妖精談話・その1 「恋愛の捉え方から見る種族の相違性と類似性」

 

「そういえば妖精族にも、人間との恋物語とかがあるんですよ」
「妖精と人間の・・・恋物語?」

 大きくくり抜かれた大樹の部屋の床の木目から蔦が飛び出し、それが何本も絡まることで形作られた椅子とテーブル。そしてテーブルの中央には大きな籠にこんもりと盛られた、彩もよく種類も多岐にわたる沢山の果物が誇らしげに陣取っている。
 程よい弾力があって抜群の座り心地である蔦の椅子に腰掛け寛いでいたカタリナは、果物の盛り合わせの中から苺を摘まんで今まさに口に放り込まんという姿勢のまま、フェアリーの唐突なその言葉を繰り返して動きを止めた。

「そうです。日常的というような程では有りませんが、この地で私達は昔からアケなどに暮らす方々とは関わる機会がありました。それと潮流の関係なのか温海で船が漂流したりすると、遭難者がジャングルに流れ着くことも稀にあったりしますし」

此方は木の幹の間から咲き出た花弁に触れるか触れないかといった具合でふわりと腰掛けながらカタリナの口が半開きな表情に真面目に頷き返すのは、三百年の時を経て訪れた外界の客人をもてなす妖精の里一日観光ガイドさんこと、フェアリーである。

「そんなわけでして、私達妖精族は人と関わる機会というものが意外に多くあります。ご覧の通りに私たちは外見は人間のそれとよく似ています。なので長い歴史の中に幾つか、そのような物語が点在しています」

へぇーと脊髄反射な反応を見せながら、カタリナは手元のティーカップに口をつける。妖精のいれるティーは、罠にさえ気をつければとても美味しい。それを身を以て学んだ彼女は、今度はフェアリーが一人で作る様をじっと隣で見つめ続けながら、しっかり安全確認をしたのだ。

「でも・・・人間側はさておき、その場合って妖精側には恋愛感情って生まれるものなの?」

 ふと思ったことを、思ったままに何気なく口にしてみる。
 確かに姿形は妖精も人間のそれとよく似てはいるが、精神構造だったり生態系だったりとか諸々の問題というのは起きないものなのだろうか、と思ってしまったのだ。
 そもそも妖精って人間みたいにお腹から生まれてくるものなのか、なんて疑問がカタリナにはあるわけなのである。これでも彼女は、妖精ってお花から生まれるんじゃなかったのか的な乙女思考の持ち主だったりする。

「うーんとですね・・・そこは確かに諸説ありますね。ただこれまでの出来事を元に推察すれば妖精は矢張り基本的には人間と違いまして・・・例えば人間によく見られるような恋愛感情の表現の一つとしての生殖活動等は、私達は好んでは行いません。どちらかと言えばストイックに精神的な繋がりのみを求める傾向にあるようですね。肉欲も恋愛のベースとして割合強く存在するであろう人間側とは、やはりそこの感じ方は違うようです」
「いきなり生々しい話になったわね・・・」

 臆面なくフェアリーがそう言うと、カタリナは少し目を細めながら苦笑いをする。
 するとフェアリーはひざの上で手を組み、続けてふわりと笑った。

「それでも、そういう出来事があったというのはすごい事だと思うんです。言ってしまえば元来私達の精神的な依り代というものは長も含めて、この大樹だけです。それがそうして外部から訪れた何かに新たな執着や依存が生まれたというのは、種族的には私は・・・進化、と表現しても良いと感じます」
「成る程ね。そうかもしれないわね。でもそういう考え方って、こういったコミュニティ内では珍しいのではないのかしら?」

 カタリナがそう尋ねると、フェアリーは確かにそうですねと頷いた。種族として外世界におらずにこういった活動拠点のみで生活が成り立っているコミュニティは、大なり小なり外来を拒む傾向にある。
 その辺りの感覚は、彼女にも分かるのだ。なにしろカタリナ自身も、どちらかと言えば閉鎖的な気質である「貴族」というコミュニティの中で基本的に育ってきた人間だからだ。
 それでも彼女がこれまで育ったコミュニティ内とは異なる感覚にこうして共感を持てるのは、貴族であると同時に騎士として実力社会に身をおいてきたからに他ならない。
 とすると逆にフェアリーがこの里で育ちながらもこういった考え方を持つのは、彼女がここ妖精の里の長に「お転婆」だと形容されたところからきているのだろうか。

「私達妖精は発生時までの記憶を共有しているとは先日お話ししたかと思いますが、それはあくまでもこの大樹に蓄積された大まかなものに過ぎず、またリアルタイムでの思考や感情の共有といった様な事も成されません。故に発声、又は念話による言語を操ります。因みに今は私自身のこうした考えというのは、あんまり皆にいい顔はされませんね」

 苦笑いとも取れる笑みを浮かべながらフェアリーが膝の上で手を組み直しながら言うと、カタリナはティーカップに口をつけながら言葉にならない相槌をうった。
 妖精同士はとても仲が良さそうに見えるし(実際に仲は良いのだろうとは思うけど)意見の対立なんて何も起こらなそうにカタリナには思えたものだが、意外とコミュニティ内での思惑の交差というのは人間のそれと同じく存在しているようだ。

「あ、そうですカタリナさん」

 ぽん、と手を合わせながらフェアリーが唐突にカタリナの名を呼んだ。ところどころこういう仕草がどうにも人間くさくて、とてもカタリナには非常に可愛らしく映る。
 なあに、とカタリナがふんわり応えると、フェアリーは花弁からするりと滑り落ちるようにして降りながら浮き上がると、大きく開けた木の窓に体を向けた。

「今お話しした人と妖精の恋物語の所縁の場所の一つが里からそう遠くない場所にあるのですが、そこが実は私のお気に入りの場所なんです。里はもうそんなに見る場所があるわけでもないので、良ければこれから行ってみませんか?」

 なるほど行動力に定評のある彼女らしい突然の提案に、カタリナはもちろんすぐに頷いた。この辺りの観光案内は、フェアリーにすべてお任せする事にしているからだ。

「では、参りましょう!」

 ふわりと窓の外へ飛び出したフェアリーに連れられるように、カタリナも風を受けて重力の檻を抜け、窓から身を乗り出した。

 

 

 妖精という存在が現在に至るまでに記されている史実に初めて現れたのは、これも聖王の時代だとされている。
 時の支配者であった四魔貴族の一人、魔炎長アウナスが潜むと目される密林の奥に聳え立つ火術要塞へ聖王軍が侵攻する際、ジャングルの危機に奮起し迷える森の中で聖王軍の導き手を自ら名乗り出たのが妖精なのだ。
 しかし、それとは別に妖精をある種の土地神、又は神の使いと捉えた土着の信仰はこの聖王記に描かれた逸話よりはるか昔から存在しているようで、口伝等によって代々伝えられてきた様々な逸話や風習が密林の入り口とされるアケなどにはあるのだという。
 因みに、こうして伝わる話の多くは妖精の悪戯に纏わるものであり、悪い子には妖精がお仕置きに来るぞ、といった具合に躾のために親が子へと聞かせるようなものが多いのだとか。
 しかし、一部毛色の違う伝記も残されている。
 それこそが、妖精と人間の恋物語であるのだそうだ。

「身分や文化の違う二人が落ちる恋物語には結末として悲恋が多いように感じますが、妖精と人間のそれも御他聞に洩れず、そのような話が多くを占めています。ですがこの先で生まれたとされる恋には、恐らくそれは当てはまりませんでした」

 せせらぐ小川を軽やかに飛び越え、辺りを極彩色の蝶々が軽やかに舞う様を横目に歩きながら、カタリナは里の中よりことさらに饒舌なフェアリーの話に耳を傾ける。
 そうして道無き道を導かれて樹々の間を抜けた先には、小さな泉の畔が広がっていた。
 鬱蒼と生い茂る葉の間から降り注ぐ陽光が湖の水面でゆらゆらと輝き、辺りには微かな霧が漂っていてその光を淡く周囲に拡散させている。散らばった光は幾重にも重なり七色の変化を繰り返し、緩やかな風に擦れる葉の音と湧き出る泉のせせらぎが、まるでフェアリーとカタリナを迎えるように周囲に木霊する。
 幻想的、等という言葉で片付けるにはあまりに神秘的なその光景に、カタリナは我知らず息を漏らした。

「・・・ジャングルっていうのは、随分と絶景に事欠かない処なのね」

 カタリナのそんな感想にたいそう満足気に微笑んだフェアリーは、手を後ろに組みながら羽を震わせた。

「ここで、何処か遠い土地から海を渡って漂流してきた男性の旅人とアールヴ族の妖精が出会い、互いが一目で恋に落ちたそうです。男性は肌が浅黒いので、ナジュ方面の出身ですかね」
「・・・会ったこと、あるの?」

