第七章・3 -姉思い弟思い-

 

 まだ陽も昇らぬ未明にに巻き起こった学術都市モウゼス中央の小島における魔術戦闘は、実に苛烈を極めた。
 西方世界でもこれまでの歴史において殆ど類を見ないほどの高度な魔術戦であったであろうとシャールが太鼓判を押す程のその戦闘は、天に向かって渦巻く玄武と朱鳥の力の奔流によって圧倒的な破壊の気配を纏いつつも、しかし次第に朝日によって照らされゆく事で実に幻想的且つ美しく彩られた。
 しかしその膨大な魔力の狂宴も終わりを迎えてみれば、その勝負の行方は誰が見ても明らかなものでもあった。
 無尽蔵にも思えた程の魔力をいよいよ出し尽くして地面に膝をつく二人の魔術師と、その目の前には微動だにせず仁王立ちをしているカタリナ。その手には武具を持っておらず、代わりに魔王の盾を構えた状態だ。
 世界に名を轟かせる魔術師二人の術は、古代の至宝たる魔王の盾の持つ無効化の力により全てカタリナに届く前に効果が消失し霧散してしまっていた。
 その様を見た時、魔術師二人にはそれ以上何かを為さんという気力は生まれてくることはなかった。

「負けたわ・・・」
「好きなようにしろ」
「二人とも、あんまり町の人を困らせないでよ?」

 力なく項垂れたウンディーネと、それとは対照的にどこか妙に潔い様子のボルカノに対し、カタリナはそう声をかけてその場は存外呆気なくお開きという流れとなった。

 

 そして数時間後。
 明け方までの騒動だった故か昼過ぎまで宿のベッドで倦怠感とともに微睡んでいたカタリナは、彼女等に宛てられたという一通の文が朝方に届けられていた、との知らせで漸く起き上がり、いそいそと活動を開始した。
 そのまま宿の食堂に降りて遅めの昼食をいただきながら届いていた文に目を通していると、今度は彼女らを訪ねて一人の人物がやってきた。
 態々そこに訪ねて来たのは、なんと今朝死闘を繰り広げたばかりの南の朱鳥術師ボルカノその人であった。
 懲りもせず早速魔王の盾を改めて狙いに来たのかとも思ったが、それにしては全く敵対心のない様子のボルカノに対してカタリナは内心首を傾げながら、昼過ぎで全く人気のない宿に隣接した酒場に席を移して彼の話を聞くことにした。

「先ずは、この度の騒動の謝罪をさせてくれ。済まなかった。そして、ありがとう」

 互いに席に着くなり口を開いて深々と頭を下げるボルカノにいよいよカタリナたちが頭上に疑問符の乱舞をさせていると、その様子を察したボルカノはどこかバツが悪そうに頭を掻いたかと思うと、手元に用意された珈琲で口を潤してから事の次第をゆっくりと話し始めた。

「なんというか・・・抑もディー姉は、魔王の盾の能力をしっかりと理解していないんだ」
「・・・・・・ディー姉?」

 ボルカノの口から出てきた名詞の印象が強烈すぎて、カタリナはそこだけ思わず鸚鵡返しをしてしまう。因みに、その後の言葉はあまり頭に入ってこなかった。
 纏めるとつまり、ボルカノが語る今回の騒動とその背景はこういうことだそうだ。
 ウンディーネとボルカノはこのモウゼスにて生まれ育ち、そして共に学んだ魔術師の先輩後輩にあたる。
 自身をして、その類稀なる才覚により幼い頃から周囲より神童の扱いを受けていたボルカノ。しかしその頃からウンディーネの後をついて周り彼女を最も身近で見ていた彼は、魔術師としての才能に関しウンディーネの方が自分より格段に優れているということをこの時、既に誰よりも強く自覚していた。
 そこでボルカノは単に魔術師として彼女の劣化版になるのではなく己の専門分野を開拓しようと、錬成の基礎となる火を司る朱鳥術を修め本格的に魔道具の研究開発へと道を進める。これはまだまだこの分野が魔術ギルドにとっても開拓の余地がある分野であったというのもあるが、特段ウンディーネが簡単な魔道具を作るのも実は少々苦手であるという事を鑑みての選択でもあった。
 そしてウンディーネが十年ほど前に魔術修行に出たのを機に、彼もそれならばと世界中の様々な素材や古代魔道具についての文献を求めて若くして旅に出た。
 そしてその旅の最中、彼は遂に魔王遺物についての未発見文献と邂逅するに至ったのだ。
 聖王記の一節にある「魔王伝記」にて、魔王の斧、魔王の鎧、そして魔王の盾の三つがこの世界に残された魔王遺物であることは古来より知られていた。だが、その名称以外の事はこれまで全くの不明であったのだ。
 ナジュに程近い地方にてボルカノが発掘し解読したその文献によれば、魔王の持つ盾は魔王軍の二度目の東方遠征に於いて古代ナジュの東方連合軍が編み出した天の術の効果を悉く打ち消し、そして魔王の斧の一振りで瞬く間に連合軍を壊滅に追いやったのだという。
 この文献の解読からボルカノは魔王の盾の強力な魔術無効化能力を発見し、やがてその探求こそが自らの研究分野の発展に繋がることを確信して、魔王の盾を欲する様になった。
 それから彼は、世界中で術の無効化に関連のありそうな記述のある伝記を探して回った。
 そして今から一年程前、イスカル河という中央大陸の遥か北方より聖都ランスを通りながら南東に突き抜けファルスを尻目にヨルド海へ流れ出る河の下流沿いに点在する洞窟型寺院の遺跡にて、正に無効化能力をもつ盾型の秘宝についての文献を発見した。
 更にその文献に記された内容は彼の想像を遥かに超え、その盾は術はおろか物理的な干渉も含めた凡ゆるものを無効化する秘宝であると記述されていた。またこの文献では他にも様々な実験の記録が記されており、これにより更に幾つかの特殊な能力が盾には備わっていることも分かってきた。
 中でも特に彼が興味を惹かれたのは、この盾が特定の魔術の効果に影響を及ぼす、という記述についてだ。
 三百年の昔、聖王三傑たるヴァッサールが彼女の故郷モウゼスに魔術ギルドを作った理由は諸説あるが、その最も有力な見解は「モウゼスの地は他所に比べ特定の魔術の効用を増減する傾向があるから」という説だった。簡単にいえば、モウゼスにいるのといないのとでは、魔術の種類によって効果に差が生まれるのだ。
 特に効果が高くなるのは、他の物体への損害、つまり『破壊』を司る魔術。そして逆に効果が薄れるものは、身体能力の向上や属性防御を目的とする様な補助魔術とされる。
 ボルカノが寺院遺跡で見つけた文献の最後には、ある時代に秘宝たる盾は、その力を恐れた一人の反逆者により奪い去られたとあった。そしてその所在についての記述は終ぞ見つかる事はなかったが、しかしボルカノは既に脳裏に過ぎっていたのだ。
 己の故郷の魔術行使における特徴、そして瘴気に侵される事なく死者が安らかに眠るという伝説を持つ、死者の井戸。
 これらは、正に文献にある秘宝の特徴そのままだということに。

「成る程ね。だから貴方は、魔王の盾がここにあると踏んで帰ってきた、と」
「そうだ」

 彼の冒険譚に、カタリナたちはすっかり聞き入ってしまっていた。
 シャールとミューズはその魔術師としての知見から非常に興味深く聞いており、またハリードは故国の歴史に関わる遺物の話として耳を傾け、ハーマンは何やら魔王の盾を追い求めて世界中を旅する彼の行動に共感している様だった。
 そんな中で王家の指輪のもたらす叡智により魔王の盾の力を恐らく誰よりも理解しているカタリナは、同様に人間には無い感覚で魔王の盾を知覚しているフェアリーと共に話の続きを促す。

「でも、そうなるとそのディー姉・・・えと、それウンディーネさん・・・でいいのよね? 彼女とは何故争う事に・・・?」
「それは・・・」

 カタリナの言葉に、ボルカノは何故かここでもバツが悪そうに言葉を飲む。
 そして次に言葉を発したのは言い澱む彼ではなく、唐突に酒場の入り口に現れた人物だった。

「それは私も是非、聞きたいわね」

 現れたのはボルカノと同じく未明までカタリナ達と争いを続けていたもう一人、ディー姉こと水術師ウンディーネその人であった。

「・・・ディー姉!」
「その呼び方いい加減やめなさいよ!」

 彼女を見たボルカノの反応に腕を振り払う様な仕草をしながら心からの叫びで返すと、ウンディーネもまた彼と同じ様にすっかり敵意のない様子で、カタリナらのテーブルへと近づいていった。
 その際カタリナに視線を寄越すと、カタリナはそれに対してほんの微かに頷いてみせる。それを見たウンディーネは、テーブルの側に立ってボルカノを見下ろすように視線を落とす。

「いい加減、教えなさい。何故私に盾の事を教えながら、私が手に入れるのを邪魔したの」
「・・・それは、こっちの台詞だ。確かに俺はディー姉に盾のことは教えたけど、何故それで俺が先に手に入れるのを邪魔することになるんだ」

 ウンディーネの言葉に、ボルカノはこれまでの様子とは一転してどこか子供染みたような、むすっとした表情で返す。そんな二人の間に流れる空気に、その他一同はなんだなんだと思わず目を見合わせる。

「えっと・・・え、ボルカノさん、態々ウンディーネさんに魔王の盾のこと教えたの? なんで?」

 二人の様相と共にいよいよ話の行方が分からなくなってきたカタリナは、思わず素の調子でボルカノにそう聞いた。

「・・・別に、お前達には関係ないだろう」
「いやもうがっつり関係してんでしょ」

 何処か気まずそうな様子のボルカノに、カタリナは一切容赦のない鋭い突っ込みを繰り出す。
 それに対して全く反論の余地もないボルカノは黙秘の姿勢をとったが、程なくして周囲の視線に耐え切れなくなったのか、おずおずと口を開いた。

「・・・教えた理由は、この発見がディー姉の研究の・・・や、役に立つと思ったからだ」
「あ、それってつまり、ボルカノさんはシスコンという事ですか?」
「誰がシスコンだ!」

