。

「このまま道なりではない気がする。何かこの辺りに無いかしら」
「んなら、ちょっと探ってみるか」

 カタリナの言葉に直ぐに反応したハリードは、鞘ごと腰の曲刀を取り出すと、辺りの壁を軽く叩き始めた。
 それに習い、各々も自らの得物の柄などを用いて床や壁を探っていく。すると間も無く、ハーマンが左側の壁面の向こうに空間があるようだと気付いた。
 そのまま躊躇することなく腰につけていたバイキングアクスを勢いよく壁に叩きつけると、予測通り壁は簡単に崩れて奥へと続く道が現れたのだった。

「わぁ、なんか宝探しって感じですね」

 その光景に何やら機嫌を良くした様子でミューズがそう言ったのを合図に、一行は互いに視線を交わすと迷わずその道を奥へと進んでいくことにした。
 その道もこれまでと同じく不気味な程の静けさに包まれており、間も無くカタリナ達は何事もなく道の最奥へと辿り着いた。

「・・・これは・・・」
「・・・即身仏、ってやつか」

 カタリナとハリードがそう言いながら見つめる先には、既に事切れてから長い年月が経っていると思われる一体の亡骸があった。
 古くはあるもののしっかりと原形をとどめている高貴な衣服を身に纏い、地面に腰掛けた姿勢のまま崩れることなく、その亡骸は堂々たる佇まいをしている。その様は、さぞ高名な僧侶であったのではないかと思わせるものだ。

「あ、カタリナさん見てください。この人の後ろ・・・」

 何かに気がついた様子のフェアリーがカタリナの袖を引きながら指差した先には、簡素な石造りの台の上に祀られるようにして置かれた何かがあった。
 それを認識した瞬間、カタリナは全身に走る悪寒で『それ』がなんであるのかを察する。
 彼女自身の経験で知らずとも、王家の指輪がその存在の何たるかを伝えてくるのだ。

「これは・・・恐らく、魔王遺物よ・・・。神王の塔にあった魔王の斧と、同じ感覚があるわ」
「魔王遺物・・・こんなところにあるなんて、驚いたな。つまりあの魔術師達が欲しがっていたものは、こいつというわけか」

 即身仏の脇を通ってその盾を覗き込み、ハリードが顎に手を当てながらそういった。その盾は石台の上に寝かされていたのだが、全くその身に埃などを被っている様子がない。まるで新品そのものと言っていい状態なのだ。その異様な違和感はやがて得も言われぬ恐怖のようなものとなって、その場の全員が息を飲んだ。

「・・・魔王の盾には、術法に対する効果の増減作用があるみたい。恐らく、それを狙って魔術師二人が争っているというわけね。それに、この井戸にアビスの気配がないことも、これの存在で大凡は説明がつくわ」

 カタリナがまるで指輪の記憶をなぞるように眉間に皺を寄せながらそういうと、他の五人は一体どういうことなのかと首を傾げる。それに対しカタリナは引き続き記憶を辿るようにしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
 己に向けられる、凡ゆる事象の無効化。
 魔王の盾の最も特異な能力は、間違いなくこの能力であると言える。
 凡ゆる事象とは言葉通りであり、物理現象や精神支配に至るまで文字通りに全てを無効化することができるという、とんでもない能力を秘めているのだ。

「恐らくこの僧侶は何らかの事情で魔王の盾を手に入れ、封印を考えたのでしょう。そして封印の地に、ここを選んだ。この洞窟全体に浄化を施した後、この特性を利用して魔王の盾を設置以後、魔王の盾に影響を及ぼさんとする全ての空間変化を『無効化』しようとしたのね。だからこの空間には、アビスの瘴気もないのだわ」

 そう言いながらカタリナは、石の台の上に置かれた魔王の盾を持ち上げる。
 その途端、彼女らの背後にあった即身仏が音もなく崩れ去り、井戸の中を支配していた異様なまでの静寂が消え去った。
 大凡六百年の歳月を経て、魔王の盾の封印がここに解かれたのだ。
 そして盾は、カタリナの手の中で禍々しい気を一瞬だけ発したかと思うと、直ぐに収束し無反応となる。彼女の身につけている幾つもの聖王遺物が、魔王の盾の瘴気を相殺したのだ。
 これで、この盾が何か悍ましいものを呼び寄せるということはなくなったはずだ。

「・・・しかし魔王遺物となると、そのまま魔術師風情に渡すわけにもいかないな。どうするんだ?」

 ハリードが崩れ去った即身仏に対して略式の祈りを捧げてからカタリナに振り返ってそういうと、カタリナも同じく略式の祈りを捧げた後、腕を組んで唸った。

「ううん、そうねぇ・・・。とりあえず争いの種にもなるから此方で回収はしておくべきだろうけれど、あとはあの二人になんて説明するか、よねぇ」
「そうだな。南のボルカノはまだ若いから理解も示してくれそうな感じだったが、ウンディーネって魔術師の方はどうだろうな。結構ヒステリックな類だと思うぜ、あれは」

 ハリードがそのように相槌を返すとカタリナは耳にかかった髪を梳き流しながら、他人事みたいに呑気に言ってくれるんじゃないわよと小言を言い放つ。そして、兎に角先ずはここを出ようと提案した。

「ここで考えても仕方ないわ。一旦宿に戻って考えましょう」

 それには皆が同意し、一行は来た道を戻っていく。
 何しろそこまで広くない死者の井戸内の洞窟であるからして直ぐに入り口となる井戸の淵まで戻ることができたのだが、しかしそこでカタリナたちはどうも井戸の上の方、つまり地上が騒がしい様子であるということに気がついた。

「・・・ちょっとハリード。これ、ひょっとしてバレてるのではないかしら」
「・・・かもな」

 松明らしき明かりがちらつく井戸の縁を見上げながらカタリナがそういうと、ハリードはここでも他人事のように肩を竦めながら応えてみせた。
 その返答は予想通りカタリナを非常に苛つかせるものだったが、今になってそのような瑣末なことを気にしていても仕方がない。他の面々に視線を送っても『諦めろ』と言わんばかりの表情しかないので、カタリナは兎に角話だけでもしてみようかと思い直し、大人しく井戸を登ることにした。

 

「よくもだましてくれたな!」

 カタリナが井戸を登りきるや否や、先ず飛んで来たのは若い男の声と思われる罵声だった。
 それを発して来たのは、赤い髪が特徴的な青年。年の頃は精々カタリナと同じ程度だろうか、正に才気溢れる魔術師と言った表現が似合いそうな青年だ。恐らくこの青年こそが、玄武術師ウンディーネと対立している朱鳥術師ボルカノその人なのであろう。

「その盾を渡しなさい!」

 続いてすかさず飛んで来た、女性のものと思われるもう一つの罵声。こちらはカタリナにも聞き覚えのある声であったので見ずとも分かったが、視線をそちらに向ければ案の定、そこにいたのはウンディーネだった。明かりに照らされたその表情からは、冷静さを欠いてはいないものの目元の隈と相まって非常に鬼気迫るものを感じる。
 どうやら見る限りではこの場にいるのはその二人だけのようだ。井戸の底からは松明の明かりかと思われたものは、朱鳥術によって作られたと思われる炎だった。
 そしてその炎がウンディーネの言葉に反応して揺らめいたかと思うと、炎の詠唱者であろうと思われるボルカノがウンディーネへと向き直った。

「何を言う!俺に渡せ!」

 どうやら、この二人組は一枚岩ではないようだ。まあ今自分が持っている物を争っていた二人であればそれも仕方ないか等と思いながら、カタリナは今が好機とばかりに井戸から上がってくる他の面子を手伝っていた。
 しかしボルカノに向かって暫くは罵詈雑言の応酬を行なっていたウンディーネだったが、そこは年長者らしく、はっと我に返って話を仕切り直しにかかる。

「そんなことを言ってる場合じゃないでしょう。まずは協力してこいつから盾を奪うのよ」
「わかった!!」
「・・・おいおいそこは素直かよ」

 丁度この押し問答をしているところに出て来たハリードは、ウンディーネの提案に対し存外素直に応と答えるボルカノを目にして思わず突っ込んだ。
 しかし実のところ、状況は全く以って楽観視してなどいられない。何しろ、相手は世界屈指の玄武術師と朱鳥術師なのだ。術のいろはを知り尽くした強力な魔術師は、寧ろ知能の低い巨人等など比べ物にならないくらいカタリナにとっては厄介な相手だといえる。
 更にいうと、どうやら目の前の二人は意志の統一こそなされていない様子であるものの、互いの特性と連携をかなりの域で心得ているようだった。
 ウンディーネが片腕で何かを伝える仕草をすると、ボルカノが慣れた様子で後ろに下がり詠唱態勢をとる。そしてウンディーネはそれを確認することもなく自身の魔術行使における適正距離を取ろうと動き、ボルカノが適時それに合わせていく。
 連携を心得ている熟練魔術師二人が相手とあれば、これは最早人間にとっては竜種を相手にするような困難さとさえなるだろう。
 だがカタリナはその危険性が分かっていて尚、まるで二人を悪戯に挑発するかのように武器を手に取る様子もなく二人の前へと進み出て見せた。

