第七章・9 -最果て-

 

 耳を擘く轟音と共に『空』へと流れ落ちる、見渡す限りの水。水。水。
 それは文字通り上下左右を見渡す限り、どこまでも、全く同じ光景だった。視界の続く限りその果てまでずっと、大量の水飛沫を伴い滝となって落ち続ける水があるばかり。このように水が落ち続けてしまっては、三日もすれば世界の海はすっかり干上がってしまうのではないか、と心配になるほどだ。
 そしてその滝の轟音の渦巻く中に、滝の轟音に比べたら実にわずかな音量にて、自然界には起こる筈のない異質な戦闘音が時折混じっていた。
 自分たちの数倍は高さがあろうかという巨大な水竜の放つ鋭い爪撃を、しかし最前線に立つカタリナとハリードは、滑りやすい濡れた足場にも関わらず難なく飛び回って躱していく。
 彼らの背後には依然として落ち続ける滝があり、その滝の合間から出っ張った岩場で彼らと対峙する巨大な水竜の背後には、ただ只管に青い空がある。
 その背後の空には、大地も、海もない。只管に、青空があるだけなのだ。それは、生物に生理的な恐怖をすら抱かせる『無』とも呼べる光景だ。
 動き回るカタリナとハリードに翻弄されて姿勢が崩れた水竜に向かい、シャールが己の魔力を込めた強烈な二段突きを放つ。するとその二段突きに込められた迸る気迫が、雄々しい二頭の龍の形に具現化し、衝撃波を伴って双龍が水竜を貫く。

「ギャオオオォォォォォ!!」

 シャールの一撃によって胴を抉られ苦痛に喘ぐ水竜へと向かい、更に追い打ちをかけるようにミューズとフェアリーが、その手にしていた麻袋を勢いよく水竜に向かって投げつけた。
 水竜が苦悶の声を上げつつもそれを打ち払うように尾を振るうが、麻袋は龍の尾に振れた瞬間、とんでもない威力で炸裂を起こす。それは、朱鳥術士ボルカノ特性の「火星の砂」と呼ばれる、特殊な岩石に朱鳥の力を内包させた魔道具であった。古くは四魔貴族であるアウナスの配下が用いたものであるとされるが、それを現代に蘇らせたボルカノが更に改良を加えた一品だ。
 炸裂の衝撃によって無残にも尾が吹き飛んだ水竜は、再度雄叫びをあげながら苦しみ踠くが、尾を失ったことで姿勢制御が出来ずに大きくよろけた。そこに止めとばかりに放たれたカタリナの払い抜けをもろに喰らい、水竜は呆気なく岩場から水飛沫と共に、何処とも分からぬ空の果てまで落ちていった。

「ふぅ・・・ここが世界の最果てっていうのは本当なのね・・・。なんかもう、来るところまで来たって感じだわ・・・」

 カタリナはそう呟きながら、水竜の落ちていった先を岩場の端から恐る恐る見つめる。
 背後は滝。正面は空。下を覗き込めば、そこは空虚なる果てなき奈落。
 そう、まさに世界のこの先には「何もない」のである。

 

 カタリナ達は今この世界の最果てにあるらしい、通称「最果ての島」にいた。
 ハーマンの示す通りに只管西太洋を西へと進んだバンガードは、人類が外海に進出してから現代に至るまで、ついぞ越えることのなかったとされる船乗り達の畏怖にして信仰の対象「玄武の怒り」を突破することに成功した。
「玄武の怒り」とは、陸を離れて外海の航海を続けると必ず遭遇すると言われる、巨大な嵐のことだ。
 例えどれだけ大型の船であろうとも、この未曾有の嵐によって荒れ狂う海に弄ばれ、沈没を免れない。まるで突如として神の逆鱗に触れたかのように荒れ狂う海原を見た人々は、それまでの穏やかな海との違いに慄き、強烈な畏怖を抱き、祈りによってその災厄を免れようとしてきた。故に古来より西方諸国では、外海での長期間の航海は徹底して避けられてきたという歴史がある。
 だがハーマンは、それを承知で西を目指した。彼には、それだけの確信があったのだ。
 結果として大方の予測通りに玄武の怒りに触れたのだが、さしもの玄武もこのバンガードを沈めることは叶わずだったのか、無事に嵐を通過する事ができたのであった。
 そして嵐を抜けた先に遂に見えたのが、この「最果ての島」だった。
 島に最接近するには座礁の危険性が高いとのことで、バンガードを沖に待機させながら小舟を出して一時間ほどで辿り着いたその島には、なんと驚くべきことに何者かの住居が幾つもあった。
 そしてその住居から出てきてカタリナ達を歓迎してくれたのは、なんとそこに住う先住民族「ロブスター族」であったのだ。
 ロブスター族とは、西方世界の中でもその存在を知っている人間は殆ど居ないであろうと思われる、不可思議な種族だ。かく言うカタリナも、存在を知っていたと言うよりはフェアリーからその存在を示唆されていた、というだけであったし、何しろ当のフェアリーにしても実物を見たのは妖精族の歴史にて初。あとは、古代文献で僅かばかりの其れらしき記述を見ていた、ウンディーネとボルカノ位だ。
 そしてもう一人、この中で誰よりも彼らロブスター族のことを知っている人物がいた。
 それこそが、ハーマンだった。
 因みに彼らはロブスターといっても、その姿は一般的な節足動物の様相を成しているわけではない。なんと彼らは、ロブスターと言える特徴を備えていながらも、驚くべきことに人間と同じく二足歩行であったのだ。また人間で言うところの両腕に当たる部分にはエビ科の特徴としある大きな鋏を持っており、しかし退化したのかそれ以外の複数の足は生えておらず、両足に当たる部分には、人間以上に逞しい『足』を持っている。
 カタリナはその姿を見て、かつてフェアリーから「周囲がドン引きするくらい本気で全身ロブスターの仮装をした人」と言われた通りそのまんまだな、等と多少ずれた感想を抱いた。
 そしてその容姿よりも更に一等驚くべきことに、なんと彼らは、人語を解した。

「見事だな、人の子らよ」

 それは、はたして拍手のつもりなのだろうか。両手と思しき部分の巨大な鋏をカチカチと小刻みに鳴らしながら滝の裏から現れたのは、ロブスター族の戦士だと名乗るボストンというものだった。

「我々のモードは玄武の水。水竜には通じなかったからな」
「いえ、あんなものが居ては、さぞ御不安だったでしょう。手遅れになる前に我々が来て良かったです」

 妙に紳士的な言葉遣いのボストンに対し、カタリナはすっかり人に接するのと同様の調子で受けあった。
 そこに、ボストンの背後からハーマンも現れる。

「・・・君は参戦しなくて良かったのかね、ハーマン」
「・・・けっ、俺が出る幕じゃねえんだよ」
「フォフォフォ、そうであったか」

 そして驚いた事に、ハーマンとボストンは顔見知りらしかった。なので、この最果ての島に辿り着いた折にも二人は、真っ先に声を掛け合っていた。
 この滝の洞窟に、フォルネウスが差し向けた水竜が巣喰い島を脅かしている事を最初に聞いたのも、彼だ。
 そして話を聞いたハーマンは間髪入れずに、何より先ずその水竜を仕留めることをカタリナに提案してきた。

「・・・ま、これであの時の借りはチャラだ。戻んぞ」

 吐き捨てるようにそういったハーマンは、相変わらず義足とは思えぬ俊敏な動作で踵を返して滝を潜っていく。

「・・・義理堅い男だ。過去にここに流れ着いた彼奴を介抱したのだが、それに恩義を感じていたようだ」
「ふぅん・・・」

 ボストンのその言葉に、カタリナは何だか意外なことを聞いたな、と考えながらハーマンの背中を視線で追う。
 彼がこの島の存在を知っていたのは何故なのかとは考えていたが、タネを明かせばつまり、ここに来た事が既にあったからなのである。
 ボストンによれば、十年ほど前に船の破片か何かに掴まり島の沖に流れ着いていたハーマンを、彼が最初に見つけて介抱してやったのだそうだ。
 当時の彼は全身に夥しい傷跡があり、そして左足は膝から下を鋭利な歯か何かで食い千切られるようにして失っていた。誰の目にも洋上で魔物に襲われたのだろうという事が、その様子からすぐに分かった。
 そして酷く衰弱していた彼を島で数週間に渡り介抱した後、玄武の祈りを込めた小舟に乗せて東へと送り出したのだった。
 彼らロブスター族は玄武の力を司る種族であり、彼らの祈りは「玄武の怒り」を鎮める事ができる。そして祈りは船の周囲にのみ、その向かう先への流れを生み出し、ハーマンはガーター半島の西岸へと漂着することに成功したのだそうだ。

「戻ってきたということは、矢張り彼奴は、フォルネウスに挑むつもりなのだな」

 ボストンのその言葉に、カタリナは浅く頷いて返す。
 そう、彼は間違いなく、四魔貴族が一柱である魔海侯フォルネウスに挑むつもりなのだ。
 その為にこそ彼はカタリナの要請に応じ、ここまで同行をしてくれたのに他ならない。
 そして彼がこの「最果ての島」に戻ってきたのは、何も彼らに恩を返しにきただけと言うわけではないらしい。それ以外にも、しっかりとした理由があるようだった。

「かつてここに流れ着いた時、彼奴は満身創痍にも関わらず自分の足と仲間の仇を討つと言い、直ぐにでもフォルネウスと相見えるつもりでいた。だが、フォルネウスは余りに強大だ。あの時の彼奴では、何の抵抗も出来ずに、ただ無駄に死に行くだけだった。我々はフォルネウスの住処である『海底宮』のあるポイントを知っているが、あれでは教えるだけ無駄。だから、フォルネウスに挑むに相応しい状態でまたここに戻ってこられたらポイントを教えてやると、あの時はそういって彼奴の世界へと返したのだ。まさか、本当に戻ってくるとは思いも寄らなかったがな・・・」

 あぁ、だからか。と、カタリナはここまでのボストンの話を聞きながら、この最果ての島に至るまでの船旅を思い返していた。
 ウンディーネが集めた玄武術士は、三十六人を三交代制でバンガードの動力確保を行なっていた。
 自らの担当時間帯でバンガードを動かした術士達は、魔力量がほぼ枯渇した状態で解放され、その後は食事など各々の時間を過ごし、最後にボルカノの調整した擬似霊酒を飲んで魔力回復を行い休息をとる。
 つまり一日に三回、バンガード内では業務内容としての酒盛りが開かれていたのだ。
 そしてその間カタリナ達は特にやる事もなく、食料確保を目的に釣りをしたり、剣の稽古をしたり、バンガード内部にある資料庫と思しき場所で調査をしたり、若しくは酒盛りに合流したりと、各々の自由に過ごしていた。
 そんな中でもハーマンは、カタリナ達の輪にも混じらず、また一番好みそうな酒盛りにも参加せず、ただただバンガードの船首にて自らの向かう先を眺め続けていた。
 彼女が特に印象深く思っているのは、航海が始まって一週間経った辺りの頃だ。それは、船首から海にラム酒を流しているハーマンの姿を見た時だった。
 まるでそれは誰かへの弔いのようにも思えたが、彼独特のどこか人を寄せ付けようとしない空気に、彼女もそこで声をかける気にはなれなかったのだ。
 つまりあれは、フォルネウスとの戦いの中で犠牲になった仲間への弔いだったのだろう。