 誰からそんな単語を教わったのか、ミューズもまた情け容赦なく直球で真理を突く。するとボルカノは、たいそう慌てた様子で先ほどのウンディーネと同じ様に腕を振りながら否定を口にした。因みに当事者達以外はあまり単語の意味をわかっていない様で、疑問符を浮かべている。
つまり彼の言い分は、こうだった。
 元々ボルカノとウンディーネは旅に出て以後も己の研究の進捗について、定期的に各地の魔術ギルド支部へと報告書を飛ばしていた。しかしこの報告書には漏洩を防ぐ目的で魔術封印が施してあり、特定の解呪方法を行わなければ見ることは叶わない代物であるのだ。
 ここ迄は、魔術ギルドでは通常行われる内容である。
 しかしさらに言うと二人の報告書は互いしか解呪の方法を知らない独自の封を行なっており、事実上二人だけの連絡網の様な状態だった。
 これにより、互いに現在どこにいるのかまでは分からずとも、その行動内容はある程度共有されていたのである。
 なので、抑も数年前の時点に遡りウンディーネはボルカノの魔王の盾探索のことを知っていたのだ。
 またウンディーネも自身が故郷を離れてから旅をして行く中でモウゼスの外で己の特定の魔術が弱体化していることを再確認した事を発端とし、土地の精霊力に左右されない魔術構成の研究へと本格的に舵を切った。
 その中で現在の研究内容へと独自の実験と考察により辿り着いたのだが、ここ最近になって今一歩、彼女は行き詰まっていた。
 その理由は、彼女の提唱する陣形魔術の詠唱時に於ける土地の相克や術者への負荷を緩和する魔術媒介の研究が進まぬ事であった。
 この媒介とは所謂魔道具だが、魔術師の間で古来より常用されてきた魔道具は、この陣形魔術の媒介としては残念ながら全く役に立たなかった。陣形による魔力増幅の過程に耐えきれず、直ぐに砕けてしまうのだ。
 そうなれば取れる手段としては新たな媒介の錬成を行うしかないわけだが、しかし彼女自身は魔道具作成という点においては凡才の域を出ず、個人的には苦手な部類であった。
 そんな進捗を彼女との情報共有から把握していたボルカノは、魔王の盾の持つ魔術無効化の力が相克の無効化や負荷の軽減に通ずるのではないかと考えていた。
 そして更なる調査によって魔王の盾には魔術増幅の能力がある事を知り、より彼女の研究に役立つものであると確信したのだ。
 だが、いざ魔王の盾がモウゼスにあると当たりをつけてそれをウンディーネに共有した直後に、ボルカノは発掘した文献を読み進める中で更なる魔王の盾の特性の存在に行き当たった。
 それこそは、「防御・補助魔術の無効化」という現象だった。

「報告から推察する限り、陣形魔術は膨大な威力を実現することが可能になるのは間違いない。だがその膨大な魔力量は、恐らく人の身で扱うには負荷が大きすぎる。だからディー姉は、媒介を用いて負荷を減らしつつ魔力の増幅を行うことを思いついた。で・・・いいよな?」
「・・・そうよ」

 ボルカノの言葉を存外素直に肯定したウンディーネは、軽く曲げた右の人差し指を細い顎に当てながら腕を組み、続きを促した。

「・・・ただ媒介は、あくまで媒介。陣形魔術を行使するには、負荷を減らすために恐らく自身に何らかの防御魔術を掛けなければならない筈」

 確認するようにウンディーネを見つめながら語るボルカノに、彼女は無言で頷く。それを確認したボルカノは、次にカタリナの方へと視線を向けた。

「だが魔王の盾には、どうやら補助魔術を無効化する効果があるらしい。このモウゼスに於いて補助魔術の研究が遅れていた最大要因は正に其れ等の魔術の効果がモウゼスではあまり発現されないことにあったが、それもこの能力が原因だろう。つまり、魔王の盾をそのままの状態で陣形魔術に使えば、魔力増幅と防御魔術無効が同時に発現し・・・術者は負荷に耐えきれず、その身もろとも破裂する可能性が高い」
「・・・つまり貴方はそうなるのを防ぐために、ウンディーネより先に魔王の盾の入手をしようとした、という事なのね」

 カタリナの纏めに、ボルカノは浅く頷く。

「ディー姉は・・・昔から先ず自分で試さないと気が済まない性格だった。だから魔王の盾も、先ず間違いなく自分が最初に使おうとするはずだ。だから、これを伝える前に渡すわけにはいかなかった」

 続けて発せられたその言葉を聞いても、ウンディーネは無言のままでいた。

「あの・・・ウンディーネさんはこの事を知っていたのですか?」

 数秒の間続いた沈黙を破るように、フェアリーがウンディーネに問いかけてみる。するとウンディーネは漸くそこで、あたかも金縛りが解けたかのように首から上だけを微かに動かし、フェアリーに視線を向けた。

「・・・この子の言うモウゼスの特性と紐付いているという仮説から、関連性に関しては薄々予測はしていたわ。勿論、そこまで強力なものであるなんて認識はなかったけれど」
「ならば尚のこと何故、俺に任せなかった! しかもやっと再会したと思えば出会い頭に宣戦布告した上、此方の話を全く聞こうともしない!」

 ボルカノが堪らず声を荒げて立ち上がりウンディーネを見つめると、今度は彼女が皆から視線を外すように食事中のテーブルを見つめる。

「・・・その理由、これと関係あるの?」

 再度その場に流れる気まずい沈黙を破って唐突にそう言ったのは、カタリナだった。
 先だって宿に泊まっているカタリナ宛てに届けられていた文を手にしてひらひらとさせながらウンディーネに向かって問いかけると、彼女はそれに反応するのをあからさまに拒否するように無言を貫き、ボルカノは怪訝な顔をしながらその文を見つめている。

「なんなんだ、それは」

 ボルカノがそう問うと、カタリナは文を持った手でそのまま肩を竦めてみせる。

「今朝、私宛てに届いた文よ。内容は・・・いいわね?」
「・・・勝手になさい」

 カタリナがウンディーネに視線を向けながら確認すると、ウンディーネは今度は窓の外へと視線を移しながら短く答えた。
 文は、ウンディーネからのものであった。
 冒頭には先程のボルカノと同じく此度の件に対する丁寧な謝罪があり、そして次には、切実な願い事が記されていた。

「盾は諦めるが、しかし絶対にそれをボルカノには触れさせないで欲しい・・・?」

 文に記された最後の部分をカタリナが読み上げると、ボルカノはそれを繰り返しながらウンディーネへと視線を移した。
 ウンディーネは、それでも無言のままだ。

「・・・なんで。なんで、そこまで俺が魔王の盾を手に入れる事を嫌がるんだ。頼むから・・・教えてくれ」

 今日の未明まで啀み合っていたのが嘘のように、ボルカノが落ち着いた声でそう聞く。
 するとどうした事か、ウンディーネは突然その切れ長の目尻に大粒の涙を溜め始めた。

「な・・・ど、どうしたんだ!」

 その様子に驚いたボルカノが大層慌てふためいて彼女の両肩を掴むと、ウンディーネは顔を見られたくないのか皆と反対側に顔を向けながら、小さく呟いた。

「だってあんた・・・死の呪いを・・・受けてるじゃない」
「死の・・・呪い・・・俺が・・・?」

 ウンディーネの掠れ声を聞いたボルカノはまるで身に覚えがないようで、なんのことだとでも言いたげに眉を顰める。
 そして次にその場で声をあげたのはなんと、事態をここまで只管静観していたハリードとシャールであった。

「ほう・・・死の呪い、か。成る程、此奴から腐臭がすんのはその為か。なあシャールよ」
「あぁ、どうやらその様だな。私やハーマンが抱いた違和感の正体は、それだったようだ。ミューズ様も、お感じになられますか?」

 シャールに問いかけられると、ミューズも矢張り違和感を感じていたのか、小さく頷いた。

「あぁ、これハリードの匂いじゃなかったの」
「カタリナさん・・・加齢臭ならまだしも、腐臭は流石のハリードさんでも傷つくと思います」
「いや加齢臭も十分傷つくんだが?」

 いけしゃあしゃあとそう宣うカタリナに、フェアリーの切れ味抜群の合いの手。そこにハリードは米神の血管をひくつかせながらも、流石に大人の対応で接する。

「・・・ウンディーネ殿。その死の呪いと言うのは、どの様なものなのですか」

 カタリナ達の掛け合いを無視しながらシャールが落ち着いた様子で問いかけると、それに合わせて若干冷静さを取り戻した様子のウンディーネはボルカノが差し出してきた手拭いで目元を軽く拭いつつ、しかし視線を落としたままで口を開いた。

「死の呪いは・・・生きながらにして性質がアンデッド化する呪いよ。私も呪術の研究過程で存在を知っていただけで、実物を見たのは初めてだけど・・・」

 アビスの瘴気を媒介とする古代呪法の一つである「死の呪い」とは、現代には既にその儀式の方法自体が消失している呪術の一つとされる。
 その効果は対象に不死者の属性を付与する、というものである。効果自体は非常に単純な呪いであるものの解呪に関する知識もすでに失われている為、根本的な解呪方法は現代において存在していない。

「不死者・・・そうか。それでディー姉、俺に魔王の盾を触れさせない様にしていたのか・・・」

 ボルカノがハッと気がついた様にそう言うと、ウンディーネは肯定するように僅かに頷いた。

「・・・死者の井戸は封印者によってアンデッドを無効化するように仕向けられており、その根元こそが魔王の盾の力。つまり、その根元に不死者化した存在が触れれば・・・魔王の盾の力に、その存在ごと消されるかもしれなかった」

 カタリナが珈琲を啜ってからそう言うと、ウンディーネはその言葉を肯定するでもなく押し黙って応えた。ボルカノはそんな様子のウンディーネを見ながら、居たたまれない様子で震えている。

「・・・変だとは、ずっと思っていた。戻ってきて久々に会ったと思ったら突然驚いた様子だったし、その後いきなり『魔王の盾はあんたに渡さない』なんて激昂して。それからずっと会ってもくれず、死者の井戸に近づこうとすれば妨害してきて・・・。意味が分からなかったが、俺もディー姉が魔王の盾を先に使ってはいけないと考えていたから妨害せざるを得ず・・・」

 そう言って打ち震えているボルカノに対し、ウンディーネもまだ掠れ気味の声で絞り出すように声を上げた。

「・・・久しぶりに会って、見て直ぐに呪いに気付いて、なんて馬鹿な呪いを受けてしまったのって思った。なんとかして解呪の方法を見つけなきゃって、私それしかもう考えられなくて・・・。兎に角それが分かるまでは、あんたを死者の井戸に近づけてはいけないと思って・・・」

 ボルカノの言葉に呼応するようにウンディーネが心の内を吐き出すと、二人はやがてどちらからとも無く、頭を下げていた。

「そうなると気になるのはボルカノ殿の死の呪いだが・・・抑も何者に呪いをかけられたか、心当たりはあるのですか?」

 事ここに至り二人が互いの行き違いの解消によって何処か晴れ晴れとした表情になったのを見届けてから、シャールが再度問いかける。
 それに対しボルカノは数秒考えた後、力なく首を横に振った。

「いや・・・思い当たる節はない。昔ならばまだ才能の差を妬むものも居たが、この十年は世界中を回っていたからな・・・」

 何か他に思い出せることはないかと記憶を探るように押し黙るボルカノと、それを無言で見つめる一同。
 そこに、すらりとした細腕をまっすぐ上げて意見を述べる意思を示すものがいた。
 フェアリーだった。

「なぁに、フェアリー」
「はい、あの、少し気になることがありまして・・・。ボルカノさん、ちょっといいですか?」

 カタリナに促されてそう言ったフェアリーは、その場に自分達以外いないということを確認するとフラワースカーフを脱いでふわりと浮かび上がり、ボルカノの首の後ろに回り込んだ。

