第十章・1 -三百年の平和-

 

 聖王歴三百十七年、赤火の月。
 歴史上二度目となった四魔貴族と人類の戦いはここに決し、世界からアビスの脅威は去った。
 この事が世界中に伝わるのに大した時間が掛かることはなく、きっと一ヶ月ほどもすれば世界中が喜びに満ち溢れる事だろう。
 かの聖王記に記されしパウルスの予言、それに導かれし八つの光は見事、その使命を成し遂げた。大いなる邪悪を打ち倒し、アビスの彼方に封じたのだ。
 英雄はこれより各地を凱旋し、大いに民の祝福を受け、三百年先までこの偉業は語り継がれるに違いない。

「・・・そう簡単に、この英雄譚はめでたしめでたし、となるのでしょうかねぇ?」

 暗く陰気な石作りの空間の中で、何者かが呟く。その声色は、どこか愉しげだ。

「かつて歴史上初めて死蝕を生き延びた祝福の子は、長じて破壊を齎す魔王と化した。そして魔王の再来を恐れられた忌み子は、世界を救う聖王となった。さて・・・此度の宿命の子と救世の英雄は一体、何者になるのでしょう」

 一人くすくすと嗤い声を上げ、そこからは見えない空を見上げるような仕草をする。

「サーガは、まだ終わっていませんよね?」

 それは予言か呪いか、はたまた切なる願望か。
 誰にも聞かれることのない孤独な空間で呟かれたその言葉は、間も無く暗闇にひっそりと、跡形もなく溶け落ちていった。

 

 

 再び世界に迫ろうとしていた危機は、パウルスの予言にて示された存在である八つの光によって、見事退けられた。
 最終決戦の場となったのは、メッサーナ王国首都ピドナの旧市街にある魔王殿の奥深く。四魔貴族の一柱である魔戦士公アラケスか守護すると言われる、最も人類生活圏の側にあったアビスゲート。
 人類勝利の知らせはメッサーナ王宮を通じて瞬く間に世界に発信され、世界各地の新聞社も連日この吉報を一面で報じた。
 世界は、文字通り歓喜に包まれた。

 その知らせから、二週間が経っていた。

「それでは皆様・・・本当に、お世話になりました」

 間も無く出航の時間となるキャラック船を背に深々と一礼するモニカに従い、すぐ後ろに控えていたカタリナも深々と礼をする。それを見た隣のユリアンも、釣られてぎこちない礼をした。

「・・・帰りの道中も、どうかお気をつけ下さい」

 そう言いながら少し寂しげに微笑んでみせたトーマスは、礼をした後に俯いたままのユリアンへと視線を移す。

「ユリアン・・・モニカ様をしっかり守ってくれよ。何かあったら、すぐ俺に連絡をくれ」
「・・・あぁ、わかったよトム」

 自分がこうしてトーマスらと別れる状況に、どこか非現実的な感覚を未だに抱いている様子のユリアン。しかしそれでも彼はしっかりとトーマスと視線を交え、力強く頷く。

「カンパニーも、寂しくなりますね」

 何故か当然のように見送り一向に加わりトーマスの横に立っていたフルブライト二十三世が、心底残念そうな顔でカタリナに視線を向ける。
 カタリナはこれに対して会心の出来映えだと自画自賛できるほどの嫌そうな顔で返し、それから一転、今度はニコリと微笑む。

「ご心配なく、フルブライト二十三世様。カンパニーは近く代表権をトーマスに移し、合わせて社名も変更する予定ですので」
「それが残念なのだよ」

 そんな貴方の趣向など知ったことではないのです、と表情で物語りながら、カタリナは恭しく無言で一礼した。

「・・・エレンやハリード様たちは、もう行ったのですね」

 その場で周囲を軽く見渡したモニカが、こちらも少し寂しそうに微笑みながら呟く。

「・・・はい。ただエレンたちとは定期的に連絡を取りますので、何かあればモニカ様にも直ぐにお伝えします」

 トーマスとモニカがそんな話をしている横で足早にカタリナへと近づいたノーラは、臆面もなくその場でカタリナをしっかりと抱きしめた。
 鍛え上げられたノーラの筋肉による締め付けは常人なら少し痛がりそうなものだが、カタリナはされるがままにしながら微かにはにかみ、そっと彼女を抱きしめ返す。

「・・・カタリナ、本当にありがとう。あの時あんたが来てなかったら聖王の槍も取り戻せなかったし、こうして工房が復活することもなかったよ」
「ノーラさん・・・」
「さん、はおよしよ。ノーラでいい。またいつでもおいでよ。マスカレイド程じゃないけどさ、あんたにぴったりの武具はいつでも何度でも、あたしが仕立ててあげる」
「えぇ・・・ありがとう、ノーラ。また必ず寄らせてもらうわ」

 抱擁の後にしっかりと二人は握手を交わし、お土産代わりにと昼食用のサンドイッチが入ったバスケットを持たされる。

「昨夜ご挨拶はさせていただきましたが、ミューズ様とシャール様にも、改めてどうぞよろしくお伝えください」

 残念ながら公務の関係でこの場にはいない二人のことを思いモニカが言うと、それにもトーマスがしっかりと頷いた。

「おーい、そろそろ出港だってよー」

 乗船用の登り台から身を乗り出してモニカ達に声をかけてきたのは、ポールだ。そしてその背後には、キャンディの姿もある。

「キャンディ、あんたがいないと帳簿の整理が詰まっちまうんだから、早めに帰ってきとくれよ!」
「分かってるよ親方!」

 ノーラが大きく手を振りながら声をかけると、合わせるようにぱたぱたとオーバーサイズの袖を振りながらキャンディが応える。
 ポールとキャンディの二人はカンパニーとしての所用などもあって、モニカらと共にロアーヌへ向かう予定だ。
 ポールの声かけに伴い、モニカは名残惜しげにトーマスらを見渡してから最後にもう一度深々と一礼をし、そしてゆっくり船へと向かっていく。
 それに続いてカタリナ、ユリアン、そしてその後ろに控えていたフェアリーも続いていった。
 その様子を、口を真一文字に結びながらじっと眺めていたトーマスは、やがて船へと乗り込む渡し板が外され錨が上げられ、船が港湾を離れるまでずっと、同じ表情のまま見送っていた。
 対照的にその場では笑顔での見送りをしていたノーラが、徐々に離れていく船を見ながらふと真顔になり、そして遂には眉間に皺を寄せる。

「・・・自分たちの国を救ってくれた英雄たちの見送りだってのに、王宮の連中は誰一人来やしない。それどころか邪魔モノ扱いだなんてさ・・・本当にあたしらの国はどうかしてるって思っちまうよ」

 忌々しげにそうつぶやいたノーラの隣で、トーマスは手癖で眼鏡の位置を直し、瞳を細める。

「・・・そうですね。事情があるとはいえ、釈然としない気持ちになるのは俺も同じです」

 二人の表情を曇らせているのは、まさに目の前で行われていたモニカの慌ただしい帰郷劇の内情であった。

「世間的には死亡したとされていたモニカ様の生存が公式に知れ渡り、且つメッサーナ王国へ助力を提案するロアーヌ侯国大使という便宜上の役割も終わった以上、モニカ様については一刻も早い今後の対策が必要ですからね・・・」

 およそ一年ほど前、ツヴァイク公爵子息との婚儀のためにモニカを乗せた船がツヴァイクへ向かう途上、魔物に襲われて沈没した。
 これによりモニカ姫は船もろとも海中に没し、その短い人生を終えた。
 これが、つい最近までのモニカに対する世間的な認知であった。
 だが真実は異なり、モニカは辛うじて生きていた。
 この時点でモニカに示された道は二つ。過去の自分と決別し、人知れず生きていくか。若しくは真実を公表し、元の立場に戻るか。
 ユリアンという生涯を誓い合うパートナーを得たモニカは、一度は母国を捨て彼と共に生きることも考えた。しかし彼女はやはり王者の資質を引き継いだ、英雄の子孫だ。結局は、己の幸福のみに甘んじていられる気質ではなかった。
 それゆえモニカの生存はトーマスを通じ秘密裏にミカエルにも共有され、それ以降は公的な復帰の機会を窺うこととなったのだ。
 そして訪れたのが、此度のピドナ瘴気蔓延に端を発する、急遽のアラケス討伐という難事。
 アビスリーグ事件から立ち直りつつあるピドナへの被害を最小限に抑えるべく、カタリナら人類最強戦力の早期投入による可及的速やかな制圧の実行。且つ、この機にメッサーナ王国に対して数ヶ月前の物資援助の借りも返せる、ロアーヌ侯国的最適解で物事を進めていく。
 これらを実現するにあたり、本件がモニカの表舞台復帰も兼ねる絶好の機会であろうとミカエルは判断した。
 数ヶ月前、四魔貴族ビューネイ率いる魔物郡と交戦、危機的状態にあったロアーヌ軍へルートヴィッヒが支援物資を送ったことへの返礼。そこでルートヴィッヒが一筋縄ではいかない要望を行なってくるであろうことは、考えるまでもなく分かっていた。
 それを牽制しつつアラケスによる世界的被害も抑えるならば、カタリナの戦力を返礼として一時提供することが最も効果的であったし、そのための対ルートヴィッヒ折衝という大役も、侯爵の妹であるモニカならば格式としてなんら問題はない。
 そしてなによりも。
 モニカの復帰とはつまり、かのロード・ツヴァイク、即ちツヴァイク公爵子息との婚儀・・・これを無視してまで生存の事実を伏す必要があったとツヴァイク公国に納得させる事情を、なんとしても成立させねばならなかった。
 これは国家間勢力バランス的には、相応の難事だ。
 十分な大義名分と共に証明できる、正に千載一遇の機会でなければならないだろう。

「モニカ様が伝説の八つの光の一人であり、それを聖王家との連携により知り得て魔物共から保護したのが、メッサーナの名族たるクラウディウス家のミューズ様だった・・・。その筋書きだからこそ、最後の四魔貴族であるアラケスとの対決までは余計な危険に巻き込まれぬよう伏して隠匿した点にも、国際的なバランスが取れる。そこまでが、俺たちの想定です」

 メッサーナ王国に次ぐ大国であり、自軍の強化にも余念がないツヴァイク公国。彼の国に事情を黙認させるための筋書きが、トーマスの言う想定だ。
 トーマスの言う通りにクラウディウス家とロアーヌ侯家が示し合わせれば自動的に、ミューズを陣営に引き入れたメッサーナ近衛軍団もこれに同調せざるを得ない。
 そうしてメッサーナまで巻き込めばこそ、ツヴァイク公国も事情に一定の配慮をせざるを得ず、必要以上の政治的駆け引きが出来なくなる、というわけだ。
 こうして今に至るまでの事情については、一定の解決が見込めていた。
 だがそれはあくまで、アビスの脅威という強力な楔があってのこと。
 それが消え去り隠匿すべき事情も解消されれば、メッサーナとしては自国内でモニカを庇護し続ける理由はない。
 むしろ国内にいられるだけで、ツヴァイクにいらぬ因縁をつけられる口実となりかねない。つまり、政争要因となってしまうのだ。
 となれば後のことは、自国内でやって欲しい。つまり、一刻も早くロアーヌへ帰国願いたいと考えるのが自然だった。
 事実、アラケス討伐を知らせた翌日には態々ルートヴィッヒの署名まで付けて、送迎用に要人専用キャラック船を手配させる旨の書状が使者からハンス邸に届いた。
 即刻お帰りいただきたい、という明確な意思表示だろう。
 こうした事情により、モニカは必要最低限の準備だけを終えて早々に帰国することとなったのであった。

「我々フルブライトとしては、カタリナカンパニーと改めて同盟を組んだ上で、今最も勢いのある国家であるロアーヌに大々的に進出するいい機会でもある。なので、悪いことばかりでもないけれどね。それに世界は間違いなく、君たちが齎した平和に歓喜しているんだ。我々もそれに倣い、このような展開もいい方向に捉えていくしかないだろう」
「・・・・・・そう、ですね」

 フルブライト二十三世の言葉に、トーマスはまるで自分に言い聞かせるように呟きながら浅く頷く。
 世界全体は、確かにこれから三百年、気兼ねなく前に進むことが出来るのだろう。
 世界中がそれを素直に受け入れ歓喜しているのも、もちろん知っている。
 だが、しかし。

(・・・この平和を喜ぶ・・・俺が・・・?)

 ゆっくりとした仕草で眼鏡の位置を直すように手を添えながら少し俯き、すっと目を閉じる。
 すると今も鮮明に、二週間前のあの光景が、瞼の裏にありありと映し出されるのだ。

「・・・・・・・・・冗談じゃない・・・。俺は必ず・・・助ける」

 閉じた時と同じようにゆっくりと目を開き、沖合に出てかなり小さくなった船影へと視線を向ける。
 トーマスは無意識に両の拳をぎゅっと握り締め、風にかき消されるような小さな声で、そう呟いていた。

 

 

 モニカ一行を乗せたキャラック船が、ヨルド海をロアーヌ領ミュルスへ向けて出航したのと同刻。
 それより一足早く同海をツヴァイク公国へ向け出航していたキャラベル船の甲板上に、どの船員よりも我が物顔で艦首に立ち波を見つめる男の姿があった。

「んー確かにこのヨルド海っつーのは、温海や西太洋と勝手が違うな。この波風じゃあ、西より小型で縦帆メインの方が有利だってのも頷けるぜ」

 南国人特有の艶がある黒髪を潮風に揺れるに任せながら、ブラックは全身で航海を堪能していた。
 彼が十年ほど前に主だって活動していた海域と異なる、四つの内海の中で最も奥まった海域であるヨルド海。
 ロアーヌ地方やポドールイ地方を結ぶ航路となるこの海は、外海である西太洋から最も離れた内陸側に位置している。そのためか、海風や波の調子が他の海と異なり航行難易度が高く、また沿岸部では座礁などの危険性も大きい海域だ。
 そのため大型船舶よりも中型以下の船体が海域との相性も良く、帆も横帆ではなく小回りのきく縦帆が好まれる。

「あの・・・お客さん、あんまその辺に立たれてると」
「あぁ!?海の上で俺に指図すんじゃねぇ!!!」

 明らかに堅気ではない様子のブラックに対して懸命に話しかけた船員に向かい、ブラックは理不尽極まりない一喝をする。
 慌てて逃げていく船員の背を不機嫌そうに睨みつけたブラックは、再び海風を満喫するように船首へと向きを戻した。

「ちょっと、あんまり騒ぎとか起こさないでよね」
「あぁ!?」

 背後から掛けられた声にブラックがまたしても不機嫌そうに応じると、今度は全く彼の恫喝にも怯む様子のない人影が、お構いなしに近くまで歩み寄ってきた。

「なんだ、エレンか。お前はこの波でも全然酔わないんだな」
「まぁね。このくらいの揺れとかは全然平気」

 エレンが腰に手を当てながらそう言うと、その後ろから長身の男も近づいてくる。
 いつも通り腰にカムシーンをぶら下げたハリードであった。

「斧は得物に合わせた重心の移動が重要だからな。体幹や平衡感覚が鍛えられるから、こういう時にも役立つんだろう」
「はん、俺様と同じ斧を扱うなんつーおっかねぇ女は趣味じゃねぇな」
「奇遇ね、あたしもあんたは全然趣味じゃないから安心して」

 ブラックの軽口にエレンが軽妙な返しをすると、ブラックは満更でもない様子でニヤリと笑いながらエレン達に向き直る。

「ふん、そういやお前の趣味は、長身黒髪の砂漠の民だったな?」
「・・・うっさいわね。ほっときなさいよ」

 何があったのかは知らないが、半年ほど前にピドナを飛び出していき、その後二週間前に一緒に帰ってきたかと思えば。
 どうもこの二人、距離感が以前と違う。
 実はブラックという男、そういうところに異様な察しの良さを発揮するのであった。
 とはいえ、恐らくこの二人の関係の変化はブラックでなくとも分かったことだろう。
 二週間前に突然帰ってきたかと思えばそのまま魔王殿に向かった後、エレンは強烈な瘴気中毒による昏睡状態で、ハリードによってハンス邸に担ぎ込まれてきた。
 なんでも魔王の斧を使用した代償らしく、エレンが魔王の斧と共にハンス邸から持っていった聖王遺物である栄光の杖の加護がなければ、命そのものが危なかったそうだ。
 そうしてエレンはミューズによる天術の治療魔術を受けながら三日三晩ほど意識が戻らぬまま寝込んでいたわけだが、その間、彼女の元を離れず献身的に世話をしていたのが、誰あろうハリードだったのである。
 普段の彼を思うと非常に意外な光景だとも思えたが、その様子を見ていたシャールが呟いたことを、ブラックは印象深く覚えている。
 曰く「守護する対象を定めた者は、ああなるものだ」だそうだ。
 ブラックにはそういう対象がいたことはないし今後も予定はないが、そういう理由で船を降りる団員を彼は何度か見送ってきた。だからなのか、存外すんなりと理解することはできる。

「別にいいじゃねえか。惚れたやつが近くにいるってのは、悪いもんじゃねえんだろう?」

 それははたして、どちらに投げかけた言葉なのか。
 ハリードもエレンもお互いをちらりと見たかと思うと、満更でもなさそうな顔でうっすらと笑みを浮かべ、すぐ元の表情に戻る。
 あぁ、やだやだ。こんな感じのナチュラルな惚気オーラを浴びながら暫く行動を共にすることになるのかと思うと、気が滅入るというものだ。

「ったく・・・見てるだけで腹一杯だぜ。なぁお前もそう思うだろ、ロビン」

 エレン達の少し後方、右舷側甲板の縁にへばり付いている瀕死のロビンへと、ブラックが声をかける。
 もう吐き出すものがないのか、時折口から胃液をぽたぽたと海面に滴らせながらぐったりしていたロビンは、無言で右手だけ上げてブラックの声に反応した。残念ながら、喋れる状態ではないようだ。

「・・・こいつはツヴァイクに着くまでダメそうだな。そうするとあと話し相手になりそうなのは・・・」

 そう言いながらブラックは、ぐるりと甲板を見渡す。
 するとその視界の端、甲板の後方に、線の細い人影を見出す。

「あの辛気臭せぇガキだけか・・・」

 一人甲板の後方に立ち海面を眺めているのは、見慣れない衣服を纏った少年。
 二週間前のあの日、魔王殿から帰ってきた五人の中の一人。カタリナ、トーマス、ハリード、エレンと、そしてあの見慣れぬ衣服に身を包んだ、謎の少年。
 少年は、自分のことをテレーズと名乗った。なんでも、サラが少年にそう名付けたのだそうだ。
 常に下を向き、陰気で口数少なく、やっと喋ったかと思えば口から出てくるのは辛気臭い言葉ばかり。率直に言って、ブラックが最も嫌いなタイプの人種だ。

「・・・けっ、楽しい旅になりそうだぜ」

 手癖なのかガリガリと耳の後ろあたりを掻きながら、ブラックはもう一度、広大なヨルド海へと半眼で視線を投げかけた。

 

 

 ピドナを出航してから五日ほどで、モニカらを乗せた船は無事にミュルス港へ入港した。
 カタリナとしては実に一年半ぶりに訪れたミュルスだが、なんだか以前訪れた時よりも活気があるようにも感じられる。
 いや、それはあの時の自分が周りを確りと見られておらず、今になってちゃんと見たからそう思うだけなのかもしれない。なにしろあの時は、自らの不手際で奪われてしまったマスカレイドを取り戻すため、殆ど当てもなくこの街を彷徨っていただけなのだから。

「それじゃあ俺とキャンディは、すこしばかりミュルスに滞在してからロアーヌへ向かうよ。まぁ、この先はいよいよ立場が違うから会える保証もないだろうけどな。とにかく、道中気をつけてな」

 ミュルスの東門からロアーヌへ向け侯族専用の馬車に乗り込むモニカ、カタリナ、ユリアン、フェアリーを見送るように、ポールとキャンディが手を振る。

「いいえ、必ずロアーヌ宮殿を訪ねてくださいませ。お二人のことは、しっかり城の者に話しておきますわ」

 モニカはそう言いながら少し寂しげに微笑むと、トーマスらの時と同じく一礼し、馬車に乗り込んだ。

「・・・ユリアン、この先結構大変だと思うけどさ、がんばれよな」
「・・・あぁ。お前も元気でな、ポール。キャンディも、またな」
「うん、またねー」

 年も近かったからか色々と気が合ったらしいユリアンとポールは、互いに固く握手を交わしながら短い別れの言葉を送り合う。
 そしてユリアンも馬車に乗り込んだあと、ポールはカタリナに向かい合った。

「カタリナさんよ・・・あんたとは妙な縁だったが、いよいよここでお別れなんだな」
「そうね・・・カンパニーの方は、トーマスと共によろしく頼むわ。ただし、まだまだ未熟なんだから剣の鍛錬も怠らないこと。あと、忙しくても折を見てキドラントには定期的に帰ること。ニーナちゃんをあまり寂しがらせてはダメよ」
「おいおい、お袋かっての・・・まぁ、分かってるよ。もう昔の俺じゃないつもりだ。しっかりやるさ」

 そう言いながら差し出されたポールの右手を、カタリナはしっかりと握り返す。
 小煩く言ったが、こうして一年以上もさまざまな旅を共にしてきたこの男ならば、きっとこれからも上手くやれることだろう。少なくとも自分よりは器用に立ち回れるだろうな、という確信もある。

「フェアリー、ウチ絶対いつか妖精の里行くからね」
「はい、キャンディさんが来る時は、新しい妖精の里を案内しますね」

 いつの間にか目端に大粒の涙を浮かべ、キャンディがフェアリーの手を両手で握りながら語りかけている。
 フェアリーが何歳なのかなどは聞いたこともないが、確かに二人は見た目の年頃は似ている。というか、フェアリーの方が幼く見えるくらいだ。なのでキャンディにとってフェアリーは、歳の近い友人というイメージだったのだろう。別れを惜しむのも頷けるというものだ。

「それじゃあ、二人とも元気でね」

 短く別れを告げ、カタリナとフェアリーも馬車に乗り込む。
 そして間も無く馬車は、ロアーヌへ向けて走り始めた。急ぎ便であればロアーヌとミュルス間は日中いっぱいを使って駆け抜けることも可能だが、それは流石に乗客にも負荷がかかる。なので今回は、途中に宿場を挟んで明日の午後にロアーヌに着く予定だ。

「・・・本当に、寂しくなりますわね」
「モニカ・・・」

 長く美しい睫毛が儚げに揺らめき、それに合わせて艶やかな金色の横髪が顔にかかる。それを気にしない様子で少し俯きながら呟いたモニカに、隣のユリアンがそっと彼女の手を握ってやった。
 この一年半ほどの間には、本当にいろんなことがあった。
 それはカタリナにしてもそうだが、他の面々にしてもそうだったはずだ。
 皆に多くの苦難があり、それと同じく多くの出会いもあり、とても短い言葉では言い表すことができないような、沢山の事を経験してきた。
 特にモニカはその立場ゆえに他者とは異なる心労があったことも想像に難くなく、更にはこの先にも幾つかの困難が待ち受けているのが目に見えている。
 だから尚のこと、束の間の楽しかった日々が強く思い出されるのだろう。
 カタリナは自分も彼女に長く仕えた家臣の一人として、これからもその支えにならなければいけないと心を新たにする。例え、関わり方がどのような形に変わろうとも。
 それからは馬車の中で殆ど会話らしい会話もなく、馬車はかつて世界を救った英雄の一人が先陣を切って駆けたとされるミュルスロアーヌ間を結ぶメイン街道、フェルディナント街道をゆっくりと進んでいった。

(・・・・・・私は、これからどうするべきなのだろう)

 馬車の外に流れる風景をぼんやりと眺めながら、カタリナはふと、そんなことを思う。
 これはミュルスへ向かう船の中から、いや、そのもっと前から考えていたことであった。
 王家の指輪を受け取ってから始まった八つの光としての使命は、四魔貴族を打ち倒したことで果たされたはずだ。そして、それを成したら聖剣マスカレイドを返上するとミカエルに約束したのだから、まずはそれをする。それは、既に決まっていることだ。
 だが、その先はどうするべきなのだろうか。
 まず以て、もう旅に出る前の状況に戻れないのは明らかだ。これは、旅の途中にも何度か思いを馳せたことでもある。
 そもそも彼女が最も長く側に仕えた主人たるモニカは、ユリアンと生涯を共にするという固い決意を秘めて帰国の途についている。つまりこの先、彼女の最も近くにいるべきはそもそも自分ではなく、彼なのだ。
 もちろん、そう易々と事が運ぶとは考えてはいない。侯族たるモニカと開拓民であるユリアンでは、あまりにも身分が異なる。
 それこそ、平民出身の母を持つミカエルやモニカが幼い頃に苦しめられてきた境遇以上の過酷さが、そこには待ち構えていることだろう。
 故にミカエルがそのまま許すことは、まず考えられない。
 だが仮にミカエルが認めなかったとしても、モニカはもうそれに従うことはないだろう。彼女は今も誰より兄を敬愛しているが、しかしそれだけが彼女の心の拠り所ではなくなったのもまた、事実なのだから。
 そしてきっと、ミカエルもまたモニカの意思を今なら何らかの形で尊重するような気もしていた。
 旅に出る前に比べれば、カタリナにも少しは世界のこと、経済のこと、国家のことなどが見えるようになったから尚の事、そう考えるのかもしれない。
 確かに一年半前のあの時、モニカをツヴァイクへ嫁がせるという判断は、彼女の身の安全にとって最も良い選択だったのだろうと思う。その上で国家間の勢力バランスにも悪影響の出ない、状況的に最善と思わせる采配だ。
 きっとモニカもその意図が分かっていたから、悩み、涙し、それでも最後は承諾したのだろう。
 だが、時と共に状況は変わった。
 この一年半だけでもロアーヌの国力は急激に増大し、魔物の活動が沈静化していくであろう今後は、更なる躍進が確実視される。
 その勢いに当然ながらツヴァイクを含めた諸国は危機感を抱き様々な形でロアーヌへと関わってくるであろうが、今の国力とナジュ地方へ跨る流通網を得たミカエルの外交手腕ならば、さしたる問題にはならないだろう。
 つまり、ツヴァイクに対しても過度に下手に出る必要はもうないのだ。
 となればモニカという人格をむざむざ不幸に誘う選択肢を、ミカエルが取るはずはない。カタリナにはそんな、根拠のない確信があった。

(二人のことに関しては、私も微力ながら口添えはさせていただこう・・・)

 それはかつて、ピドナのパブ・ヴィンサントでユリアンにも約束したことだ。モニカの幸せを願う気持ちならば、ミカエルにだって負けないつもりではいる。

(・・・だけど、私自身は・・・)

 自分のこととなると、また話は別だった。
 ロアーヌ侯国にとってカタリナ=ラウランという元侍女にして騎士は、建国時から伝わる国宝を一時紛失させた罪人でもある。通常ならば、相応の処罰をされるのが妥当であろう。

(そりゃあ言い渡されれば斬首だろうと受け入れる覚悟だけれど・・・ミカエル様はお優しいから、それをしないだろうことも薄々分かってる。それに八つの光という聖王教会における最上級の特性を考慮すれば、私には相応の利用価値もあるわ・・・だからこそミカエル様がお示しになられる道に従い、これからも剣としてロアーヌに尽くせるのならば。それは何も迷うことなんてない、とても幸福なこと・・・)

 そう、迷うようなことではない。
 だというのに、彼女は何よりまず最初に、こう思ったのだ。
 自分はこれからどうするべきなのであろうか、と。
 世界には、三百年の平和が訪れた。我々はそれを喜びとともに受け入れ、其々が前を向いていかなければならない。
 そのはずなのに、彼女の中には、とても大きなしこりがある。
 そしてその原因も、実のところ凡その目星はついていた。

『あたしはサラを探す。生きてるなら必ず探し出して、絶対に連れ戻す』

 二週間前、あの決戦から数日後。
 ハンス邸でそう言い放ったエレンの言葉には一切の淀みがなく、他の全てを犠牲してでもそれを成し遂げるという強い決意がそこにあった。
 例えそれが全世界から非難される行為であっても、彼女にはそんなことは一切関係ないのだ。ただ彼女がそうするべきと確信したから、行動するだけ。
 その強い意思と言葉を前に、カタリナは何も言うことができなかった。

(私には、あんな言葉を紡ぐことは出来ない・・・私は、ロアーヌの剣なのだから・・・)

 八つの光としての使命を果たした今、これからは改めて一人の騎士として、誠心誠意ロアーヌ侯国に仕える。それが自分の、正しく行うべきこと。

(なのに・・・なぜ私は、今も迷っているのだろう・・・)

 

 

次へ

章目次へ

目次へ

第九章・3 -お・も・て・な・し-

 

「・・・しかしこれはまた、実に煌びやかな宴席ですな」

 そこは果たしてこの世か、はたまた楽園か。
 老紳士は、見たこともないような火を使わぬ照明器具で華やかに装飾された宴会場と、その中央舞台の上で楽人もなく流れる音楽に合わせて踊る金髪の女性を眺めながら、豪奢な料理が盛られたテーブルの向かいに腰掛けるラブ=ドフォーレへと声をかけた。

「いえいえ、本来ならばバンガード全てを貸し切ってでもおもてなしを差し上げたかったところですよ、バイロン卿」

 ラブはそう答えながら、優雅にヴィンテージワインが注がれたグラスを傾けた。
 今宵の主賓であるこの老紳士は、フルブライト商会要職であると同時に商業都市国家ウィルミントンの執政議会議員を代々務める名家、バイロン家の当主だ。
 その名はウィルミントンで最も名のあるホテルに冠せられているほどで、フルブライト商会においても数代に渡り並々ならぬ功績を共に築き上げてきた家柄でもある。
 このバイロン卿を筆頭に、この日は総勢百名にも迫ろうかというほどのフルブライト商会関係者をこの会場に招いており、各々が最高級の料理と酒、そして数々の趣向を凝らした催しに興じている。
 トレードの際によく用いられるお持て成しの規模としては、間違いなく史上最大だと言えるだろう。

「あの舞台上で踊っておられるのは・・・ひょっとして、かの有名なプロフェッサーですかな?」
「流石はバイロン卿、博識でいらっしゃる。あのツヴァイク公をパトロンとして射止めたというダンスだそうで、私も初めて拝見しましたが、確かにこれは一見の価値がありますな」

 教授がダンスを踊る舞台周辺には、確かに会場にいる大半の来賓が集まっており、大変な盛り上がりを見せていた。
 それは例えば場末の酒場で見られるような、聞き慣れたフィドルやギターに合わせて舞う踊り子のそれとは、全く様相の異なったものであった。
 楽人など周辺に一人も見当たらないというのに、何処からともなく流れ出てくる複数の楽器が奏でる音楽に合わせ、時に激しく、時にムーディーに変調していく演奏に併せて一心不乱に踊り上げている。
 更に、色彩豊かに変化しながら予め敷かれた導線上を動き回る照明演出が場を盛り上げ、そのステージを、嘗てない至上のエンターテイメントへと昇華させているのだ。
 これら音響器具や照明等も教授の自前機材であるらしく、確かにその未知なる演出はこれまで見たことがないようなもの故に、ステージ周辺は異様なほどの盛り上がりを見せていた。

「この後もこの会場では様々な催しを準備しておりますが・・・実はバイロン卿には、このバンガードでしか体験できない特別な席をご用意させていただいてましてな。よろしければ今から、其方へご案内さしあげても?」
「ほう・・・それは楽しみですな」

 そう答えるバイロンに対しラブは上機嫌な様子でグラスの中身を飲み干し、ゆっくりと席から立ち上がった。

「折角ですから、そこで少し面白いお話でもさせていただきましょう。ただ、席の装飾が非常に繊細な場所でしてな。ご同伴は最小限に留めていただけると有り難いのですが」
「・・・では、私と執事のみで向かいましょう。よろしいかな?」
「ええ、もちろんですとも」

 ラブの言葉から何かの意図を察したのか、バイロンは自らの顎髭を撫でつけながら応じつつ立ち上がった。
 そのまま二人と連れの執事は盛り上がりを見せる会場を後にし、すぐ目の前の中央広場へと向かう。
 そこには大きな噴水と巨大なイルカ像が鎮座しており、すぐ近くには護衛が立つ小さな入口があった。

「・・・聖王記に記された伝説の通りに目覚めしバンガードは、この表向きの市街地ではなく、その内部こそが伝説の本懐。今宵、その最も素晴らしい眺望へと、卿をご案内しましょう」

 入口を守る護衛がラブの姿を見てゆっくりと扉を開けると、ラブは仰々しい口上を述べながら、バイロンを中へと招いた。

 

 

 ハンス邸での会議から、二週間ほどが経過していた。
 船や荷馬車の往来が殆ど無くなっていることで、以前からすれば不気味なほどに静かな日中が過ぎ、そして太陽が遠く静海の向こうへ、ゆっくり落ちていった後のピドナ市街。
 このような状況の中、それでも日々の労働を終えた市民たちで中央通りは、にわかに賑やかさを増していく。
 特に、中央通りの中でも集客の良い一等地に店舗を構える老舗パブ、ヴィン・サントには、今日も多くの市民が日中の疲れや不安を癒しに立ち寄っては、思い思いに杯を傾けていた。
 ピドナ全体が未曾有の流通危機に晒されていても、人は一時の憩いを求めてしまうものなのだろうか。

「・・・今頃、バンガードじゃ宴会とかしてる頃かなぁ。なーんかさ、こうしてトレードの結果を待つだけってのも、けっこー落ち着かないよね」

 そんな喧騒に紛れて、テーブルの一箇所に集まった、風変わりな四人の面々。
 その中でも一際奇抜な服装で且つ幼い少女・キャンディは、テーブルの上で頬杖をつきながら、言葉の通り落ち着かなげにそう言った。

