第十章・8 -聖王の宿命-

 

「あぁ・・・アレックス。懐かしい響きです。えぇ確かに彼は、アレックスでした」

 ここではない遥か彼方を見つめるように目を細めて微笑みながら、詩人は時折小さく頷きつつ独り言ちた。

「聖王様は、アレックスという御名だったの・・・?」

 カタリナが頭上に疑問符を踊らせながら眉を顰めると、詩人はゆっくりと首を横に振りながら微笑んだ。

「いいえ、アウレリウスです。彼は元々別の名前でしたが、後年アウレリウスへと名を改めたのです。アレックスというのは、そうなる前の愛称です」

 詩人の言葉に、しかしカタリナはまだ潜めた眉を崩さない。

「・・・では、貴方がいう少女の名前は・・・?」
「勿論、アウレリウスです。一般的には男性名称ですが、当時の北方地域では女児にも男性名称を名付けるのは、特段珍しいことではありませんでした。少女の両親が娘の運命を憂い、その宿命に抗うような力強い名前をつけたかったのかもしれませんね。少女は皆に、アーリと呼ばれていました」

 詩人が続ける。
 アーリと呼ばれた少女は強く美しく成長し、宿命に目覚めて死の魅惑を退け、四魔貴族征伐という人類史に残る偉業を成し遂げた。
 その後少女は各地の要人をピドナ暫定政府に集め、一ヶ月以上にも及ぶコングレスを経て、今も西方諸国に受け継がれる様々な律を定めた。

「このコングレスの最も重大な議題は、後の世に再び起こる死蝕に人類が対抗するための知恵の継承について、でした。現代に伝わる全ての律は、そのために定められたのです。そしてその集大成こそが、聖王記。これは制作発案者であるパウルスを筆頭に、即座に編纂が開始されました」

 この時の定めによって聖王三傑の一人であるパウルスがメッサーナ王国の初代国王となり、同じく三傑に数えられたフェルディナントは妻ヒルダと共にヨルド海を渡り、古ロアーヌの地を切り開き、そこに国を建てた。
 三傑の最後の一人ヴァッサールは後年に向けた魔術士育成を目的にモウゼスにて魔術ギルドの立ち上げを行い、そこを終生の地とした。

「ちなみに称号としての聖王、三傑、十二将というのも、コングレスで定められました。まるで最初からそう名乗っていたみたいに聖王記には書かれていますが、勿論そんなことはないです。あくまで、後世に諸々を伝えるための脚色要素ですね。あ、一応私も十二将の一人という設定なんですよ。どこにも名前は出てないシークレット枠ですけどね」
「最後のは今日いち興味ない話題だわ」

 数十年の時間をかけ文字と詩で世界中に広まっていった聖王記は、狙い通り聖王という存在を神格化させていった。各地に散らばる聖王十二将やそれに連なる者たちの活動により方々に教会施設が建ち、そこで数々の逸話を教えられた親子が子守唄や遊び唄代わりに聖王記の英雄譚を口遊む。
 そうして世界は、三百年にも及ぶ平穏の時代を築き上げつつ、次の死蝕へと備えてきたのである。

「元々、聖王という象徴的存在に性別を付与する想定はありませんでした。ですが四魔貴族討伐の一年後に巨竜ドーラを討った時、方針が変わったのです」

 魔龍公ビューネイ去し後、空を支配したのはドーラであった。ドーラはアーリの再三の諌めも聞かず、人里を襲い略奪を繰り返した。
 ドーラを討つのは、アーリの定め。アーリはループを登り、ドーラと対峙し、そして征伐を果たした。

「伝記ほどドラマチックなことはなく、ただただ虚しさの残る出来事でした。アーリは望まぬ戦いに挑み、喪失感と勝利を得た。そして彼女はこの時、ついに考えてしまったのです。ドーラは、この戦いを竜の宿命と言った。では・・・宿命の子である自分の宿命とは、一体なんなのだろうか、とね」

 第二の宿命の子が背負う宿命とは果たして、四魔貴族を討ち、その先に戦友であるドーラをも征伐する、というものであったのだろうか。

「それは否。断じて否。アーリは、怒りでも願望でもなく、静かに確信していました。自らの宿命は、ここが終着地ではない、と。自身の真なる宿命とは、この先にこそあるはずだ、と」
「聖王様の・・・真なる宿命・・・」

 そんな事は、全く考えたことがなかった。
 カタリナはそう思い、無意識に解けていた腕をゆっくりと組み直す。
 聖王は、四魔貴族を征伐した。だがそれは言わば、最初の宿命の子である魔王の後始末をした、という事にすぎない。それをするのが「宿命の子」なのだ、と言われればそれまでなのだが、しかし魔王と対比すると、聖王のここまでの役割は規模が限定的である。