「な・・・え、な、なんだ!?」

 突然羽が生えて飛んだフェアリーにボルカノは驚愕しつつも、その神秘的な現象に暴れようという気も全く起きず成されるままに様子を伺った。
 するとボルカノの後ろに回り込んだフェアリーは、彼が首から下げていたらしい飾りの紐を解き、紐ごとその先端を服の下から引っ張り出した。
 果たしてそこから出てきたのは、小さく、そして只管に黒い塊であった。
 その塊にはおよそ立体感というものがなく、触ってみて初めてその形がわかる程だ。正に、光すら反射しない程の純粋な黒である。

「多分、これが原因だと思います・・・」
「・・・それは!」

 フェアリーが取り出した『それ』を見て、ミューズが珍しくとても驚いたように声をあげる。
 その様子に皆が彼女に視線を向けると、ミューズは椅子から立ち上がってボルカノのすぐそばまで近寄り、フェアリーが浮かせているその物体をまじまじと見つめる。

「・・・ちょっと、なに意識してんのよ色ガキ」
「べ、別にしてない!」

 至近距離に近づいているミューズから顔を背けるようにしているところにウンディーネから半眼で突っ込まれ、ボルカノが必要以上に声を上げて否定する。地味にシャールも睨んでいたりする。
 そして周囲のそんな様子を微塵も気にする事なくその小さな塊をいろんな角度から観察していたミューズは、距離が近すぎたことに今更気がついて漸く一歩離れ、コホンと態とらしく咳をした。

「あの、ボルカノさん。これは一体、何処で入手したものなのですか・・・?」

 フェアリーから首飾り状にしていたその塊を受け取りつつ、ミューズの問いかけにボルカノは思い出すような仕草をしながら応える。

「これは・・・そう、魔王の盾で様々な実験を行なった記録があった洞窟型寺院跡の奥深くで見つけたものだ。探索のために明かりを灯していたら、あまりに不自然に黒い箇所に目が留まってな。手を伸ばしたら、これがあったのだ」

 そしてそのあまりの異様さと物珍しさに持ち帰って研究しようと思い手に取ったが、モウゼスに帰ってきた途端の今回の騒動によって完全に忘れていた、とボルカノが説明する。するとミューズは、その説明で合点がいったように浅く頷いた。

「成る程・・・。フェアリーさんのいうように、恐らくそれが原因で間違い無いです。それは・・・『死のかけら』と呼ばれるものです」

 聴きなれぬ単語に皆が疑問符を浮かべていると、ミューズは自分も伝聞ではあるが、との前置きの後に説明を始めた。
 魔王が姿を消してから約三百年もの間、四魔貴族が世界を支配した時代があった。人が想像しうる限りの悪虐が尽くされたとされるこの暗黒の時代は、宗教歴史的には所謂、魔王信仰の全盛期でもあったという。
 世の中には凡ゆる救いがなく、祈る神もいなくなった。そうして神に見捨てられた人類は、力あるもの・・・つまり諸悪の根源たる魔王にさえ、心の拠り所を求めてしまったのだった。
 中でも特段、魔王信仰が非常に盛んだったのが時の魔王城を擁する旧ピドナ周辺地域であり、魔都ピドナの北に位置するイスカル河の下流地域周辺には、上流から河を下って様々な人々が集まり集落を築き、それが長じて寺院となった。
 アビスの瘴気が溜まりやすい暗くて湿った場所が寺院の建築場所として好まれ、主に洞窟内部に多くの寺院が作られたという。
 そしてその魔王信仰の中心地では、アビスの呪いを集積し結晶化する儀式が、秘密裏に行われていたのだ。

「その結晶こそが、『死のかけら』です。アビスの呪いをその身に宿し、死の祈りを祭壇に捧げ、アビスの深淵に居るとされる魔王に近づく。それが救いになるのだと、死が救いであるのだと・・・そう信じられていた、悲劇の時代の産物なのだそうです」

 ミューズの言葉を聞いていたボルカノは、探索当時の様子を思い出すようにしながら頷いていた。

「そうか・・・魔王信仰の中心地ならば魔王遺物が宝具として祀られたのも頷けるし、こいつが転がっているのも道理というわけか・・・。って事は、これを手放せばその『死の呪い』とやらは解けるのか?」
「・・・はい、その筈です」

 ミューズの返答を聞いたボルカノは、研究者らしく名残惜しそうな視線を死のかけらに対して送ったものの、解呪には変えられまいとして手放すことを決意した。

「なら、それも私に預けてもらえないかしら」

 ボルカノの身に起きた異変の解決目処が立ち皆が安堵の表情に変わってきたところで、カタリナが死のかけらを指し示しながらそういった。

「多分私なら聖王遺物の力で死の呪いは相殺できると思うから、その辺に捨てるより確実に二次被害も抑えられると思うわ。それに・・・呪いを発せられなくする当ても、少しあるから」
「そうか、それは助かる。正直、処分するにしてもどうしようかとは思っていたところだ」

 処理方法に困っていたのは正直なところのようで、ボルカノは素直に感謝を述べながらカタリナに死のかけらを手渡した。

「あと一応禍根が無いように教えておくとね、この魔王の盾も、がっつり呪われているのよ。こっちは力が強すぎて、私でも呪われないのが精々。使用するだけで、とんでもない疲労感に襲われるわ・・・。明け方の戦闘だって私は動かなかったのではなくて、動けなかったっていうのが正解。それでも、昼まで疲労困憊で寝ていたくらいだもの」

 だから二人のうち何方かが手に入れたとしても望むような結果は得られなかっただろう、とカタリナは断じた。
 その話を聞いているモウゼスの術師二人は残念がってはいるものの、しかしどこか晴れやかな表情をしている。結局はお互いのためを思うが故の壮大な空回り劇であったことに対して、照れ隠しをするのに終始していた。

「・・・ディー姉の研究に役立つ媒介探しはまた振り出しに戻ったけれど、この十年の研鑽は無駄にはならないし、心機一転出直す事にするさ」
「・・・おう、それなんだがな、小僧」

 ボルカノの前向きな言葉でこの場が締められるかと思いきや、最後の最後にここで言葉を発したのは、テーブルの一番奥で一人無関心を装って煙草をふかしていたハーマンだった。
 思わぬところから小僧呼ばわりされたボルカノが多少眉間に皺を寄せながらハーマンへと視線を向けると、ハーマンはそんな態度のボルカノに対してニヤリと笑いながら自分の腰袋に手を伸ばした。

「はっ、そうツンケンすんなって。悪い話をしようってんじゃねえんだ」

 そう言いながらハーマンが取り出したのは、イルカを模した金色の像だった。

「・・・なんだ、それは」

 ボルカノがその像を見ながら怪訝な表情をすると、ハーマンは煙草の煙を肺いっぱいに吸い込み、天井に向かって一気に吐き出してから口を開いた。

「こいつは、オリハルコンだ。他の属性は知らねーがな、これは玄武様の力をとんでもなく大きくしてくれるっつう代物さ。お宅らが欲しがってる媒介ってのは、こういう奴のことじゃねえのか?」
「それは・・・本当なのか!?」

 事も無げに発せられたハーマンの言葉に、ボルカノが驚愕の表情を見せながらイルカ像に近づく。
 手を伸ばしてもハーマンが何も言わないのを許可と取ったのかボルカノはその像をそのまま手にして、上下左右色々な角度から観察し、触り、己の魔力を通してみる。
 しかし多少の反応はあるものの思うような反応が返ってこないイルカ像に対しボルカノが訝しんでいると、その様子にハーマンはやれやれといってイルカ像をひょいとボルカノから取り上げ、ついてこいと指で示しながらゆっくりとした足取りで店の外へと移動した。
 ウンディーネとボルカノが半信半疑の様子でその後に続くと、ハーマンは宿の目の前の通りの真ん中に立ち、彼らに振り返る。そして続いてカタリナ達も出てきてギャラリーが揃ったことに満足すると、徐に咥えていた煙草を指で弾いて空中に飛ばした。

「玄武様ならとびきりだが、こいつは蒼龍様でも多少は効くんでな」

 ハーマンがそう言いながらイルカ像を通じて風の渦を作り出すと、それは瞬時にとんでもない風圧を伴う竜巻となって上空へ渦巻き、彼の飛ばした煙草を空の遥か彼方へと吹き飛ばした。

「なんと・・・!?」
「無詠唱でこの威力・・・十分に宮廷魔術師で通じるレベルじゃない・・・」
「はっはっは、俺が魔術師様になれるわきゃあねえだろうが!」

 そう言ってハーマンは、手にしていたイルカ像をウンディーネに向かって放り投げた。
 ウンディーネが慌てた様子でそれを抱きかかえるように取ると、途端に上空に渦巻いた竜巻は穏やかな風へと変貌する。そして、ゆっくり落ちてきた煙草を見事に右手の人差し指と中指で挟み取ったハーマンが再びそれに火をつける。

「ネエちゃんもやってみな。但し、そいつを無理矢理に制しようとすんじゃねえ。祈るんだよ。精霊なんて、人間にいっつも御されるようなもんじゃねえんだ。海に生きる奴ならそんな事、鼻ったれのガキだって知ってんだぜ?」

 そう言って揶揄うように笑うハーマンからは、先程感じたような魔力は全く感じられない。
 ウンディーネはそんなハーマンと手元のイルカ像を交互に見比べると、意を決したように像を胸の前に翳し、そっと目を閉じて魔力を込めていく。
 すると最初こそ感覚が掴めず揺らいでいただけの魔力が、次第にイルカ像の中で拡散を繰り返すように畝り始め、そしてある瞬間を機に爆発的に増幅していく。
 大気はあっと言う間に玄武の力で満たされ、今の今まで晴れていた空には瞬時に暗雲が立ち込める。あとはウンディーネが願えば、三日三晩の豪雨をあたり一帯に降らせることも容易いほどの魔力が一瞬でこの場に生成されたのだ。

「な、なんなのこれ・・・凄まじいまでの増幅器だわ・・・。しかも、身体への負担が殆ど感じられないなんて・・・」
「あたりめぇだ。つーか普通に考えてみろ。大体、自分より偉大なものを抑えつけようとすりゃ、そりゃ滅法疲れちまうさ。だから昔っから人は祈り、頼り、その大きな流れに身を任せてきた。そうすりゃ、疲れるもなんもねえからさ」

 あまりの展開に驚愕の表情を浮かべるしか術のない二人の術者を前に、ハーマンはなんでもないという様子で肩を竦めた。
 彼にとってそれは、本当に常識を語っているだけなのだろう。魔術師二人が驚きの中でそう考えながらハーマンを見ていると、彼はウンディーネの元に近づいていき、彼女の手にあったイルカ像を掴み取った。

「あんたら魔術師様は『自然を操れる』なんて思い上がってっから、こんな簡単なことに気がつかねえ。頼るとこは頼ってよ、人間は人間の範疇で擦った揉んだしてりゃあいいんだよ、本来はな」

