第八章・1 -ロアーヌの危機-

 

 ロアーヌ侯国の首都ロアーヌから南東へエルブール山脈を仰ぎながら三日ほど徒歩行軍した所に、一部が沼地にもなっている広大な湿地平原が広がっている。
 四魔貴族が一柱、魔龍公ビューネイの居城があるとの伝説が残る、聖王記所縁の巡礼地でもある霊峰タフターンへと向かう一本道以外には宿場宿も何もない、古ロアーヌから風景の変わらぬ未開拓地だ。
 だがこの平原に突如として、湿地帯をほぼ斜めに切り裂くかの様に北東から南西へと伸びる長大な木製の簡易防壁が現在、進行形で築かれていた。
 その木製の防壁は短期間の間にも部分的に幾度かの崩壊と再建を繰り返し、既に丸一月以上もの間、ロアーヌ南方とナジュ砂漠を隔てる雄大なるエルブール山脈の最も高い峰を誇る霊峰タフターンより散発的に侵攻してくる妖魔の大群から、ロアーヌ侯国領地と其処に住う民を守るための絶対防衛線として機能している。
 この長大な防衛線のすぐ後方には相互の距離を開けて幾つかの幕舎が設置され、そこでは幾人もの名だたるロアーヌ士官が交代で日夜指揮を奮っているのであった。

「戻ったぜ・・・」

 直前に沼地を走り回っていたのか、酷く全身が汚れた様子の男が、大層くたびれた様子で幕舎の中へと入ってきた。
 丁度幕舎の中で防衛線の補強、改修の計画を練るために戦場図と睨み合っていた、ロアーヌ騎士にして本防衛線の指揮を務める将の一人でもあるタウラスが其方を見遣る。そして幕舎の入り口を潜り入ってきた人物に対し、珍しく随分と覇気のない声を上げながら戻ってきたものだな、と思いながらも、手元の作業を止めて片手を上げつつ迎えた。

「あぁ、よく無事に帰ってくれたよ、コリンズ。悪いな、タフターン攻略班から態々こっちの防衛線に回ってきてもらって」

 タウラスの言葉に、彼と同じくロアーヌ騎士にして軍に於いては准将を務めるコリンズは、とんでもないという様にかぶりを振り、そして次には力なく項垂れながら、ここで一際大きくため息を吐いた。

「俺やパットン等の師団は、攻めてなんぼの歩兵と騎兵が中心だ。山岳地帯じゃ騎兵は使えねぇし、挙句に攻める相手が霧に隠れているんじゃ、役立たずのタダ飯食らいみたいなもんさ。准将を拝命してから初の戦だってのに、ほんと、情けない限りだよ。だから、こうして国の役に立つ仕事があるだけ有難いってもんだ・・・。いまいち調子は出ねぇけどな・・・」

 国家の一大事というこの場面に於いて自分の得意とする戦ができない事が余程堪えているのか、コリンズは自分の近くの木箱に浅く腰掛けながら心底悔しそうな様子で小さくそう言った。
 彼がここまで弱気な様子を、彼の同期であるタウラスは今まで見た事がない。だが、それも今は仕方がないのだろうか、とも思う。
 何しろ、直近一ヶ月のこの防衛戦とそれを取り巻く周辺の有り様は、お世辞にも良い流れなどとは言えない状態が続いているからだ。
 悪化の一途を辿る世界情勢を鑑みて行われた軍事演習中の謎の強襲に端を発し、ロアーヌ侯国がトゥイク半島の貿易都市リブロフの軍団を相手取った連戦の末、逆賊マクシムスの目論みを打破し神王教団教長ティベリウスとの間に和睦協定を結んでから、二ヶ月弱が経つかどうかという頃。
 この戦線は、そのような折に突如として開かれた。
 これまでの定期的な魔物討伐とは全く異なる規模での群を、いや、軍を成した妖魔の強襲を受けたロアーヌ侯国は、直ぐ様侯爵ミカエルの大号令の元、国民総動員体制での防衛戦線を即時形成するに至った。
 その後、一次戦線を驚くほど速やかな迎撃戦に持ち込み国土の損害を最小限に抑えてみせたミカエルは、その妖魔の軍勢が南方エルブール山脈の特に南東の方角から攻めてきたこと、また、交戦した妖魔軍には特徴として珍しい有翼種が多く見られ、この有翼種がロアーヌに保管されている過去の書物に記されていた「ビューネイの精」という存在に酷似しているという事を根拠に、交戦対象を『魔龍公ビューネイ軍』と断定。
 奇しくも、この半月ほど前にロアーヌ宮廷騎士カタリナ=ラウランを中心としたアビス軍勢討伐軍の活躍により地図上では南端に位置する広大な密林の奥にて全滅の危機に瀕していた妖精族の救出、及び四魔貴族魔炎長アウナスの居城である火術要塞の占拠という歴史的偉業を成し遂げていたロアーヌ軍は、その戦勝報を世界へ向けて逸早く発信していた。ミカエルは本迎撃戦をこれに連なる一大有事として、「対四魔貴族戦線」と呼称。全世界へ向け発信し、各国からの援軍を募りながら開戦をしたのであった。
 だが最初の迎撃こそ成功したものの、その後に肝心の攻めるべき相手の拠点が全く定まらず、戦線は早々に膠着した。
 ロアーヌ軍は攻め手を欠いたことで否応なしに後手に回り、この防衛線にて相手の出方を待つことを余儀無くされたのだ。
 タフターン山のある南東の様々な箇所から昼夜問わず攻め入る妖魔に対して幾度も防戦を余儀無くされ、補給線を確保しながら長大な防衛線を建築し、ロアーヌ軍はこの一ヶ月余りを耐え抜いてきている。
 だがいい加減に兵の疲労度も限界に達しており、防衛線には乱れも散見される様になってきていた。
 前線には負傷者も増え、疲労を抱えたままの連戦も祟り、戦死者もこの半月ほどは増加傾向にある。
 そして何より、未だこの状況の打開策が一向に見つからないという現実こそが、戦場の士気を著しく下げ続けているのだった。

「・・・で、援軍の方はどうなんだ?」

 くたびれた様子で懐から取り出した給水筒を煽り、コリンズが言葉の割には全く期待した様子もなくタウラスに尋ねる。
 その問いに対してすぐには答えられなかったタウラスだったが、コリンズのこの問いには別方向から応えるものがあった。
 不意に二人の会話を割って幕舎に入ってきたのは、彼らと同期の騎士にしてロアーヌ軍少将に就くブラッドレーだった。

「流れの傭兵や東部開拓民を中心とした周辺農村からの義勇兵は徐々に集まりつつあるが、国家としての援軍は未だ無いようだ」
「・・・けっ。しがない東国の事なんざ知らねーってか。これじゃあ、アビスの思う壺だぜ」

 コリンズの返答に、ブラッドレーは、これはとても良くない傾向だなと感じる。
 ここ最近の度重なる戦の主戦場を踏破してきたロアーヌ騎士団の「黄金世代」とされる彼の同期である騎士コリンズは、軍の中でも格段に人望が厚い将の一人だ。
 その直向きな性格と信念に強い忠誠を抱く騎士は多く、そんな彼のこうした後ろ向きな発言は、軍の少なくない範囲で良くない影響を及ぼすだろう。
 だが、それを直ぐに諫める様な万能の言葉を、ブラッドレーは持っていなかった。
 勿論、上辺だけの言葉をかけるなら、それは幾らでも出来る。だが、この一月の惨状は先の通りだ。
 コリンズの指揮する軍からも当然少なくない数の殉職者が出ており、その事実に対して生半可な慰めや諫めなど、意味を為さないどころか更なる士気の減少にも直結するのだ。
 何より、この戦線の展望の暗さを最も感じているのは、誰あろう戦線を預かる最高指揮官であるブラッドレー自身でもある。
 しかし彼は、弱音は吐かない。だが、他者にかけるほどの言葉まで、彼は持たない。

「・・・現在、ミカエル様がタフターン山の奥にあると目されるビューネイの居城を少数精鋭にて潜入攻略するための勇士を募っている。今の我々は、これが動くまで何としてもこの戦線を死守しなくてはならない」
「あぁ、分かってる。分かってるんだけどよ・・・」

 コリンズ自身も、ブラッドレーが感じる事を理解していないわけではない。
 だが、それでも彼には、そんないつ動き出すのかも分からないものだけでは、彼が失った部下の家族へ向ける顔がないのだ。

「あぁ、畜生・・・。俺に、カタリナみたいな力があればな・・・」

 コリンズが呟く。
 言葉にしながら彼が頭の中に思い描いたのは、軽鎧を纏い真紅の大剣を翳しながら隊の先陣を切る、女騎士の姿だった。
 現在、先の火術要塞攻略までに渡る多大なる功績により宮廷護衛騎士団長の地位に就くカタリナは、彼の直ぐ下の世代の後輩に当たる。コリンズは彼女とは、騎士団候補生時代から十年以上を数える長い付き合いのある間柄だ。
 彼女はつい先日まで、とある事情により一年弱ほどロアーヌを離れていた。その事情自体は詳しくは聞かされていなかったが、神王教団との戦の折に再会を果たした時に、大体の事情は本人から聞いていた。
 その事情はさておき、その間にカタリナが経てきた経験は、兎角、凄まじいものであった。
 一年ほど前、世界的にアビスの魔物の本格的な目覚めを感じさせた、メッサーナ王国首都ピドナにてあった「予兆」の中心に彼女はおり、その後、聖王の故郷である聖都ランスにて聖王家子孫から正式に依頼を受け、以降は四魔貴族を討伐するための旅路を歩んできたという。
 その旅の中で神王教団のピドナ支部長マクシムスが隠し持っていた幾つもの聖王遺物を奪還し、彼女は遂に四魔貴族の一人である魔炎長アウナスの居城を攻略するという伝説級の偉業を成し遂げたのだ。
 その中身には、実のところ幾つか誇張表現があり、細部は訂正するべき部分もあることは彼は無論知るところではあるが、それでも彼女が世界各地で成してきた事は紛れもない事実である。
 そして何より、神王教団との最終決戦の地であったナジュ砂漠にて彼女と再会した時、コリンズは一目彼女を見て、瞬時に理解したのだ。彼女は、もう彼の全く及ばぬ領域にいる存在であるのだ、という事を。

「聖王記に記される『八つの光』の顕現・・・か。ミカエル様は、ロアーヌよりそれが誕生したと、そう各国へと報を出した。聖王家も、それに応じて事実を認める声明を出してくれたそうだ。その効果が、今回の勇士募集に影響をしてくれればよかったんだがな・・・」

 ブラッドレーが直近の宮廷内の動きを添えながら応えるが、コリンズは相変わらず投げやりな様子のまま、幕舎の天井を見上げた。

「それでも、世界は動かねぇ。結局、いざ自分の喉元に剣が突きつけられるまで、奴らは気付きやしねえんだ・・・。今の俺たちの様に、な」

 コリンズがそう呟いた所に、まるでこれで会話は終わりだとでも告げるかのように、大変慌てた様子で幕舎へと駆け込む兵があった。

「も、物見櫓から報告!前線に獣人族を中心とした妖魔の軍勢を視認!その数、凡そ三千!」

 兵を認めたブラッドレーが、その報告に即座に反応する。

「・・・ライブラ隊を核に二層防壁陣を布陣!またフォックス隊に伝令!別方面からの奇襲に備え、四方索敵!」
「はっ!ライブラ隊が二層防壁陣にて対応、及びフォックス隊にて四方索敵、了解いたしました!」

 伝令を復唱し兵が即座に幕舎を後にしていくと、ブラッドレーは自分も前線の確認をするためにロアーヌ侯国の紋章が刻まれた腰の剣を確認し、外套を翻した。

「我々は、伝説の英雄にはなれない。だが、故国を守る英雄にはなれる。今ここでそれを証明し続けることこそが、誇り高きロアーヌ騎士としての使命だ」

 ブラッドレーがそう言うと、コリンズはそれに応えるように即座に立ち上がり、己に言い聞かせる様に深く頷いた。

「分かってんだ・・・そんな事は。俺は、この国を守る為に騎士になった。それは、俺の中の絶対的な正義だ・・・。俺も行くぜ」
「助かる。タウラス、ライブラ隊の後方支援は任せるぞ」
「了解だよ、大将」

 ロアーヌ式敬礼をしながらのタウラスの返答に、ブラッドレーは彼の性格上は仕方がないのかもしれないが、律儀にも「自分は少将だ」と真顔で訂正を返すと、それに苦笑するタウラスを背に、コリンズと共に幕舎を後にした。

 

 

 海上要塞バンガードが四魔貴族フォルネウスの潜む海底宮の攻略から遂に大陸への帰還を果たしたのは、ロアーヌとビューネイ軍の戦線が敷かれてから大凡一ヶ月半程が経った頃だった。
 突如として大地が無慈悲に引き裂かれたかのような実に荒々しい様子で、ルーブ地方とガーター地方を隔てる広大な範囲に及ぶ断崖絶壁。
 地図上では、確かにここに、海上都市バンガードがあったはずだった。
 南北の相互地域交通網が突然に断絶された事で、多くの行商人が崖を前に一度立ち往生をしては近くの漁村からの渡し船に頼っていく中、この場所にて只一人、根気強く幾日にも渡って野営を続けていたトーマスは、西太洋の向こうから遂にその姿を現した海上要塞バンガードを沖合に見つけると、しかしそれに喜ぶでもなく兎に角必死に狼煙で合図を送り、それに彼方が気付いていることを願い、相手の反応を待つ前に大急ぎで小舟を出した。
 幸いな事に船首からそれに気がついた町民の知らせで無事にバンガードへと収納されたトーマスは、そこでおよそ二ヶ月少々振りに再会を果たしたカタリナに、簡潔に現在のロアーヌの状況を説明をした。
 すると話を聞いた彼女は一も二もなく急ぎロアーヌへと戻ろうと、即座に旅支度を整え始めたのだった。
 兎に角カタリナにとっては、故国の窮地に一刻でも早く駆けつけるという考えのみしか浮かばなかったのだ。
 だがそこに更に、彼女にとってはトーマス以上に全く予期せぬ来訪者があった。
 正に皆の制止を振り切って単身ロアーヌへと向かうべくバンガードの船着場から大陸に戻らんとしたカタリナの前に小舟に乗って唐突に現れたのは、特徴的な色合いのとんがり帽子を被った、聖王記詠みを自称する詩人であったのだ。

「やぁ、またお会いできましたね。カタリナさん」
「・・・!」

 そう言って小船から降りて、やおら優雅にお辞儀をしてみせる詩人に対し、カタリナは思わず反射的に腰の剣に手を掛けようとする。
 だが、そんな様子をすら面白がる様に詩人はケラケラと声を上げて笑いながら、相変わらず剽軽な様子で肩を竦めた。

「まぁまぁ、そんな怖い顔をしないで。今まで私があなたの目の前に現れて、事態が暗転した事、ありました?」

 これまでの例に漏れず、相変わらず人を喰った様なその物言いにカタリナは当然に憮然とした表情で返すが、それでも不思議とこの詩人の言葉には渋々と従ってしまうような、ある種の強制力を感じる。
 彼女と同じく、カタリナを説得せんとその場に集まっていたトーマス、フェアリー、ハリード、シャール、ミューズが一様に突然の来訪者に対し呆気にとられていると、当の詩人は随分とあっけらかんとした様子で船着場から市街地へと向かう階段へと、周囲の様子を全く気にせず勝手に歩き出した。

「まぁこんな所で立ち話も何ですから、皆さん座って話しましょう。バンガードといえば、歴史は浅いですがグッドフェローズのハーブティーが意外と馬鹿にできない味なんですよ?」

 そう言って颯爽と市街地へ向かい歩いていく詩人に益々周囲が困惑する中、意外にも最初に彼に続いたのがカタリナだった。
 トーマスからの話を聞いて以降は周囲の誰が何を言っても一切ここまで聞く耳を持たなかったカタリナが突如として素直に従う様には再度周囲が驚きつつ、しかし皆もその後についていくことにした。

 

「さて、現在ロアーヌに訪れている危機に関してですが」

 ハーブティーと一部面々にはエールが用意されるまで、のらりくらりと幾つもの追求を躱し続けた詩人は、自らの手元に用意されたティーカップを取り上げ、香りを楽しむ様に顔の前で薫せ、一口飲んでたっぷりと味を堪能したあとで、漸く口を開いた。
 その間、丁度彼の真正面に座っているカタリナの怒りの表情が余りに鬼気迫っており、次の瞬間には詩人に斬りかかるのではないかと肝を冷やしていた一同は、彼が漸く話題を切り出したことに大変安堵しつつ、カタリナと共に彼の言葉に耳を傾けた。

「このままでは、ロアーヌは確実に滅びます」

 ガタンッ、とカタリナは座っていた椅子を盛大に蹴飛ばして立ち上がる。
 そして周りが制止する間も無く、迷わず腰にあったマスカレイドを抜き、テーブル対岸の詩人へと突きつけた。

「・・・いい加減にして。これ以上無駄口を叩くなら、問答無用で斬るわ」

 彼女の声色には、一切の冗談めいた要素が含まれていない。
 突如として起こった修羅場に、グッドフェローズのマスターをはじめとしたその場の他の客は、その只事ではない様子に遠巻きに避難した。そして緊張感が支配する店内で外野が息を潜めて件のテーブルの様子を見る中、今まさに斬りかかられようとしている詩人は全く動じた様子もなく、又してもティーをゆっくりと啜り、音を立てずにカップを置いて、にこりと微笑んだ。

「なので、今からそれを回避する為の助言をしようと思います」

 その言葉から数秒、カタリナと詩人の視線が交錯した。
 カタリナはその視線から、目の前のこの男が一体何者で、何を考えているのかを推察しようとする。
 初めてこの詩人を名乗る男に会ったのは、確かピドナのパブだったと記憶している。その時は単なる流しの吟遊詩人としか思わなかったが、この詩人との意外に早い再会は、その一週間後の早朝だった。
 朝日の差し込む港にて彼と対峙した時、その謎めいた言葉と掴み所のない動きに、彼女は自分の心と体が翻弄されたことを今も強烈な印象として覚えている。だが、後にこの時の詩人の言葉に従ったことで、この後の展開の活路が開かれたのは事実だ。
 そして三度出会ったのは、彼女がこの旅の当初の目的を果たさんとする、正にその時。ナジュの神王の塔での事だった。
 この時も確かにこの男の助力を得ることで、神王の塔へと容易に潜入することが可能となった。その結果として彼女は逆賊マクシムスを打倒し、聖剣マスカレイドを取り戻すことができたのである。
 脳内で冷静に振り返ってみれば、ここ半年程で彼の言葉に従うことが事態の進展に大きく寄与してきたことは間違いない。だが、どうしてか彼女はこの目の前の吟遊詩人が好きになれそうにはなかった。
 しかし今はそのような呪詛を吐く時ではないと思い直し、カタリナがゆっくりとマスカレイドを納刀し後ろに倒れた椅子を引き戻すと、近くの面々も一先ずの危機が去った殊に安堵した様子で息を吐き、話の続きを促す。
 その様子をすら何処か楽しむ様に辺りを眺めた詩人は、徐に懐から一枚の随分と古びた地図を取り出した。

「さて・・・敬虔なる聖王教徒であるカタリナさんは、聖王記に記された四魔貴族ビューネイの討伐譚は、勿論ご存知ですよね?」
「・・・ええ」

 詩人の問いかけにカタリナが浅く頷きながら返すと、詩人はその返答に大変満足した様に大きく頷き返しながら、取り出した地図をさっとテーブル上に広げた。

「現在ロアーヌ領を攻め立てている妖魔の軍勢は、間違いなく魔龍公ビューネイの差し金でしょう。これは正直、いくら屈強なロアーヌ軍が何度迎え撃ったとしても、事態の根源であるビューネイを打倒しない限り、キリがないです。延々とアビスゲートより生まれいでる瘴気が招く妖魔の侵攻が、ロアーヌ軍を食い尽くすまで続くでしょう。従って、力の源となっているビューネイの打倒無くして、ロアーヌ軍に勝利は無いのです」

 そう言いながら詩人の手によって広げられた地図にカタリナが無言で視線を落とすと、其処には何やら山岳地帯を示す平面図が描かれていた。

「ですが、天空の支配者たるビューネイは常に空を舞っており、地上から彼の者を相手取ろうとしても、剣は愚か、弓すらも届きません」

 まるで詩を歌い上げるかの様な調子でそう語りながら、詩人はさながら歌劇の演者の様な仕草で以って、地図の一点を指し示した。

「ですから、カタリナさんは故国ロアーヌを救う為にも、ここを目指さなければなりません」

 その古びた地図に描かれている山岳地帯は、今まさに決死の戦が行われているというロアーヌ地方の霊峰タフターン山の様子とは何処か違ったものの様だった。
 それに大凡の察しがついていたカタリナが、視線を正面に戻し、彼に応える。

「龍峰ルーブの頂・・・。まさか私に、ここに行って聖王様のように竜の助力を得ろ、って言うの?」

 詩人が地図上で指し示しているのは、このバンガードから北に向かったルーブ地方にある、龍峰の名を冠するルーブ山だった。
 聖王記に綴られる四魔貴族ビューネイ討伐の章によれば、地上からビューネイを相手しようとした聖王に対し、肝心のビューネイは全くその様子を意に返さなかったのだという。
 天空の支配者である魔龍公は、地を這う存在に興味を示さず、全く相手にしようなどとしなかったのだ。

「左様。魔龍公に相対するのは、地に足をつけていては叶わぬということ。つまり、彼女のフィールドである天空にて戦いを挑まなければなりません」

 魔龍公ビューネイの様子に、地上からの戦いが不可能と悟った聖王は、当時のルーブ山に棲まう巨龍ドーラに助力を乞う為、ルーブの頂を目指した。
 そしてその冒険の末に巨龍ドーラの協力を取り付け、聖王はドーラの背に乗り大空へと羽ばたき、天空にて魔龍公ビューネイへと挑み、遂に勝利を手にした。

「さしもの魔龍公も、人と龍との力に屈した、という伝説。貴女は、これからこの伝説を準えなければならない。そうしなければ、危機に瀕した現在のロアーヌを救う事は出来ない、という訳です」

 詩人の言葉を脳内で反芻しながら、カタリナは目を細めて考える。
 今までこの男の言葉に従った時、確かに間違いなく彼女の直面する事態は拓けてきた。
 だが今回のこればかりは、如何なものだろうか。
 この聖王記の伝説は確かに彼女もよく知っている内容であるし、それに当てはめて詩人の言う理屈もわかる。だが、今の世に於いてこの伝説を準えるには、多分に事情が異なるということも、彼女は知っていた。だから、それが可能なのかどうかが、どうしても疑わしいのだ。
 そんな彼女の抱く疑問を代弁する様に口を開いたのは、彼女の隣に座って話を聞いていたミューズだった。

「あの・・・吟遊詩人様、一つ宜しいでしょうか」
「ええどうぞ、クラウディウス家の御令嬢様」

 ここまで名乗った事もなく、また会ったことすらない相手にそう言い当てられながら、不思議にそのこと自体は疑問にも思わず、ミューズは軽く頭を下げて言葉を続けた。

「現在ルーブ山には、悪竜グゥエインが棲むと聞いています。確か十年ほど前にも、ルーブ山の麓の小さな山村を蹂躙し滅ぼしたと世間で騒がれていたのを記憶しております。貴方はカタリナ様に、その様な人に仇為す竜と手を結べと、そう言っているのですか?」
「ええ、正にその通りです」

 間髪入れずに詩人がミューズの問いに答えると、一時、その場に沈黙が訪れる。
 現在のルーブを住処とする悪竜グゥエインの存在は、この地方のみならず、広く世界に知られているところだ。
 その存在が最初にいつ確認されたのかは現存する資料も無く不明であるものの、少なくともここ百年以上はルーブを住処としていることが過去の被害情報から分かっていた。
 悪竜グゥエインによる被害はループ地方をはじめとして、ウィルミントンを中心としたガーター半島や聖都ランスを横切るイスカル河沿岸地域に至るまで、広い範囲で確認されている。
 各地に祀られていた古代の財宝の数々を奪い、街や村を襲っては人肉を喰らい、為す術ない人間を嘲笑う様に土地を蹂躙し、ルーブ山へと戻っていく。
 その被害は十数年に一度程度の周期で訪れ、その活動期の度に、世界中の人々を恐怖のどん底に陥れてきた。
 四魔貴族が居なくなったこの三百年に於いては、人類にとってはなす術のないという意味では最大の脅威と言って間違いない存在なのだ。
 その様な人類に仇為す悪竜に、人が協力を求めることなど、果たして本当に可能なのだろうか。
 その事実はその場に集まる誰しもが知るところであり、ミューズやカタリナが抱く懐疑的な思いに全員が同調する様に押し黙った。
 だが以外にもその沈黙を破ったのは、一人ハーブティーの代りにエールを勢いよく飲み干したハリードだった。

「ルーブに残された、友人の子・・・か。つまりは聖王が言っていたのが、そのグゥエインという事なのか」

 ハリードのその言葉に、カタリナとトーマスがピクリと反応する。
 彼が言ったのは、嘗てピドナのハンス邸にて集まった際に彼女らが見た、王家の指輪に刻まれた聖王の語る映像にて聞いた言葉のことだった。
 それを知らぬミューズ等はハリードの言葉に対して当然思い当たる節がなく疑問符を浮かべるが、カタリナは確かにその映像を覚えていた。
 そうなると聖王の言っていた友人とは、人間ではなく巨龍ドーラのことであったということか。
 確かに、友人の子と言われてもそれが人間ならば、当然だが三百年も生きていられるはずもない。後世に現れる八つの光に対して紡ぐ言伝ならば、友人の子というのが人間を指していることの方が寧ろ可笑しい。そうなれば確かに、辻褄は合う。

「友人・・・ですか。そうですねぇ・・・確かに聖王にとっては、巨龍ドーラは友人と呼ぶに相応しい存在だったのかも知れません。ご存知の通り、聖王は魔龍公ビューネイ討伐の後に、聖王の再三の諫めを聞かず人里を襲ったドーラをもその手で屠っています。その際、聖王が竜の命を奪った折に流した涙と嗚咽は、ルーブ山中に響き渡ったと伝えられています。聖王記にすら其処まで記されるという事は、相応の関係性が其処にはあった、と見るべきなのかも知れませんね」

 詩人は話の流れからハリードの言葉に頷きつつ、聖王記の内容に準えながら語る。
 それは恐らく正しい見解なのだろうな、とカタリナも感じた。
 あの時の映像にて最後に「友人の子」について語っていた時の聖王は、『聖王』という神格化された存在というよりも、文字通りの友人の子を心配する一人の単なる人間の様にも見えたのだ。
 その聖王に、確かに彼女は頼み事をされていた。
 ならば、彼女に用意された答えは、最早一つだけだ。

「・・・分かったわ。ルーブ山に、行ってみましょう」
「ふふ、貴女ならば、そう言ってくれると思っていましたよ」

 まるで初めからその答えを知っていたかの様に微笑む詩人に対して、その思惑通りにことが運んでいることを思うと非常に腹立たしい気持ちが沸沸とカタリナの内面に沸き起こる。しかしこれを鍛え上げた強靭な理性でどうにか押さえ込みつつ、カタリナは立ち上がった。
 そうと決まれば、ほんの一時たりとも時間を無駄にしている余裕など、ないのだ。

 

 その日のうちに改めてグゥエインとの対話を図るための準備を行いバンガードを発ったカタリナは、バンガードから上陸したルーブ地方側の最寄りの宿場町から馬を駆り、真っ直ぐルーブ山へと向かった。
 今回彼女に同行するのは、フェアリーのみだ。
 フェアリーに同行を願ったのは、竜たるグゥエインとの対話に人語以外が必要となる可能性を考慮し、その場合の通訳を頼むためである。
 そして逆にフェアリー以外に同行者を連れてこなかったのは、グゥエインに対して此方は争う意志はない、ということを伝えるためだ。大人数で押し掛けても、無駄に対象の警戒心を煽るだけだろうというのが、カタリナの考えであった。
 また抑もトーマスに関しては、どうやらカタリナにロアーヌのことを伝えることが本来の目的というわけではなく、元々はガーター半島最大の都市国家であるウィルミントンに向かう予定だったようだ。そこで、ウィルミントンを本拠地とするフルブライト二十三世に、何らかの急用で呼ばれているらしい。
 今回は偶々それと同じタイミングでロアーヌの危機をピドナで知り得、急遽ウィルミントンに向かう前に、こうしてバンガードの帰還を待ってくれていたのだという。本当に彼には、感謝しかない。
 そして如何やらミューズとシャールにも同じくフルブライトからの熱烈な招待があったらしく、トーマスと三人でこのあとウィルミントンに向かう予定だ。
 合成術を放ったウンディーネはまだ両腕の状態が芳しくなく、治療が継続して必要な状況で迂闊に動けないので、ボルカノもそれに付き添っている。
 ブラックは見かけに寄らず律儀にも今回の恩を返すために暫くは付き合うと申し出てくれたが、それならば、とハリードと共にミューズの護衛についてもらうことにした。トーマスが言うには、今後更にミューズの身辺警護は強化をしていかなくてはならないから、どの事だ。

「こうしてカタリナさんと二人で旅をするのも、なんだか久しぶりな気がします」

 馬上でカタリナの手前にちょこんと腰掛けながら、フェアリーはそう言ってニコニコと微笑んだ。馬上でそんなに喋ったら舌を噛むわよ、と言おうかと思ったが、そう言えばフェアリーは常に多少浮いているので、馬の振動は関係ないのであった。カタリナはそのように思い返し、そういえばそうね、と短く言って微笑み返す。
 フェアリーとはグレートアーチに向かう船上で出会ったので、それももう既に四ヶ月近くも前の話だ。
 あの時の密林の大冒険も、思い返せばとんでもない経験だったな、とカタリナが思い返していると、フェアリーはカタリナを見上げるようにしながら口を開いた。

「今度は、竜との対面ですね。こんな時に不謹慎ですが、私はまた新しい世界が垣間見える様で、少し楽しみです」

 一人和やかにそう呟いたフェアリーは、改めて遠く北方に見えるルーブ山へと視線を向けた。カタリナもそれに合わせて、遠くの峰を視界に映す。
 二人は、ここから五日ほどでルーブ山へと到達する予定だ。

 

 

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第七章・9 -最果て-

 

 耳を擘く轟音と共に『空』へと流れ落ちる、見渡す限りの水。水。水。
 それは文字通り上下左右を見渡す限り、どこまでも、全く同じ光景だった。視界の続く限りその果てまでずっと、大量の水飛沫を伴い滝となって落ち続ける水があるばかり。このように水が落ち続けてしまっては、三日もすれば世界の海はすっかり干上がってしまうのではないか、と心配になるほどだ。
 そしてその滝の轟音の渦巻く中に、滝の轟音に比べたら実にわずかな音量にて、自然界には起こる筈のない異質な戦闘音が時折混じっていた。
 自分たちの数倍は高さがあろうかという巨大な水竜の放つ鋭い爪撃を、しかし最前線に立つカタリナとハリードは、滑りやすい濡れた足場にも関わらず難なく飛び回って躱していく。
 彼らの背後には依然として落ち続ける滝があり、その滝の合間から出っ張った岩場で彼らと対峙する巨大な水竜の背後には、ただ只管に青い空がある。
 その背後の空には、大地も、海もない。只管に、青空があるだけなのだ。それは、生物に生理的な恐怖をすら抱かせる『無』とも呼べる光景だ。
 動き回るカタリナとハリードに翻弄されて姿勢が崩れた水竜に向かい、シャールが己の魔力を込めた強烈な二段突きを放つ。するとその二段突きに込められた迸る気迫が、雄々しい二頭の龍の形に具現化し、衝撃波を伴って双龍が水竜を貫く。

「ギャオオオォォォォォ!!」

 シャールの一撃によって胴を抉られ苦痛に喘ぐ水竜へと向かい、更に追い打ちをかけるようにミューズとフェアリーが、その手にしていた麻袋を勢いよく水竜に向かって投げつけた。
 水竜が苦悶の声を上げつつもそれを打ち払うように尾を振るうが、麻袋は龍の尾に振れた瞬間、とんでもない威力で炸裂を起こす。それは、朱鳥術士ボルカノ特性の「火星の砂」と呼ばれる、特殊な岩石に朱鳥の力を内包させた魔道具であった。古くは四魔貴族であるアウナスの配下が用いたものであるとされるが、それを現代に蘇らせたボルカノが更に改良を加えた一品だ。
 炸裂の衝撃によって無残にも尾が吹き飛んだ水竜は、再度雄叫びをあげながら苦しみ踠くが、尾を失ったことで姿勢制御が出来ずに大きくよろけた。そこに止めとばかりに放たれたカタリナの払い抜けをもろに喰らい、水竜は呆気なく岩場から水飛沫と共に、何処とも分からぬ空の果てまで落ちていった。

「ふぅ・・・ここが世界の最果てっていうのは本当なのね・・・。なんかもう、来るところまで来たって感じだわ・・・」

 カタリナはそう呟きながら、水竜の落ちていった先を岩場の端から恐る恐る見つめる。
 背後は滝。正面は空。下を覗き込めば、そこは空虚なる果てなき奈落。
 そう、まさに世界のこの先には「何もない」のである。

 

 カタリナ達は今この世界の最果てにあるらしい、通称「最果ての島」にいた。
 ハーマンの示す通りに只管西太洋を西へと進んだバンガードは、人類が外海に進出してから現代に至るまで、ついぞ越えることのなかったとされる船乗り達の畏怖にして信仰の対象「玄武の怒り」を突破することに成功した。
「玄武の怒り」とは、陸を離れて外海の航海を続けると必ず遭遇すると言われる、巨大な嵐のことだ。
 例えどれだけ大型の船であろうとも、この未曾有の嵐によって荒れ狂う海に弄ばれ、沈没を免れない。まるで突如として神の逆鱗に触れたかのように荒れ狂う海原を見た人々は、それまでの穏やかな海との違いに慄き、強烈な畏怖を抱き、祈りによってその災厄を免れようとしてきた。故に古来より西方諸国では、外海での長期間の航海は徹底して避けられてきたという歴史がある。
 だがハーマンは、それを承知で西を目指した。彼には、それだけの確信があったのだ。
 結果として大方の予測通りに玄武の怒りに触れたのだが、さしもの玄武もこのバンガードを沈めることは叶わずだったのか、無事に嵐を通過する事ができたのであった。
 そして嵐を抜けた先に遂に見えたのが、この「最果ての島」だった。
 島に最接近するには座礁の危険性が高いとのことで、バンガードを沖に待機させながら小舟を出して一時間ほどで辿り着いたその島には、なんと驚くべきことに何者かの住居が幾つもあった。
 そしてその住居から出てきてカタリナ達を歓迎してくれたのは、なんとそこに住う先住民族「ロブスター族」であったのだ。
 ロブスター族とは、西方世界の中でもその存在を知っている人間は殆ど居ないであろうと思われる、不可思議な種族だ。かく言うカタリナも、存在を知っていたと言うよりはフェアリーからその存在を示唆されていた、というだけであったし、何しろ当のフェアリーにしても実物を見たのは妖精族の歴史にて初。あとは、古代文献で僅かばかりの其れらしき記述を見ていた、ウンディーネとボルカノ位だ。
 そしてもう一人、この中で誰よりも彼らロブスター族のことを知っている人物がいた。
 それこそが、ハーマンだった。
 因みに彼らはロブスターといっても、その姿は一般的な節足動物の様相を成しているわけではない。なんと彼らは、ロブスターと言える特徴を備えていながらも、驚くべきことに人間と同じく二足歩行であったのだ。また人間で言うところの両腕に当たる部分にはエビ科の特徴としある大きな鋏を持っており、しかし退化したのかそれ以外の複数の足は生えておらず、両足に当たる部分には、人間以上に逞しい『足』を持っている。
 カタリナはその姿を見て、かつてフェアリーから「周囲がドン引きするくらい本気で全身ロブスターの仮装をした人」と言われた通りそのまんまだな、等と多少ずれた感想を抱いた。
 そしてその容姿よりも更に一等驚くべきことに、なんと彼らは、人語を解した。

