第六章・6 -サラと少年-

 

 朝日が浅い角度から差し込むヤーマスの町宿の一室にて。その日の目覚めは彼のこれまで生きてきた中で歴代堂々一位であろうと確信できるほどに、最悪だった。
 どんな目覚ましよりも強烈な衝撃に脳髄が直接揺さぶられ、ポールは絞り出すような絶叫と共にベッドから転げ落ちる。
 ガタン、と大きな物音がしたことに驚いたのだろう。何事かとユリアンがすぐ隣の部屋から駆けつけると、ポールはそれに構える余裕など全くない様子で床に転げながら頭を押さえ込んでいた。

「お、おい、どうしたんだよポール!?」
「ぐ・・・だ、大丈夫だ・・・うぅ・・・」
「だ・・・全然そうは見えないぞ! ちょっと待ってろ!」

 揺らしてしまうのもどうかと思案したユリアンが医者を呼んでくると叫んで駆け出したのを床にへばり付きながら見送ったポールは、今一瞬の衝撃が嘘のように徐々に戻っていく平衡感覚と、それと共に脳内に響き渡る声に応えるように声を絞り出した。

「き、急にどうしたっつんだ・・・フェアリー・・・」
《・・・ポールさん!無理矢理で済みません。まだ長距離の念話に慣れず、思念波の出力調整が上手く出来なくて・・・》
「いや・・・大丈夫だ。寧ろこんなことが出来る事に驚きなんだが・・・」

 そう言いながら頭を押さえつつなんとか起き上がったポールは、やっとの事でベッドに腰掛けると、近くのテーブル上にある水差しから汲んだ水を飲み干し、一息ついた。

《・・・誰でも何処でもというわけではなく、聖王遺物みたいな大きな力を宿したものがあるところを目印に思念を飛ばしています》
「あぁ・・・じゃあ、こいつがあるからか」

 そう言いながら、直ぐ脇に立てかけてあった妖精の弓を横目に見た。どうもここ数日は前にも増して弓から発せられる力が強くなっているように感じられていたものだが、それも関係しているのだろうか。

「んで・・・一体どうしたんだ?」
《それが・・・》

 そこからポールは、フェアリーの語るとんでもない事実にしばし聞き入った。
 昨夜、妖精の里がアウナスの尖兵により燃やされたこと、そして現在その救助にマスカレイドを携えたカタリナが向かっていること。そして襲撃から落ち延びた妖精族の長が言うには、これはアウナスを含めた全ての四魔貴族が本格的に目覚めた事に他ならないと。

《他は分かりませんが、アウナスは間違いなく我らの長を狙いに動きます。里が燃え、我々の力が大きく弱まった今を逃さぬ手はないでしょうから・・・。ですので早急にアウナスに対する手段が必要です。火術要塞までは私たちが案内できますが、アビスの炎に守護されたあの魔神を討つには、最低でも妖精の弓が必要です》
「成る程な。それで急遽ってわけか・・・」

 ポールがフェアリーの言葉にそう反応したところで、部屋の外からどたばたと幾人かの足音が響き渡ってくる。
 そちらに視線を向けると、取り敢えず女性陣全員を連れてきたらしいユリアンと最初に目が合い、続いてわらわらとエレン、サラ、モニカが部屋に入ってきた。
 しかし対するポールが存外普通な様子である事に入室してきた全員が首を傾げていると、何時もの様子で肩をすくめたポールは彼女らを近くへと手招きした。

「今、フェアリーが思念を飛ばしてきて会話している。緊急事態のようだ。とりま、状況を説明するわ」
「思念・・・?」

 いまいちポールがなにを言っているのかその場に集まった面子は理解できなかったが、兎に角四人はポールの近くに寄ってそれぞれ楽な姿勢をとった。
 ポールはまずはじめに、その場の全員に今し方自分がフェアリーから聞いたことを申し伝えた。
 そして次に妖精の弓を誰が持っていくかを決める事にした。兎に角急いで行動せねばならないので、ここで決めて即座に出発せねばならなかった。
 そこで即座に手を挙げたのは、サラだった。

「ポールの狙いからすると、私の役割はもう少しあとのはずでしょ。逆を言えば、私以外は今動く必要がある。だったらそれは私が行くのが一番だと思う」
「・・・そうだな。分かった、サラ、頼めるか?」
「ぎょーい」

 サラが敬礼の姿勢をとりながら至極軽い調子でそう言うと、そこにエレンが口を挟む。

「でも流石にサラ一人じゃ危なくない?あたしも同行しちゃだめかな?」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。私こう見えてカンパニーでの船の手配とかも一人で港まで行ってやってたりしたし、来た道帰るだけだから心配しないで。届けたら直ぐ戻ってくるし」

 それにお姉ちゃんにはすぐ仕事があるよ、とサラが続けると、エレンは渋々頷いた。以前の自分ならばそれでも心配だと言ったかも知れないが、この半年少々でサラは見違えるほど逞しくなったように思う。あまり心配の度が過ぎても良くないなと思い直したエレンは、気を付けてねと言うに留めることにした。
 その様子をニヤニヤしながら見ていたポールはすぐ近くの弓を手に取り、頼むぞと言いながらサラに差し出す。それをサラが受け取ると、俄かに妖精の弓の発する波動が一際強く波打ち、より大きなものへと変わった。

「へぇ・・・やっぱサラは八なる光なんだな。俺が持つよりも力が大きくなってる」
「・・・初めて持ったけど、なんか変な感じ。この弓、まるで意識があるみたい」

 そんなサラの感想に面白がって持ちたがるエレンやモニカの手に弓が渡っていく様子を眺めながら、ポールはフェアリーに事の次第を伝えた。

《分かりました。お待ちしております。本当なら、氷の剣があれば良かったのですが・・・》
「氷の剣・・・雪に閉ざされた町の伝説、か。一応そっちもな、睨んではいるんだ。ここでの一件が落ち着いたら調査に入るつもりだよ」
《はい、お願いします》

 ふっと撫でるような微風が通り過ぎたかと思うと、もうフェアリーの声は聞こえなくなっていた。
 世の中はまだまだ自分の知らない不可思議で溢れているもんだなどと考えながら立ち上がったポールは、腰に手を当てて一息ついた。

「さて、コトは一刻を争うようだ。サラには済まないがすぐ出発してもらう。ここに残る俺らも、この数日で一つでも多く裏を取らなきゃならん。朝メシ食ったら即、行動開始だ」
『おー!』

 一同の掛け声に満足そうに頷いたポールは、そういえば自分が寝間着姿であったことを思い出してそそくさとその場で着替えだし、女性陣から総批難を浴びた。

 

 

 ヤーマス港からピドナ行きの船が出航するまで思いの外時間が空いてしまったサラは、乗船しながら狭い船室で出港を待つのもつまらないので少し町を歩いてから港に向かおうと考え、乗船所周辺の通りを気ままに探索することにした。
 改めて眺めるこの商都ヤーマスという場所は、ピドナに負けず劣らずの賑わいだ。市場を歩けば右も左も世界各国から集まった様々な品が所狭しと溢れかえっており、その繁栄っぷりには目を見張るものがある。
 折角だから何か土産の一つでも買っていこうと露天を幾つか冷やかしたサラは、少しひょうきんな表情をしているルーブの竜を象った置物を気に入って購入し、あとは出港前まで近くのカフェで過ごす事にした。
 異国の地で一人の探索という経験が初めてだったサラはどこか高揚感を味わいながら、オープンテラスの風通しが良さそうなカフェを選んで入る。
 店内には、彼女と同じく乗船待ちかと思われる旅支度の客が数組留まっていた。席もちらほら空いているので先に飲み物を買いにカウンターへ行き、アイスラテをミルク多めで頼む。程なくして出てきたドリンクを片手に、どこに座ろうかと見回しながら店内を歩き回った。
 すると、オープンテラスの一角に座って読書をしている一人の客に自然と目が向いた。
 そこに座っていたのは、周囲の客とは一風変わった容姿の客だった。その人物はナジュ地方によく見られるような薄い褐色の肌と黒い髪をした線の細い中性的な顔立ちをしており、一見しただけでは男女どちらかいまいちサラにはわからなかった。身に纏っている衣服がこれまた見慣れぬもので、稀に何処から入手してくるのかナジュの商人が東方から仕入れてくるような衣服を纏っている。
 ふと、本から顔を上げたその人物と目が合った。
 正面から見ると思いの外顔立ちも幼く、ともすれば自分とあまり変わらない程度の年齢なのではないかとも思えた。
 サラがそのまま何も喋らずに真っ直ぐ見つめていると、しかしその人物は見つめ合いに付き合う気はないらしく、すぐに視線を本に戻した。
 気がつけば、サラの体は勝手に反応していた。即座にサラはその人物と同じテーブルにアイスラテを置くと、相手に断りもせずに対面の椅子に座る。

「僕に構わないで」

 視線は手元の本に落としたままで、目の前の人物は、ぽつりとそう言った。
 その声色はとても耳に心地よく透き通るようなテノールで、サラはここで初めて目の前の人物が男性であることを確信する。
 拒絶の言葉を受け取ったにも関わらず、サラは微動だにせずに居る。すると程なくして俯いていた視線が、まるで面倒くさいと雄弁に語るようなため息一つとともに此方に向けられた。向けられた瞳の色はまるで吸い込まれそうになる程に深い藍の色をしており、サラは思わずその瞳に魅入った。
 そして彼女には見えた。その瞳の奥の光が、微かに震えているのを。

「どうしたの?」

 サラが優しくそう口にすると、目の前の少年(と言って差し支えないであろう容姿だ)は目を少し見開いて彼女を見返した。すると先ほどはあまり見えなかった感情の色がより鮮明に瞳に浮かび上がってくる。
 やっぱりだ。この瞳を、その光の震えが表す感情を、彼女は知っている。

「怖がらなくても大丈夫だよ。私はサラ、あなたは?」

 その一瞬、彼女に向けられた瞳の中の微かな光の震えが止まったように見えた。

「僕は・・・」

 無意識に、言葉を発していた。
 まるで自分の意思とは別に勝手に口が動いたかの様に少年は何かを言いかけ、しかしはっと気がついた様な表情をしたかと思うと、何処か自嘲気味な笑みを浮かべて手元の本を閉じた。

「知らないんだ、自分の名前さえも。ずっと一人だったから」

 嘘ではない。本当に少年は自分の名前も知らないし、少なくとも彼の知る限り、彼の頭の中にある記憶の中では常に彼は一人だった。
 自嘲の笑みが漏れてしまったのは、二つ意味がある。一つは、まさか初対面の少女に二言三言でこんな事をいうなんて、自分自身で思っているより随分と社交的だったんだなと思ったこと。もう一つは、自分の知る限りこの話をすると誰もが彼を哀れむのが分かっているのに、懲りない自分の愚かさが度し難く可笑しかったからだ。
 彼は自分の記憶のかぎりでは全ての人間に哀れまれた。彼と言葉を交わした人間が皆そろって自分を哀れむ度、自分はこの人達とは違うのだなと実感した。それは最初はとても悲しいことであったと記憶しているが、流石にもう慣れた。自分一人なら名前もいらないし、哀れまれるのならば関わらなければいい。それだけのことなのだ。

「かわいそう・・・」

 そう、それだ。
 目の前に座る少女が漏らしたその言葉は、幾度となくこの耳に聞かされてきた言葉だ。自分と違って悲惨な境遇にあると分かった目の前の何かに対して、一様に同じ反応を返す人々。それらと、この少女も同一だ。
 そんなことは既にわかりきっていたはずなのに言ってしまったのは、一瞬だけ彼女に、自分の心を覗かれたかのような錯覚に陥ったからかも知れない。何の気もなしにだったのだろうか、彼女に怖がらなくても大丈夫だと言われたときに「そうか自分は怖がっていたのか」と妙に腑に落ちてしまった自分がいたのは確かに事実だった。だから何を言おうか考える前に、口をついて言葉が出てしまったのだろう。
 だが、これまでと何が違ったわけでもない。彼女も又、一様なる反応しか示さない。
 だが次の瞬間、少年は自嘲気味に笑うことを止め、ぎょっとした表情をして慌てだしたのだった。
 なにせ自分の目の前に座った少女は一体どうしたわけなのか、その円らな瞳から大粒の涙を流していたからだ。

 彼女は、目の前の少年がしていた瞳を知っていた。あの瞳、あの表情は自分も長いことそうだったからこそ、よく分かるのだ。
 最愛の姉に守られながら育った彼女は、幼い頃は常に世界を姉の背中越しに見ていた。姉が守るということは、自分に害を為すなにかが姉の背中の向こうにあるということだ。
 姉は常に優しく言ってくれた。私が守るから大丈夫だ、と。その言葉は彼女にとってはとても心強かったと同時に、背中越しの世界に垣間見える恐怖を増幅させた。姉の背中越しに見える世界全てに関わることに、怯えていたのだ。
 この少年は、あの時の自分と同じ目をしている。世界と関わることそのものに彼は今、酷く怯えているのだ。彼と世界はきっと自分にとっての姉の背中のような何かで隔たっていて、でもその『何か』は、姉のように彼を護ってくれはしない。だから少年は瞳の向こうに見ている世界に、怯えているのだ。
 自分はユリアンやトーマスとの関わりによって、いつしかその状況から自然と脱することが出来た。だが彼は今の自分とそう変わらぬ年齢であろうにも関わらず、未だその渦中にあるというのだ。その恐怖、その孤独は年月が経てば経つほど大きくなり、誰かに手を差し出されぬ限り自分では決して抜け出すことのできない牢獄と化す。
 なんという悲劇だろうか。彼の周りには、このような状態の彼を助け出す人は、いなかったのだろうか。彼は目に見える世界全てに怯え、悲しみ、諦めようとし、それでも諦めきれぬ自分を蔑んでいるようにすら見える。このような悲劇が、あっていいのだろうか。
 だから、サラは迷わずそう口にした。

「一緒に行こう」

 そう言って右手を差し出す。
 少年はその手を見つめ、そしてサラを見つめ直す。彼女が何故泣いたのかは分からない。だが、彼女が今まで自分が出会ってきた人たちと違うということだけは、分かった。彼女はどこか、自分と似ているものを持っているのかもしれないと、そう感じられた。
 だが少年は幾つもの感情が入り混じったような瞳でサラを見返し、しかし怯えの色を濃く出しながら弱々しく首を横に振った。

「僕に関わった人は・・・みんな死ぬんだ。僕を助けようとした人も、殺そうとした人も。だから、僕に構わないで」

 ガタン、とサラが手を出したまま椅子を押し退けて立ち上がった。少年はびくりと一瞬震えて、彼女を見上げる。
 その瞳に向かって、サラは微笑んだ。
 あの時、ユリアンやトーマスはどんな表情で、どんな瞳をしていたんだっけ。そんなことを思い出しながら、それを真似てみる。

「助けられないし、殺せない。そんなつもりは、はなからないよ。私はそこまで傲慢にはなれないもの。でもこうすることで、なにかが起こることを願ってるの。だからただ、一緒に行こう」

 その言葉に、少年の瞳が僅かに震える。だが、まだ迷いが消えない。サラはアイスラテを一気に呷ると左手に荷物をまとめ、少年の横に移動して彼の手を取った。

「そんな風に思い詰めないで。ね、行こう!」

 そう言って一歩後ろに引き、少年を立ち上がらせた。もう一度彼を引っ張るようにすると、少年は流されるままに椅子にかけてあった荷物と、布にくるまれた長大な剣のようなものを肩にかけてサラについていった。

「ね、名前ないなら、決めよう」
「え・・・うん」

 意気揚々と港に向かう途次、サラは少年にそう提案をした。流石に名前がないのは呼びづらいなと考えたのだ。
 うーん、と歩きながら考えていたサラは、不意に立ち止まって少年へと振り返った。あまりに突然に立ち止まるものだから少年は勢い余ってサラにぶつかりそうになってしまい、慌てて止まる。しかし彼女の顔が思いの外至近距離にあることで赤面してしまい、顔を背ける。

「だーめ、こっちむいて」

 サラが片手で顔を戻すように彼の頬に手を当てると、少年は成されるがままに正面に向き直る。出来ればもう少し離れて見て欲しいと彼は思うのだが、上手く言い出せない。

「テレーズ・・・テレーズでどうかな!」
「・・・それ、女性名称じゃ・・・?」
「だって、似てるんだもの。髪の色は金髪じゃないけど、後ろに結んでいて、切れ長の目で、中性的な顔立ち。テレーズ様そっくり。ね、テレーズでどうかな!」

 サラが満面の笑みでそういうのを聞きながら、少年は呆気にとられる。彼女が誰のことを言っているのかは彼には分からなかったが、不思議と彼女がそういうのならそれでいいか、と思えた。
 少年がそれにゆっくりと頷くと、サラは無邪気に微笑む。

「決まり。宜しくね、テレーズ!」
「・・・うん、宜しく、サラ」

 二人はこうして、旅を始めた。
 この時、世界が、僅かに震えた。
 だがその震えを感知したものは、世界に散らばる幾百万の人間の内、極一握りの者だけであった。

 

 

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第六章・5 -月明かりの下で-

 

 ロアーヌ軍制圧下の出城にて行われたロアーヌ侯爵ミカエルと神王教団教長ティベリウスの会談は、それまでの両軍が相見えた戦の数と規模からすれば驚くほど静かに、そして呆気なく終わった。
 この会談により、両軍間にて不可侵条約を締結。またロアーヌ侯国は相応の戦勝金の確保と何より神王教団領地内に在外公館を持つこととなり、それに伴う幾つかの両国間での決め事を制定した。これによりロアーヌ侯国は、神王教団の活動の制限をしない事を条件としてナジュまでの影響力を多大に有することとなった。
 そしてリブロフ軍に関し、ミカエルはこの機を逃さず大きく攻勢に出た。
 先ずリブロフ総督バイヤールの戦争責任を深くは追求せず、ルートヴィッヒへと一連の事の顛末を書状に認めて送るに留めた。ピドナの近衛軍団からすればこれは拍子抜けといっていいほどあっさりとした決着だったが、その実これはルートヴィッヒにとっては実に芳しくない着地だといえる。
 まずリブロフ軍は連敗に次ぐ連敗で完膚無きまでにロアーヌ軍に叩きのめされたという事実だけが全軍に重くのしかかり、ナジュを起点としてリブロフを睨む事となったロアーヌに対し、必要以上に怯えた。なにより総督たるバイヤールがリブロフの城門警戒態勢を戦時非常事態と同等まで引き上げた上で自室に篭りきりとなってしまったといい、現在のリブロフはほぼ軍団として機能しなくなってしまったのだ。一般渡航者の入国も規制が入っているらしく、正に戦時下と同等と言ってもいいほどだという。
 だが、それをミカエルは書の中で寧ろ大きく称賛してみせた。曰く、神王教団との共闘という過ちに気付いた後の迅速な撤退と、ナジュからの侵攻に備えた首都警備の速やかなる補強。リブロフという要所を押さえるに相応しい総督としての判断であり、おかげでこちらも後顧の憂無く、又、余計な刺激も与えずナジュの信頼を得て会談に臨む事ができた、と。
 この称賛により、ミカエルは王都からリブロフへの軍の派遣、もしくは大々的な援助や監視強化を防いだのだった。逆に今回もしロアーヌがリブロフの一連の行動を強く非難し王都ピドナに責を問えば、それは王都主導によるリブロフの現行体制の粛清とナジュ方面への近衛軍団による干渉を生むことになったかも知れない。むしろルートヴィッヒならば、それを狙っただろう。
 だが、それは今回は我々ロアーヌの役目であり、この上で後からリブロフに派兵でもしようものならば我々の会談と話が食い違い、裏切りと取った神王教団が何をしでかすか分からない。そう、暗にミカエルは書状によってルートヴィッヒに申し伝えたのだった。
 リブロフは王都の意向をを汲み、異教たる神王教団を拝するナジュ地方の監視を外からしてもらう。そして我々は直接戦勝国として神王教団と対談し、その結果拝する神こそ違えど義により彼らの信を得るに至った。故に我々は現地に在外公館を設け、内から監視をする。これによりナジュでの利益も聖王信仰諸国へと循環させ、王国の更なる発展に寄与しよう。そう、ミカエルは結んだ。
 元来メッサーナ王国を中心とする西方諸国は明確にこそ決められていないものの、その領地は爵位と共にある程度限定されている。無論未開地の開拓は当然許される範囲ではあるが、それ以外の地を侵略したり、ましてや爵位領土同士での争いなどは以ての外とされており、それは現行の法としても厳しく定められている。もしこれを破ることがあれば、王国が総出で潰しにかかる、という構図だ。つまり、侵略が許されるのは実質近衛軍団を擁する王都のみと言える。
 一方ロアーヌ侯国は西方が内海玄関口となるヨルド海沿岸ミュルスまで、そして東方はシノンを開拓しているがその先には腐海が待ち受けており、北は伯爵領地で関を設け、南には偉大なるエルブール山脈が横たわる。開拓と成長の余地は腐海を超えぬ限り既に限界が見えているといっても過言ではなかったのだ。
 だが今回の件で、ロアーヌは現状で唯一ナジュと友好的な関わりを持つことと成った。しかもその実はロアーヌが上であり、今回締結した条項の中には有事の際の相互協力も含まれている。これは終戦の流れの中でリブロフが完全に無干渉を貫いてくれたからこそ出来た構図とも言えるので、ミカエルはそういう意味では本当にバイヤールに感謝しているだろう。
 侵略ではなく、あくまで会談の末の双方合意による監視体制、そしてリブロフ総督の行動の肯定。これらにより、ロアーヌは他国に先んじて実質的な国力増強を成したといえる。
 王なき今のメッサーナ王国に、これに表立って異を唱えられる者などいるはずもなかった。これはロアーヌにとって、今までにない大きな躍進といえる。
 あとは王都での後継問題が膠着している間に体勢を確り固める事が肝要とし、明日には出城とナジュ本土に入国する部隊がロアーヌ本国より出城へと到着する予定だ。これと入れ違いに、ミカエル率いるロアーヌ軍本隊は一度ロアーヌへと帰還する。

 

 

 夜空に煌々と輝く月と星たちが、城壁の縁に立って彼らを見上げたカタリナの瞳に映し出される。
 連日の戦勝祝賀会と称した大宴会でいい加減酒の飲み過ぎですっかり出来上がった非番の騎士団仲間から、カタリナは隙を見てやっとの事で逃れてきたのだった。
 確かに祝杯が連日に及ぶのも無理はない程の勝利ではあるのだが、中でも、彼女は今回の連戦の最後の勝利を無傷でロアーヌに齎らした勝利の女神だなどと持て囃されてしまい、これにはほとほと参ったものだった。
 それを現在の主力となっている同期の騎士団仲間や年上のベテラン勢には多大に揶揄われるし、モニカの侍女となった故にあまり関わりのなかった年下の騎士団新米勢からは此方が気まずくなるくらいに羨望の眼差しを向けられてしまっている。
 特に不味かったのが、ティベリウスを案内してきたときの格好だった。
 神王の塔でのマクシムスとの戦闘でノーラに作ってもらった鎧がかなり損傷してしまったので代わりになりそうなものをナジュにて見繕ったのだが、ここでは女性兵士という概念がなく、彼女に合いそうな兵装がなかった。なので仕方なく現地の民族衣装(サリーというらしい)に肩当てや剣帯を装着し月下美人とマスカレイドを装備して、足元は聖王のブーツを装着した。
 このサリーが非常に色鮮やかで模様の豪奢な作りなもので、丁度ロアーヌの様な敬虔な聖王信仰の地では何かの儀式でもない限り身に纏わない様な煌びやかなものだった。かつ風を纏う聖王のブーツの風圧でそれが常にゆったりと靡くものだから、彼女の周りだけ空気の流れが異なるのが視覚で丸見えなのだ。
 それらが相まった姿を見た騎士団連中の誰かが言い出した『まるで女神のようだ』という言葉が拡大解釈を重ね、此度の事態を招いているというわけなのである。

(全く冗談じゃないわ。皆、本物の女神様を見たことないから私をそんな風に揶揄えるのよ)

