第六章・12 -トレードの終結-

 

「ひっさしぶりじゃん。ウチとのトレードほったらかして、二週間も行方くらましてくれちゃってさぁー?」

 相変わらず地べたにへたり込んだ状態のラブを見下ろしながら、キャンディは彼女なりに最大限嫌味っ気たっぷりな表情でそう言った。とはいえその幼い表情からは嫌味というよりは多少生意気程度の印象しか与えられない様にも思われるが、それでも今のラブには効果的だったようだ。 
 怯えの色が顔に浮かんだラブに気をよくしたのか、キャンディはそのまま畳み掛けるように、脇に抱えていた一枚だけの書面と分厚いファイルを其々彼の目の前に投げ落とした。ラブはそれを虚ろな視線で追い、うっすらと唇を動かす。

「これは・・・」
「紙っぺらの方には、あんたらの現在の総資産が書いてあるよ。ま、超マイナスだけどね。んで束の方には今回の騒動で縁切りを決めた、あんたんとこの元提携企業リストとそれによる減資産額、各港からの返品要請の武具とか交易品とか貯蔵塩量、及びその返金額ね。あとは各国の規定に応じた取引禁止品目を扱ったことによる罰金。取引が行われた数だけあるから、これがアホみたいに膨大な数字になってるかな。ありがたく思ってよね、態々ウチが全部調べて計算してあげたんだから」

 キャンディの言葉を聞いて、依然として呆然とした様子のラブが一枚の紙を手に取る。そこには、確かに自社の名前。そして総資産には、こう記されていた。

【−500000000 aurum 】

「マイナス・・・五億オーラム、だと・・・?」
「そうだよ。マイナス五億。細かい数字はそっちのまとめたやつ見てくれればいいけど、結果はそれ。ま、これから各国憲兵がどんないちゃもんつけてくるのかは知らないけどね。でも現状の数字と規則に則った罰金の差し引きは、その数字」

 キャンディの言葉を聞き終わる前に、ラブはまるで目覚めた瞬間遅刻を悟ったかの如くに大慌ての様子で用意された資料に齧りつくようにしながら、その内容を食い入るように確認する。
 マイナス。
 マイナス。
 マイナス。
 その資料に記された数字は、そのどれもが資産減算の嵐だった。そしてそれらは全てキャンディの言う通りの項目で構成されており、彼が見る限りでもその資料には、絶望的な程に疑いの余地がない。
 有り得ない。これは、全く有り得ないことだ。ラブは無意識のうちに、有り得ないと繰り返し呟いていた。
 何故こうなってしまったのか。彼は殆ど機能していないであろう思考能力で、この自体の責任がどこにあるのかを考えた。
 そして、一つの答えにたどり着く。

「・・・そうだ、親父が悪いんだ・・・。こんな、化け物になっちまってこんな騒ぎを起こして・・・」
「・・・あーさっきのあれ、モンテロ氏だったのか。成る程ね、確かにその方がやり易いか」

 ラブの呟きに応えたのは、キャンディの後ろからひょいと顔をのぞかせた男だった。まだ年若い様相で、手には先ほどまで魔物と戦っていた名残からかロングソードを持っている。

「おっと、こりゃ失礼。お初だったな、ドン•ドフォーレ。俺はポールってんだ。一応、カタリナ・カンパニーの営業部長を任されている。ちーっと野暮用があったんで登場がトレードの最終局面になっちまったが、まぁよろしくな」
「トレード・・・?」

 ラブがポールの言葉に対してそれだけ答えると、ポールはにんまりと笑みを浮かべながらロングソードを腰の剣帯に仕舞いつつ頷いた。

「そうさ、トレードだよ。俺はそれを終結させるために、ここにきたのさ。って事で悪いがキャンディ、管理員連れてきてもらっていいか?」
「おっけ。あ、あとでご飯おごる約束、忘れないでよね!経費切るの無しだからね!」
「お、おう、もちろんさ。俺も男だ、二言はない。パーっと祝賀会して、たらふく食わしてやるよ。シーホークのフィッシュボールと豆スープは絶品だからな」

 呆気にとられているラブの目の前で、ポールとキャンディは明るい様子で話を進めていく。
 そして程なくしてキャンディがその場に集まっていた群衆の中からトレード管理員の手を引きながら引っ張り出してくると、ポールはラブに向き直って言葉を続けた。

「さて、キャンディが纏めてくれたその資料には一通り目を通してくれたと思うが、御社の現時点の資産はマイナス五億オーラムだ。因みにこれは、今現在のトレードにてそちらが拠出している三億オーラムを加味していない。これはトレードルールに於いて、トレード拠出金はトレード終了まで出資者であろうと動かすことはできないという部分に拠る」

 そうだ、そういえば自分は彼らとトレードをしていたのだった。ポールの言葉を受けながら、ラブはぼんやりとその事実を思い出していった。

「もう数日もすれば、各国の軍団がお前さんの捕縛令状と罰金の回収のために来るだろう。つまり会社存続の為には、少なくともお前さんはお縄になる前のこの数日の間に五億オーラムを用意しなければならないわけだが・・・」

 最早ドフォーレに、そんな拠出金はない。そんなことはこの目の前の男も、最初から分かっているはずだ。ラブは即座にそう思った。ドフォーレ商会の現在の主軸事業は、間違いなく塩なのである。これが消えれば他の事業の利益分で五億などという数字を賄うことが不可能なのは、部外者でも分かりそうなものだろう。
 ポールはまるでそんなラブの思考を読んでいるかのように、口の端を釣り上げて笑って見せた。

「さて・・・ここでお前さんに、我らの本取引における最大のステークホルダーを紹介しておこう。さぁ、こちらへどうぞ」

 ポールがそういって彼らの後方にいた中の一人に声をかけると、二人の人影がラブの前に姿を表した。
 一人は、とても美しく淡い海色の髪の美女だった。マクシムスガードの金髪の女に勝るとも劣らない、この世の美を集めたような輝く容姿。それはまるで神の手によって作り出された完璧な美術品のような女性だと、ラブは場違いに考えた。そしてその女性の後ろに控えるようにして立っているもう一人は、屈強という言葉をそのまま体現したかのような目つきの鋭い白髪短髪の浅黒い肌をした男だ。その全身は簡素な格好だが何故か右腕だけが二の腕あたりまで美しく神々しい手甲で覆われており、その圧倒的な存在感だけで生半可な賊などは怯んでしまうことだろう。そんな二人の居並ぶ様は、宛ら美しき女王とそれを守護する騎士の如く。
 無論それは、ラブだけが感じた印象ではない。その場に集まり動向を見つめていた民衆全てが、同じように感じ入りながら二人を見つめていた。

「お初にお目にかかります。私は、ミューズ=クラウディア=クラウディウスと申します」

 ミューズの美しい声色で耳に入ってきたクラウディウスという名に、ラブは当然ながら、聞き覚えがあった。それこそは神王教団のメッサーナ王国での台頭のために没落したピドナの名門貴族にして、嘗て経済界に君臨した大商会の名だ。無論のことラブにとっては、商会としてのクラウディウスの方が印象には強く残っていた。あの規模の商会が没落するのは、世界経済に於いてはとても大きな事件だったからだ。

「察していると思うが、こちらはかつてあった大商会、クラウディウス商会のご令嬢だ。元々旧クラウディウス系の企業は弊社に数多く合流しているが、本日は彼女が一門を代表して個人的にカタリナ・カンパニーへ出資してくださるということで、わざわざ弊社の社運を賭けたこのトレード会場へとお招きしている」
「はい、そういうわけなのです。それでは早速ですがポール様、どうぞこちらを」

 そういってミューズは、ポールへと一枚の書状を手渡した。ポールは態とらしくその書状を広げて中の文を確認すると、へたり込んでいるラブに合わせてしゃがみ込んだ。その座り込み方が所謂盗賊座りと揶揄される座り方だったので、シャールが微妙に眉間にしわを寄せている。

「さて、たった今クラウディウス家から融資を受けた。なんとその額、二億オーラムだ。流石はあのクラウディウス一族。一中小企業じゃ逆立ちしても集まらない資金だ。さてラブさんよ。この二億だが・・・意味は、わかるな?」
「・・・それを、このトレードに拠出するというのか」

 幾分か冷静さを取り戻した様子のラブの言葉に、ポールはご名答とばかりにニヤリと笑って見せた。

「・・・一体何のためだ。最早、ドフォーレ商会は死に体。仮に残っても、もう企業としての価値はない。お前達がそのような金を使ってまで買収する意味など、何もないだろう」

 ラブはこの場の急展開を眺める中で、何故かとても頭の中がすっきりしたような感覚にあった。そのお陰か先程までの混乱が嘘のように今は冷静さを取り戻し、そしていつまでも尻餅をつくようにへたり込んでいるのも具合が悪いと思い胡座を描くように座り直しながらポールにそう問うた。 
 つまるところ何のつもりかは知らないが、ポールはたった今融資を受けたばかりの二億をトレードに拠出するつもりのようだ。そうすると、トレードの場にはドフォーレの三億とカタリナカンパニーの二億、計五億オーラムが並ぶこととなる。
 そして今回のトレードを仕掛けたのは、カタリナカンパニーだ。ここで仮にドフォーレがトレードの敗退を宣言すれば買い手・・・つまりカタリナカンパニーの勝利となり、受け手であるドフォーレには買い手側拠出金の全額が振り込まれることになる。つまりドフォーレには、自らの拠出した金額と合わせて五億が振り込まれるということだ。それがあれば、今現在直面している総資産のマイナスを消すことは出来る。そうなれば、取り敢えずドフォーレ商会が潰れるということは、なくなるのだ。
 しかし、果たしてそのようなことを彼らがする意味はなんなのか。それがラブには、全く分からなかった。

「あれ、お宅聞いてなかったのかい、うちの従業員達が何て言ったか。なぁ?」

 ポールはラブの言葉にそう応え、又しても後ろの人影に声をかけた。
 それに応えて現れたのは、二人の美しい女性だった。服装こそあの時と違えど、ラブにとっては忘れもしない、それこそはこれらの出来事の予兆にあたる『宣戦布告』を行なった、マクシムスガードと思われる二人であった。

「ご無沙汰しておりますわ、ラブ=ドフォーレ様」

 そういってモニカが恭しく着衣の裾を摘み上げてお辞儀をする。対照的にエレンは、興味薄げに見下ろすのみだ。

「彼女らは、ちゃんと言っただろ。お宅らの『宝物庫』の中身を全部買い取る、ってな。俺はまぁ、ちょいとそれに用があってね。そりゃ勿論お宅らが潰れてから回収してもいいんだが、そっちの方がこっちにとっても色々と面倒だしな。なら買い取る方が合理的ってわけだ」

 ポールの言葉に、しかしラブは最早どうでもいいという風にふんと一息だけついた。
 確かにドフォーレの港の隠し倉庫に置いてあるものは、世界各地から様々な非合法手段を用いて集めてきた貴重品ばかりだ。だがそれだけに、これらは即座に金に変えることができない。中長期的な資金繰りの一環として、または神王教団等の他方勢力との協力の一環として行なっていたことだが、これも最早、今の彼にとってはどうでもいいことだった。
 文字通り、今の彼はそれらに価値を見出していなかったのだ。
 しかしそれは諦めともどこか違う、彼自身にも理解の及ばない不思議な感覚だった。何故自分は、あのような目的のもとに動いていたのか。それが今になって、何故か全く理解できないでいた。

「・・・好きにしてくれ。もう俺には、何も残されてはいない」
「そうさせてもらうよ。ってことでほれ、キャンディ」

 ポールはそこで改めて、管理員の横に立っていたキャンディを呼び寄せた。

「締めだ。よろしく頼むぜ」
「・・・なーんか癪に触るけど、まぁいいよ。お膳立てに乗ったげる」

 どこか腑に落ちない様子のキャンディだが、しかして本件の止めを担うことには悪い気はしない。気を取り直してふふんと鼻を鳴らすと、改めて管理員へと歩み寄り、会心の笑顔で以って無言で手を伸ばした。
 そんなキャンディににこりと笑顔で応えながら管理員が懐から取り出した書面を受け取ると、キャンディはそのままラブの前にどかりと座り込んだ。そして彼女はラブにその書面を突き出す。

「言ったっしょ。ウチは、このトレードに勝つって。有言実行、しにきたよ」

 太陽の光を反射するように爛々と目を輝かせながらそう言うキャンディに対し、ラブは思わず自嘲気味にふっと笑った。
 そう、彼は確かにこの少女を初見で見下し、舐めてかかった。あの時点で自分がもっと様々なことを考え慎重に事を運ぼうとしていれば、ひょっとしたら今とは違う結末があったかもしれない。
 だが、自分は選択を誤った。そして言葉通り、この少女に負けたのだ。
 しかし不思議と、悔しいという気持ちは彼の中に湧いてこなかった。
 寧ろ全てが終わった事でいっそ清々しさすら覚えつつ、しかしそれでは目の前の少女も納得行かなかろうと思い、ここは敢えて憎まれ口を叩いてやることにする。

「・・・まさかテメェみたいなガキに、このドフォーレが負けるなんてな。くそむかつくぜ」
「言ってろ豚野郎」

 お互いが口汚く罵り合いながら皮肉交じりに笑ったかと思うと、ラブはキャンディから書面を受け取り、管理員が差し出してきたペンでさらさらと署名を施した。そしてその書面を、ペンごとぶっきらぼうに管理人に突き出す。

「ほらよ・・・ドフォーレ商会は現時点にてカタリナカンパニーの買収提案と提供資金を受け入れる事とし、本トレード終了を要請する」
「・・・確かに、確認致しました。それでは、これにて本トレードの終結と致します。双方の拠出金はルールブックに則り即座にドフォーレ商会へと入金を行います。また、本件は買収規模が非常に大きいため、速やかに業務統合の手続きにお進みください」

 管理員がそう宣言したその瞬間に、キャンディは堪らず飛び上がった。

「いぃぃぃよっしゃああああ!!」
「っち、いちいちイラつくガキだぜ・・・」

 ラブはキャンディの様子に悪態を吐きながら、しかしやはり何処か晴れ晴れとした面持ちで空を仰いだ。

 

ドフォーレ事変エピローグ side A

ヤーマス商業ギルド中央会館、トレード管理員の業務日誌より抜粋

『某月某日。投書にてトレード申請あり。なんと、ピドナの企業によるドフォーレ商会を相手取る旨のトレード申請だ。これはヤーマス商業ギルド発足以来最大の珍事と言える。申請企業名は、カタリナカンパニー。メッサーナジャーナルの経済欄では最近よく名前を見る企業だが、これは流石に無謀としか言いようがない。担当するのが自分かと思うと、今から気が重い。ドンは機嫌を損ねると厄介なんだ』

『某月某日、トレードが開始された。が、なんとカタリナカンパニーの代表として会館に訪れたのは、年端も行かぬ少女だった。それこそ、私の息子と変わらんような年頃だ。その後ドンドフォーレも会議室に訪れ、開始宣言後に即座に三億オーラムの拠出。怯える少女のことを見て居られなかったが、なんとその後に売り言葉に買い言葉なのか、少女はドンドフォーレに必ず勝つなどと喧嘩を売ってしまった。その後に色々と資料請求をしてきたが、最早結果は見えているだろう。せめてあの少女があまり過酷な目に遭わないように願うばかりだ』

『某月某日。今日は朝から慌ただしかった。年に一度の麻薬取締ショーかと思ったら、今回は規模が段違いだ。ドフォーレさんも普段よりピリピリしていたように感じる。こちらも許可証等々の発行で港と往復しっぱなしで大忙しだった。昨日から寄宿しているキャンディという少女はうちの取引帳票を勝手に漁っているようだったが、構っている暇もない。問題を起こさなければいいのだが』

『某月某日。とんでもないことが起こった。ヤーマス塩鉱に麻薬精製工場が併設されていたなんて、これは商都ヤーマス始まって以来の大事件だ。ドフォーレさんは体調不良だとかで全く会えないし、麻薬捜査官は慌ただしく一部が引き上げていくし、これから一体どうなることか。こうなると開催中のトレードも、雲行きが怪しくなってきた。キャンディさんは二週間待ってくれと言っていたが、こんな状況では最早トレードどころではないのではなかろうか。しかし職務上放棄するわけにもいかない。とにかく今は状況を見極めるしかない』

『某月某日。麻薬精製工場発見から一週間が経ったが、特に大きな動きはあれからない。ドフォーレさんは相変わらず出てこないし、捜査官も何やら手詰まりの様子だ。今しばらくはこの状況が続くのだろうか。私もすることがないので、今日もキャンディさんと帳簿の整理をしていた。あの子はとても利発的だ。それに妙な人懐っこさがあるので、すっかりこのヤーマスの中央会館内でも人気者になった。彼女の提案でこれまで雑多な管理だった帳簿の整理もとても進んでいるし、とても助かっている。トレードの結果が彼女にとって有益なものになるよう、職務柄肩入れが厳禁なのはわかっているが、願わずにはいられない』

『某月某日。来訪者があった。カタリナカンパニーの営業部長ポールと名乗る男だ。キャンディさんと会った途端にポールという男は何故か驚くしキャンディさんは何やらとても怒った様子で詰め寄っていたが、すぐに二人で部屋に閉じこもって色々と打ち合わせをしていた。その後同じくカタリナカンパニーの従業員を名乗る三名が来訪した。男性一人は緑っぽかった以外にあまり印象にないが女性二人は非常に美しく、館内の皆が見惚れていた。眼福とはああいうものをいうのだろう。その後はキャンディさんだけがまたこの場に残り、初日の時のように何やらずっと計算を繰り返しているようだった。途中様子を見に行った時の彼女の表情は、初日に比べてどこか安心したようだった。やはりあの年頃で一人でここにいるのは負担もあったのだろう。彼女が年相応の子供であるということに、もっと意識を向けなければならなかった。管理員以前に、一人の親として私も反省せねばならない』

『某月某日。またしても大事件だった。このヤーマスの街中に二度も魔物が暴れるなど、まるで聖王様以前の時代のような大事件だ。しかもこの日は、更に歴史的な瞬間でもあった。あのドフォーレが、トレードで敗北したのだ。まさか本当にキャンディさんの勝利で終わるとは、この仕事をやって二十年になるが私も全く予測できなかった。しかし、本当に喜ばしい限りだ。彼女の元でなら、ドフォーレはきっと良き企業として再生するものと信じられる。また驚くべきことに、あの名門クラウディウス商会のご令嬢と名乗る女性にもお目にかかることができた。クラウディウスは私の知る限り最もコンプライアンスに優れた企業だったが、清廉という言葉を表したような美しさのご令嬢を見ると、それは当然だったのだと確信する。これを機にクラウディウスも再興すると言うのなら、それは経済界にとっては大いに歓迎するべき事だろう。兎に角、今夜はこれから祝賀会だ。トレードが終わったからこそ、私も是非とも一言お祝いの言葉を述べに駆けつけなければならない』

『某月某日。珍しくメッサーナ王国軍から早々に正式な事件のあらましが公表された。なんとあの事件の魔物の正体は、ドフォーレ商会会長のモンテロ氏に化けていたということだったのだ。ラブ氏もその魔物に操られていたとのことだそうなので、全く驚くべきことだった。そういえば今年の初めのほうにロアーヌで魔物が手引きした事件があったと記憶しているが、このヤーマスにもこのような事件が起こるとは、予想だにしなかった。ドフォーレは取引禁止の罰金こそ免れなかったが余罪は魔物の策略ということで不問になり、ラブ氏も一度は捕縛されたが直ぐに釈放され、カタリナカンパニーの元で一から出直しとなるようだ。因みに今回の事件で魔物退治に姿を見せていたあの怪傑ロビンは、今回のドフォーレ騒ぎを最初から見抜いていたということでこれまでの罪状が全て消えたとのこと。まぁほとんどドフォーレが憲兵に圧力をかけて罪人に仕立て上げていたようなものなので、これも納得の結果といえる。街の平和を守る怪傑ロビンと、キャンディさんのいるカタリナカンパニーがいれば、きっとこの自由の街ヤーマスは今後益々の発展をしていくことだろう』

 

ドフォーレ事変エピローグ side B

「いやいやいや、まだあたし全っ然今回の内容分かってないんだけど!」

 一連の騒動から漸く街が落ち着きを取り戻してきたその夜、ヤーマスではすっかり定番となったシーホークにてエレンが手にしたジョッキの中身を豪快に飲み干したのち、唐突にそう叫んだ。 
 その言葉に反応して同席していたモニカとユリアンが彼女に視線を向けると、エレンはジョッキのお代わりを通りかかったライムに求めながら彼らに話を振る。

「なんかすっごい万々歳のハッピーエンドっぽい流れだけどさ、ぶっちゃけあたし全然話についてこれてないの。ユリアンとモニカは!?」

 そうエレンに問われ、ユリアンとモニカは其々顔を見合わせた。

「あーまぁ・・・俺も正直よく分かってないけど、元々商売の話されてもあんまりわかんないからなー。モニカは?」
「わたくしは一応ポール様から大凡の話はお伺いしましたので、大枠の理解はしているつもりですが・・・」
「えー、じゃあモニカ教えてよー」

 ボイルソーセージを三本同時にナイフに刺しながらのエレンの願いに、モニカは快く承諾をした。酒が回って機嫌が良くなったのか必要以上にエレンは感謝の意を述べ、更にはお礼と称してモニカにソーセージを一本あーんさせてから、態とらしく真顔になった。

「じゃあじゃあ、あたしそもそも疑問だったんだけどさ。今回のトレードって、ぶっちゃけ勝つ意味あったの?」
「うわ、ほんと根本だなそれ。でも俺も、それ実は思ったなー」

 エレンの最初の問いに、ユリアンも同意を示す。
 彼ら二人の言い分はつまり、こうだ。結局麻薬工場の暴露でドフォーレは壊滅するように仕向けたのだから、態々カンパニーからトレードを仕掛けた挙句に二億オーラムを払ってまで勝つ必要はあったのだろうか、ということであった。
 それに対し、モニカは北方特有のしっかり冷えた辛口の白ワインを頂きながら応じる。

「それはですね、いくつか理由はあったようですわ。中でも一番大きな理由は、わたくしとエレン様で」
「エーレーン!」
「あ・・・すみません。わたくしとエレン・・・で拝見したドフォーレ商会の倉庫にあるものが欲しかったそうですわ」

 途中で注意され、どこか気恥ずかしそうにしながら言い直すモニカに、エレンはやってきたジョッキを受け取りながらにんまりと微笑んで返す。つまるところ、自分は呼び捨てするのに様付けで呼ばれるのが納得いかなかったらしいエレンが、ヤーマス塩鉱の道中でお互い呼び捨てを強引に宣言したのだった。
 その様子を一際微笑ましく眺めていたユリアンは、しかしモニカの言った内容には疑問符を浮かべた。

「そんなに価値があるものだったか・・・。二億オーラムなんて、途方もなさすぎて全く想像が付かないけどな」
「そうですわね。なんでも、聖王遺物に匹敵する程の禁呪が記された魔道書があの中には含まれていたそうですわ。ただ実物の解読をミューズ様に試みてもらったものの、殆ど分からなかったとか。確かにそんなものならば、お金で買えるのならば出す価値はあるのかもしれませんわね。解読については聖王家かモウゼスの魔術ギルドに持ち込む予定らしいですわ」
「なるほどねー」

 あそこがそんなにすごいところだったなんて、と腕を組んで思い出す仕草をしながらエレンが唸ると、モニカも同じく思い出しながら微笑んだ。

「他には勿論、ドフォーレ商会がこれまで築いていたルーブ地方での基盤をそのまま利用できるのは非常に強い、とも言っておりましたわ。塩鉱は統制を失った魔物の巣窟に戻ってしまったので商業利用は断念せざるを得ませんが、それでも海運事業等は流通の上で非常に有利に働きます。それに・・・破産した場合にドフォーレの下請け企業の多くが一気に露頭に迷うことになるのを防ぐ側面もあったのではと、わたくしは思っております」
「あー、確かにそういうのはトムとかすんごい考えそう。道理でお金を惜しまないわけだ。今のが一番納得したかも。でも、ポールとかドヤ顔で『お、俺は魔術書が欲しかっただけだー』とか無駄にカッコつけそう」

 モニカの考察にエレンが頻りに頷きながらジョッキを傾けつつ微妙にポールをディスると、言いそう言いそうとその場の一同に笑いが起きる。そして一頻り笑った後、今度はユリアンが控えめに手を挙げて周囲に聞こえないように多少声を潜めながら口を開いた。

「モニカ、俺からも一つ聞いていいかな。ドフォーレの狙いって、結局なんだったんだろう。あいつらは塩に麻薬を混ぜて流通させていたけど、あれってそもそも麻薬としての価値はないってポールは言っていたし・・・」
「それはロビン様も仰っておりましたが、わたくしはむしろ今回の首謀者がラブ氏ではなく魔物の化けたモンテロ=ドフォーレだったと考えれば得心が行くと思っておりますわ」
「・・・つまり、どゆこと?」

 ユリアンの疑問もまた、至極当然だった。抑も今回の事件を暴く最大のきっかけは、ロビンとユリアン、ポールの三人による塩に擬態した麻薬の秘密裏の摘発に端を発する。
 だが彼らが発見したその『麻薬』は、塩と混ぜており麻薬としては売り物にならない状態だった。これでは、あとで分けることも不可能に近い。だが麻薬としての成分はしっかり含まれているので、人体には有毒だ。少量なれど長期間の服用が続けば、いずれ人類に甚大な被害を齎らしたことは間違いない。
 何故ドフォーレは、稼ぎにもならないのにそのような危険物を流通させていたのか。
 それについてモニカは、この行為の首謀者がラブではなくモンテロであると読んだのだ。

「ポール様も同じ見解でしたが、恐らく本物のモンテロ氏は、死蝕からそう時間が経たぬうちにあの魔物によって殺害されていたものと思われます。そしてモンテロ氏に扮した魔物が長きに渡りドフォーレ商会を支配してきたのならば、その目的は企業の成長などではなく人類に仇為すため・・・そう考えるのが自然ではないでしょうか」
「そうか・・・そういえば捕まってすぐに釈放されたラブ=ドフォーレも『何故こんなことをしたのか、自分でもよくわからない』って言っていたらしい。洗脳みたいなものを受けていたってことなのかな」

 モニカの言葉に、ユリアンもまた頻りに頷きながら答えた。
 そんな二人の言葉を聞きながらジョッキをあおっていたエレンは、一気にその中身を飲み干してから口を開く。

「・・・っぷはぁ、なーるほどねー。じゃあ今回あたし達、ある意味世界を救ったようなもんじゃんね?」
「おお、確かに!」

 今になって気がついたようにユリアンが感嘆の声と共に同意すると、でしょでしょと言いながら気を良くしたエレンはホールのライムに向かって空のジョッキを振った。

「じゃあ世界救済祝いに皆んなでもう一杯!ライムおねがーい!」
「はい喜んでー」

 エレンの快活な声にいつもの調子で応えたライムだったが、普段はあまり明るい雰囲気を出さない彼の表情も今日ばかりはどこか晴れ晴れとして誇らしげであった。

 

ドフォーレ事変エピローグ side C

「なーんて平和に終わってたまるかっての。今日こそは全部教えてよね」
「おいおい・・・早めに寝たほうがいいんじゃないか?」
「はぐらかさない!」

 飲み屋通りの喧騒から離れたヤーマスの宿の一室では、水と果汁で薄めたワインをちびちび啜りながらキャンディがポールに絡んでいた。対するポールはエレンに付き合って流石に連日飲みすぎたのか、ウィスキーを炭酸で割ったものをゆっくりと飲みながらキャンディの様子に肩を竦めて見せた。