「見事だな、人の子らよ」

 それは、はたして拍手のつもりなのだろうか。両手と思しき部分の巨大な鋏をカチカチと小刻みに鳴らしながら滝の裏から現れたのは、ロブスター族の戦士だと名乗るボストンというものだった。

「我々のモードは玄武の水。水竜には通じなかったからな」
「いえ、あんなものが居ては、さぞ御不安だったでしょう。手遅れになる前に我々が来て良かったです」

 妙に紳士的な言葉遣いのボストンに対し、カタリナはすっかり人に接するのと同様の調子で受けあった。
 そこに、ボストンの背後からハーマンも現れる。

「・・・君は参戦しなくて良かったのかね、ハーマン」
「・・・けっ、俺が出る幕じゃねえんだよ」
「フォフォフォ、そうであったか」

 そして驚いた事に、ハーマンとボストンは顔見知りらしかった。なので、この最果ての島に辿り着いた折にも二人は、真っ先に声を掛け合っていた。
 この滝の洞窟に、フォルネウスが差し向けた水竜が巣喰い島を脅かしている事を最初に聞いたのも、彼だ。
 そして話を聞いたハーマンは間髪入れずに、何より先ずその水竜を仕留めることをカタリナに提案してきた。

「・・・ま、これであの時の借りはチャラだ。戻んぞ」

 吐き捨てるようにそういったハーマンは、相変わらず義足とは思えぬ俊敏な動作で踵を返して滝を潜っていく。

「・・・義理堅い男だ。過去にここに流れ着いた彼奴を介抱したのだが、それに恩義を感じていたようだ」
「ふぅん・・・」

 ボストンのその言葉に、カタリナは何だか意外なことを聞いたな、と考えながらハーマンの背中を視線で追う。
 彼がこの島の存在を知っていたのは何故なのかとは考えていたが、タネを明かせばつまり、ここに来た事が既にあったからなのである。
 ボストンによれば、十年ほど前に船の破片か何かに掴まり島の沖に流れ着いていたハーマンを、彼が最初に見つけて介抱してやったのだそうだ。
 当時の彼は全身に夥しい傷跡があり、そして左足は膝から下を鋭利な歯か何かで食い千切られるようにして失っていた。誰の目にも洋上で魔物に襲われたのだろうという事が、その様子からすぐに分かった。
 そして酷く衰弱していた彼を島で数週間に渡り介抱した後、玄武の祈りを込めた小舟に乗せて東へと送り出したのだった。
 彼らロブスター族は玄武の力を司る種族であり、彼らの祈りは「玄武の怒り」を鎮める事ができる。そして祈りは船の周囲にのみ、その向かう先への流れを生み出し、ハーマンはガーター半島の西岸へと漂着することに成功したのだそうだ。

「戻ってきたということは、矢張り彼奴は、フォルネウスに挑むつもりなのだな」

 ボストンのその言葉に、カタリナは浅く頷いて返す。
 そう、彼は間違いなく、四魔貴族が一柱である魔海侯フォルネウスに挑むつもりなのだ。
 その為にこそ彼はカタリナの要請に応じ、ここまで同行をしてくれたのに他ならない。
 そして彼がこの「最果ての島」に戻ってきたのは、何も彼らに恩を返しにきただけと言うわけではないらしい。それ以外にも、しっかりとした理由があるようだった。

「かつてここに流れ着いた時、彼奴は満身創痍にも関わらず自分の足と仲間の仇を討つと言い、直ぐにでもフォルネウスと相見えるつもりでいた。だが、フォルネウスは余りに強大だ。あの時の彼奴では、何の抵抗も出来ずに、ただ無駄に死に行くだけだった。我々はフォルネウスの住処である『海底宮』のあるポイントを知っているが、あれでは教えるだけ無駄。だから、フォルネウスに挑むに相応しい状態でまたここに戻ってこられたらポイントを教えてやると、あの時はそういって彼奴の世界へと返したのだ。まさか、本当に戻ってくるとは思いも寄らなかったがな・・・」

 あぁ、だからか。と、カタリナはここまでのボストンの話を聞きながら、この最果ての島に至るまでの船旅を思い返していた。
 ウンディーネが集めた玄武術士は、三十六人を三交代制でバンガードの動力確保を行なっていた。
 自らの担当時間帯でバンガードを動かした術士達は、魔力量がほぼ枯渇した状態で解放され、その後は食事など各々の時間を過ごし、最後にボルカノの調整した擬似霊酒を飲んで魔力回復を行い休息をとる。
 つまり一日に三回、バンガード内では業務内容としての酒盛りが開かれていたのだ。
 そしてその間カタリナ達は特にやる事もなく、食料確保を目的に釣りをしたり、剣の稽古をしたり、バンガード内部にある資料庫と思しき場所で調査をしたり、若しくは酒盛りに合流したりと、各々の自由に過ごしていた。
 そんな中でもハーマンは、カタリナ達の輪にも混じらず、また一番好みそうな酒盛りにも参加せず、ただただバンガードの船首にて自らの向かう先を眺め続けていた。
 彼女が特に印象深く思っているのは、航海が始まって一週間経った辺りの頃だ。それは、船首から海にラム酒を流しているハーマンの姿を見た時だった。
 まるでそれは誰かへの弔いのようにも思えたが、彼独特のどこか人を寄せ付けようとしない空気に、彼女もそこで声をかける気にはなれなかったのだ。
 つまりあれは、フォルネウスとの戦いの中で犠牲になった仲間への弔いだったのだろう。

「あれからあの男は、たったの十年で伝説のバンガードを引き連れてやって来て、そして今、この島の危機をも救った。あの男の覚悟に、我々も応えなければなるまい」

 滝へと繋がっていた洞窟を戻って島の表層へと出てきたところで、ボストンは外で何時もの様に煙をふかしながらこちらを待っていたらしいハーマンを見据え、そう言った。

「ハーマンよ。約束通り、海底宮のポイントを教えよう。だが、ポイントを教えたところでそこに先導するものが居なければ、海底宮へと辿り着くことは叶わないだろう。故に、わたしもバンガードに乗せてくれないかな?」
「・・・あん?」

 ボストンのその申し出に、ハーマンは煙を吐き出しながらそう呟いた。そして何を思ったのか、カタリナへと視線を投げかける。

「バンガードの主人は俺じゃねえ。其奴に聞け」

 いやいや、別に私も主人ってわけではないし。なんなら、ちゃんとバンガードにはキャプテンがいるし。とは言えず。
 カタリナは急に話を振られて、意味もなく勿体ぶって腕を組んでみた。
 とは言え、無論彼女にはこの申し出を断る理由など微塵も思いつくわけはないのであった。

「オーケー、一緒に行きましょう」

 そう快諾して、改めて握手をしようと手を差し伸べかけたが、ここで彼の鋏と握手したら自分の右手は恐らく無くなってしまうな、という事に思い至ったカタリナは、ボストンの肩の部分と思しき頑強な甲殻を軽く叩きながらそう告げた。

 

 

 ボストンの情報提供によって西太洋の、とある地点の海の奥深くに海底宮があるということが分かった。
 そしてそこに進軍するに向けて文字通りバンガード中を奔走することになったのは、実質的にバンガードの航海士的な立場にあるボルカノであった。
 最果ての島へと送り込んだ水龍が屠られたことがフォルネウスに伝わるのは、無論時間の問題であろうと考えられる。バンガード襲撃失敗、最果ての島の侵略失敗から時間が経てば経つほどに警戒度は上昇し、海底宮への侵攻は難易度を増していくだろうことが予測された。
 故に一行は海底宮のあるポイントがわかった以上は一刻も早く向かうべきという方針で一同意見は一致したのだが、ここで問題が一つ浮かび上がった。
 つまりは、「どうやって海の底にいくのか」ということである。

「聖王記のフォルネウス討伐の章には、『海底宮に攻め込んでフォルネウスを討った』っていう記述しかないのよね・・・相手を海上におびき出すのではなく、こちらが海底に攻め入る。魚にでもなれ、というのかしら・・・?」

 集合会議の場でカタリナがそう疑問を呈すると、その場に集まった一同はそれに対する回答を持ち合わせずに、一様に首を捻った。ボストンにその辺りの知恵がないかも当然聞いたのだが、彼らロブスター族の間でもそれに関する伝聞は特にないのだという。彼らは妖精族とは違い、特段長命種というわけではないようだ。なので聖王の時代に生きたものも、もう数世代前に遡るらしい。つまり彼らが知るのは、海底宮の場所のみ、なのだ。

「海底宮に着いてからは、まだ何とも言えないが・・・恐らく、海底宮まで向かうには天術の障壁と同様に、玄武の術を応用した何らかの仕掛けでこのバンガードを覆う、と考えられる」

 ボルカノがそう言うと、それに続けるようにウンディーネが口を開いた。

「私も同意見よ。このバンガードは、水を通さないほど各接続部に遮断性はない。つまり、そのまま水に浸かりながら海に潜れるような構造にはなっていないから、何らかの術式を用いてバンガード全体を水から守りつつ潜る、と考える方が自然なのよ。若しくは人だけを覆う限定的な術式の可能性も考えたけれど、それが可能なら抑もこんな馬鹿でかいバンガードなんてものを作る必要性がないわ。だから、このバンガードごと海底宮に突っ込む、と考える方が自然なわけね。まぁ、だからこそ海水に満たされているであろう海底宮に着いてからの探索方法が、いまいち想像つかないわけなのだけれど・・・」

 彼女の言葉にボルカノが全くの同意を示すように何度も深く頷きながら、やがて皆が黙ったところを見計らって素早く立ち上がった。

「俺はもう一度、艦橋でその起動術式がどこにあるのかを探してくる。一応、既に粗方の調査は終えているが、そのような仕掛けは現段階では見当たらなかった。となると隠されているか・・・若しくは、壊れている可能性がある」
「・・・それって、壊れていたらどうすんだ?」

 ハリードがそう言いながら首を傾げると、ボルカノは腰に手を当てながらハリードへ振り返り、啖呵を切った。

「直すしかあるまい。自慢じゃあないが、恐らくこの世界でそれができるとすれば俺か、あとは魔導器研究の分野で名高い、ツヴァイクのプロフェッサーくらいのものだろう」
「・・・大した自信だな。何か手伝えることがあれば言ってくれ。それまで俺は酒でも飲んでいることにする」
「言っておくが、霊酒は飲むなよ」

 なんでもボルカノがハリードに対してどこかツンケンした雰囲気なのは、出会い頭にハリードからモウゼスの一件の際に「護衛費」の名目で大金を巻き上げられたから、らしい。結局は双方の和解に一役買った、ということで納得の上その金額はそのまま彼らの懐に入ったわけだが、その時のハリードの態度があんまりにも悪役めいていたので、まだまだ年若いボルカノとしてはどこか腑に落ちない部分があるようだ。対するハリードも、どこかそれを分かった上で若人を揶揄っている節があり、カタリナからしてみればどちらもどちらだなぁと思うところではあった。そういうカタリナ自身も年齢的にはボルカノに近いはずだが、どうにも最近の彼女の考え方が老成しているのは、これも指輪の影響なのか何なのか。
 話が逸れたが、カタリナと同じくそれを雰囲気で理解しながらも、さっさと立ち去っていくボルカノを追うウンディーネの優しそうな視線から推し量る限りでは、彼のそう言った若気に満ちた行動も満更悪い影響ばかりではなさそうかな、という気もするが。

「私たちも、できる限り手伝いましょう。術が扱える人は付いてきて。今は推進力に術力を割いていない状態だから天術障壁のみの稼働状態だけれど、霊酒の残数がこの作戦の実行可能期間だと思った方がいいもの」

 ウンディーネのその言葉により、その場に集まっていた各々が動き出した。術に関して殆ど知識がないカタリナとハリード、フェアリーは決戦に備えた自主訓練に励むこととし、その間にボルカノを中心としてバンガード解析班が動き出した。
 とはいえ、その作業は非常に地道なものであった。
 何しろ、この時点で艦橋から起動が確認できた仕掛けはボルカノが全て把握しており、そしてそのどれもが玄武の術式を展開するものではなかった。
 また『幾つかの仕掛けの組み合わせにより起動するものなのかどうか』を想定し、考えうる限りの組み合わせや順番で各機能の起動実験を行ってみたが、これも矢張り望む成果は得られなかった。
 そこで残された可能性はボルカノの予測通り、隠されたか壊れた機能であるという結論に早々に辿り着き、この巨大なバンガードの内部構造を隅々まで虱潰しに調査していくという方針がとられた。
 この捜索には通常起動に関わる玄武術士を割くわけにはいかないので、ボルカノとウンディーネの他にカタリナ一行の中でも術の心得があるシャール、ミューズ、ハーマン、ボストンが協力して捜査に当たった。
 即ちその捜査方法とは、バンガードの通路を只管歩きながら魔力の流れを肌身で確認し、その流れが不自然に途切れていたり留まっている場所がないかを見極める、と言う作業だ。
 船長室から下ったバンガード内部は単純に艦橋のみがあるわけではなく、実に細かく多くの細い道が内部に存在している。そしてそれらの壁には艦橋と同様に、各部に魔力を伝える回路と思しき道筋が描かれている。なので、それらを辿ることで何れかのポイントを探り当てることができる、とボルカノは踏んだわけなのだ。
 ボルカノはこれを行うにあたり、巨大なバンガード内部をただ闇雲に探しても効率が悪いと考え、捜索範囲を一区画に定めて集中的にそこを全員で調べていく手法を取って捜査に当たった。

 

 しかしそこから瞬く間に一週間が過ぎ、一向に成果が得られず霊酒のストックが間も無く帰りに支障を来す危険域に達しようかという状況まで、あっという間に一行は追い込まれることとなった。

「・・・歩いて行ける区画は全て探索したというのに、本丸どころか小さな違和感の一つも見つからないとは・・・。まさか、バンガードで海底宮に向かうわけではないというのか・・・?」

 ここにきてまさかの基本仮説を根底から見直す必要性にまで迫られているが、しかし彼らに残された時間は殆どない。それこそ霊酒の備蓄状況から考えるに、今日中にでも答えが導き出されなければならないという状況なのであった。
 朝の定例会議で疲労感に包まれたボルカノその他が沈痛な面持ちで項垂れているのを見ながら、かといって特に出来ることがないカタリナは、当然そこに居た堪れなくなり、ひっそりとその場を後にして居住区へと向かった。

「・・・皆さん、かなり憔悴しておられるようです。私たちにもなにか出来ればいいんですが・・・」
「そうは言っても、術がからっきしの俺らにゃ捜査も何もできねーわけだし、下手に協力を申し出ても却って邪魔になるだけだろう。こう言う時は、信じて待つしかないのさ」

 カタリナと同じく場を後にしてきたフェアリーとハリードがそう語り合うのを他所に、カタリナも直ぐにはいつも通りの修練へと移る気が起きずに、気分転換に歩いた先に辿り着いた町の中央の噴水の淵に腰を下ろして空を見上げた。

「ううん、水に潜る、か。水、水、水・・・」

 そう呟きながら、カタリナはぐるりと自分の周囲を何気なく見渡す。その行動で何か解決策が見つかるとは流石に彼女も思わないが、それでも何かしらの気づきがないものかと、淡い期待を抱いての行動だ。
 それに倣うようにフェアリーとハリードも、特に当ても無く周囲を見渡した。
 そしてハリードがぽつりと、背後にある自分の腰掛けていた噴水を見ながら呟く。

「そう言えばこの噴水、水が枯れてるな」

 彼らがいたのは、街の中央に配置されている噴水広場である。
 治水のされた比較的大きな都市には大抵都市の中央付近にこういった噴水があり、現地住民の憩いの場として機能しているものだ。
 だがハリードが指摘する通り、このバンガードの噴水は故障故なのか、それとも陸から離れたからなのか、噴水に水が全く無いのであった。

「・・・それは、元々じゃよ」
「あ、キャプテンさんこんにちはです」

 声のした方向にいち早くフェアリーが振り返ると、其処にはこのバンガードの市長兼キャプテンが立っていた。
 彼は日中、こうして海上要塞となったバンガードを自分の足で見て回るのが最近の日課なのだ。

「この噴水は、わしが生まれる前から、街中で現在活きている水路の何処とも繋がっておらんでの。だから、そもそも水は出ないんじゃ」
「へぇ・・・じゃあ、一体なんのためにあるんだ?」

 ハリードが実に尤もな疑問を呈すると、キャプテンはお茶目に肩を竦めてみせた。

「さぁ、分からん。一応その天辺のところが外れて下のほうに続く穴は有るんじゃが、暗くてよく分からなくての」

 キャプテンは噴水の先端に視線を向けながら、笑い混じりにそう言った。
 それを聞いたカタリナは、じっと噴水の先端を見つめる。
 そこまで背の高く無い噴水の先端は、精々がカタリナの腰の高さ程度のものだ。だがカタリナは、そうしてじっくり噴水を見つめているうちに、ふとその光景に強烈な違和感を覚えた。

「・・・うーん。何か、足りない気がするわ」
「あん?」

 カタリナの唐突なその呟きに、ハリードが反応する。だがそんな反応を他所に、カタリナは枯れた噴水の中に足を踏み入れ、徐に噴水の天辺を掴み、持ち上げた。
 すると、特段固定されていなかった様子の天辺部分は思いの外すんなりと外れた。そしてそこには、キャプテンの言う通り確かに人の頭ひとつ入る程度の穴がぽっかりと空いていたのだ。
 カタリナが上からその穴を覗き込むと、穴の奥深くからはなんと、薄らと淡く青い光が漏れ出しているではないか。

「・・・何か、下の方で光っているわ」
「お、なんかお宝か?」

 皆が必死にバンガードの動かし方を探しているときに随分と不謹慎だなこの守銭奴は、とカタリナが思うのを他所にハリードがカタリナの横から穴を覗き込むと、確かに奥底から淡く青い光が漏れ出している。だが、その光についてハリードには即座に予測がついてしまった。

「・・・あれ、艦橋じゃねーか?」
「あぁ・・・位置的には、確かにそうかも」
「そうすると、これは通気口かなにか・・・でしょうか?」

 ハリードの予測に、カタリナとフェアリーが其々感想を述べる。

「で、何が足りないってんだ?」

 一頻り穴を眺めた後に、ハリードはカタリナの発言を振り返って尋ねる。すると、問われたカタリナは腕を組みつつ片手を顎に当てながら、数秒悩んだ。

「・・・何かが引っかかるんだけど、はっきりしないわ。ちょっと、艦橋に行ってみましょう」
「それも、指輪の『記憶』なのかねえ。案外それが問題解決の糸口なのかもな」

 ハリードの言葉は、満更でもない線を突いているのではないか、とカタリナも感じていた。
 抑も彼女はこれまでの人生で当然バンガードに足を踏み入れたこともないので、ここの光景に違和感を覚えることなど、あるはずも無いのだ。
 似たような景色との類似性から来る既視感かとも考えてみるものの、ロアーヌからあまり出たことのなかった彼女にしてみれば、他の街の景色に関する記憶はここ一年以内のものばかりなので、まだ忘れるにも早すぎる。
 だからこそこの感覚は、王家の指輪が持っている感覚なのではないかと考えるのも、そう破天荒な話ではないはずだ。
 そんなことを考えている間に、カタリナ達三人は早々に艦橋へと辿り着いた。
 其処には稼働を最小限に抑えるべく少数の玄武術士と、顔を突き合わせて相談をしている様子のウンディーネとボルカノが佇んでいた。
 彼女らの表情は矢張り疲労感も合わせ、明るくはない。

「・・・どうしたのだ」

 初めにカタリナ達に気がついたボルカノの呼びかけにカタリナが片手を上げて応えようとしたその矢先、ハリードがそれを遮るように艦橋の天井の一部を指差して声を上げた。

「お、あったぞ。あれだろう」

 ハリードの言葉にその場の全員が視線を彼の指の先に向けると、艦橋の天井には確かに、穴が開いていた。

「・・・通気口が、どうかしたのか」

 確かにそれは、誰がどう見ても通気口のようだ。
 だが、ボルカノがつまらなそうに穴を一瞥しながら吐き捨てるようにそう言う合間に、カタリナはその穴の真下に移動した。
 穴は、丁度イルカ像の直上に位置していた。

「あ、これよ、これ」

 カタリナは漸く胸の痞えが取れたような面持ちで、イルカ像と真上の穴を交互に見つめた。
 そして背後へと振り返り、ウンディーネとボルカノへ視線を向ける。

「これ、念じたら上に動いたりしないかしら」

 イルカ像の乗った台座を指差しながらの唐突なカタリナの申し出に二人は当然困惑の表情を見せたが、しかし彼女の目が真剣そのものであることを察して、試しに水晶にそのように意識を向けるよう近くの玄武術士に指示を出してみた。

ギギギ・・・

 すると驚くべきことに、程なくして台座がゆっくり上に上にと伸び始めたではないか。
 驚くウンディーネらを前に、そのまま台座はぴったりのサイズであった穴へと嵌り、しかしまだ上へと伸びていく。

「噴水に戻りましょう」

 カタリナがそう言うのを機に、ウンディーネらも共に市街区の噴水へと移動していった。
 そして彼女らが早足で噴水広場に舞い戻ったときには、艦橋から押し上げられたイルカ像がぴたりと噴水の天辺に収まっていた。

「・・・おい、何か可笑しいぞ」

 そのイルカ像を注意深く見ていたボルカノがそう指摘した正にその瞬間、なんとイルカ像が微細に振動しながら輝きを増し始め、その姿を変形させていく。

「翼が・・・」
「・・・生えましたね」

 カタリナの呟きに、フェアリーがそう答えながら自分の羽をぴくりと震わせる。
 なんと噴水の上に鎮座したイルカ像は、その背の部分から鳥の翼のようなものが生えた形に変形したのだ。
 そして更に、イルカ像の台座から見る見るうちに水が溢れ出し、枯れていた噴水に見る見るうちに水が満たされた。
 その様子を歩み寄って覗き込んだウンディーネは、はっとして背後のボルカノを呼んだ。

「ボルカノ、これを見て」
「・・・これは!」

 ウンディーネに続いてボルカノが噴水を覗き込むと、水で満たされた噴水にははっきりと、新たな魔力の流れを示す紋様が浮かび上がっていたのだ。
 二人は顔を見合わせると、どちらからともなく駆け出し、艦橋へと戻っていった。
 そんな彼女達の様子を眺めながら、カタリナは腰に手を当てて一息つく。

「どうやら、これで何とかなりそうね」
「そうなんですか?」

 今一流れの掴めていないフェアリーがそう尋ねると、カタリナは確信めいた様子で小さく頷いた。

「まぁ、少し待ってみましょう」

 カタリナがそう言ってから暫しののち、恐らくはウンディーネとボルカノの指示によって輝き出した翼の生えたイルカ像から放たれた青い光がバンガード全体を覆い、やがてバンガードが海中へと沈み出したのであった。

 

 

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第七章・8 -発進-

 

「・・・驚いた。これが船ですって・・・?」

 豊かな胸部の下でしなやかに組んでいた腕を無意識に解きながら、水術師ウンディーネはその空間を正しく圧倒される様な思いで見回した。
 空間全体から漏れ出でる様に仄かに青白い光が周囲を照らし、その場が全体的に微弱な鳴動を繰り返している。それはまるで、この部屋そのものが生きているのではないかと思えるほどに奇妙な動きだが、ウンディーネにはそれが何であるのか、大凡は分かっていた。

「ディー姉、ここは一体・・・」

 彼女の隣に付き従ったボルカノが、まるで自分の知らない異世界でも見ているかの様な表情で呟く。彼自身も世界を周り様々な遺跡を見てきたが、ここまで異様な場所は初めて目にするようだ。

「ここは・・・というかこのバンガードという街全体が、恐らくは・・・。俄かには、信じられないけれど・・・」

 ウンディーネが感嘆とした様子でそういうのを聴きながら彼女らに遅れてその空間に入ってきたカタリナは、彼女らの反応をまるで数日前の自分たちのように見ていた。
 一週間ほど前に初めて彼女がハーマンらと共にここに訪れた時も、一行はまるっきりウンディーネ等と同じような反応をしたものだ。
 だがその中でもカタリナだけは、このような空間に強烈な既視感を持っていた。
 それは彼女だけが見た魔王殿最深部や、火術要塞全体を照らす、あの微かな光と止まぬ鳴動。バンガード内部は、何処かそれと同じような感覚を覚えるのだ。
 これらの総称を、あれはそう、なんといったか。

「・・・これは船や、ましてや街などではないわ・・・。言うなればこの建造物全体が、超大型の魔導器ってところね」

 ウンディーネがそう呟くのを聞いて、カタリナは一人、そうだそうだとその言葉を脳内で反芻した。
 魔導器。それはカタリナがツヴァイクの西の森で教授から教えてもらったものだ。
 そしてその魔導器を扱う科学を世間では魔導科学と呼び、それは非常に古くからこの世界に存在が確認されていた科学分野である。しかし残念ながら現存する僅かな魔導器に関してもその構成理論の殆どが未解明であり、未だその大部分が謎に包まれているという。
 それら記憶と既視感の正体をカタリナがウンディーネらに話すと、ウンディーネは考えるように小さく唸りながら周囲を見渡した。

「・・・可能性の考察は勿論されていたけれど、いざ目の当たりにすると、圧巻の一言ね・・・」

 今やその大多数をカタリナ一行が所持している魔王遺物や聖王遺物は、これも大別すると所謂『魔導器』であるとされている。
 そして聖王記に記された数々の伝説の中でも一等理解の及ばぬ存在である「対魔海侯用決戦兵器バンガード」もまた聖王遺物であり、魔導器なのではないかとの説を唱える学者は一定数いたのだ。
 では抑も、聖王遺物とは何なのか。
 何しろこの疑問は、三百年前から数多くの学者の頭を悩ませてきた。
 いや、もっと言うならば六百年前の「魔王」という、四魔貴族をすら従える程の圧倒的な力を持ちながらも人の殻にあった存在を考察する時点で、今の人類にはどう足掻いても届き得ない未知の力が存在するのではないかと半ば諦め気味にすら考えられていた。
 例え世界一の名工が鍛えた武具と一流の戦士の一撃でも、天地六術式に精通した魔術師が放つ大魔術も、魔王や、そして聖王遺物のもつ力には遠く及ばないのだ。
 まだしも、その姿形からして規格外の四魔貴族の方が多少なりと力の根源への理解も及んでいるというものなのである。魔術の基本となる天地六術式とは異なる、人に害を為す瘴気・・・所謂「アビス」という属性。これを無尽蔵とも思えるほどにゲートから取り込み、行使する存在。それが四魔貴族だ。
 しかしそれらとも全く異なる力が、魔王や聖王遺物なのである。
 とは言え魔王遺物は、その殆どが長きに渡り行方知れずだった。そして存在の確認されていた幾つかの聖王遺物に関しては、聖王記に記された教えにより基本的に現在の所持者、若しくは資格あるもの以外の接触そのものが禁じられている。
 そんな状況の中で研究者が示した一つの推論が「聖王遺物=未知の魔導器」という説だった。
 つまりは、魔導科学そのものが不透明な分野であるからして、事実上のオーパーツ認定という事になる。

(まぁ、つまりマッドサイエンティストには御誂え向きの分野ってワケよね・・・)

 自分で依頼しておいて何だが、教授に火術要塞の調査を頼んだのは、これ以上ないほど的確であったとカタリナは確信している。
 きっと依頼さえすればこのバンガードのことも、勇み喜んで調査をする事だろう。
 同時に依頼をしたので一緒に居るはずのヨハンネスのことが多少気の毒には思えるが、まあ彼も一人黙々と研究を行うタイプの学者なので、恐らく大丈夫だろう。
 カタリナがそんなことを考えていると、ウンディーネは艦橋(ハーマンに言わせれば、ここは恐らくそうらしい)をしっかりと観察するように隅々まで歩き回った。
 この艦橋には入り口から正面を進んだ先に何かを設置するためのものと思われる台が設置してあり、その台を起点として左右対称になるように艦橋の中には等間隔に仄かに青白い光を灯す水晶の台が、合計六つある。
 其れ等の台や床、壁に至るまでをじっくりと調べたウンディーネは、一頻りそうした後になぜか、妙に艶のある吐息を漏らした。
 その吐息に反応して同じく艦橋を見て回っていたボルカノが何やら頭を掻きながら彼女の方を向くと、ウンディーネはうっとりとしたような視線で艦橋全体を眺めている。

「素晴らしい・・・ここは本当に素晴らしいわ」
「・・・?」

 その必要以上に艶めかしく何処か不穏な様子にカタリナが疑問符を浮かべていると、ボルカノは肩を竦めながらカタリナに助言をする。

「あぁ・・・あれはディー姉の癖だ。自分の興味が強く惹かれるものを見ると、大体ああなる。あまり気にしないでくれ」
「あら、そうなの・・・。なんだか貴方も、案外大変そうね」

 カタリナの憐れみを含んだような言葉にボルカノが「慣れている」とでも言いたげに諦め顔で答えたところに、遅れてハーマンが艦橋に入ってきた。

「・・・様子はどうだ」

 ウンディーネをここに呼んだのは誰あろう、このハーマンだった。
 この艦橋の存在が確認されるや否や直ぐにハーマンはバンガードからモウゼスへと伝書を出し、彼女らはそれに応えてここに来た。
 因みにハーマンはウンディーネのみを呼んだようだが、何故かボルカノも付いてきた事に対しては特に何も言及していないようだ。
 ハーマンの登場でどうやら我に帰った様子のウンディーネは、彼に歩み寄ると何かを悟ったような表情で、何かを欲しがるように片手をハーマンに向かって差し出した。

「オリハルコーン、貰い受けるわ」
「・・・よし、やろう」

 ハーマンはウンディーネの本心を理解しているのか、何のためらいもなく抱えていたオリハルコーン製のイルカを象った像を差し出した。
 それを受け取ったウンディーネは礼を述べるでもなく直ぐ様ハーマンに背を向け、艦橋の中央奥にある何も置かれていない台へと歩み寄る。そして徐に、イルカ像をその台の上へと置いた。
 あまりに確信めいた動きでそうしたものだから、一体何が起きるのかとカタリナは思わず固唾をのんで見守ったが、しかしそれだけでは特に何かが起こる気配もない。
 若干肩透かしを食ったような表情で訝しむ様子のハーマンと顔を見合わせるカタリナだったが、対してウンディーネはなんら気にする様子もなく、続けて部屋の中に等配置された水晶へと歩み寄った。

「・・・これは確かに魔導器ね。そして魔導器というものがどの様な構造であるのかを知りうる、素晴らしいヒントでもあるわ」

 そう言いながら、ウンディーネが水晶に触れる。すると幾許かの後、彼女が触れた水晶を起点に部屋に仄かな明かりを灯していた青が光量を一気に増し、鳴動が大きくなった。
 そしてミシミシと何かに罅が入る音が重苦しく何処かから響き、その次には同じく重苦しい轟音と共に、それまで真っ黒な壁だと思われていた外壁の外が大きく崩れ始めたのだ。
 そしてゆっくりと沈みゆく外壁(というよりは岩盤のようだ)の向こうに現れたのは、なんと微かに陽が差し込む海であった。
 この艦橋は、街の下部から海中に飛び出すようにして存在していたのだ。

「・・・すごい・・・。これ、全部硝子なの・・・?」

 カタリナは感嘆のため息をつきながら艦橋と海とを隔てる透明な外壁に歩み寄り、そこに触れる。すると非常に透明度の高い硝子に触れて手が止まり、その先には揺蕩う海藻や鳴動で散り散りに泳いでいく魚などが見えた。

「そういった精製技術にも確かに眼を見張るけれど、私が一番感心しているのはこれね」

 そういってウンディーネが視線で指し示したのは、地面に走っている紋様だった。
 その紋様は中央奥に配されたイルカ像と等配置された六つの水晶の台を繋ぐように描かれ、今は青くはっきりとした明かりを保っている。

「ディー姉・・・矢張りこれは、以前ディー姉の考察にあった・・・」

 ボルカノが紋様を見ながらそう呟くと、ウンディーネはまるで敢えて冷静を保つようにゆっくりと頷きながら応えた。

「ええ、これは恐らく私が研究している連携術の、その先にあるもの。そうね・・・陣形術、とでも言うのかしら。これが私の予想通りのものならば、オーパーツ化した魔導器には尽くこの理論が応用されている可能性が高いわ」

 ウンディーネがそう言いながら水晶から手を離すと、程なくして部屋を明るく照らしていた青い光は仄暗く鳴りを潜め、薄っすらとした光が灯るだけの元の状態に戻った。
 その様子を見て、次にウンディーネは自分の掌をじっと見つめる。その掌から感じるのは、僅かな疲労感。
 彼女の魔力総量は、この世界ではほとんど比肩されることのない領域にある。常人のそれと比較すること自体が馬鹿らしくなるほど、膨大なものだ。だがその彼女をして、今の一瞬この装置を作動させただけで僅かながらも疲労感を確かに感じる。そして、その作動装置である水晶が六基。
 ウンディーネは一頻りその感覚を体に刷り込んだ後、ハーマンへと視線を投げかけた。

「ねぇ、貴方はこれを動かすために私たちに協力を要請したのよね。一体これで、どこまで行こうと言うの?」

 問われたハーマンは、しばし無言で考えるような仕草をしながら、慣れた仕草で懐から煙草を取り出す。そして其れを咥えたところで、隣にいたカタリナに無慈悲にも煙草を口から引き抜かれてしまった。

