バレンヌ帝国の恋愛事情 ライーザ編2・後編

 

 数日の後。

 その日のバレンヌ帝国首都アバロンは、まるで街全体が俄かに浮き足立っているかのようだった。
 生憎の曇り空で迎えたこの日、バレンヌ帝国第31代皇帝ジェラールが即位後間も無い頃に発案し、即座に建設に取り掛かったという術法研究所の完成記念式典が行われることとなっていたのだ。
 記念式典には北バレンヌ諸国に加え、近年になって皇帝ジェラールが平定した南バレンヌ地方からも多くの来賓があり、首都アバロンは非常に賑わっていた。
 この賑わいこそが、七英雄クジンシーを打倒し、更には魔物に占拠されていたヴィクトール運河を解放し南バレンヌまで平定せしめた皇帝ジェラールの覇を更に高め、後世まで語り継がれることになる偉大なる帝国史の1ページとなる。

「ついにこの日が来たわね・・・」

 だが、そんなことはどうでもいいと言わんばかりの様子でそわそわした帝国兵が4人、式典準備ですっかり人が出払い無人状態の食堂隅にこそこそと集まっていた。

「例の手紙でライーザがライブラ君と会う約束をしたのは、術法研究所完成記念式典が開かれる直前みたい。となると場所は多分、式典会場の近くね」

 テレーズが胸の下で軽く腕を組みながらそう言うと、次にキャットが軽く頷きながら全員に目配せをする。

「場所は、シーフギルドの名にかけて必ずあたしが突き止める。既に雀たちを警備と称して方々に配置させたわ」
「スパロー・・・こき使われてんなぁ・・・」

 キャットと共にアバロンシーフギルドを仕切っている青年スパローを憐れみ、ヘクターがそっと目頭を押さえる。

「おそらくこれはアリエスのお節介だろうが、今回の式典警備はいつもみたいに軽装歩兵中心じゃなくて、傭兵部隊まで含めた各部隊の混成でって依頼がきてる。だから俺らが会場周りにいても不審じゃねえな」
「宮廷魔術士が主体の式典警備に傭兵部隊を用いるなんて、ほんとアリエスさん丸くなったわよね・・・」

 ヘクターの言葉に、今度はテレーズが感心するように呟く。

「アリエスさんマジグッジョブよね、お陰であたしも自由に動けるわ。こっちの網にホシが掛かったら例の信号弾の色で大体の場所を確認して。そこに速攻でうちの子たち走らせるから、テレーズとヘクターはそれまで所定の位置で待機ね」

 普段はシーフギルド精鋭数名で式典などを裏から見守るのがキャットの立ち位置だが、それもおそらく今回、他のメンバーに程よく押し付けたのだろう。俄然やる気満タン状態のようだ。
 そんな面々をよそに、一段と落ち着いた様子のジェイムズが一つ咳払いをして仕切り直し、ゆっくりと全員に視線を配った。

「普段ならばこういう式典の警備進行を仕切るのはライーザなんだが、俺が今日はそこを担う。つまりライーザは今日の編成には、加えていない。なので俺は今日はここまでしか協力出来ないが・・・テレーズ、キャット、ヘクター。ライーザのことを、どうか頼む」

 ジェイムズの言葉に三人がしっかりと頷く。
 最後にテレーズが、小さく、しかし力強く言葉を紡いだ。

「よし、それじゃあみんな頼むわね、帝国に勝利を!」
『帝国に勝利を!』

 やはり帝国兵のサガか、帝国式掛け声を無意識に皆が呟き合い、方々へと素早く散会していった。

 

 今日もまた、どんよりと暗い曇り空を窓辺から一人見上げる。
 ここ最近はなんだか、毎日ずっと同じような空を見上げているような気がする。
 そしていつもこんな朝、窓ガラスに映る自分の寝起き顔は、すこぶるイケてないのだ。
 近頃は年齢と共に肌髪の艶も落ちてきたような気がして、手入れ前の自分の姿を見ると少し憂鬱な気分になってしまう。
 いけない、いけない。
 しっかりと、気を保たねば。
 そう思考を切り替えたライーザは、先ずは顔を洗うべく足早に水場へ向かった。

 今日は帝国にとって、とても特別な日。
 これからの帝国にとって、なくてはならないものになる重要な施設の完成を祝う、大事な式典の日。そこには、アバロン内外から多くの人がそれを祝いに来る。
 それはそれは、盛大な祝祭の1日になるだろう。
 そして今日は、自分にとっても特別な日になるのだ。
 自分のとても大事な人が、その才覚に相応しい、輝かしい一歩を踏み出す日。
 それを、自分は間近で見届けることができる。
 これはとても、幸福なことだ。
 なにしろ兵士というものは、その任務を全うする中で望まぬ別れを経験することも多い。ろくな別れ方をしないことの方が多いくらいだ、といっても過言ではないだろう。
 そうした中で自分は、大切な人の新たなる一歩に五体満足で立ち会うことができる。
 それは兵士として、とても、とても幸福なことなのだ。

(そりゃあ誰だって・・・一度は1番幸福な想像をしなくは、ないんだろうけどさ・・・)

 1番幸福な自分。
 その下らない想像を、ライーザは井戸から汲み上げた水で眠気と共に洗い流す。
 2年前にアバロンの座する北バレンヌから七英雄クジンシーの脅威が去り、南バレンヌでは要衝ヴィクトール運河を奪還したことで周辺脅威の排除にも成功。
 これによりバレンヌ帝国はソーモンや南バレンヌといった地域で貿易を重ねながら、その国力を増大させるフェーズに移行したのだ。
 つまり今のバレンヌ帝国は、乗りに乗っている、ということなのである。
 自分ばかりでなく、国全体がこんなにも幸福な最中。
 その最中にこれ以上の幸福を望もうだなんて、流石にちょっと傲慢すぎるのではないだろうか。

(流石にさ・・・帝国の未来を考えたら、これ以上は望んじゃダメだと思うんだよね)

 常に戦で最前線に立ってきたライーザは、ここぞという時に彼女を生き残らせてきた冷静な判断力を持っている。
 その判断基準が、如実に語りかけてくるのだ。帝国のことを考えた最善手は、このまま流れに身を任せることなのだ、と。
 顔を洗ったライーザは、食糧庫から朝食代わりにりんごを一つ取り出し、それを齧りながらドレッサーへと向かう。
 今日くらいは、少しお洒落をしたいなと思う。

(・・・この2年、楽しかったな。いやまぁ別に、その前が楽しくない生活だったとかじゃないけどさ・・・)

 パブリックな催しの際にと思い新調したまま、すっかりドレッサーの肥やしになっていたシルク製のワンピースを取り出す。
 こっそりバレンヌ帝国の紋章を胸元に同色で縫い込んだ、特注品だ。

(でも、ライブラと一緒に過ごしたこの2年はなんていうか・・・そう、ライブラと会う度に新しい何かがあった。いろんな事があったし、いつもと同じ場所も違うように見えたり・・・)

 ワンピースの上から何か羽織ろうと、さらにドレッサーの中を漁る。
 すぐに目についたのは、淡い桃色に染め上げられたストールだ。滑らかな白のシルクに合わせるには、色合いも良い。
 だが、ライーザの手は動かなかった。

(・・・ライブラと一緒に見かけたあの人、綺麗な銀髪だった。淡い藤色を基調に、鮮やかな・・・そう、鮮やかなピンクの差し色が可愛らしい服・・・)

 反射的に、ライーザの手は桃色のストールを避けていた。
 そしてそのまま、もう少し奥に伸びる。
 そこには、少し時期はずれなブラウンの女性用ジャケットが掛けられていた。
 腰より上の位置に裾があるカジュアル仕様なので、まぁワンピースに合わなくはない。

(これ・・・ライブラとソーモンに行った時に着たやつ・・・)

 そう思った時にはすでに、ライーザはそのジャケットを手にとっていた。

(・・・ふふ、なんか・・・自分の女々しさに笑えてくるな・・・)

 自嘲しながらジャケットに袖を通し、鏡台の前に移動して手早く髪へ櫛を通す。
 そしていつもの癖で鏡台の上に置いてある小綺麗な小箱の蓋を開け、中に入っている銀製の髪飾りを取り出した。
 だが、それを髪につけようとする手が、ふと止まる。
 ソーモンでこれをライブラから受け取った時のことは、今も鮮明に覚えている。その時のライブラの言葉も、表情も、もちろん覚えている。

(・・・僕にチャンスがあるうちは・・・か。ふふ、貴方には、チャンスしかないわ。この先もずっと・・・とても大きな、貴方の人生を豊かにするチャンスしかない。私には、そういうのはもうないかもだけど)

 髪飾りを小箱の中にそっと戻そうとするが、しかしそれもどこか躊躇われた。
 結局はジャケットのポケットにそっと忍ばせて残りの身支度を整え、部屋の出口に向かう。

(せめて今日は、ちゃーんと大人の余裕でライブラの新しい門出を祝わないとね。その後は、あとの私に託しておくわ・・・ごめんね、その後の私)

 

「今日という日を迎えられたことを、私はとても嬉しく思う。何故ならば、日夜国の発展に心血を注いできた帝国民諸君の力があってこそ、この日を訪えることが出来たからだ。諸君のような素晴らしい民を持った私は、間違い無くバレンヌいちの果報者だろう。故に、諸君に最大限の感謝を。そして今改めて、帝国の更なる飛躍を私から皆に約束しよう!」

『ワァァァァァァァァァァァ‼︎‼︎』

 高らかに鋼鉄の剣を掲げたジェラールの言葉を聞き、アバロン城の前に集まった帝国の民は熱狂した。
 曇天を吹き飛ばさんというほとの歓声を受けて、術法研究所完成式典が華々しく開会された頃。
 その術法研究所と市街地を繋ぐ道から別れた、小さな遊歩道の一画にて。

 木製の簡素なベンチに腰掛けていたライーザは、少し遠くから聞こえてくるその歓声にふと、空を仰いだ。
 空にはポンポンと、色とりどりにファイアボールの空砲が弾け、今日という祭典を彩っている。
 あれは、宮廷魔術士の中でも一風変わった魔術の研究を得意とするオニキスが発明したものだ。実戦での効果は期待できないものの、その華やかな見た目から催事に用いる案をエメラルドが提唱したらしい。
 有事向けには信号弾としての運用が検討されているそうだが、今はまだその段階にはないとかなんとか。
 とにかく今日という日を、アバロンにいる誰もが喜んでいるのだ。

(私も・・・喜ぶべきだけどさ・・・)

 頭ではわかっていても、なかなか感情が追いついてこない。
 この場所は、建築途中の術法研究所をライブラと2人で眺めながら過ごした、2年間の思い出が詰まった場所だ。
 だから嫌でも、ここで彼と話した色んな言葉たちが、脳裏に浮かんでは消えていく。
 術法研究所の完成に向けいよいよ選抜試験がはじまるだの、搬入される魔術具が高性能の新品で早く使いたいだの、外部から招呼されるフリーメイジらが優秀で会うのが楽しみだの。
 熱が入ると夢中で話し続ける彼の直向きさが愛おしくて、正直内容は半分も理解できなかったけれど、笑って聞いていた。
 真っ直ぐ彼の人柄が好ましいのは勿論だけど、側から見ても才覚あふれる己に慢心することなく高みを目指すその姿勢に、人間的な魅力を感じていた。
 そして、なにより。
 一頻り熱く話した後に、ライブラは決まってこう言った。

『僕、もっと頑張りますから!』

 その頑張りが自分に向けられていることが、くすぐったくて、でも心地よくて。
 ずっと、こうしていたいと思ってしまう自分がいたのは、確かなことだ。

(・・・だけど、間もなくそれも終わる。最初から、わかっていたことだけどね・・・)

 魔術士としての才覚にあふれ、直向きな性格のライブラ。しかし同時に彼は、思春期真っ只中の青年であることにも変わりはない。
 一時の気持ちは、そのうちにまるで、一瞬の漣のように消えていくものだ。
 そうした変遷の時期を経て、彼にはより相応しい相手が、ちゃんと現れる。
 あんなにいい子なのだ、それは間違いないこと。
 帝国軽装歩兵部隊副長である自分が、太鼓判を押して保証しよう。

(私の役目はせいぜい、それまでに彼を一人前の男子に近づけてあげること。人間的には私が出る幕なんてなかったけど、そのほかのことなら少しは・・・教えられたんじゃないかな・・・)

 ちょっとした食事作法やお酒との付き合い方に始まり、困らない程度に世間の情報を収集しておく術や、アバロンという街のちょっとディープな過ごし方など。

(あれ・・・なんか私、遊び方しか教えてなくない?・・・)

 思い返すと楽しかった場面は多いのだが、どうもその行動そのものが彼の役に立ったのかと改めて問われると、なんだか今になって自信がなくなってきてしまった。

(・・・ま、まぁ・・・悪い年増女に捕まったとでも思ってもらおう・・・。これからは、もっとライブラに相応しい人が・・・側にいてくれるはずだから・・・)

 遠くに聞こえる歓声が未だ鳴り止まぬ中、ライーザは俯きながら細く長く息を吸い込み、一瞬息を止め、そして一気に吐き出した。
 待ち合わせの時間は、まだもう少しだけ先。
 でもライブラはいつも決まって、それより早く着くのだ。

「ライーザさん!」

 ほら、こんな風に。

「・・・ライブラ」

 何をそんなに急いでいるのか、駆け足で道を進んできたライブラは、ライーザの名前を呼びながら近くまで寄り、膝に手をついて息を整える。
 両膝を揃えてベンチに座っていたライーザは、彼女も膝の上に手を添えながら、ライブラの様子をじっと見つめた。
 普段よりも多めに装飾の入った宮廷魔術士の儀礼正装を着込んだ格好は初めて見るもので、とても新鮮な感覚だ。
 以前はどうしても宮廷魔術士の制服を「着させられている」感があったが、すっかり伸びた身長や広がった肩幅も相まって、今はちゃんと着こなしている。
 誰がどこから見たって、立派な宮廷魔術士だ。
 その姿を見るだけで、なんだか自分まで誇らしくなってくる。
 そして今回新たなステージに進もうとしている彼を1番近く・・・いや、2番目に近くで見守ることができることもまた、とても幸福なことなのだ。
 さっきまでくよくよとしていたのがまるで嘘のように、ライーザは自分にできる1番素敵な笑顔でライブラを見つめた。
 なによりも今は、彼の行く先を素直に祝いたい。

「ライーザさん・・・その・・・最近ずっと会えてなくて、すみませんでした」

 やっと呼吸が整ったのか、上半身を起こしたライブラは、どこか気まずそうに視線をライーザの足元に落としながらそう言った。

「何言ってるの。研究所完成間近の追い込みだってエメラルドからも聴いていたし、私は大丈夫よ」

 嘘だ。本当は、とても寂しかった。

「それに私も他部隊の警備指導に駆り出されていたから、どちらにせよ時間作れなかったかもだしね」

 これも、嘘だ。もしライブラが時間作れたらと考えて、なんとしてもいつもの時間はちゃんと空けていた。

「今日は運良く非番になったから、ライブラの晴れ舞台を間近で見れてとても嬉しいわ。これからもっと忙しくなるかもだけど、頑張ってよね」

 これは、本当に思っている。祭事の日に自分が非番になったのは多分、お節介な誰かさんたちの仕業だろう。
 ただ、そのお陰でこうして彼を近くで祝うことができるのは、素直に感謝すべきことだった。

「・・・はい、僕も今日という日をなんとか迎えられて、とても嬉しく思っています」

 ライブラはそう言って、うっすらと微笑んで見せる。
 ただ、その笑顔が普段の彼とは違って、どうも少し不自然だ。
 ライブラに限らず、人がそういう顔をするときに何を意味しているのか、ライーザはこれまでの経験から知っている。
 つまりそういう顔は、後ろに緊張が隠れている顔だ。

(・・・あー、これは・・・ここで言われるな。ほんとライブラ、そういうの隠すの下手なのは直らないわね・・・)

 でも、それがまた、彼のいいところだとライーザは思っている。
 そんな彼だから、自分もいつのまにか彼に惹かれてしまったのだ。まったく、年上の面目も何もあったものではないなと思う。

カツッ…カツッ…

 普段あまり聞きなれない少し高めのヒールが地面を蹴る音に、自然と2人の視線がそちらへ向かう。
 そこには、今日の曇り空にはあまり似つかわしくない純白の日傘を差した人物が、ライブラの後をゆっくりと追うようにして向かってきていた。
 ほっそりとしたシルエットをさっと彩るように、藤とピンクを基調とした衣装が映えるその人物は、ライーザが以前にうっすら見かけた女性のものに違いない。

(・・・あぁ、直接紹介するつもりなの・・・いや、それが筋だと思ったのかな。ま、その方が色々腑に落ちるかもね・・・)

 ライーザは内心でそんなことを思いながら、日傘で顔の見えないその人物を真っ直ぐ見つめる。
 嫉妬がないわけはない。
 なんなら今凄く、恨めしいのが正直な気持ちだ。
 それでも、ライブラが選んだ相手ならば笑顔で送り出すまで。それが、元より自分が自ら請け負った役目なのだから。
 今はその決意だけを胸に、ライーザはライブラの次なる言葉を待った。

「あ・・・来てくれたんですね。あの、ライーザさん。後でと思っていたんですが、丁度きてくださったので。実は、ライーザさんに紹介したい人がいるんです」
「ええ、分かっているわ」

 そう言って微笑んだライーザはすっと立ち上がり、両手を腰のあたりでゆるく組む。
 相手の顔は日傘で見えないが、ライブラの横で立ち止まったので、話す準備は良いということだろう。
 2人の肩の距離が近いことが、少し調子を狂わせる。
 ライーザは一つ息を吐いて冷静さを呼び覚まし、ゆっくりと口を開いた。

「初めまして。私は帝国軽装歩兵隊副長のライーザといいます。ライブラとは・・・仲良くさせてもらっています」

 そう言って軽く膝を曲げ、会釈をする。
 相手は微動だにする様子もないが、喋り出すような呼吸も見られないので、そのまま続けることにした。

「とはいえ、勘違いなさらないでください。私は単にライブラの・・・彼の、保護者のようなものです。ですからお二人の関係性について、どうこういう立場でもありません」

 少し、回りくどい言い方だっただろうか。
 いやでも、事実はしっかりと述べておいた方がいいだろう。
 それに、相手に何か言われ始めた途端にきっと、自分はもう何も言えなくなる。
 自分で、自分がそういう性格だと、分かっている。
 なら、先に言いたいことは全部言ってしまおう。
 それくらい、許されるはずだ。

「私がいうまでもなく、ライブラは将来有望な宮廷魔術士です。魔術棟の外にいる私にさえ、彼がどれだけ頑張っているのかが聞こえてくるほどでした。それに何より彼と会う度、いつも彼の頑張りが直に伝わってきました。だから、この先も輝かしい道を歩む彼の側に・・・共に歩める方が出来たこと、とても嬉しく思っています」
「ライーザさん・・・」

 ライーザの言葉にライブラが何か言おうとするが、ライーザは小さく首を振って制した。

「私も、彼のことをとても大切に思っています。保護者として・・・或いは、それ以上に。でも、私は魔術の面で彼の役に立つ事はできません。ですから貴女には私では及ばぬ所まで、お任せしたいと思っています」

 きゅっと、組んだ両手に力が籠る。
 悔しい。
 いや、悔しくはない。悲しい。
 いや、悲しくはない。口惜しい。
 いや、口惜しくはない。ただただ、願っている。
 そう、願っているのだ。
 ただただ彼の幸せな将来を、願っている。
 その願いの強さと大きさに比例して、自分が彼と共に歩めないことを受け入れたくない気持ちが大きくなる。
 あぁ、ライブラのこと、凄く好きになっちゃったな。
 いい年してほんともう、最悪だ。
 でももう、嘆いている時間はない。もう直ぐ、術法研究所で落成式が始まる。
 この2年間、いっぱい幸せをもらった。
 だから、未来ある彼の背中を最後に押すくらいは、しっかりとしてみせなければ。
 女々しく泣いたりなんて、柄じゃない。
 感情がぐちゃぐちゃに頭の中を駆け巡るけれど、そんな様子はおくびにも出してはならない。
 ライーザは再び真っ直ぐに、ライブラの隣に立つ日傘の女性を見つめた。

「・・・どうかライブラのこと、宜しくお願いします」

 肺の奥から声を押し出すようにして、ライーザは深々と頭を下げた。

「・・・・・・」

 上体の動きに合わせてライーザの金髪が、耳からさらりと頬に流れ落ちる。
 それを傘越しに見つめた日傘の人物が、いよいよ何かを語り出そうと身動ぎをした。
 だが、その時。
 頭を下げて地面を見つめていたライーザの視線の先に、僅かに不自然な光が映り込んだ。

キラッ

 地面に反射する、微かな光の揺らめき。
 この不自然な光りの差し方は、金属の反射光のそれだ。
 瞬時にライーザは陽の角度から、大凡の反射位置を脳内で弾き出す。
 自分はそもそも、金属を身に着けていない。ライブラとその隣の人物には装飾具があるだろうが、それらは今の陽の位置からしてこの角度で反射はしない。
 つまり、招かれざる何者かが視覚の外に居るということだ。

「・・・何者だ!!」

 微弱な術力が発生したことを察知したライブラと日傘の人物が身構えるよりも早く、ライーザは己の背後に向けて右手を振り抜いた。
 すると振り抜かれた軌道をなぞるように圧縮された空気が風の刃と化し、ライーザの後方に立っていた木の上へと一直線に疾る。
 ライーザには魔術の才はないが、ライブラから教えてもらい、このウインドカッターだけは習得していた。
 魔術の才、つまり効力とは、基本的に使用者の潜在魔力量に依存する。
 残念ながらライーザでは威力は期待できないが、間合い調整や牽制、不意打ちにはこれが非常に役立つのである。戦闘の一助として、とてもお気に入りの魔術だ。

「うわっ!?」

 見事に不意を突かれたのか、木の上にいたらしい曲者は間の抜けた声をあげて飛び退き、しかしそつなく地面に着地する。
 その曲者の声にはっきり覚えがあったライーザは、すでに呆れたような表情と共に警戒体勢を解き、ゆっくりと近づいていった。

「・・・ちょっと、何してんのよ」

 特徴的なブロンドのハネっ毛に、身のこなしを重視した布面積少なめの軽装。
 しなやかに着地した姿勢で居場所なさげに固まっていた曲者の正体は、キャットであった。

「あー・・・いやー・・・えっと、その・・・仕事中、的な?」
「へぇ・・・仕事中ね。すると、後ろの方々もお仕事中なのかしら。どういった任務なのか、確認しても?」

 額に分かりやすく青筋を立てながら、ライーザはにっこり笑顔でキャットの少し後方の草むらに視線を投げかける。
 そこにも別の何者かが複数潜んでいることを、すでにライーザは察知していた。キャットの落下に動揺したのか、押し殺していたであろう気配がダダ漏れだ。

「・・・あー・・・そりゃバレますよね・・・」

 観念したのかガサゴソと音を立てて出てきた人影は、二つ。
 非常に気まずそうな表情をしたテレーズと、どこか状況を楽しんでいそうな様子のヘクターであった。

「・・・テレーズはまぁ分かるけど、ヘクターまで? はぁ・・・別にあんた達に変な意図があるなんて思わないけど、流石に暇すぎない・・・?」

 こちとらこれから振られるんだぞ、という感情が大いに表情に乗った様子でライーザが呆れたようにいうと、キャットとテレーズは申し訳なさそうに縮こまり、一方でヘクターは何故かニヤニヤとしている。

