第六章・5 -月明かりの下で-

 

 ロアーヌ軍制圧下の出城にて行われたロアーヌ侯爵ミカエルと神王教団教長ティベリウスの会談は、それまでの両軍が相見えた戦の数と規模からすれば驚くほど静かに、そして呆気なく終わった。
 この会談により、両軍間にて不可侵条約を締結。またロアーヌ侯国は相応の戦勝金の確保と何より神王教団領地内に在外公館を持つこととなり、それに伴う幾つかの両国間での決め事を制定した。これによりロアーヌ侯国は、神王教団の活動の制限をしない事を条件としてナジュまでの影響力を多大に有することとなった。
 そしてリブロフ軍に関し、ミカエルはこの機を逃さず大きく攻勢に出た。
 先ずリブロフ総督バイヤールの戦争責任を深くは追求せず、ルートヴィッヒへと一連の事の顛末を書状に認めて送るに留めた。ピドナの近衛軍団からすればこれは拍子抜けといっていいほどあっさりとした決着だったが、その実これはルートヴィッヒにとっては実に芳しくない着地だといえる。
 まずリブロフ軍は連敗に次ぐ連敗で完膚無きまでにロアーヌ軍に叩きのめされたという事実だけが全軍に重くのしかかり、ナジュを起点としてリブロフを睨む事となったロアーヌに対し、必要以上に怯えた。なにより総督たるバイヤールがリブロフの城門警戒態勢を戦時非常事態と同等まで引き上げた上で自室に篭りきりとなってしまったといい、現在のリブロフはほぼ軍団として機能しなくなってしまったのだ。一般渡航者の入国も規制が入っているらしく、正に戦時下と同等と言ってもいいほどだという。
 だが、それをミカエルは書の中で寧ろ大きく称賛してみせた。曰く、神王教団との共闘という過ちに気付いた後の迅速な撤退と、ナジュからの侵攻に備えた首都警備の速やかなる補強。リブロフという要所を押さえるに相応しい総督としての判断であり、おかげでこちらも後顧の憂無く、又、余計な刺激も与えずナジュの信頼を得て会談に臨む事ができた、と。
 この称賛により、ミカエルは王都からリブロフへの軍の派遣、もしくは大々的な援助や監視強化を防いだのだった。逆に今回もしロアーヌがリブロフの一連の行動を強く非難し王都ピドナに責を問えば、それは王都主導によるリブロフの現行体制の粛清とナジュ方面への近衛軍団による干渉を生むことになったかも知れない。むしろルートヴィッヒならば、それを狙っただろう。
 だが、それは今回は我々ロアーヌの役目であり、この上で後からリブロフに派兵でもしようものならば我々の会談と話が食い違い、裏切りと取った神王教団が何をしでかすか分からない。そう、暗にミカエルは書状によってルートヴィッヒに申し伝えたのだった。
 リブロフは王都の意向をを汲み、異教たる神王教団を拝するナジュ地方の監視を外からしてもらう。そして我々は直接戦勝国として神王教団と対談し、その結果拝する神こそ違えど義により彼らの信を得るに至った。故に我々は現地に在外公館を設け、内から監視をする。これによりナジュでの利益も聖王信仰諸国へと循環させ、王国の更なる発展に寄与しよう。そう、ミカエルは結んだ。
 元来メッサーナ王国を中心とする西方諸国は明確にこそ決められていないものの、その領地は爵位と共にある程度限定されている。無論未開地の開拓は当然許される範囲ではあるが、それ以外の地を侵略したり、ましてや爵位領土同士での争いなどは以ての外とされており、それは現行の法としても厳しく定められている。もしこれを破ることがあれば、王国が総出で潰しにかかる、という構図だ。つまり、侵略が許されるのは実質近衛軍団を擁する王都のみと言える。
 一方ロアーヌ侯国は西方が内海玄関口となるヨルド海沿岸ミュルスまで、そして東方はシノンを開拓しているがその先には腐海が待ち受けており、北は伯爵領地で関を設け、南には偉大なるエルブール山脈が横たわる。開拓と成長の余地は腐海を超えぬ限り既に限界が見えているといっても過言ではなかったのだ。
 だが今回の件で、ロアーヌは現状で唯一ナジュと友好的な関わりを持つことと成った。しかもその実はロアーヌが上であり、今回締結した条項の中には有事の際の相互協力も含まれている。これは終戦の流れの中でリブロフが完全に無干渉を貫いてくれたからこそ出来た構図とも言えるので、ミカエルはそういう意味では本当にバイヤールに感謝しているだろう。
 侵略ではなく、あくまで会談の末の双方合意による監視体制、そしてリブロフ総督の行動の肯定。これらにより、ロアーヌは他国に先んじて実質的な国力増強を成したといえる。
 王なき今のメッサーナ王国に、これに表立って異を唱えられる者などいるはずもなかった。これはロアーヌにとって、今までにない大きな躍進といえる。
 あとは王都での後継問題が膠着している間に体勢を確り固める事が肝要とし、明日には出城とナジュ本土に入国する部隊がロアーヌ本国より出城へと到着する予定だ。これと入れ違いに、ミカエル率いるロアーヌ軍本隊は一度ロアーヌへと帰還する。

 

 

 夜空に煌々と輝く月と星たちが、城壁の縁に立って彼らを見上げたカタリナの瞳に映し出される。
 連日の戦勝祝賀会と称した大宴会でいい加減酒の飲み過ぎですっかり出来上がった非番の騎士団仲間から、カタリナは隙を見てやっとの事で逃れてきたのだった。
 確かに祝杯が連日に及ぶのも無理はない程の勝利ではあるのだが、中でも、彼女は今回の連戦の最後の勝利を無傷でロアーヌに齎らした勝利の女神だなどと持て囃されてしまい、これにはほとほと参ったものだった。
 それを現在の主力となっている同期の騎士団仲間や年上のベテラン勢には多大に揶揄われるし、モニカの侍女となった故にあまり関わりのなかった年下の騎士団新米勢からは此方が気まずくなるくらいに羨望の眼差しを向けられてしまっている。
 特に不味かったのが、ティベリウスを案内してきたときの格好だった。
 神王の塔でのマクシムスとの戦闘でノーラに作ってもらった鎧がかなり損傷してしまったので代わりになりそうなものをナジュにて見繕ったのだが、ここでは女性兵士という概念がなく、彼女に合いそうな兵装がなかった。なので仕方なく現地の民族衣装(サリーというらしい)に肩当てや剣帯を装着し月下美人とマスカレイドを装備して、足元は聖王のブーツを装着した。
 このサリーが非常に色鮮やかで模様の豪奢な作りなもので、丁度ロアーヌの様な敬虔な聖王信仰の地では何かの儀式でもない限り身に纏わない様な煌びやかなものだった。かつ風を纏う聖王のブーツの風圧でそれが常にゆったりと靡くものだから、彼女の周りだけ空気の流れが異なるのが視覚で丸見えなのだ。
 それらが相まった姿を見た騎士団連中の誰かが言い出した『まるで女神のようだ』という言葉が拡大解釈を重ね、此度の事態を招いているというわけなのである。

(全く冗談じゃないわ。皆、本物の女神様を見たことないから私をそんな風に揶揄えるのよ)

