第八章・6 -ゲッシアの地-

 

 夜間に起きた、もはや幾度目かも定かではない妖魔の急襲を辛くも退けた、明け方のロアーヌ南東、対四魔貴族軍のロアーヌ軍防衛線最前線。
 未だ戦火の収まる気配が全くないこの戦線に駐屯するロアーヌ侯国騎士団は、その朝、戦場に相応しく非常に厳かな年明けを迎えていた。
 例年ならば年始の幾つかの行事を宮廷内で行うのが騎士団の通例だったが、昨年からはそれも行っていない。
 何しろ昨年の今頃は、冬を前にして前ロアーヌ侯爵フランツが急逝しミカエルが新たなロアーヌ侯爵となり、年末に向けて急激に増加傾向にあった魔物の討伐のための遠征準備に明け暮れていたのだ。
 その時に『年始の国事を蔑ろにするとは何事だ』と場違いにも騒ぎ立てていた貴族院の御老体達は、直後に巻き起こったゴドウィンの変にて半数が粛清、再編された。思い返せば、あの出来事を発端に、この一年で一気に宮廷内情勢はミカエルによって纏まっていった。
 その間にも、ゴドウィンの変でも功を挙げた騎士団の紅一点が急遽宮廷を離れることになったり、また例年にはない度重なる軍事遠征があったり、そして侯爵ミカエルの最愛の妹にしてロアーヌの華と謳われた美しきモニカ姫の遭難事故という悲劇が起きたりなど、昨年を振り返れば本当に多くの激動があった。
 その上で今のこの戦線とくれば、これはもう今年の抱負は「生き残ること」あたりだろうか、などとブラッドレーは幕舎の中で苦笑いしながら、戦線の被害状況と物資の確認を卓上で思案していた。

「伝令、伝令ー!!」

 するとそこに、新年から司令官幕舎へと慌ただしく駆け込んでくる者があった。
 どうやら本国からの連絡らしい兵を幕舎で迎え入れたブラッドレーは、神妙な面持ちで駆け込んできた兵の呼吸が整うのを待った。
 連日の例に倣い昨夜もそうであったが、この苛烈極まる戦線を一望する物見の方面からは、この一ヶ月の間は引っ切りなしに妖魔襲撃の報が届いていたものの、しかし後方の首都側から急報の伝令兵が来ることは殆どなかった。
 なのでこの知らせが果たして良い知らせなのか悪い知らせなのか、どちらかと言えば常に最悪の知らせを想定している傾向のあるブラッドレーには皆目見当が付かなかったのである。

「ブ、ブラッドレー将軍・・・急報でございます・・・!」
「それはわかっている。内容を聞かせてくれ」

 駆け込んでくることに必死になりすぎたのか、やっとのことでそれだけ言いながらも息が上がったままの伝令兵に、態々ブラッドレーは水の入った杯を渡してやる。すると兵はそれを有難く頂戴し、一気に飲み干して漸くの様子で一息付いてから改めて姿勢を正した。

「ほ、本国防衛軍総司令ミカエル様より伝令です! 近く、友好国メッサーナ王国近衛軍からの物的支援が、ミュルスからこの戦線に直接送られてくる旨の伝令を承っております・・・!」
「・・・近衛軍、だと? まさか、ルートヴィッヒが動いたというのか?」

 訝しむように眉を顰めて言いつつ伝令兵が差し出してきた書簡を受け取り、封蝋が確かに近衛軍団のものである事を見定め、直ぐ様封を切り中身を確認する。
 すると確かに書簡の内容は冒頭の当たり障りない文面が多少ある以外は物的支援の条文が並んでおり、羅列されている支援物資は食料や武具、建築資材等を含めて相当の物量が記載されている。
 しかも、その輸送は既に行われている旨と、書簡発行の日付も明記されていた。
 ざっと中身を見たブラッドレーは、伝令兵に疑問符を投げかける。

「この日程だと、もう間も無く到着するような予定だが?」
「はい。ミュルス駐在軍からの連絡では、港へ物資と同時にこの書簡が届けられたそうです。即座に駐在軍から早馬にてミカエル様の元へ第一報が届き、ミカエル様はご自身宛の書簡をご確認の後、即座に輸送開始の許可をお出しになられつつ、自分を将軍の元へと寄越しました」
「そうか。ミカエル様からの書簡はあるか?」
「は、此方に」

 そう言って伝令はミカエルが持たせたであろう書簡を、ブラッドレーに手渡した。
 ブラッドレーが開いた書簡に視線を落とすと、確かにそれはミカエルの文字だ。それをみて一つ頷き、引き続きミカエルからの伝文に目を通す。
 彼ら将校は普段から偽計を看破する取り組みの一環として、ミカエルの文字は似せて書いてもそれと分かるように判別するべく訓練を行なっている。なのでこのミカエルからの書簡が無い限りは、基本的に指示を受け入れないのだ。

(・・・ミュルスについた商船の雇主は、近衛軍ではなくカタリナ・カンパニー・・・。なるほど、ミカエル様が即座に動かれたのはそういうことか。近衛軍だけが単独でこのような動きをしたとなれば、あまりのきな臭さに然しもの我が君とて即応はすまいな・・・。しかし、よりにもよって近衛軍との連動とは・・・カタリナめ、今度は一体何をしでかそうというんだ・・・?)

 彼は自分の同期の紅一点騎士の破天荒さに内心で苦笑を浮かべつつ、再びメッサーナからの書簡の中身を見返し、内容の熟知を行うこととした。

「よう・・・何かあったのか?」

 丁度そこへ、大きな欠伸をしながら騎士コリンズが幕舎へと入ってくる。彼は未明にあった強襲の迎撃に出ていたので今は休んでいたはずだが、物音に気がついて様子を見にきたのだろう。
 彼に限らずこの最前線で戦いを続けているロアーヌ兵は全員が大いに疲弊し、その中でいつ来るとも分からない襲撃に備え、常時神経を尖らせている。そんな疲れも取れない状況の中では、この物資支援は非常にありがたいものであった。

「ああ、丁度よかった。休んでいた所にすまないが・・・コリンズ、これを見てくれ」
「どれどれ・・・。・・・・・・・・・ふぅん、ルートヴィッヒが、ねぇ。でもミカエル様のご判断には間違いないようだな」

 コリンズもまたミカエルの筆跡を確認してから物資リストを見返し、ふむふむと唸りながらそんな感想を述べ、そして書簡をブラッドレーに返しながらふと表情を曇らせた。

「しかし、どうみるよ、これ」
「・・・ルートヴィッヒの思惑か?」

 ブラッドレーがそう返すと、コリンズは小さく頷いた。

「ああ。先ず思い当たるのは、これはロアーヌがメッサーナから大きな貸しを受けた、という事だよな。俺はその辺にあまり明るいわけじゃあないが、この物資の量は、ぶっちゃけロアーヌの国家予算で用意したら向こう二、三年は国民が貧しい暮らしを強いられる規模だと思う。これ程の支援物資を出しておいて単なる慈善だなんて、とてもじゃないがルートヴィッヒが考えるとは思えないよな」

 コリンズの予想外に鋭い意見に、ブラッドレーはこくりと頷いた。当然ながらミカエルはそう言ったことも把握の上でこれを受けているのであろうが、確かにこの物量は規格外だ。何か相応の見返りを求められることは、想像に難く無い。
 しかしブラッドレーには、これに関しては既に大凡の察しがついていた。

「そうだな。だが、それはもう決まっている様なものだろう。恐らくルートヴィッヒは・・・」

 そう続きを話そうとしたところで、今度は後衛見張からの伝令が駆け込んできた。

「将軍! ミュルスからの救援物資隊とやらが接近しており、早馬が受け入れ準備を要請して来ております!」
「もう来たのか・・・早いな。よし、妖魔の動きが鈍い日中が勝負だ。受け入れを進めてくれ。コリンズ、話はまた後で」
「了解。俺はもうちょっと寝とくわ」

 コリンズの言葉にブラッドレーはうっすらと笑いながら「そうしてくれ」と返しつつ、副官にその場を任せて物資隊の確認に向かって行った。

 

 

「ロアーヌからの見返りは既に確定している・・・?」
「ええ、そうです」

 ピドナ商業区ハンス邸のリビングにてトーマスと卓を交えていたシャールが確認するように聞き返すと、トーマスは肯定しつつ頷いた。
 近衛軍と連動してカンパニーが主導し進めていたロアーヌへの救援物資輸送手配は既に完了しており、現在はその後処理と今後の流れを確認するためにピドナ組がその場に集まっていた。

「一体その見返りってのは、何なのさ。物資リスト見せてもらったけど、ありゃピドナ商工会の決算書でも中々見ない数字だったよ。ロアーヌってのは、そんなに金持ちなのかい?」

 上品にティーカップを傾けながらノーラが首を傾げると、トーマスはそれに応えるようににこりとしながら、続いて隣に座るミューズに無言で視線を投げかけた。
 するとそれに気がついたミューズは少し怪訝そうな表情をしたかと思うと、直ぐにトーマスの意図に気がついてノーラへと向き直った。

「私からご説明します。今回の物資供給からロアーヌ侯国が求められるであろう見返りは、金銭ではありません。そもそも金銭的な見返りを要求するほどの備蓄がロアーヌ侯国にあれば、物資支援の意味自体があまりないと言えます。ですので今回メッサーナ王国が狙う見返りとは言わば・・・『戦力』としての役割です」
「戦力・・・?」

 ノーラはミューズの言葉をそのまま返しながら、変わらず理解の及んでいない表情をする。が、対するミューズはそれをよしとしつつ頷いた。

「今回メッサーナがロアーヌの戦線に自軍備蓄の大部分を支援物資として送ることを決めたのは、即ち『四魔貴族軍との全面対決』を始めるということを意味します」
「そうだね。だから年末の会議でも、お偉方が随分と紛糾したんだろう?」

 事前にその辺りの話は聞いていたのか、ノーラがミューズの言葉に同意するようにそう言う。
 すると今度はモニカが後を続けるように発言した。

「つまりメッサーナは、四魔貴族軍との戦いの最前線をロアーヌに担ってもらうつもりで支援をした、と言うことでしょうか?」

 モニカの言葉に、ミューズはゆっくりと頷いた。

「はい。そもそもメッサーナ王国は物資は豊富ですが、その兵力は各都市の軍団に分かれており、更にその各都市軍団の横の繋がりが現時点で非常に希薄だという特徴があります。これはアルバート王亡き後、各都市軍団長が権力の増加を狙うことで更に顕在化しました。またルートヴィッヒ軍団長もそれを把握の上で、この五年間は単純な軍事力の増強よりも各都市の連携阻害と物資の中央集約という政策を中心にその手腕を奮ってきました。半年少々前にあったファルスとスタンレーの戦などは、正にルートヴィッヒ軍団長が目論んだ展開だったと思います」
「・・・なるほどです。確かに近衛軍団が単純な軍備増強などを行えば、それは各都市軍の危機感を煽る事になりますわ。そうなると焦った各都市が動いて横の連携という中央への脅威を生み出してしまいかねなかった、ということですわね」

 モニカがミューズの説明でそう理解を示すと、トーマスとミューズ以外の面々は成程と頷いた。

「はい。ですので今のメッサーナには国力に見合ったほどの『纏まった精強な軍』というものが、敢えて欠けているのです。そこにおいてロアーヌ侯国の騎士団は、魔王に汚染されし東の地から現れる妖魔に長年対抗し続け、ゲッシア王朝を滅した神王教団との戦にも勝利し、更には密林にある伝説の火術要塞の攻略という快挙まで成し遂げています。彼等は最早、名実ともに世界最強の騎士団だと言えます」
「つまり、支援はするから戦の一番手は任せるぞ、ってことか・・・」