「ちょっと、ここでは吸わないでって言ったでしょう」

 不快感を隠そうともせず、カタリナが煙草を摘みながらそう言う。実のところ彼女もミューズと同じく、と言うより実際はミューズ以上に煙草が苦手なのであった。
 なので自分も出入りすることが多い密閉空間でそうスパスパと煙草を吸われるのは、勘弁して欲しいのだ。
 ここに初めて入った時にそう言えばそんなことを忠告されたなと思い出したハーマンは、どこか調子が狂ったような表情をしながら頭を掻き、取り上げられた煙草を奪い取って大人しく仕舞いながら、うーんと唸った。

「・・・ま、何処にいくかは、動いてからのお楽しみだ。ただ言えることは、そうだな・・・。期間は正確とはいえねぇが、このデカブツが帆船と同程度の速度が出るなら、ここから往復で一ヶ月は掛からん筈だ」
「一ヶ月は掛からんって、簡単に言ってくれるわね」

 ウンディーネはもう一度自らの掌を見つめ、ゆっくりと握ったり指同士をこすりつけたりしながら、頭の中で大凡の計算を行っていく。自身が感じた疲労感と、それを六基で分散した場合の魔力消費量。それを長時間続ける際に必要になる魔力総量。
 やがてそれらに対しある程度の当たりをつけたウンディーネは、何故かハーマンではなくカタリナへと視線を向けた。

「魔術ギルドから、計三十六人の玄武術士を用意するわ。代わりに貴女、どうにかして術酒を・・・そうね、二百本程用意できないかしら」

 さらりととんでもないことを言い出すウンディーネに、カタリナは一瞬目を丸くした。
 術酒とはそもそも、通常の酒とは全く価格帯の異なる代物だ。なにしろ、その酒は術士の生命線である魔力を補充することができるという、正に奇跡の酒なのである。
 その精製にも抑も特殊な技術が必要であり、現在の魔術士の総人口と需要も相まって生産量はそう多くはない。当然その希少性に合わせて価格も常軌を逸しており、術酒一本あたりの平均取引額は、凡そ二百四十オーラム。これは実に、農業を営む平均的な一家の一ヶ月分の食費に相当する値段なのである。

「・・・ここで大宴会でも開く、って訳ではないようね。承知したわ。カンパニーの名にかけて、なんとかしてみる」

 しかしカタリナは、正面からしっかりとそう請け合った。
 ウンディーネは、けっして冗談をいっているようには見えない。彼女の中でバンガードを動かすにはそれが必要なのだと、そう判断した結果の要望なのだろう。魔術士としての感覚や経験値がないカタリナだからこそ、それは彼女の直感で信じるしかないのだ。
 その返答に満足そうに頷くウンディーネを他所に、さてどこから仕入れたものかとカタリナは腕組みしながら思案するのだった。

 

 

 ウンディーネの依頼から約二週間の後、今となっては忙しなく人の出入りが行われているバンガードの艦橋に、再びカタリナ達は立っていた。
 その場に現在集まっているのはカタリナとフェアリー、ウンディーネ、ボルカノとハーマン。そして十二人程の玄武術師だった。そして一応キャプテンもいた。
 ハリードやミューズ、シャールらは、街中(最早そこは『デッキ』と呼ぶべきなのかもしれないが)にて警戒任務と住民の最終避難調整に当たっている。
 この二週間で近隣の大都市であるウィルミントン、モウゼス、そしてヤーマスから可能な限りの術酒をかき集め、結果カタリナは二百三十本程の術酒を買い付けした。短期間での急な買い付けとなったが、直近で買収完了していたドフォーレを通じてルーブ地方から広く買い付けが可能になったことが、この期間で用意が整った要因として大きい。というよりむしろ、この買い付けに関しては他の問題に比べれば結果としては随分と容易だったなと今となってはカタリナは感じていた。
 まず何しろ長期間の航海になることが予測されるので、海上で可能な限り現物調達するものの、保存食や飲料の準備の方が大変だった。そして今回の事のあらましのバンガード市民への説明と、同時に可能な限り市外への避難を呼びかけた。無論、それへの反発も少なからずあったのは想像に難くない。
 しかしその間にもフォルネウス兵による小規模な威力偵察が相次ぎ、その頻度が徐々に増えてきていることからして、大規模な侵略が確かに近づいてきていることが誰の目からも予感された。この事実が市民世論を動かしたことは大きい。
 そしてウンディーネとボルカノがバンガードに集った術士を指揮してバンガードの根幹装置起動に際し数度の実験を経て、遂に必要な状況が本日で整ったのだ。

「ディー姉、機動担当の配置も完了した。いつでもいける」
「分かったわ。それじゃあ始めるわよ・・・総員発進準備!順次シンクロ開始!」

 最早ウンディーネさんは自分の事をディー姉と呼ばれることに対する抵抗がすっかり消え失せてしまったのだな、等とカタリナが場違いに思い耽っているのを他所に、ウンディーネの掛け声に合わせ、その場に集まった十二人の玄武術士が其々の目の前にある水晶の台へと触れる。
 そして魔導器に自らの魔力を同調させ始めると艦橋内部は一気に光度が増し、一面の硝子壁の向こうに仄暗く佇む海中が照らし出された。

「出力50%程度。矢張り、この程度では陸の楔は引き剥がせないか。まだまだ供給量上げていくぞ!」

 ウンディーネの隣で水晶の様子を見ながらボルカノがそう檄を飛ばすと、それに合わせて術士たちは更に水晶へと集中する。
 つい一月程前までは街を二分してまで争っていたにも関わらず突然和解した上に、今やまるでウンディーネの片腕面で彼女の横に陣取っているボルカノの事をウンディーネ配下のこの術士達はどう思っているんだろうか等と斜め上のことをカタリナが考えている間にも、出力は大地の鎖を引き剝がさんと徐々にではあるが上昇していく。
 だが、そのまま出力上昇を続けるより先に、あからさまに凶兆を告げるかの如くバタバタと忙しない様子で艦橋に駆け込んできたものがあった。
 市街地で警鐘任務に当たっていたハリードだった。

「おいでなすったぜ。西太洋方面からアホみたいな数のフォルネウス兵がこちらに侵攻中だ」
「なんですって!?」

 突然のハリードの報告に驚いたカタリナは、確認するように艦橋前方に視線を向ける。方角的には、イルカ像設置の台がある方向が西に位置しているのだ。
 だが其処からでは、薄暗くて揺蕩う海の向こうまでは見通せない。

「目測では五百前後ってとこだ。あと十分もすればここに到達しそうな速度だ」
「来やがったか・・・」

 ハリードの報告に対してハーマンが毒吐くようにそう言いながら踵を返し、市街地に出ようとする。
 だがそれを、カタリナが止めに入った。

「状況確認は私がしてくるわ。ハーマンとウンディーネさんは、兎に角一刻も早くバンガード始動をお願い。フェアリーもここに残って、伝達役を頼めるかしら」

 ハーマンを含めたその場の全員が指示に頷くと、カタリナは急かすハリードと共に急いで艦橋から駆け上がっていった。

「・・・続けましょう」

 それを横目で見送ったウンディーネは、仕切り直す様に配下の術士たちに指示を出す。
 彼女が見つめる先には、六基の水晶台とそれに魔力を同調させる術士達。この二週間に繰り返した実験過程にて、その水晶に流す魔力量によって光度が増し、その光度にて大凡の稼働出力が判断できることはわかっている。
 そして今の時点で既に出力はほぼ100%に近い状態まで上っており、今の状態でバンガードが動き出していないことについて、ウンディーネはどうするべきかという問答を脳内で繰り返していた。

(・・・予測していた以上にバンガードと陸地との接着力が強い。体感振動からして、どう見繕っても今一歩という雰囲気でもないわ・・・。大地の鎖からこの馬鹿でかい船を引き剥がすには、出力100%では足りないみたい。私が直接イルカ像に魔力を流し込めば一時的に出力を限界以上に上げること自体は可能だと思うけれど、正直この触媒が限界を超えた高出力にどれだけ耐えられるのか、わからない。ここで無茶をして触媒たるイルカ像が砕けてしまえば、バンガードは二度と動かなくなってしまうわ・・・)

 ウンディーネが胸の下で腕を組みながら水晶に視線を合わせたまま思考する隣で、ボルカノもまた水晶を見つめながら思考していた。

(・・・こんな純度もサイズも馬鹿げたようなものではないが、希少石自体は、ほんの小さなカケラならば何種類かは見たことはある。確かに魔術触媒としては非常に優秀なものだが、しかしその耐久力に関しては未知の部分が多い。そもそも魔術士の常識としての魔術触媒とは、基本的に消耗品だ。恐らくオリハルコーンもその例に漏れず、我々の行うような触媒として用いれば数度の使用で黄金の輝きを失い砕け散るだろう。確かにあのイルカ像に関してはその規格外の大きさもさることながら、今回は媒介のアプローチが抑も従来と異なるので一概に我々の知識をそのまま当てはめることはできない。だが、それでも無理に負荷をかけてあの触媒が砕けることは絶対に避けねばならない。おそらくディー姉も同じ考えのはずだ。この膠着状態を打破するには、何かきっかけが必要。そのあたりの勘は、ディー姉の方が冴えている。ならば、俺は俺に出来ることをしなければな)

 変わらず考え込んでいるウンディーネを横目に、ボルカノは近くに設置していた机の上にあるメモを取り上げた。そこには、ここ二週間の実験データが纏められている。この情報を元に、オリハルコーンの特性に加えて彼が知る限りの魔術触媒知識を織り交ぜ、計算を行なっていく。
 出すべき答えは、触媒にとって無理のない範囲でウンディーネが最大出力で魔力供給を行える時間だ。
 これらの計算基準を出すことができるのは、古今東西の魔術触媒と錬成に特化した朱鳥術士であり、更にウンディーネの魔力放出量を詳細に知っているボルカノくらいのものだろう。

「・・・ディー姉。恐らくディー姉の最大出力同調にイルカ像が問題なく耐えられるのは、二十秒程度。それ以上は触媒に深刻な機能障害が発生する可能性が出てくる」
「・・・分かったわ、二十秒ね。あとは・・・その二十秒に賭けるきっかけがあれば・・・」

 彼のことを全面的に信用しているのか、全く疑う様子もなくボルカノの言葉を受けてウンディーネが硝子壁の向こうに視線を向けた、その瞬間だった。

ガツンッ

 分厚い硝子壁に衝撃音とともに勢いよく衝突してきたのは、醜悪な姿をした魚人のような妖魔だった。
 妖魔は単騎のようで、ガンガンと硝子を叩き鋭い爪を立てようとする。だが、その程度の攻撃ではこの艦橋部分はびくともしない。

「!!・・・フォ、フォルネウス兵・・・」
「もうここまで到達したか・・・。フェアリー、上の様子はどうなんだ!?」

 慄くウンディーネを気にしつつもボルカノが背後のフェアリーに振り向くと、フェアリーは両目を閉じながらふわりと浮いたまま、わずかに口を開いた。

「船首にて第一波と接敵。シャールさん達が交戦開始しました。個々の脅威は低いですが数が多いので、更に数の多い第二波にばらけて上陸されると厄介とのこと。カタリナさんはハリードさんと別れて北門へ、ハリードさんが南門へ向かったようです」
「正面が数で押し切られて全体にバラバラに街中まで侵入されてしまったら、バンガードを動かすどころではなくなってしまう・・・。く・・・一か八か、ディー姉の最大同調を限界突破して行うしかないのか・・・!」

 ボルカノがそう言った直後に、突如として艦橋全体が地震に見舞われたかのように大きく揺れた。

「な、なに!もうフォルネウス兵の攻撃なの!?」

 バランスを崩したウンディーネがボルカノの肩に摑まりながら周囲を見渡すが、特にフォルネウス兵がここまで侵入した様子はないようだ。
 慌てふためく術士達に水晶へと集中するようにウンディーネが声をかけている後ろで、フェアリーがボルカノに声をかけた。

「・・・あの、ボルカノさん。今の、カタリナさんの仕業みたいです」
「・・・なんだと・・・?」

 突然とんでもないことを言い出すフェアリーにボルカノが意味がわからないと言った様子で視線を合わせながら聞き返すと、フェアリーはふっと目を瞑り、数秒ののちに見開いた円らな瞳でボルカノを見つめ返した。

「北門付近で船と陸との接地面が緩むことを期待して、その場で地走りを放ったようです。少しは動いたか、と質問が来ました」
「・・・もっとその辺でぶっ放してと言って頂戴!」

 フェアリーの言葉に被せるように、ウンディーネが声を張り上げた。その言葉に驚いたように瞳を瞬かせながらウンディーネを見つめたフェアリーは、そのまま微笑みながら瞳を閉じる。
 それと同時にウンディーネはイルカ像へと駆け寄り、その本体へと手を添えながら前方の硝子壁の向こうを見つめる。
 先ほどまでそこにいたはずのフォルネウス兵は、直前の振動に反応してこの場を離れ、上陸へと行動を切り替えたようだ。その方が精神衛生上都合が良いと感じつつ、掌に精神を集中させていく。

「ボルカノ、集中するからカウントとって頂戴」
「了解」

 ボルカノの返事を殆ど待たずに、ウンディーネは掌以外の感覚を断ち、魔力をイルカ像に同調させる一点に集中し始めた。
 その直後、艦橋の中がこれまでに無いほどに蒼く光り輝き、その力強くも優しい光で壁の向こうの海が照らされる。
 なんと其処には一体どこから現れたのか、まるでバンガードが動き出すのを今か今かと待ちわびているかのような、イルカの群れが照らし出された。

「出力100%突破!もう少しだ、大地の鎖を断ち切れ!」

 ウンディーネと共に魔力を送り込む術士たちにも檄を飛ばしながら、ボルカノは艦橋全体の輝きに思わず行きを飲み込んだ。

「なんて魔力量だ・・・出力増大中・・・20・・・40・・・150%! 最大出力!」

 頭の中でカウントが十五を数えたところで、再度カタリナが放ったと思われる大きな振動が艦橋まで伝わってくる。
 それを感知したウンディーネが目を見開きながら更に集中すると、一瞬で収まるはずだった振動は寧ろその度合いを増し、更には地鳴りの様な音が大きく響いてきた。
 岩と岩が擦れる重苦しい音と、崩れた岩石が海に落ちて行く音。そして全ての魔力供給回路が稼働した艦橋に響く、巨大魔導器の鳴動音。
 そして固定された楔から放たれ大海原に飛び出し、その上で揺れ動くバンガード。
 聖王の時代から約三百年の時を超え、遂に海上要塞バンガードが、陸から離れた瞬間だった。

「ディー姉!」

 カウントをしていたボルカノの呼び声に合わせて、ウンディーネはイルカ像から手を離す。だがバンガード艦橋はウンディーネの魔力供給が無くなってもその輝きを保ち、そして西太洋目掛けて力強く進水し始めていた。

「・・・やったわね。ほらキャプテンさん、言うことがあるでしょう?」

 ウンディーネがそう言って振り返ると、近くにいたハーマンに肘で小突かれて漸く我に返った様子のバンガードキャプテンが、咳払いをして背筋を伸ばした。

「ゴ、ゴホン・・・。バンガード・・・発進!!」

 キャプテンの掛け声に、艦橋内の術士達が達成感と共に歓声を上げて応える。
 そんな一時的に空気が和んだ空間を横目に、何か変化がないか艦橋内を注意深く見渡していたボルカノは、バンガードが動き出したことによって今までは光が通っていなかった部分の回路が新たに淡く光っていることに気がついた。

「すまない、こちらに少し魔力が流れる様に意識してみてくれないか?」
「え、はい・・・やってみます」

 着目した部分に一番近い水晶を担当する二人組にボルカノがそう声をかけ、術士が戸惑いながらも意識をそちらに傾ける。
 するとそこに魔力がゆっくりと流れ込む様子が光で再現され、その壁際に埋め込まれていた水晶が光り輝いた。

「・・・船首にて交戦中のシャールさんから報告です。バンガード全体を覆う様に天術の障壁展開を確認。乗り込んできていたフォルネウス兵が無力化され、引き上げていくようです」

 フェアリーがボルカノに向かい、そう声をかける。
 その思わぬ朗報に、再び艦橋内は歓声に包まれた。

「成る程・・・アビスの瘴気を打ち消す仕掛けか。それなら、この巨大な船でもアビスの者に侵入されることはないな。素晴らしい」
「これで当面の航海は、安全そうね。でもそうなると其方への魔力供給も考えて編成を再度考えねばならないわ」

 ウンディーネの計算では、この船を動かすことについてのみ考えた魔力消費量を元に術士と術酒を集めている。それが他の機能も動かすとなれば、話は違ってくる事になるのだ。

「・・・それについては、俺に少し考えがある。俺なら集められた術酒に手を加えて、擬似的な霊酒を生成できる。恐らくこの障壁以外にも未発見の機能があるはずだから、それも見越して今のうちから作業に入ることにするよ」
「本当? 助かるわ」
「いや・・・こんなこと、なんでもないさ」

 ボルカノの提案にウンディーネが微笑みながら感謝の意を示すと、ボルカノはどこか無愛想な様子で応え、そそくさと艦橋を後にした。
 その背中を送ったウンディーネは、次にハーマンへと視線を投げかける。

「それで、どこへ行くの? バンガードで」
「最果ての島へ」

 間髪を入れずに、ハーマンはそう応えた。
 彼が艦橋の向こうに見つめる一点に、その最果ての島とやらがあるのだと言う。

「かつて、俺が流れ着いた島がある。兎に角、世界の果てまで西へ走り続けるのだ」

 

 

「バンガード、発進!! とか、私もちょっと言ってみたかったわ」
《ふふふ、キャプテンさんノリノリでしたよ》
「あは、すんごい想像できる」

 疎らに戦闘の痕跡が残った甲板部分で崩れた壁の一部に腰掛け、緩く心地よい潮風に当たりながら、カタリナはフェアリーとそんな軽口を交えつつバンガードの進む先、世界の最果てを見つめていた。

 

 

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第七章・7 -バンガード殺人事件-

 

 日中であるというのに何処か薄暗いその家屋の中には、数時間前に飛び散ったばかりであろうと思われる生々しい血痕が幾つも床や壁、そして家具にまで付着していた。
 室内に充満した血の匂いと外から運ばれてくる潮風が最悪な割合で混ざり合い、その不快指数はよもや瘴気の渦の中にいるのではないかと思うくらいにも感じられ、思わずカタリナは顔を顰める。
 かくして、海上都市バンガードの街を一夜にして恐怖のどん底に叩き落とした「新婚夫婦殺人事件」の現場を目の当たりにしたカタリナは、本件の調査の仕事を市から易々と引き受けたハリードに対し脳内で己の知る限りの呪詛を送りつけつつ、しかしそこは生真面目に現場検証を行っていた。

(・・・しかし、これは・・・)

 一通り部屋の中を慎重に観察したカタリナはどこか思い悩むように腕を組み、右手を顎に軽く触れさせながら思考する。
 モニカの専属護衛兼侍女になる以前、まだ彼女がロアーヌ騎士団候補生に所属していた時代。当時のカタリナは候補生としての鍛錬に励むとともに、訓練生に課せられた市街地の警護巡回等も積極的に行なっていた。
 彼女が騎士団候補生に所属していた頃は、奇しくも世界中が死蝕による混乱の真っ只中であった。史上最悪の天災にて失われた多くの命に心あるすべての者が嘆き、そしてアビスの瘴気の増加による妖魔の活性化に慄き、それらに乗じて人々の荒んだ心は治安の悪化という形で具現し、世界に蔓延っていたのだ。
 その中では歴史上でも類を見ないほどいち早く治安回復に努めた当時のロアーヌ侯フランツの元でさえ、城下町での傷害事件は当時、ままあることであった。そしてそれら事件の対処には、警護巡回を行なっていた騎士団候補生も人手不足を理由によく駆り出されたものだったのだ。
 その時に自分が対応した幾つもの事件の記憶を通して、彼女は今回の事件を見つめていた。

(なにかが、引っかかるのよね。今回の犯人の目的は、通常考えられるものとは違うように感じる・・・)

 殺害されたのは、この家に住んでいた男女の夫婦だそうだ。
 犯行現場は二箇所。家のすぐ外と、そして今彼女がいる寝室。夫婦の何方かが用を足したかなにかの瞬間に外で襲われたと見られる血痕があり、恐ろしいことにそこで襲われた被害者をわざわざ寝室まで引き摺っていき、そのままもう一人にも手を掛けたと見られる状況だった。
 犯行時間は深夜と見られ、特に現場の寝具周辺はかなり損壊が激しい状態だった。しかしそれ以外の箇所には特段荒らされた形跡がなく、化粧台や棚の類はまるで新しい一日の準備が始まるのを今か今かと待ち望んでいるようにも見えるほど、普段と変わりのない様相なのである。つまりは、金品の強盗が目的の犯行ではないであろう、という事が窺えるのだ。
 カタリナは、現場周囲の血痕へと視線を移した。

(・・・寝具周辺には、壁にまで派手に飛び散った血痕。そして、重量のある鋭利な刃物か何かで切り裂かれ砕けたと思われる寝具・・・。犯行に使われた凶器は、短剣とかそんな類のものではない。これは斧や戟、或いはもっと直接的な、そう、まるで大型の獣の爪のような・・・)

 彼女がその被害状況から予測を立てたその何れの凶器も、何しろ全く強盗に向くようなものではない。
 大抵の場合で強盗の使う凶器の定石は、短剣かそれに準ずる大きさの刃物だ。特に市街地での犯行となると、周囲の建物や障害物に太刀筋を阻害されない大きさであるということは、かなり重要である。彼女自身も、狭い空間では得意の大剣ではなくロングソードか、小回りのきくレイピアを用いた戦闘を心掛けている。
 対して重量のある武器はどうしても攻撃の初動で振りかぶる必要性があり、その威力と引き換えに素早さや隠密性を損ねる。軌道も大きく、何かにぶつかればその威力を大きく落とすことにもなる。それらの対価として、純粋な攻撃力に特化しているのだ。
 人間相手に犯行時間を短くしたい、そして極力隠密にしたいという行動には、全く以ってそぐわないわけである。

(強盗目的の線は、恐らくない。となると、殺すこと自体が目的だった・・・か。しかもこの凶器のチョイスは、かなり明確な殺意。その夫婦のどちらか、若しくは両方が、誰かに恨まれていた・・・色恋沙汰の私怨とかかしら・・・?)

 自分には縁のなさそうな犯行理由だな、等と思考が脇道に逸れつつもカタリナが事件のあらましについて想像を巡らせていると、いつの間にかその家屋の入り口に立つ人影があった。
 カタリナがその気配に直ぐに気づいて振り向くと、そこに居たのはこの調査を引き受けた張本人であり、そして肝心の現場をカタリナに任せて周辺の聞き込みを担当していた無責任の化身トルネードこと、ハリードであった。

「・・・何か手掛かりはあったの?」

 あからさまに不機嫌を匂わせる声色でカタリナが声をかけるが、数々の修羅場を潜り抜けてきたであろうハリードは、流石のどこ吹く風といった様子で応える。

「いや、今のところは特にないな。ここの夫婦は仲が良い事で評判でもあったようだが、特段それを恨む奴がいたという話も聞かない。そして似たような事件も直近にはなし。一応ギルドにも問い合わせてみたが、付近で強盗や野盗が出ているような情報もないな」

 ハリードが持ち帰ってきた情報は、残念ながら即座の解決につながるようなものではないようだ。
 カタリナは今の内容を元に、無言でもう少し推論を進めることにする。

(強盗でもなく、どうやら個人的な恨みの線もなし・・・。となれば、『殺人行為そのもの』が目的の可能性が高いか・・・)

 カタリナは改めて破壊された寝具をじっくりと見入るようにしゃがみ込み、その砕かれた断面を指先でなぞる。
 相当な殺意を持っていたのか、いくつもの断裂が刻まれた大小の木片がそこら中に散らばっている。
 しかし周囲を見渡せば、何度確認しようとも他の何処にも荒らされた形跡はない。

(・・・得物の選択は兎も角、犯行時間は極めて短時間。この威力で振り下ろされたら、即死だったでしょうね・・・)

 稀にある様な、所謂快楽殺人の可能性もあまり無いように彼女には感じられた。何故なら、この現場の様相を見る限りでは殺人行為そのものを楽しむにはあまりに呆気なく、そして彼女が感じるように凶器の選択は兎も角として、的確に最短で命を奪うための行動を行なっているようにしか思えないからだ。

(・・・仮に無差別に殺人そのものを目的とするなら、なお厄介ね。次の犯行場所を特定するのがかなり困難になるわ。殺せれば何処でも、誰でもいいって事だものね・・・。逆に付け入るなら、そこか・・・)

 ハリードがカタリナと同じく顔を顰めながら部屋の中を確認している横で、組んだ腕を小気味好く指でリズミカルに叩きながら今後の方策を考えていたカタリナは、一通り考えを煮詰めると、家屋の外へと出た。

「うん・・・試してみるかしらね」
「お、なにをするつもりなんだ?」

 カタリナに続いて出てきたハリードが彼女の呟きに反応すると、カタリナは腰に手を当てて姿勢を崩しながら肩を竦めた。

「次は、私達を殺しに来てもらうのよ」

 

 

 事件現場を出た足でそのまま調査の結果による推論を市長へと伝えたカタリナ達は、その夜、普通の宿では無く街離れの独立したコテージに泊まることとした。
 その上で南北にある街の出入り口には数人の衛兵を配備させ、日中に市民へ向けて夜間の戸締り厳重化も通達してもらい、街の中の警備を厳重にする。
 そして市街地には夜警巡回も行ってもらい、しかしその巡回経路には彼女らの泊まるコテージは含まれてはいないのだった。

「確かにこの状況で狙うのなら、このコテージが一番狙いやすいですね」

 皆で一つの部屋で寝ることが普段と違い楽しいようで、ミューズはどこか上機嫌な様子でベッドに腰掛けながらそう言った。

「まあ、昨日の今日で来るとは限らないですから、あまり期待もできないのですけれどね。というか、もう来ないならそれに越したことも無いのですが」

 カタリナもミューズの隣のベッドに腰掛けながら、談笑している。そして彼女らの間には、フラワースカーフを脱いでくつろいだ様子のフェアリーがふわふわと浮かびながら、二人の会話に耳を傾けていた。
 そして部屋を申し訳程度に二分する布製のパーテーションの向こうでは、ハリードとシャールが彼女らの会話をあえて聞かない様にと振舞いつつも、何やらどこか居心地悪げにしていた。

「・・・なぁ、一杯やるか?」

 不意にハリードが、腕を組んでベッドの上に坐禅を組みながら隣のベッドのシャールに声をかける。すると銀の手を乾いた布で丁寧に磨いていたシャールは、数秒ほど考える仕草を見せた。

「・・・いや、やめておこう」

 普段ならば即答しそうなものだが、どうやら居心地が悪いのは彼もそうらしく、珍しく躊躇しての回答だ。

「そうか・・・。しかし、あのジジイは何処に行ってんだろうなぁ」

 シャールに断りを入れられ少々残念そうにしたハリードだったが、ふと思い出したようにシャールのさらに隣にある、主のいないベッドを見つめながらそう呟いた。
 そこに本来いるはずなのは、モウゼスでの騒動の直後、このバンガードへ再び戻ることを強引に提案して推し進めた張本人である、ハーマンだ。
 無事に古代魔術書の解読をウンディーネに依頼出来たが矢張り時間がかかるとの事で、その間は構わないだろうと一行はハーマンの提案に添ってバンガードへと戻ってきていた。
 だがバンガードへと着いた途端、ハーマンは「用事がある」とだけ言い残し集団行動を離れ、それから既に三日ほど合流していないのだ。
 その間にこの様な事件が起き、戦慄するバンガード市内でハリードが調査依頼を引き受けてきた、という流れなのであった。

「さあな。まあ、彼が昔船乗りだったというのならばこのバンガードは聖地だ。恐らく昔馴染みでもいるのだろうさ」

 シャールはそこまで興味がない様子で、そうとだけ答えた。
 彼の言う聖地の由来は、この街が持つ伝説によるものだ。
 三百年の昔にバンガードと名付けられたこの都市は、かつて聖王とその仲間によって造られた、『対魔海侯用の決戦兵器』であったのだという。
 世界中の海を支配する魔海侯に対し七度船を作り七度挑むも悉く敗れた聖王は、七度目の遠征によって勇士チャールズ=フルブライトの戦死というあまりに大きな犠牲を払った後、偉大なる玄武術師ヴァッサールの助言によって島を沈まぬ船とする事にした。
 冒険の末に聖王は神器オリハルコーンを得、玄武術師の協力を得てついに島を動かすことに成功。その島をバンガードと名付け、魔海侯の住まう海底宮へと突入し、遂に魔海侯をアビスへと追い返すことに成功したのだ。
 これが、聖王記に語り継がれる「魔海侯フォルネウス討伐の編」である。
 それ故にこのバンガードは古今東西に於ける『世界最大の船』であるとされ、また広大なる西太洋と内海を結ぶ重要な流通拠点であることも手伝い、世界中の船乗りからは聖地として崇められているというわけなのだ。
 だがこの伝説から三百年が経った今、陸続きでルーブ地方とガーター半島を結ぶバンガードが元は「島」であり、その上「動く要塞」であるなどと言う突飛な伝説を信じるものは、現地住民の中でさえ殆ど居なかった。

「ったく、昔馴染みに会うために俺たちまでここに連れてきたってか。御大層な身分だぜ。そんじゃあこっちも精々、稼がせてもらわないとな」

 ハリードは投げやりな様子でそういうと、両手を頭の後ろに回してベッドに寝転がった。
 するとそのタイミングで、パーテーションの向こうから声が掛かる。

「そろそろ寝ましょう。其方も明かりを消して頂戴」
「あぁ、わかった」

 カタリナの声にシャールが応え、程なくして蝋燭の火が吹き消される。
 僅かな星明かりもコテージの中へは差し込んで来ず、室内はすっかり暗闇だ。
 その中にあって夜目が利くハリードは、矢張り眠れぬ様子で頭の後ろに両手を回したまま、ぼんやりと暗がりに浮かぶ屋根の梁を見つめていた。

(昔馴染みに会いに・・・ねぇ。どうにも、あれがそんなタマだとは思えねぇな。あいつは間違いなく、もっと何か明確な目的があってこのバンガードに来ている。モウゼスでの魔術師との話しぶりも、元からそうするつもりだったとしか思えないしな。あのイルカの像・・・オリハルコーンといったか。あれはそもそも、あの爺さんが俺らを連れていった洞窟にあった代物だ。あれが今回の行動の鍵なのは間違い無い様だが・・・)

 モウゼスでウンディーネに何らかの協力を取り付けたハーマンの行動がどのような意味を持つのか、ハリードはしばらく考えた。
 だが、彼の目から見てもあの老人の魂胆は全く底が知れない。というかむしろ、今だにハリードは疑問に思う時があるのだ。あの老人は本当に見たままの老人なのだろうか、と。
 なにしろその根拠は、ハーマンのあの眼だ。
 戦場に生き様々な人の生き死にを見て来たハリードは、その瞳にその人物の生命力・・・言い換えれば「生きる意思」のようなものが映し出されるということを本能で理解していた。
 キラキラした瞳の子供と、霞んだ瞳の老人。今にも息絶えんとする人の虚ろな眼光や、どの様な傷を負おうとも戦場から生きて帰る猛者の爛々たる瞳。生きているのにその意味を見出していないかのうような愚民の霞んだ瞳に、例え貧しくとも希望を抱く民の眩い瞳。
 それらの瞳を識るハリードからすれば、あのハーマンという男の瞳は、まるで老人のそれではないのだ。その生命力が凝縮されたかの様な瞳には、ともすれば自分と同じ様な匂いすら感じる。
 それは何かを失い、それを取り戻すために生き続ける者の匂いだ。

(あの爺さん、あの洞窟で「自分の左足はまだある」といっていた。そしてそれを回収するために恐らく必要だ、といっていたのが、あのイルカ像だ。オリハルコーンには、玄武の力を増幅する力があるらしい。そのためにウンディーネと協力関係を結び、そして次に向かったのがこのバンガード・・・。嘗て聖王三傑のヴァッサールが作り上げたという伝説の残るこの都市で、一体何をしようっていうんだかな・・・)

 そうして考えを巡らせていたハリードは、やがて不意にゆっくりと起き上がった。なんのことはない、用を足したくなっただけだ。周囲に迷惑をかけぬ様なるべく音を立てず気配を消しながら、コテージの外へと出ようとする。
 だが、扉の手前で少々傷んでいたらしい床板を踏みつけてしまい、ギシリと木材の軋む音がする。
 瞬間、準備していたかの様に朱鳥の炎で部屋中が照らされ、武器を構えたカタリナとシャールとフェアリー、そして詠唱に入らんとするミューズにハリードは囲まれた。

「・・・あー、すまん。トイレ」
「トイレなら寝る前に行ってよ、もう!」

 両手を上げながら戯けて言ってみせるハリードにカタリナが呆れた顔で武器を仕舞いながら悪態を吐き、再び明かりを消してそれぞれのベッドに戻ろうとする。

 だが全員がベッドに戻った直後、コテージの外からまるで突き刺す様な殺気が流れ込んでくるのをその場の全員が感じた。
 そして静まり返った中では異様に大きく響く水が滴る様な足音が、徐々に徐々にコテージへと近づいてくるのだ。
 それがいよいよ扉を開け中に入って来たと思われた瞬間、再びカタリナたちはシャールの明かりを合図に侵入者を武装して取り囲んだ。

「あまいわね!・・・って、こいつら・・・!?」

 そこに居たのは、人ではなかった。
 全身に帯びた水気。両腕の先に生えた巨大で鋭利な爪。全身を守るように生え揃った鱗。そして元は魚類と思われる、醜悪な顔。その様な姿の魔物が、三体その場にいた。
 カタリナは、この魔物と同じようなものを以前にも見たことがあった。
 それは嘗て彼女がピドナからグレートアーチに向かった際に船の上で遭遇した、フェアリーを襲おうとしていた魔物だ。だが、明らかにその時に出会ったものよりも目の前の魔物は凶悪さが増しているように見える。
 カタリナがその様な感想を抱くが、目の前の魔物はその様なことには無論全く構うことなく、それぞれが最も近い人物に襲い掛かった。
 だがそれぞれの魔物が振り下ろした爪はハリードの曲刀、シャールの銀の手、そしてカタリナのロングソードに阻まれた。

「外に押し出すぞ!」

 シャールの合図でカタリナとハリードが二匹を押し返すと、シャールは炎の障壁を展開しコテージの扉面ごと三匹の魔物を外へと吹き飛ばした。
 見た目通り熱属性は苦手なのか魔物が苦しんでいるところに、半壊したコテージから飛び出したハリードとカタリナ、フェアリーが一気に魔物へと距離を詰める。
 三者がそれぞれ勢いをつけて手持ちの得物を振り下ろすが、思いの外素早い魔物は後方に飛び退ることで三人の攻撃を回避する。
 だがその直後、魔物たちにとっては全く予期せぬことが起こった。
 突如として魔物の後方から吹き荒れた強烈な突風に、魔物はまるで巻き戻されるかの様にカタリナたちの前へと吹き飛ばされる。それを好機と見た三人が得物を振るうと、三匹の魔物はそれが致命傷となり思いの外呆気なく絶命した。