 頭の中ではピドナのミューズの姿を思い浮かべながら、小さく毒吐く。因みに今は流石にその格好に懲りたので、アクバー峠の市場で急遽購入した白いドレスシャツと藍の色合いが美しいロングスカートの姿だ。戦闘にはどちらかと言えば不向きだが、普通に過ごすにはゆったりとしていて着心地が良い。無論のこと、剣帯は欠かしていない。
 そう言えば彼女と共にもう一人、今回の戦にて軍神と讃えられた人物がロアーヌ陣営にいたらしい。らしい、というのは彼女はその人物をそもそも見ていないからだった。しかし話を聞く限りでは、彼女は恐らくその人物を見知っていた。
 特徴的な帽子に愛用のフィドルを肌身離さず、帯剣するは聖王遺物最強の一角と目される七星剣。そんな人物は世界広しといえども、あの胡散臭い聖王記詠み以外にいるはずもない。
 詩人は神王の塔にてカタリナと別れた後、どうやら単身アクバー峠を目指したらしい。そのまま峠を抜ける折にロアーヌ軍が神王教団の軍勢に奇襲を受けているところに鉢合わせ、絶体絶命のロアーヌ軍を七星剣の力の解放により救ったのだという。そこから何故か彼はロアーヌ軍に合流して暫く過ごし、ナジュ砂漠まで戻ってきたのだそうだ。そして彼はミカエルらと共に砂漠戦の軍議にも参加し、敵陣の異変に気付いてティベリウスやカタリナを迎えるために皆が軍議を行っていたテントから出るところまでは一緒だったことが確認されていたようだ。
 だがカタリナがミカエルと再会したとき、そこには詩人などいなかった。
 元々神王の塔で別れる時も七星剣だけ持ってふらっといなくなってしまったので、カタリナ自身は彼がそうして忽然と消えてしまったことにも何ら驚きもしなかった。だが軍内では彼の離軍をとても残念がる声が多かったらしく、あんなに人を食ったような態度の割りにカタリナとしては意外だったものだ。
 未だあの詩人の正体と目的は分かっていないが、少なくとも今回は我々に加担してくれたようなのでまた会うことがあればそこは一応感謝せねばなるまいと考える。
 そこまで回想していたところで、俄かに緩く暖かい夜風がその場を吹き抜けた。その風を受けながら、カタリナは自分の腰に装着している聖剣マスカレイドの柄にそっとに手を当てつつ、改めて夜空を見上げる。
 今宵の月は格別に大きくて明るく、見る者を惑わそうとするかの如く美しい。これはまるであの夜のような月だと、カタリナは見上げながらぼんやりと考えた。
 聖剣マスカレイドを奪われたあの夜から、まだ一年も経ってはいない。しかし感覚的には随分と長い旅の末に、やっと今こうしてここに立っているという気すらする。それだけここに至るまでの旅路が今までの彼女の人生にはなかった発見と驚きの連続で、その圧倒的密度の経験を彼女の頭が処理し切れていないのかも知れない。
 だがそんな感覚に包まれていてなお、発端となったあの夜のことはまるで昨日のことのように鮮明に思い出される。
 忌むべき、自分の人生に於いて最大の汚点。そして、今の自分へと連なる出発点。
 あれからとてつもなくいろいろなことが自分の周りで起き、またそれに関わってきた。今となっては、あの夜の出来事は自分にとっては必然だったのかもしれないとすら思える。あの夜以降で、彼女の身の回りから失われてしまったものは多い。あの時マスカレイドを奪われずにあのままであれば享受できるはずだったものが幾つも、それこそ永遠に失われたのだ。
 だが、その代わりに得たものもまた多かった。旅先で出会った様々な人々、その都度に得た経験。その上で今、こうして夜空を見つめる自分自身。それらはあの出来事無くして、絶対に得られなかったものだ。
 どちらであればよかったとは、最早カタリナは思わなかった。そのどちらもが今となっては、甲乙など付け難いのだ。
 さらに言うなれば、どうやらこの先もまだまだ自分の予想し得ない事が色々と起きる予感がある。今この瞬間もまた、途中経過に過ぎない。この数日、近年には無い歴史的な戦勝に沸く騎士団仲間と共に彼女も又この旅に出ることとなった悲願を達したこと自体は素直に喜びながら、そのようなことをずっと考えていた。
 そんな中どこかあの夜に似ている今宵は、もしかしたら私の新たなる出発点なのではないか。今この瞬間が、何故かそのように感じられたのだ。
 騎士を目指すきっかけとなった死蝕が、第一の転機。マスカレイドを奪われたあの日が第二の転機。そして今日がその次、第三の転機へとなるのではないか。
 そんな事を、月を見上げながら想う。
 丁度そんなことを考えていたものだから、背後から自分へと近づいてくる気配に振り返ったカタリナは、一瞬だけ必要以上に目を見張ってみせたのかも知れない。
 そこに立っていたのは、ミカエルだった。

「・・・どうした、気分でも優れないのか?」

 カタリナのそんな表情が予想外だったので、ミカエルは軽く眉をひそめながら目の前のカタリナにそう声をかけた。
 だが、声をかけられた頃には穏やかな表情を取り戻していたカタリナは、ゆっくりと頭を振ったあとでミカエルに微笑んで見せた。もう、あの夜は来ない。あのようなことは、繰り返さない。そう、彼女は決めたのだ。

「いえ、申し訳ありません。特に体調が優れぬという訳ではなく、少々夜風に当たりに。ミカエル様こそ、お体の調子は如何で御座いますか。戦続きで大分ご無理をなされていたようだと伺いましたが・・・」

 カタリナが同期となる騎士のコリンズ達から聞いていた話を元に返すと、ミカエルは軽く口の端をつり上げるようにして笑いながら片腕だけを竦めてみせた。

「・・・全く、伝わらんでも良いことは確り伝わるものだな。心配には及ばぬ。お陰様ですっかり体調も回復した」

 ミカエルのその妙な言い回しに、カタリナは瞬きをしながら小さく首を傾げた。

「いえ、私は何も」
「いや、あながち間違いではあるまいさ」

 そう言ってなにやら不敵に微笑んで見せたミカエルは、ふと周囲に視線を走らせた。それをカタリナが特に気にするでもなく眺めていると、彼はそのまま半身だけ後ろに下がりながら、カタリナに声をかける。

「話をしたいのだが、どこに耳があるか分からぬので場所を変えたい。少々つきあってもらえるか」
「はい、畏まりました」

 ミカエルの申し出に二つ返事で頷いたカタリナは、その返事を聞いて歩き出したミカエルに続いてその場を後にした。

 

「トゥイクのワインも、意外と馬鹿に出来なくてな」
「ふふ、トゥイクといえば赤が主流でございますしね。ミカエル様好みのものも多いかと存じます」

 監視を主な目的として建てられたであろう出城の中ではどうやら客間に当たるのか、案内された部屋は他の無骨極まりない場所に比べれば幾分か落ち着けそうな空間だった。
 既にデキャンタージュされていた赤ワインをミカエルが自らグラスに注ぎ入れ、カタリナに差し出す。それを会釈しながら受け取ったカタリナは、自分でも不思議に思うほど落ち着いた気持ちでその場に居られることに内心驚いていた。
 旅の最中はあんなにも焦がれる気持ちに振り回されたというのに、再会してからはまるで、そんな事実が全くなかったかのように自分の中の気持ちが穏やかになっている。
 つくづく現金なものだなぁ、と内心呆れてみる。

「特にこのトゥイク北西地区の固有品種で作られた銘柄が中々好みでな。ロアーヌにはない味わいだ」
「ええ、私も多少なり存じております。リブロフではワインの王様、王者のワイン等と呼ばれているようです」
「ほう、王者のワインか。悪くないな」
「ええ」

 他愛のない会話の掛け合いをしながら、お互いにグラスを掲げ、ワインで唇を潤す。
 ジビエによく合いそうな濃く深みのある口当たりは、ロアーヌのワインが持ち味とするシルクのようなエレガントさとはまた違って非常に男性的な味わいに感じられる。テーブルに用意されたブルーチーズも現地のものと見受けられ、塩分の強い味わいがまたワインと良く絡み合う。

「・・・漸く、ゆっくり話せるな。では、聞かせてくれないか」
「はい」

 ミカエルの問いかけにしっかりと頷いたカタリナは、少々俯いて手元のワイングラスの水面を見つめた。話すべき事はわかっているのだが、果たして何から話していいのかと一瞬考えてしまったのだ。それだけ話したいこと、話さなければならない事が多すぎるのだ。
 ミカエルはそんな様子のカタリナを急かすことも無く、ゆっくりとグラスを傾けながら彼女の言葉を静かに待った。
 やがてある程度筋道立てが済んだのか、カタリナは再びミカエルと視線を交わらせる。

「まず最初に、差し出がましくもお許しを頂きたい事が御座います」
「聞こう」
「聖王遺物である国宝、この聖剣マスカレイドの御返上。これを今暫くお待ち頂くことを・・・どうかお許し頂きたいのです」

 言葉と共に己の剣帯から優雅な装飾の鞘と共に取り外した聖剣マスカレイドをテーブルに置くカタリナに、対するミカエルはその動作を目で追いながら薄っすらと視界を細める。

「重ねて、理由を聞こう。恐らくは、その王家の指輪と関係があるのであろうがな」

 続いてカタリナの左手に嵌められた指輪に一瞬だけ視線を走らせながらミカエルがそう言うと、カタリナは肯定の証として先ず小さく頷いた。

「はい。これは当初はピドナの魔王殿にて入手した物ではありますが、後に聖都ランスに赴き聖王家当主オウディウス様とお会いして入手の経緯等をお話しした折に、その場の結論として暫く私が預かる事となりました」
「・・・つまりはカタリナが八なる光の一人、ということなのか」
「・・・そのようです」