 まるでその人物を見たことがあるといったような表現に、畔にしゃがみ込んで泉の水中をまじまじと眺めていたカタリナはフェアリーに振り返った。

「直接ではありませんが、この泉には主さんがお住まいでして。その主さんが拝見したことがあるそうで、教えてもらいました」
「・・・ヌシさん?」

 カタリナがフェアリーの言葉を繰り返してそう言った直後、ざぱーんと泉の水面を盛大に揺らしながらカタリナの身長近くはありそうな魚が、勢いよく中空へと飛び出した。ゆうにカタリナの身長を越えるほどの高度まで躍り出たその魚は重力に引き戻される寸前に大きく身を翻し、そのままの姿勢で吸い込まれる様に泉の水面を打った。
 音に反応してそちらに向き直った瞬間にきらきらと光るその魚に思わず見惚れたカタリナは、そのまま着水の勢いで跳ねた泉の水を思いっきり正面から被ることとなった。
 数秒後、先の拍子に頭の上に乗っかったらしい水草を片手でつまみ上げながら、カタリナはもう一度フェアリーに振り返った。
 なんとフェアリーは、さっきよりも後ろに下がっている。ちゃっかり彼女は跳ね水を避けたようだ。

「・・・それで、ヌシさんは喋れるの?」
「言語は操れません。ただ思念で語りかければ、返ってきます。主さんはここに七十年近くお住まいだそうで、この湖畔で起こった出来事は大抵覚えているみたいです」

 思念による意思疎通が同族以外にも成立するなどと、さり気にとんでもない特殊技術を聞いてしまった様な気がするが、取り敢えずそこは今は流すことにした。

「なるほどね。それで、結局その二人は幸せに暮らしたのかしら」
「それは、残念ながらわかりません。少なくとも私が見聞きした限りでは、二人でジャングルを出て以来の消息は知りません。ですが・・・」

 言いながら泉の上へと移動したフェアリーは、再び手を後ろで組みながらカタリナに振り返って、にこりと笑った。

「古い伝聞を除けば、近年ではこのお話と私自身以外に妖精がジャングルを出た話はなかったので、私の経験則から言えば、恐らくは幸せになったんだと思います」
「・・・つい最近まで人間の手によって捕まってた割には、随分と楽観的解釈なのね」

 こちらも微笑みながら言うと、フェアリーは泉の水面から伸びた蔦のくびれに触れる様に腰をかけた。

「ふふ、外の世界にはこうして私などでは予期出来ないような素晴らしい出会いがあります。勿論すべてが良いことばかりではないのでしょうが・・・そのせいで本来備えている素晴らしさまでもが損なわれるわけでは、ないと思います」
「・・・貴女のその考え、私は好きよ」

 衣服にまだ残っていた水滴を手で払い、ゆっくりと立ち上がりながらフェアリーの言葉に朗らかに応える。
 彼女にとって人ならざる存在との会話は魔族、魔神を数えて妖精で三種族目となるが、ここにきて妖精が自分とは別の種族などとは全く思えなく感じていた。それだけフェアリーはカタリナが想像していた以上にしなやかな思考の持ち主で、よき話し相手だと感じるからだ。

「妖精と人が・・・様々な形でそんな風に惹かれ合うのなら、実は互いの起源は思ったより近いものなのかもしれないわね」
「はい、そうであれば素敵だなって思います」

 そう答えて微笑んだフェアリーはひょいと蔦から飛び降り、泉の上に立つ様にゆっくりと浮かんでからカタリナのそばまで戻ってきた。そしてここまで来た道を指差し、口を開く。

「帰り道、少し寄り道していきませんか? 大樹の近くに、お花の群生地があるんです。摘んでいきましょう」
「ええ、そうしましょうか」

 これまた唐突な提案だったが、もちろんこれにもカタリナは二つ返事で同意した。花摘みなどもう十年以上もした覚えがないが、この密林に広がる花々とやらはきっと見事な眺めで以て、今度も十二分に彼女を楽しませてくれることだろう。

「では、参りましょう!」

 ふわりとその場で一回転しながらそう言ったフェアリーにカタリナも笑顔で応え、二人は泉を後にした。
 うっすら靄の立ち込める泉には、二人を見送る様に再び小さく跳ね上がる主の姿があった。

 

 

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第六章・7 -救援と成敗-

 

 既に密林での異変を察知していたメッサーナ王国海洋警備拠点であるエデッサ砦を中継して、密林地域北部から上陸した妖精族救助隊一行。彼らが密林探索に突入してから現時点で、凡そ二日程が経っていた。
 この時点でカタリナが切り飛ばしたアウナス術妖の数は、ともすれば三桁にも迫らんという勢いだ。
 以前にフェアリーとともに練り歩いた時とは、余りに密林全体の空気が一変していた。

(吐き気を催すような、陰鬱で体に纏わりつく瘴気・・・)

 ふと上を見上げれば天から降り注ぐ木漏れ日も、風に揺れ動く木々の騒めきも以前来た時と変わらないはずだ。だと言うのに、密林全体を覆う醜悪な瘴気が視界に映る全てを歪ませてしまっている。

(此処はもう私の知っている密林ではない・・・これじゃあまるで、噂に聞く腐海森林のよう・・・)

 止まぬ息苦しさに常時顔をしかめながら、カタリナはそんなことを思った。
 事実、ロアーヌ騎士団の精鋭を中心に構成されているこの救助隊の中であっても、倒れるほどまでは行かずとも体調の不良を訴えるものもぽつぽつと出始めている。
 あまり長いことこの森で過ごすことは出来ないだろうと考えた一行は、出来うる限り移動速度を上げていった。
 居ても立っても居られずピドナから風に乗って密林へ飛来したらしいフェアリーと念話を通じながらカタリナが先頭で案内役をしつつ、一行は間も無く妖精の里に辿り着かんとするところだ。
 だが既に先行して辿り着いているらしいフェアリーとこの数時間連絡が取れておらず、何事かあったのかとカタリナは内心気が気ではなかった。
 道に迷う心配はなかった。木々の間から漂ってくる、樹木の燃えた臭い。そして結界が消滅したことによるのだろう、半分以上崩れ落ちながらもその姿を遠くから視認することができる大樹の幹。
 その無残な姿に心を痛めながら、カタリナは後続メンバーを先導しつつ大樹を目指した。
 大樹に近付くにつれ、木々が少なくなって行く。それらの殆どは、燃え尽きたことにより倒れていた。そして倒れた木々のその中に、事切れた妖精族の亡骸が散見される。特に戦士として名高いアールヴと見受けられるものもある。
 カタリナはその姿を見て苦渋に顔を歪ませ、そして立ち止まった。

「どうしましたか、カタリナ様」

 彼女のすぐ後ろをついて来ていたフォックスが語りかけると、カタリナは言葉を発せず、代わりに口元に人差し指を当てる仕草で答えた。
 それを見たフォックスが後続を止まらせ、物音を立てぬようにと伝える。
 それが直ぐに伝わり足音も聞こえぬようになったところでカタリナが注意深く周囲の気配を探る。
 魔物の気配を感じるわけではない。それ以外の一縷の望みに賭けたのだ。

「・・・・・・」

 暫し息を殺して立ち尽くしていたカタリナは、突如弾かれたようにそれまでとは明後日の方向に走り出す。
 それを周囲が何事かと見ていると、カタリナは燃え尽きた倒木を持ち上げて脇に投げ捨てつつ、フォックスたちに向かって声を上げた。

「手伝って頂戴!まだ生きている!」

 その言葉に今度はその場の全員がカタリナのもとに駆け寄る。そこには全身に傷と火傷を負い息も絶え絶えの様子の妖精族の戦士の姿があった。
 直ぐ様周囲の倒木も退かされ、付き添った魔術師が生命の水を唱えている横でカタリナはその妖精族に語りかける。

「大丈夫よ、もう安心なさい」

 癒しの水が染み渡るのを感じたのか薄っすらとだが顔色に生気が戻ったその妖精族は、苦しそうにしながらも目を開いてカタリナを見た。

「・・・貴女は・・・長は、花の広場に・・・どうか・・・」

 カタリナを見た妖精族はそれだけ言うと、また直ぐに気を失った。
 カタリナが慌てた様子で隣の術師を見ると、気を失っただけで生きていると告げられ安堵する。
 そして立ち上がった彼女は、同行部隊の中からコリンズを呼んだ。