「結局さ、ポールは一体いつからドフォーレの正体に気づいていたの?」

 背もたれのある簡素な椅子に逆から座り、背もたれ部分に腕と頭を乗せながらキャンディが矢継ぎ早に続ける。どうやら質問に答えてくれるまで徹底的に居座る様相であるキャンディに、ポールは早々に抵抗など無駄であろうと悟り小さくため息をついてから口を開いた。

「まぁ・・・感づいたのは俺も最近だよ。それこそ、制圧後の神王教団ピドナ支部を漁っている時だ。そこでまず、教団とドフォーレの麻薬を含めた黒い繋がりを示す幾つかの証拠を見つけた。その後に捕縛した教団員に余罪についての尋問をした際、その中に偶然にも過去のガーター塩田襲撃の実行犯がいてな。結局そいつ自身は襲撃の目的も何も知らなかったんだが、俺はどうもそれが気になって、ちと調べようと思ったのさ。因みにモニカ達に頼んだ小芝居も、この時思いついた。あとはまぁ、お前さんが辿ったルートとそう変わりはないと思うぜ」
「でも、ウチは塩と麻薬がごっちゃって部分は読めなかった。ポールはなんでそこまで・・・?」

 ポールがつまみ用に用意していたドライフルーツを断りもなくひょいとつまみながらキャンディが聞くと、ポールはにやりと笑いながら、勘だ、と一言だけ応える。
 それにキャンディがさも胡散臭いものを見るように無言の半眼で応じると、ポールは毎度の如く肩を竦めながら自分もドライフルーツを口に放り込んだ。

「んーまぁ、まず魔物が絡むって時点で首謀者が人間ではない可能性の方が高いとは睨んでいたんだ。なにせ俺はロアーヌ宮廷の一件を、この肌で感じていたしな。こりゃもう経験の差だろう。あとは塩の単価がこれまでの水準からしたらあまりに安価で且つ数年全く動かさない事から、塩流通の主目的が金稼ぎではないんじゃって事も薄っすら思ってはいた。この辺は、普段の値段変動を見続けていなきゃ気付き難いわな。んでまあ、そこから魔物が裏にいるのと過去から麻薬の出所が不明であることを合わせつつ収集した資料を元に、奴らが塩と麻薬を混合しているっつー仮説を立てた。ただピドナでドフォーレの扱う塩を調べた時には反応があんまりにも薄くて確信が持てなかったが、ヤーマスで運良くロビンの協力を得て配合の濃いブツも押さえて確信も持てたし、その内容も内容だったからのんびりやるわけにも行かねーしで、今回一気にやったってわけだな」

 ポールの言葉を一つ一つ噛み砕くように耳を傾けて聞いていたキャンディは、どうやら色々と腑に落ちたように一人頷いた。

「・・・そっか、そこまで確信あったから、メッサーナ王国軍が情報統制して事態をちゃっちゃと締める方向に走ることも分かってたってわけね」
「ご名答。しっかしまぁ、そこまで察するか。お前ホント頭いいのな」

 キャンディが指摘したのは、今回のトレードが形式通りに終わり、そしてラブ=ドフォーレも逮捕後、即座に釈放された部分に関してだった。
 そりゃこんなの世間に公表できないもんね、とキャンディは続けた。
 なにしろ今回の件はドフォーレの塩が流通していた都市国家全て、それこそ冗談抜きに世界中を巻き込んだ事件である。しかもドフォーレの塩が流通していた数年来、常に麻薬が少量混入していたという状態だ。こんなことを世間にそのまま公表すれば、これまでドフォーレの塩を買って使っていた国や人々に大きな混乱と不安を招くことになる。焦燥、そして恐怖はアビスの瘴気を活発化させる元凶でもある。
 それになにより、これらを全く防ぐことのできなかったことが世間に知れ渡れば、各国の軍団の権威は失われ、信頼も地に落ちることとなる。そればかりは、メッサーナ王国としては何物にも優先して絶対に避けなければならないことだった。

「まぁ、ラブ氏もどうせ釈放に関しては監視付き且つ他言無用が条件ってとこだろう。兎に角メッサーナ王国軍としては本件を世間に深く探られては非常に具合が悪い。だからこそ、魔物が暴れました。ドフォーレは操られてました。でも正義の味方が倒してくれましたで一件落着!・・・としたかったわけだな。まぁ実際ラブ氏の事件直後の様子を見る限り、意識操作らしきものはあったようだしな」
「でも詰まる所、メッサーナ王国軍にとっては丁度いいカモフラージュ代わりにウチらやロビンさんも利用された、ってわけよね。なーんかそう考えると、イマイチ釈然としなくない?」

 キャンディが不機嫌そうにぷくりと頬を膨らませると、ポールは苦笑してみせる。

「なぁに、この展開のほうが寧ろ俺らにとってこそ都合はいいんだ。今頃、王国軍は苦虫を噛み潰してるだろうさ」
「ひょっとしてそれ・・・ミューズ様のこと?」
「・・・お前は本当に十四歳か? 一体、何処まで読んでるんだ?」

 そういってポールは、彼にしては珍しく本当に驚いたように目を丸くしながら声を上げた。
 対するキャンディはそんなポールの言葉に欠伸で応え、グラスの中身を一口啜ってから口を開く。 

「そりゃ誰だって唐突だなって思うでしょ、あそこでミューズ様が来るなんて。まぁ、今ので大体想像はついたけどさ」
「ま、そうだな。単に金を無心するために呼んだわけじゃあないさ。当然これは、トーマスの旦那も咬んでるしな」

 ポールがそう言うと、キャンディはドライフルーツを掻き分けて皿の底に溜まっていたナッツをつまみ上げ、指で弾いて口に放り込みながら曖昧な返事を返した。

「で、どう言うことなの?」
「これが実は今回の一番の狙いでな・・・ずばり、対ルートヴィッヒ体制の確立、だ」

 ポール、そしてトーマスの狙いはそこだった。
 抑も現在のピドナに渦巻く経済界を中心とした様々な問題はルートヴィッヒ軍団長率いる現体制が齎したものであり、それは軍を通さぬ鉄や鋼等に課される特定品目追徴課税等の施行を以て今後より一層加速していく状態であった。この様な横暴が罷り通りこのまま中央集権が続けば、最早誰にもこの流れを止めることができなくなってしまうという所まで事態は来てしまっていた。 

「・・・つまり、クラウディウス復興でもってルートヴィッヒの一党体制を崩すってことか」
「そう言うことだ」

 現在でも既に、ルートヴィッヒ政権に異を唱えるような派閥は宮廷内には存在していない。そしてルートヴィッヒの情報統制や世論対策は実に見事なものだった。無論商業ギルドに組するものからは反感の声も聞こえてはいたものの、大手企業に対して補填策を用意することで抑え込みが成された。だからこそ付け入る隙もなく手をこまねいていたと言うのが、以前までの話だったと言うわけなのだ。

「って事は、切っ掛けは上半期決算発表会だったわけね」

 その絶対的な均衡が崩れたのは、カタリナカンパニーがピドナにて催した上半期決算発表会であった。
 ここで起こった襲撃事件を機に、ある意味ではルートヴィッヒ政権の象徴とも言われていた神王教団ピドナ支部が魔物の巣窟であったという衝撃的な結末で以って瓦解。これにより五年前に神王教団をピドナへと招き入れたルートヴィッヒの責任を追求する声は、流石の彼の情報統制でも完全とはいかなかったのだった。それ程、あの事件はメッサーナの民にとって衝撃的な事件だった。

「現政権に対する不満が大きくなった直後に、かつてピドナで善政を敷いたクラウディウス家の息女による悪徳ドフォーレの退治劇、か・・・。そりゃあの美貌でそんなことされちゃ、世界中にファンも出来ちゃうよねぇ」

 ルートヴィッヒ上陸以前に故アルバート王の遺志を継いで政治を主導していた故クレメンス=クラウディウスは、アルバート王のそれに習い、神王教団のピドナにおける布教活動を認めていなかった。
 当時はそれを横暴として批判する声も少なからず存在していたが、ピドナでの事件を機に改めてクレメンスの判断は正しかったのだと主張する声は、着実に市井の間で広まっていた。

「・・・そっか、だからこのタイミングか。文句言ったらこの事件を根掘り葉掘り突かれるから、黙らざるを得ないってわけね」
「ご明察。ま、因みにこれの筋書きの基本は、俺じゃなくてトーマスの旦那だよ。ほんとあの人は、商売やらせとくには勿体無いと思うよ」

 頭の中の疑問にやっと合点がいった様子で納得顔のキャンディに、ポールはこれで酒をゆっくり飲めるか等と内心胸を撫で下ろしながら言った。
 当然の事ながら常々情報統制を行う中で、ルートヴィッヒ政権は市井の不満を把握していた。同時に、カタリナカンパニーが事件以前からクラウディウス家と関わっている事も当然認識していた。事の有る無しに関わらず、政権を揺るがす要因と成り得るものは先に抑えておくのが常道。だからこそカタリナカンパニーが初めて公に顔を出した上半期決算発表会には、ルートヴィッヒの片腕である副団長マルセロが出席するという、ある意味であからさまな牽制も行なったのである。
 それだけ現政権としては市井の不満の受け皿を作ることは絶対に回避せねばならなかったという事であるし、現状最もそれに成り得る存在こそがクレメンスの秘蔵っ子ミューズであることも明白だったからだ。
 だがそんな彼らの思惑を大きく外れ、事件は起こった。
 先ずは前述の決算発表会襲撃事件に端を発する、神王教団ピドナ支部瓦解事件。
 ある意味でルートヴィッヒ政権の象徴であり、また市井の不満の意図的な受け皿の役割をすら果たしていた神王教団があのような結果で消滅したことは、ルートヴィッヒにとっては非常に大きな痛手であった。
 この事件の火消しには未だ政権が躍起になっているが、しかし教団という受け皿に騙されていたことも含め、民衆の不満は嘗てないほどに膨れ上がっていた。
 そして、今回改めて世界を、軍の信頼を揺るがしかねない大きな事件が起こってしまった。
 それが、このドフォーレの事変である。
 しかもその表向きの収束をクラウディウスが演出するという、ルートヴィッヒにしてみれば考えうる限り最悪の形で、事件は決着した。
 いや、正確に言えば最悪の形というのは語弊がある。
 彼らにとって何より最悪なのは、微量の麻薬が塩に擬態し数年もの間市民に流出し続けていたという事実に王国軍が一切気付いていなかったという無能を世界に晒す事だった。
 これ以上軍の失態が広まれば、最早ミューズ等という受け皿など無くとも民衆の反乱は目に見えている。それこそ今回の件はピドナだけの話ではない。世界中を巻き込む規模の話なのだ。
 実の所、五年前に突如として台頭したルートヴィッヒを内心快く思っていない各都市の軍団関係者も少なからずいる。だからこそ神王教団に続きこの事件がまたしても軍の不手際であると判断されれば、ここぞとばかりに一斉に近衛軍団の責を問うであろう事も明白だった。
 軍としては、己の不手際を問われる事こそ最悪。だからこそ今回正攻法にて表面上の事件解決を齎したクラウディウスに対し、下手に突っ込みを入れるわけにはいかないのだ。
 『騒ぎを収束させたヒーロー』に物申せば、民衆は当然軍を批判するだろう。そして、なぜ批判するのか、と事件の内情を探り始めるだろう。
 それで事件の真相に触れるものが増えれば、それこそもう収集がつかなくなる。
 だから今回のこの機会であればこそ、ミューズは現政権に邪魔をされる事なく表舞台に立つことが出来たのだ。

「・・・しかも、ラブには相応の条件で今回の件を口止めしてんだろうけどウチらはそういうわけにはいかない。ルートヴィッヒは今回口出しをできない上に、依然としてかなり大きなハンディを背負ったままだ」

 そう言ってポールは非常に意地の悪そうな笑みを浮かべた。
 キャンディはそのあまりにはまり役のような悪役面に軽く引きながらも、グラスを傾けながら続きを催促する。

「麻薬工場におけるドフォーレ、麻薬、そして塩の関係性を表す資料は、全て此方で回収し、持ちきれない分は燃やしてある。軍にはドフォーレと麻薬との関連性に関する参考資料こそ提供したが、塩との混合を示唆する資料は渡していないのさ」
「うっわ、考え方が完全に悪役のそれじゃん」

 ポールの言葉にキャンディが半ば呆れ顔でそう言うと、まるでそれが褒め言葉であるかのように上機嫌な様子でポールは笑ってみせた。

「ま、このカードは次の大きな行動を起こす時の切り札だな。暫くの間は、このカードを切ろうと切るまいと、彼らは疑心暗鬼から強気の行動を起こせなくなる。気を付けたいのは、業を煮やしての暗殺関連だな。クレメンス様やフランツ侯の様な事は絶対に避けなきゃならない。これまで以上に、護衛を確りつけなきゃだな」
「・・・本当に怖いのは魔物より人、なんて使い古されたオチはやめて欲しいもんだね」

 キャンディはそう言いながらチビチビとグラスの中身を啜る様に飲んだ。

「ま、何にせよ今回はこれで万々歳さ」
「なーにが万々歳よ。抑もミューズ様とあんな話になってるなら、最初から言ってくれればウチが態々あんなに焦らずに済んだのに。勝つために自社資金もギリギリまで積み立てる算段だったんだからね。皆んなにいっぱいお願いの書面だしちゃったし」

 キャンディがまたしても膨れると、ポールはそれにも笑って応えた。

「はっはっは、すまんすまん。しかしキャンディのそれのおかげで、すっからかんのドフォーレの事業再生に調達した資金を回す余裕ができたんだ。正直再生には年単位で時間が掛かると踏んでいたが、これなら直ぐにでもドフォーレの持っている地盤やインフラを使えそうだ。今期の決算も総資産爆上げだぞ。感謝しているよ」

 ポールに感謝の言葉をかけられてまんざらでもない様子のキャンディは、ふふんと鼻を鳴らし、壁に掛けられた時計に目を向けた。見ればすっかり、そろそろいい時間だ。
 キャンディは残り少なかったグラスの中身を一気に飲み干すと、小さく欠伸を一つして、椅子から立ち上がった。

「ま、大体わかったよ。ウチも今日は寝る」
「あぁ、また明日な。お疲れさん」

 存外素直に部屋を出て行ったキャンディを見送ったポールは、自分もグラスを一気に傾けて中身を飲み干し、そして一息つきながらふと窓の外を眺める。
 見上げれば夜空には、煌々と輝く月が雲の合間から顔を覗かせている。北方で見る月は、ピドナから見上げるそれよりも輪郭がはっきりしているように見えるのだ。しんと冷えた空気が、そうさせるのだろうか。そう思ってふと窓を開けてみると、予想外に肌寒い空気が流れ込んできてすぐに閉じてしまった。

「・・・寒くなってきたな。今頃キドラントは、冬籠りの支度かな」

 窓の外の景色に向かってそう呟いたポールは、テーブルの上の洋燈の火を吹き消し、自分も早々に布団に潜り込んだ。
 まだまだやるべきことは山積みだが、今日ばかりはゆっくり寝てもいいだろう。そう自分に言い聞かせ、間も無く微睡みの中へと落ちて行った。

 

 

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第六章・11 -ドン・ドフォーレの誤算-

 

 鼻息も荒いままに全体重をかけて勢いよくソファに座り込んだキャンディは、両者の間でおろおろしているばかりのギルド管理員に対して自分も飲み物を催促した。頼んだものは、砂糖をたっぷり溶かしたトロピカルティーだ。
 そして矢継ぎ早に、キャンディはここでお昼休憩を一方的に宣言した。兎に角、一度考えを巡らせる時間が必要だと感じた為だ。
 そんな彼女の傍若無人な様子に対し机の向こう側にいるラブは怒りを通り越して最早あきれ顔で、一度自分たちも昼食を取るためにと見張り役を一人入り口付近に残して会議室を後にしていった。その様子をソファからちらりと見ただけで、キャンディは管理員に対して出前のサンドウィッチを頼みながら手元の資料へと視線を落とす。

(さて・・・勢いで勝つとか言っちっけど・・・)

 脇に置いていたくまちゃんを普段の癖で膝の上に抱き寄せ、くまちゃんに覆い被さるようにしながら資料へと視線を落とす。そして羅列されている数字と文章をやや遠巻きに眺めながら、キャンディは可愛く眉間にしわを寄せた。

(そもそも三億オーラムに対抗するような資金なんて、カンパニーには多分ない。うん・・・ないない。そして勿論、自社資金以外のどっからかこさえるってのも難しい)

 自社の直近の決算報告から見る総資産は、先程ラブが読み上げた調書とほぼ変わっていない。無論この二週間で様々に動いた分の変動は加味されていないが、それを加えた上で更に甘めに見積もったとしても、三億等という数字に届くとは到底思えなかった。
 また同盟を組んでいるフルブライトや、社内で進行している各企画グループへからの今期営業利益の緊急拠出を依頼したとしても、精々集まるのは自社資金と合わせて二億あたりが関の山だろうとキャンディはざっくり試算した。

(つかそもそもよ、仮にどうにかして三億をウチらが用意出来たとしたって、対するドフォーレの拠出金が三億で終わるわけがないんだよねー。なんせあっちの直近決算による総資産は十億オーラム相当・・・。改めて考えると、まぁ絶望的な差だよね。なわけで相手を上回る資金を詰んで勝つっていう正攻法は、今回に限っては当てはまんないわけだ。だからこそウチらの戦いは全て事前に集められた資料と情報、そしてポールがきっと今も行ってるはずの仕込みで完成してるはずなんだけど・・・)

 キャンディの手元にある資料は、ドフォーレ商会とカタリナカンパニーの最新の取引帳票。そしてドフォーレの現在の総資産と主な販売商品の流通経路、及びその収益額の概算。その生産方法について等等。特に流通経路やその量、及び現在時点の収益額に関してはサラがこのヤーマスで調査したもののようなので、ほぼ間違いない正確なものが記載されている。

(ここに並んでいる数字を見る限りでは、どっからどうみても見事に数字での勝ち目は無い。そんな相手に対して勝つには・・・・・・。・・・ううん、こっちが戦える数字まで相手を引きずり落とすことが出来りゃいい・・・かな。うん、それ以外には思い当たんない・・・。よし、この線で考えを進めることにしよ。となればドフォーレみたいな規模を相手にちんたら数打っても埒あかないし、一発で最大効果ゲットできるものを狙うしかないよね。そんならドフォーレが一番失って困るのは当然・・・)

 手元の資料に目を落とすと幾つもの数字や商品がそこには羅列されているが、その中でも一際目立つ品目と桁違いの数字を誇る物件がある。それは、ヤーマス塩鉱だった。
 つまり現在のドフォーレにおける最大の収益源は、間違いなく塩なのである。ルーブ地方にあるヤーマス塩鉱から算出される岩塩を精製して食塩を作り、それを世界に流通させる。これが今現在、莫大な利益をドフォーレにもたらしている。

(・・・仕掛けんなら、やっぱこれだよね。ヤーマスでポール達は、対ドフォーレ用の工作を行ってるはず。多分ポールがトーマスさんに頼んで各国に向けて発送した速達も、その一環。勿論、現地にユリアンたちを連れてきたのも関係があるはず。うーん・・・ウチはてっきり商会本館に殴り込みにでも行くのかと思ったけど、そうじゃなかったみたい。じゃ、一体何のためだ・・・?)

 キャンディは用意されたトロピカルティーを一気に半分まで飲み干し、そして徐に資料の束の中から一冊のスクラップブックを引っ張り出した。これはポールがピドナで収集した新聞の切り抜きを纏めたと思われる手製のものだ。ピドナにあった他の数値資料関係より何より、キャンディはポールが態々集めたこのスクラップブックを選んで荷物に入れて持ってきていた。
 それを資料の一番上に乗せ、ペラペラとめくっていく。

(この間はよく見てなかった記事の切り抜きが、まだいくつかあるはず・・・このスクラップブックに、無駄な切り抜きは多分無い。だから、この問題を解決する糸口はこの中にきっとあるはず・・・)

 とはいえ海洋における商業流通関連や魔物被害は、ドフォーレ海運における不審点を導き出す上で大体読み込んでいる。となると、それに関わらない記事は自然と限られてきていた。

(あと目立つのは、ドフォーレの取引禁止品目に関する噂を纏めたものと、ヤーマス都市警護団の出動記録に関する記事か・・・。前者はまあ、昔っからあるやつだ。ドフォーレは昔から盗品の取り扱いや聖王様によって禁止された麻薬の取り扱いに関する噂が絶えなかった。でも、実のところ未だそのしっぽを捕まれたことはないんだよね・・・)

 この噂自体は、商業に関わるものの間ではわりかし有名な話であった。世界各地の港では未だ散発的に麻薬に関する摘発が行われるが、その度に流通経路を摘発した都市国家の軍団が捜査すると、最終的にはこのヤーマスにたどり着く。だがこれまで、ドフォーレに強制捜査が入ったことは一度たりとて無い。それはドフォーレが拒否するどころか寧ろ麻薬に関する調査に非常に協力的で、自社の倉庫の開放は愚かドフォーレの呼びかけによってヤーマス港に倉庫を持つ全ての企業が捜査に応じるように仕向けたりといった行動があったからだ。
 無論これを所謂「ポーズ」であると批判する意見はあるが、事実としてヤーマス港では未だ麻薬そのものが発見されたことが無いことから、ドフォーレを含むヤーマス港を利用する企業には疑いを向ける余地が無いと軍団は判断せざるを得ないのだ。

(でもこの記事を集めたということは・・・ポールはドフォーレと麻薬にはやっぱり繋がりがあると疑った・・・いや、ほぼ確証に近い情報をどっからか手に入れたってことだ。多分現地での工作は、これに関係してるはず。でも・・・単に違法取引をしょっ引くだけならメッサーナ王国軍への情報提供で十分じゃんね・・・。強制捜査が入れば、それで一件落着・・・にはなんないのかな。うん・・・多分、なんないんだ。それで済むなら、ポールはハナからそうしてる。そうしてないって事は、これは軍団による捜査ではなく自分たちで仕留める必要がある。だからポールは手元に戦力が欲しかった・・・ってことかな。うん、確かに海運時代からドフォーレが魔物とグルっていうウチの予測が当たりなら、今回も魔物との戦闘はあり得る。魔物相手ならそりゃ戦力は欲しい。でも・・・あとはこっから塩にどう繋がるか、だよなぁ・・・。ポールがこの情報を集めた上で戦力を揃えたってことは、取りあえず麻薬と魔物までは間違いないと思うけど・・・)

 集中していて見過ごしたか、いつの間にか机に運ばれてきていたサンドウィッチに気がつき有り難くそれを頬張る。分厚く切られたライ麦パンの間に挟まれた良く燻された香ばしいベーコンに、新鮮なレタスとトマトがよく合う。食欲をそそるベーコンの油としゃきしゃきとしたレタスの歯ごたえを楽しみながら、キャンディは行儀悪くスクラップブックに視線を落とし続けた。

(ええっとあとは、都市警護団の出動記録か・・・。これは海洋関係じゃなくて、陸地・・・ルーブ山脈周りや街道とかの魔物発生に対しての掃討作戦が主な記事みたい。竜種みたいな強さが半端ない存在の周りには自然と魔物が集まるっていうし、そりゃ竜峰を仰ぐ地方ともなれば都市警護団もしょっちゅう出動するってわけだ。ご苦労様なことだよ・・・。ってか、記事の頻度だけみると出動めちゃくちゃ多いな・・・年間でかなりの数の出番がある。ルーブ山の麓の周りとかって、結構危ないんだなぁ。この辺の木こりさんとかハンターは大変そうだ・・・。・・・・・・・・麓?)

 二度三度瞬きをしてから何かが引っかかったキャンディは、サラが用意していたヤーマスとルーブ地方の周辺地図を資料の合間から引っ張り出した。これには、先に確認したとおりドフォーレの扱う商材の主な生産地や流通ルートが記載されている。

(・・・ビンゴ。ヤーマス塩鉱って、位置がまんまルーブの麓じゃん・・・。そっか、世界中に流通するほどの産出量を誇る塩鉱だってのにこれまで発見されてなかったのは、魔物に阻まれていたからか。でもドフォーレは魔物と裏で繋がっているから、楽勝でそこに到達できた・・・。よし、繋がる繋がる。ん、でも待てよ・・・それはそれとして、仮に魔物を一時的にどうにかしたって塩鉱そのものは消えるわけでもないんだから、別にポールが魔物を蹴散らしてまで塩鉱にいく意味あんまなくない? となると、じゃあ一体・・・)

 一つ目のサンドウィッチを食べきったキャンディは、間髪入れずに二つ目のサンドウィッチに手を伸ばす。もう一つは北海特産のサーモンをたっぷりと挟み込んだフィッシュサンドだ。脂ののったサーモンに舌鼓を打ちつつ、キャンディは頭を捻る。

(魔物はルーブ山脈の麓・・・あとは塩鉱の辺りにもごろごろ居る。ポールは魔物と相対する為に戦力を揃えた。んで、魔物と麻薬は関わりが・・・ある・・・)

 そこまで考えたところで、キャンディは止まった。
 それはつまり、彼女の中で一つの推論に辿り着いたことを意味していた。

(・・・ドフォーレは麻薬と関わりがあるとポールは踏んでる。でも麻薬は、流通の要である港ではいつも見つかんない。だから保管場所は・・・別にある。簡単には見付からないような、人目に触れない場所・・・例えばヤーマス塩鉱のように魔物が多くて、うっかり近づけないとこに麻薬の保管場所があったらグレート・・・。サラの資料に寄れば、採掘された岩塩の精製は塩鉱の近くで行ってる。もしそこで一緒に麻薬の精製もしてれば、そこから運ばれてくる塩と共に麻薬も移送出来る・・・。あとは港で保管なんてしないでちゃちゃっと速攻船に積み込んで出航しちゃえば、捜査で見つかることも無いんだ・・・)

 額を、嫌な汗が一筋下る。これが単なる妄想であるならいいものの、しかしここに至っては手元に様々な情報や記事が、そしてこれまで見聞きしてきた全てが、キャンディが辿り着いた推測をより真実味のある推測足らしめている。

(そしてポールは主要各国の港に近衛軍団を巻き込む形で速達を送った。ウチが港に持ってったから、送り先は全部覚えてる。確かに大規模港宛てだったけど、その中には何故かツヴァイクは入ってなかった。理由はそう・・・ツヴァイクは、自分らの分くらいは確保できる塩鉱を持っているからだ。そっか、あの送り先は単に大規模港を持ってる都市国家ってわけじゃなく、ドフォーレが塩の流通を行っている港に宛てた速達だったんだ・・・。そこへ近衛軍団を巻き込んでの物々しい速達・・・。単純に考えるならそれは強制捜査の執行令状・・・か。それってつまり、塩と共に麻薬が流通しているってこと・・・!)