「・・・ごめん、ライーザ。絶対迷惑だってのは分かってるんだけど、やっぱり私たちも納得いかなくて・・・」

 ぺこり、と頭を下げたテレーズは、顔を上げてライーザの背後にいるライブラに視線を投げかけた。
 急展開についてこれていない様子のライブラだったが、テレーズの視線に気付いて彼女に視線を合わせる。

「ライブラ君・・・私ね、二年間ずっと貴方達を見てて、とても幸せそうだなって思ってた。そりゃ、下世話なこと言う連中もいないわけではなかったけど・・・でも、そんなの二人の間には全然関係ないことだと思ってたわ」

 テレーズの言葉を引き継ぐように、キャットがむくりと顔を上げる。

「そうだよ!歳の差とか魔術の血筋とか、好きって気持ちには何の関係もない!もちろん好きってだけじゃ上手くいかないことも多いけど、あたしから見たって二人はお互いをリスペクトしてて、全然そういうの大丈夫だろうって思えて・・・だから・・・!」
「もういいわ、二人とも」

 しかし二人の言葉を遮ったのは、ライーザだった。
 しかしその表情には怒りの色はなく、どちらかといえば歯に噛んだ微笑みが浮かんでいる。
 その表情のまま、ライーザはライブラへと振り返った。

「ライブラ・・・私は貴方の選択を、一番尊重する。貴方はもう立派な、誰しもが認める実力を持った宮廷魔術士。だからあとは、貴方の望むように進んでほしい・・・本当に、それだけなの」

 ライーザは本心からそう想い、真っ直ぐにライブラを見つめて言った。
 その言葉にライブラの瞳が大きく見開かれ、彼はどこか高揚した様子で、いざ声を発しようとする。

「お待ち」

 しかしそこに、ライブラの行動を制するように凛としたアルト音域の声が響く。

「ライブラ。あんたも一端の魔術士を名乗るなら、もっと状況判断を的確に行いな。今はあんたの能天気な言動を飛ばすような状況じゃないよ」

 その声は、ライブラの隣で日傘を差した婦人から発せられているもののようだ。
 予想より少し、いや大分落ち着いた雰囲気を醸し出すその声に、ライーザたちは思わず目を丸くする。
 いや、ただ1人ヘクターだけは、ニヤついたままだ。

「名乗るのが遅れましたね、ミス・ライーザ。私の名はローズ。フリーで魔術の研究をしています。貴女のことは、ライブラからよく聞いていますよ」

 そう言いながら婦人は日傘を下ろし、静かに畳む。
 かくしてライーザの目に飛び込んできたのは、柔和に微笑む、老齢の婦人の表情であった。

「え・・・あ、はじめまして、サー・ローズ。お会いできて・・・光栄です・・・」

 ライーザは戸惑っていた。
 ライブラには年上趣味的なところがあるだろうなとは、自分に好意を向けている点からも理解はできていた。だが、まさかそれがここまでとは、流石の彼女にも予測がついていなかった。
 いやいや、とはいえライブラが選んだ相手であることに違いはない。
 先ほど自分で、ライブラの選択を尊重すると明言したばかりだ。その言葉を違えるつもりは、毛頭ないのである。
 ただ、そうすると非常に不躾な話題ではあるが、自分が身を引こうと思った理由の一つでもあるライブラに相応しい魔術血統を残していくという視点は、どうなるのだろう。
 いや、それもひょっとして魔術でどうにかなるのだろうか?
 だとしたら魔術、ちょっと万能すぎる。

「ライブラ。話に聞いていた通り・・・いや、それ以上の器量良しじゃないか。それでいて抜群に腕も立つ。よく鈍臭いあんたが捕まえたね」
「つかま・・・!? 変に言わないでくださいローズ師匠!」
「師匠・・・?」

 二人の掛け合いを聞きながら、ライーザが気になったワードをそのまま繰り返す。
 それに応えようとライーザに向き合ったのは、ライブラだ。

「改めて、僕からも紹介させてください。僕の魔術の先生、ローズ師匠です。僕が宮廷魔術士試験に受かったのは、ローズ師匠の教えがあったからです」
「・・・そういえばよく、先生がいたって言っていたわね。でもその先生については、あまり話したくなさそうだったけど・・・」

 ライーザがライブラとのデートの中で出てきた話題を思い返しながら呟くと、それに答えたのはローズだった。

「アバロンでは私のことは話すな、と言っておいたの。宮廷魔術士の中には、フリーの魔術士を毛嫌いする頭の硬い連中も混じっていますからね。そんなフリーメイジに教えられたなんて知れ渡ったら、変な噂が立つとも限りませんから」

 ライブラもその言葉に頷き、申し訳無さそうに少しうつむきながらライーザを見つめる。
 やめて、その表情にめっぽう弱いのよ私は、と思うライーザ。

「はい・・・ライーザさんには先に伝えたかったんですけれど、どうせなら然るべきタイミングでお伝えしたいなと思っていたんです」
「そう・・・だったの・・・」

 つまりこれはあれだろうか。師弟LOVEというやつなのだろうか。
 未だ思い悩むライーザ。

「ここ最近ライーザさんに会えなかったのはすべて、僕の未熟さゆえです・・・」

 そんなライーザの内心を知ってか知らずか、ライブラはぽつぽつと語り始めた。

「術法研究所創立にあたりフリーメイジの招呼を決定したのは、ジェラール様です。それでローズ師匠も来る事になって・・・それで舞い上がってしまった僕は、自分のすべきことを見誤ってしまいました・・・」

 聞けば、つまりはこういうことらしい。
 宮廷魔術士とフリーメイジという二種の魔術士の間には、昔から血統主義や文化背景などをベースにした確執が存在していた。
 それによる弊害を危惧したライブラは、ローズをはじめとしたフリーメイジらの理解と受け入れをしてもらおうと、魔術棟内で精力的に働きかけを行っていたのだそうだ。
 そんな折に先んじて合流したローズは、そのライブラの行動に激怒した。

「こんなはなたれ小僧に世話を焼かれるほど、落ちぶれちゃいませんよ。自分のことは、自分でどうにかします。ですからライブラには、そんな暇があるならば己の魔術理論を高めることに専念せよ、と叱りました」

 微笑みながらさらりと言いのけるローズだが、それを相当に畏まって聞いているライブラの怯えきった様子から察するに、師匠は怒るとめちゃくちゃ怖いタイプなのだろう。

「そもそもこの子自身、魔術に縁もゆかりも無い農家の子。たまたま私がこの子のいた村に滞在した時に研究ついでに魔術を教えたら、まぁその才能には驚きました。それで私自身、魔術の才と血筋の因果関係の曖昧さを確信したのです。魔術はそんなものに囚われず、もっと広く学ばれるべきだ、とも。その先駆けとして先ずこの子の才能と名声を伸ばすため、ここを目指すように仕向けたのです。でも、血筋という曖昧なものを未だに尊ぶ頭の硬い連中も多いのが、ここの残念なところ。物事の証明には順序がありますから、今日という日を迎えるまで自分の出自はあまり語るな、とも言い聞かせていました。この子に変な噂が立つのは、なるべく避けたかったのです」

 ローズの言葉に、ライーザは少なくない衝撃を受けていた。
 ライブラがアバロンの生まれではないことは本人から話に聞いていたが、その家系などについては話してこなかったし、こちらからあまり詮索するのも憚られ聞かないでいた。

(ライブラが魔術とは関係ない血筋・・・魔術と血筋ってそんなに関係ない・・・え、ってことは、私が勝手に血筋がどうとか思い込んで悩んでただけってこと?・・・・・・えー・・・マジかー・・・)

「はい、だからめちゃくちゃ今回は叱られました・・・。それで僕、自分の芯がブレてしまっていることに気付きました。僕が一番恐れたのは、そうして芯がブレてしまい、自分が胸を張って貴女の・・・ライーザさんの隣に立てなくなってしまうことです」
「ライブラ・・・」

 師匠の召雷が落ちてから大いに反省したライブラは、術法研究所開設までの間、己の魔術研究で更なる成果を出すために必死に研究に取り組んだ。
 その鬼気迫る様子は周囲にも漏れ聞こえており、エメラルドを通じてライーザにも伝わっていた。

「ライーザさんに・・・すごく会いたかったです。でも、芯がブレた自分がライーザさんに会ったら、きっと見透かされる・・・それが恐ろしくて、この日を迎えるまで、自分を律しようと決めたんです」
「未熟な弟子ですけど、素質は十分ありますからね。私も研究所が完成するまでは暇を持て余していたものですから、今日までこの子の研究を手伝ってあげていたんです」

 突然の情報量に困惑しきりのライーザを尻目に、ローズは一頻り話して満足したのか、再度日傘を差してくるりと踵を返す。

「さてライブラ。話も終わったことだし、私は先に行っているよ。ほら、そこの野次馬たちも、空気読みな」

 そう言ってツカツカと来た道を戻っていくローズと、言われたのが自分たちだと気付きバタバタとその後を追うテレーズら。
 そうしてその場に残されたのは、呆気にとられたままのライーザと、顔を赤らめたライブラ。
 瞬く間に二人だけになってしまいライーザが困惑したままの表情でいるところに、ライブラが一歩前に、踏み出す。

「・・・あの、ライーザさん」

 腕を伸ばせば届きそうな位置で聞こえるライブラの声に反応し、ライーザは我に返って姿勢を正す。
 もう背筋を伸ばしたライーザよりも彼の顔は上にあって、近くに居ると、少し見上げる形になる。2年という時間は、恐ろしいものだ。

「あ・・・れ、ライーザさん、今日は、髪飾り・・・」
「え、あ・・・あぁ、ある、ちゃんとあるわ!」

 髪飾りは、ライブラと会うときのお決まりの飾り。
 でも、それ以上の意味を持っている。
 ライーザが彼を待ち、ライブラが彼女を追う、そのシンボルとしての意味。
 ライーザは慌ててポケットから髪飾りを取り出すと、慣れた手つきで左の髪を少し上げ、さっと髪飾りを付ける。
 その様子を見て安心したように微笑んだライブラは、懐から小さな小箱を取り出し、ゆっくりとライーザの前で跪いた。

「2年間・・・僕なりに頑張りました。もちろんまだまだ未熟ですが、こうして研究所にも入ることができ、それなりに成長できたと思っています」
「・・・うん」

 ライブラの言葉に、ライーザは短く頷く。

「2年前より、僕は貴女の隣に居るのに相応しい男になれたのか・・・どうか、聞かせてほしいです。ライーザさん、僕と・・・結婚してくれませんか」

 ライブラは小箱を開け、ライーザに差し出す。
 そこには、美しく煌めく宝石がはめ込まれた指輪。その色は、ライーザの瞳と同じ宝石だ。

「・・・・・・」

 それを見ながら口を真一文字に結んだライーザは、己の中から溢れ出す色んな感情をなんとか抑えることに必死だった。
 もはや大人の余裕も何も、あったものではない。
 さっきまで感じていたいろんな感情が全部一気に吹き飛び、今目の前にある現実を受け止めるほどの余裕なんて、彼女には全然ない。
 でも、やっぱりそれを相手に悟られるのは、恥ずかしい。
 だから、少し目尻に涙が浮かんでしまっているけれど、なんとか大人の意地で微笑みを作って、感情が溢れてしまわないように必要最低限の言葉だけを返すのが、精一杯だった。

「・・・はい」

 

 

『はぁ!!?ヘクター知ってたの!!!???』

 ガヤガヤと煩い酒家の一角に、女二人の声が重なり響く。

「くっくっ・・・いやぁ、黙ってるのに苦労したぜぇ。アリエスから全部聞いていたんだけどよぉ、面白そうだから黙ってゥボァッッ!!?」

 傭兵隊隊長ヘクターが品のない笑い声とともにそう言い放った瞬間。
 繰り出された二つの拳が彼の顔面を真芯に捉え、ヘクターは成す術なく盛大に後方へ吹っ飛ぶ。

「今のは完全にお前が悪い・・・俺もうっかり手を上げそうになったぞ」

 ヘクターの隣に座っていたジェイムズが助ける素振りもなく呆れて肩を竦めるのを横目に、息の合ったパンチを披露した女二人はふんっと鼻息荒く、椅子に座り直した。
 アバロン城下町に数ある酒家の中でも宮殿に程近く、勤めを終えた兵士が立ち寄ることも多い、帝国兵も馴染みの酒家。
 今宵もまたこの酒場の一角に、ヘクター、ジェイムズ、テレーズ、キャットの四人が集まっていた。

「ったく頭にくるわね・・・まぁいいわ。で、ライーザたちどうだって?」

 エールジョッキを豪快に傾けながら、キャットが尋ねる。
 するとそれに答えるように同じくジョッキを傾けていたテレーズが、苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。

「もうね、この間までのは一体なんだったのってくらい、すっかりいつものライーザよ」
「あぁ。訓練の様子も、全くテレーズの言う通りだ。むしろ以前よりも更に指導に熱が入って、隊員からは歓迎する声と悲鳴を挙げる声が聞こえているよ」

 ジェイムズはどこか可笑しそうにしながら、こちらも軽快にジョッキを傾けた。
 そこに、テレーズとキャットの二人に殴り倒されたヘクターがイテテテとボヤきながら、起こした椅子に座り直す。

「そういや、あの小僧が早速新しい研究所で術の合成だかに繋がる発見をしたーとかアリエスも言ってたな・・・。ま、お互い収まるところに収まったってんならいいじゃねぇか。アリエスも口じゃ色々言ってるけどよ、あの小僧のことはもちろん、ローズって婆さんのことも実力はしっかり認めていたぜ。あいつは出身がどうとか、そんな小せえことでガタガタ言わねぇよ」

 ヘクターがそう言いながら手元のジョッキを持ち上げるのを、他三人は黙って見守る。
 アリエスのことをこんな風にいえるのも帝国広しといえどもヘクターくらいなものだろうな、とは三人の一致した意見だが、当の本人には口が裂けても言えないだろう。

「あーぁ・・・でもいいなぁ、ライーザ。なんかライブラくんと今年中には婚礼の儀を行うとか、もうそんな話になってるみたいよ。なーんか、先を越されちゃったな」
「そうね・・・すごく嬉しいことなんだけど、自分のことを思うとちょっと複雑ね・・・」

 キャットの言葉に呼応するように、テレーズが酒家の天井を見上げるようにしながら呟く。
 ここでお互いに視線を合わせたジェイムズとヘクターは、示し合わせたように己のジョッキを手にとり、そろりとテーブルから距離を取り始めた。

「早くジェラール様、迎えに来てくれないかなー」
「いや、ジェラール様が迎えに来るのはこっちが先だから」
「は?いやそれはないから。先にくるのはあたしでしょ」
「何度も言うけど、それはないわ。これまでの経緯とか考えても、ジェラール様が最初に来てくださるのは私のほうよ」

 場の空気が、急激に険悪になっていく。
 ジェイムズとヘクターの動きを察知した彼らの周囲のテーブル客も、このあと起こるであろう恒例の惨事を予知したのか、そそくさと距離を取り始めた。

「言っとくけどね!!あたしまだそっちが最初に抜け駆けしたの許してないんだからね!!!」
「はぁ!!?あんたこそ何回もジェラール様のお部屋に屋根伝いに行ってるのを容認してあげてるのになんなの!!?」
「はぁぁ?容認んん??いつおばさんの許しが必要になったんだっつの!!」
「おば!!?・・・あんた、今日という今日は絶対許さないわ!!!」

 かくして本日も、戦いの火蓋は切って落とされた。
 もはやこの酒家の名物ともいえるジェラールの后候補二人のバトルは、今宵どんな展開を迎えるのか。
 遠巻きに静観を決め込んだヘクターらに見守られながら、熱い夜が更けていくのであった。

 

「お待たせ、ライブラ!」
「!、ライーザさっ・・・ライーザ!」

 今日も、いつもの場所で二人は落ち合う。
 もうライーザは、あの髪飾りをしていない。
 その代わりに、ライブラと会う時には、指輪をすることにした。
 駆け寄ると早速手を繋いで、少し気恥ずかしそうに頭を下げたライブラに、そっと口づけをする。
 すると分かりやすく赤面するライブラを、ライーザは愛おしそうに眺める。
 そうしてお互いが見つめ、微笑みあい、さて今日はどこに行こうか、などと囁く。

 アバロンはこの日、今年一番の快晴。まさにデート日和だ。
 バレンヌ帝国首都アバロンで新しい一歩を踏み出した二人は、今日も仲睦まじく、小道を歩んでいく。

 

 

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バレンヌ帝国の恋愛事情 ライーザ編2・前編

 

 バレンヌ帝国歴1003年。
 時の皇帝ジェラールによる治世はその最盛を極め、首都アバロンは過去に例を見ないほど人口流入が起こっていた。
 これに合わせて国内では今後1000年を見据えんとして様々な事業が立ち上がり、大陸全土平定という大願へ向け次なる一歩を今まさに踏み出さんという気風が、国中に溢れている。
 そしてそんな気風の震源地たるアバロン宮殿の、映えある帝国軍兵の憩いの場たる大食堂。
 ここに、帝国中に満ち溢れる気風の一切を拒絶するようなとても重苦しい暗鬱たる空気を纏った女が一人、バーカウンターの隅で項垂れていた。
 女は、帝国軍歩兵隊の要たる軽装歩兵部隊副長、ライーザであった。

「き、今日は随分と空気が重いわね・・・」

 項垂れる女の隣には、その姿を心配そうな様子で近づいてきた、もう一人の女。
 帝国猟兵部隊が誇る、帝国随一の呼び声高い弓の名手、テレーズである。

「なんでそんなダウナー極まってんのよ・・・最近、お互い忙しくてライブラ君と会えてないとかいってたけど、それの影響?」

 ライブラ、という言葉に反応したのか、ライーザはぴくりと体を震わせ、少しだけ顔をテレーズに向ける。
 しかし、口を開く元気まではないようだ。

「・・・ちょっと最近あんた、マジで様子がおかしいって。ひょっとしてライブラ君と何かあったの?」

 もう一度ライブラという言葉に反応して、ライーザの体がぴくりと震える。しかし、言葉を発する様子はない。
 その様子を見たテレーズは、こちらもため息をつきながら葡萄酒の入ったグラスを傾けた。
 どうも反応を見る限りは、テレーズの指摘は的を射たものなのだろう。
 何を隠そうこのライーザと、史上最年少で宮廷魔術士合格の経歴を持つ「神童」ライブラとは、2年程前から清いお付き合いをしているのだった。
 ただ、正確にはまだ交際しているわけではない、というのは当事者たちの主張である。
 ライーザ曰く、ライブラが成長してもっと相応しい相手を見つけるまでの保護役を買って出ている、らしい。そしてライブラ曰く、自分がライーザに相応しい存在になったらもう一度告白するので近くで見極めてもらっている、ということらしい。
 周りから見る2人はもう明らかに恋人ムーブなのだが、当事者たちの意思は無駄に固い。
 とっとと付き合ってしまえばいいというのに、何故そんなことになっているのか。
 その原因はおそらく、ライーザとライブラの年齢差にあると大方は踏んでいた。
 二人は10歳ほど年齢が離れており、ライーザが年上である。
 身分のある高齢の男性が若い女性を娶るということはそこまで珍しい話ではないが、その逆は殆ど聞かない。そしてアバロンにおける女性の婚姻平均年齢を、ライーザはそれなりに上回っている。
 そういう点がいまいち踏み切れない要因となっているのではないか、とテレーズは考えていた。

「ねぇ・・・何度も言ってるけどさ、周囲じゃなくて、2人の気持ちが大切だと思うのよ。あんたたち、お互いを好き合ってるんでしょ?・・・ならちゃんとさ、お互いそういう関係になろうって話せばいいじゃない」

 3度目のライブラという単語に、ライーザは今度こそ大きく反応し、項垂れていた頭をあげ、しかしテレーズに向き合うでもなく前方を空虚に見つめ、深いため息を吐いた。
 そして、ぽつりと呟く。

「・・・ライブラ多分・・・ちゃんとした相手が見つかったと思う・・・」
「はぁっ!?なにそれ!!?」

 座っていた椅子をガタンッと派手に後方へ弾き飛ばしながら立ち上がり、テレーズは思わず叫んでいた。
 その絶叫は大食堂の外まで響き渡り、俄かに皆の注目を集めたのだった。

 

「はーん、そりゃアレだな。あの小僧、若けぇ女に乗り換えゥボァッッ!!?」

 開口一番、傭兵隊隊長ヘクターが持ち前の先陣速攻が如く言い放った瞬間。
 繰り出された二つの拳が彼の顔面を真芯に捉え、ヘクターは成す術なく盛大に後方へ吹っ飛ぶ。

「今のが失言だというのは、流石に俺でもわかるぞ・・・」

 ヘクターの隣に座っていたジェイムズが小さくそう呟きながらやれやれという様子で助け起こしに行くのを横目に、息の合ったパンチを披露した女二人はふんっと鼻息荒く、椅子に座り直した。
 アバロン城下町に数ある酒家の中でも宮殿に程近く、勤めを終えた兵士が立ち寄ることも多い、帝国兵も馴染みの酒家。
 今宵その酒場の一角には、ヘクター、ジェイムズ、テレーズ、そしてキャットの4人が集まっていた。

「・・・で、ライーザはそのあと、なんだって?」
「特には何も・・・。そもそもこれ以上、本人もあんまり追求するつもりないみたいで・・・」

 キャットの質問にそう答えたテレーズは、頬杖とため息をつきながらエールジョッキを傾けた。

「最近魔術棟に出入りしている女、か・・・。確かに、来月開設の術法研究所のために外から呼ばれた魔術士たちが結構出入りしてるのは把握してる。その中にそいつが居る、ってセンはあるね」

 腕を組み椅子の背に体重を預けながら、キャットは可愛らしい眉間に皺を寄せつつ言った。

「当然あたしらも身辺調査で一通り事前チェックしたけど、それっぽい女、居たかなぁ・・・」

 うーんと唸りながら記憶を思い出そうとするキャットをよそに、テレーズとキャットの二人に殴り倒されたヘクターはイテテテとボヤきながら、起こした椅子に座り直す。

「っつかそんなん、ライブラに聞くのが1番早いんじゃねーのか?ライブラがその女と頻繁に会ってるってんならよ」

 ヘクターがエールを追加注文しながらそういうと、テレーズとキャットは揃って呆れたように息を吐き、首を横に振った。

「それはダメ。回答がどうであれ、それは一番ライーザが嫌がるわ」
「ちょっと考えればわかんでしょ・・・当のライーザが聞けないのにあたしらが直で聞くとか、ほんと論外すぎ」
「お、おぅ・・・すまん・・・」

 女性陣に意見を一蹴されたヘクターがしゅんとしながら受け取ったエールを傾ける横で、今度はジェイムズが腕を組みながら唸った。

「そうなるとライブラ君への接触は無しに、ライーザの言っていた女とやらを探るしかないわけか」

 ジェイムズの言葉に、これまた同時に頷いたテレーズとキャット。そしてテレーズが、その場に集まった面々の顔を順番に見る。

「なので、協力をお願いしたいの。私は非番時とか休憩時にライーザから聞けるだけ追加情報集めるから・・・」
「ならあたしは、術法研究所と宮殿内魔術棟の出入り人物について、リストや情報筋をあたるわ」

