第七章・1 -学術都市モウゼス-

 

 薄暗く、瘴気の残滓が色濃く残る空間の中に、場違いに甲高い靴音が等間隔で響き渡る。
 主人を失い棲息するものの気配が立ち消えた廃墟に颯爽と現れたその女は、明らかに廃墟を歩くことを目的として作られていないであろうヒールをまるで己が尊厳であるかの如くに頑なに身に付け、その廃墟の最深部までやってきたのだった。
 かくして、その最深部には先客がいた。
 壁に向かってしゃがみ込んだその先客の後ろ姿はまるで建物と同化しているのかと思うほどの煤汚れっぷりで、まさかここの住人ではあるまいかと訝しむほどの様相だ。

「・・・一日早く着いているとは聞いたけど、貴方まさか昨日からずっとこの中にいたのかしら。よくもまぁ、こんな瘴気と埃まみれの所に一日中いられるわね」

 片足に重心を掛けて豊かな胸部の下で腕を軽く組み、女は部屋の奥でしゃがみ込んでいる先客に遠慮なく悪態を吐く。
 そしてその声に特段反応するでもなく部屋の中を調べ続ける先客に対し、女もさしてそれを気にすることもなく部屋の中をゆっくりと見渡した。
 入り口からここに来るまでの間は無人であるだけで建物自体がそこまで損壊しているわけではなかったが、最深部であるこの部屋だけは、特段に損壊度合いが激しい。それだけ、ここで行われた戦闘の壮絶さが伺えるようだ。

「取り敢えず、分かっていることを教えて頂戴」

 女のその問いに、先客は漸くゆっくりとした動作で立ち上がり彼女の方へと体を向けた。

「・・・今のところ分かっていることは、ここにあるものは今の科学や魔術理論では何も分からないだろう、という事です。初めまして、プロフェッサー。ランスの天文学者、ヨハンネスです。因みに、流石に一日中いたわけではありません」

 ヨハンネスが直立のまま微動だにせず名乗ると、対するプロフェッサー・・・教授はヨハンネスをたっぷり十秒程上から下まで眺める。一見して学者然とした服装だが、身に纏っているのは白衣ではなく赤を基調とした服。これでは暗がりで見辛い事この上ないな、という程度の感想を抱いた後、ふんと鼻を鳴らし早々に興味を無くした様子で歩き出した。そしてそのままヨハンネスの横を通り過ぎ、部屋の最奥に座す破壊された何かの装置らしきものの前に立つ。
 先刻埃まみれを嫌がるようなことをヨハンネスに言ったことなど既に忘れたのか、肩にかけていたバッグから薄手の手袋を取り出し慣れた手つきで装着しながらその場にしゃがみ込んだ。その動作で周囲の埃が舞うことも、まるで気にしている様子がない。
 そして徐に装置の残骸にそっと触れ、隈なく観察を始める。

「・・・所々に刻まれているのは、古代文字ね。解読は?」

 振り返るでもなく観察を続けながら教授がそう言うと、ヨハンネスも別の箇所の観察に移りながら口を開く。

「その辺りの文字は、何かの名称を示しているようです。恐らくですが、意味のある言葉のつながりではないですね」
「そう。後でそれらをまとめたものを用意して頂戴」

 そのような短いやり取りを時折繰り返しながら、二人は黙々と現場検証を続けていく。
 彼らの他には現場に立ち入っている人間は皆無のようで、何方かが喋らない間は不気味な静寂がその場を支配していた。しかし互いがそのような環境に馴染んでいるのか、全く動作が乱れる素振りもない。
 そのまま幾許かの時が過ぎたあたりで、今度は足音も殆どない中で灯りが部屋へと近づいて来た。ロアーヌ騎士団のフォックスだった。

「二人とも、お疲れ様。食事、持ってきたわよ」

 二人の背中に向かってそう声をかけると、即座に動いたのは教授だった。相変わらず甲高い靴音を響かせながら手袋を外しつつフォックスの元に歩み寄ると、何処に仕舞っていたのか折り畳み式の椅子を広げて座り、まるでこれも作業の一環であるかのように無機質な印象を抱かせる動きでフォックスの持ってきた食事に手をかける。

「外の様子はどうかしら?」

 大量に盛られた大粒の果実を口に運びながら、不意に教授がフォックスに問いかける。それに対してフォックスは、左手を腰に当てながら答えた。

「特に問題ないわ。要塞内にも変わらず敵対勢力無く、周辺巡回の各部隊からも特段報告はないわね。北部上陸地点のキャンプ、及びアケとの連絡網も滞りなく機能している」
「そう。瘴気はどうかしら」
「それは依然として周辺地域に至るまで色濃く残っているわ。勿論、ここが一番濃いのだけれど・・・」

 外の様子を説明するフォックスの言葉に耳を傾けながら、教授は足を組み直して果物を齧りながらどこか遠くを見るように目を細める。
 するとそこに、ヨハンネスも漸く重い腰を上げて合流してきた。

「・・・ここは興味が尽きませんね。この瘴気がなければ、暫く住んでもいいと思えるのですが」 

 特に椅子などを用意することもなく地べたにそのまま腰を下ろし、教授と同じく身につけていた手袋を外して果物の籠に手をかける。

「しかしここの瘴気は、おそらく消えることはないのでしょうね」
「・・・そうなの?」

 フォックスが首を小さく傾げながら聞くと、ヨハンネスはこちらも小さく頷いた。

「恐らくこれから三百年をかけ、ゆっくりとこの火術要塞は再生されていくのだと考えられます」 
「そうね。確かにこの要塞、現時点では直近の損壊以外の物損が確認できていないわ」

 ヨハンネスの言葉に、唐突に教授が被せて意見を述べる。ヨハンネスは教授の言葉にも小さく頷いた。
 魔王が四魔貴族をアビスより呼び出し従えて六百年あまり。その間存在し続けているこの居城は、なんと全くの新築といってもいい状態だと彼らは言うのだ。
 それは全く以て非現実的な話に思えるが、しかし不思議とフォックスは二人のその反応に妙に納得してしまっていた。この火術要塞は確かに建物全体がまるで息づいているかのように、微弱に鳴動を続けているようにフォックスには感じられていたのだ。
 主人は消えたというのに、どこからか流れ込んでくる灼熱の溶岩も止まることを知らず、壁を走る不気味な朱鳥術の明かりも消える事なく、そのままだ。
 それはまるで、この要塞そのものが生きており受けた傷をゆっくりと癒しながら三百年の後に訪れる主人の再臨を待っているかの如く。
 三人のいるこの部屋には、この火術要塞の『核』と思われる何らかの装置の残骸がある。それが壊れてもなお、要塞は息衝いているというのだろうか。

「・・・日が落ちる頃に、呼びに来るわ。でも、その前に出て来るなら出てきて。人がここに長く居過ぎては、瘴気に侵されてしまうわ」

 二人が一通り食事を終えたのを見計らい、フォックスはそう言って空になった籠を持ち上げた。 
 教授はフォックスに見向きもせず、ヨハンネスはぺこりと頭を下げ、其々の作業に戻っていく。
 それを見届けてから出口に向かって歩き始めたフォックスは、空の籠を抱きかかえたままゆっくりと歩きながら考え事をする。
 なにしろその考え事の対象は、彼女たちが今護衛を務めているあの二人についてだった。
 一人は、ツヴァイクの西の森に居を構えるという『教授』と名乗る人物。一見して外見にもしっかりと気を使っている様子の美女だが、しかしその言動はどこか人間離れしている。また聞くところによれば文字通りの天才であり、現代科学の水準を大きく逸脱した存在である、との事だ。
 そしてもう一人は、聖都ランスからやってきた天文学者ヨハンネス。こちらはあまり手入れしている様子もなく伸びた髪と無精髭、よれた着衣という見たまんま出不精のような外見であり、言動もどこか陰がある。だが一方でその天文知識とアビスに関する知見は世界屈指であるといい、また聖王家とも関わりがあるのだという。
 彼女ら二人はこの火術要塞の調査依頼を受け、遥々北方からこの密林までやってきたのだった。 
 ここ火術要塞の周辺は現在ロアーヌ軍が駐屯地を隣接形成し、警戒体制を敷きながら調査を行なっている。これらの調査は、開始から既に二十日ほどが過ぎていた。だが調査の一日目で『専門知識や技術を持つものでなければ何も分からない』という結論に早くも辿り着き、二人の招致と相成ったのだった。
 因みに専門調査員についてこの二人を推薦したのは、本調査隊の前身となる『アウナス討伐隊』の隊長を務めていたカタリナであった。
 世界中を回った彼女が知る限りで最も本調査の進展が望めるのはこの二人であろうとの強い推薦により、現地から使者を送り二人がそれに応えてくれた形だ。
 其々住んでいる国も違うというのに急な要請に応じてくれるものなのだろうかとフォックスなどは思ったものだが、カタリナの予想通りに二人は存外即決で調査を引き受けてくれたという。だがそれも、今になってみればフォックスにも分かるような気がした。なにしろあの二人は見た目こそ全く違えど、兎に角目の前の研究に没頭すると止まらないという意味では全く一緒の特性を持っているようなのだ。そしてその興味は、正に常人の及ばぬ領域にこそ強く注がれる傾向にあるらしい。そういう意味では、この火術要塞という調査対象は彼らの興味を大いに惹きつけて止まないものであることは間違いないのだろう。

「・・・それにしても、本当にここで一体何があったというのかしら」

 いつの間にか要塞入り口まで戻ってきていたフォックスは、そう一人呟きながら振り返る。
 其処には、主人を無くした火術要塞がひっそりと、しかし重苦しく鎮座していた。

 

 

 商都ヤーマスより南方へ向かうと、ルーブ地方と静海沿岸地方を結ぶ流通の要である「海上都市バンガード」がある。三百年の昔に聖王が幾多の失敗と犠牲の上に作り上げた対魔海侯用決戦要塞であるという伝説を持つこの歴史ある都市を更に南に向かうと、これまた聖王伝説所縁の地である「学術都市モウゼス」がある。
 このモウゼスには、かの聖王三傑の一人とされる偉大なる水術師ヴァッサールを創始者とする「魔術ギルド」の本拠地が存在している。それ故に世界中から有能な学者や術者がこの地へと集い、日夜研鑽を積んでいるのだった。
 カタリナは今、このモウゼスを訪れていた。

