VS筋肉だるま 南国大決戦

 

 高らかに浮かび上がった布張りのボール目掛け、燦々とビーチを照らす太陽を背にしてしなやかに、かつ力強くカタリナが飛び上がる。
 そして大きく後ろに反らせた右腕が最大のインパクトを得られるであろう地点で思いきり振り抜かれ、その衝撃を真芯に受けたボールは、相手に反応する隙すら与えず彼女の狙い通りの場所へと砂埃と共にめり込んだ。

「・・・ゲームセットォォォ!!」

 審判が何度かの瞬きの後に興奮した声でそう叫ぶと、次いで周囲の観客からビーチ全体を揺らす怒号のような歓声が沸き起こる。

「いーよっしゃあ!いよいよ次は決勝だ!」

 カタリナとエレンがコート上でハイタッチをするのを見ながら、コート脇のチームベンチに陣取っていたポールは彼女等の勝利を我が身の事のように喜び、隣のハリードの肩に組みかかった。
 それをたいそう迷惑そうな顔で受けたハリードは、ポールと反対側の手に持っていたタオルを歩み寄ってくるカタリナ達に投げてよこす。

「・・・さて、と。次が正念場ね」

 そう言ったエレンが顔を向ける先へとカタリナも視線を傾ければ、そこには観客席の中央に位置するVIP席から自分たちに視線を向ける二人組の男の姿があった。
 よく焼けた小麦色の肌に、必要以上に増量されたような躍動する全身の筋肉。その筋肉に包まれた体を惜しげもなく見せびらかし、ただ唯一ブーメランパンツだけが最低限を隠している。そして口元から時折輝き覗く冗談のように白い歯をキラリとさせながら、周囲に群がる観客達に時折愛想を振りまいている。そんな男二人は、そっくり同じような見た目であった。それが、腕組みをしながらカタリナ達を見つめている。
 彼等はカタリナ達が今の試合で決勝進出を決める前に、既にもう一方の決勝枠を勝ち取っていたチームだった。
 つまり、決勝での対戦相手だ。

「・・・あー、やっぱだめ。私あれ、生理的に駄目」

 ものの二秒で顔を背けたカタリナは、フェアリーが渡してきてくれた水を飲みながら、強烈に日を照らす太陽を恨めしそうに睨んだ。

「・・・もうちょっと、日焼け止め塗っとこうかしら・・・」

 

 

 グレートビーチバレー大会。
 確か、このお祭り騒ぎはそんな名称だったとカタリナは記憶している。
 わざわざ足場の悪いビーチに色の違う砂でラインを引き、一定の高さまで設置された魚とり網のようなもの(ネットというらしい)を挟んで二人一組のチームが互いの陣地にボールを叩きつけるスポーツの事を、ビーチバレーと言うらしい。
 なんでも、ここグレートアーチ地方においては魔王生誕以前から存在するとすら言われる由緒正しい伝統競技なのだそうだ。
 十五年前の死蝕にて壊滅的な経済的打撃を被ったここグレートアーチにて死蝕の翌年から復興のシンボルになるようにと毎年開催されているというこの大会には、毎年主催運営を行っているグレートビーチバレー大会運営委員会が優勝者に対して若干の賞金と共に地元協賛企業が提供する様々な賞品を用意しており、例年大きな盛り上がりを見せているのだそうだ。
 特にここ最近は各国からも観戦客がくるなど、観光客招致による経済効果も生み出している。
 このような大会があることを宿泊中のホテルバランタインのオーナーから聞いたのは、すっかりオーナーと仲良くなったポールだった。
 なにしろハーマンの協力を無事に取り付けることが出来たもののピドナに戻る船の出港まで日数が開いてしまっていた一行だったものだから、暇な事も手伝い興味本位でせっかくだからと参加してみる事にしたのだった。

「やっぱチーム編成はカタリナさんとエレンちゃんで大正解だったな!」

 ここにいる間は相変わらずハデハデしいシャツにハーフパンツというラフな出立ちのポールが、選手用ベンチに設置された大きなビーチパラソルの下で休むカタリナとエレンに声をかけた。
 元々大会には男女の制約がなかったので当初はポールとハリードで出場しようかと話していたのだが、何故か参加申請ギリギリのタイミングになってポールが急にカタリナ達が出場するべきだと言い出し、そのままなし崩し的に彼がエントリーを済ませてしまったのだ。
 しかしそこは責任感と最近断れない性格に定評のあるカタリナであるからして、存外素直に、元々ノリノリだったエレンにも押される形でビーチバレーの正式競技服(?)である水着に身を包んだ。
 ちなみに水着は、こんな事もあろうかとピドナで買っておいた淡い紫のグラデーションが印象的なパレオ付きビキニだ。デザインに関しては選別に同行していたモニカとサラのお墨付きであり、大人っぽさが漂う中にも可愛らしさや健康的なお色気も忘れない、ガーリーな一品である。
 エレンはエレンでトップは燃える様な赤いビキニと、下はデニムのホットパンツ。そして何処から仕入れたのかダークブラウンのサンバイザーという、一見して只者ではないビーチバレー玄人の風格を漂わせている格好だ。
 大会当日に彼女等がこの格好でビーチに現れると、観客席からは少なからずどよめきが起こった。元々が男ばかりの参加者で運営も毎回花役を用意はするもののこれが毎度地元の小麦ギャルと言った様相の中、肌も色白で抜群にスタイルの良い彼女等は相当に目立った。
 そしてその二人が大会が始まってみれば、あろう事か地元の猛者どもを抑えて破竹の快進撃。おかげで一気に大会の熱気はエスカレートしていったのだ。

「あれ、そう言えばコーチは?」

 決勝前のクールタイム中、ふとエレンが周囲を見回しながらそう言った。

「そういえば、暫く見てないです。開会式の時はいたのですが・・・」

 カタリナ達の隣で休んでいたフェアリーが可愛らしく首を傾げながら答えると、エレンもそれに習って小さく首を傾げる。
 実は今回の彼女等の快進撃は、このコーチなる人物の多大なる助力があったからこその成果だといえる。
 そのコーチなる人物こそは、知る人ぞ知るグレートアーチはサウスビーチの一匹狼、ハーマンである。
 彼はカタリナ達がエントリーしてから大会当日までの少ない日数の間で、二人に徹底的にビーチバレーの基礎を叩き込んだ。元が運動神経の塊の様な二人であるからして覚えが早かったのは勿論なのだが、しかしこれほど迄の快進撃はコーチたるハーマンの的確な指導が無ければ叶わなかっただろう。
 そんなハーマンは教え子達の勇姿を見るためにこの会場にも足を運んでいたはずなのだが、トーナメント形式での本選試合が始まってからは彼女等の前に姿を表していなかった。

「ま、どっかでお酒でも飲んでるのかな。戻ってきた頃には優勝報告でもしてあげましょっか」

 この後行われる決戦における自分たちの勝利を確信しているエレンがそう呑気に言うと、特にそれを否定する気もなくカタリナも同意した。

「そうね・・・さて、もうそろそろ時間かしら」

 そう言ってカタリナが見つめる先には、にわかに騒がしくなり始めた決勝コートがある。
 対戦相手は正直あんまりじっくりと見たくない相手だが、真正面で対峙する以上は直視は避けられないだろう。
 極力早めにケリをつけてしまおうと考えながら、カタリナは立ち上がった。

 

 外は雲一つない快晴。だというのに店内はいつも通り薄暗く、漂い続ける紫煙のせいで空気も悪い。
 そんな自分のこよなく愛する汚い場末のバーのカウンターでダークラムをロックで傾けながら、ハーマンは相変わらず香りのどぎつい煙草をゆっくりと燻らせていた。普段はここは喧嘩が起こったとき以外は非常に静かなものだが、今日ばかりは遠方からの騒音がここまで届く。

「毎年毎年、飽きもせずにうるせぇな・・・」

 バーのマスターがグラスを磨きながらそう呟くと、ハーマンはにやりと笑った。

「・・第一回大会から第五回まで不動の連続チャンピオンだったお前が、何言ってやがる。引退してなけりゃまだあそこにいたんじゃねえのか?」
「うるせぇ爺。相方が鮫に喰われっちまったんじゃ引退するしかねーだろうが」

 愛想悪くそう言いながらグラス磨きを続ける。だがそんなマスターの背後にある様々な酒の瓶が並べられた棚の隅には、無造作に置かれた小さな優勝トロフィーが並んでいる。お世辞にも掃除が行き届いているとは言い難いこの店内で、しかしそのトロフィーだけは受賞当時の輝きを失っていない。

「ところであんたこそ、いかねーのかよ。教え子、出てるんだろ?」

 マスターがそういうと、ハーマンは返事代わりに煙草を深く吸い込む。
 そしてそのままゆっくりと紫煙を周辺に撒き散らし、グラスの中身を一気に煽った。

「ま、あいつらの優勝に間違いはねぇんだ。一々見に行く必要もない・・・って言いてえところだが、確かに今年はちょっと見に行ってやってもいいかもしれねぇな」

 そういってハーマンはカツンと音を立てて空のグラスを置くと、カウンターから立ち上がる。

「おい、代金」
「馬鹿言え。後で優勝賞金持ってきてしこたま呑んでやるから、そこで汚ねぇグラスを磨きながら待ってろ」

 ハーマンはそう吐き捨てると、舌打ちをしつつもまんざらでもなさそうな表情の店主を無視し、バーを後にした。

 

 

「さぁさぁいよいよやって参りました!!第十五回グレートビーチバレー大会、決勝戦!!」

 司会の絶叫に、負けず劣らず周囲の観客が歓声で応える。朝の早い時間から予選を含めて進められてきた試合も残すところあと一試合となり、南天高くから砂浜を照らす太陽もこの最後の一試合を今か今かと待ち望んでいるようだ。

「今年も大多数の予想通りに大会2連覇のサザンティンバー兄弟は3連覇を賭けて順調にここまで来たが、対する相手はいつもとはひと味もふた味も違うぞぉぉ!他のベテラン勢を押さえ込み我々の予測を大きく裏切り、エントリー期限直前に駆け込み参加をしてきたこちらのビューティフォーガールズが、ままままさかの快進撃!この決勝の舞台に堂々のし上がってきたぁぁああ!」

 再度、司会の絶叫と共に観客の大歓声が唸りを上げる。
 その大歓声を受けながら、設置されたネットを挟んで対峙する男女二人組。

「なんと今大会出場のために態々ピドナからやって来たという彼女たち!最早実力はここに立っている以上は明らか!いや、まだ底知れない!つまり、この決勝戦の行方は誰にも分からないぞぉぉおお!」

 興奮冷めやらぬ司会の絶好調の煽りに観客の歓声も鳴り止まない。その歓声を馴れたように全身の筋肉で受け止めながら、サザンティンバー兄弟と呼ばれた男二人は天に輝く太陽に負けず劣らずキラリと光る白い歯を惜しげもなく晒しつつカタリナとエレンを見つめる。
 対するカタリナエレンは、屈伸をしたり肩を回しながら開始のホイッスルを待っていた。

「・・・あの二人、やっぱり今までのとは段違いで強そうね」

 エレンがサンバイザー越しに相手を見ながら言うと、カタリナは軽く頷きながら腕の筋を伸ばした。

「経験値では劣るけれど、身軽さは負けないわ。翻弄していきましょう」

 極力相手のことを見ないように脇に視線を向けながらそう答えたカタリナは、ふと視界の隅に見覚えのある人物を捉えた。
 ハーマンだった。

「あ、コーチ」
「え、どこどこ・・・あ、ほんとだ!」

 相変わらず義足とは思えぬ歩行速度で観客の波を縫うように移動していったハーマンは、そのまま躊躇うことなくコート脇の関係者席まで進んでいく。
 すると、それに気づいたらしい司会進行がハーマンに振り返り、ここでも大声を張り上げる。