「あれからあの男は、たったの十年で伝説のバンガードを引き連れてやって来て、そして今、この島の危機をも救った。あの男の覚悟に、我々も応えなければなるまい」

 滝へと繋がっていた洞窟を戻って島の表層へと出てきたところで、ボストンは外で何時もの様に煙をふかしながらこちらを待っていたらしいハーマンを見据え、そう言った。

「ハーマンよ。約束通り、海底宮のポイントを教えよう。だが、ポイントを教えたところでそこに先導するものが居なければ、海底宮へと辿り着くことは叶わないだろう。故に、わたしもバンガードに乗せてくれないかな?」
「・・・あん?」

 ボストンのその申し出に、ハーマンは煙を吐き出しながらそう呟いた。そして何を思ったのか、カタリナへと視線を投げかける。

「バンガードの主人は俺じゃねえ。其奴に聞け」

 いやいや、別に私も主人ってわけではないし。なんなら、ちゃんとバンガードにはキャプテンがいるし。とは言えず。
 カタリナは急に話を振られて、意味もなく勿体ぶって腕を組んでみた。
 とは言え、無論彼女にはこの申し出を断る理由など微塵も思いつくわけはないのであった。

「オーケー、一緒に行きましょう」

 そう快諾して、改めて握手をしようと手を差し伸べかけたが、ここで彼の鋏と握手したら自分の右手は恐らく無くなってしまうな、という事に思い至ったカタリナは、ボストンの肩の部分と思しき頑強な甲殻を軽く叩きながらそう告げた。

 

 

 ボストンの情報提供によって西太洋の、とある地点の海の奥深くに海底宮があるということが分かった。
 そしてそこに進軍するに向けて文字通りバンガード中を奔走することになったのは、実質的にバンガードの航海士的な立場にあるボルカノであった。
 最果ての島へと送り込んだ水龍が屠られたことがフォルネウスに伝わるのは、無論時間の問題であろうと考えられる。バンガード襲撃失敗、最果ての島の侵略失敗から時間が経てば経つほどに警戒度は上昇し、海底宮への侵攻は難易度を増していくだろうことが予測された。
 故に一行は海底宮のあるポイントがわかった以上は一刻も早く向かうべきという方針で一同意見は一致したのだが、ここで問題が一つ浮かび上がった。
 つまりは、「どうやって海の底にいくのか」ということである。

「聖王記のフォルネウス討伐の章には、『海底宮に攻め込んでフォルネウスを討った』っていう記述しかないのよね・・・相手を海上におびき出すのではなく、こちらが海底に攻め入る。魚にでもなれ、というのかしら・・・?」

 集合会議の場でカタリナがそう疑問を呈すると、その場に集まった一同はそれに対する回答を持ち合わせずに、一様に首を捻った。ボストンにその辺りの知恵がないかも当然聞いたのだが、彼らロブスター族の間でもそれに関する伝聞は特にないのだという。彼らは妖精族とは違い、特段長命種というわけではないようだ。なので聖王の時代に生きたものも、もう数世代前に遡るらしい。つまり彼らが知るのは、海底宮の場所のみ、なのだ。

「海底宮に着いてからは、まだ何とも言えないが・・・恐らく、海底宮まで向かうには天術の障壁と同様に、玄武の術を応用した何らかの仕掛けでこのバンガードを覆う、と考えられる」

 ボルカノがそう言うと、それに続けるようにウンディーネが口を開いた。

「私も同意見よ。このバンガードは、水を通さないほど各接続部に遮断性はない。つまり、そのまま水に浸かりながら海に潜れるような構造にはなっていないから、何らかの術式を用いてバンガード全体を水から守りつつ潜る、と考える方が自然なのよ。若しくは人だけを覆う限定的な術式の可能性も考えたけれど、それが可能なら抑もこんな馬鹿でかいバンガードなんてものを作る必要性がないわ。だから、このバンガードごと海底宮に突っ込む、と考える方が自然なわけね。まぁ、だからこそ海水に満たされているであろう海底宮に着いてからの探索方法が、いまいち想像つかないわけなのだけれど・・・」

 彼女の言葉にボルカノが全くの同意を示すように何度も深く頷きながら、やがて皆が黙ったところを見計らって素早く立ち上がった。

「俺はもう一度、艦橋でその起動術式がどこにあるのかを探してくる。一応、既に粗方の調査は終えているが、そのような仕掛けは現段階では見当たらなかった。となると隠されているか・・・若しくは、壊れている可能性がある」
「・・・それって、壊れていたらどうすんだ?」

 ハリードがそう言いながら首を傾げると、ボルカノは腰に手を当てながらハリードへ振り返り、啖呵を切った。

「直すしかあるまい。自慢じゃあないが、恐らくこの世界でそれができるとすれば俺か、あとは魔導器研究の分野で名高い、ツヴァイクのプロフェッサーくらいのものだろう」
「・・・大した自信だな。何か手伝えることがあれば言ってくれ。それまで俺は酒でも飲んでいることにする」
「言っておくが、霊酒は飲むなよ」

 なんでもボルカノがハリードに対してどこかツンケンした雰囲気なのは、出会い頭にハリードからモウゼスの一件の際に「護衛費」の名目で大金を巻き上げられたから、らしい。結局は双方の和解に一役買った、ということで納得の上その金額はそのまま彼らの懐に入ったわけだが、その時のハリードの態度があんまりにも悪役めいていたので、まだまだ年若いボルカノとしてはどこか腑に落ちない部分があるようだ。対するハリードも、どこかそれを分かった上で若人を揶揄っている節があり、カタリナからしてみればどちらもどちらだなぁと思うところではあった。そういうカタリナ自身も年齢的にはボルカノに近いはずだが、どうにも最近の彼女の考え方が老成しているのは、これも指輪の影響なのか何なのか。
 話が逸れたが、カタリナと同じくそれを雰囲気で理解しながらも、さっさと立ち去っていくボルカノを追うウンディーネの優しそうな視線から推し量る限りでは、彼のそう言った若気に満ちた行動も満更悪い影響ばかりではなさそうかな、という気もするが。

「私たちも、できる限り手伝いましょう。術が扱える人は付いてきて。今は推進力に術力を割いていない状態だから天術障壁のみの稼働状態だけれど、霊酒の残数がこの作戦の実行可能期間だと思った方がいいもの」

 ウンディーネのその言葉により、その場に集まっていた各々が動き出した。術に関して殆ど知識がないカタリナとハリード、フェアリーは決戦に備えた自主訓練に励むこととし、その間にボルカノを中心としてバンガード解析班が動き出した。
 とはいえ、その作業は非常に地道なものであった。
 何しろ、この時点で艦橋から起動が確認できた仕掛けはボルカノが全て把握しており、そしてそのどれもが玄武の術式を展開するものではなかった。
 また『幾つかの仕掛けの組み合わせにより起動するものなのかどうか』を想定し、考えうる限りの組み合わせや順番で各機能の起動実験を行ってみたが、これも矢張り望む成果は得られなかった。
 そこで残された可能性はボルカノの予測通り、隠されたか壊れた機能であるという結論に早々に辿り着き、この巨大なバンガードの内部構造を隅々まで虱潰しに調査していくという方針がとられた。
 この捜索には通常起動に関わる玄武術士を割くわけにはいかないので、ボルカノとウンディーネの他にカタリナ一行の中でも術の心得があるシャール、ミューズ、ハーマン、ボストンが協力して捜査に当たった。
 即ちその捜査方法とは、バンガードの通路を只管歩きながら魔力の流れを肌身で確認し、その流れが不自然に途切れていたり留まっている場所がないかを見極める、と言う作業だ。
 船長室から下ったバンガード内部は単純に艦橋のみがあるわけではなく、実に細かく多くの細い道が内部に存在している。そしてそれらの壁には艦橋と同様に、各部に魔力を伝える回路と思しき道筋が描かれている。なので、それらを辿ることで何れかのポイントを探り当てることができる、とボルカノは踏んだわけなのだ。
 ボルカノはこれを行うにあたり、巨大なバンガード内部をただ闇雲に探しても効率が悪いと考え、捜索範囲を一区画に定めて集中的にそこを全員で調べていく手法を取って捜査に当たった。

 

 しかしそこから瞬く間に一週間が過ぎ、一向に成果が得られず霊酒のストックが間も無く帰りに支障を来す危険域に達しようかという状況まで、あっという間に一行は追い込まれることとなった。

「・・・歩いて行ける区画は全て探索したというのに、本丸どころか小さな違和感の一つも見つからないとは・・・。まさか、バンガードで海底宮に向かうわけではないというのか・・・?」

 ここにきてまさかの基本仮説を根底から見直す必要性にまで迫られているが、しかし彼らに残された時間は殆どない。それこそ霊酒の備蓄状況から考えるに、今日中にでも答えが導き出されなければならないという状況なのであった。
 朝の定例会議で疲労感に包まれたボルカノその他が沈痛な面持ちで項垂れているのを見ながら、かといって特に出来ることがないカタリナは、当然そこに居た堪れなくなり、ひっそりとその場を後にして居住区へと向かった。

「・・・皆さん、かなり憔悴しておられるようです。私たちにもなにか出来ればいいんですが・・・」
「そうは言っても、術がからっきしの俺らにゃ捜査も何もできねーわけだし、下手に協力を申し出ても却って邪魔になるだけだろう。こう言う時は、信じて待つしかないのさ」

 カタリナと同じく場を後にしてきたフェアリーとハリードがそう語り合うのを他所に、カタリナも直ぐにはいつも通りの修練へと移る気が起きずに、気分転換に歩いた先に辿り着いた町の中央の噴水の淵に腰を下ろして空を見上げた。

「ううん、水に潜る、か。水、水、水・・・」

 そう呟きながら、カタリナはぐるりと自分の周囲を何気なく見渡す。その行動で何か解決策が見つかるとは流石に彼女も思わないが、それでも何かしらの気づきがないものかと、淡い期待を抱いての行動だ。
 それに倣うようにフェアリーとハリードも、特に当ても無く周囲を見渡した。
 そしてハリードがぽつりと、背後にある自分の腰掛けていた噴水を見ながら呟く。