 頭の中ではピドナのミューズの姿を思い浮かべながら、小さく毒吐く。因みに今は流石にその格好に懲りたので、アクバー峠の市場で急遽購入した白いドレスシャツと藍の色合いが美しいロングスカートの姿だ。戦闘にはどちらかと言えば不向きだが、普通に過ごすにはゆったりとしていて着心地が良い。無論のこと、剣帯は欠かしていない。
 そう言えば彼女と共にもう一人、今回の戦にて軍神と讃えられた人物がロアーヌ陣営にいたらしい。らしい、というのは彼女はその人物をそもそも見ていないからだった。しかし話を聞く限りでは、彼女は恐らくその人物を見知っていた。
 特徴的な帽子に愛用のフィドルを肌身離さず、帯剣するは聖王遺物最強の一角と目される七星剣。そんな人物は世界広しといえども、あの胡散臭い聖王記詠み以外にいるはずもない。
 詩人は神王の塔にてカタリナと別れた後、どうやら単身アクバー峠を目指したらしい。そのまま峠を抜ける折にロアーヌ軍が神王教団の軍勢に奇襲を受けているところに鉢合わせ、絶体絶命のロアーヌ軍を七星剣の力の解放により救ったのだという。そこから何故か彼はロアーヌ軍に合流して暫く過ごし、ナジュ砂漠まで戻ってきたのだそうだ。そして彼はミカエルらと共に砂漠戦の軍議にも参加し、敵陣の異変に気付いてティベリウスやカタリナを迎えるために皆が軍議を行っていたテントから出るところまでは一緒だったことが確認されていたようだ。
 だがカタリナがミカエルと再会したとき、そこには詩人などいなかった。
 元々神王の塔で別れる時も七星剣だけ持ってふらっといなくなってしまったので、カタリナ自身は彼がそうして忽然と消えてしまったことにも何ら驚きもしなかった。だが軍内では彼の離軍をとても残念がる声が多かったらしく、あんなに人を食ったような態度の割りにカタリナとしては意外だったものだ。
 未だあの詩人の正体と目的は分かっていないが、少なくとも今回は我々に加担してくれたようなのでまた会うことがあればそこは一応感謝せねばなるまいと考える。
 そこまで回想していたところで、俄かに緩く暖かい夜風がその場を吹き抜けた。その風を受けながら、カタリナは自分の腰に装着している聖剣マスカレイドの柄にそっとに手を当てつつ、改めて夜空を見上げる。
 今宵の月は格別に大きくて明るく、見る者を惑わそうとするかの如く美しい。これはまるであの夜のような月だと、カタリナは見上げながらぼんやりと考えた。
 聖剣マスカレイドを奪われたあの夜から、まだ一年も経ってはいない。しかし感覚的には随分と長い旅の末に、やっと今こうしてここに立っているという気すらする。それだけここに至るまでの旅路が今までの彼女の人生にはなかった発見と驚きの連続で、その圧倒的密度の経験を彼女の頭が処理し切れていないのかも知れない。
 だがそんな感覚に包まれていてなお、発端となったあの夜のことはまるで昨日のことのように鮮明に思い出される。
 忌むべき、自分の人生に於いて最大の汚点。そして、今の自分へと連なる出発点。
 あれからとてつもなくいろいろなことが自分の周りで起き、またそれに関わってきた。今となっては、あの夜の出来事は自分にとっては必然だったのかもしれないとすら思える。あの夜以降で、彼女の身の回りから失われてしまったものは多い。あの時マスカレイドを奪われずにあのままであれば享受できるはずだったものが幾つも、それこそ永遠に失われたのだ。
 だが、その代わりに得たものもまた多かった。旅先で出会った様々な人々、その都度に得た経験。その上で今、こうして夜空を見つめる自分自身。それらはあの出来事無くして、絶対に得られなかったものだ。
 どちらであればよかったとは、最早カタリナは思わなかった。そのどちらもが今となっては、甲乙など付け難いのだ。
 さらに言うなれば、どうやらこの先もまだまだ自分の予想し得ない事が色々と起きる予感がある。今この瞬間もまた、途中経過に過ぎない。この数日、近年には無い歴史的な戦勝に沸く騎士団仲間と共に彼女も又この旅に出ることとなった悲願を達したこと自体は素直に喜びながら、そのようなことをずっと考えていた。
 そんな中どこかあの夜に似ている今宵は、もしかしたら私の新たなる出発点なのではないか。今この瞬間が、何故かそのように感じられたのだ。
 騎士を目指すきっかけとなった死蝕が、第一の転機。マスカレイドを奪われたあの日が第二の転機。そして今日がその次、第三の転機へとなるのではないか。
 そんな事を、月を見上げながら想う。
 丁度そんなことを考えていたものだから、背後から自分へと近づいてくる気配に振り返ったカタリナは、一瞬だけ必要以上に目を見張ってみせたのかも知れない。
 そこに立っていたのは、ミカエルだった。

「・・・どうした、気分でも優れないのか?」

 カタリナのそんな表情が予想外だったので、ミカエルは軽く眉をひそめながら目の前のカタリナにそう声をかけた。
 だが、声をかけられた頃には穏やかな表情を取り戻していたカタリナは、ゆっくりと頭を振ったあとでミカエルに微笑んで見せた。もう、あの夜は来ない。あのようなことは、繰り返さない。そう、彼女は決めたのだ。

「いえ、申し訳ありません。特に体調が優れぬという訳ではなく、少々夜風に当たりに。ミカエル様こそ、お体の調子は如何で御座いますか。戦続きで大分ご無理をなされていたようだと伺いましたが・・・」

 カタリナが同期となる騎士のコリンズ達から聞いていた話を元に返すと、ミカエルは軽く口の端をつり上げるようにして笑いながら片腕だけを竦めてみせた。

「・・・全く、伝わらんでも良いことは確り伝わるものだな。心配には及ばぬ。お陰様ですっかり体調も回復した」

 ミカエルのその妙な言い回しに、カタリナは瞬きをしながら小さく首を傾げた。

「いえ、私は何も」
「いや、あながち間違いではあるまいさ」

 そう言ってなにやら不敵に微笑んで見せたミカエルは、ふと周囲に視線を走らせた。それをカタリナが特に気にするでもなく眺めていると、彼はそのまま半身だけ後ろに下がりながら、カタリナに声をかける。

「話をしたいのだが、どこに耳があるか分からぬので場所を変えたい。少々つきあってもらえるか」
「はい、畏まりました」

 ミカエルの申し出に二つ返事で頷いたカタリナは、その返事を聞いて歩き出したミカエルに続いてその場を後にした。

 

「トゥイクのワインも、意外と馬鹿に出来なくてな」
「ふふ、トゥイクといえば赤が主流でございますしね。ミカエル様好みのものも多いかと存じます」

 監視を主な目的として建てられたであろう出城の中ではどうやら客間に当たるのか、案内された部屋は他の無骨極まりない場所に比べれば幾分か落ち着けそうな空間だった。
 既にデキャンタージュされていた赤ワインをミカエルが自らグラスに注ぎ入れ、カタリナに差し出す。それを会釈しながら受け取ったカタリナは、自分でも不思議に思うほど落ち着いた気持ちでその場に居られることに内心驚いていた。
 旅の最中はあんなにも焦がれる気持ちに振り回されたというのに、再会してからはまるで、そんな事実が全くなかったかのように自分の中の気持ちが穏やかになっている。
 つくづく現金なものだなぁ、と内心呆れてみる。

「特にこのトゥイク北西地区の固有品種で作られた銘柄が中々好みでな。ロアーヌにはない味わいだ」
「ええ、私も多少なり存じております。リブロフではワインの王様、王者のワイン等と呼ばれているようです」
「ほう、王者のワインか。悪くないな」
「ええ」

 他愛のない会話の掛け合いをしながら、お互いにグラスを掲げ、ワインで唇を潤す。
 ジビエによく合いそうな濃く深みのある口当たりは、ロアーヌのワインが持ち味とするシルクのようなエレガントさとはまた違って非常に男性的な味わいに感じられる。テーブルに用意されたブルーチーズも現地のものと見受けられ、塩分の強い味わいがまたワインと良く絡み合う。

「・・・漸く、ゆっくり話せるな。では、聞かせてくれないか」
「はい」

 ミカエルの問いかけにしっかりと頷いたカタリナは、少々俯いて手元のワイングラスの水面を見つめた。話すべき事はわかっているのだが、果たして何から話していいのかと一瞬考えてしまったのだ。それだけ話したいこと、話さなければならない事が多すぎるのだ。
 ミカエルはそんな様子のカタリナを急かすことも無く、ゆっくりとグラスを傾けながら彼女の言葉を静かに待った。
 やがてある程度筋道立てが済んだのか、カタリナは再びミカエルと視線を交わらせる。

「まず最初に、差し出がましくもお許しを頂きたい事が御座います」
「聞こう」
「聖王遺物である国宝、この聖剣マスカレイドの御返上。これを今暫くお待ち頂くことを・・・どうかお許し頂きたいのです」

 言葉と共に己の剣帯から優雅な装飾の鞘と共に取り外した聖剣マスカレイドをテーブルに置くカタリナに、対するミカエルはその動作を目で追いながら薄っすらと視界を細める。

「重ねて、理由を聞こう。恐らくは、その王家の指輪と関係があるのであろうがな」

 続いてカタリナの左手に嵌められた指輪に一瞬だけ視線を走らせながらミカエルがそう言うと、カタリナは肯定の証として先ず小さく頷いた。

「はい。これは当初はピドナの魔王殿にて入手した物ではありますが、後に聖都ランスに赴き聖王家当主オウディウス様とお会いして入手の経緯等をお話しした折に、その場の結論として暫く私が預かる事となりました」
「・・・つまりはカタリナが八なる光の一人、ということなのか」
「・・・そのようです」

 大凡を察していたらしいミカエルの言葉を、隠すことも無く素直に肯定する。それからカタリナはロアーヌを出てから今までのことを一つ一つ、ミカエルに聞かせていった。
 ミュルスでトーマスに出会ってから旅が本格化し、聖王三傑と称された初代メッサーナ国王パウルスの子孫であったということが後から分かったクラウディウス家のミューズとの出会い。ピドナの魔王殿で出会った正体不明の少年や、地下迷宮でのアラケスとの対決。フルブライト家現当主であるフルブライト二十三世との邂逅と、ベント家のバックアップを受けながらの世界経済への参入。アラケスの予言を受け手がかりを求めて聖都ランスへの巡礼と、オウディウスやヨハンネスとの出会い。そしてその旅路で出会った仲間の内何人かがピドナに集った折、八つの光として恐らくミカエルと同じ幻を共有したこと。
 そこまで話し、カタリナはここでこれも言わなくてはなるまい、と意を決して姿勢を正した。
 カタリナの様子の変化を見て取ったミカエルが視線で続きを促すと、カタリナは一度ワインで唇を濡らし、ミカエルの瞳を見つめた。

「私と共にピドナにてその幻を見たのは奇しくも、あのゴドウィンの変の折に宮廷の謁見の間に集った勇士達でした。即ちハリード、トーマス、ユリアン、エレン、サラ、そして・・・モニカ様です」

 その言葉の終わりと共に、静寂が部屋の中を支配する。
 正直、どんな反応が来るのかも分からなかった。ただトーマスやポールが調べた限りではロアーヌ侯家の公式発表上はモニカは数ヶ月前から消息不明となっていた以上、ミカエルの理解もその筈だと考えていた。そうなれば少なくとも、ここでのモニカ生存の報告は驚きが主な反応かとは予想していた。ただその後で色々モニカについては語らなければならないことも多く、非常に頭の痛い話題であることには違いがなかったのだ。
 だからこのあとに見たミカエルの反応は、カタリナにとっては全く以て予想外だった。
 なにしろモニカの名前を出したあとの静寂の後に、なんとミカエルはにやりと笑って見せたからだ。

「・・・ミカエル様?」
「私も、お前には話しておかねばならんことがあってな」

 カタリナの問いかけに、ミカエルは肘掛に片肘を立てつつそう言いながらもう一度、今度は少し悪戯っぽく笑ってみせる。その表情があまりに堂に入ったものであったから、カタリナは思わず視線を合わせ続けることが出来ずにワイングラスに視線を落としてから見上げるように彼を見た。あまり心臓に悪い表情はやめて頂きたいものだ。

「と、申しますと・・・?」
「モニカのことは、少なくともピドナにいる事は知っていたのだ。大凡の様子も分かっていた。何しろ、あの地には間者を放っているからな」

 因みにカタリナの社長姿の記事も見たがスーツ姿も意外と似合っていたぞ、とミカエルがいよいよ声を抑えられなくなったか、ふっと笑いながら言う。
 その言葉に、カタリナは瞬間沸騰したかの如く一気に耳まで赤くなりながら俯いてしまった。あのスーツ姿を、まさかミカエルに見られてしまっていたとは・・・余りの恥ずかしさに顔を合わせられる気がしない。
 いやいやそういうことでは無いだろう、と大慌てで思考を脳内で切り替える。

(確かに、考えてみれば普通の話だわ・・・そもそも各国に間者を放つのは今の時勢では当たり前の話だし、それこそ発行部数世界一と言われるメッサーナジャーナルの紙面に彼処まで大々的に乗れば、私の顔を知っている人間に伝わったって何ら可笑しくもない。当然そこで私もピドナの間者の観察対象に入る事は当然の成り行きであり、っていうかあれだけ変装の下手くそなモニカ様が見つからないわけもない。あぁ、くそとか言ってしまいました申し訳ありませんモニカ様・・・)

「・・・そうでしたか。寧ろ、それを聞いて安心致しました。私も急ぎミカエル様にお伝えせねばとは考えていたものの儘ならず、申し訳御座いませんでした」

 自分の話題には極力触れないようにしながら、ほほえみを作りつつ無難に返す。その返答にミカエルは再度肩を竦め、顎に手を当てた。

「まぁ、更に言えば先にメッサーナベント家からモニカの無事だけは知らされていたので、ピドナで確認したときもそこまで慌てはしなかったのだがな」
「ベント家・・・トーマスですね」

 どうやら、これに関しては先にトーマスが手を打っていたようだ。相変わらず痒いところに手が届く絶妙な補助をしてくれる。

「トーマス、か。なかなか面白い男よ。馬鹿正直に、ピドナにて匿っていると伝えてきた。此方が情勢的に王都に対して大それた動きはできないことも考えの上だったのだろう。それに最強の護衛集団が身辺警護をしているので身の安全は世界一保証する、とまで来たものだ。まぁ、ユリアンは元よりカタリナやトルネードまで居るのであれば、それも間違いではあるまい」

 いつになく上機嫌な様子でそう話すミカエルに、カタリナは恐れ入りますと首を垂れた。
 しかしそこでミカエルがふと黙り込み、それに合わせてカタリナも口を噤む。ワイングラスを傾けたミカエルはグラスをテーブルの上に置くと、真っ直ぐにカタリナを見つめた。

「お前はその聖剣マスカレイドで、何を成すのだ?」
「四魔貴族を、討ちます」

 言葉に一切の淀みなく、カタリナは即座にそう答えた。
 神王の塔の地下にて聖王遺物に触れたとき、彼女は確かに感じ取ったのだ。聖王遺物は、まだ己の役目が終わっていないことを強く示していた。聖王が後世に残した伝説の武具達は寧ろその輝きを増すばかりであり、それは聖剣マスカレイドもまた、そうだった。まるで眠っていた力が呼び起こされたかのように、マスカレイドから感じる力はゴドウィンの変の頃よりも強大に感じる。
 それに、彼女は聖都ランスにてヨハンネスにも約束をした。妖精族の長からも、討伐を頼まれている。何より、騎士として魔神アラケスに負けたままでいるわけには、いかない。自分に出来るところまではやってみようと、そう覚悟したのだ。
 そんなカタリナの返答を聞いたミカエルは、小さく頷くと座っている姿勢を正した。

「いいだろう、返還の延期を許可する。己が決めた道を進むがよい」
「有り難う御座います」

 再び頭を垂れるカタリナに対し、ミカエルはふと腕を組んで考えるような仕草を見せた。

「しかし・・・私が見た幻を顧みる限り、恐らく私も八なる光という解釈になるわけか」
「・・・はい。ただ先ほど申し上げた通り、私が知る限りでは指輪の記憶を見たのはミカエル様が恐らく九人目となります。聖王記に記されたパウルスの予言と異なる状況となっておりますので、これは伝説そのものに変化があったのかとは考えておりましたが・・・」

 これに関しては、やはりカタリナが自分で考えた限りでは明確な答えが出てこなかった。少なくとも聖王自身は記憶の中では八人に語りかけていたのだから、本来からすれば誰かが招かれざる者のはずだ。とはいえ、話を聞いた限りでは彼女の周りで同時に幻をみた面子は全員が同じ幻を見た。だとすれば魔王殿で出会った謎の少年が最も怪しいのだが、残念ながら件の少年とはあれ以来一度も会っていない。容姿は非常に特徴的だったのでトーマスに伝えた上で探してもらってもいるのだが、発見されたという報告もない。

「人数についてはさておき、私も八なる光の一であるのならばカタリナの進む道に向かわねばならないはずだ。少なくとも聖王様はそう望まれていたように見えた」
「ご質問をお許し下さい。ミカエル様は、あの幻を何処まで聞き取れたのでしょうか。私などには、残念ながら肝心と思しき部分が殆ど聞き取れず終いでした」
「それでは恐らく一緒だな。宮殿と思しき場面はまだ聞き取れたが、中空に浮かぶような幻覚の中では聖王様の声は掠れて意味のある言葉としては聞き取ることが出来なかった」
「・・・左様で御座いましたか。有り難う御座います」

 ミカエルの返答から自分や他の面子がピドナで見たものと同じであろうと考えたカタリナは、やはり別の方面から見ていく必要がありそうだと感じ、胸の下で腕を軽く組んで思案した。
 因みに、もしかしたらこの場合ミカエルと共に自分が旅をする等という展開がありうる物なのだろうか。そんな考えが彼女の頭の片隅を過ぎったが、そんなことになったら自分は果たして毎日正気を保てるものなのだろうか、と悶々としてしまう。
 斯様にカタリナが微妙にワイン漬けになった頭で考えていると、ミカエルはグラスを傾けた後に目の前のカタリナと同じように腕を組み、ふぅむと唸った。

「しかし、何故私やカタリナ、そしてそれらの面々が八なる光として選ばれたのだ?」

 当然出てくるであろうその疑問に、カタリナは明後日の方向に飛んでいた思考を引き戻して彼に向き合い、残念そうにゆっくりと首を横に振った。

「それに関しましては私達も考えを巡らせてみましたが、依然として不明です。寧ろミカエル様やモニカ様であれば聖王三傑たるフェルディナント様の直系の血脈であらせられるので納得もいこうというものですが、私やハリード、シノン出身の面々等は一体何故選ばれたのか・・・」

『邪悪なるものを封じる』とされるものが国や軍ではなく八人であることの理由を語った詩人も、そこばかりは分からないと言っていた。勿論それが本当なのかどうかすらカタリナには分からないが、少なくとも今は未だ知ることが出来ない段階であるようだ。それは以前に妖精の里の長の反応から見ても、間違いなさそうではあった。
 カタリナのその様子を見ていたミカエルは一つ頷くと、自分とカタリナのグラスにデカンタからワインを注ぎ足した。

「まぁ、分からぬのならば今考えても仕方あるまい。本当に我々が八なる光であるのならば、いずれその理由も分かるであろう。続きを聞かせてもらえるか?」
「・・・はい」

 存外軽くその話題を流したミカエルに短く返答したカタリナは、ピドナでモニカと再会して以降のことを話して聞かせた。
 グレートアーチへと神王教団の手がかりを求めて向かった事、その途中で船が魔物に襲われ、混乱の中でフェアリーと出会ったこと。漂流の末に辿り着いた密林で妖精の里に招待され妖精の長と会話をしたこと。フェアリーと共にグレートアーチへ赴き、現地人の協力を得てピドナに戻り、カンパニーの上半期決算報告会の中で敵の誘き出しに成功しマスカレイドの行方を遂に知ったこと。神王の塔でのマクシムスとの対決により聖王遺物の多くを回収したこと。
 ミカエルに対しそれらの出来事を話して聞かせながら、カタリナは我ながらこの数ヶ月は矢張りとんでもなく濃い時間であったなと再認識した。
 道中で詩人と会ったことなども踏まえながら話し、ミカエルが時折挟んでくる感想や質問に応えながら時間が過ぎてゆく。
 気がつけばデカンタの中身はとうに無くなり、トゥイク地方の伝統的な食後酒とされる蒸留酒を頂きながら今後の動きについて話し合っていた。

「現状動きが確認されている四魔貴族は、アラケスとアウナスです。とはいえアラケスは先のピドナで起こった『予兆』以降の動きは分かりませんが、アウナスは妖精族に対して継続的に攻撃を仕掛けているようです。アラケスは魔王殿地下にいることは確認しており、アウナスの居城とされる火術要塞は、恐らく妖精族の力を借りればたどり着くことは出来ると思います」
「アウナスは、伝説に寄れば魔道にも通じた炎の騎士であるという。挑むにあたり準備が必要ならば協力は惜しまぬが」

 ミカエルのその申し出に有り難く感謝の意を述べながら、しかしカタリナは軽く首を横に振った。

「まだ四魔貴族に対する手段に関しては調べていく必要がありますので、もしお力を貸して頂きたい場合は必ず申し上げます。ことアウナスに関しては妖精族がよく知っていると思いますので、近く現地に赴き話を聞いてみるつもりです。聖王遺物の多くを手にした今ならば、あるいは即座に動けるかも知れません」
「そうか。では私はタフターンに目を光らせながら己のするべき事をし、お前の言葉に何時でも応じられるようにしておこう」
「有り難きお言葉。一刻も早くマスカレイド返還を成すべく、尽力いたします」

 そういって再度ミカエルに頭を下げ、グラスを傾けようと手に取った、その矢先であった。

「・・・・!?」

 唐突に頭の中に直接地震が起こったかのように視界が大きく揺らぎ、体が平衡感覚を失う。
 手から放たれた床に落ちたグラスが砕け散る音を遠くに聞きながら、カタリナは己の体を必死に支えるようにテーブルにしがみついた。更に遠くからミカエルのものと思しき声が飛んでくるが、それに応えようにも声を出すこともままならぬ視界の揺れが立て続けに襲ってきて、それどころではない。まさか酒にでも酔ったのかと馬鹿げた考えが一瞬脳裏に浮かぶが、直ぐに否定する。酒に酔ったことは幾度とあるが、こんな現象は体験したこともない。
 そうこうしているうちに、やがてぐるぐると回転を続ける視界が段々と落ち着いていき、その代わりにどこからか声が近づいてきた。

《・・・・さん・・・ナサン・・・タリナさん、聞こえ・・か・・・カ・・ナさん!》

 覚えのあるその声は、耳を通さず直接脳内に語りかけてきているようだった。その声をぐらつく脳で必死に思い出し、必死の思いで口にする。

「・・・フェ・・・アリー・・・?」

《カタリナさん!》

 遂にはっきりとその声が聞き取れたと思えば、一瞬にして視界は正常を取り戻し、ミカエルに支えられて椅子から崩れ落ちていた彼女は即座に立ち上がっていた。

「フェアリー? 一体どうしたというの?」
《説明は後です! 森が・・・大樹が・・・! 外を・・・!》

 片手を側頭部にあてがいながら脳内のフェアリーの言葉に耳を傾け、中空に向かってしゃべるカタリナ。
 その様子を見て怪訝な顔をしていたミカエルは、しかしそのままカタリナが慌てて部屋の外に駆け出してしまったので兎に角追いかける事にした。

(フェアリーとは先の話題に出てきた妖精族か。あの様子は遠方から何らかの力を用いて会話をしている・・・と言ったところか。一体、何が起こった・・・?)