「おおーっと、ここでハーマンコーチの登場だぁぁ!」

 その言葉にその場の全員の視線がハーマンへと注がれるが、当の本人はそんなことは一切構わずにマイペースに進んでいき、チームメイト用ベンチへと腰掛けた。

「ハーマンって意外とここじゃ有名人なのね・・・って、え?」

 その様子を見ていたエレンが暢気にそういった直後、驚きの声を上げる。
 ハーマンがいつも通りのふてぶてしい態度でどかりと座り込んだチームベンチは、ポールとハリードが陣取っていたカタリナ達のチームベンチではなく、なんと相手であるサザンティンバー兄弟チームのベンチだったのだ。

「大会優勝チームの中でも歴代最強と名高いサザンティンバー兄弟を世に送り出した鬼教官ハーマンコーチも、この一戦は見る価値ありとご来場だぁぁ!!」

 俄然盛り上がる会場と司会の言葉に、カタリナ達四人は驚愕の表情をする。

「え・・・え?」

 状況を理解できずに疑問符を浮かべるエレンに対し、カタリナは目を細めながらハーマンを見つめる。だがハーマンはその視線には応えず、にやりとしながらサザンティンバー兄弟に視線を送っていた。

「役者は揃ったぁぁぁあああ!それでは第十五回グレードビーチバレー大会決勝戦、試合開始だぁぁぁああああ!!」

 そのまま倒れてしまうんじゃないかと心配になる程顔を真っ赤にして叫び狂う司会の号令と共に、ホイッスルが鳴り響く。
 サザンティンバー兄弟のサーブから、試合開始だ。

 

 ズバン、とボールが弾け飛んでしまいそうな衝撃音と共に撃ち放たれたスパイクが、ボスッという鈍い音と共に砂浜にめり込む。

「18-3!コートチェンジ!」

 審判のコールに、会場が沸く。
 しかしその歓声は試合開始当初のものよりも大分抑えられていた。
 なにせ既にワンサイドゲームの気配が漂っているのだから、無理もないだろう。
 体にへばり付いた砂を落としながら、カタリナとエレンは大差をつけられたスコアボードを横切ってコートを入れ替わった。
 ビーチバレーのルールは3セットマッチの2セット先取制で、1,2セットは21点がマッチポイント、3セット目のみ15点がマッチポイントとなる。
 コートチェンジのタイミングは両者得点の合計が7の倍数になった時。3セット目のみ5の倍数になった時に行われる。
 現在は1セット目の終盤。完全にサザンティンバー兄弟のペースの試合となっていた。

「くっそ・・・何よあいつら、さっきまでの試合と全然違う・・・。すっごい強い・・・」

 エレンがサンバイザーとネット越しに余裕の表情でこちらを見つめるサザンティンバー兄弟を睨みつけながら、恨めしげにぼやいた。
 それに無言で頷いたカタリナは、如何すればこの状況を逆転できるかを脳内で必死に考えていた。

(・・・基本的な動きはそんなに変わらない。いえ、寧ろ素早さは私たちの方に分がある。競技経験による先読みの差はあれど、やはり相手もコーチから訓練を受けているだけあって私達と基礎の動きはそれほど違わない。これは速度で補うのは十分可能な範囲。でも・・・)

 それでも、自分たちと目の前の兄弟とでは決定的な違いがあった。
 それこそは、スパイクのパワーだ。
 エレンが言うようにこれまでの試合では隠してきたのか、それとも抑も使う必要がなかったのか。
 兎に角この決勝戦においてサザンティンバー兄弟が放ってきたスパイクは、これまで見てきたどのスパイクよりも圧倒的な威力を持っていた。なにしろそのスパイクに体がついてこず、彼女らはただただ弄ばれるようにここまで得点を許してしまっていたというわけなのだ。
 ただ、ここまでで分かってきたこともある。それは、あのスパイクは恐らく個の動きだけで成せるものではないだろう、ということだった。それこそ、あの二人だからこそ出来る芸当なのだ。
 幾年も共に修練を積んだであろう二人だからこそ生まれる阿吽の呼吸から繰り出されるその技は、正しくチームプレーの真髄、即ち連携技だといえる。これこそが、今の自分たちと相手との決定的な違いなのだ。
 つまりこの試合に自分たちが勝つには、まず第一に自分たちもこの試合の中で彼らと同じ域に達する必要がある。だが、それだけでは最早足りない。なにしろ自分たちは現時点で点数負けをしている。彼らと同じ域に今から直ぐ追いつけたとしても、点の取り合いでは押し切られて終わるだけだ。だからこそ自分たちは、彼らよりも更に上の次元に到達しなければならない。
 つまり、今ここで先に成さねばならないことがあるのだ。
 あのスパイクに至るまでの流れ、立ち位置。其れ等の中に確かに存在しているはずの起死回生の糸口を、なんとしてもここで見つけ出さねばならない。

(・・・見切る)

 頭の中で、そう呟く。もしかしたら、それは小さく口に出したかも知れない。兎に角そう決心したカタリナは、すっと姿勢を正して背後のエレンに振り返った。すると、エレンもカタリナの動きに反応して迎撃姿勢を解く。

「エレン、前お願い」
「え・・・いいけど、どしたの?」

 突然の立ち位置変更に疑問符を浮かべながらも、素直に了承するエレン。
 それまでネット際は背丈が高い方がブロックに向いているからとカタリナが担当していたが、それを入れ替えた形だ。
 そして後ろ側に移動したカタリナは、ボールだけではなく相手のコート全体を見るようにしながら姿勢を低くした。

「・・・ほう」

 その様子を見てハーマンがニヤリとするのを、隣り合わせのチームベンチで最も彼に近い位置に座っていたフェアリーは見逃さなかった。

《・・・カタリナさん、コーチがカタリナさんの動きに反応しました》

 突然脳内に響いてきた念話にカタリナはぴくりとしたが、それがフェアリーのものだと分かると小さく頷いた。

《・・・少なくともさっきよりは正解に近づいたかもしれないってわけね・・・。ギャラリーには悪いけど、このセットは捨てる。その代わり、ここで絶対に見極めるわ・・・!》

 サザンティンバー兄弟のサーブで再開されたゲームは、やはり先ほどまでと変わらぬ結果だった。
 レシーブからのこちらのスパイクでは止めをさせず、そこからサザンティンバー兄弟の強烈なスパイクによってカタリナサイドのコートにボールがめり込む。

「・・・19-3!」

 審判のコールが、短いホイッスルの後に一瞬の間を置いて叫ばれた。
 結果は先ほぼと同じく、サザンティンバー兄弟の得点。審判のコールに合わせてスコアボードが変えられる光景も同じ。だが、先程までとは明らかに違う点が一点あった。
 それはコート後方に位置したカタリナが、彼らのスパイクに対して一切の反応を見せず、微動だにしなかったことだった。先ほどまでそこに居たエレンは相手のスパイクに必死に食らいつこうと何度も砂浜にダイブしていたものだから、一転してのその光景は周囲にとっては途轍もなく異様に映った。

「・・・おいおいなんだ、カタリナさん試合諦めちまったのかぁ・・・?」

 ポールが肩を竦めながらそう言うと、ハリードは眼光鋭くカタリナを見つめながら、否定の言葉を口にする。

「・・・いや、あいつはそんなタマじゃないだろう。何かを見ていた、ってのが近そうだ」

 そんな二人の会話する様子を尻目に、フェアリーはコート上と隣のハーマンを交互に観察していた。

《・・・コーチ、ニヤニヤしてます。なんだか、ちょっと嬉しそうです》
《何それ気持ち悪い・・・。でも、今はっきりと見えたわ。次で少し、仕掛ける》

 そう意気込んだカタリナは、審判のホイッスルを合図に再び放たれた相手の強烈なサーブを無難に捌く。
 そのままこれまで通り綺麗な流れでエレンのトス、そしてカタリナのスパイクと続くが、それも相手にうまく捌かれる。
 そしてサザンティンバー兄弟は完成された滑らかな動きで以て、再び強烈なスパイクを叩き込んできた。ここまでは、このセットで何度も繰り返された光景。
 そして先程までと同じく、彼らの放ったスパイクはとんでもないほどの衝撃で以てビーチの砂を派手に舞い上げるはずだった。
 しかし。

 バシンッ

 弾かれたボールが、浮かび上がった。
 完全にインパクトを殺されたボールは直前のスピードが冗談のようにふわりと浮かび上がり、しかしその光景を見逃さなかったエレンが駆け寄るも距離が間に合わず砂浜に静かに着地した。
 後に残されたのは、スパイク前の立ち位置から僅かに動いて腕を伸ばした体勢のカタリナだった。

「・・・見切ったか」
《・・・見切ったわ》

 フェアリーが感知した中でカタリナがそう脳内で呟いたのと、ハーマンが小さくそう呟いたのは、全くの同時だった。

「・・・20-3! マッチポイント!」

 ホイッスル後の審判のコールに、ポールが頭を抱えた。

「くぁー!惜しかったなー!今のスパイク何とか上手く触れたのになぁー!しっかし、こりゃもうダメかねぇ・・・」

 そう落胆の表情とともに漏らすポールに、しかしハリードはゆっくりとかぶりを振る。

「・・・いや、どうやらそう言うわけでもなさそうだぜ・・・?」

 カタリナの様子に目敏く気付いたハリードがそう言いながら口の端を釣り上げるのと、マッチポイントサーブが放たれるのは、ほぼ同時だった。

「・・・21-3! サ、サザンティンバー!」

 審判の第一セット終了を告げるコールに、しかし会場は先程までのような歓声を上げることはなかった。
 会場の視線は全て、カタリナに注がれていた。
 正確には、その右手。
 決して大きすぎるわけではないカタリナの掌でしっかりと受け止められたボールに、会場全員の視線は集中していたのだ。
 その様子に誰より驚愕していたのは、彼女らに相対するサザンティンバー兄弟。そしてその様子に誰より上機嫌になったのは、誰あろうハーマンだった。

「・・・カタリナさん」
「・・・あいつらのスパイクは、『見切った』わ。あとは、攻めるだけ。ね、エレン。ちょっといい?」

 ベンチに戻ってきて早速次のセットの作戦を話し合うカタリナたちに、すっかりチームのマネージャーポジションとなっているフェアリーが甲斐甲斐しく飲み物を手渡す。
 それを笑顔で受け取りながら作戦会議を続ける二人は、大差で敗れた第一セットの事など全く意に介さない様子だ。
 反面、サザンティンバー兄弟はセットを獲ったにも関わらず、試合開始前の余裕が全くなくなってしまっていた。今までにない相手の行動に、明らかに動揺を隠し切れていない様子だ。

「おいてめぇら、なにあの程度でびびってんだ!」

 目の前で情けなくも焦りを隠せない二人に、ハーマンが立ち上がりながら一喝する。
 それにびくりと反応したサザンティンバー兄弟は、普段からの習性なのか脊髄反射の勢いで直立の姿勢をとる。

「・・・相手は恐らくお前たちの連携技ダブルインパクトの見切りと、最後のあれで極意も会得してきたはずだ。次からはエレンにも止められるぞ」
「そ、そんな・・・」
「コ、コーチ・・・我々は一体どうすれば・・・」

 ハーマンの言葉になお一層の動揺を隠せぬ二人に、しかしハーマンは再度一喝した。

「ど阿呆が!やることは決まってんだよ!違う技を編み出すんだ!いいか、 彼奴らは確かに規格外の化け物だ。たかだか一セットでお前たちの連携技を見切って来やがった。だがなぁ・・・お前達がこれまで血反吐吐きながら努力してきた全てが、こんなところで終わるのか!?違ぇだろうが!!」

 ハーマンのその力強い言葉に、二人はびくりと筋肉を震わせる。

「一セットは獲った。だから次のセットさえ抑え込めばお前らの勝ちだ。だから・・・やるしかねぇだろうが。この一セットを獲るための技を、生み出すしかねぇだろうが。・・・違うかぁ!?」

 他の全てを圧倒するほどのハーマンの強烈な叫びがその場に響き渡り、思わず観客までもが黙ってしまう。そしてその場が異様な静寂と熱気に包まれるなか、ハーマンの叫びを全身で受け止めたサザンティンバー兄弟はどちらからともなく向き合い、そしてキラリと光る白い歯を見せ合って笑った。