 そう言いながらイルカ像を空中に放り投げつつ弄んでいたが、ふとハーマンの顔つきから笑みが消え、突如として強烈な眼光を湛えた瞳が二人の魔術師をじっと見据えた。

「此奴を譲ってやってもいい」
「な、本当か!?」

 突然のハーマンの言葉にボルカノが声を上げるが、しかし表情の変わらないハーマンに対して何かを察したウンディーネは、無言で先を促した。

「察しがいいじゃねえか。そっちのネエちゃんには、是非協力してもらいてえ事がある。それが無事に終われば、此奴は譲ってやってもいいぜ」

 そう言ってニヤリと不敵な笑みを作るハーマンを、カタリナは無言で遠巻きに眺めていた。

 

 

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第七章・2 -死者の井戸-

 

 暗く狭い空間に沈殿して漂う埃と微かな黴臭さが多少鼻に付くが、それを除けば思いの外そこは想像よりも不快だとは感じない空間であった。
 その意外な様子にカタリナは随分と拍子抜けした様子だったが、それは無論、他の面子も同様の様子であった。唯一仏頂面がそのまま皺になって固まったかのようなハーマンだけが、その表情からは何も読み取ることが出来ないと言うところか。
 彼女達は今、学術都市モウゼスを南北に分ける川の中央にある小島に赴いていた。
 より正確に言えば、その小島の片隅に存在する古井戸、通称「死者の井戸」の中にいた。

「死者の井戸、とは大きく言ったもんだな。その辺の街道よりも余程、ここの方が平和なもんじゃないか。ここに一体何があるっていうんだ」

 一応は警戒を続けるカタリナのすぐ後ろで、反面すっかり警戒を解いてしまった様子のハリードが辺りを見回しながら呑気に呟く。
 今より六百年の昔、世界を一瞬にして恐怖に貶めた魔王が突如として消息を絶って以降に、四魔貴族が魔王に代わって世界を支配していた時代。
 この古井戸は、実にその時代から存在し続けているのだと現地の人間は口を揃えて言う。
 そして三百年にも及んだ四魔貴族支配の時代の最中、この井戸にはこの地に於いて何らかの原因で死に至った者が、碌な葬いもされずに投げ入れられていたというのだ。
 また、飢餓、疾病、怪我、老化によって生活能力を無くした者等も、死者と同様に投げ入れられたのだという。
 その慣習たるや、実に四魔貴族が支配する三百年もの間続いたというのだから、何とも悍ましい話だ。

「・・・しかし、妙ね」

 シャールが灯した朱鳥の小さな焔を頼りに井戸の中を進んでいたカタリナが、場所を考え小振りのレイピアを構えながら呟く。
 井戸とは言いながらも、既に長い間使われている様子のなかった地上部分から潜った先は、なんと大の大人が数人で通れるほどの広さを持った地下空洞へとつながっていたのだ。
 彼女の感じる妙と言う名の違和感はつまり、この死者の井戸と呼ばれる地下空間そのものの状態を示していた。
 確かに伝承の通り、この井戸には其処彼処に多くの人骨らしきものが目立つ。だが、その殆どは数百年の時を経て既に大部分が腐食し、崩れ、地面や壁と半同化している。なのでおよそ見渡す限り、生々しいものはない。
 何より妙なのは、それらがこの状態である、という部分なのであった。
 この井戸の様に太陽や月の光が届かない暗く湿った場所は、アビスの者が好む条件を満たした空間。つまり、非常に瘴気が溜まりやすい環境だといえるのだ。本来ならばそんな場所に御誂え向きに死体など放り込もうものなら、それが瘴気と混ざり妖魔となって現界してもおかしくはない筈。寧ろ、そうなってくれと企んででもいない限り、そんなことは普通の感性を持った人間はしないはずなのだ。
 だがこの「死者の井戸」には先程ハリードも言うように、その様な妖魔がいる様子など一切無いのであった。それどころか、通常であれば滞留する筈の瘴気さえ感じない。
 現地民はこの事象を把握していたからこそ、この死者の井戸へと死者を放り込み続けたのだろう。流石に何の理由もなくそんな事をすれば井戸から這い上がった妖魔によってあたり一帯が侵略される事など、分かりきった事だからだ。
 だからこのモウゼスには、ある意味でこの「死者の井戸」を神聖視する趣さえあった。

「こりゃあ、本当に何かあるのかも知れねーな。お宝っつーのは、大抵こんなとこにぽろっと有るもんなんだ」

 同じ違和感を覚えていたらしいハーマンがそう呟くと、一行は慎重に進んでいく。

 

 この死者の井戸へと足を踏み入れる以前、まず始めにカタリナ達はウンディーネとの話し合いに臨んだ。
 食堂での騒動のすぐ後に魔術ギルド本部にある彼女の自室に案内されたが、通された部屋は彼女の外見の非常に整った印象とは打って変わって、様々な本が机や床などに無造作に積まれており、かなり雑多な印象を受けた。
 また食堂では距離があったが、こうして部屋に赴いて改めて彼女を見てみると、化粧で隠してはいるものの目の下にくっきりと隈が出来ており、ここ暫くは寝不足の様子が見て取れる。
 どうやら部屋の様子と相まって、何かの研究に連日連夜没頭しているという様子が伺えた。
 そんな感想を一同が抱いているところに、ウンディーネは開口一番でこう言ったのだった。

「それにしても素晴らしい腕前。その腕を見込んでお願いがあります」

 先程自分の弟子が盛大に失礼かました事など既に忘れたのか、その突然のお願いの申し出には流石のカタリナも面食らったものだった。
 しかもそのお願いというのも内容がまた物騒で『モウゼス南部の施設で対立している朱鳥術師ボルカノ勢力を、ボルカノ本人を含め可能な限り人的被害を最低限に抑えた上で一定期間無力化してきて欲しい』と言うものだった。
 傷つけずに無力化となると施設破壊か威力恫喝、はたまた何らかの工作辺りを所望の様だが、何にせよ腕っ節を見込んでの力ずくというのが何とも物騒な話であった。
 そして全く以てカタリナにとっては都合の悪いことに、その場には「仕事は前金主義」の辣腕傭兵ハリードその人が居たわけなのである。
 当然ハリードが目を輝かせながら脊髄反射的に、それは幾らの仕事か、と尋ねる。
 ウンディーネも流石にギルドの長というべきか。先程の詫びも兼ねて、と即座に前金で二千オーラムを提示してきた。更には要望通りの仕事であれば成功報酬も別で用意すると言う事だった。
 最早その話の流れに、他の人間が口を挟む余地など残されては居なかった。二つ返事で「仕事」を引き受け前金をほくほく顔で受け取るハリードに対して心から呆れ返るカタリナだったが、兎に角本来の訪問の目的である古代魔術書の解読依頼もせねばなるまいと、すっかり出遅れ気味に本題を提示する。
 ウンディーネも其処は魔術学者として興味を持ったのか、慎重な手つきで魔術書を捲ってから調査そのものは快諾するものの、「今の研究が終わるまでは手を付けられない」との事で結局のところは持ち帰りとなってしまったのだった。
 ここまででカタリナは相当に呆れ返っていたものだが、しかしここからが嘗て猛将と称えられた傭兵ハリードの本領発揮だった。
 彼は魔術ギルドを出るや否や、文句の一つでも言ってやろうと詰め寄るカタリナを軽く片手で制しながら顔を近づけ、小声でこう呟いたのだ。

「俺は、男連中を連れて南に調査に行く。お前達は北に残って、この街とウンディーネに関する情報を集めろ」

 こう宣ったハリードに対して、カタリナは彼女のこれまでの人生で最高の出来栄えだと確信できる程の仏頂面で応えたものだが、しかし一方でこの守銭奴トルネードの行動には納得するべき部分もあった。
 結局この騒動が終わらなければ本来の目的である魔術書の調査は終わりそうにもないという事がまず最初にあり、次にこの騒動以前に、カタリナ達はこの街のことを知らな過ぎるのも事実だった。確かにウンディーネもあの様子では、間違いなく此方に対して何か伏せていることがあるようだ。となれば、ここは仕事に乗る流れで街中での動きやすさを確保しつつ状況を見極めるのが先決、ということなのだ。
 この後男連中を見送った女三人組は、ミューズの機転により不機嫌顔の治らないカタリナを鎮めるべくモウゼスで最も有名なワイン畑を訪問してガーター半島固有品種の葡萄を用いたスパイシーな印象を受けるワインを堪能し、それから北側での調査へと繰り出したのだった。
 そして順調に術師も含めた老若男女へと聞き込みを進めていると、どうやら思いの外、天才魔術師ウンディーネはこの街全体に歓迎されているわけではないらしいという状況が見え隠れてしていることが分かってきた。
 一部を抜粋すると、曰く
『ウンディーネとボルカノは確かにこの街の出身だが、ここ十年近くは二人とも街を出ていた。それが最近になって戻ってきて、街を二分して争っているんだ。おかげで町の者は大迷惑だよ』
『ウンディーネは優男の術士ばかりまわりに集めてるのよ。でも私が小さな時から既に魔術師としては有名だったから、本当は見かけよりずっと年らしいけど』
 と言った具合であるのだ。

「迷惑を被っている人、結構いるようですね・・・。年齢云々は、ちょっとジェラシー混じっている感じでしたけど・・・」

 フェアリーがフラワースカーフの下で羽を震わせながらそんな感想を述べると、カタリナとミューズは全くの同意だと言わんばかりにうんうんと頷く。
 一通り街中での聞き込みを終えモウゼス北の中央広場に戻ってきた三人は、ベンチに座りながら集めた情報の精査を行っていた。
 聞き込みの結果としては、魔術ギルドに属さない住民からは騒動の種といった見方をされている傾向が強いようだ。特段、幼少暮らしていた頃からその美貌の割にあまり他者に対して愛想が良い方ではなかったらしく、それも相俟って女性からの意見は概ね辛辣な様子。
 ただそうした一般評価の反面、北部にいる多くの術師からは間違いなくウンディーネは天才である、との意見でほぼ一致していた。まだ少女の時分からその才覚を表し始めたというウンディーネは、魔術師ギルドの間では神童として有名だったそうだ。
 そして更には、魔術師ウンディーネの現在の研究内容に関する話を聞くこともできた。
 曰く『ウンディーネ様は術士同士の連係を重んじている』との意見に、殆どが集約される。
 これに関しては、ミューズが納得顔でこくりと頷いたものだった。

「私達を襲ってきたあの三人の術師ですが、個々の能力は大したことがなくとも、陣を組んで天地術式を混合詠唱する事で大きくその威力を上昇させていました。威力だけならば、恐らくメッサーナの宮廷魔術師にも並ぶかと。正直、驚きました・・・。先に詠唱を潰せなかったら、苦戦を強いられた筈です」
「それは凄いですね・・・一人前の術師一人の育成には十数年を要するといいますけれど、それを練度の低い魔術師が別の形で補うことが出来るなんて、下手したらグランクロワものの偉業だわ。あのウンディーネという魔術師は、本当に天才なのね」