 テレーズの言葉に続けるようにキャットがいうと、テレーズは浅く頷く。

「助かる。それでジェイムズには訓練中ライーザをそれとなく気にしてて欲しいのと・・・」
「了解した。同部隊の俺しか、そこはできないしな」

 ジェイムズにそう言ったところで、ここまでグビグビとエールを胃に流し込むしかなかったヘクターが肩を竦めた。

「んで、俺にはなにしろってんだ・・・?」

 彼の言葉に、三度テレーズとキャットは同じタイミングで彼に振り返った。

『決まってんでしょ。アリエスさんに聞き込みよ』
「・・・うげぇ」

 ここも見事にハモる二人の言葉に、ヘクターはいかにも嫌そうな顔をしながらエールジョッキを傾けるのであった。

 

「ようアリエス。最近忙しそうじゃねーか」
「・・・驚きました。陽も高いうちに貴方がここに来るなんて、明日は雪でも降りそうですね」

 相変わらず薄暗くて不健康そうな(とヘクターは常々思っている)魔術棟の一室を訪れたヘクターのラフな挨拶に、部屋の主たる宮廷魔術士アリエスはワザとらしい驚き文句と共に彼を迎え入れた。
 生まれてこの方魔術の類とは縁もゆかりも無いヘクターであるが、そんな彼が意外にも魔術士の中で一番交流を持っているのが、このアリエスだ。
 宮廷魔術士アリエスは、現在のバレンヌ帝国宮廷魔術団の筆頭魔術士である。
 当然その実力は折り紙つきであり、皇帝ジェラールが遠征に赴く際には身辺警護で帯同することもあったほどだ。
 そんなアリエスとヘクターとは、元々お互いの住む世界が異なることから存在すら認めていない者同士であった。だがとある出来事をきっかけに、お互いの価値を認め合うに至った。
 以後、表面上はじゃれ合うつもりはないとでも言いたげな態度をお互い取るものの、なんだかんだと交流を続けている。

「いや俺だって別に来たくて来たわけじゃねーんだが・・・あーまぁ、それは今日はいいんだ。ちっとお前に聞きたいことがあってよ」

 言いながら部屋に用意されている来客用の椅子を勝手に引き寄せ、背もたれに腕を乗せるようにして逆向きに腰掛けるヘクター。そんな彼に向き合うように、アリエスは律儀に彼の方角へと自分の椅子をずらした。

「伺いましょう」
「おう、聞きてー事ってのがよ、今度できる術法研究所?だかのことについてなんだが」
「・・・ますます明日の天気が心配ですね。貴方が一生興味を持たない類の話だと思っていました」

 ヘクターの言葉にアリエスがうっすらと瞳を細めながら軽妙に返すと、ヘクターは分かりやすく眉間に皺を寄せて不機嫌を演出した。

「っせーな・・・んで、だ。その研究所の為に新しく来たっつー魔術士連中について、ちっと教えてほしいんだよ」
「あぁ・・・あの連中ですか。あれは、魔術士とは言えません」
「お?・・・なんだよ、お前にしちゃ珍しく穏やかな雰囲気じゃねーな?」

 アリエスが分かりやすく眉間に皺を寄せながら返してきたことに、今度はヘクターが俄然面白そうに声のトーンを上げて聞き返した。
 対するアリエスは口を真一文字に結んで肩を竦めてみせると、机の上に置いてあったコーヒーを手に取り、一口啜る。

「丁度その連中の事については、私も頭を悩ませていたところです・・・」
「ほぉ・・・その話、詳しく聞かせてくれねぇか」

 ヘクターは思わず前のめりになり、椅子の背もたれに乗せていた腕に顔も乗せ、アリエスの話に耳を傾けていった。

 

「あぁーあの方々ですかぁー。もー大変なんですよー。特にアリエス様が、ああいうタイプお嫌いでぇ・・・」
「えー!それってなんで?」

 丁度非番だったらしい宮廷魔術士オニキスを最近帝都で流行りのカフェに連れ出したキャットは、巷で人気の南バレンヌ風パンケーキをつつきながら、それとなく最近の術法研究所事情を探っていた。
 オニキスはライブラと同じ年に宮廷魔術士に入隊した術士で、現在はエメラルドの配下で研究をしている。
 大体が性格に一癖はある宮廷魔術士たちの中、まさに稀有と言っていいほど素直な性格と噂の彼女。
 それ故に色んな諸先輩方に都合よく使われがちな立ち位置でもあるが、その分多くの魔術士たちと関わるため、魔術棟内部事情には妙に明るかったりする。
 キャットなどは、実はオニキス自身がそれを分かって敢えて演じているんじゃないか、などと穿って見ていたりもするが。

「やっぱり、魔術士としての伝統を軽んじているからだと思いますよー?」
「魔術士としての伝統・・・?」

 イマイチ魔術士界隈の事情が分かっていないキャットが首を傾げると、オニキスは身振り手振りを加えながら話し始めた。
 彼女が言うには、最近になって術法研究所での新たな研究のために各地から招呼された魔術士たちの中には、いわゆる伝統的な魔術教育を受けていない者たちも多くいるとのことである。

「界隈ではフリーメイジ、なんて呼ばれていますけど、要は伝統的な魔術の基礎や理論を尊ばず、粗野な手法で怪しげな実験を繰り返す野蛮な人たち・・・って、アリエス様は言ってましたー」
「ははぁーん・・・まぁあの人、明らかに余所者嫌いそうだもんね」

 現在宮廷魔術士のトップに座する魔術士アリエスは、代々宮廷魔術士を排出する家系に生まれ幼少の頃より伝統的な英才教育を受けてきた、ガチガチの保守派魔術士である。
 そんな彼は、自分にも他人にも厳しい性格としても有名である。近年はヘクターと絡み始めた影響からか少しは丸くなったとの噂もあるが、未だ自分が認めたもの以外には冷淡な態度を取りがちであった。

「まぁフリーメイジさんたちの言っていることも全然分かるんですけど・・・アリエス様が聞いたら『魔術士の伝統を汚すつもりか!!』とかって発狂しそうなことを、平気で口走るんですよねー」
「あー・・・何となくイメージ掴めた。ところで、そのフリーメイジって、どんな人たちなの?結構若い子もいたり?」

 キャットが少し身を乗り出しながら聞くと、アイスティーで唇を濡らしながらオニキスは小さく首を傾げた。

「んー、老若男女、割と幅広い年齢層だと思いますよー。でもそんなに若い人は多い感じじゃないかもですー」
「ふーむ・・・」

 オニキスの発言内容を脳内で整理しながら、キャットは腕を組んで背もたれに体重を預け、快晴の青空を見上げるのであった。

 

「打ち込み、止め!!」

 ジェイムズの号令が訓練場内に響き渡り、模造剣を打ち込み台へ振るっていた隊員らが一斉に動きを止め、思い思いにリラックス姿勢に移行する。
 ジェイムズとライーザの所属する軽装歩兵部隊は帝国軍の中で最も所属人数が多い隊であり、帝国歩兵の要と言える。そこで本年から隊長を務めることになったジェイムズは、性格には少々融通の利かないところがあるものの、それでも多くの隊員に慕われる真っ直ぐな男だ。武具の類は大抵器用に使いこなすが、中でも大剣を一番得意とする。その実力はかつて帝国一の使い手と名高かった故ヴィクトール皇子にも匹敵すると言われ、同じく帝国最強の一角を担う傭兵隊のヘクターと常に競い合っている。
 そして彼を補佐する形で同じく今年から副長を務めるライーザは、ジェイムズ以上に武芸百般に通ずると言われるほどに様々な戦道具を使いこなし、その継戦能力の高さは軽装歩兵隊歴代最高とすら言われている。
 両名ともその能力を遺憾無く発揮し誰よりも日々の訓練に精を出すので、帝国軽装歩兵隊の指揮は、常に高い。
 だがしかし、最近のライーザ副長の様子には、隊員たちからも心配する声が上がっていた。
 訓練中は、何ら普段と変わらない様子でいる。だがこうして休憩になった際などは、普段なら隊員たちに細やかなフォローや助言を怠らないライーザだったはずが、最近はめっきり黙り込んでため息ばかりついているのだ。

「ジェイムズ隊長・・・」

 こそこそと駆け寄ってきた隊員の呼びかけにジェイムズが応じると、隊員は悟られないようにライーザを見ながらジェイムズに耳打ちしてくる。

「ライーザ副長、流石にやばくないっすか・・・もう見てらんないっすよ・・・」

 慕われる彼女だからこそ、隊員もこうして心配して最近はジェイムズに相談をしてくる。
 ジェイムズという男がこの手の相談にはあまり適さない人物であることは隊員たちの方がよほどよくわかっているだろうに、それでもこうして声をかけてくるのだから、相当なことなのだろう。
 ここで以前のジェイムズならば、問答無用でライーザに直言しただろう。休憩中とはいえ、隊員に心配を掛けるのは副長としてどうなのか。原因が私生活にあるとて、立場があるのだから服務時間内にそれを悟らせるな、と。
 彼は過去、何度かそうした物言いで舌禍を招いたことがあり、今は流石にそうしたところで何も良い方向には進まないということを知っている。
 しかし、かといって上手くことを運ぶ手腕を身につけたと言うわけでもない。

「うむ・・・俺も気にしてはいるんだがな・・・」

 隊員に対しては、そう言ってやるのが精一杯だ。
 隊長として、情けない限りである。

「あの、隊長。少々よろしいですか」

 そこへ、今度は別の女性隊員が駆け寄ってくる。そちらに振り向いたジェイムズが彼女の口から話を聞くと、彼はあからさまに眉を顰めた。

「ふむ・・・わかった、すぐ行く。すまないが休憩が終わったら、通常訓練メニューを続けていてくれ」

 短くそう回答すると、ジェイムズは女性隊員が指し示した方へと足早に歩いていった。

 訓練場の外まで出てきたジェイムズは、そこで待っていた人物の前に歩み寄って相対し、わかりやすく口をへの字に曲げて腕を汲んだ。

「・・・訓練中にお呼び立てしてしまい申し訳ありません、ジェイムズ隊長」
「構わない。休憩中だ。で、何の用だね・・・ライブラ君」

 ジェイムズを呼び出したのは、渦中の人物、ライブラであった。
 この2年ですっかり背が伸びた彼は、ジェイムズともほとんど身長に差がないほどに急成長した。髪も少し伸び、以前はブカブカだった宮廷魔術士の外套もすっかり着こなした様子の、今の若手で一番の成長株。
 そして、軽装歩兵隊副長たるライーザと清い交際をしているという噂の青年。

「不躾ながらジェイムズ隊長にお願いしたいことがあり、参りました。どうかこちらを、隊長からライーザ副長にお渡しいただけませんでしょうか」

 そういってライブラがジェイムズに差し出したのは、小さな封筒だった。手紙かなにかが中に入っているのだろう。
 それを半眼で見下ろしたジェイムズは、しかし受け取る様子もなくライブラに視線を戻した。

「何故俺を介する。君が直接渡せばいいのではないかね」
「・・・今は、それは出来ないのです」
「ほう。それは何故かね」
「それは・・・私が未熟なためです」

 言葉少なく、応酬を交わす。
 ジェイムズは決して、口が良く回る方ではない。だから、ここで彼がライブラ相手になにか情報や事情を聞き出そうとしたところで、恐らく上手く行くことはないだろう。それは、本人もよくわかっている。
 そしてまた、彼がそう言う男だとわかっているから、恐らくライブラも彼の元に来たのだろう。
 恐らくここでジェイムズが断ったところで、ライブラは何か別の方法で間接的にライーザへこの封筒を渡すだけだ。
 その上で、恐らく彼は最初にジェイムズの元を訪れた。

「・・・一つだけ教えてくれないか、ライブラ君」

 腕を組んでの仏頂面は崩さぬまま、ジェイムズはライブラへと問いかける。
 彼には、言いたいことが山ほどあった。
 仲間を思う気持ちが人一倍強いジェイムズという男だからこそ、信頼のおけるライーザの痛々しい様子には誰よりも心を痛めているし、どうにかしてあげたいと思っている。だからその原因と目される彼には、きっと夜通しでも足りないくらい、言いたいことはたくさんあるのだ。
 しかし、そんなことに意味がないことをジェイムズはわかっている。だからせめて一つだけ、一番大切なことを彼に聞いておきたいと思ったのだ。
 ジェイムズの言葉にライブラが顔を上げ、真っ直ぐにジェイムズを見つめ返した。
 その瞳を鋭く射るように、数秒の間ジェイムズはライブラを見つめ続ける。
 その間、ライブラは微動だにしない。

「・・・いや、やはりやめた。これは、俺からライーザに渡しておこう。君からだ、と伝えて構わないな?」
「!!・・・はい・・・ありがとう、ございます」

 すんなりと封筒を受け取りながらジェイムズが確認すると、ライブラは深々と礼をしながら答えた。

「確と承った」

 そう言いながら封筒を腰回りのポシェットに仕舞い込み、颯爽と訓練場へ戻っていくジェイムズ。
 ライブラはその後ろ姿が見えなくなるまで、深々とした礼を崩さなかった。

 

 夕食時。いつもの大食堂の、いつものテーブル席。
 意気消沈した様子でラザニアを突つくライーザの向かいに腰掛けたテレーズは、持ってきたミートソースパスタを無言で食べ始めるが、数口の後、意を決してライーザに声をかけた。

「・・・ねぇライーザ。ライブラ君の相手のこと、気にならないの?」

 十数秒の、沈黙。
 その後に、ライーザは食べる様子もなく突ついていただけのラザニアに興味を失くしたのか、テレーズへと顔を向ける。だが、目を合わせる気力はないのか、テレーズの胸元に視線は落としていた。

「・・・気にならないっていったら、そりゃ嘘よ。すごい気になる」
「・・・うん」

 当たり前のことだろう。こんなこと、本当ならば聞くまでもない。
 ただ、ひとつひとつ彼女の心に問いかけていかなければ、何も前には進まないのだ。だからテレーズは今自分が究極におせっかいだということを自覚しながらも、言葉を紡ぐ。

「・・・私、2年前あんたにけしかけられるような形でジェラール様にアタックしたけど、そのこと、今も本当に感謝してる。自分だけじゃ、絶対動けなかったから」
「・・・・・・」

 ライーザは、黙ってテレーズの話に耳を傾けていた。
 その様子を見つめながらくるくるとパスタを巻き続けていたフォークを止めると、テレーズは身を乗り出す。

「だから今回は・・・私から言わせてもらうわ。あんたが諦めるってんなら、それもいい。でもせめて、あんたが本当に身を引くに値する相手なのか、ちゃんと知っておくべきだと思う。それはあんたの権利ってより、義務のはずよ。あんた、あの子に相応しい人が現れるまでって自分で言ってたでしょ。本当に相応しいのかどうか、あんた自身が確かめなくてどうすんのよ」
「・・・でも、ライブラが選んだ人なら・・・」

 再びラザニアを突きはじめるライーザを、テレーズがさらに追い討つ。

「あんたね、齢17の男の子なんて色仕掛けされたら理性なんぞ消し飛ぶわよ。ライブラ君はそんなんじゃないって私も信じてるけど、でも絶対なんてないわ。私たちは常に最悪の状況を想定し、その上で最善手を見極め確実な勝利へのプロセスを実行する。帝国兵の行動大原則よ」
「・・・・・・」

 テレーズの勢いに気圧されるように、ライーザは再び手を止める。

「あんたが直接確認する勇気がないってんなら、私が見極めたっていい。だから、あんたが知っている限りのことを私に教えて」

 止まったライーザの手に自分の手を重ねながら、テレーズはライーザの瞳をまっすぐに見つめる。その瞳を受け止めきれずに見つめては逸らすという行動を繰り返していたライーザだったが、やがて硬く閉ざされていた形のいい唇が微かに震え、彼女は静かに、語り始めた。

 

「つまり纏めると・・・」

 再び城下町の酒場に集まった4人は、丸テーブルを囲んで調査結果を持ち合っていた。

「やっぱり怪しいのは術法研究所のために外部から集まってきたフリーメイジという連中で、伝統的な魔術の仕来りなどを軽視するから宮廷魔術士と相性が悪くて、年齢層は様々だけどあんまり若いのがいるという話は内部でも聞いてなくて・・・」

 まずはヘクターとキャットが聴き込んできた情報をテレーズがまとめていく。
 ちなみにヘクターが言うには、アリエスからはキャットと似たような情報以外はひたすら愚痴ばかりを聞かされ、思っていたほど情報は得られなかったそうだ。

「そしてライーザが見かけたライブラ君と親しげにしてた女ってのは、今の流行りではないけど品のいい衣服に身を包んでいて、スタイルはすらっとした感じ。長い銀髪を後ろに結んでいたって。後ろ姿しか見ていないらしいけど、見た感じはどこぞの貴族のお嬢様っていう感じにも見えたとか」
「うーん・・・そんなの、フリーメイジ連中の中にいたかなぁ・・・」

 テレーズの話を聞きながら、キャットは盛大に首を捻った。

「あとは・・・」

 テレーズの言葉と共に、彼女とキャット、そしてヘクターの視線がジェイムズへと注がれる。

「ジェイムズがライブラ君から受け取ったっていう、手紙がなんなのか・・・ね」
「あぁ。訓練終わりに渡そうとしたんだが、ライーザは直ぐに沐浴に向かってしまったみたいでな。明日渡そうと思う」

 ジェイムズはエールジョッキを傾けながら何食わぬ顔でそういうが、その様子を見るテレーズとキャットはというと、いかにも何か言いたげな表情だ。

「その手紙っての、今持ってんだろ?見てみようぜ」

 何食わぬ顔でヘクターが呟くと、テレーズとキャットはぴたりと動きを止める。2人とも理性ではそれがダメなことだとわかっていても、正直なところとてもその手紙の中身がめちゃくちゃ気になっているのは確かだった。

「それはダメだ。双方に失礼というものだろう」

 ピシャリとジェイムズが却下すると、ヘクターは無言で肩をすくめながらエールを呷る。ついでにテレーズとキャットも、己の邪な考えを振り切るように手元の杯を傾けた。

「それに俺はこれを受け取る時にライブラ君の目を見て、彼が何か特別やましい気持ちを抱いているとは感じなかった。だからこの手紙はきっと、ライーザにとってそんなに悪いものではないと思う」

 ジェイムズという男は、確かに口が回る方ではないが、一方で人を見る目は確かだ。彼が多くの人に信頼される大きな要因の一つは、そこにあるといっていい。
 その彼がこうまで言うのだから、そこには一定の信憑性があるのだろう。
 だが、それでもまだテレーズらは腹落ちしかねていた。

「・・・じゃあ、明日その手紙を受け取った後のライーザの動向は私とジェイムズで注視するから、キャットとヘクターは集めた情報の人物像に当てはまりそうなのがいないか、引き続き捜査を進めてちょうだい」

 テレーズの言葉に各々が頷き、今日のところはこの話はここまでとなった。

 

 

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バレンヌ帝国の恋愛事情 ライーザ編

 

「研究で使う素材が足りない?」

 日中であっても一切陽の光が届かないその部屋には、魔術で焚かれた灯りに照らされ、様々な本や見慣れない機材が所狭しと乱雑に並べられている。
 その一角、多数の魔術書が収納されたアルマリウムに軽く体重を預けながら腕を組んで部屋の主に聞き返したのは、帝国軍軽装歩兵部隊に所属する腕利き女戦士、ライーザだった。

「そうなのよ、今ちょっと備蓄が足りなくて」

 そんな彼女に向かってリラックスした様子で話かけているのは、コーヒーカップを置くのが精々か、というほど隙間なく物が積み上げられた机を前に腰掛けた、年若い女。
 帝国の長い歴史でも殆ど類を見ない程の若年で試験を突破し、栄えある宮廷魔術士としてアバロン宮殿に務める才女、エメラルドである。

「まぁ確かに、ちょっと前まではヘビーな大遠征ばかりだったしねぇ。おかげで常備資材はどこも厳しいらしいとは聞いてたけど、ここも例に漏れず、ってわけか」
「そういうことなのよ。かといってジェラール様の遠征時にお使い頼むわけにもいかないし、守備隊の方でどうにかならないかなと思って。個別に礼は弾むから、お願いできないかしら」

 エメラルドがその場で淹れてくれたコーヒーを受け取りながら、ライーザは軽く思案する。
 バレンヌ帝国第31代皇帝ジェラールが先帝レオンの崩御によって即位し、それから僅か1年少々。
 その間に皇帝ジェラールはゴブリン一党の掃討、七英雄クジンシー討伐、七英雄ボクオーン配下の占拠するヴィクトール運河解放と、立て続けに大偉業を成した。しかしその一方で、連続した大きな戦により国が疲弊していたのも事実であった。
 当然この状況は聡明なる皇帝ジェラールも理解しており、今暫くは内部備蓄の増強を優先する時であるという国政方針を掲げている。
 自身と同部隊出身のジェイムズと違いジェラール身辺警護の任についていないライーザは、ジェラールがアバロンを離れている際は守備隊として帝都護衛が最優先任務だ。
 しかし逆にジェラールが帝都アバロンにて内政に集中している現在は、比較的自由に動けるといえば動ける。

「まぁ、態々言うからには急ぎなんでしょうし・・・いいわよ、引き受けても」
「良かった、助かるわ」

 いかにも人懐っこそうな表情でにっこりと微笑んだエメラルドは、予め用意していたらしいメモ紙を机の上に会った本の間から引き抜くと、ライーザに差し出す。

「早速で悪いんだけど、明日の朝には出発出来るかしら。集合場所と時間、持ち物はそのメモに書いてあるわ」
「集合って、私以外にも誰かいるの?」

 そう言いながらエメラルドのメモを受け取ったライーザは、そこに記された走り書きにさっと目を通す。
 確かにそこには集合場所と時間、そして依頼内容が書いてある。そして他にも、幾つか記載事項があった。だが、どうにもその内容がおかしい。

「・・・ねぇ、なんでこれ服装が兵装以外の指定なの」
「そりゃ勿論、非正規依頼だからよ。ジェラール様が最近帝国法を改善してるのは、貴女も知っているでしょう。兵士の休息に関する項目も、改正入ったのよ。司令部経由の正規任務着任時以外は休息・鍛錬期間とする、ってね。なのに兵装してたら可笑しいでしょ」

 何なら確認する?と言いながら真新しい写本を一冊、エメラルドが差し出してくる。
 普段から書と接する機会の多い宮廷魔術士は平時、貴重な帝国蔵書の写本業務も一部引き受けている。なので法律改定の際の原本写本も此方に回ってきているようで、その辺りには人一倍詳しいのだ。

「あー、流行りの働き方改革ってやつね・・・なんだか変なところで面倒になるのね。まぁ、わかったわ」

 そう言いながらライーザは丁重に帝国新法写本の受け取りを断りつつ、引き続きメモへと視線を落とす。

「じゃあ非兵装は百歩譲っていいとして・・・この『外行きの正装』っていう服装指定は一体なんなの。目的地がソーモンなら、馬でしょ。なら旅慣れた服のほうが・・・」
「ノンノン、それは駄目。仕入れてきてほしい素材を扱ってるソーモンの貿易商、気難しい人なの。礼儀がなっていない相手と取引してくれないのよ。だから馬車を用意するから、それに乗っていって頂戴」