「場所の見当はついたわ。私は数人連れてそちらに向かう。コリンズたちは、この周辺で生存者の救助作業をお願い」
「・・・分かった。無茶はするなよ」

 カタリナが直ぐ様数名を連れて走り出したのを見送り、コリンズはその場の全員に警戒と救助活動を命じた。

 

 揺蕩う木の葉を切り裂くかの如くに、いとも容易く一振りの度に槍が敵を討ち払っていく。
 槍は周囲の木々を避けるように、また周囲の木々も槍を避けるようにしなり、正確無比にその穂先は敵だけを貫き、打ち上げ、叩き落とす。
 その槍さばきは常人離れした威力と精度を持ち、それがあまつさえ少女の様な姿形のフェアリーから放たれているものであるからか、相対するアウナス術妖はその面妖な様子に慄き狼狽えた。
 だがそれでも、槍を操るフェアリーの表情は固い。其れもその筈で、今現在フェアリーは着実に戦線を圧されていた。周囲に感じられる同胞の気配は、刻一刻と消えていっていた。彼女よりも強く逞しいアールヴの戦士ですら、徐々に圧されている。最早百も残っていない妖精族の戦士に対して相手は此の期に及んで数千に迫る程の軍勢を継続して投入してきており、数の上で圧倒的に不利なのだ。
 彼女らの守る戦線は、いわば最終防衛線のようなものだ。この後ろには密林の中で大樹の次に最も彼女たちが力場を展開するのに適した清廉なる場所があり、そこに長が居る。そこは特に遮蔽物があるわけでもない、一面のひらけた花畑。緊急で結界を作り上げたが、それでどれだけ持つのかも不明だ。いや、「持つ」というのも楽観的な意見かもしれない。フェアリーらが相対するこの有象無象の奥には朱鳥の加護を受けた絡み合う三頭の巨大な大蛇が陣取っており、あれを相手にしては例え一流の戦士揃いのアールヴ族ですら、いくらも持たないであろう。
 視界全面にばら撒かれる発火性の砂を、槍の大回転で防ぐ。だがそれにより方々に散らばって燃えた砂に木々が巻き込まれ、側面から襲う熱にまた一歩後退を余儀なくされる。
 冷静に考えれば考えるほど、この状況は絶望的だった。
 だが、フェアリーは全く諦めるつもりなどない様子で槍を振るい続けた。彼女には、確かに感じられていたのだ。此方に近づいてくる最強の助っ人の気配が。奥に控える大蛇の影響なのか力場が乱れていて遠距離の念話が出来るような状況ではないが、気配だけは読み取ることができた。否、意識せずとも感じられたのだ。

(・・・圧倒的な存在感の塊・・・幾つもの聖王遺物を携えるというのは、ここまで強大な力を得るということ・・・)

 その気配は、真っ直ぐに此方へと向かってきている。
 だから、せめてそこまでは耐えなければならない。例えここで自分が倒れても、長を失わなければ妖精族は何とかなる。そうすればいつか自分はこの世界に渦巻く大いなる力の一部として解けた後、いつか再び別の形で再構成されてこの世に生まれ戻る。
 一際鋭い槍の一閃で三体を纏めて屠ると、フェアリーは歯を食いしばった。

(・・・でも、私は今ここで死にたくはない。もっといろんな・・・この世界のまだ見ぬ場所を私のこの目で見たいの・・・。だから、死にたくない・・・!)

 じりじりと後退する戦線を前にして一切を捨てぬ覚悟を新たに、フェアリーは槍を構えた。

 

「来るわよ、下がって!!」

 カタリナの号令とともに周囲の数人が一斉に後方へと走り、それと同時に巨大な三頭の大蛇が燃え盛る炎を周囲に吐き出す。途端に辺り一面が火の海となり、しかしただ一人その炎の中に残ったカタリナは太刀の一閃で炎を払いのけ、仁王立ちで大蛇と対峙した。
 同行者の一人であったフォックスは、そのあまりに人間離れした様相に普段の冷静な表情もすっかり忘れて魅入ってしまっていた。彼女とて幼い頃から長く荒事に身を置いてきた者として、幾人も「強い人間」には会ってきたつもりだ。そういう意味で言えば今所属しているロアーヌ騎士団の面々も非常に強いと感じたし、そこで将を務めるブラッドレーやコリンズなどは今まで見てきた中でも一流というに不足無い腕を兼ね備えていた。
 だが今彼女の目の前で異形の化け物と戦っている存在は、まるで彼女の知っている『人間』という存在とはかけ離れたものにしか見えなかった。少なくとも今まで彼女は人間が迫り来る炎を太刀の一振りで振り払う姿を見たこともないし、その胴回りだけで自分の身の丈ほどもあるような大蛇三頭に対峙してなお一歩も引かない人間など、それもまた見たことはなかった。あまつさえ彼女はこちらに助けを求めるどころか、危ないので引いていろと言う。確かに実際助けを求められたとしても自分たちでは何が出来るわけでも無いだろうとも思ってしまうが、それでも標的の分散程度にはなるはずだ。しかし、それすらもいらないと彼女はいっているのだ。

「温い。レッドドラゴンの炎の方が余程熱かったわよ?」

 地面で燃え盛る炎を避けるように一足飛びで相手の懐まで入り込み硬い外皮を物ともせず、迫ってきた一頭の大蛇の首を一刀のもとに刎ね飛ばす。そのまま切り離された胴体だけが暫く動き回りながらも次第に緩慢な動きとなり、やがて絶命した。その様子を尻目に半狂乱でカタリナに襲いかかる二頭を、彼女は全く意に介さぬ様子で身軽に駆け回り、避けていく。その様はまるで風を身に纏う精霊の如く、人間離れした光景であった。
 そのまま手にしていた月下美人を納刀したカタリナは懐からマスカレイドを抜き、迫る来る大蛇二頭に向かって少々だけ距離を取って腰を低く構えた。

「さぁ・・・いくわよ、マスカレイド!」

 その言葉と同時、端から見ていたフォックスたちの視界は周囲に燃え盛る炎よりも眩しく、そして赤く染まった。
 そして直後に巨大な何かが倒れる重苦しい地響きと落下音が周囲に響き渡ったかと思えば、先の者と同じく首を刎ねられた残り二頭の大蛇と周囲の燃える木々の上半分が炎ごと斬り飛ばされ、地に落とされていた。
 そして残されたのは、真紅の大剣を手に地面に立つ、カタリナだけだった。
 彼女たちが木陰から見守ってものの数分で、あの異形の化け物との勝負はついてしまったのだ。
 唖然とする周囲を尻目に、マスカレイドを携えたカタリナは周囲に燃え残る炎を忌々しげに一瞥した後、己が打ち倒した大蛇の先を真っ直ぐに見据えた。

(・・・この先にフェアリーも長もいる。月下美人の反応がそれは教えてくれる。あとは突っ切るだけか・・・状況がわからないし、どうしたものかしら・・・)

《カタリナさん!》

 突如として脳内に聞きたくて止まなかった声が響き渡り、カタリナははっとして中空を見上げる。漸くフェアリーからの念話が通じたようだ。状況からして恐らく、今の大蛇が障害となっていたのだろう。

《フェアリー、無事!?》

 恐らくフェアリー達がいるであろう方向を凝視しながらカタリナが思わず声に出しながらそう語りかけると、直ぐに返事は返ってきた。

《はい、長共々なんとか。カタリナさんのおかげで、周囲の敵が統制を失いました》
《そう・・・兎に角無事でよかった。丁度いいわ、今浮いてる?》
《え・・・あ、はい。浮かんでいますが・・・?》

 フェアリーのその念話を感じ取ると、カタリナは一呼吸置いてから手にしたマスカレイドを逆手に持ち直し、天高く掲げた。
 詩人が神王教団の軍勢に対して放ったようなもの程とはいかないだろうが、今のマスカレイドならば相応の威力は出せるはず。彼女はそう考えていた。
 手中のマスカレイドに語りかけるように刀身へと意識を向けると、それに応えるように赤い刀身に仄かな輝きが宿る。
 そのままカタリナは力強く、マスカレイドを地面に突き立てる。その動作は、彼女が神速の二段斬りと並んで十八番としている地を這う衝撃波だ。
 だがマスカレイドから放たれたそれは、これまでのものとは全くの別物だと感じられるほどに強大な衝撃波をその場に瞬時にして生み出した。
 剣の周囲数尺に渡り地面に無数の亀裂が走ったかと思えば、亀裂は轟く断裂音と衝撃波を伴って真っ直ぐ直線上に地を走っていく。