「アウナスが消滅していた原因は、結局不明のまま・・・。結果自体は喜ばしいことのはずなのに、何故か嫌な予感が拭えませんね・・・」

 モウゼスの宿屋の一室にて、ミューズが上品に紅茶を一口啜ってからぽつりと呟く。
 ヤーマスでポール達と共にドフォーレ商会の制圧作戦を終えたミューズは、現地でピドナと連絡を取りつつ騒ぎの収束を待ってからポール達と別れて従者のシャールと共にバンガードへと南下した。
 彼女らの目的は、ドフォーレの盗掘品の中から入手した「古代魔術書」の解読をモウゼスの魔術ギルドに依頼するというものだ。
 この任をミューズが担う理由には、彼女がいよいよ対ルートヴィッヒ体制の旗印として立ったことによる、敵対勢力の刺客による暗殺の危険性を危惧するということも含まれている。
 下手にピドナに凱旋するより、このように極少人数で秘密裏に動く方が動向を探られる危険性も格段に少なくなるだろうとのトーマスとポールの采配だった。
 現に彼女がいなくとも、彼女の今回の活躍はメッサーナジャーナルを始めとした世界各地の広報紙が大々的に伝えており、その活躍に賛同する者たちは続々と各地のクラウディウス所縁の者たちと繋がりを持ち始めている。そして秘密裏にそのまとめ役を担うのがトーマスであればこそ、ミューズ自身はなにも心配をすることなく己の今するべきことに集中できるのだ。

「そうですね・・・それに、サラの行方も心配だわ・・・」

 カタリナも珈琲を一口だけ唇を濡らす程度に飲み、長い睫毛を伏せがちに視線を落とした。
 その隣では、フラワースカーフで羽を隠したフェアリーも同じく表情が浮かない様子で椅子に腰掛けている。
 カタリナはドフォーレ事変と同時期にアウナス軍の侵攻を受けた妖精族救出の任を達した後、駐屯するエデッサ島にて合流したハリードと道案内を買って出てくれたフェアリーと共にロアーヌ騎士団を基礎としたアウナス討伐隊を編成、密林へと進軍した。
 妖精族の村が消滅し密林での勢力拮抗が消えてしまった今、一刻も早くアウナスを討伐せねば密林およびその周辺地域が被る被害は甚大なものになると妖精族の長が強く警鐘を鳴らしていたのがこの進軍の理由であった。
 この時、対アウナスに於ける戦闘手段としてトーマスから「妖精の弓」が届けられるという手筈であったものの、いくら待てども届くことがなかった。待機の間にも進む瘴気の加速度的な増大に危機感を募らせたカタリナは、やがて限界を察知し侵攻を開始するものの、討伐隊が火術要塞へ到達する数日前になってその状況が一変。
 突如として、魔炎長アウナスの放つ禍々しい瘴気が、消滅したのだ。
 その異変に最初に気付いたのは、討伐隊に同行するフェアリーだった。その異変に動揺するフェアリーを気遣いながらも難なく火術要塞へと到達した討伐隊は、そのまま不気味な沈黙に包まれた要塞内へと足を踏み入れた。
 しかし要塞の中には一切の妖魔もなく、探索の末に辿り着いた最奥の間では空間一面に荒々しく刻まれた激しい戦闘を思わせる幾多の痕跡があるのみだったのだ。
 カタリナはその部屋に入った時、周囲の騎士達が重苦しい瘴気に慄く中、確かにここには四魔貴族が居ないという事を確信した。実際にアビスゲートを司る間に入り魔戦士公と対峙した彼女だからこそ、その圧倒的な存在感の有無を理解することができたのだ。
 この時点で討伐隊はその任を討伐から現地調査に切り替え、要塞近くに陣を張って警戒と調査に乗り出したのだった。
 その後カタリナは難航が予測された調査現場への専門調査員導入の手配を進めると共に、本件を踏まえて今後の方針を定めるべくハリードやフェアリーと共にピドナへ帰還し、そこでサラの行方が分からなくなっているという事実をトーマスから聞かされたのだった。
 カタリナが帰還する一月程前にカタリナカンパニーの拠点であるピドナのハンス商会事務所にはサラが書いたと思われる手紙が届いており、それによれば彼女は「どうしてもやらなければならないことが出来た」との事で独自に動いているというのであった。
 しかしその詳細は手紙には何も書かれておらず、確かにその筆跡はサラのものだと思われるものの、トーマスもこの展開が読めずに首を捻っている所だったのだった。
 サラの動向についてトーマスが掴んでいる手がかりは、二つだった。キャンディがピドナ北の宿場町で真夜中にサラに会ったという証言と、あとは届いた手紙の受付場所がピドナからトリオール海を挟んだ先のリブロフであるという事。
 既に現地には人を派遣して聞き込み調査を始めているとの事だが、まだ具体的な成果は上がってきていないようだった。
 カタリナとしてもサラのことは非常に心配だったが、とは言え彼女がそこで手をこまねいていても仕方がないのも事実。
 そこで彼女の行動と同時期に進行していたドフォーレ商会買収劇後の連絡をヤーマスと取り合う際、身の安全を考慮しミューズを暫く秘匿する方針を定めたにあたってカタリナとフェアリーも護衛役としてバンガードで合流するように動いたというわけだった。
 三人が浮かない顔でそうしていると、不意に部屋の戸がノックされ、そして此方の返事を待たずに開かれた。
 カタリナほどの騎士ともなれば、見ずとも分かる。この様な無礼な振る舞いを行うのは、彼女の周囲では一人しかいない。

「よう、こっちはもう飯食いに行くが、どうする?」

 果たして扉をあけて現れたのは、猛将トルネードことハリードであった。
 彼もまたピドナで暇を持て余す事を嫌い、カタリナについてきたと言うわけだ。
 女性の宿泊する部屋に断りすら入れずに入り込むその不躾な様子にカタリナは内心でとても腹立たしく思ったが、この男に対して一々そんな事で腹を立てていても仕方ないと言うこともまた、彼女はこれまでの経験からよくあ知っている。
 なのでここは勤めて冷静を装い、静かに珈琲を啜ってからこう答えた。

「あとで行くから取り敢えず一旦、扉を閉めやがって下さりません?」

 

 

「なんつーか、ここの街の飯はスカしてるっつーか、兎に角量も控えめだし昔っからあんま好きじゃねーんだよな」

 世界中から優秀な頭脳の集まる学術都市らしく、落ち着いた内装の食堂内でテーブルを囲う六人の男女。その中でも一際に姿勢の悪さが目立つ老齢の男が、懐から徐に煙草を取り出しつつ目の前にある平らげたばかりの皿に視線を落とした。

「あら、ハーマンここに住んでいたことでもあるの?」

 澄まし顔ではあるが内心自分もうっすらと食事に対してそう考えていたカタリナは、まるで何度もここに来たかのような言い方の老人、ハーマンに向かって問うてみた。
 ハーマンもまた、ピドナでの日々を退屈に感じて着いてきた一人だった。

「そりゃあな。今はこんなナリだが、一応船乗りだったもんでな。世界中の街の飯も当然、食い尽くしたさ」

 そう言ってハーマンは慣れた手つきで煙草に火をつける。そしてまるでその煙草こそが食事のメインディッシュであるかのように肺いっぱいに煙を吸い込み、一瞬の溜めの後にゆっくりと長く細い煙を吐き出した。
 しかしそうして吐き出された煙は、ハーマンの目の前にまるで見えない壁があってそれに当たったかのように突然に四方八方へと拡散し、やがて独特の不規則な軌道を描きながら霧散していく。 
 そうして漂う煙を、テーブルの向かいにいるミューズが興味深そうに目で追っている。
 カタリナ等と共にバンガードで合流して以降、所構わず喫煙をするハーマンに対してミューズへの健康被害を危惧したシャールが猛抗議を行なった結果、煙がミューズへと届かないようにハーマン自らが蒼龍術で煙を操作するという対策が講じられることとなったのだった。

「んで、午後はここの魔術師を訪ねるんだったな」

 同じく食事を終えて寛いでいた様子のハリードがそう切り出すと、カタリナはこくりと頷く。

「訪問する相手は、現在世界一の水術師と目される魔術師ウンディーネ。その水術の腕は他の比肩を一切許さず、ヴァッサール様の再来とまで言われているそうよ」
「概ね、間違いはないだろうな。術師の間では、私が現役だった時代から有名な方だ。以前は各地を回っていたようだが、ここ最近はこのモウゼス魔術ギルドを拠点として活動をしているらしい」 

 カタリナの言葉に、シャールも両腕を組みながら同意する。シャール自身も術を操る戦士としては高名な術師に会うことに対して多少の期待があるのか、普段よりも若干ながら高揚した様子が見て取れる。
 とはいえ名前がウンディーネとはよく言ったものだな等と思わず感心しながら、カタリナはそんなシャールの珍しげな様子を横目に眺めた。
 本来ウンディーネとは、四大元素のうち水を司る精霊の名を表す。天地六術式を拝するこの世界では水を司る精霊は玄武の名の方が通りは良いが、それでもウンディーネという水の精霊の名は古来より様々な文献に登場しており、文化人ならばその名を知らぬ者はあまりいないだろう。因みに地域によって多少の発音の違いがあり、例えばロアーヌ地方では、オンディーヌの名で知られていたりする。
 そして精霊ゆえに性別という概念があるわけではないのだろうが、その姿は古来から美しい女性の姿で表されることが多く、噂によればモウゼスのウンディーネもその名に見合う妖艶な美女であるということだ。
 まさかシャールに至ってそのような不純な動機で会いたいと思っているわけではなかろうなと思いつつも、身の回りに何かと美女の多いカタリナとしても果たしてウンディーネの名を冠する術師とやらがどのような女性なのかという、多少下世話な興味を少々持ち合わせてはいた。

「因みにこの街にはここ最近でもう一人、世界的に有名な術師が滞在している。名をボルカノといい、若くして既に朱鳥術における世界指折りの実力者であるとの事だ。個人的には、こちらの方にも是非会ってみたいものだが。・・・?」

 シャールは続けてそういい、そしてその直後に急激に湧き上がってきた違和感を感じ取って周囲を見渡した。
 するとどうした事か、彼らの周りで食事をしていた術師と思しき男たちが、明らかな敵意を持った視線を向けてきているのだった。
 その剣呑な様子にカタリナとハリードが自らの獲物に手をかけるのと、三人の術師が彼女等のテーブルを囲うように立ちはだかったのは、ほぼ同時のことだった。

