第四章・7 -悪夢からの帰還-

 

「あ、ミューズさまがおきた!」

 ふと気がつけば、そこは確かな現実の香りがする家屋の一室だった。
 あまり夢見がいいとは言えない寝起きに軽く背伸びをしながら立ち上がったカタリナの視界の先には、心配して集まった子供達に囲まれて疲れたように微笑むミューズと、その脇で自分と同じく夢見悪そうな表情で起き上がるトーマスとシャール。そして心配そうにこちらを見つめるエレン達の姿があった。
 ピドナ旧市街の少し湿っぽい空気を深く吸い込んでゆっくりとはき、見慣れた面々を前にして未知の領域からの無事の帰還に一先ずカタリナは安堵する。

「・・・よう。夢の世界とやらは、どうだった」

 扉の前に背をもたれていたハリードが片眉をあげながら聞くと、それにカタリナは肩を竦めて応える。

「まぁなんというか・・・思いの外、夢のない場所だったわ」

 眩暈を起こしてふらつくトーマスをエレンとサラが助け起こすのを尻目に、カタリナはシャールの右腕に今も輝く銀の手へと視線を向けた。

「・・・気が付いたら、その手甲があった。そいつはなんなんだ?」
「・・・銀の手、よ」

 カタリナの視線を追って疑問を口にしたハリードに、短く返事をする。しかしそれだけで目を細めたハリードは、あれが何なのか分かったようだ。
 それは確かに四人が夢の中を彷徨った確固たる証拠であり、聖王三傑にして初代メッサーナ国王パウルスがクラウディウスの子孫たるミューズに遺した遺産であった。

「まぁ・・・こんなに集まって下さっていたのですね・・・。皆さん、ご迷惑をおかけしました」

 子供達に囲まれていたミューズがハリード達に頭を下げると、ハリードは軽く首を横に振った。

「俺は何もしていない。だから礼には及ばないし・・・それに、まだ終わってなさそうだぜ。今はもう消えたが、お宅らが眠っている間、ここをずっと見ているやつが居た。これについて、何か見当はつくか?」

 返す口でハリードはその言葉をミューズに投げかけたようで、しかし視線は明らかにその横に佇むシャールに向けられていた。

「・・・いや、現段階では思い至らぬ。ところで、貴公は?」

 逆にシャールがハリードに問うと、ハリードは寄りかかった姿勢のまま肩を竦めた。

「ハリード。傭兵だ」
「あ、はじめまして。あたしはエレンっていいます。サラの姉です」

 ついでに名乗りをあげながらエレンがぺこりと頭を下げると、シャールはそれに軽く頷いて応えた。

「なんと、サラ殿の姉君であったか。此度は世話になった」

 そう言ってシャールが二人にも頭を下げると、慌ててそんなことないというエレンをよそに、ハリードが外に視線を投げかけた。

「・・・俺たちが来た時には、おそらく既にここを監視していた奴がいた。これはあくまで俺の勘だが・・・相手はそこの嬢ちゃんか、カタリナ目当てだろう。となれば、聖王遺物狙いだ。つまり・・・神王教団の連中である可能性が高いだろうな」

 ハリードのその言葉に、シャールが疑問符を浮かべながら片眉をつり上げた。

「神王教団の・・・?何故、彼奴らが・・・」

 そう疑問を発したシャールを受けて、ハリードは自分でそれに答えるでもなく、そのままカタリナに視線を投げかける。
 それに小さく頷き、カタリナは自らがピドナを離れたこの二ヶ月あまりで辿り着いた一つの推論を、簡潔にシャール達に話して聞かせた。
 聖王家当主オウディウスとの会談の内容、ハリードの持つ神王教団に関する情報、それに伴って行った聖王遺物の獲得。そして、聖王記に記される『八つの光』の存在が自分を含めてほぼ確認を取れたこと等。
 それらを聞いたシャールは眼光鋭く黙り、ミューズもゴン達の頭を撫でながら目線を細くした。