「そう言えばこの噴水、水が枯れてるな」

 彼らがいたのは、街の中央に配置されている噴水広場である。
 治水のされた比較的大きな都市には大抵都市の中央付近にこういった噴水があり、現地住民の憩いの場として機能しているものだ。
 だがハリードが指摘する通り、このバンガードの噴水は故障故なのか、それとも陸から離れたからなのか、噴水に水が全く無いのであった。

「・・・それは、元々じゃよ」
「あ、キャプテンさんこんにちはです」

 声のした方向にいち早くフェアリーが振り返ると、其処にはこのバンガードの市長兼キャプテンが立っていた。
 彼は日中、こうして海上要塞となったバンガードを自分の足で見て回るのが最近の日課なのだ。

「この噴水は、わしが生まれる前から、街中で現在活きている水路の何処とも繋がっておらんでの。だから、そもそも水は出ないんじゃ」
「へぇ・・・じゃあ、一体なんのためにあるんだ?」

 ハリードが実に尤もな疑問を呈すると、キャプテンはお茶目に肩を竦めてみせた。

「さぁ、分からん。一応その天辺のところが外れて下のほうに続く穴は有るんじゃが、暗くてよく分からなくての」

 キャプテンは噴水の先端に視線を向けながら、笑い混じりにそう言った。
 それを聞いたカタリナは、じっと噴水の先端を見つめる。
 そこまで背の高く無い噴水の先端は、精々がカタリナの腰の高さ程度のものだ。だがカタリナは、そうしてじっくり噴水を見つめているうちに、ふとその光景に強烈な違和感を覚えた。

「・・・うーん。何か、足りない気がするわ」
「あん?」

 カタリナの唐突なその呟きに、ハリードが反応する。だがそんな反応を他所に、カタリナは枯れた噴水の中に足を踏み入れ、徐に噴水の天辺を掴み、持ち上げた。
 すると、特段固定されていなかった様子の天辺部分は思いの外すんなりと外れた。そしてそこには、キャプテンの言う通り確かに人の頭ひとつ入る程度の穴がぽっかりと空いていたのだ。
 カタリナが上からその穴を覗き込むと、穴の奥深くからはなんと、薄らと淡く青い光が漏れ出しているではないか。

「・・・何か、下の方で光っているわ」
「お、なんかお宝か?」

 皆が必死にバンガードの動かし方を探しているときに随分と不謹慎だなこの守銭奴は、とカタリナが思うのを他所にハリードがカタリナの横から穴を覗き込むと、確かに奥底から淡く青い光が漏れ出している。だが、その光についてハリードには即座に予測がついてしまった。

「・・・あれ、艦橋じゃねーか?」
「あぁ・・・位置的には、確かにそうかも」
「そうすると、これは通気口かなにか・・・でしょうか?」

 ハリードの予測に、カタリナとフェアリーが其々感想を述べる。

「で、何が足りないってんだ?」

 一頻り穴を眺めた後に、ハリードはカタリナの発言を振り返って尋ねる。すると、問われたカタリナは腕を組みつつ片手を顎に当てながら、数秒悩んだ。

「・・・何かが引っかかるんだけど、はっきりしないわ。ちょっと、艦橋に行ってみましょう」
「それも、指輪の『記憶』なのかねえ。案外それが問題解決の糸口なのかもな」

 ハリードの言葉は、満更でもない線を突いているのではないか、とカタリナも感じていた。
 抑も彼女はこれまでの人生で当然バンガードに足を踏み入れたこともないので、ここの光景に違和感を覚えることなど、あるはずも無いのだ。
 似たような景色との類似性から来る既視感かとも考えてみるものの、ロアーヌからあまり出たことのなかった彼女にしてみれば、他の街の景色に関する記憶はここ一年以内のものばかりなので、まだ忘れるにも早すぎる。
 だからこそこの感覚は、王家の指輪が持っている感覚なのではないかと考えるのも、そう破天荒な話ではないはずだ。
 そんなことを考えている間に、カタリナ達三人は早々に艦橋へと辿り着いた。
 其処には稼働を最小限に抑えるべく少数の玄武術士と、顔を突き合わせて相談をしている様子のウンディーネとボルカノが佇んでいた。
 彼女らの表情は矢張り疲労感も合わせ、明るくはない。

「・・・どうしたのだ」

 初めにカタリナ達に気がついたボルカノの呼びかけにカタリナが片手を上げて応えようとしたその矢先、ハリードがそれを遮るように艦橋の天井の一部を指差して声を上げた。

「お、あったぞ。あれだろう」

 ハリードの言葉にその場の全員が視線を彼の指の先に向けると、艦橋の天井には確かに、穴が開いていた。

「・・・通気口が、どうかしたのか」

 確かにそれは、誰がどう見ても通気口のようだ。
 だが、ボルカノがつまらなそうに穴を一瞥しながら吐き捨てるようにそう言う合間に、カタリナはその穴の真下に移動した。
 穴は、丁度イルカ像の直上に位置していた。

「あ、これよ、これ」

 カタリナは漸く胸の痞えが取れたような面持ちで、イルカ像と真上の穴を交互に見つめた。
 そして背後へと振り返り、ウンディーネとボルカノへ視線を向ける。

「これ、念じたら上に動いたりしないかしら」

 イルカ像の乗った台座を指差しながらの唐突なカタリナの申し出に二人は当然困惑の表情を見せたが、しかし彼女の目が真剣そのものであることを察して、試しに水晶にそのように意識を向けるよう近くの玄武術士に指示を出してみた。

ギギギ・・・

 すると驚くべきことに、程なくして台座がゆっくり上に上にと伸び始めたではないか。
 驚くウンディーネらを前に、そのまま台座はぴったりのサイズであった穴へと嵌り、しかしまだ上へと伸びていく。

「噴水に戻りましょう」

 カタリナがそう言うのを機に、ウンディーネらも共に市街区の噴水へと移動していった。
 そして彼女らが早足で噴水広場に舞い戻ったときには、艦橋から押し上げられたイルカ像がぴたりと噴水の天辺に収まっていた。

「・・・おい、何か可笑しいぞ」

 そのイルカ像を注意深く見ていたボルカノがそう指摘した正にその瞬間、なんとイルカ像が微細に振動しながら輝きを増し始め、その姿を変形させていく。

「翼が・・・」
「・・・生えましたね」

 カタリナの呟きに、フェアリーがそう答えながら自分の羽をぴくりと震わせる。
 なんと噴水の上に鎮座したイルカ像は、その背の部分から鳥の翼のようなものが生えた形に変形したのだ。
 そして更に、イルカ像の台座から見る見るうちに水が溢れ出し、枯れていた噴水に見る見るうちに水が満たされた。
 その様子を歩み寄って覗き込んだウンディーネは、はっとして背後のボルカノを呼んだ。

「ボルカノ、これを見て」
「・・・これは!」

 ウンディーネに続いてボルカノが噴水を覗き込むと、水で満たされた噴水にははっきりと、新たな魔力の流れを示す紋様が浮かび上がっていたのだ。
 二人は顔を見合わせると、どちらからともなく駆け出し、艦橋へと戻っていった。
 そんな彼女達の様子を眺めながら、カタリナは腰に手を当てて一息つく。

「どうやら、これで何とかなりそうね」
「そうなんですか?」

 今一流れの掴めていないフェアリーがそう尋ねると、カタリナは確信めいた様子で小さく頷いた。

「まぁ、少し待ってみましょう」

 カタリナがそう言ってから暫しののち、恐らくはウンディーネとボルカノの指示によって輝き出した翼の生えたイルカ像から放たれた青い光がバンガード全体を覆い、やがてバンガードが海中へと沈み出したのであった。

 

 

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第七章・8 -発進-

 

「・・・驚いた。これが船ですって・・・?」

 豊かな胸部の下でしなやかに組んでいた腕を無意識に解きながら、水術師ウンディーネはその空間を正しく圧倒される様な思いで見回した。
 空間全体から漏れ出でる様に仄かに青白い光が周囲を照らし、その場が全体的に微弱な鳴動を繰り返している。それはまるで、この部屋そのものが生きているのではないかと思えるほどに奇妙な動きだが、ウンディーネにはそれが何であるのか、大凡は分かっていた。

「ディー姉、ここは一体・・・」

 彼女の隣に付き従ったボルカノが、まるで自分の知らない異世界でも見ているかの様な表情で呟く。彼自身も世界を周り様々な遺跡を見てきたが、ここまで異様な場所は初めて目にするようだ。

「ここは・・・というかこのバンガードという街全体が、恐らくは・・・。俄かには、信じられないけれど・・・」

 ウンディーネが感嘆とした様子でそういうのを聴きながら彼女らに遅れてその空間に入ってきたカタリナは、彼女らの反応をまるで数日前の自分たちのように見ていた。
 一週間ほど前に初めて彼女がハーマンらと共にここに訪れた時も、一行はまるっきりウンディーネ等と同じような反応をしたものだ。
 だがその中でもカタリナだけは、このような空間に強烈な既視感を持っていた。
 それは彼女だけが見た魔王殿最深部や、火術要塞全体を照らす、あの微かな光と止まぬ鳴動。バンガード内部は、何処かそれと同じような感覚を覚えるのだ。
 これらの総称を、あれはそう、なんといったか。

「・・・これは船や、ましてや街などではないわ・・・。言うなればこの建造物全体が、超大型の魔導器ってところね」

 ウンディーネがそう呟くのを聞いて、カタリナは一人、そうだそうだとその言葉を脳内で反芻した。
 魔導器。それはカタリナがツヴァイクの西の森で教授から教えてもらったものだ。
 そしてその魔導器を扱う科学を世間では魔導科学と呼び、それは非常に古くからこの世界に存在が確認されていた科学分野である。しかし残念ながら現存する僅かな魔導器に関してもその構成理論の殆どが未解明であり、未だその大部分が謎に包まれているという。
 それら記憶と既視感の正体をカタリナがウンディーネらに話すと、ウンディーネは考えるように小さく唸りながら周囲を見渡した。