 そのまま城壁部分まで出たミカエルは、物見塔の上に登っていくカタリナを見つけてさらに追いかける。
 そしてその塔を登りきると、カタリナが出窓の縁に乗り出さんほどの勢いで、南西の方角を見つめていた。
 つられて、ミカエルもその方向に視線を走らせる。
 その先に見える光景は、空に向かって昇り立つ赤い炎と、禍々しくうねる黒煙。
 それらが、夜空を犯していた。

「・・・何ということだ。カタリナ、まさか今燃えているのは・・・」

 ミカエルがそう言いながら彼女に視線を投げかけると、カタリナはミカエルに向かって苦々しい表情を浮かべながら頷いた。

「・・・妖精の里です。アウナス軍が妖精の里の母体である大樹を覆う結界をうち破り、大樹に火を放ったそうです・・・」

 そう言ってまたカタリナは頭に手を当て、歯をくいしばるような表情で南西を見つめた。恐らく、頭の中ではフェアリーと会話を続けているのだろう。
 ミカエルはカタリナを横目に塔の下に一度降り、二人の動きに反応して付いてきていた衛兵を呼んだ。

「ブラッドレーに通達。現在駐屯している部隊の中から至急、一小隊の編成を。密林調査を任務とする。三分隊で編成後、明朝出立準備をして待機」
「復唱します!一小隊を三分隊規模にて編成、主任務は密林調査にて明朝出立待機、以上をブラッドレー様に伝達いたします!」

 復唱にミカエルが頷くと、衛兵は即座に反転し駆け出していく。
 そのすぐ後に階段を駆け下りてきたカタリナに振り返ったミカエルは、状況を問うた。

「妖精族がアウナス軍相手に応戦中との事ですが、迫る火の手には殆ど対応のしようがない様です。一時的に避難をしているそうですが・・・」
「里は持たぬのか」
「・・・・・・。・・・はい、恐らく持たないだろうとフェアリーが・・・」

 カタリナの言葉に視線を細めたミカエルは軽く胸の下で腕を組み、垂れてきた己の髪を片手で掴んで軽く引っ張るような仕草を交えながらどこか一点を見つめた。彼が何かを思案するときの癖だった。

「長は、まだ無事でおられるのか?」
「・・・。はい」
「この先の戦いに妖精族の助けなくしてはアウナス討伐は成せぬだろう。どうにか長が逃げ果せるようにと。こちらから直ぐ一小隊を派兵する。救助に向かいたい」
「・・・伝えてみます。・・・・・・お願いしたい、と」

 カタリナの言葉にしかと頷いたミカエルは、カタリナについてくるように仕草で伝えると兵士たちの集まるホールへと向かって早足で歩き出した。
 その間にもカタリナを通じてフェアリーに細かく状況の確認を挟みつつ、頭の中でどう動くべきかを構成していく。
 急ぎ足で入ったホールには、既に整列をした兵士たちがミカエルを待っていた。散々飲んでいたとは思えぬその整列ぶりは、彼らが矢張り日々精神鍛錬も含めて鍛え抜かれた軍団であることを表している。
 その先頭に立っていたブラッドレーが、ミカエルの前まで進み出て敬礼をする。

「小隊はフォックスのシーフギルドを中心に軽装での行軍を可能とするように組んでおります。分隊それぞれにコリンズ隊から早馬を当てがい、拠点駐屯地形成時に連絡を素早く飛ばせるようにしております」

 ブラッドレーの報告にミカエルは短く頷く。そして彼はその場の全員を見渡しながら声を張り上げた。

「もう外を見た者もいるだろう。今、南方の密林にて遂にアビスの魔の者たちが動き始め、現地で妖精族が襲われている。我々は敬虔なる聖王教徒として、三百年の昔に聖王様と共に戦った盟友を助けなければならない。現在妖精族はその長がなんとか逃げ果せているところのようだ。選抜部隊は明朝暁に本拠点を出立、妖精族の救助に向かう。残りの者は本拠点を仮の救助本部とし、救助隊やロアーヌとの連携を取れ」

 そこでミカエルが一旦言葉を切ると、その場の全員がロアーヌ式敬礼をした。

「救助部隊の指揮はコリンズとフォックス、本拠点での指揮官はブラッドレーが引き続き任務に就いてくれ。カタリナは救助部隊と共に現地同行を頼めるか」
「御意に」

 カタリナがミカエルの言葉に即座に頷くと、ミカエルは明朝出立に備えての散会を指示した。

 

 

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第五章・10 -ピドナ支部の崩壊-

 

 近年の治安悪化が世界各国で急速に叫ばれている昨今、世界で最も安全だと言われる王都ピドナの邸宅地区を突如として襲った未曾有の騒動から数日が経ったが、未だこの事件の残した爪痕は現地に生々しく刻まれており、その熱はこのピドナ全体を酷く浮つかせているように感じる。
 ここしばらくは大きな戦乱もなく王宮近衛軍団の庇護の元で平和を謳歌していた王都ピドナに数日前突如として沸き起こった空前の大スキャンダルは、この数日で瞬く間にメッサーナ全土へと広まった。
 広大なるメッサーナの全領土へ瞬く間に、といえば大げさに聞こえるかもしれないが、それもこの事件の真相を思えば当然であろう。何しろこの事件の中心にいるのは、今や街角を走り回る子供でさえ知らぬ子はいないであろう、あの神王教団であるというのだから。
 ルートヴィッヒ団長率いる近衛軍団とともにこの五年間発展を続け、このままいけば国家指定宗教の座も秒読みとすら噂されていた偉大なる神王教団のピドナ支部。この神王教団ピドナ支部の上層幹部のほぼ全員が今回の事件によって捕縛され、逃れた幹部はメッサーナ全土へと指名手配を受け未だ逃走中である。更にはルートヴィッヒ団長と懇意にしていたピドナ教長マクシムス氏もこれと同時期に行方をくらませているというのだから、これはこのメッサーナ王国内においては5年前の体制変更以降で間違いなく最もスキャンダラスな大事件だといえよう。
 近衛軍団詰所や近隣の情報屋によれば事の発端はどうやら数日前に起きたとされる、ピドナホテルにて起こったある襲撃事件だという。その日、丁度ピドナホテルの大宴会場において決算報告会を開いていた某有名ベンチャー企業(本紙でも決算期にかかるトピックスとして経済欄に連日掲載されていたので、ご愛読の皆様はおわかりかもしれない)の経営者ら数人がホテル内、及び旧市街の人気のない区画で続けざまに襲撃されたのだという。
 幸いこの事件は当事者たちにとっては実に幸運なことに決算報告会の来賓の中になんとあの近衛軍団副団長マルセロがいたことで、彼の迅速かつ的確な対応によりなんら被害を出すことなく賊の捕縛に成功したという。しかし、そこで捕まえられた賊の中に驚くべきことに、あの神王教団の幹部が紛れていたというのだ。
 更に捕縛した賊から事情聴取を続けていくうちに判明した驚愕の事実として、この賊集団がそもそも神王教団ピドナ支部の専属として活動している犯罪者集団であり、ここ数年の間にピドナ周辺で起きてきた様々な事件に直接、又は間接的に関与してきたとう供述まで浮かび上がってきたというのだ。
 その内容を元に過去の事件について照らし合わせるとこれが須く証言に一致し、これによっていよいよ確信を得た王宮近衛軍団は即座の対応を決断する。即ち、神王教団ピドナ支部の関係者全員の捕縛だ。
 だが近衛軍団が行動を起こそうとした正にその夜、この一連の騒動のフィナーレを飾らんとすべくして事件はまたしても起きたのだった。
 いざ突撃せんと密かに近衛軍団の精鋭が支部周辺に部隊配備を行っているまさにその最中、突如として邸宅地区に居を構える神王教団ピドナ支部の館内部において数多の魔物が発生し、瘴気を辺りに撒き散らしつつ館から次々と飛び出してきたのだ。これにより、邸宅地区の一等地の大通りが魔物の大群と近衛軍団精鋭の大乱闘という空前の大事件へと発展した。その傷跡はいまだ現場付近に残されている崩れた壁や抉られた街路に確認することが出来る。
 本紙記者の調べによれば、市民の憧れの的である邸宅地区にて突如巻き起こったこの衝撃的な事件には、実は敬虔な一人の神王教徒が深く関わっていたようだ。
 ベンチャー企業襲撃事件に端を発する連日の神王教団に対するあらぬ噂(だとその時点では信じて疑わなかったのだ)に心を痛めていたその教徒は、そのような悪評が真実の訳がないと信じ己が望む事実をその目で確かめるために勇敢にも単身屋敷に忍び込んだのだった。そしてまず神王へと祈りを捧げようと考えいつもの様に礼拝堂へと向かったその教徒は、ここで偶然にも礼拝堂から地下に潜る階段を発見した。それを真実へとたどり着くための神王の導きと解釈した教徒は、己が信ずる正義のままに迷わず下っていったのだという。
 だが神王教団の潔白を信じて疑わなかった彼がその目で見た現実は残酷であり、そして無慈悲であった。
 礼拝堂の地下に広がっていたのはおどろおどろしい空気に包まれた用途の分からぬ謎の部屋の数々。そこで彼が目にした物は、幾つもの呪術に関わる禍々しい道具や宗教団体とは無縁に思える使い込まれた武具の数々。そして、その場の侵入者を排除せんと蔓延る醜悪なる魔物の群れだった。
 死に物狂いでその場を逃げ出したというその教徒は、正に合図を以て突撃せんと外に控えていた近衛軍団の兵を見つけて命からがら泣きついたという。そしてその教徒の後を追い、醜悪な瘴気を振りまきながら数多の魔物が館から飛び出してきたのだった。
 当然予想を遙かに超える展開であったことは想像に難くないが、この時点で既に臨戦態勢が整っていたという兵士たちは突然の魔物の襲撃に驚きはしたものの至極冷静に対処したという。そして神王教団ピドナ支部の強制捜査は魔物討伐へとかわり、無事その鎮圧を以て翌朝の解決を迎えた。
 なおこの時点で今回の事件で逮捕されていた幹部に対する継続した取り調べの結果、神王教団ピドナ支部の上層部は南方で悪名を馳せた海賊どもの巣窟と成り果てていたということが判明した。
 斯様に仰天の連続に見舞われ未だ驚きの冷めやらぬ事件の重大さは元より、普段平和に浸りすぎて我々が忘れかけていた身に迫る危機に迅速に対処して見せた精鋭近衛軍団の電光石火の鎮圧劇もまた、住民を大いに沸かせたのだった。(周辺聞き取りを含めた本事件の拡大特集は三面にて)

 

「だーってさ」
「・・・」

 ここ数日仏頂面が直らないシャールは、いつにも増して商業区の大通りをビジネスマンやら新聞記者やらが忙しなく行き交う様を見下ろしながら、メッサーナジャーナルの一面を読み終えたエレンの後に続いて一つため息をついた。
 彼のそんな様子がやはり気にかかるのはミューズだが、生憎と彼女には今の彼にかける言葉は見つからない。
 何しろ彼自身が渋々ながらも納得をしてこの状態を承諾したのであるからして、彼女はおろか彼自身としても致し方ないのだ。だが、それでも彼にとって今回の一件がなんとも歯痒い事態であることもまた、代わりはないのだった。

「まるで、茶番だな・・・」

 漸くそう呟いたシャールを、ミューズはため息交じりに見つめた。
 此度の事件においてなにより先ず、ピドナにおける神王教団の活動が急激に縮小、衰退していくことは間違いないだろう。既にその前段階として市街地の至る所で、神王教団の教徒であることを示す麻のローブが火に燃やされている様子が見て取れた。
 それは誰が最初に始めたのかは分からないが、あっという間に町中で同じ光景が目につくようになった。燃える麻のローブを見つめる市民の表情はまるで悪夢から覚めたような人のそれで、既に神王教徒に対する市民の目は奇異を見る視線だった。
 だが一方、街がこのような状況であるが故に神王教団と蜜月を共にしてきたルートヴィッヒ政権が併せて弱体化するかと言われれば、これは否であった。
 何故か。それは全く以て五年前と同じ手法であるのだが、その統治体制と情報の掌握、そして広報と言うところに力を入れているルートヴィッヒの実力と対応能力と言って相違ない。
 例えば今回の事件には、市民の目からすれば初動から常に近衛軍団が関わり続けていた。無論のことカンパニーの襲撃事件当時にそもそも王宮近衛軍団の副団長が居合わせていたと言うのだから、事実としてそれは正しい。
 だが、当然それは偶然というわけではなかった。
 どちらに転ぶかは最終神王教団の動き次第ではあったものの、あの決算報告会の時点で何らかのアクションがあるように事前に餌として聖王遺物に関する情報を情報屋を通して小出しにし続けて様子をみていたのは、それこそがそもそもトーマスの策略であった。
 襲撃という形を誘発させてその実行犯を捕縛するのが狙いであるので、万が一のないようにホテルの内外に警戒用人員を配置しつつ、相手が賢く動いて襲撃がないというのであれば近衛軍団に近づき神王教団の様子を懐近くから探っていく。これが、トーマスがあの会の中で仕掛けた作戦であった。
 これは事前に撒いていた餌が見事に当たり、最も狙いを定めていた結果に落ち着いてはいる。しかし、シャールからすればどうしても歯痒さは隠せない。
 何しろ、市民の目からすれば今回の事件はほぼ丸ごとが『近衛軍団の手柄』で終わったからだ。
 道行けば世間はどこもかしこも近衛軍団による一夜の魔物討伐の話題で持ちきりだし、それに伴い気がつけば教団に対する監視を以前より高めていたなどと軍団広報が後出しで言いだしたりしており、つまり今回の事件をあぶり出したのも自分たちだとアピールしにきているのだ。
 更には近年で教団向けに施行された幾つかの免税政策もあえて動きを活発化させてその動向の監視を云々などとのたまっている記事がメッサーナジャーナルにあったものだから、思わずシャールは皆が読む前に無意識に燃やしてしまったほどだ。
 この様にして、この五年間ピドナにて築かれてきたルートヴィッヒ政権と神王教団の蜜月は一夜にして幕を閉じた。
 そしてその代わりに大きく近衛軍団に近づいたのが、誰あろうカタリナカンパニーだ。これこそが、トーマスの狙いだった。
 今回の事件の発端となる彼らは当局の捜査に全面協力し、事件収束に大いに関わった。
 因みに例の魔物襲撃時に助けられたという神王教徒もカンパニーの人間であり、メッサーナジャーナルによればエメラルドの髪が特徴的な好青年だそうだ。

「・・・好青年、ねぇ。まぁ、ユリアンの関わった部分はほんと茶番そのものだけどね」

 丁度その記事を読んでいたのだろう。新聞に視線を落としていた顔を上げたエレンがシャールの言葉に続くと、クスクスとモニカの笑い声が部屋の隅から聞こえてきた。

「おいおい、そりゃーないよ。あれすっげー大変だったんだぞー?」

 思わずモニカの隣にいたユリアンが抗議の声をあげる。
 彼は近衛軍団が教団支部に乗り込む事を事前に察知し、こちらにとって有益な情報等が荒らされぬうちにとあらかじめ入信して間取りを把握していた館に侵入。そして幾つかの目星の中から、礼拝堂において秘密の通路の発見を果たした。
 その先で魔物にあったのも事実なのだが、これでもロアーヌの国家機構として精鋭が集まったプリンセスガードの一員として抜擢される程には腕に覚えのあるユリアンであり、ここはしっかりと応戦した。更には不思議な事に己の中に会得した覚えのない戦の術が次々と頭の中に湧き出で、それも駆使して魔物を次々に打ち倒し、館地下の探索を成し遂げたのだ。彼の肉体もまたトーマスと同じように、八つの光として目覚めていた。
 とどのつまり、近衛軍団が魔物と戦った場面など実は殆どないと言ってよかった。
 しかし彼らが道を戻ってきたユリアンが気付かぬ間に後ろから迫ってきた亡霊のような魔物に館の入り口で必死の思いで応戦したのは紛れもない事実なので、そこは評価に値するポイントだろう。

「そういえば、あの薄気味悪い呪術道具さー。ノーラ、あれなんだかわかった?」

 探索中に見つけたものを一部だけ持ち帰ったユリアンは、自分にはそれがなんなのか分からず、ノーラの元にそれを持ち込んだのだった。

「あぁ、わかったよ。あれはね、南方の魔石とも言われる宝石、魔女の瞳だよ。あともってきたローブも南の方で現地のシャーマンとやらが身に纏う、星くずのローブって代物みたいだね。まぁ・・・フェアリーが教えてくれたんだけどさ」

 ノーラが笑いながらそういうと、そばに控えていたフェアリーが小さく頷いた。

「・・・あれは、密林でアウナス術妖が扱うものと一緒なんです・・・だから分かりました。なんだかとても・・・不安です」

 フェアリーがそのような調子で俯くと、ノーラは彼女の頭を優しく撫でながら心配ないと励ます。
 するとそこに廊下の向こうから歩いてくる靴音が聞こえ、それは間も無く部屋の前で止まり、二度のノックを経て扉が開かれた。
 その場の皆が視線を向けた先に姿を見せたのは、トーマスだった。

「待たせてすみません。それでは、始めましょう」

 トーマスの言葉に直様頷いた一同は、既に執事が各々の好みに合わせて置き分けられたドリンクを目印に席についた。

 

 

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第五章・9 -待ち望んだ再会-

 

「・・・おい、一体どこに向かっている!?」

 やや焦りの見え隠れする声が車内から飛んだ。
 馬車に備え付けられた小さな窓の外に流れる景色が普段と違う事に気がついて車内の男が慌てて御者に声を掛けたのは、教団支部がある邸宅地区へと向かうはずの丘陵を何故か大きく西に外れた、ピドナ旧市街北の人気のなく寂れた広場に差し掛かったところであった。
 聞こえなかったのか男の言葉を数秒ほど無視した御者はあくまで無反応のまま馬車の速度を緩め、ついには広場の中央で停止する。

「おい、何故止まる! ここはどこだ!」

 いよいよ何かがおかしいと気づいた男が御者に怒鳴ると、そこで漸く男の言葉に気がついたように御者は後ろを振り返った。
 そしておもむろに懐から煙草を一本取り出し、マッチで火を付ける。
 小さな窓越しに煙が流れ、馬車内にまでその温海地方独特の香りのきついアロマが蔓延する。
 男の奇行に不審がる周囲をよそにその香りに大きく目を見開いたのは、車内中央に座っていた男だった。
 その顔を窓越しに確認した御者であるハーマンは、そのままにやりと笑って馬車を飛び降りた。
 それを追うように男と、それを追って車内の全員が逃れるように馬車から出てくる。するとその広場にはハーマンの他に一人、少女が立っていた。
 か細く、可憐な容姿の少女だ。男たちはこの少女を見たことがあった。つい先ほど、ピドナホテルの宴会場にこの姿があったのだ。少女はとても美しく印象的で、それが彼らの脳裏にもしっかり残っていた。
 少女はそのつぶらな瞳を数度瞬き、馬車から出た男たちの中の一人をじっと見つめている。
 その少女の隣に立って息と共にゆらゆらと揺れる煙を吐いたハーマンは、くわえ煙草のまま隣の少女に目線だけを向けた。

「おいフェアリー、間違いないか?」
「はい、間違いありません」

 フェアリーが即答する。
 彼女の返答に対して、そうか、とだけ短く答えたハーマンは、煙草を地面に落として火種を踏み潰しながら御者用のフード付き外陰を脱ぎ去った。
 深く皺が刻まれ片方の目を眼帯で覆われたその顔をみても、相対した男たちは不信そうな表情をするだけだ。その様子を気にする事なく、ハーマンは無造作に右手を前に突き出した。
 瞬間、ハーマンの足元から風が巻き起こり、突き出された右手へと収束していく。
 男たちはその段階で漸く身の危険を察知したが、彼らが体制を整えるよりも早く、ハーマンの術式が完成した。

「ふっ飛べ!」

 突き出された彼の右手から、明確な敵意が風圧の鏃と化して男たちを襲う。
 俗にウインドダートとも呼ばれるこの風の鏃は、地術の蒼龍に属する代表的な術式であり、術者の技量によって生成される層の数が全く異なる。ハーマンの放った術式は専門術者の其れには及ばないものの、一般人ならば正面から受けて立っていることは到底出来ないであろう程には鍛えられていた。
 そして幾重かに重ねられた風の矢に男たちが吹き飛ばされ馬車も横転する中、腕で顔面を覆っていたマクシムスからは何か白い霧のようなものが吹き飛ばされていった。

「・・・やはり」

 ハーマンの隣で風圧の余波に軽く腕を翳しながら状況を見守っていたフェアリーは、周囲が吹き飛ばされた中に一人残った男を見て、目を細めながらそう呟く。
 彼女の双眸が見つめる先に直前までそこにいたはずのマクシムスらしき人物は見当たらず、その代わりに黒色の地味なローブに全身を包んだ中肉中背の男が一人、顔面を腕で覆いながら小さく呻き声を上げていた。

「はん・・・てめぇも生きていやがったか、クソハイエナ野郎め。いや、カメレオン・・・だったか」

 化けの皮が取れ去り目の前に現れた中肉中背の男を見ながら、ハーマンは眉間の皺を寄せながらそう言った。
 その言葉にピクリと反応した男は、顔を覆っていた腕を下ろし、まじまじとハーマンを見つめる。

「てめぇ・・・何者だ? 何故その名前を知っている? なぜ俺の変化の術を見破れた・・・?」
「はっ・・・どうでもいいんだよ、んな事は。それよりな、お前にどうしても会いたいってやつがいてなぁ。ちっと会ってやってくれや」

 そういってハーマンが袖口から取り出した煙草に火を付けるのに合わせ、それに示し合わせたかのように、広場の奥から一人の剣士が歩いてきた。
 自慢だった頃には全く及ばないものの、この半年少々の旅路を経て随分伸びてきた銀髪を後ろに纏めて揺らしながらその場に現れたのは、誰あろうカタリナだった。
 その双眸はいつも通り鋭く静かで、だがしかし今は一度解き放たれれば全てを破壊し尽くしてしまいそうな殺意を湛え、黒いローブの男を見つめている。
 その姿をみたローブの男は、彼女と目があってしまった瞬間に背中を突き抜ける悪寒に襲われた。
 そして彼は悟った。自分はここで死ぬだろう、という事を。
 彼は射竦められたのだ。相手の持つ、圧倒的な力と、そして殺意に。
 男はその場を逃れようとはしなかった。いや、出来なかったという方が正しいだろう。生存本能が麻痺する程、彼は既に萎縮してしまっていたのだ。

「・・・お久しぶり、ね?」

 ガチャリ、と鞘の仕掛けが解かれて刀身を露わにした月下美人を片手に構え、言葉と共にカタリナは男の数メートル手前に立ち止まる。

「覚えているわ・・・あの夜、薄い月明かりに僅かに照らされたその姿を。私を謀り、我等がロアーヌ国宝マスカレイドを奪い去った薄汚いその手を。触れてはならぬ私の心の内に土足で踏み込んできた、その汚らしい顔を」

 カタリナの言葉は、男に届いていただろうか。全くの無反応でその場に立ち竦んだままの男は、唾を飲み込んだ。
 その様子を唯々無感情な瞳で見つめたカタリナは、斬りかかる素振りは見せずに剣を片手で弄びながら、男のすぐ横まで歩み寄った。

「・・・聖剣マスカレイドは、今何処に?」

 傍から見れば感情を読み取ることも難しい表情と声色だったが、しかし男には彼女の口から発せられる一言一言が心の臓を強く締め付けられるような威圧感で以て全身に重くのしかかる。
 意図せず呼吸は荒くなり、次に訪れた急激な喉の渇きに、男は再度唾を飲み込む。
 その間を横目に見つめていたカタリナは数秒ほどそうしていた後、薄っすらと目を細めた。

「今ここで答えれば、命までは奪わない。だが今ここで答えないのならば、お前が明日の朝日をみることはない」
「・・・ヒッ!?」

 カタリナから発せられる殺意に漸く生存本能が反応したのか、男は小さく悲鳴を絞り出すと一歩後ろにずり下がる。
 だが、そこで男は止められた。
 ほんの瞬く間に腰のレイピアを空いている手で引き抜いたカタリナが、そのまま躊躇う事なく男の左足の甲を貫きながら地面に突き刺したのだ。

「ぎゃああああぁぁ!!!??」

 みるみるうちに男が身につけていた布製の靴は赤黒く染まってゆき、激痛に男が叫びながら地面に倒れこむ。
 自らの足を貫いて地面に縫い付けているレイピアに縋りつこうともがくが、それを冷たく見下ろしたカタリナは更にレイピアを深く突き入れた。
 再び男が悲鳴を上げた後に呻いているとカタリナは男に向き直り、再度問いかけた。

「マスカレイドは、今何処に?」
「も、もうここにはない・・・! ナ・・・ナジュだ・・・神王の、塔に・・・」

 怯え切った様子の男は、流血も手伝ってか青白く生気の抜け落ちたような表情でそう言った。
 その言葉を聞いた瞬間、カタリナは徐にレイピアを地面から引き抜く。同時に男の短い悲鳴が聞こえたがそれは無視して血振りをしたレイピアと月下美人を鞘に収め、左手を軽く掲げる。
 すると物陰からポール、ユリアンの二人が現れた。

「憲兵に突き出す前に、尋問をお願い。知っている事は全部吐いてもらいましょう。私は・・・トーマスのところにいくわ」
「あいよー。危うく本当に殺しちまうかと思ったぜ」

 茫然自失といった様相の男を尻目にポールがそういうと、カタリナは酷く不機嫌そうな表情でそっぽを向いた。

「そんなことをしたって私の怒りは収まらないし・・・マスカレイドも返ってこないわ。だから今は殺さない。それだけよ」

 そういって最後に男を一瞥したカタリナは、足早にその場を去っていった。
 ポールとユリアンはその様子をみてお互いに肩を竦め、ポールが倒れこんでいる男の止血をしてやり、ユリアンはその他の伸びている男たちを一箇所に集め始めた。