「・・・ハーマン!」

 魔物を切り捨てたカタリナが見つめるその先には、術式展開を行った直後と思われるハーマンが佇んでいた。
 だがハーマンはカタリナの声に反応するでもなく、そのまま彼女らに近づいて来たかのと思うとその数歩手前で足を止めた。
 そして目の前で絶命した魔物を見下ろし、何故か壮絶な笑みを浮かべる。

「・・・ハーマン、一体どうしたというの。此奴らのことを、なにか知っているの?」

 ハーマンのその様子を訝しんだカタリナがそういうと、ハーマンはお馴染みの仕草で煙草を取り出し火を付け、深々と煙を吸い込む。そして深呼吸の後の様にゆっくりと煙を細く長く中空へと吐き出した後、漸く口を開いた。

「あぁ、此奴らのことは・・・よく知っているぜ。此奴らは・・・フォルネウスの兵隊だ」
「フォルネウスの・・・兵隊・・・?」

 唐突に出て来たその単語を、カタリナは繰り返す。フォルネウスとは即ち、四魔貴族の一柱、魔海侯フォルネウスのことだろうか。いや、此の期に及んでそれ以外を意味することなどあるはずもなかろうとは思うが、しかしあまりに突拍子も無いものだから、俄かには信じられないといった様子で彼女は言葉にしたのだ。

「そう、フォルネウス兵だ。殺人事件だのと街中じゃあ騒がれていたようだが、こりゃ威力偵察だろうな。どうやら奴ら、ついに動き出したらしい」
「動き出したって・・・一体・・・。貴方は、何を知っているの・・・?」

 ハーマンの訳知り顔の様子にカタリナが首をかしげると、ハーマンは勿体振る様に煙草を燻らせながら、フォルネウス兵の死骸を踏みつける。

「此奴らはな、このバンガードを攻めるつもりなのさ」
「なんですって・・・!?」

 事も無げに言い放つハーマンに、その場の一同は一様に驚きを隠せずにいた。
 その反応が何処か可笑しく感じるのか、ハーマンはけらけらと笑いながら踏み付けていた死骸を蹴り飛ばす。

「お前たちはこれっぽっちも信じていやしねぇだろうがな、このバンガードってのは、伝説の通り船なのさ。それも唯一、魔海侯フォルネウスに対抗することができる史上最強の軍船だ。だから此奴らがこのバンガードを攻めるのは、当たり前なんだよ。こいつさえぶっ壊しちまえば、自分らに対抗出来る船はないんだからな」

 突如としてハーマンが言い放ったその内容は、言葉だけならば余りに現実離れしている様にしか聞こえない。だが、それを事実たらしめていると思わせる証拠が、彼の足元に転がっている魔物の死骸だ。
 魔物は間違いなく、海から現れた。その形状、様相、そしてカタリナが過去に見た同種の魔物の状態から考えても、それは間違いないだろう。そして海に生きる魔物がこうして陸地にまで徘徊することなど、今まで前例を聞いたことがない。全く彼らの生活圏から外れる行動なのだ。つまりそれは何らかの目的があって行われた事であるのは間違いない。

「此奴らは尖兵だろうな。此奴をぶっ殺したからには、いずれは帰ってこない此奴らを訝しんでもっと大量のフォルネウス兵が来るぞ。この街は、このままにしておけば一月も待たずに魔物に蹂躙されて終わりってわけだ」
「・・・内容の割に、随分とあんたは冷静だな。つまりあんたはこれが分かっていてここに来た、というわけだ。一体、これからここで何をしようっつーんだ?」

 彼がモウゼスからここへとまっすぐ向かって来た事を訝しんでいたハリードが問いかけると、しかしハーマンはハリードではなくカタリナの方を見ながらニヤリと笑った。

「・・・なぁロアーヌの騎士様よ、アンタはどうする。今なら別に、この街を見捨てて去る事も出来るぞ」

 ハーマンにそう問いかけられたカタリナは、手にしていたロングソードを血振りして仕舞うと、腰に手を当ててため息をついた。

「分かりきったことを聞かないで頂戴。それにどうせ貴方が最初に四魔貴族の話を私に振った時に見据えていたのは、これなのでしょう?」
「けっ、面白くねぇ女だ」

 カタリナがハーマンとグレートアーチで初めて会った時のことを思い出しながら応えると、存外ハーマンは言葉と裏腹に何やら満足したような表情で煙草を踏み潰した。

「粗方の調べはついている。明日、ここのキャプテンのところに行くぞ」
「キャプテン・・・あぁ、市長のことね」

 フォルネウス討伐の伝説に準えてここバンガードの市長は、自らのことを伝統的にキャプテンと呼称するのだそうだ。カタリナはあまり気にしていなかったが、ハーマンは意外とそういうところは律儀に呼ぶのだなと意外に思いながら、壁が崩れたコテージへと歩いていくハーマンをカタリナは視線で追った。
 戦闘により半壊したおかげで野宿の様な有様となってしまったが、まぁ星空を見上げながらベッドで眠るというのも案外乙なものかもしれないな等と思いながらカタリナもベッドへと向かっていった。

 

 

「フォルネウス兵に襲われた?! 何て事だ、どうやって街を守ったらいいんだ・・・!」

 昨夜の事件のあらましを伝えると、バンガードの市長もといキャプテンはすっかり頭を抱え込む様にしながら唸り始めてしまった。彼にとってこの報告は、単なる殺人事件などとは比べ物にならないほどに衝撃的な展開であることだろう。彼はこのバンガードが過去に巨大な船であったことを信じて疑わない希少な住民の一人であるが、だからこそフォルネウス兵が襲ってくるという話をすんなり信じ、そして嘆いたのだ。
 それに対し、カタリナは項垂れるキャプテンに視線を合わせる様にしゃがみ込みながら、彼の瞳を見つめて言った。

「キャプテン・・・動かしましょう、バンガードを。聖王様はフォルネウスと戦うためにバンガードを作ったのよ」

 カタリナも今は、このバンガードが船であるということを不思議と疑うことはなかった。ハリードもどうやら同じ様子であるし、フェアリーは既にこの街の様々な生命から情報を得ているようだ。ミューズとシャールは、二人もまた聖王遺物に関わったものとして特に疑う様子もなく佇んでいる。ハーマンはそんな彼らを一番後方から、黙って見つめていた。
 それら一同に会した面々を前に、キャプテンは先程までの絶望に塗り固められた表情から若干生気を取り戻したように瞳に僅かな光を取り戻した。

「うむ・・・出来るだろうか・・・君は、勿論協力してくれるよね?」

 キャプテンが半ば縋り付く様にカタリナにそう問いかけると、カタリナは即座に肯定と答えようとした。だが、そこで彼女とキャプテンの前に空かさず割り込んだのは、無論のことハリードであった。

「おっとキャプテン。手伝うのは勿論吝かじゃあないんだが、こいつは昨日の殺人事件の調査とは完全に別口だぜ。それは、勿論分かってくれているよな?」
「む・・・そうだな。では、事件の調査料と合わせて、三千出そう」

 急に現実に引き戻されたキャプテンは、しかしハリードのそれも当然の要求だと理解し答えた。そしてその様子を見ていたカタリナは、このキャプテンの即答の反応にハリードが大層邪悪な笑みを浮かべたのを、見逃さなかった。

「おいおいキャプテン、これはそんじょそこらの調査や討伐とは段違いの仕事だ。もう一声ないと、割に合わないぜ・・・?」

 その瞬間、キャプテンの表情が固まる。そして彼が小さく「足元を見おって・・・」と呟いたのを聞いてカタリナが我が事の様に恥ずかしく思い顔に手を当てたのと同時に、キャプテンはハリードに対して五千オーラムを提示してきた。
 その提示額に、ハリードは満足げに頷く。

「それくらいでいいだろう。で、何をすればいいんだ?」

 後半は、後ろを振り返ってハーマンに対して聞いたものだ。
 その言葉を受けてハーマンは、煙草に火をつけながらいつの間にか手にしていた古い文献を開いた。

「まず、バンガードの内部へ入らなきゃならねぇ。おいキャプテン、この代々の市長の住まいである『船長室』は、その名の通り過去の艦長室の名残ってぇ伝説なんだよな?」
「あ、あぁ・・・そうだ」

 キャプテンがハーマンの言葉を肯定すると、ハーマンは何やら周囲を観察する様にゆっくりと部屋の中を歩き回りながら、手にした杖で何かを調べる様にコツコツと床を突いて回った。
 その様子をカタリナ達が不思議に思いながら見ていると、ハーマンはその視線に応える様に口を開く。

「この街はな、実際観察すればするほど、馬鹿でかい船の上に作られた様な形状をした街なのさ。東西に延びた横長の地形を全て囲う様にある外壁跡と、そこからこの『船長室』に至るまでに丘陵上に盛り上がった地形。まるでここだけ、船みてぇな形なんだよな。んでな、大型軍船ってのは大抵操舵室・・・まぁ艦橋っつーのがあるんだが、船の長がいる場所と艦橋ってのは、大抵の場合、直通通路があるはずなんだよ・・・」

 カツン、とそれまでの音とは違う音が、室内に響く。それは丁度キャプテンが居るあたりの床一面だ。
 ハーマンは無言でキャプテンに退く様に視線で訴える。そしてキャプテンがそれを感じ取ってそのまま退くと、彼は躊躇なく腰に備え付けたバイキングアクスをその床に叩きつけた。

「・・・ほらな」

 派手な衝撃音とともに板張りの床が砕け散ったその下には、なんと急角度で下へと向かう階段が現れたのであった。

 

 

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第七章・5 -オーロラに包まれて-

 

「あ・・・」
「・・・どうかしたんですか?」

 バンガードの宿で紅茶を飲みながらピドナへの定期連絡を認めていたカタリナの唐突な発声に、窓から身を乗り出して道端の猫と遊んでいたフェアリーが振り返った。

「いえ・・・そういえばポールやエレン達って、氷の剣探索に向かったのよねーって思って」
「あー。ミューズさんは、そう仰っていましたね。それがどうかしましたか?」

 花壇の世話が趣味であり、西の花の種が欲しいとシャールと共に買い物に出かけているミューズを思い浮かべながら、フェアリーがカタリナの言葉に答える。
 それに対してカタリナは羽ペンを持つ手で軽く頭を掻きながら、ぼそりと続けた。

「いや、前にフェアリーに教えてもらった『雪だるま族が氷の剣を守護している』っていうの、そう言えば誰にも伝えてなかった気がして」
「あーなるほどー・・・。うーん・・・・・・。まぁ、きっと大丈夫ですよ」

 空中で腰掛ける様な仕草をしながら腕を組んで考えていたフェアリーは、何かを察知してか、気楽な様子でそう断じた。カタリナが小さく首を傾げて続きを促すと、フェアリーは窓の外の空へと視線を向けながら微笑む。

「ノーヒントの方が、冒険は面白いものですし」
「え、まぁ・・・それはそうかも知れないけれど。それって大丈夫っていうのかしら・・・?」

 得心いかない様子で首を傾げるカタリナに、フェアリーは微笑み返しながらもう一度窓の外を見やる。
 注意深く意識を向ければ、遥か遠くで僅かに力の揺らぎを感じる。それは資格を持つ何者かが神器に近づく事で起こる気配である事を、彼女は知っているのだ。

「でも、ちょっぴり残念です。雪だるまさんには、是非ともお会いしてみたかったのですが」
「それなら私たちも、いつか北に行ってみましょう。その時に会いに行けばいいわ。エレン達が会えていれば、方法もわかるでしょうし」
「・・・はい!」

 ティーカップを片手に柔らかく微笑みながらそういうカタリナに、フェアリーは花のような笑みで返しながらカタリナの近くに置いてある自分用のハーブティーを手に取った。

「あら、なぁに?」
「いえ、なんでもないです」

 文書を書くカタリナのすぐ隣に、あるいは甘えているようにも見えるような近しい距離でちょこんと腰掛けるように浮かび、フェアリーはいつか会えるかもしれない雪だるまへと思いを馳せていた。

 

 

 四魔貴族討伐を聖王が為し遂げてから後、魔王殿を拝する市街地の丘の上に新市街建築の構想が立ち上がり勢いを増す王都ピドナを他所に、一組の男女が港から人知れずヨルド海を渡った。そうしてたどり着いた古都ロアーヌの地を開拓し、その地の初代侯爵として統治を行った聖王三傑たるフェルディナントと、その妻ヒルダ。
 この二人が実は世界地図上で最北の都市国家であるユーステルムの出身であるということは、思いの外広く知られていない事実である。
 そんな稀代の英雄二人を輩したこのユーステルムという都市国家は、商都ヤーマスとツヴァイク地方を結ぶ交易の拠点として、そしてその交易路に沿って聖都ランスへと巡礼する聖王教徒の宿泊地として、北の地に必要不可欠な都市として発展してきた。
 交易の街と巡礼地としての二面を抱えるこの街は、いざその中に入って見渡してみれば、北の地の厳しさと共に生きる実直な民の集まりであることを知ることができる。
 特に今は最もこの地で過酷な冬の時期であり、現地の民は狩りの季節に拵えた備蓄と共に息を潜め、じっと春の訪れを待つのだ。だが、この時期にこそ見ることができるこの地方独自の天体現象としてオーロラがあり、それを一目見ようとこの地を訪れる者も多いのだという。
 しかしそれもここ数年はオーロラ自体が何故か姿を現さなくなったことで観光客の足も遠のいていたのだが、どうやら今年はまたオーロラが出そうだ、というのが地元のハンターたちの空読みの結果なのだという。
 そしてその言葉を信じ、まさに今雪原を進行する者たちがあった。
 すっかり日も傾き夜が近づく一面銀世界の山間の雪原を進む五つの影は、時折強烈に吹き荒ぶ風に凍えながらも、しかし立ち止まることなく着実に歩を進めていた。

「ちょっと・・・あとどのくらいなの!?」

 頭まですっぽりと被ったフードの下では鼻っ柱をすっかり赤くしながら、エレンは先頭を行く大男へと大声で問いかけた。その声量から推察する限り、まだまだ彼女らには十分な余力がありそうだ。

「あーと少しだって」
「それもう三回くらい聞いたわ!」

 エレンのその言葉に後ろの三人も全力で頷き返すと、先頭の大男は、がはははと豪快に笑いながら懐のスキットルを取り出した。

「なぁに、本当にあと少しなんだ。焦らず行こうじゃあないか。ほれ、お前たちもやるか?」

 中身は現地特有の度数の高い蒸留酒を入れているらしいスキットルを一口飲むと、大男はそれをエレンにも勧めてきた。

「いいわよ、自分で買ったのあるし」

 エレンは大男のものには目もくれず、特製の毛皮の外套の内側から丸い形のスキットルを取り出して、その中身を豪快に呷った。通常スキットルは四角い形が多いのだが、ユーステルムの露店で見つけた丸い形のスキットルが非常に可愛く見えたとのことで、彼女のお気に入りだ。

「おぉ、流石いい飲みっぷりだねぇ。ロアーヌの奴らは酒飲みが多いんだなぁ」
「あたしやカタリナさんと同じにみんなを見ちゃだめよ。ね、ユリアン」
「え、あ、おう」

 突然話を振られたユリアンは、モニカを気遣いながらも懸命に返事をする。しかしその返事を碌に聞きもせずにエレンは既に前方へと向き直っており、それに対してユリアンは特に構うことなく、相変わらず大声で笑う大男へと視線を向けた。
 この雪山において彼らを先導するこの大男は、名をウォードという。
 最北都市ユーステルムを拠点として活動するハンターだということだが、ユリアンらがユーステルムに着いた直後に現地案内として彼を雇ったのは、ポールだった。なんでも、以前もカタリナと共にこの地を訪れた時、彼と共にこの地で仕事をしたのだそうだ。

「まぁあのねーちゃんがいねぇのは残念だったが、今度はこうして俺の遠縁の一族に会えたんだ。これも何かのお導きってやつだぁな」
「んなお導きはどうでもいいから、ちゃっちゃと目的地に導いてよね!」
「はっはっは、間違いない。こりゃあ一本取られたな!」

 ウォードとエレンは先ほどから、ずっとこの調子なのである。因みに彼の遠縁というのはなんとモニカのことであり、彼の家系図を辿ると英雄フェルディナントの時代まで遡ってロアーヌ侯族と繋がっているのだそうだ。とはいえウォード自身は美男美女として有名なロアーヌのアウスバッハ兄妹とは似ても似つかない外見なので、普段はこれを話しても誰も信じないそうだが。
 そんな二人の他にこの場にいるのはユリアン、モニカと、あとはロビンだ。
 ユーステルムまで共に来たポールはといえば、どうやらカンパニー関連で厄介な状況が現地で発生しているらしいということを察知し、そちらの火消しに向かうこととなったのであった。なんでも、以前にトーマスらが来訪し商業協定を結んだ北の盟主とも言われる大手「エリック社」が、現地でカンパニーの物件に裏でちょっかいを出していたとのことなのである。
 ポールはこれをこの機に叩かなければならないと判断し、現場調査をエレン等に任せることとしたのであった。
 そして現地調査のリーダーを言付かったエレンは早速「先ずはオーロラを見に行こう!」との大号令を発し、今に至るというわけなのである。

「でも、この道の先にオーロラがあると思うと、わくわくしますわね」

 ユリアンの手を取りながら歩を進めるモニカは、騒がしい前方の二人を微笑ましく思いながらも実のところは自分自身が一番楽しみであるかのような様子で、そう呟いた。
 なんでもこの山間の雪原を抜けた先には小高い丘があり、そこは空の果てまで続かんとするような氷原と、その向こうに北海を一望できる小さな崖があるのだという。ウォードが言うには地元のハンター仲間の中でも一部の人間しか知らない絶景スポットであるとのことで、モニカはまだ見ぬオーロラとその前評判に、密かに心躍らせていたのであった。

「おぉ、目印の大岩が見えてきた。あと少しだぞ」
「もう四回目よそれ!」

 あいも変わらずエレンとウォードは騒がしく歩を進めていく。
 そんな彼らに続いて三人も進んでいくと、ウォードが目印といった大岩を曲がった先には、確かに山間から広大な氷原を望む小さな崖が突き出していたのであった。

「もう間も無く、日が沈むな。こっからは長期戦を覚悟したほうがいい。オーロラは、いつ出るのかわからん気まぐれなやつだ。ここにテント張るから、男衆手伝ってくれー」

 背負っていた荷を下ろしながらウォードがそう言うと、ユリアンとロビンが彼を手伝っている間にエレンとモニカは崖からじっと空を見つめていた。
 陽が落ちたことで辺りは急激に冷え込んできており、張り詰めた空気の冷たさも肌に感じられる。
 白い息を規則正しく一定の間隔で吐き出しながら、エレンは遠く水平に向かって視線を向けていた。

「オーロラって、どんななのかな?」
「どんなものなのでしょうね。アンナ様は光の帯と仰っておりましたが、夜に光る虹のようなものなのでしょうか」

 氷原の先を見つめながらそう言うエレンに、モニカは少し上空へと顔を向けながら答えた。空には太陽に代わり星の輝きが現れ、既に広大な星の海を作り上げている。
 空から視線を下ろせば氷原はすっかり闇に覆われており、目を凝らしても下の様子はあまり伺えるものではなかった。
 この氷原の何処かに、氷の銀河とやらが有るのだろうか。
 モニカが暗い氷原をぼんやりと見つめながらそんなことを考えていると、彼女の背後から野太いウォードの声が上がった。

「おい・・・来たぞ!」

 その声にハッと我に返って、モニカが空を見上げる。するとその視界の端で空と海の境界のあたりに、小さく光り波打つ「何か」を捉えた。
 それは、青くて赤くて、または緑だったり白かったりして、小さな光だと思って居た矢先に、爆発的に空を侵食し薄暗い空を瞬く間に極彩色へと染め上げていく。そしてたった数度の瞬きの間に、遥か遠くからその「何か」は伸び上がる様にモニカ達の頭上に至るまで波打ちながら展開し、あっという間に彼女達のいる小さな崖をも空から包み込む様に広がった。
 それは、モニカが想像していた夜の虹などと言う様な可愛らしい表現に収まる代物ではなかった。
 例えるならばそれは、夜の闇に対して向けられる極彩色による容赦なき蹂躙。または夜が平伏す程の、天を跨ぐ長大な光の道筋。とにかく其れは、想像を絶する規模で紡がれる、偉大なる神の御業に他ならない。
 その息を呑む程の絶景に、しばしその場の面々は言葉を忘れて魅入った。

「・・・こいつは驚いたな。ここまで大きなのは、俺も初めてみる」

 ウォードが最初に我に返り、そう呟いた。
 モニカ達はこれ以外にオーロラというものを見たことが無いので比較のしようはないが、しかしこの光景は人生の中で二度同じものを拝める様な代物ではないであろうと言うことだけを、確信していた。
 そしてモニカらがそのまま言葉を忘れて魅入っていると、その極彩色の奇跡は更なる変容を遂げていく。
 畝り広がる光の帯はいよいよその高度を落とし、遂には小さな崖に立つ五人の男女を包み込んでしまった。

「・・・凄い、オーロラって凄い!!」

 その状況に至ってエレンは興奮の絶頂に達し、そう叫んだ。
 彼女達の周囲は最早薄暗い山間の崖ではなく、極彩色の渦の中。背後に来た道も、眼前に広がっていた氷原も、何も見えなくなっていた。

「・・・おいおい、こいつはなんかやべえぞ・・・!」

 この世のものとは思えないその光景に旅の四人が息を飲んでいる中、ただ一人妙に焦りを見せているのがウォードだった。

「これは、オーロラの現象とは何か異なるのか?」

 アイマスクが飛ばない様に手で眉間を抑えながら、ロビンが慌てた様子のウォードに問いかける。

「あぁ、こんなのは見た事ねぇ。つーか話にも聞いた事がねぇ・・・まるで婆様に聞かされた童話だ・・・!」
「童話・・・か。それは、好都合かもしれないな」

 ロビンがそう言いながらふっと笑みをこぼすのを見て、それどころではない様子のウォードは多少苛つきを見せながら言った。

「おいおい何が好都合だってんだよマスクマン・・・!」
「まぁ見ているといい」

 片手を上げてウォードを制しつつ、ロビンは上を見上げた。
 そこにもまた、極彩色の光が狂い飛ぶ様が見て取れる。

「とりあえず、身の危険は考えなくていいだろう。これが世界の奇跡であれば、我々に仇なす物ではないよ。なぜなら我々は、正義の心を持っているからだ。そしてこれが悪の為す事である事はないだろう。なぜならこの光景は、真に美しいからだ。つまり、我々に危険が及ぶ事はないという事だ」
「おいおいマスクマン、気でも触れたか・・・!?」

 自分の中にはない確信を語られ、ウォードは半ば混乱して頭を片手で抑えながら吐き捨てる様に言った。
 しかしどうした訳か、ロビン以外の三人も、何やら能天気な様子でこの状況に感嘆の声を上げているばかりだ。
 この異常な状態にいよいよ集団で気が触れてしまったのかとウォードが冷や汗をかいている、その矢先のことだった。

「見て、オーロラが・・・」
「解けていきますね・・・」

 エレンの後を追う様にモニカがそういうのとほとんど同時に、彼女らを覆っていた極彩色の光は、それまでの光景が嘘の様に呆気なく空間に溶け、消失していった。
 だが、どうしたことか空を覆う極彩色が消えてもなお、彼女らの周囲はうっすらと明るいままなのだ。
 空を見上げれば今にも雪が降り出しそうなどんよりとした空模様で、その分厚い雲の向こうの低い位置に、輝く太陽が透けて見えた。

「あれ、さっきまで夜だったよね・・・」
「あぁ、そうだ・・・。ってか、ここは何処なんだ・・・?」

 周囲の明るさに驚いて呟くエレンに応えながら、ユリアンは周囲を見渡す。
 彼らは今、先ほどまで立っていた山間の小さな崖ではない、別の何処かにいた。
 左をむけば切り立った崖が聳え立っており、その先は望むべくも無い。そして彼らの正面と右方向には、崖の中腹の空間と思われる一面が雪に覆われた場所で其処彼処に住居と思しき半円型の建築物が点在している。どうやら、其処は村の様だった。
 しかし、どうした訳か人のいる気配は全く感じられない。

「廃村・・・なのか?」
「ううん、でもその割には雪で建物とか隠れてなくない?」

 小さな段差を飛び越えて建築物に近づきながら、ユリアンの疑問にエレンが答えた。
 その建物は触れれば冷たく、木や煉瓦で作られたものではない様だった。

「・・・こりゃあ、イグルーだな。雪で作る簡易住居みたいなもんだ」

 ここでやっと冷静さを取り戻したのか、ウォードがエレンの後に続いて建物に近づきながら言った。

「えーこれ雪で出来てるの!」
「そうだ。しかし、こんなにデカくてしっかりしたイグルーは俺も初めて見たなぁ」

 初めて目にするイグルーをパシパシと叩きながら感心した様子のエレンとウォードの脇で、今度はモニカが何かを見つけ駆け寄った。

「まぁ、見てくださいユリアン。これはひょっとして、雪だるまでは?」

 ユリアンが呼びかけに応じて振り向いた先では、モニカが二つ並んだ等身大程度の雪像らしきものを色々な角度から眺めているところであった。

「あー、確かに雪だるまだ。そういや昔作ったなー。シノンじゃそこまで雪は降らないから、こんな大きなのは作れないし土でばっちいのばっかだったけど」

 そう言いながら雪だるまに近づき、ぽんぽんと頭を叩きながら幼少の思い出に耽る。
 しかし、そこでふと疑問に感じた。
 果たしてこの雪だるまを作ったのは、一体誰なのか。
 その疑問が浮かんでからよくよく周囲をユリアンが見渡すと、この村と思しき場所には多くの同じ様な雪だるまが乱立しているではないか。
 しかも恐らくはその全てが、しっかりと形を保った状態だ。雪も余計に積もった様子がない。つまり、作られてからそう時間が経っていないという事になる。

「兎に角、ちょっと探索してみようではないか」

 ロビンの発声を機に、五人は雪だるまばかりが立ち並ぶ村の中を歩いて回った。
 矢張り何処にもこの村の住民は居らず、だがまるでイグルーの中はつい最近まで誰かが生活をしていたと思えるほど、全く風化の痕跡がない。
 まるで彼らが此処に来る直前に住民が突如として神隠しに遭ったのではないかと思えるほど奇妙な空間の中で更に彼らを混乱させたのは、なんとイグルーの中にまで設置されている雪だるまの数々だった。

「ユーステルム周辺では、雪だるまを聖人像か何かにでも見立てる習慣など有られるのです?」
「うんにゃ、祭り事ででかい雪の像を作ることならあるが、それくらいだぁな。ここまで並んでると、奇妙なもんだぜ・・・」

 モニカの問いに答えるウォードを先頭に、一行は村の中でも一等大きなイグルーへと侵入した。そこまで大きくない集落であったので、ここが探索できる最後の建物だ。
 雪で作られているとは思えないほど内装もしっかりした作りであり、イグルーの中には下へと向かう階段が掘られている。そしてその先は、なんと地下室まであるほどの広さを誇っていた。
 その階段を降りた先にも矢張り雪だるまが三体程有るだけで、矢張り人の気配はない。
 この場所で村の中は粗方見回ってしまったが、なんの発見もなく状況が変わる様子もない。
 さてどうしたものかと皆が顔を見合わせる中、エレンは部屋の奥に鎮座する雪だるまの一つに近づいて、先ほどモニカがしていた様に改めて雪だるまを観察していた。

「なんか分かったのか?」
「いやなーんにも。でもここの雪だるま、みんなちゃんと目と眉毛の飾りがついてるの可愛くない?」

 そう言いながらエレンが雪だるまを撫で回すのを見つつ、ユリアンは腕を組んだ。

「女子のそういう可愛いって感覚は、いまいち男には分かんないよな。なぁロビン」
「うむ・・・まあ恐らくは、『これは正義か悪か』というような二極化の意味合いで『可愛いか可愛くないか』という二者択一の判断を行なっているのではないだろうかと思うが・・・」
「・・・俺は男の感覚もわからなかったんだなぁ」

 ユリアンとロビンがそのような雑談に花を咲かせていたまさにその刹那、それは起こった。

「ウギャアアアアアアァァァァァァ!!!???」
「うわあああああぁぁぁぁ!!?」

 突如その場に巻き起こった二つの絶叫に、全員が声のした方へと振り返る。
 そこには、絶叫を発した一人であり、驚いた様子で尻餅をついているエレンがいた。
 そしてエレンの前には、呻き声と共に盛大に雪面をのたうち回る、大きな雪の塊があった。
 それは、先程までエレンが撫で回していた雪だるまだった。

「うぐううう・・・そ、そこを触っちゃダメなのだ!」

 そして有ろう事かエレンを始め他の四人も唖然としている中、どういう原理かむくりと起き上がった雪だるまは苦しそうに目を瞬かせながら言葉を発したのだった。

「雪だるまが、しゃべった!!」

 エレンは目の前の雪だるまに遅れて立ち上がると、臀部に付着した雪をはたき落とすのも忘れ、ただただ感嘆した様子だ。

「動いちゃダメじゃないか!」

 続いて何処からか発せられた声は、これもまたユリアンら一行のものではなかった。
 その声にいち早く反応してユリアンとロビンが振り返ると、奥の雪だるまから彼らを挟んで反対側、階段の方に鎮座していた二体の雪だるまが新たに動き出して顔(と思われる面)を奥の雪だるまへと向けていた。

「だって、目を指で突き刺されたのだ・・・流石に痛いのだ・・・」

 好奇心に駆られたエレンの惨たらしい仕打ちが度を過ぎていたのだと主張する雪だるまに対し、他の二体は流石に同情を隠せない様子だった。
 やがて、その間もあまりの出来事に身動きが出来ないでいるユリアンらに対し雪だるま達は向き直った。

「ばれてしまっては仕方がない」

 そう言って一歩(足らしきものが見当たらないので、この表現が妥当かどうかは議論の余地があるだろう)ユリアン等に対し距離を詰める雪だるま達。素早く臨戦態勢を整えるユリアン達。
 だが雪だるまから発せられた二の句は、ユリアン達に取っては大いに予想外のものであった。

「雪の町へようこそ!!」

 

 

 魔王生誕以前の遥かな昔、北海へと続く峠と極寒の境界の間に、その町は気が付けば存在していた。
 とは言え、少なくとも最初は町などというようなものではなく、只々意思ある力が漂う力場というだけだった。
 それがある時、人界から気まぐれなオーロラに導かれて人間の少女が一人、その力場へと迷い込んだのだという。
 力場に漂う意識体は、その思わぬ来客に好奇心から接触を図った。肉体を持たぬ意識体は思念を用い、その少女と意思の疎通に成功した。少女は、その場所で小さな雪だるまを作った。そして一体の勇気ある意識体が、その小さな雪だるまと自身の結合を試み、初めて意識体は物質としてその場に存在する事に成功した。
 物質となった事で子供と発声を介して意思疎通を行えるようになった意識体は、子供とともに幾つも雪だるまを作った。それに次々と意識体が宿り、雪だるまは瞬く間に増えていった。
 だが明くる日、雪だるまに囲まれて寝ていたはずの少女は、二度と起き上がらなかった。
 それから少女と同じように幾度か来訪した人間が同じ結末を辿るうち、それが凍死であるということに気がついた雪だるま達は、切り立った崖を削り、訪れた人間が凍えぬようにと暖炉を備えた部屋を一つ作ることにした。
 そうして幾百年の月日の間に、この雪の町が作り上げられ、今に至る。

「・・・という設定なのだ」
「設定かよ!」

 まるで古い童話を聞いているような面持ちでそれを聞いていたユリアンたちは、雪だるまのオチに盛大にツッコミを入れた。
 彼らは今、設定によれば人間を迎え入れるためにわざわざ作ったらしい暖炉のある部屋で、雪だるまとそんな話を繰り広げていた。
 因みにこの時点で、オーロラさえ出れば雪の町から帰ることは可能だということは雪だるまから確認出来たので、こうして寛いでいるというわけである。更に補足するならば、この部屋は非常に暖かいのだが雪だるまはこの場所では魔力行使によってか解けずに居られるのだという。

「幾人かが犠牲になるというさり気無く残酷な描写が、昔の童話という感じがしますわ」
「うん、それを狙っているのだ。あんまり来ようとする人が増えても、ここは人間が住み続けられる環境ではないので危険なのだ」
「へぇ、雪だるまってのも色々考えてんだぁなぁ」

 ウォードが何やらいたく感心した様子で雪だるまを見ている横で、エレンが挙手をする。

「はいそこのポニーテールの女の子」
「あたしはエレンよ。んで、今のが設定なら本当はどういうわけで雪だるまが動いてて、こんなところがあるの?」

 雪だるまは、その問いに対して表情だけで見事に考えを巡らす様子と、辿り着いたであろう思考結果を吟味する様子を表したのち、こう言い放った。

「わからないのだ」
「わかんねーのかよ!!」

 珍しくツッコミに回ったユリアンの横で、ロビンは何故か雪だるまのその言葉に感銘を受けたように頷いている。

「何故自分が存在するのか、それは確かに分からぬものだ。それは人も雪だるまも同じということなのだな」
「今はそんな話じゃねーよ!?」

 忙しそうなユリアンを尻目に、今度はモニカが挙手をする。

「はいそこの金髪の女の子」
「私はモニカと申しますの。雪だるま様は、氷の剣について何かご存知ですか?」

 ここでモニカが今回の遠征の核心に迫る問いを発すると、雪だるまは彼女らのいる暖炉の部屋の奥に視線を向けた。
 そこには、一見なんの変哲も無い扉が設置されている。

「氷の剣なら、あっちにあるのだ」
「隣の部屋にあんの!?」

 あまりの展開の早さにユリアンの対応力が追いつかなくなったところで、エレンが颯爽と立ち上がり扉の方へと歩いていく。
 そして徐に、その扉を開け放った。
 瞬間、まるで空気が凍りついたかと思われるほどに一気に冷気が広がり、暖炉の火が全く意味をなさなくなる。

「そこが、氷の銀河なのだ」

 扉を開けたその先は部屋ではなく、なんと氷原だった。そして氷原は視界の先で間も無く途絶えており、その向こうには広大な一面の湖が広がっていたのだ。
 雪だるまの町は夜だというのに明るかったが、その扉の先は見上げる先が薄暗く、夜のようだ。だが全方位から蒼く淡く発生している幾つもの光が、その空間を仄かに照らしている。
 そして蒼い光と同時に強烈な寒気がその空間を支配しており、そこは雪だるまの町以上に温度が低い場所であることが分かった。
 部屋の中にいる今でさえ相当の冷気を感じる事が出来、長くそのままでいると感覚が麻痺してくるのが容易に想像できる。