「・・・まぁな。しかもその大役の実行者が、あのラブ=ドフォーレだってんだからよ・・・。まったくベントの旦那は肝が据わってるっつーかなんつーか・・・」

 キャンディの正面に座るポールはいつものように肩を竦めながらそう応えると、目の前のビアジョッキを手に取って豪快に傾ける。
 その隣で二人の会話に耳を傾けつつ、紫煙を燻らせながらウィスキーの杯を傾けていたノーラは、テーブルの上に視線を向けた。
 目の前の小さなテーブル上に並べられているのは、バンラスの悪そうな木製の皿にこれでもかというほど盛られた蒸かし芋と、塩漬け肉、鱈の塩漬け、そして芋に振りかける用の塩が少量入った、小皿。

「しっかし・・・塩、ねぇ。前に確かキャンディも言っていたけどさ、こいつが本当にそんなに大きな金を動かすものになるんだねぇ・・・」
「ま、塩がなけりゃなんもかんもすぐ腐っちまって、海に長期間出ることなんてできなかったしな。船乗りにとっちゃ、確かに死活問題だな」

 塩漬けの鱈を一切れ摘み上げて口に放り込みながら、ブラックがノーラに続く。
 それにはポールも、うんうんと頷いてみせた。

「あぁ。それこそ俺の生まれのキドラントなんざ、作物は殆ど育たない土地だからな・・・こんな感じに塩漬けした肉と鱈がなきゃ、あそこじゃ冬すら越せない。正に命の源なんだよな、塩ってのは」

 集まった四者は思い思いにそんなことを言いながら、目の前のつまみと杯を交互に口に運ぶ。

 二週間ほど前にハンス邸でトーマスから明かされた、このピドナ未曾有の危機における、起死回生の為の一手。
 それこそが、カタリナカンパニーからフルブライト商会へのトレード攻勢という、正に前代未聞の超難事だった。
 これを実行に移すにあたり、前年のドフォーレとの対決で殆どの自社資金を放出してしまったカタリナカンパニーが持ち出す、この史上最大規模トレードへの、資金源。
 果たしてこれについてトーマスが提示したものこそ、正に今この食卓に並んでいる『塩』であった。
 より正確を記すならば、ドフォーレ商会所有物件の一つで、現在は一連の騒動により閉鎖しているヤーマス塩鉱から取れる岩塩の『優先取引契約権』というものである。
 全世界の食糧保存事情等に欠かすことのできない『塩』を供給するにあたり、その大規模な生産地というものは実際のところ、この世界では非常に数が少ない。
 この三百年の歴史を顧みても、独自に安定した塩の確保調達手段を保持しているのは、世界を見渡してもツヴァイクとナジュ地方くらいのもので、それ以外は海棲魔物の襲撃と隣り合わせとなり危険度が高い沿岸の塩田事業が主である。
 そんな中、死蝕直後の海運事業拡大を発端とした急成長の末にドフォーレが採掘に成功したのが、件のヤーマス塩鉱であった。
 ドフォーレはここで採れた岩塩を精製し、それを麻薬と少しずつ混ぜながら流通させることで人類を蝕んでいくという大悪行のため、利益度外視で世界中に自社製の塩を供給拡大させていった。
 加えて、元より魔物襲撃の危険性を孕んでいた世界各所の沿岸塩田を、ドフォーレは裏で魔物と組んで集中的に襲撃までしていたのだ。
 それを示す証言も、神王教団ピドナ支部の残党から取れている。
 このように塩に関わる価格操作がこの十年内で秘密裏に行われていた実態が複数判明しており、その影響により塩の供給状態や価格は近年で大きく変動していたのであった。
 ここまでが、世間に未だ秘匿されている、一連のドフォーレ買収劇の裏に潜む真相である。
 だが、仮に、だ。
 仮にドフォーレがそんな悪事を考えず、真っ当に適正価格としてこの塩鉱から出る塩を扱っていたとしたら。
 もしそうしていたならば、それこそ冗談ではなく『一国が建つ』程の、途方もない財を生み出したことであろう。
 この世界における塩鉱とはそれほどまでの、正に金脈にも等しい代物であるのだ。
 事実、現在ヤーマス塩鉱からの供給が途絶えているこの数ヶ月で、世界中の塩の価格は既に倍以上に高騰している。
 その状態にあって安定供給が見込める塩鉱となれば、正にどの商会や国も、喉から手が出るほど欲しいことであろう。

「ヤーマス塩鉱は、現在判明している塩鉱規模としては恐らく世界最大級だからな。ドフォーレはそれを別の目的で使っていたが、本来ならばもっと莫大な利益を生み出せる代物だ。本来ならカンパニーの主力産業として慎重に扱うべきだろうが・・・」
「それを、まさか代理戦争の餌に仕立てちゃうとはねー。ほんとおっそろしいよね、トーマスさんは」

 ポールの言葉にキャンディが果汁で薄めた白ワインの杯を傾けつつ返すと、それには一同が何の疑いの余地もない様子で深く頷いた。
 この塩鉱取引権をオーラム代わりにトレードのテーブルに乗せることで、フルブライトへ対抗して見せよう、というのがトーマスの狙いなのである。
 だが、これを効果的に利用するには、カタリナカンパニーとフルブライトという二社の対立だけでは、残念ながら成り立たない。
 もう一つの要素が、必要だ。
 ここでトーマスが打診をしたのは、誰あろう、世界最大国家メッサーナ王国にて実権を握る、ルートヴィッヒ軍団長その人であった。
 この時トーマスは既にルートヴィッヒへ内々で取引を持ちかけており、仮にメッサーナがこれの優先取引契約権を買った場合の仮提示額面として『十億オーラム』を一時的な条件として引き出していたのである。

「しかもこの取引の恐ろしいのは、塩鉱が麻薬工場と一緒くたになって混ぜ物を世界に流出させていたっつー証拠を、俺たちだけが握っている・・・ってところよ。こいつは、ルートヴィッヒ政権にとって最も表に出てほしくない情報だ。その証拠がこっちにある以上、まだまだ提示額は引き上げにいくことが可能だろうよ」

 腕を組み、周囲を気にしてかテーブルに乗り出すようにしてポールが小声で言うと、反対に気にした様子もなくガタンと音を立てて同じく身を乗り出したキャンディが、うんうんとそれに応えた。

「そこだよね! もし取引権を他の誰かが抑えちゃったら、そこらへんが漏れて世界に全バレする危険性があるもん。そしたらドフォーレを止められなかった今のメッサーナ王宮を、いよいよ誰も信用しなくなっちゃう。そうなんない為にどんだけお金積んでも止めにくるってのは、分かりきってるハナシだよね」
「だーばかたれ!声抑えろっつの・・・。だがまぁ、その通りだな。つまり今回のこのトレードは、カタリナカンパニーとフルブライト商会のトレードっつーより、疑似的なメッサーナとフルブライトのトレードだ。まさかドフォーレ退治の土産をここで使うとは、全く旦那には毎度、度肝を抜かれるよ・・・」

 ポールとキャンディが興奮を抑えられずはしゃぐように盛り上がる様子を尻目に、ノーラとブラックはそれぞれに呆れたような苦笑いをしながら酒の入った杯を傾ける。だが、彼らのいうことは確かな事実なのだ。
 つまり今回トーマスが言い出したこのトレード案は決して無謀な挑戦などではなく、しっかりとした根拠やこれまでの下準備を基にした、勝機を見据えた行動ということなのである。
 それ自体には、トーマスの説明を受けた誰もが彼の手腕に驚嘆し、この勝負への確かな希望を見出したのだ。
 しかし。
 それでも今ここに至り未だ腕を組んでどこか憮然とした表情のノーラは、咥え煙草で呟いた。

「しかしさ。そんな奥の手まで使った世紀の一大トレードだよ? それを、よりにもよってあのドフォーレに任せるってのはね・・・。あたしには、やっぱりちょっとその狙いまではわかんないけどね」

 ノーラの疑問は、最もであろう。そして、そこにブラックが口の端から煙を吐き出しながら同調した。

「まぁそいつには同感だな。それこそトレードの実行役は、発案した副社長様やポール、なんならこのキャンディ嬢ちゃんでもいい。もっと人選のしようがあったんじゃねーか?」

 根元近くまで灰になった吸い殻を椅子の下に落として踏みつけると、途切らせる様子もなく続けて新しい煙草に火を点けながらブラックは続けた。

「俺が言うのもなんだがな。悪人てのは・・・どこまで行っても悪人だ。俺は直接ラブ=ドフォーレってやつを見たことはねぇし、洗脳されてただかなんだかも知らねぇけどよ。どうであれ長く裏家業に浸かってきた奴が、そう簡単にお利口な常識ってやつに従うなんざ・・・思わねぇ方がいいぜ?」

 彼のその言葉には、その場の他の誰にも持たせることのできない、ある種の凄みのようなものが宿っている。

「まぁなんつーか・・・毒には毒を、みたいな感覚だとは思うけどな・・・」

 ブラックの言葉に、どこかいつもと違って歯切れの悪い様子で答えたポールは、フォークに刺した塩漬け肉を口の中に放り込み、エールで一気に流し込んだ。

 

 すっかり陽が落ち、いつにも増して辺りを通る人影が殆どない、ピドナの商業区通り。
 賑やかさを保つ中央通りとは対照的に辺りの大半を暗闇が覆う中で、煌々と明かりが灯るハンス邸の奥まった箇所にある一室。ここにも、四人が集まり杯を交わしている。

「・・・確かに、人選がドフォーレというのは、私も些か気になるところではある。フルブライトとの対決の可能性まで見えていたならば、正直あのままキャンディさんがヤーマスからウィルミントンに向かう方が良かったのではないだろうか?」

 ロビンが陶器製の杯を傾けながら、正面で同じく脚付きのグラスでワインを傾けていたトーマスに向かい、真っ直ぐな瞳で問いかける。

「・・・キャンディやポールには此方でやって欲しいことがある、とのことだったが。それにしても他に選択肢がなかったものか、と思ってしまうのは・・・私も同感だな」

 トーマスがその言葉にどう返答しようかと考えを巡らせていると、控えめな様子でシャールもロビンの言葉に同意するように口を開いた。
 ちなみにこの場でシャールが飲んでいるのは、水だ。別に彼は酒が飲めない訳でも弱い訳でもないが、水が飲めるならば水がいい、というタイプの人間である。スラム街では清潔な水自体がなかなか飲めない、というのも理由にはあるかもしれないが。
 そんな二人の様子とトーマスの表情を交互に見ながら、ミューズは暖かい紅茶にブランデーを数滴垂らしたものを静かに口に運んでいる。

「・・・そうですね。今後の流れに関することなので、この面子ならば、他言無用ということでご説明しましょう。ドフォーレに任せた理由は、勿論いくつかあります」

 トーマスはテーブルに並べられたカットチーズを雑に口に放り込みながら、語り始めた。
 まず、キャンディやポールにトレードを任せなかった理由。
 これは、トレードの後に控える行動に関してどうしても彼らが必要である、というのが最大の理由だ。
 このトレードに思惑通り勝利することができたとして、そのあとはリブロフやナジュあたりの地域にアビスリーグの大凡の拠点が絞られる。そこを速やかに叩くには、どうしてもトレードの知識を備えた人員を派遣する必要があるのだ。
 カタリナカンパニーの中で言えば、現状でそれを担えるのはトーマス、キャンディ、ポールの三人くらいのものなのである。
 とはいえ流石にトーマスがここから動くわけにはいかないので、後の二人に手分けしてそれを実行してもらう、というのが彼の頭の中にある絵だ。
 なにしろフルブライトとのトレード終了からアビスリーグ補足までの猶予期間は、非常に僅かな期間であるだろうと、トーマスは踏んでいる。
 今回のトレードに勝利すれば、確かに此度の大勢は決するだろう。
 だが、ここまで事前に何も此方に悟らせずにピドナの孤立まで事を運んでみせた程の用意周到な集団が、そう簡単に尻尾を掴ませるとは、彼には考えられないでいた。
 大勢が決してから、アビスリーグが地下に潜るまでの、僅かな隙。
 ここを突いて彼らを炙り出し、ここで徹底的に叩き、壊滅させる。それが出来なければ、彼らは再び水面下で次なる企みを進める事であろう。
 何より、ここで逃してしまった後で彼らが次に手を打つとしたら、先ずは今回の解決に動いた面々を個々に暗殺等で動く可能性が非常に高くなる。
 それを阻止するには、ここで必ず仕留めなければならないのだ。
 そのためには速度が最重要で、本来ならばもっと人員がいくらでも欲しいほどである。
 ここに、サラがいてくれたなら。何度もそんなことをトーマスは頭の中で考えたものだが、しかし無い物ねだりをしても仕方がない。

「なるほど・・・ここで仕留めるには、そうするしかなかったということか。それは、理解できる。悪は根絶をしない限り、再び悪巧みをするものだからね」

 ロビンは感心したように小さく何度も頷き、腕を組みながら感想を述べる。

「キャンディとポールがそこに必要なのは分かったが、ではこのトレードの実行者にドフォーレを人選した理由はなんなのだろうか。それもやはりトレードの知識云々という点だけで、そこに人格的な選択要素はなかった、ということに・・・?」
「・・・いえ。ご指摘の通り、当然その不安要素はあります」

 続けて述べられたシャールの鋭い指摘に、トーマスは隠す様子もなく少し困ったような顔で笑いながら応えた。

「ラブ氏は、トレードに関する知識や技術的な能力は元より、今回の相手であるフルブライト商会に関する様々な情報やコネクションも備えており、この局面での配役としては最適解であると言えます。いくら此方の資金的な手札が強力であるとはいえ、それを扱う人物が素人では話になりません。此度のトレードに勝算を見出すという点では彼しか選択肢がなかった・・・というのは、正直なところです」

 そこまで言ってワイングラスの中身をトーマスが飲み干すと、すかさずロビンがやたらと手慣れた仕草でボトルからトーマスのグラスへとワインをサーブする。
 トーマスは恐縮しながらそれを見届けて礼を言い、再度グラスを手に取ってから続けた。

「そして、シャールさんやロビンさんが仰る懸念点も、当然理解しています。例えば今の彼に、ある程度の裁量を持たせた場合。その時彼は、一体どう考え、どう行動するだろうか・・・。それが、今回の采配の鍵になります」

 ラブ氏の父であるモンテロ=ドフォーレが魔物に乗っ取られる前の情報は、何もない。
 そうなると彼の人となりというものは、魔物に操られていた以降で判断するしかないのだ。これについてトーマスは、キャンディがヤーマスに滞在している間、定期的に彼の人となりについて、彼女に観察してもらった結果を手紙で受け取っていた。
 それによればラブ=ドフォーレという人物は、実に「みたまんま」である、というのがキャンディの見解であった。
 でっぷりと脂の乗った身体のあちこちに散りばめた悪趣味なほどに輝く装飾品、己の欲望に非常に忠実で終始傲慢な態度、財力や権力を盾にした人の見下し方。
 それらは魔物に操られていた時となんら変わらぬ・・・つまり、紛う事なき彼自身の性分である、と。

「・・・不安しか抱かない情報だな・・・」

 シャールがそう言うと、それにはミューズとロビンも頷いた。
 トーマスが続ける。
 キャンディが観察してきた短い期間の中でも、彼の行動基準というものが、なんとなく見えてきたのだという。
 彼は先に述べた通りの性分ではあるものの、しかし仕事は驚くほどよく行うのだ。
 現地ではキャンディが監査役を兼ねて活動していたが、その下で動くラブという人物は、実に勤勉に働いていたのである。その働きぶりは、全く他の追随を許さぬほど圧倒的なものであった。
 というより、他が働けていなさすぎる、ということにキャンディは早々に気がついた。
 それは個々の能力云々というより、仕事そのものに慣れてすらいない、といった様相なのだ。
 つまりは驚くべきことに、彼以外に商会経営というものについて尺たる知識を持つものは、ドフォーレ商会の中には一人もいなかったのである。
 それらの状況について不思議に思ったキャンディがラブに尋ねたところ、彼は臆面もなく、こう言ってのけたのだという。

『市長も含めて、この町はグズ共の集まりだ。そして俺は、グズ共のやるグズグズした作業を見ているのが一番イラつくんだよ。だから俺がやっているんだ。この町は俺がいなけりゃ、今だに小さな漁村止まりだったろうさ。それこそ、バンガードのマッキントッシュあたりに食い物にされてただろうな』

 これは、彼の行動基準を表す非常に有用な言葉であろうと、トーマスは感じた。
 彼は、間違いなく優秀だ。いくら魔物に操られていたからといって、彼にそもそも能力がなければ、ドフォーレ商会はこの短期間でここまで大きく成長などしなかった。
 だが一方で、彼は指導者としての性格に向くとは言えない。自分の右腕になるような人物を一切用意していないことが、その確固たる証左だ。しかも、彼はそれでよし、とするきらいがある。
 つまり、彼の中には自分の理想とする水準があり、それに到達するための自己努力を惜しまないという性質が垣間見える。
 強い自己顕示欲。それを事実たらしめる実績と行動力。自らに及ばぬものを見下し、歯牙にも掛けない選民思想。それらで形作られているのが、ラブ=ドフォーレという人物だ。

「私がそこから導き出した道筋は、彼が望む水準の舞台を用意すること、です。彼が踊るに値する舞台を用意すれば、彼は演者として必ずそこに立つ。私が彼にそれを示すことができるかどうかが、今回彼を采配する上での鍵というわけです。私の器が知れてしまえば、彼は此方の意図せぬ動きをするでしょう」
「それはなんとも・・・我々には想像すら難しい話だな」

 トーマスの言葉を聞きながら、シャールはすっかり眉を顰めつつ唸った。
 彼の覚えているラブとは、最初で最後、ヤーマスでの一連の騒ぎの最後の瞬間だ。それはそれは大層な情けない姿で、キャンディの前で尻餅をついている小悪党丸出しの男、というだけであった。
 それについてつい口を滑らせると、ミューズは酒が効いてきたのか少し上機嫌な様子で相槌を打った。

「だからこそ、トーマス様の狙いに沿うのかもしれませんよ、シャール。物事が自分の想定の上をいく場合には、人としての弱さをちゃんと露呈する。それは、統べる上で活用すべき、有用な特徴です」

 流石は超名門の家系といったところか。帝王学を納めたミューズのその指摘は、非常に説得力があるものであった。
 シャールは、それにこくりと頷く。

「なるほど、確かにミューズ様の仰る通りかもしれません。しかしいずれにせよ・・・私たちに今できるのは、待つことだけですね」

 

 

「強い自己顕示欲。それに見合う実力。そして、それを裏付ける実力主義と排他思想。しかし・・・君にとってはそのどれもが、真実の姿ではない。この席で改めて、そう感じ入るよ」

 地上の宴とは打って変わり、静寂に満たされた、海の中。
 その中にあって、うっすらと青白い光に満たされ、分厚い硝子の壁の向こうから仄暗い海の中を泳ぐ魚たちが、しきりに中の様子を伺うように周辺を遊泳している。
 移動要塞バンガードの海中艦橋に特別に用意された、この世でただ一箇所と言っていいであろう景色を堪能できる、至高の宴席。
 その席について実に満足そうな表情を浮かべたバイロンは、テーブルの向かいに座るラブに向かい、なんでもない様子でそう言った。
 バイロンの言葉を受け、ラブは咥えた葉巻から鼻腔を通じて大量の煙を吐き出し、実に鋭い視線を相手に向けながら口の端を吊り上げる。

「・・・バイロン卿。お察しの通り私はね、こんな下らんトレードなぞに興味はないのです。カタリナカンパニーはヤーマス塩鉱を餌にメッサーナの近衛軍団から資金を巻き上げるつもりだが、それで結果フルブライトに勝ったとしても、私にはなんの関係もない」
「心中、お察ししましょう。此の期に及んで今更メッサーナの犬というのは、些かドフォーレのご子息には不釣り合いだとは感じていたところです。そのお姿には亡き父上もさぞ、お嘆きでしょう」

 バイロンが眉ひとつ動かさずにラブを見返しながらそう言ってのけると、ラブは今度は上機嫌そうに笑い、そして葉巻を蒸した。

「はっはっはっは。流石はバイロン卿、矢張りフルブライトで話すならば貴方様ですな。それでは・・・そろそろ本題に入りましょうか」

 そう言ってラブが左手を軽く上げると、側に控えていた執事が一礼をしながらその場を立ち去っていく。それを見たバイロンもまた、側に控えさせていた執事を艦橋の外へと下がらせた。
 それを横目に見届けたラブは、テーブルの上に両腕を乗り出すように乗せて両の指を組み合わせ、微動だにせぬバイロンへと向かって語りかけた。

「貴方がフルブライトを手中にし、私は再びヤーマスをこの手にする。私は今宵の宴を、そのための門出の宴にしたいと考えているのです」

 ラブが、まるで確認でもするかのように静かにそう語りかける。
 すると、よく動いていた表情筋と違って一度も感情らしきものを示していなかったバイロンの瞳が、ここで微かに色めきたった。

「・・・私がフルブライトを手中に・・・とは、また酔狂なことを。既にフルブライト二十三世様が、社を率いておられますよ」
「バイロン卿。ここでそんな寝言はもう、無しにしましょうよ」

 テーブルに乗せた両肘を支点にしながらさらに身を乗り出すようにしながら、ラブはバイロンの瞳を覗き込む。

「カタリナカンパニーの連中は、大きな勘違いをしている。そもそも、アビスリーグと我々ドフォーレが・・・繋がっていないわけがない」

 ラブのその言葉に、バイロンの瞳は殊更に大きく揺らいでみせた。

「屈辱でしたよ・・・奴らの元で、一時とはいえ道化を演じるのはね。だが、その甲斐あって私はこうしてここに来た。今日この場を皮切りに、愚かな我が父では成し得なかった、完全なる経済の混沌と支配・・・それを私は、この手で成し遂げる」

 バイロンの瞳を射るように見ながら一気にそう捲し立てたラブは、そこで一息つくように身体を椅子の背に預けるように引き下げた。
 そしてうっすらと青い光が差し込んで怪しく赤紫に変色して見えるワイングラスを掲げ、一気に飲み干す。
 その様子を無言で見つめていたバイロンは、うっすらと目を細めるばかりだ。その視線は、いかにもラブを値踏みしている様子である。

「・・・アビスリーグ参画者は、その大いなる意志によって動いており、相互になんら連絡をとっているわけでもない。ただ、目的が同じだからこそ、行き着く先も必ず同じ。だからこそ私には分かるんですよ、バイロン卿」

 火の消えていた葉巻を再び蒸すように数度火元で空気を通し、そしてゆっくりとその煙を鼻腔に通した後、ラブはぐにゃりと悪虐しく口を歪ませた。

「いや・・・我らがアビスリーグ同志、バイロン殿。そうお呼びするべきですかな」

 ラブの言葉に呼応し、バイロンは僅かに口を歪ませ、その瞳を一層怪しく光らせた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第九章・2 -不敵な微笑み-

 

 カタリナカンパニーが世界最大の企業となり、強制的に経済結束を主導してアビスリーグに対抗する。
 最早、絵空事にすら等しいようなトーマスのその発言に、ハンス邸の会議室に集まった全員がトーマスに向かい驚愕と疑問とを伴う視線を向けた。

「おいおい・・・ベントの旦那、今の今でその方針ってのは、流石に無理がないか・・・?」

 あまりに荒唐無稽と思われるその発言に、さしものカンパニー敏腕営業部長ポールも、薄らと冷や汗を浮かべながらトーマスに苦言を呈する。
 トーマスとほぼ等しい程にカンパニーの内部状況を理解していると言って間違いない彼から見ても、様々な側面からその方針は、今の段階で採るべきものではないと思えたからだ。
 周囲の皆も、彼ほどではないにせよその空気感はわかっているのか、それが集合した疑問符として現れている。
 しかし。
 突如そこに、トーマスの爆弾発言に大いに賛同する声が、予想外のところから聞こえてきた。

「めっちゃ面白そうじゃん。それ、ウチも混ぜてよ」

 その声に驚いたトーマス以外の一同が部屋の入り口へと振り替えると、そこには、右腕に愛用のクマちゃんを抱えながら精一杯胸を張って仁王立ちをしてみせる少女、キャンディの姿があった。
 彼女の後ろには、ローブを羽織ったロビンも控えている。

「キャンディ、帰ってたのかい!」

 ノーラが最初に声をかけると、キャンディは大きく手を上げながらノーラに視線を返し、そのまま会議室の空いた椅子に向かっていく。
 そしてその場に集まった一同を素早く確認し、当然の流れの様にブラックに視線を止めた。

「ってか、おっさん誰?」
「けっ、その台詞はいい加減聞き飽きたぜ」

 ハーマンの時の彼しか知らないキャンディが疑問に思うのは当然だが、当のブラックはあまりに聞かれ過ぎたその誰何に、真面に答える気がない様子であった。
 気を利かせたミューズが簡単に経緯と正体とを説明してやると、キャンディは暫し興味深そうにブラックの全身や左足あたりを見回した後、その場での疑問追及は諦めた様子で改めて椅子へと腰掛ける。

「・・・っと、遅くなっちゃってごめん。ちょっと仕込みに時間掛かっちゃった。でも今の話ってことなら、ちゃんと手紙の通りに準備はばっちしだよ」

 キャンディが腰を下ろしながらトーマスに向けたその言葉に、ポールは再び疑問符を頭に浮かべる。

「仕込み・・・? キャンディ、そりゃ一体なんのことだ?」

 昨年の暮れ。
 ドフォーレ商会の一連の事件以降、ヤーマスにて商会立て直しその他の事後処理等をしてもらっていたキャンディへと書簡を届けるようロビンに託したのは、誰あろうポールなのだ。
 これは丁度、昨年末のコングレスが開かれる直前のことであったので、その時点でのルートヴィッヒとの協調体制などの現状を伝えると共に、連動してヤーマス内での新たな調査を依頼するためのものであった。
 なので、今のピドナの状況を見越した類の依頼など、そこに記した覚えは彼には全くなかったのだ。

「あぁ・・・ポール。それは俺が、別でロビンに手紙を渡していたんだ」

 即座にトーマスが名乗り出ると、ポールは首を傾げながらその内容を問うた。
 だが、トーマスに先んじてそれに嬉々として応えたのは、テーブルに大きく身を乗り出してきたキャンディであった。

「そ、ポールからのとは別で、トーマスさんからの手紙があったの。中に書かれていたのはね・・・フルブライト商会への探りと、何個かの仕込みについてだよ」

 ニヤリと笑みを浮かべながらのキャンディのその言葉に、場の一同は改めてトーマスへと視線を向ける。
 特段その中でも、ポールの瞳は全く驚きを隠すつもりもないほど大きく見開かれたもので、これにはトーマスも思わず苦笑いを浮かべてしまうほどであった。

「おいおい、まさか旦那のいう世界最大って・・・。てかキャンディが既に仕込みをしているっつーことは、この展開まで・・・あんたは読んでたってのか・・・!?」
「・・・いや、全てを読んでいたなんてことはないさ。ただ、フルブライト二十三世様からの依頼を受けた時点で、我々が選択する可能性の一つ、としては考えていた。だからいざという時の為に、キャンディに幾つかお願いをしていたまでだよ」

 トーマスとポールの会話は、キャンディを除いたその場の面々には今一、内容の理解に苦しむものであった。そこで、キャンディと同じく空いた席に腰をかけたロビンが口を開く。

「確かに私が書簡を渡したし、ヤーマスではキャンディさんに頼まれて色々と調べに動いたが・・・。あれらの調査には、一体どんな意図があったのだ・・・?」

 ロビンの言葉に今度こそトーマスが応えようとしたが、しかしそこに、やたら興奮気味のポールが割って入った。
 そんな彼の表情は、どこか呆れたような引き攣ったような、そんな表情だ。

「そんなん・・・もう決まってる。トーマスの旦那・・・あんた、フルブライト商会を『買う』つもりだな・・・?」
「な・・・フルブライト商会を!!?」

 とんでもないことを言い出したポールに、思わずシャールが驚きの声を上げた。それと同時に、ぱきり、と音がして彼の装着する銀の手が、持っていたティーカップのハンドルを割ってしまう。
 その声色が含むのは、単なる驚きの感情だけではない。お前たちは、なんたる不敬、なんたる畏れ多いことを口走るのか。その様な感情の方が、寧ろ一番に読み取れるような声だった。
 これは何も、シャールだけがそう感じるということではない。恐らくは世界中で大多数の人間が、彼と同じく感じることであろう。
 フルブライト商会という存在は、それだけこの世界にとって特別な存在なのだ。
 何しろ先ず、この世界で経済に関わる者ともなれば、フルブライト商会の名声とその偉大さを知らぬ等という不届き者は、まず間違いなく存在しないだろう。
 それどころか、例えば商い事とは全く無縁の、それもフルブライト商会の本拠地であるウィルミントンから遠く離れた貧しい農村に住まうような子供たち。その子供たちでさえ、酒場で謳う流れの吟遊詩人や聖王教会で教えられる数々の逸話の中で、その名前程度は耳にしている子供の方が圧倒的に多いはずだ。
 三百年の昔、人類が四魔貴族との死闘を繰り広げたその最中。様々な場面で宿命の子たる聖王を助け、時の世界経済を纏めあげ、聖王軍の勝利に貢献した偉大なる存在。
 それが、フルブライト商会なのである。
 その威光は今も全世界に届いており、この三百年、世界の経済界を常に牽引してきた存在。まさに、名実ともに世界一の企業とは即ち、フルブライト商会のことを指すのだ。
 そのフルブライトを、買収する。
 それが、トーマスの狙いであろうとポールは言ったのである。
 あまりに突拍子がなく、そして荒唐無稽に聞こえてしまうのも無理はないことであった。
 そしてそこに、今度はノーラが理解に苦しむ様な表情で声を上げた。

「ちょっと待っておくれよ。あたしにはその狙いとかあんま良く分からないんだけどさ・・・でも今は、兎に角ピドナの状況を何とかするのが先決なんじゃないかって感じるんだけど、違うのかい?」
「うむ・・・私もノーラ殿と同じ考えだ。単に優先順位として、今は一刻も早くアルフォンソ海運などへの融資などを起点に状況打開をするべきではないのか?」

 ノーラに続き、シャールも執事にティーカップを交換してもらいながらそう付け加えた。
 確かにこの流通の孤立状態を打開しなければ、ピドナの状況はどんどん悪くなるばかりだ。そこを先ずどうにかしなければならないと考えるのは、至極当然のことの様に思われた。
 だがしかし、それは実際には悪手である。
 そうトーマスは確信していた。そこをしっかりと説明せねば、この先の意図にも理解は示してもらえまい。
 トーマスはそう思い、テーブルの上で両手を組み直しながら腰を据えて解説を行おうとする。
 が、そこでミューズが他者とは少し様子の異なる視線で、自分のことをじっと見つめていることに気がついた。その瞳は他者と同じく疑問を持つというよりは、此方の考えを既に察しており、その答え合わせを待つというような色合いだ。
 なので思い直したトーマスは彼女に発言を促す様に、彼女に視線を合わせてから眉を上げ、薄く微笑んで見せる。
 勿論ここは自分から説明しても構わない場面だが、ミューズを介した方が話が早かろうと判断したからである。彼女の持つ魅力、言い換えれば生まれつきのカリスマ性というのは、本人が思う以上に大きいことを彼は知っていた。
 ミューズはトーマスの意図を汲み取り多少驚いた様子だったが、即座にそれに返す様に、浅く頷いた。

「では・・・私からご説明します。恐らく・・・トーマス様の狙いは、より大局を見据えたものです」

 ミューズの開口に皆の視線が集まると、彼女はその場の一人一人に視線を移しながら語り始めた。

「確かに現在のピドナは、流通の断絶によって一時的に外部から孤立しています。この状況は早急に打開しなければ、先の通り他国に侵攻の口実を与える様なもの。それは、紛れもない事実です。ですが、初手で流通改善への着手は根本解決どころか・・・一時凌ぎにすらならない可能性が高いのです」

 ミューズの語ったことは、こうだ。
 アルフォンソ海運やメッサーナキャラバンへの融資、若しくは買収という選択肢。これを現時点で行うことによって得られる効果は、流通の改善までには全く至らない。
 そもそも魔物に破壊された多くの荷馬車や船は直ぐに作り直せるわけではないし、人々に植え付けられた襲撃への恐怖心もまた、修復には相応の時間が掛かる。つまり融資か買収の何れかを行ったところで、即座に以前の状態に戻る、ということはないのだ。
 そして何より、仮に流通環境が以前と同様まで即座に整ったところで、結局のところ魔物に再度襲われるリスクそのものは、全く改善されていない。
 そうなると、作っては破壊されて、の圧倒的に不利な消耗戦を強いられる可能性が高く、襲撃を恐れた従業員の業務拒否も当然考慮せねばならず、それらへの対策が別途必要になってくる。
 単純に、これでは非効率極まりない結果が見えているという話なのであった。

「・・・対して、トーマス様の言うフルブライト商会へのトレードには、その困難さに比例した大きな利点が、三点ほど考えられます。先ず一点目は・・・アビスリーグの組織規模をより正確に読み取り、その正体に近づくこと。つまりは、事態の根本解決を確実に進められることです」