「・・・これ全員?」
「・・・そうみたいだな。その悪趣味な赤珊瑚のピアスが、こいつらが真っ黒なことの証明よ」

 ハーマンがそう言うのを聞いてユリアンが男たちの耳に注目すると、確かに大小こそ違えど、皆が一様に赤珊瑚製のピアスを身につけていた。

「その悪趣味なのが、ジャッカル一味の証さ」
「・・・わかったよ。ってか手伝ってくれてもいいんだよ?」

 ユリアンの言葉にハーマンはギロリと視線を険しくしながら煙草をふかした。

「に、睨んでもダメだって。それこそほら、一人でモタモタしてて途中でこいつ等が起きちゃったら一大事だろ?」

 当然起こり得るであろうリスクをユリアンが真面目に手を動かしながら言うと、しばらく仏頂面のままであったハーマンも漸く煙草を消して、ユリアンの近くに束ねて置いてあった縄に手を伸ばした。

「・・・ったく、年寄りをこき使いやがって」
「いやいや、ハーマンはどう見ても労わってくれって顔じゃないっしょー」
「・・・ぶっ!」

 ハーマンとユリアンのやり取りに、男の止血を終えて縄をかけていたポールが思わず吹き出す。それがハーマンの気に障ったらしく、賊を縛った縄を持ったままポールに向き直って怒鳴り散らした。

「てめぇ今笑いやがったな!」

 その剣幕にポールが慌てて謝れば、今度はユリアンがまたしても一人で男たちを縄にかけなければならない現状を憂いで声をあげる。
 その様子を見ながらいつの間にか横転した馬車の上に腰掛けていたフェアリーは、一人クスクスと笑っているのであった。

 

 

「うーっす・・・あれ、旦那だけ? カタリナさんは?」

 太陽が彼方西方のデマンダ山脈に沈んでから幾分かした頃、漸く賊たちを憲兵へ引き渡し終えてハンス家に帰ってきたポールは、蓋を開けてみれば十数人にも及んだ大捕物の末に得られた幾つもの貴重な情報をいち早く知らせようと、一息つくのも後回しに先ずはトーマスの部屋へと直行した。
 しかし扉を開けてみれば当然そこに一緒にいるであろうと思われたカタリナの姿はそこにはなく、ただ部屋の主たるトーマスが一人静かに書を認めていたのだった。
 思わず声をあげながら部屋の中を見渡し、次いで首を傾げる。

「あぁ、ポールか。お疲れ様。カタリナ様は・・・所用で出かけているよ」

 ポールに視線を向けて微笑んだトーマスは静かにそういい、作業机を離れて部屋の中央に設置してあるソファに座り、自分の向いへの着座をポールに促した。
 ポールがそれに従って座ると、トーマスは執事に飲み物を頼んでから、早速今回の成果を聞きたいと口を開いた。

「いやー、そりゃもう大漁大漁よ。歴史の裏を垣間見たようだったぜ。まぁ・・・ちとミューズ様とかには刺激が強すぎるだろうが、な・・・」

 結論からいえば、ハーマンが予測したとおりに神王教団のピドナ支部は、ほぼ丸ごと海賊に牛耳られていた。
 ピドナ教長であるマクシムスの正体はやはり温海で悪名高い海賊ジャッカルという人物で、その過去を秘して十年ほど前に突然神王教団の本部があるナジュに現れ、神王教団に接触した。そして直後に起こったナジュ王国との戦にて頭角を表したのだという。その当時から既に部下たちと共に裏では様々な工作を行い、神王教団内での立場を確保していった。
 そしてある時、当時リブロフ軍総督であったルートヴィッヒに秘密裏に接触し、アルバート王亡き後に王位を狙っていた彼にピドナ侵攻を持ちかけたのだった。
 ナジュに君臨していたゲッシア朝ナジュ王国がハマール湖の戦いで神王教団に敗れた際、元々ナジュ王国と親交のあったことも手伝いルートヴィッヒはピドナの近衛軍団長クレメンスに倣って神王教団に対しては否定的な立ち位置にいた。
 しかし聖王の時代以前から栄えた国を滅ぼすほどの勢力を誇る神王教団を正面から相手取る戦力は当然リブロフ軍単体にはなく、かと言って征伐のためにピドナの王宮近衛軍団を巻き込めば、さらにクレメンスの立場が確固たるものになってしまう。それは、どうしてもルートヴィッヒには避けなければならない事項だった。
 その様な状況の中でマクシムスから接触を受けたルートヴィッヒは、それまでの態度を一変して神王教団のリブロフ領内活動に関する一切の規制を無くした。
 当然、その当時戦火を逃れてリブロフ領内に身を寄せていた王朝派の旧ナジュ王国民で構成された臨時自治体から猛抗議を受けることとなったが、ルートヴィッヒはそれを徹底的に無視した。更には怒り狂った王国の人間たちが起こす小規模の暴動を次々に武力制圧していき、その様な治安事情を背景に神王教団との関係値がリブロフには必要不可欠であるということをメッサーナに示したのだ。
 またマクシムスはルートヴィッヒのその様な変化に対する功績を神王教団教主ティベリウスに評価され、他の教団幹部を抑えてリブロフ教長となった。
 そうして急速に関係値を築きながら、五年前、遂にルートヴィッヒはピドナ侵攻を決行する。
 当時マイカン半島の最南端から奇襲さながらに電光石火の早さで上陸したリブロフ軍はピドナの南に広がる平原にて迎え撃った近衛軍団と交戦するも、クレメンスが指揮しシャールが先陣に立つ堅牢な陣形戦術を破ることができずに一度はトリオール海まで引くこととなった。
 だが、その直後に悲劇が起こる。

「・・・今回とっ捕まえたやつな、クレメンス=クラウディウス暗殺の実行犯だそうだ」

 今回捕縛することに成功したマクシムスに化けていた男は、五年前にクレメンスを暗殺した実行犯だった。

「・・・しかもあの野郎、よりにもよってシャールに化けてやりやがったらしい。最っ低の屑野郎だぜ」

 信頼する第一の部下の皮を被った暗殺者に命を奪われる瞬間、クレメンスの心中は如何なものであっただろうか。
 苦虫を噛み潰した様なポールの表情が物語るとおり、想像するのも悍ましい卑劣な方法により、クレメンスは命を落とした。
 そうして団長を失った近衛軍団は内部から瓦解し、いとも簡単にルートヴィッヒに制圧された。

「・・・なるほど、それは・・・ミューズ様やシャール様には伏せておこう」

 トーマスも視線を落とし、両の手を膝の上で落ち着かなさげに組み直しながら言った。
 それに黙って頷いたポールは、気を取り直す様に大きく一息つくと、用意された珈琲に口をつけた。

「とまぁこの辺まではいいとして、だ。問題は、こっからなのよ」

 こうしてピドナ上陸を果たしたルートヴィッヒが近衛軍団長となり王座にリーチをかけ、それと同時にマクシムスは教主の命を受けて神王教団ピドナ教長となった。
 そしてここから、いよいよマクシムスの本格的な野望が動き出したのだ。

「まず、内乱に乗じてレオナルド工房に祀られていた聖王の槍が盗まれた。勿論、マクシムス達の仕業だ。そしてあいつらはピドナ支部を本格的に設置すると、そこで表向きの布教活動を淡々とこなしながら、裏では各地に聖王遺物捜索のための人間を送り込み始めたらしい」

 世界各地には、聖王や魔王に纏わる様々な伝記が残されている。
 マクシムスはその様な伝記を片っ端から掻き集め、手当たり次第に現地に人を送り込んでいった。
 そうしてこの五年程で彼らは、最も星に近き場所に眠るとされる七星剣や歴代の聖職者たちに清められ続けたヤドリギ製の栄光の杖など、聖剣マスカレイドや聖王の槍以外にも幾つもの聖王遺物をその手中に収めていった。

「神王教団がそこまで必死になって聖王遺物を集めるのには、一体どんな理由が背景にあるというんだ?」

 トーマスがそう首を傾げると、ポールは不機嫌そうな表情で吐き捨てるように言った。

「そりゃ旦那、力が欲しいってだけよ。悪党どもの考えることは、どこでも一緒さ」

 キドラントの草原で教授から聞いた言葉が、ポールの脳裏に浮かび上がる。
 北のツヴァイク公が求めるという、ポドールイの伯爵が所有しているという噂の聖杯。そして今回の神王教団が集める、数多の聖王遺物の数々。
 その手に妖精の弓を預かっているポールだからこそ、わかるのだ。あの聖王遺物というものの一つ一つがもつ力は、世間が思う以上にとても強大であると。
 彼自身はまだ引き出せていないが、あの弓にだってとても大きな力が眠っている様に思う。それは勿論、聖王の槍やマスカレイドもそうなのであろう。
 その様な『兵器』を非合法にかき集めてすることなど、我欲による武力制圧以外にあるわけなどないのだ。

「となると気になるのは、それがマクシムス・・・いや、ジャッカルだけの行動なのか、それとも神王教団全体が関与しているのか、か。これはどう思う?」

 トーマスの問いかけに、今度はポールも腕を組み直しながら唸った。
 彼が改めて調べた限りでは、神王教団という組織自体は、よくある過激派の宗教団体の一つにしか見えなかったからだ。
 聖王記に記されたパウルスの予言の一節『後の世に三度死食あるべし。アビスの門開きて、邪悪なる者再び世に出んとす。又、一人の赤子、生き永らえん。光と闇、双方をその身の内に保つ者なり』を魔王を超え、聖王をも超えた神王の出現と読み取った教主ティベリウスは三度目の死蝕を経て自身の考えが正しいことを確信し、このメッサーナの地にて死蝕の翌年に発祥させたのが神王教団である。因みに経緯こそ違えど、この時期には幾つかその様な新興宗教団体が興ったことが確認されている。
 その後ピドナではクレメンスよりそれらの新興宗教が須く弾圧を受け消滅して行く中、ティベリウスは数年の後に難を逃れて本拠地をナジュに移した。ここでナジュを選んだのは、ティベリウスにとって賭けであった。
 当時ナジュ全域を支配していたゲッシア朝ナジュ王国は、長年の失政が続いて民の強い反感を買っていた。
 そんな折に突然訪れ自国民に神王とやらの出現を説くティベリウスと神王教団の信者達を、魔王の時代から何処にも頼らず自らの力で国を護ってきたナジュ王国は快く思わず、当然排除しにかかった。
 ここでティベリウスは王国に長きに渡り不満を抱いていた現地民らを説得し巻き込み、大規模な反乱を起こした。
 それがおおよそ十年前に起こったハマール湖の戦いであり、この戦でゲッシア朝ナジュ王国を逆に滅ぼした神王教団はナジュ王国の王宮跡地に本拠を構え、ハマール湖の戦いにて信者を爆発的に増やしたティベリウスはその地にて教団のシンボルとなる『神王の塔』の建設に取り掛かった。

「確かに死蝕以降に発祥した宗教団体のなかでは最も成功した異例の集団だが・・・ピドナに至るまでの一連の行動には、今回発覚したマクシムスの思惑の様な裏は潜んでいないように思えるんだよな。抑も元はピドナが本拠地だったのに、その時点では聖王の槍には手をつけていない。まぁ・・・それも計算のうちなのかもわからねぇけど、さ」

 そこまで言って珈琲を一口含んだポールは、因みに、と続けた。

「今回とっ捕まえた偽物ではなく本物のマクシムスは今、ナジュに行っているらしい。神王の塔の建設が最終段階に入ったことの視察ってことだが、ぶっちゃけタイミングが良すぎる。これは俺の勘に過ぎねぇんだけど、なんかきな臭いよな」

 そう言って一息ついたポールはもう一度珈琲を啜ると、改めて部屋の中を見渡した。

「・・・んで、カタリナさん遅いけど、どこ行ったんだ?」

 その問いを受けたトーマスは、彼にしては珍しく視線を窓の外に泳がせた後、肩を竦めながら言った。

「出掛けたよ。その・・・ナジュに」

 

 

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第五章・7 -決算報告会-

 

「これはこれはカタリナ社長。ご機嫌麗しゅう」
「・・・どうも」

 不本意ながらも最早若干着慣れた感のあるタイトなスーツに身を包んだカタリナがボーイに案内されるままにホテルの一室にはいると、中で待っていたフルブライト二十三世が表情も柔らかに両腕を軽く広げながら挨拶をしてきた。相変わらずな口調なので、反射的に彼女は少し身構えてしまう。

「やはり新聞の一面で拝見するより、現実の貴女は格別にお美しい。今日この会場に招かれたゲストの方々は、本当にラッキーだ」
「・・・」

 次いで出たその言葉にカタリナが心底嫌そうな顔をすると、それすら可笑しいのかフルブライト二十三世は頑なに笑顔を崩さぬまま、まずはカタリナに席を勧めた。
 そこは素直に従ってカタリナが腰掛けると、フルブライト二十三世は部屋の壁にかけられた時計を眺め、ふむ、と頷く。

「さて、今トーマス君は会場設営の最終確認を行っているはず。ですので其の間に私から、今日の会の流れを改めて説明しておきましょう」

 腰掛けたカタリナの目の前のテーブルの上に広げられた進行表の一番上を指差して説明を始めたフルブライト二十三世に、カタリナは一応聞き耳を立てる。
 カタリナ達がハーマンを連れてグレートアーチから戻ってきたのは、これよりつい三日ほど前の話であった。
 カタリナとしては最早その時点で直ぐにでも神王教団ピドナ支部に突撃して教団上層部連中を片っ端から確認したい気持ちであったが、矢張り機というものはしっかり狙うものらしい。
 しかもトーマスが言うには、機を狙う為に必要な環境というものが、まだ出来ていないというのである。

『極力此方が冷静に確認をしっかり出来、二の手を紡ぎやすく、且つ教団とルートヴィッヒの両方を同時に攻略していけるタイミングを作り、そこを狙うのが肝要です』

 それがつまりこの会の本懐であると、トーマスは言った。故に彼にそう言われて帰国からこの二日、今日にカンパニーの上半期決算報告会の表裏の趣旨と流れ、そしてこちらが事前に仕込み、流した情報によって会中に予測されるであろう幾つかの出来事についての対応をメンバー達で煮詰め合った。
 とはいえ矢張りそこはメインプランナーがトーマスであるが故、彼の提案に概ね乗っかる形でカタリナ達は動く事になっている。

(今回の彼の狙いは、二つ。第一の目的と、または同時に攻略の可能性を秘めている第二の目的。これはどちらに転んだって私たちには間違いなく有益・・・。大なり小なり事を進展させることは間違いないわ・・・。しかしこういうのって本当、トーマスだから考えられるものよね・・・私では逆立ちしたってこんな風には思いつかないわ・・・)

 トーマスの考えた今回の会の趣旨は、狙いのどこまでを実現させたとしても益となる、実に今後を見据えた堅実且つ大胆なものであった。彼女らがグレートアーチに情報を探索しに行っている間にも彼はこのピドナ中に彼の思惑通りの様々な情報を流布してその影響をリサーチし、その結果に今日という日を用意した。
 帰ってきてからそんな彼を目の当たりにして、つくづく自分は言われた通りに体を動かすくらいしかできる事がないのだなと、カタリナは勝手に少々気落ちしてしまった程である。

「・・・以上が今日の、ざっくりとした流れです。なにかここまででご質問はありますか?」
「・・・いいえ」

 フルブライト二十三世の最後の確認に、全くの上の空であったカタリナはすぐさま返答をした。
 それでも問題はない。昨夜も寝る直前に何度目になるか分からない確認を、とうに済ませてあるのだから。カタリナ自身の挨拶からカンパニー略歴、業績報告、今後の展望とその一例、協賛各社ご紹介(サプライズゲスト、フルブライト二十三世の挨拶)、そして閉会からの宴席・・・と、今日の予定は暗唱できるほど頭の中にしっかり入っている。
 因みにフルブライト二十三世は今回の会の表向きの趣旨のみを理解しており、その為に昨日夜にピドナに渡航してきたのだった。
 元はと言えば今回の決算報告会というイベント自体も、フルブライト二十三世の提案が発端であったのだという。

「それならば、進行自体は心配なさそうだね。あとは皆様が企んでおられる内容については、少なくとも会中はどうか穏便に運んでくださいね。私はノータッチなので」

 流石に彼は彼なりに何かしらを察しているようだが、かといって関わる気はないようだ。恐らく、そこまで関わったところで彼に利があまりないからであろう。カタリナとしても形だけでも社長なんてものをしていると、商売人がどういった判断基準で最終的に動くのかなどというものが、なんとはなしにわかってくる。

「さて、これは・・・少し予定を早めて開場ですかね。来賓の方々は、大半が既にロビーにお集まりのようだ。流石は今期注目度ナンバーワン企業の決算報告会、といったところかなぁ、ふふふ」

 扉を少しだけ開いて外の様子を伺いながら、フルブライト二十三世はニヤリと笑った。その表情が余りにも堂に入っているものだから、カタリナはやれやれと肩を竦めた。これではまるで、彼が黒幕だ。
 するとそこへ、彼の予測を裏切らない知らせを持ってトーマスが入ってきた。

「これ以上ロビーにお待たせするのは難しいですね。会場も設営オーケーですので、十五分巻きですがオープンしましょう。カタリナ様は此方へ。フルブライト様は後ほどホテルの者が裏から舞台袖の扉までご誘導致します」
「あぁ、わかったよ。それではカタリナ社長、後ほどゆっくり語らいましょう」

 そう言ってにこやかに見送るフルブライト二十三世を背に、カタリナとトーマスは部屋をあとにする。
 部屋を出ると直ぐ様トーマスは会場入口にて名簿を管理いていたサラに駆け寄って声をかけ、次いで控えていたホテルの黒服に開場の旨を伝えた。
 そして間も無く会場の扉が大きく開かれると、ロビーにいた大勢の来賓客が続々と中へと入っていく。
 その様子を見ながらカタリナは足早にロビーの端にある階段へと向かい、会場へと流れていく来賓客を横目に登った。その先は三階層分か吹き抜けとなっており、カタリナは丁度ロビーを上から見下ろせる位置にある手摺に佇んでいたダンディーなスーツに大きめのハットを被っている二人組に近寄った。
 お互いが談笑するような仕草をしながらも常にそこから階下のロビーを眼光鋭く観察していたのは、普段の格好からは想像もできないのだが、ハリードとハーマンであった。

「・・・どう?」

 近付くカタリナの気配を既に察知していた二人は、そう言って彼らの後ろにあるソファに座ったカタリナの言葉に、視線は向けずに答えた。

「近衛軍団からの来賓がさっき数人通ったがな・・・その筆頭は、ありゃあ副団長のマルセロだ。ルートヴィッヒの子飼の中では、かなりの古株だな。随分大御所が出てきたもんだよ」
「成る程ね・・・そうなれば、カンパニーは近衛軍団からの注目度も上々、と判断して良さそうね」

 ハリードの言葉にカタリナがその背中へ答えると、次にハーマンが口を開いた。

「まだ教団っぽい連中ってのは通ってねぇな。とっとと通りやがれってんだ。この格好、胸糞悪くてしょうがねぇんだよ」
「ふふ・・・似合ってるわよ」

 可笑しそうに笑いながらのカタリナの言葉に益々不機嫌な表情になるハーマンであったが、しかしその直後、ロビーに向けられていた彼の目が鋭く細められた。
 それにいち早く気付いたハリードがさり気なく彼の視線を追うと、その視線の先では濃いめの青緑色をしたローブを身に纏った五、六人の集団が、それ様に特別に設えられた事の一目でわかるたいそう立派な作りの馬車を降りてホテルのエントランスへと現れたところであった。
 集団はその殆ど全員が頭までローブを被っており、ハーマン等の位置からではその顔までは分からない。
 しかしその中で一人だけ顔を出している人物がおり、位置関係からしてその人間があの集団の中で最も位の高いことが伺えた。
 相変わらず義足とは思えぬ機敏な動きでその場から歩き出したハーマンは、先ほどカタリナが登ってきた階段を下り、降りた位置のすぐ脇に置かれた灰皿の前に立った。そして、スーツの内ポケットから普段とは違うピドナで流行りの銘柄の煙草に火をつける。そしてゆっくりと味わう様に煙をふかしながら、紫煙の向こうを横切って行くローブの集団を眺めた。
 その間は、ほんの数秒だった。そのまま何事もなくローブの集団はハーマンの前を素通りし、彼らは恭しくお辞儀をする受付のサラに名乗りを上げた。

「これはこれは・・・まさかマクシムス様にご来場頂けるとは、光栄で御座います」
「我々の教義では商業の発展を促す故、御社のようなこの地で成長目覚ましい企業の空気を是非、肌で感じたいと思いましてね」

 サラの隣に立っていたトーマスが教団の面々に対してそう挨拶しているのを聞き届けると、ハーマンはもう一口だけ煙草を吸ってから物足りなさそうな顔で火種を潰し、ゆっくりとした足取りで再び階段を登っていった。
 丁度そこではカタリナが頃合いを見て会場に向かおうとソファを立ったところであった。
 そのすれ違いざま、ハーマンがカタリナに耳打ちをする。

「どういうことかはわからねぇ。だが間違いねぇ。あのマクシムスって野郎、ジャッカルだ」
「・・・!?」

 突然囁かれたその言葉にカタリナは立ち止まり、一歩遅れて眉を顰めて返した。

「ジャッカルって、海賊ジャッカル本人?」
「あぁ、そうだ。あんな汚ねぇ顔は絶対忘れねぇ。あんとき首根っこをかっ切ってやったのに、生きてやがった。こりゃ間違いなく神王教団は、黒だ。あいつがいてマトモな場所であるわけねぇ」

 神王教団幹部たちが通り過ぎていった通路を不機嫌そうに眼光鋭く見下ろしながら、懐から取り出したいつもの煙草に火を付けるハーマン。
 カタリナもそんな彼と通路を交互に見ながら、この後の一手をどうするべきか、考えていた。

 

 

「以上を持ちまして、第一上半期決算報告会を終了とさせていただきます。この後引き続き、すぐ上の階の会場にてささやかながら宴席のご用意がございますので、どうぞお時間の許す限りお楽しみください」

 トーマスが壇上からそう言い終わって軽く一礼をすると、会場の扉が開け放たれ、ボーイ達が来賓客を宴席会場へと誘導し始める。
 それを確認してカンパニーの面々が壇上から降りるとカタリナとトーマス、そしてフルブライトは一気に来賓に囲まれ、業績に対する賛辞を惜しみなく浴びた。
 その三人が揉みくちゃにされて動けないでいる間にそそくさとその人ごみを抜けてきたサラは、会場の隅で佇んでいるフェアリーの様子が少し変なことに気がつき、近寄った。
 淡いピンク色のワンピース姿に勿論フラワースカーフを付けているので周囲には相変わらず人間の少女としてしか写っていないが、その可憐極まる容姿は会場内でも視線を集めずにはいなかった。
 それで気分でも害したのだろうかと、少々心配になったのだ。

「大丈夫?」

 サラが声を掛けると、フェアリーはつぶらな瞳を何度か瞬いて、サラを横目で見た。

「はい、大丈夫です。ただ、会場内に一人、おかしな人がいるんです」
「・・・おかしな人?」

 フェアリーのその言葉に小さく首をかしげたサラは、どうやら二人の様子が気になって近寄ってきたらしいエレンを視線で確認し、その到着を待ってから再度口を開いた。

「お姉ちゃん。フェアリーが、会場内に一人不審な人がいるって。まだいる?」

 エレンも何事かと少し目を細めながらさり気なく会場内に視線を走らせた横で、フェアリーは微かに頷いた。

「はい。あの人です」

 指差すわけでもなく視線だけでフェアリーが方角を示し、二人がそれを追う。すると、その先には神王教団の面々が会場を移動しようと立ち上がったところであった。

「・・・あの中の、誰?」

 エレンがそれとなく確認しながら尋ねると、フェアリーも合わせて周囲に悟られない様に努めながら言葉を続ける。

「真ん中の、一人だけフードを被っていない人です」
「・・・神王教団ピドナ教長のマクシムス、って人だね」

 受付をしていたサラは顔も名前も覚えていたので小さくそう言い、しかし不思議そうに首を傾げた。
 一見して何処と無く取っ付き辛そうな強面ではあるが、そういう特徴以外には見る限り妙なところなど彼女には見当たらなかったからだ。
 それは彼女の姉も同じ様で、ふぅむと唸ってはみたものの、矢張り違和感を認識出来ないでいた。
 そんな二人の様子をみたフェアリーもまた首を傾げたが、確かに彼女の瞳には、他にはない明らかな違和感が映り込んでいる。

「あたしには分からないわ。何が変なの?」

 エレンが小声で素直にそう言うと、フェアリーは少し目を細めてみながら再度注視した。

「・・・体の周りに妙なモヤモヤがあって、全身が霞んで見えます。これが私だけに見えているのだとしたら・・・何らかの法術的要素か、精霊等の力が関わっている可能性があります」
「うーん、多分そうみたいね。私には見えない。兎に角これは、トムやカタリナ様達に伝えよう」