 ミューズの言葉に、カタリナは大層驚いた様子で感想を述べる。しかし、驚くなというのが無理な話なのも確かだった。
 魔術師という存在は非常に強力だが、その育成には長い月日と費用、そして才覚の有無という運すら要する。カタリナの周りにはシャールやミューズ、トーマスなど高度な水準で術を扱う者達が多いので印象は薄れがちだが、実戦に耐えうる域までの術師というものは実はそう多くはない。
 嘗てメッサーナ王国には正規の大規模な魔術師団が存在していたという歴史もあるにはあるが、大きな戦乱もなかった聖王暦の年月の中で、莫大な維持費ばかりのかかる魔術師団という存在は自然と無くなっていったのだという。
 また小規模ながら六百年前に四魔貴族侵攻を退けたという伝説を持つナジュ王国には天の術を扱う魔術師団があったが、これは十年前のハマール湖の戦い後に神王教団によって解散させられている。
 このような歴史の変遷により、今となっては各国に数える程度の宮廷魔術師がいるばかり、というのが現代の魔術師事情というわけなのだ。

「でも結局、何でウンディーネさん達が南北で争っているのかの原因は分かりませんでした」

 フェアリーがベンチに座って足をぷらぷらと動かしながらそう言うと、カタリナとミューズはそれに応えるようにううんと唸ってみせた。

「北ではこれ以上聞き込むと流石にウンディーネに訝しまれそうだし・・・ハリード達はどうしているのかしら」
「じゃあ、ちょっと聞いてみますね」

 カタリナが地面に列を作る蟻を眺めながら行き詰まり気味にそう言うと、フェアリーがなんでもないというようにそう反応して、そっと目を瞑る。
 その様子を見て何事かと小首を傾げるミューズに、カタリナはフェアリーの念話能力について簡単に説明をした。

「え、妖精さんてみんなそんなすごい力を持っているんですか・・・?」
「どうなのかしら。妖精にもいくつも種族があるみたいだから全部かは分からないけれど、普段妖精同士は念話で意思疎通しているそうよ。因みに、人間以外の他種族も大丈夫みたい」

 フェアリー自身から教えてもらったことをそのまま教えて上げると、ミューズは心底驚いた様子でフェアリーへと目を向けた。するとその視線に気がついたのか、フェアリーはミューズに振り向いて、にこりと笑みを作る。

「今、シャールさんと話しています。まだ聞き込みの最中だとのことで、夜にまた連絡が欲しいそうです」
「まぁ、シャールもフェアリーさんのその力を知っていたの?」
「あ・・・いえ、知らなかったですよ。銀の手の所在を手掛かりに思念波を飛ばしたので、シャールさんに繋がっただけです。最初はとっても驚かれていました」

 そりゃあ誰でもいきなり声が頭の中に響いたら驚くわよね、とカタリナは自身の経験を振り返りながら考えた。しかし自分の時はとんでもない頭痛に襲われたものだがシャールは大丈夫だったのだろうか等といった心配が脳裏に過ったところで、ふと興味本位で思いついたことを聞いてみることにした。

「そういえばフェアリーのその念話は、聖王遺物を狙って飛ばしているのよね。それなら、まだ見つかっていない聖王遺物の場所も分かったりするの?」

 もしそれが分かるのであれば今後の探索や対四魔貴族への対策が非常に楽になるのではないか、という安直な考えでそう聞いて見たものの、やはりと言うべきかフェアリーは少し困ったように眉を寄せながら微笑んだのだった。

「残念ながら、それは難しいです。私が感知できるのは、精々活性化された状態の聖王遺物くらいですね。例えば銀の手はシャールさんと共にあるので常に活性化していますし、聖剣マスカレイドも現在はカタリナさんを主人と定めているのか、今は非常によく感じ取れます。ですが、今はそれ以外の聖王遺物の場所もよくわかりません。妖精の弓は以前ポールさんが持っていた時は活性化していたのですが、今は全く・・・」

 ちなみに月下美人も妖精族が精霊銀で鍛え上げた刀なので感じ取ることができる、と補足を交えつつ、フェアリーは普段カタリナがよくやるように胸の下で軽く腕を組んで空を仰いだ。

「そうそう簡単に攻略は進まない、ということですね」
「全くその通りのようね」
「そのようですねぇ・・・」

 カタリナとミューズも同じく腕を組んで答えながら、ベンチの背もたれに体重を預ける。そうして夕方まで時間を持て余すように、ぼんやりと並んで空を見上げたのだった。

 

 その後、夜になっても一向に戻ってこない男衆に対してフェアリーが再度念話を飛ばすと、果たして向こうからは全くとんでもない提案が飛んで来たのであった。
 ウンディーネとの会談を終えた後に直ぐ南モウゼスへと向かったハリード達は、迷わず真っ直ぐ術師ボルカノに会いに行った。
 そして突然の訪問にも関わらず快く迎え入れてくれたボルカノ氏を前にして、こう言ったのだという。
『北でウンディーネが凄腕の刺客を雇った。このままではお前は潰される。このトルネードを雇う気はないか』と。
 その言葉に何故か非常に衝撃を受け、直ぐには信じきれない様子のボルカノ。だが、出鱈目を言うなと挑んできた彼の弟子をまるで赤子の手を捻るように瞬時に制圧し、ハリードはその実力と共に己の正当性を十二分に示してみせた。
 これにより、ボルカノは悩んだ末にハリード等の提言を受け入れ、ウンディーネの刺客に対抗する用心棒の仕事を依頼する運びとなった。所属こそ違えど、ギルドに身を置く者の間でトルネードの武勇を知らぬ者はまずいない。それはボルカノも例外ではなかったのだ。
 この時、ボルカノからウンディーネと同額の前金を受け取った時のハリードの邪悪な笑みは暫く忘れられないだろうとのシャールの苦悶の言葉には、流石のカタリナ達一同も同情を隠せなかった。
 またこの時シャールがボルカノに対して抱いた印象としては、若くして実力や実績に恵まれたことによる多少の傲慢さが端々に垣間見えるものの、大枠としては好青年と言って良いものだったという。
 しかし、どうにも何か他の人間とは違う違和感を感じてしまいそれを後からハリードとハーマンに其々聞いてみたところ、ハリードは「腐臭がする」という失礼極まりない感想を述べ、ハーマンはシャールと同じような感想を抱いたがやはりよく分からない、との答えだったそうだ。
 そうしてボルカノの元を去った男衆は次にカタリナ等と同じく、南でボルカノとモウゼスについての情報を集めて回った。
 そしてその中で一つ、とても興味深い話を聞くことができたのだと言う。
 それこそが、『二人は中央の小島に存在する井戸の中にある何かを巡って対立しているらしい』という情報だった。
 その井戸こそが、死者の井戸だ。
 そしてこの情報に当りをつけたハリードの提案によって、夜の闇に乗じ此方が先んじて井戸の中に何があるのか確かめてやろう、ということになったのである。
 あとは街全体が寝静まるのを待ち、南北から小島へと向かった。小島に向かう道には南北其々が見張りを立てていたが、その見張りに対しては仕事のためと称することで難なく通り抜けることが可能だった。
 そうして今現在、彼女らは晴れて死者の井戸の中にいるという訳なのだ。

「・・・待って、なんか・・・違和感があるわ」

 何事もないままに内部を進んでいた一行だったが、先頭を進んでいたカタリナが突然立ち止まり、自らの左手を見つめながらそう言った。その視線の先には、朱鳥の火を反射して仄かに輝きを帯びている王家の指輪がある。

「このまま道なりではない気がする。何かこの辺りに無いかしら」
「んなら、ちょっと探ってみるか」

 カタリナの言葉に直ぐに反応したハリードは、鞘ごと腰の曲刀を取り出すと、辺りの壁を軽く叩き始めた。
 それに習い、各々も自らの得物の柄などを用いて床や壁を探っていく。すると間も無く、ハーマンが左側の壁面の向こうに空間があるようだと気付いた。
 そのまま躊躇することなく腰につけていたバイキングアクスを勢いよく壁に叩きつけると、予測通り壁は簡単に崩れて奥へと続く道が現れたのだった。

「わぁ、なんか宝探しって感じですね」

 その光景に何やら機嫌を良くした様子でミューズがそう言ったのを合図に、一行は互いに視線を交わすと迷わずその道を奥へと進んでいくことにした。
 その道もこれまでと同じく不気味な程の静けさに包まれており、間も無くカタリナ達は何事もなく道の最奥へと辿り着いた。

「・・・これは・・・」
「・・・即身仏、ってやつか」

 カタリナとハリードがそう言いながら見つめる先には、既に事切れてから長い年月が経っていると思われる一体の亡骸があった。
 古くはあるもののしっかりと原形をとどめている高貴な衣服を身に纏い、地面に腰掛けた姿勢のまま崩れることなく、その亡骸は堂々たる佇まいをしている。その様は、さぞ高名な僧侶であったのではないかと思わせるものだ。

「あ、カタリナさん見てください。この人の後ろ・・・」

 何かに気がついた様子のフェアリーがカタリナの袖を引きながら指差した先には、簡素な石造りの台の上に祀られるようにして置かれた何かがあった。
 それを認識した瞬間、カタリナは全身に走る悪寒で『それ』がなんであるのかを察する。
 彼女自身の経験で知らずとも、王家の指輪がその存在の何たるかを伝えてくるのだ。

「これは・・・恐らく、魔王遺物よ・・・。神王の塔にあった魔王の斧と、同じ感覚があるわ」
「魔王遺物・・・こんなところにあるなんて、驚いたな。つまりあの魔術師達が欲しがっていたものは、こいつというわけか」

 即身仏の脇を通ってその盾を覗き込み、ハリードが顎に手を当てながらそういった。その盾は石台の上に寝かされていたのだが、全くその身に埃などを被っている様子がない。まるで新品そのものと言っていい状態なのだ。その異様な違和感はやがて得も言われぬ恐怖のようなものとなって、その場の全員が息を飲んだ。

「・・・魔王の盾には、術法に対する効果の増減作用があるみたい。恐らく、それを狙って魔術師二人が争っているというわけね。それに、この井戸にアビスの気配がないことも、これの存在で大凡は説明がつくわ」

 カタリナがまるで指輪の記憶をなぞるように眉間に皺を寄せながらそういうと、他の五人は一体どういうことなのかと首を傾げる。それに対しカタリナは引き続き記憶を辿るようにしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
 己に向けられる、凡ゆる事象の無効化。
 魔王の盾の最も特異な能力は、間違いなくこの能力であると言える。
 凡ゆる事象とは言葉通りであり、物理現象や精神支配に至るまで文字通りに全てを無効化することができるという、とんでもない能力を秘めているのだ。

「恐らくこの僧侶は何らかの事情で魔王の盾を手に入れ、封印を考えたのでしょう。そして封印の地に、ここを選んだ。この洞窟全体に浄化を施した後、この特性を利用して魔王の盾を設置以後、魔王の盾に影響を及ぼさんとする全ての空間変化を『無効化』しようとしたのね。だからこの空間には、アビスの瘴気もないのだわ」