 これの根拠は単純だ。
 まず世界最大企業たるフルブライト商会の買収が仮に成功した場合、フルブライト傘下の世界各国企業をそのままカタリナカンパニーに組み込むこととなる。
 実のところ、複数地方を跨ぐ規模で企業運営をしている商会は数えるほどしかなく、直近ではフルブライト、ドフォーレ、ラザイエフ、そしてカタリナカンパニーがそれに該当する程度だった。
 このうちドフォーレは既にカタリナカンパニーが買収しており、事実上カタリナカンパニーは規模だけで言えば既に世界二位の企業規模となる。そこが更にフルブライトを買収するとなれば、世界に散らばる企業のかなり多くをグループに抱えるということになるのだ。
 そして現時点で、カタリナカンパニー内にアビスリーグからの接触がないことは内部監査済みである。
 これはフルブライト二十三世から話を聞いた直後にトーマスが全支店の昨年帳簿を直接隅から隅まで確認しているので、間違いないことだった。
 アビスリーグは世界各国で活動しつつ同盟範囲を広げておきながらも、世界第二位の規模にまで広がっているカタリナカンパニーと一切接触がない。これは、その事実に安堵する反面で、非常に不可解でもあった。
 それこそ「意図的に避けている」とでも考えない限りは。
 これは、トーマスは事実その通りなのだろうと踏んでいた。
 カタリナカンパニーに関われば、必ず尻尾を掴まれる。それを向こうが理解しているから、敢えて避けているのだ。
 これには思わず、敵ながらいい判断だ、とトーマスはほくそ笑んだものであった。
 トーマスが副社長として実質的に全権を握るカタリナカンパニーは、その内部規律と監査の精度において、他企業では全く比肩できないほどに高度精密化されている。
 元よりこれは、トーマスがフルブライト商会の歴史的な威光と世界に及ぼした影響に多大なる感銘を受け、企業という組織がその影響度からして持たざるを得ぬ「世界に対する社会的責任」を果たす上で絶対に必要であると考え、徹底して実行しているからに他ならなかった。
 経済という巨大な力を持つからこそ、それを統制するための仕組みと外部影響はしっかりと考えねばならない。その気概と実行の精度が、蓋を開ければ既にフルブライトのそれを凌駕していた。それだけの話なのであった。
 そのカタリナカンパニーがフルブライト商会を買収すれば、フルブライト商会の中にアビスリーグの手が伸びている場合、必ず買収の最中に分離するだろう。
 そうするとその分離企業を最優先調査対象としつつ、残りはラザイエフ商会関連企業と、各都市にある独立企業群、そして旧ナジュ王国領の企業群あたりまで絞ることが出来る。
 ここへの調査も買収と並行して行う事で、アビスリーグの本丸へと確実に迫ることができる筈なのだ。先ずはこれなくして、事態の根本的な解決には至らないのである。

「第二に、フルブライト商会の浄化救済を行うことができます。フルブライトとアビスリーグを切り離すことができれば、商会に残り内部調査をされているフルブライト二十三世様のご安全を確保することができるでしょう。最初にアビスリーグの存在を察知したあの方の安全を確保し、改めてその助力を得る事で、更なる迅速な真相解明が期待できるものと考えられます」

 買収によりフルブライト内部に巣食うアビスリーグの手のものを切り離せられれば、これは可能であろう。
 フルブライト商会という存在は、今後も世界にとっては必ず必要になる。そしてそれを統率すべきは当然ながら自分などではなく、高潔なるフルブライト十二世の意志を継がんと奮闘するフルブライト二十三世でなければならない。そうトーマスは考えていた。彼を危険から救い出すことは、正に世界の今後を左右する一大事であるのだ。

「最後に・・・他国のピドナ侵攻判断を遅らせる効果、です。他国が攻め入るまでの猶予ですが・・・恐らくはあと一ヶ月もこの状況が続けば、何れかの都市の軍団が攻め上がってくる可能性はかなり高まるでしょう。ピドナの現在の異変状況は、あと一週間もしないうちに各国に広まります。若しくはアビスリーグが裏から手を引き、既に各都市国家に侵攻を煽っている可能性も考えられます。戦の準備には従来なら短くとも半年程の準備期間を要するとされますが、混乱を突いて各国家の常備軍と備蓄だけで攻め上げるなら、そこまで時間は掛からないでしょう。つまり、その前に彼らを思いとどまらせる何らかの『事件』が必要です。このトレードは、それも兼ねているのだと考えられますが・・・如何でしょうか」
「・・・全くその通りです。ミューズ様、流石のご慧眼ですね」

 こちらの狙いを細部に至り把握してみせたミューズに内心では舌を巻く思いだが、トーマスはそれを望外に嬉しく思いながら微笑み返した。
 三百年の間に渡り世界経済を牽引してきたフルブライト商会への、トレード勃発。これは、全世界が注目せざるを得ない一大事になることは間違いがない。
 そして今回特に重要なのは、それを行うのがピドナに本店を置くカタリナカンパニーである、という点だ。
 奇しくも昨年末のコングレスによってルートヴィッヒ軍団長と、世論に英雄視されるミューズの繋がりが大々的に世界へと示された。そしてその場に、一企業人に過ぎないはずのトーマスが立っていたことを知らぬ各国要人は、居ない。
 経済界においてはカンパニーとクラウディウス家の繋がりは元から判明していたことなので、そこに大きく疑問を抱く者はいなかったであろう。
 そしてそのカタリナカンパニーが、この世界からの孤立状態の渦中にあって、フルブライト商会へトレードを仕掛ける。
 これはつまり、それを実行するだけの余裕がピドナにはある、という事実を世界に知らしめることに他ならない。
 流通と経済の危機という客観的事実と大いに相反するこの事態が起これば、各国は否が応にも慎重に出方を探らざるを得なくなる、というわけである。
 更にいうならば、昨年末コングレスの場でトーマスはカンパニーとフルブライトの同盟破棄を宣言している。この宣言が、ここで予想外に外交思惑に響いてくる。
 コングレスの場では『特段この同盟破棄がカンパニーと近衛軍団との新たな蜜月を表すものではない』との補足を敢えて行っている。だが、ここに至ってカタリナカンパニー対フルブライトのトレードなどが起これば、あの補足が信ずるに値する、などと愚直に考える者の方が少ないのは、火を見るよりも明らかだ。
 これらの意味するところはつまり、この経済危機が『事実なのかフェイクなのか』を各国は何としても見極めなければならなくなる、ということだ。

「・・・旦那、狙いはわかった。だが、肝心のトレードに充てる資金は一体どうするつもりなんだ。ドフォーレ買収の影響はガッツリ残っている。即座に動かせるオーラムは、ぶっちゃけ殆どないはずだが・・・?」

 頭に被っている帽子の特徴的な突起部分を手で弄りながら話を食い入るように聞いていたポールは、一呼吸置いてからトーマスに向かい冷静に問うた。
 彼の指摘は、実に的確だ。なにしろトレードを行うには、ただでさえ莫大な資金が必要になる。そして今回のトレードで狙い通りの効果を目論み行うとなれば、前回ドフォーレの倍以上の稼働資金が必要になるのは間違いない。
 残念ながらカタリナカンパニーにそのような資金は、ない。それはカンパニー内部の情報を把握しているポールには、聞くまでもなく分かりきっていることだった。
 更には、唯一の隠し球であった旧クラウディウス家縁の者たちからの融資も、ドフォーレ戦で用いてしまったのでもう期待はできない。
 その上で、フルブライトに勝負を挑むだけの資金が確保できるとは、到底思えなかったのであった。

「そうだね・・・ただそこは、一応は策があるんだ」

 トーマスは、どこか不敵に笑いながら言った。その表情が大層不気味に見えてしまい、ポールは思わず背筋に震えを感じながら、怖いもの見たさで次の言葉を所望した。

「・・・旦那、一体どうするつもりなんだ・・・?」
「・・・簡単なことさ。ドフォーレが敢えてやらなかった手段を、我々がやるだけだよ」

 そうしてトーマスが少し俯きながら微笑む様は、その場の誰もに等しく、恐ろしいもののように映ったのであった。

 

 

 三百年の昔、かの聖王三傑たる玄武術師ヴァッサールの発案から作り上げ、そこから二度に渡り魔海侯フォルネウス討伐という偉業を成し遂げた海上要塞都市バンガード。
 建造から三百年の時を経て、つい最近に再び大地の鎖を断ち切ったバンガードは、ルーブ地方とガーター半島を結ぶ要所兼、新たに内海と西太洋の海上直通路として、世界中から大いに注目される地となっていた。
 今宵、その海上都市の中でも最も高貴なホテルの宴会場にて、非常に豪奢な催しが開かれていた。

「ようこそおいで下さいました。誠に細やかなおもてなしではありますが、今宵は是非とも楽しんでいかれてください」

 ホテル前に到着した数台の馬車による一団を仰々しい一礼とともにエントランスで迎えたのは、その夜の催しを開いた主催の男だった。
 その男は、非常に肥えた身体をこれでもかと着飾っており、煌びやかな衣服と数々の宝飾品がその動きに合わせてジャラジャラと音を立てている。
 その装飾品だけで開拓民が一生暮らすに困らないであろうほどのものであるが、それらを全く惜しげのない様子でひけらかしながら、ゆっくりと顔を上げた男は馬車から降りてきた今宵のゲスト一団に改めて向き直る。

「・・・まさか、我々がこうして貴殿のおもてなしを受けることになろうとは。以前ならば、思いもしませんでしたな」

 馬車から降りてきたゲストの中で、明らかに周囲と異なる風格を漂わせた老紳士が、ホストの男に向かって軽い会釈をしながらそう告げる。
 この老紳士こそ、世界第一位の企業規模を誇るフルブライト商会の、営業本部長を任される人物であった。フルブライト商会の現会長の先代にあたるフルブライト二十二世の時代から長年辣腕を震ったとされる、業界内ではかなり名の通った大御所である。

「ははは、全く同感です。生前の父は、よく貴方のことを愛憎混じりに語っていましたよ。数奇な運命の末にこうして私が貴方に持て成しの場を用意できたこと、光栄に思います」
「それはそれは・・・ふふ、貴殿も随分と棘が抜けて、ご成長なされた様子。今宵この時ばかりは、日中の闘争を忘れて楽しませていただくとしよう」

 表面上の口上とは全く異なる剣呑な雰囲気を纏った両者は、しかし互いに固く握手を交わしながら微笑んだ。
 商業ギルドに申請された瞬間から世界を震撼させた、フルブライト商会とカタリナカンパニーによる、世紀の一大トレード。
 その実施会場として指定されたこの海上都市バンガードにて、本トレードのカタリナカンパニー側代表として挑む人物こそ、今宵のホストであった。

「・・・さぁ、どうぞお入りください」

 そう言いながらゲスト一団をホテル従業員に会場内へと案内させ、男は会場入りする一団の背中をじっと見ながら、やがて懐から葉巻を一本取り出す。
 彼の側に控えていた執事が慣れた手つきで葉巻の吸い口をシガーカッターで切り落とし、火をつけた。
 何度か吸って火のついた葉巻から、たっぷりの煙を鼻腔を通じて燻らせる。そうしながら男は、どこか憎らしげな表情を浮かべながら、一人その場で凄みをきかせた。

「・・・ったく、どいつもこいつもこの俺様を舐めくさりやがって。今に見てやがれよ・・・」

 世界で最も注目される史上最大のトレードを仕切る、カタリナカンパニー側の人物。
 今こうして葉巻を燻らせるその人物こそは、つい最近まで世界第二位規模の巨大企業を一手に率いていた経済界随一の剛腕、ラブ=ドフォーレその人であった。
 ラブは吐き捨てるようにそう言うと、その「剛腕」の名に似つかわしく実に含みのある笑みを浮かべながら、火をつけたばかりの葉巻を惜しげもなく地面に放り捨て、ゆっくりとした足取りで賑やかさを増す会場へと入っていった。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・12 -トレードの終結-

 

「ひっさしぶりじゃん。ウチとのトレードほったらかして、二週間も行方くらましてくれちゃってさぁー?」

 相変わらず地べたにへたり込んだ状態のラブを見下ろしながら、キャンディは彼女なりに最大限嫌味っ気たっぷりな表情でそう言った。とはいえその幼い表情からは嫌味というよりは多少生意気程度の印象しか与えられない様にも思われるが、それでも今のラブには効果的だったようだ。 
 怯えの色が顔に浮かんだラブに気をよくしたのか、キャンディはそのまま畳み掛けるように、脇に抱えていた一枚だけの書面と分厚いファイルを其々彼の目の前に投げ落とした。ラブはそれを虚ろな視線で追い、うっすらと唇を動かす。

「これは・・・」
「紙っぺらの方には、あんたらの現在の総資産が書いてあるよ。ま、超マイナスだけどね。んで束の方には今回の騒動で縁切りを決めた、あんたんとこの元提携企業リストとそれによる減資産額、各港からの返品要請の武具とか交易品とか貯蔵塩量、及びその返金額ね。あとは各国の規定に応じた取引禁止品目を扱ったことによる罰金。取引が行われた数だけあるから、これがアホみたいに膨大な数字になってるかな。ありがたく思ってよね、態々ウチが全部調べて計算してあげたんだから」

 キャンディの言葉を聞いて、依然として呆然とした様子のラブが一枚の紙を手に取る。そこには、確かに自社の名前。そして総資産には、こう記されていた。

【−500000000 aurum 】

「マイナス・・・五億オーラム、だと・・・?」
「そうだよ。マイナス五億。細かい数字はそっちのまとめたやつ見てくれればいいけど、結果はそれ。ま、これから各国憲兵がどんないちゃもんつけてくるのかは知らないけどね。でも現状の数字と規則に則った罰金の差し引きは、その数字」

 キャンディの言葉を聞き終わる前に、ラブはまるで目覚めた瞬間遅刻を悟ったかの如くに大慌ての様子で用意された資料に齧りつくようにしながら、その内容を食い入るように確認する。
 マイナス。
 マイナス。
 マイナス。
 その資料に記された数字は、そのどれもが資産減算の嵐だった。そしてそれらは全てキャンディの言う通りの項目で構成されており、彼が見る限りでもその資料には、絶望的な程に疑いの余地がない。
 有り得ない。これは、全く有り得ないことだ。ラブは無意識のうちに、有り得ないと繰り返し呟いていた。
 何故こうなってしまったのか。彼は殆ど機能していないであろう思考能力で、この自体の責任がどこにあるのかを考えた。
 そして、一つの答えにたどり着く。

「・・・そうだ、親父が悪いんだ・・・。こんな、化け物になっちまってこんな騒ぎを起こして・・・」
「・・・あーさっきのあれ、モンテロ氏だったのか。成る程ね、確かにその方がやり易いか」

 ラブの呟きに応えたのは、キャンディの後ろからひょいと顔をのぞかせた男だった。まだ年若い様相で、手には先ほどまで魔物と戦っていた名残からかロングソードを持っている。

「おっと、こりゃ失礼。お初だったな、ドン•ドフォーレ。俺はポールってんだ。一応、カタリナ・カンパニーの営業部長を任されている。ちーっと野暮用があったんで登場がトレードの最終局面になっちまったが、まぁよろしくな」
「トレード・・・?」

 ラブがポールの言葉に対してそれだけ答えると、ポールはにんまりと笑みを浮かべながらロングソードを腰の剣帯に仕舞いつつ頷いた。

「そうさ、トレードだよ。俺はそれを終結させるために、ここにきたのさ。って事で悪いがキャンディ、管理員連れてきてもらっていいか?」
「おっけ。あ、あとでご飯おごる約束、忘れないでよね!経費切るの無しだからね!」
「お、おう、もちろんさ。俺も男だ、二言はない。パーっと祝賀会して、たらふく食わしてやるよ。シーホークのフィッシュボールと豆スープは絶品だからな」

 呆気にとられているラブの目の前で、ポールとキャンディは明るい様子で話を進めていく。
 そして程なくしてキャンディがその場に集まっていた群衆の中からトレード管理員の手を引きながら引っ張り出してくると、ポールはラブに向き直って言葉を続けた。

「さて、キャンディが纏めてくれたその資料には一通り目を通してくれたと思うが、御社の現時点の資産はマイナス五億オーラムだ。因みにこれは、今現在のトレードにてそちらが拠出している三億オーラムを加味していない。これはトレードルールに於いて、トレード拠出金はトレード終了まで出資者であろうと動かすことはできないという部分に拠る」

 そうだ、そういえば自分は彼らとトレードをしていたのだった。ポールの言葉を受けながら、ラブはぼんやりとその事実を思い出していった。

「もう数日もすれば、各国の軍団がお前さんの捕縛令状と罰金の回収のために来るだろう。つまり会社存続の為には、少なくともお前さんはお縄になる前のこの数日の間に五億オーラムを用意しなければならないわけだが・・・」

 最早ドフォーレに、そんな拠出金はない。そんなことはこの目の前の男も、最初から分かっているはずだ。ラブは即座にそう思った。ドフォーレ商会の現在の主軸事業は、間違いなく塩なのである。これが消えれば他の事業の利益分で五億などという数字を賄うことが不可能なのは、部外者でも分かりそうなものだろう。
 ポールはまるでそんなラブの思考を読んでいるかのように、口の端を釣り上げて笑って見せた。

「さて・・・ここでお前さんに、我らの本取引における最大のステークホルダーを紹介しておこう。さぁ、こちらへどうぞ」

 ポールがそういって彼らの後方にいた中の一人に声をかけると、二人の人影がラブの前に姿を表した。
 一人は、とても美しく淡い海色の髪の美女だった。マクシムスガードの金髪の女に勝るとも劣らない、この世の美を集めたような輝く容姿。それはまるで神の手によって作り出された完璧な美術品のような女性だと、ラブは場違いに考えた。そしてその女性の後ろに控えるようにして立っているもう一人は、屈強という言葉をそのまま体現したかのような目つきの鋭い白髪短髪の浅黒い肌をした男だ。その全身は簡素な格好だが何故か右腕だけが二の腕あたりまで美しく神々しい手甲で覆われており、その圧倒的な存在感だけで生半可な賊などは怯んでしまうことだろう。そんな二人の居並ぶ様は、宛ら美しき女王とそれを守護する騎士の如く。
 無論それは、ラブだけが感じた印象ではない。その場に集まり動向を見つめていた民衆全てが、同じように感じ入りながら二人を見つめていた。

「お初にお目にかかります。私は、ミューズ=クラウディア=クラウディウスと申します」

 ミューズの美しい声色で耳に入ってきたクラウディウスという名に、ラブは当然ながら、聞き覚えがあった。それこそは神王教団のメッサーナ王国での台頭のために没落したピドナの名門貴族にして、嘗て経済界に君臨した大商会の名だ。無論のことラブにとっては、商会としてのクラウディウスの方が印象には強く残っていた。あの規模の商会が没落するのは、世界経済に於いてはとても大きな事件だったからだ。

「察していると思うが、こちらはかつてあった大商会、クラウディウス商会のご令嬢だ。元々旧クラウディウス系の企業は弊社に数多く合流しているが、本日は彼女が一門を代表して個人的にカタリナ・カンパニーへ出資してくださるということで、わざわざ弊社の社運を賭けたこのトレード会場へとお招きしている」
「はい、そういうわけなのです。それでは早速ですがポール様、どうぞこちらを」

 そういってミューズは、ポールへと一枚の書状を手渡した。ポールは態とらしくその書状を広げて中の文を確認すると、へたり込んでいるラブに合わせてしゃがみ込んだ。その座り込み方が所謂盗賊座りと揶揄される座り方だったので、シャールが微妙に眉間にしわを寄せている。

「さて、たった今クラウディウス家から融資を受けた。なんとその額、二億オーラムだ。流石はあのクラウディウス一族。一中小企業じゃ逆立ちしても集まらない資金だ。さてラブさんよ。この二億だが・・・意味は、わかるな?」
「・・・それを、このトレードに拠出するというのか」

 幾分か冷静さを取り戻した様子のラブの言葉に、ポールはご名答とばかりにニヤリと笑って見せた。

「・・・一体何のためだ。最早、ドフォーレ商会は死に体。仮に残っても、もう企業としての価値はない。お前達がそのような金を使ってまで買収する意味など、何もないだろう」

 ラブはこの場の急展開を眺める中で、何故かとても頭の中がすっきりしたような感覚にあった。そのお陰か先程までの混乱が嘘のように今は冷静さを取り戻し、そしていつまでも尻餅をつくようにへたり込んでいるのも具合が悪いと思い胡座を描くように座り直しながらポールにそう問うた。 
 つまるところ何のつもりかは知らないが、ポールはたった今融資を受けたばかりの二億をトレードに拠出するつもりのようだ。そうすると、トレードの場にはドフォーレの三億とカタリナカンパニーの二億、計五億オーラムが並ぶこととなる。
 そして今回のトレードを仕掛けたのは、カタリナカンパニーだ。ここで仮にドフォーレがトレードの敗退を宣言すれば買い手・・・つまりカタリナカンパニーの勝利となり、受け手であるドフォーレには買い手側拠出金の全額が振り込まれることになる。つまりドフォーレには、自らの拠出した金額と合わせて五億が振り込まれるということだ。それがあれば、今現在直面している総資産のマイナスを消すことは出来る。そうなれば、取り敢えずドフォーレ商会が潰れるということは、なくなるのだ。
 しかし、果たしてそのようなことを彼らがする意味はなんなのか。それがラブには、全く分からなかった。

「あれ、お宅聞いてなかったのかい、うちの従業員達が何て言ったか。なぁ?」

 ポールはラブの言葉にそう応え、又しても後ろの人影に声をかけた。
 それに応えて現れたのは、二人の美しい女性だった。服装こそあの時と違えど、ラブにとっては忘れもしない、それこそはこれらの出来事の予兆にあたる『宣戦布告』を行なった、マクシムスガードと思われる二人であった。

「ご無沙汰しておりますわ、ラブ=ドフォーレ様」

 そういってモニカが恭しく着衣の裾を摘み上げてお辞儀をする。対照的にエレンは、興味薄げに見下ろすのみだ。

「彼女らは、ちゃんと言っただろ。お宅らの『宝物庫』の中身を全部買い取る、ってな。俺はまぁ、ちょいとそれに用があってね。そりゃ勿論お宅らが潰れてから回収してもいいんだが、そっちの方がこっちにとっても色々と面倒だしな。なら買い取る方が合理的ってわけだ」

 ポールの言葉に、しかしラブは最早どうでもいいという風にふんと一息だけついた。
 確かにドフォーレの港の隠し倉庫に置いてあるものは、世界各地から様々な非合法手段を用いて集めてきた貴重品ばかりだ。だがそれだけに、これらは即座に金に変えることができない。中長期的な資金繰りの一環として、または神王教団等の他方勢力との協力の一環として行なっていたことだが、これも最早、今の彼にとってはどうでもいいことだった。
 文字通り、今の彼はそれらに価値を見出していなかったのだ。
 しかしそれは諦めともどこか違う、彼自身にも理解の及ばない不思議な感覚だった。何故自分は、あのような目的のもとに動いていたのか。それが今になって、何故か全く理解できないでいた。

「・・・好きにしてくれ。もう俺には、何も残されてはいない」
「そうさせてもらうよ。ってことでほれ、キャンディ」

 ポールはそこで改めて、管理員の横に立っていたキャンディを呼び寄せた。

「締めだ。よろしく頼むぜ」
「・・・なーんか癪に触るけど、まぁいいよ。お膳立てに乗ったげる」

 どこか腑に落ちない様子のキャンディだが、しかして本件の止めを担うことには悪い気はしない。気を取り直してふふんと鼻を鳴らすと、改めて管理員へと歩み寄り、会心の笑顔で以って無言で手を伸ばした。
 そんなキャンディににこりと笑顔で応えながら管理員が懐から取り出した書面を受け取ると、キャンディはそのままラブの前にどかりと座り込んだ。そして彼女はラブにその書面を突き出す。

「言ったっしょ。ウチは、このトレードに勝つって。有言実行、しにきたよ」

 太陽の光を反射するように爛々と目を輝かせながらそう言うキャンディに対し、ラブは思わず自嘲気味にふっと笑った。
 そう、彼は確かにこの少女を初見で見下し、舐めてかかった。あの時点で自分がもっと様々なことを考え慎重に事を運ぼうとしていれば、ひょっとしたら今とは違う結末があったかもしれない。
 だが、自分は選択を誤った。そして言葉通り、この少女に負けたのだ。
 しかし不思議と、悔しいという気持ちは彼の中に湧いてこなかった。
 寧ろ全てが終わった事でいっそ清々しさすら覚えつつ、しかしそれでは目の前の少女も納得行かなかろうと思い、ここは敢えて憎まれ口を叩いてやることにする。

「・・・まさかテメェみたいなガキに、このドフォーレが負けるなんてな。くそむかつくぜ」
「言ってろ豚野郎」

 お互いが口汚く罵り合いながら皮肉交じりに笑ったかと思うと、ラブはキャンディから書面を受け取り、管理員が差し出してきたペンでさらさらと署名を施した。そしてその書面を、ペンごとぶっきらぼうに管理人に突き出す。

「ほらよ・・・ドフォーレ商会は現時点にてカタリナカンパニーの買収提案と提供資金を受け入れる事とし、本トレード終了を要請する」
「・・・確かに、確認致しました。それでは、これにて本トレードの終結と致します。双方の拠出金はルールブックに則り即座にドフォーレ商会へと入金を行います。また、本件は買収規模が非常に大きいため、速やかに業務統合の手続きにお進みください」

 管理員がそう宣言したその瞬間に、キャンディは堪らず飛び上がった。

「いぃぃぃよっしゃああああ!!」
「っち、いちいちイラつくガキだぜ・・・」

 ラブはキャンディの様子に悪態を吐きながら、しかしやはり何処か晴れ晴れとした面持ちで空を仰いだ。

 

ドフォーレ事変エピローグ side A

ヤーマス商業ギルド中央会館、トレード管理員の業務日誌より抜粋

『某月某日。投書にてトレード申請あり。なんと、ピドナの企業によるドフォーレ商会を相手取る旨のトレード申請だ。これはヤーマス商業ギルド発足以来最大の珍事と言える。申請企業名は、カタリナカンパニー。メッサーナジャーナルの経済欄では最近よく名前を見る企業だが、これは流石に無謀としか言いようがない。担当するのが自分かと思うと、今から気が重い。ドンは機嫌を損ねると厄介なんだ』

『某月某日、トレードが開始された。が、なんとカタリナカンパニーの代表として会館に訪れたのは、年端も行かぬ少女だった。それこそ、私の息子と変わらんような年頃だ。その後ドンドフォーレも会議室に訪れ、開始宣言後に即座に三億オーラムの拠出。怯える少女のことを見て居られなかったが、なんとその後に売り言葉に買い言葉なのか、少女はドンドフォーレに必ず勝つなどと喧嘩を売ってしまった。その後に色々と資料請求をしてきたが、最早結果は見えているだろう。せめてあの少女があまり過酷な目に遭わないように願うばかりだ』

『某月某日。今日は朝から慌ただしかった。年に一度の麻薬取締ショーかと思ったら、今回は規模が段違いだ。ドフォーレさんも普段よりピリピリしていたように感じる。こちらも許可証等々の発行で港と往復しっぱなしで大忙しだった。昨日から寄宿しているキャンディという少女はうちの取引帳票を勝手に漁っているようだったが、構っている暇もない。問題を起こさなければいいのだが』

『某月某日。とんでもないことが起こった。ヤーマス塩鉱に麻薬精製工場が併設されていたなんて、これは商都ヤーマス始まって以来の大事件だ。ドフォーレさんは体調不良だとかで全く会えないし、麻薬捜査官は慌ただしく一部が引き上げていくし、これから一体どうなることか。こうなると開催中のトレードも、雲行きが怪しくなってきた。キャンディさんは二週間待ってくれと言っていたが、こんな状況では最早トレードどころではないのではなかろうか。しかし職務上放棄するわけにもいかない。とにかく今は状況を見極めるしかない』

『某月某日。麻薬精製工場発見から一週間が経ったが、特に大きな動きはあれからない。ドフォーレさんは相変わらず出てこないし、捜査官も何やら手詰まりの様子だ。今しばらくはこの状況が続くのだろうか。私もすることがないので、今日もキャンディさんと帳簿の整理をしていた。あの子はとても利発的だ。それに妙な人懐っこさがあるので、すっかりこのヤーマスの中央会館内でも人気者になった。彼女の提案でこれまで雑多な管理だった帳簿の整理もとても進んでいるし、とても助かっている。トレードの結果が彼女にとって有益なものになるよう、職務柄肩入れが厳禁なのはわかっているが、願わずにはいられない』

『某月某日。来訪者があった。カタリナカンパニーの営業部長ポールと名乗る男だ。キャンディさんと会った途端にポールという男は何故か驚くしキャンディさんは何やらとても怒った様子で詰め寄っていたが、すぐに二人で部屋に閉じこもって色々と打ち合わせをしていた。その後同じくカタリナカンパニーの従業員を名乗る三名が来訪した。男性一人は緑っぽかった以外にあまり印象にないが女性二人は非常に美しく、館内の皆が見惚れていた。眼福とはああいうものをいうのだろう。その後はキャンディさんだけがまたこの場に残り、初日の時のように何やらずっと計算を繰り返しているようだった。途中様子を見に行った時の彼女の表情は、初日に比べてどこか安心したようだった。やはりあの年頃で一人でここにいるのは負担もあったのだろう。彼女が年相応の子供であるということに、もっと意識を向けなければならなかった。管理員以前に、一人の親として私も反省せねばならない』

『某月某日。またしても大事件だった。このヤーマスの街中に二度も魔物が暴れるなど、まるで聖王様以前の時代のような大事件だ。しかもこの日は、更に歴史的な瞬間でもあった。あのドフォーレが、トレードで敗北したのだ。まさか本当にキャンディさんの勝利で終わるとは、この仕事をやって二十年になるが私も全く予測できなかった。しかし、本当に喜ばしい限りだ。彼女の元でなら、ドフォーレはきっと良き企業として再生するものと信じられる。また驚くべきことに、あの名門クラウディウス商会のご令嬢と名乗る女性にもお目にかかることができた。クラウディウスは私の知る限り最もコンプライアンスに優れた企業だったが、清廉という言葉を表したような美しさのご令嬢を見ると、それは当然だったのだと確信する。これを機にクラウディウスも再興すると言うのなら、それは経済界にとっては大いに歓迎するべき事だろう。兎に角、今夜はこれから祝賀会だ。トレードが終わったからこそ、私も是非とも一言お祝いの言葉を述べに駆けつけなければならない』

『某月某日。珍しくメッサーナ王国軍から早々に正式な事件のあらましが公表された。なんとあの事件の魔物の正体は、ドフォーレ商会会長のモンテロ氏に化けていたということだったのだ。ラブ氏もその魔物に操られていたとのことだそうなので、全く驚くべきことだった。そういえば今年の初めのほうにロアーヌで魔物が手引きした事件があったと記憶しているが、このヤーマスにもこのような事件が起こるとは、予想だにしなかった。ドフォーレは取引禁止の罰金こそ免れなかったが余罪は魔物の策略ということで不問になり、ラブ氏も一度は捕縛されたが直ぐに釈放され、カタリナカンパニーの元で一から出直しとなるようだ。因みに今回の事件で魔物退治に姿を見せていたあの怪傑ロビンは、今回のドフォーレ騒ぎを最初から見抜いていたということでこれまでの罪状が全て消えたとのこと。まぁほとんどドフォーレが憲兵に圧力をかけて罪人に仕立て上げていたようなものなので、これも納得の結果といえる。街の平和を守る怪傑ロビンと、キャンディさんのいるカタリナカンパニーがいれば、きっとこの自由の街ヤーマスは今後益々の発展をしていくことだろう』

 

ドフォーレ事変エピローグ side B

「いやいやいや、まだあたし全っ然今回の内容分かってないんだけど!」

 一連の騒動から漸く街が落ち着きを取り戻してきたその夜、ヤーマスではすっかり定番となったシーホークにてエレンが手にしたジョッキの中身を豪快に飲み干したのち、唐突にそう叫んだ。 
 その言葉に反応して同席していたモニカとユリアンが彼女に視線を向けると、エレンはジョッキのお代わりを通りかかったライムに求めながら彼らに話を振る。

「なんかすっごい万々歳のハッピーエンドっぽい流れだけどさ、ぶっちゃけあたし全然話についてこれてないの。ユリアンとモニカは!?」

 そうエレンに問われ、ユリアンとモニカは其々顔を見合わせた。

「あーまぁ・・・俺も正直よく分かってないけど、元々商売の話されてもあんまりわかんないからなー。モニカは?」
「わたくしは一応ポール様から大凡の話はお伺いしましたので、大枠の理解はしているつもりですが・・・」
「えー、じゃあモニカ教えてよー」

 ボイルソーセージを三本同時にナイフに刺しながらのエレンの願いに、モニカは快く承諾をした。酒が回って機嫌が良くなったのか必要以上にエレンは感謝の意を述べ、更にはお礼と称してモニカにソーセージを一本あーんさせてから、態とらしく真顔になった。

「じゃあじゃあ、あたしそもそも疑問だったんだけどさ。今回のトレードって、ぶっちゃけ勝つ意味あったの?」
「うわ、ほんと根本だなそれ。でも俺も、それ実は思ったなー」

 エレンの最初の問いに、ユリアンも同意を示す。
 彼ら二人の言い分はつまり、こうだ。結局麻薬工場の暴露でドフォーレは壊滅するように仕向けたのだから、態々カンパニーからトレードを仕掛けた挙句に二億オーラムを払ってまで勝つ必要はあったのだろうか、ということであった。
 それに対し、モニカは北方特有のしっかり冷えた辛口の白ワインを頂きながら応じる。

「それはですね、いくつか理由はあったようですわ。中でも一番大きな理由は、わたくしとエレン様で」
「エーレーン!」
「あ・・・すみません。わたくしとエレン・・・で拝見したドフォーレ商会の倉庫にあるものが欲しかったそうですわ」

 途中で注意され、どこか気恥ずかしそうにしながら言い直すモニカに、エレンはやってきたジョッキを受け取りながらにんまりと微笑んで返す。つまるところ、自分は呼び捨てするのに様付けで呼ばれるのが納得いかなかったらしいエレンが、ヤーマス塩鉱の道中でお互い呼び捨てを強引に宣言したのだった。
 その様子を一際微笑ましく眺めていたユリアンは、しかしモニカの言った内容には疑問符を浮かべた。

「そんなに価値があるものだったか・・・。二億オーラムなんて、途方もなさすぎて全く想像が付かないけどな」
「そうですわね。なんでも、聖王遺物に匹敵する程の禁呪が記された魔道書があの中には含まれていたそうですわ。ただ実物の解読をミューズ様に試みてもらったものの、殆ど分からなかったとか。確かにそんなものならば、お金で買えるのならば出す価値はあるのかもしれませんわね。解読については聖王家かモウゼスの魔術ギルドに持ち込む予定らしいですわ」
「なるほどねー」

