第八章・10 -竜騎士-

 

 タフターン山とロアーヌの間に敷かれた、長大なるロアーヌ騎士団の防衛拠点。ここに駐屯するロアーヌ軍を取り巻く戦況情勢は、直近のある時を境に一変した。
 第一の転機は、年明け早々にメッサーナ王国からの支援物資が拠点に届いた時点である。
 大量の戦線支援物資と同時に届けられた書簡によれば、これはメッサーナ王国近衛軍団長ルートヴィッヒをはじめとした諸侯とその同盟国の代表が年末にピドナ王宮にて行うコングレス(ロアーヌ侯国は今回は戦時につき欠席した)によって全会一致で採択された結果だという。
 これを即座に受け入れる決断をしたミカエルからの補足によると、この採択の背景には六年前に没落したはずのメッサーナ名族であるクラウディウス家が一枚噛んでいるとの事だった。
 また、本物資の輸送作業を実質的に担ったのは近衛軍団直下の輸送隊ではなく、ピドナに本社を置く「カタリナカンパニー」という企業であることも付記されていた。
 現地拠点の総指揮を務めるブラッドレー将軍は、これらを確認後、即座に物資の分配を開始。
 兵力の補填こそなかったものの豊富に揃った食糧や武器防具、崩れた砦の修繕用材木などを用い、兵の士気を保ちながら強固な防衛ラインを敷き直し、崩れかけていた魔物との戦闘情勢を持ち直しにかかった。
 そしてこれより更に数日の後、第二の転機が訪れた。
 その日、突如として明らかに魔物の攻勢が急速に弱まったことを、前線の兵士たちは計らずも一斉に肌感で察知した。
 それまでは軍として纏まっていた魔物たちは、まるで唐突に知性を失ったかのように疎らな侵攻を行うようになったのだ。隊列や種族ごとの編成などの概念も消え失せ、只々闘争本能に従い個別に襲い掛かるばかりとなったのである。
 当然これは、この戦で殊更に屈強さを増した歴戦のロアーヌ騎士団によって、全く危なげもなく各個撃破されていった。

 そして、魔物の攻勢が鈍化した更に翌日。
 油断しないまでも明らかな希望を見出しつつ警邏についていた物見の兵から、敵軍襲来を知らせる警鐘が鳴り響いた。
 しかも、それは昨日のような鈍化した攻勢などではなかった。
 平時ならば魔物の動静が鈍化するはずの日中に、あろう事か巨大な竜が一頭、突如として防衛戦線上に姿を現したのである。
 その姿は遠目からでも分かるほどの見事な巨躯であり、歴戦のロアーヌ騎士たちはその竜が間違いなく巨龍種であろうということを即座に見抜いた。

「馬鹿な、何故このタイミングで巨龍種なんて・・・!」

 防衛隊の先陣を担うコリンズ将軍は愛用の騎兵槍を強く握り締めながら、苦々しそうに呻く。
 小型、中型種の魔物を対象とした戦闘経験は、ロアーヌ騎士団は他国の追随を許さぬほどに積んでいる。だが大型種ともなると、話は全く別だ。
 そもそも大型種に分類される魔物は、極端にその個体数が少ない。
 人類の生活圏に近い場所での生息も、まずしていない。
 巨人種、デーモン種、巨龍種など、その存在が認識されているもの自体も非常に少ない。主にその存在が見られるのは、語り継がれる伝説や童話の中ばかりだ。
 それがまさか人類生活圏の近いこの戦線に降り立とうなどと、騎士団の誰もが全く予想だにしていなかった。

「広く半円状に歩兵を展開後、中央と左右の要所に騎馬隊を配置。分散突撃し、巨龍種が用いるとされる殲滅砲への対策とする。空中に飛ばれたら手の打ちようがない。地上にいる間に可能な限り損傷を加え、相手が退くのを狙うしかあるまい」

 自らも兜を深く被り、自らの直線上に座する竜を高台から睨みながらブラッドレーが口早に作戦を発すると、それに伴い各部隊を率いる将は持ち場に着くべくその場を駆け出した。

「俺は正面を担当する。必ず一撃、見舞ってみせる」
「・・・頼む、コリンズ。お互い死線ばかり潜るが、必ず生きてまた会おう」
「応よ」

 互いに短くそう言い合い、コリンズは己の愛馬に跨り、迷いなく隊列の先頭へと向かう。
 激動の一年の間に起こった数多の戦で打ち立てた輝かしい戦績から、ロアーヌ騎士団でも最強との噂が立つ「速攻のコリンズ」率いる第一騎馬隊。
 その最強の名を持つ騎馬隊の面々は、誰一人とて怯えた様子もなく、この一大局面の先頭を牽引せんとし真正面から竜へと相対した。

(・・・こりゃあ、リブロフの砦で神王教団相手にした時くらいやべえ感じだ。あの時は詩人さんが助けてくれたが、今回はそういうわけにも行かんだろう。果たして俺の槍が、あのデカブツに届くかどうか・・・やるしかねぇな・・・!)

 コリンズは可動式の面頬をカシャリと落とし、バイザー越しに竜を睨む。
 これまでの人生の回想をしているほどの時間的余裕は、ない。
 標的が飛ぶ前に何としても一撃を加え、退かせる。
 よし、と小さく呟いたコリンズは、突撃のラッパを吹かせるべく右手に持つ槍を高らかに掲げんとした。
 だが、彼がそれをする直前に、直線上に在る竜の異変にふと気が付いた。
 竜は、自らの周囲を囲む騎士団などまるで気にしていないかのように寝そべるような体制を取ったのだ。
 まるっきり、交戦意思がない有様である。
 それだけならば寧ろ好機であるとも取れるが、更に奇妙なことに、その竜の元から、一人の人影が真っ直ぐに此方へと歩いてくるではないか。
 その不思議な光景を凝視していたコリンズは、やがてその抜群に優れた視力で以って、その人物が何者であるのかを誰よりも早く見抜いてみせた。

「・・・おいおい、マジかよ・・・もう何が何だかわからねーな・・・」

 コリンズは呆れ返ったような表情をしつつ、周囲の騎兵に待機の指示を出して馬から降り、面頬を上げて兜を脱ぐ。
 そしてそのまま小脇に兜を抱えたままで待つ彼に気付いて正面から小走りに歩み寄ってきたのは、ロアーヌ騎士団が誇る紅一点にして自軍最強の騎士との誉高い、カタリナ=ラウランであった。

「・・・最近は一気に人間離れしてきたと思っていたが、まさかお前、ついに竜まで従えたってのか?」

 声が届く距離までお互いが近づくと、コリンズはすっかり緊張が解けてしまった様子で肩を竦めながら話しかけた。

「そんなわけないでしょ。あの竜は、ルーブのグゥエイン。四魔貴族ビューネイを討伐するために、協力してもらったの」

 コリンズの相変わらずの軽口に、思わずうっすらと笑みを浮かべながらカタリナが答える。

「いやそれ簡単に言うけどな・・・。っつかビューネイ・・・矢張りお前が討伐に動いていたか。ここの戦線も、突然襲撃が緩くなった。ということはつまり、やったのか」
「ええ、ビューネイは討伐したわ。その事を伝えにここに来たの。直ぐにミカエル様にもお伝えして頂戴」

 カタリナのその言葉を聞き、コリンズは肩に担いでいた槍をゆっくりと降ろしてから地面に刺し、大きく長く、息を吐く。
 それは、二ヶ月あまりにも及んだこの防衛戦線の終結を意味する所作でもあった。

「・・・騎兵隊から司令部へ通達!目の前の竜に交戦意思なし!及び、我が軍の騎士カタリナによる魔龍公ビューネイの討伐完了を確認、と!!」

 コリンズが半身を翻しながら後ろに控えていた部下にそう指示を飛ばすと、騎兵は一瞬の躊躇いの後に指令を受諾し、急ぎ馬を走らせていった。

「・・・やっぱお前はすげえよ、カタリナ。先ずはこの場を代表して礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
「いいえ、私はロアーヌ騎士としての役目を果たしたまで。寧ろ私こそ、ここで魔物を食い止め切ってくれた貴方達を心から誇りに思うわ。我らがロアーヌを守ってくれて・・・本当にありがとう」

 そう言いながら二人ともが突き出した拳を軽くぶつけ合うと、自然と周囲からは歓声が湧き上がった。
 その歓声は瞬く間に波打つようにしながら防衛戦線を担う兵士全体に広がり、その場の全員が、この戦いの終焉を確信したのだった。

「奥にブラッドレー達もいる。行こうぜ。ミカエル様には一緒にご報告していくだろ?」

 そう言いながらコリンズがカタリナを誘うと、しかしカタリナはゆっくりと首を横に振った。

「いえ、私は一度、グゥエインと共にルーブへ戻るわ。そこに待たせている仲間もいるの。ミカエル様へのご報告は、任せていいかしら」

 カタリナのその言葉にコリンズはとても残念そうな表情を浮かべるが、かと言って引き止めることはしない。今の彼女の行動を此方の意思でどうにかできるなどと、コリンズは全く考えつきもしないからだ。

「そうか・・・残念だが、お前がそういうのならば仕方ないな」
「ええ。それと、タフターン山の頂上へ調査隊を派遣して頂戴。私が見た限りは山頂を覆っていた霧も完全に晴れ、ビューネイの根城も露わになっているわ。奥には、火術要塞と同じくゲートの存在も確認出来ている。教授やヨハンネスさんが動ければ、それが一番いいとは思うけれど」

 カタリナの言葉に確と頷いたコリンズは、手配を約束して二言三言を最後に交わし、互いに背を向けて別れた。
 そのまま竜の元へと小走りに戻っていくカタリナを背中越しに見送ったコリンズは、ふぅと一息つきながら、軽く空を見上げる。

「・・・こりゃもう実力ってか器そのものが離れすぎてて、流石にもう一回告るとか、無理そうじゃねーか・・・?」

 過去数度の挑戦失敗にも挫けなかったロアーヌ騎士団切っての成長株コリンズであったが、流石の彼をしても、挑まんとする壁の高さには苦笑を浮かべるしかなく、ぽりぽりと頭を掻くのであった。

 

 

 ロアーヌ防衛戦線へ勝利の報を届けてから三日の後、カタリナはグゥエインと共にルーブ山のグゥエインの住処へと舞い戻ってきた。
 瀕死の重傷を負っていたグゥエインの体を労りながらではあったが、それでも三日で地図のほとんど端から端まで移動できてしまうことには、改めて驚きを禁じ得ない。

「お二方とも、お帰りなさい!」

 グゥエインの財宝の間のすぐ近くの穴から降り立ったグゥエインとカタリナを見るや否や、その場にいたフェアリーが文字通り飛び上がりながら二人を出迎えた。

「ただいま、フェアリー」

 グゥエインの背から降り立ちフェアリーとハイタッチをしながら、カタリナは微笑みかける。
 その笑顔が示す意味を理解していたフェアリーは、キラキラと光る瞳の奥から溢れる好奇心を全く隠そうともせずに、カタリナの手を引くようにしながら問いかけた。

「ビューネイ討伐、本当にお疲れ様です!ロアーヌもこれで安泰ですね!して、ビューネイはどのような姿だったんですか!?空中では、どのような戦いだったんですか!?」

 矢継ぎ早の質問に対してカタリナは目の前の好奇心旺盛な妖精を落ち着かせるように「まぁまぁ」と言いながら、先ずはここまでの飛行をしてくれたグゥエインに感謝を述べるべく、振り返った。
 ビューネイから受けたグゥエインの傷は、途中寄った人里や偶然見つけた行商人などから買った傷薬を用い、ある程度は癒すことができている。だが、元の傷がかなり深かったこともあり、まだまだ完全な状態とは言い難かった。

「改めてグゥエインも、本当にお疲れ様。伝説に違わぬ戦ぶりだったわ」
『ふん、ビューネイの影など、相手にもならなかったな』

 怪我の度合いからしたら全くそのようには思わないが、それでも強がって見せるグゥエインの言葉には思わず苦笑しつつも微笑ましく思い、カタリナはそうね、と相槌を打つ。
 そのあとは暫く、予備の傷薬と共に入手しておいた食料を摘みつつ、ビューネイとの戦いの詳細を聞きたがる前のめりのフェアリーにカタリナとグゥエインが交互に応えながら、束の間の穏やかなひと時を過ごした。
 思い返すと、熾烈を極めたフォルネウスとの戦いから、まだひと月少々しか経っていないのだ。短期間の間にこうも命を削るような戦いを繰り返してきたということもあり、流石のカタリナも己の戦果を労う思いで、一際穏やかな気持ちで二人(?)と会話を重ねた。
 フォルネウス、ビューネイとも直接その場には居合わせなかったものの、フェアリーには様々な局面で大きく助けられていた。
 全ての生物と意思を交わすという妖精族の特殊な能力に頼らなければ、全くこれらの偉業を成し遂げることは出来なかったであろう。その分、フェアリーの質問攻めには夜通し全力で付き合ってあげるつもりだ。
 それに今回共に戦ったグゥエインは、全く予想していないほどに高潔な意思を持った戦友となった。
 種族の垣根を越え、カタリナはこの竜を真の友として心から認めていた。そしてそれは恐らくグゥエインもそう感じてくれているのであろうことが、確かに彼女にも感じられる。
 フェアリーを交えながら会話を繰り広げる中で、彼の竜が紡ぐ言葉の端々から、それが彼女にも伝わってくるのだ。命運を共にした者同士だけが恐らく感じられるであろう、互いを尊敬する想い。それが確かに、竜と人との間に出来ていたのである。
 魔龍公との戦いからその後のタフターン山の根城の様子など、三者の会話は夜更けまで途切れることなく続いた。

 

 そしてそのまま一夜が明けた、明朝。
 鮮やかに差し込む朝日に揺り起こされるようにして目が覚めたカタリナは、財宝の敷き詰まった寝床で静かに佇みながら此方を見下ろしているグゥエインの視線に気が付き、何かあるのかと視線で問いかけた。

『母は、どのような気持ちだったのだろうな』
「・・・?」

 紡がれたその言葉の意味を測りかねて首を傾げるカタリナに、しかしグゥエインは全く構わない様子で淡々と続けた。

『我はお前と会うまで、この背に人を乗せて闘おうなどとは、微塵も考えていなかった。それは恐らく、母も同じ考えであっただろう。だが母は聖王と出会い、聖王を背に乗せて闘った。我も今ならば、母がそのように思い直したこと、よく理解できる』