「・・・私を含む八つの光のことに関してはまだなんとも言えないのですが、兎に角まずは神王教団に探りを入れようと考えています。そこで、教団と政治癒着しているルートヴィッヒとの関係性や昨今の宮廷事情について、ミューズ様らにお話を伺おうと考えていたところだったのです」

 カタリナがそこまで言い終わると、シャールがふぅむと唸りながら口を開く。

「・・・成る程な。確かにそこが暴ければカタリナ殿やノーラ殿の目的達成も近くなるし、ルートヴィッヒ政権の弱体化にもなる。そういう事ならば我々も是非、協力させてもらおう」

 そこでシャール達は場所をミューズの寝室から居間へと移し、シャールは狭いテーブルに人数分の珈琲を用意した。因みに、珈琲が苦手なミューズとサラの分は紅茶だ。
 相変わらず壁に背を預けるハリードを筆頭に其々が一息着くと、さて、と言いながらシャールが語り始めた。

「・・・神王教団がルートヴィッヒによってピドナでの布教を認められたのは、五年前の宮廷制圧直後だ。その後間も無く政治的な後押しとして教団員への各種納税義務の部分的免除等も施行され、似非信者は爆発的に増えたな」
「・・・エグいな。そこまでやっていたのか」

 シャールの言葉にハリードが不機嫌そうに眉をしかめながら応えると、シャールも呆れ顔で首を振った。
 しかしこの時点でのルートヴィッヒの政治手腕は、中々のものだった。
 クレメンス派の急先鋒であり民の信頼が厚かったシャールへの減刑もそうであるが、基本税率を変えずにあえて戦勝特別減税を導入することで軍事制圧による市民の反感を極力抑えながらも、同時に幾つかの法人税の新たな施行によって税収を底上げし、資金調達を実現した。
 更には、それによる商人からの反感増を抑える為に海運•陸運の両方でピドナの商業流通免税符を導入し、逆に流通の活性化を図った。
 それらの初期政策は中長期的視点で組まれた実に軍事侵略者にあるまじき周到な政策であり、共に歩む神王教団と一緒に、ピドナ市民に早々に受け入れられていった。

「そうした中で教団内では説法の時に現政権を讃え、ルートヴィッヒを招いての演説会まで開く始末だ。税率政策とイメージ戦略において癒着というか、最早・・・国家指定宗教に近い」

 そういいながら立ち上がったシャールは、部屋の隅に有る小さな引き戸から数枚の書面を取り出した。

「更に最近の動向は、ピドナ内部に留まらない。本年度からは神王教団の本拠地であるナジュとの連携をより強固とする為に、巡礼特例として信者のピドナ-リブロフ間の月一回までの往復渡航費用免除や、独自の流通経路まで配備された。これは教団支局長のマクシムスの意向らしいな。この辺りはルートヴィッヒがリブロフの軍団長であったところによる強みだな」

 書面の内容を確認しながら語るシャールに、カタリナも思わず肩を竦めた。

「つまり・・・現政権は概ねうまく行っている、ってことなのね」

 カタリナの言葉に、苦々しそうな表情でシャールが同意する。
 武力行使でピドナ上陸を果たしたルートヴィッヒは、不慣れな土地から世論支持を得るのに神王教団を利用し、神王教団側は一気に世界中心都市から布教が可能になったということだ。だがその結果としてピドナの民の暮らしが劣悪化したかと言われれば、今の話を聞く限りでは、そういうわけではないようだ。
 そこでふと、カタリナは考えてしまう。別段政治的に問題が無い現政権を自分たちが崩壊させれば、自分たちの目的が達成されることと引き換えにピドナは五年前の混乱時期まで逆戻りしてしまうのではないか、と。
 それは、果たして世界から見てどう映るのか。
 そんなカタリナの胸の内を表情から読み取ったのか、トーマスが口を開いた。