「・・・そうだ、俺たちは」
「・・・無敵のマッスル」
『サザンティンバー兄弟!』
「そうだ!お前らはこの俺が育てた最強の兄弟。ぽっと出の女二人組なんぞに好き勝手させてんじゃねーぞ!」

 ハーマンの力強い言葉に確りと頷いた兄弟は、完全に取り戻した自信を筋肉に乗せてポージングをし、そして高らかに笑った。

「・・・筋肉が気持ち悪い」
「うん、気持ち悪い」
「き、聞こえちゃいますよ・・・!」

 作戦会議しながらその様子を見ていたカタリナとエレンの辛辣な感想に、フェアリーがあわあわしながら反応する。
 間も無く、第二セットが開始される時間だ。

 

 灼熱の炎天下の中で開始のホイッスルが鳴り響いた第二セットは、正に熾烈を極めた。
 序盤は完全にカタリナ&エレンペアのペース。サザンティンバー兄弟のアタックを完全に見切った二人はパーフェクトに相手の必殺アタックを防ぎきり、更には二人同時に攻撃を仕掛けるフェイントを混ぜたエックス攻撃までもをその場で完成させ、一気に攻勢に出たのだ。これにより第二セット序盤はカタリナらが有利な状態で15-6までの得点差でコートチェンジを迎えることとなった。
 しかし、防戦一方だったサザンティンバー兄弟は、第二セット終盤にきて新たになんと新たな連携技、時間差攻撃を編み出した。
 これにより双方がアタックの乱れ打ちとなり、辛くもこのセットを勝ち取ったのは前半リードを作れていたカタリナエレンペアだった。

「さぁさぁさぁさぁ!遂にやって参りました最終セットォォォオオオ!まさかまさかの展開の連続だったこの第十五回グレートビーチバレー大会も、これが最終セットだぁぁぁああ!」

 史上嘗てないほどに白熱した試合展開に興奮を抑えきれない司会の絶叫も、それに反応して波打つ観客の歓声も、ベンチで最終セットに向けて集中する四人には全く届いてはいなかった。

「・・・流石にチャンピオンね。この土壇場で新たな技・・・傲らず鍛錬と挑戦を繰り返す姿勢には感服するわ」
「うん・・・でも、負けないよ。あたし達だってまだまだやれる」

 フェアリーに手渡された水を口に含みながら、カタリナとエレンは言葉少なにそう言いあった。
 その様子を横目に、ハリードはもう一方のベンチに視線を向ける。
 そこでは汗だくのまま座りもせず相変わらず直立姿勢の兄弟に檄を飛ばすハーマンの姿があった。

「新技おせぇぞ!もう後がねぇ!最終セットは一気に畳み掛けろ!」
『はいっ!』

 最早今のサザンティンバー兄弟には、ディフェンディングチャンピオンの余裕など欠片も無かった。
 代わりにあるのはただ、未知なる対戦相手に対するチャレンジ精神。
 その様子を同じく眺めながら、ポールは半眼で肩を竦める。

「ああなった相手は、こえーな。しっかし・・・あんのオッサン、どっちの味方なんだか」
「・・・さぁな」

 ハリードはポールの真似をするように軽く肩を竦め、コートへと視線を戻す。
 それを合図とするかのように、両チームは再びコートへと舞い戻った。
 ネット際へと陣取ったカタリナは、最終セット開始のホイッスルを待ちながら改めて対戦相手であるサザンティンバー兄弟を真っ直ぐに見据える。
 最早、彼らには最初に感じていた嫌悪感は一切抱かない。その代わりに感じるのは、只々一プレイヤーとしてのリスペクトだけだ。

(・・・あのアタックを見切った時点で勝ったと思った。でも彼等はその劣勢に果敢に抗い、この土壇場で新技を編み出してきた。あとは先に互いのアタックを見切った方が勝つ・・・。絶対に負けないわ・・・!)

 背後の様子を伺えば、エレンも全く同じことを考えているであろうことがその表情から窺える。
 それは無論、相手も一緒のはずだ。
 そして歓声鳴り止まぬ中、最終セット開始のホイッスルが鳴り響いた。

「っりゃぁあああ!」

 気合一閃、玄人顔負けのジャンプサーブを絶妙なコースで放つエレン。
 しかしそれを無難に捌いたサザンティンバー兄弟は新たな新技、時間差アタックを仕掛けてくる。
 カタリナはなんとかタイミングを合わせてブロックしようとするが、これは難なく躱される。
 そして放たれたアタックは、しっかりとカタリナらのコートに突き刺さった。

「・・・1-0!」

 ホイッスルと共に、審判の緊張を隠し切れぬ声が響く。その声に、しかし観客は一際静かにコートを見つめるだけだった。
 それはまるで、第一セット終盤のデジャヴか。
 サザンティンバー兄弟のアタックに微動だにせず、ただ只管にその動きとボールだけを見つめていたエレンの姿を、その場の全員が固唾を飲んで見守っていた。
 そして彼女の口の端が僅かにつり上がった事に気がついたのは、ハーマンくらいのものであった。

「・・・化け物め」

 その小さなつぶやきに、フェアリーの耳がぴくりと反応する。

《・・・コーチが毒吐きました。エレンさん、『見切った』みたいです》

 フェアリーが思念でそう伝えてくるのを受けたカタリナは、背後に陣取る心強い相方に思わず舌を巻く。
 これで、相手の新技もほぼ完封する事が可能になった。このまま行けば、彼女たちの勝ちは確定だ。
 だが恐らくはこの事実にハーマンとほぼ同時に気付いたであろうネットの向こうのサザンティンバー兄弟は、それでいてなんら表情を崩す事はなかった。

《・・・まだ分からない、か》
《・・・え?》

 カタリナの直感による呟きに、フェアリーが疑問符を返す。
 そしてそれは矢張り、正しい読みだった。
 次のラリーで見事に相手のアタックを捌いたエレンに観客が湧き上がった直後、彼女らの必殺アタックは逆にサザンティンバー兄弟によって止められたのだった。

「と、止めたぁぁぁあああ!!チャンピオンが止めたー!これは本当に試合の行方が分からないぞぉぉぉおおお!!」

 もう二度とこんな試合は見られないんじゃないか。まるでそう言いたげなほど全身全霊をかけた司会のシャウトが会場全体に響き渡り、それに一歩遅れてうねる波のように広がる観客の大歓声。その渦中にて、なおもラリーは続いていく。

 

 

 日没も近くなり、グレートアーチのビーチ全体が夕暮れに照らされる頃。
 油を暫く差していないであろうことが窺える取れかけの蝶番が、スイングドアを押してきた人物に対して店主の代わりに歓迎ついでの耳障りな悲鳴を上げた。
 すっかり聞き慣れたものの不快なことに変わりはないその音に遠慮なく顔を顰めながら、彼がこよなく愛する薄汚い場末のバーに、まるで我が家に帰ってくるかのように慣れた様子でハーマンは入っていく。

「よう、待たせたな」

 昼前と違って店内には今はぽつぽつと客がおり、彼らはそう声を上げながら入ってきたハーマンを見ると、それぞれがグラスを傾けていた手を下ろして彼へと向き直った。彼らは分かっているのだ。今日の主役が、彼であると言うことを。
 そして最後にハーマンへと視線を投げかけたのは、カウンターの中でグラスを磨いていたマスターだった。
 マスターが自分に視線を向けたことを確認したハーマンは、徐にその右手に持っていた物体を放り投げる。
 緩く回転しながら放物線を描いた物体を難なくマスターが片手でキャッチすると、それはこの薄暗い店内には似つかわしくないほどきらきらと輝く、赤珊瑚製のトロフィーだった。

「モルガンブラック、ロックで」

 カウンター席にどかりと座り込みながらいつもと変わらぬダークラムをオーダーし、マスターの反応も見ずに懐から煙草を取り出して火をつけるハーマン。だが程なくしてボトルを持ち上げる音、氷を弄る音、そしてグラスに張られた氷の上に液体が注がれる耳に心地よい音から自分のドリンクがしっかり作られ始めたことを確認すると、にやりとしながら面を上げた。

 

 

 今年も予定通り開催された第十五回グレートビーチバレー大会は天候にも恵まれ、例年通り・・・いや、例年以上に大盛況のうちに幕を閉じた。
 優勝タッグは事前オッズの一番人気であり、グレートアーチが誇る地元の英雄サザンティンバー兄弟だ。今大会の優勝にて通算三度目、三連覇という堂々の結果となっている。
 しかし、今大会の目玉はディフェンディングチャンピオンたる彼らではなかった。
 なんと言っても今大会の台風の目は、決勝戦にてサザンティンバー兄弟と熾烈な戦いを繰り広げた、初出場の謎の美女タッグだ。
 大会エントリー期限ぎりぎりに参加を表明してきたという彼女らは、なんと今大会のためにピドナからやってきたとのことだった。そして彼女らは予選にて並みいる地元の強豪達を次々と打ち負かし、迎えた決勝戦では最終セットの最後の最後までサザンティンバー兄弟を追い詰め、その場の誰にも勝負の行方が予測できない大接戦を展開した。
 運営に確認してみたところ地元以外から参加したチームがここまでの大躍進をしてみせた例は今までになく、大会始まって以来初の出来事と言うことだ。更にはこれほど白熱した試合は今まで見たことがないと今大会の観客は満場一致で賞賛しており、既に一部では伝説の一戦とすら言われている。
 これに敬意を表し、グレートビーチバレー運営委員会は急遽その場にて特別賞を設けて彼女たちにも簡易的なトロフィーを贈るという素晴らしい機転を見せてくれ、集まった観客共々、大いに二人を称えた。
 余談となるが、グレートビーチバレー大会の醍醐味の一つとして大会終了後にその場で選手や観客、運営も交えて大がかりなバーベキューを催すというイベントがある。これは地元の高級ホテルバランタインが食材提供を取り仕切るもので筆者も毎年このイベントまで参加するが、今年はこのバーベキューも例年以上の大盛況であった。
 特に印象的だったのは、決勝戦を通じて互いを認め合ったサザンティンバー兄弟と美女二人が様々な人々に囲まれながらおおいに飲んで食べて語らい、観客とも非常に和やかに接していたところだ。ここ五年ほどこの大会を取材しているが、歴代の優勝者と同じくサザンティンバー兄弟もどこか超然とした雰囲気で周囲の人間とは距離を置いている節があったものだが、今年の彼らは非常に和やかに周囲とコミュニケーションを図っており、チャンピオン自身にも今回の大会は非常に良い経験になったようだ。
 ただ惜しむらくは、美女二人が顔出しNGだということだろう。無論その辺りは本人達の意思を尊重するのだが、随行したカメラマンもこれには非常に残念がっていた。
 ただし、インタビューの際に来年の出場について伺うと前向きに検討するという旨のお言葉を頂けたので、彼女らの素顔が気になる読者の皆様も是非、来年はグレートアーチへと足を運んでみては如何だろうか。(試合のハイライトは裏面中央の特集にて)

「・・・だってさ」

 ハンス家の大会議室にて行われていた会議も終わり皆が寛ぐ中、エレンはメッサーナジャーナルのスポーツ欄を読み上げた後、窓際で物珍しげに外を眺めていたフェアリーにそう声をかけた。

「なかなか体験できない経験をさせてもらえて私は大満足でしたが、結果自体は惜しかったですね」
「そうだねー。でもあれは仕方ないよね。カタリナさん、トラウマレベルなんじゃないかなー」

 記事やそこに載っている写真を見返しながら、エレンが当時を思い出すように振り返る。
 試合の最終セットは、正に熾烈を極めた。お互いがお互いの必殺スパイクを見切りそれが決定打とならなくなったため、その必殺スパイクをすらフェイントに用いた非常に高度な戦いが展開された。競技経験値に優れるサザンティンバー兄弟の動きにもカタリナチームは類い希なる素早さを武器に必死の食らいつきで互角以上に渡り合い、正に勝負の行方はその場の誰にも分からないという状況であった。
 だがその彼らの非常にハイレベルな動きに、最終最後についてこれず、遂には根を上げてしまったものがあった。
 それこそは、サザンティンバー兄弟が身につけていた、極小サイズのブーメランパンツだったのだ。