 グゥエインが何かを訴えかけたいと考えていることを察したカタリナは、立ち上がってグゥエインに向き直った。
 グゥエインは、続けた。

『だが、母は竜であり、聖王は人であった。それは我々も、変わらぬこと』

 グゥエインの真珠のように白い瞳は、変わらずカタリナを真っ直ぐに見つめている。その瞳は、どこか悲哀を交わらせた色のようにカタリナには思えた。

『我は、これから人を喰らいに行く』
「ちょ・・・いきなり何で!?」

 唐突なグゥエインの言葉に、カタリナは驚きを隠さずに声を上げた。

『知れたこと。戦で失った英気を養うには、蹂躙こそが至高。竜とは、そういうものだ』
「・・・・・・」

 決して、冗談を言っているわけではない。それは、カタリナにも分かった。
 竜という生物がどのような文化や常識を持ち、動くのかなど分からない。だがグゥエインの言葉には一切の偽りの様子はなく、きっとグゥエインからすれば、人を喰らうというのは正に竜たるが故に当然の行動なのであろうとも思える。
 この竜は、間違いなくこれから人を喰らうつもりなのだ。
 だが、それをそのまま良しとすることは、人間である彼女にはできないことでもあった。

『肉を食らい宝を奪うは竜なるが故の宿命。だからこそ母と聖王は対立し、その果てに母は、聖王によって殺された。お前とて、人を喰らう竜を許してはならぬのが貴様らの道理であるということは、分かっているはずだ』

 グゥエインの言葉は、全くその通りであるとカタリナにも理解できる。
 竜と人の関係性は、三百年の昔から、何一つとして変わってはいないのだ。
 それは、分かっている。
 それでも、このグゥエインという竜と出会ってからの、この一週間程度の短い時間。
 その中でカタリナは目の前の竜が持つ高潔な意思に尊敬の念を抱き、また竜からも自分という人間を認めた上で戰を共にしてくれたのだという確かな感覚が伝わってきていた。
 彼女はそれに、どこか甘い見通しを抱いてしまっていたのかも知れない。
 だがその感覚とは、矢張りドーラと聖王が嘗て抱いたものと同じであって、それはしかし竜と人という間柄を改変するようなものでは、ないというのか。

『だから、思うのだ。母は此の期に及び、どのような気持ちであったのだろうか、と』
「グゥエイン・・・」

 竜と人の精神がどのように触れ合い、又、どのように触れ合うことがないのか。そんな難しいことは、カタリナには全くわからない。それはきっと、グゥエインにしてもそうであるのだろう。
 だが数百年の昔、既に答えの出ているその問いかけであろうというのに、それでもグゥエインは考え、彼女に語っている。

『母は、聖王を疎み、憎しんだのであろうか。我は、今に至ってはそう思わぬ。母は恐らく今の我と同じように人への見方を変化させた。ただ、竜であるが故に、その宿命に従ったまでなのだ。それが今は、よく分かる。我が母は、偉大な竜であった』
「・・・では、他に何が分からないのだというの・・・?」

 カタリナが問いかけた。
 グゥエインは最初に、母がどのような気持ちであったのか、と問いかけてきた。だが今の言葉には、竜なるが故の宿命という、過去から続く絶対の正解しかない。
 グゥエインは、何か別の思考を内包しているのではないか。そのように思ったのだ。

『・・・宿命の、その先だ。我は宿命に従った母の最後を知っている。母は聖王の手によって殺された。その時、母は何と思ったのだろう。逆の場合があったとしてもだ。母が聖王を喰らい、今もなお生き続けていたとしたら、その時、母は何と思っていたのだろうか』

 宿命の、その先。そんなことは、至らなければ誰にも分からないのではないか。
 カタリナは素直にそう思った。
 何もそれは、竜と人だけではない。
 それ以外の様々な生物と、人。または、人同士や、それ以外の生物同士。それらの中にもいくつもの宿命というものが世界の凡ゆる生物にはあって、それらの行く先を否応なく決定付けている。
 当然ながらそれは今に始まったことではなく、過去から繰り返され続け、そしてこれから先も繰り返されていくものなのだろう。
 そのような絶対たる宿命を前にして、宿命のその後を思うことに、意味はあるのだろうか。
 だが、この竜はそれでも考えているのだ。

『宿命により、為すべき答えは出ている。しかし、その宿命を目の前にして、我と母は別の存在だ。我が思うことと母が思うこともまた、別なのであろう。今になって、ふとそれが気になってな』

 そう言い終わると、グゥエインは鈍色の表皮の内にある真紅の翼を広げ、力強く四肢で立ち上がった。

『確かめようではないか』
「・・・。ええ、分かったわ」

 竜と人間、所詮はこうなる定め。
 そんなことは、頭の片隅では既に分かっていた事。元より、場合によっては最初からそうなる覚悟でここに来たことも確かだ。
 無論それは目の前の竜も考えを同じくしており、その上で今こうして、自分に語りかけてくれているのだろう。
 これは言うなれば当初の想定を大きく逸れて、とても尊い事であった。
 宿命を辿ることを前にしてこうして言葉を交わせた事は、望外の喜びである事に他ならない。間違いなくそう断言できる。
 だが、それでも。
 それでも彼女は、矢張り心の奥底では納得がいかないでいるのだ。
 こうして数奇な運命の導きの上に巡り合い、ほんの一時であったとしても心を通わせた存在同士。それが予め定められたままに、他に為す術もなく、殺し合うしかないという宿命。
 このような理不尽が至極当然のような顔をして蔓延るこの現実に、彼女は強い苛立ちを覚えた。
 宿命というただ一点の理不尽のために、友と殺しあう事。
 これに怒らずして一体、他の何に怒れと言うのだろうか。

「・・・やってやろうじゃないの」

 そう言いながらカタリナはグゥエインを、そしてその先にある宿命とやらを強く睨みつけた。
 そして何故か彼女は即座に踵を返し、ここまで持ってきていた旅の荷物が置かれた壁際へと歩み寄る。
 そこには途中から不穏な気配を察知して二人のことを不安そうに見守っていたフェアリーが居たが、カタリナはそんなフェアリーには曖昧に微笑みかけただけだった。
 しゃがみ込んで荷物の脇においてあったマスカレイドを腰に付け、そして布に包んだ板状のものを荷から取り出し、普段はロングソードを装着している剣帯部分に括り付ける。
 その脇に置いてあった月下美人には手を伸ばす事なく、かなり身軽な状態で再びグゥエインの目の前に戻り、正面に対峙した。
 しかしなんとカタリナは、腰のマスカレイドを抜くことなく、ゆっくりとした動作で両手を軽く横に広げて見せたのである。

『・・・何のつもりだ』

 当然その様子を訝しむグゥエインに対し、カタリナは沸々と体の内側から湧き上がり続ける怒りの感情を隠さないままに睨み返した。

「なんのつもり、じゃないわよスカタン。見ればわかるでしょう。来いって言ってんのよ。大層な御託はいいから、さっさとその宿命とやらに則って、お得意のブレスで私を焼き殺してみせなさい」

 そのあまりの態度の変容ぶりに、グゥエインは虚をつかれた様子で思わず瞳を細めた。

『血迷ったか・・・』

 低く唸りながら、そう呟くグゥエイン。
 しかしまるでそんなことには構う様子もなく、仁王立ちの状態で目前の竜を睨みつけたカタリナは、怒りの感情のままに言葉を続けた。

「血迷ったですって?・・・お生憎様、私は至って正常よ。寧ろそっちこそなによ、さっきまで言っていた御大層なその竜の宿命とやらは、両手広げた仁王立ちの人間は対象外なのかしら。だとしたら随分と都合がいい代物なのね、竜の持つ宿命ってのは!!」

 小気味よく啖呵を切るカタリナ。これにはグゥエインも堪らずふしゅうと色めき立つように口角の端から炎を吹き出し、力を溜め込むように姿勢を低くした。

『・・・吠えよる。よかろう、では望み通りに焼き尽くしてくれる・・・さらばだ、強き人間よ!』

 言い終わると同時にグゥエインは大きく目を見開き、両の翼を大きく広げる。
 大気に溢れる力の元素を翼から取り込むようにしてグゥエインの胴体が内側から淡く光り輝き、竜の体内で純粋な破壊を伴う力へと変革したものが全身を巡り、そして口角へと登っていく。
 口角部から覗く鋭い牙の奥、大きく開け放たれた喉元の中から、溢れんほどの眩い光と共に強烈な雷撃が一直線に放たれた。
 仁王立ちの姿勢からでは全く避ける事も叶わないであろう至近距離からの雷撃一閃は、寸分違わずカタリナを貫いた。
 同時にその威力を証明するかのように強烈な衝撃波が周辺へと広がり、壁際にいたフェアリーは思わず抱えていた荷物ごとごろごろと転がり飛ばされてしまうほどだ。
 視界が塞がれるほどの土煙が巻き上がり、雷撃によって大きく貫かれ崩れた後方の洞窟が崩れる音が遅れて響き渡る。
 そして数秒間に渡り吐き出された一閃が終わり、その直線上にあった地面すらもが焼き爛れ広範囲で抉られた有様が見えるようになってきた頃。
 その雷撃の中心にあったものに、当のグゥエインは正しく目を疑うようにしながら対峙した。

『馬鹿な・・・』

 そこには、先程の仁王立ちの姿のままで何事もなかったかのように佇んでいるカタリナの姿があったのであった。
 カタリナは真っ直ぐにグゥエインを睨みつけたまま軽く咳き込み、舞い上がる土埃を払うように顔の前を掌で仰ぎ、そのまま耳の辺りの髪を何でもないかのように撫で付けた。

「なによ、今の。光る手品を見せろなんて、言った覚えはないわよ」

 カタリナの煽るような台詞に、グゥエインは暫しの沈黙の後、まるで笑うかのように口角を釣り上げ、青い炎を漏らした。

『・・・良いぞ、やるではないか人間!!それでこそ我が背に乗せた者に相応しい!!』

 そう捲し立てながら、グゥエインは歓喜に満ち溢れるかのように後ろ足で立ち上がり、これでもかというほどに翼を広げ、ルーブ山脈中の魔素を集めるようにその身に力を集束させていく。
 一方で竜はあくまでも冷静さを保ったまま、カタリナの周辺をつぶさに観察していた。
 焼け爛れ、未だ紅く明暗する抉り取られた射線上の地面は、どうしたことか彼女の周辺だけなにもなかったかのように残っている。
 何かしらの手段を用いて雷撃を防いだ、という事は確かだろう。
 だが彼女の後ろには再び地面の抉れる様が忽然と続き、その奥の洞窟の大規模な崩落を招いている。
 雷撃は確かにカタリナのいる場所を貫通した、ということだ。となると、まるで彼女の周りだけが何事もなかった、というような状態。非常に奇妙な光景だといえる。

(・・・物理的な防ぎ方ではない。だが、天地六術式に属する結界とも全く様子は異なるように見える・・・)

 体内に集束する力が張り裂けんばかりに稲妻の走りを伴って身体中を駆け巡る中、グゥエインは思考を続けながらカタリナの細部へと観察の目を向ける。

(足元が動いた様子もない。熱量は愚か、それに伴う衝撃波すら相殺しているようだ。これは最早防御というより・・・事象の無効化・・・いや、改変と言ってもいい。だが、それでは大いに不自然だ。あれほどの手段を持っているのならば、何故奴はそれをビューネイとの戦いで用いなかった・・・?)

 これをビューネイとの戦いに用いていたとしたら、戦局は大きく傾いたはずだ。あのように一か八かの決死の行動をせずとも、もっと楽に決着はついたはずである。

(であれば、何らかの制約があるので使わなかった、と見るべきか。確かにこれほどの効果であれば、それは頷ける。彼奴は腰に聖王遺物の剣を持ってはいるが、抜いていない。仮に抜いていないのではなく、抜けないのだ、としたらどうだ。攻撃を行うことができない、という制約。それならばビューネイとの戦闘で使わなかったのは分かる。そして恐らくそれを成し得ているのが・・・)

 グゥエインは、目敏くカタリナの装備の変化を確りと見抜いていた。

(腰に吊るした、あの布に包まれたもの。形状からすれば、盾か。恐らくはあれが、この状態を作り出している。そして何らかの代償を伴う異能の発動は、往々にしてアビスの力が源。となるとあの盾のようなものは・・・大方、魔王遺物といったところか。魔王遺物には、魔王の盾が存在するはずだ。その効果のほどまでは知らぬが、これほどの効果を齎すのであれば相応の品と見るべき。恐らく間違いはなかろう)

 青白くグゥエインの体が光り輝き、竜が蓄える力は正に最高潮に達しようとしていた。
 ビューネイが空を主戦場としたように、グゥエインの最も得意とする戦場は、この根城に他ならない。
 三百年に渡りグゥエインが棲み続けるこの地には主人たる竜の息吹が山岳全体に根付いており、この地でこそグゥエインの雷撃は最も力を発揮する。
 恐らく次の一撃は、先のビューネイの結界をも易々と破るほどの威力を内包しているものとなるだろう。

(アビスの瘴気は、人間には猛毒。しかも力の源が魔王遺物ともなれば、その影響被害は計り知れない。そうか・・・読めたぞ。彼奴、身につけている幾つもの聖王遺物で、それを相殺しておるのか。自らの身体とそれらを全て瘴気の相殺に回すことで盾の効果を引き出しておると見える)

 グゥエインは、再び口角を上げるようにして、その端から炎を溢れさせる。
 その様をカタリナは、冷や汗を垂らすようにしながら見つめていた。

《カタリナさん・・・》

 脳内に、フェアリーの念話が響く。念話であるというのに、その声色がひどく不安げであることが手に取るようにわかるのだから、面白いものだとカタリナは場違いに思った。

《グゥエインさん、魔王の盾の絡繰に気づいています・・・!》
《・・・でしょうね。あいつさっき、笑いやがったわ。気づいた上で、真正面からやるつもりよ》

 三百年の知見は伊達ではない、という事だろう。恐らくは先の防御が魔王の盾の齎す効果である事以外に、自分が何もできない状態であるということまで、見抜かれている様子だとカタリナは判断した。
 全く、この土壇場だというのにとんでも無く頭の回転の早い竜だな、などと呆れ半分に考えながら、しかしカタリナはその上で真正面から挑もうとするグゥエインの狙いが、手に取るように分かっていた。

《別に最初は、そんなつもりじゃなかったけどね。でもこれは、彼奴にとって最も相応しい決着の付け方かもしれないわ・・・》

 そう頭の中で呟きながら、カタリナは額を流れる汗を乱暴に腕で拭った。
 以前にはウンディーネとボルカノの魔術攻撃をこの手法で抑え切った事があるが、その際のこの盾による消耗は非常に大きなものだと感じていた。だが今、先程の雷撃を無効化するために魔王の盾が要求する代償は、既にその時の比ではない程の疲労感を彼女に齎している。
 身に付けている幾つかの聖王遺物の助けがなければ、とうに彼女は力尽きて倒れているだろう。

(・・・これは、我が母を殺した聖王の力との対峙でもある。聖王の時代から幾つも世代を重ね受け継がれてきた人間の力の結実ともいえる我が誇るべき戦友が、更に聖王の力をその身に纏い、我が前に立っているのだ。その力を打ち破り焼き尽くしてこそ、最強の竜であるということの証明に他ならぬ。宿命の先に立つのは、この我である・・・!!)