 サラがそういいながら軽く頷くと、エレンもそれに倣って頷いた。
 フェアリーがそれに相槌を打ってからカタリナ達のいる方に視線を向けると、彼女らは来賓に囲まれながらゆっくりと歩き出そうというところであった。
 その流れに合わせ、三人もすぐ上の階へと移動を始めた。

 

 

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第五章・5 -手掛かりを求めて-

 

 連なる見事な鍾乳洞を伝い、今まさに重力に導かれるままに滴り落ちた水が作る波紋が、岩の隙間からしんしんと湧き出る泉に広がる。
 そうして長い年月を経て洞内に溜まった其処彼処の水溜りの幾つかには、窮屈そうにしながら小さな魚達が泳ぎ回っていた。
 その名の示す通りに大きなアーチ状の地形をしているここ南国グレートアーチ半島には、この様な天然洞窟が複数箇所に渡って存在する。
 それらの天然洞窟は大小の差も様々で其々に特色もあり、そのうちのいくつかは人の手が入って観光名所的に知名度があったりなどもした。
 だが今現在ハリード達がいる洞窟は人が頻繁に出入りした様な形跡がなく、しかし妙に道らしい道が随所で削り出されているという、なんとも奇妙な様子の場所であった。
 抑も侵入の仕方からして一般的な様子がなく、サウスビーチから随分離れた場所に広がる切り立つ崖の下、そこの潮が引いた時にだけ現れる小さな入り口に小舟で侵入するという具合だったのだ。
 エレンなどはすっかりこの風情に感極まった様子で驚嘆し、松明を片手に意気揚々と先頭を歩きながら周囲を物珍しげに見渡している。
 それに続くハリードは、張り切るエレンの背中を見守りながらも注意深く辺りを観察していた。
 そして更にそのすぐ後ろには、義足の片足をなんのハンデとも感じぬ様子で悠々と二人について行くハーマンの姿があった。

「・・・左は何もないぜ。右に進みな」

 何度目か、分かれ道に到達するたびに背中から飛んでくるハーマンのナビに沿ってエレンは素直に分岐を右に折れた。
 松明に照らされた洞内は先が見えずかなり広いようだが、こうして一行はハーマンの指示に従って奥へ奥へと進んでいたのだ。

「・・・で、回収したいものってのはなんなんだ。その様子じゃあ、オーラムじゃないんだろう? いい加減教えてくれてもいいんじゃないか?」

 道すがらで、なんとゆうに千を超えるオーラムを宝箱から回収したハリードは、これはグレートアーチの洞窟探索が冒険者に人気なのもわかるとほくそ笑みながらハーマンに聞いてみた。

「・・・まだ先だ。黙って進みな」

 対するハーマンは仏頂面を隠しもせず、それだけ言って黙ってしまう。
 その様子にもなんら気を揉むことなく、ハリードはふんと鼻を鳴らしただけで前に向き直る。
 こうして彼ら三人がこの洞窟に入ってから、一時間程が経とうとしていた。

 事の発端は、宣言通りにハリードと会った日の翌々日、昼前にホテルバランタインに訪れたハーマンだ。
 彼はフロントでハリードを呼びつけるや否や、開口一番に南の洞窟に行くから付き合えと言い出した。一昨日の夜に口にした「回収したいもの」がそこにあるから、だそうだ。
 昨日のうちに潮の引き時間を目視で推測したらしいハーマンは、今からいけば入れる、等とその時点では意味の通じぬ言葉でハリードを急かした。
 そこに丁度通り掛かったエレンが二人の会話に興味を示し、カフェで特大サンドウィッチのお弁当を用意してついてきた、というのがここまでのあらすじとなる。

「っと、こいつもとっておかねぇとな」

 突然大岩の隙間に入り込んで岩陰の目立たない場所に無造作においてあった質素な箱に歩み寄ったハーマンは、乱暴に蓋を蹴り開けてその中から一振りの荒々しい形状の斧を取り出した。

「わ、かっこいい!それなんていうやつなの?」

 斧を得物とするエレンはそれを後ろから覗き込みつつ、取り出された斧の珍しい形状に声をあげた。

「こいつか? こいつはな、バイキングアクスさ。お前のグレートアクスよか小振りの片手斧だが、手練れが使えば横薙ぎ一発でロングシップはおろか、キャラベルのマストすら両断出来るんだぜ」
「へぇ、凄い!」

 恐らく船の名前なのだろうということくらいしか彼女には分からなかったが、兎に角凄そうだったのでエレンは思ったままに口にした。
 わりかし素直なその反応にハーマンは気を良くしたか、そこからは自らが先陣を切って洞窟内を苦労無く進んで行く。
 あまりに義足であることを感じさせないその動きにハリードが只々感心しながら眺めていると、流石にジロジロと見過ぎたのか、ハーマンがただでさえ皺だらけな眉間にさらなる皺を寄せて睨み返してくる。

「なんだ、戦人が義足を珍しがるんじゃねぇよ」
「・・・長靴履いてりゃ、あんた、義足とも思われないだろ。だから珍しがるのさ」

 ハリードのその答えにハーマンはもう一度だけ眉間に皺を寄せたが、悪態をつくでもなく無言で前に向き直った。
 そのまま平然と崩れた道の向こう側へと飛び移り、最早持っていることに意味があるのか分からない杖を肩に乗せながら、煙草に火をつける。

「まだな、俺の左足はあんだよ」

 たゆたう煙と共にぽつりと呟かれたその言葉に、今度はハリードが足元の水たまりを踏み抜きながら眉間に皺を寄せる。
 水が跳ねたと怒っているエレンを無視して歩き続けていくと、大きく開けた洞内の地底湖に差し掛かったところで、ハーマンが岩でできた三メートルほどの段差を見上げながら、再度ぽつりと呟く。

「感覚がな、あんのさ。だから俺の左足はまだ、ある。一番回収してえのはそれなんだが、そのためには恐らくあいつが必要でな」

 段差の間にあった岩をくり抜かれて作られた階段を登ると、そこには松明の明かりを浴びて妖しく光り輝く、荒々しくも見事な削り出しをされた黄金色のイルカの像がおもむろに置かれていた。
 それにハーマンが無造作に手を延ばした、その瞬間。
 前触れなく天井からシュルシュルという耳障りな空気の摩擦音と共に、巨大な蛇が落下しながら彼に襲いかかった。

「・・・!」

 同時にエレンとハリード達の背後からこちらも大きな両棲類と軟体動物が突如として現れ、三人を囲むように陣取る。
 だが、ハーマンはゆらりと姿勢を直しただけで先ほどと変わらぬ緩慢な動作のまま、イルカ像を手にとった。
 一方でハーマンに襲いかかったはずの大蛇は、それに合わせるかのように一瞬身を引き、牽制するように彼の様子を伺う。

「そういやこんな仕掛けもしてたな。こいつ等は三竦みだ。この状態じゃあなんにもできねぇ、単なる脅しよ」

 イルカ像を乱暴に麻袋に突っ込むと、ハーマンは先ほど回収したバイキングアクスではなく手持ちの杖を構えながらニヤリと笑った。

「三竦みだが、どれかの個体にプレッシャーをかけるか、均衡が崩れるか。其の何れかで、容赦なく襲いかかってくる。一噛みされたら御陀仏だぜ。熱帯の奴らは総じて毒性が高いからな。一撃で仕留めろ」

 まるで子供に言い聞かせるように気楽な口調でそれだけ言い、ハーマンは腰を低くする。
 それに合わせてハリードが無言でカムシーンを自らの視線の高さで水平に構え、エレンはグレートアクスを肩に乗せて誰よりも低く腰を落とした。

「多分あたしの打撃が一番遅い。タイミングは任したわ・・・!」

 それぞれに対峙した状態で背後の二人に向けて小さくそう言ったエレンは、岩肌を踏み抜かんばかりに強烈な一歩だけを踏み出すと、足場の悪さも気にせずに高らかに飛び上がった。
 それに合わせて彼女の高度を確認し、次にハリードが動く。これまた滑りやすい足場を巧く駆け、エレンの大上段の振り下ろしに合わせて目の前でうねる巨大な軟体動物に迫る。
 その両者の斬撃が息もぴったりに其々の標的に食い込まんとする正にその刹那、ここで漸くハーマンが手持ちの杖の柄を握った。
 そして凄まじい衝撃音と共にエレンの振り下ろしたグレートアクスが標的となった両棲類を真っ二つに斬り飛ばすのと、疾風の如く駆け抜けざまに数多の斬撃を相手に一瞬で叩き込んだハリードの急停止が重なる。
 そしてその攻勢を終えた両者の視界の隅には、三竦みの均衡が解かれ猛り狂って目の前のハーマンに襲い掛かる大蛇の姿が掠めた。
 だが大蛇はハリード等が振り向くより前に突然その軌道を変え、斜め上空に飛んだ。
 その首から、数十センチだけを。
 大きく放物線を描いた大蛇の首はエレンの手元へと狙い澄ましたかのように飛び込み、思いの外可愛らしい甲高い悲鳴を上げた彼女の豪快な戦斧のスイングによって彼方へと吹っ飛ばされた。

「はん・・・道理で変な音がしやがると思ったぜ。そいつはやっぱ仕込み刀か」

 ハーマンが右手に携えた細い刀を見て、ハリードがニヤリと笑いながら言った。
 一見して杖のように見えていたハーマンの得物は、柄の部分から内部に刀を秘めた暗器だったのだ。

「ふん。お前はあの桟橋から気付いていたな。つくづく、ただの傭兵なんざ笑えねぇ冗談だ」

 何が面白いのか、ハーマンはハリードの言葉ににやりと笑ってそう返すと、ゆっくりと刀を収めて二人に振り返った。
 一人事情がわからないという表情のエレンを置き去りに、男二人はその後に目線だけで会話をして再び歩き出す。

「っと、ちょいと急いでここを出ねぇと不味いぞ。これ以上潮が満ち始めたら、この辺にいるとあっという間に魚の餌だぜ」

 先ほどよりも明らかに水位を増している地底湖の水面を覗き込みながら、ハーマンが二人に声をかける。

「こっちから崖の上に出る道がある。いくぞ」

 相変わらず義足だと言う事を忘れさせる足取りで軽やかにハーマンが岩を跳び移っていくのを追いかけ、ハリードたちは洞窟を後にした。

 

 

 ハリード達の財宝探しより数日が経った後、遂にカタリナと彼等は合流を果たした。
 心なしか全体的にボロッとした印象になっていたグレートアーチ到着直後のカタリナをビーチで見つけたエレンが周囲の視線をものともせずに大絶叫しながらカタリナに飛びつくと、存外呆気なくエレンに押し倒されたカタリナは、はにかみ笑いをしながら心配をかけた事を素直に謝った。
 そのままの姿勢で自分の後ろで二人を見つめて微笑ましく佇んでいるフェアリーを簡単に紹介すると、これまたエレンは驚きの声をあげながらフェアリーにまとわり付いた。
 そしてそのままの勢いでホテルバランタインに案内されたカタリナは、そこにいたハリードやポールと顔を合わせ、此方でもフェアリーを紹介しながら、あの嵐の夜に大海原に投げ出されてからの経緯を手短に語った。
 それはあまりに現実離れした体験談だったが、その確固たる生き証人としてフェアリーがここにいる事、そして神々しき月下美人の刀身をこっそりとその場で拝見した一同は、納得する以外の術を持たなかった。

「こっちもカタリナさんの合流を首を長くして待ってたんだ。ちゃんとあの手紙も受け取って、件の人物とコンタクトもとってある」

 ポールがカタリナを労いながらそう言うと、カタリナは三人の働きに感謝しつつ、しかし先ずは切実にまともなご飯と風呂を求めた。

 

 夕刻。なだらかな山間に沈む緋色の夕日を背に相変わらずサウスビーチの桟橋に立って海を見つめていたハーマンを確認したカタリナは、その姿を見て一瞬目を細め、ゆっくりと近づいていった。
 その気配に気がついてハーマンが振り向き、カタリナとハーマンは数歩の間をとって対峙する。
 その場まで案内をしてきたハリードは、彼女らの少し後ろでそれを見守っていた。

「・・・お前が俺を指名した依頼人とやらか。随分遅れてのご登場だな」

 カタリナとハリードを交互に見てから事情を察知したハーマンは、随分と斜に構えながら値踏みする様にカタリナを眺め、くわえ煙草で口を開く。
 それに対してカタリナは直立不動でハーマンを見返し、やがて肩を竦めて後方を指し示した。

「ハリードに、近くに座れるところがあると伺いました。 立ち話もなんですから、宜しければそちらで話を致しましょう」

 しかしその言葉にはぶすっとした表情でハーマンが動かずにいると、カタリナはそれを何等気に揉むことなく再度催促をする。それにややあってハーマンが渋々応え、三人はそのまま以前にハリードが案内されたハーマンの行きつけと思われる場末の酒場へと足を運んだ。

 

 恐らく直す気もないのだろうことが伺える崩れ気味の扉を開けて店内にはいると、マスターが愛想のかけらもない無言の視線で迎え入れる。
 珍しくその目線がすこし細められたのは、どうにもこの場に似つかわしく無い風体の女が客の中に一人いたからだろうか。
 ガタガタと揺れるすわりの悪い円形テーブルに腰掛けた三人は、ハーマンがおもむろに注文を飛ばすまで暫し無言で相対した。

「では改めて。初めまして、ハーマンさん。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランと申します」

 どこか取っ付きづらさを感じるカタリナのその名乗りに、ハーマンは煙草に火を付けながらふんと鼻を鳴らした。

「ロアーヌ、か。そんな遠方の国の騎士様が、こんなとこまでわざわざご苦労な事だ。そりゃあ到着も遅れるわけだな」

 程なくして運ばれて来たグラスに手を付けながらハーマンがそう言うと、カタリナは面倒な事情をこの場で話すのも躊躇われ、無言でその様に理解してもらう事にした。

「それがどうあれ、先に別の人間を寄越した非礼は詫びます。申し訳ありませんでした。して、凡その話は既にハリードから聞いているかと思いますが」
「俺はお前に会ったことなんざねぇが、何故お前は俺を知っていて、尚且つ指名した? その目的はなんだ? それがまず分からねえ」

 カタリナの言葉を遮るように声を重ねたハーマンは、申し訳程度に設えられた燭台越しに遠慮なく睨みを効かせながらカタリナを見た。
 その視線にたっぷり十秒弱程も真正面から無言で応えたカタリナは、やがて自分の目の前に置かれたグラスで唇を軽く潤してから、何故か決まり悪そうにぽりぽりと頭を掻いた。

「私の今の目的は、ピドナの神王教団幹部の正体を暴くこと。奴らが海賊ジャッカル一味の残党だという可能性が上がったので、暴くにはそのあたりの情報に精通した人物が必要だと判断したのです。そして貴方を指名した理由は・・・ある人物に、紹介されたからです」
「紹介だぁ・・・?」

 怪訝な表情でハーマンが聞き返すとカタリナはこくりと頷き、そのまま言葉を続けるかと思いきや、ややあってから手に持っていたグラスの中身を一気に飲み干した。

「・・・はぁ、やめやめ。堅苦しい喋りじゃ話が進まないわ」
「・・・は、なんだ、粋な飲み方もできるじゃねえか。その方が助かるね」

 ハリードがやれやれと言った様子でグラスに手をつけるのに気が付いてかおらずか、カタリナはふんと一息鼻を鳴らしてから再度口を開いた。

「寧ろそれは私が聞きたいくらい。貴方を紹介してきたのは流れの聖王記詠みだったのだけど、そういったのは貴方の知り合いにいるかしら?」
「聖王記詠み? 歌好きは何人も知っちゃいるが、そんなつまらん歌を好むやつはしらねぇな」 
「・・・でしょうね。そんな顔してるもの」
「・・・あぁん?そりゃどういう意味だ?」

 褒めたのよ、と言って新しくドリンクを注文したカタリナに、どこか釈然としないといった表情のハーマンもグラスを空けて続く。
 そしてドリンクが運ばれてくるまでの間に無駄だろうとは思いつつも一縷の望みを込めて手短に詩人の特徴を話して聞かせ、覚えがないかを再度問うた。

「・・・やっぱ知らねぇな」

 全く以て予想通りの応えにカタリナが隠さずに落胆すると、ハーマンは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。

「・・・どっちかっていうと俺の方が気持ち悪りぃぜ。知らねぇ奴からピタリと特徴を言い当てられて紹介されるなんざ、よ」

 確かにそれはそうでしょうねと同意したカタリナは、うーんと唸りながら肩を竦めてため息をついた。

「・・・まぁ、知らないのならこれ以上そこについて話すのはよしましょう。それより本題が優先だもの。まぁそんな訳で貴方のことを私は知らないで探してみたんだけど、実際ホントにジャッカルのことについては詳しいの?」
「・・・おめぇはもう少しばかり言葉遣いが堅苦しい方が、可愛げがあるな」

 ブスッとした表情でハーマンがそう返すと、グラスを傾けながら余計なお世話だとカタリナが眉を顰める。

「詳しいも何も、俺はジャッカル一味を実際に見たことがあるからな」
「本当に!?」
「あぁ。だが抑も、まだ協力するなんて俺は言ってねぇ。その前に確認したいことが残っているんだ。その答え次第じゃあ、お前の案件に乗ってやってもいい」

 こちらの出方をからかい半分に窺うようでいて、しかしハーマンの口調にはどこにも遊びがない。そんな空気を感じたカタリナは、続きをどうぞと促してグラスを傾けた。

「・・・そこの男から聞いたが、そのピドナの神王教団の正体を暴く目的の一つに、聖王遺物があるらしいな?」

 ハリードのことをちらりと見ながらハーマンが確認するように聞くと、カタリナは素直に頷いた。
 それを瞬き一つせずに確認したハーマンは煙草の煙を吐き出しながら、まるで脅しつけるような眼つきで言葉を続けた。

「お前はその聖王遺物で、四魔貴族に喧嘩を売るつもりなのか?」
「・・・」

 酔いもそれほど回っていない状態で真顔で聞くには本来あまりに突拍子のない冗談のような問いかけだろうが、その質問を向けられたカタリナにとってはそれこそジョークの類などではなく、腰を据えて考えねばならない事柄だ。
 恐らくその情報の一端を喋ったのであろうハリードをちらりと見てから、次にカタリナは目の前の男がこの質問をしてきた真意を探るようにその表情を読み取ろうとしながら口を開いた。

「・・・あら、聖王記がお好き? 私も十二将を率いての討伐の行は胸踊らせて読み耽ったものだけど、流石に」
「茶化すんじゃねえよ」

 速攻で遮られる。
 続く言葉を飲み込んだカタリナの前でハーマンは煙草の煙を燻らせながら、すっと目を細めた。

「此間ハリードに言われてから思い出したが、何ヶ月か前にピドナで起こったっつう『予兆』・・・とんでもねぇ瘴気にピドナ市街が覆われたとかいう謎の怪奇現象・・・。お前、それに関わっているな?」

 内心でどきりとしながら、カタリナはまじまじとハーマンを見返した。まさかあの時の事が遠くグレートアーチにまでこうして伝わっていようとは思わなかったのだ。
 その思考が表情で伝わってしまったのか、ハーマンはどこか確信したような表情をしながら、より迫るような口調で言葉を続けた。

「ピドナの魔王殿には、魔戦士公アラケスの守護するアビスゲートがあると言われてるな。お前が単騎で喧嘩を挑んだっつーのは、アラケスなんだな?」

 聞いてはいるもののまるで答えがわかっているかのように、ハーマンはカタリナが答えるより先に立て続けに質問を重ねてくる。
 そしてハーマンの口が閉じられてからほんの数秒、漂う紫煙と共に僅かな沈黙が場に訪れた。その間に幾つかの切り返しを頭の中で模索したカタリナだったが、最早これ以上の様子見や余計な探りは無意味であろうと判断し、ため息一つの後に素直に頷くことにした。

「・・・ええ。その通りよ。その確認が、今回の案件に関わること?」

 ハーマンの瞳から彼の思惑を覗き込むように、答えて反応を待つ。
 だがギラつく生気の塊のような彼の目からは、カタリナにはなにも読み取ることが出来ない。

「・・・お前は理解してんのか?聖王遺物そのものや、それに関わるものに手を出すことの意味が」

 その言葉に、カタリナは数度目を瞬く。
 無論の事、その言葉の意味が分からないわけではない。なにしろ聖王遺物に関わるという状態が引き起こした事件は彼女の身の回りでは、それこそ嫌という程起きている。
 だがそれを指摘出来る人物というのは、同じくそれらに関わったものだけのはずだ。だとすれば、目の前のこの男はつまりそれだという事なのか。
 しかし仮にそうだとして、である。それを知る人間が聖王遺物に関わろうとするような内容の案件に対して、その関わりの深さ如何を以て参画の是非を決める判断材料とすることの真意とは、どこにあるのだろうか。

「・・・意味は分かるし、実際に恐怖・・・そうね、それに対する恐怖もあるわ。ただ、その恐怖に駆られて顔を背けていても・・・逃れられるものでも、過ぎ去ってくれるものでもないもの。だから、今回の案件における聖王遺物の取得という項目は、後に起こり得るそれらの事態への対策としても重要だと考えているわ」

 実際のところはそこ迄先の話を具体的に考えているわけではないが、これは抑も考える迄もなくそうなってしまうのだろうなと、ある種の予測が彼女の中にはあった。
 何しろ、アラケスが自分を殺さなかったことから妖精族の長にアウナス討伐を依頼されたことまで、彼女がそう感じるに至った経緯はこれまでにも枚挙に暇がないのだ。

「なので喧嘩云々に対する返答としては、その可能性を完全否定はしない・・・ってところ。今はそれ以上は言えないわ」

 膝の上で手を組みながらカタリナがそう述べると、ハーマンは瞬き一つせずに紫煙を周囲にまき散らし、そして半分ほど灰と化した煙草を床に落として踏みつけた。

「・・・いいだろう。付き合ってやる」

 一端それだけを言うと、ハーマンはグラスを空にしてゆっくりと立ち上がった。

「先日の武装商船団がくらった魔物襲撃騒ぎで、エデッサの海上保安隊から海域調査終了まで渡航禁止令が温海に出てやがる。出立は早くて一週間後だろう。その頃にそっちに行く。何かあるならここか、桟橋に来い」

 懐から新しい煙草を取り出して火を付けると、そのままハーマンは此方を振り返ることもなく、ゆっくりとした足取りでその場を去って行った。
 その姿を、カタリナとハリードは無言で見送る。

「・・・ここって、領収証は出るのかしら・・・」

 あまりに自然に出て行ったものだから見逃してしまったが、飲み代を払う気が一切なかったハーマンにその時点で気が付くと、カタリナは期待を込めてカウンターの方を覗いた。
 そこには、抑も字を書くということをしたことがあるのかどうかを疑問に感じる風体のマスターが、相変わらずの仏頂面でそっと煙草に火をつけていた。

 

 

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第五章・4 -桟橋の老人-

 

「爺さん、あんたがハーマンか?」

 グレートアーチのサウスビーチにある桟橋で、ハリードは海を眺めていた男に背後から声をかけた。
 幾人かの地元民から聞く事が出来た情報で、既にこの人物の容姿と名前、よくいる場所はわかっていた。
 その声に反応してゆっくりと振り向いたその白髪の男は、義足の左足を引き摺りながら杖をついている。聞いた情報そのままだ。
 顔に刻まれた深い皺は老人のそれだが、それにしてはえらく鋭い隻眼の眼光がハリードを見返してきた。

「なんだ、ブラックの財宝のありかを知りたいのか? 100オーラムで教えるぜ」
「・・・それは無用だ」

 ハリードが辟易した様子でそう答えると、ハーマンと呼ばれた男は不機嫌そうに表情を歪めた。

「・・・じゃあ何の用だ。わざわざ名指しで来た要件ってのは」
「・・・ブラックの・・・いや、ジャッカルの事に詳しい人間を探している。あんたなら、何か知ってるんじゃないかと思ってな」

 ジャッカルという言葉に、ハーマンの眼光は一層鋭く剣呑さを帯びた。
 当たり。そう確信したハリードは、ハーマンの視線を真っ向から受け止めて言葉を待った。
 数秒の間ゆっくりとハリードを観察したハーマンは、鼻を鳴らして姿勢を崩した。

「ジャッカルなら十年前に死んでいる。そんな事ぁ俺でなくても知ってるさ」
「ああ、そうだな。だが、どうやらそのジャッカルの亡霊がピドナにいる様でな。それの判別をできる程度に詳しく知ってる奴を、探しているのさ」