「うわぁ、本当に星みたい・・・」

 寒さも忘れた様子でエレンが扉から上半身を押し出して湖面を覗き込むと、どうやら空間に溢れる蒼い光は湖の中からも発せられているらしかった。

「成る程これは、氷銀河と名付けられたのも納得ですわね」

 両腕を抱き込むようにして寒さを凌ぎつつ、モニカもエレンの肩のあたりから顔を出してその光景に魅入った。

「早く扉を閉めて、こっちに戻るのだ。その格好では凍ってしまうのだ」

 扉の前で呼びかける雪だるまに従ってエレンとモニカが扉を閉めて暖炉に戻ると、確かに二人の衣服や髪には気づかぬ間に細かい氷の粒が短時間で幾つも付着していた。

「氷の銀河は、人がそのまま入っていられる場所では無いのだ。しっかり対策をしないと凍えて死んでしまうのだ」

 さらりと恐ろしいことを宣う雪だるまに一同が耳を傾けていると、続いて雪だるまはこう言った。

「氷の剣を取りに行くのだろう? 連れて行ってくれなのだ」

 

 

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第七章・3 -姉思い弟思い-

 

 まだ陽も昇らぬ未明にに巻き起こった学術都市モウゼス中央の小島における魔術戦闘は、実に苛烈を極めた。
 西方世界でもこれまでの歴史において殆ど類を見ないほどの高度な魔術戦であったであろうとシャールが太鼓判を押す程のその戦闘は、天に向かって渦巻く玄武と朱鳥の力の奔流によって圧倒的な破壊の気配を纏いつつも、しかし次第に朝日によって照らされゆく事で実に幻想的且つ美しく彩られた。
 しかしその膨大な魔力の狂宴も終わりを迎えてみれば、その勝負の行方は誰が見ても明らかなものでもあった。
 無尽蔵にも思えた程の魔力をいよいよ出し尽くして地面に膝をつく二人の魔術師と、その目の前には微動だにせず仁王立ちをしているカタリナ。その手には武具を持っておらず、代わりに魔王の盾を構えた状態だ。
 世界に名を轟かせる魔術師二人の術は、古代の至宝たる魔王の盾の持つ無効化の力により全てカタリナに届く前に効果が消失し霧散してしまっていた。
 その様を見た時、魔術師二人にはそれ以上何かを為さんという気力は生まれてくることはなかった。

「負けたわ・・・」
「好きなようにしろ」
「二人とも、あんまり町の人を困らせないでよ?」

 力なく項垂れたウンディーネと、それとは対照的にどこか妙に潔い様子のボルカノに対し、カタリナはそう声をかけてその場は存外呆気なくお開きという流れとなった。

 

 そして数時間後。
 明け方までの騒動だった故か昼過ぎまで宿のベッドで倦怠感とともに微睡んでいたカタリナは、彼女等に宛てられたという一通の文が朝方に届けられていた、との知らせで漸く起き上がり、いそいそと活動を開始した。
 そのまま宿の食堂に降りて遅めの昼食をいただきながら届いていた文に目を通していると、今度は彼女らを訪ねて一人の人物がやってきた。
 態々そこに訪ねて来たのは、なんと今朝死闘を繰り広げたばかりの南の朱鳥術師ボルカノその人であった。
 懲りもせず早速魔王の盾を改めて狙いに来たのかとも思ったが、それにしては全く敵対心のない様子のボルカノに対してカタリナは内心首を傾げながら、昼過ぎで全く人気のない宿に隣接した酒場に席を移して彼の話を聞くことにした。

「先ずは、この度の騒動の謝罪をさせてくれ。済まなかった。そして、ありがとう」

 互いに席に着くなり口を開いて深々と頭を下げるボルカノにいよいよカタリナたちが頭上に疑問符の乱舞をさせていると、その様子を察したボルカノはどこかバツが悪そうに頭を掻いたかと思うと、手元に用意された珈琲で口を潤してから事の次第をゆっくりと話し始めた。

「なんというか・・・抑もディー姉は、魔王の盾の能力をしっかりと理解していないんだ」
「・・・・・・ディー姉?」

 ボルカノの口から出てきた名詞の印象が強烈すぎて、カタリナはそこだけ思わず鸚鵡返しをしてしまう。因みに、その後の言葉はあまり頭に入ってこなかった。
 纏めるとつまり、ボルカノが語る今回の騒動とその背景はこういうことだそうだ。
 ウンディーネとボルカノはこのモウゼスにて生まれ育ち、そして共に学んだ魔術師の先輩後輩にあたる。
 自身をして、その類稀なる才覚により幼い頃から周囲より神童の扱いを受けていたボルカノ。しかしその頃からウンディーネの後をついて周り彼女を最も身近で見ていた彼は、魔術師としての才能に関しウンディーネの方が自分より格段に優れているということをこの時、既に誰よりも強く自覚していた。
 そこでボルカノは単に魔術師として彼女の劣化版になるのではなく己の専門分野を開拓しようと、錬成の基礎となる火を司る朱鳥術を修め本格的に魔道具の研究開発へと道を進める。これはまだまだこの分野が魔術ギルドにとっても開拓の余地がある分野であったというのもあるが、特段ウンディーネが簡単な魔道具を作るのも実は少々苦手であるという事を鑑みての選択でもあった。
 そしてウンディーネが十年ほど前に魔術修行に出たのを機に、彼もそれならばと世界中の様々な素材や古代魔道具についての文献を求めて若くして旅に出た。
 そしてその旅の最中、彼は遂に魔王遺物についての未発見文献と邂逅するに至ったのだ。
 聖王記の一節にある「魔王伝記」にて、魔王の斧、魔王の鎧、そして魔王の盾の三つがこの世界に残された魔王遺物であることは古来より知られていた。だが、その名称以外の事はこれまで全くの不明であったのだ。
 ナジュに程近い地方にてボルカノが発掘し解読したその文献によれば、魔王の持つ盾は魔王軍の二度目の東方遠征に於いて古代ナジュの東方連合軍が編み出した天の術の効果を悉く打ち消し、そして魔王の斧の一振りで瞬く間に連合軍を壊滅に追いやったのだという。
 この文献の解読からボルカノは魔王の盾の強力な魔術無効化能力を発見し、やがてその探求こそが自らの研究分野の発展に繋がることを確信して、魔王の盾を欲する様になった。
 それから彼は、世界中で術の無効化に関連のありそうな記述のある伝記を探して回った。
 そして今から一年程前、イスカル河という中央大陸の遥か北方より聖都ランスを通りながら南東に突き抜けファルスを尻目にヨルド海へ流れ出る河の下流沿いに点在する洞窟型寺院の遺跡にて、正に無効化能力をもつ盾型の秘宝についての文献を発見した。
 更にその文献に記された内容は彼の想像を遥かに超え、その盾は術はおろか物理的な干渉も含めた凡ゆるものを無効化する秘宝であると記述されていた。またこの文献では他にも様々な実験の記録が記されており、これにより更に幾つかの特殊な能力が盾には備わっていることも分かってきた。
 中でも特に彼が興味を惹かれたのは、この盾が特定の魔術の効果に影響を及ぼす、という記述についてだ。
 三百年の昔、聖王三傑たるヴァッサールが彼女の故郷モウゼスに魔術ギルドを作った理由は諸説あるが、その最も有力な見解は「モウゼスの地は他所に比べ特定の魔術の効用を増減する傾向があるから」という説だった。簡単にいえば、モウゼスにいるのといないのとでは、魔術の種類によって効果に差が生まれるのだ。
 特に効果が高くなるのは、他の物体への損害、つまり『破壊』を司る魔術。そして逆に効果が薄れるものは、身体能力の向上や属性防御を目的とする様な補助魔術とされる。
 ボルカノが寺院遺跡で見つけた文献の最後には、ある時代に秘宝たる盾は、その力を恐れた一人の反逆者により奪い去られたとあった。そしてその所在についての記述は終ぞ見つかる事はなかったが、しかしボルカノは既に脳裏に過ぎっていたのだ。
 己の故郷の魔術行使における特徴、そして瘴気に侵される事なく死者が安らかに眠るという伝説を持つ、死者の井戸。
 これらは、正に文献にある秘宝の特徴そのままだということに。

「成る程ね。だから貴方は、魔王の盾がここにあると踏んで帰ってきた、と」
「そうだ」

 彼の冒険譚に、カタリナたちはすっかり聞き入ってしまっていた。
 シャールとミューズはその魔術師としての知見から非常に興味深く聞いており、またハリードは故国の歴史に関わる遺物の話として耳を傾け、ハーマンは何やら魔王の盾を追い求めて世界中を旅する彼の行動に共感している様だった。
 そんな中で王家の指輪のもたらす叡智により魔王の盾の力を恐らく誰よりも理解しているカタリナは、同様に人間には無い感覚で魔王の盾を知覚しているフェアリーと共に話の続きを促す。

「でも、そうなるとそのディー姉・・・えと、それウンディーネさん・・・でいいのよね? 彼女とは何故争う事に・・・?」
「それは・・・」

 カタリナの言葉に、ボルカノは何故かここでもバツが悪そうに言葉を飲む。
 そして次に言葉を発したのは言い澱む彼ではなく、唐突に酒場の入り口に現れた人物だった。

「それは私も是非、聞きたいわね」

 現れたのはボルカノと同じく未明までカタリナ達と争いを続けていたもう一人、ディー姉こと水術師ウンディーネその人であった。

「・・・ディー姉!」
「その呼び方いい加減やめなさいよ!」

 彼女を見たボルカノの反応に腕を振り払う様な仕草をしながら心からの叫びで返すと、ウンディーネもまた彼と同じ様にすっかり敵意のない様子で、カタリナらのテーブルへと近づいていった。
 その際カタリナに視線を寄越すと、カタリナはそれに対してほんの微かに頷いてみせる。それを見たウンディーネは、テーブルの側に立ってボルカノを見下ろすように視線を落とす。

「いい加減、教えなさい。何故私に盾の事を教えながら、私が手に入れるのを邪魔したの」
「・・・それは、こっちの台詞だ。確かに俺はディー姉に盾のことは教えたけど、何故それで俺が先に手に入れるのを邪魔することになるんだ」

 ウンディーネの言葉に、ボルカノはこれまでの様子とは一転してどこか子供染みたような、むすっとした表情で返す。そんな二人の間に流れる空気に、その他一同はなんだなんだと思わず目を見合わせる。

「えっと・・・え、ボルカノさん、態々ウンディーネさんに魔王の盾のこと教えたの? なんで?」

 二人の様相と共にいよいよ話の行方が分からなくなってきたカタリナは、思わず素の調子でボルカノにそう聞いた。

「・・・別に、お前達には関係ないだろう」
「いやもうがっつり関係してんでしょ」

 何処か気まずそうな様子のボルカノに、カタリナは一切容赦のない鋭い突っ込みを繰り出す。
 それに対して全く反論の余地もないボルカノは黙秘の姿勢をとったが、程なくして周囲の視線に耐え切れなくなったのか、おずおずと口を開いた。

「・・・教えた理由は、この発見がディー姉の研究の・・・や、役に立つと思ったからだ」
「あ、それってつまり、ボルカノさんはシスコンという事ですか?」
「誰がシスコンだ!」

 誰からそんな単語を教わったのか、ミューズもまた情け容赦なく直球で真理を突く。するとボルカノは、たいそう慌てた様子で先ほどのウンディーネと同じ様に腕を振りながら否定を口にした。因みに当事者達以外はあまり単語の意味をわかっていない様で、疑問符を浮かべている。
つまり彼の言い分は、こうだった。
 元々ボルカノとウンディーネは旅に出て以後も己の研究の進捗について、定期的に各地の魔術ギルド支部へと報告書を飛ばしていた。しかしこの報告書には漏洩を防ぐ目的で魔術封印が施してあり、特定の解呪方法を行わなければ見ることは叶わない代物であるのだ。
 ここ迄は、魔術ギルドでは通常行われる内容である。
 しかしさらに言うと二人の報告書は互いしか解呪の方法を知らない独自の封を行なっており、事実上二人だけの連絡網の様な状態だった。
 これにより、互いに現在どこにいるのかまでは分からずとも、その行動内容はある程度共有されていたのである。
 なので、抑も数年前の時点に遡りウンディーネはボルカノの魔王の盾探索のことを知っていたのだ。
 またウンディーネも自身が故郷を離れてから旅をして行く中でモウゼスの外で己の特定の魔術が弱体化していることを再確認した事を発端とし、土地の精霊力に左右されない魔術構成の研究へと本格的に舵を切った。
 その中で現在の研究内容へと独自の実験と考察により辿り着いたのだが、ここ最近になって今一歩、彼女は行き詰まっていた。
 その理由は、彼女の提唱する陣形魔術の詠唱時に於ける土地の相克や術者への負荷を緩和する魔術媒介の研究が進まぬ事であった。
 この媒介とは所謂魔道具だが、魔術師の間で古来より常用されてきた魔道具は、この陣形魔術の媒介としては残念ながら全く役に立たなかった。陣形による魔力増幅の過程に耐えきれず、直ぐに砕けてしまうのだ。
 そうなれば取れる手段としては新たな媒介の錬成を行うしかないわけだが、しかし彼女自身は魔道具作成という点においては凡才の域を出ず、個人的には苦手な部類であった。
 そんな進捗を彼女との情報共有から把握していたボルカノは、魔王の盾の持つ魔術無効化の力が相克の無効化や負荷の軽減に通ずるのではないかと考えていた。
 そして更なる調査によって魔王の盾には魔術増幅の能力がある事を知り、より彼女の研究に役立つものであると確信したのだ。
 だが、いざ魔王の盾がモウゼスにあると当たりをつけてそれをウンディーネに共有した直後に、ボルカノは発掘した文献を読み進める中で更なる魔王の盾の特性の存在に行き当たった。
 それこそは、「防御・補助魔術の無効化」という現象だった。

「報告から推察する限り、陣形魔術は膨大な威力を実現することが可能になるのは間違いない。だがその膨大な魔力量は、恐らく人の身で扱うには負荷が大きすぎる。だからディー姉は、媒介を用いて負荷を減らしつつ魔力の増幅を行うことを思いついた。で・・・いいよな?」
「・・・そうよ」

 ボルカノの言葉を存外素直に肯定したウンディーネは、軽く曲げた右の人差し指を細い顎に当てながら腕を組み、続きを促した。

「・・・ただ媒介は、あくまで媒介。陣形魔術を行使するには、負荷を減らすために恐らく自身に何らかの防御魔術を掛けなければならない筈」

 確認するようにウンディーネを見つめながら語るボルカノに、彼女は無言で頷く。それを確認したボルカノは、次にカタリナの方へと視線を向けた。

「だが魔王の盾には、どうやら補助魔術を無効化する効果があるらしい。このモウゼスに於いて補助魔術の研究が遅れていた最大要因は正に其れ等の魔術の効果がモウゼスではあまり発現されないことにあったが、それもこの能力が原因だろう。つまり、魔王の盾をそのままの状態で陣形魔術に使えば、魔力増幅と防御魔術無効が同時に発現し・・・術者は負荷に耐えきれず、その身もろとも破裂する可能性が高い」
「・・・つまり貴方はそうなるのを防ぐために、ウンディーネより先に魔王の盾の入手をしようとした、という事なのね」

 カタリナの纏めに、ボルカノは浅く頷く。

「ディー姉は・・・昔から先ず自分で試さないと気が済まない性格だった。だから魔王の盾も、先ず間違いなく自分が最初に使おうとするはずだ。だから、これを伝える前に渡すわけにはいかなかった」

 続けて発せられたその言葉を聞いても、ウンディーネは無言のままでいた。

「あの・・・ウンディーネさんはこの事を知っていたのですか?」

 数秒の間続いた沈黙を破るように、フェアリーがウンディーネに問いかけてみる。するとウンディーネは漸くそこで、あたかも金縛りが解けたかのように首から上だけを微かに動かし、フェアリーに視線を向けた。

「・・・この子の言うモウゼスの特性と紐付いているという仮説から、関連性に関しては薄々予測はしていたわ。勿論、そこまで強力なものであるなんて認識はなかったけれど」
「ならば尚のこと何故、俺に任せなかった! しかもやっと再会したと思えば出会い頭に宣戦布告した上、此方の話を全く聞こうともしない!」

 ボルカノが堪らず声を荒げて立ち上がりウンディーネを見つめると、今度は彼女が皆から視線を外すように食事中のテーブルを見つめる。

「・・・その理由、これと関係あるの?」

 再度その場に流れる気まずい沈黙を破って唐突にそう言ったのは、カタリナだった。
 先だって宿に泊まっているカタリナ宛てに届けられていた文を手にしてひらひらとさせながらウンディーネに向かって問いかけると、彼女はそれに反応するのをあからさまに拒否するように無言を貫き、ボルカノは怪訝な顔をしながらその文を見つめている。

「なんなんだ、それは」

 ボルカノがそう問うと、カタリナは文を持った手でそのまま肩を竦めてみせる。

「今朝、私宛てに届いた文よ。内容は・・・いいわね?」
「・・・勝手になさい」

 カタリナがウンディーネに視線を向けながら確認すると、ウンディーネは今度は窓の外へと視線を移しながら短く答えた。
 文は、ウンディーネからのものであった。
 冒頭には先程のボルカノと同じく此度の件に対する丁寧な謝罪があり、そして次には、切実な願い事が記されていた。

「盾は諦めるが、しかし絶対にそれをボルカノには触れさせないで欲しい・・・?」

 文に記された最後の部分をカタリナが読み上げると、ボルカノはそれを繰り返しながらウンディーネへと視線を移した。
 ウンディーネは、それでも無言のままだ。

「・・・なんで。なんで、そこまで俺が魔王の盾を手に入れる事を嫌がるんだ。頼むから・・・教えてくれ」

 今日の未明まで啀み合っていたのが嘘のように、ボルカノが落ち着いた声でそう聞く。
 するとどうした事か、ウンディーネは突然その切れ長の目尻に大粒の涙を溜め始めた。

「な・・・ど、どうしたんだ!」

 その様子に驚いたボルカノが大層慌てふためいて彼女の両肩を掴むと、ウンディーネは顔を見られたくないのか皆と反対側に顔を向けながら、小さく呟いた。

「だってあんた・・・死の呪いを・・・受けてるじゃない」
「死の・・・呪い・・・俺が・・・?」

 ウンディーネの掠れ声を聞いたボルカノはまるで身に覚えがないようで、なんのことだとでも言いたげに眉を顰める。
 そして次にその場で声をあげたのはなんと、事態をここまで只管静観していたハリードとシャールであった。

「ほう・・・死の呪い、か。成る程、此奴から腐臭がすんのはその為か。なあシャールよ」
「あぁ、どうやらその様だな。私やハーマンが抱いた違和感の正体は、それだったようだ。ミューズ様も、お感じになられますか?」

 シャールに問いかけられると、ミューズも矢張り違和感を感じていたのか、小さく頷いた。

「あぁ、これハリードの匂いじゃなかったの」
「カタリナさん・・・加齢臭ならまだしも、腐臭は流石のハリードさんでも傷つくと思います」
「いや加齢臭も十分傷つくんだが?」

 いけしゃあしゃあとそう宣うカタリナに、フェアリーの切れ味抜群の合いの手。そこにハリードは米神の血管をひくつかせながらも、流石に大人の対応で接する。

「・・・ウンディーネ殿。その死の呪いと言うのは、どの様なものなのですか」

 カタリナ達の掛け合いを無視しながらシャールが落ち着いた様子で問いかけると、それに合わせて若干冷静さを取り戻した様子のウンディーネはボルカノが差し出してきた手拭いで目元を軽く拭いつつ、しかし視線を落としたままで口を開いた。

「死の呪いは・・・生きながらにして性質がアンデッド化する呪いよ。私も呪術の研究過程で存在を知っていただけで、実物を見たのは初めてだけど・・・」

 アビスの瘴気を媒介とする古代呪法の一つである「死の呪い」とは、現代には既にその儀式の方法自体が消失している呪術の一つとされる。
 その効果は対象に不死者の属性を付与する、というものである。効果自体は非常に単純な呪いであるものの解呪に関する知識もすでに失われている為、根本的な解呪方法は現代において存在していない。

「不死者・・・そうか。それでディー姉、俺に魔王の盾を触れさせない様にしていたのか・・・」

 ボルカノがハッと気がついた様にそう言うと、ウンディーネは肯定するように僅かに頷いた。

「・・・死者の井戸は封印者によってアンデッドを無効化するように仕向けられており、その根元こそが魔王の盾の力。つまり、その根元に不死者化した存在が触れれば・・・魔王の盾の力に、その存在ごと消されるかもしれなかった」

 カタリナが珈琲を啜ってからそう言うと、ウンディーネはその言葉を肯定するでもなく押し黙って応えた。ボルカノはそんな様子のウンディーネを見ながら、居たたまれない様子で震えている。

「・・・変だとは、ずっと思っていた。戻ってきて久々に会ったと思ったら突然驚いた様子だったし、その後いきなり『魔王の盾はあんたに渡さない』なんて激昂して。それからずっと会ってもくれず、死者の井戸に近づこうとすれば妨害してきて・・・。意味が分からなかったが、俺もディー姉が魔王の盾を先に使ってはいけないと考えていたから妨害せざるを得ず・・・」

 そう言って打ち震えているボルカノに対し、ウンディーネもまだ掠れ気味の声で絞り出すように声を上げた。

「・・・久しぶりに会って、見て直ぐに呪いに気付いて、なんて馬鹿な呪いを受けてしまったのって思った。なんとかして解呪の方法を見つけなきゃって、私それしかもう考えられなくて・・・。兎に角それが分かるまでは、あんたを死者の井戸に近づけてはいけないと思って・・・」

 ボルカノの言葉に呼応するようにウンディーネが心の内を吐き出すと、二人はやがてどちらからとも無く、頭を下げていた。

「そうなると気になるのはボルカノ殿の死の呪いだが・・・抑も何者に呪いをかけられたか、心当たりはあるのですか?」

 事ここに至り二人が互いの行き違いの解消によって何処か晴れ晴れとした表情になったのを見届けてから、シャールが再度問いかける。
 それに対しボルカノは数秒考えた後、力なく首を横に振った。

「いや・・・思い当たる節はない。昔ならばまだ才能の差を妬むものも居たが、この十年は世界中を回っていたからな・・・」

 何か他に思い出せることはないかと記憶を探るように押し黙るボルカノと、それを無言で見つめる一同。
 そこに、すらりとした細腕をまっすぐ上げて意見を述べる意思を示すものがいた。
 フェアリーだった。

「なぁに、フェアリー」
「はい、あの、少し気になることがありまして・・・。ボルカノさん、ちょっといいですか?」

 カタリナに促されてそう言ったフェアリーは、その場に自分達以外いないということを確認するとフラワースカーフを脱いでふわりと浮かび上がり、ボルカノの首の後ろに回り込んだ。

「な・・・え、な、なんだ!?」

 突然羽が生えて飛んだフェアリーにボルカノは驚愕しつつも、その神秘的な現象に暴れようという気も全く起きず成されるままに様子を伺った。
 するとボルカノの後ろに回り込んだフェアリーは、彼が首から下げていたらしい飾りの紐を解き、紐ごとその先端を服の下から引っ張り出した。
 果たしてそこから出てきたのは、小さく、そして只管に黒い塊であった。
 その塊にはおよそ立体感というものがなく、触ってみて初めてその形がわかる程だ。正に、光すら反射しない程の純粋な黒である。

「多分、これが原因だと思います・・・」
「・・・それは!」

 フェアリーが取り出した『それ』を見て、ミューズが珍しくとても驚いたように声をあげる。
 その様子に皆が彼女に視線を向けると、ミューズは椅子から立ち上がってボルカノのすぐそばまで近寄り、フェアリーが浮かせているその物体をまじまじと見つめる。

「・・・ちょっと、なに意識してんのよ色ガキ」
「べ、別にしてない!」

 至近距離に近づいているミューズから顔を背けるようにしているところにウンディーネから半眼で突っ込まれ、ボルカノが必要以上に声を上げて否定する。地味にシャールも睨んでいたりする。
 そして周囲のそんな様子を微塵も気にする事なくその小さな塊をいろんな角度から観察していたミューズは、距離が近すぎたことに今更気がついて漸く一歩離れ、コホンと態とらしく咳をした。

「あの、ボルカノさん。これは一体、何処で入手したものなのですか・・・?」

 フェアリーから首飾り状にしていたその塊を受け取りつつ、ミューズの問いかけにボルカノは思い出すような仕草をしながら応える。

「これは・・・そう、魔王の盾で様々な実験を行なった記録があった洞窟型寺院跡の奥深くで見つけたものだ。探索のために明かりを灯していたら、あまりに不自然に黒い箇所に目が留まってな。手を伸ばしたら、これがあったのだ」

 そしてそのあまりの異様さと物珍しさに持ち帰って研究しようと思い手に取ったが、モウゼスに帰ってきた途端の今回の騒動によって完全に忘れていた、とボルカノが説明する。するとミューズは、その説明で合点がいったように浅く頷いた。

「成る程・・・。フェアリーさんのいうように、恐らくそれが原因で間違い無いです。それは・・・『死のかけら』と呼ばれるものです」

 聴きなれぬ単語に皆が疑問符を浮かべていると、ミューズは自分も伝聞ではあるが、との前置きの後に説明を始めた。
 魔王が姿を消してから約三百年もの間、四魔貴族が世界を支配した時代があった。人が想像しうる限りの悪虐が尽くされたとされるこの暗黒の時代は、宗教歴史的には所謂、魔王信仰の全盛期でもあったという。
 世の中には凡ゆる救いがなく、祈る神もいなくなった。そうして神に見捨てられた人類は、力あるもの・・・つまり諸悪の根源たる魔王にさえ、心の拠り所を求めてしまったのだった。
 中でも特段、魔王信仰が非常に盛んだったのが時の魔王城を擁する旧ピドナ周辺地域であり、魔都ピドナの北に位置するイスカル河の下流地域周辺には、上流から河を下って様々な人々が集まり集落を築き、それが長じて寺院となった。
 アビスの瘴気が溜まりやすい暗くて湿った場所が寺院の建築場所として好まれ、主に洞窟内部に多くの寺院が作られたという。
 そしてその魔王信仰の中心地では、アビスの呪いを集積し結晶化する儀式が、秘密裏に行われていたのだ。

「その結晶こそが、『死のかけら』です。アビスの呪いをその身に宿し、死の祈りを祭壇に捧げ、アビスの深淵に居るとされる魔王に近づく。それが救いになるのだと、死が救いであるのだと・・・そう信じられていた、悲劇の時代の産物なのだそうです」

 ミューズの言葉を聞いていたボルカノは、探索当時の様子を思い出すようにしながら頷いていた。

「そうか・・・魔王信仰の中心地ならば魔王遺物が宝具として祀られたのも頷けるし、こいつが転がっているのも道理というわけか・・・。って事は、これを手放せばその『死の呪い』とやらは解けるのか?」
「・・・はい、その筈です」

 ミューズの返答を聞いたボルカノは、研究者らしく名残惜しそうな視線を死のかけらに対して送ったものの、解呪には変えられまいとして手放すことを決意した。

「なら、それも私に預けてもらえないかしら」

 ボルカノの身に起きた異変の解決目処が立ち皆が安堵の表情に変わってきたところで、カタリナが死のかけらを指し示しながらそういった。

「多分私なら聖王遺物の力で死の呪いは相殺できると思うから、その辺に捨てるより確実に二次被害も抑えられると思うわ。それに・・・呪いを発せられなくする当ても、少しあるから」
「そうか、それは助かる。正直、処分するにしてもどうしようかとは思っていたところだ」

 処理方法に困っていたのは正直なところのようで、ボルカノは素直に感謝を述べながらカタリナに死のかけらを手渡した。

「あと一応禍根が無いように教えておくとね、この魔王の盾も、がっつり呪われているのよ。こっちは力が強すぎて、私でも呪われないのが精々。使用するだけで、とんでもない疲労感に襲われるわ・・・。明け方の戦闘だって私は動かなかったのではなくて、動けなかったっていうのが正解。それでも、昼まで疲労困憊で寝ていたくらいだもの」

 だから二人のうち何方かが手に入れたとしても望むような結果は得られなかっただろう、とカタリナは断じた。
 その話を聞いているモウゼスの術師二人は残念がってはいるものの、しかしどこか晴れやかな表情をしている。結局はお互いのためを思うが故の壮大な空回り劇であったことに対して、照れ隠しをするのに終始していた。

「・・・ディー姉の研究に役立つ媒介探しはまた振り出しに戻ったけれど、この十年の研鑽は無駄にはならないし、心機一転出直す事にするさ」
「・・・おう、それなんだがな、小僧」

 ボルカノの前向きな言葉でこの場が締められるかと思いきや、最後の最後にここで言葉を発したのは、テーブルの一番奥で一人無関心を装って煙草をふかしていたハーマンだった。
 思わぬところから小僧呼ばわりされたボルカノが多少眉間に皺を寄せながらハーマンへと視線を向けると、ハーマンはそんな態度のボルカノに対してニヤリと笑いながら自分の腰袋に手を伸ばした。

「はっ、そうツンケンすんなって。悪い話をしようってんじゃねえんだ」

 そう言いながらハーマンが取り出したのは、イルカを模した金色の像だった。

「・・・なんだ、それは」

 ボルカノがその像を見ながら怪訝な表情をすると、ハーマンは煙草の煙を肺いっぱいに吸い込み、天井に向かって一気に吐き出してから口を開いた。

「こいつは、オリハルコンだ。他の属性は知らねーがな、これは玄武様の力をとんでもなく大きくしてくれるっつう代物さ。お宅らが欲しがってる媒介ってのは、こういう奴のことじゃねえのか?」
「それは・・・本当なのか!?」

 事も無げに発せられたハーマンの言葉に、ボルカノが驚愕の表情を見せながらイルカ像に近づく。
 手を伸ばしてもハーマンが何も言わないのを許可と取ったのかボルカノはその像をそのまま手にして、上下左右色々な角度から観察し、触り、己の魔力を通してみる。
 しかし多少の反応はあるものの思うような反応が返ってこないイルカ像に対しボルカノが訝しんでいると、その様子にハーマンはやれやれといってイルカ像をひょいとボルカノから取り上げ、ついてこいと指で示しながらゆっくりとした足取りで店の外へと移動した。
 ウンディーネとボルカノが半信半疑の様子でその後に続くと、ハーマンは宿の目の前の通りの真ん中に立ち、彼らに振り返る。そして続いてカタリナ達も出てきてギャラリーが揃ったことに満足すると、徐に咥えていた煙草を指で弾いて空中に飛ばした。

「玄武様ならとびきりだが、こいつは蒼龍様でも多少は効くんでな」

 ハーマンがそう言いながらイルカ像を通じて風の渦を作り出すと、それは瞬時にとんでもない風圧を伴う竜巻となって上空へ渦巻き、彼の飛ばした煙草を空の遥か彼方へと吹き飛ばした。

「なんと・・・!?」
「無詠唱でこの威力・・・十分に宮廷魔術師で通じるレベルじゃない・・・」
「はっはっは、俺が魔術師様になれるわきゃあねえだろうが!」

 そう言ってハーマンは、手にしていたイルカ像をウンディーネに向かって放り投げた。
 ウンディーネが慌てた様子でそれを抱きかかえるように取ると、途端に上空に渦巻いた竜巻は穏やかな風へと変貌する。そして、ゆっくり落ちてきた煙草を見事に右手の人差し指と中指で挟み取ったハーマンが再びそれに火をつける。

「ネエちゃんもやってみな。但し、そいつを無理矢理に制しようとすんじゃねえ。祈るんだよ。精霊なんて、人間にいっつも御されるようなもんじゃねえんだ。海に生きる奴ならそんな事、鼻ったれのガキだって知ってんだぜ?」

 そう言って揶揄うように笑うハーマンからは、先程感じたような魔力は全く感じられない。
 ウンディーネはそんなハーマンと手元のイルカ像を交互に見比べると、意を決したように像を胸の前に翳し、そっと目を閉じて魔力を込めていく。
 すると最初こそ感覚が掴めず揺らいでいただけの魔力が、次第にイルカ像の中で拡散を繰り返すように畝り始め、そしてある瞬間を機に爆発的に増幅していく。
 大気はあっと言う間に玄武の力で満たされ、今の今まで晴れていた空には瞬時に暗雲が立ち込める。あとはウンディーネが願えば、三日三晩の豪雨をあたり一帯に降らせることも容易いほどの魔力が一瞬でこの場に生成されたのだ。

「な、なんなのこれ・・・凄まじいまでの増幅器だわ・・・。しかも、身体への負担が殆ど感じられないなんて・・・」
「あたりめぇだ。つーか普通に考えてみろ。大体、自分より偉大なものを抑えつけようとすりゃ、そりゃ滅法疲れちまうさ。だから昔っから人は祈り、頼り、その大きな流れに身を任せてきた。そうすりゃ、疲れるもなんもねえからさ」

 あまりの展開に驚愕の表情を浮かべるしか術のない二人の術者を前に、ハーマンはなんでもないという様子で肩を竦めた。
 彼にとってそれは、本当に常識を語っているだけなのだろう。魔術師二人が驚きの中でそう考えながらハーマンを見ていると、彼はウンディーネの元に近づいていき、彼女の手にあったイルカ像を掴み取った。

「あんたら魔術師様は『自然を操れる』なんて思い上がってっから、こんな簡単なことに気がつかねえ。頼るとこは頼ってよ、人間は人間の範疇で擦った揉んだしてりゃあいいんだよ、本来はな」

 そう言いながらイルカ像を空中に放り投げつつ弄んでいたが、ふとハーマンの顔つきから笑みが消え、突如として強烈な眼光を湛えた瞳が二人の魔術師をじっと見据えた。

「此奴を譲ってやってもいい」
「な、本当か!?」

 突然のハーマンの言葉にボルカノが声を上げるが、しかし表情の変わらないハーマンに対して何かを察したウンディーネは、無言で先を促した。

「察しがいいじゃねえか。そっちのネエちゃんには、是非協力してもらいてえ事がある。それが無事に終われば、此奴は譲ってやってもいいぜ」

 そう言ってニヤリと不敵な笑みを作るハーマンを、カタリナは無言で遠巻きに眺めていた。

 

 

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第七章・2 -死者の井戸-

 

 暗く狭い空間に沈殿して漂う埃と微かな黴臭さが多少鼻に付くが、それを除けば思いの外そこは想像よりも不快だとは感じない空間であった。
 その意外な様子にカタリナは随分と拍子抜けした様子だったが、それは無論、他の面子も同様の様子であった。唯一仏頂面がそのまま皺になって固まったかのようなハーマンだけが、その表情からは何も読み取ることが出来ないと言うところか。
 彼女達は今、学術都市モウゼスを南北に分ける川の中央にある小島に赴いていた。
 より正確に言えば、その小島の片隅に存在する古井戸、通称「死者の井戸」の中にいた。