 内包する雷光によって全身が眩く光り輝くグゥエインは、いよいよその渦巻く力の奔流を解き放つべく、再び力強く四肢で足元の財宝を踏みしめた。
 目の前の相手を焼き尽くすまでは、雷撃を止めるつもりはない。グゥエインは己の存在を賭けて誓っていた。
 力の全てを放出し尽くし己が果てるか、魔王の力の代償に耐えられずカタリナが遺物ごと焼き尽くされるか。
 決着は、二つに一つだ。

「さぁ来なさいよ、グゥエイン!!!」
『ゆくぞ、カタリナよ!!!!』

 直後、その場の全てを覆う眩い閃光が、解き放たれた。
 許容量を大きく超えて溢れる力はグゥエインの身体中から血飛沫と共に吹き出し、だがそれをすらグゥエインは無理矢理に眼前の破壊の集束へと導く。
 天雷の如き轟音と共に放出された全てを焼き尽くさんとする雷光が、グゥエインの眼前の全てを飲み込みながら一直線にルーブ山を貫いた。
 その雷光は先の一撃で崩落を招いていた洞窟を今度こそ跡形もなく消し去り、正しく龍峰ルーブ山を真っ二つに切り裂く光刃となったのである。
 後にその光と衝撃波は天の怒りとも語り継がれ、世界を駆け巡ることとなるほどのものだった。
 その雷光の渦中にあり、カタリナは既に限界を訴え悲鳴をあげる全身を、その研ぎ澄まされた精神力だけでなんとか奮い立たせていた。

(耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ・・・!!!!!!!!)

 食いしばった口の間からはぼたぼたと血が滴り落ち、雷光を無効化せんとし激しく鳴動する魔王の盾は、しかし明らかにその出力を弱めていく。
 無効化の範囲は急速に狭まり、最早彼女の足元まで雷光が迫っている。
 ピシリ、と盾が音を立てた。
 事象の無効化の限界を迎えようとしている魔王の盾が、今にも砕け散ろうとしている音だ。

(耐えろ・・・!・・・私は、こんなところで死んでなどいられない・・・!!!)

 初めに肌が膨大な熱量を感じ、そして衝撃波となる風が彼女の髪を戦がせる。
 そして次には、間も無く砕けんとする魔王の盾の効果範囲を侵すように眩い白と青の閃光が、カタリナを包んでいった。
 盾の限界を察知したカタリナは、咄嗟の判断で腰のマスカレイドを抜き放ち、切っ先を目前へと突き出す。
 そして大きく上段へと構えをとったカタリナは、渾身の叫びと共にマスカレイドを振り下ろした。

「・・・ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!」

 遂には盾が砕け、事象の無効化を打ち破った雷光がカタリナを飲み込まんとする、その瞬間。
 彼女が振り下ろした聖剣マスカレイドは真紅の閃光を放ち、己を飲み込まんとしていた雷光を、真っ二つに切り裂いた。
 瞬間、巨大な力のぶつかり合いによって起こった爆風が、周囲の全てを吹き飛ばしていく。
 グゥエインの横あたりにまで荷物と共に避難していたフェアリーはそれに巻き込まれて再度後方へ吹き飛ばされ、またカタリナ自身も、爆風に煽られて吹き飛ばされそうになる。
 だが、彼女は残り僅かな力を振り絞り、その場に留まった。
 ここで吹き飛ばされるわけには、いかない。
 何故ならそれが彼女の勝利に他ならないと、彼女は確信していたからだ。
 その確信を、裏付けるかの如く。
 強烈な爆風の収束と共に、ルーブを切り裂いた雷光は、その終わりを迎えた。

「・・・・・・」

 巻き上がる大量の土煙と共に、粉々に砕けた魔王の盾の残骸がカタリナの足元へと落ちていく。
 彼女が身に付けていた外套は肩口から焼け落ち、両の腕を覆っていた小手や衣服も吹き飛ばされていた。
 だがそんなことには構わずに真紅の大剣となったマスカレイドの切先を地面に置いたカタリナは、徐々に落ち着いていく土煙の奥に居るであろうグゥエインを、ただ真っ直ぐに見つめていた。
 彼女の視線の先には、神域に迫らんとするほどの雷光を放ったグゥエインが、その持てる力を全て使い果たしたことを示すように、ぼろぼろと鈍色の表皮が崩れ落ちるままに佇んでいた。

『・・・見事だ』

 断続的に体から吹き出す流血を物ともせず、グゥエインはとても静かな調子で、そう言った。
 そしてその言葉と共に、竜の四肢はその体を支えることすら出来なくなり、ズシンと重い音を立てて財宝の上に倒れ伏す。
 カタリナはマスカレイドを地面に突き刺し、自らの全身の激痛を無理矢理に抑え込むようにしながら、グゥエインの元へふらつきつつも駆け寄って行った。

『・・・母の気持ちが、漸く判った』

 目の前に屈み込み竜の鼻先に手を当てるカタリナを認識し、グゥエインはひどく穏やかな声色で続ける。

『・・・滅びゆく定めならば、せめて友の腕の中で・・・。きっと母はこの時、そう思ったのだ』

 生命の輝きが今にも途絶えんとしているその瞳を、カタリナはじっと見つめていた。
 その様子が見えているのか否かも分からないが、グゥエインが今とても穏やかな気持ちであるのだということは伝わってくる。

『お前も、人間にしては中々だったぞ。聖王のように・・・』

 その言葉と共に、グゥエインはゆっくりと目を瞑る。
 そして、穏やかに眠るようにして、動かなくなった。

「・・・・・・」

 カタリナは竜のその言葉を聞いてから、直ぐ様自分の体に鞭打つようにして、立ち上がる。
 そして眼下に横たわるグゥエインを一瞥すると、未だ収まらぬ憤りと共に呟いた。

「・・・何、自分勝手なことばっか言ってんのよ・・・!」

 

 

 雷光によって一切の遮るものがなくなり、溢れんばかりの陽光がその場に満ちていた。
 陽光はあちらこちらに散らばる金銀の財宝に当たることで、更に方々へきらきらと光を反射している。
 全く冬を思わせぬその暖かい陽光に包まれながら、ゆっくりと竜は意識を覚醒させ、瞳を開いた。

『・・・・・・』

 何故、自分は瞳を開いたのか。
 それが、まず竜には分からなかった。
 自らの宿命に相対し、その宿命に従い自らの生命を終えた。
 それが、竜の持つ最後の記憶だった。
 だというのに、どうして再び、こうして自分は瞳を開いているのだというか。
 グゥエインは殆ど動く様子を見せぬ自らの身体の様子を簡潔に理解すると、痛くしんどそうに頭だけを少し上げ、自らの周囲へと視線を向けた。
 己の持つ渾身の力によって大部分が吹き飛ばされた、哀れな棲家の跡。
 もうすっかり熱が冷めた様子の、焼け爛れ黒ずんだ地面の痕跡。
 何やら自らの周囲に幾つも乱雑に転がる空の薬瓶と、どうやらその薬を幾重にも振り撒かれたらしく薬品の匂いがつんと鼻につく、自らの身体。
 そしてその脇で小さな火を焚いて囲んでいる、見覚えある二つの影。
 それが意味することを遅まきながら理解したグゥエインは、火の横に座るカタリナへと目を向けた。

「・・・やっと起きたわね」
『・・・何のつもりだ』

 何事もなかったかのように声をかけてきたカタリナに対し、グゥエインはあまり穏やかではない怒気を孕んだ声でそう言った。
 これは、明らかに宿命を貶める愚行である。
 そのようなものを許すほど誇りなき軟弱な思考を、グゥエインという竜は持ち合わせてなどいない。
 出来ることならば同時に威嚇の姿勢でもしてやるべきところなのだが、しかし生憎と体はそこまで自由に動いてくれる様子はない。

「・・・なんのつもり、じゃないわよ。貴方ね、自分だけ分かった風で勝手に終わるとか、自己中過ぎるわ。私は、そんなこと許した覚えはないのよ」

 大概こちらも辛そうにしながらゆっくりと立ち上がり、カタリナはグゥエインの目と鼻の先まで歩み寄る。

「貴方が聞いてきたのでしょう。宿命の先に何を思うのか、と。それは貴方だけの問いではなく、私の問いでもあるの。そしてね、私はそれにはこう答えるつもりなのよ。そんなの・・・くそったれだ、ってね」

 育ちの割にはあまりに汚い言葉を使うカタリナに、グゥエインは思わず閉口するような思いで、未だ相手の意図が理解できずに見つめ返した。

「全く何かある毎に宿命宿命宿命って・・・一体この世界の住民は、どんだけ宿命マニアなのよ。生憎と私はね、欠片も気に入らない宿命を『はいそうですか』って受け入れられるほど、寛容な人間ではないの。だから、それに抗おうとしているだけ」
『馬鹿な・・・そのようなことで竜たる我が宿命をも愚弄すガッッ!!??』

 激昂し声を上げたグゥエインの頭部を、なんとカタリナは握りしめた拳で思い切り殴り飛ばした。
 表皮の鱗が二、三枚飛び散るほどの威力で殴られたグゥエインは言葉を遮られ、そして殴ったカタリナの拳もまた、硬質な鱗によって切れたのか血が流れ出す。

「負けたくせに、一丁前に意見述べてんじゃないわよ。制された者は、制した者に従う。それこそが対峙した二者の間にある、ただ一つの不問律よ」

 なんとも理不尽な物言いだが、しかしそんな屁理屈ではこの事態を到底納得することなど出来ない。
 そう考えたグゥエインは、再び睨みつけるようにカタリナを見た。

『それでも抗えぬ宿命は、ある。我らはその理の中で生きているに過ぎぬのだ』
「・・・生憎私は、それが本当に抗えぬ宿命なのかどうかをこの目で確かめるまで、納得なんてする気はないわ。だから」

 まだ利用していない薬瓶を足元から拾い、その中身を手の甲に垂らしながら、カタリナは言った。

「だから、一緒に来なさい、グゥエイン」
『・・・何を・・・何を世迷い言を・・・。そもそも竜と人とでは何もかもが違・・・』
「違わないわよ」

 相手の言葉を遮るようにはっきりと言いながら、カタリナは薬瓶の残りを、今しがた自分で殴り飛ばしたグゥエインの頭部に乱暴に振りかけた。
 それは瞬く間に魔術的効能を伴って竜の傷口に染み込み、そこに癒しを齎していく。

「・・・ほら、こうして私にも貴方にも傷薬、ちゃんと効くじゃない。それに貴方と私は何方も目は二つで鼻と口は一つだし、手足も四本で一緒。まぁ図体の大きさとか翼の有無とか細かい違いあはあるけれど・・・何より、この世界に住まい、この世界が強いる宿命とやらに翻弄される存在であるという意味では、何も変わらないわ」

 言っていることは、あまりに大雑把で無茶苦茶だ。
 無茶苦茶でしかないのだが、しかし己の命運を握られたグゥエインには、反論する材料がない。

「私は、気に入らないことには抗う主義なのよ。確かに世の中には多くの不条理が蔓延り、それに従わざるを得ない人々もこの目で見てきたわ。でもね、だからって自分も無条件でそれに身を委ねるなんてのは、真っ平ごめんなの。この身に不条理な宿命が降りかかるというのであれば、それを真っ向から斬り伏せに征く」

 およそ騎士らしからぬその言動に、グゥエインは最早呆れを通り越して諦めの境地に達しようとしながらカタリナを見つめた。
 その視線を受け、カタリナは真っ直ぐに見返しながら続けた。

「だから貴方も、暫く付き合いなさい。無論、私に負けたんだから異論は認めないわよ」

 両の手を腰に当てがい、仁王立ちで言い切る。
 グゥエインはその言葉には只々呆れるばかりで、よもや人と竜とはこうまで精神構造が違うものなのか、と思ったものだった。
 だが、それこそが人の進化というものであるのかもしれない、とも考える。
 竜とは違いこの三百年で何世代にも渡って歩みを連ね、そして、この世界の宿命をすら超えようとするもの。
 それが、人間という生物なのかもしれない。
 そう考え直したグゥエインは、ゆっくりと瞬きをした後、静かに首を垂れた。
 その行動が意味するところを理解したカタリナは、その鼻先にゆっくりと手を置き、不敵に微笑んでみせる。

「安心なさい。ロアーヌ軍はばっちり三食昼寝付き。そんな悲観するほど悪い待遇じゃあないわ」

 後の世に数多の吟遊詩人が競って歌い上げたという、パウルスの予言に導かれし八つの光の英雄譚の中でも、屈指の人気を誇る語り詩。
 この世界で、後にも先にも唯一人となる、竜騎士の誕生。
 これが、その瞬間であった。

 

 

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第八章・6 -ゲッシアの地-

 