「・・・可能性の考察は勿論されていたけれど、いざ目の当たりにすると、圧巻の一言ね・・・」

 今やその大多数をカタリナ一行が所持している魔王遺物や聖王遺物は、これも大別すると所謂『魔導器』であるとされている。
 そして聖王記に記された数々の伝説の中でも一等理解の及ばぬ存在である「対魔海侯用決戦兵器バンガード」もまた聖王遺物であり、魔導器なのではないかとの説を唱える学者は一定数いたのだ。
 では抑も、聖王遺物とは何なのか。
 何しろこの疑問は、三百年前から数多くの学者の頭を悩ませてきた。
 いや、もっと言うならば六百年前の「魔王」という、四魔貴族をすら従える程の圧倒的な力を持ちながらも人の殻にあった存在を考察する時点で、今の人類にはどう足掻いても届き得ない未知の力が存在するのではないかと半ば諦め気味にすら考えられていた。
 例え世界一の名工が鍛えた武具と一流の戦士の一撃でも、天地六術式に精通した魔術師が放つ大魔術も、魔王や、そして聖王遺物のもつ力には遠く及ばないのだ。
 まだしも、その姿形からして規格外の四魔貴族の方が多少なりと力の根源への理解も及んでいるというものなのである。魔術の基本となる天地六術式とは異なる、人に害を為す瘴気・・・所謂「アビス」という属性。これを無尽蔵とも思えるほどにゲートから取り込み、行使する存在。それが四魔貴族だ。
 しかしそれらとも全く異なる力が、魔王や聖王遺物なのである。
 とは言え魔王遺物は、その殆どが長きに渡り行方知れずだった。そして存在の確認されていた幾つかの聖王遺物に関しては、聖王記に記された教えにより基本的に現在の所持者、若しくは資格あるもの以外の接触そのものが禁じられている。
 そんな状況の中で研究者が示した一つの推論が「聖王遺物=未知の魔導器」という説だった。
 つまりは、魔導科学そのものが不透明な分野であるからして、事実上のオーパーツ認定という事になる。

(まぁ、つまりマッドサイエンティストには御誂え向きの分野ってワケよね・・・)

 自分で依頼しておいて何だが、教授に火術要塞の調査を頼んだのは、これ以上ないほど的確であったとカタリナは確信している。
 きっと依頼さえすればこのバンガードのことも、勇み喜んで調査をする事だろう。
 同時に依頼をしたので一緒に居るはずのヨハンネスのことが多少気の毒には思えるが、まあ彼も一人黙々と研究を行うタイプの学者なので、恐らく大丈夫だろう。
 カタリナがそんなことを考えていると、ウンディーネは艦橋(ハーマンに言わせれば、ここは恐らくそうらしい)をしっかりと観察するように隅々まで歩き回った。
 この艦橋には入り口から正面を進んだ先に何かを設置するためのものと思われる台が設置してあり、その台を起点として左右対称になるように艦橋の中には等間隔に仄かに青白い光を灯す水晶の台が、合計六つある。
 其れ等の台や床、壁に至るまでをじっくりと調べたウンディーネは、一頻りそうした後になぜか、妙に艶のある吐息を漏らした。
 その吐息に反応して同じく艦橋を見て回っていたボルカノが何やら頭を掻きながら彼女の方を向くと、ウンディーネはうっとりとしたような視線で艦橋全体を眺めている。

「素晴らしい・・・ここは本当に素晴らしいわ」
「・・・?」

 その必要以上に艶めかしく何処か不穏な様子にカタリナが疑問符を浮かべていると、ボルカノは肩を竦めながらカタリナに助言をする。

「あぁ・・・あれはディー姉の癖だ。自分の興味が強く惹かれるものを見ると、大体ああなる。あまり気にしないでくれ」
「あら、そうなの・・・。なんだか貴方も、案外大変そうね」

 カタリナの憐れみを含んだような言葉にボルカノが「慣れている」とでも言いたげに諦め顔で答えたところに、遅れてハーマンが艦橋に入ってきた。

「・・・様子はどうだ」

 ウンディーネをここに呼んだのは誰あろう、このハーマンだった。
 この艦橋の存在が確認されるや否や直ぐにハーマンはバンガードからモウゼスへと伝書を出し、彼女らはそれに応えてここに来た。
 因みにハーマンはウンディーネのみを呼んだようだが、何故かボルカノも付いてきた事に対しては特に何も言及していないようだ。
 ハーマンの登場でどうやら我に帰った様子のウンディーネは、彼に歩み寄ると何かを悟ったような表情で、何かを欲しがるように片手をハーマンに向かって差し出した。

「オリハルコーン、貰い受けるわ」
「・・・よし、やろう」

 ハーマンはウンディーネの本心を理解しているのか、何のためらいもなく抱えていたオリハルコーン製のイルカを象った像を差し出した。
 それを受け取ったウンディーネは礼を述べるでもなく直ぐ様ハーマンに背を向け、艦橋の中央奥にある何も置かれていない台へと歩み寄る。そして徐に、イルカ像をその台の上へと置いた。
 あまりに確信めいた動きでそうしたものだから、一体何が起きるのかとカタリナは思わず固唾をのんで見守ったが、しかしそれだけでは特に何かが起こる気配もない。
 若干肩透かしを食ったような表情で訝しむ様子のハーマンと顔を見合わせるカタリナだったが、対してウンディーネはなんら気にする様子もなく、続けて部屋の中に等配置された水晶へと歩み寄った。

「・・・これは確かに魔導器ね。そして魔導器というものがどの様な構造であるのかを知りうる、素晴らしいヒントでもあるわ」

 そう言いながら、ウンディーネが水晶に触れる。すると幾許かの後、彼女が触れた水晶を起点に部屋に仄かな明かりを灯していた青が光量を一気に増し、鳴動が大きくなった。
 そしてミシミシと何かに罅が入る音が重苦しく何処かから響き、その次には同じく重苦しい轟音と共に、それまで真っ黒な壁だと思われていた外壁の外が大きく崩れ始めたのだ。
 そしてゆっくりと沈みゆく外壁(というよりは岩盤のようだ)の向こうに現れたのは、なんと微かに陽が差し込む海であった。
 この艦橋は、街の下部から海中に飛び出すようにして存在していたのだ。

「・・・すごい・・・。これ、全部硝子なの・・・?」

 カタリナは感嘆のため息をつきながら艦橋と海とを隔てる透明な外壁に歩み寄り、そこに触れる。すると非常に透明度の高い硝子に触れて手が止まり、その先には揺蕩う海藻や鳴動で散り散りに泳いでいく魚などが見えた。

「そういった精製技術にも確かに眼を見張るけれど、私が一番感心しているのはこれね」

 そういってウンディーネが視線で指し示したのは、地面に走っている紋様だった。
 その紋様は中央奥に配されたイルカ像と等配置された六つの水晶の台を繋ぐように描かれ、今は青くはっきりとした明かりを保っている。

「ディー姉・・・矢張りこれは、以前ディー姉の考察にあった・・・」

 ボルカノが紋様を見ながらそう呟くと、ウンディーネはまるで敢えて冷静を保つようにゆっくりと頷きながら応えた。

「ええ、これは恐らく私が研究している連携術の、その先にあるもの。そうね・・・陣形術、とでも言うのかしら。これが私の予想通りのものならば、オーパーツ化した魔導器には尽くこの理論が応用されている可能性が高いわ」

 ウンディーネがそう言いながら水晶から手を離すと、程なくして部屋を明るく照らしていた青い光は仄暗く鳴りを潜め、薄っすらとした光が灯るだけの元の状態に戻った。
 その様子を見て、次にウンディーネは自分の掌をじっと見つめる。その掌から感じるのは、僅かな疲労感。
 彼女の魔力総量は、この世界ではほとんど比肩されることのない領域にある。常人のそれと比較すること自体が馬鹿らしくなるほど、膨大なものだ。だがその彼女をして、今の一瞬この装置を作動させただけで僅かながらも疲労感を確かに感じる。そして、その作動装置である水晶が六基。
 ウンディーネは一頻りその感覚を体に刷り込んだ後、ハーマンへと視線を投げかけた。

「ねぇ、貴方はこれを動かすために私たちに協力を要請したのよね。一体これで、どこまで行こうと言うの?」

 問われたハーマンは、しばし無言で考えるような仕草をしながら、慣れた仕草で懐から煙草を取り出す。そして其れを咥えたところで、隣にいたカタリナに無慈悲にも煙草を口から引き抜かれてしまった。

「ちょっと、ここでは吸わないでって言ったでしょう」

 不快感を隠そうともせず、カタリナが煙草を摘みながらそう言う。実のところ彼女もミューズと同じく、と言うより実際はミューズ以上に煙草が苦手なのであった。
 なので自分も出入りすることが多い密閉空間でそうスパスパと煙草を吸われるのは、勘弁して欲しいのだ。
 ここに初めて入った時にそう言えばそんなことを忠告されたなと思い出したハーマンは、どこか調子が狂ったような表情をしながら頭を掻き、取り上げられた煙草を奪い取って大人しく仕舞いながら、うーんと唸った。

「・・・ま、何処にいくかは、動いてからのお楽しみだ。ただ言えることは、そうだな・・・。期間は正確とはいえねぇが、このデカブツが帆船と同程度の速度が出るなら、ここから往復で一ヶ月は掛からん筈だ」
「一ヶ月は掛からんって、簡単に言ってくれるわね」

 ウンディーネはもう一度自らの掌を見つめ、ゆっくりと握ったり指同士をこすりつけたりしながら、頭の中で大凡の計算を行っていく。自身が感じた疲労感と、それを六基で分散した場合の魔力消費量。それを長時間続ける際に必要になる魔力総量。
 やがてそれらに対しある程度の当たりをつけたウンディーネは、何故かハーマンではなくカタリナへと視線を向けた。

「魔術ギルドから、計三十六人の玄武術士を用意するわ。代わりに貴女、どうにかして術酒を・・・そうね、二百本程用意できないかしら」

 さらりととんでもないことを言い出すウンディーネに、カタリナは一瞬目を丸くした。
 術酒とはそもそも、通常の酒とは全く価格帯の異なる代物だ。なにしろ、その酒は術士の生命線である魔力を補充することができるという、正に奇跡の酒なのである。
 その精製にも抑も特殊な技術が必要であり、現在の魔術士の総人口と需要も相まって生産量はそう多くはない。当然その希少性に合わせて価格も常軌を逸しており、術酒一本あたりの平均取引額は、凡そ二百四十オーラム。これは実に、農業を営む平均的な一家の一ヶ月分の食費に相当する値段なのである。

「・・・ここで大宴会でも開く、って訳ではないようね。承知したわ。カンパニーの名にかけて、なんとかしてみる」

 しかしカタリナは、正面からしっかりとそう請け合った。
 ウンディーネは、けっして冗談をいっているようには見えない。彼女の中でバンガードを動かすにはそれが必要なのだと、そう判断した結果の要望なのだろう。魔術士としての感覚や経験値がないカタリナだからこそ、それは彼女の直感で信じるしかないのだ。
 その返答に満足そうに頷くウンディーネを他所に、さてどこから仕入れたものかとカタリナは腕組みしながら思案するのだった。

 

 