 咥えたままだったサンドウィッチをゆっくりと噛みちぎり、碌に噛みもせずにごくりと飲み下す。先ほどまで瑞々しい素材の味わいに舌鼓を打っていたはずなのに、今は全く味がしない。キャンディはサンドウィッチの残りを無理矢理口の中に突っ込み、残りのトロピカルティーで胃に流し込んだ。

(・・・うぉ、ゲロ甘・・・。っと、多分各国の港に速達が届いたのは、ざっくり一週間前。そこで現地での強制捜査が入ったはず・・・。てことはその捜査がビンゴなら、結構時間経ってるしもう間もなく各国から向かってくる捜査団のヤーマス全面調査が入るはず。でも今回のキモとなる塩鉱近くにあるはずの麻薬保管及び精製工場へのアクションは、ぎりぎりまで伏せておかなきゃならない。これが事前にドフォーレに察知されたら、ドフォーレは全力で証拠隠滅に走るに決まっている・・・。いつもと同じく、港の倉庫解放のパフォーマンスで撒かれる・・・。だから塩鉱にだけは、動けば目立つ軍団は初手に使えない。隠密に少数精鋭でそこを叩き、ドフォーレを出し抜いて現場の動かぬ証拠を抑えた上で各国の捜査に合流する・・・そっか、これなら情報提供のタイミング次第じゃ、こっちが各方面の動向を操る事も可能だ・・・流石エグいじゃんね、ポール。よし、大体読めたかな・・・。そうなると・・・)

 そこで何を思ったのかキャンディはバッグの中から十露盤を取り出すと、手元の資料を参照しながらとんでもない速度で数字をはじき出し始めた。ドフォーレの総資産と塩の流通による利益、各国への直近の流通量、自社の資金とサラが纏めてくれていた自社内のグループ各個が排出する利益額。それらを加味しながら、キャンディは黙々と計算を続けていった。

(・・・これらが全て上手くいけば、現在成立している取引が可能な限り全て巻き返される。サラが集めてくれたデータは正確無比。ここに書いてある流通履歴と貯蔵量まで加味するなら、賠償総額は・・・・)

 一頻り珠を弾く音だけが部屋の中に響き渡っていたが、やがてそれはペースを落としていく。入り口に立っているギルド管理員とラブの部下が興味の薄い様子でそれを見ている中、やがて最後にぱちりと音を立てて彼女の手が止まった。それはつまり、計算を終えたということに他ならない。

(ざっくりは出た・・・。これでも結構際どいとは思うけど、きっとポールが勝負に出たということは大丈夫なはず。よし、こうなりゃあとは時間との戦いだ・・・。恐らくは調査に数日。そして各国での処遇等確認なんかでざっくり往復二週間ってとこか・・・。怖いのは、その後。軍団が、余計な欲を出す可能性があるってとこやね。そんなのウチにだって分かる・・・。基本トレードはいかなる事があっても締結をさせるって規定のはずだけど、この規模の事件ともなれば流石にトレードどころじゃなくなっちゃうよね、それは絶対に避けなきゃ。だからその前に準備し、決着をつける・・・一応これも確認しとくか。あとは誤差修正もしなきゃだから、かき集められるだけ最近の取引記録も漁らないと。そういう意味ではここが商業ギルド中央会館なのは渡りに船ってとこか。っしゃ、気合い一発。よーし・・・)

 最後の方は小声に出しながら小さく気合いを入れてむくりと顔を上げたキャンディは、会議室の入り口でキャンディを不審な目で見ながら待機していたギルド管理員のほうを向いた。その視線に気がついた管理員が首を傾げると、キャンディは立ち上がって管理員につかつかと詰め寄っていく。
 そして管理員の目の前で仁王立ちをすると、まるでお菓子を欲しがる子供のように管理員に向かって両手を突き出した。

「紙とペンとインクと蝋、あとトレードのルールブックも頂戴。それと、ここ一ヶ月間のヤーマスの取引記録が全部見たいんだけど」

 

 

 唖然とする、という言葉は、正に今この瞬間の彼のために用意された言葉であったのだろう。
 そう、ラブ=ドフォーレは正に今、唖然としていた。
 どうやら彼はここ数日の間睡眠不足だったのか、その目の下には色濃く隈ができている。また急激な憔悴の影響なのかこの二週間あまりで頭髪には白髪が多く交じり、かなり窶れたようにも見受けられる。
 そのような状態でヤーマス中央市場の大通りに力なくへたり込んだ彼の目の前では、今正に巨大にして醜悪なる形相の悪魔が七人の戦士の手によって屠られたところであった。
 商業都市ヤーマスに突如訪れたこの極限の状況の中、次の瞬間には彼の目の前に七人の戦士とは別の人物が忽然と立ちはだかった。そして地べたに座り込んでいる彼を、勝気な瞳で見下ろしている。
 その人物こそは、彼が二週間前に商業ギルド会館で初めて会ったキャンディという名の年若い少女だった。
 この時になってラブは、この少女を見誤ったことが己の敗因である事を、漸く確信した。

(・・・このガキ、一体なんなんだ・・・こいつら一体、いつから、どこまで仕込んでやがったんだっていうんだ・・・)

 彼のここに至るまでの地獄のような二週間は、この少女と出会った日の翌日に幕を開ける。

 

 初手の三億オーラムという金額の提示で即座にこのトレードの片は付くだろうとラブは殆ど確信していたものだったが、目の前で焦りの表情を浮かべていただけのはずのキャンディという少女は予測に反して折れなかった。寧ろ、それにより焦りが消え奮起をしたかのように猛り、動き出したのだった。
 とはいえ、それは単なる悪足掻きでしかないとラブは考えた。いくら動いたところで、相手企業の資金規模など知れたもの。だからこそ目の前の下らない足掻きに対してなど何も気にすることなく、直ぐに万策尽きてこの少女が諦めるのを座して待つだけ。そう考えていたし、それ以外の結末など予測のしようもなかったのだ。この時点では。

 かくして異変は、その翌日に起こった。
 まだ陽も顔を出さぬ未明の時分に、ヤーマス港は俄かに慌ただしくなった。緊急の寄港要請を出している船舶がヤーマス港沖に突如として複数隻現れたかと思えば、なんとそれらは全てがメッサーナ王国の各都市国家の軍団に所属している軍船であったのだ。
 ラブがその一報を聞いて急ぎ港に駆けつけた頃には、既にヤーマス港に半ば強引に入港した各国軍船から降り立った捜査官による現場倉庫の強制調査が始まっていた。
 だが、ラブはそれを見ても焦らなかった。
 なにしろ強制捜査程度はこれまでに何度も受けているし、所詮彼らの捜査ではここから何も出てきやしないのだ。それを彼は知っていたので、この事態に対しても特に焦ることはしなかったのだ。寧ろいつも通りに倉庫解放を協力してやり、さっさと事態収拾を図ろうとした。
 だが、その認識は間違いであることを彼は直ぐ様思い知らされることとなった。
 騒動の最中でラブの前に現れた捜査官が明かした強制捜査の対象は、麻薬ではなく『塩』だったのだ。そのあと続々と各国の捜査官からも塩の在庫の所在を問われたラブは、さも平静を装いながら『確認をする』とだけ応えた。
 この後の彼の行動は、迅速だったと言えるだろう。万が一の場合に於ける対処を予め決めていたからこその即断で、彼はヤーマス塩鉱近くにある麻薬生成工場の廃止を決めた。そして同時にヤーマス塩鉱周辺の魔物を暴れさせ現場確認を一定期間困難にするよう、早馬を走らせるように指示をした。こうして時間を稼ぎ、その間に生成工場から麻薬生成に関わる部分を根こそぎ消し去ることでこの騒動を落ち着かせようと考えたのだ。
 ヤーマスから塩鉱までは通常なら馬でも二日、徒歩なら四日近くははかかる距離だが、早馬ならば一日で指示が届く。
 何故捜査官が『塩』に着目したのかはこの時点では分からなかった。果たして彼らがどこからどこまでを嗅ぎつけているのかも、定かではない。だが何れにせよ彼の目的を達するためには、ここで全てが露見することは許されないのだ。
 その後日が昇るまでたっぷり捜査官を焦らした後に、ラブは塩の在庫がここにはないことを伝えた。それを聞いた捜査官が慌てて塩鉱へと編成隊を組むのを内心でせせら嗤いながら、これからの計画の再建にどう手を付けたものかと考えを巡らせ始める。
 この時点でラブは、すっかり現在のトレードのことを頭の隅に追いやってしまっていた。完全に忘れたわけでは無かったが、それよりも調査の件の収束を優先させるのが当然と判断したのだ。だから自分は直接ギルド会館に赴かず、配下の者を通じてトレード管理員にトレード早期終了の圧力をかけることしかしなかった。それで十分だと判断したのだ。
 だが彼の計画は、その更に数日後に破綻することとなった。

 各国連合の調査団による、ヤーマス塩鉱に隣接する巨大麻薬精製工場の発見。
 その第一報がヤーマス中を駆け巡ったのは、はたして調査団入港から五日後のことであった。
 全く以て予想だにしなかったこの展開に、ラブは大いに焦りを見せた。これは彼が今まで生きて経験してきた中で考えられる限り、最悪の事態であった。麻薬精製工場は彼の目的を果たす上での本丸だ。ここが見付かってしまったとあっては、彼の計画は、いや、彼らの計画は台無しになってしまうのだ。
 ラブは大いに荒れた。何故魔物の暴走が起きておらず、調査団が帰ってきたのか。自分の指示が届いていないことにラブは怒気を露わにし、商館会議室の家具をなぎ払った。
 そして彼はその様子に怯える部下をその場に置き去りにし、ドフォーレ商会本館に併設する自宅に籠もって体調不良と称し兎に角外部との直接接触を断った。
 この間に都市警備兵や商業ギルドからの使者が幾人もラブの元を訪れたが、その全てを彼は門前払いとした。だが、それは全くの一時凌ぎに過ぎない。状況はあまりに絶望的だ。
 彼が表に引きずり出されるのは最早、時間の問題であった。現時点でさえ、ヤーマス塩鉱と隣接する麻薬精製工場の関係性やその流通経路に関して、塩鉱を所有するドフォーレ商会の社長である彼は本件の最重要参考人という立場だ。
 既に彼を逃がすまいとしてドフォーレ本館及び自宅の周囲には多くの憲兵が日夜を問わず手厚く布陣されており、蟻一匹すら通さないという様相である。これでは、夜闇に紛れて逃げ出す等とことも不可能だろう。また本館から繋がる地下通路は港へと繋がっているが、港もまた全域にわたって一日中厳戒態勢が敷かれているので手詰まりとなる。
 正に、今の彼は八方塞がりだった。
 何故こちらが指示したように魔物の暴走が起こらなかったのかは、こうなってしまってはもう分からない。そして今はもうそれどころでは無く、最悪の場合を考えなければならない段階だった。
 仮に現場で何の隠匿も為されていないと考えたら、程なくして工場に残る資料からドフォーレと麻薬の関連性は暴かれるだろう。そうなれば、その時点でラブの身柄は強制拘束の対象となるのは間違いない。事実、各国の軍団は現地調査団を残して既に祖国へ向けて一度戻り始めており、それはドフォーレが黒幕であった場合の罪状を突きつける場合も加味した処遇を当然に検討するためだろう。
 正に刻一刻と断頭台を待つばかりのような状況で、ラブは何か打開策が無いものかと焦る頭で必死に考えた。
 いっそ全てを、壊してしまおうか。しかし、それは本当に最後の手段だ。いや、最早それは手段でもなんでもないといってもいい。それをしても、なにも事態は好転しないのだから。彼はその選択肢を、頭の片隅に残った最後の理性で否定した。
 だが、矢張りなにも打開策など思い浮かぶことは無く。

 そしてそのまま、一週間が過ぎた。
 この時、これまでずっと部屋に引き篭もっていたラブはすっかり絶望に彩られていた頭の片隅で、ふと疑問に思った。つまりは、『なぜ自分はまだ捕まっていないのか』ということを、だ。
 麻薬工場は確かに天然の洞窟も一部利用した大きな施設だが、とはいえ数十人からなる調査団ならばものの数時間で証拠を見つけることは容易いはずだ。だが既に調査団が工場発見の第一報を持ち帰ってから、一週間が経っている。つまり現時点で自分が拘束されずにいるということは、決して低くない確率で調査団が証拠を発見できていない可能性があるということなのだ。
 指示が実行され魔物が暴れ出したか、現地の部下が異変に気付き上手く証拠隠滅したか、はたまた自分の理解の外にある別の何かか。
 何れにせよ彼は今この瞬間を、この事態を脱する最大の好機と捉えた。何しろ想定されるどの条件の場合にせよ、時間は有限だ。いつ状況が変わるか、全く彼にも分からない。
 ラブはこの一週間絶望に取り憑かれ時間を無駄にしたことを悔やみつつ、しかし行動を起こした。
 彼は父である先代ドフォーレ商会社長、モンテロ=ドフォーレの元を尋ねることにした。
 父モンテロはドフォーレ商会に於いてラブの真なる目的を知る唯一の人物であり、『ある筋』への連絡役を担って貰っている。ラブは、その繋がりを少々使うことにしたのだ。それに元々は彼が商会の実行支配権を引き継いだのはドフォーレが死蝕の後に海運事業を始めた直後であり、それまではモンテロが『土台』を用意し、ラブは彼に付いていく形で共通の目的へ向けて動いていたのだ。だがモンテロはラブに事業を引き継いでからは一切商会としての仕事に関わる事なく、この十数年は半隠居を続けていた。それでも特定の相手への連絡のみはモンテロが担っていたが、それも塩鉱を基盤とした事業計画が軌道に乗ってからは殆ど頼ることも無かった。モンテロに頼らずとも、簡単な指示であればラブから出すことも可能であったからだ。
 だからこそこの十年、ラブはモンテロという存在を殆ど忘れていたと言ってもいい。彼は最早、ただただ静かに自宅の離れで老いさらばえていく、それだけの存在だった。
 だが今は、彼の力が必要だ。
 そう考えたラブは、自宅から続く通路を渡り、離れへと入っていった。

 ヤーマスの中央市場大通りに、数体の魔物が突如として出現。
 翌日から暫く各国の紙面トップを飾ることになるこの衝撃的な事件は、ヤーマスへの調査団入港から十三日目、即ちドフォーレとカタリナカンパニーのトレードが始まってから丁度二週間たった時に発生した。
 都市防壁の上、空から飛来した醜悪なる魔物達は、周囲の憲兵をなぎ倒して大通り中を震え上がらせた。
 ラブは、この混乱に乗じて兎に角一度、ヤーマスからの脱出を図ろうとしていた。
 この時点までは、依然として麻薬精製工場とドフォーレを繋げる直接的な証拠は出てきていないと見て間違いない。何しろ自分が今捕まっていないことが、その何よりの証拠だ。だからこそラブは、兎に角急ぎ麻薬工場へと自らが赴き、状況の確認をする必要があった。再度魔物を用いて現場にいる調査団を駆逐し、自分の目で状況を確かめる。そして麻薬工場とドフォーレの関連性さえ見付からないのならば、あとはなんとでも言い逃れをすればいい。その後は時間をかけて別の手段で計画を進めることは出来るだろう。
 何にせよ彼は状況を確認しなければならない。この騒動は、そのために彼が引き起こしたものだった。
 彼の目論見通りに都市警備の憲兵が幾人相手であっても魔物は全く意に介さず周囲をなぎ払っていき、程なくして狙い通りドフォーレ商会の周囲と港の警備が手薄になるのは時間の問題に思われた。その隙を突いて兎に角街の外へ出ることさえ出来れば、彼は晴れて次の手を打つことが出来るというわけだ。
 だが結果としてこの作戦は、失敗に終わってしまった。
 憲兵では太刀打ちできずに被害が更に中央市場以外へ拡大するかと思われた矢先、依然として暴れまわる魔物のいる広場に颯爽と現れたのは、豊かな長く美しい金髪を携えた軽やかな衣装を身に纏った美女と、パンツスタイルで髪を後ろに纏め上げた勝気な印象の、こちらも目を見張る美女。そしてもう一人はなんと、ヤーマスの巷を賑わすあの怪傑ロビンという三人であった。
 そして金髪の女性とロビンは小剣を操りもう一人の女性は手斧を用いて、瞬く間に魔物を殲滅せしめたという。そのあまりに鮮やかな手際に、中央市場大通りに集まった憲兵と市民からは大歓声が沸き起こり、彼女らはその歓声に軽く手を振って応えたかと思うと、荒れた現場の後片付けへと取り掛かり始めたという。
 結局のところは彼女らの活躍により憲兵の配置の崩れも殆ど起きること無く、ラブが街の外へと逃れることは適わなかった。
 ラブは未だ騒動の熱気が冷めやらぬ街の景色を背にこの報告を聞いて、女二人が間違いなくマクシムスガードであろうと確信した。
 そう、彼はここまで失念していたことを漸く思い出したのだ。
 抑も今回の騒動の切っ掛けは一体なんであったのか。それは決して、調査団の入港などではなかったのだ。
 では、その前日に開始されたトレードなのか。いや、これも違う。
 そのもっと前に、明らかに普段と全く異なる出来事があったのだ。
 それこそが、唐突にドフォーレ商会本館に訪れ港の隠し倉庫で彼らに宣戦布告をした、マクシムスガードと思われる謎の女二人の出現だった。
 宣戦布告をしたにも関わらずトレード会場に現れなかったこと、そしてその翌日から調査団の出現による慌ただしさで完全に忘れていたが、そうなると彼女らの存在こそが、この事態を引き起こした最初の予兆と考えられる。
 今回の魔物騒動を難なく片付けた手腕から見ても、彼女らは矢張り戦闘能力が相当な物であることは分かった。つまり、生半可な事では此方の意図する混乱を引き起こすことすら叶わないということだ。
 だがここまできてもラブは、まだ絶望に染まりはしなかった。
 確かにこの騒動に於いては、残念ながら状況が改善されることは無かった。しかし、自分はまだここからでも挽回出来る力を持っている。そうラブは確信していたのだ。
 そしてその力を存分に振るうためには、ラブは再度モンテロの元を尋ねる必要があった。ドフォーレ商会を引き継いだ頃のように、今こそ父モンテロが持ち自分が持っていないもの全てを受け継がねばならない時が来たのだと、ラブは考えた。

 そして彼はモンテロの全てを受け継ぐため、もう一度彼の元を訪れた。

 

 

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第六章・10 -家出娘、啖呵を切る-

 

「ハリード!?」
「よう、無事だったようだな」

 物々しい装備に身を包んだ衛兵に通されてやってきた浅黒い肌の傭兵を見たカタリナが思わず驚きの声をあげると、ハリードは場の緊迫感に似合わず陽気な様子で片手を上げた。
 突然の馴染みの来客に駆け寄って一体どうしたのかと問いかけるカタリナに対し、ハリードは腰に装着した愛用の曲刀の柄に片手を乗せながらにやりと笑って見せた。

「なぁに、ポールたちはカンパニー絡みの計略でヤーマスに向かったんだが、その作戦に俺は参加しなかったんでな。要は暇だったって事だ。そこでフェアリーが慌てて飛び出していくもんだから、その時にお前達と連絡を取るつもりだってとこも含めて内容だけ聞いておいたのさ。なんにせよ行き先が密林なら、あのロアーヌ侯であれば是が非でもここを拠点にするだろうと思ってな。まぁ誰かしら居るだろうとは思っていたが、読みは当たりだったようだな」

 だがまぁ一足遅かったようだな、と続けて肩を竦める。カタリナの様子から、既に妖精族救出が終わった事を読み取ったのだろう。
 剣の柄に置いていた手を腰に当て直し、ハリードはまるで観光でもしに来たかの様相で周囲を見渡した。
 彼らが今いるのは、メッサーナ王国の誇る最大規模の海上警戒拠点であるエデッサ要塞だった。ピドナ港を擁するマイカン半島の南に広がるトリオール海と、一大観光リゾートであるグレートアーチに続く温海の境目ほどに位置しているエデッサ島の入り江に建造されたこの要塞は、元々はあの悪名高き海賊ジャッカルが秘密裏に根城としていたとも噂される場所でもある。

「しかし・・・見事なものだ。正に近代建築の粋を集めた砦だな。こいつは生半可な美術品なんかより、余程鑑賞のし甲斐があるってもんだ」

 建設から十年ほどしか経っていないこの要塞は、比較的歴史のある建造物が多い西洋世界の中では特段に新しい大型建造物である。そして近代における軍事活動を最大化させることを目的として作られたこの要塞は、ハリードが言う通り現在用いられる技術の粋を結集させたものと言える。
 またメッサーナ王国王宮近衛軍団の前軍団長であるクレメンスの肝いりの建造物でもあり、ここを近代の近衛軍団における一番の誇りと自負するメッサーナ騎士も少なくないという。

「しかし、ここはメッサーナ近衛軍団の指揮下だろう。来ておいて何だが、よくもまぁ一時的とはいえルートヴィッヒがロアーヌ軍に駐屯を許可したなぁ」
「無論、それはミカエル様のご尽力の賜物よ」

 カタリナらが妖精救出に向かうと同時、ミカエルはいち早くピドナの王宮へと使者を送り出していた。
 無論その内容は有事の際にエデッサ要塞を利用させてもらう旨のものなのだが、ハリードが意外に思うように、この場所を近衛軍団が貸し出すというのは通常であれば全く以って考え難い事だった。何しろ軍事上でも重要な拠点であるが故に、同じメッサーナ王国の同胞とはいえども外部の軍に見せることそのものが、本来は躊躇われるはずなのだ。特に王宮の情勢が落ち着かない今であればこそ、容易にそれは想像できることだった。
 だがミカエルは特に何の策を弄すこともなく使者を送り、そして即に朗報を持って帰らせてみせたのだった。

「ミカエル様は、あれでルートヴィッヒ軍団長の先見性を評価しているわ。考えてみれば今回の神王教団との独自協定直後である事や、妖精族という聖王様縁の種族の救出という行動の大命題。そんな現在状況を加味して今のロアーヌに恩を売るべきか否か、愚か者でなければ分かるはず」

 ミカエルはそれらを加味の上で、何の策もせずエデッサ要塞を借りたいとだけ認めた書簡を使者に持たせ送ったのだ。
 これはリブロフ総督の失態により神王教団絡みでロアーヌに付け入る隙を見出せなかった分を宥める意味も大きく、ルートヴィッヒはその思惑を読んでか知らずか、兎も角ミカエルの思う通りにことが運んだ結果となる。
 つくづく恐ろしい御仁だとハリードは苦笑いで返しながら、それはそうと、と現在状況をカタリナに問うた。

「・・・現在、私達は本国からの援軍を待っている状態よ。援軍の到着を以って密林へ進軍し、四魔貴族アウナスの巣食う火術要塞へと攻め入るわ」
「ふぅむ・・・矢張り攻めるのか。一応聞くが、なぜその判断に至ったのだ?」

 ハリードはこの要塞に着いた時から、懐かしい独特の空気を感じ取っていた。この要塞全体に広がる鋭利な刃物の如く張り詰めた緊張感は、やはり戰前のそれであったようだ。しかしそれは、大いに疑問の残る状況でもあった。
 今回の作戦に於ける第一優先事項は妖精族の救出であり、カタリナの様子からも分かるようにこれは既に為したようだ。その上でこちらの被害をこれ以上出さないようにするならば、一度ここで作戦自体を終了しても良いのではないか。寧ろ通常であれば、その判断ではないのか。そうハリードは聞いてきたのだ。
 カタリナはその言葉に応えようとし、しかしその場では口を噤んだ。そして周囲の衛兵を避けるように来た道に戻るように身を翻し、ハリードを其方へと誘う。

「・・・場所を移しましょう。説明するわ」

 

 

 今より数えて約三百年の昔、絶大なる信頼を置く己が右腕にして初代ロアーヌ侯たるフェルディナントと共にここを訪れた聖王その人は、十二将を導いた奇跡の力を以てしてもなお、自らの生きているうちにこの地を人の住める場所へと再生することを断念したという。
 魔王の時代よりそこは『腐海』と呼ばれ、その常軌を逸した濃度の瘴気が渦巻く空間はこの六百年、人の手が入ることを頑なに拒み続けてきた。
 そんなロアーヌ東方開拓地であるシノンの更に東に位置するこの悍ましき腐れる大森林の入り口に、風変わりな一行が訪れていた。
 先導するのは、騎馬に跨った兵士。装いはロアーヌ国兵士のそれだが、軽装であることから本国軍ではなく近隣地域の駐屯兵だろう。そしてその後ろに続くのは、数十人からなる徒歩の集団。だがその集団は武装を施しているわけではなく、まるで身軽な旅人のような風情。更には背丈の小さなものも少なからず混じっており、一見して女子供の集団といったところか。
 通常であれば魔物の出現する危険性もあるこのようなところを徒歩で女子供が歩くなど自殺行為もいいところだが、不思議とその集団の周りに魔物が寄りつくことは無かった。
 間も無く腐海に入るかどうかというところで兵士が馬を止めると、後ろに続いていた集団の中から歩み出た一人の少女と思しき人影が先頭に出で立ち、眼前に広がる醜悪な瘴気を孕んだ大木を見上げた。
 見上げる姿勢のまま頭から被っていたフードをゆっくりと取り去ると、淡い金髪がふわりと生暖かい風になびいて舞う。
 少女のような人影は、フェアリーだった。

「あの、今更ですが本当にここまでご案内するだけで良かったのですか?」

 馬から降りつつ森の入り口で戸惑いの様子を隠せないロアーヌ兵に対し、まるで腐海の入り口にて集団を阻むかの如く聳り立つ巨大な大木を見上げていたフェアリーが振り返る。
 その動作に合わせ、その場にいる十数人の同行者もロアーヌ兵へと向きを変えた。

「はい、ここで問題ありません。ここまでの道中案内を頂き、有難うございました」

 ぺこりとフェアリーを始めとした一同が頭を下げると、ロアーヌ兵はとんでもないという風に勢いよく首を左右に振った。

「侯爵様からの命でありますので、お気になさらないでください。むしろ私にとっては、まるでお伽話の中にいるような数日間でした。このような体験は二度と出来ないでしょうから、お礼を言いたいのは此方の方かもしれません。せがれにも、良い土産話ができそうです」

 そう言って敬礼をしたロアーヌ兵は、引き連れていた馬に再度跨り、集団を残して帰路に着いた。
「・・・貴方に、風の加護が有らんことを」

 フェアリーがそう呟くと、それまで薄らと彼女たちの周りを包んでいた風が、去りゆくロアーヌ兵へと移っていく。清廉なる風は、低級の妖魔が特に嫌うもののひとつだ。彼女たちがここまで何事も無く来られたのは、その風の加護のおかげだった。
 ロアーヌ兵の姿が見えなくなるまで静かに佇んで見届けたフェアリーは、先ほどまで見上げていた大木へと振り返った。
 その途端、フェアリーの周りにいた十数人の同行者達は身につけていたフラワースカーフを脱ぎ去り、各々の本来の姿へと戻っていく。その中には、妖精族の長の姿もあった。
 長はフェアリーへと向き直り、ロアーヌ兵の去っていった方向を見ながら口を開く。

「声を発して話すというのも、悪くないものですね」
「はい。声には、温度があるように思います。思念による意思疎通では感じられない何かが、声にはあると思います」

 思念のみで同族はおろか異種族とすらも意思疎通が成立するという能力を有する妖精族は、通常このように言葉を発することをしない。
 それは妖精族という存在が生まれた時からそうであり、妖精達はそれを何の疑問にも思わずこれまでを過ごしてきた。

「声で話すっていうの、案外面白いわ。特に一定の音による空気の震えが、なんでか不思議と心地よく感じるの」

 フェアリーと同種の妖精が長とフェアリーの周囲を飛び回りながらそう言う。すると、周囲の妖精達もそれに同調するように頷いた。
 飛び回る妖精は回りながら『あ』を空に向けて伸ばす。儚い鈴の音のような声が、腐海の入り口に木霊した。

「それは『歌』です。人間は声による温かさや、冷たさや、時には激しさや弱々しさなんかも。そんなものを、歌に乗せて表現します」
「歌・・・。そう、これが歌なのね」

 妖精はフェアリーの言葉にうんうんと頷き、再び声を伸ばす。普段声を出さないからかその声はか細いが、その音は瞬く間に周囲に広がり、妖精達の目前に広がる禍々しい木々にさえ優しく語りかける。
 すると、その声を浴びた目の前の大木が、ふるい落すように瘴気を体外に解き放っていくのが見てとれた。
 その場にいる妖精達が興味深く見つめる先で、樹々を離れた瘴気はそのまま腐海全体を覆う禍々しい大気に合流するわけでもなく、上空に霧散し確かに消失していく。

