第六章・7 -救援と成敗-

 

 既に密林での異変を察知していたメッサーナ王国海洋警備拠点であるエデッサ砦を中継して、密林地域北部から上陸した妖精族救助隊一行。彼らが密林探索に突入してから現時点で、凡そ二日程が経っていた。
 この時点でカタリナが切り飛ばしたアウナス術妖の数は、ともすれば三桁にも迫らんという勢いだ。
 以前にフェアリーとともに練り歩いた時とは、余りに密林全体の空気が一変していた。

(吐き気を催すような、陰鬱で体に纏わりつく瘴気・・・)

 ふと上を見上げれば天から降り注ぐ木漏れ日も、風に揺れ動く木々の騒めきも以前来た時と変わらないはずだ。だと言うのに、密林全体を覆う醜悪な瘴気が視界に映る全てを歪ませてしまっている。

(此処はもう私の知っている密林ではない・・・これじゃあまるで、噂に聞く腐海森林のよう・・・)

 止まぬ息苦しさに常時顔をしかめながら、カタリナはそんなことを思った。
 事実、ロアーヌ騎士団の精鋭を中心に構成されているこの救助隊の中であっても、倒れるほどまでは行かずとも体調の不良を訴えるものもぽつぽつと出始めている。
 あまり長いことこの森で過ごすことは出来ないだろうと考えた一行は、出来うる限り移動速度を上げていった。
 居ても立っても居られずピドナから風に乗って密林へ飛来したらしいフェアリーと念話を通じながらカタリナが先頭で案内役をしつつ、一行は間も無く妖精の里に辿り着かんとするところだ。
 だが既に先行して辿り着いているらしいフェアリーとこの数時間連絡が取れておらず、何事かあったのかとカタリナは内心気が気ではなかった。
 道に迷う心配はなかった。木々の間から漂ってくる、樹木の燃えた臭い。そして結界が消滅したことによるのだろう、半分以上崩れ落ちながらもその姿を遠くから視認することができる大樹の幹。
 その無残な姿に心を痛めながら、カタリナは後続メンバーを先導しつつ大樹を目指した。
 大樹に近付くにつれ、木々が少なくなって行く。それらの殆どは、燃え尽きたことにより倒れていた。そして倒れた木々のその中に、事切れた妖精族の亡骸が散見される。特に戦士として名高いアールヴと見受けられるものもある。
 カタリナはその姿を見て苦渋に顔を歪ませ、そして立ち止まった。

「どうしましたか、カタリナ様」

 彼女のすぐ後ろをついて来ていたフォックスが語りかけると、カタリナは言葉を発せず、代わりに口元に人差し指を当てる仕草で答えた。
 それを見たフォックスが後続を止まらせ、物音を立てぬようにと伝える。
 それが直ぐに伝わり足音も聞こえぬようになったところでカタリナが注意深く周囲の気配を探る。
 魔物の気配を感じるわけではない。それ以外の一縷の望みに賭けたのだ。

「・・・・・・」

 暫し息を殺して立ち尽くしていたカタリナは、突如弾かれたようにそれまでとは明後日の方向に走り出す。
 それを周囲が何事かと見ていると、カタリナは燃え尽きた倒木を持ち上げて脇に投げ捨てつつ、フォックスたちに向かって声を上げた。

「手伝って頂戴!まだ生きている!」

 その言葉に今度はその場の全員がカタリナのもとに駆け寄る。そこには全身に傷と火傷を負い息も絶え絶えの様子の妖精族の戦士の姿があった。
 直ぐ様周囲の倒木も退かされ、付き添った魔術師が生命の水を唱えている横でカタリナはその妖精族に語りかける。

「大丈夫よ、もう安心なさい」

 癒しの水が染み渡るのを感じたのか薄っすらとだが顔色に生気が戻ったその妖精族は、苦しそうにしながらも目を開いてカタリナを見た。

「・・・貴女は・・・長は、花の広場に・・・どうか・・・」

 カタリナを見た妖精族はそれだけ言うと、また直ぐに気を失った。
 カタリナが慌てた様子で隣の術師を見ると、気を失っただけで生きていると告げられ安堵する。
 そして立ち上がった彼女は、同行部隊の中からコリンズを呼んだ。

「場所の見当はついたわ。私は数人連れてそちらに向かう。コリンズたちは、この周辺で生存者の救助作業をお願い」
「・・・分かった。無茶はするなよ」

 カタリナが直ぐ様数名を連れて走り出したのを見送り、コリンズはその場の全員に警戒と救助活動を命じた。

 

 揺蕩う木の葉を切り裂くかの如くに、いとも容易く一振りの度に槍が敵を討ち払っていく。
 槍は周囲の木々を避けるように、また周囲の木々も槍を避けるようにしなり、正確無比にその穂先は敵だけを貫き、打ち上げ、叩き落とす。
 その槍さばきは常人離れした威力と精度を持ち、それがあまつさえ少女の様な姿形のフェアリーから放たれているものであるからか、相対するアウナス術妖はその面妖な様子に慄き狼狽えた。
 だがそれでも、槍を操るフェアリーの表情は固い。其れもその筈で、今現在フェアリーは着実に戦線を圧されていた。周囲に感じられる同胞の気配は、刻一刻と消えていっていた。彼女よりも強く逞しいアールヴの戦士ですら、徐々に圧されている。最早百も残っていない妖精族の戦士に対して相手は此の期に及んで数千に迫る程の軍勢を継続して投入してきており、数の上で圧倒的に不利なのだ。
 彼女らの守る戦線は、いわば最終防衛線のようなものだ。この後ろには密林の中で大樹の次に最も彼女たちが力場を展開するのに適した清廉なる場所があり、そこに長が居る。そこは特に遮蔽物があるわけでもない、一面のひらけた花畑。緊急で結界を作り上げたが、それでどれだけ持つのかも不明だ。いや、「持つ」というのも楽観的な意見かもしれない。フェアリーらが相対するこの有象無象の奥には朱鳥の加護を受けた絡み合う三頭の巨大な大蛇が陣取っており、あれを相手にしては例え一流の戦士揃いのアールヴ族ですら、いくらも持たないであろう。
 視界全面にばら撒かれる発火性の砂を、槍の大回転で防ぐ。だがそれにより方々に散らばって燃えた砂に木々が巻き込まれ、側面から襲う熱にまた一歩後退を余儀なくされる。
 冷静に考えれば考えるほど、この状況は絶望的だった。
 だが、フェアリーは全く諦めるつもりなどない様子で槍を振るい続けた。彼女には、確かに感じられていたのだ。此方に近づいてくる最強の助っ人の気配が。奥に控える大蛇の影響なのか力場が乱れていて遠距離の念話が出来るような状況ではないが、気配だけは読み取ることができた。否、意識せずとも感じられたのだ。

(・・・圧倒的な存在感の塊・・・幾つもの聖王遺物を携えるというのは、ここまで強大な力を得るということ・・・)

 その気配は、真っ直ぐに此方へと向かってきている。
 だから、せめてそこまでは耐えなければならない。例えここで自分が倒れても、長を失わなければ妖精族は何とかなる。そうすればいつか自分はこの世界に渦巻く大いなる力の一部として解けた後、いつか再び別の形で再構成されてこの世に生まれ戻る。
 一際鋭い槍の一閃で三体を纏めて屠ると、フェアリーは歯を食いしばった。

(・・・でも、私は今ここで死にたくはない。もっといろんな・・・この世界のまだ見ぬ場所を私のこの目で見たいの・・・。だから、死にたくない・・・!)