 ユリアンが腕を組みながらそう応えるのを聴きながら、ミューズが続ける。

「そしてミカエル侯は、間違い無くその意図を理解しており、利用すると思います」
「お兄様ならば、必ずそうしますわ。ルートヴィッヒ軍団長に出し抜かれるようなことは、天地がひっくり返っても有り得ませんわ」

 モニカが確信めいて同意すると、トーマスとユリアンは目線を合わせてふっと微笑む。

「そして今後、最も戦が起こる可能性があるのは、このピドナです」
「魔王殿か・・・」

 ミューズの隣に座っていたシャールが、呟く。
 このままロアーヌが魔龍公ビューネイ軍との戦いに勝利したとすれば、後に残る四魔貴族はピドナ旧市街に佇む魔王殿、その奥深くに潜むと目される、魔戦士公アラケスのみだ。

「アラケスが実際どの様な行動に出るのかは、まだ分かりません。ですが先のフォルネウスや現在のビューネイ軍の様な大規模戦闘が起こる様な事になれば、屈強な軍を持たぬメッサーナは非常に分が悪いです。しかも周辺都市国家軍は、いくら共同戦線に合意したと言えども、矢張り積極的な武力提供には消極的なはずです。そうなると、メッサーナが望む見返りは、明らかだという事になります」
「素晴らしい。よく把握していますね」

 ミューズが言い終えるのを待ってトーマスがそう締め括ると、ミューズは少々悪戯っぽい笑みを浮かべながらトーマスを横目で見た。

「全てトーマス様の教えです。丁度いいアウトプットの場だとお考えになったのはすぐ分かりましたから、別に構いませんよ」

 ミューズの思わぬ反応にトーマスも苦笑していると、そこに丁度、情報収集のために外に出ていたポールとブラックが帰ってきた。

「よう、話は進んでいるかい?」
「ああ、二人ともおかえり。丁度、メッサーナとロアーヌの今後の動きについて話していたところだよ」

 二人が空いている席に座るのを見ながらトーマスが状況を告げると、早速煙草に火をつけるブラックの横でポールが軽く頷いた。

「なるほどね。こっちの報告は後のほうがいいかい?」
「いや、今言ってくれて構わないよ」

 トーマスがポールに話を促すと、新しいティーカップが目の前に用意されたところでポールが懐からメモ書きを取り出しつつ口を開こうとする。
 その時だった。
 何やら、窓の外が急激に騒がしくなったのた。

「お・・・なんだ、何かあったのか?」

 特にその場にいる意味を感じていない様子だったブラックがいち早く、すくりと椅子から立ち上がって窓から外の様子を伺う。
 すると普段は実に平和な様子であるはずの商業区通りでは多くの通行人が、慄き後退りをしながら空を見上げていたのだった。
 そして更にそこへ、この館の主人でもあるトーマスの従兄弟にあたるハンスが慌てた様子で部屋に駆け込んできた。

「大変だ、魔物がピドナの空に・・・!!」
「なんだって・・・!?」

 ハンスの言葉に反応したトーマスを皮切りに、その場の一同が即座に立ち上がって外に向かう。
 入り口の大広間を抜けて扉を抜け、慌ただしく人々が逃げ惑う商業区の大通りに飛び出したトーマスが上空を仰ぎ見ると、そこには普段と変わらぬ一面のピドナの青空がある。
 そしてその青空の僅かな一点を、強烈な存在感を放つ一体の生物が占有していた。

「あれは・・・まさか・・・」

 トーマスがその存在を視認して、小さく呟く。
 丘の上のピドナ王宮よりもさらにずっと上空を飛ぶその生物は、地上からでもその大きさが分かるほどの体躯だ。
 大きく両翼を広げ、ともすれば優雅に滑空している様にすら見えるその様は、何かの物語の一節を彷彿とさせる様な光景でもある。
 突如としてピドナの上空に姿を表したそれは、一頭の巨大な竜だった。
 そして巨龍は特に高度を下げる様子もなく、下界から見上げる限りは非常に長閑な様子でピドナの空を横切っていく。
 北西の方角の空に見えていたそれは、地上でどよめく人間に興味などまるでない様子で、そのまま北東へと抜ける様だった。

「竜と人との力によって さしもの魔龍公も敗れ ゲートの彼方へ追いやられた・・・伝え上げたる詩の具現がよもやこの目で見られようとは、聖王記詠み冥利に尽きるというものですねぇ」

 その場の全員が上空の一点に視線を奪われていたところに、妙に間の抜けた声が響く。
 聞き覚えのあるその声に反応したトーマスが振り返ると、そこにははたして、数週間前にバンガードで会った詩人が立っていたのであった。

「貴方は・・・」
「やあ、これはどうもどうも」

 相変わらず周囲の空気とはどこかずれた雰囲気を持つ詩人の唐突な登場に、漸く周囲の面々も気がついて彼に視線を向ける。
 しかして詩人は名残惜しそうに再度空を東に抜けていく竜へと視線を投げかけた後、自らの脇に置いていた旅道具を持ち上げ、何事もなかったかのようにそのまま立ち去ろうとした。

「ま、待ってください。やはりあれは、悪竜グゥエインなのですか」

 トーマスは慌てて詩人を呼び止めるようにしつつ、目の前の詩人の言葉から上空の存在についての見解を口に出す。
 だが、詩人はその言葉を聴くと真顔になって考え込むように二度三度と瞬きをし、次に目を閉じてゆっくりと頭を横に振ってみせた。

「いいえ。あれは、英雄グゥエインの勇姿。彼の竜がこれから成すであろう偉業は、人類に限らず、この世界に住まう多くの生物が大いに讃えるものとなるでしょう。たとえその後に母であるドーラと同じ道を辿る宿命であったとしても、それはその時の話です」

 詩人の言葉に今度はトーマスが目を瞬きながら無言のまま返せずにいると、詩人は首を僅かに傾げながら、薄らと笑みを浮かべた。

「ふふ、少し意地悪な回答でしたね。しかし、そういうものなのです。その時、その時代によって、ものの捉え方は大きく変わります。そう・・・例えば、あの悪名高き魔王が『魔王』と呼ばれる前までは、世界で唯一死蝕に打ち勝った『祝福の子』として讃えられていたように」

 まるでトーマス達を煙に巻くように、いつも通り妙に芝居がかったような様子で身を翻しながらそう言うと、どうやら満足したのか詩人は再び立ち去る姿勢になった。
 だが歩き出すわけでも無く、半身だけトーマスへと振り返る。

「そうそう、貴方は空を見るのもいいですが、地にも目を向けると、欲している真実が見えるかもしれませんよ。灯台下暗し、というやつです」
「・・・それは、どういう」

 トーマスが詩人の言葉に疑問符を浮かべながら答えを求めようとしたその時、またしてもトーマスの従兄弟ハンスが、今度は館の中から郵便物を手に慌てた様子で飛び出してきた。

「トム、ポール!こんな時だが、ターゲットの動向が来たぞ!」
「!!」

 ハンスの言葉にトーマスとポールが敏感に反応してハンスの元に急ぎ駆け寄り、彼の持っていた封書に食い入るように目を通す。

「・・・・・・これは・・・」
「・・・あぁ、こいつは想像以上に不味そうだな」

 封書の中に記されていた内容を見て、二人は苦々しそうに眉間に皺を寄せる。その中身に書いてある内容が、余程彼らをそんな表情にさせるようなものなのだろう。

「・・・早急に動きを決めなければ。・・・詩人殿、また出来れば今度お話を」

 そう言いながらトーマスが振り向いた時には、既に詩人はその場から忽然と姿を消してしまっていた。

 

 

 エレンが首を後ろに直角まで折り曲げんという勢いで見上げども、聳え立つその無骨な塔の先端は一向に窺えず。
 直下から見上げる神王の塔は、彼女の想像を遥かに超えて、巨大だった。
 道中、遠目で見ていた時点でその大きさには驚いたものだったが、しかしこうして真下から見上げてみると全く印象は異なる。最早エレンには、これを人が作ったものであるなどとは到底思えなかった。それこそ彼女には、まるでピドナ旧市街に佇むあの魔王殿のように、異様にして不気味なものとして目に映ったのである。

「おい、いつまでもそんな胸糞悪いものを見上げてんじゃあないぜ。とっとと宿に行くぞ」

 物珍しげな様子のエレンとは対照的に、忌々しげにその塔を一瞥だけしたハリードは一言エレンにそう声かけすると、一人さっさと歩き出してしまった。

 二人はピドナからリブロフに渡るや否や、慌ただしく翌日には神王の塔へと向かう行商人の商隊に混じって出発し、アクバー峠のバザールを越え、数日後には旧ゲッシア王朝跡に佇む、この神王の塔へと辿り着いていた。
 ハリードとしては、またしても思ってすらいなかったところまで来てしまったものだ等と内心では頭を抱えたくなる思いだった。何しろこの地には、神王教団を討ち果たしてゲッシア王朝を再建するその日まで、来るつもりなど無かったのだから。
 だが、その目的はいつの間にか彼の中で、どこか叶うことのない夢物語の様な扱いへと変貌していた。それをルートヴィッヒとの対話の中で痛感したからこそ、彼は自身の下手な拘りを捨て、十年の時を経て再びこの地に立つことができたのだとも言える。

(・・・ここまで来ちまったからには、確かめざるを得ない・・・か。まさかこの俺が、まだ目の黒いうちに歴々の王が眠る諸王の都へ行くことになるとはな・・・)