「お前達、何者だ。ボルカノの手先か!」
「・・・一体、何のことかしら」

 男の言葉にカタリナが返すが、しかしその返答が言葉通りに受け取られたとは到底思えない様子で術師三人は臨戦態勢を整えながら腰を低くした。

「だれでもいいさ!どうせボルカノの手先だ、ウンディーネ様に手柄の報告をする序でに、新しい陣形を試してみようぜ!」

 そしてもう一人の術師の男がそう叫んだかと思うと、そこが屋内であることなど全く気にする様子もなく三人は術式の展開を始めた。
 その時点でカタリナとハリードは一人一人の術師の能力が大したものではないということを読みきっていたので、発動した術ごと彼らを叩き伏せるつもりで獲物を構えた。
 だがそれに対して素早く反応したのは、ミューズとシャールだった。

「いけない、この術式は危ないわ!」

 ミューズの身を守るように立ち位置を変えるシャールの後ろでミューズがそう言いながら、もっとも彼女から近い一人の影に向かい左腕を振り抜く。すると瞬時に形成された月影の矢がその術師の影を射抜き、その衝撃で術式の詠唱が崩れた。
 その時には既に何かしらの理由があるのだと感じ取ったカタリナとハリードが一足飛びで距離を詰め、残り二人の術師を剣ではなく拳の一撃で叩き伏せる。そして詠唱を潰された後の一人も、シャールが即座に組み伏せていた。
 ハーマンとフェアリーは、手元の獲物に手をかけてはいたものの動くことなくその様子を眺めていた。

「く、くそっ・・・」

 瞬く間に地に伏した三人の術師を見て更に周囲の術師が色めき立ったが、しかしそこに突如として凛と冷えた空気が舞い込んだことで、彼らの動きは止まった。

「おやめなさい」

 その空気の発生源と思われる食堂の入り口にカタリナ達が視線を向けると、そこには明らかに周囲の術師とは纏う気配の異なる女が立っていた。
 緩くウェーブがかった背中にかかる程度の蒼色の髪に独特の形の黒い髪飾りが映えた、目鼻立ちのくっきりした顔立ち。白い肌に鮮やかに浮かび上がる朱色の唇など、施された化粧の様相からは年の頃はカタリナの一回り程度上と言ったところか。首回りに飾りのついた漆黒の外套を羽織っており、その下には細身でありながらも部分部分においては非常に女性らしい体のラインが浮かび上がった白を基調とするドレスを、自然体でありながらもどこか妖艶に着こなしている。
 正にその姿は、熟した色香を持ち合わせる魔女というに相応しい。

「弟子達が失礼をしたようで。お許しください」

 女はそう言って、カタリナ達に向かって静かに頭を下げた。

「私の名はウンディーネ。このモウゼスの魔術ギルドの代表をしているものよ。旅の方、改めて非礼を詫びるわ。今この街は少し物騒なことになっているので、弟子もそのせいで気が立ってしまっていて・・・」
「物騒なこと・・・?」

 ウンディーネと名乗った女の登場によって周囲の術師達が完全に戦意を失っていることを確認したカタリナは、地面に押さえつけていた男を解放しながらゆっくりと立ち上がりつつ、言葉の中に気になる文言を聞き取ってそれをそのまま聞き返した。

「ええ。元々この街は南北に分かれた構造なのだけれど、お恥ずかしいことに現在魔術ギルドの南部研究所が本部である北部本館と対立してしまっていて・・・。結果として現在南北の通行は途絶、更には小競り合い程度ではあるものの、武力衝突も起こってしまっている状況なの」

 そう言ってウンディーネは胸の下で軽く腕を組み、憂いを帯びた愁眉を覗かせる。
 彼女の弟子だという周囲の術師にそれとなく視線を走らせてみると、弟子達もウンディーネの言葉を聞きながら遣る瀬無い様子で俯いている。少なくとも話の大筋は合っている様子だ。

「・・・そうでしたか。そういうことであれば、こちらの同行人にも大事はなかったので今回は不問とします」

 そう言ってすんなりと引いたカタリナに合わせ、ハリードとシャールも術師を解放する。
 その様子を確認して薄っすらと頷いたカタリナは、そのまま一歩進み出て姿勢を正した。

「初めまして、大魔術師ウンディーネ。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランと申します。私達は実の所、貴女にお会いするためにここを訪れたのです。今回の件を不問にする代わりと言ってはなんですが、少々お話をさせて頂いても宜しいでしょうか?」

 

 

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・7 -救援と成敗-

 

 既に密林での異変を察知していたメッサーナ王国海洋警備拠点であるエデッサ砦を中継して、密林地域北部から上陸した妖精族救助隊一行。彼らが密林探索に突入してから現時点で、凡そ二日程が経っていた。
 この時点でカタリナが切り飛ばしたアウナス術妖の数は、ともすれば三桁にも迫らんという勢いだ。
 以前にフェアリーとともに練り歩いた時とは、余りに密林全体の空気が一変していた。

(吐き気を催すような、陰鬱で体に纏わりつく瘴気・・・)

 ふと上を見上げれば天から降り注ぐ木漏れ日も、風に揺れ動く木々の騒めきも以前来た時と変わらないはずだ。だと言うのに、密林全体を覆う醜悪な瘴気が視界に映る全てを歪ませてしまっている。

(此処はもう私の知っている密林ではない・・・これじゃあまるで、噂に聞く腐海森林のよう・・・)

 止まぬ息苦しさに常時顔をしかめながら、カタリナはそんなことを思った。
 事実、ロアーヌ騎士団の精鋭を中心に構成されているこの救助隊の中であっても、倒れるほどまでは行かずとも体調の不良を訴えるものもぽつぽつと出始めている。
 あまり長いことこの森で過ごすことは出来ないだろうと考えた一行は、出来うる限り移動速度を上げていった。
 居ても立っても居られずピドナから風に乗って密林へ飛来したらしいフェアリーと念話を通じながらカタリナが先頭で案内役をしつつ、一行は間も無く妖精の里に辿り着かんとするところだ。
 だが既に先行して辿り着いているらしいフェアリーとこの数時間連絡が取れておらず、何事かあったのかとカタリナは内心気が気ではなかった。
 道に迷う心配はなかった。木々の間から漂ってくる、樹木の燃えた臭い。そして結界が消滅したことによるのだろう、半分以上崩れ落ちながらもその姿を遠くから視認することができる大樹の幹。
 その無残な姿に心を痛めながら、カタリナは後続メンバーを先導しつつ大樹を目指した。
 大樹に近付くにつれ、木々が少なくなって行く。それらの殆どは、燃え尽きたことにより倒れていた。そして倒れた木々のその中に、事切れた妖精族の亡骸が散見される。特に戦士として名高いアールヴと見受けられるものもある。
 カタリナはその姿を見て苦渋に顔を歪ませ、そして立ち止まった。

「どうしましたか、カタリナ様」

 彼女のすぐ後ろをついて来ていたフォックスが語りかけると、カタリナは言葉を発せず、代わりに口元に人差し指を当てる仕草で答えた。
 それを見たフォックスが後続を止まらせ、物音を立てぬようにと伝える。
 それが直ぐに伝わり足音も聞こえぬようになったところでカタリナが注意深く周囲の気配を探る。
 魔物の気配を感じるわけではない。それ以外の一縷の望みに賭けたのだ。

「・・・・・・」

 暫し息を殺して立ち尽くしていたカタリナは、突如弾かれたようにそれまでとは明後日の方向に走り出す。
 それを周囲が何事かと見ていると、カタリナは燃え尽きた倒木を持ち上げて脇に投げ捨てつつ、フォックスたちに向かって声を上げた。

「手伝って頂戴!まだ生きている!」

 その言葉に今度はその場の全員がカタリナのもとに駆け寄る。そこには全身に傷と火傷を負い息も絶え絶えの様子の妖精族の戦士の姿があった。
 直ぐ様周囲の倒木も退かされ、付き添った魔術師が生命の水を唱えている横でカタリナはその妖精族に語りかける。

「大丈夫よ、もう安心なさい」

 癒しの水が染み渡るのを感じたのか薄っすらとだが顔色に生気が戻ったその妖精族は、苦しそうにしながらも目を開いてカタリナを見た。

「・・・貴女は・・・長は、花の広場に・・・どうか・・・」

 カタリナを見た妖精族はそれだけ言うと、また直ぐに気を失った。
 カタリナが慌てた様子で隣の術師を見ると、気を失っただけで生きていると告げられ安堵する。
 そして立ち上がった彼女は、同行部隊の中からコリンズを呼んだ。

「場所の見当はついたわ。私は数人連れてそちらに向かう。コリンズたちは、この周辺で生存者の救助作業をお願い」
「・・・分かった。無茶はするなよ」

 カタリナが直ぐ様数名を連れて走り出したのを見送り、コリンズはその場の全員に警戒と救助活動を命じた。

 

 揺蕩う木の葉を切り裂くかの如くに、いとも容易く一振りの度に槍が敵を討ち払っていく。
 槍は周囲の木々を避けるように、また周囲の木々も槍を避けるようにしなり、正確無比にその穂先は敵だけを貫き、打ち上げ、叩き落とす。
 その槍さばきは常人離れした威力と精度を持ち、それがあまつさえ少女の様な姿形のフェアリーから放たれているものであるからか、相対するアウナス術妖はその面妖な様子に慄き狼狽えた。
 だがそれでも、槍を操るフェアリーの表情は固い。其れもその筈で、今現在フェアリーは着実に戦線を圧されていた。周囲に感じられる同胞の気配は、刻一刻と消えていっていた。彼女よりも強く逞しいアールヴの戦士ですら、徐々に圧されている。最早百も残っていない妖精族の戦士に対して相手は此の期に及んで数千に迫る程の軍勢を継続して投入してきており、数の上で圧倒的に不利なのだ。
 彼女らの守る戦線は、いわば最終防衛線のようなものだ。この後ろには密林の中で大樹の次に最も彼女たちが力場を展開するのに適した清廉なる場所があり、そこに長が居る。そこは特に遮蔽物があるわけでもない、一面のひらけた花畑。緊急で結界を作り上げたが、それでどれだけ持つのかも不明だ。いや、「持つ」というのも楽観的な意見かもしれない。フェアリーらが相対するこの有象無象の奥には朱鳥の加護を受けた絡み合う三頭の巨大な大蛇が陣取っており、あれを相手にしては例え一流の戦士揃いのアールヴ族ですら、いくらも持たないであろう。
 視界全面にばら撒かれる発火性の砂を、槍の大回転で防ぐ。だがそれにより方々に散らばって燃えた砂に木々が巻き込まれ、側面から襲う熱にまた一歩後退を余儀なくされる。
 冷静に考えれば考えるほど、この状況は絶望的だった。
 だが、フェアリーは全く諦めるつもりなどない様子で槍を振るい続けた。彼女には、確かに感じられていたのだ。此方に近づいてくる最強の助っ人の気配が。奥に控える大蛇の影響なのか力場が乱れていて遠距離の念話が出来るような状況ではないが、気配だけは読み取ることができた。否、意識せずとも感じられたのだ。

(・・・圧倒的な存在感の塊・・・幾つもの聖王遺物を携えるというのは、ここまで強大な力を得るということ・・・)

 その気配は、真っ直ぐに此方へと向かってきている。
 だから、せめてそこまでは耐えなければならない。例えここで自分が倒れても、長を失わなければ妖精族は何とかなる。そうすればいつか自分はこの世界に渦巻く大いなる力の一部として解けた後、いつか再び別の形で再構成されてこの世に生まれ戻る。
 一際鋭い槍の一閃で三体を纏めて屠ると、フェアリーは歯を食いしばった。

(・・・でも、私は今ここで死にたくはない。もっといろんな・・・この世界のまだ見ぬ場所を私のこの目で見たいの・・・。だから、死にたくない・・・!)