 じりじりと後退する戦線を前にして一切を捨てぬ覚悟を新たに、フェアリーは槍を構えた。

 

「来るわよ、下がって!!」

 カタリナの号令とともに周囲の数人が一斉に後方へと走り、それと同時に巨大な三頭の大蛇が燃え盛る炎を周囲に吐き出す。途端に辺り一面が火の海となり、しかしただ一人その炎の中に残ったカタリナは太刀の一閃で炎を払いのけ、仁王立ちで大蛇と対峙した。
 同行者の一人であったフォックスは、そのあまりに人間離れした様相に普段の冷静な表情もすっかり忘れて魅入ってしまっていた。彼女とて幼い頃から長く荒事に身を置いてきた者として、幾人も「強い人間」には会ってきたつもりだ。そういう意味で言えば今所属しているロアーヌ騎士団の面々も非常に強いと感じたし、そこで将を務めるブラッドレーやコリンズなどは今まで見てきた中でも一流というに不足無い腕を兼ね備えていた。
 だが今彼女の目の前で異形の化け物と戦っている存在は、まるで彼女の知っている『人間』という存在とはかけ離れたものにしか見えなかった。少なくとも今まで彼女は人間が迫り来る炎を太刀の一振りで振り払う姿を見たこともないし、その胴回りだけで自分の身の丈ほどもあるような大蛇三頭に対峙してなお一歩も引かない人間など、それもまた見たことはなかった。あまつさえ彼女はこちらに助けを求めるどころか、危ないので引いていろと言う。確かに実際助けを求められたとしても自分たちでは何が出来るわけでも無いだろうとも思ってしまうが、それでも標的の分散程度にはなるはずだ。しかし、それすらもいらないと彼女はいっているのだ。

「温い。レッドドラゴンの炎の方が余程熱かったわよ?」

 地面で燃え盛る炎を避けるように一足飛びで相手の懐まで入り込み硬い外皮を物ともせず、迫ってきた一頭の大蛇の首を一刀のもとに刎ね飛ばす。そのまま切り離された胴体だけが暫く動き回りながらも次第に緩慢な動きとなり、やがて絶命した。その様子を尻目に半狂乱でカタリナに襲いかかる二頭を、彼女は全く意に介さぬ様子で身軽に駆け回り、避けていく。その様はまるで風を身に纏う精霊の如く、人間離れした光景であった。
 そのまま手にしていた月下美人を納刀したカタリナは懐からマスカレイドを抜き、迫る来る大蛇二頭に向かって少々だけ距離を取って腰を低く構えた。

「さぁ・・・いくわよ、マスカレイド!」

 その言葉と同時、端から見ていたフォックスたちの視界は周囲に燃え盛る炎よりも眩しく、そして赤く染まった。
 そして直後に巨大な何かが倒れる重苦しい地響きと落下音が周囲に響き渡ったかと思えば、先の者と同じく首を刎ねられた残り二頭の大蛇と周囲の燃える木々の上半分が炎ごと斬り飛ばされ、地に落とされていた。
 そして残されたのは、真紅の大剣を手に地面に立つ、カタリナだけだった。
 彼女たちが木陰から見守ってものの数分で、あの異形の化け物との勝負はついてしまったのだ。
 唖然とする周囲を尻目に、マスカレイドを携えたカタリナは周囲に燃え残る炎を忌々しげに一瞥した後、己が打ち倒した大蛇の先を真っ直ぐに見据えた。

(・・・この先にフェアリーも長もいる。月下美人の反応がそれは教えてくれる。あとは突っ切るだけか・・・状況がわからないし、どうしたものかしら・・・)

《カタリナさん!》

 突如として脳内に聞きたくて止まなかった声が響き渡り、カタリナははっとして中空を見上げる。漸くフェアリーからの念話が通じたようだ。状況からして恐らく、今の大蛇が障害となっていたのだろう。

《フェアリー、無事!?》

 恐らくフェアリー達がいるであろう方向を凝視しながらカタリナが思わず声に出しながらそう語りかけると、直ぐに返事は返ってきた。

《はい、長共々なんとか。カタリナさんのおかげで、周囲の敵が統制を失いました》
《そう・・・兎に角無事でよかった。丁度いいわ、今浮いてる?》
《え・・・あ、はい。浮かんでいますが・・・?》

 フェアリーのその念話を感じ取ると、カタリナは一呼吸置いてから手にしたマスカレイドを逆手に持ち直し、天高く掲げた。
 詩人が神王教団の軍勢に対して放ったようなもの程とはいかないだろうが、今のマスカレイドならば相応の威力は出せるはず。彼女はそう考えていた。
 手中のマスカレイドに語りかけるように刀身へと意識を向けると、それに応えるように赤い刀身に仄かな輝きが宿る。
 そのままカタリナは力強く、マスカレイドを地面に突き立てる。その動作は、彼女が神速の二段斬りと並んで十八番としている地を這う衝撃波だ。
 だがマスカレイドから放たれたそれは、これまでのものとは全くの別物だと感じられるほどに強大な衝撃波をその場に瞬時にして生み出した。
 剣の周囲数尺に渡り地面に無数の亀裂が走ったかと思えば、亀裂は轟く断裂音と衝撃波を伴って真っ直ぐ直線上に地を走っていく。

「・・・!!?」

 軍の核となる大蛇を失い統制が取れていなかったアウナス術妖らがその轟音に気付いて背後を振り返った時には、その命運は既に尽き果てていた。衝撃波は進行方向にある全てを飲み込んで燃え盛る密林を突き抜けていく。
 折り重なって響き渡る、幾つもの魔物の断末魔。根元から断絶され地響きと共に倒れる燃えかけの樹木。
 周囲に溢れる朱鳥、そして密林を漂う蒼龍の気を打ち消す様に白虎の力を発現させた衝撃波は、やがて魔物の軍勢を突き抜けた先で漸く止まった。
 宙に浮く自らの足元を走っていった衝撃波の威力をまじまじと見つめたフェアリーは、ふと我に帰って周囲の様子を探った。
 大蛇が討ち取られて以降、仲間に戦死者はいない。後方の長も無事。
 アウナス術妖は大蛇の欠損に加え突如として味方の三割ほどが巨大な衝撃波の餌食となったことに完全に戦意を喪失し、散り散りとなって逃げ始めている。
 それらを見て戦闘が終わった事を悟った彼女は、放心した様に槍を持つ腕をだらりと下げながら、炎ごと吹き飛ばしていった衝撃波の痕を見つめた。

(・・・生き残った。すごい・・・すごい)

 遠くからフェアリーを呼びつつ瓦礫の上を颯爽と走り寄って来たカタリナが彼女の元に辿り着いた時には、彼女はすっかり安心しきった様子でぱたりとカタリナの腕の中に倒れこんだ。

 

 

 明方から一向に太陽が顔を覗かせることなく分厚い雲に覆われ続けた薄暗い空を、ユリアンは一人で棒立ちのまま眺めていた。
 このヤーマスに滞在する様になってから気が付いたことだが、ここは天候の移ろい方が彼の故郷であるシノンと少し似ている。
 あるいは北方に聳える龍峰ルーブが、故郷のタフターン山と同じ様な役割を果たしているのかもしれない。
 だが、己が周囲の移ろい方はこうも予測の付かぬものになろうとは思いもよらなかった。シノンで同じ様な空をぼんやりと眺めていた時分には、まさかそう遠くない未来に自分がシノンから遠く離れた地でこの様な事をしているなどとは想像もつかなかったな、と思い返す。
 立ち姿勢を直そうと左足から右足に重心を変えると、腰に装着しているロングソードが音を立てる。
 それを目で追う様に剣の柄を見つめたユリアンは、今度は状況の変化と共に訪れている自分の中の変革に思いを馳せた。
 今の彼の中には、「彼の知らない記憶」が渦巻いている。
 最初は、戦いの記憶だった。それを最初に自覚したのは、ピドナでのいくつかの作戦行動の最中。
 クラウディウス家所縁の有力者への使者としてマイカン半島中を駆け巡ったり、神王教団ピドナ支部への潜入調査を行った際に戦った妖魔を相手取った時、最早自分の体は以前の自分とは全く変わってしまっていることに気が付いた。
 戦の術は己のこれまでのどの記憶よりも鮮明に自らの体に染み込んでおり、頭は目の前の妖魔がどのような特性を持っているのかを、長年携わってきた森の切り拓き方や農産物の育て方よりも遥かに熟知していた。そしてそれらを駆使し、手にしたロングソードは彼が初めて相対する脅威に対して、これまでに幾百とそうしてきたかのように淀みなく敵を屠った。これまでに無い過度に高度な動きに最初は肉体が大いに悲鳴を上げたが、それを圧倒的に凌駕する意志の力が体を動かした。
 先日ロビンとの戦いの最中に閃いた技こそ独自に編み出したものではあるが、しかしそれも彼の中に渦巻く記憶を元に昇華させた技術の結晶だ。以前の彼ならば、それこそ一生をかけても編み出せたかどうか分からないようなものだ。
斯様な激動の変化の中で、彼が何より恐ろしく感じることが一つある。
 それは、この変化に対し彼自身が不気味な程に冷静である、ということだった。

(・・・俺って、こんなものの見方をする奴だったか・・・?)