「相手がアタックで飛び上がった瞬間だったし、ネット際で完全に至近距離だったよねー。あたしは逆光であんまり見えなかったけど、カタリナさんはモロだよ、モロ」
「アタックされたボールを掴み取って相手の方の、その・・・股間に投げつけたときは、何事かと思いました・・・」

 当然そこでカタリナチームは1点ペナルティだったわけだが、それが決定打となって軍配はサザンティンバー兄弟に上がったのだった。

「あははは、あたしなんかは昔っから男女お構いなく遊んでたからそういうのも割かし見慣れているけど、カタリナさんってそういうの意外と耐性ないのがまた可愛いよね」
「確かにカタリナさんのそういう部分は、ちょっとずるいなって思うことはありますね」

 エレンとフェアリーが当の本人がここに居ないのをいいことに好き勝手感想を言いながら笑い合っていると、その話題に引かれてか周囲の女子が続々と彼女らの周りに寄ってきた。

「カタリナがどうかしましたの?」
「えっとねー、この間グレートアーチでビーチバレーやってきたんだけどね、その時の試合が記事になっててさー」
「記事になっているのですか。凄いですね。ところでそのびーちばれー、とはどの様なものなのですか?」
「あ、ミューズ様も知らないことあるってなんか新鮮。えっとね、ビーチバレーっていうのはねー」
 聞き慣れぬ単語に小首を傾げるモニカとミューズに対し、エレンが得意げに説明を始める。そしてそのまま話の輪にサラやノーラも加わり、女子同士での会話に花が咲いていった。

「お姉ちゃんばっかりいいなー、面白そう!」
「というかしっかり水着は活用したんだね。選んでもらった甲斐があったじゃないか」
「来年は私もいってみたいですわ」
「それでは、私達も是非来年はビーチバレーというものをしてみましょう」

 気がつけば午後のお茶会の様相を呈してきた会議室でハンス家の執事がお替わりのティーを注いで回る中、ハーマンは自分に話を振られるのを面倒がって、そそくさと会議室を後にした。

 

 

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第五章・5 -手掛かりを求めて-

 

 連なる見事な鍾乳洞を伝い、今まさに重力に導かれるままに滴り落ちた水が作る波紋が、岩の隙間からしんしんと湧き出る泉に広がる。
 そうして長い年月を経て洞内に溜まった其処彼処の水溜りの幾つかには、窮屈そうにしながら小さな魚達が泳ぎ回っていた。
 その名の示す通りに大きなアーチ状の地形をしているここ南国グレートアーチ半島には、この様な天然洞窟が複数箇所に渡って存在する。
 それらの天然洞窟は大小の差も様々で其々に特色もあり、そのうちのいくつかは人の手が入って観光名所的に知名度があったりなどもした。
 だが今現在ハリード達がいる洞窟は人が頻繁に出入りした様な形跡がなく、しかし妙に道らしい道が随所で削り出されているという、なんとも奇妙な様子の場所であった。
 抑も侵入の仕方からして一般的な様子がなく、サウスビーチから随分離れた場所に広がる切り立つ崖の下、そこの潮が引いた時にだけ現れる小さな入り口に小舟で侵入するという具合だったのだ。
 エレンなどはすっかりこの風情に感極まった様子で驚嘆し、松明を片手に意気揚々と先頭を歩きながら周囲を物珍しげに見渡している。
 それに続くハリードは、張り切るエレンの背中を見守りながらも注意深く辺りを観察していた。
 そして更にそのすぐ後ろには、義足の片足をなんのハンデとも感じぬ様子で悠々と二人について行くハーマンの姿があった。

「・・・左は何もないぜ。右に進みな」

 何度目か、分かれ道に到達するたびに背中から飛んでくるハーマンのナビに沿ってエレンは素直に分岐を右に折れた。
 松明に照らされた洞内は先が見えずかなり広いようだが、こうして一行はハーマンの指示に従って奥へ奥へと進んでいたのだ。

「・・・で、回収したいものってのはなんなんだ。その様子じゃあ、オーラムじゃないんだろう? いい加減教えてくれてもいいんじゃないか?」

 道すがらで、なんとゆうに千を超えるオーラムを宝箱から回収したハリードは、これはグレートアーチの洞窟探索が冒険者に人気なのもわかるとほくそ笑みながらハーマンに聞いてみた。

「・・・まだ先だ。黙って進みな」

 対するハーマンは仏頂面を隠しもせず、それだけ言って黙ってしまう。
 その様子にもなんら気を揉むことなく、ハリードはふんと鼻を鳴らしただけで前に向き直る。
 こうして彼ら三人がこの洞窟に入ってから、一時間程が経とうとしていた。

 事の発端は、宣言通りにハリードと会った日の翌々日、昼前にホテルバランタインに訪れたハーマンだ。
 彼はフロントでハリードを呼びつけるや否や、開口一番に南の洞窟に行くから付き合えと言い出した。一昨日の夜に口にした「回収したいもの」がそこにあるから、だそうだ。
 昨日のうちに潮の引き時間を目視で推測したらしいハーマンは、今からいけば入れる、等とその時点では意味の通じぬ言葉でハリードを急かした。
 そこに丁度通り掛かったエレンが二人の会話に興味を示し、カフェで特大サンドウィッチのお弁当を用意してついてきた、というのがここまでのあらすじとなる。

「っと、こいつもとっておかねぇとな」

 突然大岩の隙間に入り込んで岩陰の目立たない場所に無造作においてあった質素な箱に歩み寄ったハーマンは、乱暴に蓋を蹴り開けてその中から一振りの荒々しい形状の斧を取り出した。

「わ、かっこいい!それなんていうやつなの?」

 斧を得物とするエレンはそれを後ろから覗き込みつつ、取り出された斧の珍しい形状に声をあげた。

「こいつか? こいつはな、バイキングアクスさ。お前のグレートアクスよか小振りの片手斧だが、手練れが使えば横薙ぎ一発でロングシップはおろか、キャラベルのマストすら両断出来るんだぜ」
「へぇ、凄い!」

 恐らく船の名前なのだろうということくらいしか彼女には分からなかったが、兎に角凄そうだったのでエレンは思ったままに口にした。
 わりかし素直なその反応にハーマンは気を良くしたか、そこからは自らが先陣を切って洞窟内を苦労無く進んで行く。
 あまりに義足であることを感じさせないその動きにハリードが只々感心しながら眺めていると、流石にジロジロと見過ぎたのか、ハーマンがただでさえ皺だらけな眉間にさらなる皺を寄せて睨み返してくる。

「なんだ、戦人が義足を珍しがるんじゃねぇよ」
「・・・長靴履いてりゃ、あんた、義足とも思われないだろ。だから珍しがるのさ」

 ハリードのその答えにハーマンはもう一度だけ眉間に皺を寄せたが、悪態をつくでもなく無言で前に向き直った。
 そのまま平然と崩れた道の向こう側へと飛び移り、最早持っていることに意味があるのか分からない杖を肩に乗せながら、煙草に火をつける。

「まだな、俺の左足はあんだよ」

 たゆたう煙と共にぽつりと呟かれたその言葉に、今度はハリードが足元の水たまりを踏み抜きながら眉間に皺を寄せる。
 水が跳ねたと怒っているエレンを無視して歩き続けていくと、大きく開けた洞内の地底湖に差し掛かったところで、ハーマンが岩でできた三メートルほどの段差を見上げながら、再度ぽつりと呟く。

「感覚がな、あんのさ。だから俺の左足はまだ、ある。一番回収してえのはそれなんだが、そのためには恐らくあいつが必要でな」

 段差の間にあった岩をくり抜かれて作られた階段を登ると、そこには松明の明かりを浴びて妖しく光り輝く、荒々しくも見事な削り出しをされた黄金色のイルカの像がおもむろに置かれていた。
 それにハーマンが無造作に手を延ばした、その瞬間。
 前触れなく天井からシュルシュルという耳障りな空気の摩擦音と共に、巨大な蛇が落下しながら彼に襲いかかった。

「・・・!」

 同時にエレンとハリード達の背後からこちらも大きな両棲類と軟体動物が突如として現れ、三人を囲むように陣取る。
 だが、ハーマンはゆらりと姿勢を直しただけで先ほどと変わらぬ緩慢な動作のまま、イルカ像を手にとった。
 一方でハーマンに襲いかかったはずの大蛇は、それに合わせるかのように一瞬身を引き、牽制するように彼の様子を伺う。

「そういやこんな仕掛けもしてたな。こいつ等は三竦みだ。この状態じゃあなんにもできねぇ、単なる脅しよ」

 イルカ像を乱暴に麻袋に突っ込むと、ハーマンは先ほど回収したバイキングアクスではなく手持ちの杖を構えながらニヤリと笑った。

「三竦みだが、どれかの個体にプレッシャーをかけるか、均衡が崩れるか。其の何れかで、容赦なく襲いかかってくる。一噛みされたら御陀仏だぜ。熱帯の奴らは総じて毒性が高いからな。一撃で仕留めろ」

 まるで子供に言い聞かせるように気楽な口調でそれだけ言い、ハーマンは腰を低くする。
 それに合わせてハリードが無言でカムシーンを自らの視線の高さで水平に構え、エレンはグレートアクスを肩に乗せて誰よりも低く腰を落とした。

「多分あたしの打撃が一番遅い。タイミングは任したわ・・・!」

 それぞれに対峙した状態で背後の二人に向けて小さくそう言ったエレンは、岩肌を踏み抜かんばかりに強烈な一歩だけを踏み出すと、足場の悪さも気にせずに高らかに飛び上がった。
 それに合わせて彼女の高度を確認し、次にハリードが動く。これまた滑りやすい足場を巧く駆け、エレンの大上段の振り下ろしに合わせて目の前でうねる巨大な軟体動物に迫る。
 その両者の斬撃が息もぴったりに其々の標的に食い込まんとする正にその刹那、ここで漸くハーマンが手持ちの杖の柄を握った。
 そして凄まじい衝撃音と共にエレンの振り下ろしたグレートアクスが標的となった両棲類を真っ二つに斬り飛ばすのと、疾風の如く駆け抜けざまに数多の斬撃を相手に一瞬で叩き込んだハリードの急停止が重なる。
 そしてその攻勢を終えた両者の視界の隅には、三竦みの均衡が解かれ猛り狂って目の前のハーマンに襲い掛かる大蛇の姿が掠めた。
 だが大蛇はハリード等が振り向くより前に突然その軌道を変え、斜め上空に飛んだ。
 その首から、数十センチだけを。
 大きく放物線を描いた大蛇の首はエレンの手元へと狙い澄ましたかのように飛び込み、思いの外可愛らしい甲高い悲鳴を上げた彼女の豪快な戦斧のスイングによって彼方へと吹っ飛ばされた。

「はん・・・道理で変な音がしやがると思ったぜ。そいつはやっぱ仕込み刀か」

 ハーマンが右手に携えた細い刀を見て、ハリードがニヤリと笑いながら言った。
 一見して杖のように見えていたハーマンの得物は、柄の部分から内部に刀を秘めた暗器だったのだ。

「ふん。お前はあの桟橋から気付いていたな。つくづく、ただの傭兵なんざ笑えねぇ冗談だ」

 何が面白いのか、ハーマンはハリードの言葉ににやりと笑ってそう返すと、ゆっくりと刀を収めて二人に振り返った。
 一人事情がわからないという表情のエレンを置き去りに、男二人はその後に目線だけで会話をして再び歩き出す。

「っと、ちょいと急いでここを出ねぇと不味いぞ。これ以上潮が満ち始めたら、この辺にいるとあっという間に魚の餌だぜ」

 先ほどよりも明らかに水位を増している地底湖の水面を覗き込みながら、ハーマンが二人に声をかける。

「こっちから崖の上に出る道がある。いくぞ」

 相変わらず義足だと言う事を忘れさせる足取りで軽やかにハーマンが岩を跳び移っていくのを追いかけ、ハリードたちは洞窟を後にした。

 

 