「死者の井戸、とは大きく言ったもんだな。その辺の街道よりも余程、ここの方が平和なもんじゃないか。ここに一体何があるっていうんだ」

 一応は警戒を続けるカタリナのすぐ後ろで、反面すっかり警戒を解いてしまった様子のハリードが辺りを見回しながら呑気に呟く。
 今より六百年の昔、世界を一瞬にして恐怖に貶めた魔王が突如として消息を絶って以降に、四魔貴族が魔王に代わって世界を支配していた時代。
 この古井戸は、実にその時代から存在し続けているのだと現地の人間は口を揃えて言う。
 そして三百年にも及んだ四魔貴族支配の時代の最中、この井戸にはこの地に於いて何らかの原因で死に至った者が、碌な葬いもされずに投げ入れられていたというのだ。
 また、飢餓、疾病、怪我、老化によって生活能力を無くした者等も、死者と同様に投げ入れられたのだという。
 その慣習たるや、実に四魔貴族が支配する三百年もの間続いたというのだから、何とも悍ましい話だ。

「・・・しかし、妙ね」

 シャールが灯した朱鳥の小さな焔を頼りに井戸の中を進んでいたカタリナが、場所を考え小振りのレイピアを構えながら呟く。
 井戸とは言いながらも、既に長い間使われている様子のなかった地上部分から潜った先は、なんと大の大人が数人で通れるほどの広さを持った地下空洞へとつながっていたのだ。
 彼女の感じる妙と言う名の違和感はつまり、この死者の井戸と呼ばれる地下空間そのものの状態を示していた。
 確かに伝承の通り、この井戸には其処彼処に多くの人骨らしきものが目立つ。だが、その殆どは数百年の時を経て既に大部分が腐食し、崩れ、地面や壁と半同化している。なのでおよそ見渡す限り、生々しいものはない。
 何より妙なのは、それらがこの状態である、という部分なのであった。
 この井戸の様に太陽や月の光が届かない暗く湿った場所は、アビスの者が好む条件を満たした空間。つまり、非常に瘴気が溜まりやすい環境だといえるのだ。本来ならばそんな場所に御誂え向きに死体など放り込もうものなら、それが瘴気と混ざり妖魔となって現界してもおかしくはない筈。寧ろ、そうなってくれと企んででもいない限り、そんなことは普通の感性を持った人間はしないはずなのだ。
 だがこの「死者の井戸」には先程ハリードも言うように、その様な妖魔がいる様子など一切無いのであった。それどころか、通常であれば滞留する筈の瘴気さえ感じない。
 現地民はこの事象を把握していたからこそ、この死者の井戸へと死者を放り込み続けたのだろう。流石に何の理由もなくそんな事をすれば井戸から這い上がった妖魔によってあたり一帯が侵略される事など、分かりきった事だからだ。
 だからこのモウゼスには、ある意味でこの「死者の井戸」を神聖視する趣さえあった。

「こりゃあ、本当に何かあるのかも知れねーな。お宝っつーのは、大抵こんなとこにぽろっと有るもんなんだ」

 同じ違和感を覚えていたらしいハーマンがそう呟くと、一行は慎重に進んでいく。

 

 この死者の井戸へと足を踏み入れる以前、まず始めにカタリナ達はウンディーネとの話し合いに臨んだ。
 食堂での騒動のすぐ後に魔術ギルド本部にある彼女の自室に案内されたが、通された部屋は彼女の外見の非常に整った印象とは打って変わって、様々な本が机や床などに無造作に積まれており、かなり雑多な印象を受けた。
 また食堂では距離があったが、こうして部屋に赴いて改めて彼女を見てみると、化粧で隠してはいるものの目の下にくっきりと隈が出来ており、ここ暫くは寝不足の様子が見て取れる。
 どうやら部屋の様子と相まって、何かの研究に連日連夜没頭しているという様子が伺えた。
 そんな感想を一同が抱いているところに、ウンディーネは開口一番でこう言ったのだった。

「それにしても素晴らしい腕前。その腕を見込んでお願いがあります」

 先程自分の弟子が盛大に失礼かました事など既に忘れたのか、その突然のお願いの申し出には流石のカタリナも面食らったものだった。
 しかもそのお願いというのも内容がまた物騒で『モウゼス南部の施設で対立している朱鳥術師ボルカノ勢力を、ボルカノ本人を含め可能な限り人的被害を最低限に抑えた上で一定期間無力化してきて欲しい』と言うものだった。
 傷つけずに無力化となると施設破壊か威力恫喝、はたまた何らかの工作辺りを所望の様だが、何にせよ腕っ節を見込んでの力ずくというのが何とも物騒な話であった。
 そして全く以てカタリナにとっては都合の悪いことに、その場には「仕事は前金主義」の辣腕傭兵ハリードその人が居たわけなのである。
 当然ハリードが目を輝かせながら脊髄反射的に、それは幾らの仕事か、と尋ねる。
 ウンディーネも流石にギルドの長というべきか。先程の詫びも兼ねて、と即座に前金で二千オーラムを提示してきた。更には要望通りの仕事であれば成功報酬も別で用意すると言う事だった。
 最早その話の流れに、他の人間が口を挟む余地など残されては居なかった。二つ返事で「仕事」を引き受け前金をほくほく顔で受け取るハリードに対して心から呆れ返るカタリナだったが、兎に角本来の訪問の目的である古代魔術書の解読依頼もせねばなるまいと、すっかり出遅れ気味に本題を提示する。
 ウンディーネも其処は魔術学者として興味を持ったのか、慎重な手つきで魔術書を捲ってから調査そのものは快諾するものの、「今の研究が終わるまでは手を付けられない」との事で結局のところは持ち帰りとなってしまったのだった。
 ここまででカタリナは相当に呆れ返っていたものだが、しかしここからが嘗て猛将と称えられた傭兵ハリードの本領発揮だった。
 彼は魔術ギルドを出るや否や、文句の一つでも言ってやろうと詰め寄るカタリナを軽く片手で制しながら顔を近づけ、小声でこう呟いたのだ。

「俺は、男連中を連れて南に調査に行く。お前達は北に残って、この街とウンディーネに関する情報を集めろ」

 こう宣ったハリードに対して、カタリナは彼女のこれまでの人生で最高の出来栄えだと確信できる程の仏頂面で応えたものだが、しかし一方でこの守銭奴トルネードの行動には納得するべき部分もあった。
 結局この騒動が終わらなければ本来の目的である魔術書の調査は終わりそうにもないという事がまず最初にあり、次にこの騒動以前に、カタリナ達はこの街のことを知らな過ぎるのも事実だった。確かにウンディーネもあの様子では、間違いなく此方に対して何か伏せていることがあるようだ。となれば、ここは仕事に乗る流れで街中での動きやすさを確保しつつ状況を見極めるのが先決、ということなのだ。
 この後男連中を見送った女三人組は、ミューズの機転により不機嫌顔の治らないカタリナを鎮めるべくモウゼスで最も有名なワイン畑を訪問してガーター半島固有品種の葡萄を用いたスパイシーな印象を受けるワインを堪能し、それから北側での調査へと繰り出したのだった。
 そして順調に術師も含めた老若男女へと聞き込みを進めていると、どうやら思いの外、天才魔術師ウンディーネはこの街全体に歓迎されているわけではないらしいという状況が見え隠れてしていることが分かってきた。
 一部を抜粋すると、曰く
『ウンディーネとボルカノは確かにこの街の出身だが、ここ十年近くは二人とも街を出ていた。それが最近になって戻ってきて、街を二分して争っているんだ。おかげで町の者は大迷惑だよ』
『ウンディーネは優男の術士ばかりまわりに集めてるのよ。でも私が小さな時から既に魔術師としては有名だったから、本当は見かけよりずっと年らしいけど』
 と言った具合であるのだ。

「迷惑を被っている人、結構いるようですね・・・。年齢云々は、ちょっとジェラシー混じっている感じでしたけど・・・」

 フェアリーがフラワースカーフの下で羽を震わせながらそんな感想を述べると、カタリナとミューズは全くの同意だと言わんばかりにうんうんと頷く。
 一通り街中での聞き込みを終えモウゼス北の中央広場に戻ってきた三人は、ベンチに座りながら集めた情報の精査を行っていた。
 聞き込みの結果としては、魔術ギルドに属さない住民からは騒動の種といった見方をされている傾向が強いようだ。特段、幼少暮らしていた頃からその美貌の割にあまり他者に対して愛想が良い方ではなかったらしく、それも相俟って女性からの意見は概ね辛辣な様子。
 ただそうした一般評価の反面、北部にいる多くの術師からは間違いなくウンディーネは天才である、との意見でほぼ一致していた。まだ少女の時分からその才覚を表し始めたというウンディーネは、魔術師ギルドの間では神童として有名だったそうだ。
 そして更には、魔術師ウンディーネの現在の研究内容に関する話を聞くこともできた。
 曰く『ウンディーネ様は術士同士の連係を重んじている』との意見に、殆どが集約される。
 これに関しては、ミューズが納得顔でこくりと頷いたものだった。

「私達を襲ってきたあの三人の術師ですが、個々の能力は大したことがなくとも、陣を組んで天地術式を混合詠唱する事で大きくその威力を上昇させていました。威力だけならば、恐らくメッサーナの宮廷魔術師にも並ぶかと。正直、驚きました・・・。先に詠唱を潰せなかったら、苦戦を強いられた筈です」
「それは凄いですね・・・一人前の術師一人の育成には十数年を要するといいますけれど、それを練度の低い魔術師が別の形で補うことが出来るなんて、下手したらグランクロワものの偉業だわ。あのウンディーネという魔術師は、本当に天才なのね」

 ミューズの言葉に、カタリナは大層驚いた様子で感想を述べる。しかし、驚くなというのが無理な話なのも確かだった。
 魔術師という存在は非常に強力だが、その育成には長い月日と費用、そして才覚の有無という運すら要する。カタリナの周りにはシャールやミューズ、トーマスなど高度な水準で術を扱う者達が多いので印象は薄れがちだが、実戦に耐えうる域までの術師というものは実はそう多くはない。
 嘗てメッサーナ王国には正規の大規模な魔術師団が存在していたという歴史もあるにはあるが、大きな戦乱もなかった聖王暦の年月の中で、莫大な維持費ばかりのかかる魔術師団という存在は自然と無くなっていったのだという。
 また小規模ながら六百年前に四魔貴族侵攻を退けたという伝説を持つナジュ王国には天の術を扱う魔術師団があったが、これは十年前のハマール湖の戦い後に神王教団によって解散させられている。
 このような歴史の変遷により、今となっては各国に数える程度の宮廷魔術師がいるばかり、というのが現代の魔術師事情というわけなのだ。

「でも結局、何でウンディーネさん達が南北で争っているのかの原因は分かりませんでした」

 フェアリーがベンチに座って足をぷらぷらと動かしながらそう言うと、カタリナとミューズはそれに応えるようにううんと唸ってみせた。

「北ではこれ以上聞き込むと流石にウンディーネに訝しまれそうだし・・・ハリード達はどうしているのかしら」
「じゃあ、ちょっと聞いてみますね」

 カタリナが地面に列を作る蟻を眺めながら行き詰まり気味にそう言うと、フェアリーがなんでもないというようにそう反応して、そっと目を瞑る。
 その様子を見て何事かと小首を傾げるミューズに、カタリナはフェアリーの念話能力について簡単に説明をした。

「え、妖精さんてみんなそんなすごい力を持っているんですか・・・?」
「どうなのかしら。妖精にもいくつも種族があるみたいだから全部かは分からないけれど、普段妖精同士は念話で意思疎通しているそうよ。因みに、人間以外の他種族も大丈夫みたい」

 フェアリー自身から教えてもらったことをそのまま教えて上げると、ミューズは心底驚いた様子でフェアリーへと目を向けた。するとその視線に気がついたのか、フェアリーはミューズに振り向いて、にこりと笑みを作る。

「今、シャールさんと話しています。まだ聞き込みの最中だとのことで、夜にまた連絡が欲しいそうです」
「まぁ、シャールもフェアリーさんのその力を知っていたの?」
「あ・・・いえ、知らなかったですよ。銀の手の所在を手掛かりに思念波を飛ばしたので、シャールさんに繋がっただけです。最初はとっても驚かれていました」

 そりゃあ誰でもいきなり声が頭の中に響いたら驚くわよね、とカタリナは自身の経験を振り返りながら考えた。しかし自分の時はとんでもない頭痛に襲われたものだがシャールは大丈夫だったのだろうか等といった心配が脳裏に過ったところで、ふと興味本位で思いついたことを聞いてみることにした。

「そういえばフェアリーのその念話は、聖王遺物を狙って飛ばしているのよね。それなら、まだ見つかっていない聖王遺物の場所も分かったりするの?」

 もしそれが分かるのであれば今後の探索や対四魔貴族への対策が非常に楽になるのではないか、という安直な考えでそう聞いて見たものの、やはりと言うべきかフェアリーは少し困ったように眉を寄せながら微笑んだのだった。

「残念ながら、それは難しいです。私が感知できるのは、精々活性化された状態の聖王遺物くらいですね。例えば銀の手はシャールさんと共にあるので常に活性化していますし、聖剣マスカレイドも現在はカタリナさんを主人と定めているのか、今は非常によく感じ取れます。ですが、今はそれ以外の聖王遺物の場所もよくわかりません。妖精の弓は以前ポールさんが持っていた時は活性化していたのですが、今は全く・・・」

 ちなみに月下美人も妖精族が精霊銀で鍛え上げた刀なので感じ取ることができる、と補足を交えつつ、フェアリーは普段カタリナがよくやるように胸の下で軽く腕を組んで空を仰いだ。

「そうそう簡単に攻略は進まない、ということですね」
「全くその通りのようね」
「そのようですねぇ・・・」

 カタリナとミューズも同じく腕を組んで答えながら、ベンチの背もたれに体重を預ける。そうして夕方まで時間を持て余すように、ぼんやりと並んで空を見上げたのだった。

 

 その後、夜になっても一向に戻ってこない男衆に対してフェアリーが再度念話を飛ばすと、果たして向こうからは全くとんでもない提案が飛んで来たのであった。
 ウンディーネとの会談を終えた後に直ぐ南モウゼスへと向かったハリード達は、迷わず真っ直ぐ術師ボルカノに会いに行った。
 そして突然の訪問にも関わらず快く迎え入れてくれたボルカノ氏を前にして、こう言ったのだという。
『北でウンディーネが凄腕の刺客を雇った。このままではお前は潰される。このトルネードを雇う気はないか』と。
 その言葉に何故か非常に衝撃を受け、直ぐには信じきれない様子のボルカノ。だが、出鱈目を言うなと挑んできた彼の弟子をまるで赤子の手を捻るように瞬時に制圧し、ハリードはその実力と共に己の正当性を十二分に示してみせた。
 これにより、ボルカノは悩んだ末にハリード等の提言を受け入れ、ウンディーネの刺客に対抗する用心棒の仕事を依頼する運びとなった。所属こそ違えど、ギルドに身を置く者の間でトルネードの武勇を知らぬ者はまずいない。それはボルカノも例外ではなかったのだ。
 この時、ボルカノからウンディーネと同額の前金を受け取った時のハリードの邪悪な笑みは暫く忘れられないだろうとのシャールの苦悶の言葉には、流石のカタリナ達一同も同情を隠せなかった。
 またこの時シャールがボルカノに対して抱いた印象としては、若くして実力や実績に恵まれたことによる多少の傲慢さが端々に垣間見えるものの、大枠としては好青年と言って良いものだったという。
 しかし、どうにも何か他の人間とは違う違和感を感じてしまいそれを後からハリードとハーマンに其々聞いてみたところ、ハリードは「腐臭がする」という失礼極まりない感想を述べ、ハーマンはシャールと同じような感想を抱いたがやはりよく分からない、との答えだったそうだ。
 そうしてボルカノの元を去った男衆は次にカタリナ等と同じく、南でボルカノとモウゼスについての情報を集めて回った。
 そしてその中で一つ、とても興味深い話を聞くことができたのだと言う。
 それこそが、『二人は中央の小島に存在する井戸の中にある何かを巡って対立しているらしい』という情報だった。
 その井戸こそが、死者の井戸だ。
 そしてこの情報に当りをつけたハリードの提案によって、夜の闇に乗じ此方が先んじて井戸の中に何があるのか確かめてやろう、ということになったのである。
 あとは街全体が寝静まるのを待ち、南北から小島へと向かった。小島に向かう道には南北其々が見張りを立てていたが、その見張りに対しては仕事のためと称することで難なく通り抜けることが可能だった。
 そうして今現在、彼女らは晴れて死者の井戸の中にいるという訳なのだ。

「・・・待って、なんか・・・違和感があるわ」

 何事もないままに内部を進んでいた一行だったが、先頭を進んでいたカタリナが突然立ち止まり、自らの左手を見つめながらそう言った。その視線の先には、朱鳥の火を反射して仄かに輝きを帯びている王家の指輪がある。

「このまま道なりではない気がする。何かこの辺りに無いかしら」
「んなら、ちょっと探ってみるか」

 カタリナの言葉に直ぐに反応したハリードは、鞘ごと腰の曲刀を取り出すと、辺りの壁を軽く叩き始めた。
 それに習い、各々も自らの得物の柄などを用いて床や壁を探っていく。すると間も無く、ハーマンが左側の壁面の向こうに空間があるようだと気付いた。
 そのまま躊躇することなく腰につけていたバイキングアクスを勢いよく壁に叩きつけると、予測通り壁は簡単に崩れて奥へと続く道が現れたのだった。

「わぁ、なんか宝探しって感じですね」

 その光景に何やら機嫌を良くした様子でミューズがそう言ったのを合図に、一行は互いに視線を交わすと迷わずその道を奥へと進んでいくことにした。
 その道もこれまでと同じく不気味な程の静けさに包まれており、間も無くカタリナ達は何事もなく道の最奥へと辿り着いた。

「・・・これは・・・」
「・・・即身仏、ってやつか」

 カタリナとハリードがそう言いながら見つめる先には、既に事切れてから長い年月が経っていると思われる一体の亡骸があった。
 古くはあるもののしっかりと原形をとどめている高貴な衣服を身に纏い、地面に腰掛けた姿勢のまま崩れることなく、その亡骸は堂々たる佇まいをしている。その様は、さぞ高名な僧侶であったのではないかと思わせるものだ。

「あ、カタリナさん見てください。この人の後ろ・・・」

 何かに気がついた様子のフェアリーがカタリナの袖を引きながら指差した先には、簡素な石造りの台の上に祀られるようにして置かれた何かがあった。
 それを認識した瞬間、カタリナは全身に走る悪寒で『それ』がなんであるのかを察する。
 彼女自身の経験で知らずとも、王家の指輪がその存在の何たるかを伝えてくるのだ。

「これは・・・恐らく、魔王遺物よ・・・。神王の塔にあった魔王の斧と、同じ感覚があるわ」
「魔王遺物・・・こんなところにあるなんて、驚いたな。つまりあの魔術師達が欲しがっていたものは、こいつというわけか」

 即身仏の脇を通ってその盾を覗き込み、ハリードが顎に手を当てながらそういった。その盾は石台の上に寝かされていたのだが、全くその身に埃などを被っている様子がない。まるで新品そのものと言っていい状態なのだ。その異様な違和感はやがて得も言われぬ恐怖のようなものとなって、その場の全員が息を飲んだ。

「・・・魔王の盾には、術法に対する効果の増減作用があるみたい。恐らく、それを狙って魔術師二人が争っているというわけね。それに、この井戸にアビスの気配がないことも、これの存在で大凡は説明がつくわ」

 カタリナがまるで指輪の記憶をなぞるように眉間に皺を寄せながらそういうと、他の五人は一体どういうことなのかと首を傾げる。それに対しカタリナは引き続き記憶を辿るようにしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
 己に向けられる、凡ゆる事象の無効化。
 魔王の盾の最も特異な能力は、間違いなくこの能力であると言える。
 凡ゆる事象とは言葉通りであり、物理現象や精神支配に至るまで文字通りに全てを無効化することができるという、とんでもない能力を秘めているのだ。

「恐らくこの僧侶は何らかの事情で魔王の盾を手に入れ、封印を考えたのでしょう。そして封印の地に、ここを選んだ。この洞窟全体に浄化を施した後、この特性を利用して魔王の盾を設置以後、魔王の盾に影響を及ぼさんとする全ての空間変化を『無効化』しようとしたのね。だからこの空間には、アビスの瘴気もないのだわ」

 そう言いながらカタリナは、石の台の上に置かれた魔王の盾を持ち上げる。
 その途端、彼女らの背後にあった即身仏が音もなく崩れ去り、井戸の中を支配していた異様なまでの静寂が消え去った。
 大凡六百年の歳月を経て、魔王の盾の封印がここに解かれたのだ。
 そして盾は、カタリナの手の中で禍々しい気を一瞬だけ発したかと思うと、直ぐに収束し無反応となる。彼女の身につけている幾つもの聖王遺物が、魔王の盾の瘴気を相殺したのだ。
 これで、この盾が何か悍ましいものを呼び寄せるということはなくなったはずだ。

「・・・しかし魔王遺物となると、そのまま魔術師風情に渡すわけにもいかないな。どうするんだ?」

 ハリードが崩れ去った即身仏に対して略式の祈りを捧げてからカタリナに振り返ってそういうと、カタリナも同じく略式の祈りを捧げた後、腕を組んで唸った。

「ううん、そうねぇ・・・。とりあえず争いの種にもなるから此方で回収はしておくべきだろうけれど、あとはあの二人になんて説明するか、よねぇ」
「そうだな。南のボルカノはまだ若いから理解も示してくれそうな感じだったが、ウンディーネって魔術師の方はどうだろうな。結構ヒステリックな類だと思うぜ、あれは」

 ハリードがそのように相槌を返すとカタリナは耳にかかった髪を梳き流しながら、他人事みたいに呑気に言ってくれるんじゃないわよと小言を言い放つ。そして、兎に角先ずはここを出ようと提案した。

「ここで考えても仕方ないわ。一旦宿に戻って考えましょう」

 それには皆が同意し、一行は来た道を戻っていく。
 何しろそこまで広くない死者の井戸内の洞窟であるからして直ぐに入り口となる井戸の淵まで戻ることができたのだが、しかしそこでカタリナたちはどうも井戸の上の方、つまり地上が騒がしい様子であるということに気がついた。

「・・・ちょっとハリード。これ、ひょっとしてバレてるのではないかしら」
「・・・かもな」

 松明らしき明かりがちらつく井戸の縁を見上げながらカタリナがそういうと、ハリードはここでも他人事のように肩を竦めながら応えてみせた。
 その返答は予想通りカタリナを非常に苛つかせるものだったが、今になってそのような瑣末なことを気にしていても仕方がない。他の面々に視線を送っても『諦めろ』と言わんばかりの表情しかないので、カタリナは兎に角話だけでもしてみようかと思い直し、大人しく井戸を登ることにした。

 

「よくもだましてくれたな!」

 カタリナが井戸を登りきるや否や、先ず飛んで来たのは若い男の声と思われる罵声だった。
 それを発して来たのは、赤い髪が特徴的な青年。年の頃は精々カタリナと同じ程度だろうか、正に才気溢れる魔術師と言った表現が似合いそうな青年だ。恐らくこの青年こそが、玄武術師ウンディーネと対立している朱鳥術師ボルカノその人なのであろう。

「その盾を渡しなさい!」

 続いてすかさず飛んで来た、女性のものと思われるもう一つの罵声。こちらはカタリナにも聞き覚えのある声であったので見ずとも分かったが、視線をそちらに向ければ案の定、そこにいたのはウンディーネだった。明かりに照らされたその表情からは、冷静さを欠いてはいないものの目元の隈と相まって非常に鬼気迫るものを感じる。
 どうやら見る限りではこの場にいるのはその二人だけのようだ。井戸の底からは松明の明かりかと思われたものは、朱鳥術によって作られたと思われる炎だった。
 そしてその炎がウンディーネの言葉に反応して揺らめいたかと思うと、炎の詠唱者であろうと思われるボルカノがウンディーネへと向き直った。

「何を言う!俺に渡せ!」

 どうやら、この二人組は一枚岩ではないようだ。まあ今自分が持っている物を争っていた二人であればそれも仕方ないか等と思いながら、カタリナは今が好機とばかりに井戸から上がってくる他の面子を手伝っていた。
 しかしボルカノに向かって暫くは罵詈雑言の応酬を行なっていたウンディーネだったが、そこは年長者らしく、はっと我に返って話を仕切り直しにかかる。

「そんなことを言ってる場合じゃないでしょう。まずは協力してこいつから盾を奪うのよ」
「わかった!!」
「・・・おいおいそこは素直かよ」

 丁度この押し問答をしているところに出て来たハリードは、ウンディーネの提案に対し存外素直に応と答えるボルカノを目にして思わず突っ込んだ。
 しかし実のところ、状況は全く以って楽観視してなどいられない。何しろ、相手は世界屈指の玄武術師と朱鳥術師なのだ。術のいろはを知り尽くした強力な魔術師は、寧ろ知能の低い巨人等など比べ物にならないくらいカタリナにとっては厄介な相手だといえる。
 更にいうと、どうやら目の前の二人は意志の統一こそなされていない様子であるものの、互いの特性と連携をかなりの域で心得ているようだった。
 ウンディーネが片腕で何かを伝える仕草をすると、ボルカノが慣れた様子で後ろに下がり詠唱態勢をとる。そしてウンディーネはそれを確認することもなく自身の魔術行使における適正距離を取ろうと動き、ボルカノが適時それに合わせていく。
 連携を心得ている熟練魔術師二人が相手とあれば、これは最早人間にとっては竜種を相手にするような困難さとさえなるだろう。
 だがカタリナはその危険性が分かっていて尚、まるで二人を悪戯に挑発するかのように武器を手に取る様子もなく二人の前へと進み出て見せた。

「奪うなんて、随分と物騒ね。この盾を何に使うつもりかは知らないけれど、街の皆は貴女達の争いに巻き込まれて迷惑しているわ。そんな争いの種になるようなものは、このカタリナが預かり受けることにしました」

 その言葉にウンディーネは両の瞳の内に憎悪の炎を宿しながらも、あくまで冷静に、ゆっくりと両手を前に突き出した。

「それは貴女の命の為にもお勧めしないわ、ロアーヌの騎士さん。これが最後の忠告よ。その盾を、こちらに渡しなさい」

 言葉とともに、ウンディーネの周囲に驚異的なまでの魔力の収束が起こる。それに合わせボルカノも魔力放出を始めると、その身の回りには高温の炎が揺らめき回り、まるでその姿は炎の魔人を彷彿とさせるようなものとなっていった。
 その姿を目にしてカタリナは、しかし全く余裕の表情で腰に手を当て、左足に重心をかけて微笑んでみせる。

「・・・渡さない、と言ったら?」

 カタリナのその言葉に、ウンディーネは先程までの怒りが嘘のように、妖艶に微笑む。だがその笑みこそが彼女の本気を表していることは、誰の目にも明らかだ。ハリードが曲刀を構えつつ後ろからあまり挑発するなと助言を施すが、それでもカタリナは相変わらずの態度を貫いた。
 その様子を瞳に映しながら、ウンディーネはその形の良い唇を開く。

「それは・・・このウンディーネの研究に於いて欲して止まなかった、念願の代物なの。その入手を邪魔しようと言うのならば・・・そう、故事に則るまでよ」
「故事、ねぇ。それならば・・・そうね、御誂え向きの前置きが必要ね?」

 カタリナが相手の言葉を汲み取ってそう言いながら微笑むと、ウンディーネもまた妖艶な笑みで応える。

「・・・ねんがんの まおうのたてをてにいれたぞ」

 そう呟いてカタリナがにやりとしてみせると、ウンディーネは口の端を釣り上げ、嗜虐性に溢れる顔を露呈しながら応えた。

「メ几
 木又してでも うばいとる・・・っ」

 

 

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第七章・1 -学術都市モウゼス-

 

 薄暗く、瘴気の残滓が色濃く残る空間の中に、場違いに甲高い靴音が等間隔で響き渡る。
 主人を失い棲息するものの気配が立ち消えた廃墟に颯爽と現れたその女は、明らかに廃墟を歩くことを目的として作られていないであろうヒールをまるで己が尊厳であるかの如くに頑なに身に付け、その廃墟の最深部までやってきたのだった。
 かくして、その最深部には先客がいた。
 壁に向かってしゃがみ込んだその先客の後ろ姿はまるで建物と同化しているのかと思うほどの煤汚れっぷりで、まさかここの住人ではあるまいかと訝しむほどの様相だ。

「・・・一日早く着いているとは聞いたけど、貴方まさか昨日からずっとこの中にいたのかしら。よくもまぁ、こんな瘴気と埃まみれの所に一日中いられるわね」

 片足に重心を掛けて豊かな胸部の下で腕を軽く組み、女は部屋の奥でしゃがみ込んでいる先客に遠慮なく悪態を吐く。
 そしてその声に特段反応するでもなく部屋の中を調べ続ける先客に対し、女もさしてそれを気にすることもなく部屋の中をゆっくりと見渡した。
 入り口からここに来るまでの間は無人であるだけで建物自体がそこまで損壊しているわけではなかったが、最深部であるこの部屋だけは、特段に損壊度合いが激しい。それだけ、ここで行われた戦闘の壮絶さが伺えるようだ。

「取り敢えず、分かっていることを教えて頂戴」

 女のその問いに、先客は漸くゆっくりとした動作で立ち上がり彼女の方へと体を向けた。

「・・・今のところ分かっていることは、ここにあるものは今の科学や魔術理論では何も分からないだろう、という事です。初めまして、プロフェッサー。ランスの天文学者、ヨハンネスです。因みに、流石に一日中いたわけではありません」

 ヨハンネスが直立のまま微動だにせず名乗ると、対するプロフェッサー・・・教授はヨハンネスをたっぷり十秒程上から下まで眺める。一見して学者然とした服装だが、身に纏っているのは白衣ではなく赤を基調とした服。これでは暗がりで見辛い事この上ないな、という程度の感想を抱いた後、ふんと鼻を鳴らし早々に興味を無くした様子で歩き出した。そしてそのままヨハンネスの横を通り過ぎ、部屋の最奥に座す破壊された何かの装置らしきものの前に立つ。
 先刻埃まみれを嫌がるようなことをヨハンネスに言ったことなど既に忘れたのか、肩にかけていたバッグから薄手の手袋を取り出し慣れた手つきで装着しながらその場にしゃがみ込んだ。その動作で周囲の埃が舞うことも、まるで気にしている様子がない。
 そして徐に装置の残骸にそっと触れ、隈なく観察を始める。

「・・・所々に刻まれているのは、古代文字ね。解読は?」

 振り返るでもなく観察を続けながら教授がそう言うと、ヨハンネスも別の箇所の観察に移りながら口を開く。

「その辺りの文字は、何かの名称を示しているようです。恐らくですが、意味のある言葉のつながりではないですね」
「そう。後でそれらをまとめたものを用意して頂戴」

 そのような短いやり取りを時折繰り返しながら、二人は黙々と現場検証を続けていく。
 彼らの他には現場に立ち入っている人間は皆無のようで、何方かが喋らない間は不気味な静寂がその場を支配していた。しかし互いがそのような環境に馴染んでいるのか、全く動作が乱れる素振りもない。
 そのまま幾許かの時が過ぎたあたりで、今度は足音も殆どない中で灯りが部屋へと近づいて来た。ロアーヌ騎士団のフォックスだった。

「二人とも、お疲れ様。食事、持ってきたわよ」

 二人の背中に向かってそう声をかけると、即座に動いたのは教授だった。相変わらず甲高い靴音を響かせながら手袋を外しつつフォックスの元に歩み寄ると、何処に仕舞っていたのか折り畳み式の椅子を広げて座り、まるでこれも作業の一環であるかのように無機質な印象を抱かせる動きでフォックスの持ってきた食事に手をかける。

「外の様子はどうかしら?」

 大量に盛られた大粒の果実を口に運びながら、不意に教授がフォックスに問いかける。それに対してフォックスは、左手を腰に当てながら答えた。

「特に問題ないわ。要塞内にも変わらず敵対勢力無く、周辺巡回の各部隊からも特段報告はないわね。北部上陸地点のキャンプ、及びアケとの連絡網も滞りなく機能している」
「そう。瘴気はどうかしら」
「それは依然として周辺地域に至るまで色濃く残っているわ。勿論、ここが一番濃いのだけれど・・・」

 外の様子を説明するフォックスの言葉に耳を傾けながら、教授は足を組み直して果物を齧りながらどこか遠くを見るように目を細める。
 するとそこに、ヨハンネスも漸く重い腰を上げて合流してきた。

「・・・ここは興味が尽きませんね。この瘴気がなければ、暫く住んでもいいと思えるのですが」 

 特に椅子などを用意することもなく地べたにそのまま腰を下ろし、教授と同じく身につけていた手袋を外して果物の籠に手をかける。

「しかしここの瘴気は、おそらく消えることはないのでしょうね」
「・・・そうなの?」

 フォックスが首を小さく傾げながら聞くと、ヨハンネスはこちらも小さく頷いた。

「恐らくこれから三百年をかけ、ゆっくりとこの火術要塞は再生されていくのだと考えられます」 
「そうね。確かにこの要塞、現時点では直近の損壊以外の物損が確認できていないわ」

 ヨハンネスの言葉に、唐突に教授が被せて意見を述べる。ヨハンネスは教授の言葉にも小さく頷いた。
 魔王が四魔貴族をアビスより呼び出し従えて六百年あまり。その間存在し続けているこの居城は、なんと全くの新築といってもいい状態だと彼らは言うのだ。
 それは全く以て非現実的な話に思えるが、しかし不思議とフォックスは二人のその反応に妙に納得してしまっていた。この火術要塞は確かに建物全体がまるで息づいているかのように、微弱に鳴動を続けているようにフォックスには感じられていたのだ。
 主人は消えたというのに、どこからか流れ込んでくる灼熱の溶岩も止まることを知らず、壁を走る不気味な朱鳥術の明かりも消える事なく、そのままだ。
 それはまるで、この要塞そのものが生きており受けた傷をゆっくりと癒しながら三百年の後に訪れる主人の再臨を待っているかの如く。
 三人のいるこの部屋には、この火術要塞の『核』と思われる何らかの装置の残骸がある。それが壊れてもなお、要塞は息衝いているというのだろうか。