「奪うなんて、随分と物騒ね。この盾を何に使うつもりかは知らないけれど、街の皆は貴女達の争いに巻き込まれて迷惑しているわ。そんな争いの種になるようなものは、このカタリナが預かり受けることにしました」

 その言葉にウンディーネは両の瞳の内に憎悪の炎を宿しながらも、あくまで冷静に、ゆっくりと両手を前に突き出した。

「それは貴女の命の為にもお勧めしないわ、ロアーヌの騎士さん。これが最後の忠告よ。その盾を、こちらに渡しなさい」

 言葉とともに、ウンディーネの周囲に驚異的なまでの魔力の収束が起こる。それに合わせボルカノも魔力放出を始めると、その身の回りには高温の炎が揺らめき回り、まるでその姿は炎の魔人を彷彿とさせるようなものとなっていった。
 その姿を目にしてカタリナは、しかし全く余裕の表情で腰に手を当て、左足に重心をかけて微笑んでみせる。

「・・・渡さない、と言ったら?」

 カタリナのその言葉に、ウンディーネは先程までの怒りが嘘のように、妖艶に微笑む。だがその笑みこそが彼女の本気を表していることは、誰の目にも明らかだ。ハリードが曲刀を構えつつ後ろからあまり挑発するなと助言を施すが、それでもカタリナは相変わらずの態度を貫いた。
 その様子を瞳に映しながら、ウンディーネはその形の良い唇を開く。

「それは・・・このウンディーネの研究に於いて欲して止まなかった、念願の代物なの。その入手を邪魔しようと言うのならば・・・そう、故事に則るまでよ」
「故事、ねぇ。それならば・・・そうね、御誂え向きの前置きが必要ね?」

 カタリナが相手の言葉を汲み取ってそう言いながら微笑むと、ウンディーネもまた妖艶な笑みで応える。

「・・・ねんがんの まおうのたてをてにいれたぞ」

 そう呟いてカタリナがにやりとしてみせると、ウンディーネは口の端を釣り上げ、嗜虐性に溢れる顔を露呈しながら応えた。

「メ几
 木又してでも うばいとる・・・っ」

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第七章・1 -学術都市モウゼス-

 

 薄暗く、瘴気の残滓が色濃く残る空間の中に、場違いに甲高い靴音が等間隔で響き渡る。
 主人を失い棲息するものの気配が立ち消えた廃墟に颯爽と現れたその女は、明らかに廃墟を歩くことを目的として作られていないであろうヒールをまるで己が尊厳であるかの如くに頑なに身に付け、その廃墟の最深部までやってきたのだった。
 かくして、その最深部には先客がいた。
 壁に向かってしゃがみ込んだその先客の後ろ姿はまるで建物と同化しているのかと思うほどの煤汚れっぷりで、まさかここの住人ではあるまいかと訝しむほどの様相だ。

「・・・一日早く着いているとは聞いたけど、貴方まさか昨日からずっとこの中にいたのかしら。よくもまぁ、こんな瘴気と埃まみれの所に一日中いられるわね」

 片足に重心を掛けて豊かな胸部の下で腕を軽く組み、女は部屋の奥でしゃがみ込んでいる先客に遠慮なく悪態を吐く。
 そしてその声に特段反応するでもなく部屋の中を調べ続ける先客に対し、女もさしてそれを気にすることもなく部屋の中をゆっくりと見渡した。
 入り口からここに来るまでの間は無人であるだけで建物自体がそこまで損壊しているわけではなかったが、最深部であるこの部屋だけは、特段に損壊度合いが激しい。それだけ、ここで行われた戦闘の壮絶さが伺えるようだ。

「取り敢えず、分かっていることを教えて頂戴」

 女のその問いに、先客は漸くゆっくりとした動作で立ち上がり彼女の方へと体を向けた。

「・・・今のところ分かっていることは、ここにあるものは今の科学や魔術理論では何も分からないだろう、という事です。初めまして、プロフェッサー。ランスの天文学者、ヨハンネスです。因みに、流石に一日中いたわけではありません」

 ヨハンネスが直立のまま微動だにせず名乗ると、対するプロフェッサー・・・教授はヨハンネスをたっぷり十秒程上から下まで眺める。一見して学者然とした服装だが、身に纏っているのは白衣ではなく赤を基調とした服。これでは暗がりで見辛い事この上ないな、という程度の感想を抱いた後、ふんと鼻を鳴らし早々に興味を無くした様子で歩き出した。そしてそのままヨハンネスの横を通り過ぎ、部屋の最奥に座す破壊された何かの装置らしきものの前に立つ。
 先刻埃まみれを嫌がるようなことをヨハンネスに言ったことなど既に忘れたのか、肩にかけていたバッグから薄手の手袋を取り出し慣れた手つきで装着しながらその場にしゃがみ込んだ。その動作で周囲の埃が舞うことも、まるで気にしている様子がない。
 そして徐に装置の残骸にそっと触れ、隈なく観察を始める。

「・・・所々に刻まれているのは、古代文字ね。解読は?」

 振り返るでもなく観察を続けながら教授がそう言うと、ヨハンネスも別の箇所の観察に移りながら口を開く。

「その辺りの文字は、何かの名称を示しているようです。恐らくですが、意味のある言葉のつながりではないですね」
「そう。後でそれらをまとめたものを用意して頂戴」

 そのような短いやり取りを時折繰り返しながら、二人は黙々と現場検証を続けていく。
 彼らの他には現場に立ち入っている人間は皆無のようで、何方かが喋らない間は不気味な静寂がその場を支配していた。しかし互いがそのような環境に馴染んでいるのか、全く動作が乱れる素振りもない。
 そのまま幾許かの時が過ぎたあたりで、今度は足音も殆どない中で灯りが部屋へと近づいて来た。ロアーヌ騎士団のフォックスだった。

「二人とも、お疲れ様。食事、持ってきたわよ」

 二人の背中に向かってそう声をかけると、即座に動いたのは教授だった。相変わらず甲高い靴音を響かせながら手袋を外しつつフォックスの元に歩み寄ると、何処に仕舞っていたのか折り畳み式の椅子を広げて座り、まるでこれも作業の一環であるかのように無機質な印象を抱かせる動きでフォックスの持ってきた食事に手をかける。

「外の様子はどうかしら?」

 大量に盛られた大粒の果実を口に運びながら、不意に教授がフォックスに問いかける。それに対してフォックスは、左手を腰に当てながら答えた。

「特に問題ないわ。要塞内にも変わらず敵対勢力無く、周辺巡回の各部隊からも特段報告はないわね。北部上陸地点のキャンプ、及びアケとの連絡網も滞りなく機能している」
「そう。瘴気はどうかしら」
「それは依然として周辺地域に至るまで色濃く残っているわ。勿論、ここが一番濃いのだけれど・・・」

 外の様子を説明するフォックスの言葉に耳を傾けながら、教授は足を組み直して果物を齧りながらどこか遠くを見るように目を細める。
 するとそこに、ヨハンネスも漸く重い腰を上げて合流してきた。

「・・・ここは興味が尽きませんね。この瘴気がなければ、暫く住んでもいいと思えるのですが」 

 特に椅子などを用意することもなく地べたにそのまま腰を下ろし、教授と同じく身につけていた手袋を外して果物の籠に手をかける。

「しかしここの瘴気は、おそらく消えることはないのでしょうね」
「・・・そうなの?」

 フォックスが首を小さく傾げながら聞くと、ヨハンネスはこちらも小さく頷いた。

「恐らくこれから三百年をかけ、ゆっくりとこの火術要塞は再生されていくのだと考えられます」 
「そうね。確かにこの要塞、現時点では直近の損壊以外の物損が確認できていないわ」

 ヨハンネスの言葉に、唐突に教授が被せて意見を述べる。ヨハンネスは教授の言葉にも小さく頷いた。
 魔王が四魔貴族をアビスより呼び出し従えて六百年あまり。その間存在し続けているこの居城は、なんと全くの新築といってもいい状態だと彼らは言うのだ。
 それは全く以て非現実的な話に思えるが、しかし不思議とフォックスは二人のその反応に妙に納得してしまっていた。この火術要塞は確かに建物全体がまるで息づいているかのように、微弱に鳴動を続けているようにフォックスには感じられていたのだ。
 主人は消えたというのに、どこからか流れ込んでくる灼熱の溶岩も止まることを知らず、壁を走る不気味な朱鳥術の明かりも消える事なく、そのままだ。
 それはまるで、この要塞そのものが生きており受けた傷をゆっくりと癒しながら三百年の後に訪れる主人の再臨を待っているかの如く。
 三人のいるこの部屋には、この火術要塞の『核』と思われる何らかの装置の残骸がある。それが壊れてもなお、要塞は息衝いているというのだろうか。