 あそこがそんなにすごいところだったなんて、と腕を組んで思い出す仕草をしながらエレンが唸ると、モニカも同じく思い出しながら微笑んだ。

「他には勿論、ドフォーレ商会がこれまで築いていたルーブ地方での基盤をそのまま利用できるのは非常に強い、とも言っておりましたわ。塩鉱は統制を失った魔物の巣窟に戻ってしまったので商業利用は断念せざるを得ませんが、それでも海運事業等は流通の上で非常に有利に働きます。それに・・・破産した場合にドフォーレの下請け企業の多くが一気に露頭に迷うことになるのを防ぐ側面もあったのではと、わたくしは思っております」
「あー、確かにそういうのはトムとかすんごい考えそう。道理でお金を惜しまないわけだ。今のが一番納得したかも。でも、ポールとかドヤ顔で『お、俺は魔術書が欲しかっただけだー』とか無駄にカッコつけそう」

 モニカの考察にエレンが頻りに頷きながらジョッキを傾けつつ微妙にポールをディスると、言いそう言いそうとその場の一同に笑いが起きる。そして一頻り笑った後、今度はユリアンが控えめに手を挙げて周囲に聞こえないように多少声を潜めながら口を開いた。

「モニカ、俺からも一つ聞いていいかな。ドフォーレの狙いって、結局なんだったんだろう。あいつらは塩に麻薬を混ぜて流通させていたけど、あれってそもそも麻薬としての価値はないってポールは言っていたし・・・」
「それはロビン様も仰っておりましたが、わたくしはむしろ今回の首謀者がラブ氏ではなく魔物の化けたモンテロ=ドフォーレだったと考えれば得心が行くと思っておりますわ」
「・・・つまり、どゆこと?」

 ユリアンの疑問もまた、至極当然だった。抑も今回の事件を暴く最大のきっかけは、ロビンとユリアン、ポールの三人による塩に擬態した麻薬の秘密裏の摘発に端を発する。
 だが彼らが発見したその『麻薬』は、塩と混ぜており麻薬としては売り物にならない状態だった。これでは、あとで分けることも不可能に近い。だが麻薬としての成分はしっかり含まれているので、人体には有毒だ。少量なれど長期間の服用が続けば、いずれ人類に甚大な被害を齎らしたことは間違いない。
 何故ドフォーレは、稼ぎにもならないのにそのような危険物を流通させていたのか。
 それについてモニカは、この行為の首謀者がラブではなくモンテロであると読んだのだ。

「ポール様も同じ見解でしたが、恐らく本物のモンテロ氏は、死蝕からそう時間が経たぬうちにあの魔物によって殺害されていたものと思われます。そしてモンテロ氏に扮した魔物が長きに渡りドフォーレ商会を支配してきたのならば、その目的は企業の成長などではなく人類に仇為すため・・・そう考えるのが自然ではないでしょうか」
「そうか・・・そういえば捕まってすぐに釈放されたラブ=ドフォーレも『何故こんなことをしたのか、自分でもよくわからない』って言っていたらしい。洗脳みたいなものを受けていたってことなのかな」

 モニカの言葉に、ユリアンもまた頻りに頷きながら答えた。
 そんな二人の言葉を聞きながらジョッキをあおっていたエレンは、一気にその中身を飲み干してから口を開く。

「・・・っぷはぁ、なーるほどねー。じゃあ今回あたし達、ある意味世界を救ったようなもんじゃんね?」
「おお、確かに!」

 今になって気がついたようにユリアンが感嘆の声と共に同意すると、でしょでしょと言いながら気を良くしたエレンはホールのライムに向かって空のジョッキを振った。

「じゃあ世界救済祝いに皆んなでもう一杯!ライムおねがーい!」
「はい喜んでー」

 エレンの快活な声にいつもの調子で応えたライムだったが、普段はあまり明るい雰囲気を出さない彼の表情も今日ばかりはどこか晴れ晴れとして誇らしげであった。

 

ドフォーレ事変エピローグ side C

「なーんて平和に終わってたまるかっての。今日こそは全部教えてよね」
「おいおい・・・早めに寝たほうがいいんじゃないか?」
「はぐらかさない!」

 飲み屋通りの喧騒から離れたヤーマスの宿の一室では、水と果汁で薄めたワインをちびちび啜りながらキャンディがポールに絡んでいた。対するポールはエレンに付き合って流石に連日飲みすぎたのか、ウィスキーを炭酸で割ったものをゆっくりと飲みながらキャンディの様子に肩を竦めて見せた。

「結局さ、ポールは一体いつからドフォーレの正体に気づいていたの?」

 背もたれのある簡素な椅子に逆から座り、背もたれ部分に腕と頭を乗せながらキャンディが矢継ぎ早に続ける。どうやら質問に答えてくれるまで徹底的に居座る様相であるキャンディに、ポールは早々に抵抗など無駄であろうと悟り小さくため息をついてから口を開いた。

「まぁ・・・感づいたのは俺も最近だよ。それこそ、制圧後の神王教団ピドナ支部を漁っている時だ。そこでまず、教団とドフォーレの麻薬を含めた黒い繋がりを示す幾つかの証拠を見つけた。その後に捕縛した教団員に余罪についての尋問をした際、その中に偶然にも過去のガーター塩田襲撃の実行犯がいてな。結局そいつ自身は襲撃の目的も何も知らなかったんだが、俺はどうもそれが気になって、ちと調べようと思ったのさ。因みにモニカ達に頼んだ小芝居も、この時思いついた。あとはまぁ、お前さんが辿ったルートとそう変わりはないと思うぜ」
「でも、ウチは塩と麻薬がごっちゃって部分は読めなかった。ポールはなんでそこまで・・・?」

 ポールがつまみ用に用意していたドライフルーツを断りもなくひょいとつまみながらキャンディが聞くと、ポールはにやりと笑いながら、勘だ、と一言だけ応える。
 それにキャンディがさも胡散臭いものを見るように無言の半眼で応じると、ポールは毎度の如く肩を竦めながら自分もドライフルーツを口に放り込んだ。

「んーまぁ、まず魔物が絡むって時点で首謀者が人間ではない可能性の方が高いとは睨んでいたんだ。なにせ俺はロアーヌ宮廷の一件を、この肌で感じていたしな。こりゃもう経験の差だろう。あとは塩の単価がこれまでの水準からしたらあまりに安価で且つ数年全く動かさない事から、塩流通の主目的が金稼ぎではないんじゃって事も薄っすら思ってはいた。この辺は、普段の値段変動を見続けていなきゃ気付き難いわな。んでまあ、そこから魔物が裏にいるのと過去から麻薬の出所が不明であることを合わせつつ収集した資料を元に、奴らが塩と麻薬を混合しているっつー仮説を立てた。ただピドナでドフォーレの扱う塩を調べた時には反応があんまりにも薄くて確信が持てなかったが、ヤーマスで運良くロビンの協力を得て配合の濃いブツも押さえて確信も持てたし、その内容も内容だったからのんびりやるわけにも行かねーしで、今回一気にやったってわけだな」

 ポールの言葉を一つ一つ噛み砕くように耳を傾けて聞いていたキャンディは、どうやら色々と腑に落ちたように一人頷いた。

「・・・そっか、そこまで確信あったから、メッサーナ王国軍が情報統制して事態をちゃっちゃと締める方向に走ることも分かってたってわけね」
「ご名答。しっかしまぁ、そこまで察するか。お前ホント頭いいのな」

 キャンディが指摘したのは、今回のトレードが形式通りに終わり、そしてラブ=ドフォーレも逮捕後、即座に釈放された部分に関してだった。
 そりゃこんなの世間に公表できないもんね、とキャンディは続けた。
 なにしろ今回の件はドフォーレの塩が流通していた都市国家全て、それこそ冗談抜きに世界中を巻き込んだ事件である。しかもドフォーレの塩が流通していた数年来、常に麻薬が少量混入していたという状態だ。こんなことを世間にそのまま公表すれば、これまでドフォーレの塩を買って使っていた国や人々に大きな混乱と不安を招くことになる。焦燥、そして恐怖はアビスの瘴気を活発化させる元凶でもある。
 それになにより、これらを全く防ぐことのできなかったことが世間に知れ渡れば、各国の軍団の権威は失われ、信頼も地に落ちることとなる。そればかりは、メッサーナ王国としては何物にも優先して絶対に避けなければならないことだった。

「まぁ、ラブ氏もどうせ釈放に関しては監視付き且つ他言無用が条件ってとこだろう。兎に角メッサーナ王国軍としては本件を世間に深く探られては非常に具合が悪い。だからこそ、魔物が暴れました。ドフォーレは操られてました。でも正義の味方が倒してくれましたで一件落着!・・・としたかったわけだな。まぁ実際ラブ氏の事件直後の様子を見る限り、意識操作らしきものはあったようだしな」
「でも詰まる所、メッサーナ王国軍にとっては丁度いいカモフラージュ代わりにウチらやロビンさんも利用された、ってわけよね。なーんかそう考えると、イマイチ釈然としなくない?」

 キャンディが不機嫌そうにぷくりと頬を膨らませると、ポールは苦笑してみせる。

「なぁに、この展開のほうが寧ろ俺らにとってこそ都合はいいんだ。今頃、王国軍は苦虫を噛み潰してるだろうさ」
「ひょっとしてそれ・・・ミューズ様のこと?」
「・・・お前は本当に十四歳か? 一体、何処まで読んでるんだ?」

 そういってポールは、彼にしては珍しく本当に驚いたように目を丸くしながら声を上げた。
 対するキャンディはそんなポールの言葉に欠伸で応え、グラスの中身を一口啜ってから口を開く。 

「そりゃ誰だって唐突だなって思うでしょ、あそこでミューズ様が来るなんて。まぁ、今ので大体想像はついたけどさ」
「ま、そうだな。単に金を無心するために呼んだわけじゃあないさ。当然これは、トーマスの旦那も咬んでるしな」

 ポールがそう言うと、キャンディはドライフルーツを掻き分けて皿の底に溜まっていたナッツをつまみ上げ、指で弾いて口に放り込みながら曖昧な返事を返した。

「で、どう言うことなの?」
「これが実は今回の一番の狙いでな・・・ずばり、対ルートヴィッヒ体制の確立、だ」

 ポール、そしてトーマスの狙いはそこだった。
 抑も現在のピドナに渦巻く経済界を中心とした様々な問題はルートヴィッヒ軍団長率いる現体制が齎したものであり、それは軍を通さぬ鉄や鋼等に課される特定品目追徴課税等の施行を以て今後より一層加速していく状態であった。この様な横暴が罷り通りこのまま中央集権が続けば、最早誰にもこの流れを止めることができなくなってしまうという所まで事態は来てしまっていた。 

「・・・つまり、クラウディウス復興でもってルートヴィッヒの一党体制を崩すってことか」
「そう言うことだ」

 現在でも既に、ルートヴィッヒ政権に異を唱えるような派閥は宮廷内には存在していない。そしてルートヴィッヒの情報統制や世論対策は実に見事なものだった。無論商業ギルドに組するものからは反感の声も聞こえてはいたものの、大手企業に対して補填策を用意することで抑え込みが成された。だからこそ付け入る隙もなく手をこまねいていたと言うのが、以前までの話だったと言うわけなのだ。

「って事は、切っ掛けは上半期決算発表会だったわけね」

 その絶対的な均衡が崩れたのは、カタリナカンパニーがピドナにて催した上半期決算発表会であった。
 ここで起こった襲撃事件を機に、ある意味ではルートヴィッヒ政権の象徴とも言われていた神王教団ピドナ支部が魔物の巣窟であったという衝撃的な結末で以って瓦解。これにより五年前に神王教団をピドナへと招き入れたルートヴィッヒの責任を追求する声は、流石の彼の情報統制でも完全とはいかなかったのだった。それ程、あの事件はメッサーナの民にとって衝撃的な事件だった。

「現政権に対する不満が大きくなった直後に、かつてピドナで善政を敷いたクラウディウス家の息女による悪徳ドフォーレの退治劇、か・・・。そりゃあの美貌でそんなことされちゃ、世界中にファンも出来ちゃうよねぇ」

 ルートヴィッヒ上陸以前に故アルバート王の遺志を継いで政治を主導していた故クレメンス=クラウディウスは、アルバート王のそれに習い、神王教団のピドナにおける布教活動を認めていなかった。
 当時はそれを横暴として批判する声も少なからず存在していたが、ピドナでの事件を機に改めてクレメンスの判断は正しかったのだと主張する声は、着実に市井の間で広まっていた。

「・・・そっか、だからこのタイミングか。文句言ったらこの事件を根掘り葉掘り突かれるから、黙らざるを得ないってわけね」
「ご明察。ま、因みにこれの筋書きの基本は、俺じゃなくてトーマスの旦那だよ。ほんとあの人は、商売やらせとくには勿体無いと思うよ」

 頭の中の疑問にやっと合点がいった様子で納得顔のキャンディに、ポールはこれで酒をゆっくり飲めるか等と内心胸を撫で下ろしながら言った。
 当然の事ながら常々情報統制を行う中で、ルートヴィッヒ政権は市井の不満を把握していた。同時に、カタリナカンパニーが事件以前からクラウディウス家と関わっている事も当然認識していた。事の有る無しに関わらず、政権を揺るがす要因と成り得るものは先に抑えておくのが常道。だからこそカタリナカンパニーが初めて公に顔を出した上半期決算発表会には、ルートヴィッヒの片腕である副団長マルセロが出席するという、ある意味であからさまな牽制も行なったのである。
 それだけ現政権としては市井の不満の受け皿を作ることは絶対に回避せねばならなかったという事であるし、現状最もそれに成り得る存在こそがクレメンスの秘蔵っ子ミューズであることも明白だったからだ。
 だがそんな彼らの思惑を大きく外れ、事件は起こった。
 先ずは前述の決算発表会襲撃事件に端を発する、神王教団ピドナ支部瓦解事件。
 ある意味でルートヴィッヒ政権の象徴であり、また市井の不満の意図的な受け皿の役割をすら果たしていた神王教団があのような結果で消滅したことは、ルートヴィッヒにとっては非常に大きな痛手であった。
 この事件の火消しには未だ政権が躍起になっているが、しかし教団という受け皿に騙されていたことも含め、民衆の不満は嘗てないほどに膨れ上がっていた。
 そして、今回改めて世界を、軍の信頼を揺るがしかねない大きな事件が起こってしまった。
 それが、このドフォーレの事変である。
 しかもその表向きの収束をクラウディウスが演出するという、ルートヴィッヒにしてみれば考えうる限り最悪の形で、事件は決着した。
 いや、正確に言えば最悪の形というのは語弊がある。
 彼らにとって何より最悪なのは、微量の麻薬が塩に擬態し数年もの間市民に流出し続けていたという事実に王国軍が一切気付いていなかったという無能を世界に晒す事だった。
 これ以上軍の失態が広まれば、最早ミューズ等という受け皿など無くとも民衆の反乱は目に見えている。それこそ今回の件はピドナだけの話ではない。世界中を巻き込む規模の話なのだ。
 実の所、五年前に突如として台頭したルートヴィッヒを内心快く思っていない各都市の軍団関係者も少なからずいる。だからこそ神王教団に続きこの事件がまたしても軍の不手際であると判断されれば、ここぞとばかりに一斉に近衛軍団の責を問うであろう事も明白だった。
 軍としては、己の不手際を問われる事こそ最悪。だからこそ今回正攻法にて表面上の事件解決を齎したクラウディウスに対し、下手に突っ込みを入れるわけにはいかないのだ。
 『騒ぎを収束させたヒーロー』に物申せば、民衆は当然軍を批判するだろう。そして、なぜ批判するのか、と事件の内情を探り始めるだろう。
 それで事件の真相に触れるものが増えれば、それこそもう収集がつかなくなる。
 だから今回のこの機会であればこそ、ミューズは現政権に邪魔をされる事なく表舞台に立つことが出来たのだ。

「・・・しかも、ラブには相応の条件で今回の件を口止めしてんだろうけどウチらはそういうわけにはいかない。ルートヴィッヒは今回口出しをできない上に、依然としてかなり大きなハンディを背負ったままだ」

 そう言ってポールは非常に意地の悪そうな笑みを浮かべた。
 キャンディはそのあまりにはまり役のような悪役面に軽く引きながらも、グラスを傾けながら続きを催促する。

「麻薬工場におけるドフォーレ、麻薬、そして塩の関係性を表す資料は、全て此方で回収し、持ちきれない分は燃やしてある。軍にはドフォーレと麻薬との関連性に関する参考資料こそ提供したが、塩との混合を示唆する資料は渡していないのさ」
「うっわ、考え方が完全に悪役のそれじゃん」

 ポールの言葉にキャンディが半ば呆れ顔でそう言うと、まるでそれが褒め言葉であるかのように上機嫌な様子でポールは笑ってみせた。

「ま、このカードは次の大きな行動を起こす時の切り札だな。暫くの間は、このカードを切ろうと切るまいと、彼らは疑心暗鬼から強気の行動を起こせなくなる。気を付けたいのは、業を煮やしての暗殺関連だな。クレメンス様やフランツ侯の様な事は絶対に避けなきゃならない。これまで以上に、護衛を確りつけなきゃだな」
「・・・本当に怖いのは魔物より人、なんて使い古されたオチはやめて欲しいもんだね」

 キャンディはそう言いながらチビチビとグラスの中身を啜る様に飲んだ。

「ま、何にせよ今回はこれで万々歳さ」
「なーにが万々歳よ。抑もミューズ様とあんな話になってるなら、最初から言ってくれればウチが態々あんなに焦らずに済んだのに。勝つために自社資金もギリギリまで積み立てる算段だったんだからね。皆んなにいっぱいお願いの書面だしちゃったし」

 キャンディがまたしても膨れると、ポールはそれにも笑って応えた。

「はっはっは、すまんすまん。しかしキャンディのそれのおかげで、すっからかんのドフォーレの事業再生に調達した資金を回す余裕ができたんだ。正直再生には年単位で時間が掛かると踏んでいたが、これなら直ぐにでもドフォーレの持っている地盤やインフラを使えそうだ。今期の決算も総資産爆上げだぞ。感謝しているよ」

 ポールに感謝の言葉をかけられてまんざらでもない様子のキャンディは、ふふんと鼻を鳴らし、壁に掛けられた時計に目を向けた。見ればすっかり、そろそろいい時間だ。
 キャンディは残り少なかったグラスの中身を一気に飲み干すと、小さく欠伸を一つして、椅子から立ち上がった。

「ま、大体わかったよ。ウチも今日は寝る」
「あぁ、また明日な。お疲れさん」

 存外素直に部屋を出て行ったキャンディを見送ったポールは、自分もグラスを一気に傾けて中身を飲み干し、そして一息つきながらふと窓の外を眺める。
 見上げれば夜空には、煌々と輝く月が雲の合間から顔を覗かせている。北方で見る月は、ピドナから見上げるそれよりも輪郭がはっきりしているように見えるのだ。しんと冷えた空気が、そうさせるのだろうか。そう思ってふと窓を開けてみると、予想外に肌寒い空気が流れ込んできてすぐに閉じてしまった。

「・・・寒くなってきたな。今頃キドラントは、冬籠りの支度かな」

 窓の外の景色に向かってそう呟いたポールは、テーブルの上の洋燈の火を吹き消し、自分も早々に布団に潜り込んだ。
 まだまだやるべきことは山積みだが、今日ばかりはゆっくり寝てもいいだろう。そう自分に言い聞かせ、間も無く微睡みの中へと落ちて行った。

 

 

前へ

章目次へ

目次へ

第六章・11 -ドン・ドフォーレの誤算-

 

 鼻息も荒いままに全体重をかけて勢いよくソファに座り込んだキャンディは、両者の間でおろおろしているばかりのギルド管理員に対して自分も飲み物を催促した。頼んだものは、砂糖をたっぷり溶かしたトロピカルティーだ。
 そして矢継ぎ早に、キャンディはここでお昼休憩を一方的に宣言した。兎に角、一度考えを巡らせる時間が必要だと感じた為だ。
 そんな彼女の傍若無人な様子に対し机の向こう側にいるラブは怒りを通り越して最早あきれ顔で、一度自分たちも昼食を取るためにと見張り役を一人入り口付近に残して会議室を後にしていった。その様子をソファからちらりと見ただけで、キャンディは管理員に対して出前のサンドウィッチを頼みながら手元の資料へと視線を落とす。

(さて・・・勢いで勝つとか言っちっけど・・・)

 脇に置いていたくまちゃんを普段の癖で膝の上に抱き寄せ、くまちゃんに覆い被さるようにしながら資料へと視線を落とす。そして羅列されている数字と文章をやや遠巻きに眺めながら、キャンディは可愛く眉間にしわを寄せた。

(そもそも三億オーラムに対抗するような資金なんて、カンパニーには多分ない。うん・・・ないない。そして勿論、自社資金以外のどっからかこさえるってのも難しい)

 自社の直近の決算報告から見る総資産は、先程ラブが読み上げた調書とほぼ変わっていない。無論この二週間で様々に動いた分の変動は加味されていないが、それを加えた上で更に甘めに見積もったとしても、三億等という数字に届くとは到底思えなかった。
 また同盟を組んでいるフルブライトや、社内で進行している各企画グループへからの今期営業利益の緊急拠出を依頼したとしても、精々集まるのは自社資金と合わせて二億あたりが関の山だろうとキャンディはざっくり試算した。

(つかそもそもよ、仮にどうにかして三億をウチらが用意出来たとしたって、対するドフォーレの拠出金が三億で終わるわけがないんだよねー。なんせあっちの直近決算による総資産は十億オーラム相当・・・。改めて考えると、まぁ絶望的な差だよね。なわけで相手を上回る資金を詰んで勝つっていう正攻法は、今回に限っては当てはまんないわけだ。だからこそウチらの戦いは全て事前に集められた資料と情報、そしてポールがきっと今も行ってるはずの仕込みで完成してるはずなんだけど・・・)

 キャンディの手元にある資料は、ドフォーレ商会とカタリナカンパニーの最新の取引帳票。そしてドフォーレの現在の総資産と主な販売商品の流通経路、及びその収益額の概算。その生産方法について等等。特に流通経路やその量、及び現在時点の収益額に関してはサラがこのヤーマスで調査したもののようなので、ほぼ間違いない正確なものが記載されている。

(ここに並んでいる数字を見る限りでは、どっからどうみても見事に数字での勝ち目は無い。そんな相手に対して勝つには・・・・・・。・・・ううん、こっちが戦える数字まで相手を引きずり落とすことが出来りゃいい・・・かな。うん、それ以外には思い当たんない・・・。よし、この線で考えを進めることにしよ。となればドフォーレみたいな規模を相手にちんたら数打っても埒あかないし、一発で最大効果ゲットできるものを狙うしかないよね。そんならドフォーレが一番失って困るのは当然・・・)

 手元の資料に目を落とすと幾つもの数字や商品がそこには羅列されているが、その中でも一際目立つ品目と桁違いの数字を誇る物件がある。それは、ヤーマス塩鉱だった。
 つまり現在のドフォーレにおける最大の収益源は、間違いなく塩なのである。ルーブ地方にあるヤーマス塩鉱から算出される岩塩を精製して食塩を作り、それを世界に流通させる。これが今現在、莫大な利益をドフォーレにもたらしている。

(・・・仕掛けんなら、やっぱこれだよね。ヤーマスでポール達は、対ドフォーレ用の工作を行ってるはず。多分ポールがトーマスさんに頼んで各国に向けて発送した速達も、その一環。勿論、現地にユリアンたちを連れてきたのも関係があるはず。うーん・・・ウチはてっきり商会本館に殴り込みにでも行くのかと思ったけど、そうじゃなかったみたい。じゃ、一体何のためだ・・・?)

 キャンディは用意されたトロピカルティーを一気に半分まで飲み干し、そして徐に資料の束の中から一冊のスクラップブックを引っ張り出した。これはポールがピドナで収集した新聞の切り抜きを纏めたと思われる手製のものだ。ピドナにあった他の数値資料関係より何より、キャンディはポールが態々集めたこのスクラップブックを選んで荷物に入れて持ってきていた。
 それを資料の一番上に乗せ、ペラペラとめくっていく。

(この間はよく見てなかった記事の切り抜きが、まだいくつかあるはず・・・このスクラップブックに、無駄な切り抜きは多分無い。だから、この問題を解決する糸口はこの中にきっとあるはず・・・)

 とはいえ海洋における商業流通関連や魔物被害は、ドフォーレ海運における不審点を導き出す上で大体読み込んでいる。となると、それに関わらない記事は自然と限られてきていた。

(あと目立つのは、ドフォーレの取引禁止品目に関する噂を纏めたものと、ヤーマス都市警護団の出動記録に関する記事か・・・。前者はまあ、昔っからあるやつだ。ドフォーレは昔から盗品の取り扱いや聖王様によって禁止された麻薬の取り扱いに関する噂が絶えなかった。でも、実のところ未だそのしっぽを捕まれたことはないんだよね・・・)

 この噂自体は、商業に関わるものの間ではわりかし有名な話であった。世界各地の港では未だ散発的に麻薬に関する摘発が行われるが、その度に流通経路を摘発した都市国家の軍団が捜査すると、最終的にはこのヤーマスにたどり着く。だがこれまで、ドフォーレに強制捜査が入ったことは一度たりとて無い。それはドフォーレが拒否するどころか寧ろ麻薬に関する調査に非常に協力的で、自社の倉庫の開放は愚かドフォーレの呼びかけによってヤーマス港に倉庫を持つ全ての企業が捜査に応じるように仕向けたりといった行動があったからだ。
 無論これを所謂「ポーズ」であると批判する意見はあるが、事実としてヤーマス港では未だ麻薬そのものが発見されたことが無いことから、ドフォーレを含むヤーマス港を利用する企業には疑いを向ける余地が無いと軍団は判断せざるを得ないのだ。

(でもこの記事を集めたということは・・・ポールはドフォーレと麻薬にはやっぱり繋がりがあると疑った・・・いや、ほぼ確証に近い情報をどっからか手に入れたってことだ。多分現地での工作は、これに関係してるはず。でも・・・単に違法取引をしょっ引くだけならメッサーナ王国軍への情報提供で十分じゃんね・・・。強制捜査が入れば、それで一件落着・・・にはなんないのかな。うん・・・多分、なんないんだ。それで済むなら、ポールはハナからそうしてる。そうしてないって事は、これは軍団による捜査ではなく自分たちで仕留める必要がある。だからポールは手元に戦力が欲しかった・・・ってことかな。うん、確かに海運時代からドフォーレが魔物とグルっていうウチの予測が当たりなら、今回も魔物との戦闘はあり得る。魔物相手ならそりゃ戦力は欲しい。でも・・・あとはこっから塩にどう繋がるか、だよなぁ・・・。ポールがこの情報を集めた上で戦力を揃えたってことは、取りあえず麻薬と魔物までは間違いないと思うけど・・・)

 集中していて見過ごしたか、いつの間にか机に運ばれてきていたサンドウィッチに気がつき有り難くそれを頬張る。分厚く切られたライ麦パンの間に挟まれた良く燻された香ばしいベーコンに、新鮮なレタスとトマトがよく合う。食欲をそそるベーコンの油としゃきしゃきとしたレタスの歯ごたえを楽しみながら、キャンディは行儀悪くスクラップブックに視線を落とし続けた。

(ええっとあとは、都市警護団の出動記録か・・・。これは海洋関係じゃなくて、陸地・・・ルーブ山脈周りや街道とかの魔物発生に対しての掃討作戦が主な記事みたい。竜種みたいな強さが半端ない存在の周りには自然と魔物が集まるっていうし、そりゃ竜峰を仰ぐ地方ともなれば都市警護団もしょっちゅう出動するってわけだ。ご苦労様なことだよ・・・。ってか、記事の頻度だけみると出動めちゃくちゃ多いな・・・年間でかなりの数の出番がある。ルーブ山の麓の周りとかって、結構危ないんだなぁ。この辺の木こりさんとかハンターは大変そうだ・・・。・・・・・・・・麓?)

 二度三度瞬きをしてから何かが引っかかったキャンディは、サラが用意していたヤーマスとルーブ地方の周辺地図を資料の合間から引っ張り出した。これには、先に確認したとおりドフォーレの扱う商材の主な生産地や流通ルートが記載されている。

(・・・ビンゴ。ヤーマス塩鉱って、位置がまんまルーブの麓じゃん・・・。そっか、世界中に流通するほどの産出量を誇る塩鉱だってのにこれまで発見されてなかったのは、魔物に阻まれていたからか。でもドフォーレは魔物と裏で繋がっているから、楽勝でそこに到達できた・・・。よし、繋がる繋がる。ん、でも待てよ・・・それはそれとして、仮に魔物を一時的にどうにかしたって塩鉱そのものは消えるわけでもないんだから、別にポールが魔物を蹴散らしてまで塩鉱にいく意味あんまなくない? となると、じゃあ一体・・・)

 一つ目のサンドウィッチを食べきったキャンディは、間髪入れずに二つ目のサンドウィッチに手を伸ばす。もう一つは北海特産のサーモンをたっぷりと挟み込んだフィッシュサンドだ。脂ののったサーモンに舌鼓を打ちつつ、キャンディは頭を捻る。

(魔物はルーブ山脈の麓・・・あとは塩鉱の辺りにもごろごろ居る。ポールは魔物と相対する為に戦力を揃えた。んで、魔物と麻薬は関わりが・・・ある・・・)

 そこまで考えたところで、キャンディは止まった。
 それはつまり、彼女の中で一つの推論に辿り着いたことを意味していた。

(・・・ドフォーレは麻薬と関わりがあるとポールは踏んでる。でも麻薬は、流通の要である港ではいつも見つかんない。だから保管場所は・・・別にある。簡単には見付からないような、人目に触れない場所・・・例えばヤーマス塩鉱のように魔物が多くて、うっかり近づけないとこに麻薬の保管場所があったらグレート・・・。サラの資料に寄れば、採掘された岩塩の精製は塩鉱の近くで行ってる。もしそこで一緒に麻薬の精製もしてれば、そこから運ばれてくる塩と共に麻薬も移送出来る・・・。あとは港で保管なんてしないでちゃちゃっと速攻船に積み込んで出航しちゃえば、捜査で見つかることも無いんだ・・・)

 額を、嫌な汗が一筋下る。これが単なる妄想であるならいいものの、しかしここに至っては手元に様々な情報や記事が、そしてこれまで見聞きしてきた全てが、キャンディが辿り着いた推測をより真実味のある推測足らしめている。

(そしてポールは主要各国の港に近衛軍団を巻き込む形で速達を送った。ウチが港に持ってったから、送り先は全部覚えてる。確かに大規模港宛てだったけど、その中には何故かツヴァイクは入ってなかった。理由はそう・・・ツヴァイクは、自分らの分くらいは確保できる塩鉱を持っているからだ。そっか、あの送り先は単に大規模港を持ってる都市国家ってわけじゃなく、ドフォーレが塩の流通を行っている港に宛てた速達だったんだ・・・。そこへ近衛軍団を巻き込んでの物々しい速達・・・。単純に考えるならそれは強制捜査の執行令状・・・か。それってつまり、塩と共に麻薬が流通しているってこと・・・!)