 怪訝そうな顔をするハーマンを前に、ハリードは淡々とそう言った。

「亡霊だと?」
「そうだ。あんた、何か知らないか?」

 一瞬押し黙ったハーマンは、杖をカツカツと桟橋に当てながら無精髭を撫でた。
ハリードがそれに目を細めると、ハーマンは不意に桟橋をビーチに向かって歩き出す。

「詳しく聞かせろ」

 とても義足とは思えない早足で歩いていくハーマンに、ハリードは無言でついていった。
 砂浜を歩いていくハーマンを後ろから眺めていたハリードは、内心で何とはなしに違和感を感じとる。
 どうにもこの老人が、ハリードの目からみると何か不自然なのだ。
 どうやら腕に覚えがあるようだし、口ぶりからすると海賊事情についても詳しいようだが、地元民からこの男の事を事前に聞き込んだ時は、昔からいる偏屈な爺さんだとしか言われなかった。
 しかしハリードが見る限りでは、この男がどうも老境の瀬に至った人物に思えない。それどころか、どこか自分に近い様な何かをすら感じてしまう。それがどう言った類の直感なのかはイマイチ彼にも分かりかねるようだが、兎に角不自然さだけは感じるのだ。
 そんな事を思いながらハリードが連れていかれた先は、何の事はない、しなびたビーチ外れの酒場だった。
 半分壊れた戸をくぐっても視線をよこしただけで無言の店主と、柄の悪そうな数人の客。意外とこういうところの方がうまい酒があるんだよな、などとハリードが考えていたところで、ハーマンは空いていたテーブルにどかりと座り込んだ。

「おいジジイ。いつものくれ」
「ジジイにジジイと言われたかねぇよ。ツケは効かねえぞ」
「いんだよ、財布がある。二つくれ」

 そう言って手を振ったハーマンを見て、店主がハリードに視線を寄越す。
 それに対してハリードが肩を竦めながら席に座ると、店主は手元を動かし始めた。

「・・・で、ジャッカルの亡霊ってのはどういう事だ」

 くたびれた白のジャケットから煙草を取り出して近くのテーブルから引っ張ってきた燭台で火をつけながら、ハーマンは半眼でハリードに問いかけた。
 ハリードは椅子に半身だけ座りながら、逆に質問を返す。

「・・・あんたは、神王教団を知っているか?」
「あん? 宗教に興味は無ぇが、名前くらいは知ってる。それがどうした」

 言いながらハーマンの吐く南国特有の匂いのきつい煙草の煙に顔を顰めたハリードは、顔を背けながら応えた。

「ピドナの神王教団のお偉方連中がな、なんでか挙って赤珊瑚のピアスをしてるのさ。そしてあいつ等は何故か聖王遺物を血眼になって探しててな。そしたら、二年前にピドナで起こった聖王遺物の絡む殺しの事件の中で、ジャッカルっつーキーワードが出てきた」

 赤珊瑚のピアス、そしてジャッカルの言葉に、ハーマンは露骨に眉間に皺を寄せた。
 それには反応せずにハリードが黙って続きを待つと、ドリンクが運ばれてきたタイミングで漸くハーマンがグラスを持ち上げながら再び口を開いた。

「・・・そいつ等がジャッカル一味だったとして、お前はそれをどうする気だ?」

 問うと言うよりは試すようなその言葉に、ハリードは一瞬考えるように顎に手を当て、徐に肩を竦めて自らもグラスに手を延ばした。

「・・・ジャッカル一味だったとして、そいつ等をどうするわけじゃない。その事実を餌に、それの背後にいるやつ等にまずは一発叩き込みたいのさ。あとは・・・聖王遺物を回収するくらいかね」

 言い終え、グラスに口をつける。
 不純物が混じり混んでくすんだ質の悪そうなロックグラスに注がれた琥珀色の液体は、ウィスキーか何かかと思いきやフレーバーの効いたスピリッツのようだった。

「・・・聖王遺物なんて集めてどうする」

 まるで新鮮な空気に深呼吸をするかのように煙草の煙を肺一杯に満たし、長く細い煙にして吐き出しながらハーマンが言った。
 ただその質問は単なる興味本位なのかなんなのか、声色も先程の問いかけより気の抜けたものだ。
 しかしこれには、ハリードもどう答えたものかと一瞬考えあぐねる。だがあまり深く考えずに口から出ただけの事なので、それに対して多少頭を捻ってみたところで、どうにも大した理由は出てきそうになかった。

「・・・さぁな。それは手に入れてから考える。お宝なんて、そんなもんだろ」

 目線を合わせずにもう一口グラスの中身を舐めるように啜りながらそう言うと、テーブルの向こうではハーマンが鼻で嗤うのが聞こえた。

「はっ、そうだな。お宝ってのはそういうもんだ」

 ハリードの言を気に入ったのか、上機嫌にグラスを傾けながらハーマンは身を乗り出して来た。

「・・・で、てめえは何者だ。何故ジャッカルの事を俺に聞いてきた?」

 ガタンと肘をテーブルに叩きつける音に、店内の視線が二人に集まった。
 およそ老人が放てるとは思えない覇気を身に纏い、射殺さんばかりの視線がハリードに突き刺さる。
 米神を抜けて頭頂に向かって走るような寒気にニヤリと口の端を釣り上げたハリードは、癖でカムシーンの柄に手を掛けながら、しかしゆっくりと肩を竦めてみせた。

「・・・さあな。何故かは確かに俺にも興味はあるんだが、残念ながら知らん。知りたいなら、依頼主に直接聞いてくれ。それと、俺は単なる傭兵だ」

 ハリードのゆらりと躱す様な返答に、ハーマンは一瞬だけピクリと皺だらけの表情を揺らすと、ケッと洩らして再び椅子に背を預け、グラスを傾けた。

「単なる傭兵が聞いて呆れるぜ。んで、その依頼主ってのは何者だ」
「依頼主は・・・人類最強の女、かな」

 思わず口をついて出たハリードのその言葉に、ハーマンはたいそうなしかめっ面を披露した。それの言わんとする所が流石に伝わったのか、ハリードは苦笑いをしながらグラスに口をつける。

「いや、別にふざけて言ってるわけじゃないぞ。それこそ単騎で四魔貴族と喧嘩する位だからな。過言じゃないだろう」
「・・・四魔貴族だと?」

 隻眼を数度瞬きし、ハーマンは何故か四魔貴族という単語にえらく過敏に反応した。
 その変化にハリードが思わず露骨に目を細めるが、ハーマンはお構い無しにハリードに詰め寄った。

「そいつは四魔貴族を殺そうとしてんのか? 聖王遺物を集めるのは、それが目的なのか?」

 まるで仇敵の名を聞いたかの様に突然表情に怒気が走ったハーマンをハリードは怪訝に思いながらも、グラスの中の氷を指で回しながら口を開いた。

「・・・それも、俺の知る所じゃない。そんなに興味があるなら、ついでにそれも直接聞けばいいだろう」
「そいつは何処にいる」

 直ぐ様返ってくる質問に、ハリードは肩を竦めながらグラスの中身を飲み干した。

「さあな。今は分からない。だがあと数日もすれば、このグレートアーチで合流できる予定だな」

 そう言うとハリードは酒場の店主に向かってもう一杯同じものを、とサインし、ゆっくりと立ち上がった。

「・・・尤も、依頼主が質問に応えるかどうかは、おたくが依頼主にとって適う人物かどうか、ってとこが重要だろうがな」

 自分の事を目線で追いかけてきたハーマンに対してそう言うと、ハリードは懐から1オーラムコインを取り出した。

「・・・こいつは前金だ。そいつと、あと一杯はいけるだろ?」

 後半は、グラスを運んできた店主に問いかけた。
 それに店主が眉を上げて応えると、ハリードは満足した様にコインをテーブルに置いてハーマンに背を向ける。

「待て」

 そのままこの場を立ち去ろうとした所を、予想通りと言うべきか、嗄れた声に呼び止められる。
 それに振り返らずに立ち止まって言葉を待ったハリードに、ハーマンが続けた。

「依頼主っつーのが来るまでの間は、てめぇは何処にいるつもりだ?」
「・・・バランタインに宿をとっているが、それがどうした?」

 ハリードの答えに、ハーマンは口笛を吹きながらグラスを傾ける。グレートアーチ随一の高級ホテルを冷やかしたのだろう。
 そして手元近くまで灰になって火種の消えていた煙草を床に放り捨て、新しく取り出して火をつけた。

「事と次第に寄っちゃあ、手を貸さんでもない。だが、だとすれば回収しておきたいもんがあってな。明後日そっちに行くからよ。得物を磨いて待ってろ」

 ハーマンの言葉にふんと鼻を鳴らしたハリードは、そのまま振り返る事なくその場を立ち去る。
 椅子にもたれながらそんなハリードの背中を鋭く眺めたハーマンは、ひとりでにニヤリと笑みを浮かべながらグラスの中身を一気に呷った。

 

 

 いくら世界広しと言えども、恐らく妖精族の長にあれ程まで頭を下げさせたのは自分が初めてなのではなかろうか。
 場違いにそんな事を考えながら、カタリナは二度とは味わえぬかも知れない未知の浮遊感覚に酔いしれた後、ふわりと大樹の根元へと降り立った。
 訪れた時と変わらぬ穏やかな木漏れ日の照らす美しいその場所を記憶の隅に仕舞おうと見渡す間に、フェアリーが風に舞いながらすぐ隣に降りてきた。

「・・・本当にいいの?」

 確認の意味を込めて、カタリナが尋ねる。
 風に揺れる葉音に意識を向ける様に上を向いていたフェアリーは、投げかけられたその言葉に躊躇いなく頷いた。

「妖精は見た目はか弱い感じですが、実は結構強いんですよ。特にアールヴ族などは過去にこの密林において最強の名を欲しいままにし、魔王亡き後から三百年前の四魔貴族討伐に至るまでには、あのアウナス配下の妖術師を撃退するのにも活躍しました」

 そう言ってにこりと微笑んだフェアリーの小柄な体は、上半身が微かに揺らめく薄い絹の様なものに覆われている。
 なんでもこれはフラワースカーフと言われるものだそうで、人の目から妖精の羽を隠してくれるのだそうだ。過去にはこれを用いて妖精も人里に下りる事があったのだとか。
 そして腰のあたりには布で覆われた、その身の丈に不釣り合いな長さの槍。
 これはアーメントゥームと呼ばれる形のもので、妖精族の間では伝統武器なのだそうだ。カタリナにはどうにも土地柄に似合わぬ得物にも感じられたが、そこはあえて彼女が気にするところではなかろう。
 つまるところ、フェアリーはあたかもこれから旅に出ます、的な格好をしているわけなのだ。
 それに平然と頷き、こちらも新たに腰に差した見事な意匠の太刀を慣れない手つきで支えながらも、颯爽と歩き出すカタリナ。

 場面は、一昨日の夜に遡る。

『本当にごめんなさい!』

 閉じた瞼の向こうで舞う月光に誘われてうっすらと瞳を開ければ、まず最初に二人の妖精の大変に申し訳なさそうな顔と、そんな言葉が聞こえてきた。勿論それも重なって、二人分。
 如何な理由があってこの状況なのかは起きぬけの頭では欠片も理解したくなかったカタリナだったが、ただ少なくとも、安易に妖精の差し出すティーカップに口を付ける事はしてはならない、という事は身をもって理解していた。

「まさかティーの用意を手伝ってくれた子が、祈りヒナゲシを入れてるなんて思わなくて・・・」

 カタリナが目覚めてから通算六回目くらいの時だっただろうか。フェアリーはまたしても深く頭を下げながら、確かそんな事をいっていた。
 妖精の悪戯好きは、どうやら伝記以上に深刻だったようだ。
 因みに祈りヒナゲシとは妖精達のみが持つ生成法の、睡眠を誘発する飲み薬だそうだ。元来睡眠作用のある雛罌粟の乳汁を過度に濃縮させたものにカモミールの蜜を混ぜながら更に煮詰め、満月の次の夜明けに太陽に顔を向けた葉から滴る朝露と割って作る薬、なのだそう。
 何やら製法だけ聞いているととても美味しそうで、実際ティーは美味しかったような覚えがうっすらとあるのだが、どうにもカタリナには効果覿面過ぎた。
 この事については長も非常に遺憾であったようで、あわや土下座してしまうのではないかと言うくらいにカタリナは謝られた。
 眠り自体は非常に上質なもので寝覚めも良かったので気にしないで欲しいと、 フォローと言えるか微妙な持論を展開して取り敢えずその場は納めたカタリナ。
 そうしてなんとか居眠る前の話題に戻ったところで、少なくともカタリナには優先するべき事項があり、更に自らに課せられているらしい八つの光の使命に関しては同僚(?)と審議中であることを、ここまでの簡単な経緯と共に素直に伝えた。
 この問題については長も現時点での即決を強くは求めていなかったようで、カタリナが示した前向きな姿勢で快く納得をしてくれた。

 問題はといえば、実はこの後である。

 昨今の情勢を感じ取って今回カタリナを里へと招く判断に至った妖精族の長は、頼むばかりでは申し訳ないから何かしら自分にも出来る協力を、としてカタリナに一振りの太刀を差し出してきたのだ。
 差し出されたそれは、かつてカタリナが魔王殿で見た少年が手にしていたような、反りのある細身の大剣。
 その剣は見れば誰もが惚れ惚れするような絢爛たる意匠の鞘に収まり、抜刀すれば大業物固有のしんと冷えた霊威が刀身から滲み出て辺りに静かに広がった。
 その余りの威風に、カタリナは思わず身震いしてしまうほどの代物であったのだ。
 銘を、月下美人。これは聖王の時代より遥か以前、魔王の時代にまで遡り、代々妖精族最強のアールヴが振るってきた太刀だという。
 当然そんなものは受け取れないと大慌てするカタリナだったのだが、長は長で頑として譲らなかったものだから、断れない性格のカタリナは最後には深々と頭を下げながらこれを受け取る羽目になる。
 ここにおいて更に計算外であったのが、月下美人を受け取った直後で何事も断り辛い雰囲気の中、どうした訳かフェアリーがカタリナの旅路に同行したいと名乗り出たことだ。
 曰く、この先は、人だけの責任などではないから。
 そう言って同行を願い出たフェアリーの言葉の意味は、カタリナには分からなかった。
 だがそんな事はお構い無しに長は大変納得された様子でこれまたカタリナに頭を下げながらお願いしてくるものだから、もう好きにして頂戴とカタリナが匙を投げるのに、そう時間はかからなかった。

 それから一日の妖精の里観光を行った後、その明朝カタリナとフェアリーは妖精達に見送られ、密林の西の端、人からはジャングルへの入り口と言われる集落、アケへと向かって出立するのだった。
 そこからグレートアーチのサウスビーチ行きの定期船に乗り、ニ、三日後には目的地へと到着する予定だ。

 

 

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第五章・3 -ティーはいかが?-

 

「ブラックの財宝のありかを知りたくないか?160オーラムで教えるぜ」
「・・・・・・」

 見るからに不機嫌そうなハリードがえらく睨みを効かせた視線でそんな声に応えると、頭髪をモヒカンスタイルにした浅黒い肌の男は答えを聞くでもなく、怯えた風にいそいそとその場を去って行った。

「ったく、とんだリゾートだぜ・・・」

 男の背中に向かって吐き捨てるようにそう言いながら、ハリードは燦々と砂浜を照りつける太陽から苦々しい表情で顔を背けた。照りつける日差しには慣れているつもりだが、どうもここの太陽は勝手が違う。
 ついでに言えば神経の図太い砂漠の行商人とはまた一味違った先の様な応酬も、この数日で既に複数回に及んだのだろう。すっかり呆れ果てた様子でハリードは腰に差した曲刀の位置を直した。
 南国のパラダイス、グレートアーチ。世界に名だたる一大観光地として世界中の民から羨望の眼差しを向けられるこの土地は、噂に違わぬ熱帯のリゾートだ。
 その羨望を勝ち取って羽振り良く娯楽に耽る数多の観光客たちを、ハリードはどこか冷めた視線で眺めていた。
 自分にはほとほと縁がないだろうと思っていたこのような地に、思いがけず辿り着いた。しかし案の定と言うべきか、自分の肌にはここの空気はどうにも合いそうもない。この数日をリゾートで過ごしたハリードは、そんな土地との相性の悪さに確信を持って今の自分にここにいる理由を問いかけていた。
 そこに、彼の前方から海パンに派手派手しい柄のシャツを素肌に着ただけのラフスタイルで、サングラスをかけたポールがやってくる。
 この地と相性抜群の雰囲気をかもし出した、彼の旅仲間だ。

「いつまでもそんなカッコしてるから、いいカモだと思われるんだよ。ちゃんとトルネードの旦那の分も持ってきてるんだから、いい加減着りゃあいいのに」

 どこからどう見てもすっかりバカンス気分の出で立ちであるポールの格好に、ハリードは遠慮なく青筋を立てながらもニヤリと笑って見せた。

「い、や、だ、ね。大体お前、情報収集はどうした!」
「おいおい、俺はちゃんとすることしてるぜ? この辺で海賊ブラックのことを直接知ってたって奴らも見つけたし、一方でなんと、カンパニーのアポもバッチリゲットだ」

 心外だという風に一々煽るような仕草で両手を広げたポールにハリードの青筋がさらに増えるが、そんな様には一切のお構いもなく、あれを見ろよとポールが指差す先に取り敢えず視線を這わす。
 するとそこには、東ロアーヌの厳しい開拓地が育んだ抜群のプロポーションをこれでもかという程に惜しげもなく晒したビキニ姿のエレンが、周囲の男たちの羨望を一身に浴びながら、さしずめ人魚の如く見事な泳ぎを披露していた。
 その様に、苦々しい表情を浮かべながら片手で頭を抑えるハリード。
 この海岸に辿り着いてから数日、はじめこそカタリナ遭難に元気がなかったエレンだったが、昨日を境に「海だー!!」と叫んで颯爽と水着に着替え、暫くずっと、あの調子だ。

「・・・でもあれでエレンちゃん、この辺の奴らからタダで洞窟の情報巻き上げてんだぜ。下手に色目を使えば怖ーいおじさんが待ってるってぇのに、男ってのは馬鹿だねぇ」

 ケラケラと笑いながら言うポールに、当の怖ーいおじさんは更に眉間の皺を増やした。

「・・・んで、旦那の方はなんかいい話はあったかい?」
「ん・・・あぁ。例の片足が義足の爺さんってのが、もうちょい南のビーチ辺りにいるっつー話を聞いてな。午後に足を延ばしてみるつもりだ」
「あー、違う違う」

 ハリードの返答に軽く手を振ってみせたポールは、こそこそとハリードに近寄りながら耳打ちした。

「みたぜぇ? 旦那夕べ、浜辺でパツキンの美人に声かけられてたろ。こーの色男め、早速南国のビーチで熱ーい夜を過ごしたか!」
「ばっ・・・、って、てめえかエレンにリークしたのは! 今朝あいつすげぇ機嫌悪かったんだぞ!」

 どこからそんなところをみていたのか、肘で突ついてくるポールを払い除けながらハリードが吠える。
 それをポールは飛び退きながら一頻り笑うと、ふと顎に手を当てた。

「しかし、南か。俺もそっちに訪問したい企業もあるし、そんなら一緒にいくよ。まぁとりあえずは、メシにしようぜ」

 そう言って彼は浜辺のすぐ近くにあるやけに大きな建物を指差した。
 ハリードがそちらに目を向けると、そこにはグレートアーチで最も有名な高級リゾートパレス、ホテルバランタインがある。
 圧倒的な娯楽設備と客室数。更にはVIP向けに事前予約必須の専用コテージも十数棟配備しているという、正にグレートアーチの現在を象徴するような贅の限りを尽くしたリゾート施設だ。

「あそこ、多分遠くないうちにうちのカンパニーが囲うぜ。挨拶に行ったらえらく気に入られちまってな。今日のランチも支配人のサービスってさ」

 悪い顔をしながら、にやりとポールが笑う。
 軽薄そうな、というかまんま軽薄にしか見えないこの男だが、胆力と商才は大したもんだとハリードも半ば呆れながらその表情に対して肩を竦めた。
 そこに、相変わらず周囲の男たちの視線を集めて止まないエレンが、濡れた髪をかきあげながら歩いてきた。
 すかさずポールがタオルを投げてやると、それをキャッチして髪を拭きながら首を傾げる。

「ごはん?」
「ご名答。今日はホテルバランタインのオープンテラスでブッフェだ」

 やった、と嬉しがりながら水浴びと着替えに向かったエレンを送り出し、男二人は一息つく。
 既に機嫌も直っていたようで良かったとハリードが安心した様子でいると、ポールもふんと鼻を鳴らした。

「ま・・・あの子もやっと安心したんだろ。カタリナさんが無事だってのが分かって」

 そう言ったポールは、手に持っていたバッグから四つ折にされた紙切れを一枚取り出した。
 ずいぶんと古びた様子の羊皮紙には、真新しくも色合いの珍しいインクで流麗な文字がしたためられている。
 それは、カタリナからの手紙だった。

「ジャングルに寄り道ってのは、多分一緒にいた妖精の関係なんだろうねぇ」
「お前の予測は見事に的中していたわけだ。全く大したもんだよ」

 手紙には、要約するとこう記されている。
 無事に南方のジャングル辺りにつくことが出来たが、少し現地で用事が出来た。なので合流が遅れるのでそれまで情報収集に当たって欲しい。その際、片足が義足の老人を探しておいてくれると助かる・・・と。
 この手紙はポール達がグレートアーチに着いてから四日目となるつい昨日になって、ホテルのロビーを尋ねてきた南方のジャングルの玄関口にあたるアケから来たという行商人に受け取った。
 行商人もまた、この手紙を現地の子供から受け取ったそうで、子供はこの手紙をジャングルの入り口で拾ったというのだそうだ。
 グレートアーチのポールへ、とだけ書かれた封筒だったが、律儀に届けてくれた行商人には感謝しなくてはならない。
 なんでもアケでは、子供がとても大事にされているのだそうだ。過去に子供ばかりを狙った人攫いが横行していた反動もあるらしいが、なにより土着の信仰が要因として根強いらしい。
 曰く、子供は妖精の声を聞ける、とのことである。

「しかしまぁ、あの人もつくづくトラブル体質だな。海で漂流してからのジャングル探検とは、まるで熱帯地方のアドベンチャー詰め合わせセットだな」
「俺には、お前らみんなトラブルメイカーに見えるがね・・・」

 それが果たして自分をも指していることをわかっているのかどうなのか、ハリードはそう呟きながら、ホテルバランタインへと向かって歩き出した。

 

 

 見上げたその大樹は、涼やかな風に包まれながら木漏れ日を自らの根元へと降り注がせていた。
 先程までは魔物の気配もあったはずの森は何時の間にか静まりかえり、辺りは清廉とした空気に満ち満ちている。
 ゆっくりとその大樹に手を触れられる位置まで歩み寄ったカタリナは、遥か上空で枝分かれして生い茂る葉を眩しそうに眺めた。

「樹齢は、少なくとも千年を越えるそうです。私達がここに生まれた時、既にあったものなのです」

 カタリナの少し上に浮きながら、同じく大樹を見上げたフェアリーが独り言のようにつぶやく。
 彼女もここに戻ってくるのは数ヶ月ぶりなのだそうで、感慨もあるのだろう。
 道中で聞いた話によれば、フェアリーはある日たまたまジャングルを散歩していた時に不幸にも密漁を行っていたハンターに捕まり、見世物小屋へと売り払われたのだという。
 それから数ヶ月、偶然にも海を渡っての移動の最中にあのような事になったのだそうだ。

「この上で、長がお待ちです」

 そう言ってカタリナに向き直るフェアリーに、当のカタリナは勿論目をパチクリさせた。
 よもやこの先が見えない大樹を、自力でよじ登る訳なのだろうか。
 木登りは苦手というわけではないが、特別に得意でもない。しかもアーマーと剣を持って命綱無しに先の見えないこの大樹を登るのは、おおよそ自殺行為に等しい気がする。
 そんな思考が見事に顔にでていたのだろうか、フェアリーは可笑しそうに微笑みながらゆっくりと首を横に振った。
 その瞬間、地面から風が吹きはじめ、なんとカタリナの身体が体重を忘れてふわりと浮き始める。

「金の粉で飛べるようにはなりませんが・・・ここなら風が、誰しもに羽を与えてくれます。では、参りましょう!」

 そう言って大樹の周りを滑るように飛んでいくフェアリーに合わせ、カタリナの身体も重力の檻から解き放たれて風に乗って舞い上がった。

「凄い・・・空を飛んでる・・・!」

 未知の感覚にすっかりこれまでの思考が全て吹き飛び、まるで少女の様にあどけない表情でカタリナが感嘆の声をあげる。
 その言葉にフェアリーがにこりと笑い、そうこうしているうちに二人はあっという間に、先程までは見上げるばかりであった大樹の枝分かれしている部分に到達した。
 日の光の白と、生い茂る葉の緑。そんな二色のコントラストに包まれながら上昇を続けていたカタリナは、不意に自分が何かの『境界』を越えたことを自覚した。
 それを境に急速な上昇は何時の間にか緩やかなものへと変わり、やがて彼女の体は風を纏いながら細い木の枝の上で静止する。
 そんな彼女の頭上をくるりと回ったフェアリーは、カタリナの視線の高さまで戻ってくると、優雅に両手を広げながら一礼した。