 大凡を察していたらしいミカエルの言葉を、隠すことも無く素直に肯定する。それからカタリナはロアーヌを出てから今までのことを一つ一つ、ミカエルに聞かせていった。
 ミュルスでトーマスに出会ってから旅が本格化し、聖王三傑と称された初代メッサーナ国王パウルスの子孫であったということが後から分かったクラウディウス家のミューズとの出会い。ピドナの魔王殿で出会った正体不明の少年や、地下迷宮でのアラケスとの対決。フルブライト家現当主であるフルブライト二十三世との邂逅と、ベント家のバックアップを受けながらの世界経済への参入。アラケスの予言を受け手がかりを求めて聖都ランスへの巡礼と、オウディウスやヨハンネスとの出会い。そしてその旅路で出会った仲間の内何人かがピドナに集った折、八つの光として恐らくミカエルと同じ幻を共有したこと。
 そこまで話し、カタリナはここでこれも言わなくてはなるまい、と意を決して姿勢を正した。
 カタリナの様子の変化を見て取ったミカエルが視線で続きを促すと、カタリナは一度ワインで唇を濡らし、ミカエルの瞳を見つめた。

「私と共にピドナにてその幻を見たのは奇しくも、あのゴドウィンの変の折に宮廷の謁見の間に集った勇士達でした。即ちハリード、トーマス、ユリアン、エレン、サラ、そして・・・モニカ様です」

 その言葉の終わりと共に、静寂が部屋の中を支配する。
 正直、どんな反応が来るのかも分からなかった。ただトーマスやポールが調べた限りではロアーヌ侯家の公式発表上はモニカは数ヶ月前から消息不明となっていた以上、ミカエルの理解もその筈だと考えていた。そうなれば少なくとも、ここでのモニカ生存の報告は驚きが主な反応かとは予想していた。ただその後で色々モニカについては語らなければならないことも多く、非常に頭の痛い話題であることには違いがなかったのだ。
 だからこのあとに見たミカエルの反応は、カタリナにとっては全く以て予想外だった。
 なにしろモニカの名前を出したあとの静寂の後に、なんとミカエルはにやりと笑って見せたからだ。

「・・・ミカエル様?」
「私も、お前には話しておかねばならんことがあってな」

 カタリナの問いかけに、ミカエルは肘掛に片肘を立てつつそう言いながらもう一度、今度は少し悪戯っぽく笑ってみせる。その表情があまりに堂に入ったものであったから、カタリナは思わず視線を合わせ続けることが出来ずにワイングラスに視線を落としてから見上げるように彼を見た。あまり心臓に悪い表情はやめて頂きたいものだ。

「と、申しますと・・・?」
「モニカのことは、少なくともピドナにいる事は知っていたのだ。大凡の様子も分かっていた。何しろ、あの地には間者を放っているからな」

 因みにカタリナの社長姿の記事も見たがスーツ姿も意外と似合っていたぞ、とミカエルがいよいよ声を抑えられなくなったか、ふっと笑いながら言う。
 その言葉に、カタリナは瞬間沸騰したかの如く一気に耳まで赤くなりながら俯いてしまった。あのスーツ姿を、まさかミカエルに見られてしまっていたとは・・・余りの恥ずかしさに顔を合わせられる気がしない。
 いやいやそういうことでは無いだろう、と大慌てで思考を脳内で切り替える。

(確かに、考えてみれば普通の話だわ・・・そもそも各国に間者を放つのは今の時勢では当たり前の話だし、それこそ発行部数世界一と言われるメッサーナジャーナルの紙面に彼処まで大々的に乗れば、私の顔を知っている人間に伝わったって何ら可笑しくもない。当然そこで私もピドナの間者の観察対象に入る事は当然の成り行きであり、っていうかあれだけ変装の下手くそなモニカ様が見つからないわけもない。あぁ、くそとか言ってしまいました申し訳ありませんモニカ様・・・)

「・・・そうでしたか。寧ろ、それを聞いて安心致しました。私も急ぎミカエル様にお伝えせねばとは考えていたものの儘ならず、申し訳御座いませんでした」

 自分の話題には極力触れないようにしながら、ほほえみを作りつつ無難に返す。その返答にミカエルは再度肩を竦め、顎に手を当てた。

「まぁ、更に言えば先にメッサーナベント家からモニカの無事だけは知らされていたので、ピドナで確認したときもそこまで慌てはしなかったのだがな」
「ベント家・・・トーマスですね」

 どうやら、これに関しては先にトーマスが手を打っていたようだ。相変わらず痒いところに手が届く絶妙な補助をしてくれる。

「トーマス、か。なかなか面白い男よ。馬鹿正直に、ピドナにて匿っていると伝えてきた。此方が情勢的に王都に対して大それた動きはできないことも考えの上だったのだろう。それに最強の護衛集団が身辺警護をしているので身の安全は世界一保証する、とまで来たものだ。まぁ、ユリアンは元よりカタリナやトルネードまで居るのであれば、それも間違いではあるまい」

 いつになく上機嫌な様子でそう話すミカエルに、カタリナは恐れ入りますと首を垂れた。
 しかしそこでミカエルがふと黙り込み、それに合わせてカタリナも口を噤む。ワイングラスを傾けたミカエルはグラスをテーブルの上に置くと、真っ直ぐにカタリナを見つめた。

「お前はその聖剣マスカレイドで、何を成すのだ?」
「四魔貴族を、討ちます」

 言葉に一切の淀みなく、カタリナは即座にそう答えた。
 神王の塔の地下にて聖王遺物に触れたとき、彼女は確かに感じ取ったのだ。聖王遺物は、まだ己の役目が終わっていないことを強く示していた。聖王が後世に残した伝説の武具達は寧ろその輝きを増すばかりであり、それは聖剣マスカレイドもまた、そうだった。まるで眠っていた力が呼び起こされたかのように、マスカレイドから感じる力はゴドウィンの変の頃よりも強大に感じる。
 それに、彼女は聖都ランスにてヨハンネスにも約束をした。妖精族の長からも、討伐を頼まれている。何より、騎士として魔神アラケスに負けたままでいるわけには、いかない。自分に出来るところまではやってみようと、そう覚悟したのだ。
 そんなカタリナの返答を聞いたミカエルは、小さく頷くと座っている姿勢を正した。

「いいだろう、返還の延期を許可する。己が決めた道を進むがよい」
「有り難う御座います」

 再び頭を垂れるカタリナに対し、ミカエルはふと腕を組んで考えるような仕草を見せた。

「しかし・・・私が見た幻を顧みる限り、恐らく私も八なる光という解釈になるわけか」
「・・・はい。ただ先ほど申し上げた通り、私が知る限りでは指輪の記憶を見たのはミカエル様が恐らく九人目となります。聖王記に記されたパウルスの予言と異なる状況となっておりますので、これは伝説そのものに変化があったのかとは考えておりましたが・・・」

 これに関しては、やはりカタリナが自分で考えた限りでは明確な答えが出てこなかった。少なくとも聖王自身は記憶の中では八人に語りかけていたのだから、本来からすれば誰かが招かれざる者のはずだ。とはいえ、話を聞いた限りでは彼女の周りで同時に幻をみた面子は全員が同じ幻を見た。だとすれば魔王殿で出会った謎の少年が最も怪しいのだが、残念ながら件の少年とはあれ以来一度も会っていない。容姿は非常に特徴的だったのでトーマスに伝えた上で探してもらってもいるのだが、発見されたという報告もない。

「人数についてはさておき、私も八なる光の一であるのならばカタリナの進む道に向かわねばならないはずだ。少なくとも聖王様はそう望まれていたように見えた」
「ご質問をお許し下さい。ミカエル様は、あの幻を何処まで聞き取れたのでしょうか。私などには、残念ながら肝心と思しき部分が殆ど聞き取れず終いでした」
「それでは恐らく一緒だな。宮殿と思しき場面はまだ聞き取れたが、中空に浮かぶような幻覚の中では聖王様の声は掠れて意味のある言葉としては聞き取ることが出来なかった」
「・・・左様で御座いましたか。有り難う御座います」

 ミカエルの返答から自分や他の面子がピドナで見たものと同じであろうと考えたカタリナは、やはり別の方面から見ていく必要がありそうだと感じ、胸の下で腕を軽く組んで思案した。
 因みに、もしかしたらこの場合ミカエルと共に自分が旅をする等という展開がありうる物なのだろうか。そんな考えが彼女の頭の片隅を過ぎったが、そんなことになったら自分は果たして毎日正気を保てるものなのだろうか、と悶々としてしまう。
 斯様にカタリナが微妙にワイン漬けになった頭で考えていると、ミカエルはグラスを傾けた後に目の前のカタリナと同じように腕を組み、ふぅむと唸った。

「しかし、何故私やカタリナ、そしてそれらの面々が八なる光として選ばれたのだ?」

 当然出てくるであろうその疑問に、カタリナは明後日の方向に飛んでいた思考を引き戻して彼に向き合い、残念そうにゆっくりと首を横に振った。

「それに関しましては私達も考えを巡らせてみましたが、依然として不明です。寧ろミカエル様やモニカ様であれば聖王三傑たるフェルディナント様の直系の血脈であらせられるので納得もいこうというものですが、私やハリード、シノン出身の面々等は一体何故選ばれたのか・・・」