 咥えたままだったサンドウィッチをゆっくりと噛みちぎり、碌に噛みもせずにごくりと飲み下す。先ほどまで瑞々しい素材の味わいに舌鼓を打っていたはずなのに、今は全く味がしない。キャンディはサンドウィッチの残りを無理矢理口の中に突っ込み、残りのトロピカルティーで胃に流し込んだ。

(・・・うぉ、ゲロ甘・・・。っと、多分各国の港に速達が届いたのは、ざっくり一週間前。そこで現地での強制捜査が入ったはず・・・。てことはその捜査がビンゴなら、結構時間経ってるしもう間もなく各国から向かってくる捜査団のヤーマス全面調査が入るはず。でも今回のキモとなる塩鉱近くにあるはずの麻薬保管及び精製工場へのアクションは、ぎりぎりまで伏せておかなきゃならない。これが事前にドフォーレに察知されたら、ドフォーレは全力で証拠隠滅に走るに決まっている・・・。いつもと同じく、港の倉庫解放のパフォーマンスで撒かれる・・・。だから塩鉱にだけは、動けば目立つ軍団は初手に使えない。隠密に少数精鋭でそこを叩き、ドフォーレを出し抜いて現場の動かぬ証拠を抑えた上で各国の捜査に合流する・・・そっか、これなら情報提供のタイミング次第じゃ、こっちが各方面の動向を操る事も可能だ・・・流石エグいじゃんね、ポール。よし、大体読めたかな・・・。そうなると・・・)

 そこで何を思ったのかキャンディはバッグの中から十露盤を取り出すと、手元の資料を参照しながらとんでもない速度で数字をはじき出し始めた。ドフォーレの総資産と塩の流通による利益、各国への直近の流通量、自社の資金とサラが纏めてくれていた自社内のグループ各個が排出する利益額。それらを加味しながら、キャンディは黙々と計算を続けていった。

(・・・これらが全て上手くいけば、現在成立している取引が可能な限り全て巻き返される。サラが集めてくれたデータは正確無比。ここに書いてある流通履歴と貯蔵量まで加味するなら、賠償総額は・・・・)

 一頻り珠を弾く音だけが部屋の中に響き渡っていたが、やがてそれはペースを落としていく。入り口に立っているギルド管理員とラブの部下が興味の薄い様子でそれを見ている中、やがて最後にぱちりと音を立てて彼女の手が止まった。それはつまり、計算を終えたということに他ならない。

(ざっくりは出た・・・。これでも結構際どいとは思うけど、きっとポールが勝負に出たということは大丈夫なはず。よし、こうなりゃあとは時間との戦いだ・・・。恐らくは調査に数日。そして各国での処遇等確認なんかでざっくり往復二週間ってとこか・・・。怖いのは、その後。軍団が、余計な欲を出す可能性があるってとこやね。そんなのウチにだって分かる・・・。基本トレードはいかなる事があっても締結をさせるって規定のはずだけど、この規模の事件ともなれば流石にトレードどころじゃなくなっちゃうよね、それは絶対に避けなきゃ。だからその前に準備し、決着をつける・・・一応これも確認しとくか。あとは誤差修正もしなきゃだから、かき集められるだけ最近の取引記録も漁らないと。そういう意味ではここが商業ギルド中央会館なのは渡りに船ってとこか。っしゃ、気合い一発。よーし・・・)

 最後の方は小声に出しながら小さく気合いを入れてむくりと顔を上げたキャンディは、会議室の入り口でキャンディを不審な目で見ながら待機していたギルド管理員のほうを向いた。その視線に気がついた管理員が首を傾げると、キャンディは立ち上がって管理員につかつかと詰め寄っていく。
 そして管理員の目の前で仁王立ちをすると、まるでお菓子を欲しがる子供のように管理員に向かって両手を突き出した。

「紙とペンとインクと蝋、あとトレードのルールブックも頂戴。それと、ここ一ヶ月間のヤーマスの取引記録が全部見たいんだけど」

 

 

 唖然とする、という言葉は、正に今この瞬間の彼のために用意された言葉であったのだろう。
 そう、ラブ=ドフォーレは正に今、唖然としていた。
 どうやら彼はここ数日の間睡眠不足だったのか、その目の下には色濃く隈ができている。また急激な憔悴の影響なのかこの二週間あまりで頭髪には白髪が多く交じり、かなり窶れたようにも見受けられる。
 そのような状態でヤーマス中央市場の大通りに力なくへたり込んだ彼の目の前では、今正に巨大にして醜悪なる形相の悪魔が七人の戦士の手によって屠られたところであった。
 商業都市ヤーマスに突如訪れたこの極限の状況の中、次の瞬間には彼の目の前に七人の戦士とは別の人物が忽然と立ちはだかった。そして地べたに座り込んでいる彼を、勝気な瞳で見下ろしている。
 その人物こそは、彼が二週間前に商業ギルド会館で初めて会ったキャンディという名の年若い少女だった。
 この時になってラブは、この少女を見誤ったことが己の敗因である事を、漸く確信した。

(・・・このガキ、一体なんなんだ・・・こいつら一体、いつから、どこまで仕込んでやがったんだっていうんだ・・・)

 彼のここに至るまでの地獄のような二週間は、この少女と出会った日の翌日に幕を開ける。

 

 初手の三億オーラムという金額の提示で即座にこのトレードの片は付くだろうとラブは殆ど確信していたものだったが、目の前で焦りの表情を浮かべていただけのはずのキャンディという少女は予測に反して折れなかった。寧ろ、それにより焦りが消え奮起をしたかのように猛り、動き出したのだった。
 とはいえ、それは単なる悪足掻きでしかないとラブは考えた。いくら動いたところで、相手企業の資金規模など知れたもの。だからこそ目の前の下らない足掻きに対してなど何も気にすることなく、直ぐに万策尽きてこの少女が諦めるのを座して待つだけ。そう考えていたし、それ以外の結末など予測のしようもなかったのだ。この時点では。

 かくして異変は、その翌日に起こった。
 まだ陽も顔を出さぬ未明の時分に、ヤーマス港は俄かに慌ただしくなった。緊急の寄港要請を出している船舶がヤーマス港沖に突如として複数隻現れたかと思えば、なんとそれらは全てがメッサーナ王国の各都市国家の軍団に所属している軍船であったのだ。
 ラブがその一報を聞いて急ぎ港に駆けつけた頃には、既にヤーマス港に半ば強引に入港した各国軍船から降り立った捜査官による現場倉庫の強制調査が始まっていた。
 だが、ラブはそれを見ても焦らなかった。
 なにしろ強制捜査程度はこれまでに何度も受けているし、所詮彼らの捜査ではここから何も出てきやしないのだ。それを彼は知っていたので、この事態に対しても特に焦ることはしなかったのだ。寧ろいつも通りに倉庫解放を協力してやり、さっさと事態収拾を図ろうとした。
 だが、その認識は間違いであることを彼は直ぐ様思い知らされることとなった。
 騒動の最中でラブの前に現れた捜査官が明かした強制捜査の対象は、麻薬ではなく『塩』だったのだ。そのあと続々と各国の捜査官からも塩の在庫の所在を問われたラブは、さも平静を装いながら『確認をする』とだけ応えた。
 この後の彼の行動は、迅速だったと言えるだろう。万が一の場合に於ける対処を予め決めていたからこその即断で、彼はヤーマス塩鉱近くにある麻薬生成工場の廃止を決めた。そして同時にヤーマス塩鉱周辺の魔物を暴れさせ現場確認を一定期間困難にするよう、早馬を走らせるように指示をした。こうして時間を稼ぎ、その間に生成工場から麻薬生成に関わる部分を根こそぎ消し去ることでこの騒動を落ち着かせようと考えたのだ。
 ヤーマスから塩鉱までは通常なら馬でも二日、徒歩なら四日近くははかかる距離だが、早馬ならば一日で指示が届く。
 何故捜査官が『塩』に着目したのかはこの時点では分からなかった。果たして彼らがどこからどこまでを嗅ぎつけているのかも、定かではない。だが何れにせよ彼の目的を達するためには、ここで全てが露見することは許されないのだ。
 その後日が昇るまでたっぷり捜査官を焦らした後に、ラブは塩の在庫がここにはないことを伝えた。それを聞いた捜査官が慌てて塩鉱へと編成隊を組むのを内心でせせら嗤いながら、これからの計画の再建にどう手を付けたものかと考えを巡らせ始める。
 この時点でラブは、すっかり現在のトレードのことを頭の隅に追いやってしまっていた。完全に忘れたわけでは無かったが、それよりも調査の件の収束を優先させるのが当然と判断したのだ。だから自分は直接ギルド会館に赴かず、配下の者を通じてトレード管理員にトレード早期終了の圧力をかけることしかしなかった。それで十分だと判断したのだ。
 だが彼の計画は、その更に数日後に破綻することとなった。

 各国連合の調査団による、ヤーマス塩鉱に隣接する巨大麻薬精製工場の発見。
 その第一報がヤーマス中を駆け巡ったのは、はたして調査団入港から五日後のことであった。
 全く以て予想だにしなかったこの展開に、ラブは大いに焦りを見せた。これは彼が今まで生きて経験してきた中で考えられる限り、最悪の事態であった。麻薬精製工場は彼の目的を果たす上での本丸だ。ここが見付かってしまったとあっては、彼の計画は、いや、彼らの計画は台無しになってしまうのだ。
 ラブは大いに荒れた。何故魔物の暴走が起きておらず、調査団が帰ってきたのか。自分の指示が届いていないことにラブは怒気を露わにし、商館会議室の家具をなぎ払った。
 そして彼はその様子に怯える部下をその場に置き去りにし、ドフォーレ商会本館に併設する自宅に籠もって体調不良と称し兎に角外部との直接接触を断った。
 この間に都市警備兵や商業ギルドからの使者が幾人もラブの元を訪れたが、その全てを彼は門前払いとした。だが、それは全くの一時凌ぎに過ぎない。状況はあまりに絶望的だ。
 彼が表に引きずり出されるのは最早、時間の問題であった。現時点でさえ、ヤーマス塩鉱と隣接する麻薬精製工場の関係性やその流通経路に関して、塩鉱を所有するドフォーレ商会の社長である彼は本件の最重要参考人という立場だ。
 既に彼を逃がすまいとしてドフォーレ本館及び自宅の周囲には多くの憲兵が日夜を問わず手厚く布陣されており、蟻一匹すら通さないという様相である。これでは、夜闇に紛れて逃げ出す等とことも不可能だろう。また本館から繋がる地下通路は港へと繋がっているが、港もまた全域にわたって一日中厳戒態勢が敷かれているので手詰まりとなる。
 正に、今の彼は八方塞がりだった。
 何故こちらが指示したように魔物の暴走が起こらなかったのかは、こうなってしまってはもう分からない。そして今はもうそれどころでは無く、最悪の場合を考えなければならない段階だった。
 仮に現場で何の隠匿も為されていないと考えたら、程なくして工場に残る資料からドフォーレと麻薬の関連性は暴かれるだろう。そうなれば、その時点でラブの身柄は強制拘束の対象となるのは間違いない。事実、各国の軍団は現地調査団を残して既に祖国へ向けて一度戻り始めており、それはドフォーレが黒幕であった場合の罪状を突きつける場合も加味した処遇を当然に検討するためだろう。
 正に刻一刻と断頭台を待つばかりのような状況で、ラブは何か打開策が無いものかと焦る頭で必死に考えた。
 いっそ全てを、壊してしまおうか。しかし、それは本当に最後の手段だ。いや、最早それは手段でもなんでもないといってもいい。それをしても、なにも事態は好転しないのだから。彼はその選択肢を、頭の片隅に残った最後の理性で否定した。
 だが、矢張りなにも打開策など思い浮かぶことは無く。

 そしてそのまま、一週間が過ぎた。
 この時、これまでずっと部屋に引き篭もっていたラブはすっかり絶望に彩られていた頭の片隅で、ふと疑問に思った。つまりは、『なぜ自分はまだ捕まっていないのか』ということを、だ。
 麻薬工場は確かに天然の洞窟も一部利用した大きな施設だが、とはいえ数十人からなる調査団ならばものの数時間で証拠を見つけることは容易いはずだ。だが既に調査団が工場発見の第一報を持ち帰ってから、一週間が経っている。つまり現時点で自分が拘束されずにいるということは、決して低くない確率で調査団が証拠を発見できていない可能性があるということなのだ。
 指示が実行され魔物が暴れ出したか、現地の部下が異変に気付き上手く証拠隠滅したか、はたまた自分の理解の外にある別の何かか。
 何れにせよ彼は今この瞬間を、この事態を脱する最大の好機と捉えた。何しろ想定されるどの条件の場合にせよ、時間は有限だ。いつ状況が変わるか、全く彼にも分からない。
 ラブはこの一週間絶望に取り憑かれ時間を無駄にしたことを悔やみつつ、しかし行動を起こした。
 彼は父である先代ドフォーレ商会社長、モンテロ=ドフォーレの元を尋ねることにした。
 父モンテロはドフォーレ商会に於いてラブの真なる目的を知る唯一の人物であり、『ある筋』への連絡役を担って貰っている。ラブは、その繋がりを少々使うことにしたのだ。それに元々は彼が商会の実行支配権を引き継いだのはドフォーレが死蝕の後に海運事業を始めた直後であり、それまではモンテロが『土台』を用意し、ラブは彼に付いていく形で共通の目的へ向けて動いていたのだ。だがモンテロはラブに事業を引き継いでからは一切商会としての仕事に関わる事なく、この十数年は半隠居を続けていた。それでも特定の相手への連絡のみはモンテロが担っていたが、それも塩鉱を基盤とした事業計画が軌道に乗ってからは殆ど頼ることも無かった。モンテロに頼らずとも、簡単な指示であればラブから出すことも可能であったからだ。
 だからこそこの十年、ラブはモンテロという存在を殆ど忘れていたと言ってもいい。彼は最早、ただただ静かに自宅の離れで老いさらばえていく、それだけの存在だった。
 だが今は、彼の力が必要だ。
 そう考えたラブは、自宅から続く通路を渡り、離れへと入っていった。

 ヤーマスの中央市場大通りに、数体の魔物が突如として出現。
 翌日から暫く各国の紙面トップを飾ることになるこの衝撃的な事件は、ヤーマスへの調査団入港から十三日目、即ちドフォーレとカタリナカンパニーのトレードが始まってから丁度二週間たった時に発生した。
 都市防壁の上、空から飛来した醜悪なる魔物達は、周囲の憲兵をなぎ倒して大通り中を震え上がらせた。
 ラブは、この混乱に乗じて兎に角一度、ヤーマスからの脱出を図ろうとしていた。
 この時点までは、依然として麻薬精製工場とドフォーレを繋げる直接的な証拠は出てきていないと見て間違いない。何しろ自分が今捕まっていないことが、その何よりの証拠だ。だからこそラブは、兎に角急ぎ麻薬工場へと自らが赴き、状況の確認をする必要があった。再度魔物を用いて現場にいる調査団を駆逐し、自分の目で状況を確かめる。そして麻薬工場とドフォーレの関連性さえ見付からないのならば、あとはなんとでも言い逃れをすればいい。その後は時間をかけて別の手段で計画を進めることは出来るだろう。
 何にせよ彼は状況を確認しなければならない。この騒動は、そのために彼が引き起こしたものだった。
 彼の目論見通りに都市警備の憲兵が幾人相手であっても魔物は全く意に介さず周囲をなぎ払っていき、程なくして狙い通りドフォーレ商会の周囲と港の警備が手薄になるのは時間の問題に思われた。その隙を突いて兎に角街の外へ出ることさえ出来れば、彼は晴れて次の手を打つことが出来るというわけだ。
 だが結果としてこの作戦は、失敗に終わってしまった。
 憲兵では太刀打ちできずに被害が更に中央市場以外へ拡大するかと思われた矢先、依然として暴れまわる魔物のいる広場に颯爽と現れたのは、豊かな長く美しい金髪を携えた軽やかな衣装を身に纏った美女と、パンツスタイルで髪を後ろに纏め上げた勝気な印象の、こちらも目を見張る美女。そしてもう一人はなんと、ヤーマスの巷を賑わすあの怪傑ロビンという三人であった。
 そして金髪の女性とロビンは小剣を操りもう一人の女性は手斧を用いて、瞬く間に魔物を殲滅せしめたという。そのあまりに鮮やかな手際に、中央市場大通りに集まった憲兵と市民からは大歓声が沸き起こり、彼女らはその歓声に軽く手を振って応えたかと思うと、荒れた現場の後片付けへと取り掛かり始めたという。
 結局のところは彼女らの活躍により憲兵の配置の崩れも殆ど起きること無く、ラブが街の外へと逃れることは適わなかった。
 ラブは未だ騒動の熱気が冷めやらぬ街の景色を背にこの報告を聞いて、女二人が間違いなくマクシムスガードであろうと確信した。
 そう、彼はここまで失念していたことを漸く思い出したのだ。
 抑も今回の騒動の切っ掛けは一体なんであったのか。それは決して、調査団の入港などではなかったのだ。
 では、その前日に開始されたトレードなのか。いや、これも違う。
 そのもっと前に、明らかに普段と全く異なる出来事があったのだ。
 それこそが、唐突にドフォーレ商会本館に訪れ港の隠し倉庫で彼らに宣戦布告をした、マクシムスガードと思われる謎の女二人の出現だった。
 宣戦布告をしたにも関わらずトレード会場に現れなかったこと、そしてその翌日から調査団の出現による慌ただしさで完全に忘れていたが、そうなると彼女らの存在こそが、この事態を引き起こした最初の予兆と考えられる。
 今回の魔物騒動を難なく片付けた手腕から見ても、彼女らは矢張り戦闘能力が相当な物であることは分かった。つまり、生半可な事では此方の意図する混乱を引き起こすことすら叶わないということだ。
 だがここまできてもラブは、まだ絶望に染まりはしなかった。
 確かにこの騒動に於いては、残念ながら状況が改善されることは無かった。しかし、自分はまだここからでも挽回出来る力を持っている。そうラブは確信していたのだ。
 そしてその力を存分に振るうためには、ラブは再度モンテロの元を尋ねる必要があった。ドフォーレ商会を引き継いだ頃のように、今こそ父モンテロが持ち自分が持っていないもの全てを受け継がねばならない時が来たのだと、ラブは考えた。

 そして彼はモンテロの全てを受け継ぐため、もう一度彼の元を訪れた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・10 -家出娘、啖呵を切る-

 

「ハリード!?」
「よう、無事だったようだな」

 物々しい装備に身を包んだ衛兵に通されてやってきた浅黒い肌の傭兵を見たカタリナが思わず驚きの声をあげると、ハリードは場の緊迫感に似合わず陽気な様子で片手を上げた。
 突然の馴染みの来客に駆け寄って一体どうしたのかと問いかけるカタリナに対し、ハリードは腰に装着した愛用の曲刀の柄に片手を乗せながらにやりと笑って見せた。

「なぁに、ポールたちはカンパニー絡みの計略でヤーマスに向かったんだが、その作戦に俺は参加しなかったんでな。要は暇だったって事だ。そこでフェアリーが慌てて飛び出していくもんだから、その時にお前達と連絡を取るつもりだってとこも含めて内容だけ聞いておいたのさ。なんにせよ行き先が密林なら、あのロアーヌ侯であれば是が非でもここを拠点にするだろうと思ってな。まぁ誰かしら居るだろうとは思っていたが、読みは当たりだったようだな」

 だがまぁ一足遅かったようだな、と続けて肩を竦める。カタリナの様子から、既に妖精族救出が終わった事を読み取ったのだろう。
 剣の柄に置いていた手を腰に当て直し、ハリードはまるで観光でもしに来たかの様相で周囲を見渡した。
 彼らが今いるのは、メッサーナ王国の誇る最大規模の海上警戒拠点であるエデッサ要塞だった。ピドナ港を擁するマイカン半島の南に広がるトリオール海と、一大観光リゾートであるグレートアーチに続く温海の境目ほどに位置しているエデッサ島の入り江に建造されたこの要塞は、元々はあの悪名高き海賊ジャッカルが秘密裏に根城としていたとも噂される場所でもある。

「しかし・・・見事なものだ。正に近代建築の粋を集めた砦だな。こいつは生半可な美術品なんかより、余程鑑賞のし甲斐があるってもんだ」

 建設から十年ほどしか経っていないこの要塞は、比較的歴史のある建造物が多い西洋世界の中では特段に新しい大型建造物である。そして近代における軍事活動を最大化させることを目的として作られたこの要塞は、ハリードが言う通り現在用いられる技術の粋を結集させたものと言える。
 またメッサーナ王国王宮近衛軍団の前軍団長であるクレメンスの肝いりの建造物でもあり、ここを近代の近衛軍団における一番の誇りと自負するメッサーナ騎士も少なくないという。

「しかし、ここはメッサーナ近衛軍団の指揮下だろう。来ておいて何だが、よくもまぁ一時的とはいえルートヴィッヒがロアーヌ軍に駐屯を許可したなぁ」
「無論、それはミカエル様のご尽力の賜物よ」

 カタリナらが妖精救出に向かうと同時、ミカエルはいち早くピドナの王宮へと使者を送り出していた。
 無論その内容は有事の際にエデッサ要塞を利用させてもらう旨のものなのだが、ハリードが意外に思うように、この場所を近衛軍団が貸し出すというのは通常であれば全く以って考え難い事だった。何しろ軍事上でも重要な拠点であるが故に、同じメッサーナ王国の同胞とはいえども外部の軍に見せることそのものが、本来は躊躇われるはずなのだ。特に王宮の情勢が落ち着かない今であればこそ、容易にそれは想像できることだった。
 だがミカエルは特に何の策を弄すこともなく使者を送り、そして即に朗報を持って帰らせてみせたのだった。

「ミカエル様は、あれでルートヴィッヒ軍団長の先見性を評価しているわ。考えてみれば今回の神王教団との独自協定直後である事や、妖精族という聖王様縁の種族の救出という行動の大命題。そんな現在状況を加味して今のロアーヌに恩を売るべきか否か、愚か者でなければ分かるはず」

 ミカエルはそれらを加味の上で、何の策もせずエデッサ要塞を借りたいとだけ認めた書簡を使者に持たせ送ったのだ。
 これはリブロフ総督の失態により神王教団絡みでロアーヌに付け入る隙を見出せなかった分を宥める意味も大きく、ルートヴィッヒはその思惑を読んでか知らずか、兎も角ミカエルの思う通りにことが運んだ結果となる。
 つくづく恐ろしい御仁だとハリードは苦笑いで返しながら、それはそうと、と現在状況をカタリナに問うた。

「・・・現在、私達は本国からの援軍を待っている状態よ。援軍の到着を以って密林へ進軍し、四魔貴族アウナスの巣食う火術要塞へと攻め入るわ」
「ふぅむ・・・矢張り攻めるのか。一応聞くが、なぜその判断に至ったのだ?」

 ハリードはこの要塞に着いた時から、懐かしい独特の空気を感じ取っていた。この要塞全体に広がる鋭利な刃物の如く張り詰めた緊張感は、やはり戰前のそれであったようだ。しかしそれは、大いに疑問の残る状況でもあった。
 今回の作戦に於ける第一優先事項は妖精族の救出であり、カタリナの様子からも分かるようにこれは既に為したようだ。その上でこちらの被害をこれ以上出さないようにするならば、一度ここで作戦自体を終了しても良いのではないか。寧ろ通常であれば、その判断ではないのか。そうハリードは聞いてきたのだ。
 カタリナはその言葉に応えようとし、しかしその場では口を噤んだ。そして周囲の衛兵を避けるように来た道に戻るように身を翻し、ハリードを其方へと誘う。

「・・・場所を移しましょう。説明するわ」

 

 

 今より数えて約三百年の昔、絶大なる信頼を置く己が右腕にして初代ロアーヌ侯たるフェルディナントと共にここを訪れた聖王その人は、十二将を導いた奇跡の力を以てしてもなお、自らの生きているうちにこの地を人の住める場所へと再生することを断念したという。
 魔王の時代よりそこは『腐海』と呼ばれ、その常軌を逸した濃度の瘴気が渦巻く空間はこの六百年、人の手が入ることを頑なに拒み続けてきた。
 そんなロアーヌ東方開拓地であるシノンの更に東に位置するこの悍ましき腐れる大森林の入り口に、風変わりな一行が訪れていた。
 先導するのは、騎馬に跨った兵士。装いはロアーヌ国兵士のそれだが、軽装であることから本国軍ではなく近隣地域の駐屯兵だろう。そしてその後ろに続くのは、数十人からなる徒歩の集団。だがその集団は武装を施しているわけではなく、まるで身軽な旅人のような風情。更には背丈の小さなものも少なからず混じっており、一見して女子供の集団といったところか。
 通常であれば魔物の出現する危険性もあるこのようなところを徒歩で女子供が歩くなど自殺行為もいいところだが、不思議とその集団の周りに魔物が寄りつくことは無かった。
 間も無く腐海に入るかどうかというところで兵士が馬を止めると、後ろに続いていた集団の中から歩み出た一人の少女と思しき人影が先頭に出で立ち、眼前に広がる醜悪な瘴気を孕んだ大木を見上げた。
 見上げる姿勢のまま頭から被っていたフードをゆっくりと取り去ると、淡い金髪がふわりと生暖かい風になびいて舞う。
 少女のような人影は、フェアリーだった。

「あの、今更ですが本当にここまでご案内するだけで良かったのですか?」

 馬から降りつつ森の入り口で戸惑いの様子を隠せないロアーヌ兵に対し、まるで腐海の入り口にて集団を阻むかの如く聳り立つ巨大な大木を見上げていたフェアリーが振り返る。
 その動作に合わせ、その場にいる十数人の同行者もロアーヌ兵へと向きを変えた。

「はい、ここで問題ありません。ここまでの道中案内を頂き、有難うございました」

 ぺこりとフェアリーを始めとした一同が頭を下げると、ロアーヌ兵はとんでもないという風に勢いよく首を左右に振った。

「侯爵様からの命でありますので、お気になさらないでください。むしろ私にとっては、まるでお伽話の中にいるような数日間でした。このような体験は二度と出来ないでしょうから、お礼を言いたいのは此方の方かもしれません。せがれにも、良い土産話ができそうです」

 そう言って敬礼をしたロアーヌ兵は、引き連れていた馬に再度跨り、集団を残して帰路に着いた。
「・・・貴方に、風の加護が有らんことを」

 フェアリーがそう呟くと、それまで薄らと彼女たちの周りを包んでいた風が、去りゆくロアーヌ兵へと移っていく。清廉なる風は、低級の妖魔が特に嫌うもののひとつだ。彼女たちがここまで何事も無く来られたのは、その風の加護のおかげだった。
 ロアーヌ兵の姿が見えなくなるまで静かに佇んで見届けたフェアリーは、先ほどまで見上げていた大木へと振り返った。
 その途端、フェアリーの周りにいた十数人の同行者達は身につけていたフラワースカーフを脱ぎ去り、各々の本来の姿へと戻っていく。その中には、妖精族の長の姿もあった。
 長はフェアリーへと向き直り、ロアーヌ兵の去っていった方向を見ながら口を開く。

「声を発して話すというのも、悪くないものですね」
「はい。声には、温度があるように思います。思念による意思疎通では感じられない何かが、声にはあると思います」

 思念のみで同族はおろか異種族とすらも意思疎通が成立するという能力を有する妖精族は、通常このように言葉を発することをしない。
 それは妖精族という存在が生まれた時からそうであり、妖精達はそれを何の疑問にも思わずこれまでを過ごしてきた。

「声で話すっていうの、案外面白いわ。特に一定の音による空気の震えが、なんでか不思議と心地よく感じるの」

 フェアリーと同種の妖精が長とフェアリーの周囲を飛び回りながらそう言う。すると、周囲の妖精達もそれに同調するように頷いた。
 飛び回る妖精は回りながら『あ』を空に向けて伸ばす。儚い鈴の音のような声が、腐海の入り口に木霊した。

「それは『歌』です。人間は声による温かさや、冷たさや、時には激しさや弱々しさなんかも。そんなものを、歌に乗せて表現します」
「歌・・・。そう、これが歌なのね」

 妖精はフェアリーの言葉にうんうんと頷き、再び声を伸ばす。普段声を出さないからかその声はか細いが、その音は瞬く間に周囲に広がり、妖精達の目前に広がる禍々しい木々にさえ優しく語りかける。
 すると、その声を浴びた目の前の大木が、ふるい落すように瘴気を体外に解き放っていくのが見てとれた。
 その場にいる妖精達が興味深く見つめる先で、樹々を離れた瘴気はそのまま腐海全体を覆う禍々しい大気に合流するわけでもなく、上空に霧散し確かに消失していく。

「・・・術を用いずとも、瘴気は溶けるのですね。これは良い発見です」

 長がその様を見て微笑みながら、他の面々へと向き直った。

「それでは、ここに新たな私たちの住処を作るために歌いましょう。皆で歌えば、腐海何するもの。あっという間に瑞々しい樹々の寝所が手に入るでしょう」
『はーい』

 一同が長の言葉に頷いて大木へと向かう中、しかしフェアリーだけはそんな同胞の背中を見送るようにその場に佇んでいた。

「行くのですね」

 その様子に気がついていた長がフェアリーに語りかけると、フェアリーは小さく頷いた。

「はい。密林に潜む火術要塞への案内は、私達でなければできません。人間にこうして助けられた以上、少しでも恩を返したく思います」

 フェアリーの言葉に、長は小さく頷く。そして伏し目がちになりながら、ゆっくりと言葉を続けた。

「一族が負うべき仕事を貴方に任せる形になってしまって、ごめんなさい」
「いえ。里を飛び出した時から、私はそうするのだと決めておりました。長はどうか、皆に安寧を」

 フェアリーがふわりと風に舞いながらそう言うと、長は今度はしっかりと頷き、微笑んだ。

「貴方に、森の祝福を」

 長の祝福を受けフェアリーは風に乗って緩く弧を描くように舞い上がり、そして西へと飛んでいった。

 

 

「・・・おいおい、これは一体、何かの冗談なのか?」

 太陽が南中を過ぎた頃合い、ヤーマスの中央商業ギルド会館の大会議室に数人の屈強な部下と共に現れたラブ=ドフォーレは、部屋に入るなりそう言いながら大きく両手を広げて周囲を見渡した。
 世界中でも屈指の規模を誇るヤーマスの中央商業ギルド会館のトレード会場となるここ大会議室にヤーマスのドンたるドフォーレ商会が呼び出されたことは、かつて一度もない。いや、正確に言えばこのヤーマスの大会議室自体が、これまでトレード会場として使われたことが公式記録上は一度もなかった。
 何故ならヤーマスにおけるほとんど全ての取引は、ドフォーレの息のかかった筋が仕切っていたからだ。摩擦や競争など、起こらなかったのだ。
 だものだから、現当主ラブ=ドフォーレがこの大会議室に足を踏み入れるのは、中央会館が出来た時の視察以来で二度目となる。
 そして前回視察の時に見た風景と違うと思われるのは、会議室の中央に設えられた交渉テーブルの片側に鎮座する一人の人物がいる事だけだった。

「ここにはあの狂気を纏った美しい娘が居るわけでも無ければ、噂に聞く美人社長とやらがいるわけでもないようだが・・・。俺はひょっとして、入る部屋を間違えたのか?」

 ラブのその言葉に取り巻きが笑いながら同意する先には、交渉テーブルについたキャンディの姿があった。彼女の脇には、鎮座する愛用のくまちゃん。もう一方の脇には、書類が詰められた鞄。それ以外には、誰も何も見当たらない。
 入り口にいる彼らの声に当然気がついていたキャンディはちらりとそちらに視線を送り、しかし特に動きを見せることもなく目の前の机にすぐ視線を戻した。ラブ達のいる場所からは伺うことこそ出来ないが、彼女の表情には明らかに焦りの様子が見て取れる。

(・・・聴いてた話と全然違うよサラぁ・・・)

 なにしろ、彼女は焦っていた。
 目まぐるしく頭の中ではこの状況をどうするべきなのかと様々な考えが周り巡っていくが、しかし全く予期していなかったこの状況に普段の思考能力も失われたのか、全く考えが纏まらない。

(・・・あかん、だめだ。全っ然考えが纏まらない。ま、まずは状況の整理を・・・)

 自分の右脇に鎮座するくまちゃんの手を強く握りしめながら、キャンディは熱暴走気味の頭を一度強制的に初期化するべく、深く深く深呼吸をした。
 彼女があの夜に突如現れたサラから聞いた話は、こうだった。
 ちょっとしたお使い予定のはずが所用によりすぐヤーマスに戻ることが出来なくなってしまったサラに代わり、キャンディにポールの助手としてヤーマスに向かって欲しい。そこでは対ドフォーレへの工作が進んでおり、二班に分かれての作戦が行われ、その経過は順調。あとは仕込みが全て動き出す一週間後にドフォーレにトレードを仕掛けるので、その際に自分が集めた資料全般をポールに渡して欲しい。その際資料の中身を説明できるよう、一通り読み込んでおいて欲しい。
 ヤーマスの中央商業ギルド会館に指定の日時に辿り着き入館手形を見せてカンパニーの名前を出せば部屋に通されるようになっているはずだから、あとは現場でポールに流れを確認してくれればいい。
 以上、健闘を祈る。

(・・・ポールは何処!?)