 夜間に起きた、もはや幾度目かも定かではない妖魔の急襲を辛くも退けた、明け方のロアーヌ南東、対四魔貴族軍のロアーヌ軍防衛線最前線。
 未だ戦火の収まる気配が全くないこの戦線に駐屯するロアーヌ侯国騎士団は、その朝、戦場に相応しく非常に厳かな年明けを迎えていた。
 例年ならば年始の幾つかの行事を宮廷内で行うのが騎士団の通例だったが、昨年からはそれも行っていない。
 何しろ昨年の今頃は、冬を前にして前ロアーヌ侯爵フランツが急逝しミカエルが新たなロアーヌ侯爵となり、年末に向けて急激に増加傾向にあった魔物の討伐のための遠征準備に明け暮れていたのだ。
 その時に『年始の国事を蔑ろにするとは何事だ』と場違いにも騒ぎ立てていた貴族院の御老体達は、直後に巻き起こったゴドウィンの変にて半数が粛清、再編された。思い返せば、あの出来事を発端に、この一年で一気に宮廷内情勢はミカエルによって纏まっていった。
 その間にも、ゴドウィンの変でも功を挙げた騎士団の紅一点が急遽宮廷を離れることになったり、また例年にはない度重なる軍事遠征があったり、そして侯爵ミカエルの最愛の妹にしてロアーヌの華と謳われた美しきモニカ姫の遭難事故という悲劇が起きたりなど、昨年を振り返れば本当に多くの激動があった。
 その上で今のこの戦線とくれば、これはもう今年の抱負は「生き残ること」あたりだろうか、などとブラッドレーは幕舎の中で苦笑いしながら、戦線の被害状況と物資の確認を卓上で思案していた。

「伝令、伝令ー!!」

 するとそこに、新年から司令官幕舎へと慌ただしく駆け込んでくる者があった。
 どうやら本国からの連絡らしい兵を幕舎で迎え入れたブラッドレーは、神妙な面持ちで駆け込んできた兵の呼吸が整うのを待った。
 連日の例に倣い昨夜もそうであったが、この苛烈極まる戦線を一望する物見の方面からは、この一ヶ月の間は引っ切りなしに妖魔襲撃の報が届いていたものの、しかし後方の首都側から急報の伝令兵が来ることは殆どなかった。
 なのでこの知らせが果たして良い知らせなのか悪い知らせなのか、どちらかと言えば常に最悪の知らせを想定している傾向のあるブラッドレーには皆目見当が付かなかったのである。

「ブ、ブラッドレー将軍・・・急報でございます・・・!」
「それはわかっている。内容を聞かせてくれ」

 駆け込んでくることに必死になりすぎたのか、やっとのことでそれだけ言いながらも息が上がったままの伝令兵に、態々ブラッドレーは水の入った杯を渡してやる。すると兵はそれを有難く頂戴し、一気に飲み干して漸くの様子で一息付いてから改めて姿勢を正した。

「ほ、本国防衛軍総司令ミカエル様より伝令です! 近く、友好国メッサーナ王国近衛軍からの物的支援が、ミュルスからこの戦線に直接送られてくる旨の伝令を承っております・・・!」
「・・・近衛軍、だと? まさか、ルートヴィッヒが動いたというのか?」

 訝しむように眉を顰めて言いつつ伝令兵が差し出してきた書簡を受け取り、封蝋が確かに近衛軍団のものである事を見定め、直ぐ様封を切り中身を確認する。
 すると確かに書簡の内容は冒頭の当たり障りない文面が多少ある以外は物的支援の条文が並んでおり、羅列されている支援物資は食料や武具、建築資材等を含めて相当の物量が記載されている。
 しかも、その輸送は既に行われている旨と、書簡発行の日付も明記されていた。
 ざっと中身を見たブラッドレーは、伝令兵に疑問符を投げかける。

「この日程だと、もう間も無く到着するような予定だが?」
「はい。ミュルス駐在軍からの連絡では、港へ物資と同時にこの書簡が届けられたそうです。即座に駐在軍から早馬にてミカエル様の元へ第一報が届き、ミカエル様はご自身宛の書簡をご確認の後、即座に輸送開始の許可をお出しになられつつ、自分を将軍の元へと寄越しました」
「そうか。ミカエル様からの書簡はあるか?」
「は、此方に」

 そう言って伝令はミカエルが持たせたであろう書簡を、ブラッドレーに手渡した。
 ブラッドレーが開いた書簡に視線を落とすと、確かにそれはミカエルの文字だ。それをみて一つ頷き、引き続きミカエルからの伝文に目を通す。
 彼ら将校は普段から偽計を看破する取り組みの一環として、ミカエルの文字は似せて書いてもそれと分かるように判別するべく訓練を行なっている。なのでこのミカエルからの書簡が無い限りは、基本的に指示を受け入れないのだ。

(・・・ミュルスについた商船の雇主は、近衛軍ではなくカタリナ・カンパニー・・・。なるほど、ミカエル様が即座に動かれたのはそういうことか。近衛軍だけが単独でこのような動きをしたとなれば、あまりのきな臭さに然しもの我が君とて即応はすまいな・・・。しかし、よりにもよって近衛軍との連動とは・・・カタリナめ、今度は一体何をしでかそうというんだ・・・?)

 彼は自分の同期の紅一点騎士の破天荒さに内心で苦笑を浮かべつつ、再びメッサーナからの書簡の中身を見返し、内容の熟知を行うこととした。

「よう・・・何かあったのか?」

 丁度そこへ、大きな欠伸をしながら騎士コリンズが幕舎へと入ってくる。彼は未明にあった強襲の迎撃に出ていたので今は休んでいたはずだが、物音に気がついて様子を見にきたのだろう。
 彼に限らずこの最前線で戦いを続けているロアーヌ兵は全員が大いに疲弊し、その中でいつ来るとも分からない襲撃に備え、常時神経を尖らせている。そんな疲れも取れない状況の中では、この物資支援は非常にありがたいものであった。

「ああ、丁度よかった。休んでいた所にすまないが・・・コリンズ、これを見てくれ」
「どれどれ・・・。・・・・・・・・・ふぅん、ルートヴィッヒが、ねぇ。でもミカエル様のご判断には間違いないようだな」

 コリンズもまたミカエルの筆跡を確認してから物資リストを見返し、ふむふむと唸りながらそんな感想を述べ、そして書簡をブラッドレーに返しながらふと表情を曇らせた。

「しかし、どうみるよ、これ」
「・・・ルートヴィッヒの思惑か?」

 ブラッドレーがそう返すと、コリンズは小さく頷いた。

「ああ。先ず思い当たるのは、これはロアーヌがメッサーナから大きな貸しを受けた、という事だよな。俺はその辺にあまり明るいわけじゃあないが、この物資の量は、ぶっちゃけロアーヌの国家予算で用意したら向こう二、三年は国民が貧しい暮らしを強いられる規模だと思う。これ程の支援物資を出しておいて単なる慈善だなんて、とてもじゃないがルートヴィッヒが考えるとは思えないよな」

 コリンズの予想外に鋭い意見に、ブラッドレーはこくりと頷いた。当然ながらミカエルはそう言ったことも把握の上でこれを受けているのであろうが、確かにこの物量は規格外だ。何か相応の見返りを求められることは、想像に難く無い。
 しかしブラッドレーには、これに関しては既に大凡の察しがついていた。

「そうだな。だが、それはもう決まっている様なものだろう。恐らくルートヴィッヒは・・・」

 そう続きを話そうとしたところで、今度は後衛見張からの伝令が駆け込んできた。

「将軍! ミュルスからの救援物資隊とやらが接近しており、早馬が受け入れ準備を要請して来ております!」
「もう来たのか・・・早いな。よし、妖魔の動きが鈍い日中が勝負だ。受け入れを進めてくれ。コリンズ、話はまた後で」
「了解。俺はもうちょっと寝とくわ」

 コリンズの言葉にブラッドレーはうっすらと笑いながら「そうしてくれ」と返しつつ、副官にその場を任せて物資隊の確認に向かって行った。

 

 

「ロアーヌからの見返りは既に確定している・・・?」
「ええ、そうです」

 ピドナ商業区ハンス邸のリビングにてトーマスと卓を交えていたシャールが確認するように聞き返すと、トーマスは肯定しつつ頷いた。
 近衛軍と連動してカンパニーが主導し進めていたロアーヌへの救援物資輸送手配は既に完了しており、現在はその後処理と今後の流れを確認するためにピドナ組がその場に集まっていた。

「一体その見返りってのは、何なのさ。物資リスト見せてもらったけど、ありゃピドナ商工会の決算書でも中々見ない数字だったよ。ロアーヌってのは、そんなに金持ちなのかい?」

 上品にティーカップを傾けながらノーラが首を傾げると、トーマスはそれに応えるようににこりとしながら、続いて隣に座るミューズに無言で視線を投げかけた。
 するとそれに気がついたミューズは少し怪訝そうな表情をしたかと思うと、直ぐにトーマスの意図に気がついてノーラへと向き直った。

「私からご説明します。今回の物資供給からロアーヌ侯国が求められるであろう見返りは、金銭ではありません。そもそも金銭的な見返りを要求するほどの備蓄がロアーヌ侯国にあれば、物資支援の意味自体があまりないと言えます。ですので今回メッサーナ王国が狙う見返りとは言わば・・・『戦力』としての役割です」
「戦力・・・?」

 ノーラはミューズの言葉をそのまま返しながら、変わらず理解の及んでいない表情をする。が、対するミューズはそれをよしとしつつ頷いた。

「今回メッサーナがロアーヌの戦線に自軍備蓄の大部分を支援物資として送ることを決めたのは、即ち『四魔貴族軍との全面対決』を始めるということを意味します」
「そうだね。だから年末の会議でも、お偉方が随分と紛糾したんだろう?」

 事前にその辺りの話は聞いていたのか、ノーラがミューズの言葉に同意するようにそう言う。
 すると今度はモニカが後を続けるように発言した。

「つまりメッサーナは、四魔貴族軍との戦いの最前線をロアーヌに担ってもらうつもりで支援をした、と言うことでしょうか?」

 モニカの言葉に、ミューズはゆっくりと頷いた。

「はい。そもそもメッサーナ王国は物資は豊富ですが、その兵力は各都市の軍団に分かれており、更にその各都市軍団の横の繋がりが現時点で非常に希薄だという特徴があります。これはアルバート王亡き後、各都市軍団長が権力の増加を狙うことで更に顕在化しました。またルートヴィッヒ軍団長もそれを把握の上で、この五年間は単純な軍事力の増強よりも各都市の連携阻害と物資の中央集約という政策を中心にその手腕を奮ってきました。半年少々前にあったファルスとスタンレーの戦などは、正にルートヴィッヒ軍団長が目論んだ展開だったと思います」
「・・・なるほどです。確かに近衛軍団が単純な軍備増強などを行えば、それは各都市軍の危機感を煽る事になりますわ。そうなると焦った各都市が動いて横の連携という中央への脅威を生み出してしまいかねなかった、ということですわね」

 モニカがミューズの説明でそう理解を示すと、トーマスとミューズ以外の面々は成程と頷いた。

「はい。ですので今のメッサーナには国力に見合ったほどの『纏まった精強な軍』というものが、敢えて欠けているのです。そこにおいてロアーヌ侯国の騎士団は、魔王に汚染されし東の地から現れる妖魔に長年対抗し続け、ゲッシア王朝を滅した神王教団との戦にも勝利し、更には密林にある伝説の火術要塞の攻略という快挙まで成し遂げています。彼等は最早、名実ともに世界最強の騎士団だと言えます」
「つまり、支援はするから戦の一番手は任せるぞ、ってことか・・・」

 ユリアンが腕を組みながらそう応えるのを聴きながら、ミューズが続ける。

「そしてミカエル侯は、間違い無くその意図を理解しており、利用すると思います」
「お兄様ならば、必ずそうしますわ。ルートヴィッヒ軍団長に出し抜かれるようなことは、天地がひっくり返っても有り得ませんわ」

 モニカが確信めいて同意すると、トーマスとユリアンは目線を合わせてふっと微笑む。

「そして今後、最も戦が起こる可能性があるのは、このピドナです」
「魔王殿か・・・」

 ミューズの隣に座っていたシャールが、呟く。
 このままロアーヌが魔龍公ビューネイ軍との戦いに勝利したとすれば、後に残る四魔貴族はピドナ旧市街に佇む魔王殿、その奥深くに潜むと目される、魔戦士公アラケスのみだ。

「アラケスが実際どの様な行動に出るのかは、まだ分かりません。ですが先のフォルネウスや現在のビューネイ軍の様な大規模戦闘が起こる様な事になれば、屈強な軍を持たぬメッサーナは非常に分が悪いです。しかも周辺都市国家軍は、いくら共同戦線に合意したと言えども、矢張り積極的な武力提供には消極的なはずです。そうなると、メッサーナが望む見返りは、明らかだという事になります」
「素晴らしい。よく把握していますね」

 ミューズが言い終えるのを待ってトーマスがそう締め括ると、ミューズは少々悪戯っぽい笑みを浮かべながらトーマスを横目で見た。

「全てトーマス様の教えです。丁度いいアウトプットの場だとお考えになったのはすぐ分かりましたから、別に構いませんよ」

 ミューズの思わぬ反応にトーマスも苦笑していると、そこに丁度、情報収集のために外に出ていたポールとブラックが帰ってきた。

「よう、話は進んでいるかい?」
「ああ、二人ともおかえり。丁度、メッサーナとロアーヌの今後の動きについて話していたところだよ」

 二人が空いている席に座るのを見ながらトーマスが状況を告げると、早速煙草に火をつけるブラックの横でポールが軽く頷いた。

「なるほどね。こっちの報告は後のほうがいいかい?」
「いや、今言ってくれて構わないよ」

 トーマスがポールに話を促すと、新しいティーカップが目の前に用意されたところでポールが懐からメモ書きを取り出しつつ口を開こうとする。
 その時だった。
 何やら、窓の外が急激に騒がしくなったのた。

「お・・・なんだ、何かあったのか?」

 特にその場にいる意味を感じていない様子だったブラックがいち早く、すくりと椅子から立ち上がって窓から外の様子を伺う。
 すると普段は実に平和な様子であるはずの商業区通りでは多くの通行人が、慄き後退りをしながら空を見上げていたのだった。
 そして更にそこへ、この館の主人でもあるトーマスの従兄弟にあたるハンスが慌てた様子で部屋に駆け込んできた。