『邪悪なるものを封じる』とされるものが国や軍ではなく八人であることの理由を語った詩人も、そこばかりは分からないと言っていた。勿論それが本当なのかどうかすらカタリナには分からないが、少なくとも今は未だ知ることが出来ない段階であるようだ。それは以前に妖精の里の長の反応から見ても、間違いなさそうではあった。
 カタリナのその様子を見ていたミカエルは一つ頷くと、自分とカタリナのグラスにデカンタからワインを注ぎ足した。

「まぁ、分からぬのならば今考えても仕方あるまい。本当に我々が八なる光であるのならば、いずれその理由も分かるであろう。続きを聞かせてもらえるか?」
「・・・はい」

 存外軽くその話題を流したミカエルに短く返答したカタリナは、ピドナでモニカと再会して以降のことを話して聞かせた。
 グレートアーチへと神王教団の手がかりを求めて向かった事、その途中で船が魔物に襲われ、混乱の中でフェアリーと出会ったこと。漂流の末に辿り着いた密林で妖精の里に招待され妖精の長と会話をしたこと。フェアリーと共にグレートアーチへ赴き、現地人の協力を得てピドナに戻り、カンパニーの上半期決算報告会の中で敵の誘き出しに成功しマスカレイドの行方を遂に知ったこと。神王の塔でのマクシムスとの対決により聖王遺物の多くを回収したこと。
 ミカエルに対しそれらの出来事を話して聞かせながら、カタリナは我ながらこの数ヶ月は矢張りとんでもなく濃い時間であったなと再認識した。
 道中で詩人と会ったことなども踏まえながら話し、ミカエルが時折挟んでくる感想や質問に応えながら時間が過ぎてゆく。
 気がつけばデカンタの中身はとうに無くなり、トゥイク地方の伝統的な食後酒とされる蒸留酒を頂きながら今後の動きについて話し合っていた。

「現状動きが確認されている四魔貴族は、アラケスとアウナスです。とはいえアラケスは先のピドナで起こった『予兆』以降の動きは分かりませんが、アウナスは妖精族に対して継続的に攻撃を仕掛けているようです。アラケスは魔王殿地下にいることは確認しており、アウナスの居城とされる火術要塞は、恐らく妖精族の力を借りればたどり着くことは出来ると思います」
「アウナスは、伝説に寄れば魔道にも通じた炎の騎士であるという。挑むにあたり準備が必要ならば協力は惜しまぬが」

 ミカエルのその申し出に有り難く感謝の意を述べながら、しかしカタリナは軽く首を横に振った。

「まだ四魔貴族に対する手段に関しては調べていく必要がありますので、もしお力を貸して頂きたい場合は必ず申し上げます。ことアウナスに関しては妖精族がよく知っていると思いますので、近く現地に赴き話を聞いてみるつもりです。聖王遺物の多くを手にした今ならば、あるいは即座に動けるかも知れません」
「そうか。では私はタフターンに目を光らせながら己のするべき事をし、お前の言葉に何時でも応じられるようにしておこう」
「有り難きお言葉。一刻も早くマスカレイド返還を成すべく、尽力いたします」

 そういって再度ミカエルに頭を下げ、グラスを傾けようと手に取った、その矢先であった。

「・・・・!?」

 唐突に頭の中に直接地震が起こったかのように視界が大きく揺らぎ、体が平衡感覚を失う。
 手から放たれた床に落ちたグラスが砕け散る音を遠くに聞きながら、カタリナは己の体を必死に支えるようにテーブルにしがみついた。更に遠くからミカエルのものと思しき声が飛んでくるが、それに応えようにも声を出すこともままならぬ視界の揺れが立て続けに襲ってきて、それどころではない。まさか酒にでも酔ったのかと馬鹿げた考えが一瞬脳裏に浮かぶが、直ぐに否定する。酒に酔ったことは幾度とあるが、こんな現象は体験したこともない。
 そうこうしているうちに、やがてぐるぐると回転を続ける視界が段々と落ち着いていき、その代わりにどこからか声が近づいてきた。

《・・・・さん・・・ナサン・・・タリナさん、聞こえ・・か・・・カ・・ナさん!》

 覚えのあるその声は、耳を通さず直接脳内に語りかけてきているようだった。その声をぐらつく脳で必死に思い出し、必死の思いで口にする。

「・・・フェ・・・アリー・・・?」

《カタリナさん!》

 遂にはっきりとその声が聞き取れたと思えば、一瞬にして視界は正常を取り戻し、ミカエルに支えられて椅子から崩れ落ちていた彼女は即座に立ち上がっていた。

「フェアリー? 一体どうしたというの?」
《説明は後です! 森が・・・大樹が・・・! 外を・・・!》

 片手を側頭部にあてがいながら脳内のフェアリーの言葉に耳を傾け、中空に向かってしゃべるカタリナ。
 その様子を見て怪訝な顔をしていたミカエルは、しかしそのままカタリナが慌てて部屋の外に駆け出してしまったので兎に角追いかける事にした。

(フェアリーとは先の話題に出てきた妖精族か。あの様子は遠方から何らかの力を用いて会話をしている・・・と言ったところか。一体、何が起こった・・・?)

 そのまま城壁部分まで出たミカエルは、物見塔の上に登っていくカタリナを見つけてさらに追いかける。
 そしてその塔を登りきると、カタリナが出窓の縁に乗り出さんほどの勢いで、南西の方角を見つめていた。
 つられて、ミカエルもその方向に視線を走らせる。
 その先に見える光景は、空に向かって昇り立つ赤い炎と、禍々しくうねる黒煙。
 それらが、夜空を犯していた。

「・・・何ということだ。カタリナ、まさか今燃えているのは・・・」

 ミカエルがそう言いながら彼女に視線を投げかけると、カタリナはミカエルに向かって苦々しい表情を浮かべながら頷いた。

「・・・妖精の里です。アウナス軍が妖精の里の母体である大樹を覆う結界をうち破り、大樹に火を放ったそうです・・・」

 そう言ってまたカタリナは頭に手を当て、歯をくいしばるような表情で南西を見つめた。恐らく、頭の中ではフェアリーと会話を続けているのだろう。
 ミカエルはカタリナを横目に塔の下に一度降り、二人の動きに反応して付いてきていた衛兵を呼んだ。

「ブラッドレーに通達。現在駐屯している部隊の中から至急、一小隊の編成を。密林調査を任務とする。三分隊で編成後、明朝出立準備をして待機」
「復唱します!一小隊を三分隊規模にて編成、主任務は密林調査にて明朝出立待機、以上をブラッドレー様に伝達いたします!」

 復唱にミカエルが頷くと、衛兵は即座に反転し駆け出していく。
 そのすぐ後に階段を駆け下りてきたカタリナに振り返ったミカエルは、状況を問うた。

「妖精族がアウナス軍相手に応戦中との事ですが、迫る火の手には殆ど対応のしようがない様です。一時的に避難をしているそうですが・・・」
「里は持たぬのか」
「・・・・・・。・・・はい、恐らく持たないだろうとフェアリーが・・・」

 カタリナの言葉に視線を細めたミカエルは軽く胸の下で腕を組み、垂れてきた己の髪を片手で掴んで軽く引っ張るような仕草を交えながらどこか一点を見つめた。彼が何かを思案するときの癖だった。

「長は、まだ無事でおられるのか?」
「・・・。はい」
「この先の戦いに妖精族の助けなくしてはアウナス討伐は成せぬだろう。どうにか長が逃げ果せるようにと。こちらから直ぐ一小隊を派兵する。救助に向かいたい」
「・・・伝えてみます。・・・・・・お願いしたい、と」

 カタリナの言葉にしかと頷いたミカエルは、カタリナについてくるように仕草で伝えると兵士たちの集まるホールへと向かって早足で歩き出した。
 その間にもカタリナを通じてフェアリーに細かく状況の確認を挟みつつ、頭の中でどう動くべきかを構成していく。
 急ぎ足で入ったホールには、既に整列をした兵士たちがミカエルを待っていた。散々飲んでいたとは思えぬその整列ぶりは、彼らが矢張り日々精神鍛錬も含めて鍛え抜かれた軍団であることを表している。
 その先頭に立っていたブラッドレーが、ミカエルの前まで進み出て敬礼をする。

「小隊はフォックスのシーフギルドを中心に軽装での行軍を可能とするように組んでおります。分隊それぞれにコリンズ隊から早馬を当てがい、拠点駐屯地形成時に連絡を素早く飛ばせるようにしております」