 ライーザが言い終わる前に、エメラルドから訂正をされる。それを訝しながらライーザがメモを見ると、確かに貿易商らしき店と、購入指定物の記載があった。

「一兵卒に礼儀作法まで求めるとか・・・そもそも私に依頼するのが間違っている気がするけど」
「あら、貴女自分で気がついていないかも知れないけれど、一番その辺も上手いわよ。流石は何でも器用に熟す軽装歩兵部隊さんよね?」
「もはや馬鹿にしてんでしょそれ・・・はぁ、まぁいいわ。謝礼、期待しとくからね」

 そう言いながらメモ紙を腰のポシェットにしまい込んだライーザはコーヒーを飲み干すとマグカップを返し、なに故かやたらニコニコとしながら手をふるエメラルドに見送られ、その場を後にした。

 

 明くる日。
 雲も少なく快晴の気持ちいい青空を時折見上げながら、ライーザは帝都アバロンの大通りを真っ直ぐ南に抜け、城門近くの駅馬車乗り場へ向かった。
 その様相はいつもの兵装ではなく、上品な布地に一部刺繍のあしらわれたワインレッドのロングスカート、体のラインを美しく際立たせる白いドレスシャツ、そして短めの腰丈に裾が調整されたブラウンの女性用ジャケットという出で立ちだ。
 ライーザは比較的裕福な家柄の生まれながら軍に志願したという風変わりな経緯の持ち主であり、そのためか他の帝国兵よりも外部の情報や作法などにも明るい。
 なので近年領地となったミラマーを経由して帝都に流入するようになった南バレンヌやロンギット地方の流行も把握しており、併合を機に数着購入していたのだった。

(今度またテレーズにでも着させてジェラール様に突撃させようかなと思ってたけど、まさか先に自分で着ることになるとはね・・・)

 そんな事を考えながら駅馬車乗り場まで辿り着くと、そこで待っていると言われた同行人と思しき人影を、直ぐに見つける。
 その背丈はライーザよりも少し低く、風に揺れる明るい栗色の髪の下に見える表情は、まだまだ幼さが残る少年の特徴を備えている。
 周囲を随分とソワソワした様子で見渡しているその少年を、ライーザは見知っていた。

「・・・ライブラ君?」
「え・・・あ、ラ、ライーザさん・・・!」

 ライーザが声をかけると、びくりとしながら反応した少年が彼女に反応して振り向き、駆け寄ってくる。
 少年の名は、ライブラ。
 あの才女エメラルドをして「自分を超える才覚の持ち主」と暗に認める、史上最年少で宮廷魔術士試験を突破した天才少年だ。
 以前は先輩魔術士であるアリエスの補佐だったのだが、先帝レオン崩御を機にアリエスがジェラール身辺護衛の任に着いたことで現在はエメラルドに何かとこき使われている、なにかと不憫な少年でもある。

「エメラルドが言っていた同行人って、ライブラ君だったのね」
「はい。先輩が、その・・・手伝ってこいって。すみません、僕たちの用事なのに他部署のライーザさんに頼ってしまって・・・」

 そう言いながらぺこぺこと頭を下げるライブラ少年に対し、ライーザは肩を竦めて苦笑する。全く、遠慮のないエメラルドに比べてこの対応。余程先輩よりしっかりと気の回る少年である。

「別に構わないわよ、丁度今は任務なかったし。っていうかライブラ君こそ、仕事忙しいでしょうに手伝いなんて押し付けられて、災難だったわね」

 ライーザがそういうと、しかしライブラは慌てふためいて首を横に振った。

「あ、い、いえ!全然そんなことないです!む、むしろ僕は・・・あの・・・一緒に行きたい、といいますか・・・」
「え?」
「い、いえ・・・!と、兎に角そろそろ馬車が出ると思いますから、行きましょう・・・!」

 途中の声が小さくて上手く聞こえなかったライーザが聞き返すが、しかしライブラは何故だか強引に会話を切ると、我先にと駅馬車乗り場へ向かい歩き出す。
 その背中を見ながら2,3度まばたきをしたライーザは、自分も気を取り直して彼の後を追いかけることにしたのであった。

 

 ライブラと出会ったのは、彼が初めて宮殿に来た時だったとライーザは記憶している。
 宮殿内ですっかり迷った様子のライブラ少年が泣きそうな顔をしながら壁際に佇んでいたので、見るに見かねて声をかけたのであった。
 宮廷魔術士選抜試験で史上最年少の合格者が出たという話は、手前にエメラルドから聞いていた。なので背格好からも恐らく噂の子では、とはなんとなく察しもついていたのだ。
 その時に魔術棟までの道案内をしたのが縁の始まりで、以後ライブラ少年とは不思議と宮殿内で会うことがちょくちょくあり、その度に軽く話をする程度の間柄になったというわけである。
 彼の栗色の髪の毛が実家で飼っていた犬とそっくりで愛らしく、会うといつも懐いてくる子犬のようなライブラ少年を、内心とても微笑ましく彼女は感じている。

「実は僕、アバロンを出るの初めてなんです。ソーモンは港町なんですよね。海、見てみたいと思っていたんです」
「ふふ、お使い中に楽しみがあるのは良いことじゃない。私も初めて海を見た時は驚いたわ」

 二人は他愛もない話をしながら、馬車に揺られて街道に沿ってソーモンへと向かう。
 周辺の魔物や七英雄クジンシーがジェラール皇帝により討伐されたことで、アバロン、ソーモンを含む北バレンヌエリアの通行難易度は非常に下がり、以前に比べてかなり快適なペースで行き来が出来るようになっている。
 それ以前の街道を知るライーザはそれとなく警戒の視線を外に向けてはいるが、それも結局役に立つことはなかった。

「でも普通に馬を走らせるよりは流石に時間掛かるから、これは向こうで一泊して戻る感じかしらね。ライブラ君は予定大丈夫だった?」
「・・・・・・」

 どこまでも長閑な外の風景を眺めながらライーザが何気なく予定を伺うが、それに対する返事がない。
 それを疑問に思ったライーザが正面のライブラに視線を向けると、ライブラはどうにも心ここにあらずといった様子でぼうっとした表情をして、ぼんやりと此方を見つめている。

「・・・どうかしたの?」
「・・・・・・え、あ、いえ、なんでも!・・・ないです・・・」

 我に返ったのか、慌てた様子で顔を赤らめながらわたわたと手を振るライブラ少年。こういう仕草が一々小動物っぽくて、可愛いものだ。
 しかし、何やら先程の表情は思い悩むというか、そんなふうに見えたのが多少気にかかる。
 互いに知らない仲でもないし、ソーモンまでの道のりはまだ暫くあるしで、折角だからライーザは少し探りを入れてみることにした。

「なにか考え事?大した相談相手にはなれないけど、話くらいなら聞こうか?」
「いや・・・あの・・・・・・。えっと、じ、じゃあ・・・一つだけ聞いていいですか・・・!」

 言うか言うまいか随分と思い悩んだ様子のライブラが、なにか意を決したように声を上げる。
 あれ、これはひょっとして結構重ための相談か?などと思いながら、とはいえ聞いた以上は年長者として対応せねばなるまいと思い、ライーザは笑顔で頷いた。
 流石に魔術的な質問だと自分には回答が難しいが、宮殿内の人間関係とかは得意分野なので力にはなれそうだし、仮に少年特有の悩みが出てきたなら、それはそれで見知った帝国兵の中からアドバイザーとして適任な人員を見繕うことも可能だろう。
 ライーザはそのように、大凡の予測と方針を脳内で立てる。

「あの・・・ライーザさん、その・・・」

 非常に言いにくいことなのか、膝の上に置いた両手をギュッと握りしめ、うつむき加減になりながらも懸命に話そうと上目遣いで此方を見てくるライブラ少年。
 その視線のやり方は母性本能への攻撃力が大きいぞ、なんて思いながら、しかしライーザはドンと構えて言葉を待つ。
 するとようやく気持ちが整ったのか、ライブラは顔を上げ、頬を真っ赤に染めながら真っ直ぐにライーザを見て、こう言った。

「ライーザさんは今、お付き合いしている人とか居るんですか!?」
「・・・・・・はい?」

 果たして、ライブラ少年から放たれた質問は、年長者の余裕を醸し出そうとしていたライーザの予測の、はるか斜め上をいくものであった。

 

 要約すると、だ。
 初めて宮殿に足を踏み入れた時、そこで自分に声をかけてくれたライーザに、一目惚れをした、と。
 初めてライーザを見たときのことを彼は今も鮮明に覚えているそうで、世の中にこんなにきれいな人がいたのか、という衝撃で頭が真っ白になったそうだ。
 ライブラは自分がライーザに一目惚れをしたのだということを、その後まもなく自覚した。
 そしてその想いを抱えたままライーザを見かけてはとにかく走り寄る、を繰り返しながら1年少々が経ち、今に至っている。
 ということらしい。

「いやー・・・その、なんていうのかな。あ、ありがとう・・・?」

 唐突な告白に、流石のライーザも上手い返しが思いつかない。
 なのでとりあえずこんな年上相手によくそんな感情を抱いてくださった、という意味を込めて、礼など述べてみる。
 因みにライーザには今、特定の相手は居ない。
 軍属になる前は居たこともあったが、それは随分昔の話だ。今や未練も記憶もない。
 ただそういう話を持ちかけられることは軍属以降で何度もあったが、とはいえお互いいつ死ぬかもわからない中で依存し合うのは彼女の趣味ではなかったし、なにより大抵の男よりも前線での立ち回りに自信がある彼女は、周囲の兵に異性として魅力を感じることがなかった。
 なので正直、このままフリーでも悪くないなんて思っている自分もいたくらいだ。
 まぁ取り敢えずその辺の内心をよそに「いま相手は居ない」という事実だけは、先程ライブラ少年にも回答として伝えた。
 まぁそうしたら、洪水のように想いの丈をドドっと曝け出されたわけなのだが。

(いやでも待って、ライブラ君って確かまだ15とかだったわよね・・・え、私25だよ、流石にこれは犯罪・・・っていうか待て待て私、それこそライブラ君とか対象外でしょ・・・確かに可愛いって思うけど、あくまでそれは弟みたいっていうか、小動物みたいっていうか・・・)

 口元に手を当てつつ脳内で高速回転思考しながら、ライーザは自分のことを真剣な眼差しで見つめるライブラへちらりと視線を投げかける。

(・・・いや確かにやっぱり可愛い顔してるけど、もう数年しないうちに背も伸びて顔立ちも凛々しくなって多分美形になるんだろうなーとは思うけど、でもそんな将来有望な少年とアラサー女がそういう関係になるのは流石にアウトでしょ・・・)

「あの、ライーザさん」
「え、な、なに!?」

 先程とは打って変わって慌てた様子のライーザに対し、想いの丈を述べたことである程度冷静さを取り戻した様子のライブラは、赤面したままだが随分と落ち着いた様子で言葉を続けた。

「僕は、今の自分がライーザさんに釣り合っているなんて思ってません。でも僕がライーザさんを好きだってことだけは・・・とにかく伝えたかったんです」
「え・・・う、うん」

 何故だか立場が逆転したような態度でしおらしくライブラの話を聞くライーザに対し、ライブラはどこまでも真剣な眼差しを崩さない。

「でも、僕はいつかライーザさんに釣り合う人間になりたいと・・・そう思っています」
「・・・そっか」

 なんとも気まずい沈黙が、その場を支配する。
 すっかり年長者の余裕でお悩み相談、なんて状況ではなくなってしまったことに内心で頭を抱えつつ、ライーザは脳内で今後の展開について考えていた。

(・・・まぁ恐らく一時の気の迷いってやつだろうし、なんとかして思い直してもらう方がいいよねぇ・・・こういう場合はどうするかなー、兵士連中みたいにはっきり振って変に気落ちされても可哀想だし・・・)

『お客さーん、そろそろソーモン着くよー』

 重苦しい沈黙を破るように馬車の外から御者の声が届き、二人はぎょっとしながら窓の外に目を向ける。
 するとそこは確かに、広大なオレオン海を臨む港町ソーモンが見えていた。
 あまりの話の展開に、完全に時間の経過を忘れていたようだ。

「と、とりあえずはお使い、済ませましょうか」
「あ、はい・・・」

 

 初めての海を見て感動しているライブラ君。
 港町にあつまる珍しいものを見ながら感心しているライブラ君。
 アバロンとは少し異なる様式で建てられた建造物に興味を示すライブラ君。
 コロコロと表情が変わる彼を見ていると、可愛らしいという感情は確かに湧く。
 一方、そんな年相応の可愛らしさとは別で、しっかり者の一面も垣間見えた。
 例えば件の気難しい貿易商とやらを相手した時などは、とても礼儀正しく相対していて問題なく取引を主導していたので、なんなら自分は必要なかったんじゃないかとすら思ったほどだ。
 時折、彼がこちらを見ては、はにかむように笑う。
 これも以前から見知っていた彼の顔だが、彼の想いを知った後では少し別の見え方がする。そりゃまあ、悪い気はしない。

(でも、やっぱそういう仲になるってのは想像付かないかなぁ・・・。弟なら大歓迎なんだけど・・・)

 そんな事を思いながらも順調にエメラルド指定のお使いを終え、二人は宿へ向かった。
 そして宿に併設の食堂で夕飯を食べながら今日の様々な出来事についてライブラが楽しそうに話しているのを微笑ましく聞きつつ、ライーザは頭の何処かでやっぱり今後の事を考えていた。
 それが相手に伝わったのか、ライブラはふと口を閉じ、さみしげな表情をする。

「ライーザさん・・・やっぱり僕にあんな事言われて迷惑でしたよね・・・」
「え、あ、いや・・・迷惑とかじゃないの。っていうか嬉しいなって思う気持ちはあるわ。でも・・・」

 言わなければ。
 ライブラ少年の気持ちを蔑ろにしないためには、やはりちゃんと正面から言うべきだ。そう思い直したライーザは、意を決して話し始めた。

「でもね、君と私じゃ年も離れているし、やっぱり釣り合わないわよ。君はこれからもっと魔術士として成長して、帝国の将来を担う人になる。それに魔術って血筋と素養だから、それを後世に継承するために良いお相手もこれから見つかるはずよ。私に気持ちを向けてくれるのは嬉しいけど、でも私は君を、そういう風に見ることは出来ない。ごめんね」

 はっきりと、自分の気持ちを伝える。少し残酷かもしれないけれど、仕方がないことだ。変に気を使ってしまい逆に気を持たせ続けたら、その方が後々よろしくないのである。
 予想通り、ライブラは少し俯き加減で押し黙ってしまった。
 きっと、彼を傷つけただろう。
 それは心苦しく思うが、でも、これは必要なことだ。これで彼が次のもっと素敵な、彼にふさわしい出会いに向き合えるなら、それに越したことはない。
 そう確信しながらライーザがエールビールの入ったカップを傾けていると、ライブラがふっと顔をあげ、ライーザに向き合った。

「・・・やっぱりライーザさんは、素敵な人です」
「・・・・・・ん?」

 少し、予想していた反応と違う。
 それにライーザが疑問符を浮かべていると、ライブラは少し身を乗り出すようにしながら喋り始めた。

「多分そういう風に仰ることも、それは僕のことを考えてくれるからだってことも、分かってました」

 そう言いながら、ライブラ少年は更に勢いに乗って続ける。

「ごめんなさい・・・今日のお使い、実は僕からエメラルド先輩に頼み込んだんです。ほんとはもっとライーザさんに釣り合う男になってから色々言いたかったんですけど、ライーザさんがフリーっていのも先輩から聞いてはいたけど・・・今後もそうとは限らないって思うと、やっぱり不安になっちゃって・・・」

 そう言いながらライブラは、懐から小さな包みを取り出した。

「僕は、ライーザさんが好きです。確かに最初は一目惚れですけど、この1年ずっと気がついたら目で追っていて、いつもライーザさんは周囲の方への気配りとかしてて、とても優しい方だなっていうのも知って、もっと好きになりました。あ、今日の服もすごく素敵です!」
「え、あ、その・・・えぇと・・・ありがとう・・・」

 ライブラの熱量に、思わず気圧されるライーザ。
 ライブラは手を緩めない。

「実は今後、宮廷魔術士の中で選抜が行われるんです。それに選ばれれば、今建設中の術法研究所の創設メンバーに加わることが出来ます。これはかなりの狭き門になりますから、一流の魔術士でなければ選ばれません」
「そう、そんな話が進んでいたのね・・・」

 流石に宮廷魔術士の元には、政策に関する宮殿内事情がいち早く伝わるようだ。
 しかし、突然それがどうしたというのだろう。そうライーザが疑問に思うと同時、ライブラは熱のこもった視線で言葉を続けた。

「だから僕は必ず、創設メンバーになります。開設予定の2年後にそれが成し遂げられたら・・・僕にもう一度、チャンスをくれませんか」
「・・・・・・」

 ライーザは、このライブラという少年に対して少々思い違いをしていたようだ。
 この少年、どうやら彼女の想像以上にずっと逞しい。
 しっかりと事前に状況判断をし、その上で自分の勝ち筋を探しながら手段を選び、行動している。決して一時の感情で走るような短絡さではなく、しっかりと計画した上で、勝負に出ているのだ。

「・・・それは2年後にもう一度、私に告白するっていうこと?」
「・・・はい。そのとき僕がライーザさんに相応しいかどうか、もう一度判断して欲しいんです。それで、あの、これ・・・」

 そう言いながらライブラは、先ほど取り出した小さな包みをライーザに差し出す。
 ライーザは取り敢えずそれを受け取ると、ライブラに促されるままに包みを開く。すると中には、花柄があしらわれた銀製の小さな髪飾りが入っていた。

「・・・これ、私の好きな露天のやつ。エメラルドの入れ知恵ね?」
「はい・・・あ、でも、ちゃんと選んだのは僕です!ライーザさんに、似合うかなって思って・・・」

 そう言いながら赤面して俯くライブラを見ていると、なんだかこちらの方が気恥ずかしくなってくる。

「僕がライーザさんに釣り合うまでには、まだ少し時間が掛かります・・・。その間にライーザさんがもし素敵な人と出会ってしまったら身を引くしかないですが・・・僕にまだチャンスがあるうちはその髪飾りを付けて、時々会って欲しい、です・・・」

 どこまで狙っているのか狙っていないのかももう分からないが、彼の作戦は、確実に効いている。それは間違いないな、とライーザは場違いに自己分析した。

(これもエメラルドの入れ知恵だろうけど・・・確かにここまで準備されて譲歩案まで出されたら、こっちだけの考えで無碍に出来ないじゃん・・・くっそ、いじらしい手を・・・)

 今頃アバロンで下世話に笑っているであろうエメラルドに脳内で呪詛を送りながら、ライーザはライブラの視線に向き合った。
 きっと、彼の気持ちは一時の気の迷い。もっと彼に相応しい子は、いつかちゃんと現れる。そう思うのは、今も変わらない。
 だけど。
 だけど今はこんな風に時間をかけてでも自分に向き合いたいという、そんな彼の気持ちまで一方的に振り切れるほど、もうライーザは彼のことを無碍には出来ない。

(そもそもこんな純度100%の好意自体、ズルいわよ・・・。あー、私、そんな年下趣味とかなかったはずなんだけど・・・これはもうテレーズのことをからかえないわね・・・)

 年下にして護衛対象であるジェラール皇帝に熱を上げている同僚の事を、ふと思い出す。
 そして自嘲気味に口の端を吊り上げて笑いながら、兎に角ライーザはまっすぐに自分を見つめ続けている少年の提案に応えるべく、口を開いた。

 

 

 ソーモンから帰ってきた後輩ライブラ君のご機嫌っぷりといったら、協力したことを少し後悔するほどにウザったい。
 エメラルドはそんな事を思いながら、幸せオーラを撒き散らす後輩の横で、あからさまに嫌そうな顔をしながら日々の写本や魔術研究に勤しんでいた。
 とはいえ彼が研究に入れ込む情熱は以前を更に上回るほどなので、それはそれで良しとする。
 やはり彼は魔術理論の扱いにかけては天才的で、その研究成果も既に上がり始めていた。正直、術法研究所に彼を入れない理由はないだろうな、とエメラルドは踏んでいる。

 一方ライーザは、態度にいつもと変わった様子はない。
 お使いの礼として後日ガッツリ酒席を奢らされたが、個人的には胸キュンセッティングが礼のつもりだったから予想外の出費だった。
 ただ一つ変わったことがるとすれば、ライーザは最近、可愛らしい小さな銀の髪飾りを身につける様になった。
 密かにライーザを狙っている男連中の間では、ついに相手ができちまったのか、なんて噂が飛び交っているらしい。

 時折、後輩ライブラは前日に分かりやすくソワソワして、非番であるその翌日には意気揚々と城下町へ出かけるようになった。
 エメラルドが直接見た訳では無いが、偶に魔術棟にも顔を出す諜報部隊キャットのタレコミによれば、私服姿のライーザと仲良く街を歩いているのだそうだ。
 エメラルドはそんな話を聞きながら半眼でコーヒーを啜り、自分にもそろそろいい相手が見つからないものか、なんて思ったりするのであった。

 

 

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バレンヌ帝国の恋愛事情 ジェラール編

 

 その日、アバロンの宮殿内はいつもの厳格な空気はどこへやら、にわかに慌しい様相を呈していた。
 あちらこちらへと忙しなく駆け回る給仕家臣らを横目に見ながら、いつも通り城下町にでも繰り出そうかと思っていたバレンヌ帝国軍傭兵隊隊長のヘクターは眉間に皺を寄せる。
 泣く子も黙る傭兵隊を率いる豪傑ヘクターは己の信条を曲げない不器用な男だが、戦のない時は城下町で一杯やるのが日課であり、隊員のみならず城下町の住人にも慕うものが多い快男児でもある。
 というわけで日夜宮殿と城下町を行き来するのが常な彼は、斯様に普段らしからぬ宮殿内の様相に対し、分かりやすく疑問符を頭の上に浮かべたのだった。

「なぁ、なんで今日こんな騒がしいんだ?」

 浮かんだ疑問をそのまま、隣を歩く兵士に向ける。
 兵士の名はジェイムズ。帝国軍の軽装歩兵部隊に所属する男で、若くして皇帝の外遊時には身辺警護を任されるほどの実力を持つ、腕利きの戦士だ。
 帝国兵の見本のように規律正しく真面目な性格なのでヘクターとは少々折り合いが悪い所もあるが、年が同じということもあってか何だかんだつるんでいることが多い二人組である。

「あぁ、明日は収穫祭初日だからな。その準備だろう」

 いつもならば宮廷内を駆け回るなと注意しそうなジェイムズだが、この時ばかりは慌ただしい家臣たちを咎めることもしないようだ。

「あぁー、そう言えば飲み屋の連中もそんなこと言ってたな。じゃあ明日は、がっつり酒が飲めるな!」
「お前はいつも飲んでいるだろう。たまにはアンドロマケーを見習って出店の手伝いでもしたらどうだ」

 ヘクターの同僚にして傭兵部隊副隊長である女傑の名を出しながら、ジェイムズがヘクターの素行を咎める。しかし、ヘクターはどこ吹く風だ。

「はっ、あいつは手伝いじゃなくて小遣い稼ぎのためにやってるだけだぜ。あと、下手に酒飲んでめんどくせーナンパくらうよりよっぽど店やってる方がいいんだとよ」

 傭兵部隊では珍しい女性隊員でもあるアンドロマケーは、荒くれで有名な傭兵団を束ねるだけあって気風のさっぱりした姉御肌の美女である。
 ヘクターと同じく酒は人並み以上に好きな方だが、外で飲むとどこでも大抵面倒なナンパにあって相手を叩きのめすことになるので、イベント事の時はどこかで出店をやっていることが多いようだ。