 以前の自分なら、今の自分になったらどう思うだろうか。
 そう、きっと先ずは、とても驚くに違いないだろう。そして、その力に自惚れ、はしゃぐこともあったかもしれない。
 今の自分ならば恐らく、世界屈指の精鋭とも謳われるロアーヌ騎士団の現役世代・・・カタリナと同世代の面々にも引けは取らない。いや、寧ろ勝つ自信がある。
 だからこそこんな力があったら、そう、もっと昔からこんな力があったら。次第に、そんな風に考えたかもしれない。

(・・・いや、ないなー。こんな事では変わらない・・・。だから多分、変に冷静なんだな)

 そう考えを改め、再び空を見上げる。
 どれだけ力を手に入れようとも、この空に手が届くことなどないのと同じなのだ。自分の中に巣食うこの無力感は、こんな事で克服されることはないのだろう。むしろ生半可に力を手に入れたからこそ、より一層に思い知らされるような気分だった。

「・・・来てくれたか」

 声に反応して振り返る。
 其処には先日会った時のままの、日中は逆に目立つのではないかと感じられるような格好でロビンが現れた。
 ユリアンが彼の言葉に小さく頷くと、ロビンは彼を促すような仕草をしながら身を翻した。

「既に奴らの動きは確認した。着いて来てくれ。向かいながら説明しよう」

 そう言って歩き始めるロビンについて歩き出しながら、ユリアンは気を引き締め直した。

(・・・流されるままではいけない。俺は、モニカを護る。今はその為に出来る事が、これなんだ)

 決意を新たにしながら倉庫群を屋根伝いに素早く移動するロビンについて行くと、人通りが殆どない倉庫群の一角を前にしてロビンは立ち止まり、身を屈めた。
 それに習ってユリアンが傍に身を屈めると、ロビンは視線で方向を示す。

「あそこだ。明け方の荷捌きの時間に紛れてルーブ山脈の方から運ばれてきたものが、あそこに収容されている。この時間は荷下ろしも何もないから人目につきにくい。取引は間も無くだろう」

 ロビンの言葉に無言で頷いたユリアンは、彼の指示に従い正面と裏手の屋根に飛び移り、双方から人の立ち入りがないかを見張った。
 すると程なくして、商人と思しき格好の人物が一人、裏口から倉庫内に入って行くのをユリアンが確認した。捕縛しに動くかをロビンに視線で問うが、ロビンはまだだと首を振る。それに従いユリアンもじっと待っていると、それから更に幾ばくかの後、水夫の格好をした男が正面から倉庫に入っていった。
 それを視認したロビンはユリアンに即座に立ち位置の合図を送り、慎重に内部へと侵入していった。
 天井の骨組み伝いにロビンが裏口方面から建物内部に消えたのを確認すると、ユリアンは正面入り口に回り込んで周囲に人の気配がないことを再度確認し、内部を覗き込んだ。
 そこには視認した通り二人だけが広い倉庫に積み上げられた荷物の前におり、そのうちの一つを見聞しながら話している様子がうかがえる。ユリアンはそっと聞き耳を立ててみた。

「今回の出荷量は凄いな。試作品だそうだが、一気にばら撒くつもりなのか・・・しかし、これだけ派手にやって大丈夫なのか? こりゃもう正真正銘の麻薬だぜ」
「そうらしいな。今までのものと此奴は、濃度が違う。普通はこんなもん港を通過できねえが、なに、心配するな。こいつはルーブの支配者のお墨付きだ。誰もみちゃいねえよ」
(・・・麻薬、だと・・・!?)

 彼らの会話は、ユリアンにはその大部分が理解できなかった。
 だが少なくとも彼らのそばにあるものが麻薬のようなものであろうと言うことだけは伝わった。
 この手の我慢比べはあまり得意でない事を自覚しているユリアンは、思わず自分が見ていると声高らかに叫びながら飛び出したい衝動に駆られた。
 が、どうやら彼の相方は自分よりもさらに我慢弱い方だった。

「ハハハハ!」
(!!?)

 突然倉庫内に響き渡る高らかなロビンの笑い声に、その場の男二人は心底驚いた様子で周囲に視線を走らせた。ついでに言えば、ユリアンも驚いていた。

「天知る 地知る ロビン知る! 麻薬で人々の体と心をむしばみながら、おのれはぬくぬくと大金を得ようとは、許せん!」
「くそっ、ロビンか!」

 華麗に天井から飛び降りながらロビンがそう言うと、その場の二人は驚いた様子で即座にロビンと反対方面の出口へ駆け出した。
 ここで漸く自分の出番かと物陰から飛び出したユリアンは、まるでユリアンが二人いるかのような残像が残るほど素早い斬り付けにて二人を即座に打ち倒した。

「安心しろ。剣の腹で叩いただけだ」

 崩れ落ちる帆足を尻目に、ふふん、とユリアンはそう言いながら剣を仕舞う。そしてすかさず二人を手近な柱に寄りかからせ、用意してあった縄を用い手慣れた様子で縛り上げた。

「・・・慣れているんだな」
「・・・あぁ、なんか最近、人を縛る機会が多くて」

 以前もピドナで神王教団の連中を縛り上げたことを思い出しながらそういうと、ロビンは何やら若干慌てた様子で自分の額に手を当てた。

「・・・そうか。すまない、少々個人的且つ立ち入ったことを聞いてしまったな」
「いや多分それ勘違いしてるよ、絶対違うよロビンさん」

 彼の人間性の根幹に及びそうな勘違いをしているかもしれないロビンに対して冷静に訂正をユリアンが促しているところで、倉庫の正面入り口から更なる人の気配がした。

「・・・誰だ!」
「おっと・・・まぁ待ってくれ、敵じゃあないよ」

 それにいち早く気付いたロビンが腰のレイピアを抜き放ちながら誰何すると、現れたその人物は敵意がないことを示すように言葉と共に両手を上げながら二人に近づいてきた。
 現れたのは、ポールだった。

「あれ・・・なんだポール、つけていたのか。言ってくれればいいのに、意地が悪いなぁ・・・。ロビンさん、安心してくれ。俺の仲間だ。チャラそうだけど悪い奴じゃない」
「もうね、確実に一言多いよねユリアン君」

 ユリアンの言葉にも警戒を解くことなく切っ先をポールに向けたままのロビンを横目にユリアンと軽口の応酬をしたポールは、そのまま彼らと捕縛された二人の脇にそびえる大量の荷物へと視線を走らせた。

「そう警戒しないでくれよ、ロビンさん。俺の名前はポール、キドラント出身の冒険者だ。ユリアンとは、ピドナから共にここにきた仲間でね。二人に黙ってたのは悪いが、ちと俺もこいつに用があってね。後をつけさせてもらった」

 その言葉に、ロビンも荷物の積まれた方を横目に見やる。

「・・・これがなんだというのだ。これはこやつらが言うには、麻薬だ。これを横取りでもしようというのか」
「はっ。昔の俺なら、そんな狡いことも考えたかもな」

 ポールのそんな軽口にいよいよロビンが警戒心を剥き出しにすると、ユリアンは二人の間を取り持とうとして立ち上がらんとした。
 しかしそれをポールは手で制止し、そのまま最も近くにあった荷物へと歩み寄った。
 荷物はその一つ一つが袋詰めにされており、口を紐で縛られている。
 ポールは徐に懐から小型のナイフを取り出し、一番手前の袋に突き立てた。すると中から、白い粉が流れ出てくる。
 そして彼は何を思ったかその粉をひとつまみし、舐めとった。
 その行動に二人が多少驚きながらも様子を見ていると、ポールは合点がいったようにふむと一つ頷き、そして二人に対してニヤリと笑ってみせた。