「・・・日が落ちる頃に、呼びに来るわ。でも、その前に出て来るなら出てきて。人がここに長く居過ぎては、瘴気に侵されてしまうわ」

 二人が一通り食事を終えたのを見計らい、フォックスはそう言って空になった籠を持ち上げた。 
 教授はフォックスに見向きもせず、ヨハンネスはぺこりと頭を下げ、其々の作業に戻っていく。
 それを見届けてから出口に向かって歩き始めたフォックスは、空の籠を抱きかかえたままゆっくりと歩きながら考え事をする。
 なにしろその考え事の対象は、彼女たちが今護衛を務めているあの二人についてだった。
 一人は、ツヴァイクの西の森に居を構えるという『教授』と名乗る人物。一見して外見にもしっかりと気を使っている様子の美女だが、しかしその言動はどこか人間離れしている。また聞くところによれば文字通りの天才であり、現代科学の水準を大きく逸脱した存在である、との事だ。
 そしてもう一人は、聖都ランスからやってきた天文学者ヨハンネス。こちらはあまり手入れしている様子もなく伸びた髪と無精髭、よれた着衣という見たまんま出不精のような外見であり、言動もどこか陰がある。だが一方でその天文知識とアビスに関する知見は世界屈指であるといい、また聖王家とも関わりがあるのだという。
 彼女ら二人はこの火術要塞の調査依頼を受け、遥々北方からこの密林までやってきたのだった。 
 ここ火術要塞の周辺は現在ロアーヌ軍が駐屯地を隣接形成し、警戒体制を敷きながら調査を行なっている。これらの調査は、開始から既に二十日ほどが過ぎていた。だが調査の一日目で『専門知識や技術を持つものでなければ何も分からない』という結論に早くも辿り着き、二人の招致と相成ったのだった。
 因みに専門調査員についてこの二人を推薦したのは、本調査隊の前身となる『アウナス討伐隊』の隊長を務めていたカタリナであった。
 世界中を回った彼女が知る限りで最も本調査の進展が望めるのはこの二人であろうとの強い推薦により、現地から使者を送り二人がそれに応えてくれた形だ。
 其々住んでいる国も違うというのに急な要請に応じてくれるものなのだろうかとフォックスなどは思ったものだが、カタリナの予想通りに二人は存外即決で調査を引き受けてくれたという。だがそれも、今になってみればフォックスにも分かるような気がした。なにしろあの二人は見た目こそ全く違えど、兎に角目の前の研究に没頭すると止まらないという意味では全く一緒の特性を持っているようなのだ。そしてその興味は、正に常人の及ばぬ領域にこそ強く注がれる傾向にあるらしい。そういう意味では、この火術要塞という調査対象は彼らの興味を大いに惹きつけて止まないものであることは間違いないのだろう。

「・・・それにしても、本当にここで一体何があったというのかしら」

 いつの間にか要塞入り口まで戻ってきていたフォックスは、そう一人呟きながら振り返る。
 其処には、主人を無くした火術要塞がひっそりと、しかし重苦しく鎮座していた。

 

 

 商都ヤーマスより南方へ向かうと、ルーブ地方と静海沿岸地方を結ぶ流通の要である「海上都市バンガード」がある。三百年の昔に聖王が幾多の失敗と犠牲の上に作り上げた対魔海侯用決戦要塞であるという伝説を持つこの歴史ある都市を更に南に向かうと、これまた聖王伝説所縁の地である「学術都市モウゼス」がある。
 このモウゼスには、かの聖王三傑の一人とされる偉大なる水術師ヴァッサールを創始者とする「魔術ギルド」の本拠地が存在している。それ故に世界中から有能な学者や術者がこの地へと集い、日夜研鑽を積んでいるのだった。
 カタリナは今、このモウゼスを訪れていた。

「アウナスが消滅していた原因は、結局不明のまま・・・。結果自体は喜ばしいことのはずなのに、何故か嫌な予感が拭えませんね・・・」

 モウゼスの宿屋の一室にて、ミューズが上品に紅茶を一口啜ってからぽつりと呟く。
 ヤーマスでポール達と共にドフォーレ商会の制圧作戦を終えたミューズは、現地でピドナと連絡を取りつつ騒ぎの収束を待ってからポール達と別れて従者のシャールと共にバンガードへと南下した。
 彼女らの目的は、ドフォーレの盗掘品の中から入手した「古代魔術書」の解読をモウゼスの魔術ギルドに依頼するというものだ。
 この任をミューズが担う理由には、彼女がいよいよ対ルートヴィッヒ体制の旗印として立ったことによる、敵対勢力の刺客による暗殺の危険性を危惧するということも含まれている。
 下手にピドナに凱旋するより、このように極少人数で秘密裏に動く方が動向を探られる危険性も格段に少なくなるだろうとのトーマスとポールの采配だった。
 現に彼女がいなくとも、彼女の今回の活躍はメッサーナジャーナルを始めとした世界各地の広報紙が大々的に伝えており、その活躍に賛同する者たちは続々と各地のクラウディウス所縁の者たちと繋がりを持ち始めている。そして秘密裏にそのまとめ役を担うのがトーマスであればこそ、ミューズ自身はなにも心配をすることなく己の今するべきことに集中できるのだ。

「そうですね・・・それに、サラの行方も心配だわ・・・」

 カタリナも珈琲を一口だけ唇を濡らす程度に飲み、長い睫毛を伏せがちに視線を落とした。
 その隣では、フラワースカーフで羽を隠したフェアリーも同じく表情が浮かない様子で椅子に腰掛けている。
 カタリナはドフォーレ事変と同時期にアウナス軍の侵攻を受けた妖精族救出の任を達した後、駐屯するエデッサ島にて合流したハリードと道案内を買って出てくれたフェアリーと共にロアーヌ騎士団を基礎としたアウナス討伐隊を編成、密林へと進軍した。
 妖精族の村が消滅し密林での勢力拮抗が消えてしまった今、一刻も早くアウナスを討伐せねば密林およびその周辺地域が被る被害は甚大なものになると妖精族の長が強く警鐘を鳴らしていたのがこの進軍の理由であった。
 この時、対アウナスに於ける戦闘手段としてトーマスから「妖精の弓」が届けられるという手筈であったものの、いくら待てども届くことがなかった。待機の間にも進む瘴気の加速度的な増大に危機感を募らせたカタリナは、やがて限界を察知し侵攻を開始するものの、討伐隊が火術要塞へ到達する数日前になってその状況が一変。
 突如として、魔炎長アウナスの放つ禍々しい瘴気が、消滅したのだ。
 その異変に最初に気付いたのは、討伐隊に同行するフェアリーだった。その異変に動揺するフェアリーを気遣いながらも難なく火術要塞へと到達した討伐隊は、そのまま不気味な沈黙に包まれた要塞内へと足を踏み入れた。
 しかし要塞の中には一切の妖魔もなく、探索の末に辿り着いた最奥の間では空間一面に荒々しく刻まれた激しい戦闘を思わせる幾多の痕跡があるのみだったのだ。
 カタリナはその部屋に入った時、周囲の騎士達が重苦しい瘴気に慄く中、確かにここには四魔貴族が居ないという事を確信した。実際にアビスゲートを司る間に入り魔戦士公と対峙した彼女だからこそ、その圧倒的な存在感の有無を理解することができたのだ。
 この時点で討伐隊はその任を討伐から現地調査に切り替え、要塞近くに陣を張って警戒と調査に乗り出したのだった。
 その後カタリナは難航が予測された調査現場への専門調査員導入の手配を進めると共に、本件を踏まえて今後の方針を定めるべくハリードやフェアリーと共にピドナへ帰還し、そこでサラの行方が分からなくなっているという事実をトーマスから聞かされたのだった。
 カタリナが帰還する一月程前にカタリナカンパニーの拠点であるピドナのハンス商会事務所にはサラが書いたと思われる手紙が届いており、それによれば彼女は「どうしてもやらなければならないことが出来た」との事で独自に動いているというのであった。
 しかしその詳細は手紙には何も書かれておらず、確かにその筆跡はサラのものだと思われるものの、トーマスもこの展開が読めずに首を捻っている所だったのだった。
 サラの動向についてトーマスが掴んでいる手がかりは、二つだった。キャンディがピドナ北の宿場町で真夜中にサラに会ったという証言と、あとは届いた手紙の受付場所がピドナからトリオール海を挟んだ先のリブロフであるという事。
 既に現地には人を派遣して聞き込み調査を始めているとの事だが、まだ具体的な成果は上がってきていないようだった。
 カタリナとしてもサラのことは非常に心配だったが、とは言え彼女がそこで手をこまねいていても仕方がないのも事実。
 そこで彼女の行動と同時期に進行していたドフォーレ商会買収劇後の連絡をヤーマスと取り合う際、身の安全を考慮しミューズを暫く秘匿する方針を定めたにあたってカタリナとフェアリーも護衛役としてバンガードで合流するように動いたというわけだった。
 三人が浮かない顔でそうしていると、不意に部屋の戸がノックされ、そして此方の返事を待たずに開かれた。
 カタリナほどの騎士ともなれば、見ずとも分かる。この様な無礼な振る舞いを行うのは、彼女の周囲では一人しかいない。

「よう、こっちはもう飯食いに行くが、どうする?」

 果たして扉をあけて現れたのは、猛将トルネードことハリードであった。
 彼もまたピドナで暇を持て余す事を嫌い、カタリナについてきたと言うわけだ。
 女性の宿泊する部屋に断りすら入れずに入り込むその不躾な様子にカタリナは内心でとても腹立たしく思ったが、この男に対して一々そんな事で腹を立てていても仕方ないと言うこともまた、彼女はこれまでの経験からよくあ知っている。
 なのでここは勤めて冷静を装い、静かに珈琲を啜ってからこう答えた。

「あとで行くから取り敢えず一旦、扉を閉めやがって下さりません?」

 

 

「なんつーか、ここの街の飯はスカしてるっつーか、兎に角量も控えめだし昔っからあんま好きじゃねーんだよな」

 世界中から優秀な頭脳の集まる学術都市らしく、落ち着いた内装の食堂内でテーブルを囲う六人の男女。その中でも一際に姿勢の悪さが目立つ老齢の男が、懐から徐に煙草を取り出しつつ目の前にある平らげたばかりの皿に視線を落とした。

「あら、ハーマンここに住んでいたことでもあるの?」

 澄まし顔ではあるが内心自分もうっすらと食事に対してそう考えていたカタリナは、まるで何度もここに来たかのような言い方の老人、ハーマンに向かって問うてみた。
 ハーマンもまた、ピドナでの日々を退屈に感じて着いてきた一人だった。

「そりゃあな。今はこんなナリだが、一応船乗りだったもんでな。世界中の街の飯も当然、食い尽くしたさ」

 そう言ってハーマンは慣れた手つきで煙草に火をつける。そしてまるでその煙草こそが食事のメインディッシュであるかのように肺いっぱいに煙を吸い込み、一瞬の溜めの後にゆっくりと長く細い煙を吐き出した。
 しかしそうして吐き出された煙は、ハーマンの目の前にまるで見えない壁があってそれに当たったかのように突然に四方八方へと拡散し、やがて独特の不規則な軌道を描きながら霧散していく。 
 そうして漂う煙を、テーブルの向かいにいるミューズが興味深そうに目で追っている。
 カタリナ等と共にバンガードで合流して以降、所構わず喫煙をするハーマンに対してミューズへの健康被害を危惧したシャールが猛抗議を行なった結果、煙がミューズへと届かないようにハーマン自らが蒼龍術で煙を操作するという対策が講じられることとなったのだった。

「んで、午後はここの魔術師を訪ねるんだったな」

 同じく食事を終えて寛いでいた様子のハリードがそう切り出すと、カタリナはこくりと頷く。

「訪問する相手は、現在世界一の水術師と目される魔術師ウンディーネ。その水術の腕は他の比肩を一切許さず、ヴァッサール様の再来とまで言われているそうよ」
「概ね、間違いはないだろうな。術師の間では、私が現役だった時代から有名な方だ。以前は各地を回っていたようだが、ここ最近はこのモウゼス魔術ギルドを拠点として活動をしているらしい」 

 カタリナの言葉に、シャールも両腕を組みながら同意する。シャール自身も術を操る戦士としては高名な術師に会うことに対して多少の期待があるのか、普段よりも若干ながら高揚した様子が見て取れる。
 とはいえ名前がウンディーネとはよく言ったものだな等と思わず感心しながら、カタリナはそんなシャールの珍しげな様子を横目に眺めた。
 本来ウンディーネとは、四大元素のうち水を司る精霊の名を表す。天地六術式を拝するこの世界では水を司る精霊は玄武の名の方が通りは良いが、それでもウンディーネという水の精霊の名は古来より様々な文献に登場しており、文化人ならばその名を知らぬ者はあまりいないだろう。因みに地域によって多少の発音の違いがあり、例えばロアーヌ地方では、オンディーヌの名で知られていたりする。
 そして精霊ゆえに性別という概念があるわけではないのだろうが、その姿は古来から美しい女性の姿で表されることが多く、噂によればモウゼスのウンディーネもその名に見合う妖艶な美女であるということだ。
 まさかシャールに至ってそのような不純な動機で会いたいと思っているわけではなかろうなと思いつつも、身の回りに何かと美女の多いカタリナとしても果たしてウンディーネの名を冠する術師とやらがどのような女性なのかという、多少下世話な興味を少々持ち合わせてはいた。

「因みにこの街にはここ最近でもう一人、世界的に有名な術師が滞在している。名をボルカノといい、若くして既に朱鳥術における世界指折りの実力者であるとの事だ。個人的には、こちらの方にも是非会ってみたいものだが。・・・?」

 シャールは続けてそういい、そしてその直後に急激に湧き上がってきた違和感を感じ取って周囲を見渡した。
 するとどうした事か、彼らの周りで食事をしていた術師と思しき男たちが、明らかな敵意を持った視線を向けてきているのだった。
 その剣呑な様子にカタリナとハリードが自らの獲物に手をかけるのと、三人の術師が彼女等のテーブルを囲うように立ちはだかったのは、ほぼ同時のことだった。

「お前達、何者だ。ボルカノの手先か!」
「・・・一体、何のことかしら」

 男の言葉にカタリナが返すが、しかしその返答が言葉通りに受け取られたとは到底思えない様子で術師三人は臨戦態勢を整えながら腰を低くした。

「だれでもいいさ!どうせボルカノの手先だ、ウンディーネ様に手柄の報告をする序でに、新しい陣形を試してみようぜ!」

 そしてもう一人の術師の男がそう叫んだかと思うと、そこが屋内であることなど全く気にする様子もなく三人は術式の展開を始めた。
 その時点でカタリナとハリードは一人一人の術師の能力が大したものではないということを読みきっていたので、発動した術ごと彼らを叩き伏せるつもりで獲物を構えた。
 だがそれに対して素早く反応したのは、ミューズとシャールだった。

「いけない、この術式は危ないわ!」

 ミューズの身を守るように立ち位置を変えるシャールの後ろでミューズがそう言いながら、もっとも彼女から近い一人の影に向かい左腕を振り抜く。すると瞬時に形成された月影の矢がその術師の影を射抜き、その衝撃で術式の詠唱が崩れた。
 その時には既に何かしらの理由があるのだと感じ取ったカタリナとハリードが一足飛びで距離を詰め、残り二人の術師を剣ではなく拳の一撃で叩き伏せる。そして詠唱を潰された後の一人も、シャールが即座に組み伏せていた。
 ハーマンとフェアリーは、手元の獲物に手をかけてはいたものの動くことなくその様子を眺めていた。

「く、くそっ・・・」

 瞬く間に地に伏した三人の術師を見て更に周囲の術師が色めき立ったが、しかしそこに突如として凛と冷えた空気が舞い込んだことで、彼らの動きは止まった。

「おやめなさい」

 その空気の発生源と思われる食堂の入り口にカタリナ達が視線を向けると、そこには明らかに周囲の術師とは纏う気配の異なる女が立っていた。
 緩くウェーブがかった背中にかかる程度の蒼色の髪に独特の形の黒い髪飾りが映えた、目鼻立ちのくっきりした顔立ち。白い肌に鮮やかに浮かび上がる朱色の唇など、施された化粧の様相からは年の頃はカタリナの一回り程度上と言ったところか。首回りに飾りのついた漆黒の外套を羽織っており、その下には細身でありながらも部分部分においては非常に女性らしい体のラインが浮かび上がった白を基調とするドレスを、自然体でありながらもどこか妖艶に着こなしている。
 正にその姿は、熟した色香を持ち合わせる魔女というに相応しい。

「弟子達が失礼をしたようで。お許しください」

 女はそう言って、カタリナ達に向かって静かに頭を下げた。

「私の名はウンディーネ。このモウゼスの魔術ギルドの代表をしているものよ。旅の方、改めて非礼を詫びるわ。今この街は少し物騒なことになっているので、弟子もそのせいで気が立ってしまっていて・・・」
「物騒なこと・・・?」

 ウンディーネと名乗った女の登場によって周囲の術師達が完全に戦意を失っていることを確認したカタリナは、地面に押さえつけていた男を解放しながらゆっくりと立ち上がりつつ、言葉の中に気になる文言を聞き取ってそれをそのまま聞き返した。

「ええ。元々この街は南北に分かれた構造なのだけれど、お恥ずかしいことに現在魔術ギルドの南部研究所が本部である北部本館と対立してしまっていて・・・。結果として現在南北の通行は途絶、更には小競り合い程度ではあるものの、武力衝突も起こってしまっている状況なの」

 そう言ってウンディーネは胸の下で軽く腕を組み、憂いを帯びた愁眉を覗かせる。
 彼女の弟子だという周囲の術師にそれとなく視線を走らせてみると、弟子達もウンディーネの言葉を聞きながら遣る瀬無い様子で俯いている。少なくとも話の大筋は合っている様子だ。

「・・・そうでしたか。そういうことであれば、こちらの同行人にも大事はなかったので今回は不問とします」

 そう言ってすんなりと引いたカタリナに合わせ、ハリードとシャールも術師を解放する。
 その様子を確認して薄っすらと頷いたカタリナは、そのまま一歩進み出て姿勢を正した。

「初めまして、大魔術師ウンディーネ。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランと申します。私達は実の所、貴女にお会いするためにここを訪れたのです。今回の件を不問にする代わりと言ってはなんですが、少々お話をさせて頂いても宜しいでしょうか?」

 

 

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第六章・10 -家出娘、啖呵を切る-

 

「ハリード!?」
「よう、無事だったようだな」

 物々しい装備に身を包んだ衛兵に通されてやってきた浅黒い肌の傭兵を見たカタリナが思わず驚きの声をあげると、ハリードは場の緊迫感に似合わず陽気な様子で片手を上げた。
 突然の馴染みの来客に駆け寄って一体どうしたのかと問いかけるカタリナに対し、ハリードは腰に装着した愛用の曲刀の柄に片手を乗せながらにやりと笑って見せた。

「なぁに、ポールたちはカンパニー絡みの計略でヤーマスに向かったんだが、その作戦に俺は参加しなかったんでな。要は暇だったって事だ。そこでフェアリーが慌てて飛び出していくもんだから、その時にお前達と連絡を取るつもりだってとこも含めて内容だけ聞いておいたのさ。なんにせよ行き先が密林なら、あのロアーヌ侯であれば是が非でもここを拠点にするだろうと思ってな。まぁ誰かしら居るだろうとは思っていたが、読みは当たりだったようだな」

 だがまぁ一足遅かったようだな、と続けて肩を竦める。カタリナの様子から、既に妖精族救出が終わった事を読み取ったのだろう。
 剣の柄に置いていた手を腰に当て直し、ハリードはまるで観光でもしに来たかの様相で周囲を見渡した。
 彼らが今いるのは、メッサーナ王国の誇る最大規模の海上警戒拠点であるエデッサ要塞だった。ピドナ港を擁するマイカン半島の南に広がるトリオール海と、一大観光リゾートであるグレートアーチに続く温海の境目ほどに位置しているエデッサ島の入り江に建造されたこの要塞は、元々はあの悪名高き海賊ジャッカルが秘密裏に根城としていたとも噂される場所でもある。

「しかし・・・見事なものだ。正に近代建築の粋を集めた砦だな。こいつは生半可な美術品なんかより、余程鑑賞のし甲斐があるってもんだ」

 建設から十年ほどしか経っていないこの要塞は、比較的歴史のある建造物が多い西洋世界の中では特段に新しい大型建造物である。そして近代における軍事活動を最大化させることを目的として作られたこの要塞は、ハリードが言う通り現在用いられる技術の粋を結集させたものと言える。
 またメッサーナ王国王宮近衛軍団の前軍団長であるクレメンスの肝いりの建造物でもあり、ここを近代の近衛軍団における一番の誇りと自負するメッサーナ騎士も少なくないという。

「しかし、ここはメッサーナ近衛軍団の指揮下だろう。来ておいて何だが、よくもまぁ一時的とはいえルートヴィッヒがロアーヌ軍に駐屯を許可したなぁ」
「無論、それはミカエル様のご尽力の賜物よ」

 カタリナらが妖精救出に向かうと同時、ミカエルはいち早くピドナの王宮へと使者を送り出していた。
 無論その内容は有事の際にエデッサ要塞を利用させてもらう旨のものなのだが、ハリードが意外に思うように、この場所を近衛軍団が貸し出すというのは通常であれば全く以って考え難い事だった。何しろ軍事上でも重要な拠点であるが故に、同じメッサーナ王国の同胞とはいえども外部の軍に見せることそのものが、本来は躊躇われるはずなのだ。特に王宮の情勢が落ち着かない今であればこそ、容易にそれは想像できることだった。
 だがミカエルは特に何の策を弄すこともなく使者を送り、そして即に朗報を持って帰らせてみせたのだった。

「ミカエル様は、あれでルートヴィッヒ軍団長の先見性を評価しているわ。考えてみれば今回の神王教団との独自協定直後である事や、妖精族という聖王様縁の種族の救出という行動の大命題。そんな現在状況を加味して今のロアーヌに恩を売るべきか否か、愚か者でなければ分かるはず」

 ミカエルはそれらを加味の上で、何の策もせずエデッサ要塞を借りたいとだけ認めた書簡を使者に持たせ送ったのだ。
 これはリブロフ総督の失態により神王教団絡みでロアーヌに付け入る隙を見出せなかった分を宥める意味も大きく、ルートヴィッヒはその思惑を読んでか知らずか、兎も角ミカエルの思う通りにことが運んだ結果となる。
 つくづく恐ろしい御仁だとハリードは苦笑いで返しながら、それはそうと、と現在状況をカタリナに問うた。

「・・・現在、私達は本国からの援軍を待っている状態よ。援軍の到着を以って密林へ進軍し、四魔貴族アウナスの巣食う火術要塞へと攻め入るわ」
「ふぅむ・・・矢張り攻めるのか。一応聞くが、なぜその判断に至ったのだ?」

 ハリードはこの要塞に着いた時から、懐かしい独特の空気を感じ取っていた。この要塞全体に広がる鋭利な刃物の如く張り詰めた緊張感は、やはり戰前のそれであったようだ。しかしそれは、大いに疑問の残る状況でもあった。
 今回の作戦に於ける第一優先事項は妖精族の救出であり、カタリナの様子からも分かるようにこれは既に為したようだ。その上でこちらの被害をこれ以上出さないようにするならば、一度ここで作戦自体を終了しても良いのではないか。寧ろ通常であれば、その判断ではないのか。そうハリードは聞いてきたのだ。
 カタリナはその言葉に応えようとし、しかしその場では口を噤んだ。そして周囲の衛兵を避けるように来た道に戻るように身を翻し、ハリードを其方へと誘う。

「・・・場所を移しましょう。説明するわ」

 

 

 今より数えて約三百年の昔、絶大なる信頼を置く己が右腕にして初代ロアーヌ侯たるフェルディナントと共にここを訪れた聖王その人は、十二将を導いた奇跡の力を以てしてもなお、自らの生きているうちにこの地を人の住める場所へと再生することを断念したという。
 魔王の時代よりそこは『腐海』と呼ばれ、その常軌を逸した濃度の瘴気が渦巻く空間はこの六百年、人の手が入ることを頑なに拒み続けてきた。
 そんなロアーヌ東方開拓地であるシノンの更に東に位置するこの悍ましき腐れる大森林の入り口に、風変わりな一行が訪れていた。
 先導するのは、騎馬に跨った兵士。装いはロアーヌ国兵士のそれだが、軽装であることから本国軍ではなく近隣地域の駐屯兵だろう。そしてその後ろに続くのは、数十人からなる徒歩の集団。だがその集団は武装を施しているわけではなく、まるで身軽な旅人のような風情。更には背丈の小さなものも少なからず混じっており、一見して女子供の集団といったところか。
 通常であれば魔物の出現する危険性もあるこのようなところを徒歩で女子供が歩くなど自殺行為もいいところだが、不思議とその集団の周りに魔物が寄りつくことは無かった。
 間も無く腐海に入るかどうかというところで兵士が馬を止めると、後ろに続いていた集団の中から歩み出た一人の少女と思しき人影が先頭に出で立ち、眼前に広がる醜悪な瘴気を孕んだ大木を見上げた。
 見上げる姿勢のまま頭から被っていたフードをゆっくりと取り去ると、淡い金髪がふわりと生暖かい風になびいて舞う。
 少女のような人影は、フェアリーだった。

「あの、今更ですが本当にここまでご案内するだけで良かったのですか?」

 馬から降りつつ森の入り口で戸惑いの様子を隠せないロアーヌ兵に対し、まるで腐海の入り口にて集団を阻むかの如く聳り立つ巨大な大木を見上げていたフェアリーが振り返る。
 その動作に合わせ、その場にいる十数人の同行者もロアーヌ兵へと向きを変えた。

「はい、ここで問題ありません。ここまでの道中案内を頂き、有難うございました」

 ぺこりとフェアリーを始めとした一同が頭を下げると、ロアーヌ兵はとんでもないという風に勢いよく首を左右に振った。

「侯爵様からの命でありますので、お気になさらないでください。むしろ私にとっては、まるでお伽話の中にいるような数日間でした。このような体験は二度と出来ないでしょうから、お礼を言いたいのは此方の方かもしれません。せがれにも、良い土産話ができそうです」

 そう言って敬礼をしたロアーヌ兵は、引き連れていた馬に再度跨り、集団を残して帰路に着いた。
「・・・貴方に、風の加護が有らんことを」

 フェアリーがそう呟くと、それまで薄らと彼女たちの周りを包んでいた風が、去りゆくロアーヌ兵へと移っていく。清廉なる風は、低級の妖魔が特に嫌うもののひとつだ。彼女たちがここまで何事も無く来られたのは、その風の加護のおかげだった。
 ロアーヌ兵の姿が見えなくなるまで静かに佇んで見届けたフェアリーは、先ほどまで見上げていた大木へと振り返った。
 その途端、フェアリーの周りにいた十数人の同行者達は身につけていたフラワースカーフを脱ぎ去り、各々の本来の姿へと戻っていく。その中には、妖精族の長の姿もあった。
 長はフェアリーへと向き直り、ロアーヌ兵の去っていった方向を見ながら口を開く。

「声を発して話すというのも、悪くないものですね」
「はい。声には、温度があるように思います。思念による意思疎通では感じられない何かが、声にはあると思います」

 思念のみで同族はおろか異種族とすらも意思疎通が成立するという能力を有する妖精族は、通常このように言葉を発することをしない。
 それは妖精族という存在が生まれた時からそうであり、妖精達はそれを何の疑問にも思わずこれまでを過ごしてきた。

「声で話すっていうの、案外面白いわ。特に一定の音による空気の震えが、なんでか不思議と心地よく感じるの」

 フェアリーと同種の妖精が長とフェアリーの周囲を飛び回りながらそう言う。すると、周囲の妖精達もそれに同調するように頷いた。
 飛び回る妖精は回りながら『あ』を空に向けて伸ばす。儚い鈴の音のような声が、腐海の入り口に木霊した。

「それは『歌』です。人間は声による温かさや、冷たさや、時には激しさや弱々しさなんかも。そんなものを、歌に乗せて表現します」
「歌・・・。そう、これが歌なのね」

 妖精はフェアリーの言葉にうんうんと頷き、再び声を伸ばす。普段声を出さないからかその声はか細いが、その音は瞬く間に周囲に広がり、妖精達の目前に広がる禍々しい木々にさえ優しく語りかける。
 すると、その声を浴びた目の前の大木が、ふるい落すように瘴気を体外に解き放っていくのが見てとれた。
 その場にいる妖精達が興味深く見つめる先で、樹々を離れた瘴気はそのまま腐海全体を覆う禍々しい大気に合流するわけでもなく、上空に霧散し確かに消失していく。

「・・・術を用いずとも、瘴気は溶けるのですね。これは良い発見です」

 長がその様を見て微笑みながら、他の面々へと向き直った。

「それでは、ここに新たな私たちの住処を作るために歌いましょう。皆で歌えば、腐海何するもの。あっという間に瑞々しい樹々の寝所が手に入るでしょう」
『はーい』

 一同が長の言葉に頷いて大木へと向かう中、しかしフェアリーだけはそんな同胞の背中を見送るようにその場に佇んでいた。

「行くのですね」

 その様子に気がついていた長がフェアリーに語りかけると、フェアリーは小さく頷いた。

「はい。密林に潜む火術要塞への案内は、私達でなければできません。人間にこうして助けられた以上、少しでも恩を返したく思います」

 フェアリーの言葉に、長は小さく頷く。そして伏し目がちになりながら、ゆっくりと言葉を続けた。

「一族が負うべき仕事を貴方に任せる形になってしまって、ごめんなさい」
「いえ。里を飛び出した時から、私はそうするのだと決めておりました。長はどうか、皆に安寧を」

 フェアリーがふわりと風に舞いながらそう言うと、長は今度はしっかりと頷き、微笑んだ。

「貴方に、森の祝福を」

 長の祝福を受けフェアリーは風に乗って緩く弧を描くように舞い上がり、そして西へと飛んでいった。

 

 

「・・・おいおい、これは一体、何かの冗談なのか?」

 太陽が南中を過ぎた頃合い、ヤーマスの中央商業ギルド会館の大会議室に数人の屈強な部下と共に現れたラブ=ドフォーレは、部屋に入るなりそう言いながら大きく両手を広げて周囲を見渡した。
 世界中でも屈指の規模を誇るヤーマスの中央商業ギルド会館のトレード会場となるここ大会議室にヤーマスのドンたるドフォーレ商会が呼び出されたことは、かつて一度もない。いや、正確に言えばこのヤーマスの大会議室自体が、これまでトレード会場として使われたことが公式記録上は一度もなかった。
 何故ならヤーマスにおけるほとんど全ての取引は、ドフォーレの息のかかった筋が仕切っていたからだ。摩擦や競争など、起こらなかったのだ。
 だものだから、現当主ラブ=ドフォーレがこの大会議室に足を踏み入れるのは、中央会館が出来た時の視察以来で二度目となる。
 そして前回視察の時に見た風景と違うと思われるのは、会議室の中央に設えられた交渉テーブルの片側に鎮座する一人の人物がいる事だけだった。

「ここにはあの狂気を纏った美しい娘が居るわけでも無ければ、噂に聞く美人社長とやらがいるわけでもないようだが・・・。俺はひょっとして、入る部屋を間違えたのか?」

 ラブのその言葉に取り巻きが笑いながら同意する先には、交渉テーブルについたキャンディの姿があった。彼女の脇には、鎮座する愛用のくまちゃん。もう一方の脇には、書類が詰められた鞄。それ以外には、誰も何も見当たらない。
 入り口にいる彼らの声に当然気がついていたキャンディはちらりとそちらに視線を送り、しかし特に動きを見せることもなく目の前の机にすぐ視線を戻した。ラブ達のいる場所からは伺うことこそ出来ないが、彼女の表情には明らかに焦りの様子が見て取れる。

(・・・聴いてた話と全然違うよサラぁ・・・)

 なにしろ、彼女は焦っていた。
 目まぐるしく頭の中ではこの状況をどうするべきなのかと様々な考えが周り巡っていくが、しかし全く予期していなかったこの状況に普段の思考能力も失われたのか、全く考えが纏まらない。

(・・・あかん、だめだ。全っ然考えが纏まらない。ま、まずは状況の整理を・・・)

 自分の右脇に鎮座するくまちゃんの手を強く握りしめながら、キャンディは熱暴走気味の頭を一度強制的に初期化するべく、深く深く深呼吸をした。
 彼女があの夜に突如現れたサラから聞いた話は、こうだった。
 ちょっとしたお使い予定のはずが所用によりすぐヤーマスに戻ることが出来なくなってしまったサラに代わり、キャンディにポールの助手としてヤーマスに向かって欲しい。そこでは対ドフォーレへの工作が進んでおり、二班に分かれての作戦が行われ、その経過は順調。あとは仕込みが全て動き出す一週間後にドフォーレにトレードを仕掛けるので、その際に自分が集めた資料全般をポールに渡して欲しい。その際資料の中身を説明できるよう、一通り読み込んでおいて欲しい。
 ヤーマスの中央商業ギルド会館に指定の日時に辿り着き入館手形を見せてカンパニーの名前を出せば部屋に通されるようになっているはずだから、あとは現場でポールに流れを確認してくれればいい。
 以上、健闘を祈る。

(・・・ポールは何処!?)