「・・・日が落ちる頃に、呼びに来るわ。でも、その前に出て来るなら出てきて。人がここに長く居過ぎては、瘴気に侵されてしまうわ」

 二人が一通り食事を終えたのを見計らい、フォックスはそう言って空になった籠を持ち上げた。 
 教授はフォックスに見向きもせず、ヨハンネスはぺこりと頭を下げ、其々の作業に戻っていく。
 それを見届けてから出口に向かって歩き始めたフォックスは、空の籠を抱きかかえたままゆっくりと歩きながら考え事をする。
 なにしろその考え事の対象は、彼女たちが今護衛を務めているあの二人についてだった。
 一人は、ツヴァイクの西の森に居を構えるという『教授』と名乗る人物。一見して外見にもしっかりと気を使っている様子の美女だが、しかしその言動はどこか人間離れしている。また聞くところによれば文字通りの天才であり、現代科学の水準を大きく逸脱した存在である、との事だ。
 そしてもう一人は、聖都ランスからやってきた天文学者ヨハンネス。こちらはあまり手入れしている様子もなく伸びた髪と無精髭、よれた着衣という見たまんま出不精のような外見であり、言動もどこか陰がある。だが一方でその天文知識とアビスに関する知見は世界屈指であるといい、また聖王家とも関わりがあるのだという。
 彼女ら二人はこの火術要塞の調査依頼を受け、遥々北方からこの密林までやってきたのだった。 
 ここ火術要塞の周辺は現在ロアーヌ軍が駐屯地を隣接形成し、警戒体制を敷きながら調査を行なっている。これらの調査は、開始から既に二十日ほどが過ぎていた。だが調査の一日目で『専門知識や技術を持つものでなければ何も分からない』という結論に早くも辿り着き、二人の招致と相成ったのだった。
 因みに専門調査員についてこの二人を推薦したのは、本調査隊の前身となる『アウナス討伐隊』の隊長を務めていたカタリナであった。
 世界中を回った彼女が知る限りで最も本調査の進展が望めるのはこの二人であろうとの強い推薦により、現地から使者を送り二人がそれに応えてくれた形だ。
 其々住んでいる国も違うというのに急な要請に応じてくれるものなのだろうかとフォックスなどは思ったものだが、カタリナの予想通りに二人は存外即決で調査を引き受けてくれたという。だがそれも、今になってみればフォックスにも分かるような気がした。なにしろあの二人は見た目こそ全く違えど、兎に角目の前の研究に没頭すると止まらないという意味では全く一緒の特性を持っているようなのだ。そしてその興味は、正に常人の及ばぬ領域にこそ強く注がれる傾向にあるらしい。そういう意味では、この火術要塞という調査対象は彼らの興味を大いに惹きつけて止まないものであることは間違いないのだろう。

「・・・それにしても、本当にここで一体何があったというのかしら」

 いつの間にか要塞入り口まで戻ってきていたフォックスは、そう一人呟きながら振り返る。
 其処には、主人を無くした火術要塞がひっそりと、しかし重苦しく鎮座していた。

 

 

 商都ヤーマスより南方へ向かうと、ルーブ地方と静海沿岸地方を結ぶ流通の要である「海上都市バンガード」がある。三百年の昔に聖王が幾多の失敗と犠牲の上に作り上げた対魔海侯用決戦要塞であるという伝説を持つこの歴史ある都市を更に南に向かうと、これまた聖王伝説所縁の地である「学術都市モウゼス」がある。
 このモウゼスには、かの聖王三傑の一人とされる偉大なる水術師ヴァッサールを創始者とする「魔術ギルド」の本拠地が存在している。それ故に世界中から有能な学者や術者がこの地へと集い、日夜研鑽を積んでいるのだった。
 カタリナは今、このモウゼスを訪れていた。

「アウナスが消滅していた原因は、結局不明のまま・・・。結果自体は喜ばしいことのはずなのに、何故か嫌な予感が拭えませんね・・・」

 モウゼスの宿屋の一室にて、ミューズが上品に紅茶を一口啜ってからぽつりと呟く。
 ヤーマスでポール達と共にドフォーレ商会の制圧作戦を終えたミューズは、現地でピドナと連絡を取りつつ騒ぎの収束を待ってからポール達と別れて従者のシャールと共にバンガードへと南下した。
 彼女らの目的は、ドフォーレの盗掘品の中から入手した「古代魔術書」の解読をモウゼスの魔術ギルドに依頼するというものだ。
 この任をミューズが担う理由には、彼女がいよいよ対ルートヴィッヒ体制の旗印として立ったことによる、敵対勢力の刺客による暗殺の危険性を危惧するということも含まれている。
 下手にピドナに凱旋するより、このように極少人数で秘密裏に動く方が動向を探られる危険性も格段に少なくなるだろうとのトーマスとポールの采配だった。
 現に彼女がいなくとも、彼女の今回の活躍はメッサーナジャーナルを始めとした世界各地の広報紙が大々的に伝えており、その活躍に賛同する者たちは続々と各地のクラウディウス所縁の者たちと繋がりを持ち始めている。そして秘密裏にそのまとめ役を担うのがトーマスであればこそ、ミューズ自身はなにも心配をすることなく己の今するべきことに集中できるのだ。

「そうですね・・・それに、サラの行方も心配だわ・・・」

 カタリナも珈琲を一口だけ唇を濡らす程度に飲み、長い睫毛を伏せがちに視線を落とした。
 その隣では、フラワースカーフで羽を隠したフェアリーも同じく表情が浮かない様子で椅子に腰掛けている。
 カタリナはドフォーレ事変と同時期にアウナス軍の侵攻を受けた妖精族救出の任を達した後、駐屯するエデッサ島にて合流したハリードと道案内を買って出てくれたフェアリーと共にロアーヌ騎士団を基礎としたアウナス討伐隊を編成、密林へと進軍した。
 妖精族の村が消滅し密林での勢力拮抗が消えてしまった今、一刻も早くアウナスを討伐せねば密林およびその周辺地域が被る被害は甚大なものになると妖精族の長が強く警鐘を鳴らしていたのがこの進軍の理由であった。
 この時、対アウナスに於ける戦闘手段としてトーマスから「妖精の弓」が届けられるという手筈であったものの、いくら待てども届くことがなかった。待機の間にも進む瘴気の加速度的な増大に危機感を募らせたカタリナは、やがて限界を察知し侵攻を開始するものの、討伐隊が火術要塞へ到達する数日前になってその状況が一変。
 突如として、魔炎長アウナスの放つ禍々しい瘴気が、消滅したのだ。
 その異変に最初に気付いたのは、討伐隊に同行するフェアリーだった。その異変に動揺するフェアリーを気遣いながらも難なく火術要塞へと到達した討伐隊は、そのまま不気味な沈黙に包まれた要塞内へと足を踏み入れた。
 しかし要塞の中には一切の妖魔もなく、探索の末に辿り着いた最奥の間では空間一面に荒々しく刻まれた激しい戦闘を思わせる幾多の痕跡があるのみだったのだ。
 カタリナはその部屋に入った時、周囲の騎士達が重苦しい瘴気に慄く中、確かにここには四魔貴族が居ないという事を確信した。実際にアビスゲートを司る間に入り魔戦士公と対峙した彼女だからこそ、その圧倒的な存在感の有無を理解することができたのだ。
 この時点で討伐隊はその任を討伐から現地調査に切り替え、要塞近くに陣を張って警戒と調査に乗り出したのだった。
 その後カタリナは難航が予測された調査現場への専門調査員導入の手配を進めると共に、本件を踏まえて今後の方針を定めるべくハリードやフェアリーと共にピドナへ帰還し、そこでサラの行方が分からなくなっているという事実をトーマスから聞かされたのだった。
 カタリナが帰還する一月程前にカタリナカンパニーの拠点であるピドナのハンス商会事務所にはサラが書いたと思われる手紙が届いており、それによれば彼女は「どうしてもやらなければならないことが出来た」との事で独自に動いているというのであった。
 しかしその詳細は手紙には何も書かれておらず、確かにその筆跡はサラのものだと思われるものの、トーマスもこの展開が読めずに首を捻っている所だったのだった。
 サラの動向についてトーマスが掴んでいる手がかりは、二つだった。キャンディがピドナ北の宿場町で真夜中にサラに会ったという証言と、あとは届いた手紙の受付場所がピドナからトリオール海を挟んだ先のリブロフであるという事。
 既に現地には人を派遣して聞き込み調査を始めているとの事だが、まだ具体的な成果は上がってきていないようだった。
 カタリナとしてもサラのことは非常に心配だったが、とは言え彼女がそこで手をこまねいていても仕方がないのも事実。
 そこで彼女の行動と同時期に進行していたドフォーレ商会買収劇後の連絡をヤーマスと取り合う際、身の安全を考慮しミューズを暫く秘匿する方針を定めたにあたってカタリナとフェアリーも護衛役としてバンガードで合流するように動いたというわけだった。
 三人が浮かない顔でそうしていると、不意に部屋の戸がノックされ、そして此方の返事を待たずに開かれた。
 カタリナほどの騎士ともなれば、見ずとも分かる。この様な無礼な振る舞いを行うのは、彼女の周囲では一人しかいない。