「・・・術を用いずとも、瘴気は溶けるのですね。これは良い発見です」

 長がその様を見て微笑みながら、他の面々へと向き直った。

「それでは、ここに新たな私たちの住処を作るために歌いましょう。皆で歌えば、腐海何するもの。あっという間に瑞々しい樹々の寝所が手に入るでしょう」
『はーい』

 一同が長の言葉に頷いて大木へと向かう中、しかしフェアリーだけはそんな同胞の背中を見送るようにその場に佇んでいた。

「行くのですね」

 その様子に気がついていた長がフェアリーに語りかけると、フェアリーは小さく頷いた。

「はい。密林に潜む火術要塞への案内は、私達でなければできません。人間にこうして助けられた以上、少しでも恩を返したく思います」

 フェアリーの言葉に、長は小さく頷く。そして伏し目がちになりながら、ゆっくりと言葉を続けた。

「一族が負うべき仕事を貴方に任せる形になってしまって、ごめんなさい」
「いえ。里を飛び出した時から、私はそうするのだと決めておりました。長はどうか、皆に安寧を」

 フェアリーがふわりと風に舞いながらそう言うと、長は今度はしっかりと頷き、微笑んだ。

「貴方に、森の祝福を」

 長の祝福を受けフェアリーは風に乗って緩く弧を描くように舞い上がり、そして西へと飛んでいった。

 

 

「・・・おいおい、これは一体、何かの冗談なのか?」

 太陽が南中を過ぎた頃合い、ヤーマスの中央商業ギルド会館の大会議室に数人の屈強な部下と共に現れたラブ=ドフォーレは、部屋に入るなりそう言いながら大きく両手を広げて周囲を見渡した。
 世界中でも屈指の規模を誇るヤーマスの中央商業ギルド会館のトレード会場となるここ大会議室にヤーマスのドンたるドフォーレ商会が呼び出されたことは、かつて一度もない。いや、正確に言えばこのヤーマスの大会議室自体が、これまでトレード会場として使われたことが公式記録上は一度もなかった。
 何故ならヤーマスにおけるほとんど全ての取引は、ドフォーレの息のかかった筋が仕切っていたからだ。摩擦や競争など、起こらなかったのだ。
 だものだから、現当主ラブ=ドフォーレがこの大会議室に足を踏み入れるのは、中央会館が出来た時の視察以来で二度目となる。
 そして前回視察の時に見た風景と違うと思われるのは、会議室の中央に設えられた交渉テーブルの片側に鎮座する一人の人物がいる事だけだった。

「ここにはあの狂気を纏った美しい娘が居るわけでも無ければ、噂に聞く美人社長とやらがいるわけでもないようだが・・・。俺はひょっとして、入る部屋を間違えたのか?」

 ラブのその言葉に取り巻きが笑いながら同意する先には、交渉テーブルについたキャンディの姿があった。彼女の脇には、鎮座する愛用のくまちゃん。もう一方の脇には、書類が詰められた鞄。それ以外には、誰も何も見当たらない。
 入り口にいる彼らの声に当然気がついていたキャンディはちらりとそちらに視線を送り、しかし特に動きを見せることもなく目の前の机にすぐ視線を戻した。ラブ達のいる場所からは伺うことこそ出来ないが、彼女の表情には明らかに焦りの様子が見て取れる。

(・・・聴いてた話と全然違うよサラぁ・・・)

 なにしろ、彼女は焦っていた。
 目まぐるしく頭の中ではこの状況をどうするべきなのかと様々な考えが周り巡っていくが、しかし全く予期していなかったこの状況に普段の思考能力も失われたのか、全く考えが纏まらない。

(・・・あかん、だめだ。全っ然考えが纏まらない。ま、まずは状況の整理を・・・)

 自分の右脇に鎮座するくまちゃんの手を強く握りしめながら、キャンディは熱暴走気味の頭を一度強制的に初期化するべく、深く深く深呼吸をした。
 彼女があの夜に突如現れたサラから聞いた話は、こうだった。
 ちょっとしたお使い予定のはずが所用によりすぐヤーマスに戻ることが出来なくなってしまったサラに代わり、キャンディにポールの助手としてヤーマスに向かって欲しい。そこでは対ドフォーレへの工作が進んでおり、二班に分かれての作戦が行われ、その経過は順調。あとは仕込みが全て動き出す一週間後にドフォーレにトレードを仕掛けるので、その際に自分が集めた資料全般をポールに渡して欲しい。その際資料の中身を説明できるよう、一通り読み込んでおいて欲しい。
 ヤーマスの中央商業ギルド会館に指定の日時に辿り着き入館手形を見せてカンパニーの名前を出せば部屋に通されるようになっているはずだから、あとは現場でポールに流れを確認してくれればいい。
 以上、健闘を祈る。

(・・・ポールは何処!?)

 ここで彼女がまず直面した最大最強と思われる問題は、それだった。彼女が助手として付き添うべき本案件の主役、カタリナカンパニー営業部長たるポールがこの場所の何処にも見当たらないということなのであった。
 彼が居なければ、このトレードがそもそも始まらないのでは無いか。そうか、つまりこのトレードはポールが居ないから無効なのでは無いか。それならば自分はお役御免なのではないか。キャンディの頭の中は、いよいよ焦りで整理がつかなくなってきていた。
 そこに、先ほどまで入り口に居たはずのトレードの相手であろうと思われる恰幅のいい中年男性が、目の前のソファに豪快に座り込んだ。確認しなくても分かる。これがドフォーレ商会の当代当主、ラブ=ドフォーレだろう。会ったことのないキャンディでも分かるほどの威圧感が、大木一本を削って作ったであろう見事な一点ものの机の向こうからひしひしと伝わってくる。

「・・・で、お前はカタリナカンパニーの人間なのか」
「・・・は、はぃ」

 ラブの言葉に、キャンディは数回の瞬きの後にやっと、小さく一言だけ応えた。ラブはそんな様子のキャンディを、射殺すのでは無いかと思うほどに凝視する。それに対しキャンディは目を逸らすことすらも出来ずに受け止め、只管に冷や汗を流し続ける。蛇に睨まれた蛙というのはこういうことなのだな等と、頭の片隅で現実逃避気味に思う。そんな大変に重苦しい時間が、永遠にも続くのでは無いかと思われた。
 しかし何事にも終わりはやってくるように、やがてラブは軽くため息をつき、脇に控える商業ギルド管理員に話しかける。同時にキャンディは今の間に間違いなく寿命が縮んだな等と考えながら、疲労感と共にソファに深く沈み込んだ。

「おい、ここは確かにカタリナカンパニーがドフォーレ商会に挑んだトレードの会場で、こいつが本件におけるカタリナカンパニーの代表で、あとはここで俺が開催時期の宣言をする。間違いないな?」
「は、はい。間違い有りません」

 臆した様子の管理員が、ラブに答える。そこでキャンディは、一瞬だけ淡い期待を抱いた。トーマスの談に寄れば、トレードは受け手が指定日から最大一週間、開催を伸ばす事が出来る。ラブが今日ここで即座に開催することを宣言しなければ、兎に角この状況からは抜け出す事が出来るかもしれない。

「では宣言しよう。現時点を以て我々ドフォーレ商会は申請を受理し、トレード開催をすると」
(だよねーウチでもそうするよー・・・)

 当然のごとく、ラブは迷い無く開催を宣言した。キャンディはその当然の流れに、頭の中を絶望で埋め尽くされながらも妙に冷静にこの流れに同意していた。

「三億オーラムだ」
「・・・へ?」

 開催宣言に続いてそう一言だけ発したラブに対し、キャンディは我ながら素っ頓狂だなと後から思うほどに、あからさまに間の抜けた声を上げた。
 ラブのその言葉に反応したギルド管理員が慌てて部屋の中に設置されている鉄製の扉を開き、中から大量の疑似金貨が積まれた木箱を台車にのせ、その重量に表情を歪めながら必死の形相で押してくる。
 これは通常では対応出来そうに無い大規模トレードの際にギルド会館で用いられる疑似オーラムであり、一枚を一万オーラムとして換算する。キャンディは全く知らなかったことだが、これが積まれた時点で積んだ企業からギルド会館へと即座に一時入金手続が進められ、確かにその企業に申し出るだけの資金が存在していることが確認される。また申告された金額は、トレードが終わるまでは出資者であっても一切手出しをすることが出来ない。
 またここで双方により積まれた金額はトレード終了の際、買い手側が勝てば買い手の積み立てた金額が買収相手へと入金され、逆に受け手側が勝てば受け手が積み立てた金額の三割相当を買い手側から受けとれる仕組みとなる。これはいたずらなトレードの乱発を防ぐための措置であり、またこの制度自体の悪用を防ぐために一度トレードを行った企業同士は四半期の間はトレードの再度申請が行えないように定められている。
 つまりこの時点で、この勝負に負ければカタリナカンパニーは九千万オーラムを失うことになる。
 ギルド管理員が実に事務的にその説明を読み上げるのを、キャンディは隠しようも無いほどに大きく青ざめた様子で聞いていた。

(まって・・・九千万オーラムなんて資金、そもそもカンパニーとしてはオーラムとしてなんて持ってないよ・・・。カンパニーは総資産としてはそりゃ既に一億オーラムは超えているけど、実際のカンパニーの資産の多くは物的資産。これをトレードに使える『資金』として動かすには、本来は多くの時間がかかる。これを急に資金として動かすとなれば折角の資産を損失覚悟で売り払う事になるから、総資産の減少が起こる・・・。ってか急に九千万なんて資金を用意しようとしたら、会社として成り立たなくなる・・・。こいつ、カンパニーをぶっ潰す気だ・・・)

 目の前には、専用の箱で勘定された疑似金貨が三万枚、積み重なっていく。その様を見ながら唖然とした様子のキャンディに対し、ラブはさして興味の無い様子でソファの背もたれへと寄りかかり、管理員に飲み物を催促した。

「・・・カタリナカンパニーとか言ったな。総資産は直近の決算では一億五千六百万オーラム相当。主にツヴァイクやユーステルム等の北国を中心として同規模の中小の企業を数多く買収しており、その取扱品目はフルブライトにも迫るほどの勢いで多岐に渡る・・・企業としては既に中堅に位置し、歴史上珍しくフルブライトの同盟も得ており経済界からはその急成長ぶりも相まって一目置かれている、か。ふむ・・・実に惜しい企業が、消えるものだな」

 手元に用意された資料に目を通しながら、ラブはそう言ってつまらなそうな視線をキャンディに送る。その視線を受けたキャンディは、しかしその言葉に対して何も言い返す言葉を持ち合わせていない。

(・・・そもそも仮に総資産を全て資金変換して挑んだとしたって、既にこの目の前に積み上げられている三億なんていう出鱈目なオーラムを相手にすることが出来ない。傘下、若しくは同盟を結ぶ何処かの企業に資金提供を依頼したって、トレードの最大期間として定められた一ヶ月程度の時間で用意できる資金はたかが知れてる。てかこんなんじゃ一ヶ月どころか三日と持たない。流石に商業ギルド管理員から強制裁定される・・・。やばいよこれ完全に詰んでるじゃん・・・こんなのどうしろってのポール・・・)

 絶望一色に染まった顔色のキャンディをみながら自社資金から三億を拠出するよう書類にサインをし終えたところのラブは、手元に用意された最高級茶葉を用いて作られた紅茶を優雅に啜り、そして盛大にため息を吐いた。

「お前は見た目に反して、ピエロにもならんな。何のつもりだったのか知らんが、単なる虚仮威しの為にトレードをこのドフォーレに仕掛けるとは、正に狂気の沙汰だ。調書に寄れば社長、副社長、営業部長と非常に優秀な人員が揃っているとレポートにもあるが、どいつもこいつも頭のいかれた狂人揃いだったか」

 ラブのその言葉に、それまで必死に頭の中で考えを巡らせていたキャンディはぴたりと動きを止めた。

「とはいえ、まぁお前も災難だったな。どうせお前は幾らか握らされてここに来た口だろうが、そりゃあもうカンパニーが勝ち目無しと悟ってお前をスケープゴートにしながらしっぽ巻いて夜逃げする準備でもしているからだろう」

 三億オーラムという疑似金貨の壁の向こうから哀れむような目で見下ろされるのを感じながら、キャンディは自分の頭から一気に血の気が引いていくような感覚を味わっていた。

「おい、カタリナカンパニーとやらの幹部連中の所在と資金の動きを徹底的に洗い、追い詰めろ。関係者は人っ子一人逃がすんじゃあねえぞ。ドフォーレに喧嘩を売ったことを、文字通り死ぬほど後悔させてやれ。そこのガキも哀れではあるが、トレードの規則に則り資金周りの回収が終わるまでは会館に滞在して貰わなければならない。逃げないように拘束しておけ。あとは気がかりなのはマクシムスガードの娘だな。警備の増強をしなければならんか・・・」

 ラブの言葉に反応して周囲の人間が入り口や窓を塞ぐように動き、それに会わせてギルド管理員がおずおずとキャンディの座るソファの横に立ち、口を開いた。

「・・・ここから何も動く様子が無いのでしたら、我々管理員としても早期のトレード終了を勧告せざるを得ません。カタリナカンパニー代表のキャンディさん。本トレードを、この時点で終了いたしますか?」

 管理員がそう言うものの、しかしキャンディは目の前の三億オーラム相当の疑似金貨のあたりを見つめたまま、微動だにしない。その様子に管理員は肩を竦めてラブへと視線を投げると、ラブはもう一度だけため息を吐いて、立ち上がった。そして疑似三億オーラムの上からキャンディを直接見下ろす。

「おいガキ。お前は単に俺の問いかけに『はい』と応えておけばいい。さぁ、とっととこのトレードの終了を宣言しろ」

 ラブの言葉に、キャンディはゆっくりと顔を上げる。そしてキャンディの円らな瞳が己と交錯したところで、ラブは最後の言葉を待つように目を細めた。
 キャンディは、頭はおろか全身から血の気が引いてしまったような感覚に包まれていた。そして半分感覚が無い両手を、ゆっくりと軽く握るつもりで丸める。だが彼女の意識に反し、その両の拳は爪が肌に食い込むほど強く強く握り込まれていた。その両手の平の痛みが熱を持ち、やがてその熱は逆流する血液の奔流となって頭へと到達する。
 そしてその熱に突き動かされるように、口を開く。

「・・・黙れ、ブタ野郎」
「・・・なんだと?」

 突如の暴言に、ラブは米神を振るわせながらドスの効いた声を発する。だがそんなラブの返答など、既にキャンディは聞いていなかった。
 有り体にいって、キャンディは切れていた。恐らくこの十四年あまりの人生の中で、これは彼女が最も怒りに打ち震えている瞬間であった。
 そしてそのままラブを睨み付けていた視線を手元に戻すと拳の縛めを解き、自分の脇に置いてあった鞄に詰め込まれた大量の資料を乱暴に取り出し、机の上にばさりと広げる。

「確かにカンパニーのみんなはとち狂っているかもしれない。こんなトレード、とても正気の人間がやるようなもんじゃ無いよ。でも・・・」

 手元に広げた幾つもの資料の一つ一つを凝視し、そして同時に頭の中ではこれまでに見聞きした全てを思い出そうとしながら、キャンディは誰に聞かせるわけでもなく独り言のように続ける。

「でも・・・それは絶対に、逃げるためなんかじゃあ無い。みんなは逃げているんじゃ無くて、向かっているんだ。だから、この勝負も負けない。勝つ算段があって、挑んでいるんだ。それは、絶対に間違いない」

 手元にあった全ての資料を広げ、それらの全体を眺めるようにキャンディは立ち上がって見下ろした。それらを見返すこの一瞬の合間にキャンディの脳内はすっかり放熱し、一気に冷静さを取り戻していった。
 ここにあるサラがヤーマスでかき集めた手元の資料と、ポールが事前にピドナ宛てに飛ばしてきた注文の数々。それに沿って自分たちがやってきた内容。そして、最初にポールがピドナで調べ回って集めた情報の数々。

(・・・これら全てに関わってんのは、ウチだけだ。だから、ウチなら分かるはず。ポールの狙いが、絶対に分かるはず・・・だからサラも、ウチにここを託したんだ・・・!)

 そして再び睨み付けるようにラブへと視線を移したキャンディは、彼女の出せる最大限の声で、高らかに叫んだ。

「ウチだってもう逃げないって決めたんだ!だから絶対にウチらは、このトレードに勝つ!」

 

 

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第六章・9 -家出少女、ヤーマスへ行く-

 

 見上げれば、容赦無く天空から降り注ぐ眩い太陽の日差し。そんな太陽の恵みをたいそう邪魔に感じて顔をしかめつつ、早々にその光を柔らかに反射する水面へと視線を移す。穏やかな水面はきらきらと光を弾きながらゆっくりと波打ち、進みゆく船の舳先が当たれば、それはまるで縫製士が絹を切っているかのように滑らかに広がる波を畝らせていく。
 しばしその光景の妙を楽しんだ後、前方へと視線を向ける。船上から見る景色は同じ海のはずなのに、かつて彼女が一人で何のあてもなくトリオール海を渡った時よりも、とても広大なものに見えた。
 とはいえ何故そう見えるのかは、何となくわかるような気もする。きっと恐らく今の自分には、漠然としながらも大きな『目的』があるからなのだ。ただ単に目の前の現実から逃げ出し、俯いていただけのあの時とは、決定的に心のあり方が違うから。だから今の自分は外へと自発的に目を向け、今までみたであろう光景にさえ、新たな発見と新たな感動をすることができるのだと、そう思う。
 そしてこれから向かう先で彼女にはきっと、これまでの人生の中で最も面白い出来事が待ち受けている。それを予感として、痛いほどに肌に感じる。

「キャンディ嬢ちゃん、ヤーマスへの入港は明日の朝一くらいになりそうですぜ。この辺りはピドナよりも潮風が冷たいから、あんまり長居しないようになー」

 背後から話しかけられ、それに反応して振り返る。そこには作業中の気の良さそうな船員が荷を持ちながら、こちらを見ていた。

「あ・・・はい、ありがとうございまっす」

 少し噛んでしまった。しかし船員はそんなことは特に気にもせず、にこやかに笑いながら作業に戻る。なにやら自分ほどの年の娘がいるとかいないとか、そんな話を彼とは数日前にも甲板でしたような気がする。
 こうして他人と会話をするのも、思えば今まではあまりしてこなかったようにも思う。
 それは喋る喋らないということではなく、相手の話に耳を傾けるという行為そのものを、自分はしていなかったように思うのだ。相手のことなど気にかけることなく、ただ単に自分の要望を通すだけ。それだけしかしてこなかったように思う。そのなんと勿体ないことであるか、今ならば彼女にもよく分かる。
 思い返せば思い返すほど、今すぐ船室に駆け込み薄い布一枚だけが敷かれた硬い寝床の上で叫びながらのたうちまわりたくなるような行動を自分がしてきたことが、よくよく思い出されるのだ。

「・・・いかんいかん。考えるのやめよ」

 両の米神に手を添えてわざと声に出し、思考を切り替える。兎に角、自分はこれからいろいろな経験をしていくのだ。そのための大きな一歩が、明日に待ち受けているのだ。
 ふと吹き抜ける風に、すこし体が震える。確かにここの潮風は出港した時よりも冷えるように思う。ばたばたと風になびく服の裾を抑えながら、船室に向かって戻っていった。

「きっとウチの物語の本編は、ここからなんだなー」

 そんな、後になればこれもまたのたうち案件になりそうな台詞を吐きつつ、船室への扉をくぐる。
 狭い通路を中央に抜けて食堂に立ち寄り水を一杯貰い、足早に船室に戻る。今回の旅路はなんと個室を充てがわれての旅なので、積荷に紛れ込んでの前回の船旅とは比べ物にならないほど快適だ。

「っし、色々資料とか見返しておこう。事前準備が勝利の鍵・・・と」

 一人でそう呟きながら手荷物の中から丁寧に仕分けられた書簡の束を取り出すと、キャンディは早速それに没頭し始めた。

 

 

~ヤーマス到着から1週間ほど前

「君のことだから今回の商談を見て粗方分かったとは思うけれど、トレードとは法人対法人の、言わば買収合戦だ。そして、その最終的な決着方法はいたって単純。相手に対し、資金力で勝ること」

 ファルスからピドナへの帰りの馬車の中、トーマスは隣に座るキャンディに対し、そう話しかけた。
 ヤーマスからポールが寄越したとんでも無い量の対応案件を早急に捌くに当たり、彼ら二人のこの一週間の奔走は実に凄まじいものだった。そして今回のスタンレーとファルスでの商談がその一連の最終局面であり、それらを無事に終えた事で二人の表情はかなり安堵した様子のものとなっていた。

「トレードは、その受け手側の本店登録がある都市の商業組合を通じて双方に開催告知が成され、通常は告知から一週間後を目処にその都市の中央商館にて第三者立会いのもと開催される。この一週間という期間は所謂、受け手側の準備期間だね。ただし、双方の合意によってこの日程は早めることもできる」

 ひょんな事から協力を仰ぐ形となったものの、今となってはトーマスは自分の隣に座る幼さが多分に残る少女の助け無くして、今回の案件をを捌き切ることは出来なかったのでは無いかと感じていた。
 兎に角、キャンディの業務の飲み込みの早さは凄まじかった。
 サラは幼い頃からトーマスの性格を知っているので様々な場面で先読みした対応をしてくれていたものだが、キャンディの場合はその代わりに持ち前の頭の回転の早さと商業に関する独学知識で補い、結果サラに負けず劣らずの業務量を熟してくれたのだ。
 本案件の最大功労者が誰かと尋ねられれば、トーマスは間違いなく彼女だと断言するだろう。

「トレードの実施期間は最大で1ヶ月。その時点で、より多くの資金を積んだ方が勝ちと言うわけだ。まぁ、稀に話し合いによって明らかに資金力で劣る企業が大手を買収するなんて事もある様だけれど、余程の話術でも無ければそれは無いだろうね。或いはそう・・・世論の巻き込み、未来視にも似た予言、そんな時代の風が吹くとか・・・所謂奇跡でも起きなければ、ね」

 トーマスの言葉にキャンディがお気に入りのクマの人形を両手で抱きしめながら耳を傾けていると、トーマスはその様子に微笑みながら続ける。

「とはいえ、大抵は長くても一週間もすれば決着はつく。拮抗するトレードというのは実はあまり無くて、大抵は大手が中小企業を買収するという形が殆どなんだ。そういう意味では同規模にもガツガツと手を出す我々みたいな武闘派企業は、今の既得権益塗れの経済界では、かなり異端だね」

 トーマス自身が言う様に、カタリナカンパニーはキドラント、ツヴァイク、ユーステルムの企業群をほぼ買収して物件数においては世界指折りに数えられる様になった。ここまでには特にエリック社やツヴァイク商会等が大きな交渉相手として数えられるが、其れ等の一見無謀に思える様なトレードも現地でのポールの情報収集を元にした様々な仕込みと交渉の場に臨むトーマスの胆力によって、常識外れの躍進を遂げて来たのだ。

「因みに大抵の企業の場合は自社資金を元にトレードを行うけれど、これが大手になればなるほど傘下やグループ企業が増えるので、それら企業からも資金を調達して巨額の資金を扱えるようになる。大手同士が激突した例は今の所ないけれど、もし大手同士のトレードが行われれば、数千万オーラムもの資金が積み上がる大規模トレードへと発展するだろうね」

 数千万オーラムなどと言う量の通貨を積み上げられる頑丈なテーブルが、果たしてこの世界に存在しているのだろうか。
 キャンディはそんな素っ頓狂な疑問を頭の片隅に追いやり、トーマスに話の続きをせがんだ。
 トーマスが言うには、特に最近のトレードのトレンドは傘下企業をある一定の条件で『グループ分け』し、それらの相互成長を目的とした共同資金の運用だと言う。
 グループという聴きなれぬ言葉に強く興味を惹かれた様子で身を乗り出すキャンディにトーマスは期待通りの反応を得たのか、満足げに微笑みながら続きを話す。

「一例として、例えばピドナを中心とするマイカン半島南部は世界各国の人や風習が集う文化の坩堝だ。それに伴い、食文化も多種多様だね。そこでカタリナカンパニーでは『マンマ•メッサーノ』というメッサーナの食を預かる企業を中心として招集した企画グループを作り、相互発展に努めさせている。これらグループから算出される営業利益や回収資金は、トレードの現場においても大きな影響を与えるんだ」

 実際にカタリナカンパニー内部では土地や事業内容等を選定基準として既に十数ものグループを作っており、これらの活動により既存事業の拡大や新商品の開発等、着々とその成果が出始めているのだという。

「・・・じゃあ、この間わざわざバンガードの織工房と聖都ランスの酒造に使者を送っていたのも、それ?」
「ははは、送り先までチェック済みとは流石にキャンディは目敏いな。まぁ、その通りだよ」
「だって、あまりに怪しいんだもん。まぁランスはカンパニー最大の生産ラインである北海の線上だからまだ分かるけど、それこそバンガードなんて周囲にも全くカンパニーの影響力が及んでいないじゃん。そんな離れ小島みたいなとこに使者を送るなんて、怪しさしかないよ」

 キャンディは流石の着眼点だ。その鋭い物言いに、トーマスは両手を上げて降参の意を示した。

「ふふ、まぁ色々と思わぬ所に繋がりがあるものなのさ。それに、それらも含めてなかなか厳しい納期設定だったけれど何とか今回の要望には応えることができたと思うしね」
「ファルスので、依頼は大体終わりなんだよね?」

 トーマスから発せられたその言葉にキャンディが確認するように尋ねると、トーマスはまるで誰かの真似をするように肩を竦めてみせた。

「うちの営業部長からの要望は大体、ね。各都市への速達も今頃は全て届いているだろうし、その影響はここから一週間で一気に波及していくだろう」

 ポールがカンパニーの営業部長だと言うことをここで初めてキャンディは知ったのだが、まぁ妥当なポストだろうと頷いた。
 今回の依頼で仕込んだ内容を元にポールがドフォーレに対し何らかの工作を行うつもりでいるのは間違いないとキャンディは踏んでいたのだが、今回の買収はそれに一体どの様に関係してくるのだろうか。
 大規模な港を有する世界各都市へと大慌てでカンパニーから速達を送ったのが一週間前。しかし、その文面は全てトーマスが書いておりキャンディはその内容までは知らない。聞いてみたものの、はぐらかされてしまった。なにやら近衛軍団とも連絡を取った様で、物々しい内容であることは間違いなさそうではあったが。
 そして、速達を送った直後から今度はいくつかの指定企業へのトレード攻勢。これがまたキャンディには一見纏まりの無い指定に見えたものの、トーマスの口ぶりからすると、恐らくはグループ分けの中で重要な位置を占める選択肢であったのでは無いかと推測はできる。
 考え始めると止まらなくなってきたキャンディは、今回の買収帳票と扱い品目の確認をしたくなりトーマスに資料を求めた。

「見るのは構わないが、それは宿に着いてからにしよう。ほら、もう直ぐ着くよ」

 そう言ってトーマスが車窓の外に視線を移すと、街道が緩やかに曲がっていく先に、木の柵に囲まれた宿泊地が見えていた。
 この宿泊地で一泊の後、明日の昼過ぎにはピドナに戻る予定となっていたのだ。
 ファルスとピドナを結ぶ海岸線沿いの街道に位置するこの宿泊地はメッサーナの陸路流通の主街道に位置しており、かなり規模が大きい。少なくとも、地方の小さな村を軽く超える規模であることは間違いない。
 程なくして馬車は宿場町の門をくぐり抜け、到着早々に一般宿泊客とは別に用意されていた上客専用の小屋へと二人は案内された。
 そして各々は湯浴みと食事を早々に済ませ、其々に過ごしやすい格好で寛ぎはじめた。
 しかし二人ともが静寂の中で何枚もの紙面や帳簿と無言で向き合うだけの、はたから見れば実に奇妙な寛ぎ方である。見る人が見ればそれはとても奇妙な光景に見えることだろう。
 キャンディは馬車の中でせがんだ今回の買収に関する資料と、商談資料として用意されていたカンパニー内のグループ概要書を食い入るように見つめており、一方のトーマスはピドナに着き次第各地へ向けて送付する指示書の作成を行なっていた。

(今回の買収はぱっと見、以前トーマスさんとサラが行ったっていう北部遠征とかに比べれば結構手堅い感じの取引に見えた。でも、だからこそあれって今やる意味あったのかなって思うんよね・・・。正直、この忙しさの中で手を出す意味がウチには分かんない。でもカンパニーの現行取り扱い品目と地域分布をみると、何となく関連性があるようにもみえるよねー・・・。あとは、なんか不自然にスムーズだったのも引っかかる。トレードって、もっとバチバチしてるもんだとばっかり思ってたのに)

 手元の帳票類を眺めながら、キャンディはぐるぐると考えを巡らせる。
 彼女が特に印象的に覚えているのは、ファルス造船との商談の席だった。
 造船所ともなれば当然規模も大きく、今回のトレードの中では最もこちらの支出が多かろうとキャンディは感じていたものだった。だが驚くべきことに、この商談はなんと席に着くなり、ものの数分で終わってしまったのだ。

(トーマスさんは『ねまわし済みだからね』って言ってた。クラウディウスの封蝋がされた便箋を渡していたから、多分あの企業は旧クラウディウス商会所縁のところなんだろうな)

 以前にユリアンとモニカが各地に散らばった旧クラウディウス所縁の関係者筋へと走り回っていたという事もキャンディは聞き及んでおり、つまりはその時から既に準備は出来ていたのだろう。
 都市では企業的に最大手となる造船所が傘下に下ったことにより、ファルスの企業群は早々にトレードが締結された。
 またその手前に訪れたスタンレーに関しては、更に速攻で街全体と話がついてしまったのも彼女には非常に異様な光景に映ったものだ。しかし、これに関しても一応の理屈は分かる。

(都市の顔であるスタンレー軍が、なんでか凄く『カタリナカンパニー』という言葉に好意的に反応していた。前にエレンさんがスタンレーでどんぱちやらかしたとか言っていたけど、それが原因っぽいよね。やけにカタリナ社長の近況を聞きたがる部隊がいたけど、あれは社長の追っかけか何か・・・? まぁ兎に角、軍がキモいくらい好意的に接してきたおかげでスタンレーは瞬殺だった。これも『ねまわし』なのかな。だとしたらトレードの真髄ってつまり、始まる前に決着している、ということなのかもしれないね。お、ウチこれちょっと名言じゃん?)