「大変だ、魔物がピドナの空に・・・!!」
「なんだって・・・!?」

 ハンスの言葉に反応したトーマスを皮切りに、その場の一同が即座に立ち上がって外に向かう。
 入り口の大広間を抜けて扉を抜け、慌ただしく人々が逃げ惑う商業区の大通りに飛び出したトーマスが上空を仰ぎ見ると、そこには普段と変わらぬ一面のピドナの青空がある。
 そしてその青空の僅かな一点を、強烈な存在感を放つ一体の生物が占有していた。

「あれは・・・まさか・・・」

 トーマスがその存在を視認して、小さく呟く。
 丘の上のピドナ王宮よりもさらにずっと上空を飛ぶその生物は、地上からでもその大きさが分かるほどの体躯だ。
 大きく両翼を広げ、ともすれば優雅に滑空している様にすら見えるその様は、何かの物語の一節を彷彿とさせる様な光景でもある。
 突如としてピドナの上空に姿を表したそれは、一頭の巨大な竜だった。
 そして巨龍は特に高度を下げる様子もなく、下界から見上げる限りは非常に長閑な様子でピドナの空を横切っていく。
 北西の方角の空に見えていたそれは、地上でどよめく人間に興味などまるでない様子で、そのまま北東へと抜ける様だった。

「竜と人との力によって さしもの魔龍公も敗れ ゲートの彼方へ追いやられた・・・伝え上げたる詩の具現がよもやこの目で見られようとは、聖王記詠み冥利に尽きるというものですねぇ」

 その場の全員が上空の一点に視線を奪われていたところに、妙に間の抜けた声が響く。
 聞き覚えのあるその声に反応したトーマスが振り返ると、そこにははたして、数週間前にバンガードで会った詩人が立っていたのであった。

「貴方は・・・」
「やあ、これはどうもどうも」

 相変わらず周囲の空気とはどこかずれた雰囲気を持つ詩人の唐突な登場に、漸く周囲の面々も気がついて彼に視線を向ける。
 しかして詩人は名残惜しそうに再度空を東に抜けていく竜へと視線を投げかけた後、自らの脇に置いていた旅道具を持ち上げ、何事もなかったかのようにそのまま立ち去ろうとした。

「ま、待ってください。やはりあれは、悪竜グゥエインなのですか」

 トーマスは慌てて詩人を呼び止めるようにしつつ、目の前の詩人の言葉から上空の存在についての見解を口に出す。
 だが、詩人はその言葉を聴くと真顔になって考え込むように二度三度と瞬きをし、次に目を閉じてゆっくりと頭を横に振ってみせた。

「いいえ。あれは、英雄グゥエインの勇姿。彼の竜がこれから成すであろう偉業は、人類に限らず、この世界に住まう多くの生物が大いに讃えるものとなるでしょう。たとえその後に母であるドーラと同じ道を辿る宿命であったとしても、それはその時の話です」

 詩人の言葉に今度はトーマスが目を瞬きながら無言のまま返せずにいると、詩人は首を僅かに傾げながら、薄らと笑みを浮かべた。

「ふふ、少し意地悪な回答でしたね。しかし、そういうものなのです。その時、その時代によって、ものの捉え方は大きく変わります。そう・・・例えば、あの悪名高き魔王が『魔王』と呼ばれる前までは、世界で唯一死蝕に打ち勝った『祝福の子』として讃えられていたように」

 まるでトーマス達を煙に巻くように、いつも通り妙に芝居がかったような様子で身を翻しながらそう言うと、どうやら満足したのか詩人は再び立ち去る姿勢になった。
 だが歩き出すわけでも無く、半身だけトーマスへと振り返る。

「そうそう、貴方は空を見るのもいいですが、地にも目を向けると、欲している真実が見えるかもしれませんよ。灯台下暗し、というやつです」
「・・・それは、どういう」

 トーマスが詩人の言葉に疑問符を浮かべながら答えを求めようとしたその時、またしてもトーマスの従兄弟ハンスが、今度は館の中から郵便物を手に慌てた様子で飛び出してきた。

「トム、ポール!こんな時だが、ターゲットの動向が来たぞ!」
「!!」

 ハンスの言葉にトーマスとポールが敏感に反応してハンスの元に急ぎ駆け寄り、彼の持っていた封書に食い入るように目を通す。

「・・・・・・これは・・・」
「・・・あぁ、こいつは想像以上に不味そうだな」

 封書の中に記されていた内容を見て、二人は苦々しそうに眉間に皺を寄せる。その中身に書いてある内容が、余程彼らをそんな表情にさせるようなものなのだろう。

「・・・早急に動きを決めなければ。・・・詩人殿、また出来れば今度お話を」

 そう言いながらトーマスが振り向いた時には、既に詩人はその場から忽然と姿を消してしまっていた。

 

 

 エレンが首を後ろに直角まで折り曲げんという勢いで見上げども、聳え立つその無骨な塔の先端は一向に窺えず。
 直下から見上げる神王の塔は、彼女の想像を遥かに超えて、巨大だった。
 道中、遠目で見ていた時点でその大きさには驚いたものだったが、しかしこうして真下から見上げてみると全く印象は異なる。最早エレンには、これを人が作ったものであるなどとは到底思えなかった。それこそ彼女には、まるでピドナ旧市街に佇むあの魔王殿のように、異様にして不気味なものとして目に映ったのである。

「おい、いつまでもそんな胸糞悪いものを見上げてんじゃあないぜ。とっとと宿に行くぞ」

 物珍しげな様子のエレンとは対照的に、忌々しげにその塔を一瞥だけしたハリードは一言エレンにそう声かけすると、一人さっさと歩き出してしまった。

 二人はピドナからリブロフに渡るや否や、慌ただしく翌日には神王の塔へと向かう行商人の商隊に混じって出発し、アクバー峠のバザールを越え、数日後には旧ゲッシア王朝跡に佇む、この神王の塔へと辿り着いていた。
 ハリードとしては、またしても思ってすらいなかったところまで来てしまったものだ等と内心では頭を抱えたくなる思いだった。何しろこの地には、神王教団を討ち果たしてゲッシア王朝を再建するその日まで、来るつもりなど無かったのだから。
 だが、その目的はいつの間にか彼の中で、どこか叶うことのない夢物語の様な扱いへと変貌していた。それをルートヴィッヒとの対話の中で痛感したからこそ、彼は自身の下手な拘りを捨て、十年の時を経て再びこの地に立つことができたのだとも言える。

(・・・ここまで来ちまったからには、確かめざるを得ない・・・か。まさかこの俺が、まだ目の黒いうちに歴々の王が眠る諸王の都へ行くことになるとはな・・・)

 見るのも悍しく忌々しい塔を敢えて視界に入れないように横を通り過ぎながら、ハリードは宿へと向かいつつ、そんな物思いに耽る。そうして意識を別のところに向けていても、彼の体はなんの問題もなくこの街並みを覚えている。だから彼は迷いなく、街の北西あたりにある安宿のある地区へと向かっていった。
 この神王の塔は、かつてゲッシアの宮殿があった場所に、そのまま建てられている。なので、それ以外の街の構造は、かつてのゲッシア城下町そのままなのだ。
 宮殿を中心として円状に広がっていた旧ゲッシア城下の街並みは、大きく三つの区画に分かれる。
 一つは、アクバー峠からナジュ砂漠を横断してきた者を労うかのように華やかに出迎える、都の顔ともいえる西のバザール区画だ。ここには主たるナジュの産業の中心市場の他に、酒家、渡来者向けの宿などが集合している。アクバー峠にある巨大バザールよりは規模は小さいが、アクバー峠まで流通しないような希少性の高いものも西区市場では取り扱っている。
 しかしこの西区画で売られているものは何方かと言えば富裕層や観光客向けの価格設定のものも多く、居並ぶ商人も強かなものが多い。地元事情に聡い者は、ここではあまり物を買わない。
 そんな西区画から繋がる南北の区画は、国民の居住区だ。都市の南東に位置するナジュの命の源たるハマール湖にほど近い南区画には主に富裕層が住み、反対の北部区画には平民街と、所謂貧民街が広がっている。
 貧民街はどの都市にも大抵あるものだが、特にこのゲッシアの貧民街は酷いものだとハリードは思う。
 ゲッシアには独自の聖典に基づいた絶対的な階級制度が存在しており、国民は全てその枠組みの中で識別される。その中で、聖典により定められた階級にも属することの叶わないダリットと呼ばれる民が、最北部の隔離された区画に追いやられ非常に貧しく過酷な暮らしを強いられている。その暮らしの悲壮さは、ハリードが今まで見てきたどこの国よりも過酷だと思われたものだ。この階級制度は数多くの迫害の歴史を生んでおり、ハリードの愛するゲッシアにおける、負の側面だと言える。
 そして最後の東区画は産業区画となっており、偉大なるナジュ文化をふんだんに反映させた様々な工芸品を作る工房や、ハマール湖を水源としてナツメヤシや天然ゴム、珈琲豆等の栽培を行う農耕地が広がっている。
 ちなみに西区画よりもこの東区画で生産者と直接やり取りをする方が割安で商品を入手出来るので、その辺りの知識や繋がりがある者たちは、その殆どがこの東区画で売買をするのである。
 そんな区画分けであるからして、西の中でも平民街に近い北部側には安宿が、富裕街に近い南部には高級宿が点在している訳なのである。であれば当然ハリードが目指すのは、安い方なのだ。
 懐かしき街並みを肌で感じながら移動するハリードの後ろを、対照的に物珍しそうな動きで見渡しながらエレンが付いていく。
 因みにこの地へとハリードを誘った(連行したともいえる)エレンの目的は、当然ながら失踪した彼女の妹であるサラの手がかりを求めてのことだ。
 リブロフでは運良く直ぐに聞き込みからサラの行き先に関する手がかりを得ることができ、それによれば「やけに商売のうまい少女と少年の二人組が、西に向かった。そして一月もしないうちに戻ってきたかと思うと、今度は東へと向かって行った」とのことだった。
 この証言をくれたのは、リブロフの市場で小さな商いをしている露店の商人だった。その商人はサラから幾つか商品を買ったらしく、その特徴をしっかりと覚えていたのである。
 少年と一緒の二人旅、というのが思いがけず大きく気にかかったが、しかしその商人に細かく確認した限りの少女の特徴は、全くサラと一致するものであった。なんらかの理由でサラは、その少年とやらと共に旅をしているようだ。
 まさかとは思うが、ボーイフレンドとかなのだろうか。奥手ではあるが思い切りのある性格である妹のことなので、姉としてはその辺は少しモヤモヤする。
 ちなみに聞き込みや情報収集と言えば普通は酒場だと考えられがちだが、しかしサラは酒を殆ど嗜まない。なので聴き込み先として最初から酒場ではなく市場の商人に目星をつけていたエレンの作戦が、狙い通りにはまったと言える。
 そして更にエレンは「トーマスも見つけられていないということは、そこと関わりがなさそうなところから情報を集めに行った方がいい」という鋭い直感の元、露天市場の小規模露店から聴き込みを行うことにしたのも見事に功を奏したのだった。
 街の商業ギルドには多くの商人が登録しているので確かに情報は集まりやすいが、逆にその膨大な情報量の中では、細かい話は埋れてしまいがちになる。エレンは当然そんなことを知る由もなかったが、彼女の直感はそこを見抜いたのだ。
 若しくはトーマス側の聞き込みは少女一人に的を絞ったもので、少年との二人組、という状況が災いし情報網から抜け漏れてしまったのかもしれない。
 そういう意味では、やはりピドナで待ちぼうけなどせずに自分で動いたのは正解だったとエレンは実感したものだった。
 だがリブロフでは幸先良かったものの、そこからナジュへと向かう道中に立ち寄ったアクバー峠のバザールでは、サラに関わるような情報を得られることは無かった。可能性は低かろうが念のためロアーヌ地方へと続く北門にて聴き込みも行ったが、そこでも矢張り少年少女の二人組が関を通った目撃情報もなし。
 そもそもロアーヌ地方に向かうのならばリブロフからは海路の方が早い上に安全なので、やはり東に向かったならばこのまま旧ゲッシア王都を目指すべきだろうと再確認し、彼女はここまで足を運んできたのであった。

「この先の宿に部屋をとったら、俺は少々買い物に出る。お前は聴き込みか?」
「もち、そのつもり。ここって露店街はさっきのところだけ?」

 今しがた通り過ぎてきた西地区を振り返りながらエレンが訊くと、ハリードは軽く中空を見上げながら顎に手を当て、少し考える仕草を見せた。

「んー・・・メインは確かにあそこだが、東区画にも職人の直営店みたいなのがぽろぽろとあるな。価格はそっちの方が安いから、俺はこの後其方に行く予定だ」
「ふぅん・・・なら、あたしも先そっちいこうかな。案内してよ」