 じりじりと後退する戦線を前にして一切を捨てぬ覚悟を新たに、フェアリーは槍を構えた。

 

「来るわよ、下がって!!」

 カタリナの号令とともに周囲の数人が一斉に後方へと走り、それと同時に巨大な三頭の大蛇が燃え盛る炎を周囲に吐き出す。途端に辺り一面が火の海となり、しかしただ一人その炎の中に残ったカタリナは太刀の一閃で炎を払いのけ、仁王立ちで大蛇と対峙した。
 同行者の一人であったフォックスは、そのあまりに人間離れした様相に普段の冷静な表情もすっかり忘れて魅入ってしまっていた。彼女とて幼い頃から長く荒事に身を置いてきた者として、幾人も「強い人間」には会ってきたつもりだ。そういう意味で言えば今所属しているロアーヌ騎士団の面々も非常に強いと感じたし、そこで将を務めるブラッドレーやコリンズなどは今まで見てきた中でも一流というに不足無い腕を兼ね備えていた。
 だが今彼女の目の前で異形の化け物と戦っている存在は、まるで彼女の知っている『人間』という存在とはかけ離れたものにしか見えなかった。少なくとも今まで彼女は人間が迫り来る炎を太刀の一振りで振り払う姿を見たこともないし、その胴回りだけで自分の身の丈ほどもあるような大蛇三頭に対峙してなお一歩も引かない人間など、それもまた見たことはなかった。あまつさえ彼女はこちらに助けを求めるどころか、危ないので引いていろと言う。確かに実際助けを求められたとしても自分たちでは何が出来るわけでも無いだろうとも思ってしまうが、それでも標的の分散程度にはなるはずだ。しかし、それすらもいらないと彼女はいっているのだ。

「温い。レッドドラゴンの炎の方が余程熱かったわよ?」

 地面で燃え盛る炎を避けるように一足飛びで相手の懐まで入り込み硬い外皮を物ともせず、迫ってきた一頭の大蛇の首を一刀のもとに刎ね飛ばす。そのまま切り離された胴体だけが暫く動き回りながらも次第に緩慢な動きとなり、やがて絶命した。その様子を尻目に半狂乱でカタリナに襲いかかる二頭を、彼女は全く意に介さぬ様子で身軽に駆け回り、避けていく。その様はまるで風を身に纏う精霊の如く、人間離れした光景であった。
 そのまま手にしていた月下美人を納刀したカタリナは懐からマスカレイドを抜き、迫る来る大蛇二頭に向かって少々だけ距離を取って腰を低く構えた。

「さぁ・・・いくわよ、マスカレイド!」

 その言葉と同時、端から見ていたフォックスたちの視界は周囲に燃え盛る炎よりも眩しく、そして赤く染まった。
 そして直後に巨大な何かが倒れる重苦しい地響きと落下音が周囲に響き渡ったかと思えば、先の者と同じく首を刎ねられた残り二頭の大蛇と周囲の燃える木々の上半分が炎ごと斬り飛ばされ、地に落とされていた。
 そして残されたのは、真紅の大剣を手に地面に立つ、カタリナだけだった。
 彼女たちが木陰から見守ってものの数分で、あの異形の化け物との勝負はついてしまったのだ。
 唖然とする周囲を尻目に、マスカレイドを携えたカタリナは周囲に燃え残る炎を忌々しげに一瞥した後、己が打ち倒した大蛇の先を真っ直ぐに見据えた。

(・・・この先にフェアリーも長もいる。月下美人の反応がそれは教えてくれる。あとは突っ切るだけか・・・状況がわからないし、どうしたものかしら・・・)

《カタリナさん!》

 突如として脳内に聞きたくて止まなかった声が響き渡り、カタリナははっとして中空を見上げる。漸くフェアリーからの念話が通じたようだ。状況からして恐らく、今の大蛇が障害となっていたのだろう。

《フェアリー、無事!?》

 恐らくフェアリー達がいるであろう方向を凝視しながらカタリナが思わず声に出しながらそう語りかけると、直ぐに返事は返ってきた。

《はい、長共々なんとか。カタリナさんのおかげで、周囲の敵が統制を失いました》
《そう・・・兎に角無事でよかった。丁度いいわ、今浮いてる?》
《え・・・あ、はい。浮かんでいますが・・・?》

 フェアリーのその念話を感じ取ると、カタリナは一呼吸置いてから手にしたマスカレイドを逆手に持ち直し、天高く掲げた。
 詩人が神王教団の軍勢に対して放ったようなもの程とはいかないだろうが、今のマスカレイドならば相応の威力は出せるはず。彼女はそう考えていた。
 手中のマスカレイドに語りかけるように刀身へと意識を向けると、それに応えるように赤い刀身に仄かな輝きが宿る。
 そのままカタリナは力強く、マスカレイドを地面に突き立てる。その動作は、彼女が神速の二段斬りと並んで十八番としている地を這う衝撃波だ。
 だがマスカレイドから放たれたそれは、これまでのものとは全くの別物だと感じられるほどに強大な衝撃波をその場に瞬時にして生み出した。
 剣の周囲数尺に渡り地面に無数の亀裂が走ったかと思えば、亀裂は轟く断裂音と衝撃波を伴って真っ直ぐ直線上に地を走っていく。

「・・・!!?」

 軍の核となる大蛇を失い統制が取れていなかったアウナス術妖らがその轟音に気付いて背後を振り返った時には、その命運は既に尽き果てていた。衝撃波は進行方向にある全てを飲み込んで燃え盛る密林を突き抜けていく。
 折り重なって響き渡る、幾つもの魔物の断末魔。根元から断絶され地響きと共に倒れる燃えかけの樹木。
 周囲に溢れる朱鳥、そして密林を漂う蒼龍の気を打ち消す様に白虎の力を発現させた衝撃波は、やがて魔物の軍勢を突き抜けた先で漸く止まった。
 宙に浮く自らの足元を走っていった衝撃波の威力をまじまじと見つめたフェアリーは、ふと我に帰って周囲の様子を探った。
 大蛇が討ち取られて以降、仲間に戦死者はいない。後方の長も無事。
 アウナス術妖は大蛇の欠損に加え突如として味方の三割ほどが巨大な衝撃波の餌食となったことに完全に戦意を喪失し、散り散りとなって逃げ始めている。
 それらを見て戦闘が終わった事を悟った彼女は、放心した様に槍を持つ腕をだらりと下げながら、炎ごと吹き飛ばしていった衝撃波の痕を見つめた。

(・・・生き残った。すごい・・・すごい)

 遠くからフェアリーを呼びつつ瓦礫の上を颯爽と走り寄って来たカタリナが彼女の元に辿り着いた時には、彼女はすっかり安心しきった様子でぱたりとカタリナの腕の中に倒れこんだ。

 

 

 明方から一向に太陽が顔を覗かせることなく分厚い雲に覆われ続けた薄暗い空を、ユリアンは一人で棒立ちのまま眺めていた。
 このヤーマスに滞在する様になってから気が付いたことだが、ここは天候の移ろい方が彼の故郷であるシノンと少し似ている。
 あるいは北方に聳える龍峰ルーブが、故郷のタフターン山と同じ様な役割を果たしているのかもしれない。
 だが、己が周囲の移ろい方はこうも予測の付かぬものになろうとは思いもよらなかった。シノンで同じ様な空をぼんやりと眺めていた時分には、まさかそう遠くない未来に自分がシノンから遠く離れた地でこの様な事をしているなどとは想像もつかなかったな、と思い返す。
 立ち姿勢を直そうと左足から右足に重心を変えると、腰に装着しているロングソードが音を立てる。
 それを目で追う様に剣の柄を見つめたユリアンは、今度は状況の変化と共に訪れている自分の中の変革に思いを馳せた。
 今の彼の中には、「彼の知らない記憶」が渦巻いている。
 最初は、戦いの記憶だった。それを最初に自覚したのは、ピドナでのいくつかの作戦行動の最中。
 クラウディウス家所縁の有力者への使者としてマイカン半島中を駆け巡ったり、神王教団ピドナ支部への潜入調査を行った際に戦った妖魔を相手取った時、最早自分の体は以前の自分とは全く変わってしまっていることに気が付いた。
 戦の術は己のこれまでのどの記憶よりも鮮明に自らの体に染み込んでおり、頭は目の前の妖魔がどのような特性を持っているのかを、長年携わってきた森の切り拓き方や農産物の育て方よりも遥かに熟知していた。そしてそれらを駆使し、手にしたロングソードは彼が初めて相対する脅威に対して、これまでに幾百とそうしてきたかのように淀みなく敵を屠った。これまでに無い過度に高度な動きに最初は肉体が大いに悲鳴を上げたが、それを圧倒的に凌駕する意志の力が体を動かした。
 先日ロビンとの戦いの最中に閃いた技こそ独自に編み出したものではあるが、しかしそれも彼の中に渦巻く記憶を元に昇華させた技術の結晶だ。以前の彼ならば、それこそ一生をかけても編み出せたかどうか分からないようなものだ。
斯様な激動の変化の中で、彼が何より恐ろしく感じることが一つある。
 それは、この変化に対し彼自身が不気味な程に冷静である、ということだった。

(・・・俺って、こんなものの見方をする奴だったか・・・?)