 来客用ソファーにだらし無く寝そべりつつ資料を眺めながら、今回の一連の商談について色々憶測を重ねつつ一人でにんまりとキャンディは笑った。
 すると、ふと視線の端で明かりに照らされた影が揺れる。キャンディが寝転がった姿勢のまま首だけ捻ってそちらに視線を向けると、トーマスが作業を終えて机の片付けをし、席を立ち上がったところだった。

「キャンディ、明日は日の出と共に出発だ。少し早いが、そろそろ寝ようか」
「はーい」

 トーマスの言葉にすかさず返事を返したキャンディは、そのまま燭台の火を消して寝室へと向かうトーマスの背中を、月明かり越しに見送った。
 キャンディはこの小屋に最初に入った際にリビングに用意されていたハンモックを見つけており、自分はここで寝るのだとはなから決めていたのだ。
 意気揚々とハンモックによじ登ったキャンディは、頭の中にぐるぐると渦巻く資料の内容を反芻しながらも心地よい揺れに体を預け、ゆっくりと目を閉じた。

 

(・・・寝れない)

 どの程度時間が経ったのだろうか。時折小屋の外を夜警が巡回する様を数回程目撃したあたりで、キャンディはいよいよ即座の就寝を諦め上半身を起き上がらせた。
 やけに明るい月明かりが窓から差し込んでおり、ちょうどハンモックのあたりを照らしている。
 きっと、この明かりのせいで眠れないのだ。これでは仕方がないと自分に言い聞かせたキャンディは、どうせなら月明かりを目いっぱい浴びてやろうとハンモックからそっと身を下ろし、窓際に歩み寄った。

(・・・これから、世界はどうなっていくんだろうな)

 優しく小屋全体を照らす月明かりに身を委ねながら漠然と、そんなことを思う。
 とはいえ、別に彼女は世界の何かに対して憂いているわけでもない。つまりここでいう彼女の思う世界とは、彼女のまわりのごくごく狭い世界のことなのだ。
 目紛しく変わる周囲の環境に、毎日がとんでもなく面白い。実のところ彼女は今、この世界を今までで一番好ましく感じている。
 今は一頻り、この目紛しさを感じるままに享受していたい。ただし、いつまでもそのままでいるわけにもいかないのだということも、薄々感じてはいる。いずれは、自分のことにしっかりと向き合わなくてはならない時が来る。
 だがそれがいつなのかは、全く今の自分には想像がつかない。
 ただ漠然と、彼女はそう考えた。

(・・・ま、そんなセンチになるようなことでもないよね。みんながいるから、大丈夫。今回のことも、早く帰ってみんなに話したいな。親方と、ついでにケーンにも話してあげよう。あとはミューズ様。サラにも話したいな。サラは元々トーマスさんの秘書やってるから、今なら色々面白い話が聞けそう・・・あれ、なんか人影・・・?)

 窓の外をぼんやりと眺めながら物思いに耽っていると、視界の先に月明かりの中ぼんやりと、いつの間にか人影が浮かび上がっているのが見えた。
 その人影は明かりを手に持っていないので、夜警の兵士では無いようだ。キャンディが目を凝らして見続けていると、その人影はどうやらこちらへと向かって歩いて来るようだった。
 姿形は小柄。何処と無く女性のように見える。
 徐々に近づいて来る人影に対し、しかしキャンディは不思議と危機感を募らせることはなかった。こんなに優しい月明かりの下、清んだ空気の中において、危険なんてあるわけがない。何故か彼女は、そう確信していた。
 そうしているうちにやっと全体が見えてきた人影は、なんと驚くべきことに彼女の知っている人物だったのだ。

「・・・サラ?」

 月明かりに照らされたその人物はなんと、ヤーマスにいるはずのサラだった。

 

 

「・・・お待たせしました。豆スープとフィッシュボールです」

 日中の仕事を終えた人々が日々の疲れを癒すため、思い思いに集まり大いに飲んで歌う時分。どの国でも等しくそうである様に、商業都市ヤーマスは表通りも裏通りも例に漏れず、この時間は大いに混み合う。そしてその喧騒こそが、ここがピドナやツヴァイクに負けず劣らずの活気に満ち溢れた都市であることの証明なのだ。
 其々の目的を果たして再度シーホークにて一堂に会したポール達は、彼らもその喧騒に飛び込むようにして先ずは腹拵えをと言わんばかりにテーブルに所狭しと料理を並べ、その征服にかかっていた。

「あーサンキュー、ライム。ちょいまって、今これ空けちまうわー」
「あ、んじゃあたしもこっち空けるー」

 ポール特製のオーダーで運ばれてきたらしい通常の数倍の量を盛り付けたであろうその皿を置くために、エレンとポールが先に来ていた大皿のサラダとカポナータを平らげた。
 ライムは、素直に彼等の食べっぷりに感服していた。エレンとポールという二人の食欲は群を抜くが、しかしユリアンとモニカもかなりの量を食べている。
 特にモニカのシルバー捌きは見事なもので、先に出てきていた小骨の多いニジマスのムニエルを実に綺麗に食べ分けている。
 見た目は非常に高貴な生まれと見受けられる美しさだが、その容姿に反して意外にも食べられる大きさの小骨は躊躇なく食べているのも、むしろ港町に住む人間としては好感が持てる。隣で真似をしようとナイフに四苦八苦しているユリアンとは大違いだ。
 そうこうしているうちに先ほど出した大皿の料理たちも次々と消費されていき、一気にテーブルの上は片付いていった。

「・・・さて、そんじゃあ打ち合わせと行きますか」

 専用グラスに注がれたアクアヴィットと地ビールを交互に飲みながらポールが口を開くと、各々がテーブルへと身を乗り出した。
 夕食のメインタイムも過ぎ去りオーダーが落ち着いていたのか、カウンターでグラスを磨いていたライムも何気なく其方に耳を傾ける。

「出発は四日後の日の出前。面子はここの全員と、あとは助っ人が一人だ」
「おぉー。あたし偽物しか見たことないからなー楽しみだなー」

 ポールの言葉にエレンがビールジョッキを傾けながらユリアンを尻目にそう応えると、ユリアンはバツが悪そうに口を尖らせた。助っ人を獲得した最大功労者に対して遠慮ない物言いのエレンにモニカが笑っていると、そこで一緒に笑っていたポールもそういえばと口を挟む。

「そうそう、そういえばそっちも今回の宣戦布告を余程派手にやったようだな? 奴さん表向きは平然としているようだが、裏じゃ荒れまくりらしいぞ。商館じゃあ既に噂で持ちきりだったぜ。どこの馬鹿が天下のドフォーレ相手にトレード仕掛けてくるのか、ってな」

 事実、ポールが情報収集の為に寄ったヤーマスの商業会館は既に、ドフォーレを相手取ったトレードの噂で持ちきりだった。既にトレードの行く末を賭けた博打が始まっており、流石商都というべきか、まだ公開されていないにも関わらずトレード相手の予想にはカタリナカンパニーの名前が既に上がっていた。当然ポールは行き掛けの駄賃に相手方に賭けて来たことは、最早言うまでもないだろう。

「あはは、まぁねー。てかほんと凄かったのよーモニカったら。あたし、もう笑い堪えるのに必死でさぁ」
「もう、エレン様ったら。でも、わたくし意外とああいうのは得意なので全く苦ではありませんでしたわ」

 王侯貴族とは、演じるもの。モニカの言葉には彼女の経験からくる、確かな重みがある。ポールはそんな彼女の苦労は欠けらも理解することはできないが、しかしその気質は分かっていたからこそ彼女にドフォーレへの宣戦布告を任せたのだ。事前に用意していた仕込みもモニカたちは上手く使ってくれたようで、文句のつけようがない結果と言えた。

「ま、なんにせよ経過は上々だ。本番はいよいよこっからだが、事前準備はこれ以上ないぐらいに完璧に運べたと言っていいな」
「・・・しかし、当初聞いていた仕事とは随分違って大掛かりなことになったなぁ」

 エレンとは対照的にジョッキをちびちびと傾けながらユリアンがぼやくようにそう言うと、エレンとモニカはそれに同意する。なにしろ初期はドフォーレの情報蒐集とあわよくば弱体化という話だったのが、いつの間にやらドフォーレに真っ向から勝負を挑む事態となっていたのだ。ユリアンらがそうぼやくのも無理はない。
 ポールはそんな三人の反応に肩を竦めて応えると、塩っ気の利いたナッツを口に放り込んだ。

「まぁ、元々このつもりではあったのさ。今回の件、ここに至るまでの確証はほぼあったからな。事前にサラには知らせた・・・っていうか疑われて白状していたが、皆んなに知らせなかったのは悪かったと思っているよ。最終、仕掛けるに足る確証がなかったもんでな。それが掴めなけりゃ、当初伝えた程度で終わるつもりだった。だが確証の最後の一欠片を現地で確認できたから、実行に移すことにしたってわけだ」

 ポールの言葉に、エレンが思い出したように口を挟む。

「そういえば、サラは待たなくて良かったの?」
「あぁ、サラは元々、事前の作戦には同行してもらう予定はなかったからな」

 計画は情報は全て伝えてあるから、トレードを挑む一週間後までに帰って来てくれていればいい。そう言ったポールは、ジョッキの中身を一気に喉に流し込んだ。

「四日後までにより確実な情勢を確保するための仕込みも、まだまだ大量にある。みんな、この一週間が勝負だから、頼むぜ。つーわけで、まずは活力の補充だな。ライム、全員分おかわり!」
「はい喜んでー」

 ポールの一言にライムが応えると、テーブルの宴は一層盛り上がりを迎える。結局途中で寝てしまったユリアンを除き、宴は夜更けまで続いた。

 

 

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第六章・8 -ドフォーレ商会-

 

 ピドナ商業地区の朝は早い。いや、朝というには如何せん早すぎる暁の時分から、商業地区は既に動き始めている。
 特に港に早朝の船が着くあたりには、空が明るむ前から御構い無しに活発に通りを行く人たちで溢れる。トーマスはその喧騒を特に嫌っていることはないが、前日遅くまで根を詰めてしまった時などは、少々寝起きには辛い時もあるものだ。
 決まってそんな時は少し濃いめの珈琲を執事に頼み、井戸から汲み上げた冷水で顔を洗って背伸びをしつつ、珈琲が淹れられるのを待つ。
 そうして漸くやってきた珈琲を啜っていると、メッセンジャーが朝一入港の船から速達で送られてくる書簡を届けにくる。
 これが、ここ数ヶ月の彼の朝の始まりだ。
 ちなみに速達は大抵がこの位の時間に来るが、通常郵便は港で一箇所に集められてから午前中に振り分け、午後に配達されるという形式である。なので速達には一刻も早い対応を望む案件が認められていることが多い。
 更に言うと大体速達にはある種の癖が決まっていて、どのメッセンジャーが何処の海運お抱えなのかが固まっていることが多い。だから誰が届けにきたのかで、何処からの速達なのかが大凡分かったりするのだ。
 その日最初に商会の入り口に現れたのは、商都ヤーマスからの速達を生業とするメッセンジャーの少年だった。

「ご苦労様」

 メッセンジャーが差し出してきた速達を受け取ったトーマスは、珈琲を啜りながら宛先を確認しようと書簡の裏を確認する。宛先は予想通りと言うべきか、現地に向かっているポールからのものだ。
 足早に自室へと戻り封を解き、中身を確認する。
 中に納められた便箋は四枚。
 二枚が伝達内容らしき文書、後二枚は何やら各地の港の名前が書かれたリストのようだった。

「・・・・・・」

 まだ中身を熟読する前ではあるが、トーマスは確信していた。この書簡の内容は十中八九、とても面倒な内容だ。彼の直感が、そう告げている。
 ふと、周囲に視線を走らせた。そして数秒視線を泳がせた後、思い出す。彼の優秀な秘書役の少女は今、ここにはいないのだと言うことを。
 トーマスは己のど忘れに対し自嘲気味な笑みを浮かべながら、改めて便箋へと視線を落とした。

「・・・トーマスさん、なに朝から笑ってんの?」

 唐突に部屋の扉の方から聞こえてきた声にトーマスが顔を上げると、そこには腰辺りまで伸びている艶やかな淡い赤毛を揺らめかせた寝間着姿のキャンディが、どうやら彼が閉め忘れていたらしい扉からこちらを覗き込んでいた。
 ここ最近彼女は何かと理由をつけてはレオナルド工房とハンス商会を行き来しており、カンパニーの帳簿整理などを手伝ってくれている。
 元々彼女が単独で行っていたレオナルド工房の受付業務に関しては、カンパニー経由での受注拡大に伴い雇入れの拡大をノーラが行ったようで、彼女の専属業務というわけではなくなっていたのだ。
 余談だが、カンパニーとの取引による受注拡大と新王教団ピドナ支部の事件に端を発する王国近衛軍団との繋がりにより、ここ数ヶ月でのレオナルド工房の経営状況は大幅に軌道修正された。これにより世界各国に散らばっていた同工房の元職人たちが復帰を願い出てきているらしく、レオナルド工房は以前のような繁忙を見せ始めている。
 そんなわけで工房の受注発注業務等も新規雇い入れ人材に割り振りをしたらしいキャンディは、数日に一回はミューズの元に泊まりに来つつ様々な業務の手伝いをしてくれている、と言うわけだ。

「あぁ、いや、なんでもないよ」
「・・・ふぅん。それ、速達? 急ぎの内容なんだ?」

 時間帯からして速達であり急ぎだろうと当たりをつけて発言したキャンディの言葉に、トーマスはこくりと頷く。
 キャンディはそれに対しても再度ふうんと曖昧な相槌を返すが、しかしその眼は速達へと真っ直ぐに向けられている。

「・・・それ、ひょっとしてポールから?」
「ご名答だよ。そうだ、都合が悪くな」
「わかった!待っててね!着替えてくる!」

 トーマスが言い終わるより早く、キャンディは大急ぎの様子で廊下を走り去って行った。
 数秒瞬きをしながら彼女の去った後に視線を向けていたトーマスは、ふっと短く笑った後、改めて便箋に向き合った。

 

 

「いらっしゃいませ。ようこそドフォーレ商会本館へ。ごゆっくりとお寛ぎ下さい」

 カランカランと、扉に付けられたベルが来客を知らせようと店内へ向け上品に鳴り響く。
 それに合わせ、よく教育が行き届いているらしく恭しくお辞儀をしながら語りかけてくる店員に、モニカは軽く会釈を返しながら店内へ一歩を踏み入れた。
 その瞬間に彼女の纏う華やかにして気品溢れる花の様な香りが周囲に振り撒かれ、店内の客が思わず彼女へと振り返り、そしてその美しさに目を奪われた。
 長く美しい金髪を後ろで編み込み、控え目だが一目でその宝飾技術の高さが伺える髪留めが高貴なアクセントとなっている。
 身に纏うドレスも一見して仕立ての良さが分かる非常に美しい仕上がりのもので、見る人が見れば、それはモードの最先端を行くリブロフの著名ブランドの一点物である事がすぐに分かる。

「・・・これはこれは、ようこそいらっしゃいました。当商会本館ギャラリーへは、初めてのご来場ですかな。いや、そうでしょうな。この美貌を一眼でも見たのなら、覚えていないなど有り得ないことです」

 程なくしてカウンターの奥から、非常に身なりの良い貴族然とした格好の男性が出迎えてきた。
 それを受け入れるように優雅に軽く一礼をしたモニカは、日除けに被っていた帽子を側に立つエレンに手渡す。
 エレンは執事を意識し、且つ動き易さを重視したパンツスタイルのコーディネートで纏めているが、そのような服装の中でも彼女の生来の美しさがよく現れており、男装の麗人と呼ぶに差し支えない。この二人の組み合わせは、当然のように一気に店内の視線の全てを掻っ攫った。

「ピドナから遊覧で参りました。ヤーマスではまずここをどうしても見てみたかったのです。わたくしは特に宝飾品や服飾、美術品に興味があるのですが、何方かにご案内を願えますか?」

 透き通るような声でモニカが話し掛けてきた男に対してそう言うと、男はゆっくりと頷いた。

「畏まりました。改めまして私がこのドフォーレ商会本館の店主を務めております、ラブ=ドフォーレと申します。早速店内の御案内を致しましょう!」
「ええ、宜しくお願い致します」

 ラブと名乗った店主に連れられ、モニカは優雅な足取りで店内を進んでいく。エレンはその数歩後ろを付き従うように歩きながら、周囲に悟られぬよう細心の注意を払いつつ店内全体に鋭く視線を走らせた。

(外観から予想していたけれど、やはりこの建物自体はかなり大きいみたいね・・・。一見して地上三階層だけど、まぁ地下階層があると見て間違いなさそう。ハリードに言わせれば、何かやましい事があるとしたら、それは大抵地下って相場は決まっているのよね)

 店頭入り口から一つ奥の部屋へと案内され珍しい宝飾品の数々を店主に紹介され感嘆の声を上げているモニカだったが、エレンの目配せを察してその純真無垢の表情のまま、店主に向き直った。

「どれも素晴らしい宝飾品ですわね。ただ・・・」
「おや、お気に召しませんでしたかな?」

 胸の下で軽く腕を組み顎にそっと手を当てながらモニカが少し表情を曇らせると、ラブはその様子を察してお伺いを立ててきた。
 するとモニカは少し上目遣いに店主へと視線を送りながら、隣で見ているエレンですらどきりとするほど、微かでありながらも妖艶な笑みを浮かべてみせた。

「・・・わたくし、ドフォーレ商会様にはもっと素晴らしい美術品や宝飾品の数々がある、と伺ってきましたの。そのために予算も奮発してきたのですけれど、わたくしの思い違いだったのかしら」

 ふと、ラブが視線を細める。
 そしてその視線のまま、まるで値踏みでもするかのようにモニカの全身を改めて舐め回すように眺めた。
 これはこの場にいたのがユリアンであれば後先考えず剣を抜いて暴れそうだ、とエレンは内心で苦笑した。流石と言うべきか、ポールの采配は細やかなものである。

「・・・確かに、我がドフォーレ商会では一部の方々にのみご紹介をする希少商品の取り扱いも御座います。ただ、これは申し訳ありませんが通常ご案内をしていません。お嬢様は、何方様からのご紹介状などはお持ちで?」

 その言葉を待っていたかのように、エレンは一歩前に出ながら封蝋の施された書状を懐から取り出し、ラブに差し出す。
 その封蝋を見て、店主ラブ=ドフォーレは少なからず目を見開いた。

「・・・これは」
「ええ、神王教団ピドナ前支部長、マクシムス様の紹介状です。わたくし、メッサーナにて商いをしております商家のものでして。マクシムス様にはご贔屓にしていただいておりましたの。その折に、ルーブに向かう時にと頂いておりましたのが、その紹介状ですわ」

 モニカの言葉を聞きながら、ラブはまじまじとその封蝋を見つめている。しかし彼は確かにその封蝋を知っており、紛れもなくそれはマクシムスのものであった。その様子をモニカはうっすらと浮かべた笑みを崩さぬままに眺めながら、言葉を続ける。

「残念ながらマクシムス様は先日の事変にてご失脚なされてしまったようですが、ドフォーレ商会としては神王教団との付き合いそのものは未だ密接に持っていらっしゃると、そうお伺いしております。そういったこともあり、是非その希少商品とやらをご紹介していただければと思いますの」

 そこまで言い終わったところで、モニカは相手の反応を待つように腕を組み直した。ラブはその様子にも気がつかぬ様子で暫く考え込んでいたが、やがて視線をモニカへと戻し、難しい表情をして見せた。

「マドモアゼル、確かにこれはマクシムス様の封蝋のご様子。ですが先日の事変から、この封蝋が本当にマクシムス様本人によって封されたものであるのかも、残念ながら私共では判断がつきません。穿った見方をしてしまえば、マクシムス様なき後に何者かが用意をしたものとする可能性を、私共は払拭できないのです」

 これでは商品の紹介はすることができない、とラブが続ける。確かにラブの言葉は、最もだろう。どうやら目の前の人物は、目先の利益には飛びつかず確りと考える強かな男のようだ。
 だが、モニカはそれでも笑みを崩さなかった。

「そうですか、それは困りましたわね。それではそうですね・・・これならば如何かしら。わたくしが、確かにその紹介状を事変以前にマクシムス様から頂いているであろうということをご理解いただけたら、ご紹介いただけますか?」
「・・・無論、それが示されれば。しかしどのように・・・?」

 ラブの言葉に、モニカはうっすらと目を細めた。

「ドフォーレ様やマクシムス様、またその関係者しか知り得ない情報をわたくしが知っていれば、わたくしとマクシムス様の繋がりをご理解頂けるのではないかと思いますが・・・如何でしょう?」
「・・・成る程。しかしながら先の封蝋と同じく、何かの伝票や書状等に残っていては無意味ではありませんか?」
「ええ。ですから、文書にも残っていないもの・・・いえ、残されていてはいけないものならば、ご理解頂けるのではないかと」

 モニカのその言葉に、ラブはいよいよ表情から笑みを消した。エレンは周囲の気配を探るように神経を研ぎ澄ませながら、動向を見守る。

「そこまで仰られるのであれば、余程自信のある情報とお見受けします。是非、お聞かせ願えますか?」
「はい」

 ラブに対しにこやかに頷いたモニカは、周囲に展示してある宝飾品を一つ一つじっくりと眺めながら、まるでその宝石たちに語りかけてでもいるかのように口を開いた。

「当家の商いは、ピドナを擁するマイカン半島を中心とした陸運向け傭兵業でございます。とはいえ、メッサーナキャラバンのような大手との業務契約はなく、地域に根付いた少人数での細々とした商売。それが不思議なご縁で、マクシムス様とは実のところピドナ支部長にご就任なされる以前・・・そう、丁度かのハマール湖での戦いがあった十年程も前からお付き合いがありまして、当家はそれからいくつかのお仕事をご一緒させていただきましたの」

 ハマール湖での戦いでは、ドフォーレ様もさぞご収益を出されたたことでしょうね。そう言いながら、モニカは宝飾品の並ぶ棚の向こう、壁にかけられている絵画へと視線を投げかけた。花瓶に生けられた華やかな花を描いたその絵画へ投げかけるように、言葉を続ける。

「わたくしどもが請け負ったお仕事は当然、陸運中の護衛でございます。マクシムス様と出会って翌年あたりから、年に一、二度ほど、とある『荷運び』の護衛を承りました。いつも運ぶものは一緒。マクシムス様も無茶を承知で仰せられるものですから、それこそ世界中を旅しましたわ。その折に、特段印象的な仕事が一つございます。それは、聖王歴三百八年にお引き受けした長距離の『荷運び』でございます」

 年代が口に出たところでラブは、ふと無表情になる。また部屋の周囲に微かに殺気が混じり始めたことをエレンは察知し、気付かれぬように警戒を強めた。
 モニカは続ける。

「この年、マクシムス様からのご依頼を受け、とある荷物をメッサーナから陸路周りで、なんとガーター半島へ運ばせていただきましたの。とはいえウィルミントンを目指したわけではございません。わたくしたちが向かった先は、そう。今はなき、ガーターウエスト塩田でしたわ」
「もう結構ですよ、マドモアゼル」

 両手を軽く上げ、ラブはモニカの語りを止めに入る。
 だが、モニカは止めなかった。

「わたくしどもの運んだ荷物、それこそは『不幸』。殺戮と破壊でございます。けれどその『不幸の恩恵』を受けた様々な結晶が、ここにある。わたくしは、マクシムス様からそう伺っております」
「わかった、わかった。もうそれ以上は喋らなくて結構だ」

 勘弁してくれとでもいうように、ラブは突然ぎらりとした貪欲な眼底を晒すような目つきに変貌し、半分声を荒げるようにして今度こそモニカの言葉をさえぎった。

「お前たち・・・『マクシムスガード』、だな? 頭領が失脚したというのに、まだ残っていたのか・・・。老若男女を問わず集められた暗殺を生業とする集団だとは俺もマクシムスの旦那から聞いていたが、まさかあんたのような娘までそうだとは・・・」

 モニカは、その言葉に応える代わりであるかのように一層妖艶な笑みを浮かべる。するとラブは額に冷や汗を一筋垂らしながら、一歩後退った。

「・・・何が目的か知らないが、金があるってんなら案内しよう。あんたらを敵には回したくない」

 そう言いながら更に奥の部屋へと向かうラブに、モニカとエレンは颯爽と続いていく。
 奥の部屋は一見して置物も何もない小さな物置用の空間のようだったが、そこには帯剣した屈強な男が四人ほど待機していた。部屋の外から漏れてきていた殺気はこいつらか、とエレンは一人納得する。
 ラブは男どもには目もくれず部屋の端まで歩き、目の前の壁を一箇所、無造作に押した。すると壁は扉のように開き、その先には螺旋状の下り階段が現れる。

「・・・こっちだ。此奴らの事は、そう警戒しないでくれ。あんたたちを一人で案内するほど、こちとら命知らずじゃあないんでね」
「ふふ、賢明なご判断ですわ」

 冗談めかしたモニカの言葉にラブは無理やり作った笑みで答えつつ、部屋の中の男達を引き連れるようにしながら階段へと向かった。そのまま振り返って無言の仕草でモニカ達を誘う。そのままモニカ達が従って階段を下って行くと、直ぐにどこかの店のバックヤードのような所に出た。

「・・・下の階にある、会員制のショップだよ。闇市で回ってきたものや盗掘品とかな、表に出せない商品を売っている。まだ下だ」

 ラブはさらにもう一度仕掛け壁を開け放ち、人一人がやっと通れる程度の細い螺旋階段を地下へと下って行く。恐らくは方向感覚を狂わせることが目的なのであろう。何周も回るように下り、そしてそこから今度はまっすぐ伸びて行く細く狭い道を十数分ほど歩いた。
 するとその先に、唐突に広大な空間が広がっていた。