 ハリード達の財宝探しより数日が経った後、遂にカタリナと彼等は合流を果たした。
 心なしか全体的にボロッとした印象になっていたグレートアーチ到着直後のカタリナをビーチで見つけたエレンが周囲の視線をものともせずに大絶叫しながらカタリナに飛びつくと、存外呆気なくエレンに押し倒されたカタリナは、はにかみ笑いをしながら心配をかけた事を素直に謝った。
 そのままの姿勢で自分の後ろで二人を見つめて微笑ましく佇んでいるフェアリーを簡単に紹介すると、これまたエレンは驚きの声をあげながらフェアリーにまとわり付いた。
 そしてそのままの勢いでホテルバランタインに案内されたカタリナは、そこにいたハリードやポールと顔を合わせ、此方でもフェアリーを紹介しながら、あの嵐の夜に大海原に投げ出されてからの経緯を手短に語った。
 それはあまりに現実離れした体験談だったが、その確固たる生き証人としてフェアリーがここにいる事、そして神々しき月下美人の刀身をこっそりとその場で拝見した一同は、納得する以外の術を持たなかった。

「こっちもカタリナさんの合流を首を長くして待ってたんだ。ちゃんとあの手紙も受け取って、件の人物とコンタクトもとってある」

 ポールがカタリナを労いながらそう言うと、カタリナは三人の働きに感謝しつつ、しかし先ずは切実にまともなご飯と風呂を求めた。

 

 夕刻。なだらかな山間に沈む緋色の夕日を背に相変わらずサウスビーチの桟橋に立って海を見つめていたハーマンを確認したカタリナは、その姿を見て一瞬目を細め、ゆっくりと近づいていった。
 その気配に気がついてハーマンが振り向き、カタリナとハーマンは数歩の間をとって対峙する。
 その場まで案内をしてきたハリードは、彼女らの少し後ろでそれを見守っていた。

「・・・お前が俺を指名した依頼人とやらか。随分遅れてのご登場だな」

 カタリナとハリードを交互に見てから事情を察知したハーマンは、随分と斜に構えながら値踏みする様にカタリナを眺め、くわえ煙草で口を開く。
 それに対してカタリナは直立不動でハーマンを見返し、やがて肩を竦めて後方を指し示した。

「ハリードに、近くに座れるところがあると伺いました。 立ち話もなんですから、宜しければそちらで話を致しましょう」

 しかしその言葉にはぶすっとした表情でハーマンが動かずにいると、カタリナはそれを何等気に揉むことなく再度催促をする。それにややあってハーマンが渋々応え、三人はそのまま以前にハリードが案内されたハーマンの行きつけと思われる場末の酒場へと足を運んだ。

 

 恐らく直す気もないのだろうことが伺える崩れ気味の扉を開けて店内にはいると、マスターが愛想のかけらもない無言の視線で迎え入れる。
 珍しくその目線がすこし細められたのは、どうにもこの場に似つかわしく無い風体の女が客の中に一人いたからだろうか。
 ガタガタと揺れるすわりの悪い円形テーブルに腰掛けた三人は、ハーマンがおもむろに注文を飛ばすまで暫し無言で相対した。

「では改めて。初めまして、ハーマンさん。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランと申します」

 どこか取っ付きづらさを感じるカタリナのその名乗りに、ハーマンは煙草に火を付けながらふんと鼻を鳴らした。

「ロアーヌ、か。そんな遠方の国の騎士様が、こんなとこまでわざわざご苦労な事だ。そりゃあ到着も遅れるわけだな」

 程なくして運ばれて来たグラスに手を付けながらハーマンがそう言うと、カタリナは面倒な事情をこの場で話すのも躊躇われ、無言でその様に理解してもらう事にした。

「それがどうあれ、先に別の人間を寄越した非礼は詫びます。申し訳ありませんでした。して、凡その話は既にハリードから聞いているかと思いますが」
「俺はお前に会ったことなんざねぇが、何故お前は俺を知っていて、尚且つ指名した? その目的はなんだ? それがまず分からねえ」

 カタリナの言葉を遮るように声を重ねたハーマンは、申し訳程度に設えられた燭台越しに遠慮なく睨みを効かせながらカタリナを見た。
 その視線にたっぷり十秒弱程も真正面から無言で応えたカタリナは、やがて自分の目の前に置かれたグラスで唇を軽く潤してから、何故か決まり悪そうにぽりぽりと頭を掻いた。

「私の今の目的は、ピドナの神王教団幹部の正体を暴くこと。奴らが海賊ジャッカル一味の残党だという可能性が上がったので、暴くにはそのあたりの情報に精通した人物が必要だと判断したのです。そして貴方を指名した理由は・・・ある人物に、紹介されたからです」
「紹介だぁ・・・?」

 怪訝な表情でハーマンが聞き返すとカタリナはこくりと頷き、そのまま言葉を続けるかと思いきや、ややあってから手に持っていたグラスの中身を一気に飲み干した。

「・・・はぁ、やめやめ。堅苦しい喋りじゃ話が進まないわ」
「・・・は、なんだ、粋な飲み方もできるじゃねえか。その方が助かるね」

 ハリードがやれやれと言った様子でグラスに手をつけるのに気が付いてかおらずか、カタリナはふんと一息鼻を鳴らしてから再度口を開いた。

「寧ろそれは私が聞きたいくらい。貴方を紹介してきたのは流れの聖王記詠みだったのだけど、そういったのは貴方の知り合いにいるかしら?」
「聖王記詠み? 歌好きは何人も知っちゃいるが、そんなつまらん歌を好むやつはしらねぇな」 
「・・・でしょうね。そんな顔してるもの」
「・・・あぁん?そりゃどういう意味だ?」

 褒めたのよ、と言って新しくドリンクを注文したカタリナに、どこか釈然としないといった表情のハーマンもグラスを空けて続く。
 そしてドリンクが運ばれてくるまでの間に無駄だろうとは思いつつも一縷の望みを込めて手短に詩人の特徴を話して聞かせ、覚えがないかを再度問うた。

「・・・やっぱ知らねぇな」

 全く以て予想通りの応えにカタリナが隠さずに落胆すると、ハーマンは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。

「・・・どっちかっていうと俺の方が気持ち悪りぃぜ。知らねぇ奴からピタリと特徴を言い当てられて紹介されるなんざ、よ」

 確かにそれはそうでしょうねと同意したカタリナは、うーんと唸りながら肩を竦めてため息をついた。

「・・・まぁ、知らないのならこれ以上そこについて話すのはよしましょう。それより本題が優先だもの。まぁそんな訳で貴方のことを私は知らないで探してみたんだけど、実際ホントにジャッカルのことについては詳しいの?」
「・・・おめぇはもう少しばかり言葉遣いが堅苦しい方が、可愛げがあるな」

 ブスッとした表情でハーマンがそう返すと、グラスを傾けながら余計なお世話だとカタリナが眉を顰める。

「詳しいも何も、俺はジャッカル一味を実際に見たことがあるからな」
「本当に!?」
「あぁ。だが抑も、まだ協力するなんて俺は言ってねぇ。その前に確認したいことが残っているんだ。その答え次第じゃあ、お前の案件に乗ってやってもいい」

 こちらの出方をからかい半分に窺うようでいて、しかしハーマンの口調にはどこにも遊びがない。そんな空気を感じたカタリナは、続きをどうぞと促してグラスを傾けた。

「・・・そこの男から聞いたが、そのピドナの神王教団の正体を暴く目的の一つに、聖王遺物があるらしいな?」

 ハリードのことをちらりと見ながらハーマンが確認するように聞くと、カタリナは素直に頷いた。
 それを瞬き一つせずに確認したハーマンは煙草の煙を吐き出しながら、まるで脅しつけるような眼つきで言葉を続けた。

「お前はその聖王遺物で、四魔貴族に喧嘩を売るつもりなのか?」
「・・・」

 酔いもそれほど回っていない状態で真顔で聞くには本来あまりに突拍子のない冗談のような問いかけだろうが、その質問を向けられたカタリナにとってはそれこそジョークの類などではなく、腰を据えて考えねばならない事柄だ。
 恐らくその情報の一端を喋ったのであろうハリードをちらりと見てから、次にカタリナは目の前の男がこの質問をしてきた真意を探るようにその表情を読み取ろうとしながら口を開いた。

「・・・あら、聖王記がお好き? 私も十二将を率いての討伐の行は胸踊らせて読み耽ったものだけど、流石に」
「茶化すんじゃねえよ」

 速攻で遮られる。
 続く言葉を飲み込んだカタリナの前でハーマンは煙草の煙を燻らせながら、すっと目を細めた。

「此間ハリードに言われてから思い出したが、何ヶ月か前にピドナで起こったっつう『予兆』・・・とんでもねぇ瘴気にピドナ市街が覆われたとかいう謎の怪奇現象・・・。お前、それに関わっているな?」

 内心でどきりとしながら、カタリナはまじまじとハーマンを見返した。まさかあの時の事が遠くグレートアーチにまでこうして伝わっていようとは思わなかったのだ。
 その思考が表情で伝わってしまったのか、ハーマンはどこか確信したような表情をしながら、より迫るような口調で言葉を続けた。

「ピドナの魔王殿には、魔戦士公アラケスの守護するアビスゲートがあると言われてるな。お前が単騎で喧嘩を挑んだっつーのは、アラケスなんだな?」

 聞いてはいるもののまるで答えがわかっているかのように、ハーマンはカタリナが答えるより先に立て続けに質問を重ねてくる。
 そしてハーマンの口が閉じられてからほんの数秒、漂う紫煙と共に僅かな沈黙が場に訪れた。その間に幾つかの切り返しを頭の中で模索したカタリナだったが、最早これ以上の様子見や余計な探りは無意味であろうと判断し、ため息一つの後に素直に頷くことにした。

「・・・ええ。その通りよ。その確認が、今回の案件に関わること?」

 ハーマンの瞳から彼の思惑を覗き込むように、答えて反応を待つ。
 だがギラつく生気の塊のような彼の目からは、カタリナにはなにも読み取ることが出来ない。

「・・・お前は理解してんのか?聖王遺物そのものや、それに関わるものに手を出すことの意味が」

 その言葉に、カタリナは数度目を瞬く。
 無論の事、その言葉の意味が分からないわけではない。なにしろ聖王遺物に関わるという状態が引き起こした事件は彼女の身の回りでは、それこそ嫌という程起きている。
 だがそれを指摘出来る人物というのは、同じくそれらに関わったものだけのはずだ。だとすれば、目の前のこの男はつまりそれだという事なのか。
 しかし仮にそうだとして、である。それを知る人間が聖王遺物に関わろうとするような内容の案件に対して、その関わりの深さ如何を以て参画の是非を決める判断材料とすることの真意とは、どこにあるのだろうか。

「・・・意味は分かるし、実際に恐怖・・・そうね、それに対する恐怖もあるわ。ただ、その恐怖に駆られて顔を背けていても・・・逃れられるものでも、過ぎ去ってくれるものでもないもの。だから、今回の案件における聖王遺物の取得という項目は、後に起こり得るそれらの事態への対策としても重要だと考えているわ」

 実際のところはそこ迄先の話を具体的に考えているわけではないが、これは抑も考える迄もなくそうなってしまうのだろうなと、ある種の予測が彼女の中にはあった。
 何しろ、アラケスが自分を殺さなかったことから妖精族の長にアウナス討伐を依頼されたことまで、彼女がそう感じるに至った経緯はこれまでにも枚挙に暇がないのだ。

「なので喧嘩云々に対する返答としては、その可能性を完全否定はしない・・・ってところ。今はそれ以上は言えないわ」

 膝の上で手を組みながらカタリナがそう述べると、ハーマンは瞬き一つせずに紫煙を周囲にまき散らし、そして半分ほど灰と化した煙草を床に落として踏みつけた。

「・・・いいだろう。付き合ってやる」

 一端それだけを言うと、ハーマンはグラスを空にしてゆっくりと立ち上がった。

「先日の武装商船団がくらった魔物襲撃騒ぎで、エデッサの海上保安隊から海域調査終了まで渡航禁止令が温海に出てやがる。出立は早くて一週間後だろう。その頃にそっちに行く。何かあるならここか、桟橋に来い」