 ここで彼女がまず直面した最大最強と思われる問題は、それだった。彼女が助手として付き添うべき本案件の主役、カタリナカンパニー営業部長たるポールがこの場所の何処にも見当たらないということなのであった。
 彼が居なければ、このトレードがそもそも始まらないのでは無いか。そうか、つまりこのトレードはポールが居ないから無効なのでは無いか。それならば自分はお役御免なのではないか。キャンディの頭の中は、いよいよ焦りで整理がつかなくなってきていた。
 そこに、先ほどまで入り口に居たはずのトレードの相手であろうと思われる恰幅のいい中年男性が、目の前のソファに豪快に座り込んだ。確認しなくても分かる。これがドフォーレ商会の当代当主、ラブ=ドフォーレだろう。会ったことのないキャンディでも分かるほどの威圧感が、大木一本を削って作ったであろう見事な一点ものの机の向こうからひしひしと伝わってくる。

「・・・で、お前はカタリナカンパニーの人間なのか」
「・・・は、はぃ」

 ラブの言葉に、キャンディは数回の瞬きの後にやっと、小さく一言だけ応えた。ラブはそんな様子のキャンディを、射殺すのでは無いかと思うほどに凝視する。それに対しキャンディは目を逸らすことすらも出来ずに受け止め、只管に冷や汗を流し続ける。蛇に睨まれた蛙というのはこういうことなのだな等と、頭の片隅で現実逃避気味に思う。そんな大変に重苦しい時間が、永遠にも続くのでは無いかと思われた。
 しかし何事にも終わりはやってくるように、やがてラブは軽くため息をつき、脇に控える商業ギルド管理員に話しかける。同時にキャンディは今の間に間違いなく寿命が縮んだな等と考えながら、疲労感と共にソファに深く沈み込んだ。

「おい、ここは確かにカタリナカンパニーがドフォーレ商会に挑んだトレードの会場で、こいつが本件におけるカタリナカンパニーの代表で、あとはここで俺が開催時期の宣言をする。間違いないな?」
「は、はい。間違い有りません」

 臆した様子の管理員が、ラブに答える。そこでキャンディは、一瞬だけ淡い期待を抱いた。トーマスの談に寄れば、トレードは受け手が指定日から最大一週間、開催を伸ばす事が出来る。ラブが今日ここで即座に開催することを宣言しなければ、兎に角この状況からは抜け出す事が出来るかもしれない。

「では宣言しよう。現時点を以て我々ドフォーレ商会は申請を受理し、トレード開催をすると」
(だよねーウチでもそうするよー・・・)

 当然のごとく、ラブは迷い無く開催を宣言した。キャンディはその当然の流れに、頭の中を絶望で埋め尽くされながらも妙に冷静にこの流れに同意していた。

「三億オーラムだ」
「・・・へ?」

 開催宣言に続いてそう一言だけ発したラブに対し、キャンディは我ながら素っ頓狂だなと後から思うほどに、あからさまに間の抜けた声を上げた。
 ラブのその言葉に反応したギルド管理員が慌てて部屋の中に設置されている鉄製の扉を開き、中から大量の疑似金貨が積まれた木箱を台車にのせ、その重量に表情を歪めながら必死の形相で押してくる。
 これは通常では対応出来そうに無い大規模トレードの際にギルド会館で用いられる疑似オーラムであり、一枚を一万オーラムとして換算する。キャンディは全く知らなかったことだが、これが積まれた時点で積んだ企業からギルド会館へと即座に一時入金手続が進められ、確かにその企業に申し出るだけの資金が存在していることが確認される。また申告された金額は、トレードが終わるまでは出資者であっても一切手出しをすることが出来ない。
 またここで双方により積まれた金額はトレード終了の際、買い手側が勝てば買い手の積み立てた金額が買収相手へと入金され、逆に受け手側が勝てば受け手が積み立てた金額の三割相当を買い手側から受けとれる仕組みとなる。これはいたずらなトレードの乱発を防ぐための措置であり、またこの制度自体の悪用を防ぐために一度トレードを行った企業同士は四半期の間はトレードの再度申請が行えないように定められている。
 つまりこの時点で、この勝負に負ければカタリナカンパニーは九千万オーラムを失うことになる。
 ギルド管理員が実に事務的にその説明を読み上げるのを、キャンディは隠しようも無いほどに大きく青ざめた様子で聞いていた。

(まって・・・九千万オーラムなんて資金、そもそもカンパニーとしてはオーラムとしてなんて持ってないよ・・・。カンパニーは総資産としてはそりゃ既に一億オーラムは超えているけど、実際のカンパニーの資産の多くは物的資産。これをトレードに使える『資金』として動かすには、本来は多くの時間がかかる。これを急に資金として動かすとなれば折角の資産を損失覚悟で売り払う事になるから、総資産の減少が起こる・・・。ってか急に九千万なんて資金を用意しようとしたら、会社として成り立たなくなる・・・。こいつ、カンパニーをぶっ潰す気だ・・・)

 目の前には、専用の箱で勘定された疑似金貨が三万枚、積み重なっていく。その様を見ながら唖然とした様子のキャンディに対し、ラブはさして興味の無い様子でソファの背もたれへと寄りかかり、管理員に飲み物を催促した。

「・・・カタリナカンパニーとか言ったな。総資産は直近の決算では一億五千六百万オーラム相当。主にツヴァイクやユーステルム等の北国を中心として同規模の中小の企業を数多く買収しており、その取扱品目はフルブライトにも迫るほどの勢いで多岐に渡る・・・企業としては既に中堅に位置し、歴史上珍しくフルブライトの同盟も得ており経済界からはその急成長ぶりも相まって一目置かれている、か。ふむ・・・実に惜しい企業が、消えるものだな」

 手元に用意された資料に目を通しながら、ラブはそう言ってつまらなそうな視線をキャンディに送る。その視線を受けたキャンディは、しかしその言葉に対して何も言い返す言葉を持ち合わせていない。

(・・・そもそも仮に総資産を全て資金変換して挑んだとしたって、既にこの目の前に積み上げられている三億なんていう出鱈目なオーラムを相手にすることが出来ない。傘下、若しくは同盟を結ぶ何処かの企業に資金提供を依頼したって、トレードの最大期間として定められた一ヶ月程度の時間で用意できる資金はたかが知れてる。てかこんなんじゃ一ヶ月どころか三日と持たない。流石に商業ギルド管理員から強制裁定される・・・。やばいよこれ完全に詰んでるじゃん・・・こんなのどうしろってのポール・・・)

 絶望一色に染まった顔色のキャンディをみながら自社資金から三億を拠出するよう書類にサインをし終えたところのラブは、手元に用意された最高級茶葉を用いて作られた紅茶を優雅に啜り、そして盛大にため息を吐いた。

「お前は見た目に反して、ピエロにもならんな。何のつもりだったのか知らんが、単なる虚仮威しの為にトレードをこのドフォーレに仕掛けるとは、正に狂気の沙汰だ。調書に寄れば社長、副社長、営業部長と非常に優秀な人員が揃っているとレポートにもあるが、どいつもこいつも頭のいかれた狂人揃いだったか」

 ラブのその言葉に、それまで必死に頭の中で考えを巡らせていたキャンディはぴたりと動きを止めた。

「とはいえ、まぁお前も災難だったな。どうせお前は幾らか握らされてここに来た口だろうが、そりゃあもうカンパニーが勝ち目無しと悟ってお前をスケープゴートにしながらしっぽ巻いて夜逃げする準備でもしているからだろう」

 三億オーラムという疑似金貨の壁の向こうから哀れむような目で見下ろされるのを感じながら、キャンディは自分の頭から一気に血の気が引いていくような感覚を味わっていた。

「おい、カタリナカンパニーとやらの幹部連中の所在と資金の動きを徹底的に洗い、追い詰めろ。関係者は人っ子一人逃がすんじゃあねえぞ。ドフォーレに喧嘩を売ったことを、文字通り死ぬほど後悔させてやれ。そこのガキも哀れではあるが、トレードの規則に則り資金周りの回収が終わるまでは会館に滞在して貰わなければならない。逃げないように拘束しておけ。あとは気がかりなのはマクシムスガードの娘だな。警備の増強をしなければならんか・・・」

 ラブの言葉に反応して周囲の人間が入り口や窓を塞ぐように動き、それに会わせてギルド管理員がおずおずとキャンディの座るソファの横に立ち、口を開いた。

「・・・ここから何も動く様子が無いのでしたら、我々管理員としても早期のトレード終了を勧告せざるを得ません。カタリナカンパニー代表のキャンディさん。本トレードを、この時点で終了いたしますか?」

 管理員がそう言うものの、しかしキャンディは目の前の三億オーラム相当の疑似金貨のあたりを見つめたまま、微動だにしない。その様子に管理員は肩を竦めてラブへと視線を投げると、ラブはもう一度だけため息を吐いて、立ち上がった。そして疑似三億オーラムの上からキャンディを直接見下ろす。

「おいガキ。お前は単に俺の問いかけに『はい』と応えておけばいい。さぁ、とっととこのトレードの終了を宣言しろ」

 ラブの言葉に、キャンディはゆっくりと顔を上げる。そしてキャンディの円らな瞳が己と交錯したところで、ラブは最後の言葉を待つように目を細めた。
 キャンディは、頭はおろか全身から血の気が引いてしまったような感覚に包まれていた。そして半分感覚が無い両手を、ゆっくりと軽く握るつもりで丸める。だが彼女の意識に反し、その両の拳は爪が肌に食い込むほど強く強く握り込まれていた。その両手の平の痛みが熱を持ち、やがてその熱は逆流する血液の奔流となって頭へと到達する。
 そしてその熱に突き動かされるように、口を開く。

「・・・黙れ、ブタ野郎」
「・・・なんだと?」

 突如の暴言に、ラブは米神を振るわせながらドスの効いた声を発する。だがそんなラブの返答など、既にキャンディは聞いていなかった。
 有り体にいって、キャンディは切れていた。恐らくこの十四年あまりの人生の中で、これは彼女が最も怒りに打ち震えている瞬間であった。
 そしてそのままラブを睨み付けていた視線を手元に戻すと拳の縛めを解き、自分の脇に置いてあった鞄に詰め込まれた大量の資料を乱暴に取り出し、机の上にばさりと広げる。

「確かにカンパニーのみんなはとち狂っているかもしれない。こんなトレード、とても正気の人間がやるようなもんじゃ無いよ。でも・・・」

 手元に広げた幾つもの資料の一つ一つを凝視し、そして同時に頭の中ではこれまでに見聞きした全てを思い出そうとしながら、キャンディは誰に聞かせるわけでもなく独り言のように続ける。

「でも・・・それは絶対に、逃げるためなんかじゃあ無い。みんなは逃げているんじゃ無くて、向かっているんだ。だから、この勝負も負けない。勝つ算段があって、挑んでいるんだ。それは、絶対に間違いない」

 手元にあった全ての資料を広げ、それらの全体を眺めるようにキャンディは立ち上がって見下ろした。それらを見返すこの一瞬の合間にキャンディの脳内はすっかり放熱し、一気に冷静さを取り戻していった。
 ここにあるサラがヤーマスでかき集めた手元の資料と、ポールが事前にピドナ宛てに飛ばしてきた注文の数々。それに沿って自分たちがやってきた内容。そして、最初にポールがピドナで調べ回って集めた情報の数々。

(・・・これら全てに関わってんのは、ウチだけだ。だから、ウチなら分かるはず。ポールの狙いが、絶対に分かるはず・・・だからサラも、ウチにここを託したんだ・・・!)

 そして再び睨み付けるようにラブへと視線を移したキャンディは、彼女の出せる最大限の声で、高らかに叫んだ。

「ウチだってもう逃げないって決めたんだ!だから絶対にウチらは、このトレードに勝つ!」

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・9 -家出少女、ヤーマスへ行く-

 

 見上げれば、容赦無く天空から降り注ぐ眩い太陽の日差し。そんな太陽の恵みをたいそう邪魔に感じて顔をしかめつつ、早々にその光を柔らかに反射する水面へと視線を移す。穏やかな水面はきらきらと光を弾きながらゆっくりと波打ち、進みゆく船の舳先が当たれば、それはまるで縫製士が絹を切っているかのように滑らかに広がる波を畝らせていく。
 しばしその光景の妙を楽しんだ後、前方へと視線を向ける。船上から見る景色は同じ海のはずなのに、かつて彼女が一人で何のあてもなくトリオール海を渡った時よりも、とても広大なものに見えた。
 とはいえ何故そう見えるのかは、何となくわかるような気もする。きっと恐らく今の自分には、漠然としながらも大きな『目的』があるからなのだ。ただ単に目の前の現実から逃げ出し、俯いていただけのあの時とは、決定的に心のあり方が違うから。だから今の自分は外へと自発的に目を向け、今までみたであろう光景にさえ、新たな発見と新たな感動をすることができるのだと、そう思う。
 そしてこれから向かう先で彼女にはきっと、これまでの人生の中で最も面白い出来事が待ち受けている。それを予感として、痛いほどに肌に感じる。

「キャンディ嬢ちゃん、ヤーマスへの入港は明日の朝一くらいになりそうですぜ。この辺りはピドナよりも潮風が冷たいから、あんまり長居しないようになー」

 背後から話しかけられ、それに反応して振り返る。そこには作業中の気の良さそうな船員が荷を持ちながら、こちらを見ていた。

「あ・・・はい、ありがとうございまっす」

 少し噛んでしまった。しかし船員はそんなことは特に気にもせず、にこやかに笑いながら作業に戻る。なにやら自分ほどの年の娘がいるとかいないとか、そんな話を彼とは数日前にも甲板でしたような気がする。
 こうして他人と会話をするのも、思えば今まではあまりしてこなかったようにも思う。
 それは喋る喋らないということではなく、相手の話に耳を傾けるという行為そのものを、自分はしていなかったように思うのだ。相手のことなど気にかけることなく、ただ単に自分の要望を通すだけ。それだけしかしてこなかったように思う。そのなんと勿体ないことであるか、今ならば彼女にもよく分かる。
 思い返せば思い返すほど、今すぐ船室に駆け込み薄い布一枚だけが敷かれた硬い寝床の上で叫びながらのたうちまわりたくなるような行動を自分がしてきたことが、よくよく思い出されるのだ。

「・・・いかんいかん。考えるのやめよ」

 両の米神に手を添えてわざと声に出し、思考を切り替える。兎に角、自分はこれからいろいろな経験をしていくのだ。そのための大きな一歩が、明日に待ち受けているのだ。
 ふと吹き抜ける風に、すこし体が震える。確かにここの潮風は出港した時よりも冷えるように思う。ばたばたと風になびく服の裾を抑えながら、船室に向かって戻っていった。

「きっとウチの物語の本編は、ここからなんだなー」

 そんな、後になればこれもまたのたうち案件になりそうな台詞を吐きつつ、船室への扉をくぐる。
 狭い通路を中央に抜けて食堂に立ち寄り水を一杯貰い、足早に船室に戻る。今回の旅路はなんと個室を充てがわれての旅なので、積荷に紛れ込んでの前回の船旅とは比べ物にならないほど快適だ。

「っし、色々資料とか見返しておこう。事前準備が勝利の鍵・・・と」

 一人でそう呟きながら手荷物の中から丁寧に仕分けられた書簡の束を取り出すと、キャンディは早速それに没頭し始めた。

 

 

~ヤーマス到着から1週間ほど前

「君のことだから今回の商談を見て粗方分かったとは思うけれど、トレードとは法人対法人の、言わば買収合戦だ。そして、その最終的な決着方法はいたって単純。相手に対し、資金力で勝ること」

 ファルスからピドナへの帰りの馬車の中、トーマスは隣に座るキャンディに対し、そう話しかけた。
 ヤーマスからポールが寄越したとんでも無い量の対応案件を早急に捌くに当たり、彼ら二人のこの一週間の奔走は実に凄まじいものだった。そして今回のスタンレーとファルスでの商談がその一連の最終局面であり、それらを無事に終えた事で二人の表情はかなり安堵した様子のものとなっていた。

「トレードは、その受け手側の本店登録がある都市の商業組合を通じて双方に開催告知が成され、通常は告知から一週間後を目処にその都市の中央商館にて第三者立会いのもと開催される。この一週間という期間は所謂、受け手側の準備期間だね。ただし、双方の合意によってこの日程は早めることもできる」

 ひょんな事から協力を仰ぐ形となったものの、今となってはトーマスは自分の隣に座る幼さが多分に残る少女の助け無くして、今回の案件をを捌き切ることは出来なかったのでは無いかと感じていた。
 兎に角、キャンディの業務の飲み込みの早さは凄まじかった。
 サラは幼い頃からトーマスの性格を知っているので様々な場面で先読みした対応をしてくれていたものだが、キャンディの場合はその代わりに持ち前の頭の回転の早さと商業に関する独学知識で補い、結果サラに負けず劣らずの業務量を熟してくれたのだ。
 本案件の最大功労者が誰かと尋ねられれば、トーマスは間違いなく彼女だと断言するだろう。

「トレードの実施期間は最大で1ヶ月。その時点で、より多くの資金を積んだ方が勝ちと言うわけだ。まぁ、稀に話し合いによって明らかに資金力で劣る企業が大手を買収するなんて事もある様だけれど、余程の話術でも無ければそれは無いだろうね。或いはそう・・・世論の巻き込み、未来視にも似た予言、そんな時代の風が吹くとか・・・所謂奇跡でも起きなければ、ね」

 トーマスの言葉にキャンディがお気に入りのクマの人形を両手で抱きしめながら耳を傾けていると、トーマスはその様子に微笑みながら続ける。

「とはいえ、大抵は長くても一週間もすれば決着はつく。拮抗するトレードというのは実はあまり無くて、大抵は大手が中小企業を買収するという形が殆どなんだ。そういう意味では同規模にもガツガツと手を出す我々みたいな武闘派企業は、今の既得権益塗れの経済界では、かなり異端だね」

 トーマス自身が言う様に、カタリナカンパニーはキドラント、ツヴァイク、ユーステルムの企業群をほぼ買収して物件数においては世界指折りに数えられる様になった。ここまでには特にエリック社やツヴァイク商会等が大きな交渉相手として数えられるが、其れ等の一見無謀に思える様なトレードも現地でのポールの情報収集を元にした様々な仕込みと交渉の場に臨むトーマスの胆力によって、常識外れの躍進を遂げて来たのだ。

「因みに大抵の企業の場合は自社資金を元にトレードを行うけれど、これが大手になればなるほど傘下やグループ企業が増えるので、それら企業からも資金を調達して巨額の資金を扱えるようになる。大手同士が激突した例は今の所ないけれど、もし大手同士のトレードが行われれば、数千万オーラムもの資金が積み上がる大規模トレードへと発展するだろうね」

 数千万オーラムなどと言う量の通貨を積み上げられる頑丈なテーブルが、果たしてこの世界に存在しているのだろうか。
 キャンディはそんな素っ頓狂な疑問を頭の片隅に追いやり、トーマスに話の続きをせがんだ。
 トーマスが言うには、特に最近のトレードのトレンドは傘下企業をある一定の条件で『グループ分け』し、それらの相互成長を目的とした共同資金の運用だと言う。
 グループという聴きなれぬ言葉に強く興味を惹かれた様子で身を乗り出すキャンディにトーマスは期待通りの反応を得たのか、満足げに微笑みながら続きを話す。

「一例として、例えばピドナを中心とするマイカン半島南部は世界各国の人や風習が集う文化の坩堝だ。それに伴い、食文化も多種多様だね。そこでカタリナカンパニーでは『マンマ•メッサーノ』というメッサーナの食を預かる企業を中心として招集した企画グループを作り、相互発展に努めさせている。これらグループから算出される営業利益や回収資金は、トレードの現場においても大きな影響を与えるんだ」

 実際にカタリナカンパニー内部では土地や事業内容等を選定基準として既に十数ものグループを作っており、これらの活動により既存事業の拡大や新商品の開発等、着々とその成果が出始めているのだという。

「・・・じゃあ、この間わざわざバンガードの織工房と聖都ランスの酒造に使者を送っていたのも、それ?」
「ははは、送り先までチェック済みとは流石にキャンディは目敏いな。まぁ、その通りだよ」
「だって、あまりに怪しいんだもん。まぁランスはカンパニー最大の生産ラインである北海の線上だからまだ分かるけど、それこそバンガードなんて周囲にも全くカンパニーの影響力が及んでいないじゃん。そんな離れ小島みたいなとこに使者を送るなんて、怪しさしかないよ」

 キャンディは流石の着眼点だ。その鋭い物言いに、トーマスは両手を上げて降参の意を示した。

「ふふ、まぁ色々と思わぬ所に繋がりがあるものなのさ。それに、それらも含めてなかなか厳しい納期設定だったけれど何とか今回の要望には応えることができたと思うしね」
「ファルスので、依頼は大体終わりなんだよね?」

 トーマスから発せられたその言葉にキャンディが確認するように尋ねると、トーマスはまるで誰かの真似をするように肩を竦めてみせた。

「うちの営業部長からの要望は大体、ね。各都市への速達も今頃は全て届いているだろうし、その影響はここから一週間で一気に波及していくだろう」

 ポールがカンパニーの営業部長だと言うことをここで初めてキャンディは知ったのだが、まぁ妥当なポストだろうと頷いた。
 今回の依頼で仕込んだ内容を元にポールがドフォーレに対し何らかの工作を行うつもりでいるのは間違いないとキャンディは踏んでいたのだが、今回の買収はそれに一体どの様に関係してくるのだろうか。
 大規模な港を有する世界各都市へと大慌てでカンパニーから速達を送ったのが一週間前。しかし、その文面は全てトーマスが書いておりキャンディはその内容までは知らない。聞いてみたものの、はぐらかされてしまった。なにやら近衛軍団とも連絡を取った様で、物々しい内容であることは間違いなさそうではあったが。
 そして、速達を送った直後から今度はいくつかの指定企業へのトレード攻勢。これがまたキャンディには一見纏まりの無い指定に見えたものの、トーマスの口ぶりからすると、恐らくはグループ分けの中で重要な位置を占める選択肢であったのでは無いかと推測はできる。
 考え始めると止まらなくなってきたキャンディは、今回の買収帳票と扱い品目の確認をしたくなりトーマスに資料を求めた。

「見るのは構わないが、それは宿に着いてからにしよう。ほら、もう直ぐ着くよ」

 そう言ってトーマスが車窓の外に視線を移すと、街道が緩やかに曲がっていく先に、木の柵に囲まれた宿泊地が見えていた。
 この宿泊地で一泊の後、明日の昼過ぎにはピドナに戻る予定となっていたのだ。
 ファルスとピドナを結ぶ海岸線沿いの街道に位置するこの宿泊地はメッサーナの陸路流通の主街道に位置しており、かなり規模が大きい。少なくとも、地方の小さな村を軽く超える規模であることは間違いない。
 程なくして馬車は宿場町の門をくぐり抜け、到着早々に一般宿泊客とは別に用意されていた上客専用の小屋へと二人は案内された。
 そして各々は湯浴みと食事を早々に済ませ、其々に過ごしやすい格好で寛ぎはじめた。
 しかし二人ともが静寂の中で何枚もの紙面や帳簿と無言で向き合うだけの、はたから見れば実に奇妙な寛ぎ方である。見る人が見ればそれはとても奇妙な光景に見えることだろう。
 キャンディは馬車の中でせがんだ今回の買収に関する資料と、商談資料として用意されていたカンパニー内のグループ概要書を食い入るように見つめており、一方のトーマスはピドナに着き次第各地へ向けて送付する指示書の作成を行なっていた。

(今回の買収はぱっと見、以前トーマスさんとサラが行ったっていう北部遠征とかに比べれば結構手堅い感じの取引に見えた。でも、だからこそあれって今やる意味あったのかなって思うんよね・・・。正直、この忙しさの中で手を出す意味がウチには分かんない。でもカンパニーの現行取り扱い品目と地域分布をみると、何となく関連性があるようにもみえるよねー・・・。あとは、なんか不自然にスムーズだったのも引っかかる。トレードって、もっとバチバチしてるもんだとばっかり思ってたのに)

 手元の帳票類を眺めながら、キャンディはぐるぐると考えを巡らせる。
 彼女が特に印象的に覚えているのは、ファルス造船との商談の席だった。
 造船所ともなれば当然規模も大きく、今回のトレードの中では最もこちらの支出が多かろうとキャンディは感じていたものだった。だが驚くべきことに、この商談はなんと席に着くなり、ものの数分で終わってしまったのだ。

(トーマスさんは『ねまわし済みだからね』って言ってた。クラウディウスの封蝋がされた便箋を渡していたから、多分あの企業は旧クラウディウス商会所縁のところなんだろうな)

 以前にユリアンとモニカが各地に散らばった旧クラウディウス所縁の関係者筋へと走り回っていたという事もキャンディは聞き及んでおり、つまりはその時から既に準備は出来ていたのだろう。
 都市では企業的に最大手となる造船所が傘下に下ったことにより、ファルスの企業群は早々にトレードが締結された。
 またその手前に訪れたスタンレーに関しては、更に速攻で街全体と話がついてしまったのも彼女には非常に異様な光景に映ったものだ。しかし、これに関しても一応の理屈は分かる。

(都市の顔であるスタンレー軍が、なんでか凄く『カタリナカンパニー』という言葉に好意的に反応していた。前にエレンさんがスタンレーでどんぱちやらかしたとか言っていたけど、それが原因っぽいよね。やけにカタリナ社長の近況を聞きたがる部隊がいたけど、あれは社長の追っかけか何か・・・? まぁ兎に角、軍がキモいくらい好意的に接してきたおかげでスタンレーは瞬殺だった。これも『ねまわし』なのかな。だとしたらトレードの真髄ってつまり、始まる前に決着している、ということなのかもしれないね。お、ウチこれちょっと名言じゃん?)

 来客用ソファーにだらし無く寝そべりつつ資料を眺めながら、今回の一連の商談について色々憶測を重ねつつ一人でにんまりとキャンディは笑った。
 すると、ふと視線の端で明かりに照らされた影が揺れる。キャンディが寝転がった姿勢のまま首だけ捻ってそちらに視線を向けると、トーマスが作業を終えて机の片付けをし、席を立ち上がったところだった。

「キャンディ、明日は日の出と共に出発だ。少し早いが、そろそろ寝ようか」
「はーい」

 トーマスの言葉にすかさず返事を返したキャンディは、そのまま燭台の火を消して寝室へと向かうトーマスの背中を、月明かり越しに見送った。
 キャンディはこの小屋に最初に入った際にリビングに用意されていたハンモックを見つけており、自分はここで寝るのだとはなから決めていたのだ。
 意気揚々とハンモックによじ登ったキャンディは、頭の中にぐるぐると渦巻く資料の内容を反芻しながらも心地よい揺れに体を預け、ゆっくりと目を閉じた。

 

(・・・寝れない)

 どの程度時間が経ったのだろうか。時折小屋の外を夜警が巡回する様を数回程目撃したあたりで、キャンディはいよいよ即座の就寝を諦め上半身を起き上がらせた。
 やけに明るい月明かりが窓から差し込んでおり、ちょうどハンモックのあたりを照らしている。
 きっと、この明かりのせいで眠れないのだ。これでは仕方がないと自分に言い聞かせたキャンディは、どうせなら月明かりを目いっぱい浴びてやろうとハンモックからそっと身を下ろし、窓際に歩み寄った。

(・・・これから、世界はどうなっていくんだろうな)

 優しく小屋全体を照らす月明かりに身を委ねながら漠然と、そんなことを思う。
 とはいえ、別に彼女は世界の何かに対して憂いているわけでもない。つまりここでいう彼女の思う世界とは、彼女のまわりのごくごく狭い世界のことなのだ。
 目紛しく変わる周囲の環境に、毎日がとんでもなく面白い。実のところ彼女は今、この世界を今までで一番好ましく感じている。
 今は一頻り、この目紛しさを感じるままに享受していたい。ただし、いつまでもそのままでいるわけにもいかないのだということも、薄々感じてはいる。いずれは、自分のことにしっかりと向き合わなくてはならない時が来る。
 だがそれがいつなのかは、全く今の自分には想像がつかない。
 ただ漠然と、彼女はそう考えた。

(・・・ま、そんなセンチになるようなことでもないよね。みんながいるから、大丈夫。今回のことも、早く帰ってみんなに話したいな。親方と、ついでにケーンにも話してあげよう。あとはミューズ様。サラにも話したいな。サラは元々トーマスさんの秘書やってるから、今なら色々面白い話が聞けそう・・・あれ、なんか人影・・・?)

 窓の外をぼんやりと眺めながら物思いに耽っていると、視界の先に月明かりの中ぼんやりと、いつの間にか人影が浮かび上がっているのが見えた。
 その人影は明かりを手に持っていないので、夜警の兵士では無いようだ。キャンディが目を凝らして見続けていると、その人影はどうやらこちらへと向かって歩いて来るようだった。
 姿形は小柄。何処と無く女性のように見える。
 徐々に近づいて来る人影に対し、しかしキャンディは不思議と危機感を募らせることはなかった。こんなに優しい月明かりの下、清んだ空気の中において、危険なんてあるわけがない。何故か彼女は、そう確信していた。
 そうしているうちにやっと全体が見えてきた人影は、なんと驚くべきことに彼女の知っている人物だったのだ。

「・・・サラ?」

 月明かりに照らされたその人物はなんと、ヤーマスにいるはずのサラだった。

 

 

「・・・お待たせしました。豆スープとフィッシュボールです」

 日中の仕事を終えた人々が日々の疲れを癒すため、思い思いに集まり大いに飲んで歌う時分。どの国でも等しくそうである様に、商業都市ヤーマスは表通りも裏通りも例に漏れず、この時間は大いに混み合う。そしてその喧騒こそが、ここがピドナやツヴァイクに負けず劣らずの活気に満ち溢れた都市であることの証明なのだ。
 其々の目的を果たして再度シーホークにて一堂に会したポール達は、彼らもその喧騒に飛び込むようにして先ずは腹拵えをと言わんばかりにテーブルに所狭しと料理を並べ、その征服にかかっていた。

「あーサンキュー、ライム。ちょいまって、今これ空けちまうわー」
「あ、んじゃあたしもこっち空けるー」

 ポール特製のオーダーで運ばれてきたらしい通常の数倍の量を盛り付けたであろうその皿を置くために、エレンとポールが先に来ていた大皿のサラダとカポナータを平らげた。
 ライムは、素直に彼等の食べっぷりに感服していた。エレンとポールという二人の食欲は群を抜くが、しかしユリアンとモニカもかなりの量を食べている。
 特にモニカのシルバー捌きは見事なもので、先に出てきていた小骨の多いニジマスのムニエルを実に綺麗に食べ分けている。
 見た目は非常に高貴な生まれと見受けられる美しさだが、その容姿に反して意外にも食べられる大きさの小骨は躊躇なく食べているのも、むしろ港町に住む人間としては好感が持てる。隣で真似をしようとナイフに四苦八苦しているユリアンとは大違いだ。
 そうこうしているうちに先ほど出した大皿の料理たちも次々と消費されていき、一気にテーブルの上は片付いていった。

「・・・さて、そんじゃあ打ち合わせと行きますか」

 専用グラスに注がれたアクアヴィットと地ビールを交互に飲みながらポールが口を開くと、各々がテーブルへと身を乗り出した。
 夕食のメインタイムも過ぎ去りオーダーが落ち着いていたのか、カウンターでグラスを磨いていたライムも何気なく其方に耳を傾ける。

「出発は四日後の日の出前。面子はここの全員と、あとは助っ人が一人だ」
「おぉー。あたし偽物しか見たことないからなー楽しみだなー」

 ポールの言葉にエレンがビールジョッキを傾けながらユリアンを尻目にそう応えると、ユリアンはバツが悪そうに口を尖らせた。助っ人を獲得した最大功労者に対して遠慮ない物言いのエレンにモニカが笑っていると、そこで一緒に笑っていたポールもそういえばと口を挟む。

「そうそう、そういえばそっちも今回の宣戦布告を余程派手にやったようだな? 奴さん表向きは平然としているようだが、裏じゃ荒れまくりらしいぞ。商館じゃあ既に噂で持ちきりだったぜ。どこの馬鹿が天下のドフォーレ相手にトレード仕掛けてくるのか、ってな」

 事実、ポールが情報収集の為に寄ったヤーマスの商業会館は既に、ドフォーレを相手取ったトレードの噂で持ちきりだった。既にトレードの行く末を賭けた博打が始まっており、流石商都というべきか、まだ公開されていないにも関わらずトレード相手の予想にはカタリナカンパニーの名前が既に上がっていた。当然ポールは行き掛けの駄賃に相手方に賭けて来たことは、最早言うまでもないだろう。

「あはは、まぁねー。てかほんと凄かったのよーモニカったら。あたし、もう笑い堪えるのに必死でさぁ」
「もう、エレン様ったら。でも、わたくし意外とああいうのは得意なので全く苦ではありませんでしたわ」

 王侯貴族とは、演じるもの。モニカの言葉には彼女の経験からくる、確かな重みがある。ポールはそんな彼女の苦労は欠けらも理解することはできないが、しかしその気質は分かっていたからこそ彼女にドフォーレへの宣戦布告を任せたのだ。事前に用意していた仕込みもモニカたちは上手く使ってくれたようで、文句のつけようがない結果と言えた。

「ま、なんにせよ経過は上々だ。本番はいよいよこっからだが、事前準備はこれ以上ないぐらいに完璧に運べたと言っていいな」
「・・・しかし、当初聞いていた仕事とは随分違って大掛かりなことになったなぁ」

 エレンとは対照的にジョッキをちびちびと傾けながらユリアンがぼやくようにそう言うと、エレンとモニカはそれに同意する。なにしろ初期はドフォーレの情報蒐集とあわよくば弱体化という話だったのが、いつの間にやらドフォーレに真っ向から勝負を挑む事態となっていたのだ。ユリアンらがそうぼやくのも無理はない。
 ポールはそんな三人の反応に肩を竦めて応えると、塩っ気の利いたナッツを口に放り込んだ。

「まぁ、元々このつもりではあったのさ。今回の件、ここに至るまでの確証はほぼあったからな。事前にサラには知らせた・・・っていうか疑われて白状していたが、皆んなに知らせなかったのは悪かったと思っているよ。最終、仕掛けるに足る確証がなかったもんでな。それが掴めなけりゃ、当初伝えた程度で終わるつもりだった。だが確証の最後の一欠片を現地で確認できたから、実行に移すことにしたってわけだ」

 ポールの言葉に、エレンが思い出したように口を挟む。

「そういえば、サラは待たなくて良かったの?」
「あぁ、サラは元々、事前の作戦には同行してもらう予定はなかったからな」

 計画は情報は全て伝えてあるから、トレードを挑む一週間後までに帰って来てくれていればいい。そう言ったポールは、ジョッキの中身を一気に喉に流し込んだ。

「四日後までにより確実な情勢を確保するための仕込みも、まだまだ大量にある。みんな、この一週間が勝負だから、頼むぜ。つーわけで、まずは活力の補充だな。ライム、全員分おかわり!」
「はい喜んでー」

 ポールの一言にライムが応えると、テーブルの宴は一層盛り上がりを迎える。結局途中で寝てしまったユリアンを除き、宴は夜更けまで続いた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・8 -ドフォーレ商会-

 

 ピドナ商業地区の朝は早い。いや、朝というには如何せん早すぎる暁の時分から、商業地区は既に動き始めている。
 特に港に早朝の船が着くあたりには、空が明るむ前から御構い無しに活発に通りを行く人たちで溢れる。トーマスはその喧騒を特に嫌っていることはないが、前日遅くまで根を詰めてしまった時などは、少々寝起きには辛い時もあるものだ。
 決まってそんな時は少し濃いめの珈琲を執事に頼み、井戸から汲み上げた冷水で顔を洗って背伸びをしつつ、珈琲が淹れられるのを待つ。
 そうして漸くやってきた珈琲を啜っていると、メッセンジャーが朝一入港の船から速達で送られてくる書簡を届けにくる。
 これが、ここ数ヶ月の彼の朝の始まりだ。
 ちなみに速達は大抵がこの位の時間に来るが、通常郵便は港で一箇所に集められてから午前中に振り分け、午後に配達されるという形式である。なので速達には一刻も早い対応を望む案件が認められていることが多い。
 更に言うと大体速達にはある種の癖が決まっていて、どのメッセンジャーが何処の海運お抱えなのかが固まっていることが多い。だから誰が届けにきたのかで、何処からの速達なのかが大凡分かったりするのだ。
 その日最初に商会の入り口に現れたのは、商都ヤーマスからの速達を生業とするメッセンジャーの少年だった。

「ご苦労様」

 メッセンジャーが差し出してきた速達を受け取ったトーマスは、珈琲を啜りながら宛先を確認しようと書簡の裏を確認する。宛先は予想通りと言うべきか、現地に向かっているポールからのものだ。
 足早に自室へと戻り封を解き、中身を確認する。
 中に納められた便箋は四枚。
 二枚が伝達内容らしき文書、後二枚は何やら各地の港の名前が書かれたリストのようだった。

「・・・・・・」

 まだ中身を熟読する前ではあるが、トーマスは確信していた。この書簡の内容は十中八九、とても面倒な内容だ。彼の直感が、そう告げている。
 ふと、周囲に視線を走らせた。そして数秒視線を泳がせた後、思い出す。彼の優秀な秘書役の少女は今、ここにはいないのだと言うことを。
 トーマスは己のど忘れに対し自嘲気味な笑みを浮かべながら、改めて便箋へと視線を落とした。