「・・・む」

 他愛のない会話を続けながら宮殿内を城下町へ向かい歩いていると、前方から自分たちとすれ違うコースで歩いてくる人物に目を止め、ジェイムズが眉間に皺を寄せた。
 その反応に気付いたヘクターが進行方向へ視線を向けると、向こう側から歩いてきたのは宮殿家臣とは明らかに異なる様相をした、小柄な少女。

「あれ、キャットじゃん。珍しいな」
「全く、あのような格好で気安く宮殿内を歩くとは・・・」

 キャットは、アバロンシーフギルドの顔役を若干17歳にして務めている少女だった。
 その諜報における実力はバレンヌ帝国第31代皇帝ジェラールも大いに認めるところで、先のヴィクトール運河要塞攻略において、彼女の功績なしに攻略成功はなかったとすら言われている。
 元はアバロン内で金持ちの屋敷から金銭を盗む泥棒だったそうだが、どういう経緯なのか皇帝ジェラールにその身を助けられたとのことで以後皇帝への忠誠を誓い、ジェラールも彼女とシーフギルドを正式に帝国軍の一員として加えたのであった。
 ヘクターは自分も軍人らしからぬ服装をしているので気にしないが、ジェイムズとしてはキャットのラフな服装は帝国軍人として度し難いらしい。

「ようキャット、宮殿に出向くなんて、珍しいじゃん。どうしたんだよ」

 ヘクターが手を上げながら声をかけると、キャットはその名の通り猫のような大きな目をぱちくりと瞬かせながら、ヘクターとジェイムズを見上げるようにして止まった。

「うん、ちょっとジェラール様に用がね。ヘクターは飲み行くとこ?」
「おう」

 軽い調子で親しげに会話をする二人と、それを不機嫌そうな表情のまま見つめるジェイムズ。

「ジェラール様は明日の祭典に備えてお忙しい身だ。お前などとお会いしているような暇はないぞ」
「別にジェイムズに聞いてないし」

 咎めるジェイムズと、気にしないキャット。二人の関係性の常は、この応酬に凝縮されているのであった。

「ジェラール様なら、確か訓練所にいたはずだぜ」
「おっけ、ありがとヘクター」
「おいヘクター!」

 ヘクターに礼を言うと、キャットは喚くジェイムズを無視しつつ小走りで宮殿の奥に向かっていった。

 

「ジェラール様!」

 アバロン宮殿の奥まったところにある訓練場にはいると、すぐにジェラールの姿は目に入った。
 公的な場では黄金の鎧を身に纏った威厳ある姿をしている若き皇帝ジェラールだが、普段は純白のシルクで仕上げられた動きやすい格好をしている。
 キャットはその姿を、密かにパジャマと呼んでいた。

「やぁ、キャット。どうしたんだい」

 訓練所内の的に向かって弓を構えていたジェラールは、キャットに手を挙げて応えながら微笑んだ。
 その柔らかな微笑みの表情に、キャットは自分の顔が微かに紅潮し鼓動が早まるのが分かる。
 自分で、その理由はちゃんとわかっていた。
 キャットは、ジェラールという青年に並々ならぬ好意を抱いているのだ。あの夜、彼に危ないところを助けられたその時から、この気持ちはずっと高まり続けている。

「あら、キャットじゃない。どうかしたの?」

 そしてせっかく跳ね上がっていた心拍数が、冷水を浴びせられたように急激に冷め、一気に萎んでいくのが分かる。
 それもそのはず。ジェラールの横には、最もアバロンでいけ好かない女がいたからであった。

「・・・なんだ、おばさんもいたんだ」
「おば!!?・・・随分なご挨拶ね。今日はジェラール様の弓の訓練なのだから、私がいるのは当たり前よ」

 明らかに不機嫌そうな声色のキャットに応えたのは、長く美しい金髪をポニーテールに結んだ軽装備の帝国兵と思しき女。
 彼女の名は、テレーズ。帝国軍猟兵部隊に所属する彼女だが、その弓の腕前は帝国軍随一と噂されていた。短弓長弓を自在に使いこなし、さらには短剣による接近戦もかなりの腕前を誇る。
 その実力を買われ、若くしてジェイムズと同じく皇帝外遊時の身辺警護に抜擢された、帝国の誇る文句なしの才媛であった。
 身辺警護だか何だか知らないが、何かとジェラールの側にいることが多いテレーズのことが、キャットは大いに気に入らなかったのである。

「あっそ。まぁいいや・・・ねぇジェラール様、明日の収穫祭、ご挨拶の公務が終わったら一緒に街を回らない?」

 テレーズには一切目を合わせずにジェラールの元まで距離を詰めながら少し彼を見上げるようにして、キャットが尋ねる。

「え、そうだな・・・別に私は構」
「ダメです」

 ジェラールが言い切る前に、テレーズが強弓の一矢の如き声で遮ってきた。

「は?おばさんには聞いてないんだけど」
「おば!!?・・・ジェラール様は明日、帝都民へ向けた祝辞の後、新たに帝国臣民となった南バレンヌのミラマー自治代表団と会食のご予定があるの。それに翌日も予定が詰まっているから、街を回る余裕はないわ」

 そう言いながらさり気なくジェラールとキャットの間に立ち位置を移したテレーズは、表面上にっこりと微笑みながらキャットを見下ろす。
 頭ひとつ分近く背丈に差がある二人が、互いに睨み合うようにしながら火花を散らす様に、訓練場内にただならぬ緊張感が走った。

「いや、あの、別に私なら・・・」
「さ、ジェラール様、訓練の続きです。本日はあと十本、しっかり的の中央に当てるまで上がれませんよ!」

 そう言いながらジェラールの視線を弓矢の的に向けさせたテレーズは、しっしっと手を振りキャットにも帰るように促すと、彼女に背を向けてジェラールへの指導を再開した。

「・・・・・・っとに邪魔なおばさん・・・」

 一段と低い声色で毒吐きながらキャットがその場を後にするのを、テレーズはしっかりと視界の端に捉えていた。

「・・・・・・ほんっと私って最悪・・・」

 宮殿内の兵士詰め所には専用の大食堂があり、その一画には兵士らの憩いの場として酒類の提供をしているカウンターも存在する。
 そのカウンターで葡萄酒をちびちびと飲みながら、テレーズは深いため息と共にそう呟いた。

「え、いきなり何よ」

 テレーズの隣でチーズを摘みながら、同じく葡萄酒の入ったマグカップを傾けていた女が、唐突なテレーズの懺悔に怪訝な顔をする。
 女の名は、ライーザ。ジェイムズと同じ軽装歩兵部隊に所属する女戦士で、テレーズとは帝国正規兵になる前からの古い付き合いである。

 

「ねぇ・・・私ってやっぱ、もうおばさんかしら」
「え、ちょっとやめてよ、それ認めたら私もそういうことになるじゃないの」

 ライーザがあからさまに眉間に皺を寄せながら言うと、テレーズは唇を尖らせながら俯いた。

「そりゃあさ、私なんてもう25だし、ジェラール様より全然年上だし、キャットとなんか8つくらい離れているし、そのくせ同レベルであの子といがみ合っちゃってるし・・・」
「・・・あー、そう言う感じのアレね」

 もはや独り言のように呟き続けるテレーズの言葉から凡その状況を察したライーザは、手にしていたマグカップをカウンターに置くと、腕を組んでうーんと唸りながら考え込む仕草を見せた。

「しかしジェラール様ねぇ・・・。こういっちゃ何だけど、あんた男の趣味変わったわよね」
「・・・自分でもそう思うわ」

 カウンターにへたり込むようにしながらテレーズが応える。彼女自身、何故今こうもジェラールに惹かれているのか、不思議ではあった。

「ジェラール様、普段のご様子は御即位以前と何も変わらないのよ。それはそれでなんか守ってあげたくなる感じは前からあったけど・・・でも御即位なされてからは、ご公務や戦装束に身を包んでおられる時なんて、まるで亡きレオン様やヴィクトール様がそこにいるかのように急に凛々しくていらっしゃって・・・。以前はいつも私の後ろに居たのに、この間なんて私がちょっとゴブリン相手に間合いミスった時なんか、むしろスマートに助けてくれちゃったりなんかしてさ・・・あとソーモンの時なんて」
「あーわかったわかった、はいはいはーい」

 このままだと延々喋り続けそうな勢いだったので、それを制止するように手を振ってライーザが声をあげる。

「つまり、ギャップにやられたってことね」
「・・・そう、なるのかしら・・・」

 特定の相手へ向ける好意を自分で認めることほど、気恥ずかしいことはない。テレーズはカウンター上に組んだ腕の上に頭を乗せながら、ライーザの出した結論に対して控えめに肯定した。
 ライーザは思案する。どうやら友人は己の中に芽生えたその好意を自覚しつつ、若く可愛いキャットが恋のライバルだということで思い悩み、結果この調子なのだろう。
 そう推論した彼女は、再び腕を組んで唸った。

「まぁ・・・なんていうかキャットちゃんみたいな若さはもうさ、私らにはないわよね。そりゃ認めざるを得ない」
「そうよね・・・」

 ライーザの告げた非情なる現実に、テレーズの声は更に沈んでいく。

「でも、若さでは出せない魅力が私らにはちゃんとあるはずよ」
「・・・魅力?」

 テレーズが恨めしそうな目で見上げると、ライーザは皿の上のチーズを一気に口の中に放り込み、マグカップの中身を勢いよく飲み干した。

「どうせあれでしょ。キャットちゃんが明日の午後ジェラール様を出店回りに誘いにきたとかでグダってんでしょ?」
「・・・偶にライーザって鋭すぎてキモい」
「っさいわね。で、ジェラール様は明日キャットちゃんと街回るって?」

 ライーザが椅子から立ち上がりながら聞くと、テレーズは僅かに首を横に振った。

「・・・いえ、その時は訓練中だったから会話邪魔して遮っちゃった」
「それでいいわ。恋は弱肉強食、チャンスは奪い取るもの。つまり今度は、あんたのターンってわけね」
「私のターン・・・?」

 言っている意味が良くわからないという顔のテレーズだったが、そんな彼女を見下ろすライーザは、不敵な笑みを浮かべていた。

 

 帝都臣民の大歓声を背に、眩い黄金の鎧を身に纏ったジェラールはバルコニーから宮殿内へと戻る。
 秋の収穫祭で皇帝による臣民への祝辞は毎年恒例のことだが、今年はバレンヌ帝国としての領土全盛期であった南バレンヌ地方までを領地として復活させたことで、過去に類を見ないほどの凄まじい盛り上がりを見せている。
 要するに、皇帝ジェラールの名声と人気は嘗てないほどに高まっていたのだ。
 宮殿の中に引っ込んでも全く鳴り止む様子のない広場の臣民による大歓声に、ジェラールは誇らしいやら気恥ずかしいやら、なんとも言えない表情をしながら自室まで戻り、ようやく一心地つけるといった様子で黄金の鎧を脱いでいく。
 こうした身支度も本来は召使が行うものなのだが、そういった扱いだけはどうにも慣れないジェラールは、自分でやるのが習慣になっている。
 そそくさといつものシルクの上下に着替えると、やっと一息つくように自室のベッドに腰掛ける。

コンコンッ

 ドアをノックする音が聞こえ、さらに『お飲み物をお持ちしました』という声が聞こえてくる。
 丁度演説後で喉が渇いていたジェラールが感謝の言葉と共に入室を許可すると、間もなくドアが開き果実水の入った瓶とグラスをトレイに乗せた女が中に入ってきた。
 その姿をみて、ジェラールは驚愕の表情を浮かべる。

「・・・って、テレーズ!?」
「・・・お疲れ様です、ジェラール様」

 飲み物を持ってきたのは普段彼の身の回りの世話をする給仕ではなく、なんとテレーズであったのだ。
 しかもその格好は普段の軽装防具ではなく、深めのスリットから脚線美の映えるスカートに首周りから肩まで大胆に露出されたブラウスという、最近帝都内で流行りの南バレンヌファッションに身を包んでいる。

「・・・どうぞ」
「あ、ありがとう・・・」

 テレーズからグラスに注がれた果実水を手渡されると、ジェラールは思わず彼女から目を逸らしつつ受け取る。
 テレーズは女性の中では、背が高い方だ。その彼女が今の服装で座った自分に合わせて屈むと、しっかり角度がつくためか色々と視線の置きどころに困ることになるのである。

「その・・・どうしたんだい、テレーズ」

 兵装以外の彼女を見ることがなかったジェラールは、自分でも意外なほど動揺しながら問いかける。

「その・・・実は、本日この後会食を予定しているミラマー自治代表団の方の到着が遅れているようでして、会食のご予定を明日にずらすとのことで」
「そ、そうか」

 言いながら何故かテレーズが少しずつ近づいてくることにジェラールは内心で焦りつつも、あくまで平静を装う。先帝から引き継いだ強靭なる魂がなかったら、あやうく今頃は赤面して倒れていたかもしれない。

「それで・・・ですね。この後もしジェラール様がよろしければ、城下町への軽い視察に予定変更など如何かと思いまして。臣民はジェラール様のお姿を拝見できることを、何よりの喜びとしておりますので」
「・・・確かに、あれほど喜びの声を上げてもらえるなんて、私も思わなかったよ。この後の予定が無くなったなら、確かに民の顔を見にいくのは良いかもしれないな」

 そう言いながらジェラールが微笑むと、テレーズはそれに応えるように艶やかな笑みを浮かべた。
 その表情は護衛中にはまず見ることがないような華やかなもので、それにもジェラールは一々どきりとしてしまう。

「はい。城下町とはいえ不埒な輩がいないとは限りませんから、もちろん私もお供いたします。民に余計な不安を抱かせぬよう格好はこの様相で参りますが、一応万が一の時の武具も仕込んでありますので」

 そう言いながらテレーズは、徐にスカートのスリットを大胆に捲り上げる。するとそこには、大腿部に巻きつけられた小さな剣帯に、小型剣が納められていた。

「ッ!!?・・・そ、そうか。それなら安心だな・・・!」

 再び、目を逸らしながらジェラールが言う。武器の有無を確認しただけだと言うのはわかるのだが、如何せんそれ以外に視界に飛び込んでくる景色の方が、ジェラールにとっては殺傷力が高い。

「で、では参ろうか!」
「はい・・・!」

 いそいそと立ち上がったジェラールの脇にテレーズも控え、どうもぎこちない様子で歩く二人はそのまま城下町へと向かっていった。

 

「・・・・・・」

 遠くでは未だ賑やかに臣民が歌い踊り、広場の中央では煌々と火が焚かれ続け、無事に迎えられた収穫祭の喜びが今も続いている。
 その様子を自室の窓から眺め、ジェラールはうっすらと微笑む。
 帝都の繁栄をこうして見ることができるのは、彼にとってなにものにも代え難い喜びだ。

「・・・皆も喜んでくれていたな・・・」

 そう呟きながら、ゆっくりとベッドに向かい、腰掛ける。
 先刻までテレーズと共に城下町を巡り、多くの民と話し、彼らの喜ぶ様を間近で見てきた。
 途中、出店を出していたアンドロマケーから大量の串焼き肉を貰ったり、飲み屋の外席ですっかり出来上がり肩を組みながら歌っていたヘクター&ジェイムズに挨拶したりと、いつもは戦いの連続で休まる暇のない帝国兵の皆も、其々にこの祭りを楽しんでくれているようだった。

「テレーズには流れで城下町回りの護衛をお願いしてしまったが・・・彼女も少しは気が休まっただろうか・・・」

 護衛といっても、特になにか危険が起こったということはなかった。
 あったことといえば、酔った民にぶつかられたテレーズが自分に抱きつく格好になってしまったりとか、人混みに逸れそうになったので彼女と手を繋いで突破したりとか、そういったことくらいだ。
 側から見ている限りでは、彼女も常に緊張感に包まれているというよりは、どこか楽しんでいるような、そんな眩い笑顔も時折見られた。
 それならばそれで良かったのかもしれないな、とジェラールは思う。

コツンッ

「・・・?」

 窓辺に、何か小さなものがぶつかったような音がする。
 ジェラールがすぐに気づいて、何事かと思い窓辺に近づく。
 すると窓の外に設置された小さなバルコニーの縁に立つ、小柄な人影があった。

「あぁ、やはりキャットか」

 そこにいたのは、キャットだった。彼女は屋根の上でも木の上でも自在に駆け回るので、たまにこうしてバルコニーから彼の元に顔を出すことがある。
 衛兵たちはいい顔をしないが、ジェラールはあまり気に留めることはなかった。
 しかしこんな時間にどうしたのかと思いながら窓を開け、自身もバルコニーに出る。するとキャットは縁の上にしゃがみ込み、すっとジェラールに向かって手を伸ばした。

「こんばんは、ジェラール様。今から、少し屋根上の散歩をしましょう」
「え・・・?」

 唐突な誘いにジェラールが即座に反応できずにいると、キャットはみるみるうちに小さな可愛い顔を膨らませた。

「ネタは上がってるんです。ジェラール様、今日テレーズと城下町回ってたでしょ」
「あ、あぁ・・・どうも会食の予定が変更になったらしくてね」
「変更させたのは、ライーザですよ。ミラマー代表団に帝都入り口で接触して、今日は城下町の収穫祭案内にさせたんです。全部裏はとったので間違いないです」

 そう言いながらキャットはジェラールの腕を掴み、ひっぱるように自分の方に引き寄せる。
 無理に抗わずにバルコニーの縁へと引き寄せられたジェラールは、キャットが盛大に拗ねた様子であることを流石に察した。

「・・・ずるいです。あたしだって、ジェラール様とデートしたかったのに」
「いや、あれはデートとかではなく公務というか・・・」
「誰がどう見たってデートでしょ」

 ぴしゃりとジェラールの言葉を遮りながら、キャットは彼の腕を手に取ったまま縁の上に立ち上がる。
 街に出ていたギルド仲間伝いにジェラールとテレーズがいい感じの雰囲気で並び歩いていたという報告を聞いた時には、お湯が沸かせるほど顔を真っ赤にして怒り狂ったものだ。
 だが、それで単に地団駄を踏んでいても仕方ない。相手がそのつもりならば、こちらも徹底的に戦うまでなのである。
 引き寄せられるに任せてジェラールもバルコニーの縁に登ると、キャットは慣れた様子ですぐ下の屋根伝いに歩き出した。

「昼間はあの女にしてやられたけれど、夜の帝都はあたしのテリトリーよ。賑やかな街の明かりを頼りに、屋根の上のランデブーをしましょう」
「・・・了解、付き合うよ」

 収穫祭の雰囲気で開放的になっていたジェラールは、キャットの我儘に付き合ってあげるのも今日は悪くないだろうと思い、彼女について屋根に飛び移る。

「ふふ、あの夜から思ってましたけど、ジェラール様って屋根上なのに身のこなしが軽いですよね。シティシーフ、向いてるんじゃないですか?」
「おいおい、私に泥棒になれというのかい?」
「いいえ、違うわ。もうあたしたちはチンケな泥棒じゃない。帝都の平和を守るための諜報部隊だもの」

 屋根から屋根へ伝い、宮殿の外壁を進み、外壁詰め所の屋根から近くの民家へは大きな木が一本ある。それを伝えば、あっという間に城下町の屋根上世界へ辿り着く。

「でも、盗みをやめたわけじゃないわ」
「こらこら、私の前でそんなことを言うものじゃない。流石に看過できないよ」

 屋根を伝って歩いていけば、賑やかなアバロンの中央広場が近づいてくる。きっとこうして臣民が喜びに歌い踊る様は、夜が更けるまで続くのだろう。

「ご心配なく。盗む対象は一つだけだし、そもそも盗まれるかどうかは、その人自身が決めることだから」
「人・・・?」
「・・・ジェラール様って、ほんと、にぶちんですよね」

 広場の様子を見下ろせる大きな屋根の上にたどり着いた二人は、その場に腰を下ろして賑やかな様子を特等席から見下ろす。

「でも、次はあたしが先手を取るわ。絶対負けない」
「・・・?」

 ジェラールの肩に寄りかかるようにしながらそう呟くキャットに対し、ジェラールはその言葉の真意を測りかねながら支えるに徹する。
 ジェラールとしても彼女のことは可愛い妹のように思っているが、しかしこうして体を密着されるのはどうなのだろうか、とは流石に思う。年頃の娘だし、もう少しこういうのには気を遣った方がいいのではないだろうか。
 その時、ふわりと風に乗ってキャットの髪のいい香りが鼻腔をくすぐった。
 それに釣られて思わず髪の匂いを嗅ぐようにジェラールがキャットに顔を寄せると、今度はキャットが慌てる番である。

「え、ちょ、ジェラール様・・・!」
「いや、なんだかいい香りがしたから」

 ジェラールの中ではそのまんま猫吸いのような気持ちであるのだが、キャットからしたらこれはひとたまりもない。
 慌てふためきながらも当然身動きなんて取れるはずもなく、そのままジェラールが一頻り満足するのを固まりながら待つ。
 やがてむふぅと満足げにジェラールが顔を離すと、キャットは居た堪れなくなってすっと立ち上がった。ジェラールからは見えない角度だが、顔の紅潮具合が凄まじいことは言うまでもない。

「・・・ち、ちょっとお腹すいちゃったので、串焼きと飲み物調達してきます。ここで待っててください・・・!」
「ん、わかった。気をつけて」

 言うが早いか、猫のようにしなやかに屋根を飛び移り、まだまだ人混みで賑やかな地上へと降りていくキャットを見送る。
 そうしてふと一人になったジェラールは火の粉が舞い昇る夜空を見上げ、戦いの最中にある一時の平和を享受するように目を細め、物思いに耽るのであった。

「・・・にぶちんって、どういう意味なんだろうか・・・」

 にぶちんを巡る二人の戦いは、長期戦になりそうであった。

 

 

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第八夜:伯爵と伯爵

 

—カランカラン…コロロン…——

「いらっしゃい」

 イスカンダールから見て左側の扉が優雅に開き、それと同時にドアベルすら、どこか雅な音色で響き渡る。
 いつもと異なる音色の様子にイスカンダールが思わず片眉を上げながら扉へと視線を向けると、店内に入ってきたのは、明らかに一般人とは異なる雰囲気を纏った人物であった。
 その人物は一見すると男性のようだが、どこか性別を超越したような独特の空気を纏っている。服装は白のスーツのようだが、しかし随所に施された刺繍やスーツそのものの型取りが非常に独創的で、単なるオーダーメイドを超えた唯一性を強く感じさせる逸品だ。
 そしてスーツとセットになっているであろうデザインのシルクハットを被っており、その下には直視するものを魅了するかのような紅い瞳が、妖しげに煌めいている。
 間違いなく、人ではない。
 即座にそう判断したが、かといってイスカンダールは、何食わぬ顔で手元のグラスを拭き続けるのみ。
 なにしろ来店客を人間に限定した覚えはないので、時にはこういう来客もあるだろう、という程度に思っただけの話であったからだ。

「ほう、ここは酒場か」
「ご明察。お好きなお席へどうぞ」

 少ない動作で店全体を見渡した人物の呟きに応え、イスカンダールは視線でカウンター席を示す。
 すると白スーツの人物は存外素直に近くのカウンター席へと腰掛け、どこか物珍しさを楽しむように、酒棚のボトル群をじっくりと眺め始めた。

「お客さんは・・・ほぅ、連接領域からのおいでか。流石にここに生き血は置いていないが、アルコール類の品揃えにはそれなりに自信がある。好みの味わいを言ってもらえれば、おすすめも出そう」
「・・・なるほど、私が闇の王であると一目で見抜いたか。なかなか魅力的な目を持っている」