 懐から新しい煙草を取り出して火を付けると、そのままハーマンは此方を振り返ることもなく、ゆっくりとした足取りでその場を去って行った。
 その姿を、カタリナとハリードは無言で見送る。

「・・・ここって、領収証は出るのかしら・・・」

 あまりに自然に出て行ったものだから見逃してしまったが、飲み代を払う気が一切なかったハーマンにその時点で気が付くと、カタリナは期待を込めてカウンターの方を覗いた。
 そこには、抑も字を書くということをしたことがあるのかどうかを疑問に感じる風体のマスターが、相変わらずの仏頂面でそっと煙草に火をつけていた。

 

 

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第五章・4 -桟橋の老人-

 

「爺さん、あんたがハーマンか?」

 グレートアーチのサウスビーチにある桟橋で、ハリードは海を眺めていた男に背後から声をかけた。
 幾人かの地元民から聞く事が出来た情報で、既にこの人物の容姿と名前、よくいる場所はわかっていた。
 その声に反応してゆっくりと振り向いたその白髪の男は、義足の左足を引き摺りながら杖をついている。聞いた情報そのままだ。
 顔に刻まれた深い皺は老人のそれだが、それにしてはえらく鋭い隻眼の眼光がハリードを見返してきた。

「なんだ、ブラックの財宝のありかを知りたいのか? 100オーラムで教えるぜ」
「・・・それは無用だ」

 ハリードが辟易した様子でそう答えると、ハーマンと呼ばれた男は不機嫌そうに表情を歪めた。

「・・・じゃあ何の用だ。わざわざ名指しで来た要件ってのは」
「・・・ブラックの・・・いや、ジャッカルの事に詳しい人間を探している。あんたなら、何か知ってるんじゃないかと思ってな」

 ジャッカルという言葉に、ハーマンの眼光は一層鋭く剣呑さを帯びた。
 当たり。そう確信したハリードは、ハーマンの視線を真っ向から受け止めて言葉を待った。
 数秒の間ゆっくりとハリードを観察したハーマンは、鼻を鳴らして姿勢を崩した。

「ジャッカルなら十年前に死んでいる。そんな事ぁ俺でなくても知ってるさ」
「ああ、そうだな。だが、どうやらそのジャッカルの亡霊がピドナにいる様でな。それの判別をできる程度に詳しく知ってる奴を、探しているのさ」

 怪訝そうな顔をするハーマンを前に、ハリードは淡々とそう言った。

「亡霊だと?」
「そうだ。あんた、何か知らないか?」

 一瞬押し黙ったハーマンは、杖をカツカツと桟橋に当てながら無精髭を撫でた。
ハリードがそれに目を細めると、ハーマンは不意に桟橋をビーチに向かって歩き出す。

「詳しく聞かせろ」

 とても義足とは思えない早足で歩いていくハーマンに、ハリードは無言でついていった。
 砂浜を歩いていくハーマンを後ろから眺めていたハリードは、内心で何とはなしに違和感を感じとる。
 どうにもこの老人が、ハリードの目からみると何か不自然なのだ。
 どうやら腕に覚えがあるようだし、口ぶりからすると海賊事情についても詳しいようだが、地元民からこの男の事を事前に聞き込んだ時は、昔からいる偏屈な爺さんだとしか言われなかった。
 しかしハリードが見る限りでは、この男がどうも老境の瀬に至った人物に思えない。それどころか、どこか自分に近い様な何かをすら感じてしまう。それがどう言った類の直感なのかはイマイチ彼にも分かりかねるようだが、兎に角不自然さだけは感じるのだ。
 そんな事を思いながらハリードが連れていかれた先は、何の事はない、しなびたビーチ外れの酒場だった。
 半分壊れた戸をくぐっても視線をよこしただけで無言の店主と、柄の悪そうな数人の客。意外とこういうところの方がうまい酒があるんだよな、などとハリードが考えていたところで、ハーマンは空いていたテーブルにどかりと座り込んだ。

「おいジジイ。いつものくれ」
「ジジイにジジイと言われたかねぇよ。ツケは効かねえぞ」
「いんだよ、財布がある。二つくれ」

 そう言って手を振ったハーマンを見て、店主がハリードに視線を寄越す。
 それに対してハリードが肩を竦めながら席に座ると、店主は手元を動かし始めた。

「・・・で、ジャッカルの亡霊ってのはどういう事だ」

 くたびれた白のジャケットから煙草を取り出して近くのテーブルから引っ張ってきた燭台で火をつけながら、ハーマンは半眼でハリードに問いかけた。
 ハリードは椅子に半身だけ座りながら、逆に質問を返す。

「・・・あんたは、神王教団を知っているか?」
「あん? 宗教に興味は無ぇが、名前くらいは知ってる。それがどうした」

 言いながらハーマンの吐く南国特有の匂いのきつい煙草の煙に顔を顰めたハリードは、顔を背けながら応えた。

「ピドナの神王教団のお偉方連中がな、なんでか挙って赤珊瑚のピアスをしてるのさ。そしてあいつ等は何故か聖王遺物を血眼になって探しててな。そしたら、二年前にピドナで起こった聖王遺物の絡む殺しの事件の中で、ジャッカルっつーキーワードが出てきた」

 赤珊瑚のピアス、そしてジャッカルの言葉に、ハーマンは露骨に眉間に皺を寄せた。
 それには反応せずにハリードが黙って続きを待つと、ドリンクが運ばれてきたタイミングで漸くハーマンがグラスを持ち上げながら再び口を開いた。

「・・・そいつ等がジャッカル一味だったとして、お前はそれをどうする気だ?」

 問うと言うよりは試すようなその言葉に、ハリードは一瞬考えるように顎に手を当て、徐に肩を竦めて自らもグラスに手を延ばした。

「・・・ジャッカル一味だったとして、そいつ等をどうするわけじゃない。その事実を餌に、それの背後にいるやつ等にまずは一発叩き込みたいのさ。あとは・・・聖王遺物を回収するくらいかね」

 言い終え、グラスに口をつける。
 不純物が混じり混んでくすんだ質の悪そうなロックグラスに注がれた琥珀色の液体は、ウィスキーか何かかと思いきやフレーバーの効いたスピリッツのようだった。

「・・・聖王遺物なんて集めてどうする」

 まるで新鮮な空気に深呼吸をするかのように煙草の煙を肺一杯に満たし、長く細い煙にして吐き出しながらハーマンが言った。
 ただその質問は単なる興味本位なのかなんなのか、声色も先程の問いかけより気の抜けたものだ。
 しかしこれには、ハリードもどう答えたものかと一瞬考えあぐねる。だがあまり深く考えずに口から出ただけの事なので、それに対して多少頭を捻ってみたところで、どうにも大した理由は出てきそうになかった。

「・・・さぁな。それは手に入れてから考える。お宝なんて、そんなもんだろ」

 目線を合わせずにもう一口グラスの中身を舐めるように啜りながらそう言うと、テーブルの向こうではハーマンが鼻で嗤うのが聞こえた。

「はっ、そうだな。お宝ってのはそういうもんだ」

 ハリードの言を気に入ったのか、上機嫌にグラスを傾けながらハーマンは身を乗り出して来た。

「・・・で、てめえは何者だ。何故ジャッカルの事を俺に聞いてきた?」

 ガタンと肘をテーブルに叩きつける音に、店内の視線が二人に集まった。
 およそ老人が放てるとは思えない覇気を身に纏い、射殺さんばかりの視線がハリードに突き刺さる。
 米神を抜けて頭頂に向かって走るような寒気にニヤリと口の端を釣り上げたハリードは、癖でカムシーンの柄に手を掛けながら、しかしゆっくりと肩を竦めてみせた。

「・・・さあな。何故かは確かに俺にも興味はあるんだが、残念ながら知らん。知りたいなら、依頼主に直接聞いてくれ。それと、俺は単なる傭兵だ」

 ハリードのゆらりと躱す様な返答に、ハーマンは一瞬だけピクリと皺だらけの表情を揺らすと、ケッと洩らして再び椅子に背を預け、グラスを傾けた。

「単なる傭兵が聞いて呆れるぜ。んで、その依頼主ってのは何者だ」
「依頼主は・・・人類最強の女、かな」

 思わず口をついて出たハリードのその言葉に、ハーマンはたいそうなしかめっ面を披露した。それの言わんとする所が流石に伝わったのか、ハリードは苦笑いをしながらグラスに口をつける。

「いや、別にふざけて言ってるわけじゃないぞ。それこそ単騎で四魔貴族と喧嘩する位だからな。過言じゃないだろう」
「・・・四魔貴族だと?」

 隻眼を数度瞬きし、ハーマンは何故か四魔貴族という単語にえらく過敏に反応した。
 その変化にハリードが思わず露骨に目を細めるが、ハーマンはお構い無しにハリードに詰め寄った。

「そいつは四魔貴族を殺そうとしてんのか? 聖王遺物を集めるのは、それが目的なのか?」

 まるで仇敵の名を聞いたかの様に突然表情に怒気が走ったハーマンをハリードは怪訝に思いながらも、グラスの中の氷を指で回しながら口を開いた。

「・・・それも、俺の知る所じゃない。そんなに興味があるなら、ついでにそれも直接聞けばいいだろう」
「そいつは何処にいる」

 直ぐ様返ってくる質問に、ハリードは肩を竦めながらグラスの中身を飲み干した。

「さあな。今は分からない。だがあと数日もすれば、このグレートアーチで合流できる予定だな」

 そう言うとハリードは酒場の店主に向かってもう一杯同じものを、とサインし、ゆっくりと立ち上がった。

「・・・尤も、依頼主が質問に応えるかどうかは、おたくが依頼主にとって適う人物かどうか、ってとこが重要だろうがな」

 自分の事を目線で追いかけてきたハーマンに対してそう言うと、ハリードは懐から1オーラムコインを取り出した。

「・・・こいつは前金だ。そいつと、あと一杯はいけるだろ?」

 後半は、グラスを運んできた店主に問いかけた。
 それに店主が眉を上げて応えると、ハリードは満足した様にコインをテーブルに置いてハーマンに背を向ける。

「待て」

 そのままこの場を立ち去ろうとした所を、予想通りと言うべきか、嗄れた声に呼び止められる。
 それに振り返らずに立ち止まって言葉を待ったハリードに、ハーマンが続けた。

「依頼主っつーのが来るまでの間は、てめぇは何処にいるつもりだ?」
「・・・バランタインに宿をとっているが、それがどうした?」

 ハリードの答えに、ハーマンは口笛を吹きながらグラスを傾ける。グレートアーチ随一の高級ホテルを冷やかしたのだろう。
 そして手元近くまで灰になって火種の消えていた煙草を床に放り捨て、新しく取り出して火をつけた。

「事と次第に寄っちゃあ、手を貸さんでもない。だが、だとすれば回収しておきたいもんがあってな。明後日そっちに行くからよ。得物を磨いて待ってろ」

 ハーマンの言葉にふんと鼻を鳴らしたハリードは、そのまま振り返る事なくその場を立ち去る。
 椅子にもたれながらそんなハリードの背中を鋭く眺めたハーマンは、ひとりでにニヤリと笑みを浮かべながらグラスの中身を一気に呷った。

 

 

 いくら世界広しと言えども、恐らく妖精族の長にあれ程まで頭を下げさせたのは自分が初めてなのではなかろうか。
 場違いにそんな事を考えながら、カタリナは二度とは味わえぬかも知れない未知の浮遊感覚に酔いしれた後、ふわりと大樹の根元へと降り立った。
 訪れた時と変わらぬ穏やかな木漏れ日の照らす美しいその場所を記憶の隅に仕舞おうと見渡す間に、フェアリーが風に舞いながらすぐ隣に降りてきた。

「・・・本当にいいの?」

 確認の意味を込めて、カタリナが尋ねる。
 風に揺れる葉音に意識を向ける様に上を向いていたフェアリーは、投げかけられたその言葉に躊躇いなく頷いた。

「妖精は見た目はか弱い感じですが、実は結構強いんですよ。特にアールヴ族などは過去にこの密林において最強の名を欲しいままにし、魔王亡き後から三百年前の四魔貴族討伐に至るまでには、あのアウナス配下の妖術師を撃退するのにも活躍しました」