「・・・ここだ。さぁ、御目当てのもんはなんだ。一応断っておくがな、我々で回収した聖王遺物はちゃんと全部そっちに渡してあるぞ」

 こちらを見ながらそう言って来るラブの言葉を無視するように、モニカとエレンはゆっくりと前進しながら倉庫全体を眺めた。
 天井から漏れ入る光が複数。そしてわずかに潮の香り。恐らくはヤーマス港の地下のどこかに作られた空間であろうことがうかがえる。
 そして改めて、その大きな空間に区分けされて置いてある様々な品へと視線を向けた。
 多くは、古美術品や絵画だ。このような場所に置いていては全く保存によろしくないように思えるが、見ればどれも長く置かれている気配はない。ここはあくまで一時的な置き場所なのであろう。いくつかの品はモニカにもそのルーツが予測できる品々があったが、それらについては特段今の時点で言及しようとは思わなかった。
 少なくとも一通り見て回り、ここで彼女たちの目的は達せられた。
 ここにあるものは、間違いなく盗掘品や盗難された品々だろう。

「・・・さぁ、何を買う。此方としてもあんた方には世話になったことが何度もあるからな。ふっかけやしないぜ?」

 じっくりと品定めをしているように見えるモニカとエレンを見ながら、やや余裕を取り戻した様子でラブは腕を組みながら声をかけてきた。丁度品揃えも大体見てしまったところだったので、モニカとエレンはお互いの顔を見合わせて小さく微笑み合うと、ラブへと向き直る。

「よろしいでしょう。これを買いますわ」

 優雅に右腕を胸の前から後ろへと流すように広げ、半身を後方へと向けるようにしながらモニカは言った。しかし、その仕草と言葉に、ラブは要領を得ないと言った表情で首をかしげる。

「・・・どれだ?」
「ですから、これを、です」

 姿勢を崩さぬまま、モニカは平然と言い放つ。
 そしてその言葉、その意味を唐突に察したラブは、まるで冗談を言う子供を嗜めるような表情を作りかけた。しかしモニカの表情と瞳に一切の曇りがないことを見抜いて、次には大いにたじろいだ。

「お・・・おい、まさかここの品を全部買おう、とか言ってんじゃあないだろうな?」
「・・・あら、そうですわね。それでは足りませんわよね。それでは・・・」

 ラブの言葉に対し、全く頓珍漢な答えを返すモニカ。身を翻して態とらしく思案するオペラ役者さながらの名演技に、エレンは今にも吹き出してしまいそうなのを堪えるのに必死だ。
 そして思案する様子をたっぷり十数秒ほど見せつけたモニカは、ラブに向き直ると同時に、高らかに言い放った。

「改めて、ラブ=ドフォーレ様。わたくし、買いますわ。ドフォーレ商会を。当社から『トレード』を申し込みます。正式な手続きは商館を通じ、一週間後にさせて頂きますわ」

 

 

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第六章・7 -救援と成敗-

 

 既に密林での異変を察知していたメッサーナ王国海洋警備拠点であるエデッサ砦を中継して、密林地域北部から上陸した妖精族救助隊一行。彼らが密林探索に突入してから現時点で、凡そ二日程が経っていた。
 この時点でカタリナが切り飛ばしたアウナス術妖の数は、ともすれば三桁にも迫らんという勢いだ。
 以前にフェアリーとともに練り歩いた時とは、余りに密林全体の空気が一変していた。

(吐き気を催すような、陰鬱で体に纏わりつく瘴気・・・)

 ふと上を見上げれば天から降り注ぐ木漏れ日も、風に揺れ動く木々の騒めきも以前来た時と変わらないはずだ。だと言うのに、密林全体を覆う醜悪な瘴気が視界に映る全てを歪ませてしまっている。

(此処はもう私の知っている密林ではない・・・これじゃあまるで、噂に聞く腐海森林のよう・・・)

 止まぬ息苦しさに常時顔をしかめながら、カタリナはそんなことを思った。
 事実、ロアーヌ騎士団の精鋭を中心に構成されているこの救助隊の中であっても、倒れるほどまでは行かずとも体調の不良を訴えるものもぽつぽつと出始めている。
 あまり長いことこの森で過ごすことは出来ないだろうと考えた一行は、出来うる限り移動速度を上げていった。
 居ても立っても居られずピドナから風に乗って密林へ飛来したらしいフェアリーと念話を通じながらカタリナが先頭で案内役をしつつ、一行は間も無く妖精の里に辿り着かんとするところだ。
 だが既に先行して辿り着いているらしいフェアリーとこの数時間連絡が取れておらず、何事かあったのかとカタリナは内心気が気ではなかった。
 道に迷う心配はなかった。木々の間から漂ってくる、樹木の燃えた臭い。そして結界が消滅したことによるのだろう、半分以上崩れ落ちながらもその姿を遠くから視認することができる大樹の幹。
 その無残な姿に心を痛めながら、カタリナは後続メンバーを先導しつつ大樹を目指した。
 大樹に近付くにつれ、木々が少なくなって行く。それらの殆どは、燃え尽きたことにより倒れていた。そして倒れた木々のその中に、事切れた妖精族の亡骸が散見される。特に戦士として名高いアールヴと見受けられるものもある。
 カタリナはその姿を見て苦渋に顔を歪ませ、そして立ち止まった。

「どうしましたか、カタリナ様」

 彼女のすぐ後ろをついて来ていたフォックスが語りかけると、カタリナは言葉を発せず、代わりに口元に人差し指を当てる仕草で答えた。
 それを見たフォックスが後続を止まらせ、物音を立てぬようにと伝える。
 それが直ぐに伝わり足音も聞こえぬようになったところでカタリナが注意深く周囲の気配を探る。
 魔物の気配を感じるわけではない。それ以外の一縷の望みに賭けたのだ。

「・・・・・・」

 暫し息を殺して立ち尽くしていたカタリナは、突如弾かれたようにそれまでとは明後日の方向に走り出す。
 それを周囲が何事かと見ていると、カタリナは燃え尽きた倒木を持ち上げて脇に投げ捨てつつ、フォックスたちに向かって声を上げた。

「手伝って頂戴!まだ生きている!」

 その言葉に今度はその場の全員がカタリナのもとに駆け寄る。そこには全身に傷と火傷を負い息も絶え絶えの様子の妖精族の戦士の姿があった。
 直ぐ様周囲の倒木も退かされ、付き添った魔術師が生命の水を唱えている横でカタリナはその妖精族に語りかける。

「大丈夫よ、もう安心なさい」

 癒しの水が染み渡るのを感じたのか薄っすらとだが顔色に生気が戻ったその妖精族は、苦しそうにしながらも目を開いてカタリナを見た。

「・・・貴女は・・・長は、花の広場に・・・どうか・・・」

 カタリナを見た妖精族はそれだけ言うと、また直ぐに気を失った。
 カタリナが慌てた様子で隣の術師を見ると、気を失っただけで生きていると告げられ安堵する。
 そして立ち上がった彼女は、同行部隊の中からコリンズを呼んだ。

「場所の見当はついたわ。私は数人連れてそちらに向かう。コリンズたちは、この周辺で生存者の救助作業をお願い」
「・・・分かった。無茶はするなよ」

 カタリナが直ぐ様数名を連れて走り出したのを見送り、コリンズはその場の全員に警戒と救助活動を命じた。

 

 揺蕩う木の葉を切り裂くかの如くに、いとも容易く一振りの度に槍が敵を討ち払っていく。
 槍は周囲の木々を避けるように、また周囲の木々も槍を避けるようにしなり、正確無比にその穂先は敵だけを貫き、打ち上げ、叩き落とす。
 その槍さばきは常人離れした威力と精度を持ち、それがあまつさえ少女の様な姿形のフェアリーから放たれているものであるからか、相対するアウナス術妖はその面妖な様子に慄き狼狽えた。
 だがそれでも、槍を操るフェアリーの表情は固い。其れもその筈で、今現在フェアリーは着実に戦線を圧されていた。周囲に感じられる同胞の気配は、刻一刻と消えていっていた。彼女よりも強く逞しいアールヴの戦士ですら、徐々に圧されている。最早百も残っていない妖精族の戦士に対して相手は此の期に及んで数千に迫る程の軍勢を継続して投入してきており、数の上で圧倒的に不利なのだ。
 彼女らの守る戦線は、いわば最終防衛線のようなものだ。この後ろには密林の中で大樹の次に最も彼女たちが力場を展開するのに適した清廉なる場所があり、そこに長が居る。そこは特に遮蔽物があるわけでもない、一面のひらけた花畑。緊急で結界を作り上げたが、それでどれだけ持つのかも不明だ。いや、「持つ」というのも楽観的な意見かもしれない。フェアリーらが相対するこの有象無象の奥には朱鳥の加護を受けた絡み合う三頭の巨大な大蛇が陣取っており、あれを相手にしては例え一流の戦士揃いのアールヴ族ですら、いくらも持たないであろう。
 視界全面にばら撒かれる発火性の砂を、槍の大回転で防ぐ。だがそれにより方々に散らばって燃えた砂に木々が巻き込まれ、側面から襲う熱にまた一歩後退を余儀なくされる。
 冷静に考えれば考えるほど、この状況は絶望的だった。
 だが、フェアリーは全く諦めるつもりなどない様子で槍を振るい続けた。彼女には、確かに感じられていたのだ。此方に近づいてくる最強の助っ人の気配が。奥に控える大蛇の影響なのか力場が乱れていて遠距離の念話が出来るような状況ではないが、気配だけは読み取ることができた。否、意識せずとも感じられたのだ。

(・・・圧倒的な存在感の塊・・・幾つもの聖王遺物を携えるというのは、ここまで強大な力を得るということ・・・)

 その気配は、真っ直ぐに此方へと向かってきている。
 だから、せめてそこまでは耐えなければならない。例えここで自分が倒れても、長を失わなければ妖精族は何とかなる。そうすればいつか自分はこの世界に渦巻く大いなる力の一部として解けた後、いつか再び別の形で再構成されてこの世に生まれ戻る。
 一際鋭い槍の一閃で三体を纏めて屠ると、フェアリーは歯を食いしばった。

(・・・でも、私は今ここで死にたくはない。もっといろんな・・・この世界のまだ見ぬ場所を私のこの目で見たいの・・・。だから、死にたくない・・・!)

 じりじりと後退する戦線を前にして一切を捨てぬ覚悟を新たに、フェアリーは槍を構えた。

 

「来るわよ、下がって!!」

 カタリナの号令とともに周囲の数人が一斉に後方へと走り、それと同時に巨大な三頭の大蛇が燃え盛る炎を周囲に吐き出す。途端に辺り一面が火の海となり、しかしただ一人その炎の中に残ったカタリナは太刀の一閃で炎を払いのけ、仁王立ちで大蛇と対峙した。
 同行者の一人であったフォックスは、そのあまりに人間離れした様相に普段の冷静な表情もすっかり忘れて魅入ってしまっていた。彼女とて幼い頃から長く荒事に身を置いてきた者として、幾人も「強い人間」には会ってきたつもりだ。そういう意味で言えば今所属しているロアーヌ騎士団の面々も非常に強いと感じたし、そこで将を務めるブラッドレーやコリンズなどは今まで見てきた中でも一流というに不足無い腕を兼ね備えていた。
 だが今彼女の目の前で異形の化け物と戦っている存在は、まるで彼女の知っている『人間』という存在とはかけ離れたものにしか見えなかった。少なくとも今まで彼女は人間が迫り来る炎を太刀の一振りで振り払う姿を見たこともないし、その胴回りだけで自分の身の丈ほどもあるような大蛇三頭に対峙してなお一歩も引かない人間など、それもまた見たことはなかった。あまつさえ彼女はこちらに助けを求めるどころか、危ないので引いていろと言う。確かに実際助けを求められたとしても自分たちでは何が出来るわけでも無いだろうとも思ってしまうが、それでも標的の分散程度にはなるはずだ。しかし、それすらもいらないと彼女はいっているのだ。

「温い。レッドドラゴンの炎の方が余程熱かったわよ?」

 地面で燃え盛る炎を避けるように一足飛びで相手の懐まで入り込み硬い外皮を物ともせず、迫ってきた一頭の大蛇の首を一刀のもとに刎ね飛ばす。そのまま切り離された胴体だけが暫く動き回りながらも次第に緩慢な動きとなり、やがて絶命した。その様子を尻目に半狂乱でカタリナに襲いかかる二頭を、彼女は全く意に介さぬ様子で身軽に駆け回り、避けていく。その様はまるで風を身に纏う精霊の如く、人間離れした光景であった。
 そのまま手にしていた月下美人を納刀したカタリナは懐からマスカレイドを抜き、迫る来る大蛇二頭に向かって少々だけ距離を取って腰を低く構えた。

「さぁ・・・いくわよ、マスカレイド!」

 その言葉と同時、端から見ていたフォックスたちの視界は周囲に燃え盛る炎よりも眩しく、そして赤く染まった。
 そして直後に巨大な何かが倒れる重苦しい地響きと落下音が周囲に響き渡ったかと思えば、先の者と同じく首を刎ねられた残り二頭の大蛇と周囲の燃える木々の上半分が炎ごと斬り飛ばされ、地に落とされていた。
 そして残されたのは、真紅の大剣を手に地面に立つ、カタリナだけだった。
 彼女たちが木陰から見守ってものの数分で、あの異形の化け物との勝負はついてしまったのだ。
 唖然とする周囲を尻目に、マスカレイドを携えたカタリナは周囲に燃え残る炎を忌々しげに一瞥した後、己が打ち倒した大蛇の先を真っ直ぐに見据えた。

(・・・この先にフェアリーも長もいる。月下美人の反応がそれは教えてくれる。あとは突っ切るだけか・・・状況がわからないし、どうしたものかしら・・・)

《カタリナさん!》

 突如として脳内に聞きたくて止まなかった声が響き渡り、カタリナははっとして中空を見上げる。漸くフェアリーからの念話が通じたようだ。状況からして恐らく、今の大蛇が障害となっていたのだろう。

《フェアリー、無事!?》

 恐らくフェアリー達がいるであろう方向を凝視しながらカタリナが思わず声に出しながらそう語りかけると、直ぐに返事は返ってきた。

《はい、長共々なんとか。カタリナさんのおかげで、周囲の敵が統制を失いました》
《そう・・・兎に角無事でよかった。丁度いいわ、今浮いてる?》
《え・・・あ、はい。浮かんでいますが・・・?》

 フェアリーのその念話を感じ取ると、カタリナは一呼吸置いてから手にしたマスカレイドを逆手に持ち直し、天高く掲げた。
 詩人が神王教団の軍勢に対して放ったようなもの程とはいかないだろうが、今のマスカレイドならば相応の威力は出せるはず。彼女はそう考えていた。
 手中のマスカレイドに語りかけるように刀身へと意識を向けると、それに応えるように赤い刀身に仄かな輝きが宿る。
 そのままカタリナは力強く、マスカレイドを地面に突き立てる。その動作は、彼女が神速の二段斬りと並んで十八番としている地を這う衝撃波だ。
 だがマスカレイドから放たれたそれは、これまでのものとは全くの別物だと感じられるほどに強大な衝撃波をその場に瞬時にして生み出した。
 剣の周囲数尺に渡り地面に無数の亀裂が走ったかと思えば、亀裂は轟く断裂音と衝撃波を伴って真っ直ぐ直線上に地を走っていく。

「・・・!!?」

 軍の核となる大蛇を失い統制が取れていなかったアウナス術妖らがその轟音に気付いて背後を振り返った時には、その命運は既に尽き果てていた。衝撃波は進行方向にある全てを飲み込んで燃え盛る密林を突き抜けていく。
 折り重なって響き渡る、幾つもの魔物の断末魔。根元から断絶され地響きと共に倒れる燃えかけの樹木。
 周囲に溢れる朱鳥、そして密林を漂う蒼龍の気を打ち消す様に白虎の力を発現させた衝撃波は、やがて魔物の軍勢を突き抜けた先で漸く止まった。
 宙に浮く自らの足元を走っていった衝撃波の威力をまじまじと見つめたフェアリーは、ふと我に帰って周囲の様子を探った。
 大蛇が討ち取られて以降、仲間に戦死者はいない。後方の長も無事。
 アウナス術妖は大蛇の欠損に加え突如として味方の三割ほどが巨大な衝撃波の餌食となったことに完全に戦意を喪失し、散り散りとなって逃げ始めている。
 それらを見て戦闘が終わった事を悟った彼女は、放心した様に槍を持つ腕をだらりと下げながら、炎ごと吹き飛ばしていった衝撃波の痕を見つめた。

(・・・生き残った。すごい・・・すごい)

 遠くからフェアリーを呼びつつ瓦礫の上を颯爽と走り寄って来たカタリナが彼女の元に辿り着いた時には、彼女はすっかり安心しきった様子でぱたりとカタリナの腕の中に倒れこんだ。

 

 

 明方から一向に太陽が顔を覗かせることなく分厚い雲に覆われ続けた薄暗い空を、ユリアンは一人で棒立ちのまま眺めていた。
 このヤーマスに滞在する様になってから気が付いたことだが、ここは天候の移ろい方が彼の故郷であるシノンと少し似ている。
 あるいは北方に聳える龍峰ルーブが、故郷のタフターン山と同じ様な役割を果たしているのかもしれない。
 だが、己が周囲の移ろい方はこうも予測の付かぬものになろうとは思いもよらなかった。シノンで同じ様な空をぼんやりと眺めていた時分には、まさかそう遠くない未来に自分がシノンから遠く離れた地でこの様な事をしているなどとは想像もつかなかったな、と思い返す。
 立ち姿勢を直そうと左足から右足に重心を変えると、腰に装着しているロングソードが音を立てる。
 それを目で追う様に剣の柄を見つめたユリアンは、今度は状況の変化と共に訪れている自分の中の変革に思いを馳せた。
 今の彼の中には、「彼の知らない記憶」が渦巻いている。
 最初は、戦いの記憶だった。それを最初に自覚したのは、ピドナでのいくつかの作戦行動の最中。
 クラウディウス家所縁の有力者への使者としてマイカン半島中を駆け巡ったり、神王教団ピドナ支部への潜入調査を行った際に戦った妖魔を相手取った時、最早自分の体は以前の自分とは全く変わってしまっていることに気が付いた。
 戦の術は己のこれまでのどの記憶よりも鮮明に自らの体に染み込んでおり、頭は目の前の妖魔がどのような特性を持っているのかを、長年携わってきた森の切り拓き方や農産物の育て方よりも遥かに熟知していた。そしてそれらを駆使し、手にしたロングソードは彼が初めて相対する脅威に対して、これまでに幾百とそうしてきたかのように淀みなく敵を屠った。これまでに無い過度に高度な動きに最初は肉体が大いに悲鳴を上げたが、それを圧倒的に凌駕する意志の力が体を動かした。
 先日ロビンとの戦いの最中に閃いた技こそ独自に編み出したものではあるが、しかしそれも彼の中に渦巻く記憶を元に昇華させた技術の結晶だ。以前の彼ならば、それこそ一生をかけても編み出せたかどうか分からないようなものだ。
斯様な激動の変化の中で、彼が何より恐ろしく感じることが一つある。
 それは、この変化に対し彼自身が不気味な程に冷静である、ということだった。

(・・・俺って、こんなものの見方をする奴だったか・・・?)

 以前の自分なら、今の自分になったらどう思うだろうか。
 そう、きっと先ずは、とても驚くに違いないだろう。そして、その力に自惚れ、はしゃぐこともあったかもしれない。
 今の自分ならば恐らく、世界屈指の精鋭とも謳われるロアーヌ騎士団の現役世代・・・カタリナと同世代の面々にも引けは取らない。いや、寧ろ勝つ自信がある。
 だからこそこんな力があったら、そう、もっと昔からこんな力があったら。次第に、そんな風に考えたかもしれない。

(・・・いや、ないなー。こんな事では変わらない・・・。だから多分、変に冷静なんだな)

 そう考えを改め、再び空を見上げる。
 どれだけ力を手に入れようとも、この空に手が届くことなどないのと同じなのだ。自分の中に巣食うこの無力感は、こんな事で克服されることはないのだろう。むしろ生半可に力を手に入れたからこそ、より一層に思い知らされるような気分だった。

「・・・来てくれたか」

 声に反応して振り返る。
 其処には先日会った時のままの、日中は逆に目立つのではないかと感じられるような格好でロビンが現れた。
 ユリアンが彼の言葉に小さく頷くと、ロビンは彼を促すような仕草をしながら身を翻した。

「既に奴らの動きは確認した。着いて来てくれ。向かいながら説明しよう」

 そう言って歩き始めるロビンについて歩き出しながら、ユリアンは気を引き締め直した。

(・・・流されるままではいけない。俺は、モニカを護る。今はその為に出来る事が、これなんだ)

 決意を新たにしながら倉庫群を屋根伝いに素早く移動するロビンについて行くと、人通りが殆どない倉庫群の一角を前にしてロビンは立ち止まり、身を屈めた。
 それに習ってユリアンが傍に身を屈めると、ロビンは視線で方向を示す。

「あそこだ。明け方の荷捌きの時間に紛れてルーブ山脈の方から運ばれてきたものが、あそこに収容されている。この時間は荷下ろしも何もないから人目につきにくい。取引は間も無くだろう」

 ロビンの言葉に無言で頷いたユリアンは、彼の指示に従い正面と裏手の屋根に飛び移り、双方から人の立ち入りがないかを見張った。
 すると程なくして、商人と思しき格好の人物が一人、裏口から倉庫内に入って行くのをユリアンが確認した。捕縛しに動くかをロビンに視線で問うが、ロビンはまだだと首を振る。それに従いユリアンもじっと待っていると、それから更に幾ばくかの後、水夫の格好をした男が正面から倉庫に入っていった。
 それを視認したロビンはユリアンに即座に立ち位置の合図を送り、慎重に内部へと侵入していった。
 天井の骨組み伝いにロビンが裏口方面から建物内部に消えたのを確認すると、ユリアンは正面入り口に回り込んで周囲に人の気配がないことを再度確認し、内部を覗き込んだ。
 そこには視認した通り二人だけが広い倉庫に積み上げられた荷物の前におり、そのうちの一つを見聞しながら話している様子がうかがえる。ユリアンはそっと聞き耳を立ててみた。

「今回の出荷量は凄いな。試作品だそうだが、一気にばら撒くつもりなのか・・・しかし、これだけ派手にやって大丈夫なのか? こりゃもう正真正銘の麻薬だぜ」
「そうらしいな。今までのものと此奴は、濃度が違う。普通はこんなもん港を通過できねえが、なに、心配するな。こいつはルーブの支配者のお墨付きだ。誰もみちゃいねえよ」
(・・・麻薬、だと・・・!?)

 彼らの会話は、ユリアンにはその大部分が理解できなかった。
 だが少なくとも彼らのそばにあるものが麻薬のようなものであろうと言うことだけは伝わった。
 この手の我慢比べはあまり得意でない事を自覚しているユリアンは、思わず自分が見ていると声高らかに叫びながら飛び出したい衝動に駆られた。
 が、どうやら彼の相方は自分よりもさらに我慢弱い方だった。

「ハハハハ!」
(!!?)

 突然倉庫内に響き渡る高らかなロビンの笑い声に、その場の男二人は心底驚いた様子で周囲に視線を走らせた。ついでに言えば、ユリアンも驚いていた。

「天知る 地知る ロビン知る! 麻薬で人々の体と心をむしばみながら、おのれはぬくぬくと大金を得ようとは、許せん!」
「くそっ、ロビンか!」

 華麗に天井から飛び降りながらロビンがそう言うと、その場の二人は驚いた様子で即座にロビンと反対方面の出口へ駆け出した。
 ここで漸く自分の出番かと物陰から飛び出したユリアンは、まるでユリアンが二人いるかのような残像が残るほど素早い斬り付けにて二人を即座に打ち倒した。

「安心しろ。剣の腹で叩いただけだ」

 崩れ落ちる帆足を尻目に、ふふん、とユリアンはそう言いながら剣を仕舞う。そしてすかさず二人を手近な柱に寄りかからせ、用意してあった縄を用い手慣れた様子で縛り上げた。

「・・・慣れているんだな」
「・・・あぁ、なんか最近、人を縛る機会が多くて」

 以前もピドナで神王教団の連中を縛り上げたことを思い出しながらそういうと、ロビンは何やら若干慌てた様子で自分の額に手を当てた。

「・・・そうか。すまない、少々個人的且つ立ち入ったことを聞いてしまったな」
「いや多分それ勘違いしてるよ、絶対違うよロビンさん」

 彼の人間性の根幹に及びそうな勘違いをしているかもしれないロビンに対して冷静に訂正をユリアンが促しているところで、倉庫の正面入り口から更なる人の気配がした。

「・・・誰だ!」
「おっと・・・まぁ待ってくれ、敵じゃあないよ」

 それにいち早く気付いたロビンが腰のレイピアを抜き放ちながら誰何すると、現れたその人物は敵意がないことを示すように言葉と共に両手を上げながら二人に近づいてきた。
 現れたのは、ポールだった。

「あれ・・・なんだポール、つけていたのか。言ってくれればいいのに、意地が悪いなぁ・・・。ロビンさん、安心してくれ。俺の仲間だ。チャラそうだけど悪い奴じゃない」
「もうね、確実に一言多いよねユリアン君」

 ユリアンの言葉にも警戒を解くことなく切っ先をポールに向けたままのロビンを横目にユリアンと軽口の応酬をしたポールは、そのまま彼らと捕縛された二人の脇にそびえる大量の荷物へと視線を走らせた。

「そう警戒しないでくれよ、ロビンさん。俺の名前はポール、キドラント出身の冒険者だ。ユリアンとは、ピドナから共にここにきた仲間でね。二人に黙ってたのは悪いが、ちと俺もこいつに用があってね。後をつけさせてもらった」

 その言葉に、ロビンも荷物の積まれた方を横目に見やる。

「・・・これがなんだというのだ。これはこやつらが言うには、麻薬だ。これを横取りでもしようというのか」
「はっ。昔の俺なら、そんな狡いことも考えたかもな」

 ポールのそんな軽口にいよいよロビンが警戒心を剥き出しにすると、ユリアンは二人の間を取り持とうとして立ち上がらんとした。
 しかしそれをポールは手で制止し、そのまま最も近くにあった荷物へと歩み寄った。
 荷物はその一つ一つが袋詰めにされており、口を紐で縛られている。
 ポールは徐に懐から小型のナイフを取り出し、一番手前の袋に突き立てた。すると中から、白い粉が流れ出てくる。
 そして彼は何を思ったかその粉をひとつまみし、舐めとった。
 その行動に二人が多少驚きながらも様子を見ていると、ポールは合点がいったようにふむと一つ頷き、そして二人に対してニヤリと笑ってみせた。

「これが麻薬・・・ねぇ。確かにそうなんだろうが、これは何も、麻薬を欲しがる奴のために用意された代物じゃあないようだぜ」

 ポールのその言葉に二人が首を傾げていると、ポールはそこから後退るように数歩離れ、腕を組んだ。

「ちっと舐めるだけなら何でもない。試しに一舐めしてみなよ」

 その様子にお互い顔を見合わせたロビンとユリアンは、一瞬迷った後に物は試しとポールの言葉に従うことにした。
 意を決して二人同時に粉を摘み上げ、ひょいと口に入れる。

「うげぇ、しょっぱ・・・!」
「これは・・・塩、か。いや、しかしなにかおかしいな・・・」

 二人の反応に、ポールは浅く頷く。
 そのまま二人の近くまで歩み寄り、そして積み上げられた荷物へと目をやった。

「その通り。此奴は、塩だ。いや・・・正確には塩に見せかけた麻薬、なんだろうな」
「・・・確かに、通常の塩とは思えない雑味というか、薄い感じがする。しかしこれでは、麻薬成分が入っているとしても、抑もの麻薬としての価値は・・・」