「・・・!!?」

 軍の核となる大蛇を失い統制が取れていなかったアウナス術妖らがその轟音に気付いて背後を振り返った時には、その命運は既に尽き果てていた。衝撃波は進行方向にある全てを飲み込んで燃え盛る密林を突き抜けていく。
 折り重なって響き渡る、幾つもの魔物の断末魔。根元から断絶され地響きと共に倒れる燃えかけの樹木。
 周囲に溢れる朱鳥、そして密林を漂う蒼龍の気を打ち消す様に白虎の力を発現させた衝撃波は、やがて魔物の軍勢を突き抜けた先で漸く止まった。
 宙に浮く自らの足元を走っていった衝撃波の威力をまじまじと見つめたフェアリーは、ふと我に帰って周囲の様子を探った。
 大蛇が討ち取られて以降、仲間に戦死者はいない。後方の長も無事。
 アウナス術妖は大蛇の欠損に加え突如として味方の三割ほどが巨大な衝撃波の餌食となったことに完全に戦意を喪失し、散り散りとなって逃げ始めている。
 それらを見て戦闘が終わった事を悟った彼女は、放心した様に槍を持つ腕をだらりと下げながら、炎ごと吹き飛ばしていった衝撃波の痕を見つめた。

(・・・生き残った。すごい・・・すごい)

 遠くからフェアリーを呼びつつ瓦礫の上を颯爽と走り寄って来たカタリナが彼女の元に辿り着いた時には、彼女はすっかり安心しきった様子でぱたりとカタリナの腕の中に倒れこんだ。

 

 

 明方から一向に太陽が顔を覗かせることなく分厚い雲に覆われ続けた薄暗い空を、ユリアンは一人で棒立ちのまま眺めていた。
 このヤーマスに滞在する様になってから気が付いたことだが、ここは天候の移ろい方が彼の故郷であるシノンと少し似ている。
 あるいは北方に聳える龍峰ルーブが、故郷のタフターン山と同じ様な役割を果たしているのかもしれない。
 だが、己が周囲の移ろい方はこうも予測の付かぬものになろうとは思いもよらなかった。シノンで同じ様な空をぼんやりと眺めていた時分には、まさかそう遠くない未来に自分がシノンから遠く離れた地でこの様な事をしているなどとは想像もつかなかったな、と思い返す。
 立ち姿勢を直そうと左足から右足に重心を変えると、腰に装着しているロングソードが音を立てる。
 それを目で追う様に剣の柄を見つめたユリアンは、今度は状況の変化と共に訪れている自分の中の変革に思いを馳せた。
 今の彼の中には、「彼の知らない記憶」が渦巻いている。
 最初は、戦いの記憶だった。それを最初に自覚したのは、ピドナでのいくつかの作戦行動の最中。
 クラウディウス家所縁の有力者への使者としてマイカン半島中を駆け巡ったり、神王教団ピドナ支部への潜入調査を行った際に戦った妖魔を相手取った時、最早自分の体は以前の自分とは全く変わってしまっていることに気が付いた。
 戦の術は己のこれまでのどの記憶よりも鮮明に自らの体に染み込んでおり、頭は目の前の妖魔がどのような特性を持っているのかを、長年携わってきた森の切り拓き方や農産物の育て方よりも遥かに熟知していた。そしてそれらを駆使し、手にしたロングソードは彼が初めて相対する脅威に対して、これまでに幾百とそうしてきたかのように淀みなく敵を屠った。これまでに無い過度に高度な動きに最初は肉体が大いに悲鳴を上げたが、それを圧倒的に凌駕する意志の力が体を動かした。
 先日ロビンとの戦いの最中に閃いた技こそ独自に編み出したものではあるが、しかしそれも彼の中に渦巻く記憶を元に昇華させた技術の結晶だ。以前の彼ならば、それこそ一生をかけても編み出せたかどうか分からないようなものだ。
斯様な激動の変化の中で、彼が何より恐ろしく感じることが一つある。
 それは、この変化に対し彼自身が不気味な程に冷静である、ということだった。

(・・・俺って、こんなものの見方をする奴だったか・・・?)

 以前の自分なら、今の自分になったらどう思うだろうか。
 そう、きっと先ずは、とても驚くに違いないだろう。そして、その力に自惚れ、はしゃぐこともあったかもしれない。
 今の自分ならば恐らく、世界屈指の精鋭とも謳われるロアーヌ騎士団の現役世代・・・カタリナと同世代の面々にも引けは取らない。いや、寧ろ勝つ自信がある。
 だからこそこんな力があったら、そう、もっと昔からこんな力があったら。次第に、そんな風に考えたかもしれない。

(・・・いや、ないなー。こんな事では変わらない・・・。だから多分、変に冷静なんだな)

 そう考えを改め、再び空を見上げる。
 どれだけ力を手に入れようとも、この空に手が届くことなどないのと同じなのだ。自分の中に巣食うこの無力感は、こんな事で克服されることはないのだろう。むしろ生半可に力を手に入れたからこそ、より一層に思い知らされるような気分だった。

「・・・来てくれたか」

 声に反応して振り返る。
 其処には先日会った時のままの、日中は逆に目立つのではないかと感じられるような格好でロビンが現れた。
 ユリアンが彼の言葉に小さく頷くと、ロビンは彼を促すような仕草をしながら身を翻した。

「既に奴らの動きは確認した。着いて来てくれ。向かいながら説明しよう」

 そう言って歩き始めるロビンについて歩き出しながら、ユリアンは気を引き締め直した。

(・・・流されるままではいけない。俺は、モニカを護る。今はその為に出来る事が、これなんだ)

 決意を新たにしながら倉庫群を屋根伝いに素早く移動するロビンについて行くと、人通りが殆どない倉庫群の一角を前にしてロビンは立ち止まり、身を屈めた。
 それに習ってユリアンが傍に身を屈めると、ロビンは視線で方向を示す。

「あそこだ。明け方の荷捌きの時間に紛れてルーブ山脈の方から運ばれてきたものが、あそこに収容されている。この時間は荷下ろしも何もないから人目につきにくい。取引は間も無くだろう」

 ロビンの言葉に無言で頷いたユリアンは、彼の指示に従い正面と裏手の屋根に飛び移り、双方から人の立ち入りがないかを見張った。
 すると程なくして、商人と思しき格好の人物が一人、裏口から倉庫内に入って行くのをユリアンが確認した。捕縛しに動くかをロビンに視線で問うが、ロビンはまだだと首を振る。それに従いユリアンもじっと待っていると、それから更に幾ばくかの後、水夫の格好をした男が正面から倉庫に入っていった。
 それを視認したロビンはユリアンに即座に立ち位置の合図を送り、慎重に内部へと侵入していった。
 天井の骨組み伝いにロビンが裏口方面から建物内部に消えたのを確認すると、ユリアンは正面入り口に回り込んで周囲に人の気配がないことを再度確認し、内部を覗き込んだ。
 そこには視認した通り二人だけが広い倉庫に積み上げられた荷物の前におり、そのうちの一つを見聞しながら話している様子がうかがえる。ユリアンはそっと聞き耳を立ててみた。

「今回の出荷量は凄いな。試作品だそうだが、一気にばら撒くつもりなのか・・・しかし、これだけ派手にやって大丈夫なのか? こりゃもう正真正銘の麻薬だぜ」
「そうらしいな。今までのものと此奴は、濃度が違う。普通はこんなもん港を通過できねえが、なに、心配するな。こいつはルーブの支配者のお墨付きだ。誰もみちゃいねえよ」
(・・・麻薬、だと・・・!?)

 彼らの会話は、ユリアンにはその大部分が理解できなかった。
 だが少なくとも彼らのそばにあるものが麻薬のようなものであろうと言うことだけは伝わった。
 この手の我慢比べはあまり得意でない事を自覚しているユリアンは、思わず自分が見ていると声高らかに叫びながら飛び出したい衝動に駆られた。
 が、どうやら彼の相方は自分よりもさらに我慢弱い方だった。

「ハハハハ!」
(!!?)