 以前の自分なら、今の自分になったらどう思うだろうか。
 そう、きっと先ずは、とても驚くに違いないだろう。そして、その力に自惚れ、はしゃぐこともあったかもしれない。
 今の自分ならば恐らく、世界屈指の精鋭とも謳われるロアーヌ騎士団の現役世代・・・カタリナと同世代の面々にも引けは取らない。いや、寧ろ勝つ自信がある。
 だからこそこんな力があったら、そう、もっと昔からこんな力があったら。次第に、そんな風に考えたかもしれない。

(・・・いや、ないなー。こんな事では変わらない・・・。だから多分、変に冷静なんだな)

 そう考えを改め、再び空を見上げる。
 どれだけ力を手に入れようとも、この空に手が届くことなどないのと同じなのだ。自分の中に巣食うこの無力感は、こんな事で克服されることはないのだろう。むしろ生半可に力を手に入れたからこそ、より一層に思い知らされるような気分だった。

「・・・来てくれたか」

 声に反応して振り返る。
 其処には先日会った時のままの、日中は逆に目立つのではないかと感じられるような格好でロビンが現れた。
 ユリアンが彼の言葉に小さく頷くと、ロビンは彼を促すような仕草をしながら身を翻した。

「既に奴らの動きは確認した。着いて来てくれ。向かいながら説明しよう」

 そう言って歩き始めるロビンについて歩き出しながら、ユリアンは気を引き締め直した。

(・・・流されるままではいけない。俺は、モニカを護る。今はその為に出来る事が、これなんだ)

 決意を新たにしながら倉庫群を屋根伝いに素早く移動するロビンについて行くと、人通りが殆どない倉庫群の一角を前にしてロビンは立ち止まり、身を屈めた。
 それに習ってユリアンが傍に身を屈めると、ロビンは視線で方向を示す。

「あそこだ。明け方の荷捌きの時間に紛れてルーブ山脈の方から運ばれてきたものが、あそこに収容されている。この時間は荷下ろしも何もないから人目につきにくい。取引は間も無くだろう」

 ロビンの言葉に無言で頷いたユリアンは、彼の指示に従い正面と裏手の屋根に飛び移り、双方から人の立ち入りがないかを見張った。
 すると程なくして、商人と思しき格好の人物が一人、裏口から倉庫内に入って行くのをユリアンが確認した。捕縛しに動くかをロビンに視線で問うが、ロビンはまだだと首を振る。それに従いユリアンもじっと待っていると、それから更に幾ばくかの後、水夫の格好をした男が正面から倉庫に入っていった。
 それを視認したロビンはユリアンに即座に立ち位置の合図を送り、慎重に内部へと侵入していった。
 天井の骨組み伝いにロビンが裏口方面から建物内部に消えたのを確認すると、ユリアンは正面入り口に回り込んで周囲に人の気配がないことを再度確認し、内部を覗き込んだ。
 そこには視認した通り二人だけが広い倉庫に積み上げられた荷物の前におり、そのうちの一つを見聞しながら話している様子がうかがえる。ユリアンはそっと聞き耳を立ててみた。

「今回の出荷量は凄いな。試作品だそうだが、一気にばら撒くつもりなのか・・・しかし、これだけ派手にやって大丈夫なのか? こりゃもう正真正銘の麻薬だぜ」
「そうらしいな。今までのものと此奴は、濃度が違う。普通はこんなもん港を通過できねえが、なに、心配するな。こいつはルーブの支配者のお墨付きだ。誰もみちゃいねえよ」
(・・・麻薬、だと・・・!?)

 彼らの会話は、ユリアンにはその大部分が理解できなかった。
 だが少なくとも彼らのそばにあるものが麻薬のようなものであろうと言うことだけは伝わった。
 この手の我慢比べはあまり得意でない事を自覚しているユリアンは、思わず自分が見ていると声高らかに叫びながら飛び出したい衝動に駆られた。
 が、どうやら彼の相方は自分よりもさらに我慢弱い方だった。

「ハハハハ!」
(!!?)

 突然倉庫内に響き渡る高らかなロビンの笑い声に、その場の男二人は心底驚いた様子で周囲に視線を走らせた。ついでに言えば、ユリアンも驚いていた。

「天知る 地知る ロビン知る! 麻薬で人々の体と心をむしばみながら、おのれはぬくぬくと大金を得ようとは、許せん!」
「くそっ、ロビンか!」

 華麗に天井から飛び降りながらロビンがそう言うと、その場の二人は驚いた様子で即座にロビンと反対方面の出口へ駆け出した。
 ここで漸く自分の出番かと物陰から飛び出したユリアンは、まるでユリアンが二人いるかのような残像が残るほど素早い斬り付けにて二人を即座に打ち倒した。

「安心しろ。剣の腹で叩いただけだ」

 崩れ落ちる帆足を尻目に、ふふん、とユリアンはそう言いながら剣を仕舞う。そしてすかさず二人を手近な柱に寄りかからせ、用意してあった縄を用い手慣れた様子で縛り上げた。

「・・・慣れているんだな」
「・・・あぁ、なんか最近、人を縛る機会が多くて」

 以前もピドナで神王教団の連中を縛り上げたことを思い出しながらそういうと、ロビンは何やら若干慌てた様子で自分の額に手を当てた。

「・・・そうか。すまない、少々個人的且つ立ち入ったことを聞いてしまったな」
「いや多分それ勘違いしてるよ、絶対違うよロビンさん」

 彼の人間性の根幹に及びそうな勘違いをしているかもしれないロビンに対して冷静に訂正をユリアンが促しているところで、倉庫の正面入り口から更なる人の気配がした。

「・・・誰だ!」
「おっと・・・まぁ待ってくれ、敵じゃあないよ」

 それにいち早く気付いたロビンが腰のレイピアを抜き放ちながら誰何すると、現れたその人物は敵意がないことを示すように言葉と共に両手を上げながら二人に近づいてきた。
 現れたのは、ポールだった。

「あれ・・・なんだポール、つけていたのか。言ってくれればいいのに、意地が悪いなぁ・・・。ロビンさん、安心してくれ。俺の仲間だ。チャラそうだけど悪い奴じゃない」
「もうね、確実に一言多いよねユリアン君」

 ユリアンの言葉にも警戒を解くことなく切っ先をポールに向けたままのロビンを横目にユリアンと軽口の応酬をしたポールは、そのまま彼らと捕縛された二人の脇にそびえる大量の荷物へと視線を走らせた。

「そう警戒しないでくれよ、ロビンさん。俺の名前はポール、キドラント出身の冒険者だ。ユリアンとは、ピドナから共にここにきた仲間でね。二人に黙ってたのは悪いが、ちと俺もこいつに用があってね。後をつけさせてもらった」

 その言葉に、ロビンも荷物の積まれた方を横目に見やる。

「・・・これがなんだというのだ。これはこやつらが言うには、麻薬だ。これを横取りでもしようというのか」
「はっ。昔の俺なら、そんな狡いことも考えたかもな」

 ポールのそんな軽口にいよいよロビンが警戒心を剥き出しにすると、ユリアンは二人の間を取り持とうとして立ち上がらんとした。
 しかしそれをポールは手で制止し、そのまま最も近くにあった荷物へと歩み寄った。
 荷物はその一つ一つが袋詰めにされており、口を紐で縛られている。
 ポールは徐に懐から小型のナイフを取り出し、一番手前の袋に突き立てた。すると中から、白い粉が流れ出てくる。
 そして彼は何を思ったかその粉をひとつまみし、舐めとった。
 その行動に二人が多少驚きながらも様子を見ていると、ポールは合点がいったようにふむと一つ頷き、そして二人に対してニヤリと笑ってみせた。

「これが麻薬・・・ねぇ。確かにそうなんだろうが、これは何も、麻薬を欲しがる奴のために用意された代物じゃあないようだぜ」

 ポールのその言葉に二人が首を傾げていると、ポールはそこから後退るように数歩離れ、腕を組んだ。

「ちっと舐めるだけなら何でもない。試しに一舐めしてみなよ」

 その様子にお互い顔を見合わせたロビンとユリアンは、一瞬迷った後に物は試しとポールの言葉に従うことにした。
 意を決して二人同時に粉を摘み上げ、ひょいと口に入れる。

「うげぇ、しょっぱ・・・!」
「これは・・・塩、か。いや、しかしなにかおかしいな・・・」

 二人の反応に、ポールは浅く頷く。
 そのまま二人の近くまで歩み寄り、そして積み上げられた荷物へと目をやった。

「その通り。此奴は、塩だ。いや・・・正確には塩に見せかけた麻薬、なんだろうな」
「・・・確かに、通常の塩とは思えない雑味というか、薄い感じがする。しかしこれでは、麻薬成分が入っているとしても、抑もの麻薬としての価値は・・・」

 ロビンがポールの言葉に反応しながら首を傾げていると、丁度そこで、気を失っていた二人が呻き声を上げながら目を覚ました。

「・・・さて、あとは彼らに色々と話を伺うこととしようか」

 囚われの二人に歩み寄ったポールは、懐から小型のナイフや小さなハンマーを取り出しながらにやりと笑ってみせた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・2 -ヤーマスでの作戦-

 光の届かぬ無限に続くようにも思える深い深い闇の底で、何かがずるり、と蠢く気配があった。
 その気配は、複数。それらの気配は其々が、まるで長き眠りから覚めたばかりのように緩慢な動きで起き上がる。
 ふと、その場に炎が灯る。それは赤く、しかし業深き深淵の炎。

「・・・動き出したようじゃ」
「・・・そのようだ。やはりこうでなくては、な」
「・・・結局お前は自分で殺したいだけか。ではもう僕は好きにさせてもらう」
「・・・私もそうさせて貰うわ」

 短い会話の後にその場から二つの気配が消えると、後に残ったのは炎に照らされた醜い顔の老人と、その影に僅かに映る巨躯。

「・・・此度の宿命の子が何を齎すのか、見ものじゃな」
「・・・何れにせよ、今回で終わらせる」

 そう言ってさらに一つ気配が消え、その場には炎と老人だけが残された。

「・・・どれ、まずは彼奴かの」

 その呟きとともに炎が消え、その場には再び闇が舞い戻った。

 

 