「・・・現状ではルートヴィッヒ政権は問題なく稼働しているように見えますが、しかし其れはあくまで表面上の話。その裏で国内に響く不協和音はかなり前から指摘されていましたし、既に外面にボロも見え始めていますよ」

 そう言ってトーマスは、シャールの取り出した紙に視線を注いだ。

「例えば法人向けの流通免税符ですが、これには商人の間では導入当初から疑問の声や根強い批判も有りました。特に現状で最も反対派であり、また一番に割りを食っているのが、陸海運です。詳細な金銭の流れは省きますが、この流通免税符導入後の彼らの荷運びによる収益減は著しい上に、止めとばかりに今度は巡礼特例の可決。これは世界中心都市の政治強権を出し過ぎた、と言わざるを得ないでしょう。そして当然ながらその皺寄せは一般旅客に行きますから、昨今の渡航費用は今や一昔前からは考えられないほどの高額となっています。勿論旅客は元より、法人税を出せない小規模商会や個人事業主からもかなりのブーイングが出ています」

 トーマスのその指摘に、カタリナやハリードは感心したように相槌を打つ。
 そのままトーマスは言葉を続けた。

「更には、流通免税符の更新にも例年奉納税の倍ほども費用がかかる上、次回更新によって今後の免税符の効力にはいよいよ特定品目追徴として、加工前後の鉄鋼品に関して軍を通さぬ場合に大幅な課税、ないしは規制がかかる様になるようです。これは中央への武具集約と、それにかかわらない鉄鋼取引の大幅な縮小を招きます。つまり・・・、作られる武具は近衛軍団へ。其れ以外は流通出来ずに廃るのみ。となれば・・・ルートヴィッヒの狙いは、明らかです」

 トーマスの言いたいことが理解出来たのだろう。シャールは憤慨しながら大く表情を歪ませた。
 現状の流通免税符が曲がりなりにも五年の歳月を経て世界中心都市たるピドナで受け入れられてきた以上、其れを覆すのは一商人単位では難しい。そのうえでこの縛りが施行されて其れに反感を示そうにも、もう流通の仕組み自体が免税符有りきで価格設定されてしまっているので、今更引くに引けない状態となってしまっているのだ。
 免税符なしで流通をこなすとすれば、輸送だけで莫大な費用がかかってしまう仕組みとなっているからだ。

「市民単位ではまだ実感しにくい段階ではあるでしょうが、我々商売人が見る経済視点での歪みは最早、危機的状況にあります。現にここ最近では我々の主食である麦を筆頭に、このシステムの影響であまり緩やかとも言い難いペースの値上がりが観測され始めています。それこそ麦の主要生産国の何処かが干ばつの被害にでもあってしまえば、一気に均衡は崩れて暴騰していくでしょう。そうでなくとも年々魔物による作物被害や治安悪化によるコスト増大が、近い将来で間違いなく看過できなくなる。そうなる前に世界経済の多角的な相互補助を可能にする意味でも、ピドナの武力集約によるルートヴィッヒの野望阻止をするためにも、早急に現政権を弱体化、若しくは崩壊させなければなりません」

 トーマスがそこまで喋り切ると、カタリナはこめかみを抑えながら唸った。

「うぅん・・・そうなると、単純に神王教団を潰すことだけ考えればいいっていう話だけじゃあなくなるのね・・・。正直、クーデター起こすつもりで物事を考えないと解決には至らないようね」

 マスカレイド探しがいつの間にか世界中心国家の内部問題にまで及ぶこととなってしまい、カタリナは全くの予想外の展開に思わず天を仰いだ。

「・・・そうですね。それらが全て同時に動いたら良いのでしょうが・・・先ずは神王教団をどうにかして、現政権の弱体化を図るのがいいと思われます。最終的にルートヴィッヒを引きずり落とすのが理想ですが、それには商人はもとより、その根幹となる第一次産業を担う市民の世論も必要ですから、それは段階を踏んでいきつつ、準備を進めるのが良いのではないかと・・・」