「これが麻薬・・・ねぇ。確かにそうなんだろうが、これは何も、麻薬を欲しがる奴のために用意された代物じゃあないようだぜ」

 ポールのその言葉に二人が首を傾げていると、ポールはそこから後退るように数歩離れ、腕を組んだ。

「ちっと舐めるだけなら何でもない。試しに一舐めしてみなよ」

 その様子にお互い顔を見合わせたロビンとユリアンは、一瞬迷った後に物は試しとポールの言葉に従うことにした。
 意を決して二人同時に粉を摘み上げ、ひょいと口に入れる。

「うげぇ、しょっぱ・・・!」
「これは・・・塩、か。いや、しかしなにかおかしいな・・・」

 二人の反応に、ポールは浅く頷く。
 そのまま二人の近くまで歩み寄り、そして積み上げられた荷物へと目をやった。

「その通り。此奴は、塩だ。いや・・・正確には塩に見せかけた麻薬、なんだろうな」
「・・・確かに、通常の塩とは思えない雑味というか、薄い感じがする。しかしこれでは、麻薬成分が入っているとしても、抑もの麻薬としての価値は・・・」

 ロビンがポールの言葉に反応しながら首を傾げていると、丁度そこで、気を失っていた二人が呻き声を上げながら目を覚ました。

「・・・さて、あとは彼らに色々と話を伺うこととしようか」

 囚われの二人に歩み寄ったポールは、懐から小型のナイフや小さなハンマーを取り出しながらにやりと笑ってみせた。

 

 

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第六章・3 -怪傑ロビン-

 

「ドフォーレさんも、こんなボロやに1000オーラムも出そうって言ってるんだぜ。金もらって出てったらどうだ!」

 明らかに相手を恫喝する目的で発せられたであろう野太く不快な男の声は、薄い木製の壁しか持たぬ納屋の外まで響かせんとして敢えて発しているのではないかと勘ぐってしまう程度には派手に周囲に漏れ聞こえ、それは偶々そこを通りかかったユリアンとモニカの耳にも当然のように届いてきた。

「お金はいいんです。おばあちゃんが寝たきりだから、ここから出て行くわけにはいきません・・・!」

 相手の声に震えながらも恫喝に屈しまいと必死に声を絞り出す若い女性の声が後から聞こえてきた頃には、丁度納屋の周囲にいた住民たちは事に関わるまいとしてか、我先にと即座にその場から蜘蛛の子を散らすように去って行く。
 それがあまりにあっぱれな散りっぷりだったものだから、ユリアンとモニカは一瞬呆気にとられてしまったほどだ。

「・・・おいおい、なんだよ薄情な奴らだな!」

 先に我にかって俄然怒りを覚えたユリアンは、当然いつもの彼がそうするように兎に角仲裁に入らんとしてその小屋に向かって駆け出そうとした。
 しかしまさにその時、彼の直ぐ横を一陣の黒い風が吹き抜けていくのを確かにユリアンは横目に見た。
 それが人影であることをユリアンが認識した時には既に黒衣の人物は渦中の小屋に飛び込み、その中にいた老婆を無理やり運び出そうとしていた暴漢を体術で弾き飛ばし、老婆を鮮やかに助け出していた。

「老人を甚振るとは許せん!」
「ちっ、ロビンだ!逃げろ!」

 瞬く間に繰り広げられた、電光石火の救出劇。小屋の目の前で呆然としているユリアンとモニカを尻目に逃げ去る暴漢と、小屋の中では老婆を寝床に横にして若い女性の勇気を称え労わる黒衣の人物。

「なんてお礼を言ったらいいのか・・・」
「君たちが幸せなら、それで十分だ。さらば!」

 黒衣の人物はやることを終えるとすぐに身を翻し小屋を出てきて、そこで丁度ユリアンやモニカと視線が交わる。
 その人物は見たまま全身の殆どが黒で構成された格好なのだが、中でも特徴的なのは大きく額に『R』と書かれた黒いバンダナと、顔の上半分を隠すように装着された黒いアイマスクだろう。
 その珍妙な美的センスにモニカが思わず目を丸くしながらみていると、黒衣の人物は彼女らに対し不敵な笑みを浮かべ、次にはもう、現れた時と同じく一陣の風のように颯爽とその場を走り去っていった。

「・・・ちょっとカッコつけ過ぎですわね。・・・ユリアン様?」

 一連の様子を見てそう結論付けたモニカが同意を求めるように隣に寄り添っている用心棒に話題を振るが、思ったような反応が返ってこない。それを疑問に思ってモニカがそちらに視線を向けると、ユリアンは去っていった黒衣の人物の方を向きながら、惚けたように口も半開きでいた。
 そしてぼつりと、誰に向けたわけでもなかろう呟やきがモニカの耳に届く。

「・・・かっけぇ・・・」
「・・・そういうものですの?」

 そんな様子のユリアンにいまいち共感しきれないモニカは、どうも暫くその様子から抜け出しそうにないユリアンを取りあえず置いておき小屋の中の様子を確認しようと動き出した。なにせ中にいた様子なのは若い女性と老婆だ。男性では気がつかない部分もあるのではないかと考え、手伝えることがあればそれくらいはしようとしたのだ。
 小屋の中では先程の騒ぎの後片付けをしている女性がおり、モニカは今の騒動を見ていたこと、助けに入れなかったことの侘びと後片付けを手伝いたい旨を伝えた。それに女性が感謝の意を述べながら快諾してくれ、相変わらず外で惚けているユリアンを他所に手際よく片付けをしながらそれとなく今の黒衣の人物のことや、この国の現在の情勢のことなどを聞いていった。

 

「んで、その娘が実はエージェントも兼ねていた、と。こいつは早速の収穫だな、モニカ」

 夕刻、再び五人がシーホークに揃ったところでポールがモニカの報告を聞いて親指を立てると、モニカもそれに応えて得意げに伊達眼鏡をくいっと持ち上げてみせる。

「あと、その場に現れたマスクマンは恐らく・・・怪傑ロビン、ってやつだろうな」
「エージェントの方も確か、そう言っていましたわ。そのロビン様とは、どういった方なのです?」

 モニカが可愛らしく小首を傾げながら疑問符を浮かべると、ポールは手元の資料を覗き込みながら空いた手でボイルソーセージをフォークに突き刺しつつ、器用に肩をすくめた。

「まぁ所謂、義賊ってやつだよ」
「義賊・・・」

 ポールの言葉を繰り返して呟くユリアンを他所に、隣で話を聞いていたサラが首をかしげる。

「義賊って・・・アバロン伝記の怪盗キャットみたいな?」
「あーなんだっけそいつ・・あ、テレーズ王妃の恋敵だっけ、そうそう、そんな感じよ。実はこのヤーマスのロビンってのはここ一、二年は賊の間じゃ結構な有名人でな。ルーブ界隈じゃあこいつを警戒している連中は結構多いんだ。まぁ喧嘩を吹っ掛ける相手が権力者だろうがお構いなしなもんだから、バリバリのお尋ね者だけどな。衛兵連中からはヤーマスの疫病神、なんて呼ばれているらしいぜ」

 サラが自分の好きな小説の登場人物を例に挙げるとポールは頷き、そう付け加えた。
 怪傑ロビンは主にこの町で起こる犯罪を阻止するための活動を行っているようで、昼夜を問わず、その活躍が複数の住民から目撃されている。
 だが彼が阻止する内容には表向きには隠された悪意が分からぬものもあるようで、結果として都市衛兵からは単なる犯罪者として追われているそうだ。

「特にドフォーレ商会が背後にいると噂されるような悪事には、はほぼ必ずと言っていいほどこのロビンの妨害が入る。なもんで実はどこぞの傭兵かなにかがフルブライトにでも雇われてんじゃねーか、なんて言ってる奴らもいるな」
「あら・・・そのような感じにはお見受けできませんでしたけど、しかし穿った見方をすればそういう風にもとれてしまいますのね。義賊さんも大変なのですね」