 サラならどちらに足を運ぶかを想像しつつハリードの情報を元に同行を決めたエレンは、早速ハリードが選定した激安宿エリアの中の一つの部屋に荷物を放り込むと、此方のことなどお構いなしの様子で宿を後にするハリードを追いかけた。
 普通ならこういう相手に気を使わない態度は旅の道連れとしては文句の一つも出そうなものだが、エレンはハリードのこう言った部分には最初こそ多少は面食らったものの、かといって特段不快感を抱いたことはなかった。
 一年ほど前のロアーヌからランスまでの二人旅の間に慣れてしまっていたという見方もあるが、それ以前に抑も彼女自身が、どこかハリードと似た気質をしているのが最も的確な理由なのかもしれない。
 こうして旅をする前まで、シノンの開拓村では正に自分こそがこうして周りの人間のことなどお構いなしに突き進んでいたというか、今振り返ってみれば大いに改善の余地があったのではないかと思わざるを得ないような、数々の我が道を行くっぷりを発揮していたものだった。
 別に、単にそうしたくてそうしていたかと言われると彼女的にはそうでもなく、いくつか考えることがあってのことだ。
 そもそも彼女の行動の理由は、単純だった。強くあろうとした、というだけである。
 そしてその強くあろうとした理由とは何よりも先ず、妹を守るためだ。また、引っ込み思案だったサラを導くためでもあり、その上で二人が生き抜くためであった。
 大凡、こんな理由で彼女は強くあろうとした。
 強いということは、己が先頭に立つということだ。
 先頭に立つ時に、躊躇いはあってはならない。躊躇えば、勇気が鈍り、足が竦む。だから、何かの行動を起こすときに立ち止まってまで考えたり誰かに伺いを立てたりするということを、基本的に彼女はしなかった。長く考えれば鈍るということを、彼女は経験から知っていた。
 またその一方で、率先して誰かに頼ることができるという状況を、羨ましいなと感じることもあった。
 頼ることそのものを悪いことだとは、彼女も思わない。そうしてうまくやっている者達をシノンの村でも見てきたし、この旅の中でも仲間と共に成し遂げることが増えていくことで彼女自身もその重要性は大いに学んだものだ。
 しかし、それは彼女にはできない。それができるのは、頼ることができる状況にいる人間だけだからだ。
 彼女の状況は、そうではない。彼女は、己が強くなろうとするその理由において、本当の意味で他人を頼ることなど出来はしない。
 だから、一人で強くなろうとした。
 まぁ、単にそういう動き方の方が己の性に合っている、という見方も無いわけではないが、決してそれだけなんてことはないのだ、ということを重ねて彼女は主張したいのである。
 その視点に照らし合わせると、ハリードの行動基準は彼女の見る限り、全く自分のそれと一致していた。
 彼もまた、最終的には自分以外を頼らないのである。
 動こうと思えば先ず自分が動くし、興味が湧かないことには基本的に惰性では動かない。また、自分が動くときに周囲が共に動くことを基本的に期待しないし、抑もそんな事を望みもしない。
 だから周囲には我が儘だとか冷淡に見られたりすることもあるが、かといってそんなつもりは本人には毛頭ないのだ。そういう生き方をしている、というだけなのである。
 事実、興味が湧けばハリードは実のところ結構な世話焼き気質だと感じるし、交渉などの世渡りも卒なくこなすし、必要とあらばパブリックな場所での礼儀作法も弁えている。
 だから、彼がさっさと宿を出るのは彼の目的があって、それについていくと言ったのはあくまで自分のほうであって。そこに、一々待ってもらう道理は毛ほどもない。なんなら逆の立場だったならば、自分も彼と同じようにするだろう。
 なので特にそう言うことは感じずに追いかけるわけたが、しかし追いついたら肘で小突いて「レディを待つくらいの態度は見せなさいよね」と茶化すのは忘れないのである。誰がレディだ、との返答にきっちり激昂するところまでがお約束でもあった。

 

 旧ゲッシア城下町の東区画は、最もハマール湖の水源に近いこともあってか農場区画がその多くを占めており、視界が非常に広々とした区画だった。この都市に辿り着くまでに延々と続いていた一面の砂漠風景とは全く打って変わって、水源の恩恵を受けていることで緑がとても豊かな様子が垣間見える。
 広大なナジュ砂漠の中に突如として現れる大きなハマール湖は、ナジュと北方のロアーヌ地方を分かつ雄大なるエルブール山脈からの雪解け水などが地下水として砂漠下に溜まり、やがて地表に湧き出たものだとされている。そのハマール湖のほとりに栄えるこの街は、まさに砂漠の中の楽園にも思える光景だった。
 エレンはロアーヌやピドナでは見たこともない不思議な形の樹木の群生を物珍しげに眺めたりしながら、ハリードと共に東区画に点在する職人たちの店の軒先を順に回る。
 そしてハリードが職人を半泣きにせんとするほど値切りに値切りながら買い物をする傍らで、エレンはリブロフと同じ要領で職人相手に聞き込みを行なっていった。
 だが今回もアクバー峠同様、思ったように情報が集まらず調査は難航することとなった。
 サラや彼女に同行する少年とやらの特徴をいろんな角度から説明してみても、そんな来客があったとは一向に聞かない。
 そうして聞き込みが連続して空振りになるにつれ、エレンの焦りは増していった。
 まさかサラは、ナジュに来ていないのだろうか。そんな最悪の予感が頭を過ぎる。
 いや、そんな悲観するのは良くないと、直ぐに思考を切り替える。それにまだ西区画での聞き込みも行っていないのだから、単に東区画側までは回ってきていない可能性だって十分にあるはずだ。
 だが、それでも心のうちに芽生えた焦りを消し去ることはできない。
 そのように焦りを募らせるエレンを他所に、ハリードは単身での砂漠越えに必要な物資を順調に買い集めていった。

「俺の用事は終わったから宿に帰るが、お前はどうする?」
「うん・・・西のバザールは・・・もう間に合わないか。あたしも今日は戻るかな」

 満足な成果を得られずにたいそう不満そうな表情のエレンを見ながら、しかしハリードは素知らぬ顔で歩き出す。
 ここまで付き合っている手前、自分にも手伝えることがあるのならば、それはやぶさかでは無いとハリードは思っている。
 だが、特に手伝えることがないのならば、生半可な慰めの言葉をかける事などはしない。場合によってはそれは嫌味にも聞こえるし、自分ならそう捉える。恐らくはエレンも、その性質だろうと思う。
 だから現時点で精々自分がしてやれるのは、酒家で愚痴を聞いてやることくらいだ。
 そう思いながら背後にエレンが付いてくるのを感じつつ宿へと戻る道すがら、ハリードはふと、何かを思い出したように目を瞬いた。

「・・・そういえば」
「なに、なんか情報!?」

 瞬間で食らい付いてくるエレンの叫び声にも似た反応を受け流しつつ、ハリードは歩みを止めずに続けた。

「まだ生きているのかは知らんが、十年前にバザール区画に情報屋がいたな。かなり抜け目ない奴だが、情報は確かだったはずだ」
「まだ居るとしたら何処に?」

 兎に角情報が欲しいエレンは、当然のように食い下がる。

「根城は西の城門近く、メインロード北沿いのマクハーだったはずだ」
「マクハー?」
「茶店の事だ。この国では本来あまり女の行く場所じゃあないが、お前なら問題ないだろ」
「わかったわ、ありがと」

 そう言うや否や、エレンは足早にハリードを追い越し、西区画への道を走っていった。
 その様子を無言で見送ったハリードは、肩に下げた荷物を持ち直して同じく西区画の宿へと向かう。

 

 程なくして戻った宿にて購入物に不足や問題がないかの確認を行い、それが終わると即座に宿の者を経由して砂漠の道中に連れていく駱駝の手配を行う。砂漠での荷運びに駱駝は必需品なのである。
 手際良く一通りの準備を終えたハリードは、後で文句を言われないように部屋に書き置きを残し、宿のすぐ向かいにある酒家に向かった。
 そこで、店では一種類しか扱っていないらしいアラックを飲みながら、頭の中ではゲッシア王族の間に口伝のみで伝わる唄を反芻させていた。

(諸王の都に辿り着くには、道中にあるとされるランドマークを2箇所経由する必要がある・・・。そこに辿り着くには口伝の通りなら、陽が南中を指し示す頃に出発し、南へ・・・そして陽が沈む頃に辿り着くという岩場の何処かに王家の紋が隠し彫られているから、それを目印に翌日南中より、今度は太陽を追いかけて歩き、陽が沈んだらそこからまっすぐ。その先にある岩陰のオアシスに王家の紋を見つけられれば、あとは南下した先にある・・・。王家に伝わる唄を解釈するとこんなところだな・・・)

 延々と同じ景色が続き、気温による揺らぎによって見通しの立たない砂漠は非常に迷いやすい。なので古くは太陽の動きに頼っての移動が主であったが、これは季節によっても当然ながら変わる。この唄も恐らくは夏季の唄なのだが、今は冬季だ。
 それらの対策として、ハリードは携帯型の象限儀を懐から取り出して眺めた。
 これは四分儀とも呼ばれ、地平と天体の角度などから大凡の現在位置や時刻を把握するものだ。船乗りや砂漠の民の必携道具である。
 砂漠以外ではあまり使うこともなかったが、いざ何処かで迷ってしまった時のためにと、彼は常にこれを携帯していた。

(・・・しかし、本当に行く意味など、有るのだろうか。いや・・・馬鹿げている。行く意味がないなんてことは、流石の俺も頭では分かっている。ただ、それでも行かねばならない気がすると言うだけなのか・・・)

 杯を傾けながら、ぼんやりとそんなことに思いを巡らせる。すると唐突に背後で、俄かにどよめきが起こった。
 そのどよめきの原因が彼には半ば予測がついていたが、一応確認をするように半眼で背中越しに軽く様子を見る。
 するとそこには、周囲の動揺をまるで意に介さない様子でずかずかとこちらへ向かって歩いてくるエレンの姿があった。
 予測通りである。
 今でこそゲッシアの法典はこの地から消え去り、特に外部からの来訪者を迎える西区画では大いに飲食店が繁盛し、男女関係なくナジュの食文化にも触れている。
 だが元々はこうした酒家などはゲッシアにはあまり数がなく、しかもそこへの来訪はその全てが男性に限られていたという歴史があった。
 特に今彼がいる場所はほぼ北区画に面する通りで西の観光区画中心部からは離れた場所であり、日中ですら外来者も殆ど立ち寄らない区画。どちらかと言えば、色濃くゲッシア文化が残っているような場所だ。そこにずかずかと外様の女一人で立ち入ってくるとなれば、その周囲の動揺ぶりもさもありなんといったところだろう。
 当然そんなことを知るはずもない(仮に知っていたとしても気にすることはないだろう)エレンは、カウンター席にいるハリードを見つけると足早に駆け寄った。
 そしてハリードの隣に勢いよく腰を下ろすと口早に店主へビールを頼み(因みにここにはアラックしかない)、ハリードへと視線を向けた。
 それとは別で、オーダーに戸惑った様子のまま自分に視線を向けてきた店主へ自分と同じアラックでいいと手振りで示しつつ、やや面倒くさそうな表情でハリードもエレンに視線を寄越す。
 するとエレンは開口一番に、こう宣った。

「ねぇ、あたしを諸王の都ってところに連れていって欲しい。行くんでしょ?」
「・・・・・・おい、なんでそんな話になるんだ。お前、サラを探すんだろうが」

 全く理解のできない話の進み方に流石のハリードも困惑の色を隠さず、エレンへと聞き返した。
 一方、目の前に出されたアラックに困惑していたエレンはハリードが飲んでいるのを見てそのまま一口飲み、不慣れな味に大層眉を顰めてみせながら、その表情のままハリードに向き合う。

「ハリードの言う情報屋ってのに会ってきたわ。でね、そいつに言われたの。神王教団のローブを一万オーラムで買うか、諸王の都に眠る財宝を何か一つ持ってきたら情報を売るって。そいつ、サラのこと見た感じだった。特徴知ってたもの。正直その場で締め上げようかと思ったけど、そういえばハリードが行くとか言ってたの思い出したの」
「・・・お前なぁ・・・完全に必死さにつけ込まれただけだろうそれは・・・」

 思わず軽い頭痛を覚えて米神に指を当てながら、ハリードは絞り出すようにそう言った。
 単なる直感ではあるが、恐らくこれは、偶然などではない。自分がこのエレンと共にこの街に帰ってきたことを、情報屋は知っていたと見るべきだろう。だからこそ、普通なら冗談にもならないような注文をつけてきたのだ。
 今更何のつもりで情報屋がそんなことを言い出したのかは、彼にも全くわからない。だが、確かに諸王の都は古ゲッシアを知る者の中ではエルドラド・・・つまりは黄金郷とされており、そこに眠る王家の財には相応の価値があると見るのもわかる。
 とはいえ、自分がそこに行くためにここに戻ってきたことなど知る由もないはずだと言うのに、何とも不可思議な話ではあった。どうにも、今考えたところで答えが出そうにもない。
 なのでそこについて考えることは一旦やめ、ハリードは目の前の杯を一気に飲み干すと、立ち上がった。

「ここで話すようなことではない。部屋に戻るぞ」

 

 

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第八章・1 -ロアーヌの危機-

 

 ロアーヌ侯国の首都ロアーヌから南東へエルブール山脈を仰ぎながら三日ほど徒歩行軍した所に、一部が沼地にもなっている広大な湿地平原が広がっている。
 四魔貴族が一柱、魔龍公ビューネイの居城があるとの伝説が残る、聖王記所縁の巡礼地でもある霊峰タフターンへと向かう一本道以外には宿場宿も何もない、古ロアーヌから風景の変わらぬ未開拓地だ。
 だがこの平原に突如として、湿地帯をほぼ斜めに切り裂くかの様に北東から南西へと伸びる長大な木製の簡易防壁が現在、進行形で築かれていた。
 その木製の防壁は短期間の間にも部分的に幾度かの崩壊と再建を繰り返し、既に丸一月以上もの間、ロアーヌ南方とナジュ砂漠を隔てる雄大なるエルブール山脈の最も高い峰を誇る霊峰タフターンより散発的に侵攻してくる妖魔の大群から、ロアーヌ侯国領地と其処に住う民を守るための絶対防衛線として機能している。
 この長大な防衛線のすぐ後方には相互の距離を開けて幾つかの幕舎が設置され、そこでは幾人もの名だたるロアーヌ士官が交代で日夜指揮を奮っているのであった。

「戻ったぜ・・・」

 直前に沼地を走り回っていたのか、酷く全身が汚れた様子の男が、大層くたびれた様子で幕舎の中へと入ってきた。
 丁度幕舎の中で防衛線の補強、改修の計画を練るために戦場図と睨み合っていた、ロアーヌ騎士にして本防衛線の指揮を務める将の一人でもあるタウラスが其方を見遣る。そして幕舎の入り口を潜り入ってきた人物に対し、珍しく随分と覇気のない声を上げながら戻ってきたものだな、と思いながらも、手元の作業を止めて片手を上げつつ迎えた。

「あぁ、よく無事に帰ってくれたよ、コリンズ。悪いな、タフターン攻略班から態々こっちの防衛線に回ってきてもらって」

 タウラスの言葉に、彼と同じくロアーヌ騎士にして軍に於いては准将を務めるコリンズは、とんでもないという様にかぶりを振り、そして次には力なく項垂れながら、ここで一際大きくため息を吐いた。