 そこで、言葉が止まる。
 全体的な工程はそれで良いだろうというのは分かっているのだが、トーマスを含めたその場の誰にも、現時点からこの工程に着手するための第一手が見つからないのだ。
 如実にそれを表情で語りながら、トーマスはいつもの癖で眼鏡の縁に手をかけた。

「何か・・・現状を切り崩す手掛かりを得られそうな情報があれば良いのですが」

 そしてトーマスが腕を組みながら言うと、シャールはこれに唸りながら応えた。

「・・・ルートヴィッヒは宮廷に篭りきりで、それこそ講演会の時に神王教団に顔を出す程度だ。それとは対照的に神王教団のピドナ支局長であるマクシムスは活動的で、ピドナとナジュをよく行き来しているようだな。しかし具体的に何をしているのかまでは分からぬので、現状はそこに手を打てる箇所がない」

 そこで各々が黙り込んで静かに唸っていると、これまであまり言葉を発していなかったサラが、ふと口を開いた。

「・・・ノーラさんのお父さんが持ち帰った赤珊瑚のピアスとジャッカルのキーワードは、役には立たないのかな」

 そこで、ミューズの隣で大人しくしていたゴンが何かを思い出したように声を上げる。

「あ、おれ、赤いピアスをした人に会った!おれ、その人から薬を貰ったんだ。ミューズ様の病気が治る薬だって聞いて・・・それで・・・」

 そこまで言って、ゴンは気落ちした様子で項垂れた。
 今回の事件の引き金となったのが、このゴンが持ち込んだ薬だったからだ。
 それをミューズが優しく頭を撫でながら慰める横で、シャールがはっと気がついたように顔を上げた。

「赤いピアス・・・。そういえば、教団のマクシムスの周辺の一部連中は、赤いピアスをしていた。この目で見たわけではないが、恐らくマクシムスもしているはずだ」

 ハリードが、それに目を細めながら呟く。

「つまり、今回のがそもそも神王教団が嬢ちゃんを狙った・・・ということだな」
「ほぼ間違いない、でしょうね。正確にはミューズ様の中に眠っていた聖王遺物・・・その銀の手を狙ったのでしょう」

 カタリナがシャールの右手を見ながら言うと、ふむ、と言いながらハリードはまたなにかしら思い当たる節があるような表情をした。

「・・・確か・・・赤珊瑚のピアスってのは、グレートアーチ地方の海賊ジャッカルのトレードマークだったな」

 これには、カタリナとトーマスが思わず同時にハリードに向き直って眉を吊り上げる。
 ここに至り、カタリナがトーマスに相談を持ち込んでから半年近くも不透明であったキーワード二つの繋がりが、漸く分かったのだ。
 そして、それはどうやら神王教団の上層部に直接繋がるものでもあるらしい。
 しかし、それが分かったとしてもなおカタリナは首を捻った。

「・・・でも、確か海賊ジャッカルは十年以上前に死んだ・・・のよね?何かしら・・・その残党が神王教団に入り込んだ、とか?」
「それも可能性として皆無ではないでしょうが、それが事実だとしても、現段階では決め手には欠けますね・・・」

 カタリナと同じ思考に辿り着いたのだろう。トーマスも唸りながら言った。
 そこで、ここまで蚊帳の外の雰囲気であったエレンがポツリとつぶやく。

「っていうか教団のお偉いさんが海賊だったら、いろいろ問題よね。なら、そこが明るみに出たら一発K.Oじゃないの?」

 確かにその通りである。だがそれを聞いて、ハリードがやれやれといった風に大げさに肩を竦める。

「明るみに出たら、な。だが事実は事実だとしても、それをどう明るみに出す? ここでいう明るみってのは、世間やルートヴィッヒが認めるってのとイコールだ。とすれば俺たちがマクシムスとやらを相手に騒ぎ立てたとして、当然マクシムスは否定するだろう。そこでパンピーの言葉と教団支局長の言葉の何方をルートヴィッヒが真実と受け止めるかは、それこそ想像に難くないほど明らかだと思うがな」