「アーリは、もう一度旅立つ決意をしました。己の宿命が導く先へと、進むために。この旅立ちは三傑を含めた極一部の面子のみに伝えられ、そして聖王記に若干の変更が加えられました」
「・・・その結果、男性を彷彿とさせる聖王像が作られた、ということね。でもそれって、本来の聖王様であるアーリ様と異なる特徴を敢えて付加した、ってわけよね。となるとその意図って、聖王像とアーリ様を引き離すこと・・・のように見えるけど」

 カタリナが考える時の癖で下唇に指を添えながら言うと、詩人は「然り」と言いながら頷いた。

「意図はまさしくその通りで、これには大きく二つの理由があります。一つは、アーリという一人の人間を自由にするため。これまでの彼女の世界に対する献身に最大限の感謝を示し、以後その身を世界に浪費させない。そのために彼女とは似ても似つかぬ、異なる聖王を作り上げたのです。そして、もう一つは・・・」

 もう一つの理由とは即ち、アーリの宿命は間違いなくアビスに関わるものである、と結論付けたから。
 魔王はなぜアビスを、死の星を目指したのか。
 その謎に向き合うところから、アーリの本当の旅が始まる。となれば必ずその道の先には、アビスがある。アーリは旅の中で必ず、深淵を目指すことになるのだ。
 それは第三者から見れば、魔王の軌跡を辿る行為に他ならない、ともいえる。

「・・・その結果としてアーリ様がもし世間から非難されたとて、聖王という偶像に影響は及ばせない。その対策として・・・ということね。分かるけど・・・ちょっと不敬だわ」
「ふふふ、そうですね。でも聖王記を纏めたパウルスというのは、そういう男でした。それにパウルスは、全ての可能性を見据えていました。即ち・・・アーリが己の宿命に向き合った先で、第二の魔王と化す可能性すらも。こればっかりはパウルスも、フェルには最後まで言ってませんでしたけどね」
「えぇ・・・」

 メッサーナ王国の初代国王にして、三百年後にまで伝えられる様々な革新的制度の確立により賢王とも称される、聖王十二将パウルス。
 他国の歴史にさほど興味がないカタリナであっても様々な逸話を知る伝記上の偉人は、思いの外冷徹な人物だったようだ。

「んーまぁ、確かに冷徹でもありましたけどね。でも彼って、ロマンチストでしたよ。凡ゆる可能性を見据えつつも、自らが望む結末はちゃんと持っていて、そこに向かうための準備や仕込みは内心嬉々としてやるんです。聖王記なんてほんと、大部分が彼の創作活動みたいなものじゃないですかね?」
「いやもうキャラわかんないわよ」

 まるで旧知の知人を語るような口ぶりの詩人に、カタリナはついていけないという風に肩を竦めた。
 いや、実際に伝記上の偉人たちと旅をしたという彼にとっては、もはや懐かしい友人のことを語っているに等しいのだろう。
 詩人は続ける。

「とまぁ、こうして本来の聖王たるアーリとは別の聖王が作られることとなったのです。そして実際に聖王記を広めるための仕込みとして、男性の聖王を用意することになりました。そこで立ったのがパウルスの良き部下、アレックスでした。彼は名をアウレリウスへ改め、幾つかの場面では実際に聖王として民の前でも振る舞いました」
「その一つが、指輪の記憶というわけね。でもあのお方・・・アレックス様は、本当に聖王様そのものに見えたわ」

 記憶の中に立っていたアレックスという人は、まさしく聖王記から思い描く聖王様そのもので、あの時はまさか代役であろうとは露ほども思わなかった。

「ふふ、アレックスが聞いたら喜びますよ。彼、筋金入りのアーリファンでしたからね。勿論、彼は聖王を演じるに相応しい実力も備える人物でした。なんなら彼が宿命の子だったとしても、違和感はなかったかもしれません。そういう意味では、三百年前にも宿命の子は二人いた、と言えるのかもしれませんね」

 彼は己の全てをアウレリウスへと書き換え、人類の象徴として十数年の活動を行い、最後はランスで余生を過ごしたという。
 今ランスにある聖王家もアレックスの血筋であるそうで、全くそこは徹底されているようだ。
 傑物が傑物を呼ぶ、ということなのだろう。少なくともカタリナが見たあの姿は聖王そのものとして疑うべくもなかった。あれ程の空気を纏う人が、聖王アウレリウスの周囲には何人もいたのだろう。
 ここまでの話だけでも、既知の歴史観が、文字通り根底から覆ってしまいそうなものばかりだ。