 シルクハットを脱ぎながら白スーツの人物がどこか愉快そうに声を上げると、イスカンダールは肩を竦めて微笑んでみせた。

「ふふ・・・そりゃあどうも。まぁ闇の王様かどうかまでは流石に分からなかったんだが、種族的には、なんとなくな」

 予想通り、どうやら今日の来客は吸血鬼のようだ。
 どちらかというとイスカンダールの元いた世界では敵対する類の種族なのだが、案外吸血鬼という種族はポピュラーなもので、彼は様々な世界に同様の特徴を持つ種族がいるこをと確認していた。
 なので、雰囲気などで分かりやすいと言えば分かりやすいのだ。
 ただ、この白いスーツの人物はどうもイスカンダールの知る吸血鬼とも少々異なる様子。
 どの世界でも吸血鬼という存在は力ある存在で、その力に比例してプライドも高い傾向にある。その上、この人物などは自らを『王』と名乗る始末。となれば、相当に気位が高そうなものだろう。
 だというのに、この人物からはどこか、気が置けない柔らかな物腰をすら感じさせる。
 なんとも不思議な人物だ。

「そうだな・・・月並だが、あんた方が好んで飲む類の品揃えにもそこそこ自信がある。よければ、セラーからおすすめを一本お出ししても?」
「献上品ということか、殊勝な心掛けだな。許す。私が満足できるものを出してみせよ」

 白いスーツの人物はカウンターの上に両肘を着き、絡めた両手の指の後ろからゆらりと揺らめく紅い瞳で愉快そうにこちらを見つめる。
 イスカンダールは当然この手の瞳に精神干渉を受けることはないが、それでも首筋に少しむず痒さを感じるので、あんまりそういう目で見てもらいたくないものである。
 まぁ、彼らの場合は当人の意思に関わらず瞳にそういう作用がある場合がほとんどなので、言っても仕方のないことではあるが。

「さて、どれにするかな・・・」

—カランカラン…コロロン…——

 イスカンダールがカウンター内から出て客席側に設置してあるワインセラーの中身を物色していると、先ほどの人物とは逆側の扉から、入店を知らせるベルの音がこれまた優雅に響き渡る。

「いらっしゃい」

 ちらりとそちらに視線を向け、イスカンダールは少し目を細めた。
 なんと此度の来店者もまた、人ならざる者のようだ。なるほど、今日はそういう日というわけか。

「ほぅ、城の扉がこんな所に続いているとは・・・これはまた異な事だ。少しは楽しめると良いのだが」

 物珍しげに店内を見回しながら後ろ手に扉を閉めて足を踏み入れてきたのは、一目でわかる高貴な地位の者が纏うであろう豪奢な燕尾服を身に纏う、血のように紅い長髪をした美しい人物であった。
 この人物もまた男性と思われるが中性的な妖しく美しい顔立ちをしており、人ならざる魅力を醸し出している。

「なるほど、これは面白い。孤高の存在である我に居並ぶ存在と、このようなところで出会おうとは」

 リラックスした様子でカウンターに座りながら新たな来店者に声をかけたのは、白いスーツの先客であった。
 するとどこか態とらしく、その声で初めて存在を認知したかのように白いスーツの人物に瞳を向けた赤髪の人物は、少し伏し目がちに俯いてフッと笑みをこぼす。

「ふふ、これは驚いた。私と同じく悠久の時の中で無聊を託つ者が、こんな所に2人も居ようとはな」

 そう言いながら赤髪の人物は、どこか興が乗った様子で白いスーツの人物と一つ間を開けたカウンター席に座った。

「どうやら今宵の集まりに、私は最後に参じたようだな。遅れた無礼を詫び、まず私から名乗ろう。私の名はレオニード。伯爵としてポドールイ地方を治めている」
「我が名はシウグナス。闇の王だ。だが・・・実は私も伯爵と呼ばれていたことがあってな。これはまた随分と奇妙な縁だ」

 席を挟んで両名が名乗り合っているところに、一本のワインボトルを携えてカウンター内に戻ってきたイスカンダールも軽く肩を竦めながら口を開く。

「ふふふ、お二人さんとは少々事情が異なるが、無聊を託つ、という意味では確かに私も一緒なのだろう。私の名はイスカンダール。このBARイスカンダリアの店主を務めている」

 そう言いながらイスカンダールは、ガラス棚の上で光沢を放つワイングラスを二脚取り出し、流れるような動作で2人の前に差し出した。

「2人に相応しい一本を用意させてもらおう。少し準備をさせてもらうので、待っていてくれ」

 そう言ってイスカンダールは持ってきたワインを立たせると、丁度コルク部分の上あたりに手を翳し、慎重に息をゆっくりと吐きながら術式を練り上げる。
 嘗て彼の隣で戦った大魔女ほど上手くは扱えないが、イスカンダールも長い年月の間に少々の術は齧ってきた。そのなかでワインを手早く最適なコンディションに整えるために丁度良いと思い、水行に属すると思われるクイックタイムという術を彼は会得している。
 なにしろこれを使えば、横に寝かせていたヴィンテージワインを立てて澱を沈めたり、抜栓した後で適度にワインを開かせる時間が一気に短縮でき、非常に便利なのであった。

「ほほう、雪、か。最終皇帝のいた世界で見たな。そのポドールイという世界も、いずれは翠の波動の先に現れるかも知れぬな」
「ふふ、来てもらっても構わないし歓迎もするが、詰まらない場所さ。美しく退屈な宵闇に閉ざされた、眠気を誘う街だよ。私は、そのヨミという世界のほうがよほど興味があるがね」

 2人の会話を聞き流しつつ、ボトルに術を施していく。
 実のところワインとは市場に流通するものの大半が、早飲み向けだ。何年も寝かせることで深みを増すタイプの葡萄品種や製法は存外限定的で、大半のワインは収穫年から間を置かずに飲んでもらった方がいい。
 更に最近は世界によっては従来のコルクではなくスクリューキャップを採用しているワインボトルも増え、実際そちらの方が衛生管理面など様々な面で優れる。
 だが、ワインとはやはりサービスの所作まで含めて楽しむものという持論を持つイスカンダールとしては、多少面倒でもコルク製のワインがやはり好みだったりする。
 コルクは呼吸をする。なのでワインを縦に置いておくと乾燥したコルクを通じ空気が多く入り込み、中身が酸化してしまうのだ。なのでコルク式のワインは横に寝かせて、コルクに液面が当たるように保存するのが基本である。

「様々な世界を訪れて魅力ある闇を探す・・・なんとも甘美な体験であろうな。領地に引き篭もっている私からしたら、素直に羨ましいと思ってしまうよ」
「あぁ、とても愉快な体験だ。しかし世界は、私が思う以上に多様でな。中には、我が力の通じぬ娘なども居た。あれには王たる私も流石に衝撃を受けたものよ・・・」

 熟成向けのワインほど、瓶の中には葡萄カスなどの『澱』がある。そうしたワインは横に寝かせたままだと澱がボトル全体に沈んでいるので、あらかじめ飲む前に数時間ほど立てておき、澱を底に沈める必要がある。
 また、熟成向けワインには抜栓してから中身が飲み頃になるまで、これまた数時間を要するものも少なくない。中には、飲む前日に抜栓しておくことが推奨されるものまである。
 このようにワインが『開く』までの時間や、先ほどの澱を底に沈める時間を一気に短縮できるので、クイックタイムは非常に便利だった。
 そういえばどこぞの世界ではこの術でラスボス完封なんて救済策もあるらしいが、あいにくとイスカンダールには縁のない話である。

「魔王と聖王・・・なんとも魅力的な存在ではないか。死に魅入られる、という点が特に良い。300年毎にそのようなことが起こるとは、そちらも中々面白い世界のようだな。ますます訪れてみたくなった」
「ふふ、逆にそれ以外には何も面白味がない世界、とも言えるがね。だが確かに、宿命に翻弄される短命種の生き様というのは、稀に素晴らしい物語を見せてくれるものだよ」

 ある程度ワインが開くまで術を施した後、仕上げにデキャンタージュしていく。こうしてボトルからデキャンタに移す過程で更に空気を含み、ワインは一気に花開くのだ。
 あとはデキャンタの中身をワイングラスに注ぎ、2人の前にグラスを滑らせる。

「お待たせしたな。今宵のワインは、こいつだ」

 イスカンダールは澱部分を僅かに残したワインボトルを、エチケットが見えるように丁度2人の間に置く。

「こいつはロアーヌが世界に誇る最上級ワイン銘柄の一つ、エンプレス・ヒルダ。ヴィンテージは299年だ」
「299年・・・死食にて全ての新しい生命が失われる前年、生命の輝きが近年で最も多く花開いた年か。グランドヴィンテージとまでは言わぬが、非常に良い出来の年だな」
「ほう、これは其方の世界のものか。先ほどの死食とやらに纏わる年代のものとは、実に興味深いな」

 イスカンダールの説明に合わせてレオニードが訳知り顔で顎に手を当てながら頷くと、シウグナスも興味をそそられたのかワインボトルのエチケットを繁々と眺める。

「このランクのワインのグランドヴィンテージとなると、入手には金より運が必要だからな。このヴィンテージにしたって、入手するのにかなり苦労したんだ。さ、アテにフロマージュを用意するから、まずは先に一口、味わってみてくれ」

 イスカンダールに勧められるままに2人はグラスを軽く回し、グラスの内側を滴るティアーズや色合いを眺め、香りを楽しみ、そして少量を口に含む。
 口腔に広がるのは、女帝の名に相応しい、淑やかでありながらも力強い味わい。
 シルクのような舌触りと一緒に鼻腔へと至る香りは、黒スグリの印象から、幾つもの花々を思わせる複雑なものへと変わっていく。
 その味わいも香りも全てが実に芳醇で、フィニッシュも非常にリッチな余韻。
 飲み込んだ後の両名の口元の緩みを見れば、しっかりとお眼鏡に適ったと判断していいだろう。
 そうして2人がワインの味わいを楽しんでいる所に、いくつかのチーズをプレートに盛り合わせて出しながらイスカンダールは口の端を釣り上げて微笑む。

「しかしお二人さんとも、これ以上ないくらいに赤ワインが似合うな」

 古今東西の吸血鬼が手にする血液以外の飲料といえば、赤ワインである。中でもこの2人が赤ワインを手にすると、赤ワインとはまさに彼らのためにこそ作られた飲み物ではなかろうかとさえ思えてしまう。
 カウンターに並ぶ2人と赤ワインは、それほど絵になる様相であった。

「女帝の名を冠するワインならば、王たる私が飲むにも相応しかろう。良い物を選んでくれた、イスカンダールよ」
「ふふ・・・私は実際にヒルダとも面識あるが、確かに彼女の持つ美しさや力強さを、このワインは体現している。これを作った偉大なるロアーヌの大地と職人たちに敬意を払いながら、ゆっくり頂くとしよう」
「王と伯爵にご満足いただけて、光栄の至り、ってね」

 2人の孤高なる存在はグラスを揺らし、時折チーズを摘みながら、彼らの過ごす時間の中の本当に一瞬の煌めきともいえるこの瞬間を余すことなく楽しむように、会話を弾ませていく。

 ところでこの場の平均年齢は一体何歳なんだろうなぁ、なんてことを唐突に思ったりしながら、イスカンダールもまた2人の口から出る様々な話には流石に興味をそそられ、いつしかグラス片手に話に加わっていった。

 

 

登場したお酒(架空物)

  • エンプレスヒルダ

RS3世界にて古くからワインの名産地として名高いロアーヌ地方の、歴史あるワイナリーが作り上げた至高の赤ワイン銘柄の一つ。ロアーヌ侯国初代侯爵であるフェルディナントの妻ヒルダの名を冠するこのワインは世界的に有名らしい。生産本数は多くないため、価格が高騰しがち。更に出来のいい年のものは金を積んでも中々手に入らないという、愛好家泣かせの一品でもある。

 

 

イスカンダリア:メニュー表へ

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第七夜:侍×侍

 

—ガタッ・・・カララン…コロン…——

「いらっしゃい」

 イスカンダールから見て左側の扉が聞き慣れぬ音を発した後にそっと開き、それと同時にドアベルが控えめに店内に響く。
 その音を不思議そうに聞きながら店内にするりと入ってきたのは、ゆったりとした布を重ね合わせたような衣服に身を包んだ男だった。
 その服装の特徴は、幾つかの世界で同様のものを見たことがあるイスカンダールにはすぐに分かった。これは確か、ハカマ、と呼ばれるものだったか。
 正確には袴にも様々な種類があるはずだったが、流石のイスカンダールもその詳細までは承知していない。

「お好きな席へどうぞ」

 随分と物珍しいのか、扉や店内をキョロキョロと見回していたその男に対し、イスカンダールはにやりと微笑みかけながら着座を促した。

「む、これはかたじけない。では・・・おぉ、これは帝国式か・・・?」

 そういいながら男は、バーカウンターに並べられた椅子一つにも、どこか物珍しい視線を向ける。

「お客さんは・・・・・・ほぅ、リャンシャンのおいでか。ふふ、うちの店は南蛮かぶれでね・・・いや、ヤウダでは南蛮とも言わんか・・・。まぁ、要するに『西の文化』を基調とした店なのさ」
「そのようだな。このリャンシャンに、斯様にハイカラな茶店があるとは存じなかった。この辺りも日夜警邏をしていたはずだが・・・」

 そう言いながらも物怖じする様子なく椅子に腰掛けた男は、今度は真っ直ぐにイスカンダールを見つめる。

「私はセキシュウサイの孫、ジュウベイと申す。若輩ながら、この地方を守護するイーストガードの一翼を担っているものだ。不躾ですまぬが、店主よ。このリャンシャンにおける商いの認可証を拝見してよろしいか」
「おっと、こいつはお勤めご苦労さま、だな。私の名はイスカンダール。この店はイスカンダリア、という名前で許可を取っているよ」

 そう言いながらイスカンダールはカウンター内の隅にある引き戸に向かい、ごそごそと中を漁った後、丸められた書簡を一つ引っ張り出して戻ってきた。

「こいつでいいかな、ジュウベイ殿」
「拝見しよう。どれ・・・・・・・・・!!!これはっバレンヌ皇帝の認可証!!陛下の御用商とは知らず、大変な無礼を申し上げた。済まない、イスカンダール殿」
「いやいや、しっかりお勤めを果たしてくれていることを、むしろ皇帝も喜ばれることだろう」

 深々と頭を下げるジュウベイに対し、丁寧に返された認可証を受け取りながらにやりと笑って返すイスカンダール。それに合わせジュウベイは再度軽く頭を下げながら、かたじけない、と付け加えた。

「さて、そうするとお勤め中のようではあるが、ここは茶店というより居酒屋寄りでな。折角だから一杯、いかがかね」

 イスカンダールが認可証を元あった場所にしまいつつ、まるで試すかのように声を掛ける。これは、状況をわかっての声かけであろう。
 ジュウベイも当然そのように受け取り、これには口の端を少し吊り上げて困ったように苦笑してみせた。

「む、確かに警邏中ではあるが・・・陛下の御用商殿のお誘い、断る道理もなし。有り難くいただこう。とはいえ、西の酒には詳しくなくてな。なにか、此方の酒に近いものがあると有り難いのだが」
「酒に近い、ね。まぁ酒そのものもあるが、それではつまらんしな。さぁて・・・」

 イスカンダールはしばし酒棚と向き合い思案した後、どうやら思いついたようにうっすらと微笑み、棚下から小瓶のような材料を取り出した。
 その中身を少し小皿の上に取り出して、ぬるま湯に浸けていく。

—ガタタッ・・・カララン…コロン…——

 イスカンダールがテキパキとオーダーの準備を進めていると、今度はイスカンダールから見て右側の扉が、先ほどと同じように妙な音を立てた後にゆっくりと押し開かれる。
 そして、先程のジュウベイの様子をリピートでもするかのように不思議そうな表情でドアベルの音を聞きながら店内へ物静かに入ってきたのは、これまたジュウベイと同じような姿格好をした男であった。

「いらっしゃい。ふふ、今日はそういう日か。お客人も、扉を引き戸と間違えたな?」
「・・・ここの店主か・・・これは恥ずかしいところを見られてしまったな」

 そう言いながら柔和な面持ちでカウンターへ近づいてきた男は、先客であるジュウベイに視線を向けると、スッと目を細めた。

「先客は・・・武士様であったか。拙者は・・・退散したほうがよいですかな」

 そう言って半身翻そうとしていた男を、ジュウベイが制する。

「待たれよ。私もここは初めてでな、気遣いは無用だ。むしろ私などに気を使い客人を返したとあっては、ここの店主に申し訳も立たぬ」
「・・・そうでござるか。では・・・」

 ジュウベイに言われて足を止めた男は、気を取り直してジュウベイと一つ離れた椅子に腰掛けた。

「そちらさんは・・・ほぅ、大江戸からお越しか。ここは茶店というより居酒屋寄りだが、大丈夫かね?」
「・・・今日は寺子屋も休みゆえ、問題はない・・・」
「そうかい、それはよかった」

 そう言いながらイスカンダールは男にメニューを手渡す。すると男は意外にも手慣れた様子でメニューを開き、記載されたメニューに視線を走らせていく。

「・・・様々な世界の酒があるのだな・・・」
「ほぅ、世界の概念をご存知か。するってぇとお客さんは・・・っと、余計な詮索はご法度、だな」
「・・・かたじけない」

 途中で口を噤んだイスカンダールにペコリと頭を下げながらメニューを返した男は、お任せで、と短くオーダーをすると、腕を組み静かに待つ姿勢を見せた。
 しかし、その男の静かな様子の奥に潜む鋭い眼光に気づいていたジュウベイは、居ても立っても居られず、早々に沈黙を破ることとした。

「もし、そこの御仁」
「・・・なにか」

 ジュウベイの問いかけに頭だけ半分向かせ、男が応える。

「私は、ヤウダを守護せしイーストガードの一人、ジュウベイと申す。御仁、相当な腕前とお見受けするが、名を伺ってもよろしいか」
「・・・イーストガード・・・聞き慣れぬ名で。拙者は・・・名乗るほどのこともない、今は国を離れた・・・しがない浪人でござるよ」

 イスカンダールは棚下から瓶を2本、そして上部の棚から幾つかボトルを取り出し、カウンター上に並べていく。
 客人がどちらも近い土地柄の生まれ育ちのようなので、折角だから和のテイストをベースに作ることにした。
 先ずはジュウベイに出す方として、ミキシング用グラスを取り出し、順番に3つほどの材料を手際よく注いでいく。

「ローニン・・・ですか。ではローニン殿。もしやその刀・・・村正ではありませぬか?」
「!!、なんと村正をご存知でござったか。しかし抜いてもおらぬ刀を言い当てるとは、ジュウベイ殿は、良い目をお持ちですな」
「いえ、祖父の教えの賜物です。私の持つ刀も祖父から譲り受けたもので、銘を千鳥と申します」
「千鳥・・・もしや、千鳥一文字!拙者、実は国元が岡山藩でしてな、千鳥一文字の奉納されていたという厳島神社には、何度か伺ったことがあるでござる。いや、なんという偶然か」

 ミキシンググラスに氷を詰め、バースプーンで静かに中身をステアしていく。
 ミキシングでステアするときは指の動きだけに集中し、静けさと滑らかさを維持することが重要だ。イスカンダールは、少しばかりこのステア技術には自信がある。
 そして程よくステアした中身をショートグラスに素早く注ぎ入れ、あとは最後の仕上げを待つばかり。
 つづいてはローニン殿の分だ。此方は直接グラスに作る、ビルドスタイルで提供する。
 まず足のついたロングスタイルのグラスを用意し、そこに2種の材料を注ぎ入れ、最後にお湯を入れておいた魔法瓶の中身を注ぎ込んだ。

「がーでぃあん・・・ですか。そのような組織があったとは存じませんでした。秘宝・・・七英雄が狙いそうです。これは陛下にご報告すべきだな・・・」
「イーストガードという組織も拙者は存じてなかったでござるが、ジュウベイ殿を見ればその組織が良き志の集いであるのは分かるというもの。その七英雄という存在も、将軍同様に注視せねばならぬ存在のようでござるな・・・」

 ジュウベイに用意したグラスには戻しておいた桜の塩漬けを最後にそっと入れ、ローニンのグラスには、スライスしたレモンを入れる。
 これで、完成だ。

「さ、お二人とも。おまたせしたな」

 そう言って差し出されたグラスを、2人は物珍しそうに覗き込む。
 ジュウベイのグラスは淡いグリーンの色合いに、沈んだ桜の花が見えるショートカクテル。そしてローニンのものは、ほんのり湯気のたつ淡い琥珀色のロングカクテルだ。

「これらはどちらも、さる著名なバーテンダーが考案した和酒ベースのカクテルでな。和酒はそのまま飲んでも勿論美味しいんだが、実はカクテルの素材としても非常に魅力的なんだ」

 イスカンダールの口上を聞きながら、2人は早速グラスを手に取り、一口啜る。

「・・・おぉ、これは美味い。中身は酒と・・・茶の風味?」
「御名答。そいつには純米酒の他にグリーンティーリキュールを使っていてな。今日は確か、桃の節句(*2024/3/3掲載話)だったろう。だから仕上げの塩漬け桜がポイントなのさ」

 言われてジュウベイがグラスを持ち上げると、揺らめくグリーンの中に沈み込んだ桜の花びらが、ゆらりと揺蕩う。

「此方も、とても美味だ。店主、これはひょっとして、焼酎を使っているのか?」
「ふふ、ローニン殿も流石だな。そいつは焼酎にチェリーブランデーを入れたものだ。こっちもチェリーで桜繋がり、というわけだな。甲類ではなく乙類・・・本格焼酎を用いるのがポイントでね、焼酎の種類によって様々に風味が変わる。今回は、麦焼酎で作ったものさ」

 イスカンダールの説明を聞きながら、2人はグラスを再度傾ける。

「そうか、今日は桃の節句だったな・・・。うむ・・・おたま殿に、何か手土産でも・・・」
「・・・ほぅ、ローニン殿、そのおたま殿とは、いい仲なので?」
「あ、いや、その・・・そういうわけでは・・・!」

 杯を傾けながら和やかに談笑するサムライ2人を前に、イスカンダールも余った戻し桜の花びらを小さな赤い盃に乗せ、そこに酒を注ぐ。

「そういえばどこぞの世界では、もうすぐ春か。花見に繰り出すのも、悪くないな」

 そんなことをつぶやきながら、イスカンダールはちびりと盃を傾けた。

 

 

登場したお酒(今回は2つとも、バーテンダー上田和男氏のレシピを使用)

  • 春暁

日本酒、ストリチナヤウォッカ、グリーンティーリキュールをステアしてグラスに注ぎ、そこに戻した塩漬け桜を入れたお洒落カクテル。桜を戻しすぎないのがコツらしい。グリーンの色合いが美しく、程よい桜の塩気も相まった雅な仕上がり。使う日本酒は辛めのものが個人的には合うと感じる。

  • 冬桜

乙類焼酎、チェリーブランデーをグラスに直接注ぎ、あとはお湯でアップ。最後にレモンスライスを入れて完成。乙類焼酎とは芋・麦・米など様々な素材で作られる「本格焼酎」の類で、種類も様々。そのため、使用する焼酎で風味が結構変わるカクテル。まだ肌寒い新春に飲むのにぴったりの一杯。材料さえあれば簡単に作れるので、寝酒にもよし。