「三百年振りの来客です。ようこそ・・・妖精の里へ」

 さわさわと葉が風に擦れ合う音に混じり、フェアリーの言葉に重なってようこそという声が其処彼処から木霊する。
 それに気が付いてカタリナが周囲をくるりと見渡せば、フェアリーにそっくりなものやもっと小さなもの、人間で言えばカタリナ程度には成熟した体つきのものなど、様々な妖精達が枝葉の間から顔を覗かせては口々に歓迎の言葉を囀っていた。

「みんな、貴女を歓迎しています。さ、どうぞ此方へ」

 そう言って木の幹を掘って作られているらしい通路へとフェアリーが誘い、風を纏って重さを感じさせない足取りでカタリナが続いた。
 驚くほど広く間取りされたその大樹の内部は、いくつもの部屋に別れ、そこにはどこから持ってきたのか人間が扱うものと変わりない家具なども並べられている。
 物珍しげにそれらの光景をみながら歩いていれば、今度は隣の大木(といっても下の方で大樹が枝分かれしただけだそうだ)へと移るに当たり、葉や花が彼女の道となってしな垂れてくれる。

「何か・・・夢の中にいる気分だわ」

 実際に彼女は夢の中とやらにも以前行ったはずなのであるが、今目の前に広がる此方の世界の方が余程、夢の世界と呼んでも差し支えないくらいには幻想的な光景だ。

「この上に、私達の長がいます」

 そう言ったフェアリーに導かれるままになだらかにくり抜かれた木のトンネルをくぐり抜け、もう一度花の道を過ぎた先の大きく開けた場所にでる。
 木漏れ日が暖かに空間を満たしたその場所は、小鳥の囀りと擦れ合う葉音と、えも言われぬなにか不思議な香りに包まれたところだった。
 そして、そこには穏やかな顔つきの美しい妖精が、簡素な椅子に座って此方に顔を向けていた。
 互いの視線が絡むと、ぺこりと頭を下げるカタリナに合わせてその妖精も立ち上がって頭を下げる。

「ようこそ、おいで下さいました。この度は我が眷属を魔手よりお救い頂いたこと、森の民を代表しまして心より御礼申し上げます」
「・・・勿体無いお言葉です。ですが、事の発端は恥ずかしくも人間の悪辣さの為した所業。私など、その様な御言葉をかけていただける身分では御座いません」

 貴賓溢れる立ち振る舞いの目の前の妖精に、カタリナは礼を尽くして相対した。
 流石は妖精族の長というだけある。人間で言えば間違いなく王族の器であろうその空気に、知らずカタリナの身体が反応して騎士としての立ち振る舞いになる。

「とんでもありません。本当に感謝しております。あ・・・人間の方が立ち話というのはなんでしょうから、どうぞ此方へ」

 優雅な手振りで長が先程まで自らの座っていた枝の近くを指し示すと、何処からともなくするりと発生した蔦が椅子とテーブルを形どり、ふわりと咲いた花が彩りを飾った。

「ティーを持ってきてくれる?」

 長が柔らかく首を傾げながら声をかけたのは、カタリナの後ろに控えていたフェアリーだ。
 彼女はこくりと頷いて、木々を下っていく。
 それを肩越しに見送ったカタリナは、どうせここまできたのだからと恐縮しながらも長の言葉に甘えてテーブルについた。

「・・・あの子はあれで、とてもお転婆なのです。いつも皆をヒヤヒヤさせて・・・それでもまさかこの様な事態になるなんて思いもしませんでしたから、今回のことは本当に感謝の言葉もありません」

 とてもカタリナにはフェアリーがそんな風には見えないが、ゆっくりと枝に座る長の口からは、そんな言葉が出た。
 確かに、あの嵐の中という土壇場での胆力というか度胸は可憐な見た目に反して見事なものだとは思ったが、妖精というのも見かけによらないものだ。

「いえ、おかげで私はこうして世界で誰も経験したことがない様な・・・とても素敵な体験をさせて頂いています。お礼を言わせていただきたいのは寧ろ私です」

 心の底からそう思い、カタリナは微笑みながらそう応えた。
 少なくとも、ついこの間まで頭を抱えていた問題が全部どうでも良くなってしまうくらいには、カタリナは今回の体験に感動している。
 だが、恐らくティーを馳走するだけの目的でここに呼ばれたわけではないことも薄々感じていたカタリナは、性急ではあるのかもしれないが、それに言及することにした。

「・・・して、本題があるかと存じますが。お話を、お聞かせいただけますか?」

 その言葉をかけられた長は少しだけ間を置き、そしてその美しい顔を俄かに曇らせた。

「・・・はい。八つの光としての宿命をもつ貴女に、お願いしたいことがあります」

 そして紡がれたその言葉に、カタリナは驚きながらもあまり表情には出さず、無言で応えた。
 ちなみに彼女は長にもフェアリーにも、一言も自分が指輪に示されたその事実は言っていないはずだ。
 カタリナの内々の驚き様に気がついたのか、長は優しく微笑んだ。

「・・・私達の様なものには、わかります。聖王様が且つてこの地をお救いになられたとき・・・その時にあのお方が纏っておられた風が、貴女にもあるのです」

 それは、正しく人智を越えた感覚なのだろう。カタリナには理解の及ばぬ領域である様なので、そこには深くは触れないことにした。

「・・・なので、貴女でなければお願いできないのです。この密林の深淵・・・業火の渦巻く火術要塞の奥深くにあるアビスゲートの破壊は・・・」

 予測通り、といえばそうだろう。
 長の口から出たそのお願いに、カタリナはすっと目を細めた。

「・・・一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

 まるで事前に用意していたかの様な不自然なほどに素早いカタリナのレスポンスに、しかし長はゆっくり頷きながらどうぞと言ってくれる。

「・・・この様な言い方が良いのかは分かりませんが・・・。その役目、何故、私でなくてはならないのでしょうか」

 何とも表現が下手なものだ。頭の中で自分の発言を客観的にそう評価しながら、カタリナはそれでも言い繕うことはせずに長の反応を待った。
 長はカタリナの言葉に表情を変えなかったが、一つ瞬きをして視線をテーブルに移した後、再度の瞬きでカタリナの視線に正面から向き合った。

「・・・大変心苦しいのですが、今私の口からは、その理由を申し上げることは出来ません」

 その言葉を聴いた瞬間、カタリナの瞳に、明らかな戸惑いと落胆の色が広がる。
 長はそれをとても申し訳なさそうに見つめたが、しかしそれでも言葉を続けることはなかった。
 途端に妙に重苦しい空気がその場を包み込み、両者が暫し無言となる。
 だが、風がふわりと肩口まで伸びたカタリナの髪を撫でかけた時、カタリナはこれ迄とは一転して悪戯っぽく顔を綻ばせながら口を開いた。

「・・・では、少なくとも私・・・いえ、私達でなければならない・・・という確かな理由は、存在しているのですね・・・?」

 その問いかけには、長は確りと頷いた。
 それに対して目を細め、そしてふぅと一息ついたカタリナは、わざと困り顔で肩を竦めてみせた。

「因みに・・・それっていつ頃わかるのでしょうか?」
「・・・来るべき時、としか。すみません・・・」

 そんな長の答えは、何となく分かっていたものだ。
 だが少なくともこれで、自分たちでなければ出来ない何かが確かにあるという確信だけは得られた。
 今のところはそれで良しとしようと、カタリナは苦笑しながら長に礼を言った。
 すると丁度そのタイミングで、フェアリーがいかにも慣れない手付きでティーポットとカップの乗ったトレンチを持ってきた。

「お、遅れてすみません。慣れないもので、手伝ってもらっていました・・・」

 そう言いながらフェアリーがティーを二つのカップに注ぐと、とてもフローラルで、しかし鼻孔を吹き抜けるような涼しげで不思議な香りが感じられた。
 そっとそのカップを差し出してくるフェアリーに笑顔で礼をいい、カップを取り上げて顔の前に持ってゆき、存分にその香りを楽しむ。
 ハーブティーの一種だろうか。淡いグリーンの色合いは目にも楽しく、そのまま先ずは一口啜った。

「ん・・・美味し・・・」

 とても美味しかった。
 確かにそんな気がしたのだが、しかしそこでカタリナの意識は暗転した。

 

 

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第五章・2 -密林を進む-

 

 間もなくグレートアーチだという船員の合図と入港準備に走り回る複数の足音を耳にしながら、閑散とした船内食堂に陣取ったハリード、エレン、ポールの三人は神妙な面持ちで三方から向かい合っていた。
 あの嵐から、現時点で五日が経っていた。
 船団は若干の日程遅れと一隻の船の損害を出したものの、ただ一人の乗客を除いて乗務員を含めた全ての人間が無事にグレートアーチへと辿り着いた。
 まともに立つこともままならないほどの暴風雨とあれだけの数の魔物の襲撃を受けた経緯を考えれば、この状況はこの上なく人的被害を抑えられたと言っていいだろう。
 しかしそのような事実も、そのただ一人の犠牲者を身内に出してしまった彼らにとっては、何の慰めにもならなかった。

「・・・なぁ、あんた等はどうする」

 沈黙が支配していた中、徐にポールが口を開く。するとそれに口では答えず、その真意を問うようにハリードが視線だけを投げかけた。
 その隣のエレンはポールに向き合う気もないらしく視線を落としたままだが、ポールは構わず続ける。

「・・・カタリナさんが行方不明じゃ、ぶっちゃけここにきた意味は無い。というか、あんた等にしてみればついてきた意味が消えたと言っていいだろう?」

 事実だけを直視したその言葉にエレンの表情が一層曇るが、これはどう言い繕っても仕方の無いことだ。
 ハリードはその言葉を受け止めてふんと鼻を鳴らし、逆にポールに問いかけた。

「それはお前も一緒だろう。お前こそどうする」

 逆に向けられたその問いかけに視線を険しくしたポールは、しかし勢い余って言葉を発するでもなく、ただ深いため息をついた。

「・・・俺は、ここで待つ。あのカタリナさんがこんな簡単にくたばるとは、思えない」
「お前、本気で言ってんのか? 確かにあいつは規格外の戦闘力だったが、しかし俺らと同じ人間だ。温海のど真ん中に身一つで放り出されて生きていられたら、それはもう人間じゃないぜ」

 考えるまでもなく至極最もなハリードの意見に、しかしポールはゆっくりと首を横に振った。そんなことは分かっていると言いたいのか、単に事実を信じたくないのか。その仕草だけではハリードにはどちらとも見えかねたが、そのあとで向けられた視線は、冷静なものであった。

「あんとき、カタリナさんは確かに何かを叫んで俺らと逆方向にいった。俺らが脱出するところだったのも見えてたはずだし、船がやばいのももちろん分かっていたはずだ。だが、それでもこちらには来なかった。この行動自体は、絶対に考え無しに離れてったわけじゃないはずなんだ」

 それに、と言葉を続ける。
 あの時確かにカタリナは、何者かと一緒にいたのだ。こちらに向かって何かを叫ぶカタリナよりも先に逆方向へと向かっていった人影を、確かに脱出艇から身を乗り出したポールは見ていた。それ自体はハリード達も同じく目撃していて、三人の中では共通の認識である。しかしいざ避難を終えてから乗客の点呼をとった時には、その場にいない乗客リストの人物は何度数えなおしても、カタリナだけだった。
 戦闘に混ざっていたポール達は、乗客の中では最後の最後まで船に残っていた。その彼らの後に船を脱出して避難先の船に移ったのはマゼラン船長と数人の水夫だけで、その中に乗客はいなかったとの言質も直接とっている。そうなると、カタリナと一緒にいた人物は船員でも乗客でもない誰かであり、それがカタリナがあの時すぐに脱出しなかったことに関係があるはずなのだ。

「あとは、ちっと気になる事を喚いている奴らがいてな・・・」

 そう言ってポールがチラリと視線を向けた先にさり気なくハリードも倣うと、その先には此方と同じく沈痛な面持ちで項垂れる一団があった。その雰囲気とはちぐはぐに多少色合いの派手な衣服に身を包み、年齢層も疎らな集団だ。
 ハリードがそれを眺めて眉間にシワを寄せると、ポールは小声で続けた。

「世界中を回っている、見世物小屋のキャラバンだそうだ。あいつ等も俺らと同じ船から脱出したクチでな。んで、あの小太りの男が座長だそうで、奴さん船を移ってからマゼラン船長にえらい剣幕で詰め寄っていてな」
「・・・そりゃそうだろう。恐らくは商売道具が全部海の底に沈んだんだろうからな」

 肩を竦めながらハリードが冷たく言うと、ポールはそれに小さく頷いた。

「ああ、そうらしいな。んでまぁわんさか喚いていたんだが、なかでも一等捲し立てて繰り返し叫んでたのは・・・妖精って単語だ」
「妖精・・・ねぇ」

 ハリードが半信半疑に怪訝な顔をする。確かにしきりに同じような事を繰り返していたのは彼も聞いてはいた。我々が苦労の末に手に入れた世紀の一大発見、本物の妖精が積んであったんだぞ、どうしてくれるんだ・・・とかどうとか。そんな事を只管叫び続けていたのは、確かにあのキャラバンの座長だった気がする。

「・・・俺の見間違いじゃなければ、あの時カタリナさんと一緒にいた奴の背中に、確かに何か不自然なもんがくっついてるのを見たんだ。あれが衣服の類ではなく・・・そう、羽だとすれば、カタリナさんはその妖精とやらと一緒にいた事になる」
「・・・成る程。それで・・・? よしんばそれが妖精だったとしたら、だからどうなるというんだ?」

 話半分のつもりで重ねてハリードが問うと、しかし彼の期待に反してポールはそこで肩を竦めた。

「わかんねぇよ。でも、何か理由があってカタリナさんはそいつと行動を共にしてたんなら、単に逃げ損ねた・・・なんて展開はやっぱ考え辛いと思うんだ。それに、妖精は大気を味方につける種族だ。それと一緒なら、小舟の一艘でもあれば生き延びてる可能性は高いと思う」

 夢物語にも近い単なる憶測だろうが、しかしポールはいやに確信的だった。
 確かに妖精が大気を味方につけるというのも、彼の言葉なら頷ける部分はある。何しろ彼は現在、聖王遺物である妖精の弓の使用者だ。妖精族が聖王に献上したとされるその弓は風の流れを矢に載せて放ち、その威力は小型のサイズからは想像もつかない強弓なのである。
 その彼の言葉に少し真面目に可能性を考えてふむと頷いたハリードは、ほったらかしてぬるくなってしまったエールを喉に流し込んだ。

「カタリナはなんて言ってた?」
「あん・・・?」
「グレートアーチに着いてからの予定だよ」

 耳に入ってくる言葉にエレンがゆっくり顔をあげる横でハリードが空になったジョッキを置くと、ポールは片目を瞑りながら頭を掻いた。

「うーん、それがなぁ・・・。ほれ、ピドナからずーっとあの調子だったから、殆ど聞いてねぇんだよな。ただまぁ、なんかアテっぽいのはあったらしいけど・・・」

 唸るポールに対して口をへの字に曲げたハリードは、ひとつ短いため息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。
 それをポールが視線で追うと、彼もまた頭を掻いて口を開く。

「まぁ文字通り乗りかかった船だ。お前がそこまで言うなら、もう暫くは付き合うさ」
「うん!」

 ハリードの言葉に合わせてこれまでの様子から一変して元気に椅子を跳ね除けながら立ち上がったエレンと共に、ポールもニヤリと笑いながら腰を上げた。

「・・・よっしゃ。そうと決まれば、カタリナさんがここにくるまでしっかりバカンス・・・してたらキレられるか。何をアテにしてたかは知らねぇけど、何とかそれっぽい情報収集位は進めよう」

 テーブルの傍らに置いてあった荷物を手早く纏め、一行は既に停泊準備に取りかかった船の外へと視線を向けた。

 

 

「うふふふふ、あは、こ、ここどこなのかしら・・・ふふふふふ」
「えっと・・・ジャングル、です・・・」

 見渡す限りに鬱蒼と生い茂る熱帯地方特有の大きく育った草木の間をかき分けながら、道とも言えぬ道をカタリナとフェアリーの二人は進んでいた。
 色鮮やかな鳥や蝶々が視界の隅を幾度も飛び交い、この熱帯雨林に生息する様々な動物たちの鳴き声が止むことなく木霊する中、フェアリーが先導する形で二人はかれこれ三時間ほどにも差し掛かる行軍の最中であった。

「あはは、ここがジャングルなのね!くふふふふ、わ、笑いが・・・止まらないわ」
「す、すみません・・・よく迷い込んだ人たちに仲間が食べさせていたから、大丈夫だと・・・。まさかワライダケだとは思わなくって・・・」

 世界各地に童話や伝記にて名を残す中でも特に多く見られる記述によれば、非常に悪戯好きだとして伝えられる妖精族。彼らは不運にもジャングルに迷い込んだ現地人を様々な方法でからかっては、その驚く様をみて楽しむという。
 しかし目の前の少女を前にそんな事など思い出しもしなかったカタリナは、海上漂流で数日の断食から漸く陸地に流れ着いたところで流石に限界を感じ、何か食べれるものはここにはないかと食料を欲した。そこでフェアリーが少し考えた末に人でも食べれるものがある、と言ってジャングルの中から持ってきてくれたキノコを食べてからこっち、彼女はずっとこんな調子だった。

「あははは、ぜーんぜんいいのよ。くふふふ、美味しかったわぁ。ふふふ、今思い出しても笑える味・・・うふふ」
「す、すみません・・・」

 不気味に笑い続けるカタリナに流石に顔を引きつらせながら、フェアリーは先導して歩を進める。
 近年の治安悪化はこのジャングルにも影響を及ぼしているようで道中ではアビスの瘴気にあてられた邪精や巨大植物などが襲いかかってきたが、其れ等は須らく高笑いするカタリナに瞬時に切り伏せられていった。
 その様を見ながら、フェアリーは素直に感心したように声を上げた。

「・・・船でも拝見いたしましたが、とてもお強いんですね。妖精族にも戦士は居ますが、あなた程の使い手は見た事がありません」
「ふふふ、そんな事は・・・あるかしら、ふふ。これでも世界を背負って立つ立場だし、あははは・・・ひぃ・・・」

 流石に笑い疲れてきたのか、腹部を押さえてぜぇぜぇ言いながらカタリナが応える。
 漸くそれにも慣れてきたのか笑い声には反応しなくなったフェアリーは、ふとカタリナの言葉の内容に首を傾げた。

「世界を・・・ですか?」
「ふふ、そう・・・笑っちゃうでしょ・・・うふふふ・・・あは、はぁ・・・」

 喋るうちに段々と呼吸が落ち着いてきたのか、横隔膜の震えを抑え込まんとするように腹部を抑えながらカタリナが言った。

「それではカタリナさんは、その・・・聖王様の後継者なのですか?」

 パタパタと羽を忙しなく動かしながら器用にその場で止まって小首を傾げたフェアリーに、カタリナはうぅんと此方も首を捻った。

「どうかしら・・・。所謂宿命の子だとかそんなものではないらしいけれど、でも全くの無関係って立場とも言えない立ち位置、という曖昧な感じね。正直、それですら実感は湧かないけれど。聖王様のことは、私たちだけでなくフェアリーたちにも伝わってるのね・・・ふふ」
「・・・はい。私達は発生時に既に、直接記憶を共有して持っています。遠い昔に私達の長が、聖王様に協力しました」

 この南方のジャングルの何処かに根城を構えるとされる四魔貴族の一柱である魔炎長アウナスが三百年前に聖王に討伐された時、妖精たちはジャングルに迷う聖王をアウナスのもとへと導き、更には全身が炎に包まれ触ることもままならぬとされるアウナスへの攻撃手段として妖精の弓を献上したという。

「・・・あの、このままアケまでお送りするつもりでしたが、もし宜しければカタリナさん。私達の長が貴女を、私たちの里へお招きしたいと言っています。ご案内しても宜しいですか?」

 風に耳を傾けながら唐突にそう言ったフェアリーに、カタリナは目を丸くする。それは単純に唐突な申し出だったからというのもあるが、要はその真意を図りかねたのだ。

「・・・死蝕以降、このジャングルでもアビスの瘴気が急速に広がりつつあります。以前は、道中にあのような植物や邪精などもおりませんでした。ですのでこれには私達も非常に危機感を感じています・・・。そのタイミングで聖王様に連なる方がこうして現れたことに、長も何かお考えがあるのだと思います」

 それに、とフェアリーが続ける。
 まだ自分が助けられた礼もロクに出来ていないから、是非とも招きたいのだ、と。
 一刻も早くグレートアーチに向わねばならぬのは勿論そうであるが、そうまで言われては多少の寄り道もやぶさかではない。
 妖精族の長の考えとやらも気にはなったので、カタリナはこの際だからとお言葉に甘えることにした。

「有難うございます・・・! では、ご案内いたしますね!」

 非常に可愛らしい笑みを浮かべながらフェアリーがそういってくるりと一回転すると、カタリナはこうした妖精の可憐さに惑わされて悪戯されてきた逸話の数々も頷けるなぁなどと場違いに思いながら、笑顔で返して道を進んでいった。

 

 

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第五章・1 -妖精との出会い-

 

 ピドナから出港してトリオール海を南西に抜け、十数年前に新しく建設されたばかりだというエデッサ島に聳え立つ巨大な砦を遥か遠方に仰ぎながら、カタリナ達一行を乗せた船は日程通り順調に温海海域へと進入した。
 世界に四つある内海の中でも特にこの温海は死蝕以前より海賊が徘徊する海域として有名であったが、それらによる被害は治安の悪化が著しい近年、急激に増加の一途を辿っている。
 なので、この海域を行き来する船舶は現在は基本的に武装を施し尚且つ船団を組んで航海をするのが主流であり、カタリナ達もその例に洩れず船団に混じっての船旅となった。
 そんな今回の船旅も先のツヴァイクに向かった時と同じくカンパニーの資金を用いて各個人が個室を充てがわれての快適な内容なのだが、どうしたことか道中でハリードは只管に憤慨していた。

「馬鹿な! 船に乗るだけで1000オーラムだと・・・!? 正気の沙汰とは思えんぞ!」

 あまりにレートを外れた渡航費用に、守銭奴トルネードは激しく怒り狂った。そしてその怒りのあまりに少しでも元をとってやろうと、食堂でありったけの飯を食らっていた。

「まぁ、この人数で往復分の個室完備で、更には海上の覇者と名高いマゼラン武装商船団の護衛付きでの航海ともなれば・・・ってもやっぱ高ぇもんは高ぇか」

 ハリードに負けじと同じく大量の食事の征服にかかっていたポールがそう言うと、その隣では自分の顔ほどもあろうかというサイズの骨付肉にかぶり付いたエレンが、眉間に皺を寄せながらハリードを見た。

「自分がお金出したわけじゃないんだし、いつまでグチグチ言ってんのよ」
「そういう問題じゃないぞ、この金額は!」

 こんな調子で延々止みそうにない愚痴を垂れ流すハリードと、その愚痴にしかめっ面をするエレンをよそに、ポールはエールジョッキを傾けながらちらりと食堂の外で船の縁に一人佇んでいるカタリナに視線をやった。
 カタリナはピドナを出港する日の朝から、どうした訳かずっとあんな感じだった。
 出立前後から各人が心配して何度か声をかけたものの、彼女の口から返ってくる返事はすべてが曖昧且つ上の空。
 最終的に一時的なホームシックか何かだろうとハリードが見切りをつけたのを皮切りに、取り敢えずそっとしておく事にしたのだった。
 しかし、騎士としての精神鍛錬も欠かさない彼女が数日の間もあのような調子なのは、流石におかしい。
 エレンとハリードが夫婦漫才宜しく騒ぎ立てている中、ポールは口元をナプキンで拭うとトイレにいくといって席を立った。

 