「よう、こっちはもう飯食いに行くが、どうする?」

 果たして扉をあけて現れたのは、猛将トルネードことハリードであった。
 彼もまたピドナで暇を持て余す事を嫌い、カタリナについてきたと言うわけだ。
 女性の宿泊する部屋に断りすら入れずに入り込むその不躾な様子にカタリナは内心でとても腹立たしく思ったが、この男に対して一々そんな事で腹を立てていても仕方ないと言うこともまた、彼女はこれまでの経験からよくあ知っている。
 なのでここは勤めて冷静を装い、静かに珈琲を啜ってからこう答えた。

「あとで行くから取り敢えず一旦、扉を閉めやがって下さりません?」

 

 

「なんつーか、ここの街の飯はスカしてるっつーか、兎に角量も控えめだし昔っからあんま好きじゃねーんだよな」

 世界中から優秀な頭脳の集まる学術都市らしく、落ち着いた内装の食堂内でテーブルを囲う六人の男女。その中でも一際に姿勢の悪さが目立つ老齢の男が、懐から徐に煙草を取り出しつつ目の前にある平らげたばかりの皿に視線を落とした。

「あら、ハーマンここに住んでいたことでもあるの?」

 澄まし顔ではあるが内心自分もうっすらと食事に対してそう考えていたカタリナは、まるで何度もここに来たかのような言い方の老人、ハーマンに向かって問うてみた。
 ハーマンもまた、ピドナでの日々を退屈に感じて着いてきた一人だった。

「そりゃあな。今はこんなナリだが、一応船乗りだったもんでな。世界中の街の飯も当然、食い尽くしたさ」

 そう言ってハーマンは慣れた手つきで煙草に火をつける。そしてまるでその煙草こそが食事のメインディッシュであるかのように肺いっぱいに煙を吸い込み、一瞬の溜めの後にゆっくりと長く細い煙を吐き出した。
 しかしそうして吐き出された煙は、ハーマンの目の前にまるで見えない壁があってそれに当たったかのように突然に四方八方へと拡散し、やがて独特の不規則な軌道を描きながら霧散していく。 
 そうして漂う煙を、テーブルの向かいにいるミューズが興味深そうに目で追っている。
 カタリナ等と共にバンガードで合流して以降、所構わず喫煙をするハーマンに対してミューズへの健康被害を危惧したシャールが猛抗議を行なった結果、煙がミューズへと届かないようにハーマン自らが蒼龍術で煙を操作するという対策が講じられることとなったのだった。

「んで、午後はここの魔術師を訪ねるんだったな」

 同じく食事を終えて寛いでいた様子のハリードがそう切り出すと、カタリナはこくりと頷く。

「訪問する相手は、現在世界一の水術師と目される魔術師ウンディーネ。その水術の腕は他の比肩を一切許さず、ヴァッサール様の再来とまで言われているそうよ」
「概ね、間違いはないだろうな。術師の間では、私が現役だった時代から有名な方だ。以前は各地を回っていたようだが、ここ最近はこのモウゼス魔術ギルドを拠点として活動をしているらしい」 

 カタリナの言葉に、シャールも両腕を組みながら同意する。シャール自身も術を操る戦士としては高名な術師に会うことに対して多少の期待があるのか、普段よりも若干ながら高揚した様子が見て取れる。
 とはいえ名前がウンディーネとはよく言ったものだな等と思わず感心しながら、カタリナはそんなシャールの珍しげな様子を横目に眺めた。
 本来ウンディーネとは、四大元素のうち水を司る精霊の名を表す。天地六術式を拝するこの世界では水を司る精霊は玄武の名の方が通りは良いが、それでもウンディーネという水の精霊の名は古来より様々な文献に登場しており、文化人ならばその名を知らぬ者はあまりいないだろう。因みに地域によって多少の発音の違いがあり、例えばロアーヌ地方では、オンディーヌの名で知られていたりする。
 そして精霊ゆえに性別という概念があるわけではないのだろうが、その姿は古来から美しい女性の姿で表されることが多く、噂によればモウゼスのウンディーネもその名に見合う妖艶な美女であるということだ。
 まさかシャールに至ってそのような不純な動機で会いたいと思っているわけではなかろうなと思いつつも、身の回りに何かと美女の多いカタリナとしても果たしてウンディーネの名を冠する術師とやらがどのような女性なのかという、多少下世話な興味を少々持ち合わせてはいた。

「因みにこの街にはここ最近でもう一人、世界的に有名な術師が滞在している。名をボルカノといい、若くして既に朱鳥術における世界指折りの実力者であるとの事だ。個人的には、こちらの方にも是非会ってみたいものだが。・・・?」

 シャールは続けてそういい、そしてその直後に急激に湧き上がってきた違和感を感じ取って周囲を見渡した。
 するとどうした事か、彼らの周りで食事をしていた術師と思しき男たちが、明らかな敵意を持った視線を向けてきているのだった。
 その剣呑な様子にカタリナとハリードが自らの獲物に手をかけるのと、三人の術師が彼女等のテーブルを囲うように立ちはだかったのは、ほぼ同時のことだった。

「お前達、何者だ。ボルカノの手先か!」
「・・・一体、何のことかしら」

 男の言葉にカタリナが返すが、しかしその返答が言葉通りに受け取られたとは到底思えない様子で術師三人は臨戦態勢を整えながら腰を低くした。

「だれでもいいさ!どうせボルカノの手先だ、ウンディーネ様に手柄の報告をする序でに、新しい陣形を試してみようぜ!」

 そしてもう一人の術師の男がそう叫んだかと思うと、そこが屋内であることなど全く気にする様子もなく三人は術式の展開を始めた。
 その時点でカタリナとハリードは一人一人の術師の能力が大したものではないということを読みきっていたので、発動した術ごと彼らを叩き伏せるつもりで獲物を構えた。
 だがそれに対して素早く反応したのは、ミューズとシャールだった。

「いけない、この術式は危ないわ!」

 ミューズの身を守るように立ち位置を変えるシャールの後ろでミューズがそう言いながら、もっとも彼女から近い一人の影に向かい左腕を振り抜く。すると瞬時に形成された月影の矢がその術師の影を射抜き、その衝撃で術式の詠唱が崩れた。
 その時には既に何かしらの理由があるのだと感じ取ったカタリナとハリードが一足飛びで距離を詰め、残り二人の術師を剣ではなく拳の一撃で叩き伏せる。そして詠唱を潰された後の一人も、シャールが即座に組み伏せていた。
 ハーマンとフェアリーは、手元の獲物に手をかけてはいたものの動くことなくその様子を眺めていた。

「く、くそっ・・・」

 瞬く間に地に伏した三人の術師を見て更に周囲の術師が色めき立ったが、しかしそこに突如として凛と冷えた空気が舞い込んだことで、彼らの動きは止まった。

「おやめなさい」

 その空気の発生源と思われる食堂の入り口にカタリナ達が視線を向けると、そこには明らかに周囲の術師とは纏う気配の異なる女が立っていた。
 緩くウェーブがかった背中にかかる程度の蒼色の髪に独特の形の黒い髪飾りが映えた、目鼻立ちのくっきりした顔立ち。白い肌に鮮やかに浮かび上がる朱色の唇など、施された化粧の様相からは年の頃はカタリナの一回り程度上と言ったところか。首回りに飾りのついた漆黒の外套を羽織っており、その下には細身でありながらも部分部分においては非常に女性らしい体のラインが浮かび上がった白を基調とするドレスを、自然体でありながらもどこか妖艶に着こなしている。
 正にその姿は、熟した色香を持ち合わせる魔女というに相応しい。

「弟子達が失礼をしたようで。お許しください」

 女はそう言って、カタリナ達に向かって静かに頭を下げた。

「私の名はウンディーネ。このモウゼスの魔術ギルドの代表をしているものよ。旅の方、改めて非礼を詫びるわ。今この街は少し物騒なことになっているので、弟子もそのせいで気が立ってしまっていて・・・」
「物騒なこと・・・?」

 ウンディーネと名乗った女の登場によって周囲の術師達が完全に戦意を失っていることを確認したカタリナは、地面に押さえつけていた男を解放しながらゆっくりと立ち上がりつつ、言葉の中に気になる文言を聞き取ってそれをそのまま聞き返した。

「ええ。元々この街は南北に分かれた構造なのだけれど、お恥ずかしいことに現在魔術ギルドの南部研究所が本部である北部本館と対立してしまっていて・・・。結果として現在南北の通行は途絶、更には小競り合い程度ではあるものの、武力衝突も起こってしまっている状況なの」