 モニカがポールの言にそう言いながら頷くと、最近お気に入りらしいミルクたっぷりのカフェラテを傾けながら他人事よろしくサラが呟く。

「そういうのって意外と身近に潜んでいたりするのよね」

 そんな彼女を眺めながら、ポールは浅く頷いた。

「そうだと助かるね。実は俺が考えていたアテってのも、このロビンなんだよ。なにしろ敵の敵は味方、ってな。ドフォーレに敵対しているのならば、俺たちの味方たり得るだろう。しかも年単位に渡って喧嘩している最中ともなれば、俺たちが求めている情報も数多く握っている可能性が高い」
「おぉーなるほどー」

 エレンが感心したように声を上げると、ポールは得意げに笑って見せた。

「実際にいることもしっかり確認できた。なもんだから、当面はこのロビンと接触を図ることを第一の目標にしようと思う」
「俺もロビンに会ってみたい!」

 ここで、皆の話を聞くに徹していたユリアンが前に乗り出してきながら口を挟んだ。それを真正面から見据えたポールは、ユリアンに対してしっかりと頷いて返す。

「あぁ。ユリアンならそう言ってくれると思っていたぜ。なにしろ今回の作戦の胆となるのがユリアン、お前さんだ。頼りにしているぜ」
「勿論だ、まかせてくれ。・・・え、キモ?」

 どこから出てくるのか自信たっぷりにポールに頷き返したユリアンだったが、ポールの言葉に何か可笑しな雰囲気を感じ取り、思わず聞き返した。
 だがそれに対してポールは、その場ではにやりと笑いながらエールを傾けるのみであった。

 

「くそ、ふざけやがってあの覆面野郎!」

 全身に酒気を帯びながらエールジョッキを叩きつけるようにカウンターにぶつけ、筋肉質で大柄の男は心底不機嫌そうに怒鳴り散らした。
 その様子をパブシーホークの恰幅のいいマスターは若干目線を細めて見つめたが、周囲の喧噪の前ではそんな行為も塗れるだけなのでそのまま放置することにしたようだ。

「しっかし、なんなんすかね・・・。前より邪魔される回数がいきなり増えましたよね・・・」

 荒れている男の隣で、人相の悪い細身の男が静かにジョッキを傾けながらそういった。すると大柄な方の男はそれに憤慨するように悪態を吐きながら、空になったエールをカウンター越しにマスターに突き出す。
 マスターが仏頂面を隠さずに無言でそれを受け取り新たにエールを注ぐのを尻目に、男は再び周囲に聞こえるような声で怒りも露わに隣の男に怒鳴り始めた。

「デカい取引だけじゃねぇ。こっちの小遣い稼ぎまで邪魔してきやがって・・・。次邪魔しに来やがったらぜってぇぶっ殺してやる!」
「えぇ・・・だってもう俺等相当ボコボコにされたじゃないっすか・・・。もうやめましょうよ・・・」

 二人の会話はどうにも景気の良いものではないようだ。
 ポールはそんな二人の会話を聞きながら、カウンターの端でシーホーク自慢の豆シチューを啜る。
 ヤーマスに来てから今日で一週間少々が経つが、彼は夕刻以降の大体をここで過ごしている。共にこの地を訪れた各面子との集合場所として指定したからと言うのもあるが、実のところここのマスターの手料理が非常に美味しく、すっかりはまってしまったというのも一つ理由として十二分に挙げられるだろう。
 今日も既に本日二杯目となる豆シチューをたった今完食したところで、怒声とともに飛んでくる唾を避けてかシーホークのマスターがこちらに来たのを見かけて空になったグラスを掲げ、おかわりをアピールした。

「やぁ、彼方は商売上手くいかなくて荒れてるみたいだねぇ」
「あぁ・・・ありゃドフォーレの連中でしょうな。うちは他と違ってあそこの関係者でも割引きなんかしねーんで、ここに来るのは珍しいんですけどね。来たら来たであれですよ。まぁ、ちと騒がしいですけど勘弁してくださいよ、お客さん」

 マスターはどうやらあまりドフォーレ商会のことを快くは思っていないようで、彼らに対する言葉の端々に棘がある。ポールはそんなマスターの話に片眉を上げながら耳を傾け、そして頭を振った。

「なに、気にしないさ。寧ろ俺はロビンのファンなんでね、あいつ等の話しようじゃあ多分邪魔しているのはロビンだ。寧ろスカッとするくらいだよ」
「へぇ、お客さんもロビン好きですか。実は私も好きでしてねぇ」

 ロビンの名前を出すと途端にマスターは気をよくしたのか、表情が随分と和らいだ様子で口を開いた。
 反面、カウンターの離れたところで飲んだくれていた男二人はロビンという単語に敏感に反応したのか、怒りの形相をこちらに向けてくる。

「おいそこのクソガキ!胸くそ悪い名前を口に出すんじゃねぇ!」
「おおっと、聞こえてた」

 飛んできた声に対してポールが戯けながら肩を竦めると、その様子になお激高した男は怒鳴りつつ座っていた椅子を弾き飛ばし、大股歩きでポールに詰め寄ってきた。

「お客さん、店内で喧嘩はやめてくれませんかね」

 その様子をいち早く察知したマスターがカウンターから出てポールと男の間に立ちはだかると、男は問答無用とばかりにマスターの胸ぐらを掴み上げようとした。
 だが男の右手はマスターが持っていたバースプーンの先端で叩き落とされ、次の瞬間には男の喉元にフォーク部分が突きつけられる。その流れるように鮮やかな動きにポールは軽く口笛を吹きながら、面白い物が見られそうだと思い事を見守ることにした。

「うちの店で暴れんじゃねぇよ、木偶の坊。おいライム!こいつら放り出せ!」

 マスターの動きについて行けず男達がおどおどしている間にマスターがホールに向かって叫ぶと、ホールでウェイターをしていた男がその声に振り向いてカウンターに寄ってきた。
 ライムと呼ばれたそのウェイターは一見すると中肉中背の優男風の容姿なのだが、腕に覚えがある人間が見れば一目瞭然なほどに引き締まった肉体をしているのが、ウェイター制服の上からでも窺えた。だというのにそんな印象をあまり抱かせないのは、彼の表情が非常に柔らかい、というか気弱そうに見えるからかもしれない。
 ライムはその表情を崩さぬまま、男達に手を伸ばした。

「お、おい、くそ!離しやがれ!」
「・・・すみません。店内のお客様の迷惑になるので・・・」

 自分よりも背丈のある男にも全く動ずることなく彼らの首根っこを掴んで店の入り口まで移動したライムは、そのまま勢いよく腕を振り抜いて男二人を路面に放り投げた。
 そして最早文句も疎らに戦意喪失している男二人に対して、すっと掌を差し出す。

「・・・お代、下さい」

 男達がはその様子に呆気にとられた後、悪態を吐きながら1オーラムをライムに投げつけて逃げるように去って行った。
 その様子を見ていたライムは落ちていた1オーラムを拾いあげ、店内に戻る。すると店内ではマスターとライムの迷惑客退治に大いに客達がわき上がり、大喝采でライムを迎えた。
 今度はカウンターに向かって投げられるチップに恐縮しながらライムも戻ってきて、マスターに回収した1オーラムを差し出す。

「・・・父さん。これ」
「おう、ご苦労だったな」

 マスターの労いにライムは自身では上手く笑っているつもりなのだろうが端から見れば随分とぎこちない笑みで応え、そのままホールサービスに戻っていった。

「ここは親子経営なのかい?」

 一連の様子をエールジョッキ片手にのんびり眺めていたポールが、やれやれと言いながらカウンターの中に戻ってきたマスターに声をかけると、マスターは振り向いてニカッと笑って見せた。

「ええ、そうなんですよ。このヤーマスがまだ小さな港町だった時からうちの一族が細々と営んできた店でしてね。今は倅のライムと二人でやっとるんですわ」
「そうだったのかい。下町の方じゃあ荒くれ者も多そうだが、しかしここは息子さんもマスターも腕が立つから安心だな」