 ウンディーネの依頼から約二週間の後、今となっては忙しなく人の出入りが行われているバンガードの艦橋に、再びカタリナ達は立っていた。
 その場に現在集まっているのはカタリナとフェアリー、ウンディーネ、ボルカノとハーマン。そして十二人程の玄武術師だった。そして一応キャプテンもいた。
 ハリードやミューズ、シャールらは、街中(最早そこは『デッキ』と呼ぶべきなのかもしれないが)にて警戒任務と住民の最終避難調整に当たっている。
 この二週間で近隣の大都市であるウィルミントン、モウゼス、そしてヤーマスから可能な限りの術酒をかき集め、結果カタリナは二百三十本程の術酒を買い付けした。短期間での急な買い付けとなったが、直近で買収完了していたドフォーレを通じてルーブ地方から広く買い付けが可能になったことが、この期間で用意が整った要因として大きい。というよりむしろ、この買い付けに関しては他の問題に比べれば結果としては随分と容易だったなと今となってはカタリナは感じていた。
 まず何しろ長期間の航海になることが予測されるので、海上で可能な限り現物調達するものの、保存食や飲料の準備の方が大変だった。そして今回の事のあらましのバンガード市民への説明と、同時に可能な限り市外への避難を呼びかけた。無論、それへの反発も少なからずあったのは想像に難くない。
 しかしその間にもフォルネウス兵による小規模な威力偵察が相次ぎ、その頻度が徐々に増えてきていることからして、大規模な侵略が確かに近づいてきていることが誰の目からも予感された。この事実が市民世論を動かしたことは大きい。
 そしてウンディーネとボルカノがバンガードに集った術士を指揮してバンガードの根幹装置起動に際し数度の実験を経て、遂に必要な状況が本日で整ったのだ。

「ディー姉、機動担当の配置も完了した。いつでもいける」
「分かったわ。それじゃあ始めるわよ・・・総員発進準備!順次シンクロ開始!」

 最早ウンディーネさんは自分の事をディー姉と呼ばれることに対する抵抗がすっかり消え失せてしまったのだな、等とカタリナが場違いに思い耽っているのを他所に、ウンディーネの掛け声に合わせ、その場に集まった十二人の玄武術士が其々の目の前にある水晶の台へと触れる。
 そして魔導器に自らの魔力を同調させ始めると艦橋内部は一気に光度が増し、一面の硝子壁の向こうに仄暗く佇む海中が照らし出された。

「出力50%程度。矢張り、この程度では陸の楔は引き剥がせないか。まだまだ供給量上げていくぞ!」

 ウンディーネの隣で水晶の様子を見ながらボルカノがそう檄を飛ばすと、それに合わせて術士たちは更に水晶へと集中する。
 つい一月程前までは街を二分してまで争っていたにも関わらず突然和解した上に、今やまるでウンディーネの片腕面で彼女の横に陣取っているボルカノの事をウンディーネ配下のこの術士達はどう思っているんだろうか等と斜め上のことをカタリナが考えている間にも、出力は大地の鎖を引き剝がさんと徐々にではあるが上昇していく。
 だが、そのまま出力上昇を続けるより先に、あからさまに凶兆を告げるかの如くバタバタと忙しない様子で艦橋に駆け込んできたものがあった。
 市街地で警鐘任務に当たっていたハリードだった。

「おいでなすったぜ。西太洋方面からアホみたいな数のフォルネウス兵がこちらに侵攻中だ」
「なんですって!?」

 突然のハリードの報告に驚いたカタリナは、確認するように艦橋前方に視線を向ける。方角的には、イルカ像設置の台がある方向が西に位置しているのだ。
 だが其処からでは、薄暗くて揺蕩う海の向こうまでは見通せない。

「目測では五百前後ってとこだ。あと十分もすればここに到達しそうな速度だ」
「来やがったか・・・」

 ハリードの報告に対してハーマンが毒吐くようにそう言いながら踵を返し、市街地に出ようとする。
 だがそれを、カタリナが止めに入った。

「状況確認は私がしてくるわ。ハーマンとウンディーネさんは、兎に角一刻も早くバンガード始動をお願い。フェアリーもここに残って、伝達役を頼めるかしら」

 ハーマンを含めたその場の全員が指示に頷くと、カタリナは急かすハリードと共に急いで艦橋から駆け上がっていった。

「・・・続けましょう」

 それを横目で見送ったウンディーネは、仕切り直す様に配下の術士たちに指示を出す。
 彼女が見つめる先には、六基の水晶台とそれに魔力を同調させる術士達。この二週間に繰り返した実験過程にて、その水晶に流す魔力量によって光度が増し、その光度にて大凡の稼働出力が判断できることはわかっている。
 そして今の時点で既に出力はほぼ100%に近い状態まで上っており、今の状態でバンガードが動き出していないことについて、ウンディーネはどうするべきかという問答を脳内で繰り返していた。

(・・・予測していた以上にバンガードと陸地との接着力が強い。体感振動からして、どう見繕っても今一歩という雰囲気でもないわ・・・。大地の鎖からこの馬鹿でかい船を引き剥がすには、出力100%では足りないみたい。私が直接イルカ像に魔力を流し込めば一時的に出力を限界以上に上げること自体は可能だと思うけれど、正直この触媒が限界を超えた高出力にどれだけ耐えられるのか、わからない。ここで無茶をして触媒たるイルカ像が砕けてしまえば、バンガードは二度と動かなくなってしまうわ・・・)

 ウンディーネが胸の下で腕を組みながら水晶に視線を合わせたまま思考する隣で、ボルカノもまた水晶を見つめながら思考していた。

(・・・こんな純度もサイズも馬鹿げたようなものではないが、希少石自体は、ほんの小さなカケラならば何種類かは見たことはある。確かに魔術触媒としては非常に優秀なものだが、しかしその耐久力に関しては未知の部分が多い。そもそも魔術士の常識としての魔術触媒とは、基本的に消耗品だ。恐らくオリハルコーンもその例に漏れず、我々の行うような触媒として用いれば数度の使用で黄金の輝きを失い砕け散るだろう。確かにあのイルカ像に関してはその規格外の大きさもさることながら、今回は媒介のアプローチが抑も従来と異なるので一概に我々の知識をそのまま当てはめることはできない。だが、それでも無理に負荷をかけてあの触媒が砕けることは絶対に避けねばならない。おそらくディー姉も同じ考えのはずだ。この膠着状態を打破するには、何かきっかけが必要。そのあたりの勘は、ディー姉の方が冴えている。ならば、俺は俺に出来ることをしなければな)

 変わらず考え込んでいるウンディーネを横目に、ボルカノは近くに設置していた机の上にあるメモを取り上げた。そこには、ここ二週間の実験データが纏められている。この情報を元に、オリハルコーンの特性に加えて彼が知る限りの魔術触媒知識を織り交ぜ、計算を行なっていく。
 出すべき答えは、触媒にとって無理のない範囲でウンディーネが最大出力で魔力供給を行える時間だ。
 これらの計算基準を出すことができるのは、古今東西の魔術触媒と錬成に特化した朱鳥術士であり、更にウンディーネの魔力放出量を詳細に知っているボルカノくらいのものだろう。

「・・・ディー姉。恐らくディー姉の最大出力同調にイルカ像が問題なく耐えられるのは、二十秒程度。それ以上は触媒に深刻な機能障害が発生する可能性が出てくる」
「・・・分かったわ、二十秒ね。あとは・・・その二十秒に賭けるきっかけがあれば・・・」

 彼のことを全面的に信用しているのか、全く疑う様子もなくボルカノの言葉を受けてウンディーネが硝子壁の向こうに視線を向けた、その瞬間だった。

ガツンッ

 分厚い硝子壁に衝撃音とともに勢いよく衝突してきたのは、醜悪な姿をした魚人のような妖魔だった。
 妖魔は単騎のようで、ガンガンと硝子を叩き鋭い爪を立てようとする。だが、その程度の攻撃ではこの艦橋部分はびくともしない。

「!!・・・フォ、フォルネウス兵・・・」
「もうここまで到達したか・・・。フェアリー、上の様子はどうなんだ!?」

 慄くウンディーネを気にしつつもボルカノが背後のフェアリーに振り向くと、フェアリーは両目を閉じながらふわりと浮いたまま、わずかに口を開いた。

「船首にて第一波と接敵。シャールさん達が交戦開始しました。個々の脅威は低いですが数が多いので、更に数の多い第二波にばらけて上陸されると厄介とのこと。カタリナさんはハリードさんと別れて北門へ、ハリードさんが南門へ向かったようです」
「正面が数で押し切られて全体にバラバラに街中まで侵入されてしまったら、バンガードを動かすどころではなくなってしまう・・・。く・・・一か八か、ディー姉の最大同調を限界突破して行うしかないのか・・・!」

 ボルカノがそう言った直後に、突如として艦橋全体が地震に見舞われたかのように大きく揺れた。

「な、なに!もうフォルネウス兵の攻撃なの!?」

 バランスを崩したウンディーネがボルカノの肩に摑まりながら周囲を見渡すが、特にフォルネウス兵がここまで侵入した様子はないようだ。
 慌てふためく術士達に水晶へと集中するようにウンディーネが声をかけている後ろで、フェアリーがボルカノに声をかけた。

「・・・あの、ボルカノさん。今の、カタリナさんの仕業みたいです」
「・・・なんだと・・・?」

 突然とんでもないことを言い出すフェアリーにボルカノが意味がわからないと言った様子で視線を合わせながら聞き返すと、フェアリーはふっと目を瞑り、数秒ののちに見開いた円らな瞳でボルカノを見つめ返した。

「北門付近で船と陸との接地面が緩むことを期待して、その場で地走りを放ったようです。少しは動いたか、と質問が来ました」
「・・・もっとその辺でぶっ放してと言って頂戴!」

 フェアリーの言葉に被せるように、ウンディーネが声を張り上げた。その言葉に驚いたように瞳を瞬かせながらウンディーネを見つめたフェアリーは、そのまま微笑みながら瞳を閉じる。
 それと同時にウンディーネはイルカ像へと駆け寄り、その本体へと手を添えながら前方の硝子壁の向こうを見つめる。
 先ほどまでそこにいたはずのフォルネウス兵は、直前の振動に反応してこの場を離れ、上陸へと行動を切り替えたようだ。その方が精神衛生上都合が良いと感じつつ、掌に精神を集中させていく。

「ボルカノ、集中するからカウントとって頂戴」
「了解」

 ボルカノの返事を殆ど待たずに、ウンディーネは掌以外の感覚を断ち、魔力をイルカ像に同調させる一点に集中し始めた。
 その直後、艦橋の中がこれまでに無いほどに蒼く光り輝き、その力強くも優しい光で壁の向こうの海が照らされる。
 なんと其処には一体どこから現れたのか、まるでバンガードが動き出すのを今か今かと待ちわびているかのような、イルカの群れが照らし出された。