 見るのも悍しく忌々しい塔を敢えて視界に入れないように横を通り過ぎながら、ハリードは宿へと向かいつつ、そんな物思いに耽る。そうして意識を別のところに向けていても、彼の体はなんの問題もなくこの街並みを覚えている。だから彼は迷いなく、街の北西あたりにある安宿のある地区へと向かっていった。
 この神王の塔は、かつてゲッシアの宮殿があった場所に、そのまま建てられている。なので、それ以外の街の構造は、かつてのゲッシア城下町そのままなのだ。
 宮殿を中心として円状に広がっていた旧ゲッシア城下の街並みは、大きく三つの区画に分かれる。
 一つは、アクバー峠からナジュ砂漠を横断してきた者を労うかのように華やかに出迎える、都の顔ともいえる西のバザール区画だ。ここには主たるナジュの産業の中心市場の他に、酒家、渡来者向けの宿などが集合している。アクバー峠にある巨大バザールよりは規模は小さいが、アクバー峠まで流通しないような希少性の高いものも西区市場では取り扱っている。
 しかしこの西区画で売られているものは何方かと言えば富裕層や観光客向けの価格設定のものも多く、居並ぶ商人も強かなものが多い。地元事情に聡い者は、ここではあまり物を買わない。
 そんな西区画から繋がる南北の区画は、国民の居住区だ。都市の南東に位置するナジュの命の源たるハマール湖にほど近い南区画には主に富裕層が住み、反対の北部区画には平民街と、所謂貧民街が広がっている。
 貧民街はどの都市にも大抵あるものだが、特にこのゲッシアの貧民街は酷いものだとハリードは思う。
 ゲッシアには独自の聖典に基づいた絶対的な階級制度が存在しており、国民は全てその枠組みの中で識別される。その中で、聖典により定められた階級にも属することの叶わないダリットと呼ばれる民が、最北部の隔離された区画に追いやられ非常に貧しく過酷な暮らしを強いられている。その暮らしの悲壮さは、ハリードが今まで見てきたどこの国よりも過酷だと思われたものだ。この階級制度は数多くの迫害の歴史を生んでおり、ハリードの愛するゲッシアにおける、負の側面だと言える。
 そして最後の東区画は産業区画となっており、偉大なるナジュ文化をふんだんに反映させた様々な工芸品を作る工房や、ハマール湖を水源としてナツメヤシや天然ゴム、珈琲豆等の栽培を行う農耕地が広がっている。
 ちなみに西区画よりもこの東区画で生産者と直接やり取りをする方が割安で商品を入手出来るので、その辺りの知識や繋がりがある者たちは、その殆どがこの東区画で売買をするのである。
 そんな区画分けであるからして、西の中でも平民街に近い北部側には安宿が、富裕街に近い南部には高級宿が点在している訳なのである。であれば当然ハリードが目指すのは、安い方なのだ。
 懐かしき街並みを肌で感じながら移動するハリードの後ろを、対照的に物珍しそうな動きで見渡しながらエレンが付いていく。
 因みにこの地へとハリードを誘った(連行したともいえる)エレンの目的は、当然ながら失踪した彼女の妹であるサラの手がかりを求めてのことだ。
 リブロフでは運良く直ぐに聞き込みからサラの行き先に関する手がかりを得ることができ、それによれば「やけに商売のうまい少女と少年の二人組が、西に向かった。そして一月もしないうちに戻ってきたかと思うと、今度は東へと向かって行った」とのことだった。
 この証言をくれたのは、リブロフの市場で小さな商いをしている露店の商人だった。その商人はサラから幾つか商品を買ったらしく、その特徴をしっかりと覚えていたのである。
 少年と一緒の二人旅、というのが思いがけず大きく気にかかったが、しかしその商人に細かく確認した限りの少女の特徴は、全くサラと一致するものであった。なんらかの理由でサラは、その少年とやらと共に旅をしているようだ。
 まさかとは思うが、ボーイフレンドとかなのだろうか。奥手ではあるが思い切りのある性格である妹のことなので、姉としてはその辺は少しモヤモヤする。
 ちなみに聞き込みや情報収集と言えば普通は酒場だと考えられがちだが、しかしサラは酒を殆ど嗜まない。なので聴き込み先として最初から酒場ではなく市場の商人に目星をつけていたエレンの作戦が、狙い通りにはまったと言える。
 そして更にエレンは「トーマスも見つけられていないということは、そこと関わりがなさそうなところから情報を集めに行った方がいい」という鋭い直感の元、露天市場の小規模露店から聴き込みを行うことにしたのも見事に功を奏したのだった。
 街の商業ギルドには多くの商人が登録しているので確かに情報は集まりやすいが、逆にその膨大な情報量の中では、細かい話は埋れてしまいがちになる。エレンは当然そんなことを知る由もなかったが、彼女の直感はそこを見抜いたのだ。
 若しくはトーマス側の聞き込みは少女一人に的を絞ったもので、少年との二人組、という状況が災いし情報網から抜け漏れてしまったのかもしれない。
 そういう意味では、やはりピドナで待ちぼうけなどせずに自分で動いたのは正解だったとエレンは実感したものだった。
 だがリブロフでは幸先良かったものの、そこからナジュへと向かう道中に立ち寄ったアクバー峠のバザールでは、サラに関わるような情報を得られることは無かった。可能性は低かろうが念のためロアーヌ地方へと続く北門にて聴き込みも行ったが、そこでも矢張り少年少女の二人組が関を通った目撃情報もなし。
 そもそもロアーヌ地方に向かうのならばリブロフからは海路の方が早い上に安全なので、やはり東に向かったならばこのまま旧ゲッシア王都を目指すべきだろうと再確認し、彼女はここまで足を運んできたのであった。

「この先の宿に部屋をとったら、俺は少々買い物に出る。お前は聴き込みか?」
「もち、そのつもり。ここって露店街はさっきのところだけ?」

 今しがた通り過ぎてきた西地区を振り返りながらエレンが訊くと、ハリードは軽く中空を見上げながら顎に手を当て、少し考える仕草を見せた。

「んー・・・メインは確かにあそこだが、東区画にも職人の直営店みたいなのがぽろぽろとあるな。価格はそっちの方が安いから、俺はこの後其方に行く予定だ」
「ふぅん・・・なら、あたしも先そっちいこうかな。案内してよ」

 サラならどちらに足を運ぶかを想像しつつハリードの情報を元に同行を決めたエレンは、早速ハリードが選定した激安宿エリアの中の一つの部屋に荷物を放り込むと、此方のことなどお構いなしの様子で宿を後にするハリードを追いかけた。
 普通ならこういう相手に気を使わない態度は旅の道連れとしては文句の一つも出そうなものだが、エレンはハリードのこう言った部分には最初こそ多少は面食らったものの、かといって特段不快感を抱いたことはなかった。
 一年ほど前のロアーヌからランスまでの二人旅の間に慣れてしまっていたという見方もあるが、それ以前に抑も彼女自身が、どこかハリードと似た気質をしているのが最も的確な理由なのかもしれない。
 こうして旅をする前まで、シノンの開拓村では正に自分こそがこうして周りの人間のことなどお構いなしに突き進んでいたというか、今振り返ってみれば大いに改善の余地があったのではないかと思わざるを得ないような、数々の我が道を行くっぷりを発揮していたものだった。
 別に、単にそうしたくてそうしていたかと言われると彼女的にはそうでもなく、いくつか考えることがあってのことだ。
 そもそも彼女の行動の理由は、単純だった。強くあろうとした、というだけである。
 そしてその強くあろうとした理由とは何よりも先ず、妹を守るためだ。また、引っ込み思案だったサラを導くためでもあり、その上で二人が生き抜くためであった。
 大凡、こんな理由で彼女は強くあろうとした。
 強いということは、己が先頭に立つということだ。
 先頭に立つ時に、躊躇いはあってはならない。躊躇えば、勇気が鈍り、足が竦む。だから、何かの行動を起こすときに立ち止まってまで考えたり誰かに伺いを立てたりするということを、基本的に彼女はしなかった。長く考えれば鈍るということを、彼女は経験から知っていた。
 またその一方で、率先して誰かに頼ることができるという状況を、羨ましいなと感じることもあった。
 頼ることそのものを悪いことだとは、彼女も思わない。そうしてうまくやっている者達をシノンの村でも見てきたし、この旅の中でも仲間と共に成し遂げることが増えていくことで彼女自身もその重要性は大いに学んだものだ。
 しかし、それは彼女にはできない。それができるのは、頼ることができる状況にいる人間だけだからだ。
 彼女の状況は、そうではない。彼女は、己が強くなろうとするその理由において、本当の意味で他人を頼ることなど出来はしない。
 だから、一人で強くなろうとした。
 まぁ、単にそういう動き方の方が己の性に合っている、という見方も無いわけではないが、決してそれだけなんてことはないのだ、ということを重ねて彼女は主張したいのである。
 その視点に照らし合わせると、ハリードの行動基準は彼女の見る限り、全く自分のそれと一致していた。
 彼もまた、最終的には自分以外を頼らないのである。
 動こうと思えば先ず自分が動くし、興味が湧かないことには基本的に惰性では動かない。また、自分が動くときに周囲が共に動くことを基本的に期待しないし、抑もそんな事を望みもしない。
 だから周囲には我が儘だとか冷淡に見られたりすることもあるが、かといってそんなつもりは本人には毛頭ないのだ。そういう生き方をしている、というだけなのである。
 事実、興味が湧けばハリードは実のところ結構な世話焼き気質だと感じるし、交渉などの世渡りも卒なくこなすし、必要とあらばパブリックな場所での礼儀作法も弁えている。
 だから、彼がさっさと宿を出るのは彼の目的があって、それについていくと言ったのはあくまで自分のほうであって。そこに、一々待ってもらう道理は毛ほどもない。なんなら逆の立場だったならば、自分も彼と同じようにするだろう。
 なので特にそう言うことは感じずに追いかけるわけたが、しかし追いついたら肘で小突いて「レディを待つくらいの態度は見せなさいよね」と茶化すのは忘れないのである。誰がレディだ、との返答にきっちり激昂するところまでがお約束でもあった。

 

 旧ゲッシア城下町の東区画は、最もハマール湖の水源に近いこともあってか農場区画がその多くを占めており、視界が非常に広々とした区画だった。この都市に辿り着くまでに延々と続いていた一面の砂漠風景とは全く打って変わって、水源の恩恵を受けていることで緑がとても豊かな様子が垣間見える。
 広大なナジュ砂漠の中に突如として現れる大きなハマール湖は、ナジュと北方のロアーヌ地方を分かつ雄大なるエルブール山脈からの雪解け水などが地下水として砂漠下に溜まり、やがて地表に湧き出たものだとされている。そのハマール湖のほとりに栄えるこの街は、まさに砂漠の中の楽園にも思える光景だった。
 エレンはロアーヌやピドナでは見たこともない不思議な形の樹木の群生を物珍しげに眺めたりしながら、ハリードと共に東区画に点在する職人たちの店の軒先を順に回る。
 そしてハリードが職人を半泣きにせんとするほど値切りに値切りながら買い物をする傍らで、エレンはリブロフと同じ要領で職人相手に聞き込みを行なっていった。
 だが今回もアクバー峠同様、思ったように情報が集まらず調査は難航することとなった。
 サラや彼女に同行する少年とやらの特徴をいろんな角度から説明してみても、そんな来客があったとは一向に聞かない。
 そうして聞き込みが連続して空振りになるにつれ、エレンの焦りは増していった。
 まさかサラは、ナジュに来ていないのだろうか。そんな最悪の予感が頭を過ぎる。
 いや、そんな悲観するのは良くないと、直ぐに思考を切り替える。それにまだ西区画での聞き込みも行っていないのだから、単に東区画側までは回ってきていない可能性だって十分にあるはずだ。
 だが、それでも心のうちに芽生えた焦りを消し去ることはできない。
 そのように焦りを募らせるエレンを他所に、ハリードは単身での砂漠越えに必要な物資を順調に買い集めていった。

「俺の用事は終わったから宿に帰るが、お前はどうする?」
「うん・・・西のバザールは・・・もう間に合わないか。あたしも今日は戻るかな」

 満足な成果を得られずにたいそう不満そうな表情のエレンを見ながら、しかしハリードは素知らぬ顔で歩き出す。
 ここまで付き合っている手前、自分にも手伝えることがあるのならば、それはやぶさかでは無いとハリードは思っている。
 だが、特に手伝えることがないのならば、生半可な慰めの言葉をかける事などはしない。場合によってはそれは嫌味にも聞こえるし、自分ならそう捉える。恐らくはエレンも、その性質だろうと思う。
 だから現時点で精々自分がしてやれるのは、酒家で愚痴を聞いてやることくらいだ。
 そう思いながら背後にエレンが付いてくるのを感じつつ宿へと戻る道すがら、ハリードはふと、何かを思い出したように目を瞬いた。

「・・・そういえば」
「なに、なんか情報!?」

 瞬間で食らい付いてくるエレンの叫び声にも似た反応を受け流しつつ、ハリードは歩みを止めずに続けた。

「まだ生きているのかは知らんが、十年前にバザール区画に情報屋がいたな。かなり抜け目ない奴だが、情報は確かだったはずだ」
「まだ居るとしたら何処に?」

 兎に角情報が欲しいエレンは、当然のように食い下がる。

「根城は西の城門近く、メインロード北沿いのマクハーだったはずだ」
「マクハー?」
「茶店の事だ。この国では本来あまり女の行く場所じゃあないが、お前なら問題ないだろ」
「わかったわ、ありがと」

 そう言うや否や、エレンは足早にハリードを追い越し、西区画への道を走っていった。
 その様子を無言で見送ったハリードは、肩に下げた荷物を持ち直して同じく西区画の宿へと向かう。