 ポールが大真面目に頷いて笑いながら言うと、マスターは照れ笑いを浮かべながら謙遜した。

「いやいや、とんでもないですよ。倅には確かに仕込みましたけど、私なんかもう年ですからねぇ。そういやお客さんは、ヤーマスへは商売かなにかで?」
「あぁ、そんなところだよ」
「へぇ、買い付けですかい?」

 マスターが何気なしにそう言うと、ポールはふぅむと一つ唸る。そして次には独り合点がいったかのように浅く頷き、にやりと笑いながら口を開いた。

「あぁ。ドフォーレを買いにきたのさ」

 満面の笑みで臆面なくポールがそう言うと、それを聞いて初めにきょとんとした表情を浮かべたマスターは、次の瞬間にはこれまで聞いた中で一番大きな声で笑い始めた。

「はっはっは!お客さん大きく出たねぇ。そりゃあいいや。私から前祝いで一杯出させてくださいよ」
「お、悪いねぇ」

 大変機嫌が良くなった様子のマスターからサービスで差し出された大ジョッキをポールがにこやかに受け取った、その時だった。なにやら店の入り口が俄に騒がしいことに二人とも同時に気がつき、何事かとそちらに振り返る。
 すると丁度そのタイミングで、店の入り口付近の客の叫び声が聞こえてきた。

「ロビンだ、怪傑ロビンが現れたぞ!」

 その言葉に、ポールは目を細めながら短く口笛を吹く。

「おや、噂をすれば、だ。今日はどんな悪事を暴いているのかねぇ」

 噂こそよく耳にするものの、実物を目にする機会は現地の住民でも殆どないに等しいのだろう。騒ぎを聞きつけて一目見てやろうという野次馬が次々と店の外にのぞきに行くのを眺めながら、先ほどまでの言葉とは反対に特にそれに興味がないようにポールがゆっくりとエールを飲んでいると、片腕に持ったトレーに大量の空グラスを乗せてカウンターに戻ってきたライムがおずおずとマスターに話しかけた。

「・・・父さん。ちょっとトイレ行ってきていい?」
「あぁ。騒ぎで多分オーダーも止まるだろうから、ちっとゆっくりしてていいぞ」

 マスターが二つ返事でそう答えるとライムは無言でこくりと頷き、カウンターの裏からバックへと引っ込んでいった。その様子を横目に見ていたマスターは、視線をすぐにホールに戻すと肩を竦める。

「さて、今日は商売あがったりっぽいし、私もゆっくりしますかねぇ」

 すっかり客がいなくなった店内をみたマスターは、自分も小さなグラスにエールを注いで口につけ、ポールに向かって肩を竦めて見せた。それに同じ動作で応えたポールはカウンターに頬杖をついて騒がしさが漏れ聞こえてくる喧噪の方へと顔を向け、口の端をつり上げた。

 

 

 世間を騒がす怪傑の登場に、まるでお祭り騒ぎのように沸き立つヤーマスの裏通り。その裏通りに連なる屋根の上を、黒い影が颯爽と疾駆する。その動作は非常に素早く、一般人では到底追い切れるようなものではない。そのスピードを緩めぬままに喧噪から離れた場所へと移動した黒い影は、しかし速度を緩めることなく再び動き出した。
 そして遅れること数秒。先ほどまで黒い影がいたその場所には、もう一つの黒い影が降り立っていた。
 もう一つの黒い影は先に動いた影を視線で追い、直ぐ様追いかけ始める。
 二つの黒い影の追走は十数秒続けられたが、平たい屋根の倉庫らしき建物の上にたどり着いたところで、追われる側の影が意を決したように止まり、すぐに追いついたもう一つの影を迎えた。
 対峙した二人は、非常に似通った姿格好をしていた。白生地のズボンに膝下まで覆う黒いブーツ。黒の上着。そして風に靡く漆黒の外套。なにより特徴的なのは、頭部前面に『R』と大きく書かれた黒いバンダナと、顔の上半分を隠すように装着された黒いアイマスク。それは、噂にきく怪傑ロビンそのままの格好であった。
 そのまま屋根の上で対峙する二人のロビン。数瞬の後、最初に口を開いたのは追いついた方のロビンだった。

「お疲れさま、にせロビンさん」

 その言葉に、言われた方のロビンは微動だにしないでいる。だがそんなことには構うつもりもないのか、言葉を発した方のロビンは相手に近づきながら言葉を続けた。

「ここ一週間ほど、私の与り知らぬところで私を騙る者による活動が何度かあったようだ。どうやらそれはロビンの名を汚すようなものではないようなので様子を見ていたけれど、流石に活動が活発すぎるね。一体どういうつもりなのかな、にせロビンさん」

 ヤーマスに怪傑ロビンが現れてからもう二年近くになるが、その活動はあっても月に1,2度がいいところだった。それがこの一週間で数度の目撃情報が街中で相次ぎ、俄然話題沸騰して沸き立っていたところだったのだ。だが、それはどうやらこのロビンがいうには偽物の仕業である、ということらしい。
 しかし言葉をかけられた方のロビンが黙って立ち尽くしているので再び言葉を紡ごうとしたその時、徐に黙っていた方のロビンは自らの頭のバンダナを解き、アイマスクを外した。
 星空の僅かな光に照らされたその素顔は、精悍な青年のそれだった。その髪はこの地方では見られることのないエメラルドの色をしており、アイマスクの下に隠れていた力強い光を湛える双眸が、まっすぐにロビンを見つめる。青年は、ユリアンだった。

「俺の名はユリアン=ノール。ロアーヌからやってきた。まずはロビンさん、貴方の名前を騙ってすまなかった。ただどうしても貴方と話す場を設けたくて、神出鬼没だという貴方に会うのに最も手っ取り早い方法だと思ってこんな形をとってしまった。許して欲しい」

 そういってぺこりと頭を下げるユリアンにひっそりとアイマスクの下で驚きの色を浮かべたロビンは、少なくとも目の前の自分と同じ格好をした青年には自分に対する敵意のようなものが今は全くないことを感じ取ると、多少リラックスするように居直した。

「そうだったのか。それで、このロビンに一体何の用かな?」
「・・・力を、貸して欲しい」

 ロビンの言葉に、まっすぐに相手を見つめたまま即座にそう答えたユリアン。対するロビンは当然のように訳が分からないといった様子で口をへの字に曲げ、首を傾げた。

「力を貸す、とは・・・一体何に対してなんだい?」
「この町に巣くう巨悪を討つ。俺はそのためにこの街にやってきた。敵は、恐らく貴方が対峙する者と一緒のはずだ。だから、どうか手を貸して欲しい」

 あまりに突拍子のないその言葉に、ロビンは困惑する表情をアイマスクの下に隠しながら、目の前の青年の真意を推し測るように薄らと目を細めた。

「あまりに突然な申し出だな・・・残念ながら、その申し出は受け入れられない。君が何者なのか、私には分からないのでね。まんまと私をおびき出してそのような甘言を用い、私を罠に嵌めようとしているとも限らない。これでも私は用心深くてね」

 ロビンがそう応えると、ユリアンは数秒の間何の反応も示さずにロビンを見つめていた。そして生暖かい夜風がその場を吹き抜けるのを合図にするように、帯剣していたロングソードをすらりと引き抜く。
 俄に、ロビンの眼光が鋭くなった。

「・・・ほう、やはり罠かな?」
「・・・違う。俺は・・・こういうときの上手い言い回しが思い浮かばない。だから口で言っても、この場で貴方に理解してもらえそうにない。だから、こんな証明しか思いつかない。俺の剣は誰かを貶めるためにあるのではなく・・・誰かを守るためにあるんだ。それを、感じ取って欲しい」