「出力100%突破!もう少しだ、大地の鎖を断ち切れ!」

 ウンディーネと共に魔力を送り込む術士たちにも檄を飛ばしながら、ボルカノは艦橋全体の輝きに思わず行きを飲み込んだ。

「なんて魔力量だ・・・出力増大中・・・20・・・40・・・150%! 最大出力!」

 頭の中でカウントが十五を数えたところで、再度カタリナが放ったと思われる大きな振動が艦橋まで伝わってくる。
 それを感知したウンディーネが目を見開きながら更に集中すると、一瞬で収まるはずだった振動は寧ろその度合いを増し、更には地鳴りの様な音が大きく響いてきた。
 岩と岩が擦れる重苦しい音と、崩れた岩石が海に落ちて行く音。そして全ての魔力供給回路が稼働した艦橋に響く、巨大魔導器の鳴動音。
 そして固定された楔から放たれ大海原に飛び出し、その上で揺れ動くバンガード。
 聖王の時代から約三百年の時を超え、遂に海上要塞バンガードが、陸から離れた瞬間だった。

「ディー姉!」

 カウントをしていたボルカノの呼び声に合わせて、ウンディーネはイルカ像から手を離す。だがバンガード艦橋はウンディーネの魔力供給が無くなってもその輝きを保ち、そして西太洋目掛けて力強く進水し始めていた。

「・・・やったわね。ほらキャプテンさん、言うことがあるでしょう?」

 ウンディーネがそう言って振り返ると、近くにいたハーマンに肘で小突かれて漸く我に返った様子のバンガードキャプテンが、咳払いをして背筋を伸ばした。

「ゴ、ゴホン・・・。バンガード・・・発進!!」

 キャプテンの掛け声に、艦橋内の術士達が達成感と共に歓声を上げて応える。
 そんな一時的に空気が和んだ空間を横目に、何か変化がないか艦橋内を注意深く見渡していたボルカノは、バンガードが動き出したことによって今までは光が通っていなかった部分の回路が新たに淡く光っていることに気がついた。

「すまない、こちらに少し魔力が流れる様に意識してみてくれないか?」
「え、はい・・・やってみます」

 着目した部分に一番近い水晶を担当する二人組にボルカノがそう声をかけ、術士が戸惑いながらも意識をそちらに傾ける。
 するとそこに魔力がゆっくりと流れ込む様子が光で再現され、その壁際に埋め込まれていた水晶が光り輝いた。

「・・・船首にて交戦中のシャールさんから報告です。バンガード全体を覆う様に天術の障壁展開を確認。乗り込んできていたフォルネウス兵が無力化され、引き上げていくようです」

 フェアリーがボルカノに向かい、そう声をかける。
 その思わぬ朗報に、再び艦橋内は歓声に包まれた。

「成る程・・・アビスの瘴気を打ち消す仕掛けか。それなら、この巨大な船でもアビスの者に侵入されることはないな。素晴らしい」
「これで当面の航海は、安全そうね。でもそうなると其方への魔力供給も考えて編成を再度考えねばならないわ」

 ウンディーネの計算では、この船を動かすことについてのみ考えた魔力消費量を元に術士と術酒を集めている。それが他の機能も動かすとなれば、話は違ってくる事になるのだ。

「・・・それについては、俺に少し考えがある。俺なら集められた術酒に手を加えて、擬似的な霊酒を生成できる。恐らくこの障壁以外にも未発見の機能があるはずだから、それも見越して今のうちから作業に入ることにするよ」
「本当? 助かるわ」
「いや・・・こんなこと、なんでもないさ」

 ボルカノの提案にウンディーネが微笑みながら感謝の意を示すと、ボルカノはどこか無愛想な様子で応え、そそくさと艦橋を後にした。
 その背中を送ったウンディーネは、次にハーマンへと視線を投げかける。

「それで、どこへ行くの? バンガードで」
「最果ての島へ」

 間髪を入れずに、ハーマンはそう応えた。
 彼が艦橋の向こうに見つめる一点に、その最果ての島とやらがあるのだと言う。

「かつて、俺が流れ着いた島がある。兎に角、世界の果てまで西へ走り続けるのだ」

 

 

「バンガード、発進!! とか、私もちょっと言ってみたかったわ」
《ふふふ、キャプテンさんノリノリでしたよ》
「あは、すんごい想像できる」

 疎らに戦闘の痕跡が残った甲板部分で崩れた壁の一部に腰掛け、緩く心地よい潮風に当たりながら、カタリナはフェアリーとそんな軽口を交えつつバンガードの進む先、世界の最果てを見つめていた。

 

 

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第七章・7 -バンガード殺人事件-

 

 日中であるというのに何処か薄暗いその家屋の中には、数時間前に飛び散ったばかりであろうと思われる生々しい血痕が幾つも床や壁、そして家具にまで付着していた。
 室内に充満した血の匂いと外から運ばれてくる潮風が最悪な割合で混ざり合い、その不快指数はよもや瘴気の渦の中にいるのではないかと思うくらいにも感じられ、思わずカタリナは顔を顰める。
 かくして、海上都市バンガードの街を一夜にして恐怖のどん底に叩き落とした「新婚夫婦殺人事件」の現場を目の当たりにしたカタリナは、本件の調査の仕事を市から易々と引き受けたハリードに対し脳内で己の知る限りの呪詛を送りつけつつ、しかしそこは生真面目に現場検証を行っていた。

(・・・しかし、これは・・・)

 一通り部屋の中を慎重に観察したカタリナはどこか思い悩むように腕を組み、右手を顎に軽く触れさせながら思考する。
 モニカの専属護衛兼侍女になる以前、まだ彼女がロアーヌ騎士団候補生に所属していた時代。当時のカタリナは候補生としての鍛錬に励むとともに、訓練生に課せられた市街地の警護巡回等も積極的に行なっていた。
 彼女が騎士団候補生に所属していた頃は、奇しくも世界中が死蝕による混乱の真っ只中であった。史上最悪の天災にて失われた多くの命に心あるすべての者が嘆き、そしてアビスの瘴気の増加による妖魔の活性化に慄き、それらに乗じて人々の荒んだ心は治安の悪化という形で具現し、世界に蔓延っていたのだ。
 その中では歴史上でも類を見ないほどいち早く治安回復に努めた当時のロアーヌ侯フランツの元でさえ、城下町での傷害事件は当時、ままあることであった。そしてそれら事件の対処には、警護巡回を行なっていた騎士団候補生も人手不足を理由によく駆り出されたものだったのだ。
 その時に自分が対応した幾つもの事件の記憶を通して、彼女は今回の事件を見つめていた。

(なにかが、引っかかるのよね。今回の犯人の目的は、通常考えられるものとは違うように感じる・・・)

 殺害されたのは、この家に住んでいた男女の夫婦だそうだ。
 犯行現場は二箇所。家のすぐ外と、そして今彼女がいる寝室。夫婦の何方かが用を足したかなにかの瞬間に外で襲われたと見られる血痕があり、恐ろしいことにそこで襲われた被害者をわざわざ寝室まで引き摺っていき、そのままもう一人にも手を掛けたと見られる状況だった。
 犯行時間は深夜と見られ、特に現場の寝具周辺はかなり損壊が激しい状態だった。しかしそれ以外の箇所には特段荒らされた形跡がなく、化粧台や棚の類はまるで新しい一日の準備が始まるのを今か今かと待ち望んでいるようにも見えるほど、普段と変わりのない様相なのである。つまりは、金品の強盗が目的の犯行ではないであろう、という事が窺えるのだ。
 カタリナは、現場周囲の血痕へと視線を移した。

(・・・寝具周辺には、壁にまで派手に飛び散った血痕。そして、重量のある鋭利な刃物か何かで切り裂かれ砕けたと思われる寝具・・・。犯行に使われた凶器は、短剣とかそんな類のものではない。これは斧や戟、或いはもっと直接的な、そう、まるで大型の獣の爪のような・・・)

 彼女がその被害状況から予測を立てたその何れの凶器も、何しろ全く強盗に向くようなものではない。
 大抵の場合で強盗の使う凶器の定石は、短剣かそれに準ずる大きさの刃物だ。特に市街地での犯行となると、周囲の建物や障害物に太刀筋を阻害されない大きさであるということは、かなり重要である。彼女自身も、狭い空間では得意の大剣ではなくロングソードか、小回りのきくレイピアを用いた戦闘を心掛けている。
 対して重量のある武器はどうしても攻撃の初動で振りかぶる必要性があり、その威力と引き換えに素早さや隠密性を損ねる。軌道も大きく、何かにぶつかればその威力を大きく落とすことにもなる。それらの対価として、純粋な攻撃力に特化しているのだ。
 人間相手に犯行時間を短くしたい、そして極力隠密にしたいという行動には、全く以ってそぐわないわけである。

(強盗目的の線は、恐らくない。となると、殺すこと自体が目的だった・・・か。しかもこの凶器のチョイスは、かなり明確な殺意。その夫婦のどちらか、若しくは両方が、誰かに恨まれていた・・・色恋沙汰の私怨とかかしら・・・?)