 ブラッドレーの報告にミカエルは短く頷く。そして彼はその場の全員を見渡しながら声を張り上げた。

「もう外を見た者もいるだろう。今、南方の密林にて遂にアビスの魔の者たちが動き始め、現地で妖精族が襲われている。我々は敬虔なる聖王教徒として、三百年の昔に聖王様と共に戦った盟友を助けなければならない。現在妖精族はその長がなんとか逃げ果せているところのようだ。選抜部隊は明朝暁に本拠点を出立、妖精族の救助に向かう。残りの者は本拠点を仮の救助本部とし、救助隊やロアーヌとの連携を取れ」

 そこでミカエルが一旦言葉を切ると、その場の全員がロアーヌ式敬礼をした。

「救助部隊の指揮はコリンズとフォックス、本拠点での指揮官はブラッドレーが引き続き任務に就いてくれ。カタリナは救助部隊と共に現地同行を頼めるか」
「御意に」

 カタリナがミカエルの言葉に即座に頷くと、ミカエルは明朝出立に備えての散会を指示した。

 

 

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第六章・1 -砦の戦い-

 

 アクバー峠を望む出城の物見塔の縁から、よく使い込まれた様子の騎士鎧に身を包んだ男が顔を出した。ゆっくりとした仕草でここ数日続いている見事な晴天を仰ぐと、そこから次に視線を落とし、遠く広がるトゥイク半島へと視線を向ける。
 半島に沿って大きな湾を形成している眼下の海は、普段の陽気な様子と違ってすっかり成りを潜めたように動きがない。一つの波風も立たぬその様子に、男はそれが気に入らない様子で低く唸った。

「・・・凪、か。不気味だな。こんなに静かなのが、逆に気持ち悪い」

 その呟きは誰に対して発せられたものでもなかったものなのであろうが、男の後ろから塔を登ってきたもう一人の男が、ひょっこりと顔を出しながらその言葉に続いてみせる。

「確かに、不気味だぁな・・・まぁぼちぼち、くるだろうな」
「・・・コリンズ」

 声に振り向いた男は、昔馴染みの戦友を見て取ると肩を竦めた。

「ブラッドレー、お前は少し張り詰め過ぎだ。戦前に休んでおけよ」

 同じく半島の方へと視線を向けながらコリンズが言うと、ブラッドレーは同じ方向を向いたまま生返事を返した。

「あぁ・・・。なぁ・・・コリンズ。お前はこの戦、どう思う?」
「どう、って?」

 そこで改めて視線をブラッドレーに向けたコリンズは、突然の質問の意味を理解しかねて問い返した。ブラッドレーという男は以前からそんなに表情が豊かな男ではないとコリンズは認識していたものだが、今日のこの男は特別表情に抑揚がない。これは何かにつけ考え込むことが多い彼の、特に難しいことを考えているときによく現れる特徴だった。

「今回の戦はリブロフ軍の奇襲に端を発した連戦だが・・・俺には、この戦がそれだけのものとはどうにも思えないんだ」
「・・・どういう事だ?」

 コリンズが首を傾げると、ブラッドレーは塔の縁に肘を置いて楽な姿勢を取りながら視線を細めた。

「逆賊ゴドウィンの一件からこの半年あまり、以前とは比べものにならない頻度で戦が続いているだろう。それこそ親父の代なんざ、精々年一の魔物討伐が毎晩聞かされる定番の武勇伝だったっつーのに、だ。とんでもない変化量だと思う。起こった戦の一つ一つは一見無関係に見えるが、はたしてこんな短期間に斯様な偶然があるものだろうか・・・?」

 ブラッドレーが口にした疑問を聞き、コリンズはふぅむと腕を組んで唸った。
 今から半年以上前、当時のゴドウィン男爵がミカエル候に対して謀反を起こした直後に一つの騒動が宮廷内であり、その結果彼らの同期が一人ロアーヌを去る事態となった。
 そしてその直後に、まずロアーヌ近隣に居を構える傭兵団から資金難の相談がロアーヌ宮廷に届いた。
 しかしその内容はお世辞にも相談などとは言えぬような挑発的なものであり、援助がなければ城下町まで攻め上がる、といったものだった。それは誰が見ても明らかに内乱直後の不安定な時期に揺さぶりをかけにきた形だ。
 それまで長年穏健派で過ごしていたロアーヌの臣下らはこの出来事に当然の如く資金援助による解決を侯爵に具申するも、侯爵はこれを棄却。
 結果凡そ四千もの軍を成してロアーヌへと攻め上がった傭兵団を相手取り、同数程度の兵力ながらも用兵の妙を用いてロアーヌ軍は圧倒的な勝利を収めた。

「そういえばあったなーそんなの。パッペンハイムのおっさんは、俺あんま嫌いになれないんだよなー」
「そりゃあお前、あそこの団長お前と同じく速攻好きだから気が合うだけだろう」

 コリンズの言葉に、ブラッドレーはそう応えながら笑った。
 その傭兵戦のすぐ後には、なんとゴドウィンの親族を名乗る何者かからゴドウィンが治めていた領地の管理権譲渡を迫られた。
 侯爵は書状を見て呆れ返って無視したものの、後日その男が隊列を成して城下町に進軍しているとの報を受け、これをまたしても同程度の軍勢を率いて徹底的に蹂躙する。

「なんだっけ、あいつの名前。ジーパンみてーな名前のやつだよな。リーヴァイスだっけ?」
「・・・エドウィンだ」

 立て続けに起こったこの二戦で圧倒的な力量を周辺国に知らしめたロアーヌだったが、これまでとは明らかに異なる好戦的なその姿勢に過敏に反応して牙を向いたのが、ロアーヌ周辺を根城としている野盗の大軍であった。
 ロアーヌより北方に広がる森林にて行われたこの野盗討伐戦は、それまでの連戦を明らかに上回る過酷さだった。
 しかし三度に渡って軍勢が衝突したこの戦いでは地の利を生かしつつ更に三倍近い兵力を用いて挑んだ野盗軍に対し、なんとミカエルはその全ての戦略を見抜いて砕き、敵味方共に被害を最小限に留めて勝利を収めてみせた。
 この結果に誰より心酔したのが野盗団幹部の面々であり、今や彼らは野盗ではなく北方やシノン方面の開拓を兼ねた駐屯兵として雇用されている。
 更に一部の面々はシーフギルドとして組織立てられ、侯爵のために様々な活動を行っているという。

「フォックス・・・可愛いよなぁ。あのクールな感じがたまらん」
「・・・俺はラビット派かな」

 これらの連戦が終わって一月ほどした頃だったか。
 連戦連勝に気を良くした臣下の具申により、ロアーヌ軍は幾つかの状況を想定した軍事演習を行う事となった。これはミカエル侯も以前より考えていたようで話が決まると速やかにスケジュールが組まれ、それぞれ環境の異なる三つの進路を定めて行軍演習を行った。
 実戦形式の演習ではなかったのだがそれぞれのルートで魔物の大軍と鉢合わせる等のハプニングがあったが、この時に明らかにそれとは異なって団旗を掲げぬ謎の軍勢とミカエルの本隊は交戦することとなった。
 無論の事無難に勝利を収めたミカエルであったが、その軍の正体はその時点では結局分からずじまいであり、後日に発覚したのはそれがリブロフ軍だったということだ。

「今回の三連戦も矢張り、ミカエル様の用兵は凄まじかったな。沼地の隊列変更もそうだが、ここの投石機の速やかな弓部隊による殲滅は鮮やか過ぎて、俺達ですら戦況を把握し損ねるところだった。リブロフの奴らも慌てて突撃してきたしな」
「・・・しかし此度の連戦はかなりお体に負担がかかったことだろう。それをなかなか我らに見せぬからな、侯爵様は。今回だって我ら五人がかりで迫って漸くロアーヌに休養を取りに帰ってくれたが、あれも最後ラドム将軍が跪いて頼み込まなきゃ帰らなかったと思う」

 そうしてミカエルをなんとか休養させるために一度ロアーヌへと返し、その間攻め落としたこの出城の守備を任された指揮官がこの二人、コリンズとブラッドレーだった。
 二人とも逆賊ゴドウィンの討伐任務からミカエルの指揮する本隊所属として従軍し、目覚しい戦果を上げている。
 他にもライブラやパットン、タウラスといった筆頭騎士も彼らと同じ世代に名を連ねており、現在のロアーヌ騎士団の核となる面子である。

「連戦がどうなのかは俺にはよく分からんが・・・しかし今回の敵がリブロフなのって実際、お前はどう思う?」

 コリンズが欠伸を噛み殺しながら伸びをし、姿勢を戻しながらブラッドレーに視線と共に疑問を投げた。

「・・・それはつまり、ルートヴィッヒが背後にいるかどうか、ということか?」

 ブラッドレーが返した問いに、コリンズは浅く頷いた。
 それを確認して目を細めながら外に視線を戻したブラッドレーは、数拍おいてから口を開く。

「・・・俺は、ないと思う。奴がメッサーナの王位を得るのに、俺たちに喧嘩を売って弱体化させることの意味が見出せない。勿論、穿った見方をすれば幾らでもこじ付けは可能だろうが・・・俺にはルートヴィッヒという男が悪戯に敵を増やすような真似をする人物には思えない」
「成る程な・・・でもよぉ、かと言ってリブロフの独断とは考え辛いよな」
「だな」