 ロビンがポールの言葉に反応しながら首を傾げていると、丁度そこで、気を失っていた二人が呻き声を上げながら目を覚ました。

「・・・さて、あとは彼らに色々と話を伺うこととしようか」

 囚われの二人に歩み寄ったポールは、懐から小型のナイフや小さなハンマーを取り出しながらにやりと笑ってみせた。

 

 

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第六章・6 -サラと少年-

 

 朝日が浅い角度から差し込むヤーマスの町宿の一室にて。その日の目覚めは彼のこれまで生きてきた中で歴代堂々一位であろうと確信できるほどに、最悪だった。
 どんな目覚ましよりも強烈な衝撃に脳髄が直接揺さぶられ、ポールは絞り出すような絶叫と共にベッドから転げ落ちる。
 ガタン、と大きな物音がしたことに驚いたのだろう。何事かとユリアンがすぐ隣の部屋から駆けつけると、ポールはそれに構える余裕など全くない様子で床に転げながら頭を押さえ込んでいた。

「お、おい、どうしたんだよポール!?」
「ぐ・・・だ、大丈夫だ・・・うぅ・・・」
「だ・・・全然そうは見えないぞ! ちょっと待ってろ!」

 揺らしてしまうのもどうかと思案したユリアンが医者を呼んでくると叫んで駆け出したのを床にへばり付きながら見送ったポールは、今一瞬の衝撃が嘘のように徐々に戻っていく平衡感覚と、それと共に脳内に響き渡る声に応えるように声を絞り出した。

「き、急にどうしたっつんだ・・・フェアリー・・・」
《・・・ポールさん!無理矢理で済みません。まだ長距離の念話に慣れず、思念波の出力調整が上手く出来なくて・・・》
「いや・・・大丈夫だ。寧ろこんなことが出来る事に驚きなんだが・・・」

 そう言いながら頭を押さえつつなんとか起き上がったポールは、やっとの事でベッドに腰掛けると、近くのテーブル上にある水差しから汲んだ水を飲み干し、一息ついた。

《・・・誰でも何処でもというわけではなく、聖王遺物みたいな大きな力を宿したものがあるところを目印に思念を飛ばしています》
「あぁ・・・じゃあ、こいつがあるからか」

 そう言いながら、直ぐ脇に立てかけてあった妖精の弓を横目に見た。どうもここ数日は前にも増して弓から発せられる力が強くなっているように感じられていたものだが、それも関係しているのだろうか。

「んで・・・一体どうしたんだ?」
《それが・・・》

 そこからポールは、フェアリーの語るとんでもない事実にしばし聞き入った。
 昨夜、妖精の里がアウナスの尖兵により燃やされたこと、そして現在その救助にマスカレイドを携えたカタリナが向かっていること。そして襲撃から落ち延びた妖精族の長が言うには、これはアウナスを含めた全ての四魔貴族が本格的に目覚めた事に他ならないと。

《他は分かりませんが、アウナスは間違いなく我らの長を狙いに動きます。里が燃え、我々の力が大きく弱まった今を逃さぬ手はないでしょうから・・・。ですので早急にアウナスに対する手段が必要です。火術要塞までは私たちが案内できますが、アビスの炎に守護されたあの魔神を討つには、最低でも妖精の弓が必要です》
「成る程な。それで急遽ってわけか・・・」

 ポールがフェアリーの言葉にそう反応したところで、部屋の外からどたばたと幾人かの足音が響き渡ってくる。
 そちらに視線を向けると、取り敢えず女性陣全員を連れてきたらしいユリアンと最初に目が合い、続いてわらわらとエレン、サラ、モニカが部屋に入ってきた。
 しかし対するポールが存外普通な様子である事に入室してきた全員が首を傾げていると、何時もの様子で肩をすくめたポールは彼女らを近くへと手招きした。

「今、フェアリーが思念を飛ばしてきて会話している。緊急事態のようだ。とりま、状況を説明するわ」
「思念・・・?」

 いまいちポールがなにを言っているのかその場に集まった面子は理解できなかったが、兎に角四人はポールの近くに寄ってそれぞれ楽な姿勢をとった。
 ポールはまずはじめに、その場の全員に今し方自分がフェアリーから聞いたことを申し伝えた。
 そして次に妖精の弓を誰が持っていくかを決める事にした。兎に角急いで行動せねばならないので、ここで決めて即座に出発せねばならなかった。
 そこで即座に手を挙げたのは、サラだった。

「ポールの狙いからすると、私の役割はもう少しあとのはずでしょ。逆を言えば、私以外は今動く必要がある。だったらそれは私が行くのが一番だと思う」
「・・・そうだな。分かった、サラ、頼めるか?」
「ぎょーい」

 サラが敬礼の姿勢をとりながら至極軽い調子でそう言うと、そこにエレンが口を挟む。

「でも流石にサラ一人じゃ危なくない?あたしも同行しちゃだめかな?」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。私こう見えてカンパニーでの船の手配とかも一人で港まで行ってやってたりしたし、来た道帰るだけだから心配しないで。届けたら直ぐ戻ってくるし」

 それにお姉ちゃんにはすぐ仕事があるよ、とサラが続けると、エレンは渋々頷いた。以前の自分ならばそれでも心配だと言ったかも知れないが、この半年少々でサラは見違えるほど逞しくなったように思う。あまり心配の度が過ぎても良くないなと思い直したエレンは、気を付けてねと言うに留めることにした。
 その様子をニヤニヤしながら見ていたポールはすぐ近くの弓を手に取り、頼むぞと言いながらサラに差し出す。それをサラが受け取ると、俄かに妖精の弓の発する波動が一際強く波打ち、より大きなものへと変わった。

「へぇ・・・やっぱサラは八なる光なんだな。俺が持つよりも力が大きくなってる」
「・・・初めて持ったけど、なんか変な感じ。この弓、まるで意識があるみたい」

 そんなサラの感想に面白がって持ちたがるエレンやモニカの手に弓が渡っていく様子を眺めながら、ポールはフェアリーに事の次第を伝えた。

《分かりました。お待ちしております。本当なら、氷の剣があれば良かったのですが・・・》
「氷の剣・・・雪に閉ざされた町の伝説、か。一応そっちもな、睨んではいるんだ。ここでの一件が落ち着いたら調査に入るつもりだよ」
《はい、お願いします》

 ふっと撫でるような微風が通り過ぎたかと思うと、もうフェアリーの声は聞こえなくなっていた。
 世の中はまだまだ自分の知らない不可思議で溢れているもんだなどと考えながら立ち上がったポールは、腰に手を当てて一息ついた。

「さて、コトは一刻を争うようだ。サラには済まないがすぐ出発してもらう。ここに残る俺らも、この数日で一つでも多く裏を取らなきゃならん。朝メシ食ったら即、行動開始だ」
『おー!』

 一同の掛け声に満足そうに頷いたポールは、そういえば自分が寝間着姿であったことを思い出してそそくさとその場で着替えだし、女性陣から総批難を浴びた。

 

 

 ヤーマス港からピドナ行きの船が出航するまで思いの外時間が空いてしまったサラは、乗船しながら狭い船室で出港を待つのもつまらないので少し町を歩いてから港に向かおうと考え、乗船所周辺の通りを気ままに探索することにした。
 改めて眺めるこの商都ヤーマスという場所は、ピドナに負けず劣らずの賑わいだ。市場を歩けば右も左も世界各国から集まった様々な品が所狭しと溢れかえっており、その繁栄っぷりには目を見張るものがある。
 折角だから何か土産の一つでも買っていこうと露天を幾つか冷やかしたサラは、少しひょうきんな表情をしているルーブの竜を象った置物を気に入って購入し、あとは出港前まで近くのカフェで過ごす事にした。
 異国の地で一人の探索という経験が初めてだったサラはどこか高揚感を味わいながら、オープンテラスの風通しが良さそうなカフェを選んで入る。
 店内には、彼女と同じく乗船待ちかと思われる旅支度の客が数組留まっていた。席もちらほら空いているので先に飲み物を買いにカウンターへ行き、アイスラテをミルク多めで頼む。程なくして出てきたドリンクを片手に、どこに座ろうかと見回しながら店内を歩き回った。
 すると、オープンテラスの一角に座って読書をしている一人の客に自然と目が向いた。
 そこに座っていたのは、周囲の客とは一風変わった容姿の客だった。その人物はナジュ地方によく見られるような薄い褐色の肌と黒い髪をした線の細い中性的な顔立ちをしており、一見しただけでは男女どちらかいまいちサラにはわからなかった。身に纏っている衣服がこれまた見慣れぬもので、稀に何処から入手してくるのかナジュの商人が東方から仕入れてくるような衣服を纏っている。
 ふと、本から顔を上げたその人物と目が合った。
 正面から見ると思いの外顔立ちも幼く、ともすれば自分とあまり変わらない程度の年齢なのではないかとも思えた。
 サラがそのまま何も喋らずに真っ直ぐ見つめていると、しかしその人物は見つめ合いに付き合う気はないらしく、すぐに視線を本に戻した。
 気がつけば、サラの体は勝手に反応していた。即座にサラはその人物と同じテーブルにアイスラテを置くと、相手に断りもせずに対面の椅子に座る。

「僕に構わないで」

 視線は手元の本に落としたままで、目の前の人物は、ぽつりとそう言った。
 その声色はとても耳に心地よく透き通るようなテノールで、サラはここで初めて目の前の人物が男性であることを確信する。
 拒絶の言葉を受け取ったにも関わらず、サラは微動だにせずに居る。すると程なくして俯いていた視線が、まるで面倒くさいと雄弁に語るようなため息一つとともに此方に向けられた。向けられた瞳の色はまるで吸い込まれそうになる程に深い藍の色をしており、サラは思わずその瞳に魅入った。
 そして彼女には見えた。その瞳の奥の光が、微かに震えているのを。

「どうしたの?」

 サラが優しくそう口にすると、目の前の少年(と言って差し支えないであろう容姿だ)は目を少し見開いて彼女を見返した。すると先ほどはあまり見えなかった感情の色がより鮮明に瞳に浮かび上がってくる。
 やっぱりだ。この瞳を、その光の震えが表す感情を、彼女は知っている。

「怖がらなくても大丈夫だよ。私はサラ、あなたは?」

 その一瞬、彼女に向けられた瞳の中の微かな光の震えが止まったように見えた。

「僕は・・・」

 無意識に、言葉を発していた。
 まるで自分の意思とは別に勝手に口が動いたかの様に少年は何かを言いかけ、しかしはっと気がついた様な表情をしたかと思うと、何処か自嘲気味な笑みを浮かべて手元の本を閉じた。

「知らないんだ、自分の名前さえも。ずっと一人だったから」

 嘘ではない。本当に少年は自分の名前も知らないし、少なくとも彼の知る限り、彼の頭の中にある記憶の中では常に彼は一人だった。
 自嘲の笑みが漏れてしまったのは、二つ意味がある。一つは、まさか初対面の少女に二言三言でこんな事をいうなんて、自分自身で思っているより随分と社交的だったんだなと思ったこと。もう一つは、自分の知る限りこの話をすると誰もが彼を哀れむのが分かっているのに、懲りない自分の愚かさが度し難く可笑しかったからだ。
 彼は自分の記憶のかぎりでは全ての人間に哀れまれた。彼と言葉を交わした人間が皆そろって自分を哀れむ度、自分はこの人達とは違うのだなと実感した。それは最初はとても悲しいことであったと記憶しているが、流石にもう慣れた。自分一人なら名前もいらないし、哀れまれるのならば関わらなければいい。それだけのことなのだ。

「かわいそう・・・」

 そう、それだ。
 目の前に座る少女が漏らしたその言葉は、幾度となくこの耳に聞かされてきた言葉だ。自分と違って悲惨な境遇にあると分かった目の前の何かに対して、一様に同じ反応を返す人々。それらと、この少女も同一だ。
 そんなことは既にわかりきっていたはずなのに言ってしまったのは、一瞬だけ彼女に、自分の心を覗かれたかのような錯覚に陥ったからかも知れない。何の気もなしにだったのだろうか、彼女に怖がらなくても大丈夫だと言われたときに「そうか自分は怖がっていたのか」と妙に腑に落ちてしまった自分がいたのは確かに事実だった。だから何を言おうか考える前に、口をついて言葉が出てしまったのだろう。
 だが、これまでと何が違ったわけでもない。彼女も又、一様なる反応しか示さない。
 だが次の瞬間、少年は自嘲気味に笑うことを止め、ぎょっとした表情をして慌てだしたのだった。
 なにせ自分の目の前に座った少女は一体どうしたわけなのか、その円らな瞳から大粒の涙を流していたからだ。

 彼女は、目の前の少年がしていた瞳を知っていた。あの瞳、あの表情は自分も長いことそうだったからこそ、よく分かるのだ。
 最愛の姉に守られながら育った彼女は、幼い頃は常に世界を姉の背中越しに見ていた。姉が守るということは、自分に害を為すなにかが姉の背中の向こうにあるということだ。
 姉は常に優しく言ってくれた。私が守るから大丈夫だ、と。その言葉は彼女にとってはとても心強かったと同時に、背中越しの世界に垣間見える恐怖を増幅させた。姉の背中越しに見える世界全てに関わることに、怯えていたのだ。
 この少年は、あの時の自分と同じ目をしている。世界と関わることそのものに彼は今、酷く怯えているのだ。彼と世界はきっと自分にとっての姉の背中のような何かで隔たっていて、でもその『何か』は、姉のように彼を護ってくれはしない。だから少年は瞳の向こうに見ている世界に、怯えているのだ。
 自分はユリアンやトーマスとの関わりによって、いつしかその状況から自然と脱することが出来た。だが彼は今の自分とそう変わらぬ年齢であろうにも関わらず、未だその渦中にあるというのだ。その恐怖、その孤独は年月が経てば経つほど大きくなり、誰かに手を差し出されぬ限り自分では決して抜け出すことのできない牢獄と化す。
 なんという悲劇だろうか。彼の周りには、このような状態の彼を助け出す人は、いなかったのだろうか。彼は目に見える世界全てに怯え、悲しみ、諦めようとし、それでも諦めきれぬ自分を蔑んでいるようにすら見える。このような悲劇が、あっていいのだろうか。
 だから、サラは迷わずそう口にした。

「一緒に行こう」

 そう言って右手を差し出す。
 少年はその手を見つめ、そしてサラを見つめ直す。彼女が何故泣いたのかは分からない。だが、彼女が今まで自分が出会ってきた人たちと違うということだけは、分かった。彼女はどこか、自分と似ているものを持っているのかもしれないと、そう感じられた。
 だが少年は幾つもの感情が入り混じったような瞳でサラを見返し、しかし怯えの色を濃く出しながら弱々しく首を横に振った。

「僕に関わった人は・・・みんな死ぬんだ。僕を助けようとした人も、殺そうとした人も。だから、僕に構わないで」

 ガタン、とサラが手を出したまま椅子を押し退けて立ち上がった。少年はびくりと一瞬震えて、彼女を見上げる。
 その瞳に向かって、サラは微笑んだ。
 あの時、ユリアンやトーマスはどんな表情で、どんな瞳をしていたんだっけ。そんなことを思い出しながら、それを真似てみる。

「助けられないし、殺せない。そんなつもりは、はなからないよ。私はそこまで傲慢にはなれないもの。でもこうすることで、なにかが起こることを願ってるの。だからただ、一緒に行こう」

 その言葉に、少年の瞳が僅かに震える。だが、まだ迷いが消えない。サラはアイスラテを一気に呷ると左手に荷物をまとめ、少年の横に移動して彼の手を取った。

「そんな風に思い詰めないで。ね、行こう!」

 そう言って一歩後ろに引き、少年を立ち上がらせた。もう一度彼を引っ張るようにすると、少年は流されるままに椅子にかけてあった荷物と、布にくるまれた長大な剣のようなものを肩にかけてサラについていった。

「ね、名前ないなら、決めよう」
「え・・・うん」

 意気揚々と港に向かう途次、サラは少年にそう提案をした。流石に名前がないのは呼びづらいなと考えたのだ。
 うーん、と歩きながら考えていたサラは、不意に立ち止まって少年へと振り返った。あまりに突然に立ち止まるものだから少年は勢い余ってサラにぶつかりそうになってしまい、慌てて止まる。しかし彼女の顔が思いの外至近距離にあることで赤面してしまい、顔を背ける。

「だーめ、こっちむいて」

 サラが片手で顔を戻すように彼の頬に手を当てると、少年は成されるがままに正面に向き直る。出来ればもう少し離れて見て欲しいと彼は思うのだが、上手く言い出せない。

「テレーズ・・・テレーズでどうかな!」
「・・・それ、女性名称じゃ・・・?」
「だって、似てるんだもの。髪の色は金髪じゃないけど、後ろに結んでいて、切れ長の目で、中性的な顔立ち。テレーズ様そっくり。ね、テレーズでどうかな!」

 サラが満面の笑みでそういうのを聞きながら、少年は呆気にとられる。彼女が誰のことを言っているのかは彼には分からなかったが、不思議と彼女がそういうのならそれでいいか、と思えた。
 少年がそれにゆっくりと頷くと、サラは無邪気に微笑む。

「決まり。宜しくね、テレーズ!」
「・・・うん、宜しく、サラ」

 二人はこうして、旅を始めた。
 この時、世界が、僅かに震えた。
 だがその震えを感知したものは、世界に散らばる幾百万の人間の内、極一握りの者だけであった。

 

 

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第六章・3 -怪傑ロビン-

 

「ドフォーレさんも、こんなボロやに1000オーラムも出そうって言ってるんだぜ。金もらって出てったらどうだ!」

 明らかに相手を恫喝する目的で発せられたであろう野太く不快な男の声は、薄い木製の壁しか持たぬ納屋の外まで響かせんとして敢えて発しているのではないかと勘ぐってしまう程度には派手に周囲に漏れ聞こえ、それは偶々そこを通りかかったユリアンとモニカの耳にも当然のように届いてきた。

「お金はいいんです。おばあちゃんが寝たきりだから、ここから出て行くわけにはいきません・・・!」

 相手の声に震えながらも恫喝に屈しまいと必死に声を絞り出す若い女性の声が後から聞こえてきた頃には、丁度納屋の周囲にいた住民たちは事に関わるまいとしてか、我先にと即座にその場から蜘蛛の子を散らすように去って行く。
 それがあまりにあっぱれな散りっぷりだったものだから、ユリアンとモニカは一瞬呆気にとられてしまったほどだ。

「・・・おいおい、なんだよ薄情な奴らだな!」

 先に我にかって俄然怒りを覚えたユリアンは、当然いつもの彼がそうするように兎に角仲裁に入らんとしてその小屋に向かって駆け出そうとした。
 しかしまさにその時、彼の直ぐ横を一陣の黒い風が吹き抜けていくのを確かにユリアンは横目に見た。
 それが人影であることをユリアンが認識した時には既に黒衣の人物は渦中の小屋に飛び込み、その中にいた老婆を無理やり運び出そうとしていた暴漢を体術で弾き飛ばし、老婆を鮮やかに助け出していた。

「老人を甚振るとは許せん!」
「ちっ、ロビンだ!逃げろ!」

 瞬く間に繰り広げられた、電光石火の救出劇。小屋の目の前で呆然としているユリアンとモニカを尻目に逃げ去る暴漢と、小屋の中では老婆を寝床に横にして若い女性の勇気を称え労わる黒衣の人物。

「なんてお礼を言ったらいいのか・・・」
「君たちが幸せなら、それで十分だ。さらば!」

 黒衣の人物はやることを終えるとすぐに身を翻し小屋を出てきて、そこで丁度ユリアンやモニカと視線が交わる。
 その人物は見たまま全身の殆どが黒で構成された格好なのだが、中でも特徴的なのは大きく額に『R』と書かれた黒いバンダナと、顔の上半分を隠すように装着された黒いアイマスクだろう。
 その珍妙な美的センスにモニカが思わず目を丸くしながらみていると、黒衣の人物は彼女らに対し不敵な笑みを浮かべ、次にはもう、現れた時と同じく一陣の風のように颯爽とその場を走り去っていった。

「・・・ちょっとカッコつけ過ぎですわね。・・・ユリアン様?」

 一連の様子を見てそう結論付けたモニカが同意を求めるように隣に寄り添っている用心棒に話題を振るが、思ったような反応が返ってこない。それを疑問に思ってモニカがそちらに視線を向けると、ユリアンは去っていった黒衣の人物の方を向きながら、惚けたように口も半開きでいた。
 そしてぼつりと、誰に向けたわけでもなかろう呟やきがモニカの耳に届く。

「・・・かっけぇ・・・」
「・・・そういうものですの?」

 そんな様子のユリアンにいまいち共感しきれないモニカは、どうも暫くその様子から抜け出しそうにないユリアンを取りあえず置いておき小屋の中の様子を確認しようと動き出した。なにせ中にいた様子なのは若い女性と老婆だ。男性では気がつかない部分もあるのではないかと考え、手伝えることがあればそれくらいはしようとしたのだ。
 小屋の中では先程の騒ぎの後片付けをしている女性がおり、モニカは今の騒動を見ていたこと、助けに入れなかったことの侘びと後片付けを手伝いたい旨を伝えた。それに女性が感謝の意を述べながら快諾してくれ、相変わらず外で惚けているユリアンを他所に手際よく片付けをしながらそれとなく今の黒衣の人物のことや、この国の現在の情勢のことなどを聞いていった。

 

「んで、その娘が実はエージェントも兼ねていた、と。こいつは早速の収穫だな、モニカ」

 夕刻、再び五人がシーホークに揃ったところでポールがモニカの報告を聞いて親指を立てると、モニカもそれに応えて得意げに伊達眼鏡をくいっと持ち上げてみせる。

「あと、その場に現れたマスクマンは恐らく・・・怪傑ロビン、ってやつだろうな」
「エージェントの方も確か、そう言っていましたわ。そのロビン様とは、どういった方なのです?」

 モニカが可愛らしく小首を傾げながら疑問符を浮かべると、ポールは手元の資料を覗き込みながら空いた手でボイルソーセージをフォークに突き刺しつつ、器用に肩をすくめた。

「まぁ所謂、義賊ってやつだよ」
「義賊・・・」

 ポールの言葉を繰り返して呟くユリアンを他所に、隣で話を聞いていたサラが首をかしげる。

「義賊って・・・アバロン伝記の怪盗キャットみたいな?」
「あーなんだっけそいつ・・あ、テレーズ王妃の恋敵だっけ、そうそう、そんな感じよ。実はこのヤーマスのロビンってのはここ一、二年は賊の間じゃ結構な有名人でな。ルーブ界隈じゃあこいつを警戒している連中は結構多いんだ。まぁ喧嘩を吹っ掛ける相手が権力者だろうがお構いなしなもんだから、バリバリのお尋ね者だけどな。衛兵連中からはヤーマスの疫病神、なんて呼ばれているらしいぜ」

 サラが自分の好きな小説の登場人物を例に挙げるとポールは頷き、そう付け加えた。
 怪傑ロビンは主にこの町で起こる犯罪を阻止するための活動を行っているようで、昼夜を問わず、その活躍が複数の住民から目撃されている。
 だが彼が阻止する内容には表向きには隠された悪意が分からぬものもあるようで、結果として都市衛兵からは単なる犯罪者として追われているそうだ。

「特にドフォーレ商会が背後にいると噂されるような悪事には、はほぼ必ずと言っていいほどこのロビンの妨害が入る。なもんで実はどこぞの傭兵かなにかがフルブライトにでも雇われてんじゃねーか、なんて言ってる奴らもいるな」
「あら・・・そのような感じにはお見受けできませんでしたけど、しかし穿った見方をすればそういう風にもとれてしまいますのね。義賊さんも大変なのですね」

 モニカがポールの言にそう言いながら頷くと、最近お気に入りらしいミルクたっぷりのカフェラテを傾けながら他人事よろしくサラが呟く。

「そういうのって意外と身近に潜んでいたりするのよね」

 そんな彼女を眺めながら、ポールは浅く頷いた。

「そうだと助かるね。実は俺が考えていたアテってのも、このロビンなんだよ。なにしろ敵の敵は味方、ってな。ドフォーレに敵対しているのならば、俺たちの味方たり得るだろう。しかも年単位に渡って喧嘩している最中ともなれば、俺たちが求めている情報も数多く握っている可能性が高い」
「おぉーなるほどー」

 エレンが感心したように声を上げると、ポールは得意げに笑って見せた。

「実際にいることもしっかり確認できた。なもんだから、当面はこのロビンと接触を図ることを第一の目標にしようと思う」
「俺もロビンに会ってみたい!」

 ここで、皆の話を聞くに徹していたユリアンが前に乗り出してきながら口を挟んだ。それを真正面から見据えたポールは、ユリアンに対してしっかりと頷いて返す。

「あぁ。ユリアンならそう言ってくれると思っていたぜ。なにしろ今回の作戦の胆となるのがユリアン、お前さんだ。頼りにしているぜ」
「勿論だ、まかせてくれ。・・・え、キモ?」

 どこから出てくるのか自信たっぷりにポールに頷き返したユリアンだったが、ポールの言葉に何か可笑しな雰囲気を感じ取り、思わず聞き返した。
 だがそれに対してポールは、その場ではにやりと笑いながらエールを傾けるのみであった。

 

「くそ、ふざけやがってあの覆面野郎!」

 全身に酒気を帯びながらエールジョッキを叩きつけるようにカウンターにぶつけ、筋肉質で大柄の男は心底不機嫌そうに怒鳴り散らした。
 その様子をパブシーホークの恰幅のいいマスターは若干目線を細めて見つめたが、周囲の喧噪の前ではそんな行為も塗れるだけなのでそのまま放置することにしたようだ。

「しっかし、なんなんすかね・・・。前より邪魔される回数がいきなり増えましたよね・・・」

 荒れている男の隣で、人相の悪い細身の男が静かにジョッキを傾けながらそういった。すると大柄な方の男はそれに憤慨するように悪態を吐きながら、空になったエールをカウンター越しにマスターに突き出す。
 マスターが仏頂面を隠さずに無言でそれを受け取り新たにエールを注ぐのを尻目に、男は再び周囲に聞こえるような声で怒りも露わに隣の男に怒鳴り始めた。

「デカい取引だけじゃねぇ。こっちの小遣い稼ぎまで邪魔してきやがって・・・。次邪魔しに来やがったらぜってぇぶっ殺してやる!」
「えぇ・・・だってもう俺等相当ボコボコにされたじゃないっすか・・・。もうやめましょうよ・・・」

 二人の会話はどうにも景気の良いものではないようだ。
 ポールはそんな二人の会話を聞きながら、カウンターの端でシーホーク自慢の豆シチューを啜る。
 ヤーマスに来てから今日で一週間少々が経つが、彼は夕刻以降の大体をここで過ごしている。共にこの地を訪れた各面子との集合場所として指定したからと言うのもあるが、実のところここのマスターの手料理が非常に美味しく、すっかりはまってしまったというのも一つ理由として十二分に挙げられるだろう。
 今日も既に本日二杯目となる豆シチューをたった今完食したところで、怒声とともに飛んでくる唾を避けてかシーホークのマスターがこちらに来たのを見かけて空になったグラスを掲げ、おかわりをアピールした。

「やぁ、彼方は商売上手くいかなくて荒れてるみたいだねぇ」
「あぁ・・・ありゃドフォーレの連中でしょうな。うちは他と違ってあそこの関係者でも割引きなんかしねーんで、ここに来るのは珍しいんですけどね。来たら来たであれですよ。まぁ、ちと騒がしいですけど勘弁してくださいよ、お客さん」