「俺やパットン等の師団は、攻めてなんぼの歩兵と騎兵が中心だ。山岳地帯じゃ騎兵は使えねぇし、挙句に攻める相手が霧に隠れているんじゃ、役立たずのタダ飯食らいみたいなもんさ。准将を拝命してから初の戦だってのに、ほんと、情けない限りだよ。だから、こうして国の役に立つ仕事があるだけ有難いってもんだ・・・。いまいち調子は出ねぇけどな・・・」

 国家の一大事というこの場面に於いて自分の得意とする戦ができない事が余程堪えているのか、コリンズは自分の近くの木箱に浅く腰掛けながら心底悔しそうな様子で小さくそう言った。
 彼がここまで弱気な様子を、彼の同期であるタウラスは今まで見た事がない。だが、それも今は仕方がないのだろうか、とも思う。
 何しろ、直近一ヶ月のこの防衛戦とそれを取り巻く周辺の有り様は、お世辞にも良い流れなどとは言えない状態が続いているからだ。
 悪化の一途を辿る世界情勢を鑑みて行われた軍事演習中の謎の強襲に端を発し、ロアーヌ侯国がトゥイク半島の貿易都市リブロフの軍団を相手取った連戦の末、逆賊マクシムスの目論みを打破し神王教団教長ティベリウスとの間に和睦協定を結んでから、二ヶ月弱が経つかどうかという頃。
 この戦線は、そのような折に突如として開かれた。
 これまでの定期的な魔物討伐とは全く異なる規模での群を、いや、軍を成した妖魔の強襲を受けたロアーヌ侯国は、直ぐ様侯爵ミカエルの大号令の元、国民総動員体制での防衛戦線を即時形成するに至った。
 その後、一次戦線を驚くほど速やかな迎撃戦に持ち込み国土の損害を最小限に抑えてみせたミカエルは、その妖魔の軍勢が南方エルブール山脈の特に南東の方角から攻めてきたこと、また、交戦した妖魔軍には特徴として珍しい有翼種が多く見られ、この有翼種がロアーヌに保管されている過去の書物に記されていた「ビューネイの精」という存在に酷似しているという事を根拠に、交戦対象を『魔龍公ビューネイ軍』と断定。
 奇しくも、この半月ほど前にロアーヌ宮廷騎士カタリナ=ラウランを中心としたアビス軍勢討伐軍の活躍により地図上では南端に位置する広大な密林の奥にて全滅の危機に瀕していた妖精族の救出、及び四魔貴族魔炎長アウナスの居城である火術要塞の占拠という歴史的偉業を成し遂げていたロアーヌ軍は、その戦勝報を世界へ向けて逸早く発信していた。ミカエルは本迎撃戦をこれに連なる一大有事として、「対四魔貴族戦線」と呼称。全世界へ向け発信し、各国からの援軍を募りながら開戦をしたのであった。
 だが最初の迎撃こそ成功したものの、その後に肝心の攻めるべき相手の拠点が全く定まらず、戦線は早々に膠着した。
 ロアーヌ軍は攻め手を欠いたことで否応なしに後手に回り、この防衛線にて相手の出方を待つことを余儀無くされたのだ。
 タフターン山のある南東の様々な箇所から昼夜問わず攻め入る妖魔に対して幾度も防戦を余儀無くされ、補給線を確保しながら長大な防衛線を建築し、ロアーヌ軍はこの一ヶ月余りを耐え抜いてきている。
 だがいい加減に兵の疲労度も限界に達しており、防衛線には乱れも散見される様になってきていた。
 前線には負傷者も増え、疲労を抱えたままの連戦も祟り、戦死者もこの半月ほどは増加傾向にある。
 そして何より、未だこの状況の打開策が一向に見つからないという現実こそが、戦場の士気を著しく下げ続けているのだった。

「・・・で、援軍の方はどうなんだ?」

 くたびれた様子で懐から取り出した給水筒を煽り、コリンズが言葉の割には全く期待した様子もなくタウラスに尋ねる。
 その問いに対してすぐには答えられなかったタウラスだったが、コリンズのこの問いには別方向から応えるものがあった。
 不意に二人の会話を割って幕舎に入ってきたのは、彼らと同期の騎士にしてロアーヌ軍少将に就くブラッドレーだった。

「流れの傭兵や東部開拓民を中心とした周辺農村からの義勇兵は徐々に集まりつつあるが、国家としての援軍は未だ無いようだ」
「・・・けっ。しがない東国の事なんざ知らねーってか。これじゃあ、アビスの思う壺だぜ」

 コリンズの返答に、ブラッドレーは、これはとても良くない傾向だなと感じる。
 ここ最近の度重なる戦の主戦場を踏破してきたロアーヌ騎士団の「黄金世代」とされる彼の同期である騎士コリンズは、軍の中でも格段に人望が厚い将の一人だ。
 その直向きな性格と信念に強い忠誠を抱く騎士は多く、そんな彼のこうした後ろ向きな発言は、軍の少なくない範囲で良くない影響を及ぼすだろう。
 だが、それを直ぐに諫める様な万能の言葉を、ブラッドレーは持っていなかった。
 勿論、上辺だけの言葉をかけるなら、それは幾らでも出来る。だが、この一月の惨状は先の通りだ。
 コリンズの指揮する軍からも当然少なくない数の殉職者が出ており、その事実に対して生半可な慰めや諫めなど、意味を為さないどころか更なる士気の減少にも直結するのだ。
 何より、この戦線の展望の暗さを最も感じているのは、誰あろう戦線を預かる最高指揮官であるブラッドレー自身でもある。
 しかし彼は、弱音は吐かない。だが、他者にかけるほどの言葉まで、彼は持たない。

「・・・現在、ミカエル様がタフターン山の奥にあると目されるビューネイの居城を少数精鋭にて潜入攻略するための勇士を募っている。今の我々は、これが動くまで何としてもこの戦線を死守しなくてはならない」
「あぁ、分かってる。分かってるんだけどよ・・・」

 コリンズ自身も、ブラッドレーが感じる事を理解していないわけではない。
 だが、それでも彼には、そんないつ動き出すのかも分からないものだけでは、彼が失った部下の家族へ向ける顔がないのだ。

「あぁ、畜生・・・。俺に、カタリナみたいな力があればな・・・」

 コリンズが呟く。
 言葉にしながら彼が頭の中に思い描いたのは、軽鎧を纏い真紅の大剣を翳しながら隊の先陣を切る、女騎士の姿だった。
 現在、先の火術要塞攻略までに渡る多大なる功績により宮廷護衛騎士団長の地位に就くカタリナは、彼の直ぐ下の世代の後輩に当たる。コリンズは彼女とは、騎士団候補生時代から十年以上を数える長い付き合いのある間柄だ。
 彼女はつい先日まで、とある事情により一年弱ほどロアーヌを離れていた。その事情自体は詳しくは聞かされていなかったが、神王教団との戦の折に再会を果たした時に、大体の事情は本人から聞いていた。
 その事情はさておき、その間にカタリナが経てきた経験は、兎角、凄まじいものであった。
 一年ほど前、世界的にアビスの魔物の本格的な目覚めを感じさせた、メッサーナ王国首都ピドナにてあった「予兆」の中心に彼女はおり、その後、聖王の故郷である聖都ランスにて聖王家子孫から正式に依頼を受け、以降は四魔貴族を討伐するための旅路を歩んできたという。
 その旅の中で神王教団のピドナ支部長マクシムスが隠し持っていた幾つもの聖王遺物を奪還し、彼女は遂に四魔貴族の一人である魔炎長アウナスの居城を攻略するという伝説級の偉業を成し遂げたのだ。
 その中身には、実のところ幾つか誇張表現があり、細部は訂正するべき部分もあることは彼は無論知るところではあるが、それでも彼女が世界各地で成してきた事は紛れもない事実である。
 そして何より、神王教団との最終決戦の地であったナジュ砂漠にて彼女と再会した時、コリンズは一目彼女を見て、瞬時に理解したのだ。彼女は、もう彼の全く及ばぬ領域にいる存在であるのだ、という事を。

「聖王記に記される『八つの光』の顕現・・・か。ミカエル様は、ロアーヌよりそれが誕生したと、そう各国へと報を出した。聖王家も、それに応じて事実を認める声明を出してくれたそうだ。その効果が、今回の勇士募集に影響をしてくれればよかったんだがな・・・」

 ブラッドレーが直近の宮廷内の動きを添えながら応えるが、コリンズは相変わらず投げやりな様子のまま、幕舎の天井を見上げた。

「それでも、世界は動かねぇ。結局、いざ自分の喉元に剣が突きつけられるまで、奴らは気付きやしねえんだ・・・。今の俺たちの様に、な」

 コリンズがそう呟いた所に、まるでこれで会話は終わりだとでも告げるかのように、大変慌てた様子で幕舎へと駆け込む兵があった。

「も、物見櫓から報告!前線に獣人族を中心とした妖魔の軍勢を視認!その数、凡そ三千!」

 兵を認めたブラッドレーが、その報告に即座に反応する。

「・・・ライブラ隊を核に二層防壁陣を布陣!またフォックス隊に伝令!別方面からの奇襲に備え、四方索敵!」
「はっ!ライブラ隊が二層防壁陣にて対応、及びフォックス隊にて四方索敵、了解いたしました!」

 伝令を復唱し兵が即座に幕舎を後にしていくと、ブラッドレーは自分も前線の確認をするためにロアーヌ侯国の紋章が刻まれた腰の剣を確認し、外套を翻した。

「我々は、伝説の英雄にはなれない。だが、故国を守る英雄にはなれる。今ここでそれを証明し続けることこそが、誇り高きロアーヌ騎士としての使命だ」

 ブラッドレーがそう言うと、コリンズはそれに応えるように即座に立ち上がり、己に言い聞かせる様に深く頷いた。

「分かってんだ・・・そんな事は。俺は、この国を守る為に騎士になった。それは、俺の中の絶対的な正義だ・・・。俺も行くぜ」
「助かる。タウラス、ライブラ隊の後方支援は任せるぞ」
「了解だよ、大将」

 ロアーヌ式敬礼をしながらのタウラスの返答に、ブラッドレーは彼の性格上は仕方がないのかもしれないが、律儀にも「自分は少将だ」と真顔で訂正を返すと、それに苦笑するタウラスを背に、コリンズと共に幕舎を後にした。

 

 

 海上要塞バンガードが四魔貴族フォルネウスの潜む海底宮の攻略から遂に大陸への帰還を果たしたのは、ロアーヌとビューネイ軍の戦線が敷かれてから大凡一ヶ月半程が経った頃だった。
 突如として大地が無慈悲に引き裂かれたかのような実に荒々しい様子で、ルーブ地方とガーター地方を隔てる広大な範囲に及ぶ断崖絶壁。
 地図上では、確かにここに、海上都市バンガードがあったはずだった。
 南北の相互地域交通網が突然に断絶された事で、多くの行商人が崖を前に一度立ち往生をしては近くの漁村からの渡し船に頼っていく中、この場所にて只一人、根気強く幾日にも渡って野営を続けていたトーマスは、西太洋の向こうから遂にその姿を現した海上要塞バンガードを沖合に見つけると、しかしそれに喜ぶでもなく兎に角必死に狼煙で合図を送り、それに彼方が気付いていることを願い、相手の反応を待つ前に大急ぎで小舟を出した。
 幸いな事に船首からそれに気がついた町民の知らせで無事にバンガードへと収納されたトーマスは、そこでおよそ二ヶ月少々振りに再会を果たしたカタリナに、簡潔に現在のロアーヌの状況を説明をした。
 すると話を聞いた彼女は一も二もなく急ぎロアーヌへと戻ろうと、即座に旅支度を整え始めたのだった。
 兎に角カタリナにとっては、故国の窮地に一刻でも早く駆けつけるという考えのみしか浮かばなかったのだ。
 だがそこに更に、彼女にとってはトーマス以上に全く予期せぬ来訪者があった。
 正に皆の制止を振り切って単身ロアーヌへと向かうべくバンガードの船着場から大陸に戻らんとしたカタリナの前に小舟に乗って唐突に現れたのは、特徴的な色合いのとんがり帽子を被った、聖王記詠みを自称する詩人であったのだ。

「やぁ、またお会いできましたね。カタリナさん」
「・・・!」

 そう言って小船から降りて、やおら優雅にお辞儀をしてみせる詩人に対し、カタリナは思わず反射的に腰の剣に手を掛けようとする。
 だが、そんな様子をすら面白がる様に詩人はケラケラと声を上げて笑いながら、相変わらず剽軽な様子で肩を竦めた。

「まぁまぁ、そんな怖い顔をしないで。今まで私があなたの目の前に現れて、事態が暗転した事、ありました?」

 これまでの例に漏れず、相変わらず人を喰った様なその物言いにカタリナは当然に憮然とした表情で返すが、それでも不思議とこの詩人の言葉には渋々と従ってしまうような、ある種の強制力を感じる。
 彼女と同じく、カタリナを説得せんとその場に集まっていたトーマス、フェアリー、ハリード、シャール、ミューズが一様に突然の来訪者に対し呆気にとられていると、当の詩人は随分とあっけらかんとした様子で船着場から市街地へと向かう階段へと、周囲の様子を全く気にせず勝手に歩き出した。

「まぁこんな所で立ち話も何ですから、皆さん座って話しましょう。バンガードといえば、歴史は浅いですがグッドフェローズのハーブティーが意外と馬鹿にできない味なんですよ?」

 そう言って颯爽と市街地へ向かい歩いていく詩人に益々周囲が困惑する中、意外にも最初に彼に続いたのがカタリナだった。
 トーマスからの話を聞いて以降は周囲の誰が何を言っても一切ここまで聞く耳を持たなかったカタリナが突如として素直に従う様には再度周囲が驚きつつ、しかし皆もその後についていくことにした。

 

「さて、現在ロアーヌに訪れている危機に関してですが」

 ハーブティーと一部面々にはエールが用意されるまで、のらりくらりと幾つもの追求を躱し続けた詩人は、自らの手元に用意されたティーカップを取り上げ、香りを楽しむ様に顔の前で薫せ、一口飲んでたっぷりと味を堪能したあとで、漸く口を開いた。
 その間、丁度彼の真正面に座っているカタリナの怒りの表情が余りに鬼気迫っており、次の瞬間には詩人に斬りかかるのではないかと肝を冷やしていた一同は、彼が漸く話題を切り出したことに大変安堵しつつ、カタリナと共に彼の言葉に耳を傾けた。