 ハリードがいう通り、まさに問題はそこだった。
 赤いピアスをしているというだけで決めつけられる訳でもないし、仮にそれ以外の物的証拠が上がったとしてもそれが明るみにならなければ意味はない。
 生半可なものでは、事実ごと握り潰されるのが目に見えているのだ。
 そこで、シャールが再び口を開いた。

「明るみに出すなら、公の場で確定的証拠を突きつけて暴くしかなかろう。それならば逃げようがない。幸い、ルートヴィッヒは教団の集会に定期的に出席している。これには事前登録をすることで一般市民も参加可能だったはずだ。事を起こすならその辺りか」
「となれば、それまでに確固たる証拠を探し出さねばなりませんね・・・」

 トーマスが相槌を打つと、シャールはそれに頷き返しながら続けた。

「以前、温海地方の海上治安悪化に伴って海賊監視の拠点とするためにエデッサ島の砦が建設された時、視察で向かったことがある。そこでは、ジャッカルとブラックの抗争の話で持ちきりだった。あれから十年以上経つが、当時の海賊ブラックの関係者なら、何か手掛かりを持っているかもしれないな」

 ブラックとは、ピドナの目の前に広がるトリオール海より西の温海、静海地方で最も悪名高き海賊の名前だ。
 主に活動が報告されていた時期はジャッカルと同じく死蝕直後から十年ほど前までであり、商船略奪や魔王時代以前からの遺跡探索等で名を馳せた。
 残虐性はジャッカルと同じながらも、人身売買に手を出したジャッカルを嫌って衝突を繰り返し、その後にジャッカルをその手で殺害したと言われている。
 公式の記録では聖王歴305年に西大洋に向けて出港したのを最後にブラックは消息を絶っており、一説には死蝕によって復活した西大洋の主である魔海候フォルネウスに喰われたのではないか、とも噂されている。
 そんな海賊ブラックの名前が出たところで、エレンはキラリと目を輝かせた。

「つまり、次はグレートアーチでブラックの財宝探索ね!」
「・・・お前は、ここまでの話を聞いていたのか・・・?」

 これ見よがしなほどのハリードの呆れ顔に、エレンは大いに不快感をあらわにする。
 死蝕直後は経済的な大打撃と飢餓に襲われたグレートアーチも、今現在はリゾート地としての様相を取り戻していた。
 そんなグレートアーチの近年の流行というのが、なんと海賊ブラックが温海沿岸に点在する天然洞窟の奥深くに隠したとされる財宝の探索だという。
 ブラックの財宝探索は最早冒険者が行う名物行事であり、近年では観光客向けにツアーのようなものまで組まれる有様だというのだから、リゾート地というものはなんとも逞しいものだ。

「でも、海賊ブラックの関係者を探すんなら、グレートアーチに行く必要はあるんじゃない。そしたらついでにお宝持ち帰って一石二鳥じゃない?」
「・・・ふむ、確かに」

 なんと逆に説得されたハリードに、カタリナとトーマスは思わず眉間を抑える。
 しかし何れにせよ、現状打破の手掛かりを求めてエレンのいう通りにグレートアーチへ向かう必要はありそうだ。

「・・・兎に角、次の目的地は決まったようですね。それでは一度新市街に戻って、皆にも伝えましょう」

 トーマスがそう締め括ると、各々が席から立ち上がった。
 と、そこに一緒に立ち上がったミューズが一歩進み出て、それに同調する様にシャールもカタリナ達に向き合った。

「私達もご一緒させてください。事はルートヴィッヒやアビスにも関わる内容を孕んでいますし・・・何より、今回のご恩も御返ししたく思いますので」
「私もミューズ様と同じ考えだ。それに私の右腕の銀の手が、しきりに告げている。この流れが、世界を大きく変える、と」