 突然倉庫内に響き渡る高らかなロビンの笑い声に、その場の男二人は心底驚いた様子で周囲に視線を走らせた。ついでに言えば、ユリアンも驚いていた。

「天知る 地知る ロビン知る! 麻薬で人々の体と心をむしばみながら、おのれはぬくぬくと大金を得ようとは、許せん!」
「くそっ、ロビンか!」

 華麗に天井から飛び降りながらロビンがそう言うと、その場の二人は驚いた様子で即座にロビンと反対方面の出口へ駆け出した。
 ここで漸く自分の出番かと物陰から飛び出したユリアンは、まるでユリアンが二人いるかのような残像が残るほど素早い斬り付けにて二人を即座に打ち倒した。

「安心しろ。剣の腹で叩いただけだ」

 崩れ落ちる帆足を尻目に、ふふん、とユリアンはそう言いながら剣を仕舞う。そしてすかさず二人を手近な柱に寄りかからせ、用意してあった縄を用い手慣れた様子で縛り上げた。

「・・・慣れているんだな」
「・・・あぁ、なんか最近、人を縛る機会が多くて」

 以前もピドナで神王教団の連中を縛り上げたことを思い出しながらそういうと、ロビンは何やら若干慌てた様子で自分の額に手を当てた。

「・・・そうか。すまない、少々個人的且つ立ち入ったことを聞いてしまったな」
「いや多分それ勘違いしてるよ、絶対違うよロビンさん」

 彼の人間性の根幹に及びそうな勘違いをしているかもしれないロビンに対して冷静に訂正をユリアンが促しているところで、倉庫の正面入り口から更なる人の気配がした。

「・・・誰だ!」
「おっと・・・まぁ待ってくれ、敵じゃあないよ」

 それにいち早く気付いたロビンが腰のレイピアを抜き放ちながら誰何すると、現れたその人物は敵意がないことを示すように言葉と共に両手を上げながら二人に近づいてきた。
 現れたのは、ポールだった。

「あれ・・・なんだポール、つけていたのか。言ってくれればいいのに、意地が悪いなぁ・・・。ロビンさん、安心してくれ。俺の仲間だ。チャラそうだけど悪い奴じゃない」
「もうね、確実に一言多いよねユリアン君」

 ユリアンの言葉にも警戒を解くことなく切っ先をポールに向けたままのロビンを横目にユリアンと軽口の応酬をしたポールは、そのまま彼らと捕縛された二人の脇にそびえる大量の荷物へと視線を走らせた。

「そう警戒しないでくれよ、ロビンさん。俺の名前はポール、キドラント出身の冒険者だ。ユリアンとは、ピドナから共にここにきた仲間でね。二人に黙ってたのは悪いが、ちと俺もこいつに用があってね。後をつけさせてもらった」

 その言葉に、ロビンも荷物の積まれた方を横目に見やる。

「・・・これがなんだというのだ。これはこやつらが言うには、麻薬だ。これを横取りでもしようというのか」
「はっ。昔の俺なら、そんな狡いことも考えたかもな」

 ポールのそんな軽口にいよいよロビンが警戒心を剥き出しにすると、ユリアンは二人の間を取り持とうとして立ち上がらんとした。
 しかしそれをポールは手で制止し、そのまま最も近くにあった荷物へと歩み寄った。
 荷物はその一つ一つが袋詰めにされており、口を紐で縛られている。
 ポールは徐に懐から小型のナイフを取り出し、一番手前の袋に突き立てた。すると中から、白い粉が流れ出てくる。
 そして彼は何を思ったかその粉をひとつまみし、舐めとった。
 その行動に二人が多少驚きながらも様子を見ていると、ポールは合点がいったようにふむと一つ頷き、そして二人に対してニヤリと笑ってみせた。

「これが麻薬・・・ねぇ。確かにそうなんだろうが、これは何も、麻薬を欲しがる奴のために用意された代物じゃあないようだぜ」

 ポールのその言葉に二人が首を傾げていると、ポールはそこから後退るように数歩離れ、腕を組んだ。

「ちっと舐めるだけなら何でもない。試しに一舐めしてみなよ」

 その様子にお互い顔を見合わせたロビンとユリアンは、一瞬迷った後に物は試しとポールの言葉に従うことにした。
 意を決して二人同時に粉を摘み上げ、ひょいと口に入れる。

「うげぇ、しょっぱ・・・!」
「これは・・・塩、か。いや、しかしなにかおかしいな・・・」

 二人の反応に、ポールは浅く頷く。
 そのまま二人の近くまで歩み寄り、そして積み上げられた荷物へと目をやった。

「その通り。此奴は、塩だ。いや・・・正確には塩に見せかけた麻薬、なんだろうな」
「・・・確かに、通常の塩とは思えない雑味というか、薄い感じがする。しかしこれでは、麻薬成分が入っているとしても、抑もの麻薬としての価値は・・・」

 ロビンがポールの言葉に反応しながら首を傾げていると、丁度そこで、気を失っていた二人が呻き声を上げながら目を覚ました。

「・・・さて、あとは彼らに色々と話を伺うこととしようか」

 囚われの二人に歩み寄ったポールは、懐から小型のナイフや小さなハンマーを取り出しながらにやりと笑ってみせた。

 

 

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第五章・4 -桟橋の老人-

 

「爺さん、あんたがハーマンか?」

 グレートアーチのサウスビーチにある桟橋で、ハリードは海を眺めていた男に背後から声をかけた。
 幾人かの地元民から聞く事が出来た情報で、既にこの人物の容姿と名前、よくいる場所はわかっていた。
 その声に反応してゆっくりと振り向いたその白髪の男は、義足の左足を引き摺りながら杖をついている。聞いた情報そのままだ。
 顔に刻まれた深い皺は老人のそれだが、それにしてはえらく鋭い隻眼の眼光がハリードを見返してきた。

「なんだ、ブラックの財宝のありかを知りたいのか? 100オーラムで教えるぜ」
「・・・それは無用だ」

 ハリードが辟易した様子でそう答えると、ハーマンと呼ばれた男は不機嫌そうに表情を歪めた。

「・・・じゃあ何の用だ。わざわざ名指しで来た要件ってのは」
「・・・ブラックの・・・いや、ジャッカルの事に詳しい人間を探している。あんたなら、何か知ってるんじゃないかと思ってな」

 ジャッカルという言葉に、ハーマンの眼光は一層鋭く剣呑さを帯びた。
 当たり。そう確信したハリードは、ハーマンの視線を真っ向から受け止めて言葉を待った。
 数秒の間ゆっくりとハリードを観察したハーマンは、鼻を鳴らして姿勢を崩した。

「ジャッカルなら十年前に死んでいる。そんな事ぁ俺でなくても知ってるさ」
「ああ、そうだな。だが、どうやらそのジャッカルの亡霊がピドナにいる様でな。それの判別をできる程度に詳しく知ってる奴を、探しているのさ」

 怪訝そうな顔をするハーマンを前に、ハリードは淡々とそう言った。

「亡霊だと?」
「そうだ。あんた、何か知らないか?」

 一瞬押し黙ったハーマンは、杖をカツカツと桟橋に当てながら無精髭を撫でた。
ハリードがそれに目を細めると、ハーマンは不意に桟橋をビーチに向かって歩き出す。

「詳しく聞かせろ」

 とても義足とは思えない早足で歩いていくハーマンに、ハリードは無言でついていった。
 砂浜を歩いていくハーマンを後ろから眺めていたハリードは、内心で何とはなしに違和感を感じとる。
 どうにもこの老人が、ハリードの目からみると何か不自然なのだ。
 どうやら腕に覚えがあるようだし、口ぶりからすると海賊事情についても詳しいようだが、地元民からこの男の事を事前に聞き込んだ時は、昔からいる偏屈な爺さんだとしか言われなかった。
 しかしハリードが見る限りでは、この男がどうも老境の瀬に至った人物に思えない。それどころか、どこか自分に近い様な何かをすら感じてしまう。それがどう言った類の直感なのかはイマイチ彼にも分かりかねるようだが、兎に角不自然さだけは感じるのだ。
 そんな事を思いながらハリードが連れていかれた先は、何の事はない、しなびたビーチ外れの酒場だった。
 半分壊れた戸をくぐっても視線をよこしただけで無言の店主と、柄の悪そうな数人の客。意外とこういうところの方がうまい酒があるんだよな、などとハリードが考えていたところで、ハーマンは空いていたテーブルにどかりと座り込んだ。

「おいジジイ。いつものくれ」
「ジジイにジジイと言われたかねぇよ。ツケは効かねえぞ」
「いんだよ、財布がある。二つくれ」

 そう言って手を振ったハーマンを見て、店主がハリードに視線を寄越す。
 それに対してハリードが肩を竦めながら席に座ると、店主は手元を動かし始めた。

「・・・で、ジャッカルの亡霊ってのはどういう事だ」

 くたびれた白のジャケットから煙草を取り出して近くのテーブルから引っ張ってきた燭台で火をつけながら、ハーマンは半眼でハリードに問いかけた。
 ハリードは椅子に半身だけ座りながら、逆に質問を返す。