 そう言ってウンディーネは胸の下で軽く腕を組み、憂いを帯びた愁眉を覗かせる。
 彼女の弟子だという周囲の術師にそれとなく視線を走らせてみると、弟子達もウンディーネの言葉を聞きながら遣る瀬無い様子で俯いている。少なくとも話の大筋は合っている様子だ。

「・・・そうでしたか。そういうことであれば、こちらの同行人にも大事はなかったので今回は不問とします」

 そう言ってすんなりと引いたカタリナに合わせ、ハリードとシャールも術師を解放する。
 その様子を確認して薄っすらと頷いたカタリナは、そのまま一歩進み出て姿勢を正した。

「初めまして、大魔術師ウンディーネ。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランと申します。私達は実の所、貴女にお会いするためにここを訪れたのです。今回の件を不問にする代わりと言ってはなんですが、少々お話をさせて頂いても宜しいでしょうか?」

 

 

次へ

章目次へ

目次へ

第五章・9 -待ち望んだ再会-

 

「・・・おい、一体どこに向かっている!?」

 やや焦りの見え隠れする声が車内から飛んだ。
 馬車に備え付けられた小さな窓の外に流れる景色が普段と違う事に気がついて車内の男が慌てて御者に声を掛けたのは、教団支部がある邸宅地区へと向かうはずの丘陵を何故か大きく西に外れた、ピドナ旧市街北の人気のなく寂れた広場に差し掛かったところであった。
 聞こえなかったのか男の言葉を数秒ほど無視した御者はあくまで無反応のまま馬車の速度を緩め、ついには広場の中央で停止する。

「おい、何故止まる! ここはどこだ!」

 いよいよ何かがおかしいと気づいた男が御者に怒鳴ると、そこで漸く男の言葉に気がついたように御者は後ろを振り返った。
 そしておもむろに懐から煙草を一本取り出し、マッチで火を付ける。
 小さな窓越しに煙が流れ、馬車内にまでその温海地方独特の香りのきついアロマが蔓延する。
 男の奇行に不審がる周囲をよそにその香りに大きく目を見開いたのは、車内中央に座っていた男だった。
 その顔を窓越しに確認した御者であるハーマンは、そのままにやりと笑って馬車を飛び降りた。
 それを追うように男と、それを追って車内の全員が逃れるように馬車から出てくる。するとその広場にはハーマンの他に一人、少女が立っていた。
 か細く、可憐な容姿の少女だ。男たちはこの少女を見たことがあった。つい先ほど、ピドナホテルの宴会場にこの姿があったのだ。少女はとても美しく印象的で、それが彼らの脳裏にもしっかり残っていた。
 少女はそのつぶらな瞳を数度瞬き、馬車から出た男たちの中の一人をじっと見つめている。
 その少女の隣に立って息と共にゆらゆらと揺れる煙を吐いたハーマンは、くわえ煙草のまま隣の少女に目線だけを向けた。

「おいフェアリー、間違いないか?」
「はい、間違いありません」

 フェアリーが即答する。
 彼女の返答に対して、そうか、とだけ短く答えたハーマンは、煙草を地面に落として火種を踏み潰しながら御者用のフード付き外陰を脱ぎ去った。
 深く皺が刻まれ片方の目を眼帯で覆われたその顔をみても、相対した男たちは不信そうな表情をするだけだ。その様子を気にする事なく、ハーマンは無造作に右手を前に突き出した。
 瞬間、ハーマンの足元から風が巻き起こり、突き出された右手へと収束していく。
 男たちはその段階で漸く身の危険を察知したが、彼らが体制を整えるよりも早く、ハーマンの術式が完成した。

「ふっ飛べ!」

 突き出された彼の右手から、明確な敵意が風圧の鏃と化して男たちを襲う。
 俗にウインドダートとも呼ばれるこの風の鏃は、地術の蒼龍に属する代表的な術式であり、術者の技量によって生成される層の数が全く異なる。ハーマンの放った術式は専門術者の其れには及ばないものの、一般人ならば正面から受けて立っていることは到底出来ないであろう程には鍛えられていた。
 そして幾重かに重ねられた風の矢に男たちが吹き飛ばされ馬車も横転する中、腕で顔面を覆っていたマクシムスからは何か白い霧のようなものが吹き飛ばされていった。

「・・・やはり」

 ハーマンの隣で風圧の余波に軽く腕を翳しながら状況を見守っていたフェアリーは、周囲が吹き飛ばされた中に一人残った男を見て、目を細めながらそう呟く。
 彼女の双眸が見つめる先に直前までそこにいたはずのマクシムスらしき人物は見当たらず、その代わりに黒色の地味なローブに全身を包んだ中肉中背の男が一人、顔面を腕で覆いながら小さく呻き声を上げていた。

「はん・・・てめぇも生きていやがったか、クソハイエナ野郎め。いや、カメレオン・・・だったか」

 化けの皮が取れ去り目の前に現れた中肉中背の男を見ながら、ハーマンは眉間の皺を寄せながらそう言った。
 その言葉にピクリと反応した男は、顔を覆っていた腕を下ろし、まじまじとハーマンを見つめる。

「てめぇ・・・何者だ? 何故その名前を知っている? なぜ俺の変化の術を見破れた・・・?」
「はっ・・・どうでもいいんだよ、んな事は。それよりな、お前にどうしても会いたいってやつがいてなぁ。ちっと会ってやってくれや」

 そういってハーマンが袖口から取り出した煙草に火を付けるのに合わせ、それに示し合わせたかのように、広場の奥から一人の剣士が歩いてきた。
 自慢だった頃には全く及ばないものの、この半年少々の旅路を経て随分伸びてきた銀髪を後ろに纏めて揺らしながらその場に現れたのは、誰あろうカタリナだった。
 その双眸はいつも通り鋭く静かで、だがしかし今は一度解き放たれれば全てを破壊し尽くしてしまいそうな殺意を湛え、黒いローブの男を見つめている。
 その姿をみたローブの男は、彼女と目があってしまった瞬間に背中を突き抜ける悪寒に襲われた。
 そして彼は悟った。自分はここで死ぬだろう、という事を。
 彼は射竦められたのだ。相手の持つ、圧倒的な力と、そして殺意に。
 男はその場を逃れようとはしなかった。いや、出来なかったという方が正しいだろう。生存本能が麻痺する程、彼は既に萎縮してしまっていたのだ。

「・・・お久しぶり、ね?」

 ガチャリ、と鞘の仕掛けが解かれて刀身を露わにした月下美人を片手に構え、言葉と共にカタリナは男の数メートル手前に立ち止まる。

「覚えているわ・・・あの夜、薄い月明かりに僅かに照らされたその姿を。私を謀り、我等がロアーヌ国宝マスカレイドを奪い去った薄汚いその手を。触れてはならぬ私の心の内に土足で踏み込んできた、その汚らしい顔を」

 カタリナの言葉は、男に届いていただろうか。全くの無反応でその場に立ち竦んだままの男は、唾を飲み込んだ。
 その様子を唯々無感情な瞳で見つめたカタリナは、斬りかかる素振りは見せずに剣を片手で弄びながら、男のすぐ横まで歩み寄った。

「・・・聖剣マスカレイドは、今何処に?」

 傍から見れば感情を読み取ることも難しい表情と声色だったが、しかし男には彼女の口から発せられる一言一言が心の臓を強く締め付けられるような威圧感で以て全身に重くのしかかる。
 意図せず呼吸は荒くなり、次に訪れた急激な喉の渇きに、男は再度唾を飲み込む。
 その間を横目に見つめていたカタリナは数秒ほどそうしていた後、薄っすらと目を細めた。

「今ここで答えれば、命までは奪わない。だが今ここで答えないのならば、お前が明日の朝日をみることはない」
「・・・ヒッ!?」

 カタリナから発せられる殺意に漸く生存本能が反応したのか、男は小さく悲鳴を絞り出すと一歩後ろにずり下がる。
 だが、そこで男は止められた。
 ほんの瞬く間に腰のレイピアを空いている手で引き抜いたカタリナが、そのまま躊躇う事なく男の左足の甲を貫きながら地面に突き刺したのだ。

「ぎゃああああぁぁ!!!??」

 みるみるうちに男が身につけていた布製の靴は赤黒く染まってゆき、激痛に男が叫びながら地面に倒れこむ。
 自らの足を貫いて地面に縫い付けているレイピアに縋りつこうともがくが、それを冷たく見下ろしたカタリナは更にレイピアを深く突き入れた。
 再び男が悲鳴を上げた後に呻いているとカタリナは男に向き直り、再度問いかけた。

「マスカレイドは、今何処に?」
「も、もうここにはない・・・! ナ・・・ナジュだ・・・神王の、塔に・・・」

 怯え切った様子の男は、流血も手伝ってか青白く生気の抜け落ちたような表情でそう言った。
 その言葉を聞いた瞬間、カタリナは徐にレイピアを地面から引き抜く。同時に男の短い悲鳴が聞こえたがそれは無視して血振りをしたレイピアと月下美人を鞘に収め、左手を軽く掲げる。
 すると物陰からポール、ユリアンの二人が現れた。