 近年のトリオール海以南の情勢は、以北に比べて安定していた。
 しかしそれはメッサーナ王国リブロフ軍により齎されたものではなく、その最も大きな要因は間違いなく神王教団の存在であった。
 リブロフは元々ルートヴィッヒが総督をしていたが、五年前の内乱を機に現在はその後継としてバイヤールという人物が統治を行っている。
 彼らと神王教団の関係値はルートヴィッヒのそれを完全に模倣したもので、その治安維持から経済相互補助に至るまで密にやり取りを行いながら、ピドナとの連携を図っている。
 しかしその一方で近年、リブロフが密かに軍事増強を行っているという話は何処からか漏れていた。

「私欲なのかねぇ」
「・・・かもな。誇りの伴わぬ権力に意味などないというのに・・・メッサーナの連中はどいつもこいつもお目出度い」

 心底呆れた様子でブラッドレーがそう言うと、それに同意の意を示しながらコリンズは塔の縁に背中から寄りかかった。

「ミカエル様がお強いのもそうだが、そもそも奴らの戦争動機が腐ってるから俺たちの相手にならん。驕りはしないが、事実リブロフ軍に負けるなんて事はない。が・・・怖いのは奴らか」

 そう言ったコリンズは、南東に広がる広大な砂漠へと視線を向けた。燦燦と照らされた太陽の光を吸収して揺らめく砂漠の向こうには、物見の塔の上である彼の位置から微かに建造物らしきものが見える。
 今やナジュの実質的支配者となっている、神王教団の本拠地だ。
 その視線に倣ったブラッドレーはその塔の先端を睨むように見つめた。

「・・・恐らくリブロフが手を組むとしたら、十中八九奴らだ。古都ナジュを滅ぼした勢いは、今もまだ健在だろうな」
「今の情勢では、間違いなく一番厄介な相手だろうなぁ。どうなる事やら・・・」

 そう言ってコリンズが肩を竦めた瞬間だった。

 南方独特の音色を持つ角笛の音色が突如として辺りに響き渡ったかと思うと、それは点を線で繋いでいくように南へと向かって次々に木霊し、伝達して行った。
 やがてそれは幾重にも重なる重奏となり、そして遠方から巻き上がる砂埃がそれらに応えた。
 血相を変えて塔の縁から南方へと身を乗り出し視線を凝らしたコリンズは、山間の陰から突如として現れた軍隊がこの出城へと向かって進軍を開始した様子をしっかりと確認した。

「・・・噂をしてりゃあ来やがったな! おーい、聞こえるかー!!」

 塔から下に向かって叫ぶと、別箇所から状況を見ていた兵士がすぐに反応をした。

「籠城戦だからな!しっかり投石機を使っていくぞ!狼煙を上げてこの事態を宮廷に知らせろ!」

 その指示に兵士が頷き、投石機の配置された城門へと向かった矢先だった。コリンズの横で同じく血相を変えたブラッドレーも身を乗り出し、大声を張り上げて兵士に停止を呼びかけた。

「待て!今の角笛・・・どこから鳴った!?」

 その言葉を聞いた兵士が怪訝な顔をしたのも束の間だった。城門の方面から飛来した矢に頭を射られた兵士はびくりと震えた後に崩れ落ち、血溜まりをその場に作って事切れた。そしてなんと、直後には出城の城門が重苦しい音を立てながら開き出したのだ。

「・・・なっ!?」

 何が起きたのか分からないと言う風に驚き声を上げるコリンズ。籠城戦といった矢先に城門が開いた状態では、どうぞ攻め込んでくださいと言っているようなものだ。コリンズの横でブラッドレーは苦虫を噛み潰したような顔をし、直後に急いで塔を下っていく。丁度そこに大慌ての様相で駆けつけた後続の兵士が塔の入り口にいたブラッドレーを見つけ、必死の形相で叫んだ。

「ブラッドレー様!侵入者です!城門部屋を奪取されました!」
「馬鹿な・・・くそ・・・!!」

 彼が考え得る限りでは、間違いなく最悪の展開だった。先ほどの角笛は城内、それも籠城の要となる城門から発せられたものであったのだ。城門の操作が出来ぬとなると、当然ながら籠城どころではない。しかし自軍はこの出城での攻防は籠城戦を想定し兵装や人数等も調整をしており、打って出るには心許ない状態であった。
 ブラッドレーが奥歯をかみ砕いてしまうのではないかと思われるほどの形相で考えを巡らせているところに、同じく塔から駆け下りて来たコリンズが南の城門とは逆を指し示す。

「ブラッドレー、俺が北東側から兵を出して迂回し南門前に展開する。お前は城門部屋奪還を!」
「・・・承知した。死ぬなよコリンズ!」

 一瞬の間の後に発せられたブラッドレーの言葉に手を上げて応えたコリンズは、そのままにやりと笑うと大急ぎで兵舎へと向かっていった。
 前には大軍、そして後ろには占領された城門と投石機。その中で時間を稼ぐとなると余りに危険な役目だが、コリンズは自らそれを買って出たのだ。
 ブラッドレーは勇気ある戦友の行動を無駄にしてはならないと自らを奮い立たせ、直ぐ様兵士に指示を飛ばした。

「投石機は絶対に使わせるな!物見塔三カ所に3名配置し城門上を短弓で狙え!剣戟隊は末席二部隊を残して全てコリンズ部隊長に続け!あとの二部隊は城門部屋の奪取!俺に続け!」

 矢継ぎ早に飛ばされた指示を兵士は瞬時に理解し、迷いなく仮宿舎へと走っていく。
 ブラッドレーは自らも剣を抜き放ち城門奪取の為に駆け出しながら、死地へと赴かんとする戦友を想った。

(この隠密・・・頭の固いリブロフ軍などの仕業ではない・・・それにあの妙な笛の音もリブロフ軍のそれではない。間違いない、神王教団だ・・・!  くそ、待っていろコリンズ・・・死なせはしないぞ・・・!)

「弓は先ず背後の城門を!投石機を封じろ!歩兵は上翼下翼分かれ、共に二連隊にて逆弓型防壁波陣!城門奪取まで一定距離を保て!騎馬隊は先ず一発かまして相手を兎に角止める!薄いところから荒らしていくぞ!俺に続け!」

 愛用の剣を腰に引っさげ、馬上槍を片手にコリンズが吠える。それに俄然大きく鬨の声を上げるロアーヌ騎士団。
 味方は意気軒昂。このような劣勢不利にも何の物怖じもせず、自分を信じて付いてきてくれる。それがひしひしと感じられ、コリンズを更に奮わせる。
 だがそれでも、この戦は今までのどの戦場よりも過酷だと言えた。

(・・・要は挟み撃ちを食らってるようなもんだ。目測で敵は四千てとこか。即座に城門を奪い返して籠城に持ち込まないと、数も圧倒的に足りない)

 馬を走らせながら前方より迫り来る軍勢とその周囲をつぶさに観察し、コリンズは低く唸る。

(・・・あの角笛、相手は神王教団と見て間違いない。となると機動力の要は戦駝。馬を操るこちらの方に速度では分がある・・・が、籠城前提でいたから騎馬隊は最小限まで絞っちまっている。真面に陣も組めない・・・。撹乱がてら時間稼ぎに二手に分かれて端から削っていくしかないか・・・!)

 そう判断したコリンズは即座に指示を飛ばし、二手に分かれた騎馬隊は上翼下翼奇襲の構えをとった。
 だがコリンズの指示により騎馬隊が隊列を変えた矢先、再度背後から角笛が一定間隔で鳴り響く。
 その角笛が鳴り終えると、今度は前方の軍勢内から同じく角笛が鳴り響き、相手の隊列が中央突貫型へと変化していく。

(・・・!!  くっそ、背後からこっちの動きが丸見えで相手に伝えられちまってる・・・!?)

 慌ててコリンズは分かれる寸前の騎馬隊に纏まり直すように指示を変更する。
 そのまま進行速度を保ちながら相手の陣形と人数を見て取り、コリンズは表情で悪態をついた。

(・・・攻撃の波陣か。強襲する気満々じゃねーか! くそ、正面からでもぶつかって勢い止めるしかねぇのか・・・!)