 

 程なくして戻った宿にて購入物に不足や問題がないかの確認を行い、それが終わると即座に宿の者を経由して砂漠の道中に連れていく駱駝の手配を行う。砂漠での荷運びに駱駝は必需品なのである。
 手際良く一通りの準備を終えたハリードは、後で文句を言われないように部屋に書き置きを残し、宿のすぐ向かいにある酒家に向かった。
 そこで、店では一種類しか扱っていないらしいアラックを飲みながら、頭の中ではゲッシア王族の間に口伝のみで伝わる唄を反芻させていた。

(諸王の都に辿り着くには、道中にあるとされるランドマークを2箇所経由する必要がある・・・。そこに辿り着くには口伝の通りなら、陽が南中を指し示す頃に出発し、南へ・・・そして陽が沈む頃に辿り着くという岩場の何処かに王家の紋が隠し彫られているから、それを目印に翌日南中より、今度は太陽を追いかけて歩き、陽が沈んだらそこからまっすぐ。その先にある岩陰のオアシスに王家の紋を見つけられれば、あとは南下した先にある・・・。王家に伝わる唄を解釈するとこんなところだな・・・)

 延々と同じ景色が続き、気温による揺らぎによって見通しの立たない砂漠は非常に迷いやすい。なので古くは太陽の動きに頼っての移動が主であったが、これは季節によっても当然ながら変わる。この唄も恐らくは夏季の唄なのだが、今は冬季だ。
 それらの対策として、ハリードは携帯型の象限儀を懐から取り出して眺めた。
 これは四分儀とも呼ばれ、地平と天体の角度などから大凡の現在位置や時刻を把握するものだ。船乗りや砂漠の民の必携道具である。
 砂漠以外ではあまり使うこともなかったが、いざ何処かで迷ってしまった時のためにと、彼は常にこれを携帯していた。

(・・・しかし、本当に行く意味など、有るのだろうか。いや・・・馬鹿げている。行く意味がないなんてことは、流石の俺も頭では分かっている。ただ、それでも行かねばならない気がすると言うだけなのか・・・)

 杯を傾けながら、ぼんやりとそんなことに思いを巡らせる。すると唐突に背後で、俄かにどよめきが起こった。
 そのどよめきの原因が彼には半ば予測がついていたが、一応確認をするように半眼で背中越しに軽く様子を見る。
 するとそこには、周囲の動揺をまるで意に介さない様子でずかずかとこちらへ向かって歩いてくるエレンの姿があった。
 予測通りである。
 今でこそゲッシアの法典はこの地から消え去り、特に外部からの来訪者を迎える西区画では大いに飲食店が繁盛し、男女関係なくナジュの食文化にも触れている。
 だが元々はこうした酒家などはゲッシアにはあまり数がなく、しかもそこへの来訪はその全てが男性に限られていたという歴史があった。
 特に今彼がいる場所はほぼ北区画に面する通りで西の観光区画中心部からは離れた場所であり、日中ですら外来者も殆ど立ち寄らない区画。どちらかと言えば、色濃くゲッシア文化が残っているような場所だ。そこにずかずかと外様の女一人で立ち入ってくるとなれば、その周囲の動揺ぶりもさもありなんといったところだろう。
 当然そんなことを知るはずもない(仮に知っていたとしても気にすることはないだろう)エレンは、カウンター席にいるハリードを見つけると足早に駆け寄った。
 そしてハリードの隣に勢いよく腰を下ろすと口早に店主へビールを頼み(因みにここにはアラックしかない)、ハリードへと視線を向けた。
 それとは別で、オーダーに戸惑った様子のまま自分に視線を向けてきた店主へ自分と同じアラックでいいと手振りで示しつつ、やや面倒くさそうな表情でハリードもエレンに視線を寄越す。
 するとエレンは開口一番に、こう宣った。

「ねぇ、あたしを諸王の都ってところに連れていって欲しい。行くんでしょ?」
「・・・・・・おい、なんでそんな話になるんだ。お前、サラを探すんだろうが」

 全く理解のできない話の進み方に流石のハリードも困惑の色を隠さず、エレンへと聞き返した。
 一方、目の前に出されたアラックに困惑していたエレンはハリードが飲んでいるのを見てそのまま一口飲み、不慣れな味に大層眉を顰めてみせながら、その表情のままハリードに向き合う。

「ハリードの言う情報屋ってのに会ってきたわ。でね、そいつに言われたの。神王教団のローブを一万オーラムで買うか、諸王の都に眠る財宝を何か一つ持ってきたら情報を売るって。そいつ、サラのこと見た感じだった。特徴知ってたもの。正直その場で締め上げようかと思ったけど、そういえばハリードが行くとか言ってたの思い出したの」
「・・・お前なぁ・・・完全に必死さにつけ込まれただけだろうそれは・・・」

 思わず軽い頭痛を覚えて米神に指を当てながら、ハリードは絞り出すようにそう言った。
 単なる直感ではあるが、恐らくこれは、偶然などではない。自分がこのエレンと共にこの街に帰ってきたことを、情報屋は知っていたと見るべきだろう。だからこそ、普通なら冗談にもならないような注文をつけてきたのだ。
 今更何のつもりで情報屋がそんなことを言い出したのかは、彼にも全くわからない。だが、確かに諸王の都は古ゲッシアを知る者の中ではエルドラド・・・つまりは黄金郷とされており、そこに眠る王家の財には相応の価値があると見るのもわかる。
 とはいえ、自分がそこに行くためにここに戻ってきたことなど知る由もないはずだと言うのに、何とも不可思議な話ではあった。どうにも、今考えたところで答えが出そうにもない。
 なのでそこについて考えることは一旦やめ、ハリードは目の前の杯を一気に飲み干すと、立ち上がった。

「ここで話すようなことではない。部屋に戻るぞ」

 

 

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第五章・12 -神王教団-

 

 灼熱の砂漠を越えて遂に辿り着いた彼女の目に先ず見えたのは、今まで彼女が見てきたどんな建造物よりも高く高く天に突き刺さらんとする、無骨な塔であった。
 そしてその塔を中心として商人達の市が広がり、更にそれを囲うように円形に住居が形成されている。
 それら住民の暮らしを支えるように近くにはオアシスが複数箇所に渡り点在しており、恐らくそれらの水源であろうと思われるハマール湖が南東に覗く。
 神王の塔とはその様な街の中心に突如として聳え立っており、只々異質な空気を醸し出していた。
 だが砂漠越えに同行してもらった商隊に礼を言って別れたカタリナは、その直後、更にこの地において異質なものをその目にした。

「やぁやぁ、これは奇遇ですねカタリナ殿。いやはやこんなところでばったり出会うなんて、なにやら運命めいたものを感じてしまいますね。最早ここは殿なんて言わず親しみを込めて、カタリナさんと呼ばせてもらっちゃいましょうか」
「・・・!」

 突如カタリナに声をかけて来たのは、余りにその見た目が特徴的すぎて忘れる事も叶わないであろう人物。
 ピドナで遭遇し彼女に不可思議な言葉の数々を投げかけてきた、聖王記詠みを自称する謎めいた詩人だった。
 朝焼けの港での出来事がフラッシュバックし思わずその場で抜刀しそうになるのを何とか抑え、カタリナは警戒心むき出しで詩人を見据えた。

「・・・何故ここにいる。私に一体、何の用なの」
「いやー・・・暑苦しいこの地では心地いいくらいに反応が冷たいですねー。ここに来るためのキーマンを教えて上げたの、私なのに」

 酒場にいれば笑いを誘う様な大袈裟な素振りで頭を項垂れる詩人に対し、カタリナはピクリとも表情を変えずにいる。
 すると詩人はやがて諦めたのか一つため息をつくと、つれないなぁとぶつぶつ呟きながら、カタリナを手招きして歩き出した。

「・・・マスカレイド、取り戻すのでしょう? それなら、ついて来た方がいいと思いますよ」

 立ち止まったままでいたカタリナに詩人は一度だけ振り返り、あくまで悪戯っぽく笑みを浮かべながらそう言った。
 全く以て不気味な話だが、此方の目的等は全て分かっている、という事なのだろう。
 そのままあとは振り返る事もなくゆっくりとしたペースで歩いて行く詩人の背中に一つ悪態をつくと、カタリナは実に不本意そうな表情と共にあとを追って歩き出した。
 そのまま二人は市の中心地から離れ、やがて人通りの少ない路地裏で詩人は立ち止まった。
 用心深く多少の距離をとって同じくカタリナが立ち止まると、詩人はそんな様子のカタリナにはお構いなしにあくまで自らのペースを崩さず、肩から下げていたバッグからズルズルと麻で作られたローブを引っ張り出す。
 それは、神王教団の教徒が着用する専用のローブだった。

「はい、どうぞ」

 そう言って無造作に放り投げられた丸まったローブをカタリナがキャッチしてから詩人を見返すと、彼は丁度自分の分のローブを同じくバッグから引っ張り出したところだった。

「神王の塔に入るには、このローブを着用しているか、もしくは何とびっくり一万オーラムのお布施を捧げないといけないんですよ。碌なアトラクションもないっていうのに、随分とぼったくってきたものです」

 ぶつぶつとそういいながらローブを羽織る詩人と手元のローブを交互に見ながら、カタリナはこの状況についてどう対処するべきかを考えていた。

「・・・着ないんですか?」
「・・・貴方は何者なの? 目的は、なんなの?」

 詩人からの問いかけを無視する形で、カタリナはそう言った。

「何者か、は・・・残念ながら秘密です。そんでまぁ今回の目的ですが・・・」

 彼女の言葉に答えながら詩人は着用していた特徴的なとんがり帽子を脱いでローブで頭まですっぽり覆い、似合うでしょ、と聞いてくる。
 それを当然の様にカタリナが無視すると詩人は少しだけいじけた様な表情をしてみせ、そしてふと神王の塔を見上げた。

「私も少し、取り戻したいものが有りましてね。なもので折角だから、ご一緒しようかと思ったわけです」

 そう言ってカタリナに振り返った詩人は、臆面なくにこりと笑う。
 それに対してカタリナはピクリと眉を動かすだけで答えたが、それ以上はこの男が語りそうにもない事を悟ると、諦めた様に手に持ったローブを羽織った。

「・・・もう油断はしないわ。何かしようとしたら、容赦なく斬る」
「やだなぁ、私そんなに節操ないわけじゃないですよ?」

 カタリナの言葉に詩人が相変わらずの調子で返すと、むすっとした表情のカタリナはそのまま彼を追い越して、街の中央へと歩き出す。
 詩人はそんなカタリナの背中を眺めてやれやれと言った様子で肩を竦め、その後を追った。
 カタリナが市まで戻ると、其処彼処で露店を開いている商人たちが本日の目玉商品を声高らかに彼女に向かって過剰にも思えるくらいに宣伝してくる。
 先程はその様な事は無かったので、違いといえば神王教団のローブを羽織っている事だ。
 この地が神王教団に実質支配される様になってから十年、彼らはこの地では商魂逞しい商人達にとってよい商売相手として認識されているのだろう。