「憲兵に突き出す前に、尋問をお願い。知っている事は全部吐いてもらいましょう。私は・・・トーマスのところにいくわ」
「あいよー。危うく本当に殺しちまうかと思ったぜ」

 茫然自失といった様相の男を尻目にポールがそういうと、カタリナは酷く不機嫌そうな表情でそっぽを向いた。

「そんなことをしたって私の怒りは収まらないし・・・マスカレイドも返ってこないわ。だから今は殺さない。それだけよ」

 そういって最後に男を一瞥したカタリナは、足早にその場を去っていった。
 ポールとユリアンはその様子をみてお互いに肩を竦め、ポールが倒れこんでいる男の止血をしてやり、ユリアンはその他の伸びている男たちを一箇所に集め始めた。

「・・・これ全員?」
「・・・そうみたいだな。その悪趣味な赤珊瑚のピアスが、こいつらが真っ黒なことの証明よ」

 ハーマンがそう言うのを聞いてユリアンが男たちの耳に注目すると、確かに大小こそ違えど、皆が一様に赤珊瑚製のピアスを身につけていた。

「その悪趣味なのが、ジャッカル一味の証さ」
「・・・わかったよ。ってか手伝ってくれてもいいんだよ?」

 ユリアンの言葉にハーマンはギロリと視線を険しくしながら煙草をふかした。

「に、睨んでもダメだって。それこそほら、一人でモタモタしてて途中でこいつ等が起きちゃったら一大事だろ?」

 当然起こり得るであろうリスクをユリアンが真面目に手を動かしながら言うと、しばらく仏頂面のままであったハーマンも漸く煙草を消して、ユリアンの近くに束ねて置いてあった縄に手を伸ばした。

「・・・ったく、年寄りをこき使いやがって」
「いやいや、ハーマンはどう見ても労わってくれって顔じゃないっしょー」
「・・・ぶっ!」

 ハーマンとユリアンのやり取りに、男の止血を終えて縄をかけていたポールが思わず吹き出す。それがハーマンの気に障ったらしく、賊を縛った縄を持ったままポールに向き直って怒鳴り散らした。

「てめぇ今笑いやがったな!」

 その剣幕にポールが慌てて謝れば、今度はユリアンがまたしても一人で男たちを縄にかけなければならない現状を憂いで声をあげる。
 その様子を見ながらいつの間にか横転した馬車の上に腰掛けていたフェアリーは、一人クスクスと笑っているのであった。

 

 

「うーっす・・・あれ、旦那だけ? カタリナさんは?」

 太陽が彼方西方のデマンダ山脈に沈んでから幾分かした頃、漸く賊たちを憲兵へ引き渡し終えてハンス家に帰ってきたポールは、蓋を開けてみれば十数人にも及んだ大捕物の末に得られた幾つもの貴重な情報をいち早く知らせようと、一息つくのも後回しに先ずはトーマスの部屋へと直行した。
 しかし扉を開けてみれば当然そこに一緒にいるであろうと思われたカタリナの姿はそこにはなく、ただ部屋の主たるトーマスが一人静かに書を認めていたのだった。
 思わず声をあげながら部屋の中を見渡し、次いで首を傾げる。

「あぁ、ポールか。お疲れ様。カタリナ様は・・・所用で出かけているよ」

 ポールに視線を向けて微笑んだトーマスは静かにそういい、作業机を離れて部屋の中央に設置してあるソファに座り、自分の向いへの着座をポールに促した。
 ポールがそれに従って座ると、トーマスは執事に飲み物を頼んでから、早速今回の成果を聞きたいと口を開いた。

「いやー、そりゃもう大漁大漁よ。歴史の裏を垣間見たようだったぜ。まぁ・・・ちとミューズ様とかには刺激が強すぎるだろうが、な・・・」

 結論からいえば、ハーマンが予測したとおりに神王教団のピドナ支部は、ほぼ丸ごと海賊に牛耳られていた。
 ピドナ教長であるマクシムスの正体はやはり温海で悪名高い海賊ジャッカルという人物で、その過去を秘して十年ほど前に突然神王教団の本部があるナジュに現れ、神王教団に接触した。そして直後に起こったナジュ王国との戦にて頭角を表したのだという。その当時から既に部下たちと共に裏では様々な工作を行い、神王教団内での立場を確保していった。
 そしてある時、当時リブロフ軍総督であったルートヴィッヒに秘密裏に接触し、アルバート王亡き後に王位を狙っていた彼にピドナ侵攻を持ちかけたのだった。
 ナジュに君臨していたゲッシア朝ナジュ王国がハマール湖の戦いで神王教団に敗れた際、元々ナジュ王国と親交のあったことも手伝いルートヴィッヒはピドナの近衛軍団長クレメンスに倣って神王教団に対しては否定的な立ち位置にいた。
 しかし聖王の時代以前から栄えた国を滅ぼすほどの勢力を誇る神王教団を正面から相手取る戦力は当然リブロフ軍単体にはなく、かと言って征伐のためにピドナの王宮近衛軍団を巻き込めば、さらにクレメンスの立場が確固たるものになってしまう。それは、どうしてもルートヴィッヒには避けなければならない事項だった。
 その様な状況の中でマクシムスから接触を受けたルートヴィッヒは、それまでの態度を一変して神王教団のリブロフ領内活動に関する一切の規制を無くした。
 当然、その当時戦火を逃れてリブロフ領内に身を寄せていた王朝派の旧ナジュ王国民で構成された臨時自治体から猛抗議を受けることとなったが、ルートヴィッヒはそれを徹底的に無視した。更には怒り狂った王国の人間たちが起こす小規模の暴動を次々に武力制圧していき、その様な治安事情を背景に神王教団との関係値がリブロフには必要不可欠であるということをメッサーナに示したのだ。
 またマクシムスはルートヴィッヒのその様な変化に対する功績を神王教団教主ティベリウスに評価され、他の教団幹部を抑えてリブロフ教長となった。
 そうして急速に関係値を築きながら、五年前、遂にルートヴィッヒはピドナ侵攻を決行する。
 当時マイカン半島の最南端から奇襲さながらに電光石火の早さで上陸したリブロフ軍はピドナの南に広がる平原にて迎え撃った近衛軍団と交戦するも、クレメンスが指揮しシャールが先陣に立つ堅牢な陣形戦術を破ることができずに一度はトリオール海まで引くこととなった。
 だが、その直後に悲劇が起こる。

「・・・今回とっ捕まえたやつな、クレメンス=クラウディウス暗殺の実行犯だそうだ」

 今回捕縛することに成功したマクシムスに化けていた男は、五年前にクレメンスを暗殺した実行犯だった。

「・・・しかもあの野郎、よりにもよってシャールに化けてやりやがったらしい。最っ低の屑野郎だぜ」

 信頼する第一の部下の皮を被った暗殺者に命を奪われる瞬間、クレメンスの心中は如何なものであっただろうか。
 苦虫を噛み潰した様なポールの表情が物語るとおり、想像するのも悍ましい卑劣な方法により、クレメンスは命を落とした。
 そうして団長を失った近衛軍団は内部から瓦解し、いとも簡単にルートヴィッヒに制圧された。

「・・・なるほど、それは・・・ミューズ様やシャール様には伏せておこう」

 トーマスも視線を落とし、両の手を膝の上で落ち着かなさげに組み直しながら言った。
 それに黙って頷いたポールは、気を取り直す様に大きく一息つくと、用意された珈琲に口をつけた。

「とまぁこの辺まではいいとして、だ。問題は、こっからなのよ」

 こうしてピドナ上陸を果たしたルートヴィッヒが近衛軍団長となり王座にリーチをかけ、それと同時にマクシムスは教主の命を受けて神王教団ピドナ教長となった。
 そしてここから、いよいよマクシムスの本格的な野望が動き出したのだ。

「まず、内乱に乗じてレオナルド工房に祀られていた聖王の槍が盗まれた。勿論、マクシムス達の仕業だ。そしてあいつらはピドナ支部を本格的に設置すると、そこで表向きの布教活動を淡々とこなしながら、裏では各地に聖王遺物捜索のための人間を送り込み始めたらしい」

 世界各地には、聖王や魔王に纏わる様々な伝記が残されている。
 マクシムスはその様な伝記を片っ端から掻き集め、手当たり次第に現地に人を送り込んでいった。
 そうしてこの五年程で彼らは、最も星に近き場所に眠るとされる七星剣や歴代の聖職者たちに清められ続けたヤドリギ製の栄光の杖など、聖剣マスカレイドや聖王の槍以外にも幾つもの聖王遺物をその手中に収めていった。