 砦には最低限の城門攻略組を残してきただけだが、ロアーヌ軍は楽観的に見積もっても相手の半分がいいところだった。そのままぶつかればこちら側の大打撃は免れないだろう。
 だが、城門に近づかせればそれこそ全てが終わる。つまりは、全滅だ。
 何としても、相手の勢いを止めなければならない。
 だが、止めるには圧倒的に物量が不足していた。

(・・・畜生めが・・・駄目だ、このままぶつかるんじゃ止まんねぇ・・・。こっちが轢き殺されて終わりだ! 何か、何処か相手の隙はないのか・・・!)

 極限の状況にコリンズの思考は研ぎ澄まされ、高速回転で思考を重ねていく。だが、其れでも彼の元にはこの状況を打破するための手立てが舞い降りては来なかった。

「コリンズ隊長・・・! 我々が上翼一点集中で突撃し、相手を止めます!隊長は一度お下がりになり防衛指示を!必ず止めて見せます!」

 コリンズの脇を走る騎士が、決死の表情でそう申し出る。
 コリンズは当然そんな事させるものかと一喝しようとしたが、しかし部下の騎士は続けた。

「このまま全滅するわけにはいきません!我々が止めている間にコリンズ隊長が下がり状況を見て歩兵隊を纏めて下さい!!その間にブラッドレー隊長が必ず城門を奪還します!そうすればこの戦は勝てます! 我々は誇り高きロアーヌ騎馬隊にして速攻のコリンズ隊第一隊!あの様な輩にはかすり傷一つも負わずに必ず止めて見せます・・・!どうか、ご指示を!」

 彼はもう、死を覚悟していた。
 その上で放たれた強い意志の言葉を受けたコリンズが苦渋の表情で周りを見れば、並走する全員が表情を同じくしてコリンズに視線を投げかける。
 コリンズは砕けそうな程に強く歯を食いしばり、前方に視線を戻した。

「いいだろう!我が隊の勇姿をとくと邪教徒共に見せつけてやれ!突撃後は速やかに本隊へと合流し、籠城戦へと移るぞ!」
「はっ!畏まりました!」

 コリンズの指示に俄然奮い起った騎士達は、槍を構えて突撃姿勢を取った。

「・・・・・・な、なんだあれ・・・!?」

 そのまま上翼突撃をせんとした、まさにその時だった。
 突撃姿勢の一人が下翼の方面を向きながら当惑の声をあげ、その声に反応したコリンズが其方に視線を向ける。
 すると、確かにそこにはとてもこの状況では理解し難い光景があった。

「・・・敵の新手、か?」

 いいながら、まさかと自分で否定する。
 彼の視線の先には、今まさに激突せんと加速する両軍の丁度真ん中を縫うように駆ける、一頭の駱駝がいたのだ。
 駱駝の背には人が一人乗っているが、ローブ姿のようで遠目からは容姿も何もわからない。
 だが、駱駝に跨るその騎手が手を振り上げて何かの動きをすると、それを見たコリンズは目を見開いた。

「な・・・き、騎馬隊止まれぇぇえ!」

 コリンズの突然の指示に、しかしよく訓練された騎馬隊は即座に反応して急停止をかける。

「コ、コリンズ様・・・あの者は、今・・・」
「あぁ、彼奴、うちの手信号使いやがった・・・」

 同じくそれを見ていた騎士の言葉に、コリンズは頷いた。
 見た目は間違いなく敵のそれに近い格好なのだが、しかしその動作は間違いなくロアーヌ騎士団の中で使われる伝統的な手信号だ。
 事前にそれを入手した敵軍による情報操作とも考えられたが、それならば格好をこちらに合わせてくるはずであろう。それに何より、あの信号は普段このような場面で使うものではない。

「自分に任せろ・・・だと? 彼奴、何するつもりだ・・・?」

 コリンズのその呟きが終わる頃には、件の人物は両軍の中央辺りの位置まで到達すると、なんと駱駝を降りて只一人で神王教団の軍勢に向かい合った。

「・・・おいおい、何のつもりなんだ彼奴・・・どんな奇策を使うつもりだよ・・・」

 コリンズはいつでも動き出せるように騎馬隊に指示を飛ばしながら、固唾を飲んでその光景を見守った。

 大量の砂埃を巻き上げながら視界前方に広がる軍勢は、速度を緩める事なく突撃してくる。
 たかが人一人のために止まる事などあるわけもないのだから、当然と言えば当然だろう。
 故に相対したその人物もそんな事に構う素振りはなく、前方の大軍を見据えながら駱駝を降り、自分の背後に駱駝をしゃがみ込ませたあと無造作に腰から一本の剣を抜き放った。
 金色にて細身のその剣は、ずぶの素人が見たとしても大変な価値のありそうなものだという事だけは一目で分かるほどに煌びやかで、そして圧倒的な威圧感を有していた。
 鞘から解き放たれた刀身はまるで身震いをするかのように小さく震え、その場に風を巻き起こす。やがて己の有する金色ではまだ足りぬとばかりに剣は鳴動し、その身になおも光を集め始める。
 渦巻く風に沿って光の集約していくその様は、まさに満天の星の煌めき。瞬く間に眩く発光する刀身を確認したその人物は、慈しむようにその刀身を一頻り眺め、そして剣を構えた。
 まるで、大気がそれを待っていたかの様に。
 ふと、風が止んだ。
 それこそは、開演の合図。
 周囲の怒号も鳴り響く風も全てが掻き消えた刹那の静寂の中で、その様舞踊の如く流れるように美しい動作でふわりと一回転し、眼前の軍勢に向かって剣を薙ぐ。
 剣を起点に、光が弾けた。
 一瞬の閃光。次いで突風、衝撃。そして轟音。
 起点の後方にいたコリンズが感じとれたのは、そこまでだった。
 爆風により大きく砂埃が舞い上がり、あたり一帯の視界を遮る。
 だが直ぐに戻ってきた吹き抜ける風によって砂埃は取り払われ、そうして開けた視界を確認したコリンズは目の前の光景に思わず槍を取り落とした。

「・・・おいおい・・・なんだよこれ・・・」

 彼の眼前にて、敵の戦駝隊は全滅していた。
 騎手らはその全てが地面に落ち、その後方の歩兵までが前面はほぼ壊滅状態にまで追い込まれているようだった。
 戦場特有の熱気は既に消え失せ、その場にはそれこそ嵐が過ぎ去った後のような静けさと、神王教団軍負傷者の呻き声だけが僅かに残されている。
 その数秒後、またしても特有の角笛が独特の拍子で鳴り響く。
 それが何を意味しているのかは、知らずとも分かる。
 一目散に、眼前の神王教団軍は退却を開始した。

「・・・じ、城門制圧を急げ!」

 その様を見たコリンズは直ぐに背後の歩兵隊に指示を飛ばす。彼と同じく呆然としていたロアーヌ軍はその一言で目覚め、即座に反転し隊列を整え進軍を開始した。
 騎馬隊も合わせてそれに向かわせたコリンズは、撤退していく敵軍へと振り返り戦場跡に一人佇む人物の元へと視線を向ける。
 その人物は既に剣を納め、再び駱駝に騎乗しようとしているところであった。
 考えるより先に手綱を握り直したコリンズは、その人物の元へと馬を走らせる。
 先ほどの疾駆が冗談かと思うほど緩慢とした動作で立ち上がる駱駝の上に跨るその人物は砂漠の民によく見られる通気性に優れた日除けのフードとマントを装着しており、年齢はおろか性別も識別できない。
 先ほどの手信号等を見るに敵ではなかろうが、最低限の警戒は怠らぬようにしつつコリンズはその人物に近付きながら声を張り上げた。

「・・・ま、待ってくれ!」

 その声に、フードの人物が振り返る。
 しかし顔面も目の部分以外はフードに覆われ、正面から見てもやはりその人物像は今一伝わらない。
 とにかく止まってくれた事に安堵しつつ、コリンズは直ぐそばまで馬を寄せた。

「・・・まずは礼を言わせてくれ。助かった」

 コリンズがそう言いながら頭を下げる様子を、フードの人物は微動だにせず見つめ返す。

「俺は第一騎馬隊のコリンズ。先の手信号からするとお主は我が軍の者なのか?」

 フードの間からわずかに覗く瞳に向かってコリンズが問い掛けると、目の前の人物はゆっくりと首を横に振った。その次には、フードの下から少しくぐもった男性のものと思われる声が発せられる。

「いいえ、私はあるお方からお使いを頼まれただけの・・・」

 そう言いながらその人物はゆっくりとフードを取り去り、代わりに色合いが特徴的なとんがり帽子を被り直して微笑んで見せた。

「一介の、聖王記詠みでございます。以後、お見知りおきを」

 

 

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第五章・幕間 -拡大する戦線-

 