「おお、見てくださいよ。この絨毯模様の見事なこと! なんか空、飛べそうじゃありません?」

 ゲッシアの絨毯織物技術は世界的にもその品質や芸術性の高さが有名で、愛好家は西方諸国にも少なくない。周囲を見渡せば砂しか見当たらないようなこの土地から作られるなどとは想像もつかぬほどに色鮮やかに染め上げられた糸を織り合わせ、露店に並べられた商品はそのどれもが美しい幾何学模様を披露して通行人の目を楽しませている。
 確かに時間と余裕があればゆっくりとそれらを眺めて回りたいのは山々だが、今のカタリナは生憎とそのどちらも持ち合わせてはいない。
 故にそれらを一瞥しただけで再び歩き出すカタリナに対し、詩人は其処彼処の露店に視線を泳がせながらなんとか彼女の背中にすがりつく様な形でついていく。
 だが街の中心に近づくにつれて、徐々に道に広がる露店の数は少なくなっていった。
 そして最後に織物を扱う商人の横を通ると、急に目の前の空間が大きく開けた。目前に聳える巨大な塔が建設中であるということを匂わせる幾つもの日干し煉瓦の山が点在している以外には何もない空間が、塔を囲う様に広がっていた。
 一度そこで立ち止まって塔を軽く見上げたカタリナは、ふとここまでの旅路に思いを馳せ、そして意を決して歩き出す。
 そのまま何事もなく入り口に辿り着くと、そこには一人の神王教団教徒が入り口の番人として立っていた。
 だがカタリナが教徒のローブを羽織った姿で近づくと、番人は軽く会釈をして脇に避ける。
 それに会釈を返し、拍子抜けしてしまうほど何事もなくカタリナ達は神王の塔へと侵入を果たした。
 多少薄暗い中で視界を慣らすようにゆっくりと周囲を見渡すと、中は窓が設えられておらず代わりに蝋燭が灯されており、外が昼間であるのか否かもよくわからなかった。そして何より、砂漠のど真ん中に立てられているにしては随分と冷んやりとした空気に包まれているな、と言うのが彼女のこの場に対する第一印象だった。
 入り口から三又に通路が別れているが、そのうち正面と右側の通路は教徒が立って道を塞いでおり、カタリナは軽く会釈をしてみたがその場を動くような反応はなく、どうやら通行止めのようだった。
 別段強行突破する理由も今はないので残された左の通路を進み始めたカタリナと詩人は、細かく区分けされた幾つもの部屋を抜け、その先に設置された階段を登り、歩みを止めることなく只管に上を目指した。

「しっかし・・・不親切設計な塔ですねぇ。上まで登るのにこんなにグルグルと階の中を歩き回らなければならないなんて」

 いい加減歩き疲れた様子で詩人がその様に悪態をつくと、それには流石にカタリナも同意を示した。
 まるで塔の中央を避ける様にその周りを回りながら上を目指す様な構造は、確かに不親切極まりない。これもまた、何かの宗教的な考えの結果なのだろうか。

「お、今度は外まで回れってことらしいですよ。徹底してますねぇ!」

 遂には室内に道がなく、外のバルコニーへと続く進路のみとなった。
 詩人が思わずそれに茶々をいれるが、もし彼が言っていなかったらカタリナが言っていたかもしれない。面倒極りない作りだ。

「・・・わぉ」
「おー、これはなかなかいい眺めですねぇ」

 バルコニーから外に出ると、階層にしてそれ迄に十ほどを進んできたのだろう。かなりの高さまで登っていた。
 見下ろす街並みは美しく環状に広がり、道行く人々がとても小さく見える。

「最上部はまだ建設中の様ですね。となると、ゴールは近そうです」

 詩人が見上げる先にカタリナも視線を移せば、確かにまだ最上部には建設用足場が組まれている。
 それを確認したカタリナは、再び歩き出した。
 バルコニーを通ってまた室内へと戻り、その先にようやく見えた階段を登り、またバルコニーへ。
 それまでと変わらず嫌がらせの様な構造の建物を根気強く二人は登り続け、漸く終点へと辿り着いた。
 それまでの細かく区切られた間取りとは違い広く取られたその広間には、奥に設えられた厳かな台座の上に、黄に染められたローブを羽織った一人の老人が此方に背を向けて立っていた。
 カタリナと詩人が歩み寄ると、その人物はゆっくりと二人に振り向いて、何事か、と視線で語る。
 それに応えるように二人が身に纏っていた麻のローブを脱ぐと、男は落ち着いた様子でゆっくりと目を細めた。

「お前達、教団の者ではないな」

 老人のその言葉に小さく頷いたカタリナは、脱いだローブを折り畳んでから姿勢を正した。目の前の人物に見覚えはないが、この佇まいは間違いなく教団の長だろう。

「神王教団教主ティベリウス殿とお見受けします。突然の訪問をお許しください。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランと申します。此方は現地案内人です」

 カタリナの紹介に合わせて詩人が優雅に一礼をすると、ティベリウスと思しき老人は手にした杖をコツンと床に一度当て、台座から降りた。

「いかにも、私がティベリウスだ。ロアーヌの騎士殿、よくこの地に参られた。神王様はすべての人のために現れる。故に歓迎しよう」

 ティベリウスのその言葉に軽く一礼をして返したカタリナは、軽く周囲を確認し直した。そして特に人の気配も感じられないことを確かめると、ティベリウスへと視線を戻す。

「単刀直入にお聞きします。マクシムスは、どこにいますか?」
「マクシムス? あやつならピドナにおるはずだが」

 一体それがどうしたのか、とティベリウスが首を傾げると、カタリナは一歩前に進み出た。

「あの者の正体は、かつて温海にて残虐非道の限りを尽くした海賊ジャッカルです」
「・・・海賊であろうが、殺人者であろうが、くいあらためて神王様を待つ者は救われる。マクシムスが昔どんな名を持っていたとしても、今は関係ないことだ」
「ジャッカルはこの教団を隠れ蓑として、今も非道な悪事を続けています。それも容認なさるのですか?」

 ティベリウスの返答にカタリナが即座に応えると、ティベリウスはカタリナの瞳を見返した。そこに偽りの念が全くないことを読み取ると、ふむ、と唸って口を開く。

「真偽を確かめるために、出頭させよう」

 そう言った、その直後だった。
 嫌悪感を催す悍ましい視線を背中から感じとったカタリナが、咄嗟に背後に振り返る。
 その直後、広間の入り口から下卑た笑い声が響きわたった。
 それに詩人も遅れて振り返ると、その先には数日前にピドナでカタリナが見た姿と同じ、神王教団幹部の位を示す青いローブを身に纏ったマクシムスが立っていた。

「マクシムスか。この者達の言うことの真偽を聞きたい」

 ティベリウスがまずそう口火を切ったが、マクシムスはそれを一瞥しただけで無視した。
 そして下卑た笑みをそのままに、カタリナへと視線を移す。

「よぉ、美人社長のカタリナさんよ。ピドナでは派手にやってくれたそうじゃねぇか。おかげさんで俺様の可愛い部下どもは、殆どお縄になっちまったようだ。だが・・・残念だったなぁ! もう俺はあそこに用はなくなった!」

 不快に耳に届くマクシムスの声を聞きながら、カタリナは手にしていたローブを床に放り、躊躇う事なく月下美人を抜刀した。

「マクシムス! マスカレイドを返してもらいにきたわ!」

 声を発した直後に、カタリナは一足飛びでマクシムスに斬りかかる。
 だがマクシムスはそれを思いの外機敏な動きで後方に飛んで避けると、なんとそのまま笑いながらバルコニーの手摺へと身を乗り出した。

「くっくっく、随分と威勢がいいじゃねーか。そういうの、嫌いじゃないぜぇ? しかもそれが聖王遺物のお土産付きともなりゃあ、大歓迎だ」

 追撃を繰り出さんという姿勢のカタリナに対し、マクシムスはカタリナが身につけている聖王のブーツと王家の指輪をみて、上機嫌に笑う。
 そして漸くその後方に控えていたティベリウスへと視線を移すと、残忍な笑みを浮かべた。

「と、いうわけだ。この塔は頂いたぞ、ティベリウス」
「・・・この塔は神王様の物だ。お前の自由には出来んぞ」

 ティベリウスが即座にそう返すと、マクシムスは鼻で笑った。

「神王だと? そんなガキは必要ない。世界は俺様が支配してやる。集めた聖王遺物とモンスターどもを使ってな!」

 そう言い捨てると、なんとマクシムスはバルコニーからそのまま身を翻し飛び降りた。
 まさかのその行動に驚いたカタリナがバルコニーまで駆け寄ると、なにかとても大きな物体が彼女の目の前を下から上へと通り過ぎる。
 その影を追ってカタリナが上空を見上げると、巨大な鳥ような魔物の背に乗ったマクシムスが、相変わらず不快な笑みを浮かべて彼女を見下ろしていた。

「てめぇの死体からしっかり聖王遺物は回収しておいてやるからよ。全員仲良く死ねよ」

 そう言って高笑いをするマクシムスの背後から、更に大きな魔物が姿を現す。真紅の巨体に獰猛な眼光を宿した赤竜だった。

「おやおや、レッドドラゴンですかぁ。どうやって手懐けたんでしょうねぇ?」

 暢気な声を上げながらも、詩人は慣れた手つきで腰にさしていた剣を抜く。
 それに合わせてか赤竜は雄叫びを上げ、狭い入り口にそのまま体当たりをしてきた。
 慌てて横に飛んでよけたカタリナを素通りして轟音と共に入り口周囲の壁を破壊しながら広間へと突入した赤竜は、続けざま即座に口角を大きく開く。
 そこに超高温の揺らめきが収束したかと思えば、次の瞬間には周囲を薙ぎ払わんとする轟炎の奔流が吐き出された。

「ただでさえ暑いんですから、少しは気を利かせてアイスブレスとかにしてくれませんかねぇ」

 ティベリウスをかばう様に彼の前に位置した詩人は、相変わらずの様子でそういいながら手にした剣を横に凪ぐ。
 すると彼の目の前に広範囲の炎の障壁が現れ、迫り来る炎をいとも簡単に全て堰き止めてみせた。それは嘗てシャールが夢の世界で見せたものと同じもので、少なくとも詩人のその身の熟しと術式が非常に高い水準にあることが垣間見える。

(・・・やっぱりただものじゃないわね、あの男・・・)

 それを体制を立て直しながら見ていたカタリナは、炎を吐き切って動きが止まった赤竜に向かい、すかさず月下美人の一太刀を浴びせる。実のところこの月下美人を実戦で使うのはほぼ初めてに近いのだが、事前にフェアリーから聞いていた扱い方を元にした鍛錬は抜かりない。教えられた通りに太刀筋の流れに沿って斬ることを意識し、無心で太刀を振った。
 すると驚くべきことに殆どなんの抵抗も感じられない程の切れ味で、赤竜の背中に生えた翼が一本、あっさりと斬り飛ばされた。
 それに思わずぎょっとしたのは誰あろうカタリナで、激痛に叫ぶ赤竜の脇を慌ててすり抜け、詩人の横まで戻って剣を構え直した。

「すんごい切れ味ですねー、その刀」
「刀・・・というの? 貰い物だからあまり知らないけど、確かに今のは我ながら驚いたわ」

 刀自体も実戦でしっかり使ったのは初めてだったが、切れ味でいえば彼女が今まで使ったどんな剣よりも、この月下美人という武具は優れているようだ。
 痛みに暴れまわっている赤竜が再び此方にターゲットを向けて口を開かんとしているのを確認すると、早いところ勝負をつけてしまおうとカタリナが先に動いた。
 赤竜が前足の爪で迎撃しようとするがそれを難無く躱し、懐に入ったカタリナは全身に力を込める。
 次の瞬間には赤竜の背中へとすり抜けたカタリナが先ほどまで立っていた位置に、ゴトリと赤竜の首から上が落とされた。

「おぉぉ、お見事ですねぇ」

 剣を鞘に戻し、ぱちぱちとやる気のなさそうな拍手をカタリナの背中に送る詩人。
 それを流しながら血振りした月下美人を納刀したカタリナは、随分と風通しの良くなったバルコニーへと視線をやった。しかし、そこにはもうマクシムスの姿はない。