 

 

イスカンダリア:メニュー表へ

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第六夜:魔王の落胤と太陽神の使徒

 

—カラカララン…コロロロン…——

「いらっしゃい」

 イスカンダールから見て左側の扉が軽快に開き、それと同時にドアベルがけたたましく響き渡る。
 その音に合わせて一切隠すつもりのない大きめの靴音を響かせながら店内に入ってきたのは、十代と思しき様相の少女だった。
 その少女の外見的特徴に、思わずイスカンダールも眼を細める。
 相剋関係にあるはずの朱鳥と玄武の力がどうしてかその小さな身体には宿っており、それを象徴するかのように左右の瞳がアクアマリンとルビーに煌めく。
 またその特性を自身も理解しファッションに取り入れているようで、黒を基調としながらもトリッキーに蒼と紅を大胆にポイント配色した服装でもって、己を着飾っていた。
 ここまで個性的な特徴を盛り込んだ人物はこの店の来店客にも中々いないだろうな、とイスカンダールは内心で一人、勝手に関心してしまったほどだ。

「へぇ、バンガードにこんなところあったんだ。結構オシャレじゃん」

 そう言いながら物怖じする様子なくカウンターまで進んできた少女は、座っていいか、のジェスチャー代わりにカウンターの椅子を指差しながらイスカンダールを見て、片眉を上げる。
 イスカンダールが、勿論と言わんばかりに口の端を釣り上げながらウインクすると、少女は勢いよく飛び乗るように椅子に腰掛けた。

「実は結構前からやっているんだがね。見つけた人はラッキーな、隠れた名店、がコンセプトなのさ」
「名店って、それ普通自分で言うもの?」
「ふふ、これは痛いところを突かれたな。まぁあくまで期待を込めての、経営戦略的な観点さ」

 そう言いながらイスカンダールは少女にメニューを手渡す。

「ここは一応バーだからアルコールがメインなのだが、君は酒はいけるクチなのかい?」
「ちゃんと飲んだことはないかな。水は自前で用意できるから困らないしね。あとお酒とか飲んだら多分、ママがすごい怒りそう」
「ふふ、それはいいことだ」

 ご丁寧に肩の高さに持ち上げた掌から小さな水の塊を浮かび上がらせつつ少女が言うと、イスカンダールはニヤリと笑いながら返す。
 水に比べて腐り難いアルコール飲料は、文明レベルによっては大人だけでなく子供のころから飲料として常飲されることも多い。
 それだけ水の確保は文明の発展段階により難易度が大きく異なるのだが、この少女のように術文明が栄えている環境だと、それで用意することができるというわけだ。

「では、ノンアルコールカクテルなど如何かね。まぁ言ってしまえばジュースの類だが、折角バーに来たんだ、雰囲気だけでも楽しんでいってもらわねばな」
「じゃあそれで」

 心得た、とばかりに胸に手を添えながら浅く一礼したイスカンダールは、顎に手を当てふむと一瞬考えた後、即座に材料となるボトルのピックアップを始める。

「完全なノンアルコールも勿論出来るんだが・・・数滴垂らすことでアルコール感はほぼ全く感じず本場の風味が加わる、という程度のアクセントはありかな?」
「ん、それくらいなら多分大丈夫かな。昔、おじさんとおばさんが飲んでた術酒を舐めたことくらいはあるし」

 術酒とは、魔術を扱う幾つかの世界で定番の、魔力補給を目的として作られる薬酒のことだ。魔術師にとって魔力の枯渇は死活問題なので、彼らは小さな頃から少しずつ術酒を飲んで体に慣らす。そのため副次的に、魔術師は海賊にも負けず劣らずの酒豪なんてこともザラなのである。
 だが見たところこの少女は、どうも内包する魔力量が常人とは比較にならない様子。これならば、術酒の類に世話になることはそうそうないだろう。
 これは末恐ろしい才能もあったものだとイスカンダールは内心で肩を竦めながら、オーダーに則りカクテルの準備を進めていく。

—カランカラン…コロロン…——

 イスカンダールがぐりぐりとオレンジを絞っていると、いつもの様に先程の少女とは反対側の扉が開き、そこからおずおずと店内に入ってくる人影があった。
 その来客には流石にイスカンダールも少々驚きの表情を浮かべたが、しかし直ぐに冷静を取り戻して何時ものように落ち着いた声で語りかける。
 いつだってここに来る客とは、来るべくして来るものなのだから。

「いらっしゃい」
「・・・ここは・・・って、イスカンダール?」

 店に足を踏み入れたのは、一見してさしたる特徴のない、年若い青年だった。
 青年はどうやらマスターたるイスカンダールのことを見知っているらしく、彼を見て驚いたような反応をする。
 一方、先に来店していた少女は青年から感じる不可思議な「なにか」を敏感に感じ取り、俄然興味津々の様子で青年へと視線を投げかけた。

「ふふ、これは私のちょっとした趣味でな。まぁ気にせず席に着くといい」

 青年は、とりあえずイスカンダールに促されるままにカウンター席につこうとし、そして間もなく自分を凝視している少女の存在に気がつく。
 そちらをそっと伺うと、隠すこともなく真っ直ぐにガン見されているのが直ぐに確認できた。だがこの少女のことを青年は全く知らないので、なぜ自分が見られているのかは分からない。
 その出自やこれまでの経験上、出会った人の顔と名前については正直かなりの精度で把握しているつもりの彼だが、それでもその少女のことは全く記憶になかった。つまるところ、彼女はかつて彼が見てきた世界の住人ではない、ということだけは確かなようだ。

「あの・・・なにか・・・?」
「・・・貴方、人間なの?」

 開口一番、少女はとんでもないことを口走る。
 その言葉に青年は素直に驚いたように目を見開き、カウンター内のイスカンダールは何故だか関心したように微笑んだ。

「・・・あ、こういう時は先に名乗らないのって失礼なんだよね。あたしはジョセフィン。みんなにはジョーって呼ばれてるわ」
「・・・私はリベルっていうんだ、よろしく。・・・ところでジョー、なんで私が人間じゃないって思ったのかな?」

 リベルが改めて椅子に腰掛けながらそう問うと、ジョーはうーんと腕を組みながら首を傾げてみせた。

「・・・なんとなく。あたしもちょっと変な生まれなんだけど・・・でも貴方には、あたしとも異界の戦士とも違う、別の不思議な何かを感じるの。あ、気を悪くしたならごめんなさい」

 リベルは「謝る必要はないよ」と応えつつもジョーの第六感とも言うべき直感に驚きながら、状況の説明を求めるようにイスカンダールへ視線を寄越す。
 しかし、イスカンダールはニヤリと笑いながら肩を竦ませるだけだった。
 どうやら、喋る気はあまりないらしい。

「ま、続きはドリンクを用意してからでどうかな。さて、リベルは何を飲むかね」

 何方にとも無くそう言うと、イスカンダールはメニューをリベルに手渡した。
 訳は分からない。が、イスカンダールのやっていることならば大丈夫かとリベルは思い直した。彼にとってイスカンダールは、命の恩人といえる存在だ。そのイスカンダールのやっていることならば、そう不味いことにはならないだろう。
 リベルは素直にメニューを受け取り、ぺらぺらとめくって中身を見る。
 シンプルな文字によるメニューのみの記載だが、中々に分厚い。店の規模にしては随分と種類があるようだ。

「うーん、普段あまり飲まないから、こうもメニューが豊富だと悩むね・・・そしたら、何かおまかせで貰っても?」
「お安い御用だ。そうだな・・・お前さんにディミルヘイムのものを出しても味気ないし・・・」

 そう呟きながら腕を組んで数秒思案したイスカンダールは、何かを思いついたのかカウンター下にしゃがみ込み、ゴソゴソと棚下を漁る。
 そしてようやくお目当てを見つけたのか、よっこらしょ、と言いながら一本の古びた瓶を抱えて立ち上がった。

「お前さんには、こいつでどうだ。こいつはな、そこのお嬢さん・・・ジョーの世界では幻の酒とも言われている、極上の代物だ」

 そう言いながらリベルの前に置いたのは、陶器で作られた酒瓶だ。
 自分の名前を呼ばれたジョーも身を乗り出しながらその瓶をまじまじと見るが、酒を飲まない彼女にはいまいちその価値は分かりかねた。

「ふふ、こいつは術酒の系統の頂点にある代物でな、神酒、と呼ばれる。文化や信仰の違いにより、ネクタールやソーマなどと呼ばれることもあるな。まぁ要するに、回復力のすごいお酒、ということだ」

 何が回復するのかはさておき、イスカンダールは酒の紹介のあと、改めてカクテル作りに戻る。
 予め用意しておいたボトルや絞った果汁などをシェイカーの中に入れ軽くステアし、手際よく氷を詰めて蓋をし、鮮やかな動きでシェイクする。アルコールを入れていないので、シェイクのし過ぎには注意だ。
 そして出来上がった代物を少し大き目のカクテルグラスに注ぎ、ジョーの前に差し出した。

「これは、とある地方にある町の名前を関したノンアルコールカクテルでな。名を、フロリダという。禁酒法というバー泣かせの法律が制定されていた時代に考案されたとされる、お酒みたいな雰囲気を味わえるカクテルさ」
「へぇー。見た目は、濃い目のオレンジジュースだね・・・イカ焼きには合わなそう」

 ジョーがくんくんとカクテルの香りを嗅いでいるのをよそに、次にリベルの前に置いていた酒瓶を開封し、少し大きめの猪口に神酒を注いでいく。
 リベルがその液面を興味深そうにみると、ボトルの外観から想像していたものとは異なり、中身は無色透明だ。香りも主張が激しいわけではなく、しかし華やかでフルーティーな香りが立ち上る。

「いい香り・・・」
「ふふ、そうだろう。この独特な華やかさは、吟醸香といってな。花弁や果実の香りに例えられる」

 そう言いながら瓶に封をしたイスカンダールは、召し上がれとばかりに二人に向い両手を広げてみせた。
 それに促され、両者はそれぞれグラスを手に持ち、唇につける。

「・・・あ、美味しい」
「ん、美味しい・・・」

 二人のシンプルな感想にも、しかしそれこそが最大の褒め言葉だと言わんばかりにイスカンダールが微笑んだ。
 大げさではなく、その一言があるからこそバーテンダーをしているのである。

「オレンジジュースを想像したけど、全然違うんだね。なんだろ、ハーブみたいな香りがあってなんか、大人っぽい感じ」
「それが、数滴だけビターズを垂らす効果さ。これの有り無しでは、仕上がりが全く異なるんでね」

 ジョーの素直な感想にイスカンダールが応えると、一方のリベルは無言で一通り香りと味を楽しみ、くいっと猪口を傾けて中身を飲み干した。

「お、いい飲みっぷりだねぇ。本当に旨い酒ってのは、気がついたら空っぽになってしまっているものだ。なので普通は飲み過ぎ注意なんだが・・・まぁ、お前さんなら大丈夫だろう」

 そう言いながらもう一杯追加で注いでやると、リベルははにかみながらそれを受けた。
 そして頂いた杯で再度唇を軽く濡らし、改めてジョーに視線を向ける。

「・・・ジョー。君の言う通り私は、確かに普通の人間というわけではないよ。少しだけ、普通の人よりも長い時間を過ごしているんだ。だから多少は他の人より見知ったものが多いけど・・・でも実は世界の事もお酒の味も思ったより知らない、そんなどこにでもいるような存在だよ」
「それは、長命種ってこと?・・・ロックブーケみたいな古代人とか?」
「ジョーもロックブーケを知っているんだね。うん、まぁ、そんな感じかな・・・?」

 リベルが曖昧に笑いながらいうと、ジョーはふぅんと返し、こちらもグラスを傾ける。

「君は、どうなんだい?」
「あたしは生まれつき、人よりちょっとだけ面倒な役割があるってくらいかな。まぁおんなじ境遇の弟がいるから一人ってわけじゃないし、そんなに大変でもないけどね」
「・・・君は、強い人なんだね」

 ジョーの言葉にリベルがそう応えると、ジョーは謙遜する様子もなく頷き、ニヤリと微笑んだ。

「うん、あたしは強いよ。最初から強かったけど、ママにも鍛えられたし、お姉ちゃんだし、もっと強くなった」

 彼女の言葉の意味はいまいち分からないが、それでもその言葉の中にはきっといろんな出来事があって、様々な経験の末に放たれている言葉なのだろう。
 独自にそう解釈したリベルは、目の前の若き才能に対して微笑み、再度杯を傾けた。

「ていうかロックブーケ知ってるってことは、リベルも異界の戦士なの?」
「異界・・・そうだね、多分そうなんだと思う。ジョーはどんな世界に住んでいるんだい?」
「え、外見れば分かるでしょ。ここバンガードのお店だよね?」
「あー・・・うん、ごめん、来たばかりで私自身がよく分かっていないんだと思う」
「そうなんだ、じゃああとで案内してあげるよ」
「それは助かるよ。あ・・・でも残念ながらちょっとこの後たぶん用事があるから、次に会えたら、その時にお願いしようかな・・・?」

 二人の中々噛み合いそうにない会話を聞きながら、イスカンダールはあくまで我関せずの表情で、使用したアイテムを洗って清潔な布巾で磨き上げていく。
 その後も二人の話題は共通の知り合いたちの話に移行するが、当然それも共通なようで共通ではない知り合いの話であり、そこはかとなく話が噛み合わない。
 この組み合わせは中々面白いなぁ、なんて好き勝手に思いながら、イスカンダールはそっと二人の会話に耳を傾け続けるのであった。

 

 

登場したお酒(架空物あり)

  • フロリダ

名前の通りフロリダで作られたとされるノンアルコールカクテル。一説では禁酒法の時代に作られたとも言われている。オレンジとレモン、シュガー(orグレナデン)シロップにアンゴスチュラビターズというお酒を数滴垂らしてシェイクしてつくる。お子様向けには、ビターズはないほうが飲みやすい。イカ焼きに合うかどうかは不明。

  • 神酒

RS3世界ではJPを全回復させるというほどの効力を持つ、幻のお酒。術酒、霊酒とは比べ物にならない回復量なので、その分希少性も高い。しかしながら、その希少性故に取っておいた挙げ句に結局使わずクリアしてしまう者も多いという(?)。
作中の味わいとしては、日本酒の吟醸酒をイメージした。吟醸酒の中でも辛口めのあっさりテイストが筆者的には好みです。

 

 

イスカンダリア:メニュー表へ

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第五夜:英雄の子孫と英雄の始祖

 

—カラン…コロン…——

「いらっしゃい」

 イスカンダールから見て左側の扉が静かに開き、控えめにドアベルが響き渡る。
 音と同時に店内に入ってきたのは、如何にも怪しまれそうな見た目の、全身ローブ姿の人物。目深までフードを被っており、そのままでは来店者の表情は窺うことが出来ない。
 しかし、イスカンダールは全くそんなことには構う様子もなく、ワザとらしくノーゲストの店内を見渡してから、どこでもどうぞ、と言わんばかりに相手にウインクをしてみせた。

「そろそろ来る頃じゃないかと思っていたんだ。依頼されていたもの、用意させてもらったよ」

 イスカンダールがそう言いながらニヤリと笑うと、それに応えるように全身ローブの人物はあっさりと、そのローブを脱ぎ去る。
 するとその内側からは、美しい金色の長髪をした眼光鋭い美青年が現れた。
 その体躯は長身で細身ながら、無駄なく鍛え上げられた筋肉で引き締まっているのが衣服の上からでも分かる。そしてその衣装は、如何にも平民のような素朴なデザインで纏められていながらも、明らかに素材が高級であり不思議な違和感を感じるものだ。

「・・・そんな気がしたのでな、寄らせてもらった」

 そう言いながら青年は、慣れた様子で席に腰掛ける。
 彼の名は、ミカエル。
 いつも来店時はローブ姿で忍んでいるつもりらしいが、明らかに王侯貴族の生まれだろう。
 オーラというか雰囲気があり過ぎて、全然身分を隠せていない。そのことに、はたして本人は気づいているのだろうか。
 彼が来る時に店の扉が繋がっているのはロアーヌなので、そこの統治者一族か何かだろう。が、イスカンダールが特段それ以上を聞くことはない。バーテンダーは、必要以上の詮索などしないのだ。
 そしてこのミカエルという男、このBARイスカンダリアの数少ない常連の一人でもある。
 そんな常連を相手に、今日はいつにもまして腕によりをかけオーダーに挑む、ちょっと特別な日でもあった。
 実は以前ミカエルが来た時に、バーにしては珍しくフード込みでのオーダーを依頼されたのだ。

「お連れ様も間も無く着くだろう。メインの前に軽く一品出すが、それもワインはペアリングでいいかい?」
「あぁ、お任せしよう」

 ミカエルの返答に満足げに頷くと、イスカンダールは早速前菜の用意に取り掛かる。
 BARの簡易キッチンでは本格的なコース料理を提供することは難しいが、メインディッシュを焼いている間に簡単な前菜くらいならば、用意することができる。

—カラン…コロン…——

 イスカンダールが木製の細長い皿の上に新鮮な生野菜を盛り付けていると、彼から見て左側のドアがゆっくりと開く。
 そこから中に入ってきたのは、一見して寝巻きと見紛うような白い上下の衣服に身を包んだ青年。
 だが、その人物もまた平々凡々を装った衣服では全く隠し通すことのできぬ、明らかな王者の空気を身に纏っている。

「いらっしゃい。タイミングぴったり、だな」
「やはり、だな。今日じゃないかと思っていたんだよ」

 青年の名は、ジェラール。伝承法によって皇帝を定める運命にあるというバレンヌ帝国に住まう、自称一般帝国民だ。
 こちらも慣れた様子で店内へと歩を進めたジェラールは、親しげにミカエルへ片手をあげて挨拶すると、当然のように彼の隣席へ腰掛ける。
 そう、彼もまたこのBARイスカンダリアの常連の一人であり、自称ロアーヌ一般住民であるミカエルの『飲み友達』なのであった。

「息災だったか、ジェラール」
「あぁ、健康そのものだよ。ミカエルも元気そうで何よりだ」

 二人は再会を喜び合い、にこやかにお互いの近況などを語り合う。
 とはいえこの二人が並び座っていると周囲の空気がキラキラと凄いことになるのだが、この店には基本的に2名しか来客はないので、なんら問題はない。
 イスカンダールは二人の間にカトラリーセットを置き、せっせと用意した前菜を二人の前に並べ、中央に蝋燭台を仕込める小さな陶器の器を置く。
 火で温度を保たれた器の中には、香ばしい香りを漂わせるディップソースがたっぷり入っていた。
 そして最後にワイングラスを二つ、其々の側に並べていく。

「前菜ってほど手が込んでいるわけではないが、まずは朝取れ野菜のバーニャカウダだ。ワインはキドラント産のものを用意させてもらった。ワイン大国に比べるとマイナーな産地だが、これが結構いけるんだ」

 イスカンダールが料理の紹介をしながら、キリッと冷えた白ワインを二人のグラスに注いでいく。
 二人は香ばしいディップの香りに食欲を掻き立てられ、早速カトラリーを手に取って目の前に盛り付けられた新鮮な野菜の征服にかかった。

「このソースに付けるのか。あまり私の地元では見慣れない食し方だな」
「ふむ、そうなのか。ロアーヌではこのスタイルは定着しているな。私は生野菜が好きで、よくこれも食べるよ」

 二人はテンポよく野菜を口に運び、そして用意されたグラスを傾ける。
 口に含むと白ワインらしい爽やかな柑橘系のアロマに青リンゴのような爽やかさもあり、バーニャカウダでオイリーになった口内をスッキルさせてくれる。そしてナッツ類を思わせるニュアンスも広がり、単にサッパリさせるだけではない複雑な後味でも楽しませてくれた。

「ほぅ・・・キドラントの白はあまり飲んだことがなかったが、美味いな。バーニャカウダともよく合う」
「へぇ、ミカエルはこのワインの産地を知っているのか。確かにこれは美味しいな。うちの国はまだまだ国外の品の流通が少ないから、他国のワインにも知見があるのは羨ましいよ」

 二人が談笑しながら食べ進めるのを他所に、イスカンダールはこの日のために店内で急拵えしたオーブンの中を覗き見る。
 中のメインディッシュも、焼き加減は順調の様子だ。

「あれ、ミカエルってまだ結婚してなかったのか。いい相手とかもいないのかい?」
「ううん・・・。しよう、と思えば出来ないことはないのだ。周囲がそれを望んでいるのも、察してはいる。ただ、イマイチ私は・・・その辺りに消極的でな。いや、全く候補がないわけでもないのだが・・・」
「あー・・・何となく分かるなー。私も以前はそうだったよ。でもちょっと事情というか立場が変わってから、中々そうも言ってられなくなってね。今はもう3人娶ったよ」
「ジェラールは、見かけによらず結構やり手なのだな・・・?」

 頃合いを見てオーブンからメインディッシュ用の肉を取り出すと、店内に食欲をそそる魅惑的な焼成香が漂う。
 思わずその香りに、会話を弾ませていた二人が振り向く。するとイスカンダールはニヤリと笑いながらも肉汁を落ち着かせるために先ずは肉を寝かせつつ、すっかり平らげられた前菜の空き皿を片付けはじめた。
 メインの皿のスペースを空け、その脇に焼きたてのパンを添える。先ほどとは形の異なる新たなワイングラスを用意し、メイン用の調味料と思しき小皿を設置。
 そして漸く、今か今かと待ち侘びている二人に対して見せつけるように、特製のメインディッシュを切り分けにかかった。

「さぁ、こいつは絶品だぞ。ナゼールの牧草で育ったグラスフェッドムーのオーブン焼きだ。ベースの味付けはシンプルに塩胡椒のみ。何種類かのソルトに、変わり種で『わさび醤油』という調味料も用意した。好みで付けてみてくれ」

 二人の前に、焼きたての骨付き肉がワイルドに盛り付けられ、提供される。
 牧草飼育は脂の差しが少なく引き締まった赤身肉が特徴だが、中でもとりわけムーの肉は柔らかさも併せ持つ絶妙な肉質で、非常に美味とされる。
 それに合わせ、イスカンダールはカウンター近くに予め開店前から用意していた抜栓済みのワインボトルを手に取り、慣れた手つきでデキャンタージュしていく。

「そして合わせるのは、モウゼスでワインの女王とも称される高貴な赤だ。モウゼスは早飲み向けのライトなワインが多い国だが、これは近年流行り始めた熟成型でな。ロアーヌの熟成型ワインよりは軽やかで、味わいはパワフルさと繊細さが共存し、余韻も実にエレガント。ジビエ系にももってこいだ」

 ワインの講釈を聞きながら、二人はデキャンタからグラスに注がれる鮮やかなルビーレッドの色合いを楽しみ、次にはグラスを手に取ってその香りを堪能する。ブランデー漬けの果実を思わせるような濃密なアロマに、トリュフ、シガーなどのようなニュアンスも混じる芳醇な香りが鼻腔に広がる。
 そして口に含むと、そのアロマに輪をかけて広がる果実味と、しっかりとしたタンニン。それでいて口内をシルクのように包み込む滑らかな舌触りと余韻が続く、満足感のあるフィニッシュ。
 これは間違いなく、類稀なる美味なワインだ。
 二人とも堪らず、そのままの勢いでカットした肉を頬張る。
 すると口内に一気に広がるのは、凝縮された肉の凄まじい旨味。
 しっかりと中に閉じ込められていた肉汁が口の中で溢れ、そして想像以上に柔らかい肉質が口の中で踊り、あっという間に胃の中に消えていく。
 そして再度ワインを口に含めば、これはもう完全にイスカンダールにしてやられたな、と確信するのであった。
 強い意志を持って手を止められねば、もはや永久機関となって食べては飲んでを繰り返してしまいそうなほどである。