 そう言いながらカタリナは、石の台の上に置かれた魔王の盾を持ち上げる。
 その途端、彼女らの背後にあった即身仏が音もなく崩れ去り、井戸の中を支配していた異様なまでの静寂が消え去った。
 大凡六百年の歳月を経て、魔王の盾の封印がここに解かれたのだ。
 そして盾は、カタリナの手の中で禍々しい気を一瞬だけ発したかと思うと、直ぐに収束し無反応となる。彼女の身につけている幾つもの聖王遺物が、魔王の盾の瘴気を相殺したのだ。
 これで、この盾が何か悍ましいものを呼び寄せるということはなくなったはずだ。

「・・・しかし魔王遺物となると、そのまま魔術師風情に渡すわけにもいかないな。どうするんだ?」

 ハリードが崩れ去った即身仏に対して略式の祈りを捧げてからカタリナに振り返ってそういうと、カタリナも同じく略式の祈りを捧げた後、腕を組んで唸った。

「ううん、そうねぇ・・・。とりあえず争いの種にもなるから此方で回収はしておくべきだろうけれど、あとはあの二人になんて説明するか、よねぇ」
「そうだな。南のボルカノはまだ若いから理解も示してくれそうな感じだったが、ウンディーネって魔術師の方はどうだろうな。結構ヒステリックな類だと思うぜ、あれは」

 ハリードがそのように相槌を返すとカタリナは耳にかかった髪を梳き流しながら、他人事みたいに呑気に言ってくれるんじゃないわよと小言を言い放つ。そして、兎に角先ずはここを出ようと提案した。

「ここで考えても仕方ないわ。一旦宿に戻って考えましょう」

 それには皆が同意し、一行は来た道を戻っていく。
 何しろそこまで広くない死者の井戸内の洞窟であるからして直ぐに入り口となる井戸の淵まで戻ることができたのだが、しかしそこでカタリナたちはどうも井戸の上の方、つまり地上が騒がしい様子であるということに気がついた。

「・・・ちょっとハリード。これ、ひょっとしてバレてるのではないかしら」
「・・・かもな」

 松明らしき明かりがちらつく井戸の縁を見上げながらカタリナがそういうと、ハリードはここでも他人事のように肩を竦めながら応えてみせた。
 その返答は予想通りカタリナを非常に苛つかせるものだったが、今になってそのような瑣末なことを気にしていても仕方がない。他の面々に視線を送っても『諦めろ』と言わんばかりの表情しかないので、カタリナは兎に角話だけでもしてみようかと思い直し、大人しく井戸を登ることにした。

 

「よくもだましてくれたな!」

 カタリナが井戸を登りきるや否や、先ず飛んで来たのは若い男の声と思われる罵声だった。
 それを発して来たのは、赤い髪が特徴的な青年。年の頃は精々カタリナと同じ程度だろうか、正に才気溢れる魔術師と言った表現が似合いそうな青年だ。恐らくこの青年こそが、玄武術師ウンディーネと対立している朱鳥術師ボルカノその人なのであろう。

「その盾を渡しなさい!」

 続いてすかさず飛んで来た、女性のものと思われるもう一つの罵声。こちらはカタリナにも聞き覚えのある声であったので見ずとも分かったが、視線をそちらに向ければ案の定、そこにいたのはウンディーネだった。明かりに照らされたその表情からは、冷静さを欠いてはいないものの目元の隈と相まって非常に鬼気迫るものを感じる。
 どうやら見る限りではこの場にいるのはその二人だけのようだ。井戸の底からは松明の明かりかと思われたものは、朱鳥術によって作られたと思われる炎だった。
 そしてその炎がウンディーネの言葉に反応して揺らめいたかと思うと、炎の詠唱者であろうと思われるボルカノがウンディーネへと向き直った。

「何を言う!俺に渡せ!」

 どうやら、この二人組は一枚岩ではないようだ。まあ今自分が持っている物を争っていた二人であればそれも仕方ないか等と思いながら、カタリナは今が好機とばかりに井戸から上がってくる他の面子を手伝っていた。
 しかしボルカノに向かって暫くは罵詈雑言の応酬を行なっていたウンディーネだったが、そこは年長者らしく、はっと我に返って話を仕切り直しにかかる。

「そんなことを言ってる場合じゃないでしょう。まずは協力してこいつから盾を奪うのよ」
「わかった!!」
「・・・おいおいそこは素直かよ」

 丁度この押し問答をしているところに出て来たハリードは、ウンディーネの提案に対し存外素直に応と答えるボルカノを目にして思わず突っ込んだ。
 しかし実のところ、状況は全く以って楽観視してなどいられない。何しろ、相手は世界屈指の玄武術師と朱鳥術師なのだ。術のいろはを知り尽くした強力な魔術師は、寧ろ知能の低い巨人等など比べ物にならないくらいカタリナにとっては厄介な相手だといえる。
 更にいうと、どうやら目の前の二人は意志の統一こそなされていない様子であるものの、互いの特性と連携をかなりの域で心得ているようだった。
 ウンディーネが片腕で何かを伝える仕草をすると、ボルカノが慣れた様子で後ろに下がり詠唱態勢をとる。そしてウンディーネはそれを確認することもなく自身の魔術行使における適正距離を取ろうと動き、ボルカノが適時それに合わせていく。
 連携を心得ている熟練魔術師二人が相手とあれば、これは最早人間にとっては竜種を相手にするような困難さとさえなるだろう。
 だがカタリナはその危険性が分かっていて尚、まるで二人を悪戯に挑発するかのように武器を手に取る様子もなく二人の前へと進み出て見せた。

「奪うなんて、随分と物騒ね。この盾を何に使うつもりかは知らないけれど、街の皆は貴女達の争いに巻き込まれて迷惑しているわ。そんな争いの種になるようなものは、このカタリナが預かり受けることにしました」

 その言葉にウンディーネは両の瞳の内に憎悪の炎を宿しながらも、あくまで冷静に、ゆっくりと両手を前に突き出した。

「それは貴女の命の為にもお勧めしないわ、ロアーヌの騎士さん。これが最後の忠告よ。その盾を、こちらに渡しなさい」

 言葉とともに、ウンディーネの周囲に驚異的なまでの魔力の収束が起こる。それに合わせボルカノも魔力放出を始めると、その身の回りには高温の炎が揺らめき回り、まるでその姿は炎の魔人を彷彿とさせるようなものとなっていった。
 その姿を目にしてカタリナは、しかし全く余裕の表情で腰に手を当て、左足に重心をかけて微笑んでみせる。

「・・・渡さない、と言ったら?」

 カタリナのその言葉に、ウンディーネは先程までの怒りが嘘のように、妖艶に微笑む。だがその笑みこそが彼女の本気を表していることは、誰の目にも明らかだ。ハリードが曲刀を構えつつ後ろからあまり挑発するなと助言を施すが、それでもカタリナは相変わらずの態度を貫いた。
 その様子を瞳に映しながら、ウンディーネはその形の良い唇を開く。

「それは・・・このウンディーネの研究に於いて欲して止まなかった、念願の代物なの。その入手を邪魔しようと言うのならば・・・そう、故事に則るまでよ」
「故事、ねぇ。それならば・・・そうね、御誂え向きの前置きが必要ね?」

 カタリナが相手の言葉を汲み取ってそう言いながら微笑むと、ウンディーネもまた妖艶な笑みで応える。

「・・・ねんがんの まおうのたてをてにいれたぞ」

 そう呟いてカタリナがにやりとしてみせると、ウンディーネは口の端を釣り上げ、嗜虐性に溢れる顔を露呈しながら応えた。

「メ几
 木又してでも うばいとる・・・っ」

 

 

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第七章・1 -学術都市モウゼス-

 

 薄暗く、瘴気の残滓が色濃く残る空間の中に、場違いに甲高い靴音が等間隔で響き渡る。
 主人を失い棲息するものの気配が立ち消えた廃墟に颯爽と現れたその女は、明らかに廃墟を歩くことを目的として作られていないであろうヒールをまるで己が尊厳であるかの如くに頑なに身に付け、その廃墟の最深部までやってきたのだった。
 かくして、その最深部には先客がいた。
 壁に向かってしゃがみ込んだその先客の後ろ姿はまるで建物と同化しているのかと思うほどの煤汚れっぷりで、まさかここの住人ではあるまいかと訝しむほどの様相だ。

「・・・一日早く着いているとは聞いたけど、貴方まさか昨日からずっとこの中にいたのかしら。よくもまぁ、こんな瘴気と埃まみれの所に一日中いられるわね」

 片足に重心を掛けて豊かな胸部の下で腕を軽く組み、女は部屋の奥でしゃがみ込んでいる先客に遠慮なく悪態を吐く。
 そしてその声に特段反応するでもなく部屋の中を調べ続ける先客に対し、女もさしてそれを気にすることもなく部屋の中をゆっくりと見渡した。
 入り口からここに来るまでの間は無人であるだけで建物自体がそこまで損壊しているわけではなかったが、最深部であるこの部屋だけは、特段に損壊度合いが激しい。それだけ、ここで行われた戦闘の壮絶さが伺えるようだ。

「取り敢えず、分かっていることを教えて頂戴」

 女のその問いに、先客は漸くゆっくりとした動作で立ち上がり彼女の方へと体を向けた。

「・・・今のところ分かっていることは、ここにあるものは今の科学や魔術理論では何も分からないだろう、という事です。初めまして、プロフェッサー。ランスの天文学者、ヨハンネスです。因みに、流石に一日中いたわけではありません」

 ヨハンネスが直立のまま微動だにせず名乗ると、対するプロフェッサー・・・教授はヨハンネスをたっぷり十秒程上から下まで眺める。一見して学者然とした服装だが、身に纏っているのは白衣ではなく赤を基調とした服。これでは暗がりで見辛い事この上ないな、という程度の感想を抱いた後、ふんと鼻を鳴らし早々に興味を無くした様子で歩き出した。そしてそのままヨハンネスの横を通り過ぎ、部屋の最奥に座す破壊された何かの装置らしきものの前に立つ。
 先刻埃まみれを嫌がるようなことをヨハンネスに言ったことなど既に忘れたのか、肩にかけていたバッグから薄手の手袋を取り出し慣れた手つきで装着しながらその場にしゃがみ込んだ。その動作で周囲の埃が舞うことも、まるで気にしている様子がない。
 そして徐に装置の残骸にそっと触れ、隈なく観察を始める。