「神王教団がそこまで必死になって聖王遺物を集めるのには、一体どんな理由が背景にあるというんだ?」

 トーマスがそう首を傾げると、ポールは不機嫌そうな表情で吐き捨てるように言った。

「そりゃ旦那、力が欲しいってだけよ。悪党どもの考えることは、どこでも一緒さ」

 キドラントの草原で教授から聞いた言葉が、ポールの脳裏に浮かび上がる。
 北のツヴァイク公が求めるという、ポドールイの伯爵が所有しているという噂の聖杯。そして今回の神王教団が集める、数多の聖王遺物の数々。
 その手に妖精の弓を預かっているポールだからこそ、わかるのだ。あの聖王遺物というものの一つ一つがもつ力は、世間が思う以上にとても強大であると。
 彼自身はまだ引き出せていないが、あの弓にだってとても大きな力が眠っている様に思う。それは勿論、聖王の槍やマスカレイドもそうなのであろう。
 その様な『兵器』を非合法にかき集めてすることなど、我欲による武力制圧以外にあるわけなどないのだ。

「となると気になるのは、それがマクシムス・・・いや、ジャッカルだけの行動なのか、それとも神王教団全体が関与しているのか、か。これはどう思う?」

 トーマスの問いかけに、今度はポールも腕を組み直しながら唸った。
 彼が改めて調べた限りでは、神王教団という組織自体は、よくある過激派の宗教団体の一つにしか見えなかったからだ。
 聖王記に記されたパウルスの予言の一節『後の世に三度死食あるべし。アビスの門開きて、邪悪なる者再び世に出んとす。又、一人の赤子、生き永らえん。光と闇、双方をその身の内に保つ者なり』を魔王を超え、聖王をも超えた神王の出現と読み取った教主ティベリウスは三度目の死蝕を経て自身の考えが正しいことを確信し、このメッサーナの地にて死蝕の翌年に発祥させたのが神王教団である。因みに経緯こそ違えど、この時期には幾つかその様な新興宗教団体が興ったことが確認されている。
 その後ピドナではクレメンスよりそれらの新興宗教が須く弾圧を受け消滅して行く中、ティベリウスは数年の後に難を逃れて本拠地をナジュに移した。ここでナジュを選んだのは、ティベリウスにとって賭けであった。
 当時ナジュ全域を支配していたゲッシア朝ナジュ王国は、長年の失政が続いて民の強い反感を買っていた。
 そんな折に突然訪れ自国民に神王とやらの出現を説くティベリウスと神王教団の信者達を、魔王の時代から何処にも頼らず自らの力で国を護ってきたナジュ王国は快く思わず、当然排除しにかかった。
 ここでティベリウスは王国に長きに渡り不満を抱いていた現地民らを説得し巻き込み、大規模な反乱を起こした。
 それがおおよそ十年前に起こったハマール湖の戦いであり、この戦でゲッシア朝ナジュ王国を逆に滅ぼした神王教団はナジュ王国の王宮跡地に本拠を構え、ハマール湖の戦いにて信者を爆発的に増やしたティベリウスはその地にて教団のシンボルとなる『神王の塔』の建設に取り掛かった。

「確かに死蝕以降に発祥した宗教団体のなかでは最も成功した異例の集団だが・・・ピドナに至るまでの一連の行動には、今回発覚したマクシムスの思惑の様な裏は潜んでいないように思えるんだよな。抑も元はピドナが本拠地だったのに、その時点では聖王の槍には手をつけていない。まぁ・・・それも計算のうちなのかもわからねぇけど、さ」

 そこまで言って珈琲を一口含んだポールは、因みに、と続けた。

「今回とっ捕まえた偽物ではなく本物のマクシムスは今、ナジュに行っているらしい。神王の塔の建設が最終段階に入ったことの視察ってことだが、ぶっちゃけタイミングが良すぎる。これは俺の勘に過ぎねぇんだけど、なんかきな臭いよな」

 そう言って一息ついたポールはもう一度珈琲を啜ると、改めて部屋の中を見渡した。

「・・・んで、カタリナさん遅いけど、どこ行ったんだ?」

 その問いを受けたトーマスは、彼にしては珍しく視線を窓の外に泳がせた後、肩を竦めながら言った。

「出掛けたよ。その・・・ナジュに」

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第五章・7 -決算報告会-

 

「これはこれはカタリナ社長。ご機嫌麗しゅう」
「・・・どうも」

 不本意ながらも最早若干着慣れた感のあるタイトなスーツに身を包んだカタリナがボーイに案内されるままにホテルの一室にはいると、中で待っていたフルブライト二十三世が表情も柔らかに両腕を軽く広げながら挨拶をしてきた。相変わらずな口調なので、反射的に彼女は少し身構えてしまう。

「やはり新聞の一面で拝見するより、現実の貴女は格別にお美しい。今日この会場に招かれたゲストの方々は、本当にラッキーだ」
「・・・」

 次いで出たその言葉にカタリナが心底嫌そうな顔をすると、それすら可笑しいのかフルブライト二十三世は頑なに笑顔を崩さぬまま、まずはカタリナに席を勧めた。
 そこは素直に従ってカタリナが腰掛けると、フルブライト二十三世は部屋の壁にかけられた時計を眺め、ふむ、と頷く。

「さて、今トーマス君は会場設営の最終確認を行っているはず。ですので其の間に私から、今日の会の流れを改めて説明しておきましょう」

 腰掛けたカタリナの目の前のテーブルの上に広げられた進行表の一番上を指差して説明を始めたフルブライト二十三世に、カタリナは一応聞き耳を立てる。
 カタリナ達がハーマンを連れてグレートアーチから戻ってきたのは、これよりつい三日ほど前の話であった。
 カタリナとしては最早その時点で直ぐにでも神王教団ピドナ支部に突撃して教団上層部連中を片っ端から確認したい気持ちであったが、矢張り機というものはしっかり狙うものらしい。
 しかもトーマスが言うには、機を狙う為に必要な環境というものが、まだ出来ていないというのである。

『極力此方が冷静に確認をしっかり出来、二の手を紡ぎやすく、且つ教団とルートヴィッヒの両方を同時に攻略していけるタイミングを作り、そこを狙うのが肝要です』

 それがつまりこの会の本懐であると、トーマスは言った。故に彼にそう言われて帰国からこの二日、今日にカンパニーの上半期決算報告会の表裏の趣旨と流れ、そしてこちらが事前に仕込み、流した情報によって会中に予測されるであろう幾つかの出来事についての対応をメンバー達で煮詰め合った。
 とはいえ矢張りそこはメインプランナーがトーマスであるが故、彼の提案に概ね乗っかる形でカタリナ達は動く事になっている。

(今回の彼の狙いは、二つ。第一の目的と、または同時に攻略の可能性を秘めている第二の目的。これはどちらに転んだって私たちには間違いなく有益・・・。大なり小なり事を進展させることは間違いないわ・・・。しかしこういうのって本当、トーマスだから考えられるものよね・・・私では逆立ちしたってこんな風には思いつかないわ・・・)

 トーマスの考えた今回の会の趣旨は、狙いのどこまでを実現させたとしても益となる、実に今後を見据えた堅実且つ大胆なものであった。彼女らがグレートアーチに情報を探索しに行っている間にも彼はこのピドナ中に彼の思惑通りの様々な情報を流布してその影響をリサーチし、その結果に今日という日を用意した。
 帰ってきてからそんな彼を目の当たりにして、つくづく自分は言われた通りに体を動かすくらいしかできる事がないのだなと、カタリナは勝手に少々気落ちしてしまった程である。

「・・・以上が今日の、ざっくりとした流れです。なにかここまででご質問はありますか?」
「・・・いいえ」

 フルブライト二十三世の最後の確認に、全くの上の空であったカタリナはすぐさま返答をした。
 それでも問題はない。昨夜も寝る直前に何度目になるか分からない確認を、とうに済ませてあるのだから。カタリナ自身の挨拶からカンパニー略歴、業績報告、今後の展望とその一例、協賛各社ご紹介(サプライズゲスト、フルブライト二十三世の挨拶)、そして閉会からの宴席・・・と、今日の予定は暗唱できるほど頭の中にしっかり入っている。
 因みにフルブライト二十三世は今回の会の表向きの趣旨のみを理解しており、その為に昨日夜にピドナに渡航してきたのだった。
 元はと言えば今回の決算報告会というイベント自体も、フルブライト二十三世の提案が発端であったのだという。

「それならば、進行自体は心配なさそうだね。あとは皆様が企んでおられる内容については、少なくとも会中はどうか穏便に運んでくださいね。私はノータッチなので」

 流石に彼は彼なりに何かしらを察しているようだが、かといって関わる気はないようだ。恐らく、そこまで関わったところで彼に利があまりないからであろう。カタリナとしても形だけでも社長なんてものをしていると、商売人がどういった判断基準で最終的に動くのかなどというものが、なんとはなしにわかってくる。