「これは・・・思っていた以上のマリアージュだな」
「あぁ・・・うちの料理人にも、これは作れないなぁ。ムーってこんな美味しかったんだな。是非に流通させたいものだが・・・ルドン高原越えかー。ちょっと考えてしまうな・・・」

 二人の舌を満足させたことにイスカンダールは隠す様子もなくニヤリと笑みを浮かべ、そして自分も切り分けておいた肉を口の中に放り込む。

「・・・ん、美味い。またエイリークにお願いして取り寄せるかな」

 その後も二人はたっぷりとワインと肉を楽しみ(ミカエルはピンクソルト、ジェラールはわさび醤油が気に入ったようだ)、更には食後酒までしっかりと堪能し、その日はいつもよりも長い時間、食事と共に談笑を楽しんだ。

 ここから其々の国に戻れば、二人にはまた終わることのない激務が待っているのであろう。
 なればこそ、ここでしっかりと英雄たちには英気を養ってもらいたいもの。
 その微かな一助となることができたのなら、それはBARイスカンダリアにとって、この上ない喜びであると言えるだろう。

 

 

登場したお酒(架空物)

  • キドラント トロッケンヴァイン

RS3世界にて、北海の畔にある小さな村、キドラントで作られる白ワイン。寒冷地独特のキリッとした味わいに、あまり流通していない土着品種による独特の風味が加わり、一部の酒好きの間で噂になっているらしい。

  • ロッソ ディ モウゼス

同じくRS3世界のモウゼスで広大な農地を保有する「モウゼスワイン」ブランドが手掛ける、至高の一本。その歴史は思いの外浅く、近代化に伴う品質管理技術の向上によって生み出された新時代ワインといえる。

 

 

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第四夜:赤い薔薇と貴公子の義弟

 

—カランカラン…コロロン…——

「いらっしゃい」

 イスカンダールから見て左側の扉が軽快に開き、それと同時にドアベルが賑やかに響き渡る。
 扉の外から吹きつける寒気を含んだ風と共に店内にするりと入ってきたのは、身のこなしから見ても随分に腕が立ちそうな、勝気な雰囲気の女だった。
 女は薔薇を思わせる赤い色調の衣服を身に纏い、色素薄めな金髪を赤のバンダナでまとめ上げたラフな出立ちだ。そしてその女と共に吹き込んできた風が含む懐かしい世界の香りに、イスカンダールは思わず目を細め、うっすらと笑みを浮かべる。
 地元世界と繋がるのは、中々久しぶりだ。

「へぇ・・・ニバコリナにこんなところがあったなんてね。知らなかったよ」

 そう言いながら後ろ手に扉を閉めた女は、衣服にうっすらとついた雪を入り口で払い、物珍しそうに店内を眺めながらカウンター席へ腰掛けた。

「ニバコリナは案外入り組んだ作りの街だからな・・・目立たないところに店を構えていると、案外分からないもんさ」
「そんなんで商売やっていけんのかいってツッコミは、やめておくよ」
「そうしてくれると助かる」

 そう言いながらイスカンダールはニヤリと笑い、カウンター下から取り出した温かいおしぼりを女に手渡してやる。
 女はそれを受け取るとその暖かさでしばし悴みかけていた手を解し、次いでカウンター内のボトル棚に並ぶ酒瓶たちへと視線を向けた。

「こりゃあ、かなりの品揃えだね。見たことのないものも多い。あたしもそこそこ酒は飲んできた方だけど、こんなに知らないのがあるところは初めてだよ」
「ふふ、品揃えにはちょっとした自信があってな。好みの味があれば、幾つかおすすめも出せるが」

 イスカンダールの言葉を流しながらボトルたちを順々に眺めていた女の目に、見慣れぬ絵柄のラベルが貼り付けられた瓶が飛び込んでくる。
 そのボトルには、一角獣と薔薇を模したと思われる紋章のようなものが貼り付けられていた。

「そいつは、どんなやつなんだい?」

 女が指差したボトルを見たイスカンダールは、ほう、と物珍しげに声を上げながら、棚からボトルを取り上げる。

「月並みな物言いだが、中々にお目が高い。こいつは、ローザリアという国で作られる林檎を原料としたブランデーでな。毎年ローザリア独立の記念日に合わせて献上される、本数限定の逸品だ」
「へぇ、林檎のブランデー。じゃあそいつを貰おうか。そのまま飲んでも良いんだろうけど・・・せっかく腕の良さそうなバーに来たんだ。それで何か一杯、カクテルでも頼むよ」
「お安いご用だ」

 オーダーを受けたイスカンダールは、早速カクテル作りに取り掛かろうと、まず材料となるボトルを幾つか取り出し、女の前でカウンター越しに並べていく。
 次いでシェイカーを手に取って目の前に設置すると、滑らかな手つきでメジャーカップを手元から掬い上げ、順々にカクテルの材料を計量しながらシェイカーの中へと注いでいった。

—カラン…コロン…——

 ちょうどイスカンダールがこれからシェイカーに氷を入れようかとしているところで、彼から見て右側の扉がゆっくりと開く。
 そこから中に入ってきたのは、凛々しくも何処かあどけなさが残る印象の青年だった。その服装は明らかに高貴な身分の出身であることがわかる、美しい刺繍の施されたものを身に纏っている。

「・・・ここは・・・もしかしてシフが言っていた・・・」
「いらっしゃい」

 青年が何やら呟きながら店内を見渡している中、イスカンダールが声をかけると、青年はそれに気がついてぺこりと軽く頭を下げ、カウンター席へと近づき、腰掛けた。
 イスカンダールは青年にもおしぼりを出すと、メニューも一緒に手渡しながら、シェイカーへ氷を入れる作業に戻る。
 その間も青年は、物珍しげに店内を見渡していた。
 そして、何故だか随分と驚いたような様子で自分のことを見ている先客らしき女と視線がかち合い、何事かというかのように軽く首を傾げる。

「あの・・・私に何か?」
「あ、あぁ・・・すまないね。ちょっと、あんたの雰囲気が知り合いに似ていたもんだからさ」
「そうでしたか。私は、イスマス侯ルドルフの息子、アルベルトと申します。お名前をお伺いしても?」

 アルベルトと名乗った青年がカウンターのイスから半身だけ女に向けて胸に手を当てながら応えると、女はそんな様子にも一々目を丸くしながら、次にはふっと懐かしげに微笑んでアルベルトに向き直った。

「あたしはローラ。ここの町外れで、子供らに読み書きを教えているんだ」

 ローラと名乗る女のその微笑みに、何故だかアルベルトも何かを感じ取ったかのように目を瞬かせ、そして優しげに微笑み返した。

「ローラさん・・・ですか。偶然ですね、貴女の雰囲気も、どこか私の知り合いに似ています」
「そうなのかい。それは何だか、出来すぎた偶然だね」

 そう言いながらはにかみ笑いし合う二人の前でシェイカーを振っていたイスカンダールは、ローラの前にすっとショートグラスを差し出した。
 その美しい色合いに思わずローラがへぇと呟くと、つられてアルベルトもそのグラスを見て目を見張る。

「・・・見事なヴェルニーグラスですね」
「おや、あんたはこれを知っているのかい」

 アルベルトが呟くと、ローラはグラスとアルベルトを交互に見た。

「はい。ローザリアの特産であるヴェルニー合金を用いたグラスはどれも美しい光沢を放ちますから、分かり易いのです。それにしても、ここまで薄く均一な形のものは珍しいですね」
「ローザリアっていうと、確かこのお酒の作られている国だっけか。あんた、詳しいんだねぇ」

 ローラの前に差し出されたグラスへ、シェイカーの中身を注いでいく。
 美しいルビーレッドのカクテルがグラスに満たされると、カシャリと音を鳴らしてシェイカーを引き戻したイスカンダールがお待たせしましたとばかりに一礼をして見せる。

「やはりこのボトルで作るカクテルと言えば、こいつだろう。ジャックローズという。どうぞ召し上がれ」

 イスカンダールの紹介を耳にしながら、ローラはグラスの脚を手に取り、口に含む。
 キリッとした柑橘系の酸味と林檎由来の奥深いブランデーの風味に、舌鼓を打つ。

「・・・こいつは美味いね。気に入ったよ」
「それはよかった」

 その様子を見ていたアルベルトの視線が、今度はローラの前に並べられていたボトルに注がれる。

「それは・・・オーダージュですか。ローザリアブランデーの中でも最上級のものですね」
「ふふ、流石にお詳しいな」

 アルベルトがボトルを見ながら熟成年数を言い当てると、イスカンダールはニヤリと笑みを浮かべながら返す。
 するとアルベルトは、少し照れ臭そうに笑みを浮かべながら頭を軽く掻いた。

「イスマス領でも果樹園は多かったものですから、知識は一応。それに・・・散々酒にも付き合わされたので、少しは味も分かるようになりました」
「へぇ、若そうに見えるのに、随分と舌が肥えてるんだね」

 アルベルトの話を耳に挟みながらローラが茶化すと、アルベルトはどこか親しみのある笑顔でローラを見返す。

「えぇ。丁度先ほど申した、貴女に似た雰囲気の方に付き合わされたもので」
「ふふ、それじゃあ、さぞ強いんだろうね」
「その人には全く敵いませんけれど、嗜む程度には。では私には・・・ウォッカをいただけますか」

 アルベルトのオーダーを聞いたイスカンダールは、中々意外なチョイスだなと感じながらも快く引き受け、どのボトルを出そうかと暫し思考の海に浸る。
 マルディアス世界のウォッカといえばバルハラント産だが、それでは芸もない。ここはやはり、こちらの世界のもので何か用意するべきだろう。

「ウォッカかい。この辺りじゃ見慣れたもんだけど、あんたの年頃とその身なりで呑むには、随分と渋いチョイスだねぇ」
「あはは・・・実は、これが初めて教えてもらったお酒なんです。シフというバルハル族の女性なのですが、彼女が好んで呑むのがウォッカだったもので」

 そう言いながら笑みを浮かべるアルベルトの前にイスカンダールは早速、ショットグラスに注がれた透明の液体を差し出す。

「こいつは、彼女の住むニバコリナで作られるウォッカでな。バルハラントに負けず劣らずの寒冷地域さ」
「へぇ、ローラさんはそこに住んでいるんですね。益々シフとの共通点が増えますね」

 そう言いながらアルベルトは、グラスの中身を舐めるように口に含む。確かに、強くはないが自分のペースで飲むタイプのようだ。

「・・・美味しい。味そのものはクリアですが、仄かな甘みを感じますね」
「あぁ、ニバコリナのウォッカは色々とフレーバーも多くてな。そいつは特に混ぜ物をしていないスタンダードボトルだが、その仄かな甘さは特徴的なものさ」

 流石に味の違いを的確に突いてくるアルベルトに、イスカンダールはやたら満足げに頷きながらウンチクを添えた。
 しかしそうして酒を飲む様にもなんだか外見のあどけなさとアンバランスさを感じ、ローラはそれを微笑ましく思ってしまう。

「あんたは、あたしの知り合いがもう少し成長したらそんな感じになりそう、って雰囲気だね・・・もしエスカータに寄ることがあれば、是非アンリって子を尋ねてみてほしいよ」
「アンリさん、ですか。分かりました。そのエスカータという国のことは存じませんが、いつか訪れることがあれば、是非お会いしてみたいと思います」

 二人は、それぞれの知る親しい知人の話を交えながら、暫しの歓談を楽しむ。
 ニバコリナやエスカータ等の地元ネタならばついつい口を挟みたくなるところだが、ここでのイスカンダールはあくまでバーテンダーである。
 二人の会話に時折合いの手を入れるに留め、二人の談笑する様を、そのゆっくりとした時間を守護することこそが己の役目であると心得ている。
 そうして一歩引いたところから穏やかにイスカンダールの見守る先で、二人の男女は初対面であるにも関わらず、どこか気の置けない雰囲気である相手に思いのほか饒舌になり、数杯のグラスを空にしながら話に花を咲かせていくのであった。

 

 

登場したお酒(一部架空物)

  • ジャックローズ

標準的な配分としては、アップルブランデー2:ライムジュース1:グレナデンシロップ1の割合でシェイクするショートカクテルです。元は「アップルジャック」という名前のブランデーで作られ、グレナデンの赤さが薔薇を思わせることから命名されたそうで。個人的には、フランスのカルヴァドスという林檎ブランデーで作る方が好みです。今回登場したのは、マルディアス世界はローザリア産の六年以上熟成された林檎のブランデーを材料と妄想しています。

  • ニバコリナ産ウォッカ

アンリミテッドたるイスカンダールの出身世界にある、豪雪の街ニバコリナで作られるウォッカです。現実世界でウォッカといえばロシアのイメージですが、今回のウォッカは北欧産のアブソルートウォッカをイメージしています。色々なフレーバーのウォッカがあるので、飲める方であればお好きな味がきっとあるはず。

 

 

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開店前:極寒の遊牧民と極寒の狩人

 

—カララン…コロン…——

 カウンター内のイスカンダールから見て左側の扉が僅かに開き、それと同時に控えめにドアベルが響き渡る。
 開いた小さな隙間から先ず店内に入ってきたのは、右足と思しき靴先。
 そして外から何やら重いものを持ち上げるような音が聞こえたかと思うと、今度は勢いよく扉が開ききり、両手で荷物を抱えた筋骨隆々の男が店内に入り込んできた。
 同時に男の背後から強烈な冷気も侵入してくるが、しかしイスカンダールは気にせず涼しい顔だ。

「あぁ、おつかれさん。そこの桶の上に頼む」

 カウンター内からイスカンダールが視線だけ向けてそういうと、男は無言で荷物を持ち上げ、カウンター上に置かれた大きめの桶の上に抱えていた荷物を置いた。
 そこに置かれたのは、切り出されたばかりと思われる巨大な氷の塊だ。

「いつも助かるよ、エイリーク。やはりナゼール南方で取れる氷は、質がいいな」
「いや、我々もこのような場所で商売ができ、助かっている」

 氷を届けてくれた男の名は、エイリーク。
 とある世界の極寒地域であるナゼールという場所に住む男で、ムーという動物と共に遊牧生活をするサイゴ族の族長をしているらしい。
 なぜ彼が開店前のこの店にこうして来ているのかといえば、もちろんそれはイスカンダールが依頼したからだ。
 なにしろBARイスカンダリアで使う氷は良質な物でなければならない、という並々ならぬ拘りを持っているイスカンダールなのである。
 それゆえ、地元世界はトーレ村で採れる永久氷を筆頭に、他世界ではゆきだるま族の住む氷銀河、ノルミ辺境州の流氷、そしてこのナゼール地方南方の氷など厳選された氷のみをイスカンダリアでは使用しているのである。
 特にナゼールの氷はサイゴ族がムーと共に海峡を南に渡っている時期限定なので、その間は彼から氷を仕入れることにしている。
 エイリークも最初は氷原に忽然と現れたこの場所に随分と驚いていたものだが、彼の世界に点在する古代人の遺跡技術を用いているのだ、という設定でとりあえずは納得してもらっている。

「そういえば今日は、以前聞かれたムーの肉も少し持ってきたが、いるか?」
「お、是非買わせてもらおう。クラウンか、それとも食料と交換がいいかね?」
「食料で頼みたい。以前もらった果物などがあれば嬉しいな。子供たちが喜ぶのでね」

 そう言いながらエイリークは、再度店の外に出ると、すぐに人間の頭くらいの大きさの骨付き肉の塊を持ってきた。
 イスカンダールはカウンター越しにそれを受け取ると、代わりに藁編みの籠いっぱいに詰め込んだ果物盛り合わせをエイリークに手渡す。

「たくさん食べさせてやってくれ」
「あぁ、助かる」

 籠を受け取りながらエイリークが頷くと、イスカンダールも口の端を釣り上げて笑いながら応えた。
 そのままエイリークは会釈と共に籠を持って店の外に出ようと扉を開くが、扉を少し開けた瞬間にゴウンという音と強烈な風圧が起こり、横殴りの吹雪が店の中に舞い込んできた。
 それに動じずエイリークが体で扉を支えながら、とにかく一旦その吹雪を押し戻すように戸を閉める。

「急に外が吹雪いたみたいだな。弱まるまで、ここで少し休んでいくといい」
「・・・すまないが、そうさせて貰うよ」

 イスカンダールの厚意に甘んじるようにエイリークは頭に被っていた特徴的な帽子を脱ぐと、軽く体についていた雪を払って椅子に腰掛けた。

「いい氷と、更にいい肉まで届けてもらった礼だ。開店までまだ時間もあるし、何か一杯サービスしよう」
「重ね重ねすまない。ではそうだな・・・何か温かいものをお願いできるか?」
「お安い御用だ」

 エイリークのリクエストを快諾すると、イスカンダールは何を出そうかと数秒思案した後、思いついたとばかりに指を鳴らしながらカウンターの隅へと向かい、壁に掛けられていた小鍋を手に取る。
 そのままカウンター端に設置された釜の中に極小の炎の矢を打ち込んで木材に着火すると、次にすぐ近くにあるカウンター上の樽の栓を捻り、鍋に樽の中身を注いでいく。
 鍋の中になみなみと赤い液体が注がれると、イスカンダールはそのままそれを火にかけ始めた。

「ええっと、スパイススパイス・・・っと」

—カランカラン…コロロン…——

 何やら呟きながらイスカンダールが釜近くの引き出しを漁っていると、今度は彼のすぐ近く、エイリークが来たのとは逆の扉が開き、これまた先ほどに引けを取らぬ強烈な寒気が店内に流れ込んできた。
 その寒気と共に店内に入ってきたのは、これまた手に荷物を抱えた人物。しかし今度は女だ。

「おぉ、ティシサックじゃないか。ひょっとしてもう獲れたのか。流石に早いな」
「あぁ。狩りは慣れている」

 ティシサックと呼ばれた女は、手にしていた藁包みをカウンターの上に置く。その中には、新鮮な鳥類のものと思しき肉。
 狩人であるティシサックには、彼女の主たる居住地である北東界外周辺で獲れる良質なジビエ素材を仕入れてもらうために、最近になって不定期配送を依頼したのである。
 近頃は料理にも手を出し始めたイスカンダールが店で出す一品を研究するために、今回は丁度いい野鳥を仕入れてもらいたいと言っていたのだった。
 ちなみに彼女の世界では星神を中心とした超常の存在が力を振るっているようなので、北東界外に突然このような店が出現したことにも、彼女はそこまで驚いていなかった。いや、あまり驚かないのは星神云々など関係なく、元々の彼女の気質なのかもしれないが。

「おや、これは・・・血抜きと毛毟りまでやっておいてくれたのか。すまないな」
「構わん。慣れている」

 肉に目を向けたイスカンダールの言葉に何でもないという様子で短く返したティシサックは、ふとカウンターに座っているエイリークへと視線を向けた。
 次に、すぐさま彼の羽織っている見慣れない毛皮の外套に目が留まり、僅かに視線を細める。
 そして間髪入れずにすたすたとエイリークの元に近寄っていったティシサックは、彼のすぐ真横で足を止めた。

「わしの名はティシサックだ」
「私はエイリークという。して、何か用かな、ティシサック殿」

 唐突な名乗りにもエイリークがいかにも族長らしい余裕で持って対応すると、ティシサックはこくりと小さく頷きながらエイリークの羽織る毛皮へ再度視線を落とした。

「見慣れぬその毛皮が気になった。これは猪の一種か?」
「いや、これはムーの毛皮だ」
「ムー。聞かぬ名の動物だ。触ってもよいか」
「あぁ、構わんよ」

 エイリークが頷くと、ティシサックは彼の隣の椅子に腰掛けながら彼の外套を興味深そうに触り始めた。

「・・・ふふ、狩人としては気になるか」

 ちょうどそこに、二つのカップを手にしたイスカンダールが近づきながら声をかけと、ティシサックは無言で頷きながらもふもふと毛皮を触り続けている。

「エイリーク、お待たせしたな。よかったらティシサックも飲んでいってくれ。獲物の下処理をしておいてくれた礼だ」

 そう言いながらイスカンダールは2人の前に、カップを置く。
 するとカップから立ち上る芳醇にしてスパイシーな香りに、思わず2人は鼻腔を向けた。

「こいつはグリューワインだ。2人とも寒冷地住まいなら、体を温めるにはやはりこれだろう。冷めないうちに飲むといい」

 ほんわかと立ち上る魅惑的な香りの前にエイリークとティシサックはごくりと喉を鳴らし、お互いの顔をチラリと見てから、カップを手に取る。
 鼻を近づければその香りは更に強くなり、その奥にアルコールの香りもしっかりと感じられることから、これが間違いなくワインであるということがわかる。
 そして2人が同時に一口含むと、まるで2人ともシンクロしたように目を見開き、驚いたような表情を浮かべるのであった。

「おぉ、これは美味い・・・!」
「うむ、飲んだことのない味だ。甘いが、生姜のような風味もある」
「ご明察。グリューワインは砂糖や蜂蜜などで甘みを付けつつ、スパイスや生姜などを入れて体を内側から温めるためのドリンクなのさ」

 イスカンダールの説明を聴きながら、2人は少しずつカップを傾けていく。
 先ほどまで寒気が店内に忍び込んでいたのも手伝い、今ならば格別の味わいであろう。

「甘みやスパイスは現地にある物でなんでも代用出来るので、もしワインが手に入ったらそちらでも作ってみるといい」

 イスカンダールは2人が味わいながら飲んでいるのを見て満足そうにニヤリと笑ってそう言うと、思い出したようにいそいそと開店準備に取り掛かることにした。
 うっかり接客の流れになってしまっていたが、今はまだ開店前。先ずはエイリークが持ってきてくれた氷を、さっさとアイスピックで割っていかなければ。
 今日届けてもらった肉たちで色々と試行錯誤するのは、また今度のお楽しみになりそうだ。

「ムーのことについて、もう少し聞きたい」
「あぁ、構わない。ムーとは我々サイゴ族とずっと昔から暮らしてきた動物でな、ナゼールでは伝統的な・・・」

 イスカンダールがアイスピック一本を手に大きな氷塊とカリカリ格闘しているその側で、遊牧民と狩人の世間話はグリューワインが無くなるまでの束の間、ささやかに行われたのであった。

 

 

登場したお酒

  • グリューワイン

いわゆる「ホットワイン」ですね。ホットワインは日本で分かりやすく呼称したもので、原産のヨーロッパでは上記の他、ヴァンショーとかグレッグなんて言われたりもします。
お好みのワイン(赤白ロゼどれでも)を飲みたい分だけ鍋に入れ、蜂蜜や砂糖などで甘みを加え、あとはシナモンやクローブ、スターアニス、生姜などお好みのスパイスを入れて沸騰させる手前まで温め、濾しながらカップに入れれば出来上がりです。濾す少し前にオレンジやレモンのスライスを風味づけに入れても美味しいです。
冬の定番ドリンクとして私もよく飲んでいますが、めんどくさがりなので、いつもマグカップにお安い赤ワインを入れてレンチンし、砂糖or蜂蜜とシナモンパウダーをぶち込んで飲んでます(笑

 

 

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