「ふふふ、歴史とは結局、勝者の物語でしかありませんからね。その時に歴史を動かす者たちによって、都合よく作られるものです」
「歴史は勝者の物語・・・か。言い得て妙ね」

 「聖王」という重すぎる役割を引き受けたアレックスという人物についてや、詩人の知る聖王十二将のことなど、今のカタリナには聞きたいことはそれこそ山ほどある。
 だがなによりまず聞かねばならないことは、明確だ。

「・・・アーリ様のその後の旅は、どのようなものだったの?」

 カタリナがそう問いかけると、詩人は意味深げに笑みを浮かべ、立ち上がった。
 すると二人を取り巻く景色は、無機質な石作りの部屋へと変わっていく。
 それは、二人が元いた場所だった。

「先ほど言った通り、自らの宿命とは何なのかを明らかにすべく、旅をしました。数年に及んだその旅の先で彼女は遂に、己が宿命を知るに至ったのです」

 詩人は謳うように語りながら石棺へと近づき、再びその上に腰を下ろす。

「・・・ですが、残念ながらその仔細を私は語ることができません。私は彼女の旅に最後まで同行しましたが、彼女が視たというものを私は、視ていないのです」

 詩人がそういうと共に、空間はさらに歪み、移ろっていく。
 気がつけば詩人とカタリナは、星空の中にいた。
 普段地上から見上げる星空の、ずっとずっと先。見渡す限り上下左右、全てが星空。
 それは、かつて王家の指輪に見せられたものと同じ光景だった。

「アーリが視たものは、この世界の真実の一部、だったそうです。我々が住む世界の様相や、死蝕の正体、そして・・・この先に世界を待ち受ける、とある運命の存在」

 見渡す限りの星の海からカタリナは、斜め下へと視線を向ける。
 そこには期待通り、暗い星の海に浮かぶ、青く淡く輝く世界があった。
 アレックスは、あれを自分たちが住む世界だと言っていた。

「私たちの世界が、少し先の未来で迎える運命。アーリは、その運命が如何なるものであるのかと、そしてその運命に自分が立ち会うことはない、ということも同時に理解したそうです」

 それらを知ったあとの彼女は、あまり多くを語らなかったという。
 しかしそれは、語りたくなかったのではなく語れなかったのだろう、と詩人は言った。
 それほど彼女が視たものは、人の理解を遥かに超えた代物だったのだ。

「ただ、これだけは言い切っていました。彼女も魔王も、目指すものはやはり一緒だった。そしてそれは、次に現れる宿命の子にしても同じことだ、と。アーリは望み通り、己が宿命の真実を得たのです」

 真実を得たというアーリは、この点についてあまり感情の起伏を見せることはなかったそうだ。
 喜びも怒りも哀しみも、未来への楽観もなく。ただただこの真実をどのように後世へ伝えるべきか、ということだけを見据えていた様子だったという。

「それから彼女は一度メッサーナへ戻り、後世へと幾つかのメッセージを残しました。アレックスが指輪に残したものも、その一つでしょう」

 気がつけば、周囲の景色は再び玄室へと戻っていた。
 カタリナは改めて、指輪に見せられた記憶を脳裏で思い返す。

「聖王様・・・が残されたあのメッセージ、途中が掠れていてうまく聞こえなかった。見た人全員がそうだったらしいわ。だから結局何を伝えたかったのか、ほとんど私たちにはわかっていない。貴方は、知っているの?」
「いえ、私はその場にいなかったので、それは分かりません。ただ・・・」

 詩人はゆっくりとした足取りで進み、カタリナの前に立った。
 カタリナはその意図を図るように、視線を逸らすことなく詩人を見返す。すると詩人は微かに笑みを浮かべ、懐から小さな白い包みを取り出した。

「アーリからのお願いでしてね。これを渡すべき人物を、私はここで待っていたのです。恐らくこれが、最も彼女が残したかったもののはずです」

 カタリナは無言で、詩人から包みを受け取る。
 なめらかな手触りの包布をそっと開くと、そこに包まれていた中身は、錫製と思われる、小さな髪飾りだった。
 三百年前のものにしては、随分と保存状態がいい。だが、モノ自体はお世辞にも質がいいとは言えない代物で、特別な装飾や紋様が施されたわけでもない、ありふれた様相の髪飾りだ。

「いやぁ、直接手渡すことが出来てよかったですよ。流石に私も、どれだけこの体が持つか不透明でしたからね。なので保険として、多分ずっと生きていそうなレオニード伯爵に、ここの鍵を預けておいたんです。アビスを目指す意思があり、その力を持つものに渡してくれ、とね」
「それで伯爵、私に鍵を渡してきたのね・・・」