 自分には縁のなさそうな犯行理由だな、等と思考が脇道に逸れつつもカタリナが事件のあらましについて想像を巡らせていると、いつの間にかその家屋の入り口に立つ人影があった。
 カタリナがその気配に直ぐに気づいて振り向くと、そこに居たのはこの調査を引き受けた張本人であり、そして肝心の現場をカタリナに任せて周辺の聞き込みを担当していた無責任の化身トルネードこと、ハリードであった。

「・・・何か手掛かりはあったの?」

 あからさまに不機嫌を匂わせる声色でカタリナが声をかけるが、数々の修羅場を潜り抜けてきたであろうハリードは、流石のどこ吹く風といった様子で応える。

「いや、今のところは特にないな。ここの夫婦は仲が良い事で評判でもあったようだが、特段それを恨む奴がいたという話も聞かない。そして似たような事件も直近にはなし。一応ギルドにも問い合わせてみたが、付近で強盗や野盗が出ているような情報もないな」

 ハリードが持ち帰ってきた情報は、残念ながら即座の解決につながるようなものではないようだ。
 カタリナは今の内容を元に、無言でもう少し推論を進めることにする。

(強盗でもなく、どうやら個人的な恨みの線もなし・・・。となれば、『殺人行為そのもの』が目的の可能性が高いか・・・)

 カタリナは改めて破壊された寝具をじっくりと見入るようにしゃがみ込み、その砕かれた断面を指先でなぞる。
 相当な殺意を持っていたのか、いくつもの断裂が刻まれた大小の木片がそこら中に散らばっている。
 しかし周囲を見渡せば、何度確認しようとも他の何処にも荒らされた形跡はない。

(・・・得物の選択は兎も角、犯行時間は極めて短時間。この威力で振り下ろされたら、即死だったでしょうね・・・)

 稀にある様な、所謂快楽殺人の可能性もあまり無いように彼女には感じられた。何故なら、この現場の様相を見る限りでは殺人行為そのものを楽しむにはあまりに呆気なく、そして彼女が感じるように凶器の選択は兎も角として、的確に最短で命を奪うための行動を行なっているようにしか思えないからだ。

(・・・仮に無差別に殺人そのものを目的とするなら、なお厄介ね。次の犯行場所を特定するのがかなり困難になるわ。殺せれば何処でも、誰でもいいって事だものね・・・。逆に付け入るなら、そこか・・・)

 ハリードがカタリナと同じく顔を顰めながら部屋の中を確認している横で、組んだ腕を小気味好く指でリズミカルに叩きながら今後の方策を考えていたカタリナは、一通り考えを煮詰めると、家屋の外へと出た。

「うん・・・試してみるかしらね」
「お、なにをするつもりなんだ?」

 カタリナに続いて出てきたハリードが彼女の呟きに反応すると、カタリナは腰に手を当てて姿勢を崩しながら肩を竦めた。

「次は、私達を殺しに来てもらうのよ」

 

 

 事件現場を出た足でそのまま調査の結果による推論を市長へと伝えたカタリナ達は、その夜、普通の宿では無く街離れの独立したコテージに泊まることとした。
 その上で南北にある街の出入り口には数人の衛兵を配備させ、日中に市民へ向けて夜間の戸締り厳重化も通達してもらい、街の中の警備を厳重にする。
 そして市街地には夜警巡回も行ってもらい、しかしその巡回経路には彼女らの泊まるコテージは含まれてはいないのだった。

「確かにこの状況で狙うのなら、このコテージが一番狙いやすいですね」

 皆で一つの部屋で寝ることが普段と違い楽しいようで、ミューズはどこか上機嫌な様子でベッドに腰掛けながらそう言った。

「まあ、昨日の今日で来るとは限らないですから、あまり期待もできないのですけれどね。というか、もう来ないならそれに越したことも無いのですが」

 カタリナもミューズの隣のベッドに腰掛けながら、談笑している。そして彼女らの間には、フラワースカーフを脱いでくつろいだ様子のフェアリーがふわふわと浮かびながら、二人の会話に耳を傾けていた。
 そして部屋を申し訳程度に二分する布製のパーテーションの向こうでは、ハリードとシャールが彼女らの会話をあえて聞かない様にと振舞いつつも、何やらどこか居心地悪げにしていた。

「・・・なぁ、一杯やるか?」

 不意にハリードが、腕を組んでベッドの上に坐禅を組みながら隣のベッドのシャールに声をかける。すると銀の手を乾いた布で丁寧に磨いていたシャールは、数秒ほど考える仕草を見せた。

「・・・いや、やめておこう」

 普段ならば即答しそうなものだが、どうやら居心地が悪いのは彼もそうらしく、珍しく躊躇しての回答だ。

「そうか・・・。しかし、あのジジイは何処に行ってんだろうなぁ」

 シャールに断りを入れられ少々残念そうにしたハリードだったが、ふと思い出したようにシャールのさらに隣にある、主のいないベッドを見つめながらそう呟いた。
 そこに本来いるはずなのは、モウゼスでの騒動の直後、このバンガードへ再び戻ることを強引に提案して推し進めた張本人である、ハーマンだ。
 無事に古代魔術書の解読をウンディーネに依頼出来たが矢張り時間がかかるとの事で、その間は構わないだろうと一行はハーマンの提案に添ってバンガードへと戻ってきていた。
 だがバンガードへと着いた途端、ハーマンは「用事がある」とだけ言い残し集団行動を離れ、それから既に三日ほど合流していないのだ。
 その間にこの様な事件が起き、戦慄するバンガード市内でハリードが調査依頼を引き受けてきた、という流れなのであった。

「さあな。まあ、彼が昔船乗りだったというのならばこのバンガードは聖地だ。恐らく昔馴染みでもいるのだろうさ」

 シャールはそこまで興味がない様子で、そうとだけ答えた。
 彼の言う聖地の由来は、この街が持つ伝説によるものだ。
 三百年の昔にバンガードと名付けられたこの都市は、かつて聖王とその仲間によって造られた、『対魔海侯用の決戦兵器』であったのだという。
 世界中の海を支配する魔海侯に対し七度船を作り七度挑むも悉く敗れた聖王は、七度目の遠征によって勇士チャールズ=フルブライトの戦死というあまりに大きな犠牲を払った後、偉大なる玄武術師ヴァッサールの助言によって島を沈まぬ船とする事にした。
 冒険の末に聖王は神器オリハルコーンを得、玄武術師の協力を得てついに島を動かすことに成功。その島をバンガードと名付け、魔海侯の住まう海底宮へと突入し、遂に魔海侯をアビスへと追い返すことに成功したのだ。
 これが、聖王記に語り継がれる「魔海侯フォルネウス討伐の編」である。
 それ故にこのバンガードは古今東西に於ける『世界最大の船』であるとされ、また広大なる西太洋と内海を結ぶ重要な流通拠点であることも手伝い、世界中の船乗りからは聖地として崇められているというわけなのだ。
 だがこの伝説から三百年が経った今、陸続きでルーブ地方とガーター半島を結ぶバンガードが元は「島」であり、その上「動く要塞」であるなどと言う突飛な伝説を信じるものは、現地住民の中でさえ殆ど居なかった。

「ったく、昔馴染みに会うために俺たちまでここに連れてきたってか。御大層な身分だぜ。そんじゃあこっちも精々、稼がせてもらわないとな」

 ハリードは投げやりな様子でそういうと、両手を頭の後ろに回してベッドに寝転がった。
 するとそのタイミングで、パーテーションの向こうから声が掛かる。

「そろそろ寝ましょう。其方も明かりを消して頂戴」
「あぁ、わかった」

 カタリナの声にシャールが応え、程なくして蝋燭の火が吹き消される。
 僅かな星明かりもコテージの中へは差し込んで来ず、室内はすっかり暗闇だ。
 その中にあって夜目が利くハリードは、矢張り眠れぬ様子で頭の後ろに両手を回したまま、ぼんやりと暗がりに浮かぶ屋根の梁を見つめていた。

(昔馴染みに会いに・・・ねぇ。どうにも、あれがそんなタマだとは思えねぇな。あいつは間違いなく、もっと何か明確な目的があってこのバンガードに来ている。モウゼスでの魔術師との話しぶりも、元からそうするつもりだったとしか思えないしな。あのイルカの像・・・オリハルコーンといったか。あれはそもそも、あの爺さんが俺らを連れていった洞窟にあった代物だ。あれが今回の行動の鍵なのは間違い無い様だが・・・)

 モウゼスでウンディーネに何らかの協力を取り付けたハーマンの行動がどのような意味を持つのか、ハリードはしばらく考えた。
 だが、彼の目から見てもあの老人の魂胆は全く底が知れない。というかむしろ、今だにハリードは疑問に思う時があるのだ。あの老人は本当に見たままの老人なのだろうか、と。
 なにしろその根拠は、ハーマンのあの眼だ。
 戦場に生き様々な人の生き死にを見て来たハリードは、その瞳にその人物の生命力・・・言い換えれば「生きる意思」のようなものが映し出されるということを本能で理解していた。
 キラキラした瞳の子供と、霞んだ瞳の老人。今にも息絶えんとする人の虚ろな眼光や、どの様な傷を負おうとも戦場から生きて帰る猛者の爛々たる瞳。生きているのにその意味を見出していないかのうような愚民の霞んだ瞳に、例え貧しくとも希望を抱く民の眩い瞳。
 それらの瞳を識るハリードからすれば、あのハーマンという男の瞳は、まるで老人のそれではないのだ。その生命力が凝縮されたかの様な瞳には、ともすれば自分と同じ様な匂いすら感じる。
 それは何かを失い、それを取り戻すために生き続ける者の匂いだ。

(あの爺さん、あの洞窟で「自分の左足はまだある」といっていた。そしてそれを回収するために恐らく必要だ、といっていたのが、あのイルカ像だ。オリハルコーンには、玄武の力を増幅する力があるらしい。そのためにウンディーネと協力関係を結び、そして次に向かったのがこのバンガード・・・。嘗て聖王三傑のヴァッサールが作り上げたという伝説の残るこの都市で、一体何をしようっていうんだかな・・・)

 そうして考えを巡らせていたハリードは、やがて不意にゆっくりと起き上がった。なんのことはない、用を足したくなっただけだ。周囲に迷惑をかけぬ様なるべく音を立てず気配を消しながら、コテージの外へと出ようとする。
 だが、扉の手前で少々傷んでいたらしい床板を踏みつけてしまい、ギシリと木材の軋む音がする。
 瞬間、準備していたかの様に朱鳥の炎で部屋中が照らされ、武器を構えたカタリナとシャールとフェアリー、そして詠唱に入らんとするミューズにハリードは囲まれた。

「・・・あー、すまん。トイレ」
「トイレなら寝る前に行ってよ、もう!」

 両手を上げながら戯けて言ってみせるハリードにカタリナが呆れた顔で武器を仕舞いながら悪態を吐き、再び明かりを消してそれぞれのベッドに戻ろうとする。

 だが全員がベッドに戻った直後、コテージの外からまるで突き刺す様な殺気が流れ込んでくるのをその場の全員が感じた。
 そして静まり返った中では異様に大きく響く水が滴る様な足音が、徐々に徐々にコテージへと近づいてくるのだ。
 それがいよいよ扉を開け中に入って来たと思われた瞬間、再びカタリナたちはシャールの明かりを合図に侵入者を武装して取り囲んだ。

「あまいわね!・・・って、こいつら・・・!?」

 そこに居たのは、人ではなかった。
 全身に帯びた水気。両腕の先に生えた巨大で鋭利な爪。全身を守るように生え揃った鱗。そして元は魚類と思われる、醜悪な顔。その様な姿の魔物が、三体その場にいた。
 カタリナは、この魔物と同じようなものを以前にも見たことがあった。
 それは嘗て彼女がピドナからグレートアーチに向かった際に船の上で遭遇した、フェアリーを襲おうとしていた魔物だ。だが、明らかにその時に出会ったものよりも目の前の魔物は凶悪さが増しているように見える。
 カタリナがその様な感想を抱くが、目の前の魔物はその様なことには無論全く構うことなく、それぞれが最も近い人物に襲い掛かった。
 だがそれぞれの魔物が振り下ろした爪はハリードの曲刀、シャールの銀の手、そしてカタリナのロングソードに阻まれた。