「・・・トーマスさん、なに朝から笑ってんの?」

 唐突に部屋の扉の方から聞こえてきた声にトーマスが顔を上げると、そこには腰辺りまで伸びている艶やかな淡い赤毛を揺らめかせた寝間着姿のキャンディが、どうやら彼が閉め忘れていたらしい扉からこちらを覗き込んでいた。
 ここ最近彼女は何かと理由をつけてはレオナルド工房とハンス商会を行き来しており、カンパニーの帳簿整理などを手伝ってくれている。
 元々彼女が単独で行っていたレオナルド工房の受付業務に関しては、カンパニー経由での受注拡大に伴い雇入れの拡大をノーラが行ったようで、彼女の専属業務というわけではなくなっていたのだ。
 余談だが、カンパニーとの取引による受注拡大と新王教団ピドナ支部の事件に端を発する王国近衛軍団との繋がりにより、ここ数ヶ月でのレオナルド工房の経営状況は大幅に軌道修正された。これにより世界各国に散らばっていた同工房の元職人たちが復帰を願い出てきているらしく、レオナルド工房は以前のような繁忙を見せ始めている。
 そんなわけで工房の受注発注業務等も新規雇い入れ人材に割り振りをしたらしいキャンディは、数日に一回はミューズの元に泊まりに来つつ様々な業務の手伝いをしてくれている、と言うわけだ。

「あぁ、いや、なんでもないよ」
「・・・ふぅん。それ、速達? 急ぎの内容なんだ?」

 時間帯からして速達であり急ぎだろうと当たりをつけて発言したキャンディの言葉に、トーマスはこくりと頷く。
 キャンディはそれに対しても再度ふうんと曖昧な相槌を返すが、しかしその眼は速達へと真っ直ぐに向けられている。

「・・・それ、ひょっとしてポールから?」
「ご名答だよ。そうだ、都合が悪くな」
「わかった!待っててね!着替えてくる!」

 トーマスが言い終わるより早く、キャンディは大急ぎの様子で廊下を走り去って行った。
 数秒瞬きをしながら彼女の去った後に視線を向けていたトーマスは、ふっと短く笑った後、改めて便箋に向き合った。

 

 

「いらっしゃいませ。ようこそドフォーレ商会本館へ。ごゆっくりとお寛ぎ下さい」

 カランカランと、扉に付けられたベルが来客を知らせようと店内へ向け上品に鳴り響く。
 それに合わせ、よく教育が行き届いているらしく恭しくお辞儀をしながら語りかけてくる店員に、モニカは軽く会釈を返しながら店内へ一歩を踏み入れた。
 その瞬間に彼女の纏う華やかにして気品溢れる花の様な香りが周囲に振り撒かれ、店内の客が思わず彼女へと振り返り、そしてその美しさに目を奪われた。
 長く美しい金髪を後ろで編み込み、控え目だが一目でその宝飾技術の高さが伺える髪留めが高貴なアクセントとなっている。
 身に纏うドレスも一見して仕立ての良さが分かる非常に美しい仕上がりのもので、見る人が見れば、それはモードの最先端を行くリブロフの著名ブランドの一点物である事がすぐに分かる。

「・・・これはこれは、ようこそいらっしゃいました。当商会本館ギャラリーへは、初めてのご来場ですかな。いや、そうでしょうな。この美貌を一眼でも見たのなら、覚えていないなど有り得ないことです」

 程なくしてカウンターの奥から、非常に身なりの良い貴族然とした格好の男性が出迎えてきた。
 それを受け入れるように優雅に軽く一礼をしたモニカは、日除けに被っていた帽子を側に立つエレンに手渡す。
 エレンは執事を意識し、且つ動き易さを重視したパンツスタイルのコーディネートで纏めているが、そのような服装の中でも彼女の生来の美しさがよく現れており、男装の麗人と呼ぶに差し支えない。この二人の組み合わせは、当然のように一気に店内の視線の全てを掻っ攫った。

「ピドナから遊覧で参りました。ヤーマスではまずここをどうしても見てみたかったのです。わたくしは特に宝飾品や服飾、美術品に興味があるのですが、何方かにご案内を願えますか?」

 透き通るような声でモニカが話し掛けてきた男に対してそう言うと、男はゆっくりと頷いた。

「畏まりました。改めまして私がこのドフォーレ商会本館の店主を務めております、ラブ=ドフォーレと申します。早速店内の御案内を致しましょう!」
「ええ、宜しくお願い致します」

 ラブと名乗った店主に連れられ、モニカは優雅な足取りで店内を進んでいく。エレンはその数歩後ろを付き従うように歩きながら、周囲に悟られぬよう細心の注意を払いつつ店内全体に鋭く視線を走らせた。

(外観から予想していたけれど、やはりこの建物自体はかなり大きいみたいね・・・。一見して地上三階層だけど、まぁ地下階層があると見て間違いなさそう。ハリードに言わせれば、何かやましい事があるとしたら、それは大抵地下って相場は決まっているのよね)

 店頭入り口から一つ奥の部屋へと案内され珍しい宝飾品の数々を店主に紹介され感嘆の声を上げているモニカだったが、エレンの目配せを察してその純真無垢の表情のまま、店主に向き直った。

「どれも素晴らしい宝飾品ですわね。ただ・・・」
「おや、お気に召しませんでしたかな?」

 胸の下で軽く腕を組み顎にそっと手を当てながらモニカが少し表情を曇らせると、ラブはその様子を察してお伺いを立ててきた。
 するとモニカは少し上目遣いに店主へと視線を送りながら、隣で見ているエレンですらどきりとするほど、微かでありながらも妖艶な笑みを浮かべてみせた。

「・・・わたくし、ドフォーレ商会様にはもっと素晴らしい美術品や宝飾品の数々がある、と伺ってきましたの。そのために予算も奮発してきたのですけれど、わたくしの思い違いだったのかしら」

 ふと、ラブが視線を細める。
 そしてその視線のまま、まるで値踏みでもするかのようにモニカの全身を改めて舐め回すように眺めた。
 これはこの場にいたのがユリアンであれば後先考えず剣を抜いて暴れそうだ、とエレンは内心で苦笑した。流石と言うべきか、ポールの采配は細やかなものである。

「・・・確かに、我がドフォーレ商会では一部の方々にのみご紹介をする希少商品の取り扱いも御座います。ただ、これは申し訳ありませんが通常ご案内をしていません。お嬢様は、何方様からのご紹介状などはお持ちで?」

 その言葉を待っていたかのように、エレンは一歩前に出ながら封蝋の施された書状を懐から取り出し、ラブに差し出す。
 その封蝋を見て、店主ラブ=ドフォーレは少なからず目を見開いた。

「・・・これは」
「ええ、神王教団ピドナ前支部長、マクシムス様の紹介状です。わたくし、メッサーナにて商いをしております商家のものでして。マクシムス様にはご贔屓にしていただいておりましたの。その折に、ルーブに向かう時にと頂いておりましたのが、その紹介状ですわ」

 モニカの言葉を聞きながら、ラブはまじまじとその封蝋を見つめている。しかし彼は確かにその封蝋を知っており、紛れもなくそれはマクシムスのものであった。その様子をモニカはうっすらと浮かべた笑みを崩さぬままに眺めながら、言葉を続ける。

「残念ながらマクシムス様は先日の事変にてご失脚なされてしまったようですが、ドフォーレ商会としては神王教団との付き合いそのものは未だ密接に持っていらっしゃると、そうお伺いしております。そういったこともあり、是非その希少商品とやらをご紹介していただければと思いますの」

 そこまで言い終わったところで、モニカは相手の反応を待つように腕を組み直した。ラブはその様子にも気がつかぬ様子で暫く考え込んでいたが、やがて視線をモニカへと戻し、難しい表情をして見せた。

「マドモアゼル、確かにこれはマクシムス様の封蝋のご様子。ですが先日の事変から、この封蝋が本当にマクシムス様本人によって封されたものであるのかも、残念ながら私共では判断がつきません。穿った見方をしてしまえば、マクシムス様なき後に何者かが用意をしたものとする可能性を、私共は払拭できないのです」

 これでは商品の紹介はすることができない、とラブが続ける。確かにラブの言葉は、最もだろう。どうやら目の前の人物は、目先の利益には飛びつかず確りと考える強かな男のようだ。
 だが、モニカはそれでも笑みを崩さなかった。

「そうですか、それは困りましたわね。それではそうですね・・・これならば如何かしら。わたくしが、確かにその紹介状を事変以前にマクシムス様から頂いているであろうということをご理解いただけたら、ご紹介いただけますか?」
「・・・無論、それが示されれば。しかしどのように・・・?」

 ラブの言葉に、モニカはうっすらと目を細めた。

「ドフォーレ様やマクシムス様、またその関係者しか知り得ない情報をわたくしが知っていれば、わたくしとマクシムス様の繋がりをご理解頂けるのではないかと思いますが・・・如何でしょう?」
「・・・成る程。しかしながら先の封蝋と同じく、何かの伝票や書状等に残っていては無意味ではありませんか?」
「ええ。ですから、文書にも残っていないもの・・・いえ、残されていてはいけないものならば、ご理解頂けるのではないかと」

 モニカのその言葉に、ラブはいよいよ表情から笑みを消した。エレンは周囲の気配を探るように神経を研ぎ澄ませながら、動向を見守る。

「そこまで仰られるのであれば、余程自信のある情報とお見受けします。是非、お聞かせ願えますか?」
「はい」

 ラブに対しにこやかに頷いたモニカは、周囲に展示してある宝飾品を一つ一つじっくりと眺めながら、まるでその宝石たちに語りかけてでもいるかのように口を開いた。

「当家の商いは、ピドナを擁するマイカン半島を中心とした陸運向け傭兵業でございます。とはいえ、メッサーナキャラバンのような大手との業務契約はなく、地域に根付いた少人数での細々とした商売。それが不思議なご縁で、マクシムス様とは実のところピドナ支部長にご就任なされる以前・・・そう、丁度かのハマール湖での戦いがあった十年程も前からお付き合いがありまして、当家はそれからいくつかのお仕事をご一緒させていただきましたの」

 ハマール湖での戦いでは、ドフォーレ様もさぞご収益を出されたたことでしょうね。そう言いながら、モニカは宝飾品の並ぶ棚の向こう、壁にかけられている絵画へと視線を投げかけた。花瓶に生けられた華やかな花を描いたその絵画へ投げかけるように、言葉を続ける。

「わたくしどもが請け負ったお仕事は当然、陸運中の護衛でございます。マクシムス様と出会って翌年あたりから、年に一、二度ほど、とある『荷運び』の護衛を承りました。いつも運ぶものは一緒。マクシムス様も無茶を承知で仰せられるものですから、それこそ世界中を旅しましたわ。その折に、特段印象的な仕事が一つございます。それは、聖王歴三百八年にお引き受けした長距離の『荷運び』でございます」

 年代が口に出たところでラブは、ふと無表情になる。また部屋の周囲に微かに殺気が混じり始めたことをエレンは察知し、気付かれぬように警戒を強めた。
 モニカは続ける。

「この年、マクシムス様からのご依頼を受け、とある荷物をメッサーナから陸路周りで、なんとガーター半島へ運ばせていただきましたの。とはいえウィルミントンを目指したわけではございません。わたくしたちが向かった先は、そう。今はなき、ガーターウエスト塩田でしたわ」
「もう結構ですよ、マドモアゼル」

 両手を軽く上げ、ラブはモニカの語りを止めに入る。
 だが、モニカは止めなかった。

「わたくしどもの運んだ荷物、それこそは『不幸』。殺戮と破壊でございます。けれどその『不幸の恩恵』を受けた様々な結晶が、ここにある。わたくしは、マクシムス様からそう伺っております」
「わかった、わかった。もうそれ以上は喋らなくて結構だ」

 勘弁してくれとでもいうように、ラブは突然ぎらりとした貪欲な眼底を晒すような目つきに変貌し、半分声を荒げるようにして今度こそモニカの言葉をさえぎった。

「お前たち・・・『マクシムスガード』、だな? 頭領が失脚したというのに、まだ残っていたのか・・・。老若男女を問わず集められた暗殺を生業とする集団だとは俺もマクシムスの旦那から聞いていたが、まさかあんたのような娘までそうだとは・・・」

 モニカは、その言葉に応える代わりであるかのように一層妖艶な笑みを浮かべる。するとラブは額に冷や汗を一筋垂らしながら、一歩後退った。

「・・・何が目的か知らないが、金があるってんなら案内しよう。あんたらを敵には回したくない」

 そう言いながら更に奥の部屋へと向かうラブに、モニカとエレンは颯爽と続いていく。
 奥の部屋は一見して置物も何もない小さな物置用の空間のようだったが、そこには帯剣した屈強な男が四人ほど待機していた。部屋の外から漏れてきていた殺気はこいつらか、とエレンは一人納得する。
 ラブは男どもには目もくれず部屋の端まで歩き、目の前の壁を一箇所、無造作に押した。すると壁は扉のように開き、その先には螺旋状の下り階段が現れる。

「・・・こっちだ。此奴らの事は、そう警戒しないでくれ。あんたたちを一人で案内するほど、こちとら命知らずじゃあないんでね」
「ふふ、賢明なご判断ですわ」

 冗談めかしたモニカの言葉にラブは無理やり作った笑みで答えつつ、部屋の中の男達を引き連れるようにしながら階段へと向かった。そのまま振り返って無言の仕草でモニカ達を誘う。そのままモニカ達が従って階段を下って行くと、直ぐにどこかの店のバックヤードのような所に出た。

「・・・下の階にある、会員制のショップだよ。闇市で回ってきたものや盗掘品とかな、表に出せない商品を売っている。まだ下だ」

 ラブはさらにもう一度仕掛け壁を開け放ち、人一人がやっと通れる程度の細い螺旋階段を地下へと下って行く。恐らくは方向感覚を狂わせることが目的なのであろう。何周も回るように下り、そしてそこから今度はまっすぐ伸びて行く細く狭い道を十数分ほど歩いた。
 するとその先に、唐突に広大な空間が広がっていた。

「・・・ここだ。さぁ、御目当てのもんはなんだ。一応断っておくがな、我々で回収した聖王遺物はちゃんと全部そっちに渡してあるぞ」

 こちらを見ながらそう言って来るラブの言葉を無視するように、モニカとエレンはゆっくりと前進しながら倉庫全体を眺めた。
 天井から漏れ入る光が複数。そしてわずかに潮の香り。恐らくはヤーマス港の地下のどこかに作られた空間であろうことがうかがえる。
 そして改めて、その大きな空間に区分けされて置いてある様々な品へと視線を向けた。
 多くは、古美術品や絵画だ。このような場所に置いていては全く保存によろしくないように思えるが、見ればどれも長く置かれている気配はない。ここはあくまで一時的な置き場所なのであろう。いくつかの品はモニカにもそのルーツが予測できる品々があったが、それらについては特段今の時点で言及しようとは思わなかった。
 少なくとも一通り見て回り、ここで彼女たちの目的は達せられた。
 ここにあるものは、間違いなく盗掘品や盗難された品々だろう。

「・・・さぁ、何を買う。此方としてもあんた方には世話になったことが何度もあるからな。ふっかけやしないぜ?」

 じっくりと品定めをしているように見えるモニカとエレンを見ながら、やや余裕を取り戻した様子でラブは腕を組みながら声をかけてきた。丁度品揃えも大体見てしまったところだったので、モニカとエレンはお互いの顔を見合わせて小さく微笑み合うと、ラブへと向き直る。

「よろしいでしょう。これを買いますわ」

 優雅に右腕を胸の前から後ろへと流すように広げ、半身を後方へと向けるようにしながらモニカは言った。しかし、その仕草と言葉に、ラブは要領を得ないと言った表情で首をかしげる。

「・・・どれだ?」
「ですから、これを、です」

 姿勢を崩さぬまま、モニカは平然と言い放つ。
 そしてその言葉、その意味を唐突に察したラブは、まるで冗談を言う子供を嗜めるような表情を作りかけた。しかしモニカの表情と瞳に一切の曇りがないことを見抜いて、次には大いにたじろいだ。

「お・・・おい、まさかここの品を全部買おう、とか言ってんじゃあないだろうな?」
「・・・あら、そうですわね。それでは足りませんわよね。それでは・・・」

 ラブの言葉に対し、全く頓珍漢な答えを返すモニカ。身を翻して態とらしく思案するオペラ役者さながらの名演技に、エレンは今にも吹き出してしまいそうなのを堪えるのに必死だ。
 そして思案する様子をたっぷり十数秒ほど見せつけたモニカは、ラブに向き直ると同時に、高らかに言い放った。

「改めて、ラブ=ドフォーレ様。わたくし、買いますわ。ドフォーレ商会を。当社から『トレード』を申し込みます。正式な手続きは商館を通じ、一週間後にさせて頂きますわ」

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・4 -家出少女の考察-

 

「あら、キャンディさん。こちらにいらっしゃるなんて珍しいですね?」

 まるで何かを気にするようにきょろきょろと周囲を忙しなく確認しながら挙動不審気味に廊下を歩いてきたキャンディに、ミューズはいつも通り柔らかい口調で声をかけた。
 その声にお約束通りびくっと体全体で反応したキャンディは、しかしミューズの姿を確認すると一転ぱっと表情を明るくし、彼女の元へと駆け寄る。

「ミューズ様!こんにちは!」

 ハンス家の邸宅には殆ど立ち入ったことのないキャンディは、漸く見つけた知り合いに安堵し、ミューズの白く細い腕に抱きついた。
 キャンディとミューズは直接やり取りを多くしている訳ではないが、サラたちと共によくランチを一緒にしているランチ仲間だ。その中でも取り分けミューズの清楚を体現したかの様な美しさと柔らかい物腰にキャンディは強い憧れのようなものを抱いており、会うたびにこうして飛びつく癖が出来てしまっていた。

「実はちょっとトーマスさんに用事があるんだけど、場所がわからなくて。何処にいるかミューズ様は分かりますか?」
「ええ、来客がどうとか仰っていたので今日は出かけないはずですから、書斎に居るはずです。ご案内しますよ」
「ありがとうミューズ様!」

 すっかり緊張感を解いてミューズの隣で上機嫌に手を組みながら、キャンディは案内されるままに廊下を何度か曲がり、突き当たりの部屋まで到達した。
 そこでミューズが扉を軽くノックする。

「トーマスさん、いらっしゃいますか?」

ミューズがそう声をかけると程なくして扉が開き、中からトーマスが顔を出した。

「おや、ミューズ様・・・と、キャンディ?」
「やっほ、トーマスさん」

 ミューズの後ろから顔を出した珍しい来客にトーマスが思わず首を傾げていると、キャンディはそんな様子には構わず片手を上げて軽く挨拶をする。

「実はね、ちょっと確認したいことと調べたいことがあるんだけど。相談いい?」
「内容にもよるけど、何を相談したいんだい?」

 キャンディの唐突な申し出にも、柔和に笑顔を見せながら対応するトーマス。キャンディは、こんなお兄さんが自分にもいればいいのに、と時々思うものだった。

「ポールが出発前に確認したことと、漁っていた資料を見せて欲しいの」
「・・・成る程。構わないよ」
「ほんと? ありがとう!あ、ミューズ様も案内ありがとうございました!」

 申し出を快諾してくれたトーマスとここまで案内してくれたミューズの双方に礼を述べると、キャンディはするりと部屋の中に入り込んだ。ミューズを見送ったトーマスがそのあとに続くと、キャンディは物珍しげに本や書類が大量に整頓されて並べられた棚を眺めながら応接用のソファに腰掛けた。

「それで、ポールが確認したこと、だったね。因みに、何故そんなことを聞きに来たんだい?」
「うーん・・・ほんと、ちょっと気になっただけなの。しかもどう気になるのか自分でもイマイチ分かってないから、何故かって言うのはこっちが聞きたいくらい。だから調べに来た、かな」

 キャンディのあっけらかんとした答えに、トーマスは思わず苦笑いをする。全く意味はわからないが何故かそれが非常に彼女らしくて、それ以上聞く気もトーマスには起きなかった。

「ポールが確認しに来たのは今回のヤーマス遠征の狙いと、ここ数年で洗える限りのドフォーレのデータだね。取り分け一部の取扱品目流通量と取引価格の推移を細かく見たがっていて、こちらも細かく把握しているわけではなかったので集められる限りを集めて、彼に見せてやったよ。因みに、そこに纏まっている」

 そう言ってトーマスが指さした先には、棚とは別に分けられた箱の中に大量の資料が纏められていた。
 早速立ち上がってその箱に近寄ったキャンディは、箱を持ち上げてソファの近くに運ぼうとする。しかしあまりの重量にキャンディの腕力ではぴくりとも動いてくれず、引っ張ってみるがそれでも結果は同じだった。
 結局これも、トーマスが持ち上げてソファのすぐ脇に置いてあげた。意外とトーマスって腕力もあるんだなぁ、などと呑気に思うキャンディ。

「アイスティを持ってこさせよう。僕はもう直ぐ来客の予定があるので席をはずすけど、好きなだけ見ててくれていい。気が済んだらそのままにしてておいて構わないから」
「わかった、ありがとうトーマスさん」

 そう言ってトーマスが部屋を出て行くと、早速キャンディは箱の中に詰め込まれている資料を上から手に取った。

(・・・聖王歴三百八年流通履歴。年代的には丁度ドフォーレが大きく台頭し始めた頃の履歴みたい。こっちは・・・)

 片手で別の資料を手に取り、応接机の上に広げる。

(・・・スクラップブック・・・新聞の切り抜きだね。これには、ここ数年のルーブ地方の都市警護団の対応の記録が纏められているみたいね。これはあんまりドフォーレとは関係なさそうだけど・・・)

 ぺらぺらと資料をめくりながら、大凡どのような傾向で調べ物が行われたのかを頭の中で推測していく。

(・・・流石にこの量を全部見たわけじゃないはず。上に積んであるやつの幾つかから大体は推測できるかと思ったけど、ルーブ地方にすら限らず世界各地の色んな事が結構幅広く収集されていて、一見して全然纏まりがない・・・。でも、この新聞切り抜きのスクラップブックは自作っぽいな。王宮の資料保管庫辺りで調べてきたのかな。流石に近衛軍団に近づいた恩恵はここぞとばかりに利用するなぁ・・・まぁそう言えば近衛軍団公認での調査だって話だもんね。んーと・・・資料傾向はここ十五年くらいのドフォーレの流通品目とルート分布、其れ等の取引価格でほぼ確だね。スクラップブックの方は一応ルーブを中心にしてるっぽいけど、世界各地の様々なニュース・・・。何だろう、ニュースの傾向が分かれば何かしらわかりそうなんだけど・・・。うーん・・・だめ、こっちから推測するにはウチの知識が足りないや。そうなるとポールの言っていた通り・・・)

 執事が調べ物の合間に飲み物を運んできてくれたのにぎこちない会釈だけで返しながら、広げた資料の中で先ずは自分にもある程度知識のある商会決算資料や流通傾向を見ていく事にした。

(ドフォーレの調査と弱体化・・・それが目的にしては、ポールが連れて行った人数はむしろ不必要に目立って邪魔に思えるほど多い。しかもその道の素人が半数以上を占める上に、その活用目的を周りに知らせなかった。これが一番不可解。本当なら、サラと二人が一番いい筈。あの男は絶対に無駄な事はしない・・・だからあの人選には必ず理由がある。しかもそれは、今回の遠征の表面上の目的とは異なる気がする)

 資料に視線を走らせながら、考える。
 ポールという男に関して、キャンディは実のところ周囲の人間以上に高く評価していた。
 要領がよくて腕の立つ軽い男、と言うのが一般的な彼の評価で、彼自身もそれを認めている節がある。
 だが実際はその評価とは真逆と言っていい位に彼は泥臭く地道な努力を苦としない人間であろうとキャンディは予測立てていた。
 情報を扱う人間には大きく分けて二つの傾向がある。自分の得意なものに深化する者と、幅広く様々なものを扱う者。どちらかと言えばキャンディは前者で、ポールは後者だと思っている。

(でもポールの情報収集は、あまりに常軌を逸している。集める情報量とその収集及び精査能力が桁外れ。病的にも見えるくらい。むしろあれで軽い男を演じているのが恐ろしくすら思える)

 市場価格の変動調査と経済情勢を眺める事を趣味とするキャンディは、工房の休日や自由時間を使ってピドナのメインストリートを練り歩くのを日課としていた。
 その中でここ最近キャンディは、何度もポールを見かける事があったのだ。彼との面識は彼がグレートアーチから帰ってきて以降のそう長くない期間となるが、初めて会って以来ほとんど彼女が出かけた時には街中で彼を見かけたと言ってもいい。
 そうして見かける折、いつも彼は誰かと話をしていた。それはカフェのマスターであったり、近衛軍団の衛兵であったり、明らかに怪しい風体の情報屋らしき人物であったり、時にスラムから出てきたならず者であったり。
 そうして様々なルートから得たり買ったりした情報を彼は常に書に認め、保管しているようだった。
 一度、偶然を装ってカフェで同じ席に座って彼の書いているメモを見せてもらった事がある。
 一見すると何の取り留めもなさそうな大量の情報の羅列の走り書きと、それらが突如として理路整然と関係性を持って並び替えられその原因と考察まで細かに記載された調書。それの裏取りが出来ているか否かの確認。
 その精査力にも驚いたものだが、彼は一連の作業を終えると再び収集へと向かって行った。彼が向かった方向は旧市街に近く治安があまり良くない方角だったため後を追う事はしなかったが、どうやら彼はあれを時間がある限り毎日続けているらしい。
 ピドナは世界の中心だから情報には事欠かない。だが一つの情報は多方面から見たり聞いたりしないと、歪曲されたものもあれば一部だけが真実であとは嘘のものなどが非常に多い。これを素早く見極めるのは少し経験とコツがいるが、先ずは慣れている分野で見聞を広め、思考を鍛えるといい。そう、彼は言っていた。

(集められたドフォーレの資料は大凡十五年分。死蝕の後だ。それまではヤーマスの中小商会の一つに過ぎなかったドフォーレに売り上げで劇的な変化が訪れたのはやっぱ塩鉱を採掘した聖王歴三百六年ね。ここで塩の流通を手掛けるようになってからの伸び率は本当に脅威だね・・・。しかも恐らく発掘の源泉資金は、前年に起こったハマール湖の戦いでの神王教団への独占武具販売だ。全くこの企業の悪運の強さったらないよ・・・ん、でもそれ以前の三百一年から三百五年までの間の数字は・・・まって・・・え、これ絶対おかしい・・・)

 資料に羅列されている数字の一部に釘付けになったキャンディは、多分ここの関連資料も集めている筈だと踏んで大急ぎで箱の中身を漁る。資料の束らしきものを何冊もひっくり返していくと、彼女が探していたものが矢張りあった。

(あった・・・そんなに多くないし総決算分だけだけど、同年の他企業の決算推移。三百年初頭分しか纏まってないってことは、着眼点は一緒の筈・・・)

 資料を開く。そこにはフルブライトやクラウディウス、ラザイエフを始めとした名だたる大商会、そして大手陸海運やルーブの他企業の三百年初頭数年分の売り上げ推移が記されている。
 見る限りは見事にどこの企業も軒並み壊滅的な数字になっており、力無い企業はその殆どがこの数年で姿を消したり大手に吸収合併している。この時代はどこも例外なく多大な損害を被り、その時代を生きてきた商人たちは死蝕の恐ろしさをその身をもって味わい、生き抜いてきたのだ。

(ウチが生まれる前年・・・全ての新しい生命が死に絶える未曾有の災厄である死蝕が起こった年。ここから数年は世界経済も瀕死に窮したんだ。だと言うのにドフォーレはこの数年の間、殆ど売り上げに変化がない。ってかむしろ成長すらしてる・・・)

 記載によれば、ドフォーレは死蝕の翌年、当時ヤーマスの港を拠点としていた名前も知らぬ海運会社を買収している。恐らくは地元を中心として短距離輸送を生業としていた小規模海運だろう。

(小さなったって、仮にも造船所と契約しているくらいの海運業者。それをこの時のドフォーレが買うなんて、決算数値だけみればそれこそ社内資金をほぼ全部突っ込んでも足りるかどうかってレベルのはず。しかも時は死蝕直後。ルーブならばマッキントッシュ海運が最大手だから、近隣で発注される輸送案件の殆どは死蝕からの再起に必死なマッキントッシュがかっ攫ったはず。現在の陸海運に殆ど小規模運送業者がおらず大手のみに絞られている状況は、抑もそういった死蝕以降に大手以外が淘汰された結果だ。だから、小規模海運なんてそれこそ手に入れたところでこの当時は仕事そのものが見込めない・・・こんなの、およそ正気の沙汰とは思えない買収じゃん・・・)

 では何故ドフォーレは、ここで海運などを買ったのか。現在でこそドフォーレ海運として別法人化しマッキントッシュに勝るとも劣らぬ規模の海運となっているが、当時にそんな展開を目論めたものは居ないはずだ。

(先見・・・いや、そんなことありえないよ。だってあの時代は誰に聞いたって、みんなが生きるのに必死だったって言ってた。それこそ今日を生きられるかどうか、それに必死だったんだって。なのにこのタイミングのこんな買収なんて、まるっきりどう生きるかを考えている人間の思考じゃないよ。あのフルブライトや・・・それこそ父様だってそんなことは全然考えられなかったはず。なのにドフォーレだけが何故ここでこんな行動に出ているの・・・そう、本当に直近のことなんて考えていないとしか・・・)

 全くもってこの数字が語る事実の合点がいかず、キャンディは可愛く眉間にしわを寄せてたっぷり十数秒考えたあと、ふと諦めたようにその身をソファに投げ出した。
 纏まらない思考に苛立ち、手を伸ばしてアイスティの入ったグラスを掴んで一気に飲む。カラン、と氷が崩れる音を聞きながらグラスをテーブルに戻したキャンディは、資料とは別に積み上げられたスクラップブックに何気なく手を伸ばした。

(・・・ん、これも年代別に纏めているんだ・・・。死蝕の時、数字以外では何があったんだろ・・・)

 気分転換のつもりで、キャンディはスクラップブックに纏められた記事から死蝕直後のものを探してみた。すると程なくして該当のファイルが見つかり、それを手にとって膝の上でぱらぱらとめくってみる。

(・・・強盗、襲撃、暴動の記事ばかり・・・。死蝕直後は本当に治安もままならないし、魔物どころか人間も殺気立っているし傭兵も碌に雇えずで、陸海運は事故も多かったって聞いたな・・・)

 そんな中、経済欄らしき部分の記事が彼女の目にとまった。どうも、織り込まれた宣伝のようだ。

(・・・ドフォーレ海運の広告だ・・・。破格の請負価格と抜群の安全性、か。この時代によくまぁそんな眉唾の宣伝文句・・・)

 その広告自体を鼻で笑いながら直ぐ下に纏められていた記事に目を移したキャンディは、思わず目を見開いてその記事に書かれた内容に食いついた。

(なにこれ・・・ドフォーレ海運が通年無事故で最優良海運企業に選出?この時代はメッサーナ最大の海運であるアルフォンソですら年に数回は船が沈んだり海賊の略奪にあった時代の筈なのに、無事故・・・!?)

 キャンディは先ほど投げ捨てた資料を慌てて手元に引き戻し、ドフォーレの決算報告書と物流を見直す。

(・・・流石に当時の一個口あたりの相場までは分からないか。でも、この全体数字と取引量を見る限り、海賊や海棲の妖魔に常々対応出来るような護衛を雇えているとも思えない。殆ど積み荷を運ぶ事だけを考えたような数字で、無事故だなんて・・・)

 そのまま資料を何冊か捲るが、聖王歴三百六年に塩鉱を発掘して爆発的に売り上げを伸ばすまでは、着実に売り上げは前年対比増加を繰り返していた。その中心となるのがこの海運事業であり、そして塩鉱発掘成功の前年である聖王歴三百五年に、ハマール湖の戦いでの武器商人を請け負うことで大きく財を固めている。

(そうだったんだ・・・今でこそドフォーレといえば武器と塩だけど、むしろ一番謎なのは武器商人としての成功を収めるまでの海運での成長だったんだ。まるでドフォーレは死蝕の影響なんて全く受けていないみたいな過程で成長を遂げ、着実に築いた財と海運での評判で武器商人としての仕事を掴み、そして塩鉱発掘までたどり着いている。その買収と増益の遍歴は、まるで・・・『そうなる事を知っていた』かのように迷いの感じられない流れ・・・これじゃあ、なにか裏があるって言ってるようなもんじゃん・・・)

 ごくり、と唾を飲み込みながら食い入るように資料に目を落とす。数字の羅列と当時のニュースを絡ませる事で見えてきた過去の違和感に思わず背筋が震えたキャンディは、己の好奇心の促すままに資料の続きをめくっていった。

(・・・塩鉱発掘が始まってからの爆発的な企業規模拡大は、流石としか言いようがない。聖王様がコングレスで定めた銀行法のヤーマスでの管理権も委託され、金融としても成長・・・。地元の大手製粉工場と製紙工場と独占取引契約を結び、実質私物化。これで周辺地域の小麦を抱えつつ、実質的な広報印刷物の根元を抑えて情報操作も行える。この辺は剛腕とか言われる所以だね。あからさま過ぎて反吐がでる。でもまぁ、この流れは金にものを言わせれば実行可能だから、言ってみればなんら不思議ってわけじゃないね・・・。だめだ、このデータからじゃさっきのような違和感は洗い出せそうにない。この間にポールが集めてきたニュースは何なんだろ・・・)

 一度資料を戻してポール手製のスクラップブックを漁ると、聖王歴三百六年以降からは特に多めに年毎に分けられて当時の記事が収められていた。

(地域毎にも分かれてる・・・見やすいけど、結構量あるなぁ。ここはルーブで・・・こっちはピドナか。ツヴァイク、ロアーヌ、リブロフ・・・フルブライトの影響が色濃い地域は集めてないんだ。ルーブは周辺での魔物による被害の記事が目立つ・・・あ、ガーター半島の記事。ウィルミントン近くの記事はこれしかないのかな・・・)

 スクラップブックに収められているフルブライトの威光に照らされた地域で唯一と思われる記事は、ガーター半島西岸の塩田壊滅の記事だった。

(・・・聖王歴三百八年、ガーター半島で最大の規模を誇る塩田が魔物の大群の襲撃により壊滅。塩田従事者と警備合わせて二十二名が犠牲になった、近年治安悪化が懸念されていた西太洋でついに起こってしまった大規模被害・・・。これでウィルミントン都市憲兵は海洋警備を大幅に拡張せざるを得ず、また治安回復が見込めるまで西岸での塩田事業再開も断念・・・か。まるでドフォーレの塩鉱事業の追い風の様な・・・・・・ありうるか?)