 その申し出には、一同が喜んで賛成の意を示す。
 そうと決まれば手早く準備を整えた一行は、子供達と別れて新市街へと歩きだして行った。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第四章・4 -夢魔の誘い-

 

 必死の形相でメインストリートを駆け抜けてきた一人の少年がハンス邸の広い中庭で素振りをしているカタリナを漸く見つけたのは、その翌日の事だった。
 思えばかれこれ数ヶ月前にもなる魔王殿の一件以来、殆ど顔を合わせていなかったその少年-ゴンの突然の登場に、カタリナは素振りを中断して気軽に片手をあげながら久しぶりね等と挨拶をする。
しかしゴンは久しぶりであるとかそんなことはどうでもいいという風に彼女の様子には一切構わずそばまで駆け寄り、カタリナの目の前に立ち止まったかと思うと膝に手を当てて大きく息を吐いた。

「ミューズ様をたすけて!」

 荒い呼吸を無理矢理整えながら開口一番にそう叫んだゴンにカタリナは当然目を丸くし、しかし次の瞬間にはそばにおいて置いた愛用の大剣だけを握りしめ、弾かれる様に旧市街へと向けて走り出していた。

「何よ、ルートヴィッヒが刺客を送ってきたとか!?シャールさんはどうしたの!?」

 驚くピドナの通行人達には構わずに布にくるんだ大剣を軽々背負いながら走るカタリナに、負けじと隣を駆けるゴンが息を切らし気味に答えた。

「シャール様は・・・これからミューズ様をたすけにいくって・・・!」
「攫われたの!?」

 しびれを切らしたカタリナが疲労困憊で走るゴンをひょいと小脇に抱え上げてさらに加速しながら言うと、ゴンは首を横に振った。

「違う・・・ミ、ミューズ様は寝てるんだ。二度と起きないムマの眠りに誘われたんだって、シャール様が・・・!」
「夢魔の眠り・・・?」

 聞き慣れない言葉に眉を潜めたカタリナは、程なくしてピドナ旧市街へと降り立った。
 以前来たときと変わらぬ荒れ果てた様子の街並みを一瞬だけ見渡すと、そのまま周囲の住民達の奇異の視線を物ともせずに、ゴンを小脇に抱えたままミューズ達の住まう家まで駆けていく。
 ゴンの証言だけでは状況はいまいち分からないが、少なくともミューズが危険であるということだけは解るので、今は兎に角急がなければならない。
 だが。
旧市街を駆け抜けるその途中で、カタリナは自分に向けて注がれる異様なまでに不快な視線を感じて、そのおぞましさに思わず急停止をしてしまった。

「・・・・・・」

 即座に気配を感じた自分の斜め後方、最早住居としての機能性を無くすほどに崩れた石造りの家屋の辺りに鋭く視線を走らせる。
 だがそこには一切の人影はなく、ただ下水路から溢れて濁った水溜りに波紋が揺れるだけだった。

「・・・どうしたの?」

 いきなり止まったカタリナを不思議に思ったゴンが尋ねると、カタリナは首を軽く横に振ってもとの道に向き直った。

「なんでもないわ。急ぎましょう」

 確かに自分は今、何者かに見られていた。
 だがその視線の存在は非常に気にはなるが、しかし今はミューズの元へ行くのが先だ。そう判断したカタリナは、またすぐに駆け出した。
 ほぼ一直線に旧市街を駆け抜け間もなく見えてきた見覚えのある家を発見すると、カタリナは走ってきた勢いに任せて荒々しくその戸を開く。

「ミューズ様、シャールさん!」

 屋内に半ば飛び込む様に駆け込みながら叫んだカタリナの目に見えたのは、以前珈琲を頂いた記憶のあるテーブルが設置された居間の先に開いた扉の奥、そこに一人佇んだシャールの姿だった。