 メッサーナ以北にはツヴァイク公国をはじめとした幾つかの都市国家が群立しているが、その中でも最も流通が栄えているのは、間違いなく商都ヤーマスであろう。
 かの有名な聖王による魔龍公ビューネイ討伐の片翼を担った巨竜ドーラが住んでいたとされる竜峰ルーブを中心とするルーブ地方の玄関口として静海を臨む巨大な港を有したこの都市国家は、ウィルミントンに居を構えるフルブライト商会に勝るとも劣らぬ一大企業、ドフォーレ商会の齎す恩恵によって嘗てない旺盛を極めていた。
 単独事業として世界経済に大きく影響を与えている各地の陸海運企業を抑えて世界最大商会フルブライトと凌ぎを削るドフォーレは、その強引な商談スタイルが持ち味だ。その剛腕にて周辺の企業を次々と傘下に加え、ここ最近で瞬く間に巨大企業となった。
 だがその強引な姿勢の裏にはあまり良くない噂も絶えず、企業イメージとしてはフルブライトよりも数段劣るというのが経済界での認識だった。
 特に近年問題が表面化してきている薬物の密輸に関する流通経路の不透明さの裏にドフォーレのマーケットが絡んでいるという噂が実しやかに囁かれており、声を大にして言えば潰されるのでどこも言わぬものの、これを危惧する企業は非常に多い。

「んでまぁ、それを叩く為のネタ探しと、あわよくばドフォーレの弱体化ってのが俺らの今回のミッションってわけよ」
「ってわけなのよ」
「なんだかわくわくしますわね」
「あたしはもうちょっと派手な仕事の方がいいかなぁ」
「で・・・具体的には何をすればいいんだ?」

 ヤーマスの中心街の裏路地に位置するパブ・シーホークのカウンターの隅で、五人の男女が周囲の喧騒に紛れてひっそりとグラスを傾けていた。相変わらずのラフな格好にバンダナ姿のポールを筆頭に、特徴的な緑髪を掻き上げながらそれとなく周囲の警戒を怠らないユリアン。そしてその隣には煌びやかな美しい金髪を後ろで纏め、眼鏡をかけて一応の変装を施しているモニカがおり、あとはカーソン姉妹が仲良くグリッシーニを摘まみながら話に花を咲かせている。
 流石にルーブ随一の商都だけあってか中心街の賑わいはピドナのメインストリートにも匹敵するほどで、昼間からこのパブシーホークも喧噪に包まれており、彼らの声が他のテーブルにまで届くことはない。

「んー・・・このヤマに関してはちょっとした当てがないわけじゃあないんだが、でも先ずはがっつり聞き込みだな。俺はここを拠点にこの街のメインエージェントを見つけて接触を図るから、ユリアンとモニカさ・・・あー、モニカ。んでエレンとサラは二人一組に分かれてドフォーレに関する話を中心に兎に角なんでもいいから町中から集めてくれ。その辺の鼻はサラが効くだろうから、ユリアン組はドフォーレ関連以外でも何か役に立ちそうな情報がないか、街中洗ってみてくれ」

 ポールの指示に、にっこりと微笑むモニカを筆頭に四人はこくりと頷く。
 途中でポールが言い淀んだのは、ここに来るまでの間に五人で話し合ったことを慣れぬながらも実行した結果である。他の全員がお互いをそのまま名前や愛称で呼んでいるのに対し、モニカのみが敬称付で呼ばれている現状を本人が非常に嫌がった。なのでうっかり敬称をつけそうになった瞬間モニカの突き刺すような視線に気がつき、言い直したと言う訳なのだ。

「何かあればここで落ち合おう。じゃあみんな、よろしく頼むぜ」

 ポールの言葉に各々が返事を返し、そのまま程なくしてグラスを空けて店を出て行く。それを見届けたポールは、自分もジョッキを空にした後に腕を組み、一つ唸った。

「さて、と。どうやって絡めるかねぇ・・・」

 

 

「ドフォーレか。俺も以前あそこの仕事は受けたことがあるが、地上げ屋紛いでいい気のする仕事じゃあなかったな。金払いはいいから何回かやったが」

 昼下がりの職人通り。長い歴史を誇る幾つもの工房が建ち並ぶ一角に聳えるレオナルド工房のロビーは、中央通りの喧騒が嘘のように静かなものだった。
 装備のメンテナンスの為に訪れていたハリードが愛用の曲刀の手入れをしながらそう言うと、テーブルの向かいに腰掛けたシャールは此方も槍の手入れをしながら応えた。

「神王教団に関する余罪を洗っている中で、件の企業との裏取引を匂わせる資料が出てきたそうだ。この件についてはトーマスが近衛軍団にフルブライト商会と合同で後追いをする旨を進言し、公式に捜査協力をしているそうだ」
「ルートヴィッヒがよく首を縦に振ったな」

 ハリードが顔を上げると、シャールは肩を竦めてみせる。それに合わせて、彼の右腕の銀の手がかしゃりと音を立てた。

「そこまで手が回らない、というのが実情だろう。一般市民へと向けた表向きの体裁は見事に情報操作をして見せているが、内部は未だ細かい火消しに躍起になっているようだ。あやつらとて自分達で手をつけたいのであろうが、手も回らん上にフルブライトの名を出されては首を縦に振らぬわけにもいかなかったのだろう」
「・・・そんなところだろうな。それを分かっていて如何にも親切心を装いながら申し出るトーマスの顔が目に浮かぶ。俺は彼奴こそ一番敵に回したくないと心底思うね」

 ハリードがニヤリと笑いながらそう言うと、シャールもそれには心底同意すると言いながら微かに笑う。

「・・・でも、なんでその調査メンバーにサラやモニカが入ってるの。遊べなくてつまんない」

 男二人の間に位置するところで言葉通り詰まらなそうに足を組んで座っていたキャンディが首を傾げながらそう言うと、ハリードは磨き終えた曲刀を鞘に納めながら彼女に視線を向けた。

「サラに関してはポールと組んで、現地で懐柔できる企業はその場で回収するためだろう。あの娘も、どうやら姉より随分とその辺の頭の回転が早いようだ。トーマスにだいぶ仕込まれたな。ありゃあ将来は化けるぞ」
「ふぅん・・・」

 ハリードの意見にもキャンディが引き続き詰まらなそうに答えると、そんな様子は御構い無しにハリードの言葉が続く。

「寧ろ、その辺のノウハウが何もないユリアンをモニカ姫までつけて同行者に指名したポールの方が、俺にはよくわからんけどな」
「・・・確かにな。だが今回のミッションにはユリアンこそ適任だとポール自身は言っていた。てっきりあの男の事だから、そこはフェアリーあたりを指名すると思ったのは私もだがな」

 シャールの物言いに、間違いないと笑って答えるハリード。
 すると、丁度一仕事終えた様子のノーラが地下の工房から上がってきた。石造りの階段を軽快に鳴らす特注ブーツの音で誰が上がってくるのかがすぐ分かったのか、キャンディは彼女の声がかかる前に立ち上がっていた。

「親方、紅茶?」
「うん、宜しく」

 キャンディが紅茶を淹れに席を外すと、ノーラはキャンディが座っていた椅子に勢いよく腰を掛けて一息ついた。そのまま背伸びをするとバキバキと彼女の節々各所が大きく音を立てる。そうして体にたまった疲労を放出するように大きくのびを終えたノーラは、改めてその場の面々に視線を向けた。

「メンテ終わったのに二人して帰らず、なんの話をしていたんだい?」
「なに、ポールたちの作戦はどうなのかを話していただけだ」

 シャールの返答にあぁと反応したノーラの横に丁度ポットと茶器一式を持って戻ってきたキャンディは、トレーをテーブルに置いて慣れた手つきで茶器を展開しながらその場の三人の話に耳を傾ける。

「あぁ、ヤーマスのやつね。ドフォーレ商会でしょ?結果断ったけど、うちも取引を持ちかけられたことはあったよ。あそこ、自社でも工房もっているしね。結構大きいはず」
「・・・結構も何も、あそこの武器工房は規模だけならここ以上だよ、親方」
「へぇ、そうなのかい?」

 不意にキャンディから言われた内容にノーラが感心したように返事をすると、キャンディはくるくるとポットを揺らしながら言葉を続けた。

「あそこは表向きは地続きのランスやバンガードあたりが大きな取引相手だけど、大手商会の中で唯一自社海運を持っているから、実はかなり低コストで内海を抜けれるの。だから頻繁にナジュまで行って直通取引も行っているよ。神王教団を中心としてナジュ交易品の北部流通もあそこが一手に引き受けていたはず。当然、武具関連も。ハマール湖の戦いで何故現地の民が当時の王国軍に渡り合える武具を揃えられたかっていうと、ここが大きく関与しているんだよね。まぁリブロフに頼るわけにもいかなかったのは分かるけど、でもそのせいで現地の商会の影響力は・・・」

 ノーラの愛用カップへと紅茶を注ぎながら言葉を続けていたキャンディは、そこではっと我に返って周囲に視線を走らせる。
 そこには、ノーラをはじめとしたその場の三人の非常に物珍しげなものを見るような視線が自分に注がれている光景がまっていた。

「・・・あ、こ、これお得意さんの行商人の受け売りね」
「へぇ、うちのお得意さんは随分その道に明るいみたいだねぇ」

 態とらしく感心したようにノーラがそう言うと、ハリードとシャールも大げさに頷いて同意してみせた。

「ねぇ、それトーマスに共有できる話があるかもしれないよ。もう少しキャンディがその行商人から聞いたっていう話、聞かせてくれる?」
「・・・べ、べつにいいけど」

 ノーラに正面から言われ、キャンディは少し視線を泳がせた後にどもり気味にそう答える。

「・・・あ、あくまでもこれは行商人から聞いただけだからね!」

 しつこく前置きをそのように重ねてから、キャンディは語り出した。
 現在の世界には大きく分けて3つの商会勢力が存在し、それは筆頭であり最も長い歴史を持つフルブライト商会、リブロフに拠点を置くラザイエフ商会、そしてドフォーレ商会の三社である。
 だがこの構図になったのは割りかし昨今のことであり、死蝕以後になってこのような構図が形成された。死蝕以前は世界経済はフルブライトの絶対天下であり、ラザイエフ商会はピドナにほど近いことを理由に栄えたものの、聖王所縁のフルブライトには及ばぬ永遠の二番手のような立ち位置であったという。
 また当時のピドナにはクラウディウス商会もあり、ラザイエフとほとんど同じ規模の商会であった。
 ここで死蝕後に一気に膨大な資金力を保有して台頭してきたのが、ドフォーレ商会だった。
 その取扱品目はルーブの良質な鉱石を用いた武具に始まり、フルブライトをも凌ぐ西大洋からの豊富な海産物と資源。そして聖王の時代に取扱禁忌とされ表には出回らぬ幾つかの違法物資をも保有しているとの噂が付き纏った。