「・・・所々に刻まれているのは、古代文字ね。解読は?」

 振り返るでもなく観察を続けながら教授がそう言うと、ヨハンネスも別の箇所の観察に移りながら口を開く。

「その辺りの文字は、何かの名称を示しているようです。恐らくですが、意味のある言葉のつながりではないですね」
「そう。後でそれらをまとめたものを用意して頂戴」

 そのような短いやり取りを時折繰り返しながら、二人は黙々と現場検証を続けていく。
 彼らの他には現場に立ち入っている人間は皆無のようで、何方かが喋らない間は不気味な静寂がその場を支配していた。しかし互いがそのような環境に馴染んでいるのか、全く動作が乱れる素振りもない。
 そのまま幾許かの時が過ぎたあたりで、今度は足音も殆どない中で灯りが部屋へと近づいて来た。ロアーヌ騎士団のフォックスだった。

「二人とも、お疲れ様。食事、持ってきたわよ」

 二人の背中に向かってそう声をかけると、即座に動いたのは教授だった。相変わらず甲高い靴音を響かせながら手袋を外しつつフォックスの元に歩み寄ると、何処に仕舞っていたのか折り畳み式の椅子を広げて座り、まるでこれも作業の一環であるかのように無機質な印象を抱かせる動きでフォックスの持ってきた食事に手をかける。

「外の様子はどうかしら?」

 大量に盛られた大粒の果実を口に運びながら、不意に教授がフォックスに問いかける。それに対してフォックスは、左手を腰に当てながら答えた。

「特に問題ないわ。要塞内にも変わらず敵対勢力無く、周辺巡回の各部隊からも特段報告はないわね。北部上陸地点のキャンプ、及びアケとの連絡網も滞りなく機能している」
「そう。瘴気はどうかしら」
「それは依然として周辺地域に至るまで色濃く残っているわ。勿論、ここが一番濃いのだけれど・・・」

 外の様子を説明するフォックスの言葉に耳を傾けながら、教授は足を組み直して果物を齧りながらどこか遠くを見るように目を細める。
 するとそこに、ヨハンネスも漸く重い腰を上げて合流してきた。

「・・・ここは興味が尽きませんね。この瘴気がなければ、暫く住んでもいいと思えるのですが」 

 特に椅子などを用意することもなく地べたにそのまま腰を下ろし、教授と同じく身につけていた手袋を外して果物の籠に手をかける。

「しかしここの瘴気は、おそらく消えることはないのでしょうね」
「・・・そうなの?」

 フォックスが首を小さく傾げながら聞くと、ヨハンネスはこちらも小さく頷いた。

「恐らくこれから三百年をかけ、ゆっくりとこの火術要塞は再生されていくのだと考えられます」 
「そうね。確かにこの要塞、現時点では直近の損壊以外の物損が確認できていないわ」

 ヨハンネスの言葉に、唐突に教授が被せて意見を述べる。ヨハンネスは教授の言葉にも小さく頷いた。
 魔王が四魔貴族をアビスより呼び出し従えて六百年あまり。その間存在し続けているこの居城は、なんと全くの新築といってもいい状態だと彼らは言うのだ。
 それは全く以て非現実的な話に思えるが、しかし不思議とフォックスは二人のその反応に妙に納得してしまっていた。この火術要塞は確かに建物全体がまるで息づいているかのように、微弱に鳴動を続けているようにフォックスには感じられていたのだ。
 主人は消えたというのに、どこからか流れ込んでくる灼熱の溶岩も止まることを知らず、壁を走る不気味な朱鳥術の明かりも消える事なく、そのままだ。
 それはまるで、この要塞そのものが生きており受けた傷をゆっくりと癒しながら三百年の後に訪れる主人の再臨を待っているかの如く。
 三人のいるこの部屋には、この火術要塞の『核』と思われる何らかの装置の残骸がある。それが壊れてもなお、要塞は息衝いているというのだろうか。

「・・・日が落ちる頃に、呼びに来るわ。でも、その前に出て来るなら出てきて。人がここに長く居過ぎては、瘴気に侵されてしまうわ」

 二人が一通り食事を終えたのを見計らい、フォックスはそう言って空になった籠を持ち上げた。 
 教授はフォックスに見向きもせず、ヨハンネスはぺこりと頭を下げ、其々の作業に戻っていく。
 それを見届けてから出口に向かって歩き始めたフォックスは、空の籠を抱きかかえたままゆっくりと歩きながら考え事をする。
 なにしろその考え事の対象は、彼女たちが今護衛を務めているあの二人についてだった。
 一人は、ツヴァイクの西の森に居を構えるという『教授』と名乗る人物。一見して外見にもしっかりと気を使っている様子の美女だが、しかしその言動はどこか人間離れしている。また聞くところによれば文字通りの天才であり、現代科学の水準を大きく逸脱した存在である、との事だ。
 そしてもう一人は、聖都ランスからやってきた天文学者ヨハンネス。こちらはあまり手入れしている様子もなく伸びた髪と無精髭、よれた着衣という見たまんま出不精のような外見であり、言動もどこか陰がある。だが一方でその天文知識とアビスに関する知見は世界屈指であるといい、また聖王家とも関わりがあるのだという。
 彼女ら二人はこの火術要塞の調査依頼を受け、遥々北方からこの密林までやってきたのだった。 
 ここ火術要塞の周辺は現在ロアーヌ軍が駐屯地を隣接形成し、警戒体制を敷きながら調査を行なっている。これらの調査は、開始から既に二十日ほどが過ぎていた。だが調査の一日目で『専門知識や技術を持つものでなければ何も分からない』という結論に早くも辿り着き、二人の招致と相成ったのだった。
 因みに専門調査員についてこの二人を推薦したのは、本調査隊の前身となる『アウナス討伐隊』の隊長を務めていたカタリナであった。
 世界中を回った彼女が知る限りで最も本調査の進展が望めるのはこの二人であろうとの強い推薦により、現地から使者を送り二人がそれに応えてくれた形だ。
 其々住んでいる国も違うというのに急な要請に応じてくれるものなのだろうかとフォックスなどは思ったものだが、カタリナの予想通りに二人は存外即決で調査を引き受けてくれたという。だがそれも、今になってみればフォックスにも分かるような気がした。なにしろあの二人は見た目こそ全く違えど、兎に角目の前の研究に没頭すると止まらないという意味では全く一緒の特性を持っているようなのだ。そしてその興味は、正に常人の及ばぬ領域にこそ強く注がれる傾向にあるらしい。そういう意味では、この火術要塞という調査対象は彼らの興味を大いに惹きつけて止まないものであることは間違いないのだろう。

「・・・それにしても、本当にここで一体何があったというのかしら」

 いつの間にか要塞入り口まで戻ってきていたフォックスは、そう一人呟きながら振り返る。
 其処には、主人を無くした火術要塞がひっそりと、しかし重苦しく鎮座していた。

 

 

 商都ヤーマスより南方へ向かうと、ルーブ地方と静海沿岸地方を結ぶ流通の要である「海上都市バンガード」がある。三百年の昔に聖王が幾多の失敗と犠牲の上に作り上げた対魔海侯用決戦要塞であるという伝説を持つこの歴史ある都市を更に南に向かうと、これまた聖王伝説所縁の地である「学術都市モウゼス」がある。
 このモウゼスには、かの聖王三傑の一人とされる偉大なる水術師ヴァッサールを創始者とする「魔術ギルド」の本拠地が存在している。それ故に世界中から有能な学者や術者がこの地へと集い、日夜研鑽を積んでいるのだった。
 カタリナは今、このモウゼスを訪れていた。

「アウナスが消滅していた原因は、結局不明のまま・・・。結果自体は喜ばしいことのはずなのに、何故か嫌な予感が拭えませんね・・・」

 モウゼスの宿屋の一室にて、ミューズが上品に紅茶を一口啜ってからぽつりと呟く。
 ヤーマスでポール達と共にドフォーレ商会の制圧作戦を終えたミューズは、現地でピドナと連絡を取りつつ騒ぎの収束を待ってからポール達と別れて従者のシャールと共にバンガードへと南下した。
 彼女らの目的は、ドフォーレの盗掘品の中から入手した「古代魔術書」の解読をモウゼスの魔術ギルドに依頼するというものだ。
 この任をミューズが担う理由には、彼女がいよいよ対ルートヴィッヒ体制の旗印として立ったことによる、敵対勢力の刺客による暗殺の危険性を危惧するということも含まれている。
 下手にピドナに凱旋するより、このように極少人数で秘密裏に動く方が動向を探られる危険性も格段に少なくなるだろうとのトーマスとポールの采配だった。
 現に彼女がいなくとも、彼女の今回の活躍はメッサーナジャーナルを始めとした世界各地の広報紙が大々的に伝えており、その活躍に賛同する者たちは続々と各地のクラウディウス所縁の者たちと繋がりを持ち始めている。そして秘密裏にそのまとめ役を担うのがトーマスであればこそ、ミューズ自身はなにも心配をすることなく己の今するべきことに集中できるのだ。

「そうですね・・・それに、サラの行方も心配だわ・・・」

 カタリナも珈琲を一口だけ唇を濡らす程度に飲み、長い睫毛を伏せがちに視線を落とした。
 その隣では、フラワースカーフで羽を隠したフェアリーも同じく表情が浮かない様子で椅子に腰掛けている。
 カタリナはドフォーレ事変と同時期にアウナス軍の侵攻を受けた妖精族救出の任を達した後、駐屯するエデッサ島にて合流したハリードと道案内を買って出てくれたフェアリーと共にロアーヌ騎士団を基礎としたアウナス討伐隊を編成、密林へと進軍した。
 妖精族の村が消滅し密林での勢力拮抗が消えてしまった今、一刻も早くアウナスを討伐せねば密林およびその周辺地域が被る被害は甚大なものになると妖精族の長が強く警鐘を鳴らしていたのがこの進軍の理由であった。
 この時、対アウナスに於ける戦闘手段としてトーマスから「妖精の弓」が届けられるという手筈であったものの、いくら待てども届くことがなかった。待機の間にも進む瘴気の加速度的な増大に危機感を募らせたカタリナは、やがて限界を察知し侵攻を開始するものの、討伐隊が火術要塞へ到達する数日前になってその状況が一変。
 突如として、魔炎長アウナスの放つ禍々しい瘴気が、消滅したのだ。
 その異変に最初に気付いたのは、討伐隊に同行するフェアリーだった。その異変に動揺するフェアリーを気遣いながらも難なく火術要塞へと到達した討伐隊は、そのまま不気味な沈黙に包まれた要塞内へと足を踏み入れた。
 しかし要塞の中には一切の妖魔もなく、探索の末に辿り着いた最奥の間では空間一面に荒々しく刻まれた激しい戦闘を思わせる幾多の痕跡があるのみだったのだ。
 カタリナはその部屋に入った時、周囲の騎士達が重苦しい瘴気に慄く中、確かにここには四魔貴族が居ないという事を確信した。実際にアビスゲートを司る間に入り魔戦士公と対峙した彼女だからこそ、その圧倒的な存在感の有無を理解することができたのだ。
 この時点で討伐隊はその任を討伐から現地調査に切り替え、要塞近くに陣を張って警戒と調査に乗り出したのだった。
 その後カタリナは難航が予測された調査現場への専門調査員導入の手配を進めると共に、本件を踏まえて今後の方針を定めるべくハリードやフェアリーと共にピドナへ帰還し、そこでサラの行方が分からなくなっているという事実をトーマスから聞かされたのだった。
 カタリナが帰還する一月程前にカタリナカンパニーの拠点であるピドナのハンス商会事務所にはサラが書いたと思われる手紙が届いており、それによれば彼女は「どうしてもやらなければならないことが出来た」との事で独自に動いているというのであった。
 しかしその詳細は手紙には何も書かれておらず、確かにその筆跡はサラのものだと思われるものの、トーマスもこの展開が読めずに首を捻っている所だったのだった。
 サラの動向についてトーマスが掴んでいる手がかりは、二つだった。キャンディがピドナ北の宿場町で真夜中にサラに会ったという証言と、あとは届いた手紙の受付場所がピドナからトリオール海を挟んだ先のリブロフであるという事。
 既に現地には人を派遣して聞き込み調査を始めているとの事だが、まだ具体的な成果は上がってきていないようだった。
 カタリナとしてもサラのことは非常に心配だったが、とは言え彼女がそこで手をこまねいていても仕方がないのも事実。
 そこで彼女の行動と同時期に進行していたドフォーレ商会買収劇後の連絡をヤーマスと取り合う際、身の安全を考慮しミューズを暫く秘匿する方針を定めたにあたってカタリナとフェアリーも護衛役としてバンガードで合流するように動いたというわけだった。
 三人が浮かない顔でそうしていると、不意に部屋の戸がノックされ、そして此方の返事を待たずに開かれた。
 カタリナほどの騎士ともなれば、見ずとも分かる。この様な無礼な振る舞いを行うのは、彼女の周囲では一人しかいない。