 マスターはどうやらあまりドフォーレ商会のことを快くは思っていないようで、彼らに対する言葉の端々に棘がある。ポールはそんなマスターの話に片眉を上げながら耳を傾け、そして頭を振った。

「なに、気にしないさ。寧ろ俺はロビンのファンなんでね、あいつ等の話しようじゃあ多分邪魔しているのはロビンだ。寧ろスカッとするくらいだよ」
「へぇ、お客さんもロビン好きですか。実は私も好きでしてねぇ」

 ロビンの名前を出すと途端にマスターは気をよくしたのか、表情が随分と和らいだ様子で口を開いた。
 反面、カウンターの離れたところで飲んだくれていた男二人はロビンという単語に敏感に反応したのか、怒りの形相をこちらに向けてくる。

「おいそこのクソガキ!胸くそ悪い名前を口に出すんじゃねぇ!」
「おおっと、聞こえてた」

 飛んできた声に対してポールが戯けながら肩を竦めると、その様子になお激高した男は怒鳴りつつ座っていた椅子を弾き飛ばし、大股歩きでポールに詰め寄ってきた。

「お客さん、店内で喧嘩はやめてくれませんかね」

 その様子をいち早く察知したマスターがカウンターから出てポールと男の間に立ちはだかると、男は問答無用とばかりにマスターの胸ぐらを掴み上げようとした。
 だが男の右手はマスターが持っていたバースプーンの先端で叩き落とされ、次の瞬間には男の喉元にフォーク部分が突きつけられる。その流れるように鮮やかな動きにポールは軽く口笛を吹きながら、面白い物が見られそうだと思い事を見守ることにした。

「うちの店で暴れんじゃねぇよ、木偶の坊。おいライム!こいつら放り出せ!」

 マスターの動きについて行けず男達がおどおどしている間にマスターがホールに向かって叫ぶと、ホールでウェイターをしていた男がその声に振り向いてカウンターに寄ってきた。
 ライムと呼ばれたそのウェイターは一見すると中肉中背の優男風の容姿なのだが、腕に覚えがある人間が見れば一目瞭然なほどに引き締まった肉体をしているのが、ウェイター制服の上からでも窺えた。だというのにそんな印象をあまり抱かせないのは、彼の表情が非常に柔らかい、というか気弱そうに見えるからかもしれない。
 ライムはその表情を崩さぬまま、男達に手を伸ばした。

「お、おい、くそ!離しやがれ!」
「・・・すみません。店内のお客様の迷惑になるので・・・」

 自分よりも背丈のある男にも全く動ずることなく彼らの首根っこを掴んで店の入り口まで移動したライムは、そのまま勢いよく腕を振り抜いて男二人を路面に放り投げた。
 そして最早文句も疎らに戦意喪失している男二人に対して、すっと掌を差し出す。

「・・・お代、下さい」

 男達がはその様子に呆気にとられた後、悪態を吐きながら1オーラムをライムに投げつけて逃げるように去って行った。
 その様子を見ていたライムは落ちていた1オーラムを拾いあげ、店内に戻る。すると店内ではマスターとライムの迷惑客退治に大いに客達がわき上がり、大喝采でライムを迎えた。
 今度はカウンターに向かって投げられるチップに恐縮しながらライムも戻ってきて、マスターに回収した1オーラムを差し出す。

「・・・父さん。これ」
「おう、ご苦労だったな」

 マスターの労いにライムは自身では上手く笑っているつもりなのだろうが端から見れば随分とぎこちない笑みで応え、そのままホールサービスに戻っていった。

「ここは親子経営なのかい?」

 一連の様子をエールジョッキ片手にのんびり眺めていたポールが、やれやれと言いながらカウンターの中に戻ってきたマスターに声をかけると、マスターは振り向いてニカッと笑って見せた。

「ええ、そうなんですよ。このヤーマスがまだ小さな港町だった時からうちの一族が細々と営んできた店でしてね。今は倅のライムと二人でやっとるんですわ」
「そうだったのかい。下町の方じゃあ荒くれ者も多そうだが、しかしここは息子さんもマスターも腕が立つから安心だな」

 ポールが大真面目に頷いて笑いながら言うと、マスターは照れ笑いを浮かべながら謙遜した。

「いやいや、とんでもないですよ。倅には確かに仕込みましたけど、私なんかもう年ですからねぇ。そういやお客さんは、ヤーマスへは商売かなにかで?」
「あぁ、そんなところだよ」
「へぇ、買い付けですかい?」

 マスターが何気なしにそう言うと、ポールはふぅむと一つ唸る。そして次には独り合点がいったかのように浅く頷き、にやりと笑いながら口を開いた。

「あぁ。ドフォーレを買いにきたのさ」

 満面の笑みで臆面なくポールがそう言うと、それを聞いて初めにきょとんとした表情を浮かべたマスターは、次の瞬間にはこれまで聞いた中で一番大きな声で笑い始めた。

「はっはっは!お客さん大きく出たねぇ。そりゃあいいや。私から前祝いで一杯出させてくださいよ」
「お、悪いねぇ」

 大変機嫌が良くなった様子のマスターからサービスで差し出された大ジョッキをポールがにこやかに受け取った、その時だった。なにやら店の入り口が俄に騒がしいことに二人とも同時に気がつき、何事かとそちらに振り返る。
 すると丁度そのタイミングで、店の入り口付近の客の叫び声が聞こえてきた。

「ロビンだ、怪傑ロビンが現れたぞ!」

 その言葉に、ポールは目を細めながら短く口笛を吹く。

「おや、噂をすれば、だ。今日はどんな悪事を暴いているのかねぇ」

 噂こそよく耳にするものの、実物を目にする機会は現地の住民でも殆どないに等しいのだろう。騒ぎを聞きつけて一目見てやろうという野次馬が次々と店の外にのぞきに行くのを眺めながら、先ほどまでの言葉とは反対に特にそれに興味がないようにポールがゆっくりとエールを飲んでいると、片腕に持ったトレーに大量の空グラスを乗せてカウンターに戻ってきたライムがおずおずとマスターに話しかけた。

「・・・父さん。ちょっとトイレ行ってきていい?」
「あぁ。騒ぎで多分オーダーも止まるだろうから、ちっとゆっくりしてていいぞ」

 マスターが二つ返事でそう答えるとライムは無言でこくりと頷き、カウンターの裏からバックへと引っ込んでいった。その様子を横目に見ていたマスターは、視線をすぐにホールに戻すと肩を竦める。

「さて、今日は商売あがったりっぽいし、私もゆっくりしますかねぇ」

 すっかり客がいなくなった店内をみたマスターは、自分も小さなグラスにエールを注いで口につけ、ポールに向かって肩を竦めて見せた。それに同じ動作で応えたポールはカウンターに頬杖をついて騒がしさが漏れ聞こえてくる喧噪の方へと顔を向け、口の端をつり上げた。

 

 

 世間を騒がす怪傑の登場に、まるでお祭り騒ぎのように沸き立つヤーマスの裏通り。その裏通りに連なる屋根の上を、黒い影が颯爽と疾駆する。その動作は非常に素早く、一般人では到底追い切れるようなものではない。そのスピードを緩めぬままに喧噪から離れた場所へと移動した黒い影は、しかし速度を緩めることなく再び動き出した。
 そして遅れること数秒。先ほどまで黒い影がいたその場所には、もう一つの黒い影が降り立っていた。
 もう一つの黒い影は先に動いた影を視線で追い、直ぐ様追いかけ始める。
 二つの黒い影の追走は十数秒続けられたが、平たい屋根の倉庫らしき建物の上にたどり着いたところで、追われる側の影が意を決したように止まり、すぐに追いついたもう一つの影を迎えた。
 対峙した二人は、非常に似通った姿格好をしていた。白生地のズボンに膝下まで覆う黒いブーツ。黒の上着。そして風に靡く漆黒の外套。なにより特徴的なのは、頭部前面に『R』と大きく書かれた黒いバンダナと、顔の上半分を隠すように装着された黒いアイマスク。それは、噂にきく怪傑ロビンそのままの格好であった。
 そのまま屋根の上で対峙する二人のロビン。数瞬の後、最初に口を開いたのは追いついた方のロビンだった。

「お疲れさま、にせロビンさん」

 その言葉に、言われた方のロビンは微動だにしないでいる。だがそんなことには構うつもりもないのか、言葉を発した方のロビンは相手に近づきながら言葉を続けた。

「ここ一週間ほど、私の与り知らぬところで私を騙る者による活動が何度かあったようだ。どうやらそれはロビンの名を汚すようなものではないようなので様子を見ていたけれど、流石に活動が活発すぎるね。一体どういうつもりなのかな、にせロビンさん」

 ヤーマスに怪傑ロビンが現れてからもう二年近くになるが、その活動はあっても月に1,2度がいいところだった。それがこの一週間で数度の目撃情報が街中で相次ぎ、俄然話題沸騰して沸き立っていたところだったのだ。だが、それはどうやらこのロビンがいうには偽物の仕業である、ということらしい。
 しかし言葉をかけられた方のロビンが黙って立ち尽くしているので再び言葉を紡ごうとしたその時、徐に黙っていた方のロビンは自らの頭のバンダナを解き、アイマスクを外した。
 星空の僅かな光に照らされたその素顔は、精悍な青年のそれだった。その髪はこの地方では見られることのないエメラルドの色をしており、アイマスクの下に隠れていた力強い光を湛える双眸が、まっすぐにロビンを見つめる。青年は、ユリアンだった。

「俺の名はユリアン=ノール。ロアーヌからやってきた。まずはロビンさん、貴方の名前を騙ってすまなかった。ただどうしても貴方と話す場を設けたくて、神出鬼没だという貴方に会うのに最も手っ取り早い方法だと思ってこんな形をとってしまった。許して欲しい」

 そういってぺこりと頭を下げるユリアンにひっそりとアイマスクの下で驚きの色を浮かべたロビンは、少なくとも目の前の自分と同じ格好をした青年には自分に対する敵意のようなものが今は全くないことを感じ取ると、多少リラックスするように居直した。

「そうだったのか。それで、このロビンに一体何の用かな?」
「・・・力を、貸して欲しい」

 ロビンの言葉に、まっすぐに相手を見つめたまま即座にそう答えたユリアン。対するロビンは当然のように訳が分からないといった様子で口をへの字に曲げ、首を傾げた。

「力を貸す、とは・・・一体何に対してなんだい?」
「この町に巣くう巨悪を討つ。俺はそのためにこの街にやってきた。敵は、恐らく貴方が対峙する者と一緒のはずだ。だから、どうか手を貸して欲しい」

 あまりに突拍子のないその言葉に、ロビンは困惑する表情をアイマスクの下に隠しながら、目の前の青年の真意を推し測るように薄らと目を細めた。

「あまりに突然な申し出だな・・・残念ながら、その申し出は受け入れられない。君が何者なのか、私には分からないのでね。まんまと私をおびき出してそのような甘言を用い、私を罠に嵌めようとしているとも限らない。これでも私は用心深くてね」

 ロビンがそう応えると、ユリアンは数秒の間何の反応も示さずにロビンを見つめていた。そして生暖かい夜風がその場を吹き抜けるのを合図にするように、帯剣していたロングソードをすらりと引き抜く。
 俄に、ロビンの眼光が鋭くなった。

「・・・ほう、やはり罠かな?」
「・・・違う。俺は・・・こういうときの上手い言い回しが思い浮かばない。だから口で言っても、この場で貴方に理解してもらえそうにない。だから、こんな証明しか思いつかない。俺の剣は誰かを貶めるためにあるのではなく・・・誰かを守るためにあるんだ。それを、感じ取って欲しい」

 そういってユリアンはロングソードを構え、視線でロビンに抜刀を促した。

「・・・いいだろう、一流の剣士は剣を交えることでお互いを知るもの。君が何者なのか、私のレイピアで確かめて見せよう。ただし・・・覚悟することだ。手加減はしないぞ」

 言葉と共にすらりと腰のレイピアを引き抜いたロビンは、その切っ先をユリアンへと定めた。
 瞬間、ロビンの姿はまるでかき消えたかのように超加速しながら前方へと突進し、躊躇なくユリアンの喉元へとレイピアを繰り出した。
 その速度に目を見開きながらも間一髪でレイピアの突進に対し刀身を当てて軌道を反らしたユリアンは、相手の推進力を緩める程度に留めながら自分も合わせてバックステップを踏み、空中で握り直したロングソードを操り一段目を囮にする変則的な二段斬りを繰り出した。
 だがロビンはその動きを読んでいたかのように更に踏み出しながらユリアンの左を抜けるようにして切っ先を回避し、彼の左後方へと回り込む。
 そしてがら空きのユリアンの背中に問答無用の突きを再度見舞わんと腕を引き絞ったところで、ユリアンの体が右回転をしていることに気がついた。

「・・・!?」

 囮を用いた二段斬りを繰り出したはずのユリアンは一段目のフェイントの後の二段目を打たず、相手が回り込むことを予測して腕の遠心力を目一杯乗せて水平に空間を切り裂くほどの斬撃を打ち放っていたのだ。
 これはロビンが咄嗟に身を屈めることで何とか回避したものの、しかし回避をするのが精一杯で直ぐ様反撃を叩き込むほどの姿勢制御が追いつかない。堪らず後ろに飛び退いて、一度相手との距離を取ることにした。

「・・・強いな」
「・・・」

 今の一瞬剣を交えただけでも、確かにロビンには分かった。目の前に居るこのユリアンと名乗った青年は、彼が知る中では間違いなく指折りの剣の使い手だ。
 真っ直ぐな剣線と淀みない振り抜きが、経験と信念によって鍛え上げられた体躯から放たれる。多少その型が綺麗すぎるようにも感じるが、それもまた彼の言葉の節々に感じる生真面目さを表しているようで、いっそ好感さえ覚える。

「確かに、君は言葉より剣の方が雄弁に語るようだ。それでは私も私の中の最大限で、君を確かめよう」

 そういうとロビンは、先ほどと同じようにレイピアをユリアンに向けて突き出した。いや、正確には先ほどとは少々構えが異なる。レイピアの切っ先は先ほどよりも下を向いており、下段に構えた状態に近い。そしてその切っ先の角度に合わせるように、ロビン自身も姿勢を低くし、ユリアンを見据えた。
 その状態のロビンからびりびりと感じる覇気にユリアンは剣を今一度構え直し、彼もまた相手の技に打ち合わせるべく構えをとった。
 そのまま、数秒が流れた。対峙する両者の間に流れる空気だけがしんと静まりかえり、そして夜空を煌々と照らす月が雲に隠れ、二人は影に包まれる。
 直後ロビンは全身のバネをフルに用いた超加速で飛び出し、その手に持つレイピアは、まるで空間をすら裂かんとするような速度で以て突き出された。その刀身には、迸る稲妻をも纏わせる程だ。

(疾い・・・)

 最早その突きは、視覚を核とした知覚では全く対処出来ないほどだった。それを感覚で悟ったユリアンは、考えるより先に肌に感じる気配と勘で捌くべく体を捻る。なにしろ最初の突撃も知覚するのに精一杯だと感じたが、この突きは比較出来るような技ではなかったのだ。

(・・・なら・・・!)

 ロビンの電光石火の突きは、寸分違わず狙い通りにユリアンを貫いた。確かにそう、ロビンは手応えを感じた。この速度では彼も目でそれを確認するようなことは出来ないが、その手元に感覚があればそれで決着だとわかる。
 だが、彼のレイピアがユリアンを貫いたとロビンが感じた矢先、ユリアンの姿はその場からかき消えてしまった。

「・・・!?」

 かき消えたとロビンが感じた瞬間、彼の突き出したレイピアを持つ右腕の死角からユリアンの気配が現れる。だが常人であれば全く反応する余地などないであろうその気配に超反応してみせたロビンは、考えるより先にレイピアを横に薙ぐ。
 だがそれがユリアンに接触したように思えたその刹那、またしてもそこにあったはずのユリアンの姿は消失。そしてその消失と同時に彼の背後と左側面から放たれた更なるユリアンの気配が、ロビンの感覚を大きく揺さぶった。

「・・・な・・・!?」

 あり得ない。ロビンは即座にそう判断した。だが確かに今、彼にはユリアンの気配が四方から感じ取れ、そのどの気配もが明確な敵意を自分に向けて放っている。
 錯覚かと訝るが、それはすぐに否定した。彼の得意とする小剣にも剣先の微細な揺れを用いた催眠術は存在しているが、その手の技には必ず特定の予備動作が存在する。しかしそんな気配は、微塵もユリアンからは見て取れなかったのだ。
 だからこれは、小手先の催眠術などではない。これは間違いなく物理的な、純度の高い高等技術の結晶なのだ。
 戦いの最中であるにも関わらず、ロビンは不意に顔がにやけてしまう。こんなにも強い人間がいるとは、恐れ入った。このような場面でそんな気持ちになることに、どこか可笑しさを感じてしまったのだ。
 彼がそのように感じたのと同時、複数のユリアンの気配が同時に斬撃を放つ。そしてその太刀筋のうちの一閃がロビンのレイピアをはね上げ、中空を舞った。
 軽やかに回転したレイピアが屋根に突き刺さると、ロビンの正面に位置していたユリアンは大きく息を一つ吐いてロングソードを鞘に収めた。

「・・・恐れ入ったよ。他者の剣技にここまで心奪われたのは初めてだ」

 最早悔しがるなどという感情はなく、ロビンは本当に心からそう思ってユリアンに向かい合った。
 それと同時に、ロビンの足下に二つに割れたアイマスクがひらひらと落ちる。
 だがロビンはそんなことには構わずに、ユリアンを正面から見据えた。寧ろユリアンの方が遠慮してしまい、後ろを向いてしまった程だ。

「・・・俺は貴方の正体を知りたいわけではないし、ましてや騙したいわけでもない。これで理解してもらえたら嬉しい」
「ああ、十分に理解したよ。君の剣は雄弁に語ってくれた」

 言いながらユリアンの仕草に苦笑したロビンは近くに落ちていたレイピアを回収すると、背中を向けているユリアンに向かって声をかけた。

「・・・七日後の日中、港の第三倉庫群の何処かで闇ルート取引があるという情報を掴んでいる。私はそこに向かうつもりだ」

 ロビンがそう言うと、ユリアンはロビンに振り返るまででは無いものの、顔を微かにロビンの方に傾けた。

「君ならばそれを共に暴いてくれると信じよう」
「・・・ありがとうございます」

 ユリアンが礼を言うと、背後のロビンはそれに僅かな笑顔を向け、そして静かにその場から去っていった。
 遠ざかっていく気配が完全に周囲から消えたところで漸く振り返ったユリアンは、漸くほっと一息つきながらがりがりと頭を掻く。

「・・・あー緊張した・・・なんで俺じゃなきゃダメなんだこの役目・・・。でもなんか凄い技も閃いたし、まぁいっか・・・」

 

 

『・・・後一つだけ、私的な願いをさせて欲しい。きっと私が居なくなってから、私の友人の子供がルーブに残される。もしこれを見た皆様がそいつに会ったら、どうか仲良くしてやって欲しい。小難しいけど、根は良いやつなんだ』

 優しそうなその声と共に青年が手を翳すと、どこからか聞こえてくるため息とともに視界がぼんやりと揺らぎ、世界が白く染められていく。
 ミカエルは微動だにせずにそれを見つめ続け、やがて暗転する視界に合わせて目を閉じた。ふわふわと浮いているような心地であった全身には確かな現実の気配が舞い戻りはじめ、全てが元の世界に戻っていくのを感じる。
 それと同時に、とても聞き覚えのある、しかし久しぶりに聞いたような気がする声が彼の脳裏に響き渡ってきた。

「・・・様、ミカエル様!」

 まだ上も下も分からぬ感覚の中で自分を呼ぶその声に向かって無意識に手を伸ばしながら、はじめはぼんやりと、そして次第にはっきりとした色彩を取り戻していく世界にゆっくりと瞼を上げる。するとそこには、酷く心配そうな表情で自分を見つめている、懐かしい顔がある。カタリナだった。
 最後に彼が見た時より、彼女の自慢だった美しい銀髪は伸びていた。だが、それでも以前の長さというわけでは無い。彼女の長い銀髪を美しいと感じていたミカエルは、今更ながら勿体ないな等と場違いに考える。
 自分が無意識に伸ばしていた手はカタリナの頬に触れており、そして彼女の銀髪が手の甲に寄りかかっていた。
 ミカエルは微かにカタリナの頬を撫でると、次に彼女の髪を軽く掻き上げながら、頭をそっと撫でた。

「・・・久しいな、カタリナ。元気にしていたか?」

 カタリナの耳に届いたその声は、ロアーヌを出て以来に何度も何度も彼女が頭の中で繰り返し再生してきた声そのものだ。しかし、彼女の記憶の声よりもずっと透き通っているようにも感じられた。そうしてすっと耳に入ってきたその声音に思わず涙腺を刺激されるが、そこは流石に瞬き一つで律する。

「・・・はい」

 しかし発せられたミカエルの声を聞いたことで何故か体の力が一気に抜けてしまい、カタリナは振り絞るようにそう答えると、ぺたりと地面に座り込んでしまった。
 それをミカエルは視線で追ったあと、周囲に視線を巡らせながら自分の状態を確認する。どうやら自分は倒れていたらしく、コリンズに抱きかかえられ、カタリナが覗き込んでいたようだ。
 視線を上げる。
 日は高く、自分が最後に見た光景と殆ど何も変わっていない所から、時間の経過はさして無いものと推測された。
 そしてその短いであろう時間の間に自分は恐らく、かの聖王に幻の中で語りかけられたのだ。
 コリンズの肩を借りながら立ち上がり、体に異常が無いことを確認してコリンズを下がらせる。不思議と直前まで体中に蓄積されていた連日の疲労感は綺麗さっぱり消えており、万全の体調といってよかった。いや、むしろ以前よりも余程調子が良いようにすら感じる。
 一頻り自分の状態を確認し終えると、目の前に座り込んでいるカタリナに手を差し伸べた。

「あ・・・も、申し訳有りません!」

 その時、恐縮しながら手を取り立ち上がるカタリナの手に、見たことのないものが嵌められていることに気がついた。とはいえ今の彼女の装備にはミカエルが見たことのない者が多量にあるわけだが、とりわけ彼女の指に嵌められていた指輪が、彼の目を引いたのだった。
 いや、正確にはミカエルはその指輪をずっと昔に見たことがあったので、目を引いたのだ。ロアーヌ侯爵家の先祖縁の地であるユーステルムに向かった折に見聞のためと立ち寄った聖都ランスで見たものと、それは同じものだった。

「王家の指輪・・・か。今の幻は、これの所為なのか?」

 ミカエルのその言葉に思わず目を見開いて彼を見つめたカタリナは、ミカエルがその表情に気がついてどうしたのかと視線で聞いてきても、直ぐには応えられずにいた。

「ミカエル様・・・今、この指輪の記憶をご覧になったのですか?」
「・・・その指輪の記憶なのかどうかは分からぬが、聖王様と思しき方に語りかけられる幻は見た。その内容から察するに、聖王記に記された八なる光に対して残されたものであるようだった。この地に半数以上、と言っていたが・・・」

 ミカエルは先ほど見た幻の内容を思い出しながら、そう言った。それを聞きながら、カタリナはこれが一体どういうことなのかと言うことに考えを巡らせる。
 兎に角言えることは、王家の指輪が反応するのが八つの光に対してである、というこれまで当然そうだと考えてきた仮説が今ここで崩れたということだ。なにしろ、王家の指輪が反応してその記憶を見せられた人間は、これでカタリナの知る限り九人目となるのだから。
 その九人とは、たった今見たばかりのミカエルに、カタリナ、ハリード、エレン、サラ、ユリアン、モニカ、トーマス。そして魔王殿で出会った、謎の少年。
 こうなってしまうと、伝説そのものに間違いがあったのか。いや、そうではないはずだとカタリナは自分の中でその説を否定する。なにしろ王家の指輪に込められた記憶の中では、聖王自身が「八なる光」と言っていたのだ。少なくとも聖王自身が己の記憶を託すつもりだったのは、その発言から察すれば八人だったはずだ。だとしたら、聖王の時代からここまでの間に何らかの事情によって状況が変わり、その結果として人数が増えたのだろうか。
 だめだ、今考えても分からない。そう判断したカタリナは、兎に角考え得る仮説だけいくつか立てるに留めることにした。

「・・・ミカエル様」
「・・・何か事情をしっているようだな、カタリナ。後ほど話を聞こう。だが今は、先に彼と話をするべきのようだ」

 そう言ってミカエルがカタリナから視線を移した先には、一連の出来事を静かに見守っていた老人が立っていた。ティベリウスだった。

「・・・ロアーヌの若き侯爵とお見受けする。私はティベリウスと申すもの。神王教団の教長を勤めておる。この場には、此度の騒ぎの謝罪をさせて頂くために赴かせて頂いた。どうか話し合いの場を設けさせて頂けないだろうか」

 言葉と共にティベリウスが頭を下げると、ミカエルは面を上げるように申し出た。

「お名前は存じております、教長ティベリウス殿。お初にお目にかかる。いかにも私が、ミカエル=アウスバッハ=フォン=ロアーヌだ。今回の話し合いの提案、是非ともお受けいたそう」

 ミカエルが間髪入れずにそう言うと、ティベリウスは感謝の意を述べ、再度頭を下げた。

「会談場所は、出城まで私が赴く形を取らせて頂こう。後方に控える軍には撤退指示を出しておりますので、直に下がるでしょう」
「ではそのように。我々の騎士団精鋭が出城まで丁重にご案内しよう。道中の安全は何処よりも保証するが、戦場へと赴く装備故、多少荒削りなのはご勘弁願いたい。プラッドレー」

 ミカエルの言葉に応じ、ブラッドレーが一歩前に出てティベリウスにお辞儀をした。

「ロアーヌ騎士団師団長を務めるブラッドレーと申します。それでは、ご案内させて頂きます。どうぞこちらへ」

 ブラッドレーの誘導に従ってティベリウスが馬車へと移動していくのを見届けたミカエルは、同じく見送りをしていたカタリナへと振り返った。そして彼女の腰に装着されている聖剣マスカレイドを確認すると、小さく笑ってみせる。

「無事に取り戻したようだな」
「・・・はい」

 ミカエルは労いのつもりで声をかけたのだが、しかし返ってきたカタリナの返事は、どうにも歯切れの悪いものであった。以前には見られなかったその反応は恐らく、彼女のこの半年強に及ぶマスカレイド探索の旅の中で訪れた変化がもたらしたものだろう。
 先ほどの幻の件といい、どうやらカタリナはマスカレイド探索とは別の大きな何かに、その身を投じているようだった。

「旅の疲れもあろう。話は出城にてティベリウス殿との会談を終えてから聞く。それまでは体を休めるといい」
「・・・畏まりました」

 言葉少なにそう言って背を向け歩いていくミカエルに、カタリナは自分でも無意識に近いうちに、どうしたわけか彼を呼び止めていた。

「ミカエル様!」

 呼びかけにミカエルが振り返ると、カタリナはそこで初めて我に返ったように、はっとした表情をする。何故今、自分は態々主君を呼び止めたのか。それが自分でも全く分からなかったのだ。
 だが振り返ってこちらを見つめているミカエルを見ているうちに、彼女は何故自分が彼を呼び止めてしまったのかを自覚した。

「・・・砂漠は、日射しが強うございます。どうかご無理をなさらぬよう。お呼び止めして申し訳ございませんでした」
「ああ、気をつけよう」

 そう言って再び去っていくミカエルの背中を見つめながらカタリナは右手を握りしめ、自分の胸にそっと手を当てる。妙に充足感を覚えている我が身を余りに現金なものだと恥じ、しかしその気持ちに抗うこともせず暫しの間目を閉じ、気を落ち着かせる。
 やがてゆっくりと目を開いたカタリナは大きく息を吐き、騎馬隊の控える方向へと歩き出して行った。

 

 

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