「でも何よりドフォーレが大きく資金力を伸ばした最大の要因は、塩だよ」
「・・・塩?」
「そう、塩」

 ノーラが首を傾げながらそういうと、キャンディは大まじめに頷きながら続ける。
 毎日の食卓に欠かせない塩は、世界の中心たるピドナなら中央市場で当たり前のように取引されている。だがこれらの塩をどの様に調達しているのかと言えば、そのほとんどは輸入に頼っているのが現状であった。
 世界各地に供給される最も一般的な製塩法は海水を濃縮し煮詰めて作る方式だ。降雨の比較的少ない地域には塩田もあるが、海棲の魔物を警戒する必要性から人件費が掛かってしまう。故に、大抵の都市国家は前者の方法で製塩する。だがこの製法は単純な工程で言えば塩田に比べ燃料や道具を要するので矢張り少なからずコストがかかり、大量製塩がし辛い。故に古来より塩は単価が安定して高く、各都市国家の主たる国家事業として供給されていた。
 そこに突然大量の良質の塩を安価に供給し始めたのが、ドフォーレ商会だった。
 それまで発見されていなかった大規模な塩鉱をヤーマス近郊にて採掘することに成功したドフォーレ商会は、これを主軸に一気に世界中の塩の価格を塗り替え無名の商会からフルブライト商会にも迫るほどの規模へと拡大したのだ。
 さらにこれを助けるかのように世界各地の海岸沿いの塩田は降雨が増えたり魔物の出没が相次ぐなどし、かのフルブライトもガーター半島西岸に構えていた塩田を放棄せざるを得ない事態にまでなった。これにより、自力で安定した塩の供給を行える国家は乾燥地帯に塩湖を保有するナジュと規模こそ小さいものの自国供給を賄うには足るだけの岩塩鉱山を領内に所有するツヴァイクのみとなり、それ以外の国で供給される塩のおよそ三割強もの量がドフォーレと取引するものとなったのだ。
 このような背景により、ドフォーレの資金力は圧倒的な勢いで伸びていった。

「今回のドフォーレに関する調査にルートヴィッヒ団長さんが本当に噛みたかった理由も、まぁ間違いなくこれだよね。仮に近衛軍団がドフォーレの塩鉱を支配下に置けたら、それはもう世界を牛耳るに等しいよ」
「・・・成る程な。まさかトーマス殿は、ここまで読んでこの状況を優先して作ったのか・・・?」

 シャールが驚きを隠さずに舌を巻く。その様子を見てなぜか得意げにふふんと言いながら腕を組んだキャンディは、そこでふと持ち上げた人差し指を顎に当てながら、考えるような仕草をした。

「でも今回ヤーマスに向かったポールは、なんかトーマスさんの思惑とは別の展開を目論んでいるように思えたんだよね」
「別の展開・・・?」

 ハリードがそういうのに合わせて再度三人がキャンディに視線を向けると、キャンディは肩を竦め、確信はないけど・・・と前置きをしながら口を開いた。

 

 

 神王教団の出城奇襲から数えて五日の後、ミカエル率いるロアーヌ騎士団本隊はナジュ砂漠へと陣を展開していた。
 奇襲より三日後には出城に到着していたロアーヌ軍本隊はシーフギルドを中心に編成した斥候の調査にて近隣に潜伏して体勢立て直しを図っていた神王教団軍の駐屯地を発見。即座に追撃戦を展開した。
 この際砂漠方面へと後退していく敵軍を追ってアクバー峠の上下に分かれてロアーヌ軍は下から攻め上がる行軍となり地形の利を活かした反撃を受けそうになるものの、ブラッドレーの仕掛けた煙攻めを起点として精強なるロアーヌ騎馬大隊を率いるコリンズ、パットンの疾風の如き猛攻を受け、敵軍の将アクートは敢え無く敗走。
 更に追走を続けるうちに砂漠へと突入したロアーヌ軍は、慣れない気候に苦心しながらも一夜を砂漠にて明かした。
 翌る日、斥候の確認で前方に神王教団軍が陣を張り待ち構えていることを確認したミカエルは開戦を目前に最後の軍議を開いていた。

「斥候隊の偵察によれば相手軍は凡そ四千。我が軍は砂漠行軍のために全体を三千に絞っている。総数で不利であり、且つ慣れない気候で兵の士気もコントロールは平時に比べ困難であることが予測される。正面から消耗戦を挑んでは勝ち目はない」

 ブラッドレーの状況説明に、その場に集まった将たちは低く唸り声を上げる。
 その場に集まったのはミカエルを筆頭に、現在のロアーヌ騎士団主力陣であるブラッドレー、コリンズ、パットン。斥候や密偵を主とし戦場では弓兵で主に構成されるシーフギルドのフォックス。
 そして、先の神王教団による出城奇襲戦の際に絶体絶命の危機に瀕していたロアーヌ軍を救ったことで直々にミカエルから声を掛けられ客将としてロアーヌ軍に招かれていた、聖王記詠みを自称する謎の人物、詩人。
 以上の六人であった。

「・・・一応聞いておくが、詩人さんよ。あのすげーやつは、暫く使えないんだよな?」

 コリンズが頭を掻きながら丁度彼の正面あたりに立っている特徴的な服装に身を包んだ詩人にそう問いかけると、彼は即座にこくりと頷いた。

「はい、残念ながら私は本来の使用者足り得ませんので。再度の行使には、この七星剣が自然に光を取り戻すのを待つしかありません。天空にほど近い適度な高度の山の山頂で満天の夜空に掲げ続け、まぁ三年ってところでしょうか?」

 実に軽妙に言い切る彼の様子に、その威力を知るコリンズとブラッドレーは惜しそうに溜息をつく。
 詩人が神王教団に対して放った想像を絶する威力の衝撃波は、聖王遺物の一つである七星剣の力によるものであった。今もまた煌びやかな柄を見せている七星剣は、確かにあの戦場にあった時のような圧倒的な威圧感を有してはいない。
 そこに手元の地図を見ながら次に口を開いたのは、フォックスだった。

「あと、少々気になる編成が相手に。前列は砂漠での戦闘を想定した軽装歩兵装備で間違いないのですが、後方に明らかに戦闘装束とは考え難いローブに身を包んだ集団を確認しました。念のため宮廷魔術師に探ってもらいましたが、魔術兵団というわけでもないようです。ですので単に相手の宗教的な理由による編成かも知れませんが・・・いい予感はしません」
「んなもん構わず突撃!・・・って言いたいとこだが、用心は欠かしちゃいけないな。ブラッドレー、なんか案はねーのかよ?」

 フォックスの言葉を繋いでパットンがブラッドレーに振り直すと、彼は腕を組んで唸った。慣れぬ戦地な上に数が不利であるという状況に、己の持ちうる戦術のどれが通用するのかどうかを考えているのだろう。

「本来、数的不利は地形と陣形で補うのがセオリーだが、今回は戦地も慣れぬ。そして相手の情報が不足しているので、これまでの様に尖った戦術も打ち辛い。分かっているのは、間違いなく相手より我々の方がこの地での戦には慣れていない、という事だ。いくつも戦術の変更をしていられる時間も体力もない」

 そこまで言って困った様にブラッドレーはミカエルに視線を向けた。
 砦制圧に至るまでのこれまでの戦で主に作戦を決めてきたのは、ミカエルだ。彼の意見を聞きたいと思ったのだろう。
 それを察したのか、ミカエルは地図へと視線を落としながら皆に傾けていた意識を戻し、ふむ、と一つ息をついた。

「・・・以前、聞いたことがある。あやつらの戦法・・・実に邪教らしい、悍ましい戦法を」

 それは、十年前のハマール湖での戦いだった。
 ティベリウス率いる神王教団と民間義勇兵、そしてナジュ王国との間に起こった戦。
 この戦いにおいて神王教団が王国軍に勝利したのは、傍から見ればとんでもない偶然の賜物、それこそ神の起こしたる奇跡と言ってもおかしくないくらいに通常では考えられない結果だった。
 何しろそれまで碌に武器を手に取ったこともない様な民間人と宗教家が、しっかりとした兵装を施し訓練もされていた王国軍を打ち負かしたと言うのだから、俄かには信じ難いことだ。
 しかし奇跡は起き、神の導きにより神王教団はこの戦争(聖戦、と彼らは呼ぶ)に勝利した。
 だが当時の一部の者、主にナジュ王国軍の生き残りは、その奇跡がどの様にして齎されたものであるのかを目の当たりにし、震え慄いた。
 ナジュの王国城下町でゲリラ戦を展開していた神王教団は、交戦中に王国軍の中に建物の上から飛び込み、神に祈りを捧げながら次々に爆ぜたのだという。

「人間・・・爆弾・・・?」
「そうだ」

 ミカエルはコリンズの言葉を肯定しながら、言葉を続けた。

「信者は体から火を噴きながら爆ぜ、周囲の王国兵数十人を瞬時に道連れに焼き尽くしたという。市街地でのゲリラ戦でこれを防げなかったナジュ王国軍は隊列も瓦解し、自ら望んで命を絶つ信者たちに恐れ慄き、敗走したのだ。恐らくフォックスのいうローブの集団は、これの可能性が高い」

 あまりに狂ったその戦法に、その場の騎士たちは低く唸った。

「・・・しかしそうなると、その戦法は市街地のゲリラ戦だからこそ効果的であったもので、この戦場では奇襲も使えない分効果は薄いですね。分かっていれば怖くはなさそうだ」

 ブラッドレーが顔を上げてそう言うと、ミカエルはそれに頷いた。
 するとそこで、詩人が遠慮がちに片手を挙げる。
 それに反応したミカエルが視線で発言を促すと、詩人はこほんと咳払いをしてから、得意げに言葉を発した。

「因みにその爆弾兵、多分射抜けば爆発しますよ」
「なんと・・・それは本当か詩人殿!」

 パットンが驚きながらそう言うと、詩人は浅く頷いた。

「着込んだローブの下は、火星の砂あたりをベースにした火薬でしょう。そしてそれの着火剤は、彼らの体内に渦巻く炎。ローブ姿の信者たちは恐らく人間ではありません。アウナス術妖と呼ばれる魔物だと思われます。奴は体に傷を負うと炎が吹き出し、傷を覆います。それが火薬に引火し、爆発する。ですので、射抜けば爆ぜるはずです」