 別のスクラップブックに手を伸ばす。同年、ないしは前後二年ほどの記事を集中的に見てみると、世界各地に広がっていた塩田の幾つかはこの時期に魔物の襲撃を受けて壊滅に追いやられている。

(・・・偶然にしちゃ出来過ぎじゃん・・・。塩鉱事業が好調だということの裏には、こんなえげつない出来事が絡んでいた・・・。ドフォーレ、黒い噂は商人連中の間でもいっぱい飛んでたけど・・・まさか本気で魔物と手を組んでいる・・・!?)

 ポールはまさか、ここまで確証を持つためにこれ程の量の資料探しを続けて纏めていたのか。

(・・・まって、それで今回の作戦に人数を揃えたって事は・・・まさかポールは・・・)

 ガチャリ、と音がした。
 音と共に部屋の扉が開き、咄嗟にそれに反応して顔を上げたキャンディは和やかに誰かと喋りながら入ってきたトーマスと目があった。

「あぁ、まだ居たんだねキャンディ。邪魔をして悪いね。ちょっとこちらも探しものを・・・」
「トーマスさん!聞いて!ポールは今回の作戦でドフォーレを潰す気かもしれない!」

 トーマスの言葉を遮ってキャンディがテーブルから身を乗り出しながら半分叫ぶ様にそう言うと、トーマスは目を丸くしながら首を傾げた。

「ドフォーレを潰すだって? そりゃあ有り難いが、なんとも穏やかではないね」

 トーマスの背後から、男の声が聞こえてくる。それに気がつきキャンディが訝しげにトーマスの背後を注視すると、トーマスの横から身を乗り出してきたのは、フルブライト二十三世だった。

「可愛らしいお嬢さんの声だったが、一体・・・」

 そう言いながらキャンディへと視線を投げたフルブライト二十三世と、それを見つめ返すキャンディの視線が交錯する。
 そのまま二秒程だろうか、両者はその姿勢のまま固まった。
 そして次にフルブライト二十三世が口を開くのと、キャンディがソファに座らせておいた愛用のクマちゃん人形を掴み取ったのもまた、同時だった。

「君は、まさかタチあぶ!?」

 とんでもない速度で顔面に飛来したクマちゃんを真正面からそのまま受け止め、フルブライト二十三世は口にしようとした言葉を途中で遮られる。
 その隙に素早くテーブルを飛び越えて二人の足下まで一気に詰め寄ったキャンディは、フルブライト二十三世の足元に落ちた直後のクマちゃんを掻っ攫いながら、もう片方の手でフルブライト二十三世の手を掴んで廊下へと駆け出した。

「トーマスさん!この人ちょっと借りるから!」
「・・・え?」

 そう言いながら走って行くキャンディと、なぜか素直にキャンディに引かれるままに去って行くフルブライト二十三世を見送り、取り残されたトーマスはぽりぽりと頭を掻いた。

 

 

「・・・えーっと」
「絶対にみんなに喋らないで。喋ったら許さないから」

 ハンス家の庭で相対したフルブライト二十三世の言葉をまたしても遮り、キャンディは冷たくそう言い放った。頬をぷっくりと膨らませ、見てこれほど分かりやすい物は他になかろうとフルブライト二十三世が場違いにも考えるほどには機嫌が悪そうだ。

「や、まぁそれは別に構わないけれど・・・。君のお父様はなんと仰っているんだい?」
「・・・知らない」

 その返答は、にべもない。この時点でフルブライト二十三世には大方の予想は付いたのだが、ふぅむと息をつきながら腕を組み、軸足を移動して姿勢を変えた。

「わかったよタチアナ。僕は君のことに関しては何も知らないし、この状況について詮索もしない。それでいいかい?」
「キャンディ」
「・・・は?」

 突然、目の前の少女は一体何を言い出すのか。そう如実に表情で語りながら、フルブライト二十三世は疑問符を浮かべた。欲しいのだろうか。それならば持っていれば無論要求に応えてあげることも吝かではないのだが、生憎と自分は今、お菓子の類いは持っていない。

「ここではキャンディって名乗ってるの。だからあんたもそう呼んで」
「・・・了解したよ、キャンディ」

 名前だったのかと一人心の中で苦笑しつつ、フルブライト二十三世は素直に少女の言葉に従う旨を述べながら小さく肩を竦めてみせる。
 彼女について実のところフルブライト二十三世はそれなりに付き合いがあったので名前やら出自やらは知っているが、それらも今は知らないことにしておいてやろうと素直に考えた。
 無論、商人である以上は対価を求めるが。

「・・・その代わり、と言っては何だが・・・さっきの話をもう少し聞かせてくれないか?」
「・・・ドフォーレのこと?」

 そこで初めてキャンディが真面にフルブライト二十三世に向かって視線を上げながら聞き返すと、彼は無言で頷いた。彼は、この少女がその見た目と年齢からは想像がつかぬ程に賢いことを知っている。だから、先ほどの言はなにか大きな確信を得て言っているはずなのだと考えた。

「・・・いいよ。カタリナカンパニーのポールのことは知っている?」

 その問いかけにフルブライト二十三世が頷くと、キャンディはそれに頷き返しながら話を始めた。

「じゃあ今ポール達がヤーマスに行っているのは知っているよね。その目的も。でもね、今回ポールが旅に連れて行ったメンバーは全部で四人。ユリアン、モニカ、サラ、エレン。もうこの時点で目的と違うような気がしない?」

 そうキャンディに聞かれ、フルブライト二十三世は言われてみればまぁそうだね、と答える。
 そこからキャンディは、自分が先ほど調べてたどり着いた推論を聞かせた。ドフォーレの死蝕以降の動きと、同時間軸の世界経済の動きの様々な相違点。そして要所要所で起きている魔物被害と、その影で不幸な事故をも糧に成長を続けたドフォーレの事業。

「死蝕から十年程の間に見られたそれらのデータから見れば、ドフォーレは裏で魔物と手を組んでいると考えても可笑しくない。恐らくポールはそれを確かめ、可能ならば叩くために戦力を加えてヤーマスに向かったんじゃないかと思うの」
「ふむ・・・確かに我々が塩田を失ったのもドフォーレの成長を助ける形にはなったし、それ以外の事故も都合が良いとは感じていた。それがまさか塩鉱事業以前からそうした流れがあったのならば、君の推測はかなりの確率で正解かもしれないね」

 フルブライト二十三世が考え込むような仕草をしながら相づちを打つと、キャンディはこちらも腕を組んで思考を廻らせつつ唸った。

「でもまぁ、ハリードのおっさんとかじゃなくてモニカを連れて行ったのがちょっと不思議ではあるんだけどね」
「それはまぁ、そうだね。しかしまぁ・・・」

 フルブライト二十三世が顎に手を当てながらキャンディを見下ろすと、その視線に気がついたキャンディはその視線の意味を問いかけるように首を傾げて見せた。

「いや、僕の知っている君らしくないな、と思ってね」
「なにが?」

 フルブライト二十三世の言葉にキャンディが再び首をかしげると、フルブライト二十三世は普段とは違った自然な笑みを浮かべた。

「聡い君のことだ、カタリナカンパニーのことを知っていたなら、ここが僕らフルブライト商会と関わりがあったことも予め分かっていただろう。君がここに至る事情が僕の予測通りだとして、だとすると僕の知っている君なら、その時点でここには近づかない筈だ・・・と思ってね。それとも、その危険を冒してでも今回のことを知りたかったということなのかな」

 フルブライト二十三世がそう言うと、キャンディは不機嫌丸出しで眉間にしわを寄せた後にそっぽを向いた。
 その仕草にまたフルブライト二十三世が苦笑していると、キャンディは大げさに溜息をついてからフルブライト二十三世に向き直る。

「・・・まぁ最初はね、それは正直考えてた。第一、態々家を出てまで商売事に首を突っ込みたくないもん。でも三ヶ月くらいここで暮らしてみんなの話を聞いて、思ったの。みんなウチよりもっとずっといろんなことを経験して、挫折して、奮起して、今は何かを目指している。まだ探している最中の人もいる。それに比べたらウチは・・・」

 腕を組み直し、フルブライト二十三世にというよりはまるで自分に問いかけるように遠くを見つめるような視線でキャンディが続ける。

「ウチは、逃げてきただけ。そんなの分かってる。でもここでみんなと居て、話して、より痛感しちゃった。今は多分、ウチもあの人達のようになりたいんだ。何かから逃げるんじゃなく、何かに向かうようになりたい。だから彼らが何をしようとしているのかがこんなに気になるんだと思う。丁度それで身近に現れた疑問が、今回のポール達の作戦だった・・・って感じ。ま、言ってもそうそう会わないだろうと思っていたのによりによって今日あんたがここに来たのは、単純にウチの運が悪かったんだろうね」

 肩を竦めながらキャンディはそう結び、何語っちゃってんだろうね、などと自嘲気味に言いながら目の前のフルブライト二十三世を見上げる。
 するとフルブライト二十三世は、これぞ鳩が豆鉄砲を食ったよう、と表現するにふさわしい顔で彼女を見下ろしていた。

「・・・なに?」
「・・・あぁ、いや、失礼」

 キャンディの半眼の問いかけに、フルブライト二十三世は片手で顔を覆いながらもう片方の手を振ってみせる。
 それにキャンディが多少不機嫌そうに眉を顰めながら見上げると、フルブライト二十三世は観念したように両手を軽く上に上げながら肩を竦めた。

「僕もいつの間にか年を取ったものだ、と思ってね」
「なにそれ、意味わかんない」

 要領を得ない回答にキャンディが変わらず半眼のままで睨みながらそう言うと、フルブライト二十三世は苦笑でそれに返す。彼の記憶が確かならばほんの一年前くらいにも彼女と会っていたはずなのだが、人の成長とは本当に唐突なものだと内心舌を巻きながら。

「いや、気にしないでくれ。こっちの話だ。さぁ、そろそろ中に戻ろう。あまり長く離れていては、トーマス君もいい加減訝しむだろう」
「・・・わかった。いい、絶対ウチのこと喋んないでよね」

 そう念を押しつつ先に歩き出したキャンディの背中に向かってはいはいと返事を返しながら、フルブライト二十三世も彼女の後に続いた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ

第六章・2 -ヤーマスでの作戦-

 光の届かぬ無限に続くようにも思える深い深い闇の底で、何かがずるり、と蠢く気配があった。
 その気配は、複数。それらの気配は其々が、まるで長き眠りから覚めたばかりのように緩慢な動きで起き上がる。
 ふと、その場に炎が灯る。それは赤く、しかし業深き深淵の炎。

「・・・動き出したようじゃ」
「・・・そのようだ。やはりこうでなくては、な」
「・・・結局お前は自分で殺したいだけか。ではもう僕は好きにさせてもらう」
「・・・私もそうさせて貰うわ」

 短い会話の後にその場から二つの気配が消えると、後に残ったのは炎に照らされた醜い顔の老人と、その影に僅かに映る巨躯。

「・・・此度の宿命の子が何を齎すのか、見ものじゃな」
「・・・何れにせよ、今回で終わらせる」

 そう言ってさらに一つ気配が消え、その場には炎と老人だけが残された。

「・・・どれ、まずは彼奴かの」

 その呟きとともに炎が消え、その場には再び闇が舞い戻った。

 

 

 メッサーナ以北にはツヴァイク公国をはじめとした幾つかの都市国家が群立しているが、その中でも最も流通が栄えているのは、間違いなく商都ヤーマスであろう。
 かの有名な聖王による魔龍公ビューネイ討伐の片翼を担った巨竜ドーラが住んでいたとされる竜峰ルーブを中心とするルーブ地方の玄関口として静海を臨む巨大な港を有したこの都市国家は、ウィルミントンに居を構えるフルブライト商会に勝るとも劣らぬ一大企業、ドフォーレ商会の齎す恩恵によって嘗てない旺盛を極めていた。
 単独事業として世界経済に大きく影響を与えている各地の陸海運企業を抑えて世界最大商会フルブライトと凌ぎを削るドフォーレは、その強引な商談スタイルが持ち味だ。その剛腕にて周辺の企業を次々と傘下に加え、ここ最近で瞬く間に巨大企業となった。
 だがその強引な姿勢の裏にはあまり良くない噂も絶えず、企業イメージとしてはフルブライトよりも数段劣るというのが経済界での認識だった。
 特に近年問題が表面化してきている薬物の密輸に関する流通経路の不透明さの裏にドフォーレのマーケットが絡んでいるという噂が実しやかに囁かれており、声を大にして言えば潰されるのでどこも言わぬものの、これを危惧する企業は非常に多い。

「んでまぁ、それを叩く為のネタ探しと、あわよくばドフォーレの弱体化ってのが俺らの今回のミッションってわけよ」
「ってわけなのよ」
「なんだかわくわくしますわね」
「あたしはもうちょっと派手な仕事の方がいいかなぁ」
「で・・・具体的には何をすればいいんだ?」

 ヤーマスの中心街の裏路地に位置するパブ・シーホークのカウンターの隅で、五人の男女が周囲の喧騒に紛れてひっそりとグラスを傾けていた。相変わらずのラフな格好にバンダナ姿のポールを筆頭に、特徴的な緑髪を掻き上げながらそれとなく周囲の警戒を怠らないユリアン。そしてその隣には煌びやかな美しい金髪を後ろで纏め、眼鏡をかけて一応の変装を施しているモニカがおり、あとはカーソン姉妹が仲良くグリッシーニを摘まみながら話に花を咲かせている。
 流石にルーブ随一の商都だけあってか中心街の賑わいはピドナのメインストリートにも匹敵するほどで、昼間からこのパブシーホークも喧噪に包まれており、彼らの声が他のテーブルにまで届くことはない。

「んー・・・このヤマに関してはちょっとした当てがないわけじゃあないんだが、でも先ずはがっつり聞き込みだな。俺はここを拠点にこの街のメインエージェントを見つけて接触を図るから、ユリアンとモニカさ・・・あー、モニカ。んでエレンとサラは二人一組に分かれてドフォーレに関する話を中心に兎に角なんでもいいから町中から集めてくれ。その辺の鼻はサラが効くだろうから、ユリアン組はドフォーレ関連以外でも何か役に立ちそうな情報がないか、街中洗ってみてくれ」

 ポールの指示に、にっこりと微笑むモニカを筆頭に四人はこくりと頷く。
 途中でポールが言い淀んだのは、ここに来るまでの間に五人で話し合ったことを慣れぬながらも実行した結果である。他の全員がお互いをそのまま名前や愛称で呼んでいるのに対し、モニカのみが敬称付で呼ばれている現状を本人が非常に嫌がった。なのでうっかり敬称をつけそうになった瞬間モニカの突き刺すような視線に気がつき、言い直したと言う訳なのだ。

「何かあればここで落ち合おう。じゃあみんな、よろしく頼むぜ」

 ポールの言葉に各々が返事を返し、そのまま程なくしてグラスを空けて店を出て行く。それを見届けたポールは、自分もジョッキを空にした後に腕を組み、一つ唸った。

「さて、と。どうやって絡めるかねぇ・・・」

 

 

「ドフォーレか。俺も以前あそこの仕事は受けたことがあるが、地上げ屋紛いでいい気のする仕事じゃあなかったな。金払いはいいから何回かやったが」

 昼下がりの職人通り。長い歴史を誇る幾つもの工房が建ち並ぶ一角に聳えるレオナルド工房のロビーは、中央通りの喧騒が嘘のように静かなものだった。
 装備のメンテナンスの為に訪れていたハリードが愛用の曲刀の手入れをしながらそう言うと、テーブルの向かいに腰掛けたシャールは此方も槍の手入れをしながら応えた。

「神王教団に関する余罪を洗っている中で、件の企業との裏取引を匂わせる資料が出てきたそうだ。この件についてはトーマスが近衛軍団にフルブライト商会と合同で後追いをする旨を進言し、公式に捜査協力をしているそうだ」
「ルートヴィッヒがよく首を縦に振ったな」

 ハリードが顔を上げると、シャールは肩を竦めてみせる。それに合わせて、彼の右腕の銀の手がかしゃりと音を立てた。

「そこまで手が回らない、というのが実情だろう。一般市民へと向けた表向きの体裁は見事に情報操作をして見せているが、内部は未だ細かい火消しに躍起になっているようだ。あやつらとて自分達で手をつけたいのであろうが、手も回らん上にフルブライトの名を出されては首を縦に振らぬわけにもいかなかったのだろう」
「・・・そんなところだろうな。それを分かっていて如何にも親切心を装いながら申し出るトーマスの顔が目に浮かぶ。俺は彼奴こそ一番敵に回したくないと心底思うね」

 ハリードがニヤリと笑いながらそう言うと、シャールもそれには心底同意すると言いながら微かに笑う。

「・・・でも、なんでその調査メンバーにサラやモニカが入ってるの。遊べなくてつまんない」

 男二人の間に位置するところで言葉通り詰まらなそうに足を組んで座っていたキャンディが首を傾げながらそう言うと、ハリードは磨き終えた曲刀を鞘に納めながら彼女に視線を向けた。

「サラに関してはポールと組んで、現地で懐柔できる企業はその場で回収するためだろう。あの娘も、どうやら姉より随分とその辺の頭の回転が早いようだ。トーマスにだいぶ仕込まれたな。ありゃあ将来は化けるぞ」
「ふぅん・・・」

 ハリードの意見にもキャンディが引き続き詰まらなそうに答えると、そんな様子は御構い無しにハリードの言葉が続く。

「寧ろ、その辺のノウハウが何もないユリアンをモニカ姫までつけて同行者に指名したポールの方が、俺にはよくわからんけどな」
「・・・確かにな。だが今回のミッションにはユリアンこそ適任だとポール自身は言っていた。てっきりあの男の事だから、そこはフェアリーあたりを指名すると思ったのは私もだがな」

 シャールの物言いに、間違いないと笑って答えるハリード。
 すると、丁度一仕事終えた様子のノーラが地下の工房から上がってきた。石造りの階段を軽快に鳴らす特注ブーツの音で誰が上がってくるのかがすぐ分かったのか、キャンディは彼女の声がかかる前に立ち上がっていた。

「親方、紅茶?」
「うん、宜しく」

 キャンディが紅茶を淹れに席を外すと、ノーラはキャンディが座っていた椅子に勢いよく腰を掛けて一息ついた。そのまま背伸びをするとバキバキと彼女の節々各所が大きく音を立てる。そうして体にたまった疲労を放出するように大きくのびを終えたノーラは、改めてその場の面々に視線を向けた。

「メンテ終わったのに二人して帰らず、なんの話をしていたんだい?」
「なに、ポールたちの作戦はどうなのかを話していただけだ」

 シャールの返答にあぁと反応したノーラの横に丁度ポットと茶器一式を持って戻ってきたキャンディは、トレーをテーブルに置いて慣れた手つきで茶器を展開しながらその場の三人の話に耳を傾ける。

「あぁ、ヤーマスのやつね。ドフォーレ商会でしょ?結果断ったけど、うちも取引を持ちかけられたことはあったよ。あそこ、自社でも工房もっているしね。結構大きいはず」
「・・・結構も何も、あそこの武器工房は規模だけならここ以上だよ、親方」
「へぇ、そうなのかい?」

 不意にキャンディから言われた内容にノーラが感心したように返事をすると、キャンディはくるくるとポットを揺らしながら言葉を続けた。

「あそこは表向きは地続きのランスやバンガードあたりが大きな取引相手だけど、大手商会の中で唯一自社海運を持っているから、実はかなり低コストで内海を抜けれるの。だから頻繁にナジュまで行って直通取引も行っているよ。神王教団を中心としてナジュ交易品の北部流通もあそこが一手に引き受けていたはず。当然、武具関連も。ハマール湖の戦いで何故現地の民が当時の王国軍に渡り合える武具を揃えられたかっていうと、ここが大きく関与しているんだよね。まぁリブロフに頼るわけにもいかなかったのは分かるけど、でもそのせいで現地の商会の影響力は・・・」

 ノーラの愛用カップへと紅茶を注ぎながら言葉を続けていたキャンディは、そこではっと我に返って周囲に視線を走らせる。
 そこには、ノーラをはじめとしたその場の三人の非常に物珍しげなものを見るような視線が自分に注がれている光景がまっていた。

「・・・あ、こ、これお得意さんの行商人の受け売りね」
「へぇ、うちのお得意さんは随分その道に明るいみたいだねぇ」

 態とらしく感心したようにノーラがそう言うと、ハリードとシャールも大げさに頷いて同意してみせた。

「ねぇ、それトーマスに共有できる話があるかもしれないよ。もう少しキャンディがその行商人から聞いたっていう話、聞かせてくれる?」
「・・・べ、べつにいいけど」

 ノーラに正面から言われ、キャンディは少し視線を泳がせた後にどもり気味にそう答える。

「・・・あ、あくまでもこれは行商人から聞いただけだからね!」

 しつこく前置きをそのように重ねてから、キャンディは語り出した。
 現在の世界には大きく分けて3つの商会勢力が存在し、それは筆頭であり最も長い歴史を持つフルブライト商会、リブロフに拠点を置くラザイエフ商会、そしてドフォーレ商会の三社である。
 だがこの構図になったのは割りかし昨今のことであり、死蝕以後になってこのような構図が形成された。死蝕以前は世界経済はフルブライトの絶対天下であり、ラザイエフ商会はピドナにほど近いことを理由に栄えたものの、聖王所縁のフルブライトには及ばぬ永遠の二番手のような立ち位置であったという。
 また当時のピドナにはクラウディウス商会もあり、ラザイエフとほとんど同じ規模の商会であった。
 ここで死蝕後に一気に膨大な資金力を保有して台頭してきたのが、ドフォーレ商会だった。
 その取扱品目はルーブの良質な鉱石を用いた武具に始まり、フルブライトをも凌ぐ西大洋からの豊富な海産物と資源。そして聖王の時代に取扱禁忌とされ表には出回らぬ幾つかの違法物資をも保有しているとの噂が付き纏った。

「でも何よりドフォーレが大きく資金力を伸ばした最大の要因は、塩だよ」
「・・・塩?」
「そう、塩」

 ノーラが首を傾げながらそういうと、キャンディは大まじめに頷きながら続ける。
 毎日の食卓に欠かせない塩は、世界の中心たるピドナなら中央市場で当たり前のように取引されている。だがこれらの塩をどの様に調達しているのかと言えば、そのほとんどは輸入に頼っているのが現状であった。
 世界各地に供給される最も一般的な製塩法は海水を濃縮し煮詰めて作る方式だ。降雨の比較的少ない地域には塩田もあるが、海棲の魔物を警戒する必要性から人件費が掛かってしまう。故に、大抵の都市国家は前者の方法で製塩する。だがこの製法は単純な工程で言えば塩田に比べ燃料や道具を要するので矢張り少なからずコストがかかり、大量製塩がし辛い。故に古来より塩は単価が安定して高く、各都市国家の主たる国家事業として供給されていた。
 そこに突然大量の良質の塩を安価に供給し始めたのが、ドフォーレ商会だった。
 それまで発見されていなかった大規模な塩鉱をヤーマス近郊にて採掘することに成功したドフォーレ商会は、これを主軸に一気に世界中の塩の価格を塗り替え無名の商会からフルブライト商会にも迫るほどの規模へと拡大したのだ。
 さらにこれを助けるかのように世界各地の海岸沿いの塩田は降雨が増えたり魔物の出没が相次ぐなどし、かのフルブライトもガーター半島西岸に構えていた塩田を放棄せざるを得ない事態にまでなった。これにより、自力で安定した塩の供給を行える国家は乾燥地帯に塩湖を保有するナジュと規模こそ小さいものの自国供給を賄うには足るだけの岩塩鉱山を領内に所有するツヴァイクのみとなり、それ以外の国で供給される塩のおよそ三割強もの量がドフォーレと取引するものとなったのだ。
 このような背景により、ドフォーレの資金力は圧倒的な勢いで伸びていった。

「今回のドフォーレに関する調査にルートヴィッヒ団長さんが本当に噛みたかった理由も、まぁ間違いなくこれだよね。仮に近衛軍団がドフォーレの塩鉱を支配下に置けたら、それはもう世界を牛耳るに等しいよ」
「・・・成る程な。まさかトーマス殿は、ここまで読んでこの状況を優先して作ったのか・・・?」

 シャールが驚きを隠さずに舌を巻く。その様子を見てなぜか得意げにふふんと言いながら腕を組んだキャンディは、そこでふと持ち上げた人差し指を顎に当てながら、考えるような仕草をした。

「でも今回ヤーマスに向かったポールは、なんかトーマスさんの思惑とは別の展開を目論んでいるように思えたんだよね」
「別の展開・・・?」

 ハリードがそういうのに合わせて再度三人がキャンディに視線を向けると、キャンディは肩を竦め、確信はないけど・・・と前置きをしながら口を開いた。

 

 

 神王教団の出城奇襲から数えて五日の後、ミカエル率いるロアーヌ騎士団本隊はナジュ砂漠へと陣を展開していた。
 奇襲より三日後には出城に到着していたロアーヌ軍本隊はシーフギルドを中心に編成した斥候の調査にて近隣に潜伏して体勢立て直しを図っていた神王教団軍の駐屯地を発見。即座に追撃戦を展開した。
 この際砂漠方面へと後退していく敵軍を追ってアクバー峠の上下に分かれてロアーヌ軍は下から攻め上がる行軍となり地形の利を活かした反撃を受けそうになるものの、ブラッドレーの仕掛けた煙攻めを起点として精強なるロアーヌ騎馬大隊を率いるコリンズ、パットンの疾風の如き猛攻を受け、敵軍の将アクートは敢え無く敗走。
 更に追走を続けるうちに砂漠へと突入したロアーヌ軍は、慣れない気候に苦心しながらも一夜を砂漠にて明かした。
 翌る日、斥候の確認で前方に神王教団軍が陣を張り待ち構えていることを確認したミカエルは開戦を目前に最後の軍議を開いていた。

「斥候隊の偵察によれば相手軍は凡そ四千。我が軍は砂漠行軍のために全体を三千に絞っている。総数で不利であり、且つ慣れない気候で兵の士気もコントロールは平時に比べ困難であることが予測される。正面から消耗戦を挑んでは勝ち目はない」

 ブラッドレーの状況説明に、その場に集まった将たちは低く唸り声を上げる。
 その場に集まったのはミカエルを筆頭に、現在のロアーヌ騎士団主力陣であるブラッドレー、コリンズ、パットン。斥候や密偵を主とし戦場では弓兵で主に構成されるシーフギルドのフォックス。
 そして、先の神王教団による出城奇襲戦の際に絶体絶命の危機に瀕していたロアーヌ軍を救ったことで直々にミカエルから声を掛けられ客将としてロアーヌ軍に招かれていた、聖王記詠みを自称する謎の人物、詩人。
 以上の六人であった。

「・・・一応聞いておくが、詩人さんよ。あのすげーやつは、暫く使えないんだよな?」

 コリンズが頭を掻きながら丁度彼の正面あたりに立っている特徴的な服装に身を包んだ詩人にそう問いかけると、彼は即座にこくりと頷いた。

「はい、残念ながら私は本来の使用者足り得ませんので。再度の行使には、この七星剣が自然に光を取り戻すのを待つしかありません。天空にほど近い適度な高度の山の山頂で満天の夜空に掲げ続け、まぁ三年ってところでしょうか?」

 実に軽妙に言い切る彼の様子に、その威力を知るコリンズとブラッドレーは惜しそうに溜息をつく。
 詩人が神王教団に対して放った想像を絶する威力の衝撃波は、聖王遺物の一つである七星剣の力によるものであった。今もまた煌びやかな柄を見せている七星剣は、確かにあの戦場にあった時のような圧倒的な威圧感を有してはいない。
 そこに手元の地図を見ながら次に口を開いたのは、フォックスだった。

「あと、少々気になる編成が相手に。前列は砂漠での戦闘を想定した軽装歩兵装備で間違いないのですが、後方に明らかに戦闘装束とは考え難いローブに身を包んだ集団を確認しました。念のため宮廷魔術師に探ってもらいましたが、魔術兵団というわけでもないようです。ですので単に相手の宗教的な理由による編成かも知れませんが・・・いい予感はしません」
「んなもん構わず突撃!・・・って言いたいとこだが、用心は欠かしちゃいけないな。ブラッドレー、なんか案はねーのかよ?」

 フォックスの言葉を繋いでパットンがブラッドレーに振り直すと、彼は腕を組んで唸った。慣れぬ戦地な上に数が不利であるという状況に、己の持ちうる戦術のどれが通用するのかどうかを考えているのだろう。

「本来、数的不利は地形と陣形で補うのがセオリーだが、今回は戦地も慣れぬ。そして相手の情報が不足しているので、これまでの様に尖った戦術も打ち辛い。分かっているのは、間違いなく相手より我々の方がこの地での戦には慣れていない、という事だ。いくつも戦術の変更をしていられる時間も体力もない」

 そこまで言って困った様にブラッドレーはミカエルに視線を向けた。
 砦制圧に至るまでのこれまでの戦で主に作戦を決めてきたのは、ミカエルだ。彼の意見を聞きたいと思ったのだろう。
 それを察したのか、ミカエルは地図へと視線を落としながら皆に傾けていた意識を戻し、ふむ、と一つ息をついた。

「・・・以前、聞いたことがある。あやつらの戦法・・・実に邪教らしい、悍ましい戦法を」

 それは、十年前のハマール湖での戦いだった。
 ティベリウス率いる神王教団と民間義勇兵、そしてナジュ王国との間に起こった戦。
 この戦いにおいて神王教団が王国軍に勝利したのは、傍から見ればとんでもない偶然の賜物、それこそ神の起こしたる奇跡と言ってもおかしくないくらいに通常では考えられない結果だった。
 何しろそれまで碌に武器を手に取ったこともない様な民間人と宗教家が、しっかりとした兵装を施し訓練もされていた王国軍を打ち負かしたと言うのだから、俄かには信じ難いことだ。
 しかし奇跡は起き、神の導きにより神王教団はこの戦争(聖戦、と彼らは呼ぶ)に勝利した。
 だが当時の一部の者、主にナジュ王国軍の生き残りは、その奇跡がどの様にして齎されたものであるのかを目の当たりにし、震え慄いた。
 ナジュの王国城下町でゲリラ戦を展開していた神王教団は、交戦中に王国軍の中に建物の上から飛び込み、神に祈りを捧げながら次々に爆ぜたのだという。

「人間・・・爆弾・・・?」
「そうだ」

 ミカエルはコリンズの言葉を肯定しながら、言葉を続けた。

「信者は体から火を噴きながら爆ぜ、周囲の王国兵数十人を瞬時に道連れに焼き尽くしたという。市街地でのゲリラ戦でこれを防げなかったナジュ王国軍は隊列も瓦解し、自ら望んで命を絶つ信者たちに恐れ慄き、敗走したのだ。恐らくフォックスのいうローブの集団は、これの可能性が高い」

 あまりに狂ったその戦法に、その場の騎士たちは低く唸った。

「・・・しかしそうなると、その戦法は市街地のゲリラ戦だからこそ効果的であったもので、この戦場では奇襲も使えない分効果は薄いですね。分かっていれば怖くはなさそうだ」

 ブラッドレーが顔を上げてそう言うと、ミカエルはそれに頷いた。
 するとそこで、詩人が遠慮がちに片手を挙げる。
 それに反応したミカエルが視線で発言を促すと、詩人はこほんと咳払いをしてから、得意げに言葉を発した。

「因みにその爆弾兵、多分射抜けば爆発しますよ」
「なんと・・・それは本当か詩人殿!」

 パットンが驚きながらそう言うと、詩人は浅く頷いた。

「着込んだローブの下は、火星の砂あたりをベースにした火薬でしょう。そしてそれの着火剤は、彼らの体内に渦巻く炎。ローブ姿の信者たちは恐らく人間ではありません。アウナス術妖と呼ばれる魔物だと思われます。奴は体に傷を負うと炎が吹き出し、傷を覆います。それが火薬に引火し、爆発する。ですので、射抜けば爆ぜるはずです」

 アウナス術妖という言葉に、ミカエルはぴくりと眉を動かす。唐突に出てきた四魔貴族の名前と神王教団に、なにか関係性があるということなのだろうか。
 だがそれより更に気になるのは、何故そのような情報をこの聖王記詠みが知っているのかということだ。
 まるでそれらを相手に戦ったことがあるかのような口ぶりに、ともすれば彼はハマール湖の戦いを経験した人物か何かなのかという予測がミカエルの脳裏を過る。
 それを確かめようと口を開きかけたところで、しかしそれは外から大慌ての様子で幕舎へと駆け込んできた斥候の報告に防がれた。

「ご報告いたします!先刻、敵陣にて大規模な爆発が発生!!並びに、白旗を掲げながらこちらへと向かってくる人影が確認されています!」
「・・・ふふ、どうやら戦をせずに済みそうですよ、ミカエル侯」

 詩人が斥候の報告を受けて突然そのように言い出すと、その場の全員が全く状況が分からないとでもいうように彼を見返した。

「いえ、ね。今のこの戦とは全くの別件ですが、つい最近、神王教団教長ティベリウス殿に直談判をした知り合いがいましてね。この戦の事も随分と憂いていたので、このタイミングなら使者も恐らくその人物でしょう」
「へぇ、その人物っていうのは・・・?」

 コリンズが首を傾げながら聞き返すと、詩人はいたずら好きな子供がするそれのようににんまりと笑顔を作りながら肩を竦めた。

「それは、相対してからのお楽しみ、としましょう」
「ミカエル様を前に無礼な!・・・っていいたいところだが、この御仁の言うことには不思議と怒る気が起きんな・・・。如何いたしますか、ミカエル様」

 パットンがそう言ってミカエルに視線を投げると、ミカエルはふっと笑ってから斥候へと視線を向けた。

「どうもこうも、行くしかあるまい。案内せよ」
「はっ!」

 畏まって敬礼し幕舎からでる斥候に続き、その場の全員が後に続いた。

 

 

前へ

次へ

章目次へ

目次へ