 何のために自分は、今こうしているのだろうか。
 この数日は幾度と無く同じ問いが頭を過ぎり、数瞬留まっては求める答えの見つからぬままに霧散していく。
 見渡す限りの碧い海にたいそう覇気の無い視線を投げかけながら、カタリナはひどく疲れたようにため息をついた。
 無論の事、今自分がこうしているのは祖国ロアーヌと主君たるミカエルに誓った忠誠を貫き、そして自らが冒した失態を挽回するため。そんな訓練生時代に日夜叩き込まれたような騎士団訓示に則った模範回答的な答えなら、カタリナともなれば考えるまでもなく脊髄反射的にいくらでも出てくる。
 だがその答えに対して、今まで影を潜めていた「騎士ではない自分」から戸惑いが生まれてしまったがために、その自分を含めて腑に落ちる答えが見つからない。
 あの朝、聖王記詠みを名乗るあの男が自分に言い放った言葉が、今だに彼女の脳裏から離れなかった。
 自分の心や感情が今の自分の行動にとって意味を為さないのならば、今ここにいる自分は何なのだろうか。
 詩人が言い放った「宿命」とやらに操られるだけの人形、とでもいうことなのか。
 童話やおとぎ話の世界でもあるまいし、操られるだのどうのとは随分と馬鹿げた話だ。過ぎった思考を下らぬ妄想と断定して即座にそう斬り捨て、カタリナは小さく頭を振る。
 だがそう思う反面で確かに今、現実に彼女の心とは関係なく彼女を取り巻く環境は様々な要因を孕んで肥大変貌を続けており、カタリナは気が付けば、まんまとその中心に位置している。
 そんなことは再確認の必要などなく、とうに解っている。その上であえて、自ら進んでここにいるはずだった。だというのに、あの男のたった一言で、途端にそんな今の自分に確信が持てなくなってしまった。

(いや・・・今になって向き合わされた、と言った方が正しいのかもしれない・・・)

 頭の中にいる何処か冷静な自分が、したくもない思考をじりじりと迫る。
 実のところかなり早い段階・・・そう、彼女が旅立つことを決意して自慢のプラチナブロンドを切り落としたあの日。この時には既に嫌になるほど冷静に先の展開が視界の端には垣間見えていて、だがあえてその事実を直視しないようにしながら過ごしてきたのではなかったか。
 その視線を外し続けていた事実にあの一言でがっちり向き合わされ、それに慌てて周囲を再確認してみれば当初うっすらと自覚していた範囲の変革どころではなくなってしまっている現状を目の当たりにし、これまでの人生の中でこれ以上はなかっただろうというほどにカタリナは動揺した。
 そんな思考の渦の中にあって誰の声にも返事が上の空であって、それでもとにかく体が動いたことは、それだけで評価に値するのではないかと可笑しな自己分析に逃避したりもしつつ、気が付けば今はこうして新たな目的地に向かう船の縁に寄り掛かりながら海を眺めている次第なのだった。
 自分がこの旅の先に望んだものは、見えてきている。でもそれを手にすることでその先の自分がどうなっていくのかなどは、想像すらしたくない。
 向き合うことを拒んでいた意識と行動の矛盾に苛まれたカタリナは、またしても答えの見つからぬままに霧散した思考に嘆息しつつ、再び碧い海面の揺らめきに視線を落とした。

「・・・よう、調子はどうだい、カタリナさん」

 碧いばかりの海にも飽き飽きしてその日何度目かのため息をついたところに、背後から聞き慣れたポールの声が聞こえてきた。
 心持ちトーンを抑えた声色なのは、こちらを気遣っているからなのだろう。
 だがそんな気遣いにもとてもじゃないが素直に応えられる気分ではなく、カタリナは軽く視線を向けて生返事を返した。
 その相変わらずの様子にポールも一つ短くため息をつくと、その場で腰に手を当てて口を開きかけ、しかし思い直してゆっくりと歩み寄り、カタリナの隣で船の縁に肘をついた。

「・・・こうしてあんたと船に乗るのも、もう三度目か。あの時は北だったのに、今度は南。文字通り世界をまたに掛けた冒険だな」

 視線をカタリナが見つめる先に合わせ、ポールが呟く。その言葉に反応は返ってこないが、構わずそのまま言葉を続けた。

「まさかあの時は予測もしてなかったな。こんなどえらい面倒ごとに巻き込まれて旅をする事になるなんて、さ」
「・・・そうね」

 ポツリと、小さな返事がある。それにチラリと視線だけ寄越したポールは、片肘だけで船の縁に寄りかかり、カタリナに体を向けた。

「あんたも大変だな。漸くマスカレイドの手掛かりが見えてきたと思ったら、何時の間にか伝説だのクーデターだのに巻き込まれちまって」
「・・・そうね・・・」

 繰り返されただけのその返答に、ポールはまるで彼女の心象を見透かさんとするかのように目を細めた。

「・・・ここ数日あんたが何を考えているのか、当ててやろうか」
「・・・・・・」

 唐突に言われたその言葉に、この会話の中で初めてカタリナはポールに視線を向けた。

「・・・その視線は、こう言っているな? お前に何がわかる、と」
「・・・」

 カタリナの眉間に僅かな皺がよるのを目敏く確認したポールは、その視線をいなす様に、再び大海原に体を向ける。

「・・・俺は、こんなところでなにやってんだろう。俺の中にある目的と今の俺の行動は、一致してるんだろうか。だが・・・そんな問いにはお構いなしに、事態は進行していく」

 どこから取り出したのか殻付きの胡桃を片手で弄びながら、波打つ海面に視線を落とす。

「まるで巨大な流れに乗せられちまった小舟みたいに、足掻けど足掻けどこっちの事情にゃお構いなしで勝手に進んでいく」

 その言葉と共に海に放り投げられた胡桃は、着水すると波に揺られ、間もなく船の後方に遠ざかって行った。
 それを視線で追ったカタリナに、ポールは顔を向ける。

「・・・あんたも意外と人間だな」
「・・・どういう意味よ」

 よもやこれまで人間扱いされていなかった疑惑に、思わず棘のある響きでカタリナが反応する。
 だがそれに真正面から見つめ返したポールは、ニヤリと笑いながら肩を竦めた。

「程度は違えど、そういうのは人なら誰でも抱える問題だ。人類に敵なしっぽいあんたでも、そういうのになるんだな、ってな。そういうんなら俺とて、ロアーヌのあの牢獄に至るまでに何度そんな事を自問自答したかわからねぇさ」

 ポールがそう口にすると、カタリナは目をパチクリさせながら見返した。
 あの当時を思い返しても正直とてもそうは見えなかったと思ったのだが、それは流石に口には出さないでおいた方がよいだろう。

「勿論突っ込んだ細かい所なんて俺には分からんが、一つここ最近の体験談から言える事があるとすれば・・・あんたなら、大丈夫だ。最初よりベストな答えが、あんたなら必ず見つかる」

 臆面もなく、お得意のニンマリとした笑顔でそう断言するポール。カタリナはその無駄に醸す自信と言葉の根拠が分からず、怪訝な顔をした。
 そんなカタリナの表情が珍しくて、ポールは含み笑いをしながら続ける。

「あんたの武器は、その腕っ節なのか? 俺には・・・そうは思えねぇな。そりゃあまあ確かに強いに越したことはないんだろうが、俺が思うにあんたの最大の武器は、この旅であんただからこそ自然と得てこれた人脈・・・言い換えれば、あんた自身が持っているカリスマ性じゃないかと思うんだよ」

 そのどこかで聞いた事のあるような言い回しに、カタリナは今度は狐につままれた様な顔をした。

「あんたの周りに集まった人間を見ろ。どいつもこいつも一癖どころじゃ済まない強烈な個性派ばかりだが、その地位や能力もまた、一般人のそれを大きく逸脱して止まない。確かに今はどえらい事情がいくつも重なってしんどい感じだろうが、それでも・・・あいつらと共にあんたが辿り着く先は・・・今は俺にだって想像もできないが、しかし絶対に悪いもんじゃあねぇ。そんな気がするんだよ」

 そのままポールは、つまり・・・と言ってから大きく背伸びをするとともに船の縁に背を預け、天に広がる青空を見上げた。

「今は後先ゴチャゴチャ考えたって仕方ねぇ、って事さ」

 散々溜めに溜めてから最後のあんまりな投げっ放しように、さすがのカタリナも肩をこかす。
 それをみてポールはケラケラと笑い声をあげ、そのあとふっと真面目な顔つきをした。

「だが俺には、本当に確信できるよ。あの面子が集まって、バッドエンドであるわけがねぇさ。だからあんたはあんたの感じるままに、その時できる最善を尽くすだけ・・・今は、それでいいんじゃねえのかな」

 こういう問題が頭で考えて簡単に答えが出るようなら今頃、人類皆最高にハッピーだ。そんなことを言いながらポールが肩を竦める様をみて、カタリナは確かにそうかもしれないと妙に納得した様に同じく肩を竦めた。

「ようお客人、ちょっといいかい?」

 そこに唐突に、渋くよく通る声が掛かった。
 二人が同時に振り向いた先には、この商船団を率いるキャプテン•マゼランが紙煙草を咥えながら立っている。よく使い込まれた色褪せ気味の一張羅のコートとツバの広い帽子を身につけた、いかにもキャプテンという肩書きの似合うナイスミドルだ。

「今夜は時化が来そうだ。ちっと荒れるかもしれねぇから、夜は客室から出ないように連れの方々にも伝えてもらえねぇかな」

 わかったよとポールが片手をあげながら答えると、マゼランはニヤリと笑ってその場を後にする。

「・・・だそうだ。酒でも飲んで早いとこ寝ることにしようぜ?」
「・・・そうね。飲みますか」

 どこまでも気楽な物言いのポールに、カタリナも物思いに耽りすぎるのはよくないなと、実にピドナ出発の朝から数日振りにクスリと笑いつつ、思い直すことにした。

「有難うね」

 食堂に向かい始めるポールにそう声をかけると、彼は飽きもせずに再度肩を竦める。

「なぁに。こういうのはお互い様、さ」

 

 

 マゼランの読みは見事に当たって夕刻を待たずに早々と薄暗い暗雲が立ち込め始めた中、船は身震いをする大海原に合わせて大きく上下しながら慎重な舵取りを要求されていた。

「グズグズしねぇでとっとと帆を畳め!羅針盤から目ぇ逸らすなよ!他の船にも合図を送れ!」

 マゼランが直接舵を取りながら矢継ぎ早に飛ばす指示に、水夫達が応と応えて揺れる甲板を物ともせずに駆け回る。
 その喧騒と暴風が織り成す轟音を客室で聞きながら、カタリナは落ち着かない様子でベッドに腰掛けていた。
 堂に入った船長の指示と焦らず其れに答える船員に任せておけば、よもや万が一などはあり得ないとも思うが、この様な天候には有らぬ物思いにも耽ってしまう。
 ロアーヌで迎えたあの黒雲蠢く嵐の夜から始まった事件が、密やかに彼女の脳裏に掠める。
 そこに、あの夜部屋に飛び込んできたモニカもかくやという程度には唐突に、彼女の嫌な予感を裏切らない緊張した声が客室の外から飛んできた。

「ま、魔物が現れたぞ!」

 ガタン、と音を立ててバネ細工のおもちゃの様にベッドから跳ね起きたカタリナは、バタバタと武具を身につけて船室を飛び出した。
 そこでは船に取り付いてよじ登ってくる魚人や船体に衝突してくる大型エイなどに対して、既に水夫達が応戦している真っ最中だ。

「カタリナッ!」

 呼ばれた声に振り返ると、ハリード等も慌てて出てきた様子だった。それぞれ獲物を構えながらも、しかし慣れない戦場に出方を窺っている。

「ポールは乗られる前に可能な限り短弓で捌いて!二人は甲板に上がってきた奴らを!」

 そう言うと、カタリナは後方の舵へと駆け出した。戦う以外にやるべきことがあるなら指示を乞おうと考えたのだ。
 丁度海から跳ね上がってきた不自然に頭部が発達した鮫を大剣で切り飛ばしながら階段を登り、直ぐに雨ざらしの舵の前で指示を飛ばし続けるマゼラン船長を見つける。
 彼もまた片手に斧を構え、いつでも戦闘できる体制にいた。

「船長、何か手伝えることは!?」
「あん!? ああ。なんだ客人か!なに、既に手伝って貰っちまってるみてぇですまねぇな!」

 この様な時だというのにニヤリと尊大な笑みを浮かべた船長は、流石に海上の覇者と名高い男の貫禄がある。
 その口でそのまま適当に自衛してくれてりゃいいと言い放ち、しかし彼は前方を見て眉間に皺を寄せた。

「どうかしたのですか?」

 カタリナが其れに気付いて声を掛けると、マゼランは首を傾げながら応えた。

「いやな。他の船よかここだけがえらい集中して襲撃されてるんでな。しかもこいつ等、温海にいる魔物だけじゃねぇっぽいんだよ。西大洋棲息のがちらほら混じってやがる。なんでちと妙だと思ってな。まぁ心配するこったねぇがな!」

 少なくとも彼がこの様子ならば、確かに沈没する様な事態にはならないだろう。
 カタリナはマゼランの言葉に頷くと、自分も甲板で応戦しようと踵を返した。
 そして駆け戻りざまに船の側面を登ってきたサハギンを胴体から上下に切り飛ばし、構わずその場を通り過ぎようとする。
 しかし、丁度切り飛ばされて上半身のみとなったサハギンを踏み越えようとした時、その口から漏れる夢遊病の如き呟きが耳に届いてきた。

「・・・ロス・・・ヨウセイ・・・コロ・・・ス・・・」

 その言葉に振り返ったカタリナの見る先でサハギンは間もなく息絶えたが、魔物は最後まで船の内部へと向かう扉を目指していたようだった。

「ヨウセイ・・・?」

 魔物の最後の言葉を繰り返したカタリナは、直ぐに甲板の様子を窺う。そちらには十分な戦力があることを其れで確認すると、自分の直感に任せてすぐそこの扉、船倉へと続く室内に入っていった。

 

 外の喧騒が漏れ聞こえる真っ暗な室内をあちこち身体をぶつけながらも手探りで進んでいくと、はたしてそこには、子供が入れそうな程度の大きさの頑丈そうな鳥籠の様な物の中に、膝を抱えて蹲った少女を見つけた。

「ちょっとあなた・・・! 大丈夫!? 何でこんなところに!」

 ガシャリ、と籠に張り付いてカタリナがそう叫ぶと、少女はゆっくりと顔をあげた。
 その顔付きは驚く程に可憐で線が細く、そして瞳には今まで彼女が見たことのない不思議な色を宿している。
 よもや聖王の法が制定されて三百年のこの時代に、人身売買でも横行しているのかなどという想像が脳裏に掠める。

「助けて・・・」

 そして少女の口からか細く呟かれたその声に、カタリナは迷わず背中から引き抜いた大剣の柄で鳥籠の鍵を叩き壊した。
 そうして扉を開けてやると、少女は顔を綻ばせながら背中を震わせた。
 これに思わずぎょっとしたのはカタリナだ。
 細かく震えた目の前の少女の背中には、なんとこの暗がりでもはっきりとわかる半透明の羽が生えていたのだ。

「よ・・・妖精・・・」

 魔物が言っていたのは、この少女のことだったのか。
 南方の密林に住まうと伝えられる妖精のお伽話はカタリナも聞いた事があるが、まさか実在しているとは。
 とはいえ夢の中に入ったり四魔貴族とすら相対した彼女からしてみればそれ程までに驚き固まる事でもなく、すぐに頭は回転を始めた。
 そう、あの魔物の言葉にはさらに気がかりなことがあったはずだ。
 籠を出て飛び立とうとする少女の腕を慌ててつかんだカタリナは、一瞬悲しそうな目をして彼女を見返した少女に極力警戒心を抱かせない様に表情を作りながら口を開いた。

「今外に出るのは危険よ。外には魔物が攻めてきていて、それ等はどうやらあなたを狙っているようだから」

 その言葉に目をパチクリとさせた少女は、一つ頷いた。

「それは恐らく・・・アウナスの手の者です。アウナスは私達を滅ぼそうとしているから・・・」
「・・・アウナス・・・?」

 その言葉に、今度はカタリナが目を瞬かせた。
 アウナスと言われて誰しもがまず思い浮かべるのは、間違いなく伝説の四魔貴族の一人であるアウナスだ。
 カタリナの鸚鵡返しにもう一度頷いた少女は、その表情にまたしても悲しみの色を宿す。

「恐ろしい炎の魔神です。私達はあの魔神の居城の位置を知っているから、口封じに魔物を差し向けてきているのです・・・」
「それって・・・」

 カタリナが言葉を続けようとしたところで、船全体をこれまでに無い大きな衝撃が襲った。
 衝突音と共に大きく激しい横揺れを起こした船体は、其れまでの水平を保てなくなったのか斜めに床が傾く。
 船体に浸水する程の穴が空いたのか、先ほどよりも一層騒がしくなった船の外の喧騒に、衝撃で近くの木箱に頭をぶつけて悶絶していたカタリナは急いで立ち上がった。

「いけない・・・私がここにいたら、みんな殺されてしまうわ」
「いたた・・・っと、状況は芳しくないみたいね。あなたはここに居て頂戴。外の様子をみてくるわ」

 傾いた床に足を踏ん張って立ち上がったカタリナは、再び手探りでその場から入口方向へと進みはじめた。
 するとすぐ後ろからパタパタと羽音をたて、妖精の少女が付いてくる。
 気が付いたカタリナが再度ここで待っているように言い含めるが、しかし少女は首を横に振った。

「私がここから去らない限り、解決に至りません。兎に角行きましょう」

 カタリナとしてもここで問答を長くしている暇はないと諦め、あたりの荷物を蹴散らしながら船室の外へと這い出した。
 外ではコントロールを失った舵を捨てて甲板の中央に立ったマゼランが水夫達に指示を出しながら、乗客を脱出用の小舟に先導しているところだった。
 見ればこの荒波の中見事な操舵技術で、すぐ近くまで別の船が近寄ってきていた。
 破格の渡航費のお陰か乗客自体は多くはなく、これなら脱出も間に合いそうだ。

「おい!早くこっちに来い!ケツに何匹もデカイのが食らいついてやがるから、この船はもう時間の問題だぞ!」

 カタリナ達の姿を見かけたマゼランがそう叫ぶが、少女はその声を無視して船の後方へと進んで行く。この暴風の中では上手く飛べないのか、壁伝いに歩いているようだ。
 それに倣ってついて行こうとしたカタリナは、背中から彼女の名を呼ぶ声に気がついた。
 振り向くと、ポール達三人が今にも海面に降ろされる小舟の中から身を乗り出してカタリナの名を叫んでいる。

「・・・後でいくから、先に行ってて頂戴!」

 出せる限りの大声量でそう返すと、急いで少女を追いかけた。
 少女は船体後部に辿り着くと、船尾に噛み付いている巨大な魚達を見下ろした。

「・・・く・・・大気が、瘴気を払おうと藻掻いてる・・・。この風じゃあうまく飛べそうにないし、でもあちらの船になんて行けないわ・・・。どうすれば・・・」

 同じく見下ろしたカタリナは、えらく気色の悪いその光景に顔を顰めながら思考した。

(・・・こいつらを片付けてから船を移る時間の余裕は無い、か・・・。かと言ってどうにかしないうちにここを離れても、こいつ等は追ってくるから被害が広がるだけね・・・海上で相手をするのもしんどい・・・としたら・・・)

 カタリナは背後を振り返り、脱出作業の具合を見た。
 何艘かの小舟は次々に船を離れ、ロープで別の船に引き寄せられている。
 すでに船上に残っているのはマゼランと一部の水夫だけだ。あの面子なら、いつでも逃げ出せるだろう。
 カタリナは後方部のすぐ近くにも小舟が配備されていることを確認すると、留め具を素早く外していつでも下ろせる様にしながら少女にそこで待つ様に言った。

「さっきから新手が船をよじ登ってくる気配はないから、こいつ等をどうにかすれば取り敢えずは何とかなりそうだしね!」

 心配する少女にウインクしながらそう応えたカタリナは、振り翳した大剣を迷う事なく船の床に突き立てた。
 みるみるうちに地を這う衝撃波が船の床をズタズタに引き裂き、それは狙い通りに船に噛み付く大型魚類達を巻き込む。
 その光景を確認すると同時に無惨に崩れた床から海面に近い位置まで瓦礫伝いに飛び降りたカタリナは、傷付きながらもまだ噛み付いている魚達を片っ端から切り捨てていった。

「オッケー、降りて!」

 最後の一匹を大上段からの打ち下ろしで屠ったカタリナは、それと同時に少女に叫ぶ。
 少女がそれに応えて思いの外力強く小舟を海に落としてそれに飛び乗ると、大剣を背中に収めたカタリナも急速に沈み始めた船の部品達を足蹴にしながら何とか小舟に飛び乗った。

「早く離れないと・・・!」

 皆が避難しに向かった船は沈没していく船を挟んで彼女達の逆側にあるが、兎に角今は眼前で進行中の沈没に巻き込まれない距離まで離れなければならない。
 彼方へと回り込みながらこの場をやり過ごす余裕はないと判断したカタリナは、大急ぎで小舟に仕込んであるオールを取り出して力強く漕ぎ出した。

「だあぁぁぁ!ロアーヌ騎士なめんじゃないわよぉお!」

 オールとその留め具がいきなりのオーバーワークに悲鳴をあげる中、誰かに舐められてるらしいカタリナは盛大に水しぶきをあげながらオールを漕ぎ続けた。
 ガボガボと暴風の中でも届いてくる轟音を立てながら沈んでいく船を真正面に睨みつけながら、見る見るうちにその距離が離れていく。
 そして、その努力を嘲笑うかの様に悲劇が起こった。

「・・・!?」

 急に水の抵抗が軽くなった事に驚いたカタリナが左右を見やると、両手に握っていたオールは二本ともが中程から見事にへし折れてしまっていた。

「凄い力ですね・・・」
「・・・ありがと。でもあんまり嬉しくないわ」

 ずぶ濡れの少女の場違いな歓声に苦々しく応えた同じくずぶ濡れのカタリナは、どうやら取り敢えずは巻き込まれずに済んだらしい距離から、沈む大型船を眺めた。
 その更に向こうには、灯火をあげた商船団が見える。

「おーーい!!」

 この風の中では流石に立ち上がる事もままならず、それでも精一杯腕を伸ばして振りながら声を上げる。
 だがそれがあちらに届く様子はなく、それどころか荒れる海に為す術のない小舟は、波に弄ばれるままに灯火から徐々に離されていく。

「ちょっと・・・本気で不味いかしら・・・」

 この海原に何の備えも無い小舟で放り出されるということがどれだけ絶望的な事かなど、いくら海の素人でも想像に難くない。
 どうにかできないかと焦るばかりのカタリナだったが、しかし一向に打つ手が見つからずに頭を抱えた。

「この嵐では身動きが取れませんが、これが止めば私が船を押す事も出来ます。今は待つしかないです」

 対してこのような状況で妙に冷静な少女の言葉は悲嘆に暮れるカタリナの表情を多少は和らげてくれたが、それでも彼女は深々とため息をついた。

「・・・ったく、人生悩んでる暇も無しなのね・・・」
「・・・悩んでたんですか?」
「・・・いえ、やめたわ。悩むとロクな事にならないみたいだし」

 肩を竦めて少女に応えたカタリナは、取り敢えず船に設置してあった桶を取り出して、当面の飲み水確保の為に雨水を貯め始めた。

「そういえば言い遅れましたが・・・、助けてくれて有難うございます」

 他には何かないかと小舟の底を漁るカタリナに、唐突に少女が頭を下げてきた。
 それにカタリナは、なんて事はないと手を振る。

「その言葉は、無事に陸地についてから改めて聞く事にするわ・・・えーっと」

 そこでなんと呼べばいいのか言いあぐねたカタリナに、少女も困った顔をした。

「あ、えっと・・・すみません。私達には名前がないんです」

 妖精は気の流れから互いを認識し合うからそういう文化は無いのだと付け加える少女に対し、カタリナは水の滴る額を腕で拭った。

「うーん・・・でもそれだと私達は困るわね。嫌じゃなければ、なにか決めましょうよ。あ、そうだ、ティンカーベルとかどうかしら?」
「きっとそれは人間でいうところのニホンジン=オノヨーコ、と同じくらい安易な案です」

 中々ウィットに富んだ返答をしてくる少女に面食らいながら、カタリナは悩ましげに腕を組んだ。
 すると同じく腕を組んだ少女は、羽についた水滴を震わせて落としながら指を立てる。

「固有名詞で呼ばれるというのは私も慣れないですから、ここは一つ折衷案として、フェアリーで如何でしょう」
「まんまだけど確かに分かりやすいわね。では一先ずそれで」

 そう言って頷いたカタリナは、少女に右手を差し出した。

「此方も名乗るのが遅れたわ。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランよ。宜しくね、フェアリー」
「はい、よろしくお願いします、カタリナさん」

 それに首をかしげながらも握り返してきたフェアリーに、カタリナはこれは人間流の挨拶だと教えてやる。
 へぇーと感心するフェアリーににこりと笑いながら、カタリナは片手で目元を抑えながら未だ雨を叩きつけてくる暗雲立ち込めた上空を見上げた。

「早く止むといいけど・・・」

 彼女のこの祈りは、翌明け方になって漸く聞き入れられる事となった。

 

 

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