 確かに、その役割ならば吸血鬼であり永劫の常闇を生きるレオニード伯爵が相応しかろう。
 しかし少しくらいは説明を添えてくれてもよかっただろうに、と軽い不満を抱きながら、カタリナは改めて手元の髪飾りへと視線を落とす。

「それは、アーリが小さい頃から身につけていたものです。彼女はこれを、運命に立ち会う者へ渡してほしいと、私に託しました」

 言われて、カタリナは手にした髪飾りを再度見つめる。
 少し幼さを感じさせる可愛らしい花モチーフの髪飾りは、確かに女児が身につけていそうな代物だ。
 数多くの英傑を率い、四魔貴族討伐を成し遂げた比肩するものなき英雄。その偉大なる存在もまた、一人の人間だったのだと感じさせる。
 この髪飾りには、例えば聖王の槍や聖剣マスカレイドのような代物に感じる類の力は、なにもない。
 だがこれは間違いなく、世界に二つと存在しない、正真正銘の聖王遺物なのだろう。

「・・・運命に立ち会う者。それが、私だと?」
「そりゃまぁ、そうでしょうね。今この世界で貴女以上に相応しい方は、居ないでしょう。あ、一応私も見届けられるところまではやるつもりですから、暫くご一緒させて頂きますけどね」

 そう言いながら詩人は再び歩き出し、カタリナの脇を通り過ぎて出口へと向かう。

「まだまだ聞きたいことは色々あると思いますが、最初に言った通りここはあんまり長居すると良くないので、一旦外へ出ましょうか」
「?・・・えぇ、分かったわ」

 さらりと旅の同行を宣言してきた詩人に促され、カタリナは眉間に皺を寄せながら詩人の後に続く。
 確かにここは独特の瘴気が渦巻いていて、長居はしたくない。
 そしてまだまだ聞きたいことはたくさんあるのも事実なので、ここを出てからも暫く質問攻めにしてやろう。
 そう思いながら詩人の後に続いて、建物の外に出た。

「・・・・・・?」

 外に出ると、入る前と何かが違うような気がして、カタリナは言いようのない違和感に小首を傾げた。
 先ほどまで身体中にまとわりついていた不気味な瘴気が晴れ、清々しい気分ではある。だが、それだけでは説明のつかない、そんな違和感を感じたのである。
 上空を見上げれば、どうも空模様が先ほどとは少し違うか。
 先刻までは陽の光が差し込むような穏やかな天気ではなかったはずだが、今は良く晴れた青空が広がっている。山の天気は移ろいやすいと聞くが、まさにその通りだな、などと思う。
 いや、しかし感じる違和感は、天気の問題ではないと思えた。
 ふと背後を振り返れば、先ほどまで入っていた建物がある。
 だが、そこには入る前と明確な違いがあった。建物の周辺がなぜか、焼き払われたように焦げ付いている。
 入った時はこんな状態ではなかったはずなので、カタリナは訝しげに目を細めた。
 周囲へ視線を向ける。
 すると、少し離れた湖畔で寝そべっているグゥエインがいた。
 カタリナがそちらへ近づいていくと、それに気付いた様子のグゥエインも気怠げに瞳を開き、少しだけ首を上げた。

『・・・やっと、出てきたか』
「ごめんなさいね、待たせてしまったかしら」

 カタリナは思わず謝りながら、肩を竦める。
 そんなに待たせてしまったつもりはなかったのだが、不思議とグゥエインの声色には確かに、待ちくたびれたぞ、という色が濃く出ているようだったのだ。
 これは、思ったより待たせてしまった感じがする。
 そのカタリナの心の声を聞いたかのように、グゥエインは低く唸ってみせた。

『・・・自覚はないようだな。するとこれは、貴様の仕業か』

 グゥエインは瞳孔を細め、カタリナの後ろにいる詩人を鋭く睨む。
 すると詩人は両手を肩のあたりまで上げながら、敵意がないことを示した。

「あーまぁ、えーっと・・・どちらかというと魔王の仕業、ですかね。これでも、かなり早めに切り上げてきたつもりなんですが」
「・・・?」

 詩人の言っている内容がいまいち理解できず、カタリナは疑問符を浮かべる。
 詩人の言葉を聞きながら不機嫌そうにふしゅるる、と炎混じりの息を吐いたグゥエインは、カタリナへと向き直った。

『一年だ』
「え?」

 グゥエインの言葉にカタリナが全く理解できない様子で反応すると、グゥエインは目を細め、もう一度言った。

『お前がそこに入って、大体一年程度が経った、と言っている』

 グゥエインの言葉を黙って聞き、数秒、その意味を考える。
 そしてカタリナは再度、小首を傾げた。

「・・・・・・は?」

 

 

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