「さて、これは・・・少し予定を早めて開場ですかね。来賓の方々は、大半が既にロビーにお集まりのようだ。流石は今期注目度ナンバーワン企業の決算報告会、といったところかなぁ、ふふふ」

 扉を少しだけ開いて外の様子を伺いながら、フルブライト二十三世はニヤリと笑った。その表情が余りにも堂に入っているものだから、カタリナはやれやれと肩を竦めた。これではまるで、彼が黒幕だ。
 するとそこへ、彼の予測を裏切らない知らせを持ってトーマスが入ってきた。

「これ以上ロビーにお待たせするのは難しいですね。会場も設営オーケーですので、十五分巻きですがオープンしましょう。カタリナ様は此方へ。フルブライト様は後ほどホテルの者が裏から舞台袖の扉までご誘導致します」
「あぁ、わかったよ。それではカタリナ社長、後ほどゆっくり語らいましょう」

 そう言ってにこやかに見送るフルブライト二十三世を背に、カタリナとトーマスは部屋をあとにする。
 部屋を出ると直ぐ様トーマスは会場入口にて名簿を管理いていたサラに駆け寄って声をかけ、次いで控えていたホテルの黒服に開場の旨を伝えた。
 そして間も無く会場の扉が大きく開かれると、ロビーにいた大勢の来賓客が続々と中へと入っていく。
 その様子を見ながらカタリナは足早にロビーの端にある階段へと向かい、会場へと流れていく来賓客を横目に登った。その先は三階層分か吹き抜けとなっており、カタリナは丁度ロビーを上から見下ろせる位置にある手摺に佇んでいたダンディーなスーツに大きめのハットを被っている二人組に近寄った。
 お互いが談笑するような仕草をしながらも常にそこから階下のロビーを眼光鋭く観察していたのは、普段の格好からは想像もできないのだが、ハリードとハーマンであった。

「・・・どう?」

 近付くカタリナの気配を既に察知していた二人は、そう言って彼らの後ろにあるソファに座ったカタリナの言葉に、視線は向けずに答えた。

「近衛軍団からの来賓がさっき数人通ったがな・・・その筆頭は、ありゃあ副団長のマルセロだ。ルートヴィッヒの子飼の中では、かなりの古株だな。随分大御所が出てきたもんだよ」
「成る程ね・・・そうなれば、カンパニーは近衛軍団からの注目度も上々、と判断して良さそうね」

 ハリードの言葉にカタリナがその背中へ答えると、次にハーマンが口を開いた。

「まだ教団っぽい連中ってのは通ってねぇな。とっとと通りやがれってんだ。この格好、胸糞悪くてしょうがねぇんだよ」
「ふふ・・・似合ってるわよ」

 可笑しそうに笑いながらのカタリナの言葉に益々不機嫌な表情になるハーマンであったが、しかしその直後、ロビーに向けられていた彼の目が鋭く細められた。
 それにいち早く気付いたハリードがさり気なく彼の視線を追うと、その視線の先では濃いめの青緑色をしたローブを身に纏った五、六人の集団が、それ様に特別に設えられた事の一目でわかるたいそう立派な作りの馬車を降りてホテルのエントランスへと現れたところであった。
 集団はその殆ど全員が頭までローブを被っており、ハーマン等の位置からではその顔までは分からない。
 しかしその中で一人だけ顔を出している人物がおり、位置関係からしてその人間があの集団の中で最も位の高いことが伺えた。
 相変わらず義足とは思えぬ機敏な動きでその場から歩き出したハーマンは、先ほどカタリナが登ってきた階段を下り、降りた位置のすぐ脇に置かれた灰皿の前に立った。そして、スーツの内ポケットから普段とは違うピドナで流行りの銘柄の煙草に火をつける。そしてゆっくりと味わう様に煙をふかしながら、紫煙の向こうを横切って行くローブの集団を眺めた。
 その間は、ほんの数秒だった。そのまま何事もなくローブの集団はハーマンの前を素通りし、彼らは恭しくお辞儀をする受付のサラに名乗りを上げた。

「これはこれは・・・まさかマクシムス様にご来場頂けるとは、光栄で御座います」
「我々の教義では商業の発展を促す故、御社のようなこの地で成長目覚ましい企業の空気を是非、肌で感じたいと思いましてね」

 サラの隣に立っていたトーマスが教団の面々に対してそう挨拶しているのを聞き届けると、ハーマンはもう一口だけ煙草を吸ってから物足りなさそうな顔で火種を潰し、ゆっくりとした足取りで再び階段を登っていった。
 丁度そこではカタリナが頃合いを見て会場に向かおうとソファを立ったところであった。
 そのすれ違いざま、ハーマンがカタリナに耳打ちをする。

「どういうことかはわからねぇ。だが間違いねぇ。あのマクシムスって野郎、ジャッカルだ」
「・・・!?」

 突然囁かれたその言葉にカタリナは立ち止まり、一歩遅れて眉を顰めて返した。

「ジャッカルって、海賊ジャッカル本人?」
「あぁ、そうだ。あんな汚ねぇ顔は絶対忘れねぇ。あんとき首根っこをかっ切ってやったのに、生きてやがった。こりゃ間違いなく神王教団は、黒だ。あいつがいてマトモな場所であるわけねぇ」

 神王教団幹部たちが通り過ぎていった通路を不機嫌そうに眼光鋭く見下ろしながら、懐から取り出したいつもの煙草に火を付けるハーマン。
 カタリナもそんな彼と通路を交互に見ながら、この後の一手をどうするべきか、考えていた。

 

 

「以上を持ちまして、第一上半期決算報告会を終了とさせていただきます。この後引き続き、すぐ上の階の会場にてささやかながら宴席のご用意がございますので、どうぞお時間の許す限りお楽しみください」

 トーマスが壇上からそう言い終わって軽く一礼をすると、会場の扉が開け放たれ、ボーイ達が来賓客を宴席会場へと誘導し始める。
 それを確認してカンパニーの面々が壇上から降りるとカタリナとトーマス、そしてフルブライトは一気に来賓に囲まれ、業績に対する賛辞を惜しみなく浴びた。
 その三人が揉みくちゃにされて動けないでいる間にそそくさとその人ごみを抜けてきたサラは、会場の隅で佇んでいるフェアリーの様子が少し変なことに気がつき、近寄った。
 淡いピンク色のワンピース姿に勿論フラワースカーフを付けているので周囲には相変わらず人間の少女としてしか写っていないが、その可憐極まる容姿は会場内でも視線を集めずにはいなかった。
 それで気分でも害したのだろうかと、少々心配になったのだ。

「大丈夫?」

 サラが声を掛けると、フェアリーはつぶらな瞳を何度か瞬いて、サラを横目で見た。

「はい、大丈夫です。ただ、会場内に一人、おかしな人がいるんです」
「・・・おかしな人?」

 フェアリーのその言葉に小さく首をかしげたサラは、どうやら二人の様子が気になって近寄ってきたらしいエレンを視線で確認し、その到着を待ってから再度口を開いた。

「お姉ちゃん。フェアリーが、会場内に一人不審な人がいるって。まだいる?」

 エレンも何事かと少し目を細めながらさり気なく会場内に視線を走らせた横で、フェアリーは微かに頷いた。

「はい。あの人です」

 指差すわけでもなく視線だけでフェアリーが方角を示し、二人がそれを追う。すると、その先には神王教団の面々が会場を移動しようと立ち上がったところであった。

「・・・あの中の、誰?」

 エレンがそれとなく確認しながら尋ねると、フェアリーも合わせて周囲に悟られない様に努めながら言葉を続ける。

「真ん中の、一人だけフードを被っていない人です」
「・・・神王教団ピドナ教長のマクシムス、って人だね」

 受付をしていたサラは顔も名前も覚えていたので小さくそう言い、しかし不思議そうに首を傾げた。
 一見して何処と無く取っ付き辛そうな強面ではあるが、そういう特徴以外には見る限り妙なところなど彼女には見当たらなかったからだ。
 それは彼女の姉も同じ様で、ふぅむと唸ってはみたものの、矢張り違和感を認識出来ないでいた。
 そんな二人の様子をみたフェアリーもまた首を傾げたが、確かに彼女の瞳には、他にはない明らかな違和感が映り込んでいる。

「あたしには分からないわ。何が変なの?」

 エレンが小声で素直にそう言うと、フェアリーは少し目を細めてみながら再度注視した。

「・・・体の周りに妙なモヤモヤがあって、全身が霞んで見えます。これが私だけに見えているのだとしたら・・・何らかの法術的要素か、精霊等の力が関わっている可能性があります」
「うーん、多分そうみたいね。私には見えない。兎に角これは、トムやカタリナ様達に伝えよう」

 サラがそういいながら軽く頷くと、エレンもそれに倣って頷いた。
 フェアリーがそれに相槌を打ってからカタリナ達のいる方に視線を向けると、彼女らは来賓に囲まれながらゆっくりと歩き出そうというところであった。
 その流れに合わせ、三人もすぐ上の階へと移動を始めた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