 そう言ってにこりと微笑んだフェアリーの小柄な体は、上半身が微かに揺らめく薄い絹の様なものに覆われている。
 なんでもこれはフラワースカーフと言われるものだそうで、人の目から妖精の羽を隠してくれるのだそうだ。過去にはこれを用いて妖精も人里に下りる事があったのだとか。
 そして腰のあたりには布で覆われた、その身の丈に不釣り合いな長さの槍。
 これはアーメントゥームと呼ばれる形のもので、妖精族の間では伝統武器なのだそうだ。カタリナにはどうにも土地柄に似合わぬ得物にも感じられたが、そこはあえて彼女が気にするところではなかろう。
 つまるところ、フェアリーはあたかもこれから旅に出ます、的な格好をしているわけなのだ。
 それに平然と頷き、こちらも新たに腰に差した見事な意匠の太刀を慣れない手つきで支えながらも、颯爽と歩き出すカタリナ。

 場面は、一昨日の夜に遡る。

『本当にごめんなさい!』

 閉じた瞼の向こうで舞う月光に誘われてうっすらと瞳を開ければ、まず最初に二人の妖精の大変に申し訳なさそうな顔と、そんな言葉が聞こえてきた。勿論それも重なって、二人分。
 如何な理由があってこの状況なのかは起きぬけの頭では欠片も理解したくなかったカタリナだったが、ただ少なくとも、安易に妖精の差し出すティーカップに口を付ける事はしてはならない、という事は身をもって理解していた。

「まさかティーの用意を手伝ってくれた子が、祈りヒナゲシを入れてるなんて思わなくて・・・」

 カタリナが目覚めてから通算六回目くらいの時だっただろうか。フェアリーはまたしても深く頭を下げながら、確かそんな事をいっていた。
 妖精の悪戯好きは、どうやら伝記以上に深刻だったようだ。
 因みに祈りヒナゲシとは妖精達のみが持つ生成法の、睡眠を誘発する飲み薬だそうだ。元来睡眠作用のある雛罌粟の乳汁を過度に濃縮させたものにカモミールの蜜を混ぜながら更に煮詰め、満月の次の夜明けに太陽に顔を向けた葉から滴る朝露と割って作る薬、なのだそう。
 何やら製法だけ聞いているととても美味しそうで、実際ティーは美味しかったような覚えがうっすらとあるのだが、どうにもカタリナには効果覿面過ぎた。
 この事については長も非常に遺憾であったようで、あわや土下座してしまうのではないかと言うくらいにカタリナは謝られた。
 眠り自体は非常に上質なもので寝覚めも良かったので気にしないで欲しいと、 フォローと言えるか微妙な持論を展開して取り敢えずその場は納めたカタリナ。
 そうしてなんとか居眠る前の話題に戻ったところで、少なくともカタリナには優先するべき事項があり、更に自らに課せられているらしい八つの光の使命に関しては同僚(?)と審議中であることを、ここまでの簡単な経緯と共に素直に伝えた。
 この問題については長も現時点での即決を強くは求めていなかったようで、カタリナが示した前向きな姿勢で快く納得をしてくれた。

 問題はといえば、実はこの後である。

 昨今の情勢を感じ取って今回カタリナを里へと招く判断に至った妖精族の長は、頼むばかりでは申し訳ないから何かしら自分にも出来る協力を、としてカタリナに一振りの太刀を差し出してきたのだ。
 差し出されたそれは、かつてカタリナが魔王殿で見た少年が手にしていたような、反りのある細身の大剣。
 その剣は見れば誰もが惚れ惚れするような絢爛たる意匠の鞘に収まり、抜刀すれば大業物固有のしんと冷えた霊威が刀身から滲み出て辺りに静かに広がった。
 その余りの威風に、カタリナは思わず身震いしてしまうほどの代物であったのだ。
 銘を、月下美人。これは聖王の時代より遥か以前、魔王の時代にまで遡り、代々妖精族最強のアールヴが振るってきた太刀だという。
 当然そんなものは受け取れないと大慌てするカタリナだったのだが、長は長で頑として譲らなかったものだから、断れない性格のカタリナは最後には深々と頭を下げながらこれを受け取る羽目になる。
 ここにおいて更に計算外であったのが、月下美人を受け取った直後で何事も断り辛い雰囲気の中、どうした訳かフェアリーがカタリナの旅路に同行したいと名乗り出たことだ。
 曰く、この先は、人だけの責任などではないから。
 そう言って同行を願い出たフェアリーの言葉の意味は、カタリナには分からなかった。
 だがそんな事はお構い無しに長は大変納得された様子でこれまたカタリナに頭を下げながらお願いしてくるものだから、もう好きにして頂戴とカタリナが匙を投げるのに、そう時間はかからなかった。

 それから一日の妖精の里観光を行った後、その明朝カタリナとフェアリーは妖精達に見送られ、密林の西の端、人からはジャングルへの入り口と言われる集落、アケへと向かって出立するのだった。
 そこからグレートアーチのサウスビーチ行きの定期船に乗り、ニ、三日後には目的地へと到着する予定だ。

 

 

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第五章・3 -ティーはいかが?-

 

「ブラックの財宝のありかを知りたくないか?160オーラムで教えるぜ」
「・・・・・・」

 見るからに不機嫌そうなハリードがえらく睨みを効かせた視線でそんな声に応えると、頭髪をモヒカンスタイルにした浅黒い肌の男は答えを聞くでもなく、怯えた風にいそいそとその場を去って行った。

「ったく、とんだリゾートだぜ・・・」

 男の背中に向かって吐き捨てるようにそう言いながら、ハリードは燦々と砂浜を照りつける太陽から苦々しい表情で顔を背けた。照りつける日差しには慣れているつもりだが、どうもここの太陽は勝手が違う。
 ついでに言えば神経の図太い砂漠の行商人とはまた一味違った先の様な応酬も、この数日で既に複数回に及んだのだろう。すっかり呆れ果てた様子でハリードは腰に差した曲刀の位置を直した。
 南国のパラダイス、グレートアーチ。世界に名だたる一大観光地として世界中の民から羨望の眼差しを向けられるこの土地は、噂に違わぬ熱帯のリゾートだ。
 その羨望を勝ち取って羽振り良く娯楽に耽る数多の観光客たちを、ハリードはどこか冷めた視線で眺めていた。
 自分にはほとほと縁がないだろうと思っていたこのような地に、思いがけず辿り着いた。しかし案の定と言うべきか、自分の肌にはここの空気はどうにも合いそうもない。この数日をリゾートで過ごしたハリードは、そんな土地との相性の悪さに確信を持って今の自分にここにいる理由を問いかけていた。
 そこに、彼の前方から海パンに派手派手しい柄のシャツを素肌に着ただけのラフスタイルで、サングラスをかけたポールがやってくる。
 この地と相性抜群の雰囲気をかもし出した、彼の旅仲間だ。

「いつまでもそんなカッコしてるから、いいカモだと思われるんだよ。ちゃんとトルネードの旦那の分も持ってきてるんだから、いい加減着りゃあいいのに」

 どこからどう見てもすっかりバカンス気分の出で立ちであるポールの格好に、ハリードは遠慮なく青筋を立てながらもニヤリと笑って見せた。

「い、や、だ、ね。大体お前、情報収集はどうした!」
「おいおい、俺はちゃんとすることしてるぜ? この辺で海賊ブラックのことを直接知ってたって奴らも見つけたし、一方でなんと、カンパニーのアポもバッチリゲットだ」

 心外だという風に一々煽るような仕草で両手を広げたポールにハリードの青筋がさらに増えるが、そんな様には一切のお構いもなく、あれを見ろよとポールが指差す先に取り敢えず視線を這わす。
 するとそこには、東ロアーヌの厳しい開拓地が育んだ抜群のプロポーションをこれでもかという程に惜しげもなく晒したビキニ姿のエレンが、周囲の男たちの羨望を一身に浴びながら、さしずめ人魚の如く見事な泳ぎを披露していた。
 その様に、苦々しい表情を浮かべながら片手で頭を抑えるハリード。
 この海岸に辿り着いてから数日、はじめこそカタリナ遭難に元気がなかったエレンだったが、昨日を境に「海だー!!」と叫んで颯爽と水着に着替え、暫くずっと、あの調子だ。

「・・・でもあれでエレンちゃん、この辺の奴らからタダで洞窟の情報巻き上げてんだぜ。下手に色目を使えば怖ーいおじさんが待ってるってぇのに、男ってのは馬鹿だねぇ」

 ケラケラと笑いながら言うポールに、当の怖ーいおじさんは更に眉間の皺を増やした。

「・・・んで、旦那の方はなんかいい話はあったかい?」
「ん・・・あぁ。例の片足が義足の爺さんってのが、もうちょい南のビーチ辺りにいるっつー話を聞いてな。午後に足を延ばしてみるつもりだ」
「あー、違う違う」

 ハリードの返答に軽く手を振ってみせたポールは、こそこそとハリードに近寄りながら耳打ちした。

「みたぜぇ? 旦那夕べ、浜辺でパツキンの美人に声かけられてたろ。こーの色男め、早速南国のビーチで熱ーい夜を過ごしたか!」
「ばっ・・・、って、てめえかエレンにリークしたのは! 今朝あいつすげぇ機嫌悪かったんだぞ!」

 どこからそんなところをみていたのか、肘で突ついてくるポールを払い除けながらハリードが吠える。
 それをポールは飛び退きながら一頻り笑うと、ふと顎に手を当てた。

「しかし、南か。俺もそっちに訪問したい企業もあるし、そんなら一緒にいくよ。まぁとりあえずは、メシにしようぜ」

 そう言って彼は浜辺のすぐ近くにあるやけに大きな建物を指差した。
 ハリードがそちらに目を向けると、そこにはグレートアーチで最も有名な高級リゾートパレス、ホテルバランタインがある。
 圧倒的な娯楽設備と客室数。更にはVIP向けに事前予約必須の専用コテージも十数棟配備しているという、正にグレートアーチの現在を象徴するような贅の限りを尽くしたリゾート施設だ。

「あそこ、多分遠くないうちにうちのカンパニーが囲うぜ。挨拶に行ったらえらく気に入られちまってな。今日のランチも支配人のサービスってさ」

 悪い顔をしながら、にやりとポールが笑う。
 軽薄そうな、というかまんま軽薄にしか見えないこの男だが、胆力と商才は大したもんだとハリードも半ば呆れながらその表情に対して肩を竦めた。
 そこに、相変わらず周囲の男たちの視線を集めて止まないエレンが、濡れた髪をかきあげながら歩いてきた。
 すかさずポールがタオルを投げてやると、それをキャッチして髪を拭きながら首を傾げる。

「ごはん?」
「ご名答。今日はホテルバランタインのオープンテラスでブッフェだ」

 やった、と嬉しがりながら水浴びと着替えに向かったエレンを送り出し、男二人は一息つく。
 既に機嫌も直っていたようで良かったとハリードが安心した様子でいると、ポールもふんと鼻を鳴らした。

「ま・・・あの子もやっと安心したんだろ。カタリナさんが無事だってのが分かって」

 そう言ったポールは、手に持っていたバッグから四つ折にされた紙切れを一枚取り出した。
 ずいぶんと古びた様子の羊皮紙には、真新しくも色合いの珍しいインクで流麗な文字がしたためられている。
 それは、カタリナからの手紙だった。