「彼奴は、この塔の何処かにいるはずね。ティベリウス殿、心当たりはありませんか?」
「この塔の中心部を通るようにマクシムスが設計を主導した昇降機があるが、今は動いていない。どこかに起動装置があると思うが・・・」
「昇降機ですかー。魔術紋章を用いたものは多少は存在しているみたいですけど、完全に機械仕掛けで動くものなんて初めて聞きましたよ。マクシムスさん、発明家に向いてません?」

 ほんわかと場違いな発言が好きなのだろうか。詩人がそのような感想を述べているのを聞き流しながら、カタリナは踵を返して歩き出した。
 だが、それを呼び止めるように声が掛かる。カタリナがそれに振り返ると、彼女を呼び止めたのはティベリウスだった。

「待ってくれ。私も行こう。場所なら、大凡の見当はつく」
「・・・感謝します」

 カタリナが頷くと、ティベリウスは思いの外機敏な動きで歩き出した。
 先行するティベリウスを追うように二人は壁の破片が飛び散った広間の入り口を越え、ここまで登ってきた道を逆再生して行くように戻る。
 そして二つ程下の階層に戻ると、行きには番がいて塞がれていた道が開かれていた。大方、上で起こった騒ぎに逃げ出したのだろう。
 ティベリウスが躊躇いなくそこに入っていったのでその後を追うと、中は巨大な螺旋階段となっていた。

「ここから一階まで一気に降りれる」
「わお! 私一度、こういうのやってみたかったんですよね」

 ティベリウスの言葉を聞き終わらないくらいで、詩人が乗り出す。
 塔の中央を貫く螺旋階段には手摺が設置されており、彼はそこに腰をかけた。
 背中を吹き抜ける風を感じ、一瞬だけ下を覗き込む。

「うーん、落ちたら死んじゃいそうですけど・・・そんなこと気にしてたらロマンは追いかけられませんよねぇ。ってなわけで、一番乗りいただきまーす」

 そのまま勢いをつけて手を離した詩人は、軽快な速度で手摺伝いに下方へと滑り落ちていく。

「・・・落ちちゃえ」

 その様子を見ていたカタリナはぼそりとそう言い、そう言いつつ自らも手摺に腰を掛けた。少し品がない気もするが、確かにこの方が速そうだ。
 そのままするすると滑り出していったカタリナを見届けたティベリウスは、自分も一瞬だけ手摺を見たものの、そこは冷静さを取り戻して踏み止まった。
 そして早足に歩いて長い螺旋階段を漸く降りきると、丁度部屋の出口ではカタリナと詩人が悍ましい人面の獣を斬り捨てたところであった。

「この塔に、このような魔物が蔓延っていようとは・・・。許さぬぞ、マクシムス・・・!」
「まぁまぁ。そうカッカすると血圧上がっちゃいますよ? 起動装置というのは此方ですかね?」

 血相を変えているティベリウスを宥めながら詩人が示したのは、獣が立ち塞がっていた扉だった。
 その中をカタリナが覗き込むと、今度は地下へと道が続いているようだ。そして、其処彼処に魔物の気配がある。
 広くはない通路なので月下美人を鞘に収めて代わりにレイピアを手にしたカタリナと剣を持った詩人が先行する形で、道を進む。途中の通路を塞ぐ魔物を難無く打ち倒しながら走破していくとやがてその先は行き止まりとなり、そこにはレバー式の切換器が露出した何かの装置が鎮座していた。
 恐らくはこれが昇降機の起動装置なのだろう。
 躊躇うことなくカタリナがレバーを切り換えると、ガチャリという音と共に内部で何かが動き出す。
 しかし、それを確認したカタリナが手を離すとレバーはゆっくりと元の位置に戻ってしまい、同時に内部で動いていた仕掛けも止まってしまった。
 数度繰り返してみるが、結果は変わらず。何か押さえになるものがないかと手荷物を漁ってみたが、役に立ちそうなものもない。

「・・・ここは私が押さえておこう。先に進むがいい」

 ティベリウスが起動装置に手を掛けながらそう名乗り出ると、カタリナと詩人は彼に礼を言って先に進むことにした。
 ここまで来た道を戻り、塔の入り口まで辿り着く。すると上から降りてきた時に使った螺旋階段の部屋の奥、先ほどは何もなかった筈の場所に昇降機と思しき台が現れていた。

「いいですねー。こういう仕掛けがある所って、なんかこう、攻略してるーって感じがしますよねー」
「・・・貴方が隣にいると、こっちはちっともそんな気がしないわ。でも・・・確かにこの先に目指すものがあるみたい」

 詩人の軽口にそう返しながら昇降機に足をかけつつ、指にはめられた王家の指輪へとカタリナは視線を落とした。
 まるで魔王殿の地下へと誘われた時の様に、指輪がこの先へ早く進めと彼女を囃し立てている。
 二人を乗せた昇降機は内部でカタカタと振動する動力装置により、ゆっくりと上昇を始めた。
 そうして誘われた先でも相変わらず遠回りを促す不親切な通路設計の中を突き進んでいくと、再び何かの起動装置が現れた。
 形状も先程のものと同じで、やはり誰かが押さえていないとすぐに戻ってしまうのも一緒だ。

「今度は私ですね。どうぞ先へ」

 思いの外素直に詩人が進んで装置に手を掛けた事に一応感謝しつつ、いよいよ一人となったカタリナは先へと進んだ。
 通路の先に現れた昇降機を今度は下り、その先は広く取られた空間があった。そしてそれまでよりも多く配置された魔物達を次々と斬り捨て、更に奥の階段を下っていく。
 道中には魔物は元より様々な罠も仕掛けられており、とてもではないが宗教上のシンボルとして建てられた塔の様には思えなかった。
 ティベリウスは思いの外話のわかる人物だったが、彼にはこの事態は把握できなかったのだろうか。
 何かを信じるものは、得てしてそこに付け込まれると油断し、騙されやすいものなのかもしれない。
 それは自分自身にも大いに言えることであって、自分で考えておきながらも非常に耳に痛い事実だった。
 だが、間も無く自らの油断と慢心が招いた一連の事件に一つの決着がつく。
 通路の最後で飛び掛かってきた大型の蛇を斬り飛ばしたカタリナは、悍ましい気配を放つ奥の間の扉の前に立った。
 すると扉は一人でに開かれ、その奥に鎮座する人物がその位置から見えた。マクシムスだった。

「やるな、ここまで辿り着くとは」

 広間の中へと入ったカタリナに対し、マクシムスは素直にその様な賛辞を述べた。

「マスカレイドを返してもらいにきたわ。大人しく渡しなさい。さもなければ、斬る」

 静かにそう言い、抜刀した月下美人を構える。
 しかし刀を向けられたマクシムスはカタリナを見ながら余裕の表情で顎に手を当て、生え揃った顎髭を撫でながらにやりと笑った。

「おい、お前。俺の部下にならないか? そうすればマスカレイドはお前にくれてやるし、広大な領地もやるよ。それこそあれだ、世界の半分を、ってやつだ」

 突然の妄言にカタリナが眉を顰めると、マクシムスは至って本気の様相で身を乗り出した。

「わけがわかんねぇ、って顔だな。何をとち狂ったこと言ってんだ、とでも思ってるな? ってことはお前・・・自分が持っている聖王遺物って代物がどんだけの力を持ったもんか、いまいち分かってねぇな?」

 そういいながら立ち上がったマクシムスは、椅子に立てかけてあった木の杖を手にとった。それに王家の指輪が反応したのを感じたカタリナは、その杖もまた聖王遺物であろうと目星をつける。

「こいつは、栄光の杖。聖王遺物の中じゃ地味な部類だが、今までに数百人の聖職者が血反吐を吐きながら祈りを捧げてきた、世界でも指折りの神器だ」

 マクシムスはそう言いながら、栄光の杖を振りかざす。すると僅かに光を湛えた杖からマクシムスへと光が流れ込み、マクシムスの周囲の空気が揺らぐ様に一変した。途端にマクシムスの纏う圧力が劇的に上昇したのをカタリナは肌に感じとる。
 更にマクシムスは石造りの椅子の脇に無造作に置かれた箱から一本の槍を取り出した。
 見るもの全てを魅了するかの様に煌びやかな装飾が細部に施されたその槍は、しかしその飾りとは裏腹に圧倒的な威圧感で周囲を制しながらカタリナに矛を向ける。

「こいつはいい拾いもんだった。かつて魔戦士公アラケスが操ったという魔槍を希代の名工と共に鍛え直したとされる聖王の槍・・・。カビくせぇ工房なんぞに置いとくには過ぎた代物だぜ」

 振り翳した槍をマクシムスが構えると、槍は刃先に風を受けて不思議な音色を奏でた。その音色に導かれた光が更にマクシムスへと収束し、それは軽い風圧を為して周囲に拡散する。その風を頬に受けながら、人に対峙する上では感じたことがない類の圧迫感をカタリナは感じていた。

(なんなの、この出鱈目な圧力は・・・。これが、聖王遺物の本懐だとでもいうの・・・?)

 ジリジリと後退りながら対峙するカタリナに対し、マクシムスは期待通りの反応を得た子供の様に笑みを浮かべながら一歩前へと進んだ。それに合わせてカタリナが後退するのを見てさらなる笑みを浮かべ、勝ち誇った様相で口を開いた。

「俺はある時、天命によりアビスの魔物を従えた。こいつらがあれば、人間の軍勢がどれだけ集まろうが対抗出来る。そして更に俺はこの絶対的な力、聖王遺物をも手に入れた。これなら・・・四魔貴族だろうが対抗できる」

 振り翳した槍を恍惚の表情で見つめながら、マクシムスはもはやカタリナを見ているわけでもなく、誰にともなく語った。

「だーが・・・まだ足りねえ。如何せん俺一人だけっつーのが良くねーんだ。六百年前に魔王が失敗した理由はそこよ。右腕がいねぇ。そこで、お前だ。赤竜をぶった斬る程の能力を持ったお前なら、この俺様の覇道に付き合う権利がある。どうだ、俺の部下にならねえか?」

 言いながらマクシムスが翳していた槍をおろした事で威圧感から一時的に解放されたカタリナは、こちらも刀を下ろして直立の姿勢をとった。
 その様子にマクシムスがニヤリと笑うのを確認すると、彼女は肩で一つ息を吐き、ゆっくりとした動作で再び刀を構える。

「続きは夢の中にして頂戴」
「・・・あん?」

 マクシムスが眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情をすると、カタリナも負けず劣らず不機嫌そうな表情で返しながら、眼前の邪気を払う様に月下美人を真横に薙いだ。

「寝言は寝て言えっつってんのよ!」
「・・・はっ!この状況でその口の聞き方とは大した奴だ!」

 両手に構えた槍を眼前のカタリナに向け、マクシムスは全身に力を込める様に腰を深く落とした。

「じゃあ残念だが、ここで消えてもらうぞ!俺様の邪魔はさせん!」

 石畳が弾けんばかりの強烈な踏み込みでカタリナに迫ったマクシムスは、勢いに任せて渾身の突きを放つ。先端が三叉の形状をとられた槍の刃先に対してカタリナはその間に刃を差し込みながら受け流そうとするが、接触の瞬間に槍の刃先が跳ね上がり、次いで石突がカタリナの顎を狙って唸りをあげながら迫った。
 それを間一髪上体を反らせる事で回避したカタリナは、槍を振り上げて脇腹ががら空きになったマクシムスを狙って刀を横に薙ごうとしたが、刀を振り抜かんとしたまさにその瞬間、突如としてマクシムスの身体からカタリナ目掛けて炎が迸った。
 予想外の事態に思わず身を庇う姿勢を取りながら後ろに下がろうとしたが、その間に態勢を立て直したマクシムスが回転させた槍に捉えられてカタリナは脇腹を浅く裂かれる。