「外に押し出すぞ!」

 シャールの合図でカタリナとハリードが二匹を押し返すと、シャールは炎の障壁を展開しコテージの扉面ごと三匹の魔物を外へと吹き飛ばした。
 見た目通り熱属性は苦手なのか魔物が苦しんでいるところに、半壊したコテージから飛び出したハリードとカタリナ、フェアリーが一気に魔物へと距離を詰める。
 三者がそれぞれ勢いをつけて手持ちの得物を振り下ろすが、思いの外素早い魔物は後方に飛び退ることで三人の攻撃を回避する。
 だがその直後、魔物たちにとっては全く予期せぬことが起こった。
 突如として魔物の後方から吹き荒れた強烈な突風に、魔物はまるで巻き戻されるかの様にカタリナたちの前へと吹き飛ばされる。それを好機と見た三人が得物を振るうと、三匹の魔物はそれが致命傷となり思いの外呆気なく絶命した。

「・・・ハーマン!」

 魔物を切り捨てたカタリナが見つめるその先には、術式展開を行った直後と思われるハーマンが佇んでいた。
 だがハーマンはカタリナの声に反応するでもなく、そのまま彼女らに近づいて来たかのと思うとその数歩手前で足を止めた。
 そして目の前で絶命した魔物を見下ろし、何故か壮絶な笑みを浮かべる。

「・・・ハーマン、一体どうしたというの。此奴らのことを、なにか知っているの?」

 ハーマンのその様子を訝しんだカタリナがそういうと、ハーマンはお馴染みの仕草で煙草を取り出し火を付け、深々と煙を吸い込む。そして深呼吸の後の様にゆっくりと煙を細く長く中空へと吐き出した後、漸く口を開いた。

「あぁ、此奴らのことは・・・よく知っているぜ。此奴らは・・・フォルネウスの兵隊だ」
「フォルネウスの・・・兵隊・・・?」

 唐突に出て来たその単語を、カタリナは繰り返す。フォルネウスとは即ち、四魔貴族の一柱、魔海侯フォルネウスのことだろうか。いや、此の期に及んでそれ以外を意味することなどあるはずもなかろうとは思うが、しかしあまりに突拍子も無いものだから、俄かには信じられないといった様子で彼女は言葉にしたのだ。

「そう、フォルネウス兵だ。殺人事件だのと街中じゃあ騒がれていたようだが、こりゃ威力偵察だろうな。どうやら奴ら、ついに動き出したらしい」
「動き出したって・・・一体・・・。貴方は、何を知っているの・・・?」

 ハーマンの訳知り顔の様子にカタリナが首をかしげると、ハーマンは勿体振る様に煙草を燻らせながら、フォルネウス兵の死骸を踏みつける。

「此奴らはな、このバンガードを攻めるつもりなのさ」
「なんですって・・・!?」

 事も無げに言い放つハーマンに、その場の一同は一様に驚きを隠せずにいた。
 その反応が何処か可笑しく感じるのか、ハーマンはけらけらと笑いながら踏み付けていた死骸を蹴り飛ばす。

「お前たちはこれっぽっちも信じていやしねぇだろうがな、このバンガードってのは、伝説の通り船なのさ。それも唯一、魔海侯フォルネウスに対抗することができる史上最強の軍船だ。だから此奴らがこのバンガードを攻めるのは、当たり前なんだよ。こいつさえぶっ壊しちまえば、自分らに対抗出来る船はないんだからな」

 突如としてハーマンが言い放ったその内容は、言葉だけならば余りに現実離れしている様にしか聞こえない。だが、それを事実たらしめていると思わせる証拠が、彼の足元に転がっている魔物の死骸だ。
 魔物は間違いなく、海から現れた。その形状、様相、そしてカタリナが過去に見た同種の魔物の状態から考えても、それは間違いないだろう。そして海に生きる魔物がこうして陸地にまで徘徊することなど、今まで前例を聞いたことがない。全く彼らの生活圏から外れる行動なのだ。つまりそれは何らかの目的があって行われた事であるのは間違いない。

「此奴らは尖兵だろうな。此奴をぶっ殺したからには、いずれは帰ってこない此奴らを訝しんでもっと大量のフォルネウス兵が来るぞ。この街は、このままにしておけば一月も待たずに魔物に蹂躙されて終わりってわけだ」
「・・・内容の割に、随分とあんたは冷静だな。つまりあんたはこれが分かっていてここに来た、というわけだ。一体、これからここで何をしようっつーんだ?」

 彼がモウゼスからここへとまっすぐ向かって来た事を訝しんでいたハリードが問いかけると、しかしハーマンはハリードではなくカタリナの方を見ながらニヤリと笑った。

「・・・なぁロアーヌの騎士様よ、アンタはどうする。今なら別に、この街を見捨てて去る事も出来るぞ」

 ハーマンにそう問いかけられたカタリナは、手にしていたロングソードを血振りして仕舞うと、腰に手を当ててため息をついた。

「分かりきったことを聞かないで頂戴。それにどうせ貴方が最初に四魔貴族の話を私に振った時に見据えていたのは、これなのでしょう?」
「けっ、面白くねぇ女だ」

 カタリナがハーマンとグレートアーチで初めて会った時のことを思い出しながら応えると、存外ハーマンは言葉と裏腹に何やら満足したような表情で煙草を踏み潰した。

「粗方の調べはついている。明日、ここのキャプテンのところに行くぞ」
「キャプテン・・・あぁ、市長のことね」

 フォルネウス討伐の伝説に準えてここバンガードの市長は、自らのことを伝統的にキャプテンと呼称するのだそうだ。カタリナはあまり気にしていなかったが、ハーマンは意外とそういうところは律儀に呼ぶのだなと意外に思いながら、壁が崩れたコテージへと歩いていくハーマンをカタリナは視線で追った。
 戦闘により半壊したおかげで野宿の様な有様となってしまったが、まぁ星空を見上げながらベッドで眠るというのも案外乙なものかもしれないな等と思いながらカタリナもベッドへと向かっていった。

 

 

「フォルネウス兵に襲われた?! 何て事だ、どうやって街を守ったらいいんだ・・・!」

 昨夜の事件のあらましを伝えると、バンガードの市長もといキャプテンはすっかり頭を抱え込む様にしながら唸り始めてしまった。彼にとってこの報告は、単なる殺人事件などとは比べ物にならないほどに衝撃的な展開であることだろう。彼はこのバンガードが過去に巨大な船であったことを信じて疑わない希少な住民の一人であるが、だからこそフォルネウス兵が襲ってくるという話をすんなり信じ、そして嘆いたのだ。
 それに対し、カタリナは項垂れるキャプテンに視線を合わせる様にしゃがみ込みながら、彼の瞳を見つめて言った。

「キャプテン・・・動かしましょう、バンガードを。聖王様はフォルネウスと戦うためにバンガードを作ったのよ」

 カタリナも今は、このバンガードが船であるということを不思議と疑うことはなかった。ハリードもどうやら同じ様子であるし、フェアリーは既にこの街の様々な生命から情報を得ているようだ。ミューズとシャールは、二人もまた聖王遺物に関わったものとして特に疑う様子もなく佇んでいる。ハーマンはそんな彼らを一番後方から、黙って見つめていた。
 それら一同に会した面々を前に、キャプテンは先程までの絶望に塗り固められた表情から若干生気を取り戻したように瞳に僅かな光を取り戻した。

「うむ・・・出来るだろうか・・・君は、勿論協力してくれるよね?」

 キャプテンが半ば縋り付く様にカタリナにそう問いかけると、カタリナは即座に肯定と答えようとした。だが、そこで彼女とキャプテンの前に空かさず割り込んだのは、無論のことハリードであった。

「おっとキャプテン。手伝うのは勿論吝かじゃあないんだが、こいつは昨日の殺人事件の調査とは完全に別口だぜ。それは、勿論分かってくれているよな?」
「む・・・そうだな。では、事件の調査料と合わせて、三千出そう」

 急に現実に引き戻されたキャプテンは、しかしハリードのそれも当然の要求だと理解し答えた。そしてその様子を見ていたカタリナは、このキャプテンの即答の反応にハリードが大層邪悪な笑みを浮かべたのを、見逃さなかった。

「おいおいキャプテン、これはそんじょそこらの調査や討伐とは段違いの仕事だ。もう一声ないと、割に合わないぜ・・・?」

 その瞬間、キャプテンの表情が固まる。そして彼が小さく「足元を見おって・・・」と呟いたのを聞いてカタリナが我が事の様に恥ずかしく思い顔に手を当てたのと同時に、キャプテンはハリードに対して五千オーラムを提示してきた。
 その提示額に、ハリードは満足げに頷く。

「それくらいでいいだろう。で、何をすればいいんだ?」

 後半は、後ろを振り返ってハーマンに対して聞いたものだ。
 その言葉を受けてハーマンは、煙草に火をつけながらいつの間にか手にしていた古い文献を開いた。

「まず、バンガードの内部へ入らなきゃならねぇ。おいキャプテン、この代々の市長の住まいである『船長室』は、その名の通り過去の艦長室の名残ってぇ伝説なんだよな?」
「あ、あぁ・・・そうだ」

 キャプテンがハーマンの言葉を肯定すると、ハーマンは何やら周囲を観察する様にゆっくりと部屋の中を歩き回りながら、手にした杖で何かを調べる様にコツコツと床を突いて回った。
 その様子をカタリナ達が不思議に思いながら見ていると、ハーマンはその視線に応える様に口を開く。

「この街はな、実際観察すればするほど、馬鹿でかい船の上に作られた様な形状をした街なのさ。東西に延びた横長の地形を全て囲う様にある外壁跡と、そこからこの『船長室』に至るまでに丘陵上に盛り上がった地形。まるでここだけ、船みてぇな形なんだよな。んでな、大型軍船ってのは大抵操舵室・・・まぁ艦橋っつーのがあるんだが、船の長がいる場所と艦橋ってのは、大抵の場合、直通通路があるはずなんだよ・・・」

 カツン、とそれまでの音とは違う音が、室内に響く。それは丁度キャプテンが居るあたりの床一面だ。
 ハーマンは無言でキャプテンに退く様に視線で訴える。そしてキャプテンがそれを感じ取ってそのまま退くと、彼は躊躇なく腰に備え付けたバイキングアクスをその床に叩きつけた。

「・・・ほらな」

 派手な衝撃音とともに板張りの床が砕け散ったその下には、なんと急角度で下へと向かう階段が現れたのであった。

 

 

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