 ここで彼女がまず直面した最大最強と思われる問題は、それだった。彼女が助手として付き添うべき本案件の主役、カタリナカンパニー営業部長たるポールがこの場所の何処にも見当たらないということなのであった。
 彼が居なければ、このトレードがそもそも始まらないのでは無いか。そうか、つまりこのトレードはポールが居ないから無効なのでは無いか。それならば自分はお役御免なのではないか。キャンディの頭の中は、いよいよ焦りで整理がつかなくなってきていた。
 そこに、先ほどまで入り口に居たはずのトレードの相手であろうと思われる恰幅のいい中年男性が、目の前のソファに豪快に座り込んだ。確認しなくても分かる。これがドフォーレ商会の当代当主、ラブ=ドフォーレだろう。会ったことのないキャンディでも分かるほどの威圧感が、大木一本を削って作ったであろう見事な一点ものの机の向こうからひしひしと伝わってくる。

「・・・で、お前はカタリナカンパニーの人間なのか」
「・・・は、はぃ」

 ラブの言葉に、キャンディは数回の瞬きの後にやっと、小さく一言だけ応えた。ラブはそんな様子のキャンディを、射殺すのでは無いかと思うほどに凝視する。それに対しキャンディは目を逸らすことすらも出来ずに受け止め、只管に冷や汗を流し続ける。蛇に睨まれた蛙というのはこういうことなのだな等と、頭の片隅で現実逃避気味に思う。そんな大変に重苦しい時間が、永遠にも続くのでは無いかと思われた。
 しかし何事にも終わりはやってくるように、やがてラブは軽くため息をつき、脇に控える商業ギルド管理員に話しかける。同時にキャンディは今の間に間違いなく寿命が縮んだな等と考えながら、疲労感と共にソファに深く沈み込んだ。

「おい、ここは確かにカタリナカンパニーがドフォーレ商会に挑んだトレードの会場で、こいつが本件におけるカタリナカンパニーの代表で、あとはここで俺が開催時期の宣言をする。間違いないな?」
「は、はい。間違い有りません」

 臆した様子の管理員が、ラブに答える。そこでキャンディは、一瞬だけ淡い期待を抱いた。トーマスの談に寄れば、トレードは受け手が指定日から最大一週間、開催を伸ばす事が出来る。ラブが今日ここで即座に開催することを宣言しなければ、兎に角この状況からは抜け出す事が出来るかもしれない。

「では宣言しよう。現時点を以て我々ドフォーレ商会は申請を受理し、トレード開催をすると」
(だよねーウチでもそうするよー・・・)

 当然のごとく、ラブは迷い無く開催を宣言した。キャンディはその当然の流れに、頭の中を絶望で埋め尽くされながらも妙に冷静にこの流れに同意していた。

「三億オーラムだ」
「・・・へ?」

 開催宣言に続いてそう一言だけ発したラブに対し、キャンディは我ながら素っ頓狂だなと後から思うほどに、あからさまに間の抜けた声を上げた。
 ラブのその言葉に反応したギルド管理員が慌てて部屋の中に設置されている鉄製の扉を開き、中から大量の疑似金貨が積まれた木箱を台車にのせ、その重量に表情を歪めながら必死の形相で押してくる。
 これは通常では対応出来そうに無い大規模トレードの際にギルド会館で用いられる疑似オーラムであり、一枚を一万オーラムとして換算する。キャンディは全く知らなかったことだが、これが積まれた時点で積んだ企業からギルド会館へと即座に一時入金手続が進められ、確かにその企業に申し出るだけの資金が存在していることが確認される。また申告された金額は、トレードが終わるまでは出資者であっても一切手出しをすることが出来ない。
 またここで双方により積まれた金額はトレード終了の際、買い手側が勝てば買い手の積み立てた金額が買収相手へと入金され、逆に受け手側が勝てば受け手が積み立てた金額の三割相当を買い手側から受けとれる仕組みとなる。これはいたずらなトレードの乱発を防ぐための措置であり、またこの制度自体の悪用を防ぐために一度トレードを行った企業同士は四半期の間はトレードの再度申請が行えないように定められている。
 つまりこの時点で、この勝負に負ければカタリナカンパニーは九千万オーラムを失うことになる。
 ギルド管理員が実に事務的にその説明を読み上げるのを、キャンディは隠しようも無いほどに大きく青ざめた様子で聞いていた。

(まって・・・九千万オーラムなんて資金、そもそもカンパニーとしてはオーラムとしてなんて持ってないよ・・・。カンパニーは総資産としてはそりゃ既に一億オーラムは超えているけど、実際のカンパニーの資産の多くは物的資産。これをトレードに使える『資金』として動かすには、本来は多くの時間がかかる。これを急に資金として動かすとなれば折角の資産を損失覚悟で売り払う事になるから、総資産の減少が起こる・・・。ってか急に九千万なんて資金を用意しようとしたら、会社として成り立たなくなる・・・。こいつ、カンパニーをぶっ潰す気だ・・・)

 目の前には、専用の箱で勘定された疑似金貨が三万枚、積み重なっていく。その様を見ながら唖然とした様子のキャンディに対し、ラブはさして興味の無い様子でソファの背もたれへと寄りかかり、管理員に飲み物を催促した。

「・・・カタリナカンパニーとか言ったな。総資産は直近の決算では一億五千六百万オーラム相当。主にツヴァイクやユーステルム等の北国を中心として同規模の中小の企業を数多く買収しており、その取扱品目はフルブライトにも迫るほどの勢いで多岐に渡る・・・企業としては既に中堅に位置し、歴史上珍しくフルブライトの同盟も得ており経済界からはその急成長ぶりも相まって一目置かれている、か。ふむ・・・実に惜しい企業が、消えるものだな」

 手元に用意された資料に目を通しながら、ラブはそう言ってつまらなそうな視線をキャンディに送る。その視線を受けたキャンディは、しかしその言葉に対して何も言い返す言葉を持ち合わせていない。

(・・・そもそも仮に総資産を全て資金変換して挑んだとしたって、既にこの目の前に積み上げられている三億なんていう出鱈目なオーラムを相手にすることが出来ない。傘下、若しくは同盟を結ぶ何処かの企業に資金提供を依頼したって、トレードの最大期間として定められた一ヶ月程度の時間で用意できる資金はたかが知れてる。てかこんなんじゃ一ヶ月どころか三日と持たない。流石に商業ギルド管理員から強制裁定される・・・。やばいよこれ完全に詰んでるじゃん・・・こんなのどうしろってのポール・・・)

 絶望一色に染まった顔色のキャンディをみながら自社資金から三億を拠出するよう書類にサインをし終えたところのラブは、手元に用意された最高級茶葉を用いて作られた紅茶を優雅に啜り、そして盛大にため息を吐いた。

「お前は見た目に反して、ピエロにもならんな。何のつもりだったのか知らんが、単なる虚仮威しの為にトレードをこのドフォーレに仕掛けるとは、正に狂気の沙汰だ。調書に寄れば社長、副社長、営業部長と非常に優秀な人員が揃っているとレポートにもあるが、どいつもこいつも頭のいかれた狂人揃いだったか」

 ラブのその言葉に、それまで必死に頭の中で考えを巡らせていたキャンディはぴたりと動きを止めた。

「とはいえ、まぁお前も災難だったな。どうせお前は幾らか握らされてここに来た口だろうが、そりゃあもうカンパニーが勝ち目無しと悟ってお前をスケープゴートにしながらしっぽ巻いて夜逃げする準備でもしているからだろう」

 三億オーラムという疑似金貨の壁の向こうから哀れむような目で見下ろされるのを感じながら、キャンディは自分の頭から一気に血の気が引いていくような感覚を味わっていた。

「おい、カタリナカンパニーとやらの幹部連中の所在と資金の動きを徹底的に洗い、追い詰めろ。関係者は人っ子一人逃がすんじゃあねえぞ。ドフォーレに喧嘩を売ったことを、文字通り死ぬほど後悔させてやれ。そこのガキも哀れではあるが、トレードの規則に則り資金周りの回収が終わるまでは会館に滞在して貰わなければならない。逃げないように拘束しておけ。あとは気がかりなのはマクシムスガードの娘だな。警備の増強をしなければならんか・・・」

 ラブの言葉に反応して周囲の人間が入り口や窓を塞ぐように動き、それに会わせてギルド管理員がおずおずとキャンディの座るソファの横に立ち、口を開いた。

「・・・ここから何も動く様子が無いのでしたら、我々管理員としても早期のトレード終了を勧告せざるを得ません。カタリナカンパニー代表のキャンディさん。本トレードを、この時点で終了いたしますか?」

 管理員がそう言うものの、しかしキャンディは目の前の三億オーラム相当の疑似金貨のあたりを見つめたまま、微動だにしない。その様子に管理員は肩を竦めてラブへと視線を投げると、ラブはもう一度だけため息を吐いて、立ち上がった。そして疑似三億オーラムの上からキャンディを直接見下ろす。

「おいガキ。お前は単に俺の問いかけに『はい』と応えておけばいい。さぁ、とっととこのトレードの終了を宣言しろ」

 ラブの言葉に、キャンディはゆっくりと顔を上げる。そしてキャンディの円らな瞳が己と交錯したところで、ラブは最後の言葉を待つように目を細めた。
 キャンディは、頭はおろか全身から血の気が引いてしまったような感覚に包まれていた。そして半分感覚が無い両手を、ゆっくりと軽く握るつもりで丸める。だが彼女の意識に反し、その両の拳は爪が肌に食い込むほど強く強く握り込まれていた。その両手の平の痛みが熱を持ち、やがてその熱は逆流する血液の奔流となって頭へと到達する。
 そしてその熱に突き動かされるように、口を開く。

「・・・黙れ、ブタ野郎」
「・・・なんだと?」

 突如の暴言に、ラブは米神を振るわせながらドスの効いた声を発する。だがそんなラブの返答など、既にキャンディは聞いていなかった。
 有り体にいって、キャンディは切れていた。恐らくこの十四年あまりの人生の中で、これは彼女が最も怒りに打ち震えている瞬間であった。
 そしてそのままラブを睨み付けていた視線を手元に戻すと拳の縛めを解き、自分の脇に置いてあった鞄に詰め込まれた大量の資料を乱暴に取り出し、机の上にばさりと広げる。

「確かにカンパニーのみんなはとち狂っているかもしれない。こんなトレード、とても正気の人間がやるようなもんじゃ無いよ。でも・・・」

 手元に広げた幾つもの資料の一つ一つを凝視し、そして同時に頭の中ではこれまでに見聞きした全てを思い出そうとしながら、キャンディは誰に聞かせるわけでもなく独り言のように続ける。

「でも・・・それは絶対に、逃げるためなんかじゃあ無い。みんなは逃げているんじゃ無くて、向かっているんだ。だから、この勝負も負けない。勝つ算段があって、挑んでいるんだ。それは、絶対に間違いない」

 手元にあった全ての資料を広げ、それらの全体を眺めるようにキャンディは立ち上がって見下ろした。それらを見返すこの一瞬の合間にキャンディの脳内はすっかり放熱し、一気に冷静さを取り戻していった。
 ここにあるサラがヤーマスでかき集めた手元の資料と、ポールが事前にピドナ宛てに飛ばしてきた注文の数々。それに沿って自分たちがやってきた内容。そして、最初にポールがピドナで調べ回って集めた情報の数々。

(・・・これら全てに関わってんのは、ウチだけだ。だから、ウチなら分かるはず。ポールの狙いが、絶対に分かるはず・・・だからサラも、ウチにここを託したんだ・・・!)

 そして再び睨み付けるようにラブへと視線を移したキャンディは、彼女の出せる最大限の声で、高らかに叫んだ。

「ウチだってもう逃げないって決めたんだ!だから絶対にウチらは、このトレードに勝つ!」

 

 

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第六章・7 -救援と成敗-

 

 既に密林での異変を察知していたメッサーナ王国海洋警備拠点であるエデッサ砦を中継して、密林地域北部から上陸した妖精族救助隊一行。彼らが密林探索に突入してから現時点で、凡そ二日程が経っていた。
 この時点でカタリナが切り飛ばしたアウナス術妖の数は、ともすれば三桁にも迫らんという勢いだ。
 以前にフェアリーとともに練り歩いた時とは、余りに密林全体の空気が一変していた。

(吐き気を催すような、陰鬱で体に纏わりつく瘴気・・・)

 ふと上を見上げれば天から降り注ぐ木漏れ日も、風に揺れ動く木々の騒めきも以前来た時と変わらないはずだ。だと言うのに、密林全体を覆う醜悪な瘴気が視界に映る全てを歪ませてしまっている。

(此処はもう私の知っている密林ではない・・・これじゃあまるで、噂に聞く腐海森林のよう・・・)

 止まぬ息苦しさに常時顔をしかめながら、カタリナはそんなことを思った。
 事実、ロアーヌ騎士団の精鋭を中心に構成されているこの救助隊の中であっても、倒れるほどまでは行かずとも体調の不良を訴えるものもぽつぽつと出始めている。
 あまり長いことこの森で過ごすことは出来ないだろうと考えた一行は、出来うる限り移動速度を上げていった。
 居ても立っても居られずピドナから風に乗って密林へ飛来したらしいフェアリーと念話を通じながらカタリナが先頭で案内役をしつつ、一行は間も無く妖精の里に辿り着かんとするところだ。
 だが既に先行して辿り着いているらしいフェアリーとこの数時間連絡が取れておらず、何事かあったのかとカタリナは内心気が気ではなかった。
 道に迷う心配はなかった。木々の間から漂ってくる、樹木の燃えた臭い。そして結界が消滅したことによるのだろう、半分以上崩れ落ちながらもその姿を遠くから視認することができる大樹の幹。
 その無残な姿に心を痛めながら、カタリナは後続メンバーを先導しつつ大樹を目指した。
 大樹に近付くにつれ、木々が少なくなって行く。それらの殆どは、燃え尽きたことにより倒れていた。そして倒れた木々のその中に、事切れた妖精族の亡骸が散見される。特に戦士として名高いアールヴと見受けられるものもある。
 カタリナはその姿を見て苦渋に顔を歪ませ、そして立ち止まった。

「どうしましたか、カタリナ様」

 彼女のすぐ後ろをついて来ていたフォックスが語りかけると、カタリナは言葉を発せず、代わりに口元に人差し指を当てる仕草で答えた。
 それを見たフォックスが後続を止まらせ、物音を立てぬようにと伝える。
 それが直ぐに伝わり足音も聞こえぬようになったところでカタリナが注意深く周囲の気配を探る。
 魔物の気配を感じるわけではない。それ以外の一縷の望みに賭けたのだ。

「・・・・・・」

 暫し息を殺して立ち尽くしていたカタリナは、突如弾かれたようにそれまでとは明後日の方向に走り出す。
 それを周囲が何事かと見ていると、カタリナは燃え尽きた倒木を持ち上げて脇に投げ捨てつつ、フォックスたちに向かって声を上げた。

「手伝って頂戴!まだ生きている!」

 その言葉に今度はその場の全員がカタリナのもとに駆け寄る。そこには全身に傷と火傷を負い息も絶え絶えの様子の妖精族の戦士の姿があった。
 直ぐ様周囲の倒木も退かされ、付き添った魔術師が生命の水を唱えている横でカタリナはその妖精族に語りかける。

「大丈夫よ、もう安心なさい」

 癒しの水が染み渡るのを感じたのか薄っすらとだが顔色に生気が戻ったその妖精族は、苦しそうにしながらも目を開いてカタリナを見た。

「・・・貴女は・・・長は、花の広場に・・・どうか・・・」

 カタリナを見た妖精族はそれだけ言うと、また直ぐに気を失った。
 カタリナが慌てた様子で隣の術師を見ると、気を失っただけで生きていると告げられ安堵する。
 そして立ち上がった彼女は、同行部隊の中からコリンズを呼んだ。

「場所の見当はついたわ。私は数人連れてそちらに向かう。コリンズたちは、この周辺で生存者の救助作業をお願い」
「・・・分かった。無茶はするなよ」

 カタリナが直ぐ様数名を連れて走り出したのを見送り、コリンズはその場の全員に警戒と救助活動を命じた。

 

 揺蕩う木の葉を切り裂くかの如くに、いとも容易く一振りの度に槍が敵を討ち払っていく。
 槍は周囲の木々を避けるように、また周囲の木々も槍を避けるようにしなり、正確無比にその穂先は敵だけを貫き、打ち上げ、叩き落とす。
 その槍さばきは常人離れした威力と精度を持ち、それがあまつさえ少女の様な姿形のフェアリーから放たれているものであるからか、相対するアウナス術妖はその面妖な様子に慄き狼狽えた。
 だがそれでも、槍を操るフェアリーの表情は固い。其れもその筈で、今現在フェアリーは着実に戦線を圧されていた。周囲に感じられる同胞の気配は、刻一刻と消えていっていた。彼女よりも強く逞しいアールヴの戦士ですら、徐々に圧されている。最早百も残っていない妖精族の戦士に対して相手は此の期に及んで数千に迫る程の軍勢を継続して投入してきており、数の上で圧倒的に不利なのだ。
 彼女らの守る戦線は、いわば最終防衛線のようなものだ。この後ろには密林の中で大樹の次に最も彼女たちが力場を展開するのに適した清廉なる場所があり、そこに長が居る。そこは特に遮蔽物があるわけでもない、一面のひらけた花畑。緊急で結界を作り上げたが、それでどれだけ持つのかも不明だ。いや、「持つ」というのも楽観的な意見かもしれない。フェアリーらが相対するこの有象無象の奥には朱鳥の加護を受けた絡み合う三頭の巨大な大蛇が陣取っており、あれを相手にしては例え一流の戦士揃いのアールヴ族ですら、いくらも持たないであろう。
 視界全面にばら撒かれる発火性の砂を、槍の大回転で防ぐ。だがそれにより方々に散らばって燃えた砂に木々が巻き込まれ、側面から襲う熱にまた一歩後退を余儀なくされる。
 冷静に考えれば考えるほど、この状況は絶望的だった。
 だが、フェアリーは全く諦めるつもりなどない様子で槍を振るい続けた。彼女には、確かに感じられていたのだ。此方に近づいてくる最強の助っ人の気配が。奥に控える大蛇の影響なのか力場が乱れていて遠距離の念話が出来るような状況ではないが、気配だけは読み取ることができた。否、意識せずとも感じられたのだ。

(・・・圧倒的な存在感の塊・・・幾つもの聖王遺物を携えるというのは、ここまで強大な力を得るということ・・・)

 その気配は、真っ直ぐに此方へと向かってきている。
 だから、せめてそこまでは耐えなければならない。例えここで自分が倒れても、長を失わなければ妖精族は何とかなる。そうすればいつか自分はこの世界に渦巻く大いなる力の一部として解けた後、いつか再び別の形で再構成されてこの世に生まれ戻る。
 一際鋭い槍の一閃で三体を纏めて屠ると、フェアリーは歯を食いしばった。

(・・・でも、私は今ここで死にたくはない。もっといろんな・・・この世界のまだ見ぬ場所を私のこの目で見たいの・・・。だから、死にたくない・・・!)

 じりじりと後退する戦線を前にして一切を捨てぬ覚悟を新たに、フェアリーは槍を構えた。

 

「来るわよ、下がって!!」

 カタリナの号令とともに周囲の数人が一斉に後方へと走り、それと同時に巨大な三頭の大蛇が燃え盛る炎を周囲に吐き出す。途端に辺り一面が火の海となり、しかしただ一人その炎の中に残ったカタリナは太刀の一閃で炎を払いのけ、仁王立ちで大蛇と対峙した。
 同行者の一人であったフォックスは、そのあまりに人間離れした様相に普段の冷静な表情もすっかり忘れて魅入ってしまっていた。彼女とて幼い頃から長く荒事に身を置いてきた者として、幾人も「強い人間」には会ってきたつもりだ。そういう意味で言えば今所属しているロアーヌ騎士団の面々も非常に強いと感じたし、そこで将を務めるブラッドレーやコリンズなどは今まで見てきた中でも一流というに不足無い腕を兼ね備えていた。
 だが今彼女の目の前で異形の化け物と戦っている存在は、まるで彼女の知っている『人間』という存在とはかけ離れたものにしか見えなかった。少なくとも今まで彼女は人間が迫り来る炎を太刀の一振りで振り払う姿を見たこともないし、その胴回りだけで自分の身の丈ほどもあるような大蛇三頭に対峙してなお一歩も引かない人間など、それもまた見たことはなかった。あまつさえ彼女はこちらに助けを求めるどころか、危ないので引いていろと言う。確かに実際助けを求められたとしても自分たちでは何が出来るわけでも無いだろうとも思ってしまうが、それでも標的の分散程度にはなるはずだ。しかし、それすらもいらないと彼女はいっているのだ。

「温い。レッドドラゴンの炎の方が余程熱かったわよ?」

 地面で燃え盛る炎を避けるように一足飛びで相手の懐まで入り込み硬い外皮を物ともせず、迫ってきた一頭の大蛇の首を一刀のもとに刎ね飛ばす。そのまま切り離された胴体だけが暫く動き回りながらも次第に緩慢な動きとなり、やがて絶命した。その様子を尻目に半狂乱でカタリナに襲いかかる二頭を、彼女は全く意に介さぬ様子で身軽に駆け回り、避けていく。その様はまるで風を身に纏う精霊の如く、人間離れした光景であった。
 そのまま手にしていた月下美人を納刀したカタリナは懐からマスカレイドを抜き、迫る来る大蛇二頭に向かって少々だけ距離を取って腰を低く構えた。

「さぁ・・・いくわよ、マスカレイド!」

 その言葉と同時、端から見ていたフォックスたちの視界は周囲に燃え盛る炎よりも眩しく、そして赤く染まった。
 そして直後に巨大な何かが倒れる重苦しい地響きと落下音が周囲に響き渡ったかと思えば、先の者と同じく首を刎ねられた残り二頭の大蛇と周囲の燃える木々の上半分が炎ごと斬り飛ばされ、地に落とされていた。
 そして残されたのは、真紅の大剣を手に地面に立つ、カタリナだけだった。
 彼女たちが木陰から見守ってものの数分で、あの異形の化け物との勝負はついてしまったのだ。
 唖然とする周囲を尻目に、マスカレイドを携えたカタリナは周囲に燃え残る炎を忌々しげに一瞥した後、己が打ち倒した大蛇の先を真っ直ぐに見据えた。

(・・・この先にフェアリーも長もいる。月下美人の反応がそれは教えてくれる。あとは突っ切るだけか・・・状況がわからないし、どうしたものかしら・・・)

《カタリナさん!》

 突如として脳内に聞きたくて止まなかった声が響き渡り、カタリナははっとして中空を見上げる。漸くフェアリーからの念話が通じたようだ。状況からして恐らく、今の大蛇が障害となっていたのだろう。

《フェアリー、無事!?》

 恐らくフェアリー達がいるであろう方向を凝視しながらカタリナが思わず声に出しながらそう語りかけると、直ぐに返事は返ってきた。

《はい、長共々なんとか。カタリナさんのおかげで、周囲の敵が統制を失いました》
《そう・・・兎に角無事でよかった。丁度いいわ、今浮いてる?》
《え・・・あ、はい。浮かんでいますが・・・?》

 フェアリーのその念話を感じ取ると、カタリナは一呼吸置いてから手にしたマスカレイドを逆手に持ち直し、天高く掲げた。
 詩人が神王教団の軍勢に対して放ったようなもの程とはいかないだろうが、今のマスカレイドならば相応の威力は出せるはず。彼女はそう考えていた。
 手中のマスカレイドに語りかけるように刀身へと意識を向けると、それに応えるように赤い刀身に仄かな輝きが宿る。
 そのままカタリナは力強く、マスカレイドを地面に突き立てる。その動作は、彼女が神速の二段斬りと並んで十八番としている地を這う衝撃波だ。
 だがマスカレイドから放たれたそれは、これまでのものとは全くの別物だと感じられるほどに強大な衝撃波をその場に瞬時にして生み出した。
 剣の周囲数尺に渡り地面に無数の亀裂が走ったかと思えば、亀裂は轟く断裂音と衝撃波を伴って真っ直ぐ直線上に地を走っていく。

「・・・!!?」

 軍の核となる大蛇を失い統制が取れていなかったアウナス術妖らがその轟音に気付いて背後を振り返った時には、その命運は既に尽き果てていた。衝撃波は進行方向にある全てを飲み込んで燃え盛る密林を突き抜けていく。
 折り重なって響き渡る、幾つもの魔物の断末魔。根元から断絶され地響きと共に倒れる燃えかけの樹木。
 周囲に溢れる朱鳥、そして密林を漂う蒼龍の気を打ち消す様に白虎の力を発現させた衝撃波は、やがて魔物の軍勢を突き抜けた先で漸く止まった。
 宙に浮く自らの足元を走っていった衝撃波の威力をまじまじと見つめたフェアリーは、ふと我に帰って周囲の様子を探った。
 大蛇が討ち取られて以降、仲間に戦死者はいない。後方の長も無事。
 アウナス術妖は大蛇の欠損に加え突如として味方の三割ほどが巨大な衝撃波の餌食となったことに完全に戦意を喪失し、散り散りとなって逃げ始めている。
 それらを見て戦闘が終わった事を悟った彼女は、放心した様に槍を持つ腕をだらりと下げながら、炎ごと吹き飛ばしていった衝撃波の痕を見つめた。

(・・・生き残った。すごい・・・すごい)

 遠くからフェアリーを呼びつつ瓦礫の上を颯爽と走り寄って来たカタリナが彼女の元に辿り着いた時には、彼女はすっかり安心しきった様子でぱたりとカタリナの腕の中に倒れこんだ。

 

 

 明方から一向に太陽が顔を覗かせることなく分厚い雲に覆われ続けた薄暗い空を、ユリアンは一人で棒立ちのまま眺めていた。
 このヤーマスに滞在する様になってから気が付いたことだが、ここは天候の移ろい方が彼の故郷であるシノンと少し似ている。
 あるいは北方に聳える龍峰ルーブが、故郷のタフターン山と同じ様な役割を果たしているのかもしれない。
 だが、己が周囲の移ろい方はこうも予測の付かぬものになろうとは思いもよらなかった。シノンで同じ様な空をぼんやりと眺めていた時分には、まさかそう遠くない未来に自分がシノンから遠く離れた地でこの様な事をしているなどとは想像もつかなかったな、と思い返す。
 立ち姿勢を直そうと左足から右足に重心を変えると、腰に装着しているロングソードが音を立てる。
 それを目で追う様に剣の柄を見つめたユリアンは、今度は状況の変化と共に訪れている自分の中の変革に思いを馳せた。
 今の彼の中には、「彼の知らない記憶」が渦巻いている。
 最初は、戦いの記憶だった。それを最初に自覚したのは、ピドナでのいくつかの作戦行動の最中。
 クラウディウス家所縁の有力者への使者としてマイカン半島中を駆け巡ったり、神王教団ピドナ支部への潜入調査を行った際に戦った妖魔を相手取った時、最早自分の体は以前の自分とは全く変わってしまっていることに気が付いた。
 戦の術は己のこれまでのどの記憶よりも鮮明に自らの体に染み込んでおり、頭は目の前の妖魔がどのような特性を持っているのかを、長年携わってきた森の切り拓き方や農産物の育て方よりも遥かに熟知していた。そしてそれらを駆使し、手にしたロングソードは彼が初めて相対する脅威に対して、これまでに幾百とそうしてきたかのように淀みなく敵を屠った。これまでに無い過度に高度な動きに最初は肉体が大いに悲鳴を上げたが、それを圧倒的に凌駕する意志の力が体を動かした。
 先日ロビンとの戦いの最中に閃いた技こそ独自に編み出したものではあるが、しかしそれも彼の中に渦巻く記憶を元に昇華させた技術の結晶だ。以前の彼ならば、それこそ一生をかけても編み出せたかどうか分からないようなものだ。
斯様な激動の変化の中で、彼が何より恐ろしく感じることが一つある。
 それは、この変化に対し彼自身が不気味な程に冷静である、ということだった。

(・・・俺って、こんなものの見方をする奴だったか・・・?)

 以前の自分なら、今の自分になったらどう思うだろうか。
 そう、きっと先ずは、とても驚くに違いないだろう。そして、その力に自惚れ、はしゃぐこともあったかもしれない。
 今の自分ならば恐らく、世界屈指の精鋭とも謳われるロアーヌ騎士団の現役世代・・・カタリナと同世代の面々にも引けは取らない。いや、寧ろ勝つ自信がある。
 だからこそこんな力があったら、そう、もっと昔からこんな力があったら。次第に、そんな風に考えたかもしれない。

(・・・いや、ないなー。こんな事では変わらない・・・。だから多分、変に冷静なんだな)

 そう考えを改め、再び空を見上げる。
 どれだけ力を手に入れようとも、この空に手が届くことなどないのと同じなのだ。自分の中に巣食うこの無力感は、こんな事で克服されることはないのだろう。むしろ生半可に力を手に入れたからこそ、より一層に思い知らされるような気分だった。

「・・・来てくれたか」

 声に反応して振り返る。
 其処には先日会った時のままの、日中は逆に目立つのではないかと感じられるような格好でロビンが現れた。
 ユリアンが彼の言葉に小さく頷くと、ロビンは彼を促すような仕草をしながら身を翻した。

「既に奴らの動きは確認した。着いて来てくれ。向かいながら説明しよう」

 そう言って歩き始めるロビンについて歩き出しながら、ユリアンは気を引き締め直した。

(・・・流されるままではいけない。俺は、モニカを護る。今はその為に出来る事が、これなんだ)

 決意を新たにしながら倉庫群を屋根伝いに素早く移動するロビンについて行くと、人通りが殆どない倉庫群の一角を前にしてロビンは立ち止まり、身を屈めた。
 それに習ってユリアンが傍に身を屈めると、ロビンは視線で方向を示す。

「あそこだ。明け方の荷捌きの時間に紛れてルーブ山脈の方から運ばれてきたものが、あそこに収容されている。この時間は荷下ろしも何もないから人目につきにくい。取引は間も無くだろう」

 ロビンの言葉に無言で頷いたユリアンは、彼の指示に従い正面と裏手の屋根に飛び移り、双方から人の立ち入りがないかを見張った。
 すると程なくして、商人と思しき格好の人物が一人、裏口から倉庫内に入って行くのをユリアンが確認した。捕縛しに動くかをロビンに視線で問うが、ロビンはまだだと首を振る。それに従いユリアンもじっと待っていると、それから更に幾ばくかの後、水夫の格好をした男が正面から倉庫に入っていった。
 それを視認したロビンはユリアンに即座に立ち位置の合図を送り、慎重に内部へと侵入していった。
 天井の骨組み伝いにロビンが裏口方面から建物内部に消えたのを確認すると、ユリアンは正面入り口に回り込んで周囲に人の気配がないことを再度確認し、内部を覗き込んだ。
 そこには視認した通り二人だけが広い倉庫に積み上げられた荷物の前におり、そのうちの一つを見聞しながら話している様子がうかがえる。ユリアンはそっと聞き耳を立ててみた。

「今回の出荷量は凄いな。試作品だそうだが、一気にばら撒くつもりなのか・・・しかし、これだけ派手にやって大丈夫なのか? こりゃもう正真正銘の麻薬だぜ」
「そうらしいな。今までのものと此奴は、濃度が違う。普通はこんなもん港を通過できねえが、なに、心配するな。こいつはルーブの支配者のお墨付きだ。誰もみちゃいねえよ」
(・・・麻薬、だと・・・!?)

 彼らの会話は、ユリアンにはその大部分が理解できなかった。
 だが少なくとも彼らのそばにあるものが麻薬のようなものであろうと言うことだけは伝わった。
 この手の我慢比べはあまり得意でない事を自覚しているユリアンは、思わず自分が見ていると声高らかに叫びながら飛び出したい衝動に駆られた。
 が、どうやら彼の相方は自分よりもさらに我慢弱い方だった。

「ハハハハ!」
(!!?)

 突然倉庫内に響き渡る高らかなロビンの笑い声に、その場の男二人は心底驚いた様子で周囲に視線を走らせた。ついでに言えば、ユリアンも驚いていた。

「天知る 地知る ロビン知る! 麻薬で人々の体と心をむしばみながら、おのれはぬくぬくと大金を得ようとは、許せん!」
「くそっ、ロビンか!」

 華麗に天井から飛び降りながらロビンがそう言うと、その場の二人は驚いた様子で即座にロビンと反対方面の出口へ駆け出した。
 ここで漸く自分の出番かと物陰から飛び出したユリアンは、まるでユリアンが二人いるかのような残像が残るほど素早い斬り付けにて二人を即座に打ち倒した。

「安心しろ。剣の腹で叩いただけだ」

 崩れ落ちる帆足を尻目に、ふふん、とユリアンはそう言いながら剣を仕舞う。そしてすかさず二人を手近な柱に寄りかからせ、用意してあった縄を用い手慣れた様子で縛り上げた。

「・・・慣れているんだな」
「・・・あぁ、なんか最近、人を縛る機会が多くて」

 以前もピドナで神王教団の連中を縛り上げたことを思い出しながらそういうと、ロビンは何やら若干慌てた様子で自分の額に手を当てた。

「・・・そうか。すまない、少々個人的且つ立ち入ったことを聞いてしまったな」
「いや多分それ勘違いしてるよ、絶対違うよロビンさん」

 彼の人間性の根幹に及びそうな勘違いをしているかもしれないロビンに対して冷静に訂正をユリアンが促しているところで、倉庫の正面入り口から更なる人の気配がした。

「・・・誰だ!」
「おっと・・・まぁ待ってくれ、敵じゃあないよ」

 それにいち早く気付いたロビンが腰のレイピアを抜き放ちながら誰何すると、現れたその人物は敵意がないことを示すように言葉と共に両手を上げながら二人に近づいてきた。
 現れたのは、ポールだった。

「あれ・・・なんだポール、つけていたのか。言ってくれればいいのに、意地が悪いなぁ・・・。ロビンさん、安心してくれ。俺の仲間だ。チャラそうだけど悪い奴じゃない」
「もうね、確実に一言多いよねユリアン君」

 ユリアンの言葉にも警戒を解くことなく切っ先をポールに向けたままのロビンを横目にユリアンと軽口の応酬をしたポールは、そのまま彼らと捕縛された二人の脇にそびえる大量の荷物へと視線を走らせた。

「そう警戒しないでくれよ、ロビンさん。俺の名前はポール、キドラント出身の冒険者だ。ユリアンとは、ピドナから共にここにきた仲間でね。二人に黙ってたのは悪いが、ちと俺もこいつに用があってね。後をつけさせてもらった」

 その言葉に、ロビンも荷物の積まれた方を横目に見やる。

「・・・これがなんだというのだ。これはこやつらが言うには、麻薬だ。これを横取りでもしようというのか」
「はっ。昔の俺なら、そんな狡いことも考えたかもな」

 ポールのそんな軽口にいよいよロビンが警戒心を剥き出しにすると、ユリアンは二人の間を取り持とうとして立ち上がらんとした。
 しかしそれをポールは手で制止し、そのまま最も近くにあった荷物へと歩み寄った。
 荷物はその一つ一つが袋詰めにされており、口を紐で縛られている。
 ポールは徐に懐から小型のナイフを取り出し、一番手前の袋に突き立てた。すると中から、白い粉が流れ出てくる。
 そして彼は何を思ったかその粉をひとつまみし、舐めとった。
 その行動に二人が多少驚きながらも様子を見ていると、ポールは合点がいったようにふむと一つ頷き、そして二人に対してニヤリと笑ってみせた。

「これが麻薬・・・ねぇ。確かにそうなんだろうが、これは何も、麻薬を欲しがる奴のために用意された代物じゃあないようだぜ」

 ポールのその言葉に二人が首を傾げていると、ポールはそこから後退るように数歩離れ、腕を組んだ。

「ちっと舐めるだけなら何でもない。試しに一舐めしてみなよ」

 その様子にお互い顔を見合わせたロビンとユリアンは、一瞬迷った後に物は試しとポールの言葉に従うことにした。
 意を決して二人同時に粉を摘み上げ、ひょいと口に入れる。

「うげぇ、しょっぱ・・・!」
「これは・・・塩、か。いや、しかしなにかおかしいな・・・」

 二人の反応に、ポールは浅く頷く。
 そのまま二人の近くまで歩み寄り、そして積み上げられた荷物へと目をやった。

「その通り。此奴は、塩だ。いや・・・正確には塩に見せかけた麻薬、なんだろうな」
「・・・確かに、通常の塩とは思えない雑味というか、薄い感じがする。しかしこれでは、麻薬成分が入っているとしても、抑もの麻薬としての価値は・・・」

 ロビンがポールの言葉に反応しながら首を傾げていると、丁度そこで、気を失っていた二人が呻き声を上げながら目を覚ました。

「・・・さて、あとは彼らに色々と話を伺うこととしようか」

 囚われの二人に歩み寄ったポールは、懐から小型のナイフや小さなハンマーを取り出しながらにやりと笑ってみせた。

 

 

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