「・・・シャールさん?」

 ゆっくりとこちらを振り向くシャールの想定外に落ち着いた様子に、カタリナは怪訝な表情をしながら歩み寄る。
 警戒は解かず周囲を探るように視線を巡らせながら扉をくぐって部屋に入ると、入り口からは見えなかった位置にあるベッドに、なんと海色の豊かな髪を扇形に広げて静かに寝入っているミューズの姿があった。

「・・・カタリナ殿、丁度よかった。私はこれからミューズ様をお助けに行ってくる。その間、恐らく私も無防備になるのでここで見ていてくれないか?」

 シャールの様子にいよいよ眉を潜めたカタリナは寝入っているミューズとシャールを交互に見ながら、メインストリートから小脇に抱えたままだったゴンを床に下ろして尋ねた。

「・・・状況が見えないと了承の返答は、しかねます。状況は多少なりと伺いましたが、ミューズ様が夢魔の眠りに誘われたというのは、どういう事なのですか」

 問いかけるカタリナに、シャールは何かを言おうと口を開きかける。だがそれを幾分躊躇った後に、ベッド脇のテーブルから小瓶を取り上げてカタリナに見せた。

「・・・夢魔の秘薬だ。人の意識の中、精神世界に巣食うと言われる魔物に、この薬を飲んだために今ミューズ様は囚われている」

 シャールのその言葉に、カタリナは自分の記憶の奥底にある引出しを探る様に目を細めた。
 俗に「ナイトメア」とも呼ばれる夢魔という名の魔物は、昔から童話などにもよく登場するため民衆にも認知度の高い魔物だ。
 とは言えそれは伝記上の存在としてのみの認知であり、おとぎ話の上でしか民の中には存在していない。
 だが本来は正真正銘実在する魔物であり、文献によれば今は失われて扱える者の無いはずの冥の術法を用いて作られる秘薬によって誘われる仮想の固有空間をその住処とする、とされている。

「・・・アビスに彩られた固有空間は、迷い込んだ最初の贄によって形を決める・・・。以前私も、本で読んだ事はあります。秘薬の複数人同時摂取による同一空間への侵入は、可能なのですか?」

 カタリナがそう言うと、シャールは多少驚いた様な表情を見せ、次に腕を組んで唸った。

「知っていたか・・・。流石は、と言ったところだな。実際にミューズ様と同じ空間に行けるかは、正直わからぬ。だが、これしか方法がなさそうだからな。何れにせよ精神世界では何が起こるかも不明だから、私が行ってくる。そうなれば私もミューズ様と同じく眠りこけてしまうだろうから、見張りをお願いしたい」

 小瓶を握りしめながら言うシャールに対し、カタリナは数秒の迷いの後にコクリと頷いた。

「・・・恩にきる」

 それだけ言うとシャールは躊躇い無く小瓶の中身に口を付け、それから間もなくその場に崩れ落ちた。
 慌ててシャールの体を支えにかかったカタリナは小瓶の中身が零れない様に同時に支えつつ、シャールをミューズの寝ているベッドの脇に安定させる。
 そうして一息ついてから、あまりの急展開に某然としているゴンに向き直った。

「・・・ゴン、疲れてるところ悪いけど、もう一回商業区まで走れる?」

 状況こそ理解できていないながらも心配そうにミューズとシャールを見つめていたゴンに、カタリナがゆっくりと語りかけた。
 するとゴンは直ぐに反応してカタリナに振り返り、しっかりと頷く。

「オーケー。あそこにはトーマスや強そうな黒いおっさんとかがいるから、誰かに声をかけてここまで連れてきて頂戴。そうしたら私も、シャールさんの後を追うわ」

 カタリナのその言葉に再びしっかりと頷いたゴンは、とっくに体力の限界だろうに休む事なくその場から駆け出していった。
 その頼もしい背中を見送ったカタリナは、思いのほか安らかな寝息だけが微かに聞こえる静かな室内で、手にした小瓶を見つめながら眉を顰めるのだった。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