「このままでは、ロアーヌは確実に滅びます」

 ガタンッ、とカタリナは座っていた椅子を盛大に蹴飛ばして立ち上がる。
 そして周りが制止する間も無く、迷わず腰にあったマスカレイドを抜き、テーブル対岸の詩人へと突きつけた。

「・・・いい加減にして。これ以上無駄口を叩くなら、問答無用で斬るわ」

 彼女の声色には、一切の冗談めいた要素が含まれていない。
 突如として起こった修羅場に、グッドフェローズのマスターをはじめとしたその場の他の客は、その只事ではない様子に遠巻きに避難した。そして緊張感が支配する店内で外野が息を潜めて件のテーブルの様子を見る中、今まさに斬りかかられようとしている詩人は全く動じた様子もなく、又してもティーをゆっくりと啜り、音を立てずにカップを置いて、にこりと微笑んだ。

「なので、今からそれを回避する為の助言をしようと思います」

 その言葉から数秒、カタリナと詩人の視線が交錯した。
 カタリナはその視線から、目の前のこの男が一体何者で、何を考えているのかを推察しようとする。
 初めてこの詩人を名乗る男に会ったのは、確かピドナのパブだったと記憶している。その時は単なる流しの吟遊詩人としか思わなかったが、この詩人との意外に早い再会は、その一週間後の早朝だった。
 朝日の差し込む港にて彼と対峙した時、その謎めいた言葉と掴み所のない動きに、彼女は自分の心と体が翻弄されたことを今も強烈な印象として覚えている。だが、後にこの時の詩人の言葉に従ったことで、この後の展開の活路が開かれたのは事実だ。
 そして三度出会ったのは、彼女がこの旅の当初の目的を果たさんとする、正にその時。ナジュの神王の塔での事だった。
 この時も確かにこの男の助力を得ることで、神王の塔へと容易に潜入することが可能となった。その結果として彼女は逆賊マクシムスを打倒し、聖剣マスカレイドを取り戻すことができたのである。
 脳内で冷静に振り返ってみれば、ここ半年程で彼の言葉に従うことが事態の進展に大きく寄与してきたことは間違いない。だが、どうしてか彼女はこの目の前の吟遊詩人が好きになれそうにはなかった。
 しかし今はそのような呪詛を吐く時ではないと思い直し、カタリナがゆっくりとマスカレイドを納刀し後ろに倒れた椅子を引き戻すと、近くの面々も一先ずの危機が去った殊に安堵した様子で息を吐き、話の続きを促す。
 その様子をすら何処か楽しむ様に辺りを眺めた詩人は、徐に懐から一枚の随分と古びた地図を取り出した。

「さて・・・敬虔なる聖王教徒であるカタリナさんは、聖王記に記された四魔貴族ビューネイの討伐譚は、勿論ご存知ですよね?」
「・・・ええ」

 詩人の問いかけにカタリナが浅く頷きながら返すと、詩人はその返答に大変満足した様に大きく頷き返しながら、取り出した地図をさっとテーブル上に広げた。

「現在ロアーヌ領を攻め立てている妖魔の軍勢は、間違いなく魔龍公ビューネイの差し金でしょう。これは正直、いくら屈強なロアーヌ軍が何度迎え撃ったとしても、事態の根源であるビューネイを打倒しない限り、キリがないです。延々とアビスゲートより生まれいでる瘴気が招く妖魔の侵攻が、ロアーヌ軍を食い尽くすまで続くでしょう。従って、力の源となっているビューネイの打倒無くして、ロアーヌ軍に勝利は無いのです」

 そう言いながら詩人の手によって広げられた地図にカタリナが無言で視線を落とすと、其処には何やら山岳地帯を示す平面図が描かれていた。

「ですが、天空の支配者たるビューネイは常に空を舞っており、地上から彼の者を相手取ろうとしても、剣は愚か、弓すらも届きません」

 まるで詩を歌い上げるかの様な調子でそう語りながら、詩人はさながら歌劇の演者の様な仕草で以って、地図の一点を指し示した。

「ですから、カタリナさんは故国ロアーヌを救う為にも、ここを目指さなければなりません」

 その古びた地図に描かれている山岳地帯は、今まさに決死の戦が行われているというロアーヌ地方の霊峰タフターン山の様子とは何処か違ったものの様だった。
 それに大凡の察しがついていたカタリナが、視線を正面に戻し、彼に応える。

「龍峰ルーブの頂・・・。まさか私に、ここに行って聖王様のように竜の助力を得ろ、って言うの?」

 詩人が地図上で指し示しているのは、このバンガードから北に向かったルーブ地方にある、龍峰の名を冠するルーブ山だった。
 聖王記に綴られる四魔貴族ビューネイ討伐の章によれば、地上からビューネイを相手しようとした聖王に対し、肝心のビューネイは全くその様子を意に返さなかったのだという。
 天空の支配者である魔龍公は、地を這う存在に興味を示さず、全く相手にしようなどとしなかったのだ。

「左様。魔龍公に相対するのは、地に足をつけていては叶わぬということ。つまり、彼女のフィールドである天空にて戦いを挑まなければなりません」

 魔龍公ビューネイの様子に、地上からの戦いが不可能と悟った聖王は、当時のルーブ山に棲まう巨龍ドーラに助力を乞う為、ルーブの頂を目指した。
 そしてその冒険の末に巨龍ドーラの協力を取り付け、聖王はドーラの背に乗り大空へと羽ばたき、天空にて魔龍公ビューネイへと挑み、遂に勝利を手にした。

「さしもの魔龍公も、人と龍との力に屈した、という伝説。貴女は、これからこの伝説を準えなければならない。そうしなければ、危機に瀕した現在のロアーヌを救う事は出来ない、という訳です」

 詩人の言葉を脳内で反芻しながら、カタリナは目を細めて考える。
 今までこの男の言葉に従った時、確かに間違いなく彼女の直面する事態は拓けてきた。
 だが今回のこればかりは、如何なものだろうか。
 この聖王記の伝説は確かに彼女もよく知っている内容であるし、それに当てはめて詩人の言う理屈もわかる。だが、今の世に於いてこの伝説を準えるには、多分に事情が異なるということも、彼女は知っていた。だから、それが可能なのかどうかが、どうしても疑わしいのだ。
 そんな彼女の抱く疑問を代弁する様に口を開いたのは、彼女の隣に座って話を聞いていたミューズだった。

「あの・・・吟遊詩人様、一つ宜しいでしょうか」
「ええどうぞ、クラウディウス家の御令嬢様」

 ここまで名乗った事もなく、また会ったことすらない相手にそう言い当てられながら、不思議にそのこと自体は疑問にも思わず、ミューズは軽く頭を下げて言葉を続けた。

「現在ルーブ山には、悪竜グゥエインが棲むと聞いています。確か十年ほど前にも、ルーブ山の麓の小さな山村を蹂躙し滅ぼしたと世間で騒がれていたのを記憶しております。貴方はカタリナ様に、その様な人に仇為す竜と手を結べと、そう言っているのですか?」
「ええ、正にその通りです」

 間髪入れずに詩人がミューズの問いに答えると、一時、その場に沈黙が訪れる。
 現在のルーブを住処とする悪竜グゥエインの存在は、この地方のみならず、広く世界に知られているところだ。
 その存在が最初にいつ確認されたのかは現存する資料も無く不明であるものの、少なくともここ百年以上はルーブを住処としていることが過去の被害情報から分かっていた。
 悪竜グゥエインによる被害はループ地方をはじめとして、ウィルミントンを中心としたガーター半島や聖都ランスを横切るイスカル河沿岸地域に至るまで、広い範囲で確認されている。
 各地に祀られていた古代の財宝の数々を奪い、街や村を襲っては人肉を喰らい、為す術ない人間を嘲笑う様に土地を蹂躙し、ルーブ山へと戻っていく。
 その被害は十数年に一度程度の周期で訪れ、その活動期の度に、世界中の人々を恐怖のどん底に陥れてきた。
 四魔貴族が居なくなったこの三百年に於いては、人類にとってはなす術のないという意味では最大の脅威と言って間違いない存在なのだ。
 その様な人類に仇為す悪竜に、人が協力を求めることなど、果たして本当に可能なのだろうか。
 その事実はその場に集まる誰しもが知るところであり、ミューズやカタリナが抱く懐疑的な思いに全員が同調する様に押し黙った。
 だが以外にもその沈黙を破ったのは、一人ハーブティーの代りにエールを勢いよく飲み干したハリードだった。

「ルーブに残された、友人の子・・・か。つまりは聖王が言っていたのが、そのグゥエインという事なのか」

 ハリードのその言葉に、カタリナとトーマスがピクリと反応する。
 彼が言ったのは、嘗てピドナのハンス邸にて集まった際に彼女らが見た、王家の指輪に刻まれた聖王の語る映像にて聞いた言葉のことだった。
 それを知らぬミューズ等はハリードの言葉に対して当然思い当たる節がなく疑問符を浮かべるが、カタリナは確かにその映像を覚えていた。
 そうなると聖王の言っていた友人とは、人間ではなく巨龍ドーラのことであったということか。
 確かに、友人の子と言われてもそれが人間ならば、当然だが三百年も生きていられるはずもない。後世に現れる八つの光に対して紡ぐ言伝ならば、友人の子というのが人間を指していることの方が寧ろ可笑しい。そうなれば確かに、辻褄は合う。

「友人・・・ですか。そうですねぇ・・・確かに聖王にとっては、巨龍ドーラは友人と呼ぶに相応しい存在だったのかも知れません。ご存知の通り、聖王は魔龍公ビューネイ討伐の後に、聖王の再三の諫めを聞かず人里を襲ったドーラをもその手で屠っています。その際、聖王が竜の命を奪った折に流した涙と嗚咽は、ルーブ山中に響き渡ったと伝えられています。聖王記にすら其処まで記されるという事は、相応の関係性が其処にはあった、と見るべきなのかも知れませんね」

 詩人は話の流れからハリードの言葉に頷きつつ、聖王記の内容に準えながら語る。
 それは恐らく正しい見解なのだろうな、とカタリナも感じた。
 あの時の映像にて最後に「友人の子」について語っていた時の聖王は、『聖王』という神格化された存在というよりも、文字通りの友人の子を心配する一人の単なる人間の様にも見えたのだ。
 その聖王に、確かに彼女は頼み事をされていた。
 ならば、彼女に用意された答えは、最早一つだけだ。

「・・・分かったわ。ルーブ山に、行ってみましょう」
「ふふ、貴女ならば、そう言ってくれると思っていましたよ」

 まるで初めからその答えを知っていたかの様に微笑む詩人に対して、その思惑通りにことが運んでいることを思うと非常に腹立たしい気持ちが沸沸とカタリナの内面に沸き起こる。しかしこれを鍛え上げた強靭な理性でどうにか押さえ込みつつ、カタリナは立ち上がった。
 そうと決まれば、ほんの一時たりとも時間を無駄にしている余裕など、ないのだ。

 

 その日のうちに改めてグゥエインとの対話を図るための準備を行いバンガードを発ったカタリナは、バンガードから上陸したルーブ地方側の最寄りの宿場町から馬を駆り、真っ直ぐルーブ山へと向かった。
 今回彼女に同行するのは、フェアリーのみだ。
 フェアリーに同行を願ったのは、竜たるグゥエインとの対話に人語以外が必要となる可能性を考慮し、その場合の通訳を頼むためである。
 そして逆にフェアリー以外に同行者を連れてこなかったのは、グゥエインに対して此方は争う意志はない、ということを伝えるためだ。大人数で押し掛けても、無駄に対象の警戒心を煽るだけだろうというのが、カタリナの考えであった。
 また抑もトーマスに関しては、どうやらカタリナにロアーヌのことを伝えることが本来の目的というわけではなく、元々はガーター半島最大の都市国家であるウィルミントンに向かう予定だったようだ。そこで、ウィルミントンを本拠地とするフルブライト二十三世に、何らかの急用で呼ばれているらしい。
 今回は偶々それと同じタイミングでロアーヌの危機をピドナで知り得、急遽ウィルミントンに向かう前に、こうしてバンガードの帰還を待ってくれていたのだという。本当に彼には、感謝しかない。
 そして如何やらミューズとシャールにも同じくフルブライトからの熱烈な招待があったらしく、トーマスと三人でこのあとウィルミントンに向かう予定だ。
 合成術を放ったウンディーネはまだ両腕の状態が芳しくなく、治療が継続して必要な状況で迂闊に動けないので、ボルカノもそれに付き添っている。
 ブラックは見かけに寄らず律儀にも今回の恩を返すために暫くは付き合うと申し出てくれたが、それならば、とハリードと共にミューズの護衛についてもらうことにした。トーマスが言うには、今後更にミューズの身辺警護は強化をしていかなくてはならないから、どの事だ。

「こうしてカタリナさんと二人で旅をするのも、なんだか久しぶりな気がします」

 馬上でカタリナの手前にちょこんと腰掛けながら、フェアリーはそう言ってニコニコと微笑んだ。馬上でそんなに喋ったら舌を噛むわよ、と言おうかと思ったが、そう言えばフェアリーは常に多少浮いているので、馬の振動は関係ないのであった。カタリナはそのように思い返し、そういえばそうね、と短く言って微笑み返す。
 フェアリーとはグレートアーチに向かう船上で出会ったので、それももう既に四ヶ月近くも前の話だ。
 あの時の密林の大冒険も、思い返せばとんでもない経験だったな、とカタリナが思い返していると、フェアリーはカタリナを見上げるようにしながら口を開いた。

「今度は、竜との対面ですね。こんな時に不謹慎ですが、私はまた新しい世界が垣間見える様で、少し楽しみです」

 一人和やかにそう呟いたフェアリーは、改めて遠く北方に見えるルーブ山へと視線を向けた。カタリナもそれに合わせて、遠くの峰を視界に映す。
 二人は、ここから五日ほどでルーブ山へと到達する予定だ。

 

 

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