「退け、退けぇーー!!」

 幾重にも折り重なって飛び交う怒号の中、リブロフ軍指揮官ヴラドが無念を多分に滲ませながら全軍退却を叫ぶ。それを耳にしたラッパ兵がそれもやむなしと言わんばかりに即座に全軍退却を知らせる合図を甲高い金管音で鳴り響かせると、最早隊列すら保てなくなりつつあったリブロフ軍前線兵士達は命からがらと言った様子でその場から後退していった。
 その様子を自軍後方から確認して不要な後追いは控えるよう指示を飛ばしたミカエルは、並行して直様野営に適した場所を周囲から探ってくるよう斥候を飛ばした。
 目前の戦に決着はついたが、現在進軍している進路の先に控えるリブロフ軍の出城の攻略に早急に着手するため、早急に軍議を開かねばならないのだ。
 それに先立ち各部隊からの損害状況についてミカエルが報告を受けているところへ、派手に泥で汚れた鎧をいくらも気にする事もなく、ズカズカとミカエルの元まで歩み寄ってくる青年がいた。
 今回の作戦の最前衛を務めた、コリンズ部隊長だった。

「ミカエル様!騎士コリンズ、ただいま前線より帰還いたしました!」

 そう言ってにこやかにロアーヌ式敬礼をするコリンズを見て、ミカエルは彼にしては珍しく口の端を少し上に曲げながら労う様に彼の肩に手を載せた。
 その拍子に鎧に飛び散っている泥がミカエルの手や衣服にも付着するが、その様な事はお互い気にしていない様だ。

「コリンズ。此度の作戦、本当に良くやってくれた。お主の疾風の如き速攻突撃がなければ戦線は伸び、我が軍のこの地での被害は多大なものとなっていただろう」
「いえ、昔っから私が得意なのは速攻ですから、その旨を覚えていただいていた上でご拝命いただけて光栄でした。むしろあそこでミカエル様が相手の思惑を察知し沼地を速攻で越える進軍を指示してくれなければ、我々は足場の悪い沼地で抑えられて大打撃を被っておりましたでしょう。しかし沼地を越えることに集中しすぎて、衝突後のニノ手は我ながら切れに欠けました。こんな事ではまたカタリナに怒られ・・・あ」

 褒められて照れ笑いを浮かべながら上機嫌に喋っていたコリンズは、思わずそこで口を閉じた。
 周囲に控えていた騎士達も思わずぎょっとした表情をしたが、しかし目の前のミカエルは何ら気にした素振りはない。
 そのまま有耶無耶に笑ってごまかしながらコリンズが下がっていくと、ミカエルは周囲に一時間後の軍議を指示して幕舎へと向かった。

「馬鹿かお前・・・!侯爵様の前であいつの話はご法度だろうが・・・っ!」

 近くに控えていた同期の騎士であるライブラに小突かれると、コリンズは己の失態を誤魔化す様に頭を掻いた。

「いやー、すまんすまん・・・つい・・・な。しかし、ミカエル様は本当に大丈夫なのだろうか・・・。我々のようなものが心配しても仕方ないのだろうが・・・最も信頼していた部下が国宝と共に手元を離れ、最愛の妹君を不慮の事故で失った。だというのに、まるでそのようなことなど一切なかったかのようにこれほど迄に力強く精力的に活動なされている。むしろ、旺盛に過ぎると言っていい様にも感じられる・・・。いつかお倒れになってしまいやしないかと・・・な」
「・・・こら、無駄口を叩いているでない!持ち場に戻らぬか!」

 コリンズとライブラの背後から、突然声が掛かる。二人がそれに驚いて慌てて敬礼をしながら振り向くと、そこには彼らの上官であり本遠征の本陣指揮を任されているラドム将軍が立っていた。

「失礼いたしました!持ち場に戻ります!」

 二人が大慌てでその場を去るとラドムは二人を見送りながらため息を一つつき、ミカエルのいる幕舎へと入った。

「・・・失礼します。ミカエル様、ラドム、ただいま戻りました」
「ラドムか。此度の作戦もご苦労だった。後方の安定感は流石だったな」

 卓上に広げられている斥候によって細かく書き込まれた地図を眺めていたミカエルは、ラドムに労いの言葉をかけながらテーブルに手をついて立ち上がった。
 するとその瞬間、体重をかけていた手が滑り、ミカエルは思わずバランスを崩して地面に膝をついてしまう。

「ミカエル様・・・!」

 直ぐさま駆け寄り、慌ててミカエルの体を支えるラドム。
 ミカエルの体は騎士達と同じく鍛え上げられているはずなのに、ラドムには酷く軽く感じられた。
 ミカエルの肩を支えながら椅子に座らせ、近くに用意されていた水を手繰り寄せる。そして香りを掻いで一口のみ、毒味をする。これはフランツ侯暗殺以来の、ロアーヌ臣下の習慣だ。その上で問題ないことを確認すると、ミカエルに一口飲ませた。
 間近から確認できたミカエルの表情には、明らかに疲労が溜まっていることが見て取れた。

「・・・ミカエル様」
「・・・言うな、ラドム」

 何かを言いかけたラドムを、ミカエルはゆっくりと首を横に振りながら遮る。

「一刻も休んでいる暇など、今はないのだ」

 そうとだけ言ったミカエルは、自ら背筋を伸ばして深呼吸すると、もう一度水を口に含んでから立ち上がった。

「予定を早める。十分後に軍議を行うので、各部隊長に通達を」
「・・・畏まりました」

 ミカエルの言葉に沈痛な表情でラドムが頷くと、ミカエルは目を細めながら、腰の高さまで上げた自らの両手に視線を落とし、何かを確かめるように拳を握った。

「なに、私とて自分の体の限界はわかる。そして、私が倒れてしまった場合のリスクも弁えているつもりだ。だから、そうならぬようにお主達には働いてもらうのだ・・・宜しく頼むぞ」
「・・・御意」

 ラドムはミカエルのその言葉に今一度頷くと、踵を返して幕舎を出て行った。
 その背中を見送り、ミカエルはゆっくりと椅子に腰掛け直す。
 するとまた幕舎の外に、微かな人の気配が感じられた。

「・・・フォックスか。入れ」
「・・・お疲れとは思えない察しの良さですね」

 そういいながら入って来たのは、ロアーヌ騎士とは似ても似つかぬ軽装備の、風変わりな女だった。
 フォックスと呼ばれたその女は、懐から丸められた羊皮紙を取り出すと、徐にそれをミカエルに手渡す。

「この先の出城では、リブロフ軍は大型の投石機を城門上に三機配備しています。配置はそこに記しておきました。指揮官はラザールという男で、大した実戦経験もない小物ですが・・・総じるに矢張り、地の利が少々厄介ですね。」

 フォックスがそう言うと、ミカエルは羊皮紙に書き込まれた配置図を眺めながら顎に手を当てた。

「・・・弓兵は用意できるか?」
「正面から行くのですか?・・・畏まりました。お任せください」
「五分後に軍議を行う。それまでに用意できる数は把握できるか?」
「後方に待機させている部隊と斥候を合わせれば、明日の朝には四百程度には」

 フォックスがすらすらと答えるとミカエルはそれに満足そうに頷き、集めるように指示を出した。
 それに応えたフォックスは直ぐにその場を去ろうとしたが、ふと思い出したようにミカエルに振り返る。何事かとミカエルが視線で問いかけると彼女は何枚かの魔力で写しこまれた写真を腰のポーチから取り出し、ミカエルに手渡した。

「忘れてました。ピドナのラビットからです。お元気そうですよ」
「・・・そうか」

 ミカエルが反応薄そうにその写真を受け取ると、フォックスはにこりと笑いながら改めてその場を去って行った。
 手元の写真に視線を落とせば、そこには快活そうな笑顔を覗かせているモニカや、スーツ姿のカタリナ等が写っている。
 どのような場面かは知らないがずいぶんと無防備に写されているような気がするのが多少不安ではあるが、兎に角元気そうである事には間違いない。
 ミカエルはそれらの写真をすぐ懐にしまうと、再び敵陣配置が書き込まれた羊皮紙に視線を戻した。

「・・・失礼します。ミカエル様、もう間も無く軍議のお時間ですが・・・おや、何か良い知らせでもありましたか?」

 数分後に再び幕舎に顔を覗かせたラドムは、珍しくうっすらと目が笑っているミカエルを見てそう問いかけた。

「いや、何でもない・・・よし、軍議を始めよう」

 ミカエルの掛け声と共に外に待機していた部隊長たちが次々に幕舎に入ってくる。
 幕舎中央の卓上に現地の地図と先程フォックスから受け取った投石部隊の配置図を広げ、先刻までの疲れなど微塵も感じさせぬ力強い瞳で以てその場の全員を見渡し、ミカエルは軍議を始めた。

 

 

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