「・・・あんたは、神王教団を知っているか?」
「あん? 宗教に興味は無ぇが、名前くらいは知ってる。それがどうした」

 言いながらハーマンの吐く南国特有の匂いのきつい煙草の煙に顔を顰めたハリードは、顔を背けながら応えた。

「ピドナの神王教団のお偉方連中がな、なんでか挙って赤珊瑚のピアスをしてるのさ。そしてあいつ等は何故か聖王遺物を血眼になって探しててな。そしたら、二年前にピドナで起こった聖王遺物の絡む殺しの事件の中で、ジャッカルっつーキーワードが出てきた」

 赤珊瑚のピアス、そしてジャッカルの言葉に、ハーマンは露骨に眉間に皺を寄せた。
 それには反応せずにハリードが黙って続きを待つと、ドリンクが運ばれてきたタイミングで漸くハーマンがグラスを持ち上げながら再び口を開いた。

「・・・そいつ等がジャッカル一味だったとして、お前はそれをどうする気だ?」

 問うと言うよりは試すようなその言葉に、ハリードは一瞬考えるように顎に手を当て、徐に肩を竦めて自らもグラスに手を延ばした。

「・・・ジャッカル一味だったとして、そいつ等をどうするわけじゃない。その事実を餌に、それの背後にいるやつ等にまずは一発叩き込みたいのさ。あとは・・・聖王遺物を回収するくらいかね」

 言い終え、グラスに口をつける。
 不純物が混じり混んでくすんだ質の悪そうなロックグラスに注がれた琥珀色の液体は、ウィスキーか何かかと思いきやフレーバーの効いたスピリッツのようだった。

「・・・聖王遺物なんて集めてどうする」

 まるで新鮮な空気に深呼吸をするかのように煙草の煙を肺一杯に満たし、長く細い煙にして吐き出しながらハーマンが言った。
 ただその質問は単なる興味本位なのかなんなのか、声色も先程の問いかけより気の抜けたものだ。
 しかしこれには、ハリードもどう答えたものかと一瞬考えあぐねる。だがあまり深く考えずに口から出ただけの事なので、それに対して多少頭を捻ってみたところで、どうにも大した理由は出てきそうになかった。

「・・・さぁな。それは手に入れてから考える。お宝なんて、そんなもんだろ」

 目線を合わせずにもう一口グラスの中身を舐めるように啜りながらそう言うと、テーブルの向こうではハーマンが鼻で嗤うのが聞こえた。

「はっ、そうだな。お宝ってのはそういうもんだ」

 ハリードの言を気に入ったのか、上機嫌にグラスを傾けながらハーマンは身を乗り出して来た。

「・・・で、てめえは何者だ。何故ジャッカルの事を俺に聞いてきた?」

 ガタンと肘をテーブルに叩きつける音に、店内の視線が二人に集まった。
 およそ老人が放てるとは思えない覇気を身に纏い、射殺さんばかりの視線がハリードに突き刺さる。
 米神を抜けて頭頂に向かって走るような寒気にニヤリと口の端を釣り上げたハリードは、癖でカムシーンの柄に手を掛けながら、しかしゆっくりと肩を竦めてみせた。

「・・・さあな。何故かは確かに俺にも興味はあるんだが、残念ながら知らん。知りたいなら、依頼主に直接聞いてくれ。それと、俺は単なる傭兵だ」

 ハリードのゆらりと躱す様な返答に、ハーマンは一瞬だけピクリと皺だらけの表情を揺らすと、ケッと洩らして再び椅子に背を預け、グラスを傾けた。

「単なる傭兵が聞いて呆れるぜ。んで、その依頼主ってのは何者だ」
「依頼主は・・・人類最強の女、かな」

 思わず口をついて出たハリードのその言葉に、ハーマンはたいそうなしかめっ面を披露した。それの言わんとする所が流石に伝わったのか、ハリードは苦笑いをしながらグラスに口をつける。

「いや、別にふざけて言ってるわけじゃないぞ。それこそ単騎で四魔貴族と喧嘩する位だからな。過言じゃないだろう」
「・・・四魔貴族だと?」

 隻眼を数度瞬きし、ハーマンは何故か四魔貴族という単語にえらく過敏に反応した。
 その変化にハリードが思わず露骨に目を細めるが、ハーマンはお構い無しにハリードに詰め寄った。

「そいつは四魔貴族を殺そうとしてんのか? 聖王遺物を集めるのは、それが目的なのか?」

 まるで仇敵の名を聞いたかの様に突然表情に怒気が走ったハーマンをハリードは怪訝に思いながらも、グラスの中の氷を指で回しながら口を開いた。

「・・・それも、俺の知る所じゃない。そんなに興味があるなら、ついでにそれも直接聞けばいいだろう」
「そいつは何処にいる」

 直ぐ様返ってくる質問に、ハリードは肩を竦めながらグラスの中身を飲み干した。

「さあな。今は分からない。だがあと数日もすれば、このグレートアーチで合流できる予定だな」

 そう言うとハリードは酒場の店主に向かってもう一杯同じものを、とサインし、ゆっくりと立ち上がった。

「・・・尤も、依頼主が質問に応えるかどうかは、おたくが依頼主にとって適う人物かどうか、ってとこが重要だろうがな」

 自分の事を目線で追いかけてきたハーマンに対してそう言うと、ハリードは懐から1オーラムコインを取り出した。

「・・・こいつは前金だ。そいつと、あと一杯はいけるだろ?」

 後半は、グラスを運んできた店主に問いかけた。
 それに店主が眉を上げて応えると、ハリードは満足した様にコインをテーブルに置いてハーマンに背を向ける。

「待て」

 そのままこの場を立ち去ろうとした所を、予想通りと言うべきか、嗄れた声に呼び止められる。
 それに振り返らずに立ち止まって言葉を待ったハリードに、ハーマンが続けた。

「依頼主っつーのが来るまでの間は、てめぇは何処にいるつもりだ?」
「・・・バランタインに宿をとっているが、それがどうした?」

 ハリードの答えに、ハーマンは口笛を吹きながらグラスを傾ける。グレートアーチ随一の高級ホテルを冷やかしたのだろう。
 そして手元近くまで灰になって火種の消えていた煙草を床に放り捨て、新しく取り出して火をつけた。

「事と次第に寄っちゃあ、手を貸さんでもない。だが、だとすれば回収しておきたいもんがあってな。明後日そっちに行くからよ。得物を磨いて待ってろ」

 ハーマンの言葉にふんと鼻を鳴らしたハリードは、そのまま振り返る事なくその場を立ち去る。
 椅子にもたれながらそんなハリードの背中を鋭く眺めたハーマンは、ひとりでにニヤリと笑みを浮かべながらグラスの中身を一気に呷った。

 

 

 いくら世界広しと言えども、恐らく妖精族の長にあれ程まで頭を下げさせたのは自分が初めてなのではなかろうか。
 場違いにそんな事を考えながら、カタリナは二度とは味わえぬかも知れない未知の浮遊感覚に酔いしれた後、ふわりと大樹の根元へと降り立った。
 訪れた時と変わらぬ穏やかな木漏れ日の照らす美しいその場所を記憶の隅に仕舞おうと見渡す間に、フェアリーが風に舞いながらすぐ隣に降りてきた。

「・・・本当にいいの?」

 確認の意味を込めて、カタリナが尋ねる。
 風に揺れる葉音に意識を向ける様に上を向いていたフェアリーは、投げかけられたその言葉に躊躇いなく頷いた。

「妖精は見た目はか弱い感じですが、実は結構強いんですよ。特にアールヴ族などは過去にこの密林において最強の名を欲しいままにし、魔王亡き後から三百年前の四魔貴族討伐に至るまでには、あのアウナス配下の妖術師を撃退するのにも活躍しました」

 そう言ってにこりと微笑んだフェアリーの小柄な体は、上半身が微かに揺らめく薄い絹の様なものに覆われている。
 なんでもこれはフラワースカーフと言われるものだそうで、人の目から妖精の羽を隠してくれるのだそうだ。過去にはこれを用いて妖精も人里に下りる事があったのだとか。
 そして腰のあたりには布で覆われた、その身の丈に不釣り合いな長さの槍。
 これはアーメントゥームと呼ばれる形のもので、妖精族の間では伝統武器なのだそうだ。カタリナにはどうにも土地柄に似合わぬ得物にも感じられたが、そこはあえて彼女が気にするところではなかろう。
 つまるところ、フェアリーはあたかもこれから旅に出ます、的な格好をしているわけなのだ。
 それに平然と頷き、こちらも新たに腰に差した見事な意匠の太刀を慣れない手つきで支えながらも、颯爽と歩き出すカタリナ。