 そういってユリアンはロングソードを構え、視線でロビンに抜刀を促した。

「・・・いいだろう、一流の剣士は剣を交えることでお互いを知るもの。君が何者なのか、私のレイピアで確かめて見せよう。ただし・・・覚悟することだ。手加減はしないぞ」

 言葉と共にすらりと腰のレイピアを引き抜いたロビンは、その切っ先をユリアンへと定めた。
 瞬間、ロビンの姿はまるでかき消えたかのように超加速しながら前方へと突進し、躊躇なくユリアンの喉元へとレイピアを繰り出した。
 その速度に目を見開きながらも間一髪でレイピアの突進に対し刀身を当てて軌道を反らしたユリアンは、相手の推進力を緩める程度に留めながら自分も合わせてバックステップを踏み、空中で握り直したロングソードを操り一段目を囮にする変則的な二段斬りを繰り出した。
 だがロビンはその動きを読んでいたかのように更に踏み出しながらユリアンの左を抜けるようにして切っ先を回避し、彼の左後方へと回り込む。
 そしてがら空きのユリアンの背中に問答無用の突きを再度見舞わんと腕を引き絞ったところで、ユリアンの体が右回転をしていることに気がついた。

「・・・!?」

 囮を用いた二段斬りを繰り出したはずのユリアンは一段目のフェイントの後の二段目を打たず、相手が回り込むことを予測して腕の遠心力を目一杯乗せて水平に空間を切り裂くほどの斬撃を打ち放っていたのだ。
 これはロビンが咄嗟に身を屈めることで何とか回避したものの、しかし回避をするのが精一杯で直ぐ様反撃を叩き込むほどの姿勢制御が追いつかない。堪らず後ろに飛び退いて、一度相手との距離を取ることにした。

「・・・強いな」
「・・・」

 今の一瞬剣を交えただけでも、確かにロビンには分かった。目の前に居るこのユリアンと名乗った青年は、彼が知る中では間違いなく指折りの剣の使い手だ。
 真っ直ぐな剣線と淀みない振り抜きが、経験と信念によって鍛え上げられた体躯から放たれる。多少その型が綺麗すぎるようにも感じるが、それもまた彼の言葉の節々に感じる生真面目さを表しているようで、いっそ好感さえ覚える。

「確かに、君は言葉より剣の方が雄弁に語るようだ。それでは私も私の中の最大限で、君を確かめよう」

 そういうとロビンは、先ほどと同じようにレイピアをユリアンに向けて突き出した。いや、正確には先ほどとは少々構えが異なる。レイピアの切っ先は先ほどよりも下を向いており、下段に構えた状態に近い。そしてその切っ先の角度に合わせるように、ロビン自身も姿勢を低くし、ユリアンを見据えた。
 その状態のロビンからびりびりと感じる覇気にユリアンは剣を今一度構え直し、彼もまた相手の技に打ち合わせるべく構えをとった。
 そのまま、数秒が流れた。対峙する両者の間に流れる空気だけがしんと静まりかえり、そして夜空を煌々と照らす月が雲に隠れ、二人は影に包まれる。
 直後ロビンは全身のバネをフルに用いた超加速で飛び出し、その手に持つレイピアは、まるで空間をすら裂かんとするような速度で以て突き出された。その刀身には、迸る稲妻をも纏わせる程だ。

(疾い・・・)

 最早その突きは、視覚を核とした知覚では全く対処出来ないほどだった。それを感覚で悟ったユリアンは、考えるより先に肌に感じる気配と勘で捌くべく体を捻る。なにしろ最初の突撃も知覚するのに精一杯だと感じたが、この突きは比較出来るような技ではなかったのだ。

(・・・なら・・・!)

 ロビンの電光石火の突きは、寸分違わず狙い通りにユリアンを貫いた。確かにそう、ロビンは手応えを感じた。この速度では彼も目でそれを確認するようなことは出来ないが、その手元に感覚があればそれで決着だとわかる。
 だが、彼のレイピアがユリアンを貫いたとロビンが感じた矢先、ユリアンの姿はその場からかき消えてしまった。

「・・・!?」

 かき消えたとロビンが感じた瞬間、彼の突き出したレイピアを持つ右腕の死角からユリアンの気配が現れる。だが常人であれば全く反応する余地などないであろうその気配に超反応してみせたロビンは、考えるより先にレイピアを横に薙ぐ。
 だがそれがユリアンに接触したように思えたその刹那、またしてもそこにあったはずのユリアンの姿は消失。そしてその消失と同時に彼の背後と左側面から放たれた更なるユリアンの気配が、ロビンの感覚を大きく揺さぶった。

「・・・な・・・!?」

 あり得ない。ロビンは即座にそう判断した。だが確かに今、彼にはユリアンの気配が四方から感じ取れ、そのどの気配もが明確な敵意を自分に向けて放っている。
 錯覚かと訝るが、それはすぐに否定した。彼の得意とする小剣にも剣先の微細な揺れを用いた催眠術は存在しているが、その手の技には必ず特定の予備動作が存在する。しかしそんな気配は、微塵もユリアンからは見て取れなかったのだ。
 だからこれは、小手先の催眠術などではない。これは間違いなく物理的な、純度の高い高等技術の結晶なのだ。
 戦いの最中であるにも関わらず、ロビンは不意に顔がにやけてしまう。こんなにも強い人間がいるとは、恐れ入った。このような場面でそんな気持ちになることに、どこか可笑しさを感じてしまったのだ。
 彼がそのように感じたのと同時、複数のユリアンの気配が同時に斬撃を放つ。そしてその太刀筋のうちの一閃がロビンのレイピアをはね上げ、中空を舞った。
 軽やかに回転したレイピアが屋根に突き刺さると、ロビンの正面に位置していたユリアンは大きく息を一つ吐いてロングソードを鞘に収めた。

「・・・恐れ入ったよ。他者の剣技にここまで心奪われたのは初めてだ」

 最早悔しがるなどという感情はなく、ロビンは本当に心からそう思ってユリアンに向かい合った。
 それと同時に、ロビンの足下に二つに割れたアイマスクがひらひらと落ちる。
 だがロビンはそんなことには構わずに、ユリアンを正面から見据えた。寧ろユリアンの方が遠慮してしまい、後ろを向いてしまった程だ。

「・・・俺は貴方の正体を知りたいわけではないし、ましてや騙したいわけでもない。これで理解してもらえたら嬉しい」
「ああ、十分に理解したよ。君の剣は雄弁に語ってくれた」

 言いながらユリアンの仕草に苦笑したロビンは近くに落ちていたレイピアを回収すると、背中を向けているユリアンに向かって声をかけた。

「・・・七日後の日中、港の第三倉庫群の何処かで闇ルート取引があるという情報を掴んでいる。私はそこに向かうつもりだ」

 ロビンがそう言うと、ユリアンはロビンに振り返るまででは無いものの、顔を微かにロビンの方に傾けた。

「君ならばそれを共に暴いてくれると信じよう」
「・・・ありがとうございます」

 ユリアンが礼を言うと、背後のロビンはそれに僅かな笑顔を向け、そして静かにその場から去っていった。
 遠ざかっていく気配が完全に周囲から消えたところで漸く振り返ったユリアンは、漸くほっと一息つきながらがりがりと頭を掻く。

「・・・あー緊張した・・・なんで俺じゃなきゃダメなんだこの役目・・・。でもなんか凄い技も閃いたし、まぁいっか・・・」

 

 

『・・・後一つだけ、私的な願いをさせて欲しい。きっと私が居なくなってから、私の友人の子供がルーブに残される。もしこれを見た皆様がそいつに会ったら、どうか仲良くしてやって欲しい。小難しいけど、根は良いやつなんだ』

 優しそうなその声と共に青年が手を翳すと、どこからか聞こえてくるため息とともに視界がぼんやりと揺らぎ、世界が白く染められていく。
 ミカエルは微動だにせずにそれを見つめ続け、やがて暗転する視界に合わせて目を閉じた。ふわふわと浮いているような心地であった全身には確かな現実の気配が舞い戻りはじめ、全てが元の世界に戻っていくのを感じる。
 それと同時に、とても聞き覚えのある、しかし久しぶりに聞いたような気がする声が彼の脳裏に響き渡ってきた。