「・・・っ!」

 構わず後方に飛び退いたカタリナは軽い裂傷に舌打ちしながら構えを直し、ニタリと笑うマクシムスを睨みつけながら下段に刀を構えた。

(今のは、聖王遺物の力などではない・・・。もっと、とても悍ましい何かの力だった・・・)

「オラオラどうしたぁ!? さっきの威勢はよぉ!?」

 手の内がわからず積極的に攻めあぐねいたカタリナの様子を見てとり不敵に笑いながら、マクシムスは手にした槍で攻め立てる。
 カタリナはその攻撃を全て紙一重で躱し、弾き、捌きながら、慎重に相手を観察した。
 幾らでも隙もあれば先ほどの様な炎が見えるわけでもないのだが、しかしそれに誘われて攻めに転ずるには至らない。

「・・・ふん、流石だな。こんだけぶん回しても一つも擦りやしねぇのかよ。だが、このままじゃ死ぬのがちっと伸びるだけだぜ?」

 防戦一方のカタリナに対して攻め立てていたマクシムスもこのままでは埒が明かないと考えたのか一度攻撃の手を休め、ギリギリ間合いの外まで下がると飽きれた様にそういった。
 その様な安い挑発に乗るカタリナではないが、それ以前に未だ彼女には攻めるための起点が見つからない。先ほどの様な謎めいたカウンターの正体が掴めないと、この男を倒すことが出来そうもないのだ。
 刀を上段に構え直したカタリナは一度距離を取って様子を見ようと、月下美人を地面に突きたて地を這う衝撃波を見舞う。
 それをどのように避けてくるにしても、先と同じ大味な避け方であるなら地走りの連撃を見舞わんと気構えた。
 しかし、ここで彼女の予測は大きく外れた。
 マクシムスはなんと真正面から地を這う衝撃波を身体に受けつつ再び深く腰を落とし、力を溜める姿勢をとったのだ。
 その間に衝撃波がマクシムスの身体を幾重にも切り刻んでいくが、しかし切り裂かれた箇所から吹き出したのは鮮血ではなく、なんと赤い炎であった。
 その奇怪な光景にカタリナが驚愕の表情を浮かべるのを見て焔を纏ったマクシムスはまたしても下卑た笑いを浮かべ、そして咆哮した。

「終いだ、くたばりなぁっ!」

 深く根を下ろすようにその場に固定された下半身と、大きく捻られた上半身。その両腕に抱かれた槍の先に集約された力の奔流が最高潮に達した時、マクシムスはカタリナに向かって強大な衝撃波を伴う二段突きを繰り出した。
 放たれた衝撃波は瞬く間に燃え盛る炎龍と凍てつく蒼龍の姿をとり、石造りの地面を削りながらカタリナへと迫る。圧倒的な質量を伴うその双竜の波は、確実にカタリナを捉えていた。

(・・・今の焔・・・知っている。指輪が覚えているわ。あれは・・・深い闇の狭間から生まれるアビスの焔・・・)

 地面に突き刺した刀を抜いた段階で目前に迫る双竜波を避けきれないと判断したカタリナは、無心で衝撃波を切り裂く様に月下美人を真横に薙いだ。
 瞬間、月下美人が仄かに光って衝撃波に纏わり付いていた瘴気ごと双竜を粉砕するが、しかしそれで全てを抑えきるには至らない。
 相殺しきれない衝撃をもろに全身に喰らったカタリナは後方に吹き飛び、地面を二、三転してから漸く止まった。

「っけ、しぶてぇな。益々惜しいが・・・まぁ仕方ねぇわな」

 よろよろと起き上がるカタリナを見下ろす様に睨み、身体に焔を纏ったマクシムスは再び構えを取る。
 槍の先端に再度瘴気が収束していくのを感じながら膝に手をつきつつ立ち上がったカタリナは、各部に裂傷を負ったもののまだ四肢が問題なく動くことを確認すると、月下美人を正眼に構えた。
 まだ仄かに光を帯びたままの月下美人が柄から掌を通し、彼女に構えを促す。

(・・・王家の指輪には刀の扱いは刻まれていない様だけど、長年妖精達が鍛錬してきたこの刀が、私に語りかけ、力を貸してくれる・・・。私が扱うことを拒んでいない・・・)

 彼女の視線の先では、今まさに再び槍が振りかぶられたところであった。
 それを黙って見守ると、間も無く当然の様に槍は轟音と共に突き出され、再び双竜の形を成した衝撃波が荒れ狂いながらカタリナへと迫る。その奥ではマクシムスが上機嫌な様子で笑いながら何かを叫んでいるが、それは破壊を伴う轟音に掻き消され彼女の耳には届かない。
 それらの光景を正面から見つめていたカタリナは刀に誘われるまま、その場から動かなかった。

(斬れる)

 確信したカタリナは正眼に構えていた月下美人を上段へと振りかぶる。
 そして眼前に迫った双竜が正に彼女を喰らい尽くさんとした瞬間、カタリナは刀に宿る霊威を斬撃に載せるように静かに、そして力強く振り下ろした。
 甲高い鍔迫り合いのような金属音が周囲に響き渡り、次いで引き起こされた強烈な爆風にマクシムスは思わず目を腕で庇う。
 数秒後、巻き起こった風圧が止んでからマクシムスが正面に視線を直すと、刃先を相手に向ける形で八相に近い構えをとったカタリナが刺すような視線を向けていた。

「確かに聖王遺物の秘める力は、私が認識していた以上に絶大のようね。あなたでもこんな威力の攻撃が繰り出せるなんて、本当に凄まじいわ」

 先程のマクシムスと同じように両足を深く地に馴染むように擦り合わせ、腰を深く落としながら言葉を紡ぐ。
 その姿勢に呼応するように月下美人の刀身には淡く仄かな明かりが集い、やがてそれは刀身全体を覆う光となった。

「だが、稚拙。どうやらお前如きに操れる程、その武具は容易く出来てはいないようね」

 カタリナに集まる光の奔流はその言葉を紡ぐ間にも膨れ上がり、そこから発せられる圧力は先のマクシムスが放ったものを完全に凌駕していた。

「・・・っくそ、てめぇ、舐めんじゃねえぞ!」

 マクシムスはカタリナの構えを崩さんとし、背後から一振りの斧を取り出した。
 柄から刃先まで全体に禍々しい装飾を施されたその斧は、聖王の槍や栄光の杖に見られるような神々しさはなく、それそのものが強大な瘴気の塊であるかのような吐き気を催す程の邪気を纏っている。明らかにこれまでの聖王遺物とは異なる代物だった。しかしその本体から溢れ出すプレッシャーは、聖王遺物のそれに比べて非常に攻撃的なものだ。
 マクシムスはその斧を振りかぶり、すぐさまカタリナに突撃せんと足を踏み出した。
 しかしその一歩を踏み出した直後、マクシムスの足元には突如として遠方から投擲されたロングソードが突き立った。

「・・・貴方にそれは、少し過ぎた玩具ですよ」

 力を貯めているカタリナの背後から声がしたかと思えば、そこから現れたのはいつもの帽子を目深に被り直した詩人だった。

「悪役というのは散り際が潔くなくては、大物とは言えません。此度の戦いは私がサーガの一節として盛大に謳って差し上げるので、どうぞ心置きなくお覚悟を」

 突然の乱入者にマクシムスは驚きの表情を詩人に向けたが、対する詩人は場違いににこりと笑いかけ、帽子を軽くあげながらまるで目の前の人物に別れを告げるかのように、優雅に一礼をした。
 それに合わせて、ここが砂漠の更に地中に埋れた場所であること忘れさせるような、しんと冷えた空気が広間全体に広がる。
 その変化にえもいわれぬ不安を覚えたマクシムスが正面に向き直ると、そこにはうっすらと明かりを帯びた月下美人を従えたカタリナが細く長い息を吐き終える姿があった。

「滅しなさい」

 言葉と共に振り上げられた刀はそのまま上段で逆手に持ち直され、地面に突き立てられる。
 その瞬間これまでで最も激しい衝撃波がその場に巻き起こり、それは周囲の全てを薙ぎ倒さんと爆散した。
 辛うじてその衝撃波を手に持った斧の瘴気で以て耐えたマクシムスには、まるで自分だけ時間の進みが遅くなったかの様にゆっくりと、しかしどうあっても反応できない速度でカタリナが地を斬りながら自らの懐まで滑り込んでくる様を見る。
 地を摺る程に姿勢を低く保ちながら吸い込まれるようにマクシムスの足元まで月下美人を引き摺ったカタリナは、瞬間その場に停止し、そして渾身の力を込めて月下美人を天へと振り抜いた。
 その刀身が描く弧は円を為し、それは光の軌跡によって満月を成す。
 斬線と共に飛び上がったカタリナが重力に則ってマクシムスの背後に着地すると同時、マクシムスの体には斜めに一筋の線が入った。
 そして次の瞬間にはその線から溢れ出した炎が、まるで暴走を始めたかの様に彼の全身を包み込んだ。

「がっ・・・あぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!????」

 言葉にならない叫びを上げるマクシムスに振り向いたカタリナは、目の前の炎を纏った男を静かに見つめた。

「クソ・・・クソッ!!俺が・・・また死ぬだと・・・はは・・・い、いいだろう、じゃあてめえがあれを倒して見せろよ・・・あのクソ忌々しい炎の魔神を・・・俺を炎の地獄によってこの世に留めた、あいつをよぉ・・・」

 最早炎に炙られたその目には、何も映っていないはずだった。しかしマクシムスはしっかりとカタリナへとふり返り、薄っすらと笑い声さえ混じらせながら、そう言葉を紡いだ。

「・・・炎の、魔神・・・」

 カタリナがその言葉を繰り返して呟くが、その時には既にマクシムスは半身が切り落ち、物言わぬ塊と成り果てて燃え落ちた。

「・・・アウナスの事でしょうね。古今東西の魔術や幻術に通じ、密林の奥に隠れた火術要塞に巣食う・・・四魔貴族が一人。炎に蝕まれた最期から判断するなら、この男も奴等の犠牲者の一人・・・といったところなのかも知れませんね」

 瞬く間に燃え尽きた男のそばから魔性の斧を取り上げつつ、詩人が呟いた。
 その言葉を耳にし、カタリナは月下美人を納刀しながら目を細める。

「ロアーヌだけではない・・・。メッサーナの首都ピドナの中心地に食い込む程、四魔貴族の影響は世界に蔓延しているのね・・・」

 やがて塵となって形もなく崩れ落ちた亡骸に視線を落とし、カタリナは何かを考える様に軽く唇を噛む。
 そうして佇むカタリナの横を通ってマクシムスが座っていた石造りの椅子に歩み寄った詩人は、そこに立てかけられていた聖王の槍と栄光の杖、そして椅子の裏から、二振りの剣を取り出した。
 そのうちの一本を掲げた詩人は、満足そうに頷く。

「・・・取り敢えず私も目的は果たせました。そして此方は・・・マスカレイドですかね。ほら、貴女がお探しのものですよ」

 呼ばれて振り向いたカタリナに、詩人が煌びやかな装飾の施された小剣を差し出す。
 何度か瞬きをした後に受け取ったそれは、確かに彼女が探し求めて止まなかった、聖剣マスカレイドだ。
 手にとり、やけに懐かしく感じるそれを見下ろす。
 だがどうしたことか彼女には今、こみ上げる様な達成感も何も一切、湧いてはこなかった。寧ろどこか物悲しくさえ感じるような気持ちが自分の中にあることに気付き、彼女は内心で密かに驚いた。