 場面は、一昨日の夜に遡る。

『本当にごめんなさい!』

 閉じた瞼の向こうで舞う月光に誘われてうっすらと瞳を開ければ、まず最初に二人の妖精の大変に申し訳なさそうな顔と、そんな言葉が聞こえてきた。勿論それも重なって、二人分。
 如何な理由があってこの状況なのかは起きぬけの頭では欠片も理解したくなかったカタリナだったが、ただ少なくとも、安易に妖精の差し出すティーカップに口を付ける事はしてはならない、という事は身をもって理解していた。

「まさかティーの用意を手伝ってくれた子が、祈りヒナゲシを入れてるなんて思わなくて・・・」

 カタリナが目覚めてから通算六回目くらいの時だっただろうか。フェアリーはまたしても深く頭を下げながら、確かそんな事をいっていた。
 妖精の悪戯好きは、どうやら伝記以上に深刻だったようだ。
 因みに祈りヒナゲシとは妖精達のみが持つ生成法の、睡眠を誘発する飲み薬だそうだ。元来睡眠作用のある雛罌粟の乳汁を過度に濃縮させたものにカモミールの蜜を混ぜながら更に煮詰め、満月の次の夜明けに太陽に顔を向けた葉から滴る朝露と割って作る薬、なのだそう。
 何やら製法だけ聞いているととても美味しそうで、実際ティーは美味しかったような覚えがうっすらとあるのだが、どうにもカタリナには効果覿面過ぎた。
 この事については長も非常に遺憾であったようで、あわや土下座してしまうのではないかと言うくらいにカタリナは謝られた。
 眠り自体は非常に上質なもので寝覚めも良かったので気にしないで欲しいと、 フォローと言えるか微妙な持論を展開して取り敢えずその場は納めたカタリナ。
 そうしてなんとか居眠る前の話題に戻ったところで、少なくともカタリナには優先するべき事項があり、更に自らに課せられているらしい八つの光の使命に関しては同僚(?)と審議中であることを、ここまでの簡単な経緯と共に素直に伝えた。
 この問題については長も現時点での即決を強くは求めていなかったようで、カタリナが示した前向きな姿勢で快く納得をしてくれた。

 問題はといえば、実はこの後である。

 昨今の情勢を感じ取って今回カタリナを里へと招く判断に至った妖精族の長は、頼むばかりでは申し訳ないから何かしら自分にも出来る協力を、としてカタリナに一振りの太刀を差し出してきたのだ。
 差し出されたそれは、かつてカタリナが魔王殿で見た少年が手にしていたような、反りのある細身の大剣。
 その剣は見れば誰もが惚れ惚れするような絢爛たる意匠の鞘に収まり、抜刀すれば大業物固有のしんと冷えた霊威が刀身から滲み出て辺りに静かに広がった。
 その余りの威風に、カタリナは思わず身震いしてしまうほどの代物であったのだ。
 銘を、月下美人。これは聖王の時代より遥か以前、魔王の時代にまで遡り、代々妖精族最強のアールヴが振るってきた太刀だという。
 当然そんなものは受け取れないと大慌てするカタリナだったのだが、長は長で頑として譲らなかったものだから、断れない性格のカタリナは最後には深々と頭を下げながらこれを受け取る羽目になる。
 ここにおいて更に計算外であったのが、月下美人を受け取った直後で何事も断り辛い雰囲気の中、どうした訳かフェアリーがカタリナの旅路に同行したいと名乗り出たことだ。
 曰く、この先は、人だけの責任などではないから。
 そう言って同行を願い出たフェアリーの言葉の意味は、カタリナには分からなかった。
 だがそんな事はお構い無しに長は大変納得された様子でこれまたカタリナに頭を下げながらお願いしてくるものだから、もう好きにして頂戴とカタリナが匙を投げるのに、そう時間はかからなかった。

 それから一日の妖精の里観光を行った後、その明朝カタリナとフェアリーは妖精達に見送られ、密林の西の端、人からはジャングルへの入り口と言われる集落、アケへと向かって出立するのだった。
 そこからグレートアーチのサウスビーチ行きの定期船に乗り、ニ、三日後には目的地へと到着する予定だ。

 

 

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第五章・2 -密林を進む-

 

 間もなくグレートアーチだという船員の合図と入港準備に走り回る複数の足音を耳にしながら、閑散とした船内食堂に陣取ったハリード、エレン、ポールの三人は神妙な面持ちで三方から向かい合っていた。
 あの嵐から、現時点で五日が経っていた。
 船団は若干の日程遅れと一隻の船の損害を出したものの、ただ一人の乗客を除いて乗務員を含めた全ての人間が無事にグレートアーチへと辿り着いた。
 まともに立つこともままならないほどの暴風雨とあれだけの数の魔物の襲撃を受けた経緯を考えれば、この状況はこの上なく人的被害を抑えられたと言っていいだろう。
 しかしそのような事実も、そのただ一人の犠牲者を身内に出してしまった彼らにとっては、何の慰めにもならなかった。

「・・・なぁ、あんた等はどうする」

 沈黙が支配していた中、徐にポールが口を開く。するとそれに口では答えず、その真意を問うようにハリードが視線だけを投げかけた。
 その隣のエレンはポールに向き合う気もないらしく視線を落としたままだが、ポールは構わず続ける。

「・・・カタリナさんが行方不明じゃ、ぶっちゃけここにきた意味は無い。というか、あんた等にしてみればついてきた意味が消えたと言っていいだろう?」

 事実だけを直視したその言葉にエレンの表情が一層曇るが、これはどう言い繕っても仕方の無いことだ。
 ハリードはその言葉を受け止めてふんと鼻を鳴らし、逆にポールに問いかけた。

「それはお前も一緒だろう。お前こそどうする」

 逆に向けられたその問いかけに視線を険しくしたポールは、しかし勢い余って言葉を発するでもなく、ただ深いため息をついた。

「・・・俺は、ここで待つ。あのカタリナさんがこんな簡単にくたばるとは、思えない」
「お前、本気で言ってんのか? 確かにあいつは規格外の戦闘力だったが、しかし俺らと同じ人間だ。温海のど真ん中に身一つで放り出されて生きていられたら、それはもう人間じゃないぜ」

 考えるまでもなく至極最もなハリードの意見に、しかしポールはゆっくりと首を横に振った。そんなことは分かっていると言いたいのか、単に事実を信じたくないのか。その仕草だけではハリードにはどちらとも見えかねたが、そのあとで向けられた視線は、冷静なものであった。

「あんとき、カタリナさんは確かに何かを叫んで俺らと逆方向にいった。俺らが脱出するところだったのも見えてたはずだし、船がやばいのももちろん分かっていたはずだ。だが、それでもこちらには来なかった。この行動自体は、絶対に考え無しに離れてったわけじゃないはずなんだ」

 それに、と言葉を続ける。
 あの時確かにカタリナは、何者かと一緒にいたのだ。こちらに向かって何かを叫ぶカタリナよりも先に逆方向へと向かっていった人影を、確かに脱出艇から身を乗り出したポールは見ていた。それ自体はハリード達も同じく目撃していて、三人の中では共通の認識である。しかしいざ避難を終えてから乗客の点呼をとった時には、その場にいない乗客リストの人物は何度数えなおしても、カタリナだけだった。
 戦闘に混ざっていたポール達は、乗客の中では最後の最後まで船に残っていた。その彼らの後に船を脱出して避難先の船に移ったのはマゼラン船長と数人の水夫だけで、その中に乗客はいなかったとの言質も直接とっている。そうなると、カタリナと一緒にいた人物は船員でも乗客でもない誰かであり、それがカタリナがあの時すぐに脱出しなかったことに関係があるはずなのだ。

「あとは、ちっと気になる事を喚いている奴らがいてな・・・」

 そう言ってポールがチラリと視線を向けた先にさり気なくハリードも倣うと、その先には此方と同じく沈痛な面持ちで項垂れる一団があった。その雰囲気とはちぐはぐに多少色合いの派手な衣服に身を包み、年齢層も疎らな集団だ。
 ハリードがそれを眺めて眉間にシワを寄せると、ポールは小声で続けた。

「世界中を回っている、見世物小屋のキャラバンだそうだ。あいつ等も俺らと同じ船から脱出したクチでな。んで、あの小太りの男が座長だそうで、奴さん船を移ってからマゼラン船長にえらい剣幕で詰め寄っていてな」
「・・・そりゃそうだろう。恐らくは商売道具が全部海の底に沈んだんだろうからな」