「よう、こっちはもう飯食いに行くが、どうする?」

 果たして扉をあけて現れたのは、猛将トルネードことハリードであった。
 彼もまたピドナで暇を持て余す事を嫌い、カタリナについてきたと言うわけだ。
 女性の宿泊する部屋に断りすら入れずに入り込むその不躾な様子にカタリナは内心でとても腹立たしく思ったが、この男に対して一々そんな事で腹を立てていても仕方ないと言うこともまた、彼女はこれまでの経験からよくあ知っている。
 なのでここは勤めて冷静を装い、静かに珈琲を啜ってからこう答えた。

「あとで行くから取り敢えず一旦、扉を閉めやがって下さりません?」

 

 

「なんつーか、ここの街の飯はスカしてるっつーか、兎に角量も控えめだし昔っからあんま好きじゃねーんだよな」

 世界中から優秀な頭脳の集まる学術都市らしく、落ち着いた内装の食堂内でテーブルを囲う六人の男女。その中でも一際に姿勢の悪さが目立つ老齢の男が、懐から徐に煙草を取り出しつつ目の前にある平らげたばかりの皿に視線を落とした。

「あら、ハーマンここに住んでいたことでもあるの?」

 澄まし顔ではあるが内心自分もうっすらと食事に対してそう考えていたカタリナは、まるで何度もここに来たかのような言い方の老人、ハーマンに向かって問うてみた。
 ハーマンもまた、ピドナでの日々を退屈に感じて着いてきた一人だった。

「そりゃあな。今はこんなナリだが、一応船乗りだったもんでな。世界中の街の飯も当然、食い尽くしたさ」

 そう言ってハーマンは慣れた手つきで煙草に火をつける。そしてまるでその煙草こそが食事のメインディッシュであるかのように肺いっぱいに煙を吸い込み、一瞬の溜めの後にゆっくりと長く細い煙を吐き出した。
 しかしそうして吐き出された煙は、ハーマンの目の前にまるで見えない壁があってそれに当たったかのように突然に四方八方へと拡散し、やがて独特の不規則な軌道を描きながら霧散していく。 
 そうして漂う煙を、テーブルの向かいにいるミューズが興味深そうに目で追っている。
 カタリナ等と共にバンガードで合流して以降、所構わず喫煙をするハーマンに対してミューズへの健康被害を危惧したシャールが猛抗議を行なった結果、煙がミューズへと届かないようにハーマン自らが蒼龍術で煙を操作するという対策が講じられることとなったのだった。

「んで、午後はここの魔術師を訪ねるんだったな」

 同じく食事を終えて寛いでいた様子のハリードがそう切り出すと、カタリナはこくりと頷く。

「訪問する相手は、現在世界一の水術師と目される魔術師ウンディーネ。その水術の腕は他の比肩を一切許さず、ヴァッサール様の再来とまで言われているそうよ」
「概ね、間違いはないだろうな。術師の間では、私が現役だった時代から有名な方だ。以前は各地を回っていたようだが、ここ最近はこのモウゼス魔術ギルドを拠点として活動をしているらしい」 

 カタリナの言葉に、シャールも両腕を組みながら同意する。シャール自身も術を操る戦士としては高名な術師に会うことに対して多少の期待があるのか、普段よりも若干ながら高揚した様子が見て取れる。
 とはいえ名前がウンディーネとはよく言ったものだな等と思わず感心しながら、カタリナはそんなシャールの珍しげな様子を横目に眺めた。
 本来ウンディーネとは、四大元素のうち水を司る精霊の名を表す。天地六術式を拝するこの世界では水を司る精霊は玄武の名の方が通りは良いが、それでもウンディーネという水の精霊の名は古来より様々な文献に登場しており、文化人ならばその名を知らぬ者はあまりいないだろう。因みに地域によって多少の発音の違いがあり、例えばロアーヌ地方では、オンディーヌの名で知られていたりする。
 そして精霊ゆえに性別という概念があるわけではないのだろうが、その姿は古来から美しい女性の姿で表されることが多く、噂によればモウゼスのウンディーネもその名に見合う妖艶な美女であるということだ。
 まさかシャールに至ってそのような不純な動機で会いたいと思っているわけではなかろうなと思いつつも、身の回りに何かと美女の多いカタリナとしても果たしてウンディーネの名を冠する術師とやらがどのような女性なのかという、多少下世話な興味を少々持ち合わせてはいた。

「因みにこの街にはここ最近でもう一人、世界的に有名な術師が滞在している。名をボルカノといい、若くして既に朱鳥術における世界指折りの実力者であるとの事だ。個人的には、こちらの方にも是非会ってみたいものだが。・・・?」

 シャールは続けてそういい、そしてその直後に急激に湧き上がってきた違和感を感じ取って周囲を見渡した。
 するとどうした事か、彼らの周りで食事をしていた術師と思しき男たちが、明らかな敵意を持った視線を向けてきているのだった。
 その剣呑な様子にカタリナとハリードが自らの獲物に手をかけるのと、三人の術師が彼女等のテーブルを囲うように立ちはだかったのは、ほぼ同時のことだった。

「お前達、何者だ。ボルカノの手先か!」
「・・・一体、何のことかしら」

 男の言葉にカタリナが返すが、しかしその返答が言葉通りに受け取られたとは到底思えない様子で術師三人は臨戦態勢を整えながら腰を低くした。

「だれでもいいさ!どうせボルカノの手先だ、ウンディーネ様に手柄の報告をする序でに、新しい陣形を試してみようぜ!」

 そしてもう一人の術師の男がそう叫んだかと思うと、そこが屋内であることなど全く気にする様子もなく三人は術式の展開を始めた。
 その時点でカタリナとハリードは一人一人の術師の能力が大したものではないということを読みきっていたので、発動した術ごと彼らを叩き伏せるつもりで獲物を構えた。
 だがそれに対して素早く反応したのは、ミューズとシャールだった。

「いけない、この術式は危ないわ!」

 ミューズの身を守るように立ち位置を変えるシャールの後ろでミューズがそう言いながら、もっとも彼女から近い一人の影に向かい左腕を振り抜く。すると瞬時に形成された月影の矢がその術師の影を射抜き、その衝撃で術式の詠唱が崩れた。
 その時には既に何かしらの理由があるのだと感じ取ったカタリナとハリードが一足飛びで距離を詰め、残り二人の術師を剣ではなく拳の一撃で叩き伏せる。そして詠唱を潰された後の一人も、シャールが即座に組み伏せていた。
 ハーマンとフェアリーは、手元の獲物に手をかけてはいたものの動くことなくその様子を眺めていた。

「く、くそっ・・・」

 瞬く間に地に伏した三人の術師を見て更に周囲の術師が色めき立ったが、しかしそこに突如として凛と冷えた空気が舞い込んだことで、彼らの動きは止まった。

「おやめなさい」

 その空気の発生源と思われる食堂の入り口にカタリナ達が視線を向けると、そこには明らかに周囲の術師とは纏う気配の異なる女が立っていた。
 緩くウェーブがかった背中にかかる程度の蒼色の髪に独特の形の黒い髪飾りが映えた、目鼻立ちのくっきりした顔立ち。白い肌に鮮やかに浮かび上がる朱色の唇など、施された化粧の様相からは年の頃はカタリナの一回り程度上と言ったところか。首回りに飾りのついた漆黒の外套を羽織っており、その下には細身でありながらも部分部分においては非常に女性らしい体のラインが浮かび上がった白を基調とするドレスを、自然体でありながらもどこか妖艶に着こなしている。
 正にその姿は、熟した色香を持ち合わせる魔女というに相応しい。

「弟子達が失礼をしたようで。お許しください」

 女はそう言って、カタリナ達に向かって静かに頭を下げた。

「私の名はウンディーネ。このモウゼスの魔術ギルドの代表をしているものよ。旅の方、改めて非礼を詫びるわ。今この街は少し物騒なことになっているので、弟子もそのせいで気が立ってしまっていて・・・」
「物騒なこと・・・?」

 ウンディーネと名乗った女の登場によって周囲の術師達が完全に戦意を失っていることを確認したカタリナは、地面に押さえつけていた男を解放しながらゆっくりと立ち上がりつつ、言葉の中に気になる文言を聞き取ってそれをそのまま聞き返した。

「ええ。元々この街は南北に分かれた構造なのだけれど、お恥ずかしいことに現在魔術ギルドの南部研究所が本部である北部本館と対立してしまっていて・・・。結果として現在南北の通行は途絶、更には小競り合い程度ではあるものの、武力衝突も起こってしまっている状況なの」

 そう言ってウンディーネは胸の下で軽く腕を組み、憂いを帯びた愁眉を覗かせる。
 彼女の弟子だという周囲の術師にそれとなく視線を走らせてみると、弟子達もウンディーネの言葉を聞きながら遣る瀬無い様子で俯いている。少なくとも話の大筋は合っている様子だ。

「・・・そうでしたか。そういうことであれば、こちらの同行人にも大事はなかったので今回は不問とします」

 そう言ってすんなりと引いたカタリナに合わせ、ハリードとシャールも術師を解放する。
 その様子を確認して薄っすらと頷いたカタリナは、そのまま一歩進み出て姿勢を正した。

「初めまして、大魔術師ウンディーネ。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランと申します。私達は実の所、貴女にお会いするためにここを訪れたのです。今回の件を不問にする代わりと言ってはなんですが、少々お話をさせて頂いても宜しいでしょうか?」

 

 

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