「・・・ピドナのあの時と同じ様な表情をしていますね」

 唐突に詩人がそう言った。
 それに反応してカタリナがゆっくりと顔をあげると、詩人はそれに合わせて相変わらずおどけた様な動作で肩を竦める。
 だがその表情は、笑っていなかった。

「残念なお知らせ・・・かどうかは分かりませんが、まだ、貴女の旅は終わりません。それを今すぐにロアーヌ侯爵に返還するわけにはいかない事も、わかっているでしょう。なにせ貴女は、既にその身に大きな宿命を背負っているのだから」

 耳に届くその声を受け流す事も切り返す事もできず、カタリナは放たれた言葉の波に揺られながらマスカレイドを両手に抱いた。

「言ったでしょう。貴女は今、大きな流れの中心に居る。その流れの終着点は生憎と、ここではない」
「・・・私に、何をせよというの」

 どこか弱々しくそう言ったカタリナに詩人はすぐに言葉で反応を示さず、代わりに彼女に押し付ける様に手にしていた聖王遺物を渡した。

「先ずは約束を果たしなさい。貴女は英雄の生まれた地で、悲劇の天文学者に約束をしたのでしょう? その約束を果たすためには、それらが必要です」

 その言葉を聞いた途端、それに呼応するかの様に手に持たされた聖王遺物の数々から力強い波動が体に伝わってくる。
 それを感じて急速に意識が研ぎ澄まされていったカタリナは、何故だか今この武具達に励まされたような気がして、そんな事があるものかと冗談交じりに自嘲の笑みを浮かべる。そして今度はしっかりとした意思の元に、詩人を見据えて口を開いた。

「ストーカー紛いの熟知振りね。気持ち悪いわ。それで・・・貴方が何者なのかは、まだ教えてくれないのでしょうね。なら今はその代わりに一つ、知っているのなら教えてくれない? 世界が直面している危険に対抗するのが、他の個人でも国や軍でもなく、何故私たちなのかを」

 ピドナに集った八つの光と目される面々が何より疑問に感じた部分は、そのままカタリナも抱いていた。
 そこがはっきりせねば、いくら宿命だの八つの光だのと言われても、実感が湧かない。故にそれについて目の前の人物が知っているのなら、是非とも教えを請いたいものであった。
 一方最初に気持ち悪いと言われて軽く衝撃を受ける素振りを見せた詩人は、彼女の質問を受けてから顎に手を当ててしばし思考した後、一人合点がいったように軽く頷いた。

「うーん、まぁいいでしょう。お教えします・・・とはいえまぁ、私もすべてを知るわけではありませんがね。先ずは、歴史のおさらいをしましょう」

 そう言った詩人は大仰に背後の石造りの椅子に腰掛け、語り始めた。なにやらそうして椅子に座っている様子が随分と様になるものだから、カタリナも苦笑いをしながらそんな態度を受け流す。
 例えば、宿命の子はなぜ宿命の子であるのか。彼の話はそこから始まった。
 何故宿命の子がそうたり得るのかは、宿命の子だけが持って生まれる圧倒的な能力に起因するといわれる。
 六百年の昔に全世界を恐怖に陥れた災厄の化身である魔王は、ただ一人で四魔貴族を全て従える程の圧倒的な力を持っていた。
 その力は例えば人間が何千人集まろうとも到底敵うものではなく、手にした斧の一振りで辺り一面が焼け野原になる程であったという。それは古のナジュにおける戦いの歴史が物語っている。 当時、唯一魔王軍に対して天の術を用いた瘴気の中和を駆使して勝利を収めたナジュと東方諸国連合軍だったが、その後魔王はほぼ一人でそれを壊滅に追いやって見せたという。
 その戦いで数千の兵が犠牲になったと書には残されており、矢張り魔王という存在は圧倒的な力を持っていたことが伺える。
 そして時代は下り、宿命の子の運命は聖王に降りた。
 聖王が生まれ持った力は魔王のような純粋な火力ではなく、力を集めるための力だった。他者、或いは物体に力を宿らせ、己の力と成す。
 それは今も聖王遺物として現代に残されており、その一つ一つの武具が途轍もない能力を秘めている。
 それらを駆使して聖王は仲間と共に四魔貴族討伐を成し、世界に平和を齎したのだ。
 そして現代。
 新たに生まれ出でたであろう宿命の子が如何なる力を発現するのかは全くわかっていないが、かつて聖王の時代に三桀と謳われたパウルスは長年の天文学の研究の末に一つの結論を導き出し、編纂された聖王記に一節を加えた。
 それこそは、かの有名な『パウルスの予言』だ。

「ここで注目したいのは、予言のこの一文です。・・・後の世に三度死食あるべし。アビスの門開きて、邪悪なる者再び世に出んとす。又、一人の赤子、生き永らえん。光と闇、双方をその身の内に保つ者なり。死食起こりて十余年の後、神に選ばれし光、立つ。その数、八なるべし。集いて、邪悪なる者をアビスの彼方へ封じん・・・と。さて、この予言が意味する事は分かりますか?」

 唐突に話題を振られ、若干反応に困るカタリナ。その質問が何を意味しているのかを分かりかねてしまったのだ。
 どうも、目の前の男が歴史学者的な見解を欲しているようには見えない。
 そうして彼女が考える様子を見て意地の悪そうな薄ら笑いを浮かべた詩人は、言葉を続けた。

「いえいえ、深く考えないでください。ご存知の通りですよ・・・つまりここには、邪悪なる者と宿命の子がどうする、って描写はないわけです。そう、アビスの者共を相手取るのは、今回の宿命の子の仕事ではない。そもそもその仕事は、三百年前から八つの光に託されているわけです」

 三度目の死蝕によって誕生する宿命の子が背負う宿命とやらは、聖王のようにアビスを相手取る事ではない。
 これは確かに数十年前から各方面の学者達が言ってきたことでもある。文面を素直に読み取ればその解釈は当然出てくるものだからだ。
 そして代わりにアビス討伐を託されることになった八つの光には、宿命の子そのものと同じ力とまではいかぬものの、これまでの人類が積み上げてきた研鑽と、聖王らが得た実技面のノウハウが継承されるだろうというところまでが、主に歴史学者がパウルスの予言全文を多角的に検証した結果の解釈だ。
 正直、そこまでならカタリナも学んだことがある。伊達に彼女も、敬虔なる聖王教徒ではない。
 つまり聞きたいのは、それが何故なのか、である。
 それが余程顔に出ていたのだろうか、詩人はこちらを見ながらまたしてもにんまりと微笑んだ。けっしてこの男は見てくれが悪いわけではないのだが、どうにもこの顔は好きになれそうにないとカタリナは思う。

「答えは単純です・・・四魔貴族という存在には抑も、人が現時点で用意できる手段で致命傷を与える事が出来ないからです。彼らは自らの守護するアビスゲートから湧き出る瘴気を常に力に変換している。だから例えば貴女が斬り捨てる事に成功したアラケスの右腕も、既に修復されていたりするでしょう。それは例えあの時首を獲っていたとしても、同じことです。じゃあ質より量、となれば・・・まぁ明らかに住処に向かってくる軍勢なんて従える多くの魔物で対抗出来てしまうし、そもそも四魔貴族自身も魔王程とは言わぬものの、千を超える軍勢でさえ全く意味をなさぬ程の力を持っている。数を揃えても圧倒的火力の前には意味を成さないですよ。ぶつけるなら、同じ圧倒的火力というわけです」

 つまりお前の事だ、とでも言いたげな視線で見られたように感じたカタリナは、ぐっと言葉を詰まらせる。
 確かに言われてみればその通りだ。アラケスと剣を交えたからこそ、彼女にはわかる。あれは、確かに人が汎用的手段で相手ができるようなものではない。
 そして今し方自らが体感したからこそ、なお理解できる。あれは聖王遺物という出鱈目な能力をもった兵器を用いてやっと、なんとか相手をする事が出来る存在なのだ。

「因みに聖王の祝福を受けている品は、アビスの瘴気を祓う性質を備えています。魔王軍に対抗した東方諸国連合軍が必死に編み出した天の術の応用技術が、潜在しているわけですね。特にこれらが四魔貴族に効果的な理由はそこです。あとは自然界にもごく僅かですが、その様な特質を備えた素材が存在します。貴女が携えているその刀も、その様な素材を用いて作られているみたいですね」

 妖精だけが知っている製法か何かなのだろうか。カタリナはふとそんなことを思いながら、言われて腰の月下美人に視線を落とす。

「・・・なるほどね。兎に角、軍では通用しない理由は分かったわ。では最後に、なぜそれが私たちなのか。それは一体どんな理由があるの?」
「さぁ、それは知りません」

 さらりと即答する詩人。表情を引き攣らせるカタリナ。
 そして暫しの沈黙が場に訪れた。
 あんまりカタリナがひどい顔をしていたのだろう、詩人は気まずさに耐えきれなくなり、両手を振りながら弁明した。

「あ、別におちょくりたくて言ってるわけじゃないですよ!それは本当に知らないんです!貴女達が八つの光として選ばれた理由は何かあるのかもしれないし、特にないのかもしれない。でも例えばシノンの若者四人が揃ってそうであることをみると理由なき偶然とは考え辛いですから、何かしらの理由というか、選ばれるに至った条件とかは恐らくあるだろうとは思いますけど・・・!」

 その言葉に嘘はないか。それを見極めんとカタリナが詩人に迫る。それに合わせて詩人がじりじりと椅子の上で姿勢を後退しているところに、彼女らの背後である広間の入り口から人の気配がした。

「・・・終わっておったか」

 僅かに気疲れを感じさせるような声と共に現れたのは、ティベリウスだった。
 カタリナが抱きかかえている数々の武具と床に残った何かが燃えた残骸を見て彼なりに状況を理解したのだろうか、ティベリウスは大きく項垂れた。

「・・・大変な迷惑をかけた。神王様の元に集った信徒に、この様な輩が紛れ込んでいたとは・・・」

 そういって再び力なく頭を下げたティベリウスに、カタリナはロアーヌでそうしていた自分が重なるような感覚を覚える。
 そんな様子のティベリウスに向かい、詩人はいつの間にか椅子から立って歩み寄った。

「貴方方が何を信じ集おうが、それは貴方方の勝手でしょう。しかし組織とは力であるという事を長である貴方が理解し御せねば、このような輩は何時でも何処にでも現れるもの。ゆめゆめ、それをお忘れなきよう」

 詩人が淡々とそう告げると、ティベリウスはゆっくりと頷いた。

「・・・意外とまともな事、言うじゃない」
「貴女のその一言多い癖、治した方がモテると思いますよ」
「・・・それなら、暫く意識して一言いう様にするわ」

 カタリナの突っ込みに空かさず詩人が返す軽快なリレーはそこから暫し続くかと思われたが、表情が冴えない様子のティベリウスに気がついたカタリナは周囲の様子を見渡し、肩を竦めた。

「・・・そういえばここ、瘴気の残滓がきついわね。もう行きましょうか」
「それもそうですね。何よりこんなとこで動き回ったせいで身体中砂まみれですし、早く宿に帰って湯浴みしたいです」
「乙女か」

 軽口を飛ばしながら、三人は広間を後にする。

 そして静寂に包まれた空間の冷たい床に積もった塵から一筋の炎が立ち上がったかと思うと、それは一瞬だけ人の様な形をなし、そして消えたのだった。

 

 

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