 アウナス術妖という言葉に、ミカエルはぴくりと眉を動かす。唐突に出てきた四魔貴族の名前と神王教団に、なにか関係性があるということなのだろうか。
 だがそれより更に気になるのは、何故そのような情報をこの聖王記詠みが知っているのかということだ。
 まるでそれらを相手に戦ったことがあるかのような口ぶりに、ともすれば彼はハマール湖の戦いを経験した人物か何かなのかという予測がミカエルの脳裏を過る。
 それを確かめようと口を開きかけたところで、しかしそれは外から大慌ての様子で幕舎へと駆け込んできた斥候の報告に防がれた。

「ご報告いたします!先刻、敵陣にて大規模な爆発が発生!!並びに、白旗を掲げながらこちらへと向かってくる人影が確認されています!」
「・・・ふふ、どうやら戦をせずに済みそうですよ、ミカエル侯」

 詩人が斥候の報告を受けて突然そのように言い出すと、その場の全員が全く状況が分からないとでもいうように彼を見返した。

「いえ、ね。今のこの戦とは全くの別件ですが、つい最近、神王教団教長ティベリウス殿に直談判をした知り合いがいましてね。この戦の事も随分と憂いていたので、このタイミングなら使者も恐らくその人物でしょう」
「へぇ、その人物っていうのは・・・?」

 コリンズが首を傾げながら聞き返すと、詩人はいたずら好きな子供がするそれのようににんまりと笑顔を作りながら肩を竦めた。

「それは、相対してからのお楽しみ、としましょう」
「ミカエル様を前に無礼な!・・・っていいたいところだが、この御仁の言うことには不思議と怒る気が起きんな・・・。如何いたしますか、ミカエル様」

 パットンがそう言ってミカエルに視線を投げると、ミカエルはふっと笑ってから斥候へと視線を向けた。

「どうもこうも、行くしかあるまい。案内せよ」
「はっ!」

 畏まって敬礼し幕舎からでる斥候に続き、その場の全員が後に続いた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第五章・幕間 -拡大する戦線-

 

「退け、退けぇーー!!」

 幾重にも折り重なって飛び交う怒号の中、リブロフ軍指揮官ヴラドが無念を多分に滲ませながら全軍退却を叫ぶ。それを耳にしたラッパ兵がそれもやむなしと言わんばかりに即座に全軍退却を知らせる合図を甲高い金管音で鳴り響かせると、最早隊列すら保てなくなりつつあったリブロフ軍前線兵士達は命からがらと言った様子でその場から後退していった。
 その様子を自軍後方から確認して不要な後追いは控えるよう指示を飛ばしたミカエルは、並行して直様野営に適した場所を周囲から探ってくるよう斥候を飛ばした。
 目前の戦に決着はついたが、現在進軍している進路の先に控えるリブロフ軍の出城の攻略に早急に着手するため、早急に軍議を開かねばならないのだ。
 それに先立ち各部隊からの損害状況についてミカエルが報告を受けているところへ、派手に泥で汚れた鎧をいくらも気にする事もなく、ズカズカとミカエルの元まで歩み寄ってくる青年がいた。
 今回の作戦の最前衛を務めた、コリンズ部隊長だった。

「ミカエル様!騎士コリンズ、ただいま前線より帰還いたしました!」

 そう言ってにこやかにロアーヌ式敬礼をするコリンズを見て、ミカエルは彼にしては珍しく口の端を少し上に曲げながら労う様に彼の肩に手を載せた。
 その拍子に鎧に飛び散っている泥がミカエルの手や衣服にも付着するが、その様な事はお互い気にしていない様だ。

「コリンズ。此度の作戦、本当に良くやってくれた。お主の疾風の如き速攻突撃がなければ戦線は伸び、我が軍のこの地での被害は多大なものとなっていただろう」
「いえ、昔っから私が得意なのは速攻ですから、その旨を覚えていただいていた上でご拝命いただけて光栄でした。むしろあそこでミカエル様が相手の思惑を察知し沼地を速攻で越える進軍を指示してくれなければ、我々は足場の悪い沼地で抑えられて大打撃を被っておりましたでしょう。しかし沼地を越えることに集中しすぎて、衝突後のニノ手は我ながら切れに欠けました。こんな事ではまたカタリナに怒られ・・・あ」

 褒められて照れ笑いを浮かべながら上機嫌に喋っていたコリンズは、思わずそこで口を閉じた。
 周囲に控えていた騎士達も思わずぎょっとした表情をしたが、しかし目の前のミカエルは何ら気にした素振りはない。
 そのまま有耶無耶に笑ってごまかしながらコリンズが下がっていくと、ミカエルは周囲に一時間後の軍議を指示して幕舎へと向かった。

「馬鹿かお前・・・!侯爵様の前であいつの話はご法度だろうが・・・っ!」

 近くに控えていた同期の騎士であるライブラに小突かれると、コリンズは己の失態を誤魔化す様に頭を掻いた。

「いやー、すまんすまん・・・つい・・・な。しかし、ミカエル様は本当に大丈夫なのだろうか・・・。我々のようなものが心配しても仕方ないのだろうが・・・最も信頼していた部下が国宝と共に手元を離れ、最愛の妹君を不慮の事故で失った。だというのに、まるでそのようなことなど一切なかったかのようにこれほど迄に力強く精力的に活動なされている。むしろ、旺盛に過ぎると言っていい様にも感じられる・・・。いつかお倒れになってしまいやしないかと・・・な」
「・・・こら、無駄口を叩いているでない!持ち場に戻らぬか!」

 コリンズとライブラの背後から、突然声が掛かる。二人がそれに驚いて慌てて敬礼をしながら振り向くと、そこには彼らの上官であり本遠征の本陣指揮を任されているラドム将軍が立っていた。

「失礼いたしました!持ち場に戻ります!」

 二人が大慌てでその場を去るとラドムは二人を見送りながらため息を一つつき、ミカエルのいる幕舎へと入った。

「・・・失礼します。ミカエル様、ラドム、ただいま戻りました」
「ラドムか。此度の作戦もご苦労だった。後方の安定感は流石だったな」

 卓上に広げられている斥候によって細かく書き込まれた地図を眺めていたミカエルは、ラドムに労いの言葉をかけながらテーブルに手をついて立ち上がった。
 するとその瞬間、体重をかけていた手が滑り、ミカエルは思わずバランスを崩して地面に膝をついてしまう。

「ミカエル様・・・!」

 直ぐさま駆け寄り、慌ててミカエルの体を支えるラドム。
 ミカエルの体は騎士達と同じく鍛え上げられているはずなのに、ラドムには酷く軽く感じられた。
 ミカエルの肩を支えながら椅子に座らせ、近くに用意されていた水を手繰り寄せる。そして香りを掻いで一口のみ、毒味をする。これはフランツ侯暗殺以来の、ロアーヌ臣下の習慣だ。その上で問題ないことを確認すると、ミカエルに一口飲ませた。
 間近から確認できたミカエルの表情には、明らかに疲労が溜まっていることが見て取れた。

「・・・ミカエル様」
「・・・言うな、ラドム」

 何かを言いかけたラドムを、ミカエルはゆっくりと首を横に振りながら遮る。

「一刻も休んでいる暇など、今はないのだ」

 そうとだけ言ったミカエルは、自ら背筋を伸ばして深呼吸すると、もう一度水を口に含んでから立ち上がった。

「予定を早める。十分後に軍議を行うので、各部隊長に通達を」
「・・・畏まりました」

 ミカエルの言葉に沈痛な表情でラドムが頷くと、ミカエルは目を細めながら、腰の高さまで上げた自らの両手に視線を落とし、何かを確かめるように拳を握った。

「なに、私とて自分の体の限界はわかる。そして、私が倒れてしまった場合のリスクも弁えているつもりだ。だから、そうならぬようにお主達には働いてもらうのだ・・・宜しく頼むぞ」
「・・・御意」

 ラドムはミカエルのその言葉に今一度頷くと、踵を返して幕舎を出て行った。
 その背中を見送り、ミカエルはゆっくりと椅子に腰掛け直す。
 するとまた幕舎の外に、微かな人の気配が感じられた。

「・・・フォックスか。入れ」
「・・・お疲れとは思えない察しの良さですね」

 そういいながら入って来たのは、ロアーヌ騎士とは似ても似つかぬ軽装備の、風変わりな女だった。
 フォックスと呼ばれたその女は、懐から丸められた羊皮紙を取り出すと、徐にそれをミカエルに手渡す。

「この先の出城では、リブロフ軍は大型の投石機を城門上に三機配備しています。配置はそこに記しておきました。指揮官はラザールという男で、大した実戦経験もない小物ですが・・・総じるに矢張り、地の利が少々厄介ですね。」

 フォックスがそう言うと、ミカエルは羊皮紙に書き込まれた配置図を眺めながら顎に手を当てた。

「・・・弓兵は用意できるか?」
「正面から行くのですか?・・・畏まりました。お任せください」
「五分後に軍議を行う。それまでに用意できる数は把握できるか?」
「後方に待機させている部隊と斥候を合わせれば、明日の朝には四百程度には」

 フォックスがすらすらと答えるとミカエルはそれに満足そうに頷き、集めるように指示を出した。
 それに応えたフォックスは直ぐにその場を去ろうとしたが、ふと思い出したようにミカエルに振り返る。何事かとミカエルが視線で問いかけると彼女は何枚かの魔力で写しこまれた写真を腰のポーチから取り出し、ミカエルに手渡した。

「忘れてました。ピドナのラビットからです。お元気そうですよ」
「・・・そうか」

 ミカエルが反応薄そうにその写真を受け取ると、フォックスはにこりと笑いながら改めてその場を去って行った。
 手元の写真に視線を落とせば、そこには快活そうな笑顔を覗かせているモニカや、スーツ姿のカタリナ等が写っている。
 どのような場面かは知らないがずいぶんと無防備に写されているような気がするのが多少不安ではあるが、兎に角元気そうである事には間違いない。
 ミカエルはそれらの写真をすぐ懐にしまうと、再び敵陣配置が書き込まれた羊皮紙に視線を戻した。

「・・・失礼します。ミカエル様、もう間も無く軍議のお時間ですが・・・おや、何か良い知らせでもありましたか?」

 数分後に再び幕舎に顔を覗かせたラドムは、珍しくうっすらと目が笑っているミカエルを見てそう問いかけた。

「いや、何でもない・・・よし、軍議を始めよう」

 ミカエルの掛け声と共に外に待機していた部隊長たちが次々に幕舎に入ってくる。
 幕舎中央の卓上に現地の地図と先程フォックスから受け取った投石部隊の配置図を広げ、先刻までの疲れなど微塵も感じさせぬ力強い瞳で以てその場の全員を見渡し、ミカエルは軍議を始めた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