「・・・様、ミカエル様!」

 まだ上も下も分からぬ感覚の中で自分を呼ぶその声に向かって無意識に手を伸ばしながら、はじめはぼんやりと、そして次第にはっきりとした色彩を取り戻していく世界にゆっくりと瞼を上げる。するとそこには、酷く心配そうな表情で自分を見つめている、懐かしい顔がある。カタリナだった。
 最後に彼が見た時より、彼女の自慢だった美しい銀髪は伸びていた。だが、それでも以前の長さというわけでは無い。彼女の長い銀髪を美しいと感じていたミカエルは、今更ながら勿体ないな等と場違いに考える。
 自分が無意識に伸ばしていた手はカタリナの頬に触れており、そして彼女の銀髪が手の甲に寄りかかっていた。
 ミカエルは微かにカタリナの頬を撫でると、次に彼女の髪を軽く掻き上げながら、頭をそっと撫でた。

「・・・久しいな、カタリナ。元気にしていたか?」

 カタリナの耳に届いたその声は、ロアーヌを出て以来に何度も何度も彼女が頭の中で繰り返し再生してきた声そのものだ。しかし、彼女の記憶の声よりもずっと透き通っているようにも感じられた。そうしてすっと耳に入ってきたその声音に思わず涙腺を刺激されるが、そこは流石に瞬き一つで律する。

「・・・はい」

 しかし発せられたミカエルの声を聞いたことで何故か体の力が一気に抜けてしまい、カタリナは振り絞るようにそう答えると、ぺたりと地面に座り込んでしまった。
 それをミカエルは視線で追ったあと、周囲に視線を巡らせながら自分の状態を確認する。どうやら自分は倒れていたらしく、コリンズに抱きかかえられ、カタリナが覗き込んでいたようだ。
 視線を上げる。
 日は高く、自分が最後に見た光景と殆ど何も変わっていない所から、時間の経過はさして無いものと推測された。
 そしてその短いであろう時間の間に自分は恐らく、かの聖王に幻の中で語りかけられたのだ。
 コリンズの肩を借りながら立ち上がり、体に異常が無いことを確認してコリンズを下がらせる。不思議と直前まで体中に蓄積されていた連日の疲労感は綺麗さっぱり消えており、万全の体調といってよかった。いや、むしろ以前よりも余程調子が良いようにすら感じる。
 一頻り自分の状態を確認し終えると、目の前に座り込んでいるカタリナに手を差し伸べた。

「あ・・・も、申し訳有りません!」

 その時、恐縮しながら手を取り立ち上がるカタリナの手に、見たことのないものが嵌められていることに気がついた。とはいえ今の彼女の装備にはミカエルが見たことのない者が多量にあるわけだが、とりわけ彼女の指に嵌められていた指輪が、彼の目を引いたのだった。
 いや、正確にはミカエルはその指輪をずっと昔に見たことがあったので、目を引いたのだ。ロアーヌ侯爵家の先祖縁の地であるユーステルムに向かった折に見聞のためと立ち寄った聖都ランスで見たものと、それは同じものだった。

「王家の指輪・・・か。今の幻は、これの所為なのか?」

 ミカエルのその言葉に思わず目を見開いて彼を見つめたカタリナは、ミカエルがその表情に気がついてどうしたのかと視線で聞いてきても、直ぐには応えられずにいた。

「ミカエル様・・・今、この指輪の記憶をご覧になったのですか?」
「・・・その指輪の記憶なのかどうかは分からぬが、聖王様と思しき方に語りかけられる幻は見た。その内容から察するに、聖王記に記された八なる光に対して残されたものであるようだった。この地に半数以上、と言っていたが・・・」

 ミカエルは先ほど見た幻の内容を思い出しながら、そう言った。それを聞きながら、カタリナはこれが一体どういうことなのかと言うことに考えを巡らせる。
 兎に角言えることは、王家の指輪が反応するのが八つの光に対してである、というこれまで当然そうだと考えてきた仮説が今ここで崩れたということだ。なにしろ、王家の指輪が反応してその記憶を見せられた人間は、これでカタリナの知る限り九人目となるのだから。
 その九人とは、たった今見たばかりのミカエルに、カタリナ、ハリード、エレン、サラ、ユリアン、モニカ、トーマス。そして魔王殿で出会った、謎の少年。
 こうなってしまうと、伝説そのものに間違いがあったのか。いや、そうではないはずだとカタリナは自分の中でその説を否定する。なにしろ王家の指輪に込められた記憶の中では、聖王自身が「八なる光」と言っていたのだ。少なくとも聖王自身が己の記憶を託すつもりだったのは、その発言から察すれば八人だったはずだ。だとしたら、聖王の時代からここまでの間に何らかの事情によって状況が変わり、その結果として人数が増えたのだろうか。
 だめだ、今考えても分からない。そう判断したカタリナは、兎に角考え得る仮説だけいくつか立てるに留めることにした。

「・・・ミカエル様」
「・・・何か事情をしっているようだな、カタリナ。後ほど話を聞こう。だが今は、先に彼と話をするべきのようだ」

 そう言ってミカエルがカタリナから視線を移した先には、一連の出来事を静かに見守っていた老人が立っていた。ティベリウスだった。

「・・・ロアーヌの若き侯爵とお見受けする。私はティベリウスと申すもの。神王教団の教長を勤めておる。この場には、此度の騒ぎの謝罪をさせて頂くために赴かせて頂いた。どうか話し合いの場を設けさせて頂けないだろうか」

 言葉と共にティベリウスが頭を下げると、ミカエルは面を上げるように申し出た。

「お名前は存じております、教長ティベリウス殿。お初にお目にかかる。いかにも私が、ミカエル=アウスバッハ=フォン=ロアーヌだ。今回の話し合いの提案、是非ともお受けいたそう」

 ミカエルが間髪入れずにそう言うと、ティベリウスは感謝の意を述べ、再度頭を下げた。

「会談場所は、出城まで私が赴く形を取らせて頂こう。後方に控える軍には撤退指示を出しておりますので、直に下がるでしょう」
「ではそのように。我々の騎士団精鋭が出城まで丁重にご案内しよう。道中の安全は何処よりも保証するが、戦場へと赴く装備故、多少荒削りなのはご勘弁願いたい。プラッドレー」

 ミカエルの言葉に応じ、ブラッドレーが一歩前に出てティベリウスにお辞儀をした。

「ロアーヌ騎士団師団長を務めるブラッドレーと申します。それでは、ご案内させて頂きます。どうぞこちらへ」

 ブラッドレーの誘導に従ってティベリウスが馬車へと移動していくのを見届けたミカエルは、同じく見送りをしていたカタリナへと振り返った。そして彼女の腰に装着されている聖剣マスカレイドを確認すると、小さく笑ってみせる。

「無事に取り戻したようだな」
「・・・はい」

 ミカエルは労いのつもりで声をかけたのだが、しかし返ってきたカタリナの返事は、どうにも歯切れの悪いものであった。以前には見られなかったその反応は恐らく、彼女のこの半年強に及ぶマスカレイド探索の旅の中で訪れた変化がもたらしたものだろう。
 先ほどの幻の件といい、どうやらカタリナはマスカレイド探索とは別の大きな何かに、その身を投じているようだった。

「旅の疲れもあろう。話は出城にてティベリウス殿との会談を終えてから聞く。それまでは体を休めるといい」
「・・・畏まりました」

 言葉少なにそう言って背を向け歩いていくミカエルに、カタリナは自分でも無意識に近いうちに、どうしたわけか彼を呼び止めていた。

「ミカエル様!」

 呼びかけにミカエルが振り返ると、カタリナはそこで初めて我に返ったように、はっとした表情をする。何故今、自分は態々主君を呼び止めたのか。それが自分でも全く分からなかったのだ。
 だが振り返ってこちらを見つめているミカエルを見ているうちに、彼女は何故自分が彼を呼び止めてしまったのかを自覚した。

「・・・砂漠は、日射しが強うございます。どうかご無理をなさらぬよう。お呼び止めして申し訳ございませんでした」
「ああ、気をつけよう」

 そう言って再び去っていくミカエルの背中を見つめながらカタリナは右手を握りしめ、自分の胸にそっと手を当てる。妙に充足感を覚えている我が身を余りに現金なものだと恥じ、しかしその気持ちに抗うこともせず暫しの間目を閉じ、気を落ち着かせる。
 やがてゆっくりと目を開いたカタリナは大きく息を吐き、騎馬隊の控える方向へと歩き出して行った。

 

 

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