 肩を竦めながらハリードが冷たく言うと、ポールはそれに小さく頷いた。

「ああ、そうらしいな。んでまぁわんさか喚いていたんだが、なかでも一等捲し立てて繰り返し叫んでたのは・・・妖精って単語だ」
「妖精・・・ねぇ」

 ハリードが半信半疑に怪訝な顔をする。確かにしきりに同じような事を繰り返していたのは彼も聞いてはいた。我々が苦労の末に手に入れた世紀の一大発見、本物の妖精が積んであったんだぞ、どうしてくれるんだ・・・とかどうとか。そんな事を只管叫び続けていたのは、確かにあのキャラバンの座長だった気がする。

「・・・俺の見間違いじゃなければ、あの時カタリナさんと一緒にいた奴の背中に、確かに何か不自然なもんがくっついてるのを見たんだ。あれが衣服の類ではなく・・・そう、羽だとすれば、カタリナさんはその妖精とやらと一緒にいた事になる」
「・・・成る程。それで・・・? よしんばそれが妖精だったとしたら、だからどうなるというんだ?」

 話半分のつもりで重ねてハリードが問うと、しかし彼の期待に反してポールはそこで肩を竦めた。

「わかんねぇよ。でも、何か理由があってカタリナさんはそいつと行動を共にしてたんなら、単に逃げ損ねた・・・なんて展開はやっぱ考え辛いと思うんだ。それに、妖精は大気を味方につける種族だ。それと一緒なら、小舟の一艘でもあれば生き延びてる可能性は高いと思う」

 夢物語にも近い単なる憶測だろうが、しかしポールはいやに確信的だった。
 確かに妖精が大気を味方につけるというのも、彼の言葉なら頷ける部分はある。何しろ彼は現在、聖王遺物である妖精の弓の使用者だ。妖精族が聖王に献上したとされるその弓は風の流れを矢に載せて放ち、その威力は小型のサイズからは想像もつかない強弓なのである。
 その彼の言葉に少し真面目に可能性を考えてふむと頷いたハリードは、ほったらかしてぬるくなってしまったエールを喉に流し込んだ。

「カタリナはなんて言ってた?」
「あん・・・?」
「グレートアーチに着いてからの予定だよ」

 耳に入ってくる言葉にエレンがゆっくり顔をあげる横でハリードが空になったジョッキを置くと、ポールは片目を瞑りながら頭を掻いた。

「うーん、それがなぁ・・・。ほれ、ピドナからずーっとあの調子だったから、殆ど聞いてねぇんだよな。ただまぁ、なんかアテっぽいのはあったらしいけど・・・」

 唸るポールに対して口をへの字に曲げたハリードは、ひとつ短いため息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。
 それをポールが視線で追うと、彼もまた頭を掻いて口を開く。

「まぁ文字通り乗りかかった船だ。お前がそこまで言うなら、もう暫くは付き合うさ」
「うん!」

 ハリードの言葉に合わせてこれまでの様子から一変して元気に椅子を跳ね除けながら立ち上がったエレンと共に、ポールもニヤリと笑いながら腰を上げた。

「・・・よっしゃ。そうと決まれば、カタリナさんがここにくるまでしっかりバカンス・・・してたらキレられるか。何をアテにしてたかは知らねぇけど、何とかそれっぽい情報収集位は進めよう」

 テーブルの傍らに置いてあった荷物を手早く纏め、一行は既に停泊準備に取りかかった船の外へと視線を向けた。

 

 

「うふふふふ、あは、こ、ここどこなのかしら・・・ふふふふふ」
「えっと・・・ジャングル、です・・・」

 見渡す限りに鬱蒼と生い茂る熱帯地方特有の大きく育った草木の間をかき分けながら、道とも言えぬ道をカタリナとフェアリーの二人は進んでいた。
 色鮮やかな鳥や蝶々が視界の隅を幾度も飛び交い、この熱帯雨林に生息する様々な動物たちの鳴き声が止むことなく木霊する中、フェアリーが先導する形で二人はかれこれ三時間ほどにも差し掛かる行軍の最中であった。

「あはは、ここがジャングルなのね!くふふふふ、わ、笑いが・・・止まらないわ」
「す、すみません・・・よく迷い込んだ人たちに仲間が食べさせていたから、大丈夫だと・・・。まさかワライダケだとは思わなくって・・・」

 世界各地に童話や伝記にて名を残す中でも特に多く見られる記述によれば、非常に悪戯好きだとして伝えられる妖精族。彼らは不運にもジャングルに迷い込んだ現地人を様々な方法でからかっては、その驚く様をみて楽しむという。
 しかし目の前の少女を前にそんな事など思い出しもしなかったカタリナは、海上漂流で数日の断食から漸く陸地に流れ着いたところで流石に限界を感じ、何か食べれるものはここにはないかと食料を欲した。そこでフェアリーが少し考えた末に人でも食べれるものがある、と言ってジャングルの中から持ってきてくれたキノコを食べてからこっち、彼女はずっとこんな調子だった。

「あははは、ぜーんぜんいいのよ。くふふふ、美味しかったわぁ。ふふふ、今思い出しても笑える味・・・うふふ」
「す、すみません・・・」

 不気味に笑い続けるカタリナに流石に顔を引きつらせながら、フェアリーは先導して歩を進める。
 近年の治安悪化はこのジャングルにも影響を及ぼしているようで道中ではアビスの瘴気にあてられた邪精や巨大植物などが襲いかかってきたが、其れ等は須らく高笑いするカタリナに瞬時に切り伏せられていった。
 その様を見ながら、フェアリーは素直に感心したように声を上げた。

「・・・船でも拝見いたしましたが、とてもお強いんですね。妖精族にも戦士は居ますが、あなた程の使い手は見た事がありません」
「ふふふ、そんな事は・・・あるかしら、ふふ。これでも世界を背負って立つ立場だし、あははは・・・ひぃ・・・」

 流石に笑い疲れてきたのか、腹部を押さえてぜぇぜぇ言いながらカタリナが応える。
 漸くそれにも慣れてきたのか笑い声には反応しなくなったフェアリーは、ふとカタリナの言葉の内容に首を傾げた。

「世界を・・・ですか?」
「ふふ、そう・・・笑っちゃうでしょ・・・うふふふ・・・あは、はぁ・・・」

 喋るうちに段々と呼吸が落ち着いてきたのか、横隔膜の震えを抑え込まんとするように腹部を抑えながらカタリナが言った。

「それではカタリナさんは、その・・・聖王様の後継者なのですか?」

 パタパタと羽を忙しなく動かしながら器用にその場で止まって小首を傾げたフェアリーに、カタリナはうぅんと此方も首を捻った。

「どうかしら・・・。所謂宿命の子だとかそんなものではないらしいけれど、でも全くの無関係って立場とも言えない立ち位置、という曖昧な感じね。正直、それですら実感は湧かないけれど。聖王様のことは、私たちだけでなくフェアリーたちにも伝わってるのね・・・ふふ」
「・・・はい。私達は発生時に既に、直接記憶を共有して持っています。遠い昔に私達の長が、聖王様に協力しました」

 この南方のジャングルの何処かに根城を構えるとされる四魔貴族の一柱である魔炎長アウナスが三百年前に聖王に討伐された時、妖精たちはジャングルに迷う聖王をアウナスのもとへと導き、更には全身が炎に包まれ触ることもままならぬとされるアウナスへの攻撃手段として妖精の弓を献上したという。

「・・・あの、このままアケまでお送りするつもりでしたが、もし宜しければカタリナさん。私達の長が貴女を、私たちの里へお招きしたいと言っています。ご案内しても宜しいですか?」

 風に耳を傾けながら唐突にそう言ったフェアリーに、カタリナは目を丸くする。それは単純に唐突な申し出だったからというのもあるが、要はその真意を図りかねたのだ。

「・・・死蝕以降、このジャングルでもアビスの瘴気が急速に広がりつつあります。以前は、道中にあのような植物や邪精などもおりませんでした。ですのでこれには私達も非常に危機感を感じています・・・。そのタイミングで聖王様に連なる方がこうして現れたことに、長も何かお考えがあるのだと思います」

 それに、とフェアリーが続ける。
 まだ自分が助けられた礼もロクに出来ていないから、是非とも招きたいのだ、と。
 一刻も早くグレートアーチに向わねばならぬのは勿論そうであるが、そうまで言われては多少の寄り道もやぶさかではない。
 妖精族の長の考えとやらも気にはなったので、カタリナはこの際だからとお言葉に甘えることにした。

「有難うございます・・・! では、ご案内いたしますね!」

 非常に可愛らしい笑みを浮かべながらフェアリーがそういってくるりと一回転すると、カタリナはこうした妖精の可憐さに惑わされて悪戯されてきた逸話の数々も頷けるなぁなどと場違いに思いながら、笑顔で返して道を進んでいった。

 

 

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