「ジャングルに寄り道ってのは、多分一緒にいた妖精の関係なんだろうねぇ」
「お前の予測は見事に的中していたわけだ。全く大したもんだよ」

 手紙には、要約するとこう記されている。
 無事に南方のジャングル辺りにつくことが出来たが、少し現地で用事が出来た。なので合流が遅れるのでそれまで情報収集に当たって欲しい。その際、片足が義足の老人を探しておいてくれると助かる・・・と。
 この手紙はポール達がグレートアーチに着いてから四日目となるつい昨日になって、ホテルのロビーを尋ねてきた南方のジャングルの玄関口にあたるアケから来たという行商人に受け取った。
 行商人もまた、この手紙を現地の子供から受け取ったそうで、子供はこの手紙をジャングルの入り口で拾ったというのだそうだ。
 グレートアーチのポールへ、とだけ書かれた封筒だったが、律儀に届けてくれた行商人には感謝しなくてはならない。
 なんでもアケでは、子供がとても大事にされているのだそうだ。過去に子供ばかりを狙った人攫いが横行していた反動もあるらしいが、なにより土着の信仰が要因として根強いらしい。
 曰く、子供は妖精の声を聞ける、とのことである。

「しかしまぁ、あの人もつくづくトラブル体質だな。海で漂流してからのジャングル探検とは、まるで熱帯地方のアドベンチャー詰め合わせセットだな」
「俺には、お前らみんなトラブルメイカーに見えるがね・・・」

 それが果たして自分をも指していることをわかっているのかどうなのか、ハリードはそう呟きながら、ホテルバランタインへと向かって歩き出した。

 

 

 見上げたその大樹は、涼やかな風に包まれながら木漏れ日を自らの根元へと降り注がせていた。
 先程までは魔物の気配もあったはずの森は何時の間にか静まりかえり、辺りは清廉とした空気に満ち満ちている。
 ゆっくりとその大樹に手を触れられる位置まで歩み寄ったカタリナは、遥か上空で枝分かれして生い茂る葉を眩しそうに眺めた。

「樹齢は、少なくとも千年を越えるそうです。私達がここに生まれた時、既にあったものなのです」

 カタリナの少し上に浮きながら、同じく大樹を見上げたフェアリーが独り言のようにつぶやく。
 彼女もここに戻ってくるのは数ヶ月ぶりなのだそうで、感慨もあるのだろう。
 道中で聞いた話によれば、フェアリーはある日たまたまジャングルを散歩していた時に不幸にも密漁を行っていたハンターに捕まり、見世物小屋へと売り払われたのだという。
 それから数ヶ月、偶然にも海を渡っての移動の最中にあのような事になったのだそうだ。

「この上で、長がお待ちです」

 そう言ってカタリナに向き直るフェアリーに、当のカタリナは勿論目をパチクリさせた。
 よもやこの先が見えない大樹を、自力でよじ登る訳なのだろうか。
 木登りは苦手というわけではないが、特別に得意でもない。しかもアーマーと剣を持って命綱無しに先の見えないこの大樹を登るのは、おおよそ自殺行為に等しい気がする。
 そんな思考が見事に顔にでていたのだろうか、フェアリーは可笑しそうに微笑みながらゆっくりと首を横に振った。
 その瞬間、地面から風が吹きはじめ、なんとカタリナの身体が体重を忘れてふわりと浮き始める。

「金の粉で飛べるようにはなりませんが・・・ここなら風が、誰しもに羽を与えてくれます。では、参りましょう!」

 そう言って大樹の周りを滑るように飛んでいくフェアリーに合わせ、カタリナの身体も重力の檻から解き放たれて風に乗って舞い上がった。

「凄い・・・空を飛んでる・・・!」

 未知の感覚にすっかりこれまでの思考が全て吹き飛び、まるで少女の様にあどけない表情でカタリナが感嘆の声をあげる。
 その言葉にフェアリーがにこりと笑い、そうこうしているうちに二人はあっという間に、先程までは見上げるばかりであった大樹の枝分かれしている部分に到達した。
 日の光の白と、生い茂る葉の緑。そんな二色のコントラストに包まれながら上昇を続けていたカタリナは、不意に自分が何かの『境界』を越えたことを自覚した。
 それを境に急速な上昇は何時の間にか緩やかなものへと変わり、やがて彼女の体は風を纏いながら細い木の枝の上で静止する。
 そんな彼女の頭上をくるりと回ったフェアリーは、カタリナの視線の高さまで戻ってくると、優雅に両手を広げながら一礼した。

「三百年振りの来客です。ようこそ・・・妖精の里へ」

 さわさわと葉が風に擦れ合う音に混じり、フェアリーの言葉に重なってようこそという声が其処彼処から木霊する。
 それに気が付いてカタリナが周囲をくるりと見渡せば、フェアリーにそっくりなものやもっと小さなもの、人間で言えばカタリナ程度には成熟した体つきのものなど、様々な妖精達が枝葉の間から顔を覗かせては口々に歓迎の言葉を囀っていた。

「みんな、貴女を歓迎しています。さ、どうぞ此方へ」

 そう言って木の幹を掘って作られているらしい通路へとフェアリーが誘い、風を纏って重さを感じさせない足取りでカタリナが続いた。
 驚くほど広く間取りされたその大樹の内部は、いくつもの部屋に別れ、そこにはどこから持ってきたのか人間が扱うものと変わりない家具なども並べられている。
 物珍しげにそれらの光景をみながら歩いていれば、今度は隣の大木(といっても下の方で大樹が枝分かれしただけだそうだ)へと移るに当たり、葉や花が彼女の道となってしな垂れてくれる。

「何か・・・夢の中にいる気分だわ」

 実際に彼女は夢の中とやらにも以前行ったはずなのであるが、今目の前に広がる此方の世界の方が余程、夢の世界と呼んでも差し支えないくらいには幻想的な光景だ。

「この上に、私達の長がいます」

 そう言ったフェアリーに導かれるままになだらかにくり抜かれた木のトンネルをくぐり抜け、もう一度花の道を過ぎた先の大きく開けた場所にでる。
 木漏れ日が暖かに空間を満たしたその場所は、小鳥の囀りと擦れ合う葉音と、えも言われぬなにか不思議な香りに包まれたところだった。
 そして、そこには穏やかな顔つきの美しい妖精が、簡素な椅子に座って此方に顔を向けていた。
 互いの視線が絡むと、ぺこりと頭を下げるカタリナに合わせてその妖精も立ち上がって頭を下げる。

「ようこそ、おいで下さいました。この度は我が眷属を魔手よりお救い頂いたこと、森の民を代表しまして心より御礼申し上げます」
「・・・勿体無いお言葉です。ですが、事の発端は恥ずかしくも人間の悪辣さの為した所業。私など、その様な御言葉をかけていただける身分では御座いません」

 貴賓溢れる立ち振る舞いの目の前の妖精に、カタリナは礼を尽くして相対した。
 流石は妖精族の長というだけある。人間で言えば間違いなく王族の器であろうその空気に、知らずカタリナの身体が反応して騎士としての立ち振る舞いになる。

「とんでもありません。本当に感謝しております。あ・・・人間の方が立ち話というのはなんでしょうから、どうぞ此方へ」

 優雅な手振りで長が先程まで自らの座っていた枝の近くを指し示すと、何処からともなくするりと発生した蔦が椅子とテーブルを形どり、ふわりと咲いた花が彩りを飾った。

「ティーを持ってきてくれる?」

 長が柔らかく首を傾げながら声をかけたのは、カタリナの後ろに控えていたフェアリーだ。
 彼女はこくりと頷いて、木々を下っていく。
 それを肩越しに見送ったカタリナは、どうせここまできたのだからと恐縮しながらも長の言葉に甘えてテーブルについた。

「・・・あの子はあれで、とてもお転婆なのです。いつも皆をヒヤヒヤさせて・・・それでもまさかこの様な事態になるなんて思いもしませんでしたから、今回のことは本当に感謝の言葉もありません」

 とてもカタリナにはフェアリーがそんな風には見えないが、ゆっくりと枝に座る長の口からは、そんな言葉が出た。
 確かに、あの嵐の中という土壇場での胆力というか度胸は可憐な見た目に反して見事なものだとは思ったが、妖精というのも見かけによらないものだ。

「いえ、おかげで私はこうして世界で誰も経験したことがない様な・・・とても素敵な体験をさせて頂いています。お礼を言わせていただきたいのは寧ろ私です」

 心の底からそう思い、カタリナは微笑みながらそう応えた。
 少なくとも、ついこの間まで頭を抱えていた問題が全部どうでも良くなってしまうくらいには、カタリナは今回の体験に感動している。
 だが、恐らくティーを馳走するだけの目的でここに呼ばれたわけではないことも薄々感じていたカタリナは、性急ではあるのかもしれないが、それに言及することにした。

「・・・して、本題があるかと存じますが。お話を、お聞かせいただけますか?」

 その言葉をかけられた長は少しだけ間を置き、そしてその美しい顔を俄かに曇らせた。

「・・・はい。八つの光としての宿命をもつ貴女に、お願いしたいことがあります」

 そして紡がれたその言葉に、カタリナは驚きながらもあまり表情には出さず、無言で応えた。
 ちなみに彼女は長にもフェアリーにも、一言も自分が指輪に示されたその事実は言っていないはずだ。
 カタリナの内々の驚き様に気がついたのか、長は優しく微笑んだ。

「・・・私達の様なものには、わかります。聖王様が且つてこの地をお救いになられたとき・・・その時にあのお方が纏っておられた風が、貴女にもあるのです」

 それは、正しく人智を越えた感覚なのだろう。カタリナには理解の及ばぬ領域である様なので、そこには深くは触れないことにした。

「・・・なので、貴女でなければお願いできないのです。この密林の深淵・・・業火の渦巻く火術要塞の奥深くにあるアビスゲートの破壊は・・・」

 予測通り、といえばそうだろう。
 長の口から出たそのお願いに、カタリナはすっと目を細めた。

「・・・一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

 まるで事前に用意していたかの様な不自然なほどに素早いカタリナのレスポンスに、しかし長はゆっくり頷きながらどうぞと言ってくれる。

「・・・この様な言い方が良いのかは分かりませんが・・・。その役目、何故、私でなくてはならないのでしょうか」

 何とも表現が下手なものだ。頭の中で自分の発言を客観的にそう評価しながら、カタリナはそれでも言い繕うことはせずに長の反応を待った。
 長はカタリナの言葉に表情を変えなかったが、一つ瞬きをして視線をテーブルに移した後、再度の瞬きでカタリナの視線に正面から向き合った。

「・・・大変心苦しいのですが、今私の口からは、その理由を申し上げることは出来ません」

 その言葉を聴いた瞬間、カタリナの瞳に、明らかな戸惑いと落胆の色が広がる。
 長はそれをとても申し訳なさそうに見つめたが、しかしそれでも言葉を続けることはなかった。
 途端に妙に重苦しい空気がその場を包み込み、両者が暫し無言となる。
 だが、風がふわりと肩口まで伸びたカタリナの髪を撫でかけた時、カタリナはこれ迄とは一転して悪戯っぽく顔を綻ばせながら口を開いた。

「・・・では、少なくとも私・・・いえ、私達でなければならない・・・という確かな理由は、存在しているのですね・・・?」

 その問いかけには、長は確りと頷いた。
 それに対して目を細め、そしてふぅと一息ついたカタリナは、わざと困り顔で肩を竦めてみせた。

「因みに・・・それっていつ頃わかるのでしょうか?」
「・・・来るべき時、としか。すみません・・・」

 そんな長の答えは、何となく分かっていたものだ。
 だが少なくともこれで、自分たちでなければ出来ない何かが確かにあるという確信だけは得られた。
 今のところはそれで良しとしようと、カタリナは苦笑しながら長に礼を言った。
 すると丁度そのタイミングで、フェアリーがいかにも慣れない手付きでティーポットとカップの乗ったトレンチを持ってきた。

「お、遅れてすみません。慣れないもので、手伝ってもらっていました・・・」

 そう言いながらフェアリーがティーを二つのカップに注ぐと、とてもフローラルで、しかし鼻孔を吹き抜けるような涼しげで不思議な香りが感じられた。
 そっとそのカップを差し出してくるフェアリーに笑顔で礼をいい、カップを取り上げて顔の前に持ってゆき、存分にその香りを楽しむ。
 ハーブティーの一種だろうか。淡いグリーンの色合いは目にも楽しく、そのまま先ずは一口啜った。

「ん・・・美味し・・・」

 とても美味しかった。
 確かにそんな気がしたのだが、しかしそこでカタリナの意識は暗転した。

 

 

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